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この 10年の歩み

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この 10年の歩み
情報コミュニケーション学部
この
1
0年の歩み
学部長:石川幹人
情報コミュニケーション学部は 2
0
0
4年度に開設されました。第 l期の
新入生募集時に使用したキャッチフレーズは「人と社会が見えてくる」で
した。ポスターなどの広告媒体にそれを目立つように表示し、説明のため
に有力高校を回る我々教員の名刺にもそれを大きく刷り込みました。
今から振り返ってみても、「人と社会が見えてくる」は的確な標語であっ
たと思います。本学部は、現代社会に発生する諸問題を扱う実践的な学部
です。ご承知のように近年、情報機器やネットワークの利用が一般化し、
人々の仕事や生活の形態に大きな変化が起きてきました。その一方で、急
速な変化に旧来の社会の仕組みがなかなか対応できず、将来的な発展の見
通しが悪くなっています。
現代社会に発生する諸問題を扱うには、人々の営みと社会の仕組みが互
いに影響しあう入り組んだ構造をときほぐす必要があります。本学部では、
法律や経済政策など、の社会科学を中心に、文化や歴史、心理などの人文科
学の知見、メディアやネットワークにまつわる情報科学の知見を交え、学
際的アプローチによって問題解決に挑戦できる学生の育成を目指していま
す。この問題解決の過程で、まさに「人と社会が見えてくる」と言えるの
です。
学部名となっている「情報コミュニケーション」は、上述の問題解決過
程のダイナミズムをよく表現しています。社会における提や制度は、人々
の行動を律する「情報」である一方、その提や制度をつくるのは人々の協
議、すなわち「コミュニケーション」です。両者には、コミュニケーショ
ンが情報を生成し、情報が次のコミュニケーションを導くという循環した
相互関係があります。これを「情報コミュニケーション」という言葉で指
し示すのです。
伝統的な社会科学の諸学部が、情報面に注目して専門家養成を目標にす
るのに対して、本学部はコミュニケーション面をも重視して「よき市民」
を養成する役割を担う、とも読み替えられます。変化の激しい現代社会に
おいては、変化にいち早く対応して仕組みをつくる、情報コミュニケーショ
1
ンの営みが市民に求められるのです。
情報コミュニケーションの営みに不可欠な要素が、多様な人々による協
力体制です。現代社会の問題が入り組んで複雑な様相を呈しているため、
その解決には、複数の伝統的な学問分野を横断した考察が必要です。しか
し、ひとりの人聞が多くの学問分野における専門家になることはとうてい
望めません。各自の強みを活かした協力関係を形成して問題解決にあたら
ざるを得ないので、す。その実現には、専門的知見を結びつける知恵、や技能
を有する人々が求められます。
本学部の専門科目では、ひとつの分野に深く取り組むというよりは、学
問分野どうしを関係づけて学際的な発想をするところに重点が置かれてい
ます。それに加えて、イベント企画やフィールドワークなどのさまざまな
活動を通して、多様な人々を結び、つける技能を酒養する、少人数の演習授
業が多く用意されています。まさに「情報コミュニケーションの実践的な
場」を形成していると言えます。
本特別号では、こうした特徴をもっ本学部の教育・研究の概要と、この
1
0年間の歩みが一望できるものと思います。学部の理念、をご理解いただ
き、今後とも本学部を応援いただければ幸いです。
2
情報コミュニケーション学部創設 1
0周年に寄せて
1
0周年記念事業実行委員会委員長(初代学部長)
中村義幸
2
0
0
4年 4月 1日に創設された明治大学情報コミュニケーション学部は、
2
0
1
4年 4月に創設 1
0周年を迎えて、「情報コミュニケーション学部の原
点と現点、そしてこれから」と題する共通テーマのもとに二つのパネルデイ
スカッションを開催しました。
この学部の源流は、 1
9
8
9年に当時の短期大学内に設置された「短期大
学の将来を考える会」による将来構想の検討開始まで遡ることができます
が、その後漸く「新学部設置準備委員会」における全学的検討による成案
を得て、 2
0
0
1年 7月 1
4日、経営学部設置以来 5
0年ぶりの新学部として
連合教授会で承認されるに至りました。
そこで、原点ともいうべき「新学部の教育理念」をこの連合教授会承認
議案によりここで確認しておくことにします。
「明治大学の建学の精神である権利自由・独立自治の気風は、世界的思
潮としての個の自立の流れに臨み、いよいよその今日的な意義をたかめつ
つある。新学部は、進取の気性に富み、高度専門職業人としての資質及び
問題発見・問題解決能力を備えた時代創造的な個性的人材を育成する。
(
1
) 情報社会の本質を理解するとともに、これまでの学問分野にこだわら
ず、人文・社会・自然科学の各分野からの多面的なアプローチをも重視
し、人間コミュニケーションの在り方に関する様々な問題を社会科学的
に分析し、行動できる基礎的な能力を養成する。
(
2
) 総合的判断力、合理的思考力、コミュニケーション能力・プレゼンテー
ション能力、社会に対する洞察力を養成し、情報社会における社会シス
テムのあり方を分析し提案するとともに、人間コミュニケーションの抱
える問題を念頭に置きながら、将来の共生社会を構想できる人材を育成
する。」
その後「新学部設立教学委員会」において認可申請に向けたカリキュラ
ムの検討に着手しました。創設時のカリキュラムは、この原点に忠実に社
会科学系の科目を中核として設計しましたので、学部名称から受けるイ
メージとはかなり内容が異なって初期のころは学生もかなり戸惑ったよう
でしたが、次第に内容が理解されるとともに学生の主体的な選択による多
3
様な学びが可能なカリキュラムを持つ他に類例のないユニークな新学部と
しての定評が高まり、卒業生の実力なども評価されるに及んで、過去には
3
4
0名の定員に 9,
6
0
0名を超える志願者が押し寄せたこともありました。
こうした本学部への高い評価や周囲からの期待を受けて、 2
0
1
3年度に
0名の定員増を行うとともに、新たな入試制度の導入やカリキュラム
は5
の見直しなども行いました。
そこで、目下は、この 1
0周年記念事業を実施するために設置された委
0
0
1年 7月 1
4日の連合教授
員会内に「検証部会」を設け、原点となった 2
会決議書や 2
0
0
3年 1
1月 2
7日付の文部科学大臣による情報コミュニケー
ション学部設置認可書の内容を基準として、鋭意この 1
0年間についての
検証作業に努めているところです。
ついては、発足時以来の学内外からの期待を込めた課題の指摘に真撃に
向き合うとともに、学部自らの手で現状を解剖しようとする検証部会によ
る検証結果をこれからに生かすことで復元力を回復し、必要な改革を断行
して次の周年に向けてふたたび力強く飛朔する情報コミュニケーション学
部のこれからに期待したいと思います。
4
明治大学情報コミュ二ケーション学部
創設 1
0周年記念シンポジウム
情報コミュ二ケ-ション学部の原点、と現点,
そしてこれから
2
0
1
4年 1
1月 1
5日(土) 1
3
:
0
0~ 1
7
:
0
0
アカデミーコモン 3~皆
総合司会
:牛尾奈緒美
開会の挨拶:石川
第 1部
アカデミーホール
情報コミュニケーション学部教授
幹人情報コミュニケーション学部長
学識者と専任教員によるパネルディスカッション
【パネリスト】
横溝正子
森
弁護士横浜弁護士会元会長
達也
日本女性法律家協会元会長
情報コミュニケーション学部特任教授(映画監督・作家)
小田光康
情報コミュニケーション学部准教授
【コーディネーター】
中村義幸
第
2部
情報コミュニケーション学部初代学部長
卒業生と現役生によるノ fネルディスカッション
【パネリスト】
漬野慎司
日本放送協会エンターテインメント番組部ディレクター
(
2
0
0
7年度卒業)
(
2
0
0
7年度卒業)
東津諭佑
明治大学専任職員
山本佳孝
毎日新聞社中部報道センター(事件グループ)記者
(
2
0
0
7年度卒業)
(
2
0
0
8年度卒業)
池内裕美
神奈川県立秦野曽屋高等学校教諭
石田裕亮
パンダイナムコゲームス社長室新規事業部コンサルタン卜
(
2
0
0
8年度卒業〉
窪田
徹
文部科学省初等中等教育局職員
渡
航
ライトノベル作家
5
(
2
0
0
8年度卒業)
(
2
0
0
8年度卒業)
情報コミュニケーション学部 4年生
西深津史恵
【コーディネーター】
大黒岳彦
情報コミュニケーション学科長
閉会の挨拶:細野はるみ
情報コミュニケーション学部前学部長
明治大学情報コミュニケーション学部創設 1
0周年記念シンポジウム
情報コミュニケーション学部の原点と現点,そしてこれから
総合司会:牛尾奈緒美(情報コミュニケーション学部教授)
皆さま、大変長らくお待たせいたしました。本日は「明治大学情報コミュ
ニケーション学部創設 1
0周年記念シンポジウム」にご来場いただきまし
て誠にありがとうございます。
私は、本日の司会を務めさせていただきます情報コミュニケーション学
部教授の牛尾奈緒美と申します。よろしくお願い申し上げます。
それでは、これより r
T明治大学情報コミュニケーション学部創設 1
0周
r
年記念シンポジウム J 情報コミュニケーション学部の原点と現点、そし
てこれから』を開会いたします。
初めに、本日のシンポジウム開会にあたりまして、情報コミュニケーショ
ン学部学部長の石川幹人より、開会のご挨拶を申し上げます。
開会の挨拶:石川
幹人(情報コミュニケーション学部長)
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました情報コミュニケーション学
部長を拝命しております石川でございます。どうぞよろしくお願いいたし
ます。
本日は、お忙しいなか「情報コミュニケーション学部創設 1
0周年記念
シンポジウム」にご来集いただきまして、大変ありがとうございます。
ご承知のように本学部は、 2
0
0
4年に開設されて以来、本年で満 1
0周年
を迎えました。学部 7期生までが卒業を迎えており、今年度秋の卒業者も
含めてこれまでの全卒業生の数が 3
.
1
7
1名にぼっております。うち女子が
49%を占めておりまして、社会科学を中心とした学部としましては極めて
6
高い女子比率になってございます。これも戦前から始まった明治大学の実
学を重視した女子教育の伝統を本学部が引き継いでいることのひとつのあ
らわれではなし 1かと考えております。
本学部では、この春から 1
0周年を記念した数々のイベントや特別講演
を催してまいりましたが、なかで、も本日は最も大きなものであります。全
卒業生に案内葉書を送付いたしまして、このように会場に多くの方がお集
まりいただきまして、大変ありがたく思っております。
本学部の 1
0周年の歩みにつきまして少々ご紹介申し上げます。
情報コミュニケーション学部は 2
0
0
4年、当時明治大学学長をされてい
た山田雄一先生と、短期大学学長をされていた中村義幸先生の強力なリー
ダーシップのもと、経営学部以降 5
0年ぶりの新学部として誕生いたしま
した。開設の理念、をあらわす言葉は「人と社会が見えてくる」であります。
高度化する情報社会の現実を理解し、多様な考えを持つ人々と自ら進んで
手を取り合い社会に新たな・潮流をつくる。そうした人材を輩出すべく、社
会科学を中心とした学際領域の教育を目指す学部としまして、今日まで教
育・研究を続けてまいりました。
その問、 2
0
0
8年には大学院情報コミュニケーション研究科が認可・設
置され、 2
0
1
0年には博士後期課程も設置されました。また、周年には学
部内にジェンダーセンターを開設いたしました。海外との学生交流も欧米
のみならずタイのシーナカリンウィロート大学やキングモンクット大学、
ラオス国立大学、ベトナム国家大学、香港城市大学などとアジアの国々に
広がっております。これも学部の多文化や多様性を重視する姿勢が具体化
したものと認識しております。
ともあれ本学部がこの 1
0年間、教育・研究そして社会貢献の拠点とし
て活動を続けてこられたのは、新設の学部にもかかわらず、優秀な生徒を
送り出していただきました数々の高等学校の貢献をはじめとしまして、明
治大学校友会、父母会の支援のもと、学部学生と教職員が連携して活動を
重ねてきた賜であると痛感しております。この場をお借りしまして、これ
までご尽力いただいた方々に深く感謝の意を表します。ありがとうござい
ました。
さて、本日ご来場の皆さまには記念品として特製のマグネットをお配り
しております。このデザインは、コンテストの形で広く学生から募ったも
7
のであります。最優秀賞として採用されたデザインを考案されたのは、学
部 2年生の坂瀬良太さんです。ほかにも多数の案が提案されたのですけれ
ども、その中から優秀賞としまして、高城栄一朗さん、藤原佳奈子さん、
星野美月さんの提案が表彰されております。本日いらっしゃっていますで
しょうか。いらっしゃっていたらお立ちいただければと思うのですけれど
も。…拍手をお願いいたします(拍手)。ありがとうございました。
続いて、このあとのシンポジウムですが、第 1部で本学部の設立時から
現在までを振り返ったうえで、学部の今後のあり方を展望いたします。続
く第 2部では、既に中堅として活躍している 1期生・ 2期生の卒業生に在
学生を交えて、学生の視点から見た情報コミュニケーション学部を討論し
ていただきます。私どもといたしましては、本学部がさらに 2
0周年、 3
0
周年と発展していくためのヒントをちょうだいしたいと考えております。
皆さま方におかれましては、これらのシンポジウムを存分にお楽しみい
ただければ幸いです。
以上をもちまして、開会のご挨拶とさせていただきます。ご清聴ありが
とうございました。(拍手)
総合司会:ありがとうご、ざいました。それでは、第 1部「学識者と専任教
員によるパネルディスカッション」を開始いたします。
これから舞台上のセッティングをちょっと変えますので、しばらくお待
ちください。
【
第 1部】学識者と専任教員によるパネルディスカッション
【パネリスト】
横溝正子
弁護士横浜弁護士会元会長
日本女性法律家協会元
会長
森
達也
小田光康
情報コミュニケーション学部特任教授(映画監督・作家)
情報コミュニケーション学部准教授
【コーディネーター】
中村義幸
情報コミュニケーション学部初代学部長
8
総合司会:本日は、卒業生の皆さま、また在校生の皆さまもおいでくださっ
ていると思いますが、これから登場する第 l部は、皆さまがこれまで講義
などで取られていた先生方もご登壇なさいます。
本日お配りしております「登壇者プロフィール」のほうをご覧いただき
ますと、詳しい内容が書かれてございますので、どうぞご覧になってくだ
さ ~'o
それでは、本日第 1部のパネルディスカッションに参加されるパネリス
トをご紹介いたします。
まず弁護士の横溝正子先生でございます(拍手)。先生は、横浜弁護士
会元会長、日本女性法律家協会元会長でいらっしゃいます。
続きまして、本学情報コミュニケーション学部の森達也特任教授です。
(拍手)
本学情報コミュニケーション学部の小田光康准教授です。(拍手)
そして、このパネルディスカッションのコーディネーターを務めるのは、
本学情報コミュニケーション学部初代学部長・中村義幸教授です。(拍手)
それでは、中村先生よろしくお願い申し上げます。
中村:本日は、ご多用のなかたくさんご出席いただきまして、誠にありが
とうございました。明治大学の校歌によりますと、この駿河台の上空に少
し白雲でもかかっていないと具合いが悪いのですけれども、きょうは曇ひ
とつない素晴らしい天候に恵まれました。しかし、土曜日ということもあ
りまして、皆さん、お休みのご予定の方もたくさんいらっしゃったのでは
ないかと思いますが、こうしてたくさんご出席いただきまして、本当にあ
りカまとうございました。
それでは、早速シンポジウムに入ってまいりたいと思います。先ほどゲ
ストのお三方のご紹介をしていただきましたが、森さんと小田さんは同僚
でもあり、しかも私のほうが先に生まれておりますので、先生とはお呼び
しないで、森さん、小田さん、こういうふうに呼ばせていただきます。
さて、きょうのシンポジウムは時間の限られたなか、テーマはこの学部
の「原点と現点(現在点)、そしてこれから」という内容でありまして、
読んで字の如しでありますが、大きく 3部に分けてお話をさせていただき
たいと思っております。
9
まず最初は「原点」、この学部の創設の原点はどこにあったのかという
ことについて、お三方に順にご報告なり、ご意見を頂戴していきたいと思っ
ております。
早いもので、この会場で情報コミュニケーション学部開設記念式典を、
このような形に非常に近い形でやらせていただきましてから、 1
0年が経
ちました。しかし、一朝一夕にこの学部が創設できたわけではございませ
ん。最初の動きといいますと、明治大学短期大学の中に将来をどう考えて
いくべきかということを、当時の岡山礼子学長が、若手の教員数名からな
る「短期大学の将来を考える会」を設置して、そこで若手に議論しなさい
ということを命ぜられて、そこからスタートしたと見てよろしいのではな
いかと思います。
爾来、幾つかの短期大学の改組・転換という枠組を用いた新学部構想が
ございましたけれども、なかなか天の時と言いましょうか、そういうこと
に恵まれませんで、 1
0年以上も検討を続けた結果、明治大学長を長とす
る「新学部設置準備委員会」において漸く「情報コミュニケーション学部
案」の成案を得て、これを各学部の教授会の審議にかけました。明治大学
の当時のルールは、 7学部 1短期大学の教授会でこれを承認しませんと、
大学全体の連合教授会というところに上がらないという仕組みでありまし
たが、ようやく連合教授会に成案が提案されました。これが可決されたの
が2
0
0
1年の 7月 1
4日でありました。この日付けは、遠くヨーロッパの歴
史をたずねれば、フランス革命が勃発した日に当たります。フランス法系
の法律学校としてスタートした明治大学としては、 5
0年ぷりの新学部を
立ち上げるに相応しい記念すべき日になったのではないかと思っておりま
す。そして、 2
0
0
4年 4月 1日にこの学部が発足した。簡単に言いますと、
こういう経緯であります。
さて、当時の連合教授会で承認された案は、「情報コミュニケーション
学部の設置について」と「同学部設置に伴う明治大学短期大学の廃止につ
いて」という議案が承認されたわけでありまして、短期大学に代わってこ
の情報コミュニケーション学部を設置した。こういうことであります。も
ちろん学生定員、教員定員、カリキュラムの内容といったものは、全学か
ら広く協力を求めたということであります。
前置きが長くなって失礼いたしましたが、この原点の中に 1
9
2
9年の明
1
0
治大学専門部女子部の法科・商科の設置まで遡る 7
0年を超える長い社会
科学系の女子高等教育の歴史がございます。これが新学部を設置する 1つ
の大きな流れ(本流)をつくったというか、そのもとになったと見てもよ
ろしいわけであります。
早速ですが、横溝先生は明治大学短期大学及び法学部のご出身で、先ほ
どご紹介いただいたご経歴をお持ちですが、先生からご覧になって、女子
部創設以来の短期大学の歴史を総括されますと、どのようなご紹介が可能
でございましょうか。ひとつよろしくお願いをいたします。
横溝:皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました横溝正子と申
します。私は、昭和 3
1年に短期大学の法科、 3
3年に法学部卒業でござい
ます。卒業年度を申し上げますと、自ずから年がわかると思いますが、後
期高齢者でございます。明治大学で法律を学ばせていただき、司法試験に
合格させていただいたお陰で、昭和 4
3年に弁護士登録以来、中断するこ
となくずっと、いまも現役で弁護士業務に携わっております。
きょうは、情報コミュニケーション学部の 1
0周年記念ということで、
情報コミュニケーション学部の前身というより、川の流れで言えば源流と
も言うべき明治大学短期大学についてお話ししたいと思います。私どもは
短期大学を通称「女子部」と言っております。といいますのも、明治大学
の学内でも世間でも、明治大学女子部というと、戦前から女性に法律と経
済という社会科学の柱である高等教育といいますか、専門教育を教えてい
た珍しい学校ということで、「女子部」で通っておりますので、短期大学
と言うべきかもしれませんけど、ここでは「女子部」という言い方で話さ
せていただきたいと思います。
きょうは、女子部の過去について話すことによって源流をたどり、情報
コミュニケーション学部の今後の展望を考えていただく 1つのよすがにな
ることを願いつつ、お話しさせていただきたいと思います。
先ほどから学部長先生、また中村先生から、明治の女子部は昭和 4年
(
19
2
9年)の 4月に設立されたというお話がありました。皆さんはお若い
から現行憲法の男女平等、国民主権、そういう時代にお育ちですから、私
がこれから言うことに、えっ、うそ、そんな時代があったの、とお思いか
もしれませんけど、昭和 4年といいますと、まだ明治憲法下で、女には参
1
1
政権がない、親が死んでも長男が 1人で相続する、いわゆる家督相続の時
代ですから、女の子には原則として相続権がなし、。結婚して妻という立場
になると、自分の財産を管理する能力もな ~\o いわゆる法律行為無能力。
子どもを産んで母親になっても、親権は父親が独占して、母親には親権が
ない。そういう時代でございました。
皆さん、 NHKの放送ではなくて「法曹」という言葉をお聞きになって
いると思いますが、法曹というのは、裁判官、弁護士、検察官、これを「法
曹三者」と言いまして、この法曹三者があって法治国家、法治社会が保た
れている。法治国家を維持する大切な職務とお考えいただきたいと思うの
ですが、そういう職業に女性が就くことは考えられないような時代でした。
判検事登用試験規則や弁護士法という法律が、明治時代にできておりまし
た。それには何と「日本臣民タル男子タルコト」と、判事・検事・弁護士
は男子でなければなれないと、はっきり書いてあったのです。その時代に
女性に法律と経済を教えるということは、いかに画期的なことであったか
ということが、おわかりいただけると思うのです。
そういう時代でも、大正デモクラシーの延長とか、欧米思想の影響を受
けて、日本でも女子参政権運動とか、女性の地位向上運動というのがあり
まして、国会に、「男子タルコト」を削除して、女が弁護士になれる法制
度に改正してほしいという請願運動もございました。そういう運動を背景
に、明治大学は初代学長になった横田秀雄先生、この方は大審院の判事に
もなった方です。それから穂積重遠東京帝国大学教授。この人は法学を学
んだ人ならば知らない人はいないくらいの方です。それ以外にもたくさん
の方々が、お 2人を中心にご尽力、奔走されて、開学の運びになったので
す。そのときは近いうちに弁護士法が改正になって女性も弁護士になれる
道が聞かれるだろうという実務的・実利的な視野もあって関学の運びにな
りまし f
。
こ
関学のときに、横田秀雄学長と穂積重遠教授は、昭和 4年という、 7
0
年も前の時代の中にあって、女は内にあって夫と父家族に尽くすものとし
て、社会的存在として認められない時代であったのに、開校の辞で「女も
社会に参加して、男性とともに考え、自分も自立して行動すること。社会
を形づくっていくのに、女性が参加することが、健全な社会を営んでいく
にはどうしても必要なこと。それには、女性も社会学をちゃんと高等教育
1
2
として学ぷ必要があるのだから、本学に入った皆さんは、その心で勉学に
励んでほしい」ということを述べているのです O それは昭和 6
0年(19
8
5
)
に日本が批准した男女平等の世界の憲法と言われております「女子差別撤
廃条約」。それから平成 1
1年施行の「男女共同参画社会基本法」の基本理
念と同じなのです。一方は条約ですけれども、条約も批准すると日本の圏
内法になるということはご存じだと思いますが、この 2つの法律の前文に、
その法の趣旨、目指すものが書いてあるのですが、それが横田学長が開校
の辞で述べた、穂積さんが述べた、それとほとんど同じなんです。何と開
明的な、先見的な思想を持った人たちが明治の関係者にいたのだろうとい
うことを、明治大学短期大学五十年史を読んで驚いた覚えがございます。
そういうことで発足して、それから先ほどご説明がありました短期大学
閉学に至るまで終始一貫して女性に法律と経済、出来たてのときは法科・
商科と言ったらしいのですけれども、終始一貫して女性に社会科学を教え
た。この功績は、日本の歴史から見て本当に大したものだと思って、これ
を成し遂げた明治の当時の方々、それを引き継いだ明治の先輩の方々の開
明性、先見性と実行力に改めて敬意を捧げたいと思うのです。
昭和 4年に関学されました 7年後の昭和 1
1年に、念願かなって弁護士
法から「男子タルコト」というのが削除されまして、女性も弁護士になれ
るようになり、いまは司法試験といいますけど、当時は高等文官試験司法
科と言ったんですが、それを受けられるようになりました。
昭和 1
3年に明治の女子部の卒業生が受験いたしました。女子部の第 1
期生は、法科・商科と合わせて 1
0
0名をちょっと超えていたと記憶してお
りますけど、法科のほうが 9
0何名、 1
0
0名近かった。商科は少なかった
と伺っています。全員が受けたわけではないのですけれども、そのうち志
のある人が挑戦したんです。女性初を目指して勉強して受けまして、何と
3名合格いたしました。それが日本で法曹史上初めての女性の司法試験合
格者です。当時、全体で 2
5
4名合格しています。そのうち 3名ということ
は、何と1.2%なんです。今年の合格者が 1
,
8
0
0名前後という時代ですから、
2
5
4名というのはいかにも少ない。 3名というのもいかにも少ない。いか
に稀少なものであったということが、おわかりいただけると思うのです。
それが中田正子さん、三淵嘉子さん、久米愛さんという、我々法曹界に
とって忘れることのできない金字塔のような名前の方なんです。その方々
1
3
が合格しまして、それが新聞に大きく載ったんです。それから 2年の修習
を経て昭和
1
5年には 3人とも弁護士になりました。東京の弁護士会に登
録したのですけど、そのときの新聞に載ったのが、遠い方は見えないかも
しれませんけれども、これがその新聞のコピーですけれども、こういうふ
うに大きく新聞に載ったんです。ちょっとご紹介してみますけれども、こ
ういうふうに載ったんですよ。
「女性弁護士あらわる O 法廷に美しい異彩。抱負も豊かに登場」と大見
出しで出まして、もっとすこ、いのは、「いかめしい法服にやさしい愛情を
包み、弁護士会に咲く紅三点は、いずれも明治大学出身」と報じているの
です。そして、 3人のコメントも載せているのです。当時新聞はほとんど
日本国内に行き渡っておりましたので、これを読んで全国から志のある女
性たちが明治大学の女子部へ、当時は専門部女子部と言ったと思いますけ
ど、入学いたしまして、それから一気に女子部が充実することになりまし
。
た
「女性法曹は明治」という証になると思いますけれども、昭和 1
3年から
戦後すぐの昭和 2
5年までの 1
3年間に女性が司法試験に受かったのが全部
で何人いると思いますか。まだまだ稀少で、 1
3年間で 2
4人きり受かつて
ないのです。今年あたりは女性が 4
0
0名も受かっているんですよ。
1
,
8
0
0
名の合格生だから基盤がちょっと違いますけれども、そういう時代に 2
4
名中、何と 2
2名が明治なんです。 97%が明治の女子部卒ということで、
それで女性弁護士・女性裁判官は明治ということが基盤となった。足跡が
できたということです。
先ほど挙げた 3名は、生涯ものすごく活躍して、初の女性弁護士、初の
女性弁護士会会長、女性初の家庭裁判所所長ということで、トップランナー
として走り続けております。
中田さんは、初めは東京で弁護士をやっていたのですけれども、御夫君
が参議院議員だったものですから、郷里の鳥取に移られまして、そこで弁
護士を亡くなるまでなさっておりまして、昭和 4
4年には全国初の、鳥取
弁護士会ですけれども、弁護士会会長になって、それから日弁連初の役員
になっております。
久米先生は、明治へ来る前は津田英学塾出身で国際派だったんです。と
いうことで国連の日本代表代理等も務められまして、国連でも活躍なさい
1
4
ました。それから日本女性法律家協会といって、女性の裁判官、検察官、
弁護士、あと学者も数人入って構成している全国規模の女性の法律家の集
団なんですが、それをつくるのに先頭に立っておっくりになって、初代会
長を務められました。
三淵さんは、初めは弁護士をやっていたのですけれども、いまの日本国
憲法になって男女平等になりました昭和 2
4年に、女性も裁判官になれる
ようになったんです。それをきっかけに裁判官になりまして、ずっと裁判
官をされていまして、昭和 4
7年に、新潟の家庭裁判所でございますけれ
ども、女性初の裁判所長になられました。
ということで、この 3人は松明を掲げて走り続けた方々でございます。
そのほかにも、鍛冶千鶴子先生って、皆さんご存じかと思いますが、明治
でも教えていらっしゃいました。また読売新聞の人生案内に長らく回答者
として回答をなさった有名な方です。それから著作もたくさん発表なさっ
た。法廷活動もいろいろなさった方です。それから高等裁判所の長官に初
めてなった野田愛子先生。先ほどの三淵先生は家庭裁判所の所長ですが、
地方裁判所で初めて所長になった寺沢光子先生。日本で初めて法学博士に
なって教授になった立石芳枝先生。みんな女子部出身です。それも学部が
あって、短期大学で終わらずに、専門部で終わらずに、学部へ編入できる
というシステムを長期的スパンに立ってつくっていただいたお陰です。
明大女子部の卒業生の方で法科でない方で、商科・経済科出身の方も、
証券会社などでトップの経済人として活躍した方や、税理士として活躍さ
れた方、地方自治体とか国のいろいろな役職にお就きになった方、それか
ら松山千恵子さんのように衆議院議員として活躍なさった方とか、いろん
な方がいらっしゃいますけれども、私は法律の世界で生きて来て、情報も
知識も限りがありますので、今回は法曹界で特に活躍した人を、ピックアッ
プし、この程度の紹介にさせていただきます。
このような歴史を受け継いで、いまの情報コミュニケーション学部が
あって、女性がたくさん学んでいらっしゃると聞いて、大変心強い限りで
ございます。
すみません。時間をオーバーしてしまいました。
中村:どうもありがとうございました。私自身も短期大学に所属していた
1
5
わけですけど、こういう短期大学を廃止をして、新しく学部をつくるとな
りますと、これに相当するような革新的で、他に類例のないユニークな新
学部をつくるべきだと。そうでなければ新学部をつくる意義がそもそもな
いと、私自身は新学部設置に関わって以来、短期大学や学部の教員と一緒
に新学部づくりに励んできたことを、いま先生のお話を伺いながら思い起
こしておりました。
さて、さらに原点(オリジナル)な水流のひとつとも見える歴史として、
短期大学の中にかつて新聞科、社会科といった学科が戦後設置されていた
ことがあったということを、小田さんが掘り起こしてくれましたので、そ
このところをご紹介いただけますか。
小田:ご紹介にあずかりました小田と申します。よろしくお願いいたしま
す
。
私は、一昨年明治大学に採用されてきたわけですが、その前までは 2
0
数年間記者として生活をしておりました。私は、もともと東京大学の社会
情報研究所というところの出身です。実は、その社会情報研究所は改組さ
れて、いまは東京大学の大学院学際情報学環となっています。この情報
コミュニケーション学部と東大の情報学環と実は同源です。そのお話を
ちょっとしてみたいと思います。
もちろんこの学部の源流といいますか本流は女子部です。女子部ができ
たのが 1
9
2
9年ですけれども、それから 3年後、明治大学の文学部文科専
門部の中に新聞高等研究科という研究科をっくりました。これはいまでい
うと専門職大学院みたいなものです。ここの初代の研究科長が小野秀雄さ
んという方です。ジャーナリズムの研究をされている方はこの名前をよく
ご存じだと思うのですけれども、この方は東京大学の文学部にあった新聞
研究室の初代室長です。しかも、いまの日本マスコミュニケーション学会、
昔の新聞学会の初代学会長です。この方が大正時代から新聞の研究あるい
は記者の教育をされていまして、東京大学の中に吉野作造さんという民本
主義の東大の法学部の教授でパージされた方でしたけれども、その方と明
治大学の尾佐竹猛先生、それとジャーナリストというか記者の宮武外骨さ
ん、そして小野秀雄さんという方々が東大の中に集まってジャーナリズム
の研究をしていたわけです。尾佐竹先生に請われて小野秀雄先生が明治に
1
6
呼ばれて、記者の養成をしてほしいと。それで新聞高等研究科というもの
を設置しました。
これにはある種の時代背景があって、その頃 1
9
3
2年、第 1次世界大戦
と第 2次世界大戦の間で、大正デモクラシーの雰囲気がまだ残っている O
と同時に、この時期というのは 1
9
2
0年に大学令が公布されて、日本の高
等教育がエリートの時代からマスの段階に移行していった頃です。それと
同時に、当時はマスコミュニケーションというと新聞社しかありませんで
したから、それが急速に拡大していった時期です。要するに、マスコミ業
界が非常に大きく急成長していって、記者職というものが市場の需要とし
て大きく浮かび上がってきた。そこに明治大学の中で、記者の養成を大学
でしょうということで新聞高等研究科というものが設置されました。
これは非常にユニークな存在で、通常はこういった専門部というのは、
旧制の中学卒業の方が入るようなところだったのですけれども、この新聞
高等研究科に限っては、入学の条件が、専門学校あるいは大学卒業の学生
に限るということにしたんです。つまり、し、まの大学院みたいなものです。
そういうことで始まりました。これは戦前の話ですので、まだ日本が植民
地を持っていた時代です。ここの研究科に来た学生の 3分の 2が、中園、
台湾、朝鮮半島からの留学生でした。定員が 6
0人のところ 4
0人ぐらいが
留学生でした。
この研究科が果たした役割のうち一番大きいのが、台湾でのジャーナリ
ズムの発展に寄与したことです。明治の新聞高等研究科を卒業した留学生
の方々が台湾に帰って、あるいは中国に帰って、朝鮮半島に帰って、ジャー
ナリストになったり、新聞社を興したり、あるいは現地の大学で記者の養
成の教育を始めました。いまでもあるのですけれども、台湾の国立政治大
学の新聞学科、いまはコミュニケーション学部になっていますけれども、
それをつくったのが明治の卒業生です。台湾のジャーナリズムの基盤をつ
くったのが、この学部の先輩たちということが言えるかと思います。
ただ、この新聞高等研究科も戦時中の言論統制等々の言論弾圧によって
一時閉鎖されてしまいます。終戦後 1
9
4
6年に GHQの教育使節団という
のが日本に来て、教育の民主化を図ります。この使節団が日本の政府に勧
告をしました。その勧告の中に「大学で記者を養成すること」というのを
盛り込みました。そうしたこともあって、新聞高等研究科は 1
9
4
6年に再
1
7
閲されます。再開されて、その後 1
9
5
0年に短期大学部というものが設置
されるわけですけれども、そこに合流をいたしまして、新聞高等研究科か
ら新聞科という名前に変えて存続したわけです。 1
9
5
0年に新聞科に変わっ
たのですけれども、残念なことに 1
9
5
2年に新規の募集を停止して、 1
9
5
3
年に閉鎖ということになってしまいました。
閉鎖の間際に同窓会の「建言書」というものがありまして、その中に面
白いことが書かれていました。 1つは、「将来新聞科が復興することを含め、
短期大学から学部への昇格を望みます。その際には、ジャーナリズム、マ
スコミュニケーションの教育をすること」ということが記されていました。
ですから、情報コミュニケーション学部が 1
0年前にできて、その際にマ
スメディアですとかジャーナリズムというような研究領域がポッとできた
わけでは全くなくて、
8
0年前から伏流水のようにして、いま蘇ったとい
うことが言えると思います。
中村:ありがとうございました。
5年の歴史をまとめ
ご承知の方も多かろうと思うのですが、短期大学 7
た『短期大学史』というかなり浩識な書物がありますが、その中には、い
まの小田さんの話はほとんど触れられていないことであります。お聞きに
なっている方々は、本当に目から鱗と言いましょうか、そういう情報のご
提供をいただいたということになったのではなし、かと思います。ありがと
うございました。
お待たせしました。森さんは映画監督でいらっしゃって、作家でもいらっ
しゃるわけですが、いまの源流をたずねるという話とは別立てで結構です
から、情報社会が語られるようになった拝啓などを含めて、森さんからご
覧になって、この学部ができてくる必然的なものなど、なかなか言いにく
いのですけれども、いかがでしょうか。
森:森と申します。よろしくお願いします。いまお 2人の話を聞いていて
特に根幹の部分ですよね。設立時の 1910 年~
2
0年代というのは、メディ
アの歴史においても極めて面白い時代です。つまり、初めて映像のメディ
アと音のメディア、映画とラジオですけど、これが世に出てきたのが 2
0
世紀初頭で、それが広まったのが 1910 年~
1
8
2
0年代です。それまでは文字
のメディアは当然、ありました。文字というのは人類の歴史とともにあった
わけで、それこそエジプトのヒエログリフであったり、象形文字であった
り、模形文字であったり、文字の読み書きをリテラシーと言いますけど、
文字は昔からあったし、当然ながら文字のメディアもあったわけです。し
かも
1
5世紀にはグーテンベルクが活版印刷を発明して聖書などを印刷す
るようになった。だから文字のメディアははるか以前からあったのですけ
れども、 1
9
1
0年""'2
0年の映像メディアと音のメディアというのは大きく
世界を変えたのです。
なぜかというと、文字のメディアを理解するためには教育が必要です。
つまり読み書きの教育です。でも当時の世界でどれほどの人が教育を受け
ることができていたかというと、極めて少ないわけです。だから文字のメ
ディアというのは、どれほど発達しでもマスメディアになれなかったので
す。ところが、映像のメディアと音のメディアは教育は必要ないのです。
だから世界で初めて、人類の歴史において初めてマスメディアが登場した
のが 2
0世紀初頭なんです。
お 2人のお話をお聞きしながら、そういった時代背景で、もちろん偶然
の要素もあるのでしょうけれど、男女同権、女性の社会的地位の向上とい
う時代と相半ばして、もちろん新聞は文字のメディアではあるわけですけ
れど、つまりジャーナリズ、ム、あるいはメディアの影響力、そういったも
のを考えようといった機運が生まれたというのは、あながち偶然でもない
のだろうなと、そんなことを考えながら、いまお聞きしていました。
中村:ありがとうございました。これを持ちまして原点を訪ねる l部を終
了いたします。どんどん調整していきませんと時間内でおわりそうもあり
ませんので、 2部に行きます。現在点ということです。
0年ということで、お手元に
少レ情報を提供いたします。今回、設置 1
差し上げた『季刊明治 j (
6
3号)で「情報コミュニケーション学部 1
0年
の歩み」についての特集が組まれておりますが、石川幹人学部長、大黒岳
彦学科長、それから私は初代の学部長でしたから私も登場していますが、
情報コミュニケーション学部の性格を端的に皆さんにお知らせするため、
"
"
'
3行ご紹介します。
私が簡単に 2
大黒学科長一一「情報コミュニケーション学部の公式なキャッチフ
1
9
r
レーズは(中略) 人と社会が見えてくる」です。これは情コミの本質を
的確かっ簡潔に表現した見事なキャッチフレーズだと思います。コミュニ
ケーションで結ぼれた人聞の営みによって成り立っている現代社会の本質
を、社会科学を中心とした学際的なアプローチによって多角的に解明する。
情コミの創設理念は、本学部が存続するかぎり変わることのないものです。
石川学部長一一「本学部では法律や経済などの社会科学を中心に文化
や歴史、地理などの人文科学の知見、メディアやネットワークにまつわる
情報科学の知見を交え、学際的なアプローチによって問題解決にあたって
いく。」
私です
「情報コミュニケーション学部の原点とは(中略)形式的
にも実質的にも専門部女子部から短期大学に至る研究教育の伝統と実績を
継承する社会科学系の学問を中核とする学部であり、理系の情報系学部学
科や言語人文系のコミュニケーション系学部学科が一般的な中にあっても
(中略)性格上極めて異彩を放つユニークな存在として発足したことだけ
は確かである。」以上です。
次に、発足後の評価のひとつとして、志願者数の数字だけご紹介いたし
ます。初年度の 2
0
0
4年一般選抜入試は 5
,
47
4人です。 2
0
0
7年に明治大学
全学部が参加する全学統一入試を導入しましたので、こちらの枠でおのず
から志願者が増えますが、情報コミュニケーション学部で 1
,
7
8
6名の志願
者がありましたので、これを含めて 2
0
0
7年度の志願者数が 8
,
2
4
0名。そ
れから 2
0
0
8年 3月に、今日もたくさんいらっしゃっていますが 1期生が
卒業いたしましたが、その後の志願者数は、カリキュラム改正を行った
2
0
0
8年 度 8
,
19
2名ですが、最高だったのは 2
0
1
1年 9
,
6
9
5名であります。
学生の定員は 4
0
0名です。志願者数を再度確認いたしますが、 9
,
6
9
5名と
いうのが過去の最高の志願者数でありました。
就職はその結果どうなったかということですが、 1つだけ資料が手元に
ありましたのでご紹介いたします。 2
0
0
9年 1
0月 2
4日の週刊『東洋経済』
によると、 2
0
0
9年といいますと発足時のカリキュラムで学んだ 2期生が
卒業した段階ですが、理系ベスト 1
0に明治大学の学部は登場いたしませ
ん。文系ベスト 1
0に、登場しているのは 5
5位に明治大学情報コミュニケー
ション学部 9
1
.4%という数字だけでありました。
さて、現在点を扱う、 2部に入りますが、小田さん、こうして 2
0
0
4年
2
0
にスタートした学部ですけど、先生は創立時はメンバーに加わっていらっ
しゃらなかったのですが、この学部を外からご覧になっていていかがで、し
たか。
小田:私、創部の次の年から非常勤で 1コマ持たせていただいていたんで
す。一言で言うと、時代にマッチした学部だなと思いました。どういうこ
とかというと、いまの時代、求められ知識がどんどん広がっていて、そう
いうものをある種、体系的に勉強するのは非常に難しいのですけれども、
情報コミュニケーション学部の場合は、少人数のゼミをつくっているとい
うのは、マンモス大学では非常に珍しいケースだと思います。それから学
部の教員の構成が、いろんな方が専門を持ち、しかも学際的な研究をされ
ている。そういうところが、外から見て非常にユニークで時代にマッチし
ているなという印象を受けました。
中村:次に森さんに伺いますが、次の私の質問には、横溝先生に負けない
ように詳しくご説明いただいて結構ですからお願いしたいのです。電車に
乗っていますと、私が乗り込んだ車両は、 lつの席を除いて全員がこれ(ス
マホ)をやっているんです。私はいたずら者だから、私も空いている席に
座ってわざと目的なくこれをやるんです。そうすると一両分全員ですよ。
そこへ森監督が居合わせたら、カメラでも回してやろうかという気になる
のではないかと思うのです。電車に乗って、人の顔を見ないで、周辺を観
察しないで、ずっとこれなんです。この社会現象というのは、監督として
カメラを回したくなるような、そういう気持ちになるのではないかと思う
のですが、いかがですか。
森:まず、その状況はほとんど日常ですからね。僕などが目にしている光
景だから、それを見たからといって、これカメラに撮りたいとは思わない
だろうと思います。ただ、それが日常になっていることの不気味さ、異常
さですよね。本来は、どう考えても、電車の中で全員がスマホとかそういっ
たものを手にして、それをずっと見つめるだけという状況は普通じゃない
と思うんです。それがここし 2年で急激に普通になってしまった。それっ
て何なのかなということを考えてもいいと思います。
2
1
僕が入るまでの話をすれば、先ほど作家とか映画監督とか紹介されまし
たが、基本的には売れない作家であり、 B級の映画監督であり、ドキュメ
ンタリーですからほとんどヒットとは縁がないです。だからここをしのぐ
ためにも大学で教えなければいけないということで、明治の前には和光大
学であったり、立教大学であったり、幾っかで教えていたのですけれど、
その時期、つまり 2
0
0
4'
"2
0
0
6年、大学がどんどん保守化していく時代で
すね。ちょうどいま京都大学だの騒動が起きていますけれど、かつては当
たり前のように大学の自治というものがあった。いまはほとんどそれが形
骸化してしまっている。それは別に大きな圧力によって明け渡しているわ
けではなくて、大学側のほうが、むしろそれをどんどん提供してしまって
いる。明け渡してしまっている。権力に対しての緊張感も薄くなってしまっ
ている O
当然学生にも言えますよね。いまでもそうですけど、一番最初の授業の
とき、大教室の授業もあるのですけど、基本的に前がほぼ空いているんで
すよね。後ろばかりに座ります。昔から、それは日本の大学の場合は特徴
としてあったのだけど、最近特にそれが激しいです。海外などに行ったら、
もちろん海外でも後ろから座る学生もいますけれど、結構みんな前に座り
ます。同じ授業料を払って同じ時聞を使うのだったら、元取らなければ損
だという感じがあるのでしょうけれど、日本の場合は後ろから座る O 前に
座ったら変に思われるのじゃなし、かとか、集団の中で仲間はずれ的な意識
を持たれてしまうのではな L、かとか、要するに突出したくないみたいな、
そういう意識でしょうね。僕は、大きな教室を使う授業の場合は、マイク
を後ろの学生に渡していろいろ発言させるのですけど、「後ろから発言さ
せるからね」と言うと徐々に前に来るんです。
というようなことを思いながら、この会場を見渡すと、そこはすっかり
前が空いていますけど、前が空いているスペースは何かというと、情コミ
の先生たちです。情コミの先生たちも皆さん前を空けて座る。極めて皮肉
だなと思いますけど、本来やはり前から座るべきなんです。つまり、これ
も保守化のあらわれだと思うんです。保守化というのは、もうちょっと言っ
ちゃうと集団化です。集団の中でみんなと違うことをやっちゃまずいとか、
なるべくみんなと同じような行動をしたい。そういった傾向がいまとても
強くなっています。
2
2
そういった状況の中で、スマホもその一例だと思うんです。そもそもス
マホを持つということが、みんなが持っているから自分も持たなければい
けないと。自分も持たないと、 LINEぐらいしないと仲間はずれになって
しまうみたいな、そういったような危機感が、蔓延恐怖がどこかにあるの
でしょうね。スマホで LINEゃったり、誰かのメールを見たり、ゲーム
したりも楽しいでしょうけれど、本を読むとか、新聞を読むとか、雑誌で
もいいです。意外と、そうするとまた新たなものもあるし、あるいは活字
ではなくて、電車の中でもキョロキョロ周りを見たら人間観察ができるわ
けです。予期せぬ人がいたり、何でこんなことしているのだと思うような
人がいたり、いっぱいあります。そういった出会いも、ずっとディスプレ
イを見ていることでつぶしていまっているということになるんです。情コ
ミの授業というのは、僕は基本的にメディアリテシーとジャーナリズム論
ですけれど、そういったことを教えながらも、フッと目を上にあげれば全
然違うものが見えているよと。そういったことをどうやって教えようかな
と。言葉にするのは簡単なんですけど、実体験でそれを体験してほしいし、
そんなことを日々考えながら、そこまで真面目な教員ではないけど、たま
には考えながら過ごしています。
僕、何を聞かれたんでしたっけ(笑)。いいですよね、これで。
中村:横溝先生、お待たせしました。最近「女性が輝く社会をつくろう」
という言葉を、時の宰相が言い出しました。先生はずっと以前から輝き続
けていらっしゃるわけです。情報コミュニケーション学部ということと直
接は関係ないのかもわかりませんが、社会科学系の学部と銘打つている学
部にしては、常に半分は女子学生がおり、ある年は志願者が女性のほうが
多かった年もありました。入学者は半々ぐらいです。小学校・中学校時代
の男女半々のクラスのような光景が、この学部は創立時からできているわ
けです。そこでこの学部に入った女子学生へのメッセージでも構いません
ので、先生からどうぞお願いします。
横溝:これは 3部に入ったというふうになりますか。「女性が輝く」とい
うのは、平塚らいてう、わかりますか。いまの若い人はわからなし 1かな。
平塚らいてうという「元始、女性は太陽であった」と言った人がいるんで
2
3
すよ。女性運動のはしりの人です。ずっと女は常に陰にいるものという存
在だったから、女は陰にいて、父に従い、夫に従い、老いては子に従いと、
常に内なる存在、陰なる存在というのが前提だった時代に、平塚らいてう
は「元始、女性は太陽であった」と高らかに言ったのです。「女が輝く」と、
にわかに内閣とか国家とかに言われちゃうと、私はそっちを思い出しちゃ
うぐらいで、「女が輝く」って何よ。女はいままで輝いていなかったのか。
女だけ輝いたってしょうがないじゃないか。男も女も一緒に輝かなきゃ
しょうがないじゃなし、かと思っちゃうんです。
いま、「女を指導的立場に 3
0%にする」と、しきりに言ってますよね。
ですけれども、これは先ほど言った平成 1
1年に男女共同参画基本法がつ
くられたときに、 2
0
2
0年までに指導的立場の女性を 30%にするというの
は既に決まっていたことなんですよ。男女共同参画社会なんですから、男
と女が住み分けではなくて、一緒に混ざり合って、イコールパートナーと
して一緒にやっていく。生物学的には、いわゆるオスとメスの違いはあり
ますから、妊娠して出産するという非常に大事な機能を女性が持っていて、
男性にはないということは確かです。しかし本質的な、自然摂理を超えた
差ですね。異なった立場を必要以上に拡大して、社会的、文化的に、男と
女の住み分けを作り「立場が違うんだよ」ということが長く続いた為に公
正さが失われ、調和と活力が失われた社会になってしまった。それをいま
非常に反省して、公正さがある、調和がある、しかも活力がある社会にす
るには、女も男もイコールパートナーとして、住み分けずに一緒に力を合
わせていこうよと。そういうことだと思うんです。だから情報コミュニケー
ション学部に 5
0%近く女性がいるということは、どこの大学でも文学部
とかそういうところは女性が多いと思いますけど、社会科学を基盤とする
情報コミュニケーション学部で、それだけの女子学生が学び、そして社会
に巣立つて、そこで学んだことを武器にして生きて行くことは素晴らしい
ことだと思います。
法律の世界で言いますと、先ほどお話しした続きになるのですが、女性
に参政権がない、親権がないというのが、昭和 2
2年 5月からの新しい憲
法下で改められ、家族生活の平等、社会生活における平等が定められ、女
にも参政権があり、父母共同親権になる。女も相続権が男の子と同じよう
にある、になった。それから去年の最高裁の判決に見られるように、非嫡
2
4
出子は法定相続分が嫡出子の半分だったのが、最高裁の判決で平等である
と変わるなど、法の世界でも理由なき異なった取り扱いを、そうでなく公
正できちんとしたものに変えて行こうという方向で動いています。「歌は
世につれ世は歌につれ」と言いますけど、法も世につれ動くんです。ただ、
法律というのは特に身分法とか民法とかというのは、保守的な後追いの傾
向がありますけど、環境問題とか、労働問題とか、福祉問題というのは、
どちらかといえば法律がリードして社会を号│っ張るという傾向がございま
す。法改正とか判例を動かすには、我々国民・主権者が声を大きくして訴
えなければならない。何となく思いつきでパッパッと言っているのではな
くて、合理的に社会のシステムにマッチさせて法体系をつくる、経済シス
テムを変えることが大事なのです。
目指すべき調和と活力、公正な社会にするには、社会システムの知識を
基盤にして、それに加えて 情報を有機的多角的に集めて、それらを総合し
d
た新しい展開を図り実行する。そういうことをする学問がこれから求めら
れるのではないかと思いまして、ここの情コミに期待するところ大なんで
す
。
0年ぐらい先を見た、あるいは 3
0周年ぐらいをにらんで
中村:これから 1
ご提言をいただこうと思いましたが、横溝先生にはいち早く 3部に入って
いただきました。
この学部は発足時に第 1期のカリキュラムがありまして、 4年ごとにカ
リキュラム改革をやってきて、目下第 3次のカリキュラムが施行されてい
ます。それをちょっとご紹介いたしますので、それで 3部に入って、こう
いうカリキュラムで次の大きな社会変動を推測しながら、この学部がその
課題に立ち向かっていくために十分なのか、足りないものはどういうもの
なのか、といったようなことをご提言いただければありがたいと思います。
発足のときに私が経験したことは、文部科学省に提出する「認可申請書」
というのは昔の電話帳ぐらいの厚さがあるんです。設計書ですから、実際
に 1期生の学生が入学してきて授業を始めますと、いろんな点で配慮して
いなかったというか、このままでは教育課程が動かないというふうなこと
を経験いたしました。現場で 1つ 1つボルトが足りないところはボルトを
つけるといったようなこと、戸の聞け閉めができないような状態になって
2
5
いたところを直すといったようなことを経験しました。これは理念にかか
わるところではありませんのでそれほど重要ではないのですが、創設時の
カリキュラムについて、常に言われたのは、情報コミュニケーション学部
というのは何をやる学部かよくわからない。情報コミュニケーション学と
は何かということです。
カリキュラムの体系を簡略に説明しますと、ご年配の方々はご存じと思
いますが、かつて一世を風摩した大型のセパレートステレオを例にとるの
が分かり易いと思います。左右のスピーカーと真ん中のターンテーフゃル・
アンプ・チューナーなどを内蔵した中央部分の 3つの部分が分離されて一
体をなす構造です。創設時のカリキュラムは、この構成にヒントを得て、
両脇のスピーカーの部分にそれぞれ情報という名のつく科目と、コミュニ
ケーションという名のつく科目を置き、社会科学系を中核とする学部とし
て、真ん中の操作機能を持つ部分に複合科目として、政治学・法律学・経
済学(経営学系を含む)・社会学系の科目を中心に配置しました。学生の
履修コースとしては「情報社会コース」と「人間コミュニケーションコー
ス」の 2コース制とし、両脇の情報系とコミュニケーション系に軸足を置
きながら、かなり自由に中央の複合系にまとめた社会科学系の科目を選択
できるようにしました。このカリキュラムで
0
0
8年 3月から
の学生が学び、 2
2
0
0
7年度入学の 4期生まで
2
0
1
1年 3月にかけて卒業していきましたが、
教育効果を見る指標のーっとしての就職状況などを見るとその成果は相当
に高かったように思われます。また、学問研究の体制としては、中核にあ
る社会科学系の研究が両脇の情報系なりコミュニケーション系なりの研究
と自由に共鳴し合って、文字通りの学際的研究を推進することにより、新
学問としての社会科学系の情報コミュニケーション学の形成を目指したわ
けです。
ついで、
2
0
0
8年 4月からスター卜した第 2期目のカリキュラムは、こ
のセパレートステレオ型の 2コース制を解体して 4コース制に改めました
が、当初は創設時の設置科目をそれほど改廃しなかったことにより、学部
の性格を基本的に維持したうえで、学生の履修のためのガイドラインとし
てはある程度うまく機能したのではないかと推測しています。すなわち、
4つのコースのどれかを中心に履修すれば出口の候補はここだよと。たと
えば、新聞社などのマスコミ関係とか、製造業、情報産業だよとか。もっ
2
6
とも、この
2期目のカリキュラムの評価は、 2
0
1
2年 3月'"2
0
1
5年 3月ま
での実績を見ないと何とも言えませんが。
さて、 2
0
1
3年 4月以降に入学した現在の
1・
2年生は第 3期目のカリキュ
ラムで学んでいますが、 4コース制を踏襲しつつも創設時のカリキュラム
と比較すると、さらに四方に広がって八方に小枝が突き出たような感じの
分かり難いカリキュラムとなっているような気がしています。
そこで、パネラーのお三方に次にお願いしたいことは、皆様それぞれ今
後の大きな社会的課題をどのようにご認識されておられるのでしょうか。
創設時の情報コミュニケーション学部は、高度情報化社会といわれる現代
社会におけるコミュニケーションの大きな変化を、社会科学を中心にその
他の諸科学を総動員して研究教育することを目指したと、抽象的に言えば
そう言えると思うのですが、学部創設からこれまでの経緯なと、についての
私のこれまでの説明などもご参考にしていただいて、皆様方からこの学部
の課題や要望についてお話しいただきたいと思います。
さらに蛇足かもしれませんが、明治大学は創立以来校歌の一説にありま
すように自由の学風が譲る総合大学として発展してきましたが、いくつか
の学部に同様の科目が設置されていても、 4年間のカリキュラムで教育し
た成果としては、金太郎飴ではなくそれぞれの学部で異なった「個が輝く」
卒業生を輩出することが総合大学としての理想でもありますから、さらに
注意すべきと思われるところ等もご提言を頂戴できればと存じます。
小田:中村先生がおっしゃったように、高度情報化時代というか、不確実で、
多様化していて、しかもグローパル化している。そういう中で私、 l年生
のゼミで「報道写真」というタイトルでゼミをやっています。先週だった
んですけれども、結構ショッキングなことがあったんです。これは森さん
がさっきおっしゃっていた学生の保守化とも結び、ついている話なんですけ
れども、学生にタイトルをつくって、写真を撮ってきなさいといって、写
真を撮ってきたんです。皆さんご承知のように、写真というのは言葉で何
か情報を伝えるものではなくて、そのイメージ、画像で情報を伝えるもの
です。その学生が撮ってきた写真が、看板の説明書きを撮ってきたんです。
自分の伝えたいことを、画像、イメージで伝えなさいと言っているところ
を、文字で伝えようとした。これはものすごい大きな問題だなと思いまし
2
7
f
こ
。
どういうことかというと、自分で考える訓練ができてないのではないか
ということを考えたわけです。つまり、何か自分の問題意識みたいなもの
があって、それを文字ではなくてイメージで伝えるものが写真ですよ。そ
れがこのゼミの目的ですよと言ったところ、写真は写真なんだけれども、
文字の説明書きを撮ってくる。これはどういうふうなことから来ているの
かなとかいろいろ考えると、日本の初等教育・中等教育のなごりが、その
まま高等教育の中に受け継がれてしまっているのではないか。これをどう
にかしないと、例えば不確実な時代だとか、多様化されているような時代、
あるいはグローパル化されている時代に対応できるような人材を輩出する
ことは難しいのではないか。
僕は、大学の山岳部の出身なんですけれども、大学の 1年生に「ワン
ダーフォーゲル部と山岳部の違い、わかりますか」と投げかけているんで
す。ほとんどの人がわからないわけです。これは何を意味したし、かという
と、高校までの勉強の仕方と、大学からの勉強の仕方というのは、ワンダー
フォーゲル部と山岳部の違いと同じだよということを説明する比轍として
使っています。どういうことかというと、高校までは、基本的には学習指
導要領があって、ゴールがどこにあるかというのはわかっているわけです。
それを教員と一緒に生徒がその道を進んでいく。つまり、地図上に山道が
描かれている。そこをなぞっていくのが高校までの勉強なわけです。大学
というのは、これまでと違って、自分でまずゴールを設定する。地図には
道が全く描いてない。ルートファインディングをして、自分の技量だとか、
装備だとか、経験だとか、体力だとか、それを総合的に全てを使って何と
かゴールに向かっていくというのが、山岳部の山の登り方なんですけれど
も、大学の勉強もそういうものなんですよ、というようなことを言ってい
ます。
うちの学部の目標の 1つに「創造と表現」というものがあります。これ
は、何が何だかわからない時代に非常に重要なテーマだと、僕自身考えて
います。これから先、うちの学部のカリキュラムを変えてしぺ、あるいは
強い「個」をっくりだしていくというか、世に輩出していくという意味で、
自分でゴールを設定して、そこのやり方を考えて登っていくような、そう
いうカリキュラムが必要なのではな L、かと、 L、まの時点では考えています。
2
8
森:僕も、小田さんと一緒にゼミ生に写真を撮らせるというのをやり始め
ているので、話を聞きながら思ったのですけど、写真って強いんですよ。
とても訴求力があるんです。具体的に挙げれば、きょうは年配の方もい
らっしゃるから、例えばベトナム戦争のときに沢田教ーさんが撮った『安
全への逃避』というタイトルの写真があります。メコン川を北ベトナムの
母親と子ども 4人が一緒になって必死に川を泳ぎながら逃げていく写真で
す。写っているのはそれだけなんです。何から逃げているのかもわからな
いし、どこへ向かつてくのかもわからない。モノクロですよ。それがその
年のビューリッツアー賞をとりました。世界的に高まりつつあったベトナ
ム戦争に対しての懐疑、こんな無慈悲な戦争はやめるべきなんだと、そう
いった声が高まる 1つの大きな要因になっています。
つまり、写真つで情報量がないんですよ。シャッタースピードは 2
5
0分
の l、 5
0
0分の lです。ほんの瞬間です。しかも、もちろんカラーもあり
ますけど、モノクロが主流の時期もありました。動画と比べれば明らかな
んですけれども、写真はカメラワークが使えません。パンとか、ズームと
か、当然できないです。もしこの母親と子どもたち、必死に逃げるこの家
族を動画で撮った場合には、おそらくカメラはパンしますね。逃げてきた
岸に何があったのか。彼らが逃げる先に何があるのか。もしかしたら、上
がってきてからインタビューをするかもしれない。でも、写真はそれがで
きないわけです。封じられています。だからこそ、見る側がそれを創造す
るんです。この親子は一体何から逃げているのか。『安全への逃避」とい
うタイトルで、しかも舞台は北ベトナム。情報はそれだけですから、米兵
たちがおそらく村を焼き払っているのだろう、そこから必死に逃げている
のだろう、と想像はできます。その想像をいろいろ還しくしながら、どん
なことをしゃべっているのだろうか。逃げてからどうなったのか。逃げて
から本当に安全になったのか。そもそもお父さんはどこに行ったのかとか、
いろいろなことを思うわけです。それが写真という媒体が持つ訴求力の大
きな要因であり、強さである。
何が言いた t
,かというと、情報というのは欠落しているほうが強いんで
す。ところが、いま世界はどんどん、日本も特にそうです。逆に行ってい
ます。ちょうど昨日です。僕は見てないのですけれども、ネットで結構大
騒ぎになった。日テレかな、「シャーロック・ホームズ」の映画をテレビ
2
9
で放送したらしいんですが、何でそれがネットで騒ぎになっているかとい
うと、テロップです。もちろん言葉のテロップが下に付くというのは、耳
の不自由な方のために、それはありますけれど、それとは別に、画面の左
端にずっとストーリーを紹介するテロップが貼り付いていたらしいんで
す。しかも、それが犯人が誰なのか、謎が一体どうなったのか、これから
どうなるか、ということが明らかにわかるような…。学生で誰かきのう見
た 人 い な い ? 誰 も 見 て な い ? 最近の学生、ほんとテレビ見ないから
ね。テレビ見ないのはいいことではあるのだけれど、テレビだって大事な
メディアではあるんですよ。要するに、視聴者をなめているのかと。何で
こんなことしなければいけないのだということで¥きのうはネットで荒れ
たらしいです。
これも想像つきますね。たぶんテレビの側としては、とにかく情報をど
んどん出せと。テレビって足し算なんですよ。テロップつけて、サウンド
エフェクトかけて、モザイクかけて、さらにはいろんな情報を詰め込んで、
それがテレビを含めてのいまのメインストリートメディアが歩んできた大
きな道なりの 1つです。その帰結としては、推理ものを見ながら、犯人は
誰かと教えることが親切なんだと O それによって視聴率が取れるみたいな
パカパカしい状況になっているわけです。つまり、メディアは自ら自殺行
為を行っている。日テレの例は極端ではありますけれど、受け取る側の想
像する力が脆弱化していることは確かです。
そういったことも含めて、写真を撮ることで何か気づいてくれるのでは
ないかなということで、今回、小田さんと一緒に、そういった試みをやっ
てみようと思ったんです。
0年後どうなっているかわか
おそらく先ほどのスマホの例も含めて、 1
らないですよ。凄まじい…。頭に何か埋め込んで、それを見ながらみんな
が歩いているというような、そういう状況になってしまうかもしれない。
どんどん受け身になってしまって、そういったときには、より親切に、よ
りわかりやすく、より速く。吉野家みたいな、そういったメディアばかり
が求められてしまう O その結果どうなるのか。どんどん僕たちは考えるこ
とをやめてしまいます。これは極めて怖い状況です。
大学で、しかも一介の教員でどこまでできるかわかりませんけれど、少
なくともメディアというものは、いわゆるネットでみんなが「マスゴミ」と、
3
0
よくメディアをばかにした言い方をしますけれど、確かに「マスゴミ」的
な要素もあるけれど、マスコミは絶対に僕らから切り離せない存在である
ので、ゴミではあっても、常にここにあるものなんです。であれば、この
ゴミをどうやったらリサイクルできるのか。あるいはもっと有効に使える
のか。そういったことを学ぶべきです。だから、今後より一層メディアリ
テラシーという要素が必要になるでしょう。日本の場合は、本来同調性が
強い社会ですから、集団化しやすいということは、メディアをどう受け取
るか。つまり、この国はリテラシーが一番大事なんです。特に東アジアは
そうだけれども、日本はその中でも一番そうかもしれない。
ところが、小・中学校でメディアリテラシーをやってないです。大学だ
けでは追いつかないです。本来であれば、初等・中等教育からやるべきで、
道徳などやっている場合ではないんです。リテラシーをやるべきなんです
が、いま現在、世間はどんどん逆のほうに行っています。逆のほうに行っ
ているからこそ、先ほど大学の自治の話もしましたけれど、大学の存在意
義があるのです。世間を気にせずに、自分たちが必要と思うことを、 4年間、
ある意味でモラトリアムの期間を学生として過ごせるわけですから、特に
ゼミはそうです。そういった中で、いろいろとやりたいことを、たぶん社
会に出てしまったらできなくなることがたくさんあるはずです。そういっ
たことを楽しみながらやってみたいと思っています。
中村:ありがとうご、ざいました。横溝先生お願いします。
横溝:先ほど中村教授から、情報コミュニケーション学部について説明を
いただいたのですけど、この学部の名前をつくるときは、皆さんが知恵を
集めていろいろご工夫をなすった結果、こういうネーミングをなすったと
思うんですが、いろんなことを知らずにパッと読むと、情報コミュニケー
ションというと、マスコミ、新聞、編集、 I
Tとか、数量的な分析とか、
一瞬よぎるのはそういう現象なんですよ。ですけれど、カリキュラムを見
せていただくと、私の法律家の立場から言えば、法律の部分も結構科目に
あるんですよtl.o それからリテラシ一、いろんな科学的な数理的な、自然
科学的な分野もあるし、人文科学的な分野、社会科学的な分野、ものすご
く欲張った内容なんですね。それがどのぐらいの深さかはかわかりません
3
1
けれと、。
私たちは、専門性というのをものすごく大事にして、専門を極めること
をとても大事なこととして育った世代です。専門パカというのは、半分「パ
カ」と言いながら尊敬するみたいなところがあったんですけど、この情コ
ミのカリキュラムを見ると、ものすごく幅広く、しかも多角的、重層的、
有機的に学ぷ。本当にこれでちゃんと全うできるのかしらと思うくらい、
膨大な材料なんですね。ただ、これからはただ専門で突き進むのではだめ
で、やはりコミュニケーションを広げて、それを神経細胞が手(シナプス)
を出し合って機能し、認識をするように、そういう学聞が必要だと思いま
すので、そういうのを学問的に、学際的に、総合して、統合していくとい
うことは、これからの社会も求めるし、学問としても必要だと思います。
特に、ジェンダーの視点から言いますと、「ジェンダーセンタ一年次報
告書」を拝見すると、ジェンダーセンターというのができたのはまだ 4年
ぐらい前ですが、数多くの報告が出されています。外国の方も招いていろ
んな形、労働の分野から、医療の分野からと、いろんな報告が出ております。
ジェンダーというのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、生物
学的性差と区別して、もっと社会的、文化的につくられた性による異なっ
た扱いなんですね。合理的差別ではない。文化的、社会的につくられた性
差というのを、あたかも合理的なように覆い隠すのがジェンダーというこ
とだと思うので、一番見逃しやすい、一番公正さを害するものだと思いま
す
。
合理性のない、いわゆるつくられたジェンダ一、ジェンダーバイアスと
言いますけど、合理性のない扱いかどうかというのを見極めるような研究。
それから、そうであったらどのように排除するか、その副作用というのは
どういうのがあるのか、効果はどうなるか、そういうのを専門的に、学者
だけではなくて学生も交えて、新しい考えも入れた、そういう研究、そう
いうコースを、ここのジェンダーセンターで、ここの情コミにつくってい
ただいたならば、昭和 4年に女性に法律と経済を教えて、その頃の女性の
社会参加の突破口をつくったように、専門化し、孤立化しているいろんな
学問を、もっと有機的、総合的に、しかも現代の科学にも合わせたような、
そういう学部を、しかもジェンダーという視点からの切り口で、性という
ものをジェンダーフリーにする。ジェンダーバイアスをなるべくなくして、
3
2
ジェンダーフリーで、男と女が共に生き生きと、両方が輝くようにするよ
うな新しい学問分野を、ヒューマンコース・プラス・ジェンダーコースみ
たいな、そういうのをつくっていただけたらなと思うんです。
というのは、いま雇用の場でも、先ほど言った妊娠・出産、人は晴乳類
ですから、おっぱいの関係からも育児は女性が行うことが多くなります。
それと労働者としての働く時間、空間とのバランスをどう取るかが大きな
課題となっています。それから、昔は法律は家庭に入らずと言って、年寄
りになった人の面倒をみるのは家族の責任だった。認知症、昔は老年痴呆
と言ったんですけど、いま認知症と言ってますけど、そうなったら、一定
の親族関係にある人だけの責任でみる。裁判所も、法律行為ができなく
なった人をサポートする後見人を選ぶのも、なるべく身内の人を選ぶこと
が多かったが、いまは任意後見制度というのができて、自分の考えがしっ
かりしているうちに、「私が痴呆になったら、この人を任意後見人にして
ください」と登録しておけば、その人が他人でも法律上の後見人になれる
という制度ができたりしています。また、夫がいくら妻を殴っても、子ど
もを虐待しても、おまわりさんは、法律は家庭に入らずで、「夫婦けんか
か」と言って帰っちゃった。それがいまは、配偶者の暴力を防ぐ新しい法
律ができて、何メートル以内に近寄ってはいけないということまでできる
ようになっている。そういうのを科学的に、(心情的ではなくて)社会の
システムとして作って行く。法律が骨格とすれば、経済は血液、血の流れ、
ちょっと乱暴な言い方ですけれど、それに対して情緒とかそういうものも
加えて、科学的、合理的に解析して、どうやって統合するか。公正さを害
する隠れ蓑になりやすい性差、男と女、違うんだからしょうがないやと片
付けられちゃうのを、そうではないよと科学的に分析・解析して結論を出
す。そういう新しい部門を研究だけではなく教育、若い人と共に学ぷとい
うジェンダーコースみたいなものをつくっていただきたいと思っています
けど、ちょっと乱暴でしょうか。
中村:本当に貴重な創立の原点をも改めて想起させるようなご提言をこの
場でお聞かせいただいてありがとうございました。ほかの学部の先生には
聞かせたくないような、この情コミで今後大事に育て上げたいような、そ
ういう貴重なお話でありました。聞かせたくないなんてもちろん冗談です
3
3
から、どうぞ気にしないでくださし、。すぐ口が滑ってしまって、まずいで
すね。むしろ、全学の協力を得て練り上げたいほどです。
残り時間が少なくなったのですが、森さんと小田さん、いまのように具
体的に、こういうものが欲しいというのが何かあるようでしたら O
森:いま横溝さんのお話をお聞きしながらつらつらいろいろ考えていたの
ですけど、ちょっと生臭い話になりますがいいですか。いわゆる朝日新聞
問題です。従軍慰安婦であったり吉田調書の誤報。その後も各メディアが
朝日に対して、国賊、売園、非国民といったそういった叩き方をするあの
現象は何なんだろうということを、ずっと考えているわけです。メディア
のそういったような、産経新聞であったり、読売新聞であったり、週刊文
春であったり、そういった叩き方をするというのは、それぞれのマーケッ
トがあるわけですね。つまり、それぞれの読者が喜ぶからこそそれをやる。
言ってみれば、朝日も同じわけです。朝日の読者が喜ぷからこそ、従軍慰
安婦であったり、吉田調書をあのような形で解釈をしたり。常にこれは市
場原理が働いていると考えられるわけだけど、それにしたって何でここま
で罵倒できるのだろうか。
一番最後に吉田清治さんの記事を出したのは産経新聞ですよ。
9
3年で
す。朝日の最後の記事は、つまり「真偽がはっきりしない」と書いたの
は9
2年ですから、産経はその翌年に記事を書いているんですよ。しかも、
それは「吉田さんが朝鮮半島に行って土下座をしました」と写真付きの記
事です。だから、本来産経は叩けるわけないんです。でも、忘れちゃって
いるのでしょう。しかも叩かれる朝日も、そう言うと逆にまたパッシング
を受けるということで萎縮して黙ってしまっているということなんだけ
ど、そこからいま連想したことは、なぜここまでの 1つが、おそらくです
けど、ジェンダー的なものに対してのフィルム的なものに対しての反発み
たいなもの。つまり、従軍慰安婦の問題というのは絶対これ抜きでは語れ
ないですよね O 女性の人権であったり、ジェンダー・フェミニズムがセッ
トになっているからこそ、それに対して男権的な人が何か不満がある。だ
けど、それに対して不満を言うと、セクハラであったりとか、人権をちゃ
んとわかつてないということを言われるから、黙っていた、我慢していた。
それが朝日というエリート的なものと同時にジェンダーに対して一気に回
3
4
路を見つけたみたいな感じで、あれほど炎上してしまったのではなし、かな
という気がしているのです。
何を言っているかというと、リテラシーがベースにあるので、同時に
ジャーナリズムをやっていますけれど、単にジャーナリズムであれば、例
えば新聞はこういう書き方をしましょうとか、テレビの場合は映像はこう
いった編集をしましょうだけではなくて、その根底にある市場との関係で
すね。つまり、市場が求めるからそれを提供する。それはもちろん資本主
義におけるメディアとしては、間違った形ではないけれど、結果として
は、近代史を見れば明らかですよね。メディアが戦争の火ぶたを切り、あ
るいは虐殺をあおるということはいくらでもあるわけです。また同じ条件
になりつつあるのかもしれない。だ、から、そういったことを踏まえて、テ
クニカルなノウハウだけではなくて、メディアが与える影響力であったり、
ジャーナリズムの大きな間違いみたいなもの、そういったことを考えるよ
うな授業をしていきたいと思っています。
中村:メディアリテラシーの授業の一端を聞かせていただきまして、あり
がとうご、ざいまし f
。
こ
小田さんは、どうですか。
小田:先ほどの高度情報化の時代、不確実な時代ということに関連して、私、
明治に来る前に朝日新聞の
AERAというところで取材記者だったんです
けど、そのときに大学教育の改革について取材をしていました。その中で
一番私が印象に残ったのは、医学部の教育だったんです。医学部の教育と
いうのは非常に改革が難しいということで、何でなんだろうと取材をした
ところ、 6年間基礎から積み上げていって、医者になるときに、 6年間勉
強したことが既に陳腐化してしまっている。医者になる頃には、全く役に
立たないような医学の知識であったり、技術であったりしてしまう O そう
いったことで、秋田大学の医学部ですけれども、 l年生から大学病院に行っ
て患者さんの診察をするんです。そういうことをしている。これは情報コ
ミュニケーション学部でも、同じようなことが言えるのではなしゅ〉なと感
じています。
つまり、どういうことかというと、情報というものが爆発をして、どん
3
5
どん広がりをみせていく。そういったことを基礎からどんどん積んでいく
ような、ある種高校までのような勉強の仕方をしていると、卒業する頃に
は、その情報に関する知識とか経験は陳腐化しているかもしれない。「創
造と表現」ということとあわせて、逆の発想なんですけど、先ほどの秋田
大学の医学部の話ではないですけれども、まず目的、オブジェクティブ・
オリエンティッドな教育の仕方というのですか。つまり、目的があって、
それにいかにうまく速く確実に到達するかということにおいて、うちの学
部のいろいろな科目を使って、そこに到達するような、そのようなカリキュ
ラムをやったら、独自性も打ち出せますし、時代にも対応できるのではな
いか。それこそ学際的な勉強ができるような学部になるのだろうと思って
おります。
中村:ありがとうございました。
私は、なるべく自分の意見は言わないでゲストの方々に貴重なご提言を
お願いしてきたのですが、私は法律を専門にしていますが、グローパリズ
ムというのは、その動因と言いましょうか、こんなことが可能になるのは、
おそらく表面だけ見て政治的要因などを探ると、 8
9年 1
1月にベルリンの
壁が崩壊して、アメリカに対する対抗力を持ったソビエトが崩壊したため
に、あとは市場至上主義で巨大資本がどっと世界を席巻したなんという説
明もされるのですけれど、確かにそれは国際政治、パワーポリティクスの
上で言えばそうかもしれませんが、ネットというのがなかったら、おそら
くグローパリズムなんてできないんですよね。国境を越えてネットの上で、
ある強者だけが一方的に収奪をしていくというか、勝ち組になっていくと
いうのは、ネットがなければできないと、私は思っているのです。
ネットは「ブレーキのない車」などと、いまの段階では言われている。
悪口を言うための例に上げられている車自身は、今日では運転者がボケッ
としていても自動的に止まるところまで技術革新が進んでいるのですけ
ど、ネットはブレーキがなかったらどこまで暴走して行くのかなと思って
いるんです。ブレーキというのは、ネットの世界では、技術的な革新プラ
ス、私に言わせれば法的規制ということだと思うんです。法的規制は、表
現の自由などのようにないに越したことはないのですけれど、資本があら
ゆるものを絡め取っていく際に、これは国境管理などと全く関係ありませ
3
6
んから、そこに R
u
l
eo
fl
a
w (法の支配)がいまのところないんですよね。
今年の 5月に EU司法裁判所は、グーグノレの検索エンジンからネット上
に残り続ける個人情報を消せと。 R
i
g
h
tt
ob
ef
o
r
g
o
t
t
e
n
(忘れられる権利)
というのが今注目されていますが、個別的にはそういう個人情報を保護す
るような措置が判例でようやく認められたという段階なんですよね。
韓国のネットの第一人者によると、お名前を失念しましたが、ネットを
人の一生にたとえると、まだ未成年にすぎなし、。未成年というと餓鬼のよ
うなものですから、餓鬼が暴れ回っている。だけど、これに対する国際的
なR
u
l
eo
fl
a
wの確立は全くなっていない。どこまで人聞が食い尽くされ
ていくのか。どこでそれに気づいて国際的な連携が成立するのか。私は、
年を取ったせいか、非常に悲観的なんです。
しかも、セパレートステレオの中の右側に言語を含めたコミュニケー
ションを置き、左側に情報機器の操作能力などを含めた部分を置いて、こ
れを連結すると、グローパル人材という、ネットの知識があって外国語が
しゃべれる見事なグ、ローパル人材が出来よります。簡単に言うとそういう
ことを経済界などは要求していますけど、まさに資本にこき使われる、有
無を言わせずハイハイと働く、利用価値の高い人聞をつくるということを、
自ら言っているようなものだと思うんです。しかし、この学部は真ん中に、
そういうものでなくて、しっかりと批判的にそうしたものを考察する社会
科学的な学問を中心にしたものを入れ込んで教育をしていこうということ
ですから、それがうまく展開するようになれば、そういうものではない国
際的な法の支配の確立をリードするような人材を、この学部は育成してい
く、教育していことが可能なのではな L、かと思っています。
最後に、少し希望的なことを申し上げさせていただきましたが、あと 5
分ありますから、お三方に最後のメッセージをお願いしたいと思います。
森:いまのお話に続けますけど、ネットの匿名掲示板というのがあります
よね。まさしく朝日騒動のときの各メディアが朝日をパッシングするとき
に使う言葉というのは、ほとんど匿名掲示板の炎上したときの「非国民」
であったり、「売国」であったり、ほぼ同じです。だから、ネットがどん
どんメインストリートメディアの中に進出してきていると考えてもいいの
ですけど、匿名掲示板というのは、極めて東アジア的な現象なんですね。
3
7
欧米にももちろんありますけれど、東アジアほどの影響力は持つてないの
です。去年かな、ジェンダーのシンポジウムで、オランダの女性の社会科
学者が来て、終わってから雑談をしているときに、「どうしてオランダで
は匿名掲示板をみんな見ないんですか」と聞いたら、逆に聞きたいと。「何
で、あなた方は匿名掲示板に興味を持つのだ。匿名の情報なんて何の意味
もないじゃないか。人生こんな短いのに、もったいなくないの」と言われ
て、確かにそうだなと思ったけど、やはりまだ影響力は強いですね。
でも、 1年ぐらい前からかな、中国と韓国では、匿名やめようという動
きがどんどん顕在化しているんです。別に法規制ではなくて、主体的に自
分たちが、あまりにも荒れすぎるということで、名前を出していこうと。
だから T
w
i
t
t
e
rから Facebookに変わるというのもそうですけど、きちん
と名前を明かして、それで確認しようという動きが出てきているみたいで
す。日本はダメなんですよ。中園、韓国ではそういった動きが出ているの
ですけど、日本ではまだまだ匿名掲示板が主流ですね。ネット的な空間は
日本的なメンタリティにどこか相性がいいんでしょう。でも、中国、韓国
がそうであったように、これはいくら何でもちょっと行き過ぎだろうと
いった意識をみんなが持てば、ちょっとず、つ変わっていくはずですし、先
ほどの自分のしゃべったことにつなげれば、メディァは単なるノウハウだ
けではなくて、影響力であったり、影響力というのは悪い後遺症も含めて、
あるいは歴史的な前例、そういったことを考える上では、単なるメディア
だけではなくて、 1つには、文学的な要素も必要です。インテリジェン卜、
つまり行聞を読むというのは文学なんです。だから文学を学び、もちろん
経済、これは世界を考える上で一番大事です。政治だってもちろんそうで
す。哲学も必要です。やはり学際です。基盤はメディアではないけれど、
周辺にメディアが常にあるような学際的な空間、そういったものができれ
ば
、 1
0年は時代に対応できるのじゃないか。それ以降はちょっとわから
なくなりますけど。という気がします。
0年保証してくださるご提案を
中村:森先生から、さらに努力をすれば 1
していただきました。それでは、小田先生にお願いします。
小田:私は、ネット社会の無秩序さをコントロールすることはできないと
3
8
考えています。だからこそ、自立した人材を養成することが必要です。そ
の方法は何かというと、先ほど申し上げたように、問題意識を強く持って、
さまざまな道具を使ってゴールにたどり着くような、そういうような人材
を養成する教育を、この学部で実際にしていきたいなと考えております。
中村:ご提案ありがとうご、ざいます。では、最後に横溝先生にお願いします。
横溝:ネットというのを皆さんが信じすぎる。ネットにある不正をどう
やって見抜くか。昔「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があったんです
けど、ネットはそうであってはならな L、。利用する人々が、これが正しい
か、不正なのかというのを見抜く力を培わなければ、ネットによるグロー
パリゼーションというのはメチャメチャになっちゃうと思います。それを
見抜くには、人々が、ジャスティス(正義・法)とは何か。匿名のネット
は卑怯であって、自分の主張を出すからには、名前を明らかにしないもの
は相手にしないぐらいの厳しい態度でネットというものを守って Lゆ〉なけ
れば混乱するばかりだと思います。ごった煮を食べると、ちょっと手を付
ければ中毒しちゃうような、そんな状態になってしまうのではないでしょ
うか。中村先生のおっしゃるように、グローパリゼーションで世界が一致
してやっていくには、それをつなげるネッ卜の利用の仕方を、一人ひとり
が真剣に考えて、世界全体で一種の規制(ルール)みたいなのをつくって
いく。ネットにおけるジャティスとは何かというのを、人々が自立して考
えて、ネットだから信じちゃう、ネットだから乗っちゃう、そういう安直
さは捨てないといけないと思います。そのための学部をつくったらどうで
すか。
中村:そのための学部をつくったつもりでいたのですけれども、最後に叱
時激励を頂戴したところで、本日のシンポジウムを終了したいと思います。
ゲストの方々に大きな拍手をお願いいたします。(拍手)
総合司会:これをもちまして、第 1部「学識者と専任教員によるパネルディ
スカッション」を終わります。
パネリスト、コーディネーターの先生方、ありがとうございました。と
3
9
ても刺激的なお話が飛び出して、示唆に富む大変いい話し合いになったと
思います。
続く第 2部ですけれども、「卒業生と現役学生によるパネルディスカッ
ション」、こちらのほうは 3時 3
0分からの開始となります。しばらくお時
間がございますので、セッティングなどを変えますけれども、その間皆さ
まにはご休憩ということで、よろしくお願いいたします。
(休憩)
4
0
【
第 2部】卒業生と現役生によるパネルディスカッション
【パネリスト】
漬野慎司
日本放送協会エンターテインメント番組部ディレク
ター
(
2
0
0
7年度卒業)
東津諭佑
明治大学専任職員 (
2
0
0
7年度卒業)
山本佳孝
毎日新聞社中部報道センター(事件グループ)記者
(
2
0
0
7年度卒業)
池内裕美
神奈川県立秦野曽屋高等学校教諭 (
2
0
0
8年度卒業)
石田 裕亮
ノf
ンダイナムコゲームス社長室新規事業部コンサルタ
ント
(
2
0
0
8年度卒業)
窪田
徹
文部科学省初等中等教育局職員 (
2
0
0
8年度卒業〉
渡
航
2
0
0
8年度卒業)
ライトノベル作家 (
西深津史恵
情報コミュニケーション学部 4年生
【コーディネーター】
大黒岳彦
情報コミュニケーション学科長
総合司会:続きまして第 2部「卒業生と現役学生によるパネルディスカッ
ション」を開始いたします。
これより第 2部のパネルディスカッションに参加するパネリストをご紹
介いたします。
0
0
7年度卒業の第 1期生の皆さまをご紹介させていただ
まず、本学部 2
きます。
漬野慎司さん。現在、日本放送協会エンターテイメント番組部ディレク
ターとして活躍されています。
東葎諭佑さん。現在、本学専任職員、国際連携部国際連携事務室に勤務
しております。
山本佳孝さん。現在、株式会社毎日新聞社中部報道センタ一事件グルー
4
1
プ記者として活躍されています。
続きまして、 2
0
0
8年度卒業の第 2期生の皆さまをご紹介させていただき
ます。
池内裕美さん。現在、神奈川県立秦野曽屋高等学校教諭として教鞭を執
られています。
石田裕亮さん。現在、株式会社パンダイナムコゲームス社長室新規事業
部コンサルタントとして活躍されています。
窪田徹さん O 現在、文部科学省初等中等教育局職員として活躍されてい
ます。
渡航さん。現在、ライトノベル作家として活躍されています。
そして、本日唯一在校生の方にも加わっていただきます。
西深津史恵さん。情報コミュニケーション学部 4年生です。
そして、このパネルディスカッションのコーディネーターを務めますの
は、本学部学科長の大黒岳彦教授です。
それでは、大黒先生よろしくお願いいたします。
大黒:学科長の大黒と申します。よろしくお願いいたします。
第 1部が理念的なお話だったかと思うのですが、第 2部では、打って変
わりまして、シンポジウムとは銘打ってありますが、シンポジウムのよう
な堅苦しい展開には、たぶんならないと思いますので、ご聴衆の皆さま方
もリラックスしてお聞きいただければと思います。学部というのは学生が
主役ですので、情報コミュニケーション学部を卒業した OBの皆さんの活
躍をお聞きすることで、情コミの現状報告をさせていただきたい。そうい
うふうに思っております。
私ごとになるのですが、私は実は NHKに 8年ほど、 1
9
9
2年'"2
0
0
0年
までディレクターとして在職しておりました。縁ありまして 2
0
0
3年に明
治大学短期大学のほうに職を得ました。 2
0
0
3年と申しますのは、情報コ
ミュニケーション学部が立ち上がる 1年前に当たっておりまして、短期大
学閉学直前から情報コミュニケーション学部を立ち上げて現在に至るまで
ずっと情報コミュニケーション学部が成長していく姿を、その中で見てき
たつもりであります。
私の経験から申しますと、まず新入生として入ってきた 1年生というの
4
2
は、高校生に毛が生えたような可愛らしい子どもたちなんですが、これが
4年たって卒業の時には一人前の大人になっていて、その成長ぶりに驚か
0
されるわけです。 7回卒業に立ち会ったわけですけれども、私自身が 1
年間で学生たちに成長させていただいたというふうにも思っております。
私の話をしても仕方がありませんので、すでに牛尾先生のほうからそれ
ぞれ紹介はされたことでもありますし、ご活躍の皆さんの近況報告を OB
の方々からいただきたいと思うのですが、よろしいですか。
それでは、まず一番向こうの漬野慎司君。彼は私のゼミ生でした。はっ
きり記憶しているのですが、ゼミにはあまり出席していません。あまり勤
勉な学生ではなかったんだよな(笑)。なんだけど、突然あらわれて
rNHK
に内定しました」とか言って、要するに陰でコツコツやっているタイプだっ
たんだなと、後で思ったりしたんです。私も
NHK出身なので後輩に当た
るわけです。彼に、いま現在どういうふうな仕事をしていて、どういう生
活をしているのかをお聞きしたいと思います。 漬野君、よろしくお願いし
ます。
NHKで働いていまして、番組
r
L
I
F
E
!
J という番組があるので
漬野:漬野と申します。いまは渋谷にある
をつくるディレクターをしております。
すけど、ウッチャンナンチャンの内村さんのやっているコント番組です。
それを担当しているのですけど、知っている方いらっしゃいますか? で
は、見たことあるという人? ちょっといるんですね。ありがとうござい
ます。それをやっています。あとはエンターテインメント番組部というと
ころで、
いまは
NHKの歌とか、バラエティ、お笑い番組をつくるような部署で、
r
L
I
F
E!Jという番組と、 1
2月 3
1日にやる「紅白歌合戦』の担当
をしております。そう言うと、ちょっと凄めに聞こえるかもしれないので
すが、ほぼパシりみたいな最下層の、 ADとして日々働いております。
学生時代は、ゼミに行っていなかったのは、雀荘にずっと行っていて、
いまも麻雀はやっています。そんな感じです。
大黒:漬野君は、いまも遅刻しそうになっていて、遅れて駆けつけてくれ
たのですけれども、仕事は忙しいわけですか。
4
3
漬野:歌番組の担当をしているほうが、簡単に言うと地獄なんですよ。きょ
うはここに来ていますけど、明日からお正月まで休みは当然 1日もありま
せんで、最後の 1週間は会社の隣のホテルに全員部屋が用意されて、シャ
ワーだけ浴びてこいみたいな感じの生活がこれから始まるので、正直こん
なところで話している場合では僕はないんです。(笑)
大黒:昔のことを思い出します。どうもありがとうございます。
次は東津君です。彼は在学中からなかなか有名な奴で、ゼミはハウス先
生のところだったかな。英語が得意で、外務省の企画に通訳としてロシア
のほうに行ったりもしたんだよね。いま、明治大学の部署の中でも一番恐
れられている国際連携のほうでご活躍されています。東津君、近況を報告
してください。よろしくお願いします。
東j
畢:明治大学国際連携部国際連携事務室の東津と申します。大学の若手
職員の中では事務室の中で
1
3KJ と呼ばれている国際連携部に配属され
ております(笑)。いまの部署は、明治大学全体の国際化を推進する事業
を担当しています。主な担当としては文部科学省の国際化拠点整備事業と
いう補助金があるのですが、その補助金事業を担当していまして、実践的
な英語力を強化するプログラムを企画立案したり、あとは海外インターン
シップを行うプログラムなどを開発しています。
ここからは宣伝にもなってしまうのですが、本日は、会場を出たところ
にチラシを置かせていただいているのですが、「グローパル人材育成フォー
ラム」というものがありまして、それは明治大学が、私が担当している補
助金事業の幹事校をしている関係で、関東地区の大学国際化に資するよう
なイベントの開催を担当しております。日ごろイベントの開催を担当する
ことが多く、実際こうやってしゃべる立場に回ることは滅多にないので、
大変緊張しております。よろしくお願いいたします。
大黒:ありがとうございました。
次は山本君です。彼は、僕が記憶しているのは、毎年マスコミ内定者を
集めてマスコミ就職セミナーみたいなのをやるのですが、彼も登壇してい
ただいて、質問したときに、かなりニヒルな答えを返してくるんです。な
4
4
かなか扱いにくい奴だなというふうに思った記憶があります。彼はいま事
件記者として活躍されています。近況報告よろしくお願いします。
山本:山本と申します。よろしくお願いします。私は、この 4月から中部
報道センター名古屋本社で事件グループに所属して日々起こる事件の取材
をしております。具体的に言うと、例えば殺人事件が起きると、殺人事件
が起きた現場の近くに駆けつけて、夜中に近所をピンポン押したりして、
少しでも情報収集ということで走り回っております。
愛知は名古屋本社なので三重県と岐車県も管内として抱えておりまし
て
、 9月 2
7日に起きた御嶺山の噴火のときも、当日 NHKのニュースで知っ
て、すぐに御巌山まで行って、 2日間ほど現地で取材してきました。
生活スタイルというのは、事件が起きればそこに行くという生活なので、
定時に帰って何時まで寝られるという生活ではなくて、世の中で起きてい
ることに合わせて生活しております。すみません。話すのが苦手なので、
以上です。
大黒:ありがとうございました。
次は、池内さんです。彼女は、この中では唯一の教育者です。文科省官
僚が後で出てくるのですが、教育者は彼女だけです。本学部は教育者養成
にも、古屋野先生を筆頭に力を入れてきまして、教師も多数輩出しており
ます。その代表として、きょうは池内さんにお越しいただいています。池
内さん、近況報告よろしくお願いいたします。
池内:こんにちは。 2期生の古屋野先生のゼミに 2年間所属しておりまし
た池内と申します。いま現在は、神奈川県立の高等学校で 3年生の担任を
しております。大変なことはたくさんあるのですけれども、毎日生徒と触
れあって話をしていると、いろいろ悩みを共感したり、注意してあげたり、
毎日予測できないことがたくさん起こるので、大変な仕事ではあるのです
けど、同じように嬉しさもたくさんある、すごく素敵な職業に就いたのか
なと思っております。
大変だという話をいましたのですが、教員になって一番大変だなと思う
のが、土・日に部活動があるので、なかなかお休みがないことが大変なん
4
5
ですけれども、でも悩んでいる子にちょうどいいタイミングで声をかけた
りして、自分の言った言葉に響いて生徒が変わっていくのを見ていると、
すごく嬉しいですし、やりがいも感じるので、教員はおすすめの職業だと
思います。
大黒:ありがとうございました。
次は、石田君です。彼は、
1• 2年のときは小田さんのところだったの
かな。まだ専任にはなってなかったのですが、 3・4年に僕のゼミに入っ
てきました。彼はゲームオタクみたいな奴で、ゼミの発表でも、ゲームキャ
ラ論みたいなことを発表したりしていたんですが、就職先もゲーム業界と
いうことで、初志貫徹しているなと思っています。石田君、近況報告をよ
ろしくお願いします。
石田:石田です。ゲーム業界とおっしゃられましたけれども、ここを卒業
して最初に入ったのがサンライズというアニメーションを制作する会社で
す。そこで何個かやったのですけど、主に
TIGER&BUNNYというオリ
ジナル作品の制作進行として、漬野さんがやっていらっしゃるような、家
に帰れないような仕事をしておりました。それが終わったところで、縁が
あってパンダイナムコゲームスというゲームの会社に入って仕事をしてお
ります。
ゲーム会社なんですけれども、実はゲームはつくっていなくて、いまやっ
ているところは、いわゆるゲームメソッドと言われる、世の中ではゲーミ
フィケーションと言ったりするのかな。そういうゲームだったり、コンテ
ンツとか、アニメも、映像も含めてですけれども、コンテンツの持つ面白
さだったり、楽しさだったり、ユーザーの気持ちをどうやって変えていく
かみたいな、エンターテインメントがずっと昔から持ってきたノウハウの
部分を、全然関係ない業界、例えば電話の会社だったり、自動車の会社だっ
たり、いろんなところに楽しさとか、「おもてなし」みたいな、ノウハウ
みたいなのを提供して、一緒に商品開発をやったりしています。あとは普
通にコンテンツ、どういう作品、今後面白いのがあったらいいなというよ
うな企画みたいなのもやっています。新規事業部なので、いろいろ多岐に
わたって行っているという感じです。以上です。
4
6
大黒:ありがとうございます。
次は、情報コミュニケーション学部の所轄官庁でもあります文部科学省
から起こしいただいております窪田君の近況報告を、言えないこともいろ
いろあるので、言える範囲内で話していただきたいと思います。よろしく
お願いいたします。
窪田:ご紹介にあずかりました窪田と申します。あくまできょうは情コミ
の卒業生としてまいっておりますので、文部科学省としての発言はありま
せんので。
私は、卒業しましてすぐに文部科学省に入っております。先生から、い
ま官僚・官擦とおっしゃっていただいておりますが、{谷に言うキャリアと
いう官僚ではなくて、その下のノンキャリでございます。
近況報告ですけれども、池内さんが高校の先生をやられているというこ
とですが、教員の免許状を出すための大学の課程についての管理監督と適
切な運営ということで、主に大学と調整をさせていただいております。そ
ちらで、明治大学さんしかり、他の大学さんとパチパチやることもあり、
たまに相談に乗ることもあり、日々交渉の業務を主にやっているところで
す
。
日常ですけれども、これも弁解をしておきたいのは、公務員に対して冷
ややかな視線をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、当然ながら定時
を終わっても仕事はしておりますし、遅くまで皆さん頑張っておりますの
で¥その点はご承知おきください。
最近大きなお話といえば、いま新しく教員免許を置きたいという大学が
申請をしてきていて、その承認作業をしているところです。詳しくはお話
しできませんけれども。以上です。
大黒:ありがとうございました。
情コミは、実はクリエイティブ系の人材を多数輩出しております。僕が
知っているだけでも、声優、俳優、自称タレント(笑)、いまからご紹介
する作家。彼は、いまをときめくライトノベル作家で、ペンネームが渡航
(ワタリワタル)という人で、本名は明かせないのですが、渡航さんに、
近況を報告していただきたいと思│います。ちょっと変わり種です。
4
7
渡:情コミ 2期卒業生の渡でございます。現在は、会社員業の傍らライト
ノベル作家をやっております。代表作としましては、一昨年 TBSでアニ
メ化いたしました『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』というラ
イトノベルの作家をやっております。こちらの作品が来年 1月からまた
TBSでアニメが始まりますので、ぜひ皆さん、ご覧いただければと思い
ます。
1月 1
8日に最新刊第 1
0巻が発売とな
近況といたしましては、来週の 1
ります。お近くの秋葉原のほうでも特典とか出ていますので、よろしけれ
ばお手にとっていただければと思います。作家業をやりながら、いま現在
は変わった仕事というか、オリジナノレアニメの原案とかをちょこちょこお
話をいただいてやっていたりとか、あとはゲームのシナリオをちょびっと
手をつけてみたりとか、といったことをやっております。
大黒:彼は、石川さんのところのゼミ生だったんです。また後でいろいろ
聞きたいと思います。
最後が、唯一の在校生で、現在、私のゼミに所属しております西深揮さ
んです。彼女にも近況報告をしていただきたいと思います。
西深津:こんにちは。きょうは先輩ばかりで恐縮しております。私は
2
0
1
1年に情報コミュニケーション学部に入学しまして 8期生です。近況
報告は、週に 3日、月曜日と、火曜日と、水曜日に授業があって、あまり
授業には行つてないのですけど、卒業まで
1
2単位必要なので、それを取
るためにいまは行っています。
いま紹介にあったように大黒ゼミに所属していまして、春学期は映像制
作を中心に頑張っていまして、それは NHKの「ミニミニ映像大賞」とい
うコンテストに向けて頑張っていたのですけも、もうその目標もなくなり、
いまはただただ大学生が終わる、あと 4カ月か 5カ月ぐらいを毎日楽しく
過ごしております。すごい緊張しています。
大黒:彼女は、わりと率先していろんなことをやるタイプの学生だと思い
ます。 4年生になって 2分間の恋愛ドラマをつくって、僕は非常に良い出
来だと思ったのですが、 NHKのミニミニコンテストでは予選落ちをして
4
8
しまいました。だけれども、個人的には非常に良い映像であったと評価し
ております。
次に、 2)1国目にまいりたいと思います。いきなり本題に入っていきたい
のですが、いま皆さんは、それぞれの世界で仕事をして、その対価として
月給をもらっているわけですけれども、現在の皆さんにとって、大学とい
う時間、あるいは大学という空間は、どういうものであったのか。ちょっ
と抽象的な質問ですけれども、皆さんにとって、大学 4年間とは、 5年間
の人もいるかもしれませんが、何だったのかということを、現時点から総
括してお話ししていただければと思いますが、いかがで、しょうか。漬野君。
漬野:大学とは何だったのかということですけれども。
大黒:いや、そんな難しいことでなくて、君にとって大学って何だったの?
という感じで。
漬野:全然、話が違うかもしれないのですけど、僕が大学で一番役に立った
なと思った瞬間というのが、 NHKの面接のときに 1回あったんです。全
く面接の手応えがなく、落ちるなと思っていたときに、最後に面接官の人
が、「前日にあった東京都知事選で、君、番組をつくるならどうするの」
と言われたときに、ゼミで大黒先生が当時の都知事をボロクソ悪く言って
いるのを思い出して、パクって悪口を僕も言ったんです。「僕は、あの人
大嫌いで、その人をつぶすような番組をっくりたいです」と言ったら、そ
の人もたまたまその人が嫌いで意気投合して、面接がうまくいって、受かっ
たという体験があって、これは役に立ったなと、そのとき思ったんです。
(笑)
ただ、それを覚えていたのは、大学に入って 4年間で思ったのが、いろ
んなことって、いろんな見方があるんだなということに気づかされた場
だったんです。情コミの授業って、心理学の授業とか、コミュニケーショ
ンの授業とか、いろいろあったんですけど、 1個のものにいろんな答えが
あるんだなということを、受験勉強から大学の勉強に切り替わったときに
感じることが多くて、いろんな意見を知るのが好きで、聞いて覚えるよう
にしていたんで、す。それが役に立って、いまコント番組ですけど、やると
4
9
きに、いろんな目線というのがすごく役に立っています。そういうのをす
ごく教えてもらったというか、鍛えてもらった場だなと思っています。
大黒:ありがとうございます。役に立って光栄です。東津君、いかがですか。
東;畢:大学は、いまは私にとっては職場ですが、学生時代、大学はいろん
な方とまさに出会えた場だなと思います。きょうここにいらしていただい
ている情コミの先生方も、当時いらっしゃった職員の方も、きょういらし
ていただいていて、その方々との出会いで成長できたかなと思っています。
中でも私、きょういらしていただいていますけれども、ハウス先生のゼ
ミに l年生のときから所属していました。明治大学を選んだ理由が、隣に
御茶ノ水小学校というのがあって、私はあそこに通っていたので、一番知っ
ている大学が明治大学で、ここの大学いいなと何となく刷り込まれたんで
すね。正直なところ、明確な目標を持たずに明治大学へ行きたい、いろん
なことを勉強したいと考えて、カリキュラムを見て情コミを選んで進学を
しまし f
。
こ
英語が話せるようになったら格好いいなと思って、ハウス先生のゼミを
選んだんですが、そのゼミが結構厳しいゼミということを知らずに、ハウ
ス先生の笑顔だけで選んでしまったので(笑)、初回のゼミナールでちょっ
と日本語をしゃべっただけで「日本語、話してんじゃないよ」って、外国
の方に日本語で怒られるわけです。こんな怖いことないなと思って、そこ
からゼミの勉強を一生懸命するようになりました。英語研究を勉強したん
ですが、英語研究といっても、文化だけではなくて、社会システムとか、
政治とか、 EUとの関係とか、いろんな観点から英国を研究して、ハウス
先生との出会いによって、英語が話せるようになったら格好いいなと思っ
ていたのは、それは間違いで、英語ってあくまでもツールであって、コン
テンツとして何をしゃべるのかとか、自分がどう考えているかというのを
国際的に発信するためのツールなんだということに気づけて、いまの仕事
にもそれが活かせているので、大学 4年間のその出会いが、私にとっては
重要だったかなと思っています。
大黒:ありがとうご、ざいます。山本君。
5
0
山本:大学生活の 4年間とはと言われでも、なかなか難しいなと思ってい
るのですけれども、どんな 4年間を過ごしていたかというと、学問に対し
て勉強しようという気持ちはあまりなかったので、もともと未解決事件と
かそういうのが好きで、そういった本を 4年間結構読んでいました。見て
みたいなというのもあって、裁判所に行って裁判を傍聴したりとか、学生
時代に共同通信でアルバイトをしていたのですけれども、そこで知り合っ
た記者の方々にお話を聞いたりとか、情コミの勉強を一生懸命ゃったとい
うわけではないのですけれども、 4年間、過去の事件とか、未解決事件を
調べたり、自分でいろいろな事実を見に行ったりというようなことを繰り
返していました。
大黒:意味づけは僕が後でします。では次、池内さん、いかがですか。
池内:大学とはと言われて、優等生みたいな答えをしていいですか。
大黒:はい、どうぞ。
池内:これは私が思っていることで、いまでも生徒に話しているのですが、
大学とは円│き出しづくり」とよく生徒に話しています。在校生の方は、きっ
と情コミを選んだ理由は、いろんなことを学べるからという理由もあった
と思うのですが、本当にそのとおりで、幅広くいろんなことを学べる学部
だと思います。例えば、心理学の授業があったり、パソコンが勉強できた
り、プレゼンテーションをする授業であったり、いろんなことを勉強でき
るので、それを全て身につけておくと、いま私は、例えば全校集会のとき
には、この倍ぐらいの人数の前でお話しするときは、プレゼンテーション
のやり方を思い出して、こうやるとわかりやすいだとか、生徒とコミュニ
ケーションをとるときも、ここに座ると緊張を与えちゃうから、ここに座
ろうとか、いままでのこと全てが仕事に活かされているなというのは感じ
ています。
私、大学時代のノートをとってあるので持ってきたのですが、常に学校
に置いてあります。例えば、今見ると、火曜日の 1時限に非言語コミュニ
ケーションの授業で学んだパーソナルスペースの話とかは、よく生徒にし
5
1
たりします。いろんな授業がいつ役立つかわからないので、大学とはとい
うテーマではなくなってしまうのですけれども、いつ何が必要かわからな
いので、皆さんには、いろんなことをメモして、そのメモを捨てることは
卒業後いくらでもできるので、いまのうちにいろんな人と出会って話を聞
いて、たくさんのメモをとって、ノートをとっておくと、将来に活かせる
「ヲ│き出し」を増やしていけるのではないかと思います。
また、大学というか、情コミに関しては、教員をやるときに、 1年目に
赴任者研修というのに参加するのですけど、まずそこでやった研修が、マ
ナー講座であったり、コミュニケーションとか、プレゼンテーション、全
て大学で習ったことばかりでした。もらった資料も全て、これ知ってる、
この穴埋め全部埋められるという状態だったので、本当に情コミは時代の
最先端を行っていたんだなと、時代がやっと情コミに追いついてきたと、
そのときは感じました。
さらに、いま学校では、 ICT教育に力を入れようとしております。 ICT
とは、 I
n
f
o
r
m
a
t
i
o
nandCommunicationTechnologyで、まさに情報コ
ミュニケーションなんですよね。なので、時代が必要としていることを、
ここの学部は勉強できるので、素晴らしい学部だと思います。止まらなく
なってしまったのですけど、とにかくこの学部ではいろんなことを幅広く
学べるので、いくら勉強が浅かったとしても、それからまた卒業後勉強す
れば間に合いますし、いろんな分野に興味を持っていられる場所なのでは
ないかなと思います。
大黒:こちらの顔がほころぷようなお褒めの言葉をいただき、ありがとう
ございます。では、石田君、よろしくお願いします。
石田:池内さんが優等生の回答だったので、劣等生の回答をさせていただ
きたいと思います。大学 4年間は、一言で「人生のロスタイム」みたいな
感じですかね(笑)。それは冗談で、 4年間どうだったかというと、秋葉
原にいる時間と、大学にいる時間、どっちが長かったかなと考えると、た
ぶん同じぐらし、かなという感じで、ちゃんとしなかったんですけれども、
情コミが良かったところは、自分の思っていることとか、興味があること
に対して、自分が動けば本質的なところに、ほかの学部の授業が取れたり
5
2
とか、そういうところに届きやすいというのは、ほかで、はないいいところ
だったなと思います。これ、間違えると何もしないことになるんですけど、
自分から動けば、例えば毎日パチンコ屋に行って台を打っているときに、
なんでパチンコって面白いんだろうなとか、パチンコが面白いというのは、
マズローの欲求 5段階説的にどういうことなんだろうな、ちょっと大黒先
生に聞いてみようみたいな、そういうフランクな自分の身近なところから、
こういうことってどういう面白さなんだろうというのを考えたときに、学
問というところに結び、つきやすい、不真面目な僕でも、ちゃんと勉強でき
たところではあったなと思っています。こんな感じでよろしいでしょうか。
大黒:ありがとうございます。よい回答でした。次、窪田君の答えを拝聴
したいと思います。
窪田:これだけ皆さんユニークなご回答をされているので、私も真面目担
当で答えさせていただこうと思います。まず、大学はどういう時間だった
かと申しますと、正直私も明確な目的を持ってここに来たわけではなくて、
明治大学の政治経済学部に受かっていて、情コミのほうが新しいし、楽し
そうだということで、こちらに入ってきたということでございます。実際
授業を見てみると、経済があれば、法律があれば、心理学があれば、何で
も基本的なことが揃っていて、逆に何をやればいいのか、ちょっとわから
なかったところがあります。いろいろ自分の興味あるものを取ってきてみ
たところ、最終的に中村先生のゼミに出会いまして、行政のほうに進ませ
ていただいたというところです。
いまの仕事でどう活きているかで話をしたいと思うのですけれども、文
部科学省に入りましでも、法学部出身ですとか、文学部の出身ですとか、
専門学部の方はたくさんいるんです。我々のように幅広く何でも浅くあ
さっているところの分野の人は少ないです。例えば交渉しているときでも、
法律の話のときは法律の人が強いのですけど、ほかの話に飛んだときに弱
い。そうすると、この交渉は負けてしまう。私は口八丁のところもあるの
ですけれども、その点はいろいろな知識が浅くあるので、ほかの人よりう
まくこなせたりというところはありました。
あとは、石田さんもおっしゃっていたのですけれども、情コミは自分で
5
3
動けば何でも触われる学部なんだなと、卒業してから思いました。入って
から行政しか触ってなかったので、いまちょっと後悔しているところであ
ります。そんなところです。以上です。
大黒:完ぺきな答弁ありがとうございます(笑)。では、渡さん、よろし
くお願いします。
渡:皆さん、すごいですね。僕は、そもそもちゃんとやっている皆さんと違っ
て、こういうシンポジウムとかにまず来ないような学生だったので、ガチ
の劣等生だったと思うんです。なので、特に何をやっていたということも
なく、ダラダラとバイトをし、明治大学という名前が付いているから若干
モテるのじゃな L、かと思って合コンとかに行ったりしたような、本当に何
もないような学生時代を過ごしておりました。大学 4年間、基本的に満た
されない日々だけを過ごすというのが、僕の大学 4年間でした。そうした
フラストレーションを溜めながら、学校へ行っても友だちがいるわけでも
なく、 2、 3年ぐらいから、やることがなし、からずっと図書館に入ってい
るわけです。お金もないですし、ずっと本を読み、月に 3
0'
"
"4
0冊ぐらい
本を読むような日々を過ごしていまして、基本的にただ本を読んでいるだ
けの人生でした。
情コミに入って良かったことというのは、ウ ン。 l年生のときに石川
先生のゼミで「文章がよく書けているね」と、内容には触れずほめられた
ことが、おそらくこの道を志した 1つのきっかけだったのかなみたいな、
満たされない日々の中で 1つ承認欲求が満たされるという、そういう素敵
な日々でした。あとは特には、という感じです。
大黒:いろいろな過ごし方がある。僕はここで発言しないようにと心に決
めているのですけれども、あえて 1つだけ言うとすると、大学の効用とい
うことを考えるときに、即効性の効用ってたぶんないと思うんですよ。大
学の意義とか、大学の価値というのは、大学を離れてからボディブローみ
たいにわかってくるという印象を、僕は持っています。あの時ああしてお
けばよかったとか、自分が知らないところで効いてくるみたいな、つまり
英語を学んだから英語がベラペラしゃべれるようになるというふうな、そ
5
4
ういうふうな効用ではないと思います。だから、いままでの皆さんの答え
のように多種多様な受け止め方があり、多種多様な効用が出てきたような
気もいたします。
次の質問にまいります。次の質問は、情報コミュニケーション学部にい
まいる僕らに向けて皆さんから、情報コミュニケーション学部にどうあっ
てほしい、あるいはこれからこうなってほしいという要望とか期待があり
ましたらぜひお聞きしたいと思います。漬野君から順によろしくお願いい
たします。
潰野:情コミにですよね。
大黒:大学にでもいいけど、できれば情コミに、こうであってほしいとか、
こうなってほしいとか、どういうアンク。ルからでもいいです。
漬野:なくならないでほしい(笑)。社会に出て明治の人に会うと結構う
れしくて、ちょっとテンションが上がるんです。プラス情コミの人だと、
僕はまだ会ったことないのですけど、会ったら結構うれしいと思うんです。
だからなくならないでほしいんです。
さっきも話しましたけど、いろいろな授業が自由に取れたりとかあった
と思うのですけど、僕のときは卒論も、いまはあるのかわからないですけ
ど、なかったりとか、いろんな選択ができるから頑張っているみたいなこ
とをおっしゃっていたので、変な縛りとかを増やさないでほしいです。そ
してなくならないでほしいです。
大黒:ありがとうございます。東津君。
畢:私、身内の意見になってしまうのですが、いま国際連携事務室とい
東j
う事務室で働いている傍らに、アドミッションアドバイザーという制度が
職員にありまして、それが北は北海道から南は沖縄までの高校をめぐって
各学部の売り込みをしていくわけです。法学部はこういう勉強ですよとか、
商学部は商業をやりますよと。情コミが説明できないんですよ。情報コミュ
ニケーション学って何?と高校生に聞かれでも、なかなか難しいんです。
5
5
なので、そのままでいてほしいというのをすごく感じます。というのは、
情報コミュニケーション学部のカリキュラムって、在校生の方はご存じだ
と思うのですが、まさに多岐にわたるカリキュラムで、自分が取りたいも
のを取って勉強していって、最終的に自分の専攻は自分で、つくるというか、
自分色に情報コミュニケーション学を染め上げるというか、そんな感じだ
と思うんです。その説明のしづらさが、逆にレールが敷かれてないという
ところで、すごく売りになると思うんです。高校生にとっては、それも訴
求力のあることなのかなと思うので、そういう意味では、いつまでもレー
ルは敷かずにというか、いろんなカリキュラムでいろんなことができて、
いろんな先生方がいて、それがまさに個性だと思うので、これをキープし
ていただきたいなと思っております。
大黒:ありがとうございます。次に、山本君お願いします。
山本:いま自分が記者という職業をやっている中で感じることですけれど
も、たぶんおそらくどんな職業でもそうだと思うのですけれども、情コミ
4年間で問題意識を持って何かを考えていくという作業をしていくよう
な、そういう学部であってほしいと思っております。例えば、記事を書く
ときにどう書くかというのは、その個人の記者の問題意識であって、それ
ぞれ書き方とか全然変わってきてしまうのですけれども、これってトレー
ニングしてないと問題意識を持つことができないと思っております。情コ
ミには多岐にわたるカリキュラムがあって、社会に行くと、自分の興味の
あることだけではなくて、ほかのこともやらなければならなくて、それに
対して問題意識を持たなければいけないので、いろんな授業の中で、何か
問題意識を持って取り組んでいってほしいなと、そんな学部であってほし
いなと思っております。
大黒:非常にいい答えになったと思います。それでは池内さん O
池内:学生の方ではなくて大学に対してですが、いまの情コミがどのよう
な形であるのかを知らないので、既にそういうふうにされているかもしれ
ないのですけど、いま自分が教員として教えていて、話し合いをしていて
5
6
も、ずっと黙ってしまったり、「質問ある人」と言うと、誰も手を挙げなかっ
たりする人がとても多くて、そういう生徒たちが、これから大学に上がっ
ていくんだなと考えると、ぜひ大学では、リーダーをたくさん生み出す学
部であってほしいなと思います。地元の新聞で、地元の高校を卒業した人
で、いま社長者リストみたいのが載っていたので見たのですけど、今度は
情コミパージョンで、いままでの 1期生からいまの学生までずらっと、皆
さんリーダーとして活躍していると、すごくうれしいのかなと思うので、
リーダー育成ですかね。偉そうに、失礼しました。
大黒:ありがとうございます。石田君。
石田:訳のわからない学部であってほしいなと思います。いい意味で言っ
ているのですけれども、さっき東津さんがおっしゃっていたように、こ
の学部ってどういう学部?と聞かれて、説明できちゃったら負けかなと、
逆に思っていて、説明できないからこそ、全員に聞いたら、全員違う答え
が返ってくるぐらいが、ちょうどいいのかなと。明治って、「個」を強く
するとか、「前へ」とか、そういうスピリットみたいなのが体現できてい
るのって、情コミなんじゃないかなという感じがしているので、文学部だっ
たら文学をやらなければいけないとか、法学部だったら法律をやらなけれ
ばいけないとか、そういうのが永遠に定義されないのが、たぶん情コミの
意義というか、あるべき姿というか、なんじゃないかなと思っています。
大黒:ありがとうご、ざいます。窪田君、よろしくお願いします。
窪田:私からは、先ほど打ち合わせのときに先生からお話があったのです
けれども、この学部で勉強したことをどう積み重ねるかは学生自身だとい
う話は当然だと思っているのですが、私も含めて入学したときに、自分で
積み重ねないと何もならないと思っている学生って、そんなに多くないの
じゃないかという気がしてます。実際、卒業するときに周りにも、結局何
やっていたんだっけ、という友だちいっぱいいました。東津さんいらっしゃ
るのですけど、アナウンスで頑張ってもらえればと思っているのです。大
学に対してということであれば、学際的に活かすというところであって、
5
7
なおかっ自主的に頑張らないと何にもならないよというところを、もっと
宣伝していったら、より良いところになるかなと思っています。以上です。
大黒:ありがとうございます。渡さん。
渡:情コミって、何でもできるというのが、ジェネラリストというか、オー
ルマイティにいろいろできる人を輩出するのが、 1つ大きな利点だと思う
のですけど、その反面、オールマイティにいろいろ苦手な人間も生まれや
すいというのが、 1つ大きな問題点だと思うんです。そこを L、かに改善し
ていくか。これは学生諸君の意識の差によって、だいぶ差が開いてしまう
部分なので、その辺のアナウンスをぜひ東揮さんにお願いしたいという感
じです。
大黒:ありがとうございます。西深揮さん、後で振るからね。
個人的な考えですけれども、皆さんの意見を聞いていて、非常にありが
たいというか、我が意を得たりというか、僕が少なくとも情報コミュニケー
ション学部に対して抱いている理念というか、イメージというのが、きちっ
と伝わっているというのを確認できて、非常に感動しています。わかって
くれていたみたいな、そういうことをいま切に感じております。
次の質問にまいります。今度は、皆さん方個人についての質問をしたい
のですけど、短く言うと抱負。君らはまだ、はっきり言ってペいペいだと
0代ですよね。まだまだ社会的にはひょっこなわけです。
思うんです。まだ 2
これから野心も野望もあると思うんです。これからどういうふうなことを
やっていきた L、かということを、ぜひお聞きしたいと思います。 j
賓野君か
ら、よろしくお願いします。
漬野:個人的で申しわけないですけど、僕はテレビ番組をつくる部署にい
るので、うちの会社のシステムで行くと、番組を提案して立ち上げた人が、
わかりやすく言うと会社の社長みたいなもので、その下につくディレク
ターというのが一般社員、その会社の部下というか、パシリみたいになる
んです。ばりばりまだノ fシリなので、早めに自分の番組を立ち上げて、パ
シリを下に持てるようになりたいというか、そういうふうにしていきたい
5
8
と思っています。
大黒:将来的につくってみたい番組とかあるの?
漬野:いまコント番組にいるので、そっちの方向でやりたいと思っていま
すし、あとラジオが好きなので、ラジオをちょっとやりたいなとも思って
いますが、前者のほうですね。
大黒:コント番組ね。頑張ってください。次、東津君。明治大学の中で、
なかなか言いにくいよね。
東津:私がいまやりたいと思っていることは、大学の国際化を推進する部
署なので、国際化を通して、明治大学イコール国際的な大学というイメー
ジに変えたいと思っています。高校生とか受験生、一般の方ですね。私が
明治大学へ通い始めた頃は、まだまだ蛮カラ大学みたいなイメージがあっ
たんです。外部の機関、リクルートさんとかによる、いわゆる格付けみた
いなものがあって、最近ですと、校風や雰囲気がいいとか、おしゃれな大
学とか、これまで明治大学になかったようなイメージが付き始めていて、
ただ「国際的なセンスが身につく大学」というのはランク外になっていま
す。必ずしも大学経営に、外部機関による格付けは重要ではないと思うの
ですけれども、一般的なイメージという意味では、いいに越したことはな
い。明治大学は今年度、宣伝にもなりますけれども、文科省の「スーパー
グローパノレ大学創成支援」に採択されて、より一層国際化を推進しなさい
と。たぶん私がヒーヒ一言い始めるのだと思うのですが、それによって明
治大学のイメージを変えて、プレゼンスを高めていきたいと思っています。
大黒:なかなかいい回答ですね。次は、山本君。
山本:そもそも自分が新聞記者を目指した 1つのきっかけとして、昔、旧
石器担造事件というのがありまして、ある考古学者が遺跡を掘ると必ずす
ごい遺跡、が出てくる。ゴッドハンドと呼ばれたんですけれども、実はこの
事件、うちの毎日新聞のスクープで、埋めているところを写真で撮ってス
5
9
クープで世に放ったんです。そもそもの始まりとして、ある記者が「こ
れって、おかしいよね」という問題意識を持って取材を進めていった結果、
やはりおかしいと。彼の行動パターンを確認して、いっ埋めにくるという
ところまで把握して狙って、 1回失敗するんですけれども、失敗しでもま
た埋めに来るところを押さえまして、スクープになりました。これで教科
書が書き換わって、事実だと思われたことが、実は違ったという事件なん
ですけれども、たぶん世の中にはこういったことがまだほかにもいろいろ
あると思いますので、こういったことに携われるような記者になりたいと
思っております。
大黒:特定秘密保護法案とかができて、スクープを出すのがなかなか難し
いご時世になっていますが、報道って、スクープというか、スキャンダル
が命だと思っているので、ぜひスキャンダラスな報道を期待しています。
次、池内さん。
池内:抱負としては、いま私自身が、自分が高校時代に習ってきたような
授業を生徒にしているのですけれども、先ほどもお話ししたように ICT
教育。いま電子黒板とかいろんな電子機器が導入されていたり、
2
0
2
0年
には東京オリンピックもあり、センター試験も形が変わろうとしていると
ころで、いまここで私も変わるときだなと痛感しています。なので、これ
から先は、まず ICT教育を、また情コミの経験がここはすごく活きると
ころだと思うので、プレゼンテーションの仕方や、パワーポイントを使つ
ての効果的な授業をやり、
2
0
2
0年にはオリンピックでいろんな国の方が
来たときに、へたな英語でもいいのでコミュニケーションをとろうとする
子が増えるような授業をやりたいと思っております。
大黒:どうもありがとうございます。次、石田君。
石田:抱負は、社会現象を起こすようなコンテンツを生み出すことです。
2つ個人的にはあって、 1つは、 5
0代とか、 6
0代になっても、不真面目
な人間だなと恩われるようになっていたいということがあります。会社で
打ち合わせをしていると、真面目な、頭の良さそうなことを言っていると、
6
0
往年のゲームクリエイターの方々に、「何、君まじめなこと言ってるの」
と怒られるんです。ちゃんと不真面目なことをしっかりと楽しさに変えて
いくとか、そういうことを、 5
0
、6
0になってもできる人間になっていた
いなと思っています。
もう 1つは、自由になりたいなということがあります。 1• 2年のときの
ゼミの小田先生がおっしゃっていたのですけど、自由を手に入れるために
は力が必要です。「あしたから君、会社に来なくていいよ」と言われでも、「別
に大丈夫です」と言えるぐらいの能力を持つてないと生きていけないので
はないかというので、個人的に、その 2つを意識して生きていきたいと思っ
ています。
大黒:ありがとうございます。次は窪田君。
窪田:堅い回答で申しわけないのですけど、仕事柄の話をさせていただき
ますと、先ほど申しましたけど、キャリアとノンキャリアとありまして、
私はノンキャリアのほうなので、企画立案だとかそういうところにはなか
なか携わり難いんです。部暑の都合上どうしてもしょうがないところがあ
るのです。そこに意固地になっているところもあるのですけれども、私は
学際的なものを活かしまして、スーパーの事務さんになってやろうと。誰
にも負けない事務になってやろうと思っています。よく同期に言うと、そ
んなの誰でもなれるよ。パカじゃないのと笑われますが、私はそれを一貫
して貫こうと思っています。
もう lつ私的なことですが、中村先生の隣に同期の妻と子どもがおりま
して、良きパパになろうと頑張っております。以上です。
大黒:オーッ、おめでとうございます。(拍手)
ありがとうございます。渡君。
渡:結婚、いいですね(笑)。僕は、ライトノベルとか、アニメとか、そういっ
たエンターテインメント業界に身を置いておりますが、この業界はこの業
界でいろいろしがらみがたくさんございまして、そうしたしがらみを取っ
払っていけるような、自分自身で全部できるような状態になりた ~'o エン
6
1
ターテインメント界のジェネラリストになっていきたい。ゆりかご、から墓
場までコンテンツを持っていくような存在になれればと思っております。
大黒:ありがとうございます。ちょっと出番がなかった西深揮さんにこの
辺で登場していただきたいのですが、いままでいろんな先輩の意見が出た
わけですが、在校生を代表して何か質問があったら、西深津さんのほうか
らお願いします。
西深津:話を聞いていて思ったのですけど、先ほどから皆さん、情コミは
すごく幅広い学問なので、自分から動けばいろんなことが学べるとおっ
しゃっていたと思うのです。いま私は学生なので、いまを必死に生きてい
るのですけど、卒業したいまだからこそ、大学のときにあれをやっておけ
ばよかったなと思っていることを教えていただきたいと思います。あと、
いまも言ったとおり情コミって幅広い学問なので就職先もバラバラで、私
の友だちも内定したところが、メディア系だったり、銀行だったりさまざ
まです。いまから何年後かにみんなと会うのがすごく楽しみだと思うので
すけど、学問がどうということではなくて、大学でこんな友だちと出会っ
てよかったとか、こんな人がいて面白かったとか、こういう人に出会えた
から学校が楽しかったとか、そういうのがあれば教えていただきたいと思
います。
大黒川市、質問だと思います。整理すると、 1っ目は、やり残したこと O
情コミにいる聞にやっておけばよかったなと思うこと。なければ、そんな
ものないと答えていただいていいです。 2番目は、出会いですね。これは
人でなくてもいいと思います。僕も、大学での出会いって重要だと思って
いるんです。大学で何も出会わずに出ていく人は不幸だと思ったりもする
ので、大学のときに、君らが思う一番の出会いって何との出会いだったか。
そういう質問だろうと思います。漬野君。
漬野:やっておけばよかったのは、月並みの答えですけど、遊べばよかっ
たなということです。結構出席をとる授業が多かったなと思います。大学
にはちゃんと来ていたので、長い時間を使わないとできないことってある
6
2
じゃないですか。社会人になって、ベタだと海外旅行とかですけど、そう
いうのは大学生のときにやればよかったなと思ってます。
大黒:出会いは。
漬野:きのう情コミの友だちと飲んでいたので、そういう友だちかな。あ
とは、ちょうどいま席を立たれたのであれですけど、森達也さんにすごい
大学時代はまっていて、本人がいないから言えるのですけど、恥ずかしく
て言えなかったんですけど、それでメディアに関心を持ったんです。夏休
みに、その当時は授業があって、メディアリテラシーみたいな授業で初め
関心を持ち、それを紹介してくれたのが大黒先生だと思うのですけど、ま
だまだそういういろんなものがあるかもしれないから、その中で、あっ俺
これ好きだなというのが見つかったので、それはすごいラッキーだなと
思っています。
大黒:ありがとうございます。東津君。
東運:やり残したことは、飲み会をもっとやっておけばよかったなと思っ
てます。私、学生のときにバイクが好きで、いろんな改造をしたり、バイ
クにお金を投資していたんです。そのお金があったら、もうちょっと友だ
ちと飲みに行っていろんな話をしておけばよかったなと思うことがありま
す
。
その一方、出会いについては、ハウス先生のゼミだったんですが、ゼミ
以外でもいろんなことをやっている友だちがいて、例を挙げると、マレー
シアで日本語の先生をやっていて、最近日本に帰国した子がいたり、名古
屋の中部空港で航空管制官をやっている子がいたり、進路もすごいバラバ
ラで、いろんな視点を持っている子たちから、いまだに大学の話とかをし
合うし、いまの仕事の話もお互いにできる範囲でし合って、意見を言い合
うことが、年に 1回
、 2回になってしまっていますけど、できているとい
うのは、すごいいい出会いだと思っています。
大黒:ありがとうございます。山本君。
6
3
山本:仕事をしていてやり残したことあったなと感じたことが何回かあり
ます。それは政治を担当しているときですけれども、政治家の皆さんとお
酒を飲んでいると、歴史の話をするんですよ。皆さん、日本史とか歴史上
の人物が好きで、歴史上の人物について熱く語るのですけれども、明治大
学は政治経済で受験したので、日本史を勉強していなかったので、歴史を
もっと矢口っておけばよかったなということがありました。
出会いに関しては、皆さんそれぞれいい出会いだったので、優劣つけが
たいのですけれども、質問とズレますけれども、明治大学の卒業生という
だけで、
OBの方と会うと意気投合して、「じゃ、この時間にこの部屋に
来いよ。こっそり教えてやるから」というようなことが何回かあって、「明
治」というだけで理解が生まれて仲良くなれやすいという、そういったこ
とカまありました。
大黒:ありがとうございます。池内さん。
池内:やればよかったと思っていることは、皆さん飲み会とかもあったの
ですけど、ちょっと優等生になってしまうのですが、もっと勉強しておけ
ばよかったと思いました。全部頑張るのではなくて、いろいろ幅広く勉強
したものの、自分が熱く語れるものが 1つもないことに気がついて、それ
からは、ちょっと気になったら調べるようにはしたのですが、大学時代は、
特に調べたりもせず、ただその場にいるだけで何も考えていなくて、もっ
たいなかったなと、いまになって思います。しかし、そういう経験がある
からこそ、卒業したら勉強頑張るのかなと思うので、遊ぷのも大事なのか
なと思います。
出会いというのは、山本さんと一緒で、いろんなところに顔を出して「ど
こだい ?
Jと聞かれて、「明治です」と言うと、 1秒で仲良くなったりします。
私は平塚に住んでいるので、毎年駅伝を見に行くと、旗を持っているだけ
で、旗を持っている人が仲間なんですよね。声をかけてもらうと、すごい
いろんなところに出会いつであるんだなと O 卒業しても「明治」というだ
けで、いろんな出会いがつながっていくなというのは感じています。
また、高校とかと違って、週に 1回しか授業がないと思うので、皆さんど
のようなお友だちといるかわからないのですけど、私は 1人で行動するこ
6
4
とが多かったので、それぞれのクラスに、授業に友だちがいるという形で
した。いまも友人が来てくれているのですけど、そういえばどこで知り合っ
たのかなとか、何曜日の何時間目の授業でこの子と友だちになったんだな
とか、どこに出会いがあるかわからないので、皆さんには、全ての時間、
周りにいる人、たまたま偶然、横に座った人が友だちになったり、親友になっ
たりすると思うので、そういう出会いを大切にしてほしいなと思います。
大黒:ありがとうございます。石田君。
石田:やり残したことは、僕は大学の友だちが少なかったので、もう少し
大学の友だちを増やせばよかったなというのは本当に思っています。いろ
んなところをプラプラしていたので、ほかの友だちは多いのですけど、学
部の友だちとか、ほかの学部の友だちが非常に少ないので、そこが多かっ
たら、いまもう少しハッピーになれていたかなというのは、よく思います。
出会いですが、きょう初めて模範解答します。ゼミの小田先生とか、大
黒先生に会って、そこで教えてもらったというのは、すごくいい出会いだっ
たなというのは一番思います。いまでも、こういう機会があれば「石田、
何か話せ」みたいな形で呼んでくださいますし、何かあれば、「ちょっと
アイディアくれ」みたいな形で重宝してもらえるのは、すごくいいなと思っ
ていて、今後もぜひぜひ都合よく使っていただければと思っていますので、
引き続きよろしくお願いします。
大黒:窪田君。
窪田:やり残したことですけれども、私、職業柄もありますし、見た目か
らもだと思うのですが、勉強ばかりなんですね。ただ情コミだけの勉強を
していたかというと、そうでもなくて、公務員試験の勉強をしていたり、
勉強はしていたんです。そこで足りなかったものというと、飲み会もあま
り行かないですし、友だちも私は大学の友だちは非常に少なかったです。
学内で学生さんが話しているのを見ると、何か羨ましいなと、いまさらな
がら思ってしまう状況でした。友だちづくりは、そこで情報交換もできま
すし、 1人より当然複数のほうが、勉強も遊びもはかどりますので、そこ
6
5
は大学生でも忘れないでほしいなと、わかっていると思いますが、思いま
す
。
出会いですけれども、ありきたりですが、ゼミの仲間ですね。私は中村
先生のゼミにいまして、中村先生が授業に最初に来られて、「お一、やっ
とるか。あとよろしくな」とおっしゃっていただいて、あとは我々に任せ
ていただいて、自由に研究させていただいたところがあります(笑)。自
由にやらせていただいているところで、ゼミの皆さんとずっと話をして、
ああでもない、こうでもないと、言い争いもしょっちゅうしていましたし、
そこで、家族とまではいかないかもしれないですけれども、いいつながり
ができて、いまも続いているのは財産です。ゼミは、ちゃんと先生にご指
導いただいていました。
大黒:ちゃんとフォローも忘れない(笑)。渡君。
渡:やり残したことは、おそらく人付き合 L、かなというところが、一番大
きなところでございます。 2年はゼミを取ってなくて、 3・4年生は黒川
ゼミに一応入りましたが、最初の数回で行かないという状態になっていま
して、ゼミの仲間というのは存在しないです。なので、ああでもない、こ
うでもないみたいなことを言った記憶もございませんし、もしそこで濃い
人付き合いをしていれば、俺もいまごろ結婚していたのかなみたいなこと
を考えてしまうと、濃い人付き合いって大事だなということを思います。
出会いですが、出会いがなかったのであれなんですけど、一番ビックリ
した出会いというのが、卒業した後に仕事で任天堂さんに行ったときに、
たまたまそこで 3・4年のゼミで一緒だった人聞を発見してしまい、自分
でも打ちひしがれるというような、卒業してから不意打ちの出会いという
のがあるので、皆さん気をつけていただきたいと思います。
大黒:僕もスタパで、「先生っ」とか売っている居員によく言われるので、
そういう不意打ちの出会いというのは、僕もしょっちゅう経験します。
1つだけ気になったんですけれども、この学部は情報コミュニケーショ
ン学部という学部で、学部名からすると、あたかもコミュニケーションを
とらなければならないのだというコミュニケーション圧というか、コミュ
6
6
ニケーションをとらなければというのが強迫観念になるというか、強制さ
れているというふうに感じるかもしれないけど、そんなことは全然ないと
思うんです。
根橋さんがずっとやってくれていた「はじよろカード」というのを最初
にグループワークみたいのでやるでしょ。ああいうのを大半は喜んで、友
だちがいっぱいできると思うんだけど、僕がもし学生だったら絶対参加し
ないですよ(笑)。そういうの苦手なので、僕はたぶん 1人で黙ってそう
いうのを見ているタイプなんです。
僕は、 1人でいることもコミュニケーションだと思うので、情報コミュ
ニケーション学部というのは、孤独であることも許容されるという、そう
いう空間でありたいなというふうに、個人的には思っているんです。情報
コミュニケーション学部だから、一緒にとにかくコミュニケーションをと
らなければということではないという気がする。孤独である時間というの
は、ものを考えるときには必要だと思っています。グループワークで思い
つくこともあるけれども、何かを思いつくのは大体 1人でいるときです。
本を読むというのは 1人でないと読めないですし、孤独な時間というか、
あえてコミュニケーションを遮断する時間みたいなものもコミュニケー
ションということの中に、自分とのコミュニケーションという言い方もで
きるかもしれないのだけど、きちっと組み込まないと O 変なコミュニケー
ション圧に悩まされることはないと個人的には思います。
ちょっと余計なことを言ってしまいましたが、きょうの話を聞いていて
非常に頼もしい感じがしています。 1期生、 2期生がこれだけ成長したか、
と非常に感慨深い思いに満たされております。
石田君も言っていたけれども、卒業しでもずっと鮮は続いていくので、
卒業したから「はい、パイパイ」ということではないです。僕が予備校時
代に一番辛かったのは、予備校の教師って、卒業したら「はい、パイパイ」
となって、それが極めてむなしし、。だから予備校教師って長く続けられな
いと思ったんです。大学って、卒業では終わらないというところに、教育
者冥利に尽きるところがあって、卒業してからの成長とか活躍もきちっと
見られて、場合によっては教壇に立ってもらったり、いつでも呼べる。そ
ういう鮮が大学生時代の 4年間でつくられていくということは、僕らに
とっても、君らにとっても、財産かなという気が、個人的にはしています。
6
7
最後になりましたが、在校生ないし教員に対するメッセージをいただけ
ればと思います。漬野君から、よろしくお願いします。
漬野:先生の方にはあれなので、在校生の方にですけれども、個人的な意
見ですよ。明治って、すごくちょうど良くて、 MARCHの中でも絶妙な
ポジショニングじゃないですか。法政って、ちょっとあれだしなとか。青
学とかだと、ちょっと粋がっている感じするし、明治って、社会に出たと
きの印象というのがすごくいいんです。さらに情コミというのが良くて、
会社で何かミスったりしたときに、「おまえ、だから明治なんだよ」みた
いなことを言われて、そこで笑いになったりとかして、さらにそこで「何
学部だよ JI
情コミ」と言うと、「何だよ、それ」と言って笑いになったり
するんです。これ、すごくいいんです。僕は、いま本当にいい意味で言っ
ていて、こんなにいい武器はなくて、すごくいじりやすいんですよね。本
当にダメだったら「ダメ Jと言えないから、「だから明治なんだ」と言え
るという、この絶妙なポジショニングの大学で、さらに学部というのは、
本当に情コミっていい学部だと思うので、在校生の皆さんは、自信を持っ
て社会に出ていただいて、会社に入ってから、明治の人に会うと本当に嬉
しいので、ぜひ仕事やめたりとかしないで頑張って、いつかまたお会いし
ましょう。
大黒:東津君。
東津:在学生の方へのメッセージとしては、きょうは大学の職員というこ
とで、冗談を交えながらも真面目モードで話をしてきています。私、駿河
台キャンパスの某建物の某所におりますので、見かけたときは優しく声を
かけてくださし、。よく学生さんで、 T
w
i
t
t
e
rで¥あの職員感じ悪いとか打
たれる方がいらっしゃるので、その点お手柔らかにお願いします。
私、学部のこういったイベン卜に出るということだったので、おそらく
お手元にあるプログラムでは、 1人マルコメが写っていると思うのですが、
イメージ悪くしちゃいけないと思って、半年前から髪の毛を伸ばして、こ
れに臨みました。なので、意外と人目も気にする弱いところもあるので、
見かけたら気軽に話しかけていただければと思います。
6
8
あと先生方は、きょう私、言いたい放題言ってきたところもあるので、
後日見かけても、捕まえてそれを詰問するようなことはしないでいただき
たいと思いますので、よろしくお願いいたします。
大黒:ありがとうございます。山本君。
山本:漬野君のとかぶってしまうのですけれども、新聞記者になって 1年
目ぐらいのときに、「明治ぐらいが、ちょうどいいな」みたいなことを言
われたことがあります。変にプライドも高くないし、まあまあな奴だみた
いな、そういうことを言われたことがあって、社会に出たときの印象は非
常にいいものだと感じていますので、その辺は自信にしていいと思います。
就職活動とかのことを言うと、倍率が高いと言われる業界であると思う
のですけど、数字に惑わされないで、実際に倍率が高いところを受けても、
本気で受けているのは 2割ぐらいの学生だと思うので、そういった 2割の
学生を勝負として意識して、本質を見て就職活動とかそういったことに挑
んでほしいと思います。
大黒:ありがとうございます。池内さん。
池内:ある授業で先生に言われたのが、授業がある程度終わってから、「い
ままでやったことのまとめを言ってください」と突然ある学生が指されて
答えられなかったことがありました。そのときに先生は、常に何を学んだ
のかということを頭の中にまとめて、必ず最後に質問をしなさいと教わり
ました。大学生のときは、難しいな、質問なんかできないと思っていたの
ですけれども、いま社会人になっていろいろな会議に出たときに、私も必
ず 1つ質問するようにします。そうすることで、話の流れが変わったり、
新しいアイディアが生まれたりすると思うので、いま大学生の皆さんにも、
常に授業に出ながら、もしここで私が指されたら何て聞くかなとか考えな
がら過ごしていくと、大人になったときに、リーダーシッフ。をとって、リー
ダーになって活躍できるのではないかと思います。
また、私は大学に入ったときから教員を目指していたのですが、教育学
部に入れなかったことは、最初すごく落ち込みました。しかし、実際に教
6
9
員になって感じることは、教育学部で教育をしっかり学んできた教員も素
晴らしいのですけれども、プラス・アルファ、私はプレゼンテーションの
指導をしたり、いろいろな違うことができているので、情コミに入ったこ
とがプラス・アルファになることが絶対あると思うので、就職活動をする
ときにも、すごく専門的に学んできた人たちと違う何かプラス・アルファ
のところを、自分で見つけて頑張っていってほしいと思います。
大黒:ありがとうございます。石田君。
石田:きっと生きている上でしがらみとかたくさんあると思うのですけど、
こうしなければいけないみたいな既成概念というか、そういうものをいつ
も疑っているというか、本当にそれでいいのかなみたいなのをちゃんと考
えるのって、たぶん大学のときぐらいなのかなと思う時があるので、そこ
は日々やっていることでもいいので考えていると、社会に出て役に立つこ
とがあると思う。でも、自分の場合、社会に出て 3年ぐらいは、全く大学
でやったことが 1ミリも役に立つてないので、現場に出ると全く役に立た
ないのですけれども、ちょっと離れたときとかに、すごくいろんなことに
響いてくるなというのはあります。いまコンテンツ業界にいるのですけれ
ども、ほかの堅い業種の方とかにコンサルティングみたいのもやったりす
るのですけれども、やっている業界は違えど、深い本質的な部分は一緒だっ
たりとかしていて、日々やっていることの本質的な部分を、風巴に入って
いるときとか、遊んでいるときとかに考えると、これぐらいでいいのかな
みたいな。あとは、勉強もやらなければいけないですけど、真面目に遊ぶ
ことをちゃんとやっておいたほうがいいなと、社会に出て思いました。
大黒:ありがとうございます。窪田君。
窪田:私からは、皆さんと違ったような話になりますけれども、情コミの
勉強を活かすにはどういう考えでいたらいし、かなと、私なり思っていたこ
とがあります。漫然と授業を受けていた時期が長々と続いていました。ま
るでツタのようにいろんな授業を取っていって、結果、自分ができていく
という形なんですけれども、それよりも、自分が何になりたいかではなく
7
0
て、どんな自分でありたいかと 1っ考えておいて、そこに情コミの授業で
枝葉を付けていくようなイメージでいると、先生方の意見とは逆になって
しまいますが、 4年間で一定の何か自分ができてくるのかな、みたいな漠
然とした考えを、いまさらながら思っています。我々卒業してから、情コ
ミはよかったなと、皆さんと話をしているところですが、卒業した瞬間に
そう思えるのは、そういうやり方も 1つなのかなと考えていたところです。
先生方にも 1つ、甘えかと思われるかもしれないのですけれども、先ほ
どの話と同じになりますが、情コミに入って、どういう学部であるか、ど
ういう目的であるかというところが、入る前にわかつてない学生がほとん
どだと思うのです。ここのポイントとして、自分で、授業を受けてつくって
いくのだと、漫然と受けているだけでは何もでき上がらないぞというメッ
セージを出してあげたほうが、卒業したときに何もないという学生が減っ
ていくのではなし、かなと、勝手に思っている次第であります。
大黒:参考になります。渡さん O
渡:在学生の皆さんにということで、こうした場でいろんな方の話を聞い
たりとか、自分で自ら歩いていろんなところに行って話を聞いたりするこ
とって、ここにいらっしゃるようなちゃんとした人たちは、たくさんこれ
からあると思うのです。そこで大事なのは、「はあ、なるほど」と受けと
るのではなくて、こいつ何言ってるんだぐらいに否定的に、俺だったらこ
うするという、そういう反骨精神みたいのを抱いていていただきたいなと
思います。
正直、僕もきょう聞きながら、皆さんさすがだなと思っていたんですけ
れども、家に帰ると、いやあれは違うな、みたいなふうに思うようになる
と思うんです。皆さんも、どんどん上に噛みついていくような姿勢を、そ
ういうファイティングスピリッツを持って大学生活を過ごしていただきた
いと思います。
大黒:ありがとうございました。非常に有意義な 1時間半でございました。
こちらといたしましでも持ち帰って検討させていただきます。
1
0年目ということですが、 2
0年目にももちろんこういうのをやりたい
7
1
と思っています。そのときには、西深揮さんには、こっちではなくて向こ
う側に座っていただきたいと思っています。あと 1
0年たったときには、
おそらく中間管理職、かなりリーダーシップをとる立場になっていると思
いますし、いまここにいる在校生の諸君も、こちら側の立場になるかと思
います。
私どもも、 2
0年目に向けてあるべき情コミの姿にさらに近づけていき
たいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
ちょうど時間となりましたので、以上で終わらせていただきます。どう
もご清聴ありがとうございました。(拍手)
総合司会:これで第 2部「卒業生と現役学生によるパネルディスカッショ
ン」を終わります。皆さま、ありがとうございました。
それでは、最後に本日のシンポジウムの閉会のご挨拶に入ってまいりた
いと思います。ご挨拶は、本学部前学部長の細野はるみより申し上げます。
閉会の挨拶:細野はるみ(情報コミュニケーション学部前学部長)
私、二代目の学部長を務めました細野でございます。
本日は、たくさんの方にお越しいただきまして、どうもありがとうござ
いました。
いま第 l部、第 2部の話をお聞きになりまして、この情報コミュニケー
ション学部の状態がいかに多様であるか。むしろカオスのような姿を実感
されたのではないかと思います。
私どももそれをずっと感じておりまし
た。ところがいまのお話、概して卒業生の皆さんが、そういうふうな雑多
なごった煮のような状態を肯定的に捉えていらっしゃることを感じまして
非常に心強く思った次第です。
この学部発足時というのは 2
0
0
4年ですので、準備期間を含めますと、
ちょうど世紀が変わる、前の 2
0世紀から 2
1世紀に変わるときでした。そ
の意味で、学部のキャッチフレーズの「人と社会が見えてくる」いとう言
葉は、ある意味で気持ちの上では「新しい時代が見えてくる」というふう
な気分で、我々は感じておりました。
その 1つの理由は、第 l部の方でお話もありましたけれども、この学部
の原型になりました女子教育の歴史です。それを学部にするに当たって、
7
2
どういう学部にするかという議論がずっとあったのですが、やはり伝統的
にありました法科と商科、つまり法律と経済に関しては明治大学には伝統
的な 4年制の学部がしっかりありますので、それはできない。その意味で
いろいろ試行錯誤を重ねた上に情報コミュニケーション学部というものが
でき上がったわけです。そのプロセスを考えますと、ある意味で新しい時
代のキーワードが「情報」であり、「コミュニケーション」であったわけ
です。ただ、新しい学部に対してそれなりに説明を受けて入ってきた学生
の皆さん、あるいは新規に入っていらした先生方は、情報コミュニケー
ション学部ということを覚悟でいらしたのだと思いますが、昔の短期大学、
あるいはほかの学部から移籍した教員にとっては、一体情報コミュニケー
ション学部って何なんだと、我々教員自体にそういった気持ちがございま
した。私たち自身、手探りでずっとそれをやってきたようなところがござ
います。学際性、自由さというのは、ここの学部の強みであると同時に、
それを自覚的に捉えないと足をすくわれてしまうというのは、いまの卒業
生の皆さんのお話の中にもありました。私も折に触れて学生にそういうふ
うに話しているわけですけれども、それを肝に銘じて考えいきたいと思い
ます。
私が、初代学部長と現在の学部長の中間の時期に学部長を拝命していま
したのが、 2
0
0
8年から 2
0
1
1年の聞でした。その時期というのは、明治大
学全体が新しい 1つの流れに乗ってきていて、 1つは、グローパル化です。
いまのグローパルのもう 1つ前の「グローパル 3
0
J というプログラムに
乗ったということ。もう lつは、学部の新しい意味での独自性を示してい
くという形で、その中ではグローパル化と同時に、明治大学全体が上昇の
路線に乗っていた。つまり、志願者が日本一であるという数字が毎年更新
されたりするようなことがございまして、明治大学全体が上り坂傾向の時
期でありました。
私がお預かりした時期には、伝統的な学部、古い学部の半分ぐらいの規
模の新参学部であるいうことで、どうしてこの学部の独自性を示していく
のかというのが 1つの課題になりました。その意味で、ちょうど大学の路
線に合わせてグローパル化ということで、学部でも小さい規模ながら国際
交流を進めていこうという意味で、幾つかの大学との交流事業を始めたり、
もう 1つは、先ほどの横溝先生のお話にもあちましたように、ジェンダー
7
3
センターというものを立ち上げまして、そこでの活動を始めたわけです。
ジェンダーセンターに関しましては、お手元に季刊『明治』というのが
ございましたら、そちらのほうにまとめておきましたので、ご覧いただけ
ればと思うのですが、このジェンダーセンターの活動というのは、単に歴
史が女子部だからということではなくて、やる活動そのものが情報コミュ
ニケーション学部の学際的な、そしてまた問題を開いていくということに
合致した活動だと思っております。現在、私は、そのジェンダーセンター
を預かっているわけですけれども、そこの中でいろいろと他大学あるいは
外国の方々との交流をするに当たりまして、明治大学では、私がたまたま
最初の女性の学部長になったわけですけれども、そういうことを言います
と、非常にピックリされまして、ある意味同情されるというふうな雰囲気
になることもございます。でも、先ほどありましたように、いま「女性」
に注目が集まっているわけですけれども、この学部は、その意味でも少し
先を行っているのかなと自負しているところでございます。
それから、私が預かつておりました期間でどうしても 1つ忘れられない
のが、 2
0
1
1年の東日本大震災のときでした。そのとき卒業式も入学式も
なかったというので、そのときの卒業生の皆さんには、武道館でのいつも
の式がなかったものですから、情報コミュニケーション学部の学部長室か
らインターネットを通じて Web上で情コミ卒業イベントというのをやり
ました。これも非常に我々学部らしい試みだったなと思い出しております。
新しい時代というのは、大学自体の流れも変わってきまして、我々情報
コミュニケーション学部を皮切りに、これで 3つ小さい規模の学部ができ
てきまして、その意味で大学のあり方も伝統的な大きな学部から、小回り
のきく新しいテーマに沿った学部が出てくる時代になったのかなという気
がいたします。
0周年の 2
0
1
4年とい
また、全体的な流れから言いましでも、ちょうど 1
うのは、皆さまご存じのとおり第一次世界大戦から 1
0
0年という時期にな
ります。 2
0世紀というのも 1つ前の時代として少し距離をもって見るこ
とができるような時期になったわけですけれども、ある意味で、そういう
ふうな新しい時代に向けて、 2
0世紀というのが大きな規模で無理矢理秩
序を構想して構築していくような、そういうふうなあり方であったとした
ら、地震なども 1つのきっかけかもしれませんけれども、人間と文明のあ
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り方とか、我々にとって自然とか環境ってどういうものかということを再
認識させられるような機会だったと思います。
そういうふうなことが我々の 1
0年の歴史の中で非常に短いながらあっ
たわけです。それを踏まえて、これから先、情コミがなくならないでほし
いという声もありましたけれども、なくならないではなくて、できれば 1
つ前の時代の硬直した大きな分け方で人間を見るのではなくて、多様な、
そして自由な存在のあり方を認めていけるような、ジェンダ
もその 1つ
のテーマですけれども、それだけではなくて多様なあり方を認めていける
ような、そして創造力を培っていけるような、それにふさわしい知のあり
方というのを、この学部で求めていけたらなと思っております。
これからは、そういった意味で不毛な対立ではなくて、新しい歩みでこ
の情報コミュニケーション学部の、規模は小さいのですけれども、これに
乗っかつて、この先 1
0年、またもう 1
0年と積み重ねていけたらなという
ふうに、つくづく思います。
これから先の情報コミュニケーション学部に私も期待したいですし、皆
さま方もどうぞ期待とご支援をいただきたいと思います。
本日は、どうもありがとうございました。(拍手)
総合司会:ありがとうございました。
それでは、これをもちまして、情報コミュニケーション学部創設 1
0周
年記念シンポジウム『情報コミュニケーション学部の原点と現点,そして
これから』を閉会いたします。
長時間にわたりましたが、皆さまご清聴いただきまして、誠にありがと
うございました。以上をもちまして、本シンポジウムを終わります。
なお、 5時 3
0分より、こちらの建物の 2階ビクトリーフロア「暁の鐘」
にて、ご来賓の方、卒業生の方を対象とした情報コミュニケーション学部
創設 1
0周年記念懇親会を行います。ご来賓の皆さまや、情報コミュニケー
ション学部ご卒業生の皆さまにおかれましては、ぜひ懇親会のほうにも
奮ってご参加いただければと思います。
本日は、お忙しいなか本シンポジウムにご参加いただき、誠にありがと
うございました。これをもって、こちらはお聞きとさせていただきます。(拍
手)
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あとがき
本誌にお目通しいただいた皆様のご感想はいかがだったでしょうか。
本誌の刊行の目的は、冒頭の中村教授(本学部創設 10周年記念行事実
行委員長)の発刊の辞にもありますとおり、まず何よりも、情報コミュニ
ケーション学部の創設およびその後の基礎固めに努力し心をくだいてきた
我々教職員として、学部創設以来の「来し方」を振り返り検証し、かっこ
れからの「行く末」に向けての課題を見出すために企画した、「記念シン
ポジューム」を記録にとどめることにあります。
と同時に、「記念シンポジューム」は、現役の情コミ生に、自らが選択
しその日々のキャンパスライフの核である本学部について、ここで学ぶ意
義や、これから先引き継いでゆくべき伝統をしっかり把握することも重要
な趣旨であり、当日出席できなかった諸君も含めて、本誌を熟読し、「明
治大学情報コミュニケーション学部生」としての自覚と誇りを再確認して
ほしいという思いも強くあります。
幸い、当日参加の学生諸君から、「第一部で学部の成り立ちゃ社会での
役割を理解できた J1
第二部の先輩方のお話に接して、この学部の良さが
あらためて良く解った」との声が多く寄せられています。
時代に先駆けての、女子の高等専門教育の重要性や、マスネディアの社
会的役割の重要性への着目から出発した“源流" (明治大学女子専門部・
新聞研究科)に連なる本学部は、現代社会の特質である「高度情報化状況」
に正面から取り組むべく誕生しました。超高速・超大規模のネットワーク
の拡充により、かつて人類が経験したこともないような“情報"に起因す
る困難な問題群の拡大に立ち向かうという、敢えて困難で壮大な課題をめ
ざすが故に、数々の難問が立ちはだかりますが、「第二部」に登壇した一
期生や二期生が明確に指摘してくれた、既存の枠組みにとらわれない“柔
軟性"および“多様性¥そしてそれをパネに個々の学生が成長をめざす“自
主性¥という「情コミらしさ」がある限り、この学部はさらに成長・発
展できると思われます。
そのことを常に確認するためにも、学部創設十周年の振り返りのよすが
として、本誌が刊行されたことを、心より喜びたいと思います。
学部創設 1
0周年記念事業実行委員会
副委員長古屋野素材
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