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いばらき難連 - 茨城県難病団体連絡協議会

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いばらき難連 - 茨城県難病団体連絡協議会
―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
SSKP
いばらき難連
No.64
茨城県難病団体連絡協議会
第 5 回難病フェスタ開催!
難病フェスタの一こま(上:吉野先生の講演、下:講師を囲んで茨難連役員と)
◎ この 会報 は 、 赤 い 羽根共同募金 の 配分 を 受 けて 作成 しました 。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
第 5 回難病フェスタ盛大に開催される!
平成 22 年 11 月 14 日(日)、総勢 100 名を超える方々が参加のもと、第5回難病フェスタを開催しま
した。
講演あり、患者会発表あり、医療相談コーナーあり、と充実した内容だったと思います。
吉野先生の講演では笑いがとても良いことを教えていただきました。怒りや悲しみ、悩みの数に比べ
て、笑う機会は本当に少ないように思います。考え方で、笑顔に繋がる物事もあるように思います。心が
けて笑って過ごしたいものです。
患者会発表については「良かった」の声が沢山寄せられています。ダウン症協会(3 ページに紹介)、膠
原病友の会、遷延性意識障害患者・家族の会の3団体が行いました。患者が生の声で訴えることにより、
難病を多くの方々に理解していただく良い機会になった事と思われます。
医療相談コーナーに付いては今回が始めての企画でした。相談された方から後日、「親身に相談にのっ
て下さりありがとうございました。」とお礼の便りが届いたことを報告します。
難病フェスタに参加して
平成 22 年 11 月 14 日、第5回難病フェスタが茨城県総合福
祉会館で開催されました。前年はインフルエンザの影響を受け
て中止となり、二年ぶりの開催となりました。
このフェスタは、難病ってDo you know?をキャ
ッチフレーズに、難病を多くの方々に理解してもらうことを目
的に開催しています。今年は「ストレス解消とファィティング
スピリッツ」と題して、吉野記念クリニック院長吉野槇一先生
の講演と、患者会発表、展示や医療相談をはじめとする各種相
談の他、アトラクションではハーモニカの演奏が行われました。
私は医療相談コーナーを担当、水戸赤十字病院第2内科部長の坂内道宏先生をお迎えして、13:30~15:
00 まで相談に対応していただきました。既に診断名がつき、治療はしているが、薬効は?ADLは?予後
は?相談者の不安材料はいっぱい。それに対して坂内先生から具体的なアドバイスがあり、そばで聞いて
いる私も納得してしまいました。又、疾患について詳しく知りたいという相談や、まだ診断もついていな
い、医療機関も定まらない方もいて、ご家族の不安を受け止め相談に応じるなど、時間も充分かけて対応
していただきました。相談終了後、メイン会場のコミュニティホールでは、フラット・ハーモニカ・サー
クルによるアトラクションのハーモニカ演奏が始まってい
て、
「小さな世界」
「月の砂漠」等誰でも知っている曲を演奏
していました。配られた歌詞カードを見ながら参加者も歌声
で参加し、私も久しぶりに声を出して楽しく歌うことが出来
ました。
役割分担の都合上、講演や患者会発表に参加できなかった
のは残念でしたが、いろいろハンディのある仲間が力を出し
合って、このようなイベントを行うことの素晴らしさを改め
て感じました。次回は是非あなたも参加してみませんか?
記録:浅野幸子
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
患者会発表の中からダウン症協会の渡辺さんの発表を掲載します。
難病フェスタ患者会発表
茨城県ダウン症協会
渡辺千代子
ダウン症協会渡辺千代子と申します。難病連役員のみなさまには、大変お世話になっております。
実は、本日のこの発表で、何をお話しすれば良いのかと、大変悩みました。私は、難病連に所属して
いながら、難病患者自身でも家族でもありません。ダウン症という染色体異常による知的障害のある子
どもの親という立場を、どのようにお話しすれば理解していただけるのか、迷いました。結局私は、息
子の現在の様子、生まれた頃の親としての心情、ダウン症協会や日立の親の会の事などをお話しさせて
いただくことに致しました。
私は、北海道千歳市の出身ですが、日立市に住んで
40 年以上になります。ダウン症の息子は 39 歳です。日
立養護学校高等部を卒業してすぐ、日立市民運動公園
のお掃除の仕事に通って 21 年目になります。
長く勤めていると言うことで、今年、日立市と茨城県の手を
つなぐ育成会会長表彰をいただきました。息子は、言葉も
はっきり話せませんし、数字にも弱いのですが、明るい性格
で、周りの人たちを笑わせたりして、みなさんに可愛がって
いただいています。とてもありがたく思っています。
暑い日も寒い日も、仕事に行きたくないと言った事は無く、
一人でバス通勤し頑張っている息子には、親ながら感心し、
いつもエールを送っています。
また息子は、丁度二年前から、仲間4人と一緒にグループホームでの生活を始めました。甘えっ子で
したので、親離れ出来るとは思えませんでしたが、すんなりと親離れしてくれました。逆に子離れ出来
ない私が、半年以上、食欲がなく、眠れないという初めての体験をしました。
障害や病気の子どもを持つ親にとって、親が亡くなった後のことが何より心配です。障害のある子ど
も達が、人里離れた大きな施設で一生生活を送った時代が長く続きましたが、現在は、生まれ育った地
域の中で、少人数の家庭的なグループホームやケアホームで暮らそうという流れに変わっています。
日立市手をつなぐ親の会のなかで、私は 15 年くらい前からグループホームの設置に関わってきました。
当時、団地の中に一軒の空き家があり、グループホームとして使ってくださいと言われましたが、隣近
所の方々の大反対にあって、断念したことがありました。障害者は、自分たちの近くでなく、遠いとこ
ろで暮らしてほしい、というものでした。悲しい気持ちと激しい憤りを覚えたものでした。その後、別
の場所に女性、男性それぞれ5名のグループホームを設置し、2年前に3カ所目のグループホームを設
置して息子が仲間と一緒に入居出来たのです。
昨日からグループホームの仲間達は、寮長さんや支援員さんたちと、新潟・北陸方面へ旅行中です。
にぎやかに楽しんでいることでしょう。
さて、息子が生まれた約 40 年前は、障害のある人達への世間の理解、情報なども乏しく、「ダウン症
です」と告知された時のショックは大変大きいものでした。
私は、北海道で保育士をしていましたので、ダウン症などの障害の有る子どもの事は、知っていまし
たし、実習などで出会ったこともありましたが、自分に障害の有る子どもが生まれるなどと言うことは、
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
夢にも考えませんでした。何かの間違いではないかと思ったり、私の今までの人生はここで終わってし
まうのでは・・・などと考えたものでした。当時、ダウン症の子達は、長く生きられないと言われてい
ました。いくつになったら歩けるのか、親の顔が分かるのか、一人でご飯を食べられるように成長する
のか・・・などなど、心配なことばかりでした。
今のように、ダウン症の子たちが、輝く笑顔でダンスなどをして、テレビに映る時代とは大きな違い
がありました。
そのような気持ちからどのように抜け出せたか・・・・。
一番大きな力になったのは、同じ仲間とのつながりだったと思い
ます。療育センターなどに通うなかで、専門の先生方のお話はと
ても参考になりましたが、同じダウン症の子どもを持つ先輩のお
母さん達たちの、明るく前向きな様子を見て、どうすればあのよ
うに出来るのかと、不思議にさえ思えたものでした。
「自分一人では無い」と知ったことは、大きな勇気になりました。
更に、センターの職員の方々や福祉関係のいろいろな分野の人た
ちとの勉強会に誘われて、自分の子どもにだけ目を向けていては
いけないことに気が付きました。その事は、その後の活動の原点
になっているような気がします。
息子が3歳の時に、日立市にダウン症の親の会を作りました。
毎月例会を開き、悩みを話し合い、情報交換をしました。実は来
月 12 月 23 日に、この日立の会の 35 周年のお祝い会を開くために準備を進めているところです。
会を長く続けてくる途中、何度か「もうやめたい・・・」と思ったこともありましたが、先輩の話を聞
いて立ち直ったあの頃を思い出しながら、続けて来ることが出来ました。
茨城県ダウン症協会を設立したのは 1992 年です。当時水戸、つくば、日立だけだった地区の親の会は、
現在は県西地区、ひたちなか地区、高萩・北茨城地区、大子地区などが増えて、その地区ごとの特色有る
活動をしています。
「生まれたばかりの子が、ダウン症と宣告されました。仲間とのつながりを持ちたいのですが」などと
の、メールでの相談が、事務局長と私に届くことも時々有ります。了解を得て、仲間を紹介してあげま
すが、親の会だから出来る大事な活動かと思っています。
ところで、私は、何年か前に順番が回ってきて、難病連の会長を3年間務めさせていただいたことが
ありましたが、その時に「病人の気持ちは健康人には分からないでしょう・・・」と言われたことがあり
ました。その時は、私が会長で良いのだろうか「会長は難病患者ご自身がするべきでは・・・」と悩みま
した。しかし、冷静になって考えますと、例えば同じ病気であっても、病状や家族構成など、それぞれ
違います。
今日は、時間の関係などでお話しできませんでしたが、私には、5歳の娘を心臓病で亡くしたという、
つらい体験もあります。他人の痛みを完全に理解することは、とても難しいことでしょう。それぞれに、
痛みや悩みは違いますが、仲間として、少しでもお互いを理解しようと努めることが、一番大事ではな
いかと、あらためて思っています。
ダウン症の息子がいたから多くの良き仲間に出会え、支援してくださる方々にも恵まれ、幸せな人生
だと今では思っています。ご静聴ありがとうございました。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
「第 11 回 県との懇談会」開催!
22 年 12 月 20 日(月) 13 時 30 分~15 時 50 分、県庁の共用会議室に於いて「第 11 回 県との懇談会」
が開催され、県からは 33 名が、茨難連側からは 36 名が出席しました。
茨城難病連全体の要望と各団体別の要望を前もって
提出していましたが、各団体の共通要望が 6 件、各団体
毎の要望が 18 件あり、要望毎に県の担当課より回答が
ありました。懇談会の中では多発性硬化症の会からの
「制度の狭間にいる患者に支援を」との要望に、他団体
から福祉制度についてのヒントなども出されました。こ
のような機会を活用しながら知恵を出し合い要求の実
現に結び付けたいものです。寒いなかで、暮れの忙しい
時期であったにも関わらず、参加して下さった皆さん、有り難うございました。
福祉部会 23 年度活動について
難病見舞金制度実施について県内市町村 44 カ所を訪問し今年で 13 年になります。
現在、県内 44 市町村の内、1町の大子町のみが実施に至ってない現状です。町内の対象者は 100 名程
度と聞いています。年々財源が厳しくなり心苦しく思いますが、地域の仲間より「まだ実施にならないの
ですか?他地域は出てるのに」と言われるたびに「今年こそはご理解頂けると思いますのでもう少し待っ
て下さい」と答えて3回訪問しております。地域の議員さんにも何度もご同行して頂き交渉して来ました
がなかなか快いご返事を頂けないでいます。今年こそは、県内全市町村での実施となるとよう働きかけ
て参ります。地域の皆様どうかご期待下さい。
福祉部会
第 1 回ピア相談員研修会開催される!
10 月 9 日(土)
、茨城県総合福祉会館 4 階中研修室において第 1 回目となるピア相談員研修会が行われ
ました。茨難連会長の挨拶の後、
「茨城県がん患者ピアサポーターの活動について」と題して、NPO法
人つくばピンクリボンの会の八木先生、ピンクリボンの会日立の高橋先生よりそれぞれお話をして頂きま
した。その後、NPO法人難病のこども支援全国ネットワークの小林先生より「共感と分かち合いの気持
ちで築くピアサポート活動」と題して講演して頂きました。昼食を挟んで午後からは引き続き、小林先生
の指導で「ピアサポート活動の演習」を行い、知らない人とのやり取りによってすこしづつ親しくなる体
験や、好きな食べ物等と合わせて名前を紹介するゲームにより、多くの方の名前を覚えることが出来まし
た。その後、ピアサポートにどう取り組みたいか、ピアサポート活動に期待することを全員が出し合いま
した。研修会参加者から出された結果を紹介します。
自分がピアサポーターをするとしたら
こんな心構えで取り組みたい
・よく話しを聞く、聞いてもらえる様な雰囲気を持つ、その人の立場に立って聞く、傾聴と共感、同じ気
持ちと同じ立場で聞く、つらい気持ちが分かってあげられる相談
・相手の気持ちが少しでも軽くなるように聞く
・抱え込み過ぎない
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
・ピアの限界を知って対応する
・原点(新米ピアの時の気持ち)に立って
・心が安らぐ様な相談
・何を訴えたいのか言いたいことが直ぐにつかめる様な相談、相手の気持ちをよく受け止める
・明るく穏やかな雰囲気をもつ
・沈黙を怖がらない相談員
・相談者が肩の力を抜いた相談ができる
・相談を受ける側が平穏な気持ちでいられる
・相談が終わったあとで明日への活力が出るような相談
・展望が広がる(希望が持てる)ような相談
・因っている時期に良いタイミングで聞く体制
・相談者と同じ立場で聞く
ピアサポーター活動に期待するこんなこと、あんなこと
・活動したい気持ちのある人が活動できる機会を持つ
・社会的な認知度があがる
・固定した活動の窓口があること、気軽に出たり入ったりができる相談の場があること
・気軽に相談したい時に行ける場所
・相談する勇気が持てない雰囲気を変える、オープンに相談できる人に頼れる世の中
・ピア相談員同士の情報が得られる
・難病相談・支援センター内に立場を持つことができないか
・相談窓口の敷居を低くする、どこに相談したらいいか迷わない、相談員としての人間性を磨く
・相談に出向くこと、電話をすることが難しい人がいることを理解する
・スキルアップの研修会を開く(参加する)
・小児慢性特定疾患にしぼらないで対応する
・いつでも、どんな場所でも相談ができること
・相談の場所があることを知らせる
・大きな病院に相談窓口がある
・ 相談員同士の情報交換とスキルアップ
最後にこども家庭課の岩田係長より配布資料、意見交換会「ピア相談活動について」により、ピア相談
事業の実績と経過報告及びピア相談事業に関する調査結果の紹介がありました。講演頂いた先生方、参加
頂いた相談員の皆さん、お疲れ様でした。
(ホームページ掲載内容)
第1回難病・慢性疾患全国フォーラムの参加報告
すべての患者、障害者、高齢者が安心して暮らせる社会を!
日本難病・疾病団体協議会(JPA)
、(社)日本リウマチ友の会、(NPO)難病のこども支援全国ネットワ
ークの3団体による実行委員会が主催する標記フォーラムが、11 月 28 日(日)午前 11 時~午後 4 時半、
東京・代々木で開催された。幅広い呼びかけと関心の高まりの結果、全国から 109 団体、約 350 名が参加
した。茨難連の関係団体、筋無力症、パーキンソン、膠原病等の団体から 7 名が参加した。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
開会の
開会の挨拶で伊藤たてお実行委員長(JPA
挨拶
代表)は、会場定員を大幅に超える集会となったことに感慨
を語り「多数の団体の賛同を糧にして、社会の力に変えていきたい」
「病気を持っていても生きていける
社会の実現を目指したい」と述べられた。患者・家族、患者団体の思いをこれほど結集できたこと自体が
大きな成果であろうと感じた。
記念講演「
記念講演「我が国の新たな難病対策
たな難病対策への
難病対策への展望
への展望」
展望」では、金澤一郎先生(日本学術会議会長、厚生科学審議
会難病対策委員会委員長)が講演された。日本における難病対策の歴史と現状をたどった後、問題点とし
て、公的資金が対象患者数の増加に追いつかない、指定を受けていない疾患からの不公平感が根強いなど
4点を指摘、特に、医療費助成の性格を持つ治療研究事業は安定な財源を確保するため、医療保険制度と
の関係も検討する必要がある、とされた。更に欧米の難病対策との比較をされた後、新しい治療研究事業
のあり方(私案)として5項目の改善すべき点を提起された。
午後には、患者・
患者・家族の
家族の訴えとして体験発表が7団体
から行われた。次いで、政党
政党シンポジウム
政党シンポジウム「
シンポジウム「各党の
各党の難病
対策・
対策・社会保障政策を
社会保障政策を聞く」が伊藤実行委員長の司会で
進められた。自民党(菅原衆院議員・党副幹事長)、公
明党(衆院議員・党難病対策 PT 座長)
、共産党(田村参
院議員・厚生労働委員)、民主党(玉木衆院議員・党難
病議連 WT 事務局長、終了近くに出席の谷参院議員・党
難病議連 WT 座長)から順次発言。欠席政党からもメッ
セージが紹介された後、司会によりテーマが整理され討
論が続けられた。難病対策は与野党を超えて取り組むべき課題との認識のほか、医療費助成については、
各政党とも医療保険制度から拠出する性格のものであり、その方向で検討するとの共通認識ができてきつ
つあるように感じられた。また、菅原議員から障害者人口 600 万人に対比して難病人口 60 万人の声をも
っと大きくする必要があるとの発言や、昨年度に導入された「難治性疾患患者雇用開発助成金制度」(モ
デル事業)について玉木議員から各地域でより一層の周知と活用の呼びかけがあったこと、などが印象に
残った。
なお、会場隣接のロビーでは患者団体や支援団体がパンフレット、機関誌等による広報活動を行ってい
た。
(全国筋無力症友の会横尾宏記)
腎移植普及推進キャンペーンを展開
茨城県腎臓病患者連絡協議会
今年で通算 30 回目となる「腎移植普及推進キャンペーン」が、9 月 11 日(土)の県北ブロック『ひた
ちよかっぺまつり』での活動を皮切りに、約 2 ヶ月間にわたって県内 6 ブロック・9 箇所において、精力
的に推進されました。どの会場でも恒例のポケットティッシュ・チラシ及び風船などを配布しながら、
「腎移植普及への理解と協力」を呼びかけました。各会場とも盛況で、用意した配布物を早々と配り終え
るところが多かったようです。最終的には県内 9 箇所で患者 130 名、家族 10 名、医療従事者 8 名、計 148
名の参加を得て、本年キャンペーン活動を成功裡に終了することができました。キャンペーン活動推進
にあたり、ご参加・ご協力いただきました皆様に、本欄をお借りして御礼申し上げます。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
結果を以下に取り纏めましたので、詳細は下表の「キャンペーン結果」をご参照ください。また来年度
以降も更に充実した幅広い活動ができるよう、関係者一同鋭意努力してまいりますので、今後ともご協
力・ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
ブロッ
ク
県 北
<腎移植普及推進キャンペーン
腎移植普及推進キャンペーン結果
キャンペーン結果>
結果 >
日時
場所
イベント
ひたちよかっぺまつり
雨情の里港まつり
参加者(人)
配布物※
9 月 11 日(土) 日立市・多賀駅前通り
12:00~17:00
患者
14
家族
1
医療関係者 3
2,000
11 月 7 日(日) 北茨城市大津漁港
9:00~15:30
患者
16
家族
1
医療関係者 1
1,600
中 央 ひたちなか市
11 月 6 日(土) ひたちなか市
産業交流フェア 9:30~15:30
総合運動公園
11 月 7 日(日)
9:30~14:30
患者
9
患者
家族
13
1
鹿 行 鹿嶋まつり
(みんなの広場)
10 月 17 日(日) 鹿嶋市・カシマサッカース 患者
22
9:00~16:00
タジアム
家族
4
医療関係者 4
県南 A
土浦健康祭り
10 月 17 日(日) 土浦市保健センター
9:00~13:30
患者
7
土浦産業祭
10 月 24 日(日) 土浦市・MOOL505
10:00~13:30
患者
9
常総市民文化祭
11 月 3 日(金) 常総市役所
9:00~15:00
11 月 6 日(土) 利根川河川敷
10:00~16:00
11 月 7 日(日)
患者
3
患者
6
患者
10
家族
患者
家族
1
21
2
県南 B
とりで産業まつり
10:00~16:00
県 西 しもつま砂沼
10 月 17 日(日) 下妻市・砂沼サンビーチ
フェスティバル 8:30~15:00
2,400
2,000
500
1,400
500
1,400
2,000
患者
130
家族
10
医療関係者 8
参加者別合計
総合計
148
13,800
※配布物(ポケットティッシュ・チラシ)
・茨城県腎臓病患者連絡協議会選出の
茨城県腎臓病患者連絡協議会選出の 茨難連理事が
茨難連理事が変更となっています
変更となっています。
となっています。 新理事:
新理事:荒川 弘さん
医療講演会と懇談会の報告
全国筋無力症友の会茨城支部
去る 11 月6日(土)、土浦保健所会議室において、小寺実先生(土浦協同病院神経内科部長)による講演
会「重症筋無力症の最新情報」が開催され、患者・家族等 14 名が参加した。また、昼食を共に囲みなが
ら午後にかけて、参加者による懇談会が、小寺先生及び深沢伸子保健師(土浦保健所保健指導課長)さん
を交えて行われた。今回の催しは、茨城県難病相談・支援センター「地域交流事業」の一環として茨城県
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
難病連が主催、友の会茨城支部が共催するもので、茨
城県難病連会長である原茨城支部長から、催しの趣旨
や経緯などについて挨拶があった。
講演会はスライドを使って1時間余り行われた。全
体の印象はタイトルの「重症筋無力症の最新情報」に
相応しく、新しい事項を沢山含む内容だった。最近話
題として取り上げられることの多い抗 MuSK 抗体陽
性の重症筋無力症については、症状の出方、胸腺組織
の変化、世界的な発症分布などの特徴が、抗アセチルコリン受容体抗体陽性の重症筋無力症との比較で解
説された。
また、人口 10 万人当たりの発症率や有病率の国別データ、年齢分布、時代的推移など豊富なデータが示
さ れ 、 自 己 免 疫 の 合 併 症 ( 甲 状 腺 機 能 異 常 、 リ ウ マ チ 、 SLE な ど ) や 禁 忌 薬にも言及された。
治療では、①胸腺手術②ステロイド、ステロイドパルス③免疫抑制剤④抗コリンエステラーゼ剤⑤血液
浄化療法⑥免疫グロブリン大量療法、のそれぞれについ
て説明があり、胸腺腫がある場合は原則胸腺切除である
ことが強調された。更に高齢発症( 60~ 80 才)の胸腺
摘除術の疫学調査 2006 結果が、若年発症( 20~ 40 才)
と対照して示された。
最後に発症の機序(メカニズム)が神経・筋接合部の
免疫学的概念図により総括説明され、将来有望な治療法
が提示された。免疫学的説明は難しく感じた。
なお、説明に使用されたスライド 35 枚の図表原稿を先生からご提供いただいたので、コピーを希望さ
れる方は支部長までご連絡ください。
懇談会は浅野さんの司会のもと、昼食を摂りながら自己紹介で開始され、途中には、深沢保健指導課長
さんから特定疾患手続きなど受給者向けの話があった。初めての参加者も2人あって、小寺先生へ抗体価
や胸腺手術についての質疑、相談、応答、また先輩会員から自分の体験による意見など、発言が活発に行
われた。
懇談を通して小寺先生から、症状の改善が十分でない
場合でも現状に我慢、妥協し、新たな治療への取り組み
を躊躇する傾向が感じられると指摘された。古い患者ほ
ど苦い体験からその傾向が強いのかもしれない。
予 定 の 午 後 2 時 半 を か なり経過し終了となった。
講演会の案内とお祝い会報告
茨城県ダウン症協会
来る 3 月 12 日(土)水戸市福祉ボランティアセンター(ミオスビル2階)にて、全国障害者問題研究
会に所属し、障害者雇用・ハンセン病回復者の人権問題など幅広く取り組み、現在水戸飯富養護学校に
勤務されている船橋秀彦先生の講演会を開催します。演題は『日本の障害者福祉と家族・きょうだい』で
す。特に、家族
家族・
きょうだい
家族 ・ きょうだいについては、ダウン症の子を持つ親として関心の高い事柄です。当日は、
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
ダウン症の子の 2、3 名のきょうだい
きょうだいたちから直接お話しを聞く機会もあり、「きょうだい
きょうだいたちの思い」
きょうだい
きょうだい
が垣間見られると思います。3 月は何かと行事が重なりお忙しい時期とは存じますが、皆様と有意義な時
間を共有できればと思い、今回企画しました。
また、昨年 12 月 23 日(祝)久慈サンピア日立にて、日立市ダウン症親の集い創立 35 周年記念お祝い会
が開催されました。当日は来賓の方 10 名をお迎えし、総勢 90 名の参加者が集まり、長くて短かった 35
年という月日に思いを巡らせながら、楽しいひと時を過ごしました。その模様は、年が明けて 1 月 7 日付
茨城新聞にも紹介され、日立市ダウン症親の集いの方たちはもとより、他の地区で活動されている方々
にも大きな励みとなりました。
( 2011 年 1 月 7 日茨城新聞 18 面より転載)
平成 22 年度全国パーキンソン病友の会茨城県支部の活動
全国パーキンソン病友の会茨城県支部
今年度 25 周年を迎えた全国パーキンソン病友の会茨城県支部では 25 周年記念事業として、まずは定期
総会後の講演会、支部の歩みのCD作成、患者・家族の一泊旅行と三点を実施しました。
定期総会では水戸医療センター神経内科部長の吉沢和朗先生にお願いしました。
演題は『パーキンソン病医療の 25 年の歩み』で、参加者はいつもより多く、会員も熱心に聴いておら
れました。
CDは支部会員とお世話になった先生方、個人の方々、全国パーキンソン病友の会の各支部に配付し、
好評を頂きました。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
患者・家族の一泊交流会の旅行の行き先はほとんどが県内で行われることが多かったのですが、記念の
ため県外にということで会員の皆様からアンケートを
集め、栃木の塩原温泉に決めました。
さらに記念なので豪華バスを使い、友の会からも費
用の一部を援助して行いました。
交流会の宴会では、カラオケやビンゴゲーム等を楽
しみ、ビンゴゲームの賞品に茨難連会長の原様から音
楽プレーヤーをいただきそれを一等賞として、その他
は全員が当たるように考えてホテルのお土産を買い揃
えました。会員さんからは楽しくてよかったと言われ
ました。
湯守田中屋というホテルでいつも通りの勉強会を行い、記念撮影もして充実した記念旅行となり、今
年 度 の 25 周 年 行 事 は す べ て 終 了 で き ま し た 。
また、参加者には旅行の感想を書いていただき“支部便り”に掲載しました。
これも一重に役員をはじめ、会員皆様のご協力の賜物であり感謝しております。
私の教育改革提案
フォーラム「特別支援教育とインクルーシブ教育をめぐって」
茨 城 県 心臓病の子どもを守る会
12 月 11 日に茨障研主催で行われた表記フォーラムで守る会より改革提案を行いましたので紹介します。
本日は心臓病児を持つ親の立場から、病気について、入院・手術について、学校生活について、話を
したいと思います。
先天性心臓病は 100 人に1人の割合で生まれ、このほとんどが心臓奇形で、
生まれてきます。すぐに手術が必要な人から、手術せずに成人することができ
る人まで多岐に亘ります。先天性心臓病の治療は、ほとんどが外科治療で、
医学の進歩により、手術は低年齢化しており、就学前に手術が終了している
お子さんが増えてきています。
息子の場合は、小学1年生で2か月の入院と1カ月の自宅療養でした。ま
た手術が済んでも疲れやすかったり、午前中調子が悪かったり、だいぶ学習
の遅れが生じたことは否めません。院内学級の充実や退院後の学習サポート
がのぞまれます。
学校生活は学校生活管理指導表を基に体育や部活動・学校行事などへ参加
できるかどうかが決まります。教職員の方々の病気に対する理解がまちまち
のため、子どもの状態に合わせて体育や学校行事の参加に配慮してくれる先
生がいる一方で、間違った対応や完全な否定をする場合もあります。これら
を踏まえ7つの提言をしたいと思います。
提言
1
入院中の院内学級と退院後の在宅訪問の充実ために、学籍を移さずに対応して下さい。またインタ
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ーネットなどを活用した学習スタイルを検討して下さい。
2
暑さ・寒さに弱いため、教室に冷暖房設備を設置して下さい。
3
教室の移動が困難な病児のためにエレベーターの設置、または移動距離が最小になるように配慮をお
願いします。
4
学校行事は、学校生活管理指導表や診断書を理解、尊重して参加させて下さい。
5
診断書等で体育見学となる場合は、本人の出来る範囲で体育授業の手伝いや応援などを、評価に加
味するなど、高校受験に不利にならないように配慮して下さい。
6
先生方に心臓病を理解してほしい。そのためには親、場合によってはドクターや本人と良く話し合っ
て下さい。また管理職を含めて勉強会を開くなどして理解を深めてほしいと思います。
7
心臓病を含む内部障害も特別支援教育の対象となることを自治体に周知し、プール学習や遠足・修
学旅行など親の付き添いを参加の条件することなく、必要なら介助員をつけることが出来るようにし
て下さい。
「笑いの講演と膠原病の勉強会」
膠原病友の会
10 月 31 日(日)13 時から、水戸市社会福祉協議会大研修室において「笑いの講演」を医療ジャーナリ
スト協会理事の松井寿一氏に、「膠原病の勉強会」を鹿嶋市の前田病院、前田伸樹院長先生にご協力を頂
き行いました。当日は、季節外れの台風が関東地方を直撃との予報で、参加者減が危ぶまれましたが、
運良く太平洋側にそれ、穏やかな一日となり、心配した参加者も一般を交え会場がほとんど埋まる状況で
した。会場では、難聴者の為、筆記用語研修員6人がパソコンに入力し、画面に文字を写し出していまし
た。会員には難聴者もおり、今後は難聴者の仲間も講演会に出席が出来るととても心強く思いました。
松井寿一氏の話では、お腹がよじれてしまうほど笑ってしまいました。どなたの顔を見ても上気して
100 万ドルの笑顔とはこんななのかなと感じました。ストレスの多い現代社会には、笑いはまさに百薬の
長でした。時間が過ぎるのを早く感じました。
膠原病の勉強会では、前田病院の前田伸樹院長先生がスライドで膠原病や各種の説明をして下さいま
した。それとともに良くある質問についても説明され、聞こうと思っていた方たちも納得されたようでし
た。
「質問しなくても良く分かった」「不安な部分が良く分かった」など電話や感想文が寄せられました。
大変有意義な時間を過ごす事が出来ました。
(医療ジャーナリスト松井寿一氏)
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(前田病院
前田伸樹先生)
―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
希望の光[IPS 細胞の可能性]について
12 月 1 日 経 団 連 会 館 に お いて 「 IPS 細 胞 研 究 の 進 展 」 と題 し 京 都 大学 IPS 細 胞 研 究 所 所長
山中伸弥センター長(教授)の講話を伺って来ました。
・ 2006 年 8 月 に 世 界 で 初 め て マ ウ ス IPS 細 胞 の 樹 立 に 成 功 を 発 表
・ 2007 年 11 月 に は ヒ ト の 皮 膚 細 胞 か ら IPS 細 胞 作 製 に 成 功 を 発 表
IPS 細胞とは、ヒトの皮膚などの体細胞に、ごく少数の遺伝子を導入し、数週間培養することによって得
られる新しい人工多能性幹細胞です。
目標は、難病や外傷で苦しんでいる世界中の人々に役立つ新しい治療法を開発するために、IPS 細胞作
製を用いて創薬や再生医療を実現すること。
目標達成には、まず安全性が高くかつ効率的な IPS 細胞を樹立できる方法を開発し、その妥当な評価方
法を確立することを目指しているとのこと。
様々な患者さんの体細胞から作製した疾患特異的 IPS 細胞をそれぞれ標的細胞へ分化誘導する方法の開
発 に 取 り 組 み 、 将 来 は 臨 床 応 用 研 究 ま で 視 野 に 入 れ な が ら 研 究 を 展 開 しているとのことです。
心血管系細胞分化・再生に関する研究、神経難病に対する IPS 細胞を用いた細胞移植療法の開発、骨、
軟骨、筋肉などの開発、様々な遺伝的疾患(ディシャンヌ型筋ジストロフィー、一型糖尿病、先天性免疫
不全、代謝性蓄積症、ファンコーニ貧血)血液疾患の研究、難治性神経疾患(筋萎縮性側索硬化症、パー
キンソン病、アルツハイマー病)の開発、腎疾患研究ではヒト IPS 細胞を用いて試験管内で腎臓を再生す
ることにより、移植に提供出来る薬として細胞を作ることや、新しい治療薬を開発することを研究して
いるとの事。要するに、病人から細胞を取り、培養していくと健康な状態の細胞になるので、それを患
者に戻すことで元気になるということです。最初は、皮膚から作られていたが、今は採血からも作られ
るようになってきています。
先日のニュースで慶応大学病院で首から下の脊椎損傷で動けないチンパンジーに IPS 細胞を使って治療
すると、立つことができ、6週間後に歩けるようになったとのことです。IPS 細胞により意外と早く研究
が進み、難病の完治も近いと感じました。
ノーベル賞候補である山中教授の貴重な講話を拝聴出来勉強になりました。各疾患にとって希望とな
るものなので掲載します。
膠原病友の会 千葉
支部設立 20 周年を迎えました
日本てんかん協会茨城県支部
当団体は、 1988 年に支部が設立され昨年( 2010 年)、遅まきの成人式として「支部設立 20 周年」を
記念してお祝いをしました。支部設立のためにがんばった先輩方の努力を引き継いで、「てんかんを制圧
する」活動は脈々と続き、 20 年余りとなりました。てんかん治療の進歩は目覚ましいものがあります。し
かし、患者・家族の苦難が大幅に軽減されるまでには至っていません。「てんかんの制圧」とともに、「て
んかんと上手に付き合う」ことも、わたしたちの大きな仕事となってきました。そのためには、医療の力
とともに、取り巻く社会との関係も大きく変えなければなりません。そういった意味で、難病連の加盟
団体として、同じような課題を抱える仲間の諸団体のみなさんといっしょに取り組んでいくことは、大
変大きい意味があります。今後も、どうぞよろしく。
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【代表 鈴木 宏哉】
―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
設立 20 周年を記念しててんかん市民講座と懇親会を開催
2010 年8月 29 日に、第 40 回てんかん市民講座が水戸市のミオスで開催されました。講師に、群馬整
肢寮護園の清水信三先生をお迎えして、様々な「てんかん発作」
「新薬」、また初めて耳にした「Stigma」
(スティグマ)につい
て、発作のDVDやスライドを使って教えていただきました。
特に患者の発作の状態を細かく観察して製作された、川崎淳先
生の発作のDVDを見た時は、あまりにリアルだったのでとて
も複雑な気持ちになりました。また今回は、茨城県支部設立 20
周年記念ということで、講演会終了後も清水先生を交えての懇
親会が開かれ、そこでも先生は、電車の時間ギリギリまで、お
話しをして下さいました。
「ハミルトン」(就労移行支援・就労継続支援B型のカフェレストラン)での食事や山梨県支部から頂い
た<ぶどう>も、とてもおいしかったです。今回新しく入会された方も参加してくださって、入会に至
った心境を話してくれました。周りに相談できる人もいなくて、「てんかん」という否定的に感じてし
まう病気と闘っている不安、私もそうでした。たぶんみなさんも同じ気持ちで集い、お互いに支え合っ
ているのだと思います。20 周年を迎えた茨城県支部が、さらに楽しく元気な支部になるように、これか
らもがんばりましょう!
【世話人 本田 美奈子】
みんな元気です
20 周年記念事業ということで、会場でパネル展示をしました。
「支部 20 年のあゆみ」「講演会県内開催地マップ」「利用できる福
祉制度は?」など3枚を、みんなで手作りしました。たいへん勉強
になりました。
私達は、元気に活動しています。お悩みの事がありましたら、
是非お気軽に支部まで連絡下さい!!
リヤカーで全国を清掃行脚
【世話人 高倉 亜紀】
随行記
いばらき野バラの会
谷中 信夫
役員会で,茨難連副会長の野村さんから「熊本の NPO 法人青年協議会代表上村 剛さんという方がリヤ
カーで全国を回って資源ゴミ回収を行ないながら環境問題を訴えたり、「こころ」と「まち」を掃除する
活動をしており、6月 25 日夕刻に水戸の市役所に立ち寄るので,都合のつく人はご協力をお願いしたい」
との話がありました。
さて、上村さんとはどんな人なのか携帯でみると、熊本県の出身で、市民参加型のまちづくりに取り組
ん で い る 青 年 協 議 会 代 表 。 2010 年 度 は 東 京 か ら 北 海 道 に 向 け 現 在 進 行 中 。
6月 12 日に明治神宮を出発し、9月 11 日に札幌市にゴールインする予定で、6月 25 日に水戸市役所に
立ち寄ることになったそうです。そこで当日市役所の玄関で難病連会長
村
原 喜美子さんと副会長 野
正さんとで待つことしばし、やがてノボリを立てたリヤカーがやって来ました。ノボリには「日本を
今一度せんたく致し申し候」これは坂本龍馬の言葉ではないでしょうか。そのほか「自分が変われば世界
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
が変わる」などいろいろ書いてありました。「今晩私共と夕飯を一緒に」と会長が誘ったところ「水戸に
龍馬会の知り合いがいるので今晩はそちらの家でお世話になる」ということでした。せっかくの機会でし
たので4人で食事をしたかったのですが残念でした。
翌 26 日は龍馬会の方々と弘道館など歴史の史跡などを見学した
そうです。1時ごろ市役所に帰ってきたので,昼食を一緒にしな
がらいろいろと話しを聞きました。この青年協議会とは何ぞや。
それによると、慈善活動で家庭菜園の普及・投票率向上のための啓
発活動・節水習慣の普及活動・ごみをなくす運動等様々な活動をし
ていることがわかり認識を新たに致しました。
27 日上村さんは、その日の出来事をブログで報告してありまし
た。その日の活動報告を見ると、水戸で納豆ラーメンを探してウロウロしてしまいましたとありました。
そこで文明の利器携帯で探してみるとありました。「ラーメン○○太 大洗店」というのが探せたので、
早速上村さんに電話をしたところ、すでに宿泊先の日立消防署にいたので水戸から日立まで迎えに行き、
上村さんを乗せて大洗のラーメン店へと車を走らせました。
日立から大洗までは結構距離がありますので、途中茨城のことについて色々と聞かれました。そうこう
しているうちにラーメン店に着き目指す納豆ラーメンを注文いたしました。はじめてみる納豆ラーメン
とは、当たりまえですがラーメンの上に納豆が乗せてあるだけです。ただ、納豆が引き割り納豆だっただ
けです。てっきり普通の納豆だと思っていましたが引き割りは引き割りで独特の味がいたしました。人
それぞれに好みがあり、引き割り納豆ラーメンはまた違った味がいたして上村さんも満足した様子でした。
生まれも育ちも水戸っぽの私がラーメン納豆を知らず熊本人に聞いて初めて食べたとは、これまた本末転
倒・・・・。
29 日夕方高萩市役所から、テントを張ってよいとの許可が下りましたので、テントを張る場所を上村さ
んと探しました。景色もよく茨城にはこんな所があったのかと思うほどよい所があったがテントを張っ
て雨風がしのげる所には適していません。丁度地元のおじさんに会ったので聞いてみると,数 100 メート
ル先の洞窟を指差し「雨風は凌げるだろう」と教えてくれました。
地元のおじさんの話だと、この海岸は景色も良くドラマの撮影の名所だそうです。「最近だともう一つ
自殺の名所で有名なんだよ」「今年はもう 5・6 人ここから飛び込み自殺したんだ」それを聞いてなんだか
夜中に亡霊が現れるようで背中がぞっとしてきました。途方にくれていましたら、「今晩泊めてやっか」
との一言、まさに地獄に仏とはこんなことかと。 これでやっと一安心,安心したせいか今度は急にお腹
がすいてきて困ったなあと思っていると、おじさんが台所のほうに行ってしばらくして戻ってきました。
「たいしたものではねいがくったらよかっぺ」と岩カキのフライと言うものをご馳走になりました。普通
のカキフライとは違って小さいが味がなんともいえません。こんな美味しいカキフライの夕飯を生まれ
て初めて食べました。
見ず知らずの人間にこのようにおもてなしをいただき、熊本の上村さんと高萩のおじさんと一緒に夕飯
を食べながら話をすることが出来たことは、この先一生ありえないことだと思いました。一期一会とは正
しくこのようなことだと思います。どこの馬の骨だか知らない者を泊めてくださる高萩のおじさんに感
謝 し て 私 は 水 戸 の 我 が 家 へ と 夜 の 6 号 国 道 を ひ た す ら ま っ し ぐ ら に 車 を走らせて帰りました。
今回夕食を共にしたことは、一生忘れません。なんだかテレビの「田舎に泊まろう」の主人公になった
ような気持ちでいっぱいです。このことは、いつまでも脳裏に残ることでしょう。
思い出しますと、6月 25 日に水戸市でお会いしてから 29 日まで、初めは興味半々軽い気持ちで参加し
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たのが段々と上村さんの奉仕的信念に惹かれ、とうとう茨城の北端まで共にしてしまいました。上村さん
との出会いは僅か四日間でしたが何にも得がたい経験をして、今後の人生に有意義な一駒となったことに
感謝いたします。7月 17 日には仙台市で難病連の方々と募金活動をしている様子をブログで知りました。
上村さん今後とも元気で慈善運動にご活躍下さい。
公開講座「リウマチ教室」開催
(社)日本リウマチ友の会
茨城支部
平成 22 年 10 月 3 日(日)取手市及び取手市社会福祉協議会の後援を頂き、取手市福祉交流センターに
於いてリウマチ教室を開催致しました。取手市での開催は初めてでしたが、患者本人や家族の方など 130
名を超える参加者で会場がにぎわいました。
医療講演では「関節リウマチの最新治療」と言う演題でリウマチ専門医の成島勝彦先生(なるしま内科
医院)が、リウマチの新分類基準や生物学的製剤(バイオ製剤)について大変わかりやすくお話しされま
した。
次に米国公認ぺドーシスト(足装具士)の鈴木義
光先生が「リウマチ患者の足と靴について」と題
して講演されました。リウマチ患者の日常の足の
ケアや変形の予防など、悪化させない為の靴の重
要性を再認識しました。
講演の後は相談会で、日頃疑問に思っているこ
とや心配なことなど活発に質問されていました。
取手市のボランティア団体の皆さんに助けて頂き
盛会のうちに終了することが出来ました。
23 年度には 45 周年を迎えることになりますが、「会員が全員参加の記念大会に」を目標に準備を進め
ております。
県ソーシャルワーカー協会が「遷延性意識障害」について研修会開催
茨城県遷延性意識障害患者・家族の会
県ソーシャルワーカー協会は 1 月 16 日、水戸市福祉ボランティア会館で「交通事故被害者生活支援教
育」として研修会を開催しました。
当研修会は、医療ソーシャルワーカーをはじめ相談援助職や交通事故被害者に関わる医師、看護師、
介護職、事務職など幅広い職種を対象に行われました。
自動車保険の基礎的な知識習得と交通事故により重度障害を負った方への理解を深めることが目的で
すが、当事者(遷延性意識障害者)団体以外でこのような企画を開催することはあまり例を見ません。高
い見識に感謝をしています。
研修会は午前 10 時開会で「交通事故に関する保険制度と社会保障制度」について、(社)日本損害保
険協会と(独)自動車事故対策機構の代表からそれぞれ解説があり、昼食後、自動車事故対策機構千葉療
護センターの岡信男センター長が「重度後遺障害者について」と題して、遷延性意識障害について 1 時間
30 分 に わ た り 講 演 を 行 い ま し た 。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
その後、「茨城県内の遷延性意識障害者の現状と社会資源について」のテーマで、下表の 5 名のパネラ
ーの発表の後、医療ソーシャルワーカーをはじめ相談援助職や交通事故被害者に関わる医師、看護師、
介護職、事務職などが加わり、活発な質疑・討論が行われました。
筑波大学大学院
人間総合科学研究科
医療法人盈科会
介護老人保健施設
社会医療法人社団木下会
リ ハ ビ リ テ ー シ ョン花の舎病院
医療法人社団友志会
ケアセンター阿見
松田
陽子
リハビリ室室長
大屋
春嗣
介護老人保健施設
重症心身障害児施設
シルバーケア松戸
芳香会病院青嵐荘療育園
事務長
児童指導員
松浦
根本
崇
啓輔
茨城県遷延性意識
障害患者・家族の会
希望の会
会長
関田
正光
希望の会は当事者団体として招かれ、「遷延性意識障害者の現状と社会資源について」発表し、参加者
に協力と支援を強く訴えました。研修会は予定の時刻を超えて成功裏に終了しました。
MS 友の会
茨城支部
発足して 1 年、懇談会の開催、難病フェスタへの参加、難病対策に対する県との懇談会への参加など行
ってきました。フェスタでは、同じ病気を抱える落語家の林家こん平さんからメッセージを頂き、パネ
ルに展示することができました。また、著書の「チャランポラン闘病記」を通してこの病気を広く知って
貰うことができました。
会に対するご意見を支部長、事務局までお寄せ下さい。お待ちしております。
MS友の会
茨城支部
支部長
佐藤
美智子
℡
0299-
0299 - 69-
69- 4558 まで
・友の会ができましたよー! 懇談会で、友だちができましたよー!ということで、会の設立を心待ちに
していた会員の声を頂きました。
・患者会ができたことで、同病の人とめぐり合い、しみじみ話をすることができ、同じような悩みを抱え
ていることがわかりました。
今まで家族に愚痴を言っても分かって貰えなかったり、話をしても煩わしいだろうと話をするのを控
えたりしてきました。病気のことを理解してもらえず、体調が悪くても一見健康な人と変わらないよう
に見えることもあるので、怠けているように思われたりするので、苦しい時もありました。友の会で話
をすることで、同じ苦労をしていることがわかり、心癒されます。
また、他のいろいろな医療機関の情報なども得ることができ、とても勉強になります。
県内には支部もなく、会員も少数なので、広域的な活動も大変でしょうが、今自分が住んでいる水戸
地区の方と知り合う機会ができたらお会いしてみたいです。
これからもよろしくお願いいたします。
水戸市在住 N・K さん
M・ S 友 の 会 が 発 足 し 、 早 1 年 が 過 ぎ ま し た 。
H22 年 10 月 21 日第 1 回懇談会は悪天候の影響があってか、小人数ではありましたが、その分内容が充実
していたと思います。
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―いばらき難連―1977 年 12 月 3 日第 3 種郵便物認可(毎月 18 回 1・2・3・5・6・7 の日発行)平成 23 年 2 月 7 日発行 SSKP 通巻第 4660 号
参加したお蔭で、娘(患者)も電話友達を得ることが出来ました。何よりと感謝しております。残念なが
ら難病フェスタには参加できませんでしたが、全体的にこのように参加できる機会を増やして頂けたら
嬉しいです。支部長さんはじめ、役員の方々には、御礼申し上げます。 つくば市在住 H・K さんの母
こん平さんから頂いたメッセージをご紹介いたします。
ちゃらーん!!
こん平でーす!!
新潟に生まれて、茨城で育ったこん平が、本日、闘病
と闘う同志の皆様の元へ、チャランポラン闘病記をお
届けいたします。難病なんかに負けない生き方を笑い
あり、涙ありで綴りました。
一度しかない人生どうせ生きるなら笑って生きようじ
ゃありませんか!私も、これからも、まだまだ頑張り
ます。
テレビで元気な姿を皆様にお届けできるようがんば
りまーす!!
それでは、参りましょう。
ン
1・2・3
チャラー
こん平でーす
平成 22 年 11 月
落語家
林家 こん平
広告掲載に協力を頂きました。以下加盟団体一覧の前までは広告です。
内科 ・ 呼吸器科 ・ 小児科 ・ 総合診療科
松本内科医院
院長 松本和美
〒 3 0 0 - 0 8 5 0 土浦市中村東 3 - 1 ― 2 0
Tel 0 2 9 ( 8 4 3 ) 1 2 1 1
Fax 0 2 9 ( 8 4 3 ) 0 6 5 1
月曜日 から 土曜日 ま で ( 木曜日 は 除 く )
木曜日 は 往診日
休診日
日曜日 ・ 祭日
― 18 ―
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