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朝鮮半島の平和と住民たちの生を守る平澤米軍基地拡張阻止闘争. コ

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朝鮮半島の平和と住民たちの生を守る平澤米軍基地拡張阻止闘争. コ
朝鮮半島の平和と住民たちの生を守る平澤米軍基地拡張阻止闘争
コ・ユキョン(平澤汎国民対策委員会・国際部長)
1.平澤米軍基地拡張事業と阻止闘争の過程
2002. 3 .
韓米間駐韓米軍基地統廃合に関する連合土地管理計画(LPP.
Land Partnership Plan) 協定締結
2003. 5. 韓米首脳会談で駐韓米軍第二師団再配置に関する原則合意
2003. 7. 米軍基地拡張反対彭城邑対策委員会発足
2004. 9. 1. 我々の土地を守る彭城住民ろうそく行事一日目
2004. 10. 龍山基地移転協定と連合土地管理計画協定改定案合意
2005. 2. 住民ら、地蔵物調査拒否闘争進行、平澤米軍基地拡張阻止汎国民対策委員会結成
2005. 7. 平澤米軍基地拡張阻止第一回平和大行進
2005. 11. 中央土地収用委員会、平澤住民たちの土地、強制土地収用決定
2006. 3. 国防部、第一次農地破壊図る
2006. 4. 国防部、第二次農地破壊図る
2006. 5. 4. 国防部、大秋分校に対する行政代執行と農地鉄条網設置、軍部隊駐屯
2006. 9. 平澤米軍基地拡張阻止第四回平和大行進
2006. 9. 13. 国防部、住宅一部の強制撤去進行
2006. 11. 8. 追加鉄条網設置
2006. 11. 9. 我々の土地を守る彭城住民ろうそく行事八百日目
2.駐韓米軍再編による基地の再配置
LPP交渉、FOTA会議、SPI会議などを通して2006年1月20日、韓米外務長官級戦略対
話にて駐韓米軍の戦略的柔軟性が公式的に合意され、最近、米第八軍司令部の解体、作戦統制
権移譲による韓米連合司の解体など駐韓米軍の再編と性格変化が起こっている。結局2004年に
合意された米第二師団と龍山基地の移転など米軍基地再配置はこうした駐韓米軍再編を保障す
るためのものであり、単純な基地の移転ではなく米国の軍事戦略変化に従った新たな基地の建
設であると解釈できる。
これは対北防衛のために朝鮮半島に釘付けになってきた駐韓米軍が、東北アジア地域軍とし
て紛争地域へ自由に投入される迅速機動軍へと変わる過程であった。2004年八月、イラク戦争
に米第二師団第二旅団(2nd Bct)3,600余名の駐韓米軍が派兵され、常時駐韓米軍所属憲兵隊、
情報部隊、航空部隊の軍人たちが循環派兵されている。
駐韓米軍の性格変化は朝鮮半島に駐屯する米軍の性格変化であるのみならず、韓国が米軍の
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戦闘訓練場へと変化することを伴う。つまりは海外の米軍がいつでも韓国で訓練し、再び海外
へと配置されるということであり、これは京畿北部地域に建設される連合訓練センターを中心
に進むであろう。2003年8月ワシントン州フォートルイス(Fort Lewis)基地に駐屯していた米
陸軍最初のストライカー(Stryker)部隊が初の海外訓練として韓国抱川で軍事訓練を行い、イ
ラクへと派遣されたのはその代表的な事例だ。
2006年1月韓米外務部長官間の共同声明として公式発表された戦略的柔軟性に関する合意は朝
鮮半島以外の他の紛争地域に対する米軍の介入論議を巻き起こした。韓米相互防衛条約の範囲
を越える駐韓米軍の活動により、韓国の意志とは関係なく紛争に介入する素地が出来たという
ことである。韓米相互防衛条約に基づき貞潔された駐韓米軍地位協定(SOFA)により、駐
韓米軍はただで土地の提供を受け、韓国政府に駐屯費用(防衛費負担金)を負担させている。
従って韓米相互防衛条約に違反した場合、韓国が土地と費用を負担する法的根拠は喪失する。
しかし韓米両国はこうした問題提起を巧妙にかわしていった。条約や協定ではない長官間の共
同声明という形式を取ることにより、憲法によって保障された権利の侵害を問えないようにし
たのだ。
米軍基地再配置の目的と拡張される基地の使用用途に対する合意無しに、土地と費用を提供
することをまず合意したのは、韓国の交渉者たちの交渉失敗であり、韓国側の立場から見たら
過度な費用負担を負う交渉の締結により、結局国民にその負担がそっくりそのまま転嫁される
であろう。
3.四年半の闘争過程で住民たちが守ろうとしたのは土地に染み込んだ生である。
平澤彭城邑大秋里、トドゥ里の住民たちが住民対策委を結成し闘い始めてからはや四年半の
月日が流れた。米軍基地拡張事業の過程で、政府は資本と警察、用役〔住民の撤去などを請け
負う民間会社、警備会社。暴力団の場合もある〕、甚だしくは軍隊まで動員して住民たちの共
同体を散々に破壊し、人間に対する基本的権利と尊厳すら無残に踏みにじった。政府のあらゆ
る懐柔と暴力にも拘らず、800日以上もろうそくを掲げたハルモニ(おじいさん)、ハラボジ
(おばあさん)たちの抵抗は、根本的な生を守ろうとするものであり、その底には素手で開墾
した絶対農地〔農地以外の使用を禁止された土地〕と米軍に追い出されながらも再び作り出し
た村の共同体がある。
大秋里の住民たちは米軍基地のために二度目の追放の危機に瀕している。K-6陸軍基地滑
走路端の鉄条網の外側に形成された大秋里の村は、1952年米軍飛行場のために追い出されるま
では、いまの滑走路地域にあったとても大きい村であった。米軍は日本軍が使用した飛行場を
接収し拡張工事を進め、重装備を動員して家を壊し住民を追い出した。補償だといわれたもら
ったテントと木板、精麦一俵を頼りに、滑走路の端に再び家を建て始めた。住民たちは共同作
業で一軒の家を立てたらまた次の家、という方式で村を作り上げ、農地が足りなかったため近
くの干潟を開墾して農地を耕していった。
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トドゥ里もまた住む場所と耕す土地を探して来た人々が作り出した土地である。朝鮮戦争後、
避難民たちが集団で暮らし開墾した土地と、牙山湾防波堤建設後、塩気に満ちていた農地をい
まのような絶対農地へと作り上げたのである。海を埋め、素手で育てた土地であるから、自ら
の人生をすべて捧げた場所であり、春窮期の伝染病で命を落とした家族たちの命が染み込んだ
場所なのだ。
昨年12月、強制土地収用により所有権が国防部へと移転した後、不法営農行為を禁止すると
いう政府の発表に農民たちは憤怒した。農業をできなくする政府の政策よりも、農業を「行
為」と蔑む政府の姿勢に怒ったのだ。春に種を蒔いた農地に5月4日鉄条網が張られた後、青く
育った稲をただ眺めるしかない農民たちはため息が日常となり、労働が日常であった彼らにと
って働けないという現実がただ苛立たしかった。だからこそ、鉄条網が張られていない十万坪
ほどの隅の田んぼで稲を収穫する日には、村中に活気が戻ってきた。しかし政府はその十万坪
すら去る11月8日、追加で鉄条網を張り、残った希望のひもを無残にも切り捨ててしまった。農
業に携わる人間にとってあぜ道をまくらに死ぬことが最も幸せなことであり、自身も父母と共
に耕した土地で一生農業をし、そしてその生を終えたいと願った農民の素朴な望みこそが、米
国という膨大な大地を持つ国の軍隊のための基地建設に立ち向かう闘いへと向かわせた理由な
のだろう。
3.韓米同盟を優先した一方的で暴力的な米軍基地拡張事業
1)外交安保事案は充分な討論と検証を受けない
韓米間米軍基地再配置高唱が進む間、市民団体たちは駐韓米軍の駐屯目的の変化、新たな米
軍基地建設、韓国の費用負担、環境浄化などの問題を提起したが、国防部は米国と交渉を進め
ている間にはいかなる情報も公開できず、公開的な討論も不可能であった。こうした問題提起
にも拘らず、韓米間で締結された協定は国会の批准のための検討に付され、国会は費用と戦略
的柔軟性、追加削減など様々な問題の素地があることを知ったが、充分な討論と問題解決の方
法を提示しないまま、外交安保事案であるという理由で40余日後に批准した。
外交安保事案、特に米軍と関連した事案であれば国民的な合意を形成するための公開的な討
論や提起される疑惑に対する解決方法を提示しないまま一方的に進められる。国会批准当時、
協定を通過させる代わりに、指摘された問題点を検討する聴聞会が開催されることになったが、
その約束は二年が過ぎても守られていない。米軍基地拡張事業にかかる費用を産出することの
できる総合施設計画も国会に提出されず、協定のみを通過させておいて事後に発生する問題に
対しては誰も責任を取らないのである。
2)住民たちの意思を無視したまま進められる米軍基地拡張事業
韓米間外交安保事案であるという理由で、米軍基地再配置と駐韓米軍の再編過程への国民的
参与は排除され、特に最も大きな被害を被ることになる当事者たちの参与もまた意図的に排除
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された。
米軍基地再配置の結果、平澤地域にはソタンK-55空軍基地(OSAN AIR BASE)周辺68万坪
と、彭城K-6陸軍基地(CAMP HUMPLEYS)周辺293万名など360万坪ほどが拡張される予定であ
る。このように膨大な規模の土地を米軍に与える交渉している間、韓国政府は住民たちの意見
を聞こうとはしなかった。その上住民たちは関係部署の人々に会い、正確な情報を得ようと努
力したが、無責任な答弁やはぐらかしにより無視された。
国防部は「駐韓米軍の再配置は朝鮮半島の安保と密接に関連する重要な事案あとして対米京
義前には細部の内容を公開できず、不可避的に韓米間の協議完了-国会批准-住民協議という
順で事業を進めるしかない」と弁明している。しかし韓米間交渉が進行中であった2003年11月、
国防部長官は当時の平澤市長と市議会議長、地域の国会議員を含んだ「米軍基地移転対策協議
会」代表団との面談を行った。しかし当時、住民対策委が提案した面談は拒否した。効率的な
業務処理のため、全ての団体とは面談できないというのが国防部の答弁だった。これは外交安
保事案に従った協議の排除ではなく、政府が選択的に協議対策を選んだということだ。
韓米政府の間で全てのことを決定し、終わった後になら政府は住民との対話を行うとした。
しかし政府が住民たちから聞きたい話は補償の話の他には無い。大秋分校行政代執行を前にし
て国防部が対話を提案し公式的に平澤汎対委、住民対策委と協議をした結果、対話を通じて平
澤米軍基地問題を解決すると合意した。しかしその次の日の5月1日、国防部は補償問題の他に
は対話することができないと実質的に対話を拒否し、5月4日明け方4時に、軍人と警察、用役を
動員した「黎明のファンセウル作戦」を実行に移した。
3)差別補償と公権力による無差別弾圧
住民たちの抵抗に対する政府の対応は差別補償と無差別公権力であった。
政府は土地買収の協議に応じた住民たちと、最後まで拒否し強制的に土地の所有権を奪われ
た住民たちの間の補償内容を差別化する政策を進めている。協議に応じた人々にはより多くの
補償を行い、協議に応じず拒否した人々たちに補償を少なく与える政策であり、結局住民たち
との合意や意思収斂ではなく、金を利用して国家事業を進めようとするものだ。また平澤市民
たちの反発を和らげるため、平澤特別法を制定し地域開発計画を立て、大企業工場の新増設許
可、大学移転と外国教育機関設立許可、補助金支給などの特恵を与えることにした。
韓国政府は抵抗する住民たちと市民たちには法と公権力を利用して無差別弾圧と暴力を加え
ている。なので住民たちは公権力を公暴力と呼ぶ。
住民たちが土地を売らないと国防部は法を利用して強制的に土地を奪い、2006年3月と4月の
二度にわたって農地を破壊しようとした。平澤を守ろうとする人々が住民たちと共に力を合わ
せて国防部の農地破壊を防ぐと、結局国防部は5月4日軍人と警察、用役職員、重装備を動員し、
大秋分校を破壊し、田の上に鉄条網を設置した。国家暴力によりこの日534名が連行され、数百
名が負傷した。
農業をできなくするため鉄条網を立て、軍人を配置した後、農地一帯を軍事施設保護区域と
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して指定してからは、警察を配置し検問まで行っている。村に入ってくる道々に作られた二重
三重の検問所で警察は住民に会うために村を訪問する人々が、村に入れないように防いでいる。
これに対して11月17日、国家人権委員会は明白な人権侵害と規定し検問を中断せよと勧告した。
4.今後の計画
1)金ジテ委員長釈放運動
2006年、平澤米軍基地拡張を防ぐ過程で829名が連行され、4億ウォン程度の罰金が宣告され、
現在住民代表の金ジテ委員長をはじめ5名が監獄につながれている。
住民たちを弾圧するため、金ジテ委員長に懲役二年を宣告したが、これに屈することなく住
民たちと平澤を守るための戦いの正当性を知らせる活動を展開するだろう。
12月初めの人権週間に合わせ、良心囚金ジテ委員長釈放運動を展開
12月9日 人権コンサートで大秋里闘争を知らせ金ジテ委員長拘束の不当性宣伝
青瓦台と法院に金ジテ委員長の釈放を要求するハガキを送る
2)ファンセウル・サルリム団、住民たちとの姉妹縁組事業
5月4日、鉄条網が立てられた後、農業をすることができなくなった住民たちの経済的困難を
支援し、定期的な村の訪問とろうそく行事参加により住民たちとの連帯を続けるための事業
ファンセウル・サルリム団で販売する物品購入
住民たちの冬の暖房費と子女登録金捻出のための財政後援、物品を送る運動
住民ろうそく行事参加など
3)平澤米軍基地拡張阻止と反戦平和運動
韓米FTA反対闘争、イラク戦争中断、派兵軍人撤軍闘争、朝鮮半島戦争反対、平和実現闘争
などと連帯して展開。
12月初め、金ジテ委員長釈放、平澤米軍基地拡張反対、戦争反対、平和実現のための各界人士
平和宣言進行
12月17日 送年文化祭
2007年初め、第五回平和大行進
(訳・鄭栄桓)
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