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「都市鉄道」の成立 - 日本産業技術史学会

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「都市鉄道」の成立 - 日本産業技術史学会
マヤ
包企
.
x
.
.
筒問
「都市鉄道」の成立*
一一戦間期大阪市と近郊の事例による 考察一一
一木理史日
1 はじめに
2 「都市鉄道」成立の背景
3 私鉄における「都市鉄道」化
4 国鉄における「都市鉄道」化
5 「
都市鉄道」の成立
1 はじめに
|ー | 鉄道技術史研究と大量輸送
1980
年代以後第二ステージに入った日本鉄道史の研究では,異種交通機関間関係や交通体系
の分析等と並び,鉄道技術史研究が新たな潮流の 1つを形成している 。体系化されたものに限
(!)
定しても ,原田勝正による固有(官営)鉄道技術政策の研究を先駆として,それを担 った技術
(2)
者集団の形成と経営,鉄道車両工業の経営史的研究のように,政策から経済 ・経営との関わり
(4)
(5)
に論点が拡大し てきた。 また,工学分野においても,計画系・構造系共に優れた歴史研究が出
現している 。しかし,それ らの多くは,鉄道車両工業研究と計画系の都市鉄道研究が両大戦間
期(以下, l
l
袋間期)に主眼を置くのを除けば,明治の技術的対外自立期に重点を 置 く。
また,臼 本鉄道史において 1906∼ 07年の鉄道固有化は,全国的輸送=国鉄.地方的輸送=私
* 2003年 7月 3日受理,「都市鉄道」,両大戦間期,大阪市・近郊,鉄・軌道,技術的融合,
日本
産業技術史学会第 1
9回年会で講演
** 奈良大学文学部地理学科
(1) 原田勝正『鉄道史研究試論一一近代化における技術と社会
』
, 日本経済評論社, 1989
年。
(2) 中村尚史 r日本鉄道業の形成一一 1
8
6
9∼ 1
8
9
4
年一一』, 日本経済評論社, 1
9
98
年,第一部。
(3) 沢井笑 『日本鉄道車柄工業史』
, 日本経済評論社, 1998年。
(4) 為国孝敏 『
近代における東京地域の郊外鉄道の発展過程に関する実証的研究』
, 日本大学工学部
博士論文, 1
9
9
4年(未公刊) 。
(5) 小野田滋 『
わが国における鉄道用煉瓦構造物の技術史的研究』
,鉄道総合技術研究所, 1998
年。
1
9
技術と文明
1
4巻 l号 (
2
0
)
鉄の体制を確立する画期であったが,そうした国鉄 ・私鉄聞の輸送分担関係のその後の推移に
は明確な指摘がない。 日本鉄道史で鉄道固有化を重要な画期と見なす研究は多いが,それを挟
む前後の時期の連続 ・非連続に 言 及 し た も の は 少 な し そ れ は 鉄 道技術史研究にも該当する 。
そして,両者の分担関係の大枠は現在でも鉄道業の基本的枠組みを成す。 しかし,それは都市
輸送のような特定分野では早くから妥当しないにもかかわらず,都市輸送でも依然その枠組み
を前提とすることが多い。
ところで,高度経済成長期以後日本の鉄道輸送は,旅客輸送の比重を高めつつ,高速都市間
輸送と大都市近郊大量輸送を 二本柱と して現在に至 っている。前者は高速化の追求の点で明治
の鉄道創業以来の技術と一貫性が見い 出せるのに対し,後者は鉄道と共に軌道が深〈関係する
のに加え,対外自立期にそうした輸送の要請自体が稀薄ゆえに断続的である。
本稿は,既往の鉄道技術史研究が高速都市間輸送への思考に偏り,また欽道には一定の蓄積
を見つつも,軌道には多くの実証的空白を残すことを踏まえ,大都市近郊の大量輸送に 関わる
都市輸送技術の成立を,鉄道と軌道双方の技術的融合とい う視角から検討する。
I- 2 都市交通研究と大量輸送技術
都市大量輸送の原因となった都市化とそれに伴う通勤 ・通学に関する研究は,都市地理学で
(7)
大都市圏研究の一環として蓄積されてきた。 しかし,それらは,通勤 ・通学を都市化の指標と
して数量的に分析しでも,通勤・通学の発生過程や都市化による輸送の変化を解明する研究視
角を生み出すことはなかった。また,それらの研究は,戦間期の郊外住宅地成立を前提に議論
してきたが,筆者は通勤 ・通学の大量発生が日露戦後から両大戦間期の都市 ・農村関係におけ
る労働 ・教育の変化にも強〈規定されると考えて,日露戦後に遡及した考察の必要を指摘した。
ところで,都市化と大量輸送技術の関係は,先の為国以外に 青木栄ーと筆者が取 り上げたが,
これら 3論文には以下の問題点がある 。 まず,青木と筆者の論文は対象技術が車両に限定され,
(
I
O
)
駅や線路の改良,さらに運転に関わる技術を総合的に分析していない。つぎに 3論文に共通し
て,対象とした郊外電気軌道(以下,郊外電鉄)の技術的な概念規定を明確化 しないまま議論を
進めており,大量輸送技術の根幹に関わる鉄道と軌道の双方の技術的融合という視角が抽出で
(6) 青木栄一 ・老川慶喜“軽便鉄道の普及”野田正穂他編『日本の鉄道
成立と展開
』
,日本
経済評論社,1986年
, 148頁。なお,本稿では,鉄道固有化以後の固有鉄道を国鉄,それを除〈鉄 ・
軌道を私鉄として扱う 。
(7) 成田孝三『転換期の都市と都市圏』
,池人書房,1995年
, 265∼336頁が代表的である。
(8) MI
KIMasafumi.“
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Commutation
”
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fJapan
7
65
,2
003
,pp.
412413
(9) 青木栄一“都市化の過程における鉄道交通の形成と変質
東京周辺における鉄道交通網を例と
して
”F交通文化』 3号
, 1964年
, 1
15∼ 1
2
5頁,拙稿 “
都市化と電気鉄道の技術展開一一大阪都
市圏の郊外電気鉄道を事例として
”『
鉄道史学』 8号
, 1
99
0
年, 7∼ 14頁
。
(
1
0) 近年の都市鉄道に関する高架橋構造物の土木史的研究においても,高架化の社会的要請に関心が
及びつつあり ,総合性への期待は高い。その点は,小野田滋 “
総武鉄道高架延長線における計画思想
の変遷とその考察”『都市計画学研究・講演集』 23
巻 1号
, 2000年
, 1- 4頁を参!照。
2
0
「
者
日市鉄道J の成立(三木)
きていない。 さらに筆者と為国論文は,国鉄を対象から除外し,都市輸送における私鉄と国鉄
双方の関係の考察が欠落している 。 また, 3論文共に都市化に関わる都市輸送を旅客輸送に対
象を限定してお り,集中した旅客と貨物双方の都市輸送上の関係に関する考察が捨象さ れてい
る。 しかし, 1920年代末には元来高速都市間輸送を担 ってきた国鉄でも,その建設 ・改良事業
において都市輸送での旅客 ・貨物の協調関係を 問題視するよ うになっていた。
本稿は,こ れらの問題点を再考し,「都市鉄道」を単に都市域に敷設された鉄 ・軌道の意味
にとどめず,既往の鉄道と軌道や,国鉄と私鉄とい う技術的・制度的枠組みを超越した新たな
都市輸送機関に関する概念として産業技術史的に位置にづけることを目的とする 。研 究事例 は
,
戦間期の都市輸送問題で, 全 国的にも注目を集めた大阪市とその周辺地域 (
以下,大阪市 ・近郊)
に求める 。
2 「都市鉄道」成立の背景
2ー|
鉄道の技術と軌道の技術
鉄道の技術は,線路 ・停車場(以下,駅)等の施設 (
土木),そこを運行する車両, その運転,
3者に関 わる機械,そして保安にも 関わる電気を 加 えた 5つの柱 をもち,その教導のため招 勝
(
13)
されたお雇い外国人の専門も,概ねこれ らを 満たす構成であ った。 1872年開業の官営鉄道は資
(
1
4)
金と技術の多くをイギリスに依存し,築堤,橋梁,踏切,隆道,駅等を配置して専用軌道敷に
線路を敷設した。車両は蒸気機関車,客・貨車をイギ リスから輸入し,機関車が数両の客 ・貨
車を牽引する動力集 中方式で,客・貨を共に輸送することを前提としていた。また,運行シス
テムは,時間管理を基準に近代的作業規律の徹底した シス テム全体をイギリスから移転したが,
以後製造技術の移転元は欧米各国へと拡大した。私設鉄道各社の技術は,細部においては異る
ものの, 一部の特殊軌聞の局地鉄道を除けば概ね官営鉄道と共通性が高かった。欧米依存の各
(
1
6)
技術は,車両製造を除き人的には 1
8
80
年頃には 日本人への代替が完了した。
8
8
2年 6月開業の東京馬車鉄道に始まり,市街地道路に敷設した併用軌道上を
一方,軌道は 1
2頭立の馬で 1両の客車を牽引して運行した。 1
8
7
2年に東京の馬車軌道計画の 出願許可に当た
り,お雇い外国人ファンドールンが各国の馬車鉄道事情を調査し,「馬車轍路規則」を制定し
(
17
)
た。軌道の施設 ・車両 ・運転の各技術の水準や技術移転の方法は,鉄道に比べて不明の点が多
(
1
1) 鉄道省運輸局 『
鉄道運送施設綱要』
,問, 1
9
28
年。ま た,都市鉄道における国鉄の重要性は,鈴
木勇一郎 “
「大東京」 概念の形成と 固有鉄道の動向
” 大西比呂志 ・梅田定宏編著 『
「
大東京」空間の政
0
0
2
年
, 1
7
∼4
2頁を参照。
治史』
, 日本経済評論社
, 2
(
1
2
) 日本固有鉄道編『鉄道技術発達史 第 1∼ 8篇
』,同, 1
9
5
8∼ 5
9
年は,これらに自制自,研究の各
部門を加えた構成をと って いる。
(
1
3
) 前掲 『日本鉄道業の形成』2
9頁。
(
1
4) 前掲 『
鉄道史研究試論』 2
7頁。
(
1
5) 前掲 『日本鉄道業の形成』3
7∼ 4
0頁
。
(
1
6
) 前掲 r日本鉄道業の形成』6
1∼ 6
2頁
。
(
1
7) 東京都東釘安局総務部公文書館編『東京馬車鉄道』,東京都,1
9
8
9
年
, 4
9∼5
5頁。
2
1
技術と文明
1
4巻 1号 (
2
2)
いが,概 ね鉄道 より規制が緩やかで、,在来技術との関係が深かった。
軌道の動力は, 馬力から人力,蒸気,電気動力へと拡大 ・発展したが,敷設方法の簡便さか
ら輸送需要の見込めない地方交通の近代化に貢献した。特に初期の人 ・畜力利用の軌道は,東
京馬車鉄道を除けば,厳密な意味て・大都市市街地 内へ敷設された笑例に乏しい。一 方,蒸 気 軌
道 は, 1908年成立の大日本軌道のように軽便鉄道法公布以前に局地的な交通機関整備の手段と
(
1
9
)
して普及し ,都市交通機関よりも局地的な軽便鉄道へと昇華した。 内燃軌道もほぼ同様の傾向
にあった。
都市交通機関 としての軌道は,原則電気軌道として普及し,主に旅客用であ った。電気軌道
は,世界的には 1879年のドイツ ・ベ ル リン博覧会場での 出品が,日本では 90年の第三囲 内国勧
業博覧会での 出品が,営業用としては 95年に京都電気鉄道の京都駅一伏見間開業が,各々最初
(
21)
であった。 それは,①発車 ・停車が容易,②操作簡便,③車体が軽量,④少振動,⑤無煤煙 ・
無悪臭,⑥ 乗心地のよさ ,⑦高速・大量輸送 ・安全,⑧運賃低廉,等の都市交通機関の必要条
件を満たし, またいち早〈動力分散方式を採用した。
電気軌道の日本への普及は 1890年代末以後で,外国人の技術普及への関与は少なく ,先行開
業会社 の日 本人技術者を招]
侍した技術伝播が多か った。 そのため技術者を 仲 介する才賀電機商
会の ような コンサルタントが重要な機能を担った。一方,大都市の場合,鉄道技術と共通性の
高い土木分野では鉄道技術者が転進した例もあった。 さらに ,軌道は,土木施設に関わる資材
が鉄道と共通する一方,電気施設や電気機器に関わる機材は電気機械と関係し,当初輸入依存
(
2
5
)
度が高か ったが, 1920年代以後圏内自給が増加した。
2- 2 「
都市鉄道」成立の論点
1
899年の大師電気鉄道と 1905年の阪神電気鉄道 (
以下,阪神)の開業は,電気軌道を都市内交
通機関か ら都市間交通機 関
, すなわち郊外電鉄へ発展させる契機とな った。 阪神 電気鉄道の成
1
91
8
年に阪神
功に刺激され,大阪市 ・近郊では京阪電気鉄道 (
以下,京阪)
,箕面有馬電気軌道 (
年に関西急行鉄道に改称)
急行電鉄に改称。以下,箕面有馬,阪急),大阪電気軌道 (
以下,大軌,41
等の開業 が相次いだ。初期の郊外電鉄は法規的に軌道であ った が,輸送技術や内容は 地方鉄道
に近かった。また ,南海鉄道等の私設鉄道の開業路線は, 1900∼ 20年代に電化を進めるものが
(
1
8
) 和久田康雄 『
四訂版資料 ・日本の私鉄』
,鉄道図書刊行会, 1
9
8
4年, 1∼ 1
6
頁。
(
1
9) 中川浩一 ・今城光英 ・加藤新一 ・瀬古官官雄 『
軽便王国雨宮』
,丹沢新社, 1
9
72
年。
(
20) 前掲 『
資料 ・日本の私鉄』 6頁
。
(
21
) 鉄道電化協会 『鉄道電化と電気鉄道のあゆみ』,同
, 1
9
7
8
年, 1∼ 1
4
頁
。
(
2
2) 佐藤利恭 『
軌道 ・無軌僚式電車』
,常磐書房,1
9
2
9
年, 1
3
頁。
(
2
3) 拙著 『
近代 日本の地域交通体系』
,大明堂, 1
9
9
9
年
, 2
56-31
7
頁。
(
2
4
) 管見の事例では,工部省から北越鉄道等を経て京都電気鉄道,京阪電気鉄道,京王電気軌道等に
関わった波法嘉ーがいる (日本交通協会編 『
鉄道先人録』
,日本停車場株式会社出版事業部, 1
97
4
年
,
3
8
8-389
頁
)。
(
25
) 前掲 『日本鉄道車両工業史』1
3
7∼ 1
4
7頁
。
2
2
「都市鉄道」の成立(三木)
表ー|
大 阪 市 ・近郊の鉄・軌道の主な技術指標( 1
91
0年頃)
京阪
阪 耕l
大軌
南海
河南
鉄道院 4
)
1,
4
3
5
1,
4
3
5
1,
4
3
5
1,
0
6
7
1,
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6
7
1
,
0
6
7
複線
複線
複線
単 ・絞
1
0
0
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1
0
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0
{井用 (
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0
1
5
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0
中心間隔
2
,
9
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0
0
3
,1
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3.
3%
。,
4
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。,
2
5
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%
1
。
2
1
.7
%
.
20%
。,
25%
。, 5
)
2
80
3
0
1
.
8
2
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0.
0
卒業者名
ヰ
乳
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礼
大阪市
I
湖
単 ・複区分
専 用(
%)
剖
|
段急勾配
曲線最小半径
1,
43
5
1 箕而有馬
|仮事1
1,
4
3
5
単 線1
) 複線
。
1,
4
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2
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3
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重
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ポギー
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ポギー
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ポギー 3
) ポギ− 6
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6
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4
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WX4 37kWX4
主電動機出力 2
7
.
7
k
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V×4
3
7k
¥
Vx4 3
0
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WX2 1
2
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W×4 3
制御方式
員
単・抜
a
自
定
単
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F
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02
)
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ー
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・
.
事
両
私設鉄道条例
軌道条例
準拠法規
直接
直接
間接
直接
4
2(?)
8
0(?)
82(?)
?(
4
4)
?
6
2(
4
2)
間接
1
0
0(
4
8)
直接
?
3
6十 43
) (
80
)6
)
注準拠法規は開業時の法令名称に基づく(但し,南海鉄道の前身阪堺鉄道は法令に先行して開業)。各項目の?は不明
を,ーは該当なしを示している。
車体(長 ・幅)およひ’自重の数値は慨幻イl
立を含み,定員の( )内は座席定J
i
を示している。
1
)
一期線開業時の状況。
2
)「卒業報告書」の数値。
3
)河南鉄道は,蒸気動車の数値で,定只の+ 4は二等客室の定員。
4
)欽道院は 1
9
0
0
年「建設規定」に基づく 各数値。
5
)表記は本線路の 山地での最念、勾配規定で,平地では 1
0
%
.
,さらに特殊な石£
1氷峠では 66.7%
。, と規定。
6
)1
9
1
0
年制定基本形 3等車ホハ 1
2
0
0
0
形の内容で,自重は同形車の平均的数値で表示した。
出所
阪神電気鉄道 日本経営史研究所編 r
阪神電気鉄道八十年史L 阪神沼気鉄道側, 1
9
8
5年,東最長淳“阪神電気鉄道”
r
鉄道ピクトリア Jレ
』 4
5
2
,1
9
8
5
年, 1
7
1∼ 1
8
9頁
。
9
6
0
年,京阪電気鉄道(附 r
京阪£
l
i
'1
l
i・車両 7
0年』,同社, 1
9
8
0年。
京阪電気鉄道 京阪電気鉄道側『鉄路五十年』,向, 1
箕面有馬電気軌道.京阪神急行氾鉄{悌『京阪神急行電鉄五十年史』,同, 1
9
5
9年,阪急鉄道同好会 『阪急電鉄車両の
変 遜 そ の 1』,同, 1
9
8
5
i
J
o
。
大 阪 電 気 軌 道 佐伯勇編 r
大阪1
1
1気軌道株式会社三十年史』,大阪£
i
t
'気軌道側, 19
4
0
年,鉄道史資料保存会『近俄日
本鉄道草稿形式図集』,同, 1
97
9年。
阪堺電気軌 道 小 林 尚一綱『南海鉄道発迷史L 南海鉄道(株) '1
9
38
年,藤井信夫 “
南海電気鉄道車両の系諮” r
鉄道
6
,1
9
8
2
年, 3
5∼3
7頁,四敏夫 “
大阪軌道線”r
鉄道ピク ト
リ アル』 1
9
8
,1
9
6
7
年, 5
9∼6
3頁。
史料』 2
大阪市.花本蔵之助編『大阪市 m
気局四十年史運輸篇』,大阪市 '
i
l
l
気局, 1
94
3年,大阪市電編集委員会編『大阪市
£
l
f』,鉄道史資事十保存会
, 1
9
8
0年。
,藤井信夫“南海電気鉄道車両の系待”『鉄道史料』 2
1
,1
9
81
年, 1
∼1
8
頁.
南海鉄道前掲 『
南海鉄道発達史a
9
5
2
年,西城治志 “
大阪鉄道 日党 書 河 南 鉄 道 (2)”『鉄道
河南鉄道佐竹三吾編『大鉄全史』,近畿日本鉄道 (
株)
,1
史料』 4
3,1
9
8
6年, 1
7∼2
6頁。
鉄道院 日本国有鉄道編 r
鉄 道 技 術 発 達 史 第 1鈎(総説)』,同, 1
9
5
8年。
2
3
技術 と文明
1
4巻 1号( 2
4)
増加した。
本稿の起点となる 1
91
0
年前後の大阪市・近郊の鉄道 ・軌道の技術指標を見ると (
表
1)
,国
鉄を含む鉄道が l
,0
67m
m軌聞の蒸気動力,市電を含む軌道が l,
4
3
5
m
m軌聞の電気動力を基本とし,
線路は鉄道で単線を含むのに対し,軌道で複線が多か った。軌道は軌道中心間隔,曲線最小半
径が共に小さしかっ最急勾配は鉄道より急て二一般に運転上の制約が大きく,それに規定さ
れて車両も軌道の方が小型であ った。 また,輸送単位は,一般に動力集中の鉄道で大きく,逆
に動力分散の軌道で小きかった。「都市鉄道」概念成立以前の日露戦後期に都市域に敷設され
た鉄 ・軌道の間では,概ね技術の共通性より対照性が際立つていた。
1
9
1
0年代の欽 ・軌道聞の平均駅間距離と平均速度の関係を見ると (
図
1),両指楳共に高位
の官営鉄道東海道線と逆に低位の大阪市営電気軌道 (
以下,市電)線とを両極端とし,郊外電鉄
各線はその聞に分布した。しかし,私設鉄道やそれを買収した国鉄線は,法規的には鉄道なが
ら東海道線より軌道に近か った。 また, 日露戦後の郊外電鉄線は,法規的に軌道ながら鉄道に
近い位置にあり ,鉄 ・軌道は技術指標での対照性の一方で、,一部で既に同化傾向も内包してい
た。さらに郊外電鉄は,最初期開業の阪神から箕面有馬,京阪,大軌と後期開業線ほど平均駅
間距離が伸び,それに応じて高速化傾向を示していた。
1
9
1
0年代の大阪市 ・近郊の交通網は国鉄と私鉄から構成されていたが,都市旅客輸送を主に
里営業収入の変化を見ると (
図− 2)
,一般に私鉄の営業収入は市
私鉄が担った。私鉄の 1日 lq
電のそれより低い。郊外電鉄は, 1
9
2
0∼ 3
0年代に都市化を反映して概ね順調に同収入を伸ばし
たが,鉄道は軌道に比べて同収入が低くか った。つ ぎにその客 ・貨構成は,本来貨物輸送を前
提としない郊外電鉄で旅客の比重が高か った。道路交通機関が未発達の当時,郊外への物資輸
送のため 1
9
20
年代に一部の鉄道で若干貨物収入が伸び, 3
0年代には自動車輸送増加の影響か,
早くも 比率が減少した。 それでも鉄道の各社は 1
9
0
0∼ 2
0年代に比較的貨物輸送割合が高かった
0年代にはそれらも減少しはじめた。
が
, 3
9
0
0∼ 1
0年代の鉄道と軌道は対照的で,前者は線路保存の監督,工事
ついで営業費において 1
諸費を含む保存資の割合が高いが,後者は車両関係の修繕に要する汽車費の割合が高かった
(図− 3)
。1
92
0∼ 3
0年代には駅や列車本数が増えて運輸費が増加し,軌道の専用軌道化による
保存費減少と高速 ・連結運転による汽車費の増加が,鉄・軌道聞の格差を縮めた。都市内交通
では,当初狭域市域を前提に,併用軌道・単行運転が原則の電気軌道を整備したが,第一次大
戦後の郊外化を反映した市域拡張によ って,遠距離輸送 ・高速運転に適した専用軌道による連
結運転の可能な高速鉄道へと移行しつつあ った。
さらに営業収入に対する営業費の割合では,南海鉄道を例外として, 1
9
0
0∼ 1
0
年代に鉄道は
(
2
6
) 都市内交通の変化は,拙稿“戦間期大阪市の都市膨張対応と交通調整”『1
也
翠R
学評論』 7
5
巻 1号
,
2
0
0
2年
, 1∼ 1
9
頁を参照。
2
4
「都市鉄道」の成立(三木)
図− I 大 阪 市 ・近 郊 に お け る 鉄 ・ 軌 道 線 の 技術 的 平準 化
(
km/h)
[] (
3
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A 私設鉄道(非電化) 企
国有鉄道(電化)
私設鉄道(電化)
電気軌道
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︶
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き
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e
京阪屯気鉄道線
。
。
B
南海鉄道南海線
D (河南鉄道線
2
3:大阪鉄道線)
高野鉄道線
南海鉄道高野線) ー
城東線
。
内
仁
口 大阪市営電気軌道線
7出酬急慨抹線)子+r
ロ
箕面有馬電気軌道線 ,
ロ
大阪電気軌道線
(奈良線)
新京阪鉄道線
、
阪堺電気軌道線
v
L
J
.(35:南海鉄道軌道線)
阪神電気鉄道線
・
大阪電気軌道大阪線
φ一一一一『 技術的変化の方向(波紋は採録線区が異なる場合)
〔'
\
[
.
1
0駅 問 距 雌 〕
注
(
km)
ア jレファベント記号の大文字は鉄道,小文字は軌道を示している 。
各アルファベ y ト記号の後方( )は採録年次。( 1
2)
は1
9
12
年を意味している 。
列車平均速度はいずれも普通列車で採録。
東海道本線は京都ー神戸聞で数値を採録。
1
9
1
2年の国有鉄道線のうち,便宜上1
9
0
7
年国有化分は本設鉄道の記号で表示した。
高野鉄道線は汐見橋一河内長野間,南海鉄道高野線は難波ー河内長野間で数値を採録。
片町線は凶条畷一片町間で数値を採録。
河南鉄道線は柏原 長野間,大阪鉄道線は道明寺一大阪阿部野橋間で数値を採録。
新京阪鉄道は天神橋一京阪京都問で数値を採録,採録当時の社名は京阪電気鉄道。
大阪市は 1
9
0
3年が第一期線で数値を採録, 1
9
3
2年の叡聞は 1
0
年の第二期線開業時の数
’として大阪市高
値で採録,平均速度は共に各時点の最高速度で表示した。 また, a
速鉄道の数値を参考に表示した。
阪神電気鉄道の 1
9
3
5
年の所要時間が不明につき 2
1年の所要時間。
阪堺電気軌道の 1
91
1年の速度は最高速度で採録。
京阪電気鉄道線は両年次共に天満橋一三条間で数値を採録。
大阪電気軌道線は上本町 一奈良問で,同大阪線は大阪←桜井聞で数値を採録。
出所駅間距離は鉄道省 r
昭和九年十二月 十五日現在 欽道停車場一覧』 (和久田康雄 ・加藤新 一 編 r
復刻j
鉄道名著集
9
9
3年所収)をもとに,国鉄線は石野宮編 『
停車場変遷大事典一 国鉄・ JR編 I・Il-J ] TB,
成』アテネ書房, 1
年,私鉄線は各社社史 ・事業史(表 l参照)等によって補足調査の上で算出。平均速度は三宅俊彦編『復刻版明治
1
9
9
8
大 正 時 刻 表a新人物往来社, 1
9
98
年および同編『復刻版昭和戦前期 時刻表J, 1
9
9
9
年所収の各号 (上記注 記)によ
i
:出して計上。
って所要時間を r
2
5
1
4巻 I号(2
6
)
技術と 文明
図 − 2 大 阪 市 ・近郊における欽 ・軌道各線の 1日 11
盟営 業 収入 の 推 移
(
円
)
.−−−ーー『
加
2
5
3
5(年 度)
凡
例)
ー+ー 南海鉄道 (
鉄道線)
1
919
年大阪鉄道)
ーーー 河南鉄道 (
1
9
07
年高野登山鉄道→
ー・ー 高野鉄道 (
1
5年大阪高野鉄道, 22年南海鉄道合併)
ー+・ 新京阪鉄道( 1
930
年京阪電気鉄道合併)
−−ー− 阪和電気鉄道
−ーー 阪 神 電気鉄道
_
_
.
.
_箕面有馬電気軌道 (1918年阪神急行電鉄)
一・ー 京阪電気鉄道
一
』ー
’ 大阪電気軌道
ーーー 南海鉄道 (
軌 道 線 元 阪 堺電気軌道)
ー・ − 大阪市
出所 1900・05年度『鉄道局年報J, 1
0・15
年度『鉄道院年報J, 20・25年度 r
鉄道省鉄道統計資料』,30・35
年度『欽
道統計資料』によ って作成。 但 し, 1
905
年度の大阪市は内務省土木局『土木局第 14回統計年報』による。
26
~
同
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重
s
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皇
制
蒜
年度
1930
1920
1910
1900
会社 名
南海鉄道(軌道線
大阪電気車.
i
I宣
京阪電気鉄 主
阪神電気鉄 宣
阪神急行電 先
~
ヨ
ι
大阪鉄 宣
南海鉄 富
南海鉄道(軌道線
大阪電気軌
京阪電気鉄
ヨ
ム
i
I
阪神急行電 .
阪神電気鉄
大阪鉄
~
南海鉄 蓋
大阪高野鉄
"
南海鉄道(軌道線
阪神電気鉄 吉
京阪電気鉄 主
箕面有馬電気軌 宣
南海鉄 道
河南鉄 富
高野登山鉄 吉
河南鉄 道
高野鉄道
南海鉄道
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図
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3 大 阪 市 ・近 郊 に お け る 鉄 ・軌 道 各 社 の 営 業 費 構 成
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年度 『
鉄道周年報』
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0年度 『
鉄道院年報』,2
0年度 『
鉄道省鉄道統計資料』, 3
0年度 『
鉄道統計資料』によって作成。
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出所
(
FL 例)
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保
~
その他
運輸費
~ 1『車費
仁 コ
~、
~
技術と文明
1
4巻 1号 (
2
8
)
図− 4 固有(官営)
鉄道における客 ・貨単位輸送距離の推移
km/t
)
貨物・平均輸送キロ (
旅客:平均輸送キロ( km/人)
(
年
度
)
によ って作成
出所交通統計研究所 『国有鉄道鉄道統計累年表』(同,1995年)
軌道に 比べて営業費の割合が高かった。 営業費構成の対照性を考慮すると ,都市輸送において
汽車費の割合の高い鉄道の輸送技術は,軌道のそれに比べて,より非効率であったことになる 。
1
9
2
0∼ 3
0年代に電化が進み,鉄道各社の営 業費割合が減少し,ここでも鉄道と電気軌道聞 の格
差は縮小した。
9
2
0∼ 3
0
年代の
以上から鉄道と軌道の並存した私鉄における「都市鉄道」成立の分析では, 1
鉄道の電化,軌道の専用軌道化の進展による鉄 ・軌道聞の格差縮小が論点となる。
8
83
年 7月に幹線官設主義を確立 し,鉄道固有化 によって名実共に幹線長距離輸送の
一方, 1
担い手となった国鉄は, その後 1
9
2
0年頃まで幹線鉄道網拡充を継続した。 国鉄 (
含 ・官営鉄道)
の旅客 1人の平均乗車キロは, 固有化以前には概ね増加傾向にあったものの,以後減少傾向に
転じて 1
9
3
0年代に固有化以前の約半分にな った(図− 4。
) 同時期の貨物輸送における平均輸送
キロの伸長と対照的であ った。
旅客平均乗車キロの減少は,当時の交通機関の状況を勘案 す れば,長距離旅客の減少よりも,
(
2
8)
都市近郊輸送での短距離旅客増加の結果であろう。すなわち,鉄道固有化以後に全国的・地方
的な輸送において両極分化 した かに見えた国鉄と私鉄の関係は,都市輸送という新領域で共存
関係に発展しつつあった。
9
1
0年代以後都市
以上の検討から専ら鉄道を運営し た国鉄における「都市鉄道」 の成立は, 1
(
27) 『
鉄道局(院)年報』の集計によ る
。
(
2
8) 前掲 『鉄道運送施設綱要』 2
9頁
。
2
8
「
者1
市鉄道」の成立 (
三木)
輸送の増加により,短距離化傾向を強める旅客輸送と,長距離輸送の比重を高め続ける貨物輸
送との共存関係が論点となろう 。
2- 3 大阪の都市発展と鉄 ・軌道の形成
1
889年に成立した大阪市の市域は,当初面積約 1
5
.
Z
k
m
',人口約 472,247人で,その範囲は近
世以来の中心市街地に限定 された。その後日清戦後企業勃興に伴う商工業の発達と人口集中に
より市街地が拡大し, 1
8
9
7年に第一次市域拡張が行われ,面積は約 3.8
倍,人口は約 1
.6
倍に増
9
0
0年代以後郊外電鉄の発達によ って,市街地拡大が広域的に展開して都市化の様相
加した。 1
1年に市域再拡張計画を樹立した。そ して, 1925年に東成 ・西成両郡に跨る
を呈し,大阪市は 1
4
4ヶ町村を合併する第二次市域拡張を実施し,一次拡張時の市域と 比較して 面積で約 3
.1
倍,
人口で約 2.8倍とな った。
1
8
7
4年開業の阪神間官営鉄道(後の国鉄東海道本線)大阪駅と 8
5年開業の阪堺鉄道(後の南海鉄
道)難波駅は,共に市域外や縁辺部に立地し,大阪の鉄道利用はほぼ郊外交通に限定された。
1
895年開業の大阪鉄道梅田線 (
後の国鉄城東線)と 9
8年開業の西成鉄道 (後の国鉄酋成線)が市域
903
外縁部を巡る路線 を形成したが,都市内の利用は限定的であった。都市内交通の近代化は 1
年開業の市電が担い,開業間もなく市内交通機関市営主義方針により市域内の旅客輸送を独占
したが,市域内貨物輸送は都市内水運の独壇場であ った。
大正期以後郊外交通は,鉄道より郊外電鉄が担い, 1
9
0
5年に阪神の大阪市出 入橋一神戸市雲
910年に箕面有馬の梅田 一宝塚間,京阪の天満橋一五条間,浪速電車
井通間開業を皮切りに , 1
軌道の阿倍野筋一住吉間
, 1
9
14
年に大軌の上本町一奈良聞が開業した。 これら郊外電鉄の大阪
側起点地では 市電に接続し,国鉄線と途中釈も含め原則接続しなかった。
1
920年段階で大阪市・近郊の鉄 ・軌道は,全国的な幹線輸送を担う国鉄,都市内輸送を担う
市電,そして都市近郊地域を結ぶ郊外電鉄の三者によ って輸送分担関係が構成 されていた。そ
して,都市交通と通称される都市および周辺地域の輸送は私鉄と 市電が連携して担い,国鉄を
中心とし た幹線鉄道網と私鉄を中心とした軌道網の聞には断絶があった。
3 私鉄における「都市鉄道」 化
3ー |
郊外輸送と鉄道の技術対応
1
9
0
6∼ 0
7年の鉄道固有化から除外された私設鉄道の大都市近郊路線では郊外輸送に目を向け
て,電化を進めた。大阪市 ・近郊の鉄道電化の先駆となった 1
907年 8月の南海鉄道難波一浜寺
8
9
0年代後半以後の私設鉄道増加による大阪市から南海線への遊覧客減少対策がね
間電化は, 1
らいで,蒸気鉄道に架線を張り電車列車を運行して和歌山直通の蒸気列車と浜寺折返の電車列
(
29) 原武史 「民
『 者E
」大阪対「帝都」東京一一思想、としての関西私鉄一一』,講談社(選書メチエ),
1
9
9
8年
, 54-79頁。
2
9
1
4巻 I号 (
3
0)
技術と文明
車を併用した。しかし,当初から電車専用停車場を設置して駅間短縮を図っていた。そして,
南海鉄道は,電化問もない 1907年 12月に列車頻発運転のために信号保安設備を手動から自動閉
塞へ変更した。それら大量輸送向け技術を導入しても,その利用自体は「全(住吉駅引用者)
(
33)
駅ニ乗降スル士女ハ住吉神社ノ参詣ヲ兼ネ公園 (
住吉公園同)ニ遁遥スルモノ其大部分」であ
った。 また,南海鉄道につぐ 1912年 10月の高野登山鉄道の電化も,長野遊園への遊覧客増加 が
ねらいであり,初期の私設鉄道電化は,大量の通勤 ・通学輸送の円滑化 ではなく,都市の遊覧
客誘致に重点があった。
1
900年代までの郊外は居住地よりも遊覧地で,多少都市関連絡機能を帯びた南海鉄道を除き,
他 の鉄道は 1日 1哩営業収入が少なか った。遊覧客依存の輸送は, 「臨時ノ場合ヲ除クノ 外 乗
客少数」という波動性が避けられず, 「
ー列車ノ連結車数ノ如キハ各種車両ヲ 以 テ 編 成 セ サ ル
ヘカラサルヲ以テ,或ル程度以上ノ減車ハ困難ナルノミナラズ,運転回数ノ減少ノ\旅客ニ対シ
至大ナル不便ヲ与フ lレ」といっ半端な輸送単位に悩み,動力分散方式導入による輸送単位の小
規模化が必要であった。 電化による電車運転はその一策であ ったが,輸送量 ・収益が共に低く
て,電化の条件を満たしえない河南鉄道では代わ って 1906年 11月から蒸気動車を導入した。 そ
して,同鉄道は,南海鉄道の電車用停車場増設と同様に, 1911年 6∼ 8月に白働客車停留場を
全 線 で 6ヶ所開設し,駅間距離短縮を図 った。
その後南海鉄道では 1911年 11月に全線を電化し,沿線の岸和田付近ではこの頃から「諸官街
中学校等ノ設ケアルノミナラズ各種工場 ノ設立漸次増加スルノ傾向アリ…・・(中略)・
・… 学 生 職
工弊社鉄道ニヨル通勤者」が増加した。 また,同時に電車運転に適さない蒸気列 車用停車場の
(
39)
廃止 を開始した。電化以後も南海鉄道の動力は,貨物列車を蒸気列車で存置したため蒸気電気
併用であった。私鉄でも鉄道では後述の国鉄線同様に客・貨共存が問題となってきた。南海鉄
道も泉南地域の農産物の輸出増加や織布工場等の拡大により貨物輸送量が増加し,貨物列 車を
(
3
0
) 南海鉄道の電化計闘の背景については,武知京三 守~市近郊鉄道の史的展開』 , 日本経済評論社,
1
9
8
6年
, 210∼ 217貰を参照。
(
3
1) 「南海鉄道恵美須電車専用停車場設計変更ノ件」交通博物館 (
以下,交博)蔵『逓信省公文 第
八三巻』所収等からうかがえる。
(
3
2
) 「南海鉄道難波浜寺問列車保安法設計一部変更 ノ件」前掲 『
逓信省公文』所収。自動閉塞方式は,
1
90
4年 8月の甲武鉄道電化区間に次ぐも のであ った (
信号保安協会編 『
鉄道信号発達史』
,同, 1980
年
, 23∼ 2
5頁
)。
(
3
3) 「南海鉄道住吉公園停車場設置 ノ件」運 輸 省 蔵 『 鉄 道 院 文 書 南 海 欽 道 巻二』所収。以下,
『
鉄道省(院)文書』の簿間表記は初出 I
時のみ正式社名,以降は略称とする。なお,運輸省所蔵分の
関覧には神戸大学経済経営研究所所蔵の 7 イクロフィルム版を利用した。
「
工事方法変更ノ伺ニ」運輸省所蔵 『
鉄 道 省 文 書 高 野 登 山 鉄 道 巻一』所収。
小田内通敏 『
帝都と近郊』
,大倉研究所, 1918年
, 21∼ 2
2頁。
「河南鉄道自働客車新造ノイ牛」運輸省蔵 『
鉄 道 省 文 書 大 阪 鉄 道 巻一
』 所収。
「工事方法書」前掲『鉄道省文書 大 阪 鉄 道 巻一
』 所収。佐竹三吾監修『大鉄全史』
,近畿日
本鉄道株式会社, 1952年。
(
3
8
) 「
岸和田停車場設計変更ノ件」前掲 『
鉄道 院 文 書 南 海 巻 六』所収。
(
3
9) 「
南海鉄道住吉停車場廃止 ノ件」前掲 『
鉄 道 院 文 書 南 海 巻 九』所収。
(
4
0) 「南海鉄道吉見停車場新設ノ件」前掲 『
鉄 道 省 文 書 南 海 巻 八』所収。
(
3
4)
(
3
5)
(
3
6)
(
3
7)
3
0
「
都市鉄道」の成立(三木)
9
1
4
年1
0月に 「現
電気機関車牽引に順次変更した。同様の貨物増加に対し,高野登山鉄道では 1
取扱駅タル汐見橋駅ニテハ構内狭陸水運ノ便其当ヲ得ス… ぃ(
中1
n
各)……全 線中最モ大 阪市ニ接
近シ水陸連絡 ノ便宜シ キ木津川停車場ヲ」設置し,駅単位での客・貨取数分離を進めた。
南海鉄道の客・貨輸送量は,阪堺電気軌道(以下,阪堺)と競合 した 1
9
1
0∼ 1
5
年間の旅客輸送
5∼ 3
0
年間の貨物輸送量の各々の減退を除けば, 概ね増加基調で全線の列車密
量と不況に伴う 2
9
2
0
年代に踏切
度が高かった。特に列車が集中して人や車両の通行も多い大阪市内区間では, 1
設置要請が相次いで踏切が急増した。 その結果,「会社 ニ於テハ常ニ列車 運 転上 ノ危険ヲ理由
9
2
2
年 6月の大阪
トシ踏切ノ増設ヲ避ケ既設踏切ノ整理ヲ希望」せざるをえなかった。加えて 1
5
年 3月か ら南海,高野両線の連絡設備を整備し,汐見橋起点
高野鉄道の合併が拍車を掛け, 2
であった高野線列車の一部が難波発着となり,南海鉄道線の大阪市内区間はさらに列車の轄較
が進んだ。
1
9
2
0
年代末から列車 ・通行人双方の安全のために踏切の地下道化 が 進められ,特に混雑の深
(
43
)
刻な難波一天下茶屋間では高架 ・複々線化を計画した。特に不況下の 1
9
3
0
年代以後,南海,大
阪両鉄道共に貨物輸送量が低迷したが,旅客輸送量は順調に伸びた。南海鉄道では,都市中心
部の列車輯綾を回避するため,高架 ・複々線化を機に 1
9
3
6
年 2月に難波一天下茶屋聞の貨物運
輸営業を廃止して旅客列車専用とし,貨物列車は汐見橋駅に集約し て,都市部起点釈の客 ・貨
(
44)
分離を進めた。
3-2 郊外輸送と軌道の技術対応
,「軌道条例」に縛られて「道路
郊外電鉄は,元来併用軌道区聞が少なか ったが(表ー l参照)
上ニ布設シ単ニー輔若ク 二輔 ノ車ヲ運縛」することを前提に,速度も 一律 8哩/
h以下であ った。
郊外電鉄線における軌道と地方鉄道の差異は連結両数と速度の制限にあ った
。 軌道 で開業した
郊外電鉄の鉄道化は,これら規程の特例措置をめぐる専用軌道区聞の高速化に始ま った(表−
2)
。 また,速度向上に伴い,直接乗降であ った併用軌道区間でもプラ ッ トホー ム設置が進み,
味にな った。
益々郊外電鉄での軌道と鉄道の区別は唆l
郊外電鉄では
, 専用軌道区間での速度向上が可能になると ,まず併用軌道 区聞の専用軌道化
が活発化し た(表− 2参照)。そ 7 した つごき は
, 1
9
2
0
年代開業の阪急神 戸線( 2
0
年 7月開業)や
3
年 3月全線開通)等の全線専用軌道の路線へと発展し, さらに京阪線に対する新
大軌畝傍線( 2
1
年 3月全線開通)のような地方鉄道による高速別線建設へと発展した。
京阪線( 3
(
4
1) 「木津川停車場構内改築御届」運輸省蔵 『
鉄道省文書 高 野 登山 巻四』所収。
(
4
2
) 「鉄道踏切道設置方ニ関スルイ牛副申」前掲 『
鉄道院文書 南 海 巻 四』所収。
(
4
3
) 「
南海鉄道難波, 天下茶屋問工事方法変更ノ件」前掲 『鉄道省文書 南海 巻十六』所収。
(
4
4
) 「
南海鉄道難波、 天下茶屋間貨物運輸営業廃止ノイ
z
」
1
二 前掲 『
鉄 道 省 文 書 南 海 巻二十四』所収。
(
4
5) 「内務大臣商談ニ係ル電気鉄道主管ノ件」交博蔵 『鉄道庁事務書類 第一三巻』所収。
(
4
6) 大山秀雄 ・壷回修『鉄道監督法規論』
,春秋社, 1
9
3
5
年,2
1頁
。
(
47) 「
道路拡築技ニ乗降場設置ノ件」運輸省蔵 『
鉄道院文書 京 阪 巻二
』 所収。
3
1
技術と文明
表
高|
2 郊外電鉄各社の主な技術改良
許認可年月
出願年月
1
4巻 l号 (
3
2)
会社
項
名
I
2
0哩/ hまでの速度向上
1
9
10
年1
2月|
不
詳
|阪堺電気軌道
1
9
1
1年 1
2月|
不
詳
|箕面有馬電気軌道|専用軌道区間での 2
5
1
盟/hまでの速度向上
9
1
1年 1
2月
速 I1
京阪電気鉄道|専用軌道区間での 2
5
1
盟/hまでの速度向上
1
9
1
2年 3月
踏切他危険ヶ所を除〈一部の併用軌道区間で2
5
I
1
9
19
年 4月
不 祥
向 I1
92
0年 1
1月
不 祥
上 11921年 1月
1
9
2
1年 9月
阪神電気鉄道|
1
92
2年 3月
1
9
2
3年 4月
大阪電気軌道|
1
9
2
1年 1月
1
9
2
2年 4∼ 9月
度
9
2
2
年 8月
専 I1
l
堕/hまでの速度向上
阪神急行電鉄|踏切他 危険ヶ所を除き 3
51
盟/hまでの速度向上
専 用 軌 道 区 間3
5
1
盟
/ h,踏切他危険ヶ所を除〈
5
也/hまでの速度向上
一部の併用軌道区間で 1
専 用 軌 道 区 間3
5
1盟
/ h, 踏切他危険ヶ所を除〈
0
1
盟/hまでの速度向上
一部の併用軌道区間で 1
阪神急行電鉄|十三 三国聞の専用軌道化
I1922年 10月∼ 23年 3月
用 11
9
2
2年 1
0月
軌
I
I
1
9
2
3年 4∼ 9月
I
I
桜井牧落問の専用軌道化
I
I
豊中石橋聞の専用軌道化
'1
9
2
3年 9月 I
1
9
2
3年 1
0月∼ 2
4年 3月 |
I
I
|雲雀丘一平井聞の新設軌道化
l
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
−1
一
一
一
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ーー
ー
ー
ー
ーー
ー
ー−
ー L
l
I
1
9
2
1年 7月 |
1
9
21
年1
0月
|大阪電気軌道 |大阪市内併用 区間の専用軌道化
道, _
_
ー
ー
ー
ー
ー
ー
_ _j
1
9
2
2年 3月
−
ー
ー
1
9
2
2年 5月
μ
−
白
石
珍十
不
1
9
2
5年 7月
”
化 ト
一
一
一
一
一
一
一
一
ー
ー
一
ー
ー
ー
ーL
l
京阪電気鉄道|守口 町一大和田 聞の新設軌 道 化
阪神包気鉄道|
御彬付 近の専用軌道化,高速化,御影駅プラッ
トホーム設置
9
1
6年 5月 1
連 11
1
9
1
6
年 7月
|大阪電気軌道|連結運転を申鮪
I
1
9
1
9
年1
2月|
1
9
2
1年 9月
|阪神電気鉄道|大阪一神戸間 1
)
全線で連結運転開始
結
9
2
1年 1
2月
逮 l1
転 r -1922~- i -月|
1
9
2
3年 1月
京阪電気鉄道|天満橋守口問で通勤時間帯の
2商運転開始
-示 一一言一一!同訴訟- 1 -~i.i石市両ni<i~----
1
)出願年月は最初の申新であるi
'
[
'木一事1戸間の申前年月とし た。
鉄道院 (
省)文書』所収文舎,許認可年月を各社 「
営業報告書j (雄松堂マイクロ
出所 出願年月および事項は各社の r
フィルム版 r
営業報告書集成』所l
収)の対応項目によ って確認して作成。
なお,許認可年月に隔があるものは「営業報告書」の記載が半期単位の記滅にな っているため。
注
年代末に阪神では大阪一神戸聞の
そ し て , 専 用 軌 道化 は 電 気 軌 道 の 高 架 化 へ と 発 展 し , 1920
高 架化 工 事 申 請 が 相 次 い だ。 そ の 契 機 は 尼 崎 市 の 都 市 計 画 事 業 の 中 で , 市 域 内 を 横 断 す る 同 線
が「都市ノ幹躯ヲ両断シ其ノ系統的発達ヲ阻害」するとして,高架化が要請されたことにあっ
た。 そ の 後 今 津 町 か ら も 同 様 の 申 請 が あ り , 1919年 4月 公 布 の 都 市 計 画 法 の 規 定 す る 都 市 計 画
区 域 の 広 域 設 定 や 23
年
7月 以 降 の 都 市 計 画 対 象 都 市 の 拡 大 が , 電 気 軌 道 の 高 速化 志 向 と 相 乗 し
て 高 架化 の 促 進 要 因 に な っ て い た 。 ま た , 電 車 線 路 は 都 市 内 電気 軌 道 で の 電 食 問 題 や 誘 導 障 害
(
48
) 「阪神電気鉄道株式会社増設線敷設ノ儀ニ イ寸市会意見書副 Ej~ 」述i愉省j歳 『鉄道省文書
一 四』所 収。
(
4
9
) 石田頼房『日本近代都市計画の百年』, 自治体研究社, 1987
年, 1
07∼ 143頁
。
3
2
阪神
巻
「都市鉄道」の成立(三木
)
(
50)
への反省から 1895年以降複線方式が義務づけられ,併用軌道区間も 市街化区間 も共に少ない郊
外電鉄でも複線式を採用していた。 しかし,併用軌道区聞の減少により「単線架空式ニ比較シ
多額ノ建設費ヲ要シ尚且架空線ノ故障ノ、単線架空式ニ比シ数倍ニ上」るとした 1910年 2月の阪
堺の申請が認められ,まず郊外区間で鉄道並みの架空単線式への変更が進んだ。
初 期の郊外電鉄は小単位の単行運転が基本ながら, 1916年 2月閣議において連結車両制限を
(
5
2
)
廃 止 し,主務大臣裁量への委任方針を決定した。 同年 5月の大軌の連結運転申請は, 「春秋ノ
如キ市人遊楽 ノ好季ヲ始メ毎月生駒 山葵日等ニ在リテハ乗客燦チ i
隔I
榛」することが要因で,多
客時波動輸送用であった。連結運転には原則制御装置の間接制御化 を必要とした。箕面有馬,
大軌は開業時の車両から間接制御を採用し,両社線が共に郊外輸送主体であったことを踏まえ
れば,電化と同様に連結運転も波動輸送が先鞭を つけたことになる。 日常的な通勤・通学 向け
の連結運転は, 1921年 9月の阪神の連結運転許可に始まり,以後各社に拡大した(表ー 2参J
f
l
.)
。
これらは通勤 ・通学時の旅客集中への対応ながら,加えて長編成化に伴い阪神が 1928年 5月に
車両中央扉の自動化 を,ついで車両関混雑の均等化のため連結部貫通幌の設置を,各々行い,
(
57)
さらに阪急、は 1931年 12月に長編成化を見越して l
i
J
i
動装置を自動式に変更した。
やがて専用軌道化,巡結運転でも制けないまでに通勤・通学 客 が増加すると, 1924年 1月に
(
58)
京阪は蒲生一守 口聞 を複々線化し,緩急5
.
J
J
I線化での効率的輸送の検討を開始したが,不況に伴
う工事縮小によ って複線化にとどま った。 1926年 1月に阪神では,前述の南海鉄道と 同様,千
(
59)
船駅で列車運行 ・乗客双方の安全を図るため,従来の通路横断を 地下道化し た。 また,終 点 梅
田駅では,大阪市の高速鉄道計画と連携し,地下化によ って大阪駅や他欽 ・軌道駅との連絡緊
(
6
0)
密化および空間の有効利用を進めた。大軌でも 1
935年 1
2月に上本町 布施聞を複々線化すると ,
「踏切道ハ其ノ 交通量益々増加 スル状勢ニ在 jレ」として高架化することとなった。
(
5
0) 鉄道電化協会編『電気鉄道技術発達史』
,同, 1
9
8
3年
, 2
8
8頁。
(
5
1) 「阪堺電気軌道特許命令書一部変更ノ件」運輸省蔵『鉄道院文書阪堺巻一』所収。同様の変
更は京阪,大軌ても実J
;
血。
(
5
2) 大霞会編『内務省史第 3巻』,地方財務協会, 1
9
7
1
年
, 1
3
5頁。
(
5
3) 「
大阪電気軌道車両連結運転ノ件」運輸省蔵 r
鉄道院文書関西急行鉄道巻三』所収。
(
5
4) 前掲“都市化と電気鉄道のー・
・・
・”,1
0頁。なお,当該J
切の郊外電鉄の車両技術では大型化の進展
も重要ながら,同, 1
1頁に譲る。
(
5
5) 「
阪神電気鉄道車両設計変更 ノ件」前掲 『鉄道省文書 阪神 巻一四』所収。
(
5
6) 「
阪神電気鉄道車両設計変更ノ件」前掲 『
鉄道省文書 阪 神 巻 一 五』所収。
(
5
7) 「
電動客車設計一部変更 ノ件」前掲 『鉄道省文書阪神急、行 巻一八』所収。
(
5
8) 「
蒲生守口問複々線敷設現白書」前掲 『
鉄 道 省 文 書 京 阪 巻 七』所収。
(
5
9) 「
阪神電気鉄道千船停留場設計変更ノイ牛」前掲 『
鉄道省文書阪神 一一巻』所収。
(
6
0) 「軌道延長特前二申請書」前掲『鉄道省文書阪神 一六巻』所収。三橋裕太郎 『
大阪駅前土地問
9
3
7
年(奈良大学図主+官官蔵), l∼ 2頁
。
題に就てあ阪神電気鉄道株式会社, 1
(
61) 「大阪電気軌道工事変更及仮設工事(鶴橋今盟関現在線ヲ高架ニ改築)ノ 件」前掲 『鉄道省文書
関西 急 行 巻一七』所収。
3
3
1
4巻 l号 (
3
4
)
技術と文明
4 国鉄における「都市鉄道」化
4ー | 都市輸送における客・ 貨取扱の穏穣
国鉄の総乗車人員に対する定期旅客比は, 1
9
15
年の 16%から 24年には 39%へと急増し,大阪
(
62)
市 ・ 近 郊 で は 特 に 京 阪 神 間 で 定 期 旅 客 の 割 合 が60%を越える駅が出現した。その一方で,
1914∼ 2
5年間の京阪神の鉄道貨物輸送は,概ね鉄道貨物輸送全体の増加率を凌ぐ増加で,特に
(
63)
大阪市は発送・到着共に 3都市中最高でbあった。また,通過貨車数(括弧内は大阪周辺国鉄通過
貨車総数に対する割合)においても,最上位は京都一神戸間で(上り 46%・下り 49%),次位の桃谷
大阪間(同 16%・同 14%)を引き離していた。
また,京阪神間は,東海道本線全体で見ても ,輸送量そのものでは東京近郊区間に譲るもの
の客 ・貨の集中度は随ーで(図一 5)
,そのため 1928
年当時の区間別列車回数は京浜聞と互角で
あった; 京阪神聞は, 「当初建設ノ際予メ複線布設ノ計画ヲ定メ」ており,明治中期から「神
戸馬場 (
現 膳 所 引 用 者)間ノ如キハ殊ニ通草頻繁」になってきたため, 1894-96年の神戸
大
阪聞から複線化を進めていた (表ー 3
。
) それにもかかわらず,京阪神聞の客・貨列車本数は,
1
9
1
4∼ 26年間で約 1.3
倍に増加する状況で,列車運転 では「強力快速ナル機関車ノ使用ニヨリ
・- I
盟ヲ以テ 一 区間 トスルニ至リ,列車回数
列車速度漸次増進シ,又閉塞区間ノト … (
中略)
−
−・
ハ大イニ増加セシ メ得/レ」ように ,旅客列車では京都一明石 ・姫路間折返系統を増発して旅客
を捌いた。さらに,京阪神間ほどではないが,片町,城東,関西各(本)線でも近郊区間利用
者が増加して複線化を進める 一方,片町線での四条畷折返,城東線内折返のような区間列車増
発で,近郊区聞の利用者を捌〈状況であった。
一方,貨物輸送は, 「大体ニ於テ発送ハ海運到着貨物ノ連絡輸送及市生産, 加工品ヲ各地方
二分布スルモノニシテ,到着ハ市ノ消費ヲ主トスル食料品,各工業原料及相場変動ト商略ノ為
(
69)
ニ市場ニ集中スルモノ」で,大阪の都市産業と住民消費の活発化に支えられていた。 1914-26
年聞の l列車の平均連結実車数は約 2倍に,貨車取扱量は約 3倍に増加したと試算でき,貨物
量増大に 追いつかない線路容量を補填するため,列車の長編成化により本数増加を約 1
.3
倍に
(
7
0
)
抑 えていた。 1
91
0∼ 2
0年代の大阪市とその周辺部の都市化は,郊外居住者の通勤 ・通学輸送の
増加を招いたのみならず,都市住民の従事する産業の原料 ・製品,さらには都市生活で消費す
(
6
2) 神戸鉄道局 『
大阪ヲ中心トセル客貨運輸ノ概況』
,同, 1
9
2
6
年 (筆者蔵)
,1
1∼ 1
3頁。
(
6
3) 前掲 『
大阪ヲ中心トセル・・ j 添付図表。
(
6
4) 「
大阪附近省線通過貨車及貨物屯数比較表」前掲 『
大阪ヲ中心トセル..
.
.
..
J所
収。
(
6
5) 1
9
2
4
年度に 「
北九州 ノ石炭ヲ除ケハ阪神間 ノ通過噸数ハ恐ラク他 ノ各地ヲ凌駕ス」(前掲 r
大阪
ヲ中心トセル・
・
"J 4
8頁)るという全国随ーの貨物列車報楼区間であ った。
(
66
) 「
線別区間別列車回数一覧表」前掲『鉄道運送施設綱要』所収。
(
6
7
) 「三ノ宮大坂間複線路布設ノ義ニ付桐」交博蔵『逓信省公文 第三三巻』所収。
(
6
8) 前掲 『
大阪ヲ中心トセル・ """J 1
7頁
。
(
6
9) 前掲 『
大阪ヲ中心トセル…・・・』4
1頁
。
(
70) 前掲 『
大阪ヲ中心 トセル・・一』5
0∼ 5
1頁。
34
「
者1
市鉄道」の成立(三木
)
図− 5 国有鉄道東海道 ・1
1
1
1
湯本線における lE
l
平均通過人噸数
区函 管:次
( I
fE
2J~~♂!?
…
(以 IIIIIl~t1-0:防護i[~D I Il
:
.
:
<
I IIt
消
.| 凶
レ
、
ハ
上
下
(
×I
,000)
| 山陽本線
|
|東海道本線 |
出所 鉄道省巡輸局 r
鉄道巡送焔設綱姿』(同, 1
9
2
8
年)によって筆者作成
3
5
川
i
本
mM
ロ
E
l
戸
松岡
東京
︵汐 留 ︶
神
姫路
岡山
糸崎
広島
田尻
柳封津
三
下関
r
兵器争沼
0
0
0
)
技術と文明
1
4巻 l号
(3
6)
表 − 3 大阪近郊国鉄線の線路地殻と列車運行本数
年月
京都大阪
線路増設区間
(太字。複々線)
旅客
: 貨物
1
8
7
4.5
1
8
7
6.7
1
8
94.1
1
8
9
4.4
1
8
9
6
.3
城東線
l列 車平 均
旅 客 l貨 物
旅 客 l貨 物
連結両数
1
42
)
8 '
8
1
) 'ー
1
62
);一
1
9
.
53
):
2
53
): ー
3
5
3
6 :
8
1
)
西ノ宮神戸間
大阪一酉ノ宮間
7
向日町吹間関
1
8
9
8.
1
0
京都向田町問
1
8
9
9.2
1
9
0
3.1
吹田 一 大 阪問
1
91
2.
1
9
1
4
.
1
1
1
91
6.
1
91
9
.
大阪ー神戸
3
43
):
8.
2
5
1
7.
5
4)
ー,
1
5
2
3
3
9
4
5
1
8
神 崎(
現 ・ 尼 崎) 東灘間
3
8
4
3
1
9
2
6
.
1
9
2
9
.1
茨木ー吹田操車場問
1
9
3
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梅 小 路一 向日町問
9
1
9
3
1
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高槻ー茨木問
5
7.
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1
0 神崎一東灘間 ・兵庫ー鷹取間
1
9
3
3
.3
向日町一 高 槻問
1
9
3
4
.7
塚本一神崎問
1
9
3
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.
1
0
大阪ー塚本間
5
1
9
3
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9
1
93
9.
1
1
注
東灘ー神戸間
神戸一兵庫問
兵 庫ー 鷹取問
2
7
06
)
2
7
17
)
2
2
3
8
)
※
1
)京都ー神戸間としての集計値。
2
)『明治 2
7
年1
1月 汽車汽船旅行案内』から算出。
3
)『明治 3
6年 1月 汽車汽訟旅行案内』から算出。
4)梅小路一大阪聞の集計値。
5
)『昭和 6年 6月 汽車汽総旅行案内』からお出。
6
)
1
9
3
9
年1
1月は吹回一大阪問答 ・貨列車の集計他。
7
)
I
I
は 大 阪 塚 本 問 答 ・貨列車の集計他。
8
)
I
I
は大阪ー京橋問客 ・貨列車の集計イ位。
※1
93
7
年1
0月に緩行電車 4肉,急行電車 4両,吹田一尼崎間折返 2両の記録がある。
出所特記以外は日本固有鉄道 r
鉄 道 技 術 発 達 史 第 2j
詰(施設) I
I』同, 1
9
5
9
年,表4
4によって作成。
る商品の増大も誘発したため,都市部の貨物輸送が増加した。その結果,郊外電鉄と異なり,
貨物輸送の比重の高い国鉄線では,輸送内容も,単位輸送距離も異なる客 ・貨の輔穣によって,
線路容量は飽和状態に達しつつあった。
そうした固有鉄道の客 ・貨の轄鞍は,大阪府下最大の中心駅大阪駅において最も深刻化して
いた。 1874年開業時の初代大阪駅舎は,大阪・西成 ・阪偽各鉄道線列車の乗り入れによって狭
殴化し, 1902年 7月に 2代目大阪駅舎に改築されたが,構内は依然地上であ った。鉄道固有化
3
6
「
都市鉄道」の成立(三木)
後, さらなる客 ・貨取扱量増加に伴い 1
9
0
9年 3月に貨物業務の分離を進め,大阪荷扱所を開設
(
71)
したが,同所への列車の進入は大阪駅の東海道線京都方向からのみに限定されていた。 そして,
間もなく「大阪駅の構内に属し,列車密度の高き東海道線に依って貨車の 出入を為さねば、なら
ぬ関係上,既に旅客輸送に行詰れる大阪駅の現状に於ては,到底貨物列車を着発せしむること
(
7
2
)
が出来な」くなった。 また,大阪駅両側の上淀川∼下淀川間(約 3
.
7
k
m)は,市街地の拡大によ
(
7
3
)
って踏切 9ヶ所,乗越道路 2ヶ所に及んでいた。 それら大阪駅をめぐる数多くの障害を克服す
るため, 1
91
8
年には客・貨分離を前提とした大阪駅の高架 ・改築工事を計画した。
また,城東線は,大阪鉄道梅田線として建設後,戦間期には大阪市の都市膨張に伴 って周辺
が市街地化した結果,地上区間て、
は踏切数が3
8ヶ所に及び,都市計画や保安上においても問題
(
74)
視されていた。 そして,同線は 高架化・ 電化 して,大阪r
i
l
'を中心に策定された前述の高速鉄道
計画に編入し都市交通機関として活用する計画もあ った。 その一方で、,同線は鉄道固有化 後
に東海道・関西両本線の連絡線としての機能が高まり,それによ って同線の貨物通過量は旅客
(
76)
のそれを上回る増加率を示した。 その結果,複線化による線路容量増大では追いつかず,まず
91
8
年 6月の京橋駅を皮切りに,桜宮,
は同線内の貨物取扱量自 体 が多く ないことを踏まえ, 1
天満両駅へと貨物取扱廃止を順次進めた。
4- 2 電化と客 ・貨介離の連動
1
9
0
6年甲武鉄道買収による電化 区間編入と,その後の東京と近郊区間の電化 は,国鉄におい
て電車関係業務の技術体系を形成する契機となり ,昭和初期に保守作業はもちろん,電車の分
0m化等が既に実施済みであ った。
割 ・併合,扉の自動化,車体の 2
大阪市・近郊の国鉄線電化は,大正期に計画され,実際の着工は 1
931
年 で,東京周辺での電
9
3
2年 1
2月片町線片 H
汀一四条畷間, 3
3年 2月城東線大阪一天王
化技術を踏まえて実施された。 1
寺間, 3
4年東海道・山陽本線吹田 一明石間, 3
7
年 8月京都一吹田間が順次電化し た。大阪市 ・
近郊の国鉄線電化 は,私鉄線同様の通勤 ・通学客増加対策のみならず,大阪駅工事と連動しつ
つ都市中心部の客 ・貨取扱量増加 による列車幅犠緩和とも連動していた。 まず,大阪駅工事の
9
18
年に吹田一神崎聞に貨物列車用短絡線(北方貨物線)を建設し,
要を成した客 ・貨分離は, 1
通過貨物列車を大阪駅か ら分離した。さらに「構内転線 ノ作業ハ常ニ混雑ヲ極メ ,貨車入換等
92
3年 6月に専用施設として設
ニ支障甚タシキ状態」に陥 っていた大阪荷扱所の構内作業を, 1
(
71
) 大阪鉄道局運輸謀 『
梅凹釈の概要
』,同,1
9
3
0
年(大阪商工会議所図普館蔵), 3∼ 8頁。
(
7
2
) 前掲 『
梅田駅の概要』 9頁
。
(
7
3) 前掲 『
鉄道技術発達史第 2筋(施設) I
I』
,1
9
5
9
'
o
.
f
,9
61
∼9
6
2頁。
(
7
4
) 鉄道省大阪改良事務所『城東線高架改築工Z
岡正要』,同
, 1
93
3
年, 1頁
。
(
7
5
) 前掲 “
戦間期大阪市の・・” 7∼ 8頁。
(
7
6) 西部鉄道管理局,神戸鉄道局,大阪鉄道局の各 『
年報』の集計による。
(
7
7
) 前掲 『
鉄道技術発達史第 5篇(運転) 』
,1
9
5
8
年
, 4∼1
4頁
。
(
7
8) 前掲 『
大阪ヲ中心トセル・・・・』4
4頁
。
3
7
技術と文明
1
4巻 I号 (
3
8
)
置した吹田操車場に分離した。 また,大阪荷扱所の施設を転用して貨物専用の梅田駅として拡
大した。 そして, 1928年 12月にその第一期工事が完成し,大阪駅への貨物列車乗り入れはなく
なって,同駅は旅客専用駅とな った。
一方,京阪神聞の複々線化は 1916年 9月に着手し,電化直前の33年 3月に 一部区間を除き竣
工し,近郊輸送用線と長距離輸送用線に分離し,前者に動力分散方式の電車を導入して効率向
上を図った; 1934年 6月に高架切替を行い,
7月から吹田一須磨間で電車運転を開始,
9月に
は明石まで延長された。大阪駅の旅客専用化に よって捻出した線路容量 を旅客列車に転用し,
同駅発着の旅客列車本数は約 2倍に増加し,列車 ・電車を合わせ阪神聞が平均 5分間隔運転が
(
80)
可能とな った。
客 ・貨分離による都市輸送技術効率化の効果は旅客輸送にとどまらない。大阪への鉄道到着
貨物は,都市住民の増加を反映して, 1920∼ 30年代に鮮魚、 ・野菜等の生鮮食料品の割合が増加
した。生鮮食料品は 急送を要するため,貨車操車作業を近代化し,荷役時間を節約する特別取
扱が必要で、あ った。吹田操車場や貨物専用線の開設は,中央却売市場とその専用である大阪市
場駅の開設と併せ,鉄道による生鮮食料品輸送の円滑化を促進した。
一方,城東線は,市の高速鉄道計画への編入こそなかったが, 市街地化に伴 う旅客利用 の増
加を反映して旅客専用化と電化を実施し,併せて踏切数の増加や都市計画事業との関係から高
架化することにな った。高架線上の貨物取扱は荷役上 でも不便なため,大阪砲兵工廠引込線を
有する玉造駅の貨物取扱のみを地上に残し,他駅は貨物取扱を廃止した。城東線が担ってきた
東海道・関西岡本線聞の通過貨物は,同線の東方に城東貨物線を新設し,吹田信号所 (
東海道
本線) 一淀川貨物駅 (
片町線)一加美信号所 (
関西本線)を結び,路線自体を客・貨分離した。
本来,国鉄をはじめとした鉄道は客 ・貨を共に輸送し,一方都市内軌道を起源とした軌道は
旅客輸送に特化していた。客 ・貨分離を伴いつつ進行した大阪市 ・近郊の国鉄線電化は,分離
された旅客線を旅客輸送に特化させて駅数を増加し,電車の高加減速性能でそれを補完した。
それらの技術対応は鉄道の軌道化を意味するものといえよう 。
5 「都市鉄道」の成立
近代交通史研究におい て輸送機関別研究への批判がな されて 10余 年が経過した。 そうした輸
送機関を越えた横断的括りが最も定着した分野の 1つは都市交通で, 日本をはじめとした先進
国の多くは欽・軌道への依存度が依然高い。 もっとも,都市交通という括りは概念的なもので,
(
7
9) 前掲 r
鉄道技術発達史第 2篇(
施設) I』
,1959年
, 256頁。
(
8
0
) 前掲『鉄道技術発達史第 2篇(施設) I
I』9
7
5頁。
(
8
1
) 拙稿“j
l
境問期大阪市をめぐる貨物輸送と 中央卸売市場の成立”r
交通史研究』53号
, 2004年 (
掲
載予定)を参照。
(
8
2) 前掲『城東線高架改築工割腰』 3∼ 4頁。
(
8
3
) 杉谷哲夫編 『
大阪鉄道局史』
,大阪鉄道局, 1
9
5
0
年
, 699-700頁。
(
8
4) 老川慶喜 『
産業革命期の地域交通と輸送』
, 日本経済評論社, 1992年が先駆である。
3
8
「者I
I
市鉄道」の成立
(
三木)
実際の監督や管理の制度は輸送機関,社会資本別 で,さらに欽 ・軌道の 中では鉄道と軌道で分
離している 。 ところが,高度経済成長期頃から次第に都市交通という括りが屡々用いられるよ
うにな った。 しかし,都市交通の概念には原則都市の貨物輸送を含まず,そのため都市交通研
究では,特に国鉄で、顕著な都市域における客 ・貨轄接対策のような論点が欠落しがちであ った。
本稿では,都市交通に準じた鉄・軌道に関する括りである「都市鉄道」の成立を ,産業技術
史的視角から再考した。 その考察結果に照らせば,「都市鉄道」は,既成の鉄・軌道の技術・
制度的枠組みや国 ・私鉄の事業体的枠組みをも越えて, 1
9
2
0∼ 3
0年代に都市特有の大量輸送対
応技術を基礎に成立した都市輸送に関わる鉄・軌道に関する概念となる 。
9
1
0年代には幹線輸送=国鉄,都市内輸送=市電,郊
本稿が事例とした大阪市 ・近郊では, 1
外輸送 =郊外電鉄の輸送分担関係を基礎とし,郊外電鉄は輸送網,輸送技術において市電と関
わりが深〈,幹線輸送を担う国鉄との隔たりは大きか った。 ところが, 1
9
1
0年代以後の都市化
の進展によ って,まず郊外居住の通勤・通学客を迅速かつ大量に輸送するため,郊外電鉄であ
る私鉄の鉄道と軌道の間で技術的融合が進んだ。それは,鉄道において電化,駅間距離短縮,
小単位輸送導入,客・貨分離等が
, 一方軌道において高速化,専用軌道化,連結運転による輸
送単位の大規模化等がある 。
また,都市域での都市計画事業のイI~ 展や保安上の必要から両者は
共に高架化または地下化 して 「
都市鉄道」として技術的に平準化 した。
さらに,都市化の進展は, 鉄道固有化以後に確立された全国的 ・地方的輸送をめぐる国 ・私
鉄聞の分担関係にも変化 を迫 った。 l
時期 こそ限定的ながら , 1
9
2
0年代には私鉄の貨物輸送にも
増加傾向が見られた。 また,国鉄では郊外からの旅客輸送の増加のみならず,都市域での生
産 ・消費活動の活発化により貨物輸送が増加した。 その結果,都市中心部近くの駅 ・路線で客
貨輯較が生じ, そのため国鉄は電化,駅間距離短縮,動力分散方式等の私鉄に共通する短距離
旅客輸送技術を導入した。一方,駅,路線単位で客 ・貨分離が進行して,都市 中心部近 くの旅
客線の駅 ・路線で軌道並みの旅客専用化が進むことにな った。
最後に,本稿で主論点としてきた「都市鉄道」の技術的平準化 を客観的指標から 考察してお
きたい。「
都市鉄道」の技術を総合的に示す指標として平均駅間距離と平均列車速度に 着目す
ると(図ー 1参照) , 1
9
1
0正手頃の欽 ・軌道は 長い駅間距離 ・高速度の国鉄東海道線と ,短い駅間
距離・低速度の市電を両極端として,駅間距離では 0
.
5∼ 6
.
0
k
m,表定速度では 1
0∼ 4
0
k
m
/
hの各
範囲に分散していた。 ところが, 1
93
0年頃には,一部例外を除き駅間距離では 1
.0∼ 4.
0
k
m,表
3
0∼5
5
k
m/
h,特に 3
5∼ 5
0
k
m/
hの範囲に集中してきた。 そして,図− 1に示す矢印の多
定速度で'
"
くが左斜めを指すのは,駅間距離の短縮と高速度化傾向の証左である 。都市化 の進展で都市域
においては,鉄道と軌道や,国鉄と私鉄等の既成制度や概念による区分が消滅し,それらを融
合した「都市鉄道」という新たな輸送概念の創出 が必要とな った。その傾向は,都市内交通で
(
8
5) そのような括りの統計報告として,運輸省監督局監修句f
l
市交通年報』があり ,同蓄の刊行開始
は1
95
7
年である。
3
9
1
4巻 l号 (
40)
技術と 文 明
鉄 ・軌道聞の区分 を解消 し,都市 内・郊外交通を一体化した高速鉄道計画にも見い出せる 。
9
52
年の国鉄湘南型電車による動力分
ところで,第二次世界大戦後の高速都市間輸送では, 1
散方式の導入が,技術の改良を経て新幹線へと結実した。従来の鉄道技術史研究では,こうし
た変化を動力集 中→分散論として語 ってきた。 しかし,その動力分散技術 の形成過程を 問題に
する視角や,それを鉄・軌道聞の発達過程の相違に関連づける視角は生み出さなか った。本稿
で提起した研究視角に立ち,鉄道の高速都市間輸送における動力分散方式の導入を再考すれば,
戦間期に大都市近郊大量輸送で普及した鉄 ・軌道聞の技術的平準化 が,高速都市間輸送にまで
及んだ結果と見ることも可能になろう 。 それを発展させるな らば,新幹線を生み 出 した日本の
鉄 道技術史形成を従来と異なる視角から再考する契機にもなるのではなかろうか。
[付記]
本稿の調査には日本学術振興会科学研究費補助金 (
平成 1
3∼ 1
6年度基盤研究 A(1)「
近
代日 本における国土空間・社会空間の編成過程に関する歴史地理学的研究」代 表者: 山中
艮
拓・中西僚太郎 課題番号
1
3
3
0
8
0
0
2)を使用した。
引用史料中の文字は原則現用文字に改めた。
Emergenceo
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8
6
) 前掲 “
戦間期大阪市の・
・
・
・
・
(
8
7
) 堤一郎“鉄道と関連技術”中間哲郎他編 『
新体系日本史 11 産業技術史』
,山川出版社, 2
0
01
年
,
2
1
6∼2
3
0頁。
4
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市鉄道」の成立(三木)
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