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パティオ - 高岡市美術館
TAKAOKA ART MUSEUM NEWSLETTER 高岡市美術館ニュース 2014年3月31日発行 パティオ 30 横山大観(1868−1958) 《雨晴義経岩》 1903年 絹本彩色・額装 縦40.0×横77.5cm 画面右下に落款印章:為武田兄雅嘱/癸卯之秋/大観 朱文方印「大観」 高岡市美術館蔵 【 巻 頭メッセージ 】高岡からの文化発信をめざして(村上 隆) 【 E s s a y ① 】彼谷芳水−創造のあゆみ(宝田 陽子) 【 E s s a y ② 】博労小学校卒業制作コレクションのご紹介(竹内 唯) p.2 p.3 p.4−p.5 【 新 任 職 員 紹 介 】高岡市美術館に勤務して(竹腰 早希) p.6 【 表 紙 作 品 解 説 】来館者が選んだベスト・コレクションは横山大観《雨晴義経岩》 (山本 成子) p.7 【開館20周年プレ報告】PATIOのあゆみ p.8 【巻頭メッセージ】 高岡からの文化発信をめざして 館長 村上 隆 平成25年度もそろそろ大詰めにさしかかっています。ここで 改めて25年度の企画展を挙げてみましょう。「第19回 高岡市民 美術展」、 「第52回 日本伝統工芸富山展」、 「女性アーティスト展 私たちは越えていく」、 「ドラえもんの科学みらい展」、 「画家 岸 田劉生の軌跡 ∼油彩画、装丁画、水彩画などを中心に∼」、 「第 43回高岡市芸術祭 高岡市美術作家連盟展」、 「ジュニア☆アート ☆ワールド 2013-2014」、 「ものづくりでつなぐ高岡 第8回『もの づくり・デザイン科』作品展」、 「富山大学芸術文化学部卒業・修 了制作展 GEIBUN5 めぐる 」と続きます。さらに、新たに「ビ ちなみに、この展覧会は、高岡展のあと、愛知県、福岡県、新潟 コーレギャラリー」と改名した2階展示室におけるコレクション 県と巡回することが決まっています。 鋳物に代表される金属工 展として、 「原点−工芸作家たちの若き日−」、 「彫刻家群像−村 芸の町、高岡から全国に発信する展覧会がどのような効果をも 上炳人を中心に−」、 「高岡市美術館開館20周年記念プレ企画 あ たらしてくれるのか、楽しみにしています。 なたが選ぶベスト・コレクション展」も加えると、たいへん盛り これに続いて、秋には「奇想天外 江戸の劇画家 国芳展」を行 だくさんの1年であったことがわかります。 一見ランダムに見 います。江戸から明治にかけて活躍した絵師国芳の強烈な個性 えるかもしれませんが、美術愛好家にじっくり鑑賞していただ が会場一杯に躍動する展覧会になると期待しています。目の肥 く本格的な展示、親子連れで楽しんでもらうイベント的要素を えた高岡の方々にも大いに楽しんでもらえることと思ってい 持った展示、地元作家の顕彰、小学生から大学生に至る美術教 ます。 そして、さらに26年度には北陸新幹線の開通もあり、これに 育の振興や市民展も含めた市民参加型の展示というように、い 向けて美術館も新たな発信をしていくことを考えています。 くつかのテーマを掲げて取り組んできたつもりです。 平成26年度は、高岡市美術館が現在の地に移転して20周年を 私が高岡市美術館長をお引き受けし早2年が過ぎようとして 迎える記念の年にあたりますので、大型の企画展を行う予定に います。 高岡からいかに文化発信していくか、そして美術館が しています。まず、私が企画・監修させていただく特別展「メタ その発信基地としての役割を担えるのか、常に念頭において美 ルズ ! −変容する金属の美−」を夏に開催する予定です。金属を 術館運営を考えているつもりです。 今年度新しい学芸員も加 素材とした古代から現代に至る造形作品をさまざまな観点から わってくれました。20周年に向けて、職員一同、力を合わせて 俯瞰する展覧会です。 古代の銅鐸はもちろん現代作家の彫刻ま いく所存ですので、さらなるご支援、ご協力をお願いする次第 で、これまでにない斬新な展示空間を構成しようと構想中です。 です。 Topics 美術館入館者数 200万人達成 さる2013年12月21日、当館では 1994年9月のリニューアル・オー プン以 来 の 入 館 者 が 2 0 0 万 人 に 達 し、記念セレモニーが行われました。 200万人目は高岡市在住の北山和之 さんらご家族3名の皆さんです。 ありがとうございました ! −2− 30 【Essay①】 彼谷芳水−創造のあゆみ 主査学芸員 宝田 陽子 代にわたる高岡漆器の一大デザインアーカイヴといえる。 漆芸家の彼谷芳水氏が平成6年に亡くなってから、間もなく20 年になる。 平成22年、ご遺族からご寄託のお話があり、翌年の 膨大な資料のうち、展覧会開幕までに実際に詳細をみること 春にあらためて調査に伺った。 彼谷家に遺された作品は日展や ができたのは1000枚ほどで、途中博物館実習生の手も借りなが 県展など各種展覧会に出品された漆芸パネルが中心で、そのほ らスナップ撮影を行った。 年記のあるものは少なく、絵の様式 とんどが昭和40年代から50年代の作であった(註1)。 約20点の作 だけで作者と時代を特定するのは困難だが、商工展出品作の《彫 品を拝見した後、その精緻で多彩な仕事ぶりにあらためて驚き 漆牡丹文飾盆》 (昭和6年)、《貝石象嵌草花文飾棚》 (昭和12年)、 を覚えるとともに、作家の没後に育った高岡の新しい「ものづ 新文展出品作の《貝石象嵌花文手筥》 (昭和14年)などの下図は、 くり・デザイン科」世代のためにも、これらと当館の所蔵品をあ 過去2回の回顧展図録の写真により作品と照合、年代を確定する わせた展覧会を開催し、彼谷氏の仕事を再考する機会をもちた ことができた。これらは輸出向け工芸品のデザインが商工省を いと考えた。 中心に盛んに研究されていた時代の雰囲気を十分感じさせるも 彼谷氏の最初期の作品は当館所蔵の《玉石嵌入花鳥山水文勇 ので、洋紙に描かれた類似するスケッチや下図は同様に昭和初 助塗茶棚》で、大正14年の作である。 当時作家は26歳、4年後に 期に制作されたものと推測される。 輪郭が整理され幾何学的に は石井勇助のもとを辞し、富山県工業試験場漆芸部に勤務して 再構成された下図は、当時の産業工芸における流行を反映する いる。この昭和戦前期の作品が彼谷家と当館の所蔵品にはなく、 ものでもあるが、中国風の人物風俗や山水画、花鳥画など、流麗 過去2回の回顧展の図録にも例は少ない。しかしながら、都市部 な筆致による絵画的な描法が主流だった明治から大正期の勇助 で「工芸の青春期」ともいうべき重要な工芸運動が展開されて 塗の図案とは趣を異にし、彼谷氏の戦後の作品にみられる簡潔 いた時代とまさに時を同じくして青壮年期を迎え、中央と連携 で大胆な構図にいたる昇華の過程を彷彿とさせる。 父から子へと受け継がれてきた勇助塗の直系は三代で終わり、 のある工芸指導機関に身を置いていたことが後年の作家にどの ような影響を与えたか、常に気になっていた。 幸い彼谷家には その後継として勇助塗のありようを戦後に伝えた彼谷氏の功績 古い下図や図案類など資料が豊富に遺されており、これらを調 は大きい。その特徴を「古代朱色あるいはうるみ色の艶消塗で、 べることで時代の空白を補いながら、その後の展開の考察を深 その面に中国風の花鳥、山水、人物などを錆絵でたくみに隆窪起 めることとした。 伏をつけて彩漆したもの、または漆で模様を描き金箔をつけた箔 彼谷家の資料は生前に作家自身がある程度整理を行っていた 絵、あるいは存星、密陀の技法などによるもの」と様式的、技法 ようで、硯箱・盆・床卓・天板・棚など器物ごとの分類、箔絵・錆 的に定義づけたのは彼谷氏だが、一方でこう付け加えることも 絵・石貝など技法による分類、山水・唐草文・古代模様・近代な 忘れていない。 「非常に手の込んだものにありがちな、技に走る ど文様による分類がなされていた。 下図のほとんどには置目の というところはなくて、一種の気韻と雅趣に富んだ作品をつくっ 痕が残り、これらすべてが実制作されていたとすれば相当な数 (註2)。その言葉を自身の制作のなかで示したことが、 ています」 である。ご遺族のお話では、こうした資料は必ずしもすべてが 勇助塗を現代に継承した者としての矜持ではなかっただろうか。 彼谷氏の手によるものではなく、石井家伝来のものから工業試 験場のものまで含まれているという。実際、 「石井勇吉」 「石井勇 註 介」 「漆工部(富山県工業試験場と考えられる)」の印や記名があ るものも散見され、彼谷氏の筆であることを示す「喜雀庵」の印 1)各年代の展覧会出品作品については、「郷土出身作家シリーズ 彼谷芳 水回顧展」 (富山県民会館美術館、1993年)図録が詳しい。 や「芳水」と書かれたものは同じ頻度でしか見当たらず、無記名 2) 『新装合本 漆芸事典』光芸出版社、2004年、p129 のものが圧倒的に多い。 作品自体の所在がほとんどわからない ※常設展「彼谷芳水−創造のあゆみ」は平成24年7月6日から11月4日まで 開催された。 いまとなっては、これらの下図類はさながら明治・大正・昭和三 彼谷家所蔵下図Ⅰ(左) 裏面には置目の痕が残り、明治または大正期に制作さ れた高岡漆器下図と考えられる。 作者不詳。 中国で刊 行され、江戸時代に日本でも絵手本として利用された 版本『八種画譜』に同様の図が掲載されている。 彼谷家所蔵下図Ⅱ(右) 昭和初期の作と考えられる。 裏面に置目はなく、デザ イン案か。伝統的な吉祥文様である桃・ザクロを扱って いるが、色・構図ともにモダンな要素をうかがわせる。 −3− 【Essay②】 博労小学校卒業制作コレクションのご紹介 学芸員 竹内 唯 人々は、学校教育という新しい制度に対して必要性を強く感じ 1. はじめに なかったのであろう。 同校では、そのような状況の中で就学率 高岡市立博労小学校は、明治34(1901)年に開校した、市内で を上げるべく、在校生が地域の各家庭を訪問して就学の勧めを も歴史のある小学校である。 同校は100年以上にわたって多数 説くなどの方策をとっていたようだ。これから入学する児童に の児童を輩出してきたが、創校時から現在まで継続して児童の 対してそのような働きかけを行いつつ、出ていく児童とのつな 卒業制作作品を収蔵し続けているという注目すべき取組みを がりを確保するための取組みも行っていた。つまり、卒業生に 行っている。2013年度の企画展「ジュニア☆アート☆ワールド 対する取組みである。それが、卒業制作とその収蔵であった。 2013-2014」 (2013年12月1日−2014年1月5日)を開催した際、2013 これが現在まで続く卒業作品コレクションの始まりとなった。 年から数えて80年前、つまり昭和8 (1933) 年度に制作された卒業 しかし、時が経つにつれて当初の目的は忘れ去られていった。 作品を一部展示した(「過去へトリップ ! 80年前のぼく/わたし」、 しかし制作と収蔵は続けられた。 作品は、物置などに分散して 企画展示室2にて・図1)。ここで、展示で紹介しきれなかったこ 放置されていたが、昭和43(1968)年、小沢昭巳教頭(当時)が同 の興味深い作品群の概要について紹介したいと思う。 コレクションに注目し、PTAとともに整理を始めた。 近年では 東京学芸大学による調査も入り、作品の整理は概ね完了してい る。現在、正月とお盆の時期に、同校付属の展示施設「博労おも いで館」を開館して作品を公開している。 2. 博労小学校と卒業制作コレクションについて 前述の通り、博労小学校は創校時より児童の卒業制作を収蔵 し続けている。 同校は明治34(1901)年に博労畳町尋常小学校と 3. 作品の内容について して誕生した。 大正5年に岡村直吉校長が就任してからは、ス ポーツの強化と地域の結びつきに重点をおいた学校運営(「博労 卒業作品には、図画 (絵)、書、綴方の3種類が存在する。 創校 教育」と呼ばれる)を行った。その結果、スポーツ強豪校として、 当初は書を寄せ書きした掛軸1点のみであったなど、形式の揺れ また、出席率を市内ナンバーワンに押し上げた小学校として有 はあるが、以上に挙げた3分野を制作するのが概ね定番となって 名になった。 いた。また、少なくとも戦後からは、その年のクラス担任が卒 卒業作品の制作と収蔵は、今年度ももちろん継続している。 業制作の方針を決定しているようだ(例:1年間に制作した作品 110年以上にわたって単一のテーマで児童作品のコレクション から残す作品を決める、卒業制作としてテーマを決めて制作す が継続しているという例は、今のところ他に例がないように思 るなど)。 われる。地域の文化資源として非常に貴重な事例といえよう。 110年以上にわたる卒業作品群が持つ膨大な情報と内容につ 卒業作品の制作・収蔵が始まったきっかけは、以下のような いて、ひとつひとつ精査することはここではできない。しかし、 事情があったといわれている。すなわち、多くの職人が暮らし 借用させていただいた昭和8年度作品について見てみると、バラ ていた博労校下では、学校教育を受け入れる素地が定着しにく エティに富んだ作品を見ることができた。 く、同校は不就学や退学の多さに頭を抱えていた。 徒弟制度に 例えば、静物画や風景画などが比較的多く残っているが、こ よって技術を受け継いでいく伝統的なやり方が既にあったので、 れらについては、授業の中でテーマを設定して一斉に描いたの (図1) −4− 30 であろうか。 (図2)に掲げた作品に描かれている瓶は、飲料「カ ルピス」の初代瓶であり、当時の高岡での生活が垣間見えるよ うだ。また、 (図3) は着物などの図案である。 高岡捺染の膝元・ 千保川の近隣地域としての博労校下を反映している。 作品の模写もある。(図4)は、《東海道五拾参次 由井 薩埵嶺》 (歌川広重)の構図を、色を変えてトレースした作品である。 小 学校児童が、浮世絵をどのような場面で見たのだろうかと、想 像がふくらむ。まだまだ紹介したい作品は沢山あるが、このあ たりでとどめておくことにしよう。 少し取り上げるだけでも、 同コレクションが110年間の高岡の子どもの表現を記録し続け ていたことがお分かりいただけたと思う。 4. おわりに (図2) 博労小学校卒業制作コレクションは、その存在が発掘され知 られるようになって以来、その長い歴史やテーマの面で注目を 浴びるようになっている。しかも、同コレクションの取組みは 現在も続いている。 家系3代にわたって作品が残されている例 もあるという。この作品群が、地域の人々を世代を越えてつな ぐものとして存在し続けていることは重要な事実である。この 特異な卒業作品コレクションには、高岡の美術、文化、子どもた ちの歴史を発掘する大きな手がかりが秘められているのではな いだろうか。 高岡のこの貴重な文化資源に関して、研究が進展 することを期待したい。 参考資料 (図3) ・博労小学校史編纂委員編『博労小学校史』高岡市立博労小学校、1971年 ・高岡市立博労小学校編『博労児童作品史』高岡市立博労小学校、1981年 ・ドキュメンタリー「12歳が描いた20世紀∼ある小学校に残された1万枚 の絵∼」北日本放送、1997年 (図4) −5− 【新任職員紹介】 高岡市美術館に勤務して 学芸員補 竹腰 早希 平成24年10月より学芸員補として高岡市美術館に勤務し、1年 した。そのなかで作品情報に訂正や変更、追加があったりする 余りが経ちました。 私がこれまで主に取り組んできたのは、当 と、収蔵品台帳に随時記入し、より精度の高い台帳になるよう 館のコレクションを掲載した『高岡市美術館 収蔵品図録2011年 更新していきました。また、今回の収蔵品図録はカラー図版の 度版』の作成です。 収蔵品図録の作成作業は初めてであり、大 ため、色校正にも取り組みました。それぞれの作品図版の色が 変貴重な経験となりました。 正しく出ているかの確認作業なのですが、なかなか原稿に作品 『高岡市美術館 収蔵品図録2011年度版』は、約2年半の歳月を の色を表現するのは難しく、特に絵画は苦戦しました。 原稿の かけて作成されました。この収蔵品図録の作成に伴い、まずは 作品図版と作品を何度も比較して、少しずつ色を調整し、作品 収蔵品の基本情報の収集、保存状態の確認・記録、収蔵品の採 の色に近づけていきました。 寸、技法・材質等の調査研究、収蔵品情報の疑問点の検討などが こうした作業を経て完成した最新版の収蔵品図録には、平成 行われ、収蔵品台帳が整備されました。これらの情報は、カー 23年度までに収蔵された、金工、漆芸、陶芸、木工、染織、日本 ド式、デジタル式の2つの収蔵品台帳で管理、保管されています。 画、油彩画・アクリル画・ミクストメディアほか、水彩画・鉛筆 また、作品画像の整備も行われ、ポジフィルムで保管されて 画・素描、版画、ポスター、彫刻、書、写真の13部門、1,149件、 いた画像がデジタルデータ化されました。 未撮影の作品につい 1,255点の作品が掲載されています。カラー図版となり、より魅 ては新たに写真撮影を行い、全収蔵品において画像のデジタル 力的な収蔵品図録に仕上がりました。また、これらの収蔵品情 データ化が完了しました。デジタルデータ化された画像は部門 報や画像は、文化庁の運営する「文化遺産オンライン」でも公開 ごとに整理され、検索しやすく、手軽に利用できるようになり されています。ぜひ多くの方に当館のコレクションを知ってい ました。 ただき、鑑賞を深めていただければと思います。 続いて、収蔵品図録の体裁・仕様の決定、作品情報の原稿作 収蔵品図録が完成した現在は、主に図書資料の収集・管理業 成、分類・員数の検討などの作業が行われたのですが、私が作業 務を担当しています。 購入した図書や雑誌をはじめ、全国の美 を開始した時点では、これらの作業はほぼ完了しており、収蔵 術館、博物館などからご寄贈いただいた展覧会図録や収蔵品目 品図録の発行に向けて最終段階でした。 前任者から業務を引き 録、年報、紀要、報告書などを当館の蔵書として登録し、書庫で 継ぎ、まずは収蔵品画像やご寄贈者名の掲載許可をいただく事 管理しています。また、これらの図書資料以外にも、他館の展 務作業を行い、その後、原稿の校正作業に取りかかりました。 覧会チラシやスケジュールパンフレット、館報、ニュースレター などの様々な資料管理も行っています。 貴重な資料ですので、 校正作業では、作品情報の内容に誤りがないか、誤字・脱字が ないか、作品図版が反転していないか、作品の向きは正しいか 登録や分類を適切に行い、正確に管理、保存するよう、日々心が など、様々な視点から一つ一つの作品を入念に確認していきま け業務に励んでいきたいと思います。 完成した『高岡市美術館 収蔵品図録2011年 度版』は図書館などでご覧になれます。 また、「文化遺産オンライン」 (http://bunka. nii.ac.jp/Index.do)において収蔵品の詳しい 情報が検索できます。 −6− 30 【表紙作品解説】 来館者が選んだベスト・コレクションは (1903) 横山大観《雨晴義経岩》 学芸課長補佐 山本 成子 富山には、大観は、少なくとも4回来訪しているようである。 高岡市美術館では、本年度夏、TAM (タカオカ・アート・ミュー ジアム)ベスト・コレクション総選挙と銘打って所蔵作品の人気 初来県は、おそらく明治33年5月の、岐阜における日本美術院作 投票を実施した。 平成25年3月に全所蔵作品の図録を発行した 品展の帰途であろう。 日本美術院の発行する「日本美術」20号 ので、次のステップとして、市民や来館者の方々に、コレクショ には、高山で歓待を受け二日滞在の後、 「越中に下り、富山金沢 ンに親しんでいただくという狙いがあった。 を経て廿七日に帰京せり」とある。翌34年は、書簡(註2)に、 「四国 投票は、一人1回、好きな作品を1位から3位まで専用用紙に記 九州より北越信州地方之風光に接する。」とあり、次に列挙して 入して館内の投票箱に入れていただき、1位を3ポイント、2位を いる観光地が「須磨、瀬戸内海、耶馬溪、琵琶湖、親不知、碓氷、 2ポイント、3位を1ポイントとして集計した。メールやファック 天竜川」であることから、富山には来ていないと考えられる。 スの投票も受付け、そちらも若干の応募があった。全337人に投 「日本美術」37号(明治35年2月)美術界近事の欄にも「横山大観 票していただき、90ポイントを獲得して1位に輝いたのが、横山 氏昨年暑中信州を過り」とあるのみである。 次に、明治35年は 大観《雨晴義経岩》である。 春夏の2回来県しているようだ。まず、 「日本美術」40号に「五月 本作品を「センター」に、高得票の40点を高岡市美術館開館20 上旬、横山大観氏は越中地方へ、」とあり、次に43号では、 「大観 周年記念プレ企画 あなたが選ぶベスト・コレクション展(会期: 氏は本月中旬、知人の外人と越中の立山に登らんとして発足せ 平成25年11月10日∼平成26年3月9日)として2階ビコーレギャラ (註3)同年9月には、実態は不詳だ られたり」とあるからである。 リーに展示した(《雨晴義経岩》の展示は前期で終了)。 が、富山美術協会が設立されたことが「日本美術」44号に報告 (註4) されている。 さて、大観が画面左に描いた女岩を含む有磯海の景観につい 明治36年については、残された資料に齟齬がある。9月13日付 て、平成25年11月、国の文化審議会から文化財指定(名勝)の答 の書簡(註5)では、岡山から大阪に来ており山形に向かうが、富山 申がなされた。 松尾芭蕉ゆかりの「おくのほそ道の風景地」と には寄れないので金沢でお目にかかりたいと、氷見の菊池治平 しての名勝指定が決まり、絶好のタイミングである。 氏に連絡している。一方、 「美術新報」の美術界雑俎の欄は、2巻 13号で「横山大観菱田春草両氏は去(九月)十三日岡山を出発し さて、本作は、絹本に女岩と義経岩の実景を描写している。 て雲州松江へ向いたり」とし、2巻16号で、両氏の10月11日の帰 求めに応じた作品であり、このようにある特定の場所を描いた 京を伝えている。 年記より明治36年秋に、現 高岡市太田で《雨 大観作品はあまりない。当時、大観らは、輪郭線を引かず、空間 晴義経岩》を描いているのだから、予定を変更して富山に滞在し を西洋風に捉えて描くという近代日本画の実験に取組んでいた たのかもしれない。そこには、菱田春草も同行していたかもし が、この作品においても岩や松の枝の輪郭は殆ど描かれていな れない。 大観は、明治36年1月から7月までインドに行き、翌年2 い。 土坡の表現を見ると、 《武蔵野》 (明治28年)や《四季の雨 冬》 月には、アメリカに向けて旅立った。そのような多忙な時期の (明治30年) ( いずれも東京藝術大学所蔵)では古来の皺法を用 合間に残されたのが本作であると考えると感慨深い。 い、輪郭線とそれに平行する線によって量感を出し陰影をつけ 《雨晴義経岩》は、地元の素封家、武田清次郎氏(1867∼1929) ている。それに対し本作の岩は、筆で描いた面と短線で表現さ の求めにより描かれ、同家に伝わり、重要文化財に指定された れている。 住宅とともに平成元年、高岡市に寄贈された。 大観が描いてから111年の歳月が流れ、今、女岩の上の樹木は、 成長して堂々たる枝ぶりを見せている。しかし、現在、高岡市万 葉歴史館に展示されている明治11年(1878)頃撮影の写真(註1)を 拝見したところ、大観が描いたより約25年前の様子ということ 註 になるが、女岩の松はこじんまりして、本作と良く似ており、得 1)写真は、4月21日まで「家持の見た有磯海(女岩)」に展示されている。 心がいった。 2)竹尾寅吉氏あて書簡、野本淳「新潟と大観−明治三十三・三十四年−」 「横山大観記念館 館報」第13号 (1995)掲載 19世紀の終わりから20世紀の初頭、30代前半の横山大観は、 3)夏の来訪については岩田寛忠氏あて書簡でも裏付けられる。 中村外風 「横山大観一枚の写真」北日本新聞 1989年9月5日掲載 新たな画風が朦朧体との酷評を受け、妻子を相次いで失うなど 家庭的にも不運であった。しかし、海外に雄飛して見聞を広げ 4) 「◎富山美術協会の設立 富山県の有志相図りて、美術及工芸の進歩を 目的として新に同会を組織したる由。」 た時期でもあり、その資金獲得のためにも後援者を頼って日本 の各地を訪れていた。 日本美術院派出員という言い方がなされ 5)菊池治平氏あて書簡、橋本芳雄「横山大観の氷見滞在」 「氷見春秋」第 18号(1988)掲載 ている文献もある。 −7− 30 【開館20周年プレ報告】 PATIOのあゆみ おかげさまで、高岡市美術館ニュース「パティオ」は本誌をもって第30号の発刊となりました。 2005年発行の第20号に過去10年の「パティオ」記事目録が掲載されています。 ここでは、それ以降に刊行された記事目録(2005∼2012年)を掲載します。 第21号:特集「子どもと美術館」 2005年3月発行 ●Report/「ドラえもん、お誕生日おめで とう!」●Talking Point/ 「学芸員トーク『子 どもと美術館』」 第22号:特集「ものづくり高岡」 2006年1月発行 ●Overview of the year【今年のものづく り】/「今年の展示をふりかえって∼『もの づくり』をキーワードに∼」館長 遠藤幸一 ●Essay【ものづくり論】/「モノづくり・ ものづくり・つくりもの」学芸員 瀬尾千秋 ●Interview/「モノづくりの現場から」主 幹 高川昭良●Exhibition report/「本田宗 一郎と井深大展を終えて−観覧者アンケー ト結果と所感」学芸員 宝田陽子●本の散 歩道/「郊外の古本屋で畏怖を覚えること」 学芸員 藤井素彦●Topic/「ものづくり再 発見 開催中」/ホームページ紹介 第23号:特集「学芸室から」 2006年3月発行 ●企画展調査メモ/「人間国宝 大澤光民の 技」主任学芸員 山本成子●作品調査ノート /「所蔵品から−棟方志功《大岩山行徑巻》」 学芸員 宝田陽子●企画展報告/「『ジュニ ア☆アートワールド☆高岡』のつくりかた」 学芸員 藤井素彦●コラム/「地域の芸術文 化の蓄積と継承−美術館の果たす役割」主 任学芸員 山本成子●Topic/「見る・聞く・ やってみる 文化施設『ナナメ』ツアー」 第24号:特集「地域と美術館」 2006年10月発行 ●調査ノート/「『若き日の長谷川等伯』展 に寄せて」館長 遠藤幸一●Message/「新 任者雑感」副館長 中川敏之●学芸室から/ 「高岡で、パブリックアートについて考え る」主任学芸員 山本成子●Report/「もの づくりをものがたる∼ものづくり・デザイ ン人材育成特区事業との連携」学芸員 藤井 素彦 第25号:特集「日本画」 2007年5月発行 ●Column/ 「 『美術教養講座』あれこれ」館 長 遠藤幸一●Record/ 「日本画の最前線− 富山・俊英作家たちの軌跡−シンポジウム 『日本画の可能性』 」 主任学芸員 瀬尾千秋 (記 録)●作品紹介/「所蔵品から−《古土佐金 地扇面散六曲屏風一双》 」学芸員 宝田陽子 第26号:特集「展示」 2008年3月発行 ●Front Essay/「左右は展示のポイント」 館長 遠藤幸一●Hints for Discovery/ 「野外展示のおもしろさ」副館長 中川敏之 ●Process for making art exhibitions/ 「展示論ノート」副主幹学芸員 山本成子 ●Report and Lecture/「美術館での展 示と保存」学芸員 宝田陽子●Sentiments about Exhibition Space/ 「『窓』と『すき ま』をめぐる仕事」主任学芸員 藤井素彦 ●Report and Essay/「作品との出会いを 2 014年、今年は高岡市美術 館がリニューアル・オープンして2 0周年! ! パティオ・ラック誕生 美術館ニュース 「パティオ」の バックナンバーを揃えました。 深める努力−セルフガイド美術探検隊−」 主任学芸員 瀬尾千秋●My Impressions/ 「友の会によるミニ企画展を見て」堀内美里 ●Introduction of Museum Collection/ 「作 品紹介『勇助塗』について」学芸員 宝田陽子 第27号:特集「鑑賞」 2009年3月発行 ● E s s a y 1 /「 抽 象 絵 画 を 楽 し む ∼ 分 か る ための入門∼」主任学芸員 瀬尾千秋 ●Essay2/ 「鑑賞における『感じる』体験を めぐって」堀内美里●Report/「アメリカ の鑑賞教育紹介−DBAE『学問性に基づい た美術教育』とVTS『視覚的思考法』 」副主 幹学芸員 山本成子●表紙作品解説−嶋田 しづの絵画/主任学芸員 瀬尾千秋 第28号:平成21・22年度合併号 2011年2月発行 ●就任あいさつ/「ものづくりでつなぐ元 気美術館」副館長兼学芸課長 橋本文良●新 任職員紹介/「インタビュー」管理課長 若 井豊道、管理課主事 野隆之●新任職員紹介 /「高岡市美術館に勤務して」学芸員補 滝 沢未羽●Essay/「開町400年を振り返る− 高岡の名宝から学ぶこと」主任学芸員 瀬尾 千秋●収蔵品紹介/「中村岳陵《昆虫譜》に ついて」学芸員 宝田陽子●追悼/「元学芸 課長 長谷川洋氏を偲ぶ」主幹学芸員 山本 成子 第29号 2012月9月発行 ●就任あいさつ/「高岡市美術館と私」館 長 村上隆●Essay/「明治の彫塑−塑像 対 木彫という観点から」学芸課長補佐 山本成 子●新任職員紹介①/「門外漢の迷走」主 任学芸員 仁ヶ竹亮介●新任職員紹介②/ 「収蔵品整理の現場から」学芸員補 市山志 野●表紙作品解説/「増山長三郎《羅漢図金 銀象嵌大飾皿》図像について」高田未羽 パティオとは、スペイン語で「中庭」を 意味する建築用語です。 なつかしい展覧会や作品紹介など、 昔の記事を豊富な写真と 共にもう一度お手にとってみませんか? 20年間の活動を振り返っていただく絶好の機会です。 設置場所 設置期間 1∼30号 高岡市美術館ニュース PATIO第30号 欠号の場合もあります 2014年3月31日発行 地階駐車場入口付近 および 2階ビコーレギャラリー付近の回廊(無料空間) 2014年2月∼2015年3月まで 各号のみどころを紹介する「ひとくちコメント」もお楽しみください ! ! 編集・発行/高岡市美術館 〒933-0056 富山県高岡市中川1丁目1番30号 TEL 0766-20-1177 FAX 0766-20-1178 http://www.e-tam.info/ © 2014 TAKAOKA ART MUSEUM −8−