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食物獲得における貢献度と個人差
Title Semaq Beri 女性のフォレージング (1) : 食物獲得における貢 献度と個人差( 本文(Fulltext) ) Author(s) 口蔵, 幸雄 Citation [岐阜大学地域科学部研究報告] no.[24] p.[61]-[94] Issue Date 2009 Rights Version 岐阜大学地域科学部 (Faculty of Regional Studies, Gifu University) URL http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/24860 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。 岐阜大学地域科学部研究報告第24号:61-94(2009) 61 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- 口 蔵 幸 雄 (2008年12月15日受理) TheRoleandIndividualDi飴rencesofForaglngActivitiesamongthe SemaqBeriFemalesofPeninsularMalaysla ⅦkioKUCHIKURA Abstract SemaqBerihunter-gathererin ThispaperfocusesontheftmalefbraglngaCtivitiesofthe PeninsularMalaysla・First,IprovideaquantitativedescriptlOnOftheactivitieswithspecial referencetotimeallocationandreturnStOShowtowhatextenttheirforaglngCOntributedtofood consumptionofthecommunity.Afterpresentingindividualdi飴rencesoftheactivitiesin quantitativetermS,Iclassifythetargetfernalesintoseveralcategoriesonthebasisoftheir reproductiveandchildcarestatuses,andthencompileandanalyzetheforaglngdataaccordingto thecategorizationforthepurposeofpredictingthefactorsthatmightinducetheindividual di飽rences・Finally,lexamine the di飴rencesin thelight ofthelifb history theoryln behavioralecology. Key words:hunter-gatherer;Peninsular Malaysla;foraglng aCtivities;fbmales; individualdi飴rences;behavioralecology キーワード:狩猟採集民;半島マレーシア;フォレージング;女性;個人差;行動生態 学 62 口蔵幸雄 Ⅰ はじめに 1966年に開催された狩猟採集民研究に関する国際会議において,狩猟採集民の労働 に対する劇的な見直しが行なわれた(LeeandDeVbre,1968)。そこでは,「飢餓にせきた てられ,生存のために休みなく働かねばならず,一時の休息も食物の余剰もない」 (Sahlins,1972:1)という狩猟採集民に対するステレオタイプな見解が根本的に改めら れた。すなわち,狩猟採集民は,安定した食物基盤(とくに低緯度地域は植物性食物) を持ち,食物獲得に費やす時間は現代工業化社会の労働者や伝統的社会の農民に比べて はるかに短く,十分な余暇を享受していること,低緯度地域では,低収益で収穫の変動 が大きい狩猟よりも,高収益で収穫の安定している植物性食物の採集がはるかに重要で あることが,この会議で一般的な合意に達した。同時に,食物獲得活動において採集に 従事する女性の重要性に焦点が当てられ,北極圏以外のあらゆる地域の狩猟採集民社会 において,女性が食物供給の主役であるという一般化が支持された(Lee,1968;Dahlberg, 1981;Leacock,1978)。 一方,女性の生業労働や生業への貢献度という観点から,性分業の実態とそれをもた らす要因の研究も盛んに行われてきた(口蔵,1995)。一般に,生息環境が多様で食物 資源の種類が多いほど生業の安定性が増すが,複数の資源が同時に利用可能な時期には, 利用資源間で時間と労働力をめぐる競合の問題が起きる。集団内の限りある労働力を時 間・空間的に競合する資源間に配分する方法として,性分業は人類集団で共通している。 狩猟採集民において男性は狩猟,女性は採集というのが分業の基本であり,植物性食 物の採集や,貝類など固着性動物の採集への依存度が高い集団ほど女性の貢献度が大き い(Hiatt,1970;BalTyandSchlegel,1982)。生態学的観点から見ると,この性分業は男女 の移動能力(mobil吋)の差に基づくと考えられている。この移動能力の性差は,従来 生理学的運動能力の差とみなされていたが,最近では,狩猟採集活動で必要とされる移 動能力の範囲では生理学的差がないと考えられている(Jochim,1981;Hayden,1981)。 移動能力,ひいては性分業に関して,子どもの世話の重要性が問題になってきた。狩 猟採集社会のみならず,農業や工業社会でも通文化的に子供の世話の主役は女性であり, 男性は子どもの直接の世話や家事にわずかの時間しか費やしていない(Minge-Klevana, 1980;Evenson,1983)。女性の生業に対する貢献度は,子どもの世話とその社会の主要な経 済活動との両立性と相関する,とBrownは指摘した(Brown,1970)。 進化(行動)生態学では,この両立性または女性の行動の選択は,繁殖(生殖)戦略の 観点から論じられている。人類のメスは晩成型の子に多くの時間と努力を投資する方向に 自然淘汰によって進化してきたと考えられている(DalyandWilson,1983;Trivers,1972)。女 性は多様な生態的背景において,食物獲得と子育てという競合する両方の活動に時間とエ ネルギーを配分するという問題を解決しなければならない。行動生態学では,この解決は 行動のコストーベネフィットの関係によって検討される。適応度の利得において異なる選 択肢の中から,個体は繁殖成功度(または適応度)を最大にするような行動を選択しなけ ればならない。すなわち,女性は子の出生率と生存率をより高める戦略を選択すべきであ SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- ると仮定される。 パラグアイの狩猟採集民であるAch占の研究では,女性が食物獲得と子の世話への時間配 分の兼ね合い(trade-0ff)とそれに関係する諸要因が検討された(Hurtadoetal.,1985;Hilland Kaplan,1988)。Ach6では女性の食物獲得における変異が大きく,この変異は主要な資源の 季節性と個人差によって生ずる。食物獲得における個人差は子の世話の制約によって生ず るという仮定のもとで,子の世話のあり方(childcarestatus)が検討された。Ach6の女性は とくに,小さな子どもの健康上の危険を増加するような資源の採取を避ける。子どもの世 話のあり方,すなわち乳児をもつかもたないか,および離乳後の扶養を要する子をどれだ けもつか,を基準とした女性のエネルギー獲得量における変異の分析から,女性は子の生 存率を高める行動を選んでいることが明らかにされた。乳児をもつ母親の食物獲得の効率 は低く,少ない時間しか費やさないが,より多くの努力が子の世話に投資される。離乳後 の扶養を要する子の数は,女の食物獲得活動の重要な決定因子の1つであり,これらの子 は母親が獲得した追加のエネルギーで利益を得るが,母親の付き添いや直接的な世話から も利益を得るので,このような子をもつ母親にとって,食物獲得と子の世話は競合する。 この兼ね合いの解決は,食物獲得からの適応度の利益が,子に付き添っていないことの機 会費用よりも大きいかぎり,この活動を続けることであり,離乳した子どもの数が多い母 親ほど食物獲得により多くの時間を費やしている(Hurtadoetal.,1985)。 また,ベネズエラのサバンナ環境で生活する狩猟採集民Hiwiの女性の食物獲得と子の世 話の兼ね合いに及ぼす環境の影響を検討するために,HiwiとAch6の女性の間でこの兼ね 合いが比較された(Hurtadoetal.,1992)。食物獲得と子の世話の制約(社会生態的要因)に おける両者の主な違いとして,食物資源の豊富さ,食物利用の季節的変動,生息環境にお ける子どもに対する危険(害虫,寄生虫,外傷の原因),夫による子の世話の分担,子の世 話を援助する女性の存在の有無,が取り上げられ,これらの要因が両者の間における,食 物獲得と子の世話の兼ね合いの相違に反映していることが明らかにされた。 多くの社会では,労働,とくに重労働への時間配分は年齢とともに少なくなり,女性の 経済的貢献は祖母になると減退する。しかし,タンザニアのサバンナで狩猟採集生活を送 るHadzaの女性は,中年過ぎの出産停止以降(post-rePrOductive),よりハードに働くよう になり,より多くの食物を獲得するようになる。Hawkesら(Hawkesetal.,1989;Hawkes etal.,1997)は,大人の女性を年齢に基づいた3つのカテゴリー(「青春期の女性(妊娠未 経験;独身)」,「出産可能な女性(既婚)」,「 閉経後の女性」)に分類し,年齢と関係した採 集活動パタンを検討した。「閉経後」の女性が,世話すべき幼い子がいないのに他の2者よ りも採集により多くの時間を費やし,より多くの食物を獲得するという採集パタンは以下 のように説明された。「閉経後の女」は,自分自身の妊娠と授乳への投資を必要としないの で,彼女が獲得した食物の他の2者への分配は,後者の労働負荷を減らす結果となり,し たがって,若い血縁の女が妊娠と授乳に資源(エネルギーや他の栄養素など)のより多く を配分できるようになり】彼女らの出生率と子の生存率を高めることが可能となる。一方, 「閉経後の女」は適応度の利益(包括適応度)を得ることができる。彼女の重労働は,自 らの適応度を増す戦略なのである。Hadzaの「閉経後の女」の採集パタンは,人類における 63 64 口蔵幸雄 閉経の進化の検討に格好の材料をもたらす。人類は自分自身と他者に恒常的に食物を供給 しうるのに十分な高い効率の食物資源獲得能力を持つ,という点で他の霊長類から区別さ れる。食物獲得への投資と多産への投資が競合するならば,高齢の女性は,自分自身がさ らなる妊娠による危険を犯すよりも,出産可能な娘を援助することによってより大きな適 応度を獲得するであろう。人類の祖先では,この同じ能力が分配と閉経の進化を含む生活 史戦略のパタンに対して大きな重要性を持ったのであろう(Hawkesetal.,1989)。 本論文は,女性の食物獲得活動に関する以上3つの先行研究を参考に,マレーシア半 島部の狩猟採集民SemaqBeriの女性の食物獲得活動(漁労と採集)における個人差を, 子の世話のあり方(childcarestatus)と生殖の状態(reproductivestatus)との関係で分析する。 その目的は,SemaqBeri女性の個人差がこれら先行研究で提出された仮説によって説明さ れるかどうかの検討である。しかし,対象集団は,先行研究の諸集団に比べ,現金経済へ の依存(森林産物の販売と食料品やその他の生活用晶の購入)と開発による森林の縮小(食 物資源の減少)によって,フォレージングの重要性がはるかに低下しているため,その貢 献度や費やす時間も少ないので,単純に比較することが妥当かどうかについても検討する。 なお,現在の女性のフォレージングの生計における位置を理解するために,その背景であ る集団の環境や生活,女性の野生食物獲得活動(漁労と採集)について少し詳しく記述す る。本論文で使われる主な数量的データは2001年と2002年の8月のそれぞれ2週間の調 査で得たものであるが,比較として1978/79年の約Ilケ月間の調査で得たデータも用いる。 Ⅱ 対象集団とその生活 居住パタンと人口 SemaqBeriは,Pahan州中央部から北部を中心に、また少数はTbrengganu州南部の海 岸近く,およびPahan,Tbrengganu,Kelantanの三つの州が出会う地域に分布し,人口 約2500人である。SemaqBeriの生業様式は地域的多様性が大きく(少なくとも1970 年代までは),北部(上流域)では移動狩猟採集,中部では半移動焼畑,南部では定住 農耕が特徴であるが,どのグループも程度の差こそあれ,商業用の森林の産物の採集に 従事している。Pahan州中央部を流れるTbmbeling川の上流域の支流には,いくつかの 狩猟採集集団が住み分けていた。このうちのSepia川を本拠地とするグループが本論で 扱う集団である。彼らはKelantan州やTbrengganu州の最上流域にも進出し,狩猟採集 に加えてマレー村民との間で森林の産物や労働力と農作物や日用品を交換して生活し ていた。彼らの間に現金経済が入ってきたのは,rItmbeling川上流に華人のトウ(膝、 CαJβ椚〃=pp・他)仲買人が買い付けに入り出した1960年代になってからである。1970年 代に入り,対象集団は,Tbrengganu州の最奥地であるTbrengan川やKerbat川、そして その支流域を主な活動の場所をとするようになった。この地域で生活するうちに政府の 先住民局(JHEOA)の役人に説得され,1976年にTbrengganu州のKualaBerangの町の 西方にあたる森林の周縁部に州が公示した165.5ヘクタールのオランアスリ保留地 (OrangAs1ireserve;OrangAs1iとは半島マレーシアの先住民を一括して指す用語) SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- 内にJHEOAによって建設されたSungaiBerua村に定着した(図1)。保留地に入ってか らも、雨期(11月-1月)を除く季節には,頻繁に奥地に入り,トウ採集その他の目的 のキャンプ生活を送った。森林と村の二重生活であり,乾期には,村は定住地というよ り奥地のキャンプと町(トウ採集の交渉や買い物)の中継所という役割を果たした。 1985年にKenyirダムが完成し,それまでの主なキャンプ生活での活動域であった主 要河川の流域38,000ヘクタールが水没した。この大規模な森林喪失は,保留地に入植 して以来最大の環境の変化であった。1990年に,保留地の一部(72.4ヘクタール),村 の北部,北西部(森林,アブラヤシ・プランテーション跡地,マレー村落の畑)を含む 総面積にして1956.7ヘクタールの土地が,連邦土地統合再開発公社(FELCRA)によっ てアブラヤシ・プランテーションとして再開発された。また,1990年代に入って,イ スラムへの改宗の圧力が強まり,1994には全員が(名目上)改宗した。その前後から, さまざまな経済開発援助や社会サービスが提供されるようになったのである。 前述のように保留地定着後,雨期を除く季節では,村と森林の二重生活となったが, Kenyir湖の出現によるトウと沈香採集活動における船外機付きボート使用は、それま での家族連れの採集から成人男性のグループによる採集へと採集旅行の形態を徐々に 変化させた。1980年代中頃から1990年代初頭の間に成人男性は村と森林の二重生活, 女性と子どもは村に滞在という基本パタンができあがった。1990年代初頭以降,アブ ラヤシ・プランテーションの開発をはじめ、基盤整備や観光道路の工事の労働者、学校 の教員、宗教局からの派遣員,JHEOAのフィールド・アシスタントなど多くのマレー 人が,少なくとも昼間は村に常駐,ないしは出入りするようになった。さらに,人口の 自然増に加えて転入家族も増え,村の混雑さが飛躍的に増大した。これらを厭う数家族 から10家族以上は,乾期の間Kenyir湖(に注ぐ支流)を本拠地として暮らすように なり、村には滞在しなくなった。こうして村民は,これら「キャンプ・グループ」と「村 滞在グループ」(成人男性だけが採集旅行する)に分裂するようになった。「村滞在グル ープ」の成人女性と子どもは年間を通して村に滞在するようになった。1978/79年と1999 ∼2002年における成人男女の村での滞在率を比較すると,成人男性ではほとんど変化 がないが,成人女性では明らかに村に滞在する比率が高まっている(表1)。 集団は,保留地に移住した時の24(核)家族,95人(1979年8月時点)から,2002 年(8月)には55家族,289人に拡大した。1979年から,2002年までの23年間の人口 の自然増加率(転出者,転入者を除く)は,年平均5.05パーセントとなる。調査を再 開した1999年(8月)から2002年(8月)の3年間の年増加率は10.94パーセントと 驚異的に高くなっている。人口増加は,保留地に定着以来漸進的に伸びてきたと考えら れるが,1990年以降,加速したようである。すなわち,1990年代初め頃までは比較的 緩やかな増加率で推移してきたのが、1990年代中頃からかなり急上昇したとみること ができる。この時期に始まる急激な生活環境の変化による女性の居住・活動パタンの変 化がこのような人口増加パタンを生み出したのであろう。人口増加の第一の要因は出生 率の上昇である。生殖年齢を過ぎたと判断される女性の平均出産数は,1979年の推定 では5.00であったが,2002年では臥38へと増加した。乳児死亡率も人口増加に影響を 65 66 口蔵幸雄 ヽ ll 67 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- 表1成人男女の居住パタン(滞在場所)1) 年 村滞在 長期 森林産物 他村訪問3) 木材伐採 (%) キャンプ2) 採集 (%) 飯場4) (%) キャンプ (%) (%) 成人男性: 1978/795) 50.5 36.8 10.5 53.3 10.3 30.9 5.5 2000 49.3 13.6 31.6 5.5 2001 52.4 18.4 24.6 4.6 2002 41.7 19.4 35.6 3.3 32.9 6.7 1999 2.2 成人女性: 1978/795) 60.4 1999 88.7 6.5 4.8 2000 85.2 11.5 3.3 2001 80.3 18.0 1.7 2002 75.5 21.2 3.3 1)調査対象者の調査期間中の総延べ人数に対する滞在場所における延べ人数の比率。 2)Kenyir湖に流れ込む川筋でのキャンプを本拠地とする「キャンプ・グループ」。 3)オランアスリの他集団を訪問。 4)雨季における飯場の留守番や単純作業。 5)1999年∼2002年との比較のために乾期のデータを示す。 及ぼす。母親のそれまでの時点での産子数に対する死亡した乳児数の平均値は、1979 年の調査では20.0パーセント、2002年では13.0パーセントと減少しているが,有為差 はない。女性の村での定着性の上昇や生業活動の減少(乳児の世話にかける時間の増加)、 人工ミルクの一部普及は乳児死亡率の低下に有利に作用していると考えられるが,ほと んどの母親は子どもが病気になっても,KualaBerangの病院へ連れて行かない。大人で もいまだ,病院で治療を受けることを怖がっている。乳児死亡率に顕著な低下が見られ ないのは,日常の衛生面での無関心と病院での治療の拒否に一因があると考えられる。 食物獲得活動 住民が自らの活動によって獲得する自給用食物は,保留地で一度限り栽培した作物 (1977年に植え付け,1978/79年の収穫)と,1986年以降に保留地の森林を開墾して植 樹した果樹からの収穫した果実以外は,すべて周囲の自然環境から得られる野生(また は自生)食物である。動物性食物は,吹矢猟と漁轢の他に,陸生動物の手掴み,棒や山 刀を使用した猟によって得られ,ヤムイモ,堅異類,果実,シダ類などの若芽からなる 68 口蔵幸雄 植物性食物資源は採集によって得られる。村滞在時では,購入食物への依存と村周辺の 森林の減少による資源の枯渇のため,1978/79年と1999年∼2002年を比べると,野生 食物資源獲得活動の頻度は,とくに成人男性で極端に低くなった(表2)。1978/79の村 滞在時では,成人女性は主に農耕(収穫、脱穀作業)に従事し,野生食物資源獲得には あまり貢献しなかったが,畑作を止めてからの1980年代までの期間,野生食物資源獲 得活動の頻度はある程度高くなったと考えられる。 1999年と2000年では,男女とも村では食物獲得活動にほとんど従事しなかった。行 商人がほぼ毎日訪れ,彼らから鮮魚や野菜を購入したからである`(主食のコメはKuala BerangやTapahの商店で購入)。しかし、2001年と2002年では,行商人が不定期に しか訪村しなくなり,毎日の副食を購入できなくなった。そのため,男女とも副食を求 めての食物獲得活動の頻度が飛躍的に高まった。とくに,成人女性の漁擦・採集活動へ の従事率は1978/79年よりはるかに上回っている。村の周囲の森林は減少したものの, 村の南西には森林が残されており、またマレーの村落周辺にも二次林がパッチ状に存在 している。さらに,村の周辺にはKeny止湖と連結した河川があり,おそらく湖から供 給されるため水生資源の枯渇を免れているのであろう。村の周辺の自然環境には野生食 物資源が減少したとはいえ,緊急避難的に利用できる程度には残されている。 現金獲得活動と世帯収入 現金収入をもたらす活動は,トウ(藤)や沈香を中心とした森林産物の採集,インド シナオオスッボン漁,FELCRAや木材伐採の飯場での賃労働が主なものであるが,専ら 男性の仕事である。 Kenyir湖が出現するまではrIbrengganu,Kerbat,Tbrenganの主要河川やその支流沿い がトウと沈香の採集地であったが,水没を免れた奥地が採集域となった。数人から10 数人の男性で組織されたグループが,数日から10日くらいの期間,採集地でのキャン プ生活を送ってトウ採集を行なう。採集地までの往復は,船外機付きのボートや仲買人 のトラックが使われる。トウ採集は,仲買人との契約で行われ,前借り金でキャンプ生 活や村に残された家族に必要な食料を買う。採集されたトウの代金から,前借り金が差 し引かれる。トウは種類や太さによって,価格の差が大きく,高価格の種類の枯渇が目 立っ(口蔵,2007)。トウ採集の日収入(採集キャンプで得た代金をキャンプ日数に割 ったもの)は平均50リンギット(ringgit:マレーシアの通貨で,1リンギットは約30 円)前後であった。 沈香は,ジンチョウゲ科ジンコウ属(A卯粛肝ぬ)の樹木の傷害部周辺に樹脂を含んだ 部分である。一本の樹木でまったく見つからないこともあるし,大きな塊を得られるこ ともあるが,切り倒して調べてみるまでわからない。集積凝固した樹脂の密度や質によ って,価格差の大きな等級がつけられている。すなわち,沈香の収益は場所・樹木によ って当たり外れが大きいのである。収入が比較的安定していること,前借りができると いう理由から,トウ採集を中心とし,その合間に沈香も探すというのが以前のパタンで あったが,近年,沈香だけを目的とした1,2週間の長期採集旅行が行われるようにな SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- ってきた。沈香採集キャンプもグループで行われるが,個人ないしは2,3人のグルー プ(夫婦を含む)で村から日帰りで行われることもある。グループによるl回の採集旅 行で数千リンギットを稼いだこともあったが,平均すると,採集者の日収入は,20リ ンギット程度であった。 インドシナオオスッボンを自給用のみから商業的にも捕獲するようになったのは 1990年代になってからである(13∼14リンギット/キログラム)。生きたままKuala Tbrengganuの業者までバンをチャーターして運ぶ。2000年までは,Kenyir湖でのトウ や沈香採集の合間に漁(潜水して鈷で突く)をしていたが,2001年からは成人男性の 若年層を中心に漁期(4∼9月)の間には専業者が現れた。専業者では1人1日の収入 は,ボートや出荷のコストを引くと20∼25リンギットであった。沈香採集やインドシ ナオオスツボン漁の専業化の理由としては,トウ採集に比べると日収は半分以下である が,肉体的に作業が楽なこと,仲買人のスケジュールや諸要求に縛られないで自由に行 動できることなどがあげられる。 FELCRAは,所有者(州有地,私有地)のある未使用地,ないしは現在使用されてい ない土地を統合して規模の大きな換金作物(アブラヤシ,ゴムなど)のプランテーショ ンとして土地の再開発を目的として設立された。開発コストと運営コストをFELCRA が負担し,将来の収益からこれらのコストを償還していき,その残りの利益(配当)を 土地所有者に配分するシステムである。SungaiBerua村を含む保留地は州がオラqンア スリ保留地として指定した州有地であり,村民の私有地ではない。土地所有者は州であ るが,利益配当は村民に支払われることなっている。2000年の6月の時点ではまだプ ランテーション造成のコスト償還が終わっていないので配当金は支払われていない。し かし,他の名目(学用品補助,正月や断食明けのお祝いなど)で,毎年1家族につき 100∼150がFELCRAから支払われた。村民がプランテーションでの賃労働(収穫,葉 の勢定,施肥,農薬散布,下草刈りなど)で得た収入には大きな個人差がみられた。1999 ∼2002年(87ケ月)にかけての平均月収は,0.3∼160.2リンギットの幅があり,平均 27.9リンギットであった。JHEOAや州の目論見は,アブラヤシ・プランテーションで の賃労働と利益配当で生計を維持することである(マレー化,すなわち定住換金農業) が,村民の意向は別なところにある(口蔵,2005)。飯場での賃労働は,木材運搬道路 に沿った木材切り出し労働者用の飯場の建設(基本的には組立て作業)の請負作業であ る。1999年と2000年には決まった5人が従事した。労働日の平均日収は32リンギッ トであった。1978/79年の飯場での仕事は,住み込みでの雑労働であった。 表3に,世帯の月収入の推定値を示す。1999∼2002年では,収入の70パーセント程 度をトウ,沈香,インドシナオオスツボンなどの野生資源に依存していた。この点では i978/79年と基本的構造に変化はない。世帯あたりの平均月収は約440リンギットであ り,調査事例は少ないが他のオランアスリ集団と比べて大差ない。しかし,マレーシア 全体の世帯当たりの平均月収入2,472リンギットと比べると,オランアスリの収入が極 端に低いことがわかる((口蔵,2005;DepartmentofStatistic,2001;Gomes,2004;Lim, 1997)。 69 70 口蔵幸雄 表2 村滞在者(成人男女)1)の食物・現金獲得活動 活動 1999 1978/792) 男 女 (%)(%) 2000 女 男 男 (%)(%) 2002 200l 女 (%)(%) 男 女 男 女 (%)(%) (%)(%) 現金獲得活動: 4.9 FELCRA賃労働 飯場賃労働 トウ採集3) 香木採集 10.4 1.8 0.4 4.5 13.2 - 3.2 - 1.6 0.8 - - 0.4 薬草・果実の採 0.6 2.8 - - 1.l スッポン漁4) 3.8 - 4.8 - 2.7 0.7 7.8 - 0.8 - 6.7 4.5 l.2 - 集・収穫5) 小計 1.5 - 16.1 1.8 21.3 1.6 19.9 1.3 14.O l.2 食物獲得活動: 狩猟 漁携6) 15.3 0.6 8.7 2.7 0.2 0.2 - 3.4 - 3.1 3.9 - 2.8 5.0 2.6 ll.8 漁携/採集7) 採集 - 2.4 2.6 果樹園作業(収 0.5 0.4 - 0.4 - 1.8 11.2 1.1 2.3 3.9 8.l 0.4 1.2 l.7 2.7 8.O 18.1 14.5 24.6 19.4 28.5 25.8 穫・苗の植樹) 焼畑 16.3 31.4 小計 42.7 37.3 0.6 0.5 0.6 1.8 44.2 37.3 16.7 2.3 21.9 3.4 合計 27.9 %:村滞在者延べ人数に対する活動従事者延べ人数の比率。 1)ここでは成人男女とは,一人前の経済活動を期待される,男性では占材α乃,女性ではかα,γα' と呼ばれる年齢段階(目安として15歳頃)以上の年齢段階に含まれるものを指す。男 女とも,この段階で結婚し始める。 2)1978/79は334日間の調査(キャンプ滞在の調査期間を含む)。1999-2002年はそれぞれ 14日間の調査。 3)採集したトウの運搬と仲買業者のトラックへの日帰りの積み込み作業。 4)販売用の大型のスッポンの探索のために遠距離の漁場に行った場合を現金獲得活動と分 類した。 5)果実の収穫対象は野生(自生)のプタイ(タαrた∼α平eCわ∫α)で,販売した時は現金獲得活 動,自家消費の時は食物獲得活動に分類した。 6)近距離の河川での潜水漁,′e∽-Je椚漁,魚毒漁,網漁,釣り漁。 7)村を出て,帰るまでに両方の活動を行った場合。1978/79年は重きを置いた方に分類。 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 71 一食物獲得における貢献度と個人差一 表3 世帯あたりの月収の推定 収入源 1999 2000 2001 2002 平均l 27.82 24.82 14.07 13.95 20.17 (5.4) (5.7) (3.7) (3.6) (4.6) 51.52 6l.57 28.27 2.41 (10.0) (14.1) (6.5) (3.7) 337.80 79.81 235.8l 117.55 193.32 60.55 (65.3) (18.3) (62.7) (30.0) (44.2) (93.6) 5.70 176.84 22.17 141.04 92.88 l.71 (1.1) (40.6) (5.9) (36.0) (21.3) (2.7) インドシナオオス 11.51 12.14 30.16 37.43 22.71 ッボン漁 (2.2) (2.9) (8.0) (9.6) (5.2) FELCRAの配当金1) 7.46 7.8l 7.80 10.45 8.39 (1.4) (1.8) (2.1) (2.7) (1.9) 75.19 72.41 66.27 71.09 71.09 (14.6) (16.6) (17.6) (18.1) (16.3) 517.00 435.40 376.28 391.51 436.83 (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) FELCRAの賃労働 飯場建設 トウ採集 ジンコウ採集 政府援助2) 合計 対象世帯3) 48 47 46 47 47 ():パーセント。 1)実際には利益配当金ではない。他の名目で支払われる援助金。46世帯を対象。2002年 はFELCRA職員の予測。 2)月額85リンギットが46世帯を対象に支払われている。数値は総世帯数で割ったもの。 3)「村滞在グループ」の世帯数。 食物摂取 表4は,1978/79年と1999∼2002年の調査において,村における摂取食物のエネルギ ーとタンパク質について,食物源の構成比,摂取量,食費を示す。1978/79年では,焼 畑作物と政府援助が利用できたため,購入食物の比率がはるかに低い。また,この期間 は収入に占める食費の比率が低く,仮に焼畑作物と政府援助がなくても購入食物と野生 資源により同等のエネルギーとタンパク質を得ることができたと推定できる。1978/79 年と1999∼2002年の間の食物源構成比の違いで最も注目すべき点は、野生食物資源, とくに動物性食物である。狩猟・漁楔による動物性食物の摂取タンパク質に占める比率 は,1999年と2000年でとくに低く,2001年と2002年では1978/79年の調査時の半分 近くまで盛り返している。これは前述のように行商人の訪村の頻度が激減したため、購 入による副食の入手が困難になり,狩猟・漁携の努力が増加したためである。一方,1999 ∼2002年の(男性グループによる)キャンプにおけるデータは少ないが,Kenyir湖周 1978/79 64.67 (100.0) 16 72 口歳事雄 食物源別構成比率 表4 食物 1978/791) 2000 _1999 200l 2002 E P E P E P E P E 購入 24.8 13.5 95.0 62.5 93.1 60.2 93.5 6l.9 83.1 53.7 栽培2) 31.9 13.3 0.7 0.6 0.5 0.4 2.6 2.1 3.0 2.3 l.4 4.1 l.7 3.2 9.5 8.7 31.0 16.8 90.7 45.9 95.0 62.5 95.2 64.9 95.7 65.5 95.2 64.5 購入 0.8 4.5 4.3 31.l 4.8 35.1 2.0 15.4 2.4 16.5 野生 6.4 38.1 0.7 2.3 19.1 2.4 19.0 2.1 11.5 9.3 54.1 5.0 37.5 35.1 4.3 34.5 3.8 35.5 99.3 93.6 95.3 95.5 77.3 85.5 70.2 2.1 ・P 植物: 野生・自生 政府援助3) 小計 動物: 政府援助 小計 6.4 4.8 合計: 購入 25.6 18.0 栽培 31.9 13.3 9.4 40.4 33.1 28.3 2272 68.2 野生・自生 政府援助 摂取量4) 食費5) 0.7 2560 6.4 61.1 97.9 0.7 0.3 0.5 0.4 2.6 l.4 4.l 4.0 22.3 ll.9 27.7 2282 49.3 2173 48.4 2521 53.2 13.70 307.82 269.76 139.92 136.56 (21.2) (59.5) (62.0) (37.2) (34.9) 1)村での摂取食物。キャンプでは構成比が大きく異なる(Kuchikura,1987;1988を参照)。 2)1978/79年は焼畑作物(コメ,イモ挙乱 バナナなど),1999年以降は果実。 3)1,2ケ月に一度支給。コメ,小麦粉,魚缶詰,塩干魚など。 4)単位:エネルギー(E)はキロカロリー,タンパク質(P)はグラム。成人換算により, 成人男1人1日の摂取量。 5)単位:リンギット。世帯あたりの1ケ月の食費。():月収に対する食費の比率。 辺のキャンプでは水生資源が豊富なので,摂取タンパク質の半分は野生動物性食物から 得ていた。キャンプでの野生動物性食物の重要性はほとんど変化していないようである。 一方,野生植物性食物への依存度,とくにエネルギー依存度,はすでに1978/79年の 調査時において村,キャンプともに摂取エネルギーの5パーセント以下と低かった。狩 猟採集民の主食の役割を果たしていたヤムイモは対象集団にとって補助的役割しか果 たしていなかった。2002年に10パーセント近くまで依存度が上昇したのは,この年が 数年に一度の果実の豊作となり,主食として食する野生のコパラミツや堅果類,および SemaqBeri女性のフォレージング(1) 73 一食物獲得における貢献度と個人差- 生食される野生の果実が大量に採集されたからである。 エネルギー摂取量(成人男子換算)については,少なくとも村では,1999∼2002年 の間で年変動はあるものの,1978/79年と大きな違いはない。しかし,タンパク質摂取 量と動物性タンパク質の占める割合は明らかに減少傾向にあるものの,FAO/WHOの 定めた基準の所要量を満たしている。 Ⅲ 女性のフォレージング 対象集団の女性が従事する野生(自生)食物獲得活動は,漁労と植物の採集である。 世界の他の狩猟採集集団がよく利用する陸生の昆虫(やその幼虫)をはじめとする無脊 椎動物は対象集団では食物とみなされていない(口蔵,1981;1996)。ハチミツは,珍 重される食物であるが,現在の生息地ではミツバチは少なく,また蜂の巣取りは専ら男 性が行う。女性が捕獲する陸生動物はニシキヘビ以外の小型のヘビくらいである。 漁携活動 対象集団が行う漁携活動は,対象,漁具・漁法によっていくつかに分類できる。釣漁 には,竿釣り(ヤシ科植物の葉柄を即席に利用,市販のナイロンの釣り糸と鋼鉄製を使 う)と投げ釣りがある。後者は,大型魚を狙う釣りであり,大きな川(gerα血'と呼ば れる,Tbrengganu,Kerbat,Tbrengan川)の淵に,小石の重りをつけて,餌(′ト魚)を つけた針を投げ込む。巻き取りには空き缶を利用する。山中の小川伍娩喝)や,pα力曙 が集まって,gerαゐ,に合流する支流(J釧Og)の流れが緩やかな場所,沼bαJ〟,)が竿 釣りのスポットである。竿釣りの対象は,コイ科,ヒレナマズ科,タイワンドジョウ科 などの50グラム以下の小魚であるが,まれに200∼300グラムほどのタイワンドジョウ (ほとんどが卯鯨で捕獲)が釣れることがある。 市販のナイロン製の網が,投網漁や刺網漁に使われる。前者は,騨rα血'の浅瀬で行 われ,魚群を見つけると網を打ち,数人がかりで駆け寄り,かかった魚を押さえ込んで 捕まえる。刺網漁には,浅瀬と深い場所で行う2種類がある。前者では,川幅が20∼ 30メートルで膝くらいの水深の箇所に一端の岸から対岸まで網を差し渡し,上流から 数人あるいはそれ以上で網に向かって魚を追い込む。この網を使った「追い込み」漁で 捕獲されるのは釣り漁と同じような小魚である。この漁では,1日の漁で,場所を変え ながら何回も「追い込む」。Kenyir湖の奥地を流れるIawogの水深1.5∼2メートルく らいの箇所に「目」の大きな網を仕掛けることもある。これは,コイ科の500グラムか ら1キログラムの大型魚を狙う刺網漁である, ヤムイモの一種(βわ∫CO柁叩ねcα加〟椚)やカキ属の樹皮(βわ脚∫Spp.)をすり潰し て川bαカ増や川幅の狭いJ釧Og)に流し込む魚毒漁も行われる。これらの植物が含む タンニンによって麻痺した魚が川の中のところどころに木の杭に渡したヤシの葉に引 っ掛かっているのを拾う漁である。上流で魚毒を流し込む作業を男性が,拾う作業を女 性・子供が主に担当する。以上の漁のうち,女性が従事するのは,竿釣り,浅瀬での網 74 口蔵幸雄 を使った追い込み漁,および,魚毒漁である。この他に,男性だけが行う,潜水を伴う 「突漁」(水中眼鏡と手製のゴム仕掛けの「水中銃」を使用),川底に枯葉の堆積や穴に 潜むデンタータマルガメ(qcね〝γ∫ゐ〝わね)を足で探って捕獲するりe椚-Je椚漁」,潜水 して川底に潜むインドシナオオスッボン(升わJりばCαrJ∫J曙ブ乃e∽)を返しのついた手製の 頑丈な鋳で突く「スッポン漁」,夜間に懐中電灯を使って川の浅瀬にいる大きな食用の カエル(属α乃α椚αCrO(わ〝)を捕まえる漁がある。 1978/79年の長期調査(観察日数は,村214日,キャンプ120日)では,収量,収量 率に漁法間,性・年齢間で大きな差があった(Kuchikura,1996)。村とキャンプを合わ せた漁獲量(可食重量)に占める比率は,「潜水漁(魚突きとデンタータマルガメおよ びインドシナオオスッボンの捕獲の組み合わせ)」が最も高く,57.1%を占めた。次い で,りe〝7-わ椚漁」の29.8%,「釣漁」,「カエル漁」,「魚毒漁」は,それぞれ7.0%,3.8%, 2.3%であった。網漁では,投網漁が1回だけ観察されただけで,漁獲はごくわずかで あった。一方,それぞれの漁に従事した延べ人数の比率は,「釣漁」が最も高くて38.0%, 2番目に高いのは「潜水漁」で,32.6%を占め,「Je椚-Je〝7漁」19.5%,「カエル漁」6.2%, 「魚毒漁」3.7%,と続いた。1人1日あたりの収量が最も多いのは「潜水漁」(1089グ ラム),最も低いのは「釣漁」で,「潜水漁」のほぼ1/10の114グラムであった。漁携 全体では,621グラム/人・日であった。時間(漁場までの往復時間を含む)当たりの 収量が最も多いのは,「カエル漁」の446グラム,最も少ないのは,「釣漁」の40グラ ム,全体で158グラムであった。日収量において,男性の831グラムに対して,女性は その約1/5の172グラムときわめて少ないのは,後者が収量率の低い「釣漁」に主に従 事しているからである。 成人女性は,釣り漁の出漁者数の56.0%(成人男性は,1l.7%,残りは子ども),漁 獲量の75.6%を占めた。成人女性は竿釣漁と魚毒漁に従事したが,前者の延べ従事者数 は成人女性の漁楔延べ従事者数の94.0%を占めた。(成人)女性はもっばら竿釣漁に従 事したといえる。成人女性の出漁率(村またはキャンプ滞在の延べ人数に対する漁従事 者数の比率)は,村の3.2%に対して漁環境の良いキャンプでは,16.9%と急上昇した。 実際に,キャンプでの1人あたりの日収量は,村での101グラムに対し200グラムと2 倍,時間当たりの収量は,22グラムから90グラムと4倍であった。 1978/79年の総漁獲量(可食部換算)における成人女性の占める比率が5.8%であった のに対して,成人男性は総漁獲量の88.0%を占め,水生資源の利用では成人男性が圧倒 的な重要性を示した(残りの6.1%は子供)。 前述のように,前年までは村民が毎日の副食(鮮魚,鶏肉,野菜)を購入していた行 商人が,2001年以降巡回をやめた。彼らが好む鮮魚や野菜の購入には,週に1度くら いの頻度で巡回してくる別の行商人からか,KualaBerangの市場に買い出しに行かねば ならなくなった。後者では,6キロメートル離れた最寄りのマレー人の職pab村まで出 かけ,そこで乗り合いのバン(KualaBerangまでの往復,1人5リンギットの運賃が必 要)を利用しなければならない。コメの主食に,塩とトウガラシを混ぜてすりつぶした ∫α椚∂αJで味付けした魚や肉,野菜の入った汁(g〟rα∼)の副食の組み合わせが,日常の SemaqBeri女性のフォレージング(1) 75 一食物獲得における貢献度と個人差- 食事であり,村民は副食の入手に関して,1978/79年の状態に戻ったといえる。2000年 以前よりも安易に副食の購入ができなくなったので,かなりの程度,副食の材料を周囲 の環境から獲得する必要が生じた。副食,とくに野生動物性食物,の獲得の主な担い手 であった成人男性は,「村滞在グループ」において,その30∼45%が,トウや沈香採集 のキャンプ,4∼6%が他村訪問で村を留守にしていた。村に滞在した者の15∼20%は, 現金獲得活動に従事していた。したがって,自給のための食物獲得(とくに動物性食物) における成人男性の重要性が下落した。その男性の食物獲得の低下を,2001年と2002 年においては女性が補ったのである。成人女性の出漁率(延べ出漁者数に対する村滞在 の延べ人数の比率)は,2001年で14.6%,2002年で13.8%であった(表2参照)。これ らの数値は,1978/79年の村における出漁率(2.7%)よりもはるかに高い。1978/79年 の長期調査では,出漁率の月変動が分かっているが,最も高かった1979年1月の11.6% よりも上回っている。 2001年と2002年には,成人女性は刺網を使ったJαWOgの浅瀬での「追い込み漁」を 行うようになった(表5)。この漁法は1978/79年には観察されなかった。この漁法は, その後行われるようになったのであろうが,1999年と2000年の村では観察期間に女性 はまったく漁を行わなかったし,2001年に2家族が新たに網を購入している。2001年 の延べ出漁者94人の内58人(57.4%)が,この網漁に従事し,2002年には,網漁従事 者の比率が92.9%と跳ね上がった。網漁の日収益率は,釣漁の約2.3倍高く,より多く の漁獲を求めるために,この漁が重要性をもつようになったのであろう。2001年と2002 年の村での釣漁の日収量率,時間収量率を1978/79年のそれらと比較するとほとんど変 わらないか,前者の方が若干上回っている。すなわち,少なくとも魚類資源は維持され ていると考えてもよい。村周辺の陸上の環境の激変に比べると,水系の環境はそれほど 劣化していないのかもしれないし,村周辺の川が流れ込むKenyir湖が水生資源の維持 に何らかの役割を果たしている可能性もある。 しかし,2002年には2001年に比べ,村周辺の水生資源の減少傾向が現われている。 表5 2001年と2002年における女性の漁揆活動 調査年 2001 網漁 従事者数 釣漁 2002 合計 網漁 76 58 36 94 延べ漁時間1) 280.8 237.8 518.6 漁獲量(kg)2) 10.7 2.8 13.5 収量率g/人・日) 184 79 収量率(g/時間) 38 12 釣漁 9 85 34.9 446.6 13.3 0.6 13.9 144 175 67 164 26 32 17 四 411.7 1)1日のフォレージングで漁擦の合間に採集をすることも多い。そのような場合でも, ここでは,村を出発し,帰着するまでを漁活動の時間として扱った(表9参照)。 2)可食部の重量。 合計 76 口蔵幸雄 表6 2001年と2002年における男性の狩猟・漁労活動 2001 調査年 2002 漁拷2) 合計 13 17 30 194.7 83.2 107.4 190.6 27.4 56.1 20.7 36.2 56.9 1.91 1.96 1.93 1.59 2.13 1.90 0.31 0.27 0.29 32 0.34 0.30 狩猟1) 漁摸2) 合計 15 14 29 延べ活動時間 93.5 101.2 収量(kg)3) 28.7 収量率(kg/人・日) 収量率(kg/時間) 従事者数 狩猟1) 1)吹夫猟(詳細は,Kuchikura,1988を参照)。 2)潜水漁。2001年は,デンタータマルガメ,インドシナオオスツボン,魚類が,それ ぞれ13.2kg,3.4kg,10.8kg。2002年は,それぞれ10.3kg,Okg,25.9kg。 3)可食重量。 採集も並行して行われた機会(表2参照)を除く,漁携だけを行った機会を比べると 2002年の日収量率,および時間収量率は,2001年のそれらの,それぞれ,25.6%,56.5% 減となった(表9)。村周辺の狭い範囲(半径6キロメートル以内)での,網漁や釣漁 に適した河川の資源量は限られたものであろう。村人によれば2001年の以前の少なく とも数年間はほとんど村周辺で漁を行ってはいなかったらしく,魚類資源は十分に回復 していたと考えられる。しかし,2001年の1年間における,限られた領域での比較的 インテンシブな利用によって資源量はかなり減少したと考えることができる。女性の釣 漁から網漁へ重点のシフトはこの資源の減少に対して,漁獲量を維持する方策であろう。 2001年と2002年の成人男性の漁揆活動(商業的スッポン漁を除く)は,オートバイ で1時間以上かかる遠くの川まで行き,潜水漁に従事した。成人男性の日収量は,成人 女性の13∼14倍となる(表6)。すなわち,成人男性1人の漁獲量は,成人女性の13, 4人分に当たる。1978/79年よりもl人当たりの日収量の男女差は広がっているが,総 漁獲量に対する成人女性の貢献度は,1978/79年の5.8%から,33.0∼34.6%と高まった。 これは,成人女性の出漁率が,成人男性の3∼5倍と高まったからである。 採集活動 対象集団が採集する野生(または自生)植物性食物資源は,根茎類,果実,マメ科木 本植物の種子,ヤシ科の芽,草本植物の葉や若芽,木本植物の若芽,キノコ類などであ る(表7)。「食事」との関連では,「主食(椚α椚)」を構成する,根茎類,生食できない (毒を含む),あるいは未熟の大型果実の果肉や種子,「副食,おかず(町)」となる, 草本植物の葉や若芽,木本植物の若芽,キノコ類に分けることができる。また,未熟の 大型果実の果肉(肋7αやJαWe∫)は煮て果肉を食べるときは椚α椚であるが,刻んだ果肉 の油炒めを汁の具にして,コメの飯の副食にするときは町になる。彼らにとって,「食 事」とは椚α椚と町で構成される。生食用の熟した果実(∂〟0カ)や生食するヤシ科の芽 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- は,∽α椚でも曙でもなく,「遊び(pa,p占)で食べる」ものであり,「食事」の構成要素 ではない。マメ科木本植物の種子beわJ,お血ノノer加g)は,コメの飯とともに食べら れる。普通,生食されるが,この場合は町ではなくeJ∂椚とよばれ,ぷα椚∂αJを入れて油 炒めにすると町になる。すなわち,∽α椚や町(「食事として食べる食物」)は,調理用 のたき火如唾Ⅶ,ただの火は〟∫)で調理された食物である(口蔵,1981)。 野生(または自生)植物性食物の椚α椚で最も重要なのは,ヤムイモ(βわ∫CO柁αSpp・) である(あった)。対象集団は32種類のヤムイモを区別しているが,実際に採集してい るのを観察したのは11種類であった。ヤムイモは一般に,より開けた2次林や川岸の より開けた場所を好む。対象集団は,マレー村落の周辺の放棄された畑の跡や廃村跡の 2次林や叢林に自生する栽培種(β.αJαねやβ.クe乃昭和肋)や半野生種(β・触画血)を 好んで採集する。これらの種類は,群生して生育する傾向があり,地下浅くにイモを付 けているので採集しやすい。上).αわねやβ.クe〝J甲如才Jαでは,1つの群生で,総計20kg ほどのイモが採集された機会が数回観察された。β.触画ゐは,とくにこの傾向が強く -箇所で短時間に大量(実際に掘られたのは40∼50kgくらいだが,半分以上は掘り残 していた)に採集できるが,この種はアルカロイドを含んでいるので,手間と時間のか かる毒抜き作業を要する。したがって,村やキャンプで手持ちのコメが極度に不足した 時にしか採集されなかった。毒抜き処理は,皮をむいて煮た後,厚さ1ミリくらいにス ライスし,藤で編んだかごや米袋に入れて,l昼夜以上流水(川)に晒す。その後, 再度煮て食べる。真の野生種で,ヤムイモの代名詞になっているね血甲(β.orみ加Jαね) は,1次林を含め,あらゆるタイプの森林に生育している。対象集団は,ヤムイモの総 称を持たず,「ヤムイモを探しに行く」時には,"如再読岬"(∂αブは掘るという意味)と 表現する。この種では,1本の茎に細長く枝分かれした沢山のイモが地中深くに広がっ て埋まっている。十分に成長すると,1本の茎から40∼50kgのイモを収穫できるとい う(観察では,4人の女性が交代で掘って,総計26.5kgを収穫したのが最高であった)。 1960年代まで対象集団がPahan州の最奥地で移動生活をしていた時,マレー村民と 森林産物(マレー人の生活用品や材料や屋根材を含む)や労働力の提供の見返りとして 入手したコメやバナナなどの農作物を除けば,最も重要なエネルギー源であった。 Kelantan州の奥地で同じような生活を送っていたBatek集団の1975/76年の調査 (EndicottandBellwood,1991;1960年代の対象集団よりは,現金経済に依存)によると, 摂取エネルギーの38.6%をヤムイモから得ていた事実に照らしても,当時の対象集団は, 摂取エネルギーの40%以上をヤムイモから得ていたと推測される。 保留地に定着し,現金経済への依存を強めた1978/79年では,ヤムイモの食物におけ る重要性は,急激に低下した。ヤムイモへのエネルギー依存率は,村では2.4%,キャ ンプでは5.2%であった(Kuchikura,1993)。しかし,村,キャンプともコメが少なくな ると,ヤムイモヘの依存度が高まった。柑では過ごとに摂取食物を集計したが,モニタ ーした29の週のうち,3つの週でヤムイモへのエネルギー依存率が15%を超えた。こ れらのうち,2つの週では,村のすぐ近くに生育するa/頻画血が大量に収穫され,も う1つの週ではマレー人の恥pab村周辺の畑跡に生育するβ・クe〝坤砂地が集中的に利 77 78 口歳事雄 用された。1979年の1月15日から2月8日までの長期にわたるトウ採集キャンプの後 半は,トウ仲買人から前渡しされたコメがなくなり,数人の男性が村から政府援助のコ メを持ち帰るまでの数日間はβ.触画ゐが主食となった。このキャンプの後半のヤムイ モへのエネルギー依存率は23%となった。 1978/79年では,aノ桓函ゐがヤムイモ収穫量の35.4%を占め,次いでβ.クe〃J甲砂Jわ の18.9%,β.0祓わ〟わね,β.αJαわがそれぞれ18.2%,10.6%と,これら4種で83.1%を 占めた。前出のBatekの集団では,か.0赫c〟Jαねが,57.0%と他を圧倒的した。彼らは, 毒抜き作業を厭い,a揖画励をそれほど利用しない(17.2%)。対象集団がマレー人の 畑跡など擾乱された環境で生育しているヤムイモを主に利用しているのに対し,生息環 境を反映して,Batekは比較的擾乱されていない1次林のヤムイモをより多く利用して いる傾向がある。両者の採集効率を比較すると,1人1日当たりの収量は,Batekが4.27 kgと,対象集団の3.32kgの1.3倍であるのに対し,時間当たりの収量は,前者の0.86kg に対して,後者の方が,1.25kgと1.5倍近く高い。これらの違いは,対象集団が,採集 が容易なaゐえ甲fゐやβ.pe乃坤砂地を中心にしているのに対し,Batekは,掘り出すの に時間と重労働を要するβ.or鋸c〟Jαねを中心にしているからである。したがって,1日 の採集時間も,Batekは4.52時間と,対象集団(2.65時間)の1.7倍の時間を要した。 ヤムイモ採集の頻度も,Batekの28.5%(成人男女20人,93日間の調査)に対して, 対象集団の頻度は,村では,成人男性l.8%,成人女性2.3%,キャンプでの成人男性の 1.1%,成人女性の11.9%とはるかに低かった。なお,2001年・2002年に採集されたヤ ムイモは,ほとんどがβ.pe乃坤砂Jわであった(ごく1部がβ.or∂わ〟Jαね)。 ヤムイモについで重要な植物性食物である果実は,1978/79年にはほとんど採集され なかった。果実は,その年の気象条件や,果実の生殖サイクルなどで,豊作の年と不作 の年がある。1978/79年は不作の年に当たった。対象集団は,野生の果実とともに,マ レー人の廃村跡に自生している果樹(栽培種)も大いに利用する。このような放棄され た「果樹園」がKenyir湖の出現以前には,Tbrengganu,Kerbat,Tbrenganの主要河川に 沿って点在していた。果実の季節は,一般に,6月から始まり10月に終わる。2002年 は,対照的に豊作の年であった。とくに,dr加α甲〃∫属の果実については,数年に一度 くらいの割合で大豊作になる年に当たった。収穫されたね刀α,と加e∫は,森林で自生し ている野生種である(対応する栽培種は,ジャック・フルーツとして一般的なコパラミ ツとパラミツである)。とくに,tana,は,Pahan州の最奥地に多く生育し,対象集団が移動 生活を送っていた時代には,果実の季節になると本拠地であるSepia川の最上流域に点在す るね〝α,の小群落を渡り歩き,この果実を「主食(椚α∽)」とする生活を3ケ月ほど送ったら しい。1978/79ではヤムイモ以外の植物性食物の採集は低調であり,エネルギー換算で, 総採集量の7.2%にすぎなかった。2002年の調査期間は,前述の,果肉を煮て「主食(∽α∽)」 として食べる(種子を焼いて食べる)Jα乃α,とJαWe∫のほか,森林の中(放棄された「果樹 園」)に自生する果樹から,熟した祭具を食べる坤f,加甲Og,椚αゲ,ge融,などが大量 に採集された。この時期は果実の最盛期であり,採集された食物のうち,エネルギー換 算で77.0%が果実であった(2001年は,63.8%)。 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 79 一食物獲得における貢献度と個人差- 表7 植物性食物の収穫量 1978/79 (kg)2) ヤムイモ (βわ∫CO柁αSpp.) 70l.3 (529.0)3) 励〝70乃 30.4 (?肋乃g酵rαSp.) (30.4) パンギノキわαC∂) 2001 (kg) 11.3 (11.3) 28.8 (アα乃gf〟∽eゐJe) (28.8) JeJ℃カ (月b卸0′77αC呼〃わcα甲α) コパラミツ(ぬ乃α,)l) りrわCα甲〟∫拗eger) パラミツ(加eぶ)1) いrわCα甲〟∫如才e′て甲卸肋∫) サントル(坤が) (助批わrわ〟椚〃erVO∫〟椚) タンポイ(ね〝甲0が (βαCCα〟柁α∽αJqγα乃α) オオミタンポイ(椚αr王′) (βαCCα〟柁α㌢拶班f∫) プラサン豆e融') (〃甲力eJねJ椚椚〟ね∂fJe) サラッカ(∫α由つ1) (ゐわcc(】e血Jね) 払α∼ (4フ0和∫αダrαJ乃α〃α) 6.5 シダわα乃〝明 (β∠ec/7〃〟∽Orge乃ね∠e) (6.5) 23.7 (23.7) `批J朋g∽●山J7 (掃J由力α∫Jαね) フサマメわeわり (タαrゑfα5peCgO∫β) 如才血ぶ 20.6 3.7 (12.6) (l.2) 2.3 (タ油ece〃07∂∼〟椚∽fcJ℃Cα甲〟椚) 2002 (kg) 20.9 (20.9) 80 口蔵幸雄 1)野生または自生。 2)可食部の重量。 3)括弧内の数字は女性が採集した重量。 *1978/79年は334日の調査,2001年と2002年はそれぞれ14日の調査。 1978年のお椚0〝,2001年のpαC∂,2002年のどe和カはいずれも堅果であり,毒性を持 つ。前2者は高木であるが,Jero力は蔓性の木本である。毒抜きには,ヤムイモのβ.兢画ゐ のところで記した方法を用いるほか,括り下ろした後,水に晒し,竹筒に詰めて焼く方 法もある。これらも椚α椚となる。マメ科木本植物の種子beわJノお血′ノer加g)はい ずれも高木であり,お血は,他の果実やマメ科の種子より先に実る(3月∼6月)。こ れらの豆,とくにpetolは,多くのOrangAsli集団の現金収入となっている(例,Lim,1997; Gomes,2004)が,対象集団は商品としての採集に熱心ではない(村周辺にダeわJの木が 少ないせいもある)。高木の堅果や渠果を採集する時,男性が木に登って枝ごと切り落 とし,女性や子どもが下で拾う。多くのヤシ科植物若芽や,特定の種の幹の先端部にあ る柔らかい髄(菓や幹に成長する幼芽)が食用となる(ね'α)。生食するか,刻んでg〟rαブ の具(qy)にする。前出のBatek集団では,主要な食物の1つとなっている(Endicott,1984) が,対象集団ではあまり利用されなかった。 町となる野生の葉采として,5種類の樹木の若葉,8種類の草本の葉を1987/79年の 調査時に示されたが,1999年∼2002年の調査時も含めて,実際に利用されたのは,2 種類,しかもシダの一種クα乃〟,e/だけが一般的に利用された。このシダの若葉は一年中採 集可能で,肉や魚のの,が利用できない時に,油炒めにしてg〟rαブの具にされる。最も手軽 に入手できる即である。1987/79年に比べると,2001年と2002年では,はるかに多く 利用された。これは,肉や魚を利用できる機会が減少したからであろう。 成人女性の貢献度 表8,表9は,それぞれ1978/79年と2001∼2002年における成人女性のフォレージン グの頻度,活動時間,収量,平均日収量,平均時間収量を示したものである。1978/79 年では,フォレージング従事率(キャンプや村での延べ滞在者数に対する漁拷・採集活 動に従事した延べ人数の比率)は,村とキャンプでは大きな差があった。村では,9月 ころから焼畑での収穫が始まり,トウモロコシ,サツマイモ,キャッサバに続いて11 月には稲の刈入れ,乾燥,脱穀作業が行われた。9月から1月まででほぼ収穫は終わっ 81 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- たが,この間の成人女性の農作業従事率は40%を超えた。また,3月以降は7月くらい まではお椚αrα〟と呼ばれる乾期で日中の気温も高くなる。奥地の森林帯に比べると,森 林周縁部に位置する村およびその周辺では日中きわめて高温になるため,村では男女と も屋外活動が不活発になり,3月以降,漁携,採集,狩猟ともほとんど行われなかった。 これらの条件が,村生活では女性のフォレージングが低調であった理由である。奥地の キャンプ生活では,森林の中で比較的温度も低く,周辺ですぐに漁楔・採集が可能なの でフォレージング従事率も30%と相生活の5倍になった。2001年と2002年は,前述の ように呼の不足から,比較的高い頻度でフォレージングに従事した。1978/79年の村よ りも3∼3.5倍高い頻度であった。2002年が2001年よりも高いのは明らかにこの年の果 実の豊作のせいであろう。 対象集団の成人女性1人1日のエネルギーの推定摂取量は,1978/79年,2001年,2002 年でそれぞれ,1874kcal,1738kcal,1826kcalである。1日のフォレージングで獲得し た平均エネルギー量は,1978/79年の村で1902kcal,キャンプで1375kcal,2001年と 2002年はそれぞれ,626kcal,1047kcalであった。採集者の必要量を満たしているのは 1978/79年の村だけで,その他は,採集者の1日の摂取量の36∼73%と採集者自身の所 要量も満たすことはできない。これを毎日の採集量(採集総エネルギー量を成人女性の 総延べ滞在者数でわる)に換算すると,それぞれ,114kcal,452kcal,105kcal,252kcal 表81978/79年における女性のフォレージング活動 漁携 村 延べ従事人数 キャンプ 採集 合計 合計 村 キャンプ 合計 村 キャンプ 合計 73 145・ 218 64 124 188 137 269 397 従事率(%)1) 3.2 16.9 9.5 2.8 14.4 21.9 6.0 30.2 12.6 延べ活動時間 370.4 326.2 696.6 210.0 253.5 443.5 580.4 579.7 1160.l 8.0 29.0 37.0 251.0 334.7 585.7 259.0 363.7 622.7 エネルギー(kcal) 8080 29290 37370 252474 340573 593047 260554 369863 630417 タンンパク質(g) 1440.0 5220.0 6660.0 5558.0 6858.0 12416.0 6998.0 12078.0 19076.0 110 200 174 3281 2699 3115 1891 1352 1569 エネルギー(kcal) 皿 202 171 3945 2747 31(iO 1902 1375 1588 タンパク質(g) 19.7 36.0 30.6 86.8 55.3 66.0 51.1 44.9 48.1 重量(g) 22 89 53 1195 1320 1321 44(i 627 537 エネルギー(kcal) 22 90 54 1202 1343 1339 449 638 543 タンパク質(g) 3.9 16.0 9.6 26.5 27.1 28.0 12.1 20.8 16.4 重量(kg) 収量率(/人・日) 重量(g) 収量率(/時間) l)延べ滞在者に対する漁携・採集に従事した延べ人数の比率。 *調査日数:村,214日;キャンプ,120日。 82 口歳事雄 表9 2001年と2002年における女性のフォレージング活動 漁携 2001 漁拷/採集l) 2002 2001 2002 合計 採集 2001 2002 2001 2002 18 16 76 69 15 50 109 135 2.8 2.6 11.8 11.2 2.3 8.1 16.9 21.9 56.7 84.8 461.9 36l.8 63.6 287.5 582,2 734.1 3.5 2.3 75.4 80.3 23.6 153.2 102.5 235.8 エネルギー(kcal) 3535 2323 48532 41151 16164 101568 68231 145042 タンパク質(g) 630.0 414.0 3161.6 3221.9 46l.1 22(i7.0 4252.7 5902.9 重量(g) 194 144 840 1164 1573 3064 94l 1747 エネルギー(kcal) 196 145 554 596 1077 2331 626 1047 35.0 25.9 40.3 46.7 30.7 45.3 39.0 43.7 重量 62 27 152 222 371 533 176 321 エネルギー 62 27 100 114 254 353 117 198 タンパク質 11.1 4.9 7.3 8.9 7.3 7.9 7.3 8.0 延べ従事人数 従事率(%)1) 延べ活動時間 重量(kg) 収量率:/人・日 タンパク質(g) 収量率:/時間 1)延べ滞在者に対する漁携・採集に従事した延べ人数の比率。 *調査日数は,2001年,2002年ともに14日。 となり,採集者の所要量の6∼24%にすぎない。低緯度地域における狩猟採集だけに依 存している集団では,女性は1日平均1000∼4400kcalのエネルギーを採集している (Kaplan,etal,2000における表2参照)。現在の対象集団の女性のフォレージングは, ①購入で得るコメが不足した時の代用として,あるいは食事に変化をもたらす意味での 主食となるヤムイモや堅異類の採集,②購入や男性による曙の供給が不可能な時の, または不足を補うための漁携や葉菜の採集,③楽しみとしての季節の果実の採集,など の補助的役割しか果たしていない。前出の狩猟採集集団のように,女性がエネルギーの 20∼60%を供給している採集とは集団の生業戦略での位置づけが異なっている。しかし, 彼らも現金経済が浸透する以前は,前述のように女性のフォレージングが,低緯度地域 における狩猟採集集団のような範囲内でエネルギーを供給していたに違いない。 摂取食物に対する女性のフォレージングの貢献は,現在ではわずかなものになった。 確かに,採集では女性が収量の70∼90%を占め,主役を果たしている。しかし,採集 そのものの重要性が低下したので,全体の食物摂取に対する貢献度は低い(表10,表 11)。1978/79年では,エネルギーとタンパク摂取量に占める女性のフォレージングの比 率は,村ではそれぞれ約2%,キャンプでは約5%であった。2001年と2002年では, 1978/79年に比べると,動物性食物への貢献度がわずかだが高くなっている(ェネルギ SemaqBeri女性のフォレージング(1) 83 一食物獲得における貢献度と個人差- ーで,0・4∼0・5%,タンパク質で,3.2∼3.9%)。これは,呼不足を補うために女性の漁 労活動の頻度が増加したためである。1978/79年に比べると,明らかに男性の綽猟・漁 痍による動物性食物への貢献度が低下している(表12)。これは,男性が現金計獲得活 動を飛躍的に強化したためであり,それに加えて,前述のように行商が示定期にしか来 なくなったので,その分,女性の動物性食物の獲得が強化されたのである。 このように,女性のフォレージングの地位は低下し,これがなくとも集団の生計維持 システムが崩壊することはないが(実際に1999年∼2000年では女性はほとんどフォレ ージングに従事していない),補助的な役割を果たし,食生活をより豊かなものにして いることは確かである。 表101978/79年における摂取食物に対する成人女性の貢献 村 キャンプ タンパク質 エネルギー 合計 エネルギー タンパク質 エネルギー タンパク質 フォレージングにおける女性の比率(%): 漁労 3.9 3.4 9.0 8.3 7.0 6.3 採集 72.2 71.7 90.9. 91.2 81.8 80.7 合計1) 23.6 4.9 35.8 9.4 29.5 6.4 0.4 2.2 0.2 1.0 4.7 2.9 3.4 1.9 5.l 5.1 3.6 2.9 摂取食物における女性のウォレ「ジングの貢献(%)‥ 動物性食物 植物性食物 合計 0.3 ▼-0.1 2.2 ・1.7 2.3 2.0 1)フォレージング全体に対する比率。 表112001年,2002年における摂取食物に対する成人女性の貢献 2001 エネルギー 合計 2002 タンパク質 エネルギー タンパク質 土ネルギ一 夕ンパク質 フォレージングにおける女性の比率(%): 漁労 35.4 35.5 28.7 29.1 31.7 31.7 採集 67.j 76.4 65.2 69.6 65.8 71.8 44.6 16.5 52.9 33.6 49.9 31.4 合計Ⅰ) 摂取食物における女性のフォレージングの貢献2)(%): 動物性食物 0.4 3.2 0.5 3.9 0.4 3.6 植物性食物 1.5 2.7 4.9 4.3 3.1 3.5 合計 1.9 5.9 5.4 8.2 3.5 7.1 1)フォレージング全体に対する比率。 2)食物摂取調査期間のデータに基づく(2001年は5日間,2002年は4日間)。 84 口蔵幸雄 摂取食物における成人男性のフォレージングの貢献1) 表12 エネルギー 2002 2001 1978/79 タンパク質 エネルギー タンパク質 エネルギー タンパク質 動物性食物 7.0 4l.4 1.9 15.8 l.9 15.l 植物性食物 0.5 0.3 0.3 3.0 4.5 3.5 合計 7.5 41.3 2.2 18.8 6.4 18.6 1)摂取食物に対する,男性の狩猟・漁労・採集によって供給された食物の比率。 個人差 女性のフォレージングには,頻度,およびそれと相関する食物獲得量(エネルギー) に大きな個人差が見られた(図2)。1978/79年は,14人を対象とし,個人によって観察 日数が異なるが(転入・転出,および観察者がキャンプに随伴した時は,村に残された 人の観察ができないことなど),村でのフォレージング従事率(村滞在日数に対するフ ォレージングの回数の比,以下,従事率と記す)は,0%(盲目の年配者)から最高26.3%, 平均6.0%,キャンプでは,全体的に高く,5.3∼59.3%,平均30.2%であった。 2001年は,対象者49人で,14日間の調査の結果,0%が10人,最高が7回(50・0%) 従事し,平均従事率は16.9%であった。2002年は,53人を対象に,2001年同様に14 日間調査した。この年は,果実の豊作を反映し,0%が6人と減り,最高が10回(72・4%), 平均値も21.9%と上昇した。 この頻度(従事率)における個人差を検討するために,「子の世話のあり方(childcare status)」と「生殖の状態(reproductivestatus)」の2つの基準で女性をグループに分けた。 「子の世話のあり方」では,授乳している子がいるかどうか,および養わなければなら ない子(被扶養者:男では抽プ加g,女では如,∼,∂と呼ばれる成長段階である10∼13,4 歳,および男女ともかα鮎乃と呼ばれる,それ以下の成長段階の子ども)の数を問題と した。前出のHurtadoら(Hurtado,et.al.,1985;Hurtado,et.al.,1992)は,乳児を持つ母 親は乳児を常に抱いていなければならなのでフォレージング活動の妨げになるし,乳児 は最も外界の危険に曝されやすいので,母親の行動に影響を与えると予測している。同 時に彼らは,離乳後の子の数は,子は母親がより多くの食物を提供することで利益を受 けるため,母親のフォレージングに影響を与えるであろうと考えている。ここでも,こ れら2つの基準を用いた。離乳後の子の数は,3人以上,以下で分けた。「生殖の状態 (reproductivestatus)」は,=awkesら(Hawkeset・al・,1989,Hawkeset・al・,11997)の行 動生態学的視点を取り入れ,結婚しているかどうか(かαンα,の段階で未婚の者を異なる カテゴリーに入れる),「生殖」を終えたかどうか(閉経かどうかよりも,年齢と5年以 上出産していないことを基準)でカテゴリー化した。対象集団の女性では,40歳を超 える女性の出産はごくまれであるが,1999年以降そのような出産が1例あった。 以上の基準で,成人女性を8つのカテゴリーに分類した(表13): Ⅰ:出産停止後の女性,被扶養者3人未満,年齢60歳以上。 85 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- ▲ 2001 0 2002 ○ 0 00 ▲▲ ▲ ▲ ▲ 0 0 ○ ▲1▲▲ 0 ▲▲▲▲ 0 00 ○ 00 ▲▲▲▲▲▲▲▲0 紳∝■d伽 恕艶為○ 細棚 10000 獲得エネルギー 0一三::‡::▲▲叫 197&/79年(村とキャンプの合計) 1軸 2:鵬 3鵬 400 r獲得エネルギー/観察日数 図2.フォレージングの頻度と獲得エネルギー 86 口蔵幸雄 Ⅱ:出産停止後の女性,被扶養者3人以上,年齢60歳未満。 Ⅲ:出産停止後の女性,被扶養者3人未満,年齢60歳未満。 Ⅳ:出産可能な女性, 非授乳,被扶養者3人以上。 Ⅴ:出産可能な女性, 非授乳,被扶養者3人未満。 Ⅵ:出産可能な女性, 授乳,被扶養者3人以上。 Ⅶ:出産可能な女性, 授乳,被扶養者3人未満。 Ⅷ:未婚のかαンα'。 表13 成人女性のstatus 女性のカテゴリー1) Ⅰ Ⅲ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅶ【 2001 人数 平均年齢2) 平均被扶養者数3) 4 3 5 8 7 9 5 5 64.0 42.7 50.0 30.9 18.7 29.3 19.6 16.6 0 4.0 1.6 4.5 0.7 5.0 1.6 9.3 11.0 5.8 l.4 5.3 l.4 29.5 5.7 1l.2 2.0 1.3 0.2 0.2 3.5 1.7 4.0 0.5 0 0.3 0 21.8 2.7 14.4 0.8 0 0.3 0 被扶養者の平均年齢4) 末子の平均年齢5) 婚姻した子の平均数6) 孫の平均数7) 2002 人数 平均年齢 平均被扶養者数 3 3 4 8 6 8 6 6 67.0 42.3 51.3 30.8 18.5 29.0 21.3 17.7 0 4.7 l.3 4.6 0.8 4.8 1.3 10.1 11.3 6.8 1.8 5.3 l.5 被扶養者の平均年齢 末子の平均年齢 30.7 5.7 10.3 2.1 1.5 0.5 0.5 婚姻した子の平均数 4.0 2.0 5.0 0.l 0 0.5 0 26.7 3.7 18.3 0.3 0 0.6 0 2 2* 3* 3* 2* 2 14.5 孫の平均数 1978/79 人数 口 口 平均年齢 68 43 45.5 28.5 28.7 29.3 17.5 3 1.0 3.5 0.7 4.3 1.0 10.0 7.5 5.9 5.0 4.4 0.0 7 5 2.5 5.0 0.7 0.0 平均被扶養者数 被扶養者の平均年齢 末子の平均年齢 30 婚姻した子の平均数 2 1.0 孫の平均数 6 3.0 87 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- 1)本文参照。 2)JHEOAの名簿に記載されたものを参照。1978/79年では,あまりに見かけと異なる記載 は,子どもの年齢などから推定。 3)乳児も含む。 4)乳児も含む。 5)乳児も含む。 6)同じ集団(村)で生活しているものに限る。 7)同じ集団(村)で生活しているものに限る。 *1978/79年では,調査期間中にカテゴリーが変わった女性が2人いた(出産によるⅣから Ⅵへ,乳児の死亡によるⅥからⅤへ)。重複して入れてある。 表14 女性のカテゴリー別フォレージング活動 ロ カテゴリー Ⅱ Ⅲ 合計 Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅶ【 16 12 17 12 田 90 Ⅳ 2001/20021) 人数 7 6 9 延べ観察者数 98 84 126 224 168 238 168 154 1260 延べ従事者数 0 40 55 68 27 18 10 26 244 0.0 47.6 43.7 30.4 16.1 7.6 6.0 16.9 19.4 0 5979 5116 3908 2111 717 633 2159 2370 2* 3* 3* 2* 2 14 従事率 獲得エネルギ ー/人 1978/792) 口 人数 延べ観察者数 225 延べ従事者数 従事率 獲得エネルギ 口 * 2 170 479 249 432 680 374 537 3146 36 80 70 16 110 43 51 405 2l.2 16.7 28.1 3.7 16.2 1l.5 9.5 12.9 50595 83595 54349 2181l 5256l 20872 19329 45000 ー/人 1)調査日数:28日。 2)調査日数:334日(村とキャンプの合計)。 *表13で述べたように,2人が重複して入っている。 個人差の要因を検証するには,各カテゴリー間で従事率(フォレージング)の頻度を 比較するのが最も簡便で良い方法であると考えられる。2001年と2002年はほとんど同 じ傾向であったので,これらをまとめたデータを用いた(表14)。2001/2002年では, ⅥとⅦのカテゴリーの女性,すなわち乳児を持つ母親は,他のカテゴリー(Ⅰのカテゴ リーの女性は,両年ともまったくフォレージングに従事していないので考慮しない)に 比べ従事率が有意に低い(表15)。離乳は,普通生後1年から1年半の間に行われ,離 88 口蔵幸雄 乳食は,砂糖入りのお粥が主である。出産間隔は短く,30代半ば過ぎまで,多くの女 性が隔年,あるいは毎年出産する。離乳時期と出産間隔は関連があるが,!Kungなど の狩猟採集集団に比べると離乳の時期が早く,出産間隔もきわめて短い(Lee,1979; Howell,2000)。したがって,同一人において2001年と2002年ではかなりの数の女性の カテゴリーが変わった。すなわち,年齢と子の数から,ⅣとⅥの間,およびⅤとⅦの間 で入れ替わりがあった。出産によってⅣからⅥへと変わった5人の平均従事率は27.2% から11.4%へと有意に減少した(p<0.025)。同様に,ⅤからⅦへの移行(3人)に伴っ て,21.4%から4.7%へと減少した(p<0.05)。逆に,授乳を終えたことによって従事率 が増加した。ⅥからⅣへ変わった5人の従事率は,5.7%から3l.5%(p<0.005)へ,Ⅶ からⅤへ移行した3人の従事率は,2.4%から14.3%(p<0.05)へと,それぞれ増加し た。2002年の増加は,前述のように果実の豊作によりすべてのカテゴリーで増加して いるが,増加率をみるとⅡ∼Ⅳで大きく,Ⅵ∼Ⅷではわずかの増加であった。2001年 と2002年では,授乳がフォレージングの頻度に強い影響を与えたことが明らかである。 表15 フォレージング頻度のカテゴリー間でのⅩ2検定 2001/20021) ロ ロ Ⅱ *** Ⅱ Ⅲ *** 〉0.10 Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** * Ⅲ Ⅳ Ⅴ ** ** * Ⅷ 〉0.5 *** Ⅵ *** 〉0.5 *** *** Ⅶ Ⅷ 1978/791) ロ ロ Ⅱ *** Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅲ *** 〉0.25 Ⅳ *** 〉0.10 *** Ⅴ Ⅶ Ⅷ *** *** *** *** *** 〉0.05 *** *** *** 〉0.5 〉0.025 *** *** *** *** Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅶ【 1)表14の各カテゴリーの延べ観察日数と延べ従事者数を基に計算。 *:p<0.025;**:p<0.01;***:p<0.005 Ⅵ *** *** *** 〉0.025 *** *** 〉0.25 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- 次に,子(被扶養者)の数という点に注目したい。3人以上の被扶養者を持つⅡとⅣ が,平均4∼5人,3人未満のⅢとⅤが平均1∼2人と,両者の間において子の数の差は 大きい。Ⅴは,ⅡとⅣよりも従事率が,それぞれ,31.5%,14.3%低い(ともに,p<0.005)。 また,ⅢとⅣ間では,子の数の平均値は,ほぼ等しいか,2001年ではⅣの方が平均0.5 人多い。しかし,Ⅱの従事率が有意に高い(p<0.005)。この両者の間の差は,Ⅱの子 どもの年齢が高く,必要な食物畳も多いこと,Ⅱの末子の年齢が5∼6歳と辛がかから なくなっているのに対し,Ⅳの末子の年齢が2歳前後とまだ目が離せなく,保護が必要 なのでフォレージングの制約になっていることが考えられる。子の少ないカテゴリーで あるⅢとⅤの間でも同様のことが言えるかもしれない。これらのカテゴリー間では従事 率に有意な差(p<0.005)がある。子の数は,前者の方が,0.5∼1人多いこと,子の平 均年齢や末子の平均年齢に大きな違いがあることがこの差に反映しているかもしれな い。ⅡとⅣおよびⅢとⅤの間では,子の年齢(食物の量)や末子の年齢(世話)が従事 率にかかわっている可能性が高い。しかし,ⅡとⅢの間では,末子の世話に関しては同 様に辛がかからなく,前者の方が育ちざかりの子が2,3人多いにもかかわらず,従事 率に有意差がない(p>0.1)。また,Ⅲは子の数が多いⅣよりも従事率が優位に高い (p<0.025)。これは,Ⅳの末子の平均年齢が低く(2歳強),世話が掛かることで説明 できるかもしれない。ⅥはⅤよりも子の数が4人ほど多いが,従事率は後者より有意に 低い(p<0.01)。これは,授乳という要因が子の数という要因よりも圧倒的に強く働い ているからであろう。同じことが,ⅥとⅦの間でも言える。両者では子の数で3人以上 の差があるにもかかわらず,ともに従事率が低い(p>0.5)。以上のことから,子の数が 単純にフォレージングの頻度に関係するとは言えないことが明らかである。 もう1つの要因である「出産の停止」を考慮しなければならない。出産停止後の女性 のカテゴリーは,Ⅰ,Ⅱ,およびⅢであるが,Ⅰは平均年齢が65歳以上で,フォレー ジングはもう行っていない。Hadzaの「働き者の祖母」(Hawkesらの定義では,15歳以 下の子を持たない閉経後の女性)が,何歳くらいまで働くのか明らかではないが,対象 集団では,60歳くらいを境に,フォレージングを止めるようである。フォレージング に従事していた最高年齢者は,55歳(JHEOAへの登録年齢,1978/79年の調査時から も判断してほぼ妥当)で2001年と2002年をあわせて35.7%の従事率であった(最高は, Ⅲの51歳の女性で,57.1%)。ⅡとⅢのフォレージング従事率は,それぞれ,47.6%, 43.7%と他のカテゴリーを圧倒していた。すなわち,出産停止後に最も活発にフォレー ジングを行うようになるのである(もっとも,前述のように,1999∼2000年にはほと んど行わず,2001年と2002年のように必要が生じたらという条件付きであるが)。Ⅱ の従事率の高さは,年齢の高い被扶養者が多いことで説明がつくかもしれない。ⅡとⅢ を比べると,そのもっとも顕著な違いは,同じ村に住む結婚している子の数(結婚して いる娘も)と孫の数である(表13)。ここでは詳しく述べないが,フォレージングで得た食 物の分配は,母親から結婚した娘への頻度が一番高かった。この中でも,Ⅲから,Ⅴ∼Ⅶ・ への分配が多かった。これらの事実は,Hawkesらの「祖母仮説」(Hawkesetal.,1989;1997) の行動生態学的説明にマッチしているかに見える。 89 90 口蔵幸雄 一方,1978/79年のデータは,かなり異なる傾向を示している。この時期は対象集団 の規模も小さく,各カテゴリーに1人か2人しかいなかったので,「子の世話のあり方」 と「生殖の状態」などの属性のほか,個人の特徴・状態がより強く反映されている可能 性がある。このことも考慮に入れてデータを考察する。Ⅰの1人は,集団の中で1番の 年寄りであり,しかも盲目であったため,フォオレージングには参加しなかった。最も 従事率が低かったのはⅤで,これは2001/2002年と大きく異なる点である。低かった理 由の1つは,このカテゴリーに入る2人の内1人は病気(結核)のためほとんどフォレ ージングに従事しなかった(調査中に死亡)。もう1人は健康であったが,従事率は5.5% と低かった。彼女は農作業には積極的に従事したが,何故かフォレージングには消極的 であった。もう1つの顕著な相違点は,乳児を持つⅥとⅦが2001/2002年に比べると従 事率が高いことである。とくにⅥは,ⅡとⅢと有意差がなく,ⅤとⅧよりも有意に高い。 しかし,Ⅵは子の数ではⅣよりも1人ほど多いが,従事率は有意に低い。この点では, 授乳という要因が働いているかもしれない。Ⅶは,Ⅴよりも有意に高く,ⅢとⅧとは有 意差がない。これらの事実は,総体として1978/79年では乳児の存在が2001/2002年に 比べるとそれほどフォレージングの制約にはなっていないことを示唆する。 このことに関しては別の解釈もできる。すなわち,2001年,2002年と違って,Ⅵと Ⅶの母親が集団に存在しなかったことが関係している可能性がある。すなわち,「祖母 仮説」における,食物を提供する援助者である「祖母」(自分の子の祖母,すなわち, 母親)がいなかったことを意味する。この事実が,乳児を持つⅥとⅦの従事率を高めた 可能性がある。1978/79年は,2001/2002年よりも小集団であったこと,定住前は現在よ りも成人女性が早くに死んだ可能性があること(Kuchikura,1987)などが,ⅥとⅦの母 親が集団内に存在していなかった原因と考えられる。しかし,この要因が大きく作用し ているかどうかはさらなる検討を要する。上記で示唆したように,2001/2002年では, ⅢからⅤ∼Ⅶの中の実の娘への分配が多かった事実はこの件と関連するが,この問題に ついては,分配のデータを示しながら次回で詳しく検討する予定である。 1978/79年で最も従事率が高かったのはⅣの女性で,Ⅱとは有意差がないが,他のカ テゴリーよりは有意に高い。「生殖」の点で同じ状態にあるが,被扶養者数で異なるカ テゴリー間(ⅡとⅢ,ⅣとⅤ,ⅥとⅦ)で比較すると,ⅣとⅤの間以外有意差はない。 しかし,いずれも子(被扶養者)が多いカテゴリーの従事率がより高い。また,「出産 停止」後の女性(ⅡとⅢ)は高い傾向にあるが,2001/2002年ほど極端ではない。以上 の点から,1978/79年では,子の数が,従事率に最も強い影響を及ぼしていると見るこ ともできる。しかし,各カテゴリーの人数が少ないので断言はできない。 1978/79年と2001/2002年の傾向の違いには,その間の自然・社会環境の変化,生活形 態(とくに居住形態)の変化,集団の大きさや構造の変化,出生率,死亡率,乳児死亡 率などの人口学的変数,など様々な要因が関係していると考えられるが,次回の課題と したい。 本論で女性のフォレージングの個人差を,「子の世話のあり方(childcare status)」と 「生殖の状態(reproductivestatus)」という要因で検討したが,先行研究の集団は,女性 SemaqBeri女性のフォレージング(1) 一食物獲得における貢献度と個人差- のフォレージングがそれらの集団の食物獲得において重要な位置を占めている(Hadza で35%,Acheで17%)。女性のフォレージングが集団の摂取エネルギーやタンパク質 の10%以下しか貢献していない対象集団に,同じようにこれらの要因で個人差を分析 することに意味があるか,という問題がある。しかし,1960年代までは,対象集団の 女性のフォレージングは,先行研究の集団と同じような重要性を持っていたのであり, またそのような潜在能力も保持している。したがって,個人差を生み出す要因に本質的 な差はないと考えることは可能である。 Ⅳ まとめ 現金経済の影響がほとんどなかった時代では,世界の低緯度地域の狩猟採集民と同様 に,SemaqBeriの女性のフォレージングは,生計維持(食物獲得)システムにおいて重 要な役割をはたし,植物性食物の採集によって,集団の摂取エネルギーの30以上を供 給していたに違いない。しかし,男性による森林産物(トウや沈香)の採取・販売によ って得た現金で,コメなどの食物を購入するようになってから(すなわち現金経済への 依存),女性のフォレージングの地位は低下してきた。 地域開発によって,同化政策とならんでマレー人との接触の機会がより多くなってく ると,食習慣もマレー風になり,コメの主食と副食(肉,魚,野菜などのカレー汁g〟rαf) の組み合わせによる食事と変わってきた。1978/79年の段階では,副食に関しては,狩 猟・漁労に加えて一部の採集でその大半を賄っていたが,道路網の整備などによって副 食の購入も容易になる(行商人の巡回)と,副食を含むほとんどすべての食物を購入に 頼るようになった。このように,地域の現金経済に組み込まれてしまうと,それ以前の Pahan時代のように,自由に移動しながら,森林資源の利用と自分たちの意思での交易 を組み合わせた生計(生存)システムに戻ることはできなくなった(森林の縮小という 要因も大きく関与しているが,対象集団の中の当時を知っている成員の多くは,これを 懐かしみ,かつ望んでいる)。一方,副食の購入が不便になった2001年と2002年には, 女性のフォレージングが復活した。主に,副食を求めての漁労・採集である。全体の摂 取食物における貢献度は低いものの,1978/79年と比べるとエネルギーでは同程度,タ ンパク質では上回った。このように,必要が生じればフォレージングに戻れることがで きるということは,知識と技能,すなわち潜在力が保持されているからである。しかし, 現在子どもは日中に学校に通うため,親のフォレージングに同行する機会が激減した。 フォレージングのための知識と技能を次世代へ伝えることが困難になってきたのであ る。さらには,周辺の森林は開発によってますます縮小し,河川は汚染される。近い将 来フォレージングが不可能になる可能性が高い。 女性のフォレージングには,活発に参加する人やほとんど行わない人など集団内での 個人差が見られる。これには,授乳や年齢による出産停止などの「生殖」的条件や子の 世話といった要因,および養育しなければならない子の数という要因などが関係してい ることが明らかにされた。現在,女性のフォレージングは,人類の生活史の進化におけ 91 92 口歳事雄 る長寿や閉経の問題との関連で,「祖母仮説」などにおいて盛んに議論されている (Vblandetal.,2005;Hawkesetal.,2006)。SemaqBeriにおける女性の個人差,とくに 2001/2002年に観察された「出産停止後」の女性の活発なフォレージングの解釈に関し て,進化(行動)生態学の理論がきわめて参考になる。次回は,これらの理論を詳細に 検討し,対象集団の女性のフォレージングに対して更なる検討を加えたい。 謝辞 1978/79年の調査はリトルワールド助成金,1999年と2000年の調査は,科学研究費 補助金「東南アジアの湿地帯における資源と経済一関発と保全の生態史的研究」(代表 者:秋道智爾),2001年と2002年の調査は,科学研究費補助金「東南アジア・オセア ニアの地域開発が環境と住民に及ぼす影響に関する生態人類学的研究」(代表者:口蔵 幸雄)によって,それぞれ実施された。途中ブランクはあったものの,20数年間にわ たって付き合ってくださっているSunngaiBerua村の皆様に心より感謝いたします。調 査でお世話になった,JHEOAのスタッフ,Ramleb.Abdullah博士(DarulImanUniversity, Malaysia),HasanMatNor教授(UniversityMalaysiaSabah),秋道智新教授(総合地球環 境研究所),田和正孝教授(関西学院大学),河部俊雄教授(高崎経済大学),稲岡司教 授(佐賀大学),梅崎昌裕博士(東京大学)にあわせて感謝いたします。最後に,Sungai Berua村の共同研究者である,須田一弘教授(北海学園大学),小谷真吾博士(千葉大学) にはとくに感謝いたします。 文献 Barry,H.-Ⅲand A.Schlegel(1982)Cross-Culturalcodes on contributions by women to Subsistence.EthnoloBy,21:165-188. 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