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看護・介護職員の職業性腰痛予防のために

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看護・介護職員の職業性腰痛予防のために
2010 年度 社会医学フィールド実習報告書
看護・介護職員の職業性腰痛予防のために
~さらなる作業負担の軽減と適切な評価を目指して~
竹内 誠人
岡田 直
竹中 奈緒 平山 典宏 堀田 兼蔵 村元 暁文
(滋賀医科大学 医学部 医学科)
【1.目的】
社会福祉法人びわこ学園は、「病院の機能をもった児童福祉施設」として昭和38年に設立され、「この子
らを世の光に」という理念のもと多角的な支援を提供してきた。さらに、“児童福祉”にとどまらず、利用
者の発育・成長をサポートし、広汎な年齢層の利用者に全人的な医療・生活支援を提供し続け、滋賀県の障
害児者福祉における極めて重要な役割を果たしている1。
びわこ学園では、在宅を含む幅広い生活環境の重症心身障害児者を支援しているが、これらの活動の中核
となっているのが二箇所の入所施設(びわこ学園医療福祉センター草津・びわこ学園医療福祉センター野洲)
である。これらの入所施設では、体位変換・食事・排泄/おむつ交換・入浴など日常生活のほとんどに介護を
必要とする利用者が多い。このため、これらの入所施設では開園以来、職員の腰痛に悩まされてきた歴史が
あり、『日本の職業性腰痛発祥の地』とすらいわれている。職業性腰痛をはじめとする作業関連性筋骨格障
害は、職員のQOLの低下を来すのみならず、作業の効率や質の低下による利用者の負担、そして職員の休職・
早期退職などの社会的資源の損失をも引き起こす重大な問題である。
このような状況を改善するため、当該施設の産業医に着任(草津:2003年~,野洲:2007年~)した本学の
垰田准教授らを中心として負担軽減のための検討が繰り返し行われ、人間工学に基づいた作業環境の改善や
介護補助具/機具の使用、それに伴う作業時間の組み換えなどの措置が講じられるようになった。特に、リフ
ト・スライディングシートの導入などによる利用者の“持ち上げ/移動”時の負担軽減策は、作業関連性筋骨
格障害の発生や負担・疲労を軽減させることに大きく貢献した2。しかし、これらの対策を講じていても、職
員の腰痛の訴えはいまだに数多い。これは、「職業性腰痛」が、“持ち上げ/移動”に加え、それ以外(看護・
介護職特有)の身体的負荷が原因となっていることを強く示唆している2,3。
本実習では、この未解明の原因となっている行動・姿勢を探索することを目的とし、これらの入所施設の
看護職員を対象とした腰部の表面筋電図測定を行い、行動記録と筋電図測定結果を比較して検討を行った。
また、施設間の比較のため、特別養護老人ホーム そせい苑(京都市 伏見区)を訪問し、介護作業を見学し
た。さらに、京都工芸繊維大学を訪問し、介護支援機器の研究動向を把握した。
【2.対象と方法】
2-1.対象
びわこ学園医療福祉センター 看護職員(看護師)
センター草津 3 名 (男性 1 名(30 歳代)
,女性 2 名(20 歳代及び 50 歳代)
)
センター野洲 3 名 (男性 1 名(40 歳代),女性 2 名(30 歳代及び 40 歳代)
)
2-2.方法
被験者の左右傍脊柱部 L2 - 3 レベルに電極を貼付し、表面筋電計を用いて実効筋電図を測定した。また、
被験者に同行し、その内容を筆記するとともに実務作業の様子をビデオカメラで撮影した。これらの調査は
2010 年 11 月 25 日(草津)・30 日(野洲)の日勤勤務時間帯(概ね午前 9 時~午後 5 時)に行った。
~1~
【3.結果】
ここでは、センター草津の 20 歳代女性職員の結果を示す(他の被験者は機器の不具合や被験者の体調不良
等により持続した測定が困難であった)
。
この職員の測定実施日の主な業務内容は、利用者の移乗,プールでの見守り,衣服着脱介助,胃瘻処置,
排泄介助(オムツ交換),食事介助,体位変換等であった。図 1 に筋電図測定結果を示す。
筋電図が平坦に近い形態を示していたのは、プールサイドでの見守り中(10:00 ~ 11:15),昼休憩中(12:00
~ 13:00),会議中(14:00 ~ 15:00),食事介助中(17:00 ~ 17:30)等であった。利用者の移乗は 9:55,10:16,
10:51,10:55,11:17,11:20,13:53 に行われた。
以下に比較的高い電位が持続して測定された時間帯について、その活動記録等を示す。
・13:44 ~ 13:48(図 2)
利用者をベッドより床へ移すための一連の作業(床にマット,布団を敷く等の準備を行った上で、利用者
を移乗させる)を行った。準備(13:44:45 ~ 13:47:30)は被験者 1 名のみで行われ、膝をつき、上体を前傾
させた低い姿勢での作業が多かった。移乗作業(13:47:50 ~ 13:48:00)は、被験者及び他の職員の 2 名で行
われ、リフト等の機材は用いられなかった。準備中にも移乗時と同程度の高電位が複数回記録された。
・13:00 ~ 13:20,15:00 ~ 15:40(図 3,図 4-1,4-2)
被験者 1 名のみでオムツ交換を行った。利用者のプライバシー保護のため、作業姿勢の観察は行わなかっ
たが、作業中に 100µV を越えるスパイクが測定された。
・16:10 ~ 16:16(図 5)
ベッド上で体位変換(背臥位→腹臥位)を行った。この作業は被験者及び他の看護職員の 2 名で行われ、
比較的直立に近い姿勢で行われた。
なお、この被験者の 30°体幹前屈時の腰部筋電位は 8µV であった。
【4.考察】
現在、びわこ学園では、看護・介護職の作業関連筋骨格障害の予防のため、介護用リフトやスライディン
グシート等の機材が積極的に導入され、現場で活用されている。これらはいわゆる“ノーリフティングポリ
シー(持ち上げない看護・介護)”
、つまり、患者(被介護者)を持ち上げないことで作業関連筋骨格障害の
発生・悪化を防ごうという考え方
4
に基づくものである。びわこ学園では、比較的早期よりこの考え方を導
入し、開園以来悩まされてきた職業性腰痛の軽減に成功している 2。
しかし、この被験者の筋電図測定結果では、負担が最も大きいとされる移乗時よりも、オムツ交換や体位
変換、床上での作業の方が高電位が持続的に測定された。つまり、狭義の“ノーリフティングポリシー”の
導入で改善が可能な持ち上げ操作に加え、それ以外の行為・操作が腰痛の発生に寄与している可能性がある。
言い換えれば、持ち上げ/移動という「動」の行為だけでなく、環境の整備などの「静」の行為にも注目すべ
きである、ということになろう。また、看護・介護の現場では、ベッド上でのマッサージなどの持ち上げ/
移動とは異なる、ある種の極めて動的な行為も存在し、これらも含めて包括的に考えていく必要がある。
ここで少し、本実習を含むこの種の作業負担の評価方法について考えてみたい。この種の評価では、主に
表面筋電図が用いられることが多い。しかし、腰部の場合、体幹を前屈させると、はじめは脊柱起立筋の筋
活動が著明に出現するが、さらに前屈を進めていくと脊柱起立筋の筋活動が消失するという“屈曲弛緩現象
(FRP)”が知られている5,6,7。このFRPは慢性腰痛を有する患者では高頻度で欠如するといわれており、三
~2~
瀧ら8はこの性質を利用した腰痛評価法を提案している。FRPはこのように腰痛の評価に用いることができる
という可能性の反面、筋活動を消失させることで筋電位による作業負担評価を困難にする可能性を持ち合わ
せている。本実習の被験者である20歳代の女性職員は慢性腰痛を持っておらず、したがって高度の前屈を伴
う作業の負担が軽めに評価されている可能性がある。前傾姿勢が45度以上になると腰椎、靭帯への負荷が強
くなり、このことが腰痛発症に関与している可能性が高い9ことも指摘されており、筋負担に加え骨格系も含
めた包括的な評価方法の開発が期待される。
では、これまでに導入された機材等でカバーできない作業負担をどのように軽減するかについて考える。
看護・介護分野にとどまらず、一般的に作業負担を軽減する方法としては大きく 2 つのアプローチが考えら
れる。1 つは「負担を人間に分散させる(負担を皆で共有することで、一人ひとりの負担を相対的に軽くす
る)」というものであり、もう 1 つは「負担を機材等に分散させる」という方法である。
前者はすなわち、看護・介護職の増員に他ならない。作業にかかわるものが増えれば一人あたりの負担が
軽減されるといった短期的効果が期待できるのは当然であるが、人的冗長性が確保されることで、機材の使
用法等を学んで自らの作業負担の軽減に役立てたり、勤務時間の適正化を図り、離職者を減少させるなどの
長期的効果も期待できる。また、我が国では「看護・介護は人の手で」という信念を持つ人が介護者・被介
護者ともに多いという特徴があるが、人の手を増やすことは、こういった状況の中での作業負担軽減に対す
る心理的葛藤を軽減させることにも役立つであろう。しかし、職員の増員は一朝一夕にできるものではなく、
法整備をはじめとした社会的な基盤整備が必須となる。特に、びわこ学園は他病院と比較して重点的に人員
が配置(一般病院では患者:職員=7:1 に対し、びわこ学園では 1.1:1)されており、これ以上の増員は困難で
あることが予想される。このような状況下では、やはり後者の方策が重要となってくる。
この「負担を機材等に分散させる」という方法であるが、前述のように介護用リフトなどの機材が使用さ
れている。 さらに、これらの従来の機材と異なった発想によるものとして“パワーアシストスーツ(ロボッ
トスーツ)”がある。これは、負担を機材に“肩代わり”させるのではなく、機材と人間が一体になってしま
おうという発想で開発されており、最小限の作業負担で前述の「人の手による介護」が可能になるという面
で、これは理想的な対策の一つといえるだろう。パワーアシストスーツ(ロボットスーツ)は決して夢物語
ではなく、現在ではサイバーダイン社の HAL®が実用化
10 されている。ただ、現行のものはオールインワン
を目指すがゆえに装置が大掛かりになっており、見た目もやや威圧感があるといわざるを得ない。看護・介
護の現場、特にびわこ学園のような場所で使用するに当たっては、もう少し目立たない装置の開発が必要で
あろう。また、「これを着用すれば何でもできる」というのではなく、状況によって使い分けられるような、
想定される状況に特化することで小型化することも考えなければならないだろう。そして、現行の機材等を
置換するのではなく、補完しあうのだという考え方をすれば、こういった課題を解決するための糸口が見つ
けやすくなるのではないだろうか。
【5.結論】
看護・介護分野における作業関連筋骨格障害の予防には、現在推進されている持ち上げ/移動への対策に加
え、この職域特有の動作・状況に対する更なる対策が必要である。作業負担の軽減と「温かみのある看護・
介護」を実現するために、人員の増員などの社会的資源の投入に加え、新たな視点からの機材等の開発・改
良が望まれる。
~3~
【6.発表会における質疑応答のまとめ】
Q:施設における介護負担軽減についての発表であったが、在宅介護現場における負担軽減策は無いのか?
A:在宅ではスライドシートなどで負担軽減を図っているのが現状である。また、介護用リフトの導入にあたっては行政
から補助金が受給できるため、比較的安価に導入することもできる。
Q:介護者の負担軽減策として“古武術”の身体操作によるものがあるが、それについてはどうか?
A:“古武術介護”は各関節部を稼動させない体勢をとることで筋負担を減らすという理論で成り立っている。よって、
筋肉量が多い体格の良い介助者であればまだ良いが、女性などの華奢な体型の介助者であった場合、関節部にかかる負担
が逆に増加してしまう恐れがあるため、導入は慎重を期すべきである。
Q:専門的な身体トレーナーに介助者の身体操作や予防運動など指導させるのはどうか?
A:きわめて有効な手段の一つであると考えられるが、経済的な面で困難かもしれない。(介護施設等の支出はほとんど
が人件費であり、どうしても実際に作業を行う職員への配分を減らしづらいため。)
Q:障害者介護現場では頻回のオムツ交換が行われるが、実際に不要であった場合も少なくない。オムツ交換回数をもっ
と適切な回数に減らす手段などを講じたりするのも良いのではないか?
A:是非検討してゆくべきと考える。オムツ交換に限ったことではないが、筋負担は負担の大きさをそれがかかっている
時間で積分して考察するのが一般的であり、我々の考察した「大きさ」という観点のみでなく、「かかる時間」という観
点で考えていくことも非常に重要かと思われる。
【謝辞】
びわこ学園医療センター草津・野洲の職員の皆様は、本実習に御協力いただくとともに、重症心身障害者看護の現状に
ついての貴重な意見を提供してくださった。また、特別養護老人ホーム そせい苑の職員の皆様からも、高齢者介護の問
題点等について伺うことができた。御協力いただいたこれらの施設の方々に心からの謝意を表したい。
滋賀医科大学 社会医学講座 衛生学部門の辻村 裕次助教,北原 照代講師,垰田 和史准教授,ならびに同部門大学院
生の保田 淳子氏は、本実習を進めるにあたり、数々の的確な指導・助言を下さった。京都工芸繊維大学大学院 工芸科学
研究科 機械システム工学専攻 防振システム工学研究室の古池 裕智氏からは、パワードスーツの概要や研究の現状につ
いての資料等を提供していただいた。あわせて謝意を表したい。
【参考文献】
1
びわこ学園ウェブサイト http://www.biwakogakuen.or.jp/
2
びわこ学園医療福祉センター野洲 腰痛対策委推進対策チーム.
3
田中 伸岳, 又吉 重彰 他. びわこ学園職員の健康実態調査,2009 年度社会医学フィールド実習報告書
4
日本ノーリフト協会ウェブサイト http://www.nolift.jp/
5
Allen CEL. Muscle action potentials used in the study of dynamic anatomy. Br J Phys Med. 1948; 11: 66-73.
6
Floyd WF, Silver PHS. Function of erectors spinae in flexion of the trunk. Lancet. 1951; 20: 133-134
7
Floyd WF, Silver PHS. The function of the erectors spinae muscles in certain movements and postures in man. J
職業病対策のための実態調査アンケート,2010; 4-5
Physiol. 1955; 129: 184-203.
8
三瀧 英樹, 伊藤 友一 他. 腰痛と屈曲弛緩現象の関係, 日本腰痛会誌. 2007; 13(1): 136 - 143
9
伊丹 君和, 藤田きみゑ 他,片麻痺模擬患者への車椅子移乗援助に関する研究 ―患者の安全・安楽・自立および看護
者の腰痛予防を考慮して―, 滋賀県立大学 人間看護学研究. 2004; 3: 19-28
10
サイバーダイン社ウェブサイト http://www.cyberdyne.jp/
~4~
図 1 腰部表面筋電図(実効値,単位:µV)
(センター草津 20 歳代女性職員)
上段が左側,下段が右側
~5~
図 2.(13:42 ~ 13:52)
図 3.(13:00 ~ 13:20)
図 4-1.(15:00 ~ 15:20)
図 4-2.(15:20 ~ 15:40)
図 5.(16:05 ~ 1615)
~6~
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