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ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告

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ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 4
7
7∼4
9
0頁(2
0
1
2)
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
―教育領域における地域連携の意味と役割―
加藤
修1)
千葉大学教育学部
1)
三宅
吉村将人2)
中2)
千葉大学大学院教育学研究科修士課程
2)
伊藤香奈3)
画家
3)
大井
藍4)
足立区立伊興小学校
4)
The Report of Community-Based Art Project in the Perspective of ESD
KATO Osamu1)
MIYAKE Wataru2)
YOSHIMURA Masato2)
ITO Kana3)
OI Ai4)
Faculty of Education,Chiba University
Graduate School of Education, Chiba University, Graduate Student
Artist 4)Iko Adachi Ward Elementary School
1)
2)
3)
本稿は,各学部の専門領域に所属する学生が,自らが得意とする知識技術を発揮し連携しながら大学内外での実践
活動をすることで,自己のスキル向上に留まらず,各自の研究内容の知識技術が最終的に目指すコトが何であるのか
を体得することを目的とした普遍教育教養展開科目「アートをつくる」の4年間の実践例をあげながら,その内容を
ESDの観点から検証するものである。また,大学生の存在を市民と位置づけ恒常的に地域市民と恊働活動することで,
地域市民と次世代を担う彼らが,維持すべき価値観や新しい観点などについて確認し合う「場」を確保し,単なる知
識技術に偏ることのない実質的な能力の向上,問題意識を持つことから始まる他者理解など,教育的な意味の広がり
やその重要性を発見する過程の記録である。
キーワード:アートプロジェクト(Art Project) アートコミュニケーション(Art Communication)
ESD(Education for Sustainable Development)地域連携(Community-Based)
美術教育(Education of ART) 他者理解(Understanding of Others)
定常型社会(Steady-State Society)
目次
¿ はじめに
À 持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)という観点の基本的利点
Á 大学教育における地域連携アートプロジェクトの意
味
 2
0
1
1年度地域連携アートプロジェクトの実践記録
à アートプロジェクトに対する学生による考察の一例
Ä ま と め
経過したが,その継続的実践から得られた活動の方向性
の明確化や活動スタッフのネットワークの拡張により,
プロジェクトには更なる発展的可能性が期待される。本
稿は,アートコミュニケーションをキーワードに,制作
活動をツールとしながら1
0年以上にわたり行ってきた地
域連携プロジェクトの概要と,特に今年度の活動内容を
具体的に取り上げ,ESDの観点から検証することで,今
後も継続する活動のさらなる適切で効果的な方向性を見
いだそうとするものである。
持続可能な開発のための教育(Education for
Sustainable Development)という観点の基本的
利点
À
¿ はじめに
現在の美術教育を通しても見えてくる,現代社会その
ものが抱えた問題とも言うべき,実践力を伴わない理論
の偏重,または目的の曖昧な活動内容に対する危機感に
対し,総合大学の利点とする各種専門領域の配置を用い,
それぞれに所属する学生が連携し活動することを通して,
それぞれがまたは互いに,研究目的を確認し実践力の獲
得が可能なフィールドを確保してきた。活動初期は,私
の担当するゼミ学生を中心にそのネットワークで集まっ
た学生が連携しながら実践を繰り返していたが,展開し
て い る 活 動 内 容 の 社 会 的・時 代 的 要 請 を 強 く 実 感
し,2
0
0
7年に千葉大学 普 遍 教 育 教 養 展 開 科 目 と し て
「アートをつくる」を立ち上げた。さまざまな可能性を
期待しながら,アートプロジェクトを始めて既に1
3年を
連絡先著者:加藤
修
4
7
7
普遍教育教養展開科目「アートをつくる」では,各学
部の専門領域に所属する学生が集まり,彼らが得意とす
る知識技術を発揮し大学内外で実践活動をすることで,
自己のスキル向上にとどまらず,異なる専門領域であっ
てもそれが最終的に目指すコトが何であるのかを体得す
ることを目的としている。たとえば,知識偏重により実
践力を伴わない理論家や,人の存在・尊厳を軽視したデ
ザイン思考などの問題点を,学生自らが発見する機会と
する。また,大学を,一定期間学生が籍を置く通過点と
して位置づけるのではなく,常に活動力のある一定年齢
の学生で満たされた人材バンクとして捉え,恒常的に地
域市民として組み込むことで安定した地域活力の向上に
つなげるとともに,互いの恊働活動を通して地域市民と
次世代を担う彼らとが,守るべき価値観や新しい観点な
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
どについて確認し合う「場」となることを目指した。
ESDの観点から地域と連携したアートプロジェクトの
運営を考えた場合,授業経営の立場からは,授業の目的
が年度を重ねるごとに明確に学生に理解され,授業内で
の各自の専門領域を生かした役割分担がなされ効率化が
図れる。たとえば,美術における作品制作とは異なり,
物体として残ることのないプロジェクトの活動は写真・
文章で記録することが重要となるが,そのドキュメント
作成にあたっては,コンピューターの操作技術が高い工
学部学生の役割が大きく,またプロジェクト内でのワー
クショップ等では,設定した対象年齢に対し,柔軟で的
確な対応をする教育学部学生の役割も大きい。そうした
専門性を互いに認めることで,授業内の連携も確実なも
のとなる。そして地域連携プロジェクトの継続的運営に
より,学生と地域市民間でも意見交換が密度を増し,世
代・領域を越えた価値観の伝達が充実し,先ほどと同様
に,各自の役割が明確化し効果的な実践活動が可能とな
る。
大学教育における地域連携アートプロジェクト
の意味
Á
アート系ワークショップでは,作業的に軽易な内容を
ツールとすることで,参加者が互いに心地よい距離感を
保ちながら短時間で信頼感を構築し,意見交換できる環
境を整えることが可能である。
大学赴任後,最初の企画は西千葉駅構内の壁画制作で,
大学生のコミュニケーション力や活動量を確認すること
ができた。ただそれらをシステムとして,地域にどのよ
うに連携するかについて気がつくまでにはしばらく時間
を要した。以前,私は高校の教員として1
5年間勤務して
いたが,その中で美術を通した教育の可能性を実感する
と同時に,教育現場における美術の位置づけなども体験
することができた。大学受験を前提とした教育現場の歪
曲した価値基準が,人間育成にもたらす影響については
危機感を感じた。当時,美術部の活動内で,イメージト
レーニングという言い方でテーマに対する制作と発表を
繰り返したが,それは発想や思考の柔軟さを養うと同時
に,作品のコンセプトを明確化させる経験を通して,自
己の価値観の確立を導いた。また,発表するという行為
の繰り返しは,意見をまとめることやコミュニケーショ
ン能力の向上にもつながった。1学年の生徒数が1
0
0
0人
のマンモス校において,そこから抽出される美術部に入
部する毎年ほぼ1
0人の生徒の美術に対する関心の度合い
や活動意欲は極めて高かった。年に1回,美術館を借り
きり開催する美術部在校生およびOBによる作品発表で
は,高校生の発想力・思考力,高い問題解決力に裏付け
された新感覚の美術を提案した。そのような経験の中で
私自身も,美術を通した人間育成の可能性を十分に実感
することができた。大学赴任後も,大学入試という狭き
門を通過した図工科,美術科合わせて1学年2
0名の学生
を対象に,学生が互いに制作と発表をしながら多様な造
形思考や価値観を確認し合うスタイルの教育活動をして
きたが,学生集団の性格や規模の変化などにより活動範
囲の質と量には限界が生まれた。しかし大学卒業後,特
4
7
8
に教育学部学生は次世代を牽引する役割を担うのである
から,在学中の彼らはどうしても,実践的環境における
多様な価値観との出会いやそれらに対する対応力を身に
つけていなくてはならない。社会全体のコミュニケー
ション力の低下や,善悪の判断基準の不明確さがとりざ
たされる状況において,教員自身が同等な資質であって
はならず,むしろそういった社会の中において前線で対
応する役割なのである。私のプロジェクトの社会的要請
度は十分に高まったと感じた。
そこで,総合大学としての千葉大学の特徴を生かし,
多学部の学生が自由に履修することが可能な普遍教育教
養展開科目で授業「アートをつくる」を立ち上げ,多く
の学生がそれぞれの専門分野を生かし,また互いの専門
領域を認めながら活動できる環境を確保した。受講者は
プロジェクトの企画段階から活発な意見交換を繰返し,
地域実践するまでに行う様々な活動の中で,自己の専門
性や役割をいっそう明確にする。また,実際に地域にお
いて協働活動をするなかで地域住民ともコミュニケー
ションをとることとなり,活動人数の少なさを原因とす
るコミュニケーション力向上の機会の乏しさという状況
を解消することができた。理論中心または専門性を高め
る過程で希薄になりがちな各種領域とのつながりを補い,
バランス感覚と実践的能力を併せ持った専門領域人の育
成を可能にしている。地域連携活動に際し,大学生らは
地域住民に何らかのプラス的要因,または課題を投げか
けようと活動に臨むが,実際には大学生自身こそが活動
の中から大きな収穫というべき課題を得ることとなる。
そういった効果を想定し,アートプロジェクトに参加し
恊働する互いの人間が,共に益となる活動施設や地域を
見いだすことが私の重要な役割となる。そこで,アート
プロジェクトの参加募集対象,または何を「地域」とし
て捉えるかについては時間をかけて考察してきた。アー
トプロジェクト活動の初期段階から参加対象として求め
たのは,病院の患者さん,小学生,介護施設利用者であ
るが,それは善悪の判断に打算を持ち込まない年代や,
達観した立場や年代からの価値観を,大学生に触れさせ
たかったためである。
1)2
0
0
7年度の実践から
普遍教育科目「アートをつくる」としての活動は2
0
0
7
年度からだが,まず取り組んだのは,小学校における活
動である。見方によると教育実習のミニサイズのように
も見られるが,明らかに異なるのは,学校現場での現行
の教育活動に倣うことを重視するのではなく,各学部学
生の新鮮な視点から学校環境を捉え,提案として企画を
つくることや,その企画内容での実践受け入れ可能な協
力校を探すところから始めることである。教育実習とし
て,多数の大学生を配置するためには運営のシステム化
は必須だが,実践するにあたっての環境が他者に整えら
れた活動は,往々にして本人たちのモチベーションを高
めない。企画のプレゼンから始めるという行為は,自己
の想定力が社会にどのように評価されるかを始めて知る
機会であると同時に,企画することの責任を実感する機
会でもある。すべてが保証されてはいないという状況が
学生を育て,企画が認められた時の達成感が,実践終了
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
までのモチベーションを高く保つ原動力となる。しかし,
そういった「アートをつくる」の特質であり利点も,授
業立ち上げ当初は,他の授業と比較した場合の単位取得
に対する労力の差を疑問として捉えた学生も少なくない。
十分理解できた学生は,その利点を生かして授業提案を
し,実践経験を積むことが出来た。
写真1
工学部学生による中学校でのワークショップ
授業シラバスは立ち上げ初年度は,「アートをつくる
¿」として前期授業として運営したが,2年目は,前期
を「アートをつくる¿」として企画制作,後期を「アー
トをつくるÀ」として企画の実践期間とした。3年目は
「アートをつくる¿」
「アートをつくるÀ」
「アートをつ
くるÁ」
「アートをつくるÂ」として,2年間の継続的
活動の単位化にも対応した。継続的に授業経営をするこ
とで,授業内容を理解した上で,自分を発揮する場を求
めて受講する学生は確実に増えた。
さて,大学生の実践的な仕事の処理力はどのように推
移しているのだろうか。企画制作・実践を含めその完成
度が,こちらが期待したところまで到達しないこともよ
くある。専門的知識や技術自体とは別に,その応用部分
やそこにつなげるための全体の流れを想定し環境確保す
る力については不十分で今後の変化を望んでいる。おそ
らく,大学入試を最優先に家族や社会全体が彼らを誘導
した結果として,経験に裏づけられた知識やコミュニ
ケーション力が十分に育っておらず,日本における実践
経験の軽視・理論偏重傾向による弊害が予想以上に深く
進行していることが伺える。逆に言えば,だからこそ,
バランスのとれた学生育成の機会として本授業の意義が
ある。
2)2
0
0
8年度の実践から
2年目は「地域」というものの定義について考える年
度となった。2
0
0
8年度は,病院,駅で活動展開すること
となったが,改めてその「場」の意味について考えを深
めた。街環境においては,両者共に施設としての役割を
担っているが,「地域」としての性格を持った空間であ
るか否かの違いがある。一日のサイクルを単位として時
間を共有し一定期間滞在する病院は,個々人の心理的な
距離感はあったとしても共同体としての地域的な意味合
いが成り立つ。しかし,目的地に向かうための通過点と
して存在する駅には,人間間のコミュニティが生まれる
ことは少ない。また,病院の患者さんとは異なり,駅利
用者の境遇は特定することは出来ず,互いの痛みを知る
4
7
9
手がかりも与えられてはいない。ただ,一見すると共通
性の少ないその2つの施設にも共通点はある。それは時
間的な長短の差はあるとしても病院も駅と同じように通
過点ということである。おそらく数日間の入院では患者
さん同士のコミュニティも芽生えることは少なく,共有
する時間数や施設内の環境などが,コミュニティとして
の「地域」成立を決定づけるようだ。
当初,病院内でワークショップをするにあたり,患者
さんへの接し方には極めて慎重になっていたが,実際に
活動すると彼らは予想以上ににこやかで,その夢中な姿
に安堵した。彼らによると,検査結果を待つ時間が最も
辛いと言う。仕事をしていたはずの自分が,気がつくと
テレビの前に意味もなく座って時間を過ごしているとい
うのだ。そういった状況に対しては,ワークショップの
簡易な作品制作もその意味は大きく,大学生と患者さん
の会話も価値観の伝達として意義あるものとなっていた。
そして,学生が自然木で組み立てた大型のオブジェに,
患者さんの作品を取りつけ光を灯すことで,コミュニ
ティの一員同士が,ともに手を携えるということの大切
さを伝えるワークショップのコンセプトが,患者さんに
的確に伝わることを願った。病院という負のイメージの
環境ではあっても,そこで経験したワークショップでの
貴重な価値観の確認作業が,退院後,地元地域に戻る彼
らによって確実にその地域で伝播をしてもらえれば,施
設という最小単位の地域から,広がりのある地域として
進展させることが可能となる。入院期間も,まさに先に
進むための前向きな待ち時間となり,「通過点」となる
のである。(写真2,3,4参照)
また,駅では構内に壁画制作をしたのだが,利用者数
の多い施設ということからしても作品の伝達効果は大き
く,そのコンセプトによっては街全体の意識向上にもつ
ながると考えた。確かに,足速に通過する空間ではある
が,それを各自の家の玄関として受け入れる状況をつく
ることができれば変化は期待できる。この年は駅におけ
る殺傷事件が2件も続いた年である。そこで,過去に二
度大学生による壁画制作を実践した壁を用い,今回は鑑
賞者が自分のこととしてそれを受け入れ,ホッと温かく
なれる作品づくりを特に目指した。それまでは大学生ス
タッフのみによる制作をしてきたが,近隣の小学校3校
の協力を得て,まず,小学3・4年生を対象に各学校に
おいて大学生がワークショップを行った。小学生には各
自A4サイズの画用紙に抽象絵画を制作してもらい,全
体で4
0
0枚の作品を集めた。さらに,小学生からはワク
ワクドキドキした時の言葉も集めた。そして3週間かけ
て,大学生がその4
0
0枚の抽象作品を壁面に貼り,大地
とそこに浮かぶ3つの雲を表現し,ワクワクドキドキし
た時の言葉もレタリングした。それまでの壁画と異なる
のは,大学生が勝手に絵柄を決めて描くのではなく,誰
もが通過してきた小学校時代を思い起こさせる小学生の
作品や言葉を画面に取り入れていることである。書き入
れた言葉は,「メダカが生まれた」
「始めてピッチャーを
やった」
「虹を見たとき」
「犬を飼っていいと言われた」
などの約3
0編である。壁画が駅利用者に愛されているこ
とは,制作後3年が経過したにも関わらず,いたずらさ
れることなく,凹みも傷もないことからも伺い知ること
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
写真5
アートプロジェクト「西千葉駅壁画制作」
抽象画を制作するワークショップ
(協力校:轟町小学校,弥生小学校,千葉大学附属小学校)
写真2,3,4
ワークショップ「患者さんとつくる」
制作過程と作品展示/千葉大学医学部附属病院
写真6
アートプロジェクト「西千葉駅壁画制作」
大学生による西千葉駅構内での制作
が出来る。(写真5,6参照)
「地域」とは歴史に裏付けられた土地を背景とする地
盤としての意味が通常であるが,現代社会においては,
その前提条件を満たせる集団は少なくなる傾向にある。
つまり,生活環境自体の急速な変化や,頻繁な人の移動
の繰り返しなどにより,一個人を単位とするコミュニ
ティベースそのものに「地域」という概念を重ねるべき
かもしれない。そしてまた現代社会こそ,その概念に基
づく親和的な環境を人が必要としていることも間違いな
い。この尺度こそが,その後の地域連携活動をする際の
シンプルで重要な基準となった。
れた地盤も,長い時間を要する「通過点」として理解す
ることが可能だからである。
地盤としての地域での活動に際しては,地域活性を目
的とする各地のNPOと連携することが多く,スタッフ
側の各種組織の連携も重要となることを実感した。
NPOは,その地域において,必要から生まれた客観的
に認知されたコミュニティシステムであり,短期間では
収集困難な地域に関する情報を持った拠点である。よっ
て,ワークショップを企画するにあたっても具体的な状
況を把握しやすくしている。また,「アートをつくる」
に対する外部からの期待も理解できた。それはバランス
感覚のある活力ある人材バンクとしての役割である。学
生を市民として位置づけることの意義を強く感じたのも
この時期である。(写真7,8,9,1
0参照)
また,この年は千葉大学医学部附属病院において大掛
かりな壁画制作をした年である。制作リーダーは「アー
3)2
0
0
9年度の実践から
3年目は,2
0
0
8年で得られた「一個人を単位とするコ
ミュニティベースそのものを地域とする」という尺度を
前提にしながら,地盤としても特色のある地域へ活動範
囲を広げた。それは言い方を変えれば,歴史に裏付けら
4
8
0
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
トをつくる」の初年度TAを務めた学生で,その制作ア
シスタントを「アートをつくる」2
0
0
9の学生が務めた。
授業継続により生まれた理想的な1つのかたちと言える。
(写真1
1,1
2,1
3参照)
写真7
4)2
0
1
0年度の実践から
4年目はこれまでの実績をもとに,活動の範囲を一気
に拡大した。また,病院での活動も3年目を迎え,活動
時期を楽しみにしてもらえるようになった。病院での活
動は,「アートをつくる」の当初からの活動目的や意志
を確認する場でもある。
この年新たに,または整理した形で活動の柱として加
えたのは,)地域活性*教育普及+アート提言といった
3つの視点である。活動実践はすべて施設で行ったが,
それらの特質を最大限に発揮させながら明確な目的の見
える提案をした。
¸ ワークショップ「発光する記憶たち」
0
登録有形文化財大野屋旅館8/2
0∼2
9
作品パネル展示8/2
この企画の最大の特色は,文化財という国が定めた価
値基準を有した場を会場としている点である。有形文化
財になっているかどうかは別にしても,日本各地にある
価値あるモノ・コトを守るためにも,それを軸にしなが
ら展開する活動のあり方を提案することが目的にあった。
まず,地域住民がその存在を知り,自分の感覚で実感す
ることが重要で,その機会をつくるための企画と言える。
参加者には各自にとって大切なモノ(シャーレに入れ
るので直径9cm厚さ2cm以内)を思い思いに持参して
もらい,その解説文と共にシャーレに入れ光を灯す。会
場となる文化財の三階1
1
4畳の広間には,予め私が制作
した,人生を生きる人に見立てた鉛の小舟と,メッセー
ジを印刷したシャーレを配置してあるが,そこに参加者
各自が制作したシャーレの作品を1つずつ置いていく。
1つの光はわずかに発光するものだが,徐々に広がる状
況は圧巻である。この一連の作業は,まず,各自が自分
にとって大切なモノが何であるのかを考える作業から始
まり,参加者全員の前で発表することで自己の考えを明
確化させる。さらに,すでに設置された作品の中に自作
品を配置することにより,作品を鑑賞する立場から,
メッセージを発信する立場を経験する。それは普段の生
活においてもそのまま参考とすべき内容で,個々人が意
見を持ち,社会に発信する練習の場でもある。ワーク
ショップは最後に,「時間を共有し,一人一人がシャー
レに大切なものを入れるという作業をしてきましたが,
その内容のすべてが,文化財である大野屋旅館という
シャーレの中で行われた大切なモノ・コトのように思い
ます。
」と締めくくった。(写真1
4,1
5参照)
ワークショップ「発光する記憶たち」は,前年度,君
津市久留里において開催された現代アート展から始めた
内容で,その際はNPO法人久留里フィールドミュージ
アムのメンバーの一人が買い支えた明治期の日本建築の
民家を会場に行った。
ワークショップ「発光する記憶たち」
久留里現代アート展À
写真8
ワークショップ「等身大から始めよう」
久留里現代アート展À
写真9,1
0 ワークショップ「色彩で対話しましょう」
作品制作/美浜団地内3カ所のショッピングセンター
4
8
1
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
写真1
4,1
5 ワークショップ「発光する記憶たち」
作品制作,
自作品の配置/登録有形文化財大野屋旅館
写真1
1,1
2,1
3 アートプロジェクト「病院壁画制作」
作品制作/千葉大学医学部附属病院小児病棟
4
8
2
¹ 千葉県立美術館における県内中学生を対象とした
8
1
0
0人ワークショップ「等身大から始めよう」9/1
作品展示9/1
8∼1
2/2
5
現在,学校教育の中での図工美術の位置づけは,その
時間数をみても圧迫されていることが理解できる。知識
を押し込むだけでなく,その知識の応用の場として美術
に目を向けることが出来たならば,それが教科として極
めて能力が高いことを理解することができる。制作に関
する専門的な体験量の少ない人材による,限られた授業
時間内での図工美術は矮小化し,「感性」という言葉を
楯とした不明確で目的の見えない授業内容も少なからず
行われている。卓上の手芸的な内容や,逆に教室や校庭
を舞台としたやりっ放しの遊びの活動に対して,明確な
「目的」設定による「生きる力」につながる造形教育の
一例として企画を提案した。
まず,手先だけでなく体全体を使ったモノづくりを体
験させながらモチベーションを確保し,それにより協力
意識やコミュニケーション力が引き出される事実を視覚
化した。会場を美術館とすることで,社会に対しても広
く,図工美術のあり方や制作者と作品の関係性について
提案することを目指した。
また本企画では,美術館の役割についてもひとつの提
案となることを願った。県名を背負った美術館の活動内
容を考えた場合,著名作家の企画展をするばかりでなく,
表現することの意味を次世代に正しく伝えることを通し
て,造形活動に対する興味関心を持たせることも大きな
責務であることを示した。確かに,児童生徒を対象とし
た県展はあるものの,それが本当に児童生徒が求めてい
るものなのか,教育的な内容となっているかは疑問な点
が多い。
そこで千葉県立美術館が広い芝生敷地面積を持ってい
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
ることを最大の利点をとして,大掛かりなワークショッ
プ体験を中学生を対象に実現させた。
ワークショップ「等身大から始めよう」では,「自立」
「等身大」
「自然木」
「結ぶ・つなぐ」をキーワードとし
ているが,そこから期待していることは以下の通りであ
る。
「自 立」
:構造的な強度についても考えながら,見栄え
や飾りだけではない自立する立体をつくるこ
と。
「等身大」
:身の丈から発展させ,徐々に大きな作品とし
て完成させること。基礎部分をしっかり作る
こと。
「自然木」
:人工物でなく,また製材されていない自然の
質感に触れること。生きている木の枝の重さ
を知ること。
1つ1つ個性的な形態の枝を使用しながら,
構想した立体に近づけるため,適したものを
選び組み合わせること。
「結ぶ・ :「協力」という意味を感じさせる「結ぶ・つ
つなぐ」 なぐ」という言葉が,制作過程で行き来し,
空に向かって伸びていく立体作品の視覚的な
印象と効果的につながること。
制作にあたっては,自然木はいつもその実施地域から
得たものを使用しているが,それは,その地域に育つ若
者たちが,その地域に育ってきたものを利用しながら制
作することで,地域や場ということの価値を再認識する
機会となることを願っているからである。今回もおもに
美術館の周辺から材料調達ができた。2
0
0
8年度,病院で
の木組み制作に際しては,翌年度早々に伐採される病院
敷地内の大木の枝を使用した。それは多くの患者さんの
退院等を見てきた樹木を粗末に切り倒すことに苦痛を感
じたからで,ワークショップで使用する「材料」につい
ての拘りはこの時点で確立した。
º 国立新美術館におけるワークショップ「色彩で対話
しましょう」1
0/1
7・2
4
7∼2
5
作品展示1
0/1
このワークショップは,2
0
0
9年に美浜区の巨大団地群
写真1
6,1
7 1
0
0人ワークショップ
「等身大から始めよう」
写真1
8,1
9 ワークショップ「色彩で対話しましょう」
制作過程と作品全景/千葉県立美術館
制作過程と作品展示全景/国立新美術館
4
8
3
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
内にある3カ所のショッピングセンター内で実践した内
容で,その時の実践では,日常の生活空間で市民が価値
を確かめあう手だてとして提案したが,今回はもともと
美術に関心のある集団を対象としながら,より広範囲に
メッセージを伝えることを目的とした。
伝える観点は以下の3つである。
) まず参加者が鑑賞する立場から,発信する立場を体
験することである。国立美術館館内において作品を制作
し展示するので,特にその実感が強くなることを予想し
た。
* 公募団体のメンバーとして美術館に作品を展示して
いるすべての制作者に対する,作品と制作者との関係性
についての警鐘である。制作の目的が本人の意思とは別
に,各団体指導者の尺度によって歪められてはいないか
ということで,今回のワークショップ参加者の作品展示
を直視することで,本来の「制作」という行為について
再考する機会となることを願った。入選・入賞のために
制作していないワークショップ参加者の作品は極めて純
粋で魅力的である。また,公募団体の作品であっても入
選作品となれば,一定の基準を満たしたものとして国立
美術館に展示させる訳であるから,美術領域全般が不明
確な尺度で成り立っているような感覚を多くの人に波及
させてしまう作品の展示についても合わせて考えたい。
+ 美術館の役割は保存と普及が大きな柱としてあるに
もかかわらず,国内では新しい国立の美術館でありなが
ら,ワークショップスペースがないことに疑問を感じて
いる。今回のようなアクションを続けることで美術館側
に対しても何らかの提言となること願った。同一内容の
ワークショップを2
0
1
1年に行った際には,ワークショッ
プ内容や活動スペースの養生方法などの参考例として,
美術館スタッフによる撮影が行われた。昨年から継続し
活動することで現れた変化である。
団地内で行ってきたワークショップ「色彩で対話しま
しょう」の参加者などからの協力も大きい。市民から集
 20
11年度地域連携アートプロジェクトの実践記
録
1)アートプロジェクト「創造海岸2
0
1
1」第1企画
「市民スタジオ/記憶の美浜,そしていま 未来」
8/1
6∼2
1,8/1
8ギャラリートーク
市民ギャラリー・いなげ
アートプロジェクト「創造海岸プロジェクト2
0
1
1」は,
3年前からともに活動しているNPO法人ちば地域再生
リサーチとともに,地域市民がアートによってコミュニ
ケーションを高め,大規模団地における豊かな生活環境
を確保するという主旨に賛同した地域市民により実行委
員を結成するところから始まった。プロジェクトは,8
月から1
1月までの4ヶ月間に6つの企画で構成されてい
る。今回はその1回目にあたり,プロジェクト全体の方
向性を明確化する役割を担った。6企画のうち,私の企
画担当は,他に9月:「会話の地層」
,1
1月:「旗をつく
る―住みたい国を考える」である。
今回の「市民スタジオ/記憶の美浜,そしていま 未
来」では,まず美浜地域の市民から写真データとそれに
まつわるエピソードや社会に対するメッセージなどの活
字データを募集した。写真募集に関しては,これまでに
4
8
4
写真2
0,2
1,2
2,2
3,2
4
「市民スタジオ/記憶の美浜,そしていま未来」
パネル制作,会場でのパネル組み立て,展示風景
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
まった各年代の写真データとコメントは,写真とコメン
トを3
0×9
1cmのサイズのユニットに引き延ばし,さら
に時系列で組み合わせ,1
8
2×1
8
2cm[4枚]
,1
8
2×2
7
3
cm[3枚]
,その他[4枚]のパネルとした。写真は,
昭和3
0年頃から現在に至るまでの約1
2
0枚が集まり,美
浜地区の埋立てによる変化を含む約6
0年間の足取りを振
り返ることができた。過去の風景を懐かしむことに始ま
り,それぞれの年代の美浜から生活を始めた人や,生ま
れ育った個々人にとっての価値基準を互いに確認し他者
理解をする場としながらも,美浜区にとどまらず「開発」
という言い方で日本全土で行われてきた国の動向を振り
返える資料とし,今後の国・人のあり方を市民が考える
機会・場として会場空間を設定した。市民写真展とせず,
企画タイトルに「市民スタジオ」と入れたのも,写真を
展示することをもって企画を完結させるのではなく,鑑
賞者各自が考え,また鑑賞者が互いに意見交換する場と
なることまでを目的範囲として期待したからである。会
場では連日,「アートをつくる」学生スタッフが趣旨説
明にあたった。また期間中,地元中学生を対象にギャラ
リートークを行い,各人の考えを発表し意見交換するこ
とで,鑑賞を通して深く考察することの大切さを促した。
本企画は来年度も継続予定である。(写真2
0,2
1,2
2,
2
3,2
4参照)
¸ 考
察
今回実際に実施して分かったことは,埋め立て前の当
時は現在のようにカメラは普及しておらず,その記憶は
その時代を生きた人間の網膜に映された記憶に限定され
ることが多いということである。当時の話ならいくらで
も話したいと言ってくれた人にとっても,この企画が価
値あるものでありたい。「古い写真をもっと見たかった」
,
「このような写真ならうちにもあるかもしれない」と
いったご意見の方には,プロジェクトのコンセプトを理
解頂き,飾られたものを受動的に見るという立ち位置を
超え,市民同士が互いに自分の持っているデータを持ち
寄り,今後につなげるべき価値基準の構築を目指す意識
まで変化することを願った。
¹ アンケート等集計データ
写真提供者:4
8人
観客動員数:2
2
3人
ワークショップ参加者:
年齢:1
0代未満(2)
,1
0代(1)
,2
0代(7)
,3
0代(2)
,
4
0代(3)
,5
0代(5)
,6
0代(1
4)
,7
0代(5)
,8
0
代以上(2)
性別:男性2
7 女性1
4
来年度開催した場合のデータ協力意志:2
1人
2)アートプロジェクト「創造海岸2
0
1
1」第3企画
「会話の地層」
0 作品展示9/6∼1
8,
ワークショップ9/6・1
千葉県立美術館
東日本大震災以降,市民は多くの問題意識を持ち,自
己の意思を明確化したにも関わらず,その発言の場所は
保証されておらず,まとまった声になることも少ない。
そこで誰もが参加可能な方法として,絵具や筆を使用し
た絵画ではなく,文字という視覚媒体を用いて意思表示
写真2
5 「会話の地層」
テーブルクロスへの書き込み/千葉県立美術館
する場を確保した。美術館が恒常的な作品展示や実技教
室的な役割を担うだけでなく,市民の声を直接的に反映
し発信する場となる公共施設であることを提案すること
とした。千葉県立美術館からは十分な理解がされ全面的
な協力を得た。
今回のワークショップのねらいは,より多くの市民の
声を視覚化し,さらに多くの人の目に触れさせることで
ある。より多くの人が具体的な思いを発信し交感するこ
とを目的に,「活字で綴る」
「重ねる」
「つなぐ」をキー
ワードにしながら,2つの内容を企画した。
ワークショップ1「会話・思いを重ねる」
キーワード「活字で綴る」
「重ねる」
約3
0mのテーブルを制作しそれをテーブルクロスで
被った。そしてその上に,ワークショップ参加者に考え
てほしいと私が思い予め用意したテーマや,当日の参加
者から募ったテーマをシャーレに1つずつ入れて光を灯
し間隔を置いて配置した。その後,参加者はそれぞれに
対し,自己の考えを寄せ書きのように記述していく。
ワークショップは2回行ったが,1回目はテーブル上を
直接被った白い布のテーブルクロスに,2回目はその上
に被った透明のビニルに記述してもらった。それぞれの
意見は層の中で保たれながらも,テーブル上方から見た
際には文字同士は重なり,堆積していった。時間の移行
により,記述者本人が同テーブルに向き合うことがなく
とも,活字内で意見交換することを可能とし,同調した
り反発し合うことも今回の企画の目的としていた。ビニ
ルを層状に重ねたのは,各人の記述が直接的に消し合う
写真2
6 「会話の地層」
シナプスのようにロープをつなぐ/千葉県立美術館
4
8
5
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
ことのないように配慮したからである。個人または特定
企業に対する中傷の記述は予め禁止事項として確認した。
(写真2
5参照)
ワークショップ2「会話・思いを繋げる」
キーワード「活字で綴る」
「つなぐ」
高さ8mのコンクリート壁面上部と床に設置した6つ
の基点とを直径3mmの白い綿製ロープでつないだ。
張ったロープの各所には,テーブルクロスの ワ ー ク
ショップと同じテーマをレタリングした直径4
5cmの円
型のジョイントを固定してある。ジョイントには周囲に
細かく穴を開け,各所からのロープの接続を可能にした。
参加者には,テーブルクロスに記述した内容を短文にま
とめ,ロープのタグに記述してもらっていて,関心を
持ったテーマのジョイントにロープをつなぎ,他のジョ
イントとつなげ広げていく。展示空間内で,それぞれの
参加者が脚立を持ち出し恊働しながらロープをつないで
いく作業風景は,テーマについて思考する参加者の脳内
で起きているシナプスが伸びていく状況を2重写しにし
た光景にも見えた。(写真2
6参照)
¸ 考
察
ワークショップの導入部分では,ワークシートを用い
ながら徐々に自己の意見を発表することに慣れていって
もらった。参加者の発言したい意見は切実で,千葉県立
美術館最大の展示空間での活動にも関わらず,広範囲な
年齢層の参加者による躊躇うことのない活発な意見交流
や活動が見られた。
¹ アンケート等集計データ
観客動員数:1
2
5
1人
ワークショップ参加者:
年齢:1
0代未満(0)
,1
0代(1
5)
,2
0代(8)
,3
0代(3)
,
4
0代(9)
,5
0代(4)
,6
0代(1
4)
,7
0代(1)
,8
0
代以上(0)
性別:男性1
6 女性3
9
*テーブルクロスの企画に関しては,ワークショップ以
降も随時書き込みを可能としていたので,実際に参加
された方の人数はワークショップ参加者よりも多い。
アートプロジェクトに対する学生による考察の
一例
Ã
プロジェクトの実践に際しては,学生スタッフはファ
シリテーターとしてアートプロジェクトまたはワーク
ショップで参加者と直接に対応することから,企画全体
の進行と並行し彼らが諸処で対応するその影響力は大き
く,その責任も大きい。企画内容の意図を彼ら自身が正
確に理解して,実技と理論の両面からサポートすること
が重要となる。もちろん,受講学部生全体を連携統括す
るティーチングアシスタントの責任は重い。アートプロ
ジェクトの活動当初,加藤ゼミの学生を中心に活動して
いたことから,学部横断的に受講可能な普遍教育教養展
開科目「アートをつくる」を軸として活動する現在にお
いても,授業のティーチングアシスタントは美術教育専
攻の学生に依頼してきたが,今年度初めて系を越え,教
育社会学を専門領域とする学生に依頼した。大学院改革
により教科横断的な視野を持つ人間育成の方向性を強め
4
8
6
るなか,ひとつの運営形態としてその効果を期待した。
以下にティーチングアシスタント学生の文章を取り上げ
たが,学生の視点の一例としたい。
「定常型社会」における地域連携プロジェクト型授
業の可能性と価値および展望
―「市民スタジオ/記憶の美浜,そして いま未来」
を通して―
(教育学研究科修士課程1年 三宅 中)
1)本稿の目的
本稿では,平成2
3年度普遍教育教養展開科目「アート
をつくる」のティーチングアシスタント(*以下TA)
の立場から,地域連携プロジェクト型授業の価値や課
題・展望について,Â章 1)で紹介された2
0
1
1年度実
践の写真展「市民スタジオ/記憶の美浜,そしていま未
来」の活動実践に即しながら報告する。加えて,受講す
る大学生にとってどのような意義を持つのかについても
検討し,ESDの観点の考察を深めたい。
2)定常型社会における地域連携プロジェクト型授業の
可能性
「地域連携」あるいは「地域再生(ないし活性化)
」と
いう言葉は近年広く多様に使われるようになっている。
だが,そもそも地域の「豊かさ」や現在の社会というも
のをどのように捉え,どのような文脈のもとに使うかに
より,プロジェクトが地域社会やプロジェクトの参画者
との相互作用として表れるもの〈アウトプット〉に違い
が生じてくるだろう。
社会を捉える枠組みは多様に存在するが,“ESD”
(持
続可能な開発のための教育)を意識するならば,今日で
0
1
12ほか)という
は「定常型社会」
(広井良典 2
0
0
91,2
枠組みが有効だと考えている。それは,限りない経済成
長を追求し,「拡大・成長」のベクトルにとらわれたグ
ローバル化の果てに,都市や地域社会のあり様について
の展望を見出すことが可能となる社会認識だからである。
また,「定常型社会」構想自体が,社会システムレベル
での資本主義・社会主義・エコロジーの融合というテー
マと呼応している。広井(2
0
0
9)は,経済成長を絶対的
な目標としなくても十分な豊かさが実現されていく社会
を「定常型社会」と呼んでいる。「拡大・成長」の時代
から「定常型社会」への移行は,かつての「「パイの拡
大が個人の利益の増加にそのまま結びつく」という予定
調和的な状況や前提 」(同上書,14頁)が崩れているこ
とや,労働では「“生産性が上がりすぎた社会”による
ある種の構造的な「生産過剰」による失業の蔓延化状況 」,
生産性概念では「「労働生産性から環境効率性(ないし
資源生産性)」 へ」(同上書,153頁)のシフトなどにみ
られる。
「拡大・成長」期には,新谷周平(20
1
03)によれば,
自分や他者の努力の内容が社会的にどのような結果をも
たらすかという観察やその帰結を調整するための社会へ
の関与を考えることは不要であり,「観察なき努力主義」
が生成したという。右肩上がりの経済成長という前提が
時間的解決を保証し,家庭や学校,会社に同化し,与え
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
られた課題にコミットすれば幸せになれる感覚をもつこ
とが可能であったからだと説明する。この経済成長と共
同体主義により生成した「観察なき努力主義」は,今日
でも根深く作用し,社会の多元性の確保や社会的不平等
の改善等の社会構築に対して反作用しているように思う。
なぜなら,そもそも他者とどのように差異があり,それ
をどのように理解すればよいかといった“他者理解”は,
時間的・精神的に過剰なコストがかかるため,時間的解
決を前提とし,手段化・効率化を追求することが優位な
社会では,わずらわしいものとして認識されるからだ。
「拡大・成長」期では,集団内部の同質的な結びつきが
人々の関係性に関する社会関係資本であったのに対し,
「定常型社会」では,異なる集団間の異質な結びつきと
しての社会関係資本へと組みかえていく必要がある。
上記の課題を引き継ぎながらも,「定常型社会」には
展望があるといえる。広井(2
0
1
1)は経済学者リチャー
ド・フロリダを参照しながら,今後の社会について「)
労働における「非貨幣的な動機づけ」が重要になってい
くとともに,*「コミュニティ」や「場所」の価値が再
発見されていく」ことを述べている。そうして,「拡大・
成長」期の「一つの大きなベクトル」から人々が解放さ
れ,真の意味での各人の「創造性」が発揮され開花して
いく社会として捉えられるという。加えて,経済或いは
物質的な面での定常期においてこそ,質的或いは文化的
な発展が豊穣に生成するパターンがあることも示唆して
いる。
すなわち,現在の社会を「定常型社会」と捉えるなら
ば,)「拡大・成長」期の「時間的な解決」から各地域
の風土・文化・伝統等の空間的な多様性に基づく「空間
的な解決」の時代への転換期,*“高い生産性”に支え
られた定常期における質的・文化的な発展の可能性の時
代,と考えられ,地域<コミュニティ>には多くの資源
があり,資源活用の可能性が高まってきているといえる。
「定常型社会」に裏付けられた地域資源を十分に活用し,
“他者理解”を肯定的に捉えて,異なる集団間の異質な
結びつきを社会関係資本へと組みかえていく視点を持ち
ながら,地域の「豊かさ」について再考し,地域連携プ
ロジェクト型授業を構成していくことで,新たな可能性
を導くことができよう。そして,非貨幣的な領域として
の環境・福祉・教育・芸術・文化といった領域が重要な
フィールドとなることだろう。特に,当授業は,アート
を切り口にした地域連携活動(かつ教育活動)であるの
で,「定常型社会」における質的・文化的な発展に寄与
しうるのではないだろうか。
3)小報告:地域連携アートプロジェクト「市民スタジ
オ/記憶の美浜,そして いま 未来」における“わ
らしべ長者方式”活用の価値
¸ 報告の目的・分析方法など
地域連携プロジェクト型授業としての「アートをつく
る」の2
0
1
1年度実践である「市民スタジオ/記憶の美浜,
そして いま 未来」では,その一活動として“わらし
べ長者方式”を活用した活動を行った。展示写真を集め
る方法について,自分や知人の人脈(社会関係資本)を
活用して直接出向いていき,対話するプロセスを経て,
4
8
7
展示写真及び展示写真についてのコメント6を収集する
というアプローチを行い,展示の一部を担った。コメン
トの内容は年代・場所・お気に入りである理由等につい
て,1
5
0字以内で記述してもらう方式を取った。“わらし
べ長者方式”は,おとぎ話の『わらしべ長者』の主人公
が,わずかな物から物々交換を経ていき最後に高価な物
を手に入れたように,わずかな人脈を大事に活用して広
げていくことで何かしらの大きな収穫に結びつくことを
願って,筆者(TA)が命名したものである。本報告の
目的は,当プロジェクトにおけるこの“わらしべ長者方
式”の活用の価値について記述し,報告することである。
分析の方法については,筆者自身が実践者として行っ
た本活動の記録や省察を通じて,“わらしべ長者方式”
で生まれたコミュニケーションの価値について記述する。
また,受講生や本活動で関わった人へのインタビュー記
録をもとに本活動の相互作用及び価値についても記述す
る。前節で述べた「定常型社会」における地域連携プロ
ジェクト型授業の可能性に関連させながら行う。
写真2
7,2
8 わらしべ長者方式のコミュニケーションを
表現したパネル
¹ “わらしべ長者方式”活用の価値
“わらしべ長者”方式の計画は「市民スタジオ」の企
画当初からのものではなく,公的施設及び団地内での募
集用紙配布・ウェブ広報を基にした地域内2箇所の直接
窓口及び郵送・メール受付による写真・コメント集めが
難航してからの筆者の発案からである。地域住民が一参
加者として動機づくにあたり,「誰かが参加するだろう
し,あえて自分がする必要性は相当低い」と考えると思
い,広く住民参加が求められる中ではあるが,「顔が見
える範囲で始める必要がある」と考えた。
筆者は当地域在住5年目であり,かつ地域の飲食店で
のアルバイト等で得た人脈により地域住民との交流が同
世代の大学生内では比較的多い方であった。そこで,ア
ルバイト同僚であり飲み友達の4
0代女性Jを起点にして
活動を開始し,枝分かれしつつも1
0箇所(総勢1
6名)に
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
及んだ。同時に周囲の人々への情報収集および依頼も
行った。相手方との会話は,企画趣旨説明,写真・コメ
ントのお願い,(新たな人の)紹介を基本要素とし,写
真集めよりもできるだけ地域に関わる過去の話を聞くよ
うに配慮した。“わらしべ長者方式”での活動全体を通
して,紹介は容易に得たが,写真及びコメントの収集は
難しかった。
本活動の価値について,第一には,自己の社会関係資
本の認識と拡大である。企画自体を成功させたいという
思いもあったために自らの人脈を駆使して,情報収集し,
直接対話しに出向いたことで,紹介を重ねるごとに関係
者の幅が広がっていった。このプロセスによって,まず
は自分の人脈の範囲とそれが拡大しうるという秘められ
た可能性を知った。それには,第一義的目的の収集活動
でなくコミュニケーションを重視したことが,関係性づ
くりに寄与したと感じる。弱い紐帯ではあるが,プロ
ジェクトへの効果及び自己にとっての地域住民とのつな
がりの感覚にとっては十分な程のものであった。加えて,
「地域についての思い出を教えてほしい」や「昔の話を
聞かせてほしい」という対話での切り口が,相手の動機
づけと社会関係資本づくりには重要な作用をもつよう
だった。8
0代男性Aは筆者とは初対面だったが,家に招
き入れ,二時間以上も話してくれた。60代男性Bは,
『写真はないけど,話ならいくらでも聞かせてやるよ。
』
と言って親身になってくれた。紹介に加えて,会話は地
域との思い出話からこのまちの課題や政治の話まで展開
し,Bは『こうやって話してくれると俺らの世代でもわ
かるし,応援したいって思うんだよ。
』と述べた。
第二の価値は,相互作用を通した時代に関する認識の
変容である。認識の変容の一つとしては,埋め立て前か
ら現在の写真を集める目的のもと本活動を行う中で,知
らなかったことを地域住民の具体的な生活体験を介して
どんどん知るようになったことである。『埋め立て前は,
そんなにカメラはなかった』という話からカメラの普及
状況のことがわかり,『埋め立ててからは,海に行く時
は遠くへ行くようになったから,この周辺での思い出の
写真はない』という話からは埋め立て後の住民の生活文
化が変わったことなどがわかった。認識の変容について
もう一つには,筆者は,活動以前,「拡大・成長」期の
悪しき点として,「埋め立て」
「(画一的な)団地・まち
開発」などを捉えていたが,『一概に昔がよかったとは
言えない。
』
『ここら辺は林や畑しかなかったから,団地
やまちができて人がたくさん来たのはよかった。
』
『団地
に入る前は家や食べ物など生活は厳しかったけど,団地
に入れてよかった』などといった会話を通して,時代の
仕方なさや世代や個々人による認識の差異などの複雑な
存在の仕方を認識できるようになった。教科書等を中心
とした座学ではなく,直接の体験を通して経験するとい
う地域連携プロジェクト型授業こその価値があると感じ
た。
また,会場では,4
0歳以上の年齢差を超えて,受講生
と来場者の方が,美浜の歴史や価値,これからのことな
どについて3
0分近く会場で立ち話することもしばしばみ
られた。「拡大・成長」という一つのベクトルで大きく
急速に変化してきた歴史を,当時の人も,経験していな
4
8
8
い世代も,今一度共に再認識する上で,本活動や展示会
場での展示方法及び会場での会話やギャラリートークな
どが有効なテキストを提供していたともいえる。さらに
は,受講生との会話や彼女達の反省文によれば,筆者が
始めた対話を通して生まれる相互作用という価値への共
感が,受講生にとって,来場者との会話への意欲となっ
た側面もあるようだ。
第三には,コミュニティ(地域)認識の変容である。
筆者は他県出身であるため,当地域の歴史や人々の生活
や思いはほとんど知らなかったが,本活動の会話や各写
真及びコメントに表れた各々の歴史や価値や,紹介など
を通じた人々のつながり及び本活動を応援したいという
地域住民の思いに触れる中で,この地域が大切な居場所
の一つとして,或いは愛着の湧く「コミュニティ」とし
て,より一層位置づくようになった。
º 定常型社会における本活動の価値
“わらしべ長者方式”の活用によって,直接出向き,
対話を通した相互作用を通して,社会関係資本の認識と
拡大という価値が生じる。本活動で作用していた社会関
係資本は,起点は筆者の知人であるものの,紹介を重ね
るにつれ,または展示会場での関係づくりの場合には,
より異なる集団間の異質な結びつきに向けて作用し始め
ている。それが当企画の充実に寄与したのはもちろん,
筆者個人及び相手にとっての社会関係資本となり,さら
にはそれ自体が社会の包摂性の向上に寄与するだろう。
第二・三の価値については,時代や他者,コミュニ
ティに関する認識の変容という価値である。そこでは,
より具体的な個々人の生活世界や価値などの多様性に触
れるため,本来的に異なる他者について理解する“他者
理解”が促進される。だが,ここでの理解は完全に異な
るというものではなく,協働関係の構築の上では,共通
している部分や共感できる価値は十分に存在するという
ものになることが重要である。他者理解および共通部分
の認識の二要素が,社会の多様性を肯定的に捉えること
につながり,空間的多様性の促進や質的や文化的な発展
に寄与するだろう。
4)受講生にとっての教育的意義
主に「市民スタジオ/記憶の美浜,そしていま 未来」
を対象とし,地域連携プロジェクト型授業の受講生とっ
ての教育的意義についてインタビューをもとに検討した。
第一の教育的意義は,大学関係で当地域に住んだり通
うこととなったりした学生にとって,地域に対する認識
の変化と社会参画への関心や意欲が促進されることであ
る。X学部1年女性のPは以下のように変化している。
『正直私にとっては○○(※当地域の呼び名)は大学に
行くためだけに存在しているようなものなんですよ。
(中略)周りの人,地域の人ってのはいない感じなんで
す。大学だけがボーンとある感じで。
』という地域認識
であったが,実践 を 通 し て の 変 化 を 尋 ね る と『も う
ちょっと自分から関わってもいいかなと思いました。
』
というように少し期待や関心を持つようになっている。
また,Pは実践を通して『どうせ来てくれない,だから
やめようとか,どうせ失敗するだろうとかって思うんで
すよ,いつも。でもそういうのってやってみないとわか
ESDとしての地域連携アートプロジェクトの実践報告
んないなぁって思いました。
』と述べている。Pにとっ
て,地元ではない別の地域に対してコミットメントする
ための初期値となるような自信や実感を得る場になった
ようである。
第二の教育的意義として,即自的意義(内容自体の面
白さ)である。来場者と会話をすることに対して『ただ
単純に楽しかった。
』というように,その会話や相互作
用自体,実践活動自体に対して面白さを見出しており,
活動を意欲的に継続していく上では重要な要素であろう。
第三には,キャリア形成にとっての意義である。実践
がプロジェクト型であるがゆえに,〈計画・準備・運
営・反省〉などのプロセスや他機関との交渉や調整など
の諸要素を含んでおり,受講者は実践の過程でその流れ
や諸要素を経験的に修得していく。意義の表出の仕方は,
自らの描くキャリア形成に照らして技術やノウハウに意
義を見出すような道具的側面と,活動を通して出会った
関係性や関係性から生じる充足感や将来に対する見通し
をもてることといった表出的側面との二つがあるようだ。
5)地域連携プロジェクト型授業としての課題と展望
地域連携プロジェクト型授業は,今日の社会を定常型
社会と見るならば,各地域の風土・文化・伝統等の空間
的な多様性に基づく「空間的な解決」の時代へという方
向を目指し,地域資源を十分に活用した非貨幣的領域を
対象にして展開されていくことで,大きな可能性をもつ
だろう。その際,異なる集団間の異質な結びつきとして
の社会関係資本へと組みかえていく必要があり,
“他者
理解”が重要な課題となっていくだろう。このような定
常型社会を意識した方向性はESDとももちろん適合的で
ある。
また,当プロジェクトは継続性をもっているため,活
動実績,及びアイディアやノウハウ,加えて大学・大学
生という価値を資源としてもつ。ゆえに,今後さらに社
会的需要は高まり,役割も拡大すると考えられる。
しかしながら,一方で,運営面や受講生との関係を考
慮すると課題は大きい。なぜなら,実践及び運営は,受
講生のもつ知識・技能面,だけでなく,意欲,社会関係
資本,人間関係形成力,問題認識・解決能力などの比較
的不定形な能力要件などの諸要素に影響されるものであ
るし,それらを形成・促進するための明確なセオリーを
確立するのは容易ではないからである。加えて,人間関
係形成力等の形成は,比較的時間が要するし,属性的要
因の影響を受けやすいと経験的に考えられるからである。
実態として受講生や若者参加者の話を見るところ,地
域あるいはコミュニティに関する関心は高まってきてい
る。全体的には,関心をもとに参画しよう関与しようと
思うレベルに昇華させることや,大学生にとっては当該
地域に対して当事者意識を芽生えさせることが必要であ
る。そこで,“顔が見える範囲から”という方向性を今
後の実践に入れていくといいと考える。写真提供をした
高校生女子Rは『まちの広告とかだけで知ったとしたら
やってないですよ。知り合いだからやってみようと思っ
4
8
9
たんですよ。
』と述べた。やはり個々の関係性をベース
としながら,より社会的な方向へ伸び広がっていくよう
な工夫を行い,地域連携プロジェクト型授業を構成して
いきたい。また,運営組織の体系化を進め,社会的成果
についてより詳細に分析していきたい。
Ä
ま と め
ESDはその内容から,人間育成や人間の関係性を軸と
する研究領域においては不可欠な視点で あ る。授 業
「アートをつくる」は授業形態をとりながら,すでに5
年目を迎え,複合的な地域との連携活動を繰り返し継続
することにより,実感を伴いながら価値基準を体得して
いく場の形成を可能にしてきた。「地域」という観点の
定義を,土地そのものから離し,「一個人が単位となる
コミュニティとして確立している状況」と確信できたこ
とは,その後,施設や歴史に裏けられた地盤としての地
域において活動する場面にあっても,より多くの理解者
を得ることにつながった。また,理解者とは共通する目
的を持ったネットワークを形成し,相乗的に活動の範囲
を広げた。またその中で,学生の活動力に対する社会の
期待度の大きさも実感した。受講学生数は年度ごとに変
化はあるものの,授業は継続することにより,授業内容
に関する周知度は確実に高まった。
授業内における学生間で発揮されるコミュニケーショ
ン力や集団としての実践力は,受講人数には比例しない。
それを左右するのは,受講学生のプロジェクトの目的に
対する理解度とモチベーションである。事実,各種専門
分野を背景とする学生が責任と自負心を持ちながら連携
することで,スタッフ数以上の成果を上げてきた。個人
にかかる負荷は決して少なくないが,そのことが結果的
に各自の実践能力を高める訳で,そのことに気がついて
からの学生各人の活動力はそれまでとは比較にならない。
また,「地域」と関わり学校環境から適度な距離が置か
れることで,彼ら自身のなかに大学生としての自覚や自
立的な感覚が芽生え,発展的な思考,実質的な協力や他
者理解,コミュニケーション力が育まれている。
今後も学生とともに,授業「アートをつくる」を母体
としながら地域と連携した実践活動を継続し,その実際
的な状況の中から得られる教育的な利点や広がりを検証
し整理する。そしてこの活動が,「教育」の定義を含め,
大学の授業のあり方の1つの視点となることと,市民間
のより充実した人間関係の構築や文化育成にも繋げてい
くことを今後の課題としたい。
脚
1
注
広井良典2
0
0
9『コミュニティを問いなおす―つなが
り・都市・日本社会の未来』筑摩書房
2 広井良典2
0
1
1『創造的福祉社会―「成長」後の社会
構想と人間・地域・価値』筑摩書房
3 新谷周平2
0
1
0「新しい「階級」文化への接続 「動
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 Â:芸術系
物化」するわれわれは「社会」
をつくっていけるのか?」
『若者の現在 労働』小谷敏・土井隆義・芳賀学・浅
4
9
0
野智彦編
日本図書センター
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