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「基本的な倫理観」を育てる道徳教育の在り方
「 基 本 的 な 倫 理 観 」 を 育 て る 道 徳 教 育 の 在 り方 − 「自己責任」の自覚を深めるモラルジレンマ授業を通して − 呉市立昭和中学校 小川 聡 【要約】 凶悪化,多様化する傾向にある少年による事件に代表されるように,子どもたちを取り巻く道徳的 環境は著しく悪化している。このような状況の中で,子どもたちが集団秩序を保ってより善く生きよ うとする道徳観,とりわけ「基本的な倫理観」を育成することが重要な課題となっている。 この課題を解決するには,子どもたちに,自己と集団や社会とのよりよい関係を考えさせ,規範意 識を高めさせていくことが不可欠である。 そこで,本研究によって,生徒に「責任の倫理」を追求させるためのモラルジレンマ授業を通して, 学校や社会等の集団の一員としての「自己責任」の自覚を深めさせることにした。 その結果,「責任の倫理」の発達段階を高めていくことが,規範意識を高め,「基本的な倫理観」を 育成することにおいて重要であることがわかった。 【キーワード】 基本的な倫理観,自己責任,責任の倫理,規範意識,モラルジレンマ することが重要である。 Ⅰ 本研究のねらい 少年による衝撃的な事件が相次いでいる。愛知 県豊川市で高校三年生の男子生徒が見知らぬ主婦 を刺殺し,佐賀市に住む同じ 17 歳の少年は高速バ スを乗っ取った。名古屋市では少年たちが同級生 に対する五千万円もの恐喝事件を起こした。また, 中学生による小学生殺人事件や女教師刺殺事件な ども忘れられない出来事であった。少年による事 件はここ数年,件数が増加し,より凶悪化,多様 化する傾向にある。 そこには,「ただ自らの欲求や衝動さえ満たさ れ,自分が楽しければあとはどうでもよい」とい った自己中心的で,快楽を優先する考え方や,「相 手が困るといい気分になる」といった利己的・加 害的な考え方がある。 越智貢は,このような子どもたちを「合理的エ ゴイスト」とよび,「彼らは,自分の損得勘定に見 合うことでない限り,道徳的な行為をしないとい うポリシーをもっていて,道徳場面では『なぜ, 人を殺してはいけないのか』『なぜ,子どもがタバ コを吸ってはいけないのか』と主張する。彼らに 最も必要なのは<単に生きる力>ではなく,<よ りよく生きようとする力>であり,『内なる力』で ある」と主張している。(注 1) こういった現状を改善していくためには,子ど もたちに集団秩序を保って,より善く生きようと する道徳観,とりわけ「基本的な倫理観」を育成 そのためには,学校や社会等の集団の一員とし ての「自己責任」の自覚を図る道徳教育の工夫が 必要であると考える。 Ⅱ 本研究の基本的な考え方 本研究の全体構想を,図1のように表す。 以下に,その具体について解説する。 1 - 57 - 「基本的な倫理観」について 「 基 本 的 な 倫 理 観 」 の 育 成 自 規 範 己 調 意 識 整 の 高 力 の 揚 育 成 自律的・主観的責任判断 ( 動 機 論 的 道 徳 判 断 ) 「自己責任」の自覚 道 徳 的 雰 モ モラ ラル ルジ ジレ レン ンマ マ授 授業 業 思 い モラルディスカ ッション 役 割 取 得 や 道 徳 判 断 囲 り 気 魅 力 的 教 材 (モラルジレンマ) 他律的・客観的責任判断 ( 結 果 論 的 道 徳 判 断 ) < 生 徒 の 実 態 > ○ 「ただ自分が楽しければあとはどうでもよい」といった自 己中心的で快楽を優先する考え方がある。 ○ 「相手が困るといい気分になる」といった利己的・加害的 な考え方がある。 ○ 自らの逸脱行為を,正当化する考え方がある。 図1 本研究の全体構想図 「倫理観」について,平野武夫は,「人間尊重の 精神を中核理念にしつつ,最高倫理として『平和 共存』をおき,諸徳性はこの最高倫理を志すもの でなければならない」と述べている。(注 2) そもそも,「人間尊重の精神」を基底におく社会 においては,人と人が調和的,平和的に生きてい くために,ぜひとも守らなければならない共有の 社会的規範が必要である。人には,その規範に基 づく,自己調整された社会的行為が求められてい るのである。 このことから,本研究では,「基本的な倫理観」 を,社会的存在としての人間が,共有の社会的規 範,道徳的原理を追求し,「自己責任」において, より善い生き方を目指していこうとする自己調整 を志向する見方・考え方であると捉えた。 2 る。 ○ 二つの制裁(他律と自律) 社会的認知理論の立場から,バンデューラは, 「人は,社会的環境の影響を一方的に受けるもの でもなく,内的な欲求や動機のままにふるまうも のでもない。それらの諸要因と相互作用しつつ, 自己の行動を調整・制御するはたらきをもった存 在」であるとし,「道徳行為を調整する主要なメカ ニズムは,『自己調整メカニズム』である」と主張 している。(注 4) 一般に,逸脱行為は,<社会的制裁>と内面化 された社会的制裁<自己制裁>の二つの制裁によ って調整されていると考えられている。(注 5) このことを,下の図2に表す。 「自己調整力」について 内的な欲求や衝動のままにふるまいたい 押谷由夫は,子どもたちの倫理観を育成するこ とについて,「人間として共によく生きるための 共通の価値意識を形成していくことである」とし, そのために道徳教育での重要な要素として,次の 3点を指摘している。(注 3) ① 人間社会のルールを教える ② 人間として生きるプライド意識を培う ③ 責任倫理の確立を図る 「責任倫理」とは,M・ウェーバーが提起した 概念であり,それはある行為がどのような結果を もたらすかを予見し,計算したうえで,その結果 に自ら責任をとる覚悟で行為すること,あるいは そのような行為を内面から支える倫理的態度のこ とである。 道徳教育上,最も重要な道徳的価値とされてい るのが「自由」と「責任」である。しかし,現代 社会の風潮(自分勝手な自由を主張する人間があ まりに多く,反対に責任観念はきわめて薄いとい う傾向や,また自由のはき違い)の影響を受け, 今の子どもたちの中には,まわりの誰にも拘束さ れない「自由」を主張する者が多い。しかし,人 が集団をつくるときには,集団の秩序を保つため に,「責任」が重要な要素となる。「責任」の追求 は,「自由」を拘束することになるが,子どもたち は不自由な拘束から可能な限り逃れようとする。 そして,逸脱行為が,無責任な行動として現れる ことになる。つまり,逸脱行為は,「自由」と「責 任」のバランスが崩れた結果なのである。 したがって,「自由」と「責任」のバランスを保 つための「自己調整力」の育成が重要な課題とな 社会的制裁 自己制裁 ・社会的非難やその他の不利 ・自己満足感,自尊心 「自責の念」が起こることの な結果に対する恐怖の予期 ・ 予期 逸脱行為の抑制 図2 自己調整メカニズム 今の子どもたちに必要なのは,<自己制裁>に よる「自己調整力」であると考える。この力によ って,他者の目にはふれなくても,外的な社会的 制裁に対する恐怖がなくても,自己制御,自己調 整は機能することになると考えられる。 この「自己調整力」こそ,「内なる力」であり, 「自己責任」の自覚を図ることへの重要な課題で ある。 3 「自己責任」について (1) 「自己責任」とは フェニックスは,「責任をとる」ことを「社会的 存在としての個人が,相互関係のある種の契約に 基づいて暮らしている他の人に対して忠実である こと」(注 6)としている。ここでいう「相互関係の ある種の契約」とは,共同生活のあらゆる局面で の,自己と他者の関係において,お互いが「善し」 とする「常に正しい行為」「常に正しい関係」であ り,共有の社会的規範,道徳的原則であるといえ る。 つまり,行為の主体者である自己が,自らの行 為に対して「責任」を感じる(すなわち「自己責 任」)とは,内存する社会的規範,道徳的原理(良 心)に向かい合い,自己が自分自身を批判的に反 - 58 - 省することによって,心に「やましさ」や「呵責」 が生じることを意味している。 (2) 「自己責任」と道徳判断および道徳的決定 フェニックスは,「道徳判断」における三つの要 件を,「責任」の概念から次のように導き出してい る。(注 7) ○ 自らの行為に対する理由づけや正当性は,自 由に基づいて主体的に決定するものであるから, 当然,それには責任がともなう。 ○ 良心のはたらきにしたがって行う「正邪や善 し悪しの判断」も,善しとすることへの対応で あり,正義に対する応答であることから責任と 深く結び付いている。 ○ 道徳判断は,対人関係や他者の福祉を考慮し て決定するものであるから,他者への応答を意 味する点で責任とかかわっている。 また,沢田慶輔は,「道徳的決定は,自らの決定 の理由,目的を十分に吟味し,熟慮した上で,そ れを自ら進んで選んだ行為として責任をもつこと である。この責任を自覚するとき,道徳的である ことの要件を満たすことになる」と述べている 。 (注 8) このことは,子どもたちが日常生活のさまざま な場面で,二者択一の価値判断や行動を迫られた とき,その決定が道徳的であるかどうかを評価す るものである。つまり,その決定に「責任」の概 念がはたらいているとき,道徳的であることの要 件が満たされたということになる。 また,コールバーグは,道徳判断において,「『ど うすることが正しいか』『何をなすべきか』を判断 しただけでは行動は起こされない。なぜ,わたし はこれをしなくてはならないのかという『責任の 判断』が介在しなければならない」と判断に責任 がともなわなければならないことを強調している。 (注 9) さらに,「個人の道徳判断の成就と道徳行為の 成就とは一致する」と主張し,その関係を三段階 過程にして表している。(注 10) 第1段階は義務判断である。これは一定の道徳 的場面における「べきである」という判断である。 しかし,これには段階上昇という心理的要因の みで,義務判断に整合的な行為が行われるのでは なく,第2段階として「責任判断」が必要とされ る。 たとえ正しい義務判断をくだしたとしても,判 断主体が当の道徳的場面に責任があると判断でき ないならば,義務判断 道 徳 判 断 に即した行動は期待で ①義務判断「正義の倫理」 きない。義務判断は責 道徳的行為の主体として 何をなすべきか 任の判断を媒介しての み,第3段階としての ②責任判断「責任の倫理」 集団の一員として 道徳行為に結び付くの 何をなすべきか である。 このことは,図3の ③道徳行為 ように表すことができ 図3 道徳判断と道徳行為 る。 (3) 「自己責任」と社会的規範 これまで当たり前と思われてきた社会的規範が, 今の子どもたちにとっては当たり前のものではな くなっている。自らの行為が,規範から逸脱した ものであっても,本人にその自覚はなく,罪の意 識もみられない。そのとき,彼らは「なぜ,して はいけないのか」「なぜ,悪いのか」といった言葉 で問い返してくる。そこには,彼ら自身が,その 行為に対して自ら批判的に反省し,これを裁くと いう「自己責任」の概念は存在していないようで ある。 このことについて,越智貢は,最近の学生(生 徒−筆者が加筆)の多くが,倫理(道徳・モラル) について,拘束・束縛・圧力といったイメージを もっていることを指摘することによって,社会的 規範が「外なるもの」であることを示している。 (注 11) したがって,彼らにとっての規範は,自己の欲 望に敵対するやっかいな代物としてしかイメージ されていない。 つまり,彼らが,社会的規範を外的な位置にと どめて,外なる機制としてはたらいていると考え ている限り,規範の内的な審判装置である「良心」 は存在しない。 し た が っ て , 「 良 心 」 が 存 在 し な い 彼 ら に と っ て, 自分自身を批判的に反省させる裁きは起こらず, 「やましさ」「呵責」としての「責任」の意識は現 れない。このような子どもたちに,その行為に対 する「責任」を意識させるには,罰や制裁をとい った外的な機制を与えることしか考えられない。 しかし,このような他律的な「責任」の判断は, 道徳的とは言えない。つまりここでいう「自己責 任」とは,他律から自律への道徳的な価値の自覚 にあるのである。 したがって,「基本的な倫理観」の育成にあたっ ては,子どもたちに,どのようにして「自己責任」 - 59 - という考え方を獲得させ,「責任判断」を他律から 自律へと発達させていくのかが重要になる。 (4) 「自己責任」の発達 ピアジェとコールバーグは,「他律から自律へ」 という道徳性発達理論を提唱した。 ピアジェは「責任判断」の発達を,「客観的責任 概念から主観的責任概念への移行である」と主張 した。(注 12)(注 13) 客観的責任概念に基づく判断は,行為の物質的 結果が客観的に大きい方がより悪いとする考え方 (結果論的道徳判断)で,大人に対する服従に基 づいたもの(拘束の道徳)であるとし,主観的責 任概念に基づく判断は,行為の意図,動機の方に 注目する考え方(動機論的道徳判断)で,他者と の協同,他者との相互の尊敬に基づいたもの(協 同の道徳)である。 つまり,子どもの道徳的な経験には,大人の強 制による他律的な道徳(拘束の道徳)と他の子ど もたちとの相互性の道徳(協同の道徳)という二 種類の道徳が存在し,協同の道徳が自律的な道徳 へと発達することを示している。このような他律 から自律への変容が子どもの望ましい発達である といえる。 そして,ピアジェの理論を後継したコールバー グは,道徳性の発達段階を,表1で示すように, 「三水準六段階」で説明している。 表1 水 道徳性の発達と構造 (注 14) 準 Ⅰ 前慣習的水準 Ⅱ 慣習的水準 Ⅲ 慣習以降の自律 的,原理的水準 1 2 3 4 5 6 段 階 罰回避,従順志向 道具的互恵,快楽主義 他者への同調,よい子志向 法と社会秩序の維持 社会契約,法律の尊重 普遍的,原理的原則 これによると,道徳性の発達の水準は,「前慣習 的水準」「慣習的水準」「慣習以降の自律的,原理 的原則水準」から構成され,道徳性の発達段階は, 第1段階の「罰回避,従順志向」から第6段階の 「普遍的,原理的原則」へと段階的に上昇し,他 律から自律へと発達することを表している。 「自己責任」の自覚は,第4段階の「法と社会 秩序の維持」にあたる。 本研究では中学生の一般的な志向と考えられる 第3段階の「他者への同調,よい子志向」から第 4段階「法と社会秩序の維持」へと,道徳性の発 達段階の移行をね らうものである。 このことにおいて は,個人から他者 へ,他者から集団 や社会へと,役割 取得能力を発達さ せることが不可欠 な要素であると考 える。(図4) 「 自 己 責 任 」 の 自 覚 社会 集団 他者 個人 役割取得の広がり 図4 「自己責任」の発達 4 「自己責任」の自覚を深めるための,モラ ルジレンマ授業について 「自己責任」の自覚を深めるためには,道徳的 判断力を重視するモラルジレンマ授業が効果的で あることが考えられる。その具体的根拠と,本研 究でのモラルジレンマ授業の構想について,次の (1)∼(5)で述べる。 (1) モラルジレンマ授業とは この授業は,コールバーグの道徳性認知発達段 階論に理論的な根拠を置いた指導方法である。 荒木紀幸は,この授業方法について「道徳的葛 藤をモラルディスカッションによって解決に導く 過程を通して,児童生徒一人ひとりの道徳的判断 力を育成し,道徳性をより高い発達段階に高める」 ものであるとしている。また,「話し合い(討議) を有効な思考過程にするために,役割取得の機会 (他者の立場になって考える)を授業の展開に合 わせて位置づける」ことを留意点として挙げてい る。(注 15) つまり,この授業は,生徒に問題解決を迫るモ ラルジレンマを提示し,「道徳的葛藤の経験」と 「役割取得の機会」を通して,道徳的判断力を高 めることをねらいとするものである。 (2) モラルジレンマと「自己責任」 森岡卓也は「道徳授業において,子どもたちに 道徳的推論をさせる場合の教材がモラルジレンマ である」とし,モラルジレンマは「授業の初めの 段階(ステップ)において子どもたちに提示され, それ以後の授業の流れを左右するものである」と 主張している。(注 16) それほど重要な教材はどのような性質のもので なければならないか。 ベイヤーは,モラルジレンマが最も有用である ためには,次の四つの基準を満たしていなければ ならないとしている。(注 17) - 60 - ① できるだけ単純であること ② 結論が出ていないこと ③ 道徳的な論点が二つないし三つ以上含まれ ていること ④ 「主人公は何をなすべきか」という行為の選 択を求める質問を内包すること また, ガルブレイスとジョゥンズによれば, 「ジレンマは,主人公が明らかな葛藤場面に直面 して,二つの行為のどちらかを選ばなければなら ない,という性格のものでなければならない」と しつつ「どちらの行為を選んでも,それが文化的 にすでに証明ずみの正しい答えを示すものであっ てはならない」と述べている。(注 18) このような基準を満たしたモラルジレンマは, 子どもたちに,いずれの道徳的価値(論点)を, どのような理由で選択するのかを求めることにな る。「自己責任」の自覚は,このようなモラルジレ ンマと出合い,ジレンマの解決に向けて,より善 い価値を選択していくプロセスによって深まって いくことになる。 (3) 道徳性の発達の第4段階への志向 本研究は,子どもの道徳性を第3段階から第4 段階へと移行することをねらっている。 そのためには,道徳性の発達段階の第3段階と 第4段階のギャップ,すなわち,道徳的価値(内 容項目)をめぐる葛藤場面において,「自己責任」 という視点から,「自分はどうするべきか」「どう することが最も正しいことか」を精一杯考え,各 自が納得できる判断・理由づけを吟味していくこ とが重要であると考える。 例えば,「他者への同調,よい子志向」の第3段 階の考え方をする子どもの行為は,他者からの承 認や他者を喜ばせたりすることによって「よい子」 として認めてもらいたいというものであり,この ような他者との同調に基づいた考えに媒介されて いる行為は,はたして「責任」を内在した道徳行 為といえるかどうかという問題がある。 この場合,「集団や社会のため」と判断する第4 段階の考え方ができる子どもの方が,動機的観点 から,より善い道徳行為が期待できると考えられ る。 このような,法と社会秩序の維持,集団や社会 の利益といった第4段階への移行には,「自己責 任」つまり,集団や社会の一員としての責任とい う観点からジレンマを生じさせ,均衡化を図って いくことが重要になる。 (4) 「役割取得」と「自己責任」 本研究では,「役割取得の経験」の仕方として, 「役割演技」の技法を活用する。 そのねらいは,①子どもたちの生活体験とモラ ルジレンマを重ねていくこと,②登場人物の行動 や心情を掘り下げて考えさせていくことにある。 この「役割演技」を通して,子どもたちは,自 己の考えや気持ちと同等に他者の気持ちや考えを 受け入れることができ,そこに,自己の考え,他 者の考え,さらに,みんなの考えや期待などを相 互に検討することになる。 そのことによって,子どもたちは,自らの自律 の在り方,考え方を明確にしながら,それにとも なって他者や集団および社会に対する「自己責任」 のとり方や考え方に着目することが可能になると 考える。 ここに,「自己責任」の自覚(責任判断の発達) には,「役割取得の機会」が「道徳的葛藤の経験」 と同様に,その不可欠な要素とされる理由がある。 (5) 本研究でのモラルジレンマ授業の構想 本研究のモラルジレンマ授業は,社会的規範に かかわるモラルジレンマの提示によって,モラル ディスカッションを構成し,また,「役割演技」を 導入することによって,「役割取得」を一層深めさ せ,「自己責任」の自覚を図っていく。 図5は,そのことを具体的に表したものである。 - 61 - 「社会的規範」を内在したモラルジレンマの提示 【モラルディスカッション】 【役割取得】 道徳性の第3段階を刺激 【思いやりの倫理】 <心理的葛藤> 【 責 任 の 倫 理 】 < 倫 理 的 葛 藤 > *他者や集団および社会 に対する責任をどのよ うに考え行為すべきか を熟慮 *「集団や社会の一員と して,何をなすべきか」 道 徳 判 断 【 正 義 の 倫 理 】 < 倫 理 的 葛 藤 > *正しさにおいてどのよ うに考え行為すべきか を熟慮 *「道徳的行為の主体と して,何をなすべきか」 「 自 己 責 任 」 の 自 覚 道徳性の第4段階への移行 道 徳 性 の 発 達 図5 本研究におけるモラルジレンマ授業の構想 Ⅲ 「自己責任」の自覚を深めるモラルジレン マ授業の工夫 1 モラルジレンマ授業の検討 現在,日本ではコールバーグの理論に基づくモ ラルジレンマ授業が数多く紹介されている。しか し,森岡卓也は,その中には「コールバーグ理論 を正しく理解し,授業に適切に取り入れていない ものがある」(注 19)という批判をしている。これ は,モラルジレンマを倫理的葛藤としてではなく, 心理的葛藤としてとらえているために,この授業 が道徳的判断力を高めるものになっていないとい う指摘である。 (1) 倫理的葛藤とは 森岡は,荒木グループが作成し公表した「けい 子のまよい」と「どっちにしようか」の二つの資 料を取り上げ,モラルジレンマ資料の備えるべき 要件を満たしているかどうかという視点で検討を している。 「けい子のまよい」は,親友があやまって花瓶 をこわしてしまい,本当のことをみんなに言うべ きかどうかで主人公が葛藤する内容である。また, 「どっちにしようか」は,主人公が母親との約束 があるのに,クラスのみんなと放課後ドッヂボー ルをしてしまうという内容である。 森岡は,「どちらの主人公も道徳的に善いこと と悪いこととの間で迷っているに過ぎない。この 迷いは道徳的な善と善との間のいわゆる『道徳的 価値の葛藤』 (倫理的葛藤)にはなっていない。そ のような心理的葛藤をとらえて,『理由づけ』をさ 表2 せるのは,子どもたちに悪事の言い訳を考えさせ ることになりはしないか。」という指摘をしてい る。(注 20) このようなことからモラルジレンマ授業では, いかに生徒を倫理的葛藤に導いていくかが重要と なる。倫理的葛藤とは,道徳的にみてどちらを優 先してもおかしくないような拮抗した「善」と「善」 の価値の間に立つことによってのみ生じる葛藤で あり,「道徳的行為の主体として,どうすべきか」 という葛藤である。 (2) 「どうすべきか」という判断 道徳的に拮抗した「善」と「善」の価値の間に 立ち,「どうすべきか」という判断を迫られたとき に,その理由づけに「正義の倫理」を求めている のがコールバーグの理論である。 しかし,価値観の多様化や個人主義といった傾 向が見られる現状において,生徒に「正義の倫理」 の視点のみで「どうすべきか」の判断を求めるの は困難である。 したがって,生徒の道徳的判断力を高めていく ためには,「正義の倫理」のみならず,「責任の倫 理」や「思いやりの倫理」の視点をもつことが欠 かせない。とりわけ,自己中心的で他人や集団, 社会に無関心であるといった現代の風潮から見て も「責任の倫理」の視点で道徳判断を求めること は重要であると考える。そのプロセスを大切にし, その上で「正義の倫理」に到達させていくことが, 本研究のねらいである。 「責任の倫理」の発達段階 【結果論的責任判断】 例: 「万引き」に対する反応 段 行為の物質的結果が客観的 <よく使う具体的な言語表現の例> 結 他 階 に大きい方がより責任が大き ○ 高価なものを盗ることに比べれば,安価なものを盗ることはあまりたいしたことで いとする判断がなされる。 はない。 ○ 見つからないように上手にやればいいし,もし見つかっても品物を返して謝ればいい。 Ⅰ 果 ○ うちの親(先生)はあまり怒らないから大丈夫だ。 律 【道具的,功利的責任判断】 段 行為の結果についての責任 <よく使う具体的な言語表現の例> 論 階 を外的要因に帰属し,自己擁護 ○ 自分だけでなく,友だちだってやっている。自分だけが悪いのではない。 的な判断がなされる。 ○ 自分も盗られたことがあるから,盗ってもいい。 的 ○ 友だちに誘われたので,断れなかった。 的 Ⅱ ○ 誰にも迷惑をかけていないのだからやってもいい。 【対人的規範に配慮した責任判断】 (心理的責任判断) 段 具体的他者からの期待にこ <よく使う具体的な言語表現の例> たえ,他者とのいい関係を維持 ○ 万引きは悪いことだからしてはいけない。 動 自 階 できるか(できたか)どうか, ○ 万引きがわかると家族が悲しい思いをする。家族や先生,友だちの期待を裏切るよ という観点で判断がなされる。 うなことはできない。 機 Ⅲ 第三者的な視点での内的帰属 ○ 店の人が困るからしてはいけない。 ができる。 ○ 人を悲しませるようなことはしてはいけない。 律 【社会システムの維持に配慮した責任判断】 (倫理的責任判断) 論 段 集団や社会の一員として,集 <よく使う具体的な言語表現の例> 団や社会をより望ましいもの ○ 万引きをすれば人から信用されなくなる。 階 にしていけるか(いけたか)ど ○ 万引きは法で禁じている。みんなが法律を守らないとよい社会にならない。 的 的 うか,という観点で判断がなさ ○ みんなが平気で万引きするようになると,住にくい世の中になるから万引きするべ Ⅳ れる。社会集団的な視点で内的 きでない。 帰属ができる。 ○ 社会の一員として,社会に役立つ人であるためにはするべきではない。 - 62 - 2 責任の倫理 教師がモラルジレンマ授業に臨むとき,生徒 個々の道徳性の発達段階を的確に把握しておく必 要がある。とりわけ「自己責任」の自覚を深める にはどうしたらよいのかにかかわる本研究におい ては,生徒が自らの判断や行為に関す る「責任」 をどのようにとらえているかを教師が把握し,ま た,コールバーグのいう道徳性の発達段階の第4 段階に迫っていくためには,どのような見方や考 え方が要求されるのかをとらえておく必要がある。 そこで,コールバーグの「正義の倫理」,ギリ ガンの「ケアの倫理」,セルマンの「社会的役割取 得」,アイゼンバーグの「向社会的行動」の四つの 理論を基にして,前頁の表2のような「責任の倫 理」の発達段階を設定した。これは,他律的・結 果論的判断から自律的・動機論的判断へと四つの 段階で表されるようにしている。 この「責任の倫理」の発達段階で言うと,所属 校においては,校則違反などの問題行動に対して 「見つからなければいい」「少しくらいなら大丈 夫」「自分だけが悪いのではない」などといった段 階Ⅰ「結果論的責任判断」,段階Ⅱ「道具的,功利 的責任判断」の生徒が見られることになる。 したがって,このような生徒の責任判断を段階 Ⅲ「対人的規範に配慮した責任判断」,さらには段 階Ⅳ「社会システムの維持に配慮した責任判断」 へと移行させていくことが,本研究のねらいに迫 ることになる。 3 タバコを吸う 1年生 N=105 2年生 N=103 3年生 N=116 0% とても悪い 図6 「授業エスケープ」「 ゴ ミ の ポ イ 捨 て 」「傘の無断借 用」「 暴 言 」「 い じ め 」「 暴 力 」「 服 装 違 反 」「 万 引き」 「喫煙」 (1) 規範意識の実態 所属校の全校生徒を対象に,上記の九つの行為 がどのくらい悪いと感じているかを四段階評定尺 度法によって調査した。図6は「未成年なのにタ バコを吸う」という行為に対する規範意識を学年 別で表したものである。 図6により,各学年とも「未成年がタバコを吸 う」ことを「まったく悪く ない」「あまり悪くない」 と感じている生徒が存在している。また,学年が 進むにつれて「とても悪い」と考えている生徒が 40% 少し悪い 60% あまり悪くない 80% 100% まったく悪くない 生徒の規範意識の学年別推移 減少していることがわかる。つまり,所属校の生 徒の規範意識は,学年が進むにつれて低下してい く傾向にあり,善悪の判断が曖昧になってしまっ ている生徒が増加しているようである。このよう な傾向は,他の内容の調査結果についても同様に 見られた。 (2) 規範意識と「責任の倫理」の関係 図7は,所属校1年生の規範意識の高低と「責 任の倫理」の発達段階の関係を表したものである。 タバコを吸う N=105 まったく悪くない あまり悪くない 少し悪い とても悪い 0% 意識・実態調査−その1 生徒の社会的規範にかかわる「責任」意識の実 態を表2の「責任の倫理」の発達段階を基準にし て事前調査を実施した。調査した社会的規範にか かわる内容は,次の九つである。 20% 図7 20% 40% 段階Ⅰ 段階Ⅱ 60% 80% 段階Ⅲ 段階Ⅳ 100% 規範意識と「責任の倫理」の関係 図7により,「タバコを吸う」ことを「まった く悪くない」と感じているのは,すべて「責任の 倫理」の発達段階の段階Ⅰ,Ⅱの生徒で,段階Ⅲ, Ⅳの生徒には見られない。そして,「悪い」と感 じる程度が高まるにしたがって,段階Ⅲ,Ⅳの割 合が増えている。この傾向は,他の内容の調査結 果についても同様に見られた。 このことから,生徒の「責任の倫理」の発達段 階を段階Ⅲ,Ⅳへと移行していくことが,規範意 識を高め,「基本的な倫理観」を育成することに おいて,重要であることがわかる。 そこで,生徒の「責任の倫理」の発達段階を段 階Ⅳへと高めていくためのモラルジレンマ授業 はどうあるべきかを考えることにした。その資料 の構造と授業展開の工夫について次に述べる。 - 63 - 4 「責任の倫理」に迫るモラルジレンマ授業 の基本 (1) モラルジレンマ資料について 「責任の倫理」に迫りうるモラルジレンマ資料 として,「これくらいなら」「大輔のために」「健 二のまよい」という三つの自作資料を作成した。 これらの資料では,社会的規範にかかわる「朝 の遅刻」「いじめ」「カンニング」をテーマにして いる。これらは,日常生活の中でありがちな問題 であり,ジレンマの状況を生徒が現実的にとらえ やすいものと考えられる。作成に当たって工夫し た点,および配慮した点を,資料「健二のまよい」 を例示して述べる。 「健二のまよい」 (自作資料) 健二にとって大輔はとても信頼できる友だちです。大輔は,と ても努力家で勉強の成績も学年でトップクラスです。とくに数学 は得意で前回の定期テストでは学年で1番でした。はじめての1 番で本人はもちろん,大輔のお母さんも大喜びでした。また,大 輔はとても友だち思いで,数学の苦手な健二に,定期テストの前 になるといつも家によんで教えてやっています。 期末テストを翌日にひかえたある日,健二はいつものように 「今晩,家に行くからまた数学を教えてくれないかな。 」 と大輔にたずねました。しかし, 「ごめんね。教えてあげたいんだけど,今回は余裕がないんだ よ。 」 と申し訳なさそうに答えました。 今回の数学のテスト範囲はとても広く内容も前回に比べては るかに難しくなっています。さすがの大輔も今回はピンチです。 前回喜んでくれたお母さんの期待に応えるためにも,今晩がんば ろうとしているのでした。 しかし,断られた健二が,あんまり悲しそうにしているので, 「しかたないな。9時までならいいよ。 」 と大輔は言いました。その言葉を聞いて健二はホッとしました。 夕方6時に健二は勉強道具をもって大輔の家に行きました。大 輔はそれまでやっていた自分の勉強をやめて,健二に付きっきり で一生懸命教えました。それまでわからなかったところがどんど んわかるようになっていく健二は,数学が楽しくなってきました。 健二は時間のたつのも忘れてがんばりました。しばらくして,健 二は驚きました。時計を見るとなんと12時を過ぎていたのです。 「アッ!もうこんな時間だ。 」 健二は,自分の勉強をそっちのけで,一生懸命に教えてくれた大 輔に感謝しながら「ごめんね。」といって急いで家に帰りました。 家について布団に入った健二は, 「大輔は今から自分の勉強を するんだな。」「悪いことをしたな。 」と思いなかなか寝付けませ んでした。 次の日,期末テストの1日目です。健二は大輔のことが心配で, 「昨日はごめんね。 」 「あの後自分の勉強できた?」 と声をかけました。しかし,大輔は下を向いて黙ったままでした。 1時間目,数学のテストが始まりました。健二は,昨日の大輔 の特訓のおかげでいつもより問題がとけました。そして,テスト の終了時間が近づいてきたころ,気になる大輔の方を見てみると, 大輔は頭を抱えて苦しんでいるようでした。 「大輔ごめんね。俺のせいで・・・」 と思っているとその時です。 大輔は,前の席の慎一の答案用紙をじっと見ているではありま せんか。試験監督の先生もそれには気づいていません。 数日後の数学の時間,テストが返されました。大輔は今回もま た学年で1番でした。クラスのみんなは大きな拍手をしました。 「これでお母さんも喜んでくれる。 」 大輔も大喜びです。 その日の放課後,学級委員の健二は先生に, 「慎一と大輔の答案のようすから,カンニングの疑いがあるのだ が,何か知らないか」 と聞かれました。しかし,健二は, 「何も知りません」 と答えました。 その後,健二は勉強に身が入りませんでした。健二はどうすべ きだったのでしょうか? ① 道徳的な「善」と「善」の葛藤 この資料では,主人公である学級委員の健二は, 親友である大輔のカンニングを見つけ,そのこと を先生に「言う」か「言わない」かという選択を 迫られる。当然,カンニングすることは不正な行 為であり,「先生に言う」ことが,公正,正義〔4 −(4)〕,遵法,秩序維持〔4−(2)〕の道徳的価値 としての「善」(正義の倫理)に支えられた正しい 行為である。 しかし,主人公である健二は,「悪」だとわかっ てはいても「親友の大輔をかばいたい」というジ レンマに陥り,結局「先生に言わない」とする〔4 −(2)〕,〔4−(4)〕に反する「悪」とされる行為 を選択してしまうことになる。 それには,「先生に言わない」という行為が, 「大輔には,日頃から勉強を教えてもらっている」 「昨晩も約束の時間を過ぎてまで教えてもらっ た」といった感謝,思いやり〔2−(2)〕,友情〔2 −(3)〕の道徳的価値としての「善」(ケアの倫理) に支えられているためである。つまり,「先生に言 うべきかどうか」の行為をめぐって,主人 公は正 義と思いやりのどちらの価値を優先するかという 「善」と「善」の倫理的葛藤に迫ることが求めら れているのである。 この資料に基づくモラルジレンマ授業では,主 人公の学級委員としての立場と親友としての立場 の両面から,「責任の倫理」の視点をもって「どう すべきか」を判断させていくことになる。 ② 生徒の実態から 生徒達に「カンニングは善い行為か,悪い行為 か」と問えば,ほぼ全員が悪い行為であると返答 する。しかし,生徒が獲得している道徳的善の知 識のみでは,正しい判断や望ましい道徳的行為を 十分に期待することはできない。 それは,「少しぐらいならいいじゃないか」「見 つからなければ大丈夫」といった考え方や「一度 のカンニングぐらいで,厳しく言い過ぎると,人 間関係がギクシャクして,学校が楽しくなくなる」 といった規律を無視した主張によって,「悪」を 「悪」としてとらえる規範意識が希薄になってい - 64 - ることによる。その意識は,学校や社会の一員と して,集団の秩序の維持を志向しようとする自覚 が乏しいことによるものでもある。 そこで,このような生徒の意識の実態を裏付け る日常生活を資料化することによって,責任にか かわる意識の高揚を図ることにした。そうするこ とによって,「責任の倫理」の発達段階Ⅳへの移 表3 「自己責任」の自覚を深めるモラルジレンマ授業の学習過程 学 習 活 動 指 導 内 容 モラルジレンマ資料を読み,主人公 ○ モラルジレンマの 具体的状況を正確に理解さ の悩みを確認する。 せる。 ジレンマの仮の解決案とその ○ 最初の判断をくだす。 ○ 意志決定させ,挙手により意志表示させる。 理由を考えさせる。 ○ 最初の判断の理由づけをする。 ○ 第一次の判断・理由づけをさせる。 導 ① 入 ② 展 開 の 視 点 ジレンマを提示する。 行を可能にしていきたいと考えた。 (2) 学習過程について では,「責任の倫理」に迫るモラルジレンマ授 業はどのように展開したらよいのか。コールバー グ派のベイヤーの五段階授業モデル(中学校向 き)を基にして表3のようにまとめてみた。 ○ 展 ③ 同じ解決案の者同士の小グル ○ 選んだ行為に関する自由な意見の ○ 自分の考えを確認し,他の考えにも触れさせ ープ(4-6 人)に分けて,その最善 交換を小グループで行う。 る。 の理由を話し合わせる。 ○ グループごとに話し合った内容を ○ 自由な討論をさせる。 発表する。 開 ④ 各グループの決定をクラス全 ◎ 各グループの解決案について,その ◎ 一方の価値を選ぶことからくるさまざまな弊 体で話し合わせ,最善の理由を 結果起こり得るプラス面とマイナス 害を最小にする努力をさせながら結果としてあ 選ばせる。 面を検討し,責任の視点で吟味する。 る特定の道徳的な価値を優先する判断をさせる。 ⑤ 自分と違う立場の者があげる ○ 最終的な判断をくだす。 ○ 第二次の判断・理由づけをさせる。 終 理由を各自に要約させた上で, ○ 最終の判断の理由づけをする。 ◎ クローズエンド的オープンエンドを意識させ 各自の最終の解決案とその理由 る。 末 をノートに書かせる。 ① 「責任の倫理」の追求 ベイヤーの五段階授業モデルに表される展開 ④においては,「各グループの決定をクラス全体 で話し合わせ,最善の理由を選ばせる。」として いる。ここで言う「最善の理由」とは,生徒が, 自分だけにとって善いからというのではなく,自 分にとっても関係する他者にとっても,さらに属 する集団や社会にとっても善となる価値は何な のかという視点をもって考え判断することであ る。 つまり,展開③のグループ討議で考えた解決案 について,その判断によってもたらされる行為の 結果が誰にどのような影響を与えるのかという プラス面とマイナス面を検討し,一方の価値を選 択することからくるさまざまな弊害を最小にす る努力をさせていくことが,各自の「責任の倫理」 を追求していくことになり,段階Ⅲから段階Ⅳへ の移行を可能にすると考える。 例えば,前述の資料「健二のまよい」では,< 先生に言う>ことによる結果として,「学級委員 と し て の 責 任 が 果 た せ る 」「 学 校 の 規 律 が 守 れ る」というプラス面が考えられる。一方,<先生 に言わない>ことによる結果は,「大輔との人間 関係がよくなる」「規則に縛られない楽しい生活 が送れる」「これからも大輔に勉強を教えてもら える」などが考えられる。 そこで,生徒たちが,本当の親友ならどうするべ きかを考えたり,学級委員として,大輔の親友と して,さらには学校という集団の一員として,大 輔にとっても,またクラスのみんなにとっても, さらに学校全体にとってもすべてが「善」となる ためにはどうするべきかという視点で考えていく ことによって,責任判断の発達を促すことができ ると考える。 ② 役割取得の必要性 「責任の倫理」を追求していくためには,「役割 取得の機会」が重要になる。行為の結果が,行為 者以外の人たちにどのような影響があるのかを推 測し,そのプラス面とマイナス面を考えていくに は,より広い範囲の役割取得能力が必要となる。 本研究のモラルジレンマ授業の学習過程におい ては,登場人物の気持ちをわかりやすくするため に,役割演技の技法を導入し,同じ解決案の者同 士で資料のその後の展開を予想して即興的に演じ させる。 また,場合によっては,異なる解決案の者同士 での役割演技も試みることによって,結果による 影響の違いを比較してみることも重要である。 ③ 発問の工夫 各自の判断・理由づけによる解決 案について, 「責任の視点」で吟味させるとき,生徒からの次 のような発言を大切にする必要がある。また,発 言がないときは,教師からの発問の形で生徒に投 げかけることが必要である。 - 65 - ○ もしも,みんなが同じようなことをやりだしたら, この学校(クラス)はどうなるだろうか。 ○ あなたは,・・・に責任を感じますか。 ○ あなたが,最も責任を感じるのは,誰(何)に対し てですか。 ○ 集団(学級,学校,社会)に対して,責任を感じま すか。 ④ 最終的な解決案 授業の終末には,各自の最終的な判断と理由づ けをさせる。ここでは,責任の視点に立ってしっ かり吟味した上での解決案となる。それには,自 分にも他者にも,さらに集団や社会にもすべての 人に対して「善」となるには,どのような方法が あるのかを考えさせることになる。 このようにして得られた判断は,他方の価値の 否定でも,切り捨てでもない。要するにぎりぎり のところまで考え込むことがここでは大切にさ れなければならないのである。 ⑤ クローズエンド的オープンエンド モラルジレンマ授業の終末は,オープンエンド の型をとることが一般的である。それは,コール バーグの理論では,道徳判断を内容(主人公はど うすべきかという行為選択)と構造(なぜそうす べきなのかという理由づけ)に分け,後者に焦点 をあてることによって,その判断理由を分類・整 理し,道徳性の発達段階を同定していることによ る。 しかし,前述の資料「健二のまよい」の論点と して「カンニング」などのような社会的規範をジ レンマとして扱う場合は,無責任なオープンエン ドとなっては生徒指導上問題が生じる。生徒は 「それなりの理由があればカンニングは許され る」と考えてしまうからである。このことは,今, 社会問題化している青少年の凶悪犯罪に見られ るような「それなりの理由があれば人を殺しても いい」といった考え方を生んでしまう恐れがある ことを意味している。 したがって,生徒たちにとって現実的なジレン マを扱う場合には,人間としての責任において, 「どんな理由があろうとも守らなければならな いことがある」という不易の価値をめぐるクロー ズエンド的オープンエンドが重要になる。 Ⅳ 「自己責任」の自覚を深めるモラルジレン マ授業の実際 1 授業の目的 社会的規範にかかわるモラルジレンマを提示し, 生徒に,「自らの責任において,どうすべきか」に かかわって判断させ,その理由づけをめぐって倫 理的葛藤を経験させる。そのことによって,モラ ルジレンマを解決させていくプロセスを通して, 「正義の倫理」「ケアの倫理」に加え「責任の倫理」 を高めさせ,学校や社会等の集団の一員としての 「自己責任」の自覚を深めさせる。 2 授業の計画 日 時 11/13 11/20 11/27 11/30 第1次 第2次 第3次 3 資 料 「これくらいなら」 「大輔のために」 「健二のまよい」 実 施 学 級 1年2,4,6組 1年2,4組 1年2,6組 1年4組 授業の展開 資料「健二のまよい」による授業の展開につい て,次頁の表4に表す。 4 意識・実態調査−その2 授業実践後にも,事前調査と同様の意識実態調 査を実施した。授業実践前後の生徒の規範意識の 変化を図8に表す。 タバコを吸う N=105 事前 事後 0% 20% とても悪い 図8 40% 少し悪い 60% あまり悪くない 80% 100% まったく悪くない 授業実践前後の規範意識の変化 図8では,授業実践後に,「タバコを吸う」こ とが「とても悪い」と感じる生徒が増え,「あまり 悪くない」「まったく悪くない」という生徒がいな くなっている。このことは,生徒の規範意識が高 まったものと考えられる。 この結果は,生徒の社会的規範に対する見方や 考え方が,どのように変化したためなのだろうか。 N=105 タバコを吸う 事前 事後 0% 20% 第Ⅰ段階 40% 第Ⅱ段階 60% 第Ⅲ段階 80% 100% 第Ⅳ段階 図9 授業実践前後の「責任の倫理」の発達段階の変化 生徒の「責任の倫理」の発達段階の変化を表し た図9から,事後には,Ⅰ,Ⅱ段階の生徒が減少 し,Ⅳ段階の生徒が増加していることがわかる。 これは授業実践によって,生徒の「自己責任」 - 66 - に対する意識が大きく変化したものであると考え られる。 授業以前には,「タバコを吸う」といった社会的 規範を逸脱する行為に対して,「少しくらいなら 悪くない」「見つからなければいい」「他にしてい る者もいるから,自分だけが悪いのではない」と いった他律的な責任判断をしていた段階Ⅰ,Ⅱの 生徒の多くが,授業後では,「タバコを吸うことは 悪いことだからやってはいけない」「家族を悲し 表4 ませるようなことは悪いことだ」「社会や集団に 悪影響を与えることはしてはいけない」といった 自律的な判断ができるⅢ,Ⅳ段階へ移行したとい うことが,そのことをよく物語っている。 このように,社会的規範に対する生徒の「自己 責任」のとらえ方が,個人的な問題としてだけの 視点から,他者や集団,社会へと広がっているこ とが考えられる。他の調査項目や他の道徳授業に おいても,同様な結果が得られた。 資料「健二のまよい」による授業の展開(抜粋) ① 資料を一読後,第一次判断をする(健二ならどうするか) A:先生に言う・・・4人 B:先生に言わない・・・30 人 C:わからない・・・0人 ② 全体での話し合う ○ 各グループから判断の理由づけを発表する。 A「カンニングは悪いことだから」 B「大輔との人間関係をこわしたくないから」 「大輔には恩があるから」 「約束の時間が守れなかった責任があるから」 「カンニングをしていなくても結果は同じ一番なんだから,あえて先生に言わなくてもいい」 ○ 他のグループへ質問する <Aグループへの質問> *「 『悪いことだから』という理由で,平気で先生に言えるものなのでしょうか?」 この質問をきっかけに,他者に対して感謝の気持ちを持つことの大切さや,自らの責任について考えていく討論に発展した。 〔Aグループ生徒の反応〕 ・ 「大輔には恩はあるけど,その恩返しとして,カンニングのことを先生に言わないという恩の返し方はいけないと思う。 」 <Bグループへの質問> *「悪いことを見逃すことが,本当の友情と言えるのでしょうか?」 この質問をきっかけに,表面的な人間関係の維持を優先する考え方を見直し,真の友情とはどういうものかを考えていく討 論に発展した。 〔Bグループ生徒の反応〕 ・ 「友だちだからこそ,ズルをして1番になって欲しくない」 ・ 「本当の友達なら言ってあげる方がいいと思うけど,自分にも責任があるのだから,先生には言えない」 ・ 「やっぱり,大輔との人間関係が壊れることを考えると先生には言えない」 〔教師からの揺さぶり〕 *「人間関係が壊れるのを気にするのは,自分だけいい子になっておきたいという気持ちがはたらいているからなのでは?」 この討論によって,Bグループの生徒の考えがかなり揺さぶられた。 <全体への質問> *「それぞれの判断が,クラス全体に対してどんな影響があるでしょうか?」 この質問をきっかけに,それまで対人関係の視点で判断をしていた生徒に,さらに広い視点から判断を吟味していこうとす る討論に発展した。 〔生徒の反応〕 ・ 「カンニングをして,みんなをだましていることが悪いことであることに気づいて欲しいから」 (B→A) ・ 「自分にも責任があるし,やっぱりみんなをだましてまでするのもよくないと思うから」 (B→C) ・ 「もしも,このまま言わなくて,カンニングする人がこのクラスに増えていけば,クラス中の信頼関係がなくなって,みん ながみんなを疑うようなクラスになってしまうから」 (A→A) ③ モラルディスカッション後,第二次判断をする(健二はどうすべきか) A:先生に言う・・・17人 B:先生に言わない・・・14人 C:わからない・・・3人 5 授業の分析と考察 生徒の判断が第一次と第二次でどのように変容 したかを表5に表した。 表5 判断の変容 第 二 次 第 一 次 計 A 言う B 言わない C わからない う 4 0 0 4 B 言わない 13 14 3 30 17 14 3 34 A 言 計 表5にあるように,第一次判断では,「先生に 言わない」という生徒が圧倒的に多い。これは, カンニングは悪いことだとはわかってはいるもの の友だち関係をこわしたくないという心理がはた らいているためである。また「カンニングをして いなくても結果は同じ1番なんだから,あえて先 生に言わなくてもいい」といった結果論的な判断 をする生徒もおり,社会的規範よりも友だち関係 を優先するといった,うわべだけの友情論的な価 値判断の実態が浮かび上がっている。 そこで,「悪いことを見逃すことが,本当の友情 といえるのか」「それぞれの判断が,クラス全体に 対してどんな影響があるか」 といった論点でディ スカッションを深めていくことによって,第二次判 断では,「先生に言わない」と答えていた生徒のほぼ 半数が「先生に言う」べきであると判断を変えてい る。 - 67 - これは,自らの判断による結果が,親友である 健二にとって,またクラスやクラスのみんなにと って将来的にプラスになるかどうかを吟味するこ とによって,友だちとしての在り方やクラスの一 員としての在り方を見直すことができ,その結果 に対する「自己責任」を意識した判断を志向した ことによって社会的規範に対する意識が高まって いったためであると考えられる。 また,判断を変えなかった生徒についても, 「健二自身が先生に言ったらいい」といった方法 論的な判断をしている。これは,健二に対する感 謝や責任を重視しつつも,やはり「悪いことは悪 い」といった規範意識の高まりを表すものである。 一方,第一次判断で「先生に言う」と答えた4 名の生徒は,第二次でも判断を変えていない。し かし,その理由づけは,単に「カンニングは悪い から」というものから,「真の友情」や「クラスへ の影響」を考慮して判断したものに変わっている。 このことも「自己責任」の自覚を深めることによ って,規範意識が高まったことをよく表している。 6 総合的な分析と考察 「自己責任」の育成は,今日の学校教育におい て,欠かせない重要課題の一つであると考える。 それは,生徒に,自らの欲求や衝動のままにふ るまうのではなく,行動を起こす前に,行為の結 果を予測し,誰(何)にどのような影響があるか を考慮した上で,「自分はどうすべきか」を思考 しながら,自己調整していくことができるように させることである。 生徒は,本研究での「自己責任」の自覚を意図 したモラルジレンマ授業の経験を通して,日常生 活でありがちな問題行動に対して,より広い視点 からその影響について吟味することによって , 「なぜ,それがいけない行動なのか」「どれだけ 多くの人に迷惑のかかることなのか」を深く考え られるようになった。そのことによって,生徒は, これまでの自己の価値観を見直し,個人を超えた 集団や社会にとって望ましいとされる価値を追求 する機会を得た。 このような,個人的利益を超えた集団的・社会 的利益を求めていこうとする「自己責任」の考え 方こそが,生徒一人一人がより善い生き方をして いくための「内なる力」としてはたらき,自己調 整力を高めていくことになる。 「基本的な倫理観」は,このような道徳学習の プロセスによって育成されるものととらえられる。 1 Ⅴ 研究の成果と課題 研究の成果 「責任の倫理」に迫るモラルジレンマ授業によっ て,生徒の「自己責任」の自覚が深まり,「基本 的な倫理観」の育成にとって重要な要素である規 範意識を高めることができることを明らかにする ことができた。 2 課題 「責任の倫理」に迫る授業を展開していこうとす るならば,生徒一人一人が集団や社会の中でかけが えのない存在であるといった道徳的な雰囲気のあ る民主的な集団づくりが不可欠であることを実感 している。したがって,これからの道徳教育は,道 徳の時間だけでなく,日頃の学級経営や他の教育活 動との関連を図りながら,生徒に「集団への愛着」 を育てていく取組みを進めていくことが望まれる。 【引用文献】 (注 1) 広 島 県 立 教 育 セ ン タ ー 「 教 育 け ん き ゅ う (注 1) 25 号」 1998 p.3 (注 2) 佐々木昭『道徳教育の研究と実践』教育開発 (注 1) 研究所 1996 pp.37-38 (注 3) 押谷由夫「教職研修 4増刊」 1997 (注 1) pp.152-153 (注 4) 日本道徳性心理学研究会『道徳性心理学』 (注 1) 北大路書房 1992 p.224 (注 5) 上掲書(注 3) p.226 (注 6) 佐野安仁『フェニックスの道徳論と教育』 (注 1) 晃洋書房 1996 p.26 (注 7) 上掲書(注 6) p.21 (注 8) 上掲書(注 6) p.22 (注 9) 荒木紀幸(編)『続 道徳教育はこうすればおも (注 1) しろい』北大路書房 1997 p.124 (注 10) 佐野安仁,吉田謙二(編)『コールバーグ理論 (注 1) の基底』世界思想社 1993 p.55 (注 11) 上掲書(注 1) p.3 (注 12) 上掲書(注 4) pp.37-39 (注 13) 上掲書(注 4) p.222 (注 14) 上掲書(注 9) p.128 (注 15) 荒木紀幸『資料を生かしたジレンマ授業の方 (注 1) 法』明治図書 1993 pp.14-15 (注 16) 森岡卓也「日本におけるコールバーグ派道徳 (注 1) 授業の検討」大阪教育大学紀要第Ⅳ部門第2 (注 1) 号 1992 p.188 (注 17) 上掲書(注 16) p.188 (注 18) 上掲書(注 16) p.189 (注 19) 上掲書(注 16) p.187 (注 20) 上掲書(注 16) p.194 - 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