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【優秀賞】NHK旭川放送局長賞 戦後七十年に思うこと 中山 千穂 今年の
【優秀賞】NHK旭川放送局長賞 戦後七十年に思うこと 中山 千穂 今年の一月、家族全員が集まり、祖母の喜寿(七十七歳)のお祝いをしました。お花が 大好きな祖母のために花束と、そして、祖父と一緒に旅行を楽しんでほしいと旅行券を、 みんなでおくり、記念に写真もとりました。 祖母は、 「わあ、素敵。嬉しい。 」と何度も繰り返し、「今、こうして生きている、生かさ れているって、こんなに幸せなことはないわね。ありがとう。本当にありがとう。」と、声 をつまらせました。そして、お祝いの会が終わりに近づいた頃、 「七十年前のあの東京大空 襲(一九四五年三月十日)で、両親と一緒に生きのびることができなかったら、こんな喜 びは味わえなかったのね。 」としみじみとした口調で話してくれました。 空襲で、十万人もの命が奪われた中、祖母が生き残ることができたのは、空襲警報のサ イレンを合図に、いつも枕元に置いておいた防空ずきん、水とう、薬やかんぱん、するめ などが入ったリュックサックや、ズックの靴で素早く身じたくをしたあと、防空ごうには 入らず、旭川の常磐公園ほどの広さのある近くの公園に逃げることが出来たことが命の分 かれ道になったということを、後に父母から聞かされたそうです。ただ、当時七歳だった 祖母がはっきりと覚えていることは、とにかく怖くて、怖くて、火の粉がパチパチと顔に 当たり、大泣きしながら父母に両腕を引かれたこと。その時に、転んでガラスで唇と足首 を怪我したことです。その傷跡は、今でも残っています。また、家も学校も焼け、あたり 一面焼け野原になってしまい、仲良しだった友達を何人も失いました。私は、祖母が東京 で生まれ育ったことは知っていましたが、実際に空襲にあい、深い心の傷を負っていたこ とは、全く知りませんでした。 私は祖母の話から、ふと小学五年生の時に読んだ本、 「ガラスのうさぎ」を思い出し、も う一度読んでみました。この本は、東京大空襲で母と妹を失い、さらに機銃掃射で父まで も亡くした少女の体験をつづった実話です。三年前に読んだ時には、戦争の恐ろしさを感 じたことは確かですが、十二歳の少女があまりにも可哀相で、可哀相で、涙が出たのを覚 えています。そして、この少女の、 「無念の死をとげた両親や妹たちの分まで、わたしは一 生けんめい生きてみせるぞ。 」という思いに感動しました。今、この本を読み返し、全く罪 のない人々が大勢亡くなったり、亡くなった人の葬式さえできなかったり、子ども達が疎 開でひどい思いをしたり、と国が戦争に勝つことだけを考え、人権など全く無視された時 代だったのだと痛感させられました。 しかし、最近の新聞で安保関連法案に反対する学生団体の主張に、国会議員が、「だって 戦争に行きたくないじゃん。 」という自分中心、極端な利己的考え、と批判したという記事 がありました。私がもし、 「戦争に行きたいか。」と問われたら、必ず「行きたくない。 」と 答えます。私の答えはあたりまえだと思います。この発言は、聞き方によっては、「自分の ことは考えず、国のために犠牲になりなさい。」と言っているように感じます。また、七十 年前と同じ悲劇になるのではと、すごく悲しいです。 祖母が大空襲の時の様子を語ってくれたのは、自分の体験を通して、私達が生きていく なかで、何よりも大切なことは、人の命であり、平和、それがすべての人の人権を守る、 ということにもつながるのだということを、私に伝えてくれたのではないかと思います。 今の日本は、昔に比べると平和な国です。私は幸せな時代に生まれました。けれども、 戦争は私たちに関係なくはないです。あの時代があったから、今の日本は戦争をしないと 決めています。過去は、未来のためにあると思います。戦争を知らない私たちが、戦争の 無惨さ、虚しさ、生命の大切さを知ることが本当に大切なことだと思います。戦争で無念 の死をとげた人たちが、どんなに生きたかったか、どんなに苦しかったかを考えることが 平和で人権も守られている日本を守り、戦のない世界をつくっていくと思います。