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中国における農村教育の発展とその課題

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中国における農村教育の発展とその課題
Kobe University Repository : Kernel
Title
中国における農村教育の発展とその課題(The
development of rural area education and its problems in
China)
Author(s)
蘇, 于君
Citation
鶴山論叢,11:1*-21*
Issue date
2011-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002808
Create Date: 2017-03-29
『鶴山論叢』第11号 2011年 3 月31日 中国における農村教育の発展とその課題
The development of rural area education and its problems in China
蘇 于君
Su YuJun
【要旨】
農村地区は都市よりかなり経済的に遅れているので、教育面でも都市の学校との間で大
きな格差がある。経済的な貧困が教育の遅れをもたらし、教育の遅れが社会発展格差の拡
大を招くという「貧困の悪循環」が極めて深刻な問題になっている。中国において農村教
育を発展させ、国民全体の教養・文化水準を引き上げ、自己の能力を発揮できる新世代を
育てることは喫緊の課題になっている。農村学校はハード面でもソフト面でも都市の学校
に比べて劣っている。農村出身の児童・生徒・学生にとって、出身地の違いによりスター
トラインから不利な条件下に置かれていることは運命の不平等だと言っても過言ではな
い。改革開放の進展につれて、中国政府は農村教育の向上を重視してきた。特に1980年代
から、一連の政策措置を講じ、本格的に農村教育の発展に取り組んでいるが、未だその成
果は十分に達成されたとは言えない。
本論文の第一章は中国における農村教育政策の歴史的変遷を整理し、時代区分によって
農村教育発展の特徴を明らかにした。第二章は中国農村教育の現状と問題点を分析し、農
村教育の直面する課題を探った。第三章は日本のへき地教育の経験を参考にしつつ、中国
辺境地区や山間地区の農村教員養成のあり方について検討した。
【キーワード】
中国、農村教育、農村小中学校、教員養成
【Key word】
China, rural education, rural primary and middle school, teachers training
Ⅰ . はじめに
本論文で取り扱う農村教育とは、農村に設置された小学校・中学校において実
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施されている義務教育を指す。中国では、農村人口が全国人口の70%を占め、農
村の小中学生数は全国の小中学生全体の75%を占めている。農村教育を発展さ
せ、全国民の教育レベルを引き上げ、新世代を育成することは、中国にとって喫
緊の課題となっている。農村の学校は施設や教材などのハード面でも、教員の学
歴レベルや待遇などのソフト面でも都市の学校よりずいぶん遅れている。農村の
生徒から見ると、出身地の違いによりスタートラインから遅れをとっていること
になる。このことは農村出身者にとって運命的な不平等だとも言える。改革開放
が進展するにつれて、中国政府は農村教育の発展を重視するようになってきた。
特に1980年代から、一連の政策措置を発布し、本格的に農村教育を発展させるこ
とに取り組んでいる。本論文は中国における農村教育の発展を歴史的に整理した
上で、農村教育を発展させる上での課題について検討する。
Ⅱ.中国における農村教育政策の歴史的変遷
1.社会主義計画経済期の農村教育政策
・農村の知識レベル向上に重点を置いた時期(建国初期~1₉50年代前期)
建国初期、中央政府は建国綱領の「共同綱領」1)において、「教育は労働者・農
民のために奉仕し、生産建設のために奉仕する」2)という方針を提出した。この
新しい教育方針が定められたことによって、建国したばかりの中華人民共和国に
おける農村教育政策は明確な方向を示されたと言える。建国初期の中国では、農
村人口が国民の主体であり、全国総人口の80%以上を占めていた。国民全体の教
養・文化水準を高めるには、特に人口の大半を占める農村人口に対する教育の発
展に着目しなければならなかった。上記の教育方針を制定したことにより、農村
教育の発展は国の教育発展政策の重点目標となった。
1950年12月、教育部は「農民に対する余暇教育の展開に関する指示」を発布し
た。この指示は、計画的に段取りを追って農民に対する余暇教育を展開し、農民
の知識レベルを向上させることが、中国の当面の重大な課題の一つであると指摘
している。1951年から全国規模の識字運動が展開され、
「冬季学習運動」と併せて、
国民の間に識字率引き上げブームをもたらした。1954年には、第一次全国農民余
暇文化教育会議が開かれ、農民の余暇教育に関する方針と課題が更に明確に示さ
れた。当時の農村には、
「親子でクラスメイト」・「夫婦が一緒に学校に通う」・「3
世代の家族が一緒に勉強する」ような状況が出現した。この農民に対する余暇教
育の展開とそれ以降の非識字者をなくす教育キャンペーンは農村教育の発展に
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『鶴山論叢』第11号 2011年 3 月31日 とって重要な役割を担っている。教育統計資料によると、1949~1953年の間に
701万人の非識字人口を減らし、1954~1965年の間には9571. 3万の非識字人口を
減らした。農村住民の識字率は大幅に引き上げられたと言える。
建国初期、国家は初等教育と師範教育とを発展させることを通じて、農村教育
の発展を促進させる政策を取った。1951年8月27日に第一次全国初等教育及び師
範教育会議が開かれた。この会議では初等教育の発展に力を入れ、1952年から
1957年までの間に全国平均で80%の学齢児童を入学させ、かつ1952年からの十年
間には全国的に小学校教育を普及させる目標が提示された。
1940年代の中華民国期には、全国の小学校学齢児童の就学率はわずかに20%程
度に留まっており、農村小学校の学齢児童の就学率はそれよりもっと低かった。
ところが、人民共和国建国後8年経った1957年には、全国小学校学齢児童の入学
率は61. 7%に達し、1965年にはさらに84. 7%に上昇した。言うまでもなく、全国
学齢児童の就学率の増加は農村学齢児童の就学率の増加と緊密に繋がっている。
また、上記の会議では正規の師範教育と大量の教員の短期養成とを並行させ、五
年内に百万人の教員を養成する方針が提出された。初等教育を発展させると同時
に、師範教育も発展させ、農村における初等教育の発展に必要な大量の教員を養
成することが目標とされたのである。
1951年10月1日、政務院は「学制を改革することに関する決定」を発布した。
これは中華人民共和国の最初の学制改革である。この決定は、国民全体、特に労
働者と農民が教育を受ける機会を十分に保障することを明記している。労働者・
農民向けの幹部養成学校と各種の養成クラスはこの学制により正式な教育機関と
しての地位を与えられた。また、小学校の修業年限は、旧来の四年制と二年制と
いう分段制から五年一貫制に変更された。農民の子女は政策上は完全に初等教育
を受ける権利を保障されることになった。この学制改革の実施はその後の農村教
育の発展に重要な役割を担った。
建国当初、中央政府は国民党の統治下で運営されていた各級の公立学校と教会
学校を接収し、「現状を維持し、即刻学校を始めさせる」という方法を取った。
旧来の農村私塾や私立学校も人民政府の管轄下で引き続き運営させることにし
た。1952年9月に教育部は徐々に全国の私立小中学校を接収していき、公立学校
へと変更した。当時、全国には8925の私立小学校があり、教職員5. 5万人、学生
数160万人が在籍していた。農村では私塾の比率が高かったため、4年間をかけ
1956年までに接収を終えた3)。
建国初期から1950年代中期にかけて、中国政府は農村住民の知識レベルを重視
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していた。社会経済の回復と生産建設のため、成人の識字の普及と子供の就学率
の引き上げが主な課題であった。
・公立学校と私立学校とを並行して発展させた時期(1₉50年代中期~改革開放前)
1950年代半ばの農村には中学校の数が少なく、大量の小学卒業生は進学の機会
が限られていた。1950年代中期から、江蘇省淮安県を初めとして、一部分の農村
地区で農業生産知識を教える民営の農業中学校が設立された。この形式の中学校
の開設に対してはすぐに地方政府から中央政府までの認可が与えられた。1958年
から1960年までの三年間は大躍進期と呼ばれ、人民公社化運動も起こった。この
時期には農業中学校が急速に増えていった。『中国教育年鑑1949~1981』の統計
データによると、1960年には22597の農業中学校があり、在校生は296万人を数え
た。
大躍進運動が破綻した1961年から国民経済は調整期に入った。調整期には農業
中学校の数が減少し、1962年には農業中学校と農村職業中学校は3715校までに
減った。1963年に国家は「二方式併用」4)の方針を提出し、正規教育と余暇教育
の2本立てで行くことにした。その後「半農半読」・「半工半読」5)の労働と教育
との結合した教育制度が打ち出されたため、再び農業中学校が重視されるように
なり、その数は急拡大していった。1965年には農業中学校は54332を数え、在校
生は316. 69万人までに増加した。
1949年から1966年までの時期における農村教育政策は「革命式」・「運動式」・
「二方式併用」という3つの特徴があった6)。国家の教育部門は建国以降、一方
で農村に多くの国立小学校を設立してきた。他方では、当時の社会の実情に基づ
き、民間でも学校を設立することが認められていた。設立の要件を満たしてさえ
いれば、私立小学校の運営も政府によって許可されていた。このように公立小学
校と私立小学校とは並行して発展させることにより、小学教育の農村での普及を
促してきた。「二方式併用」の方針を採用したことはその時期の農村教育政策を
特徴づける措置の一つである。
1966~1976年の文化大革命は中国の社会に大きな混乱と深刻な被害をもたらし
た。この10年間には農村教育における教育体制の改革も試みられた。改革の一つ
は農村小学校が生産大隊に、中学校が人民公社に管理されることになったことで
ある。もう一つは中学校と高校とを一体化し、四年一貫制の中学が人民公社の中
に設置したことである。また、農業中学校と職業中学校とは撤廃された。文化大
革命時期には、師範教育はかなり壊滅的な影響を受けた。そのため、農村の小中
学校では、教員になるのに必要な学歴基準を満たしていない大量の「民辦教師」7)
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公立学校と私立学校と同時に発展させる政策の下で、農村児童の就学率が急速
に伸びてきた。しかし、学校の教学資源の整備や教学レベルの問題などはあまり
重視されてこなかった。
改革開放前の中国は、成年農民の識字率の向上が最も優先的な課題であった
が、農村の児童の教育の充実や農村学校の設備と教育レベルの向上はあまり重視
されてこなかった。また、建国初期には経済発展を優先したので、国家は生産運
動の発展を重視した。農村教育の面では教育レベルの向上・充実より普及率の拡
大が最優先された。この時期には農村学校の教員に対する制度的な規定はほとん
ど存在しなかった。農村教員に対する学歴と教育レベルに対する要求も高くな
かったので、民辦教師が大量に採用されることになった。このことは、都市の教
育と比べて農村の教育が遅れていること、また農村内部でも地域間の教育格差が
大きいことの2点において、農村教育の不均衡な発展をもたらした。また、これ
らの民辦教師の存在と待遇は1980年代から今に至るまで顕著な社会問題の1つに
なっている。
2.改革開放以来の農村教育
・職業教育を重視した時期(1₉₇8年末~1₉8₄年)
1978年末から中国は改革開放時代に入った。1984年までの改革開放初期には文
革による社会の混乱を収拾し、秩序を回復することに主眼が置かれた。農村教育
においてもこの期間は混乱を収拾し、正常な教学秩序を回復することを主たる目
標としていた。
1978年11月に、国務院は「非識字者の一掃に関する指示」を発布し、農村を中
心として識字運動を展開した。
農村に必要な中等技術者・管理者・中級技術者・各種の農業従業員を育成する
ために、1979年から全国の多くの農村で農業中学校・農村職業中学校の設立・運
営が試行された。それと同時に、普通科中学校でも職業技術課程が開設され、職
業技術クラスが付設され始めた。1980年には全国では3314の農業中学校・農村職
業中学校が運営されており、在校生は45. 4万人を数えた。1987年には農業中学校・
農村職業中学校の数は8387校まで増加し、在校生は267. 6万人まで拡大した。
1980年12月、中央政府は「小学教育を普及する若干の問題に関する決定」を公
布した。その主な内容は以下の通りである。
①「二方式併用」の方針に貫き、国家が学校を運営すると同時に、民間団体が
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学校を設立することを許可する。
②師範教育のレベルを上げ、一定レベル以上の教師を養成する。
③公辧教師8)の比重を高める。
④必ず教師を尊敬する良い社会気風を作り、教師の社会地位を高める。
⑤小中学校教師の給与制度を改革し、給与待遇を引き上げる。
これらの政策の実施は、農村の実際の状況に即したものであり、中国の基礎教
育、特に農村基礎教育の重点を小学教育の普及に置くものであった。
1983年5月に、国務院は「農村学校教育のレベルの向上と改革のための若干の
問題に関する通知」を発布し、農村中等教育体制を改革し、農村の職業技術教育
を発展させる方針を示した。この通知を受けて、農村では農業中学校と農村職業
学校とが発展してきた。そのことにより、農村教育における単線的な体制が改め
られていった。
改革開放の進展に伴い、実務に長けた人材に対する需要が急増してきた。その
ため、農村の職業技術教育が発展してきた経緯がある。この時期以降農村の中等
教育では農業中学校と職業学校が重要な役割を担った。
・基礎教育を注目する政策期(1₉85年~現在)
1985年に、中央政府は「教育体制改革に関する決定」を発布した。この決定の
1つの特徴は農村教育改革の基本指導思想を確立したことにある。また、義務教
育を実行し、基礎教育レベルを向上させる上で最も重視すべき点として、基準に
合致した教師陣が安定的に存在することを指摘している。教員の社会的地位と生
活面での待遇を高めること、教員を養成・審査すること、師範教育の発展と在職
教員の養成を促進することが教育事業を発展する戦略的な措置として位置付けら
れた。同年8月、国務院は「高校・中等専門学校・小中学校教職員の給与制度改
革問題に関する通知」を発した。これにより、教員の給与体系は職務給を主とす
る制度に変わった。
1986年7月1日から「義務教育法」が施行された。1987年には全国の小学校は
80. 74万ヶ所を数え、学齢児童の就学率は95. 1%に達した。
2003年9月に国務院は「農村教育工作を更に強化することに関する決定」を発
布した。
この政策は各方面にわたって農村教育の発展に関する措置を提出している。例
えば、中央政府と地方政府は新たに貧困扶助資金を設立し、貧困な農村の教育事
業を支援する。「国務院の指導下、地方政府が責任を負って、行政ライン沿って
管理し、県を実施主体とする」という農村の義務教育管理体制が樹立された。県
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『鶴山論叢』第11号 2011年 3 月31日 政府は地元の教育発展計画、経費の使用、校長と教員などの人事面の管理に責任
を負う。特に、農村学校の教員について次のような具体的な事項が規定された。
①農村小中学校の教員給与保障制度を設立し、完全に実施する。
②法律に従い教員資格制度を施行し、教師招聘制を全面的に実行する。
③教員と教員免許を持っている人が農村学校の教員の職に就くことを積極的に
推進する。各地区は国家の規定通りに、農村地区・辺鄙地区・貧困地区の小
中学校の教員の手当を適切に支給する。都市の小中学校の教員が農村学校に
赴任する制度を制定する。大学卒業生の農村教育ボランティアプログラムを
続ける。
④農村教員と農村校長の養成事業を強化する。
2005年に北京市は教育経費の中から4億元を拠出し、貧困助資金として農村地
区の義務教育の支援に充てた。国家財政は2005年に860万元、2006年に1655万元
を投じ、海南省の農村小中学校現代遠隔教育プロジェクト建設を実施した。2010
年には、安徽省の農村幼児教育を支援するため、国家財政から4500万元が投じら
れた。2003年に山東省は都市の小中学校の教員が農村学校に赴任制度を構築し
た。都市の小中学校教員が農村学校に赴任した場合、戸籍を変更する必要はなく、
給与も適切に引き上げると規定されている。
2005年12月、国務院は「農村義務教育経費保障メカニズムの改革の深化に関す
る通知」を公布し、農村義務教育の経費を全面的に政府予算でまかなうことにし
た。中央政府と地方政府が項目別・比率別に分担する農村義務教育経費保障メカ
ニズムが設立されることになった。
その主な具体的措置は、①農村義務教育段階の学生の学費と雑費を全額免除
し、貧困な家庭の学生の教科書を無料にし、住宅生活費を補助する、②農村小中
学校の教師の給与を保障する、などからなる。
2006年6月に修正された「義務教育法」は農村義務教育の発展に関して、以下
のような新しい規定を制定した。
①国務院から県政府までの各級人民政府は教育資源を合理的に配置し、義務教
育をバランスよく発展させ、貧困な学校の教学条件を改善する。農村地区・民族
地区で義務教育を実施できるよう措置を講じる。②国家は経済発達地区が経済の
遅れている地区の義務教育の実施を支援することを奨励する。③民族地区と辺
境・貧困な地区の学校の教員に貧困地区手当を支給する。④県政府は予算を編制
し、農村地区の学校と条件の悪い学校に傾斜配分しかつ、それぞれの義務教育経
費をバランスよく配分する。⑤国務院から県政府までの各級人民政府は事情に基
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づいて、専用資金を設立し、農村地区・民族地区の義務教育の実施を支援する。
そのほか、1995年から国家は農村教育の発展を支援する教育プロジェクトを実
施し始めた。例えば、「国家貧困地区義務教育プロジェクト」・「東部地区学校が
西部貧困地区学校を支援するプロジェクト」・「大中都市の学校が地元の貧困地区
の学校を支援するプロジェクト」・「農村労働力移転育成陽光プロジェクト」・「農
村実用人材育成プロジェクト」など。
基礎教育を重視するに伴い、新世代の知識レベルの向上も重要視されるように
なった。1985年から、中国政府は主に義務教育の普及に力を入れ、農村学校の教
学条件の改善や教員のレベルアップに関する問題に本格的に取り組んでいる。
改革開放以来、農村教育を発展させる上で、中央政府は農村学校のハード面と
ソフト面の両方を重視し、多くの政策措置を講じてきた。しかし、各地方の置か
れている状況は異なっており、地方によっては政府が実施能力を欠いている場合
も多い。また、国家は基本方針を示すのみで具体的な人員配置や予算措置を講じ
ていないため、ほとんどの地区の農村教育はあまり大きく改善されることはな
かった。
Ⅲ.中国農村教育の現状と問題点
1.戸籍制度と農村教育
1958年1月9日から「中華人民共和国戸籍登記条例」が試行された。この条例
によって中国政府は人口の自由流動を厳格に制限するようになった。中国国民が
農業戸籍と非農業戸籍とに明確に区分されたことは、中国における教育の機会均
等の問題に大きく影響を及ぼした。戸籍所在地以外の地域に生活している者は、
外来人口とみなされ、その地域の社会保障を受けられず、就学、就職の機会も得
られなかった。
1998年以前には、居住地の戸籍を持っていない児童はその居住地の学校に就学
できないという規定があった。その規定によると、都市で働く出稼ぎ労働者の子
女を就学させる責任を負うのは居住地の政府ではなく、出稼ぎ労働者の戸籍所在
地の政府であった。
1996年から国家教育員会は「都市流動人口の適齢児童に関する就学方法(試行)」
を発布し、一部の省と自治区で試行した。1998年3月には「流動児童少年就学暫
定方法」が打ち出された。この規定によると、「流動児童少年の戸籍所在地の人
民政府は義務教育段階の適齢児童少年が流出することを厳格に抑える。戸籍所在
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『鶴山論叢』第11号 2011年 3 月31日 地に後見人のいる児童少年は戸籍所在地で義務教育を受けなくてはならない。後
見人のいない場合に限って、流入地で義務教育を受けることができる」。また、
「流
入地の人民政府は流動児童少年のために条件を整え、義務教育を受ける機会を提
供しなくてはならない」と明文化された。2001年に国務院は「基礎教育の改革と
発展に関する決定」において、流動児童少年の義務教育問題の解決を重視するた
めに、流入地政府の管理を主とし、全日制公立小中学校で受け入れさせることに
した。多様な措置を講じることによって、法律に従い流動児童少年が義務教育を
受ける権利を保障するよう指示した。さらに、2006年に改訂された「義務教育法」
には、「現地の人民政府は流動児童少年に平等な義務教育を受ける条件を提供す
べきである」と明記されている。
現在の中国では都市戸籍・農村戸籍の違いによって起こる教育の不平等問題
は、主に以下の三つの方面で顕在化している。
第一は、学校を選択する費用の問題である9)。1986年に公布された「義務教育法」
の第九条には、「地方各級政府は適宜、小学校・中学校を設置し、児童少年を近
くの学校に入学させる」ことが明文化されている。つまり、学生は戸籍所在地あ
るいは現住地において、適切な学校に通うことができる。しかし、現実には同じ
地区内であっても、各学校の教育施設や教員の数と質が違うため、政府によって
規定された学校ではなく、教育条件の恵まれた学校に自分の子女を入学させる動
きが一種のブームになった。この現象は高校レベルだけではなく、義務教育段階
の小中学校でも多く発生した。政府によって指定されていない学校に入学すれ
ば、特別の費用が必要になるが、それでも学区外に自分の子女を通わせようとす
る親が続出した。
第二に、大学入試に関する戸籍問題である。中国の大学入試は省レベルで統一
して行われる。そのため、各地方によって本科と専科の合格ラインが異なる。同
じ省内でも都市により合格ラインが違う場合もある。例えば、山東省の青島市と
済南市の戸籍を持つ受験生の合格ラインは全省平均の合格ラインより約20点低
い10)。このような地域による合格ラインの違いは教育を受ける機会の不平等につ
ながる。また、戸籍上の差別によって、農村人口の流動を制限することにもなる。
教育部は厳格な戸籍制度を実施し、各都市に大学の入学者数を分配している。結
果的に大学の多い大都市のほうに多くの入学者数を配分する傾向がある。2000年
の例を見ると、一千万人分の現地居住戸籍を持つ北京には二万五千人の大学入学
定員が配分された。一億人の現地居住戸籍を持つ山東省には八万人の大学入学定
員が配分された。このような現地居住戸籍に基づいて入学定員を配分する制度の
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下では、農村戸籍に属する国民は自らの教育を受ける機会を制限することにな
る11)。
日本の大学入試制度と比べ、中国では受験生の人数が圧倒的に多いため、各大
学が独自で試験問題を作成したり、独自で学生を募集したりすることはない。中
国の大学入試は「普通高等学校12)招生全国統一考試」(略称「高考」)と呼ばれ、
全国一斉に実施される。国家は統一した組織の下で、入試を管理する。入試の実
施主体は省を単位とし、国家の関連機関あるいは省の関連機関が試験問題を作成
し、日時を統一して一斉に実施される。試験の方式も筆記試験だけを行い、面接
を行うことはない。
中国の高考の合格ラインは当年の募集定員と出願者数、または試験の難易度に
よって、年毎に異なる。一般的に、120%の応募比率を想定し、合格ラインを定
める。例えば、ある一省の本科文系が10000人の募集定員を割り当てられた場合、
試験の点数を一番上から12000番目まで数え、その12000番目の点数が当年の合格
ラインとなる。
大学が各省ごとに募集定員を配分するため、高考の合格ラインは省によって違
う。地元の大学は地元の学生に対し、他の地区より多くの入学定員を割り当てる
ことになっている。そのような場合、地元の合格ラインは他の地区より低く設定
されることになる。顕著なケースの一つは首都の北京である。北京は全国の政治・
経済の中心である上に、有名な大学が多いので、全国の大学進学希望者の憧れの
的である。しかし、北京の大学が他地区の学生に割り当てる募集定員は北京市の
学生に対する定員数より相対的に少ない。この例からもわかるように、入学定員
数の配分の面で大きな地域的差別があると言える。
日本でも、県立や市立などの公立大学が学費について地元の入学者より他地区
の入学者のほうから多く徴収する場合もある。それは中国の高考と同じく、地方
保護主義として共通する面もあるが、日本では地方から若年人口が都市へ流出す
るのを抑制することを目的としている点で中国と異なる。北京のような大都市は
教育環境に恵まれており、ハード面でもソフト面でも教育レベルが高く、生徒の
各方面の質と能力が総体的に高いと思われている。他の地方では大都市のように
資質教育13)が十分に実施されていないので、試験の得点ばかりを重視し、「高得
点低能力」14)の学生が合格するという状況が発生している。高得点を要求される
状況下では、教育条件と教育レベルに欠陥のある地区、特に農村部出身の学生の
総合資質は都市の学生より低いなどと差別的な発言をされる場合もある。だが、
農村の学生にとって自分の運命を変える有効な一つの方法はより良い大学に入学
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し、そこを卒業してより良い仕事に従事することである。戸籍制度による制限と
地域差別の存在する現在の大学募集制度の下で、農村人口はより良い教育を受け
る機会が奪われていることになる。
2010年8月、北京戸籍を持っていない学生の親たちが結集し、「大学入試にお
ける戸籍制限を取消すことを求める声明文」を発表した。この声明文は現在、北
京の学校で学んでいる非北京戸籍の学生にも北京で大学入試試験を受ける権利を
与えようというものである。2010年12月5日までに13000人がこの声明文に署名
した。そのうち、90%の署名者は現在、北京で仕事をしている非北京戸籍の親た
ちである。この声明文は既に北京市教育局に提出されたが、これまでのところ、
この声明文に対する回答はなされていない。子女に平等に良い教育を受ける権利
を保障するために、親たちは諦めず努力し続けている15)。なぜなら、戸籍制限の
存在は、北京の大学に進学したい学生にとって重要な外部的阻害条件となるから
である。理由は次の3点にある。①非北京戸籍の学生は親と一緒に数年間北京で
生活し、北京市内の高校の教学方式の下で教育されており、受験前の段階になっ
て戸籍所在地に行って地元の学校で入試準備をするのは大きな負担である。②全
国の小中高校の教科書は統一されていないので、北京の学校で使用している教科
書は他省の戸籍所在地の教科書と違う場合が多い。戸籍所在地に転校して大学入
試を受けることは受験生にとって不利になる。③学籍と戸籍とが異なる学生に
とって、大学入試出願の手続きは煩瑣なものになる。手続きのために何回も北京
から戸籍所在地に通う必要があるので、コストと時間を要する。
以下は、その具体的ケースである。
ケース1:唐さんの娘は黒龍江省の戸籍を持ち、大学入試を受けるには黒龍江
省に帰らなければならない。北京と黒竜江省の教科書は同じものではないので、
入試日より何ヶ月も前に帰って黒龍江省の試験対策を準備する必要がある。他方
で、北京の学校での卒業試験16)も終わっていない。それに加えて、長距離移動の
為に、娘が試験を準備する時間も削られる。娘にとって精神的に悪影響を及ぼし
た17)。
ケース2:朱さんの息子は清華附属中学校の高校三年生であるが、非北京戸籍
のため戸籍所在地の寧夏で大学入試を出願しなければならなかった。寧夏は学籍
が寧夏ではない学生の出願に厳しい規定を制定しており、少なくとも六回は北
京・寧夏間を往復する必要がある。第一回目は戸籍所在地で大学入試の登録用紙
を受け取り、北京の学校の承認印を得る。第二回目は登録申請書を提出する。第
三回目は出願をする。第四回目は出願先で本人の写真を撮ってもらい、出願番号
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と学籍番号を受け取る。第五回目は受験情報を確認に行く。第六回目は健康診断
を受ける。最後は翌年の4月になってから受験票を取りに行く。第五回目を除く
と、学生本人が全て窓口に出頭しなければならない18)。
このような煩雑な手続きは一生懸命に大学受験に取り組んでいる学生にとって
心理的・情緒的にも大きな悪影響をもたらすと考えられる。農村出身の学生は大
学入学や教育の面で不利な条件下に置かれている。農村から来た出稼ぎ労働者に
とって、子女を連れて都市に住んでも、大学入試時に戸籍のため差別されること
は将来的な悩みのタネである。
戸籍の差異がもたらす教育機会の不平等の第三の問題は、都市に住んでいる出
稼ぎ労働者の子女の就学難問題である。農村からの出稼ぎ労働者の子女は都市戸
籍を持っていないので、都市の学校で正式の学籍をもらえない。彼らは学校に多
額の賛助金を払わされる。それにもかかわらず、一部の学校では正式の学籍のな
い学生が差別され、学校の活動にも参加できないこともある。出稼ぎ労働者の子
女が精神的に傷つく場合も多い。
2.農村教育における経費問題
農村教育の経費問題は現代中国の農村教育の発展にとって積年の課題である。
1993年に提出された「国家財政から支出された教育経費を本世紀末までに対
GDP 比4%にする」という目標は達成されていない。さらに、10年後の現在も
この数値はまだ達成されていない。表1-1は近年の国家財政から支出される教
育経費は対する GDP 比を示している。GDP が年々増加するにつれて、教育経費
の額も増加しつつある。また、対 GDP 比も少しずつ上昇している。
表1-1 2005~2008年国家財政から支出される教育経費の対 GDP 比
単位:億/人民元
年度
2005年
2006年
2007年
2008年
経費支出額
8418. 84
9815. 31
12148. 07
14500. 74
対 GDP 比
2. 8%
3. 0%
3. 3%
3. 5%
項目
出所:統計データにより、筆者作成
近年、中国の国家財政から支出される教育経費の額は大幅に増加している。
2004年の4465. 86億元から2008年の10450億元に増加し、2. 3倍に拡大した。その
うち、農村小学生の予算内教育事業費と公用経費はそれぞれ2004年の1013. 80人
民元と116. 51人民元から2008年の2617. 59元と616. 28元に増加した。農村中学生
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の予算内教育事業費と公用経費はそれぞれ2004年の1073. 68元と125. 52元から
2008年の3303. 16元と892. 09元に増加した。
2005年、「中国全民教育国家報告」は公共財政支出の重点を農村に移す方針を
提示した。また、この報告によると、2004年全国の農村小中学校の教育経費の中
で、政府の支出金はそれぞれ82. 75%と76. 65%を占めている。
2010年7月29日に公布された「国家中長期教育改革・発展企画要綱(2010-2020
年)」でも「国家財政から支出される教育経費の対 GDP 比を高める」目標が提出
された。具体的には今後の十年間で、教育経費の対 GDP を4%にまで引き上げる
ことを目指している。中国政府がこれまで支出してきた教育経費のうち、農村学
校に投入された経費は都市学校よりはるかに少なかった。都市の学校と比べ、農
村学校は教学施設や教材などのハード面と教員の総合的レベルなどのソフト面の
両方とも整っていない。財政支出の都市への傾斜配分は都市教育と農村教育との
格差をさらに拡大する結果を招いている。
中国の義務教育経費は中央政府が各地方の戸籍学生数に基づいて分配する。つ
まり、流入地で戸籍を持たない流動児童は経費支給の対象とはならない。また、
義務教育を普及するのに必要な資金は地方政府が調達し配分するので、各地方の
経済発展と地方政府の財政収支状況に基づいて格差が生じる。
日本は既に1940年に法律を制定し、国家財政が義務教育段階の教師の給与の半
分を負担することを定めた。戦後になっても基本的にその線は守られており、
1953~1969年の期間、日本の国家教育経費は、地方教育経費の60%程度を負担し
ている。中国では、国務院発展研究センターの2002年の調査によると、中国の義
務教育経費の中で中央政府が負担しているのは13%に過ぎない。地方政府の財政
圧力が大きいことが分かる。
3.農村小中学校の併合問題(撤点併校)1₉)
中国農村の小学校の教学形式には2種類の方式からなる。即ち「教学点」と「完
全小学(完小)」とに区分される。教学点は人口の少ない辺地にあり、四学年以
下の学制が実施されている。完全小学校は人口の多いところにあり、五年制ある
いは六年制の学制が実施されている。
1980年代前半には、中国の農村では各行政村に小学校があり、各郷に中学校が
置かれている。80年代半ば以降になると、農村小中学校の分布を調整し、多くの
小中高校を撤廃し併合する政策が導入された。
2001年に、国務院は「基礎教育の改革と発展に関する決定」を発布し、学生が
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近距離の学校に通学できるよう、それぞれの地域の実情を配慮して農村学校の分
布を調整する方針を示した。また、学校の分布調整により中途退学が発生するの
を防止するため、交通不便な地域に対しては必要な教学点を残すことにも言及し
ている。このような大方針の下に、農村教育資源を合理的に配分し、小中学校の
教育投資効果と教育の質を向上させ、農村の基礎教育事業を持続的に発展させる
ために、農村の小中学校を併合する措置を講じることになった。
小中学校の統合・併合を推進した理由は以下の三点にある。一、学校の規模が
小さく、学生数が少ない場合、教育資源の浪費になる。二、教員の学歴と質的レ
ベルが低く、適格の教員の人数が足りない。三、小規模校に支給される教育経費
が少なく、学校の設備も良くない。
上記の「決定」が公布されてから、各地方は積極的に農村学校の統合・併合を
実行してきた。しかし、地方政府が中央の指令に応じる上で、「学生が近距離の
学校に通学できる」という前提条件を満たしていなかったため、辺地や貧困地区
に住む学生の就学にとって、非常に不便な状況が生じた。
表 1 - 2 全国農村小学校の「撤点併校」実施状況
年度
学校数(万ヶ所)
在校生人数(万人)
1998年
60. 96
13953. 8
1999年
58. 23
13547. 96
2000年
55. 36
13013. 25
2001年
49. 13
12543. 47
2002年
45. 69
12156. 71
2003年
42. 58
11689. 74
2004年
39. 42
11246. 23
2005年
36. 62
10864. 07
2006年
34. 16
10711. 53
2007年
32. 01
10564
減少総数
28. 95
3389. 8
減少比率
47. 50%
24. 30%
出所:『教育事業発展統計公報』のデータにより、筆者作成
撤点併校を実施するにつれて、社会の各方面で次のようにさまざまな問題が発
生している。
一、学生が県・郷の比較的規模の大きい学校に集中し、一部では1つの学校に
は五千人や一万人もの学生がいることになった。学校の施設利用、教員配分、事
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務管理の面では新たな問題が生じてきた。
二、統合・併合後の学校から遠く離れた地域に住む家庭の学生たちは通学が不
便になり、その通学費も家計の負担になった。寄宿しない学生は、家と学校との
距離が離れれば、険しい地形や劣悪な山道を通学せざるを得なくなる。時間や体
力もかかるし、悪天候の時はもっと大変になる。学校が通学バスを持っている場
合でも、充当できる経費が少ないため、性能の良くない安い車や農業用車を使っ
て学生を送迎している。整備されていない農村道路で走るので、安全上も問題が
多い。
2001年から農村の学校で学ぶ生徒に対して「両免一補」20)の政策を実施され始
めた。農村家庭にとって教育費負担が軽減されることになるわけであるが、実際
には学校併合によって通学のための交通費負担が増えた場合もある。児童・生徒
にとって、経済的負担の増加は中途退学の重要な原因の一つとなっている。
三、学校の寄宿制度は完備されていない。寄宿舎の施設条件が悪く、食堂の料
理が衛生基準に合わないため、学生の成長に悪い影響を及ぼす場合もある。また、
家庭条件によっては、学生の祖父・祖母が県・郷の学校の近くに家を借り、孫を
世話しながら暮らす例も多い。学生の親が都市に出稼ぎに行き、老人が学校の近
くに孫と一緒に住み、農村の農地が放ったらかしにされるケースもあった。
四、児童は親元を離れて、設備の不十分な農村学校の寄宿舍で週の大半を寄宿
舎で生活することは、情操教育の観点からも望ましいとは言い難い。学校の先生
がいくら優しく、親切に接してくれても、やはり実の親とは異なるので、幼い児
童の心身の成長にとって良くない影響を及ぼす場合もある。
Ⅳ.日本の農村教育の発展史との比較
中国における農村学校の就学点は地理的にも、教育条件の面でも日本のへき地
学校と似ているところがある。両者とも交通が不便で辺鄙なところに位置し、規
模も小さく、生徒数が少ない学校である。また、教学施設や用具が不足し、遠距
離通信用の設備も不備であり、教員の数も足りない。
日本は戦後まもなく、このような地理的劣勢を位置する学校の振興を取り組ん
できた。
日本の「へき地学校」とは、1954年に日本政府が公布した「へき地教育振興法」
で定義されている。それによると、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件
に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する公立の小学校及び中学校並び
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に中等教育学校の前期課程並びに学校給食法第六条に規定する施設である。
日本はへき地教育の振興について、法律から民間活動まで本格的に力を入れて
いる。
1.関連法規の制定
日本は戦後、全面的な教育改革に着手した。1954年6月1日に、日本政府は「へ
き地教育振興法」を公布した。その後、1958~2008年の50年間の内に、この法律
は計14回の改訂を経ている。
この法律は、特にへき地学校に勤務する教員に関して、教員の研修その他へき
地における教育の内容の充実、教員及び職員のための住宅の建築、斡旋とその他
福利厚生、教員及び職員の健康管理、教員の養成施設、教員及び職員の定員の決
定、教員の研修・研修旅費とその他研修に関し必要な経費などの方面について具
体的な対策を示している。
上記の「振興法」を踏まえて、1954年7月21日に日本政府は「へき地教育振興
法施行令」を発布し、1959年7月31日に文部省は「へき地教育振興法施行規則」
を制定した。また、日本政府はへき地の経済と教育発展に関するほかの法律法規
も次々と制定した。例えば、「義務教育諸学校等の施設費の国庫負担等に関する
法律」、「産業教育振興法」、「離島振興法」などである。
これらの一連の具体的な法律の公布を通じて、日本政府はへき地教育の充実を
政府方針として明文化した。
中国では、現在でのところ農村教育の振興に関する特別な法律が制定されてい
ない。「義務教育法」から農村教育に関する各項政策規定までを見ても、農村学
校の建設・教学設備の整備・教員養成などの具体的な規定が明確にされていな
い。
2.国家財政補助制度の確立
農村教育の発展に関する法的措置を整備しても、財政的な裏付けがなくしては
絵に描いた餅になっていまう。「へき地教育振興法」はへき地教育に対する財政
補助を国家の任務として明確にしている。日本が1953年「へき地教育振興法」を
制定する前のへき地教育の予算経費は7062万円であった。振興法施行後の1954年
には1.8228億円に増加した。更に、1994年には167.89億円に達した21)。
日本では1958年に改正された「へき地教育振興法」によると、へき地学校に勤
務する教員と職員は特殊勤務手当の方式でへき地手当を支給される。また、「義
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務教育諸学校等の施設費の国庫負担等に関する法律」はへき地手当を支給する経
費の半分は国家財政が負担すると規定している。
へき地学校の教員の住宅問題は中国だけではなく、日本においても重要な問題
の一つとなっている。住宅面の財政補助について、日本政府は1953年からへき地
学校の教員・職員に住宅の建築、斡旋の面で補助を提供することになっている。
1953年の補助額は982万円であった。1994年には、この額は25.27億円にまで拡大
している22)。
中国では、農村教育への財政的な支出が一連の政策によって行われている。し
かし、中国の農村は広大で、資金面の手当も足りないため、農村教育の発展は緩
やかである。特に、農村学校の教員の住宅問題に関する法律が未だに整備されて
いないので、現在の中国では農村学校の教員の住宅保障はほとんど実施していな
いに等しい。
3.振興策の実施
戦後の日本は、昭和23・24年頃から、教育改革に着手した。北海道・東北を初
めいわゆるへき地学校をもつ全国ほとんどの府県の教育委員会・教育研究所ある
いは小学校・中学校(分校)から新しい教育計画や実践記録等が数多く出版され
ている23)。
昭和28年、日本は「へき地学校の全国調査」を実施している。へき地指定校、
児童・生徒数、教員数、施設・設備及び地域社会の実態(地理的条件や生活の実
情など)に関する統計が集計された。
「へき地教育振興法」の規定に基づき、文部省は次のような活動に着手してい
る。①へき地教育研究指定校の設置、②へき地教育指導者講座、③全国へき地教
育大会の開催、④複式学級学習指導計画例の作成、⑤「へき地教育」誌の刊行。
1952年から毎年、へき地教育研究大会が日本各地で行われるようになった。指導
者講座も、1958年から導入された。全国のへき地から指導的な教師たちを集めて
毎年2~3県、300人ほどを対象に3日間の講座を開催している。また、へき地
教育問題を専門的に扱う雑誌も発行されている。これは1959年から年3回発行さ
れ、関係者に無償で配布される。この雑誌には、へき地学校の経営、学習指導な
どの諸問題に関する論説、解説、研究事例等が紹介されている24)。
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4.へき地学校の教員養成について
⑴ 教員養成機構
日本は戦前から各県に師範学校(戦前の高等師範、戦後の国立大学の教育学
部)を設立して、授業料免除の特典によって教員養成を奨励してきた。日本で
は小中学校の教員は戦前から現代に至るまで農村では名士として尊敬の対象で
ある。他方で、不足した教師は代用教員でまかなった時代もある。
1953年に日本の文部省は北海道、山梨県などの6つの県に臨時教員養成所を
設立した。1960年に北海道学芸大学は二年コースの教員養成課程を設置し、へ
き地学校の教員養成のために300名の女子教員を募集した。長崎大学は1961年
から奨学金制度を制定し、毎年30名の学生を募集し、二年コースを設置し、離
島地区の教員養成を始めた。また、へき地学校に勤務している教員向けの研修
も重視されている。1954年から、文部省は研究指定校・地域事業を行い、それ
ぞれの地域の実情に応じた教育課程研究事業として「へき地教育実践研究」を
実行している。 これに対し、中国には農村学校の教員養成のための専門的な機構がない。各
師範大学や師範専科学校にも、日本のようなへき地校向けの教員養成コースも
整備されていない。統一的な教育課程と教員養成計画の下で養成される教員た
ちは都市の学校と農村の学校のどちらにも中国のように赴任する可能性があ
る。そういう場合、理論との実践の違いに適応できず、順調に教学できないケー
スが多い。
⑵ へき地校の教員研修
日本では、へき地とへき地以外の教員の人事交流や、新卒教員及び中堅教員
のへき地への派遣を行っている。また、校長・教頭・指導主事への抜擢に当たっ
てはへき地校勤務経験の有無を考慮することが規定されている。
北海道の士別市は市内へき地8校全ての複式学級へ教育実習生を受け入れて
いる。その成果として、実習生はへき地校の教師の仕事を理解し、小規模・複
式授業の実践方法を体験することができる点が挙げられる。それだけでなく、
児童の側でも学習や生活への意欲が喚起され、実習生との触れ合いや出会いと
別れを通して心の豊かさを育成することができた。さらに教員にとっても士気
が向上し、研修指導に取り組む意欲が向上した25)。
⑶ へき地手当の支給
日本では「へき地教育振興法」の規定に基づき「へき地手当」が支給されて
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いる。へき地手当の支給は、そこに赴任する教員にとって、へき地はへき地と
しての不利益が相殺されることにつながる。なぜなら、へき地の負の側面があ
る程度手当によって埋められるからである26)。
中国でも、1993年の「辺遠地区手当の実施方法」によって、国家機構・事業
部門の正規勤務者は毎月「辺遠地区手当」をもらえることになった。
その辺遠地区手当・特別賃金は日本の「へき地手当」(教員が対象)や「特
地勤務手当」(教員以外の公務員が対象)と似ているが、その相違点も明らか
である。日本の場合「へき地に所在する公立の小学校や中学校、またこれに準
じる学校」を「へき地学校」と定義し、このへき地学校及び準へき地学校に勤
務する全ての教員及び職員に対して「へき地手当」が支給される。これに対し
て、中国では教師のための特別な優遇措置は講じられておらず、辺遠地区に勤
務する国家機構、事業部門の職員(教職員を含む)を手当支給対象としている
だけである。とりたてて、へき地における教育振興策が立ち上げているわけで
はない27)。
日本の経験と比較してみると分かるように、中国では農村教員の質と社会的
地位を引き上げるための措置が不十分である。例えば、農村教員独自の手当保
障を設けなければならない。農村は都市に比べ経済の発展や生活の便利さの面
で劣っており、農村教員は社会的地位や待遇の面でも恵まれていない。また、
中国では公務員として一般の職員と同じように、辺遠地区手当を支給されてい
るが、教員という職業が憧れの対象となることもない。農村教育を振興するに
は、まず第一に、給与面で待遇改善を図る必要がある。
Ⅴ.おわりに
中国は経済発展の面ではまだ発展途上国の段階にあり、教育の面でもまだ多く
の問題が存在している。特に、農村地区は経済的・教育的に遅れている。農村教
育の向上と充実は中国にとって喫緊の問題になっている。中国の中央・地方政府
は多くの政策措置を講じ、本格的に取り組む努力を続けてきた。しかし、歴史的
に遺留されてきた問題が残されているのに加えて、時代の変化によって生じた新
たな問題にも直面しなければならなくなっている。また、人口多く、広大な中国
では各地区によりそれぞれの事情が異なっており、地域や現場の要望が中央に届
かないことも少なくない。教育環境や教育条件の地域的な差異や各地域独自の問
題点については、今後の研究課題の一つとしたい。
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20 中国における農村教育の発展とその課題
注
1)「共同綱領」は、「中華人民共和国の教育は新民主主義的、即ち民族的・科学的・大衆
的文化教育である。人民政府の文化教育工作は人民の文化レベルを高め、建設的人材
を育成し、封建的・買弁的・ファシズム的思想を一掃し、人民のために奉仕する思想
を発展させることを主な任務にすべきである」という文化教育政策を提示した。
2)「教育為工農服務、為生産建設服務」。
3)顧建軍「建国以来我国農村教育発展与改革歴程的回顧」
『江西教育科研』、1990年第6期。
4)公立学校と民営学校と同時に発展させる。「両条腿走路」とも呼ばれる。
5)1964年に劉少奇は二つの教育制度と二つの労働制度とを提出した後、中国の農村で「耕
読小学」が試行された。
6)張楽天「対新中国“前十七年”農村教育発展の政策考察」『社会科学統戦』、2010年第
3期。
7)国公立小中学校(義務教育機構)に招聘され、国家の補助を受け、当該学校に給与を
支給され、「民辦教師任用証」を持っている農村住民を指す。国家教員の定員枠に編入
されていない教員を言う。
8)国公立小中学校(義務教育機構)に招聘され、国家の定員枠に編入されている教員を
指す。
9)開小琴「浅談中国現行戸籍制度下的教育公平」、中国科技論文在線。
10)山東省の場合は、本科二類の合格ラインが「省属ライン」と「市属ライン」を分けて
いる。全国の省レベルの大学の募集定員により省属ラインを定め、山東省内の市レベ
ルの大学の募集定員により市属ラインを定める。
11)Wang, Organizing Through Division and Exclusion, 115-17。
12)中国では「高等学校」と大学は同じ意味である。日本の大学に相当する。
13)「資質教育」は総合的な資質を高めることを旨とした教育である。学生には徳・智・体
力・美・労働を際することを求め、創造力と実践力を培うことを目的としている。い
わゆる「受験教育」の正反対の概念である。
14)高い点数と取っているが、能力は低い。
15)「中国高考難邁戸籍門欄、改革時間表“難産”」工人日報、2010年12月10日。
16)「会考」と言う。
17)同15。
18)同15。
19)教学点を撤廃し、完全学校を中心学校に併合することである。
20)雑費・教材費を免除し、寄宿学生に生活費を補助する。
21)日本文部省小学科「へき地教育資料」第52号、勝美印刷株式会社、1995年。
22)日本文部省「へき地教育」弘報印刷株式会社、1961年。
23)山川武正「へき地の教育」(昭和三十年)第四篇「へき地教育の動向」。
24)斉藤泰雄「へき地教育振興のための政策と取り組み――日本の経験――」『国際教育協
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『鶴山論叢』第11号 2011年 3 月31日 21
力論集』
、広島大学教育開発国際協力研究センター、第7巻第2号(2004)25~37頁。
25)八田明夫「へき地教育を担う大学サミット『へき地教育と教師教育』出席報告」、2008
年。
26)植村広美・山崎香織・小阪成洋・内田良「へき地教育の今日的課題――教員の勤務条
件に注目して――」『愛知教育大学教育実践総合センター紀要』、第12号、pp.315~
321、2009年2月。
27)何勁松・門脇正俊「中国の『へき地教育』的な教育用語に関する一考察」、北海道教育
大学。
ソ
ウ クン
(蘇 于君、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程)
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