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日本におけるアメリカ文学史(Ⅱ)

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日本におけるアメリカ文学史(Ⅱ)
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日 本 に おけ る ア メリ カ 文 学 史 ( Ⅱ )
─ 作 品の評価基準をめぐる一考察 ─
The History of American Literature in Japan (II)
― A Consideration on Standards for Appraisal of Literary Works ―
重 迫 和 美
Kaz u m i S HI G E S AK O
キ ー ワ ー ド : 米 文 学 史 ・米文学 概論 ・英 米文学 講読・ 比較 文学
序
拙稿「日本におけるアメリカ文学史」は,明治時代から今日までの日本におけるアメリカ文学史
の編纂方針を,アメリカにおけるアメリカ文学史と,三つの観点から比較検討するものであった。
三 つ の 観 点 と は ,( 1 ) 文 学 史 の 起 源,( 2 ) 執 筆 体 制 ,(3 ) 文 学 作 品 の 評 価 基 準 と 社 会 と の 関 係 ,
で あ る 。 結 果 と し て , 拙 稿 は, 第 三 の 観 点 か ら 比 較 し た 時 に 特 に 顕 著 で あ る , 日 米 の ア メ リ カ 文 学
史 の 興 味 深 い 違 い を 二 つ 指 摘 し た。 第 一 に, 文 学 作 品 に 社 会 的 意 義 を 求 め る 評 価 基 準 が キ ャ ノ ン
( c ano n) 選 定 に 明 白 に 反 映 さ れ る ア メ リ カ の ア メ リ カ 文 学 史 に 対 し て , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 家
は 違 和 感 ・ 反 発 を 示 す 傾 向 が あ る こ と。 こ の 傾 向 は , 明 治 時 代 か ら 今 日 に 至 る ま で 一 貫 し て 見 ら れ
る。第二に,日本の社会状況が日本のアメリカ文学史におけるキャノン選定に与える影響は,時代
を 経 る 毎 に 小 さ く な る こ と。 明 治 の 浅 野 和 三 郎 は 帝 国 主 義 的 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に 影 響 さ れ て い た。昭
和 初 期 の 高 垣 松 雄 は 日 本 文 壇 に も 影 響 を 与 え て い た 社会 主義 運 動 に無 関心 で は な かっ た 。と こ ろが,
第 二 次 世 界 大 戦 後 , 20 世 紀 末 頃 ま で に は , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 は , ア メ リ カ に お け る ア メ リ カ
文学のキャノン見直しやキャノン見直しを左右するアメリカの現実社会の変化自体には敏感であり
な が ら も , 日 本 の 現 実 社 会 と の 関 係 に は 無 関 心 に な った と 言 え る の で ある 。
こ の 違 い は 何 に よ る も の か 。 も ち ろ ん ,ア メ リ カ文 学 史 は ア メ リ カに とっ て は 自 国の も の で あり ,
日本にとっては他国のものであるという大きな違いがある。しかし,文学作品の評価基準と社会の
関 係 に 見 ら れ る 日 米 の 違 い を ,自 国 の も の か 他 国 の も のか と い う 違 いだ け に 還 元す る べ き で は ない 。
こ の 違 い に は , 文 学 作 品 評 価 基 準 自 体 の 日 米 の 違 い が 関わ って いる から だ 。
本稿では,日本のアメリカ文学史におけるキャノン選定に関わる作品評価基準について,アメリ
カ の 場 合 と 比 較 し な が ら , 改 め て 考 え た い 。 そ の際 , シ ラ ネ ・ ハ ル オ が 以 下 で 述 べ る , 文 学 史 に お
い て キ ャ ノ ン ( カ ノン ) に 選定さ れ た テクス ト に 対 す る , 二 つの ア プ ロ ーチ を参 照 す る 。
[ 一 つ 目 の ア プ ロ ー チ で あ る ] テ ク ス ト の な か に 基 礎 的 根 拠 な い し 基 本 原 則 を 見 る 基 本 主 義 者
( fo undat io na lis t ) は , カ ノ ン に 含 ま れ る テ ク ス ト が , な に か し ら 普 遍 的 で 不 変 , な い し は 絶
対 的 な 価 値 を 体 現 し て い る と 考 え る 。[・ ・ ・ ]
二つ目のアプローチ(こちらが今日一般的な
ものだが)は反基本主義的なものであり,テクスト自体には基本的根拠などない,カノンに選
別 さ れ た テ ク ス ト は , あ る 時 代 の あ る 特 定 の グ ル ー プ な い し 社 会 集 団 の 利 益・ 関 心 を 反 映 し た
も の に 他 な ら ない ,と 考 え る。( 1 4 )
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シ ラ ネ に 倣 っ て,キャ ノン 選 定 に関 わる 作 品 評 価 基 準に は ,
「 文学 テク ス ト そ のも の に 内在 す る(と
さ れ る )価 値 」に 基 づく「基本 主 義 」と ,
「 あ る 時 代の あ る 特 定 の グル ー プ な いし 社会 集 団 に よ っ て,
自 ら の 利 益 ・ 関 心 に 利 す る よ う に テ ク ス ト に 与 え ら れ た 価 値 」 に 基 づ く 「 反 基 本 主 義 」 の, 二 極 が
あるとしておこう。
本論では,文学作品評価基準の二つの主義を参照して,第一章で,アメリカのアメリカ文学史に
おけるキャノン選定に関する文学作品評価基準について考える。第二章で,日本のアメリカ文学史
に お い て キ ャ ノ ン と さ れ て き た 作 品 の 変 遷 を 概 観 し て 特 徴 を 検 討 し, 第 三 章 で , 前 章 の 検 討 を 手 が
か り に , 日 本 の アメ リ カ文学 史 に おけ る キャ ノ ン 選 定 に 関す る 文 学 作品 評 価 基 準に つ い て 考 え る。
1 ア メ リ カ 文 学史 に おけ る 文学 作品 評 価 基 準
「 基 本 主 義 」 と「 反 基 本 主 義 」 の 二 極 か ら 見 る と , ア メ リ カ の ア メ リ カ 文 学 史 は , 自 ら 意 識 的
に , 反 基 本 主 義 を 志 向 し て い っ た , と 言 え る 。 渡 辺 利 雄 が, 2 0 世 紀 を 代 表 す る 三 つ の ア メ リ カ 文
学 史 と し て 挙 げ て い る,The Cambridge History of American Literature ( 1 91 7 -2 1): 以 下
CHAL, Literary History of the United States ( 1 94 6 ): 以 下 LHUS, Columbia Literary
History of the United States ( 1 9 8 8 ): 以 下 CLHUS の 三 つ を 取 り 上 げ て , こ の 流 れ を 観 察 し
てみよう。
CHAL は ,序 文 で四 つの 編 集 方針を 挙 げ て い る 。
( 1) I t [CHAL ] i s o n a l a r ge r s c a l e tha n any of i ts pr e de ce ssor s w hic h ha v e carrie d
th e s to r y f r o m c o l o ni a l t i m e s t o the pr es ent g e ne ra tio n; ( 2 ) It is the fi r st hi st or y
of American literature composed with the collaboration of a numerous body of
scholars from every section of the United States and from Canada;(3)It will
provide for the first time an extensive bibliography for all periods and subjects
tre a te d ; ( 4 ) I t wi ll b e a s ur v e y of the l i fe of th e A mer i c an peo pl e as ex p re ss ed in
the ir wr i t i ngs r a t he r t ha n a his to r y of belles-lettres al o ne .( ⅲ )
方 針 ( 1) に よ り ,CHAL は 文 学 史 の 起 源 を 植 民 地 時 代 と し て い る 。 先 行 す る 文 学 史 の 中 に は , 実
用的価値 よりも 美 的 価値 を 重 く 見て , いわ ゆ る Ne w E ng l a nd の 文 芸 を 高 く 評価 し, 初 期植民 地時
代 の 宗 教 的 説 教 や 政 治 的 パ ン フ レ ッ ト に 文 学 的 価 値 を 認 め な い 傾 向 の も の も あ っ た 。CHAL に は
そ う し た 傾 向 に 対 抗 す る 意 図 が あ る 。 方 針( 4 )に も,
“belles-lettres ( 文 芸 )”の 美 的価 値 よ りも,
実用的価値を重く見る傾向が見える。
LHUS に も, 同 様に ,文 学 の 実用的 価 値 を 重 ん じ る 傾 向 が 見 え る 。 以 下 に 序 の 一 部 を 引 こ う 。
Literature as they have written it, and as the term is used in the title of this
b oo k , i s a n y wr it in g in wh ic h a e st he tic , e mo ti o nal , o r i nte l le c tua l v a l ues a r e m ad e
articulate by excellent expression. [. . .] Literature can be used, and has been
m a g n i f i c e n t l y u s e d b y A m e r i c a n s , i n t h e s e r v i c e o f h i s t o r y, o f s c i e n c e , o f r e l i g i o n ,
or of political propaganda. It has no sharp boundaries, though it passes through
broad margins from art into instruction or argument. The writing or speech of
a culture such as ours which has been so closely bound to the needs of a rapidly
growing, democratic nation, moves quickly into the utilitarian, where it informs
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without lifting the imagination, or records without attempting to reach the
emotions. History as it is written in this book will be a history of literature within
the margins of art but crossing them to follow our writers into the actualities of
Am e r ican li f e .(x x i i- x x i ii )
LHUS は,文学の価値を“aesthetic, emotional, or intellectual values”としている。また,文
学の役割を“in the service of history, of science, of religion, or of political propaganda”とし,
“a culture such as ours which has been so closely bound to the needs of a rapidly growing,
democratic nation” で あ る ア メ リ カ の 文 学 は,“the utilitarian, where it informs without
lifting the imagination, or records without attempting to reach the emotions”であるとす
る。さらには ,“literature within the margins of art but crossing them to follow our writers
into the actualities of American life”と述べて,アメリカ文学と現実社会との関係に触れている。
CHAL が 第 一 次 世 界 大 戦 後 に ,LHUS が 第 二 次 世 界 大 戦 後 に 出 て い る こ と を 考 え る と , 実 用 性
を合衆国文化の特徴として前面に打ち出すのは,伝統的に王侯貴族によって担われてきたヨーロッ
パ の 非 実 用 的 伝 統 文 化 に 対 し て 自 国 の 特 徴 を 際 立 た せ る こ と で, 多 様 な 民 族 に よ っ て 構 成 さ れ る ア
メ リ カ 合 衆 国 の 国 民 に 一 つ の 文 化 的 特 徴 が あ る こ と を 印 象 づ け, 合 衆 国 国 民 に 一 国 の 国 民 と し て の
アイデンティティを確立するという意味があると言える。実用的価値を持つ作品を高く評価するの
は , 自 国 文 化 を 高 く 評 価 し よ う と す る 意 図 の 表 れ で あ り, 二 度 の 世 界 大 戦 に よ っ て, ま す ま す 大 国
化する合衆国を,かつての列強,伝統的ヨーロッパ諸国よりも高く評価したいとする欲望の表れで
あ る と 言 え る。 こ こ に , 国 民 国 家 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 強 化 に 利 す る 作 品 を キ ャ ノ ン 化 し よ う と す る ,
反 基 本 主 義 的 姿勢 が ある のは 明 ら かで あ ろう 。
CLHUS は ,LHUS が 白 人 男 性 中 心 主 義 で あ る と し て , そ の キ ャ ノ ン に 異 を 唱 え た 。 そ の 意 味 で
は, 確 か に,CLHUS は LHUS の キ ャ ノ ン 選 定 に 真 っ 向 か ら 対 立 し て い る の だ が , そ の キ ャ ノ ン
選 定 方 針 は,LHUS と 同 じ 反 基 本 主 義 で あ り , さ ら に 言 え ば ,LHUS よ り も 一 層 反 基 本 主 義 を 志
向 し て い る と さ え 言 え る 。 以 下 に あ げ る 序か ら の 引 用を 検 討 し よう 。
E v e n t s s u c h a s t h e C o l d Wa r, t h e w a r i n Vi e t n a m a n d t h e p r o t e s t s a g a i n s t i t ,
t h e c i v i l r i g h t s m o v e m e n t , t h e w o m e n’
s movement, and the struggles of various
mi no ri ty g r o up s t o ac hie v e e q ui t y in Am e r ic a n so c i ety ha v e r e fo rm ed the w a y ma ny
Americans view their nation and thereby their national literature and culture.
T he v e ry p re ss ure s , c onf l i ct s, and cul tur a l r e ev a l ua tio n s i n A me r ic a n po li ti c al and
intellectual life [. . .] generated
exciting new critical perspectives and literary
e xp r es s i o ns t hat a re r e p r e se nt e d i n t his boo k .( x i)
引 用 は ,CLHUS 出 版 の背 景 に ,冷 戦,ベトナ ム 戦 争や ,黒人 ,女 性 ,マ イ ノリ ティ の人 権 運動 によ る,
国 民 文 学・ 文 化 の 見 直 し が あ る と 述 べ て い る 。 本 書 で は ,「 合 衆 国 文 学 」 の 範 囲 に コ ロ ン ブ ス の 大
陸 到 達 以 前 や 英 語 以 外 の 言 語 に よ る も の も 含 ま れ る こ と に な る 。「 文 学 」 と し て 何 を 取 り 上 げ る か
に つ い て ,CLHUS は ,“ t he d e f in it i on o f “ li ter at ure ” has e xp and ed t o incl ude v ario us
fo rm s of e x p r e s s io n ”( x ix ) と 述 べ る。 拡 大 さ れ た 文 学 の 表 現 形 態 例 と し て ,CLHUS が 挙 げ て
い る の は , 日 記 ( d i ary ), 日 誌 ( j ou r na l), 科 学 的 著 作, 新 聞 や 雑 誌 の 記 事 , 自 伝 , お よ び 映 画
で あ る 。CLHUS の い う 「 文 学 」 が ,CHAL や LHUS で は 使 わ れ て い た 「 す ぐ れ た 表 現 」 と い う
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文学の定義に拠らず,様々な表現形態の作品を含むとされていることから,本書においては,いわ
ゆ る “belles-lettres ” の 要 素 を 文 学 の 価 値 と し て 重 く 見 る 傾 向 が CHAL や LHUS よ り も 一 層 低
くなっていることがわかる。
LHUS 出 版の 頃 ,移 民問 題や 世 界 大戦 を 経 た ア メ リ カ は 自 国 が 多 民 族 社 会 で あ る こ と を 自 覚 した 。
LHUS で は , 一 国 家 が 多 様 な 文 化 を 内 に 持 つ と し て も , 国 家 と し て は そ れ ら は 混 じ り 合 い , 統 一
さ れ る べ き と す る , メ ル テ ィ ン グ ・ ポ ッ ト を 象 徴 と し た 文 化 多 元 主 義 的 イ デ オ ロ ギ ー を 背 景 に, ア
メ リ カ 合 衆 国 の 国 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 強 化 が 図 ら れ た と 言 え る 。 一 方 ,CLHUS 出 版 の 頃 , ベ ト
ナム戦争や冷戦期に様々な少数グループによる市民運動を経験したアメリカでは,自らの大義の正
当性を疑う声が高まるとともに,自国を構成する多様な要素が,決して一つに融解することはない
と い う 認 識 も 強 ま っ た 。 そ の 結 果 , ア メ リ カ は, 構成 要 素 の 多 様 性 こ そ が ア メ リ カ 合 衆 国 の 特 徴 な
のだとする,サラダ・ボウルを象徴とする多文化主義的国家アイデンティティの確立に向かったと
言 え る 。CLHUS は , 既 に 述 べ た よ う に , 現 実 社 会 に 連 動 し て 政 治 的 ・ 社 会 的 価 値 の 見 直 し に 意 識
的に取 組んで い る 分,LHUS よ り も 一層強 く 反 基 本主 義 を 志 向し て い る と 言 える の で あ る 。
2 日本 のアメ リ カ文 学史 に お け るキ ャ ノン
では,日本のア メ リカ 文 学史 は ど う か 。日 本に と っ て ,
「 アメ リ カ 文 学 」は 外 国 の も の で あ る から,
日本のアメリカ文学史には,日本の国民国家ナショナリズムに利する反基本主義という定式はただ
ちには当てはまらない。加えて,アメリカのアメリカ文学史に大きな影響を受けていることが当然
予 想 さ れ, 一 体 , 日 本 の 特 徴 な ど あ る の だ ろ う か と い う 疑 問 さ え 浮 か ん で 来 る 。 し か し , 丁 寧 に 検
討 して みると , 日本 版 に は ,独 自 の 特徴 が 見 えて く る 。
代 表 的 な 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史, 齋 藤 勇 ( 1 9 41 ), 大 橋 健 三 郎 ( 1 9 7 5), 渡 辺 利 雄 (20 07,
2 01 0) の 文 学 史 に つ い て , ど の 作 家 が キ ャ ノ ン 化 さ れ て い る か を 見 て み よ う 。 キ ャ ノ ン と さ れ る
作家には,文学史に取り上げられる他の作家よりも,多くの頁数が割り当てられていると想定でき
る。そこで,まず,三冊のアメリカ文学史の中で,各作家にあてられている頁数を数え,次に各文
学 史 毎 に 平 均 割 当 頁 数 を 算 出 し, 最 後 に 平 均 割 当 頁 数 を 越 え て 頁 数 が 割 り 当 て ら れ て い る 作 家 を 選
び出した。
齋 藤 で は , 平 均 以 上 の 割 当 頁 数 は 4 頁 以 上 で あ っ た 。 上 位 か ら , 1 位 Edg a r A ll a n Po e, 2
位 H e r m a n M e l v i l l e , 3 位 Wa l t W h i t m a n , 4 位 Wa s h i n g t o n I r v i n g , 5 位 R a l p h Wa l d o
Emerson,Nathaniel Hawthorne,Henry Adams,Eugene O’Neill,6 位 Henry David
Tho r e au,M ar k Tw a i n,H e nr y J a me s ,7 位 J o hn Wo o lm an,J am es Fenim o re C o op er と なる 。
大 橋 で 取 り 上 げ る の は 5 頁 以 上 で , 1 位 Tw ain, 2 位 Wi l lia m Fa u lk ner , 3 位 H aw thor ne,
Wi l l i a m D e a n H o w e l l s , J a m e s , 4 位 M e l v i l l e , 5 位 W h i t m a n , E r n e s t H e m i n g w a y , 6
位 J o h n D o s P a s s o s , 7 位 E m e r s o n , T h o r e a u , T h e o d o r e D r e i s e r , F. S c o t t F i t z g e r a l d ,
J o h n S t e i n b e c k , 8 位 C o o p e r , P o e , O ’ N e i l l , T h o m a s Wo l f e , 9 位 Wi l l i a m C u l l e n
B r y a n t, A d am s , S t e p h e n C r a n e , Wi l la C a the r, She rw o o d A nd ers o n であ る。
渡 辺 の 文 学 史 は , 全 4 冊 の う ち , 補 遺 版 ( 20 1 0) の 割 当 頁 が 1 巻 か ら 3 巻 ま で ( 200 7) に 比
べ て 多 い 傾 向 が あ る の で, 補 遺 版 は 1 巻 か ら 3 巻 ま で と は 分 け て 平 均 割 当 頁 を 算 出 し た。 取 り 上
げ る べ き 割 当 頁 数 は , 1 巻 か ら 3 巻 ま で は 1 5 頁 以 上 , 補 遺 版 は 2 3 頁 以 上 と な る。 1 巻 か ら 3 巻
ま で を 対 象 に し た 結 果 は , 1 位 Twa i n, 2 位 Po e, Th or e a u, 3 位 H aw t hor n e, 4 位 J a mes, 5
位 M el vi lle , W h it m a n ,F a u lk n e r , 6 位 E di th Wha rto n, 7 位 Be nj a mi n Fr a nk lin, Emi ly
D i c k i n s o n , 8 位 C o o p e r , P o e , O ’ N e i l l , T h o m a s Wo l f e , 9 位 B r y a n t , A d a m s , C r a n e ,
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Cat he r,And e r s o n で あ る 。 補 遺 版 で は, 1 位 Upto n Si n cl a ir , T. S. E li ot, 2 位 Wo o l m an,
James,3 位 Nathanael West,4 位 F. Marion Crawford,Charlotte Perkins Gilman,Pearl S.
B uc k ,5 位 He n r y M i lle r ,D a sh ie ll Ha mm ett であ る 。
以 上 の 結 果 を 基 に , 齋 藤, 大 橋, 渡 辺 の , 三 者 全 て に お い て 相 当 の 頁 割 当 が あ る 作 家 を 選 ぶ と ,
E m e r s o n , H a w t h o r n e , P o e , T h o r e a u , M e l v i l l e , W h i t m a n , Tw a i n , J a m e s , O ’ N e i l l
の 9 人 に 絞 ら れ る。 こ れ ら 9 人 の 作 家 に つ い て , 各 ア メ リ カ 文 学 史 内 で の 割 当 頁 数 順 位 を 平 均 し
て , 総 合 順 位 を 付 け た。 結 果, 総 合 順 位 は , 1 位 Tw a in , 2 位 Ha w th or ne , Po e, M e lvil le,
W hit m an , 3 位 J a m e s, 4 位 Tho r e a u ,5 位 E me rs o n, 6 位 O ’N ei ll とな っ た。
こ の 結 果 に 日 本 の 特 徴 が 見 出 せ る だ ろ う か 。 こ こ で ,F. O . Ma tt hies s e n の American
Renaissance ( 1 9 4 1 ) を 思 い 出 そ う。M a tt hie ss en は, 同 書 で, 19 世 紀 を 代 表 す る ア メ リ カ 文
学者と して E m e r so n,T h o r e a u,H a w tho r ne,M e l v il l e,Whi t man の 5 人 を 論じ た。 この 作家
選 択 を 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に お け る キ ャ ノ ン で あ る 9 名 と 照 ら し 合 わ せ る と, Matt hies s e n か
ら 外 れ る の は, Tw a in , Po e , J a m e s , O ’Ne il l の 4 人 で あ る 。1 9 世 紀 ア メ リ カ に 焦 点 を 絞 っ た
同書で ,Tw ai n ,J a m e s ,O ’ N ei l l の 3 人が 選か ら外 れる の は 当 然 だ が,活躍 時期 か ら考 えて 載っ
てしか るべ き Po e は ,同 書で 全 く言 及さ れ ない 。 実 は ,渡辺 が指 摘す る よう に,P o e は ア メ リカに
お い て は 「 文 学 研 究 の 躓 き の 石 」(『 1 』 331 ) で あ り , ア メ リ カ で は 「 歴 史 的 に 見 て , ポ ー に 対 し
て は 彼 を「 天 才 」
( g e ni us)と し て 高 く 評 価 する 人た ちが い る 一 方,彼 を 単 なる「 山 師 」
( ch ar l at an)
で あ る と い っ て 憚 ら な い 人 た ち が い る 」(『 1』 333 )の で あ る 。
一方,日本においては,西川正身も「明治以来 , アメリカの文人で私たちに影響を与えたのは ,
ポ ウ , エ マ ソ ン , ホ イ ッ ト マ ン , そ れ く らい で し か な かっ た 」( 28 1 ) と 述懐 す る よ う に , ア メリ カ
文 学 が 紹 介 さ れ 始 め た 明 治 以 来 , P o e は 注 目 さ れ 続 け て き た。 細 入 藤 太 郎 の 『 明 治 ・ 大 正 ・ 昭 和 邦 訳 ア メ リ カ 文 学 書 目 』 に よ れ ば , 18 8 7( 明 治 2 0) 年 に , ア メ リ カ 文 学 と し て 初 め て 翻 訳 さ れ た
の は , P oe の “ T he M ur d e rs in t he R ue M o r gu e ”(「 ル ー モ ル グ の 人 殺 し 」 竹 の 舎 主 人 訳 ) と
“ T he B l a ck C at ”
(「 西 洋 怪談:黒 猫 」響 庭 篁 村訳 )で あ る 。齋 藤 以 前 の ア メ リ カ 文 学 史 に お い ても ,
Po e は 必 ず 取 り 上 げ ら れ て い る 。 例 え ば , ア メ リ カ 文 学 研 究 の パ イ オ ニ ア と さ れ る 高 垣 に よ る, 日
本 で 最 初 の ア メ リ カ 文 学 に つ い て の ま と ま っ た 本 と 評 さ れ る ,『 ア メ リ カ 文 学 』( 19 2 7) に お い て
も,おそらくは日本で最も古いアメリカ文学史の浅野の『英国文学史:付録 米国文学史 英詩乃
種類及 韻律 法』
(1 9 0 8 )にお い ても ,Po e は 重 要作 家と し て 扱わ れて い る 。 M a tthi e sse n の い う「 ア
メリカン・ルネ サ ン ス 」は 日 本の ア メ リカ文 学 研 究 者 に 影 響 を 与え はし た が , 彼 の 著 書出 版 以 降 も,
日本に おけ る P o e への 高 い 評価 は 変 わ らなか っ た。 Poe に対 す る 高 い関 心 が ,日 本 の ア メ リ カ文 学
史 におけ るキ ャ ノ ン 選定 の 日 本の 特徴 の 一 つだ と言 っ て 良 い 。
3 P oe の評 価を め ぐ る 考 察
日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に お い て, P oe へ の 評 価 が ア メ リ カ で の 評 価 に あ ま り 左 右 さ れ て 来 な か っ
たのが事実であるとすれば,ここに日本のアメリカ文学史における作品評価の特徴を見て良いだろ
う 。 そ こ で ,先 の 齋 藤 ,大 橋 ,渡 辺 に ,最 初 期 の 浅野 も 加 え て ,それ ぞ れ の アメ リ カ 文 学 史 の 中で,
P o e に つ い て ど の よ う な こ と が 述 べ ら れ て い る か を 検 討し てみ よう 。
Po e に つ い て の 記 述 を , Po e の 「 生 涯 」,「 小 説 」,「 詩 」,「 評 論 」,「 ア メ リ カ 性 」 と , Po e に 対
す る 「 評 価 や 批 評 」, に 分 類 し て , ま ず 予 備 的 な 検 討 を 行 っ た 。 そ の 結 果 , 時 代 に よ っ て 評 価 が 変
わ ら な い 要 素 と ,変 わ る 要 素 が あ る こ とが わ か っ た 。 変わ らな いの は ,P oe 詩 作品 の ,例 え ば“The
R a v e n” に 結 実 し た 「 美 至 上 主 義 的 技 法 」 で , 常 に 評 価 が 高 い。 変 わ る の は, 特 に 小 説 に つ い て 言
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わ れ て い る ,「 ゴ シ ッ ク 的 な 怪 奇・ 恐 怖 の テ ー マ 」 で あ る。 こ の 二 つ の 要 素 の 評 価 に , 日 本 に お け
る ア メ リ カ 文 学史 のキ ャ ノ ン選定 に 関 わる 作品 評 価 基 準 の 特 徴 が見 え な い だろ う か 。
3 P o e の 評 価 を め ぐる 考 察 ①美 至 上 主 義 的技 法
日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に お い て , Po e の 美 至 上 主 義 的 技 法 に は, 時 代 に 左 右 さ れ ず , 高 い 評 価 が
与 え ら れ て い る。 浅 野 は Po e の 詩 の 題 材 が 狭 い の を 不 満 と し な が ら も ,「 色 と 調 と を 併 せ た る 一 種
精 妙 の 技 術 と 幽 玄 の 想 像 」( 5 3 ) を 絶 賛 し , 齋 藤 は Po e の 詩 が 「 極 め て 微 妙 な me lo dy を ほ し い ま
ま に し 」( 91),「 wo r d - m us ic 」(9 1 ) を 持 っ て い る と 述 べ る 。 大 橋 は 「Po e は 何 よ り も ま ず , 詩
人 で あ っ た 。」( 7 3 ) と 述 べ た 後 , Po e の 詩 論 を 援 用 し て Po e の 詩 作 を 「 美 の 韻 律 的 創 造 」( 74)
と ま と め て 「 純 粋 詩( p o é s ie p u r e ) の 先 駆 者 と し て の 栄 光 あ る 地 位 を 占 め る こ と が で き た 」(75 )
と す る 。渡 辺 は “T h e Ra v e n” を 解 説 し つ つ ,「 韻 律 の 極 限 と い っ て よ い 音 楽 性 を 駆 使 し て 読 者 を
魅 了 す る 」(『1 』 3 4 1 ) と 述 べ て い る 。 こ の よ う に , 作 品 テ ー マ が 現 実 社 会 か ら 遊 離 し た Po e の 美
至上主義的技法に高い評価が与えられることから予測されるのは,作品評価基準が「基本主義的」
で あ るこ とで あ る 。 この 予 測 は正し い か , そ れ ぞ れ の 文 学 史 で 確 認 し て み よ う 。
浅 野 は , ア メ リ カ 文 学 史 を 三 つ に 分 け ,「 第 一 章 植 民 時 代 」「 第 二 章 革 命 時 代 」「 第 三 章 近
代 」 と し て い る 。 植 民 時 代 で 取 り 上 げ る 文 学 者 は 唯 一 Fr a nk li n で , そ の 理 由 を 彼 は , マ サ チ ュ ー
セ ッ ツ と ヴ ァ ー ジ ニ ア 植 民 地 の 建 設 に つ い て 述 べ た 後 ,「 以 上 は 米 国 植 民 地 の 概 況 な る が , 要 す る
に 彼 等 は 多 忙 な る 新 天 地 の 開 拓 者 に し て 到 底 其 間 に 優 れ た る 文 学 を 生 み 得 る 筈 な し 。」( 7) と 付
け 加 え て い る。 革 命 時 代 に お い て は , 政 治 家 A le x ande r Ha mi lto n, 小 説 家 C ha rle s B ro c kde n
B r ow n, 詩 人 P hi li p Fr e ne au し か , 浅 野 は 取 り 上 げ ず, そ の 理 由 を ,「 此 時 代 の 米 国 に は 純 文 学
者 と し て 偉 大 な る は な か り き 。」( 14 ) と し て い る 。 こ れ ら の こ と か ら , 浅 野 は, 先 述 の CHAL が
異 を 唱 え た , 美 的 価 値 を 優 先 す る 作 品 選 択 を 行 っ て いる と言 え よ う。
齋 藤 の 作 品 評 価 基 準 は ど う だ ろ う か 。 そ の 序文 か ら 一 部 を 抜粋 して み よう 。
ア メ リ カ に お け る 文 学 史 研 究 法 は , イ ギ リ ス に 於 ける と は 趣 を 異に し て い る所 が あ る 。 [・・・]
そ の 特 色 は 世 相 史 的 , 社 会 史 的 研 究 法 で あ る 。[ ・ ・ ・ ] そ の 判 断 は , 文 学 と し て の 第 一 義 的 価
値 ( i ntri ns i c v al ue ) に 対 す る よ り も , 当 代 の 人 々 を い か に 反 映 し て い る か , 又 は い か に 感
動 せ し め た か と い う 点 に 重 き を 置 い て い る 。 [・ ・ ・ ] し か し 或 る イ デ オ ロ ギ ー の 宣 伝 と し て の
効果如何,又或る科学思想を適用して成功しているか否かが,直に文学としての優劣を決する
第 一 条件 で あ ると 考え 易 い 弊害を 免 れ な い。( 5-6 )
齋 藤 は 文 学 作 品 の 社 会 的 意 義 も 評 価 す る が, ア メ リ カ で は そ れ に 重 き が 置 か れ 過 ぎ て い る 点 に 警 鐘
を 鳴ら す 。「 文 学 とし て の 優劣を 決 する 第一 条 件 」は ,彼 に よ れば ,文 学 作 品 の 社 会 的 意 義 で は ない 。
作 品に 本来 備 わる ( i nt r i nsi c )価値 が , す なわ ち 「 文 学と して の 第 一 義 的 価 値 」 な の で あ る 。
大 橋 は , 序 で 編 纂 方 針 に つ い て ,「 文 学 史 に お け る 最 も 重 要 で , か つ 困 難 な 問 題 は , [・ ・ ・] 個
別的な細目,特に個別的な作家,なかんずく作品そのものの解釈説明と,それらを貫いている大き
な歴 史の 流れ の 記 述 と の関 係を ど の よう にす べ き か ,とい うこ と で あ ろ う 。」
( ii i)と 述 べ て い る 。
「作
品 そ の も の 」 と 「 歴 史 の 流 れ 」 と, ど ち ら を 軸 に す る か と い う ジ レ ン マ は , 明 確 な 作 品 選 定 基 準 と
して の意 識は な い ま でも,基 本 主 義を とる か 反 基 本 主 義 をと る か ,に 重 な っ て い る と 言 え る 。 結局,
大 橋 は,「 作 品 こ そ が 文 学 の 歴 史 を 作 り 上 げ る 肝 心 か な め の も の で あ る か ら に は , む し ろ 作 品 の 解
釈 説 明 を こ そ 主 軸 と す る べ き な の だ が , 同 時 に 他 方, 作 品 の 解 釈 説 明 を 並 列 す る だ け で は , 文 学 史
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は成立しない。ただ歴史の流れを記述する方法は非としても,何らかの形での文学史への試みはな
さ れ な け れ ば な ら な い の で あ る。」( ii i) と 述 べ て ,〈 作 家 と 作 品 〉 と い う 項 と〈 概 観 〉 と い う 項 を
並 列 さ せ て , 両 者 の バ ラ ン ス を と る 方 法 を 選 ぶ 。 1 94 6 年 に LHUS が 出 版 さ れ て 文 学 評 価 に ま す ま
す 社 会 的 意 義 が 加 味 さ れ る よ う に な っ た ア メ リ カ の 批 評 状 況 に , 大 橋 は 配 慮 し て は い る が, 引 用 で
「 作 品 が 歴 史 を 作 る 」 と 述 べ て い る 点 に, 個 別 の 作 品 を 自 立 し た 芸 術 と し て 捉 え て 評 価 し よ う と す
る基本主義的態度が見て取れよう。
渡 辺 は , 序 で 「 現 在 , ア メ リ カ な ど で は, あ ら ゆ る 面 で 平 等 主 義 が 優 先 さ れ , 選 別 , 序 列 化 は 批
判 さ れ る よ う に な っ て い る が ,文 学 者 ,文 学作 品 に は 厳 然た る 優 劣 の 差 が あ り,こ れ を 無視 し ては ,
文 学 研 究 は 成 立 し な い と 思 う 。 こ の 文 学 史 は , 結 局 , い わ ゆ る「 正 典 」( ca no n) に 焦 点 を 合 わ せ ,
ア メ リ カ 文 学 の 歴 史 を た ど っ た も の で あ る 。「 人種 , 性 差 , 階 級 」 と い っ た 硬 直 化 し た 視 点 か ら な
さ れ る 「 政 治 的 に 正 し い 」( po l i t i ca l ly co r re c t) ア メ リ カ 文 学 研 究, 見 直 し は , や は り 行 き 過 ぎ
が あ る と 思 う 。 し た が っ て , 本 文 学 史 は 見 直 し の 見 直 し の 文 学 史 と な る だ ろ う。」(『 1』 5-6 ) と 述
べる。自らの文学史を,アメリカ版アメリカ文学史の「見直し」と位置づける彼は,その評価基準
を 社 会 性 と 多 様 性 を 重 視 す る 現 代 ア メ リ カ 文 学 史 の 反 基 本 主 義 の 対 極 に 置 く 。「「 よ り 良 き 」 社 会 の
追 求 は 必 ず し も す ぐ れ た 文 学 の 必 須 条 件 で は な い 」(『 1』 1 4 ) と 彼 は 述 べ ,「 現 代 思 想 に お け る 相
対 主 義 」(『 1』 1 4 ) に 対 し て 「 学 問 研 究 は 究 極 の 絶 対 的 な 真 理 が 存 在 す る と い う 前 提 に 立 っ て, そ
の 真 理 を 追 究 す る ので なけ れ ば ,成立 し な い の で はな い か 。」(『 1 』1 4 ) と 続け る の で あ る。
以 上 の こ と か ら, 4 人 の 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 家 に は , 共 通 し て 文 学 作 品 評 価 の 「 基 本 主 義 的 姿
勢 」 が あ る と 言 え る 。 こ の姿 勢 が ,日本 の ア メリ カ文 学史 に お け る Po e の 美至 上主 義的 技法 の 時代
に左 右さ れな い 高 い評 価 に 影 響し てい る と 考え て良 い だ ろ う 。で は ,彼 ら の,この 基本 主義 的姿 勢は ,
何 に 由 来 す る の だ ろ う か。 簡 単 な 答 え と し て は, ア メ リ カ 版 ア メ リ カ 文 学 史 の 極 端 な 反 基 本 主 義 に
対する違 和感で あ る ,と 言え る 。 しかし ,本 稿 は,こ こで ,日 本 の アメ リカ 文 学史 におけ る Poe 評
価 の も う 一 つ の 特 徴 ,「 ゴ シ ッ ク 的 な 怪 奇・ 恐 怖 の テ ー マ 」 に 対 す る 評 価 の 変 化 を 手 が か り に, 日
本の アメリカ 文 学 史家 の 基 本主 義 的 姿勢に つ い て, もう 少し 突 き 詰 め て 考え てみ たい 。
3 P oe の評 価を め ぐ る 考 察 ② ゴ シック 的 な 怪奇 ・恐 怖の テー マ
作品評価の変化は,評価基準の変化を意味する。評価基準の変化は,評価基準が反基本主義的で
あることを意味するのではないか。だとすれば,前節で見た日本のアメリカ文学史家の基本主義的
姿勢は 何に 由来 す る の だろ う か 。
こ こ で 参 照 し た い の が 日 本 文学 史 で あ る 。 ア メ リ カ 文 学 研 究 者 , 西 川 が 「 大 正 の 初 め , ポ ウ が か
な り 広く 読まれ た のは ,谷 崎 潤一 郎 ,佐 藤 春 夫そ の 他 唯 美 主 義と 関 係 が あ るよ うに 思 わ れ る 。」
(274)
と指摘しているように,同時代の日本文学の状況と日本におけるアメリカ文学の作品評価は,関連
していると思えるからである。まず,標準的な高校生用日本文学史の教材『詳説 日本文学史』を
ひ も解 き,これ まで に見 た ア メリ カ 文 学 史出 版 年 代頃 の 日 本 文学 の 状 況 を 確 認し てお き た い 。
浅野の出版は明治 41(1908)年で,日本文学では自然主義から新しい文学潮流が生まれようと
し てい た時 期に あ たる。 少 し 前 ,日 本 文学 は 自 然 主義 の 前 期 にあ た り ,田 山 花 袋の『重 右 衛 門 の 最 後』
が 明 治 3 5 (1 9 0 2 ) 年 , 島 崎 藤 村 の 『 破 壊 』 が 明 治 3 9 ( 1 90 6 ) 年 に 出 版 さ れ て い る 。 日 本 の 自 然
主 義 は E m ile Z o l a の 「 ゾ ラ イ ズ ム 」 に 影 響 さ れ つ つ , 日 本 独 自 に 展 開 し た 。『 詳 説 日 本 文 学 史 』
は 自 然 主 義 の 解 説 箇 所 で ,「 田 山 花 袋 も こ の 時 期 『 重 右 衛 門 の 最 後 』( 明 治 3 5 年 ) で 荒 々 し い 人 間
の 獣 性を 描 き,
「 露 骨 なる 描写 」を 主 張 し た」
( 1 45 )と す る 。 日 本 文 学 の 自 然 主 義 は「 露 骨 な る 描写 」
か ら, や が て 自 己 の 内 面 の 暴 露 に 向 か い, 後 期 に は 「 私 小 説 」 に 変 化 す る 。 私 小 説 へ の 道 を 開 い た
69
と さ れ る 田 山 の 『 蒲 団 』 は 明 治 4 0 (1 9 07 ) 年 の 出 版 。 自 然 主 義 文 学 が 行 き 詰 ま り , 新 し い 文 学 が
胎 動 し て き た の が,『 ス バル』( 明治 4 2 年 ),『白 樺 』( 明 治 43 年 ),『 三田 文 学 』(明 治 4 3 年 ),『新
思 潮 』( 明 治 43 年 ) が 創刊さ れ た 明治 4 3 ( 19 1 0 )年 頃 と さ れ る 。
齋 藤 の 出 版 は 昭 和 1 6 ( 1 9 4 1 ) 年 で あ る。 そ の 直 前 , 大 正 後 期 か ら 昭 和 初 年 代 に, 日 本 の 文 壇 で
大きな勢力となるのがプロレタリア文学である。日本のプロレタリア文学は,大学出のマルクス主
義 者 が 主 導 権 を握 っ て理 論闘 争 を 盛ん に行 い ,大 衆 と 離 反 し て行 っ た の が特 徴 と さ れ る 。 この 時代 ,
他 を 圧 倒 し た プロ レタ リ ア 文学は ,し か し ,昭 和 8 ( 1 93 3 ) 年 2 月 に 小 林 多喜 二が 特高 (特 別高 等
警 察 ) に 虐 殺 さ れ, 同 年 に 共 産 党 首 脳 の 佐 野 学 と 鍋 山 貞 親 の 獄 中 か ら の 転 向 声 明 が 出 さ れ る と, 昭
和 9( 1934) 年に プ ロ レタリ ア 作 家同 盟( ナ ル プ ) が 解散 し て , 急 速 に運 動 と し ての 力 を 失 い, 文
芸 復 興 が 叫 ば れ る よ う に な る 。 小 林 秀 雄 , 川 端 康 成 な ど に よ る『 文 学 界 』 の 創 刊 が 昭 和 8 年 。 や が
て 島 木 健 作 な ど の 転 向 文 学 が 生 ま れ た 後 , 大 政 翼 賛 会 が 昭 和 1 5( 1 9 4 0) 年 に 設 立 さ れ て さ ら に 戦
時 体 制 が 本 格 化 す る と , 転 向 作 家 た ち の 一 部 は国 策 文 学 へ と 組み 込ま れ て 行 く。
大 橋 は 昭 和 5 0( 1 97 5) 年 出 版 で あ る 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 , 昭 和 3 0 年 代 半 ば か ら 4 0 年 代 後 半 に
か け て は , 60 年 安 保 , 70 年 安 保 , 市 民 運 動 や 学 園 闘 争 に 代 表 さ れ る 激 動 の 政 治 の 季 節 で あ っ た。
そのような現実社会の問題に対峙する創作活動が,季刊誌『人間として』で繰り広げられたのが昭
和 45( 1 97 0)年 か ら 47( 19 72 )年 で あ る 。『 詳 説 日本 文 学 史 』は「雑 誌『人 間 と し て 』の 作家 」
という項目で,高橋和巳や小田実などの社会派作家を挙げている。高橋の『悲の器』の出版は昭和
37( 196 2) 年 , 小 田 の 『 ガ 島 』 は 昭 和 48 ( 197 3 ) 年 で あ る。 一 方 ,4 0 年 代 半 ば 頃 から は , イ デ
オ ロ ギ ー や 政 治 よ り , 自 分 た ち や 自 分 た ち の 日 常 性 を 見 つ め 創 作 す る,「 内 向 の 世 代 」 が 文 壇 で 活
躍 す る こ と に な る 。早 く か ら 活 動 し て い た 小 川国 夫(『ア ポロ ン の 島 』昭 和 3 2 年 )が 代 表 とさ れ る が,
古 井 由 吉(『 杳 子 』昭 和 45 年 )や 黒 井 千 次(『時 間』昭 和 4 4 年 )が後 に 続 く 。昭 和 5 0 年 代 後 半は,
19 80 年 代 を 読 み 解 く キ ー ワ ー ド と し て 「 ポ ス ト ・ モ ダ ニ ズ ム 」 が 重 宝 さ れ, 浅 田 彰 な ど の 若 手 批
評 家 が 「 ニ ュ ー ・ ア カ デ ミ ズ ム 」 の 旗 手 とし て 騒 が れ た 時 代で もあ る こ と も押 さ え て お こ う 。
渡 辺 は 『 第 一 巻 』 か ら 『 第 三 巻 』 を 平 成 1 9 (2 0 07) 年 に 出 版 し ,『 補 遺 版 』 を 平 成 22 ( 201 0)
年 に 出 版 し て い る 。 平 成 初 期 文 学 に つ い て ,『 詳 説 日 本 文 学 史 』 は 「 米 ソ 冷 戦 終 結, 湾 岸 戦 争,
ソ 連 邦 解 体 , 国 内 で は バ ブ ル 景 気 後 退 , 総 選 挙 に よ る 「 五 五 体 制 」 の 崩 壊 , 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災, 地
下 鉄 サ リ ン 事 件 , 加 え て 高 齢 化 社 会 の 到 来 と, 国 内 外 の 激 変, 危 機 の も と に「 文 学 」 自 体 も 大 き な
変 動 の 時 期 を 迎 え て い る 。「 純 文 学 」 消 滅 が 既 に 言 わ れ, 旧 来 の 「 文 学 」 の 概 念 が 解 体 す る 一 方 で ,
新 し い 型 破 り な 文 学 が 創 造 さ れ つ つ あ る の が 平 成 初 期 の 現 状 で あ る。」( 19 0 ) と , そ の 特 徴 を ま と
め て い る 。『 日 本 近 代 小 説 史 』 の 著 者 , 安 藤 宏 の 表 現 を 借 り れ ば , 平 成 の 前 , 昭 和 50 年 代 後 半 に,
「国家と個人,政治と文学,自我,土俗的な風土など,それまで近代文学が追求してきたテーマが
大 き く 変 容 す る き っ か け に な っ た と 言 わ れ て い る」( 21 3 ) 村 上 春樹 が 登 場 し ,
『風 の 歌 を 聴 け 』(昭
和 54 年 ),『 1 97 3 年 の ピ ン ボ ー ル 』( 昭 和 5 5 年 ),『 羊 を め ぐ る 冒 険 』( 昭 和 57 年 ) を 次 々 に 発 表
し た 。 安 藤 は 村 上 作 品 に つ い て 「「 筋 合 い の な い 世 界 」」( 2 1 4 ) を 描 き 「 必 然 的 な 因 果 関 係 に 基 づ
く心理や主義主張に従って人物が動いていく「近代小説」のあり方への一つのアンチテーゼになっ
て い る 。」( 2 14) と 評 す る 。 平 成 文 学 は こ の「 ア ン チ テ ー ゼ 」 が 当 然 視 さ れ る 世 界 観 を 背 景 に し て
い る と 言 え る だ ろ う。
で は 次 に , 浅 野 , 齋 藤, 大 橋, 渡 辺 に よ る P oe 小 説 の ゴ シ ッ ク 的 要 素 を 取 り 上 げ , 日 本 文 学 の 状
況 と 照 ら し 合 わ せ よ う。 そ れ ぞ れ の 文 学 史 の 評 価 基 準 の 変 化 , 及 び , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 家 の 基
本 主 義 的 姿 勢 の 由 来に つい て , 日本 文学 史 と 照 ら し 合わ せ て 検 討 し よう 。
浅 野 が P o e の ゴ シ ッ ク 的 要 素 を 解 説 す る 際, 自 然 主 義 的 露 骨 な る 描 写 の キ ー ワ ー ド で あ る 「 人 間
70
の 獣 性 」と い う 表現 を 使っ てい る 点 に注 意を 促 し た い 。浅 野 は Po e の ゴ シ ック 的 要 素 に つい て,
“The
Black Cat” の 「 鬼 気 の 迫 る 」( 5 1 ) 感 を 絶 賛 す る が ,The Narrative of Arthur Gordon Pym
(5 1)を「 人 間の 獣性 を さ ら け 出 さ ん と し た る も の 」
(51)
of Nantucket に 描 か れる「 極端な る 場 合 」
と 言い ,
「一 種人 を 引 着 する の魔 力 あ れど ,余は 少し く そ の 醜 悪 なる に 閉 口 す 。」(5 1) と 締 め く くっ
て ,嫌 悪 感を 露 に す る。
浅 野 の 嫌 悪 感 は, 当 時 の 日 本 文 学 の 主 流 だ っ た 自 然 主 義 へ の 彼 の 嫌 悪 感 を 反 映 し て い る 。 自 然 主
義 は, 硯 友 社 的 技 巧 を 廃 し , 社 会 の 現 実 の 直 視 を 訴 え て 現 実 暴 露 を 標 榜 し た が , 題 材 が 個 人 の 内 面
に向か った 結果 ,人 間 の 獣性 の 暴 露が中 心 的 テー マに な っ た 。浅 野 の P o e 評 価 は ,人 間 の 獣 性 の 暴露 ,
即 ち, 現 実 生 活 の 赤 裸 な 暴 露 を 目 的 と す る 自 然 主 義 に 共 感 で き な い 浅 野 の 文 学 観 を 反映 す る 。 自 然
主 義 の 社 会 の 現 実 直 視 に 反 発 す る と い う 意 味で , そ の 作 品評 価 基 準 は基 本主 義 に 接 近 し てい る。
齋 藤 の 場 合 , P o e の ゴ シ ッ ク 的 要 素 の 負 の 側 面 の 原 因 は, Po e が 現 実 生 活 を 見 つ め て お ら ず, 世
俗 世 界 を 嘲 っ て い る た め と さ れ て い る 点 に 注 目 し た い 。 齋 藤 は, Po e 作 品 の 弊 と し て ,「 死 ん だ 美
人 に と り つ か れ て い る よ う な 気 分 」( 9 3 ) が 漂 っ て お り , 作 品 の 「 取 材 範 囲 が 狭 く て 単 調 の 嫌 い が
ある」
( 93 )と 指 摘 す る 。 こ の「 m o r b id ity 及 び m o no to ny 」
(9 3 )は ,齋 藤 に よ れ ば ,Po e の ゴシ ッ
ク 的 要 素 の 負 の 側 面 で あ る 。 彼 は , そ の 原因 を以 下 の よう に説 明 す る 。
こ れ ら の 弊 即 ち mo r bi d it y 及 び m o n ot ony は[ 詩 作 品 に 於 け る と 同 様 に ] 彼 の 短 篇 小 説 に 於
て も 免 れ な い 。 こ れ は 彼 自 身 が Tales of the Grotesque and Arabesque と い う 題 を 選 ん だ
ことから見ても,おのづから察せられるところである。一体彼は実際生活を見つめて,それを
描 い た の で は な い。 否 , そ れ を 世 俗 の 世 界 と し て 嘲 り , 或 い は そ れ に 触 れ る こ と を 恐 れ て, 目
を 閉 じ な が ら 空 想 に 耽 っ た。 故 に 彼 の 世 界 は 現 実 の 世 界 と か け 離 れ て い る 。 彼 と は 対 蹠 点 に 立
つ か の 如 き S c o t t が 少年 の 時 から 幾多 の 騎 士 の 活 動を 念 頭 に 描 い てい た と は 反対 に,彼 は 死者 ,
亡 霊 , 妖 怪 等 の 出 没す る幻 を 見 てい たで あ ろ う 。( 9 3 )
齋 藤 は ,Po e 文 学 の 病 的,単 調 の 性質を ,Poe が 「 実 際 生 活 」 を世 俗 の 世 界と し て 嘲 っ て 直 視 せ ず,
空想に耽った結果である,としている。齋藤が,現実生活に世俗性を認め,世俗的要素もふんだん
な S co t t を 評 価 し て い る点 にも 注 目 しよ う。
昭 和 10 年 代 の 日 本 文 学 の キ ー ワ ー ド は「 生 活 」( 1 51 ) で あ る , と 安 藤 は 指 摘 し て い る。 当 時 文
壇で叫ばれた文芸復興は,既に急速に勢力を失っていた公式主義的プロレタリア文学に対立する形
で起こった。政治的素材主義をうたったプロレタリア文学は勢いを失い,日本文学のテーマは社会
改 革 か ら 私 小 説 的 現 実 生 活 へ と 揺 れ 動 い た の で あ る 。 昭 和 11 ( 19 3 6 ) 年 に 正 宗 白 鳥 と 小 林 秀 雄 が
繰 り 広 げ た「 思 想 と実 生活 論 争 」と 呼 ば れ る 文学 論 争 の キ ー ワー ド も「実 生 活 」だ った 。 本 論 では ,
その論争の詳細を割愛するが,強調して良いのは,主張の違いはあれ,作品の社会・政治的思想が
作 家 個 人 の 具 体 的現 実 生活 か ら生 まれ る と い う 点で は , 両 者 が 共通 理 解 を 有し てい る こ とで ある 。
作家個人の世俗的現実生活と作品の関係を作品評価と結びつける齋藤の批評態度は,当時の日本
文 壇 の 態 度 と 呼 応 す る 。 浅 野 が Po e の ゴ シ ッ ク 要 素 に 現 実 生 活 の 暴 露 を 見 て 取 っ た の と は 異 な り ,
齋 藤 が そ こ に 現 実 生 活 の 無 視 を 見 る の は , お そ ら く , 日 本 の プ ロ レ タ リ ア 文 学 の, 大 衆 か ら 離 れ て
高 踏 的 に な り , 極 端 に 政 治 的 価 値 を 優 先 し た 態 度 に , 齋 藤 が 共 感 で き な い か ら で あ る。 平 林 初 之 輔
ら に よ る, い わ ゆ る 「 芸 術 価 値 論 争 」 に あ る よ う に , 当 時 の 日 本 文 学 に お い て は , 政 治 的 価 値 に は
芸術的価値が対立するとされていた。齋藤の作品評価基準は,文学の社会的・政治的価値に重きを
お く の を 良 し と し な い とい う点 で , 芸術 的価 値 を 重 ん じ る基 本 主 義 に 近 づく 。
71
大 橋 に お け る Po e の ゴ シ ッ ク 的 要 素 の 評 価 は , 部 分 的 に 負 の 側 面 を 強 調 し て き た 浅 野 や 齋 藤 と は
異 な り , 全 面 的 に 肯定 的 である 。
自 分 [ Po e ]の 扱 う 恐怖は ,H of f ma n n ら に 代 表さ れ る よ う な ドイ ツ的 な もの で は な く て ,
「魂
の恐怖」であると誇らし気に揚言しているように,彼は人間心理の洞窟深くくだって行った。
「( 自 己 の 赤 裸 な 心 を ) 書 く だ け の 勇 気 の あ る も の は 決 し て い な い。 ま た , も し 書 く だ け の 勇 気
があったとしても,それを書くことはできない。書こうとすれば,炎のようなペンに触れて,
紙 は ち ぢ れ , 燃 え 上 る だ ろ う 。」 と 書 い た Poe は, 魂 の 中 に ひ そ む 自 分 で は ど う し よ う も な い
悪 魔 め い た も の の存 在を 知 り ,恐 れて いた 。 恐 れ て い た か らこ そ ,一 層 洞窟 の 奥 深く を さ ぐ り,
そ こ に 見 た も の を 書 く と い う 悪 魔 祓 い の 儀 式 を 続 け ね ば な ら な か っ た の で あ る。 [・ ・ ・ ] Po e
は Charl es B r o c k de n B r o w n に 始 ま り, H aw th o r ne ,M e l v il l e を 経 て Fa u lk ner に ま で い
た る , 闇 の 力 の 探 求者 た り得 たの で あ る 。( 7 6)
大 橋 が P oe の ゴ シ ッ ク 的要 素に ,浅 野に 類 し た ,と も す れ ば醜 い 人 間 の 赤 裸 な生 き よう を見 てい る
点 に 注 意 し よ う 。 そ の 追 求 を 大 橋 は , 浅 野 が そ れ に 嫌 悪 感 を 抱 い た の に 対 し て , Fa ul k ner に 連 な
る 「 闇 の 力 の 探 求 者 」 と 高く 評 価 してい る 。
当時日本文壇の「内向の世代」と呼ばれる作家たちの問題意識が,人間個人の内面に向けられて
い た の は 既 に 指 摘 し た 。 大 橋 の 頃 , 昭 和 50 年 代 に は 「 政 治 の 季 節 」 は 終 わ り,「 経 済 成 長 に 伴 う 私
生 活 の 充 足 も あ っ て 社 会 は日 常の 安 定 を求め て 保 守 化 」
( 安 藤 19 9 )し て いた 。 そ の 後も 日本 文学 は ,
社 会 の 現 実 を 真 摯 に 見 つ め て 問 題 提 起 す る 方 向 へ は 必 ず し も 進 ま な か っ た 。「 政 治 と 文 学 論 争 」 を
既に経て文学の政治からの自立が唱えられ,文学の社会的・政治的価値が大幅に切り下げられてい
た 時 代 ,大 橋 に よ る Po e の ゴ シッ ク 的 要素評 価 に は ,文 学の 問題 を 社 会や 政治 に で は な く ,個 人 の
内 面 に 求 め よ う と す る, 当 時 の 日 本 文 学 の 姿 勢 へ の 共 鳴 が 明 ら か に 見 ら れ る 。 そ の 評 価 基 準 は, 個
人の 内面 の問題 を 重 んじ て 社会 的 ・ 政 治 的問 題 を 忌 避 す る結 果 , 基 本 主義 の様 相 を 呈 す る 。
平 成 の 渡 辺 で は ,P o e の ゴ シ ッ ク 的 要 素 は , 本 来 混 沌 と し た 雑 多 な 要 素 か ら な る 真 実 の 一 面 と さ
れ, 否 定 的 に 言 及 さ れ る 。P o e が 自 分 の 「 純 粋 な 悲 劇 」 に , あ ら か じ め 作 者 に よ っ て 計 画 さ れ た 統
一 され た効果し か認 めな い の に対 し て ,渡 辺は ,真 実 に は 多様 な 局 面が あ る の で あ って Po e は 十分
に は 真 実 に 迫 っ て い な い と す る の で あ る 。 ポ ス ト・ モ ダ ン を 経 過 し た 平 成 の 文 学 の 背 景 に は , 原 理
原則に対する不信があり,あらゆる価値には相対的な意味しかないとされる。渡辺が,作家や批評
家 など の様 々な Po e 解 釈 に言 及 し て 真 実の多 面 性 を 示そ う と す る態 度 は ,あ ら ゆ る 価 値 が 相 対的で
あ り , も の の 見 方 の 数 だ け 様 々 な 真 理 が あ る と す る 考 え に 支 え ら れ て お り, 同 時 代 文 学 の 考 え 方 と
軌 を 一 に する と 言っ て良 い 。
作 品 解 釈 の 多 様 性 の 主 張 は , 唯 一 の 真 理 の 否 定 で あ り , 明 ら か に 反 基 本 主 義 的 で あ る 。 し か し,
実 際 に は , 渡 辺 は 著 書 の 冒 頭 で「 絶 対 的 な 真 理 」 が 存 在 す る と 信 念 を 述 べ て い た 。 P oe の ゴ シ ッ ク
的要素を取り上げて真実の相対性を論じる渡辺は,自らの信念との間で,どのように折り合いをつ
け る の だ ろ うか 。 彼 の P o e 評価 を も う少 し詳 し く 見 て みよ う。
す ぐ れた 文学 作 品 の意 味,効 果 は け っ し て単 一 で は なく ,む し ろ 「 両面 価値 的 」( a mb iv ale nt)
で あ っ た り ,「 曖 昧 」( a mb ig uo u s ) で あ っ た り す る 。 そ の ほ う が よ り 豊 か な 作 品 と し て 高 く
評価される。ポーが主張する短詩や,短篇小説には,単一の効果によって読者を魅了する秀作
も 少 な く な い が, そ れ ら は 詳 細 な 作 品 分 析 の 対 象 と は な ら ず , 再 読 に 耐 え る と は 必 ず し も い え
72
な い 。 そ れ に 対 して ,ハ ー マ ン・ メル ヴ ィ ル の 短 篇“ B a rt le b y, t he Sc riv e ner ”( 1 853 )は ,
ポ ー の 言 う よ う な 意 味 で の 作 者 の 意 図, 効 果 は 明 確 で は な く , 曖 昧 性 そ の も の の よ う な 作 品 で
あ る が , ま さ にそ れ故 に , 読 者の心 を と ら え つ づ けて い る の であ る 。(『1 』 347 -48 )
こ こ に は , 良 い 作 品 は 多 様 な 解 釈 を ゆ る す の で あ っ て , そ の 時 作 品 は ,「 両 面 価 値 」 や 「 曖 昧 性 」
と い う 価 値 を 持 つ と す る 考 え が 示 さ れ て い る 。 解 釈 の 多 様 性 を, 渡 辺 は ,「 両 面 価 値 」 や 「 曖 昧 性 」
と 呼 称 し , 多 様 な も の が 一 体 渾 然 と な っ た そ れ ら に , 普 遍 的, 絶 対 的 価 値 を 与 え る。 作 品 の 「 絶 対
的 な 真 理 」 の 解 明 を , 真 理 の 解 明 で は な く , 作 品 が「 両 面 価 値 」 と 「 曖 昧 性 」 を 持 つ こ と の 証 明 と
同 義 に し て し まっ てい る 。渡 辺 の Po e へ の反 発 は ,同 時 代 の ,あ ら ゆ る価 値 が 相 対 的 で あ る とす る
日本文学の状況に反発する態度の表れである。いったんは時代の文学観を認めつつも,最終的に彼
は , 真 理 の 解 明 の 意 味 を す り 替 え る こ と に よ っ て, 基 本 主 義を 志 向 す る。
以 上 , 四 つ の 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に お け る , Poe の ゴ シ ッ ク 的 要 素 の 評 価 を 日 本 文 学 の 状 況 と
照らし合わせて考察してきた。Poe のゴシック的要素の評価には,各人の同時代の日本文学への反
応 が 重 な っ て お り , 浅 野 に は 自 然 主 義 文 学 へ の 嫌 悪 が, 齋 藤 に は プ ロ レ タ リ ア 文 学 へ の 反 感 が, 大
橋 に は 「 内 向 の 世 代 」 へ の 共 鳴 が , 渡 辺 に は 相 対 主 義 的 平 成 文 学 へ の 反 発 が 見 ら れ る 。 そ し て, 各
人 と も , 一 様 に , 基 本 主 義 より の 作 品 評 価基 準 を 志向 す る の であ る 。
結
本 論 は ,日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に お け る キ ャ ノ ン選 定 のた めの 作 品 評 価基 準 を ,シ ラ ネ の 言う 「基
本主義」と「反基本主義」を参照し,アメリカのアメリカ文学史と比較して検討してきた。アメリ
カのアメリカ文学史のキャノンは反基本主義的評価基準に拠っていることを本論はまず指摘した。
次 に , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 に は , P oe が 常 に キ ャ ノ ン の 座 に 位 置 す る 特 徴 が あ る こ と を 示 し た。
最 後 に, Poe の 作 品 評 価 に 注 目 し て , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 の 作 品 評 価 基 準 を 日 本 文 学 史 を 参 照 し
て 検 討 し , 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 家 に 基 本 主 義 的 姿 勢 が 共 通 し て 見 ら れ る こ と と, そ れ は な ぜ か を
考 察 し た。 こ の 考 察 に よ っ て 得 ら れ た 結 論 は , 未 だ 暫 定 的 な 仮 説 で あ る と は 言 え , 今 後 本 研 究 が 進
むべき方向を示している。そこで,日本文学史の流れを,現実社会との関係においてここで再び確
認 す る こと で, 本研究 の 展 望を 示 し, 本 稿 の 結 び とし た い 。
おそらくは,どの社会においても,文学史は基本主義と反基本主義の 2 極の間を揺れ動いてきて
い る と 考 え ら れ る 。 文 学 者 は , 社 会 と ど の よ う に 向 き 合 う か, あ る い は 向 き 合 わ な い か を , 個 々 の
事情によって選択してきたのだろうが,その個々の事情が時代の影響を免れることはない。大局的
な 流 れを 見る と ,日本の 文 学 は,現実 社 会 と対 峙 す る ,い わ ゆ る社 会 派 と は 逆 の 志 向 が あ る と 思える。
道 徳 性 を 廃 し て 現 実 社 会 の あ る が ま ま の 姿 を 映 そ う と し た Z ol a に 始 ま る 自 然 主 義 は, 日 本 で は 人
間性の赤裸な暴露を目的とするようになり,私小説を生むことになった。大正後期から昭和にかけ
ては,日本文学史中,最も積極的に社会に参加したプロレタリア文学があるが,それも体制側の弾
圧や内部分裂などの結果,廃れてしまった。戦後起こった政治の季節も,文学を継続的に社会化す
ることはなく,日本文学は内向していく。
ポ ス ト ・ モ ダ ン の 時 代 以 降 ,「 文 学 の 地 位 , 文 学 の 影 響 力 が 低 く な っ た 」(4 0 ) と 柄 谷 行 人 は『 近
代 文 学 の 終 り 』 で 述 べ て い る 。 彼 は 社 会 的 機 能 と い う 点 で ,近 代文 学 と 現 代文 学 に 断 絶 を 看 破 する 。
近 代 は ,文 学 に 「 哲 学 や 宗 教 とは 異 な る が ,よ り 認 識 的で あり 真 に 道 徳的 で あ る 可 能 性 が 見出 され」
( 45 ) た 希 有 な 時 代 だ っ た 。 彼 に よ れ ば , 認 識 的, 道 徳 的 で あ る 「 近 代 文 学 は 1 9 80 年 代 に 終 っ た 」
( 3 9)。 彼 が 「 19 99 年 の 末 に , そ れ [ 文 学 と の つ き あ い ] を 全 部 や め た 」(『 柄 谷 行 人 政 治 を 語 る 』
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1 6 2) の は , 彼 が 文 学 に, 倫 理 的 で あ る こ と ・ 政 治 的 で あ る こ と , つ ま り , 社 会 的 機 能 を も は や 期
待 し てい ないか らで あ る 。
以 上 の よ う に , 日 本 文 学 の 流 れ を 概 観 し て み る と, 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 の キ ャ ノ ン 選 定 に 見 え
る基本主義的評価志向は,日本文学にある根強い基本主義的評価志向に影響された結果であると考
え ら れ よ う 。 近 代 文 学 の 終 焉 を 経 た 現 在 に お い て , 今 後, 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 が ア メ リ カ に お け
る よ う に 反 基 本 主 義 的 評 価 基 準 に シ フ ト す る と は 考 え に く い。 マ イ ノ リ テ ィ ー の 多 様 性 ゆ え に 絶 え
ず 国 民 の イ メ ー ジ の 見 直 し を 迫 ら れ る ア メ リ カ に お い て は, 文 学 は, お そ ら く , 今 後 も 社 会 的 機 能
を固持し続け,文学史は反基本主義的であり続けるだろうが,日本でその可能性は低いからだ。も
ち ろ ん , こ こ で 私 が 述 べ た こ と は , 一 つ の 仮 説 に 過 ぎ な い。 日 本 の ア メ リ カ 文 学 史 キ ャ ノ ン 選 定 の
し く み を 明 ら か に す る に は , さ ら に , 日 本 文 学 を 社 会 と の 関 係 に お い て 緻 密 に 検討 し た 上 で , 日 本
文 学 と 日 本 社 会 の ア メ リ カ 文 学 史 へ の 影 響 を さ らに 分 析 し てい く 必 要 があ る だ ろ う 。
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