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『平静の心 オスラー博士講演集』を読む

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『平静の心 オスラー博士講演集』を読む
保健医療経営大学紀要 № 4 77 ~ 79(2012)
<書評(Book Review)>
『平静の心─オスラー博士講演集』を読む
松永 伸夫 *
1. はじめに
者自身によって選ばれ掲載されている。そこには、「オ
私の医療、医学についての知識は、
『ブラックジャッ
スラーの深い思想、哲学、ならびに宗教、そして彼の人
ク』
(注 1)と『ブラックジャックによろしく』(注 2)
間性が滲み出て」いる(注 6)
。それらの講演がなされ
を通読したレベルであった。しかし、4 年前に保健医療
た時期は、博士の年齢が 39 歳(講演「平静の心」)から、
経営大学の事務業務の一端を担当できるようになってか
最晩年の 69 歳(講演「古き人文学と新しき科学」)まで
らは、その様子が少しばかり変わってきている。
の期間において、コンスタントにわたっている。
日常生活の中にあって、おのずから医療、医学に関係
オスラー博士の生涯衰えることのない、かえってます
する情報が目に入ってくるという恵まれた職場環境か
ます研究、教育そして診療に(注 7)励んでいく姿勢が、
ら、少しずつ医療、医学に関心が向くようになってきて
その時々に講演という形でまとめられて発表されていた
いる。そして興味をもったのが「オスラー博士」の存在
ことがわかる。
であった。
私とオスラー博士との接点は、日野原重明先生(注 3)
3. 本書の特長
の書物を介してであった。
『保健医療営大学紀要 第二号』
本書所収の計 18 編の講演一つひとつには訳者による、
で書評「『 いのちの対話 医師と患者の絆』を読む」を
判りやすい「解説」と豊富な「訳者注」がある。もし読
準備していく中で、次のことを知ったのである。
者が関心のある分野についてこの訳者注をさらに掘り下
日野原重明先生が、
ウィリアム・オスラー博士(William
げて研究していくならば、その人の日々の生活にあって、
Osler 1849 年 -1919 年)
(注 4)のことを、自分の医師
新たな目標と抱負と希望とで充たされていくことだと思
としてのあり方また生き方の師として尊敬し、医学を研
う。
究してこられたという事実である。
たとえば、所収の講演「教師と学生(一八九二年)」
本稿では、「臨床医として、研究者として、教育者と
にあっては、講演本文の冒頭に、次のような解説文が付
して、
また人道主義者として生きたオスラー」博士(注 5)
されている。
について、本書を通して紹介し、私の思うところを記し
「ミネソタ大学医学部に招待されて、医学生と教師の
てみたい。
ために講演を行った。科学としての基礎医学を研究する
サイエンス
アート
教師と、医術としての臨床を実践し専門職として学生を
2. 本書の構成
教える教師の役割を取り上げ、この二つのタイプの指導
本書は、全 608 ページの大部の書物である。けれども
者がよき教師として医学教育に当たることを大いに勧め
その内容のすばらしさのゆえに、読者にとっては少しも
ている」(注 8)と。
圧迫感を感じることなく、むしろ身を乗り出して一気に
また、この講演の中でオスラー博士は「プラトンの医
読み進むことができる大書である。
師批判」について、
「医学の父の同時代人であるプラト
ウィリアム・オスラーが、その生涯において、いろん
ンが」と、紹介しているが(注 9)、この箇所には次の
な機会
(勤務していた大学や看護学校の卒業式での式辞、
ような分かり易く親切な訳者注がある。
また他大学の医学部や医師協会等からの招きに応えての
「医学の父( the Father of Medicine )
:ギリシャの医
特別講演他)に行った多くの講演の中から、18 編が訳
師ヒポクラテス( Hippocrates, c.460 - c.375 B.C. )を
* 保健医療経営大学学務課参与
E-mail:[email protected]
― 77 ―
松 永 伸 夫
指す。 オスラーは「ヒポクラテスの誓い」
(医師の倫理
5. 患者に寄り添う
綱領を守るという誓い)
を医学生の指針とみなしている」
1)オスラー博士にとっての臨床とは
(注 10)と。
オスラー博士の臨床での姿を、日野原医師が紹介した
昨年の夏に、本学の第一期生の卒業(平成 24 年 3 月)
文章がある。概要は次のようである。
に備えて、学校の紹介と就職先の開拓を目的として熊本
市内の医療機関をいくつか訪ねたことがあった。ある医
オスラーの時代、内科医が子どもも診ていたが、オ
療機関の玄関への階段のきわに、ギリシャ語が刻まれた
スラーの往診先に一人の難病の少女がいた。まもな
一枚のレリーフ(石碑)をみつけ、ギリシャ語の珍しさ
く死んでしまうその子どものところに行くのに、オ
から携帯で写して帰ったが、それが「ヒポクラテスの誓
スラーはおどけたかっこうをして、バラの花を持っ
い」そのものであったことを、学長から教えられた。
て、
「お嬢ちゃん、どう?」というふうに訪ねていく。
医学生また医療、医学に携る人たちはこのギリシャ語フ
そうして「この美しいバラもいつかは枯れるように、
レーズを諳んじての毎日なのであろうか、との思いを強
人間というものもいつまでも生きられない。けれど
くした。
も、花を渡すと人が非常に喜ぶんだ。このバラの花
のように、私たち人間もそうだ」と、小さい子ども
4. オスラー博士の講演の特長
に亡くなるのはどんなことかということをわかりや
オスラー博士の講演は、とても広範囲の内容にわたっ
すく話した。それをその子の母親が聞いていて、の
ており、かつその深さに驚かされる。具体的には次のよ
ちに、亡くなった娘に死の話や天国の話をオスラー
うである。
がしてくれたことへの感謝の手紙を出しているのだ
・旧約聖書、新約聖書からの多くの引用
とのことである(注 12)。
・ギリシャ神話、ローマ神話からの引用
・プラトン、アリストテレスの言葉の引用
時代を問わず、職業のいかんを問うことなく、私たち
・シェイクスピア他多くの文学作品、詩作品からの引用・
が生活する社会にあって、オスラーがとったこのような
多くの医学文献の紹介とその引用、
姿勢を、また多くの人自身がとれることがどんなに大切
等々である。
なことかを思った。
たとえば、本書の冒頭に紹介されている講演「平静の
オスラーは、大学医学部の学生に対して、病院や外来
心(一八八九年)
」では、
aequanimitas というラテン語(平
での体験学習を重んじることを指導した。そして、病棟
静、冷静の意味)をギリシャ哲学のストア学派の教説か
では患者をよく観察し、患者から情報を得、患者の心に
ら引用している。
通じる術を学生に学ばせようとしたのである(注 13)
。
その他、
この講演
(ペンシルベニア大学を去るに当たっ
また彼は学生たちに対して、患者のことを学習材料と
て卒業式での告別講演)でオスラーは、
引用項目として、
して扱うのではなく、生きた人間として扱うことの重要
19 世紀の英国の詩人・文芸評論家(アーノルド、トマス・
性を説き、医の倫理や患者への良きマナーを身につける
フッド、テニソンら)
、ギリシャ神話、プラトンの『国
ことを身をもって示した。(注 14)。
家』
、古代ギリシャ医学、英国の劇作家シェイクスピア、
このように、オスラーは、教科書よりも患者から直接
18 世紀の英国の詩人(トマス・グレイ、
ワーズワースら)、
学ぶことの方が多いことを学生に教えたのである(注
ローマ皇帝アントニヌス・ピウス、ローマの哲学者・詩
15)。
人(ルクレチウス)
、17 世紀の英国の詩人(ミルトン)
、
そして新約聖書と旧約聖書、他多くをとりあげて、卒業
オスラーはある時、質問に答えて、自分の墓碑に次の
していく学生達に語りかけている。
ように書かれることを望んだという。
このようなオスラー博士の生き方、研究姿勢を知って
「学生を病棟に引き入れた人、ここに眠る─
くると、日野原重明先生がオスラー博士のことを戦後ま
Here lies the man who
もなくにたまたま知ってから、今日までその生き方を尊
admitted students to the wards.」(注 16)
敬し、業績を追い求め研究されてきたわけが、私にも少
しばかり分かるように思う。日野原重明先生はその研究
2)
「2011リレーフォーライフ in 福岡」で接した看護師の
結果を、一冊の本『医の道を求めて─ウイリアム・オス
涙
ラー博士の生涯に学ぶ』に著しておられる(注 11)。
今年の 9 月 17 日・18 日に、
「2011 リレーフォーライ
フ(RFL)in 福岡」
(於・福岡市東区・九州大学グランド)
に、チーム「福岡県すこやか健康事業団・保健医療経営
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『平静の心─オスラー博士講演集』を読む
大学」 の一人として参加した。この RFL「命のリレー、
を通して、科学する心、人生を生きる道、また学
24 時間ウォーク」は、青空の下に集ったさまざまな人
習の道といったものを、受け継いだ。また彼は若
たち(個人、
企業、
団体)が、
がん患者本人(サバイバー)
い時から多くの本を読んだが、それらの本はこの
と家族、がん経験者を励まそうという企画である。サバ
イバーたちは、テントの中で車座になって、それぞれの
三人の師を通して知った書籍であった。
(注 5)
『平静の心─オスラー博士講演集 新訂増補版』
がんに立ち向かう日々の思いや体験を、昼夜語り合う。
(日野原重明 仁木久恵 訳、医学書院発行、2007 年)
またその間、自分の体調に合わせて、リレー方式で会場
ⅹ頁
のフィールドトラックをそれぞれに 24 時間歩いてたす
(注 6)同上 21 頁
きをわたしていくのである。
(注 7)同上 585 頁
(注 8)同上 35 頁
テントの片隅で、サバイバーたちの話を静かに聞いて
(注 9)プラトンは、「やぶ医者論議」にふれて、
「彼ら
いた一人の若い女性(このイベントのための、医療ボラ
(やぶ医者の悪徳に耽って来た一般民衆)は何と結
ンティアの看護師)が、ハンカチで何度も目頭を抑えて
構な人生を送っていることか!心身の不調の手当
いるのに気づいたのは、「何かお手伝いすることはあり
てをして、かえって病気の数を増やし、合併症に
ませんか」 といって、テントの仲間となってから、しば
苦しんでいる。しかも、勧められるありとあらゆ
らく時間がたってからのことであった。
る秘薬に飛びつき試みる。それで治ると思い込む」
と悪徳の誘惑を描き出している(同上 56-57 頁)
。
6. おわりに
(注 10)日野原・仁木訳 前掲 69 頁
保健医療経営大学の「施設経営コース」の学生は、3
(注 11)
『医の道を求めて─ウイリアム・オスラー博士
年次の夏に「施設実習」
(必修科目 4 単位)を医療機関
の生涯に学ぶ』
(日野原重明、医学書院発行、1993 年、
で実習するようにカリキュラムが組まれている。医療の
全 882 頁)
現場にあってのこの実習で、学生たちは教室で学びえな
かった多くのことを体得することになる。彼らが、この
(注 12)『 いのちの対話 医師と患者の絆』
(鎌田實 日野原重明 舘野泉 村上信夫、岩波書店、
『平静の心─オスラー博士講演集』を携行し折に触れ、
2008 年)18 頁
開くことができれば、また卒業後に与えられるであろう
(注 13)日野原・仁木訳 前掲 591-592 頁
医療の現場(事務部門)にあって、この本を座右の書と
(注 14)同上 592 頁
して開いていくなら、さらに大きい成果を勝ち得ること
(注 15)同上 592 頁
だと思う。
(注 16)同上 593 頁
(2011 年 11 月 30 日提出)
[ 引用図書、参照資料他 ]
(注 1)手塚治虫による漫画作品で、
「ブラックジャック」
は、その作品に登場する主人公の医師のニックネー
ム(
「ウイキペディア」より)
。
(注 2)佐藤秀峰による漫画作品。研修医が目にする、
日本の大学病院や医療現場の現状を画く。これを
原作として同名でテレビドラマ化された(
「ウイキ
ペディア」より)
。
(注 3)本年 10 月に満百歳を迎えた現役の医師(聖路加
国際病院理事長)
。2000 年に、
“いのちの尊さ”を
描く絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」
(レ
オ・バスカーリア作)をミュージカル化すべく企画・
原案し、自身もその舞台に立った。
(注 4)ウィリアム・オスラーは、1849 年にカナダの寒
村ボンドヘッドに、プロテスタントの牧師の子供
として生まれた。オスラーは、十七歳でウエスト
ンの学校に入学し、そこでの三人の師との出会い
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