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Title Author(s) Citation Issue Date Type ケインズの貨幣思想 花輪, 俊哉 一橋大学研究年報. 商学研究, 26: 99-169 1987-05-20 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/9738 Right Hitotsubashi University Repository ケインズの貨幣思想 ケインズの貨幣思想 第一章 自己革新の経済学者ケインズ ︵1︶ ︵2︶ 花輪俊哉 ケインズの経済学は、﹁ケインズ革命﹂︵クライン︶とか﹁新しい経済学﹂︵ハリス︶と呼ばれるように、伝統的経 済学に対する新しい革命と考えられた。新しい革命に対比された伝統的経済学とは、いうまでもなくリカードゥから ミル、マーシャルに至る広義の古典派の総称であり、その近代における代表としてビグウが攻撃されたのである。 ところで、ケインズの挑戦は、単に理論的側面にとどまらず、現実の制度にも及ぶ広範なものであった。ケインズ は自らをトロイの予言者カサンドラになぞられたことがある。カサンドラは神の怒りにふれたことにより、民衆が彼 の予言を信じないようにされたのである。それ故にカサンドラは自分の予言の的中するのをただいたずらに傍観せざ るをえなかった。それを丁度ケインズが金本位制復帰に反対したものの、世にいれられず、一九二五年金本位制に帰 復したイギリスは、不況の激化により、一九三一年ふたたび金本位制から離脱せざるをえなかったことにたとえたの 99 100 である。 、このように広くケインズの挑戦をとらえて、その革命の意義を考えるならば、﹃次の三点にみることができる。その 力は相互に関連して変動している。したがって、古典的二分法から脱却し、両者を統一的にとらえなければならない。 格理論を交互に使用することによって説明しようとしたのであった。ところが現実においては、生産量と貨幣の購買 このように古典派は、複雑な現実を一応生産量一定の前提とした貨幣数量説と、一応貨幣の購買力を一定とした価 ような二分法から脱却して価値の理論と物価の理論を統合することにあるとされた。 性との関係は、ほとんどあるいはまったくなされていなかったのである。ケインズによる貨幣経済論の確立は、この および物価の理論に移ると、そこでは物価水準は、貨幣数量や所得速度等により支配されるのみで、需要供給の弾力 格は需要供給の状況によって支配され、とくに限界費用の変化と短期供給の弾力性が支配的な役割を演ずるが、貨幣 済は﹁二分法﹂の世界であった。すなわち、彼らが価値の理論と呼ぱれているものを取り扱っている揚合には、諸価 貨幣量の増加が物価上昇の原因だとする貨幣数量説は、古典派の貨幣経済論として発展したが、彼らの想定する経 O 貨幣数量説批判⋮有効需要論の確立 ねば な ら な い 。 以 下 こ れ ら 三 点 を 順 次 検 討 し よ う 。 相互に関連しあっていると考えちれる。そして、その根底には、資本主義経済の自律性に対する疑問があったといわ 三点は、それぞれ有効需要を制約する貨幣供給側および貨幣需要側の条件と考えられる。このように、これら三点は 幣の取引機能より略貨幣の価値貯蔵機能の重視である。これら三点の中核は、有効需要論の確立であり、第二点、第 第一は貨幣数量説より有効需要論への移行、その第二は金本位制より管理通貨の思想の導入、そしてその第三に、貨 一橋大学研究年報 商学研究 26 ケインズの貨幣思想 ケインズの有効需要論は、まさしくそれを可能にするものであった。 さて、ケインズの有効需要と物価および生産との関係についての理論︵いわゆる切・砺理論︶は、有効需要の増加 がいかに物価の変化率と生産の変化率に分解されるかを説明するものであった。それは次のように示される。 いま有効需要をP、物価をP、生産量を0とすれば、b”O勺 この式を微分すると、 良b腫儀O・㌔十9、・O O ㌧ ”画O・ー十良、・i b b これより両辺を面で除すと、 ・−喰\“+晴\“ この式における右辺の第一項は、有効需要の変化率で生産の変化率を除したものであり、有効需要が生産に対し如 何なる影響を与えるかを示す値である。また右辺の第二項は、同様に、有効需要の変化率で物価の変化率を除したも ので、有効需要が物価に対し如何なる影響を与えるかを示す値である。ケインズは前者を砺、後者を%と表わした。 したがって、上式は次 の よ う に な る 。 ド腿馬。+£ これは有効需要の変動が必ず生産の変動と物価の変動の二つに分解されることを示している。このように示される 釦・砺分析は、常識のようにみえるが、古典派の貨幣数量説においては、9旺ρ書”ドという完全雇用状態において 101 102 のみ意味をもつ理論体系をもっていたといえよう。この意味において、ケインズの有効需要理論は、生産量と物価の 相互関連を統一的に理解し、また完全雇用状態のみならず、あらゆる雇用状態において理解しうる見解として、古典 派理論に対する根本的批判であった。︵フリ;ドマンの新貨幣数量説は、多目所得決定理論といわれているように、㌧ 貨幣数量説の復活と主張されるが、この点からすれぱ、むしろの・転分析に近いと考えられる。︶ すなわち、有効需要の構成要因の中でも最も重要なのは投資であるが、投資は経済成長の起動力であると同時に、そ さて、有効需要論が貨幣経済論もしくは金融経済論でなければならない理由は、次の事実からでてくるのである。 なるからである。したがって、ここからは有効需要管理の必要性はでてこない。 の管理がうまくいきさえすれば、価格機構が円滑に機能する限り、資本主義経済に不安定性は生じないという考えと ようにみえるが、これを反対よりみれば、貨幣供給万能論と考えられるのである。なぜなら、古典派は、貨幣供給量 んの影響をももちえず、ただ物価にのみ影響すると考えられている。これよりすれば、貨幣はなんのカもないものの それに対して古典派の貨幣数量説においては、貨幣ヴュール観といわれているように、貨幣は実物経済に対してな 性を指摘したのである。 大変な仕事であるといわなけれぱならない。こうしてケインズは資本主義経済の自律性の喪失をみ、経済政策の重要 も一義的ではない。したがって、たとえ貨幣量がうまく管理されたとしても、有効需要を適正水準に維持することは に有効需要がそれを超過するならば、インフレーシ日ンが生ずるであろう。有効需要と貨幣供給量との関係は必ずし えたことになる。すなわち、有効需要が完全雇用水準を維持するのに及ばないならぱ、失業が生ずるであろうし、逆 要論でとらえようとしたのであるが、これはとりもなおさず、資本主義経済を貨幣経済もしくは金融経済としてとら このように古典派が資本主義経済を古典的二分法でとらえようとしたのに対し、ケインズは資本主義経済を有効需 一橋大学研究年報 商学研究 26 ケインズの貨幣思想 の浮動性により、資本主義経済の不安定性をもたらすものと考えられた。 ところで、この投資の資金は如何にして調達されるのであるか、古典派においては、投資資金は貯蓄から賄われる と考えられていた。したがって、貯蓄は経済成長の基本として重要視されたのである。たしかに、個別企業としてみ れぱ、投資資金を自己の貯蓄から賄うことも、また他の企業の貯蓄から賄うことも可能であるかもしれない。しかし、 全体としての企業を考えるならば、投資を貯蓄で賄うことは不可能なのである。なぜなら企業者が投資を決意する時 には、いまだ貯蓄は存在しないからである。貯蓄の形成は、実施された投資が国民所得を増大した後に、はじめて実 現すると考えられる。 したがって、有効需要論からすれぱ、企業者が投資を決意する時、かれらに資金を供給するのは、貨幣・信用機構 ︵3︶ だということになる。ケインズの﹁銀行の信用創造と保蔵貨幣の放出は、貯蓄増加の両親であって双生児ではない﹂ という主張は、この意味で理解できる。 かくして、企業者の投資活動とそれを支える貨幣・信用機構は、資本主義経済を支える車の両輪と考えられるので あり、ここに資本主義経済の貨幣、金融経済的性格がみられるといえよう。このように有効需要論が重視される揚合 は、資本主義経済の理解において、価格機構は万能ではなく、自由な価格機構が回復されたとしても、それだけで資 本主義経済の再生が可能とはならないのである。重要なことは、投資が国民経済的にみて十分な水準に如何にして維 持されうるかということであり、それが企業者の投資意欲や貨幣・信用機構と如何に関連しているかということであ る。 ◎ 金本位制への挑戦−管理通貨思想の導入 103 一橋大学研究年報 商学研究 26 古典派に諮いては、貨幣数量説の主張に基づいて、貨幣制度の確立と安定性が同時に国民経済の安定と成長を意味 すると考えられていた。そして、その貨幣制度として、金本位制度が実現されたのである。 金本位制度では、貨幣供給量の管理に独特の方法が考慮された。すなわち、中央銀行の貨幣供給の保証充当物件と して、外国為替および地金銀のみが認められたのである。これは貨幣価値の安定に貢献できたのであるが、貨幣供給 の円滑な供給に欠点があったと思われる。それ故に管理通貨制度は、貨幣供給の円滑な供給を行いうるように、保証 充当物件を拡充したのである。すなわち、外国為替および地金銀のほかに、商業手形、銀行引受手形、有価証券担保 の貸付金、政府に対する無担保貸付金等である。 ところで、以上のような形式的相違のみならず、金本位制と管理通貨制にはより重要な実質的相違があった。すな わち金本位制の下では、国際収支の赤字に伴って国際貨幣としての金が流出する結果、国内貨幣供給量が減少し、デ フレーシ日ン傾向が生じる。これが輸出の増大、輸入の減少をもたらし、国際収支の均衡がもたらされる。反対に、 国際収支の黒字国の場合は、その輸出超過に応じて金が流入し、それに基づいて貨幣供給量が増大し、インフレ傾向 が生じる。これが輸出の減少、輸入の増大を惹き起こすから、国際収支の均衡が回復されると考えられた。 そして、この場合、金本位制のメカニズムを中央銀行が自由裁量的政策によって調整することは得策ではないと考 えたので、国際収支の赤字国はデフレーションに悩み、黒字国はインフレーションに悩まねばならなかった。国際収 支の均衡回復は、このような苦悩を通じてはじめて実現されるものであった。 これに対して、ケインズの提唱する管理通貨制度では、金本位体制の場合と同様に、国際収支の黒字・赤字に伴い、 国内貨幣供給量の増減傾向が生ずるものの、そのような傾向を是として金本位制のメカニズムを貫徹させるままにせ ず、中央銀行がインフレのない完全雇用の達成を重現して、国内貨幣供給量の管理に努めたのである。換言すれば、 104 ケインズの貨幣思想 管理通貨制度とは、金本位制という金融制約のために生ずるインフレや失業を除去しうる金融制度的保証と考えられ るのである。 ところが、金本位制はひとつの国際的本位であったから、金による為替相揚の永久的固定に関心がもたれていたの に対し、管理通貨制はそれの性格上国民的本位であったから、国内均衡の達成にとって有効であっても、国際均衡に 対して必ずしも有効であるという保証はない。管理通貨制度の具体的形態である体制においては、短期的・長期的対 策が考えられていた。 まず短期的対策としては、たとえある国が赤字国となった揚合でも、その国が国際収支の改善をはかるために採用 された金融引締め政策により、実施中の設備投資計画の延期や中止においこまれないように、IMFを通じて相互に 救済の融資を行なうことが考えられた。このように、国際協調は管理通貨制の一要件である。 次に長期的対策としては、為替相揚の変更が考えられた。ただし、これは﹁基礎的不均衡﹂の発生時に限られたの である。﹁基礎的不均衡﹂というのは、経常収支と長期資本収支で示される基礎的収支に不均衡が生ずることをいう のであり、国際収支の長期的動向の指標と考えられた。基礎的収支が均衡している揚合には、IMF体制の揚合でも、 金本位制と同様に為替相揚の維持を義務づけられたけれども、基礎的不均衡が永続する揚合にはじめて為替相揚を変 更できるという意味で、IMF体制は、﹁調整可能な釘付け為替相揚制﹂と呼ばれた。このように管理通貨制は、金 本位制の永久的固定制から人為的固定制に変更されたところに意義があると考えられる。 IMF体制は、アメリカ経済が強固な間はうまく機能してきた。そこでは赤字国責任論が主張され、国際収支の調 整の責任はもっぱら赤字国に求められ、赤字国の為替相揚切下げできりぬけられてきた。しかし、基軸通貨国である アメリカの赤字が増大するにつれて黒字国責任論が主張されるようになり、黒字国の為替相揚切上げによって国際収 105 一橋大学研究年報 商学研究 26 支の均衡がはかられるようになってきた。しかし、一九七一年八月十五日のニクソン大統領の声明を契機として、I MF体制は崩壊し、変動相揚制に移行することになったのである。 ︵4︶ ところで、ヒックスは管理通貨制を金本位制に対して労働本位制︵い魯o旨望目3乱︶と呼んでいる。これは労使 間の契約で定められた貨幣賃金に対して、貨幣供給が機動的に供給され、完全雇用が達成される仕組みを考えたから であり、金本位制の調整メカニズムと逆になったことを意味している。すなわち、金本位制の下では、硬直的な金本 位制のルールに基づいて貨幣供給が行われ、これに対して、貨幣賃金が伸縮的に動くことによって調整されていたの である。 さて、ケインズは、金本位制を過去の遺物として非難し、新たな国際貨幣制度の構築を考えていたのであるが、そ れはフリードマンのいうような変動相場制ではない。変動相揚制は、国際貨幣問題を国際貨幣制度の問題から価格調 整間題にしてしまうと考えられる。ケインズの関心はあくまでも国際的中央銀行の確立であった。これはケインズが 価格調整機構の限界を国内経済において認めていたことからすれぱ当然考えられる事柄であり、この観点からすれば、 変動相揚制は安定的国際貨幣制度確立までに甲時的に採用される制度と考えられるのであり、真の国際経済の安定と 成長のためには、国際貨幣制度の確立が必要なのである。 匂 貨幣の価値貯蔵機能の重視−経営と所有の分離 有効需要を制約する要因は、貨幣供給側から生ずるのみでなく、貨幣需要側からも生ずる可能性がある。ケインズ は、貨幣数量説的経済を実物交換経済と考え、自己の貨幣経済と区別している。実物交換経済においては、貨幣は使 用されるが、ただそれが実物の取引を連結するためだけに使用されるのであって、貨幣が動機や意思決定に入りこむ 106 ケインズの貨幣、思想 ことが許されないと考えられている。これに対して、貨幣経済においては貨幣がそれ自体の役割を演じ、かつ動機や 意思決定に影響を与えるような経済であると主張される。 こうした貨幣経済で重要な役割を演ずるのは、企業者と区別された意味での投資家である。資本主義経済の初期に おいては、企業者機能と投資家機能は統合されて資本家と考えられていたのであるが、資本主義経済の発達につれて、 資本家機能は企業者機能と投資家機能に分離されるにいたった。﹁経営と所有の分離﹂がこれである。﹁経営と所有の 分離﹂に基づく投資制度によって、企業者は自分自身の富のみならず、社会全体の貯蓄をその事業に吸収することが できるとともに、投資家もその資力を、わずらわしさがなく、責任を負わず、小さな危険で活用することが可能にな った点で高く評価されてよい制度であるといえよう。 企業者が経営者として、企業の生産計画をたて、それを遂行する経済主体であるのに対し、投資家は生産計画とは 無関係に資産の保有によって収益をあげてゆく経済主体と考えられる。もちろん投資家は、個人としても存在するが、 機関投資家という形態でも存在しうる。ケインズは、とくに投資家の具体的形態にはふれずに、機能を中心に考えた といえよう。 ︵5V さて、投資は選択する資本資産について、次の三点を比較しなければならない。第一は、それ自身で測られた収益 または産出物︵9︶、第二は、それ自身で測られた持越費用︵o︶、第三は、それ自身で測られた流動性打歩︵Z︶で ある。それ故、一期間一資産を所有することから期待される総収益は、その収益から持越費用を差し引き、流動性打 歩を加えた順ー。+執に等しく、これは財貨の自己利子率と呼ばれた。これらはそれ自身で測った自己利子率である から、相互に比較するために、測定の基準として貨幣をとり、家屋、小麦の貨幣表示の期待変化率を砺とすると、 §+寄12+甜はそれぞれの資本資産の貨幣自己利子率となる。そして、投資家の選択の結果、均衡においては、こ 107 108 れら資本資産の貨幣自己利子率は等しくならなければならない。このように投資家は、保有する資本資産の選択を行 うのであるが、その中には金融資産のみならず、実物資産も含まれてよいと考えられる。 ケインズが貨幣の取引機能のみならず、貨幣の価値貯蔵機能を重視したことは、貨幣経済の特色を一層鮮明にした と考えられる。なぜならば、それは投資家の行動によって貨幣需要面から有効需要に大きな影響を与えることになっ たからである。この点を端的に示したのが、流動性選好説である。 流動性選好説は、古典派の利子決定論に代わる新しい利子決定論として、ケインズにより主張されたものである。 すなわち、古典派の利子決定論は、利子決定の投資・貯蓄論で示されたように、投資︵資金の需要︶と貯蓄︵資金の 供給︶を均等させるような利子率が考えられたのであるが、そこには利子率は貯蓄すること、もしくは待忍すること に対する報酬とされたのであった。これに対して、流動性選好説では、利子は資産保有者が貨幣を手放すことに対す る報酬であるとされた。したがって、利子率は資産を貨幣の形態で保有しようとする欲求を、供給される貨幣量と均 衡させるところの価格と考えられたのであり、投資家の独自の活躍の揚が考慮されたのである。 ヤ ヤ ヤ ヤ そして、投資家の存在が有効需要の制約になる典型的な状態として、不況の局面が考えられた。そこでは投資家は 全体としてより弱気となり、証券よりも貨幣をより多く選択するこどになろう。その結果、利子率は完全雇用を維持 するに十分なほど低くまで下降しないかもしれない。 不況下では、資本の限界効率は著しく低下しているかもしれないので、利子率が高水準で固着しているならば、投 れ以下に低下させることは困難と考えられた。その揚合には、貨幣需要は無限に弾力的となり、いくら貨幣供給を増 はかられるかもしれない。しかし、貨幣当局の努力は、﹁流動性のわな﹂の状態に入ってしまう時には、利子率をそ 資は制約され、失業が発生するであろう。もちろん緩和的金融政策によって、投資家の弱気期待を変えるべく努力が 一橋大学研究年報 商学研究 26 ケインズの貨幣思想 加させても利子率を低下させることは困難と考えられるからであると主張された。 こうして、不況下での失業の増大は、企業者の投資意欲の減退︵これは資本の限界効率の低下で示された︶ばかり ではなく、投資家の弱気期待の強化によっても生じうることが理解されたのである。資本主義経済における投資家の 存在は、資本主義が発達し、信用制度が発達すればするほど、重要なものとなり、その行動いかんが資本主義経済の 不安定をもたらすことになるのであり、投資家の行動は十分注目されなければならないことを示している。その上、 このような投資家の行動は、国内経済のみならず、国際経済における不安定にも大いに関与してくるものと考えられ る。ケインズが、こうした問題にはじめてメスを入れた点で、大きな貢献であったといえよう。 ところで、第一章では、ケインズにとっての既成パラダイムは古典派であったとし、古典派の考え方および制度を、 貨幣数量説、金本位制およぴ貨幣の取引機能の三点について批判し、ケインズの考え方および制度を、それぞれ有効 需要論、管理通貨制および貨幣の価値貯蔵機能の三点に集約して論述した。しかし、これは必ずしも正確ではないか もしれない。むしろケインズは、自分自身を変革していった学者であったといえよう。 ケインズが﹃一般理論﹄で古典派といった時、それは﹃貨幣改革論﹄や﹃貨幣論﹄の中で述ぺられている彼自身の 古典派的思考であり、それを克服することが新しい経済学を生みだすことになることを意味していた。したがって、 既成パラダイムとして非難すべきは、他人の考えではなくして、己れの中にある旧き考えであった。 このようにケインズの経済学は、自己革新の経済学であったと考えられる。ただ、それにもかかわらず、ケインズ の経済学は一貫したものを持っている。それは何かといえば、ケインズ経済学の持つ貨幣・金融経済的特色であると いえよう。したがって、ケインズの経済学を実物経済学だという者は、ケインズのパラダイムを理解しない者だとい っても過言ではないのである。 109 一橋大学研究年報 商学研究 26 ︵−︶ 匹。Fい菊‘↓富映遷§篭§葬ミミ帖§℃一玲。皇這ミる昌a=。象︵篠原三代平・宮沢健一訳﹃ケインズ革命﹄有斐 ︵2︶ =貴誹”ψ鼻︵ay﹃ぎ之§騨§。ミβむ台︵日本銀行調査局訳﹃新しい経済学﹄全三巻、東洋経済新報社、一九四九∼ 閣、昭二七新版昭四〇︶ 五〇︶ ︵3︶ 民㊦岩①即旨冒■噛..目5勺﹃08。。ωo閉O巷凶巨悶9B毘9︵8日ヨ①暮y..騨§ミミ“∼婁§ミ”﹁象轟Pooo罫一8P ︵4︶ 霞簿ωこ・閑・い騨旨携きミミ蕊鱒§。ミ3這超。鼠や堕ひ︵大石泰彦訳﹃世界経済論﹄第五章、第六章岩波書店、一 ︵5︶ 民①巻①。。”旨ヌ讐冥駕G§ミミ塁琶ミ黛織肉§黛遷§ミ一、ミミ馬蔑§“ミ§遷−一£9↓ぼOo=。o叶&ミ葺一夷㎝o︷旨oぎ竃㌣ 九六四︶ 旨費&国2冨伊く算く昌Oす意ミ︵塩野谷祐一訳﹃雇用・利子およぴ貨幣の一般理論﹄昭和五八年 一七章 第二章 ケインズの貨幣管理準則 第一節 通貨主義対銀行主義論争とケインズ 経済の安定・成長に対して貨幣制度が重要な関連をもっているという認識は決して新しいものではない、ロバート ソンは次のように指摘している。 ﹁貨幣制度というのはあたかも肝臓のようなものである。それがうまくいっているときにはあまり私たちの関心を ︵1︶ ひかないが、うまくいかなくなるとひどく関心をひくようになる。﹂ 資本主義経済の不安定性がインフレーションとか不況という形で表面化してくると、常に貨幣制度の重要性が見直 110 ケインズの貨幣思想 されてきたのである。通貨主義対銀行主義論争は、一九世紀のイギリスにおいて、イングランド銀行の組織及ぴ発行 ︵2︶ 券制度の問題に関連して、ピール条例︵℃8一.ω切p爵>。ご一。。食︶の制定をめぐる論争として現われた。通貨主義は、 金本位制の自動調整作用と貨幣数量説に基づいて、輸出︵入︶超過増加←正貨流入︵出︶←通貨膨張︵縮小︶←物価 騰貴︵下落︶←輸出︵入︶超過減少という因果的連鎖を想定し、通貨量の増減を正貨の流出入と結びつけた。一方、 銀行主義は、正貨と通貨の直接的関連を否定し、取引の必要に応じて、すなわち、物価や生産・取引の態様に応じて 通貨量が増減すると想定した。そして貨幣数量説に対して、通貨の膨張︵縮小︶は取引の増大︵減少︶及ぴ物価の騰 貴︵下落︶の結果であって・それらの原因ではないとした。 これより通貨主義を信奉する人々は、インフレーションのような経済的不安定性をさけるためには、一国の貨幣供 給量をその国の正貨保有量に依存させる必要性を強調し、純粋金属貨幣制度、すなわち、もっとも完全と考えられて いる正貨のみが流通する貨幣制度を理想としたのであっだ。また正貨のほかに銀行券が流通しているいわゆる混合貨 幣制度の下では全額正貨準備制度が理想とされたのであった。このように通貨主義の人々は、貨幣制度をあたかも金 属貨幣制度のように扱うか、もしくは金属貨幣制度の型に押しこめることができるかのように考えたといえよう。こ れに対して、銀行主義を信奉する人々は、貨幣量がもっぱら取引に基づいて生まれる社会の貨幣需要に依存して供給 されると考えていたので、通貨主義的な機械的ルールによる信用量の管理は無意味と考えた。ただ銀行主義の揚合に も、信用量に望ましいものと望ましくないものがあるから、銀行による慎重な管理が必要とされたのである。 金による機械的貨幣量の規制か、銀行による貨幣量の管理かという通貨主義対銀行主義の対立は、銀行の発行した 銀行券が中央銀行に吸収され、中央銀行券となるに及んで、通貨主義が表面的には勝利をえたようにみえたが、銀行 預金が貨幣として支配的となっていった事実を考えると、実際に勝利をしたのは銀行主義であったといえよう。別言 111 一橘大学研究年報 商学研究 26 すれば、通貨主義の考え万を厳絡にみれば、中央銀行業務は必要なく、あるルールに従って運営される貨幣委員会だ けで十分だった筈である。しかし現実には、貨幣量を規制する貨幣委員会の権限を超えて、信用量を管理する中央銀 行的政策が発展してきたのである。すなわち、金融政策を担当する中央銀行が発展してきたのである。そして、この 中央銀行は金本位制度を背景にして、貨幣価値の安全をはかり、また経済の安定と成長を維持したのである。 このように資本主義初期においては、貨幣制度の確立と、安定性が同時に国民経済の安定と成長を意味すると考え られたが、両者は常に一致するとは限らない。慢性的失業の出現がこのことを明瞭にしたのである。慢性的失業の救 済を考えたケインズは、貨幣量を一国の金保有量から解放し、完全雇用を達成・維持するのに必要な貨幣量を自由に 供給できる貨幣制度が必要であると主張した。金本位制度への攻撃、そして管理通貨制度確立の主張は、まさにこの ような意義を持つものであった。換言すれば、中央銀行の金融政策能力を十分に発揮させるための貨幣制度が求めら れたといえよう。 ︵3︶ さて、古典的通貨主義と古典的銀行主義とは、−ケインズによって総合されたと考えられる。このことは、ケインズ 理論は、一面において通貨主義的であり、他面において銀行主義的であることを意味している。通貨主義的であると いうのは、ノルムとしての貨幣量を考えているからであるが、古典的通貨主義者が金保有量をノルムとしていたのに 対し、完全雇用の達成・維持をはかる貨幣量をノルムとしたところにケインズの意義がある。また銀行主義であると いうのは、流動性選好説を導入することによって、﹁産業界の必要﹂を重視したところにみられるが、古典的銀行主 義が適正貨幣供給量を個々の銀行の行動原則である銀行鉄則−銀行は経営生産を賄うためにのみ貨幣を発行すべき であり、固定的な工場・設備は経常的な経済活動の結果として生じた貯蓄資金によって賄われるべきもので、銀行の 信用創造によるぺきではないという考えであり、商業貸付主義とも呼ばれている。いわば適正貨幣量を供給する自動 112 ケインズの貨幣思想 的な自己調節メカニズムと考えられる原則であるーに求めたのに対し、ケインズは適正貨幣供給量を完全雇用水準 に対応する有効需要水準の維持に求めたのであり、政策変数としての貨幣量はまさにその水準を維持するものと考え られたのである。このようにして、金本位制度にかわる管理通貨制度は、自由裁量的金融政策を保証するフレームワ ークであり、この制度の確立は政策時代の象徴ともなったのである。 しかしいまやこの自由裁量的金融政策は批判されつつある。一方においては民主体制の下での金融政策はかえって 適正さをかくおそれがあるし、他方においては、金融政策のタイム・ラグの存在により、金融政策の有効性が損われ ることがある。ここにフリードマンは、自由裁量的金融政策のかわりに貨幣的ルールを提唱している。ここに新しい ァンの貨幣管理方式の特色は、現代的銀行主義と呼ばれている。現代的銀行主義が先にみたように、古典的通貨主義 通貨主義が誕生することになり、ケインジァンと対立することになった。フリードマンのルールに対して、ケインジ と古典的銀行主義とを総合しているように、現代的通貨主義も、同様に古典的通貨主義と古典的銀行主義を総合して いると考えられる。 第二 節 古 典 派 の 貨 幣 管 理 準 則 古典派にあっては、国民経済の撹乱要因が貨幣側にのみ求められ、実物側には価格機構が円滑に機能している限り、 なんら撹乱要因がないと考えられたことから、貨幣管理は殊に重要な課題であり、象徴的には金本位制度が採用され たのだった。現実には銀本位制度が採用されたこともあり、また金・銀複本位制度が採用されたこともある。 さて、金本位制は次の二条件に依存している。すなわち、第一に、自由鋳造と自由融解であり、第二に、金の国際 移動の自由である。第一点は、金と貨幣の完全代替性を保証するもので、金による貨幣管理を示している。第二点は、 113 一橋大学研究年報 商学研究 26 国際貨幣としての金の役割を示すものである。純粋金属貨幣制度のように、金貨が実際に使用される場合には、自由 鋳造と自由融解は重要な意味をもっており、金生産の費用というミク・的基準が意義を持っていたが、金属貨幣から 信用貨幣へと次第に移行するにつれて、ミク・的基準の意義はうすれ、むしろ貨幣当局が一定の価格で無制限に金を 売買する用意があるという意味でのマク・的基準が重要となっていった。そして、この金本位制のマク・的基準の理 論的裏付けが貨幣数量説なのである。金本位制といっても、純粋金属貨幣制度というような制度は、現実のものでは なかったことから考えれば、現実の金本位制の下では、金本位制のミクロ的基準よりもマク・的基準の方が重要であ ったと考えられる。 古典派の貨幣管理準則を、その理論的支柱である貨幣数量説によってみるとどうなるだろうか。 貨幣数量説は、古典派の貨幣理論であったが、それは通常次のように示されている。 ミ﹃“壽 ︵一﹂︶ ミ”鳶恕 ︵一る︶ ただし、Mは貨幣量、7は所得速度、為はマーシャルのあ、Pは一般物価水準、劉は実質国民所得、Vや乃は、社 会の取引慣習が変らない限り不変と考えられ、また写は完全雇用所得が仮定された。そして、胚の変化を原因として、 Pの変化がもたらされると考えた。その場合、7と乃は形式的には逆数関係にあるが、7は、貨幣の平均的回転速度 を示すのであるが、乃は貨幣の保有欲求を示している。これより古典派における貨幣価値の安定をはかるために、κ の管理が必須のものとなる。ただMの管理といっても、貨幣量胚は、現金通貨︵ら︶と預金通貨︵D︶とからなり、 またそれぞれの流通速度も7と側と異なっている。︵一般ではゾVゾである。︶故に、班の管理をどうすればよいかに ついて問題がないわけではないが、公衆の現金通貨対預金通貨の保有比率︵εB︶は不変と考えられ、また銀行が預 114 金通貨を創造するためには、預金通貨に対する銀行の支配準備︵丑︶を必要とし、その支払準備率︵R万︶は、慣習 上一定と考えられるから、中央銀行の供給するハイパワード・マネー︵∬︶を管理することによって、一国経済全体 のMを管理することができると考えたのである。すなわち ミ阿9+b 由“£+淘 よって これよりHを管理することにより、彪が管理され、それを通じて貨幣価値の安定がはかられるのである。 金融の未発達の状態においては、貨幣は取引貨幣としてしか機能しえず、7は一定と考えられるが、貸借が存在す る経済となり、貨幣が価値貯蔵機能を果すようになると、貨幣の貯蔵が貨幣の流通速度を低下させ、経済にデフレ的 偏向をもたらすことになる。しかし資本主義の発達した経済を想定すると、貸手と借手が生じ、貸手は手渡した貨幣 と交換に、借手の支払い契約を受領するので、貸手は流動性を手放した代償として利子支払いを要求することになる。 利子支払いは貯蓄への刺激となるが、もし借入れ資金が﹁遊休﹂されるならば、利子支払いを約束することはありえ ない。当然借入れ資金には有利な運用先がなけれぱならない。揚合によっては、借手の支払い契約が流動化され、貯 蔵貨幣以上の貨幣が供給され、経済はインフレ傾向を生じさせるかもしれない。この場合には7の上昇が生じること になる。こうして発達した金融情況の中では、7は一定ではなく、景気変動に応じて変化する。すなわち、好況期に 115 轟柵緋 ケインズの貨幣思想 一橋大学研究年報商学研究 26 おいてはVは上昇し、不況期においては7は下降する。ただ7の変化は、無限大ではなく、ある制約の範囲内である ことはいうまでもない。貨幣管理の上からは、この制約された7の変化を考慮に入れて、丑およぴ翌の管理を行うこ ︵4︶ とが必要とされたのである。 ︵5︶ 第三節﹃貨幣改革論﹄における貨幣管理準則 ﹃貨幣改革論﹄は、貨幣数量説に基づいて貨幣管理準則を考えているという意味において、古典派の立場にあるケ インズを意味している。本書は金本位復帰論に対する批判として書かれたものであるが、金本位に復帰し、為替の安 定をはかるために、デフレ政策をとることは決して得策ではなく、むしろ為替相揚の変更とあわせて貨幣量の管理を 行い、国内物価の安定を重視すべきことを提唱したものである。 では、なぜデフレ政策による金本位制復帰が悪いのか。ケインズはそれを資本主義経済を支える三階級である企業 者階級、投資家階級および労働者階級に与える影響を通じて明らかにしている。すなわち、﹁インフレーシ日ンは、 投資家には有害であり、企業家にはたいへん有利であり、また現代の産業状況においては、全般的にいって労働者階 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 級に有利な仕方で富の再分配を行うということである。⋮⋮一方デフレーシ日ンは、⋮⋮今日のように莫大な法定通 貨による国家債務が存在する揚合には、反対に、金利生活者のほうを有利にし、税金の負担は、社会の生産階級にと って耐えがたいものとなる﹂と主張する。 ︵6︶ 一九世紀の間に発展した資本主義は、二十世紀初頭までに資産階級を企業者と投資家のニグループに分割すること となった。もちろん個人についてみると、企業者が同時に投資家であるために両者の区別はさほど明瞭ではないが、 この区別は﹁経営と所有の分離﹂という事態を考慮する時、きわめて現実的区分と考えられねばならないであろう。 116 ケインズの貨幣思想 投資家を労働者グループに分属させる考えは、﹁経営と所有の分離﹂という資本主義経済の特色を見失うおそれがあ ろう。こうした投資制度は、長期間一定額の貨幣の支払を前もって行う貨幣的投資の契約に関するものであるが、こ の制度を通じて、企業者は自分自身の富のみならず、社会全体の貯蓄をその事業に吸引することができるようになる とともに、また投資家もその資力をわずらわしさがなく、責任を負わず、小さな危険で活用することが可能になった 点で高く評価されてよい制度である。 こうしてケインズは、三階級による資本主義経済の把握を通じて、物価安定の重要性を考えたのであるが、それを 伝統的な貨幣数量説によって主張していたのである。すなわち、 ︵7︶ さ “ 、 ︵ 鳶 十 暮 、 ︶ ただし、πは現金量、Pは生計費指数、乃は現金通貨の実質残高、Tは銀行の現金準備率、溶は預金通貨量の実質残 高であり、為、がおよぴTに変化のない限り、πはPとともに変動すると考えられている。そしてπの増減を現金通 貨のインフレ・デフレ、7の減少・増大を信用のインフレ・デフレ、また乃、彫の増減を実質残高のインフレ.デフ レと呼んで、乃とがに注目している。こうして、ケインズは物価の安定と貨幣価値の安定性を重視し、金融政策の重 要な課題としたのである。 ところで、ケインズは現実の物価の安定を重視したばかりでなく、物価安定の懸念、いいかえればインフレ期待の 重要性をも指摘している。これは現代の経済社会が貨幣契約制度に基づいていることからくるのである。 ﹁長い生産過程の間、企業家たちはー賃金、その他の生産費の支出を貨幣で支払い1後日、生産物を販売して 貨幣で受け取るという期待に基づいて、貨幣の形で支出するのである。つまり、企業家たちは全体として、常に物価 騰貴にょり利益を得、また物価下落によって損失をこうむる立揚にたたなければならない。4企業家たちは常に大 117 一橘大学研究年報 商学研究 26 きな投機をせざるをえない﹂そしてこうした事態は専門の投機家が生産者のために投機的危険を引き受けても本質的 ︵8︶ に変わらないのである。そのため﹁物価変動が現実に起ると内ある階級の利益を増し、また他の階級に損害を与える ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ばかりでなく、物価下落に対する一般の懸念もまた、生産過程を停滞せしめる。なぜなら、物価下落が期待されると、 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 投機的に﹃強気﹄の立揚をとろうという人が十分見つからず、したがって、企業者は貨幣受取りまでの長い生産期間 た っ て 貨 幣 を 支 出 す る こ と ず る の で あ る 。 物 価 下 ヤ落 の に わ を 好 ま ず 、 こ こ か ら 失 業 を 生 事ヤ 業は企業者に損失を与える。 だカら物価が下落するという恐れがあると、活動を縮小して保護しようとする﹂と主張し、貨幣経済における企業者 ン 、・ ︵9︶ 活動の不確実性を指摘している。 このようにケインズは期待の要因を重視していることは、近年のマネタリストの分析を思い出させるものがあると いわねばならない。 ﹁物価の動きに関する期待は、それが広範囲に普及すると、ある点まで累積的な結果をもつために事態はさらに悪 化する。もし、物価が上がるという期待があり、しかも企業がそれにしたがって行動すると、そのことだけでしばら く物価を騰貴させ、そのことが期待を実証するため、さらに物価を上げる。物価下落の場合も同様である。こうして、 ︵10V 最初は比較的弱い刺激であっても、大きな変動を生ずるに十分なのである。﹂ それよりして、﹁物価が、一般的に下落するとか下昇するとかいう確たる期待がけっして生まれないようにするこ と、そしてまた、万一そうしたことが起こっても、その運動が大きくなるような重大な危険が生じないようにするこ ︵U︶ とであって、これが、個人主義の致命的病気を治す最上の方法﹂だということを明らかにすることが、本書の目的の ひとつであると主張している。 このようにケインズは﹃貨幣改革論﹄において﹁期待﹂の重要性を指摘したのであるが、それはインフレ期待にと 118 ケインズの貨幣思想 どまっていたのであり、期待を経済主体との関連で広く把握してはいない。 量説的枠内にあることの表われである。 ︵珍︶ 第四節 ﹃貨幣論﹄における貨幣管理準則 これは、﹃貨幣改革論﹄がいまだ貨幣数 ケインズは、﹃貨改革論﹄の理論的核心であった貨幣数量説を自己批判するとともに、超国家的中央銀行の提案を 行うことによって、世界経済秩序の確立の理論的支柱を提案しようとした。その第一歩は、まず貨幣価値︵口貨幣の 購買力︶の概念を明確にすることであった。ケインズによれば、従来の貨幣価値概念は、消費標準によるよりも、む しろ通貨標準によっていたと主張される。これは且ハ体的には、現金取引標準と現金残高標準とからなるが、これらは 主として貨幣数量説において貨幣価値と考えられていたものであり、種々の商品をその消費者に対する重要度に比例 ︵B︶ して加重するのではなく、現金取引量かあるいは現金残高量かのどちらかとの関連でその重要性に比例して1加重 する﹂ものである。両者の具体的な相違は、通貨標準は、消費標準よりも﹁財貨をはるかに高く加重し、用役をはる かに低く加重すること、そして前者が金融的取引の対象を包含するのに対して、後者がこれを除外することであり、 このために資本材の取引額が消費財のそれに比較して相対的に変動しつつあるとき、あるいは商品の価格が用役の価 ︵MV 格に比較して相対的に変動しつつあるときには、この二つの型の標準の変動は非常に異なるであろう﹂と主張される。 こうして、ケインズは、厚生の視点より貨幣の価値を考える時、それは消費標準によるぺきであるとしている。 ︵15︶ ケインズによる第二の批判は、いわば経済活動の原動力とでもいうぺきカ、すなわち利潤に関する分析を貨幣数量 説が見逃していたことに向けられる。貨幣の実質残高は企業をして、その産出高を拡張も縮小もさせないが、利潤や 損失はそうしたカをもつのである。その上、重要なのは、現実の利潤や損失だけではなく、むしろ利潤や損失の期待 119 一橋大学研究年報 商学研究 26 120 ︵蔦︶ なのであると主張される。 さて、利潤は﹁需要価格﹂︵市揚価格︶とその供給価値︵生産費︶の差額である。それ故、基本方程式を作成する ことにより、価格と生産費との動向を研究した。これらの研究は、貨幣数量説批判の第三番目のものである。 ︵17︶ 総貨幣所得U意外の利潤を除外した稼得額“生産費 産出高単位当りの稼得額︵互0︶ 貯蓄”所得 ︵ E ︶ i 消 費 ︵ 朋 ︶ 0 投資財の価値”戸 全セクターでの利潤︵損失︶睦軌十傷 投資財セクターでの利潤︵損失︶ 消費財セクターでの利潤︵損失︶ 財全体の価格水準”Pと戸の加重平均 投資財の価 格 水 準 消費財の価格水準”貨幣価値の逆数 新投資財 消費財 総産出高HE+σ 総貨幣所得のうち消費財生産により稼得されたもの”消費財の生産費 総貨幣所得のうち投資財生産により稼得されたもの”新投資の生産費 研、1s g9291πP/PσR OE−1’■E ケインズの貨幣思想 θ 効率係数 ﹃ 人間の稼得額ー略 ご 貨幣理論の基本問題は、単にある種類の貨幣数量説を静態的に確立することではなく、動態的視野の下で、物価水 準決定の因果過程と移動均衡の態様を明らかにすることにあるとし、﹁貨幣を使用する目的とは無関係に、その総量か ら説明を始めている伝統的方法と挟を分かち、その代わりに⋮⋮社会の収入すなわち貨幣所得の流れと、そしてその ニ重の分割、すなわちe消費財および投資財の生産のそれぞれによって稼得された部分と、⑭消費財およぴ貯蓄のそ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ れぞれに支出される部分とに分けることから始めることにしようと思う﹂といっている。ただここではπではなく ・・⋮ ︵18︶ 、 Pが貨幣価値の逆数とされていることに注目しなければならない。 消費財セクターの利潤︵軌︶は、次のように示される。 ◎一目勺肉1︵肉1﹄、︶“∼、1硫 R また消費財セクターの利潤は、消費財への支出︵班︶と消費財セクターでの所得︵匿︶の差であるから、次のよう に示される。 ◎一”、淘ーミ葛 。.り 、肉”ミ一鵠十〇一 これよりケインズの第一基本方程式が得られる。 葡 O 謁 ㌘ぎ+陣踊陶+国、あ ︵一︶ また次のようにしてケインズの第二基本方程式が得られる。 121’ 122 、葡十、、O ︵睡1じo︶十∼ 肉 ㌧ーの 葛” o 目 o “q+司 ︵N︶ 資の価値額を貯蓄に等しくさせるようにすることを必要とするのであるが、それは、もしそうでなければ企業者は正 ﹁貨幣の購買力に関する均衡の条件は、銀行組織がその貸出しの率︹すなわち期間当りの貸出量︺を調整して、投 これよリケインズは次のように主張する。 その結果全体としての産出高の価格水準は幽に表しくなる。 般理論﹄における資本の限界効率である。かくして、自然利子率は、貯蓄・投資を正確に均衡させる利子率であり、 はなく、市揚利子率と比較しうる貨幣タームでの利子率概念である。換言すれば、ケインズの自然利子率概念は、﹃一 物価安定の第三条件は、自然利子率と市場利子率の均等である。自然利子率は、ヴィクセルの実質利子率と同一で 物価安定の第二条件は、◎㌔、ーoo“ρO“・”∼1国、“ρ◎“㌧ーQ”oより、∼、”の\”国、およぴ国”ooとして示される。 なることを意味している。 物価安定の第一条件は、利潤、9、磁および9がそれぞれ零となることである。このことは、、”肉“ぎ”トミと 恥 である。 これらの基本方程式に従って、ケインズは、貨幣管理準則を考え、物価安定の四条件を示した。それらは次の如く 昌”ヨ+司罐州ミ+司 ︵N、︶ ∼1硫 一 h − o Q 、”ヨ+判”吋﹃+﹂﹁ ︵一、︶ ﹄、ーの 一 、1防 両方を次のように変形することもできる。 一橋大学研究年報 商学研究 26 あるいは負の利潤の影響を受け、彼ら自身の意向にしたがい、そしてまた同時に彼らの使用できる銀行信用の豊幽口田さ もしくは不十分さに影響されて、その生産要素に対して提供する平均的な報酬率凧を︵その揚合揚合に応じて︶増加 あるいは減少しようとするだろうからである。しかし均衡の条件はまた、新投資の費用が貯蓄に等しいことをも必要 ヤ ヤ とするのであって、それは、もしそうでなければ消費財の生産者が利潤あるいは損失に影響されて、その産出の規模 ︵19︶ を変更しようとするようになるだろうからである。﹂ 最後に物価安定の第四条件は、貨幣の購買力の長期的基準もしくは均衡基準に関するものであり、㌔”ηHヨ” 一 ところで﹃貨幣論﹄における利潤は、意外の利潤︵損失︶に限定され、正常利潤は除外されていた。これは﹃貨幣 いる。 ることがわかるであろう。これは、﹃貨幣論﹄の基本方程式が貨幣数量説に対する批判を示していることを意味して これより﹃貨幣論﹄における貨幣管理準則は、貨幣供給に関連するばかりでなく、物価安定の第四条件にも関連す よりもたらされたものと考えられるーの両方を含んでいるからである。 すなわち、ケインズの所得インフレは、自発的要素と誘発的要素ーこれは超過利潤の結果、需要が増大したことに ケインズによる利潤インフレと所得インフレの区分は、近年の需要インフレとコストインフレの区分と同じではない。 の変化により惹き起される物価の変動であり、第四条件に関連している。しかしパティンキンの指摘にもあるように、 ︵20︶ 窺および9︶により惹き起された物価の変動であり、第一条件から第三条件に関連しており、後者は生産費︵旦0︶ ケインズは物価の変動を二つに二分している。すなわち、利潤インフレと所得インフレである。前者は、利潤︵軌、 恥 論﹄が基本的に完全雇用を前提とする古典派の枠内にあったからであろう。動態過程においては、正常利潤もまた考 123 ーミで示される。 ケインズの貨幣思想 124 察の対象とされなければならず、それは﹃一般理論﹄を待たねばならなかったといえよう。 に送達する過程を含む︶﹂における貨幣の流通と考える。さらに産業的流通における貨幣は所得預金と営業預金五で ︵23︶ 交換以外の︶経済活動︵その中には株式取引所および貨幣市揚の取引、投機ならびに経常貯蓄と利潤とを企業者の手 払う経済活動﹂における貨幣の流通、後者を﹁富に対する既存の権利を保有しまた交換する︵産業の分化に起因する ︵22︶ が生産の最初の出発点から消費者の最終の満足に至るまでの問に遂行する種々の仕事に対して、彼らにその所得を支 を、産業的流通と金融的流通に区分し、前者を﹁経常的産出、分配およぴ交換の正常な過程を維持し、また生産要素 ストラの指揮者の.ことく、銀行券発行高およびその預金の総計を支配し得ると考えられている。そして、貨幣の流通 このように企業者に対する資金供給源としての銀行行動が注目されているが、これと関連して中央銀行は、オーケ て進むかぎり、銀行が安全に創造しうる銀行貨幣の額には、何らの限界もないことは明らかである。﹂ 、 、 、 、 、 、 ︵21︶ 銀行相互間の債務は︹現金以外の︺他の資産の譲渡によって決済すると仮定するならば、それらの銀行が歩調を揃え ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 的な銀行組織を想像し、さらにまた、このような事情のもとで銀行はすこしも現金準備を保有している必要を認めず、 ﹁すぺての支払いが小切手で行われ、現金がまったく用いられない国で、外部の世界とは何の関係も持たない封鎖 てみなければならない。この点に関して﹃貨幣論﹄では銀行の信用創造が重視されていることに注目してよいだろう。 のである。このような銀行主義的思考に立って貨幣問題を考察する揚合に、銀行の行動をより前面におし出して考え が支配的であり、むしろ現金通貨は金融政策手段の対象として、また少額支払の方法として利用されているにすぎない 的思考に強く影響されていたと考えられるのであるが、現実の資本主義経済においては、銀行貨幣としての銀行預金 察はなされていたが、それらは結局のところ現金通貨の管理下におかれていたように思われる。その意味で通貨主義 さて貨幣数量説に対する第三の批判は、銀行行動の重視にあるといえよう。貨幣数量説においても、銀行預金の考 一橋大学研究年報 商学研究 26 ケ.インズの貨幣思想 あり、金融的流通における貨幣は貯蓄預金と営業預金B︵これは売買される証券の取引量とその平均価値の積に依存 する︶とされる。しかし産業的流通における貨幣の変化は、厳密には所得預金の変化と一致しないかもしれないが、 貨幣所得の総計Eとともに、すなわち経常産出物の量およびその生産費とともに変ずるものと考えられている。 こうして貨幣の金融的流通の存在が﹃貨幣論﹄での新しい視点であり、そこに新しい分析が生まれた。すなわち、 ︵%︶ 金融的流通では、貯蓄預金が重要があるが、これは二つの種類に分かれる。貯蓄預金ヨは、﹁恒常的に証券よりも貯 蓄預金の保有の方を選ぶ富の所有者﹂に関連するのに対し、貯蓄預金Bは、いわゆる弱気筋による流動性保有に関連 し、流動性選好説として結実するのである。ヒックスは、ケインズのこの分析を、貨幣理論に選択理論を導入した噛 矢として評価している。 ︵25︶ 貨幣の金融的流通は、貨幣経済の撹乱要因ともなるが、逆に貨幣経済不安定のクッション役としても重要な意義を 有している。 ︵26︶ 第五節 ﹃一般理論﹄における貨幣管理準則 ﹃貨幣論﹄においては、意外の利潤のみを分析対象としていたケインズは、﹃一般理論﹄において、全体としての 利潤をとらえようとしている。利潤は企業者が、その期間に販売された産出額がその主要費用を超過する額と定義さ れる。主要費用は、要素費用−企業者が他の生産要素に対してその用役と交換に支払った金額であり、生産要素か らみれば、その所得となるものであるーと使用者費用とからなる。使用者費用を定義するのは困難であるが、次の ように行われる。すなわち、企業者の売上額をいま且とし、他の企業者への支払をムとしよう。その際、期末にσの ︵27︶ 価値の資本を保有していたとすれば、一応且+σームという値が得られるが、この中には、ア︸の期間の活動に帰属す 125 一橋大学研究年報 商学研究 26 ぺきというよりも、むしろその企業者の保有した期首資本ストックに帰属すべき部分があると考えられる。いまかり に企業者が生産のために、その資本を使用しなかったとしても、その資本の維持と改良のために支出しなければなら ない最適額があると考えられる。すなわち、企業者がその維持と改良のために亙の費用を支出し、それだけの費用を 支出したために、期宋においてそれがαの価値をもったと仮定しよう。αー翌は、期首資本ストソクが且を生産する ために使用されなかった場合に、前期から保持された最高純価値であり、資本ストックのこの可能的価値がθ1πを 超過した額、すなわち、︵αー8︶1︵σ/ん︶は、五を生産するために用した費用、すなわち使用者費用と考えよ う。こうして利潤が正確に定義されるが、この極大化こそ企業者が生産要素をどれだけ使用するかを決意する時の目 安である。要素費用と利潤との合計が国民所得であり、また総売上額から使用者費用が差引かれたものが国民所得で ある。またこの利潤は期待に動かされる可能性が強いことも﹃貨幣論﹄の揚合と同様である。こうした利潤の分析こ そ、貨幣数量説への第一の批判なのである。 貨幣数量説への第二の批判は、それが﹁貨幣ヴェール観﹂を意味し、﹁貨幣経済﹂の分析として不満足のものであ ったことである。それは﹁古典的二分法﹂とも呼ぱれているが、古典派が価値の理論と呼ばれているものを取扱って いる揚合には、諸価格は需要・供給の状況によって支配され、とくに限界費用の変化と短期供給の弾力性が支配的な 役割を演ずるが、貨幣および物価の理論に移ると、そこでは物価水準は貨幣数量や所得速度等により支配されるのみ で需要供給の弾力性との関係はほとんどであるいは全くなされていなかった。ここにケインズは、このような古典的 二分法から脱却して、価値の理論と貨幣・物価の理論を統合し、貨幣経済の分析を行うためのフレームワークを作成 ︵認︶ しようとしたのである。 ケインズは、旧来の貨幣数量説が完全雇用を前提にしてはじめ成立することを明らかにするために、﹁一般化され 126 ケインズの貨幣思想 た貨幣数量説を提示する。それは三段階の手続きで導入されている。第一は、有効需要が産出量と物価の変化に及ぼ ︵29︶ す影響について解明が行われ、第二に、貨幣賃金の変化が物価に及ぼす影響について解明される。そして第三に、貨 幣が導入され、貨幣数量の変化が有効需要に及ぼす影響が解明される。 いま−を貨幣蟄の変化に対する物価の弾力性︵逃輩髪幣数量の変化に対する需要の弾力性︵鴫離Y また警効誓変化に対する物価の弾力性爺\購︶とすれば、次のよ−になる. 旺︷一1恥。︵一ーε︶︸ε “”書.3 ただし、蔓賃金単位で測・た︶有効需董を対する産出量の弾力性爺\準磐効需要の変化に対す る貨幣賃金率の弾力性︵嚢鴫︶である. 、 これより、8”一かつ8”一であれば、あるいはまた£”一かつ3豚Oであれば、o“一となる。この場合には、 貨幣数量の増加に対応して物価が比例的に上昇するという貨幣数量説が成立することになる。したがって、上式は、 ﹁一般化された貨幣数量説﹂と考えられるが、ケインズの真意は、貨幣数量説とむしろ逆で、いかに貨幣量から物価 への因果関係が頼りないものかを示すことにあったと考えられる。ただここで注目したい点は、有効需要が強調され てはいるものの、貨幣供給量が受動的であると考えられてはいない点である。したがって、貨幣供給量の撹乱が問題 となり、貨幣量の管理が重要となったのである。 貨幣数量説に対する第三の批判は、均衡概念にある。古典派における均衡概念は、いうまでもなく完全雇用均衡で あり、それは唯一の均衡で、他の状態は不均衡の状態と理解されている。これに対して、ケインズは多元的均衡の概 127 一橋大学研究年報商学研究 26 ︵30︶ 念を提示する。具体的には不完全雇用均衡の成立である。もちろん古典派の完全雇用均衡に対して、動学的不均衡理 論の提示もありうる。ケインズ解釈の一つにこうした動学的不均衡理論としてケインズを考えるグループがあるけれ ども、筆者はケインズの特色を不完全雇用均衡の成立に求めたい。それは如何にして可能となるのか。精しくは次節 で考察することにし、均衡の一元性による貨幣数量説に対して、均衡の多元性に基づく貨幣理論を考えようとしたと 考えたい。 ︵31︶ 貨幣数量説の第四の批判として、投資・貯蓄分析がある。﹃貨幣論﹄においては、投資と貯蓄の均等となるように 自然利子率に市揚利子率を調整したのでるが、﹃一般理論﹄においては、たえず貯蓄と投資は均等となると考えられ、 ここに均衡の多元性の意味がある。したがρて、望ましい均衡である完全雇用均衡を成立させるためには、投資が完 全雇用貯蓄に等しくなるように、投資を管理しなけれぱならない。金融緩和政策により、利子率を低下させるだけで 投資が十分に増大しないならば、財政政策による財政支出の増加が必要となるかもしれない。投資が完全雇用貯蓄を 上回る揚合には、インフレ傾向が生ずるので金融引き締め政策により民間投資を抑制するか、財政緊縮政策による財 政支出の減少が必要となる。前者の場合を、デフレギャップと呼ぴ、後者の揚合をインフレギャップと呼ぶが、貨幣 管理準則としては、こうしたギャップをなくすように、投資を管理することが必要なのである。通常、自由裁量政策 が政策の任意性を意味するかのように理解されているけれども、ケインズの貨幣管理準則もマネタリストのルールと は異なるが、明確な基準に応じて貨幣量を管理することが必要なのである。 古典派の具体的制度であった金本位制度は、金により貨幣供給量が制約されたことにより、インフレギャップ、デ フレギャップを除去できないおそれがあったから、ケインズはそれを廃止し、自由に貨幣量を管理できる管理通貨制 度の確立に努めたのである。 128 ケインズの貨幣思想 ︵32︶ 貨幣数量説の第五の批判として、流動性選好説の提唱がある。貨幣ヴェール観としての貨幣数量説によれば、貨幣 供給は物価水準に影響するだけで、利子率を決定できないと考えられたので、これらに対して貨幣量が利子率決定に 重大な役割を果すことを明白にしようとしたのであるが、ハ・ッドのコメントもあるように、ケインズはこの点でや ︵33︶ や行き過ぎたようであり、当然に投資や貯蓄も利子率決定に重要な関連をもつと考えられる。 ここでもまた均衡の多元性が間題となる。 ﹃貨幣論﹄では唯一の利子率として自然利子率が定義されたが、これは 完全雇用均衡のみが唯一の均衡であるという考えの下では意味があるが、不完全雇用均衡の成立を考えるようになる と意味を失っしまう。 ヤ ヤ ヤ ヤ ケインズは、﹁どんな社会においても、この定義によれば、仮説的な各雇用水準に対して、一つの異なった自然利子 ︵糾︶ 率が存在するという事実を見逃し﹂た結果だとしている。そして、﹁もし唯一の重要な利子率が存在するとすれば、 ヤ ヤ それは中立利子と呼ぴうる利子率でなければならず、それは、経済体系の他のパラメーターを一定とした場合、完全 ヤ ヤ 雇用と両立する上述の意味での自然利子率である。もっともこの利子率はおそらく最適利子率といった方がよいかも しれない﹂と主張している。 ︵35︶ 第六節 均衡概念の多元性−不確実性の経済学 古典派の経済学では唯一の均衡として完全雇用均衡が考えられていたのに対し、ケインズは不完全雇用均衡を提唱 したと考えられる。もちろん、これに対して強力な批判がないわけではない。不完全雇用均衡の成立と思われるもの ︵36︶ は、実は価格の硬直性に基づいて成立する一時的性格のものであり、価格の伸縮性が回復すればやがては完全雇用均 衡の実現が考えられることからすれば、不完全雇用均衡とみられたものは実は不完全雇用不均衡と考えられなけれ 129 一橋大学研究年報 商学研究 26 ばならないという主張である。換言すれば、ケインズ経済学は、賃金・価格の下方硬直性に条件づけられた理論であ ︵37︶ り、賃金.価格の伸縮性を仮定している古典派経済学の一特殊理論と考えられたのである。たしかに、ケインズ経済 学がーS.L躍モデルに基づいて展開された限りにおいて、この批判は妥当すると考えられるが、そもそもーS・L κ分析では、重要な不確実性の要素が見逃されていたのであり、その点を考慮すれば、たとえ価格機構が円滑に機能 したとしても、完全雇用均衡が達成されないことも十分に考えられるのである。すなわぢ不完全雇用均衡の実現の可 能性である。では、その不確実性の要素とは何か。 そもそもケインズ経済学は不確実性の経済学と考えられる。﹃貨幣改革論﹄、﹃貨幣論﹄﹃一般理論﹄と、ケインズの 不確実性の取扱い対象が変化してきたと考えられるけれども、一貫して﹁不確実性﹂に注目してきたところが、古典 派の経済学との相違ともいえよう。まず、﹃貨幣改革論﹄においては、インフレという要素が各経済主体に与える不 確実性の影響が分析された。資本主義経済がすぐれて貨幣経済的性格をもつことによって、この不確実性導入は、現 実的にも理論的にも重要間題だったと考えられる。この不確実性の増大は、資本主義経済の貨幣機構を破壊すること によって、社会主義経済への移行の可能性も考えられたりしたのである。しかし、﹁貨幣錯覚﹂の分析は、この不確 ︵38︶ 実性間題を解消したのである。すなわち、インフレによる貨幣錯覚に落ち入っている短期においては、労働者は実質 賃金の低下に気付かず労働供給を増加させるかもしれないし、資金の貸手は実質利子率の低下に気付かず資金の貸与 を続けるかもしれない。しかしやがて、労働者も資金の貸手もインフレによる実質値の減価に気付くであろう。そし て、インフレ率を正確に予想できるようになり、貨幣錯覚から解放されるような長期の状態においては、そのインフ レの下で労働者は完全雇用での正常実質賃金率が保証される名目賃金率︵実質賃金率プラス期待物価上昇率︶を得る ように努めるであろうし、資金の貸手も、完全雇用での正常実質利子率が保証される名目利子率︵実質利子率プラス 130 ケインズの貨幣思想 期待インフレ率︶を得るように努めるであろう。この反面インフレ下で利益を得ていたものは、その債務者利益をな くすことになる。﹃貨幣改革論﹄では、古典派的伝統の上にあったケインズは、その中での唯一の不確実性要因であ るインフレを考察したのであるが、﹁貨幣錯覚﹂の分析、さらには合理的期待の分析により、このような不確実性要 素は喪失されたといってもよいだろう。 ﹃貨幣論﹄およぴ﹃︸般理論﹄における不確実性の要素は、インフレという要素ももちろん重要視されていたが、 新しい不確実性の要素として、投資行動や貨幣需要行動との関連で不確実性が問題にされたのである。投資は消費と 比較すると極めて浮動的であるが、それは投資が資本の限界効率に大きく影響されると考えられたからである。景気 変動はまさに資本の限界効率の変動によってもたらされるのであり、金融政策が管理しうる利子率は、それ程大きな 影響はもたないと考えられた。投資の中でもとくに設備投資が重要であるが、これには長期期待が深く関係すると考 えられ、それだけに不確実性が問題とされたのである。また貨幣需要については、取引貨幣需要と資産需要に区分さ れ、不確実性との関係ははじめ後者との間でとくに問題にされた。すなわち、価値貯蔵機能をもつ金融資産として貨 幣と債券が考えられ、両者の選択の結果としての利子率が決定されると考えられたが、ここに﹁強気﹂﹁弱気﹂とい う投機が存在することから撹乱がおこると考えられたのである。とくに﹁弱気の状態﹂が出現すると、債券よりも貨 幣が選好され、いくら貨幣の供給を増大させても、貨幣需要が無限大となり利子率は低下しないと考えられたのであ る。このように貨幣需要にも不確実性への配慮がみられたのである。また取引貨幣需要についても、それはマーシャ ルのように一見安定的と考えられるのであるが、﹁金融動機﹂の視点から考えると、企業は投資を遂行するのに投資 ︵39︶ 資金を獲得しなければならず、それが獲得できなければ、投資を実現できないという意味で、不確実性に対する配慮 がまた重要となると考えられる。貨幣経済においては物々交換経済と異なり、﹁貨幣は商品を買い、商品は貨幣を買 131 一橋大学研究年報 商学研究 26 う。しかし、商品は商品を買わない。﹂という特色があることを考える時、この視点は重要なのである。このように、 ︵㈹︶ 不確実性という問題は、インフレ関連だけでなしに、経済活動の全面に及んだのである。しかしながら、こうした不 確実性もまた価格機構−先物取引の発達などによりーに吸収されてしまうならば、不完全雇用均衡は成立しなく なるかもしれない。調整過程が長くかかり、﹁長期においては、われわれは皆死んでしまう﹂としても、論理的には ︵41︶ 不完全雇用不均衡と考えなければならなくなる。 ケインズの不完全雇用均衡の成立のためには、さらに新しい不確実性の要素を必要とする。それは、従来の価格と 数量に関する不確実性に加えて、品質に関する不確実性を考慮することを意味する。これはスティグリッツ等によっ て分析されている品質に関する情報の不完全性により明確となりつつあるものである。スティグリッツは、貸付市揚 ︵42︶ を中心に分析している。それによると、貸付市場で取引される金融商品は、その異質性が極めて高く、さらに最終的 借手と金融機関との間において、金融商品の品質に関する情報の非対称性が存在すると主張される。非対称性という のは・最終的借手は、その金融商品が自己の発行する本源的証券であるから、その品質に関して情報優位者であり、 金融機関は情報劣位者となることをいう。それ故、金融機関は、その情報の劣位性を補うために、借手の信用度に関 する情報の収集・分析活動が重要となる。金融機関の審査機能もしくはその能力が重視されるのは、ここに起因して いる。しかし、金融機関の審査機能がたとえどんなに充実したとしても、金融機関は、借手の債務不履行の危険から 完全に逃れることはできない。もし金融機関と借手が、一回限りの関係、あるいは匿名の関係にあるならば、借手は なんの制約も受けずに債務不履行と返済との眠で自分自身にとって有利な選択を実行するであろうが、金融機関と借 手との間に持続的な顧客関係が形成されると、その関係が借手の債務不履行に対して制約として作用することになる し、また情報収集・分析活動のコストの面からも、この顧客関係は金融機関にとって有利に作用するア一とになろう。 132 ケインズの.貨幣思想 さらに、品質に関する情報が不完全である状況においては、利子率が需給調節機能とともに、品質に関する情報の伝 達機能をも果すようになる。利子率が、一種の審査機能を有するようになる。借手が提案する借入利子率が相対的に 高い揚合には、金融機関はその借手のリスクが高いのではないかと懸念するようになる。その時、金融機関は﹁高収 益高リスク﹂のパターンを想定して、借手に対応することになる。 スティグリッツとワイスのモデルによると、金融機関は期待収益すなわち貸付によって受取る利子率と貸付のリス ク︵返済確率︶に関心をもつと想定する。他方、金融機関と借手との間に品質に関する情報の非対称性が存在するた めに、利子率は、逆選択効果と誘発効果と名付けられる二つの効果を通して、貸付プ;ルのリスクに影響を及ぼすと ︵43︶ 考えられる。逆選択効果とは、利子率が潜在的な借手を分別する効果をいうのであり、借入利子率が高まると、低収 益低リスクの借手は借入れられなくなり、高収益だが高リスクの借手だけが借入を申し込むようになる。その結果、 金融機関貸付全体に占める高リスクの借手の割合が高まり、貸付プールの平均リスクが高まることになる。また誘発 効果とは、利子率が借手の行動に影響を及ぼす効果をいうのであって、利子率が高まってくると、借手は、成功の確 率が低くとも成功すれば高収益を得られるプロジ。クトに着手するようになることから、利子率の上昇が同一の借手 グループに対して、高リスクの行動を誘発し、貸付プールの平均リスクを高めることになる。 ところで、利子率が、これら両効果を通じて金融機関の貸付プールのリスクに影響を及ぼす揚合には、金融機関の 期待収益は利子率の上昇ほど増加しそうにない。そしてある臨界的な点を超えると、期待収益が減少することも予想 ︵覗︶ できる。そのような臨界的な利子率で、金融機関の期待収益は極大となる。それを銀行の最適利子率〆と呼ばう。第 一図は、利子率ヂと期待収益率戸との関係を図示したものである。 さて、前述の関係を基にして、貸付市揚の需給関係を考察しよう。借手の資金需要’は、金融機関により請求され 133 一橋大学研究年報 商学研究 26 第1図 期待収益率戸 雪 一 鱒 帥 一 − 一 一 − 働 一 − 一 一 一 陶 一 闇 o ︵ジ 利子率γ る利子率・γに依存する。これは第一象限に示された右下がりの♂曲 線として描くことができる。また、金融機関の資金供給がは、第三 象限に示されるように戸の上昇に伴って増大すると考えられる。さ らに、ヂと戸の関係を第四象限に描き、第二象限に四五度線を描く ことにしよう。これより各利子率について、第四象限から第三象限、 第二象限を通って、それに対応する貸出資金供給をプ・ットしてい くと、第一象限にが曲線を描くことができる。これは、グで貸付資 金供給が極大となる非単調な関係として示される。 ︵“︶ り ゆ さて、二つのケースを考察する。第一のケースは資金需要曲線が 玩の揚合で、第二のケースは恥の場合である。第一のケ⋮スから考 えよう。この場合には、銀行の最適利子率〆で貸付資金の超過需要 るが存在していることがわかる。この際銀行が〆以上に利子率を引 上げると、貸付の期待収益率戸は低下してしまう。したがって、銀 行は資金の超過需要にかかわらず、利子率の引上げをしようとせず、 五点で均衡が達成され、るだけの信用割当が生ずることになる。こ うした状況を信用割当均衡と呼ぶことができよう。これに対して、 第二のケースは、超過供給均衡と呼ぶことができる状況である。こ の場合、銀行は、自己の顧客の中で誰が信用度が高く、誰が信用度 134 ケインズの貨幣思想 第2図 L ゐ1 A LF 呂L 量旦 ︵γ 零1 一i巳1[IIlI 罷戸(ア) LS=Lε(戸) 超 Bi l ‘ 閂ρ が低いかを知っているが、競争相手の銀行、 にはそのことがわからないと仮定する。ある 銀行が相対的に低い利子率を提示することに より競争相手の顧客を引きつけようとする揚 合を考えてみよう。この揚合、顧客の信用リ スクが低いならぱ、そのオファーは競争相手 により同様に低い利子率によって対抗される であろうが、その顧客の信用リスクが高いな らぱ、そのオファーは競争相手によって対抗 されることはないであろう。その結果、銀行 は利益の少ない顧客を引きつけることにおい て成功するだけであるから、貸付プールの平 均リスクの上昇によって、銀行の期待収益は 受取利子収入の減少以上に低下すると考えら れる。こうした予想の下に銀行はあえて利子 率の引下げをせず、競争相手の顧客を奪おう としないかもしれない。それ故に需給均衡点 易ではなく、B点で均衡が達成され、そこで 135 ^ 専 45。 乙 LS 一II LS Eo :III E1 1 1 1 巳 [ 1 一橋大学研究年報 商学研究 26 は昂だけの超過供給が存在するのである。 このモデルは、次のことを明確にする。それは、貸付市揚では、価格調整よりもむしろ数量調整が支配的であると いう事である。換言すれば、利子率が硬直的となる傾向があるということであり、そのために信用割当や超過供給の まま均衡することになる。そして、このような不均衡的均衡は、人為的のものではなく、貸付市揚の特性、すなわち ︵ 葡 ︶ 品質に関する情報の非対称性に起因すると考えられる。 さて、このような品質に関する情報の不完全性は、貸付市場のみならず、他の市揚にも拡張することができる。代 表的市揚として、労働市揚、生産物市場および証券市揚について順次考察しよう。 さて、教科書的企業の場合には、同質的な労働者を仮定していたのであるが、ここでは労働者の質の差異を考慮す ることにしよう。すなわち、労働者は、自分自身の労働の質を高めて、高賃金を得ようとして、教育等の先行投資を 行っているので、その先行投資を回収しなけれぱならない為に、高品質の労働者は高賃金を要求し、そしてその要求 は低晶質の労働者よりも強いと考えられる。この前提の下で、逆選択効果と誘発効果が考えられる。前者は、賃金が 低下すると、高品質労働者が労働を提供しなくなり、低品質労働者の割合が高まる効果と考えられ、後作は、賃金が 低下すると、同一品質労働者でも労働意欲を失って、労働の質の低下をひき起こす効果と考えられる。両効果を通じ て、賃金の低下は、労働の質を低下させる可能性があり、それガ労働の生産性の低下をもたらすというリスクとして 考慮に入れる必要がある。ところで、この場合の非対称性は、労働者が情報の優位者となり、企業が情報の劣位者と なる。 いま企業の期待利潤率と賃金率との関係を考えると、次図のようになる。すなわち、賃金率の低下は、通常企業の 費用低減を通じて期待利潤率を高めるが、ある臨界点、ωを超えると、逆に労働の質を低下させると考えられる。ア一れ 136 ケインズの貨幣思想 幅 働 一 . . 簡 1 ・ 一 〇 一 一 一 顧 〇 幡 一 一 一 ■ 一 ω 〇 一 零 賃金率 の嘩 第4図 ω _LD 労働需要 よりまた労働需要は、賃 金の低下に伴って増大す るが、ある臨界点、ω以下 に低下すると、労働需要 は増大せず、かえって低 下することが予想される のである。 貸付市揚と同様に四象 限図を描いてみよう。こ の揚合情報の劣位者であ る企業の労働需要曲線が して、超過需要均衡は扉の場合に生ずるのであり、β点で示される。そして労働市揚でも価格調整でなく、数量調整 持するような労働需要点且が望ましいと考えられるからである。この結果、失業均衡が生まれるのである。これに対 の質の低下による期待利潤率の低下を招く可能性があるからであって、それよりも最適賃金率、ψで利潤率を極大に維 企業は需給均衡である動点を選択しない。なぜなら、超過供給状況でも賃金を低下させることは、企業にとって労働 ースが考えられ、扉曲線の揚合は、失業均衡であり、び曲線の揚合には超過需要均衡となる。失業均衡の揚合には、 この揚合にも二つのケ 非単調型となるのが特色であり、労働供給曲線は通常のように右上りの曲線として描かれる。 企業の期待利潤率,π 唱 僧 で需給調整が行われていることがわかる。 137 第3図 一橋大学研究年報 商学研究 26 第5図 L Eo LP 書18; 一一 ﹄1 ,, 象ロω 呂■11611 :3;1騨 1, 3 110 一『 一 甲.『 一 − 一 一 冒 一 一 一 辱 一 一 一 一 一 魎 冒 一 一 一 閣 噂 一 −層 3超過1需要・ 昂禰. 一 一口葡 騨 o陶 一 一” 一 1 ω 811 45。 Lρ 1失業 一 一 一一 , 一一 繭 一 一 曹一 曹 易 ’ Lf 嬬 A 17ぞ 次に生産物市揚について考察しよう。こ の揚合には、当然、生産物の品質に関し、 企業が優位者であり、家計が劣位者となる。 したがって、逆選択効果と誘発効果によっ て、家計の期待効用と価格との関係は非単 調型となる。すなわち、価椿の低下は、購 入しうる数量が増えるので、家計の期待効 用は増大するけれども、あの臨界点.Pをす ぎると、質の悪いものが入るようになり家 計の期待効用は低下すると考えられる。し たがって、生産物需要曲線は、全領域にお いて価格の低下が需要を増加させるわけに はいかず、.P点以下に低下すると、需要の 減少が生ずるのである。これより四象限の 図を描くと、労働市揚のケースと同様とな る。すなわち、労働市揚での失業均衡は、 生産物市揚での在庫均衡に対応するのであ り、超過需要均衡は両市揚において同様で 138 ある。 また証券市揚については、資金の貸手と借手が考えられるのであるが、品質の情報に関しては、借手が優位となり、 貸手が劣位となる。これは証券市揚の起債市揚についての考察であり、基本的には銀行の貸付市揚と同性である。た だ格付機関が存在し、品質の情報の不完全性を減少する制度が作られている点が大きな相異であり、それが成功して いる範囲において、価格機構が作用するようになり、数量調節から価格調整へと変貌することになると考えられる。 不確実性から生じてきたものと考えられる。このように、はじめは価格に関する不確実性、そして次に数量に関する 不確実性が分析され、最後に品質情報に関する不確実性が分析されたものと考えられる。ケインズの分析についてい えば、この最後の品質情報に関する不確実性が十分明確にされなかったことから、ケインズ経済学における価格硬直 的現象のみが前面におしだされ、ついに古典派の一特殊理論とまで主張されることになったのであるが、これはケイ ンズの意図のもっとも遠くにあったものであろう。ケンズがはじめから、資本主義経済の不確実性を重要視していた (( )) 43 匹。訂”︾園‘専§。§魯、ミ落馬ミミ♂一〇ミ・O鼠℃・目一・ 一九五六︶ ことを考えるとき、自己革新の経済学者として、もう少しの寿命があったならば品質の不確実性をも明白にできたで あろうと惜しまれる。 国o<。膏op団雰堕ミ。鳶ざ算a・口8N下3&憎一£。。唱﹂︵安井琢磨・熊谷尚夫訳﹃貨幣﹄三∼四頁岩波書店、 =p旨09閃・卸ミ§§這$・︵塩野谷九十九訳﹃貨幣﹄東洋経済新報社、一九七四︶ 桶口午郎﹃銀行理論﹄東洋経済新報社、一九六三、 (( 21 )) 拙著﹃貨幣と金融経済﹄東洋経済新報社昭五五、第五章 139 以上の考察よりして、ケインズの不完全雇用均衡は、単なる価格の硬直性から出現したものではなく、品質情報の ケインズの貨幣思想 一橋大学研究年報商学研究 26 ︵5︶ 民①旨β 旨言‘﹂辱§馬§ミ§災ミ黛葡書・葺一8い一↓ぎ9一一9梓a類葺ぎαQ㎝o︷一Qぎ蜜曙召&開。旨。ψ<o一﹂くしOΣ■ ︵中内恒夫 訳﹃貨幣改革論﹄ケインズ全集、第四巻︺東洋経済新報社、一九七八︶ 賊ミ戚‘℃℃ ・No占ρ邦訳三〇ー三一頁、 ︵6︶ §野や 翁・邦訳書、三五頁、 帆ミ織‘や参邦訳三五頁、 ω軌・邦訳書、三六頁、 暮§讐や 零・邦訳書、三五頁、 篤ミ織‘P Oω・邦訳六三頁、 ︵9︶ 尋蔵‘や 一・目‘﹄﹃鳶ミ嘗§ミ§§bo<o一の・一30・↓700亀09a≦簿ぎ内のoh一〇一5冨曙富三穴2瞬一〇即<o一。。<’<一︸ ︵7︶ ︵−o︶ 民の旨①即 ︵8︶ ︵11︶ ︵12︶ 一占・邦訳書、一六三頁、 一巽∼誌9邦訳書、一四〇∼一四四頁、 苓邦訳書、八○頁、 ひo。・邦訳書、七七頁、 一。鐸︵小 泉 明 ・ 長 沢 惟 恭 訳﹃ 貨 幣 論 ﹄ ︹ケインズ全集、第五−六巻︶東洋経済新報社、一九七九∼八○年︶ 暁ミ3や ︵13︶ ︵14︶ 凶ミ亀‘℃・ ︵16︶ §野や ︵15︶ 尋畿‘℃℃● や一〇・邦訳書、第十章、 尋義‘oげ餌 這o∼旨い邦訳書、一三六∼一三七頁、 ︵17︶ ︵18︶ いミ亀‘bや 一罫邦訳書、一五六頁、 ︵20︶ Nくo﹃一89や舘・邦訳書、二六∼二七頁、 ∪簿ぎざP U、一国薯器ω、ミ§き鳶↓ぎ礎ミ一〇Nρや§︵川口弘・吉川俊雄・福田川洋二訳﹃ケインズ貨幣経済論﹄昭五 賊ミ鼻︸つ ︵19︶ 四年、四二∼四三頁︶ 区①冤昌8噂旨●]≦‘﹄↓§ミ蹄恥o醤ミoミ遷D ︵21︶ &翼一℃﹄§邦訳書、二五︸頁、 ︵22︶ 140 ケインズの貨幣思想 帖言評℃﹄§邦訳書、二五一∼二五二頁、 ︵23︶ ︵25︶ 匹o互旨胃‘Gミ驚ミ穿旨翠きミ§災ミ黛目富ミ黛廿一8y︵江沢太一・鬼木甫訳﹃貨幣理論﹄オックスフォード大学出 ︵餌︶ &轟、や鵠曾邦訳書、二五七頁、 国o旨・7一■家‘円ぎq§ミミ吋蕾ミ黛皇肉§黛ミミミ矯国ミミ更§織ミ§§一〇い9↓ぼOo嵩①ga毛旨ぎ鵯oh一〇ぎ三帥, 版局一九六九、東洋経済新報社一九七二︶ ︵26︶ §3。冨や9邦訳書、第六章、 看勢巳寒岩聲<9く=6葦︵塩野谷祐一訳﹃雇用・利子およぴ貨幣の一般理論﹄ケインズ全集第七巻昭五八︶ ︵27︶ 賊ミ野3碧﹄ド邦訳書、第二一章、 &&‘魯巷﹄ド邦訳書、第一二章、 ︵28︶ ︵29︶ 鬼頭仁三郎﹃貨幣と利子の動態﹄昭和十七年四七三∼四八一頁 ︵31︶ 暮賞噛o富やy邦訳書、第七章、 ︵30︶ き轟︸9巷﹂Q・邦訳書、=二章、 寓碧3鼻勾・コミ§遷︸一80・︵塩野谷九十九訳、﹃貨幣﹄東洋経済新報社、一九七四︶ ︵32︶ 民o巻3旨竃‘村ぎ◎§ミミ﹃ぎミ黛禽閏ミ黛ミ§恥ミ”国ミミ襲§“ミ§爵這ま。つ撃ド邦訳書、二四一頁、τ ︵33︶ ︵34︶ 帖ミ3℃﹄参邦訳書、二四二頁、 帖ミ野℃やN呂∼N蜜邦訳書二四三∼二五二頁 ︵35︶ ︵36︶ ■旦o呂象誉9︾−O醤民遷§箋§肉8ぎ§醇§匙ミ恥肉8§ミ題県映遷§恥し80・︵根岸隆監訳﹃ケインジアンの経済学 とケインズの経済学﹄東洋経済新報社、一九七八︶ ︵37︶ 花輪俊哉監修﹃ケインズ経済学の再評価﹄東洋経済新報社、一九八○ 蜀ユaヨのP客‘q§§黛遷§恥ミ器蓋§∼蕊ミ焼§㌧おN帥 ︵38︶ Oの<一30F型”..囚①岩窃.閃ぎ目8冒o自<Φ、.O態ミ匙肉8§ミ“b尽馬芦く〇一・§Z9ど言胃9﹂8軌。︵花輪俊哉監修﹃ケ ︵39︶ 141 一橋大学研究年報 商学研究 26 ︵㈹︶ Ωo≦9国≦‘︵o“︶ミ§匙ミ疑↓ぎミ黛・這$● インズ経済学の再評価﹄東洋経済新報社 一九八O︶ ︵41︶ 閑①旨oρ︾蜜‘﹂↓閑§へ§ミ§無ミ黛肉薯、欝一〇8・ ℃8ぴ一〇Bω一〇p旨9巳㏄odロ一︿Rω一蔓℃冨ωρNN∼総臼一〇翠。 ︵42︶ ω江の一淳Nこ,国一..H鼠o昌轟位oPP且国8ロo日一〇>昌巴嵩5..ぎ”り跨ζ一ポ客帥呂>。国.Zoげ竃︵。α幹yO呉容暮国090日ぎ 密磐貫旨F雪αミ爵。。”糞.δ器舞男&。三茜ぎ冨賀犀農三夢富鷺忌。二三〇鴨ヨ毘8、.。>昌&。器国88且。閃。≦望 20もど鴇ω∼台O. 一 仁 昌 ① 這 o o ド ︵43︶ ω臨σq一一貫旨閃こ彗畠≦o一郵>‘へ.9①9叶幻舞一〇pざσq言目帥域ぎ什惹夢一ヨ℃R89H旨h9日㊤江oロ、、︸>’国’菊.一〇。O一.b■Q8● ω凝年N−旨国。..ギ凶8匹αq一鼠菖窃露島蜜臼犀goo什εg舞o.、>ヨ①菖oき国080ヨ一〇国①︿一①毛N♪呂O∼繍9Go。企 ︵44︶ 焼ミ軋‘やωO轟辱 ︵45︶ き藁︸つ$y ︵46︶ 尋舞曽や$o。。 第三章 ケインズにおける貨幣の対外価値 ︵1︶ 第一節 ﹃インドの通貨と金融﹄における貨幣の対外価値 ﹃インドの通貨と金融﹄は、ケインズの処女作であるが、ここで彼は当時支配的であった国際金貨本位制度を批判 し、金為替本位制度を推唱したのである。イギリスは法律的にはいまだ金貨本位制度を採用していたとされるものの、 現実においては、すでに金貨は国内での主要な交換手段ではなくなっており、主として金貨は対外決済用に使用され るに と ど ま っ て い た の で あ る 。 142 ケインズの貨幣思想 ﹁イギリスにおける近代型の銀行業の初期においては、預金者による銀行取付けに応じるために金が必要とされるこ とは稀ではなく、常に、預金者は、本当に必要な揚合に預金を引き出すことが不可能になることを恐れて、困難な時 期には恐慌状態に陥りがちであった。銀行業の安定性が増し、特に、預金者のあいだのこの安定性への信認が増大す るとともにこのようなことはしだいに稀となり、イギリスの銀行のうちの危険な部分への取付けがあって以来、今や 多くの年月が経過した、金準備は、したがって、イギリスにおいてはもはや、第一義的には、この種の非常事態を予 想して保有されるのではない。イギリスにおける金貨の使用法は、現在では、三つである。1習慣的に現金払いを 要求される鉄道旅行の支出のような、ある種の現金支出のための交換手段、賃金支払いのための交換手段、そして外 国への正貨の現送に応ずるための交換手段としてである。最初の二つの使用法における金需要の変動は、第二義的な 重要性のものであり、⋮⋮したがって、われわれの金準備政策は、主として輪出に対して起こる需要について考慮す ることによって決められる。﹂ ︵2︶ このように金貨本位制から離脱してきた理由は、金貨流通の費用が大きく、それに代って安い代替品の貨幣で十分 に対応できることがわかってくるについて、金為替本位制が主張されるようになってきた。この揚合には、各国の中 央銀行は、金貨よりもむしろ金と交換可能な短期の金為替−当時のイギリスの外国手形と外国債権に示されるー を保有すればよいとされた。こうした金為替本位制は、当時インドを含むアジアで普及しつつあったが、ケインズに よれば、この貨幣制度は、けして異端的のものではなく、将来の理想的な通貨制度と考えられるべきものであり、理 論的にも現実にも次第に重要となってくるであろうと考えられたのである。 ここでイギリスは国際金融市揚における債権国であり、インドは債務国である。そうした状況における国際収支調 整方法としていかなる方策が支配的であるかをケインズはみようとした。しかし当時支配的な考え方は、所謂金本位 ︵3︶ 143 一橋大学研究年報 商学研究 26 制のルールであり、貿易収支の赤字国は金の流入を通じて、また貿易収支の黒字国は金の流出を通じて貿易収支の均 衡がはかられると考えられたのであるが、現実にはむしろ中央銀行の公定歩合政策によって国際収支の改善がはから れたのである。つまリケインズは、貿易収支の改善というよりはむしろ資本収支の改善によって国際収支の改善を行 うのが現実の国際収支調整の方法だったと考えている。 さて、国際金融市揚で、債権国の立場にあるイギリスは、金の流出防止のため公定歩合を引上げることにより対外 貸付額を減少させ、資本収支を改善させる。また公定歩合の引上げは、国内取引の減少により輸入の減少から貿易収 支の改善となるであろう。ところで債務国の立揚にあるインドの場合には、公定歩合政策は十分に有効に機能するわ けにはいかず、直接的な政策を採用しなければならないのである。すなわち、第一の方法は大量の金準備の保有によ ︵4︶ り金流出に対応することであるが、この費用は極めて大きいことが予想される。それに代わる第二の方法は節約と安 全を兼備したものであるが、債務国は、個人が流動性を現金が保有するよりも銀行預金で保有する方がより安価で、 より安全であることを知ったように、彼らの銀行の現金準備の一部を金でなしに国際貨幣市揚で短期資産で保有する ことが適切だということを学ぴつつあるのであり、具体的には、イギリスの外国手形と外国債権の保有である。そし て最後の方法として、対外支払いとしての全流出の禁止である。このように債権国と債務国を区別して、国際収支の 改善方法を現実に考えたのが、本書におけるケインズの特色である。 こうして金為替本位制が理論的にも正しく、また現実にも形成されつつあると考えたのである。そして現実に﹁金 為替本位制が存在していると言ってよいのは、金が国内では感知しうる程度に流通しておらず、国内通貨が必ずしも 金で償還されるとはかぎらないが、しかし政府または中央銀行が国内通貨で表わされる固定された最高相揚の金の対 外送金を行なうための協定を結び、これらの送金に備えて必要な金準備をかなりの額まで海外で保有するときにおい 144 ケインズの貨幣思想 てである。﹂と主張するのである。 ︵5︶ ﹃インドの通貨と金融﹄においては、債権国の立場にあるイギリスと債務国の立場にあるインドとの関係を現実的 に把握して、その国際収支改善の方法を考えたケインズは、﹃貨幣改革論﹄や﹃貨幣論﹄にいたると、イギリスに代 ってアメリカが経済的に胎頭したことによって、ポンド圏を構想し、両者の間に変動相揚による対当の関係を考察し ようとしたのである。 第二節 ﹃貨幣改革論﹄における貨幣の対外価値 ︵6︶ 物価の安定か、為替の安定かという二者択一的選択に直面して、ケインズは物価の安定を選択したのであるが、そ れは、為替の安定は外国貿易に従事する人ぴとの能率と繁栄に資するだけであるという意味で便宣的性格を持つだけ なのに対し、物価の安定はより本質的性格を持つと考えたからである。 ところで、国内経済においては貨幣数量説に依拠したケインズは、国際経済においては購買力平価説に依存してい る。それは金貨本位制度であれば、世界の通貨の相対的価値すなわち、為替相揚は、それぞれの単位に含まれる金純 分に、輸送費を加えて決定されるのであるが、不換紙幣制度の揚合には、購買力平価を妥当と考えたのである。 ヤ ヤ ケインズは購買力平価を次のように要約している。 ﹁ω国内における不換紙幣の購買力、すなわち、通貨の国内購買力は、前述の貨幣数量説に従い、政府の通貨政策 と国民の通貨に対する習慣によって決定される。図不換紙幣の外国における購買力、すなわち通貨の対外購買力は、 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 邦貨と外貨の交換比率に、外貨がその国でもつ購買力を乗じたものでなければならない。圖均衡状態では、一つの通 貨の国内購買力と対外購買力とは、輸送費、輸出入税を差し引けば同一でなけれぱならない。もし同一でないと、こ 145 一橋大学研究年報 商学研究 26 の不同を利用しようとして貿易が行なわれるであろう。㈲したがって、ω、ωおよぴ③から、邦貨と外貨の交換比率 は、均衡状態においては、邦貨が国内で有する購買力と、外貨が外国でもつ購買力の比率に等しくなる傾向がある。 ︵7︶ この、それぞれの通貨が国内でもつ購買力の比率を﹁購買力平価﹂と名づけるのである。﹂ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 い 、 、 、 、 、 、 もちろん、この理論を実際に適用する場合には、購買力平価の仮定となっている二点、すなわち、⑥輸送費および 輸出入税を差し引けばという問題、ならぴに㈲外国貿易にまったく含まれぬ財貨用役をいかに扱うかという問題を慎 重に解決しなければならないことを認めているけれども、一応購買力平価説はかなりよく妥当しているとみていたよ うである。 ︵8︶ ただケインズは、国際収支調整における古典派のメカニズム、すなわち物価−正貨流出入のメカニズムよりは利子 率を通じた資本収支の調整を重視しているようにみえる。そしてその資本収支調整のメカニズムも、かつて想定され ていたように、銀行による為替裁定業務として行われるよりも、むしろ投機的金融の業務として行われているという 認識である。別言すれば、﹁銀行家が、安価な手数料と見返りに、日々の、あるいは季節的な市場の変動を調整する ︵9︶ 気になるためには、このような︹為替の︺安定性に関して、十分確かな期待をもつことも必要である。﹂というので ある。 こうして、ケインズは、物価、信用および雇用の安定を重要視するために、旧式の金本位がいまや昔のような安定 性を与えることがないと考えるから、戦前のような形での金本位復帰政策に対して反対したのである。またホートレ ーの提案であるアメリカとの共同﹁管理﹂金本位制も結局連邦準備の政策の下にイギリスを置くことになるとして反 ︵10︶ 対している。 ケインズは、第一大戦の国際金融の担い手として、アメリカだけを考えるのではなしに、アメリカとイギリスの二 146 ケインズの貨幣思想 国を考え、それぞれの国が自己の通貨の安定をはかり、それが成功するならぱ、第二義的目的である為替の安定もお のずから達成されると考えている。換言すれば、アメリカはドル本位、イギリスはポンド本位をとり、両国は変動相 揚で国際収支の不均衡を調整し、それ以外の国は、それぞれドルかポンドに対して為替を固定することによって相対 的物価の安定をはかっていくことが望ましいと主張した。すなわち当時はまだドル本位制が世界を制覇する段階ー イギリスがポンド本位を捨て、ドル本位下におかれることーではないという判断を示したといえよう。 ︵皿︶ ところで、ケインズは為替変動のリスクを回避させる手法として先物取引を考察している。これは固定相揚制から離 ︵12︶ れるにつれて為替変動のリスクが大きくなり、貿易の利益をこえるようになったので、これを回避するための金融組 織として、ケインズは注目したのであるが、実際の商人は、必らずしもこの便宜を利用していなかった。 ではこの先物取引とはいかなるものか。それは、﹁直物﹂為替による取引が現金取引であるのに対し、先物契約の ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 満期までは現金支払いの必要はなく、また為替の変動のリスクから免れていると考えられる。 ケインズは﹁為替の危険を考慮しないならつまり、為替の危険が補填されるとするなら、直物為替と先物為替の値 ︵13︶ 開きは、貨幣・為替市揚が資金を一地点よりも他の国際的地点に置きたがっている程度を示す明確な尺度である。﹂ とし、・ンドンの買手に対し、先物ドル為替相揚が、直物ドルよりも安い揚合には資金を・ンドよりもニューヨーク に置くことを欲するものであり、逆に直物よりも高いならば、資金をロンドンに置きたいことを意味するという。そ ︵14︶ して﹂この選好を決定する要因として、次の四点をあげている。 e 最も重要な要因は、比較される二金融市揚における短期資金利子率である。ただこの揚合、利子率はよく組織 ざれた金融市場で形成されていることを条件としている。逆にいえば、金融市場が未発達の場合には、たとえ長期利 子が高くとも、低金利市場とみなされるべきだと考えている。これよりして、利子率と先物相揚との関係は、ニュi 147 一橋大学研究年報 商学研究 26 ヨークにおける短期利子率が・ンドンより三パーセント高い場合には、スターリング表示の先物ドルは、直物に比し 年率三%安いことを意味している。 ◎ 広い意味での金融市揚に影響するリスクが考えられる。例えば、財政困難や政治的動乱の可能性、あるいは自 由な金融市揚に対する規制の可能性が高くなれば、それだけリスクが高くなり、利子率からのマイナス要因が大きく なると考えられる。 ・口 直物取引に対応して先物取引が行われる必要はなく、先物売りと先物買いのように先物取引同志の取引も実際 に多い。したがって、金融市揚がドルの先物売りとドルの直物買いを均衡させる均衡割引率を、ドルの先物に対する 超過需要は低下させるであろうし、反対にドルの先物に対する超過供給は増加させるのである。 ㈲ 投機の効果について、ケインズは、ここではその有用性を指摘している。つまり、﹁先物市揚を利用する玄人 筋の投機が異常に活発に行なわれ、かつ、それらが同じ見方をしているときにはだいたい正しく、それゆえに、さも なければ生じたと思われる極端な変動を緩和する点で、有用な要因である﹂と主張しているのである。また、為替変 ︵15︶ 動は、為替投機のためではなく、逆に貿易額に比して投機が十分でなかった為であるといっている。 ケインズは、こうした先物市揚の理論的分析よりして、先物市揚の有用性を信じ、積極的に先物市揚の確立に努力 すぺきことを主張している。そしてそのためには、中央銀行自身が、先物市場に介入し、直物相揚に対して適当な割 引ないし打歩をつけて先物為替の売買を行うことが、もっとも簡単な方法であるという。 最後に﹃貨幣改革論﹄においても、ケインズは、すでに銀行貨幣が支配的となっている現実を認識し、﹁通貨の濫 ︵16︶ 発を監視、抑制して、信用創造をこれに従わせるという従来のやり方ではなく、信用創造を監視、抑制して、通貨発 行をこれに従わせる﹂のが正しいと主張しているが、これは注目されてよいだろう。 148 ケインズの貨幣思想 ︵17︶ 第三節 ﹃貨幣論﹄ における対外対策 ︵18︶ ケインズは封鎮体系から開放体系へ移るにあたって、 基本方程式を次のように調整する。 金の輸出額 π 対外経常差額 1 対外貸出し ム 国内投資の﹁調整した﹂費用 投資の総価値額 国内投資の価値額D 国内総貯蓄量 総貯蓄量 卜既切十Q 9旺硫i卜十Q か旺﹄1切 。.● 噛ーじQ肋>19 また かー>、“砂U噛1∼、 。.. ㎏、loo“>、ーoo一 したがって、前述の基本方程式における、国IoQをンー9で、また賊、1のをか、ー9に置き換えうるのであり、 全体としての物価水準︵π︶はか”9の時安全となり、またPの安定は、か、“9の時安定となることになる。もち ろんこれらは国内均衡の条件であり、対外均衡の条件としては、q”oすなわちト”山が考えられる。したがって、 149 SS1(亨BL 一橘大学研究年報 商学研究 26 完全な均衡は、両者の条件が同時に満たされる場合に得られる。 ところで、Lは国内と外国との相対的利子率に依存し、βは国内と外国との相対的物価水準に依存するのであるが、 中央銀行の政策手段としては、利子率と貸出条件一般を変化させるだけであり、直接的に相対的物価水準に影響する ことはできない。これより、利子率の効果は二重であることがわかる。第一の効果は、利子率の上昇︵下降︶が国内 投資を減少︵増加︶させ、貯蓄V投資︵貯蓄く投資︶をもたらし、国内物価を下落︵上昇︶させるとともに、経常収 支を改善︵悪化︶させる。第二の効果は、利子率の上昇︵下降︶が、ゐを減少︵増大︶させ、資本収支を改善︵悪化︶ させる。資本収支ぺの効果は、すみやかであり、経常収支への効果はゆっくりであるが持続性をもつと考えられる。 ただ﹃貨幣論﹄においては、価格効果は考察されたが、完全雇用の前提のために、所得効果は考察されていない。 さて、開放体系を考えた揚合のケインズの間題は、国内均衡と国際均衡との両立であった。それもいまだ雇用の問 題を考慮していなかったので、国民的標準による貨幣の購買力の安定と国際的標準による一般物価水準への同調との ジレンマであった。ケインズにおけるジレンマは、金本位制への復帰により増幅されたようにみえる。すなわち、 ﹃貨幣改革論﹄においては、金本位制への復帰はなにも得ることがないと考えたケインズは、自由変動相揚制を主張 していたのであるが、金本位制へ復帰したことにより、金本位制を前提とした改善案が現実的だと考えたようである。 ﹁金本位︹すなわち金を国際的標準とする制度︺への事実上の復帰以前の時点では、事態は次のように見えていたの であって、国民的通貨を、管理されていない国際的制度に拘束されていることによる不都合なまた時としては危険で もあるような制約から、解放するようにするとすれぱ、それを発展的な方向に沿って管理することについては、もっ と良い見通しがあり、また変動為替相揚制に基づく自立的な国民的︹通貨︺制度の展開ということが、努力されるぺ き次の段階であり、そしてこの国民的制度を、もう一度一つの管理された国際的制度に結合させることが、恐らく全 150 ケインズの貨幣思想 段階の最後に来るぺきものになるように見えていたのである。 今日では1五年前の国際金本位制の復活以来、⋮⋮それが、破壊的な非能率さをもって機能してきたという事実 にもかかわらずーこの手順を逆にして、国際的標準︹すなわち国際的本位制︺という既成の事実を実質的に承認し、 そしてそれを起点として、われわれの経済生活の中央集権的統制⋮⋮に関する科学的管理に向かっての発展を期待す ることの方が、強い根拠のあることのように思われる。﹂ ︵19︶ ケインズのこうした態度は、価値の標準として国際的標準を選んでいることに反映している。価値の標準としては、 一般的に、消費標準と収入標準およぴ国際的標準が考えられるが、最初の二つは国民的標準であるから、すぺての国 に同一の標準が必要であることになれば、最後の国際的標準によらなければならず、具体的にはそれは原料晶の卸売 標準のようなものとなる。ただケインズは、この国際的標準が理想的な標準とはならないことを十分に承知している。 もし金本位制復帰がなかったとすれば、貨幣の購買力を示す消費標準の国際的加重平均が考えられたのではなかろう か。金本位制復活によりケインズの理論的統一性がゆがめられたのは残念である。 さて、ケインズは、国際的標準と国民的標準のジレンマに対処するために、確立された金本位制における金輸送点 の人為的拡大、先物為替相場への介入等により、中央銀行が短期の対外貸出率を調整しやすくしようとした。 ところで、中央銀行相互間の協調による国内均衡と国際均衡の調和は、究極的には、貨幣の超国家的管理を必要と した。これは具体的には、各国中央銀行の中央銀行としての超国家的中央銀行の設立の提案となった。超国家的中央 ︵20︶ 銀行による貨幣管理の役割は、第一に、国際的標準で測った金︵あるいは、この銀行による国際的準備貨幣としての 超国家銀行貨幣、つまりSBM︶の価値の安定であり、第二に、国際的性格をもつ一般的利潤インフレーション、お よぴ一般的利潤デフレーションをできるだけ回避することとされた。そして、各中央銀行は、この役割を果すために、 151 一橋大学研究年報 商学研究 26 銀行利率、割引枠割当額およぴ公開市揚操作政策等を政策手段とした政策協調が必要であると考えられた。 ︵21︶ ﹃貨幣改革論﹄で導入された先物市揚の分析は、﹃貨幣論﹄において、流動資本との関連で取上げられている。ケ インズは、資本を固定資本、経営資本およぴ流動資本に区分し、それぞれへの投資の変化の原因と程度を分析してい るが、景気変動の始発的要因としては固定資本への投資の変化が重要であると主張される。また雇用量の変動に直接 に結びつくものとしては、経営資本の変化があげられているが、流動資本に関連しては先物取引が重視されている。 流動資本とくに重要原料商晶の組織的市揚には、現物取引と先物取引がある。もし流動資本の過剰在庫がないなら ば、直物価格は先物価格を超えているであろう。この場合を﹁逆鞘にある﹂とよんでいる。また逆鞘は、需給が均衡 していたとしても、生産者が﹁掛け繋ぎ﹂をするために、換言すれば、生産者がその生産期間中の価格変動を回避す るために生ずるのである。反対に、流動資本の過剰在庫が存在する場合には、先物価格は直物価格以上に上昇し、順 鞘になるが、これは在庫を持ち越すための保管、減損および利子諸掛りからなる費用を十分に償わなければならない とされる。﹁もし在庫品が一年以内に吸収されると予想されるならば、現在の直物価格は、将来の予想される直物価 格よりも、︵例えぱ︶二〇パーセント下落せざるをえないが、しかし、在庫が二年間存続しそうに思われている揚合 ︵22︶ には、現在の直物価格は、︵例えば︶四〇パーセント下落しなくてはならないのである。﹂ さて、先に述べるように、ケインズは、金の輸出入価格差を拡大させることを提案するとともに、両国間の短期利 率をある範囲内ではあるが開きを持てるようにするために、中央銀行が先物為替の直物為替に対するプレミァムある いはディスカウントを調整できることが必要であると考えた。これは両国の短期利子率に次のような関係があるから である。 ︵23︶ ロンドンの短期利子率プラス︵またはマイナス︶先物契約のドルに対するディスカウント率︵もしくはプレ、・・ア 152 ケインズの貨幣思想 ム率︶”ニューヨークの短期利子率 こうしてケインズは、﹃貨幣論﹄においても中央銀行が、先物為替の取引について適切な便宜を提供するならば、 外国為替を固定することは、外国貿易業者にとっても必らずしも必要とは考えられないと主張する。ただし、対外貸 出しを考えると、固定為替の利点は大きいのであり、変動為替は不確実性を増加すると考えている。それ故、国際的 貸出しを極めて可動的に行いうることを望むならば、固定為替相揚と固定的な国際的標準がよいのであるが、ただ通 貨制度のみが伸縮的で、他の制度、たとえば銀行制度、関税制度およぴ賃金制度等が非伸縮的である揚合には、バラ ンスがくずれてしまうのではないかと考えている。元来対外貸出しと対外投資︵経常収支受取超過額︶とは均等とな ることから、一般に、貸出しの増加︵減少︶は投資の増加︵減少︶をもたらすものと考えられたのであった。しかし、 この均等作用は、困難で激しい反作用をもたらすメカニズムがあることを忘れていると主張する。ケインズは、賃金 率を変化させることが、銀行利率を変化させるのと同様に容易であることを前提とした考えは、現実的でないという のである。これは現在IS曲線とLM曲線の調整力に差があると考えるのと同様である。 ︵24︶ 以上みたように、ケインズは、変動相揚制を良しと考え、先物取引は変動相揚制の下でのみならず固定相揚制の下 においても、不確実性を縮小するのに役立つと考えているのであるが、自由な価格機構がすべてに妥当すると考える のは現実的でなく、1とくに労働市揚では賃金は伸縮的ではないと考えているー、また国際的短期資金の移動は 直ちに国際的投資に反映されるものではないと考えられていたのであり、単純な変動相揚論者とは異なっていたとい えよう。 ところで、ケインズの先物取引は当時の現実を反映して、限定的のものだったと考えられる。すなわち、ケインズ の用語を使用すれぱ、貨幣の産業的流通と貨幣の金融的流通に分け、そこにおける不確実性が考えられるのであるが、 153 一橋大学研究年報 商学研究 26 ケインズの先物取引は、前者の不確実性に対処するものであるが、後者の不確実性に対処するものではなかった。先 物取引とはいっても、それはいわゆる8コ奉巳ぼ邑。であり、注ε3畦区。ではない。注εお#器。については、 シカゴの取品所を中心に近年発達してきたばかりであって、ケインズでもこれを予想してはいない。 第四節 先物為替市揚の経済分析 ケインズによる先物取引分析の導入は、極めて新しいものであったが、その分析はどちらかといえばバーバルのも のであり、明確さという観点からいえばやや劣っていると考えられるかもしれない。本節では二iハンスに従って、 この点を明確にしよう。 ︵25︶ 一般に先物為替市揚には二つの主要な機能がある。第一の機能はヘッジング機能で、貿易業者が将来の取引から生 まれる為替リスクを排除するためのものである。第二の機能は投機的機能であり、貿易業者が市揚よりもはやく実勢 を予想することにより得られる期待利潤のために行う。ヘッジングと投機は先物市揚だけでなく、直物市揚を通じて も行いうるのであり、取引コストの存在が重要である。本節では、まづ取引コストのない揚合の先物為替を分析し、 ついで、取引コストのある揚合の先物為替を考察する。そして最後に中央銀行による先物為替市揚の介入政策を考え ようo ︵26﹀ 一 取引コストのない場合の先物為替 ︵ ここでいう取引コストとは、外国為替の買い値と売り値の間、およびユーロカレンシーのような資金の借入率と貸 出率の間に乖離を生じさせるようなコストをいうのであり、均一の為替相場と均一の利子率を仮定する。 いま米国と英国の二国を考え、それぞれの通貨としてドルとスターリング、そして利子率として鰯と吻を考えよう。 154 ケインズの貨幣、思想 為替相揚は、ドル表示のスターリング価格としてθで示す。そして、直物相揚を釦、哲期の満期の先物相場を免とし よう。また、先物市揚における経済主体としては、ヘッジ者、裁定者および投機家を考える。 ッジするためにはスターリング直物を買うか先物を買うことによって可能となるが、どちらを選ぶかはコスト次第で まずヘッジ者の行動を考えてみよう。アメリカの輸入業者が三ヵ月先のスターリング支払のための為替リスクをヘ ある。いま先物を買う場合には、6期のポンド当りのコストは碗で示される。これに対して、直物を買う揚合には、 アメリカの利率︵宛︶でドルを借り、スターリングを購入するのに釦を支払い、それをイギリスの利率︵勉︶で三カ ぼ 月間ス タ ー リ ン グ に 投 資 で き る と し よ う 。 そ の 揚 合 ①“︿。。一よ虞・ 一十母 であれば、先物市揚でのヘッジの方が安く、反対の不等号であれば、直物市揚での買が選好される。 またアメリカの輸出業者が、三ヵ月以内にスターリングの支払を受けると期待するとしよう。この揚合、 。馬v乱よ虞馳 一十飢 ならば、彼は直物売りよりも、先物売りを選好することになり、反対の不等号ならば、直物売りを選好することにな ろう。 ︵27︶ 先物市場での売買と直物市揚での売買が無差別となるような相場を金利平価相場︵一碗︶という。 一十3。。 俺躰潔。一+飢 もし、$W♀ならば、スターリングが先物で売られ、同時に他の貿易業者がスターリングの直物を買う。反対に、 155 一橋大学研究年報 商学研究 26 釦︵直物︶でドルに対してスターリングを買い、吻でスターリング を貸付け、免︵先物︶でスターリングを売ることによって有利とな る。カバi付き金利裁定の供給曲線は、3睡♀で大きな水平の部分 がある。取引コストがない揚合には、カバー付き利子裁定とヘッジ ︵28︶ ングとの間には有意な差がないのである。 ところで、カバー付き利子裁定は、通常、国際的資本フ・1を伴 £売 156 $肱辞ならば、ヘッジ者は先物でスターリングを買うが、他の者は直物でスターリングを売る。 平価先物相場$”♀では、曲線は水平となり、先物市揚ヘッジングと直物市揚ヘッジングとの間が無差別である ことを示している。 次に、カパー付き利子裁定をみよう。これは、裁定者が国際的利子差を得ると同時に、彼の為替リスクをヘッジす る取引であり、利子格差がヘッジ費用を超える時に有利となる。 まずS︿$のケースにおいては、不等式の左辺は、先物で買っ 一¢¢ リングを買うことが有利である。 換にスターリングを売り、砺でドルを貸して、砲︵先物︶でスター から、裁定者は、勉でスターリングを借り、θo︵直物︶でドルと交 り、米国に投資した一ポンドから得られる三月後のドル収益である た一ポンドのコストであり、右辺は、現在借入れ、それを直物で売 £買 6 砒 反対に、3V孕のケースにおいては、裁定者は、鰯でドルを借り、 図 第 ケインズの貨幣思想 Q うと考えられている。つまり、先物買は、スタ ーリングの借入れとドルの貸付が行われるから、 先物買 直物買 ぢ 図 = −は、スターリングと交換にドルを売る先物契 a いうようにである。しかし、米国への資本フ・ 直物買 先物売りはその逆の短期資金のフローを伴うと 英国から米国への短期資金のフローを伴ない、 ε’=εオ 先物売 第 ε 約にまさしく一致するのであり、裁定者の純外 直物売 先物買 国資産ポジションは全く変化しないのであり、 直物売 0 経常収支の黒字赤字に対応するものと考えられ 中 したがって、もし資本フローが、通常の意味で 45。 また英国の純外国資産ポジシ日ンも変化しない。 先物売 最後に投機家について考察しよう。現在の市揚相揚と将来支配的となると期待される市揚相場との間の差から利益 の意味で、国と国との間の資本フ・iの分析に貢献することはないのである。 ︵29︶ は、居住地と関係なく、米国居住者間、または英国居住者間で生ずるのであるから、カバー付金利裁定は、国際収支 本フローは、他の国の居住者との取引における一国の居住者の支払・受取を意味するのであるが、カバー付金利裁定 ので、貿易赤字は、カパー付き利子裁定取引によってはファイナンスされることはない。また、国際収支における資 るならば、資本フ・1は生じないと考えられる 6直 を得ようとする投機家を考える揚合に、向︵哲期に支配的となると期待される直物相揚︶を考えることは重要である。 157 マ 一橋大学研究年報 商学究研 26 第8図 6む 2 &=εε ε彦=a 1 εご 一’ 1 ‘2オ;=一 〆 一 (9参 ! 1 , 8 , 『 ’ ノ コ ヂ 先物売 ・ ! ロ ノ 1 .! 直物買 1 ! 8 ,’ 一 ■’ 1 ノ ’ 巴 ノプ 量 ! o,ノ &ニθ去 ,”ε ! 1 ノ 直物売 .! 1 ’ 一 ’ 疇 ノ ロ / 1 先物買 ノ ニ !, 量 ! 5 / o ノ ひ ノ ノ’ 6 , じ ヂ 1 ノ ロ ド ノ 45 1 6置 いますぺての投機家にとって同一の期待がもたれるとす ると仮定する。3V3であれば、投機家はスターリング を先物で買うのが有利であり、反対の揚合には先物の売 りが有利となる。また、5V♀の揚合には、投機家は、 スターリングの増価を期待して、鰯でドルを借り直物で スターリングを買い、そして吻でその収益を投資するこ とができ、将来直物相揚で後にスターリングを売ると有 利と考えられる。︹ス孕の揚合には直物売りが有利とな る。したがって次のようになる。 ところで投機家は利潤の高い方を望むので、たとえ直 物投機と先物投機のどちらも有利であっても、より有利 な方が選択されることになる。それ故、直物投機と先物 ︵30︶ 恥。 一十帆qo, ぼ 投機を分割する線を決定しなければならない。もし、 ぼ 一十国肉 $ ー・ VIならば、直物売りが先物買いよりも選 好されることになる。不等式の左辺は投機的直物買の利 潤率をまた右辺は投機的先物買の利潤率を示す。この条 爪㌔ 件を整理すると、恥“V−となる。 3 また先物売りが直物買いよりも有利となる条件も同じ 158 ケインズの貨幣思想 先物売 先物売 ¢6 ε哲 邑 召’ ε∫ 先物買 先物買 β εむ .= £ ££ £ ︵b︶ 条件が得られる。したがって、直物市揚と先物市場の間 ︹㌔ の分岐線は、㊥㌔11で示され、次図のようである。さら 辞 にあと一つの分岐点として、先物売りと直物売りの選択 象となり、先物売りが直物売りよりも有利となる条件が £ 恥。 一十㊥器 、 を考えると次のようになる。ー﹀ー・ より馬馬﹀ 3 々 一十蝋的 得られる。同様に、先物買いと直物買いの選択について も、同じ条件が得られ、先物買いが直物買いよりも有利 となる。この図から明白なように、げ線はあまり重要な 区分ではないが、金利平価相揚︵恥㌔εは投機家にとっ ても重要であることがわかる。したがって、期待相揚が 孟⑭ような水準にある揚合と、Bのような水準にある揚 合とを区分して示すことが必要である。 まず期待相揚が且のような水準にある揚合には、⑥図 のように選好され、期待相揚がBのような水準にある揚 合には、㈲図のように選好される。 さて、先物市場全体は、ヘッジ者、裁定者およぴ投機 家の曲線を合計することによって得られる。間題は、取 引コストのない場合には、総超過需要がゼロである先物 159 直物買 ε置=!1 直物売 2ε εオ 第9図 2 2 εま (a) 一橋大学研究年報 商学研究 26 6ε 第10図 , 一 − 噂 一 £ £ 売 買 160 相揚は金利平価相揚であり、すべての取引が直物市揚を通じて行 われうることを示している。かくの如く、先物市揚は本質的に取 ︵31︶ 引コストに依存するものである。 以上の分析を複数満期に応用すると次のようになる。いかなる 満期哲について、平価条件が次のように書ける。 ︵譲書獲Σ湧︶\”㊤﹁。.巳 ε。。1鯨 一十尋 恥O 、H帆器ー尋 て、一部営業費をカバーする。直物為替の売り相場は、鳶。であ 中心相揚以上で外国為替を売り、中心相揚以下で買うことによっ 反映であることを示している。 二 取引コストのある場合の先物為替 ︵ 先物為替と信用取引は銀行を通じて行うと仮定しよう。銀行は ︵32︶ い揚合に、先物為替相場の期間構造が利子率の期間構造の正確な 利子格差に等しいといえる。また、先物市揚は、取引コストのな レミアム︵または先物ディスカウント︶は、およそ米国に有利な したがって、いかなる満期について、外国通貨の価格の先物プ .。 ≠ …””一。一’帥臼 繭 口 1一陶…’一卵。一聞”\』一’””。葺 o 臼 一 甲 一 薗 齢 一 鴨 鞠 り、直物為替の買相揚は、芝さである、ただし恥は一、〇一のような数である。 ピ 2 £買先物相揚のマージンは衡で示す。また銀行は借入れ利率よりも高い利率で、資 £ 今日銀行から借りた一ドルに対して、6期に♂駒︵一+虻︶ドルを返却しなけれ 金を貸付けることによって営業費の一部をカバーする。すなわち、非銀行は、 一一一一 ばならないし、また今日銀行へ貸付けた一ドルに対して非銀行の貸手は期末に 図亡 ︵一ヤ誤×一+£︶を受けとる。ただし隔は恥のように一より僅かに大きい数で 一8 云 一s 哲 売 まずカバー付き金利裁定であるが、.︸の状況では、コストが利潤よりも高い 同様に、カバー付き金利裁定、ヘッジングおよび投機の行動を考察しよう。 金利平価相揚で直物・先物の売買を行うこととなる。取引コストのない場合と ︵33︶ ると仮定しよう。これより、銀行は取引コストのない場合の裁定者のように、 第 ある。さらにまた銀行は、付されたマージンに等しい一定の限界費用で営業す 11 ﹃器︵一十ご駒︶ ざご。・ぎ −匂 β ミ..倉.q.︵ξ︵一誹︶または、恥、︿唱、鋤.旺馬.ならぱ、スターリングの買が先物で行われる.ただし、銑 次にヘッジングを考察しよう。ヘッジ者が自己の資金を利用しないと仮定すると、 バー付き金利裁定は銀行の手中に集中される。これは現実にも近い仮定と考えられる。 ジンを裁定者に保障することになるのだが、銀行が金利平価水準を維持するので、実現不可能であるため、結局、カ ︵買︶が有利となるためには、先物市揚が亀以上︵以下︶に上昇︵低下︶しなければならない。これにより取引マー ので、非銀行にょるカバー付き金利裁定は行われない。スターリングの先物売 £ は臨界的先物買相揚である。脅が顎に十分に近いならば、鋤㌔V$となる。 161 } ケインズの貨幣思想 一橋大学研究年報 商学研究 26 またも3臥一、﹃長モもま査影唱・⑲賑亀 ならば、スターリングの売りが先物で行われる。ただし、扉は臨界的先物売相揚である。窮が恥に十分に近いならば、 ミ 唱。・ 蒔︵一十隷︶ 心。・♂。・ざ ♀。.︿魯となる。取引コストの存在により、ヘッジ者が先物で売買する意思がある免の範囲が存在することになる。 ︵斜︶ とくに金利平価相揚では、いまや需要のみならず供給も存在することになる。 最後に投機を考察しよう。取引コストの存在は、有利な投機の範囲を減少させると考えられる。いま曹ゆく博また さ は$V曵々ならば、先物でスターリングを売るのが有利である。また直し、壽く︵具曵︶£ならば、先物買いが有利 となる。次図では、先物投機が有利でない領域が円錐形によって示される。 一 ︵一ヤ誤︶︵一十帖器︶ 一 また直物売りが有利となる条件は、次のようになる。唱きくー9 またはε︿凶 ♀直物買の条 さ ぎ︵一十駐︶ 心ち竃ざ 件は次のように示される。 爪“ ご。・︵一十ご鱒︶ 卜3 津 ︵具ざ︶︵一十隷︶ ー −V督9 または3﹀さ奇駒ぎ♀ 次図では直物投機が有利でない領域が垂直の回廊によって示されている。取引コストがない揚合には、投機が常に 有利であったが、取引コストの存在する場合には、いかなる投機も生じない領域が存在することになる。 かくして、銀行が無限の裁定を与えることによって、先物相揚を平価水準に維持したとしても、取引コストの存在 は、なおも投機的先物為替の正の需要・供給を存在させることになる。すなわち、⑥図では.晦より低いところでさえ、 ︵35︶ 先物スターリングの正の供給が存在し、㈲図では乾より高いところでさえ、先物スターリングの需要が存在すること になる。ただ均一期待向を仮定したことにより、先物為替の投機的需要と投機的供給は共存しえないことになるが、 もし投機家が将来の為替相揚について異なる期待をもつと考えれば、供給と需要が同時に出現するであろうと考えら 162 ケインズの貨幣思想 第12図 ‘2ε 先物売 直物買 機な 直 物 投 先物売 直物売 し 先物投機 なし 一ε 直物買 先物買 直物売 先物買 饒 第13図 6‘ 先物売 & 先物売 ε & 直物買 取引コスト 直物売 εε==4 2ピ 饒 ε‘=β 2壁a ぞご 先物買 先物買 £ £ £ (a) (瑞が滋にある場合) 163 £ (b) (局がBにある揚合) 一橋大学研究年報 商学研究 26 れる。 さて、銀行が金利平価水準を推持するように行動すると仮定すると、非銀行裁定は出現しないので、ヘッジ者と投 機者による需要︵供給︶される先物為替のすべてが、銀行によって供給さ︵買わ︶れる。そして銀行が投機をしよう としないならば、銀行は、利子格差で直物価格を調整することによって先物相揚を計算して、直物買︵売︶によって カバーするのであり、先物市揚は、現在の利子率を組合わされて直物市揚の反映であるような印象を与えることにな る。 こうして銀行は、債権、債務の満期を、カバー付き利子裁定を通じて変換すること、たとえば、直物スターリング を三〇日スターリングヘ、三〇日スターリングを六〇日スターリングヘ変換することを業務とするほかに、銀行が存 ︵36︶ 在しない場合よりもヘッジ者や投機家により低い取引コストで、同一満期の所望先物買と所望先物売を結合させるこ とを業務とすると考えられるから、先物市揚は、外国為替市揚への基本的な仲介機能の拡張だと考えられるのである。 三 中央銀行による先物介入の意義 P・アインチヒは、先物市揚で外国通貨を売ることによって、信用政策の逼迫化なしに準備の流出を止めることが できるであろうと主張していたが、ケインズではこのメカニズムを再発見し、一般化したことによって、中央銀行の 介入政策は、中央銀行政策の重要な手段と考えられるようになった。近年では、中央銀行と商業銀行との間のスワッ プ取引が、その具体的姿である。すなわち、もしスイス国立銀行が商業銀行にドルスワップを提供するならば、商業 銀行はたとえば三〇日後に同額のドルと交換に、同額のスイス・フランを戻す約束を背景に、ドルと交換にスイスフ ランを直物で得ることができるのである。この揚合のスワップレートは、当該の米国のマネーマーケット.レートと スイス・マネーマーケット・レートの間の差に反応するのであり、全体として中央銀行の介入効果は、利子率の期間 164 ケインズの貨幣思想 構造における﹁ツイスト﹂である。つまりスイスの短期利率が長期利率に比べて低下するのである。 ︵37︶ こうした政策手段が固定相揚下と変動相揚下でいかなる意味をもつかを考えよう。 固定相場の下では、通貨の減価は、いったん介入点に到達すると準備の喪失になる。外国為替を先物で売り、国内 通貨表示での外国為替の先物価格を低下させることによって、中央銀行は、ヘッジ者と投機家と裁定者が、直物より も先物で外国通貨を買い、先物よりもむしろ直物で外国通貨を売るのを有利とすることができる。これにより直物資 金の流出が止められ、さらに中央銀行は、介入相揚でまたはその近傍で、直物買をカバーし、そうして準備を得るこ とが可能となるかもしれないのである。重要なことは、この介入により、国内信用状況を逼迫化せずに達成できたの であり、これより先物介入は、短期的撹乱に直面して、準備の変動を減少させるための有効な方法と考えられるので ある。しかし、準備の持続的損失は、常に増大する規模で先物介入を必要とするのであるから、生じうる減価によっ て中央銀行は、その先物売りがカバーされない程度まで外国為替損失に陥いることになる。 これに対して変動相揚下では、先物介入の目的はあまり明白ではない。より一層の研究が必要であると主張してい る。 ︶ ︵38︶ . 四 金融先物取引の導入 一九七一年のブレトンウッズ体制の崩壊によって変動相揚制へ移行することになったが、当初予想されていたより も激しい通貨変動を経験することになった。また一九七九年に米国は新金融政策を導入したが、これは金融政策の操 作目標を利子率からマネーサプライに変化させることになり、利子率は市揚の決定にまかされることになったために、 その後利子率の変動が大きくなった。さらに八O年代に入ると、米国の利子率とドル相場との関係が強まり、利子率 変動の激化はドル相揚の激化をもたらすことになった。また金利の自由化が進展するにつれて、金融機関の負債構成 165 一橋大学研究年報 商学研究 26 通貨先物取引とフォワード取引の比較 通貨先物取引 総済的機能 市揚性格 フォワード取引 ・ヘッジ機能の提供(フォワー 市揚の代替的な役割) ・ヘッジ機能の提供 ・取引所会員による取引市揚 ・銀行,為替ブローカーなどが,一定範囲の取引先と電話によ 公開かつ競争的)・誰でも自由に参加でき投機も 揚参加者 相対取引市揚を形成・実需中心の市揚 迎される。 流動性 リ ス ク ・ポジションの取り崩しは容易 ・ポジションの取り崩し,第3 への譲渡は容易ではない ・すぺての取引の相手方となる は清算会社であるため,取 の相手の信用分析を行う必 ・取引の相手方の信用分析を行 取引上限を定める必要があ (契約不履行のリスクが存 ) はない。 手 数 料 ・手数料は料金表に規定(ただ 大口取引については個別に ・仕切売買のため,顧客サイド らの交渉の余地は小さい 渉) ・売買単位, 売渡日とも標準イヒ・売買単位は小口でも可 売買単位 イド 渡 日 証拠金 清 算 受渡比率 ・顧客の要望に応じてテーラー 売買単位は通常大口 ・所定の証拠金が必要(ごく低 ) ・なし(ただし通常銀行は歩積 ・取引所の清算会社を通して行 ・相対 金を要求) れる ポジシ冒ン保有に伴う損益は 日清算される ・現渡しの比率は極めて低い ・go%以上が現渡し (1%以下) 値幅制限 ・取引所が値幅制限を設定 ・な し 監督官庁 ・1975年4月以降,商品先物取 委員会が規制 ・な し (資料) IMMlのUnderstandiロgFuturesinForeignExchange及ぴFuturesTτad ing for Financia Institut三〇nを参考に作成 東海銀行調査月報No.433。昭和58 年8月 166 ケインズの貨幣思想 に占める市揚性金融資産の割合が高まったことこそ、利子率変動リスクや外国為替変動リスクを回避するために、そ の回避方法としての金融先物に対する二ーズが高まったといえよう。投機家にとっては、こうしたリスクが高まるこ とは、利潤獲得の機会の高まることを意味したから、金融先物の発達につながったと考えられる。 金融先物には、O通貨先物、⑭金利先物、㊧株価指数先物等があり、現在新商品の開発中であるといえよう。一九 七二年五月に、シカゴ商業取引所の一部門として、IMM︵冒富ヨ鋒自巴冒9Φ夢蔓冒貰一︷葺︶が設立され、日本円 やドイツマルクなどの外国通貨の先物取引が開始されたのが始まりで、その後、一九七五年にはじめの金利先物がシ カゴ取引所︵CBT︶に開設されて以降、金融先物商品の多様化がすすんでいる。金融先物のうちでは、金利先物の ウェイトが高いようである。通貨先物は、同様なヘッジ機能をもつフォワード先物取引が存在していたために、金融 機関の通貨先物取引の利用はフォワード市揚・先物市場間の裁定取引に限定されていたためである。理解しやすいよ うに、通貨先物取引をフォワード取引の比較を示しておこう。 英国では、一九八二年九月に・ンドン金融先物取引所︵LIFFE︶が発足し、金融先物の導入をはかったが、米 国の金融先物市揚が多数の個人投資家が参入している市揚とは異なり、英国の金融先物市揚は機関投資家中心の市場 と特色づけられる。わが国の揚合は、債券先物市場として、一九八五年一〇月にスタートしたが、やはりロンドン同 様に機関投資家中心の市揚として特色づけられる。いずれにしても、利子率や外国為替の変動の激しい現在、こうし た金融先物市揚の発達は望ましいものと考えられる。 ︵則武保夫・片山貞雄訳﹃インドの通貨と金融﹄東洋経済新報社昭和五二年ケインズ全集第一巻︶ M︷o旨o。。一い竃‘、蕊軸§O袋ミ恥§黛§織、きミ§しε曾↓ぎOo一一〇g。α類葺団コ鵯oh一〇ぎ冨避轟﹃α国。旨①9<o一・ト一〇Nい ︵−︶ 誉評や藁邦訳書一三頁 ︵2︶ 167 一橋大学研究年報 商学研究 26 §斜マ軍邦訳書一四頁 §3マ℃﹂。。∼多邦訳書一九∼二〇頁 ︵3︶ ︵4︶ 帆ミ8マや留∼鐸邦訳書、二三頁 ︵5︶ ︵中内恒夫訳﹃貨幣改革論﹄︹ケインズ全集、第四巻︺東洋経済新報社、一九七八年︶ ︵6︶ 民①≦8一・零ゆ﹂辱§、§ミ§災ミ闇勾愚、言這舘目冨Oo一一。goα毛旨冒σqωo囲一〇ゴ昌鼠曙畠H山民薯まρ<o一﹂<しON一 ︵7︶ &轟︸やコ■邦訳書、七三頁 ︵8︶ §野やo。動 邦 訳 書 、 八 九 頁 きミ曽や罫邦訳書、九四∼九五頁 ︵−o︶ 軌ミ野やや嵩o。∼三〇邦訳書、一四三∼一四五頁 ︵9︶ 焼ミ斜マや嵩o。∼一3邦訳書、一六四∼一六五頁 きミuやや潔∼一頃邦訳書、九六∼一一八頁 ︵11︶ ︵12︶ §野℃﹂op邦訳書、一〇六頁 §3や℃﹂8∼一〇N・邦訳書、一〇六∼一一〇頁 ︵13︶ ︵14︶ き§一℃﹂8・邦訳書、二二頁 ︵16︶ &轟︶や;9 邦 訳 書 、 一 五 一 頁 ︵15︶ 一〇N一●︵小泉明・長沢惟恭訳﹃貨幣論﹄︹ケインズ全集、第五∼六巻︺東洋経済新報社、一九七九∼八O年︶ ︵17︶ ズ。≦β旨竃‘﹂↓§§雛§ミ§遷N<o一ω﹂89↓箒Oo一一①ga憂﹃言一⑳ωo︷一〇ぎ窯碧轟且国①旨09<o一。・隆ダく一‘ &幾・噂く9ダや℃﹂ホ∼一お・邦訳書、第五巻一六六∼一七〇頁 ︵18︶ 賊ミ辞くo一・≦も﹄8・邦訳書、第六巻三五三∼三五四頁 ︵20︶ &裁︸<o一・≦・9巷乙o。・邦訳書、第六巻三八章 ︵19︶ ︵勿︶ &糞︸くo一・≦も・や旨v∼這o・邦訳書、第六巻一四七∼一五〇頁 168 ケインズの貨幣思想 §3<o一・≦・や誌o・邦訳書、第六巻一四九∼一五〇頁 &轟噸くo一・≦’や田ρ邦訳書、第六巻三四〇頁 Z一〇げ雪ρ冒お■﹄ミ恥§ミ焼§ミミ§象ミ黛肉8§§魯勲這oo♪9四やoo● きミ’<o一.くHマ℃﹄S∼8曾邦訳書、第六巻三四七∼三五四頁 &幾“や一睾, 帆ミ3やや一象∼旨9 &焼3ツ一軌oo、 蝋ミ織‘や一鴇● &&‘やまU・ 軌ミ3やや一$∼ま9 帆ミ評℃.一摯・ &軌野やまω● 焼ミ3や一象● 帆ミ3や一認・ 軌ミ野マまy 切。p且。hσp。<§。誘。=ぎ男。畠Φ邑勾①ω①塞ω翼。員ooB暑αξ閃暮目窃目β旨αQ9ヨ巨ωω一。三ω。。琶菖8四且穿− &帖野や一N@ ︵日本証券経済研究所﹁先物取引とオプシ日ン取引の経済調査ーアメリカ議会提出報告書1﹂一九八五証券資料 八八 9雪oq。Oo日巨琶op>ωε亀oh9。国幣畠89Φ国。oきヨ冤oh↓β山冒。p339お切塑且○旨o拐這o。避 号︶ 169 ( ( ( ( ( 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