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【173号】2013年4月1日発行 - 三重大学大学院医学系研究科・医学部

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【173号】2013年4月1日発行 - 三重大学大学院医学系研究科・医学部
IN E
医学部
News
IC
No.173 2013.4.1
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FACU
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三重大学
IVERS
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I
E
OF M
目 次
医学部新入生の皆さんへ……………………………………………………………………………………… 2
入学おめでとう………………………………………………………………………………………………… 3
入学おめでとう………………………………………………………………………………………………… 4
大きな夢を抱き、情熱を持って前に進め!………………………………………………………………… 5
大学院新入生の皆様へ………………………………………………………………………………………… 6
医学部新入生の皆さまへ……………………………………………………………………………………… 7
医学部看護学科新入生の皆様へ……………………………………………………………………………… 7
退任ご挨拶……………………………………………………………………………………………………… 8
三重大学を去るにあたって:研究・教員生活40年を振り返って………………………………………… 9
理事・副学長時代を終えるにあたって……………………………………………………………………… 14
転任のご挨拶…………………………………………………………………………………………………… 15
医学系研究科長・医学部長就任にあたって………………………………………………………………… 16
就任のごあいさつ……………………………………………………………………………………………… 18
トピックス
大学院医学系研究科生命医科学専攻(博士課程)、
医科学専攻(修士課程)の入学試験実施状況について…………………………… 19
大学院医学系研究科看護学専攻(修士課程)の修了・入学状況について…………………………… 20
平成25年度医学部医学科入学者選抜結果について……………………………………………………… 20
平成25年度医学部看護学科入学者選抜結果について…………………………………………………… 21
第18回医学部公開講座の開催……………………………………………………………………………… 22
平成24年度解剖体感謝式…………………………………………………………………………………… 23
平成24年度の白衣授与式を開催…………………………………………………………………………… 23
三重大学におけるシステムズ薬理学の新しい展開……………………………………………………… 24
ミャンマーのヤンゴン第一医科大学と学部間協定を締結して………………………………………… 26
ベトナム大使来訪…………………………………………………………………………………………… 28
カーディフ大学訪問記……………………………………………………………………………………… 29
みえライフイノベーション総合特区……………………………………………………………………… 34
医学部・附属病院再開発計画推進準備室の2442日……………………………………………………… 36
日本臨床検査自動化学会 茂手木優秀演題賞を受賞して……………………………………………… 45
第85回閉塞性肺疾患研究会 優秀演題賞および
第20回臨床喘息研究会学術講演会 優秀演題賞を受賞して…………………………… 46
第218回日本内科学会東海地方会優秀演題賞(内分泌・代謝)を受賞して ………………………… 47
医学部長表彰を受けて……………………………………………………………………………………… 48
医学部長表彰を受けて……………………………………………………………………………………… 49
学会だより
第19回日本胎児心臓病学会開催について………………………………………………………………… 50
臨床神経病理懇話会開催について………………………………………………………………………… 52
第22回日本健康医学会を主催して………………………………………………………………………… 52
第46回日本小児外科学会東海地方会を主催して………………………………………………………… 54
学位記授与式…………………………………………………………………………………………………… 54
人事異動(H24. 9. 2∼H25. 4. 1)………………………………………………………………………… 55
編集後記………………………………………………………………………………………………………… 56
─1─
医学部新入生の皆さんへ
医学系研究科長・医学部長 緒 方 正 人
大学で何を目標にどう学ぶかは、自分で決めね
ご入学、おめでとうございます。
ばなりません。結果への責任は、自身で負うこと
大学入試という関門を突破して医学部に入学さ
になります。でも、勉学であれ人間関係であれ、
れた皆さんに、まずはお祝いを申し上げたいと思
自分一人では背負いきれない悩みを抱えた時には、
います。大学入試は、皆さんのこれまでの人生の
それを自分だけで解決しなければならないわけで
中でも大きな出来事であったと思います。合格の
はありません。三重大には「学生なんでも相談室」
喜びはひとしおと思います。でもそれは、通過点
のような制度もあります。また、信頼できる先生
に過ぎません。今、新しい舞台の幕は上がったば
や先輩、友人も相談すればきっと力になってくれ
かりです。
ます。
皆さんは、自分の能力をどう評価しているで
皆さんは何が好きですか?何が楽しいですか?
しょうか?大学受験では、偏差値という物差しが
答えが医学、という人がいれば申し分ありませ
幅を利かせます。それでなんとなく自分の能力や
ん。でも、多くの人にとっては、医学に漠然とし
限界が分かった気になっていませんか?もしそう
た興味や憧れはあっても、本当に好きか、楽しい
なら、その先入観は捨てて下さい。医学は、独創
かはまだ分からないというのが普通と思います。
性ややる気、人間性などを含めた総合力の勝負で
例えば、スポーツや音楽、ファッションや映画が
す。皆さんの医師・看護師・医学研究者としての
好きだ、楽しいという人はたくさんいると思いま
資質は、まだ一部しか試されたことは無いのです。
す。そういう人たちは、好きな分野の知識が豊富
これからの皆さんには、無限の可能性が広がって
です。好きであればこそいくらでも知識を吸収で
います。
き、知識があればこそ楽しむことができます。こ
れは大学の勉強でも同じです。医学を好きになり
無限の可能性をどう生かすかは、皆さん次第で
「楽しむ」には、多少とっつきにくくても、まず
す。そしてそれは、大学でどのような目標を持っ
は少し我慢して知識を増やして下さい。勉強で暗
てどう過ごすか、どう過ごせるかで変わってきま
記することは楽しい作業とは言えません。暗記だ
す。医学部というのは、入学した時点で将来就く
けではよい勉強とは言えない?その通りです。で
職業のイメージをかなり明瞭に思い描くことがで
も最低限の知識がなければものを考え理解するこ
きます。自分の思い描く未来に向かって、悔いの
とはできず、楽しくなりようがありません。知識
残らない学生生活を送って欲しいと思います。そ
がある程度増えれば、それを活用していろいろな
のためには、勉強はもちろん大切です。一方で、
ことを考えることができ、興味を持てる分野、好
社会で活躍するには周囲の人々と良好な信頼関係
きな分野ができてくると思います。医学の全ての
を築くことも重要であり、友人との交流やクラブ
分野を好きになることはできないかもしれません。
活動などを通してそのような面で自分を磨くこと
でもそれで構いません。好きな分野ができれば、
も大切です。医学以外の教養も、豊な人生を送る
その周りを少しずつ拡げていけばよいのです。
糧となります。
野球やサッカーの醍醐味は、観戦するだけでは
─2─
味わえません。自分でプレイしてみてこそ、本当
ちがいます。こういった人たちは、卒業してから
に楽しむことができるのではないでしょうか。学
大きく伸びます。
生として医学を勉強するのは、ちょうど野球や
サッカーの観戦をしているようなものです。実際
皆さん、どうぞ医学を好きになって下さい。仲
にプレイしているのは、大学を卒業した医師、看
間や先輩、皆さんに続く後輩たち、そして三重大
護師、研究者たちです。観戦だけでは面白くなく
医学部を好きになって下さい。それが学生生活と
ても、参加すれば楽しくなることもあります。私
その後の人生の充実につながります。実り多い学
の知人にも、学生時代はそうでもなかったが卒業
生生活を過ごされることを心よりお祈り致します。
してみるとがぜん医学が面白くなったという人た
入 学 お め で と う
附属病院長 竹 田 寛
新入生の皆様、入学おめでとうございます。長
が平成24年1月に開院した新病棟です。屋上には
かった受験生活から解放され、明るい春の陽射し
ヘリポートが設置され、ドクターヘリが発着して
を体いっぱいに浴びながら希望に輝いていること
います。新病院の大きな目標の一つとして救急医
と思います。さあこれから6年間の医学生生活が、
療体制の充実があり、救命救急センターを開設し
緑多い三重大学のキャンパスで始まるのです。学
て救急専門医や認定看護師などのスタッフを揃え、
生生活を思い切り楽しんで下さい。
ドクターヘリを最大限利用することにより、三重
「三翠(さんすい)
」という言葉があります。三
県全域の救急医療の最後の砦としての重要な役割
重大学を象徴する言葉で、本学の前身である三重
を果たしています。
高等農林学校の校歌の中に「み空のみどり、樹の
新病棟の特徴を幾つか挙げてみましょう。新病
みどり、波のみどり」という歌詞があり、それに
棟における病棟配置は、各階ごとに臓器別に編
由来しています。翠とは「みどり」という意味で、
成されています。たとえば循環器内科と胸部外
三重大学は真っ青な空と緑深い樹々、青緑の海と
科、神経内科と脳神経外科、消化器内科と消化器
いう素晴らしい自然に囲まれているということを
外科など臓器別に内科と外科が一緒になっていま
示しています。この恵まれた自然環境の中で、勉
す。これは患者さんに対して最善の治療を行うた
学にも、クラブ活動にも、恋愛にも、友人との語
めには、内科や外科はもとより関連する診療科の
らいにも、ボランティア活動にも、バイトにも、
医師やスタッフがお互いに協力し合って診療しな
旅行にも、その他あらゆることに精一杯打ち込ん
ければならないからです。また婦人科や乳腺外科、
で下さい。若い頃に様々な体験を介して培われる
周産母子センターなど女性しか入院できない女性
豊かで柔軟な感性が、医師としての豊かな人間性
フロアや、小児科、小児外科、NICU(新生児
を養うために大切です。と同時に体を鍛えておく
集中治療センター)など子供だけが入院する小児
ことも忘れてはなりません。医師はまず体力です。
フロアもあります。個室が多くゆったりとした入
40歳になっても50歳になっても衰えることのない
院生活を送れるのも特徴です。また集中治療セン
強靭な体力を若いうちに作っておいて下さい。
ターを充実させて、救急医療への対応と同時に高
さて皆さんが学ぶ医学部講義棟の南側に12階建
度医療の遂行を目指しています。
ての巨大なビルディングが建っていますが、これ
新病棟は海岸線に近いところに建っていますの
─3─
で、海に面した各階の病室や食堂あるいは12階の
ルギーセンターと井水センターは、病院の電源や
展望レストランからは、広大な伊勢湾の青い海原
空調、飲料水などを司る重要な機能を有していま
を遠望できます。展望レストランで、四季おりお
すが、津波が来ても損傷を受けないように周囲に
りに彩りの変化する伊勢湾の眺望を楽しみながら、
防潮堤を造る工事がまもなく開始されます。
友人と語らいつつ食事を摂ったら、さぞかし美味
現在新病棟の西側に、新しい外来・中央診療棟
しいことでしょう。時には真上に発着するドク
が建設されています。平成27年4月には開院予定
ターヘリの轟音に驚かされることもあるかも知れ
です。皆さんが臨床実習に来る頃には、新病院の
ませんが、それも若い人達にとっては興味深いこ
全てが完成しています。皆さんは真新しい外来棟・
とでしょう。ヘリコプターを間近で見上げるのは
入院病棟で臨床実習を行い、卒後臨床研修を受け
なかなか迫力があるそうですよ。是非一度ご足労
ることになるのです。これは実に素晴らしい運の
下さい。
良いことだと思いませんか。
もちろん地震や津波に対する対策も様々講じら
さあ、その日を夢見ながら思い切り学生生活を
れています。阪神大震災規模の直下型地震にも十
楽しんで下さい。一日も早く皆さんが真新しい白
分に耐えられるような免震構造となっており、液
衣を着て病院実習に現れる日を職員一同楽しみに
状化を防止するために地下には多数の太い杭が打
待っています。
ち込まれています。また新病棟の東側に建つエネ
(2013年2月18日 記)
入 学 お め で と う
看護学科長 辻 川 真 弓
看護学科は、今年も新たに、看護学科1年生
うことのできる「いい仕事」だと思います。いつ
(第16期生)
、3年次編入生(第14期生)
、そして
かこんな醍醐味をわかりあえる看護職者に育って
看護学専攻では多くの修士1年生(第12期生)に
ほしいと願っております。
入学いただきました。入学生だけでなく、今まで
3年次編入学生の皆さんは、今まで看護の基礎
皆さんを支えてくださったご家族の皆様に、重ね
教育を受けた上で、さらに学士課程で看護学を学
てお祝い申し上げます。
ぶ選択をされました。三重大学は、海に近い豊か
多くの新入生を迎えた喜びとともに、皆さんへ
な自然の宝庫のようなキャンパスですし、今まで
のエールをこの場を借りて述べたいと思います。
の学生生活とは異なり、単科ではないため、異
看護学科1年生の皆さんは、大学の進路を決める
なった価値観をもつ他学部の学生さんとの交流も
にあたり、看護学を学ぶこと、そして将来は看護
盛んです。看護学を学ぶだけでなく、共通教育科
職になることを選択された学生さんです。看護っ
目や部活・サークル活動などを通して、新たな自
て何だろう? 援助するとはどういうことか?こ
分づくりに励んでほしいと思います。看護職者に
れから一緒に学んでいきたいと思います。私自身、
は、豊かな感性と確かな専門性、そして機転をき
看護職を選んだからこそ、自分の交友する範囲で
かす知恵が必要です。これらをポケットと呼ぶな
は出会えない多くの人々に出会うことができまし
らば、これからの2年間で、たくさんのポケット
た。また、その人たちの喜びや苦しみに寄り添う
をもった看護職者に育って欲しいと願っています。
ことで、多くの感動を分かち合うことができまし
看護学専攻修士1年生の皆さんの多くは、看護
た。そういう意味では、看護はとっても自分を培
職者としての経験を経た上で、さらにもっと看護
─4─
者としての専門性を高めたいとの思いで入学され
しくは3年間を、自分の財にしていただけたらと
たと思います。今までの忙しかった看護師生活を
思います。
一休みして大学院生を満喫する人、看護職や仕事
入学生の皆さんの背景や、目指すとこころは
を続けながら大学院生との2足の草鞋を履いて頑
様々だと思いますが、私たち看護学科教員一同、
張ろうという人、様々かと思います。自分のライ
力を合わせて皆さんのサポートをしていきたいと
フスタイルに合わせて、この修士課程の2年間も
考えております。
大きな夢を抱き、情熱を持って前に進め!
教務委員長 竹 村 洋 典
(大学院医学系研究科臨床医学系講座家庭医療学分野 教授)
君たちの努力の甲斐あって、医学部に入学でき
でも走ることができるように、さまざまな体験を
た。まずはおめでとう。しかし、やっとゴールに
してほしい。医学に無駄な経験なんてない。貧し
至った君たちは、またもや、スタートラインにつ
さすらも君たちに意味を与えうる。いつまでも諦
いてしまった。しかも今回は、人生のスタートラ
めないで、突っ走ってほしい。夢を持っている君
インといっても過言ではない。今までがむしゃら
たちを医学部の教職員をはじめ、医療・保健・福
にレールを走ってきた君たちは、ここからは、自
祉にかかわるすべての人たちは、君たちを最後ま
分で行き先を明らかにして、そこまでのレールの
で信じ、とことん、サポートしてくれるに違いない。
多くを自分でひいて、その上を心細くても走って
不安になることもあるだろう。そんな時は医学部
いかなくてはならない。何も考えないで走り出し
の教員に、悩みを打ち明けてほしい。周りに同じ
たらば、または言われたままに行き先を決めたりし
境遇の仲間もいる。どんなに些細なことで不安に
たら、あとの人生において悔やまれるかもしれない。
なっても、だれも君たちを馬鹿になんかしない。
たった一度の人生、このスタートラインで、是
同じような経験をしてきた仲間だから。君たちを
非とも君たちには大きな大きな夢を持ってほしい。
生きざまを信じ、いつまでも寄り添ってくれる。
君たちには無限の可能性がある、少なくともある
でも、思いあがってはいけない。かといって卑
と信じてほしい。ノーベル賞受賞だって、百万人
屈になる必要もない。医学の目的が、多くの人々
の命を救うことだって、今は可能性がある。一方、
が健康で豊かな暮らしをできるようにすることで
最初から諦めてしまえば、そこで終わりだ。夢見
あるから。どんな人とも同じ目線で付き合えるよ
ることに、恥ずかしがる必要はない。夢を是非と
うに心の準備をしておこう。やさしさと強さは、
も語ってほしい。それが若さの特権である。もし
まちがいなく両立できる。
も医学部に入ってしばらくしても夢が持てないな
このスタートラインにおいて、大きな夢と熱い
らば、進路を考える必要すらあるかもしれない。
情熱を持ち、人生を駆け抜けられることを、心か
君たちのひくレールは、6年間のレールではな
ら祈っている。
い。医学では多くの場合、君たちが力尽きるまで
続いているレールだ。熱い熱い情熱を持って、が
むしゃらに思いっきりこのレールを走ってほし
い。そして、どんなに苦しくても、疲れても、ひ
もじくても力強く走ってほしい。また、険しい道
─5─
大 学 院 新 入 生 の 皆 様 へ
大学院委員長 山 崎 英 俊
三重大学大学院医学系研究科修士課程並びに博
や方法の取得も重要ですが、答えのない課題に対
士課程御入学おめでとうございます。三重大学で
して、自らが考え、独自の答えを出してゆくこと
の生活には慣れましたでしょうか。修士の皆様は、
を求められます。その際、ヒトそれぞれアプロー
これから2年間、博士の皆様は4年間の長期に渡
チの仕方が多種多様であるため、答えに到達する
る大学院医学系研究科での研究生活が始まります。
過程や時間にも個性が出てきます。結果が早く出
是非、実りある大学院生活にしていただきたいと
る方そうでない方もおられますが、一喜一憂せず
考えます。
に頑張っていただきたいと思います。また、教科
少しだけ、大学院のカリキュラムの話をさせて
書や論文のみならず、講義(教官)を上手に利用
ください。本研究科では修士課程の前期(1年次
していただきたいと思います。三重大学には、旧
及び2年次の前期)に集中的な講義が行われま
帝大に劣らない研究環境(図書館も充実していま
す。特に、本年から社会人の院生にも配慮し、講
す)と共通機器が多数整備されております。皆さ
義時間を基本的に朝と夕方17時以降の開講に変更
んの研究にこれらの環境や機器を生かし、世界に
しました。また、1年次に午前の開講科目は、翌
誇れるような研究成果を目指していただきたいと
年夕方の開講になるように調整し、いずれかで履
思います。
修できるようになりました。また、博士課程の講
三重大学医学部では、大学院の講義に加え、ほ
義の一部も受講するようにし、どうしても講義を
ぼ毎日、様々な教室主催の講演会やセミナーを
受講できない学生さんに対しては、博士課程同
行っております。これらの会に積極的に参加して、
様にe-learningを取り入れました。博士課程でも、
新たな知識を会得し、人間関係を広めて欲しいと
e-learningを取り入れておりますが、さらに早期
思います。また、若手の研究者の発表会や、海外
修了制度があります。博士論文がimpact factorの
の一流の研究者とインターネットを用いたリアル
高い英文雑誌に受理されますと3年で学位を取得
タイムなビデオデスカッション等も定期的に開催
できます。本学部では、新医学専攻コースや学部
しております。
3−4年次に研究室研修として基礎医学研究に触
最後に、医学系研究科には様々な出身国、校、
れ、学ぶ時間を他学に比べ多く取り入れており
学部の方が集まっております。研究には出身校や
ます。現在、基礎医学研究医の深刻な不足が報
出身学部はあまり関係ありません。いろいろな
道されておりますが、本学部教育の特徴をベー
バックグラウンドがあり、それを生かすのも一つ
スに、将来的には基礎研究医養成のためのMD-
の方法です。新しいものを取り入れ、新たな自分
PhDコースの開講も視野に入れ、卒後臨床研修制
を創り、新たな発見、研究の喜びを感じて頂きた
度と大学院過程の相互乗り入れを検討中です。ま
いと思います。縁あって三重大学に集まった皆様
た、修士・博士ともに本学では、優秀な学生さん
の研究生活、大学院生活が実り多いもの、幸の多
を対象に学長表彰や奨学金返済免除が行われてい
いことを切望致します。
ます。是非、早期修了や学長表彰等を目指して頑
張っていただきたいと思います。
さて、大学院では、学部時代とは異なり、講義
主体から演習・研究の時間が増えます。研究手技
─6─
医学部新入生の皆さまへ
医学部学生自治会 宮 武 夏 希
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
した瞬間から、皆さんは周囲の人から「医学生」
大変な受験勉強を終え、待ちに待った大学生活が
として大きく期待され、厳しい目で見られていま
始まりますね。医療従事者としてたくさんの人を
す。大学生活を通じて社会人としての役割を認識
救いたい、研究者として新しい治療法を追求した
し、常識と節度の感覚を養うことも重要なことで
い、世界の医療現場で活躍したい、地域に根付い
す。
た医療に貢献したいなど、夢と期待を胸に入学さ
さて、三重大学医学部学生自治会は大学祭への
れたことでしょう。
参加や、他大学との情報交換を通じて皆さんのす
大学での新しい環境で、はじめは戸惑うことが
ばらしい大学生活を陰ながらサポートさせていた
多いかもしれません。学業はもちろんのこと、部
だいております。大学生活においてご相談やご提
活動やサークル、ボランティア、アルバイトなど、
案などがございましたら遠慮なく声をおかけくだ
皆さんの活躍の場は大きく広がります。ぜひこれ
さい。また、自治会に興味を持たれた方もお気軽
らの活動を通じて、積極的に学び、大学生活を満喫
にご連絡ください。一緒に活動してくださる新入
してください。そこで得られる経験や仲間はかけ
生の方々を心から歓迎致します。
がえのない宝となるでしょう。一方で、それと同
それでは、自分のやりたいことを見つけ、楽し
時に自分の行動に「責任」を伴うことを決して忘
み、医学生として高い志を持ち、最高の学生生活
れないでください。三重大学医学部医学科に入学
を送ってください。
医学部看護学科新入生の皆様へ
医学部看護学科自治会会長 太 田 晃 嗣
新入生のみなさん、ご入学おめでとうございま
質・看護とは何か?”と自問自答して立派な医療
す。大学受験という大きな壁を乗り越え、ようこ
従事者になるための一歩を踏み出していってもら
そ三重大学医学部看護学科へ、みなさんの入学を
いたいと思います。
心からお祝い申し上げます。
さて、学生の本分といえば、もちろん学問です
昨年、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の研究
が、大学では学問の場だけでなく様々な機会、環
でノーベル賞を受賞したことはみなさんの記憶に
境から様々なことを学ぶことができます。例えば、
新しいと思います。医学の道では、不可能だった
部活動やサークル活動、ボランティア活動、また
ことがめざましい進歩により可能になりつつあり
アルバイト、もしくは恋愛・・・そしてその他の
ます。それにともなって看護の道もまた、日々変
場所からも多くのことを経験し学ぶことができま
化し続けています。けれども、どんなに医療が進
す。しかし、それは自分自身から行動しなければ
歩しても、根底にある“患者のために”という思
得ることはできません。大学は、4年間あるからと
いやりの気持ちは変わらないはずです。日進月歩
思って、自分から動き出さなければ、いたずらに
で進化していく医学の知識を学びつつ、
“看護の本
時間は過ぎていきます。逆を言えば、大学生活は
─7─
自ら積極的に動き出せば、あらゆることに挑戦で
る今だからこそしかできないことをやってきたつ
き、その経験を自身の人生の糧にすることができ
もりです。“今しかできないこと”その積み重ね
るのです。大学生活には、そのチャンスと時間が
が大切だと思います。そして、その結果がバラ色
あるのです。
のキャンパスライフに導いてくれることでしょう。
私は、3年生になり、大学生活を折り返しまし
私も、みなさんに負けないように大学生活後半戦
た。ここまで、偉そうに書いてきましたが、書い
をエネルギッシュに行動していきたいと思います。
たような大学生活を送ってきたと胸を張って答え
最後に、みなさんの今後の多方面での活躍を楽し
られる自信はありません。けれども、大学生であ
みにしております。
退 任 ご 挨 拶
口腔・顎顔面外科学分野 名誉・特任教授 田 川 俊 郎
今年で当教室は発足以来
のでは?と危惧しております。研究面では何とか
60年となり、教室の還暦と
科研費など外部資金を獲得できるようになり、海
ともに退職を迎えられるの
外発表も毎年行えるようになりました。しかし各
は天のご加護でしょうか。
分野での若者の研究思考の低下が気がかりではあ
小職は昭和48年春、ご縁
ります。教育に関しては医学生諸君の口・顎・顔
があって故郷北九州の歯科
面診察能力の向上に心がけてきましたので、成果
大学を卒業後直ちに新築さ
は上がっているのではないでしょうか。診療面で
れた附属病院(現在取り壊
は歯科矯正医の常勤化や歯科用CT導入とその応
し中)へ参りました。新病棟へ向かう折り旧病棟
用によるインプラント精密手術、顎骨格の模型化
が小さくなるのを見るにつけ“兵どもが夢の跡”
など安全で正確な治療が可能となりました。かっ
と寂しくもありますが、新生・発展の礎であり喜
て開業傾向にあった医局員は各種専門医・認定医
びの方が遙かに大きく感じられます。助手任官以
をめざすようになり良い方向へ向かっています。
来三重大学に継続して40年間勤めさせて頂き、何
全般的に牛歩の歩みではありますが、少しずつ前
とか元気にこの春退任いたします。長い間、本当
進できたのではないかと皆様のご支援に感謝いた
に有り難うございました。
します。
平成2年5月の医学部ニュース99号で教授新任
平成16年の法人化は劇的な変化を国立大学に強
ご挨拶をさせて頂いてから既に23年が経過いたし
いることになりました。また震災・原発事故に伴
ました。その頃を思い出しながら徒然に述べさせ
う給与削減など逆風にさらされ、大変だと想いま
て頂きます。歯を含む口腔諸臓器の機能と形態の
すがピンチは見方を変えればチャンスです。大学
回復や当該部位が他動物と異なりヒトとしての生
人としての矜持を失うことなく前進して下さいま
活の質に最も重要な機能を発揮すると強調紹介い
すように。小生の老後は晴耕雨読が夢でしたが、
たしました。この一環としてオーラルケアの重要
現実はこれを許さないようです。今在ることを感
性が周知されつつある昨今、口腔医療者としてう
謝して、残りの人生をお世話になった三重大学特
れしい限りです。一方で“美味しい”を追求する
に医学部や社会への恩返しに微力ながら費やした
ヒトの業の一つが格差社会や粉争を惹起している
いと考えています。
─8─
ここで一つコーヒーをお好みの方にホットな
をお飲み下さい。ただしタバコはお止め下さい。
ニュースをご紹介いたします。今週の口腔外科
長い間支えて下さった皆様に重ねてお礼を申し
関連のリーディングジャーナルのeNewsにコー
上げますと伴に今後とも口腔・顎顔面分野をよろし
ヒー愛飲家は口腔がんや上咽頭がんで亡くなる率
くご支援賜りますよう願い挙げます。さらに三重大
が半分以下になるとあります。皆様是非コーヒー
学就中医学部の益々のご発展をお祈りいたします。
三重大学を去るにあたって:研究・教員生活40年を振り返って
三重大学大学院医学系研究科 システム神経科学講座
特任教授 山 本 哲 朗
本年3月で、1993(平成
で記録状態に持って行くかを学べ、貴重な体験で
5)年10月に教授として着
あったと今でも思い出します。その後、川口先生
任して以来長らく御世話に
との実験が中心になり、その研究の延長が、後年、
なった三重大学を退官とな
川口先生の中枢神経系での軸索再生現象の解析へ
り ま し た。 三 重 大 学 で は
と発展して行くことになります。私自身は、何と
1978(昭和53)年に助手と
か大学院在学中に自分のテーマを見つけたいとの
して採用され、ドイツ・マッ
思いが強く、繁殖が容易で、当時電気生理学的所
クスプランク脳研究所を経
見が少なかったラットでの実験を平行して行うこ
て、1982(昭和57)年に福井医科大学へ転任する
とを許して頂き、小脳系の実験も開始しました。
までの4年間を入れますと23年余の長きにわたり
川口先生との実験では、脳幹の下オリーブ核の
教育と研究に携わったことになります。
破壊範囲と、小脳皮質のプルキンエ細胞の樹状突
私は1974(昭和49)年に京都大学を卒業し、臨
起の発達変化を確認するために、クリューバー・
床系か基礎系研究者かの選択に迷いがあったもの
バレラ染色(ニッスル染色と髄鞘染色を組み合わ
の当時の附属脳神経研究施設の佐々木和夫教授の
せたもの)は勿論、各種の鍍銀染色法も解剖学講
御誘いもあり、思い切って基礎医学での大学院生
座の水野 昇先生はじめ当代一流の神経解剖学の
活を始めました。佐々木研究室では、当時本学か
先生方から標本を見せて頂いたり、助言を頂いた
ら京都大学に戻られたばかりの川口三郎先生とネ
りして自分でも染色法を試みたものです。当時の
コの小脳皮質プルキンエ細胞の可塑的変化の研究
神経科学研究では、形態学と機能的な対応が可能
を、下野登志男先生と家兎の下オリーブ核での電
な細胞は限られており(運動野の錐体路細胞や脳
気生理学研究のお手伝いすることから生理学者と
幹・脊髄運動神経細胞での逆行性応答や小脳の
して生活をスタートしました。家兎は麻酔と出血
プルキンエ細胞の特異な応答による電気生理学
に弱く、手術法などを工夫しつつも成果が上がら
的同定は可能だったが)、唯一伝達物質を推定で
なかった記憶がありますし、川口先生との実験も
きる方法は、カテコラミンニューロンの蛍光組
幼弱ネコでの脳幹の下オリーブ核の破壊効果を見
織法でした。夏休みの少し時間が自由になる期
るという困難な実験との戦いの毎日でした。週6
間、薬理学の田中千賀子先生の大学院講義で聞い
日のうち1日は、佐々木先生の視床核での細胞内
た、Glyoxylic acidを用いた蛍光組織法(Lindvall
記録を先輩の先生方と一緒に見せて頂くこともあ
and Bjorklund,
1974;従来のFalck-Hillarp法より
り、それぞれの先生方から如何に動物を良い状態
も手順が簡単で鋭敏)での小脳皮質の研究をやっ
─9─
てみたいと田中先生に御願いし、石川正恒先生の
れば問題無いと仰って下さいました。手術には多
御指導で上手く論文にまとまり、最初の主著論文
少自信があったものの、なかなか実験が上手く
がBrain Researchに掲載された時の感慨は今でも
行かず随分落ち込んだことを覚えていますが、丁
忘れません。
度九州大学から文部省在外研究員として滞在され
大学院を終え、佐々木先生の御助力により当時
ていた脳外科出身で、現在、脳定位手術でも高名
の学術振興会の奨励研究員として採用され(大学
になっていらっしゃる、島 史雄先生からも適切
院の4年生の時にも奨励研究員に採用して貰って
なアドバイスを頂き、なんとか記録が取れるよう
いましたが)、 1978(昭和53)年に田中 任教授
になりました。ただ高価な動物ということもあり、
の下で本学の助手に採用して頂きました。先に述
両側の記録をすることを決心して、いつも実験が
べたように大学院在学中に一応主著論文は1つ出
上手く行くときは深夜に及ぶのが通例となりまし
版はされていましたが、電気生理学的主題では無
た。一度、実験室のソファーで仮眠していると、
かったし、ラットの小脳−大脳皮質投射の研究で
深夜3時頃に急に廊下が昼間のように明るくなり、
学位を取るつもりでしたので、京都と津を行き来
何事かと思うと、当時の外国人労働者(私もその
する生活が続きました。当時の、三重大学は、基
一人ですが)が研究所の清掃を始める時間だった
礎研究棟の5階に薬理学、生理学2講座が配置さ
のです。向うも、夜明け近くまで実験室に残って
れ、現在リフレッシュスペースと更衣室になっ
いる東洋人を見てきっとびっくりしたと思います。
ている部分に、共同の総研スペースとしてME室
電気生理学の実験というのは、記録が取れな
(学生の脳波実習などに使われていた)がありま
かったり、電極の位置がずれているとデータにな
した。実習用のベッドに寝袋で泊まり込み、週の
らないなどの心配があり、実験も輸液などを工夫
前半は田中先生のネコの脳幹顔面神経核の細胞内
すると2日位は維持できるようになり、トレー
記録に参加させて貰い、木曜日の夜に京都に戻り、
サーの実験を組み合わせて行っていました。月に
金、土で学位論文の仕上げをしたように記憶して
少なくとも1回はHassler教授にアポを取り、実
います。京大の佐々木研究室では、電場電位解析
験データの説明をするのですが、私の提出する
や、細胞外の神経活動記録が中心で、本格的な細
データがHassler先生の考えと違う結果になり、
胞内記録は田中先生との顔面神経核での実験が初
その後問題を残すことになります。また、私がト
めてでしたが、これは後に私の研究での大きな助
レーサーを使った実験を併用していることも、先
けになります。
生の気に入らず(Hassler先生は当時軸索変性法
三重大学に採用された時に、佐々木先生と田中
のデータを一番信用されていた)、
『お前は、電気
先生の間で、留学の話も詰めて頂いており、1979
生理学者だろう。だったら細胞内記録を示して、
(昭和54)年に当時の西ドイツのフランクフルト・
私を納得させるように!』とお叱りを受けること
アム・マイン(東ドイツにもフランクフルトがあ
になります。Hassler教授は、恩師の佐々木和夫
りマイン川のほとりという意味)のマックスプラ
先生(佐々木先生も嘗て2年近く研究留学されて
ンク脳研究所の所長Rolf Hassler先生の研究室で、
いた)へは全幅の信頼を置いておられ、『佐々木
リスザル(最初はツパイ(ラットに似た原猿類)
が推薦したから、信頼しこの実験を任せているの
で実験するという話だったのですが)という見た
だ。
』と言われる始末です。仕方なく佐々木先生
ことも無い動物を使うことになりました。リスザ
にも御相談しましたら、御忙しい中、 1ヶ月近く
ルは体重が大きくても1㎏以下でいかにも弱そう
ドイツまで実験を見に来て下さり、『今のデータ
な動物でした。1匹の値段が10万円位だと教えら
では山本君の解釈で矛盾はないようだが、もう少
れびっくりしましたが(南米から輸入するのです
しデータを増やして慎重に検討を続けるように』
から当たり前ですが)Hassler先生はデータが出
と暖かいアドバイスを頂きました。その後、不完
─ 10 ─
全ながら記録出来た細胞内記録のデータでも自分
でセミナーもしてくれた、Dr. Andrew Blight元
の解釈に問題の無いという結論になりましたが、
North Carolina大学教授とは今でも交流がありま
Hassler教授の仮説とは異なり、ディスカッショ
すし(彼の弟子のProf. Riyi Shi Purdue大学教授
ンのアポは全く取れなくなります。周りからも『帰
は短期滞在され学生講義もして貰った)、当時は
国まで会うのは無理じゃないかな』と言われる毎
少し付き合いにくかったProf. Uli Misgeldハイデ
日が続きます。今思えば、よくも下手な英語でタ
ルベルグ大学教授とも、来日され三重を訪問され
フなディスカッションを続けたものだと思います
てからは親しくお付き合い頂き、ドイツを訪れる
が、Hassler先生には留学生として受け入れて頂
たびに連絡し、御宅に泊めて頂くような関係が続
いたことへの感謝の念はありました。帰国の期限
いています。留学時の思い出が長すぎたかもしれ
も迫り、もう無理なら仕方がないとあきらめて、
ませんが、学生諸君や若手の先生方に何かの役に
『論文も出ずに、ボスにも挨拶せずに帰国するの
立つのではと思っています。
は残念だ』と落ち込んでいましたら、帰国前に急
帰国後はまた1年足らずで今度は、福井医科大
に、御自宅に家族をお茶にお招き下さいました。
学へ移動することになりますが、それまでの1年
短い時間でしたが、和やかに御話しができ、先生
間は、ドイツで不完全に終わった細胞内記録を何
が書かれた「Stereotaxis in Parkinson Syndrome
とか完成したいとの一心で実験を行いました。渋
(1979,Springer-Verlag)
」という本を研究所近
見の官舎に居ましたので、今度は週の前半を津で
くの書店で購入していたので、それを持参してサ
過ごし、金曜日から日曜まで京都という生活でし
インをして頂きました。
た。大学では田中 任先生の顔面神経核の実験の
この2年間のマックスプランク脳研究所での留
お手伝いと大学院生だった西村嘉洋鈴鹿医療科学
学経験はその後の研究生活での困難な時期を乗り
大学教授との大脳皮質での細胞内記録実験を開始
切る際の大きな糧になっています。またこの研究
し、金曜日の午前中に京都に行き当時大学院生
所には多くの著名な研究者が立ち寄られ、1963年
だった野田照実先生や河村真弓先生との徹夜に近
のノーベル賞受賞者のSir John Eccles教授や、東
い実験を続けていました。6か月近い悪戦苦闘の
京大学の神経病理学の白木博次先生、当時宮崎医
末、ある日の実験で午前2時過ぎまで粘りました
科大学にいらした神経内科医の荒木淑郎先生、後
が、『今日もダメか』と思っていた所、視床VL核
に天皇陛下の侍医になられた金沢一郎先生などと
の細胞内記録が取れた瞬間は、丁度西村先生も同
も直接お話しする機会を持てました。生理学者で
行していましたので、良く思い出話の話題になり
は九州大学の大村 裕先生、筑波大学の大野忠雄
ます。西村嘉洋先生や野田照実先生との出会いは、
先生、解剖学者では阪大の俣野省三先生などとも
その後の私の研究成果の中心となる『細胞内記録
親しくお付き合いさせていただけたのも大きな財
と染色による細胞同定』という仕事の形成に非常
産になっています。また、中野勝麿先生とも、こ
に大きな力を与えてくれました。
の研究所で初めて親しく御話しする機会を得まし
福井への転任の際には、本学の病理学から中久
た。特に、同じ研究室にいらした島 史雄先生と
木和也先生も御一緒に移られました。その他、病
は現在まで長い家族ぐるみのお付き合いをさせ
理学には高成秀樹先生、岩佐 真先生、そして白
ていただいています。Hassler先生は中野先生の
石泰三教授などが時期をずらして同じフロアーで
御招きで三重にもお見えになり、御一緒させてい
過ごしました。福井医科大学では1期生の感覚生
ただきましたが、1984年に亡くなられたのは残念
理学の講義を受け持つことになりましたが、初め
でした。研究所でのデータは帰国後の1983年に2
ての本格的な講義ということで今から思えば冷や
編の論文として日の目を見ることが出来ました。
汗の出る毎日でした。後にある学生から、
『先生
当時研究所に居た外国人研究者では、三重大学
の講義は声が大きくてよく聞こえるが、自信の無
─ 11 ─
い処は声が小さくなりますね』と指摘され、更に
方で、他の神経科学研究室の特に若手研究者の交
反省させられることもありました。一方で、福井
流を図りたいと思い、神経解剖学の中野勝麿教授
医科大学は新設医大の常で中心街から離れており、
や、神経内科の葛原茂樹教授、精神神経医学の野
赴任した当時は周りに何もなく、冬は雪に閉ざさ
村純一教授、脳神経外科の和賀志郎教授に御相談
れてしまう環境で(今は随分雪の量も減りました
して始まったのが、現在150回近くになった神経
が)
、主任教授の岡 宏教授の御理解もあり、野
科学セミナーです。当初は留学から帰って来た先
田照実先生や鮫島章郎先生などと研究三昧の毎日
生方にセミナーをして頂いていましたが、そのう
を過ごせ、他の教室の先生方ともいろんな点で交
ち非常勤講師に来られた先生方のセミナーが中心
流でき恵まれていたと思います(特に、初期に実
になってしまったのは少し残念でしたが(学内の
験助手を務めてくれた岸本由香氏、霊河秀樹氏、
研究活性化を狙ったはずが)、今後も神経系の先
現仁愛大学教授吉田和典先生には感謝していま
生方が引き継いで頂きたいと考えています。また、
す)
。学生は、1期生から12期生までに講義をし
恒例になった基礎教授会も実は私が赴任してから、
たと思いますが(その後も非常勤講師として特論
基礎系の先生方との交流をと考え、基礎系に共通
などで現在まで毎年押しかけていますが)、この
した話題を話す機会を作って頂けないかと生化学
間に生理学に興味を持って実験に加わったのが渋
の中島邦夫先生に御相談して、夏のビールパー
谷浩司現鈴鹿医療科学大学教授でした。またのち
ティーから始まり、その後水曜日のランチミー
に大学院に入学した北川洋史先生も福井時代の教
ティングとして定着したように思います。
え子です(本学にも整形外科学の松峯昭彦先生や
私が着任した頃は、三重大学では教育改革の議
放射線科の前田正幸先生など何人かの教え子が居
論が盛んで、チュートリアル教育を導入するかど
る事が最近分かりました)。
うかで大きな論争が行われていました。学部長が
平成5年に田中 任教授の後任として三重大学
水本先生から矢谷先生に変わられた頃で、中島先
に戻ることになりますが、当時の学部長は水本龍
生、豊田長康教授が推進派でしたが、全体の雰囲
二先生で、学生時代に外科のポリクリでお会いし
気はもうひとつ動きがありませんでした。そんな
たことをおぼろげに覚えていました。因みに当
中で私も系統的な講義が全く無くなるような(東
時、教授選考に際して立候補者を書類だけでなく
京女子医大が当時の最先端を走っていた)システ
対面で確認・審査することが各大学で広がりつつ
ムに不安を持っていた一人でした。その為か、生
あり、三重大学では生理学2講座の私達の選考で
理学という中心的な講義の1つを受け持っていた
セミナーが最初に実施されました。選考会のセミ
為か、先ず女子医大での講義体験に若手教官の一
ナー会場で小児科の櫻井 實教授から質問された
人として参加することになりました。更に、これ
ことを今でも覚えています(現在よりもずっと多
は幸運だったと言わざるを得ませんが、ハワイ大
くの先生方がいらした様に覚えています)。さて、
学や、オーストラリアのニューキャッスル大学で
10月に教授として着任してからは、微生物学の伊
の実地見学のメンバーに選ばれ、豊田、葛原、中
藤康彦教授には何かにつけて御指導を頂いたこと
野(勝)
、竹田 寛教授などと見学ツアーで得難
も懐かしい思いです。着任後は、ドイツ、福井で
い体験させていただきました。このような準備の
の研究の継続(小脳・大脳基底核・大脳皮質の機
後、平成7年度入学生から(平成9年3年次実施)
能形態学的解析)を続けるとともに、教室員の研
国立大学としては最初に本格的(岐阜大学もほぼ
究環境の改善を第一に考えてきました。米国留学
同時)に導入することになります。もう18年近い
から帰国後、脳スライスの実験を続けていた西村
歴史を持つチュートリアル教育で、色々と形式も
嘉洋先生を中心にin vitroの実験室を増やし、の
変わり、卒業生の自学残留率の低さなどから何か
ちにはpatch clampの研究設備も整えました。一
と議論された時期もありましたが、一応定着して
─ 12 ─
きたと思います。生理学教育に関しては、野阪昭
の場以外での接点を生かすことができました。生
一郎教授、富永真琴教授そして、現山崎英俊教授
物資源学部の上野隆二先生などの御世話で、栗林
とともに担当して来ました。定員削減や大学部局
先生や田川俊郎教授と共に勢水丸での船上特別講
化、国立大学の法人化、国家試験の前倒しなどを
義を企画し、学生諸君と遠洋航海に出たのも楽し
経て、教員の負担が増えるばかりとの声が大きく
い思い出です。三重大学は、まだ上手く開花出来
なっていますが、生体現象をトータルに捉える眼
ていない魅力や潜在能力を沢山持っていると思い
を育てる教育を持続して頂きたいと思っています。
ます。花を咲かせるための一番の原動力は、人的
矢谷隆一先生の後、珠玖 洋先生、鎮西康雄先生、
資源です。先日、私にとって最後になる学部3年
駒田美弘先生、そして現在の登 勉先生らの歴代
生との伊勢でのワールドカフェ(ブレインストー
学部長のもとで教授としての経験を積んできまし
ミング)に参加しましたが、学生諸君の発表を聞
たが、看護学科の創設、医科学修士の開設、部局
いていて三重大学の将来性を再確認させて貰いま
化大講座制の検討などに、教務委員や大学院委員
した。
長として、微力ながら全力を尽くしてきたつもり
最後に、私の在任中に、公私にわたり御支援下
です。この間、学生問題その他で難問に突き当たっ
さった教室員、生成会、先輩諸氏、教授会をはじ
たこともありましたが、常に色んな興味を持ち、
め多くの先生方へお礼を申し上げます。また、川
前向きに進んでくれるように学部生、大学院生に
口三郎先生、西村嘉洋先生には困難な時期に変わ
は接してきたと自負しています。現在、三重大学
らず私を支えて下さったことに対し、あらためて
医学部生の海外臨床研修への参加率の高さは特筆
心よりの感謝を表したいと思います。今後の、三
すべき特徴となっていますが、学生達が三重県だ
重大学と医学部・医学系研究科の更なる発展を祈
けでなく、外へも十分な視野を広げ、体験するこ
りつつ筆を置きます。長い間有難うございました。
とで三重県での医療貢献を真摯に考えるヒントを
与えると信じています。私もスウェーデン・イェー
テボリ大学との学生交流・研究交流に窓口として
関係して来ましたが、このような活動が今後も一
層広がり、継続することを祈っています。学生諸
君にいろんな刺激を与えることで、三重大学での
学生生活を振り返った時に自然と愛校心が芽生え、
それがUターンする学生の増加につながり、連鎖
的にIターンする学生も増えてくれば申し分ない
と日頃から思っています。この文章を眼にしてく
れる学生諸君がどの位いるかわかりませんが、三
重大学での諸先生方や仲間達との接触が、後に良
い思い出になってくれることを願って止みません。
教授就任以来の年月を振り返りますと、三重大
学で多くの方々と輪を広げることができたことが
一番の財産になりました。動物実験施設長をされ
ていた栗林景容教授にも当時色々と御指導頂いた
事に改めてお礼を申し上げたいと思いますし、珠
玖先生、鎮西先生にも一方ならぬ御世話をお掛け
しました。生物資源学部の先生方とも教育・研究
─ 13 ─
理事・副学長時代を終えるにあたって
滝 和 郎
医学部での退職にあたっ
に使用されているものと思う。第1期では大学全
て、すでに何かの機会に医
体の評価が中心であったが、現在第2期中である
学部での思い出を御報告し
が、第2期は各部局の評価も加味されるようであ
たと思うので今回は理事・
り、各部局においては、さらにきめの細かい努力
副学長について、寄稿させ
が必要である。大学事務局では外国人特任教員の
ていただく。2011年の年末、
雇用の費用として一部使用されている。
内田学長より理事・副学長
情報担当の中には附属図書館長が含まれてい
にならないかというお話が
た。図書館長としてもっとも驚いたのは図書館の
あった。医学部を定年になるまで1年の間があっ
維持管理経費がいかに高額であるかということで
たが、すこし職種の違うところではたして適応で
あった。電子ジャーナルだけでも年間1億円を超
きるのか、1−2週間ほど考える時間を頂いたが
える経費を使っている。また電子ジャーナルはほ
結局お引き受けることとした。1月の半ばだった
とんどが外国の出版であり、また例年1%ずつ値
と思う。全体の仕事内容は評価・情報ということ
上がりしている。毎年100万円分は確実に上昇する。
であった。そのうち内田学長の主たるご希望は建
一方、大学の運営費交付金は御存じのように毎年
設予定になっている環境情報科学館の館内内装の
1%程度削減されている。何もしなくても毎年負
設計、運営をうまくやってほしいということ、な
担額は200万円増加という計算となる。為替相場
らびに三重大学教員の定年延長を小生の任期中に
が変わって、10%かわると、1千万の差額となる。
なんとか達成の域にまで持って行ってほしいとい
1年目は円高ということで何とかなったが、2012
うことであった。
年末、安倍政権の誕生とともに突然の円安となり、
個人評価、大学評価に関しては医学部の副研究
大変な負担増になっている。ガソリン代の高騰と
科長ならびに教育研究評議員の任にあったときに、
同じである。今年度は各部局に少しご負担いただ
医学部の立場ではあったが経験していたので、ま
いたが、来年度はどうなることやら、全学の御支
あ何とかなるだろうと考えていた。幸いにも独立
援ないし、再考が必要になってくるものと考えて
行政法人化後の第1期中期目標期間での大学評価
いる。一方、図書館建物について耐震改修もほぼ
で、三重大学は国内でも上位にランクされた。評
完成し、在任中に内覧会をできる予定である。ま
価というのはなんというか大変表現しにくい仕事
た環境情報科学館の新設を担当できてよかったと
で、手の届きそうで届かかないところのものがど
思う。学生の自学自習に大変利用価値の高いラー
う転ぶかひたすら見つめて、その結果がどうであ
ニングコモンズが提供できるようになり三重大学
れ、その矢面にたつといったもので、なんともス
にとって大変良かったと思っている。なれない仕
トレスのある仕事内容であった。幸い結果がよ
事であったが、皆様の御支援でなんとか終ろうと
かったので大変ありがたかった。ラッキーという
している。
しかない。これも大学の教職員各位の日ごろの地
この3月末で三重大学を辞するが医学部時代、
道な努力が報われたものと思う。ご褒美に三重大
理事時代を通じて皆様に大変お世話になりました。
学に確か6,300万円だったと思うが交付金増額が
あらためて感謝申し上げます。
あり、増額分は各部局並びに事務局で新たな計画
─ 14 ─
転 任 の ご 挨 拶
神経再生医学・細胞情報学 木 村 一 志
平成25年4月1日付で、
生らと稚拙ながらも独自の実験系を構築し、新規
北海道文教大学人間科学部
機能遺伝子をいくつか同定できたことは大きな成
理学療法学科教授に就任す
果であり、現在もその機能解析を進めているので
ることになりました。解剖
すが、私にとって大きな財産になっています。また、
学と生理学の講義と実習を
二光子レーザ顕微鏡技術も習得することができin
担 当 す る 予 定 で す。 こ の
vivoイメージングに習熟できたことも、三重大学
ニュースが発行される頃に
で私が得ることができたことの一つです。これら
は、北の大地で初めての講
の貴重な機会を与えてくださった溝口教授をはじ
義をおこなっていることでしょう。北海道文教大
め医学部の皆様には大変感謝しています。
学は恵庭市という札幌市近郊のベッドダウンにあ
今後は三重大学医学部で学び、経験したことを
る大学で、国際言語学部と人間科学部からなる中
活かして、北海道文教大学での教育と研究に貢献
規模私立大学です。北海道は私の故郷であり、今
したいと考えています。国立と私立の違いはあり
回、北海道文教大学教官の一員になれたことは大
ますが、地方大学が教育と研究に汗を流し、頑張
変な喜びですが、一方で、10年以上お世話になっ
ることがこれからの日本にとって大切であるとい
た三重大学医学部を去ることに寂しさも覚えます。
うことに変わりはなく、これからも三重大学医学
振り返ってみれば、私が三重大学医学部に来た当
部の皆様とは同志であると思っています。また、
時、講義棟、研究棟、動物舎など耐震改修工事前で、
北海道文教大学に転任しても、溝口教授をはじめ
台風が来れば、窓枠の目張りや、3階であるにも
として何人かの先生方とは共同で研究を進めてい
関わらず雨漏りの対策をして、大切な実験機器や
きますので、三重大学医学部には何かとお世話に
コンピュータを守らねばならず、また、大雨の日
なるかと思います。三重と北海道で離れてしまい、
には冠水の心配をしなければならず、大変なとこ
多少縁遠くなってしまうかもしれませんが、三重
ろに来たものだなと思ったものです。現在では改
大学医学部の皆様とは今までと同様お付き合いさ
修工事も終わり、新病院も建設され、すっかりリ
せていただければと思っています。何卒、今後と
ニューアルされて、当初のような心配がなくなり、
もよろしくお願いいたします。
ずいぶん快適になったものだと感じています。三
重大学医学部は教官と学生の距離が近く、それが
三重大学医学部の良さであり,強みだと思ってい
るのですが、私にも研究室研修、実習やチュート
リアルで仲良くなった学生がいます。彼ら彼女ら
が医師として、頑張っていることを耳にすると、
一緒に実験したことや、実習で指導したことが思
い出されるとともに、うれしさも感じます。学生
や大学院生との関わりの中で学び、経験したこと
は何にも代えられないものでした。研究では、溝
口明教授の指導の下、研究室研修の学生や大学院
─ 15 ─
医学系研究科長・医学部長就任にあたって
医学系研究科・機能プロテオミクス 緒 方 正 人
4月1日より、登勉先生
研究機能がなくなれば専門医を育てることもでき
の後任として医学系研究科
ず、そのような大学や地域に魅力を感じ残ろうと
長・医学部長を拝命するこ
する卒業生は皆無でしょう。教育にせよ医療にせ
ととなりました。就任のご
よ、かぎとなるのは人財であり、大学と地域を支
挨拶とともに、皆様といっ
える人財を再生産するには、大学の研究機能は無
しょにどのような研究科を
くてはならないものです。
築いて行きたいと考えてい
教育、研究、医療は、どれか一つに注力すれば
るかについて述べさせて頂
よい、というものではなく、その全てが大切です。
きたいと思います。
限られた資源の中で、適切なバランスを取ること
が重要と思います。
1.目標とする研究科像
そして、自学のみならず他の大学、地域にも人
医学系研究科の使命は、教育、研究、医療で社
財供給できるような、誇りを持てる研究科を目指
会に貢献することです。では、世界にたくさんあ
したいと思います。
る医学系研究科の中で、三重大だけに課せられた
使命とはなんでしょうか? それは、言うまでも
2.研究科の現状認識
なくこの地域の医療の維持や改善に貢献するとい
教育においては、医学科、看護学科ともにカリ
うことです。
キュラムや教育組織の見直しを積極的に進め、海
教育については、優れた技能に加え倫理観、使
外エレクティブ制度などに代表される先進的な教
命感、国際性、地域への愛着などを備えた医師、
育を行うとともに、学生に対するケア体制の充実
看護師の養成が重要と思います。そのようなよい
などに大変熱心にとり組んでいると思います。そ
教育を実現するには、優れたスタッフが必要です。
の一方で、教員定員削減の中でいかに充実した教
医療については、地域医療システムを支えつつ、
育を提供するかについて今後検討を要する場面が
高度先進医療を担っていくことが使命といえるで
出てくると思います。
しょう。医学が日々進歩する中で、真似事ではな
教育の評価には時間がかかり、またどのような
い本当の意味での高度先進医療を実現するには、
尺度で評価するかも難しい面があります。これま
医療の限界を未来に向かって押し拡げ、世界の医
で短期的な客観評価の指標としては、CBTの成
療に貢献する気概を持ったスタッフが重要です。
績や国家試験の合格率などに注目してきました。
研究は、大学機能に欠くべからざるものと思い
それに加えて、卒業生が研修先として三重大病院
ます。研究は、真理の探究によって世界と地域に
を選ぶかも、学生が在学中に受けた教育に対する
役立つ研究成果を発信し、医学の進歩に貢献する
信頼感を反映する指標の一つとみなせるのではな
というのが本来の役割です。同時に、科学に基づ
いか思います。卒業生の動向は、地域圏大学であ
く姿勢は医学教育や医療でも重要であり、それを
る三重大学の使命という観点からも大変重要な指
学ぶ一番よい方法が研究であるとも言えます。例
標です。もちろん卒後臨床研修の内容が重要なの
えば、専門医の資格取得に必要な指導医には、多
はいうまでもありません。しかし、卒前、卒後教
くの場合何等かの研究業績が求められます。もし
育全体に関わる問題と捉えるなら、信頼され選ば
─ 16 ─
れる生涯教育システムづくりに向けて、卒後臨床
かとも言われています。医学系研究科では、平成
研修部だけではなく教務委員会や大学院委員会な
24年度にこの作業が行われました。
どが一体となって協力することが重要と思います。
「ミッションの再定義」で我々の研究科に期待
研究については、危機感の強い分野です。教員
されているのは、地域に根ざし国際的にも活羅で
定員が削減されたからといって教育や診療を削る
きる人材養成、地域医療を担う医師の養成やキャ
訳にはいきません。そのしわ寄せは、研究に一番
リア支援、マラリアや腫瘍免疫などの研究実績を
顕著に表れていると思います。研究の活性化につ
活かした特色ある先端研究の推進と次代を担う人
いては、医学科、看護学科、病院という組織の枠
材育成、治験拠点医療機関としての実績を活かし
組みや、基礎医学、社会医学、臨床研究、治験と
日本の医療水準の向上及び日本発のイノベーショ
いった領域の枠組みを超え、研究科全体で横断的
ンを創出すること、三重県における地域医療の中
に考え取り組むことが必要と思います。今や研究
核的役割を担うこと、などとのことです。すなわ
において基礎、臨床といった区分は大きな意味を
ち、我々の使命は、教育、診療、研究、イノベー
持ちません。小さな講座単位でできる研究には限
ションの全てにまたがり、どの一つが欠けてもい
りがあり、講座の枠を超えて研究交流を促進する
けません。最近三重県が本学と連携して申請し採
ことは、研究水準の底上げにぜひ必要と思います。
択された「みえライフイノベーション総合特区」
教員定員の削減や予算の削減は大きな問題です
においても、本研究科は中核的な役割を果たすこ
が、前々研究科長である駒田美弘先生は、連携大
とが期待されています。これらの使命を果たし今
学院による研究力の強化や、地域自治体からの医
後の研究科を発展させるには、教育、研究、医療
学部支援によって教員を雇用する仕組みの構築に
のいずれの面でも競争力をもった研究科でありつ
取りかかられました。さらに登勉前研究科長は、
づけることが必要です。
積極的な寄付講座の活用を推進され、地域医療問
題や研究の活性化にも積極的に取り組まれました。
4.研究科の活性化のかぎ
歴代研究科長のこのようなご努力を受け継ぎ、微
研究科の活性化に要るものにはお金や設備など
力ではありますが医学系研究科の活性化に取り組
様々なものがあるでしょう。しかし、一番のかぎ
んで行きたいと思います。
は人財とモチベーションにあると思います。昨年、
3.三重大学医学系分野の「ミッションの再定義」
京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞
国際競争力の低下や少子高齢化社会など、現代
を受賞されましたが、これには、大いに考えさせ
日本は多くの問題を抱えています。「知の拠点」
られることがありました。この研究がなされたの
たる大学は、これらの問題を解決する、社会変革
は、実質的には奈良先端大学であり、研究チーム
のエンジンとしての役割が期待されています。国
も山中先生と助手一名、あとは少数の学生と技
としては、そのような目的に向けて大学を改革し
官・技術補佐という小さなものです。また、使用
ていく、という方針です。その一環として各大学
された研究手法や研究機器も、全て三重大でも実
では、文科省と協議しながら「ミッションの再定
施・利用可能なものです。つまり、アイデアとや
義」という作業を行っています。
る気さえあれば、同じ研究は三重大でもできたは
「ミッションの再定義」というのは、さまざま
ずということになります。この研究では、大変手
な資料を基に、各大学・研究科の強みや特色、そ
間のかかる実験をきっちりと行わねばなりません。
れらを伸ばす各大学の戦略などを調べ定める作業
それを、嫌がらずに進んで実行する、元気で研究
で、その結果は、今後各大学が改革を実行してい
の好きな学生がいた、そういうやる気を引き出し
く方向を決めることになると思われます。その先
た、ということに一番敬服します。同時に、自分
には、大学間の連携強化や融合があるのではない
たちも頑張らねばと改めて思います。元気でモチ
─ 17 ─
ベーションの高いスタッフ、学生さんたちがいれ
微力ではありますが、活力があり、誇りを持て
ば、教育、研究、診療のいずれの面においても研
る研究科を、皆さんと一緒に築いていきたいと思
究科を活性化することは可能です。
います。
就 任 の ご あ い さ つ
看護学科長 辻 川 真 弓
平成25年4月1日づけで
た上で、その後は、県外、世界へと羽ばたいてい
2年間、看護学科長を拝命
く人、また大学院で学び直す人など、いろいろな
いたしました。教授として
自分の高め方をして欲しいと考えています。
の経験も浅く、力不足では
2つめは、看護学科から地域で暮らす人々や、
ありますが、皆様に助けて
地域で働く看護職者への発信です。看護学科には、
いただきながら、何とかこ
看護学の専門家が勢揃いしております。化学物質
の大役を果たしていきたい
過敏症をもつ人への看護、ストレス緩和療法、高
と考えています。
齢者のための健康増進運動、がん看護、家族看護、
三重県には、我が看護学科以外にも公立や私立
感染予防看護、災害看護など、他にも個々の教員
の看護大学がありますが、本学科の強みは、何と
が、それぞれのフィールドで研究活動をしていま
いっても医学系研究科の1組織であり、医学科や
す。それぞれの分野の知見を、研究として論文や
附属病院と連携できることにあると考えています。
学会発表していくだけでなく、地域住民が、生活
この強みを更にいかし、看護学科教員が、それぞ
の中で病気を予防したり、健康増進するためのセ
れの得意なところに重心を置いて、教育・研究・
ルフケア行動に結びつくような、メッセージとし
社会貢献できるような運営をしたいと思います。
て発信していけたらいいなあと思います。私自身
就任にあたり、「こんなことが実現できたらい
は、成人看護学分野ですので、超高齢社会を見据
いなあ」と思う2つのことを述べたいと思います。
えて、多くの人々が、自身の老いを感じる頃から、
実行宣言ではなく、関係する方々と相談しあいな
差し迫った死ではなく、長期的な視点で自身のエ
がら進めたいと思っている…くらいに解釈くださ
ンド・オブ・ライフを考えることの大切さを、看
ると幸いです。
護から発信していきたいなあと考えています。
1つめは、看護学科と附属病院看護部との間で、
学生・新人一貫教育プログラムのような取り組み
を提案したいと考えています。中学校と高校を連
動させた中・高一貫教育が評価されているように、
看護学教育でもこれを取り入れ、卒後2年目くら
いまでを視野にいれて、看護学科と看護部が育て
たい看護師像を共有して描きます。これに向けた
一貫教育プログラムを導入できれば、学生も安心
して大学で学び、その延長線上に自分の将来像を
描くことができると思います。学生たちには、三
重大学と附属病院で看護師としての基礎力をつけ
─ 18 ─
トピックス
大学院医学系研究科生命医科学専攻(博士課程)、
医科学専攻(修士課程)の入学試験実施状況について
大学院委員会委員長 山 崎 英 俊
平成25年度の大学院入試は、医科学専攻(修士
伴い、全国的に医科学修士課程では、苦戦する中、
課程)
、生命医科学専攻(博士課程)ともに、平
24年度は、15名の入学者を得ましたが、25年度は
成24年8月と平成25年1月の2回行いました。
残念ながら5名の不足となりました。今後の対策
博士課程入試では、合格者53名(8月入試10名、
としては、現在、社会人入学者に対しての昼夜開
1月入試41名、国際推薦入試2名)で定員を8名
講制を行っておりませんが、修士課程においても
超過しております。このうち、平成24年度10月入
社会人入学者の要望に応えるよう、講義の実質化
学は7名です。国際推薦制度(平成24年10月入学)
を損なわない形でカリキュラム変更し、主に午前
による入学者は中国の広西医科大学とアラブ首長
中と、夕方に集中的に講義の時間を変更すること
国連邦シャルジャ大学出身です。24年度の1月募
で、社会人学生の受入れ体制を整え、多様化する
集は志願者が32名でしたが、25年度は昨年度に比
大学院生に対応する予定でおります。また、講義
べ10名も多い42名の志願者があり、ご尽力いただ
カリキュラムは、23年度までは1年次前期を中心
いた諸先生方に厚く御礼申し上げます。
に行ってきましたが、24年度より1−2年次に分
博士課程合格者53名中、社会人入学者(昼夜開
散させました。25年度以降は、開講時間を午前、
講生)は37名(うち医師30名)でした。医師は合
夕方に集中的に配置し、1年次の講義科目を午前
計39名で、全体の約75%でした。また、三重大学
に行った場合は翌年は夕方開講する、或は博士課
医学部医学科卒は18名、本学修士課程からの進学
程で進めておりますe-learningで、万が一講義に
者は2名でした。24年度に比べて、博士課程入学
参加できない場合の対応も準備しております。24
者は7名の増加であり、うれしい悲鳴です。アン
年度より、修士課程の入学定員を確保するために、
ケートから、博士課程への入学を決めたのは10月
6月に加えて、10月にも大学院説明会を行いまし
以降で、ホームページ或は先生のアドバイスや教
た。これまで実績のある医学部・工学部連携の研
室訪問、知人の紹介が決め手になっていることか
究発表や就職の説明を行い、また産学連携の研究
ら、ホームページの充実と博士課程の大学院説明
成果をお話いただきました。10月の説明会では、
会を10月以降に変更することも考えております。
10名が参加され(3名は県外から参加)
、そのう
また、今後は、減少する基礎研究医を増やすため
ち4名の方(工学系2名、理学系2名)の出願を
にも、MD-PhDコースの運用を見据えて、卒後
いただきました。アンケートからも、修士の大学
臨床研修制度との相互乗り入れを検討し、大学院
院選びには、ホームページが重要であることが分
改革を進めていきたいと考えております。
かりました。今後も年2回の大学院説明会とホー
修士課程(定員15名)の合格者は10名(8月入
ムページの充実に取り組もうと思います。大学院
試6名、1月入試4名)で、5名定員に満たない
説明会にご助力いただいた事務職員・教員のみな
状況でした。出身学部の内訳は、理学系2名、工
さまに深謝いたします。
学系3名、生命科学系2名、医療系2名、その他
本学医学系研究科では、23年度から実施してお
1名でした。平成18年度から薬学部の6年制化に
ります定員改訂(博士45名、修士15名)により、
─ 19 ─
時代に適合した質の高い、少数精鋭の教育を目指
るよう今後も更なる創意工夫を行っていこうと考
しております。博士、修士ともに、より魅力的で、
えております。今後も皆様のご協力をお願いいた
より教育効果の高い、世界に誇れる大学院になれ
します。
大学院医学系研究科看護学専攻(修士課程)の修了・入学状況について
看護学専攻大学院委員会委員長 小 森 照 久
看護学専攻修士課程の定員は16名ですが、最近
看護学CNSコースも引き続き合格者を確保し、実
は定員割れが続き、24年度入学者は9名にとどまっ
践基礎看護学も健闘しています。教員全員が定員
た状況で昨年4月に看護学専攻大学院委員長にな
の充足の必要性を共通認識としてもったことが、
り、25年度は定員を充足させることが最大の目標
定員を充足できた最大の要因です。入試科目で看
でした。そして、9月募集では9名が受験し全員合
護共通問題をなくす改革を行いました。その評価
格、1月募集では10人が受験して9名が合格しまし
を行い、定員の確保を継続して行いながら、いか
た。看護教育学2名、実践基礎看護学4名、がん看
にして質も確保し、高めていくかという課題もあ
護学3名、成人看護学2名、小児看護学1名、老年
り、次年度以降も看護学専攻大学院委員会を中心
看護学4名、ストレス健康科学2名、計18名と定員
にして教員全員で努力していきたいと考えていま
を上回る合格者を獲得しました。職責を果たせて
す。
安堵しています。昨年新たに新分野として設置し
24年度は9月に2名、3月に5名が修了しました。
たストレス健康科学、名称と内容を改めて新分野
内訳は、実践基礎看護学1名、がん看護学3名、小
としてスタートした看護教育学と成人看護学、老
児看護学1名、老年看護学1名、地域看護学1名です。
年看護学に設置が認められたCNSコースで定員
研究計画発表会、研究交流会、中間発表会を教員、
の半数以上を確保しました。
学生の全員参加を原則として実施し、当初は教員
ウイングを広げて多様なニーズに応えられるよ
からの発言ばかりでしたが、次第に学生からの積
うにした成果ととらえていますし、個々の分野で
極的発言もみられるようになっていて、学習環境
広報などの努力をした結果でもあります。前任者
の整備とともに、学生が研究に取り組むマインド
が手掛けた附属病院との連携による看護教育指導
も向上し、修士論文の質も向上しています。さら
者人材育成プログラムがはじまり、 1名が合格し
なる充実に向けて次年度以降も取り組みを続けて
たことも今後につながる成果です。12年目のがん
いきたいと考えています。
平成25年度医学部医学科入学者選抜結果について
医学科入試委員長 那 谷 雅 之
平成25年度入試募集人員は推薦40名(一般枠10
内訳については平成22年度入試以降、変更がない。
名、地域枠A25名程度、地域枠B5名程度)
、前
推薦入試では141名の志願者があった。1次選
期日程75名(一般枠70名、三重県地域医療枠5名
考では大学入試センター試験(1月19、 20日実
程度)、
後期日程10名の計125名であった。この人数、
施)の成績により、一般・地域枠A志願者から56
─ 20 ─
名を、地域枠B志願者から7名を選抜した。この
あった。合格者75名全員が入学手続きを取った。
1次合格者63名について2月11、12日に小論文試
後期日程試験は例年通り3月12日であり、小
験、集団面接、個人面接を行った。その結果、一
論文(英語の内容を含む)、個人面接が行われた。
般推薦枠11名、地域枠A26名、地域枠B3名が合
志願者は213名であったが、二段階選抜を行った
格し、合格者全員が入学手続きを取った。
こと(倍率10倍)、後期日程では欠席者が多いこ
前期日程試験は例年通り2月25、26日に行われ
とから、実際に受験したのは31名であった。10名
た。498名の志願者があり、倍率が5倍を超えた
が合格し、1名が入学手続きを取らず、追加合格
ため2段階選抜を行い、375名を一次選考合格者
者が手続きを取った。
とした。25日に数学、理科、外国語の試験が行われ、
最終的に推薦40名、前期日程75名、後期日程10
26日には個人面接が行われた。51名の欠席者があ
名の計125名が入学し、男性83名、女性42名であっ
り、実際に受験したのは324名であった。一般枠
た。三重県出身者は58名(46.4%)であった。
では70名が合格し、三重県地域医療枠として5名
最後に、監督委員、面接委員、出題委員、点検
が合格した。三重県地域医療枠5名の内訳は三重
委員、採点委員を勤めて下さった諸先生方に深謝
県1名、愛知県2名、大阪府1名、静岡県1名で
いたします。
平成25年度医学部看護学科入学者選抜結果について
看護学科入試委員会委員長 中 野 正 孝
(地域・老年看護学講座)
平成25年度の医学部看護学科入学者選抜は、例
た。この一次選考合格者に対して、二次選考は2
年どおり、試験実施日の順に、3年次編入学試験・
月11日に面接を実施し、最終的に12名を合格者と
社会人特別選抜、推薦入学、前期日程、そして後
した。合格者は県内者が11名、県外者が1名であ
期日程の5種類の方法によって行われた。
り、全員が入学手続きを行った。
3年次編入学選抜は、入学定員10名、試験科目
前期日程は2月25日と26日の2日間にかけて行
は小論文、英語、面接によって、8月31日に実施
われた。25日には国語と外国語の学力検査、26日
された。志願者は28名、受験者は27名で、正規合
には面接を実施した。募集人員55名に対して、志
格者は12名であったが、編入学試験は他大学との
願者は144名と昨年度に比べて増加した。128名が
併願者が多く、辞退者があり、追加合格を含め、
受験し、正規合格者は56名であり、54名(県内31
10名(県内3名、県外7名)が入学手続きを行っ
名、県外23名)が手続きを完了した。後期日程で
た。同日に実施された社会人特別選抜は、近年の
は3月12日に小論文と面接によって選考した。募
社会人継続教育の増加や生涯教育・キャリア変更
集人員10名に対して志願者は105名、受験者は48
の動向の中で、社会人の再チャレンジ促進にも応
名であり、正規合格者は11名であり、8名(県内
えようとするものである。定員は3名、志願者は
4名、県外4名)が手続きを完了した。追加合格
7名、受験者は7名で、3名(県内3名)が合格
者を含め、最終的には社会人特別選抜、推薦入学、
し、入学手続きを行った。
前期日程及び後期日程を合わせて、80名が入学手
推薦入学は、募集人員12名(内地域枠5名程
続きを完了した。なお、県内者49名、県外者31名
度)で推薦された志願者は35名で、一次選考で大
であった。
学入試センター試験成績に基づいて18名を選考し
今年度も、看護学科の広報活動委員会と入試委
─ 21 ─
員会を中心に、広報活動をさらに強化した。オー
る優秀な看護学生の獲得を目指し、さらに活動を
プンキャンパス、進学説明会、高校訪問などを積
推進して行きたい。末尾になってしまったが、入
極的に行った。今後も、入試委員会、広報活動委
試及び広報活動にご協力いただいた教職員と在校
員会だけでなく、看護学科教員が一丸となって、
生の皆様に感謝するしだいである。
三重県はもとより国内外において活躍が期待され
第18回医学部公開講座の開催
地域・国際交流委員会委員長 Esteban C Gabazza
三重大学医学部では平成7年以来、研究成果を地
域の皆様に還元することを目的として、健康・医
療・保険・福祉に関するテーマで一般市民を対象
とした公開講座を開催してきました。平成24年度
の公開講座は10月14日(日)13時より16時50分ま
で三重大学医学部先端医科学教育研究棟第一講義
室にて行われ、20歳から79歳までの合計40名(男
性17名、女性23名)の市民の方々が参加されまし
た。
いためにはどうすればよいかということは、医学
最初に三重大学医学系研究科脊椎外科・医用工
界のみならず日本の社会全体にとっても大きな問
学講座の笠井裕一教授より「ミャンマーでの脊椎
題となっていますので、認知症への理解を深めて
手術支援」について講義がありました。三重大学医
もらうとともに、薬物治療の現状、さらに音楽療
学系研究科・医学部はミャンマーのヤンゴン第一
法をはじめとする非薬物療法の効果について佐藤
医科大学と協定を締結しており、現在両機関の間
先生に紹介していただきました。
に医師による交流を行っています。ミャンマーに
最後に、医学部看護学科地域・老年看護学講座の
は脊椎外科を専門とする医師が少なく、笠井教授
磯和勅子教授より「高齢者社会における防災対策
はミャンマーでの脊椎外科医の教育のために、現
災害看護の視点から」の講義がありました。平
地にて数回にわたり手術指導を行ってこられまし
成23年3月11日に発生した東日本大震災は大きな
た。笠井教授にはミャンマーの医療現場で経験し
被害をもたらしました。特に高齢者や障害者など
たこと、本医学部との交流現況などについて講演
の被害時要援護者の被害は甚大であり、死亡者の
していただきました。
60%以上が高齢者でした。さらに、高齢者の場合、
避難生活の長期化により、感染症、寝たきり、認
次に、認知症医療学講座の佐藤正之准教授より
知症など、様々な二次的問題が発生し、生命の危
「認知症の薬物・非薬物療法」について講義があ
機に陥りやすいため、磯和先生には超高齢者にお
りました。現在、日本には200万人の認知症の患者
ける高齢者を対象とした防災対策を中心に、災害
がおられ、高齢化とともにさらに増え続け20年後
看護の視点から講演していただきました。
には400万人を超えると言われています。認知症を
いずれの講義についても参加者は興味深く講師の
どのように治療するか、あるいは認知症にならな
話に耳を傾けておられました。
─ 22 ─
最終講義の終了後、参加者に公開講座の印象な
部公開講座に参加していただいた方々、講師をし
どについてのアンケートを行ったところ、今年も
ていただいた先生方、準備をしていただいた方々
医学部公開講座は高く評価され、大成功のうちに
に心より感謝を申し上げます。
終了したことを実感いたしました。本年度の医学
平 成 24 年 度 解 剖 体 感 謝 式
法医法科学分野 那 谷 雅 之
平成24年10月25日午後1時30分から平成24年度
部学生に捧持されて退場した後、ご遺族代表草川
解剖体感謝式が三重大学講堂(三翠ホール)で行
聡子様のご挨拶、登 勉医学部長の挨拶があり、
われました。ご遺族、三重不老会会員、来賓、医
式は終了しました。
学部教職員・学生が参列し、解剖実習、病理解剖
感謝式に先立ち、当日午前11時30分より解剖献
及び法医解剖のためにご尊体をお委ねくださった
体者に対する文部大臣からの感謝状伝達式が行わ
故人に感謝し、ご冥福をお祈りしました。壇上に
れ、ご遺族に感謝状が贈られました。
は中央に「医之礎」が置かれた祭壇が設けられ、
解剖実習を終え、ご遺族のもとに帰られるご遺骨
が安置されていました。開学以来合祀されている
9,658柱に黙祷がささげられ、平成24年度に合祀
された184柱のご芳名が拝誦されました。教員代
表として法医法科学分野那谷雅之が、来賓として
三医会会長川原田力也氏が、学生代表として医学
部4年生池尻 薫君が感謝の言葉を捧げ、続いて
参列者全員が白菊を献花しました。ご遺骨が医学
平 成 24 年 度 の 白 衣 授 与 式 を 開 催
クリニカルクラークシップ専門委員会 委員長 竹 村 洋 典
平成25年1月17日(木)に三重大学講堂小ホー
ルにおいて白衣授与式が挙行された。この白衣授
与式は、医学部の学生がクリニカルクラークシッ
プに入る前に例年挙行されている。今年も学生の
みならず、多数の保護者や教員の参加があり、プ
ロのバイオリニストとピアニストが音楽を奏で、
荘厳な雰囲気のなかで行われた。式は、まず、学
長 内田 淳正 先生、医学部長 登 勉 先生、
附属病院長 竹田 寛 先生からご挨拶をいただ
─ 23 ─
いた。そして、入学後4年間の成績における優秀
なった。この責めを最小限にするためにヒポクラ
学生が発表され学長賞10名と医学部長賞10名が表
テスは医師の道徳性を高める必要性が生じ、この
彰された(表)
。そのあと、いよいよ4年生の医
ヒポクラテスの誓詞を作るに至った。それゆえに、
学生一人一人に白衣が授与され、教員らの介助の
ヒポクラテスは、医神から預かった医術を行う「医
もと、身に付けていった。白衣は校章と一人一人
聖」と称せられ続けている。このヒポクラテスの
の名前が入ったもので、三医会から贈呈さている。
誓詞唱和は現在、世界中の多くの医学生が式典に
白衣が授与されるごとに、臨席いただいた親族の
て行っている。
方や教員など、多くの参加者から盛大な拍手をい
白衣授与式の後、学生主催する懇親会が行われ、
ただいていた。三医会会長の川原田 力也 先生
ご両親や教員との歓談のひとときを得、翌週から
からはご祝辞をいただいた。そのあと、白衣を身
始まるクリニカルクラークシップに心を膨らませ
にまとった医学生全員によって、ヒポクラテスの
ていたようであった。
誓詞が唱和された。
ヒポクラテスの誓詞は、今から2000年あまり前
に実在していたギリシャ人、ヒポクラテスによっ
学 長 表 彰
医学部長表彰
氏 名
本 千
元 文
武 夏
山 敬
村 祐
田 慎
野 貴
中 智
氏 名
中 井 良 幸
池 尻 薫
馬 場 康 友
花 木 貴 代
野 瀬 賢 治
池 田 麻 依
奥 村 亜 純
山 中 裕貴子
山 本 篤 志
箱 崎 浩 一
松
大
宮
中
中
原
小
田
陳
野
て作られた。ヒポクラテス以前の時代には、医学
は呪術的側面が強く、それゆえにあらゆる医療行
為もある程度、許されていた。しかし、ヒポクラ
テスは医学を呪術から離し、医学を科学的な医術
としてとらえた。これにより、医療の対象が「悪
魔」や「霊」ではなく「病める患者」となった。
それゆえに、その有害性も患者に対する有害性と
なり、医師は有害事象によって責められることと
田
晴
晶
香
希
太
基
一
央
哉
通
香
三重大学におけるシステムズ薬理学の新しい展開
システムズ薬理学プロジェクト研究室長 大学院医学系研究科薬理ゲノミクス教授 田 中 利 男
http://pgx.medic.mie-u.ac.jp/zqsp/
21世紀創薬のボトルネック
充分な薬効であることからグローバルに薬理学が、
現在なお治療が困難な難治性疾患(アンメット
その役割を果たしていないのではないかと考えら
メディカルニーズ、unmet medical needs)に対
れるようになりました。この危機的状況に対して
する新しい治療法開発は、特に21世紀に入ってか
素早く対応したのは、医療産業において国際的
ら困難を極めてきました。たとえば、世界の2008
リーダーシップをとり続けることを国家戦略にし
−2010年における第二相の成功率はわずか18%で
ている米国でした。
あり、これをくぐり抜けたはずの第三相におけ
る成功率が約50%であることは、国際的にも重大
米国における創薬戦略としてのシステムズ薬理学
で深刻な問題として受け止められています。特に
米国NIHは、 2008年9月には、アカデミア、製
問題視されたのは、これら失敗原因の多くが、不
薬企業、FDAなどの先端的研究者達による第一回
─ 24 ─
ワークショップを開催しました。その後、2010年に
らまだ1年半しか経過していないため、世界中で
第二回ワークショップを開催し、2011年10月には、
多様な定義と研究戦略によりこのシステムズ薬理
全世界に衝撃を与えた白書(http://www.nigms.
学が展開されているのが現状であります。システ
nih.gov/nr/rdonlyres/8ecb1f7c-be3b-431f-89e6-
ムズ薬理学を構成する研究分野は、薬理学を核に、
a43411811ab1/0/systemspharmawpsorger2011.
オミックス医学やバイオインフォマティクスなど
pdf)を報告しました。この白書は、約50ページ
すべてのバイオメディカルテクノロジーを総動員
にわたる大作ですが、世界中の人が読むことが出
する学融的研究領域で、長い医学研究の歴史の中
来ますので、その詳細を解説することは、別の機
でも全く新しいマルチデシプリンであり、革命的
会に譲りますが、我々が重視しているポイントに
な教育プログラム刷新の必要性が強調されていま
ついて、ご紹介します。この白書は、ハーバード
す。しかしながら現時点においては、具体的なシ
大学医学部システムズ生物学のRebecca Wardが、
ステムズ薬理学の世界共通の研究戦略を総合的に
編集長を務めていることもありシステムズ生物学
提示するに至っていないのが現状です。
が基盤となっています。しかしこの白書の共著者
は、システムズ薬理学開祖の一人であるマウント
エマージングモデルとしてのゼブラフィッシュ
サイナイ医科大学Ravi Iyengar等多彩であり、単
ゼブラフィッシュが医学研究に使用されだし
なるシステムズ生物学の薬理学への応用と言っ
たのは、PubMedでは1955年から記録されていま
た安易な結論には帰結していないところが、興
すが、1年間に10編以上のゼブラフィッシュ論
味深いと思われます。この白書は、最終的には
文が出版されるのは1985年以降になります。そ
全く新しい科学としてQuantitative and Systems
の後、年間100編以上になったのは1994年以降、
Pharmacology(QSP,システムズ薬理学)の創成
1,000編以上が2004年で、ついに2012年には2,000
を提案しています。それに伴いシステムズ薬理学
論文が出版されるようになり、今年に入っても
に関する論文が世界で爆発的に出版されるように
その勢いは激しく3,000報は軽く超えると思われ
なっただけではなく、システムズ薬理学に特化し
ます。ゼブラフィッシュ研究の国際的Center of
た学術誌(CPT:Pharmacometrics and Systems
Excellenceであるオレゴン大学へ、研究室のすべ
PharamacologyyやSystems Pharamcology等)や
ての教員や大学院生が何度も研修に行き始めた頃
書籍が刊行されています。さらにハーバード大学
に、世界からゼブラフィッシュ創薬科学の論文が
医学部などにシステムズ薬理学のプログラムが構
報告されました。ゼブラフィッシュゲノムはヒト
築されています。しかしながらこのシステムズ薬
と約80%の相同性があり、遺伝子操作やゲノム改
理学は、 2011年に米国NIHにより再定義されてか
変が容易で、受精後1日で心拍動が認められる等
システムズ薬理学プロジェクト研究室のTシャツ
─ 25 ─
臓器形成が著しく早く、1組1回で200∼300個の
ングをコアに、自動化、高速化、定量化、高度
受精卵が得られ、動物愛顧との調和性が高いこと
化、高密度化等の実現を目指しています。また最
が、欧米で早くから活用されている理由です。さ
近の国際的潮流であるオーファン創薬のためのヒ
らに、体長3㎜の稚魚で、精密なフェノタイプ
ト単一遺伝子疾患モデルに加え、メタボリックシ
解析を96穴プレートで、2㎎以下の各化合物でin
ンドロームなどのヒト多因子疾患モデルやヒトが
vivoにおける薬効と安全性の大規模スクリーニン
ん移植モデルを、新しく創成し、いくつかのケミ
グが完了できる等の極めて多くの特徴が認められ
カルライブラリー探索研究を開始し、新規の治療
る新しいヒト疾患モデル脊椎動物です。
薬やイメージングプローブの創成をターゲットに
しております。これら10年以上の準備期間を経
三重大学におけるシステムズ薬理学戦略
て,ようやく社会の関心を少し得てマスメディ
さらに、色素欠損ラインや細胞特異的蛍光蛋白
アに紹介されるとともに、製薬会社の支援を得
トランスジェニックゼブラフィッシュの交配を繰
て、三重大学において我国初の定量的システムズ
り返し、各ヒト疾患モデルのライブin vivoイメー
薬理学プロジェクト研究室を2013年1月1日に創
ジング用ゼブラフィッシュを現時点で16種類以上
設することが可能になりました。このようなゼブ
開発しています。一方トランスジェニックゼブラ
ラフィッシュを基盤にした定量的システムズ薬理
フィッシュでカバーできない生体内細胞ライブin
学(Zebrafish-based Quantitative and Systems
vivoイメージング用プローブを多数創製し、各病
Pharmacology;ZQSP)は、世界にその例が無く、
態イメージングに活用しています。これらの基盤
今後国際的にインパクトのある情報発信拠点にな
技術をさらに強化して、ビッグデータ化したオ
ることを目指して展開していきますので、皆様の
ミックスデータに対応できるフェノームデータ
ご理解とご支援を、お願いします。
ベースを構築するため、ライブin vivoイメージ
ミャンマーのヤンゴン第一医科大学と学部間協定を締結して
脊椎外科・医用工学 笠 井 裕 一
この度、三重大学医学部は、2012年12月17日に
教育・研究各分野において医師交流を行う(現時
日本の医学部として初めて、ミャンマー連邦共和
点で医学部学生の交流は行わない)ことが確認さ
国のヤンゴン第一医科大学との間に学部間協定を
結びましたので、報告させていただきます。
1.学部間協定の調印式
調印式の会場は、ミャンマーのヤンゴン第一医
科大学の迎賓室で、三重から登勉研究科長、中井
桂司紀南病院副院長、小島佑介事務員と私の4名、
ヤンゴンからThan Cho医学部長をはじめ9名の
医師が参加して、厳かに行われました。まず、登
勉研究科長とThan Cho医学部長が協定書にサイ
ンを交わした後に(写真1)
、両大学の医学部間の
写真1.調印式で登研究科長とThan Cho医学部長が握手
─ 26 ─
写真2.晩餐会で談笑
写真3.ヤンゴン第一医科大学の正門での集合写真
れました。また晩餐会(写真2)では、登研究科
近代医学が浸透していない国の一つであり、人口
長からミャンマー医師を三重に招聘したいという
は5,500万人、国土は日本の約2倍大きく、国民の
提案がなされ、Than Cho医学部長ら3−4名が3
多くは貧困に苦しんでいます。しかし、治安は全
月に来津することが決まりました。
般的に悪くなく、国民は親日的で真面目な人が多
い印象です。そのミャンマーの医療は、劣悪であ
2.ヤンゴン第一医科大学について
り、例えばMRIはミャンマー国内に4台しかあり
ヤンゴン第一医科大学(写真3)は、1923年に設
ません。また、CTをはじめ、透視イメージ、ポー
立されたミャンマー国立の単科医科大学で、基礎
タブルレントゲンなどの機器もほとんどなく、国
医学系、臨床医学系、社会医学系の合計44講座を
民の多くは適切な画像撮影・診断を受けることが
持ち、国内最高峰の医学教育レベルを有していま
できません。そして、病院や大学が近代的な手術
す。国際協定は、オーストラリア(アデレード大)、
機器やデバイス、さらにインプラントを購入する
アメリカ(ジョンズ・ホプキンス大)
、イギリス
ことは非常に困難であるため、フランスや日本な
(エジンバラ大)をはじめ、インド、タイ、シン
どからの寄附に頼っている状況です。
ガポール、マレーシアの医学部と結んでいますが、
4.私のミャンマー医療支援
日本との協定は三重大学が初めてです。
私は、まだミャンマーが軍事政権下であった
3.ミャンマーの医療について
2009年から、三重大学のサポートを受けつつ、松阪
ミャンマーは、アジアの中でも経済発展が遅れ、
市に本部があるJAMBOF(Japan And Myanmar
写真4.ネピドー総合病院(1,000beds)建物は全て平屋建て
写真5.ヤンゴン整形外科病院(300beds)
ベッドは木製
─ 27 ─
写真6.ヤンゴン脊椎センター :青写真(左)と2012年12月時点のセンター外観(右)
Bridge Of Friendship)
、さらに岡山市に本部があ
よって、われわれ日本人のコミュニケーション力
る日本・ミャンマー医療人支援育成協会の会員と
の向上が期待されます。また私は、もし三重大学
して、7回のミッションでネピドー総合病院(写真
にてミャンマー人医師を一人教育すれば、その人
4)やヤンゴン整形外科病院(写真5)にて合計
がミャンマーに帰国した後に約10人の医師を育成
56例の脊椎手術を行いました。また、三重大学附
すると考えています。よって、この学部間協定を
属病院手術室をはじめ、三重大学整形外科教室の
きっかけに両大学間での様々な分野の交流が進め
関連病院、そして日本国内の医療機器メーカーか
ば、10年・20年後には、三重大学で学んだミャン
ら善意でいただいた手術機器をミャンマーに寄贈
マー医師が自国で大活躍する時代が来ると思われ
し、ミャンマー医師2名を三重大学に招聘して、脊
ます。そして三重大学の若手医師は、ミャンマー
椎手術の教育指導を行いました。また、現在建設
滞在中に、
「機械がない」、
「上手に言葉で伝えられ
中のヤンゴン脊椎センター(写真6)の立ち上げ
ない」という厳しい環境に置かれますが、その逆
に対して、微力ながら援助をしています。
境の中に新しい発見や驚きが生まれ、一人の医師
として大きな成長が期待できます。
5.今後への期待
最後に、この学部間協定が両大学双方にとって
ミャンマー医師は、個人の能力や知識欲が高
メリットがあり、良好な関係が末永く続くことを
く、特に英語力が優れていますので、国際交流に
祈念して、稿を終えたいと思います。
ベ ト ナ ム 大 使 来 訪
消化管・小児外科 内 田 恵 一
平成24年10月25日、ドァン・スァン・フン駐日ベ
重大学医学部附属病院で外科治療を受けたことに
トナム大使、プー・ゴック・ミン一等書記官、グ
感謝しておられ、この機会に本学を訪問されまし
エン・スアン・ドク二等書記官、レ・フィー・ホ
た。内田学長との懇談後に、登医学部長、竹田病
ア大使秘書が、本学を訪問されました。大使のご
院長とともに、主治医グループの一人であった私
来県の主目的は、ベトナムと三重県との農業分野
も同席しお迎えいたしました。
における経済連携を図ることでありますが、ベト
大使は54歳で、冷静沈着、威風堂々という言葉
ナムの結合双生児のグエン・ドク氏が、過去に三
がぴったりの方でしたが、歓談が始まると柔和な
─ 28 ─
笑顔で私を横の席に呼んでくださり、ドクちゃん
をアレンジしていただいた国際交流チームはじめ
の優しく誠実な人柄や外科治療、そして病棟での
事務関係の方々に感謝いたします。
様子について、当時の日本の新聞記事や記念写真
をお見せしながらご説明いたしました。夕方から
は、大使一行と、鈴木英敬知事をはじめとする県
関係者、県議会関係者、産業関係者の方々、私共
との夕食会が開かれました。
今後、ベトナムと三重県の農業分野における経
済連携の発展だけでなく、本学医学部との医学面
での友好関係の発展を祈念いたします。懇談の場
カーディフ大学訪問記
臨床研修・キャリア支援センター 櫻 井 洋 至
この度登研究科長、ガバサ教授、竹村教授に同
カーディフの歴史は西暦75年にローマ人がこの
行させて頂き、カーディフ大学(ウェールズ、グ
地に最初の砦を築いたことに遡り、わずか8エー
レートブリテン及び北アイルランド連合王国:以
カー(約3.2万㎡)の土地に堀と壁を巡らしたのが
下UK)を訪問する機会を頂きました。2012年ロ
起源だそうです。ウェールズ語のCaerdyddは16
ンドンオリンピック女子サッカーのトーナメント
世紀以降のもので、それ以前はCayrtifと綴ったそ
初戦でなでしこジャパンがブラジルに快勝する活
うです。tifはカーディフを流れるタフ川(Taff)
、
躍を見せたカーディフミレニアムスタジアムをテ
Caer-はウェールズの地名に数多く出てくる語で、
レビで見るまでは、あまりなじみがなかった方が
ローマ軍の砦のことなので、カーディフとは「タ
おられるかも知れません。今後三重大学と共同研
フ川のほとりにある砦」という意味になるそうで
究、教員、学生、若手医師交流において、特に医
す。その後約400年間ローマの支配下にありました
学部どうしの交流をすすめる大学間協定が締結さ
が、ローマ軍撤退(410年)以降ウェールズ人王
れております。また早速今年の医学科6年生のエ
の治世となった。この時期しばしばヴァイキング
レクティブ実習でも4名の学生がカーディフを訪
による侵略を受けていました。また974年に死亡
問することになりますが、より深い理解と親しみ
したウェールズ人王、モーガン・ムインファウル
を持って頂けますよう紹介させて頂きます。
(Morgan Mwynfawr)は現在の地域名グラモー
カーディフ(ウェールズ語:Caerdydd、英:
ガンの名に由来するそうです。その後イングラン
Cardiff)は、ウェールズの南東に位置するウェー
ドを征服したノルマン人が1091年から南ウェール
ルズ最大の都市です。人口は305,340人(2001年)
ズに進出するようになり、1277年エドワード1世
で、ロンドンからは西約250㎞の距離にあります。
のウェールズ侵略により最後のウェールズ王であ
面積は140㎢、桑名市(136.6㎢)より少し大きい
るルウェリン・アプ・グリフィズ(Llywelyn ap
程度で、人口は317,500人(2006年)で現在の四日
Gruffydd1228−1282)が殺されました。このグリ
市市(303,845人)とほぼ同程度です。北緯51度29
フィスは元イングランド貴族レスター伯、シモン・
分と樺太とほぼ同じ高さにあります(ちなみに日
ド・モンフォールの娘エリナと結婚しモンフォー
本最北端の宗谷岬で、北緯45.5度)。
ルゆかりの貴族をウェールズに招こうとしたので
─ 29 ─
エドワード1世の怒りを買い侵略を受けたとされ
2万人。カーディフ市自体がさほど大きくないの
ています。シモン・ド・モンフォールは元々イン
で町には学生が溢れ大学都市の雰囲気を醸してい
グランド王ヘンリー1世の寵愛を受けていました
ます。英国の中では2012年の入学難易度として
が、ヘンリー3世の失政(再三のマグナカルタ違
は25位(UCAS tariff, Universities and Colleges
反)に対し反乱を起こし、イングランド下院議会
Admissions Serviceの偏差値で医学部は70)
、研究
創設の道を開きました。このことで恨みをかいヘ
力では21位(RAE, Research Assesment Exercise
ンリー3世の子エドワード1世に殺されています。
の偏差値で医学部は56)と発表されています。世
イングランドに恭順を誓ったルウェリンは当初
界大学ランキングでは2012年のQS:Quacquarelli
ウェールズ大公を称することを赦されていました
Symonds社 の ラ ン キ ン グ で カ ー デ ィ フ143位
が、ウェールズ流の緩い支配に慣れていたウェー
(2012年のランキングでは1位:MIT、2位:ケ
ルズ諸侯はイングランドの厳しい占領政策に不満
ンブリッジ、3位:ハーバード、30位:東京大学、
を持ち、ルウェリンを担いでイングランドに対し
35位:京都大学、138位:北海道大学。三重大学は
て反乱を起こしました。しかし容易に同調しな
2010年に551−601位)
。TIMES社の2012−2013年
かった南部諸侯とイングランド軍の待ち伏せ攻撃
の発表では、カーディフは201−225位で名古屋大
を受けルウェリンは1282年に死亡。弟のダフィズ
学とほぼ同じ(1位:カリフォルニア工科大学、2
はウェールズの山岳地帯に逃れ、ウェールズ大公
位:オクスフォード、3位:スタンフォード、4
を名乗って抵抗しましたが、1283年にエドワード
位:ハーバード、27位:東京大学、54位:京都大
1世に欺かれて捕らえられ、家族とともに首吊り・
学、
三重大学は2006年に201−225位)。2007年の世
内臓抉り・四つ裂きの刑を受け処刑され、ウェー
界科研ランキングではカーディフ大学199位、三重
ルズ大公家は滅亡しました。その後、ウェールズ
大学493位となっています。常勤するノーベル賞学
人による独立運動は下火となり、1301年にはエド
者は2名で(英国で21位)。1名はマーティン・
ワード2世がプリンスオブウェールズを称しまし
エバンス卿(2007年医学生理学賞、ES細胞樹立)
、
た(イギリス第一王子の称号となったのは14世紀
もう1名はドイツ人でロベルト・フーバー(1988
以降)。1536年、イングランド・ウェールズ併合令。
年化学賞、光合成反応中心の三次元構造の決定)
1841年タフ渓谷鉄道がマーサ、カーディフ間に開
とのことです。
通すると、石炭がそれまでのNew PortやSwansea
次に私どものカーディフ訪問の行程についてお
からカーディフへと集まる様になり、石炭積出
話しします。11月17日早朝セントレアより全日空
港として産業革命以降急速に栄えました。1905
機、成田経由でロンドンまで約12時間のフライト。
年、エドワード7世はカーディフを「シティ」に
ロンドンヒースロー空港から車で1時間程かけて
昇格。1911年の国勢調査では、カーディフの人口
は182,280人に増加(1801年の第1回国勢調査では
1,875人)
。1912年、国立ウェールズ博物館が起工。
BBCのSFドラマ「ドクター・フー」
、「トーチ
ウッド」の舞台としても有名。また、カーディフ出
身の有名人では俳優ヨアン・グリフィス(2005年
アメリカ映画「ファンタスティックフォー」主演)
、
作家CWニコル、作家ロアルド・ダール(
「チャー
リーとチョコレート工場(1964)」
、
「007は二度死
ぬ」
(映画版脚本)
)などがいます。
ロンドン、パディントン駅。直前までホームが決まらな
いので電光掲示板に注意が必要
カーディフ大学は1883年の創設で、学生数は約
─ 30 ─
University Hospital of Wales(UHW)
パディントンーカーディフ間車内。自由席に座るには機
動力が必要。
パディントン駅近くのホテルに夕方チェックイン。
スーツケースをならべて上に座ってました(写真)。
私のコンケン大学(タイ)の友人であるDr.
Kim
竹村先生が果敢に車掌さんに座席はないのかと聞
が肝移植の勉強でハマースミス病院(ロンドンイ
いてくれましたら、reserved seatの座ってない所
ンペリアルカレッジ)に留学中ということで妻子
を人数分いとも簡単に見つけてくれて、
「ハイ、ド
(生後8ヵ月)連れで会いに来てくれました。夕
ウゾ」と言った感じでした。シートの上にカードが
食を世話すると言ってくれたのですが、案内の途
ついているのがreserved seatだということがわ
中道に迷って右往左往したせいで、同じインペリ
かったのですが、帰国後に調べてみたらこのシー
アルカレッジのSt.
Mary’
s病院を外から見物でき
トの上に刺さっているカードには座席指定をされ
ました。18日朝、ファーストグレートウェスタン
ている区間が印刷されていたらしく、空席のカー
鉄道で切符を買い一路カーディフへ!というと聞
ドをちらっとみて指定席じゃなければそれを外し
こえはいいのですが、予約席などはずっと前に売
て「座っていいよ」と教えてくれていたようでし
り切れで、ディスカウントチケットを購入。列車
た。
がどのホームに着くかは直前までわからないシス
宿舎のホテルは駅からみえるところにあり親切
テムで、電光掲示板(写真)を見て一斉に人波が
で快適でした。チェックインした後City Centre
移動します。最初どの車両が自由席車両かわから
をそぞろ歩きし夕食。19日朝に医学部の交流担当
ず完全に遅れを取ってしまいました。結局客列車
のマーチンさんがお迎え。結構な雨が降っていま
のうち1両しか自由席車両はなく、パディントン
すが傘はもっていません。タクシーで、医学部と
を出て1時間くらいはトイレの前の広いところに
University Hospital of Wales(UHW、写真)の
コクランビルディング。学生課、医学部図書館、シミュレー
ションセンターが入る6階建てビル。
スキルズラボ(コクランビル)。ラボ専任のウィリアムズ
先生
─ 31 ─
あるHeath Park Campusに向かいます。医学部は
るようになっています。卒業生の半数以上がGP
他学部や本部のあるCathays Park Campus(City
総合診療科にいくことになるイギリスでは外科や
Centre)とは少し離れていますが、町自体はそ
救急などの臨床現場の医師がリクルートも意識し
んなに大きくないので、自転車を借りたらさほど
てのことらしいですが競ってインストラクターに
移動に苦労はなさそうです。19日午前はまず医学
来てくれるとのこと。点滴や挿管、腰椎穿刺など
部と図書館、シミュレーションセンターのある
個々の手技を学ぶタスクトレーニング以外には
Cochrane Buildingを見学(写真)
。Cochraneとは
SP:模擬患者を用いたシミュレーションシナリオ
あのCochrane Database of Systematic Reviews
もやっている様で、三重大学が所有しているよう
のコクランのことです。図書館では学生達が熱心
な高機能シミュレーター(シムマン3G、ALSシ
に自習していて、セミナールームやAVルームで
ミュレーター)も2台ほどありました(三重大に
グループで学習しているものもいます。スキルズ
はシムマン+ALSシミュレーターなど計6台あり
ラボは広大で、ベーシックスキルのタスクトレー
ます)が、三重大にあるようなバーチャルシミュ
ナーは手技毎にいくつかのブースに区切って常設
レーター(内視鏡、腹腔鏡手術、分娩、血管内治
されています(写真)
。またビデオ上映装置やビデ
療VRシミュレーター)などは1台も見ませんでし
オフィードバックシステムのついたスタジオが2、
た。また日本では考えられないSP(ボランティア、
3室あってシナリオを用いたトレーニングができ
謝礼あり、これは一般の方々)による学生実習補
るよう常設されています。面積が十分広く、現在
助(内診、導尿など)などがあることも説明を受
の三重大のようにシミュレーターを出したり片付
けました。
けたりしながら場所の確保に苦労することはなさ
その後は病院内を見学し、Transplant Unit、
そうです(Ⅱ期工事完成時点では三重大学病院ス
Auditoriumなどを案内頂きます。昼食後、医学
キルズラボは充実の予定)。心音、呼吸音を再現
部長にあいさつをした後(写真)、リサーチセ
するイチローの初期型みたいな巨大なものが1台
ンター(Henry Wellcome Building, Welsh Heart
あり、ずいぶん古いものですが現役で使っている
Research Institute, Cardiff Medicentre, Cancer
ようです。学生に対するスキル教育は19才で大学
Genetic Building)を見学。各リサーチの責任者
に入学した1年次から採血や静脈確保などのスキ
が講演を行い、質疑応答。ホテルに帰って後夕食
ル教育が始まります(共通教育などはないようで
はベイエリアのウェールズ料理のレストランで会
す)
。実習は基本的にはeラーニングを用いて学
食をしました。最初「何が食べたい?イタリアン
生が自主的に行ったものをラボで確認するやり方
も中華も日本食もあるよ」と聞かれ、「ウェール
で、ラボ管理者(Ms.
Williams、看護師出身の教
ズ料理が是非食べたい」と口を揃えて言いました
員)が支援しますが、ラボ専任ではない病院の普
ら一瞬顔を見合わせたのがどういう意味だったの
通の診療科の医師がインストラクターで来てくれ
かわからないほどステキなレストラン(Mimosa
Kitchen, Cardiff Bay)で美味しいウェールズ料理
をごちそうになりました。
20日 は、Cathays Park Campus のGlamorgan
Building(写真)の議事堂(写真)で情報交換を
行います。この講堂はもともと1911年竣工のグラ
モーガン地方議会議事堂で、歴史を感じさせる高
い天井と重厚な石造りで、壁には中世を思わせる
彫刻や絵画があしらわれており、マイクはなくて
ポールモーガン医学部長と
も声はよく通ります。この講堂で約6時間超に渡
─ 32 ─
グラモーガンビル外観
グラモーガンビル講堂
り、カーディフ、三重双方の教員、研究者、学
年オープンのセントラルマーケット。その一角に
生、事務官らが卒前・卒後教育、研究、学生生活
カーディフ最古のデパートHowellsがあり、一帯
についてのプレゼンテーションと質疑応答が行わ
は縦横にアーケード街が繫がっており、ショッピ
れました。このグラモーガンビルの正面には海神
ングには飽きません。
ネプチューンと女神ミネルヴァの像が壮大な偉容
今後1ヵ月またはそれ以上滞在することになる
で来客を出迎えてくれまが、ここもBBC人気海
エレクティブ学生や研究者には十分な時間があり
外ドラマ「Dr.
Who」のロケ地になっていてロケ
ますので、ぜひスノードニア国立公園、アイルラ
地ツアーで訪れる人も少なくないようです。カー
ンドの対岸にあたるHolly Head、プリンスオブ
ディフ大学見学の楽しみ方の一つかも知れません。
ウェールズの立太子礼が行われるカーナボン城、
その後City Centreにある有名イタリアンレスト
Stone circlesなど見るべきものは沢山ありますの
ランJamie’
s Italianでこの日も教育担当のHellen
で、見聞を大いに広げるとともに多くの学生や教
Houston先生らと夕食。
員と一生の友人をみつけて医療人としての視野を
21日はマーチンさんがカーディフを案内してく
広げていただきたいものです。
れました。朝から雨が降っていますがやはり傘を
アクセス
さしません。歩いてCity Centre(晴れた日には外
1)KLM航空でセントレア発、カーディフ国際空
の石畳がとてもステキですが、雨の日には建物に
港までアムステルダムから乗継便有り。復路は
はいると周辺の全ての建物がつながっていて巨大
ロンドン出国も可能。(79,800円位から)
なショッピングモールを形成しており、若い女性
2)ANA、JAL、British Airwaysセントレアー成
には何日歩いても飽きないことでしょう)を通り
抜けてカーディフ城に到着。ローマ帝国、バイキ
ング、ノルマン人、イングランドとの戦争と併合
という幾多の戦争と占領の歴史を乗り越えて来た
カーディフ城は現代の少女と少年がタイムスリッ
プしたような映像でウェールズの歴史を紹介する
visitor centerにはじまり、中世の古城に迷い込ん
だような錯覚を覚えさせてくれます(写真)。シ
ティホールに併設するウェールズ国立博物館はロ
ンドンの大英博物館に次ぐ収蔵品で満ちていて、
カーディフ城
美術好きな方は必見です。City Centreには1891
─ 33 ─
田経由̶ロンドン便。ロンドンヒースロー空港
などもあるが、コーチは若い女性向きではない
からパディントン駅まで移動が必要。ファース
そう。
トグレートウェスタン鉄道でカーディフまで2
ウェールズツーリストガイド
時間半、料金は30−300GBPと差がある。指定を
http://www.walesdirectory.co.uk/Tourist_
取るには日本から旅行会社かインターネットで
Information_Wales/index.htm
事前購入が必要。乗車時刻をラッシュアワーを
カーディフ大学の詳細な説明については、日本
避けるなどのSuper off peakチケットなど複雑
語訳パンフレットがカーディフ大学よりでていま
な割引システム有り、安いが乗り方を知らない
すので学生さんはご参考ください。
と苦労するかもしれない。
http://www.i-studentadvisor.com/cardiff/
3)コーチ(長距離バス)
、LCC(格安航空会社)
welcome/japanese/pdfs/cardiff-japanese.pdf
みえライフイノーベンション総合特区
臨床研究開発センター 西 川 政 勝
国は、平成22年より日本の医療関連分野を成長
・福祉分野の産業の更なる発展を推進するため国
産業として位置づけ、これを発展させるために、革
に本制度を申請、平成23年7月「みえライフイノ
新的な医薬品・医療機器(iPS等の再生医療製品を
ベーション総合特区」が認可されました。総合特
含む)の研究、開発、実用化に係る施策を一体的に
区制度とは、内閣府が中心となり先進的取組を行
推進する「医療イノベーション」施策を行ってい
う実現可能性の高い区域に国と地域の政策資源を
ます。これは、産学官一体となって、医薬品・医
集中し地域を活性化する制度で現在全国32地域が
療機器産業を育成し、世界一の革新的医薬品・医
指定されています。課題は、総合特区に指定され
療機器の創出国となることで医薬品あるいは医療
たからといって補助金が出るわけではなく、各省
機器産業振興政策です。その施策の中で、私ども
庁の競争的資金に応募し獲得しなければならない
臨床研究開発センターが関連することは、①アカ
ことです。いかに上述の「医療イノベーション」
デミアシーズの医薬品あるいは医療機器の実用化
政策に沿ったものを作り上げるかで、それには三
のための質の高い臨床研究実施体制(CRCやデー
重大学、医学部あるいは病院の皆様の御支援と御
タマネージャーなどの人材の整備を含む)の整備、
協力が絶対に必要です。
「みえライフイノベーショ
②複数病院からなる大規模ネットワークの中核と
ン総合特区」の骨子は、産官学民が連携・協力して
して、窓口の一元化等を図り、多施設共同研究の
発展的な研究開発が可能な支援体制を確立し、県
支援を含めたいわゆるARO(Academic Research
内の医療・健康・福祉分野の関連産業を振興、活
Organization)機能を有する特定機能病院を構築
性化し医療イノベーションの目標である革新的な
することです。
医薬品と医療機器を創出するものです(図−1参
三重県(行政)は、平成14年より、三重県内の
照)。この中での最重要課題が、地域圏統合型医
健康、医療、福祉産業を育成する「みえメディカ
療情報データベース(Mie LIPセントラル)を三
ルバレープロジェクト」事業を三重大学も参加し
重大学内に構築し、そのデータを利活用して、①
産官学民で推進し、みえ治験医療ネットワークの
減災対策(震災時の医療情報の復旧と利用)、②
構築などいくつもの実績をあげてきました。三重
画期的な医薬品、医療機器等の創出に寄与する地
県は、総合特区制度を活用し、地域圏の健康・医療
域を目指し、県内の医療・健康・福祉分野の産業の
─ 34 ─
ÖËþßõßò÷ĄäýÎ%s!
図−1
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三重県
全域
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三重県内に整備されている医療系ネットワークを活用し、患者の医療情報を統合した医療情報データベースを構築します。本
データベースを核に共同研究や臨床研究を促進する体制、地域の特色を生かした産業創出や地域で必要とする人材の育成など
を行う拠点「
みえライフイノベーションプラットホーム」を国の財政支援等を活用して整備します。本拠点の活用と規制緩和措置によ
り、画期的な医薬品等を創出するとともに、企業や研究機関の立地、県内への研究資金の投入、雇用の拡大等により県内経済の
活性化を生み出すなど三重県がライフイノベーションに寄与する地域になることをめざします。
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・医療・健康・
福祉分野企業立地(
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業含む)・研究機関立地数:50件(5年
間累計)(過去5年間の実績25件を倍増)
・研究開発支援プラットホーム活用機関
数:県内機関 50機関、県外機関30機
関(各5年間累計)
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M2?8(2:9R122X7O2 ・ 医療情報DB:30万人分(5年間累計)
・ 医療・福祉現場のニーズ収集:
2,000件
(5年間累計)
・ 医薬品生産金額:5年間で50%増
・ 医療機器生産金額:5年間で100%増
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1 医療機器の製造販売業及び製造業における総括製造販売責任者等の資
格及び責任技術者の設置の要件の緩和
2 未承認医薬品(医療機器)
の臨床研究データの製造販売承認申請に活用
できる特例
3 治験ネ ットワ ー クとの治験契約をすればネ ットワ ー ク加入病院における個別病院
の治験契約行為の免除
4 ソフトウェア単独による医療機器の製造販売承認を認める特例
5 医療機器の登録認証機関による認証品目の拡大
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国内外企業、研究機関による研究開発支援プラットホームを活用した画期
的な医薬品等の開発、地域色豊かな製品の開発
①「みえライフイノベーション推進センター(MieLIPセントラル)」
設置(新設)
・医療情報DBの構築、ニーズ収集機能、共同研究支援機能等を活用し、医
療・健康関連製品の研究開発を促進
②「みえライフイノベーション推進センター地域拠点」の設置(
6ヵ所新設)
・地域の特色を生かした製品の研究開発、産業創出、人材育成支援
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6 (独)医薬品医療機器総合機構への申請・
相談手数料の減免
7 (独)医薬品医療機器総合機構における製造販売承認申請の優先審査の
実施
8 機能性食品制度(
表示等)
の拡大
9 ロボット技術を用いた福祉用具(介護機器)を介護保険の給付対象とする
特例
10 旅行業者(第二種及び第三種旅行業務)
の基準資産額及び営業保証金
の軽減
11 科学研究費助成事業における総合特区枠の創出
など
(案)
みえライフイノベーション総合特区
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Mie-LIPセントラル
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図−2
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ICT技術を用いて地域圏統合型医療情報DBを構築、減災対策、創薬やEBMに利用
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創出と活性化を図ると共に、③薬剤疫学研究や科
ションプランは、最初に三重大学病院から開始し、
学的根拠(EBM)を創出する、等です(図−2参
2年後に3つのMMC病院、3年後に6つのMMC
照)
。統合型医療情報DBのICTシステムの構築の
病院に増加し統合化してmeaningfulビッグデータ
グランドデザインはほぼできあがりつつあります。
ベースにしてきます。電子カルテベンダーは、各
概略は、各医療機関の医療データ(検査値デー
病院それぞれ異なるため電子カルテは一部異なる
タ、レセプト情報、病名データ、薬剤データ等)
データマッピングがされており、meaningful use
をデータマッピングし標準コード化しサーバ(ID-
に対応するにはまずこれを標準化し統一したデー
linkサーバを利用)に格納し、セキュリティの高
タマッピングにする必要があります。これが一番
い専用回線でクラウドサーバに格納、匿名化後に
大変な作業で各診療部門や各参加病院の協力がな
臨床研究等に利活用するものであります。データ
くしてはできません。いずれにしても、
「みえライ
解析は、統合データ処理センター(仮称)で一括
フイノベーション総合特区」でMie LIPセントラ
して行います。その際、医療情報の取り扱いに関
ル内に作る地域圏統合型医療情報データベースと
する各種ガイドライン、医学研究に参加するイン
その統計解析処理を行う統合データ処理センター
フォームド・コンセント(包括同意)
、個人情報
の構築には、皆様の御支援と御協力が必須ですの
保護法の遵守、各研究については研究倫理審査委
でよろしくお願い申し上げます。
員会の許可などまだ多くの解決が必要です。アク
医学部・附属病院再開発計画推進準備室の2442日
元医学部・附属病院再開発計画推進準備室室長
三重大学名誉教授 宇 治 幸 隆
はじめに
かは資料をみればわかりますが、それではその
平成24年1月4日、新病棟がオープンし、海沿
時々の人の思い、感情などをそこからは読み取る
いにひときわ白く輝く新病棟が立つ光景は、三重
ことはできません。それで、再開発の原動力となっ
大学附属病院の未来の発展を予見するかのようで
た再開発計画推進準備室の7年間を振り返り、関
す。大学を退職し、附属病院で医師として働く機
係した人々がどのような思いを持って取り組んで
会はありませんが、再開発に携わってきた一人と
きたかについて述べたいと思います。そして、こ
して、感動を持って眺めています。また私が医師
のような大事業は多くの人々が思いをひとつにし、
としての人生を歩み始めたのが昭和48年、塔世橋
協力を積み重ねなければならないことを、今一度
の古い病院から江戸橋に新しく建った旧病棟への
知っていただきたいと願います。
移転後間もない時です。そして退職したのがその
再開発計画推進準備室の設置
病棟がいよいよお役ご免となる年の平成23年3月
再開発推進準備室(推進準備室)は私が室長に
ですから、旧病棟とともに、大学医師として38年
任命され、平成13年7月25日に看板上掲式を行っ
間働くことができました。やがて取り壊される旧
て正式に発足し、平成20年3月31日までの約7年
病棟に対しては、辛かったこと、うれしかったこ
間(2442日間)
、現在の先端医科学教育研究棟の
となど思い出しながら、ありがとうという思いで
2階に設けられました。もともと、新病院を建て
いっぱいです。
たいという機運はかなり以前から高まっていまし
さて、新病院はどのような工程で完成に至った
た。平成12年当時の附属病院長は川村寿一先生で、
─ 36 ─
先生のもとで副院長を拝命していた私に、再開発
年)、豊田長康先生(平成16∼21年)の2代、医学
に努力をするようにとの指示がございました。急
部長は珠玖洋先生(平成10∼14年)、鎮西康雄先生
速に進歩する医療体制に当時の老朽化した附属病
(平成14∼18年)、
駒田美弘先生(平成18∼22年)
院の機能が、十分についていけないことは誰もが
の3代、病院長は葛原茂樹先生(平成13∼17年)、
感じていたことで、小手先の改修ではどうにもな
内田淳正先生(平成17∼21年)の2代と変わりま
らないし、今後数十年の医療の発展を考えれば限
したが、この先生方におかれても再開発成就に向
界にきているという思いが全職員にあり、皆が新
けて常に先頭に立って指導され、多大なご苦労を
病院を切望していました。このような職員の期待
されたことを銘記したいと思います。後述します
をどうやって行政の中枢に伝え、どのように足が
が、特に文科省や政界への働きかけ、三重県との
かりを作ればよいかがわからず、まず大学本部の
調整で腐心されたとお察しします。
施設部に再開発の工程について聞きに行きました
が、私の甘い期待は打ち砕かれました。施設部長
新病院の構想づくり
の話ではとても今は再開発の時期ではない。他大
まずすべきこととして、どのような構想の病院
学のもっと古い病棟改築が済んでいないのに、三
をつくるかを決めねばなりませんが、実態を知ら
重大学がそのようなことを言いだす立場でないと
ねば単なる作文になり、上滑りの言葉の羅列にな
の冷たい返事でした。文部科学省(文科省)の考
ります。そこで、5つの専門委員会(教育・研究、
えを知っておられる施設部長のお話は説得力があ
病棟、中央診療部門、外来、管理・運営・情報)を
り、まさに取りつく島もないとはこのことかと思
立ち上げ、新病院の構想づくりのために現状分析
いました。国の事業でゼロから物事を決めていく
から将来構想を練ることとしました。またそれら
というのはとてつもなく時間がかかるものだと改
の構想をまとめる委員会として、再開発検討準備
めて感じました。しかし他大学の再開発状況を調
委員会(検討準備委員会)を設けました。再開発
べると、不思議なことに、必ずしも順番が守られて
の順序から考えて、特に病棟、中央診療部門、管
いるとも思えず、何かの拍子に急に決定がなされ、
理・運営・情報の3つの専門委員会が論議を進め、
数日で構想を練ったというような話も聞こえてき
基本構想の作成に大きな貢献をしました。
ました。そこで、こちらはこちらで、構想だけで
もどんどん進め、附属病院の職員全員の思いをぶ
建築場所
つけていくしかないということになりました。川
さてどこに新病院を作るかですが、そもそも大
村院長は再開発を進めるためにと専門的な職員の
学の付属病院であり、他学部との学際的な研究も
任用を英断され、その後、葛原茂樹院長、珠玖洋
重要である点や、現状のようにキャンパスに5学
医学部長によって、医学部・附属病院の教官プー
部が集中した経緯を考えれば、キャンパス内にと
ル制による教官を推進準備室に配置することが決
いうことになります。しかし津波の危険や、貝塚が
められました。また工学部の協力も取り付け、工
あることからもわかるように地盤が弱く地下室を
学部から病院建築の専門家の河合慎介助手を招へ
設けられないことなどを考えれば、山寄りの場所
いし、エキスパートの今井正次工学部教授に指導
の方がよいかもしれません。検討準備委員会で議
をいただくこととなって、再開発に向けての事業
論が重ねられましたが、山寄りの別の場所にとの
が一気に動き出しました。最初は私、今井、河合
案では果たして適切な土地が手に入るか、またそ
に大野管理課長以下小川、福永、岩田、山田、草
れが何年先になるかの目途はなく、さらに昨今の
川、細井、向井の8名の事務官と薮内非常勤職員
傾向として2ないし3期、場合によって4期に分
が加わり、総勢12名の室員での船出でした。その
けて建設認可がなされるので、現地以外では不可
後約7年間に、学長は矢谷隆一先生(平成10∼16
能との判断から後者は却下されました。前者なら
─ 37 ─
3期に分けて建築できるので早く文科省の認可を
その後再開発検討準備委員会5回、専門委員会
得やすいのではないかと考えたことや、もし津波
13回、科長会議での説明を3回開催して主には基
が来ても周りに高い建物がないので避難場所にな
本構想と建物8パターンを決めました。その間、
ることも想定され、現地での新病院建築に決まり
事務方による文科省高等教育局医学教育課(医学
ました。しかし昨年の東日本大震災を経験し、東
教育課)と文教施設部計画課(施設部計画課)に
海沖地震が現実味をおびてきたことや、そのマグ
基本構想についての下交渉がなされ、平成14年2
ニチュードや被災規模の見直しなどから、巨大地
月7日医学教育課へ私と河合室員、事務方は池田
震や津波に耐えられるだろうか、本当にこれでよ
事務部長以下3名が出向き、正式に基本構想の説
かったのか、自分たちは大きな過ちを犯したので
明を行いました。さらに再開発検討準備委員会4
はないかと、不安に駆られることもあります。
回、専門委員会4回、科長会議での報告、医学部
将来構想委員会での基本構想の確認と建物8パ
基本構造
ターンの提示を行いましたが、その間に東大、愛
最初の基本構想は、以前より作られていた三重
媛大、旭川医科大の附属病院など4病院の見学を
大学医学部付属病院の基本理念である(1)患
行い、また約2か月間で15の中央診療施設のヒア
者本位の医療、
(2)地域と世界の医療への貢献、
リング、25の臓器別各診療科へのヒアリングを行
(3)臨床研究と人材育成の推進を元にしたこと
い、基本構想を修正し、償還計画も立て、三重大
は言うまでもありません。基本構想のversion 1で
学内での調整の末、同年6月6日に文科省に2回
は次のような構想が盛り込まれました。臓器別・
目の基本構想説明と償還計画の説明をおこないま
機能別の病棟編成、重症度別の病棟配置、個室・
した。
特別室の増床、救急・ICUの充実です。そのため
ところで推進準備室は、三重大学事務局特に施
の設計のコンセプトは患者中心の構造、安全で最
設部との構想の調整が難しい局面を迎えていまし
先端医療の設備、人材育成のためのシステム、ス
た。施設部は過去の再開発の情報を多く持ってい
タッフのための優れた職場環境、海の見える景観
るであろうし、文科省の意向も直接聞ける立場に
のすばらしさとしました。このように理想を掲げ
あるので、文科省が納得するような計画案の組み
るのは自由ですが、いざ内容を論議しだすと医療
立てを模索していたようです。そのため推進準備
スタッフ不足と採算が問題になりました。当時も
室と施設部の考えが異なることも多々あり、建物
今も同じでしょうが、特に看護師が集まらないこ
8パターンについても調整が難航し、両方の関係
と、そして研修制度の改変による医師不足もその
が険悪になったこともありました。何回も施設部、
後問題となり、病院の規模や救急をはじめスタッ
医学部に建築事務所を加えた会議を持ち、忍耐強
フを多く必要とする部署の構想を決める上で深刻
く意見交換を重ねることで、双方納得の案に至り
な足かせとなりました。
ました。建物8パターンは最新医療に対応すべく、
また安全でかつ効率を優先した構造を持つのです
文科省への説明
が、共通することは、古い病棟のような十字の配
平成13年7月25日に看板上掲式をして、まず8
置は非効率であるという反省から、フロア内およ
月3日の夏のうだるように暑い午後に、全面移転
び上下階間において人、物の動きが円滑になるよ
で先行する岐阜大学附属病院の再開発の情報を得
うに考えたもので、中央にエレベーターホールを備
るため岐阜市に行きました。10年以上前から準備
え、左右に病棟が展開する長方形の構造が主流で
を始めてやっと建設にこぎつけた岐阜大学附属病
した。そして推進準備室には新病院の構想を練り
院から得た情報で「これはかなり遠い道のりだな
やすくするためにと河合室員によって病院の模型
あ」と実感することとなりました。
が置かれ、その後も病室の模型などが追加されて、
─ 38 ─
本格的な設計事務所の様相になっていきました。
た。すべては予算次第という情勢では文科省もこ
約1年後の平成15年6月20日の文科省の回答ま
う言うしかなかったのだと思います。国の事業は
で更なる検討が続きました。内容は、京大、金沢
予算が付いて走り出せば止まることはないでしょ
大、九大、岡山大、聖路加国際病院など他病院の視
うが、それまではただじっと待つしかないのです。
察10回、施設部・医学部・建築事務所による検討
計画の検討はそのまま進めたのですが、後で述
(再編整備ワーキンググループ会議)22回、全学
べますが、途中から方針変更があって、立体駐車
の施設整備委員会への計画案の説明を含め検討準
場のPFIやヘリポート(神戸大への視察を含む)、
備委員会などを合計20回、事務方による文科省へ
救急救命センター設置にむけての三重県との協議
の説明7回(施設部整備計画室、施設部計画課)
なども行いながら、平成16年6月30日の文科省で
と文教施設部の名古屋工事事務所、三重県との意
の概算要求書提出までに、再編整備ワーキンググ
見交換、文科省予算班主査に来院願っての説明も
ループ会議を30回、文部科学省との協議18回を重
おこないました。また5月8日には四日市市出身
ねました。この間、文科省との協議を踏まえて、本
の文科省の萩原文教施設部長に直々に葛原病院長
学の船見施設部長を先頭に施設部、財務部そして、
と私、事務部長以下事務方4名で協力依頼を行い
医学部の事務方は、推進準備室とともに、基本構
ました。
想の練り直し、病棟の再編、効率的看護配置と再
編・業務効率化、職員のアメニティー、救急救命
縮小案
センター設置、400数十億円規模の償還計画など
さて平成15年6月20日の文部科学省からの回答
の様々な課題について、寝る間も惜しんでの検討
は非常に落胆する結果でした。我々がもっとも不
を行いました。例えば病床数、稼働率、外来患者
便と感じている十字の病棟をそのまま生かして不
数の見込みが異なれば病棟編成、再開発規模も変
足の面積のみを新築として、 200億円内で完結す
わり、医療内容も償還計画も変わるので、ありと
るようにとのことでした。この方式は特に独立法
あらゆる事態を想定した計画が練られました。今
人化後に各大学で進められてきた「改修増築」の
思えば、おそらく縮小案のまま再開発が進むこと
流れそのもので、十字の病棟配置でなく全面建て
になってしまえば、こうも頑張れなかったのでは
替えで突き進んできた我々にとって、何とも厳し
ないかと思われます。
い結果となりました。その後、鎮西学部長、葛原
病院長に経緯を説明し、病院再編整備を最優先と
風向きが変わる
し、 200億円内の予算でも致し方なく、その範囲
なぜなら、平成16年3月13日に以前より要請を
で計画を練ることとなりました。全学の施設整備
していた地元選出の国会議員、田村憲久大臣政務
委員会ならびに医学部教授会で縮小案の了承を得
官と萩原文教施設部長他3名の附属病院視察が実
た後、同年7月14日には失意のまま文部科学省に
現することとなりました。不便な十字型病棟配置、
既設建物利用計画と当初の計画からの縮小案の説
狭い病室、手狭な外来や手術場、救急部などを見
明を行うに至りました。その後も夏の厳しい暑さ
学いただき、十字形を残した改修増築では、同じ
のなか縮小案についての検討が続けられたのです
経費をかけてもメリットは少なく、建築中の騒音
が、9月に入り、突然、文科省施設部計画課から連
問題や、アメニティーの悪い複雑な構造の病院が
絡が入り、財源がないので、計画は中止するよう
でき、新病院に未来はないと訴えました。その後、
にとの指示が来ました。そして3年後ぐらいでな
3月26日になって事態が変化しました。文教施設
いと見通しがたたないが、公示による業者の参加
部内では十字の既設建物に改修、増築の投資をし
(プロポーザル)はせずに、計画を進めるための
ても長く維持できない恐れがあり、残す計画の東
調査(随意契約)はしておくようにとのことでし
病棟も10年ぐらいで取り壊しを考える時期になる
─ 39 ─
ので、縮小案では長期の再開発計画に合わないと
棟再編による空きベッド解消、将来的な患者数動
いう考えが出ているとの情報が入り、風向きが変
向などさまざまな視点から病床数の検討が行われ
わってきたことを知りました。我々に勇気が湧い
ました。会議では現状の731床から大幅に減少さ
てきました。ともかく、ここからは全面建て替え
せてもよいのではという考えから、診療報酬請求
か、縮小案かの結論は棚上げにして、さまざまな
145億円、病床数625床で文科省に折衝することが
課題について検討を進めたのですが、心は全面改
決まりました。その後この病床数についての議論
築プランであり、その後の医学教育課や国立大学
は学内での検討と医学教育課との折衝を何度か重
法人支援課、文教施設企画部などへの説明は全面
ね、平成17年4月4日まで続くこととなりました。
改築プランがベストとの主張を続けました。この
そして4月4日に文科省内三課(医学教育課、法
文科省とのやりとりで、全面建て替えの有利性を
人支援課、計画課)の議論の結果、「685床で具体
納得していただけなかったら、おそらく縮小案で
的な検討に入ってよし」との連絡を受けました。
固まった恐れがありました。そして、医学部、施
さらに文科省との折衝が続きました。基本構想
設部、財務部、文科省との協議で、全面改築によ
はversion 5になっていました。医学教育課、国立
る新病院の規模を稼働率90%、外来患者数1,400
大学法人支援課、文教施設企画部計画課と企画課、
人/日で計算した債務償還計画を作りあげました。
そして三重県の健康福祉課にも説明が繰り返し行
また全体の工期を3期に分け、精神科病棟とMRI
われました。その間、内田病院長は坂口力議員の
棟を取り壊し、そこに1期は5年で病棟・診療棟、
視察を仰ぎ、田村憲久議員、川崎二郎議員、三ツ
2期は残りの診療部門の診療棟、3期に旧病棟を
矢憲夫議員へも説明と協力要請を行いました。も
取り壊して外来棟建築としました(後に内田学長、
ちろん学内の教授会、科長会、全学の経営協議会
竹田病院長の努力で、2期目に外来棟建築を含め
の了承も得られ、万全の態勢で審判を待っていま
て平成26年度完成予定に変わりました)。
した。
神は我々を見捨てはしませんでした。平成17年
全面改築プランと朗報
8月26日に再開発計画を平成18年度の概算要求に
平成16年6月30日の文科省への概算要求書には、
入れるという文科省省議内定の連絡が入りました。
再開発を進める上で、場所の確保のためには精神
約4年間の苦労が報われた瞬間です。続けて8月
神経科病棟の移転が不可避のことから、その取り
31日に文科省から財務省に提出された概算要求書
壊しを重点事項第1位として提出されました。ま
に再開発事業費が盛り込まれたことを確認し、報
た7月6日には高等教育局と文教施設部に堂々と
道リリースがなされ、翌日の各紙朝刊で報道され
全面改築プランへの変更、および償還計画を説明
ることとなりました。
しました。7月13日に文科省にて概算要求ヒアリ
ングが行われました。しかし文科省から聞こえて
具体的検討
くる話は、我々の再開発計画が認められるのはま
再開発の決定後、再開発検討準備委員会は再開
だまだ先ではないかというような悲観的なことば
発検討委員会(検討委員会)に改まりました。計
かりでした。また以前から新病院の病床規模をめ
画では新病棟は旧精神科病棟の場所に建てる予定
ぐってはたびたび議論の対象となっていた病床数
であり、そのためには一時的に精神科はどこかに
について、ヒアリング後も検討が続いていました。
移転しなければなりませんので、早速精神科の移
同年10月22日に開かれた財務部、施設部、医学部に
転先の検討に入りました。また5つの専門委員会
よる第1回附属病院再編整備推進会議で、将来的
の流れを汲み、病棟、中央診療棟、各種システム、
にも看護師確保の困難性、医療技術の上昇による
管理・サービス、外来棟の5つの部門検討部会お
在院日数減少や日帰り治療拡大による効率化、病
よび病棟配置・基本構想検討ワーキンググループ
─ 40 ─
による検討が開始されました。中央診療棟部門に
療部門の現状と新病院への要望を聴取しました。
よる福井県立病院の物流システム見学や病棟見学
それらの結果は逐一まとめられ検討委員会で報告
も行われました。平成18年4月には設計事務所が
され、また19年4月からはその結果を基礎に、各
岡田新一事務所に決まり、いよいよ中身の検討も
科、各中央診療施設に対する実施設計ヒアリング
本格化してきました。
が開始されました。2か月の間に51回ヒアリング
が行われました。この約1年の間には、MRI移転、
精神科病棟の移転
看護部や薬剤部などによる金沢大、慶応大、東大
当時の精神科病棟の稼働率からみて、我々は縮
など他大学附属病院の視察、精神科病棟移転が行
小して旧病棟のどこかに移ってもらえると安易に
われました。19年11月には高圧線による作業員4
考えていました。しかし、話を進めるうちに、病
人の感電事故があり、ひやっとしましたが、被害
床数の一時的な縮小に対してたいへんな抵抗に会
は最小限に食い止められました。そしていよいよ
いました。作業療法などに支障がでることも大き
我々素人の目にも解るような、新病棟のプロット
な抵抗の原因でした。それで様々な移転先を模索
図が19年6月に設計事務所から示されました。そ
しました。大学の敷地内で工学部横の空き地にプ
の後は9月∼12月に1期工事の入札、敷地の南端
レハブの病棟建築案も浮上しました。遠い場所で
に残っていた伝染病隔離病舎の取り壊し(この土
すので職員の移動や給食の体制についてまでも検
地は津市所有のもので津市との交渉も時間がかか
討されました。しかし一時的とはいえ、最大で5
りました)、
近隣自治会長への説明(後日近隣住民
年近い期間になることから、精神科の了解は得ら
との公聴会)、津保険福祉事務所への説明、エネル
れず途方に暮れていましたが、内田病院長の英断
ギーセンターの場所、工事関係車両の駐車スペー
で、予算は高くなるが旧病棟の西病棟に、2階に
ス問題と続き、平成20年3月17日に1期工事安全
わたって仮病棟を設置することを決めていただき、
祈願祭が精神科病棟跡地で行われました。3月末
やっと計画が動き出しました。今考えると、我々
に推進準備室は2442日間の活動を終え、室を閉じ
がもっと周到に精神科との協議をすべきであった
ることになりましたが、新病院建築に向けての作
と思うし、おそらく希望の半分もかなえられずに
業が終わるわけではありません。その後は再開発
病棟移転を余儀なくされた岡崎教授以下精神科職
プロジェクトコアメンバーを中心に、中央診療施
員の苦渋の選択に深い感謝とお詫びを申しあげま
設、病棟、情報システムなどありとあらゆる部署
す。そのまま精神科の了解が得られなければ、ど
のさらに詳細なヒアリングと打ち合わせ、調整が
んなことになっていたか、もっとも胃が痛い時で
延々と続くことになります。大型機器から、エレ
した。その時々のトップに立つ者が決断をし、失
ベーターのデザイン、患者給食のお椀ひとつに至
敗を恐れず事を進めねば何も進まないということ
るまで。
を実感した瞬間でした。
それでは、設計事務所によるプロットが作られ
怒涛のヒアリング漬け
るまでに、我々が取り組んだ内容のごく一部を次
平成18年4月から、人・物・情報の流れの効率
に紹介します。ここに書かれた内容は推進準備室
的な運営システムを構築するため、コンサルタン
と病院の各部署、各科、医学部、大学本部そして
ト会社アイ・テックの力を借りてヒアリングを開
設計に関わる業者が何度もヒアリングと調整を重
始し、17病棟と中央診療施設のヒアリングが合計
ねて結論に至った過程です。
32回行われました。さらに19年4月まで各診療科
や中央診療部門の部門別ヒアリングが56回、フロ
免震構造と地下
ア別のヒアリングが19回行われ、各科、各中央診
免震構想というのは簡単にいうと、ゴムとばね
─ 41 ─
の上に建物を建てることだと思います。他の病院
分けるのではなく、看護師、麻酔医や指導医が動き
視察の時に、地下室よりもさらに地下の見学を何
やすいような形です。一時は厳密に清潔区域と不
度も行い、免震の素晴らしさを実感しました。東海
潔区域を分ける環境を考えたのですが、それでは
沖地震が心配されていますので、当院も当然その
人の行き来が非常に不便で、いちいちものを取り
ような構造になっています。上でも述べましたが、
にいくにも滅菌の手間が増える体制になりそうな
最近、地震規模の見直しがなされるようになって、
のと、現状で感染の問題はなく、多くの手術を円
多少不安に感じますが、地震大国日本の建築技術
滑にするための人の動きを重視した方がよいとの
を信頼したいと思います。
判断に至りました。この点については推進準備室
もうひとつ、多くの病院は地下に施設を置いて
内で意見の不一致がありました。河合室員や、今
います。放射線治療、厨房、栄養室、材料・薬剤
井教授は清潔区域と不潔区域の厳重な区分を設計
の供給、リハビリ、リネン、カルテ庫、防災セン
に入れる考えでした。現在稼働している他大学の
ター、霊安室、駐車場などが配置されていて、本病
付属病院で、厳密に区分がなされているところが
院のように1階に多くのものを詰め込むというこ
たくさんありますが、その方式が重視されたのは
とは避けられたかもしれません。地下と言っても、
過去のことで、現状は一足制が主流となるように、
土の下に埋められたような構造を想像されるかも
清潔、不潔の区分をあまり厳密に問われなくなっ
しれませんが、そうではありません。広大な立て
ていました。手術手技、抗生物質、手術場の清潔
坑のなかにビルが側壁と距離をおいて収まるよう
維持機能など、さまざまな改善が進歩したからで
なものですので、外気も太陽光も入ります。当院
あると思います。他大学病院への視察や図面の入
もせめて半地下構造にでもできればよかったので
手、麻酔科の奥田先生からの助言などから、最近
すが、地殻構造上無理とのことで諦めざるをえま
新しく建築される病院の手術場は清潔不潔の区分
せんでした。
よりは、スタッフの動きに重点が置かれた構造に
なっていることが分かり、現在のような部屋の配
手術部の清潔環境
置が決定されました。河合室員も今井教授も最後
中央手術部は患者数、未来の医療形態や外科的
には納得をしていただきました。
手術数の傾向などを各科のヒアリングから得て手
術室は12室となりました。もっと多い方が余裕が
総合集中治療センター
ありますが、当然のことながらフロアの広さに制
本センターは中央手術部にも、救急外来にも、
限があり、輸血部、病理部、臨床工学部、中央材
さらに血液浄化療法部や光学医療診療部、中央放
料部、臨床麻酔部を同じ3階に配置すると、12室
射線部にも近いところにしたい、もっとICUを充
にせざるを得ませんでした。また日帰り手術数の
実させ多くのHCUと熱傷治療ベッドもと理想は
予測を得るために京大などの日帰り手術センター
膨らむ一方でしたが、関連の施設と隣接させ、さ
の視察を行って得た情報や、当院の未来予測とを
らに本センターのスペースを大きくとることはど
合わせて考えて、大学病院の中央手術部を使って
うみても無理な話ですので、1床の広さをめぐっ
の日帰り手術数が将来爆発的に増加することはな
ては激しい意見のぶつかり合いがありました。当
かろうと判断したことや、手術場で行われていた
時は我々が出した案では救急学会がめざす広さに
アンギオを2階にアンギオ室を設けて移すことを
適合しないとか、機器が入らないとかかなり厳し
決めていたことが室数に影響を与えました。
い批判を受けました。それがずっと気になってい
清潔環境は他病院の視察、現状の手術場におけ
て、開院式の時、救命救急センター・集中治療セ
る人の動きを勘案して今とほぼ同じような状況と
ンター見学の際に今井寛教授に広さについて尋ね
なりました。つまり清潔区域と不潔区域を厳密に
たところ、十分な広さですと言っていただき、苦
─ 42 ─
労が報われた気持がしました。医療は進歩するも
あります。当院は地下がないので、それらは1階
ので、治療法も変わり、機器も小さくなり、学会
に集中します。1階のスペースを考えればとても
の考えも変わるのではないかと個人的には想像し
全部の配置はできず、自ずからそれらは2期目に
ています。
なっていただくしかないところが出てきます。た
HCUの規模でも紛糾しました。科によっては術
とえ1期目になっても結局は面積という壁にぶつ
後は自分の病棟で見たいという希望が強くありま
かり、不十分な広さになったと思います。最後は
した。科によって術後の対応はさまざまですので、
我々の判断に従っていただきましたが、大いに不
術後一旦HCUに入ることに対して、HCUのスタッ
満が残ったと思います。ただ、従来なら1階以下
フに適切な管理ができるかという不安がありまし
に設置するしかなかった大重量の放射線検査機器
た。しかし、看護師不足と病床数削減、看護師の
が2階に設置できることがわかり、また放射線部
効率的な配置を考え、一部の例外は除き原則HCU
の理解も得られたことで、その分1階に余裕がで
で管理と決まりました。
きたことは非常に大きな進展でした。
さまざまな要因を総合して全体で34床となりま
したが、34という数字は需要予測などよりも医師、
部屋の構造
看護師数の見込みが大きく影響したと思います。
新病棟は12階建て、 685床、4床室中心、個室
またその34床の配置、1階の救急外来から直接患
率を現状の10%から30%に増床です。毎日六百数
者さんを移動でき3階の手術場にも搬送できる専
十人が寝起きする病室の環境は非常に大切で、治
用のエレベーターの設置、他の中央診療施設との
療効果とも大きな関係があることから、その快適
関係に苦心をしました。
性が重視されますが、同部屋でも陽の当たる部分
と影の部分ができます。それを4床室の患者全員
配置
が等しく陽当たりが良いようにということを河合
多くの人から分捕り合戦が始まりますよ。苦労
室員は真剣に考えていました。4床室では、入り
されますよという言葉をいただきました。確かに
口を中央にして左右に2列という配置が一般的で
どの階のどの部分に、どのくらいの大きさで、さら
すが、窓から遠い2床は陽当たりが悪くなります。
にどの部署とどの部署が近くがよいかなどで、議
河合室員はベッドの向きと、病棟の壁面に角度を
論が紛糾しました。エレベーターの位置など細か
持たすことによって4床ともほぼ同様に陽が差し
な点でも多くの衝突がありました。主張するその
込むような構造を提案しました。本当に素晴らし
部・科の医師の個人的な考えや理想が突出するこ
い設計であったと思います。しかし、それは病棟
とも多くありました。当時の学会の方針も影響し
の外壁に凹凸ができる構造で、のっぺりとした壁
ました。ある部署は直接、病院長に直訴するとい
ではないため費用が高くなるという理由から、文
こともあり、まとめ役の私も困惑する事態が何度
科省から許可をいただけませんでした。数億も高
かありました。なお竹田副病院長は病棟の再編・
くなるというものではありませんでしたし、他に
配置のまとめ役をされていましたが、私の中央診
予算を削ってもよいのではと考えていたものもあ
療施設の調整よりももっと苦労が大きかったと思
りましたので、今でも残念に思いますし、河合室
います。中央診療施設では2期目の工事にと考え
員の無念さは大きかったと思います。
ていたところが1期目に完成をして欲しいという
要望を出され、その調整に苦労しました。ここで、
ヘリポート
地下がないという構造が大きな足かせとなりまし
ヘリポートについては、救急救命センターを活
た。病院の1階、あるいは地下にあるのが効率的
性化させるためにも、是非とも設置したいと考え
で人・物の流れも円滑という中央診療施設が多く
ていました。ただ設置費用の予算に占める割合が
─ 43 ─
大きく、他の予算を削る必要があることや、他の病
して情報システムの問題からです。もう既に新病
院の情報から稼働し始めたら1,000万円単位の維
棟や中央診療施設では思ったより狭いとか、ここ
持費がかかることがわかりました。それでも設置
のスペースはもっと広い方が、逆にあそこは無駄
するなら償還計画の額が大きくなり、将来の職員
とか、また使い勝手の悪いとか、期待とはずいぶ
への負担が大きいとの試算がでて、二の足を踏む
ん違うところが出てきていると思います。それは
ことになりました。また当時は救急救命センター
新しい建物が建って、いざ使おうとしたときには
の設置が決まっていなかったこともあり、推進準
ありがちなことですが、それに対して人は設備に
備室が閉じられる時点では、結論はあいまいなま
合わせ、知恵を絞り、少しでも使い勝手の良さを
までした。その後、内田院長、竹田院長の努力で、
追求していくことになります。1年目から不具合
救急救命センターの設置が決まり、ヘリポートを
が出て、特にITの進歩についていけない部分が目
屋上に建築することが決まりました。ヘリポート
立ってくると思います。それだけITの進歩の速さ
が活用され、三重県の救急医療の中心となってい
は我々の想像を超えています。
しかし、それもある
くことを期待しています。
意味織り込み済みです。それに対しては、階と階
の間のスペースにさまざまな導線を通すので、そ
最上階レストラン
のスペースは充分に取られています。また設計を
患者サービスと職員の福利厚生の面から食事を
考える段階で、もし将来に大きな間仕切りの変化
する場所は、本業に匹敵するぐらい重要なことで、
を求められたときに、融通の利く構造、すなわち、
おろそかにはできません。伊勢湾を望む眺望のよ
強度に関連する部分を除いて、間仕切りを変えて、
いレストランでお昼をいただくというのは本当に
その時々のニーズに合わせた部屋の配置が可能な
快適なことですし、職員の士気にも良い影響があ
構造にすることも提案されました。今回の設計に
ります。ただ最後まで、最上階にレストランをつ
はそのことも加味されていると思います。おそら
くることに抵抗をしたのは私です。他の病院を視
くこの10年以内に早々と間仕切りを変えなければ
察した時に、最上階にレストランのある大病院で、
ならない事態になると想像しています。
お昼時などに、そのレストランに食事に行こうと
する外来患者や見舞客でエレベーターが混み合い、
附属病院が直面した問題
患者さんの移動に支障をきたしているのを見たか
この計画が進むうちに、葛原病院長時代には文
らです。しかし、前にも述べたように、地下がな
部科学省の心象が悪くなるような逆風がありまし
く、すべてのものが1階に集中するという当院で
た。附属病院の経営の悪化と医療事故です。豊田
は、窮屈な1階などにレストランを設置する余裕
元学長が節約委員長をされて緊縮経営を成し遂げ
はなく、外来棟の建築が完成するまで低層階にレ
られていましたので、それを土台に、次に経営改
ストランを設置するのは無理と考えざるをえませ
善委員長を引き継いだ私の、経費もかけるが診療
んでした。最後は、竹田病院長の指示により最上
報酬も稼ぐという逆の発想を採用いただき、黒字
階レストランが誕生することとなりました。
会計を達成しました。一方、この時期は異型血液
型輸血事故(平成12年)、
インスリン過剰投与事故
100年構造と柔軟対応
(平成14年)、静脈カテーテル事故(平成15年)な
新病棟は100年持つ構造になっています。誰も
どさまざまな医療事故が起きました。私は輸血事
100年このままでの状態にしておこうとは思わな
故と公にならなかった他のひとつの医療事故調査
いでしょう。私も30年ぐらいでまた立て替えなけ
委員長を仰せつかったのですが、その後の24時
ればならないと思います。それは建物の強度の問
間輸血供給体制など附属病院が一丸となって対処
題からではなく、医療の変化、人・物の動き、そ
することによって、特定機能病院を維持すること
─ 44 ─
ができました。このように附属病院が団結して問
時期にたまたま事務官として勤務された方々に深
題解決に向かう姿勢により計画の進行にマイナス
く感謝を申しあげます。事務方の協力、努力がな
とはなりませんでした。むしろ、葛原病院長と内
ければこの再開発は一歩も進まなかったと思いま
田病院長が附属病院の組織改革、職員の意識改革
す。事務官にとっても一生のうちに新病院建築と
を進められ、病院評価機構審査合格を得るなど全
いうような一大イベントに関わられる方はそう多
体としての機能向上がなされたことが大きなバッ
くはないと思います。この一大事業を成し遂げら
クアップになったと思います。
れた偉業を誇りに思われて当然です。本当にあり
がとうございました。
再開発は続く
推進準備室が閉じられて後は、内田、竹田両病
おわりに
院長がリーダシップを発揮され、2期で工事を完
平成20年3月31日、推進準備室の資料整理が終
成させることを勝ち取られました。またその後に
わり、推進準備室の看板が下ろされました。室員
続く新病棟への移転は超難解な数学問題を解くか
は一大事業を成し遂げたという満足感を持ち、新
のごとき難しさですが、それを完遂された新保副
たな職場に移り、そのまま再開発に関わる部署、
病院長の苦労は想像に余りあると思います。また
あるいはまったく別の職場で仕事を続けています。
事務方も年末正月もなく大変な思いをされたとお
特にセレモニーはなく、喧々諤々の議論を熱くし
察しします。新病棟で、真新しい最新機器による
てきた部屋は別の目的に使われるための改修準備
先進的な医療をとの皆の意気込みが大切で、それ
に入りました。そして内田学長、竹田病院長、新
がなければ、医療環境が変化することをむしろ迷
保再開発担当副病院長によって、新病棟の最後の
惑と思う人も多々いると思いますが、皆が何より
仕上げがなされ、またあらたに外来棟の建築に向
も患者さんに迷惑をかけず、1秒たりとも治療が
かって奮闘が続いています。
停滞しないようにと頑張られた賜物であろうと思
まだまだ記録しておかねばならないことは山の
います。そして電子カルテをはじめ、情報管理部
ようにありますが、あまりにも文章が長くなりま
門の苦労も尋常ではなかったろうと思います。
すので、この辺で筆をおきます。最後にもう一度、
新病棟は活動を始めても、さらに走りながら改
推進準備室、医学部事務、本学施設部をはじめと
革をしていかねばならないことも多いでしょう。
した多くの事務職員の昼夜をいとわぬ奮闘があっ
外来棟が完成するまでは旧外来棟や旧中央検査部
たことを強調したいと思います。そして学長はじ
門との連絡に苦労をされるでしょう。大きな無駄
め、歴代の医学部長や附属病院長と医学部教授会、
な労力が必要だと思いますが、ピカピカの附属病
附属病院職員、学外で応援をしていただいた方々、
院誕生に向けて皆様のますますの意気込みを期待
建設会社や設計者、また設備関係の会社の努力の
しています。そして、再開発事業に力を注いてい
結晶が新しい病院だと思って眺めていただくと、
ただいた医療関係者はもちろんですが、再開発の
感慨もひとしおだと思います。
日本臨床検査自動化学会 茂手木優秀演題賞を受賞して
医学部附属病院 中央検査部 中 村 明 子
2012年10月11∼13日にパシフィコ横浜で開催さ
平成24年度茂手木優秀演題賞を受賞いたしました
れた日本臨床検査自動化学会第44回大会において、
今回の受賞演題は「質量分析法による尿路感染
─ 45 ─
起菌の同定」であり、医学部附属病院中央検査部
にあります複数の部門が共同で行った研究です。
尿路感染の診断法として微生物検査分野に広く
用いられている検査には培養と塗抹鏡検(グラム
染色)があります。培養では、薬剤感受性の測定に
より、有効な抗菌薬の候補を挙げることができま
すが、結果の判明までには長時間(約72時間)を
要します。一方、グラム染色には、迅速性に優れ、
バックグラウンドの観察によって感染の有無を判
定できるという利点があるものの、菌名を同定す
迅速性にも優れており、外来患者にも(診療に要
ることができません。また(グラム染色は)熟練
する時間を延長することなく)実施可能です。現
を要するため、院内に細菌検査室を持たない医療
在、臨床検査として実施され、同じく迅速性に優
機関では実施しにくいという側面もあります。近
れているフローサイトメトリーを用いた尿中菌数
年、質量分析を用いたプロテオミクス解析(以下、
測定と本法を併せて実施することにより、より効
質量分析法)による培養コロニーからの菌名同定
率のよい尿路感染の診断法を構築できることが期
法が開発されており、概ね良好な結果が得られて
待されます。
いますが、複数菌種が混在している場合には菌名
今回、このような栄誉ある賞をいただけたのは
の同定が難しいこともあります。しかし、尿路感
もちろん私だけの力ではあり得ません。検査医学
染の起炎菌は単一菌である場合がほとんどであり、
講座の登 勉教授、和田英夫准教授、医学部附属病
質量分析法によって直接(培養を経ずに)検出が
院中央検査部中谷 中副部長、森本 誠技師長を
可能であると考え、今回の研究を行いました。そ
はじめ、ご指導いただいた先生方、中央検査部所
の結果、質量分析法による尿中細菌の同定は、尿
属の検査技師の皆さまに深く感謝いたします。
路感染の検査法として十分な検出感度を有してい
今後も学内だけでなく地域の感染症診療に少し
ることが明らかとなりました。また、この方法は
でも貢献できるよう、努力を続ける所存です。
第85回閉塞性肺疾患研究会 優秀演題賞および
第20回臨床喘息研究会学術講演会 優秀演題賞を受賞して
呼吸器内科 小 林 哲
この度、 2012年7
術講演会にて優秀演題賞(近畿大学 岩永賢司先
月21日に東京で行わ
生より授与)を受賞させて頂くことができました。
れた第85回閉塞性肺
演題名は前者が「呼吸器疾患におけるRNAiを用
疾患研究会(東京女
いた治療の可能性」、後者が「気道リモデリング制
子医大 永井厚志先
御方法としてのRNAi創薬の試み」です。今回の
生より授与)および、
閉塞性肺疾患研究会、臨床喘息研究会学術講演会
2012年10月6日 に 金
ともに前回の第84回および第19回に引き続いての
沢で行われた臨床喘
連続受賞となりました。両研究会ともに歴史ある
息研究会 第20回学
研究会で、喘息・COPDを中心とした発表の場で
─ 46 ─
す。特に後者の閉塞性肺疾患研究会は昭和35年に
創設された肺気腫研究会(今回は通算105回肺気腫
研究会となります)を起源とした、呼吸器関連で
はもっとも伝統のある研究会のひとつです。
今回の発表内容は、RNAi干渉という方法を
用いた治療薬開発に関する研究です。短鎖RNA
(siRNA)によるRNAi(RNA interference)は
1998年に報告され、その功績により2006年にノー
ベル医学生理学賞が授与されました。授与まで8
年間という短期間であり、それだけ期待された発
となりました。これら一連の研究は、三重大学免
見であったと言えます。これはある遺伝子と相同
疫学講座と呼吸器内科との全面的な共同研究の成
なセンスRNAとアンチセンスRNAからなる二本
果であり、連続受賞を受けたことからも分かるよ
鎖RNA(double-strand RNA:dsRNA)がその遺
うに、三重大学としての成果として広く認知され
伝子の転写産物(mRNA)の相同部分を切断する
たものと思われます。今後さらに研究を推し進め
という現象であり、このsiRNAを用いた創薬がな
る所存です。
されれば、配列特異的な遺伝子の機能抑制が可能
最後になりますが、このような賞を頂けたのは、
であるという点から、今まで治療が困難であった、
周りの方々の御協力あっての事です。いつも一緒
特に難治性疾患に対する治療が可能になると思わ
に研究をして頂いている免疫学講座のガバザ・エ
れます。我々は、新規構造RNA及び呼吸器疾患に
ステバン教授、呼吸器内科科長の田口修先生、病態
対するDDS(drug delivery system)の開発を行っ
制御医学講座の竹井謙之教授、さらに病棟で日々
ています。基礎的実験に引き続き動物実験での治
がんばってくれている呼吸器グループの若手先生
療効果の確認に成功し、その成果に対しての受賞
方に深謝いたします。
第218回日本内科学会東海地方会優秀演題賞(内分泌・代謝)を受賞して
糖尿病・内分泌内科 上 村 明
こ の た び、『 膵
賞することができました。
神経内分泌腫瘍を
膵内分泌腫瘍は、胃・腸・膵(GEP)の神経内分
切除後も高ガスト
泌腫瘍(NET)の一つで、ホルモン分泌能のある
リン血症が持続し、
機能性腫瘍とホルモン分泌能を持たない非機能性
ガストリノーマと
腫瘍に分類されます。機能性腫瘍としては、イン
の鑑別に難渋した
スリノーマ(60%)、ガストリノーマ(20%)、グ
萎縮性胃炎の一
ルカゴノーマ、ソマトスタチノーマ、VIPomaが
例』の症例発表を
あげられます。腫瘍径が5㎜以下でも血中ホルモ
行い、第218回日本
ン濃度が上昇して特異的症状が出現することが多
内科学会東海地方
く、腫瘍の局在診断に苦慮する場合が多々ありま
会優秀演題賞(内
す。また、インスリノーマ以外は悪性の場合が多
分泌・代謝)を受
く、早急な治療が必要となります。
─ 47 ─
逆に非機能性腫瘍はホルモン上昇による症状を
し、高ガストリン血症を引き起こします。しかし
呈さないため、腫瘍が増大してから診断される場
血清ガストリン値が>1000pg/mlとなることは稀
合が多く、発見時に既にリンパ節や肝に転移して
であり、血清ガストリン高値の萎縮性胃炎患者160
いる例がしばしば認められます。
人の空腹時ガストリン値は、平均550pg/ml(65∼
本例では腰痛を主訴に来院し、CTにて26㎜大の
2119pg/ml)程度でした。本例では血清ガストリ
膵尾部腫瘍を認め、血中ガストリン高値からガス
ン値1700∼3100pg/mlと高値で推移しており、慢
トリノーマが疑われ切除されました。しかしガス
性胃炎A型による高ガストリン血症と考えても比
トリノーマに特異的なZollinger-Ellison症候群様
較的まれな症例であり、ガストリノーマとの鑑別
の症状は経過中認めず、術後も高ガストリン血症
に苦慮しました。鑑別にあたり、SACIの検査結果
が持続しました。高ガストリン血症の鑑別として
が特に有用であったと考えています。
薬剤(H2受容体拮抗薬、PPI)、萎縮性胃炎、悪
本例を通して膵内分泌腫瘍は機能性・非機能性
性貧血、腎不全が挙げられますが、薬剤、悪性貧血、
ともに早急な治療を必要とする疾患であると同時
腎不全については検査結果等より否定的でした。
に、その存在および局在を正確に把握することが
画像検査において捉えられない微小腫瘍の可能性
重要であると改めて教えられました。
を考え選択的動脈内カルシウム注入試験(SACI)
最後に、このような賞を頂けたのは病態制御医
を施行しました。SACIの検査結果より、ガストリ
学講座の竹井謙之教授をはじめ、日々ご指導頂い
ン三角内にガストリノーマを疑わせる所見を認め
ている糖尿病・内分泌内科科長の矢野裕先生、鈴
ず、血液検査にて抗壁細胞抗体陽性から慢性胃炎
木俊成先生、その他多くの先生方のお力添えによ
A型による血中ガストリンの高値と診断しました。
るものと深く感謝しております。今回の受賞を励
胃壁細胞は胃前庭部に比べ胃体部に多く存在し、
みに引き続き臨床・研究共に精進していく決意を
慢性胃炎A型では抗壁細胞抗体により胃壁細胞が
新たにしました。今後ともご指導ご鞭撻を、宜し
障害されるため胃酸分泌が低下します。低酸症は
くお願い申し上げます。
ガストリンを産生するG細胞の過形成を引き起こ
医学部長表彰を受けて
医学科6年 三 澤 知 子
この度、私は、昨年3月に行われました第64回
西日本医科学生総合体育大会(西医体)冬季大会
において女子距離(クロスカントリー)3㎞部門
で優勝し、光栄にも医学部長表彰をいただきまし
た。
私たち競技スキー部は部員24名の比較的少人数
の部活ですが顧問の杉村先生(泌尿器科)のご指
導の下、春-秋はランニングなどのオフトレーニン
グを行い、冬は多い時ではほぼ毎週末ゲレンデに
通い、練習に励んでおります。他大学のスキー部
とは異なり、三重大学スキー部にはコーチが居ら
─ 48 ─
ず、競技スキー経験者も少ないですが、部員同士
で試行錯誤しながら練習内容を考え、取り組んで
います。長期の合宿を経るためか部活の雰囲気も
良く、恵まれた環境での部活動であったと感じて
おります。
ここで簡単に競技スキーについて紹介したいと
思います。三重大学競技スキー部ではアルペンス
キーとクロスカントリースキーを主に練習してお
ります。アルペンスキーは山を滑り降りる速さを
競う競技で、コースには旗門と呼ばれる2本1組
の、思いもかけない今回の成績は、当日の走順や
の旗が並べられ、旗門を順番に通過しながら滑
雪質等、運がよかったことが大きいと思われます。
り降ります。種目によって、旗門数、旗門の間
しかし、吹雪の中を懸命に走るクロスカントリー
隔、コース長が変わり、西医体ではスーパー大回
という競技を経験することによって、体力をつけ
転(Super Giant Slalom)
、大回転(Giant Slalom)
、
ることができましたし、メンタルの面でも以前の
回転(Slalom)の3種目が行われます。これに対
自分よりは少し強くなれたのではないかと感じて
し、クロスカントリースキーは雪山を滑り降りる
おります。また、同じ目標に向かって努力する先
のではなく、長いストックと細長くて軽いスキー
輩、同級生、後輩と切磋琢磨することの大切さも
板で整地された平地やゆるやかな起伏のあるコー
学ぶことができ、本当に良い人生勉強をさせてい
スを滑る競技です。西医体では女子は3㎞部門の
ただいたと思います。
みですが、男子は15㎞、10㎞、5㎞(リレー)部
さらに今回、光栄にも学部長賞を賜り、三重大学
門があり、雪上のマラソンのような競技です。
競技スキー部での経験は、私にとって、本当に貴
私は大学に入るまで、スキーの経験はほとんど
重なものとなりました。顧問の杉村先生、OBOGを
なく、最初のシーズン(信州での長期合宿)では、
はじめとする先輩方、友人達、後輩の皆さん、多
全く上手くならないスキーと、経験したことのな
くの方々に支えられ、このような賞を得ることが
い寒さで、スキー部に入ったことを本当に後悔し
できたことを、心から感謝いたします。これから
ました。しかし、先輩方にご指導していただいた
は、この賞に恥じぬよう、心身を鍛え、勉学に励
り、友人達と励まし合いながら、何とか最初の冬
みたいと考えております。本当にありがとうござ
を乗り切ることができたことを覚えています。私
いました。
医学部長表彰を受けて
医学科6年 伊 藤 弘 将
昨年8月に金沢市で行われました第46回全日本
どで2年連続医学部長表彰を頂いており、今回が
医科学生体育大会王座決定戦(全医体)個人戦で
3度目となります。
優勝したのを受け、この度医学部長表彰を頂くこ
前回医学部長賞を頂いたときにもこの『医学部
とができました。私が所属する医学部弓道部は平
ニュース』に寄稿させていただきました。そのと
成21年の西日本医科学生総合体育大会(西医体)
きにも書かせていただいたのですが、改めまして
男子団体戦優勝、平成22年の全医体団体戦優勝な
医学部弓道部について簡単にご紹介をさせていた
─ 49 ─
男子団体が準優勝、女子が第3位入賞を果たし、全
医体進出を決め全医体に臨みました。試合は団体
戦と個人戦がありますが、前年度優勝校として臨
んだ団体戦では残念ながら入賞することはできま
せんでした。続く個人戦、悔しい思いを胸に挑み
ました。一本一本引くたびに胸の鼓動が速くなり、
緊張しているのを感じました。弓道は28m先の直
径36㎝の的を狙う競技ですが、いつも通りに冷静
かつ正確に弓を引くには平常心・強い精神力が必
要とされます。弓に張った弦がキリキリと音を立
だきます。創部は昭和26年(1951年)、三重県立大
てじっくり的を狙う――いつも温かいご声援をく
学の時代からあり、創部から60年以上経つ歴史と
ださる先生方、先輩、後輩たちへの感謝を感じつ
伝統ある部活動で、現在は55名の部員が当部顧問
つ一本一本大切に引きました。
の藤枝敦史先生(血液内科)のご指導のもと文武両
今まで個人戦ではなかなかタイトルを手にする
道を大切に、日々練習に励んでおります。大学か
ことができませんでした。しかし今回、全医体の
ら弓を始めたという部員がほとんどですが、みな
舞台で優勝をすることができ本当に嬉しかったで
意識は高く探究心を持って修練を積んでおります。
す。一昨年全医体で主将時代に団体優勝を果たし、
部員の数が多いだけでなく、部活内の雰囲気が良
それから一年間苦しいときや辛い時もありました
く、居心地が良いこともクラブに活気があり、毎
が、弓を続けてきて本当に良かったと思えた瞬間
年良い戦績を残せている一因になっていると思っ
でした。多くの人からお祝いのお言葉を頂き、そ
ています。
して今回学部長表彰まで頂けることができました。
その中で私は平成21年秋から一年間この弓道部
この部活で弓を引けるのも残り僅かとなりました
で主将も務めました。主将引退後は実習も始まり
が、これからも支えてくださるすべての人に感謝
今まで通り部活動や自主練習にかける時間が少な
の気持ちを忘れずに精進していきたいと思います。
くなってしまい、その中で調整をしていくことは
難しかったですが、実習が終わってからや休日に
部員とともに練習に励んでいました。
全医体というのは、西医体と東医体の代表が全
日本の王座をかけて集う大会で、西日本約35大学、
東日本約25大学の医科系弓道部のそれぞれ3大学
ほどがこの全医体に参加します。今回も西医体で
学会だより
第19回日本胎児心臓病学会開催について
産科婦人科学 池 田 智 明・神 元 有 紀
去る2月15、16日にホテルグリーンパーク津に
て頂きました。一般演題は全国から98題もの応募
て第19回日本胎児心臓病学会学術集会を開催させ
があり、参加者は医師:290名、コメディカル・初
─ 50 ─
期研修医:65名、一般:5名、学生:20名と合計
人者である、三重大学胸部心臓血管外科教授 新
380名もの方に参加して頂きました。
保秀人先生にご講演頂きました。また、先天性心
胎児心臓を巡る最近の話題として、2010年に出
疾患を理解する上で、心臓の発生学を理解するこ
世前診断の普及により診断加算が取れるように
とは有用であり、国立循環器病研究センター小児
なったことがあげられます。この取得には施設基
循環器部部長 白石公先生に「胎児診断に役立つ
準が伴いますが、産婦人科医を中心として胎児心
心臓発生学の知識」と題して解説頂きました。さ
臓のスクリーニングを行うことが当たり前になっ
らに、
「胎児治療Up-to-date2013」と題してわが国
てきました。そこで、スクリーニングの標準化と、
における胎児治療の最新の現状を、国立成育医療
その後の紹介システムが重要になってきます。本
研究センター周産期センター長 左合治彦先生に
学会は、2006年に日本小児循環器学会とともに、
解説頂きました。ランチョンセミナーはImperial
胎児心エコーガイドラインを発刊しました。それ
College LondonのHelena Gardiner先生に「What
には、主に産科医によってなされるレベルⅠとい
information can the 3VT view give us?」と、三
うスクリーニングと、より専門的なレベルIIとに
重大学小児科准教授 三谷義英先生に「周産期か
なっています。一方、産婦人科医を中心として、
ら見た小児期̶成人期の肺高血圧の成り立ち」を
日本超音波医学会からガイドラインが作成される
お話頂きました。いずれも臨床に直結した内容の
動きもあります。そこで、本会のメインイベント
講演で参加者の皆様には満足して頂けたことと思
として「胎児心臓診断ガイドラインー日本超音波
います。
医学会と本学会の統一ガイドラインを目指して」
今回は、里見賞(研究部門、チーム医療部門)
を企画しました。一般産婦人科医や超音波技師に
以外にも、各セッション(4∼6題)の内、優秀
とっての最適なスクリーニング法等についてディ
演題を選び表彰を行いました。若い会員の皆様の
スカッションが繰り広げられました。
励みになったことと思います。
また、胎児診断した先天性心疾患症例は、新生児
期、幼児期を通じて、大部分が成人期へと進んで
いき、これらの管理も重要になってきます。この
ことから特別講演は、
「関連分野との融合」を目指
し、
本文野の第一人者であり、
成人先天性心疾患学
会会長の聖路加国際病院循環器内科部長の丹羽公
一郎先生に「成人先天性心疾患の現状と将来」と
題してご講演頂きました。また、「新生児・乳児早
期の心臓手術」と題し、小児心臓血管外科の第一
─ 51 ─
臨床神経病理懇話会開催について
三重大学神経内科 冨 本 秀 和
どん、三重大学の日本酒、少しですが三重県牛ス
テーキ(残念ながら松阪牛には手がでませんでし
た)や伊勢エビもふるまわれ、和やかな雰囲気の
うちに一日目を終了しました。
2日目も標本展示、ランチョンセミナー、一般
口演と盛り沢山で、好評のうちに幕を閉じました。
全体の演題数は25題と決して多くはありませでし
昨年11月17日、18日に第40回臨床神経病理懇話
たが、Valosin containing protein(VCP)遺伝子
会を三重大学医学部先端医科学教育研究棟基礎第
変異を認めたALS/Paget病の初剖検例が発表さ
二講義室と多目的講義室で開催させて頂きました。
れ、これを聞くため関東からご参加された神経内
この研究会は西日本の神経病理学会の位置づけで
科教授もあるなど、全体的に高いレベルの演題発
して、西日本全域から神経病理医、神経内科医、病
表が目立ちました。
理研究者が集まって年一回開催されるものです。
神経病理学は神経難病や認知症性疾患の診断や
初日の午前中は多目的講義室で演題症例の脳プ
疾患概念の理解に必要欠くべからざるもので、特
レパラートを小グループに分かれて鏡検し、診断
に自分のようなアナログ人間には直観的に理解し
の妥当性や病理所見の解釈について意見交換を行
やすい分野です。当日も若手の病理医や神経内科
いました。午後から基礎第二講義室に移って、各
医がプレパラートをみながらベテランに教えを乞
症例の口演発表を行い、さらに突っ込んだ意見交
うており、医学教育の観点からも大変有意義な2
換をしました。特別講演は津市のご出身で、前日
日間でありました。本研究会の設営には神経内科
本神経病理学会理事長の橋詰良夫愛知医科大学名
学講座の教室員の手作り運営の努力があり、また、
誉教授(神経病理学)にお願いしました。講演の
関連他講座、製薬会社からもさまざまな形のご支
冒頭から昔の津高校の写真や阿漕海岸のマテ貝と
援を頂きました。この場を借りて関係各位のご協
りの写真の紹介があり、ほのぼのとした雰囲気の
力に深謝申し上げます。
ご講義でした。その後、第二生協に場所を移して、
平成25年2月22日 全体懇親会をとりおこないました。会では伊勢う
第22回日本健康医学会を主催して
地域・老年看護学講座 教授 中 野 正 孝
第22回日本健康医学会総会・学術集会は、平成
し、これを科学として確立していくことを目的』
24年11月10日(土)に、三重大学医学部看護学科
として平成3年に設立された。この目的に賛同し
棟(新医学棟)を会場に開催された。本学会は、
た医療関係者のみならず広範かつ多種多様な専門
『個人を重視し、その健康に係わる諸問題を解明
分野の会員が集い、健康医学についての知識の探
─ 52 ─
居宣長記念館館長の吉田悦之先生に「医者として
の本居宣長の時代と健康」、そして、三重大学大学
院医学研究科教授の珠玖洋先生に「身体に優しい
癌治療−免疫療法開発研究の最前線−」を講演し
ていただき、今回のメインテーマに相応しい、大
変興味深い有意義なお話を拝聴することができた。
今回の大会では、新しい取り組みとして活動に
関する特別プログラムを創設し、
「くらしと災害に
ついて考えるシンポジウム」を行った。三重大学
医学部看護学科の教員有志が中心となって立ち上
求や技術の開発を連携して行っていこうというの
げた「三重災害支援研究会」のメンバーが、座長
が特徴である。22回目となる今回の総会・学術集
や教育の視点からの報告者となった。さらに、現
会(大会)のメインテーマは、
「改めて語る−健康
役保健師やボランティアの立場からの活動報告に
医学の意義と課題」として、これまでの健康医学
基づき、活発な意見交換があり、健康医学におけ
の歩みを踏まえて、将来を見据えた健康医学のあ
る新たな実践の展開に貢献し得る内容となった。
り方・方法について考え、健康医学の発展に寄与
大会終了後には、三重大学の生協第一食堂で打
することを意図したものである。
ち上げを兼ねた懇親会を開催し、参加者には三重
メインテーマに沿って、学会長講演では、
「健康
県の海の幸と山の幸を堪能していただいた。本学
医学の今日的意義と課題」と題して、健康医学の
会の規模は大きくはないが、全国大会であり、今
意義について改めて述べるとともに、今後の課題
回は晴天に恵まれ、会員・非会員を合わせて、述
として、健康の定義とQOL、日本人の文化と健康
べ約100名の参加者があり、好評のうち閉会となっ
観、健康医学と臨床医学、そして、健康医学と活
た。
動について提起した。
今回の大会の企画・運営は、事務局には中村洋
学会長講演に続いて、午前中はA、B、Cの3つの
一教授(茨城県立医療大学)と西出りつ子准教授
会場に分かれて、これまでの本学会においては最
(三重大学)に、実行委員会には本学看護学科の
多となる45の一般演題の口頭発表が行われた。A
畑下博世教授、林智子教授、吉田和枝准教授、村
会場では地域や施設の高齢者及び精神障がい者へ
端真由美准教授、竹内佐智恵准教授、平松万由子
の支援、終末期ケア、災害時の高齢者の行動、健
准教授、種田ゆかり助教、北川亜希子助教、中西
康支援システム、健康医学研究のための情報教育
唯公助教,橋本直子助教に、さらに、看護学科の
についての演題、B会場では健康診査・保健指導、
多くの大学院生と学部学生に大会の準備・進行ス
ロコモティブシンドローム・糖尿病・潰瘍性大腸
タッフとして携わっていただいた。そして、大会
炎などの各種疾患についての演題、そして、C会
場では幼児・学童・大学生・高齢者についての食
と健康、健康影響因子の測定、食品分析について
の演題というように、健康医学に関する広範な分
野からの報告があり、活発な討論が行われた。
午後には総会を行い、その後の特別講演及びシ
ンポジウムは一般公開とした。
千葉大学名誉教授の野尻雅美先生に「高齢者の
QOLプロモーションとスピリチュアリティ」、本
─ 53 ─
だけでなく、運営スタッフの活躍に対して、多く
最後に、事務局業務担当の岩島ゆきさん及びボ
の参加者から高い評価と賛辞をいただいたことは、
ランティアとして大会運営に関わっていただいた
主催者として光栄なことであり、日本健康医学会
方々と、ご協力・ご配慮いただいた医学部教職員
や健康医学の発展に微力ながらも貢献できたこと
の皆様に心から感謝を申し上げたい。
と大変嬉しく思う次第である。
第46回日本小児外科学会東海地方会を主催して
消化管・小児外科 内 田 恵 一
平成24年12月9日(日)に、アスト津アスト
当日は、腫瘍・リンパ管腫・肝胆膵・泌尿器・
ホール(津)にて、第46回日本小児外科学会東海
内視鏡手術・気管・腹壁・横隔膜・消化管の領域
地方会を主催しましたので報告いたします。本会
で25演題が応募され、例年のごとく活発なディス
は、愛知・岐阜・静岡・三重の東海地方のみでなく、
カッションが行われ滞りなく終了しました。準備
北陸地方会のの小児外科医も参加され年に1回開
の段階から当日の運営までご協力いたただいた、
催されています。当教室が担当させていただきま
消化管・小児外科のスタッフ及び関係者の方に感
すのは、故藤野敏行教授(1970年、第4回)、故鈴
謝いたします。また、当日ご出席いただきました
木宏志先生(1983年、第17回)、本泉誠先生(1999
玉城病院院長の本泉先生をはじめ関連病院の先生
年、第33回)につぎ4回目の開催になります。
方に、紙面をもちまして深謝いたします。
学 位 記 授 与 式
平成24年12月19日(水)午前10時から総合研究棟Ⅱ中会議室で学位記授与式が挙行されました。
内田学長から下記の方々に、三重大学博士(医学)の称号が授与されました。
医博甲 第1077号 浦 野 浩 子
医博乙 第843号 原 直 美
医博甲 第1078号 池 村 健 治
医博乙 第844号 福喜多 光 志
医博甲 第1079号 渡 邉 由 裕
医博乙 第845号 唐 松 克 夫
医博乙 第846号 大 津 和 弥
平成25年3月25日(月)午前9時30分から講堂大ホールで学位記授与式が挙行されました。
内田学長から下記の方々に、三重大学博士(医学)の称号が授与されました。
医博甲 第1080号 莫 穎 禧
医博甲 第1089号 杉 浦 伸 也
医博甲 第1081号 大 薮 明 子
医博甲 第1090号 髙 橋 直 樹
医博甲 第1082号 柏 倉 由 実
医博甲 第1091号 永 井 佑 樹
医博甲 第1083号 鹿 島 正 隆
医博甲 第1092号 中 森 史 朗
医博甲 第1084号 川 村 幹 雄
医博甲 第1093号 中 森 良 樹
医博甲 第1085号 菊 山 梨 紗
医博甲 第1094号 西 川 晃 平
医博甲 第1086号 GIL BERNABE PALOMA
医博甲 第1095号 野 尻 圭一郎
医博甲 第1087号 國 分 真佐代
医博甲 第1096号 藤 井 武 宏
医博甲 第1088号 新 堂 晃 大
医博甲 第1097号 藤 本 昌 志
─ 54 ─
医博甲 第1098号 BOVEDA RUIZ DANIEL
医博甲 第1105号 小 畑 秀 司
医博甲 第1099号 三 浦 洋 一
医博甲 第1106号 村 林 奈 緒
医博甲 第1100号 渡 邉 清 孝
医博甲 第1101号 植 村 剛
医博乙 第 8 4 7 号 島 田 康 人
医博甲 第1102号 種 村 浩
医博乙 第 8 4 8 号 森 本 亮
医博甲 第1103号 仲 田 智 之
医博乙 第 8 4 9 号 吉 田 和 枝
医博甲 第1104号 岩 田 崇
医博乙 第 8 5 0 号 高 木 治 行
人 事 異 動
H24.9.30
H24.10.1
H24.11.1
H24.11.1
H24.12.15
H24.12.16
H24.12.31
H24.12.31
H24.12.31
H25.1.1
H25.1.1
H25.1.1
H25.2.1
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.3.31
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
H25.4.1
退 職
昇 進
配置換(昇進)
採 用
退 職
採 用
退 職
退 職
退 職
採 用
採 用
昇 進
採 用
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
退 職
定年退職
定年退職
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
採 用
昇 進
横 井 弓 枝
平 松 万由子
村 嶋 秀 市
浦 城 淳 二
中 森 史 朗
熊 谷 直 人
佐 宗 幹 夫
本 間 仁
田 丸 智 巳
大 橋 啓 之
生 杉 謙 吾
大河原 剛
服 部 由 佳
木 村 一 志
伊 藤 芳 幸
堀 靖 英
吉 本 尚
岩 本 陽 一
小 池 勇 樹
紀 平 知 久
中 川 雅 紀
山 本 哲 朗
田 川 俊 郎
堀 浩 樹
登
勉
中 野 正 孝
曽 我 圭 司
吉 本 尚
金 井 優 博
成 島 成 人
松 原 孝 夫
赤 堀 泰
大 西 丈 二
塩 﨑 隆 也
宇佐見 彰 浩
登
勉
中 野 正 孝
久 田 雅紀子
基礎看護学講座 助教から
地域・老年看護学講座 助教から 同講座 准教授へ
臨床医学系講座 助教から 医学部附属病院放射線診断科 講師へ
医学部附属病院 医員から 臨床医学系講座 助教へ
医学・看護学教育センター 助教から 医学部附属病院・CCUネットワーク支援センター 助教へ
医学部附属病院・CCUネットワーク支援センター 助教から 医学・看護学教育センター 助教へ
臨床医学系講座 准教授から 県立総合医療センターへ
医学・看護教育センター 助教から 長野県立こども病院へ
臨床創薬研究学講座 産学官連携講座助教から 医学部附属病院臨床研究開発センター 講師へ
医学部附属病院 助教から 医学・看護教育センター 助教へ
名張市立病院 部長から 臨床医学系講座 講師へ
基礎医学系講座 助教から 同講座講師へ
賃金職員(看護学科) から 地域・老年看護学講座 助教へ
基礎医学系講座 准教授から 北海道文教大学 教授へ
臨床医学系講座 助教から 市立四日市病院へ
臨床医学系講座 助教から 三重県立総合医療センターへ
亀山地域医療学講座 寄附講座助教から 津地域医療学講座 寄附講座助教へ
伊賀地域医療学講座 寄附講座助教から 国立三重中央医療センターへ
臨床医学系講座 助教から 医学部附属病院小児外科 助教へ
医学・看護教育センター 助教 から
臨床医学系講座 助教から 鈴鹿さくら病院へ
特任教授(継続雇用) から 特任教授(継続雇用) から 基礎医学系講座 教授 から 三重大学理事へ
臨床医学系講座 教授から 特任教授(継続雇用)へ
地域・老年看護学講座 教授から 特任教授(継続雇用)へ
倉敷中央病院から 津地域医療学講座 寄附講座助教へ
亀山地域医療学講座 寄附講座助教から 津地域医療学講座 寄附講座助教へ
三重県立総合医療センター から 臨床医学系講座 助教へ
医療法人恵心会北星ファミリークリニック から 亀山地域医療学講座 寄附講座助教へ
医学部附属病院整形外科 助教から 伊賀地域医療学講座 寄附講座講師へ
藤田保健衛生大学 から 遺伝子・免疫細胞治療学講座 産学官連携講座講師へ
奈良県立医科大学地域医療学講座 准教授から 地域包括ケア・老年医学産学官連携講座 産学官連携講座准教授へ
医学部附属病院臨床研究・キャリア支援センター 助教から 医学・看護教育センター 助教へ
医学部附属病院精神神経科 医員から 臨床医学系講座 助教へ
臨床医学系講座 教授から 特任教授(継続雇用)へ
地域・老年看護学講座 教授から 特任教授(継続雇用)へ
基礎看護学講座 助教から 同講座講師へ
─ 55 ─
三重大学医学部の理念
Mission and Core Principles of Mie University Faculty of Medicine
確固たる使命感と倫理観をもつ医療人を育成し、豊かな創造力と研究力を養い、人類の健康と福祉の向
上につとめ、地域および国際社会に貢献する。
Mie University, School of Medicine aims to raise medical personnel with a steadfast sense of mission
and ethical view, and to cultivate in it students and faculties both rich creativity and research capacity.
The school will strive for development of human health and welfare and contribute to regional and
international society.
編 集 後 記
新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。寒さ厳しい冬を耐えた桜が今年も満開になり
ました。皆様の目に映る桜は、きっと昨年の桜とは違う趣があるのではないでしょうか。本学
に入学をするということは、
「試験に合格したから」ということ以上に、
「本学に入学をして将来、
医療に携わりたい」という皆様の夢の実現に向けた第一歩を踏み出したということです。心か
らお祝い申し上げます。これからどんな道を歩んでいくのか、それは皆様の描くビジョンにか
かっています。主人公は皆様お一人お一人です。4月の医学部ニュースは、これから将来の夢
を具体的に描いてゆく皆様にとって読み応えのあるものです。諸先生方の医学・看護学に向か
う姿勢、活躍する姿、長年の経験に裏打ちされた言葉は、皆様を励まし、皆様の歩まれる道を
照らす灯りになると思います。10年後、 20年後、皆様はどんな自分でありたいですか。憧れは
実現します。どうぞ、憧れの的を見つけてください。
さて、今年は伊勢神宮、出雲大社の遷宮の年に当たります。伝統を引き継ぎ、新調する。ちょ
うど時代が新しく変わっていくことの象徴に思われます。三重大学附属病院も昨年、新病院が
オープンしました。大勢の人々の7年にも渡る協働で完成し、未来を見据えた対応もなされてい
ます。昨今、
「協働」は大事なキーワードとして、あちらこちらで目にしますが、協働は決して
容易なことではありません。大勢の人々の目標を一致させ、それに向けて互いの強みを活かし
ながら忍耐強く目標に向かって歩みを進めていきます。伝統を受け継ぎながらも、現代に合わ
せて、未来を見据えて附属病院は新しくなりました。見事、大勢の人々の協働を成し終えたの
です。詳しくは医学部ニュースをお読みください。附属病院で学ばれる時には、是非、病院を
つくってこられた方々の協働に思いを馳せ、その方々に倣い、多職種と協働する力を磨いてく
ださい。新しい時代を生きていく技のひとつになるのではないかと思います。
医学部ニュースは、これからの大学生活の中で、どんなことがあるのか、そうした道案内も
してくれます。年2回(4月と10月)発行されますので、お読みいただけたらと思います。
最後になりましたが、大変お忙しい中、原稿をお寄せ下さいました先生方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
編集委員 坂 口 美 和
編集発行
編 集 委 員
三重大学 医学部ニュース編集委員会
吉田 利通 緒方 正人 田中 利男
〒514−8507 津市江戸橋2−174
楠 正人 丸山 一男 内田 恵一
国立大学法人 三重大学医学部・医学系研究科チーム
坂口 美和 福永 泰治
TEL. 059(232)
1111(代表) FAX. 059(232)7498
E-mail:[email protected]
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