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インゲボ

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インゲボ
 ルク・バッハ マンの﹃三十歳﹄
イン ゲ ボ
ー1忘却からの復活
人間、三十歳を越したら、
もう死人同然ですな。
潮時を 見 て あ な た 方 は 叩 き 殺 し て し ま う に 限 る 。
ゲーテ﹃ファウスト 第二部﹄︵高橋義孝訳︶
トポスとしての 三 十 歳
\
ノ
E一ハ
日訣
辰
籍
︸一︸
E
人間の生の営みは意識と無意識の分ち難い混清である。一九三六年の講演﹃フロイトと未来﹄の中でトーマス・
︵1︶
マンは、前人の翼果を踏む反復としての生を﹁生きられる生﹂OΦ一Φ葺Φ≦鐙と命名し、それが卓越した人物におい
てダイナミックに現出することを指摘する。ナポレオンはアレクサンドロス大王をそしてまたカール大帝をほとん
ど意識せずに模倣し、クレオパトラはその死に至るまでアプロディーテをほぼ無意識のうちに演じた。意識は無意
識によって突き動かされ、個性的なものの中に典型的なものが宿り、両者が混清する。更にマンがあげるイエス・
キリストの例はとりわけ興味深い。救世主としての生涯をたどるイエスは十字架上で息を引きとる前に﹁わが神、
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
49
インゲボルク・バッハマンの﹃...十歳﹂
わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか﹂国芦田一﹂鋤ヨ鋤霧鋤σ島餌ヨと叫ぶ。この叫びは、メシアとして
の﹁生きられる生﹂の中に突如としてイエスの肉声が入り込む瞬間であり、ひとりの人間の生のクライマックスに
おいて一回的・個人的生が典型的・非個人的生を凌駕する瞬間である。しかしながら、ことは単純ではない。そこ
には意識と無意識の分ち難い混濡があり、同時に逆転の構図がある。イエスのおそらく最初にして最後の、そして
︵2︶
側々の自己感情の吐露が、マンの一.口を援用すれば、実は﹁引用﹂だったのである。イエスの叫びは独創的でも個人
的でもなく、旧約聖書の詩編第..f一.章冒頭のことばの引用に他ならない。マンは主張する、﹁人生、とりわけ意義
︵3︶
深い人生とは、古代においては生身の体に神話を。再現する﹂ことであると。
ところで古代人の理想とする﹁引用﹂。一応εωとしての生、﹁まねび﹂一呂国司。としての生は、現代においては過
︵4︶
去の遺物であろうか。マンが考えるように﹁人間の魂の深部が同時にまた太古でもあり﹂、そこに﹁神話が棲む﹂な
らば、古代人の心の有り様が現代にまで連綿と引き継がれていてもおかしくない。マンならば、現代人の心の中に
︵5︶
も無意識を通じて古代人の﹁まねび﹂が潜んでいると考えるであろう。E・R・クルツィウスによれば、人間の魂
の深層に深く根ざすものに文学的トポスがある。使い古された古代の﹁常套句﹂が数百年あるいは千年以上の歳月
をへて近代もしくは現代の文学作品の中で新たに﹁若返る﹂。ヨーロッパ文学は未だなお遠い過去の生、それも言語
化された生を必要とし、特定の状況や問題にぶつかると、それに見合う特定の古代のテクストを指針としてほとん
ど﹁常套句﹂のように用いる。その結果、古代のテクストは多少の変容を蒙りながらも、原型を失わずに現代に蘇
り、新たなものを吸収し、増殖し、再び原テクストに戻っていく。つまり、循環運動の巾で永続的に増殖を続ける
︵6︶
営みの場、﹁トポス﹂を形成する。クルツィウスにとって﹁原初的な魂の世界と文学的トポスとの関係﹂は深く、そ
して文学的な模倣と創造の営みは分ち難い。
ここでもう一度、イエス・キリストの生涯に戻ろう。現世での布教活動の終わりが礫刑のときだとすれば、布教
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活動の始まりは三十歳のときである。イエスの布教活動はある意味では﹁生きられる生﹂の実践であり、﹁引用﹂に
始まり、﹁引用﹂に終わる。というのも、三十歳からの布教活動の開始も旧約聖書の預ゴ.口者たちの﹁まねび﹂、例え
ば三十歳で神の召命をえたエゼキエルからの﹁引用﹂だからである。イエスは一、一十歳にしてトポスの世界に入り込
む。そして後にこのような参入がニーチェの﹃ツァラトゥストラはこう言った﹂を経て文学的トポスとなる。三十
歳で故郷を去り山に入るニーチェのツァラトゥストラは、ゾロアスター、イエス・キリスト、旧約の預言者たちの
騨尾に付す。そしてニーチェ経由のこの三十歳のトポスは、二十世紀文学においてさまざまな形で﹁若返る﹂。例え
ば、ニーチェの﹃ツァラトゥストラはこう言った﹄を基に構想されたマンの﹃魔の山﹄では、主人公ハンス・カス
︵7︶
トルプがサナトリウムで七年間の﹁錬金術的高揚﹂経た後に山をトりるが、そのとき彼は一、一十の齢に達する。その
他、リルケの﹃マルチの手記﹄、カフカの﹃審判﹄、デーブリーンの﹃アレキサンダー広場﹄、ムージルの﹃特性のな
︵8︶
い男﹄、ブロッホの﹃夢遊病者たち﹄、サルトルの﹃嘔吐﹄、カミュの﹁異邦人﹄、グラスの﹃ブリキの太鼓﹄など、
現代において↓、一十歳のトポスは、主人公の自己形成過程の頂点であるにせよ、あるいはそのパロディーであるにせ
よ、いずれにしても生涯の転回点として重要な働きをする。そこで本論では、このような伝承領域に自らが三十歳
を迎えた頃に踏み込んだ作家、それもおそらく女性として初めて踏み込んだ作家を考察の対象とし、参入の際に彼
女が持ち込んだ散文作品に論述の焦点を絞る。作家の名はインゲボルク・バッハマン︵一コσq①σo﹁αqbd霧げヨ鋤弓︶、作
品名は﹃三十歳﹄U器α﹁鉱聾σqω8富耳である。
バッハマンは一九一.六年六月二十五日にオーストリアのクラーゲンフルトで生まれた。一九六一年、詩人として
既に名を馳せていた彼女は、処女散文集﹃二十歳﹄を出版する。ここには一九五六年から一九五七年の間に執筆さ
れた七重の散文作品が収められている。この中で表題作の﹃一、一十歳﹄は全体の四分の一を占めるという量的理由か
らだけではなく、完成度の高さという質的理由からも、﹃すべて﹄と﹃ウンディーネ行く﹄とともに重要な作品であ
インゲボルク・バッハマンの ﹃.一十歳﹄
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インゲボルク・バッハマンの﹃...十歳﹄
る。これまでこの作品はさまざまな角度から論じられてきた。例えば、ジャンル変更に端を発する拝情性と思想性
の問題、哲学思想の文学的受容の問題、新しいことばをめぐるユートピア志向の問題、作者がフランクフルト大学
で一九五六年から五七年の冬学期に行った詩学講義との関連など問題は多様である。そして近年.一人の論者が新し
い研究成果を世に問うている。主に長編小説﹃マーリナ﹄との関連で論じられてきた記憶の問題が既に散文集﹃三
︵9︶
十歳﹄にあり、しかも散文集の個々の作品を結び付ける中心的なテーマとなっていることをウルズラ・テラーは指
嫁する。ジークリット・ヴァイゲルはショーレムやアーレントやヒルデスハイマーなどのユダヤ人知識人たちに宛
てたバッハマンの手紙を初めて用いながら、記憶の問題とヴァルター・ベンヤミンとを通じてバッハマン文学全体
︵10︶
を新たな光で照らし出そうとする。散文難論、一十歳﹄の個々の作品を詳細に分析するフランク・ピリップは、表題
︵11︶
作の﹁三十歳﹂のトポスがカフカとニーチェからの影響であることを明らかにしている。しかしながら、これまで
の研究成果においても、近年の新しい研究動向においても、散文箏、遭難﹄は十分に研究されたとは言い難い。と
いうのも、バッハマンの記憶をめぐる新たな問題意識と独自のコ.一十歳﹂のトポスとが結び付き、両者の結び付き
が新しい創作活動のためのいわば宣言となる重要な箇所がいまだ忘却されたままになっているからである。本論の
ねらいは、その看過されたままの箇所に注目しながら、バッハマンにおける﹁三十歳﹂のトポスの独自性を明らか
にすることである。細部へのこだわりから全体を傭畷することで、忘却からの復活を試みる。
二 解約された部屋
バッハマン文学はその核心に、過去との決別、それも社会規範と文学的伝統と個人的教養体験とが渾然一体と
なった過去との決別を通じて、新しいものを求めるユートピア的衝動を宿している。その際、始あと終わりが転倒
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し、物語の冒頭に﹁終わり﹂が置かれることが多い。﹃ウンディーネ行く﹄の場合、﹁去る﹂とも訳出可能な、表題
中の動詞﹁行く﹂αq①窪には、女性のまなざしによる既存の社会からの離反、ルネッサンスの自然哲学者パラケルス
︵12︶
ス︵一おω⊥鰹一︶に端を発するウンディーネ伝説の解体、更には、拝情詩を中心とする創作態度からの作者自身の決
別、これら一、一つのものからの出発があり、同時に、新しい男女のあり方への模索、新しい水の精の物語への野心、
散文を中心とする作者自身の新たな創作態度への転換、これら三様の出発がある。始めに﹁終わり﹂があり、作品
全体として﹁始まり﹂を模索する。
このことは散文﹃一.一十歳﹄においても同様である。その冒頭では、一日の活力を与えるはずの朝日が逆に一日の
活力を奪う﹁苛酷な光線﹂となり、とある一日の始まりが青年期の終わりとなる。一.一十歳を迎える主人公﹁ある男﹂
︵13︶
は、ある朝、﹁もはや若者と名乗る資格がないという感情﹂︵二一九四︶にとらわれ、過去の自分との決別を余儀な
くされる。もはや猶予の時は許されない。これまでのようにやり直しが可能な生き方はできず、また、自分の将来
に対する可能性に期待を寄せることもできない。人生を有為に過ごすことも、無為に過ごすことも、哲学者になる
ことも、技術者になることも、それがやり直し可能な﹁試み﹂である限りはいずれも許されない。これまでの生き
方を清算し、過去の自分との決別の日から物語は始まる。
バッハマンの散文﹃三十歳﹂は十五の節からなり、二十九歳の六月から︸.一十歳の誕生日を迎える一年後の六月ま
での時間的推移と、ウィーンを出てロ:マやヴェネチィアなどを経てウィーンに戻る旅の空間移動とが重なる。こ
︵14︶
の二重の円環構造の根底には、人生を旅ととらえる古代からの﹁クロノトポス﹂Oぼ。コ08℃oのが働く。プロローグ
ともいえる第一節の後、﹁雨の多い六月﹂を扱う第二節がくる。この節は、バッハマン自身の誕生日が六月の終り
だったからであろうか、極めて短く素っ気無い。その意味で物語の内容上の真の始まりは、第三節の七月の描写で
ある。そこから﹁クロノトポス﹂が力を発揮する。
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
53
インゲボルク・バッハマンの﹁.一十歳﹄
自己喪失に陥る主人公は、自己確認の旅に出る。この出発には徹底した決別が必要とされる。これまでの人間関
係を断ち切り、すべてを清算し、さまざまな﹁過去﹂が淀むウィーンを離れ、かつて自分が自由を味わったローマ
へ再び赴く決意をする。こうした過去との決別を最もアレゴリカルに示す行為は、住み慣れた部屋の解約である。
彼の部屋はすでに片付けられている。しかし、どうしてよいか彼には分らない物がまだ辺りに残っている。
1一本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図、どこで手に入れたのかを思い出せない,枚の小さな複製画。
ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのその絵は﹃希望﹄と題されている。絵の中では、ぎごちない姿ではにかむ﹁希望﹂
がおずおずと芽ぶく枝を手にしながら、白い布の上に腰をかけている。背後にはいくつかの黒い十字が斑点模様
で塗られ、さらに奥の方にはしっかりと造形的に描かれた廃嘘が見える。﹁希望﹂の頭上にはバラ色に暮れる帯状
の空が広がる。夕刻である。時は遅い。いまや夜のとばりに包まれようとしている。夜はまだ描かれてはいない
が、まもなく夜になるのであろう!﹁希望﹂の姿、それも子供の姿をした﹁希望﹂そのものの上に夜がおとずれ、
あの枝を黒ずませ、枯れさせてしまうのであろう。
しかしこれは単なる絵にすぎない。彼はその絵を投げ捨ててしまう。 ︵一.1九七︶
何気ない記述ではあるが、どこか謎めいている。ヴァルター・ベンヤミンならこの部屋に廃塊を見るであろう。
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﹁本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図﹂uσ⇔魯①5bdまΦ豊頃。ω℃Φ評5く。⇒内⇔。。鼠雪解コα。・魯鷺けΦpω鐙葺−
℃莚旗①、そして二枚の小さな複製画﹂Φ一コΦ巴虫ロ①閑①凛○α⊆ζδ口は生活世界の中で脈絡を失った断片であり、瓦
礫であろう。それらは、アルブレヒト・デューラーの版画﹃メランコリァー﹂に描かれた道具さながら、まるで何
かの暗号のように散在し、謎めいた問いを我々に投げかけてくる。
事実、この作品では、取り残されたものは重要である。生活空間で意味を失い忘却されたもののみが、テクスト
内で意味を獲得し忘却から免れる。主人公は﹁黄金の九月に﹂︵一. 一9︶自己省察を深めた結果、自分が夏に自
暴自棄に走ったわけを突き止める。すなわち、不安からの自己逃避である。ここでの不安とは、過去との決別の末
に自分が﹁置き忘れた楽器﹂︵二i一〇二︶になってしまったことへの根源的な畏れである。ここで敢えて﹁根源的
な畏れ﹂というのも、この楽器にはまるで掻き傷のように﹁唯一の筆跡﹂が書き込まれているからである。その内
容は、稲妻、いなごの人軍、洪水、地震、つまりヨハネの黙示録に記された終末のプログラムである,いまや主人
公の自我は拡大し、自我の終焉は世界の終末と重なる。
すでに主人公は過去との決別の際に自らの内に﹁不思議な新しい能力﹂を発見している。あらゆるものを失うこ
とと引き換えに、﹁想起する力﹂、痛みを伴いながら、自らが経験した時空のすべてを思い出す力を得ている。
彼は想起という網を投げだし、自分の上に投げかけ、自分自身を曵きあげる。漁師と獲物がひとつになる。網
は時間の閾を越え、空間の閾を越えて投げだされる。自分がかつて何者であったのか、何になったのかを見よう
として。 ︵二一九四︶
時空を越えるこのトラウマ的想起は﹁黄金の九月に﹂至っては、自己の経験ばかりではなく、歴史のいたみを総括
する。その結果、自己の経験が歴史の経験と重なる。とするならば、主人公の部屋に歴史の凋落を読み取ることは、
あながち的外れな行為ではない。しかし本論では、一挙に解釈を飛躍させるのではなく、解釈の網を投げだすとき、
それをテクストの上に投げかけ、テクストそのものを曵きあげることに終始したい。部屋に取り残されたものはエ
ンプレムとなり、我々に問いを投げかける。但し通常のエンプレムとは異なり、問いの文字は掠れ、我々には容易
インゲボルク・バッハマンの﹃、一、十歳﹄
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インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
に判読できない。
解約された部屋にもう一度目を凝らそう。部屋に本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図、一枚の小さな
複製画があることは既に述べた。しかし、散乱するものはまだ他にある。絹のマフラー、貝殻、石、乾き切ったバ
ラ、恋人からの手紙が残されている。とはいえ後者の散在物は、前者のそれと比べるならば、主人公にとっていま
だ意味を有するがゆえに、このテクスト空間では意味を有しない。﹁石は旅さきで拾ったものだが、あのとき彼はひ
とりではなかった﹂︵ニー九七︶という記述が端的に示すように、後者の散在物はいずれも恋人と過ごした日々と結
びつく。その意味で、主人公の生の連関といまだ結びつき、そもそもトラウマ的な強制力を有する例の﹁不思議な
新しい能力﹂とはあまり縁がない。それに対して、先に挙げられた散在物は、主人公の個人的な所有物であったに
もかかわらず、いまや主人公の生の連関とはかけ離れ、単純に個人の思い出の品々とするにはあまりにも謎めいて
いる。
事実、ヴァイゲルはバッハマン文学における絵画の記述の重要性を指摘しながら、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ
︵15︶
の絵に注目し、主人公が﹁これは単なる絵にすぎない﹂と考え、その絵を捨てる行為の意味を問う。背景に黒い十
字架、夕方、南北を、前景に希望の擬人化を描くこのエンプレムは、一八七一年の普仏戦争敗北のフランスの戦後
状況を示している。しかし﹃三十歳﹄ではバッハマン流の換骨奪胎が図られている。希望の擬人化は本来、イコノ
グラフィーにおいて春や新生や無垢と関連し、犠牲の歴史が込められるが、バッハマンはそれに自らが経験した
オーストリアの戦後状況を関連づける。この絵には、一九四五年以後のオーストリアの幻想、つまり、無実の犠牲
という集団的幻想が込あられるのである。従ってこの絵を投げ捨てることとは、戦後オーストリアの集団的幻想の
破棄を意味する、とヴァイゲルは考える。
このような戦後状況への批判は一九五三年の処女詩集﹃猶予の時﹂に既に頻出する基本テーマである。バッハマ
56
ンは散文作品においてこの批判を更に徹底し、同時に問題を複雑でかつ微妙なものとして扱う。﹃三十歳﹄では、都
市空間であれ、内面空間であれ、すべての空間に刻み込まれた個人的かつ集団的トラウマを読み解くこと、すなわ
ち﹁想起すること﹂が問題となる。このようにしてバッハマンの散文作品は﹁不思議な新しい能力﹂を有するので
あり、こうした傾向は︸九七一年に出された長編小説﹃マーリナ﹄にも、そしてバッハマンの死後の一九九五年に
出版された草稿批判版﹃﹁さまざまな死に方﹂プロジェクト﹄にも連綿と受け継がれる。本論が﹃三十歳﹄の解約さ
れた部屋に注目するのも、バ田・ハマンの散文作品の基本的手法の萌芽をその部屋の記述から読み取るからである。
ところで、処分に困り放置されている物は、先の複製画だけではない。本、写真、海岸風景のパンフレット、市
街地図もいまだ散在し、手つかずのままである。しかし、これらの物を処分に困り、置き去りにしたのは何も﹃三
十歳﹄の主人公だけではない。バッハマン文学の研究者たちもおそらく﹁それらは単なる物にすぎない﹂と思い、
投げ捨ててしまったのである。バッハマン文学におけるすべての空間を病める身体、すなわち個人的かつ集団的記
憶に起因するトラウマが刻み込まれた身体として読む新解釈を提示するヴァイゲルですら、空間を描く複製画には
こだわったが、それ以外の散在物は全く無視してしまった。本論は、空間のみならず、物にも記憶の舞台を認める
立場から、忘却の彼方に追いやられた﹁本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図﹂を忘却から救い出し、そ
れらの品々のもつ重要性を明らかにすることを以下の論述で試みたい。
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
57
三 様々なる決別
インゲボルク・バッハマンの﹃二.十歳﹄
︵一︶ 本
本とともに部屋を解約すること、それはある意味では自虐的な行為かもしれない。主人公が過去を清算する際に
複数の書物を放置すること、それは書物の中での書物の否定、文字メディアによる文字メディアの自己否定を意味
するのではないか。バッハマンがこうした自虐的な行為に何を託したのであろうか。それを読み解くには主人公の
三十歳直前の経験を.十歳直前の経験と関連づけなければならない。十年前、主人公はウィーン国立図書館で思考
の限界を経験していた。書物に埋もれた静泌㎜な空間ですべての事柄を﹁徹底的に﹂N償国巳⑦考えようとした際に、
﹁万象につながり究極のものにつながる︵鋤鼠ωピ簿恩Φ︶何かをまさに理解しようとした瞬間﹂︵ニー一〇七︶、たちま
ち脳に衝撃が走り、思考は混乱し、いかなる判断も停止せざるをえなくなった。それ以来、﹁彼は終りにいた。﹂国﹃
≦霞山草国巳Φ.︵↓、1一〇八︶そして行き過ぎた思考の失敗は学問への恐怖となった。こうした事態がウィーン国
立図書館で起こったことの意味は大きい。図書館という場所は近代的知の貯蔵庫であり、百科全書的な教養が収束
していく空間であり、とりわけ国立図書館は書かれた記憶を国家が管理する空間である。そして書物とは、古代か
ら近世にいたる﹁[承﹂∋ロコα一一魯ΦOσ①忌Φ皆≡口αqによった集団的記憶を記述したもの、つまり﹁存亡﹂ω。ぼ一零
ZびΦOσΦ葺①け霊コひqによる集団的記憶装置である。オーストリア最大の図書館で主人公が経験した思考の混乱が
一一
これまでの人類の知的営為の破綻、国家による硬直した記憶管理の行き詰まりであるならば、そして学問への恐怖
が破綻した知への忌避を意味するのならば、その十年後に行った書物の放置は印刷術普及以後の文字メディアによ
る集団的記憶との決別を意味する。主人公は二十歳直前に国家が管理する記憶の殿堂を離れ、↓.↓十歳直前には個人
58
が管理する記憶装置を破棄する。近代的な記憶システムとの二重の決別が主人公の過去との解約には伴うのであ
る。いまや主人公には固定化された記憶は不要である。主人公が得た﹁不思議な新しい能力﹂とは生成するダイナ
ミックな想起であって、硬直した記憶システムではない。﹃三十歳﹄という散文は文字メディアをめぐる自虐的行為
を通して人類がいまだ自覚しない新たな想起を模索しているのである。
︵二︶ 写真
本とともに複数散乱するものに﹁じdまΦこがある。前述したしたように一枚の絵が別にあるので、ここでの
﹁bdま頸﹂とは写真、例えば恋人の写真、家族の写真、思い出の風景の写真であろう。あるいは絵葉書や図版の類い
かもしれない。いずれにせよ思い出の一断片で、部屋のどこかに誰もがごく目常的に置くあるいは飾る過去の表象
であろう。言うまでもなく﹁ud一芸興﹂には思い出という意味もある。思い出は見るたびに持ち主の心を癒す効果を持
つ。三十歳直前の主人公はいまや過去の遺物を通じて自らの心を癒そうとはしない。過去との解約には過去の表象
を思い出すこともそれによって心を和ませることも拒まなければならない。むしろ必要なものは痛みである。﹁痛み
を伴う強制力によって、浅い深いにかかわらず、自らの歳月のすべてを思い出す﹂︵一.一九四︶行為が自らの内にや
どる﹁不思議な新しい能力﹂である。いまや主人公は対象を介しての間接的想起ではなく自らを想起の対象とする
直接的想起を獲得し、思い出の一部を対象にする断片的想起ではなくすべての自己の経験とかかわる総体的想起を
我がものとする。そして新たな想起を統括するのは快楽原則ではなく、いわばトラウマである。
部屋の中の放置物として本とともに写真が挙げられていることにも意味がある。ここでは、文字メディアによる
記憶装置の次に、印刷術の発明前の時代、とりわけ中世とルネッサンスに広く流布した古代の記憶術が問題になる。
それはギリシア神話に登場するケオスの詩人シモニデスの逸話に端を発する方法で、脳裏に浮かぶ都市や部屋など
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
59
インゲボルク・バッハマンの﹃一.一十歳﹄
︵16︶
の﹁場所﹂δ。一に記憶したい事柄を﹁イメージ﹂巨帥σqヨΦωとして配置する伝統的記憶術である。別言すれば、空間
に表象を押し込む記憶術である。前述したように、主人公は二十歳直前に近代に建てられた国立図書館を忌避して
いた。そして三十歳直前で見切るのは、印刷術の普及とともに一般に流布した書物であり、そして古代の記憶術に
必要不可欠のイメージである。ここでは、古代の記憶術で場所に押し込あられるイメージと枠の中に入れられる近
代の写真とは相関関係を有する。部屋という空間の解約とともに写真というイメージを放置すること、それはすな
わちイメージを固定化させる記憶術と快を分かつことに他ならない。こうしてすべての過去の解約の際に近代の記
憶システムも古代の記憶システムも不要となる。
︵三︶ 海岸風景のパンフレット
観光案内のちらしであろうか、海岸風景のパンフレットも部屋に放り出されたままになっている。おそらく美し
い海岸と紺碧の空、すなわち陸と海と空の風景写真が載せられているにちがいない。その風景は、主人公が実際に
訪れた場所、あるいはいっか訪問を希望していた場所であろうか、いずれにしても主人公と何らかの形でかかわる
空間である。部屋の解約の際にこの見慣れた過去の空間とも縁を切ることは、主人公の行為であり、また同時にそ
れ以上の行為でもある。バッハマン研究においてしばしば問題となるジャンルの変更とは、詩から散文への単純な
変更ではなく、拝情詩を中心とするさまざまなジャンルの執筆活動に終止符を打ち、散文のみに集中する創作活動
に移行することである。その意味で散文集﹃三十歳﹂は拡散的創作活動から集中的創作活動への移行の最初の成果
︵17︶
である。表題作の﹃一、一十歳﹂は新しい創作活動のための一種の宣言書であり、そこに新しい問題意識が提示されて
いると本論は考える。
処女詩集﹃猶予の時﹄の冒頭に﹃出航﹄という詩がある。かつての創作活動を代表するこの詩を新たな創作活動
60
を代表する散文﹃三十歳﹄と比較検討することは意味深い。とりわけ両者の類似と相違は重要である。﹃出航﹄では、
陸と海と空という三空間がそれぞれ時間性を獲得する。一人の出航者が慣れ親んだ陸地を離れ、未知の大海へと進
み、﹁永劫回帰する太陽の岸辺﹂︵一−二九︶をあざす。ここには過去との決別と現在の危機的状況と未来へのユー
トピア志向がある。﹁出航﹂は新しい方向性を模索する戦後のドイツ語圏社会で好んで用いられたモチ⋮フである
︵一
│二八︶
が、バッハマンもこのモチーフを好んで採用する。但し、戦後状況に限定することなく、人間の普遍的な危機状況
に置き換え、問題を拝情性に満ちたことばで歌い上げる。
千 の まなざしの暗い水面が
白 い 顔からまつげを開き
おまえを凝視する、目を丸くし、 時間をかけ
三十日をかけて。
慣れ親しんだ空間を離れた出航者の﹁三十日﹂は、過去と決別する﹃三十歳﹄の主人公の三十年に匹敵する。しか
し、朝の光をめぐって両者は微妙に異なる。詩の出航者にとって最善のことは、労働に明け暮れながらも、﹁朝/最
初の光とともに心晴れやかに/確固たる大空に向かう﹂︵一−二九︶ことであり、絶望的状況においても未来への希
望を失わないことである。﹃出航﹂においては、朝の光は再出発を可能にする。その意味で朝は常にひとつの﹁始ま
り﹂である。しかし、散文の主人公にとって朝の光は再出発を不可能にする﹁苛酷な光線﹂にすぎず、その意味で
朝はひとつの﹁終わり﹂である。
また、木をめぐっても両者は微妙に異なる。詩の出航者は、その視界に陸のものが何も入らなくなる直前、目を
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
61
インゲボルク・バッハマンの﹃..十歳﹄
こらしながら一本の木を見て、﹁あとどのくらい/あとどのくらい/その曲がった木は風雨に耐えるのであろうか﹂
と自問する。この時、海原の出航者は自己の苦境を﹁一本の枝を風によって既に落とされてしまった﹂︵一一二九︶
この木と重ね合わせる。とするならば、この詩は一方で現在から未来への志向を抱き続けながら、他方で現在から
過去へのベクトルも失わないでいる。﹃出航﹂におけるこうした過去・現在・未来の連関は拡散的創作活動期のひと
つの特徴となるが、集巾的創作活動期はそれとは異なる連関とともに出発する。散文の主人公は過去と完全に断絶
することを望む。そうした断絶以外に出発はありえない。この峻酷な決意には何ら個人的な過去が入り込む余地は
ない。もしひとつの可能性があるとすれば、それは例の﹁不思議な新しい能力﹂によって想起することであろう。
但し、想起されるものは個人的な過去ではなく、個人の意識では届かぬ過去である。始まりとしての朝を失い、自
己の終焉に世界の終末を重ねる散文の主人公が抱く希望は、過去との決別の他にあるとすれば、それは﹁木を植え
ること。子供をつくること﹂である。その時、植樹と育児とを同一視しながら、﹁彼はりんごを食べることを好まぬ
が、りんごの木にはこだわる﹂︵ニー一〇六︶。このこだわりは﹁地表のすべてを満たす樹木と子供たち、疹癬かき
の不具の樹木、飢えた子供たち﹂、すなわち終末的現在に向けられるのではなく、遥か遠い記憶以前の過去、西洋人
にとっての人類の始原に向けられる。散文の主人公はいまや時空を越え、自己の意識を越えて、人類の始原を想起
し、エデンの園の記憶をさぐり、そこから出発することにこだわっているのである。このような極めて根本的な過
去へのこだわりによって初めて新たな人類の歴史、真の再出発が可能になる。
︵ 四 ︶市街地図
散文﹃三十歳﹄では空間も物もすべて記憶の舞台である。主人公が﹁想起という網を投げだし、自分の上に投げ
かけ、自分自身を曵きあげる﹂行為は、ウィーンを離れイタリア各地を経てウィーンに戻る自己探究の旅、つまり
62
クロノトポスであった。ひとつの円環を閉じるような空間移動によって﹁漁師と獲物がひとつになる﹂。主人公は
﹁放浪生活﹂の終焉、﹁出発点﹂への帰還を望むとき、﹁ふるさと﹂という言葉の使用をそれとなく避けるが︵二一一
一八︶、それは断ち切った過去への帰還が不可能であることを予感していたからであり、そして実際に帰還後の
ウィーンでその不可能性を実感する。そのとき主人公は﹁以前だったら決して入ろうとはしなかったレストランに
入ったり﹂、本屋でウィーンの﹁市街地図﹂︵ニー一一九︶を買い、いわゆる観光名所を訪れたりもする。それは解
約した過去の空間に未知の虚血を探索し、新たな経験を書き加えようとする試みである。しかしそうした試みはす
べて水泡に帰する。新たな経験で過去に手を加えることはできない。記憶の書き換えは不可能である。やはり﹁市
街地図﹂は要らない。部屋を解約した際に﹁市街地図﹂を不要としたように、帰還後に買った﹁市街地図﹂も投げ
捨てなければならない。﹁漁師﹂にも﹁獲物﹂にも地図は不要である。
ところで主人公が部屋に残した﹁市街地図﹂は﹃一、一十歳﹄においていかなる意味を有しているのであろうか。そ
してそもそも地図とは何であろうか。やはり地図も、図書館や本や写真と同様に、近代的な記憶システムの中で重
要な位置をしめる。地図、とりわけ市街地図は、文字と記号によって都市の記憶が視覚化されたメディアである。
ヨーロッパの都市空間は、偉人や英雄の名前や革命や凱旋などの記念日の名称がつけられた通りや広場、つまり集
団的記憶の舞台で埋め尽されている。こうした三次元の舞台を二次元の傭三図に置き換えたものが地図である。
この二次元空間には、過去の遺物とともに死者が棲む。そこは﹃一、一十歳﹄の主人公にとって﹁すべての人々が幽
霊になってしまった世界﹂︵二一二ご.︶であり、モルで満たされる世界である。このモルという人物は﹁あらゆる
片隅、あらゆる終焉にたえず姿を現わす﹂いわば変幻自在の﹁ヒドラ﹂である︵二一=一三︶。あるときは主人公の
﹁分身﹂室屋Φσqoであり、あるときは世間である。またあるときは友人であり、あるときは見知らぬ男である。い
ずれにしてもモルは過去の記憶の空間を闊歩する。主人公が過去を解約し、モルと縁を切るためには、﹁市街地図﹂
インゲボルク・バッハマンの﹃二十歳﹄
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インゲボルク・バッハマンの﹃.一、十歳﹄
なしの人生を歩まねばならない。
その後主人公は冬の夜に鈍行列車にのって当てのない旅にでる。いわば地図を持たない旅である。旅そのものは
いまだ彼が望む旅ではないが、列車の衝突事故がひとつの成果をもたらす。すなわち事故の瞬間、かつてのウィー
ン国立図書館で得たような衝撃が彼の頭にもたらされ、その後、彼はウィーン市街の夢を見る。但しそれは見た瞬
間から﹁その街がどのようであったか、そしてそこで自分がどのように生活したかをいつまでも想起する﹂︵ニー一
二六︶ような夢であった。衝突事故の際に列車が脱線したのかもしれない。そして列車の脱線によって別の次元の
﹁脱線﹂が起こる。ここにおいて散文の文体から﹃ウンディーネ行く﹄と共通する文体、つまり、限りなく拝情詩に
近い文体に変化する。夢の中のウィーンを語る第十二節は、次のように始まる。
保 証 なき街よ!
私に語らせてくれ、どこかよその街ではなく、いくたの年の私の不安と希望が網にかかった、あの唯一の街のこ
とを。大柄の、だらしない身なりの女漁師さながらに、あいもかわらずこの街が悠然と流れる大河のほとりに座
し、そばでいまだ座り続け、銀色の腐った獲物を引き上げる様子を私は見る。不安は銀色になり、希望は腐る。︵ニ
ー一二六 ︶
脱線したのは列車や文体ばかりではない。主人公の心も然りで、意識の相から無意識の相へと脱線する。彼は﹁不
思議な新しい能力﹂によって夢の中で無意識の相に書かれた地図をたどる。その地図にはひとりの人間の個人的経
験というよりも、都市における集団的経験が書かれている。﹁漂流物の街﹂、﹁トルコの月の街、バリケードの街﹂、
﹁終焉の街﹂、﹁火刑の薪の山の街﹂、﹁沈黙の街﹂、﹁俳優の街﹂、﹁屍臭が漂うペストの街﹂など、主人公がたどったの
64
︵二一一二八︶
そのときである、
は時空を越えた都市の記憶である。そして二頁半にわたる夢の記述の中で最後に忘却が克服される。
私も目にしたある一日の輝きを思い出させてくれ、緑と白の粉飾なき輝きを、
それは通り雨のあと、
街は洗われ、浄められ、
ノ︷五 噸ノ﹂ ■噌層■ ‘ 6 ︵ 看 ﹂ 甲ノ
封名弊畢形こそD亥、い旗ら、
その強壮な心臓から走り出て、浄められ、
子供たちがどの階においても新しいエチュードを習い始め、
市電が過ぎ去りし年月のすべての花輪とアスターの花束とともに中央墓地から戻ってきた、
それは復活であった、
死からの、
忘却からの。
忘却からの復活、そのためには時間と空間が制約された二次元の地図、過去の記憶システムの地図ではなく、時空
を越えた無次元の地図、新しい想起のための地図が不可欠である。無意識の相を闊歩するためには、﹁漁師﹂にも
﹁獲物﹂にも新しい﹁市街地図﹂が要るのである。
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
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インゲボルク・バッハマンの﹃...十歳﹄
四 トポスへの参入
以上、本論は忘却の彼方に追いやられた品々を忘却から救い出し、細部へのこだわりから作品全体を北上するこ
とを試みた。本論が解約された部屋、とりわけ﹁本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図﹂に注目したのは、
バッハマンの記憶をめぐる新たな問題意識と独自のコ、一十歳﹂のトポスをそこから読み取ったからである。バッハ
マンがコ.一十歳﹂という伝承領域に踏み込んだときに行ったことは、主人公の生活空間で意味を失い放置されたも
のに、意味を与え、忘却から救済されるときを待たせたことである。コ枚の小さな複製画﹂だけに解説が付けられ
たことにも、それなりの意味がある。つまり、﹁どうしてよいか分らない物﹂︵ニー九七︶としての﹁本、写真、海
岸風景のパンフレット、市街地図﹂にもそれなりの解説が付けられる余地が残されたのである。
﹁本、写真、海岸風景のパンフレット、市街地図﹂についての本論なりの解読を確認しておこう。旅立ちのための
部屋の解約には、新しい想起のため決別、つまり、これまでの想起からの決別が込められており、そうした決別を
具体的に示すのが上記の品々の放置であった。まず本の放置は過去の記憶システムとの決別を表わす。いまや主人
公が求めるのは硬直した記憶ではなく、常に生成するダイナミックな想起である。また、複数の本とともに複数の
写真が放置されることで、近代のみならず、古代の記憶システムも決別の対象になる。主人公にとって重要なのは、
対象を介しての間接的想起ではなく、自らを想起の対象とする直接的想起であり、その際、快楽原則に基づく断片
的な個人的記憶よりも、トラウマ的強制力を有する総体的な集団的記憶に重きが置かれる。そして第三番目の海岸
風景のパンフレットにおいては、作者自身のジャンル変更の問題ともかかわり、過去・現在・未来の連関をめぐる
畑島の二つの思考が対比される。詩﹃出航﹂では、一方で時間的推移とは逆に現在から過去を見るベクトルがあり、
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他方で過去と現在の絶望的状況を止揚した状況として未来が措定されている。これを図示するとく︽過去→現在︾←
未来﹀となる。これに対して散文﹃三十歳﹄では、個人的記憶より集団的記憶に重きが置かれ、未来は現在から人
類の始原としての過去を想起することによって初めて可能となる。これを図示するとく現在←過去←未来﹀となる。
最後の市街地図の放置をめぐっても、時空の制約を受ける個人的記憶よりも時空を越えた集団的記憶が重視され、
意識の相ではなく、無意識の相に忘却からの復活が認められるのである。
しかしながら、主人公がウィーン市街の夢から醒め、無意識の世界から意識の世界に戻ったとき、問題視される
のは集団的記憶の忘却ではなく、いまだ個人的記憶の忘却である。主人公が﹁つねに絶対を愛し、絶対への出発を
愛し続け﹂︵二一一二九︶、そして一人の女性への愛を通じて絶対的愛を模索する時、それを阻む第一.一斗、つまりモ
ルが現れ、﹁かつて引き受けた義務を、病人を、身内の者を、旅行者を、あるいは仕事の期限を忘れないように警告
する手紙﹂︵ニー一二九︶を主人公に渡す。絶対的愛の模索は個人的記憶の忘却への警告によって阻まれる。また、
主人公が日記に﹁大いなるストライキ。旧世界の一瞬の停止。この旧世界のための仕事や思考の中止。歴史の解約、
無政府状態のためではなく、新たな基礎づけのために﹂︵ニー=二一︶と書き、そして﹁新しいことばなしには新し
い世界はない﹂︵ニー=二二︶という主張で日記を締めくくっても、彼が駆使できるのはいまだ手紙の常套句のよう
な旧世界のことばだけだったのである。
では、想起をめぐるクロノトポスはどのように幕を下ろされるのであろうか。それは意外に呆気ない。但し、そ
の呆気なさが重要である。主人公はその後、春を迎え、五月を迎え、その間、交通事故に遭い、若い男が主人公の
身代わりのように死ぬ。炎となって燃え上がったその男はモルだったのであろうか、その死をきっかけに主人公は
﹁世界を登場させる最初の文章﹂︵二i一三六︶を獲得する。その時、主人公は一、一十歳になる六月の誕生目に近付き、
死からの復活を、新しい出発を意識する。こうして始まりに﹁終わり﹂が置かれた﹃三十歳﹄は、いつしか﹁始ま
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
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インゲボルク・バッハマンの﹃.一、十歳﹄
り﹂とともに終わることになる。三十歳の誕生日を﹁ドラを鳴らして告知する者は誰もいない﹂︵ニーご二七︶。
無意識は人知れず意識に混饗する。両者がいつどのように混濡するかは意識の側からは分からない。無名の主人
公もバッハマンも、いつしか前人の轍跡を踏み、三十歳のトポスに参入していたのである。畢呈するに、﹃二十歳﹄
という作品それ自体が﹁一枚の小さな複製画﹂なのかもしれない。それも﹁どこから手に入れたのかを思い出せな
い複製画﹂である。但し、投げ捨ててはいけない。
注
︵1︶ ↓げ○∋餌go 7一P口= O鳴の自ミミ鳴、琳O 壽﹁澄鳴門§N働切織ミ. 閃﹃①づズh信﹃暦⑳.7ド 一り刈轟響︼W自層d︵りQつ.癖㊤ド
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︵4︶
︵5︶ 国憎づωけ刀Oσ①国け〇二﹁鉱¢ω 更湯西目蹄O討鳴卜賊討ミ嚇自、袋§織N黛鷺軌詰賊GりO討恥⑦§鄭ミN自、討、● じu①﹃ロ 一㊤癖oQ鴇Gつ・一一P
︵6︶ 団 げ α ﹂ ω . 一 一 ト ○ .
︵7︶小黒康正﹃黙示録を夢みるとき トーマス・マンとアレゴリー﹄、鳥影社、二〇〇一年、二〇六頁。
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︵8︶ ↓び①○αO﹃① N一〇四聖O≦・ωズ一 の馬ミ隷駄ミ越詰 織鳴の ミNO織驚、謎鴨謡 沁Oミ§詰の’ b鳴自融ら評鳴 馳鳴帖魯帆鳴隷 §註織 鳴ミ﹁Q暦斜傍6︸鳴 N§Gり自ミNミミ謡︸籍謎晦頸
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インゲボルク・バッハマンの著作の底本としては以下のものを用い、本文中の引用にはその巻数とページを︵ニー九七︶の
︵13︶
形で示す。ぎαq①σo﹃ひqbσ餌07∋ゆコ﹃き寿箇寓話αq・<oコ○ぼ凶。・甑づ①内。ω畠①一[F鋤.].らじdぎα①層ζ言。ゴ①コFN貯貯びお㊤ω
︵ZΦ轟ロωひq①げΦ︶●なお、訳出の際には、次の既訳を参照した。インゲボルク・バッハマン﹃三十歳﹄、生野幸吉訳、白水社、一
九七二年。
︵14︶<﹃①一αqΦ一ゆ9・釦曾Oこ Qつ。◎◎9
︵15︶<﹃①一σq①一層鋤●鋤●○こ ω・トのり︷隔・
︾一①一αO︾ωのヨO切コ 肉註.蕊皇考§当局蕊袋ミN蝉物◎ミ鳴謎袋謎織 雪男織、殺謡σq鳴嵩影向もり澄§、、ミ越鳶鳴謡O羽織翫ら︸貼嵩帆もりの鴨Gり・ り∼口づOゴ①ロ 一〇りPω.ωGnhh・
︵16︶
≦①一凶①r ◎。P。03 ω・蒔①hh。
︵17︶
インゲボルク・バッハマンの﹃三十歳﹄
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