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はじめに
はしがき
本書は,中国も知りたいけど,経済学も知りたいという人のために書かれている。中国と経済学を同時に知
りたいという人がどれくらいいるかはわからないが(苦笑),昔のコマーシャルではないが「一粒で二度美
味しい」内容が書かれている。
中国経済を専門に研究するようになって,ずっと思っていることがある。それは中国経済は経済学を学ぶ
にあたって,とってもいい材料を提供しているということだ。
その理由として,まず1点目は中国人は経済学が仮定する合理的経済人がよくあてはまるということ。合
理的というのは本文でも触れるが,簡単に言うと,自分が得になることを求める姿勢を持つ人間のことを言
う。中国人は中国大陸のみならず世界中に広がって,華僑として生活している。彼らはビジネスに対するど
ん欲な態度でお金を儲けてきた。おそらく世界でもまれにみる経済的成功の多い民族だろうと思われる。
それに自らビジネスを起こす人も少なくない。さすがに経済発展して安定した職を求める若者が増えてい
るのは確かだが,それでも自ら社長になって小さなお店を起こしたいと思う人は多い。筆者も香港にいると
きに,中国人が100人いればその80人の名刺には「経理(社長)」という役職が書かれている,と聞いたこ
とがあるぐらいだ。多くの企業が発生し,市場で淘汰されて,中国経済のダイナミズムを構成している。
2点目は,市場メカニズムと対称的な計画経済を体験しているために,市場メカニズムを理解するもっと
もいい材料を提供しているということだ。経済学を理解する上でもっとも重要なのは市場メカニズムの理解
と市場の限界を知ることである。ところが経済学の教科書では市場が無味乾燥に語られているために,具体
的に何がいいのかわかりにくいという側面がある。やはり具体的な事例があると経済学はわかりやすい。
中国は,計画経済を採用した。国家が人々の必要なものを計画通りに配分するというメカニズムである。
市場が価格でものが配分されるのとは対称的なシステムだ。計画メカニズムを理解すると,そうではない市
場メカニズムが理解しやすい。また計画経済から市場経済へ移行している中国では,市場メカニズムの実験
場でもある。中国経済は市場メカニズムを理解するのにいい材料となっている。
以上が,「中国経済で経済学を語ろう」と思った理由である。
もう一つ,この本では,「経済学で中国経済を語っている。」世の中には中国経済を語る本はたくさんあ
る。簡単に言ってしまうと,大部分が中国経済の現状をとりあげ,悲観的楽観的にそれを論じるというもの
だ。中国経済は順調に進んでいる部分もあれば,うまくいっていない部分もある。それをとりあげて,あー
だこーだというのは,冷静な中国経済論にならない。
そこで,経済学で中国経済を語ってみたいと思った。
経済学は,客観的な基準をもっている。
一つ目の客観的基準は,人の経済活動について,人は費用(コスト)と便益(ベネフィット)を比較し
て,もっとも便益が大きい状態を選択するというものである。人がなぜそのような行動をとるのか,中国人
がどのような意思決定を下しているか,費用と便益から考えることができる。社会の構造や制度は費用や便
益を生む。その発生した費用と便益を見比べて得になるように行動している。
もう一つの客観的な基準は,もっとも有名なものは一般均衡におけるパレート最適である。パレート最適
とは,「誰かの効用を下げることなしには自分の効用を上げることが不可能な状態」である。社会を構成し
ている人々がもっとも合理的に意思決定をして,取引などの相互依存した結果,みなが満足した状態になる
というものである。皆が満足している状態なので,誰かがもうちょっと満足を増やしたいということをする
と誰かの満足度を減らさないといけないことになる。これは満足を減らされる人にとっては苦痛だ。いろい
ろ不満はあるかもしれないが,とりあえず個人としては全員が満足の状態で,誰かが自分の満足をあげよう
とすると他人が損をする,そのような状態をパレート最適としてとらえている。
当然,中国経済がパレート最適な状態にあるかというとそうではない。渋滞や環境や格差などさまざまな
問題を抱えている。中国は市場経済を導入している最中なので,パレート最適からどれくらい離れているの
か,それを理解することで中国経済を客観的に判断することが可能となる。
とつらつら述べてきたが,まとめると本書の目的は二つになる。
(1)中国経済を経済学で語る
(2)経済学で中国経済を語る
である。中国経済を材料に経済学を理解してもらいたいし,経済学で中国経済を客観的に見てもらいたい,
と思う。本書の目的が到達しているかどうかは読者の判断を仰ぐしかないが,「一兎を追うものは二兎を得
ず」ということになっていないことを願いたい。読者が少なくとも経済学と中国経済に対して理解が進め
ば,本書の目的は到達したといえるだろう。
さあ,本書のスタートだ。
2013年4月吉日
岡本信広
第 1章 中国を経済学から考える
1.1 意 思 決 定 と 行 動
中国経済を動かす人々はさまざまだ。社会主義計画経済を採用することを推し進めた毛沢東,改革開放を
決定した鄧小平,社会主義市場経済が中国の目指す改革像であるとした江沢民・朱鎔基政権。社会主義革命
に踊った農民や都市住民は,人民公社に組織されるとともに,国有企業に編制された。政府や家計,企業な
ど経済主体はさまざまな意思決定をするが,計画経済時代は中国政府が主な意思決定権をもっていた。
改革開放から30年が過ぎた現在,政府だけにとどまらず,家計や企業も自由な意思決定を行い経済活動を
始めた。農民は請負制をはじめ,新たな改革の主体者となり,都市へ移動して農民工として中国を世界の工
場たらしめた。企業改革とともに労働者の中から経営者が誕生し,中国企業を世界企業へと押し上げた。外
資系企業も中国に殺到し,世界市場から原材料調達,技術や経営資源の移転を行い,高品質で廉価な商品を
大量生産し,世界市場へ大量に輸出した。政府以外の経済主体が「儲け」をめぐって自分に有利な意思決定
を行い,積極的な経済活動を展開している。
市場経済は「儲け」が中心である。政府を含めて人々は利得を最大にするように行動した。まさにエコノ
ミックアニマルの様相を呈した。あくなき利潤追求は中国経済を年率10%以上の経済成長をもたらした。
人々のお金やモノ・サービスへのあくなき欲求が,新たな製品の開発につながり,その生産のために雇用が
生まれる。人々は,さまざまなモノ・サービスを手に入れることによって豊かさ,「効用」が増大する。
人々は積極的に,もっといえば大変熱心に働いた。働く意欲は外資系企業にとっても生産現場としての中国
が魅力的に映り,さらなる外資系企業を呼び込んだ。
利得や効用を最大化するんだ,という合理的な意思決定を行う人々は,インセンティブ,経済的誘因に反
応する。中国の経済発展と豊かな社会は都市部で先に実現した。冷蔵庫,洗濯機,液晶テレビなどの家電,
マイカー,マイホームが都市住民のあこがれのものから,普通に誰でもあるものに変化していった。しか
し,農村部は発展から取り残され,耐久消費財の普及率は低いままであった。農民は都市部の工場で農民工
として働く中,わずかな収入を自らの実家に送金した。農業以外の収入を手に入れることができるように
なった農民たちも,都市部住民と同じような生活をしたいという欲望が限界にまで達していた。
人はインセンティブに反応する。とくに価格は私たちの経済活動で買うか買わないかという意思決定を行
う際に重要なインセンティブとなる。合理的な意思決定は得をするなら購入するし,損をするなら購入はし
ないということを意味する。
2007年後半から実施された家電下郷,汽車下郷政策は,家電や自動車を購入すると補助金が出るというも
のだ。一種の国家が支援する家電の大バーゲンセールである。これが農民の耐久消費財への購入に火をつけ
た。最初は補助金の還付が煩雑,一部農民はこの政策を知らなかったりなどの問題で出足はよくなかった。
しかし制度の改善,認知度の上昇により多くの農民が冷蔵庫,電子レンジ,テレビなどの家電を購入したの
である。
経済発展の一方,中国経済はさまざまな課題をもつこととなった。それは,格差と環境である。とくに格
差問題は深刻であり,社会主義国である中国が世界でもまれにみる格差国家になっているのは皮肉だ。社会
主義の思想は社会構成員の平等であった。そのために資本や土地を公有化(国有企業と人民公社)してみな
で生産物を分け合うシステムであった。中国共産党指導部,とくに当時の鄧小平は1978年に大きな決断を下
す。それが改革開放政策であった。平等をすて,ある程度の格差を容認することによって,経済成長を目指
すことになったのである。
国家指導者は計画経済か市場経済かという意思決定にあたって,大きなトレードオフに直面する。一つは
効率でありもう一つは平等である。効率(経済成長)をとると,平等を捨てなければならない。平等を採用
すると効率をあきらめなければならない。中国の現在の格差は,当時の改革開放という意思決定の結果なの
だ。
1.2 相 互 依 存 と 取 引
中国は計画経済から市場経済に移行している国だ。ロシアや東欧も移行経済国であったが,ショック療法と
呼ばれる方法で市場経済を導入したために混乱した。中国は漸進主義と呼ばれる方法で徐々に市場経済化を
すすめた。市場経済をゆっくり導入したために,市場経済ができあがる過程を観察することができる。その
ため市場経済とは何か,市場経済はどのようなメリットがあるのかを理解するのに,中国は最適な材料を提
供している。
平等は人々に同じモノを同じだけ配分することで実現できる。平等を実現するには政府に強いモノの配分
権力がなければならない。中国はそれを計画経済という形で実現してきた。
人々は隣近所と同じモノを食べ,同じ衣服を着ることによって平等が完成する。しかし人々には欲求があ
るし,好みがある。パンを好きな人もいれば,ご飯をすきな人もいる。食パン1枚で満足する人もいれば,
ご飯3杯食べてもお腹いっぱいにならない人もいる。となると同じモノを配給されても人々の満足は高くな
くなる。
中国は,糧票という食糧切符をつかった配給システムによって食糧を人々に配分していた。ここには市場
経済の大きな前提である「交換」が存在しない社会であった。配給システムは人々の平等という感覚を満足
はさせるが,人々の自分個人の欲求の満足にはいたらない。
市場経済化にともない,食糧切符は他のものと交換できるようになった。北京に出張に行った人が食糧切
符を衣服切符に交換することによって必要な洋服を得ることができるようになる。お金よりも配給切符が重
要であったために切符を交換することによって人々は自分の欲求を満たすことができた。
市場では欲しいモノと販売するモノが過不足なく交換されていることが多い。つまり需要と供給が一致す
るのが一般的だ。ところが上の配給システムは常にモノ不足という問題を抱えていた。毎年政府が決めた計
画によってTシャツを生産する。そのTシャツは衣料切符によって人々に配給する。過不足ないようにモノが
配分されるように思えるが実際には違った。
何を生産するにも何を購入するにも自分の中の予算の縛りがない(ソフトな予算制約という)状況では,
人々は余分に持とうとしてしまう。国家の計画に従うだけなので企業はもうける必要はない。そうすると多
めに原材料を購入して,計画だけ生産すれば終わりになってしまう。多めに原材料を買うのはいつでも命令
に備えるためである。家計も自分の収入とは関係なくお米を持とうとする。次の配給切符がもらえるまでに
家でため込んでおき,不測の事態に備えたいと思うからだ。
モノを多く持とうとする状況は需要超過を招く。その結果,供給が足らないという状況になり,計画経済
では常に行列が存在することになる。
市場経済化は供給の不足という状況を解決した。市場で儲かる(価格が高くなっている)ということがわ
かれば企業は多くを生産するようになった。逆に多く生産されすぎている製品は価格が下落してしまい,多
くが販売できることなった。人々は高ければ買わないし,安ければ買うという行動を通じて,モノが過不足
なくみなに行き渡るようになった。各家庭に必要な家電が行き渡って中国の生活は豊かになったのである。
中国の市場経済化を観察してくると市場を創るための条件とは何かがわかってくる。それは自由な意思決
定と所有権の交換だ。
規範的な市場になるには,多数の取引主体が参加すること,取引コストがかからないこと,情報が行き
渡っていることが重要である。ところが中国は国有企業の独占があったり(一部企業で競争がない),物流
システムが改善中であるが現在とは取引コストがかかり,正確な情報が消費者に伝わらないなど,問題もあ
る。そのため,政府は市場を改善するとともに,積極的にできることはやるという姿勢をみせている。
1.3 政 府 と 市 場
市場は人々の生活水準を向上させる魔力を持っている。このために市場経済は素晴らしいという人も多い
が,実は市場経済にも解決しないといけない問題は数多く出てくる。例えば、食品安全(情報の非対称)、
渋滞(外部経済)、農民工問題(公共財)、環境問題、知的財産権(独占)などの課題は多い。市場だけで
は解決できないさまざまな問題のことを市場の失敗と呼ぶ。
中国では粉ミルク問題をきっかけとして食品の安全性に注目が集まっている。家電など家の中にあふれ、
自動車を購入する人々が増えて、生活は豊かになったにもかかわらず、食品で生活が脅かされるのは皮肉な
状態である。これを書いている時にも「下水油」(油の再利用や動物の皮や贓物からつくる油)が雲南省で
摘発された。
食品が安全かどうかは、生産者側に情報があって、購入者側に情報がないという「情報の非対称性」が問
題である。もっというと中国では生産者同士でも情報が非対称性になっている。工場は、誰がどのような肥
料を使って農作物を生産しているのか、知らないし、別の工場は添加物が安全かどうかわかっていなくて使
用していたりする。製品に関する情報が手にはいらないという状況では、人々が安心した取引ができない。
経済活動が経済以外の状況に影響を与えることを外部経済という。近年の中国都市部における渋滞はその
典型である。豊かになった人々は自動車を購入し生活を便利に過ごそうとしている。しかしその結果は渋滞
で不便になるというものである。自動車購入という経済活動が、渋滞という社会問題を引き起こしている。
これを外部不経済という。外部不経済では市場経済がうまくいっていないので、何かしらの解決方法が政府
から提案される。注目されるのは上海の入札制だ。シンガポールでも導入されているが、自動車に必要なナ
ンバープレートを入札で決定する人である。必要な人が入札に参加し、道路の供給にそった自動車台数が市
場に出回ることになる。
格差問題や環境問題も市場経済ではうまく解決できない問題だ。農民工が都市部に出稼ぎに来ている。農
民戸籍というだけで、環境の悪い工場で人が嫌がる仕事を長時間働かせるなどの劣悪な労働環境に追い込ん
でいる。政府が農民工に対する何かしらの解決方法を提案することが求められている。政府が提供し、皆が
使うことのできるモノやサービスを公共財という。農民工への支援をどうするか。中国でも注目される動き
が出てきている。それは政府ではなく非政府組織、NGOやNPOが発生し、農民工への支援を始めているの
だ。農民工の子弟に対する教育の提供、農民工が仕事現場で事故にあった場合は、法律相談を受け付けたり
などである。政府ができない部分を民間ができるようになってきている。
環境問題も深刻だ。日本でも報道されるように、中国の大気汚染、水汚染、砂漠化は年々その深刻度を増
している。環境の問題は「共有地の悲劇」として説明される。内モンゴル地域で進む砂漠化はその典型であ
り、草原に自らの牛や馬を放牧し家畜を育てていく。皆が自分の家畜の成長のことばかり考えて放牧する
と、草原という共有地には草がなくなり、土地は砂漠化してしまう。このため環境資源という「共有地」の
使用に何かしらの制限をしないといけない。市場では、所有権を設定して売買する方法や環境税ということ
で共有地のコストを内部化する工夫がされてきている。
中国では日本のアニメのニセモノが話題になったり、iPadでももめたように商標権の乱用も大きく注目さ
れる。中国は知的財産権を守らない、とんでもない国だと思ってしまうが、知的財産権はアイデアという情
報(文書、絵画、名前など)に独占的使用権を与えるというシステムであるため、独占の弊害も発生する。
独占の弊害とは、その企業に独占的利潤を発生させるということ(そのために新製品を開発するインセン
ティブになる)、価格が高止まりするために本当に必要な人が買えないという問題が発生する。また新製品
の開発には模倣も必要であり、過度な独占は技術の衰退をももたらす(ソニーのベータ技術、パナソニック
にプラズマ技術)。だからといってニセモノを放置するのもオリジナル企業のブランドが毀損されることも
あるので問題である。
なぜ、このような問題が解決しないのだろう。中国政府は何もしていないのであろうか。実際には中国の
中央政府はさまざまな法律の制定、政府・国務院による行政指導がなされている。それにもかかわらず実際
の行政の現場である地方政府は実効的な対策がなされていない。それは、地方にとってニセモノ、安全でな
い食品を生産する企業、あるいは環境を破壊したり農民工を酷使する企業は金のなる木であり、金を生み出
す打出の小槌である。地方政府のトップにとって地方の経済発展と雇用の増大は自身の出世にも響く。その
ため、中央が正しい政策を実行したとしても、地方政府はそれに従わないということがよくある。中央の利
益と地方の利益が一致せずに政策実行のジレンマが生じているのである。
第 2章 中国人は合理的?
2.1 「 向 銭 看 」 ( シ ャ ン チ エ ン カ ン )
1978年からの改革開放から,中国経済は大きく変化した。中国の大きな変化は耐久消費財が急速に普及
し,各家庭で誰もが家電を持つようになった。
私が最初に北京に行ったのは1988年であった。改革開放が始まってちょうど10年経っていた。一緒に旅行
した友人の父が人民日報に取り上げられたことがあるということから,その新聞の切り抜きをもって人民日
報本社に訪問したことがある。最初は守衛のような人からも取り合ってもらえず,どうしようかと考えあぐ
ねたところに,一人の記者が退社してきた。彼は私たちの話を聞き,その担当の記者は出張中だから,「日
本からわざわざ来てくれてありがとう」ということで急遽自宅に招いてくれたのだ。
この人民日報の記者へのお宅訪問が私にとって最初の中国人の一般生活を覗く機会となった。(しかし今
考えてもその記者のお名前を覚えていないのは悔やまれる。)5階建ての北京にどこにでもある計画経済的
マンションであった。突然の訪問にもかかわらず奥さんが手料理をしてくれることとなり,夕ごはんをごち
そうになった。
彼の家での家電は,当時の日本人からすると白黒の型落ちブラウン管テレビ,ごはんをたく電気釜(もち
ろん保温機能はない)ぐらいで,冷蔵庫はなかった。私達がごはんを全部食べてしまい(少し残すのが礼儀
というのはあとで知った,バツが悪くなった彼は奥さんにマントウ(蒸しパン)を出すよう促すが,それも
なかった。マントウの配給切符はあるが,夜になっていたので交換できないということを奥さんが答えてい
たことを思い出す。よくわからない中国語で記者の方が日本と中国は大事な友人だと語っていたことを思い
出す。
丸川(1999)によれば,白黒テレビの生産は89年にピークを迎え,1994年にカラーテレビの生産台数が白黒
テレビを逆転するようになった。1990年代はテレビの生産が一挙に増加し,価格が低下するようになる。
その後,何度か中国で友人のお宅に行く事が増えた。1990年代半ばには,大型テレビへの需要が爆発的に
増大していたころである。日本では17~21インチサイズのテレビが普通であったが,中国では大型であれば
あるほど人気が高く,29インチが主流であった。中国では,他の家庭よりも大きなテレビを持ちたいという
欲求が一般的であった。
1990年代後半に入ると都市部では冷蔵庫とエアコンが急速に普及する。当時,ハイアール(海 集 )のエ
アコン,冷蔵庫,洗濯機が注目され,多くの人が購入に走った。
ハイアールは家電を販売するだけでなく,アフターサービスに力を入れた。全国各地に代理店を設置し,
修理が必要であれば24時間以内に駆けつける体制を築き上げた。エアコンの設置においても,ハイアールの
サービスは他社を抜いていた。エアコンの配達をしたハイアールの従業員は,購買者の家に上がるときに靴
にビニール袋を巻きつけ,購買者のお宅を汚さないようにした。このようなサービスが功を奏し,ハイアー
ルは白物家電の雄として中国の家電普及に貢献したのである。
このエアコンの普及におもしろい話がある。当時急速に家計の購買意欲が高まったために,エアコンの設
置が急激に増大した。1990年代後半には北京ではあちこちでハイアールの従業員が忙しそうに家庭を周り,
エアコンの設置工事を行なっているのがよく見られた。
北京でエアコンが急速に普及したために,都市部の電力需給が逼迫した。暑い夏に各家庭が一斉にエアコ
ンをつけると電力需要が跳ね上がり,一部地域で停電になったりしたのである。都市部の急速な家電普及に
インフラが間に合わなかった事例である。それほど家電の普及は早かったのである。
2000年を過ぎると,中国の人々の購買意欲はマイカー,マイホームへ移動した。日本企業が中国市場への
参入を控える中で,中国の自動車産業に参入してきたのは,ドイツのフォルクスワーゲンであり,フランス
のシトロエンであり,アメリカのクライスラーであった。日本企業は天津汽車に技術協力したダイハツ,長
安汽車に協力したスズキなどの小型車メーカーであった。中進国以上の国民所得がないと大型車は売れない
という判断が日本企業にあった。
ホンダがフランス・プジョーが撤退した広州汽車と提携したのは1998年であった。北米仕様のアコードを
投入し,2000年以降多くの富裕層が購入した。それまでセダンタイプの乗用車は第一汽車の「紅旗」しかな
く,大きな車に乗りたいという中国消費者の心をつかんだのである。
マイホーム購入も大きく進んだ。計画経済時代の住宅は国有企業から分配されるものであり,自分のもの
ではなかった。住宅改革が進められ,分配されていた住宅は低価格で住人に買うように勧められ,一方で新
たに誕生した住宅市場では「商品房」(我々のいう普通の分譲住宅)が大量に供給されるようになった。
私が北京にいた1997年から2000年頃から多くの人が競って「商品房」を購入するようになった。当時北
京の二環路以内は1㎡あたり2000元,三環路以内では1000元台というのが一般的であったが,爆発した住
宅需要は,その価格をつり上げるようになった。現在(2012年)で北京の分譲住宅の平均的価格は1㎡あた
り2万元を超えるまでになっている。
表1 都市部、農村部の家電普及率
都市住民100戸あたりの耐久消費財の普及率
1985
1990
1995
2000
2005
2010
洗濯機
48.3
78.4
89.0
90.5
95.5
97.0
冷蔵庫
6.59
42.3
66.2
80.1
90.7
96.6
カラーテレビ
17.2
59.0
89.8
116.6
134.8
137.3
エアコン
N.A
0.3
8.1
30.8
80.7
112.1
農村住民100戸あたりの耐久消費量の普及率
1985
1990
1995
2000
2005
2010
洗濯機
1.9
9.1
16.9
28.6
40.2
57.3
冷蔵庫
0.1
1.2
5.2
12.3
20.1
45.2
カラーテレビ
0.8
4.7
16.9
48.7
84.1
111.8
エアコン
N.A
N.A
0.2
1.3
6.4
16
(出所)『中国統計年鑑(各年版)』より
このような急速な物欲による耐久消費財の普及、その購買力を支えるために多くの人たちがお金を求め、
金稼ぎに没頭した。遠藤(2010)はこの様子を「拝金社会主義」と読んだ。そして中国国内でも耐久消費財を
手に入れるために、ガムシャラに金儲けに集中する様子を革命家の歌の歌詞を変えて「向銭看」と呼んだの
である。
「向銭看」とは,中国人民解放軍の行進曲「向前看」をもじったものである。計画経済時代,多くの映画
館で革命歌が流され,多くの国民が「前へ,前へ」と勇ましく歌った。改革開放以降の鄧小平による「先に
豊かになるものはなってよい」という「先富論」は国民をしてモノへの欲求を爆発させた。計画経済の趣旨
である「みな平等」ではなく,人と違うものを持って良い,豊かな人はもっと多くをもってよい,というシ
グナルは多くの人を金儲けと購買意欲の爆発につながったのである。
モノの購買のためにはお金が必要である。多くの人たちが金儲けに走った。その金儲けに踊る姿を革命歌
の「向前看(シャンチエンカン)」になぞらえて「向銭看(シャンチエンカン:発音同じ)」と皮肉ったの
である。その姿は,周りのことを考えずひたすら自分の得になることしかしないという利己的なものであっ
た。
2.2 合 理 的 な 意 思 決 定
合理的な意思決定とは、全体の制約の中でコストと便益を秤にかけ,もっとも得をするような決定なことで
ある。具体的には,人は制約の中で利得を最大化するものというものである。家計は効用という満足度を最
大化するように行動し,企業は利潤を最大化させようと行動している。
もっと言ってしまうと,利己的に行動することを前提としている。私達が何かモノを買うときには,広告
や口コミに左右されることが多い。あるいは他人とは違ったものを買いたい,違うものを持ちたいといった
ように,他者との関係で買い物の行動を決定するのが一般的である。しかし,経済学でいう合理的意思決定
では,そのような社会的影響や他者の影響はまったく受けないと考えている。あくまで考えるのは,自分に
とって損(コスト)か得(便益)かだけで判断するということである。
周りの影響をまったく受けずに行動するということは利己的であり,自分さえよければよいという考え方
である。このような言い方をすると多くの人が不快になるが,これは経済学が学問として理論を考えるとき
にできるだけシンプルに考えるということが背景にある。
シンプルに考えるためには,いろいろなことを捨てなければならない。
私がジーパンを買おうと思って,ユニクロに行くのは,人から指図されたり,流行だからとかではなく,
ヨメからもらった服代の中で自分の効用を純粋に最大化するためである。実際には,ヨメから指図されてい
るわけだが,ここではそのようなことはなく,ただ自分の欲望のままに,そしてコストと便益を比べて買う
かどうかを決定しているとするのである。
企業も同じである。ユニクロが様々な種類の新製品を開発し,提供するのは,私達消費者を喜ばしたいと
いう気持ちではないと考える。本当は,素直な気持ちで「お客様に喜ばれるものづくりを」と考えているの
かもしれないが,行動としてはユニクロは新しい商品を開発するのは,多くの商品を販売して,売上を伸ば
し,利潤を最大化していると考えるのである。
そもそもなぜ合理的に行動すると考えるのか。私たちの世界はモノが不足していると考えており,常に足
らないという状態でモノを購入するという選択をしている。モノが足らないという世界観を希少性という。
希少性の世界では人は,自分の利得を最大化するためにコストと便益を比較する。便益>コスト,そしてそ
の差が大きくなるように行動すると考えるのである。
中国は計画経済時代を経験した。計画経済では,配給制度であり,恒常的にモノが不足していた。まさに
希少性の世界がが中国にあった。これがモノに対する渇望を生んだ。改革開放により鄧小平が「先富論(先
に豊かになるものはなってもよい)」を唱え,それまでがまんしていた中国人の欲望が爆発した。周りのこ
となど気にせず,自らが豊かになる,豊かの象徴として耐久消費財というモノを身の回りに揃えていった。
利己的に金を求め,モノを買う姿はまさに経済学が前提としている合理的な意思決定そのものであったと
いってよい。
小室(1996)では中国人の行動を理解するために「幇」という言葉を紹介している。それによると,中国
で幇は共同体であり,幇の中と外では基準が違うという。幇の中ではどんなことがあっても助け合う関係が
築かれるが,幇の外ではあくまで他人であるので,まったく関係ない,つまり自分が所属する幇あるいは自
分が得をするのであれば,平気で幇外のヒトを裏切るというのである。幇以外であれば,自分が得をするた
めにはどんな行動でもとるということが示唆されている。
この意味でも,中国では抑圧された欲望が改革開放によって自由になり,経済学教科書にあるような典型
的な利得最大化が行われているといえよう。
小室(1996)はヤオハンの和田一夫との話を紹介している。中国華僑は利益第一であること、日本企業は
シェア第一であるという。日本企業は日本経済における企業のランクや地位をあげることを重要視する。利
益が出なくてもいいという考えが出る。中国は儲からない商売は絶対にやらない。
また同書では「「金と物とのやり取り」との側面では、中国ビジネスマンは、典型的に資本主義的な利潤
最大行動を行う。まさに経済学の教科書のごとし」だとも指摘している(小室1996,117)。
<練習問題>
1. 中国で家電が普及したのはどうしてだろうか?
2. 合理的とはどういうことか3つの説明をせよ。
第 3章 農民にも家電を!ーインセンティブ
3.1 「 家 電 下 郷 」 ( ジ ャ ー デ ィ エ ン シ ャ ー シ ャ ン )
都市部では,ほぼ100%家電が普及した。
しかし農村では家電の普及率は低い。その意味では中国農村部には広大な家電市場が広がっているのであ
る。
その農村に家電を普及させる政策が実施された。それを「家電下郷」と呼ぶ。
家電下郷(家電を農村に)政策は2007年12月に山東、河南、四川で試験的に実施されたのが最初である。
カラーテレビ、冷蔵庫、携帯電話の三種類の家電製品を、農民が購入したら政府が13%の補助金を支払うと
いう政策である。
13%という中途半端な数値になったのは、輸出還付税と関係がある。中国では輸出振興のために、輸出企
業は13%の還付税を受け取ることが可能だ。その結果企業は国内市場に販売するよりも海外市場に販売しよ
うというインセンティブがわく。輸出還付税によって輸出に向かいやすい企業を国内販売に向けるために、
補助率が13%に設定された
この輸出還付税政策は、たしかに中国の輸出を押し上げたが、その分国際貿易の摩擦の原因として指摘さ
れていた。中国は積み重なっていく貿易黒字を減らし、貿易収支の均衡を目指す必要性に迫られていた。
また中国経済は過度に外需とともに、外需依存の経済を内需に移行する必要があった。とくに2008年に発
生した金融危機により、広東省を中心とする沿海地域の輸出が激減。輸出企業の製品を海外から国内で販売
する必要に迫られたのである。
そのため、2008年12月から青海、内モンゴル、遼寧、大連などの省市自治区、計画単列市などの14省市
に拡大し、2009年より全国で実施されることとなった。先行の三省は2011年11月末まで、その後に始まっ
た地域はそれぞれ2012年11月末と2013年(今年)1月末で終了した。各省ともに家電下郷政策は4年間の時
限政策となった。
上でもふれたように、政策内容は、国、地方が決めた家電下郷対象製品を農民が購入すると13%分を補助
するというものである。どのメーカーが作る製品が家電下郷対象になるのか。どのメーカーが採用されるか
は、農村での販売ネットワーク、アフターサービスなど農村サービスが重要視された。そのため選ばれた
メーカーは、ハイアール、TCL、創維などの国内主要メーカーに有利であった。
対象商品は、3種類から増加していった。基本は、カラーTV、冷蔵庫、携帯、洗濯機、エアコン、パソコ
ン、温水器、電子レンジ、電磁調理器、であったが、各地方の状況によって対象製品が拡大することもあっ
た。
補助金を受け取るには複雑な手続きを必要とした。農民が指定された家電下郷店で製品を購入する。中に
ある証明書と一緒に、戸籍と身分証明書を売り場で記入、登録する。その後当地の財政部に申請し、1,
2ヶ月後に受け取るというものであった。
当然最初は、制度が徹底していないこともあり、農民は購買に動かなかった。また手続きが複雑なため、
積極的に手続きを行うとする人も少なかった。また13%割引してくれ、という声も上がった。
その後、制度が農民に知られるようになり、家電下郷製品を扱う場所(家電下郷ステーション)も増加
し、農民のアクセスも改善した。手続きも、戸籍と身分証明書の提示でそのまま補助金を支給するやり方に
変更していった。
この政策により冷蔵庫などは農村100戸あたり20台だったのが、60台まで増加したという報道もあるが、
具体的な成果は以下のように報道された。
2013年1月8日の朝日新聞Web版
(http://www.asahi.com/business/news/xinhuajapan/AUT201301080100.html)によると、2012年の全国
(山東省、河南省、四川省、青島市を含まず)の家電販売台数は7991万3000台、売上高は2145
億2000万元(約2兆6815億円)となった。この政策が行われて以降、累計販売台数は2億9800
万台、売上高は7204億元(約9兆50億円)だという。
製品別では、テレビ、冷蔵庫、エアコン、温水器の4種の売上高がいずれも300億元(約3750億
円)を超え、全体の83.3%を占めた。
製品のメーカー別では、海爾(ハイアール)集団、格力集団、海信集団が上位3位で、3社で28.5%
を占めた。
3.2 イ ン セ ン テ ィ ブ で 行 動 す る 農 民
インセンティブとは刺激とか報酬などの意味で使われる言葉である。経済学では,費用と便益を考慮して
意思決定する合理的人間の行動に変化をもたらす「誘因」として定義される。あるいはインセンティブと
は、意思決定に影響を与えるものと言ってよい。
私たちの経済社会では価格がインセンティブ(誘因)になりやすい。今日食べる食材であれば,正規値段
の商品よりも消費期限間近の3割引き商品を買うという行動をとるかもしれない。パートやアルバイトを探
すときには,少しでも時給のいいところで働こうとするであろう。
何かと話題を呼ぶ,マクドナルドは客を呼ぶために(客にお店に来てもらう意思決定をしてもらうため
に)様々な工夫をしている。最もメジャーなのはクーポンだ。普段のセット料金が540円だがクーポン持参
で490円にすることによって,客の行動に変化をもたらそうとしている。またフライドポテトどのサイズも
140円というセールもあった。この場合,多くの人がLサイズを注文するという意思決定を行う。このように
割引や特売は,人の意思決定や行動に影響を与える誘因となる。
へーリング・シュトルベック(2012, 20-21)が行動経済学でも有名なインセンティブ実験を紹介している。
イスラエルの保育所では子どもの迎えに遅れてくる保護者がいた。迎えに遅刻する保護者を減らそうと考え
た保育所は,遅刻した保護者に罰金を課すことにした。遅刻すると罰金になるので,費用と便益を考える合
理的な人間であれば,保護者は時間を守ろうとするはずである。しかし,結果は反対となった。今まで遅刻
していた保護者は保育所に申し訳ないという気持ちであったが,遅刻に値段がつくことによって子守はサー
ビスとなり、それを買うという概念に変わってしまった。おかげで保護者はどうどうどうと遅刻するように
なったという(ウリ・ニージーとアルド・ルスティキーニの研究)。
遅刻に対する罰金は,保護者の行動を変えるインセンティブとなる。ただそのインセンティブは保育所が
意図するものとは逆の結果となった。
中国でもインセンティブ設計が意図するものと逆になったケースがある。
現在の市場経済化が進められる前の中国経済は計画経済であった。農村では,農民を集団化し,人民公社
という組織に所属させるようになった。農民は,人民公社に所属する一社員となり,決められたノルマを実
行する。ノルマの達成に関わらず,報酬はみな平等とした。計画経済は,社会を平等にするためのシステム
であった。
しかし,平等は農民の働く気を奪った。働いても働かなくても結果は同じである。平等という理想主義に
燃えても,人は費用と便益を考える合理的な人間である。働くという費用をかけずに報酬という便益を求め
るのが一般的であった。結果,農業生産は衰退し,国民全員が飢えるという結果になった。
現在に戻って,家電下郷政策を振り返ってみると,このインセンティブ設計は国家が意図した結果通りに
なった。農民の欲しい商品を用意し,できるだけ近くに家電下郷製品を扱う店を設置し,購入すると補助金
がもらえるというシステムは,農民の家電を購入するという意思決定を促すインセンティブとなった。
人は費用と便益を考えて意思決定をする。この前提にたてば,家電製品を買う費用を減らし,買うとお得
感が出るという便益を増大させるようにすればよい。家電を買いに行く場所を近くに用意し,補助金がもら
える手続きの煩雑さをなくす。これにより家電を購入する費用は減少する。お得感が増大し,農村では家電
が普及していったのである。
<練習問題>
1. 中国農村部の人たちが家電(耐久消費財)を求めるきっかけになったのは何か?
2. インセンティブとは何か。また自分の生活におけるインセンティブを説明せよ。
第 4章 格差が広がる社会ートレードオフ
4.1 「 差 距 」 ( 貧 富 差 距 -蟻 族 、 李 剛 、 富 二 代 )
中国では所得格差が広がっている。2013年1月に国家統計局は、不平等の状況を示すジニ係数を、初めて
公表した。それによると、
2003年 0.479
2004年 0.473
2005年 0.485
2006年 0.487
2007年 0.484
2008年 0.491
2009年 0.490
2010年 0.481
2011年 0.477
2012年 0.474
である。
ジニ係数とは、富が平等に分配されている状況を0、もっとも不平等になっている状態を1として示す数値
で、何%の人が何%の富をもっているかを示す指標だ。ジニ係数0.5という社会をシンプルに表わすと,全人
口の25%が富全体の75%を所有している状態である。逆を言えば,残りの25%の富を75%の人口が分け合っ
ているという状態だ。
一方で,国家統計局が「公式」のジニ係数を発表する以前に,2012年12月西南財政大学は独自の調査に
よるジニ係数を発表している。それによると,中国家庭の所得のジニ係数は,0.61であり,格差は深刻だと
いう(『人民網日本語版』2012年12月11日)。
国際的には、0.4が警戒ラインと言われているので、どちらの数値をとるにしても,その意味では中国の富
の不平等さは深刻である。
所得格差が問題になるのは,社会が不安定になるということである。持てるものはもち,持てないものは
持てないままだ。所得が低い層が拡大していくと,社会に対する不安が鬱積し,支配政権に対する革命圧力
となる。
中国で貧富の格差が広がっているのは,権力や資本が一部の特権階級に集中していること,そしてその特
権によって「灰色収入」が存在すること,そして世襲によって次の世代に引き継がれていることが原因だと
も言われている。(灰色収入とは腐敗ほどはっきりしない特権に対する見返り料のことをいう。)
例えば、「官二代」「富二代」と呼ばれる言葉がある。公務員幹部(高級官僚)を親に持つ子のことを
「官二代」といい、お金持ちの子どものことを「富二代」と言う。彼らは親の「関係」(コネ)を活用し
て,入学や入社に有利となり,場合によっては会社を引き継ぐ。一種の世襲天国である。
この現象を示すいい例として、「オレの親父は李剛だ」事件がある。2010年河北省保定市の河北大学キャ
ンパス内で女子学生2人がひき逃げされ,うち1人が死亡する事件が発生した。犯人は李啓銘という22歳の青
年。ひき逃げ後、この男は現場の人によって取り押さえられた。李は飲酒運転のあげく,被害者に詫びると
ころか,詰め寄る周囲の人々に「我爸是李剛(オレの親父は李剛だ)」と言い放った。彼の父親は保定市北
市区公安分局の副局長であり、事件はもみ消せるぞという強気な発言であった。
この情報は瞬く間にネットで中国中に拡散する結果となり,父親の李剛は謝罪会見を開くこととなった。
また犠牲者の家族に金銭を渡したことがばれるとさらなるバッシングに繋がる結果になった。
本来中国は社会主義国である。社会主義の理想はお金持ちになる資本家に対して、富を持たない労働者が
資本家の富を平等に分配することである。1949年に新中国が成立して以降、地主の土地は小作農に分配さ
れ、都市の資本家の企業は労働者たちによって接収され、農民と労働者が主体の国家となった。
しかし平等は悪弊をも生む。それは働いても働かなくても結果は平等だというシステムは、人の働くとい
うインセンティブを奪う。その結果、中国の経済は発展せず、低迷した。
経済の低迷する中国を立てなおそうとしたのが鄧小平であった。鄧小平は1978年より改革・開放を実施
し、今の発展のキッカケを作った。彼の先富論(先に豊かになる者は豊かになってよい)という思想は、悪
平等に陥っている人々の意識を開放し、自らの利得を最大化する合理的な人間を産んだ。人々は懸命に働
き、家電を手に入れ、豊かな生活を求めたのである。経済効率は上昇し、改革開放から約30年後の2010年に
は世界第二位の経済大国となった。
効率は上昇したが、平等ではなくなった。豊かになる者はいたが、豊かになれない人々も存在するように
なったのである。都市には大学を卒業したもののいい仕事につけず、地下室に住んで遠いところまで通勤す
る、蟻族と呼ばれる人々も発生した。彼らは夢をみて都市に出てきて大学に入学したにも関わらず、とくに
「関係」(コネ)もなくいい仕事に就職できなかった。低賃金で長時間労働に励むものの、普通のアパート
に住めず、アパートの日も当たらない地下室での生活を余儀なくされた。
4.2 稀 少 性 と ト レ ー ド オ フ
経済学は、世の中の資源(富など)は希少であると考えている。これを「希少性」と呼ぶ。稀少性とは資
源に限りがあることを意味する。1日の時間は24時間しかないし,手元の財布に入っているお金には限りが
あるし,世界の富は有限であるということである。
希少性はトレードオフという関係も生む。トレードオフとは、「何かを得ようとすれば、何かを手放さな
ければならない」という状況を示す。1日のうち働く時間を増やせば遊ぶ時間は減るし,コンビニでお弁当
を買えば,財布のお金は減る。誰かの富が増大するということは誰かの富は減るということになる。
私たちは,朝起きて歯を磨き,朝食を食べるが,朝食の時間を睡眠にあてることもできる。睡眠時間は増
えるが朝食を食べるという行為を犠牲にしなければならない。お昼に何を食べるかを考える時にも,自分の
財布にいくら入っているかをみてから,とんかつ定食にするのかカップラーメンで済ますのかを決める。学
校が終わってから,バイトに行くと勉強する時間や遊ぶ時間はなくなってしまう。
意思決定をする際には,無意識ではあるが,このようなトレードオフに直面している。何かをするという
ことを決めれば何かをあきらめなければならない。資源に限りがあるという稀少性の世界で生きている以
上,私たちは何かしらのトレードオフに必ずぶつかる。
人が集まって社会ができる。その社会もトレードオフに直面する。典型的なのが効率と公平である。効率
とは,稀少な資源を利用して得る物を最大にしていることをいう。公平とは,資源から得た物を社会のみん
なに公平に分配されていることを示している。効率はいかにたくさん得るかを意味し,公平は得たものをど
のように配分するかを意味する。社会はこの効率と公平のトレードオフに直面している。
中国は1949年に社会主義国として新たな出発をした。社会主義という国になるという意思決定を行ったの
は中国共産党,とくに当時の指導者である毛沢東である。当時の中国農村では,地主が高い小作料をとり,
小作人は畑を耕しても耕しても豊かになれなかった。都市部では国民党と企業が結託し,そして外国資本も
進出して中国の富を独り占めしていた。企業で働く労働者も汗水流して働きながらも企業の儲けは国民党の
幹部や資本家が持って行ったのである。
毛沢東が純粋にこのような社会に憤りを感じていたのかどうかはわからない。しかし労働者が平等になる
という共産主義思想に中国社会の理想をみたのは確かである。1949年,毛沢東が率いる中国共産党は国民党
との内戦を制し,社会主義国家を建設することに成功した。
毛沢東は,すぐに社会改革をはじめた。農村では人民公社化を実施し,小作農を集団化して人民公社で農
業生産に従事するサラリーマンとした。都市では外国企業や国民党の企業を共産党員が接収し,国のものと
いう国有化を行った。富を生み出す土地や資本(工場)を農民と労働者のものにした。
たしかに人民公社で働く農民や国有企業で働く労働者の報酬は平等になっていった。しかしその結果は,
効率の犠牲であった。働いても働かなくても報酬が同じであれば,人は働かない。土地や資本という資源を
活用して富を最大限得ようとする効率性はおざなりになった。中国は貧しい国のままであった。
毛沢東が亡くなって,鄧小平が共産党の指導者となった。彼は1978年に重要な意思決定を行った。それが
改革開放であり,先富論であった。この結果,中国経済は効率的になり,急速に経済発展をした。しかしそ
の代償は先にも述べた格差の拡大であったのである。
国家指導者の意思決定は効率と公平のトレードオフに直面していたのである。
<練習問題>
1. 稀少性とトレードオフを説明せよ。
2. 中国経済の効率と公平について述べよ。
第 5章 交換は素晴らしい-配給切符
5.1 「 糧 票 」
「交換」は人類最大の発明である。交換することによって人の生活は改善するからだ。
ところが中国は「交換」のない世界を経験している。それが糧票,いわゆる食糧を代表とする配給切符制
度である。
中国には糧票(食糧切符)というのがあった。1955年に導入され1993年まで実施されていた。食糧全体
を統一的に農村から買い上げ、統一的に都市に供給するシステムであり、計画経済の根幹であった。
計画経済期の中国では、悪天候や農業技術の未発達により食糧(とくに主食である米や小麦粉)が慢性的
に不足していた。とくに1957年から1960年の大躍進という英米に追いつこうとする無理な工業化は,農民
を工業化に駆りたて,結局農業生産を損なわせた。
慢性的な食糧不足中で,存在する食糧を国民に平等に与えることによって、食糧需要を抑える必要があっ
た。1人当たり食べられる食糧の量を設定し、その量に見合った分だけ配給切符として国民に配分される。
食糧切符はさまざまな種類があった。各地域、各単位(学校、企業、団体)別に、所属社員の家族数や年
齢にあった形で食糧切符が配布された。また出張用などの目的別、全国で通用する切符など多種多様な食糧
切符が発行された。
食糧の需給ひっ迫の時期を経て、1961年により中央は余った糧食の購入には、工業品を提供する切符を渡
すようになった。例えば、糧食一斤につき、布一尺、靴一足、化学肥料一斤とかに交換することが可能な切
符である(例:化肥供応証(糧食専用)など)。
また1970年代末から農民が都市に流入するようになった。彼らは食糧切符がないために都市で食糧を手に
入れることができない。そのうち農貿市場などでは自然発生的に食糧切符の交換が行われるようになった。
食糧切符を持っている人は持っていない人と別のもので交換することが可能となったのである。
食糧切符は食糧の量で発行量が決定するので、ある種金本位制ならぬ食糧本位制の貨幣であった。改革開
放以降,食糧の増産とともに食糧切符は余裕が出てくる。そのうち食糧切符を糧食店に貯蓄することが可能
となったり、他の品物(落花生、洗面器、コップなどの日用品)と交換することが可能となった。
例えば、5斤の麺切符は1斤の落花生に、30斤は一つの洗面器に、500斤あればクローゼットに交換できる
というようになった。
1978年以降の改革では請負制が拡大し、農業生産が増加。政府の食糧買い上げ統一価格も引上げられるよ
うになった。食糧切符も定額ではなく、比例価格と書かれるようになる。食料生産の拡大とともに食糧管理
の意義が薄れ、1993年には食糧切符は消えることとなった。
食糧切符が廃止されて,すでに20年がたつ。しかし,現在でも食糧切符は、愛好家、収集家によってマニ
ア市場で交換売買されている。私も中国のとあるサイトで、食糧切符でノートパソコン、スマホと交換しよ
うぜ、というのをみたことがある。すでに食糧切符は,食糧にも変えられないタダの紙に関わらず,現在で
も別のものと交換することが可能なのである。
5.2 交 換 の メ リ ッ ト
交換(トレード)がいいのは非常に単純にいうと,交換には利益があるということにつきる。コンビニで
おにぎりを買うという行為一つとっても,おにぎりとお金が交換されている。
交換のメリットを考えてみよう。ここではAさん,Bさんの2人の人がいるとする。そしてAさんはリン
ゴ,Bさんはミカンを持っているとして,各自の「好み」(これを経済学では選好という)が以下のように
なっているとしよう。
Aさん 持っているモノ:肉 選好:お米>肉
Bさん 持っているモノ:お米 選好:肉>お米 AさんがBさんに肉をあげて,Bさんはお米をAさんにあげて,モノを交換したとする。いわゆる物々交換で
あるが,自分の好み(選好する)モノを手に入れることができるので,AさんもBさんも効用が増加する。ど
ちらも得になっている。これを経済学ではパレート改善であるという。パレート改善とは,交換に参加する
人(ここではAさんとBさん)のどちらも効用を下げることなく,全体として効用が増加することをいう(小
島2012)。
国と国との交換を貿易というが,貿易もどちらの国にとっても有益であることが示される。ここではX
国,Y国が存在し,X国はぶどうを安く生産することができ(生産費用が低い),Y国はワインを安く生産
することができるとする。
X国 生産物 ぶどう 生産費用 ワイン>ぶどう
Y国 生産物 ワイン 生産費用 ぶどう>ワイン
X国はワインを輸入し,ブドウを輸出する。Y国は反対にX国からブドウを輸入し,ワインを輸出する。こ
れによりX国もY国も生産費用を抑えることが可能である。これが貿易のメリットである。X国は生産費用
の高いワインを生産することなくワインを消費することができるし,Y国は生産費用の高いぶどうを生産す
ることなくワインを消費することができる。これにより各国の国民は得をするのである。自分の国の中で生
産費用が低い生産物のことを比較優位をもつ生産物という。比較優位とは自分の国の中で,生産費用が低い
ものをさしている。
比較優位のキモは,いろんな人がいてよく,自分の得意なものに特化して,得意なものを交換する方がよ
いということを示している。つまり,弁護士をやる人がいたり,農業をやる人がいたり,大工さんがいた
り,教員がいたりする。そしてそれぞれが得意なものを活かして社会に貢献しお金をもらう。これが交換の
メリットとなる。
ただし,ここでは重要な前提がある。それは交換はすべて「自発的である」ということである。自らが望
んで何かと何かを交換する,これが自発的交換である。配給制度のように政府から強制される交換には,喜
びも満足も少ない。自発的であることによって,交換は利益あるものになる(若田部2012)。
中国では,食糧の生産量が少なかったために,食糧の価値は高かった。人は食べずに生きてはいけない。
食糧に交換できる食糧切符は,他のものに対して重要な価値をもつこととなった。食糧切符は,生活におけ
る重要必需品であった。
しかし食糧の増産により配給切符の価値は相対的に低下してくる。中国は食糧切符の他に,布票(衣料品
切符)や副食品票(肉や野菜,調味料などの切符)も発行された。人によっては時期には衣服は必要ないが
食糧が必要ということがあった。人々は配給切符を相互に交換することによって,生活を豊かにしようとし
たのであった。
日本でも交換が豊かになるケースがある。2013年の正月のテレビで面白い報道があった。横浜高島屋では
100m以上の行列ができた。それは福袋を買い求める人の列であった。しかし福袋の問題は,お買い得で
あっても中身が必ずしもその人が欲しいものではないことがある。同じ思いを持つ人が高島屋の外で,それ
ぞれの品物(戦利品?)を見せ合い,自発的に交換をしていたのである。交換こそ,福袋のデメリット(い
らないものが入っている)を解消する唯一の方法なのである。
中国が食糧をはじめ,生活用品の生産を増加することができるようになって,配給切符の価値はなくなっ
ていった。そのため配給制度は影を潜めるようになり,現在は愛好家や収集家で交換されるようになってい
る。
<練習問題>
1. 以下の言葉を説明せよ。効用,選好,パレート改善,比較優位
2. 配給制の問題点について交換の観点から述べよ。
第 6章 需要と供給を調整する-計画と市場
6.1 「 計 画 経 済 」
人々がものを購入することを需要といい、企業がものを販売することを供給という。需要は、人々の購買
意欲によって決定される。買う側の意思決定で決まる。供給は、企業の販売意欲であり、売る側の意思決定
によって決まる。
計画経済時代は、政府によって需要と供給がコントロールされていた。計画経済の特徴は、企業が何をど
れだけ生産し、いくらで販売するかを政府が決定していた。政府が計画を立てて、その指令によって企業は
生産を行った。政府による供給のコントロールである。
人々の購入量をどのようにコントロールするか。それが前章でもみた配給切符制度であった。政府が決め
た生産量に合うように全体の需要量を決定する。需要量を各家庭の人数に割り振って、単位を中心に配給切
符が配布された。政府計画によって供給を決め、配給切符によって需要を制限するシステムが出来上がった
のである。
当時の人の生活を証言からみてみよう(「二十世紀写真と証言でたどる中国の百年」『人民日報日文版』
(原掲載は『人民中国』))。
五九年から六一年まで三年続いた困難の時期のことは、今でも忘れられない。何でもものすごく欠乏して
いたので、すべてに配給券が必要だった。食糧を買うには食糧券が要り、配給量は人によって違っていた。
女子中学生だった私の場合は月に十五 だった。大学に行っていた兄もいつも腹ペコ。と言って余分の食糧券
があるわけがないので、週末に家で油炒麺(小麦粉を炒って油やゴマなどを混ぜたもの)を作って寄宿舎に
持っていった。豚肉は月二百五十 の配給。大みそかには「補助肉」といって、少しばかり特配があった。あ
のころは脂身が欲しかった。それも脂肪たっぷりのを。食用油も配給だったので、脂身を融かして油の代わ
りにしたのよ。家具には職場からの配給券も必要だったが、その割当が数枚ずつしかない。私は、七一年の
結婚直前にやっと順番が来て、たんすの券をもらった。ちょうど同じころ姉も勤め先で券をもらったので、
一家大喜び。翌日の朝二人で西四の家具店に行ったが、たんすはもう売り切れだった。売るのは一日十棹だ
けという規則があったの。三日目は朝七時に行ったけど、まただめ。四日目、朝四時から店の前に行列し
て、ついに念願がかなった。七五年、私が勤めていた学校にミシンの券が来た。みんな欲しいと言う。どう
しようか? くじだ。そして私がその幸運を引き当てた。同僚たちはみな羨ましがった。譲ってくれない
か、とこっそり言ってきた先生もいた。長年の仲間だから悪いと思ったが、私自身も欲しくてたまらなかっ
たので、思い切って断った。(于玉珍 出版社編集者 五十三歳)
「二十世紀写真と証言でたどる中国の百年」『人民日報日文版』(原掲載は『人民中国』らしいが元をたど
れず)
(http://j.peopledaily.com.cn/serial/100/26.htm,2011年2月17日アクセス)
計画によって供給と需要をコントロールする。こう聞くと、経済社会はとても安定して人々の格差もなく
なる、いいシステムであるように聞こえる。しかし実際にはうまくコントロールできなかった。
計画経済における供給と需要のアンバランスは「行列」という形で表れる。上でも見たように、タンスの
本当に欲しい人は早く行って並ぶ。行列の最後だと手に入れることはできない。行列ができる場合は、需要
が多く供給が少ないということになる。
話はずれるが,中国人は並ばないとよく言われる。並ばない理由は「不足」への不安であった。バスや地
下鉄に乗るときに「われさきに」とドアに集中していく。チケットの販売などでは窓口で並ばずに横から割
り込んだりする。文明が低いとか,民族の問題ではなく,長年の計画経済で不足の不安を味わってきたため
に,このバスを逃すといつ来るかわからない,今日チケット買えなかったらいつ買えるかわからないという
不安が無意識に働いているからなのである。
ひるがえって現在の中国をみてみると、市場経済を採用している。市場経済の特徴は、需要と供給を政府
がコントロールするのではなく、人々がどれだけ購入するか、企業がどれだけ生産・販売するかは人々が自
ら決定する。市場経済における需要と供給のアンバランスは価格の上昇と下落という形で表れる。欲しい人
がたくさんいて、売りたい人が少ない場合は価格が上昇する。価格が上昇することによって需要は減少し、
バランスがとれるようになる。
つまり、計画経済の特徴をまとめると
生産量と価格は政府が決める
作られた製品は政府が分配する
である。一方、市場経済の特徴は
企業や家計が意思決定する
財やサービスは価格で需給を調整する
である。中国が経済改革と呼んでいるのは、実は計画経済の特徴をなくし、市場経済への移行のことであ
る。ここから現在の中国の経済改革とは、価格を自由化し、政府の意思決定をなくしていく過程、であると
いえる。
6.2 不 足 の 経 済 と 需 給 の 調 節
社会主義計画経済の問題は,「不足」が起こるということだ。現実に社会主義国を実施している北朝鮮で
も食糧危機がよく言われ,国際機関や中国が援助している。
計画経済体制では、不足、すなわち需要が供給より大きくなるのが一般的である。需要と供給がバランス
しない。
なぜ財やサービスが不足するのだろう。
コルナイ(1984)は,社会主義の特徴として「ソフトな予算制約」という状況を指摘している。
私たちの生活では物を購入するに当たっては常に予算と相談してから決めるという予算制約が存在する。
フトコロはいつも温かいというわけではなく今日は小遣いが少ないからちょっと買い物を控えようという状
況はよくあることだ。
予算制約がソフトということは,予算の制約があまりない,あるいはゆるいということだ。企業にとって
みれば、原材料を購入するための資金は国(銀行)からもらえるということ、高い原材料であっても買って
しまうということが起こる。(昔、日本の国鉄(今のJR)が国有企業時代に、1つ1000円のハンガーを仕
入れていたということで批判されたことがある。)これがソフタな予算制約だ。
家計にとってみれば,買い物の制約がないということだ。配給制度の中では,自分の所得の中で買い物し
ようということにはならず,所得と無関係になってしまう。これが家計のソフトな予算制約だ。
つまり,
財布がゆるい→何でも買える→投資需要と消費需要の増加
になってしまう。これにより需要が供給より大きくなってしまい、財やサービスが不足してしまうのであ
る。
また、生産企業は計画達成に余裕をもたせるために,原材料や中間財を多めに工場に貯めておこうとす
る。家計(消費者)は,いつも決められた量だけなので,今日はパァーっとやりたい(宴会など)気持ちな
るかもしれないので,いつ何が必要になるかわからない。その時に備えて余分にもっておこうとする。
これが需要が供給を上回る超過需要を生み出し「不足の経済」となる。
さて、計画経済ではなく、市場経済だとどのように需要と供給が決まるのか。
市場経済では,価格が重要なシグナルになる。モノが不足しているという状況は超過需要が発生している
ので,価格が上昇していく。予算の制約がはっきりしている場合は,財布のお金に制限があるので価格が上
昇すると買えない人が出てくる。社会全体で需要が減少する。つまり不足しているモノは価格が上がること
によって供給を増やし,需要を減らしてバランスをとっている。
わかりやすい例を考えてみると、スーパーの閉店間際のお弁当だ。余っているときには割引シールが貼ら
れる。これは超過供給になっているので、価格が下落し、買う人を増やそうとしている。そして「50円引き
シール」が貼られているお弁当を買う人が増えることによって、超過供給をなくなり、需要と供給のバラン
スが取られる。
この市場経済というシステムは価格の上下によって需要と供給がバランスされる。つまり過不足なく必要
なものが必要な人へと配分されるシステムだ。お弁当の例でも見たように、お弁当が全部さばけることに
よって、お弁当が無駄にならずに必要な人へと配分されたことになる。
つまり市場経済は資源を効率に(無駄なく)配分することができる。市場経済は「効率的な経済」を実現
するのである。
<練習問題>
1. 計画経済では需要と供給をどのようにコントロールしているか。
2. 市場経済では需要と供給をどのようにコントロールしているか。
第 7章 市場は合理的-社会主義とセックスワーカー
7.1 「 流 氓 燕 」
前章でも「市場(しじょう)」という言葉を普通のように使ったが、実は市場という概念はわかっている
ようでわかりにくいものだ。
例えば、築地市場というのが東京にある。この市場では、まぐろなどの海鮮物がセリで競い落とされてい
る。豊漁の時はセリ価格が安くなり、不漁の時には価格が高くなる。具体的に取引されるものの価格が決定
するところ、これを市場(いちば)という。
市場(しじょう)もこの概念に近い。しかし市場(いちば)と違って,一般に目に見えない。経済活動は
日本全国、あるいは世界各地で行われており,さまざまなモノやサービスが取引されている。簡単に定義す
ると,お金とモノやサービスが交換されるところ、これが市場(しじょう)になる。市場(しじょう)は市
場(いちば)と違って具体的な場所を想定していない。
この市場は、人類が発明したシステムの中でもっとも合理的なものと考えられている。買いたい人が多く
いれば価格が高くなり、本当に買いたい人だけが手に入れることになる。買いたい人が少なければ、価格が
下がり、多くの人が買うことができ,モノの余りがでない。価格によってモノの取引量が増えたり減ったり
し、欲しい人のところに欲しいものがいきわたる素晴らしいシステムなのである。
と,こう説明してもやはり多くの人は市場が本当に素晴らしいのかピンと来ないと思う。そこで今日は,
一般に市場での取引が禁止されている例、性取引で市場が便利であることを示してみたい。
当然のことながら,中国では性に関する取引は禁止されている(日本でも売春防止法がある)。女性が性
を売る,男性が性を買うということは公序良俗に反するととらえられている。あるいは中国では資本主義の
悪しき弊害として禁止されている。ところが実際には,飲食店,カラオケ,ホテルや美容院などで性の取引
が行われているのは周知の事実であるし,「掃黄」(中国では黄色は日本でいうピンクという感覚)という
名前で警察による売春婦(以下セックスワーカー)の摘発が行われている。現実問題として,中国でも性取
引は行われている。
性取引の合法化を主張する人たちがいる。有名なのは葉海燕さんだ。2012年には自らが無料で性を販売
し,その様子を微博(ウェイボー,中国版ツイッター)で報告するという過激な行動がネットで話題になっ
た。
葉海燕さんは、女性の権利擁護のNGO(中国民間女権工作室)を立ち上げた、人権活動家だ(一方でブロ
グなどの書き込みでも有名で,フリーライターとしても活躍している)。活動を始めた2006年当初は,性を
売らざるを得なくなった女性のエイズ予防に関する活動が中心だった。2008年に政府とともにエイズプロ
ジェクトを実施,武漢市のセックスワーカーに対して健康相談や健康診断を実施した。
2009年には女性健康活動中心を立ち上げ,女性のセックスワーカーたちにエイズ検査などを実施。2009
年8月3日,第1回セックスワーカーデーの行事を行うなど,セックスワーカーたちの人権を守ろうと積極的
な活動を展開していく。
2010年に上海万博が開かれるとともに,全国的に警察の取り締まりが強化され,セックスワーカーへの逮
捕が続いた。中には18歳未満の女性が逮捕されるとともに,彼女たちの生活レベルでは支払えないほどの罰
金が課された。腐敗している警察では基準以上の罰金を要求することもあった。彼女たちは,自分の貧困か
ら抜け出すために仕方なくセックスワークに従事してしまったこと,コンドームの使用が売春の証拠として
使われるためにセックスワーカーの人たちが病気に対して無防備なセックスを強要されていること,そして
セックスワークの取締対象が女性だけというのは不平等であるということなどから,葉海燕さんはセックス
ワークの合法化を訴えるようになる。
彼女はこう訴えている(以下はネット「葉海燕らによるセックスワーク合法化の街頭宣伝と葉の拘束、第
2回セックスワーカーデー中止をめぐって」からの引用)。
=============================
セックスワークは一つの労働である。
私たちはセックスワークの合法化を要求する。売春も買春も無罪である
[訴えの背景]
1.セックスワークは古い職業であり、数千年の歴史を有する。中国の数千年の歴史において、セックス
ワークはずっと合法であった。現在も、他の一部の国家では合法である。
2.法律は性取引をなくすことはできず、セックスワーカーは世界のどの国にも存在する。これは、回避す
ることができない現実である。
[訴えの原因]
1.非合法な状態は、警察の腐敗を引き起こす
2.非合法な状態は、性病・エイズの伝染を引き起こす。
3.非合法な状態は、売春の強制、女性の人身売買、未成年の売春の強制などの重大な社会的事件を引き起
こし、民間の女性の権益が法律的保障を得ることができない。
[私たちの要求]
1.セックスワークを合法的な職業にし、労働法の保護を受けさせる。定期的に国家に納税し、財務監督に
組み込んで、腐敗を避ける。
2.セックスワーカーに良好な健康診断の制度を設け、エイズ・性病を普通の人々に伝染させる可能性を減
らす。
3.経営者は従業員の実名管理をして、未成年者の売春を根絶し、セックスワーカーの人身の自由と安全を
保障する。
============================
お金がからむ性取引は非合法なために市場として発展しない。それでは合法化されて,性が市場で自由に
売買できるものになった場合,どうなるのであろうか。
7.2 市 場 の 役 割
市場は,供給と需要が出会う場所だ。供給が多いと価格が下落し,供給を減らすきっかけとなる。反対に
需要が多いと価格が上昇し,需要を減らす。価格がシグナルとなって,売りたい人と買いたい人の取引量が
調節される。
性取引が非合法の場合,性を取引する市場がないということだ。反対に性取引を合法化した場合は性取引
が市場を通じて取引できることを意味する。市場が存在するケースと市場が存在しないケースの2つを比べ
てみると,市場の役割はよくわかる。
一種の思考実験。ここで仮想的に,性取引が合法化された,としてみよう。供給される性が多くなると取
引価格(セックスワーカーにとっては賃金)が下落するために,セックスワークに従事する人が減少する。
供給される性が少ないと価格が上昇するために,性を需要する人が減少する。
また品質に問題がある(病気がある)性を供給する主体があるとしよう。何回かの取引によって,需要側
は品質について問題であることがわかると取引を避けようとする。そのため,そのような供給業者は市場か
ら退出することとなる。反対に儲けたい供給業者は品質管理(健康診断やコンドームの使用など)を積極的
に行うことが期待される。
需要側の品質管理(クレーマーや暴力などのような問題のある人)にも市場は有効だ。合法的市場で取引
されていると,需要者による暴力などは法律によって明らかにされるために市場ルール(所有権移転)に
従った取引を強要されることが期待される。またひどい需要者は次回からの取引参加を断られ,市場から退
出せざるを得なくなる。複数回の取引に参加したい場合,むちゃなことができなくなる。
アメリカでは,合法化(市場がある)と非合法化(市場がない)のケースを比べて,性取引の安全性を検
証している(ミラーなど2010,63-64)。
アメリカでは性の取引が合法化されている地域,ネバダ州とネバダ州以外の非合法化の地域が存在する。
ネバダ州では,セックスワーカーは郡政府への登録が求められ,普段は施設の整った宿の屋内で,大部分が
常連客との取引がなされる。セックスワーカーのいるホテルでは普通に広告が出されるとともに,保健所の
係官が性病は毎週,エイズは毎月検査しているという。
セックスワークが非合法化されている地域では,街の片隅で客引きをし,警察に探知されないように,取
引の場所をさまざまに変えていく。常連客は存在せず一回限りの接触が大部分となるために,セックスワー
カーにとっても病気や暴力というリスクを持つことになる。
研究の結果では,ネバダ州での性病やエイズの確率は低いが,他地域では高いという。
ミラーなど(2010)は,麻薬やお酒の取引なども市場があるのとないのとも比較している。例えば,禁酒
法時代にはお酒の取引が禁止され,お酒の市場がなくなった。その結果は,悪質な人を騙す取引が横行する
とともに,体を害するような品質の悪いお酒が地下で出回ったという。また非合法化されているためにお酒
取引に参加するのはマフィアなどの暴力を利用する人たちとなり,お酒をめぐっての暴力事件などが多発す
るようになったという。そのため合法化した方が健康的に飲酒が行われるようになったとしている。
もっと過激な意見では,ブロック(2011)は,売春,麻薬の売人などの存在について積極的に肯定してい
る。人が不道徳だと思われる行為であっても,市場では誰一人強制力を伴った悪行を働いているわけではな
く,むしろ社会に利益をもたらしていると主張している。人々が市場で好きに行う取引を禁止するのは有害
であるとまで言っている。つまり市場は人の自由を保証している。
そこまで極端ではないにしても,非合法化して取引を地下経済に押しこむよりは,合法化して市場で多く
の人の監視の目が光るようにしたほうが,取引は多少なりとも改善されるだろう。この意味で,市場は取引
を健常に行い,参加者の満足度が上昇する有効な手段であるように思われる。
*なお,本章は性取引を奨励しているわけではない。また道徳的な問題は検討対象外である。あくまで性取
引を市場の役割から考察したものであって,善悪を論じているわけではない。
<練習問題>
1. 性取引合法化のメリットとは何か。
2. 市場取引のメリットとは何か。
第 8章 市場を創る-市場経済化
8.1 市 場 経 済 へ の 改 革
中国は計画経済体制であったために、市場が存在しなかった。1978年から中国は改革・開放を行い、
1992年から中国は社会主義市場経済体制を改革の目標としている。社会主義という冠(カンムリ)をもちな
がらも、市場経済の導入とその深化(徹底)を目指すのが現在の中国である。
簡単に市場経済改革の流れを紹介しておく。1978年より中国は改革開放を始めた。1980年代は、政府の
計画を請け負って、計画以上にできたものは自分で自由に処分できるという「請負制」が導入された。1990
年代に入ると誰が企業の持ち主なのか「所有」をはっきりさせる「所有制」改革に進んだ。2000年代は土地
などの不動産に対する所有権、中国で言う物権の改革が行われてきた。
1984年より請負制が正式に導入された。請負制の原型は安徽省鳳凰県にある小崗村での秘密の実験がきっ
かけであった。村は20戸程度の農家で成り立っており、主に小麦と米の栽培が主であった。1978年の夏に大
干ばつが発生し、農作物は大打撃を受けた。その時に人民公社から配分された小麦は一戸あたり3.5kgしか
なかった。農民たちは食うに困る状態になってしまった。
そこで農民たちは相談して、生産大隊の隊長、副隊長を訪問した。隊長と相談したのは、人民公社に黙っ
て土地を農民に分配し、計画以上を生産した場合には農民個人のものとできないか、というものであった。
それまでの人民公社制度では集団農業という方法であった。農民たちは会社員のように農業を行い、そし
て平等に農作物の配分を受けるというものであった。この結果、全員が平等に農作物を受け取ることは可能
であったが、個人の働きに応じたものではなく、怠けても同じものがもらえるというある種「悪平等」に
なっていた。つまり働く気がなくなったのである。
大干ばつで食べるのに困った農民たちは働くシステムを換えないと行けないと考えた。農民と生産大隊の
隊長と相談した結果、11月に18戸の農民は生産を請け負うことにしたのである。
当時は、土地を農民に分配したり、生産を農民に請け負わせることは違法であった。この秘密を絶対に人
に言わないという血判状を作成し、請負制の実施が始まったのである。
企業でも同じような方法が採用された。それまで企業の生産現場では工場長がいたが、工場長も工員も与
えられた計画にしたがって工業製品を生産していた。働こうが働かまいが、報酬に差があるわけでもないの
で、皆が怠ける状態であった。
そこで企業にも請負制が導入された。政府から言われた計画以上を生産した場合、市場で販売してよいこ
ととなった。工場長、工員たちは計画以上に生産し、設けた分は一時金として彼らの懐に入るようになっ
た。それにより各工場に生産の活気が戻ったのである。
1992年より企業の所有制改革が行われるようになる。請負制により工場長はヤル気を取り戻したが、所詮
政府の役人であったので、数年で別のところに異動してしまう。また請負という契約も数年であるために長
期的な経営が行われないという問題があった。そのために国が所有する国有企業ではなく、民が所有する民
間企業へと変換する必要に迫られた。
とくに経営が厳しい国有企業は積極的に民間企業へ転換していった。食品や衣類などの日用品を生産して
いる企業を国がもつ意味はないので、すべて民営化された。競争の荒波に放り出された国有企業たちは民営
企業として徐々に復活していったのである。
不動産も取引が行われるようになった。中国は社会主義国なので公有制が建前である。土地は国家のもの
であり、不動産も国家のものであった。住宅は国有企業から分配されるものであったが、個人へ使用権が払
い下げされるようになり、住宅の売買が行われる住宅市場が誕生した。富裕層向けの住宅も販売されるよう
になり、人々のあくなき住宅への欲求は2000年代の不動産バブルへと続いていく(第2章参照)。
2007年3月16日の第10期全国人民代表大会(全人代)第5回会議で物権法が採択された。制定の目的は、
市民、農民の私有財産権、公有財産を平等に保護することだ。マンションの区分所有権も70年と制定され、
市場取引の前提である所有権が明確になってきたのである。
8.2 市 場 成 立 の 条 件
中国では1980年代、90年代を通じて市場経済の基礎が出来上がり、2000年代から今までで安定した市場
が形成されたと言ってよい。計画経済という特殊な環境の中から市場経済を創り上げていった。
市場経済導入の基本的な前提は、自由な意思決定と所有権の交換である。
自由な意思決定とは、経済活動を行う経済主体(一般に、企業や家計)が経済行動を自分で決定するとい
うものだ。モノを購入するのかどうか、モノを販売するのかどうか、意思決定を行うのは政府ではなく、企
業や家計が自由に行えることが重要である。
計画経済時代は自由な意思決定ができなかった。配給切符制度では、何をどれだけ購入するかというのは
家計は決めることができない。企業は何をどれだけ生産するかということさえも計画という縛りがあるので
決めることができない。家計と企業は経済活動の意思決定を持つことはできなかった。経済活動のもっとも
基本的な行動、売買を誰が決めるか、それは政府だったのである。
改革開放の最初は、意思決定を企業と家計に戻すことであった。農民は人民公社から何を作付し、どれだ
け農作業に従事するか決められていた。請負制を導入することにより、少なくとも、どれだけ生産するか、
について、自由な意思決定を取り戻すことができた。計画以上のモノを生産すれば豊かになれる、この思い
はたくさん生産しようという意思決定をもたらしたのである。
企業も請負制により、意思決定を持つことが可能になった。計画経済時代は政府から決められた計画を実
施するだけの「工場」であった。経営者は存在せず、計画を管理実施するだけの管理者、「工場長」が存在
するだけであった。請負制の導入は「工場長」から経営者への転換をもたらした。何をどれだけ生産する
か、少なくとも自分の工場が儲かるように売れるものを生産しようという意思決定を行うようになった。売
れる商品であればたくさん生産しようという意思決定も行われた。売れないのであれば、生産を中止すると
いう意思決定を行うことも可能であった。
自由な意思決定が市場経済の重要な前提の一つだったのである。
次に重要な前提は、所有権である。市場で取り引きが成り立つためには、所有権が存在しないといけな
い。とくに労働、資本(企業)、土地という生産要素(モノの生産に直接携わるもの)が自由に取り引きで
きることが必要だ。
計画経済時代は、どこの職場で働くかは政府によって決められた。大学を卒業すると「分配」というシス
テムによって就職先が政府によって斡旋された。自分の労働力をどこで使うか、決めることはできなかっ
た。
農村でも状況は同じであった。生まれた育った農村にある人民公社に所属し、決められた時間労働をしな
ければならない。自分の労働を自由に売買する権利がなかったのである。
改革開放以降、農民は都市に出稼ぎにでるようになった。自分の労働を地元の人民公社ではなく、都市の
企業に売りたいという現象が発生したのである。また農村に下放されていた青年たちが都市に戻り始め、彼
らは「分配」というシステムの恩恵を受けることがなかった。彼らを救ったのが、個人企業であった。自ら
が職を求め、小さな個人企業を労働者を探し、マッチングする労働市場が発生した。
資本(企業)も国のものという曖昧な制度から民間の所有に転換していった。人は自分の資本(企業)で
あれば一生懸命働く。人のものであれば一生懸命さはない。企業が民間に売却され、民営化され、企業が取
り引きされるようになった。同じく土地も売買可能なものとして取り引きされるようになったのである。
市場経済が成立した中国とはいえ、これをよりよいものとするためにはまだまだ改革が必要である。人々
が満足する市場経済、経済学が想定するような規範的な市場はなかなか存在しないのが現状である。規範的
な市場とは、全員が納得しているような状態を実現する市場である(正確にはパレート最適が成立している
市場)。
例えば、近所のコンビニで売られているものが需要と供給で決まっているとはいえないし、コーラが安い
からといって、車で20分の安売りスーパーに行くよりも近所のコンビニで定価で購入したりする。それにコ
ンビニでものが売られているからたぶん安心なんだろうけど、新製品などは期待が裏切られたりすることは
当たり前だ。となると経済学で想定するような市場にはなかなかお目にかかれないということになる。
規範的な市場が成立するには3つの条件が必要である。市場には多数が参加すること、取引コストがかか
らないこと、そして情報が行き渡っていることである。
まず、多数参加するということは市場取引の大きなポイントだ。売る側も買う側も多数存在すると、自分
が買う量を増やしたり、売る量を減らしたりしても、価格に影響を与えることができない。こちらから価格
に影響を与えることができないということは、逆に私たちは価格から影響を受けることになる。多数参加
し、価格に影響を与えないということが、価格を参考に私たちは意思決定することとなる。
ところが私たちの社会では、とくに売る側が少数というのはよくある。コーラを販売するのはペプシとコ
カ・コーラしかないし、コンビニでもセブン・イレブン、ローソン、ファミリーマートなど少数だ。販売す
る側が少数である場合、販売側が価格を決定できる。実際、私たちの社会では、「メーカー希望小売価格」
という名前で、大部分が供給者によって決められている。
二番目の取引コストがかからない、というのも市場取引がスムースにいく条件である。ところが、私たち
が買い物に行くときには交通費やガソリン代などがかかるので、東京のスーパーと北海道のスーパーで価格
を比べて安いところに買いに行こうとはならない。
大気汚染は取引コストを考えていない結果である。工場が生産するときに汚れた煙を大気に排出するのは
環境を汚すという取引コストが考えられていない。取引コストをきちんと考慮した市場がいい市場の条件な
のである。
最後に、情報が行き渡っているのは重要だ。情報がないと騙される結果になることが多い。北京空港につ
いて、タクシーに乗ったとして、ホテル(目的地)まで行くのにいくらかかるかわからない。そんな時、運
転手は外国人に対して騙してしまうというインセンティブがわく。この意味で、取り引きをする人の間で情
報がまんべんなく行き渡っていることが重要なのである。
<練習問題>
1. 中国で市場を導入するポイントは何であったか。
2. 市場が成立する3条件とは何か。
第 9章 情報の非対称-食品は安全か
9.1 「 環 境 激 素 」
2008年9月,中国国内で有害物質メラミンが混入した粉ミルクを飲んだ赤ちゃんが腎臓結石で亡くなると
いう事件が起きた。有害物質メラミンが混入していた粉ミルクメーカーは「三鹿」という乳製品生産の大手
であった。同様の健康被害にあった乳幼児は5万人(別の説では30万人)を超え、死亡者は5人に上ったとい
う。
中国政府は、保健所で対象乳幼児を抱える家庭に連絡を取り、無料の超音波検査を行うとともに、北京で
は有名な児童病院で行列ができたという。また、政府はすぐさま他の大手メーカーの粉ミルクについても調
査を行った。安全だと主張していた、蒙牛、伊利、光明といった大手メーカーの液体牛乳からもメラミンが
微量ではあるが検出され、中国国内では国内メーカーの乳製品がスーパーの棚から消えた(渡邉2008)。
メラミンとは、メラミン樹脂として食器などの色付けに使われるものであり、そもそもの毒性は低いとい
う。しかし樹脂(プラスチック)を乳児が取り込むことによってどのような影響がでるか、詳細はわかって
いないのが現状だ。それでもやはり樹脂成分のものを乳児が体内に取り込むのは問題であろう。
メラニン混入粉ミルクの事件以降、中国国内では食の安全について、人々の意識が高くなってきた。粉ミ
ルクがや牛乳などの乳製品がスーパーから消えて以降、人々は国内産ではなく外国産の粉ミルクを求めるよ
うになった。幼い子をもつお母さんにとっては非常に重要な問題である。
粉ミルクの安全性について、多くの中国人は未だに信用していないようだ。国内で外国産粉ミルクの調達
が困難になってくると、人々は香港やマカオ、そして海外の親戚を通じて大量に購入するようになった。日
本産の粉ミルクも同じアジアということで非常に人気であったが、2011年の福島原発事故以降は放射能疑惑
(実際にヨウ素が検出された)のために、人気がなくなった。そのため、欧米産の粉ミルクに需要が集中す
るようになった。
香港では、粉ミルクが入荷されるたびに、即座に売り切れるという現象が続いた。香港では粉ミルクの品
不足、価格の高騰が普通の状態になり、香港の妊婦にとっても粉ミルクの購入は切実な問題となった。
香港から深センへ抜けるイミグレーション(国境)では、混乱も見られた。いわゆる「運び屋」が香港に
粉ミルクを買い出しに出かけ大陸に持ち込む姿が日常となった。その量の多さのために、通関手続きに支障
がでるようになった。
2013年3月1日から香港では粉ミルクの持ち出しに制限をかけることとなった。本来、自由貿易港である香
港が貿易に制限をかけるのは非常に例外的だ。香港人の中国大陸に対する不満が香港政庁を動かしたかっこ
うだ。
実は,制限がかけられたのは香港だけではない。各種報道によると,2012年6月には,アメリカのウォル
マートなどのスーパーで粉ミルクの購入が5缶や12缶に制限されたし,同年9月ニュージーランドのスーパー
でも「粉ミルクは1人2缶まで」という中国語の張り紙がなされたという。2013年1月のドイツのスーパーで
は粉ミルクを1人4缶までと中国人消費者向けに制限したという。これらは,すべて中国国内の親戚や友人の
ために粉ミルクを大量購入する華人の行動を制限するためである。
中国国内では,中国政府が安全宣言を出しても,国内産粉ミルクに対する見方は厳しい。
それ以外にも,中国国内では食の安全に敏感になっている。大学の学生がネットでニュースになった食品
の名前,メーカー,場所をデータベースにして公開した。「窓の外から投げ捨てろ!
(http://www.zccw.info/, 出窗外(中国語),Throw it out the window (英語))」と題された食品不安
データベースは,中国食品の安全性に疑問を投げかけている。
9.2 情 報 の 非 対 称
日本でも雪印乳業(今のメグミルク),三重県の名産・赤福,汚染米の混入など食の安全問題が話題にな
る。中国だけではなく,食の安全問題は日本を含めて世界的な関心事だ。
食品の安全問題は,食品の供給業者と需要者(家計)との間で情報が非対称であるというところに問題が
ある。生産する側はどのように食品が作られているか知っているけども,購入する側はどのようにして作ら
れているか,食品添加物は安全なのかどうかといった情報を持っていない。
中国の粉ミルク事件をみてみると,構造的な問題がかいま見える。個別酪農家が生乳を搾乳ステーション
にもっていく。搾乳ステーションで生乳を買付ける仲買人は,生乳の成分を調べるとともに,ある程度の基
準がみたされないとメーカーにもっていくことができない。とくに生乳に含まれるタンパク質成分は重要な
基準であったため,メラミンを混ぜることによって,タンパク質の基準を満たすようにしたのである。
構造的に情報の非対称性が連鎖するところに食品の安全問題がある。
ノーベル経済学賞受賞者,アカロフは,情報の非対称を中古車市場で説明し、情報が非対称であると、市
場にはレモン(欠陥品)が出回ることを説明した。これをレモンの原理という。
レモンの原理を中古車市場の例でみてみよう。
中古車販売のディーラーは売る中古車がどのような状態か,わかっている。事故車であるとか,走行距離
をごまかしているとかしていても売り手は自分が優位に立とうとするためにそのような情報を隠す。一方買
い手も負けていない。中古車を買おうと思っている人は,売り手がレモンのような欠陥車を売りつける可能
性について考えている。実際売り手にあれこれ質問することによってレモンであるかどうかを見極めようと
している。買い手は中古車の価格を低く見積もっているので,売り手が呈示した価格についてもまけてもら
おうとする。つまり買い手は,中古車がレモンであった場合のことを考えて,売っている中古車を低めに評
価しているのである。
売り手は,中にはいい中古車もあるとしても,買い手が低く評価し値引きを要求していることがわかって
いる。売り手が思っている以上に買い手が値引きを要求した場合,売り手にとっていい中古車を販売するこ
とは利益が出ない可能性がある。そこで売り手は買い手の行動を考えるといい中古車は扱わないということ
が起きるのである。
これは買い手,売り手にとってどちらにも得がない。どちらも「相手を騙しているだろう」的な疑心暗鬼に
陥っている場合には,市場にはいい物が出回らないということになる。良い中古車の取引は双方にとって有
益であるにも関わらず,中古車市場ではいい中古車が出回らない,また取引自体が成立しないことになる。
これは「悪貨が良貨を駆逐する」のと同じ状態で,市場には粗悪品しか出回らないことになってしまう。
これを経済学では逆淘汰という。つまり売り手は買い手よりも売るモノの情報を持っている。したがって売
り手はモノの質は最低なものを売って儲けようとする。いい製品が市場から逆に淘汰されてしまうというこ
とになってしまう。(淘汰は悪いモノがなくなることを意味するので,ここでは逆淘汰という。)
中国では多くの人が自国の食品を不安視している。スーバーや百貨店では国産の粉ミルクの売れ行きが悪
くなる。企業が努力していい製品にしようと思っても、消費者がそれを信用しないとなると、企業の品質改
善のインセンティブが下がってしまう。となると中国市場では質の悪い製品だけが残ってしまうことにな
る。
このレモンの原理を避けるために、一般には政府が以下のことを行う。
一つは情報提供である。品質基準をもうけて、品質通りであるというラベルをはることだ。日本でもJAS
マークやJISマークが貼られるとともに、食品については賞味(消費)期限や原材料表示を示さなければな
らなくなっている。中国でも製品に対する品質表示が義務付けられるようになっている。
もう一つは、検査体制である。ラベルが貼られたとしてもその表示が本当かどうかはわからない。やはり
消費者にとって情報が非対称であるというのが問題だ。そこで、その表示が正しいかどうか、政府が抜き打
ちで検査をする、そして表示が正しいかどうかをチェックすることが必要である。
最後に、競争原理が働くようにすることである。つまりもし消費者にウソをついた企業は倒産するなど、
市場で淘汰されなければならない。中国でよく問題になるのが、地元政府と企業の癒着である。企業は地元
政府にとって雇用を生み出しているので、倒産させると社会不安を引き起こしかねない。そうなると何かし
らの理由をつけて、質の悪い製品をつくる企業を期残らせてしまうことがある。市場で消費者から信頼を失
うと大きな痛手を負うというペナルティがないと企業行動を律することはできない。
<練習問題>
1. 中国の粉ミルク事件とは何か。
2. レモンの原理とこの問題を解決する方法を述べよ。
第 10章 外部経済-渋滞
10.1 渋 滞 「 高 峰 、 堵 塞 」
中国自動車市場は急速に拡大してきている。2009年の新車販売台数は1364万台となり、アメリカを超え
て世界一となった。2008年の「汽車下郷」政策(農村で小型車購入に対し10%の補助)が2010年まで続
き、中国自動車市場は2009年に46%成長、2010年に32%成長を達成した。ただし、2011年には政策も終了
し、北京、上海などの大都市における新車登録制限により、成長は2.5%に鈍化した。それでも2012年の新
車販売数は1900万台に達したので,中国での自動車の増加は急速であるといえる。
急速に自家用車や商業車が増加すると、道路に対する需要が増加する(道路を使いたい人が増加する)。
一方で道路の供給は都市化の進展とともに建設されているが、なかなか間に合わないのが現状だ。
図は道路の需要(自動車保有台数)と供給(道路総延長)を図に示したものである。自動車保有台数の伸
びが指数的に上昇しているが,道路建設は線形的な伸びにとどまっている。
道路の供給が間に合わず,自動車を保有する人が道路を需要すると都市部では確実に渋滞するということ
になってしまう。渋滞を経済学的にいうと道路需要と供給のアンバランス(超過需要)ととらえる。
図1
(注)統計では,2004年から2005年に急激に道路の数字が増加している。急に建設量が増加したとも考え
にくいので統計定義の変更によるものと推測している。
(出所)『中国統計年鑑(各年版)』より筆者作成。
北京では、2012年4月から渋滞解消のためにナンバー別の走行規制を行なっている。これは、五環路より
内側の北京市中心部において、平日朝7時から夜8時までの日中に走行できる車両をナンバーによって制限
するというものだ。5ケタの自動車ナンバーのうち末尾の数字を参考に、走行できる曜日を指定して,道路
需要を制限した。
例えば、4月9日から7月7日(2012年)は以下のようになっている。
走行規制を受ける曜日と、ナンバープレート末尾の数字の対応
月曜日 3と8
火曜日 4と9
水曜日 5と0
木曜日 1と6
金曜日 2と7
(仮ナンバーを含む。末尾がアルファベットのプレートについては0と同等に扱う。)
例えば,ナンバー末尾が3の車を持つ人は、月曜日の午前7時から夜8時までの日中は走行できないという
ことになる。
この規制を有効的なものにするために、北京市は主要幹線道路、環状線に防犯カメラを設置するととも
に、交通管理部門の車両による目視によって徹底的なチェックを行った。また都市部の主要道路、環状線の
出入り口にも人員を配置するなど、規定違反の車両を厳しく取り締まりを行った。
その成果もあって、ナンバープレートと曜日の対応が変更されると混乱は出るようだが、北京ではナン
バー別走行規制が定着してきている。
実際、私も北京に行き、友人が迎えに来るときに「今日は車運転できない日なんだ」という話を聞く。
また中国では上海、北京、貴陽、広州の4都市が新車購入制限を行なっている(2013年1月現在)。
『朝日新聞』2012年12月25日の報道を基本に新車購入制限の内容を簡単にまとめてみよう。
<上海:競売制>
上海は1994年に乗用車の新規投入枠に競売制度を導入した。マイカーのナンバープレートに,価格下限を
設けて非公開の競売制を開始した。落札した人は車両管理所でナンバープレートを落札価格で購入し,そし
て新車が持てることになる。
競売制を導入することにより,上海の新車供給量は毎月1万台未満に抑えることが可能となった。しかし
ナンバープレートの落札価格は上昇し,2012年には6万4000元(約80万円)ほどになるまで上昇したため
に、上海市以外の周辺省(江蘇省や浙江省)で新車を登録する現象も発生している。
<北京:抽選>
北京では2010年に「北京市乗用車数量コントロール暫定規定」を発表し,小型乗用車に対する数量規制と
割当管理制度を導入した。政府機関には数量枠を与え,枠を使い切ると公用車の新規購入枠が与えられな
い。また2011年と2012年の小型乗用車の供給枠は各24万台に定められた。
個人が小型乗用車を購入する場合は、北京市小客車コントロールシステムにアクセスして申請し、公安、
社会保障、交通などの数部門の審査を経て、抽選に参加することができる。当選して初めて、市内で自動車
を新規に購入できる資格を持つことができるのである。これにより北京は新車の保有台数を抑えることに成
功した。
<貴陽:走行規制>
2011年に貴陽はナンバープレートに関する暫定ルールを発表した。貴陽に新たに投入される乗用車には特
殊なナンバープレートと一般のナンバープレートの二種類が用意されている。特殊なナンバープレートの場
合登録制限があり,貴陽市交通警察部門へ申請し,抽選方式で無償分配される。この特殊ナンバープレート
がもらえた場合,どこでも走行可能だ。一般のナンバープレートは登録制限はないが,貴陽市の第一環状線
とそれ以内の道路の走行が禁止される。
<広州:割当管理>
2012年に広州は「広州市の中小乗用車総量コントロール管理試行通告」を発表した。2012年7月からの1
年間の試行期間内に広州の中小乗用車の新規供給枠は12万台に設定される。最初の1ヶ月間は中小乗用車の
登録及び移転登録を見合わせ,その後月別に新規供給枠を均一に分配する。2011年の広州の新車ナンバープ
レート発給件数は33万台,うち中小乗用車は24万台を占めた。つまり総量が半分に規制されることとなっ
た。
10.2 外 部 効 果 ( 外 部 経 済 と 外 部 不 経 済 )
市場メカニズムは自発的な取引によって、需要と供給が効率良くバランスし、多くの人が満足するという結
果(パレート最適)になるという。しかし、多くの人が自発的に自動車を購入した結果、渋滞が発生して、
自動車の良さ(快適な走行)を生かせないという結果に陥っている。これを市場の失敗という。市場の失敗
とは,市場では解決できないものがあるということを意味する。
市場を通じないで、人の経済活動が他者の経済活動に影響を与えることを外部効果という。市場取引を通
じないで他者に便益を与えることを外部経済、他者に費用負担を求めることを外部不経済という。
公共財も外部効果を生んでいる。非排除性(他者に便益)と非競合性(他者の費用負担ゼロ)という性質
をもつがゆえに、誰も供給したがらないという結果になる。
渋滞は外部不経済の典型だ。各個人は自分の利得を最大化するために行動している。仕事に出勤する、あ
るいは買い物にいく、友人に会う、などの目的で、もっとも適切なルートで効率よく移動しようと考えてい
る。皆が同じように考えているために、道路供給を超えるほどの道路需要になってしまい(超過需要)、道
路に車が大量にあふれ、渋滞という結果になる。
道路の使用(需要)、道路の建設(供給)は市場取引がなされていない。市場取引がない中で、渋滞とい
う外部不経済を生んでいる。むしろ渋滞によって会議に遅刻する人が続出する、部品や製品の配達が時間通
りに配達されない、などの状況が発生すると、一国の経済活動にも悪影響を及ぼしてしまう。
外部不経済は誰が解決しないといけないのだろうか。これも公共財と同じく政府による解決が期待され
る。実際,上でも見たように、中国の渋滞は各市の政府によってさまざまな方法で解決が模索されているの
が現状だ。
各地域ともに,政府が道路の供給量に合わせる形で新車の登録や道路走行の規制を行っている。
その方法は上海をのぞいて,政府による規制と抽選という形をとっている。新車登録台数に枠を決めて,
それを利用者に配分する。総量規制は,強制的に自動車台数をコントロールできるという点で,即効性が期
待される。
しかし総量枠を抽選で家計に分配するというやり方は,市場メカニズムとは違うやりかただ。この問題点
は,自動車を購入する人が本当に自動車を運転するかどうかわからない人にも抽選で当たってしまうという
可能性があるということだ。自動車の必要性が少ない人にナンバープレートが割り当てられて,自動車の利
用が喫緊の課題(例えば小さな企業を立ち上げて各家庭にサービスを供給したいと考える個人経営者など)
という家計には,ナンバープレートが当たらないということが発生する。
市場メカニズムを利用して,ナンバープレートの売買を行う上海市のケースは,自動車を本当に必要とし
ない人にナンバープレートが行き渡ってしまうという問題を解決することができる。市場メカニズムが働
き,高くても自動車が必要だという人にナンバープレートが渡される。自動車の総量枠を決めながらも必要
な人でかつ購入できる人のみにナンバープレートが分配される。
この結果は,本当に必要な人が自動車を購入し,道路を使用することになる。市場メカニズムによって道
路需要と道路供給がバランスすることが期待される。
このように市場メカニズムを利用して渋滞という外部不経済を解決することを,外部不経済の内部化とい
う。
とはいえ,上の事例でも述べたように上海以外で登録して上海市内で運転するということにもなるので,
この辺はナンバープレート入札制のシステムを改善する余地がある。
現状は各市で道路需要と道路供給をバランスさせるさまざまな取り組みがなされている。渋滞という外部
不経済を政府による直接規制ではなく市場メカニズムを通じた解決が可能かどうか,社会主義市場経済の深
化が問われるところだ。
<練習問題>
1. なぜ中国で渋滞が発生しているのか。
2. 外部不経済とその解決について述べよ。
第 11章 公共財- NGOの発生
11.1 「 基 層 非 政 府 組 織 」 ( 草 の 根 NGO)
中国の負の側面といえば、環境問題と格差問題がもっともフォーカスされる。大気や水の汚染、砂漠化と
いった問題は市場メカニズム(簡単にいうと自発的な取引)では解決できないような感じがする。都市に出
稼ぎに出てきている農民工が差別されたり、都市住民と競合しない職(いわゆる3k)にしかつけないため
に、普通の都市住民よりも低い賃金に甘んじてしまう問題なども、市場メカニズムでは解決できないような
気がする。
となると、環境や格差の問題には、どうしても「政府」が出てこないと解決は無理なのだろうか。民間で
環境や格差は解決できないのか。
公共財や公共サービスは民間が自発的に提供できないのかどうか考えてみたい。
中国でもNPO(民間非営利団体)やNGO(非政府組織)の活動が活発になってきている。1993年に北京
市がオリンピック開催地候補として立候補した時に,国際オリンピック委員会から「中国にはNGOはあるの
か」と聞かれ,担当者が困ったという話がある(徐・李2008.p.3)。それほど中国では馴染みのないものが
NGOだったわけですが,それでも環境分野からNGOが設立されてきた。
中国では上から(政府から)団体が作られるのが一般的であった。そのような非政府組織を官弁NGOと言
われる。それに対して,日本のように有志が自発的に団体を作り,公共に関するサービス提供を行う組織が
生まれてきた。これを官弁NGOと対比して草の根NGOという。
もっとも、最初の草の根NGOは1994年3月31日に国家民生部に登録された「自然の友」と言われている。
その後1996年前後に「北京地球村」「緑家園」などの環境NGO団体が生まれてきた。2001年11月に北京で
開催された「中国・米国環境NGOパートナーシップ・フォーラム」では,中国の環境NGOは2000団体以上
に達し,数百万人の参加を得ているという報告があったという(徐・李2008,p.4)。
その後,草の根NGOは環境分野ではなく出稼ぎ者への支援の分野で広がりを見せる。1998年8月に,出稼
ぎ者の多い広州市番禺で「番禺出稼ぎ者サービスクラブ」が設立される。このNGOは農村から来た出稼ぎ者
に法律相談のサービスを提供し,文学や職業安全,健康などをテーマにしたセミナーを開催,また権利擁護
のホットラインを開設するなどの活動を提供してきた(徐・李2008,p.4)。
さて,以上の背景をもつ草の根NGOについて,ここでは環境分野から「地球村」,出稼ぎ者の支援につい
て「工友之家」を見てみてみよう。
(1)地球村(主に王,李,岡室2002,pp.92-93を参照)
「地球村」の全称は「北京地球村環境文化中心(Global Village of Beijing)」といい,1996年に設立され
た。創始者はアメリカ留学から帰国した廖暁義(女性)だ。中国社会科学院の研究員という公職を辞し,友
人と一緒に地球村を創始し,数少ない草の根環境NGOの1つとして世界から注目された。2000年6月にノル
ウェーでその年の世界環境保護の最高賞であるSophie Prizeを受賞している。
地球村の活動主旨は「市民の意識を高め,市民参加を促進することを通じて,政府が持続可能な開発戦略
および政策を推進・実施することの手助けをすること」となっている。具体的には,地球村は環境保護に関
する宣伝教育分野を中心に活動している。
とくに地球村が力を入れているところは,以下の三点である。
第1,コミュニティにおける市民参加システムを促進し,法律の実施状況に対する市民の監督,アドボカ
シー活動(政策提言や権利擁護),生活様式の改善活動に積極的に参加してもらうこと。
第2,ゴミの分別収集,公共交通,環境にやさしい建築,生物種の保護などの活動を通して,持続可能な
消費生活とライフスタイルを呼びかけること。
第3,新たな環境NPOの育成に貢献すること。
地球村は,中央電視台で独立して環境保護に関連するテレビ番組の編集,情報の提供を行なってきた。ま
た,環境保護研修センターの設立と運営,環境ボランティア活動,国際交流,環境へのマス・メディアの関
心を促進したりしている。地球村は,少人数の専従スタッフ以外に,全国各地に約4000名余りの環境保護ボ
ランティアの協力を得て,活動を展開している。
(2)工友之家(主に古賀2010,p.213を参照)
「工友之家」の全称は「北京工友之家文化発展センター」でる。創始者は農民工の孫恒で,都市社会で孤
独な農民工のための家を作ろうという思いから始まり,2002年11月に正式に登録される。
最初は,農民工の仲間と打工青年芸術団を結成し,農民工の思いを代弁する歌を歌うライブ活動であっ
た。芸術団のCD売上を基にして,民工子弟学校やリサイクルショップなどを行うようになった。現在,北
京で,打工者(出稼ぎ者)文化教育協会,同心実験学校,同心互恵焦点,打工文化芸術博物館などを運営し
ている。
北京市からは,「十大ボランティア団体」に指定されるとともに,打工青年芸術団は2005年に党中央宣伝
部・中央政府文化部から先進的民間文芸団体として表彰されている。
11.2 公 共 財 の 問 題
以上のように,中国でも,民間が政府に変わる形で公共サービスが提供されるようになってきている。
まず,公共財を定義してみよう。公共財は以下の非排除性と非競合性の二つの性格をもつものと定義され
る。
非排除性とは,自分が利用しても他の誰かの利用を妨げる(排除する)ことはできないことを意味する。
別の言い方をすると,他人が利用しようとした時にお金を払わなくても便益はもらえる,ものだ。
非競合性とは,自分が利用しても他の誰かの利用量が減ることはないことを意味する。別の言い方をする
と,他人が利用しようとしたときに余分なお金,費用がかからない。
身近な公共財の例は,花火だ。花火という娯楽サービスは,他人が見るのを排除することができない。京
葉線に乗っていてディズニーランドの花火を楽しむこともできる。お金を払って入場したディズニーランド
のお客だけがディズニーランドの花火を独占することは不可能だ。これが非排除性である。
またディズニーランドのお客がディズニーランドで花火を楽しんだからといって,周辺住民及び京葉線の
乗客の利用量が減ることもないし,彼らはコストなしで花火を楽しむことも可能である。これが非競合性
だ。
花火のような公共財は,個人が自ら費用を払ってまで人を楽しませる花火大会を開催するインセンティブ
はなくなる。となると民間にまかせると花火という公共財は過少供給になってしまう。むしろ個人主催の花
火大会は存在しない。したがって,夏になると政府(地方自治体)が花火という公共財を提供することにな
る(墨田の花火祭りが典型例)。
非排除性と非競合性がなりたつ純粋な公共財は,治安や国防などの安全サービスだ。二つの性質が同時に
成立しなくても,一般に準公共財としてみとめられるものがある。
例えば,道路,港湾,公園などの社会インフラ,教育,医療,福祉といった社会サービス。社会インフラ
は利用料や会費を設けることによって,他人の利用を排除することが可能だ。一部の人たちで専有できる
サービスなのでクラブ財とも呼ばれる。
一方,社会サービスは,民間でもできるけども過少供給になりやすいので国家目的で国家がやるべきだと
される。これはメリット財とも呼ばれる。
次に,資源,環境がある。地球上の資源はみんなのものであるため,誰かの利用を妨げることはできな
い。非排除性が成り立っている。しかし,水や大気を汚染することによって,他者の利用量が減ることには
なる。環境が汚染されるときれいな水,きれいな大気を得るのにコストがかかってくる。2013年1月13日-15
日頃に北京で大気汚染が話題になったが,その時に空気清浄機やマスクが大量に売れた。つまりきれいな空
気を吸うためにもコストがかかることになったのである。
公共財の問題は,誰もなにもしなくてもいいことがあるという性質から,誰もすすんでそれを供給しよう
としないことだ。
童話に「ねこに鈴」という話がある。猫に安全を脅かされるねずみたちが相談して,ねこに鈴をつけよ
う,そうすれば猫が来たときに先に逃げられる,というアイデアを思いつく。ところが,じゃあ誰が猫に鈴
をつけにいく?となると,誰も手をあげなかった,ということになった。
この結果,ねずみ社会の安全という公共財は供給されないことになる。
公共財は,供給のために人々の参加や協力を強制する手段がないというのが大きな問題だ。そのため,公
共財は政府が供給すべきという結論になるのが一般的となる。
中国でも政府が人民解放軍や公安によって国防,治安などの公共財を供給している。資源,環境というコ
モンプール財(準公共財),農民工への教育や社会保障なども国が関与して解決しようとしている。
一方で,上でもみたように,市民自らが公共財の担い手となってきている。市民がボランタリー(自発
的)に環境問題に関心をもち,汚染をふせぐための活動が行われてきている。農民工の職能訓練,子女教育
をするための民工学校は,農民工自らがあるいは都市の人々の手によって行われるようになってきた。
李(2012)は,このような「市民社会」の活動を論じています。中国では団体活動は登記(登録)しないと
活動が許可されにくいという問題があった。しかし,市民の自発的な活動に対して,政府も理解をするよう
になってきている。
日本でも話題になる「新しい公共」の出現だ。公(政府)でも私(個人)でもない集団が公共の問題を解
決していこうとしている。中国の草の根NGOが公共財の供給に携わるようになり,政府活動の一端を担う反
面,政府と草の根NGOの軋轢も今後生じてくるかもしれない。
最後に,以下の章で解説する環境はまさに公共財と関連が近く,外部経済にも関わってくる。
<練習問題>
1. 中国で必要な公共財は何があるだろうか。
2. 公共財の概念、それが民間で供給しにくい理由を述べよ。
第 12章 環境問題
12.1 「 生 態 移 民 」
中国では環境保護目的で「生態移民」が行われている。英語ではecomigrationとかenvironmental
migrationなどと呼ばれる。もともと環境が劣悪なところに住んでいる住民,あるいは環境にストレスを与え
ている地域の住民を,環境のいい場所に移転させる政策である。
生態移民はもともと農業や牧畜などの生産条件が非常に劣悪に居住している少数民族の貧困を解
決する目的であった。寧夏回族自治区などではすでに1980年代から行われており,山林に居住する回族など
を農業条件のよい場所に移転させていた。内モンゴル自治区でも遊牧を行うモンゴル民族に土地を分配し、
定住型の家畜経営と農業従事を求めるようになった。
生態移民、とくに環境保護目的の生態移民では,内モンゴルのケースが有名である。モンゴル民
族は、遊牧文化をもち、羊、やぎ、馬、ラクダ等の家畜を引き連れて放牧し、草がなくなったら別の草原に
遊牧するスタイルである(ヤギは草の根まで食べてしまうので草原の復活に時間がかかる)。漢民族の内モ
ンゴル地域への移住とともに、漢民族の農地開墾が進んだ。モンゴル民族はより周辺に追いやられるととも
に限られた草原での放牧が問題となってきた。過開墾と過放牧が内モンゴルの荒漠化、砂漠化の原因として
指摘されるようになったのである。(推計によると砂漠化の5割は過開墾と過放牧によるものという数値も
ある(久方2007)。)
荒漠化、砂漠化は、土壌流出(土地が保水できなくなる)や黄砂の増加につながる。毎年春にな
ると黄砂が飛んでくるというニュースが出てくるが、中国内陸の砂漠化は急速に進んでいる。推計によると
国土の1/4は砂漠化・荒廃化しており、毎年2500平方kmが砂漠化しているという。(全世界では6万平方
kmの砂漠化が進行している。)
政府は草原への過剰放牧がモンゴル平原の荒漠化の原因であるとの考えから,政府主導で遊牧か
ら定住へ生態移民が実施してきた。遊牧は環境への圧力が大きいというところから、モンゴル民族を中心に
とある地域に定住させ、定住型の畜産業、農業への転換、工業部門への就業などをすすめてきた。
生活形態の転換とともに、2000年の西部大開発から生態環境保護は重要な柱であり,荒漠化が
進む内モンゴルでは退耕還草(林)も実施されてきた。これは植林、植草が必要な地域では、農民に地域を
請け負わせて補助金を与えながら林業経営を行わせるというものである。場所によっては農業をやめること
によって失われる所得を、補助金で保障しながら、森林、草原経営に向かわせる。しかし、退耕環草(林)
よりも生態移民の方が環境保護の成果が出やすい。
モンゴル民族は遊牧民族である。放牧をしながら居を転々と変え,牧畜業を主な生業とする。彼
らの遊牧文化を曲げてまで定住を求める政策は文化面からも批判がある。それに加えて環境保護政策への効
果に対しても意見が分かれている。遊牧民の安定した農業や牧畜により貧困脱出が可能になった,環境保護
についても一定の効果が現われている,とする政府系の報告がある一方で,移民先のコミュニティー崩壊,
少数民族文化の消滅,荒漠化に変化はないという反論もある。
いろんな見方があるにせよ、モンゴル民族は遊牧から定住に移ることによって、放牧経営から家
畜経営に、そして家畜経営から農業へ移行している。また環境産業としてエコツーリズムが注目されるよう
になり、草原のゲルキャンプ(遊牧民族のテント体験)を営むモンゴル民族も出てきている。
12.2 共 有 地 の 悲 劇
市場メカニズムは環境問題の解決方法を含んでいないメカニズムである。市場メカニズムは,稀少
な資源を大事に使うという意味では非常にいいメカニズムだが,環境資源を大事に使うのが難しいものに
なっている。
例えば石油を考えてみると,石油価格が上昇する。石油価格が上昇すれば、使うのをやめようと
します。石油価格の上昇は,石油が今の世の中稀少なものになりつつありますよ!というシグナルになり、
消費者側は高いので買えるのを控えようということになる。これにより石油消費が押さえられ、トウモロコ
シから作られるエタノール原料などの代替エネルギーへの開発につながる。
つまり価格が高いものは,稀少ですよ,大事に使いましょうというシグナルを発しており,実際
高いので私たちも節約して使おう(買おう)ということになる。反対に価格が低いときは,豊富ですよ,こ
の製品はお値打ちでお買い得ですよ,というシグナルを発しており,結果私たちも安いので遠慮なく使おう
(買おう)ということなる。
このように市場メカニズムは稀少な資源を大事に使うように自動的に私たちを導いている。市場
メカニズムも「エコ」なシステムといえるであろう。
ところが市場メカニズムでも自分の身の回りの環境(大気、水、草原など)という資源に対して
はこの稀少ですよ的シグナルを発することができない。それは環境が誰のものでもなく(公共性),他の人
の利用を排除することができない(非排除性)という二つの性格をもっているからだ。
まず環境は誰のものでもないという所有権のはっきりしないものだ。つまりみんなのものだ。そ
してお前使うなよ〜というように他人が利用しようとするのをやめさせることはできない。このような事例
を経済学では「共有地の悲劇」として説明する。
とある牧草地があり,そこの牧草を食べると,乳牛はいいミルクを生産し,肉牛はいい霜降り肉
がつくとする。あなたが農家だとどうするだろう?自分の牛をその牧草地に放牧させてたっぷり草を食べさ
せ,自分の牛の市場価値を高めようとするだろう。それが農家にとっての利潤最大化の戦略だ。他の農家も
同じことを考える。他の農家も自分の牛の市場価値を高めようとするために,おなじ牧草地に牛をはなち,
そこの牧草を食べさせる。そうして我も我もと多くの農家がそこの牧草地に牛を放牧する結果,牧草地にい
い牧草がなくなってしまうという結果になってしまう。これが「共有地の悲劇」と呼ばれるものだ。
中国の水問題,大気汚染の問題はまさにこの共有地の悲劇が現在起こっていると言うことににな
る。これを解決するにはどうしたらいいのだろう?
規制というのは一つの解決方法ですが,実はあまり有効ではない。規制を有効にするためには監
視(モニタリング)が必要だからだ。中国では環境問題を非常に重要視しており,環境規制や環境の法律体
系も日本よりすすんでいると言われるくらいだ。でもそれがうまくいかないのは監視のためのコストが高
く、法律や規制が有効に機能していないのが現状だ。
中国は広い。そして多くの企業が存在する。これらの企業が規制を守っているのかどうかを監視
するのは大変なコストがかかる。監視がなければ,うちの企業ぐらいいいだろうというモラルハザード(道
徳的瑕疵,ほんとうは保険用語の心理的危険ですが。)が発生する。
この解決方法として中国で試行錯誤されているのが水利権(水を使う権利)や排出権(汚水や排
煙を排出する権利)の市場取引だ。自分のところで排出する汚水が少ないととするとその権利を他社に売る
ことができる。あるいはどうしても排出量が削減出来ない場合は他社から排出権を購入しなければならな
い。つまり汚水や煤煙の排出にはコストがかかるようにする。そうすると汚染の排出を削減しようとするイ
ンセンティブがわく。
もう一つは排汚費のように環境税を導入することだ。つまり汚れた廃水や排気をするときには、
その量にしたがって税金を課す。企業は排水排気にコストがかかるようになるので、浄水施設や脱硫装置を
設置して、環境負担をかけないようにする。ただし中国では、環境税の負担が小さいため有効に機能してい
ないという問題がある。
<練習問題>
1.
2.
「環境問題」の種類とその共通する性質について述べよ。
「共有地の悲劇」とその解決法について述べよ。
第 13章 知的財産権-ニセモノはいけないことか?
13.1 「 山 寨 」 「 日 本 動 漫 」
実は中国では日本のアニメ(「日本動漫」)が非常に人気だ。1980年代には、鉄腕アトムや一
休さんが人気だったし、1990年代には、スラムダンクが流行して,中国全土で史上空前のバスケットブーム
をもたらした。1995年にCBA(Chinese Basketball Association)ができている。その後、セーラームーン
が流行するなど、日本のアニメは中国で非常に受け入れられている。
とある中国人学生は,高3のときにテレビで『名探偵コナン』を見ていたが,105話で放映が終
わってしまったという。どうしても続きが見たくなって,105話以降の話が載っているVCD(ビデオCD)が
売れれているという情報をゲット。その店に買いに行ったら,大量の海賊版があり,それをきっかけに日本
のアニメに興味をもち,はまっていたと語る(遠藤2008)。
私も北京で暮らしている時に、街のDVD(当時はVCD)屋には大量の日本のアニメが置いて
あったし、露天商も日本のアニメを扱っていた。値段を聞いたら、5元とか10元とかであったので、どう
考えても正規版ではない。
日本の出版社や著者,テレビ局などと正規の版権契約をとりかわして作られた正規版はほんのわ
ずかだ。大半は,中国大陸あるいは台湾などで勝手にコピーしたいわゆる「海賊版」だ。最近では政府の取
り締まりが厳しくなったので,多少は減ってきた。それでも中国市場に流通する日本動漫ソフトの90%は海
賊版だと言われている(遠藤(2008)p.82)
一般に海賊版の原盤は、日本のお茶の間に流れているものがそのまま録画されたものである。そ
の録画されたアニメに日本語を勉強したことのある中国人が字幕を作成し、海賊版となっていく。彼らは仕
事でやっているというよりも、自分が本当にアニメが好き、という純粋な気持ちでやっていることが多い。
ただし近年知的財産権での取り締まりも厳しくなっているので、街角のDVD屋がこれ見よがし
に海賊版を置いていることはなくなった。正規版を店頭に並べて,店の奥で正規版のコピーをつくるという
DIY方式が一般的になっている。DIYとはDo It Yourselfの略である。偽正規版ともいえる。正規版をそのまま
コピーし国家版権局版権認証登記号まですべてコピーするために,見分けは困難になっている。
日本のアニメで有名な、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃんなどなどキャラク
ターも模倣されていく。キャラクターの商品の使用には、著作権を支払って利用することが必要だ。しか
し、著作権使用料を払わずに無断でキャラクターグッズが製作されたりする。見た目で本物と区別のつくも
のもあるが、中には本物のキャラクターと区別できない、精巧なものも少なくない。
中国では知的財産権意識の高まりの中で、商標権登録が盛んになっている。そのためビジネス上
の新たな揉め事にもなっている。
例えば、クレヨンしんちゃん商標権訴訟。2004年日本の出版社が中国のアパレル業者と一緒に
「クレヨンしんちゃん(中国語では「蠟筆小新」)」のキャラクターグッズを製作、販売しようとした。製
品を中国デパートで販売しようとしたら、地元の役所からニセモノ扱いになるということで販売を差し止め
られた。
どういうことかというと、クレヨンしんちゃんとまったく関係のない中国企業がすでにイラスト
などを商標登録しており、日本企業の使用は商標権の侵害になったのである。日本の出版社は中国の裁判所
に提訴。作者が作ったキャラクターの著作権は出版社にあるので、商標権登録はおかしいと主張した。しか
し、商標権登録は日中ともに先願主義であるため、登録手続きに問題はなく、登録から5年3ヶ月も異議申立
てもなかったのだから、中国企業に商標権登録の権利があるとされた。
最終的に、2012年3月「クレヨンしんちゃん」の商標権・著作権をめぐる裁判の判決が中国であ
り、日本の出版社に著作権が認められることになった。日本の出版社の言い分を認め、中国の企業に対し、
キャラクターの使用停止と損害賠償の支払いを命じたのである。
商標権の登録は中国ではすでにビジネス化されているところがある。アップルのiPadも中国国内
ではすでに商標権登録がされており、アップルも中国企業を相手に訴訟、商標権の買い取りについて交渉が
行われた。中国では、ビジネスチャンスがあるかもしれないと思われる固有名詞は大量に商標権登録されて
いるために、外国企業進出の障害にもなりつつある。
13.2 例 外 的 な 「 独 占 」
知的財産権は、例外的に「独占」を認める制度である。
経済学には、競争によって価格が下落し消費者は得をする、という考えがあり、企業一社による
独占や数社による寡占は望ましくないとされている。その例外が知的財産権の保護である。
知的財産権を保護しなければならない理由は、開発者の開発インセンティブを保護すること、既
存ブランドを守ることの2つである。とくに、新しい商品を開発するには膨大な開発時間とお金がかかる。
とくに新薬の開発には膨大な投資が必要だ。新薬が開発されたとして、その商品が他の製薬会社によってコ
ピーされるようになったら、開発会社は新薬開発投資を回収することが不可能になってしまう。またもしコ
ピーをした製薬会社の作った製品によって購入者に副作用が出たなどの問題が発生したとすると、新薬開発
会社にも影響が出てしまう。
そこで、マネがしやすい知的商品については一定の人為的「独占」を認めましょう、ということ
が世界的なルールとして定着している。他企業に対し参入障壁を構築することによって独占利潤の獲得を法
的に認めるのが知的財産権である。
ただし、「独占」である以上、弊害も存在する。過度に保護されると製品の独占市場を形成し,
独占会社が利潤をむさぼり,本当に必要とする人が高くて買えないということが発生する可能性がでてく
る。例えば、HIV新薬が開発されても高価格であるために、本当に必要なアフリカの貧困層に手に渡ること
ができない。ディズニーが知的財産権で保護されているために、低所得者層の子供達はディズニーランドで
楽しむことができない。独占は高価格をもたらし、本当に必要な人にその製品やサービスが行き渡らないと
いう問題が発生する。これが独占による資源配分の歪みである。
過度な独占につながらないように、さまざまな工夫がなされている。新薬などでは,ある期間特
許を保護したあと,ジェネリック商品ということで独占市場から競争市場へ変換させるシステムが確立して
いる。著作権も、作者の生存期間と死後50年間というのが一般的であり、その後は自由に取り引きすること
が可能だ。Amazon Kindleなどの電子書籍市場では無料の書籍もあるが、それらは著作権がフリーになった
ものである。
また、知的財産権を過度に保護する理由としてブランドの毀損というのがある。しかし、ブラン
ドを毀損するのではなく、宣伝になっているのではないかという意見もある。
例えば、中国で日本アニメが流行したのは日本の版権がゆるかったので、海賊版として流通しや
すかったという要因がある。アメリカの版権はうるさかったので、中国市場に参入しにくかった。海賊版が
中国を席巻して結果的に中国市場に深く浸透したというのが現状だ。
安価な海賊版があったからこそ,中国国内の若者たちは、自分の小遣いで購入でき,自分で見た
い作品を選ぶことができた。もし日本が正面から日本文化を普及しようとすると、中国政府は必ずコント
ロールするであろう。海賊版という政府の目を逃れて市場を拡大することによって、日本文化の中国浸透が
可能であったとも言えるのである。
最後に、競争こそが創造性を生み出す源泉であるという立場から,知的財産権を批判する意見も
多い。例として、オープンソースのソフトウェア、ニュース業界におけるインターネット無料配信、文学と
文学作品は著作権がない時代でも新しいいい作品が生まれてきた,ということがあげられる。クリス・アン
ダーソンも『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』でオープンソースによって新たな製品開発が可能だと
指摘している。
競争を抑制して特権を得ようとする浪費的な取り組みを、経済学ではレントシーキングという
が,知的財産権は知的独占を生み出しレントシーキングの元になるため、保護と競争の適度なバランスが必
要である。
<練習問題>
1.
2.
知的財産権保護の理由を述べよ。
知的財産権保護の問題を述べよ。
第 14章 ゲーム理論-中央と地方
14.1 「 上 有 政 策 下 有 対 策 」
市場経済化をすすめる中国でも、市場では解決しにくい問題が発生してきていることをみてき
た。安全でない食品が出回ったり、渋滞はひどい。農民工の生活は大変で、環境は破壊がすすむ。街にはコ
ピー商品があふれ、本物だと思って購入したらニセモノだったということはザラだ。
中国政府もこのような社会問題をいいと思っているわけではない。経済成長が持続可能となるた
めには、市場で発生するさまざまな問題を政府が解決しようとしている。1990年代に急速な市場経済化に
よって、社会、環境、経済などさまざまな分野で矛盾や課題が出てきている。
2002年から2012年まで国家主席であった胡錦濤は、まさに矛盾と課題を「科学的発展観」のも
とで「和諧(調和)社会」を建設すると主張した。中国の中央政府は強い決意で、多くの問題を解決しよう
と取り組んできたのである。
しかし、その決意とは裏腹に実際には矛盾は解決していない。環境汚染はよくなるどころか悪く
なっている感がするし、2013年1月には中国の9割の都市で大気汚染が悪化したという調査結果がある。ニセ
モノを取り締まっても、あいかわらずアップル社が新製品を出すたびに、即座にニセモノが深センで生産さ
れる。農民工の生活が改善したとはいえず、都市の内部でも、都市住民と農民の間でも格差が改善している
とはいえない。
なぜ、解決しないのだろう。中央政府は力をいれて中国経済の課題に立ち向かっている。それは
ポーズではない。本当に解決したいと思っている。もし社会の矛盾や課題が拡大し、社会不満が鬱屈すれば
人々の批判は中国共産党に向かう可能性があるからだ。党・政府は矛盾と課題解決に力をいれざるを得ない
のである。
例えば、食品安全問題で考えてみる。粉ミルクが大きな国内問題になっていることは先にみた通
りだ。政府も力を入れて食品安全に取り組んでいる。日本でも食品安全問題が国内で話題になったあと、消
費者庁ができ、消費者の安全を守ることをアピールしている。中国も全く同じで、最初の粉ミルク問題が起
きたあと、全国人民代表大会での5年の審議を経て、2009年3月から中華人民共和国食品安全法が施行され
た。この法律によって、食品生産への監督権限を、国家食品薬品監督管理総局に一元化し、使用原材料の明
示、添加物の使用規制、虚偽広告の取り締まりが強化されている。
厳しい例をあげると、芸能人やスポーツ選手など有名人が出演した広告の食品に問題が発生した
場合、その連帯責任を負わなければならない、と新しい法律は明記している。これについては一部の芸能関
係者から「やりすぎだ」との批判もあがっている。食品安全問題に詳しい中国人弁護士も「世界基準から見
ても厳しい」という意見もあるほどだ。
しかし実際の問題は法律の制定ではなく、実施の問題という意見が多い。中国には1995年に成
立した食品衛生法が存在しており、国家衛生部(現在の国家衛生和計画生育委員会)が中心となって食の安
全に関する管理取り締まりが実行されていた。
2008年9月に発覚した粉ミルク問題では、有害物質メラミンの大量混入が半ば公然と行われてい
たにも関わらず、問題企業は毎年のように生産過程を監督する政府機関から表彰を受けていた。「官業の癒
着構造により、法律が機能していないことが、悲劇をもたらした原因だ」と、中国メディアも事件後に強く
批判した。
粉ミルク問題だけではない。ニセモノを生産する企業、基準を超える汚染水を垂れ流す企業な
ど、多くの法律違反企業が存在するにもかかわらず、中央政府が大きな声をあげて、取り締まりをアピール
するも、地元政府の足取りは重い。地元政府にとって、企業は地方財政を支えるとともに、雇用を守ってい
る存在だ。
中央政府が、知的財産権を侵害する企業は許さない、環境保護基準を順守しない企業の操業は認
めない、と言っても、その取り締まりを実行する主体の地方政府は、地元の経済への影響をかんがみて、厳
しい取り締まりができない。中央政府が命令しても、地方政府は形だけ聞くふりをしながらも、実際には自
身の損になるような政策をまともに実行しない。
地方政府は、違反企業の操業を一時的に停めたり、責任者を一時的に逮捕するなどしても、抜本
的な取り締まりは実行していないのが現状なのだ。
つまり、中央政府が政策を実施しても、下の地方政府には対策が存在するのである。
14.2 囚 人 の ジ レ ン マ
市場経済が成り立つためには,多数の市場参加者が存在しないとならないが,少数しかいない場
合,自分の意思決定が他人の意思決定に影響を及ぼすことがある。相手の出方を考えてもっともよい結果に
なるように自分の意思決定を行うことが多い。中国の中央政府と地方政府はまさに自分の意思決定が相手の
意思決定に影響を及ぼす事例だ。
もし,中央政府が政策を実施することによって地方政府が対策を考えるケースは,まさにこのよ
うな意思決定の相互依存関係が表れる事例だ。意思決定の相互依存を分析する枠組みとして,ゲーム理論が
存在する。
ゲーム理論とは,複数の経済主体間での利害関係をゲームという形で記述しようとするものだ
(川西2009)。一般に経済主体は政府,家計,企業として分析されるが,中国の場合,
政府→中央政府,地方政府,共産党など
家計→農民,都市住民
企業→国有企業,郷鎮企業,外資系企業など
に細分化することが可能だ。そしてそれらが互いの利害をめぐって駆け引き(ゲーム)を行ってい
る。この駆け引き,ゲームを記述することによってどのようなやりとりがあって,どのような結果がもたら
されるのか,そして今後どうなるのかといったことが想像できるようになる。
中央政府が市場の課題(市場の失敗ともいう)である格差,環境,食品の安全性,ニセモノ問題
を解決しようするにも関わらず地方政府がそれを骨抜きにしてしまうのは,まさにゲーム状態にあることを
意味する。とくに地方政府が中央政府と協調しない意思決定を下すのは,ゲーム理論の中でも「囚人のジレ
ンマ」として記述することが可能である。
囚人のジレンマとは,二人の囚人がいて自白を迫られている時に,ともに黙秘をする方がよりよ
い結果になるにも関わらず,相手が裏切ったら自分が損をするために,二人とも自白してしまい,牢屋に入
れられてしまうジレンマをいう。強盗の容疑で捕まった二人が別々の取調室に入れられ,取調官から,「君
が黙秘せずに自白すれば,君を自由にしてあげよう」という司法取引を提案されたとしよう。二人の容疑者
は黙秘する方が二人とも自由になる可能性があるにも関わらず,自分が黙秘してもう1人の容疑者が自白し
た場合,最悪の結果に陥ることになる。それを避けるために容疑者は自白をすることによって二人とも牢屋
にぶち込まれてしまうのだ。
中央政府と地方政府もこのような囚人のジレンマに似た状態にある。中央政府は政策を実施する
しないという二つの戦略が存在し,地方政府はその中央政府の政策に従うと従わないという戦略がある。も
ちろん何も問題がないときは,中央政府は政策を実施せず,地方政府は何も対策を講じる必要はない。しか
し中央政府は環境や食品安全などの取り締まりをしたい。もし地方政府がその取り締まりに協力した場合,
地方は経済発展がなされず,税収は落ち込み,失業者が発生してしまう。これを避けるためには,地方政府
は対策を講じるという戦略を採用せざるを得ない。
これを図示したものが以下の図だ。
図2 中央政府と地方政府の囚人のジレンマ
図は「上に政策あれば,下に対策あり」のゲームを顔文字で示したのだ。顔文字の笑顔の度合いが
利得の度合いであり,左の顔文字が地方政府の利得,右の顔文字が中央政府の利得を示す。笑顔が大きいほ
ど,その経済主体の喜び(利得)が大きいことを示している。
この二つの経済主体がゲームをしたとしよう。中央政府も地方政府もどちらもより笑顔になれる
戦略を採用する。その結果,右下のところに落ち着く。しかし二つの政府が協調する左上がもっともよい結
果であるにも関わらず,このゲームでは右下の取引で安定してしまう。
これが中央政府と地方政府のジレンマだ。「上に政策あれば下に対策あり」が政府間でも発生し
ている。地方政府にとって,地方の経済発展は地方の幹部の出世に影響する。となると,企業の負担を減ら
して金儲けをしてもらい,地元の経済発展に寄与してもらいたいと考える。中央政府が環境保護,食品安
全,知的財産などの取り締まりを実施したとしても,地方政府はそれを遵守するのではなく,対策を講じ
る。つまり地元の経済発展のために地元の企業活動の多少の違反は目をつぶるということが発生してしま
う。これが政府間のジレンマで,中央政府のガバナンスが政策実施現場では弱くなってしまうのである。
中央政府と地方政府が協調するのがこの社会の中でもっともいい状態だ(左上)。これがパレー
ト最適の概念だ。しかし,現実にはどちらも協調しない結果になっている。これをナッシュ均衡という。
ナッシュ均衡とは,お互いに相手の出方によってもっとも得している(最良の)戦略を採用している状態
だ。逆にいえば,別の戦略をとると自らが得をしないということになる。
「上に政策あれば,下に対策あり」という状況は中国経済にとって最適な状況とはいえない。中
央政府も地方政府も合理的な(自分が得をする)行動を選択してはいるが,社会としては(中央政府,地方
政府という両方の経済主体にとっては)あまり好ましい状況ではないということを示しているのである。
<練習問題>
1.
2.
なぜ中央政府の政策が地方で実施されないのか。
囚人のジレンマを説明せよ。
参考文献
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中止をめぐって」『中国女性・ジェンダーニュース+』
(http://genchi.blog52.fc2.com/blog-entry-325.html,2012年12月13日アクセス)
「北京 自動車ナンバー別の走行規制を継続へ」『人民網(日本語版)』
(http://j.people.com.cn/94475/7779534.html、2012年12月25日)
「中国4都市の自動車購入制限策を比較」『朝日新聞』
(http://www.asahi.com/business/news/xinhuajapan/AUT201207040144.html、2012年12月25日)
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