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地方予算の国際比較
地方予算の国際比較 一現代公共経営における枠配分・責任予算の位置付け− 中 西 つあるが、現場の声としても、、このような財務 はじめに 管理の分権化は必然的な流れとして感じられつ つあるようである。 伊東弘文民のドイツ地方財政研究の柱の一つ に市町村予算研究がある(伊東[1995])。氏の これまでフランス地方予算を研究してきた著 地方予算への関心はまた、『入門地方財政』(伊 者としては、管理会計やマネジメント・コント 東[1992])における実践的な側面への視点に生 ロール論に影響を受けて発達してきたフランス かされている。コングロマリット化する自治体 公共経営(中西[2003])と、問題状況を必ずし の輪郭を捉えようとする氏の視点を、その延長 も共有しない日本の状況を、奇異な印象で眺め 線上にある現在の新公共経営時代を通して見直 てきたところだが、両国の状況をより広い国際 してみるのも興味深いであろう。 比較の中に位置付けようとするのが本稿執筆の もともとの動機である。それでも、NPMに影響 概して日本では地方予算研究に十分な注目が 与えられてこなかった。アメリカなどは、連邦 を受けた近年の枠配分予算論は少なくとも共通 予算では納富一郎氏の諸論考があるが、地方予 の視点を含んでいる。ただし異なる点も多い。 算については小泉[2001]ぐらいしか見当たら マネジメント・コントロールは企業の事業部制 ない。イギリスについては西山一郎氏が包括的 のように、裁量の余地を与えられた一定の部門 な碗究を行ってきた。しかしながら、新公共経 がその全体のコストや利益、投資利益率などに 営(NPM:NewPublicManagement)運動の発火 より業績評価を受けることを理念型としてい 点とみなされるイギリスにおける予算の位置付 る。この場合結果で判断されることが前提とな けが、西山氏の研究していた時代と全く同じで るため、権限の移譲や裁量の余地の確保につい あるとはおもわれない。くしくも、最近日本で ては厳密に考えられる必要がある。すなわち、 は枠配分予算の導入がいくつかの自治体で試行 分権化が不十分である場合、責任を問うことは され、それが公共経営の欠かすべからざる柱の できないということである。もっとも、公共部 ように言われてもいる。実際、最近著者もいく 門の場合J利益やコストで業績評価できないこ つかの地方自治体に村する実態調査1を行いつ とが多いので(ただし単位コストはよく使われ る)、各種の業績指標によってこれを補完する 1現在のところ、佐賀県基山町、福岡県小郡市、甘木 ということになる。またそれだけでなく、部門 市、久留米市、福岡市、静岡県に対してヒアリングを の直接費を超えて、間接部門の経費が各部門に 行いつつある。 一159 − 経 済’学 研 究 第70巻 第2・3合併号 帰着させられる場合がある。間接費が直接部門 しての性格を持ち続けており、一方で政治学と の行動によって増減するかどうか、直接部門の してのアイデンティティを強く持ってはいるも 手元でコントロール可能かどうかによって、 のの、他方である部分必ず企業経営を参考には のような帰着の妥当性はも▲ちろん変わってく してきた。とりわけ州や地方団体にとって、職 る。民間企業で「内部振替価格」と呼ばれるこ 業養成機関としての行政大学院の役割は大き の種の実務は、後に見るとおり、企業実務に影 く、それを離れて公共経営を論ずる場は、制度 響を受けているイギリスやフランスでは実際に 的に必ずしも十分確保されていないように思わ 行われており、アメリカや日本ではあまり意識 れる。 されていないようである。 日本ではNPMというのは、行政学に対抗して 日本の地方自治体の近年の予算改革を、国際 新しい枠組みを打ち出そうとするものとして理 比較の中に位置付け、その上で財務管理の分権 解されている。この種の理解はしかしながら正 化の意義と限界、そして今後目指すべき方向性 確なものではない。行政学と現在の新公共経営 について、議論を整理しようとするのが本稿の 運動の間には、公共政策系の公共経営学の流れ 課題である。 がある。「新」公共経営に対する「旧」公共経 営である。フランスでは1970年代、アメリカに おいて公共経営が政策大学院やビジネス・ス 1.アメリカNPMと枠配分予算 クールで教えられていることに刺激を受け、同 アメリカにおける公共経営は歴史が長く、あ じようにビジネス・スクール(商業系グランゼ る種の業績指標の利用は1930年代にさかのぼ コール)や大学における経営系専門職大学院に り、その当時都市経営運動のようなものが起 おいて、公共経営を学問としても、教育として こっていたことは知られている。日本でいわゆ も確立するに至る。しかしながらそのように る事業別予算として知られている実務は、■1950 映ったアメリカの実態は、政策大学院(その主 年代のフーバー委員会を発端として国や州・地 たる顧客は行政大学院と異なり、連邦政府の 方団体で、試行が広がった。この議論が日本の エージェンシーや非営利団体である)における 第1次臨調における予算改革論や昭和38年地方 公共政策・政策分析ケース・スタディが中心 財務会計制度改革に至る前の議論に影響を与え で、必ずしも狭義の公共経営のウェイトは高く ている。国防予算から着手された1960年代の ないようだ2。それでも、リン(l.aurenceE.Lynn PPBSは、日本でも議論されたが、諸外国のよう Jr.)やバーダック(EugeneBardach)らの批判 に真剣には取り」二げられなかった。その影響に は表裏あり、PPBSの失敗の経験が生かされてい ないという点で、 2 以下の発言が示唆的である。「アメリカの行政に 対する信頼が薄れていくにつれ、公共政策について の本が売れ筋になってきた。その手の本のほとんど は行政が何をすべきかをテーマとし、ほとんどがワ シントンのことばかりしか取り上げない。しかし、 本書はそれとは異なり、連邦、州、地方など行政レベ ル全般に焦点をあて、しかも何をすべきかではなく、 日本の議論には未熟さが付き まとう。.このようにアメリカの公共経営改革は 事実の上では長い歴史をもっている。 学問的に言っても、ウイルソンにまでさかの どのように運営すべきかをテーマとする。」 ぼるアメリカ行政学の歴史は「行政管理論」と (Osborne&Gaebler[1992]訳書p9.) 一160 − 地方予算の国際比較 主義的潮流が高まったが、地方自治体に大きな 的な議論は今日でも参考となる点が多い。 アメリカの公共政策系の議論の中で、例外的 影響を与えたのは、プロポジション13などの、 に責任センター概念を明示的に展開してきたの 税や財政規模を一定範囲に抑制、削減する運動 が、L.RJonesやFredThompsonらである。彼ら であり、イギリスなどに見られる強制的民営化 (強制競争入札)などの手法は必ずしも主流で は最近ではIPMN(InternatinalPublicManagement Network)を組織し、NPMにも傾斜しているよう はなかった。いずれにせよ地方自治体はこのよ である。彼らが従前から展開してきた責任予算 うな外部からの圧力と、経済的停滞に何らかの 論(ResponsibilityBudgeting)は、明らかに、管 対応を迫られたものと思われる。その上でアメ 理会計学、マネジメント・コントロール論に依 リカにおいてNPM運動に弾みをつけたのは90年 拠している(Jones&Thompson[1999]:Ch.6)。組 代初頭の「リインベンティング・ガバメント」 (ReinventingGovernment)の運動であり、同名 織を戦略に適合させる「リアラインメント」 (Realignment)のためには、できる限り分権化 の著書(Osborn&Gaebler[1992])を議論の出発 を推し進めることが必要となる3。責任予算の 点として、参照しておくことが適当であろう。 基礎となるところの1920年代GMに起源をもつ 同書の打ち出すNPMは、80年代までの小さな政 府や民営化論では問題は解決せず、政府の役割 「M型組織」(事業部制)は、同時に直接・間接 部門間の内部振替価格(transfbrpricing)をも併 は再認識した上で、それをいかにスマートに運 用するものでもある。彼らによれば、アメリカ 営していくかが大事だとする点で、英連邦系の における責任予算の試行はPPBS下の国防省で ドグマ的な公共経営とは一線を画していること 始まり、当時管理会計の大家アンソニー を確認しておきたい。 ここで2人の著者はともに実務家だが、とり (R.N.Anthony)の提言が活用されたが、機能し なかったようだ。現在NPR法下で同様の取組が わけTedGaeblerは複数の都市の市長を経験して なされているが、ここでも多くの困難にぶつ おり、その中で加州ピサリオ市での経験の紹介 かっているようである4。 が本論と関係がある。同著は同市における予算 手法を「歳出管理予算」(ExpenditureControI アメリカでもイギリスと同様80年代に新保守 Budget)と呼んでいる5が、それは「カリフォル ニア州フェアチャイルド市の副財政長官オス 3 近年、ネットワーク社会の中でむしろタテ割りの 構造を打ち破る(decompartmentalization)試みが企業 カー・レイズの考え出したものであり、アント で先行しているが、公共部門でかえってこの時代遅 ルプルヌール的行政の開拓者の一人であるシ れのやり方を導入しようとするのはどうかという疑 問に対しては、情報過多(きめ細かな介入の源泉であ ティマネジャー・ゲイル・ウイルソンが市に採 る)の環境の中では分権化はトップが自らの職務に 専念し、現場の業務に介入しない「自己抑制」がき わめて重要になるとしている。政府がまず責任予算 4 その背景として第1に「リモートコントロール」 を試行し分権化になれることが先決だとするゆえん である(Jones&Thompson[1999]pp.175−176)。こ の点Gibertらフランスの論者が、情報システムを整備 し誰でもアクセスできるようにすることに対し、第 はアメリカの立法主義予算制度と合致しないという 提供しなければならないこと、第2に完全透明性は 意見があること(著者達は疑問としている)と、第 2に、アメリカでは他の国と違って、公会計、監査、 予算管理、プログラム分析者などの広範な職業集団 (公共部門固有の)が形成されていて、彼らが公共 中間に位置する管理者層の裁量の余地を奪うことか 部門の特殊性を強調することに利害を持っているこ ら反村しているのと呼応している。 とがあげられている。 1に経営情報は管理者の眼前に十分絞り込んだ量を ー161− 経 済 学 研■ 究 第70・巻 第2・3合併号 用し、次にピサリアの市政担当官テッド・ゲー ることがせいぜいの役割である。「成功事例」 ブラーがその半年後に自分の町に導入した」と を導入したパブリック・マネージャー達を英雄 いうことだが、この手法がこのよう 的にたたえる言説が横行する6。第2に、そも 前に帰することのできるものかどうかは、後に そも英連邦諸国の実務を無批判に踏襲すべき事 見るように議論の余地がある。 例として紹介していることに米国では抵抗があ る。それぞれの実務は、′その国の社会、歴史、 このシステムの柱は二つあり、「一つは、局 の全ての固定予算細目(ライン・アイテム)を 文化の、あるいは組織の文脈に照らし合わせて 削除し、管理者が状況に応じて自由に財源を利 はじめて妥当性を論じうるものであるが、多く 用することができるようにしたことである。二 の事例の紹介はそのようなものとは切り離され つ目は、年内に使いきれなかった金銭はそのま ており、また短時間で深いところまで理解、紹 ま手元においてもよいことにした。」この二つ 介しうるものでもないのである。実務的にも、 は、日本でそれぞれ「枠配分予算」、「インセン 他団体の事例に学ぶ際はその社会的・組織的文 ティブ予算」と呼ばれているものに対応する。 脈に照らし合わせて理解し、何が本質的なもの 同書の冒頭で使われている事例は、1978年に税 で何が本質的でないかを見分け、自団体導入の を25%削減する法案が議決されて後、プールに 際には環境の違いに応じて何が違ってくるかを 投資できない状態だったピサリア市が、1984年 見抜かなければならない7。いずれにせよ、わ にオリンピック練習用の総アルミ製プールが、 れわれは枠配分予算を機能させたり、あるいは 格安で売却されようとしていて、しかも他の公 それを妨げたりする制度的、組織的文脈に極力 的機関(大学)が食指を伸ばそうとしていたと 注意しながら、この枠組みを論じていく必要が きに、議会の議決を経ることなく あることは確かであろう。 迅速に買収す ることができたのはこの制度のおかげだという 行政学的予算論の領域においても、この種の 話である。 実務は論、じられてきており、米国の行政大学院 しかしこの種の「歳出管理予算」をめぐる手 が州・地方官吏への主たる登竜門であることを 柄話はNPM論者の悪習のひとつとして批判され 考慮に入れれば、この窓口の方がより重要かも ている「ベスト・プラクティス・リサーチ」の しれない。著者は佐賀大学経済学部教授納富一 一つとして取り上げられる場合がある(Bardach 6「ベストプラクティスが意味するところは、効果 [2000]pp.75−76.)。その本質は第1に方法論 的公共経営に関して、いかなる専門家も存在しない の欠如であり、専門家は事例を収集して紹介す し、専門知識もほとんどないし、習熟された技能も ほとんど存廃しないということである。」(Lynn [1996]p159)「その民主主義的主張にもかかわらず、 ベスト・プラクティス派の人々が形作ろうとしてい るものは、■大学によって鍛えられたものでないにも かかわらず、美化された古典的官僚制(mandarinate) であるということは、はからずも疑いのないことで ある…。」(Lyn王1[1996]p160) 5 この種の実務が必ずしもアメリカの地方自治体で 広く普及し始めたものだというわけではないことは 理解されているようだ。「歳出管理予算」の他に二つ の起源、オーストリア、カナダ、デンマーク、ス ウェーデン、イギリスなどの中央政府における取組 7 あるべき「ベスト・プラクティス・リサーチ」の 方法論については、Bardach[2000]partⅢ,”smart (Best)Practices”Research:UnderstandingandMaking と、米国防省による取組がある(Cothran[1993])。後 者についてはNavalPostgraduateSchoolの硯/元ス タッフによる紹介がよく知られている(LニRJonesや FredThompsonなど)。 UseofWhat LooklikeLGoodldeas丘・Om Sornewhere EIse を参照。 ー162 − 地方予算の国際比較 郎氏の海外研修先である北イリノイ大学の 分的にしか行われていないので、それとよく似 IreneRubin氏の議論を追ううちに、枠配分予算 ているといえばいえないこともない。 このシステムにも以下のような弊害もあると の等価物がこの領域で論じられてきたことに気 づいた。そこではTBB(TargetBaseBudgeting) 指摘されている。 という名がつけられている。 (訓文人の予測がデリケートな影響をもたらす こと。財政健全性のためには収入は慎重に Rubin[1992]によれば、TBBは40年以上も連 邦政府の一部で行われてきたもので、どこから 見積もろうとするだろうが、そのことは部 ともなく少しずつ普及してきたものだという。 門間配分額を減らすため、不当な留保額と 自治体の名前としてはロチェスター、タンパ8、 みなされる場合がある。多めの財政黒字や フェニックスなどがあげられている。特に自治 基金活用も考える必要がある。 体における導入の背景としては、納税者反乱等 ②各部門の配分額は過去のシェアを参考に決 で、税や歳出レベルを強く締め付けられたアメ められる場合が多い。しかしながら政策の リカの80年代がある。そこではまず歳入レベル 重点度に応じてこのようなシェアは変わっ からこれ以上は使ってはいけない総額が決まっ ていかなければならないが、枠配分はか てくるため、その中でやりくりをしていくため えってこの種の編成替えを妨げる可能性が に自然に定着した手法ともみなしうる。政治の ある10。 ③一般に、・単純に過去の予算をそのまま踏襲 圧力や収入の変動に村し適応性が高いともいえ る。ただそこで述べられていることを見ると、 するのではなく、現在行われているサービ TBBは枠の中と枠の外の二重構造になっている スを最低限椎持するとすればどのような水 という理解であるようだ。すなわち、枠のシェ 準の予算となるかという計算がなされる。 アは前年度比等でトップダウンで決められる しかし当然のことながらこのようなサービ が、その枠内では使い道が自由に認められる9。 ス維持水準経費とはどれだけに・なるかとい 他方で枠外の戦略経費が一定範囲認められ、そ うことをめぐって、情報の非対称性を前提 の獲得のため各部門は優先順位を示すリストを とすれば、ある種の不確実性をもたらすこ 提出するということになっている。そのシステ とになる。したがって、実際には予算管理 ムは、後に見る管理会計的責任センター概念よ の徹底した簡素化にはならず、並行して一 りは、ゼロベース予算をルー▲ツとするという議 件審査に近いものを碓持し続ける場合も多 論になっている。■確かに多くの団体で、その事 いという11。 務量から、ゼロベース予算は包括的にでなく部 ④政治との役割分担の問題が指摘されてい る。政治家が強く意識する重要なプロジェ クトを政治力によ、つて押し込んだ場合、各 8 タンパ(Tampa)がTBBに乗り換えたのは1978年の ことである(Blant&Rubin[1997]p68)。これに対し 「歳出管理予算」のパイオニアといわれるフェア フィールド市が同制度に移行したのは1979年だとい う(Osborne&Gaebier[1993])。 10 この場合各部門は何のために業績指標を維持して いるのか疑問に思うようになる。さらには配分レベ ルだけが下がっていって、目標とされる業績は維持 され、終わり」のない生産性向上の要求を課されるの ではないかとの疑問も生じるようだ。 9 枠は経常・投資それぞれ設けられる場合と、両方 を一括する場合がある。 ー163 − 経 済 学 研 究 第70巻 第2・3合併号 部門の取り分が減るということになる。そ すること(すなわちアカケンタビリテイ)と のことは同時に、枠内のあるプロジェクト いったものである。その中には市民参加ヤアカ が廃止されるというこ七であり、しばしば ウンタビリティなど典型的に政治学的な関心が 意思決定の段階でトレード・オフが明示的 含まれているが、この種の「民主主義」に、部 に意識されない。 門の長に積極的に権限を委譲するということも TBBはコスト・センター論のようにコストそ 混ぜ込んであることが分かる。「かつては予算 れ自体が部門の目標となっているという議論を プロセスの「ボトルネック」、部局の敵であった しているわけではない。常について回るものと 予算担当部門は、今日では教育者、コミュニ して保証しているわけでは▼ないが、業績指標が ケ一夕ーの役割をにない、部局が予算要求を作 しばしば併用されること1を示唆している。TBB 成するのを助け、部局がトップのためにトレー における業績指標の性格は多様であり、コスト ドオフを整理するのを助けている。」(序論)と を削った上で、業績が低下しないかどうか監視 りわけ各部門と‘「村決する」のがもはや予算部 するために業績指標を使う場合もあるし、ある 門の仕事ではないことが強調される。この種の 種の契約関係を結んで予算をまず与え、それに 財政=予算部門の役割変化は、イギリスでも財 よって期待される業績が上がっているかどうか 務管理の分権化として意識されているものだ をチェックし、上がっていない場合はこの予算 が、それはそれで関係者の抵抗を呼び起こすと を見直すなどの使い方をする場合もある。 ともに、克服されていない技術的問題も多い。 予算をめぐるBland&Rubin[1997]の基本哲学 2.フランスの公的管理会計と責任センター は「かつて主として財務管理の道具であった予 算は、今日ではマネジメントとコミュニケー フランス公共経営の特徴は管理会計/マネジ ションのための道具として広く一周いられてい る」というもので、その基本は「開かれた性格」 メント・コントロール論に大きな影響を受けて (“dpenness”)であるc この公開性は(∋市民参 きた点にある。起源をたどれば、アメリカの 加の拡大(∋財務管理と経営的裁量をバランスさ PPBSと同様の手法12を導入しようとしていた60 せる③必ずしも∴紛争を回避するというのではな 年代から70年代にかけて、コスト情報の精緻化 いが、健全な予算論議を組織する④地方政府が に有用な原価計算等管理会計の方法論を重視 何を行っているLかだけでなくなぜ、どれだけう し、民間企業に学ぼうとしたのである。その後 まく物事を行っているかを示す予算文書を開発 PPBS自体は断念されたが、企業経営の方法論は もっと散発的な形で各分野での導入が取り組ま れ、これら一連の取組を公共経営と呼ぶように 11これに加えて、プログラム構造、原価計算、業績指 標、定員管理・配分システムを備えていた方がよいと まで言っている。なぜなら新規プログラムを行うな なった。したがってフランス公共経営は石油危 機前後から継続して、取り組まれてきたもので らどれだけのコストがかかり、そのために他のプロ グラムにどのような変化がもたらされ、そのことの 社会的インパクトはどうであるかが分かった方がよ いということである。それはコストのかかるシステ ムとなり、このために新規に専門家を雇い入れるこ ともあるようだ。 あり、その本質は、「市場」に学ぶというより 12 RCB:RationalisationdesChoixBudgetaires ー164 − 地方予算の国際比較 「企業」一に学ぶことにある。 良い面の一つは∴分権化を本当に重視してい ることである。例えば、・90年代末からフランス フランスの管理会計は元来「マネジメント・ コントロール」と呼ばれ、各種経営ツールの解 の中央政府予算改革が進行中で、そこでは業績 説以上に、それらを統合する理論的フレーム 指標導入が責任センターの設定とペアで考えら ワークによりこだわったスタイルを持ってい れている。責任センター設定は一定の裁量を与 た。この手法を公的組織に導入する取組は70年 えることなしには実現されない。単なる業績指 代に立ち上がり、1980年に出た二つの、書物がそ 標導入だけでは、フランスでは公共経営の成功 の代表となっている(Gibert[1980],Demes− とはみなされない。これに対し、建前はともか teere&Viens[1980])。その後1982年の地方分権 く、英米でも実態としては公共経営改革進展に 化を更なるきっかけとして、地方自治体でも同 伴い政府部門への統制はきわめて強化され、中 様の取組が普及した。最近は再び国の予算でア 央集権化が進んでいるという見方もある。 しかしそこまで重視されている割には、議論 メリカのNPRに似たシステムを導入しようとし と実態が必ずしもかみ合っていない。地方自治 ている。 体でよく見られる悪い例としては、既存の部局 このようなフランス・マネジメント・コント ロールの柱は三つで、責任センター、原価計 単位をそのまま責任センターとすることで、組 算、業績指標である。管理会計や民間企業にお 織と責任の体系が必ずしも一致していない弊害 ける責任センターとは、利益センター、コスト がある(組織再編を行わない限り)だけでなく、 センターなど、ある事業単位が裁量の余地を 分権化が伴っていない場合が多い(そしてそれ もっている限りにおいて目標となる指標が定め は新たな形の統制強化であるよりは、既存の行 られるものである。これを公共部門に取り入れ 政手続による統制の存続である場合が多い)。 る場合、公共部門固有の問題があることは早く さらにもう一つのフランスにおける問題は、 から意識されていた13。 業績指標とペアで責任センターが考えられるよ にもかかわらず、フランスの管理会計(マネ り、予算編成の単位として考えられる傾向があ ジメント・コントロール論)のテキストのどれ る点である。業績指標においても分権化は重視 を開いても、責任センター概念を日本以上に重 されるが、各係単位から階層的に構築されるタ 視しているのであり、当然、フランス公共経営 ブロー・ 改革の実践においても事情は同じである。これ 指標の体系)の次元と切り離して、責任セン には良い面と悪い面があるように思われる。 ターが部や課の単位を基本とする予算編成の単 ド・ボール(フランスに伝統的な業績 位として考えられる傾向がある。しかしながら 私見では、公的組織において責任センター概念 13 結果を達成するなら手段は問わないのが前提であ るが、とりわけ公共部門では、公共サービスの維 を、業績指標から切り離し、予算とのみ結び付 持、合規性というミニマムのコントロールが、リス けて考えることにはある特殊な問題がある。公 ク回遊性向から優先される場合がある。とりわけ官 庁の「監督」の論理があるところでは分権化はあり えない。少なくとも当該組織の管理者たちが分権的 管理を維持する環境を保持するよう努めることが必 要だが、究極的には法律改正が必要である(Gibert [ユ980])。 共部門では、一般に賞罰制度は機動的に使えな いこと、解雇はほぼ不可能であること、利益を 目標としないため、予算が減る〒仕事をしてい −165 − 経 済 学 研 究 第70巻 第2・3合併号 ない、仕事をしている=予算が増えるという議 績指標、業績報告は、これらを担当するマネジ 論が振り回されるリスクがあるなどの問題があ メント・コントローラー同席の下で、しばしば る。予算増額が責任者のなわばりの拡大とみな 参照はされていたが、意思決定の鍵となるほど されがちだという官民共通の問題もある。した でほないように思われた。業績指標の運営に不 がって、・特殊な仕掛けなしにはこの責任セン 備があり、目標の明確化が不十分であった点 ター予算は公的組織では機能しない。このこと が、予算論議における実のある政策論争を妨げ を、事例を通じて見てみよう。 ていた面もあったであろう。その後、予算折衝 まず、サン・ドニ(Sain卜Denis)市は責任セ 段階で認められる「発展予算」は「インフレ的 を導入し、各課の予算(投資的経費を除 傾向を持つ」という理由で廃止され、最小予算 ンター く)の範囲内で自由に入れ替えを認め、人事権 も政治的優先順位を明確にして割り当てられる も委ねている。前年度予算と、当該年度の財政 「割当予算」に移行した。責任センターはより 的戦略・展望から計算されたベース(ゼロベー トップ・ダウン的運用に見直されたのである。 スやマイナスベース)を前提に、第1にその額 同時に、同市では分権化が各部局の権限を強め を前提とした予算の入れ替え(ある項目を減ら て収拾がつかなくなっており、縦割りの弊害を し、その同額を他の項目で減らす提案)、第2 克服するためフランスで「プロジェクト管理」 (Projetd’entreprise)と呼ばれているソフト・ に増額が可能である場合の予算提案を出させ、 積極的提案と財政均衡(事実上予算削減のため マネジメント手法が導入を図られつつあった。 の手立てを情報として提供させたことにより可 最近日産で話題になったCFT(クロス・ファン 能となる)を両立させようと.していた(当時の クショナル・チーム)に近いものだが、ともか 総務課長(日本の助役に相当)自身による論文 く、同市では予算運営、組織運営に苦労してい MaJsaud[1989]を参照)。 るようであった(以上Marsaud[1995]も参照)。 このような、サン・ドニ市の責任センター予 これに村し、セーヌ・サン・ドニ(1aSeine− 算(むしろゼロベース予算に近いTBBに近似す Saint−Denis)県では同様のシステムについても る)・であるが、各部門予算折衝の現場は混乱し う少し集権的な運用をしている。責任センター たものであった。各部局予算委貞会における議 の指標は「貢献額」(Contribution)と呼ばれる 論は、技術論に終始する傾向が強く、なかなか 純費用(直接費用+間接費用一直接収入)で 政策的選択が議論できないようであった。そし あって、補助金や利用者負担など部門固有収入 て多様なサービスを包含する自治体運営に特有 の獲得を助長する。直接費は人件費とその他経 な圧倒的な情報の非対称性が目についた。とい 常経費に分かれるが、人件費について平均賃金 うのは、最小予算や発展予算の計算ベースをめ をベースに計算し、過不足が生じる場合それ以 ぐり、相互理解の不一致から議論の応酬が行わ 外の経常経費を調整するように求めている。た れでいたのである。とりわけ前年度と同じサー だし、配分のベースとなる必要なポストの計算 ビス水準ということの定義をめぐって、実はそ (なぜなら人件費=平均賃金×ポスト数で予算 の理解は担当部局と財政課で異なる傾向が強 計上されていたから)が業務の実態と比べて過 く、大きな問題を学んでいた。年次や月次の■業 剰である場合は必ずしも節約が進まないことに ー166 − 地方予算の国際比較 なる。この点で、同県システムの弱点は、人事 や政党の予算に与える影響などが重要関心とな と財政・評価の足並みがそろわないこ七にあっ る。他方で今日予算において強く意識されてい たように思われる。 るのはむしろ、組織の運営、経営である。今日 公的予算の限界を、業績評価との関連と単位 の問題状況からすれば、過去の豊かな業績を 違った視点から読み返す必要が生じてくる。 コスト活用によって乗り越えようとするのがア 例えば西山一郎氏の相対的に最近の論文に、 ンジェ(Angers)市である。同市では、原価計 算と業績指標を全庁的に張りめぐらせており、 「イギリスの地方自治体における最近の予算編 行政評価が財政や人事にも生かされている。同 成にらいて」(西山[1988])がある。同論文は、 市では、予算制度も責任センターを通じて運営 EIcock&Jordan[1987]におけるフィールドワー されているが、業績指標を張りめぐらし、これ クに基礎を置いたものであり、結論的には.(他 によって部門の業績評価を行っている14。この の結論も重要であるが)、財政逼迫の状況の中 業績指標と並行して単位コスト情報を活用して で変化が迫られつつも増分主義的傾向はなかな おり、そのコストの段階的逓減が求められるの かあらたまなかった70年代に引き続き、80年代 はいうまでもない。業績評価と結びついていな においてもインクリメンタリズムは払拭されて い責任センターの構築は、その効果が予算編成 いないというものであった。しかしながら、著 過程に限定されてしまう点にある。「カイゼン」 者の見るところ、上記フィールドワークに勝る への誘引は働かない。予算が編成されれば後は 重要性をもつ書物であり、このフィールドワー これを執行するだけであり、余りは次年度予算 クの経験を踏まえて善かれたEIcock,Jordan& を減らさないためなるべく使ってしまおうとす Midwinter[1989]にこそ注目すべきだと思われる る。単位コストと業務量を区別し、より少ない 15。たしかに、同書の結論も表面的に「合理主義 単位コストでより多くの業務量を求める同市の 的」な手法を排し、インクリメンタリズムを政 システムは、注意深くこのリスクを避けている 治の世界で妥当する予算運営手法として主張す のである。 るものである。しかしながら同書も事実認識と しては、ある種の枠配分予算に似た慣行が80年 代に既に行われ始めていることを示唆してい 3.イギリスNPMとコスト・センター る。 (1)キャッシュtリミット、コストt’センター、 「政府の削減要求を満たすもうーつの方法は SしA キャッシュ・リミットを課すことである。これ 予算論について固有の方法論を持たない財政 は予算編成戦略のうち「じっと突っ立っている」 学は、行政学・公共政策畑の予算論から、事実 上、多くを学んできたといえる。そこでは当然 政治学的な関心が強いのであって、例えば議会 15 この書物の著者達のうち現在でも活発に業績を重 ねているスコットランドのArthurMidwinterは、中央 政府の進めるNPMに強く反対する立場から議論を進 めている。逆にウェールズのGeorgeBoyneは公共選 択の視点から公共経営を論ずる代表的な論者であ 14 課レベルの責任センターは予算の単位であり、業 績指標は係レベルから階層的に構築されるので、両 者は厳密には同じではない。 る。 ー167 − 経 済 学 研 究 第70巻 第2・3合併号 (StandStill)戦略を採用することにより行われ 央集権的体質は改められ、その機能は各部局の る(同書第5章、EIcock&Jordan[1987]のEIcock 下に分権化され、大幅な権限委譲がな,されるべ 稿参照)。そこでは予算サイクルのずいぶん早 きだとするものである。しかしながら、実際に い段階から、議会(■または政策・資源委員会) は、若者達が考えるほどには分権化は進んでは が、次年度の自治体の仝支出は、前年度と比べ いないともいう。「5年余りたった今日、われ て、全く、あるいは実質値で全く増えないこと われの予測の中心にあった、財務管理機能がま を.宣言するものである。」(EIcock,Jordan&Mid− すます分権化されでいくだろうという/見通し winter[1989]) は、いまだ1990年代の支配的テーマになってい ないというのが正当な言い方であろう。」(Rawト inson&Tanner[1996]:Introduction) この種の認識はほかの、より経営系、会計系 しかしながら、彼らは少なくとも分権化の成 の文献の中では、より明確になる。J「多くの議 会がキャッシュ・リミッ■ト・システムを運用し 果として目に見えるものがあることを伝えてい ている。各委員会はある総額を与えられ、その る。それはSLA:ServiceLevelAgre◆ementという 中で自らの計画と優先順位を設定するのは相対 もので、いわば、直接部門と間接部門の間の関 的に自由である。」(Cook,Palmer&Papaiacovou 係を、間接部門が直接部門に対して行うサービ [1992])またキャッシュ・’リミットの他に、「コ スの質と量を確認し、それに対して予め定めら スト・センター」という概念もよく用いられる16。 れた価格を支払うというメカニズムである。き イギリスの予算や、財務管理のテキストは、責 わめて複雉に見えるやり方だが、様々な文献か 任センターの分類や固定費・変動費の区別な ら、これが意外に普及していることが窺える。 ど、‘管理会計的性格を強めているのが特徴であ 価格の設定方法にはいろいろあるが、固定価格 る。CIPFA所属会計士など、財政課職員や各部 や、単位費用(平均・限界)または労働時間で 門経理担当の大半が会計士や管理会計士の資格 設定するのが代表的である。多くの場合複数の をもっていることが背景にあると考えられる。 価格設定が組み合わされ、水道料金のような基 ここではこれらの財務管理論テキストの中で、 本料金と単位費用の二重価格となる場合もある より現実的で、興味深いビジョンを提供してい ようだ。そこでは事前にどのような、厳密な契 るRawlinson&Tanner[1996]の議論に耳を傾けて 約書が取り交わされるかが決定的な問題とな みよう。 る。例えば、福祉課が給与計算のための時間表 Rawlinson&Tanner[1996]にとっての基本的課 を月曜に提出すべきところ火曜提出の場合、 題は「財務管理の分権化」である。同書はあら 政課に差額分の賃金を追徴されるなどの例があ たな財政課の役割について述べた本で、その中 げられている。管理会計学のターミノロジーで 財 言えば、このような枠組みは■「内部振替価格」 の一種であるとみなしうる。・それも、市場価格 16 予算の分権化は、部局間だけでなく、自治体規模 の大きいイギリ スにおける「隣保政府」 や原価などの所定の方法ではなく、部門間の協 (Neibourhoods)に対しても行われる。地区別に庁舎 を設けそこに極力広範囲な機能を持たせ、地区政府 の裁量で予算を編成・執行する枠組みである(Blake, Bolan&Burns[1991])。 定に委ねるタイプの内部振替価格である。内部 振替価格は責任を明確化する機能の他に、内部 一168 − 」 地方予算の国際比較 らなる中央集権化を進めるものであった。 調達が効果である場合、・外部からの調達も辞さ この中で、一諸外国ではそれほど見られず、イ な.い、という形で、市場をてこにして効率化の ために圧力をかける使い方をする場合もある ギリスでとりわけ重視されているものの・一つ が、イギリスの自治体でも、質や価格に不満の に、団体間比較の推進がある。その本質は、会 ある場合、外部調達の可能性も排除されないこ 計制度や統計の整備により、・各団体の業績を相 とがあるといわれている。し.たがってこの問題 互に比較できるようにし、、場合によっては優れ は、いわゆるホワイトカラーCCT(強制競争入 た団体を奨励し、成績の悪い団体にべナルテイ 札をブルーカラナの領域から、事務・専門職の を課すことまで考える場合がある。その背景に 領域に拡大する試み)の問題と潜在的にはつな は市場・競争のないところに擬似的な市場を構 がっている。 築するという考えがあるようだが、実際には中 央政府の地方自治体に対する細かい介入を増や (2)国の介入を受けるための行政コスト会計 すばかりである。団体間比較と同時に監査 (VFM監査)を併用、強要し、優れた団体の実 SLAは自治体の現場における間接費の直接部 門への帰着方法だが、制度的にはもっと違う形 務は研究されて他団体にも普及されるべきと考 での嘱着方法が考えられている。いわゆる「配 える一方で、問題のある団体に対しては細かい 賦」′を通じた帰着方法だが、・その背景には地方 注文をつけ、これら全て公に公開する。 自治体が国に対して様々な報告を行うことを強 団体間比較の発展は以下のような推移をた いられていること、その中で、各行政サービス どってきた。1980年地方団体計画・土地法(Lo− に対する「トータル・コスト」の計算が重要で calGovernmentPlanning&LandAct)による年次 あることがあげられる。イギリスの自治体で重 報告中の団体間比較情報開示義務付け、監査委 視される単位コスト報告(UnitCostStatement) 員会による“Prome”(類団比較を当該団体に送 付)と業績指標の年次公刊の制度化、1992年地 (Coombs&Jenkins[2002])は、組織の内部利用 のためのものでもあり、外部利用のためのもの 方団体法(LocalGovernmentAct)による業績統 でもある。 計公表義務化(地方紙と監査委員会に対して (「シティズンズ・チャーター」とも関連))、 イギリスでは中央政府の新保守主義的政策圧 力を受け、地方自治体は翻弄され続けている そして最後に、BestValue業績指標の導入(中央 が、この事態は現在の労働党政権下でも変わる 政府に対し義務付けられた報告)で、地方行政 ことなく、さらなる中央集権化が進行している 担当相が再びこの間題を直接担当するようにな ように見える。1980年のDLO(DirectLaborO(− る一方で、監査委員会のほうも新たにCPA (ComprehensivePerfbrman云eAssessment)を導入 ganisations)に対するCCT(強制競争入札)の導 して自治体のランク付けを行っている。 入、1982年の監査委員会の設立、1988年CCTの 領域拡張(DSO(DirectServiceOrganisations))、 これら団体間比較は各団体の業績指標の報告 またポール・タックスヤシティズンズ・チャー を要請するものだが、業績指療の中には当然コ ターなどで混乱した保守党政権が終わっても、 スト情報、単位コスト情報が含まれている。あ 1999年におけるベスト・バリューの導入は、さ る意味で、イギリスの自治体会計制度は、この −169 − 経 済 学 研 究 第70巻 第2・3合併号 中央政府に対する報告を精緻化するためにある 接費が含まれかナればならない。この種の議論 のではないかと思われるぐらいである。その枠 に慣れていない読者のために一言しておくと、 組みは、日本で言われる「行政コスト計算書」 ここで言っているコストは経常的経費と投資的 に近い発想を持っているが、作成が自治体の任 経費を合算したものではなく、経常的経費を基 意に委ねられこ10程度の分類でほとんど何の役 礎としながら、建設事業の減価償却費を耐用年 にも立たない日本の制度と異なり、提出が義務 数に応じて年割で割り付け、さら.に総務費、一 付けられると同時にその分類はかなり細かい。 般管理費の類を別枠にせず、各サービスカテゴ BVACOP(BestValueAccountingCodeOfPrac− リ「のそれぞれに帰着させたものである去年に tice)によれば、この種の会計情報は、①.BV業 よって大き、く変動する投資的経費を減価償却の 績計画②会計報告書(つまり決算・年次報告) 形で処理しなければコストの団体間比較は出来 ③政府に提出する業績指標④予算書情報に盛り ない。 込むための法定情報であ′るとのことで、さらに イギリスの自治体会計制度では、間接費は三 地方行政担当相に提出が義務付けられ,たSEA つの範時に分かれる。第一の間接費は「コーポ (サービス支出分析)に活用される。その分類 レイト・マネジメント」であり、議会・委員 の細か!さは、まず行政全体を①中央サービス、 会・CEO・会議スタッフにかかわる・経費、税や ②司法、③文化・環境・計画④教育⑤道路・交 補助金の推計や会計に関わる経費である。第二 通⑥住宅⑦警察⑧福祉の八つに分類した後、そ に、「受益者のない間接費」があり、これは特 のうち例えば③の内訳であれば、①文化・遺産 殊事項で、CCTにより不要になったコンピュー ②リクリエーション・スポーツ③オープン・ス ターや年金などがあげられている。第三が「サ ペース④ツーリズム⑤図書館⑥管理部門・(配賦 ポートサービス」で、財政・lT・給与・人事・ 対象)の六つに分類している。そしてここまで 行政施設などの経費があげられている。ここで が義務付けられた分類であり、それ以上の分類 各サービス経費に配賦村象となる経費は第三の は任意となっている。そのコス′ト情報を貫く原 ものに限られる。その理由は、民間企業が直面 則が「トータル・コスト」の原則である。すな しない経費を控除するためである。その背景に わち、′トータル・コストには、①キャピタル・ は、CCTの対象となるDLOやDSOについては、 チャージ(減価償却を含む)17(むサービス供給資 民営化されようとさ・れまいと地方団体本体とは 産減耗(ImpairmentCost)③繰延資産償却④間 別会計で運用されるが、「官民比較でより安い方 が受注する仕組みのため、民間企業ならば絶村 に必要ない経費を行政内部のCCT対象部局の経 17 キャピタル・チャージは、減価償却と資本コストの 合計として定義される。後者は資産の簿価に名目金 利を掛けたものである。名目金利は規制によって定 められ、2002/3年(つまり2002年度)については実 質価額、取得価額資産の両方に対し6%と定められ、 2003/4年にはそれぞれ3.5%、4−.25%と定められて いる。ちなみにイギリス公会計はある種の時価主義 費の中にカウン‘トすることは、行政側に不利に なる不当な要因を一もたらすからである18。この ように何が配賦対象経費となるかは決められて いるが、配賦基準については定められていな をとっており、資産は5年以内毎に譲渡価額、ないし 再取得価額で再評価される。ただし道路等インフラ 資産やコミュニティ資産に対しては取得原価主義を 維持している。CIPFA’[2003]を参照。 い。この点自治体の自由だが、一般に、配賦は 通常勤務時間によることが多いといわれてい −170 − 」 地方予算の国際比較 る。行政施設などは施設の利用床面積(−㌦)な る。第3に、同様に業務内容の差を無視してい どを通じて配賦が行われる。1しかし厳密に配賦 るといえる。第4に、これは「標準」概念の欠 基準の統一はしておらず、会計方針の変更で団 如した相対評価だといえる。比較村象グループ 体間比較情報がゆがんでくることが容易に考え の中でどの位置につけていようと、全体が低す られるのである。 ぎる、高すぎる場合もあるわけで、その団体が なしうることを本当に尽くしているかどうかは このような団体間比較情報における単位コス トの活用は、同様のサービスを、より安く行っ これだけでは分からない。企業の原価計算で言 ているところと、より高く行っているところを うところの「標準」原価は、科学的に言って十 明るみに出し、後者に対し猛省を促すなどの効 分達成可能なコストの水準であるが、このよう 果が狙われていることと思われる。しかしなが な基準がない。第5に、自治体間の違いは、物 らト専門家たちの目から見ても、この種の単位 価・賃金・ニーズ・地理条件など様々である。こ コスト活用には限界がある(Coombs&Jenkins の点はイギリスの地方財政調整制度で日本の交 [2003])。第1に、政策の最終効果はアウトカ 付税と同様のメカニズムがあるが、その算定方 ムで測られるが、単位コストになじむのは、ま 法をめぐって紛争が絶えないことからも明らか た情報として入手しやすいのも、やはりアウト である。日本と同様にある種の類団比較も使わ プットである。単位コスト比較がアウトプット れるが、究極的な問題の解決にはならない。第 中心になりがちだが、それだけで政策の効果を 6に間接費配賦の方針が任意であるという既に 問いうるとは厳密にはいえない。第2に、団体 述べた問題である。第7に学校等事業会計への 間で同じ範時のサービスを提供しているとは 業務の移転を行っているかどうかによって影響 言っても、各団体における品質の差を無視して を受けるばらつきがある。第8に、これも会計 いるため、厳密な比較にはならないことであ 方針の問題であるが、資産価値や償却期間につ いても蓋然性があり、そこから歪みが生じる。 18 このように何が行政本体に属するコストで、なに がDLOに帰着させるべきコストかは、決定的に重要 である。というのは強制競争入札はDLOが競合民間 企業より安価にサービスを提供するのみならず、5% の投資利益率を確保することが直営維持の条件とさ れたからである。それができないときは地方行政担 当大臣が業務停止を命令することができた。競争入 札の対象となるのは1980年法では高速道路その他の 建設・維持に関わるDLO(DirectServiceOrganisations) だけだったが、88年にはゴミ回収、ビル清掃、その他 最後にブレア労働党政権の下で進行してきた ベスト・バリューについて述べておく必要があ ろう。これは当初保守党政権の中で論議を呼ん できたCCTを廃止し、サービスの質についてよ り重視した枠組みに転換しようとしたものであ る。まずベスト・バリューのプロセスについて 道路等清掃、学校・福祉施設その他の給食、土地整 述べれば、地方政府が経営を 備、車両修繕維持、ス’ボーッ・レジャー施設碓持な どのDSO(DirectServiceOrganisations)に拡がる。そ の後90年代に公園管理、車両管理、住宅管理、セキュ リティ、法務、建設・財産関連サービス、金融サー ビス、ITサービス、人事サービスにまで拡がり(柴 [2001])、「ホワイトカラーCCT」と呼ばれる。この ようにイギリスは業種を指定して民営化対象とする のでそれ以外は義務とは成らないわけではあるが、 常に「創造会計」の問題があり、会計制度を整備・ 精微化して独立組織と行政本体のコストを厳密に分 けることが課題となってきた。 待されるわけだが、そのやり方は、中央政府が 定めた運営手続を地方団体が遵守することを求 めるという形で進むのである19。その柱は、① BV業績計画(毎年)と4c20評価(5年毎)、② BV業績指標、③監査(業績計画の国の規定への 合致を審査)(む行政監察(点数化と中身に立ち 一171− 経 済 学 研 究 第70・巻 第2・3合併号 入った改善案)である云その背景には1970年代 点の上位25%の目標水準に、■5ヰ以内で到達す からイギリスに浸透している「コーポレイト・ るなど)。この論理を、労働党政権下では「カイ プランニング」の考え方があり、企業と同じよ ゼン」(Conti、nuousImprovement)を重視しでい うに戦略計画を立て、業績評価を行って、改善 るという言い方をするが、日本企業での理解と がなされていくべき.だというものだが、ベス は大幅に異なるものといわざるを得ない。その 後中央政府だけでなく、監査委員会もCPA(総 ト・バリューではこの手続を中央政府が地方政 府に強要しているのである。すなわち、計画を 合業績評価)制度を始め、業績指標の加重平均 作らせ、業績指標を提出させる。そこには5年 による総合得点によって、自治体を5つにクラ ごとの行政評価(イギリスでは「パフォーマン ス分けしている21。 ス・レビュー」と呼ばれてきたものがあるが、 4.日本の枠配分、インセンティブ予算の流れ それと同類のもの)を伴う。それだけではな く、国の指針に合致した業績計画を立て、実行 しているかどうか、監査を送り込んで調べさせ 最近の日本の自治体予算運営をめぐる議論の る。さらには地方団体担当相下の職員による行 特徴は、いわゆる新公共経営運動、NPMに大き 政監察もついており、その枠組みの中で自治体 な影響を受けているということである。この 運営の中身に立ち入った介入を受けるのであ NPMというのは、国際的にも、国内的にもその る。ここでは計画と評価の枠組みが自治体の自 理解はまちまちであるが、大住荘四郎[1999] 主性に委ねられるのではなく、一定の型を強制 の定義に従えばその特徴は以下の四つに集約で される形となっている。 きる。 そういった中で、地方自治体はどのようなア ウトカムをあげることが期待されているかとい (∋手続による統制から成果による統制へ(そ のために裁量を与える) うと、92年以来の監査委員会業績指標を発展さ せた中央政府のBV業績指標のヰで、上位の団 (∋市場メカニズムの導入(民営化・民間委託・ PFI・エイジェンシー) 体に入ることが求められるだけでなく、その順 位を上げていくことが求められる‘(月標設定時 (参政策科学の立場を乗り越える顧客主義(ア ウトカムより消費者満足) 19 Boyneのような論者でさえ、中央政府のやり方には 辟易しているようだ。「しかしながらBVのフレーム ワーク自体が自治体サービス管理へのドグマ的方法 を反映しているともみなしうる。BVの義務は業績改 善に関わるものだけではなく、その改善を確保する 特定の方法に関わるものでもある。」(Boyne[1999] 21最近の“PublicFinance”の記事(8/22)によれば、 CPA最上級にランクされた団体には、作成すべき計 画の本数を大幅に削減されたり、3年間行政監察を免 除されたり、資源配分の自由度が高まるなどのイン センティプがあるようだが、23%のCEO、30%の p9) 20 4Cとはベスト・バ7)ユーの基本理念で、Challenge, (政治的)リーダーたちにしか評価されていないと compare,COnSult,COmPetitionの4つである。それぞれ、 いう。また少し前の記事(8/8)には、CPA最上級 そのサービスが何のためにあか)どのように行われる から滑り落ちた団体にべナルティを課すことが検討 されていることに対し、政府が監査委員会に圧力を かけ、監査委員会の独立性を侵そうとしているとし べきかの見直し、自治体間比較の重視、市民参加や 外部評価の重視、そして最後のものは市場メカニズ ムの重視であり、CCT的アプローチが完全には消え ていないことをうかがわせる。 て非難している。WWW.Cipfa.org.uk/publicnnance/参 照。 一172 − 地方予算の国際比較 四日市市の総額管理枠配分方式もかなり包括 ④統制しやすい組識へ(簡素化と分権化) 的な杵配分である。まず来年度の歳入を見込 ①と④は企業経営とも共通する、組織論的問 題であり、本稿での課題に大きく関係してい む。次にそこから義務的経費や長期計画の中で る。(∋は狭義のNPM、とりわけイギリス流の 実施を予定している事業を差し引く。その範囲 NPMは、政策評価論が、様々な科学的手法を動 内で、前年度予算からシェアを見積もった各部 員して、政策のアウトカムを測定しようとする 局の配分額を定め、その2割減を各部局に配分 態度を、非現実的と見て、むしろ企業と同じく する。かなり厳しい予算の削減である。各部局 行政の目的も・顧客満足だと見てアンケートなど は優先順位を明確にする義務があるが、枠内に の手法をむしろ重視する。しかしNPMはむしろ 収められた案はほぼ自動的に認められる。′さら アウトカムの測定を重視するものだと考える理 に人事課管理だった人件費も、各部局に割り当 解も日本では拡がっているので、これは一つの てようとしている。同市では人件費を事業費に 「立場」だといえよう。②はむしろ民営化論の 転用するなど各部局の自発的で前向きな人員削 系譜にある議論であって、英連邦系のNPMが、 減を求めているようだ。人件費は固定的性格を 「企業」と「市場」をごちゃ混ぜにして、合わ 持ち、これを各部門に任せることはかなりデリ せて飲み込ませようとする議論であることが推 ケートな問題を生じるが、.この点から言えば、 し量られる。 かなり思い切った決断だといえる。 いずれにしても、①と④は、何らかの形で結 このような分権的予算運営は、現在各地に広 果を問われるあらゆる組織に共通する、現代の がっており、その実施団体を厳密にカウントす 普遍的課題である。ただそれが差し迫った状況 ることば難しい。ここでは、著者が現在実態調 に常におかれている企業で先行して取り組まれ 査を行いつつある自治体の中から、直面する問 てきたため、公的組織は企業に学ぶ点が多いと 題を拾い上げてみたい。 まず地元に近いところから、久留米市の例を いうことのみである。 このような組織の分権化の中で、各部門に裁 取り上げる。同市でかなり規模の大きな枠配分 量の余地を大幅に与える予算の分権化も、日本 が運用されていることは、驚きであった。同市 の自治体で少しずつ広がりつつある。最近で では、平成11年度から「標準経費」の枠配分を は、竹中経済・金融担当相が訪問した足立区の 行った。同市では経費を標準経費と政策経費に 「包括予算制度」が有名になった。一般財源の 分け、前者では人件費・扶助費・公債費の義務 1300億のうち1100億の配分で、配分額は各部局 的経費と共に、一定の一般経費が含まれてい が自由に使ってよい。・以前は要求できるものは る。しかしその割合はかなり小さい。義務的経 全部挙げてい た各部局が、自分で優先順位を厳 費が事実上機械的に定まることを前提とすれ 密に精査することになった。余った予算の半額 ば、裁量の余地はそれほど多くない。これに加 は繰り越せるインセンティブ制度もついてお えて、平成15年度から「その他政策経費」の枠 り、予算確保のための年度末工事などの弊害が 配分を始めている。標準経費と政策経費に分け 避けられる。同区では前借もできる制度となっ た後、後者の政策経費が「戦略経費」、「(狭義 ている。 の)政策経費」、「その他(政策経費)」に3分 叫173 − 第70巻 第2・3合併号 経 済 学 研 究 されるが、そのうちここでは一番最後のものを 算で行いうるものではないという重要な指摘を 指している。さらに現在(狭義の)「政策経費」 する人々もあった。その意味で、その意味で、 の枠配分実施についてほ検討を行っているとこ 現在取り組まれている、「局戟略計画」を通じた ろである。 スプリング・レビューが課題となるが、この種 同市でこの手法が実際にどれだけ各部局の自 の中長期的な事業再構築は今現在取り組まれて 由度を高めたかが問題となるが、実際には継続 いるもののようである。ともかく、枠配分の機 性こ既得権益などから部内シェアはほとんど変 能はどうあれ、同市では局レベルヘの分権化が わって▲いないという。その背景としては、久留 推進されていることは確かで、局単位での自発 米市程度では財政規模は小さいため、その効果 的な事業の再構築が進むかどうかについては、 には限界があるという意見があった。利害関係 単位部課に対する局長のリーダーシップが実際 者の圧力が政治を通じてかかってくるという普 に行使されたかどうかも問題で、これはシステ 遍的な問題もある。同様に、それらを踏まえ ムの問題だけでなく人の問題でもある。 て、枠配分対象を拡大しかナれば効果がないか ま.た著者は最近静岡県を取材する機会に恵ま も知れず、検討もされているようだ。 れたが、そこでも予算の分権化は進みつつあ もう ̄】一つ近隣で、参加・分権型の経営改革を る。ただし典型的な枠配分の枠組みで行われて 行って1いるところに、福岡市がある。同市では いるわけではない。同県のやり方はいわゆる 「プログラム予算」路線であって、事業の規模 枠配分予算㌧見直しインセンティブ方式・節約 インセンティブ方式の一3制度を導入している。 を大きくすることで自由な運用を促進するもの 見直しインセンティブ予算は、予算未使用額の である。平成14年度から同じ施策に属する事業 1/2を翌年度に返還してもらうもので、これ の間の流用に対する財政室長の承認を廃止して まで一定の成果はあったようである。各部局も いる。ただし「安易な流用は慎むように」とい インセンティブは意味があると認識してい う慎重な表現を使っている。施策・事業の体系 るよ うだが、返還額が小さいという不満がある。そ は静岡県の経営システムである業務棚卸表に して年度ごとの、節約額の推移を見ると、段々 よって与えられるものである。予算査定も細か と「ねた切れ」になってきている様子が伺える。 い計算に立ち入るものではなく、業務棚卸表に 今年度から、予算編成段階だけでなく、予算執 記述的評価をセットしたシステムを通じて成果 行過程にも同様のメカニズムを持たせるため、 志向で行われている。同県では当初予算段階で 「節約インセンティブ予算」を導入している。 も事業内の節の区分に細かく介入しない運用を している。同様に事業の規模も大きくとってお これに村し、同市の枠配分予算は、その実態 は極めて限定的なものであり、およそ物件費の り、他団体が3000ぐらいのところその半分程度 一部のみだけが対象となっている。これでは枠 であるという。同県のやり方は、かなり「暖味 配分としては小さすぎるであろう。この枠はい な」面があり、自由な運用を促進する反面統制 ずれ拡大されてい、くのだと思われるが、詳細は を完全に解いたわけではない。分権化も一足飛 知ることができなかった。他方で、部局の職員 びに進んでいるわけではなく、部内経理係は各 の中には、事業の再構築は枠配分など単年度予 部に予算を分権化する目的で10年以上存在する ー174 − 地方予算の国際比較 デメリット メリット 個別一般 財源枠 担当部門としては目標が明確になっており、 経常経費内でしか予算の見直しができない可 能性がある。 動きやすい。 政策的経費に?いて、柔軟な対応ができる。 経琴の区分方法がわかりずらいことが多い。 シンプルでわかりやすい。 全体一般 財源枠 配分枠を受けた事業部再での調整が実際に横 経費の区分に関わらず今まで以上の徹底した 能するか難しい面がある。 見直しが必要であるという実態に合ってい る。 出所:肥沼[2002]pll. ものだが、組織改正の際の権限委譲はなかなか であるべきだが、それだけ調整が困難になるこ 進まなかったという。最近大分改善が見られる とが予想される。この点事業間の優先順位が、 ようになったというところであろう。 広い部局の中で十分考えられているのか、そし て部局の長に十分な権限が与えられ、実際に 最後に、全国の枠配分予算を分類している所 沢市財政課の肥沼氏の議論を一瞥してお÷う。 り「ダーシップを行使するのかどうかという、 肥沼氏によれば、予算編成で基本となってい 予算を超える、経営全体の問題とつながってい ることから、支出総額ではなくて一般財源枠と る。 いう示し方が多いという。このこと′は当然補助 金の積極的獲得を動機付ける面がある。その上 5.財務管理の分権化をめぐる展望 で、一般財源枠の設け方として、経常的経費・ 以上、国際比較の中で、日本の自治体枠配分 政策的経費などに分けた上で個別に経常経費の みに一般財源枠を設定する方法の方が、経費の 予算・インセンティブ制度の位置付けを確認し 性格を分けることなく一括して配分する方法よ てきた。一見して言えることは、日本の議論は り支配的であるようだ。その理由は、政策的経 むしろアメリカに近く、行政学的な枠組みを超 費は首長の決断など政治的配慮が必要で、枠配 えていないのに村し、イギリスやフランスでは 分にはなじまないと考える場合が多いことと、 会計学・経営学のより大きな視野で物事をとら 政策的是非を含む一般財源全体の金額算定は難 えていることが分かる。とりわけ、日本やアメ しいことである。このことをクリアするために リカでは、内部振替価格など間接費の帰着が論 は、首長の意向を盛り込むため、「重視される じられることはほとんどないが、各部門に責任 施策について必要額を見込んでの枠設定とし、 を持たせて行政運営を行わせ、節約を促す点で 事業担当部門は当該施策について必ず予算要求 もっと試されてもよい手法のように思われる。 するというルールが必要である」と述べている 他方で、日本やアメリカでは経費を部分に分け が、このことは、著者には、一見すると裁量の て、一部を枠配分の対象とする考えが強いが、 余地を委ねる枠配分制度の空洞化につながりか 実務上の柔軟な運用にすぎないとはいえ、管理 ねない懸念もある。 会計でも時々論じられる原価の制御可能性の問 題と関わり、重要な点が意識されているように もう一つの問題は、枠はより広い部局の単位 −175 岬 経 済 学 研 究 第70巻 第2・3合併号 思われる。イギリスヤフランスでは経費を制御 からいって介入する権利を持っている。した 可能性の点から区分して論じる視点がやや弱い がって首長・議員はあくまで戟略的な部分に自 のが気がかりである。 らの努力を集中するべきであって、詳細につい いずれにしても、予算の分権化は国際的に見 ては現場に任せるべきだとの立場もありえよう て、意外なほど広い範囲で意識が高まってい が、そうだとしてもその戦略的な部分とは単な る。確かにトップ・ダウンの面もあり、効率性 る経費区分ではなく、議論の詳細度と質に関わ 圧力として使われやすくもあるが、財務管理の ると思われ、その中身については確固たる方法 分権化に向けて、そのターミノ竜ジーの違いは 論が確立されているわけではない。試行錯誤の 別にしても、中身については、ほぼ国際的なコ 中で見出していく他はないであろう。 さらにもう一つの、そして決定的に重要な問 ンセンサスが形成されつつあるように思われ る。もちろんそのことはどの国でも・幅広く枠配 題は、フランスの管理会計学者アンリ・ブッカ 分予算に似た枠組みが実施され、普及している ンが言っているように、権限委譲においてプロ ということまで意味するものではない。ただこ セスの中身がブラック・ボックス化する一なら こで大切なのは現場の声であろう。NPM的枠組 ば、資源をどうやって正しく割り当てることが みに反村し、従来の行政学的予算論が掲げてき できるかという問題がある(Bouquin[1997])。 たインクリメンタリズムの立場を堅持するAr− すなわち、・プロセスの中身が分かるからこそ必 thurMidwinterのような立場もあるが、少なくと 要最低限の資源を割り出すことができるのであ も行政の現場自体が、裁量の余地の大きい分権 る。しかしプロセスの中身が分かっているなら 的予算を求めている面があるように感じられ ば、権限委譲の中身はなくなる(上が全てお見 る。この点、予算の組織内分権化を市民参加ヤ 通しならば、下は努力・創意工夫の余地はな アカウンタビリティと同じレベルにおいて重視 い)。この二つは矛盾するのである。 するIreneRubinの議論はバランスのとれた議論 実際には、予算の分権化においてはかなり窓 であるように思われる。ある意味で、財政エ 意的な資源配分を思い切って行う必要がでてく リート主義に対抗する、職員参加に近い論理で る。とりあえず前年度シェアを維持するとすれ あって、住民参加とと:もに広い意味での財政民 ば、配分は硬直化するしそれを正当化するの 主主義を構成するも■のともみなしえよう。 は、1年、2年はよいとしても、中長期的には 雉しい。他方で予算シェアを変えるならば、ど ただし運用上の課題も多くある。アメリカや 日本で問題になっているものの一つに、政策的 ういう基準で変えるかが問題になり、必要な材 経費の位置付けがある。これは結局、首長・議 料を持ち合わせていないことが多い。したがっ 員と職員の間の権限の整理の問題であり、各団 て、業績指標や業務分析などの情報システムを 体が独自の立場を持ちうる問題で一般論は打ち 同時並行的に整備しなければ、組織の構成員に 出しにくいところだが、あらゆる集権・分権の とって納得感のあるものとはならないだろう。 議論に共通する課題として、▲上が過度に下のこ 道にこれらのシステムを整備するのは多くの手 とに口出しすると下は意欲をなくすし創意工夫 間を要するし、これら情報システムを通じて上 を生かしにくい。しかし政治は民主主義の視点 からの介入が増えれば分権的予算は意味を失っ ー176 − 地方予算の国際比較 いる。この点でArthurMidwinterの反発はよく・理 てしまう。 解できる。単位コスト統制であっても、フ‘ラン したがって問題は単にシステム構築の問題に とどまらず、その運用の問題でもある。分権化 スのアンジュ市のように自団体の運営のキめに は必要だが、ある程度の査定の必要性は残るよ 使うのと、イギリスのベスト・バリューに至る うだ。介入しようと思えばできるが積極的に換 一連のシステムのように自治体間比較に使い、 えるといったこ 場合によって中央改野が地方政府に賞罰を与え を同時に確保することが求められるため、そこ るために使うのとでは意味が全然違ってくる。 では意図的な暖昧さを忍び込ませることが欠か 後者においては、比較可能性について論理的に せないように思われる。この点で著者には、静 正当化不可能なキとを行っている。大切なこと 岡県の運用に興味深いところがあった。 は、よそと比べてどうかということ以上に(厳 密には比較できない) このような分権的予算は組織論的にはマネジ メント・コントロール・システムの一環である ること(業務内容が変わらないなら比較でき ことも再確認しておきたい。その骨子は、戦略 る)であって、1そのために人々・を動機付けるこ に組織を卒わせること、組織を分権化して、賞 とである。「カイゼン」は上から強敵できる 罰制度を整備し、人々が組織全体の目標に向 のではない。 かって行動を収赦するよう、インセンティブが 参考文献 構築されねばならない。各地で業績指標などの 目的試行の経営システムが導入されるのは戦略 Bland,R.Ⅰ.&Rubin,1.S.,Budgeti花g:AGuidefbrLocal とその下位目標を明確化するためである。公的 Gouer7tme几ね,ICMA,1997. Bardach,E.,A PracticalGuide/br fblicyAna&sis, 予算は民間のコスト・センターと異なりコスト 乃e Eな九的gd、助娩 わ肋re聯c血e Pro鋸em の総額で業績評価することはできず、少なくと SoIuing,Chatnam House Publishers ofSeven Bridges も単位コストや各種業績指標を活用する必要が Press,2000. Blake,B.,Bolan,P.&Burns,D,LocalBudegetiTtg m Practice:Leamingh・OTn tu)O CaSe Studies,SAUS, あることも指摘しておきたい。同時に新しい予 算シ云テムは、人的資源管理など、職員を動機 London,1991. 付けるシステムと併用して初めて意味をなすの Bouquin,H.,LesfbndelnentS du contr∂le degeslion, PUF(Quesais−je?),1997. であり、この点を伴わず予算だけを分権化して Boyne,G.(ed.),MbnagingLocalSeruices:針oTnCCT も所定の目的は達せられないことは明らかであ toBesll匂Iue,FrankCass,1999. CIPFA,BestⅥ‡lueAccoLLntingCodeoFPractice2002・ る。 CIPFA,Councillors’Guide toLocalGoL)eT・nment」円・ この点と関連して、ここで戦略とは組織固有 nance,2002−2003nLlb7ReuisedEdition,December のものであることを確認しておきたい。という 2002. のは、イギリスの中央政府が地方自治体に課し CIPFA,CapitalAccountingbyLocalAzLtOT・ities:Con− ぷOJidαねdG㍑王dα花Ce油土egわrf)rαefi如托erg20β且 ているシステムは、公共経営のあり方を上から Cook,P.,Palmer,P.&Papaiacovou,C.,LocalAzLthorib/ 画一的に定めてその実施を迫るものであり、地 Bu(なelGuide,Longman,1992. 方分権への侵害であると同時に、戦略とは組織 Coombs,H.M.&Jenkins,D.E.,PublicSector」托几aTWial ManqgeTnent,3rdEdition,2002. 固有のものであるという認識が何よりも欠けて −177 − 経 済 学 研・究 第70巻 第2・3合併号 Cothran,D・A・,“Entrepreneurial・Budgeting‥AnEmerglng IhePublic Sectol・,Reading,Mass.:Addison−Wesley, Re鈷rm?”,乱はcAdmよ花iβ加わ0花蝕uie∽,1993,53( 1992.(邦訳:野村隆監修、高地高司訳、オズボーン 5). &ゲーブラー著『行政革命』日本能率協会マネジメ Demesteere,R・&Viens,G.,Mdnagementdescollecliu− ントセンター1995年) Rawiinson,D・&Tanner,B二,FhaTWial肋nagemenlin ifゐgocαJeざef deβαββOCぬ正0那β∽βむ㍑f g沈Crα豪坑 LocalGot)ernment,2nd Edition,Pitman Publishing, EM已1980. 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