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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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家畜と家僕 ―去勢牡誘導羊の地理的分布とその意味―
谷, 泰
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities
(1992), 71: 53-96
1992-12
https://doi.org/10.14989/48385
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
家
畜
と 家
僕
一去勢牡誘導羊の地理的分布 とその意味-
秦
谷
Ⅰ は じめ に
Ⅱ 誘導羊/山羊利用技法の三 タイプ とその地理的分布
Ⅲ 放牧 中の誘導羊の行動 とその機能
Ⅳ 家畜 と家僕
図
(
He
nc
ke
l
,A.& Sc
h
1
6ne
,A.
1
9
67:
5
38)
まづ ひとつのエ ピソー ドか ら始めることに
Ⅰ はしたい
じめ に
イン ドのカシ ミールの山中での出来事である。 夏宮地
1
)
。 に赴 くバ ッカルワラの牧民が 6月
ながい移動ののち,高所 の夏宮地2)の手前 にまでや って きた ときであった。雨の中,
中旬,
け水 によって増水 していた。すでに午後 4時近 くになってお り,霧が出ていたため も川 は雪解
あた りは薄暗 くな っていた。夏宮地 はす ぐ対岸 に見えるのに,そこに達す るためにはあ
どって,
0メー ト うして
ち,連れて きた山羊の群 を して,その川 を渡 らきなければな らない。川幅 は1
が,川岸か ら水面 にかけて,若干の落差がある。 そのため もあ って,臆病 な山羊 はな ル余 りだ
も
ろうとしない。牧夫 は,一頭 をとにか く川につ き落 としてで も渡 らせれば,他の もの かなか渡
一
て渡 ることを知 っている。 に もかかわ らず当の一頭 をつ き落 とす ことが
追随 し
人
文
学
報
が っている山羊の うち,一頭 をとらえて,川 に向けて追い落 とそ うとす るのだが,恐れおのの
いた山羊 は,揮身の力で牧夫の手か らす り抜 ける。 そこで牧夫 は別の個体 にむか っておな じこ
とを試みる。 しか しそれ も成功 しない。 こうい うことを繰 り返す うちに, ひとたび怖気づいて
興奮 した山羊 たちは, もはや人の手 には負 えない群 になって しまった。結局,加勢の他の牧夫
を呼 んで, 3人が か りで, ようや く一頭 を川 につ き落 とす ことに成功 した時 には,すでに半時
間が経 っていた。 ところで, この一頭が追い落 されて,懸命 に川 を泳 ぎ渡 るや,後の山羊 たち
は,牧夫の追い立 て も手伝 ってはいたが,次 々に川 に飛 び込んだ。そ して数分の うちに全てが
渡 り終 えたのであ る。
同様の状況 に直面 して,キルギスの遊牧民が, 自ら一頭 を小脇 に抱 えて渡 り,後の もの を渡
らせ たの を目撃 した報告 を聞いたことがある。
他方, ヨーロ ッパの1
7世紀の印章で, これ とまった く同 じ状況で羊の群れ を して,川 を渡 ら
,
A.
&Schbne,A.1967:538,図 1参照)。つ ま り,一
せてい る光景 を措 いた ものがあ る (
He
nc
ke
l
頭の大 きな鈴 をつ けた羊が,牧夫の命令で,勇敢 に も先頭 を切 って川 を渡 り,他 の雌群がそれ
に したが う光景が描 かれている。 その絵の横 にはコメ ン トが記 されている。それによって, こ
の光景 は,先導的 な去勢 された牡羊 に従 う雌群たちを描いた もので,それによって,指導的な
君主の リーダーシ ップに生死 をもの ともせず従 う,いわば理想的な先導者 と忠誠 な服従者 との
関係 をア レゴ リカルに示唆 した ものだ, とい うことがわかる。 ともあれ この先頭 の鈴 をつけた
牡羊 は, ヨーロ ッパでその利用が知 られている,牧夫の訓育 を受 けた一種の誘導用去勢牡 なの
である。
さきのイン ドのバ ッカルワラの牧民が, もしここに描かれているような牧夫の命令 に したが
う牡羊 を養成 していたならば, さしづめ先 はどの ような川 を渡 らせ ねばな らない状況で,あれ
これ とあわてふためいて,羊 をつ き落すのに時間 と労力 をかけな くて もすんだはずなのである。
ところが彼 らは, この ような牧夫の命令 に忠実かつ勇敢 な先導 リーダー といえる去勢牡 を育成
してお らず,その ような便利 な技法のあることさえ知 らない。
羊 は臆病 な動物 である。 川でな くとも,若干の溝や小川や少 々の段差 のある崖があるとき,
先 を恐れて立 ち止 まる。 そ して後ろか ら追随 して くる群れの流れがそこで阻 まれて,膨れ上が
り,後続の ものはけっきょく脇 にそれ,時 に左右 に分裂す る。 通常 は二人で群 を誘導 している
牧夫 にとって, この ような事態 はで きるだけ避 けな くてはな らない。 さもなければ,かれ らは,
再び群れ をまとめ るのに,労力 と時間 を費や さなければならない。移動 中の群 れは,常 にスム
ースに進行す るのが好 ましい。 なにか障害があって,先頭が立 ち止 まるような時,右往左往す
ることな く,ある一頭 を,牧夫の命令 に したが って先頭 をきるように仕立ててお くことは,追
随性のある群れの放牧管理 に とって好 ましい。いやそれだけではない。 日帰 り放牧中, また季
節移動 中 も,群れの進行 を方向付 けた り,時に方向転換 を して戻 って乗 させ たい ときがある。
- 5
4-
家 畜 と家僕(
谷)
その ような とき,牧夫の音声 による呼掛 けのサ インを理解 し,その命令 にお うじて行動す る個
体 を,群れのなか に一頭で も仕立てていれば,牧夫の放牧管理 はより効率的で,容易 になる。
もちろん,先の イン ドのバ ッカルワラは, この ような牧夫の命令サ イ ンを理解す る羊 (
以下
それを誘導羊ということにする)の利用技法 を知 らないに もかかわ らず,大 きな群 れ を放牧管理
しえている。 この ように考 えれば,労力 や時間を浪費す ることをさてお くとすれば, この管理
技法が,放牧群の管理 にどうして もな くてはならない,必須の ものだとい うことにはな らない。
しか も,後 に明 らかにす るように,群の中の特定個体 を利用 して,追随性 のある群のスムーズ
な移動や,牧夫の望んだ方向への移動 を誘発する技法 は,たんにこの ヨーロ ッパで知 られてい
る,訓育 を受 けた去勢牡誘導羊 によってのみ達成 されているわけではない。特定の雌が別の仕
方で養成 される事例 (
後述)もあるばか りか,われわれは,中近東で しば しば見かけることが
出来 る,先頭 にとびだす傾向の高い山羊 をい く頭か羊群の中にいれて, スムーズな移動 を促す
技法のあることを知 っている。 訓育 した去勢牡 による群誘導技法 と云 って,要 は放牧群管理上
の基本的な技法3)の うえに付加 された,群誘導技法のひとつであるに過 ぎず,いわば群管理技
法上の-エ ラボ レーシ ョンにす ぎない, とい うこともで きる。 ただこの ような効率 とい う視点
とは別 に,筆者 は,か って (1
9
7
0年)イタリア中部移牧村 (
アブルッツオ,ボマノ川流域のチェル
97
6b,及び1
97
7
参照)でこの誘導羊の利用技法 を目撃 して以来,以下 に示す よう
クエ ト村。谷,1
な理由で, この技法 に注 目して きた。
その注 目の理由 はまず, イタリア中部の牧夫の,その去勢牡誘導羊の養成法 と,他 の並個体
とは異 なって特異 的にマークされた当の個体への偏愛 とも形容で きる執着であ り, さらにこの
ように特異的にマ ークされる去勢牡誘導羊が,管理す る牧夫 と管理 される群 とのあいだで担 う
役割 と位置の特異性 による ものであ った。
まずその養成法 だが,それはきわめて手の込んだ,丁寧 な ものである。 彼 らは,生 まれた当
9
77‥pp.1
5
51
5
7)
。その残
歳子 の うち,種牡 候補 に定 めた もの以外 は, その人半 を殺す (
谷,1
された種牡候補の なかか ら,二年 目になった とき,誘導羊 に適 している と見 な した もの を去勢
する。 そ して,首 に毛糸の短い紐 をつけ,常 に犬 を連れて歩 くように して,当の牧夫 との親和
性 を高める。 もちろんその とき,他の並 の個体 には与 えることのない固有名 をあたえて,呼 び
かけつつ,なぜてや り, まずその名前 を覚 え込 ませ る。 要 はこの固有名 を与 えて呼 びな らす こ
とで,特異的 に当の個体の注意 を喚起す ることがで きるようになっている。 それ と同時 に,い
くつかの コール ・サ イ ン,「こち らに来い」,「
前 に進め」,「
止 まれ」 とい った命令内容 を もつ
音が発せ られた とき,それに したが って反応す るように,牧夫 はその内容 を教 え込 む。 もちろ
んその際,言葉で教 え込めない以上,ある音声がいかなる行動-の要求であるかは,いわば身
をもって了解 させ なければな らない。首 につないだ紐 はそのためであ り,名 を呼 び, コール ・
サインを発 しては,状況 に応 じて,紐 を引いた り緩めた りして, どう反応すればよいか を教 え
- 55 -
人
文
学
報
込むのである。 まずこうして, このコール ・サインをほぼ学んだ段階で,牧夫は,つ ぎにその
紐 を長 くして,当の羊 を,並の羊か らなる群れのなかにいれる。 要 は群の中に戻 して も,正 し
く反応で きるようにす るためであ り, さらに同様の訓育 をほどこす。そ して群れのなかで も,
牧夫のコール ・サ インに応 えて,行動するようになった と思えた とき,紐 を解 く。 こうして訓
育 を終え,誘導羊が誕生する。
ところで, この誘導羊は一般 にマ ンツイエロ (manzi
e
r
o) とか, グイダレッロ (
gui
da
r
el
l
o,つ
まり小さい,あるいは可愛いガイドということになろうか)と呼ばれるが,牧夫が実際に与 える固有
名は, ジェネラー レとかム ッソリーニ といったニ ックネームであ り,群の リーダーを象徴する
意味合いが込め られるものが少な くない。 しか も牧夫にとって, この誘導羊 はきわめて大切 な,
愛すべ き従者 とで もいえるもの とみなされているのだろうか。それを盗 まれた ときな どには,
t
a) となるとも云われている。
血 を見る争い (vendet
この去勢誘導羊 を,牧夫 はたんに季節移動時に川 を渡 った りするときに利用す るだけではな
い。毎 日の放牧中,群の方向を転換 した り,呼び戻 した りするときに も用いる。 また雪中行進
のときなどに も,雌では弱いために,先頭 をゆ くようにさせて,道あけにも用いる。 この よう
にみて くると,去勢牡誘導羊 は,放牧管理 において,牧夫 にとっての きわめて重要 な手先 とし
て用い られていることになる。 イタリアの牧夫が,盗 まれたとき,血 を見 るほどの報復の動機
となる理由 も,十分了解 されよう。
ところで,具体 的な誘導羊の育成法,牧夫の特異的な関心の強 さとは別に,い まこの去勢牡
誘導羊 を, よ り一般的な視点,群 を管理する牧夫 と管理 される群 との関係性 のなかでの役割位
置 とい う視点か らみるとき,そこに次の ような興味ある地位 と役割 を,それが もっていること
に気付 く。
かれは,群の管理者である牧夫 との間に醸成 された,特異的な親和性 を基礎 に訓育 を受 けて,
牧夫の言葉 を理解する特異的な個体 になっている。 管理者である牧夫 は, この件 を介 して,秤
をコン トロールす る。 去勢牡誘導羊 は, この点で,他の群 メンバーとは異なる特異的な杵 を,
管理者牧夫 ととり結ぶ ことで,管理者の手先 としての役割 を果た している。 もちろん彼 は他方
で, どこまで も一頭の羊 として,管理 される側 に属す。 ところで,かれは去勢 されている。 一
般に去勢すると,肉が柔 らか くなるとい うこととは別に,従順 になるとも云われる。 こうして
かれは,去勢 され ることによって, まさに性 による充足は もちろんのこと,群の再生産過程か
ら疎外 され,性的能力 を犠牲 にす ることで,「
管理す るもの」 と 「
管理 されるもの」 とを媒介
する仲介者の役割 を担 う立場 に引 き上げ られている, とい うことになる。 お まけに,一般的に
云 って,地中海地域の移動放牧する羊の群は,そのほとんどが雌である。 去勢牡誘導羊は,性
の抑制 を通 じて,その雌群 を管理す る立場 に立つ ことになっているともいえる。
ここで想起 されるのは,中近東の古代帝国で多 く用いられた百官である。 アリス トテ レスは,
- 5
6-
家 畜 と家 僕 (
谷)
昏官 を, まさに支配者である皇帝 と人民 との間にあ って,皇帝の意 を伝 える役割 を果 たす と述
べている。 つ ま り,昏官 は皇帝 と人民 との間をと りもつ仲介者 と定義で きる。 かつ,百官 は,
去勢 されることで,後宮の女性 たちを守 り監視す る役割 をも果 たす。去勢 され,子 を持てない
ことで,支配者の安心 をかち取 り,支配者の側近 としての立場 に引 き上げ られている。 この よ
うにみて くると,官官 は,去勢 されることで,支配す る もの と支配 されるもの との間 を取 り持
つ仲介者 とい う役割 を果たす点で, まさに去勢牡誘導羊 と同 じ位置 どりと役割 を担 っていると
いうことが出来 る。
この ように見て くると,去勢牡誘導羊 との関連の上で,百官の利用 とい う政治技法が, どの
ような経緯で,いつ ごろ, どの地域 で まず発想 されたのか, という問いを立 ててみた くなる。
のちに指摘す るよ うに,人 を去勢 して,特定の用途 に用いるとい うことは,紀元前 3
0
0
0
年紀 に,
すでにメ ソポ タミアの シュメール世界で確認 されている。 その後 アッシ リア世界 を通 じて, ア
ケメネス朝のペル シャでの在官の利用 は, よ く知 られている。 しか も,たんに宮廷の百官 だけ
ではな く,地方の軍政官 として も登用 されている。 この制度 はこうして西の地域 では,キ リス
ト教 による禁止が なされた地域 を除 くな らば,古代 ・中世 を通 じて,帝国的支配の もとで連綿
と保持 され, オスマ ン帝国の末期 まで持続 した。 しか も, イスラム的拡大 を通 じて,西 アフリ
カの ソンガイ帝国 にまで及んで採用 されていることを見 る とき,その伝播力 にあ らためて驚か
され るのである3)。 また,中国ではすでに春秋戟国期 に,その利用が認め られ,以後中国の帝
国支配 の 中で,無 視 で きない力 を発揮 す る こ とにな った こ ともよく知 られてい る (
三田札
1
9
6
3)
。 もちろん, この ような昏官利用が, いつ どこで最初 に発想 されたかについては,残念
なが ら,明 らかで ない。ただ,歴史的証拠か らみて,その早期の発生で は,中国 よ りも,中近
。
東の方が古 い と考 えられる4)
ともあれ,以上 のようにみて くるとき,家畜管理領域 と人民管理領域 とい う,二つの異 なる
。 ここで,一方
領域で, きわめて類似 した管理技法が兄いだせ る とい うことになる (
表 1参照)
が,他方のプラクテ ィカルなアナロジーであるとい うことも考 え られる。 いったい どち らの管
理領域で, この よ うな仲介者 を用いた管理技法
が, さきに発生 したのか。 この ような問いに対
しては,筆者 はお そ らく家畜管理技法 としての
誘導羊の利用 が先 にあって,それが人間領域 に
転用 された可能性 の方が高い と考 えてはいるの
だが,それ を裏付 ける歴史的資料 はない 。ただ,
この先後の問題 は, さしずめ本論で取 り上げた
い問題の核心 では な く,む しろ本論で注 目した
- 5
7-
家畜管理領域
人
文
学
報
いの は, この ような特異 な管理技法が,家畜管理領域 と人民管理領域 とい う二領域 に またが っ
て兄 いだせ る とい う事実, その ものであ る。 ここで, もしこの誘導羊 の技法 の分布が あ る一定
地域 に限 られて存 在 し,かつ その家畜管理技 法の分布地域 内で,去勢 された人間の利 用が最 も
早 く発想 され てい る とす るな らば,そ こには,その よ うな管理技 法 を両領域 で適用す るこ とを,
いか に ももっ ともと見 なす ような一定 の視点があ った, と考 え られ るこ とになる。 い ったいそ
の よ うな視点 とは どの ような ものか。 また この ような視点 は, この誘導羊 と昏官 との同形性 と
い う事例 に, た また ま兄 いだせ るにす ぎない もの なのか。 それ とも,他 に もその ような事例 が
兄いだせ る ものなのか。
じつ は本論 は, この ような こ とを最終 的 に検討 す る こ とになるのだが, デー ター蒐集 を開始
した時点 で は, この去勢牡誘導羊の技 法 自体 が, はた して どの よ うな地域 に分布 してい るか と
い うこ と自体 が明 らかで なか ったのであ る。 牧畜民 の研 究 は, これ まで も少 なか らず あ る。 な
かで もいわば民族 誌 的 な研究, また牧畜社 会の研 究, また牧畜民 の物 質文化 の研 究, その よう
な種類 の記述 はか な りの数 に達 している。 に もかかわ らず, まさに牧畜 とい う生業の 中核 とも
言 え る人一 家畜 関係行動 (
谷,1
9
7
6a)とで も言 え る部分 につ いて の記 載 は きわめて少 な く,
ま してやその管理技 法の ひ とつであ る去勢牡誘導羊利 用技 法 の有無 とい った点 について注 目 し
た記載 は, きわめ て少 なか った 。 筆者 はけ っ きょく,広域 にわた って,具体 的 に牧民 を訪 ね,
デー ター を集 め るはか な く,その分布 につ いての ほぼ間違 い ないで あ ろ う見取 図 を うるの に,
かな りの年月 を費 や して しまった。 そ して ようや く最近行 った調査 で確認 したデ ー ターを最終
的 に加 えるこ とで, い まだ十分 とは云 えないが, ほぼその分布 の大枠 を明 らか にす るこ とが 出
来 るようにな った。 じつ はその長 い調査期 間のそれぞれの段 階で, 中間報告 を行 ってお り,本
論稿 の 中には,す で にそれ らの中間報告 で報告 したデ ー タや議論が少 なか らず入 ってい る。 た
だその重複 を顧 みず ここに稿 を改めた理 由は,本論稿 を もって ひ とまずの総括 と したい とい う
考 えに もとづ いて い る。
とい うわけで まず,最近確認 したデー ターを含 めて,去勢牡誘導羊 の分布 に関 して確認 した
事実 を述べ る ことか ら,論 を始 め るこ とに したい 。
1) 1
9
87年 7月初旬,77ルガムから夏宮地-の移動に随伴 したときの目撃の記録である。
2) 当の夏宮地は,カシミールの州都スリナガールの東方ほぼ5
5キロの77ルガム (
Pa
ha
l
ga
m)か
Ar
u)
,そしてハリ ・ガティ峠越えの後,ダナンポール (
Da
c
hi
npo
r
)川源頭 部
ら北上 し,アルー (
に達 してのち,若干下降 した地点より,パルタル (
Ba
l
t
a
l
)にまでいたる,川の上半分の左右流域
Cha
wdo
r
i
)・グループによ
に点在 している。その夏宮地は,バ ッカルワラの-氏族,チ ョウ ドリ (
って率いられている人々によって,占拠 されている
。
3) 基本的群管理の技法としては,群を先行するものと,後ろから追い立て全体の群の散開状況をチ
ェックするものとの二人の牧夫による管理という,二人の体制がまず基本である。先行するものに
対 して,群は一般に追随するということを利用 して,先行する牧夫は,群を引導する役割を果た L
- 5
8-
家 畜 と 家 僕 (谷 )
ている。また後からついてい く牧夫は,散開状況 をみて,声や投石,また身体的な急迫で,遅れた
り逸脱する個体を,群にもどすだけでなく,ある角度から接近することで,群全体の方向を変える。
ちなみに, この特定角度からの接近によって,群全体の方向を変更する手法は,特定の音声 を一定
方向から発することでも効果をもつ もののようである。かってアフガニスタンのバ ダクシャンで,
夜間放牧をするカンダハリの牧夫 と行を共にすることがあったが,彼は暗闇の中で,ある特定の角
度から口笛 を吹 くことで,群を方向付けるために,筆者のようなものが余計なところにいないよう,
きわめて神経質な指示を与えたことを記憶 している。このように牧夫の存在位置が もたらす効果 を
利用 した群のコン トロールの技法 を,いずこの牧夫 もなんらかのかたちで採用 している。他に,石
や,土 くれを投げることで,行動をコントロールする介入技法は,いづこにも認められる。 また特
定の音声サ インによるコントロールも,一般的にあるが,そのエラボレーションの度は,牧民によ
ってさまざまである。そのエラボレーションの方向には二つあ り,個体名を与え,それをおぼえこ
ませて,特定個体にむけて,指示サインを発することで,特定個体 をコントロールする方向と,状
況に応 じた反応 を期待 して,音声サインの指示的意味を細か く分化 させる方向とがある。 またいわ
ゆる牧羊犬 として知 られている,訓練 を受けた犬の利用 も考えられるが,これは基本的技法 と云 う
よりも, ヨーロッパを中心 としたひとつのエラボレーションというべきであろう。
4) 西アフリカの王国での官官の利用については,川田順造の教示による。
Ⅲ 誘導羊/山羊利用技法の三 タイプとその地理的分布
家畜管 理技 法 の ひ とつ のエ ラボ レー シ ョンと考 え られ る誘導羊 の利用技 法 が, どの よ うな地
域 に分布 す るか。 この間題 にはい る まえに,先 に云 ってお きたい ことが二つ あ る。 その ひ とつ
は, この技 法 が, 羊 に関す る,個 々にみ れば さ して特 殊 で もない,三つ の プ ラクテ ィカル な知
識 の うえにた って , それ を総合す る特 定 の視 点 に よって成立 してい る とい うこ とで あ る。 まず ,
その平 凡 な知 識 とは,次 の三つ であ る。
1 「移動 す る群 の中で,特異 的 に先行 す る個体 が あ る と き,追随性 に よって他 の メ ンバ ーは
それ に従 う」。つ ま り羊/山羊 の追随性 につ いての知識 。
追随性 は,群居 性 の有蹄類 に一般 的 にみ られ る特徴 で あ り, これ らの動物 を狩 る狩猟民 で さ
えそ れ は知 ってい る。 また筆者 は家畜化 の過 程 と して,仮 説 的 にで はあ るが,二つ の段 階 を想
9
8
9C)
, その第一段 階, い わ ゆ る群 の群 ご との人付 けの段 階 が あ った
定 して い るの だが (
谷,1
と して, 当時 の人 々 も, とうぜ ん群 の追随性 の知識 を もってい た はずで あ る。 またその基準 に
照 ら して,完 全 な意味 で個体 レベ ルでの人付 け とい う第二段 階 の家畜化 に達 して い ない と考 え
られ る トナ カ イ遊 牧民 も,群 の追 随性 を大 い に利 用 して,群 をコ ン トロール して い る (
葛野,
1
9
9
0‥
2
031
,郷,1992‥
31ほか)
。 この よ うに考 え る と, この知識 は, なに も取 り立 て て, あ る地
域 の牧畜民 に特 異 的 に知 られた知識 で はな く, この技 法成立 以前 にすで に広 く知 られ,利 用 さ
れて いた知識 で あ る と考 え られ る。
2 「特 定個 体 に名前 を与 え,常 に呼 びか け,時 に餌 を与 え るな ど して親和性 を確 立 し,命令
- 5
9-
人
文
学
報
語 を教 えて訓育す るな らば,その行動 を, こち らの望 むようにコン トロールで きる」。つ ま り
動物個体 を馴致 し,そ こで確立 した親和性 をを介 して,その個体の行動 をコン トロール し,刺
用す る可能性 につ いての知識。
馴致 に関 しては, もちろん狩猟民が対象 とす る動物 は,家畜化 されてない野生であるのが一
般である。 これ らの狩猟対象の動物 は馴致 されていない。ただ, トナカイのオ トリ猟 な どの場
令,狩猟民 は捕獲 した特定個体 を馴致 して,それ を利用 している (
Ha
t
t
,
G.
,1
91
8:1
0
0)
。 また狩
猟民が殺 しの対象 とす る狩猟動物 とは別 に,他の動物 をペ ッ トとして飼い,利用す る例 は少 な
くない。実 は家畜化の起源 に関 して, このような狩猟民のペ ッ ト飼養 にその起源があるとい う
Se
r
pe
l
l
,J.
,1
9
89:
1
021
)
,特定動物個体 の馴致 に もとづ
可能性 を主張す る もの もあ る くらいで (
く利用可能性 の知識 は, さほど特異 な知識ではない。
3「
交尾期 には,牡 は興奮 して群の安定 を損 なう そのために群の繁殖のために必要 な最小
。
の種牡 を残すいが い,必要以上の牡 は去勢 をす るか,間引いて数 を減 らすのが望 ましい。 この
ような要請 に もとづいて始め られた と考 えられるが,去勢 は群管理 にとって好都合であるだけ
でな く,家畜 を従順 にさせ る」。 こうい う去勢 による牡 の性 の コン トロール とその副次効果,
馴致可能性 の増加 に関す る知識。
もちろん牡 の性 のコン トロールに関 しては,狩猟民 も,牡 のセ レクテ イヴ ・ハ ンテ ィングを
行 うことか らも知 られるように,家畜化以前か ら知 られている。 自然群の中での牡の頭数比 を
低下 させ て も,狩猟対象群の再生産 にとって さして影響 はない。 このことは,家畜化以前か ら
知 られていた。ただ去勢 は,歴史的には,個体 レベルでの家畜化が始 まって以後 は じめて可能
になった と考 えられる。 そ してこの去勢が,交尾期の群の安定 に効果があるとい うことが明 ら
かになって,慣用化 されて以後,去勢が個体の性格 を従順 にさせ る, とい うことが明 らかにな
った と考 えられる。 いずれにせ よ, この去勢 によって従順 さが増す についての知識 は,家畜化
とともに,比較的 はやい時期 に知 られていたはずである。
この ように考 えると,去勢牡誘導羊の利用技法 を構成す る個 々の知識 自体 は,す くな くとも
個体 レベルでの人付 け とい う家畜化の第二段階に達 した牧民 たちに とっては, けっ して特異 な
ものではない。ただ これ らのプラクテ ィカルな知識が個 々にあるだけでは, この技法 は成立 し
ない。問題 は,「
命令語 を理解 しない, しか し追随性 のある群 の行動 をコン トロールす るには,
自分 に特異的に馴 れた個体 に命令語 を理解 させ,その命令 に したが うようにさせれば,その個
体 を媒介 として,間接的 コン トロールがで きる」 とい うことを, これ らの基礎的でプラクテ ィ
カルな知識の うえにたって,洞察 し,総合す る視点がなければならない
。
もちろんそ こには,
管理者の視点 とい うものがある。 いったいこの ような洞察が, どの ような経緯で,思い付 いた
か。 この点 はそれな りに考察 に値す るが,い まここで は論 じない。
ところで, さらに もう一点,データーの記載上の注意 として付記 してお きたいことがある。
- 6
0-
家 畜 と 家 僕 (谷 )
それは, この技法 の欠如 に関 して,その技法が知 られている地域で も,群管理 をめ ぐる労働組
織のあ り方 によって,必ず しも採用 されるとは限 らない とい う事実である。
誘導羊の利用技法は,特定牧夫 と管理 される群内の特異的に選ばれた羊個体 との,いわば個
体 レベルでのインターパーソナルな親和性 にもとづいてのみ機能するものである。 じつ はこの
ような親和性 にもとづいてのみ発動する管理技法である以上,管理する牧夫 と管理 される群 と
の関係が,不安定で, しば しば交替するようなものでは,あま り意味がない。 さきに,手のこ
んだイタリア中部 ・アブル ッツオでの誘導羊の育成法 についてのべたが, この地域の群管理者
9
77)
。その一
(
牧夫)と群 との関係 に関 して,ほぼ基本的に三つの形態があると云いうる (
谷,1
つは, 1)所有者 は直接群管理 に従事せず,専業の牧夫 に,その管理 を長期契約で,委せ るも
のである。 他 に, 2) 自ら比較的大 きな群 を所有 してお り, しか もそれ を他人に委せ ることな
く, 自ら放牧群管理に従事する,いわば自己経営的な牧夫のケースである。 もちろんこの両者
の間には中間型が あ り,若干の羊 を所有 していなが ら,大所有者の群の委託 を受 け,その群の
中に自らの所有群 を混入 して,放牧管理 を行 っているもの もある。 また,第二の形態 に属 して
いなが ら,同様の兄弟牧夫や友人牧夫 と組んで,ある種の役割交替 を行 なって,放牧管理 を行
っている もの もあ る。 ともあれこれ ら 1), 2) のケースでは,た とえ自らの所有羊 をもって
いな くとも,直接群の放牧管理 をす る特定牧夫 と特定群 との関係 は,年 を越 えて長期 に持続可
能である。 このよ うな形態の労働組織 をもつ ものの場合,一般に誘導羊の利用が認め られた。
ところが このイ タリアの山村では, この ような専業の牧夫 によって管理 される群以外 に,
3)土地 をもつ小農的な家族がそれぞれ十数頭所有 している羊 をまとめて,夏期,上方の放牧
地に日帰 り放牧がおこなわれている,そのような群がある。 このような群は,毎 日各家に分散
して夜 を過 ごす という点で,前者 とは異なるばか りか,長距離移牧をす ることな く,冬期 は,
当の山村の各家の柵内で越冬する,いわば定着性の高い管理 を受 けている。 ただそれだけでな
く, この 日帰 り放牧は,所有者の輪番によってなされてお り,牧夫 と群 との関係 は,常 に変わ
る。 イタリア中部 でのこの 3)のケースでは,ほ とんど誘導羊の利用が認め られないのである。
もちろんこの輪番 で放牧番 をする小家畜所有者のなかには,若い ときに,委託契約の移牧牧夫
になった経験 のあ るもの も少な くな く,彼 らは去勢牡誘導羊の技法を知 っている。 に もかかわ
らず,輪番での放牧のために, 自己の誘導羊 を育成す ることを しない。 さきに述べたように,
誘導羊の技法 は,親和性 を確立 した特定の牧夫 と誘導羊個体 とのパーソナルな関係 を基礎 に し
ている。 輪番 によって,群管理者が次々に変わるのであれば, このような恒常的に確立 したパ
ーソナルな関係 に もとづ く技法は,採用 されがたい。 この ようないきさつが,去勢牡誘導羊の
欠如 に関係 してい るのか。それ とももともと長距離移動時にも有効性 を発揮するものであれば,
この ような比較的短距離の 日帰 り放牧 しか しない,農耕的な集団では,放牧管理上の技法が簡
略化 されているのか。欠如の理由 としてこの ような背景が考 えられる。
- 61 -
人
文
学
報
同様の並行 関係 を,筆者 は後 に言及す るアフガニス タン東北部で も兄いだ している。 長距離
移動す る牧民 にお いてこの技法が兄いだせ るのに,農耕的な傾斜が強 く,多 くの家族 の所有羊
を集めて夏期放牧 にきている短距離移牧 をおこな う牧民集団は,同 じ牧地 にや って きているの
に もかかわ らず, この技法 を知 らない。
この傾向 を言い換 えれば, 自己所有群 を管理す るかいなかは さてお き,牧夫 自身 と管理す る
群 との関係が,年 を越 えて長期 間にわたって持続す る場合 には,誘導羊の利用が促進 されると
い うことである。 その背景 には,その技法が,いわば牧夫 と特定個体 とのインターパ ーソナル
な親和性 を前提 と した ものであるとい うことが関与 している と考 え られる。
じつ はこの ような誘導羊の利用 に関与的な労働組織上の条件の有無 にたいす る注 目は, この
技法の欠如の背景 を考 えるについて も重要である。 もしさきに云 った ような労働組織上の条件
が,ある調査対象 に関 して整 っているとしよう。 に もかかわ らず,彼 らが, この技法 を知 らな
い際 には,その欠如の理由 として, どの様 に考 えればよいだろ うか。条件 はそろっているに も
かかわ らず欠如 している。 とすれば,当該地域の牧民が, この技法の伝播 しうる範囲のはるか
外縁 に位置 していた とい うことも考 えられる。 他 に,その ような管理技法 を発想 ない し受 け入
れる文化的条件が なか った, とい うことが考 えられる。 じつ はこの ような事例 として, さきに
冒頭で示 した, イ ン ド西北部のバ ッカルワラの事例がそれに当たる。 そこでは, さきの イタリ
ア中部での三形態 の 1), 2) に当たる労働組織 に もとづ いて,放牧管理が行 われている。 し
か も誘導羊の利用が認め られるアフガニスタン東北部の長距離移動 の牧民での労働組織 とほぼ
同 じである。 に もかかわ らず, この技法 を知 らないのである。 その ことは, さらに同 じくイン
ドの西部, ラジャス タンの牧民 について も同様 にいえ,彼 らもこの技法 を知 らない。労働条件
の記載 は,当の技 法の欠如の背景 を考 えるのに,ある種の推論材料 を提供す る。
とい うわけで,以下のデーターの提示 に際 して,筆者 は,牧夫個人 と群内特定個体 との親和
性の確立 と維持 にかかわる労働組織上の条件が どの ような ものであるか を示す ようなコメ ン ト
を,データーの提 示 に際 して付記 した。
1 去勢牡 による誘導
先 に も触れた よ うに, イン ドのカシ ミールの夏宮地 にや って乗 るバ ッカルワラやカシ ミリの
もとでは,去勢牡誘導羊の利用 は知 られていない。それにたい して地 中海地域 中部, イタリア
のアブル ッツ オの移牧 をお こな う牧夫の もとで,それは明 らかに用い られていた。で はこの間
の地域で,誘導羊 の技法 はどの ような分布 を示すだろ うか。 じつ はこうい う視点か ら,牧民の
もとを訪ね,資料 を収集す るあいだに,筆者 は去勢牡 とは異 なるタイプの誘導羊の技法 を兄い
だす ことになった。そのため章題 は誘導羊/山羊の 3タイプとい うことになったが, まず もと
もと取 り上げるこ とに した,去勢牡誘導羊の利用分布のデー ターか ら提示す ることにす る。 し
- 62 -
家 畜 と 家 僕 (
谷)
か も資料収集の順 序 とは無関係 に,以下 イタリアか ら東 に向けて順序だててそれ を述べ ること
にす る。
まず,ギ リシャのイピロスお よびテ ッサ リアのサ ラカ ッチ ャ二は,明 らかに去勢牡 の誘導羊
を用 いてい るこ とが明 らかになった (
調査 ‥1
9
8
0年夏,82年夏,92年冬)
。彼 らはそれ を, ク リア
リ ・ギ ッセ ミア (kl
i
a
r
ighi
s
s
e
mi
a) と呼ぶ。二才以上の種牡候補 の中か ら特定個体が選 ばれて,
去勢 され る。 そ して固有名 を与 えて,訓育 を施す 。300余頭の群の中には, 2- 3頭 の ク リア
リ ・ギ ッセ ミアが いる。要 は,成牡 として現 に誘導羊 として用い られている もの以外 に, もう
少 し若い次代 の誘導羊 をも,すでに育成 してい る とい うこ となのである (
Ca
mpbe
l
l
,1
9
8
4=1
9,
Ta
ni
,
Y.
,1
9
82:
1
4,1
9
87:
2
0)
。
ちなみに,サ ラカ ッチ ャ二は,大 きな自己所有群 を管理す る専業の牧畜民集団であ る。 彼 ら
は, この 自己の群 をつれて家族 ごと低地 と山地 との間 を季節的に移動 している。 この点で,放
牧管理者 とこの去 勢牡誘導羊 とのパーソナルな関係 は恒常的に保 たれてお り,誘導羊 の技法 を
採用 しうる条件 を備 えている。
ところで,ギ リシャのテ ッサ リアの地域 には,サ ラカ ッチ ャこのほかに, ヴラ ッヒお よびア
ロマ ン二 とい う牧民集団がいる。 彼 らも去勢牡 の誘導羊 を利用 していた (
調査 :
1
9
8
0年夏,82年
夏)
。
ギ リシ ャ島峡部 の ク レタにおいて,同様 に去勢牡が養成 され利用 されている (
Ta
ni
,
Y.
,1
9
89
a‥1
89)
。 そ こで はときに,去勢牡 の羊が山羊 に代 わることもある。 毎年牧夫 は,生後二 ・三
カ月の牡 を 4 ・5頭去勢す る。 イタリアでみたようなエ ラボ レー トされた訓育法 は確立 してな
いようであるが, 名前 を与 えて,呼 び掛 けに応 えるように している。 彼 らもこの去勢誘導牡 を
大事 に し,盗 まれ た ときには,復讐の原因 となると牧夫 は語 った。
ところで ここで,ルーマニアにおいて も調査 を行 ったので,バルカン半島 を北上 して,その
地域 の去勢牡誘導羊の利用 について述べ るの もひとつであるが,分布 についての概観 をよ り容
易 にのみ こんで もらうために,視点 を水平 に東 に移動 させ ることにして, トルコにつ いてつ ぎ
にのべ る。
トルコの調査で は,松原の トルコ系の ヨル ック遊牧民の詳 しい調査記録があ り,それによっ
て,去勢牡誘導羊 の利用 は,なん ら認め られない ことが,報告 されている (
松原毅,1
9
83‥
51
)
。
もちろんこの ヨル ックは中世末 に トルコに移動 して きたチ ュル ク系の牧民であ り,彼 らの誘導
羊欠如の理由に関 しては, もともと中央 アジアに本拠 をもっていた トルコ系の人々が, この技
法 を知 らなか った とい うことも勘案 されなければならない。ただこの点 については,後 に中央
アジアでの トルコ系の人々に関す るデータを示す ところで論ず る。
さて, この トル コ系の牧民の地域 を越 えて, イラン系の クル ドの遊牧民の地域 にはいる と,
この技法が再 び兄 いだせ ることになる。 トルコ東南部,ハ ッカ リ近傍の遊牧民か ら聞込み を行
- 63 -
人
文
学
報
ったが,彼 らは去勢牡誘導羊 を利用 しているとい う。 また時 に羊で はな く,山羊 を養成 して,
それに充て ること もあ るとい う。 群の中に一般 に一頭 だけ入れ るとも言 った (
Ta
n主
,
Y.
,1
9
89a:
。長期 の滞在が許 されず,聞込みによる確認 に とどまったが,彼 らは, イタリアでの養成
1
8
9)
法 とほ とん ど同 じ方法で養成す るといった。
イランでは,バ クチア リを調査 したデ イガールが,去勢牡誘導羊の利用 について報告 してい
る(
Di
ga
r
d,
JP.
,1
981:
5
78)
。地域 はマスジ ッ ド ・ス レイマ ンか ら東の山地の事例である。 筆者
99
2年 2月)が,彼 らは一般 に,羊 の群 に
も当地 を訪 れてそれ を確認す ることがで きた (
調査 ‥1
若干の山羊 を入れている。 山羊 は一般 に,行動が迅速で,牧夫 の介入 に速やかに反応す るため
に,た とえ去勢 し,訓練 を与 えてな くとも,羊群の中に入れることはよ く行 われている。 ここ
で もそれは例外で はな く,一群中に 4- 5頭入れるのが一般であった。 この ような山羊の子の
一頭 を,牧夫 は生後一年 目の冬 に,去勢 して一ケ月あ ま り訓練 を与 える。 その訓練法 は観察で
きていないが,棒 を使 って,声 を発 して,命令語 を教 え込 む とい うことであ った。彼 らはこの
去勢牡誘導 山羊 を sehi
s
, また羊 を doborと呼ぶ。そ して,その説明の さいに,要 はそれは ド
doborj
e
r
or
o)なのだ, とも云 った。 ガイ ド用の羊 とい う意味だ とい うこと
ボール ・ジェロロ (
である。
ここで季節移動 をす る牧夫 は,一般 に自己の所有す る群 を管理 している自己経営の牧夫か,
群所有者か ら長期契約で放牧委託 を行 う雇われ牧夫かの どちらかであった。彼 らは,長期 にわ
たって群 との関係 を恒常的に維持で きるものであ り,去勢牡誘導羊の育成 に関 して,条件 をそ
ろえている ものだ とい うことがで きる。
さらに東 に視点 を移 し, アフガニス タン東北部,バ ダクシャン ・シェワ高地 に夏季放牧 にや
って乗 る,い くつかの民族 を異 にす る牧民集団について,ルーマニア,ギ リシャ, トルコな ど
を訪ね る以前 に,すで に調査 を行 っていた (1
9
7
8)
。対 象 に された牧民集団 は 1) ドゥラニ系
パ シュ トンのカンダハ リ, 2)アラビ, 3)ウズベ ッキ,そ して 4)山岳 タジ ックのシ ャグナ
,
Y.
,
&Matsui
,
K.
,1
9
8
0,及び松井 健,1
9
8
0)
。 これ
こ との 4集団であ った (
調査結果の概要は Tani
ら四集団中,最初の三 グループは長距離の季節的移動 を行 う遊牧的な牧畜民である。 最後の シ
ャグナ二はパ ミール川流域 の潅概村落 を居住地 とす る定着農民であ り,短距離の季節的移牧 を
する牧夫が,村 内の各家族の羊 をまとめて夏宮地 に連れて きていた。
興味深 い こ とに, この前三者 は,一群 3-4
0
0頭 の群 を管理す るのに,キ ャンプ地で,その
群 をなん らかの囲いの中に入れることはいっさい しない。 しか も,パ シュ トン遊牧民 は,夏宮
地で夜間放牧 を行 う。 その夜間放牧中の群介入の方法 は,配慮 された接近 と先頭での方向付 け
Ta
ni
,
Y.
,& Ma
t
s
ui
,
K.
,1
9
80,及び松
と言 う,バスキ ンが記述 した初期的な放牧群 コ ン トロール (
井 健,1
9
8
0,Ba
s
ki
n,
L.
M.
,1
9
7
4:
5
3
0) を想起 させ るや り方で な される。 暗闇の中, ガ レ状 の斜
面 をゆっ くり上 って行 く群 にむけて,一定の方向か ら低 い口笛やかすかな呼掛 け音 を立てて誘
- 64 -
家 畜 と 家 僕 (
谷)
導す る。 そ して,夜半す ぎになって,山腹で群 をまとめて仮眠する。 この ときももちろん,秤
を囲 うことは しない。そ して数時間仮眠 したのち,キ ャンプ地 にゆっ くり戻 って来 る。 こうし
て昼間,群 はキ ャンプ地近傍で,囲われることもな く,回遊 と昼寝 とを繰 り返す。そ して,夕
刻の搾乳時 になると,牧夫 は,ループ状 の輪がた くさんついたロープを,ある一定 の高 さに張
って羊 をつ な ぎ止 め,搾乳す る。 そ して陽が沈 む頃に,再 び夜 間放牧 に赴 く。
この ようなことを毎 日繰 り返 しているわけだが,朝,夜 間放牧 を終 えて山 を降 りて きたあ と,
群がキ ャンプ地の周辺 を,牧夫のアテ ン ドもないのに,ゆっ くりと群 をな して回遊 している様
子 は, きわめてのんび りとした光景である。 ときに小高い丘の斜面にまとまって座 って,仮眠
をし,再 び目覚めて歩 き出す。キ ャンプ地 にはい くつかのテ ン ト集団があ り,そのそれぞれの
群が複数, このキ ャンプ地 には認め られる。 そのために,回遊 中の群が,相互 に近づ くことが
ある。 に もかかわ らず,それ らは相互に交わ り,混 じりあ うとい うことはない。 しか も物理的
なつ な ぎ止め を しな くとも,群が,牧夫たちのいるキ ャンプ地か ら離れてい くこともな く,見
えない群 と人 とのつなが りが,家畜化 された群では成立 していることを, この事実 は示 してい
る。 搾乳時以外 は, この ように群 を物理的につな ぎ止めて囲 った りしない事例 は,地 中海地域
では少 な くなる ものの,中近東ではけっ して珍 しいことで はない1
)
。 この ことは,群相互の混
入が認め られない とい うこととともに, じつ は家畜化の起源 を考察す るに際 して,注意 してお
くべ き重要 な事実 であると筆者 は考 えているが, ここでは特 に触れない。
む しろここでは, この事実 を,おな じくこのシェワ高地 に夏営地 をもとめてや って きている
もうひとつの牧民集団, シャグナ二 との対比で言及 してお きたい。 とい うのは, このシ ャグナ
二は,石づみの夏営小屋 に接 したかたちで,石垣の囲いを築 き,そのなかに群 をいれて,夜 を
過 ごさせ る。 シ ャグナ二は, うえに も指摘 しておいた ように, この高地のす ぐ下の,パ ミール
川にそった潅概農地 を母相 として,いわば定着的な有畜農耕 を行 っている人々である。 そ して
これ らの農家の所 有す る少数の羊 をまとめて,短距離移動の移牧 をおこなっている人々によっ
て,群 は管理 されている。 遊牧的な前三者が,群 を囲わないのに対 して,短距離移牧 をお こな
う定着的な有畜農民の牧夫 は群 を囲 う。 この ような顕著な対比 と並行関係 にあるかの ように,
去勢牡の利用の有無に関 して も,前三者 は去勢牡 による誘導の技法を採用 しているのに対 して,
シャグナ二はこの ような誘導技法 を利用 しないのである。
ただ,この前三者について,ひとつだけコメン トを付 しておかな くてはな らない。 とい うの
は,去勢牡誘導技 法 を利用 していなが ら,かれ らは,地中海地域の去勢牡誘導羊利用者 と異 な
り,牡羊のかわ りに,牡 山羊 を去勢 して,誘導用 に用いている。 アラビは一歳の牡 山羊 を去勢
する。 彼 らは, この誘導山羊 は,十年間は利用可能であるとも言 った。 アラビとウズベ ッキは,
a
r
khaと呼ぶのに対 して,パ シュ トンはそれを mukhiと呼ぶ。 この誘導 山羊 は,群所
これ を s
有者 によって市で購入 された若牡 を去勢す ることでつ くりだされる (
観察の結果について,同行
- 65 -
人
文
学
報
9
8
0:
2
6, に一部記載がある)
。
した松井の報告書,松井 1
ところでこれ ら前三者 についてだが,群管理す る牧夫 は,群所有者か ら長期契約 によって群
管理 を任 された雇 われ牧夫である。 このため,牧夫 と誘導山羊 との間には,恒常的にインター
パーソナルな関係が成立 している。 この ような恒常性 に もとづいてか, この誘導山羊 には,固
有名が与 えられる。
さて, さらに東 に視点 を移動 させ た とき, この誘導羊/ 山羊の技法 は どこまで及ぶのか。 イ
ン ドで もその利用 は認め られるのか。 この点の確認が求め られた。
イン ド西北部,カシ ミール (
調査1987年,89年夏)には,さきに冒頭で言及 したグジャール ・バ
ッカル ワラ (
Bakkar
wal
a) と云 う,お もに山羊飼 い を中心 とした長距離の季節移動 をす る人々
が,夏宮地 を求めてや って来 る。 また, カシ ミールの低地の有畜農民が所有す る羊 を,委託 を
Kas
hi
mi
r
i
)とい う人々 も, この地域 の山間部 にや って くる。
受けて,短距離移牧す るカシ ミリ (
両者 において共通 し,かつ これ までみて きた牧民の群管理 と比較 して,顕著 な特徴 と して気付
くことは,彼 らがいずれ も,地 中海地域 にみ られるような頻度では,放牧時 に群れに介入す る
ことを しない, とい うことである。 朝,キ ャンプ地か ら群 を追い立てて,出発 させ た後 は, 自
分はキ ャンプ地 に戻 って,群 を勝手 にゆ くにまかせ, ときに遠 くか ら群の動静 をみて,必要が
あると思 われた ときにのみ,石 を投 げた り,追い立てた りして介入する。 群介入 ない し誘導 と
云 うことに,かれ らはあま り熱心で はないか に見 えるのである。 い ったい この ような,群介入
に対す る関心, ない し顧慮 と云 う点での差が, どの ような ところか ら生 じているのか。 この点
について推測 を加 えること (
谷,1991‥pp.266) はここで しない。ただ,朝 キ ャンプ地か ら群 を
出発 させ た後,殆 ど群れに介入せず放置 してお く点 は,有畜農村での牛の 日帰 り放牧 に於て兄
いだ される放牧の仕方 とよ くにている。 この ような有畜農村の牛の 日帰 り放牧のパ ター ンが,
モデル としてあって, この ような介入頻度の低 い群管理が認め られるのか と思 ったことがある。
ところで,バ ッカルワラもカシ ミリも,誘導羊 ない し誘導山羊の利用の証拠 はまった く兄い
だす ことはで きなか った。彼 らは, この ような誘導羊の利用テクニ ックについて話す と,そ う
いうもの を利用す るな らば,おそ らく放牧上便利 だろ うとい う感想 を漏 らしたにす ぎない。
goal
バ ッカル ワラの場合,群所有者が放牧管理 には関与せず,比較的長期 に雇用す る牧夫 (
または a
j
ul
i
)に群放 牧 をまか している。 その点で, アフガニス タンのパ シュ トンのケース と同
じである。 牧夫 と群 との間には恒常的な関係が兄いだ されるわけで,労働組織の観点か らす る
と,誘導羊 を利用す る条件 はそろってい る。 に もかかわ らず,彼 らはその技法 を知 らないので
ある。 とすれば,彼 らの もとでの誘導羊の欠如 は,その利用 を可能 にす る労働組織上の条件の
欠如 に根 ざした ものではないだろうとい うことになる。 誘導羊の技法の起源地か ら遠 く,その
伝播城の外 に位置す るためであ り,いわばこの技法の分布限界がイ ン ド西部以西 にあることを
示唆するためであるのか。 このあた りをさらに確認す るために,筆者 は, イ ン ド西南部の ラジ
- 66 -
家 畜 と 家 僕 (谷 )
ヤス タンで, さらに調査 を行 った (1
9
8
7
年夏)
。
0キロのシ ョバサ ール村 を母相 に している長距離移牧
調査 は, まず ビカネールか ら北方 ほぼ1
集団においてなされた。 ところで,彼 らはいっさいこの誘導用の去勢牡 とい うもの を知 らなか
った。 またジャイブ-ル南東のカロ リ村周辺で放牧 を行 っているマルワ リの遊牧民集団につい
てなされたが,彼 らは大 きな羊群 を所有 し,恒常的な牧夫 を雇用 して,放牧管理 を彼 に任せて
い る。 に もかか わ らず, ここで も去 勢牡 の誘導羊 の利 用 は認 め られ ない (
Ta
ni
,
Y.
,1
9
85‥pp.
7
88
4& 1
9
8
7‥pp.8ト9
4)
。 また, ジ ャイブ-ルか ら東方40キ ロの地点で, 同 じくマ ール ワ リの
9
9
2年)が, ここで も去勢牡誘導羊の利用 は認め られなか っ
遊牧民集団 について調査 で きた (1
た。ただ,興味あ ることとして, ここでは種牡用の牡が,毛色パ ターンに したが った分類名称
をもって常 に呼ばれることで,呼掛 けに応ず るようになっている個体の存在 を確認で きた。そ
れは,特 に出発時 に呼ぶ ことによって,群の始動 をす るように仕立て られていた。 この事実 は
注 目してお くに値 する。
さらに視野 を広 げて,チベ ット系の牧民の事例 として, ラダ ックの短距離移牧 によって,高
1
9
85
年)
。そ こでは特定の委
地で夏期放牧 をす る人々の もとで も,聞込み を行 うことがで きた (
託牧夫が,ザ ンス カール川 に沿 った下流域の低地の農村の所有す る羊 ・山羊 を集めて,夏期放
牧 を行 っている。 牧夫 は村 内の専業の牧夫であ り, 自己の羊 ・山羊 をも所有 してその群の中に
いれている。 この所有家畜の中か ら,望 むな らば親和性 を確立 して,誘導羊 を育成す る条件 は
そろてい る。 に もかかわ らず, そ こで も誘導羊 の利用 は認 め られなか った (
Ta
n主
,
Y.1
9
85:
pp.
8
48
8)
。 また松原が,チベ ッ ト高原の中央部 アム ド・ドマ (1
9
85
年)お よびカイラス近傍 (1
9
8
8
午)の牧民 について,聞込み を行 ったデータによれば, ここで も誘導羊の利用 はいっさい認め
られない とい うこ とである。
この ようにみて くると, イン ド西部 には,去勢牡誘導羊の技法 は,採用 されていない とい う
ことになる。起源 中心か ら遠いためか,それ ともその ような技法 を受け入れるなん らかの歴史
的,文化的条件が そこにはない とい うことか。
ともあれ,地中海地域か ら東-水平移動 して,全体 を眺めるとき,イランのバ クチ ア リやア
フガニス タンのパ シュ トゥで見たように,羊か ら山羊へ と誘導役 を担 うものが変 わること, ま
たその育成法 に関 して イタリアで見たようなエ ラボ レーシ ョンが見 られない とい う変化 はさて
お くとす ると,去勢牡誘導羊の技法 は, アフガニス タン西北部辺 りまで は認 め られ,それ よ り
東, イン ド西部 に までは達 していない とい うことになる。
ところで, さきに触 れた ように トルコの トルコ系 ヨル ック遊牧民が, この東西 に延 びる去勢
誘導羊の分布帯の 中で,例外的にそれを欠如 していた。彼 らはほぼ中世末 に,中央 アジアか ら
トルコのアナ トリア高原 に移動 して きた トルコ系の遊牧民であるとして, この技法欠如の理由
に, まさに トルコ系の牧民がそれを知 らなか った とい う可能性が考えられ る。 この点 に関連 し
- 67 -
人
文
学
報
て,最近松原のお こなった新彊省北部 アル タイ山脈南部の トルコ系の牧民の調査か ら,去勢牡
9
91
年)
。 また小長
誘導羊の利用 は兄 いだ されない とい うことが明 らかにされている (
松原毅,1
谷 は,内蒙古 の シ リンホ ト北西方, シ リンゴル盟 アバハナル旗 の牧民 の詳細 な調査 を行 った
(
1
9
8
8年)が, ここで もその技法 は欠如 しているとい うことであ った。
ところで,地中海地域か ら, これ まで視点 を東 に移動 させたが,つ ぎにバルカ ン半 島を北 に
移動 させてルーマニアで調査 をこころみた,その結果 を記す。
ルーマニアのカルパチア山地 には,その山麓で農耕 を営 んでいる村か ら,短距離移牧である
が,夏期移牧 にや って来 る牧民たちがい る。 筆者 はそ こで,次の三地域で牧畜管理 についての
デー ターを集める ことがで きた (1
9
7
8,8
0,82年)
。その三地域 は 1)黒海の西岸域, ドプロジ
u)
, 2)南 カルパテアのシビウ県内 (
おもに Ti
l
i
s
c
a)
,そ して 3)北 カルパ
ヤ地方 (
おもに Topal
da
n,Se
bi
s
,Si
e
ut
,そして
チアの どス トリッツ ア ・ナサ ウ ッド県内 (
おもにビストリッツア県では Ar
c
i
u)であ った (
調査結果の概要は Tani
,
Y.
,1
9
8
0,1
9
82,& 1
9
87参照)
。
ナサウッド県では Tel
その うち,ルーマニア南部の ドプロジャでは,去勢牡誘導羊が放牧管理 に利用 されてお り,
バ タール (
ba
t
a
l
)と呼 ばれている。牧夫 は,将来バ タール候補 と冒されてい る選 ばれた牡の′
ト
羊 を,寝 るとき枕の ように して身を寄せ,親密 な関係が成立す ることに努める とい う。 春,そ
の小羊が一歳 ない し二歳 になった とき,それ を去勢す る。その とき固有名が与 え られ,牧夫 は
常 にその名で呼 びかける。 しば しばキ ャンプ地か ら出かけるときな どにママ リーガ
(mama
l
i
ga
-ボイルしたとうもろこしの粉の玉。牧夫にとってはこれが常食である)をあたえ, まず先頭 を切 っ
て先導す る牧夫 につ き従 うようにす る。 また名 を呼 び,その ときに音声命令 を発 して,状況 に
応 じた反応 をす るようにす る。 またこの去勢牡誘導羊の容貌 をよくす るために,熱いママ リー
ガを角に巻 き付 け, そのカーヴを矯正 しさえす る。
牧夫達 は, このバ タールを,群のなかに一頭 だけ入れるとい う。 しか し実際現場の群のなか
でバ タールを指示 させ ると,そこには三 ・四頭いることが少な くない。 もちろんこのなかには,
若誘導羊 も入 ってお り,次世代 のためであると考 えられる。
この ドプロジャ地方 は,社会主義革命の後の集団化政策で,当時 自立の牧畜経営者 はいなか
った。 この トパルの牧夫 は,集団農場所有の群 を管理す る ものであ ったが,群 に対 して牧夫 は
個人的に定 まってお り,パ ーソナルな関係が, この誘導羊 と牧夫の間に成立 しうる条件がそろ
っている。
次 にシビウ県のいわばルーマニア中部,テ ィリシュカを中心 としたい く村かの夏営地で同様
の管理技法についての聞込み を行 ったが, ドプロジャと同様,去勢牡誘導羊 の利用が認め られ
た。彼 らは, ドプロジャと同 じく,それ をバ タール と呼んでいる。 観察 したすべ ての群 に認め
られるとい うわけで はないが, このバ タールの利用が認め られた。牧夫 は,大 きな群 にのみそ
れを入れていたが,一般 に群 に一頭 だけ入れる ものだ とい った。固有名が与 え られるが,その
- 6
8-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
名は人につ け られ る名前 と変わ らない。
この地域 の牧夫 は,山麓の定着農村 に居住す る ものであ り, 自らが所有 している羊 をたがい
にまとめあい,専 業で季節的な移動放牧 を行 っている人々である。牧夫 は八人で-組 み をな し,
その半分, 四人づ つが交代 してかわるがわる群管理 を している。 その交代期 間は,ほぼ一週 間
である。 自己所有 の群の中に, この ような去勢牡 を誘導羊 として育成す る ものがあ り, 自己の
番に当たるとき, それ を利用 している。
ところが,ルーマニアをさらに北上 し, ビス トリッツア ・ナサ ウッ ド県で四カ所の夏宮地で
調査 を したが,そ のいずれにおいて もこのバ タールの利用 は完全 に消滅す るのである。
じつ は, この 去 勢 牡 誘 導 羊 に与 え られ るバ ター ル とい う語 は, ハ セ デ ウの 語 源 辞 典
(
Ha
s
e
de
u,
B・
P.
,1
97
4)によると,ギ リシ ャ語の βαT
a
A
o
gとい う語か ら派生 した ものであ る とさ
れている。 それは単 に 「
去勢牡」 を意味す る。 シビウ周辺の牧民達は,社会主義革命が行 われ
て,ある種の県外 移動制限 されるまでは, ドプロジャまで季節的に移動 していた といわれる。
また ドプロジャには,か ってか らギ リシャの商人が しば しば乳製品を仕入れにきていた とい う。
また古 くか ら, ル ーマニア系 の牧民 (アロマンニ)がユ ーゴース ラヴイアやギ リシ ャ北部 には
広 く分布 してお り, これ らの地域 とはけっして無関係ではなか った。 この ような関係 ルー トを
介 して,比較的新 しい時代 にギ リシャか ら導入 されたのか も知れない。ルーマニア南部の去勢
誘導羊の呼 び名が,バ タール とい う,ギ リシ ャ語 に由来す ること, またルーマニア北部 にゆ く
と消滅す るとい う事実 を勘案す ると, どうや らこの去勢牡誘導羊の技法 は, この地域 では もと
もと南の地中海地域 に分布 していた もの と見て よい と云 うことにな りそ うである。 しか も中央
アジアの トル コ系 の牧民 には採用 されていない とい うことをも加 えて考 える と,去勢牡誘導羊
(
山羊)の利用技法 は, もともとユ ーラシア西南部,地 中海地域 か ら中近東 にか けて東西 に延
びる帯 を中心 に分布 した技法であるといって よいことになる。
以上,去勢牡誘導羊の地理的分布 を明 らかにす る調査データを述べ,その分布域 をほぼ示 し
たが, この調査の間に,去勢牡誘導羊 とは別の タイプの,ある種の誘導羊 に出合 うことになっ
た。そこで次 に, それ らの タイプについて,その分布 を述べ ることにす る。
2 複数雌 による群誘導
さきにルーマニ ア北部, ビス トリッツ ァ ・ナサ ウ ッ ド県では去勢牡誘導羊 は兄いだ されない
とい った。で はこの地域 には,特異的に牧夫 と命令 ・服従関係 を確立 した個体 を介 した,群行
動 をコン トロールす る技法 はいっさいないのか。筆者 は, この地 を訪れて, まず イタリアでの
去勢牡誘導羊 の育成方法 な どを説明 して,「
あなたがたの もとでは, この ような誘導羊 といっ
た ものがいるか」, とい うことを尋 ねた。それにたい して,彼 らはその技法の存在 については
知 ってはいたが, その利用 を否定す ると同時 に,それ とはまった く別種 の群 リーダとで も云 う
1 6
9-
人
文
学
報
べ きものがい る と答 えたのであ った。彼 らはそれ をフル ンタ-シ ャ (f
r
unt
as
a) と呼ぶ とい っ
た。そ して, この フル ンタ-シャは雌であ り,牧夫 はそれ と特異的な親和性 を確立す ることで,
群行動 をコン トロールす ることに利用 していることを知 らされたのであ った (
調査概要は Tani
,
Y,1
9
80,1
9
82,1
989a参照)
。
じつ はこの ような技法についての記述 は,あ らか じめ参照 したルーマニ アの牧民 についての
民俗誌 にはまった く記載 されてなか った。いや民俗誌のほ とん どは,季節移動パ ター ンや小屋
の形態,乳加工工 程な どについては詳 しく記載 してあって も, この ような群管理技法 について
はほ とん ど注意 を向けていないのが一般であった。 しか も, このルーマニア北部の地域 を訪ね
たのは, イタリア及 びアフガニスタンの調査 を行 った後で, このいずれの調査地で も, この よ
うな雌の リーダな どと云 うものの存在 については,知 らされていなか った。それだけに,去勢
牡誘導羊の欠如 は さてお くとして, まった く異 なる雌の誘導 リーダが存在する と云 う事実 は,
一種の驚 きであった。
ルーマニア北部 で,最初 このフル ンタ-シャとい う雌の誘導羊の存在 を知 ったのは,ルーマ
ニア ・ビス トリッツア県での調査村 の ひ とつ, アルダン (Ar
da
n) で,夏宮地 を訪 ねた ときで
。 その とき牧夫 は, フル ンタ-シャとい う先 をゆ く個体がいるとい うことを語
あった (1978年)
ると同時 に,群か らいつ も遅れ るコダーシャ (codasa) と云 う個体がいる とい うことを,次 の
or) だ。そ
ように語 った。つ ま り,「フル ンタ-シャは群 の先頭 を行 く,群の導 き手 (conduct
れに対 して, いつ も遅 れる奴 をコダーシ ャ (codasa) とい う」 と。 コーダ,それは末尾 を意味
する。 つ ま り, コダーシャは遅れる傾向のあるものを指す。それに対 しての フル ンタ-シ ャ,
つ まりフロン ト (先頭 )を行 くものだ とすれば,それは先頭 をい く傾向のある もの とい うこと
になる。 言い換 えれば, フル ンタ-シャとは生得的に群の先頭 をい く傾 向のある個体で,牧夫
はその ような個体 をマーク し,それに命令語 を憶 えさせ た りして,群 をコン トロールす るのに
用いているのか も しれない。筆者は当初 この ように理解 した。
そ して, その よ うな理解 の もとで,具体的 に どの個体がそれに当たるか を知 ろ うとして,
「
ではこの群 のなかで, どれが当の先頭 を行 く雌の コンダクターであるか」 と質問 した。その
問いに対 して,意外 なことに牧夫 は,前 にいる群 の中か ら,「これ とこれ とこれ」 と, けっき
ょく 7- 8頭 あま りもの個体 を指示 したのである。 フル ンタ-シャが,群の中で生得的に先頭
をゆ く傾向がある リーダ的な存在であるとす るとして, もし一群の中にこれほ ど多 くの先導者
がいるとすれば, いったい追随性のある群 は, どの リーダーの後 をフォローする とい うのだろ
うか。 リーダーは一頭であることが好 ましいはずだ。いったいこの ような リーダーの複数制の
もとで,群 はスムーズに移動 しうるのだろうか。
夏宮地での群 は,八人の牧夫が, 自己の所有す る羊 を寄せ集めて形成 されている。 そ してそ
の うち四人が組 をな して,一週間毎の放牧組 を形成す る。 かれ らの指示がいかに も意外であ り,
- 7
0-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
理解不可能 な ものであ っただけに,筆者 はそこで,そ こにいる もう一人の牧夫 に,同様の質問
をして,事実 を問 いただす ことに した。す ると,かれは,今度 は十頭いると答 えた。ついで も
う一人の牧夫 に尋 ねると,今度 は十数頭いる と答 えたのである。 リーダが複数いるとい うこと
もさることなが ら,牧夫 によって,数が異なる。 これ らの回答 は当初,筆者 をさらに当惑 させ
ることとなった。 こうして,いわゆるフル ンタ-シ ャの複数性,そ して牧夫 に応 じて数が異 な
るとい うことの背景の追及が始 まったのであ った。
その追及の結果 については,次節の誘導羊の機能 を語 る部分 に先送 りにす ることとして,当
時教 えられたその フル ンタ-シャの育成方法 について記 してお く。 とい うの も,た とえ当のフ
ル ンタ-シャが生得的に先頭 をゆ く性質 をもっていた として も,牧夫がそれ と特異的に親和生
を確立 し,名 を呼 んでそれに応 えるようになっていなければ,群 をコン トロールす ることはで
きない。 この ように考 えて育成方法 を尋ねたのである。
かれ らは,毎年,冬 に生 まれ出る小羊のなかか ら,特定の雌個体 を選 んでマーク し,名 を与
えて呼 び, しか もママ リーガを毎朝与 えて,手 なづ ける。 このマークされた雌が, 自分の名 を
憶 え,近づいて くるようになると,特定の口笛音 を発 して,その昔 に従 ってやって くるように
する, とい うので ある。 もちろんこの場合,名前 と云 って,身体の色 ・模様 に応 じて定め られ
た分類名称 (
Ta
ni
,
Y.
,1
9
8
0‥pp.828
4)が用い られてお り, この点 はイタリアなどで去勢牡 に対
して与 えていた ような,なかば擬人化 された固有名で はない。いわば個体識別のため に用い ら
れている分類基準 にそ って指定 されている分類的な記述名称が,個体 を特異的に呼ぶ呼称 とし
て用い られている とい うのである。 もちろん群の中には,例 えば 「日の周 りが黒 い」 とい う身
体特徴 をもつ ため に, (
オアーチ シ ャ oac
i
s
e
) と云 う分類の タームで記述 される個体 が複数い
るとい うことは稀 ではない。それ を,特定個体の呼称 としたのでは,個体指定がで きない とい
う気 もしないではないが,要 は呼 び名 をもって応答す ることが期待 され,その名 を呼 ばれて応
答す るように訓育 されてい る ものが,「目の周 りが黒 い」特徴 をもつ ものの中に一頭 しかいな
いように して,常 に同 じ呼 びかけに対 して,特定の一個体のみが応ずるように してお きさえす
れば,応答上の混 同が起 きることはない。 他 の同 じ身体特徴 を もつ同類 は,た とえそれに応 じ
た名 を呼ばれて も,普段 それで呼 びかけ られることはないわけだか ら,注意喚起 されるわけが
ないだけの話であ る。 ともあれ この ような呼称のあたえ方の中には,ジェネラー レといった,
呼称の与 え手 の側 の思い入れはなん ら認めることはで きない。
ルーマニア北部で も,労働組織 は,南 カルパテ ィア と変わ りな く,ここで も村の中の専業牧
夫たちが, 自らが所有す る羊 を, まとめて一群 とな し,一週 間交代で放牧管理 をする ものであ
る。 もし当番の際 に, 自己の所有群のなかであ らか じめ育成 しているフル ンタ-シャを,それ
ぞれの牧夫が用い るのであれば, この輪番制 は問題 とな らない。牧夫 とこの雌の誘導羊 たち と
のパ ーソナルな関係 は恒常的に維持 される以上, この ような技法 は十分機能 しうるとい うわけ
- 71 -
人
文
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報
である。
さて,先の先頭 を切 るものが複数いるとい ったことか ら生ず る疑問はさてお くとして, この
ような複数雌 を利用 した群 コン トロールの技法は, このルーマニア北部以外, どの地域 に分布
しているのか。
北 カルパテ アにおいて利用 されていることを知 ったのち,ルーマニア南部で調査 を した筆者
は,去勢牡誘導雌 羊 とともに, フル ンタ-シャの利用技法が, このルーマニア南部で も用い ら
れていることを知 ったのである。 ただ名称が異なっていた。 シビウ県のテ ィリシュカの牧夫た
c
i
r
mac
e) と呼 んでいた。それ は, 「
追随 される もの」
ちは, この雌 の誘 導羊 をクルマ ーチ ェ (
を意味す る。 その養成の仕方 は,北 カルパテ ィアとおな じであ った。
しか もこの フル ンタ-シャ ・タイプの誘導羊の利用分布 は,それ以後の調査で, さらに南下
し,ルーマニ ア語 を話すアロマ ンニ とよばれ,テ ッサ リアな どギ リシャの北部 に分布す る人々
の もとで も等 しく利用 されていることを知 った。ではルーマニア北部 よ りもさらに北 にい って,
国境 を越 えた旧 ソ連領の地域ではどうか。 じつはこの点は,当時 なお訪れることが不可能であ
って,その有無 は確認 されていない。
ともあれこの よ うに見て くると,ルーマニア南部では, さきに述べ た ようにバ タール とい う
去勢牡 に加 えて, フル ンタ-シャ ・タイプの誘導羊がいる とい うことになる。 つ ま り異 なるタ
イプの二種類 の誘導羊が,同時並行 して用い られているとい うことである。 い ったいなぜこ の
ような二種の技法が併存 しているのだろ うか。 もし両者が,同 じ役割 を果 たす とすれば,おそ
らく事後的に南か ら伝播 して きたであろ う去勢牡誘導羊の技法 を受 け入れる要 はないはずであ
る。 この併用の事 実 は, この両者の間での機能, ない し状況 に応 じた用い られ方の差異 を予想
させ る ものであ った。その差異 については,次節の誘導羊の機能 を論ず るところで語 ることに
して,つ ぎに じつ はギ リシャで兄いだ した,去勢牡誘導羊で もな く,複数雌誘導羊で もない,
いわば第三の誘導羊の タイプと云 うものについて述べ ることにす る。
3 雌雄両性型誘導
第三の タイプ との出会いは,ルーマニアでの調査の後 に行 なった,ギ リシ ャはイピロスのサ
ラカ ッチ ャ二 を訪 ねた ときの ことであった (
調査概要は,Tani
,
Y,1
9
80,1
9
82,1
9
8
9a参照)
。サ ラ
カ ッチ ャこの牧夫 は,すでに去勢牡誘導羊の分布 を述べ た ところで指摘 していた ように, クリ
アリ ・ギ ッセ ミア とい う去勢牡誘導羊 を利用 していた。 ところが,彼 らは,それ とは別 に, さ
ma
nar
i
-牡)とマナラ (
ma
na
r
a-雌)とい う語で指定 される, さらに別種の誘導羊
らにマナ リ (
を利用 していたのである。
朝キ ャンプ地 を出る とき, また夕刻キ ャンプ地 に帰 るとき, このマナ リやマナラは,牧夫か
ら,手 にのせ た麦 を与 えられる。 出発時は,出かけようとす る牧夫が,出かける方向に向か っ
- 7
2-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
て歩 き始めた ところで, これ らに餌 を与 えることに しているため, このマナ リヤマナ ラはかな
らず呼 び声 に応 じて出て くる。 また帰 りつ くと必ず餌 を与 えるために,夕刻 キ ャンプ地 に近づ
くと,ふたたび餌 を求めて, このマナ リヤマナラは先頭 を切 って戻 って くるとい った具合 なの
である。 追随性のある群 は, こうして,朝 も,夕 も, このマナ リやマナ ラの後 を追 ことにな り,
結果 として,牧夫 に都合の よいスムーズな移動の流れが実現 されるわけである。
このマナ リやマナラを養成す るのに,牧夫 はまず子が生 まれてか ら間 もない時期 に,当歳子
のなかか ら牡 で もよい,雌で もよい,特定個体 を選 び出す。そ してそれを牧夫の小屋 に囲い,
あたか も小犬 を飼 うように親 しく世話 を して,親和性 を生 じさせ る。 しか も,母雌か ら乳 を飲
ませ る代 わ りに,牧夫の家族員の手か ら晴乳瓶で搾 りおいた乳 を飲 ませ るのである。 現荏では,
人の幼児用のガラスの晒乳瓶 を用いるが,おそ ら くか っては皮製の晴乳袋 な どを用いたに違 い
ない。ギ リシャで は確認す ることがで きてないが,スイスには,出産後母親 をな くした小羊の
ため に,人為 的に晒乳す るための吸 い口のつ いた木製の容器があるの を確認 している (
小林茂
99
0‥1
8)
。 ところで,離乳後,やは り牧夫 はみづか らの手で麦 を与 える。 こうして牧夫 と
樹,1
の親和性が確立 してのち,名前 を与 えて,呼べ ば応 えるように仕込 むとい う。
このマナ リ ・マナラ ・タイプの誘導羊の利用 は,ギ リシャでは, さらにクレタで も認め られ
た。
このサ ラカ ッチ ャニ及 びクレタの雌雄両用の誘導羊 は,ルーマニアのフル ンタ-シャとは区
別 されるべ きであろう。 とい うの も,ルーマニアでの フル ンタ-シャ ・タイプは,専 ら雌 に限
られているのに対 して,ギ リシャのマナ リ ・マナラ ・タイプは性 にこだわ らず に,要 は幼 い時
期にペ ットの ように して飼 うことで成立す る親和性 に頼 っている。最初 にあげた去勢牡誘導羊
と区別す るために,以下 もっぱら雌か らなるフル ンタ-シャ ・タイプを複数雌誘導羊 と呼 び,
マナ リ ・マナ ラ ・タイプを雌雄両性型誘導羊 と呼ぶ ことにす る。
以上,ややデー タの提示が長 くなったが,誘導羊 には三つの タイプが少 な くとも存在す るこ
とが明 らかになった。そのそれぞれの分布 に関 して,去勢牡誘導羊 (
山羊)について は,すで
にその分布域 を述べたのだったが,地中海地域か ら中近東 にかけて東西 に帯状 をな して分布 し
ている。 そ してそれはアフガニス タンにまで及んでいるが, イン ドのラジャス タンに までは及
ばない。第二の複 数雌誘導羊利用 は, さきに述べ たル ーマニアの南部か ら北部 にかけてお もに
分布 してお り,かつギ リシャ北部のルーマニア系の牧民 アロマ ンこの もとにまで分布 している。
他方,第三の雌雄両性型誘導羊 は,サ ラカ ッチ ャニ及 びクレタで先ず兄いだされたのだが,輿
1
9
9
2
年)
, きわめてかけ離れた地域ではあるが,イン ド西部, ラジャスタ
味深いことにその後 (
ンでの調査の際, ジャイブ-ルか ら東40キロの地点でお とづれたマールワリの牧民の もとで,
調査 した四集団の うちのひとつの集団の中で,兄いだす ことがで きたのであった。彼 らはこの
- 73 -
人
文
学
報
図 2 誘導羊/山羊技法 についてのデーター蒐集地点 (
*印 は谷 泰調査分 )
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74 -
家 畜 と 家 僕 (谷 )
図 3 誘導羊/山羊の諸 タイプの分布
人
文
学
報
ような個体 に対す る特定の名称 をもっているわけで はなか ったが,幼い ときか ら親和性 を確立
し,呼べ ばや って くるように仕立てていた。そ して朝 な どの出発時 にその個体 を呼ぶ ことで,
群 に始動 を与 えるのに用いていた。 この ような飛 び地の ようなジ ャイブ-ルでの事例 がなにを
意味す るのか 。 か ってはこの雌雄両性型の誘導羊 の利用が,広 く中近東で も認め られたのだが,
去勢牡誘導羊 の技 法が普及す ることによって消滅 した。ただ, この去勢牡誘導羊の技法が イン
ド西部 までは伝播 しなか ったために,古い形態が この地域 には残存 している, とい うことなの
か。あるいは, まった く自然発生的にここで も成立 した ものなのか。今の ところ, この問いに
対 してはなに も語 ることがで きない。
い じょう,去勢牡誘導羊か らは じめて,その後新 たに兄いだ された誘導羊の二つの タイプを
加 えて,特異的に群管理者 との親和性 をもった群内個体の行動 をコン トロールす ることで,追
随性 のある群全体 をコン トロールす る技法 として,三つの タイプの存在が指摘 され,その地理
的分布がほぼ示 された (
図2, 3参照)
。
もちろんここで, これ らの例 にみ られるような,明 らかになん らかの親和性の創 出な しに,
人の介入に敏感 に反応す るだけでな く,放置 していて も先頭 に飛 び出 して移動す る傾 向のある
山羊 を数頭入れてお く技法 も, この地域, とりわけ中近東の地域 には,多 く用い られているこ
とをわれわれ は知 っている。 いわゆる誘導羊/山羊の利用が認め られるところであ りなが ら,
例 えばアフガニス タンで, この ような去勢 もされていない山羊 を含めて雌雄共 に十頭 ばか りを
羊群 にいれているケース もい くつ も観察 している。 またギ リシャやルーマニアで も,雌雄共 に
混 じったい く頭かの山羊 を群 にいれているケース もないわけではなかった。 しか も一般 に山羊
を混入 している事例 は,中近東 にゆ くにつれて,その頻度が増す傾向が認め られる。 またこの
地域 の山羊 にあっては,種牡用の山羊 は,そのサ イズが顕著 に大 きくな り,際だった行動 をす
ることが少 な くない。 この ような個体 に目をつ けて,それに働 きかけることで,ある程度効果
的に群 をコン トロール しえている (アフガニスタンでカブールから南,ほぼ60キロ,ロガール県バラ
キ,カライ ・ワジ-ル村郊外で,筆者はこのような事例を見ている)
。 この ように, と りたてて親和
性 を確立 しているわけではないが, この ような山羊の混入 による群 コン トロールの技法 とい う
もの も考 え られ, その ような技法が先行 していた可能性 も考 え られないわけではない。
ただこれ までに問題 に したのは, この ような自然的な個体特性 に依存 した技法 とは別個 に,,
特定個体 との親和性 を人為的に創出 して,群 をコン トロールす るる技法 についてであ った。い
まここで明 らかになった人為的な三技法の うち, はた して どの技法が最初 に発生 した ものなの
か。あるいは歴史的にみて, どの ような順番で,いつ ごろ発生 したのか。 またそれぞれが, ど
の地域 にまず発生 したのか。その分布 についての知識 をえた後で, この ような疑問は当然起 こ
る疑問である。 もちろん,それ を歴史的文献か ら知 ろ うとして も,先ずそれは無理であ り,た
かだか出来 ることは,その技法それぞれの内容 を検討 し,かつ分布 についての事実か ら,ある
- 7
6-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
仮説的な推論 を行 うことくらいである。 そ して,その順序 を仮説的に提示す るのが,たかだか
で きることである。 ただ, この ような推論 をするに して も,当然そこで は,技法 としてのエ ラ
ボ レーシ ョンの度合等が考慮 に入れ られな くてはな らない。 とすれば,その ような発展段階上
の推論 を行 な うまえに, このような誘導羊がそれぞれ,放牧の現場で どの ように取 り扱 われ,
どの ようにその機 能 を果た しているのか とい うことを知 っておかな くてはな らない。 とりわけ,
複数雌誘導羊 タイプの場合,一群のなかに, フル ンタ-シャが十数頭 もいる とい う事態 は, も
しそれをある種の リーダと見なす限 りでは, なん とも奇妙 なことに見えた。 この ような疑問 に
答えるために も, いったいこれ らの誘導羊が,放牧の現場で, どのように振舞 っているのか。
それを現場で観察 する必要がある。
以下,それぞれ について観察の結果 を示す ことになるが,のちの議論 に とっての配慮か ら,
分布 について述べ た順序 とは逆 に, まず雌雄両性型誘導羊,複数雌誘導羊,そ して去勢牡誘導
羊の噸で,その結果が述べ られることになる。
1) 群 を物理的 に囲わない事例 は, このアフガニス タンでの観察以外, トルコ東南部,ハ ッカ リで観
察 した クル ド系の牧民, またイン ド西南部の ラジャス タンのマルワリ系の牧民, ジャム-を母相 と
す るバ ッカル ワラ牧民 において も等 しく認めている。 また,ルーマニアの ビス トリッツ ァ県のアル
ダン, シエ ウ ッツを母相 とす る専業牧夫 も,秩,村の上部で放牧す るとき,夜営地 を数 日毎 に移動
す るが,その際には,夏宮地では群 を囲 っているのに対 して, まった く囲わない。野営 の焚火の周
囲に連れ戻 した群 をまった く囲わず に,その まま近傍で まとめて夜 を過 ご している。 このルーマニ
アの牧夫 に とっては,夏骨地での囲いは,狼の夜襲 によって驚いた群が離散す るの を防 ぐ意味の方
が,大 きいか に思 える。つ まり外敵 に対す る防衛のための囲いであ り,群 をつ な ぎ止めるためには,
家畜化 された群の場合,囲いは一般 に不要であるといって よいようである。
Ⅲ
放 牧 中 の誘 導 羊 の行 動 とそ の機 能
1 雌雄両性型誘導羊
雌雄両性型誘導羊 と呼ぶ ことに した,ギ リシャのサ ラカ ッチ ャ二やク レタでみいだ されたマ
ナ リ ・マナラ ・タイプの誘導羊 は,先 に も触れた ように,生 まれてす ぐに噛乳瓶 な どで養育 し
て,親和性 を確立する ものであ った。牧民家族 は, まさに家族のペ ットの ようにかわいが り,
腕に抱 えて しば しば愛撫す る。 また特定の固有名 を与 えて名 を呼ぶ ことで慣 れ親 しませ る。 ま
た離乳 したの ちは,麦 などを与 えて,特異的に餌づ けす る。 つ ま りそれ らは,名 を呼 ばれて,
近寄れば,餌が期待で きるように仕立ててある。 こうして, このマナ リ ・マナラ ・タイプの羊
は,名 を呼 ばれれば,餌 を与 えられ ことを期待 して,呼 び手の方 に走 りよって乗 る。
この ような ことが関係 しているのか,命令語 を発 して牧地での放牧中に困難 なギ ャップを渡
- 7
7-
人
文
学
報
らせ た り,反転 させた りす るさいに,先導役 を果た させ ることはない。 む しろ牧夫の呼 び声で,
牧夫のいる方 にお びき寄せ ることで,他 の追随性のある群が,当の個体 の行動 に したが うこと
を実現 している。 出発 ・帰着時の誘導がその典型であ り,牧夫の もとへの接近 を実現す る呼 び
寄せ誘導の手段 と して,それ らは もっぱ ら用い られている。 羊の群 と云 うものは, まさに慣性
の法則 に したが った生 きた塊の ような ものであって,キ ャンプ地か ら朝 出発す るとき,牧夫が
手 を叩いた り,走 りよって,群 を立 ち上が らせ,一定の方向に向けて歩 き始め させ ようとして
も,座 り込んでい る羊 たちは簡単 に応ず る ものではない。 この ような とき,全体 をせ き立てる
ように刺激 しつつ,当の餌 を期待 しては しり寄 って乗 るマナ リヤマナラを呼ぶ ことで,群 に始
動 を与 えることは効果がある。 マナ リやマナラとして特定 されていない ものに も,その際若干
の餌 を与 えることに しておけば,たんにマナ リヤマナラだけでな く,それ を期待 した他個体 も
共にやって来 るというものである。 このい く頭かの羊たちの特異的な始動が,他 の並個体の立
ち上が り,そ して移動の開始 を誘発す る。 また放牧 を終 えて,キ ャンプ地 に近づいた ときも,
草 を食べ なが らか えって乗 る群 は,必ず しも迅速 に家路へ向か うとは限 らない。 この ような と
きに,牧夫 は先 を歩 きなが ら, このマナ リヤマナラを呼ぶ。す ると,キ ャンプ地 に戻 った とき
の麦 を期待 して,牧夫の方 に駆 け寄 って くる。 こうして,群 はスムースに帰路の足 を早めるこ
とになる。 牧夫 はその点で,群 を方向づ けたい方向にさきに位置 して,そ こか らこの誘導羊 を
呼ぶ とい うことになる。 そ して,マナ リやマナラが群の先頭 を切 るのは, こうして呼 ばれた と
きだけである。
ちなみに, このマナ リやマナラとい う名称 自体 には,なん ら群 リーダとい う意味合 いは含 ま
れていない。 しば しばその名称 は,牧夫の居住地で飼われ,特異的に人の生活領域 に取 り込 ま
れた舎飼 いの羊 をさす用語 として も用い られている。 まさに給餌 を介 して,他の個体 よ りは強
度に,個体 レベルで人づ けされ,餌づ け された ものにたいす る名称であ り,その点で は,餌付
けされているか, ないかが, この呼 び名の弁別点 になっている1)。 ともあれ こうして,マナ リ
・マナ ラは幼児段 階か らの餌づ けを通 じて,牧夫 につ き,それ を通 じて,群 を牧夫の コン トロ
ール下 につ な ぎとめる仲介者 となっているとい うわけである。
これ ら牡牝の うち,牡のマナ リは成長 して も,去勢 されることはない。やがて種牡 として利
用 されることもしば しばである。 この ことは,後の誘導羊の三 タイプの発展段 階 を論ず る とこ
ろで意味 をもつので,注記 してお きたい。
2 複数雌誘導羊
複数雌誘導羊 は,その機能について,当初 もっとも疑問の大 きい ものであ った。 とい うの も,
もしそれが リーダ役 を果たす として,一群の中に多数いるとい うことで, はた してそれ らは群
を一義的にガイ ドし,方向付 ける役 を果 た しうるのだろうか, とい う疑問であ った。
- 7
8-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
観察 は,1
980年 の夏,北 カルパテ ア ・ビス トリッツア県のシエ ウツ (
Si
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)村 の牧夫が夏骨
Mt
.
C益
l
i
ma
n)中で行 なわれた (
詳細は Tani
,
Y.
,1
9
8
9a)
。選 ばれた群 は,八
を行 うカ リマニ山 (
人の牧夫が所有す る,約 500頭か らなる群であ った。 この地域 は,山羊 も飼 ってはい るが,山
羊 と羊 とはまった く別の群仕立てで放牧 されている。 すでに述べたように,敗夫 は, 四人が組
みになって,一週 間毎 に交代で,放牧管理 を していた。
ここで も, フル ンタ-シャはなん匹いるか とい う問いに対 して,その数 は,牧夫 によってお
お き く異 なった。 そこで,混乱 を避 けるために,一人の牧夫 (
以下便宜のためにこの牧夫を A と
表記することにする)が指示す るフル ンタ-シャのみに限って観察 をす ることに した。 じつ はこ
の牧夫 は,お どろ くべ きことに20頭 のフル ンタ-シャを指摘 した。筆者 はそれ らが放牧移動 中
どこに居 るか を明確 にみるため,そのそれぞれに異 なる目立つ布の リボ ンをつ けた。そ して15
分お きに,三時間 (
1
2
回)にわた って,それぞれが移動群 中, どの ような位置 にいるか を記録
した。
群れの動 きは, あたか も流れる水の ようにスムーズに動 く。それぞれマークされた個体 は,
立 ち止 ま り,草 をはみ,走 り,その都度その位置 は変化 した。追越 した り,追い抜 かれた り,
また横 に広が った りす るため,ある個体の先頭か らの順位 をカウン トす ることは きわめて難 し
い
。
そのために, かな り先頭集団にいるときは,正確 にカウン トすることはで きたが,それ以
外 は群の分散状態 を考慮 にいれて等分 し,数十のオーダーで分 けて,ほぼの位置 をカウ ン トし
た。20頭 で 1
2回で あるので, カウン トされるべ きケースの数 は2
40になる。 実際 には,林 の陰
97回にとどまった。
辛,他の個体の陰 に隠れてみえない こともあ り, カウン ト数 は1
カウン トを始めて早速わか ったことであるが,先頭 をゆ く傾向がある と云 われていたフル ン
タ-シャは, けっ して群の先頭 をい っていない, とい うことであった。あるフル ンタ-シ ャは
1
5番 目をゆ くのに,他の個体 は250番 目であ るとい う具合である。 ある もの は,後尾 か ら1
0番
目や20番 目である とい うことさえあ った。 またあるとき15番 目であった ものが ,15分後 には90
番 目であるといったことも少な くなか った。観察 によれば,先頭か ら1
0番 目内にいた回数 は,
97中,わづか 9回 しか なか った。 この一見 した数値 を見るだけで, フル ンタ-シ
仝スコア -1
ャは決 して先頭 を行 く傾向はない とい うことである。
ここで もし, この20頭のフル ンタ-シャが他の普通の羊 と同様 の平均 的な行動特性 をもつ と
仮定 した とき, この20頭のいづれかの個体がす くな くとも先頭十番 目内に出現す る理論的な頻
虎はO.
3
4となる。 ここで観察結果 について, カウン トされるべ き2
40ケースの うち,観察で き
たケースが 1
97で あ った とい うことを考慮 にいれて,先頭十番 目の中にフル ンタ-シ ャが 9回
しかいなかった ということか ら計算す る と,その頻度の実際値 は0.
05% に しか達 しない。実際
値は理論値 をはるかに下回 っているとい うわけである。
ところで,先頭 か ら5
0番 目の中に, このフル ンタ-シャが少 な くとも一頭 は入 っている理論
- 7
9-
人
文
学
報
的可能性 は0.
9
9となる。 他方観察 による実際値 は,0.
2
8である。 いずれに して も, フル ンタシャが前方 にいた実際上の頻度 は,理論的値 よ りは, はるかに低 いのである。 い ったいなぜ こ
のように実際値が理論値 よ り低 いのかについては,その理由はよ くわか らない。 ここで, フル
ンタ-シャがある種の クラス ターをな して行動 しているか,要 はランダムでな く行動 している
とい う可能性 を仮定す ることもで きる。 ともあれ, フロン トをい くもの とい う意味 をもつ フル
ンタ-シャには,普段 の放牧での移動時,先頭 をゆ く傾向があるとい う自然的特性 はない, と
結論せ ざるをえないのである。 とすれば, この ように特異的に牧夫 によってマークされたこれ
らの フル ンタ-シ ャとは,いかなる ものであるのか。 この フル ンタ-シ ャの機能 につ いての疑
問は,ある日の朝 の出来事 によって,その解決の糸 口が示 された。
朝,キ ャンプ小屋 の近 くで群が って夜 を明か した群 は,牧夫達の鋭い口笛 と,追い立てるよ
うな しぐさによって,立 ち上が り,放牧地- と出発 し始める。 もちろん群への牧夫の随伴 は二
人か らな り,一人 は先頭 を行 き,他 は末尾か ら全体 を見渡 しなが ら後 を追 う。 出発時,その群
の一部 は,すでに立 ち上が って,先頭 を行 く牧夫 について移動始めて も,他 はやお ら立 ち上が
り始めている とい うことはよ くみ られる光景である。 要 はこれ ら遅れて動 き始め る ものは,一
部がすでに立 ち上が って動 き始めている とい う気配 を認めてか ら, まさに追随性 の促す ところ
に従 って,やお ら立 ち上が るのである。 この ような状況下で,効果的に群 を動 き始め させ るた
めには,一方でなお座 っている もの を追い立てることも必要であるが, この先 に立 ち上が った
もの を,すばや く一定方向に移動 させ始めることが,他の ものの始動 を促すのに効果的である。
そのため,先行牧夫 は, 日によって定め られた牧地-向か う方向に向か って, この立 ち上が っ
た羊達 を招 き寄せ るように して,手 を叩 き, 口笛 を吹 き鳴 らす。
その 日, この先行牧夫 は, さきにフル ンタ-シャを指示 させ た A ではな く,別の牧夫 (
以下
かれ を B とする)であ った。 ところで筆者 は, この Bが朝食事 をす ませて後,放牧 に出かける
際に, とうもろこ しの粉 をボイル したママ リーガとい う食べ物の食べ残 したひと塊 を,ベル ト
にはさんだの を見届 けていた。そ して彼 は,い まだ大半が座 っている群の近 くで位置 について,
鋭い口笛 を吹いて群のス ター トを促 したあ と,彼 の方 に走 り寄 って くる羊のい く頭かに,その
ママ リーガのかけ らを示 しなが ら,与 え始めたのである。 もしそれだけの ことであれば, この
事態 は,たんに牧夫がママ リーガを餌 に して,近 くにいる羊 をおび き寄せ,始動 を加 えている
と記述す るので十分であろう。 ところが, このおびき寄せ に乗 って移動 を始め,餌 を求め よう
とす る羊達のなか には, A が フル ンタ-シャだ として指示 し,そのため に筆者が リボ ンをつ
けた個体 は一頭 もいなか ったのである。 しか も,B は, この このおびき寄せ に招かれて近づい
て きた羊の数頭 に,選択的にママ リーガを与 えた。そこで筆者 は 「いったい どの ような個体 に,
ママ リーガを与 え るのか」 とい う質問 を した。それに対 して,牧夫 Bは,「
かれ らはフル ンタ
-シ ャだ」 と答 えたのであ る。 要 は,B に とって フル ンタ-シ ャであ る ものは, A が指示 し
- 8
0-
家 畜 と 家 僕 (
谷)
たフル ンタ-シ ャとは異 なるとい うことであ る。 そ こで筆者 は即座 に彼 (B) が フル ンタ-シ
ャだ とみなす もの をその近傍で指示 して もらった。彼 は,ママ リーガを示 したために,彼 の方
5
頭 の羊達の中か ら, 5頭 を, これ らが フルンタ-シ ャだ と指示 した。
へ走 りよって くる先頭 1
5
頭 の中には,A が フル ンタ-シャと して指示 した ものは一頭 もいなか った。で
しか もその 1
は A がか って指示 して くれ,筆者が位置 を確認 し易 い ように とリボ ンをつ けた もの は, どの
辺 りにいたか。移動 し始めた羊の列の中で,それ らは次の ような位置 にいた。つ ま り2
4,2
5
,
2
8
,5
5
,7
5
,8
5
,2
0
7
,2
4
5
,2
5
0
,2
9
0
,3
4
0
,3
4
5
,3
7
0
,3
8
0
,3
81
,3
9
0
,4
0
0
,4
0
5とい うわけ
0
0
頭 の列のなかで, きわめて平均 した順位分布 をしか示 していないのであ る。
である。 彼 らは5
以上の ことか ら,われわれは次の ことを読み取 ることが出来 る。つ ま り 1)フル ンタ-シ ャ
と目されている ものは,牧夫 によって異 なる。 さきに牧夫が答 えるフル ンタ-シャの数 に,個
体差があることを指摘 していたが, これは牧夫 に応 じてフル ンタ-シャと見 なされている もの
がお よそ異 なっているか らである。 2) 出発時に限 っての ことであるが,ある牧夫 に とっての
フル ンタ-シャは, 口笛 とママ リーガによる招 きによっておぴ きよせ られ,その突出 した動 き
によって,他の羊 を追随 させ る役 を果たすが,その とき先行牧夫の役 を担 わない牧夫の フル ン
タ-シャは, まった く並羊 と同 じ行動 をす る。 いいかえれば, フルンタ-シャは,それぞれの
牧夫 によって,独 自に餌づ けされ,個別的に特定牧夫 と親和性 をもち,彼の音声命令サ イ ンに
応ず るようになった ものなのである。
この ようなフル ンタ-シャについての知見 を得 たのち,筆者 は放牧地での移動 中,牧夫が ど
の様 にこの フル ンタ-シャを利用 しているか を観察す ることに した。牧夫 は様 々な音声的介入
を行 う。 とりわけルーマニアの牧夫の音声介入 は, きわめて頻度が高 く,単 に口笛 と云 った非
言語的 な コー リング とは別 に,特定個体 の色 ・模様パ ター ンに応 じた分類語 (
Ta
ni
,
Y.
,1
9
8
0‥
pp.
8
2
8
5)に よる呼掛 け, また くだ くだ と した罵倒語 を含 む語 りかけ文 をもって,頻繁 に語 り
かける。 そ こで採 集 した語 りかけ文の内容分析 は,牧夫が群れの羊 をどの ようにみてい るか を
垣 間見せ て くれて, きわめて興味深い ものであるが,い まここでは,直接論 旨と係 わ りが ない
のでその全貌 を紹 介す ることは しない (
一部はTa
ni
,
Y.
,1
9
8
2‥
pp.
1
6)
。牧夫 は ときにある特定 の
当の色 ・模様パ ターンで定め られた名称 を,鋭い口笛 と共 に発す る。 この呼 ばれ る名称 はひ と
つ とは限 らない。 とい って彼 によってフル ンクーシャと目されている全てに対 して呼 びかける
わけではな く,たかだか二 ・三頭 に しかす ぎない。
ところで この よ うな場面で,呼ばれた ものが どの様 に行動す るかを見 るために,牧夫 に改め
て群 を呼 び戻 して ほ しい と頼 んだことがある。 牧夫 は,約 2
0
0メー トルほ ど離れた ところで,
口に二本指 を入れ て,草 を食べている群 に向か って, まず鋭い口笛 を発 した。そ して 「目の回
りが黒 い もの」 を指示す る分類名 に したが って, (
oa
c
i
s
e
) と叫 んだ。 しか し目立 った動 きは
生 じなか った。牧 夫 はそ こで, (
ne
agr
a
) とさらに叫 んだ。それは,他 の 「
全身黒 い毛 をもつ
- 81-
人
文
学
報
もの」 に与 え られている名称である。 す ると遠方で一頭の黒い羊が,牧夫の方 にむけて歩 き始
oa
c
i
!
e
)
」 に与 え られた名称 を
めた。牧夫 はそ こで, さらに もう一度 「目の回 りの黒 い もの (
叫んだ。そ して さ らに もうひとつの名 を叫んだ。す ると他の二頭の ものが動 き始め,結局動 き
始めた三頭の動 きにつ られたように,周辺の羊達がそれに したが って動 き始めた。そ して再度
鋭い口笛 を発 したためにせか されたのか,それ らは足早 にな り,ついに群 を従 えて牧夫の手前
にまで戻 って きたのである。
すでにみた ように, フル ンタ-シャは,決 して本来的に群の先頭 を行 く傾向 をもつ群 リーダ
ーではない。それ らは,なによ りもまず特異的に餌 を与 え られることで,個人的に特定の牧夫
との親和的関係 を もつ ようになった ものである。 だか らこそ,出発時な ど,牧夫の示すママ リ
ーガなどの餌 によっておぴ きよせ られた とき, まず彼 の招 きに応 じて,群の動 きを起 こす もの
となっている。 この ような関係 の上で,常 に名 を呼ばれ,状況 に応 じて命令サ インを学ぶ こと
で,それに従 うようになった ものになっている。 そ してその起動が,他 の群のメンバ ーの追随
を引 き起 こす。その点で, フル ンタ-シャは,群の動 きを引 き起 こす引金であ り,誘導因であ
る。 この ような誘導が成立す るためには, まづ牧夫 とフル ンタ-シ ャとのあいだの親和性 に も
とづ く命令一服従関係が成立 していな くてはならない。そ して,先導す る ものに追随す るとい
う群の追随性 が関与 している。 一般的に云 って,群の個体の動 きは,あたか も水の流 れに似て
いた。放置 しておけば,慣性 に従 ってすでに動 き出 した方向へ,その まま動 こうとす るかの よ
うに,大勢の流れに したが って行 く。 また じっと止 まっていれば,いずれかの部分が動 き出そ
うとしない限 り,いつ まで もその ままの状態で居留 まろうとす る。 方向転換であれ,出発であ
れ,それはそれ までの運動状態 を変更す ることである。 フル ンタ-シャは, この ようなことが
必要 な ときに,牧夫 の命令 に したが って,その ような運動状態 に変更 を起 こす。そ うい う点で
はいわば物理学的な意味での加速の始動 因 としての機能 に似 たはた らきを しているとも言 えな
いことはない。
い ま, この ようなことが明 らかになったあ とでは, これ まで一見不合理 にみえた, フル ンタ
-シャの数の多 きも理解で きることになる。 さきに述べ た ように,牧夫 は,群 を呼 び戻す とき
に,最初 の呼 ばれた個体がす ぐ応 じなか った ときに,他の フル ンタ-シャを呼んだのであ った。
彼にとって,一頭 を呼ぶか,二頭 ・三頭 を呼ぶかは, なん ら問題性 をはらんだことではなか っ
た。要 は最初 に呼んだ ものがす ぐに応 じなかったので,他 の もの を呼んだに過 ぎない。いやむ
しろ彼 に とって,一頭だけよ りも,数頭呼んで, よ り大 きな動 きを起 こさせ,効果的に群の動
きを起 こさせ ることは望 まれたことであるとも言 える。 フル ンタ-シャは,決 して先頭 をゆ く
資質 をもつ生得的な群 リーダといった ものではな く,牧夫の命令 に したが って,彼が望 むよう
な運動 を起 こす始動 国であるにす ぎない。その始動が顕著であればあるほど,他の ものの追随
を容易 に引 き起 こ し易い。 フル ンタ-シャを自然的な リー ダー と見 な した ときには,数多いフ
ー 82 -
家 畜 と 家 僕 (
谷)
ル ンタ-シ ャの存在 は問題性 をはらむかにみえるが,上 にみた ように,同 じ命令 に等 しく応ず
るものだ とす るな らば,その数の多 きは,む しろ理 にかなっている, とさえ云 えることになる。
結論的に云 うな らば, フル ンタ-シャは,餌づ けによって,特定の牧夫 に親和性 をもち,そ
れに基づいて命令-服従関係 をもつ ようになった ものである。 牧夫は, コン トロールの効果 を
増すために,複数 のフル ンタ-シャを養成す る。 牧夫 は自己の所有群 をもち寄 って,放牧組 を
0
0頭余 りの大群 をつ くる。 それぞれの牧夫 は, 自分が輪番の番 に当たる と
な し,夏宮地での 5
き,そ して先頭牧夫の役 を果たす とき,個人的に醸成 した命令 に したが うフル ンタ-シャを,
自らの手先 として,群のコン トロールに利用す る。 尋 ね られる牧夫によって,その数が異 なる
のは,けだ し当然 だったのである。
それ に して も, さきに牧夫 A の指示 したフル ンタ-シ ャ2
0頭 とい うのは,余 りに も多す ぎ
る数であ った。 しか も,放牧中の)
t
酎立分布 はあ ま りに もランダムで, しか も理論値 よ りも低 か
った。 この低 さが何か を意味す るのか。あるいは観測時間の少 なさによるば らつ きによる もの
0
頭 などといいなが ら,放牧中,牧夫が誘導のた
か。 この辺 りは明確でない。確 かなことは,2
0頭の中には,な
めに呼ぶ名前 は, けっして多 くはな く,数頭 にす ぎない とい うことである。2
お若い もの もいた。 フル ンタ-シャの数 を聞けば,多 くを云 うが, この中には,すでに一人前
として利用 してい るもののほかに,将来誘導用 に用いるべ く,餌づけを通 じて牧夫 との親和性
は確立 しているが , まだ主 に用いるに到 って はいない ワカ もいるとい うわけである。 その よう
なワカは,出発時 にママ リーガを与 えられ,親和性 のゆえに呼べ ば近づ きはす る ものの,放牧
地では最初 の始動 のために呼んで も,的確 に反応す るようにはなっていない。ただそれで も,
は じめに一人前の フル ンタ-シャを呼び,彼女が動 きだ した後で,ワカを呼ぶ ことで,その模
範 に従 うように仕 向ける。 この ようなことを繰 り返 させ ることで,命令サ インを憶 えて,やが
て的確 に したが う ものになる。 ワカはこの ような ものになるために,予め親和性 を確立 し,名
を憶 えさせ ている予備見習いの段階にあるものであ り,牧夫 はこの ような若い予備見習いをも
含めて,その数 を答えているとい うことも明 らかになった。
3 去勢牡誘導羊
それでは,最初 に指摘 した第一の タイプの去勢牡誘導羊 は, どの様 な行動 と機能 をもつのだ
ろ うか。その大要 はすでに述べ た説明で理解 されている と思 うが,筆者 はあ らためて普段 の行
。
動の仕方 を,それ を利用 しているルーマニア南部, ドプロジャで観察す ることに した (1980年)
そこでは,先 にみ たフル ンタ-シャと並行 して,去勢牡誘導羊 を用いていた。 また観察 した群
去勢牡誘導羊)を一群 中に入れていた。 そ こで, この 3頭 に, 目印の リ
では 3頭 のバ ター ル (
ボ ンをつ けて,放牧移動 中の順位 を見た。出発時,柵か ら出るとき,彼 らは とりわけ先頭 を切
って出ることはなかった。 また放牧地で も,なん ら先頭 を切 る傾 向は認 め られなか った。 この
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人
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学
報
群の中には山羊が数頭入れてあったが, これ らは出発時 も,放牧中 も, しば しば先行す るのが
認め られた。それ に対 して,バ タールの順位 は きわめて ランダムで しかなか ったのである。
ただ, ときにこのバ タールが先頭 を切 る機会があった。そのひとつ は,群が川の岸辺 を並行
して移動 している ときであ った。その川 には,脇 か ら水流が,土 をうが って流れ込んでいた。
ち ょうどその前 に きた とき,群の先頭 は立ち止 まって しまった。その時,牧夫が 口笛 を鳴 らし
て一頭の羊の名 を呼んだ。す ると,先の リボ ンをつけたバ タールの一頭が,先頭集団の後 ろか
ら走 りでて,そのギ ャップを飛 び越 えた。その後,他の群 はつ ぎつ ぎと後 を追 った。 この牧夫
とバ タール とのあいだの命令一服従関係 を成 り立 たせ るためには,敗夫 は,名 を呼 び,命令語
を発 しなが ら教 え込 む とい う。 そ して,命令 どうりに行動す ると塩 を与 える とい った。 ここで
ち,牧夫 との特異 的な親和関係が基礎 になっている。
それで はなぜ, ルーマニアの南部では,去勢牡誘導羊バ タール と複数雌誘導羊 フル ンタ-シ
ャと云 う二種 の誘導羊 を,一群中に並行 して,育成 しているのだろ うか。 ドプロジャの牧夫 に
よれば,,去勢牡誘 導羊の働 きが発揮 される場面 は,たんにギ ャ ップな ど普通の羊が梼踏す る
ような ところを,命令 されると先頭 を切 って進 むだけでな く,冬 に雪 を分 けて道 を開 くとも云
った。 またフル ンタ-シャの ように呼べ ば牧夫の方 に戻 って くるだけでな く, イタリアでの訓
育法か らも知 られ るように,い くつかの命令 に したがい,危険 をあえて目か して進 むべ く仕込
まれている。 去勢牡誘導羊 を,他の誘導羊 タイプ とともに併用す る事例 は,ルーマニア南部だ
けでな く,サ ラカ ッチ ャこの もとで も認め られ, ここでは,マナ リやマナラとい う雌雄両性型
誘導羊 に加 えて,去勢牡誘導羊が用い られていた。 ここで も牧夫 はこの併用の理 由に対す る問
いに対 して,去勢牡誘導羊の勇敢 さ,そ して よ り多 くの状況で利用 され うる とい うことを強調
していた。要 はそれぞれの タイプで,効用の発揮場所が異 なる とい う点 に,併用の理由が求め
られていた とい うわけである。
4 誘導羊三 タイプの発生順序
誘導羊の三 タイプは,その効用 において,差異 をもっている。 そのために,効用 に応 じてそ
の有効性 を認 める牧夫 は,二つの タイプの誘導羊 を併用す る。 この ような事例 を上 にみたのだ
った。ただ,誘導羊 の三 タイプは, この ような効用 とい う文脈 とは別 に,性 に関わる管理 とい
う文脈か らみて も差異がある。 そ してこのことを,効用上の差異 とともに考慮す るとき, これ
ら三 タイプの発生順序 についてのある推論 を可能 にさせ るように思 える。
いず この牧民 も,離乳期 を過 ぎると,母子 を分離 し,別群 をつ くらせ る。 また出産及 び搾乳
労働の時期的集 中 とい う観点か ら,交尾能力のある種牡 は,大半が成雌か らなる群 に常 にいれ
てお くのでな く,隔離 の方法 には地域 によって差異があるが2),秋 の交尾期 までは,一般 に隔
離 してお くのが原則 である。 この ような原則が兄いだ される状況下で,雌雄両性型のマナ リ ・
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家 畜 と 家 僕 (
谷)
マナラとい う誘導羊 を用いようとするとき,実 はある種の問題が,牡のマナ リについて生ず る。
牡のマナ リは,一般に去勢 されず,成牡 になると共に,種牡 として利用することがあると云 っ
ておいた。 ところが, この ような性能力のある牡 は,交尾期や出産期の集中という管理上の必
要か ら,秋の交尾期 までは隔離 してお くことが必要 な対象 となる。 また交尾期 に,種牡 として
利用す るようになると,当然性的に興奮 して,十分牧夫の働 きかけに応 じな くなる。 こうして,
非去勢のマナ リが,誘導羊 として十分の働 きを期待で きるのは,成熟す るまでの時期 に限 られ
ることになる。 このようにみて くると,雌雄両性型のマナ リ ・マナラ ・タイプの技法で,少 な
くとも牡のマナ リは,交尾 コン トロールにかかわる文脈か らみて,それな りに問題性 をはらむ
もの となる。
ところで,かか る特定個体 と牧夫 との親和性 は,幼年期 に確立 してお くことが望 ま しい。 し
か も誘導羊の養育法に関 して述べたことか らも明 らかなように,個体 レベルでの介入 を前提 と
する。 つ ま りかか る関係が,人 と群個体の間で取 り結 びうるようになっていなければならない。
実は筆者 は,管理する群の個体 に対 して,牧夫が個体 レベルでの関与が可能になる糸口は,毎
年訪れる出産期 に,牧夫が母子関係, とくに母子の授乳 ・晴乳関係 に介入することによって強
化 ・再生 されると考えている。 しか も歴史的に云 って, この ような個体 レベルでの介入 を可能
にす る母子関係- の一連の介入 を開始す ることを通 じて,人は,考古学的な意味で云われてい
る家畜化 された群 を創 出す るようになったと考 えている (
谷,1989C)
。 この辺 りの詳細 は,近
く発表す るつ もりである別稿の家畜化の過程 に関する論文で論ずるつ もりであるために,詳 し
く述べ ることは差 し控 えるが,その一連の介入 とは, 1) 出産時での特異な介入,そ して 2)
放置 していて も本来ならば行われるはずのナチ ュラルな実母 ・実子間の授乳 ・晴乳関係へ,お
節介に も介入 し, ひとまず両者 を隔離 し,毎 日定期的に両者が出会え,子の晴乳がで きるよう
に介添す る,いわばお節介な授乳 ・晴乳関係への介入, 3)成雌である実母が 日中放牧 されて
いるあいだ,生 まれて まもない幼羊 をまとめてキ ャンプ近傍で集団保育す る。 このような もの
であった とみてい る。 実は多 くの牧民の もとで, この ような介入はいまで も毎年,出産期 に繰
り返 されている。 そ してこのような一連の介入が行われるようになった段階 を,それに先行す
る群 レベルでの人付 けとい う家畜化の過程の第一段階に対 して,個体 レベルでの人付 けが実現
した段階 と措定 し,それを家畜化の第二段階 と呼ぶ ことに している (
谷,1989C)
。
い ま, この ような仮説的段階 と,介入の実体 を認めるとす るなら, じつは,雌雄両性型 タイ
プの誘導羊は, まさにこの牧夫による母子関係介入による個体 レベルでの人づけの時点で,発
想 さえあれば,技法 として成立 しうる技法なのである。 要 はこの母子関係-の介入時 に,雌雄
の差異 に係わ りな く,特異的に候補 を選 び出 し,ペ ットの ように晒乳袋 を用いて餌づ け し,呼
べば応 えるようにすればよい。ただこの雌雄両性型誘導羊の技法は, うえに述べたように,交
尾にかかわって,若いあいだ以外は問題性のある牡のマナ リとい うものを含む,いわば問題あ
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人
文
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報
る技法である。 それに対 して,フル ンタ-シャに代表 される複数雌 タイプの誘導羊の技法 も,
去勢牡誘導羊の技 法 も, このような牡の性 にまつわる問題性 を含 まない。前者は,牡 を排除 し,
全てを雌 にす るこ とで,雌雄両性 タイプの技法で問題 となる要素 を取 り除いた技法である。 他
方,去勢牡 タイプの誘導羊 は,雌 を排除 しなが ら,当の問題性のある牡の性 を去勢す ることで,
牡の もつ問題性 を消去 している。 しか も去勢牡 タイプの場合, とりわけ訓育法 をよりエ ラボ レ
ー トすることで, よりおお くの命令サ インを教 え込んで,放牧状況の中で,停止や反転, また
突進 と云 った種々の命令 に応ずるような ものに仕立てあげ られた もの まで生 まれている。
さて以上,群内の特定個体 との親和性 にもとづいて育成 される誘導羊/山羊 による群誘導技
法の三 タイプを, その技法内容, またその長所 ・短所 と云 った ものに関 して比較 し,その特徴
を示 したのだが,それではそれ らはどのような発生順序で生 まれたのか。 もちろんまった く別
個に,なん らかの地域で独 自に発想 され,周辺 に伝播 して, ところによっては重複するような
かたちで,現在あ るような分布 を示 した, とい うことも考 えられる。 また他方それな りに発生
の順序 と云 うものがあって,先行技法の欠点 をカヴァ-す るようなかたちで成立 し,先行する
技法 と交替ない し,並存するというかたちで現在見 られる分布があるのだ。 この ように考 える
こともで きる。 と りわけそれぞれは,個 々に,その分布域 を異 に しなが らも,地中海 ・中近東
地域内で採用 されているとしたら, このような技法展開上の先後関係, また相互干渉的な交替
・受容の事実があ っただろうことも想定で きる。 もし歴史的な資料が残 っていたならば, この
ようなことを検討す る糸口も兄いだすことも可能であったか も知れないのだが,残念なが らこ
のような歴史的デ ーターが まず殆 どない。 とすれば, さしずめ分布上の事実 と,たかだか技法
上の内容か ら,仮説 としてある種の推定 を試み うるにす ぎない。いまそれをあえて行 うならば,
以下の ようなことが言 えるか も知れない と筆者 は考 えている。
さきにその機能 について述べたところで も触れたように, まず雌雄両性 タイプの技法 は,他
の二技法に比べて,餌づ けによって呼び子の方に呼 び寄せ るといった,狭い機能 をしか もって
いない。 また先 に も述べたように,家畜化の第二段階にはいるや,発想 さえあれば行い うるよ
うな技法であった。 しか も,技法 としては,牡の性 に関す る問題点 をはらんでいた。それに対
して他の二技法,去勢牡 タイプと複数雌 タイプとは,かかる問題点 を,一方 は問題ある牡の性
を去勢することで,他 は牡 を排除 し,雌 に集中することで解決 していた。 しか もそれぞれの分
布の様態 をみるとき,一部の重複地域 を除けば,前者 は地中海 ・中近東南部 を水平に分布す る
のに対 して,後者 はバルカン半島についてのみではあるが,北部地域 に分布するとい う,ある
種のすみ分 け的な分布 を示 している。 しか もこの重複地域 に関 してであるが,ルーマニア南部
にみ とめ られる去勢牡誘導羊の技法の利用事実は,南か らの事後的な伝播である可能性が高い。
もちろんそれぞれの技法が,いったいどこを中心 に して発生 したのかは明 らかでない。それに
して も,雌雄両性 タイプの技法の欠陥を補 うかたちで,それぞれの解決 を示 した技法が南北で
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家 畜 と 家 僕 (谷 )
並行的に生 まれ,それぞれがある種すみ分け的に分布 した可能性 は十分考えられる。 この よう
にみると, まず さきに雌雄両性 タイプと云 うものがあ り,他の二つが事後的発展 として発想 さ
れた とい う,表 2に示 されたような先後関係が想定 されることになる。 もちろんこの ような推
論の背景 には,か りにこっの技法 と云 うものがあった として,一方が他方 よりも,その効用 に
おいて より問題性が少な く, またより広い効用 をもつ と云 うことが明らかな場合,効用 におい
て劣 る技法が,それよ り優れた技法の後で発生 し,それにとって代わるとい うことは, きわめ
て稀であろうとい う前提 に従 っている。
い まこの ようなマナ リ ・マナラの ような雌雄両性 タイプが原初的な群誘導の技法 として まず
成立 した とい う仮説 を認めるとして, ここで想起 されるひとつの観察事実があることを記 して
お く。 それはイン ドのラジャスタン, ジャイブ-ル南東のカロリにおいてであったが,朝,キ
ャンプ地か ら群 をスムーズに出発 させ る際に,先導す る牧夫が,一頭の小羊 を脇 に抱 えて出発
した。すると,その実母がその子への母子的紐帯 に促 されて動 きだ し,それが他の群の始動 を
促 したのである。 出発時の群始動の技法 として,幼羊の餌づけと訓育を行わな くとも,母子的
紐帯 を基礎 に した,子 を介 した誘導の技法があるとい うことは, きわめて興味深い事実であっ
た。 この ような技法か ら,マナ リ ・マナラ ・タイプの技法への道はさして遠 くない とい うこと
である。
ところで,別個 に想像の翼 を広げて,去勢牡誘導技法 に関 して, もうひとつの発展経路 も想
定 も可能であろう。 筆者はさきに調査データーを述べた ところで,イラン,アフガニスタンに
移行す るにつれて,山羊の利用が 目だって くることを指摘 しておいた。 また本論のは じめの部
分で,特定個体 との親和性 を人為的に創出 した,上に述べたような技法 とは別個 に,訓育 を与
えな くとも,群の移動方向に しば しば飛 び出 して先行する傾向のある山羊 を羊群 に混入 してお
くとい う技法のあ ることについて触れておいた。 このような数頭の山羊 を混入す る事例 は,中
近東 にゆ くに連れて,増える傾向がある。 このような事実 を考慮 して,次のように想像す るの
である。
中近東 を中心 と して,去勢ののち訓育す るとい う去勢牡誘導羊/山羊の利用技法が発想 され
るのに先行 して,群 をスムーズに移動 させ る山羊の利用 というものが先 にあった。 もちろんそ
れ らの山羊 は,人為的な訓育 を受けてはいない。 しか も,その山羊の牡 は去勢 されることもあ
9
8
6‥
7
6)
。 ところで,去勢すれば,当然従順 になる。 この ような ところ
ったに違 いない (
張,1
か ら,訓育 を与えるとい う,人為的な訓育 を受 けた去勢牡誘導山羊がまず,中近東の どこかで
発生 した。そ して,羊だけの群 と云 うものが少な くない地中海地域に移行す るにつれて, この
技法が羊 に適用 され, イタリアでその事例 をみたような,濃厚 に訓育を受けた去勢牡誘導羊の
訓育技法 と云 うものが, この技法のエ ラボ レーシ ョンとして兄いだされるようになった。 この
ように考 えることも可能 となるとい う訳だ。そ して同 じく別個 に早 くか ら広 まっていた雌雄両
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性 タイプ と交 替 して,広 い分 布 を示
す よ うにな った。 また雌雄 両性 タイ
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学
報
表 2 誘導羊の三タイプ :その発生順序についての仮説
(
去勢牡タイプに到る?印はいずれ とも定め難いことを示す )
ブ
イ
← 夕
母子紐帯の利用 (
群始動)
プか らの発展 型 と して,別個 の分布
を してい た複 数雌 誘導技 法 と,バ ル
カ ン半 島の一部 で南北 の境 を接 す る
こ とにな った とい う解 釈 で あ る。
雌雄両性
複数雌 タイプ (
牡の排除)
(
群始動)
i
山羊の混入 / - J
J
去勢牡 タイプ (
牡の去勢)
ノ
た だ, この ような仮説 的 な推論 が十分納得 的 な もので あ るか どうか。 い まだ分布 につ いて も
網羅 的 なデ ー ター収集が十分行 われてい ない段 階 で は, これ以上想像 の翼 を広 げ るつ も りはな
い。 どこ まで もひ とつ の仮 説 的 な想 定 に とどめ, む しろ これ まで収 集 した広域 にわた る事 実 か
ら, 少 な くと も確 かな こ と とな った去勢牡 に よる誘 導技 法 の分布 に関す る事 実 と, そ の発 生段
階 につ いての推論 を もとに して,最初 に掲 げ た問題提 起 に戻 る こ とに したい。
1) 1
9
92年冬,テ ッサ リアの トリカラ周辺の牧民 を尋ねたお り,定着性の強いヴラッヒの羊飼いたち
は,舎飼いの ものを,放牧羊 と区別 してそのように呼んでいた。
2) 交尾期,ひいては出産期 をある一時期に集中するということは,定着農民が若干の羊 を所有 して,
長期に乳産を確保するといった場合以外,数百頭の羊を管理するものの場合は,望 まれるところで
ある。 と言うのは,出産期 をある時期に集中させることで,個体差を顧慮することな く,授乳,離
乳,搾乳作業の集中管理的均一化が可能であるからである。そのために交尾期 と定めた時期以前は,
種牡 を雌からなる群から隔離するのが,広 く一般に行われている。 ところでこの隔離の方法 として,
例えばルーマニアでは,専業牧夫 も定着村に家をもっているために,種牡 を隔離期間中家の庭にと
どめてお くということをしている。ただ家族全体で移動する遊牧民の場合そのようなことはで きな
い。このような場合,成雌群 とは異なって,別仕立ての幼羊の群に隔離期間中いれるといった方法
が とられる。
Ⅳ 家畜 と家僕
さて, ここで第 一章 で提 起 した問題 に戻 る こ とにす る。 筆者 は,先ず去勢牡 誘導羊 の利 用 と
い う, 群 コ ン トロ ー ル の技 法 を紹 介 した。 そ して この去 勢 牡 誘 導 羊 が, 「
管 理 す る もの (
牧
」 と 「
管理 され る もの (
秤)
」 との あ い だで, きわめ て興 味 あ る位 置 ど りと,役 割 を演 じて
夫)
い る, とい うこ とを指摘 した。つ ま り彼 は,一方 にお いて牧夫 と特 異 的 な親和性 を確 立 し,牧
夫 の命 令語 を理解 す る もの とな るこ とで,管理者 で あ る牧夫 の側 に属 す る と同時 に, どこ まで
も一頭 の管理 され る羊 と して群 の側 に属 す る。 つ ま り中間的位 置 を とってい る。 しか も彼 は,
牧夫 の命令 を解 して行動 す るこ とで,追随性 のあ る他 の群 に命令 を伝 える もの と して機 能す る
のだが, その管理 者 の意 向 を群 に伝 える とい うこの地位 を, まさに去勢 ,牡 と しての性 的増殖
能力 を犠牲 に して獲得 してい る。 そ して, この よ うな去勢牡 誘導羊 の位 置 と働 きにに きわめ て
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家 畜 と 家 僕 (
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類似 した人民管理 の技法 として,僅官 とい う統治技法があるとい うものがある。 要 はそこで指
摘 したことは,家畜管理領域で用い られている去勢牡誘導羊 による管理技法 と,人民管理領域
における昏官 による管理技法 とのアナロジカルな対応 の事実であ った。
では,いったい どち らの技法が,アナロジカルな借用のモデル として先 にあ ったのか。 アナ
ロジー とい うと, われわれはす ぐ, この ような借用のモデルを定めたい欲求 にか られる。 そ し
て,あえてこ うい う設問に答 えよと云わるな らば,おそ らくは家畜管理技法 としての去勢牡誘
導羊が先 にあ って,それが人間領域 に,いわばプラクテ ィカル ・メタフ ァー として転用 された
のだろ う, と筆者 は答 えるだろ うといった。去勢 を含 むこの ような技法 は, まず人間に適用 さ
れるよ りは, まず動物 に適用 され易いにちがいない, と思 われるか らである。 しか し筆者 はこ
人民管理領域」 との二
の ようなモデル と借用 とい う視点 はさておいて,「
家畜管理領域」 と 「
つの領域 で,相同の技法があるとい うこと自体が もつ意味 に 目を向け, この ような事実の背景
にある特定の視点 に注 目したい といった。 もしそれ ら領域 を異 にする二つの技法が, ほぼ地域
を同 じくして生 まれているとしたな らば,そこにはこの二つの領域 に含 まれる もの を,いわば
同類 として同 じカテゴ リーに属す るもの,あるいはきわめて近い対象 として同一視 している可
能性がある。 もしそ うだ とす るならば,そこにある ものは, どの ような視点であったのか。
もちろん, この ような問いに答えるためには, まず この去勢牡誘導羊の技法の地理的分布 を
明 らかに してお くことが必要であった。 とい うの も,歴史的にみて,人の男性 を去勢 して,そ
れを昏官 として利 用す る技法の方 は,中国 よ りも中近東 において より早 く成立 していることは,
ほ とん ど確 かなこ とである と考 えられた1
)
。 もし,先の ように二領域での技法の並行存在 の事
実か ら,ある意味 を兄いだそ うとす るのなら, しか も家畜領域での技法の方がおそ ら く先 に発
生 したであろ うと考 えるな らば,人民領域 における昏官の技法 に対応す る,家畜管理領域 にお
ける去勢牡誘導羊 の利用技法が,同様 に中近東 を中心 に分布 していなければな らない。 じつ は
この ような理 由か ら,去勢牡誘導羊の利用分布域 を確定す る試み を始めたのであ った。
その広域調査 は,意外 に長い期間にわたって しまうことになったが, この広域調査 の過程で,
筆者 は,単 に去勢牡誘導羊 による群行動管理の技法だけでな く,おそら くはそれに先行す る と
思われる雌雄両性 型の誘導羊利用技法,そ して去勢牡誘導羊の技法 と並行 してやや北方 に分布
した と思 える複数雌誘導羊の技法 を云 うもの を兄いだす結果 となった。そ して,先行す る二つ
の章で詳 しく述べ たことは,そのそれぞれの タイプの技法の地域的分布 とその機能であ ったが,
本来の問題設定 に関連 して,去勢牡誘導羊の技法 に関 して,少 な くとも云 えることは,次の こ
とである。
つ ま り,去勢牡 誘導羊/ 山羊の技法 は,実 は地中海地域 や中近東地域 にほぼ限 られている。
そ して,中近東 と同様 に遊牧的な牧畜 を広範 に行 なっている他 の地域, イン ド西部やチベ ッ ト,
中央 アジア, さらにはモ ンゴル といった地域では, この ような技法 は,技法 としては成立 して
- 89 -
人
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学
報
いない とい うことである。 (図 2,3参照)
。
管理 される もの (
家畜)」 とい う関係性 の中で, この去
ここで,「
管理 す る もの (
牧夫)」 と 「
勢牡誘導羊が とる役割が,「
管理す る もの (
皇帝)
」と 「
管理 され る もの (
人民)
」 とい う関係性
の中で嘗官が とる役割 と同形であるばか りか,両者が発想 されただろ う地域が同 じく重 な りあ
う。 こうい う事実 を認 めるとして,ではこの ような 「
家畜管理領域」 と 「人民管理領域」 とい
う二領域での技法上の並行 う現象は,ではこの ような事例 においてのみ例外的にみ られること
なのだろ うか。
ここで想起 され るのは,エ ミール ・バ ンベニス トの 『
イン ド ・ヨーロ ッパ語の諸制度 に関す
pas
u) とい う語桑
る語 桑』 の中で指 摘 されている,古代 ヴェ-ダ文献の中での動産 をさす (
の用法事例 であ る (Benveni
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969‥
48)
。彼 はそ こで,一般 的 に動 産 と しての家畜 を表す
(
pas
u) とい う語 が, 家畜 を表 す 四足 の (
pas
u) とい う表 現 で現 れ るだ けで な く, 二足 の
(
pas
u) とい う表現 を もって もあ らわれ ることを指摘 している。 つ ま り前者が,家付 きの動物
(ドメスティック ・アニマル)を指す とすれば・後者
表3
は家付 きの人 間 (
家僕や奴埠などにあたる ドメステ
ヴェ- ダ文献 (
占mi
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eに よる)
ニ∴
二三
二
二
二
二
∴
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二こ
こ ∴ ∴
はさてお くとして,家産に属す る家付 きの人間た
(
家畜)
二
∴
∴
(
家僕)
≡
.
∴
ちは,支配管理す る立場 か らみれば,「
管理す る もの」 に隷属 し,家畜 と同様 に処分 され,管
pas
u)とい う語で示 され るカ
理 され る対象であ る。 この ようにみ るか ぎり,両者 は,おな じ(
テゴ リーに入れることがで きる。 この用例が示 しているところの ものは,家産 に属す る家僕 と
。
家畜 との,カテゴ リー上の同一視 なのである (
表 3参照)
もちろんこの同一視 は,家畜 と人間一般の同一視ではな く,家産主の管理下 にある家畜 と従
属的な人間集団 との同一視である, とい うことは注意 しておか な くてはな らない。一方 は動物
であ り,他方 は人 間で はあるが,支配管理す るものの 目か ら見た とき,両者 は管理す る ものに
従属す るとい う点 で,同 じ位置 にある。 この ような見方であって,そこにある視点 は,支配 ・
管理す る ものの 目である。 ともあれ, もしバ ンベニス トが指摘 した この ような両者 を同一視す
る視点が,思考の前提 として基礎 に措定 され うるところであれば,家畜管理の技法の人管理の
技法への拡大,ない し一定の管理技法の両領域-の並行的適用 は容易であったはずだ といって
お く。
ところで, この ような視点が単 にヴェ-ダ的世界だけでな く,古代 オ リエ ン トに も存在 した
ことを,今やわれわれは知 らされている。 しか もそれは,バ ンベニス トが指摘 した ようなたん
なる認識上の出来事,言い換 えれば言語的事実 にとどまるのでな く, まさにプラクテ ィス とし
て,両領域の ものが,同 じ視点で管理 されている, とい うことを示す事例である。 そのことは,
- 9
0-
家 畜 と 家 僕 (谷 )
シュメールの神殿経済文書 の読みに献身 している前川 によって明 らかにされている (
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ちなみに,彼が この ことを明 らかに した ときに利用 した タブ レット史料 は,紀元前 3
000年紀
の神殿都市 ラガ ッシュの二種の史料群である。 その一方は,捕獲女奴隷 を集めて行 った織布場
にたいす る食物の給付記録 を刻 んだ タブ レッ トであ り,他方 は神殿が帰属農民 に給付す る鋤耕
作用の,訓練 を与 えられた牛の養成所での,牛の出入 りを記録 したタブ レッ トであ った。
さて, この前者 か ら明 らかにされたことは次の ことである。 織布場 は捕獲奴隷女 たちの集団
か らなる。 彼女 らは一般 に正式 の婚姻 を認め られてはいないが,事実 として男奴隷 な どとの関
係 を通 じて,子 を生 む。 ところで この子 どもたちの中の娘 たちは,成長す ると, この織布場 の
織布女 として, この母集団のなかに登録 される。 いわば母集団の次世代のメ ンバ ー として, こ
の集団に残 るので ある。 ところが男の息子たちは,ある年齢 に達すると,去勢 されて, この母
a
ma
r
KUD) と呼 ばれ る使役
集団 を離 れ,川船 を引 き上げるな ど肉体労働 を義務づ けられた (
奴隷 となるべ く, この母集団 を離れる。 ここに,女の子 は母集団に残 り,男の子 は,去勢 され
て, この母集団 を離れて,他の使役 に使 われると言 うパ ターンが兄いだせ る。
ところで, もうひとつの史料群が取 り扱 っている,耕作用の牛の訓練所 には,一般 の牛飼養
者か ら毎年,お もに牡の子牛が提供 される。 一般 にその多 くは牡の子牛か らなるが,前川 は,
この資料の中で,養成所 に もた らされた牡の子牛が,やがてあ る一定期 間 を経 て (ほぼ二才牡
a
ma
r
KUD) と同 じ呼称 で記載 さ
になって)か ら,先 の織布女 の息子 に与 え られていた呼称 (
れ始 め ることに注 目した。 ところで, (
a
ma
r
) とい う語 は若 い (
牡)牛 を指す に して も, この
(
KUD) とい う語が付加 された, この (
a
ma
r
KUD) とい う語が牡牛のいったい どの ような状
態 をさすのか。 このことが十分明 らかでなか った。そ して,「
切 り離 された」,つ ま りそれは,
「
群か ら隔離 された」牡牛 の ことである とい った解釈 も出 されていた。前川 は, この ような先
KUD) とい う語 は,「
群
行解釈 に対 して, この養成所の牛の出入 り文書 を詳細 に検討 して,(
か ら隔離 された」状態 を指すのではな く, まさに去勢 によって,男根 を 「
切 り離 された」牡牛
a
ma
r
KUD) と呼 ばれるようにな った牡牛は,去勢 されて,訓練 を
の状態 を指す語で ある。(
受け,やがて命令 に したが って農地で鋤 を引 く,耕作用の牡牛 として農民 に貸 し出 される段 階
になった牡牛 を指 す。 こうい うことを明 らかに したのであった。
彼 はこうして,耕作用の牛の養成所 に関す る資料の正当な読み を行ったばか りか,母集団化
a
ma
r
KUD) とよ
ら切 り離 され,肉体労働 に用 い られ るようにな った先の織布女 の息子が, (
ばれているとい う,耕作用の牡牛-の呼称 との一致の事実について も,去勢 され,労働用 に用
い られるべ く養成 された牡牛-の呼称が,その取扱いの類似性か ら,織布女奴隷の息子 を指す
語に転用 され るこ とになったのだ, とい うことを明 らかに したのである。
ここで この少な くとも地中海 ・中近東地域での家畜群経営者が採用 している一般的な群経営
- 91-
人
文
学
報
の手法, と りわけ性 に応 じて異なる取扱 いについて述べてお くことは意味がある と考 えられる。
彼 らは毛や皮 ももちろんであるが,主 にその雌が もた らす乳産,そ して肉か らもた らされる収
入にその生活 を依存 している。 その ような経済資源 をよ り多 くうるためには,群 の頭数 を殖 や
す ことが肝要であ る。 ここに,毎年子 を生み,かつ乳 をもた らす雌 はで きるだけ多 く手元 に残
す とい う戦略が立 て られるのは当然である。 それにたい して牡 に関 しては,種牡候補 を数頭残
しさえすれば,他 の牡 は不要であるばか りか,かえって群の安定 を乱す もの,かつ飼料 の端境
期がある場合 には,いわば徒食者 とみなされるものである。 こうして, シュメールで農耕用の
牛 として神殿 に納 める事例が認め られるようになる以前か ら,種牡候補以外 は,去勢 ・肥育の
後に肉用 として屠殺 されるか,去勢の後 に,労働力 として利用 されるべ く,群か ら排 除 される
とい うことが,牧民経営下での,牡 の通過 しなければならない一般的な運命であ った と考 え ら
れる。
こう して,種牡候補以外 は,去勢 して肥育 し,肉資源 として処置す るか,畜力利用 の考 え ら
雌 は手
れる牛 ・馬の場合 は,去勢 し,用途 に応 じて馴化 して利用 に供す る。 言い換 えれば, 「
元の母集団に残 し,種牡以外の牡 は去勢 して,経済資源 ない し労働力資源 として群か ら出す」。
この ような原則が,す くな くとも牛家畜経営者 にとっての一般的経営戦略 となっていた と考 え
て よい。 こうい う家畜経営者か らすれば,牡の貢納 としての提供 は,雌の提供 に比べ れば, よ
り容易 なことと見 なされていたに違いない。 この地域では,神殿での消費,あるいは供犠用の
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家畜 として,牡がお もに貢納 として用い られる事例 は少な くない とされている (
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97
6)
。い まこの ような経営 に関 した文脈か ら必然的 に導かれる雌 ・雄 の異 な
る取扱 いが もつ経 済的意味だけでな く,宗教 ・政治 イデオロギーにまで及んだであろ う意味 に
ついては,別稿 を立てて考察す る予定であるが, ここで興味あることは,前川が,養成所 に も
amar
KUD) とい う名前が, まさに平行
た らされて以後,耕作用 と して訓練 を受 ける牡牛, (
的な位置 をとる去勢 され肉体労働のために使 われる織布奴隷の息子たちを指示す るメ タフ ァー
として,転用 されているとい うことを明 らかに した点である。
考 えてみれば,織布女奴隷の子 ども
たち,その男女それぞれがた どる生の
表4
シュメール文献 (
前川 ;ラガッシュ,BC.20 0初)
軌跡 と,耕作用の牛養成所 に子牛 を提
供す る牛飼養者の もとの子牛たち,そ
母 :女奴隷
(
織布女)
母雌
(
雌牛)
の牡雌それぞれが たどる生の軌跡 とは,
性 に応 じて同 じ並行 性を示す。雌の子
子雌
母集 団へ編 入
娘
母集 団へ編 入
子牡
去勢
息子
去勢
午 (
あるいは娘)は母群 にの こ され,
牡 の子牛 (
あるいは息子)は去 勢 され
(
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KUD)
て母群か ら出 され る。 ここで注 目した
- 9
2-
排除
排除
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KU
家 畜 と 家 僕 (
谷)
いのは,たんに一 方の領域での言語表現が, メタフ ァーとして別の領域 にある対応項 に転用 さ
れている とい うこ とだけではない。重要 なのは,牛管理 に於ける雌雄 に応 じて異 なる取扱 い方
が,いわばプラクテ ィカルなメタフ ァーとして,織布奴隷 の子 どもの男女 に応 じて異 なる取扱
い方 に,その ままプラクテ ィス として適用 されているとい うことである。 言い換 えれば,織布
女奴隷 とその子 ど もたちの世界 を,牛群 とその子 どもたちの世界 に見立てて,雌雄それぞれに
異なる管理技法 を男女 に適用 し,その結果 として,去勢 された牡牛に対応す る位置 をとる去勢
された男子の項が ,同 じ名前で呼ばれることになっている, とい うことなのである。
こ うして,家つ きの二本足 の動産 (pas
u) -家 内奴隷 (
dome
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u) -家畜 (
dome
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) とが,単 にカテゴ リー としておな じもの と
四本足 であ る動産 (pas
して同一視 された ばか りではな く,おな じカテゴ リーに属す る もの として,同一の取 り扱 い を
うけている証拠が ここにある, とい うことになる (
表 4参照)
。
以上,家産主の もとで,動産 として所有 され,隷属す る家畜 と家僕 とを,「
管理す る もの」
の立場か ら,おな じカテゴ リーに属す るもの とみな して,共通の語で指示す るばか りでな く,
同 じ管理対象 として同 じ管理技法 を適用す る。 この ような視点 を,古代 オリエ ン トのシュメー
ル世界の事例 に見 た。 まさにこの地域で,われわれは去勢牡誘導羊 とい う技法の展開 を兄いだ
したのであ った。 そ してその技法の人民管理領域での対応物 を,やは りこの地域 に早 く成立 し
た と考 え られ る昏 官の利用の うちに推定 した。前者 は,「
管理す る」集団が 「
管理 され る」集
団 を,性 に応 じて いかに別様 に利用す るか とい う, 「
管理 される もの」 の性 に応 じた利用 の技
管理す る もの」 の意 をいか に 「
管理 される もの」 に通 じさせ る
法に関 してである。 後者 は,「
か とい う技法 に関 してである。 それぞれ文脈 を異 に しなが ら,家畜領域のメンバー と家僕領域
のメンバ ー とが, 同様 の視点で見 られることで,技法上の並行現象が生 じていると云 えること
pas
u) とい う言葉の用法
になる。 もしこの ような推論が妥当だ とすれば, ヴェ-ダにおける(
にみた,家畜 と家僕 とを,「
管理す るもの」 の立場か ら同 じカテゴリーに属す る被支配対象 と
してみる視点が, そこにも兄いだせ ることになる。
以上,去勢牡誘 導羊 (
山羊)と去勢男性 としての在官 とい う,異 なった意味領域での並行性
が,単 なる偶然 な一致ではないだろ うとい う仮定の上で,検討 を行 ったが, ここに示 した よう
な事例 か らみて, この ような技法上の一致の背後 に,家産 に所属する家僕 (
ないし人民)と家
畜 とい う 「
管理 される もの」 を,同 じカテゴ リーに属す る もの としてみる視点が働 いてお り,
その視点 とは本来,古代の地中海 ・中近東地域の家産主たちの立場 に立つ ものにおいて抱 かれ
た視点ではなか ったか。そ してその視点 に もとづいた技法上の並行現象の一例 を,去勢牡 と百
官の相同性の うちに見たい。本論の結論 はこうい うことである。 まさにそこにある ものは,管
理者的なイデ オロギーであ り,管理 される対象が動物家畜であれ,人間家僕であれ,それ らは
自己に従属す るアニメ- トな存在であるか ぎり,等 しく従属す る ものとして, ひとしい。 この
- 93 -
人
文
学
報
ような視点が,性 に応 じて異 なった取扱 いを含 むい くつかの管理技法 を,両領域 にひとしく,
発想 させ ることになったのではないだろうか。
さいごに, さきに示 したように,去勢牡誘導羊 の利用 は もちろん,他 の タイプの誘導羊の利
用技法 も, どうや らイン ドにはいるとともに消滅す るようである。 また中央 アジアか ら蒙古 に
かけての地域 に も, この ような技法 は兄 いだ されない とい う。いったいこの ことは何 を意味す
るのか。単 にこの ような誘導羊の利用技法が発想 された起源 中心か らの遠 さだけに帰す ること
がで きる問題 なのだろうか。それ とも, さきに析 出 したような家畜及 び人に対す る視点 とは異
なる視点が, ある種 イデオロギーとして措定 されているために, この ような技法が採用 されに
くか った とい うことか。つ まり 「
管理す る」家産主によって 「
管理 される」家畜 とい った視点,
管理 される」 とい うきわめて支配者的な文脈 に もとづいた視
また広 く云 って 「管理す る」 ・ 「
点 を,受 け入 れ難 いナチ ュラル ・イデオロギーとで も言 える ものがあ ったためなのだろ うか。
この辺 りは,地 中海 ・中近東地域で家畜 ない し広 く動物の生 とい うものが, どの ように見 られ
たか とい う問題 とかかわ りつつ,次の論稿で考察 される予定である。
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6a):牧畜文化考一 牧夫- 牧畜家畜 関係行動 とその メ タファ京都大学人文科学研究所。
(
1
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6b):『
牧夫 フランチ ェスコの一 日』, 日本放送 出版協会。
(1
977):イ タ リア中部 山村移牧羊 の管理 につ いて -主 にアブル ッツ オ ・チ ェル クエ ト村調査
,
よ り 『ヨー ロ ッパの社会 と文化』 (会田雄次 ・梅樟忠夫編 )
,京都大学人文科学研究所。
(
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9):習性 と文化 のあ いだ -南西ユ ーラシアの羊飼 い を訪 ねて
-
,『季刊 民族学』,千里民族
学振興会。
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松井健 )
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遊牧- トナ カイ牧畜民サ ーメの生活』筑摩書房。
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8):毛 を刈 らない去勢 山羊 の話
利光有紀 (
,『民博通信』39巻,国立民族学博物館,大阪 ・千里。
小長谷 (旧姓利 光 )有紀 (
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91):『
モ ンゴルの春』,河出書房新社。
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