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成人の学習者の主体形成に関する一考察:「有機農業の

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成人の学習者の主体形成に関する一考察:「有機農業の
Kobe University Repository : Kernel
Title
成人の学習者の主体形成に関する一考察 : 「有機農業の
学校」の受講生のライフストーリーから(A
Consideration on the Subject Building Process of
Organic Agriculturist)
Author(s)
西村, いつき
Citation
神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要,8(1):5363
Issue date
2014-09
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008556
Create Date: 2017-03-29
(53)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科 研究紀要 第8巻 第1号 2014
Bulletin of Graduate School of Human Development and Environment, Kobe University, Vol.8 No.1 2014
研究論文
成人の学習者の主体形成に関する一考察
-「有機農業の学校」の受講生のライフストーリーから-
A Consideration on the Subject Building Process of Organic Agriculturist
西 村 いつき *
Itsuki NISHIMURA*
要約:本研究は,「有機農業の学校」の受講生が有機農業を理解し実践していく過程を,新たな知を主体的・能動的に受容する
主体形成の過程と位置づけ,ライフストーリーによってその過程を明らかにするものである。成人の学習者が新たな知を受容
する際には,他者から与えられる知識の他に,生まれ育った地域環境や人生の出来事が関与するのではないかと仮定し,ライ
フストーリーを用いて,人生をふり返って語られた「語り」から,意識変容と行動変化の背景にあるものを分析し解釈を試みた。
その結果,有機農業実践を阻害するものに「既成概念」「恥意識」「指導者への不信感」があり,阻害要因を変容させるもの
に「夫婦の相互作用」「成功体験」「納得による恥意識の変容」が関与していた。さらに,主体形成過程には,「安定」→「混
乱」→「統合・再統合」の過程があり,「安定」から「混乱」の過程には「挫折」「希望の喪失」が作用し,「混乱」から「統
合」への過程には「危機感」「命の発見」が作用していた。さらに,「再統合」には「希望との共鳴」「自己実現」が関与してい
た。成人の主体形成の過程には,生まれ育った地域環境に起因するハビトゥスや人生の出来事が影響することや,過去の出来
事を省察し意味づけを行いながら「自らを変えていく」過程があることを明らかにすることができた。
キーワード:成人教育,主体形成,有機農業,ライフストーリー,人生の出来事
Ⅰ.はじめに
した成人教育の理論が提起されてきた。なかでも,ピノーは,外
本研究は,成人の学習者が有機農業を理解し実践していく過程
側から与えられるものとされてきた知識が,内側(普段の生活)
を,新たな知を主体的・能動的に受容する主体形成の過程と位置
にも存在するとした観点から,教育を「教える」行為としてでは
1)
づけ,ライフストーリー
によって明らかにするものである。
なく,自らの人生経験から何かを気づき自らの意味を構築してい
川の流れを方向づけるものに,地相・地形や気候・風土,時代
く過程と捉え,人生をふり返りながら語るライフストーリーを自
背景や経済活動などがあるように,川の流れを人間の成長過程に
己教育に用いている。成人教育へのライフストーリーの応用は英
置き換えると,人間は風土や文化,時代背景などの影響を受け,
語圏やフランス語圏で広く取り入れられており8),日本でも新し
社会的な規範や秩序を内面化し,本人の自覚のあるなしに関わら
い社会教育理論として注目を集めている9)。
ず,日常的な価値観や考え方を形成し保有していくと考えられる。
本研究では,「有機農業の学校」(以下「有機学校」)における他
川の流れを変える様々な外的要因があるように,農業において有
者教育10)と,自らの人生の経験から学ぶ自己教育の両方によって,
機農業の実践は,現代社会によって形成された近代資本主義の生
従来とは異なる価値観を受容して有機農業を実践するという意識
2)
産性原理
の流れを変えるものであり,有機農業の実践には川の
づけて,参加型アクション・リサーチ11)に基づくライフストー
流れを変えるような教育が求められると考える。
成人教育では,J・デューイの経験主義教育学
3)
変容と行動変化が図られていく過程を成人の主体形成過程と位置
を成人教育の
リーを用いて明らかにする。
4)
原理に組み替えたE・リンデマンのアンドラゴジー論
や,M・
5)
ノールズのアンドラゴジー論 ,J・メジローの意識変容の学習
Ⅱ 研究の目的と方法
論6),G・ピノーの自己教育論7)など,子供への教育をそのまま
1 研究対象と研究目的
適用するのではなく,人生の経験を既に有する成人の特質を考慮
本研究は,典型的な過疎地域であるH県北中部のY町(以下:
*
神戸大学大学院人間発達環境学研究科博士課程後期課程
(2014年4月1日 受付
2014年7月10日 受理)
- -
53
(54)
Y町)において,有機農業の導入によって,地域の持続的な発展
に迫る試みであり,客観性より物語の生成を重視するライフストー
を模索しようと設立された「有機学校」の受講生を研究対象とす
リーが適すると考える。
る。
ライフストーリーは,「経験」の重視という成人の学習論の特質
本研究は,「有機学校」という成人の学習の場を舞台に,受講生
と高い親和性を持ち21)。人生における経験の「語り」は人間の内
が新たな知である有機農業を主体的・能動的に受容するためには,
面の変化を知る上で重要な役割を持つ22)。教育学の世界では,民
他者から教わるといった学習と合わせて,居住する地域風土や,
衆教育や成人教育の領域で,学習者自らが学習すべき課題を発見
過疎地域がもたらす固有の特質,生まれながらの習慣,人生の出
する方法として生活史を語る手法が用いられてきた。社会教育の
来事や経験などが複雑に関与するのではないかと仮定し,成人特
歴史のなかでも,自分の足元を掘り下げる学びとして,1950年代
有の主体形成の過程を明らかにするものである。経験が成人学習
の生活記録運動や自分史ブームなどがあった23)。本研究が依拠す
者の生きたテキストであり,人生の経験に成人の学習の原資を求
る自己教育論やライフヒストリー成人教育論では,語り手が過去
12)
めること
は,すでに,リンデマンが言及している。さらに,末
に目を向け経験を言葉にすることによって,未来に向かって自己
本誠はラニ=ベルの研究を取り上げ,「出来事と人間形成」研究に
の過去をふり返り,人生の意味を発見し構築するという過程を学
ついて,「どのような出来事がわれわれの人生には刻まれており,
習と位置づけている24)。R・アトキンソンは,ライフストーリー
それがどのようにわれわれを作り上げている/いないのか。それ
には自分の人生を言葉にして初めて自分が分かっていなかったこ
はまたどのような偶然であり,どのような外的,内的要素と関係
とに気づく作用がある25)とし,自らの人生をふり返り人生を語る
しているのかを明らかにするもの」とし,人生の出来事が人間形
ライフストーリーの教育的効果を述べている。また,研究の場合
成に大きく関与する
13)
と指摘している。本研究では「自らの経験
が自らを変える」という大人の学びの特質に注視し研究を進める。
は,人生の語りは言葉を介することによって聞き手(研究者)に
共有されるため,成人の学びの過程を知る実践的な研究方法とし
て社会教育の世界で注目されている26)。このような理由から,本
2 本研究の方法
研究の方法として,人生の全般の出来事や心情などの内実を,語
本研究では,研究者自身が講師及びコーディネーター役を担い
り手の言葉で捉えることができるライフストーリーが有効と考え
つつ運営に関与し,「有機学校」の当事者として研究に参加する参
る。
加型アクション・リサーチ研究を行う。
アメリカの心理学者K・レヴィンは,研究者による研究のため
Ⅲ 対象地域と学習者の学びの概観
の調査を批判し,1940年代に「アクション・リサーチ」を提起し
研究対象者の内面に刻まれた地域と学びの経過を先に述べる。
た14)。机上の空論ではなく,実際の場に根づき,その場を変革し
1 地域の概観
ていく研究,研究の進展とともにデータからさらに理論を生成展
1-1 過疎地域の概要とY町の現状
開し,実際に社会変革を生みだす方法として,アクション・リサー
人口が減少したために一定の生活水準を維持することが著しく
チは生まれた15)。本研究では,現場に接し,成人の主体形成の過
困難になった状態27)を「過疎」という。研究対象者が居住するY
程を明らかにすることにより,有機農業の実践者の育成に寄与し
町は,人口減少と高齢化に悩む典型的な過疎地域である。
たいと考える。そのためにも,外の権威に頼るのではなく研究対
日本では,1950年代以降,高度経済成長の中で農山漁村から都
象者と研究者が当事者意識を共有し,一緒になって行動すること
市に向けて若者の大幅な人口移動が起こった。農山漁村では人口
を通して,現場のエンパワーメントを図ることができる
16)
参加型
の減少や若者の流失により高齢化が進行し,地域産業の担い手不
足による生産機能の低下のみならず,教育,医療,防災など基礎的
アクション・リサーチを用いることとした。
生活条件にも支障を来すようになった28)。過疎による地域問題は
3 ライフストーリー研究
経済問題として表面化し地域社会の崩壊へと結びついていった29)。
参加型アクション・リサーチの具体的な方法としてライフストー
過疎地域の発展には,外発的発展に依存する対策の効果は低く30),
リーを用いる。ライフストーリー研究は,文学,心理学,教育学,
地域内雇用の確保や地域産業の再生,地域循環的社会経済といっ
社会学,人類学と多岐にわたる17)。この研究方法はライフストー
た内発的発展が必要31)とされる。内発的発展には,担い手となる
リー,ライフヒストリー,ケース・ヒストリー,パーソナル・ヒ
住民の主体形成が不可欠32)であり,地域住民が等身大の意志で動
ストリーなど様々な言葉で呼ばれる18)が,ライフストーリーかラ
き,自立し多様性を活かす試みが必要33)と指摘されている。
19)
イフヒストリーかが議論されてきた 。平河勝美は,ライフストー
住民基本台帳からY町の人口の推移をみると,2008年に4,425人
リーを語り手の用いた言葉や表現様式に語り手の主観世界が込め
の人口が,5年後の2013年には3893人と12%減少し,65歳以上の
られていることや,語り手と聞き手の相互作用の過程から物語が
人口割合は2008年の36.9%から2013年には39%に増加し,
65歳以上
生成することに着目する研究とし,ライフヒストリーを人生経験
の住民の割合が50%を超え自治機能が急速に低下した限界集落34)
が史実,社会状況,社会制度などと関係していることを客観的に
も,2013年には全体の集落数の23%に及んでおり,Y町では内発
確認したり,記述しようとする立場での研究20)としている。本研
的な過疎対策が緊急課題となっている。
究では,語り手と聞き手の相互作用によって生まれる語りから,
その場に表出した,人が変わる転機となった「人生の出来事」に
1-2 Y町農業の変遷
目印をつけ,その分析と解釈によって人の内面にある学びの源流
戦後,Y町では養蚕や米・麦以外に畜産などの多角化が奨励さ
- -
54
(55)
れ養鶏が推進された。また,建築ブームで建築材の杉や檜が高値
35)
起点となっている40)。「天地有機」の起源は,奇しくも足尾鉱毒事
で取引され植林が推進された 。1960年代半ばになると,農業に
件で戦った田中正造に遡ることができる。1895年の彼の日記に「文
行き詰まりを感じた人々の兼業化が始まり,10代から20代の若者
天祥(宋ノ人,元ニトラハル)正気歌」41)が記載され,田中正造
を中心に就業形態に変化が起こり始めた。1970年代になると会社
を師と慕う黒澤酉蔵42)が,この日記に触れて「天地経綸の機,大
勤めをしながら飯米と家庭菜園を行う兼業農家が主流になったが,
自然の運行の機,すなわち,天地の機」であり「天地,機有り」
Y町には協業経営で成功した夏大根産地があり,これをモデルに
と繋がっていくと造語した43)とされる。自らが創設した野幌機農
山地開発が進められ1980年代に農地が完成した。ところが開発農
学校の機についても,「天地の機の発動せざる所には生命宿らず,
地は蛇紋岩土壌によるニッケル過剰障害と湧水で夏大根産地には
生命宿らざる所に健土健民の実は挙がらないのである。農機学校
不向きであった。そこで,客土や堆肥投入などの障害対策と有機
は天地の機を探って味得体得の妙境に到り得る農学校であるとい
農業への転換が進められ,地元生協との有機農産物の提携販売が
う意味の機である。カラクリの機,機械の機でない。天機とか,
実現し,2000年代には全国的に有名な有機野菜産地に成長し地域
機微とか,機動とか言う意味の機である」44)と記している。この
活性化に結びついた。
ように「天地有機」は,大自然の法則に基づき,自然の原理に順
応してそれを助け合い,自然と共生するといった自然観を根底に
2 地域づくり学習
有している。
2-1 地域づくり学習の経過
Y町では,戦前から戦後にかけて青年団活動が盛んに行われ,
2-2-3 「有機学校」の学習内容
地域の男女が結婚するまで定期的に集い,地域振興に関わる活動
「天地有機」に基づく「有機学校」の有機農業技術は,今まで
や地域行事を主体的に担った。1960年代半ば頃から中学や高校を
公的機関が推奨してきた有機農業技術(化学肥料を有機質肥料に
卒業した若者の流出により団員の確保が困難になり,1970年代後
置き換え,農薬の代わりに代替え技術を導入する)や,作物の増
半には活動は徐々に衰退した。1980年代から青年団活動を経験し
収を主眼に置いた技術と異なり,自然界にある無償の資源を利用
た有志によって,地域活性化のための学習活動組織が複数誕生し
して環境に負荷をかけない技術である。有用微生物の力を発揮さ
た。2000年代には,市町合併後も地域づくり活動が継続され,営々
せるための環境づくり45)に重点を置いた技術とは,①土壌の団粒
と継承されてきた学習活動の中から「有機学校」が誕生した。
化を進める完熟堆肥の利用 ②養分供給を行うHYS低温発酵有
機質資材「保田ぼかし」(以下:保田ぼかし)の利用46) ③乾燥防
2-2 「有機学校」を核にした地域づくり学習
止・抑草・ミネラル供給を行う野草の利用という3つの技術を柱
2-2-1 「有機学校」の設立経過と概要
とする。自然の摂理を活かした資源循環型の技術体系によって少
36)
前述の通りY町は「有機の郷」 として知られ,住民も有機農
ない養分で作物と有用微生物との共生を促し47),空気中の窒素固
業が地域に活力をもたらすことを認知するようになったが,全町
定が促進され,植物同士のネットワーク48)による必要な養分の補
への広がりは見られなかった。青年団時代から地域づくり学習を
間によって低コストで作物が丈夫に育ち49),交叉抵抗性の獲得50)
してきた有志が,住民が主体になって有機農業の実践者を育成し
によって病害抵抗性を高めるため農薬を必要しない農業が可能と
地域振興を図ろうと提案し,2010年から「有機学校」の開校準備
なるのである。2006年に有機農業の推進に関する法律51)(以下:
が始まった。
有機農業推進法)が制定されるまで,農業者でさえ有機農業を学
2011年には運営規則
37)
を定め,「有機の郷づくり・4つのプロ
ぶ機会がないという事情もあり,前述の技術情報が普及すること
ジェクト」に基づき,①仕事づくり ②健康な暮らしづくり ③
がなかった。そのため,有機農業には「高コスト・手間がかかる・
後継者づくり ④環境づくりを掲げて,有機の郷づくりの主体者
儲からない」というイメージが定着していた。そこで,「有機学
になるために学ぶという学習方針が明確化し,学費徴収による自
校」では,既成概念の払しょくと,受講生が大自然の法則に基づ
主採算性や,10名の理事の協議による学校運営,毎月1回・年12
いた自然と共生する技を学びとり,有機農業を実践することを通
回の講義と実習,講師の選任,入学資格として①地域住民である
して,自らの暮らしを見つめ直すと共に,地域づくりの主体者に
こと,②有機農業の実践をめざす者等が定められた。2011年には
なるような生き方の転換を図る発意を促すことを目指して,前述
高校生から80歳代と幅広い年代の男女45名が入学し,2012年,2013
の有機農業技術に加え,有機農業推進法等の法律制定の背景,農
年とも定員の40名を上回る受講生を迎えるに至った。
業を取り巻く世界情勢,有機農業技術の科学的根拠や人体への効
用,有機農業による環境保全活動や地域づくり事例,時事問題
2-2-2 「有機学校」で学ぶ有機農業
(超々高齢社会の到来,国民医療費の増大に伴う社会負担,グロー
有機農業は一般的に,「農薬や化学肥料を使わない農業」と矮小
バル経済化,地方経済の衰退,日本の食糧供給力等)など,幅広
化されているが,「有機学校」で学ぶ有機農業は,「天地有機」38)
い視野から有機農業の持続可能性を鳥瞰できる内容が組まれた。
の基本理念に基づき,「生産性や経済優先の近代農業が内在する環
また,学習効果の向上を図るために,同じ内容を角度を変えて
境・生命破壊促進的性格を止揚し,土地-作物(家畜)-人の関
何度も繰り返し反復する反復学習52)や,実習によって技能を身に
係における物質循環と生命循環の原理に立脚しつつ生産力を維持
つける体験学習など,知識と技能の定着を図る工夫がなされ,指
39)
しようとする農業の総称」 という定義に基づくものである。
導者側が学び手の鏡となり学び手がその鏡を通して発見を行う53)
日本における有機農業運動は公害問題や農薬による健康被害が
工夫が試行されている。
- -
55
(56)
2-2-4 アンケート調査結果から見た学習効果
目を共有し,相互に影響し合いながら転機となる決断を行ってい
有機学校の学習内容が受講生に与えた影響を把握するために,
るのではないかと考え,個人と夫婦の両面から研究を行うことと
事務局と研究者が共同で,受講生のニーズの把握と習熟度合いや
した57)。
行動の変化を確認するアンケート調査を2011年から毎年実施した。
ライフストーリー研究の留意点として,研究者自身が「有機学
2012年4月(回答率73%)に実施された入学動機に関する調査
校」の講師を務め,権威を保有する側にいることを認識したうえ
結果では,農産物を上手につくりたい23%,農業技術の習得23%,
で,山田浩之が指摘する「語り手と研究者が対等な立場で相互作用
他者からの勧め18%,健康増進12%,仲間と勉強したい2%と,
を行うことや,研究者の分析枠組みや偏見を語り手に押しつけな
農産物の生産性を高める目的で受講を希望した人が多く,有機農
い」58)を考慮し,I夫妻との信頼関係を築くために一定の時間を
業を学ぼうと入学した人は22%と少なかった。学びのスタートラ
費やすこととした。そのため,聞き取り調査は研究開始から2年
インから,学習ニーズが主催者側と異なっていることがわかる。
経過した2012年から行った。
次に,2012年8月アンケート(回答率80%)における,入学5ヶ
分析では,初めにI夫妻の「語り」をトランスクリプションし
月後の「心と行動に変化」に関する調査では,農作業が楽しくなっ
たトランスクリプト59)から,人生の流れの方向を変えた出来事や,
た30%,野菜を沢山食べるようになった19%,生き方を見つめ直
その出来事をきっかけに後の人生の流れがどのように変わったの
すきっかけになった17%,やりがいや生きがいを感じるようになっ
かを示す「言説(discourse)」を見つけ出す作業を行った。ここ
た16%,地域づくりに関心を持つようなった11%,変化なし1%
で語られた「言説」は語り手によって,内的に意義づけされた学
となり,学習開始後5ヶ月で,受講生の意識に変化が生じたこと
びの意味世界を表出しているものと考え,語り手の主観世界や,
が確認できた。2013年3月に実施したアンケート調査(回答率
語り手と聞き手の相互作用によって物語が生成することに着目す
80%)における入学12ヶ月後の習熟度合いでは,有機農業の理念
ることとした。次に,目印をつけた出来事の「語り」における「方
や必要性を93%が理解できたと回答し,「保田ぼかし」の作り方と
向」や,話題の「流れ」など,変化の「語り」を捉えて「語り」
使い方について93%が習得したとしている。また,「有機農業はで
の分析と解釈を行った。
きる」という回答が89%あり,「今後,有機農業を実践する」と全
員(100%)が回答した。しかし,2013年の7月に2012年度の卒業
2 I夫妻の人生
生に対して実践状況調査を実施した結果,完全に有機農業に転換
I夫妻は戦前にY町に生まれ,戦後の混乱期に学生時代を過ご
した人は11%と低かった。学習効果をアンケートで把握すること
した。高度成長時代に農業から工業へ転職し,安定成長時代,ゼ
は難しいという課題が残った。
ロ成長時代,マイナス成長時代を通してY町で生活し,この間,
共に,地域づくり学習を行い,「有機学校」の設立に関わり現在に
Ⅳ 有機農業学習者の主体形成
至る。
1 ライフストーリー研究の実施方法
本研究では,研究対象者が有機農業を理解し実践に至る主体形
2-1 H氏の軌跡
成過程には,「有機学校」での学習効果と共に,Y町の地域性や地
H氏は養蚕と稲作を行う自作農家の長男に生まれ,温和で解放
域づくり学習の学習歴,ハビトゥス(habitus)や人生の出来事な
的な家庭環境の中で多感な青春を過ごした。高校卒業後は青年団
どが関与しているのではないかと考えた。なお,ハビトゥスとは,
に入団し会長も務めた。青年団では新たな地域産業を模索し,普
出身階級や出身地あるいは学歴等の過去の体験によって身体化さ
及員60)と共に養鶏を推進して回った。自らも14戸の仲間と採卵養
54)
れた生の形式であり心的習性を示す
鶏を開始し若くして養鶏組合長に就任した。さらに,教育委員会
ものである。
そこで,研究対象者の人選では,①Y町出身で地域づくりに係
主催の先進地視察研修生に選ばれ,研修を契機に他地域と比較し
わる学習歴を有すること ②「有機学校」の理事であること ③
て耕作面積の小さいY町でも経営が成り立つ産業を興そうと,「Y
学習開始時点で有機農業に関心がないことの3つの条件を定め,
林業」を立ち上げ新たなビジネスを開始した。しかし,高度経済
10名の理事中からH氏とT氏のI夫妻を選定した。①の出身地と
成長の波には逆らえず,農林業は徐々に斜陽産業に追いやられた。
学習歴を重視したのは,地域固有の風土と学習歴の影響を明らか
H氏も,道の拡張工事によって鶏舎移転を余儀なくされたのを転
にするためであり,②の理事という条件は,学習者のなかでも過
機に養鶏に見切りをつけて,地元に誘致された会社に就職した。
疎地域の内発的発展の担い手となる「キー・パースン」に注目し
新設の会社は合冊製本を新たな領域としてはじめたばかりで,
たためである。「キー・パースン」55)とは,鶴見和子が内発的発展
手探りで業務が始まった。依頼されるものは洋書が6割を占め,
の担い手を「理論的もしくは実践的キー・パースン」56)としてい
世界に数冊しかない貴重な資料も扱い,時には損害賠償を求めら
るもので,本研究では,「有機学校」の設立と運営に携わる理事を
れるような思い出したくない出来事も数知れず経験した。また,
「キー・パースン」と同質とみなすこととした。③の条件について
業務の効率化を図るため製本マニュアル61)を自主的に作成し,図
は,「有機学校」を起点にした変化の過程や変容度合いを明確にす
書館製本用刻印機開発などの技術革新に取り組み業績をあげていっ
るために,学習開始時点で有機農業に関心がない人を選ぶことと
た。次第に本の中身を見ると本のレベルがわかるようになっていっ
した。
た。
なお,本研究では,H氏とT氏という個別の人生を研究対象と
会社勤めと飯米程度の農業をする傍ら民生児童委員として青少
するが,二人は個別の人生を歩みながらも,夫婦として人生の節
年の育成活動も行った。長男の死という悲しい経験を契機に,地
- -
56
(57)
区の子供達の健全な育成に傾注するようになり,子供達に農業体
るI夫妻の言説を要約して表1のとおり整理した。
験をさせたいと地区内の反対者を説得して,米作り,そばづくり,
<表1 I夫妻の有機農業の学びに関する語り>
お泊まり会,キャンプなど様々な行事を実施してきた。妻である
T氏の献身的な協力もあり活動は今も継続されている。さらに,
社協総合相談員やライオンズクラブ会長を務め地域福祉活動も行っ
てきた。
2011年からは「有機学校」で学び,徐々に有機野菜づくりを始
め有機稲作を実践するに至る。現在は,Yシルバー人材センター
(以下:人材センター)役員を務め,趣味の剪定の腕を生かし剪定
指導や剪定業務を行うと共に,人材センターの新たなビジネス参
入でもある有機農業による学校給食用野菜生産や,有機稲作によ
る棚田オーナー田の運営などの先導役を務めている。
2-2 T氏の軌跡
妻のT氏は,地域でも篤農家で知られる厳格な家庭の末娘とし
設立準備(2010年)
開校1年目(2011年)
地域づくりの延長
世間体
有機農業に興味なし 不安・疑念
Wちゃんの誘い
保田ぼかしづくり
ぼかしの香り
H
ぼかしの施肥量
氏
指導者への不信感
の
作物の出来具合
語
大根の美味しさ
大根
美味 さ
り
ジャガイモのでき
未知の学びに対する好奇心
パートナーの変化
みそづくり
仲間と勉強
不安
健康づくり
入学者の動向
農
農業に興味なし
先生の言葉
葉
未知なるものへの期待
T Wちゃんの誘い
保田ぼかしづくり
氏
の
ぼかしの香り
語
ぼかしの施肥量
り
有機野菜の美味しさ
パートナーの変化
虫の発生
生き物への関心
開校2年目(2012年) 開校3年目(2013)
有機稲作への関心
田んぼの変化
自分の変化
生き物への関心
地域の変化
感謝の気持ち
パートナーの反応
世間体
迷い
有機米の美味しさ
アブラムシの発生
少年のような気持ち
将来への希望
面白い人生
田んぼの変化
変化
生き物への関心
世間体
挑戦する楽しさ
自分の変化
パートナーの変化
隣人の変化
変
アブラムシの発生
健康づくり
野草の利用
野菜がいとおしい
生き物への関心
稲作り、お米への感謝
風邪をひかなくなった?
大根料理
ふかふかの土
隣人の変化
人生が楽しい
有機米の美味しさ
田んぼの変化
義母の健康
生きがい
未来への希望
て誕生した。実母はT氏が生まれた直後から心臓を病み床に伏せ
がちであった。中学生の時に実母を亡くし,やむなく都会に就職
I夫妻は,有機農業に特別な思い入れや関心があった訳ではな
した。その後,実父の体調不良を契機にUターンして再就職し家
いが,地域づくり活動を通して知り合った友人に誘われて,「有機
計を支えた。22歳の時に青年団活動で知り合ったH氏に嫁ぎ,二
学校」の設立に尽力した理事の立場上、有機農業を学び始めた。
人の息子に恵まれるが一方で直後に実父の死を経験する。夫が始
当初,「有機学校」での学びについて「学習自体は楽しいが実践と
めた養鶏を7年間一人で切り盛りする傍ら独学で調理士資格を取
なると話は別だった」と語っている。2012年には全て有機野菜に
得しその資格は後に高齢者へのお弁当サービスや受け入れサロン
転換し,2013年には有機稲作に挑戦し,2014年には,全ての農産
で生かされることとなる。
物を有機農業へ転換した。この間,学びが深まるにつれて,有機
養鶏の廃業に伴いH氏と同じ会社に勤務し,会社でもH氏を助
農業を受け入れようとする気持ちとそれに反する気持ちが交差す
け,製本マニュアルを作成した。そのマニュアルは現在も会社で
る「語り」が表出している。I夫妻の意識や行動変化に,「有機学
使用されている。会社勤めの傍ら,社交ダンス,習字,華道,茶
校」での学びや人生の出来事がどのように関与したのであろうか。
道,大正琴,押し花,水彩画,手芸と様々な習い事を行い充実し
その過程を探るために,表2,3のとおりI夫妻の「人生の出来
た日々を過ごす。また,義父の介護と会社勤めを両立させながら
事」と「転機となった出来事」に目印をつけ,「語り」の変化を分
頑張り,義父を見送った後,定年退職を迎える。その直後,主人
析した。
を助けて地域の福祉活動を行うがT氏を,長男の事故という不運
が襲いかかり悲しみに暮れる毎日となる。失意に沈むT氏を心配
する仲間達が女性の勉強会に誘い入れ,「有機学校」の設立に関与
することとなる。現在は,高齢の義母の介護をしながら有機農業
<表2 H氏の人生の出来事と変化の語り>
を実践している。
3 分析と解釈
3-1 有機農業実践に至る「語り」の分析
人が新たな価値を創造する際,既存の価値観の再構成が必要と
なる。メジローは,人は成長する過程で社会環境や規範等によっ
62)
て自身が自覚することなしに形成された意味パースペクティヴ
を持つ。新たな知識や経験は,既に保有する意味パースペクティ
ヴと照合されて,肯定,否定,困惑,疑念など様々な感情を呼び
起こし,それが相入れられないときに大きなジレンマが生じる。
このジレンマを克服する過程に批判的なふり返りを行い,従来の
価値観を問い直し,新たな意味パースペクティヴへと統合する63)
としている。I夫妻が新たな意味パースペクティヴを獲得する際
主な出来事
自由奔放な少年時代
農業(稲・200㎡任される)
農業(稲
200㎡任される)
青年団長
先進地研修
養鶏組合組合長
長
結婚
養鶏の経営拡大
長男誕生
林業受託組織設立
次男誕生
養鶏廃業・Y林業脱退
就職(地元誘致企業)
100人会
海外研修
ライオンズクラブ・民生児童委員
ライオン
クラ 民 児童委員
父の死
社協総合相談員
長男の死
退職・区長
社会福祉協議会理事
村役場
人材センタ 副理事長
人材センター副理事長
有機学校理事
有機稲作への挑戦
に,どのようなジレンマを経験し,その克服にどのような出来事
(過去・現在)が関与しているのかについて,二人のライフストー
リーの分析を行った。
初めに,「有機学校」の設立時から2013年までの有機農業に係わ
- -
57
転機となった出来事
変化の語り
農業(稲・200㎡任される)
農業(稲
200㎡任される)
青年団長
先進地研修
長男の自覚 農業への興味
長男の自覚、農業への興味
利他意識の醸成、探求心の醸成
担い手としての自覚、未来への希望
希望
経営拡大
規模拡大しても儲からない
林業 振
林業不振
指導者
指導者への不信感
信感
公害問題、養鶏廃業
就職(地元誘致企業)
100人会
海外研修
挫折、後悔、敗北感
未知なるものへの挑戦 反省的経験
未知なるものへの挑戦、反省的経験
利他意識の自覚
探求心、達成感
地域貢献への意識
地域貢献
意識
村おこし活動事業
長男の死
利他意識、危機意識、若い頃からの夢
絶望・失意
村役場
地域貢献
利他意識の自覚
有機稲作
利他意識、未知なるものへの期待
希望の芽、生き物の命
(58)
みたいに思えてならん」と納得できない様子を語り,「教わったと
<表3 T氏の人生の出来事と変化の語り>
主な出来事
厳格な父
実母 の死
都市部に就職
地元に就職
結婚 養鶏従事
結婚・養鶏従事
長男出産
調理士資格の勉強
2000羽の飼育を任される
次男出産
実父の死
養鶏廃業
就職(地元誘致企業)
製本業務
多くの習い事
100人会
義父の介護と死
有償ボランティア
長男の死
女達勉強会
ごちそうの会
有機学校
有機農業の実践
転機となった出来事
夜は読書に熱中
実父の病気
結婚 養鶏従事
結婚・養鶏従事
変化の語り
おり素直に従えない。体にしみついた慣行農業の垢が邪魔をする」
父への尊敬
健康への関心
コンプレックスからの解放
と既成概念に縛られる自分の気持ちを語っている。既成概念の形
成について,H氏は「高校ぐらいから化学肥料が流行りだして,
解放的な嫁家 良い嫁の責務
解放的な嫁家、良い嫁の責務
肥料をやったら大きなもんができた。すごいなぁって思った。そ
調理士資格の取得
公害問題
自分の能力の確認、達成感
がむしゃらに頑張る
経営不振、養鶏廃業
経営不振
養鶏廃業
就職(地元誘致企業)
すがすがしい気分、解放感
すがすがしい気分
解放感
未知の仕事
達成感、やりがい、自己実現、精進
満足感 自己実現
満足感、自己実現
役場が身近な存在
れからずっと,化学肥料はええもんだと思って使ってきた」と化
学肥料の即効性や必要性を語っている。「待つ勇気,耐える勇気っ
充実した学び
地域づくりへの関心
て言われても,やっぱり,すぐに効果が見たい。効果が見えんと,
やっぱりあかんがなってことになる」と語り,既存概念を覆すこ
との難しさを語っている。
長男の死
仲間との勉強
健康づくりの学び
有機学校
有機野菜の美味しさ
絶望・失意
④指導者への不信感
健康づくりへの関心
未知の学びに対する期待
健康を実感、自己実現
あるんじゃあないかと勘ぐってしまう」「そんなにええなら,広が
「大学の先生にええことだって言われても,なんか,落とし穴が
らないはずがない」「いくら聞いても信用でけへん。(その気持ち
3-2 有機農業に係わるH氏の「語り」の解釈
は)今もやっぱりあります」と指導者に対する不信が語られた。
①学びの動機
この背景には,「養鶏がいい。特に採卵がいい。安定している(中
H氏は,「学校のことを聞いて,村づくり(地域振興)ができる
略)と普及員に進められて養鶏をはじめた」,「意気盛んな20代の
ような気分になった。村づくり的要素がなかったら,有機なんて
跡継ぎが,もっともらしい説明を聞いて本気になって。青年団で
受け入れられんかった」と語っている。高校卒業後青年団に入り,
村々に勧めてまわりましてな。そんなにええならぁ,あんたらが
「青年団で地元を愛するって気持ちや,地元をなんとかせなあかん
したらどないだって言われて,自分らが見本をみせなあかんって
て気持ちが知らんまに身についた」「先進地研修に行ってなかった
頑張った」。しかし,現実は「鶏糞の公害問題まで考えもしなかっ
ら,多分,(養鶏・森林組合の設立)してないと思いますなぁ。(中
た。台風の時,隠れて(鶏糞を)川に流した。悪いことをしまし
略)自分の家のことだけ考えて(生活して)いくって気になれん
たなぁ」「勧められるまま規模拡大をしたが,養鶏は規模拡大して
かった」と語っているように,青年団や先進地研修が地域の活性
も(中略)儲かるもんじゃなかった」「国の方針にしたがって植林
化に貢献したいという「利他意識や地域への貢献意識」の形成を
が金になる」「儲かるって言われて,疑いもせんと杉を一斉に植え
促したと考えられる。その思いは,青年団を離れても消えず,他
て,儲かれへんし,今じゃあ,花粉症の原因になってる」「よって
の地域づくり活動組織への参加についても,「青年団の延長みたい
たがって日本をダメにしてきた。全てダメになりました。全てダ
な感じで手をあげた」「村づくりという目的や希望があった」と
メってことは,自分の柱をなくすようなもん。何しとったんやっ
語っている。H氏にとっては,「有機学校」への参加目的は,地域
て」と,指導者の意見を鵜呑みにした結果,地域に貢献するどこ
づくりの可能性を持つツールを学ぶためであり,地域振興という
ろか自分の手で負の遺産を作り,時代の流れに太刀打ちできず勤
目的が有機農業を受け入れる素地になったと考えられる。
め人になったという後悔の念が語られた。
②家庭環境
また,会社勤めを通して社会的地位と人間性とが一致しないこ
H氏は「うちは気楽な家でしてな。自由というかチャランポラ
とを経験し,「大学出といっても当てにならん」「学歴はあっても
ンというか」と家庭環境を語っている。家族から影響については
内容はお粗末な人が多い」といった経験と過去の経験が合致して,
「子供にも身の丈に合った仕事をさせるおじいさんで,子供に責任
指導者の言うことは疑ってかかれという意識を形成したと考えら
を持たせて最後までやり通すってこと(中略)自然に身についた」
れる。
と,高校の時に200㎡の水田を試験田として任され,学んだ知識を
⑤職業体験
実証するという経験を通して責任感や探究心が芽生えたと語って
H氏は,上司を説得して海外の最新機械を導入した出来事を「徹
いる。
夜が続いて1時間寝て朝出勤するような生活をしました(中略)
③既成概念
苦労の中で身につけたもんが,僕にある(影響を与えている)よ
受講生の多くは日常的に近代農業を実践し既存の技術が身につ
うな気がする」と,今まで自分になかった能力を身につけた体験
いている。新たに有機農業の理念や技術を学んでも,その内容を
として語っている。さらに,新たな技術開発を行った体験を通し
納得して実践するまでには時間がかかる。また,実践が100%成功
て,「磁石は熱に弱いが,熱によって能力がみんな,なあなる(な
するわけではなく,理想と現実のギャップに直面して新たな葛藤
くなる)わけじゃぁない。自分で実験して確かめました。皆,確
が生じる。化学肥料や農薬の人体や環境への悪影響を学べば学ぶ
かめもせんとダメって決めつけて,ただ反対するだけでは何にも
ほど,その葛藤は大きくなると考えられる。
生まれません」と,始めら結論ありきではなく自らが検証を重ね
H氏は「自問自答を繰り返したが,やっぱり,少し多めの施肥
て物事の判断を下すことの必要性を学んでいる。これらの出来事
で統一した」「保田ぼかしの効果は何となくわかったような気に
が,H氏に反省的経験64)を重視する思考や行動規範をもたらした
なってきたが,ナスが追肥なしで成り続けるなんて理解できない」
と考えられ,有機農業という未知の技術への挑戦を後押したもの
「あんな少ない量で,常識で考えてもおかしいでしょ」「まやかし
と考えられる。
- -
58
(59)
3-3 有機農業に係わるT氏の「語り」の解釈
える。T氏の変化は,農業と食が融合することによって生じたと
①学びの始まり
考えられる。有機農業を自分や家族の健康を維持する大切なもの
T氏は「最初はWちゃん(理事の一人)に誘われて(参加した)
と認識し,お金では買えない価値を有機農業に発見したものと考
農業にも,有機にも関心はありませんでした」「皆と一緒に勉強す
えられる。
るって言うのが何だか嬉しくて」と語り,仲間と一緒に勉強がで
きることが学びのスタートになっていた。T氏は健康に高い関心
3-4 有機農業に係わるI夫妻の共通の「語り」の解釈
を持っており「大地が健康でないと野菜も健康にならない,食べ
①成功体験
る人もダメ(健康になれない)って言われて,じゃあ,どうした
I夫妻は「(有機野菜は)文句なしに美味しい。味に惹かれまし
らいいの?って思うようになって」と「有機学校」での講義に関
たなぁ」
「今年は全部(有機に)切り替える。
(去年栽培した)有機
心を持つようになった。背景には10代で実母を,20代で実父を亡
のジャガイモと玉ねぎが腐らんかった。慣行のは,はよう(早く)
くした影響があると考えられる。
腐った。見ばはようても(見た目は良くても)腐るもん作っても
②家庭環境
あきませんし」,「有機なんてでけへん(できない)だろうって思っ
T氏は「ここに嫁いで性格が変わりましたよ。だって,お笑い
てましたが,やったらできた。しかも,お金はかからんし簡単。
やプロレスを(テレビで)見ながら,わははって笑って,家族で
できたもんが美味しい。そしたら,何で,他の人はせんのだろうっ
食事をするなんで考えられなかったです」「こんな世界も有るん
て思うようになって」と,有機農業の良さを体感し,学びの内容
だってびっくりでした」と,結婚という出来事が自分の性格を変
を納得できた結果,既成概念が変容した様子を語っている。
えていったと語っている。T氏は地域でも篤農家として知られる
②恥意識
厳格な父のもとで育ち「とにかく,父は厳しくて,きちんとした
I夫妻は「失敗したら笑いもんにならんか,近所が気になりま
仕事をする人でした。篤農技術っていうんですか? 父を訪ねて
すわなぁ」「新しいことをするときはプレッシャーを感じます。自
来る人もいましたね。学業の面も厳しかったです」「厳しい躾のせ
分を安全なところにおいておきたいって気持ちがありますなぁ。」
いで,真面目にキチキチしないと気が済まない性格に成りました」 「何もせんかったら笑われることはない」「近所のジャガイモと比
と語っているように,自然に身についた篤農家のハビトゥスは,
べると,どう見ても貧弱だ。笑いもんになるんじゃぁないか」と,
T氏が有機農業という新たな学びに挑戦する際にも影響を及ぼし
人と比較して優劣を競う気持ちや,失敗に対する世間体を気にす
ていると考えられる。
る恥意識が随所で語られていた。有機農業が受け入れられない背
③学校教育への憧れ
景には,「人並み」意識や,近所の目を気にして生きていた農村特
I夫妻の学歴をみると,戦後の新しい教育制度のなかで学校教
有の慣習があると考えられる。
育を受けている。戦後まもない農村では,長男は地元高校に進学
③恥意識の変容
して家業を継ぎ,長男以外は中学校を卒業すると職を求めて都会
「うちの野菜は大きかろうがって自慢される。初めは,大きい
に就職するのが一般的であった65)。その時代を反映する学歴が二
小さいが気になり,見た目がすごく気になった」と,学び始めた
人の語りにも存在した。H氏は長男として地元の高校に進学し農
当初の様子を語っている。「勉強して,1年たったころかなぁ,隣
業を継いでいる。T氏は病弱な母を中学生で亡くし,学業が優秀
近所の畑を横目で見ながら,一喜一憂するようなことでは,有機
だったにも関わらず高校進学を諦めて都会に就職した。当時をふ
農業をする資格はないんじゃあないかって思いだした」「今は,中
り返り,「劣等感を克服しようと,夜,読書に熱中しました」と語
身が大事。人さまの目は関係ない」「人より,ようけ(沢山)とっ
り,結婚後も養鶏の傍ら「休憩小屋で1年間勉強して調理士免許
たろうって欲を出して化学肥料や農薬を使ってきた。今は,そん
を独学で取りました」とふり返る。会社勤めでも「製本には中身
な欲を追いかける方が恥ずかしいって思うようになった」「自分の
の理解が必要で,とにかく勉強しました。」と常に向学心を持ち続
取り分ばかり考えて,虫を殺し環境を汚す農業が恥ずかしいって
け勉学に励んできた。「有機学校」に対しても,「学校とか,講義
思えるようになった」と,恥意識の中身が変容していった様子を
とかに向き合うことがなかった私には,勉強することは心高ぶる
語り,「近隣の人と価値観が違ってきたような気がする」と,自ら
時間でした」「学校という形式だから体系的に学ぶことができる」
の心情の変化を語っている。この変化の根底には表面的には認知
と語っている。戦後の混乱期に家庭の事情で学ぶことを諦めざる
できない何かがあるように思われる。
を得なかった経験が,学びに向き合う気力と行動力の源泉となり,
④夫婦の相互作用
さらに,学校教育への憧れとなって「有機学校」に投影されてい
T氏は「農業のことを,なんにも知らない私が,先生のおっしゃ
るのではないかと考えられる。
ることは全て正しいって言うでしょ。Hちゃんが(T氏が夫のH
④農と食の融合
氏を示す言葉)腹立たしく感じていることが伝わってきました」
T氏は「自家野菜の値打ちが分かったっていうか。美味しいでっ
と学び始めた頃の様子をふり返る。H氏は理事の立場上「義務的
て自慢して(人に)あげられる」「土づくりして,もの(農産物)
に参加した」が,「百姓に無関心だったTさん(H氏が妻のT氏を
が育って,私らの体に大地の恵みが入っていくって感じがするん
示す言葉)が結構やる気でね」と,農業に無関心だった妻に変化
です」「おばあちゃん(義母)も元気,最近,私も風邪をひかなく
をもたらした有機農業に徐々に関心を持つようになっていった。
なったなぁって感じるんです」と語っており,安全良質な農産物
2年目には,「完全に納得したわけじぁないけど一緒に続けるつ
が健康につながるという当たり前のことを実感している様子が伺
もりです」「倉庫に,化学肥料があるから気持ちが定まらないん
- -
59
(60)
だって意見が一致して,(中略)化学肥料を処分するって決めたん
続への「危機感」を強く意識させ地域振興に駆り立てるものであっ
です」と本格的な取り組みが始まった。また,T氏は「今まで農
た。H氏は長男の死を忘れようとするかのように地域福祉活動や
業のことはHちゃんが勝手に決めてました。でも,今は,全て相
地域づくりの活動に傾注し,「有機学校」に地域おこしの要素を感
談してくれます。(中略)何にも知らない私の意見を優先してくれ
じ有機農業を学び始める。
て嬉しいです」と,有機農業に主体的に取り組むようになって,
H氏は有機学校で「天地有機」の思想にふれ,実践の中から「う
自分の意見が営農に反映されるようになった喜びを語っている。
ちの畑(有機)に寝転んでみると,今まで見えてなかった生き物
3年目を迎えると,H氏は「毎日食べるお米が有機でなくてい
がいるんですなぁ」,「朝夕,田んぼ(有機稲作の水田)に行くの
いのかって,お米のことが,やたら気になりだしましてな。でも,
が楽しみでな,田んぼの表情が毎日変わるんです。今まで,見て
失敗がこわい。米がとれんかったらどないしょって」と不安を感
なかった生き物が一杯見えるんです。こんな年(年を取って)に
じつつも,「Tさんは勿論,無農薬の米作りにも賛成してくれて」
なって,田んぼづくりがこんな面白うなるなんて思いもしません
と妻の応援を心強く感じている。T氏も「男の人って米作りには
でした。義務でする米作りとは,天と地ほどの差がありますわ。
力が入るんだって思いました。講義で米作りの話を聞いてから一
心のもちようって,えらいもんですなぁ」と自分の変化を驚きを
生懸命に有機米のこと話してくれるHちゃんに,いいこと言って
もって語っている。自然や生き物と共生する有機農業に「命」の
くれて,ありがとって。今は,毎日食べる主食のお米は化学肥料
連鎖を感じ,「命」への気づきが,万物に「長男の命」が宿るとい
や農薬で作った米でしょ。我が家に無農薬米づくりがやってくる,
う発見をしたのではないかと考えられる。H氏が持ち続けてきた
私もいい助手になろって」と語っている。学びから生じた疑問が
「地域に貢献したい」という強い思いが「有機学校」へ誘い,有機
有機稲作への動機づけとなり,夫婦の相互作用によって実践へと
農業の実践が万物に「長男の命」を発見するきっかけとなった。
繋がったようだ。
H氏自身は意識していないと思われる「長男の命」への気づきが,
H氏の既成概念や恥意識を変容させ実践への統合を促し,主体的
4 I夫妻の主体形成過程
な有機農業実践者に変容させたと考えられる。
前述のとおり,有機農業に係わるI夫妻の語りの分析と解釈を
さらに,H氏は「ここで子育てしたらええと思いますなぁ。安
試みたところ,既存の意味パースペクティヴから新たな意味パー
全なもんを子どもらに食べさせて,(中略)食べもんを自給した
スペクティヴへと変容する際に,変容を後押しする「何か」の存
ら,年収がたかぁなぁても(高くなくても)若いもん(若い子育
在があった。その実体をつかむために,出来事の語りの流れを分
て世代)が十分暮らせると思いますがなぁ。現に学校で勉強した
析し,意味づけを行い,その解釈をもとに「意味の発見」を試み
ることとした。
Mさんは,奥さんと一緒に有機農業がしたいってここにきなった
(祖父の農地を譲り受け新規就農した)」と,H氏が描いたとおり
のY町の活性化の道筋が目の前に出現し,若かりし頃に抱いた「希
4-1 H氏の主体形成過程
望」の火を蘇らせた。心の奥深くにあった地域振興を果たせなかっ
H氏の探求心は前述の通り祖父の影響を受けて形成されていっ
たという「混乱」を終結させ「希望」との再統合を促したと考え
た。さらに,「家内とこは篤農家でしたが,うちは普通の自作農で
られる。また,「長男の死」によって,当たり前に存在するものに
すわ。でも,おじいさんは村の発展にも貢献し(中略),多分にそ
対する儚さや危うさを実感し,今のままではY町が無くなってし
の影響ですかなぁ」と,地域の振興に貢献したいという意識が幼
まうという「危機感」と地域振興への「希望」とが共鳴し,有機
い頃から形成されていったとみられる。また,青年団活動や先進
農業の実践をさらに促したものと考えられる。
地研修を通して,その意識は一層強まり,郷土の産業の発展に貢
H氏の主体形成過程には,表4のとおり,「形成」→「安定」→
献するという「希望」に燃えて養鶏や森林組合を立ち上げた。し
「混乱」→「克服」→「安定」→「混乱」→「統合・再統合」とい
かし,畜産公害や林業不振等によって廃業を余儀なくされた。転
う過程が存在した。「安定」から「混乱」の過程には,「挫折」や
職後も「会社でも百姓魂で頑張りぬいた」と自分の原点を常にふ
<表4 H氏の主体形成過程>
り返っているように,H氏にとって農業を諦めて会社員になるこ
転機となった
出来事
出来事の結果
意味づけ
解釈
家風
祖父の教育
実証ほ
探求心
形成
青年団
先進地研修
公害問題
経営不振
養鶏
林業組合設立
希望
安定
廃業・転職
挫折
希望の喪失
混乱
会社勤務
挑戦
能力の獲得
克服
を感じるきっかけや地域に誇れるものが必要として自主的な活動
数々の
地域づくり活動
青少年育成
手ごたえ
希望の再現
安定
を継続している。聞き取りをはじめた当初から若者定住に対する
長男の死
絶望・失意
危機感
混乱
有機学校
有機稲作への挑戦
地域づくりの可能性
命の発見
希望との共鳴
統合
再統合
とは人生の挫折を意味し,転職はH氏を「安定」した状態から「自
分の柱をなくすようなもん」という「混乱」へと陥れた。
しかし,会社でも持ち前の探求心を発揮して新技術の導入に尽
力し功績をあげ,充実した日々を送りつつ,新たな思考や行動規
範を身につけ,「混乱」からの「克服」を図った。この間,H氏の
地域振興への「希望」は消えず,地域課題として若者の減少をあ
げ,「自分の子じゃぁなくっても,棲み心地のいい環境を作ったら
棲んでくれると思う」と語り,若者定着の図るには,地域に愛着
熱意を常に感じた。回を重ねるうちに「長男の死」の語りが表出
した。この出来事はH氏を「混乱」状態に陥れ,さらに,Y町存
- -
60
(61)
「希望の喪失」があり,「混乱」から「統合」への過程には「危機
機のもんを食べて元気になって,嬉しいって思うんです。勉強し
感」と「命の発見」が関与し,再統合には「希望との共鳴」があっ
たことが自分の血や肉になってるって感じる瞬間があるんです」
た。
と語っているように,健康づくりと有機農業が結びつくという実
感が,有機学校での学び促進させ学習内容の納得を促し,有機農
4-2 T氏の主体形成過程
業を価値あるものと確信させていったと考えられる。その結果,
T氏の上品な所作や滲み出る品位は,篤農家で厳格な父の影響
向上心を持って自己実現を図ってきた生き様との再統合をもたら
を受け,勤勉で常に向上心をもって学び続けるという性行によっ
したと考えられる。
て形成されたと考えられる。学卒後も読書に励み,結婚後も独学
T氏の主体形成には,表5のとおり,「形成」→「克服」→「混
で資格を習得し,数々の習い事に精進して教養を身につけていっ
乱」→「解放」→「安定」→「混乱」→「統合・再統合」という
た。
過程が存在した。「安定」から「混乱」の過程には,「希望の喪失」
T氏は結婚と同時に養鶏を任され「手にできた大きな豆は必死
があり,「混乱」から「統合」への過程には「命の発見」が関与
に頑張った証」と語るように,子育てをしながら一人で7年間養
し,「再統合」には「自己実現」が関与していた。
鶏を切り盛りした。T氏はH氏と異なり,養鶏の廃業に後悔はな
く「すがすがしい気分でした」と語っている。農家の嫁の責務か
5 語り手と聞き手の相互作用
ら「解放」されたのではないかと考えられる。会社勤めも「不安
ライフストーリーの聞き手である筆者は,I夫妻に「有機農業
でした」と語りつつも,持ち前の勤勉さを発揮して業務の遂行能
の畑や田んぼに,お亡くなりになった長男さんの命を発見したの
力を養うと共に,この時期から習字や華道,茶道など様々な習い
ではないですか」と質問してみた。二人は一瞬,驚きと困惑の表
事や地域づくり学習を行い,学習歴を積み上げて自己実現を行う
情を浮かべ,長い沈黙のあと,「うーん,どないかなぁ。そんなこ
「安定」した状態を迎える。しかし,長男の交通事故死という出来
とないと思いますがなぁ」「でも・・・,こんなに熱心になれる自
事が,T氏の生きる希望を奪い「混乱」の状態に陥れた。青年団
分が不思議って思いますなぁ」との言葉が返ってきた。不意の質
や地域づくり活動で培った友人達が失意に沈むT氏を女性の勉強
問に戸惑いながらも語られた言葉は,本人が気づくことのない内
会に誘い入れ,「有機学校」の設立に関与することになる。「有機
面に隠された心の声が,語り手と聞き手の相互作用によって生成
学校」で「天地有機」の法則を学び,「Hちゃんは,田んぼにいっ
されたものではないかと考えられる。
たら帰ってこないんです。寒いのに何しとるんって聞いたら,た
だ,ぼーって見てるだけっていうんです(中略)毎日,田んぼの
Ⅴ 小結
表情が変わるって,田んぼが生きてるって。私も同じことを感じ
I夫妻が有機農業の実践に至る主体形成の過程には,人生の出
るんです。うちの田んぼは生きてるって」の語りに表出している
来事が大きく関わり,I夫妻自身が自らの人生を「語る」ことに
ように,万物は死に変わり生き変わり姿を変えて,命は永遠に繋
よって心の奥底にあったものに気づき,自らを意味づけし「自ら
がることを体感し,この世に存在しない長男の命を田んぼの中に
を変えていく」様や過程を明らかにすることができた。
見出していったようである。この「命の発見」という気づきが,
「畑で作業してると時間がたつのを忘れるぐらい楽しい」と語って
1 「人生の出来事」からの学び
いるように,T氏を「混乱」の状態から救いあげていったと考え
I夫妻のライフストーリーから,地域環境や人生の出来事から
られる。
の学びが有機農業の実践へと導く素地になっていたことや,有機
T氏は,早くに両親を病気で亡くすという体験をしており,健
農業で必要とされる今の世代の利益ではなく次世代の幸福を考え
康づくりに対する問題意識を常に有していたと考えられる。「有機
て行動する能力を,人生の出来事を通して習得していった過程を
野菜(を食べること)は命をいただくってことでしょ。家族が有
確認することができた。
つぎに,有機農業の実践を促進するものに,「学びの動機」「家
庭環境」「職業体験」「学校教育への憧れ」があり,阻害するもの
<表5 T氏の主体形成過程>
に「既成概念」「恥意識」「指導者への不信感」があった。阻害要
転機となった
出来事
出来事の結果
意味づけ
解釈
厳格な父
病弱な母
厳格な父
勤勉、研究心、
健康意識
形成
都会に就職
読書に没頭
劣等感
克服
結婚
異なる
ハビトゥス
嫁の責務
相互理解
混乱
廃業
さわやかな
気分
重労働
嫁の責務
解放
会社勤務
地域活動
勤勉・学習歴
自己実現
安定
長男の死
失意のどん底
希望の喪失
混乱
「統合・再統合」の過程があった。「安定」から「混乱」至る過程
有機学校
有機農業の実践
農と食の融合
命の発見
自己実現
統合
再統合
の過程には「命の発見」が作用し,「再統合」には「希望との共
因を変容させるものに「農と食の融合」「成功体験」「夫婦の相互
作用」「納得による恥意識の変容」があった。何れにも,家庭環境
や職場,「有機学校」のような学びの場などが関与しており,成人
の学習者が一生を通して,人生の様々な場面で学びを深めている
ことが確認できた。
2 有機農業の学習者の主体形成
I夫妻に共通する主体形成の過程には,「安定」→「混乱」→
には「挫折」や「希望の喪失」が作用し,「混乱」から「統合」へ
- -
61
(62)
鳴」「自己実現」が関与していた。成人の主体形成の過程には,地
域や家庭環境が起因するハビトゥスや人生の出来事が影響し,学
習者が過去の出来事を省察し,意味づけを行いながら「自らを変
14)レヴィン・K 末永敏郎訳 『社会的葛藤の解決 -グルー
プダイナミックス論文集』東京創元社 1954
15)秋田喜代美「学校でのアクション・リサーチ」『教育研究の
メソドロジー』2005 p163
えていく」過程があることを明らかにすることができた。
とりわけ,有機農業実践の深化には,「有機学校」で認知し体感
した「命の発見」が関与していた。これは,有機農業にメリット
が見いせなくとも,実践へ誘う強い力を有するものであった。本
研究の結果,「有機学校」は新たな知を得る学びの入り口となり,
そこでの学びや実践が「命の発見」をもたらす気づきの場になっ
ており,これこそが,「有機学校」の学習成果ではないかと考え
る。
16)藤田結子・北村文『現代エスノグラフィー―新しいフィール
ドワークの理論と実践―』新曜社 2013 p80
17)末本誠「生涯教育から生涯学習へ―成人教育の新しい展開と
して―」 吴遵民 小林文人 末本誠『現代終身学習論』上海
教育出版社 2008 p120
18)山田浩之「子ども社会研究におけるライフヒストリーの可能
性」『子ども社会研究』2006,No12,pp124
本研究では,価値観の変容を必要とする有機農業の実践には,
19)やまだようこ「ライフストーリー研究」秋田喜代美 恒吉僚
外から知識を与える他者教育と,学習者自らの経験の中から自ら
子 佐藤学編『教育研究のメソドロジー』東京大学出版会 2006 を意味づけていく自己教育が必要であることを,I夫妻の主体形
pp191~216 桜井厚『インタビューの社会学 ライフストー
成過程から示唆することができたと考える。本研究が成人の主体
リーの聞き方』せりか書房 2011 pp58~62
形成を促すヒントと成り,有機農業実践者の育成の手かがりとな
20)平河勝美「看護実践能力におけるライフストーリー/ライフ
ヒストリーの適応可能性」神戸大学発達科学部研究紀要 2006 ることを願うものである。
第14巻 第1号 pp61~71
注
21)前掲 2008 p119
1)LL. ラングネス G. フランク 米山俊直 小林多寿子訳『ラ
22)アイリーン・E・カーピアック 佐藤智子訳「過去を呼び起
イフストリー研究入門:伝記への人類学的アプローチ』ミネル
こす:「可能性に向けた動き」としての自伝」 マーシャ・ロシ
ヴァ書房1993 やまだようこ『人生を物語る』ミネルヴァ書
ター M・キャロリン・クラーク 『成人のナラティヴ学習』
房2000 ダニエル・ベルトー 小林多寿子訳『ライフストー
福村出版株式会社 2012 pp30~33
リー:エスノ社会学的パースペクティヴ』ミネルヴァ書房2003
2)松岡廣路『生涯学習論の探求』学文社 2006 p1
23)小林文人 末本誠『社会教育基礎論 -学びの時代の教育学』 国土社 1993 pp120~138
3)ジョン・デューイ 松野安男訳 『民主主義と教育(上)』岩
波書店 1975
24)前掲 2013 p73
25)ロバート・アトキンソン 塚田守訳『私たちの中にある物語』
4)エデュアード・リンデマン 掘薫夫訳『成人教育の意味』学
文社 2005
ミネルヴァ書房 2006 p20
26)前掲 2013 p73
5)マイカル・ノールズ 掘薫夫 三輪健二訳『成人教育の現代
的実践』鳳書房 2002
27)http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/cgyousei/2001/kaso/kasomain0.htm
6)Mezirow, J., Transformative Dimensions of Adult Learning, Jossey-Bass Publishers, 1991
28)小田切徳美『農山村再生』岩波ブックレット2010
29)近藤康男『高度経済成長と農業問題』農山漁村文化協会1973 7)Gaston・Pineau Avec Marie Michele Produire sa vie. Autoformation et Autobiographie, Montreal Saint-Martin. Paris:
Edilig 1983
守友裕一『内発的発展の道』農山漁村文化協会 1991
30)新妻二男・内田司編『都市・農村関係の地域社会論』創風社
2000
8)G・ピノー M・ラニ = ベル N・ビール 末本誠訳「神戸
31)保母武彦『内発的発展論と日本の農山村』岩波書店 1997
大学 ESD 国際シンポ基調報告集」 神戸大学大学院人間発達
32)守友裕一『内発的発展の道』農山漁村文化協会 1991
環境学研究科 研究紀要第5巻 第1号 2011 pp155~168
33)前掲 2010 p354
9)日本社会教育学会では2012度から社会教育方法論の検討をプ
ロジェクト研究テーマとした
34)大野晃『環境社会学序説―現山村の限界集落化と流域共同管
理―』農山漁村文化協会 2005
10)G. pineau, Accompagnements et histore de vie, L’ Harmat-
35)Y町史編集委員会「Y町史」日本写真印刷株式会社 2004
36)西村いつき「やせた畑を有機野菜産地に変えた」『現代農業
tan, 2000
11)スティーブン・ケミス ロビン・マクタガート「参加型アク
5月号』 農山漁村文化協会 2000
ション・リサーチ」N・K・デンジン Y・S・リンカン 平
37)Y有機農業の学校「Y有機農業の学校運営規則」2011
山満義監訳 藤原顕編訳『質的研究ハンドブック2巻 質的研
38)「天地に機あり」といい,大自然には法則があるという意味
究の設計と戦略』北大路書房 2006 pp229~264
39)保田茂『日本の有機農業』ダイヤモンド社 1986 pp2~25
12)前掲 2005 pp30~32
40)同上 1986 pp40~41
13)末本誠『沖縄のシマ社会への社会教育的アプローチ』福村出
41)中国の宋の時代の詩人,文天祥子が書いた漢詩「天地正気有
版 2013 pp280~281
り,雑然として流形を賦す,下は河獄となり,上は日星となる,
- -
62
(63)
人においては浩然の気となり,沛呼として蒼冥にみつ」で始ま
る詩
らい修正を加えた。
58)前掲 2006,No12,pp124~141
42)黒澤酉蔵(1885~1982):若くして足尾鉱毒事件の田中正造
の門下生として公害事件を戦い,その後,北海道にわたり宇都
59)谷富夫・芦田徹郎編著『よくわかる質的社会調査技法編』ミ
ネルヴァ書房 2009 p19, 41, 75, 85, 93, 110~113, 217
宮仙太郎に弟子入りして酪農を開始。「健土健民」を基本精神に
60)戦後における農村・農業民主化3大政策(農地法,農業協同
据え雪印乳業と北海道酪農の礎を築く。また,1933年に北海道
組合法,農業改良助長法)の一つとして,1948年に発足した協
酪農義塾,1942年に農民の教育機関として野幌機農学校を創立
同農業普及事業におれる指導者の呼称 藤田康樹『農業普及指
し,戦後拡大して酪農学園大学を開設した。
導論』東京農業大学出版会 2010
43)久保田裕子「「天地有機」と東西の有機農業運動の源流―日
本有機農業研究の結成と「有機農業」という言葉をめぐって―」
国学院経済学 第56巻 第3.4号 2008 pp179~215
61)「増改補訂 図書館製本作業基準書」ナカバヤシ兵庫工場企
画課 1975
62)前掲 1991
44)黒澤酉蔵『皇道農業』育英出版株式会社 1944 pp252~255
45)C. Yvan, S. Stephane, C. Stephane, B. Pierre, R. Guy,B.
63)Mezirow, J., Understanding Transformative Theory,
Adult Education Quaeterly, 44(1)1994
Hubert:Role of earthworms in regenerating soil structure
64)John Dewey, Democracy and Education, The Middle
after compaction in Reduced tillage systems. Soil Biology
Works Vol.9, Southern Illinois University Press, 1916, p152
And Biochemistry. 55, 2012 93-103
65)苅谷剛彦『階層化日本と教育危機-不平等生産から意欲格差
中元朋美「耕地におけるバイオポアの機能:生物がつくる土
社会へ』有信堂 2006 pp28~51
壌孔隙の持続的作用生産への活用」日本作物学会紀事67(4)
1998 443-451
46)商標登録出願番号:商願2013-030245号 商標:ロゴ商標「保
田ぼかし」
47)E. Oka-Kira & M.Kawaguchi: Curr. Opin. Plant Biol., 9, 2006 496
48)成澤才彦『作物を守る共生微生物 エンドファイトの働きと
使い方』農山漁村文化協会 2011 p54~56
49)野中昌法「ただの土壌微生物を無視しない農業」有機農業研
究年報 Vol 6『いのち育む有機農業』日本有機農業学会編 コ
モンズ 2006 pp120~134
50)西尾道徳『土壌肥料の基礎知識』農山漁村文化協会 1989 p160~161
51)http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18H0112.html「有 機 農
業の推進に関する法律」農林水産省(最終アクセス 2014/5/29)
52)ヘルマン・エビングハウス 宇津木保訳 望月衛閲『記憶に
ついて:実験心理学への貢献』誠信書房 1978
53)ドナルド・ショーン 佐藤学 秋田喜代美訳「専門家の知恵」
ゆみる出版 2005
54)竹内洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化―』
中公新書 2003 p84
55)鶴見和子・川田侃編著『内発的発展論』東京大学出版会 1989
56)前掲 1989 p256
57)I夫妻(H氏とT氏)には,研究目的と研究方法を説明し,
研究協力の合意を得た上で同意書を交換した。I夫妻を含む10
名のコアメンバーに対しては,2010年2月~2013年9月まで,
理事会や毎月開催される講義日における参与観察と,毎月1~
3回の意見交換を行ってきた。研究対象であるI夫妻に対して
は,他のコアメンバーより濃密に接触し信頼関係の構築に努め
た。聞き取りは2012年から2013年9月の間に,毎回4~6時間
程度合計5回実施した。聞き取り後は,順次二人の語りをテー
プ起こしして,トランスクリプションしトランスクリプトを作
成した。作成したトランスクリプトは二人に内容確認をしても
- -
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