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台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題

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台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題
台湾に おける寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題
古 関 喜 之*
要 旨
亜熱帯に属する台湾では,高度に伴う気候の地域差を利用することによって日本品種のナ
シ栽培が行われたが,
1970年代後半に寄接ぎによる栽培方法が確立すると,海抜高度の低い
地域でも日本品種のナシ栽培が可能になった。本稿では,ナシ穂本の供給地として重要な日
本との関係に着目しながら,寄接ぎナシ栽培の発展過程を検討し,農産物貿易が拡大する中
で,生産地域にみられる対応について検討した。寄接ぎナシの重要な生産地域である台中県
東勢鎮を対象として,東アジアという地域の枠組みと,生産地域のローカルな条件をふまえ
て,台湾の寄接ぎナシ生産の存立について考察した。日本品種ナシの寄接ぎによる栽培方法
が確立すると,生産された寄接ぎナシは高値で取引されたため,
1980年以降,東勢鎮で商業
的寄接ぎナシ栽培が盛んに行われるようになった。寄接ぎナシ栽培の拡大に伴って,穂本の
需要が供給を上回り,価格が高騰した。その結果,
1988年から日本の穂本が輸入されるよう
になり,現在では台湾の寄接ぎナシ栽培に必要な穂本の半分近くを日本に依存している。生
産面では,栽培に手間と人手を必要とするため,労働力の確保や高い生産コストなどの問題
を抱えている。流通面では,ナシは保存性に優れているため,市場価格の動向に応じて,個
人が出荷先や販売時期を判断している。また,WTO加盟後,韓国や日本から東洋ナシの輸入
が急増している。台湾が寄接ぎナシ栽培を存続させていくためには,日本や韓国よりも早く
ナシを収穫することができるという利点を活用した生産と,国内での販売時期や自己消費用
としての幅広い消費者層に対する販売の強化がより一層求められる。そのことが台湾の寄接
ぎナシ生産地域の存立を可能にする。
キーワード:寄接ぎナシ栽培,台湾,ナシ穂本,日本品種ナシ,
I
はじめに
WTO
産地の存続のおり方と課題について論じ,品質
と出荷時期によって輸入品との競合を避けられ
経済のグローバル化に伴い,今日,農産物貿
るかが重要であることを示した。同様に,高
易は拡大し多様化しており,グローバル化に伴
柳(2002)でも,輸入野菜が増加する中で,ど
う農業地域の変化に関して農業地理学の研究が
のような野菜産地が維持あるいは発展していく
蓄積されている。たとえば,グローバル化か農
のかという問題意識のもとで,枝豆産地を事例
業地域にどのように投影されているのかという
に野菜産地の再編強化の方向性について検討し
視点から,輸入農産物の増加に伴う産地の変化
た。そして,差別化された野菜のブランド化と
や対応を取り上げた研究が行われてきた。川久
集落営農による低コスト化の有効性を指摘し
保(1996)は,オレンジ果汁輸入自由化が農家
た。また,高柳(2004)では量産型のトマト産
経営や日本のみかん産地に及ぼした影響につい
地を事例に,輸入トマトの増加が懸念される中
て論じた。高柳(1998)は,かぼちや産地を事
での産地の対応について報告している。そこで
例として,国際的な産地聞競争に直面する国内
は,量産型産地としてより一層の生産コストの
-
*広島国際学院大学 現代社会学部
53−
地域学研究 第25号 2012
低減と単収の増加に努め,取扱量の増加を図る
一方,日本からアジアヘの農産物流動につい
といった,産地の長所を生かした取組みの重要
ては,地理学では十分に研究されてこなかっ
性が示されている。こうした研究は,低価格の
た。 しかし,近年,積極的に農産物輸出を推
輸入農産物が国内産地へ及ぼす影響や産地の維
進し,輸出先の約7割がアジア市場である日本
持・存続への関心が高いことを示している。
(農林水産省国際部国際政策課2009)にとっ
また,農産物貿易をめぐる研究も行われてき
て,農産物輸出をめぐるアジアとの結びつき
た。 1990年代以降の日本における農産物輸入
は,農産物輸出国としての日本の将来性を検討
の拡大は日本企業による開発輸入の増大によっ
するうえで重要である。中国が東アジア地域に
てもたらされたことが,後藤(2006,
おける食料の重要な供給国であるという基本構
2007)や
大島(2004)によって指摘されている。そうし
造は変わらないとしても,東アジア地域内での
た開発輸入の多くが,中国などのアジア地域で
農産物貿易の拡大は,輸入国のみならず輸出国
展開されている。日本企業による中国などでの
の社会・経済構造を大きく変化させるという
開発輸入では,後藤(2007,
点て,見逃せない動向となりつつある(大島
2006)がい製品を
取り上げ,開発輸入のメカニズムと対日輸出産
2007)。
地の立地動向,開発輸入に伴う国内産地の再編
1960年代半ばから1970年代に経済成長を遂
成について論じている。森・大島(2002)や伊
げた台湾では,日本との農産物貿易が活発であ
藤(2006),
る。台湾は,日本での生産が難しい熱帯果実や
Ik (2001a, b)は,中国における野
菜の開発輸入について報告している。
ウーロン茶,コチョウランといった農産物を積
日本企業による開発輸入の事例からも明らか
極的に輸出する。一方,日本は近年,台湾の富
なように,コストをはじめ,進出先の歴史的関
裕層への販売を目的として,高品質で安全既に
係,自然的条件,技術的水準などが考慮され
優れた温帯果実の輸出の拡大を図っている。日
(後藤2007;
本の果物と野菜の輸出先として,台湾市場の
Ik 2001a),最も有利な地域で生
産されるというだけではなく,栽培・加工など
重要性が指摘されている(Ik
の技術供与が行われ,日本品種の農産物が生産
WTO加盟した2002年以降,日本から台湾への
されることも少なくない(後藤2002,
農産物輸出は増加してきた。
2007;
2004)。台湾が
2008年現在,台
伊藤2006)。日本の商社や食品企業による日本
湾への農産物輸出額は598億円で,農産物総輸
品種の農産物の開発輸入は,低価格のみなら
出額の20.7%を占めている(農林水産省国際部
ず,品質においても国内産との格差を縮小する
国際政策課2009)。台湾は日本にとって農産物
ことになるであろう。グローバル化は,技術や
の最大の輸出先である。このように農産物貿易
種子,苗などの交流も促進している。
が拡大し,技術や品種の交流が行われている中
中国以外では,韓国や台湾から日本への農産
で,小規模経営が中心の台湾では,国際的な産
物輸出に関する研究かおり,下渡(2001)や
地聞競争の中で農業地域の変化や対応について
金(2006)は韓国産野菜の日本への輸出の状況
十分検討されなければならない。
と輸出戦略について示している。古関(2008)
亜熱帯地域に属する台湾では,高度に伴う気
は,台湾産マンゴーの生産・流通と対日輸出の
候の地域差を利用することにより,ナシ・リ
取組みについて論じた。これらは,東アジア地
ンゴなどの温帯果樹の栽培が可能である。陳
域から日本への農産物流動を取り上げた研究で
(1984)や斎藤・陳(1984)は,中央山脈にお
ある。
ける温帯落葉果樹・高冷地野菜栽培の発展要因
−
54−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
を考察し,海抜高度・気候・勾配などの地理的
との関係に着目しながら,台湾における寄接ぎ
条件と土地利用との関係を論じている。また,
ナシ栽培の発展過程を検討し,農産物貿易が拡
高度差を利用した日本品種ナシの栽培について
大する中で,生産地域にみられる対応について
言及した。海抜高度の高い地域で日本品種のナ
検討する。
シ栽培が行われたが,
本稿が対象とするのは,台中県東勢鎮2)で
1970年代後半にナシの
寄接ぎによる栽培方法1)が確立すると,海抜
ある。台中県は台湾を代表するナシの生産地域
高度の低い地域でも日本品種のナシの栽培が可
で,東勢鎮は「寄接ぎナシの発祥地」と呼ば
能になった。その結果,台湾で日本品種ナシの
れ,現在でも寄接ぎナシの重要な生産地域であ
生産が拡大した。
る。2002年には,台湾のナシ生産量の65.8%を
熱帯果樹栽培が中心の台湾では,これまで温
占める台中県の中で,東勢鎮はナシ収穫面積で
帯果樹に対して,熱帯果樹ほど関心が払われて
和平郷に次いで多い(中華民国九十一年農業統
きたわけではない。しかし,
計年報および中華民国九十一年台中県統計要覧
2003年における
台湾のナシ生産額は,果樹総生産額の約6%を
による)。台中県でナシ収穫面積が最も多い和
占め,ナシはビンロウジ(23.4%),パイナッ
平郷は,中央山脈に位置した梨山を含む行政地
プル(12.0%),マンゴー(8.9%)に次いで生
域である。栽培方法別のナシ収穫面積の統計は
産額の多い果樹部門である(中華民国九十三年
ないが,和平郷は従来からの気候条件を利用し
農業統計年報による)。このことは,台湾のナ
たナシ栽培の中心地である。一方,東勢鎮は標
シ栽培が,果樹部門の中で一定の地位を確立し
高400∼600
ていることを示している。
ナシを栽培できないため,必ず寄接ぎの方法を
台湾では寄接ぎによる栽培技術が確立した結
とらなければならない。このため,東勢鎮は台
果,高度差を利用しなくても日本品種のナシ
湾における寄接ぎナシ栽培を検討するうえで最
が栽培できるようになった。 しかしWTO加盟
適な地域である。
後,ナシの輸入量が急増したため,亜熱帯地域
本稿では,まず商業的寄接ぎナシ栽培の展開
の台湾で日本品種のナシを生産する重要性が失
について,日本との穂木供給の関係と東アジア
われた。台湾のナシを取り上げることによっ
におけるナシ貿易に着目して検討する。次に,
て,経済のグローバル化に直面した農産物産地
台中県東勢鎮を事例に,寄接ぎナシ栽培につい
のおり方をめぐる議論に具体的な事例を提示で
て現地調査の結果に基づいて検討する。そし
きる。
て,東アジアという地域の枠組みと,生産地域
また,日本は台湾の日本品種ナシの栽培に
のローカルな条件をふまえて,台湾の寄接ぎナ
とって重要な穂木だけではなく,生産したナシ
シ生産の存立について考察する。
m に位置し,気候的には日本品種
も台湾へ輸出していることから,台湾の寄接ぎ
ナシの生産維持や存続の可能性について検討す
II.商業的寄接ぎナシ栽培の展開と
ることは,これまであまり注目されてこなかっ
日本産ナシ穂木
た農産物の輸出国としての日本に焦点を当てる
ことにもなる。台湾の寄接ぎナシ栽培を取り上
1。寄接ぎナシ栽培と穂木の供給
げることが,日本からアジアヘの農産物流動を
台湾における日本品種のナシ栽培は,日本
知るうえでも重要な事例になると考える。
統治時代に始まった。
本研究では,穂木の供給地として重要な日本
に,温帯落葉果樹のナシ・リンゴ・モモ・ク
−
55−
1930年から1932年の間
地域学研究 第25号 2012
121''E
m 。
00
0 0 0
ぐ 20 10 10 0
高
群目圓LL
中部横貫公路
□ 日本品種ナシの伝統的生産地域(梨山)
口 調査地域(東勢鎮)
∼ 鉄道
図1.研究対象地域
Fig. 1. study
area
リ・ウメ・カキなどが日本から導入された。中
種,クリ4品種,リンゴ1品種の苗木が移植さ
央山脈に位置する和平郷梨山3)(図1)では,
れた(朱1961:
二十世紀と長十郎がそれぞれ数十株ずつ試験的
の完成後も,福寿山農場での成功をもとに公
に栽培された(朱1961:
営農場が建設された。
第二次世界大戦後,
236-237)。
1956年に台中と花蓮を
結ぶ中部横貫公路の建設が始まると,
237)。 1960年の中部横貫公路
1961年に成立した清境
農場5)や1963年に成立した武陵農場でも,ナ
1957年
シ・リンゴなどの温帯落葉果樹が栽培された。
に退役軍人の公営農場4)である福寿山農場が
これらの農場は台湾における温帯落葉果樹栽
梨山に建設された(図1)。
培の発展に実験農場として指導的役割を果た
1958年には,日本
からナシ・リンゴ・クリなど11種58品種の果
し,また中部横貫公路の開通がこの地域の温
樹1,170株が導入され,福寿山農場以外にも,
帯落葉果樹栽培などの発展をもたらした(陳
和平郷や仁愛郷の山地集落の33戸にナシ4品
1984;斎藤・陳1984)。こうして,台湾におけ
−
56−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
る日本品種のナシ栽培は,日本統治時代の試植
中心とする地域は,台湾を代表する寄接ぎナシ
の段階から,標高2,000
生産地域に発展した。
mの梨山を中心とした
中央山脈の高冷地6)での本格的な栽培へと発
寄接ぎナシを含む日本品種のナシは,高級果
展した。
物として高値で取引されたため,
1970年代に入るとナシ栽培に新たな展開が
入ると,寄接ぎナシ栽培を行う生産者が増加し
みられた。 1970年代初頭,梨山を中心とした
た。しかし,寄接ぎナシ栽培に必要不可欠な穂
地域で生産された日本品種のナシは,高品質な
木の供給は,日本品種のナシ栽培が行われてい
果実として高値で取引された。一方,当時,バ
た梨山に限られていたため,穂木の供給が不足
ナナ栽培が衰退した東勢鎮などの海抜の低い
し価格が高騰した11)。そこで,行政院農業委
地域では,休眠時間7)が短くてよい亜熱帯系
員会(日本の農林水産省に相当)は寄接ぎナシ
の在来品種である横山ナシ8)が栽培されてい
栽培を発展させるために,穂木の輸入を決定し
た。これは日本品種のナシに比べて品質が劣っ
た。
ており価格が低かった。そのため,和平郷に隣
1987年に,農業委員会は当時の台湾省政府
接する東勢鎮の生産者の中から,梨山で土地を
農林廳(現在の行政院農業委員会農糧署)に,
借り日本品種のナシ栽培に従事する者が現れる
台湾省青果運鎖合作社(日本統治時代にバナナ
ようになった9)。その中の一人に,ナシ栽培農
の移・輸出に関わって設立された青果同業組合
家で,後に寄接ぎナシ栽培の第一人者として知
が起源の青果共同販売組合,以下,青果合作社)
られることになる張格生かいた。
に委託して日本から正式に穂木を輸入するよう
1975年に張は,東勢鎮で栽培していた横山
命じた。穂木の輸入先として日本が選ばれたの
ナシを受粉させるため,借りていた梨山のナシ
は,果実の品質がよく,病虫害が少なかったた
園から新世紀の穂木を持参し,横山ナシの木に
めである。輸入品種として,台湾での栽培に適
接ぎ木して,新世紀で異花受粉lo)を行った。
し活着率のよい幸水と,果実の大きい豊水が選
ところが,ミッバチを媒介にして横山ナシの花
ばれた。同年6月には,穂木の輸入地域として
粉が新世紀に運ばれ,その結果,海抜高度の低
鳥取・長野・新潟・福島の4県が候補地として
い地域の東勢鎮で新世紀が結実した。これを契
挙げられた12)。
機に,寄接ぎナシ栽培について本格的に研究が
台湾に輸人後すぐ寄接ぎできるよう休眠時間
行われるようになった。
と栽培品種が考慮された結果,最終的に福島県
1977年に12名からな
1980年代に
る東勢鎮高級水果産納研究班が組織された。班
が選ばれ,青果合作社と日本園芸農業協同組合
長は張格生で,東勢鎮農会(日本の農協に相
連合会(以下,日園連)との間で穂木の貿易に
当)の協力と台中区農業改良場の指導のもと,
関する協議が行われた。日園連は日本産の穂木
寄接ぎナシ栽培に関する研究が行われた。福寿
で生産されたナシが日本へ輸出されることを危
山農場から幸水の穂木が待ち込まれ,研究班の
惧し,生産したナシを日本へ輸出しないという
班員によって寄接ぎされ,生産された幸水は高
条件をつけ穂木の輸出を許可した。こうして,
値で取引された。こうして,気候的に日本品種
1988年に台湾は穂木の輸入を開始した。
のナシの木が生育できない海抜の低い東勢鎮
しかし,当初,日本のナシ栽培農家は穂木の
で,亜熱帯系の横山ナシの木に休眠時間を達成
販売に積極的ではなかった。これは,剪定時期
した日本品種の穂木を接ぎ木することにより,
を早めることによる母樹への悪影響を生産者が
日本品種のナシ生産が可能となった。東勢鎮を
懸念したことと,また,穂木供給地となった福
ー
57−
地域学研究 第25号 2012
島県においては,リンゴとナシの複合経営が一
のニーズを反映して,各輸入団体の穂木の輸入
般的で,穂木の供給時期がリンゴの収穫・包
先は日本各地に分散している。日本からの穂木
装・出荷作業と重なったためである。結局,台
の輸入によって,寄接ぎナシ栽培に必要な穂木
湾側か日本のナシ栽培農家を訪問して穂木の提
の需要が賄われるようになった。
供を依頼した。
穂木の輸入が始まった頃は穂木の調達に苦労
1990年3月には,関連するすべての農民団体
したが,近年では穂木を調達しやすくなってい
が穂木を輸入することが認められた。
る。というのは,穂木を積極的に販売したいと
1994年
に石岡郷農会が輸入を始めたが,穂木の販売が
いう農家が現れたためである。日本のナシ栽
独占されることによって生産者が不利益を被ら
培農家は,通常1∼2月に行っている剪定作業
ないように,翌年には東勢鎮農会も穂木の輸入
を11月下旬∼12月に早めることで,廃棄処分
を開始した。
する徒長枝13)を販売して副収入を得ることが
表1は,各輸入団体の穂木輸入量と供給地を
できる。1本のナシの木から採取できる徒長枝
示している。当初,愛知県から豊水等の穂木を
は,管理状況や樹齢,品種によって異なるが,
輸入していた東勢鎮農会は,豊水を栃木県,新
約2∼5kgである。1人が1日に剪定できるの
興を新潟県から輸入するようになった。
2002
はナシの木3∼4本であるが,1日に2万∼3万
年現在,上記の農会を含む九つの団体が穂木の
円の収入になる。ただし,リンゴとの複合経営
輸入を行っている。台湾における穂木の輸入量
を行っている農家では,この時期に労働力の競
は, 2002年には151
合がおきる。また,輸出用の穂木を採取するナ
tで,
1391であった前年に
比べて12t増加している。農会の中では,東勢
シ園は,事前に植物防疫所に登録する手続きが
鎮農会が最も多く,約22tの穂木を輸入してい
必要である。
る。当初は休眠時間の関係で福島県の穂木が選
以上のように,日本品種のナシは,これまで
ばれていたが,福島産の豊水だけでは寄接ぎナ
梨山を中心とした地域で栽培されてきたが,寄
シ生産者の需要に応えられなくなり,また台湾
接ぎによる栽培方法の確立によって,海抜高
での栽培品種の多様化や,新興を求める生産者
度の低い地域でも栽培が可能になった。
2004
表1.各輸入団体のナシ穂木輸入量と供給地(2002年)
Table l. Quantity
and supply areas by importer
輸入量
豊水ナシ穂木
(kg)
供給地
青果合作社
50,800
傑農農場
35,116
of imported
供給地
新潟 鳥取 山口
福島
新潟 長野
福岡
pear tree cuttings
新興ナシ穂木 幸水ナシ穂木 その他の品種の
福島
鳥取
Japanese
供給地
供給地
福島
鳥取
東勢農会
21,900
栃木
新潟
石岡農会
10,510
鳥取
鳥取
和平農会
9,15 0
新潟,茨城
新潟
卓蘭農会
9,330
鳥取
鳥取
新社農会
3,230
鳥取
鳥取
大湖農会
5,790
鳥取
鳥取
后里農会
4,910
鳥取
鳥取
合計
151,336
鳥取
鳥取
鳥取
-
(東勢鎮農会の資料により作成).
58−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
年には台湾におけるナシ栽培面積8,456
うち,寄接ぎナシ栽培面積が5,818
haの
径0.4∼0.8 cmと規定され,横山ナシの徒長枝
ha (68.8%)
に切り込みを入れると,密着する木質部分の幅
を占めている。従来からの高度差を利用した栽
がほぼ上記の穂木の直径と一致する。直径が
培を含めると,台湾におけるナシ栽培面積の
0.4 cmより小さいものは,養分が少ないため開
93.5%で寄接ぎナシを含む日本品種のナシが栽
花したとき花が弱い。
培されている14)。1ha当たり約75
kgの穂木が
これらの規格に基づいて採取された穂木は,
tの穂木が
農協に運ばれ品質検査が行われる。その後,青
必要であるので,
2004年には約436
利用されたが,そのうちの193
果合作社が輸出を依頼している苗木業者の福島
t (44.3%)が日
本から輸入された(中華民国台湾地区進口貿易
天香園に運ばれる。ここで,穂木が規格に合致
統計月報による)。すなわち,台湾の寄接ぎナ
しているか青果合作社の職員によって再度検査
シ栽培に必要な穂木の半分近くを日本に依存し
され,1箱10 kg に箱詰めされる。箱詰めされ
ている。
た穂木は,休眠させるためと腐敗を防止し鮮度
を保つために,4°Cに設定された定温倉庫に一
2。日本からのナシ穂木の輸入
時保管される。その後,台湾の植物防疫官に
日本からの穂木の輸入とそれを活用した寄接
よって検疫検査が行われる19)。
ぎナシ栽培について,さらに詳しく検討する。
このような過程を経て穂木は成田空港に運ば
青果合作社は,福島産の穂木を中心に輸入し
れ,輸出検疫を経て台湾へ輸出される。桃園国
ている。福島県には福島市といわき市の二つの
際空港に着いた穂木は検疫検査,税関手続き,
ナシ栽培地域かおるが,太平洋沿いのいわき市
冷蔵トラックヘの積み換えを経て,青果合作社
の場合,黒潮の影響で特に秋以降の気温が福島
台中分社豊原包装場に運ばれ定温倉庫に保管さ
市よりも高いため,青果合作社は休眠条件のよ
れる。福島での穂木採取から豊原包装場に着く
い福島市の穂木を輸入している。福島市は梨
まで約3日である。輸入開始当初は船で輸送さ
山と比べて11月以降の平均気温が低く15)例
れたが,
年11月下旬∼12月上旬には休眠時間が達成さ
になった。しかし現在では,台湾のナシの取引
れる16)。そのため,11月下旬∼12月に輸入さ
価格が以前に比べ低くなった2o)ため,空輸と
れる福島の穂木は,台湾に着いてすぐに寄接ぎ
輸送コストの安い船とが併用されている。毎
に用いることができる17)。また,福島市18)は
年,シーズン当初に輸入される穂木のみが,早
日本有数のナシ生産量を誇るので,1ヵ所でま
く寄接ぎできるように空輸されている。船によ
とまった量の穂木を調達できるという利点かお
る輸送の場合は横浜港から輸出される。 しか
る。
し,専用船ではないため抜港21)されることか
日本から輸入される穂木は,長さや太さな
あり,輸送中は天候等の影響も受けやすい。ま
どが細かく規定されている。長さに関しては
た,出港してから台中の豊原に着くまで約1週
15∼60 cmの範囲で,少なくとも15
間∼10日かかる。そのため,到着日時の把握
Cmで将来
1995年から全面的に空輸されるよう
花になる花芽が四つあることを条件にしてい
や穂木の鮮度保持の面からは,空輸のほうがは
る。また,徒長枝の中に連続で二つ以上の花と
るかによい。
ならない葉芽かおる場合には,重量がかさむた
輸入品種別にみると,当初,活着率のよい
めその部分が取り除かれる。太さに関しては,
幸水と果実の大きい豊水が主流であった(図
穂木と横山ナシの徒長枝とを密着させるため直
2)。しかし,台湾で果実があまり大きくならな
−
59−
地域学研究 第25号 2012
輸入量(kg)
60,000
50,000
40,000
口新興
口幸水
30,000
■豊水
20,000
10,000
0
1988 1990 1995 2000 (年)
図2.青果合作社における品種別ナシ穂木の輸入量の推移
Fig. 2. Changes
in quantity of Japanese
pear tree cuttings imported
by Taiwan
Provincial Fruit Marketing
Cooperative by variety
(台湾省青果運鎖合作社の資料により作成入
い幸水は好まれなくなり,現在では豊水を中心 山で栽培されていた新世紀や幸水を中心とする
に,豊水よりも果実が大きく,果肉が緻密で柔 品種から,豊水や新興を中心とする品種に変
らかい新興の輸入に重点が置かれている(図 わった。
2)。東勢鎮農会の場合,2001年の全輸入量の
約4割が新興であった(台中県東勢鎮農会90年 3.貿易からみた寄接ぎナシ栽培
度自日本進口梨接穂数量明細表による)。新興 2004年現在,台湾のナシ栽培面積は8,456
ha
は日本では栽培面積が減少してきた品種であ で,その約9割で,寄接ぎナシを含む日本品種
る。現在,新興が比較的多く栽培されている地 のナシが栽培されている。同年のナシの生産
域は新潟県と鳥取県であるため,9団体のすべ 量は12.5万t(中華民国九十三年農業統計年報)
ての輸入先が新潟と鳥取に集中している(表
で,これは,東洋ナシと西洋ナシを含む世界の
1)。なお,図2から明らかなように,
ナシ総生産量(1,844.7万t)の約0.68%に相当
1993年に
青果合作社の穂本総輸入量が激減したのは,日
する(FAO production yearbook)。東洋ナシの主
本が記録的な冷夏で,穂本の生育が悪かったた
要生産国である中国,韓国,日本における生
めである。夏の気温が低く日照時間が不足する
産量(2004年)はそれぞれ1,059.9万円
と,葉芽が果実を実らせる花芽にならない。
万t,
2003年も日本が冷夏であったため,穂本の輸
ナシ生産量を誇っている。また,
入量が大きく減少した。
2004年までの台湾のナシ生産量についてみる
日本からの穂本輸入は,寄接ぎ時期や栽培品
と, 11.5万tから12.5万tへと微増傾向にある。
\ 45.2
35.2万tで,東アジアでは中国が圧倒的な
1995年から
種に大きな変化をもたらした。すなわち,休眠
台湾におけるナシの年間総輸出量は5
時間が早く達成される日本の穂本の輸入によっ
年)で(中華民国台湾地区出口貿易統計月報
て,寄接ぎ作業の時期が早まり,栽培品種も梨
による),ナシ生産量のわずか0.004%にすぎな
−
60−
t (2004
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
い。すなわち,台湾産のナシは圧倒的に国内で
ることを示している。また,オーストラリアや
消費される。中国の2004年における輸出量は
チリからも東洋ナシが台湾市場に入っている。
31.8万tであった(FAO tradeyearbook)。
台湾における国別・月別の東洋ナシの輸入量
一方,台湾における東洋ナシの年間総輸入
にっいてみると,韓国産ナシは7月を除いて輸
量は,2000年の353
tから2004年の9,707
tへ
入され,9月および11∼1月が中心である。ま
と4年間で27倍に増加した(図3)。特に台湾
た,日本産は8∼10月および1月を中心に台湾
がWTOに加盟した2002年から東洋ナシには低
に輸入されている(図4)。台湾は9∼1月の5
税率の関税割当制度23)が設けられたため,韓
ヵ月間で,全輸入量の約8割を輸入している。
国や日本からの輸入が急増している(図3)。
中でも,9月と贈答用としての需要が増す旧正
2004年は韓国からの東洋ナシの輸入量が東洋
月前の1月に輸入が集中している(図4)。南半
ナシ総輸入量の約87.6%を占め,次いで日本が
球のオーストラリア産,チリ産は4月に輸入さ
11.9%であった。日本からの東洋ナシの輸入量
れている。
は増加しているものの,価格の安い韓国産ナ
国産ナシと輸入ナシの価格にっいてみると,
シ24)の輸入が急増している。このことは,日
輸入ナシの価格が総じて高いが,台湾での寄接
本の穂木輸出が果実輸出の阻害要因となってい
ぎナシの収穫が始まる5月下旬から6月の時期
るということではなく,韓国産ナシとの競合が
では,前年に収穫された韓国や日本のナシに比
台湾市場での日本産ナシの輸入量に影響してい
べて,国産ナシは鮮度がよく好まれるため,国
産ナシの価格が輸入ナシの価格を上回っている
(図4)。 しかし,8月になると,日本や韓国で
輸入量(t)
ナシの収穫が本格化し,高品質の新鮮なナシが
12,000
輸入されるため,輸入ナシが国産ナシよりも高
値で取引されるようになる(図4)。
10,000
台湾の寄接ぎナシ生産を,東アジアのナシの
生産と貿易との関係からみると,次の二点が
口その他
凹韓国
8,000
指摘できる。第一に,台湾の寄接ぎナシの収
1日本
穫は5月下旬に始まり,東洋ナシの主要生産国
である日本や韓国に比べて収穫時期が約2ヵ月
6,000
早く,中国よりも約3ヵ月早い。したがって,
国内市場において,寄接ぎナシの収穫期におけ
4,000
る輸入東洋ナシとの競合が避けられる。第二
に,生産時期が日本や韓国,中国に比べ早いた
2.000
め輸出において有利であるが,ほとんど輸出さ
れていない。これは,生産コストの高さと,近
年,中国産の安いナシが国際市場に流入してい
0
2000 2001
2002
2003
2004 (年)
ることに起因する。中国のナシ輸出量は,
図3.台湾における東洋ナシの国別輸入量
Fig. 3. Quantity
of oriental pears imported
年には12.1万tであったが,
to
2004年には31.8
万tと5年間で2.6倍に増加した25)(FAO
成).
yearbookによる)o
-
Taiwan by country
(中華民国台湾地区進口貿易統計月報により作
61−
1999
trade
地域学研究 第25号 2012
輸入量(t)
価格(元/kg)
120
3,500
3,000
100
2,500
80
「¬その他
「7T1日本
2,000
=韓国
60
-4=l―輸入
−O一国産
1,500
40
1,000
20
500
0
0
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
(月)
図4.台湾における国別・月別の東洋ナシの輸入量と国産および輸入ナシの卸売価格(2004年)
Fig. 4. Quantity
of oriental pears imported
domestic
pears by month,
to Taiwan
and
wholesale
prices of oriental pears imported
and
2004
(中華民国台湾地区進口貿易統計月報および中華民国九十三年台湾地区農産品批発市場年報,民国九十三年
果菜運鎖統計年報により作成九
III.台中県東勢鎮における
1。東勢鎮の土地利用の変化
寄接ぎナシ栽培
寄接ぎナシ栽培がどのような土地条件のもと
で行われ,東勢鎮の土地利用がどのように変化
IIでみたように,穂本の輸入が寄接ぎナシ生
してきたのか, 1977年11月撮影の空中写真と,
産の基盤となっていること,東アジアのナシ貿
2005年4月に実施した土地利用調査に基づいて
易が生産を脅かす要因となっていることが明ら
検討する。東勢鎮で寄接ぎナシ栽培が本格化し
かになった。これらをふまえて,ミクロスケー
たのは1979年頃であり,その直前のものを使
ルの生産地域の特徴について,現地調査の結果
用した。なお,台湾の空中写真には,ナシ・柑
に基づいて検討する。
橘類などの果樹や,水稲などの作物名が記載さ
−
62−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
図5.東勢鎮中料里における土地利用(2005年)
Fig. 5. The land use of Chungke of Dongshih Town, 2005
(現地調査および2万5千分の1の地形図により作成).
れており,農業的土地利用の判読が可能であ
られる。 1977年撮影の空中写真をみると,中
る。
料渓沿いの南向き斜面は,その大部分がポンカ
東勢鎮の中でも特に寄接ぎナシ栽培の盛んな
ンなどの柑橘類園で占められていた。また,ナ
中料里(「里」は鎮内の下位の行政区画の単位)
シ園は中料渓沿いの低平地を中心に広がって
は,東勢鎮の北東部に位置している(図5)。
いた。つまり1977年から2005年の間に,黄龍
この地区を河川の中料渓が西方に流れ,河川に
病26)によって深刻な被害を受けた山地斜面の
沿って道路が走る。同様にその南側も河川の石
柑橘類園がナシ園に転換されたことがわかる。
角渓と道路が平行して走る。また,中部横貫公
同様に図5の石角渓沿いにおいても,南向き
路が南北に走る。中料渓と石角渓の両側は標高
斜面を中心にナシ園が広がっている。
400∼600
m の山地斜面である。
撮影の空中写真によれば,南向き斜面の一部で
2005年において,中料渓沿いの山地斜面で
はすでにナシが栽培されていたが,そのほとん
は果樹が栽培されており,特にナシ園は日当た
どが柑橘類園であった。また,石角渓沿いの低
りのよい南向きの斜面に集中している。また,
平地の一部と中料渓と石角渓が合流する一帯は
標高550∼600
水田であったが,ナシやモモなどの果樹園に転
mの南向き斜面にはカキ園もみ
ー
63−
1977年
地域学研究 第25号 2012
換された。かつてポンカンなどの柑橘類の栽培
40代の世代が農業に専従することは,寄接ぎナ
が盛んであった山地斜面を中心にナシ園が拡大
シが魅力的な作物であることを示唆している。
し,水田が卓越した低平地も,ナシやモモなど
2)経営形態
の果樹園へと変化した。
寄接ぎナシの経営規模をみると,
3 ha以上の
農家は2戸(農家番号12,32)のみで,一般に
2。栽培農家の属性
1∼2haの経営の農家が多い。専業農家で夫婦
1)調査対象農家
のみによる経営の場合,1戸当たりの寄接ぎナ
寄接ぎによる日本品種のナシ栽培が最も早く
シの平均経営耕地面積は0.96
行われた東勢鎮は,現在でも寄接ぎナシの重要
あった。これは寄接ぎナシ栽培には手間がか
な生産地域である。中華民国九十二年台中県統
かるためで,夫婦2人による寄接ぎナシの経営
計要覧によれば,
面積は最大でも1haである。なお,専業農家の
2003年における東勢鎮の総耕
ha とほぼ1haで
地面積4,579.3 haのうち,果樹栽培面積が95%
1戸当たりの寄接ぎナシの平均経営耕地面積は
を占め,その38%がナシ園であった。ナシ栽培
1.46haである。
面積は果樹栽培面積の中で最も多く,東勢鎮に
寄接ぎナシ栽培の開始時期28)に関しては,8
とって寄接ぎナシは重要な基幹作物である。
戸の農家が寄接ぎによる栽培技術が確立された
寄接ぎナシ栽培農家の経営実態を把握するた
1970年代後半から,
め,経営規模や専業・兼業の経営タイプ27)が
始めている。そのうち4戸が中料里(農家番号
異なる農家52戸から聞取り調査を行った。農
1∼15)の農家であった。これらの農家では,
家の選定に当たっては,東勢鎮全域を対象に,
栽培方法が確立される以前から横山ナシを栽培
専業・兼業農家の割合が偏らないように留意し
し,果樹と果樹棚をそのまま活用することがで
つつ,多様な経営が含まれるように作目構成と
きた。一方,
地区に配慮した。その結果,特に寄接ぎナシ栽
始めた農家は44戸あり,そのうち26戸がポン
培の盛んな中料里で15戸(農家番号1∼15),
カン栽培から寄接ぎナシ栽培に転換した農家で
その他の地区では合計37戸を抽出して聞き取
あった。中料里の農家でも,8戸の農家でポン
り調査を実施した。専業・兼業農家数はそれぞ
カン栽培から寄接ぎナシ栽培に転換している
れ26戸である。また,選定は東勢鎮農会等の
が,そのうち3戸では1990年以降に寄接ぎナシ
助言・紹介を得ながら行った。なお,東勢鎮農
栽培を開始している。すなわち,横山ナシを栽
会のナシ産納班(生産者グループ)は51あり,
培していたことが,早期に寄接ぎナシ栽培に着
ナシ栽培農家数は1,206戸である(東勢鎮農会
手するための重要な条件であった。
の資料による)。
52戸中30戸の農家では,天候による生産リ
表2は,東勢鎮で調査した寄接ぎナシ栽培農
スク,生産過剰による価格リスクを減らすた
家52戸の属性を示す。まず経営主の年齢につ
め,カキやモモなどとの複合経営を行ってい
いてみると,最も高齢の経営主は77歳である
る。中でも,カキを組み合わせている農家が
が,50歳未満が半数近い。専業農家では26戸
21戸と最も多い。これらの農家では,台湾の
中11戸,兼業農家では26戸中13戸の農家で経
在来種に日本品種の富有や次郎,花御所などを
営主が50歳未満であり,ともに50歳未満の経
高接ぎ更新して力牛を生産している。日本品種
営主が多い。 50歳未満の経営主は専業農家で4
の力キは,渋が牛である台湾在来種とは異な
割を超えており,主要な担い手となる30代∼
り,果実が大きな甘が牛であるため,高い価格
−
64−
1980年までの間に栽培を
1981年以降に寄接ぎナシ栽培を
一〇
(聞取り調査により作成).
一〇一
ナシ園借地 ○:ナシ園を借りている
一〇〇一
寄接ぎ作業開始時期 上:上旬 中:中旬 下:下旬
一〇一
上上
○ ○ ○
○○○○○○
9
73
83
82
98
86
8
9I
9I
9I
9I
9I
0y
I
Qj Qj
0 0
740 38
001 00
産地別使用ナシ穂木 ○:使用している
一〇一
65648 666853
00000 000000
後継者 ○:後継者がいる ×:後継者がいない ?:現時点において不明
一〇一
下 下中 上下下下中上下中下下下上中中下中 下 中上下下
○○○○
01001
s″s″s″10
ah
ah
ah
ah
a
h
80/80/0/
Oynynynyoy
IIIII
20936
○○○○○○○○○○○○
22 1
00 0
50527555 50 544
03010010 01 000
5250
0001
換工 ○:換工を行っている
一〇一
上上
○○ ○○○
○○○○○○○○
7S″
00
cr\
VO O
0 01
労働力構成 ○:農業従事(一時的な農業従事も含む)
一〇一
上中上
上 上上
○○ ○
○○○○
○ ○
○ ○○
718りI
7888
19191919
0 0 0
u-> vo 0 4 2 5
001
VO O VO 8 84︰
111001
0××??×
一〇一 一〇
○○○○○○
jjj
642
s″7ζJ
ぐぐぐ
男男男
74
84
95
05
15
2
4
専専兼専専兼
ポンカン
○一
中上中 上下
○ ○○ ○
○○○○○
S
8″
8り
0I
/り
○j
/l
8l
1919191919
38250 5 04
00201 0 10
0001
78QjS″
070065004365020060088
L0 LL0 0 3 LLLLLL0 L2 0 LL0 0 ○○??×?○×?××○??×○○??×○
一 一〇〇一〇一 一 一〇一 一 一 一 一 一 一〇一 一 一
○○○○○○○○一〇〇〇一 一 一〇一〇一 一 一
ポンカン
ナシ園借地
○ ○ ○○○○ ○
上 中中中 中中中 下
○○○○○○○○○ ○
り一月
1月
寄接ぎナシ栽培前の
果樹作物
寄接ぎ作業
開始時期
日本
0
88
88
70
99
8S
8″
9I
9I
9I
9I
9I
0y
I
3 0
2
0
6040 5
0101 1
62
50
40
31
50
5
0
0L
62
5 02
0 L
0 6L
00
0 2 L
L
一 一 一 一〇 一〇一〇
?○××? ×?××
○一〇〇〇 〇一〇〇
一 一 一〇一 一 一 一〇一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一
一 一 一 一 一 一 一 一〇一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一
○○一 一 一 一〇一 一 一 一〇一 一 一〇〇一 一 一〇
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
ha
1.0 ha
梨山
423 24
001 00
31
1 0
6 0
60
20
61
5 1
6
0
6 527 844 8
0 010 000 0
3L
3L
8L
80
7 60
0 2L
3L2 L
53
51
01
31
52
0
1
一〇一 一 一〇
×○×?×○
一〇一〇〇〇
〇〇〇〇
一〇一〇
一 一 一 一 一 一〇一 一
一〇一 一〇
〇〇〇〇〇
専兼専兼兼兼専兼専兼兼兼専兼専兼専兼専専専
0.2
産地別使用
ナシ穂木
栽培開始時期
その他
総面積同
ぐ
一 一 一 一 一 一〇一 一
?×?○××?××
○○○○一 一〇〇〇
一〇一 一 一〇
〇〇〇〇〇〇
jjjj
Qj17ny
4445
ぐぐぐぐ
男男男男
兼兼専兼
カキ
カキ
○
後継者
換工
○○
一 一 一 一 一 一〇一 一
一 一〇〇一 一 一
〇〇〇一〇〇一
兼兼専専兼
ポンカン
1.0 ha
カキ
男(53)
臨時雇用
妻
専専専兼専専
1991
ha
男(45)
65−
1983
ha
0.4
ポンカン
ブドウ
下
1.0 ha
ポンカン
0.5
ha
1978
1999
男(55)
1980
横山ナシ
ポンカン
ha
0.8
男(62)
ha
バナナ
ポンカン
0.8
男(58)
0.3
○
カキ
モモ
ポンカン
男(48)
ha
1989
1981
男(34)
0.8
1983
ha
ポンカン
6
72
82
93
03
13
23
33
43
53
63
73
83
94
04
14
24
34
44
54
6
H121314151
17
61819202122232422
5
2
男(63)
ha
ポンカン
ポンカン
カキ
ポンカン
男(38)
ha
0.8
ポンカン
カキ
男(51)
カキ
男(47)
カキ
男(59)
ha
バナナ
1983
男(47)
カキ
男(46)
1992
男(34)
ha
0.3
ポンカン
横山ナシ
モモ
男(55)
カキ
ブドウ
3.0
ビンロウジ
男(60)
0.4
1986
横山ナシ
上
1.0 ha
カキ
1.0 ha
カキ
男(77)
ha
横山ナシ
横山ナシ
1981
男(50)
0.3
ポンカン
1988
ha
0.6
ha
ビワ
上 ポンカン
1981
1.0
0.3
男(59)
ha
1988
ha
男(33)
1981
0.6
ブドウ
上 ポンカン
1982
8
0.3
男(47)
1982
1983
ha
バナナ
上 ポンカン
カキ
カキ
モモ
0
ha
0.2
ポンカン
0.5
カキ
コーヒ
男(41)
0.3
兼兼兼専専兼兼専兼
男(68)
ポンカン
123456789
男(52)
ha
男(43)
ビンロウジ 3.5 ha
男(63)
1993
1978
ポンカン
横山ナシ
男(43)
0.2
男(55)
ha
0.3
男(43)
0.2
0.5
カキ
モモ
カキ
スモモ
男(40)
1983
横山ナシ
ha
ポンカン
横山ナシ
カキ
男(74)
0.2 ha
ポンカン
ポンカン
ha
横山ナシ
上 ポンカン
男(49)
0.3 ha
ポンカン
0.3
上 ポンカン
男(62)
0.7 ha 1993
ン
ポンカン
上 横山ナシ
モモ
モモ
カキ
バナナ
ン
横山ナシ
上 ポンカン
1978
ha
0.1
カキ
0.2
カキ
男(57)
子ども
専兼業別
水 興
ポンカ
タンカ
ウメ
2.4
○
○
○
○
男(73)
専
10
寄接ぎナシ
農家番号
豊 新
1995
1988
1.1
その他
寄接ぎ品種(ha)
父 母
0.6 0.3
男(63)
男(44)
男(52)
男(75)
男(43)
男(46)
男(29)
男(51)
男(49)
経営面積
労働力構成
town, 2003
of pear cultivators in Dongshih
Management
Table 2.
-
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
表2.東勢鎮における寄接ぎナシ栽培農家の経営状況(2003年)
地域学研究 第25号 2012
で取引される29)。カキとの複合経営では,ヵ
どの豊水・新興以外の品種が栽培されていた。
牛の収穫期が10月以降であるため,5月下旬か
寄接ぎナシ栽培に用いる穂木に関しては,日
ら8月上旬に収穫期を迎える寄接ぎナシとの間
本と梨山の穂木を両方用いている農家が52戸
で労働力の分散を図ることができる。こうした
中25戸と最も多く,次いで日本の穂木のみを
複合経営は,
使用している農家が23戸,梨山の穂木のみを
1990年以降,積極的に採用され
た。
使用している農家が4戸であった。
3)品種と穂木
戸の農家が日本の穂木を用いており,これらの
寄接ぎナシの品種や品種別の栽培割合,使用
農家では休眠時間の観点から早く寄接ぎができ
穂木などの経営状況について詳しくみていく。
ることや,養分蓄積が多く品質が安定し大きな
まず栽培品種に関してみると,豊水と新興との
果実がなること,日本にはナシキジラミ32)が
組み合わせが多い。これらは従来寄接ぎされて
おらず,輸入の際に病虫害に対する検査が行わ
いた幸水に比べて果実が大きく,単位面積当た
れ安全であることを主な選択理由に挙げてい
りの生産量が多い品種である3o)。新興は特に
る。その一方で,多くの農家が日本の穂木の価
保存性に優れており,豊水と新興とでは寄接ぎ
格が梨山の穂木に比べて高い33)ことを指摘し
から収穫までの生育期間が異なる。寄接ぎナシ
た。
栽培農家はこれらを組み合わせて,労働力の分
日本と梨山の穂木を両方用いている農家で
散を行っている。
は,寄接ぎする品種によって穂木が使い分けら
寄接ぎナシの栽培面積に占める豊水品種の面
れている。すなわち,両方の穂木を用いてい
積が50%を超える農家は18戸あるが,そのう
る25戸の農家のうち,新興を寄接ぎしている
ち11戸が専業農家であった。一方,新興の面
農家では,23戸中19戸(82%)が日本と梨山
積が50%を超える農家は17戸あり,そのうち
の新興の穂木を併用し,豊水を寄接ぎしている
11戸が兼業農家であった。豊水と新興の面積
農家では,22戸中15戸(68%)がすべて日本
の割合が50%ずつの農家は9戸であった。寄接
の豊水の穂木を用いている。日本と梨山の穂木
ぎナシ栽培面積が1ha未満の6戸の兼業農家の
を使用している農家で,豊水を寄接ぎしている
うち,豊水の面積が新興を上回っている農家は
7割近くの農家が日本の豊水を採用しているの
3戸(農家番号23,
は,5月下旬の出荷シーズンのはじめの価格が
30, 39)であるのに対し,
52戸中48
寄接ぎナシ栽培面積が1ha未満の専業農家で
特に高い34)豊水を早く寄接ぎしたいことや,
は,6戸中5戸(農家番号5,
新興より価格が高いので,品質が安定した大き
42, 46, 50, 51)が
豊水を多く栽培し,4戸(農家番号5,
42, 46,
な果実を生産したいためである。日本の穂木の
50)ではすべて豊水である。寄接ぎナシ栽培面
価格は梨山の穂木に比べて高いが,日本の穂木
積が1ha以上の農家では,専業農家20戸中の
を用いた場合,収量が多く安定するため,収益
8戸,兼業農家20戸中の9戸で新興の面積が豊
性もよい。
水を上回っている。つまり,経営規模が比較的
また,12月に寄接ぎ作業を開始する農家は
小さな専業農家では,保存性だけでなく,生育
42戸あり,寄接ぎの開始時期は上旬(11戸),
期間が短く早めに出荷できる豊水の価格31)も
中旬(16戸),下旬(15戸)と分散していた。
選択上の重要な要素となっている。また,寄接
豊水を12月に,新興を1月に寄接ぎしている生
ぎナシ栽培の盛んな中料里(農家番号1∼15)
産者もいた(農家番号12,
の農家では,15戸中7戸の農家で秋水や愛宕な
穂木を用いて12月初めに寄接ぎする生産者は,
ー
66−
20, 43, 49)。梨山の
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
休眠時間を達成させるため,11月上旬に梨山
る(表3)。保存する数量や割合は各生産者に
から穂木を購入し,冷蔵施設を借りて20日∼
よって異なるが,各農家とも冷蔵施設への保存
1ヵ月間,穂木を人工的に休眠させている35)。
割合は全生産量の50%以下である。品種でみ
この場合,穂木の休眠時間は達成されるが,そ
ると,特に保存性に優れている新興が多く,
の間の養分吸収36)が行えないため,12月初め
豊水を保存している農家はわずか10戸であっ
に梨山の穂木を寄接ぎする生産者は,日本の穂
た。東勢鎮には東勢鎮農会果菜市場39)(以下,
木に比べて養分蓄積が十分ではない穂木を使用
東勢果菜市場)に併設する冷蔵施設と,民間の
していることになる。
冷蔵施設が三つある。また,隣接する石岡郷に
4)労働力
も民間の冷蔵施設が四つある。生産者は保存料
寄接ぎナシ栽培においては,寄接ぎ・袋か
金,保存数量,保存予定期間,交通の便などを
け・収穫などの農作業に人手を必要とするた
考慮し,冷蔵施設を選んでいる4o)。
め,7割近い農家が臨時雇用を用いている。袋
ナシは4ヵ月∼6ヵ月冷蔵保存ができるが,
かけ作業の臨時雇用者はほとんどが近隣の女性
冷蔵保存をしている37戸中34戸の農家が2ヵ
である。一方,寄接ぎ作業37)と収穫作業では,
月以内に出荷している。特に31戸の農家が,
男性の臨時雇用者も多くなる。1日当たりの女
中秋節(旧暦の8月15日)の時期までにナシを
性の労賃は,袋かけ作業(8時間労働)で1,000
出荷している(表3)。これは,中秋節の前に
元(3,500円)が相場である。寄接ぎと収穫作
は比較的高い価格41)で販売できることや,中
業の場合,男性には1,500元(5,250円),女性
秋節以降,梨山でのナシの収穫が増え,さらに
には1,000∼1,500元(3,500∼5,250円)が支
9月以降,韓国や日本からのナシの輸入が急増
払われる。手間と人手がかかり,穂木の価格が
するためである。
高いことから,寄接ぎナシの生産コストは高
6)借地
く38)経営を圧迫している。
全体で10戸の農家(農家番号1,
また,11戸の農家(農家番号7,
12, 16, 21,
8, 12, 20,
24, 38, 44, 45, 48, 52)が果樹園を借りて耕作
23, 25, 28, 29, 31, 35, 43)は,臨時雇用にの
を行っている。これら10戸中8戸は専業農家
み頼るのではなく,農家間で労働力を交換して
で,うち5戸(農家番号24,
助け合う伝統的な「換工」を行っている。これ
は経営主の年齢が50歳未満である。経営主が
は,作業時期に幅かおり融通し合うことが可能
50歳以上の3戸の農家(農家番号8,
である寄接ぎ作業においてみられる。換工によ
も,農家8は経営主が51歳と比較的若く,農家
る共同作業には,労働力不足を補うだけではな
12には後継者がいて農業に従事している。つ
く,栽培技術や栽培品種等の情報交換を促進す
まり,経営主が比較的若いか後継者がいて農業
る機能も果たしている。なお,「換工」は農家
に専念できる農家が,果樹園を借りていること
間で労働時間に差かおる場合に,労働時間の差
がわかる。一般に果樹園の借地契約年数は3∼
を労賃として支払っている農家(農家番号16,
5年である。借地料は果樹の年数によって異な
28, 35)もある。
り,また農家によってかなりの差かおるが,
5)冷蔵
ナシ園の場合,
ナシは冷蔵施設で長期保存が効く果物である
38, 44, 45, 48)で
12, 20)で
lha当たり年間5万∼11万元
(17万5千∼38万5千円)である。農家8と44
ため,全体の7割にあたる37戸の農家が冷蔵施
では,ナシの木を単位として,1株につきそれ
設にナシを一時保存し,出荷の調整を図ってい
ぞれ300元(1,050円),
ー
67−
500元(1,750円)を支
里(農家番号1∼15)においても,後継者が
が4割を超え,不明を含めると8割を超えてい
いる農家はわずか3戸である。後継者がいる農
る。これは,農業に専念する後継ぎがいる一方
家では,13戸中9戸が専業農家である。後継者
で,すでに恒常的勤務に就いている子どもの多
がいる9戸の専業農家のうち,経営主が60歳
くが,寄接ぎナシ栽培は手間がかかるため,経
以上の農家が6戸であった。経営主の年齢が60
営主が農業から退いた後,片手間には従事でき
一 前
ある。一方,兼業農家では後継者のいない農家
前前前前前前前後前前一
不明である。寄接ぎナシ栽培が盛んである中料
前前前後前前後前一
34, 38, 44)は,経営主の年齢が30代の農家で
前前前一
とどまり,ほとんどの農家は後継者がいないか
一 〇
は全部で6戸あるが,そのうち3戸(農家番号
一 〇
(聞取り調査により作成)。
-
出荷時期
一 〇 一
題の一つである。後継者がいる農家は13戸に
一 一
けであった。専業農家で後継者が不明の農家
一 一
後継者問題は寄接ぎナシ栽培農家の重要な課
一 一
一 一
ある農家は,わずか2戸(農家番号20,
一 一
一〇一〇一〇〇一 一〇一 一
一〇〇〇〇〇〇〇〇一〇〇一 一〇〇一 一〇〇一
一 一
一 〇
一 〇
一 一
一 一 〇 一
○×○○×
○○一 一
7)後継者問題
一 一
一 一
一〇〇一〇一 一 一
一 一 一
一〇〇一〇〇〇
歳以上の専業農家で後継者がいないか不明で
一 一
○○一
○ 一
○一 一 一 一 一〇〇一 一 一 一
-
一〇〇〇一
○○一 一〇〇一
○ 一 一 〇 一 一 一 一 〇 一 一
-
○一 一〇〇一〇〇〇一 一 一〇〇〇一 一 一〇一 一〇一〇〇〇
一 一
行口
12345678910http://www.181920212223Mこ八一26
販路 ○:販路先
冷蔵保存 ○:冷蔵保存している ×:冷蔵保存していない
利用率:全生産量に占める冷蔵保存ナシの割合
保存品種 ○:冷蔵保存している
出荷時期 前:中秋節前までに出荷を終える 後:中秋節後も出荷をする
51)だ
払っている。
その他
新興
一 一
一 一
000×○○○○○○○○×○○○○○○○○○○××○
一 一
一 一
一〇〇〇〇〇一 一〇〇〇〇〇〇一〇一
一〇〇一 一
一〇一 一 一 一 一〇一 一〇一〇一〇〇〇〇一〇一〇一 一〇〇
一 一
〇〇〇〇〇〇〇一〇〇〇〇〇〇〇一 一〇〇一〇一〇〇一 一
一 一
○○○○一
一 〇 一 一 一
202525一 1050251050103015一 50101020332510153030一 一 30
豊水
利用率㈲
冷蔵保存
その他
直売
行口
販仔
東勢果菜市場
一 一 一
○ 一 一
一 一 一
一〇〇一
前 一 一 後 一 前前 一
兼専兼兼兼専兼専兼兼兼専兼専兼専兼専専専専専兼専専兼
一 一
一 一
一 一
専兼業別
○ 一 〇 一 〇 一
一 一
×○○○○○×○×○××○×
一 3015204030一 50一 10一 一 45一 一 30一 5040一
一 一〇〇一
一〇〇〇〇〇一
一 一
一 前前前前前 一 前
r-■2829303132
m3
33
6T
3j
73 8 3 94041424344454647484950一M52
一 一
一 〇
○ 一
農家番号
一 一
後後前前一
一 一
○○
一 一
25132013
○○○○
○ 一
一〇〇一
× ×
出荷時期
その他
新興
豊水
利用率㈲
冷蔵保存
その他
直売
○
農家番号
〇〇〇〇一 一〇〇〇〇一〇〇〇〇〇〇〇〇〇一 一〇〇〇〇
一 〇 一 一 一 一
×
兼兼兼専専兼兼専兼専専専専兼専専兼兼専専兼兼兼専兼専
一 一
前
○
専兼業別
一 一
○
東勢果菜市場
販仔
−
−
○
68−
−
○
冷蔵保存品種
販路
冷蔵保存品種
販路
town, 2003
outlet of pear cultivators in Dongshih
Market
3.
Table
−
-
地域学研究 第25号 2012
表3.東勢鎮における寄接ぎナシ栽培農家の販売方法(2003年)
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
ないとの考えを持っているし,天候や価格に左
ているため,生産者は直売を行いやすい。ま
右される農業より,安定した収入を得ることが
た,市場価格の動向に応じて,東勢果菜市場へ
できる恒常的勤務に専念したいと考えているた
の出荷に回すことも容易である。東勢果菜市場
めである。
や直売を利用している農家49戸では,その7割
にあたる36戸が冷蔵施設でナシを一時保存し
3。販路と販売形態
ている(表3)。生産者は,東勢果菜市場に併
主な販路として地元の東勢果菜市場,問屋
設する冷蔵施設や民間の冷蔵施設を活用し,保
(行口),仲買人(販仔),直売などかおる。調
存料金と市場価格の動向を予測しながら,販売
査対象農家の販路で,最も多かったのは東勢果
時期を判断している。
菜市場での販売と直売で,特に東勢果菜市場を
ナシの価格にっいてみると,産地価格が消費
利用する農家は全体の7割を超える(表3)。そ
地卸売価格よりも高い42)。これは,産地で高
の主な理由は,価格が比較的安定していて,大
品質のナシが高い価格で取引され,消費地の卸
量販売や委託販売ができ,販売代金の回収も確
売市場ではそれより品質の劣るナシが取引され
実であるからである。しかし,供給過剰の際,
ているためである。すなわち,国内のナシ販売
仲卸業者間で取引価格が話し合われ,価格が統
では,東勢果菜市場を含む産地での取引の重要
一されやすい。また,農会に販売を委託する場
性が大きい。
合,生産者の希望価格と農会による委託販売価
格との間に大きな差かおることもある。
4。経営の事例
東勢果菜市場では二つの取引形態がみられ
農家19は東勢鎮の農業的土地利用の変化を
る。一つは,生産者が東勢果菜市場で仲卸業者
象徴する代表的な農家で,生計を農業に依存し
に直接売り渡す方式である。取引価格の3%が
ている。農家19は寄接ぎナシ栽培に専念し,
管理費として農会に徴収される。取引が成立せ
臨時雇用を用いている専業農家で,寄接ぎナシ
ず売れ残ったナシは,東勢果菜市場に併設され
生産における地域のリーダー的存在である。
る冷蔵施設に1箱(18
夫(52歳)と妻(46歳)の夫婦で2.5
kg)当たり1日10元で預
haのナシ
けることができる。もう一つの方式は委託販売
園を経営し,
である。委託販売には,生産者が産地商人に販
らには3人の子どもがおり,2入の息子を含め3
売を委託する場合と農会に委託する場合とか
入とも学生である。現在,彼が経営する2.5
あり,前者では取引価格の7%(産地商人の手
のナシ園は,彼の親から譲り受けた土地で,
数料4%・管理費3%)が,後者では取引価格の
1993年に寄接ぎナシ栽培を始めている。
5%(農会委託販売手数料2%・管理費3%)が
寄接ぎナシ栽培を始める前は,彼の父が主に
徴収される。いずれの取引形態においても,取
バナナ・ポンカン・米を栽培した。米は平地の
引成立後に農会が仲介して,仲卸業者から代金
水田で0.7 ha栽培され,バナナやポンカンは山
を受け取り,管理費等を差し引いて販売代金が
地斜面の畑で8ha栽培された。バナナは1960
生産者に支払われる。この委託販売制度は,高
年代後半まで栽培されたが,
齢化や労働力不足に直面する農家の負担を軽減
ンが導入され,バナナ畑がポンカン園へ転換さ
し,労働力や時間の有効利用を可能にさせる。
れた。その後,
直売を行っている農家は,全体の約6割にあ
苗木が導入されるようになり,ポンカン園から
たる30戸である(表3)。ナシは保存性に優れ
ナシ園へ徐々に転換が図られ現在に至ってい
ー
69−
700株の横山ナシを栽培する。彼
ha
1966年にポンカ
1980年代半ばから横山ナシの
地域学研究 第25号 2012
寸寸
∩
2
3
│| U
4
U 5
U
6
U
7
∩
8
U
9
U
10
∩
11
||
12
∩
P
新興
豊水
P P P
P
ロー
P
ロコ:寄接ぎ○:人工受粉 ▲:摘果 回コ:袋かけ E勿:収穫 ㎜:施肥 P:臨時雇用あり
図6.農家19におけるナシの主力品種の栽培歴(2003年)
Fig.
6. Calendar ofpear-farmingin farm household 19, 2003
(聞取り調査により作成).
る。寄接ぎナシ栽培が行われているナシ園はそ
寄接ぎナシの出荷先は,東勢果菜市場や行
の一部で,傾斜が15∼20゜の山地斜面である。
口,販仔への販売と三つある(表3)。寄接ぎ
2.5 haのナシ園のうち,
ナシのみを栽培している農家19の場合は,寄
2.2haで新興を寄接
ぎし,豊水と組み合わせて経営している。夫婦
接ぎナシ価格の変動が農家収入を大きく左右す
2人の労働力だけでは賄えきれず,寄接ぎや袋
る。そのため冷蔵施設に一時保存し,できるだ
かけ,収穫,施肥の作業で臨時雇用者を使って
け価格のよい販売先や時期をねらうことで価格
いる。豊水の栽培面積は小さいものの,短期間
変動のリスクを分散している。冷蔵保存する品
で豊水の寄接ぎを終え,12月末までに新興の
種は新興のみで,新興の全生産量の約50%を
寄接ぎを完了させるため,臨時雇用を行ってい
保存し中秋節の時期(9月中旬)までに販売し
る(図6)。袋かけは,2品種の袋かけ作業が重
ている。また,出荷シーズンのはじめの価格が
なる時期から袋かけ作業が終了するまで(3月
特によい豊水では,品質が安定している日本の
中旬∼下旬)臨時雇用者を使う(図6)。また,
穂木のみを使用している。後継者に関しては,
栽培面積が大きい新興では,収穫や収穫後の礼
現時点では3入の子どもとも農業を継ぐ意思が
肥の時期に臨時雇用を用いている(図6)。
ない。
寄接ぎ作業では,豊水に男性1人と女性1人
IV.寄接ぎナシ生産地域の存立と課題
を臨時に5日間,新興に男性1人を含む8人を
2週間雇い,1人当たり男性で1,500元(5,250
円),女性で1,000元(3,500円)の日当を支
本研究では,日本との穂木供給の関係と東ア
払っている。袋かけ作業では,豊水に2人の女
ジアにおけるナシ貿易に着目して,寄接ぎナシ
性を臨時に5日間,新興に8人の女性を2週間
栽培の展開について検討し,台中県東勢鎮を事
雇い,1人当たり日当1,000元を支払っている。
例に,栽培農家に着目して寄接ぎナシの生産地
また収穫作業においては,男性2人を含む8人
域について論じた。その結果,以下の点が明ら
を臨時に10日間雇い,寄接ぎ作業と同じ日当
かになった。
を支払っている。一方,施肥の作業では2人の
1970年代初頭,梨山を中心とした地域で生
男性を臨時に10日間雇い,
産された日本品種のナシは,高品質な果物とし
1,500元の日当を支
払っている。
−
て高値で取引されていたが,東勢鎮などの海抜
70−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
高度の低い地域で生産されていた在来品種であ
寄接ぎナシの重要な生産地域である東勢鎮で
る横山ナシは,価格が低かった。そのため,日
は,生産面において,寄接ぎナシが魅力的な作
本品種のナシ栽培の先進地域である梨山に隣接
物であることから,農業生産の担い手となる若
する東勢鎮の生産者の中から,梨山で日本品種
い世代の生産者が多い。一方,寄接ぎナシ栽培
のナシ栽培に従事する者が現れた。彼らによる
は手間と人手がかかるため,労働力の確保,高
日本品種のナシ栽培の経験が,東勢鎮での寄接
い生産コスト,特に兼業農家においては後継者
ぎナシ栽培の誕生を導いた。梨山への近接性
不足などの問題を抱えている(図7)。寄接ぎ
は,穂木の調達という点でも重要であった。
ナシ栽培では,穂木を使用しなければならず,
寄接ぎナシを含む日本品種のナシは高級果物
国産の穂木に比べて価格の高い輸入穂木に依存
としての地位を確立し,高値で取引された。そ
していることも,生産コストが高い一因となっ
の結果, 1980年代に入ると,寄接ぎナシ栽培
ている。伝統的な「換工」によって労働力を融
が拡大し,穂木の需要が供給を上回り,価格が
通し合うなど,生産コストの低減という面から
高騰した。そのため,
重要である経営努力を行っている生産者もいる
1988年から日本の穂木
の輸入が開始されるようになった。このこと
(図7)。
は,生産者の寄接ぎ作業の時期を早め,栽培品
流通面では,東勢果菜市場を利用している生
種にも変化をもたらした。
産者が多い。これは,委託販売制度かおり,販
2004年現在では,
寄接ぎナシ栽培に必要な穂木の44.3%を日本に
売代金の安全性が確保されているためである
依存しており,日本の穂木供給は,台湾の寄接
(図7)。委託販売は,高齢化や労働力不足に直
ぎナシ栽培において,重要な役割を果たしてい
面する農家の負担を軽減することができ,寄接
る。穂木供給地の日本にとっては,ナシ栽培農
ぎナシ生産の存続の観点からも重要である。ま
家が副収入を得られるという利点があった。
た,ナシは保存性に優れているため,市場価格
東アジア地域
U ナシ貿易の活発化
東勢鎮の寄接ぎナシ生産地域
生産部門
流通部門
_」│ 収益性
加東 栽培に手間と人手が必要
●・
青壮年世代の生
片手間での栽培
産者の充実
困難
労働力の確保
委託販売制度
販売代金の安全性
●一 保存性
I皿㎜㎜皿㎜.l
匹う
兼業農家での
輸人徳本に依存
後継者不足
生産の基盤
⇒ 生産を脅かす要因
高い生産コスト
→ 影響および流れ
⇒ 主な要因
東勢果菜市場の利用
一一ト 対策や試み
図7.東勢鎮における寄接ぎナシの生産・流通構造
Fig. 7.
The structure of pear production
-
生産の安定
71−
and distribution in Dongshih
town
地域学研究 第25号 2012
の動向に応じて,個人が出荷先や販売時期を判
の検査の強化を示している。東アジアにおける
断している。
ナシ貿易が活発化する中で,将来的に台湾が国
WTOに加盟した台湾では,東洋ナシに低税
内市場を維持しつつ,ナシの輸出市場を開拓す
率の関税制当制度が設けられたため,韓国や日
るのであれば,生産コストの低下だけではな
本からの東洋ナシの輸入が急増している。韓国
く,国際市場で日本や韓国,中国産のナシと競
や日本産のナシは,中秋節や旧正月などの贈
合しない輸出時期,市場や消費者層をしばった
答用として台湾市場での需要が見込まれるた
戦略が必要である。寄接ぎによる栽培方法を用
め,今後もこれらの時期に輸入が集中するであ
いれば,亜熱帯や熱帯地域の生産コストの安い
ろう。そのため,9月以降に収穫の最盛期を迎
国で日本品種のナシ栽培も可能であるため,海
え,これまで傾斜角度による農業的土地利用の
外で日本産ナシと外国産日本品種ナシが競合し
制限が守られずに,ナシ栽培面積が拡大されて
たり,ナシの国際移動にも変化をもたらすこと
きた梨山地区を,農業委員会は近隣の観光地と
にもなるであろう。
連携させ,農業地域としてだけではなく観光レ
これまで,海抜高度の低い東勢鎮を中心とす
ジャー地区へと転換を図っている。
る地域と高冷地の梨山では,生産時期が異なる
東洋ナシの輸入増加の中で,台湾が寄接ぎナ
ため,産地間の共存が図られていた。しかし,
シ栽培を存続させていくためには,日本や韓国
WTO加盟によって,台湾のナシ生産地域は大
よりも早くナシを収穫することができるという
きな再編を経験することになるであろう。
利点を活かした生産と,国内での販売時期や自
謝 辞
己消費用としての幅広い消費者層に対する販売
の強化がより一層求められる。そのことが,台
本研究に対し終始ご指導いただいた国立台湾
湾の寄接ぎナシ生産地域の存立を可能にする。
師範大学の陳憲明名誉教授,ならびに有益な御
農家が寄接ぎナシ栽培を継続するためには,価
助言をいただいた東京学芸大学教授矢ヶ崎典隆
格の安定が不可欠である。そのためには,適正
先生に心より御礼申し上げます。行政院農業委
な規模による栽培と生産調整が必要である43)
員会の胡忠一氏には,多大な時間を割いていた
とともに,産地価格が消費地卸売価格よりも高
だき大変お世話になりました。また現地調査に
いという,産地での生産者による販売取引を活
あたっては,東勢鎮農会の方々をはじめ,台湾
用することが重要である。
省青果運錦合作社總社企画部宣教科科長の李栄
また,穂木のコスト削減や,日本の天候に影
俊氏,元台申分社農務組組長の黄岳氏に深く感
響されていた穂木の輸入量や品質,台湾で生産
謝いたします。さらに,日本園芸農業協同組合
者にニーズの高い新興の穂木の供給不足といっ
連合会の鈴木秀明氏に,心より感謝いたしま
た問題を解決するためには,穂木の国内供給の
す。本研究は2007年11月に行われた人文地理
割合を高めるように取り組むことも重要であ
学会大会(於:関西学院大学),
る。そのためには,梨山地区を穂木の供給地と
経済地理学会西南支部例会(於:広島国際学院
して位置づけ,台湾のナシ栽培における梨山地
大学)で発表した内容を修正したものである。
区の役割を明確化させていくことが必要であ
(広島国際学院大学)
2011年7月の
る。2011年の穂木輸入については,行政院農
注
業委員会農糧署が放射能汚染の危険性の高い福
島産の穂木の輸入禁止と,福島産以外の穂木で
ー
1)寄接ぎによるナシ栽培とは,日本品種のナ
72−
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
シ穂木を台湾の在来品種である横山ナシの
9)当時,東勢鎮高級水果産納研究班の班員
木に接ぎ木して,日本品種ナシを栽培する
で,寄接ぎナシ栽培の研究に携わった張光
ことである(李・張2002:
山氏への聞取りによる。
1)。ただし,
この栽培方法は高接ぎ更新とは異なり,日 10)当時,横山ナシの受粉には,一般に巣梨や
本品種ナシの栽培のためには,毎年,新た 鳥梨といった品種が用いられていた。
に穂木を接ぎ木しなければならない。 11)当時,寄接ぎナシを栽培していた生産者に
2)台湾の行政区画には「市」,「鎮」,「郷」が よると,梨山の穂木は1台斤(600
g)当
あり,これらはそれぞれ行政上,日本の たり1,000元が相場で,10
kgで16,000∼
「市」,「町」,「村」に相当する。 17,000元であった。これは,
2003年におけ
3)梨山という地名は戦後つけられたもので, る梨山の穂木価格の1.5∼2倍の価格であ
日本統治時代にはサラマオ社(部落)と呼 る。
ばれていた。 12)当時,青果合作社台中分社農務組組長で,
4)退役軍人の公営農場とは,退役軍人委員会 実際に日本からの穂木の輸入に携わった黄
によって設立された中央政府の行政機関に 岳氏への聞取りによる。
所属している農場のことで,福寿山農場, 13)徒長枝は果樹の主枝から伸長する枝のこと
清境農場,武陵農場の3農場かおる。 で,寄接ぎナシ栽培の穂木として用いられ
5)成立当時の名称は見晴農場であったが, る。
1967年に現在の名称に改められた(陳 14)行政院農業委員会農業試験所の施昭彰氏提
1984:
57)。 供の2004年各県市別温帯梨及高接梨栽培
6)中華民国96年気候資料年報によると,梨 面積の資料による。
山の年平均気温は12.2°Cで,最暖月の7月 15)理科年表平成13年および中華民国96年気
の平均気温は16.7°Cである。年平均気温で 候資料年報による。
は,福島とほぼ同じであるが,梨山は夏期 16)福島県果樹試験場栽培部副主任研究員の松
に福島より気温が低く,冬期は福島より気 野英行氏への聞取りによる。
温か高い。 17)日本から穂木が輸入される前は,梨山の穂
7)ナシは,休眠時間を達成し自発休眠が完了 木が用いられていたため,生産者は休眠時
しないと栽培に支障をきたす果樹である。 開か達成された12月下旬(冬至頃)∼1月
休眠時間は品種や栽培地域,養分の蓄積状 中旬(旧正月の前ぐらい)にかけて寄接ぎ
態によっても多少異なるが,日本品種のナ を行っていた。
シの場合,
7.2°C以下の累積時間で少なく 18)平成15年産果樹生産出荷統計によると,
とも800時間が必要である。
福島市のナシ生産量は14,400
8)横山ナシは,
別で最も多く,次いで佐賀県伊万里市が
1890年頃に中国大陸から持
ち込まれた品種で(李1980:
803),当初,
tと市町村
7,020 tであった。
新竹県横山郷で栽培されていたことから,
19)輸入される穂木は,病虫害が侵入しないよ
横山ナシと呼ばれるようになったといわれ
う植物防疫上の安全欧が確保されなければ
ている。また,現地調査によれば,東勢鎮
ならない。そのため,毎年7月に日本側と
には1957年頃,横山郷から横山ナシが導
台湾側の植物防疫官による合同の園地検査
入された。
が実施され,主に接ぎ木によって伝染する
−
73−
地域学研究 第25号 2012
ウイルス性のえそ斑点病と萎縮病の検疫検 ポール市場に入ってくるようになってから
査が行われている。えそ斑点病にかかる は,一般の消費者層の中に,ナシはそれは
と,果実が小さく果肉も硬くなるため,商 ど高い果物ではないという意識が出始め,
品価値がなくなってしまう。 価格の高い台湾産はこれらの市場で厳しい
20)中華民国農業統計月報によると,
1998年 状況にある。また,鄭氏によると,中国が
の豊水および新興の生産者価格は1kg当 シンガポールヘ輸出している早生品種の緑
たり96.1元(336円),
あったが,
(200円),
64.2元(225円)で 賓石は,見映えがよく糖度も高く品質もよ
2003年にはそれぞれ57.2元 い。
46.2元(162円)であった。 26)黄龍病(
Citrus
likuhin
) とは,ポンカンな
21)抜港とは天候の影響や何らかの理由によっ どの柑橘類の果樹において葉が黄色にな
て,目的地まで時間的に間に合わない場合 り,やがて木が枯れる病気のことである。
に,船が途中の港を経由しないでいくこと 東勢鎮では1980年代に流行した。
である。 27)本研究では,農家収入の中に非農業収入が
22) FAO
production yearbookの中国におけるナ ある農家を兼業農家とした。
シ生産量は,台湾のナシ生産量を含むた 28)
1977年に組織された研究班の成果をみて,
め,台湾の生産量を差し引いている。以 新たに寄接ぎナシ栽培を行うようになった
下,
FAO統計における中国の値に関して 生産者の場合,実際に栽培するまで,少な
は,台湾の値を差し引いて示している。 くともその成果が現れるための1年とナシ
23)台湾がWTOに加盟する前は,東洋ナシは の苗木を植えて寄接ぎナシ栽培が可能と
輸入制限品目で,
50%の関税がかけられて なるまでの3年の合わせて4年が必要であ
いた。加盟後は2002年に4,900
に7,3501,
2004年以降9,800
t,2003年 る。そのため,
1981年で寄接ぎナシ栽培
tと関税割当 の開始時期を区切ることで,寄接ぎナシ栽
数量が拡大され,関税割当数量枠内の税率 培を試みた時期と横山ナシ栽培との関係,
が18%に引き下げられた。なお,割当数 栽培作物の転換による寄接ぎナシ栽培の拡
量を超えた輸入ナシに対しては,
には1kg当たり58元,
2002年 大傾向をみることができる。
2003年には53.5元, 29)中華民国農業統計月報によると,
2003年
2004年以降は49元の関税を課している。 の甘ガキの生産者価格は1kg当たり76.1元
24)中華民国台湾地区進口貿易統計月報によ (266円)であった。
ると,
2004年の日本産ナシのC.I.F.価格は 30)寄接ぎナシの生産量は活着率や樹齢,肥培
1kg当たり81.4元(285円)であったが, 管理などによって異なるが,活着率が高
韓国産ナシのC.I.F.価格は44.1元(154円) く肥培管理がよければ,1株当たり豊水は
で,日本産のほぼ半分であった。 120
25)寄接ぎナシの生産者で,
kg.
新興は150
kg. 幸水は100
kgの生
2003年に香港と 産量かおる。
シンガポールヘナシの輸出を行った鄭有縁 31)中華民国農業統計月報によると,6月下
氏によると,5年前の1998年頃までは,香
旬∼7月に収穫期を迎える新興の2003年
港やシンガポール市場において,台湾産ナ
6月における平均生産者価格は,
シは高級果物として取引されていた。とこ
り55.3元(194円)であったが,5月下旬
ろが,中国から安いナシが香港やシンガ
に収穫が可能な豊水の2003年5月における
ー
74−
1kg当た
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
平均生産者価格は1kg当たり85.0元(298 温であるが,ナシキジラミは死なず,温度
円)であった。 が高くなると再び活動し始める。
32)ナシの木に深刻な被害をもたらすナシキジ 36)休眠期間も養水分の吸収は少しずつ行われ
ラミは,中国大陸から穂木が密輸されたと ている(米山1980:
70)。
きに台湾に入ってきたといわれている。ナ 37)寄接ぎ作業では,1入が1日に寄接ぎでき
シキジラミによって葉脈が咬まれ粘着性の るのは約800ヵ所である。樹齢が生産量の
ある液体が分泌されると,そこからすす病 多い10∼20年の場合では,1株当たり平
の病原菌が入り,葉がすすで黒く覆われた 均約150ヵ所寄接ぎするので,1入が1日
状態になり枯れる。日本にはナシキジラミ にできる作業量は平均5∼6株である。
がいないが,跳びはねる性質かおるため, 0.1
ha当たり平均25∼30株のナシの木
日本の穂木で寄接ぎしていても,隣接する が植えてあるので,面積に換算すると約
ナシ園でナシキジラミが発生すれば,その 0.02
haである。 したがって,寄接ぎナシ
被害が及ぶ可能性かおる。 の経営面積が1haの場合,寄接ぎ作業に夫
33) 2003年の現地調査によると,青果合作社の 婦2人で25日かかることになる。
空輸による(12月10日以前)日本の穂木 38)台湾農産品生産成本調査報告によると,
の価格は,豊水・新興ともに1箱(10
kg) 2003年の寄接ぎナシの平均生産コストは
当たり11,500元(40,250円)で,船便によ 1ha当たり788,408元(2,759,428円),寄接
る(12月10日以降)穂木の価格は,1箱当 ぎナシ1kg当たりでは,
たり9,800元(34,300円)であった。また である。
35.1元(123円)
1ha当たりの平均生産コストの内
東勢鎮農会では,豊水で12月10日以前に 訳をみると,労働費が311,919元(1,091,717
輸入された穂木の価格が,1箱(10
kg)当 円)と,生産コストの39.6%を占め最も高
たり10,000元(35,000円),それ以降の穂 く,次いで材料費(ナシ穂木・花粉・袋な
木が1箱当たり9,500元(33,250円)で, ど)が171,953元(601,836円)となってい
新興では一律10,500元(36,750円)で る。労働費と材料費で,生産コストの6割
あった。一方,梨山の穂木の価格は,1 を占めている。
箱(10
kg)当たり新興が8,500∼9,500元 39)東勢鎮農会果菜市場は,台湾の主要な果樹
(29,750∼33,250円),秋水が5,000∼6,000 産地の中で大消費地台北に最も近い位置に
元(17,500∼21,000円)であった。 あり,
34)中華民国農業統計月報によると,
1971年に東勢鎮農会の出資によっ
2003年 て設立された台湾でも有数の青果産地市場
の豊水の生産者価格は1kg当たり57.2元 である(陳1985:
10ト105)。農会が運営
(200円)であったが,豊水の出荷シーズ している。
ンのはじめの同年5月には85.0元(298円) 40)東勢果菜市場の冷蔵施設の場合,2ヵ月・
であった。
4ヵ月・6ヵ月の3種類の契約かおり,そ
35) 2003年11月18日の調査時点において,東
れぞれ1坪当たり1ヵ月1,600元(5,600円)
勢鎮農会の冷蔵施設では,梨山の穂木919
である。東勢の生産者は,2ヵ月・4ヵ月
箱(1箱10 kg)を人工的に休眠させてい
の契約をすることが多く,梨山の生産者
た。なお,穂木にナシキジラミがいる場
は長期の6ヵ月の契約をすることが多い。
合,冷蔵施設内の温度は1.5∼2.ダ)Cと低
これは,梨山でのナシの収穫が8月下旬の
−
75−
地域学研究 第25号 2012
新世紀に始まり,10月下旬の福寿(俗に 川久保篤志1996.オレンジ果汁輸入自由化に
蜜梨), 12月には雪梨へと移り,収穫期が よる産地の変貌一愛媛県周桑郡丹原町を事例
長いためである。1坪当たり30
kg ヶ−ス に。人文地理48:
28べ7.
で90箱,15 kgヶ−スでは180箱を冷蔵す 金 慈環2006.日本市場における韓国農産物
ることができる。販路先として東勢果菜市 の評価と輸出増大の戦略。北海道農業33:
場を予定している生産者の利用が多い。ま 21-32.
た,民間の冷蔵施設では1箱(18
kg)当 院 蔚2001a.野菜の中国からの開発輸入。
たり1ヵ月35元(123円)や,1箱当たり2 中国経済427:
60-72.
力月で45元(158円),3ヵ月で60元(210 院 蔚2001b.中国の野菜生産事情と日本へ
円)と契約のタイプがさまざまである。
の輸出戦略.技術と普及38(7):31-34.
41)中華民国農業統計月報によると,保存性
院 蔚2004.日本農水産物の台湾向け輸出
に優れた新興の2003年7月および8月にお
状況.JETRO海外の食品産業241: 1-16.
ける平均生産者価格は,
古関喜之2008.台湾におけるマンゴーの生
(137円),
1kg当たり39.0元
38.5元(135円)であったが,
産・流通と輸出型産業としての課題.地理学
同年9月には49.6元(174円)であった。
評論81:
42)行政院農業委員会提供の資料によれば,
後藤拓也 2002.トマト加工企業による原料調
2006年の日本品種ナシの産地価格は,
1kg
449ぺ69.
達の国際化−カゴメ株式会社を事例に.地理
当たり49.0元(172円)であったが,消費
学評論75:
地卸売価格は1kg当たり37.2元(130円)
後藤拓也2006.輸入畳表急増下における熊本
であった。
県い草栽培地域の再編成.人文地理58:
43)台湾がWTOに加盟する前年の2001年か
337う56.
ら2004年の間に,台湾のナシ栽培面積は
後藤拓也2007.農産物開発輸入の地域的展開
605 ha減少したが,生産量では24,308
t増
457ぺ78.
とそのメカニズム一日本の輸入商社による
加し,単位面積当たりの生産量が上昇する
い製品開発輸入を事例に.人文地理59:
傾向にあるという問題が起きている(中華
315-331.
民国九十三年農業統計年報による)。
斎藤 功・陳 憲明1984.台湾中央山地にお
ける温帯落葉果樹・高冷地疏菜栽培の発展.
文 献
人文地理学研究(筑波大学)8:
141-180.
伊藤貴啓2006.現代日本農業の空間構造とア
下渡敏治2001.韓国の野菜生産事情と日本へ
グロフードシステムのグローバル化.宮川泰
の輸出戦略.技術と普及38(7):31-34.
夫・山下 潤編著『地域の構造と地域の計
高柳長直1998.輸入かぼちや増加傾向下にお
画』18-37.ミネルヴァ書房.
ける国内産地の存統一茨城県江戸崎町・北
大島一二2004.中国農業の対日輸出戦略の実
海道和寒町を事例として.経済地理学年報
態一野菜・果樹輸出を中心に.農業と経済
44: 135-148.
11月号:50-60.
高柳長直2002.輸入野菜増加傾向下における
大島一二2007.農産物貿易にみる東アジアの
野菜産地の形成一山形県鶴岡市の枝豆産地の
相互間孫一貿易の拡大と「連携」の必要性.
事例.農村研究94:
農業経済研究79(2):11(ト116.
高柳長直2004.量産型輸送園芸産地における
−
76−
46-60.
台湾における寄接ぎナシ栽培の展開と生産地域の課題(古関)
輸入野菜増加への対応一熊本県八代地域にお 刊12(4):236-244.
けるトマト産地の事例.学芸地理59:
1-12. 李 信芳1980.園蓼作物果樹霜一梨.台湾農
農林水産省国際部国際政策課2009.農林水 家要覧策劃委員會編輯委員會編印『台湾農家
産物輸出入概況2008年(平成20年)確定 要覧(上)』803-815.豊年社.
値.http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/ 李 國明・張 建生2002.蘭陽地匠寄接梨不
yusyutugai2008/yusyutugai2008・pdf. 同包裏嫁接法試験.行政院農業委員會花蓮匠
森 路未央・大島一二2002.中国における対 農業改良場研究彙報20:ト8.
日輸出用生鮮野菜の周年供給システムの形 陳 憲明1984.『梨山霧社地匠落葉果樹興高冷
成一福建省厦門市近郊農村の生鮮野菜基地に 地疏菜栽培的登展』國立豪湾師範大學地理學
おける実態調査から.農村研究95:
67-77. 系.
米山寛一1980.『ナシ栽培の実際一多品種時代 陳 憲明1985.台湾青果運鎖的匠域結構一束
の新技術』農山漁村文化協会. 勢卓蘭雨産地市場的例子.國立豪湾師範大學
-
朱 長志1961.豪湾山地之果樹.豪湾銀行季 地理研究報告11:
77
101-125.
地域学研究 第25号 2012
Development
of Pear Cultivation in Taiwan
the Grafted Oriental Pear-Producing
and
Region
YoshiyukiKOSEKI*
By
using
altitudinal variation,
the late
1970S
possible
at lower
relationship
economy.
when
Japan, a major
It also analyzes
Taichung
The
oriental pears
which
has promoted
ental pear
丘)rnearly
produced
cultivation
in 1988,
from
farmers
As
oriental pears
faces
as labor
market
due
quotas
concentrate
Under
order
marketing
develop
ue to engage
pear
periods
the grafted
tree cuttings,
the products
from
ing strategy toward
Keywords:
and to make
Japan,
South
both
markets
grafted
to take
Taiwan
consumers,
farmers
and
Japan,
now
grafted
ori-
a shortage
depends
from
on Japan
oriental pear
generation,
especially
cultiva-
and
now
fanning
flexibly to fluctuating
the World
Japan
are the core
Dongshih
in part-time
rapidly increased
Therefore,
who
However,
joined
Korea
of harvesting
Trade
because
Organizaof the tariff
is anticipated
import
to continue
will enhance
region. A
also needs
in Taiwan
of oriental pears
to provide
domestically
this purpose,
Korea,
and
China
in the global
as well
cultivation, Taiwan,
pear
pear
market,
as reducing
Sociology, Hiroshima
cultivated
-78-
pear
cultivation. Due
it is essential
production
University
both
and
South
the time
cultivation
will
Korea
and to further
so that farmers
can continscale and to
tree cuttings to reduce
Lishan
as a supply
to severe
for Taiwan
in
of sale and
and contribute
on an appropriate
to position
competition
to develop
costs
area
type
pear, World
Trade
of
with
a market-
costs.
tree cutting, Japanese
Kokusai Gakuin
of pear
to cultivate
it is important
area's role clear in Taiwan's
Japan
grafted oriental pears
price is desirable
for Taiwan
Lishan
and consumers
producing
the significance
stable market
this, it is necessary
earlier than
to further reinforce
tion
* Faculty of Contemporary
Taiwan
are responding
after Taiwan
It is also necessary
in order
tree cuttings. For
oriental pear
and
started to be legally imported
of successors,
gift season.
advantage
market.
cultivation. This
To achieve
of pear
market,
for grafted
tree cuttings
in Dongshih.
in South
Year
in Dong-
in the future as well.
oriental pear-producing
Furthermore,
to stabilize the supply
produced
New
conducted
region・
the demand
of pear
role in Taiwan's
production
Korea
at the
in the globalizing
price in the domestic
As
In
became
tree cuttings.
individual
South
for pears
to the domestic
production.
pear
quality. In addition,
the Chinese
it is necessary
general
tree cuttings
costs, and lack
n・om
1980.
of profitability, the younger
to marketing,
demand
grafted oriental pear
in such
adjust production.
and
peak
strategy of targeting
to maintaining
As
at a high
since
Taiwan.
pear
by looking
region
field studies were
the variety produced.
oriental pear
production
sold
type
cultivation
oriental pear-producing
an important
supplying
in terms
preserving
festival and
oriental pears
Taiwan's
high
Intensive
were
changed
pear
pear-producing
a rapid rise in the price
plays
by
in grafting
farmwork.
increased
harvest
circumstances,
to provide
Japan
of oriental pears, especially
on these two
such
shortage,
and
out in subtropical
of the Japanese
of grafted
oriental pears
cultivation, pear
of grafting
considerably
on oriental pears. An
for the mid-Autumn
oriental pear
to pears' excellent
import
it caused
carried
cultivation
grafted
method
of grafted
increased,
has been
Taiwan's
in Taiwan.
important
cultivation
production
the time
to the intensive
prices, thanks
tion, Taiwan's
the grafting
pear
the development
production
most
are an attractive crop
engage
households
for pear
type
established,
tree cuttings, and
also get extra income
force in agriculture,
was
examines
of pear
tree cuttings. Thus,
pear
problems
paper
grafted
changed
half of the pear
such
by
to develop
which
method
is Taiwan's
producers
tion. Japanese
grafted
which
the commercial
of supply. In order
Japan
This
supplier
the potential
county,
of the Japanese
cultivation
altitude regions.
with
shih town,
cultivation
the grafting
Organiza-
Fly UP