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Instructions for use Title 北大法学論集 第63巻 第5号 全1

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Instructions for use Title 北大法学論集 第63巻 第5号 全1
Title
北大法学論集 第63巻 第5号 全1冊
Author(s)
Citation
Issue Date
北大法学論集 = The Hokkaido Law Review, 63(5)
2013-01-31
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/51795
Right
Type
bulletin (other)
Additional
Information
File
Information
lawreview_vol63no5.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
黄 舒 芃 21
鄭 明政 訳 報告2:違憲審査における立法形成の空間
─ 社会福祉立法の違憲審査を例にして ─
鄭 明政 訳 報告3:格差社会における国家による貧困者の救助
─ 台湾法の一考察 ─ 周 宗 憲 39
鄭 明政 訳 コメント 岩 本 一 郎 57
参考条文 鄭 明政 訳 69
質疑・討論 75
講
マイノリティとシティズンシップ 演
ルーカス・スウェイン 182
[143]
辻 康夫・宮井健志 訳
研究ノート
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
── 被害者の自己答責性の原理を中心に ──
瀬 川 行 太 166
[159]
資
料
Whaling Issues: International Law and Japan 児矢野 マ リ 124
[201]
2013
(平成25)
年
CONTENTS
ARTICLES
第六三巻 第五号(二〇一三) 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科
許 慶 雄 6
集
Vol. 63 January 2013 No. 5
論
シンポジウム
台湾における社会権保障の現状と問題点
企画者はしがき 鄭 明 政 3
報告1:台湾及び日本の憲法体系に関する一検証
─ 社会権保障及び解散制度を中心に ─ 学
論
説
税理士制度と納税環境整備(2)
── 税理士法33条の2の機能 ── 川 股 修 二 324
[ 1]
民事詐欺の違法性と責任(3) 岩 本 尚 禧 284
[ 41]
環太平洋連帯構想の誕生(1)
── アジア太平洋地域形成をめぐる日豪中の外交イニシアティブ ──
田 凱 238
[ 87]
THE HOKKAIDO LAW REVIEW
法
第 63 巻 第 5 号
大
北大法学論集
北
ISSN 0385-5953
The Certified Public Tax Accountant System and the Tax Compliance
Environment in Japan -- A Functional Analysis of the Art. 33-2 of the
[ 1]
Certified Public Tax Accountant Act(2)
Shuji Kawamata 324
Rechtswidrigkeit und Schuld des zivilen Betrugs(3)
Naoki Iwamoto 284
[ 41]
The Birth of the “Pacific Basin Community” : Australian-Sino-Japanese
Diplomatic Initiatives Formed Around Asia-Pacific Region(1)
Tian Kai 238
[ 87]
SYMPOSIUM
Present Status and Problems of Social Security Rights in Taiwan ☆
Ming-Cheng Cheng 3
Foreword A Verification of Taiwan and Japan’s Constitutional System:
Focusing on Protection of Social Rights and Dissolution System
Ching-Hsiung Hsu 6
Translated by Ming-Cheng Cheng
Legislative Discretion on Social Welfare Policies in Light of
Shu-Perng Hwang 21
Constitutional Review Translated by Ming-Cheng Cheng
The National Relief for the Poor Among Class Societies:
Tsung-Hsien Chou 39
A Study of Taiwan Law Translated by Ming-Cheng Cheng
Comment Ichiro Iwamoto 57
69
Reference provisions 75
Discussion LECTURES
Minorities and Citizenship ☆ Lucas Swaine 182
[143]
Translated by Yasuo Tsuji, Takeshi Miyai
NOTES
Die fahrlässige Teilnahme des Opfers am Erfolgseintritt(1)
─unter besonderer Berücksichtigung des Selbstverantwortungsprinzips
Kouta Segawa 166
[159]
des Opfers─ MATERIAL
Whaling Issues: International Law and Japan Mari Koyano 124
[201]
[ ]…Indicates the pagination for articles typeset horizontally that begin at
the end of the journal ☆…Includes an European language summary
Published by
Hokkaido University, School of Law
Kita 9-jō, Nishi 7-chōme, Kita-ku, Sapporo, Japan
石 神 圭 子 ( アメリカ政治史)
稻 垣 美穂子 (民事訴訟法)
王 万 旭 (商 法)
小 嶋 崇 弘 (知的財産法)
徐
行 (比 較 法)
鄭 明 政 (憲 法)
朴 鍾 碩 (国 際 政 治)
助 教
舜 (法 制 度 論)
○郭
川 村 力 (商 法)
櫛 橋 明 香 (民 法)
栗 原 伸 輔 (民事訴訟法)
桑 原 朝 子 (日本法制史)
小 濵 祥 子 ( アメリカ政治史)*
齋 藤 哲 志 (比 較 法)
得 津 晶 (商 法)
中 川 晶比兒 (経 済 法)
○ 中 川 寛 子 (経 済 法)
中 島 岳 志 ( アジア政治論)
根 本 尚 徳 (民 法)
堀 口 健 夫 (国 際 法)*
水 野 浩 二 (法 史 学)
緑 大 輔 (刑事訴訟法)
三 宅 新 (商 法)
山 本 周 平 (民 法)
吉 田 徹 ( ヨーロッパ政治史)*
吉 田 広 志 (知的財産法)
米 田 雅 宏 (行 政 法)
北海道大学大学院法学研究科・附属高等法政教育研究センター教員名簿
名 誉 教 授
稗 貫 俊 文 (経 済 法)
深 瀬 忠 一 (憲 法)
福 永 有 利 (民事訴訟法)
藤 岡 康 宏 (民 法)
古 矢 旬 ( アメリカ政治史)
松 澤 弘 陽 (政治思想史)
松 村 良 之 (法 社 会 学)
山 畠 正 男 (民 法)
吉 田 克 己 (民 法)
悠 (労 働 法)
北海道大学大学院法学研究科長
教 授
田 口 正 樹 (法 史 学)
田 村 善 之 (知的財産法)
辻 康 夫 (政 治 学)*
常 本 照 樹 (憲 法)
長谷川 晃 (法 哲 学)
林 田 清 明 (法 社 会 学)
藤 原 正 則 (民 法)
○眞 壁
仁 ( 日本政治思想史)*
町 村 泰 貴 (民事訴訟法)
松 久 三四彦 (民 法)
宮 本 太 郎 ( 比較政治経済学)
宮 脇 淳 (行 政 学)*
山 口 二 郎 (行 政 学)
山 崎 幹 根 (行 政 学)*
○山 下 竜 一 (行 政 法)
○山 本 哲 生 (商 法)
吉 田 邦 彦 (民 法)
亘 理 格 (行 政 法)
特 任 教 授
田
薄 木 宏 一 (法実務基礎)
大 野 雅 祥 (刑 事 実 務)
岸 田 洋 輔 (刑 事 実 務)
髙 見 進 (民事訴訟法)
中 村 研 一 (国 際 政 治)
舛 田 雅 彦 (法実務基礎)
松阿彌 隆 (民 事 実 務)
米 屋 佳 史 (民 事 実 務)
池
准 教 授
発 行 人
會 澤 恒 (比 較 法)
池 田 清 治 (民 法)
遠 藤 乾 (国 際 政 治)*
岡 田 信 弘 (憲 法)
尾 﨑 一 郎 (法 社 会 学)
小名木 明 宏 (刑 法)
加 藤 智 章 (社会保障法)
岸 本 太 樹 (行 政 法)*
児矢野 マ リ (国 際 法)
権 左 武 志 (政治思想史)
佐々木 雅 寿 (憲 法)
嶋 拓 哉 (国 際 私 法)
白 取 祐 司 (刑事訴訟法)
城 下 裕 二 (刑 法)
新 堂 明 子 (民 法)
鈴 木 一 人 ( 国際政治経済学)
鈴 木 賢 (比 較 法)
曽 野 裕 夫 (民 法)
空 井 護 ( 現代政治分析)
山 本 哲 生
厚 谷 襄 兒 (経 済 法)
五十嵐 清 (比 較 法)
石 川 武 (法 史 学)
伊 藤 大 一 (行 政 学)
今 井 弘 道 (法 哲 学)
臼 杵 知 史 (国 際 法)
大 塚 龍 児 (商 法)
小 川 晃 一 (政治思想史)
小 川 浩 三 (法 史 学)
奥 田 安 弘 (国 際 私 法)
神 原 勝 (行 政 学)
木 佐 茂 男 (行 政 法)
小 菅 芳太郎 (法 史 学)
小 山 昇 (民事訴訟法)
近 藤 弘 二 (商 法)
笹 田 栄 司 (憲 法)
實 方 謙 二 (経 済 法)
東海林 邦 彦 (民 法)
杉 原 髙 嶺 (国 際 法)
瀨 川 信 久 (民 法)
曽 野 和 明 (比 較 法)
高 見 勝 利 (憲 法)
道 幸 哲 也 (労 働 法)
中 村 研 一 (国 際 政 治)
中 村 睦 男 (憲 法)
長 井 長 信 (刑 法)
畠 山 武 道 (行 政 法)
林
竧 (商 法)
印 刷 北海道大学生活協同組合
情報サービス部
札幌市北区北8条西8丁目
TEL 011(747)8886
雑誌編集委員 ○ 印
*は大学院公共政策学連携研究部専任教員
北海道大学大学院法学研究科
札幌市北区北9条西7丁目
TEL 011(706)3074 FAX 011
(706)
4948
ronshu@juris.hokudai.ac.jp
発 行 所
松 久 三四彦
編 集 人
執筆者紹介 (掲載順)
北 海 道 大 学 大 学 院
川 股 修 二 法学研究科専門研究員
小 樽 商 科 大 学 商 学 部
岩 本 尚 禧 企 業 法 学 科 准 教 授
田 凱 遼寧大学国際関係学院講師
北 海 道 大 学 大 学 院
鄭 明 政 法 学 研 究 科 付 属 高 等
法政教育センター助教
台 湾 ・ 淡 江 大 学
許 慶 雄 国 際 研 究 学 院
ア ジ ア 研 究 所 教 授
台 湾 ・ 中 央 研 究 院
黄
舒 芃 法律学研究所副研究員
台湾・国立勤益科技大学
周 宗 憲 通識教育センター助理教授
北 星 学 園 大 学
岩 本 一 郎
経
済
学
部
教 授
米国 ダ
・ ートマス カ
・ レッジ
ルーカス・スウェイン
政 治 学 部 ・ 准 教 授
北 海 道 大 学 大 学 院
辻
康 夫 法 学 研 究 科 教 授
北 海 道 大 学 大 学 院
宮 井 健 志 法 学 研 究 科 修 士 課 程
北 海 道 大 学 大 学 院
瀬 川 行 太 法 学 研 究 科 博 士 課 程
北 海 道 大 学 大 学 院
法 学 研 究 科 教 授
児矢野 マ リ
平成25年1月25日 印 刷
平成25年1月31日 発 行
シンポジウム
台湾における社会権保障の現状と問題点
主催
財団法人社会科学国際交流江草基金会
北海道大学公法研究会
: :
共催
「司法による生存権の保障及び権利の促進の可能性──日米台の整合的研究」
(日本学術振興会科学研究費補助金研究活動スタート支援 研
・ 究代表者 鄭明政)
北法63(5・1)1301
シンポジウム
目 次
企画者はしがき 報告一 「台湾及び日本の憲法体系に関する一検証──社会権保障及び解散制度を中心に」 報告二 「違憲審査における立法形成の空間──社会福祉立法の違憲審査を例にして」 報告三 「格差社会における国家による貧困者の救助──台湾法の一考察」 コメント 参考条文 討
・論
質疑
鄭 明政 許 慶雄 鄭 明政(訳)
黄 舒芃 鄭 明政(訳)
周 宗憲 鄭 明政(訳)
岩本 一郎 鄭 明政(訳)
北法63(5・2)1302
台湾における社会権保障の現状と問題点
企画者はしがき
鄭 明 政
以下に掲載するのは、二〇一二年八月二四日に北海道大学公法研究会において開催された国際シンポジウム「台湾に
おける社会権保障の現状と問題点」の報告および質疑・討論の記録である。このシンポジウムは、
「司法による生存権
の保障及び権利の促進の可能性──日米台の整合的研究」(日本学術振興会科学研究費補助金研究活動スタート支援)
の一環として企画されたものであり、台湾、日本、およびアメリカ憲法学を専門とする研究者に報告していただいた。
本研究は、とりわけ生存権について、司法による実効的な権利救済を確立すべきとの見地から、生存権の規範性やその
内容をより明確にし、立法府の判断の尊重といった民主的正統性の問題を克服しつつ生存権の実効的救済を可能にする
司法のあり方について探求するものである。
企画者が二〇〇二年に修士課程に進学した頃は、新自由主義の興隆もあって、台湾および日本の政治の局面において
は、台湾の陳水扁総統の「経済発展優先路線〔優先經濟發展、社褔暫緩〕
」および日本の小泉内閣の「構造改革路線」
が掲げられ、社会保障給付が抑止されてしまった。学説においても自己決定や自己責任等のキーワードがもてはやされ
北法63(5・3)1303
シンポジウム
ていた。このような風潮のもとで、台湾憲法一五条及び日本国憲法二五条の生存権条項の権利性は弱まりつつあり、生
存権研究も「斜陽産業」とまで言われている。しかし、企画者は、「権利あるところに救済あり」というもっとも基本
的な法原理を重視しており、抽象的で曖昧な生存権の捉え方に疑問を抱き続けている。経済的不況といった社会的「事
実」と、憲法に明記されている生存権という「規範」との関係において、裁判所は社会的・経済的弱者の救済にどのよ
うに対処すべきか。このような問題意識から、企画者は、社会権に関する憲法訴訟について研究し続けている。
このシンポジウムにお招きした報告者は、企画者と同じ問題意識を共有し、社会権を中心に、社会保障制度をめぐる
実態や諸理論に詳しい憲法学者である。
許慶雄氏(台湾・淡江大学教授)からは、現在の台湾における社会権保障の実態と顕在化している問題を紹介してい
ただいた他、日本の議院内閣制において内閣総理大臣の民主的正統性をより確保すべきとの見地から、解散制度の運用
における問題を指摘していただいた。
黄舒芃氏(台湾・中央研究院副研究員)からは、自由権を制約する法律と財産権を制約する法律について展開された
台湾の司法院の大法官解釈における立法裁量論を比較しつつ、社会保障立法に対する大法官会議の姿勢について報告し
ていただいた。
周宗憲氏(台湾・国立勤益科技大学助理教授)は、台湾憲法に明記されている生存権について、台湾で初めて具体的
権利であると説いた研究者である。同氏からは、台湾の社会救助法や全民健康保険制度について、憲法の視点からその
運用における問題を指摘していただいた。
また、岩本一郎氏(北星学園大学教授)からは、以上三氏の報告についてコメントをいただいた。同氏には、ロール
ズの「憲法的正義」という概念をとおして、台湾の生存権理論と日本の生存権理論を架橋していただいた。
北法63(5・4)1304
台湾における社会権保障の現状と問題点
本シンポジウムにおける報告および質疑応答の内容が、日本と台湾の生存権を軸とした社会権に関する研究の更なる
発展に少しでも寄与できれば幸いである。
、常本照樹先生(北海道大学大学院法学
本シンポジウムの企画にあたっては、中村睦男先生(北海道大学名誉教授)
研究科教授)から様々な助言と援助をいただいた。また、シンポジウム当日の通訳として、宋峻杰氏(北海道大学大学
院法学研究科研究員)、楊廸耕氏(北海道大学大学院法学研究科博士課程)に、校正では、落合研一氏(北海道大学ア
ンヌ・先住民センター助教)、児玉弘氏(北海道大学大学院法学研究科博士課程)、橋場典子氏(北海道大学大学院法学
研究科博士課程)に、その他のシンポジウムの運営では黄浄愉氏(北海道大学大学院法学研究科博士課程)、
陳怡君氏(北
海道大学大学院法学研究科特別聴講生=台湾・淡江大学交換留学生)にご協力いただいた。なお、本シンポジウムの開
催にあたっては、財団法人社会科学国際交流江草基金会および日本学術振興会科学研究費補助金(研究活動スタート支
援・課題番号
:
二三八三〇〇〇二)から助成を受けている。
北法63(5・5)1305
シンポジウム
報告一
許 慶 雄
鄭 明 政
台湾及び日本の憲法体系に関する一検証
── 社 会権保障及び解散制度を中心に ─ ─
一 台湾における憲法及び社会権保障に関する検討
訳
台湾の社会保障に関する諸問題を論ずる前に、まず台湾憲法の合法性及び正当性に関する問題に注意すべきであろう。
北法63(5・6)1306
台湾における社会権保障の現状と問題点
現在、台湾で施行されている憲法は、一九四六年に中国大陸で制定され、一九四七年に施行された「中華民国憲法」(以
(1)
下、
「台湾憲法」という)である。しかし、この憲法は一九五四年に中国によって廃止されるとともに、中国では新た
(2)
な中国憲法が制定された。したがって、かねてより台湾の憲法体制に対して、その正当性および効力の有無についての
疑義が存在しており、台湾では新憲法を制定すべきであるという主張が常に存在している。
次に、憲法上の社会権について、台湾憲法一五条は、「人民の生存権、勤労権及び財産権は保障されなければならな
い」と規定しているが、基本権の名称について定めるのみで、内容があるわけではない。また、台湾憲法二一条は、
「人
民は教育を受ける権利及び義務を有する」と規定しており、教育を受ける権利と義務を混同して規定することは矛盾と
も言える。しかも、義務の対象は学習する者であり、保護者ではないとされることも問題である。したがって、現在の
台湾憲法には、社会権の保障に対する明確な規定がないこと、長期にわたった戒厳体制のもとで人権が重視されてこな
かったこと、人権保障およびそれに関する学問的な研究が、わずかに自由権の部分に限られたことから、社会権に関す
る研究および論究は著しく欠けている。一九八〇年代後半に台湾の民主化運動が展開されてから、憲法および人権問題
(3)
がようやく重視されはじめ、社会権に関する理論も、日本やドイツへの留学から戻った研究者の論究によってはじめて
提起され、議論がなされるにいたった。
さらに、台湾憲法における基本国策に関する条文、すなわち、一三七条から一六九条までの内容は、社会権とも関連
(4)
があり理想的な内容ではあるが、事実上および法理上、具体的な人権保障を定めるものではないと解され、国家政策の
努力目標にすぎないとされている。それらの条項の内容を人権保障と結び付ける考えは、明らかに非現実的である。
二 現在の台湾における社会権保障の問題点について
北法63(5・7)1307
シンポジウム
(一)全国民健康保険(国民保険)制度
(5)
一九九五年に「国民健康保険法〔全民健康保険法〕」が台湾で施行された。同法の名称および立法目的において、生
存権が保障する医療保険制度であることが明らかにされ、国民健康保険制度は、全国民の健康を保障するためのもので
あるが、三か月間保険料が滞納されると被保険者保険証カードが使用できなくなり、いわゆる「カード機能を停止させ
る〔鎖卡〕」という状態になる。同時に、国民健康保険の適用も禁止されるようになる。これにより、カードの使用を
禁止された者の数は、最高一〇〇万人に達したことがあり、全国民のおよそ1/ を占めた。その後、世論や国会の要
台湾では一九九四年に環境アセスメント法が制定され、同法によれば、企業による建設および公共建設は、環境アセ
(二)環境保護が軽視され、依然として公害問題が存在すること
康保険制度は、もはや、医療機関および一部の国民にとって有利な制度にほかならないのである。
ができなくなった者は六六万二千人に達し、そのほとんどは社会的・経済的弱者である。このような状態から、国民健
ではなかった。二〇一一年七月には、保険料の滞納者は七四万三千人に達した。保険料の滞納によって、カードの使用
策を通して必要な補助が行われなければならない」と述べた。しかし、行政院はきちんと検討してそれを改善するわけ
(6)
者に対してはさらなる配慮が必要である。社会保険制度を構築する費用は、保険料のほかに、国家による資源の分配政
に組み込むことである。リスクを分散するための社会がその特徴であるので、持ちうる者の参加は強制され、持たざる
は、明らかに国民健康保険の精神に符合しない。憲法が国民健康保険を求める趣旨は、すべての国民を健康保険の体系
生署中央健康保険局が国民健康保険料の滞納者に対して、原因を問わずに一律にカード機能を停止させること〔鎖卡〕
求に基づき、憲法解釈をつかさどる司法院は、以下のような解釈文を出すに至った。すなわち、司法院は、
「行政院衛
23
北法63(5・8)1308
台湾における社会権保障の現状と問題点
スメントを行ってはじめて着工しうることと規定されたが、政府と企業との癒着や、環境アセスメントの客観性、中立
性が維持されていないことから、環境を破壊する開発や建設の件数は相当多数にのぼった。また、かねてから存在して
いた環境破壊や公害を厳格に取り締まったり、禁止したりすることはせず、賠償や補助金を請求する形で、結果的には、
環境破壊を続けるような運営を黙認している。さらに、台湾の環境保護は、空気や水の汚染を主要な対象とするが、騒
音や景観などの人文的な環境などについては、環境保護の対象にされていない。
(三)政府による教育権限のコントロール
現行の台湾憲法が「人民は教育を受ける義務を有する」と規定していることから、政府が教育体制に介入することは
当然のことのようになされている。なお、国民の学習の権利の保障は、
もっぱら理論上の議論の段階にとどまっていて、
今も、教育部(日本の文部科学省に相当)が、各学校の授業内容、学校教師の人事および管理に対して、相変わらず絶
対的な主導権を握っている。その一方で、教師の待遇および退職金について特別な優遇制度を採用することによって、
教師を国家權力が主導する教育政策に全面的に合わせさせている。一九九〇年代以前の「師範教育法」によれば、教師
の養成は四校の師範大学および九校の師範学院に限定され、師範学校の学生の学費および生活費は公費で賄われ、卒業
後は政府によって各小中学校に配属されていた。このように、師範学校体系からの教師養成が、法的な唯一のルートで
あり、師範大学学生の学費と生活費の国費による支弁、卒業後のポストの保障などの特権が与えられたことから、師範
大学の教授人事、授業内容、学生の選抜は、完全に国家権力によってコントロールされていた。したがって、「師範教育法」
とは、国家権力が教師の養成過程、および義務教育制度を有効かつ主導的にコントロールできる体制であった。一九九
四年に「師範教育法」および師範公費生制度が廃止され、一般大学の卒業生にも、教師になる道が段階的に開放された。
北法63(5・9)1309
シンポジウム
しかし、教育課程の履修、受験資格、実習の配分、教職への就職にはさまざまな差別が存在していることから、八割以
上の教師の出身は、相変わらず伝統的な師範学校の卒業生である。したがって、師範学校体系による教師の寡占現象は
しばらく変わらないであろう。なお、一九九七年以前は、各小中学校の教科書内容の編集権限は国立編訳館にあり、教
科書こそが国家教育統制の核心であった。教育部は一九九四年に民間教科書の編集を許可する法案を制定したが、実際
に編集が完全に認められたのは、二〇〇二年になってからであった。しかし、審査の標準と権限は相変わらず教育部に
ある。他方で、授業プログラム、科目、時間はすべて教育部が規定したものであるから、保護者、教師、専門的な学者
に対する教育の自由はほとんどない。
(四)勤労権の問題点について
台湾では勤労権保障に関する問題も多い。そのなかでも外国人労働者政策が最も問題視されるべきである。台湾憲法
(7)
および法律においては、国民の勤労権が明確に保障されているが、一九八九年以降、政府は、外国人労働者を規定する
法律がないとして、外国人労働者が台湾で働くことを受け入れた。注意すべきなのは、当時、彼らを「外国人労働者」
と言わずに、外国人労働者の雇用は暫定的な措置にすぎないということをアピールするために「補充労働者」と呼んだ
ことである。一九九二年の立法により、外国人労働者は台湾での労働資格を認められた。当初は、家庭内の介護・手伝
い、一般建築工事と漁船船員を中心に開放されたが、現在では各種の業種に普遍的に存在している。外国人労働者の人
数もほぼ一〇〇万人に達している。ある調査によれば、外国人労働者の雇用コストは、同業種の台湾人労働者の約六〇%
以下である。しかも、実際には、政府が全般的な措置を整えないうちに外国人労働者を受け入れたために、台湾人労働
者の就職の機会や給料が著しく脅かされ、失業率も絶えず増加し、ここ一〇年は、労働者全体の待遇も悪くなりつつあ
北法63(5・10)1310
台湾における社会権保障の現状と問題点
る。なかでも最も打撃を受けたのは、農民および伝統的な労働者である。また、台湾の失業保障制度および生活保護の
(8)
体系がいまだ完備されているとはいえない状態において、このような弱者層である農民、労働者層の生存権は、まさに
二重の侵害を与えられているようである。
「労働者
また最近、経済の衰退が就職に悪影響を与えているにもかかわらず、台湾政府は、「大学卒業生実習政策」、
無給休暇」などの政策を実施し勤労権を侵害した。まず「大学卒業実習政策」の目的は、一見新卒の大学生に就職機会
を提供して失業の状況を緩和し、失業による社会問題を削減させるためのものであるように見える。しかし実質的には、
政府が企業の人事費用を補助することと同じことであり、企業側は実習生の労働力に対価を支払わずに済むようになっ
ているため、この政策における本当の受益者は企業側といえよう。そのため、この政策の実施により、企業は新任社員
(9)
の雇用を激減させてしまい、失業率を下げ、若者の就職を助けるという本来の目的を達成することができていないどこ
ろか、企業に対する政府のバラマキにより台湾の給料水準をさらに低下させ、国民の税金を無駄にしたのである。
また「労働者無給休暇制度」とは、企業が業務の縮減による解雇責任から逃れるために、休暇中の労働者に給料を提
供せず、労働者が休暇を強いられる制度である。しかし、台湾の労働基準法及び同法に付属する労働休暇規則においては、
「無給休暇」という制度は存在しない。これに対し、政府の労働委員会はかつて無給休暇について以下のような規制を行っ
た。すなわち、「景気要素の影響を受けたとしても、雇用者は一方的に「無給休暇」を実施してはならない。仮に労働
時間および賃金の減少が必要とされるならば、労使双方の協議を経なければならない。労使双方による無給休暇の協議
が成立しても、本来の全日労働者の労働契約に基づいて、月給は最低賃金(一万八七八〇台湾ドル)より低くなっては
いけない」、と。しかしながら、二〇一〇年、多くの企業は「無給休暇」を実施し始め、実質的には一方的に労働者を
休ませた。また、労働者側がそれに同意しないと、解雇でなく希望退職と見なされた。当時、二三万人以上の労働者が
北法63(5・11)1311
シンポジウム
無給休暇を強いられた。政府は、このような労働基準法に違反する企業に対して、法律による取り締まりを行わなかっ
たどころか、このような企業の行為を支持した。当時の行政院長(日本の首相に相当)は、
「無給休暇」のような手段
はリストラよりも緩和的なものであるし、企業はリストラの費用を支払う必要がなく景気低迷の窮地から救われると同
(
(
時に、大量のリストラ、失業による社会問題の発生も免れたと発言した。そして、このようなアイディアはノーベル賞
逆に労働組合の代表者として、企業の利益や政府の労働政策を代弁した。このような影響は現在に至っても続いている。
働者に強力な労働組合を作らせた。このような労働組合のリーダーは、労働者の権益のために争議をしないばかりか、
することも可能となった。その一方で、公営企業および大企業は、政府の許可を得たうえで、企業・政府側と親しい労
ることを防止するために、無許可の労働組合組織を禁止した。そして、労働争議処理法を制定し、労使紛争に直接介入
の組織・活動を制限する法的根拠となった。戒厳時期においては、政府は、労働運動によって企業の経営環境が悪化す
台湾は、一九七五年に、労働組合法〔工會法〕(争議権と交渉権は含まれていない)、労働争議処理法を制定した。し
かし、その内容および実際において団結権が保障されていなかった。これらの法律は、戒厳時期において逆に労働組合
(五)労働三権が保障されていない
権などの基本的人権は保障されるべきである。
定にも違反する。外国人労働者に対しても「国民待遇」が与えられるべきであるという法規定に基づき、外国人の勤労
そのほかにも、外国人労働者は労働基準法に基づく保障を受けているわけではない。実際には、外国人労働者の人身
の自由やそのほかの人権が制限されているということは、もはや普遍的な現象である。これは、実質的に台湾の法律規
をもらえるほどであると誇った。
(1
北法63(5・12)1312
台湾における社会権保障の現状と問題点
一九九〇年代に民主化が進むにつれて、労働運動や労働組織が相次いで現れてきた。しかし、それらに対し法的保障
がないために、企業に異を唱えるような労働組合を組織する際には、その参加者およびリーダーは、雇用側からの差別
( (
的待遇や弾圧を必ず受けることになる。したがって、真の労働組合は実際には運営出来ず、組合のような組織は、学者、
弁護士、専業活動家らによる労働者を支援する民間組織にすぎない。
この三年間で、新労働組合法(二〇一〇年)、団体協約法(二〇〇八年)
、新労使争議処理法(二〇〇九年)が制定さ
れた。これにより、政府は労働三権の法的保障体制をすでに整えたと主張した。しかしながら、過去の労働組合、すな
わち、
政府・企業を代弁した労働組合のリーダーが率いる伝統的な労働組合が依然として台湾の労働組合の主流である。
独立した自主的な労働組合が相次いで作られたとしても、現実には、資源や政治・経済力を背景にして、四〇年以上に
渡って強固な力を持つ伝統的な労働組合に取って代わることはできない。現在、台湾には八〇〇万人以上の労働者がい
るにもかかわらず、産業労働組合は八〇〇しかない。そして、このような形骸化した労働組合に参加する労働者数です
ら六〇万人以下にすぎない。多くの大企業や国際的にも著名なハイテク産業、たとえば、 TSMC
〔台積電〕
(世界最大
の半導体専業ICファンドリーメーカー)、 Foxconn
〔富士康〕の本社である鴻海精密工業(世界最大の EMS
企業)は、
いまだに労働者組合組織を有していない。それゆえ、労働三権に関しては、法的保障があるか否か、そして、その効果
がいかなるものかについて観察し続ける必要がある。しかし、内容的には政府と企業が合わさって労働者を圧迫してい
る現在の労使関係から、労働三権すべてが法による有効な保障を受けるまでには、さまざまな障害が存在するため、労
働者自らの努力で争うことも不可欠である。
全体的に見れば、一九九〇年代の民主化以降、社会権保障に関する理論や主張が重視され始めたことから、こうした
圧力を受けて、政府も、社会権に関する法律を徐々に制定するようになってきている。しかし、学問的・法理的な研究
北法63(5・13)1313
(1
シンポジウム
および法解釈、実質的かつ有効な社会権の保障については、上述のように矛盾・対立する問題が依然として数多く存在
する。台湾における社会権保障は、まだスタートの段階にあると言えよう。
二 日本の解散制度の検討
日本が民主制をはじめて実施した際に、歴史的伝統や経験不足により多くの障害と問題が生じたことは、やむを得な
いように思われる。しかし、デモクラシーを追求する国民の共同の努力のもとで、現在の民主制はすでに先進民主国家
の水準に達した。とりわけ、人権保障、違憲審査、司法の独立、福祉政策の方面では、民主国家をリードする地位にあ
る。とはいえ、日本には、民主的理想や実践上、改革すべきところも少なくない。このうち最も検討に値するのは、解
散制度であると思われる。解散制度は、行政と立法とのチェック・アンド・バランスに関わるだけではなく、国民主権
原理とも関係がある。解散制度の設計をどうすべきか、または、学説上いかに解釈されるべきかについていえば、国民
が参政権を行使する機会が阻害または剥奪されることを避けるべきである。解散制度の目的は、基本的に権力の行使を
国民に委ね、国民主権をさらに体現する空間を作るものであるように思われる。ましてや、解散は、単に国会議員を改
選するものではなく、選挙後、内閣は総辞職しなければならない。つまり、終局的な判断は国民によって決められるの
であり、いかなる機関に政治的な主導権が授権されるわけではない。したがって、民主国家は常に民意を確認しうると
いう国民主権の原理に基づき、解散制度が正常に運用されるという状態が求められる。
(一)解散の違憲争議
北法63(5・14)1314
台湾における社会権保障の現状と問題点
( (
( (
はないと認められた。これにより、以後の解散については、すべて首相が自主的判断で解散権を行使し、その結果、
「首
たは可決という事情はなかった。それは完全に憲法七条に基づく衆議院解散であり、当時の司法判断においても違憲で
であった。一九五二年八月二八日、首相が解散権を行使した際には(新憲法の制定後二例目)
、特に不信任案の提出ま
首相がはじめて解散権を行使したのは、野党から提出された不信任決議案が可決された後で、憲法六九条に基づくもの
相は衆議院の信任または不信任を前提にしてはじめて解散権を行使できる。一九四八年一二月二三日、新憲法のもとで
内閣の助言と承認のもとで衆議院を解散することである。これに対して、他律説によれば、憲法六九条の規定により首
首相は「自主的解散権」を有している。その根拠は、憲法七条三号の天皇の国事行為に関する規定、すなわち、天皇は
まず、解散制度は首相(内閣)の専有する権限であると考えるのは、民主主義原則に抵触するのではないかと思われ
る。日本国憲法施行後まもなく、解散権をめぐる議論があった。主な学説は自律説と他律説である。自律説によれば、
(1
相自主的解散権説」が採用されているような憲法慣行となっている。
言い換えれば、解散権の行使にはいかなる制限もなく、完全に政治裁量に委ねられるという状況になっているから、
首相は自主的かつ任意的な解散権を持っている。憲法六九条の規定によれば、衆議院による不信任案の可決または信任
案の否決のときに、首相は内閣総辞職か衆議院の解散のどちらかを選ばなければならない。憲法六九条の内容からする
(
(
と、同条は解散権を首相に帰属させるというような規定ではない。そして、ほかの条文でも解散権または解散権の帰属
ければならないと思われる。
他方で、主たる学説および司法判断によれば、首相が解散権を有する根拠は主に憲法七条三号にあるが、同条項は、
象徴天皇制の一部であり、国会と内閣との関係を規律する条文ではないと言われる。したがって、この一条文から首相
北法63(5・15)1315
(1
が言及されていない。したがって、首相の解散権の行使は、衆議院に対する信任可否の議決を前提条件としてなされな
(1
シンポジウム
の解散権を導き出すのは、実際には不当な拡大解釈であろう。事実、憲法七条に規定された天皇の国事行為のうち、内
閣の専属的権限ではない事項も多い。それゆえ、重要な権力のチェック・アンド・バランスに関わる解散権に関しては、
(
(
単なる天皇制の国事行為の一項目に基づいて、首相がそれを自由的・独立的に行使する権限を有するというような解釈
ない。したがって、首相が途中で更迭され政権の基本的性質にも変化が生じた場合には、内閣の総辞職後、議院内閣制
めて首相になって組閣して政権を運営することができる。首相が辞任または欠ける場合、内閣も総辞職しなければなら
う憲法慣行になっていないことである。議院内閣制は首長制内閣であり、政党のリーダーは選挙で多数を獲得してはじ
次に、日本の解散制度において、民主主義原理に抵触する部分があると思われる。すなわち、政党を率いて選挙の勝
利を収めたことがない者が首相の地位を受け継いだが、その後短期間に国民の信任を得るための衆議院解散を行うとい
(二)解散制度の不備
度に関する運用について、まず検討されるべき部分である。
たがって、解散権は、国会を監督するものどころか、逆に政権与党の選挙道具として利用される。これは日本の解散制
な内政外交の政策やイベントを企画し、衆議院の解散を行い、選挙で勝利を獲得して政権継続を期するようになる。し
議員の任期満了一年前ぐらいから、政権与党に有利な民意の支持率に注目しはじめる。あるいは、支持を高められそう
は逆に政権与党が解散権を利用して、自らの立場に有利な選挙時期を選ぶ手段となる。解散権を有する首相は、衆議院
議院内閣制では政権与党が下院の多数を占めるという本質を持ち、仮に首相が自主的な解散決定権を持つならば、内
閣と国会が政策や意見で対立し、最終的に国民の判断に委ねるというような状況は極めて少なくなる。こうすると解散
を行うべきではないだろう。
(1
北法63(5・16)1316
台湾における社会権保障の現状と問題点
の原理に従って政権与党を継承するリーダーの内閣は管理内閣であるといえるから、政権を運営する民主的基礎を獲得
するために、慣例によって短期間の内に選挙で国民の支持を得るべく衆議院を解散しなければならない。それにもかか
わらず、日本はこのような民主主義原理の伝統を築いておらず、後任首相が長期間にわたって政権を維持してきた。さ
らに、首相は毎年更迭され、首相は国民の支持から逸脱するようになっており、民主制の瑕疵とも言える状況になって
いる。現在、政権与党の党首が更迭されても衆議院を解散せず、国民の審判を避けるような悪しき慣行が伝統的に維持
されているから、民主党内の実力者は首相の地位を常に狙っているが、新首相のリーダーシップや国民の支持の有無は
心配しないだろう。これも日本の政局の不安定さや首相・内閣が頻繁に更迭される原因である。かつては、自民党の長
期政権の時期に、党内の派閥闘争により首相が降板し、ほかの派閥のリーダーが首相になって組閣し政権を続けてきた。
これにより、国民主権や民主主義原理に反する「派閥政治」が生み出された。二〇〇六年からの五年間で、日本の首相
には五回の更迭があった。現職の野田佳彦首相は二〇〇六年以降の七人目の首相であるが、このうち五名は、国民の選
( (
挙を経ずに首相の地位を継承して政権を運営している。このように、国民の同意を得ずに行政権を掌るのは民主主義原
理に違反していると言わざるを得ない。日本でこの問題が長期にわたって無視されているのは理解に苦しむ。
(三)首長は選挙の試煉を受けるべき
以上のことから、日本は、民主主義原理と符合するために解散制度の運用に関する規範を改革しなければならない。
まず、解散が政権与党の選挙道具になることを避けるために、野党側が不信任案を提出しない限り、首相の解散権の行
使は制限されるべきである。なお、首相の辞任、政権与党の分裂、政権与党とほかの政党との合併、重大な法律案また
は予算案を国会で可決させられない内閣、政権の基礎が揺らぐ状況が発生する場合には、首相、政権与党が国民の審判
北法63(5・17)1317
(1
シンポジウム
から逃れることを防ぐために、強制解散制度を設けるべきである。
かつて、首相公選制が議論されたことがあるが、近時、再度民主制改革のための主張となっている。その目的は、主
に党内の闘争を避け、国民主権を無視し、民意と指導能力を欠く首相を交代しうるためである。しかし、首相公選制と
現行の議院内閣制との間には解決できない矛盾が必ず存在しており、この矛盾を解決するには、議会内閣制に代えて大
統領制の形態をとるしかない。したがって、首相公選制を実現することはさらに困難であるといえる。
首相は国家の最高指導者と権力者であるから、首相ポストに着く意欲がある者は、自信と政治責任を持って総選挙に
臨み、全国民のチェックを受けるべきである。一方で、衆議院選挙が行われた際には、国民自身は、候補者、政党を選
出すると同時に日本の行政首長を選ぶということを意識しなければならない。そうしてはじめて、国をリードする能力
を持ち、かつ、国民に責任を負う行政首長がはじめて誕生する。
主義過度型憲法」と呼ばれている。一九七五年に制定された憲法は、「文革型憲法」
(計四章三〇条)と呼ばれる。その後、
(1)中華人民共和国は、一九四九年の建国後、一九五四年に憲法を制定した。この憲法は、四章、一〇六条からなり、「社会
一九七八年に制定された憲法は、
「現代化政策追求模索型憲法」
(計四章六〇条)と呼ばれる。一九八二年一二月四日、第
五期全国人民代表大会第五次会議で現行憲法が制定され、この憲法は、
「現代化推進型憲法」(計四章一三八条)と呼ぶこ
五二九頁、今井敦『中国憲法の論点』(東京
-
法律文化社・一九八五年)三七頁。
:
新台灣國策智庫・二〇一二年)六
:
-
:
眾文圖書公司・一九九二年)
。
:
元照出版社・二〇〇〇年)五二五
とができる。この憲法は一九八八年、一九九三年、一九九九年、二〇〇四年と四回改正された。許慶雄『憲法入門』(台北
(2)許慶雄「憲法制定權力與制憲、修憲~兼論建立憲法新秩序」
『台灣制憲之路』
(台北
四 九六頁。
(3)許慶雄『社會權論』
(台北
北法63(5・18)1318
台湾における社会権保障の現状と問題点
(4)許慶雄『憲法入門』
(台北
:
元照出版社・二〇〇〇年)五四九頁。
国憲法追加修正条文」を根拠として実施され、日本の国民健康保険制度と同じような制度である。第二次世界大戦終了後
(5)国民健康保険〔全民健康保険〕は、一般に「全民健保」または「健保」と呼ばれており、中華民国(台湾)の「中華民
の台湾においては、労働者保険(労保)
、農民保険(農保)
、公務員保険(公保)が設けられたが、すべての国民をカバー
したわけではなかった。すべての国民の健康を増進するために、台湾は一九九五年三月から国民健康保険を実施し、医療
保険サービスを提供しはじめた。その主な法律の根拠は、
「国民健康保険法」である。国民健康保険法の法源は「中華民国
憲法追加修正条文」一〇条五項および「中華民国憲法」一五五条・一五七条である。
(6)司法院解釈第四七二号。
:
国民の勤労権を保障するために、外国人を雇用する場合には本国民の就業の機会、労働条件、
国民経済発展及び社会安定を妨げてはならない。
( 7) 就 業 サ ー ビ ス 法 四 二 条
案〔大專畢業生至企業職場實習方案〕
」に基づき、新卒から三年以内の若者に対して職場実習への補助金を提供している。
(8)政府は、若年層の失業率を下げるために、二〇〇九年以降、
「専門学校以上の卒業生向けのインターンシップに関する方
参加者には毎月二万二〇〇〇台湾ドルの実習費が支払われるから、
「二二K政策」とも呼ばれる。
の就職のために、
政府は、
三年間にわたって二三五億台湾ドルを投じ、「優れた人材育成促進計画〔培育優質人力促進計畫〕
」
を実施し、一一四億台湾ドルで「専門学校以上の卒業生向けのインターンシップに関する方案〔大專畢業生至企業職場實
習方案〕
」を実施した。しかし、行政院審計部および立法院の予算センターの最新報告によれば、いわゆる二二K政策に関
しては、インターンシップ参加者のわずか三割の者(一万四八四〇人)が企業に採用されたにすぎず、莫大な予算を費や
したが、短期間の就労機会を増加させたのみで、実際には、政府が企業に無料の労働力を提供したのと同じである。この
政策は、再検討しなければならないだろう(
『自由時報〔台湾新聞紙〕
』二〇一二年五月一四日一二A版)
。
)行政院院長・吳敦義氏が、二〇一〇年八月三一日、優秀企業経営者入賞式のイベントに出席したときの講演内容。
)代表的な組織は台湾労働者連線〔台灣勞工陣線〕である。この組織は、戒厳時期の一九八四年に成立し、台湾労働者法
律支援会、台湾労働運動支援会を母体として、民間の自主的団体として発展してきた。また、全国自主労働者連盟(略称
北法63(5・19)1319
(9)二〇一二年五月に立法院が政府の二〇一〇年度決算を審査したときの資料によれば、専門学校以上の卒業生〔大專生〕
(
(
11 10
シンポジウム
(
は「自主労連〔自主工聯〕
」
)は、一九八八年五月一日、労働者を主体として成立したが、法律に基づく登録が行われてい
ないから、違法組織である。これらの組織は、自らを資本家、政府、政党によるコントロールを拒否する体制外組織であ
ると位置づけた。
)憲法および関連規定により、解散権は内閣の権限に属する。しかし、首長制内閣の規定により、解散権の権限は首長に
有斐閣・一九八八年)五八七頁。
:
東京大学出版会・一九八一年)二〇五
:
:
( )近年、解散制度を批判する論文や主張は多くない。高見勝利『芦部憲法学を読む──統治機構論』
(東京 有斐閣・二〇
二
-
一七頁を参照。
( )解散制度の学問的な分析として、小林直樹『憲法講義(下)
〔新版〕
』(東京
釈になるおそれがある。
ているわけではない。したがって、自主的解散権の存在、そして、解散権を内閣に属するというような憲法解釈は拡大解
り…」という用語で状況を形容するのみであり、「内閣が解散「権」を行使しないと…」というように権限という用語を使っ
( )事実上、憲法のほかの条文には、解散権やそれに関する権限の規定はない。憲法六九条には、
「内閣は…解散されない限
( )橋本公亘『日本国憲法』
(東京
あるといえるから、首相の権限として解散権が論じられる。
12
14 13
15
16
:
岩波書店・二〇一一年)三二四
-
-
三二五
-
四四七頁参照。
『憲法〔第五版〕
』(東京
〇四年)二四三 二五六頁、芦部信喜〔高橋和之補訂〕
:
頁、辻村みよ子『憲法〔第四版〕
』
(東京 日本評論社・二〇〇八年)四四四
北法63(5・20)1320
台湾における社会権保障の現状と問題点
報告二
── 社 会福祉立法の違憲審査を例にして ─ ─
違憲審査における立法形成の空間
一 はじめに
(1)
黃 舒 芃
鄭 明 政
訳
「立法形成空間」の概念は台湾では新しいものではない。立法形成空間の憲法上の基礎およびその範囲に関する問題
北法63(5・21)1321
シンポジウム
は、学界において豊富な討論成果が積み重ねられている。一般的に、立法形成空間は、立法者が憲法に基づき意思形成
の自由を享受しうる空間であると考えられる。そこから、立法者がほかの国家公権力、とくに違憲審査機関による干渉
から独立を保障されている領域だと捉えられている。しかしながら、そこには一つの基本的な問題が生じている。すな
わち、現代立憲主義における国家は、すべての国家権力の発動が憲法に拘束され、違憲審査権により統制されているた
め、憲法はどのような理由でどの程度立法の形成空間およびその存在を容認できるのか、という問題である。なお、権
力分立の側面からは、違憲審査機関が国会の作った法律にどのような影響を与えるかが問題となる。これらの問題を究
明するために、本稿はまず「立法形成空間」が憲法上の意義および必要性にどのように影響しているのかを考察する(二
以下)
。次に、台湾司法院大法官による「立法形成空間」の存在および範囲に関する判断について検討する(三以下)
。
そして、憲法の視点から大法官の「立法形成空間」の運用のありかたを考察する(四以下)。このような分析に基づき、
本稿は憲法と立法権との関係を再解釈し、そして、社会福祉立法に関する違憲審査を例にして、異なる実務領域の特性
による「立法形成空間」範囲の影響を検証する(五以下)。
二 「立法形成空間」の憲法上の意義および必要性
前述のように、一般的に「立法形成空間」とは、立法者が憲法に基づき、違憲審査権による干渉を受けない自由を享
有しているということを意味する。このような簡単な定義から「立法形成空間」に対し一般的に二つの基本的な理解が
ある。第一に、
「立法形成空間」は憲法に認められており、したがって憲法上の正統性を持つ、というもの。第二に、
「立
法形成空間」は立法者の自由の象徴である、というもの。この自由は憲法から賦与されているため、違憲審査権の干渉
北法63(5・22)1322
台湾における社会権保障の現状と問題点
に抵抗する根拠となり得る。以上のような理解に基づいて、「立法形成空間」は立法と(司法による)違憲審査との二
つの権力の境界線をつける重要な概念とされている。「立法形成空間」に対する一般的な憲法論では、常に立法者が民
主機関として特殊な憲法地位を享有するという「民主」基本原則が焦点となり強調されてきたため、
「立法形成空間」
の存在は、「民主立法」と「違憲審査」との対抗を経て、立法者が「多数の民意」によって管轄領域を手にいれたとい
う理解がなされている。
しかし、立法形成空間をこのように理解する通説は、おそらく憲法と立法者(法律)との関係を完全に説明できない
と思われる。なぜかというと、「民主」原則のみが立法形成空間の存在を論証し、違憲審査権の介入を拒否できるとす
るのであれば、立法者のすべての決定が「民主」の現れであるから、直接に違憲審査を免れる立法形成空間を享有しう
るとは言えないためである。しかしながら、このような理解は、憲法が法律より優越性を有することを空言にさせるこ
ととなるだけでなく、違憲審査権を通して立法を統制する機能も徹底的に否定されることになる。このことにより、単
に民主の観点からだけでは、憲法が立法形成空間を容認しうることや賦与された立法形成空間の範囲を十分に説明でき
ないと思われる。
規範理論の角度からすると、憲法が立法者に一定の立法形成空間を提供するのは、憲法と法律との間に必ず存在する
乖離が認識されているためだと解釈できる。現代の立憲主義国家においては、合憲秩序の重要性および憲法が立法機関
に対して保持する拘束力が強調されるにもかかわらず、憲法がすべての生活事実を未然に予測または解決するのは無理
である。そして、未来の問題の解決を未来の社会に委ねる空間を留保するために、現段階の秩序基礎によって未来の秩
序の発展を完全に制限するつもりは、憲法には毛頭もない。このように、未知の未来に対して開放的観点および多元的
理念に基づき、憲法は「完全決定」の姿として現れることは到底すべきではなく、未来に対して各種の社会利益を十分
北法63(5・23)1323
シンポジウム
に配慮できる決定の構築こそを確保しなければならない。このような観点のもとで、「立法形成空間」存在は当たり前
のことと言えよう。未知の未来の開放を維持するために、憲法はいわゆる「法秩序の憲法化」を形成するわけではない
し、立法者を「憲法(とりわけ基本的権利)の執行者」にするわけでもなく、むしろ社会における多元の利益、特に憲
法が保障する各種の基本権の間の衝突を立法過程の公開議事手続きによって解決することを図っている。憲法は不完全
な規範内容を通して立法者に授権し、その形成自由の発動によって各利益の妥協のもとで決定されること、すなわち、
立法による実現がはかられ、できるかぎり最大数者各自の異なる利益を保障しようとしている。この角度からすると、
憲法に賦与された「立法形成空間」は、そもそも「民主」または「政治」に対する譲歩が求められるわけではなく、逆
(2)
に立法者がこの形成空間において、各種の異なる社会利益が十分に配慮したうえで、最多数者の自由をできるだけに保
障し、さらに憲法が保障する各種の基本権を最大限に実現するものであると捉えることができよう。
以上の考察によれば、まず、「立法形成空間」の憲法上の正統性および必要性は憲法が立法者に授権した任務から由
来するものである。つまり、立法者が内容不完全の憲法規範に対し具体化を行い、そして、毎回の具体化する過程にお
いて、できる限り各種の異なる基本的権利を考慮し、基本的権利の最大実現を追求することが憲法に要請されるといえ
よう。次に、「立法形成空間」とは立法者に憲法が授権したものという側面だけでなく、同時に立法者に義務を課す、
という意味もある。したがって、「立法形成空間」を承認するのは、立法者が統制されない自由を享有するという意味
に限定されない。つまり、憲法による立法者に対する拘束を確保するために、違憲審査機関は以下のような審査を行わ
なければならない。すなわち、立法者がその形成空間を通し、各種の異なる基本的権利の間の衝突を完全に配慮・衡量
するかどうか、そして、これにより憲法の基本的権利を最大実現させる決定に役立つかどうかを審査すべきである。こ
のことにより、「立法形成空間」は一方的に「民主」の前提のものであると帰結することはできず、加えて、基本的権
北法63(5・24)1324
台湾における社会権保障の現状と問題点
(3)
利の保障と対立するものでもないと思われる。なお、「民主」の名目で司法審査に対抗することもできない。
三 台湾司法院による従来の「立法形成の空間」に対する解釈と運用
以上、前述のように「立法形成の空間」を基本的権利の保護機能と理解するならば、現代憲法秩序における法と政治
との相互関係、および基本的権利と民主との両立性に関する説明に役立つのみならず、
「立法形成の空間」は基本的権
利に拘束された側面がさらに明らかになるばかりでなく、「立法の恣意」との根本的な差異も明白になるため、その合
憲性の範疇に対する認識にとっても有用であると思われる。しかし、従来の司法院大法官解釈において「立法形成の空
間」の概念はたびたび言及されたにもかかわらず、その基本的権利と立法形成の空間との相関関係は終始明らかになっ
ていない。このように、憲法解釈の実務上では「立法形成の空間」の概念を使用する際は、往々にして一種の純粋な形
式的な判示に過ぎなく、「形成空間」の具体的事案において憲法に認められた必要性と許容の幅については明らかにさ
れていない現状にある。
立法者の「形成空間」または「形成自由」は、大法官がこの一〇年あまりの違憲審査を行った過程において認められ、
そして解釈内容の中に使われた概念である。一般的には、「形成空間」または「形成自由」は常に立法者が社会現実に
対する考察と理解に基づいたものとされ、憲法の許容のもとで価値判断を行うものであるとされている。しかしながら、
価値判断である以上、憲法解釈機関がそれを「尊重」すべきであるから、「審査」の対象とならないはずである。たと
えば、釈字第五五四号解釈において、大法官は姦通罪に関する規定について、「婚姻、家庭制度の維持と性行為の自由
との間に対する価値判断」であるから「立法形成自由の空間を超越しない」と判示した。なお、釈字第六一七号解釈に
北法63(5・25)1325
シンポジウム
おいて、猥褻出版物にかかわる規定について、大法官は「憲法解釈者は、社会多数の共通価値に基づいた立法者の判断
に対して原則としてそれを尊重すべき」であるから、
「製造、保有等のような散布、放送及び販売に関する予備行為を、
散布的な情報・物品を散布・放送及び販売する構成要件行為に擬制し、同様の不法程度を有する」とし、ともに立法の
「形成自由」の範疇であり、憲法解釈機関がそれに介入して審査することができないと示した。
このことにより、大法官がいう「形成空間」又は「形成自由」は、単に一種の形式的な宣告に過ぎないわけではなく、
基本的に憲法解釈機関と立法者との権限境界に対して自らの「司法自制( judicial self-restraint
)
」の基本的な立場を表
明することを含んでいる。この権限境界に影響する鍵は、前述のように、民主原則である。この前提によると、立法形
成自由の発動は民主意思の体現であるため、憲法解釈機関が民主多数者の「価値判断」
、及びこの価値判断によって作
られた政治決定に対して干渉すべきではない、と考えられる。そこで、従来「立法形成空間」を強調する大法官解釈の
脈絡においては、立法形成空間は往々にして「民主」の代表者であり、(憲法解釈機関が保障する)
「基本的権利」と対
立することになる。それに、「立法形成の空間」への尊重は、民主多数決の象徴であるから、一旦係争中の規定が「立
法形成空間」の範疇であると認められると、基本的権利を侵害する合憲性に対して、憲法解釈機関がそれに踏み込まな
くても疑われない。逆に、係争中の規定は基本的権利を脅かすおそれがあると認められると、「立法形成空間」が違憲
審査の過程において、常に機能を発揮できない可能性が生じる。
大法官が民主原則に基づき、「立法形成の空間」に対して「有か無か」のような二者択一の態度を取った問題点は釈
字第六一七号及び六四九号解釈の内容から見れば分かるだろう。まず、刑法二三五条の猥褻出版品に対する処罰規定の
違憲性について、釈字第六一七号解釈では以下のように述べた。すなわち、大法官「男女がともに営んだ社会生活にお
いて、性的な言論、情報及び性的な文化に関する表現方法は、歴史的背景と文化差異がある。それは憲法と法律より先
北法63(5・26)1326
台湾における社会権保障の現状と問題点
に存在しており、そして、その性的な観念及び性的行為のパタンが次第に社会多数者に普遍的に認められ、社会の教化
として客観化される。社会教化の概念は、常に社会の発展、風習の変異によって異なる。しかし、その本質には各社会
の多数者によって普遍的に認められた性的観念及び行為パタンである以上、民意機関は、多数判断を通して特定の社会
風習が社会共通価値としての社会秩序の一部であるか否かを判断すべきであってはじめて十分な民主的正当性を持つ」
と述べた。立法者が民意機関として「社会共通価値」を判断する権限を有するから、判断の結果に対して、憲法解釈機
関がそれを尊重すべきであると考えられる。このような出発点から大法官は解釈理由書においてさらに以下の通り説明
した。すなわち、大法官は続いて、「性的情報又は物品に関する視聴については、客観上普通の一般人に羞恥又は嫌悪
感を引き起こして、性的な道徳感情を侵害し、社会の教化を妨害するものは、平等かつ和諧的な社会性的価値秩序に明
らかに危害が及ぶ。このような社会共通価値秩序を侵害する行為は、憲法が保障する社会秩序に違反するのであり、立
法者が法律を制定しそれを規制する目的は正当である。また、社会の性的価値秩序を破壊する行為に対して、その倫理
性が非難に値する。したがって、憲法が社会秩序を維持する目的を実現するために、刑罰を以て憲法が維持した平等か
つ和諧的な性的価値秩序を宣告するのは、その手段が合理的なものである」と判示した。換言すれば、民主的正統性を
有する立法者がなした決定はすでに多数民意の現れであるから、憲法解釈機関がそれを尊重しなければならない。本解
(4)
釈の最後に、係争の法律内容に対する違憲審査を放棄するようなことは大法官が立法者の形成空間を尊重するために払
わざるを得ない対価である。それに対して、心身障害者の権益保護法には、非視覚障害者がマッサージ業に従事するこ
とを禁止された規定が職業の自由と平等権に違反するか否かの問題については、釈字第六四九号解釈の解釈理由書では
まず次のように説明した。すなわち、「わが国の視覚障害者は成長、行動、学習、教育を受ける方面において多くの障
碍が存し、選択しうる仕事及び職業の種類も比較的に少なく、その弱者層の継続的な地位が容易に変えがたいなどのこ
北法63(5・27)1327
シンポジウム
とを鑑み、視覚障害者がマッサージ業の従事で生計をたてている長期間にわたる実際の事実があり、そして、その視覚
障がいの状況にとってマッサージ業の従事は適合的なことを考えれば、立法者が制定した視覚障害者権益の保護規定に
対してそれを尊重するはずである」。しかしながら、大法官によれば、係争の規定には「多数の非視覚障害者はすべてマッ
サージ業に従事してはならない。その影響が甚大である」と述べたが、本案における「立法形成の空間」はいったいど
こにあるのかについて言及してなかった。そして、大法官は、視覚障害者に対する職業留保のような立法決定は非視覚
障害者の基本的権利を侵害しるかどうかに着目するのみである。したがって、本号の解釈は「視覚障害者の知識能力が
日々上昇するにつれ、選択しうる職業種類もますます増加している際に、係争の規定のもとで障害者の天稟によって従
事できることがマッサージ業に限るわけではいことが無視されやすい。そして、本規定が三〇年に近く実施されても職
業の選択が多元化の今日においては、未だに視覚障害者の経済的・社会的な地位を大幅に改善するわけではないから、
目的と手段との間に実質的な関連性を有するとは言い難い」と判断された。次に「マッサージ業は視覚障害者しか従事
できないことではない。マッサージ業に従事しようとする者は相当な訓練と検定を経て合格を得ると就業する資格があ
る。マッサージ業の従事者を視覚障害者のみに限定することは、マッサージ業に従事しようとする非視覚障害者を転業
または失業させ、多元競争環境の形成に損ない、消費者の選択性も増やすことができない。それは、視覚障害者の勤労
権を保障することによって生じた就業利益と比べると、明らかに相当ではない」と述べた。以上からすると、いったん
大法官は基本的権利(職業の自由と平等権)の保護を高度に重視する立場をとったため、違憲審査の過程において「立
法形成の空間」が存在するか否か、あるいはそれをどのように尊重すべきかについての関心を全部失ってしまった、と
見いだすことができる。
北法63(5・28)1328
台湾における社会権保障の現状と問題点
四 「立法形成空間」と権力分立
「立法形成の空間」は憲法上の正統性
以上の考察から、以下のとおり主要な論点をまとめることができる。第一に、
において単に多数決支配の観点からの民主原則しかないものではない。憲法(とりわけ基本的権利)はその規範内容の
開放性に基づき、そもそもどのようにして憲法の具体化を行うべきかについての問題を立法者の衡量と決定に委ねるこ
とが多い。これは、立法者が民主の意思の形成という重大な任務を背負うと言うより、むしろ「多くの価値的な立場を
とらずに、立法者に一定の裁決空間を享有させてはじめて立法者の決定ができるだけ各種の相違する利益状態を十分に
考慮して、憲法が保障する基本権の趣旨を最大化に実現する」ことに着眼すべきである。この角度からみれば、
「立法
形成の空間」の主要な憲法根拠は「民主原則」であるからといって、ここにいう「民主原則」を単純な「多数の統治」
と理解することわけではなく、「多数者と少数者との間に折衝と妥協を行う」ことであると理解すべきである。つまり、
憲法が「立法形成の空間」を開放するのは、立法者の決定過程において多数と少数との妥協的な空間を設けるためであ
る。第二に、「立法形成の空間」は憲法の実現を支持するために、民主意志の形成の過程において討議と相互妥協の空
間を加えて憲法をもって各種の多元利益を内包する。「立法形成の空間」を政治へ譲ることによって立法者の恣意的な
行動ないし「法外の地」を承認するという解釈は許されない。「立法形成の空間」は憲法に基づき立法者が一定の自由
を享有することを掲げているが、この自由は憲法に拘束されなければならない。第三に、以上の二点に基づき、
「立法
形成の空間」を憲法の拘束に服従させるために、立法者が「形成の空間」の範囲内で行った決定は相変わらず違憲審査
の対象であり、「立法形成の空間」の主張に基づいて違憲審査の統制を逃す余地はない。
前述の理論的基礎によって、立法と違憲審査との両権力の間には、憲法が「立法形成の空間」を開放する前提のもと
北法63(5・29)1329
シンポジウム
で、両権限の限界を如何につけるかの問題について以下のような主張ができるだろう。まず、立法者に憲法により一定
の「形成の空間」が賦与されると同時に、「できるだけに各種の異なる基本的権利を考慮する」義務も課されるという
点からすると、違憲審査のポイントは「その形成の空間内に行われた立法者の利益衡量は、基本的権利の最大現実を追
求する憲法の主旨に反するかどうか」にあると思われる。この基準によって、違憲審査機関は、すでに憲法に内包され
た(または内包されるべき)各種の社会争議に関する価値決定を事前に予定してはならない。そして、このような前提
のもとで、しばしば係争の立法規定が憲法価値内容に予定された答案に違反することを指摘し、それを違憲とするよう
な結論を出すべきではない。前述のとおり、あまり多くの憲法価値内容と答案が予定されると、憲法規範の開放性をゆ
がめるだけでなく、違憲審査機関が憲法の名で各種の価値宣告を通して自らの価値立場を立法決定に取り換えるおそれ
もある。一方で、違憲審査機関は、立法者が享有した形成空間を、政治の多数決定と混同して理解してはいけない。前
述のように、単純な「多数統治」の観点から民主と立法任務の本質を理解する見解は、憲法規範を通して立法形成の空
間に授権すると同時に、立法者の行為を拘束することを無視するのみならず、民主と憲法が二分化され、
「民主が違憲
審査の対象とならない」のような曲解も生み出す。このような分析を経ると、前掲の釈字第六四九号と六一七号解釈そ
れぞれの問題点が分かるだろう。すなわち、釈字第六四九号解釈において、
大法官は基本的権利に関わる説明を通して、
(5)
立法者がとった職業保留措置は平等権と職業の自由に違反することを指摘した。しかし、憲法が保障する平等権と職業
の自由は単に伝統的な「自由的法治国家」に立脚するわけではないことが大法官により無視されたのである。大法官は
心身障害者の利益の保護に基づき、立法者が享有した政策の形成空間を立法者に授権すると同時に、多元利益の衡量を
行うことをも立法者に要求している。本号の解釈では、大法官は平等権と職業の自由の保護に着眼しており、社会福祉
のような政策において憲法が立法者に対していかなる「形成の空間」を賦与すべきかについては重視されていない。す
北法63(5・30)1330
台湾における社会権保障の現状と問題点
でに述べたが、このような批判は「大法官は係争の立法政策に対する審査を緩やかに行い、ないし放棄すべきである」
という結論を得るためではなく、ここで言いたいのは、「憲法規範は多くの社会争議に対する価値的な開放性を有する
ことに基づき、大法官は立法政策の価値選択の「正確か否か」によって違憲か合憲かの憲法評価を行うべきではない。
むしろ、立法者が一定の形成空間を享有しうるのを認めた前提に、立法者が行った利益衡量が確かに憲法の要求の通り、
各種の相違ないし衝突した基本的権利をともに考慮するかどうかのような審査を行なわなければならない」という点で
ある。この角度からすると、釈字第六一七号解釈では「立法決定は社会多数価値の現れ」に立脚しており係争の処罰規
定に対して全面的に審査を撤退する立場は、まさに「立法形成空間を承認すると、違憲審査を放棄しなければならない」
のような盲点に陥る可能性がある。これは、明らかに「多数統治」の角度から出発するものである。大法官は「多数と
少数との間の相互妥協」の基礎に立ったうえで立法任務の本質を見ることはない。そのために、いったん「多数」決定
の結果が出てくると、大法官はそれを多数民意の現れと認定し、その違憲の可能性を疑わないようになる。憲法上のい
わゆる「できるだけ最多数者」の基本的権利の保障は、まずは「できるだけ各種の異なる利益を立法政策の考慮にいれ
て協調を行う」という基本条件が看過されてしまうことになる。前述の通り、立法形成の空間が存在するのは、憲法が
立法者に交付した多元利益の衡量という任務をもっと徹底的に実践させるためであるから、立法決定が一旦このような
任務を履行できない際に、違憲審査はこの民主多数決の欠点を補い、民主が追求する多数と少数利益の妥協を再度に可
能にさせるために踏込んで審査を行うべきである。「立法形成の空間」
と「違憲審査」
が関わる権力分立の議題について、
その本質はしばしば大法官に提起され、いわゆる違憲審査権の立法権に対する「尊重」にあるわけではなく、両者がそ
もそも憲法構造のもとでそれぞれ異なる任務を背負っている。任務の属性に基づき、大法官は立法者ではなく、立法者
が憲法義務を履行するか否かを監督する審査者である。したがって、違憲審査は、立法者に代わって改めて係争の個案
北法63(5・31)1331
シンポジウム
に利益衡量を行うべきではないし、「法」と「政治」がはっきり区別された前提に、政治決定に対する憲法統制を回避
してはいけない。
:
五 異なる事務領域における「立法形成空間」 社会福祉立法を例にして
すでに述べた通り、憲法が「立法形成の空間」を開放するのは、違憲審査機関が「司法自制」の姿勢をとって立法決
定を譲歩すべきである、という意味ではない。上記の分析によって「立法形成の空間」の存在の正統性は、憲法開放的
な規範のもとで授権されることに由来したものであるから、「立法形成の空間」
の範囲または憲法の限界に関する問題は、
憲法に授権された立法裁量の範囲に戻ってそれを定めるべきである。この点からみれば、立法者がいったいどの程度の
形成空間を享有しうるかに対して、定番の標準答案があるわけではない。具体的な個別の事案に対して、憲法規範が立
法者に授権することにより判断を行わなければならない。そのために、「立法形成の空間」の範囲をめぐって、事務領
域の属性によって異なるのか、あるいはそれを類型化する必要があるか、などのような問題がよく議論されている。
わが国の憲法解釈の実務経験からみれば、前述のように大法官は立法形成の空間を特定の事務領域の脈絡と結び付け
たが、全体的にいうと、十分な判例又は解釈が積み重ねられておらず、異なる事務の特性に応じて立法形成の空間範囲
の広狭さを採用する大法官の態度は今も不明のようである。しかし、この現象に対しては、大法官が異なる事務領域に
よって立法形成自由の範囲を体系的に類型化させていないと言うより、むしろ事務領域の特性にとっては、立法者がど
のぐらいの形成自由を享有しうるのかという事柄は最重要の根拠ではないためと思われる。なぜかというと、立法の形
成空間が認められることは大法官が民主と民意機関を尊重する現れであると考えられるならば、「自制」または「尊重」
北法63(5・32)1332
台湾における社会権保障の現状と問題点
に基づいた大法官の踏み込む時点は、係争の事務領域の特性との結びつきの要求がまだ不十分で、
もっと多くの他の様々
な要素を考量しなければならないからである。したがって、前述の通り、大法官は多くの案件では立法者の(より)広
汎な形成空間を享有しうるのを掲示した。しかし、「係争の事務領域の特性」と「立法形成自由の範囲」との間の関連
性をどのように打ち立てるのかに関しては、全体的にいうといまだ不明のままである。
憲法解釈の実務では、果たして一般的な考えの通り、社会福祉政策領域に対してより広い立法形成の空間を承認して
いるのだろうか。関連する憲法解釈内容をみれば、たしかに社会福祉政策は大法官が繰返して提出した代表領域である
ことが分かる。かつて釈字第四七二号解釈理由書には既に「国民健康保険制度をいかに制定すべきかは立法裁量の範囲
に属する」と述べられていた。第四八五号解釈においても、大法官は「憲法第七条の平等原則は、絶対的・機械的な形
式的平等をいうものではなく、人民の法律上の地位における実質的な平等を保障する規定である。立法機関は、憲法の
価値体系及び立法目的にもとづき、当然規範対象事項の性質の差異を斟酌し合理的な差別取扱をすることができる。国
民の生活上の福祉〔民生福祉〕を促進することは、憲法の基本原則の一つであることは、憲法の前文、一条、基本国策
及び憲法増補条文一〇条の規定からみれば明白なものである。この原則に照らして、国家は、各種の給付を提供し国民
が人間の尊厳に合致する基本的な生活を維持しうることを保障する。そして、
経済的弱者である国民に扶助・世話をし、
社会保障制度などの民生福祉措置を設けなければならない。前述の措置は、国家資源の配分にかかわる以上、立法機関
は、各種の社会給付における優先順位、規範目的、受益者の範囲、給付方式及び金額に関する規定について、十分な形
成の自由を享有し、国民に対する保護や世話の需要及び国家財政などの社会政策の考慮を斟酌して、法律を制定し、福
祉資源を限定的に配分することができる」と詳細に説示した。この説示を根拠として、大法官はさらに釈字第五七八号
と第五九六号解釈では次のように強調した。すなわち、労働者保護の全体制度設計に関する保護内容、方法及び範囲等
北法63(5・33)1333
シンポジウム
に対して、立法者に一定の政策形成空間が賦与された。このように、大法官は社会福祉政策の具体化をめぐって、確か
に立法者の決定に対して相対的に寛大な態度をとる姿勢が見られる。しかしながら、社会福祉領域において大法官はな
ぜ立法者の充分な形成自由の享有を認めるのかについて、さらに検討する余地がある。
釈字第四八五号解釈では、社会福祉領域において立法者が十分に形成自由を享有する理由は、直接、国家資源の分配
に関わるためである、と考えられている。そして、「資源の配分」は釈字第五七八号解釈理由書によれば「立法形成の
事項」に分類される。この点からすると、大法官は立法の形成自由の論証について、立法権に基づいた民主正統性のこ
だわりについては固執せず、立法形成自由の「基本権の実現を促進する」機能に関してははっきり説明していなかった。
つまり、社会福祉政策を具体化するためにより多くの立法形成の空間が求められるという、背後の理由が明らかにされ
ていなかった。したがって、釈字第四八五号解釈の最後では資源の有限性に基づき、「社会政策に関する立法」
に対して、
国家の経済と財政状況を考慮し、資源の有効利用原則に照らして一般国民間の平等関係に注意し、福祉資源を妥当的に
配分しなければならない、と判示し、係争の福祉措置は既に立法形成の自由を超越して違憲であることを言い渡した。
それにもかかわらず、この解釈では立法形成自由の憲法基礎と憲法限界について相変わらず説明されていない。
実際に、社会福祉政策の属性はちょうど立法形成自由と基本的権利の保護との密接な関連を説明しうる。なぜかとい
うと、公権力の侵害措置により、社会福祉の給付は特定の利益保護に到達し全体の福祉を促進する目的のために、ある
(6)
利益を犠牲又は軽視する必要があるからである。そこに存在する、複雑で多様な権利と利益との衝突を免れることはで
きない。
わが国の憲法からみれば、社会福祉政策が多様な利益に関わる特徴は、言うまでもなく「基本的権利」と「基本国策」
の二章の規定においてお互いに複雑な相互関係に反映している。この規定が保障した権利や利益がどのように他の法律
北法63(5・34)1334
台湾における社会権保障の現状と問題点
秩序と協調し、最大多数者の利益を受け入れる結果を得られるかを考えるのは、まさに憲法が立法者に与えた任務であ
(7)
る。もっと具体的に言えば、憲法は優越性と拘束力を有しているという前提に立つならば、基本国策に関する規定は、
少なくとも「憲法委託」の規範効力の範囲内にあると理解すべきである。ゆえに、立法者にとって「基本的権利」であ
ろうと「基本国策」であろうと、立法権がそれを具体化、実現しなければならない。どちらも憲法に賦与された規範的
任務である。さらに、前述のように、この任務の賦与は憲法が立法者に授権するのを意味しているだけでなく、憲法によっ
て立法者を拘束する意味も有する。この角度からみれば次のことが確定しうる。
つまり、
憲法は基本的権利に描かれた
「規
範枠組み」を実践するために、単に各「基本的権利」しか頼らない。むしろ「基本的権利」と「基本国策」両章の規定
を通してともにそれを実現すると言うべきである。まして、民生福祉国(学界では「社会国」
、「社会福祉国」とも呼ぶ)
(8)
原則によってわが国の憲法には自由権と平等権のほかに、社会権の保障も規定されておる。ただ、社会権の規範効力は
自由権又は平等権のように、必然に主観的権利の効力を有しているわけではない。したがって、憲法は、社会権の保障
(9)
に関して「基本的権利」の章に規定されるだけではなく、多くの内容は実際に「基本国策」とそれに相応した増補条文
に規範されたのである。つまり、「基本国策」の規定を通して憲法機関に授権し、それを拘束しているのである。
(
北法63(5・35)1335
その他に、「基本的権利」と「基本国策」から構築された規範枠組みから、社会福祉政策に関する立法形成自由の憲
法基礎と限界の位置づけが把握できる。すなわち、憲法が設定した規範枠組みは「基本的権利」と「基本国策」の授権
(
により立法者が自由権、平等権と社会権を保障する前提に、完全な利益考量の追求を通して基本権の最大化実現をはかっ
者の利益衡量の過程において、それを排除できないどころか、特別な配慮が行われるべきである。
放任的、恣意的な政治の権限行使はあくまでも許されない。したがって、「基本国策」に強調された弱者の利益は立法
ている。だからこそ、立法者の利益考量は「基本的権利」と「基本国策」の規範に拘束されなければならない。完全な
(1
シンポジウム
このことによると、各「基本的権利」のほかに、憲法の「基本国策」に関する規定も立法者に一定の方向を示したと
言える。何故なら、わが国の憲法の規範枠組みにおける「民生福祉国」の設定からいえば、ただ弱者の利益を特別な配
慮の対象として立法政策に取り入れてはじめて立法者がすべての利益を充分に考慮しうる。とりわけ、基本的権利の最
大化実現を真に実践するために、立法者はとくに弱者の権益を考慮したうえで最大多数者の基本的権利をできるだけ保
障すべきである。立法形成自由が発揮された結果、各種の利益衡量が考慮されず、ある権利または利益(とくに「基本
的権利」と「基本国策」が強調した利益)が立法過程において根本的に排除されることになった場合、この立法形成自
由は、すでに憲法の「基本的人権」と「基本国策」から構築された規範枠組みを超越しており、違憲のおそれがあると
いえるのである。
(1)この概念は一般に「立法形成の自由」
、
「立法形成の余地」
、
「立法裁量」と呼ばれる。
いということである。本稿の観点からみれば、
「できるだけの最多数者」の権利保護とは、立法者が各種の異なる利益ない
(2)注意すべきは、ここにいう「できるだけ最多数者の権利を保障する」ことは、単に「数」で政策を決定するわけではな
し衝突の利益を十分に考慮したうえで、これらの利益間の妥協を尋ねることを要求する意味である。この点について、 H.
参照。 Kelsen
からすると、民主の
Kelsen, Vom Wesen und Wert der Demokratie (1929), 2. Aufl. 1963, S. 9 ff., 26 ff., 47 ff.
主旨はできるだけ最多数者の自由を実現することである。この目的を実現するために、民主意思の形成という重荷を担う
立法者は、公開の議事手続きにより利益衡量の過程において各種の観点又は利益をできる限りに取り入られることが要求
理論の脈絡から導きだした「基本的権利の最大実現」の意味は、憲法規範の開放
される。こういう意味のもとで、 Kelsen
性を通して、様々な人が自由を追求かつ実現する機会があることをさす。そこで、議会の機能はこのような機会を保障す
ることである。
北法63(5・36)1336
台湾における社会権保障の現状と問題点
( 3)この点に関しては、 S.-P. Hwang, Grundrechtsoptimierung durch (Kelsensche) Rahmenordnung. Zugleich ein Beitrag
zur grundrechtsoptimierenden Funktion der unbestimmten Rechtsbegriffe am Beispiel „Stand von Wissenschaft und
“
Rahmenordnung: Verfassungsrechtliche Überlegungen zur Auseinandersetzung von Gärditz und Zaczyk, Der Staat 51
Technik , Der Staat 49 (2010), S. 456 ff., 457 ff., 464 ff.; S.-P. Hwang, Demokratische Willensbildung vor grundrechtlicher
-
一一七頁参照。
從釋字第六一七號解釋談起」
『變遷社會中的法學方法』
(二
:
〇〇九年)八三頁以下、一〇一 一〇三頁、一〇八
(2012), S. 233 ff., 245 ff.
(4)この点に関しては、
黃舒芃「
「價值」在憲法解釋中扮演的角色
-
以釋字第六四
:
九號解釋為例」憲法解釋之理論與實務第七輯(二〇一〇年)一三七頁以下、一七〇頁以下参照。
(5)釈字第六四九号解釈の立場に対する影響について、黃舒芃「立法者對社會福利政策的形成自由及其界限
( 6) 社 会 福 祉 政 策 の こ の 側 面 の 特 徴 に つ い て、 E. Fechner, Freiheit und Zwang im sozialen Rechtsstaat, in: E. Forsthoff
(Hrsg.), Rechtsstaatlichkeit und Sozialstaatlichkeit, 1968, S. 73 ff.; U. Scheuner, Die neuere Entwicklung des Rechtsstaats,
in: Forsthoff (Hrsg.), ebenda, S. 461 ff., 489 ff.; E.-W. Luthe, Optimierende Sozialgestaltung: Bedarf - Wirtschaftlichkeit -
参照。なお、孫迺翊「憲法解釋與社
Abwägung, 2001, S. 425 ff.; K. Meßerschmidt, Gesetzgebungsermessen, 2000, S. 886 ff.
「相互性」
關係為中心」
國立臺灣大學法學論叢第三十五卷第六期(二〇〇六年)二四一頁以下。
會保險制度之建構 以社會保險
:
(7)換言すると、憲法の優越性のもとで、基本国策は単にプログラム規定として取り扱うべきではなく、憲法が国家公権力
に課した作為義務である。基本国策の「憲法委託」の規範的性格については、黃舒芃「社會權在我國憲法中的保障」『民主
-
一二〇頁。
Ernst-Wolfgang Böckenförde, Die sozialen Grundrechte im Verfassungsgefüge, in: ders., Staat,
國家的憲法及其守護者』
(二〇〇九年)九九頁以下、一〇七
( 8) 関 係 す る 議 論 と し て、
憲法の「規範枠組み」の一部であるから、両者の「主観的権利」または「憲法委託」という法性格上の相違があるにもか
参照。
Verfassung, Demokratie, 1991, S. 146 ff., 155-157.
(9)このことにより、立法者にとって社会権を実現する過程において、
「基本的権利」であれ「基本国策」であれ、どちらも
かわらず、
「基本的権利」と「基本国策」に基づいた規定は共に規範として立法者を拘束する。わが国の憲法において、す
でに基本的権利の「客観的機能」が認められた前提のもとで、
「基本的権利」は往々にして立法者に社会権を実現する作為
北法63(5・37)1337
シンポジウム
(
義務を課する。一方で、
「基本国策」は主観的権利の効力を有していないと思われるにもかかわらず、立法者が社会福祉政
)基本国策を実践する際に立法者が果たすべき核心的な役割、そしてこれによって充分な形成自由を享有できることにつ
策を形成していくような引導的ないし拘束的な規範的機能を否定するわけではない。
五一頁、黃舒芃「立法者對社會福利政策的形成自由及其界限
:
以釋字第六四九號解釋為例」黃舒芃『憲法解
-
:
中央研究院法律學研究所籌備處・二〇一〇年一二月)一三七
一九一頁)と重なる部
-
からの貴重なご意見をいただいたことに、併せて感謝の意を表したい。
分がある。なお、北海道大学大学院法学研究科助教鄭明政先生の招聘をいただいたこと、そして、岩本一郎教授及び参加者の方々
釋之理論與實務 第七輯(上冊)
』
(台北
一〇年九月)三九
〔付記〕本稿の部分的な内容は、すでに発表された拙稿(黃舒芃「違憲審查中之立法形成空間」月旦法學雜誌第一八五期(二〇
李建良「論立法裁量之憲法基礎理論」臺北大學法學論叢第四十七期(二〇〇〇年)一五一頁以下、二〇七頁参照。
いて、
陳愛娥「社會國的憲法委託與基本權保障」
『公法學與政治理論─吳庚大法官榮退論文集』
(二〇〇四年)二六七頁以下、
10
北法63(5・38)1338
台湾における社会権保障の現状と問題点
報告三
── 台 湾法の一考察 ─ ─
周 宗 憲
鄭 明 政
格差社会における国家による貧困者の救助
Ⅰ はじめに
(1)
訳
台湾は低所得家庭[低收入戶]を救助するために、一九八〇年に「社会救助法」を制定した。本法により生活困窮状
北法63(5・39)1339
シンポジウム
態に陥る国民(すなわち低所得家庭、以下では貧困者という)が政府に救助を請求する権利を有する一方で、政府はこ
の法律によって貧困者に救助を提供する義務が課された。
こうした状況を鑑み、憲法を最高法規としている法治国家である台湾の立場からは、この「社会救助法」について、
貧困者に救助請求権を賦与することや、政府に救助義務が課されたことに関して、憲法的な立場から検討する必要があ
る。つまり、人間の尊厳保護や生存権の保障、また平等権や憲法の基本国策条項の観点から、社会救助に関する諸規定
について、その合憲性を論じる必要性があると思われる。
Ⅱ 台湾における社会救助法による貧困者の救助規定
本法は救助類型、内容及び救助を請求する資格について以下のように規定している。
一 生活扶助
本法の第二章(生活扶助)の規定により、貧困者に対する生活扶助は主に、
(一)現金給付 低所得家庭は戸籍所在地の直轄市、県(市)の主管機関に生活扶助を申請することができる(一〇
条一項)。生活扶助は現金の給付を原則とする(一一条一項前段)。そして、低所得家庭には満六五歳以上または妊娠満
:
三か月以上の妊婦、あるいは、障碍者手帳を持つ者がいる場合に、主管機関は補助金を最大四〇%まで増加することが
できる(一二条)。
(二)収容
:
低所得家庭に対して、必要性に応じて、適当な救助施設および福祉施設又はそのほかの家庭に委託し、
北法63(5・40)1340
台湾における社会権保障の現状と問題点
これを収容することができる(一一条一項後段)。
:
(三)就業 直轄市、県(市)の主管機関は必要によって低所得家庭内の作業能力を有する者に対して、就業指導、
技術訓練または労働をさせて救済を行うこと[以工代賑]を提供しなければならない(一五条一項)
。
:
(四)住宅手当 低所得家庭に適切な居所及び住居環境を確保させるために、各級住宅の主管機関は賃貸費、住宅修
繕費用、住宅ローンの利息補助などの住宅手当を提供することができる(一六 一条)。
-
:
(五)学費の減免 低所得家庭の者は国内の公立・私立高校以上の学校に在籍する場合に、授業料及び雑費[學雜費]
の減免を申請することができる(一六 二条一項)。
- :
(六)特殊項目の救助及びサービス 直轄市、県(市)の主管機関は実際の必要および財力によって、低所得家庭に
託児補助、教育補助、葬祭補助、生育補助等を提供することができる(一六条)。
二 医療補助
低所得家庭の傷病患者は、関係証明書を添えて戸籍所在地の主管機関に医療補助の申請をすることができる(一八条
一項)
。国民健康保険に参加する保険費については、中央主管機関が予算を立て補助を行う(一九条一項)
。
三 急難救助
(一)家庭内の者が死去し、その葬儀を行う能力がない者。(二)家庭内の者が、傷害事件または重病に遭遇し、家庭
生活の維持が困難に陥ったとき。(三)家庭の主たる生計を支えている者が、失業、失踪、兵役、入監等の原因によっ
て仕事ができずに生活の維持が困難に陥ったとき。(四)財産に対する強制執行または銀行口座の凍結などにより、所
北法63(5・41)1341
シンポジウム
有財産の即時運用が困難となり、生活の維持に支障が生じた者。(五)すでに福祉項目を申請した者または保険給付の
審査中に生活が困難に陥った者。(六)そのほか重大な事故に遭遇し生活が困難に陥った者。以上の規定に合致すると
きは、関係証明書を添えて戸籍所在地の主管機関に救難救助を申請することができる(二一条)
。本法により貧困者は
前掲の規定によって現金の給付または補助を受領しうる権利を有するが、この権利に対して差押え、譲与又は担保を行
うことができない(四四条)。
Ⅲ 人間の尊厳の保護および貧困者の救助
人間尊厳の保護と貧困者の救助との関係について以下のような分析を行う。
一 台湾憲法の基本構成原理の一つとしての人間の尊厳原則
(2)
立憲主義の憲法は主に基本的人権条項と統治機関(国家機関)条項から構成されている。その中核は基本的人権条項
である。なぜなら、立憲主義の国家が憲法を制定する目的は、国家権力を制約し、国民の基本権を保障するためにある
からである。つまり、人権が憲法によって保障されているのは、人間の尊厳を保護するためであるといえる。立憲主義
(3)
(4)
憲法の核心的内容である基本的人権条項は、人間の尊厳という、立憲主義国家のもっとも優位の価値から派生されたも
(5)
(6)
(7)
(8)
のと言える。そこで、憲法学者は人間の尊厳を、憲法の根本規範(人権規定)の核心価値と人権の根拠、憲法規範秩序
の根本価値原理、基本権を尊重する価値原点、憲法秩序の基礎及び基本的権利の核心範囲、憲法価値体系の源として、
それを立憲主義国家における最高かつ侵すことのできない価値に位置づけている。
北法63(5・42)1342
台湾における社会権保障の現状と問題点
人間の尊厳の保護は前述のような重要性を有するため、立憲主義国家の憲法には人間の尊厳に関連する保護規定が設
けられている場合が多い。たとえば、ドイツ憲法一条一項には「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し保護するこ
とが、すべての国家権力に義務づけられている」と規定されている。日本国憲法一三条前段には「すべての国民は、個
人として尊重される」と規定されている。台湾憲法増補条文一〇条六項には「国家が…人格の尊厳を保護すべき」と規
定されている。また、台湾においては、憲法解釈権と違憲審査権を掌る司法院大法官が、いくつかの憲法解釈案におい
て人間の尊厳の重要性に言及した。たとえば、大法官は釈字第三七二号解釈の解釈文において「人格の尊厳を保護する
のは…我が国の憲法が国民の自由権利を保障する基本理念を有しており…」と示している。また、釈字第四八五号解釈
の解釈理由書においては、民生福祉原則に基づき、「国家が各種の給付を提供し、国民に対し、人間の尊厳に符合する
基本的生活の維持を保障しなければならない」と述べている。さらに、釈字第五五〇号の解釈理由書では、社会福祉は
憲法に定められた基本国策であり、「社会福祉の事項は、国家には国民が人間の尊厳を損なわない生活を享有できるこ
とを実現する義務がある」と判示した。このように、台湾において人間の尊厳の保護は憲法の基本構成原理であると言
える。人間の尊厳は憲法の文言に具体化されただけでなく、憲法解釈および基本権条項を適用するときの基準として国
家権力を支配する規範効力を有している。したがって、立法府が作った法律であれ、行政府または司法府が適用した法
律であれ、すべての法律は人間の尊厳に拘束され、そして、人間の尊厳に抵触することができないのである。
二 人間の尊厳および貧困者の救助
人間の尊厳は極めて抽象な概念であるため、人間の尊厳に符合する「基本的生活」の判断は容易なことではない。し
かしながら、基本的生活の判断基準の困難さは、ただちに、人間の尊厳が侵害され救助を要しているか否かの判断の困
北法63(5・43)1343
シンポジウム
難さに直結するわけではない。たとえば、無財産で生活を営む能力がない貧困者や、ろくに食事ができない乞食者を見
ると、彼らが人間の尊厳に反した困難な生活に陥っているということは客観的にみて誰の目にも明らかであるからだ。
前述の通り、人間の尊厳の保護は人権保障の基礎であり、人間の尊厳に関する憲法解釈や憲法の適用は人間の尊厳の
実現とも言える。人間の尊厳は基本権内にあり、基本権の権利の核心として保護される。人間は人間である以上、当然
(9)
に人間らしい尊厳の保障を主張し、国家に対し、人間の尊厳に符合した最低限度の生活保障を請求する権利があると考
えられている。疾病、貧困、失業などの原因で困難な生活に陥った者は、たとえ生命が存続しているとしても、人間の
尊厳に符合する最低限度の生活さえも維持できない場合には、人間の尊厳が保たれている状態とは言えない。このよう
な貧困者に対して、国家は人間の尊厳を保護するような憲法の要求に基づき、人間の尊厳に反する貧困状態を脱出させ
るための必要な救助を提供する憲法上の作為義務を有する。国家が、生活保護のような救助法律体制を構築しなかった
り、具体的な救助措置をとらなかったりすると、それは消極の不作為により国民の人間の尊厳が侵害される違憲効果が
生じてしまうことを意味する。前掲の釈字第四八五、五五〇号解釈の趣旨は、国民が人間の尊厳を有する基本的生活を
過ごせることを実現するために、国家が社会福祉措置を行い、各種の給付を提供する義務を負うことにある。
Ⅳ 生存権および貧困者の救助
以上のように、立憲主義の国家が保障する人権は、人間の尊厳を保護するような根本的な価値から由来するものであ
( (
る。人権は人間の尊厳にとって一種の基本価値、利益であると言えよう。憲法は、貧困や失業などの社会問題によって
人間の尊厳を実質的に空洞化させることを防ぐために、社会権という、生存権の内実を担保するために国家に対して積
(1
北法63(5・44)1344
台湾における社会権保障の現状と問題点
極的な作為を請求し得る体系を構築した。
一 生存権の憲法保障規定
台湾憲法一五条には「国民の生存権を…保障しなければならない」という明文上の生存権条項がある。国家からの自
由を保障する自由権的・防御的な基本権と異なり、生存権は一種の社会権として、国家の積極的な作為によってはじめ
て実現できる権利である。ただし、生存権は憲法が保障する基本権である以上、国家が積極的に国民の基本生活の需要
を実現するのは国家からの恩恵ではなく、憲法上の義務を履行することである。貧困者の救助に関しては本条が保障す
る生存権の内実は、解釈上、以下のふたつの側面があると考えられる。ひとつは、生存権の社会権側面であり、人間の
(
(
尊厳に符合する最低限度の生活を保障するために国民は国家に対して積極的な行為を求めることができるという点であ
る。このような作為請求権を「基本生存権」と呼ぶ。日本国憲法二五条一項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限
度の生活を営む権利を有する」に関する解釈は「基本生存権」に相当する。もうひとつは、生存権には、国民が国家に
積極的な作為を請求し、良い生活環境を整え最低限度の生活より良い生活を要求しうる、という側面もある。本稿では
このような生存権の内実を「快適生存権」という。
(
(
二 「基本生存権」の意味と規範的効力
本稿にいう「基本生存権」は、台湾憲法一五条の生存権規定によって保障されたものであり、国民が人間の尊厳を有
する最低限度の生活を保障するために国家に対して積極的な作為を請求できる作為請求権の意味である。憲法は、国民
をこの権利の主体として明文に規定している。したがって、国家は憲法上の積極的な作為義務を負い、国民に人間の尊
北法63(5・45)1345
(1
(1
シンポジウム
厳に符合する基本生活を過ごさせる必要がある。しかし、人間の尊厳の基本的生活を過ごせない者にとっては、その生
命の存続すら危機にさらされており、憲法上の人権保障の規定も意味のない規定となってしまう。したがって、少なく
(
(
とも国民に対して、人間の尊厳の「基本的生活」を保障するのは、国家が国民に対して負うべき法律上の基本義務であ
(
(
(二)憲法一五条が
「基本生存権」の要点は以下の五点である。すなわち、(一)憲法一五条の明文規定があること、
( (
保障する生存権の核心領域である「最低限度の生活」の保護範囲には限度があること、すなわち、生活必要経費の計算
三 「基本生存権」の保障及び貧困者の救助
るととらえることができる。
(1
(1
(
(1
( (
ある。この義務の不履行について、例えば具体的な社会救助法律体系を構築していなかったり、あるいは貧困者に対し
すべきか否かに対して、国家は裁量の余地を有していない。これは国家が国民に対して持つ、憲法上の絶対的な義務で
として国家に人間の尊厳に符合する最低限度の生活給付を請求することができる。国民の「基本生存権」を保障・実現
憲法の法理からみえれば、たとえこのような法律が存在しても、国民は直接憲法一五条の「基本生存権」の保障を根拠
ある。前述のように、現在台湾の社会救助法によって低所得家庭が国家に社会救助を請求できる権利が賦与されたが、
は立法者の立法を待たずに、国民が直接憲法一五条により最低限度の生活保障を請求できる具体的権利であること、で
(
とりわけ、「基本生存権」の保障は人間の尊厳の確保に関わり、さらに生命の存続に深く関わるため、この「基本生存権」
をしている者であること、
(四)この権利の規範対象は明確であること、すなわち、すべての国家権力であること、
(五)
が可能であること、(三)「基本生存権」の権利主体は確定できるものであること、すなわち、人間の尊厳に反した生活
(1
具体的な救助措置の提供を怠っていたりした場合、それらはいずれも違憲である。
(1
北法63(5・46)1346
台湾における社会権保障の現状と問題点
四 「快適生存権」と国家の裁量
「基本生存権」が保障されると、ひとまず人間の尊厳が侵害されている状態からは抜け出せたということになる。し
たがって、基本生存権を確保した上で、「快適生存権」をどのように実現するのかという点に関しては、立法者が国家
( (
の経済、財政、社会などの要素を考慮に入れ、権利内容を形成することが許されている。しかしながら、立法者が「快
(
ような貧困者救助に関する基本国策の規定は、貧困者に国家に対して救助を請求する権利を保持させるのかどうかとい
社会救助を重視すべきであり…救済的な支出を優先に編むべきである」と規定している。ここで検討したいのは、この
台湾憲法一五五条後段には「高齢者、弱者、身体障害者、生活無能力者及び非常災害を受けた人民に対して、国家は、
適当な扶助と救済を与えなければならない」と定められている。そのほかに、憲法増補条文一〇条八項にも「国家は、
Ⅴ 基本国策の憲法規定及び貧困者の救助
力分立の憲法趣旨に基づきそれを尊重すべきである。
(
れているのである。立法機関が持つ、国民の「快適生活」をいかに実現するべきかの立法判断に対して、司法機関は権
水準以上の生活権利に対して、立法者には国家財政及びほかの政策上の考慮に基づき、より広い立法裁量の余地が残さ
権条項から直接に国家に対して快適な生活を過ごせる権利を請求できるというわけではない。つまり、最低限度の生活
適生存権」を具体化していない場合、この権利は抽象的権利にとどまってしまう。つまり、国民は、憲法一五条の生存
(1
う問題である。すなわち、人間の尊厳に符合する「基本生活」を確保するために、貧困者は基本国策の規定を根拠に国
家に対して積極的な措置を請求できるか、という問題である。
北法63(5・47)1347
(1
シンポジウム
)があり、この条文は憲法典の一
前述の基本国策規定の文言には強制的な用語(国家は「……しなければならない」
( (
部であり国家の最高法規である。したがって、この規定をプログラム規定として解するのは不適切である。この憲法
規定は、国家権力機関が貧困者の救助に対する積極的な作為を有することを宣言的に示すものであるが、これによって
(2
(
(
( (
貧困者が司法裁判を通して救済を求める義務規定ではない。性質上、日本国憲法二五条二項の規定に類似したもので
(2
( (
ある。したがって、貧困者はこの憲法規定によって国家に具体的な救助を請求する権利を保持しない。憲法の構成条文
(2
( (
のもとでは、立法者は基本国策条文を実現することに対してより広い裁量権を有している。とはいえ、貧困者の救助を
(2
( (
な不作為は基本国策に違反したものと解される。つまり、この基本国策の規定は貧困者が国家に対する救助を請求でき
貧困者の困難な生活を無視し、人間の尊厳に反した生活状態に陥っている者に対して何の作為もしない場合、このよう
定める基本国策の規定は憲法の一部であるため、国家権力機関に対する拘束力があるはずである。したがって、国家は
(2
一 憲法における平等権保障の規定
憲法七条は「中華民国の人民は、男女、宗教、種族、階級、党派の区別なく、法律上一律に平等である」と規定して
国家は貧困者に対して生活救助を提供する一方で、非貧困者に対しては同様の救助を行わないということは、憲法上
の平等権保障に反するか。
Ⅵ 平等権と貧困者の救助
る権利規定ではないが、国家の不作為が違憲か否かの判断基準として裁判規範性を有しているものである。
(2
北法63(5・48)1348
台湾における社会権保障の現状と問題点
いる。本条はすべての国家公権力を拘束しているため、いわゆる「法律上一律に平等である」とは、もちろん立法機関
が制定した法律、及び行政・司法機関が適用した法律は、いずれも憲法が国民に対して保障している平等権を侵害する
ことはできない。国家機関が行う行為は、国民の権利を制限しない給付行政に対しても、この憲法規定の拘束を受ける
べきである。
二 平等の意味
平等は人間の尊厳を尊重することを意図して生じた概念である。人間である以上、人間は尊厳を有している。個々の
人間の尊厳を尊重するためには、すべての人を平等に取り扱わなければならない。いわゆる平等とは、本質的に同様な
事項に対して異なる取扱いを行う合理的な理由がない限り、同様に取り扱わなければならないことを指す。本質的に異
なる事項に対して、同様の取扱いを行う合理的な理由がなければ、異なる取り扱いをしなければならない、という意味
である。平等は恣意的な差別取扱を禁止し、すなわち、憲法が保障する平等とは、形式上の同一的・絶対的な平等では
( (
ない。したがって、合理的な理由を有している場合には、取扱いに差異を設けることができるという、実質的な平等が
許される。この実質的な平等は正当性を有しており、憲法に認められた取扱いである。大法官解釈において「憲法第七
条には中華民国国民が法律上一律に平等であると規定している。その内実は絶対的、機械的な形式上の平等ではなく、
国民が法律上の地位の平等を保障する実質的平等である。立法機関は憲法の価値体系及び立法目的に基づき、事柄に関
する性質の差異を斟酌し、合理的な差別取扱いをすることができる」(第五九六号解釈文)、また「憲法第七条に定めら
れた平等権は、国民の法律上の地位の実質的な平等を保障するため、法律に授権された主管機関が具体的事案における
事実上の差異及び立法目的を斟酌してから合理的に異なる処置をするのは制限されるわけではない」
(第二一一号解釈
北法63(5・49)1349
(2
シンポジウム
文)
、と述べている。
三 実質的平等および貧困者の救助
前述の通り、貧困者は人間の尊厳に反した生活に陥っている国民であるため、憲法の人間の尊厳、生存権(基本生存
権)保障の規定、および生活救助規定それに関する法律により、少なくとも人間の尊厳に符合する最低限度の生活を過
ごすことができるよう、国家に対し積極的で具体的な生活救助を請求することができる。このような貧困者の請求権に
対して、国家は憲法と法律上の規定によって貧困者に生活救助を提供する法的義務を負う。この生活救助は国家からの
恩恵ではなく、国家が憲法と法律によって支配されているため生じている。法律義務であるため貧困者を救助しない不
作為は、法律上の責任も問われる。また、前述の平等の意味のように、憲法が保障する実質的平等は正当性があるため、
その差別的な取扱いも許される。つまり、国家が憲法と法律上の救助義務を履行し、そして、貧困者が人間の尊厳に符
合する基本生活を保障し、ほかの非貧困者と公平的な競争力を培うために、貧困者に必要な救助措置をとるのは合理的
(
(
な差別的取扱いである。これは平等に違反しないだけではなく、かえって、憲法七条が要求した実質的平等のもとで、
( (
平等を実現することを意味している。すなわち、憲法七条により国家が恣意的な差別取扱いを行えない代わりに、実質
(2
( (
的平等を実現するための義務を負い、貧困者に保護を提供する義務を有する。憲法七条が保障する平等は実質的平等で
(2
実質的平等と貧困者の救助との関係については釈字第四八五号解釈において以下のような判示がある。すなわち「憲
ると思われる。
た福祉資源のもとですべての貧困者及び非貧困者ともに給付を提供するのは、むしろ憲法七条が要求した平等に違反す
あるから、簡単にいうと、本質が異なる物事に対して恣意的な同様な取扱いが禁止される。したがって、国家が限られ
(2
北法63(5・50)1350
台湾における社会権保障の現状と問題点
法第七条の平等原則は…国民の法律上の地位の実質平等を保障するものである…。立法者が社会政策の考慮によって、
法律を制定し、福祉資源を限定的に配分するのは禁じられるわけではない。国家資源が限られていることに鑑み、社会
政策に関する立法は、国家の経済及び財政状況を考慮し、資源の有効利用の原則により、一般国民との平等関係を配慮し、
福祉資源を適切に配分し、かつ受益者の特定の職位や身分のみを異なる取扱いの唯一の根拠としてはならない。給付の
方式及び金額の規定については、受益者の基本生活の需要に相当することをできる限り求め、目的達成の必要な限度を
超え、明らかに過度の世話を与えてはならない」。つまり、立法者が経済的な弱者を助けるための福祉措置をとる際に、
国家の財政などの要素によって限られた福祉資源を限定的に貧困者に配分するのは、大法官に認められる。このような
配分は正当的な理由があり、かつ恣意的ではないため、憲法七条が要求する実質的平等に抵触することはない。
Ⅶ 結論に代えて
する可能性
:
貧困者が国家救助を請求する司法救済──憲法解釈機関が行政給付義務を課
前述のとおり、台湾は貧困者を救助するために、一九八〇年に社会救助法を制定した。貧困者が本法の規定により必
要な救助給付を国家に請求できるものである。台湾はすでに社会救助法を制定しているため、今の時点で生存権に関す
る立法の不作為およびどのような司法救済のルートを採用すべきかのような議論を行うことは実益が薄くなっていると
言えるかもしれない。しかしながら、貧困者を救助する法律が現在存在しているといっても、このような法律の規定に
は不備が存在し、この法律によっても依然として貧困者が人間の尊厳に反した生活状態を抜け出せない場合は、可能な
司法救済方法のもとで、憲法解釈機関から直接国家(行政機関)に救助的な給付義務づけを課する可能性を論じる必要
北法63(5・51)1351
シンポジウム
があると思われる。
一 釈字第四七七号解釈の趣旨
憲法解釈機関は、法律から漏れる状況において行政機関に給付義務づけを課することができるだろうか。釈字第四七
七号解釈は国民の生存権に関する解釈ではないが、この点に対しては肯定的な立場に立っている。すなわち、大法官に
よれば、法律から漏れた規定は明白な立法の重大な瑕疵であるため、この法律規定を適用すると逆に法律上の不平等と
(
(
なってしまい、憲法七条に抵触する。したがって、法律から漏れた規定がある場合に、当該法律の規定によって国家に
保障する給付義務を負うことを宣言しうる。これは必要かつ権力分立に抵触しない司法救済手段である。
を解釈することができる。そして、憲法が行政部門に拘束力を持ち、憲法解釈によって行政部門が具体的な最低生活を
の不作為または不完全な作為がある場合に、司法院が憲法解釈権の行使を通して憲法一五条の基本生存権の真意、内実
存権保障義務を不履行するのは許されない。(四)司法院も国民の基本生存権を保障する憲法義務を有するから、立法
政部門が優先に憲法を適用すべきである。行政機関は法律の規定がないことを理由として憲法に課された国民の基本生
による行政は、憲法を無視して法律のみを根拠にして行政を行うことではない。法律が不備で憲法に不合致の場合、行
本稿の見解をまとめると、以下の四点となる。(一)行政権は憲法一五条の生存権条項に拘束される。すなわち、行
政部門は生存権を実現する憲法上の義務を負う。(二)国民の基本生存権は行政裁量の限界となる。(三)いわゆる法律
二 本稿の見解
請求できる、と考えられる。
(3
北法63(5・52)1352
台湾における社会権保障の現状と問題点
を経て家庭の総収入をその家庭の人数によって平均して計算した金額が、各人の各月の最低生活費用以下であり、家庭の
(1)いわゆる低所得家庭の基準は、社会救助法四条一項に「戸籍所在地である直轄市、県(市)の主管機関の審査及び認定
財産は中央、
直轄市の主管機関が当年度公布した一定金額を超えない者」と規定されている。ここにいう「最低生活費」は、
に照らしてそれを定める」
(同条二項)としている。
「中央、直轄市の主管機関が、中央主計機関が公布した当該地域での最近一年の支配しうる所得の中の六〇%にあたる費用
斐閣・一九九二年)二一四頁。
(2)日本の芦部信喜は、
人間の尊厳の原理がないと人権は認められない、
と述べている。芦部信喜『憲法学Ι 憲法総論』
(有
権存在の基礎、前提とする論説については、陳慈陽『憲法學』
(元照出版公司・二〇〇四年)四七一、四七八頁、李惠宗『憲
(3)人権の根拠としての人間の尊厳に関する論説は、芦部信喜『憲法』
(岩波書店・二〇〇四年)八〇頁。人間の尊厳を基本
法要義』
(元照出版公司・二〇〇二年)八〇頁。
(4)芦部・前掲註(2)一〇、八〇頁。
(5)芦部信喜『憲法制定権』
(東京大学出版会・一九八七年)五四頁。
(6)小林直樹『憲法講義 上〔新版〕
』
(東京大学出版会・一九八〇年)一四七頁。
(7)李震山『多元、寬容與人權保障』
(元照出版公司・二〇〇五年)一三一頁。
(8)蔡維音『社會國之法理基礎』
(正典出版公司・二〇〇一年)二五頁。
──憲法之國體」經社法制論叢第三期(一九八九年)一四八頁。
(9)蔡宗珍「人性尊嚴之保障作為憲法基本原則」月旦法學雜誌第四五期(一九九九年)一〇〇、一〇二頁。葛克昌「租稅國
この権利を「人間の尊厳に符合する最低生活標準」として、
主観的給付請求権であると思う学者もいる。吳信華『憲法釋論』
北法63(5・53)1353
( )浦部法穂『憲法学教室〔全訂第二版〕
』
(日本評論社・二〇〇六年)四〇頁以下。
( )蔡維音「社會福利制度之基礎理念及結構──以德國法制為中心──」月旦法學雜誌第二八期(一九九七年九月)二七頁。
[蔡茂寅執筆]
。
( )蔡茂寅はこの最低生活水準を維持する権利を「緊急生存権」と呼ぶ。許志雄ほか『現代憲法論』(二〇〇〇年)二〇〇頁
( )許慶雄「社會權概念及其內容」律師通訊第一五一期(一九九二年)五五頁。
12 11 10
13
シンポジウム
(三民書局・二〇一一年)三三三頁。
( )中村睦男=永井憲一『生存権・教育権』
(法律文化社・一九八九年)一二六頁「中村睦男執筆]
。長尾一紘『日本国憲法』
(世界思想社・一九八八年)二六七頁。奧貴雄『生存権の法的性質論』
(東京新有堂・一九八五年)一四三頁。
)社会救助法四条二項には「最低生活費」の計算方法に関する規定がある。これは「最低限度生活」の保障の限界を示し
ている。釈字第四二二号解釈では、最低生活費の算定は固定不変の金額で決定してはいけない。家庭生活の具体的な状況
及び実際の困窮を斟酌しなければならない。
「最低水準の経済生活」は経済上の計算が可能であることに関しては、許育典
『憲法』
(元照出版公司・二〇〇六年)二六九頁参照。ただし、
学者によっては、社会救助法にいう「最低生活費」の算定は、
ドイツの社会救助法または日本の生活保護法のように「文化生活」を入れていないという点に対して批判している学者も
いる。たとえば、葛克昌『國家學與國家法』
(月旦出版社・一九九七年)七四頁。
頁。許ほか・前掲註(
)二〇〇頁[蔡茂寅執筆]
、蔡・前掲註(8)八五頁。許育典『人權、民主與法治─當人民遇到憲
六三頁。
)台湾の国民健康保険の強制的加入制度に関しては、保険費を滞納した貧困者に対して国家が医療救助を拒否できるか否
法』
(元照出版公司・二〇一一年)六二
かの問題について、釈字第四七二号解釈において以下のように解釈されている。すなわち「保険費を納付する能力がない
者に対しては、国家は適切な救助を行うべきである。高齢者や社会的弱者、障害者など、生活が困難な者を保障する憲法
)一六一
一六二頁。
誕祝賀論文集)
』
(月旦出版社・一九九七年)一四七一頁も参照。
れを法的拘束力がないプログラム規定と解することが不適切であると述べている。「
「 立 法 怠 惰 之 回 應 」 學 術 研 討 會 許 宗
力教授之評論文」憲政時代二一巻一期(一九九五年)五三頁。林明鏘「論基本國策」『現代國家與憲法(李鴻禧教授六秩華
)許宗力は憲法一五五条が課する国家の作為義務は立法者の職権に関わると指摘し、憲法上の明文があることを除き、そ
16
)二〇〇頁[蔡茂寅執筆]
。
) 蔡 茂 寅 も こ の よ う な 最 低 限 度 生 活 よ り 高 い 水 準 で あ る 生 活 権 は 立 法 に よ っ て 具 体 化 が 必 要 で あ る と す る。 許 ほ か・ 前 掲
の趣旨に符合するために、
保険料を滞納しているからといって直ちに医療救助を拒否してはならない」と述べられている。
註(
-
(
-
(
12
( )類似した観点は許・前掲註(
12
(
( )類似した観点は、許宗力「基本權的功能與司法審查」許宗力『憲法與法治國行政』(元照出版公司・一九九九年)一六二
(
14
15
16
17
18
20 19
北法63(5・54)1354
台湾における社会権保障の現状と問題点
(
)日本国憲法二五条二項は「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めな
ければならない」と規定している。
( )吳庚は、すべての憲法の基本国策規定は訴訟上の救済を請求する根拠とならないと述べている。「憲法が保障する権利」
しか請求権の根拠となれない。吳庚『憲法的解釋與適用』
(自版・二〇〇三年)五一頁。
( )李建良「論立法裁量之憲法基礎理論」憲政時代二六巻二期(二〇〇〇年一〇月)九五頁。
(
(
)黃舒芃は基本国策の機能は単に立法目的を規制するのみならず、基本権利規範と協力しながら、ともに立法者の利益衡
量の標準及び方向として機能すると述べている。その「弱者保障」の要求は、立法者の利益衡量の過程においても規範拘
束力を有する意味である。黃舒芃「立法者對社會福利政策的形成自由及其界限」憲法解釋之理論與實務第七輯(中央研究
)司法院大法官釈字第四七二号解釈において「憲法第一五五条により国家は社会福祉を図るために、社会保障制度を充実す
院法律學研究所・二〇一〇年一二月)一七五、一七六頁。
べきである。第一五七条により国家は民族の健康を増進させるために普遍的に衛生保険事業及び公的医療制度を推進しなけ
ればならない。憲法増補条文第一〇条五項にも、国家が国民健康保険を推進すべきであり、保険料納付能力のない者に対し
ては、国家が適切な救助を与えなければならない。憲法が国民健康保険を推進し、高齢者、弱者、障害者などの生活能力の
ない者を保障することは憲法の趣旨に合致するため、給付を拒否してはならない」と述べられている。この解釈文からする
と、国家が保険費を納付する能力がない者に対して、給付を拒否できないという作為(給付)義務を負っていることになる。
この解釈の趣旨によると、国家が健康保険を納付する能力がない者に給付を拒否することは上述の憲法上の規定に違反し、
)九六頁[蔡茂寅執筆]
。
)一八二頁。
違憲効果が生じる。このことにより、憲法の基本国策の規定の裁判規範性が大法官に認められるようである。
( )吳・前掲註(
( )許ほか・前掲註(
頁参照。
( )趣旨が類似するものとして、林明晰『公法學的開拓線──理論、實務與體系之建構』
(元照出版公司・二〇〇六年)三一
12
22
)二七三頁参照。
( )陳・前掲註(3)四八八頁。
( )吳・前掲註(
北法63(5・55)1355
21
22
24 23
25
28 27 26
30 29
22
シンポジウム
〔付記一〕本稿は、北海道大学法学研究科助教鄭明政先生の招聘により、二〇一二年八月二四日に北大公法研究会で開催した国
際シンポジウム「台湾における社会権保障の現状と問題点」において報告したものである。報告中、コメンテーターである北星
学園大学岩本一郎教授をはじめとして、北海道大学前総長中村睦男教授、北海道大学鈴木賢教授等の諸先生より、いろいろと有
益なご教示とご指摘をいただくことに、心からお礼を申し上げたいと思う。
〔付記二〕
「 経 済 的、 社 会 的 及 び 文 化 的 権 利 に 関 す る 国 際 規 約( International Covenant on Economic, Social and Cultural
)
」
(以下、
「社会権規約」
)は、社会権の保障について、九条で「この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障につい
Rights
てのすべての者の権利を認める」
、一一条一項で「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食料、衣類及び住居
を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者を認める。……」、同条二項で「……
すべての者が飢餓から免れる基本的な権利を有することを認め、……」と規定している。以上のような貧困者の救助に関する社
会権規約が一九六六年に国連総会で採択された際は、台湾(中華民国政府)は当時、国連加盟国の一員であり、一九六七年に社
会権規約及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」
(台湾では、この二つの規約を「両規約」と呼ぶ)に署名したが、一
九七一年に国際連合総会二七五八号決議(アルバニア決議)により台湾が国連と国連の諸機関から脱退してから、両規約の批准
手続を完了させなかった。そのため、近年「人権立国」を掲げる台湾では、二〇〇九年三月三一日、立法院(国会)は、両規約
を条約の批准案として審議に付し批准手続を完成させた。ただし、台湾の特殊な国際的地位のもとで、台湾は国連の一員として
認められず、規約の批准手続を完成させても国連事務総長に寄託する手続が完結することは無さそうであり、国家人権報告制度
の実施も問題である。それにもかかわらず、
独自の「両規約の国内法化」に取り組み、
台湾の立法院は二〇〇九年三月三一日に「両
規約施行法」を制定した。同法の二条は「両規約が提示した人権保障に関する規定は、国内の法律としての効力を有する」と規
定したほか、四条は「各級の政府機関が職権を行使する際には、両規約の人権保障に関する規定に従い、人権侵害を避け、他人
による侵害から国民を守るべきであり、そして、各項の人権の実現を積極的に促さなければならない」と規定している。このよ
うに、両規約施行法の二条、四条、及び社会権規約九条、一一条は、台湾の国内法として効力を持つ人権規定となった。これに
より、台湾の各級の政府機関は、消極的に人権侵害を避け、積極的に、人権を実現する法的義務を負うようになった。こうして、
両規約施行法の実施を通して、貧困者の生活救助に対する台湾の法律体系を国際的基準に接合化させることが期待されている。
北法63(5・56)1356
台湾における社会権保障の現状と問題点
コメント
一 台湾憲法と社会権規定
岩 本 一 郎
中華民国憲法(以下「台湾憲法」という)には、いわゆる社会権を保障する二つの人権規定がある。第一は、「人民
の生存権、勤労権及び財産権は保障する」(一五条)という規定であり、第二は、「人民は、国民教育を受ける権利及び
義務を有する」(二一条)という規定である。それぞれ、生存権を定めた日本国憲法二五条、勤労権を定めた二七条、
教育を受ける権利を定めた二六条に相当する規定といえる。
また、国が実施すべき「基本国策」に、社会権の保障にかかわると解される国の責務が列記されている。たとえば、
「国家は、社会の福利を図るために、社会保険制度を実施しなければならない。 老者、弱者、身体障害者、生活無能力
者及び非常災害を受けた人民に対して、国家は、適当な扶助と救済を与えなければならない。」
(一五五条)
。台湾憲法
における社会権規定とそれに対応する基本国策の関係は、日本国憲法において生存権を保障する二五条一項と国の社会
北法63(5・57)1357
シンポジウム
保障義務を定めた2項の関係とパラレルに理解することができるだろう。
二 三つの報告の要約
(一)許先生の報告
許先生の報告は、生存権、勤労権および教育を受ける権利が台湾において十分に保障されていない現状を具体的に指
摘するものであった。第一に、健康保険の分野では、二〇一一年には、保険料の滞納により保険証カードの使用が停止
された者が六六.二万人(全国民の約二・八%)に達していること。第二に、教育の分野では、教育を受ける「義務」
の側面が強調され、学校教育は、教育内容や教員人事を含め、国による厳しい管理統制に服していること。第三に、労
働の分野では、外国人労働者の規制なき受入れ、「大学卒業生実習政策」
、「労働者無給休暇」などの国の労働政策により、
労働者全体の待遇が低下する一方で、労働組合の組織率はきわめて低い状況にあること。
(二)黄先生の報告
黄先生の報告は、「立法形成空間」――日本における立法裁量――に対する司法審査のあり方について、社会福祉立
法の分野を中心に検討するものであった。まず、黄先生は、立法形成空間の正当性を、多数者支配という意味での「民
主」原則に基礎づけるのではなく、憲法自体に求める。未来の社会状況を完全に予測することはできないし、そこに現
れる人々の利害や主張も多様であり、常に対立と衝突の可能性をはらんでいる。このような当然の事実から、憲法は、
未来の秩序形成を民主的なプロセスに委ねる。つまり、立法形成空間は、憲法によって作られた空間なのである。
北法63(5・58)1358
台湾における社会権保障の現状と問題点
立法府は、未来に開かれた憲法規範を具体化するにあたって、衝突する複数の基本権に可能なかぎり配慮し、基本権
を最大限実現するよう憲法上要請される。したがって、立法府は、立法形成空間において憲法の制約から完全に自由な
わけではなく、基本権に由来する憲法上の制約の観点からなされる司法審査に服する。その際、司法審査は2つの観点
から行われる。(a)第一に、立法府が基本権の衝突に十分に配慮し調整を行ったか否か。(b)第二に、基本権を最大
限実現するよう求める憲法上の要請に合致しているかどうか。社会福祉立法の分野では、憲法は、社会権と基本国策の
規定――さらには「民生福祉国原則」――を通じて、高齢者や障がいのある人などの「弱者」の利益に十分配慮するよ
う立法府に求める。
(三)周先生の報告
周先生の報告では、生存権の保障は、人間の尊厳という「憲法の基本構成原理」からの要請であり、社会救助法に基
づく公的扶助はその具体化であることが指摘される。まず、人間は、人間である以上、当然に人間らしい尊厳の保障を
国家に求めることができる。このような人間の尊厳の保障に基礎づけられた生存権には、
二つの側面がある。(a)
第一は、
人間の尊厳に相応しい最低限度の生活の保障を国に求める「基本生存権」である。
(b)
第二は、最低限度の生活を超えて、
より快適な生活環境の整備を国に求める「快適生存権」である。いずれの側面も、国に対して作為を求める積極的権利
である。
基本生存権と快適生存権の違いは、端的に次の点に現れる。基本生存権は、保障内容である「最低限度の生活」を客
観的に確定でき、社会救助法のような立法がなくても、その水準を下回る生活を強いられている者は、国に対して最低
限度の生活保障を国に直接請求できる。つまり、基本生存権は、文字通り具体的権利である。しかし、快適生存権の保
北法63(5・59)1359
シンポジウム
障内容は、立法府が国の財政や社会・経済状況などの諸要素を考慮して判断すべきものであり、快適生存権は、憲法上
抽象的権利にとどまる。
裁判所は、
快適生存権をいかに実現するかについては立法府の裁量判断を尊重すべきことになる。
三 社会権の権利観の転換
(一)伝統的な権利観
以下では、社会権の法理論的な側面に焦点を当てた黄先生と周先生の報告について、社会権の権利観の転換という観
点から若干のコメントを付することで、本シンポジウムにおける私の責めを塞ぎたいと思う。
私見によれば、法律学一般あるいは社会権理論において支配的な伝統的な権利観が、社会権保障の桎梏になっている
ように思われる。この伝統的な権利観に従えば、社会権は「不完全な権利」とされ、悪くすれば、社会権の権利性その
ものが否定されることになる。この伝統的な権利観からの転換こそが、社会権理論の最も重要な課題であると報告者は
考える。
(一)権利の財産権的理解、
(二)積極的
ここで問題となる伝統的な権利観は、三つの権利理解からなる。すなわち、
権利としての社会権の理解、(c)権利=司法的執行可能性の理解の三つである。
(二)権利の財産権的理解
社会権保障に消極的な議論においては、権利の典型として財産権を暗黙裡に想定し、社会権を財産権に当てはめて理
解しようとする傾向が強い。権利の財産権的理解によれば、権利とは、
自己の「正当な持ち分」に対する「妥当な要求」
北法63(5・60)1360
台湾における社会権保障の現状と問題点
( valid claim
)であり、他人に対してその持ち分を侵害しないよう義務づけるものである。権利とは、義務によって保
(1)
護された利益と理解される。権利にとって重要なことは、自他の「正当な持ち分」の境界線を画することであり、権利
の内容が、空間的であれ金銭的であれ、定量的に確定される必要がある。生存権を国に請求できる国民の「正当な持ち
分」と理解するならば、生存権が保障する最低限度の生活水準は、明確に確定できなければならない。そのため、生存
権保障の入口の議論で、最低限度の生活水準が明確に確定できるか否かが争われることになる。
3
3
3
3
3
3
生存権が保障すべき最低限度の生活水準は、人間に値する最低限度の生活水準である。したがって、最低限度の生活
水準は、《人間のあるべき生》に関する価値的な評価をともなった基準であり、科学的あるいは客観的に定まる基準で
はない。結局、生存権を財産権的に理解しようとすれば、生存権は「不完全な権利」とみなされることになる。
しかし、少なくとも人権についていえば、人権は、国民が国に対して要求できる「正当な持ち分」というよりも、む
(2)
しろ、国の政治的決定を正当化したり、国による権利の制約に対して正当化を要求したりする「公共的理由」と理解さ
れるべきである。たとえば、労働基本権は、国による不当労働行為制度の確立を正当化する公共的理由であり、教育を
(3)
受ける権利は、障がいのある子どもを普通学級から締め出す校長の決定に対しては、決定を正当化する合理的な理由を
求める公共的理由である。つまり、人権は、国が負うべき義務を正当化する公共的理由なのである。
そして、公共的理由としての人権は、その他の公共的理由に優先して考慮されるべきであり、社会の多数派の利益を
(4)
根拠とする政治的決定に対する「切り札」である。このような人権の優先性の根拠は、
その保障の緊急性に求められる。
(5)
人権は、人間の基本的利益を保護するものである。そして、その保護がなければ、基本的利益が深刻なかたちで損なわ
れる差し迫った危険があるため、国は、国民に対してその保護を義務づけられるのである。社会権にこのような緊急性
があるならば、自由権と同じく「真の権利」であるということができる。
北法63(5・61)1361
シンポジウム
(三) 積極的権利としての社会権の理解
社会権は、国の作為を求める積極的権利であり、国に対して不作為を求める自由権とは異なる権利であると一般に理
解されている。確かに、社会権は、統治のプロセスの各段階において国の積極的作為を求める権利である。生活に困窮
した者に最低限度の生活水準を満たすだけの生活保護費を給付するためには、立法府が公的扶助制度を確立する立法を
制定し、政府が公的扶助の支給額を定めた基準を設定し、行政機関が法律に従い申請者に生活保護費を支給する決定を
しなければならない。行政の処分が違法な場合には、裁判所は処分を取り消し、行政機関に処分のやり直しを命じなけ
ればならない。もちろん、財政的な裏づけもなければならない。
しかし、自由権もまた、法的に執行される権利であるかぎり、社会権と同じ意味で積極的権利であることを忘れては
(6)
ならない。国民の生命や身体の安全を権利として保障するために、立法府は、他人の生命や身体の安全を害する行為を
禁止する法(刑法)や、刑事裁判の手続きを定めた法(刑事訴訟法)を制定する。警察は、犯罪を防止し取り締まるた
めの防犯や捜査などの職務を遂行し、検察は、犯罪の被疑者を取り調べ起訴する。裁判所は、公判を開き、公正な裁判
手続に従って判決を下すよう求められる。国民の生命や身体の安全を保護するための法制度を維持するために、国は相
(7)
(8)
当のコストをかけている。財産権の保障も同じである。このように、自由権であれ社会権であれ、権利保障には「コス
ト」がともなうのである。
国は、権利侵害を避ける義務を負う
(回避義務)。
権利の内容は、対応する国の義務の観点から三つに大別できる。(a)
(b)国は、権利侵害から保護する義務を負う(保護義務)。(c)国は、権利侵害を受けたものを援助する義務を負う
(援助義務)。一般に、回避義務より保護義務のほうがその履行にコストがかかるだろう。自由権について権利のコスト
が見えにくいのは、自由権の内容が国の回避義務と不可分だからである。それに対して、社会権の内容が国の援助義務
北法63(5・62)1362
台湾における社会権保障の現状と問題点
(9)
と強く結びついているため、権利のコストが前面に現れる。しかし、自由権もまた、第一次的ではないが――権利の本
質は回避義務にある――、国の保護義務と援助義務と相関しており、国は権利のコストを負うことになる。したがって、
社会権の積極的権利の側面を強調して、その権利性を問題にする議論は妥当ではない。
(四)権利=司法的執行可能性の理解
権利は、当然に、司法的に執行されるものであると理解されている。ただし、権利が司法的に執行できるためには、
いくつかの条件がある。(a)第一に、裁判所の権利保障が裁判所の役割に相応しいものであること(司法判断適合性)。
(b)第二に、裁判所が権利救済を図るための手段を持っていること(裁判救済可能性)。(c)第三に、権利の内容や
権利侵害の有無を判断するための法的ルールが、裁判所による機械的な適用が可能な法規範であること(機械的適用可
能性)
。この三つの条件を厳格に解するならば、社会権は、司法的には執行できない権利であるとみなされる。
確かに、権利が法的権利であることの一つの条件は、法的執行が可能であるということである。法的執行が期待でき
ない権利は、そもそも法的権利とはいいがたいだろう。しかし、①法的に執行できることと、②司法的に執行できるこ
ととは同じではない。裁判所の判断を前提とした強制力の行使がなくても、前述した国の三つの義務――回避義務、保
(
( (
(1
の領域――に属する規範も、国の政治権力の行使を制約する法的ルールであり、政府もまたその規範を順守する義務を
北法63(5・63)1363
護義務、援助義務――の履行が法的に確保できるのであれば、権利は、法的に執行されうる権利とみなしうる。
(
別ないい方をすれば、憲法規範には、司法的に執行できる規範とそうでない規範があるが、だからといって、後者が
( (
法規範でなくなるわけではない。憲法には、司法的に執行できる領域とそうでない領域がある。司法的に執行できる憲
(1
法の領域は、ロールズのいう「憲法の必要事項」と重なるだろう。司法的に執行できない憲法の領域――「憲法的正義」
(1
シンポジウム
法的に負うことになる。人間の生存にとって不可欠な物質的基盤にアクセスでき
る権利を別とすれば、社会権は、司法的執行の難しい権利といえるかもしれない。
しかし、立法府や行政機関を法的に義務づける点では、社会権も法的に執行可能
(
(
な権利である。ただし、このことは、社会権がまったく司法的に執行できない権
憲法的正義
司法的に執行可能
憲法の必要事項
( (
を受ける人々の多様な利益を適切に調整する必要のある領域において、憲法規範は、明確で機械的適用を可能にする文
黄先生は、立法形成空間が憲法によって作られた空間であり、立法府の裁量権は憲法によって授権されたものである
ことを正当に指摘する。憲法制定時には十分に予測できない社会・経済状況の変化を見定めて、その状況の変化に影響
(一)黄先生の報告
四 報告への若干のコメント
利である、ということを意味するものではない。
(1
おそらく、生存権、教育を受ける権利、勤労権を保障する規定をまったく持たない憲法は、市民の合意の対象とはなら
現代の立憲民主主義において、社会権の保障を含まない憲法はありえない。立憲民主主義において、憲法が道徳的に
正統であるといえるためには、憲法は、合理的で理性的な市民が全員一致で同意する内容のものでなければならない。
はなく、それを超えた「憲法的正義」の領域に属する。
が社会権の領域である。本コメントの言葉でいえば、社会権は性質上厳格に司法的に執行しうる「憲法の必要事項」で
言(
「ルール」形式)ではなく、将来の発展に開かれた抽象的な文言(「スタンダード」形式)で規定される。その典型
(1
北法63(5・64)1364
台湾における社会権保障の現状と問題点
ないだろう。
ある事項を「憲法の必要事項」とするためには、(a)第一に、原理の問題として、市民から広汎な支持がえられる
ものでなければならない。また、(b)「憲法の必要事項」が国によって遵守されているかは、政治権力の行使の正統性
(
(
を直接左右するため、実際上の問題として、「憲法の必要事項」が実現されているが容易に見分けることができなけれ
ばならない(適用の透明性)。「憲法の必要事項」の適用上の対立は、政治権力の正統性についての激しい対立を生み、
政治的安定性を損なう。したがって、「憲法の必要事項」は明確でカテゴリカルな適用を可能にする事項でなければな
らない。
しかし、社会権を「憲法の必要事項」として憲法化するのは難しい。たとえば、生存権の場合、「人間に値する最低
限度の生活」は価値的な評価をともなった観念であるから、「あるべき人間の生」に関する個人の倫理的確信の多元性
を前提とすれば、その観念の具体化については、合理的で理性的な市民の間で意見の対立が生ずる。したがって、社会
権については、抽象的レベルでは市民からの広汎な支持がえられても、具体化のレベルではかえって市民の対立を引き
起こすことになる。つまり、生存権は、適用の透明性を確保しようとすればするほど、「理にかなった対立」を生むと
いうディレンマに陥る。したがって、生存権の保障は、「憲法的正義」の領域――黄先生の言葉では、
「立法形成空間」
――にとどまり、その具体化は立法府にゆだねられるのである。
ただ、黄先生が指摘するように、生存権のような社会権が立法形成空間にゆだねられるとしても、立法府は憲法上の
制約から完全に免れるわけではない。社会権は、「憲法的正義」の領域にあっても、政治的決定を正当化したり制約し
たりする公共的理由であることにかわりがない。国が、政治的決定において、公共的理由としての社会権をまったく考
慮しなかったり、他の公共的理由との関係で著しくバランスを欠く扱いを行ったりした場合には、国の政治的決定は憲
北法63(5・65)1365
(1
シンポジウム
法に違反する。
(二)周先生の報告
( (
周先生は、生存権を「憲法の基本構成原理」である人間の尊厳に基礎づけ、人間の尊厳を保障するために不可欠な生
存権を「基本生存権」と呼び、その水準を超えてより快適な生活環境の整備を国に求める「快適生存権」と区別する。
(
(
て具体化されるべき抽象的権利とする。このように生存権を構造的に理解する議論は、生存権を最低生活権と快適生活
そして、「基本生存権」については、「言葉通りの意味の具体的権利」と解する一方で、「快適生存権」は、立法によっ
(1
らこそ、平等な配慮と尊重の原理を基礎におく憲法は、最低生活権の保障を「憲法の必要事項」あるいは「憲法の基本
りしたとするならば、彼は、路上の人を平等な配慮と尊重に値する存在として扱っているとはいいがたいだろう。だか
路上で苦しみ倒れている他人を大きなリスクや負担を負うことなる助けることができるのに、一言の声もかけずに素通
立憲民主的な憲法の基礎には、すべての人間は、平等な配慮と尊重に値する存在であるという理念(個人尊重の理念)
がある。民主的な社会においては、市民は、他の市民を平等な配慮と尊重を持って扱う道徳的な責務がある。ある人が、
ろう。
的正義」に属する権利である。最低生活権の保障は、それ自体が「憲法の基本構成原理」の一部であるといっていいだ
直接かかわる「憲法の必要事項」に属する権利であり、快適生活権は、社会経済的平等や配分的正義にかかわる「憲法
生存権を最低生活権と快適生活権の区別は、本報告の観点からは、きわめて重要な区別である。なぜなら、この二つ
の生存権は、憲法の異なる領域に位置づけられるものだからである。つまり、最低生活権は、国の政治権力の正統性に
権に区別する日本の有力説と符合するものであり、説得的である。
(1
北法63(5・66)1366
台湾における社会権保障の現状と問題点
構成原理」として規定するのである。
3
3
3
3
3
3
3
3
3
そして、原理の問題としては、立法府あるいは行政が、障がい、老齢、失業などが原因で、人間の生存に不可欠な物
質的なニーズを自分自身で充足できない人々を放置しているならば、司法はその法的救済を図る憲法上の義務があると
いえる。国の政治権力の行使または不行使が、国民のすべてが合理的かつ理性的に熟慮すれば合意するであろう――仮
( (
定的な合意であるが――憲法の規定(人権規定)に明白に違反しているとすれば、その権力の行使または不行使は道徳
的に正当化されない。結果的に、国の正統性の基礎が損なわれることになる。国の政治権力の一翼を担う司法には、そ
3
3
3
3
3
3
のような正統性の危機を回避する道徳的な責任がある。だからこそ、「憲法の必要事項」は司法的に執行されるべき事
3
3
3
3
3
3
3
3
項なのである。このように考えるならば、人間の生存に不可欠な生活水準を確定できるかはともかく、規範の問題とし
ては、確定することが裁判所に憲法上要請されている。その意味で、最低生活権については、周先生が論ずるように、
「言
See H. L. A. Hart, Essays
on
Bentham; Jurisprudence
and
Political Theory 162-193 (1982).
葉どおりの意味の具体的権利説」が最も自然な解釈なのかもしれない。この点の検討は、
私自身の今後の課題としたい。
(1)
Hillel Steiner, An Essay
on
in the
Public Domain: Essays
in the
Morality
of
Law
and
3
Carl Wellman, Real Rights (1995)
Politics 268 (1994).
が前者の例であり、
Rights (1994)
のように扱うが、権利を公共的理由として理解する見方は、権利は義務の《束》であり、《束》の内容は事前には決まらな
(2) See John Rawls, Political Liberalism (1993).
(3)二つの権利理解の違いを比喩的に表現すれば、権利の財産的理解は、権利を相関する義務によって保護された《空間》
いと考える。たとえば、
が後者の例である。
See Joseph Raz, Ethics
(4) See Ronald Dworkin, Taking Rights Seriously (1977).
(5)
北法63(5・67)1367
(1
シンポジウム
and
Plainclothes; A Theory
Rights 40-42 (1993).
in
of
See Lawrence G. Sager, Justice
See Alan Gewirth, supra note 7.
See also Rex Martin, A System
See Henry Shue, Basic Rights: Subsistence, Affluence,
Affs. 321 (2001).
of
American Constitutional Practice (2004).
類似の分類として、
U. S. Foreign Policy 52-53 (2d ed. 1996).
(6) See Stephen Holmes & Cass R. Sunstein, The Cost of Rights (1999).
(7)消極的権利と積極的権利の区別にはなお重要な意味がある。 See Alan Gewirth, Are All Rights Positive?, 30 Phil. & Pub.
(8)
(9)
( )
See John Rawls, supra note 2.
see Duncan Kennedy, Form and Substance in Private Law, 89 Harv. L. Rev.
See Lawrence G. Sager, The Why of Constitutional Essentials, 72 Fordham L. Rev. 1421 (2004).
)日本国憲法二五条は、現実の裁判事件ではともかく、生存権を具体化した法律の違憲性や立法不作為の違憲性を争う訴
訟において司法的に執行しうる法規範である。
)ルールとスタンダードの区別については、
1685 (1976).
( )
See
J
ohn Rawls, supra note 2; Lawrence G. Sager, supra note 12.
( )棟居快行「生存権の具体的権利性」長谷部恭男編『リーディングズ現代の憲法』
(日本評論社・一九九五年)一六〇頁以
(
(
( )
( )
13 12 11 10
14
-
六五頁、佐藤功「憲法二五条の生存権生存権保障の構造」法セ
( ) See Allen Buchanan, Political Legitimacy and Democracy, 112 Ethics 689 (2002).
(有斐閣・一九七六年)五三二頁参照。
ミ三二一号(一九八一年)六六頁以下、
籾井常喜「生存権の二重構造把握について」有泉亨先生古稀記念『労働法の解釈理論』
( )中村睦男『社会権の解釈』
(有斐閣・一九八三年)六四
下参照。
16 15
17
18
北法63(5・68)1368
台湾における社会権保障の現状と問題点
訳
一.国家は、科学技術の発展及び投資を奨励し、産業の段階的
第一〇条
六月一〇日)
憲 法 増 補 条 文〔 憲 法 增 修 條 文 〕
(第七回憲法改正・二〇〇五年
い。
生保健事業及び公医制度を推進しなければならな
第一五七条 国家は、民族の健康を増進させるために、普く衛
ならない。
して、国家は、適当な扶助と救済を与えなければ
者、生活無能力者及び非常災害を受けた人民に対
鄭 明 政
参考条文(台湾における社会権保障に関する条文)
中華民国(台湾)憲法 (一九四六年一二月二五日制定・一九
四七年公布、同年一二月二五日施行)
第二章 人民の権利義務
第七条 中華民国の人民は、男女、宗教、種族、階級、党派の
区別なく、法律上一律に平等である。
第一五条 人民の生存権、労働権及び財産権を保障しなければ
ならない。
第二一条 人民は、国民教育を受ける権利及び義務を有する。
第十三章 基本国策
第一五五条 国家は、社会福祉を図るために、社会保険制度を
実施しなければならない。老者、弱者、身体障害
北法63(5・69)1369
シンポジウム
発展を促進し、農漁業の現代化を進め、水資源の開発利用
ければならない。
民の就業問題など救済的支出については優先的に編成しな
を保障し、その教育、文化、交通、水利、衛生、医療、
一二.国家は、
民族の願望により、原住民族の地位及び政治参加
を積極的に擁護する。
一一.国家は多、元文化を認め、原住民族の言語と文化の発展
い。
は優先的に編成し、憲法一六四条の規定の制限を受けな
一〇.教育、科学、文化の経費、とくに国民教育に関わる予算
就学、就業、医療、療養に対し保障を行う。
九.国家は、軍人の社会に対する貢献を尊重し、その退役後の
を重視し、国際経済提携を強化しなければならない。
二.経済及び科学技術の発展は、環境と生態系の保護を兼ね備
えなければならない。
三.国家は、人民が創立した中小企業に対し、その生存及び発
展を扶助し保護しなければならない。
四.国家は、公営金融機構に対する管理について、企業化経営
の原則に則らなければならない。その管理、人事、予算、
決算及び監査は、法律により特別にこれを規定することが
できる。
五.国家は、全民健康保険を推進し、現代的医薬並びに伝統的
とともにその発展を促進し、その方法は法律をもってこ
経済、土地および社会福祉事業に対し保障と扶助を行う
れを定める。澎湖、金門および馬祖地区の人民に対して
医薬の研究開発を促進しなければならない。
障し、性による差別を排除して、両性の地位の実質的平等
六.国家は、女性の人格尊厳を擁護し、婦女の人身の安全を保
も同様とする。
一三.国家は、海外に住む僑胞の政治参加について保障する。
を促進しなければならない。
七.国家は、心身障害者の保険と医療、バリアフリー環境の整
備、教育訓練及び就業指導、生活保護と救助について、保
第一〇条
障するとともにその自立と発展を扶助しなければならない。 社会救助法 (一九八〇年六月一四日公布、二〇一一年一二月
七日最新改正)
八.国家は、社会救助、福祉サービス、国民の就業、社会保険
および医療保険など社会福祉業務を重視し、社会救助と国
北法63(5・70)1370
台湾における社会権保障の現状と問題点
①低所得家庭は、戸籍の所在地にある直轄市、県(市)の主管
機関に生活扶助を申請することができる。
二、妊娠満三か月の妊婦。
第一五条
三、心身障害手帳を持ち、又は心身障害を証明する者。
②前項の補助基準は、中央主管機関がそれを定める。
た後、これを決定する。必要のあるときは、郷(鎮、市、区)
②直轄市、県(市)の主管機関は、前項の申請を受けてから五
日以内に係員を派遣してその家庭環境、経済状況等を調査し
公所に授権してこれをさせることができる。
きる。
帯のケアー手当等の就業サービスと補助を提供することがで
の交通費補助、就職活動又は職業訓練期間内の託児、昼時間
②直轄市、県(市)主管機関は、必要に応じて低所得家庭及び
中低所得家庭の起業指導、起業ローンの利息補助、就職活動
技術訓練又は職場斡旋による救済を提供しなければならない。
①直轄市、県(市)主管機関は、必要によって、低所得家庭及
び中低所得家庭内の作業能力を有する者に対して、就業指導、
第一一条
現金給付を原則とする。但し、
実際の必要によっ
①生活扶助は、
て、適当な救助施設及び福祉施設、又はそのほかの家庭に委
託して、これを収容することができる。
②前項の現金給付について、中央、直轄市主管機関は、収入に
応じて等級を定めることができる。直轄市主管機関は、それ
を中央主管機関に報告し審査に備えなければならない。
③第一項のサービス措置に参加する低所得家庭及び中低所得家
庭は、
一定の金額と期間内に就業によって増加された収入は、
-
第四条一項、及び四
一条一項の一款の家庭総収入から除外
第一二条
延長することができる。その増加する収入の認定、計算免除
機関がそれを定める。
の期間及び金額等の規定に関しては、直轄市、県(市)主管
される。最長三年間、審査を経て必要な時にはそれを一年を
①低所得家庭の構成員は、以下の規定の一に合致するときは、
主管機関は、
通常の給付金を増額して補助することができる。
但し、増額分は、給付金の四〇%を超えてはならない。
一、満六五歳の者。
北法63(5・71)1371
シンポジウム
の救助とサービスを提供することができる。
一、産婦と乳児の栄養補助。
二、託児補助。
④第一項のサービス措置を受け入れない者、又は受け入れたに
もかかわらず勤労を拒否する者に対して、直轄市、県(市)
主管機関は扶助を行わない。ほかの法令において補助に関す
-
機関はそれを定める。
②前項の救助対象、特殊盲目の救助とサービスの内容、申請条
件及び手続事項等の規定に関しては、直轄市、県(市)主管
七、そのほかの必要な補助とサービス。
六、出産養育補助。
五、居住補助。
四、葬儀補助。
三、教育補助。
一条
る同様の規定がある場合、
重複して受給することはできない。
第一五
①直轄市、県(市)主管機関は、低所得家庭の積極的な自立を
支援するため、みずから民間資源を運用し貧困を脱するため
の措置を行うことができる。
②前項措置に参加する低所得家庭において、一定の金額と期間
内に措置によって増加された収入及び貯金は、第四条一項の
-
第一六
家 庭 の 総 収 入 お よ び 家 庭 の 財 産 に 算 入 さ れ な い。 最 長 三 年
間、審査を経て必要な時にはそれを一年間延長することがで
一条
きる。その増加する収入と貯金の認定、計算免除の期間及び
一、政府によって建設され、又は民間を奨励して建設された
経済的、
社会的弱者のための住宅に優先して入居させる。
三、簡易の住宅修繕費用。
二、住宅賃金の費用。
できる。
①低所得家庭の適宜な住居及び住居環境の世話をするために、
下級住宅主管機関は、以下の住宅補助措置を提供することが
金額等の制限事項に関しては、直轄市、県(市)主管機関が
それを定める。
第一六条
①直轄市、県(市)主管機関は実際の需要及び財力によって、
戸籍所在地の低所得家庭又は中低所得家庭に、次の特殊項目
北法63(5・72)1372
台湾における社会権保障の現状と問題点
四、住宅購入のための住宅ローンの利息。
五、住宅建築のための住宅ローンの利息。
六、そのほかの必要な住宅の補助。
②前項の各款補助資格、補助基準及びそのほか従うべき事項の
方法について、中央住宅主管機関は、中央主管機関とともに
それを定める。
第一六
-
二条
①低所得家庭及び中低所得家庭の家族は、国内の公立・私立高
等学校以上の学校に在籍する場合に、授業料及び雑費の免除
を申請することができる。その免除の金額、方式及び従うべ
き事項に関しては、各主管教育行政機関がそれを定める。
複して受給することはできない。
②ほかの法令において補助に関する同様の規定がある場合、重
義務者が負担できないとき。
規定によって医療補助を申請することができない。
②全民
健康保険に加入し、医療給付を受給できる者は、前項の
第一九条
①低所得家庭が全民健康保険に支払う保険費については、中央
主管機関が予算を編成して補助を行う。
いては、中央主管機関がその二分の一を補助する。
②中低
所得家庭が全民健康保険に支払う自己負担の保険費につ
③ほかの法令において補助に関する同様の規定がある場合、重
複して受給することはできない。
第二一条
次の状況の一に合致するときは、関係証明書を添えて戸籍所在
一、家庭内の者が死去し、その葬儀を行う資力がない者。
地の主管機関に緊急支援を申請することができる。
第一八条
二、家庭内の者が、傷害事件又は重病に遭遇し、家庭生活の維
入監等の原因によって仕事ができずに生活の維持が困難な
三、家庭の主たる生計を支えている者が、失業、失踪、兵役、
持が困難な状況に陥ったとき。
①以下の状況にある者は、関係証明書を添えて戸籍所在地の主
管機関に医療補助の申請をすることができる。
一、低所得家庭の傷病患者。
重い
傷病を患い、それに要する医療費用を本人又は不要
二、
北法63(5・73)1373
シンポジウム
状況に陥ったとき。
有財産の即時運用が困難となり、生活の維持に支障が生じ
四、財産に対する強制執行又は銀行口座の凍結などにより、所
た者。
五、すでに福祉項目を申請した者又は保険給付の審査中に生活
が困難に陥った者。
六、直轄市、県(市)の主管機関の訪問・評価を経て、そのほ
か重大な事故に遭遇し生活が困難に陥って、救助の必要が
あると認められた者。
第四四条
本法により貧困者は前掲の規定によって現金の給付又は補助を
受領しうる権利を有するが、この権利に対して差押え、譲与又
は担保の設定を行うことはできない。
北法63(5・74)1374
台湾における社会権保障の現状と問題点
質疑・討論
において外国人に国民と同等の待遇を認めている、という理解
これは、要するに具体的にそのような法律があって、その法律
えられるべきであるとする法規定がある、とのことでしたが、
りました。台湾では、外国人労働者にも国民と同等の待遇が与
国人労働者を保護する)法律に違反している、とのお話しがあ
ついて、
様々な人権が制約されているため、
実質的に台湾の(外
づく保障を受けているわけではない、つまり、外国人労働者に
のご報告では、外国人労働者は、台湾の法律や労働基準法に基
岡田信弘(北海道大学法学研究科教授) 先生のご報告におけ
る事実関係について確認させていただきたいと思います。先生
ご質問がございましたら、お願いいたします。
鄭明政(司会・北海道大学法学研究科助教)
それでは、ここ
から質疑・討論に入りたいと思います。まず、許先生に対する
容の規定があるものの、
それが忠実に実施されていないわけです。
もので、外国人労働者の人権を国民と同様に保障するという内
権を保障していることをアピールするために定められたような
業サービス法)は、当時の政府が国際社会に外国人労働者の人
うことです。一九九二年の外国人労働者の導入に関する法律
(就
働者が法律による人権保障を実質的に受けられていない、とい
他にもたくさんありますが、私が指摘したいことは、外国人労
働条件等をきちんと取り締まっていません。このような問題は
いというのが実態です。政府は、会社側が設けるこのような労
場に勤めている外国人労働者は就業時間が過ぎても外出できな
実に施行されているとはなかなかいえません。例えば、外国人
る様々な規定が含まれています。しかし、台湾では、法律が忠
でよろしいのでしょうか。
鄭明政(司会)
ありがとうございました。他の質問がござい
ましたら、お願いいたします。
労働者の休暇や外出についても法律には規定がありますが、工
業サービス法)には、外国人労働者の人権あるいは保護に関す
許慶雄(台湾・淡江大学国際研究学院教授)
そうです。一九
九二年に台湾の国会が制定した外国人労働者に関する法律(就
北法63(5・75)1375
シンポジウム
加藤智章(北海道大学法学研究科教授)
ご報告、ありがとう
ございました。社会保障法の加藤と申します。台湾における全
自己負担でより良い医療サービスを受けられるわけです。した
がって、裕福な人々からは、当然、強制加入制度に反対する意
をうまく利用できない被保険者がかなりいるという実態が関係
の理由として、許先生のご報告にありましたような、保険制度
この改正作業がうまく進んでいないと聞き及んでおります。そ
論する必要があると思います。
これは、複雑で重大な問題ですから、専門家を集めてさらに議
経済的弱者に適切な制度になると言えるわけではありません。
全民健康保険制度の改革法案が可決されたとしても、必ずしも
民健康保険制度について、
現在改正に向けた動きがあるものの、 見もあります。
(このような事情もあって、)
私の知る限りでは、
しているのでしょうか。もし関係がないならば、なぜ全民健康
鄭明政(司会)
ありがとうございました。それでは、続いて
岩本先生のコメントにつきまして、三名の報告者からお話しい
全民健康保険制度は強制加入ですが、実際のところ、経済力の
益をめぐる争いがあって、制度改革はうまく進んでいません。
やはり改善しなければならないと思います。しかし、様々な利
ますが、現在でも収入と支出のバランスが崩れていますから、
後にもなれば、いずれ破綻するのではないか、と予想されてい
影響しています。この制度の将来については、一〇年か一五年
ために政治に圧力を加え、全民健康保険制度の修正にも大きく
量」という用語が一般的に使われていますが、わざわざ「立法
と同じ意味の用語でしょうか。台湾でも日本と同様に「立法裁
ここで、黄先生に質問させていただきたいと思います。黄先
生が報告において用いていた「立法形成空間」は、「立法裁量」
かにひどい事例がまだたくさんあります。
と指摘しておられましたが、台湾には、日本の状況よりもはる
三つの問題を要約していただき、日本にも同様の問題がある、
許慶雄 岩本先生からは、とても明快で理解しやすいコメント
をいただきました。コメントでは、私の提起した台湾における
ただきたいと思います。
保険制度の改正作業がうまく進んでいないのでしょうか。
許慶雄 日本も同様かと思いますが、台湾の医療機関や医師側
の政治に対する影響力は、
きわめて強いと思います。医師側は、
ある者にとって保険制度に加入する必要性がありません。例え
形成空間」を用いているのはなぜですか。これらの二つの用語
自分たちの利益、あるいは医療機関や製薬会社等の利益を守る
ば、裕福な人々は、
看病や介護が必要な家族を抱える場合でも、
北法63(5・76)1376
台湾における社会権保障の現状と問題点
また、黄先生を含む若い世代の学者には、このような問題を整
の基準の矛盾や審査段階についての研究の蓄積がありますか。
研究している学者には、大法官会議の解釈基準、そしてこれら
には、深刻な問題があると思います。台湾でこの分野を専門に
門前払いにした、と説明されました。しかし、このような説明
視してその審査を避けるため、司法審査の請求を入口の段階で
あり、大法官は、法律は国会の多数による決定であることを重
もうひとつ質問があります。黄先生は、大法官会議の解釈に
ついて、一般的に司法審査には「入口」と「出口」の二段階が
たいと思います。
ですから、
「立法形成空間」という用語の必要性について伺い
ですと、何かまだ確定されていない空間という感じがします。
という用語にした方が妥当だと思います。
「形成」という言葉
もし空間という用語を使う必要があるならば、「立法裁量空間」
が、司法審査は、
国会が既に議決した法律を対象としています。
を経て議決するという立法過程をイメージしてしまうのです
のでしょうか。
「形成空間」といいますと、法律を形成し討論
力の行使が正当化されるところに人権の意義がある、という理
るという理解が重要です。公共的な理由に基づいてはじめて権
うに、内容的な理解ではなくて、公権力の行使を適切に要求す
は妥当ではないと思います。むしろ、岩本先生のおっしゃるよ
予め設定されていて、それを国家に要求するというような理解
ております。生存権を伝統的な権利のように、具体的な内容が
ような権利として理解することにはそもそも無理があると思っ
く同感です。生存権、あるいは社会権を内容固定的な財産権の
る通説的理解を批判なさっていたことにつきましても、まった
は自由権を超える部分があり、憲法的正義を体現する重要なも
明なさったことはとても妥当だと思います。確かに、生存権に
岩本先生がロールズの理論を援用して生存権の権利の性質を説
私は、
岩本先生のコメントの内容に同意いたします。とりわけ、
黄舒芃(台湾・中央研究院法律学研究所副研究員)
まず、岩
本先生からコメントをいただきましたことに感謝いたします。
発言いただきます。
鄭明政(司会)
ありがとうございました。それでは、岩本先
生のコメントと許先生からのご質問につきまして、黄先生にご
には区別があるのでしょうか、あるいは区別する必要性がある
理するおつもりがありますか。研究の蓄積があるのでしたら、
解ならば、社会権を適切に保障できると思います。
のだと思います。また、岩本先生が生存権を財産権として捉え
是非提供していただきたいと思います。
北法63(5・77)1377
シンポジウム
岩本先生のおっしゃる公共の理由とは、私の報告における見
解でいうと、公権力が人権を制約する際に、様々な人々の異な
る利益を考慮しなければならないわけですが、そこにおいて、
らも台湾の大法官解釈で頻繁に使われておりますが、そこでは
ほぼ同義語として使われていると思います。「立法形成空間」
は、
というドイツ語の
Gesetzgeberischer
Gestaltungsspielraum
と思います。従来の通説によれば、
権利の内容はかなり具体的、
現代の権利概念に対する岩本先生からの批判は、私が報告に
おいて主張したかった論点を適切にまとめていただいたものだ
て立法府に認められた自由や空間を行政裁量と区別するため、
と一般的に行政裁量がイメージされるようですが、憲法によっ
を使わせていただきました。ドイツでは、「裁量」といいます
ように思います。そのため、私は「立法形成空間」という用語
社会における各種の利益の均衡を要求するものでしょう。
固定的なものでなければなりませんでした。そのため、主観的
で
翻 訳 で す。 立 法 裁 量 の ド イ ツ 語 は Gesetzgebungsermessen
すが、ドイツでは立法裁量という用語はあまり使われていない
権利を主張し、訴訟を提起することではじめて司法が介入でき
チだと思います。
ていると説くことは、生存権をより適切に保障しうるアプロー
放性を是認する、つまり権利には内容が不明確なものも含まれ
その理解が多岐にわたっている生存権について、権利内容の開
立法府における審議過程の審査をまったくしないわけにはいか
司法審査の意味をより適切に示していると思います。何らかの
しかし、私は、許先生のご指摘に賛成いたします。立法裁量
という用語の方が、立法府の制定した法律を審査する、という
ます。
る、とされてきました。しかし、
権利の内実が定まっておらず、 「立法形成空間」という別の概念が用いられているのだと思い
まとめますと、岩本先生のおっしゃるロールズの「憲法的正
義」は、
私の観点からは、
特定の価値を維持する正義ではなく、
ないと思いますが、立法府が制定した法律に対する審査である、
法律が憲法に違反しているかどうかを審査する過程において、
各種の価値を衡量する正義だということになると思います。
ということがもっとも基本的な意味だと思います。
続きまして、許先生からいただきました二つの質問について
許先生の二つ目のご質問についてお答えします。
(大
ですが、
まず、
最初のご質問は、
翻訳あるいは用語の問題でした。 続いて、
法官会議は、立法府の制定した法律が合憲かどうかを審査する機
いわゆる「立法形成空間」と「立法裁量」という用語は、どち
北法63(5・78)1378
台湾における社会権保障の現状と問題点
法律が民主的決定である以上それを厳格に審査することはできな
コントロールするために設けられたものであるにもかかわらず、
し、大法官は、六一七号解釈において、司法審査が民主的決定を
かですが、大法官はおそらくこの矛盾を認めないでしょう。しか
視して自らその審査を回避することが)矛盾していることは明ら
いう問題につきましては、率直に申し上げてさらに検討する必
し上げたとおり、
「快適生存権」が権利と言えるかどうか、と
存権」に区別して把握する、というものです。報告において申
つまり、台湾憲法一五条の生存権を「基本生存権」と「快適生
私は、
報告においてひとつの観点を提起させていただきました。
周宗憲(台灣・国立勤益科技大学助理教授)
まず、岩本先生
のコメントに感謝いたします。大きな示唆をいただきました。
関であるにもかかわらず、大法官が立法府の多数による決定を重
い、と述べており、やはり矛盾していると思います。
の司法審査に関する学説や実務の進展を刺激できれば、と思っ
らず批判がございます。私もこのような批判をとおして、台湾
界においても、六一七号解釈と六四九号解釈をめぐって少なか
です。このような大法官解釈の問題につきましては、台湾の学
法形成空間が存在していないかのような大法官解釈になるわけ
法形成空間だ、といい、立法府の決定に反対する場合には、立
つまり、立法府の決定に賛成する場合には、大法官はこれが立
憲法にもとづいて救済を求めることができません。私は、日本
となるものならば、
立法府がそれを具体化するまでは、国民は、
適生活権」が立法府による具体化を待ってはじめて具体的権利
に属する権利である、とのご指摘もありました。しかし、
「快
等や配分の正義に関わるもので、
ロールズのいう「憲法的正義」
うお話しがありました。また、快適生活権は、社会的経済的平
低生活権」と「快適生活権」に区別しているものがある、とい
ます。しかし、岩本先生から、日本の有力説にも、生存権を「最
ところが、
大法官は、
六四九号解釈において態度を急変させ、 要があると思っております。
立法府の決定に積極的に干渉しました。おそらく大法官は、司
岩本先生がコメントにおいて指摘されたとおり、権利は司法
法審査ごとに、
予め自分の立場を設定しているよう思われます。 府によって執行されるものである、と伝統的に理解されており
ております。ご指摘いただき、ありがとうございました。
る具体化を待ってはじめて権利となるものであるならば、法律
の憲法学説も読みましたが、いわゆる抽象的権利が立法府によ
鄭明政(司会) 黄先生、
ありがとうございました。続きまして、
周先生にご発言いただきたいと思います。
北法63(5・79)1379
シンポジウム
台湾憲法一一条と、猥褻物品の販売、製造、陳列等の犯罪に関
いう問題について伺います。六一七号は、言論の自由に関する
対する)態度に違いがある理由をどのように理解すべきか、と
官解釈が六一七号と六四九号において示した(立法形成空間に
鈴木賢(北海道大学法学研究科教授) 黄先生と周先生にそれ
ぞれひとつずつ伺いたいと思います。まず、黄先生には、大法
質問がございましたら、お願いいたします。
いう問題提起に関するご意見も含めまして、周先生に対するご
鄭 明 政( 司 会 )
周先生、ありがとうございました。日本の憲
法学説における抽象的権利が本当に権利といえるかどうか、と
のでしょうか。
権利ではないというのでしたら、なぜそれを抽象的権利という
は、果たして存在しておりますでしょうか。そのような権利は
具体化を経てはじめて具体的権利となるような権利というもの
から、この場を借りて質問させていただきます。立法府による
いる先生方のほとんどは、日本の憲法学の代表的な研究者です
利は、司法による救済を得られません。本日ご出席いただいて
う疑問を抱えております。法律に具体化されていない抽象的権
に具体化される前段階のものは果たして権利と言えるか、とい
とにつきましては、先生ご指摘ように理解できるかもしれませ
黄舒芃 鈴木先生、ご質問をいただきありがとうございました。
自由権と財産権のどちらを大法官が重視しているか、というこ
いの人々に支給しているのでしょうか。
この社会救助法に基づく現金の支給額はどの程度で、どのくら
は明らかに最低賃金よりも支給額が高いわけです。台湾では、
と思いますが、日本では、生活保護法に基づく支給額が最低賃
した。この社会救助法は、日本における生活保護法に相当する
続いて、周先生に対する質問ですが、台湾では、社会救助法
に基づいて、現金が給付される場合があるとのお話しがありま
しょうか。
い う よ う な 大 法 官 の 姿 勢 が あ る、 と 解 釈 す る こ と は で き る で
ども、経済的権利に対する制約については厳しく審査する、と
り立法府による自由権の侵害については緩やかに審査するけれ
が問題となっています。そこで、自由権を制約する法律、つま
視覚障害者でなければ従事できないという内容の規定との関係
と、心身障害者保護法三七条、つまりマッサージについては、
平等権に関する台湾憲法七条、勤労権に関する台湾憲法一五条
五条との関係が問題になっています。それから、六四九号は、
金よりも高いことが問題になっております。例えば、北海道で
する台湾刑法二三五条に関するもので、憲法一一条と刑法二三
北法63(5・80)1380
台湾における社会権保障の現状と問題点
的な態度を示しております。このような態度は、租税に関する
法官は往々にして立法府や行政機関に有利な判断を下し、放任
きると思います。例えば、租税法に関する大法官解釈では、大
民の財産権を重視しているわけではない、と説明することもで
私は、ここで別の大法官解釈を紹介して、大法官は必ずしも国
な審査が行われている、
という理解もできるでしょう。しかし、
題視しているために、財産権を侵害する法律に対してより厳格
ん。つまり、大法官は、財産権の侵害を自由権の侵害よりも問
鈴木賢 現金給付のみでは生活できない、
という意味でしょうか。
周宗憲 はい、その通りです。
ティブがあるだろうと思います。
と思います。ですから、社会救助受給者は仕事に就くインセン
会救助法に基づく現金給付だけに頼って生活することは無理だ
金は約一万九千台湾ドルですから、台湾では、仕事をせずに社
で一万二四四台湾ドルとなっています。現在の労働者の最低賃
万一千八三二台湾ドル、台中市で一万三〇三台湾ドル、台南市
一千八九〇台湾ドル、そして、今年直轄市になった新北市で一
事案において常にみられるものですから、大法官が一貫して財
産権を重視している、ということは難しいように思われます。
わっていなければなりません。つまり、最低生活費水準以下に
申請要件として、貧困者は、収入がいわゆる「貧困線」を下ま
につきましては、調べたことがございます。貧困者の社会救助
額については、わかりません。ただ、台湾の最低生活費の水準
憲法にはそうした法的規範と政治的規範が渾然一体となって定
を有するものと弱い効力しか有していないものがある、つまり、
す。しかし、私は、憲法上の権利には法的規範として強い効力
法的権利か、という二者択一的な議論が多かったように思いま
が、
もともと日本でも、生存権をめぐっては、プログラム規定か、
中村睦男(北海道大学名誉教授) 先程、周先生から抽象的権
利は権利といえるか、という趣旨のご質問があったと思います
鄭明政(司会)
それでは、先ほど周先生からお話しいただい
た疑問について、ご回答がありましたら、お願いいたします。
なってはじめて社会救助法に基づく現金給付を請求できるわけ
められている、と考えております。
周 宗 憲 鈴 木 先 生、 ご 質 問 を い た だ き あ り が と う ご ざ い ま し
た。申し訳ありませんが、台湾の社会扶助における現金の支給
です。その最低生活費水準につきましては(地域ごとに異なっ
それから、周先生へのご質問ですが、周先生のご報告におい
ており)
、二〇一二年の統計資料によると、台湾省で一万二四
四台湾ドル、台北市で一万四千七九四台湾ドル、高雄市で一万
北法63(5・81)1381
シンポジウム
て、医療扶助を受けるには保険に加入しなければならないとの
そのため、生活保護予算の半分が医療扶助に使われており、現
となっており、医療機関で診察代を支払う必要はありません。
黄舒芃 私からも補足させていただきます。この問題につきま
しては、医療費の自己負担と純粋な自費医療を区別して話をす
周宗憲 そうです。それぞれの病気によって異なります。
鈴木賢 では、自己負担の程度はどのぐらいでしょうか。疾病
によって異なっているのでしょうか。
在では、生活保護受給者の医療機関での自己負担についても議
るべきだと思います。自己負担については、生活困窮者、いわ
お話しがあったと思いますが、日本の生活保護法では現物給付
論されているところです。そこで、台湾の全民健康保険制度に
全民健康保険制度において、すべての疾病に対する医療サービ
否することができない、と判示されています。しかし、現在の
付できない低所得者に対して、国家が医療サービスの提供を拒
周宗憲 現在の台湾の健康保険制度は、強制加入です。この問
題については大法官解釈(釈字四七二号)があり、保険費を納
場合、社会救助法が適用されている人ならば、自己負担分を免
療費を支払わなければなりませんが、対象になっている病気の
対象になっていない病気の場合、低所得者であっても自分で医
険制度において、給付対象となっている病気は限られており、
費を全額自己負担しなければなりません。つまり、全民健康保
険制度による給付の対象外となっている疾病については、医療
おいて、
患者の自己負担がどの程度なのか、
伺いたいと思います。 ゆる低所得者の健康保険費は、(全民健康保険法二七条により
スが無料で提供されているわけではありません。そして、病気
政府が負担するため)全額免除されています。しかし、健康保
によっては、
一部を自己負担しなければなりません。もちろん、
このことは、
台湾の現在の財政状況を考慮した結果なのですが、 除されるわけです。
ビスを受けられません。このように、台湾の制度には日本と異
このような難病を罹ってしまった低所得者は、事実上医療サー
長時間にわたりありがとうございました。
ここで本日のシンポジウムを終了させていただきます。本日は
鄭明政(司会) ありがとうございました。まだ質問等もある
ことと思いますが、
すでに予定した時刻を過ぎておりますので、
滅多に罹る人のいない難病の医療費はきわめて高額ですから、
なる部分もあります。台湾の全民健康保険制度は、強制加入で
すが、医療費をすべて公費で賄っているわけではありません。
北法63(5・82)1382
Vol.63 No.5(2013)
The Hokkaido Law Review
THE HOKKAIDO LAW REVIEW
Vol. 63 No. 5(2013)
SUMMARY OF CONTENTS
International Symposium
Present Status and Problems of Social Security Rights in Taiwan
Ming-Cheng Cheng*
This is a record of presentation and discussion of "The Present Status
and Problems of Social Security Rights in Taiwan." An International
Symposium, which was held at Hokkaido University Public Law Study Group
on August 24, 2012. This symposium was funded by the Foundation for
EFICSS (Egusa Foundation for International Cooperation in the Social
Sciences). This report is also part of my JSPS Project (Japan Society for the
Promotion of Science Grant-in-Aid for Research Activity Start-up) which is
titled "Judicial Relief and Promotion of the Right to a Decent Life" (Project
Number: 23830002). From the perspective of constitutional rights, this project
must establish an effective remedy in judicial review. It must help to clarify
the normative content of the right to a decent life, the present study to
overcome the problem of extensive legislative discretion, and negative judicial
in litigation related to social rights.
In this symposium, I invited presenters who specialize in the study of the
Constitution of the United States, Japan, and Taiwan, and have the same
awareness of the problem as I am conscious of. The fist presenter is Dr.
*
Assistant Professor of School of Law, Hokkaido University
E-mail: [email protected]
Ⅰ
北法63(5・328)1628
Vol.63 No.5(2013)
The Hokkaido Law Review
Ching-Hsiung HSU professor who has served in Tamkang University in
Taiwan. His paper is entitled "A Verification of Taiwan and Japan's
constitutional system:Focusing on protection of social rights and Dissolution
System", which pointed out the problems with the current status of social
rights and the Social Security system in Taiwan. In addition, it also pointed
out problems within the operation of system dissolution in Japan. The second
presenter is Dr. Shu-Perng HWANG associate research professor who is
working in the Academia Sinica of Taiwan. Her subject is "Legislative
Discretion on Social Welfare Policies in Light of Constitutional Review", which
reported the attitude of judicial review for legislative discretion in social
security legislation of Taiwan. The third presenter is Dr. Tsung-Hsien CHOU
who has served in National Chi-Yi University of Technology. The title of his
paper is "National Relief For The Poor Amongst Class Societies: A Study of
Taiwanese Law." Which pointed out issues of operation within the Public
Assistance Act and National Health Insurance system in Taiwan. For
comments, Dr. Ichiro IWAMOTO professor who has served in Hokusei
Gakuen University, through the concept of "constitutional justice" of Rawls,
explained the social rights.
Finally, the recording of the papers and discussion in this symposium,
which is even a little hope can contribute to the further development of the
research on social rights in Japan and Taiwan.
北法63(5・327)1627
II
Vol.63 No.5(2013)
The Hokkaido Law Review
Minorities and Citizenship
Lucas Swaine*
This lecture examines the condition of Muslim minorities in advanced
democracies, and uses this discussion as a way to consider some challenges
facing minority groups, paying special attention to the situation of Ainu
people in Japan. The lecture has two parts. In the first part, it outlines some
noteworthy issues facing Muslims in democracies, and it examines the
pressing question of whether Islam is compatible with democracy. In the
second part, it expands the discussion, to see whether the case of Muslims
might provide ideas for enhancing and improving the condition of ethnic and
indigenous minorities in general, and to advance common citizenship for
them. It provides reflections on three topics where there are some special
concerns for the Ainu community. These are the topics of loyalty,
assimilation, and the memory of historical injustice. It addresses these topics
in order, and it trys to apply findings from the case of Muslims, to help to
illuminate some of the points.
*
Dartmouth College
III
北法63(5・326)1626
論 説
税理士制度と納税環境整備(2)
―― 税理士法 33 条の2の機能 ――
川 股 修 二
目 次 はじめに
第1章 税理士制度の問題点
第1節 税理士法第1条の沿革
第2節 税理士の責任
(前号に掲載)
第3節 税理士制度の内部構造の問題
第1款 税理士法の実体法としての問題点
第1項 税理士法上の権利義務と責任
第2項 税理士法上の問題点
第2款 税理士制度の内部的問題
第1項 税理士の使命論からみた税理士制度の内部的問題
第2項 税理士の専門性の維持に関する税理士制度の内部的問題
第4節 まとめ
(本号に掲載)
第2章 諸外国の税理士制度・他の専門家制度
第3章 税理士制度と納税環境整備
第4章 税理士法33条の2(書面添付制度)の役割
結びに代えて
[1]
北法63(5・324)1624
税理士制度と納税環境整備(2)
第3節 税理士制度の内部構造の問題
本節では、前節での税理士の置かれている苦境を受けて、本来、それ
を下支えするべき税理士制度がどのような機能不全を抱えているかを検
討する。その分析をする際に、税理士制度の内部に存在する問題点を税
理士法の実体法としての問題点と税理士制度それ自体が抱える問題点に
区分して整理し、さらに、それぞれを、前者においては、税理士法上の
権利義務と責任に関するものと実体法上の問題点に分けて検討する。そ
して、後者の税理士制度の内部的問題については、税理士の使命論から
生じる内部的制度問題と専門家としての税理士が維持しなければならな
い制度問題を区分し検討する。
第1款 税理士法の実体法としての問題点
第1項 税理士法上の権利義務と責任
1.税理士法上の権利義務
税理士は、税理士法によって種々の権利を有し、また、義務を負う。
これらは、税理士が専門職業人であることに由来するもの、そして、納
税者の代理人であることに由来するものに区分することができる1。この
権利や義務は、税理士業務が適正になされることを担保する目的から存
在している。とりわけ、税理士法上の権利義務で本稿との関係で問題と
なるのは以下の権利義務である。
1
税理士法上の権利・義務は、①代理の権限を明示する義務(30条)
、税理士
証票を呈示する義務(32条)
、
書面添付権(33条の2)
、
脱税相談の禁止(36条)
、
信用失墜行為の禁止(37条)
、研修を受ける義務(39条の2)
、事務所設置の義
務(40条)
、助言義務(41条の3)
、業務の制限・停止(42条、43条)②一定の
事項について特別の委任を受けるべき義務(31条)
、調査の通知(34条)
、意見
の聴取(35条)
、秘密を守る義務(38条)等がある。これらの義務につき、そ
の内容を整理すると、金子宏名誉教授は①を税理士が専門職業人であることに
由来する義務とし、②を税理士が納税者の代理人であることに由来すると区分
している。
(金子宏『租税法(第16版)
』弘文堂、2011年、155頁。
)
北法63(5・323)1623
[2]
論 説
(1)税務代理権の明示(税理士法30条)と真正の税務代理権
税理士と委嘱者が委嘱契約を締結すると、税務代理権、代行権が生じ
る。そして、税理士法30条2は、税務代理権の明示義務を規定している。
これは、訴えの提起、不服申立などの私人の公法行為を代理人が行う場
合、その代理人の行為が被代理人の授権によるものであるのかを証明す
る必要があるとして規定されている。さらに、その方法として、代理行
為の際に同時に本人から授権のあったことを示す書面(税務代理権限証
書)の提出を義務付けている。そして、それは、現在および将来の代理
行為の有効要件の判定を容易にし、後日の紛争を防ぐという効果を持つ
ものである3。なお、税理士が税務代理を行う際に税務代理権限証書を提
出しない場合には、税務官公署はその税務代理を拒絶することができ
る4。税理士からその書面の提出があった場合、税務官公署は、その真偽
を疑われるような特段の事情のない限り、真正の代理権が存在するもの
として取り扱うことが許される。書面の提出のない税理士の代理行為を
税務官公署が認めたとき、あるいは、提出された書面に明らかな誤りが
あるにもかかわらず代理行為を認めたとき、しかも、それが過去の行為
である場合には、証拠により税理士に真実の代理権があると証明される
限り、無権代理ではなく有効な行為である5。
この納税者に対する税理士の真正の税務代理権には、重大な問題が内
存している。それは、税理士法が税務代理権に種々の規制をしているこ
とに起因する。たとえば、税理士法33条は、税理士が作成し税理士とし
て署名押印した申告書にも本人が署名押印することを要求している。真
正の代理人であれば「納税者甲某・右代理人税理士乙某」として申告書
に署名押印すれば足りるはずである。しかしながら、納税義務者本人の
署名押印を求めている理由は、納税義務の確定は本人及び税務官公署に
2
税務代理の権限の明示と題して税理士法30条は、
「税理士は、税務代理をす
る場合においては、その権限を有することを証する書面を税務官公署に提出し
なければならない」 と規定している。
3
斉藤祐三「税務代理行為と代理権証明」税務弘報17巻4号88頁。
4
東京地裁昭和39年11月28日判決判例タイムズ172号227頁。
5
東京高裁昭和42年4月27日判決(東京地裁昭和39年11月28日判決の控訴審)
。
[3]
北法63(5・322)1622
税理士制度と納税環境整備(2)
とって極めて重要なものであるからと説明している6。また、現行実務は、
仮に、税理士の署名義務を履行せず、税理士の署名が無い申告書が提出
されても、税理士の署名の有無が書類の効力に影響を与えないと解され
ている。つまり、税理士が行使する税務代理権および代行権は、真正の
代理権及び代行権とは、異なる様相をみせているのである。さらに、税
理士法34条によれば、税務調査は本人に通知し、あわせて、税理士に通
知することになっている。しかしながら、税務調査の通知なしに、税理
士に連絡することなく、納税者に対して質問検査権を行使する場合が常
態化している。これらは、上述のように納税者の税理士に対する信頼関
係を著しく損なわせ、納税者の納税モラルを引き下げることになる7。
(2)税理士が専門職業人であることに由来するもの
① 書面添付権(税理士法33条の2)
税理士が申告納税方式による課税標準等を記載した申告書を作成した
場合、税理士法33条の2の1項は、
「当該申告書の作成に関し、計算し、
整理し、または相談に応じた事項」などを記載した書面を当該申告書に
添付することができると規定し、また、当該2項において、他人が作成
した申告書につき相談を受けて審査したとき、当該申告書が法令に従っ
て作成されていることなどを記載した書面を添付することができると規
定している。これを書面添付制度という。この計算事項等を記載した書
面及び審査事項等を記載した書面を添付する制度は、税理士が納税者と
共に、自らが作成した申告書に税務の専門家としてどの程度どのように
関与したのかを明らかにするとともに、税務官公署もこれを尊重して税
務行政の円滑化と簡素化を図ることを目的とし設けられたものである8。
なお、計算事項等を記戦した書面を添付した申告書、または、審査事項
等を記載した書面を添付した申告書について、
税務署長などが税務調査、
6
日本税理士会連合会『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、146頁。
7
北野弘久「現行税理士制度における税務代理の性格と問題」税法学154号6
~7頁。新井隆一「座談会 / 税理士法改正をめぐる問題点」税理20巻14号28頁。
北野弘久『税理士制度の研究』税務経理研究会、1995年、6頁。
8
日本税理士会連合会『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、154頁。
北法63(5・321)1621
[4]
論 説
更正、不服申立に関する調査を行う場合は、その税理士に対して意見を
述べる機会を与えなければならない。したがって、この制度は、課税庁
が税理士の権利行使により書面記載された「理由」・「主張」を審理すべ
きことを規定し、さらに、税理士の課税庁に対する意見の聴取義務、つ
まり、税理士の意見陳述権を規定している。
(税理士法35条1項、2項、
3項)。しかしながら、この制度は、税務行政の円滑化と簡素化を図る
ことを目的とし設けられたものであるにも関わらず、制度の運用面で問
題を抱えている。それは、課税庁が制度の趣旨を理解せず、書面を添付
した申告書であるにもかかわらず、税理士の意見聴取権を尊重せず、納
税者に直接通知をして質問検査権を行使する場面が散見されるためであ
る。これらは、とりもなおさず、税理士法上の税理士の権利規定を侵害
しているといえる。
② 脱税相談の禁止(税理士法36条)
税理士法36条9は、税理士の脱税相談などを禁止するとともに、脱税
相談などに応じ、本条に違反した行為をした税理士に対して、懲戒処分
や刑事罰を科している10。本条が禁止する行為は脱税相談であり、節税
や租税回避行為などの指示及び相談は、その禁止するところではない。
脱税相談の対象となる「国税」、
「地方税」は税理士の独占業務の対象と
なる租税(税理士法2条)だけでなく、すべての租税であると解されて
いる11。したがって、税理士の独占業務の範囲内に含まれない印紙税、
登録免許税、関税などについて脱税相談に応じた場合にも違反となる。
税理士が委嘱者の脱税の事実をただ知っているだけであって、それに
関与しない場合や誤って脱税相談などに応じた場合など、税理士が消極
的に関与したときには、本条違反は生じない。つまり、税理士が脱税の
「指示をし」、「相談に応じ」または「これらに類似する行為」などの積
9
「
税理士は、不正に国税若しくは地方税の賦課若しくは徴収を免れ、又は不
正に国税若しくは地方税の還付を受けることにつき、指示をし、相談に応じ、
その他これらに類似する行為をしてはならない」と規定している。
10
1年以内の税理士業務の停止又は税理士業務の禁止の懲戒処分、なお、
「相
当な注意を怠り」違反行為をした場合には、戒告又は1年以内の税理士業務の
停止(税理士法45条)
、
3年以下の懲役又は200万円以下の罰金(税理士法58条)
。
11
日本税理士連合会編『新税理士法要説(6訂版)
』2010年、119頁。
[5]
北法63(5・320)1620
税理士制度と納税環境整備(2)
極的な行為をした場合に違反が生ずるのである12。また、税理士が納税
義務者の脱税相談などに応じあるいは納税義務者に脱税あるいは不正な
還付請求を示唆した場合、当該納税義務者がほ脱行為ないし不正な還付
請求をしない場合でも本条違反が成立すると解されている13。なお、納
税義務者の行為が税理士法36条の禁止するほ脱行為などである場合は、
税理士も税理士法違反の責任を問われるとともに、ほ脱行為の共犯とも
考えられるので、法人税法あるいは所得税法上ほ脱犯の責任を問われる
可能性がある14。この脱税相談の禁止に関しては、税理士法45条におい
て、
特別な懲戒規定が用意されている。もちろん、社会的倫理において、
法令を逸脱するところの脱税行為は許されるものではない。しかし、こ
の規定の適用要件が抽象的であり、たとえば「脱税」における消極的関
与と積極的関与という文理解釈が不安定であることなどが懸念され、こ
の規定が本来の目的を見失い暴走して税理士の自治権を脅かすことにな
らないようしなければならない。
③ 使用人監督義務(税理士法41条の2)
税理士法41条の2によって、税理士は使用人およびそのほかの従事者
を監督する義務が課せられている。
民法には使用者責任があることから、
別段に使用人監督義務を制定する必要はないとして、この義務の導入に
ついては反対も強かった。しかし、昭和55年の法改正において使用人に
12
本条において「指示をし」とは、脱税などについて具体的な方法を教示す
ることであり、
「相談に応じ」とは、脱税の具体的方法について相談相手とな
り、肯定的な回答をすることである。そして、
「これらに類似する行為」とは
脱税を企図させる意思をもって納税義務者に具体的な見解を表明するなどして
脱税を示唆する行為である。
(日本税理士連合会編『新税理士法要説(6訂版)
』
2010年、119頁。
)
。
13
日本税理士連合会編
『新税理士法要説
(6訂版)
』
税務経理協会、
1999年、
119頁。
14
松沢教授は、税理士が納税義務者と共同してほ脱行為をし、税理士の本分
を超えた場合には法人税ほ脱犯などの共同正犯のみが成立し、一方、税理士が
既にほ脱の意思を有する納税義務者の相談に応じるなど受動的にほ脱行為に関
わった場合には税理士法違反のみが成立するとする。松沢智『税理士の職務と
責任(第3版)
』中央経済社、1996年、203頁。東京高裁昭和41年2月18日判決
は、税理士を法人税ほ脱犯の共同正犯とした。また、東京地裁昭和63年9月27
日判決では、税理士が相続税法違反で2年に実刑判決が下されている。
北法63(5・319)1619
[6]
論 説
よる非違行為が多かったことを理由に創設されたのである。税理士がこ
の義務に違反する場合には、
一般の懲戒を受けることになる。そのため、
使用人に対する監督を民事責任だけでなく懲戒責任を追及することで担
保しようとしたことが立法理由と考えられる。この義務は、税理士の独
自のもので、弁護士などほかの士業にはみられない規定である15。その
ようなことから、そもそも、税理士法についてのみこのような規定が必
要であるのかという疑問がある。さらに、この規定の必要性を積極的に
説明する合理的な理由が見当たらない。
他方で、「名義貸し」という税理士法違反行為がある。これは、税理
士法2条2項が税理士業務に付随した会計業務を厳格に独占業務と規定
していないことに起因する。そもそも、会計業務は、何人も自由に業務
として依頼者に提供することができる。
その結果、税理士の監督下にあっ
た使用人が税理士の監督下を離脱し、関与先に会計業務を提供する目的
で起業することがしばしばみられる。そうした会計業務は、税務申告に
直結する場合が多い。そこで、当該使用人は、税理士資格を有する者に
「名義を借り」
、名義借料を支払い、税務申告書を作成して、関与先に提
供しているという違反行為が行われる。これらの元使用人は、適正な納
税義務を履行することができないため、税務調査等で関与先から信頼を
失うことになる。その結果、関係した税理士のみならず、専門家である
他の税理士の依頼者からの社会的信頼を破壊することになる。
④ 助言義務(税理士法43条3)
助言義務規定16の対象は、政府解釈(昭和54年6月1日、衆議院大蔵
15
昭和54年6月5日衆議院大蔵委員会、福田発言は、委任事務は受任者であ
る税理士本人が処理すべきであるとの関係から、司法書士の補助者は5人と決
まっているがごとく、
税理士の使用人の数もこのようにする案も考えられたが、
この案は勤務税理士をどう数えるかなどの問題があり断念されたとしている。
(日本税理士連合会編『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、179頁。
)
16
一つの解釈は、税理士法41条の3は倫理的義務ないし確認規定であるとし
て、この説によれば、助言義務違反は結局のところ脱税相談の禁止(税理士法
36条)あるいは不真正税務書類の作成の禁止(税理士法45条)に該当すること
になるから助言義務違反について懲戒責任を問題にする余地はないとする解
釈である。
(松沢智『税理士の職務と責任(第3版)
』中央経済社、1996年、96
[7]
北法63(5・318)1618
税理士制度と納税環境整備(2)
委員会、福田幸弘政府委員答弁)が言うように、そのほとんどが脱税相
談の禁止または不真正税務書類の作成禁止に包括される。また、税理士
が助言したにもかかわらず、委嘱者が助言に従わなかった場合は、助言
義務違反にならない17。そうであれば、この規定の効果はどこに求めら
れるのかという疑問がある。この規定は、脱税相談の禁止(税理士法36
条)に抵触するほどの積極的な脱税相談までには、至らないが、税務の
折衝の過程において、たとえば、委嘱者の「故意」を前提として、明ら
かに、二重帳簿がある、もしくは、仮装預金があるという客観的事実が
あったとき、その事実を是正するように助言することを要求している。
つまり、不真正税務書類を作成しようとする途中の段階で是正助言をす
ることで、不正を予防する効果を期待する規定であり、倫理的な趣旨を
含んだ訓示規定であるといえる。
しかし、税理士が「不正の事実」を知りながら、そのままその委嘱者
について税理士業務を継続する場合には、不真正税務書類の作成(税理
士法45条)などに該当することになる。すなわち、この規定が懲戒を予
定する規範規定として強く機能するもとで、税理士は、
「不正の事実」
を発見したとき、それを是正することを助言するとともに、委嘱契約18
を解除しなければならないことになる。このように解すると、そもそも、
この規定が、税理士をして納税者の納税倫理に効果を最大に発揮させる
~ 99頁。
)
。もう一つの解釈は、
政府解釈
(昭和55年3月27日、
参議院大蔵委員会、
福田答弁)で、税理士法41条の3は税理士の倫理的義務を規定している点では
倫理規定であるが、助言義務違反が税理士法第46条の一般懲戒の対象となると
いう意味では法規範であることになる。この説によれば、脱税相談の禁止ある
いは不真正書類の作成の禁止に該当せず助言義務違反だけに該当する場合があ
り、この意味で税理士法41条の3は法規範たる意義を有する。すなわち、税理
士が「不正な事実」があることを知っていたときに助言をせずに顧問契約を解
除した場合でも、助言義務違反として税理士法46条の一般懲戒の対象となると
する。
17
日本税理士連合会『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、1854頁。
18
税理士業界では、依頼者との委任契約をする場合、委嘱契約書という雛型
を使用する習慣がある。委嘱とは、一定期間、特定の仕事を他の人に任せるこ
とをいう。行政では、審議会・調査会などの委員に、民間人やその行政機関に
属さない公務員を任じることをいう。
北法63(5・317)1617
[8]
論 説
ことになるであろうか。つまり、税理士は、納税者に対して、根気よく
納税倫理の啓蒙をすべきであるといえるところ、この規定が存在するた
めに納税者との委嘱関係が不安定になるという弊害があるのではない
か。この点につき、
「税理士は委嘱契約によって生計を立てており、解
除することを想定することも困難である。また、依頼者の不正は税理士
が関与しない申告あるいは別の税理士の関与の下になされた申告などで
考慮すれば足りると考えられる。
」との見解もある19。いいかえれば、税
理士が委嘱者の積極的な脱税行為でない限り、わざわざ、委嘱契約を離
脱して、生活の糧を失う必要はない。この規定は、倫理を盛込んだ訓示
規定として機能すべきであり、懲戒と強く結びつき必要はないと考えら
れる。
(3)納税者の代理人であることに由来するもの
① 調査立会権(税理士法34条)
調査立会権は、税理士法34条に規定されている20。この調査立会権に
対して、
所得税法234条の質問検査権に関する最高裁判決は、調査の範囲、
程度、時期、場所など実定法上特段の定めのない事項は税務職員の合理
的な選択に委ねられていると判示した21。この判決を受けて学説は、税
務職員が税理士に調査の通知をしないなど本条に違反しても、税理士は
税務職員の責任を追及することはできないとしている22。その結果、実
務では税務官公署の判断により税理士に対して納税者にかかる調査の通
知がなされないことがある。実際のところ、税理士が会計帳簿の記入の
依頼を受けている場合も多く、納税義務者本人では説明ができない場合
がある。本条適用の射程が、税理士本人がいない間に税務署が現況調査
19
小林博志「税理士の権利と義務」日税研論集№24『税理士制度』
1993年、
80頁。
20
税務職員に対して、
「租税の課税標準等を記載した申告書を提出した者につ
いて、
・・・日時場所を通知してその帳簿書類を調査する場合において・・・
30条の規定による書面を提出している税理士があるときは、あわせて当該税理
士に対しその調査の日時場所を通知」する義務を課している。
21
最高裁昭和48年7月10日判決、訟務月報19巻9号127頁、同旨、最高裁昭和
58年7月14日判決、訟務月報30巻1号154頁。
22
日本税理士連合会編
『新税理士法要説6訂版)
』
税務経理協会、
1999年、
114頁。
[9]
北法63(5・316)1616
税理士制度と納税環境整備(2)
をすることが可能であるとするならば、それは、税理士の調査立会を認
めないことに等しく、税理士の存在を否定することになりかねないとい
える。
② 意見聴取権(税理士法35条)
税理士35条1項によれば、33条の2の「計算事項等を記載した書面」
または
「審査事項等を記載した書面」
が添付されている申告書について、
調査する場合、税務代理権限証書を提出している税理士があるときは、
その調査通知をする前に、その税理士に対し、その書面に記載された事
項に関し意見を述べる機会を与えなければならないとしている。この規
定は、平成13年の改正により設けられたものであり、税理士の税務専門
家としての立場を尊重して付与された税理士の権利の一つとして位置づ
けられる。また、税務執行の一層の円滑化及び簡素化を図るため、この
意見の聴取によって申告書の内容に疑義がなくなった場合には、実際に
帳簿書類の調査に至らない場合もあり得るとされている23。さらに、税
理士法35条2項は、税務署長などが更正をする場合、つまり、更正前の
意見聴取も、同様に、当該書面を添付した税理士に対して意見を述べる
機会を与えなければならないとして、税務署と税理士との間で認定した
事実や法令の解釈が異なった場合に税理士に意見を述べさせることに
よって両者の意見を調整し、税務行政の簡素化と円滑化を狙ったもので
ある。また、税理士法35条3項は、不服申立事案の調査の際の意見聴取
権を規定している。これは、不服申立てについて、代理人として不服申
立てを行う税理士に対しても、
意見を述べる機会が与えられると規定し、
国税不服審判所と税理士との間の意見を調整し、行政争訟の簡素化と円
滑化を図る趣旨のものである。このように、この添付された書面の記載
事項に関する意見の聴取は、税理士に意見を述べる機会を与えるという
税理士法上の権利であるにもかかわらず機能不全に陥っている。つまり、
税理士法35条4項において、この規定による税理士の権利行使、すなわ
ち、意見表明は、税務調査に係る処分、更正または、不服申立てについ
ての決定若しくは採決の効力に影響を及ぼすものと解してはならないと
定め、この権利自体の効力を封じ込んでいるのである。これは、税理士
23
日本税理士連合会編『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、159頁。
北法63(5・315)1615
[10]
論 説
の正当な権利を形骸化するおそれがあるとして、強い批判を受けている。
このように、税理士法上の意見聴取権は、税理士の使命そのものに適う
ものであることから、納税環境整備の議論の中心に存置されなければな
らないといえる。
③ 守秘義務(税理士法38条)
税理士法38条は、税理士は業務上知り得た秘密を漏洩又は盗用しては
ならないと規定している。この守秘義務は、税理士の使用人も同様であ
る(税理士法54条)
。これに違反した場合には2年以下の懲役又は100万
円以下の罰金が科せられる(税理士59条1項2号)ほか、税理士業務の
禁止などの一般の懲戒処分(税理士法46、44条)が科せられる。とりわ
け、刑事罰が科せられているのは、税理士には依頼者である納税義務者
の資産など秘密に接する機会が多く、税理士がその秘密を漏らせば、納
税義務者は税理士に安心して依頼することはできないためであると説明
されている24。他方、医師、弁護士など職務上他人の秘密を知る職業人
に秘密漏洩に関しては、刑事罰として、6カ月以下の懲役あるいは10万
円以下の罰金が科されている(刑法第134条)
。これからみると、税理士
には医師、
弁護士よりも高度の守秘義務が課されていると考えられるが、
その差に対して、合理的な理由は存在するのであろうか。この問題に関
して、さまざまな見解が存在する。その一つとして、税理士の守秘義務
の内容あるいは範囲を論じるとき、弁護士と比較し、弁護士法では「職
務上知り得た秘密を保持する権利を有し、
義務を負う」(弁護士法23条)
に対して、税理士法では「秘密を守る義務」という規定だけで「権利」
という言葉は使われていないこと、また、訴訟上の証言拒否の規定が税
理士にないこと等を理由として、税理士の守秘義務は弁護士に比して広
いとしその差を是認する見解がある25。これに対して、弁護士と税理士
との違いは「活動の場」であって、一概に、弁護士と税理士の守秘義務
の違いを論じることはできないという反論もなされている26。さらに、
24
日本税理士連合会編『新税理士法要説(六訂版)
』1999年、120頁。
25
板倉宏、
加藤直隆「通知弁護士と税理士の守秘義務」税経通信37巻7号16頁。
26
関根稔「税理士の業務展開をめぐる知つておきたい事例と判例 / 税理士の
守秘義務」税理33巻8号49頁、また、松沢智教授は、弁護士は被告人が有罪で
[11]
北法63(5・314)1614
税理士制度と納税環境整備(2)
弁護士と税理士の違いという視点だけでは、税理士の守秘義務の内容、
範囲を論じることはできないとして、裁判での証言とか税務調査に関わ
る法律の趣旨などを勘案して論じるべきであるという見解がある27。し
かし、守秘義務規定はそれぞれ専門家制度で、とりわけ、重要な項目で
あり、税理士制度においても充分に検討されなければならない。すなわ
ち、税理士が国家に対して専門家として、依頼者との信頼を損なわない
ためにも、秘密を保持する権利の明文規定が必要である28。いいかえれ
ば、裁判での証言について、医師、弁護士など同様に業務上知り得た秘
密について証言を拒否できることが認められなければならない(刑訴
149条)
。
2.税理士法上の責任(特別の懲戒と一般の懲戒)
税理士が、その職責に反する行為をした場合には、財務大臣は、懲戒
処分をすることができる。そして、その懲戒処分の種類は、戒告、1年
以内の税理士業務の停止、
税理士業務の禁止が存在する(税理士法44条)。
さらに、
税理士法45条は、
脱税相談等をした場合の懲戒を一般の懲戒(税
理士法46条)とは区分して別に定め、あらためて、懲戒処分としての業
務の禁止、業務の停止、戒告の構成要件を規定している。これらは、税
理士法45条に掲げられた事由、すなわち、脱税相談等は、税理士として、
最も適当でない行為であるからである。それゆえ、税理士が、真正な事
実に反して税務代理や税務書類作成をしたとき、または、脱税相談を故
意に行った場合には、特別の懲戒として、業務の停止又は、業務の禁止
の処分を受けることになる。また、これらが過失でなされた場合には、
戒告か業務停止という懲戒に処するとしている。もっとも、懲戒処分は、
不利益処分であるから、その構成要件を明確に定めなければならない。
ある場合でもその事実を検察官に告知できないのに対し、税理士は顧客が脱税
をしていることを知った場合には助言義務とか脱税相談という規定の存在を示
して、弁護士と税理士の違いを「司法と行政の領域の違い」にあると説明して
いる。
27
小林博志「税理士の権利と義務」日税研論集№24『税理士制度』
1993年、
96頁。
28
大審院昭和5年2月7日判決大審院刑事判例集9巻51頁。税理士が顧客の
利益を守るために証言拒否権を行使せず証言しても処罰されていない。
北法63(5・313)1613
[12]
論 説
他方、税理士法46条では45条以外の税理士の違反行為について戒告、業
務停止または業務禁止という一般の懲戒処分を行うことを規定してい
る。上記の特別の懲戒が過失による違反行為への懲戒を明文で規定して
いるのに対し、一般の懲戒においては違反行為に対し過失によるものを
懲戒の対象にすることを明文では規定していない。このことから、一般
の懲戒については過失によるものは対象としないのではないかとの解釈
も生ずる。この点につき、一般的には、46条関連の過失による違反行為
は、結局は懲戒処分がなされないことになる事案が多いのではないかと
いう見解29がある。
一方、この懲戒処分は、財務大臣が執行することになる。懲戒の処分
がなされる場合は、あらかじめ、当該税理士を聴聞し、弁明の機会を与
えなければならない。その処分は、国税庁におかれている国税審議会に
諮り、その議決に基づいてしなければならない(税理士法47条4項)。
また、懲戒処分をするときは理由を附記した書面を当該税理士に通知等
をしなければならない(税理士法47条5項)
。
さらに、監督財務大臣は、税理士会及び日本税理士会連合会に対して
一般的監督権(税理士法49条の19)や総会の決議の取消し(税理士法49
条の17)を有している。他方、国税庁長官は、「税理士業務の適正な運
営を確保するために」という極めて、抽象的な要件のもとに、税務吏員
をして、税理士および税理士法人に対して報告の義務と質問検査権を行
使することができる
(税理士法55条)
。
この監督権の行使を妨げるときは、
刑法が発動し、30万円以下の罰金に処せられる(税理士法62条)
。これ
らの税理士に対する懲戒処分は、国税審議会に諮りつつも、財務大臣が
執行することになる。このように、税理士会には、国家の監督権が存在
している。つまり、現状では、税理士及び税理士会の自治権は確立され
ていないのである。
第2項 税理士法上の問題点
上述のように、税務行政という分野では、国、すなわち、課税庁が国
29
首藤重幸「税理士責任―民事上・行政上・刑事上―」日税研論集№24『税
理士制度』1993年、145頁
[13]
北法63(5・312)1612
税理士制度と納税環境整備(2)
家の財政確保をするという大きな機能を保持しなければならない。その
結果、税理士に国家の補助機関としての役割を期待する傾向があらわれ
る。他方、税理士も、税理士法の使命から、公共的な役割を与えられて
いることを認識しているといえる。この意味で、国と税理士は全面的に
対峙する関係に立つものではない。ところが、税理士業務は公共的使命
が強いにもかかわらず、契約による注義務違反として、責任を追及され
る税理士や「名義貸し」という不良行為を行う税理士が結果的に国家と
納税者を騙すような状況が散見される。このような事実を考慮すると、
税理士制度に国家の監督が及ばないような自治権を与え、申告納税制度
を前提として解釈権の行使を尊重することに国家が躊躇して、税理士法
上で税理士に対してさまざまな制約を課すという現状に陥っていること
も頷けるところである。
しかし、
その国家の税理士に対する不信感が、
その帰結として生じる、
税理士の専門家としての自律性と尊厳を損なうような実務上の運用(前
述)を通じて、納税者と税理士との関係を不安定にして、向かうべき方
向を逆方向に進むように作用しているのではないだろうか。たとえば、
納税者は、税理士に対して真正の税務代理権を与えているし、税理士も
それを享受している。また、調査の立会権も税理士の権利である。しか
し、強引な質問検査権の行使が税理士の真正な代理権を否定し、そのこ
とが、納税者の税理士に対する信頼関係を損なわせている事実があるこ
とは、前述したところである。他方で、租税倫理観の醸成や租税教育が
行き届いていないわが国では、いまだ、納税することを、「代官に年貢
を盗られる」というように捉えるむきも少なくない。それゆえ、税理士
は、税の現場で、税理士の職業倫理に基づいた納税者の租税倫理を涵養
させる必要があるのである。そうであるにもかかわらずその不信感がそ
れを妨げるように作用しているのではないだろうか。
さらに、同時に、一見矛盾する要請であるが、税理士業はビジネスと
しても成り立つ必要がある。したがって、
「霞を食べて生活はできない。」
ということになる。現実の問題として、納税者の納税倫理の欠如に税理
士が対応するとき、根気強い納税倫理の啓蒙とともに、適正な納税を実
現する道具が必要なのである。納税者の不正行為を発見した場合、納税
者との委任関係を終了することが納税者の租税倫理を高める効果を生む
北法63(5・311)1611
[14]
論 説
とは、到底、考えられないからである。そろそろ、国は、税理士会の紛
議調停機能や自浄機能を信頼してもよいのではないか。なぜなら、それ
を抑制する機能として、税理士会に対して終局的に国家の監督権が存在
しているからである。そして、税務行政の円滑化と簡素化を図ることを
目的とし設けられた税理士の書面添付権(税理士法33条の2)の制度を
活用することが必要ではないだろうか。
第2款 税理士制度の内部的問題
前述では、税理士法の実体法上の問題点を指摘してきた。ここでは、
現行の税理士制度の制度としての問題点について検討したい。この税理
士制度には、多様な問題が含有されている。そこには、大きく分けて、
①税理士の基本的な使命の在り方から、徴税機関の下請け又は補助機関
として位置づけられることを問題とするもの(第1項)と、税理士が職
業専門家であること、つまり、税理士の専門性(プロフェッション性)
を維持するために必要であるにもかかわらず不完全であることから問題
とされるもの(第2項)がある。
とりわけ、前者については、先に述べたような、税理士の使命を「独
立した公正な立場」から納税者の「納税義務の適正な履行」に求める立
場と、税理士の使命は国家と対峙して、
「納税者の権利擁護」を追求す
ることにあると考える立場とでは、問題意識に大きな差異が生じる。た
とえば、
税理士の使命が「納税者の権利擁護」であるとする視点からは、
納税環境の整備に関する税務支援30としてのアウトソーシングは、課税
庁の「下請け」として位置づけられ、批判される。さらに、税理士法第
33条の2の2項に規定する審査した書面の添付制度は、税理士をして国
家の徴税機関の補助者としての「税務監査」とされ、課税庁の税務調査
の一翼を担うとして、税理士の使命に反すると評価される。しかし、
「独
立した公正な立場」での「納税義務の適正な履行」に税理士の使命を見
いだす立場からは、そのような批判は、税理士の使命論からは抽出し難
30
たとえば、記帳指導、確定申告期における電話相談、相談会場における税
務相談(いわいる「無料相談」
)
、年金受給者への説明会等。
[15]
北法63(5・310)1610
税理士制度と納税環境整備(2)
く、納税義務者の信頼にこたえることにより、納税者の権利擁護するこ
とは当然に要求される、と反論されることになる。そして、その納税者
の権利擁護は、税務という特殊な領域であるがゆえに31、強い公益的使
命に画されているのであると説明される。それゆえ「公器」としての税
理士が、まず存在し、その中で納税者の権利は擁護されることになる。
そのように解すると、
いわゆる、
上記の「税務支援」や「税務監査」は、
異なる観点から位置づけられなければならないと主張されるのである。
他方、後者は、専門家制度の存続のための必須であり、税理士が真の
専門家として認知されるために重要な要件の不備にかかわる問題であ
る。したがって、税理士制度において、それらが不十分である場合は是
正されなければならない。この問題に関連して、税理士法2条2項の付
随会計業の税理士業務における位置づけ、試験制度を含む国家資格の付
与、税理士の「自立の問題」があげられる32。
第1項 税理士の使命論からみた税理士制度の内部的問題
1.税務支援に関する問題点
税理士法第1条は、税理士に、申告納税制度の下で、独立した公正な
立場から、
租税法に定める適正な納税義務の実現を要求している。また、
税理士には、税務に関する業務につき、有償及び無償にかかわらず、独
占が許されている33。他方、税理士会は小規模零細で経済的な弱者に対
31
第2節、第2款まとめを参照。
32
近時において、税理士損害賠償保険の加入義務の問題、補佐人税理士の法
廷における尋問権、補助税理士の税理士業務の法的な整理などがあげられるが
本稿では言及しない。
33
税理士法50条「国税局長は、租税の申告時期において、
・・・申告者等の便
宜を図るため、税理士又は税理士法人以外の者に対し、その申請により、
・・・
申告書等の作成及びこれに関連する課税標準の計算に関する事項についての相
談に応ずることを許可することができる。
」と規定している。税理法50条は、
国税局長が租税の申告時期、又は災害時に税理士以外の者に対し、無償で申告
書を作成し及び課税標準等の計算に関する事項について相談に応じることを許
可している。すなわち、税務の特殊性、つまり、税務事務の期間的集中から、
税理士は、勿論のこと、税理士以外の者に対しても、申告業務、相談業務を許
北法63(5・309)1609
[16]
論 説
する税務支援を税理士に要請している
(税理士法49条の2の2項9号)。
そして、これらは、申告納税制度を税理士法上で担保している支援とい
える。そのような意味から、税理士は、その職務の特性から生じる強い
公共性をもっていると解することができる。また、税理士が税理士業務
の無償独占を得ているのは、業務の独占を維持し、強化するためではな
い。そこには、無償独占に対する反射的な負担として、独立して公正な
立場において、つまり、自由業として独立して、納税者や国いずれの立
場にも偏らない公正な立ち位置を自らの意思で獲得するという使命から
くる公共的役割が要求されているのである。それゆえ、確定申告期にお
ける税務支援、経済的弱者に対する記帳指導に関する援助は、税理士の
使命から当然の業務として行われなければならない。このように、税理
士は、営利を追求する事業体では不可能である業務につき、営利を度外
視してまでも適正な納税を実現しようとするために、1日の数十人の確
定申告業務を引き受けるという過酷な業務を受け入れているのである。
これらの税務支援は、税理士の社会貢献として、税理士の社会的地位を
向上させるという評価をされなければならない。ところが、税理士法50
条は、国税局長を主語とした、臨時的に税務書類の作成等を許可するこ
とができるという特例規定にもかかわらず、本来の目的を離れ、無秩序
に商工会、農協、漁協の職員がその構成員に対して、継続的に税務申告
に直結する会計業務を提供することを黙認し、無償で税務申告書を作成
し及び課税標準等の計算に関する事項について相談に応じることを許可
34
する結果となり、既得権益化している 。このことが、納税者に対して、
税務に関する専門家は税理士のみとは限らないという混乱を与えてい
る。また、確定申告における税務支援は、当然の任務であるが、その運
営の方法が税理士を課税庁の「下請け」機関という印象を強く納税者に
与えているという問題がある。
このような、国家による税理士制度の運用をみると、税理士は、税理
可しているのである。
34
商工会等の青色申告に関する記帳指導は、国からの助成金を受けて実施さ
れ、毎月数千円程度の廉価な価格で会計業務を提供している。これは、税理士
のビジネス領域までも浸食する結果となっている。
[17]
北法63(5・308)1608
税理士制度と納税環境整備(2)
士の使命という崇高理念という「美しいお題目」を諳んじることで盲目
的に満足させられ、実際のところは、国家に「上手に手と足として使わ
れている。
」
のではないかとの不安を掻き立てられることも考えられる。
その意味から納税者の権利擁護を主張する立場に引き込まれていくとい
うことも頷けるところがある。だが、それを、税理士は、その使命から
「公器」としての役割があるということで、払拭しなければならないの
である。そして、こうした税理士側の正当な努力に見合う形で国家は税
理士制度の信頼を向上させるために尽力しなければならない。
2.税理士法33条の2第2項の審査した書面を添付することの問題点
税理士法33条の2第2項は、税理士が、他人の作成した申告書35で税
理士業務の対象となる租税のうち申告納税方式の国税等の課税標準等を
記載したものにつき、相談を受けてこれが適法に作成されているかどう
かを審査した結果、その申告書が租税に関する法令の定めるところに
従って適正に作成されていると認めたときは、その審査した事項とそれ
が適法に作成されたものである旨を記載した書面をその申告書に添付す
ることができると規定している。この制度は、他人の作成した申告書が
適法に作成されているかを税理士が審査し、納税義務の適正な確定を援
助するためのものである。また、審査した事項については、具体的に、
何について、どのようにして、どの程度審査したかを所定の書式にした
がって記載しなければならない。さらに、課税庁がその申告書を調査又
は更正する場合は、税理士法35条により、審査した税理士に意見を述べ
る機会を与えなければならないとしている。
35
「
他人が作成した申告書」とは、その税理士以外の者が作成した申告書をい
うのであるが、申告書は納税義務者本人が自ら作成する場合を除き、税理士及
び税理士法人以外の者が業として作成することを税理士法は禁止しており、ま
た、税理士と納税義務者とは個人的な信頼関係で結ばれているものであるだけ
に、税理士が作成した申告書について他の税理士又は税理士法人に相談するこ
とは現実問題として考え難いことから、納税義務者本人が自ら作成した申告書
あるいは納税義務者の使用人等が納税義務者の名において作成した申告書とい
うことになるであろう。
(日本税理士会連合会編『税理士法逐条解説(6訂版)
』
2010年、150頁。
北法63(5・307)1607
[18]
論 説
他方で、税理士法33条の2第2項の審査した書面を添付すること、つ
まり、
「税務監査」は、課税庁の補助機関として、税務行政が本来すべ
き業務を税理士が肩代わりするだけであり、その結果、税務吏員に対し
て税務調査の時間的な確保をせしめるという主張がある36。しかし、現
行の申告納税制度における税理士の役割は、賦課徴収制度における税理
士のそれと異なり、納税者の有する第一義的な税法の解釈権を支援する
立場にある。また、税理士の使命は、納税義務者の「納税義務の適正な
実現を図る」ことにあり、税理士は公器としての役割を負う必要があ
る37。そして、その使命は、税理士の資格を有するすべての者が遵守し
なければならない。それゆえ、この税理士法33条の2第2項の「税務監
査」は、その意義を狭く解釈するのではなく、公共的な役割を果たすた
めのツールとして捉える必要がある。つまり、税理士が作成した申告書
類(財務諸表を含む)に対して、他の税理士が(税理士法上の懲戒規定
で担保された)審査を行い、その具体的内容を記載した書面を提出する
ことを可能にするべきである(ピア ・ レビューの強化)。それが、とり
もなおさず、税理士の公共的使命の遂行にも適い、税理士の社会的地位
を向上させるという評価を得ることになる。
第2項 税理士の専門性の維持に関する税理士制度の内部的問題
1.税理士法2条2項の付随会計業務の税理士業務における位置
専門家制度を維持していくためには、専門家として必須要件を完備す
る必要があることは当然である。しかし、その前提として、その専門家
の専門領域が確定していなければ、その必須要件すら備えることができ
なくなる。それゆえ、その領域を確定しなければならない。税理士は、
古くから、税務会計の専門家として認知され、会計業務と税務申告を専
門領域として依頼者からの業務を受託し遂行してきた。ところが、近時、
税務申告業務と会計業務との関係は、会計ソフトの進化や専門家以外の
者の参入によって、さまざまな形態が存在するようになってきている。
36
税理士法「改正」問題特別委員会『日税連の「税理士法改正タタキ台」に
対する意見書(案)
』税経新報、2010年2月、575号24 ~ 25頁。
37
第3章、第1節、第1款、第1項 税理士法第1条の解釈を参照。
[19]
北法63(5・306)1606
税理士制度と納税環境整備(2)
そのため、税理士の専門領域が不確定になるという問題が生じている。
(1)会計業務と税務申告業務
ここ数年、税理士法2条2項の付随会計業務に関する民事責任を問う
訴訟が多発してきている38。この傾向は、今後もますます増加すると考
えられる。この規定は、昭和55年の税理士法改正で創設されたものであ
る。それは、従前から税理士業務において、会計業務の占める割合が相
当であることから、その重要性に鑑み、税理士法上に付随会計業務を規
定して、税理士が税務会計の専門家であるということを確認することを
目的としている。
① 会計業務は自由業務であるという意味
税理士法2条2項は、
一般的に、
これらの会計業務は自由業務であり、
税理士の独占業である税理士業務に含めるものではないことを明示し、
税理士業務のほか、税理士業務に付随して、財務諸表の作成、会計帳簿
の記帳代行そのた財務に関する事務を業として行うことができることを
38
数年前から、日税連が把握しているこの手の損害賠償請求訴訟だけでも、
各地域の税理士会に及んでいる。具体的な例としては、売掛金回収のときに、
経理担当者がその金銭を横領し、受取手形としていたことにつき、経営者が不
審に思い調べたところ、経理担当者の横領が分かった。この企業の経営者は、
経理担当者と記帳業務を請け負っていた税理士に対しても、業務を的確に行っ
ていれば不正は知り得た事実であり、税理士の行った業務は債務不履行に当た
るとして、税理士に対して損害賠償を求め訴訟を起こしている。また、歯科医
院では、経理担当者と勤務医が共謀し、数年間にわたり歯科医院の売上げをヤ
ミ給与として着服。そのため、記帳代行をしていた税理士が着服に気がつかな
いのは業務上過失があったものとして、
損害賠償を求め訴訟が提起されている。
このほか、経理担当者の使い込みを知った税理士が、この経理担当者に使い込
んだことを経営者に報告して陳謝するよう指導したにもかかわらず、経理担当
者が報告しなかったため、税理士にも責任が及んで損害賠償を求められたケー
スもある。この件に関して、経営者は、税理士は横領を知った時点でその事実
を経営者に報告すべきであり、それを怠ったことは税理士の業務上の過失であ
るとしている。(税理士新聞843号1頁。
)また、損害賠償訴訟に至る例として
新しい流れが出てきている。それは、付随業務の「記帳代行」を対象とした損
害賠償であるとしている。
(山田俊一「会計業務と専門家責任」税研73号66頁。
)
北法63(5・305)1605
[20]
論 説
確認するための規定であるとされている39。しかし、
「会計業務は自由業
務」とは、今日のように何人も自由に会計業務を業とするができるとい
う解釈で良いのであろうかとの疑問がある。それは、これらの業務を担
うのは、専門家としての倫理や法令を遵守し、それに違反する場合は、
制裁規定が準備されているという会計の専門家である必要はないのかと
いうことである。そもそも、1949年に第1次シャウプ勧告が公表され、
青色申告制度をはじめとする申告納税制度が整備された。これにより、
この制度の下では、記帳慣行の定着と正確な会計知識の普及とが根本的
に必要とされる時代となった。このことは、税務代理士業務にとって、
会計業務の重要性を認識する契機となった。そこで、日本税務代理士会
連合会は、税務代理士法改正要綱試案を1949年11月10日作成した40。こ
れを受けて、大蔵省主税局案による「税務士代理士改正案大綱」が発表
されたのである。その大綱の趣旨は、
「税務の運営が確立された帳簿組
織と正確な会計技術を基調とする建前に改善されるに伴い、税務代理等
に関する専門職業家の水準の向上を図るとともに、申告納税制度の一層
の理解、普及に資するため、現行税理士制度を、税務証理士(仮称又は
特別税務代理士)及び税務代理士の二本建制度に改めること。①税務証
理士は、一定の学識経験を有する者で専門の税法及び会計学等の試験に
合格した者とし、税務代理士の業務の範囲である税務に関する書類の作
成、税務代理及び納税相談の外、税務官公署に提出する財務諸表の会計
監査についての意見の表明をすることができるものとすること。②税務
代理士は、比較的簡易な税法及び会計学の試験に合格した者とし、現行
税務代理士の業務の範囲をすべて行うことができるものとすること。
」
とされていた。このように、これらの経緯をみると、当時の大蔵省は、
会計業務をその重要性から会計専門家に担わせる意図をもっていたので
39
日本税理士会連合会編『新税理士法(三訂版)
』税務経理協会、
2008年、
64頁。
40
日本税理士会連合会編『税理士制度沿革史』
1969年、
587 ~ 595頁、
そこでは、
従来の税務代理士と新たに設けられた税務公証士との二本立てとするもので、
その改正案では改正の趣旨として「税務の運営が確定された帳簿組織と正確な
会計技術を基調とする建前に改善せられるに伴いこの新情勢に対応すると共に
申告納税制度の一層の理解、普及に資するため、現行税務代理士制度を税務公
証士(仮称)と税務代理士の二本建制度に改めること」とされていた。
[21]
北法63(5・304)1604
税理士制度と納税環境整備(2)
ある。ところが、
第2次シャウプ勧告は、
<付録書>「F . 納税者の代理、
1. 納税者を代理する専門家、d. 身分証明」の後段で、
「これに関連して、
申告書、帳簿および記録を税法に従った正しいものとして認証する資格
のある、「税務公証士」のような新しい職種の納税者の代理者を設ける
ことは望ましくないように思われる。このことは、弁護士や税務代理士
のように会計専門でない者が、上のような地位につく資格を認められる
場合においては、特にそうである。帳簿や記録の検査は会計士の仕事で
あ41」るとして、この税務公証士又は税務証理士案を批判し、否定した。
もっとも、シャウプ勧告も会計業務は会計専門家を予定していた事実は
認められる。このように会計業務に対する重要性を理解しながらも、な
ぜ、税理士法上に規定されなかったのであろうか。それは、この会計業
務を専門家に担わせるという改正が、税理士と公認会計士の会計業務の
主導権争いとしての職域争いに問題42がすり替えられるとともに先送り
41
社団法人 神戸都市問題研究所地方行財制度資料刊行会編「シャープ使節団
日本税制報告書 附録書」
『戦後地方行財政資料 別巻lシャープ使節団日本税
制報告書』勤草書房、1983年、74頁以下。
42
昭和54年6月1日、衆議院大蔵委員会
愛知委員(自由民主党)
「・・・公認会計士の行う業務分野との関連につきま
して確認をしておきたい点が一つ二つございます。最初に、会計業務でござい
ますが、会計業務は現行法上だれでも行い得る業務でありますけれども、これ
をこのたびの改正では税理士の付随業務として規定をしたわけでございます
が、その目的とするところはどういうところでございますか。
」
高橋政府委員「仰せのとおり、財務書類を作成いたしますとか、会計帳簿を作
成いたしますとか、そういうことの代行という会計業務は自由業務でございま
す。税法に基づく税務計算と申しますのは、会社経理ないし会計経理に関する
知識を踏まえて、その基礎の上で必要な調整計算を行っていくということであ
りますので、実際面においてもこういう意味で、財務諸表の作成、記帳の代行
といった会計業務が税理士さんのお仕事の中で相当のウエートを持っているだ
ろうと思います。今度御提案申し上げております改正案で第二条に二項を置き
ましたのは、こういう現実を踏まえまして、税務代理、税務書類の作成、税務
相談という二条一項各号に掲げております本来の税理士業務の委嘱を受けた納
税義務者について、税理士業務に付随して会計業務を行うことができるという
ことを確認的に明らかにする、それによって税理士の社会的信用保持という面
での効果を期待しようということであります。この法に新しく御提案しており
北法63(5・303)1603
[22]
論 説
されたためであるといえる。そして、現在でも、なお、税理士法は改訂
されず、公認会計士法の規定もそのままである43。その結果、この会計
業務を巡る税理士と依頼者および第三者との紛争が急増している。この
ように、会計業務は、税務申告業務と密接に関係しているから、その限
りにおいては、少なくとも、会計専門家の共通領域かつ独占領域とすべ
きである。それゆえに、現行規定の解釈は、会計業務は、何人に対して
も自由な業務であるのではなく、会計専門家の間において自由な業務と
考えるべきである。つまり、会計専門家の業務に付随するという点で、
それぞれの会計専門家が提供する業務に相違があるから、会計専門家の
ます二条二項の中にもありますように、他の法律においてその事務を業として
行うことが制限されているような会計業務につきましては、この二項を新しく
設けましたからといって税理士さんができるということでないわけで、公認会
計士のやっておられる財務書類の監査、証明のようなものがこれによって税理
士の業務に取り込まれるわけでは全くないということと、納税義務者の委嘱を
受けなくて会計業務を税理士さんが一般的におやりになるということ、これは
自由業務でありますから、
それが制限されるわけではない、
こういう含意を持っ
ておるわけでございます。
」
愛知委員(自由民主党)
「重ねて確認をさせていただきますと、今回のこの新
しい規定によって従来公認会計士が行っております分野にいささかの変更もな
い、税理士がその分野に進出をしてきて公認会計士の従来からやっておりまし
た分野が侵されるようなことはない、そのように解釈してよろしゅうございま
すか」
高橋政府委員「先ほどもお答え申し上げましたように、これは本来自由業務で
ある会計業務というもの、それを行うことができることを確認的に明らかにし
たわけでございますから、この新しい二項を置きますことによって、公認会計
士、税理士、それぞれの分野に法律上の変更があるというふうに考えないわけ
です。
」
43
公認会計士法第2条は、
「公認会計士は、他人の求めに応じ報酬を得て、財
務書類の監査又は証明をすることを業とする」と規定しその第2項において、
「公認会計士は、前項に規定する業務のほか、公認会計士の名称を用いて、他
人の求めに応じ報酬を得て、財務書類の調製をし、財務に関する調査若しくは
立案をし、又は財務に関する相談に応ずることを業とすることができる。ただ
し、他の法律においてその業務を行うことが制限されている事項については、
この限りでない。
」と規定している。
[23]
北法63(5・302)1602
税理士制度と納税環境整備(2)
間において依頼者に不利益が生じないように、独占するのではなく、自
由であると解すべきである。
② 会計業務と税務申告業務との関係
近時の会計業務と税務申告の関係は、
その形態がさまざまに存在する。
例えば、会計業務に関しては、会計ソフトの進化により、会計処理業務
は、自社で完了させ、税務申告に影響する事項だけの確認を税理士に依
頼してくるもの、記帳代行を業とする事業者又は行政書士等の隣接する
専門家と低廉な価格で契約し、税務申告のみを税理士に依頼してくるも
の、そして、原始証憑からの記帳代行を税理士に依頼してくるもの等で
ある。したがって、
会計業務における税理士の責任は、個別の契約内容、
契約締結の状況、種々の要素を総合的に考慮して、個別に確定されるべ
きものである。それゆえ、税理士と依頼者との契約内容が税理士の責任
の範囲と程度を決める基本的要素となるのである。しかしながら、税務
申告を前提にした納税者は、他の者が提供した会計業務に関する責任を
税務申告に転嫁させ税理士にその負担させることが少なくない。それは、
確定決算主義を採るわが国の租税法が会計業務と税務申告の関係を有機
的に結びつけ、簡単に両者を切り離すことができないことに起因する。
従前は、一般に、会計業務と税務申告の契約は、依頼者と税理士におい
て、包括的に契約されてきた。この点につき、占部教授は、
「税理士は、
適正な納税義務の実現を図る義務を有しており、主として『税務書類の
作成』(具体的には、納税申告書の作成)を通してこの義務を実現して
いくこととなる。税理士が適正な納付税額を算出するにあたっては、さ
まざまな経済活動等に伴う事実を認識し、それが課税要件を充足するか
否かを確認することが不可欠である。この課税要件事実は、通常、会計
帳簿やそのほか財務書類等に表示、反映されることから、税理士法第2
条第2項に規定する会計業務は、
『税務書類の作成』を中心とした税理
士業務の前提をなすきわめて重要な業務である。」と述べて、両者は、
44
当然に包括的に受任されるべきであると説く 。それゆえ、上述のよう
44
占部裕典「税理士の民事責任―税理士法第2条第2項の専門家責任を中心
にして―」税法学544号18頁。この見解では、
「単に税理士が会計業務だけを委
任された場合と、税理士業務と会計業務をあわせて一体で委任をされた場合は
北法63(5・301)1601
[24]
論 説
に、その形態もさまざまとなってきた結果、税理士が税務申告のみを受
ける場合であっても、適正な納税義務の実現を図る義務から、税理士が
さまざまな経済活動等に伴う事実を認識し、それが課税要件を充足する
か否かを確認することが不可欠であるということである。そのように解
すると、その前提として他者の行った会計業務に関する誤謬や虚偽に対
して、事実認識の不履行があった場合、それを理由に税理士が責任を負
担しなければならないということになる。しかしながら、他者の行為に
つき、現実的には、税理士が充足する事実の検証をすることに少なから
ず税理士法上の限界があることから、会計業務についても責任を負うこ
とになるとするならば、税理士の負担が過大すぎると考えられる。もっ
とも、どちらにしても、申告の前提としての会計業務に対して、すべか
らく、税理士が責任を負担するのであれば、税務申告に直結する会計業
務は、税理士法上、税理士の独占業務として位置づける必要がある。あ
るいは、他者の提供した会計業務を前提とした税務申告で、その前提と
なった会計業務から派生する税務上の誤謬に対して、税理士は責任がな
い旨の明文規定を創設すべきである。税理士の現場からは税務申告のみ
を任されて、すべての資料が納税者において留保されている段階で会計
業務において虚偽記帳などを発見することは不可能であり、それによる
債務不履行責任を問うことは単なる「依頼者の言いがかり」にすぎない
との声も聞かれるところである。
45
(2)判例(富山地裁平成12年8月9日判決 TAINS Z999-0042 )
明確に区別をして論ずる必要があることに留意をすべきである。
」としている。
また、
「税理士の並行業務」として、一般的には事実上、広く税理士業務と会
計業務が組み合わされた包括的契約が多いとしている。
45
争いのない事実、争点以外の認定事実
1. 病院の勤務医であったXは、医院を開業するに際して知人Aに必要な資金の
調達方法や不動産の取得について相談し、AはXの開業に向けて銀行との折衝
等の経済面の事務手続を全面的に行い、Xの不動産取得に必要な費用を立て替
えるなどした。2. Y(税理士)は、Xの医院資金を融資した銀行から紹介され
てAを訪れ、Aとの協議を経て、Xの経営する医院について、税務書類の作成、
財務書類の作成、会計帳簿記帳の代行その他財務に関する事務について契約を
[25]
北法63(5・300)1600
税理士制度と納税環境整備(2)
この税理士の会計業務における債務不履行についての判例は、医院に
関する税務書類の作成、財務書類の作成、会計帳簿の記帳代行その他財
務に関する事務につき締結した有償の受任契約の内容に、医院の経営指
導や従業員の不正行為の発見も含まれるかについて判断した事例であ
る46。
この判決では、会計業務はその給付結果として「税理士と委嘱者にお
ける契約は、正確な財務諸表の作成によって、医院の財政状態や経営成
績を金融機関等の利害関係者に示すことができるようにすること、正確
な税務書類の作成によって適正な納税ができるようにすることを目的と
する」ことを包含されているとして会計業務契約の内容を示した。その
上で、
「自己の財産に関する注意・危険は、本来、原告が負担すべきも
のであり、受任者には善管注意義務があることを考慮しても、前記事情
に照らすと、受任者である被告に、積極的に不正を発見すべき義務があ
るということはできない」として原告を退けている。本件は、税理士と
委嘱者において包括的に契約した税務会計業務に、直接に合意内容と
なっていなくても、いわゆる付随的義務として、不正発見義務があるか
否かということにつき言及している。この問題につき、どうやら、契約
上で不正発見義務がないことを明示している限りにおいては、当該義務
を負う可能性は少ないといえそうである。しかしながら、注目すべきは、
締結した。3. Yは、医院の事務員が入力したデータファイルを事務所に持ち帰
り月次帳表を作成して医院に届けていた。また、医院の従業員の給料計算につ
いて医院にコンピューターソフトを導入した。しかし、Yは、医院の経営指導
を行ったことはなく、XがYに対し経営指導を求めたことは一切なかった。4.
Xは、Yの事務員から、毎月、月次帳表を示され収支に関する報告を受けてい
た。月次帳表にはAからの1億円以上の借入が計上されていたが、Xは、Aと
医院の資金繰りについて検討をしており、月次帳表の借入残額について疑問は
もたなかった。XはAの知人からAが医院の金を横領している旨の忠告を受け
弁護士に相談したことがあったがAを追及することなく、Yに対して相談する
こともなかった。その後、XはAから借金の全額返済等を求める内容の通知が
届いたことをきっかけにAを解雇し、Yに対し契約を解約する旨通知した。
46
この判決に関するものとして、占部裕典「税理士の民事責任―税理士法第
2条2項の専門家責任を中心にして―」2000年、税法学544号15頁、がある。
北法63(5・299)1599
[26]
論 説
この判決が「税理士法1条、41条の3の趣旨に照らせば、少なくとも受
任者が不正を発見したときには、これを委任者に報告する義務があるも
のと認めるのが相当である」
として、
助言義務を認めていることである。
果たして、そうであろうか。この点に関して、この判決をそのまま受け
入れることに躊躇するのである。そもそも、税理士法上の助言義務は、
納税義務者の納税義務の適正な実現を図ることを目的としている。そし
て、この義務違反には、税理士法46条において一般的な懲戒処分が定め
られている。すなわち、税理士法上の助言義務は、民事上の契約から要
請される助言義務とは異なるものであると考えられるからである。他方、
「税理士は、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定され
た納税義務の適正な実現を図るために必要な資料や情報の提供を受ける
ことを期待しており、税理士は、職業専門家として相当の注意を払って
業務を遂行し、不正な経理操作等により納税義務者の適正な納税義務に
影響を及ぼす事項については、委嘱者に適正な税務処理に向けての是正
助言をする義務を負っている。この報告義務の対象となる事項は、納税
者の適正な税額等の決定に影響を及ぼすあらゆる事項であると解され
る。
」という見解がある47。確かに、会計業務については、納税者の適正
な税額等の決定に影響を及ぼす事項が多い。しかし、会計業務には、資
産振替仕訳を中心として、税額決定に影響を及ぼさないものもかなりの
分量で存在する。そのような関係からは、まず、助言義務を契約上の助
言義務と税理士法上の助言義務の二重構造として捉え、適正な税額等の
決定に影響を及ぼす事項に限って税理士法上の助言義務が問われるべき
であるとした限定的な解釈が必要となるといえる。したがって、税理士
法2条2項の付随業務に関して、責任が問われるのは、会計業務に関す
る受任契約が明示された場合に限られ、納税義務の適正な実現と関係な
く、税理士が不正を発見できなかったという理由で債務不履行による損
害賠償請求を受けることはないというべきである。すなわち、付随業務
としての「記帳代行業務」にあっては、委嘱者との間に不正発見義務の
特約が存在し、税理士は納税義務の適正な実現を図るという観点から、
47
占部裕典「税理士の民事責任―税理士法第2条2項の専門家責任を中心に
して―」税法学544号、2000年、23頁。
[27]
北法63(5・298)1598
税理士制度と納税環境整備(2)
その不正が発見可能である場合に限り、助言義務があるのであって、そ
れ以外の理由で債務不履行は生じないのである。さらに、本件のように、
医院の事務員がデータを入力する場合(これを自ら入力し、コンピュー
タが計算するという意味で「自計」という)は、税理士の関与する深度
が自ずから浅くなる傾向にある。つまり、医院における責任の負担が大
きいことになると考えられる。したがって、税理士の責任も、その限り
において軽いといえる。
次に、会計業務の問題を正面から論じた判例として、大阪地裁平成13
年5月29日判決(判例集未登載)がある48。この判示するところは、税
48
占部裕典「税理士の専門家責任の課題と今後」税務弘報、2004年、10月、9
~ 11頁。この判例において裁判所は、
「納税者は、自らの責任によって財務書
類等を正確に記帳し、これを基礎として申告を行うべき義務を負っているもの
というべきである。しかし、税理士は、通常、税務に関して専門的知識を持た
ない依頼者に代わって事務処理を行い、これによって報酬を得ているのである
から、その所属する税理士事務所の規模、依頼者である会社の規模、依頼者の
作成した帳簿の正確性等の事情にかかわらず、税務の専門家として、依頼者の
ために最善を尽くして確定申告書類を作成するとともに、税務申告に必要な限
度で財務関係の処理をも行うものと解するのが相当である。すなわち、税理士
は、確定申告手続においては、商法32条以下にいう商業帳簿に従って税務書類
等を作成するだけでは足りず、法人税法施行規則別表20記載の帳簿を収集し、
その内容を検討した上で、確定申告書の記帳代行を行うべきなのであって、依
頼者の商業帳簿すべてにつきその正確性を完全に確認する義務までを負うもの
ではないが、帳簿上の数額が前年度の実績等と比較して極端に変動しているな
ど、疑義を差し挟むべき合理的な事由が存する場合にあっては、帳簿上の疑問
点及び不備を指摘して依頼者に説明を求めるとともに、記載の誤りなどがあれ
ばこれを是正すべきである。」と述べ、また、
「被告の税理士事務所は本件事業
年度において原告の監査を毎月実施していたこと、被告は、原告が副業として
喫茶店を営んでいたことを修正申告に際して把握していたこと、本件申告業務
を坦当していたAは、喫茶店営業につき仕入れがなされたことを知っていたこ
との各事実が認められる。ところで、ある営業に関して仕入れがなされておれ
ば、
それに対応する売上が存在することは当然に予想されるところであるから、
原告の喫茶部門の売上を申告しなかったことについては被告に帰責事由がある
というべきであり、この点については、被告に債務不履行責任が認められる」
と判示した。
北法63(5・297)1597
[28]
論 説
理士の会計業務について善管注意義務を肯定するものである。このよう
に、判決の動向が税理士の会計業務に債務不履行責任を負わせる方向で
あることが注目される。現在、日本税理士会連合会では、「記帳業務に
関する業務基準や規定などについて、税理士が行う記帳業務を含む会計
業務は事実行為の代行で、納税義務の適正な実現を目的にした租税事務
に付随したもの」と定義している。そして、
「記帳業務には不正発見の
目的は含まれるものでなく、
こうした委任者の請求は過大な期待である」
としている。
これらの判例は、税理士と依頼者の契約において、会計業務と税務申
告が連続して契約内容とされているようである。しかし、前述のように、
税務申告に付随する会計業務は、
税務申告の基礎となるものであるから、
専門家領域として確保されるか、あるいは、その内容の正確性を担保す
る制度設計が必要である。
2.資格付与の問題
職業専門家の5つの要件の1つとして、
免許資格制度の確立がある49。
これは、一般に、依頼者が国家資格を有するものは、一定水準以上の専
門家としての技能及び能力を備えていることを容易に認識し得る必要が
あるからである。
わが国において、税理士となることのできる者は、税理士法3条にお
いて規定されている。税理士法3条は、
「税理士となる資格を有する」
者として、1項1号及び2号において、税理士試験に係る有資格者、3
号で弁護士(弁護士となる資格を有する者を含む)
、そして、4号で公
認会計士(公認会計士となる資格を有する者を含む)を掲げている。税
理士法3条は、昭和55年の税理士法改正以前には、1号に弁護士、2号
に公認会計士が掲げられていた。その順位は、昭和17における税務代理
士法、昭和26年の税理士法も同様であった。その理由として、立法に際
して、弁護士や公認会計士が税理士よりも高い能力を有していたか、あ
るいは、その資格の地位が制度上、または、一般社会において高かった
49
第2章 第2節、第1款、第1項の西嶋梅治教授の見解を参照。
[29]
北法63(5・296)1596
税理士制度と納税環境整備(2)
と考えられるとの見解がある50。しかしながら、現代においては、国家
資格は、国民の公益性および利便性の要請から、それぞれの国家資格そ
れ相応に意義ある業務内容を有しているといえる。そもそも、税理士と
いう資格は、その者が「税務に関する専門家」であることを広く国民に
公表するための名称である。したがって、基本的に弁護士や公認会計士
においても、税理士業務を行うときは、税理士として名称を用いること
になることは当然である。一方、弁護士は、租税法に関する読解能力は
司法試験に租税法があることから備わっていることが窺われるが、会計
に関する知識は充分とはいえない。同様に、公認会計士でも、企業に関
する法務及び税務に関しての知識はあるが、租税法全般の知識には欠け
るところがある。これらのことから、
税理士法の「改正意見(案)」では、
税理士となる資格を有する者は、税理士試験に合格した者を原則とする
ことを要求している。仮に、例外として、弁護士、公認会計士に対して
税理士資格を認めるのであれば、能力担保措置として、弁護士は会計学
に属する科目に、公認会計士は税法に属する科目に合格することを提案
している。これらの理由は、国民、納税者の利便性や安全性の確保の観
点から、原則として、税理士試験合格者に付与されるべき税理士業務を
行うのに必要な専門知識や能力を有することを個別に検証し、免除認定
する必要があるということによるものである。
ここで、少し、資格付与に関する沿革をみることにする。第3次税理
51
士法改正前 は、退職税務官吏等に対し特別な税理士試験が存在してい
50
新井隆一『税理士業務と責任』ぎょうせい、平成9年、6頁。
51
(
村山達雄・主税局長の後、自民党衆議院議員)それから戦後、忠さんが主
になって、国家試験に切り替えたわけだね。31年税理士法の改正のとき特別試
験制度をいれたわけだ。ぼくは国税庁の直税部長(昭29.10 ~同31.11)で、
渡辺(渡辺喜久造、後に国税庁長官)さんが主税局長(昭27.12 ~同31.7)
で、おまえは税理士法の改正の政府委員になれというわけでさせられたことが
あります。それで国会へ行って、なぜ特別試験という制度が必要なのだという
のに対して、ぼくはこう答えたのを覚えている。いま若い人がいきなり税務署
に入ってきて、半年か一年、徹夜で勉強すると、みんな通ります。税務署長を
30年もやって、判断力、常識もついた人はみんな落ちます。私も昔、国家公務
員試験~当時の高文に通ったけれども、いま受けたら間違いなく落ちる、しか
北法63(5・295)1595
[30]
論 説
た。当該試験の内容は、退職税務官吏等で一定要件に該当する者は一般
の税理士試験受験者が受ける「会計科目」につき、簡単な特別試験52を
もってそれに換えることができるというものであった。当時の大蔵省は、
税務職員等に実質的に無試験で税理士となる途を開くことを保護し、税
理士資格を他の資格と比べて特別な資格として位置づけていた53。この
特別試験は、当初、5年間の期限で制定されたが、その後、
「当分の間」
という表現を用いることにより無期限的に存続されることになった。こ
の多くの問題54を抱えた特別試験の廃止されたのは、第3次税理士法改
し、私は昔より少しは知恵がついているつもりだ、大体、税理士というのは計
算するのか、判断力なのか、考えてみれば判断力だと思うのだがという話をし
たら、当時はまだ野党といっても社会党だけだから、そうだ、そうだというわ
けで非常に敬意を表されて、通った。その後、特別試験廃止という運動があっ
て、ぼくは大蔵大臣になる前だったけれども、税理士さんが集まって、ぼくに
会長になれというわけだ。会長は引き受けるけれども、特別試験廃止だけは絶
対だめだ、そういう理由で自分で主張していたのだから、その合理性はいまだ
にあると思うということを冒頭に断って、
それで引き受けてもいいと、
こう言っ
ておったのだけれども、大蔵大臣になって沙汰止みになった。
(平田敬一郎=
忠佐市=泉美之松『昭和税制史の回顧と展望』下巻、大蔵財務協会、1979年、
228 ~ 229頁)
。
52
一般試験との合格率を比較するすると、当該試験の昭和53年度の合格率が
79.8%であり、
昭和53年「税理士試験」科目合格者の平均合格率は11.6%である。
税務経理協会編『素顔の税理士法』
1980年、94 ~ 98頁、
(米山政府委員発言「昭
和54年6月5日衆議院大蔵委員会議録」)
。
53
たとえば、日本の税理士制度では、
「
(省略)弁護士及び公認会計士たるべ
き資格について考えてみると弁護士は人権の擁護においてまた、公認会計士は
一般投資家の保護という点においてその責任は重大であり、したがってその資
格要件は厳重にしておく必要がある。しかし、税理士たる資格要件について考
えると、税理士は納税者の補助者たる機能をはたす者であり、この意味におい
てその機能は弁護士及び公認会計士と相異なるから、税理士の資格要件は弁護
士、公認会計士ほど厳重にしておく必要はないであろう。更に税理士の資格は
その試験に合格した者のみに与えられることについても問題があり、試験制度
が万能でないことも考えねばならない」という昭和31年当時の大蔵省の考え方
が税理士試験の免除として今日まで続いている。
54
高橋政府委員発言「附則で行っております特別税理士試験制度でございま
[31]
北法63(5・294)1594
税理士制度と納税環境整備(2)
正時である55。この結果、税理士試験としては、一般の税理士試験のみ
が存在することになった。しかしながら、この改正により、免除科目制
度の拡大という大きな問題点を残す結果となった56。このような沿革を
経て、現在では、税務職員は、一般的に税務署で15年以上事務に従事し
た場合は、税法に属する科目が免除され、5年以上事務に従事した場合
は、国税審議会の指定した研修を受講することができ、それを修了(効
果測定のための試験に合格することが必要)し、会計に属する科目が免
除されたのちに、税務署で通算して23年以上事務に従事した場合は、税
理士の資格を取得する。
ところで、近時、税理士業界に異変が起こっている。それは、税務吏
員が、最終的に税理士試験科目の実質的免除を得る権利を行使しないこ
と、つまり、税理士を開業しないというケースが散見されるようになっ
たことである。その背景には、経済成長の鈍化による関与先の減少、国
際課税を含む租税法の複雑化、訴訟リスクに対する不安、大型税理士法
人の出現による市場の変化があげられる。
他方、税理士法7条は修士の学位取得による一部試験科目免除等、税
理士法8条は学識経験によるもの(同条1項1号、2号)と税務職員等
の実務経験による(同条1項4から9号)試験科目の一部免除等が規定
されている。さらに税務職員等のなかで一定の要件を満たすものについ
ては、実務経験による免除に加えて、上述した国税審議会が指定した研
すから、暫定措置であるから廃止をして本来の一般試験に一本化すべきだとい
うご意見もございますし、げた履きの試験でございますから、そんな試験をや
めてしまって別の制度を設けるべきだというご意見もありました。今回、税理
士制度全般を見直す機会を得したので、特別税理士試験制度について検討を行
いまして、この制度を廃止して、一般税理士試験制度に一本化するとともに、
一定の要件を備える者について会計学試験免除制度を採用することにいたした
わけであります。
」
(昭和55年4月1日参議院大蔵委員会議録)
。
55
特別試験は、1986年3月31日まで実施された。
56
第3次税理士法改正により、実質的に一定の税務職員等については、一般
税理士試験の全科目が免除される結果となった。すなわち、一定の勤務年数を
有する税務職員等で、所定の研修を終了した者については会計学科目の免除を
行うこととされた。
北法63(5・293)1593
[32]
論 説
修を修了することによる免除が追加される
(同条1項10号)。このように、
税理士資格を有する者が一般の国家試験と同等以上の知識を兼ね備える
者であり、かつ、さまざまな経験を積んだ者であることは、税理士業界
にとっても重要なことである。しかし、税理士は、職業専門家であるこ
とから、その資格は、原則として、国家試験に合格することにより取得
される必要がある。したがって、これらの当該免除規定は、免許資格制
度における特例条項であり、厳格に運用されなければならない。このよ
うな運用により、特例による資格取得者の人数は、少なくなるのが当然
であるが、残念なことに、現状は、特例による税理士資格取得者を多量
に輩出する結果となっている57。以上のように、税理士法7条及び8条
の内容には問題があり、当該免除規定の存在が、税理士を職業専門家と
して発展させていくことの弊害となっていることは明らかである。ある
職業群が職業専門家として存在するためには、厳格な免許資格制度の確
立が不可欠である。この特別試験に係る判決においても、
「税理士業務
の公共性や納税義務者の保護等の政策的観点から税理士制度を設け、税
理士の資格を有しない者が右業務を行うことを禁止した税理士法の趣旨
にかんがみても、税理士資格を付与するについては、できる限り適正公
平な方法によるべきことは、改めていうまでもない。
」と判示されてい
る58。
さらに、税理士法6条は、税理士試験の目的及び試験科目を規定して
いる59。この試験科目につき、現行の税理士の業務との間に乖離が生じ
57
2009年度の新規登録者数は2,642人であり、そのうち試験合格者は952人
(36.03%)
、試験免除者は1,340人(50.72%)
、公認会計士が297人(11.24%)等
となった。この結果、試験免除者数が試験合格者数を上回った(税務通信3114
号、2010年5月17日)
。
58
東京地裁昭和54年9月20日判決行政事件裁判例集30巻9号1598頁、同控訴審
東京高裁昭和56年9月7日判決行政事件裁判例集32巻9号1556頁。この裁判は、
税理士試験合格者6名が特別試験につき税理士試験に比し著しく不合理な差別
により税務職員に対してのみ特権を与えるものであるとして、特別試験の無効
確認等を求めた訴訟「税理士特別試験実施公告処分取消等請求事件」である。
59
(
試験の目的及び試験科目)
第6条 税理士試験は、税理士となるのに必要な学識及びその応用能力を有す
[33]
北法63(5・292)1592
税理士制度と納税環境整備(2)
ているとして批判的な意見がある60。現在、税理士登録者数は、2011年
5月末現在で71,810人名である。そして、
その税理士資格取得方法は、
「税
理士試験合格者47.5%,税理士試験免除者(一部免除を含む)32.1%,
公認会計士6.9%,弁護士0.1%他」となっている61。また、2011年4月28
日現在の公認会計士登録者数は、準会員である公認会計士試験合格者等
を含め、31,306名となっている。公認会計士協会が実施したアンケート
によれば、公認会計士が税理士となる資格を有する者であることについ
ては、ほとんどの者が認識している。しかし、その根拠が税理士法に規
定されていることを知っている者は69.2%と少なかった。さらに、公認
会計士の資格において当然に税理士業務ができるようにすべきと考える
者は9割を超えており、その理由を「監査会計の専門領域に当然に税務
るかどうかを判定することを目的とし、次に定める科目について行う。
一 次に掲げる科目(イからホまでに掲げる科目あっては、国税通則法その他
の法律に定める当該科目に関連する事項を含む。以下「税法に属する科目」と
いう。
)のうち受験者の選択する三科目。ただし、イ又はロに掲げる科目のい
ずれか一科目は、必ず選択しなければならないものとする。
イ所得税法、ロ法人税法、ハ相続税法、ニ消費税法又は酒税法のいずれか一科
目、ホ国税徴収法、ヘ地方税法のうち道府県民税(都民税を含む。
)及び市町
村民税(特別区民税を含む。
)に関する部分又は地方税法のうち事業税に関す
る部分のいずれか一科目、ト地方税法のうち固定資産税に関する部分
二 会計学のうち簿記論及び財務諸表論の二科目
(以下
「会計学に属する科目」
という。
)
60
松沢智氏は、
試験科目に「国税通則法」
「
、民法」
「
、民事訴訟法」
「
、行政訴訟法」
が必要であると説く。
『税理士の職務と責任(三訂版)
』中央経済社、1996年、
310頁。
61
日本税理士会連合会制度部「税理士実態調査予備調査アンケート集計結果」
今回の税理士実態調査・予備調査は、①基準日、2010年9月15日、②対象者、
2010年9月15日現在の税理士会員71,815人から無作為抽出された7,000人、③実
施時期、2010年10月6日~ 2010年11月1日、④実施方法、外部の専門業者に、
調査対象者の無作為抽出・発送、回収・集計を委託、⑤回答数、3,895件(回
答率55.7%)
,⑥集計方法、各設問の対象者総数を100%とした場合の各回答の
割合と実数を集計表又はグラフとして示される。税理士界1276号(日税連、平
成23年1月)16頁。
北法63(5・291)1591
[34]
論 説
が含まれているから」とする者が多かった62。
近年、公認会計士試験合格者は著しく増加している。しかし、その就
職状況は厳しい。今後は、多くの公認会計士が、税理士試験を全く受験
することなく、税理士業務に参入してくることが予想される。また、同
様に、2011年6月1日現在の弁護士登録者数は30,488名である。新司法
試験導入による弁護士数増加に伴い、弁護士が税理士業を行う機会は間
違いなく増えると思われる。このような現況の下、税理士は、社会から
の要請をうけて、その資質の向上を図らなくてはならない。また、税理
士資格の取得制度が、免許資格制度に基づく国家資格として適正に発展
しなければならない。
3.税理士の「自律」問題
職業専門家がその地位を確固たるものにするためには、その職業団体
の存在が不可欠である。そして、その職業団体の団体構成員に対する職
業倫理の遵守やその職業団体および構成員の強い「自律」が要求される。
とりわけ、この「自律」が、依頼者に対して、国家資格を有するものは、
独立して公正な立場で専門家として、その信頼にこたえ得る存在として
評価されるための重要な要素である。
税理士の「自律」の問題は、税理士会の「自治権」の獲得と税理士の
税理士業務に対する
「自己完結権」
の二つの側面に分けられる。そして、
税理士の「自治権」の獲得は、
税理士が独立した公正な立場で、納税者、
税理士、
国家との関係における立ち位置を決定する場合に深く影響する。
なぜなら、この三者の関係は、本来、租税関係法規のみが、それを律す
ることができるにもかかわらず、現行の税理士法においては、税理士及
び税理士会の自治権が確立されていない結果、国家権力の介入する余地
62
公認会計士協会は、日本税理士会連合会が平成21年11月に「税理士法改正に
関するプロジェクトチームによるタタキ台」
(以下、
「PTタタキ台」という)
を公表したことに伴い、JICPA ニュースレター2月号付録において緊急アン
ケート調査を実施した。本アンケート調査は、会員(監査法人を除く。)及び
準会員(5号準会員を除く)28,292名を対象として実施された。アンケート用
紙を同封して送付し、うち1,510名(5.3%)より回答を得ている(回答期間:
2010年2月1日~2月26日)
。
[35]
北法63(5・290)1590
税理士制度と納税環境整備(2)
を残しているからである。具体的には、財務大臣が税理士の懲戒処分を
執行し、
税理士会に対する監督権を持っている。さらに、国税庁長官は、
税理士および税理士法人に対して報告の義務を課し、質問検査権を行使
することができることになっているのである。とはいえ、近時、税理士
の懲戒処分は、税理士自身の責任によるところが多く、昭和55年の税理
士法改正以前における「飯塚事件63」にいう課税庁の権力介入のような
ものはないと思われる。しかし、前述のように、これらの規定の発動可
能性は、税理士の立ち位置に大きく影響を及ぼすということから、税理
士の使命を実現することの妨げになるといえる。それゆえ、納税環境整
備による税理士法改正時に是正される必要がある。
一方、一定の資格を有しその資格に基づく相談業務や情報提供業務と
いう職業に従事する者を専門家64と定義し、その職業専門家と依頼者に
63
飯塚毅税理士は、
昭和36年頃から従業員に対する利益還元型の「別段賞与(期
末の決算整理において、法人に利益が出た場合に、その一部を従業員に対する
利益還元として未払賞与を計上し、源泉税を支払ったうえこれを従業員からの
借入金に振替、一定の利息を払いながら5年ないし10年に分割して返済すると
いう形態)
」の支給を節税対策として指導した。また、旅費規定を作って、役
員や従業員が業務上出張した場合に、
日当を支払うことも指導した。これらは、
当時の税法上、まったく適法なものであった。ところが、関信国税局は、これ
を違法とみなして更正処分をした。飯塚氏は不服申立てを経て訴訟にまで持ち
込んだ。飯塚氏は、鹿沼(栃木県)と東京に事務所を持っていたので、関信国
税局と東京国税局は、
「叩けば何か出るだろう」という予断をもって、昭和38
年6月24日に、いっせいに飯塚氏の関与先数十件の調査を開始した。これが飯
塚事件の発端である。調査は、執拗を極め、当局は、関与先に対して飯塚税理
士との顧問契約を解除すれば調査に「手心」を加えるとか、別の税理士を紹介
してもらいたいという申出書を税務署長宛に出させるなど、卑劣な手段で切り
崩しをはかるとともに、
「脱税」
についての証言をとりつけようとした。検察も、
国税当局の要請を受けて捜査を開始、自宅や事務所の捜索をしただけでなく、
昭和39年3月14日には飯塚事務所の職員4人を脱税や税理士法違反の嫌疑で逮
捕するなどの暴挙を決行した。結局、起訴された4名は、昭和45年11月11日い
ずれも無罪となり、判決は確定した。
(高杉良『不撓不屈』新潮社、2002年他
を参考にしている。
)
64
川井健「専門家の責任と判例法の展開」
『専門家の責任』日本評論社、
1993年、
3頁以下。
北法63(5・289)1589
[36]
論 説
関係において、職業専門家の果たすべき役割についての研究がおこなわ
れてきた。その研究において、たとえば、医師や建築家の場合には、長
年にわたって築きあげられた一般原理が確立していて、それを個別的
ケースにあてはめるについて最終的な判断権を医師や建築士自身がもっ
ているので、その主体性や独立性が確保されやすいといわれている65。
しかし、その場合でも、企業や政治団体などの圧力に対して最後まで独
立と自由を貫徹することが困難な場合もあり、土建請負会社に雇用され
た建築士や企業内病院に勤務する医師が、その良心を曲げて仕事をする
か会社を退職するかの選択を迫られることが多いこともよく知られてい
る。
税理士も、また、依頼者のベスト・インタレストの実現と納税義務者
の適正な納税義務の実現を図るために、その環境整備を進めなければな
らない状況にある。とりわけ、税理士は、納税者と国家と関係でその税
理士使命をどのように実現すべきであるかということが求められてい
る。そのため、それらの納税環境整備は、税理士法上の権利として税理
士の「自律」が確保されるように整備されることが望ましいといえる。
税理士法33条の2第2項は、税理士が租税に関する法令の規定に従っ
て作成されているかどうかの審査を申告書と関連の財務書類にすること
ができ66、審査事項等を記載した書面の添付制度を定めている規定であ
る67。つまり、税理士がその申告書を審査し、それが租税に関する法令
の定めるところに従って適正に作成されていると認めたときは、その審
査した事項等とそれが適法に作成されたものである旨を記載した書面を
その申告書に添付する制度である。そして、この書面添付権を受けて、
税理士法35条は、課税庁がその審査した申告書につき、調査、更正をす
るときは、審査した税理士に意見を述べる機会を与えなければならない
65
西島梅治「プロフェッショナル・ライアビリティ・インシュアランスの基
本問題」有泉享監『現代損害賠償法講座八 損害と保険』日本評論社 1973年 152頁において、弁護士と医師や建築家である職業専門家につき最終判断権を
有するか否かにより、専門家の独立性を分析していることは興味深い。
66
日本税理士会連合会編『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、149頁。
67
税理士法33条の2の「書面添付制度」の詳細は第4章で述べる。
[37]
北法63(5・288)1588
税理士制度と納税環境整備(2)
と規定している。その後、その審査した申告書等が意見聴取の段階で特
段の問題がなければ、税務調査に移行しないという課税庁の実務運用が
明らかにされている。つまり、税理士法33条の2第2項によって、実質
的に税務調査が省略され、最終的な納税義務が確定するということであ
る。この制度は、本来税務官公署が行うべき申告書の適否の判断を税理
士に行わせようとするものではなく、あくまで、他人の作成した申告書
が租税に関する法令の定めに従って適法に作成されているかを税理士が
審査し、納税義務者が行う納税義務の適正な確定を援助するためのもの
である68。上述の税理士の「自律」の問題は、この審査した書面添付制
度で解決ができないであろうか。つまり、
「税務監査制度」を確立する
ことで、税理士に対して、最終判断権を与えることができないであろう
かということである。そして、
この「税務監査」が終了した申告書等は、
原則として「適正申告」として捉えることで、税理士の「自己完結権」
を創設したいと考えるのである。
第4節 まとめ
これまで述べてきたように、税理士が依頼者との関係において、専門
家であるがゆえに専門家責任を追及された判例は、税理士の置かれてい
る厳しい状況や苦境を示していた。そして、一部の判例は、民法の善管
注意義務の規定に加えて税理士法上の諸規定を税理士の責任の実定法上
の根拠としている。その結果、依頼者の税理士に対する責任追及は、そ
の射程範囲が拡張し、税理士が委縮するような状況を招いている。これ
は、依頼者(納税者)と税理士の信頼関係を不安定にしている。
他方、税理士は納税者に対して常に納税倫理の向上や法令遵守を目指
し啓蒙活動をしている。しかし、納税者に対して、国家が税務吏員をし
て法令を逸脱した質問検査権を行使するとき、それを税理士が国家に対
して是正できないとき、納税者は税理士に失望する。また、いわゆる、
「無通知調査」は、納税者自らが税務吏員と直接対応しなければならな
い状況を誘発し、税理士が税務調査において代理人として果たすべき役
68
日本税理士会連合会編『税理士法逐条解説(6訂版)
』2010年、150頁。
北法63(5・287)1587
[38]
論 説
割を履行できないことから、納税者の税理士に対する期待感を損なわせ
ることになる。その結果、税理士と納税者の信頼関係は破壊される。
さらに、これらの不安定な三者の関係を改善するために必要な税理士
制度は、機能不全に陥っている。先に述べたように、税理士業務の領域
にかかわるもの、そして、専門家として制度にかかわるものが、建築物
の土台、つまり、基礎的な構造として存在しなければならないにもかか
わらず、基礎部分の業務領域である会計付随業務は浸食され、会計専門
家の共通領域かつ独占領域として確立できずにいる。さらに、税理士の
専門家制度を維持するための資格付与体制は厳格さを失いつつある。ま
た、この基礎的な構造のうえに建築物の柱、壁、屋根として造り上げら
れるはずの税理士法上の権利義務に関しても不安定な状態である。なか
んずく、これらの税理士法上の権利義務に大きく影響する税理士の「自
律」の問題は、「税理士業務の適正な運営を確保するために」という極
めて、抽象的な要件のもとに、国家(税務吏員)をして、税理士および
税理士法人に対して報告の義務を課し、質問検査権を行使することがで
きるという監督権が温存されることにより、税理士の「自治権」を妨げ
ている。さらに、税理士の「自律」を大きく支える「自己完結権」の実
現可能性を含有する税理士法33条の2第2項の「税務監査」は、その意
義を狭く解釈され、税理士が「公器」としての役割の負担する制度では
なく、税理士が「下請け」としての機関として認知され機能できていな
い。このようなことから、税理士は国家に対して強い不信感を抱き、税
理士が納税者の権利擁護を使命とするのか、あるいは、国家の徴税機関
の一部として機能するのかという不毛な二項対立になっている。
しかし、国家と税理士と納税者は、三者がそれぞれにおいて、影響を
与えながら、常に緊張状態を保つことでその制度の基盤を維持するよう
に努力をする必要がある。そして、その三者の緊張状態が均衡して保た
れた状態、すなわち、国家と税理士と納税者の均衡した構図が描かれる
ように、これらの不安定な三者の関係を改善するために必要な税理士制
度は、整備されなければならないのである。
以上のように、第1章では、税理士制度の問題点について検討した。
次に第2章では、比較法として外国の税理士制度と他の職業専門家につ
いて概観することにする。
[39]
北法63(5・286)1586
論 説
民事詐欺の違法性と責任(3)
岩 本 尚 禧
目 次 序論
第1節 本稿の課題
第2節 本稿の構成
(以上、63巻3号)
第1部 ドイツ法
第1章 詐欺の前史
第1節 ローマ法と自然法
(以上、63巻4号)
第2節 19世紀の詐欺論
第1款 ドイツ民法典の成立前期
第1項 自然法学説と歴史法学派
第2項 経済自由主義の影響
第2款 ドイツ民法典の成立過程
第1項 詐欺取消規定の立法過程
第2項 不法行為規定の立法過程
(以上、本号)
第2章 詐欺の違法性と責任
第1節 転回する自由意思の要保護性
第2節 保護の範囲と限界
第2部 日本法
第1章 民事詐欺論の展開
第1節 日本民法と自然法
第2節 意思決定自由の要保護性
第2章 民事詐欺の違法性と責任
第1節 比較法の帰結の考察-裁判例を素材として-
第2節 民事詐欺の違法性と責任
結論
[41]
北法63(5・284)1584
民事詐欺の違法性と責任(3)
第2節 19世紀の詐欺論
第1款 ドイツ民法典の成立前期
第1項 自然法学説と歴史法学派
(1)自然法学説の衰退
①その背景
ローマ法における dolus は欺罔者の行為態様に着目していたのである
が、しかしキリスト教思想から展開された自由意思論が法的概念として
自然法学説へ受け継がれ199、その成果としてプロイセン一般ラント法に
おける民事詐欺は被欺罔者の自由意思を害する行為として理解された。
後述するように、ドイツ民法123条1項の詐欺取消制度の目的も意思決
定自由の保護として理解されている。それゆえ、プロイセン一般ラント
法における詐欺解釈が19世紀を支配し続けていたなら、この解釈と現行
ドイツ民法典の関連は明快である。ところが、以下の事情から、自然法
学説は次第に衰退し、このことによって詐欺解釈は再びローマ法の
dolus へ近づいた。そこで、まず自然法学説が衰退した背景について簡
単に確認する。
フランス革命を通じて軍事力を増したフランスに対して、他の小さな
ドイツ諸国家はフランスと同盟を結ぶことによって存立の可能性を求
め、いわゆるライン同盟が1806年7月に締結された200。この同盟によっ
199
自然法学説の影響は刑法学においても見られ、例えばフォイエルバッハ
(Paul Johann Anselm von Feuerbach, 1775-1833)は詐欺を真実性に対する権
利の侵害として理解した(Paul Johann Anselm von Feuerbach, Lehrbuch des
gemeinen in Deutschland geltenden Peinlichen Rechts, 1801 (Neudruck 1996),
S. 12-13 u. 359)
。フォイエルバッハの見解は19世紀における刑事詐欺解釈学の
出発点であった(Michael Pawlik, unerlaubte Verhalten beim Betrug, 1999, S.
115)
。詐欺を真実に対する権利の侵害として捉える解釈は Conrad Cucumus,
Ueber das Verbrechen des Betrugs, 1820, S. 3 u. 70においても見出された。
200
ランケ(村岡晢 訳)
「列強論」林健太郎(編)
『世界の名著 続11』
(1974年)
70頁以下、ハフナー・前掲注146・144-145頁および151頁、フルブロック・前
掲注60・144頁、ハルトゥング・前掲注112・228頁、ゲルハルト・シュック(屋
敷二郎 訳)
「ライン同盟規約と近代ドイツ立憲主義の端緒」一橋法学3巻2号
北法63(5・283)1583
[42]
論 説
て、例えばバーデンにおいては、フランス民法と若干の補充条項を加え
た法典がバーデン地方法として成立し、これは1900年まで効力を有し
た201。プロイセンは1806年にフランスと戦争を開始し202、これに敗れたも
のの、この敗戦はプロイセンにおける改革の契機を与え203、いわゆる解
放戦争(1813年から1814年)においてプロイセンはフランス軍を破
これによってドイツ資本主義経済が発展する条件も整えられた205。
り204、
問題は法典の整備であり、ドイツ解放を契機としてティボー(Anton
(2004年)489頁を参照。
201
「
ナポレオン法典が、プロイセン一般ラント法典(ALR)と同様、市民的
な自由と平等にのみ関するかどうかは、問題であ」り、さらに「ライン同
盟時代のナポレオン法典の継受の試みは、その多くが挫折したけれども、
その後のドイツの自由主義の発展に貢献した」という評価も見られる(五
十嵐清「ドイツにおけるナポレオン法典の継受- Fehrenbach, Traditionale
Gesellschaft und revolutionäres Recht; die Einführung des Code Napoléon in
den Rheinbundstaaten, Göttingen, 1974の紹介-」北大法学論集29巻3・4合
併号(1979年)798-799頁および809頁)
。この間の経緯がドイツ史の全体的評
価に与える影響については本稿において検討し得ないものの、現行ドイツ民
法典における総則編の部分草案の担当者たるゲープハルトがバーデン出身者で
あった点は、詐欺取消制度の理解において重要である。この点は後述する。
202
プロイセンが開戦へ踏み切った理由は、必ずしも明確ではない。この点に
ついて、フルブロック・前掲注60・152頁を参照。
203
フルブロック・前掲注60・144頁を参照。例えば、世襲隷民制の廃止、土地
売買と職業選択に対する拘束の廃止、あるいは一般兵役義務の導入など(ハル
トゥング・前掲注112・340-344頁)
。
204
「
プロイセン的-国民ドイツ的パースペクティブに支配された第一の時期に
特徴的であるのは、ライン同盟とプロイセンの対照であり、プロイセンは、一
八〇六年の対ナポレオン敗戦以後、改革によって再び強力となり、反ナポレオ
ン運動の中心となって、一八一三年-一四年の解放戦争におけるナポレオンの
没落をもたらしたとされる」
(ゲルハルト・シュック(権左武志・遠藤泰弘 訳)
「ラ
イン同盟の改革と一八〇〇年前後の連続性問題」北大法学論集55巻5号(2005
年)2029頁)
。
205
フルブロック・前掲注60・147-149頁を参照。プロイセンの復興・躍進は、
プロイセン一般ラント法と現行ドイツ民法典の関係において重要な意味を持
つ。この点は後述する。
[43]
北法63(5・282)1582
民事詐欺の違法性と責任(3)
Friedrich Justus Thibaut, 1770-1840)は全ドイツに適用される法典の制
定 を 主 張 し た の で あ る が、 し か し サ ヴ ィ ニ ー(Friedrich Carl von
Savigny, 1779-1861)はティボーの法典統一論に反対し、さらに自然法
にも反発した。サヴィニーの理解によれば、自然法は、法にとって欠く
べからざる民族の特性を理性に基づいて削ぎ落し、結果として民族から
という。そして、サヴィニーは、
精神生活の最良部分を奪うからである206、
制定法的拘束力を受けないローマ法学に目を向け、自然法学の結晶たる
プロイセン一般ラント法にも攻撃を加えたのであった207。
サヴィニーの歴史法学派の影響は周知であろう。歴史法学派の登場に
よって、プロイセン一般ラント法における私法分野の学問的発展は停滞
し208、プロイセン一般ラント法の成立から間もなくして、ドイツにおけ
る自然法時代は終焉を迎えた209。そして、このことは詐欺解釈にも影響
を及ぼしたのである。
②詐欺と自由意思の乖離
当時の詐欺の解釈論においても、ローマ法に近い理解が見られる。例
210
は意思の
えば、ダベロフ(Christoph Christian Dabelow, 1768-1830)
206
Friedrich Carl von Savigny, Vom Beruf unsrer Zeit für Gesetzgebung und
Rechtswissenschaft, 1814, S. 11-13 f. u. 115-117.
207
ヴィーアッカー・前掲注51・419頁および476頁。
208
ヴィーアッカー・前掲注51・420頁。確かにサヴィニーはプロイセン一般ラ
ント法を講義していたが、しかしプロイセン法がパンデクテン法から逸れてい
る点を簡単に紹介しているに過ぎず、
実質はローマ私法の講義であった。サヴィ
ニーのプロイセン法講義について、石部雅亮=野田龍一「イェーニゲン稿『サ
ヴィニー・プロイセン一般ラント法講義』
(1)
」法政研究48巻1号(1981年)
196頁を参照。
209
Hermann Conrad, in: Vorträge über Recht und Staat von Carl Gottlieb
Svarez (1746-1798), 1960, hgg. von Hermann Conrad und Gerd Kleinheyer, S.
XIX.
210
ダベロフは、ネッテルブラット(Daniel Nettelbladt, 1719-1791)の弟子で
あり、ネッテルブラットはヴォルフの弟子であった(ヴィーアッカー・前掲注
51・394頁以下)
。ネッテルブラットについて、
「法律行為の概念は、中世の一
方的約束(promissio)にその萠芽をもつ長い歴史的発展の産物であるが、そ
北法63(5・281)1581
[44]
論 説
自由を法律行為の第一条件として理解せず、さらに詐欺の存否を判断す
る基準として、錯誤が他人によって惹起されたか否か、かかる惹起が意
図的に行われたか否か、その際に利得する目的または加害の目的が存す
るか否か、を重視する211。すなわち、ダベロフの詐欺論によれば、プロ
イセン一般ラント法の理解と異なり、被欺罔者の意思自由に対する侵害
という観点は詐欺解釈の要素として取り入れられず、むしろ解釈の基点
は欺罔者であって212、この意味においてローマ法における dolus の解釈
へ接近しているのである213。
れが確立したのは、ネッテルブラットあたりであると考えて間違いなかろうと
思う」
(浜上則雄「法律行為論の『ローマ・ゲルマン法系』的性格」阪大法学
65号(1968年)19頁)
。
211
Christoph Christian Dabelow, Handbuch des Pandecten=Rechts, 2. Teil,
1817, S. 22 u. 25.
212
このことは、本人も指摘している。Dabelow, a.a.O. (Fn. 211), S. 25.
213
自由意思を法の基盤ないし出発点として認めるヘーゲル(Georg Wilhelm
Friedrich Hegel, 1770-1831)も自由意思と詐欺を結び付けているわけではない
(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts oder
Naturrecht und Staatswissenschaft im Grundrisse, 1821 (Neudruck 1970),§4
u.§99 Zusatz(ここで、ヘーゲルは、自由意思を否定するフォイエルバッハの
見解を批判している)
。なお、同書の邦訳として、例えばヘーゲル(藤野渉・
赤澤正敏 訳)
「法の哲学」岩崎武雄(編)
『世界の名著 35 ヘーゲル』が存在する。
以下では、同邦訳書を引用する)
。むしろヘーゲルによれば詐欺は犯意なき不
法(unbefangenes Unrecht)と犯罪(Verbrechen)の中間に位置する独立し
た不法類型であり、しかもヘーゲルの理解によれば犯意なき不法は刑罰を生ぜ
しめないが、
しかし詐欺は刑罰を生ぜしめ
(ヘーゲル・前掲・289頁および292頁)
、
むしろ詐欺と犯罪は犯意ある不法(begangnen Unrecht)として同置させるこ
とも可能であって、つまり詐欺は犯意なき不法よりも犯罪に近い。この点に
ついて、Rudolph von Jhering, Schuldmoment im römischen Privatrecht, 1867,
S. 5 mit Fußn. 1を 参 照。 さ ら に、Alexander Löffler, Unrecht und Notwehr,
ZStW 21 (1901), S. 545.; Hans Albrecht Fischer, Die Rechtswidrigkeit mit
besonderer Berücksichtigung des Privatrechts, 1911 (Neudruck 1966), S. 120も
参照。
その後、ヘーゲルの詐欺解釈は支持されていない。例えば、イェーリングの
評価によれば、ヘーゲルの理解は不法行為の一種である詐欺を強引に類概念
[45]
北法63(5・280)1580
民事詐欺の違法性と責任(3)
自然法学説の衰退は刑法学においても見られた。権利を重視する哲学
的形式の命題は必ずしも実定法と一致せず、このことが実務に弊害と混
乱を引き起こし、批判され始めたのである214。例えば、ビルンバオム
(Johann Michael Franz Birnbaum, 1792-1877)は権利侵害に代えて、財
の侵害という観点から犯罪を捉えるべき旨を説き215、これを詐欺罪にも
妥当させている216。本稿が注目する点は、ビルンバオムが刑事詐欺と対
比された民事詐欺として actio doli(のみ)を挙げている点である。ビ
ルンバオムによれば、詐欺は策略的挙動によって他人に不利益を与える
ことを意味し、
これに相当する概念がローマ法の dolus malus であって、
へ押し込める内容であり、法律家にとって理解し難い区分であった、という
(Jhering, a.a.O.)
。ただし、ヘーゲルの犯意なき不法は後にイェーリングによっ
て提唱される客観的違法論の基礎であり、客観的違法論と詐欺論の関係につい
ては後述する。
214
Richard Loening, Über geschichtliche und ungeschichtliche Behandlung des
deutschen Strafrechts, ZStW 3 (1883), S. 330. 内藤謙「刑法における法益概念の
歴史的展開(1)
」東京都立大学法学会雑誌6巻2号(1966年)241頁も参照。
215
J. M. F. Birnbaum, Ueber das Erforderniß einer Rechtsverletzung zum
Begriffe des Verbrechens, mit besonderer Rücksicht auf den Begriff der
Ehrenkränkung, Archiv des Criminalrechts, N.F. 1834, S. 150 u. 172-176. ビルン
バオムの主張は、現在に至る法益論に影響を与え、刑法学史において重要な位
置を占める。この点について、内藤・前掲注214・242頁以下、杉藤忠士「刑法
における実質的法益概念とその機能-とくにフォイエルバッハからビンディン
グまで-」青山法学論集13巻3号(1971年)161頁以下、伊東研祐『法益概念
史研究』
(1984年)29頁以下を参照。もっとも、確かに法益論は権利侵害説に
対する批判として登場したのであるが、しかし後の理解によれば法益は権利も
包摂するのであって、結局は権利侵害が法益侵害を意味し、これによって違法
性を基礎づける理解へ連なる。これはドイツ民法典の起草過程においても重要
であり、この点は後述する。
216
J. M. F. Birnbaum, Beitrag zur Lehre von Fälschung und Betrug,
insbesondere über die sogenannte Verletzung des Rechts auf Wahrheit als
Hauptmerkmal der Fälschung, Archiv des Criminalrechts, N.F. 1834, S. 527536.
北法63(5・279)1579
[46]
論 説
さらに actio doli と crimen stellinatus217は類似する成立要件を備える218、
という219。
このように、当時の学説が自然法学的詐欺解釈から離反している様子
が窺われる。この点について、さらに以下でも確認する。
(2)歴史法学派の台頭
①サヴィニーの詐欺論
自然法学説の衰退に伴い、民事詐欺の解釈は自由意思から離れ、ロー
マ法の理解に近づいた。このこと自体がサヴィニーの歴史法学の直接の
影響であるか否か、は必ずしも明確ではない。しかし、ローマ法に依拠
した民事詐欺に関する最も重要な論者は、やはりサヴィニーであろう。
そこで、サヴィニーの詐欺論を概観する。
217
stellionatus はローマ法における刑事詐欺を意味する。この点について、前
掲注29および Birnbaum, a.a.O. (Fn. 216), S. 552も参照。
218
Birnbaum, a.a.O. (Fn. 216), S. 550-551 f.
219
こうした理解はビルンバオムのみではない。例えばガイプ(Gustav Geib,
1808-1864)は、権利侵害説に対するビルンバオムの批判を基本的に支持し、
さらに民事詐欺と刑事詐欺の画定基準として、例えば損害の程度を挙げ、
軽微な損害は民事法上の請求権(actio de dolo)を基礎づけ得るが、しかし
刑法の適用を受ける詐欺は一定程度以上の損害が必要であって、その程度は
民族的見解(Volksansicht)によって判断される旨を説く(Geib, a.a.O. (Fn.
29), S. 111-133 f. 当時の実務も詐欺罪を肯定する前提として損害の発生を要求
していたようである。この点について、Günther, Betrug, aus: Julius Weiske,
Rechtslexikon für Juristen aller teutschen Staaten, Bd. 2 (1840), S. 91を参照)
。
ガイプもビルンバオムと同様に、民事詐欺としてローマ法の actio doli を挙げ
るのみである。
ガイプの見解においては、民族的見解という用語が多用されている点も注
目される。ガイプによれば、
「全ては常に変転し、民族から生まれ、民族の内
に生きる見解に左右される」
、という(Geib, a.a.O. (Fn. 29), S. 123)
。ガイプの
理解がサヴィニーの歴史法学派と如何なる関係に立つか、という点は必ずしも
明確ではない。しかし、サヴィニーの歴史法学派が当時の刑事法の領域に対し
ても影響を及ぼしていたことは指摘されている。この点に関して、Peter Sina,
Die Dogmengeschichte des strafrechtlichen Begriffs „Rechtsgut”, 1962, S. 14お
よび内藤・前掲注214・239頁の注8も参照。
[47]
北法63(5・278)1578
民事詐欺の違法性と責任(3)
確かにサヴィニーは自然法学説を退けたが、しかし自由意思の意義を
完全に否定しているわけではなく、自由意思が法律関係において活動し
サヴィニーは、
自由意思の作用よりも、ロー
得る余地を認める220。ただし、
マ法の原理を重視する。すなわち、サヴィニーによれば、例えば錯誤を
理由とする意思表示が全て無効であるならば、詐欺に基づく契約も無効
になるはずであるが、しかし特定のローマ法源を見る限り、錯誤に基づ
く意思は意思として作用しておらず、
その証拠が dolus の理論であって、
・・・・・・・
ローマ法は詐欺に関しては錯誤の詐欺による発生に注目しているのであ
り、それゆえローマ法においては詐欺それ自体が法律関係の単独の発生
原因であって、
したがって詐欺は意思表示の有効性に何ら影響を与えず、
むしろ詐欺に見出される反良俗性(Unsittlichkeit)が実定法的反作用を
生み出し、
これが不法(Unrecht)として認識される221、という。そして、
サヴィニーによれば、詐欺の要件として、相手方の不利益へ向けられた
悪しき意図(böse Absicht)が存在しなければならない222、というので
ある。
以上の如く、サヴィニーは欺罔者の違法性を重視する223。サヴィニー
が被欺罔者の自由意思を重視しない理由は、まずは彼がローマ法に基づ
いて欺罔者の違法性を重視する反射的帰結であろうが、しかしサヴィ
220
例えば、Friedrich Karl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts,
1. Bd.,1840, S. 57. なお、同書の邦訳としてサヴィニー(小橋一郎 訳)
『現代ロー
マ法体系 第1巻』
(1993年)が存在する。以下では、同邦訳書を引用する。
221
Friedrich Karl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts, 3.
Bd.,1840, S. 115 ff., 340 ff. u. 358 mit Fußn. (a). なお、同書の邦訳としてサヴィ
ニー
(小橋一郎 訳)
『現代ローマ法体系 第3巻』
(1998年)
が存在する。以下では、
同邦訳書を引用する。
222
サヴィニー・前掲注221・110頁。
223
この点について、Sprenger, a.a.O. (Fn. 64), S. 385-386を参照。サヴィニーは
強迫に関しても、詐欺と同様の理解を示す。すなわち、
「法的保護の根拠は、
畏怖する者の意思自由の欠落ではなく、強迫者の違法な反良俗性に置かれなけ
ればならない」
(サヴィニー・前掲注221・94頁および103頁)
。
北法63(5・277)1577
[48]
論 説
ニーの表示主義224も無関係ではないであろう225。
224
サヴィニーは表示主義者であるか、という点は争われている(この点につ
いて、例えば新井誠「サヴィニーの意思表示、法律行為概念-特に心裡留保を
めぐって-」民商法雑誌96巻5号(1987年)637頁以下を参照)
。
「意思表示に
関するサヴィニーの理論において表示が独自の意義を持つのは心裡留保だけで
ある」という指摘も見られる(新井・前掲・650頁)
。ところが、サヴィニーの
理解によれば、例えば強迫は自由意思を害さず、被強迫者にも三種の選択の自
由が未だ残され、すなわち第一は強迫者が欲する行為を為す自由、第二は強迫
に抵抗する自由、第三は強迫された害悪を被る自由であり、例えば第一を選択
した被強迫者の意思表示は現実に存在しているのであって、これに対しては当
該意思表示の効力を肯定し、その法的効果を認めて良い、というのである(サ
ヴィニー・前掲注221・96頁)
。しかし、少なくとも現代の法体系の理解によれ
ば、サヴィニーが言う被強迫者の意思は自由な意思ではなく、むしろ内心の意
思と表示された意思の間に齟齬が生じている心裡留保に近い状態である(
「詐
欺は、表意者は、自己のなした意思表示が本来ならなされなかったものである
ことを表意者が自覚していなかった点では、錯誤と共通であり、強迫は、表意
者にこの点の自覚がある点では、心裡留保ないし虚偽表示に近い」
(鈴木禄弥
『民法総則講義(改訂版)
』
(1990年)147頁)
)
。そもそも、サヴィニーによれば
個人の意思よりも各個人の意思から成る総意が重要であって、すなわちサヴィ
ニーによれば法は共通の民族精神を意味する総意において存在し、確かに総意
は各個人の意思ではあるが、しかし個人の意思が総意に反するならば、これは
不法(Unrecht)であって、ゆえに個人的自由は総意によって拘束され、総意
に没する、という(サヴィニー・前掲注220・49頁)
。つまり、サヴィニーにとっ
て認識可能な外界において発露した意思が重要であって、その意思は心理的
出来事ではないのである(Werner Flume, Allgemeiner Teil des bürgerlichen
Rechts, 2. Bd., Das Rechtsgeschäft, 3. Aufl., 1979, S. 50を参照)
。要するに、
「サ
ヴィニーは、カントとは異なる基礎にもとづいて、自由意思の概念に規範的意
義を確保している」
(筏津安恕
「ドイツ近代私法学における三つの自由意思概念」
法政論集201号(2004年)145頁)
。
以上の点から、サヴィニーの立場は、意思主義よりも、表示主義に近いよう
に思われる。そして、このことが、サヴィニーの詐欺論において被欺罔者の意
思決定自由が必ずしも重視されない理由の一端を成しているように思われるの
である。
225
サヴィニーの理解からは、
主知主義の傾向も見出される。このことも、
サヴィ
ニーが被欺罔者の自由意思を重視せず、むしろ欺罔者の態度を重視する一理由
を成しているように思われる。意思より知性・理性の優位を説く主知主義と意
[49]
北法63(5・276)1576
民事詐欺の違法性と責任(3)
②詐欺と主観的違法性
思の優位を説く主意主義の関係について、
前述(本誌63巻4号21-22頁)を参照。
確かにサヴィニーは、権利の発生・消滅の理由に関係する法律事実の最も
重要な部類として、行為の自由という概念を指摘する(サヴィニー・前掲注
221・22頁)
。既に確認したように、例えばプーフェンドルフの理解あるいはプ
ロイセン一般ラント法の規定においては行為の自由は自由意思と密接な関係を
有したのであるが、しかしサヴィニーが理解する行為の自由においては、理性
の使用(Vernunftgebrauch)が重要な意味を持つ(サヴィニー・前掲注221・
23頁および79頁)
。さらに、サヴィニーによれば、naturalis ratio(自然的理性)
は、あらゆる人間の本性に内在する共通の法意識に見出されるものとして理解
されている(サヴィニー・前掲注220・115頁および358頁)
。サヴィニーは次の
ように述べる。
「法の一般的な課題は、まさに、キリスト教的人生観において
現れるような、人間の本性の道徳的使命に帰せられる。というのは、キリスト
教は、われわれが生活の規則と認めうるのみならず、実際にも世界を変えてき
たのであり、したがって、われわれの思想はすべて、どんなにキリスト教と無
関係にみえても、それどころかキリスト教に敵対するようにみえても、やはり
キリスト教が支配し、浸透しているからである」
(サヴィニー・前掲注220・70
頁。なお、サヴィニーはルター派を信奉する父とカルヴァン派を信奉する母の
間に生まれ、さらに妻はカトリックであり、サヴィニーにとって確かに宗教は
実生活の規準であったが、しかしキリスト教思想における宗派の差異それ自体
は重要ではなかった、と言われている。この点について、田中耕太郎「サヴイ
ニーに於ける國際主義と自然法思想」
神川彦松
(編)
『山田教授還暦祝賀論文集』
(1930年)340頁の注(3)を参照)
。
これに対して、既に確認したように、例えばカントは主意主義の立場であっ
たのであった(前掲注179)
。すなわち、
「サヴィニーは、いかにもドイツ的で
形而上学的な当時の時代思潮にのっとりつつ、そこに新たな法学の構築を進め
るという極めて重要な貢献を果たしている。それは私法学と学問の上では自由
を擁護しながらも、法の本質、法実務、法哲学については、自由主義およびカ
ント的な立場とは袂を分かつものであった」
(ヨアヒム・リュッケルト(耳野
健二・西川珠代 訳)
「サヴィニーの法学の構想とその影響史-法律学・哲学・
政治学のトリアーデ」比較法史学会(編)
『比較法史研究の課題-思想・制度・
社会①』
(1992年)245頁)
。なお、
サヴィニーの主知主義を示唆する文献として、
安田幹太「法律解釋に於ける主知と主意」船田享二(編)
『京城帝國大學法文
學會 私法を中心として』
(1930年)347頁、玉井克哉「ドイツ法治国思想の歴
史的構造(2)
」国家学会雑誌103巻11・12号(1990年)24頁も参照。後述する
ように、ボワソナードも主知主義に近い。そして、ボワソナードの詐欺論には
北法63(5・275)1575
[50]
論 説
詐欺の局面において被欺罔者の決定自由の保護を問わず、むしろ専ら
詐欺者の違法性を重視するサヴィニーの理解は、もちろんプロイセン一
般ラント法の解釈に反する。
例えば、プロイセン出身のボルネマン(Friedrich Wilhelm Ludwig
226
によれば、虚構によって自由に望まれていな
Bornemann, 1798-1864)
い意思表示へ誘導された他人は既に選択の自由(Wahlfreiheit)を害さ
れているのであって、これに加えて欺罔者の侵害意図を求める必要はな
く227、さらに悪しき意図の推定も認められる228、という。
ところが、その後の判例および学説は、詐欺者の違法性を重視するサ
ヴィニーの理解に追従した229。
Obertribunals zu Stuttgart 2. 12. 1853(Seuffert's Archiv 13, 112)
によれば、
「詐欺者の主観的不法性(subjective Unrechtlichkeit)が
被詐欺者に与えられる救済の根拠になるのであって、詐欺者によって
惹起された被詐欺者の錯誤または詐欺者に利用された被詐欺者の錯誤
が被詐欺者に与えられる救済の根拠になるのではない。しかし、詐欺
者の不法性(Unrechtlichkeit)が被詐欺者の不注意によって解消され
ることも減じられることもないから、その錯誤が非常に軽微で回避可
サヴィニーの詐欺論と共通する点が多く見られるのであり、
この点は後述する。
226
ボルネマンの著書
『Systematische Darstellung des Preußischen Civilrechts』
は、
19世紀におけるプロイセン私法の最初の研究業績であった。ボルネマンについ
て、クラインハイヤー=シュレーダー・前掲注163・40頁も参照。ボルネマン
は司法省において幾度もサヴィニーと対立していたらしい。
227
W. Bornemann, Systematische Darstellung des Preußischen Civilrechts, 1
Bd., 1842, S. 148.
228
ボルネマンによれば、確かに被詐欺者は意思表示へ詐欺的に誘われたこと
を立証しなければならないが、しかし欺罔行為の存在が立証されれば足りるの
であって、このような行為が認められるなら、悪しき意図も存在していること
が通常であるからであり、ゆえに詐欺者として目される者は反対立証を引き受
けなければならない、という(Bornemann, a.a.O. (Fn. 227), S. 153 f.)
。
229
サヴィニーの見解が当時の通説であった点について、田中教雄「十九世紀
ドイツ普通法における詐欺・強迫理論とドイツ民法典の編纂過程」
石部雅亮
(編)
『ドイツ民法典の編纂と法学』
(1999年)272頁も参照。
[51]
北法63(5・274)1574
民事詐欺の違法性と責任(3)
能であったとしても、
それは重要となり得ない」
(事案の詳細は不明)。
裁判所が説示する主観的違法性の意味内容は必ずしも明確ではない
が、しかし詐欺と自由意思が結び付けられていないことは確実である。
当時の裁判例と同様に、学説も詐欺の違法性を重視する。例えば、プ
フ タ(Georg Friedrich Puchta, 1798-1846) や ゾ イ フ ェ ル ト(Johann
Adam Seuffert, 1794-1857)も、救済の根拠を、相手方によって引き起
こされた錯誤ではなく、詐欺それ自体の違法性に求めている230。
以上の如く、当時の学説および判例は、民事詐欺の救済根拠を自由意
思に対する侵害ではなく、詐欺者の違法性に求めていたのであって、か
かる理解が19世紀の中葉における支配的見解であった。
第2項 経済自由主義の影響
(1)要件面における影響
①刑事詐欺の悪意要件
自然法学説の衰退が詐欺解釈をローマ法へ引き戻した。この意味にお
いて、詐欺論は変容を受けたのであるが、しかし当時の詐欺論に影響を
与えた要素は、それだけではない。プロイセンにおいては1835年に鉄道
が開通し、経済生産も高速化され、さらに1838年にドイツ関税同盟が成
立し231、資本主義経済の要求に対応した政策も実施され、しかも1850年
から好況が持続し、ドイツにおいて経済的自由主義の時代が到来し
た232。そして、この経済的自由主義は、まず刑事詐欺の解釈に影響を及
230
Georg Friedrich Puchta, Vorlesungen über das heutige römische Recht, 1.
Bd., 6. Aufl., hgg. von Adolf August Friedrich Rudorff, 1873 (Neudruck 1999),
S. 133.; Johann Adam Seuffert, praktisches Pandektenrecht, 2. Bd., 4. Aufl.,
1867 (Neudruck 1998), S. 73 f. その他に、Carl Friedrich Ferdinand Sintenis, Das
practische gemeine Civilrecht, 1. Bd., 1844, S. 192 f も、救済根拠として述べて
いるわけではないものの、欺罔行為に違法性を見出している。
231
フルブロック・前掲注60・165-169頁を参照。
232
Joachim Hirsch, Wissenschaftlich-technischer Fortschritt und politisches
System, 1970, S. 19 u. 23. フルブロック・前掲注60・156-180頁も参照。
北法63(5・273)1573
[52]
論 説
ぼし233、
詐欺の立件に伴い取引の自由が阻害されることを回避するため、
可罰的詐欺の成立を抑制する方向へ作用した。
例えば、プロイセン刑法典の1843年草案においては、可罰的詐欺の範
囲を限定するために、悪意(Arglist)234が要件として導入された235。この
悪意要件は、現行ドイツ民法典の詐欺取消制度(123条1項)における
悪意の欺罔(arglistige Täuschung)という概念の由来であり、重要な
意味を持つ236。もっとも、確かにプロイセン刑法典の1845年草案は悪意
要件の不明確性を理由として、悪意から故意という表現へ変更している
ものの237、可罰的詐欺の範囲を限定する企図それ自体は構成要件を明確
化することによって達成されている238。1845年草案は故意という表現を
233
Karl Lackner, Strafgesetzbuch Leipziger Kommentar, 10. Aufl., 6. Bd., 1979,
hgg. von Hans-Heinrich Jescheck=Wolfgang Ruß=Günther Willms, S. 11.
234
プロイセン刑法典の1830年草案においては既に、詐欺という表現に代えて、
悪意の欺罔(arglistige Täuschung)という表現が予定されていた。この変更
も、詐欺の範囲を限定する趣旨であった(Berathungs-Protokolle III, S. 393395, zitiert nach Georg Beseler, Kommentar über das Strafgesetzbuch für die
Preußischen Staaten, 1851, S. 459)
。ところが、草案の表現としては最終的に
悪意の欺罔ではなく、
「故意による錯誤の誘発」という表現が採用された(Wer
des Vorteils wegen durch vorsätzliche Veranlassung eines Irrtums jemandem
zum Nachteil seines Rechts am Vermögen beschädigt, ist des Betruges
schuldig.)
。 悪 意 か ら 故 意 へ 変 更 さ れ た 理 由 は、 明 確 で は な い(Wolfgang
Naucke, Zur Lehre vom strafbaren Betrug, 1964, S. 75 mit Fußn. 34)
。
235
1843年草案448条は、次のように規定された。
「利益が意図されるか否かに
関わらず、他人の権利の不利益となるよう、誰かある者を悪意な仕方で錯誤に
陥らせ、そのことによって損害を生ぜしめる者は、詐欺を犯している」
。
236
ドイツ民法典の起草過程においても、当初は詐欺という表現が用いられて
いたのであるが、しかし刑法学者のリストが民事詐欺と刑事詐欺を区別するた
めに、民事詐欺を表現する用語として「悪意の欺罔」を提案した。この点は後
述する。
237
プロイセン刑法典の1845年草案:
「故意に他人に対して、誤れる事実の虚構
または正しい事実の隠蔽を通じて錯誤を惹起させることによって損害を加える
者は、詐欺を犯している」
。
238
1845年草案の規定から、例えば一般的な吹聴的な言明や将来の出来事に関
する誤れる予想は詐欺の構成要件として排除することが予定され、不作為に
[53]
北法63(5・272)1572
民事詐欺の違法性と責任(3)
利得意図という文言へ修正し239、さらに詐欺罪は財産犯としても確立
し240、そして1851年のプロイセン刑法典(Preußisches Strafgesetzbuch)
へ結実したのである241。
よる欺罔の否定も予定されていた(Theodor Goltdammer, Materialien zum
Strafgesetzbuch für die Preussischen Staaten, 2. Teil, 1852, S. 538-543)
。当時の
一般的見解によれば、
「刑法は、詐欺の概念を十分に狭く解してよいが、しか
し民事法より広く解することはできない」
(Goltdammer, a.a.O., S. 539.; Beseler,
a.a.O. (Fn. 234), S. 461)
。多数の市民を、処罰の対象になる詐欺師にすることが
あってはならない、という憂慮が存在していたのである(この点について、
Naucke, a.a.O. (Fn. 234), S. 79を参照)
。
239
1847年草案293条:利得意図のもとで他人の財産を、誤れる事実の陳述また
は正しい事実の歪曲もしくは隠蔽によって錯誤を惹起することを通じて害す
る者は、詐欺を犯している(Wer in gewinnsüchtiger Absicht das Vermögen
eines anderen dadurch beschädigt, daß er durch Vorbringen falscher oder
durch Entstellen oder Unterdrücken wahrer Tatsachen einen Irrtum erregt,
begeht einen Betrug.)
。
240
例えば、1833年草案の484条の段階においては、次のように規定されてい
た。
「自己または第三者が財産的利益を獲得もしくは他人に財産的利益を獲得
させる意図でもって、または他人に損害をも与える意図でもって、他人の錯
誤を惹起もしくは他人の錯誤を利用して、他人の権利を害する(die Rechte
desselben gekränkt werden)ことになる行為を為す者は、そのことから損害
が実際には発生しなくても、詐欺の責に帰す」
。
この草案においては権利侵害説の影響が窺われるのであるが、しかし逆に
1843年草案448条においては損害の発生が求められ、詐欺罪を真実に対する権
利に反する罪として理解する余地は、ほぼ消滅している。これは、1845年草案
の以降も同様である。
241
プロイセン刑法典の詐欺規定は、現行刑法典263条へ受け継がれている。す
なわち、今日の詐欺概念はプロイセン刑法典において初めて規定され(Peter
Cramer, Vermögensbegriff und Vermögensschaden im Strafrecht, 1968, S.
27)
、この時から詐欺罪を真実に対する権利に反する罪として理解する学説は
姿を消した
(この点について、
林幹人
『財産犯の保護法益』
(1984年)
20頁を参照)
。
その後の学説として、例えばケストリン(Christian Reinhold Köstlin, 18131856) も、 詐 欺 罪 を 財 産 犯 と し て 理 解 し(Christian Reinhold Köstlin, VII.
Ueber die Grenzen zwischen dem strafbaren und dem bloß civilrechtlich zu
verfolgenden Betrug, Zeitschrift für Civilrecht und Prozeß, NF 14 (1857), S.
北法63(5・271)1571
[54]
論 説
②違法性と責任の分離
経済自由主義の影響は、当時の不法論(とりわけ客観的違法論に基づ
く違法と責任の分離)からも窺われる。この問題に関しては、メルケル
(Adolf Merkel, 1836-1896)の主観的違法論とイェーリング(Rudolf von
Jhering, 1818-1892)の客観的違法論が重要である。確かに両者の違法
論それ自体は詐欺取消制度と直接の関係を有しないが、しかし特に
イェーリングの違法論は民法典成立後における詐欺取消制度の解釈に
とって重要な意味を持つから、ここで概観する。
メルケルによれば、人間の意思に関連させ得ない事柄は自然現象に過
ぎず、逆に法の命令は当該命令の作用が期待され得る者においてのみ考
えられるのであるから、法の命令に対する違反を意味する不法は帰責能
力ある者の意思を前提としてのみ語られ得るのであり、したがって不法
という要件を含む243、という。
は帰責可能性
(帰責可能性は責任と同義242)
メルケルの理解によれば、責任は不法の前提であるから244、責任なくし
て不法は語り得ず、すなわち違法性と責任は必ずしも分離されているわ
けではない。
こうしたメルケルの不法論は、
イェーリングによって批判されている。
イェーリングによれば、例えば他人の物を善意で占有している第三者に
401)
、さらに可罰的詐欺の抑制を説く。すなわち、現代文明の興隆にとって極
めて重要な意味を持つ取引の自由は、詐欺の可罰性が容赦なく拡大されること
になれば、耐え難い桎梏を課せられるし、他人の費用で利益を獲得しようと
することは取引において必然的に伴う事柄であって、ある程度の甘言は取引
の本質から切り離すことができないからである、という(Christian Reinhold
Köstlin, a.a.O., S. 408; ders., VI. Ueber die Grenzen zwischen dem strafbaren
und dem bloß civilrechtlich zu verfolgenden Betrug, Zeitschrift für Civilrecht
und Prozeß, NF 14 (1857), S. 295)
。
242
この点について、Adolf Merkel, Kriminalistishe Abhandlungen, Zur Lehre von
den Grundeintheilungen des Unrechts und seiner rechtlichen Folgen, auch als
Prolegomena zur Lehre vom strafbaren Betrug, 1867, S. 50 f.; Hans Achenbach,
Historische und dogmatische Grundlagen der strafrechtssystematischen
Schuldlehre, 1974, S. 24も参照。
243
Merkel, a.a.O. (Fn. 242), S. 42-47.
244
Achenbach, a.a.O. (Fn. 242), S. 24.
[55]
北法63(5・270)1570
民事詐欺の違法性と責任(3)
対して主張される所有者の請求権においては権利の所在が問題であっ
て、当該占有者の主観的な非難は当該請求権にとって特別な意味を持た
ず、すなわち過責を要しない不法も存在するのであるから(他人物の占
拠者が如何なる主観的態度であれ、他人の所有権侵害という違法性が認
められるべきことに何ら変わりはない)
、過責を不法の唯一の基準へ高
めるメルケルの理解は不当である245、という。過責を要しない不法を肯
定するイェーリングの用語法によれば、過責を要しない不法は客観的不
法、過責を要する不法は主観的不法として区別される246。
イェーリングは、メルケルと異なり、必ずしも過責を不法の前提とし
て理解せず、有責な(主観的な)不法と無責な(客観的な)不法を対置
させる247。このように、客観的違法論は責任から区別された点が特徴で
245
Jhering, a.a.O. (Fn. 213), S. 4-5.
246
さらに、前者の意味における不法はヘーゲルが理解する犯意なき不法に相
当する、という(Jhering, a.a.O. (Fn. 213), S. 5 mit Fußn. 1.)
。ヘーゲルの不法
論について、前掲注213を参照。イェーリング自身の詐欺論については本稿で
は解明し得なかったが、しかし例えば前述のサヴィニーや裁判例が言う主観的
違法はイェーリングの過責を要する主観的違法に相当するであろうし、そうで
あるなら、
ヘーゲルが犯意なき不法から詐欺を分離した理解とも整合的であり、
イェーリングの客観的不法とヘーゲルの犯意なき不法が一致することをイェー
リング自身が認めているなら、イェーリングの理解においても詐欺は主観的違
法に近いことになる。
247
こ の 点 に つ い て、Fischer, a.a.O. (Fn. 213), S. 120. た だ し、 メ ル ケ ル と
イェーリングは、人間の意思と無関係な自然を違法の主体として認めない
点 で は 共 通 し て い る( こ の 点 に つ い て、Edmund Mezger, Die subjektiven
Unrechtselemente, GS 89 (1924), S. 212を参照)
。主観的不法と客観的不法を区
別するイェーリングは、過責を要しない不法概念を認めるなら、風や雨も不法
の主体として認める他なくなる、というメルケルの指摘にも応接し、次のよう
に述べる。例えば雹が私の田畑を荒らしても、
これは権利の客体たる財(Gut)
が侵害されているに過ぎず、このこと自体は法にとって何の意味も持たないの
であるから、このことに対する法的措置も存在しないのであるが、しかし例え
ば善意で私の物を占有していた第三者が物の返還を拒むならば、そこには私に
対抗する人間の意思(menschlichen Willens)が存在し、しかも返還を拒む第
三者の知不知を問わず、その人間的意思は私の権利を傷つけているのであるか
ら、これに対しては法的措置が必要であって、以上を要するに客観的不法は過
北法63(5・269)1569
[56]
論 説
あり、これは責任概念の明確化をも意味する。イェーリングは、責任と
法律効果(とりわけ損害賠償)の関係について248、次のように述べる。「責
任がなければ行為に関する答責性はなく、賠償義務はない。損害が損害
249
。
賠償を義務づけるのではなく、責任が義務づけるのである」
損害の発生のみによって賠償責任を肯定する結果責任主義は、経済自
由主義と相容れない。この意味において、損害賠償義務の前提として過
責を求める過責主義は、責任を制約する原理として機能し、経済自由主
義の理念に適合する。イェーリングが展開した過責主義も経済的自由主
義が支配した時代の産物であったのである250。
イェーリングの違法論は、まず刑法学に強い影響を与え251、過責なく
し て 違 法 性 を 基 礎 づ け る 理 論 は 客 観 的 違 法 論(Lehre von der
objektiven Rechtswidrigkeit)と呼ばれ252、こうして犯罪を純粋な客観的
側面と純粋な主観的側面に区別する基礎が与えられた253。さらに、イェー
リングの見解が及ぼした影響は私法学においても見出され254、広く支持
責要素を要しないが、しかし人間の意思という要素を排除しているわけではな
いのであって、
これを要求する限り、
自然現象は不法の主体たり得ない(Jhering,
a.a.O. (Fn. 213), S. 6)
。この意味においてイェーリング自身の立場は純然たる客
観的違法論ではなく、客観的違法論と主観的違法論の中間に位置しており、
イェーリングの立場が折衷説と呼ばれる所以である。この点について、末川博
『権利侵害論(第2版)
』
(1971年。初出は1930年)182頁、高橋敏雄『違法性の
研究』
(1963年)11頁を参照。
248
Jhering, a.a.O. (Fn. 213), S. 6. これに対して、過責なき権利侵害の効果は、客
観的に不適法な物的状態を解消する点にある(Jhering, a.a.O. (Fn. 213), S. 7.)
。
249
Jhering, a.a.O. (Fn. 213), S. 40.
250
Gert Brüggemeier, Deliktsrecht, 1986, S. 45; Christian Katzenmeier, Zur
neueren dogmengeschichtlichen Entwicklung der Deliktsrechtstatbestände,
AcP 203 (2003), S. 91 f. も参照。
さらに、
ヴィーアッカー・前掲注51・542頁も参照。
251
Achenbach, a.a.O. (Fn.242), S. 25.
252
Fischer, a.a.O. (Fn. 213), S. 120 f.
253
Achenbach, a.a.O. (Fn. 242), S. 25.
254
例えば、ヴィントシャイト、デルンブルク、レーゲルスベルガー等が挙げ
られる。Fischer, a.a.O. (Fn. 213), S. 123を参照。
[57]
北法63(5・268)1568
民事詐欺の違法性と責任(3)
された255。そして、客観的不法は、次第に単なる違法性と呼ばれ、主観
的不法は過責(故意・過失)と呼ばれ、違法性と過責は対置され256、こ
れが後のドイツ民法典へ結実するのであった257。
(2)効果面における影響
①原状回復(Wiedereinsetzung in den vorigen Stand)の体系的地位
詐欺の悪意要件も、違法と責任の分離も、現代の詐欺取消制度の関係
においては、要件論に相当する。これに対して、効果論はヴィントシャ
イト(Bernhard Windscheid, 1817-1892)によって展開された。そして、
この点にも、
経済的自由主義の影響が見出されるのである。ヴィントシャ
イトの主張は当時の支配的見解に対する批判から展開されているから、
まず当時の支配的見解を概観する。
例えば、サヴィニーは、意思表示あるいは法律行為の有効性の障害に
関する概念として Ungültigkeit という概念を用い、さらに Ungültigkeit
を完全な Ungültigkeit と不完全な Ungültigkeit へ分け、一方で完全な
Ungültigkeit を 無 効(Nichtigkeit) と 同 置 さ せ、 他 方 で 不 完 全 な
Ungültigkeit に対しては訴権や原状回復を含む様々な内容を取り込み、
その総称として取消可能性という名称を与えている258。
さらにサヴィニーによると、原状回復の目的は現在の法的状態を変更
することによって以前の法的状態を復旧することであるから259、以前の
法的状態を回復する点において共通する限り、原状回復は訴権(例えば
255
この点について、Mezger, a.a.O. (Fn. 247), S. 212も参照。
256
Hans Stoll, Zum Rechtfertigungsgrund des verkehrsrichtigen Verhaltens,
JZ, 1958, S. 139.
257
Fischer, a.a.O. (Fn. 213), S. 123 f.; Stoll, a.a.O. (Fn. 256), S. 139.
258
Friedrich Karl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts, 4.
Bd.,1841, S. 536. なお、同書の邦訳としてサヴィニー(小橋一郎 訳)
『現代ロー
マ法体系 第四巻』
(2001年)が存在する。
259
Friedrich Karl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts, 7.
Bd.,1848, S. 100. なお、同書の邦訳としてサヴィニー(小橋一郎 訳)
『現代ロー
マ法体系 第七巻』
(2007年)が存在する。以下では、同邦訳書を引用する。
北法63(5・267)1567
[58]
論 説
actio doli)と同列に置かれる260、という。既に検討したように、ローマ
法においても actio doli と in integrum restitutio は必ずしも常に明確に
区別されていたわけではなかった261。サヴィニーも、actio doli によって、
詐欺を理由とする原状回復の大部分が不要になっている旨を指摘してい
るのである262。
法律効果の内容の類似性のみならず、
法律効果の実現方法も類似する。
サヴィニーによれば、訴権であれ、原状回復であれ、これら救済手段は
裁判で求められなければならない263。他の論者においても原状回復を一
般的な訴権法に関する民事法理論に割り当てる理解が見られるのである
が(例えば、プフタおよびジンテニス)
、しかし原状回復を総則の別章
あるいは法体系全体の補遺において扱う論者も存在し(例えばファンゲ
ロウ、ハイゼおよびゾイフェルト)
、原状回復の体系的地位は必ずしも
明確ではなかった264。
②意思表示による取消可能性
以上の支配的見解に対して、まずヴィントシャイトは、当時において
依然として強く残る訴権的色彩を問題視し265、裁判上の追求可能性を権
利の帰結として捉えることによって、訴権を法的に認められた請求権と
いう表現へ言い換えるべき旨を説く266。
260
サヴィニー・前掲注259・96頁。
261
この点について、前述(本誌63巻4号12-13頁)を参照。
262
サヴィニー・前掲注259・180頁。
263
原状回復について、サヴィニー・前掲注259・192頁以下。もっとも、例
外的に裁判外の表示によって取消効果が生じ得たことを示唆する見解も存在
す る(Georg Friedrich Puchta, Pandekten, 3. Aufl., 1845, S. 97を 参 照(ders.,
Pandekten, 6. Aufl., 1852, S. 100も参照)
)
。しかし、かかる運用が少なくとも制
定法によって認められていたわけではない。
264
以上の各論者について、Bernhard Windscheid, Lehrbuch des Pandektenrechts,
1. Bd., 1862, S. 274 mit Fußn. 7の指摘を参照。
265
奥田昌道『請求権概念の生成と展開』
(1979年)17頁以下。
266
Bernhard Windscheid=Theodor Muther, Die Actio des römischen
Zivilrechts, 1856 (Neudruck 1984), S. 5 f.
[59]
北法63(5・266)1566
民事詐欺の違法性と責任(3)
もっとも、現行民法における詐欺を理由とする取消権は請求権ではな
く、actio doli それ自体は現行ドイツ民法123条1項における取消権の起
源ではなく267、取消権の起源は原状回復に遡る。
原状回復(restitutio in integrum; Wiedereinsetzung in den vorigen
Stand)について268、ヴィントシャイトは、訴権と回復の相違から、支配
的見解と異なる理解を示す。すなわち、ヴィントシャイトによれば、従
来の体系は回復の理論を一般的訴権法に割り当てるが269、しかし訴訟上
の救済に関する一般原則よりも回復それ自体の目的が重要であって、そ
れゆえ体系における回復の地位も回復の目的によって決定されるのであ
り270、そして回復の目的は法律事実の法的効果の廃止であるから271、回復
の理論は法律事実の Ungültigkeit の理論に属する272、というのである。
ヴィントシャイトが言う法律事実は、権利の発生・消滅・変更を生ぜ
しめる個別要素を意味し、法律事実の一種として法律行為が含まれ
る273。そして、ヴィントシャイトによれば、Ungültigkeit は法律行為の
取消可能性(あるいは無効)を導き、その原因として詐欺が考えられ、
取消可能性を実現する方法として法律行為の解消を求める方法が存在
し274、この法的効力を奪う原理が原状回復であって、その要件として財
産的不利益は必要ではなく、さらに原状回復は裁判官の判決ではなく、
私的行為275によって効力が生じる276、というのである。
267
この点について、Harder, a.a.O. (Fn. 198), S. 219も参照。例えば、Kaser, a.a.O.
(Fn. 18), S. 149によれば、actio doli はドイツ民法826条の前身である、という。
268
Harder, a.a.O. (Fn. 198), S. 218 ff. も参照。
269
Windscheid = Muther, a.a.O. (Fn. 266), S. 227.
270
Windscheid = Muther, a.a.O. (Fn. 266), S. 227.
271
Windscheid = Muther, a.a.O. (Fn. 266), S. 227 f.
272
Windscheid = Muther, a.a.O. (Fn. 266), S. 228.
273
Bernhard Windscheid, Lehrbuch des Pandektenrechts, 1. Bd., 7. Aufl., 1891,
S. 163-166.
274
Windscheid, a.a.O. (Fn. 273), S. 218-221 u. 324-333.
275
私的行為(Privatthätigkeit)の意味は必ずしも明確ではないものの、ヴィ
ントシャイトは法律行為を私的意思表示(Privatwillenserklärung)として定
義しているから、ヴィントシャイトが言う私的行為は裁判所という国家機関を
介さず実現する行為という程度の意味であろう。
北法63(5・265)1565
[60]
論 説
裁判官の判決を介さない取消可能性の実現が認められた点は重要であ
り、このことは経済的自由主義の発露としても評価できるであろう277。
そして、ヴィントシャイトの影響はザクセン民法典(1863年に公布、
1865年に施行)においても見られる278。同法典は詐欺の効力について、
次のように規定した279。
第3編債権法833条:一方の契約締結者が他方の契約締結者によっ
て詐欺により契約を締結させられたなら、その者は契約を存続させる
か、または契約を取り消すことができる。第三者の詐欺は、他方当事
者が契約の成立に際して第三者の詐欺を認識していた場合を除き、被
詐欺者に詐欺に基づく契約の取消権を与えない280。
同849条:無効な契約は、無効の表示を必要とすることなく、最初
から法的効力を有さない。取消しは、取消権者が相手方に対して契約
を取り消す旨を表示するときに初めて生じ、契約は双方当事者のため
に解消する281。
276
Windscheid, a.a.O. (Fn. 264), S. 272-276.
277
本田・前掲注198・237頁、Heinz Hübner, Subjektivismus in der Entwicklung
des Privatrechts, in: Festschrift für Max Kaser zum 70. Geburtstag, 1976, S.
725を参照。当時の自由主義は経済基盤と密接な関係を有していた。この点に
ついて、ハロルド・ラスキ(石上良平 訳)
『ヨーロッパ自由主義の発達』
(1951
年)249頁以下を参照。
278
当時の法文化や立法に及ぼしたヴィントシャイトの影響力について、ヴィー
アッカー・前掲注51・532頁以下を参照。
279
以 下 の 条 文 に つ い て、Neudrucke privatrechtlicher Kodifikationen und
Entwürfe des 19. Jahrhunderts, 4. Bd., 1973を参照した。
280
Wird eine der vertragschließenden Personen von der anderen zur
Eingehung des Vertrages durch Betrug vermocht, so kann sie bei dem
Vertrage stehen bleiben oder denselben anfechten. Der Betrug eines Dritten
giebt dem Betrogenen kein Recht zu Anfechtung des Vertrages auf Grund des
Betruges, ausgenommen wenn der andere Theil bei Eingehung des Vertrages
um den Betrugn den Dritten gewußt hat.
281
Ein nichtiger Vertrag hat von Anfang an keine rechtliche Wirkung, ohne
[61]
北法63(5・264)1564
民事詐欺の違法性と責任(3)
ザクセン民法典はドイツ法典の先駆であったこと282、ヴィントシャイ
トがザクセン民法典の起草に対して影響を与えていたこと283、そして
ヴィントシャイトがドイツ民法典の第一委員会の委員として参画してい
たことに鑑みても、ザクセン民法典の詐欺取消規定がドイツ民法典へ流
入された可能性は十分に考えられる284。
ただし、ザクセン民法典によれば、例えば錯誤は第1編総則規定にお
ける法律行為領域に規定されたが、しかし詐欺取消制度は第3編「債権
法」の第1部「債権一般」における第3章「債権の発生」に規定されて
いる。これは、現在のドイツ民法典の体系と異なる。さらに、詐欺を理
由とする救済根拠の理解も問題である。
確かにザクセン民法典の詐欺は、
要件として財産的損失を要しない285。これは、現行ドイツ民法典におけ
る詐欺取消制度の解釈と異ならないが、しかしザクセン民法典(91
条286)はプロイセン一般ラント法(1編4章4条287)と異なり、意思表示
が自由でなければならない旨を規定しておらず、詐欺取消制度の救済根
拠と意思自由の関係は必ずしも明確ではない288。この点に関しては、現
在の詐欺取消制度へ至る過程において、なお確認されなければならない
daß es einer Nichtigkeitsreklärung bedarf. Die Anfechtung gilt erst als
geschehen, wenn der dazu Berechtigte dem Anderen gegenüber erklärt, daß
er den Vertrag anfechte, und es löst sich dann der Vertrag für beide Theile
auf.
282
ヴィーアッカー・前掲注51・559頁。
283
この点について、Harder, a.a.O. (Fn. 198), S. 214 u. 218を参照。
284
Harder, a.a.O. (Fn. 198), S. 221は、この点を示唆する。
285
この点について、
Marie Raschke, Der Betrug im Civilrecht, 1900, S. 92を参照。
286
第1編総則91条:意思表示は、本心(ernstlich)でなければならない;そ
れ以外の法律行為は無効である(Die Willenerklärung muß eine ernstliche
sein; außerdem ist das Rechtsgeschäft nichtig.)
。
287
プロイセン一般ラント法1編4章4条:意思表示は、
自由でなければならず、
本心(ernstlich)かつ確実でなければならず、あるいは信頼できなければなら
ない。
288
現行ドイツ民法典の詐欺取消制度に関する通説の解釈によれば、その規範
目的が意思決定自由の保護である点に鑑みて、財産的損害を要件として求めな
い。この点については後述する。
北法63(5・263)1563
[62]
論 説
問題として残る289。この点について、引き続き検討する。
289
詐欺と被欺罔者の意思を結び付ける解釈それ自体は存在していた。例えば、
モムゼン(Friedrich Mommsen, 1818-1892)は、次のように述べる(Friedrich
Mommsen, Ueber die Haftung der Contrahenten bei der Abschließung von
Schuldverträgen, 1879, S. 156 f.)
。
「 取 消 し(Rescission) を 求 め る 訴 は、 非
常に多様であって、大抵の事例においては純粋な損害賠償の訴であるよう
に思われる」
。しかし、
「dolus を理由とする取消しの訴は、原状回復の訴
(Restitutionsklage)である。その訴は、詐欺が相手方の意思に影響を及ぼし、
それを断じて容認できない、という観点に立脚している」
。それゆえ、
「取消し
の訴を基礎づけるために、契約の締結が原告の財産の減少を生ぜしめた、とい
うことは必要な」く、すなわち「取消しの訴は契約の締結が買主に積極的な損
害を引き起こした、ということを成立要件としないのである」
。
これに対して、
むしろ民事詐欺の要件として損害を求める裁判例も存在した。
例えば、病気に罹患した馬を買わされた原告が dolus を理由として契約を解消
し、代金の返還を求めた事案において、ROHG zu Leipzig 23. 3. 1872(Seuffert's
Archiv 30, 192)は、財産的損害(Vermögensschaden)が dolus の成立要件お
よび取消権(Rescissionsrecht)の成立要件であること、そして専門家の鑑定
によれば本件の馬が売買価格より高く評価されていることを確認し、ゆえに財
産的損害を欠く本件においては訴の利益も欠ける旨を説示して、原告の訴を退
けた。
損害要件を重視する解釈は、原因を与える悪意(欺罔なかりせば契約を締結
していなかったであろう場合の詐欺)と偶然に生じる悪意(欺罔が存在しな
くても契約は締結していたであろうが、しかし当該内容あるいは当該条件で
は締結していなかったであろう場合の詐欺)という区別からも間接的に窺われ
る。既に確認したように、この区別は解釈学派によって導入された(前掲注64
を参照)
。この区別によれば、前者においてのみ取消権は認められ、それ以外
は損害賠償しか認められない。この区別は19世紀においても維持され、この区
別が争われる事案も少なくなかった。そして、その大半は偶然に生じる悪意し
か認められず、効果として損害賠償しか認められなかった(例えば、OAG. zu
Dresden 24. 7. 1847, Seuffert's Archiv 2, 216.; OAG. zu Oldenburg 24. 4. 1872,
Seuffert's Archiv 27, 189.; RG 19. 3. 1880, Seuffert's Archiv 36, S. 11.; RG 27. 1.
1881, Seuffert's Archiv 36, S. 264.; RG 10. 1. 1888, Seuffert's Archiv 43, 270. た
だし、RDHG. zu Leipzig 27. 9. 1878, Seuffert's 34, S. 216は、取消しを認める。
OG. zu Wolfenbüttel. 28. 6. 1878, Seuffert'sArchiv 35, S. 154お よ び ROHG. zu
Leipzig 16. 5. 1879, Seuffert's Archiv 36, S. 12は必ずしも明確ではないが、しか
し前者は建物の瑕疵の事案であり(少なくとも損害は認定され得る)
、後者に
[63]
北法63(5・262)1562
民事詐欺の違法性と責任(3)
第2款 ドイツ民法典の成立過程
第1項 詐欺取消規定の立法過程
(1)詐欺取消制度の起源と意義
①プロイセンの影響
後述するように、悪意の欺罔を理由として意思表示による取消可能性
を認める現行ドイツ民法典123条1項の規範目的は、被欺罔者の意思決
定自由の保護として理解されている。悪意という要件や取消可能性とい
う効果については、19世紀における議論を通じて確認した。欺罔の概念
に関しても、
19世紀を通じて民事詐欺の概念として妥当した dolus から、
その概要を知ることができよう。残る問題は、同条項の規範目的を意思
決定自由の保護として理解する考え方の由来である。こうした考え方は、
ローマ法の dolus 理論からは説明できず、むしろプロイセン一般ラント
法の理解に近い。この問題について引き続き検討する。ただし、その前
提として、立法前夜におけるプロイセンの影響について確認しなければ
ならない。
プロイセンは経済的自由主義を背景として躍進を果たしたものの290、
おいては actio doli が提起されている)
。
取消権の前提として損害の発生が要求されるなら、少なくとも詐欺取消制
度における保護法益は意思決定自由たり得ず、これはプロイセン一般ラント
法の理解に反するし(この点について、Meisner, Das Preußische Allgemeine
Landrecht und der Entwurf des Deutschen bürgerlichen Gesetzbuchs, 1890, S.
75を参照)
、そして現行ドイツ民法典の解釈にも反する。少なくとも、現行ド
イツ民法典成立の後の裁判所は、現行ドイツ民法典が当該区別を採用していな
い点を理由として、原因を与える悪意と偶然に生じる悪意という区別を否定す
る。この点は後述する。
ただし、現行ドイツ民法典における詐欺取消制度と契約締結上の過失
法理は、その確定基準を巡り議論され、その基準として原因を与える悪
意 と 偶 然 に 生 じ る 悪 意 と い う 区 別 を 援 用 す る 論 者 も 存 在 す る(Stephan
Lorenz, Vertragsaufhebung wegen culpa in contrahendo: Schutz der
Entscheidungsfreiheit oder des Vermögens?, ZIP 1998, S. 1056)
。この問題も後
述する。
290
そ の 状 況 に つ い て、Helmut Böhme, Prolegomena zu einer Sozial- und
北法63(5・261)1561
[64]
論 説
ドイツ全体という観点から捉えるなら、プロイセン一般ラント法は特別
法に過ぎなかった291。ところが、ドイツ国内における商取引や法律家の
交流が意識され、ドイツにおける一般民法が求められ始め292、民法草案
の起草が各邦の代表者から成る連邦参議院によって第一委員会に託され
た。その出身構成員は当時の各邦における力関係に応じて、プロイセン
が最多の4人、その他はバーデンの2人、バイエルンの2人、ザクセン
の1人、ヴュルテンベルクの1人、そしてエルザス・ロートリンゲンの
1人であった293。このことから既に、立法過程において与えるであろう
プロイセンの影響が窺われる。もっとも、本稿において確認されるべき
問題は、その影響と詐欺取消制度の関係である。
まず、部分草案から確認する。総則編の部分草案起草者として、バー
デン出身のゲープハルト(Albert Gebhard, 1832-1907)が選出された。
既に確認したように、バーデン地方法はフランス民法典の翻訳と若干の
補充条項を加えた法典であった294。つまり、バーデン地方法はドイツに
おいて所詮は外国法であって、バーデンはプロイセンによる法統一に反
Wirtschaftsgeschichte Deutschlands im 19. und 20. Jahrhundert, 1968, S. 57 ff.
なお、同書の邦訳として、ヘルムート・ベーメ(大野英二=藤本建夫 訳)
『現
代ドイツ社会経済史序説』
(1976年)が存在する(ただし、同邦訳書の底本は
1972年の第4版)
。以下では、同邦訳書を引用する)
。さらに、プロイセンは、
1867年に北ドイツ連邦という形において部分的統一を実現し、北ドイツ連邦憲
法をも制定したのであり、この憲法によればプロイセン王が軍事・外交の全権
および連邦宰相の任命権を有していた(ベーメ・前掲・81頁の注10)
。
291
クラウス・ルーイク(佐々木有司 訳)
「プロイセン私法学の創始者として
の後期パンデクテン法学者ハインリヒ・デルンブルク」日本法学61巻3号(1996
年)138頁を参照。
292
この点について、Katzenmeier, a.a.O. (Fn. 250), S. 80.
293
連邦参議院は1871年に成立したドイツ帝国憲法において規定され、そして
同憲法は前述した北ドイツ連邦憲法を引き継いでいるのであって、すなわちプ
ロイセンの影響力も引き継がれている。この点について、石部雅亮「ドイツ民
法典編纂史概説」石部雅亮(編)
『ドイツ民法典の編纂と法学』
(1999年)9頁
以下も参照。委員会の構成について、平田公夫「ドイツ民法典を創った人びと
(1)
」岡山大学教育学部研究集録(1981年)56号67頁も参照。
294
バーデンとフランスの関係について、前述2-3頁を参照。
[65]
北法63(5・260)1560
民事詐欺の違法性と責任(3)
対する理由を有さず、さらにゲープハルト自身は部分草案の起草者とし
て選出される以前からプロイセンの法律家と交流を持ち、ゲープハルト
は第一委員会におけるプロイセン委員の強い影響下に置かれ、ゲープハ
ルトはプロイセンの潜在的な支持者として理解されていた295。そして、
ゲープハルトは、普通法における詐欺取消制度の支配的理論としてプロ
イセン一般ラント法を挙げ、これに従う旨を述べて296、部分草案におけ
る詐欺取消制度を次のように規定した。
部分草案総則編101条1項297:誰かある者が他人によって違法に根拠
の あ る 恐 怖 の 惹 起 を 通 じ て 意 思 表 示 を さ せ ら れ、 あ る い は 詐 欺
(Betrug)を通じて意思表示をさせられた場合は、その意思表示は直
接に作用する取消しに服する。
まず意思表示による取消可能性が認められている点が注目される。と
ころで、ゲープハルトの部分草案を補助する担当者がザクセンから選任
295
こ の 点 に つ い て、Karlheinz Muscheler, Die Rolle Badens in der
Entstehungsgeschichte des Bürgerlichen Gesetzbuchs, 1993, S. 22 u. 37および
Werner Schubert, Die Vorlagen der Redaktoren für die erste Kommission zur
Ausarbeitung des Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches, Allgemeiner
Teil 1, hgg. von, 1981, S. XV を参照。確かにゲープハルトの人事に関しては異
論も出たのであるが、しかしプロイセン出身のパーぺ(第一委員会の委員長)
はゲープハルトの起用を支持した(Schubert, a.a.O.)
。なお、ゲープハルト
と同様にバーデン出身であったヴィントシャイトも、自身の『Lehrbuch des
Pandektenrechts, 1. Bd., 7. Aufl., 1891』をパーぺに捧げており、その関係が窺
われる。
296
Albert Gebhard, Die Vorlagen der Redaktoren für die erste Kommission
zur Ausarbeitung des Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches, Allgemeiner
Teil 1, hgg. von Werner Schubert, 1981, S. 135.
297
Ist Jemand zur Abgabe einer Willenserklärung von einem Anderen
widerrechtlich durch Erregung einer gegründeten Fucht bewogen oder durch
Betrug verleitet worden, so ist die Willenserklärung unmittelbar wirkender
Anfechtung unterworfen.
北法63(5・259)1559
[66]
論 説
されていた298。既に確認したように、プロイセン一般ラント法において
認められていなかった意思表示による取消可能性がザクセン民法典にお
いて認められていたのであった299。
このように意思表示による取消可能性は認められたものの、依然とし
て詐欺取消制度の規範目的に関しては部分草案においても十分に語られ
ていない300。これは続く第一草案において明確化する。
②詐欺取消制度の規範目的
第一委員会はプロイセン選出の委員によって主導され、しかもヴィン
トシャイトが途中で委員を辞し、その一票がプロイセン側に与えられ
た301。こうして、プロイセン勢が過半数を占め、第一草案においてもプ
298
Schubert, a.a.O. (Fn. 295), S. XV.
299
この点について、前述19頁以下を参照。ところで、バーデンにおいてフラ
ンス法の影響が見られた点も、
既に確認した(前述2-3頁)
。ゲープハルトは、
取消可能性の理解について、フランス法の影響も示唆する(Albert Gebhard,
Vorentwürfe der Redaktoren zum BGB, Allgemeiner Teil 2, hrsg. von Werner
Schubert, 1981, S. 148-150)
。フランス法における取消可能性に関しては、ヴィ
ントシャイトの研究も存在していた(Bernhard Windscheid, Zur Lehre des
Code Napoleon von der Ungültigkeit der Rechtsgeschäfte, 1847 (Nachdruck
1969), S. 44を参照)
。既に確認したように、ザクセン民法典において意思表示
による取消可能性が規定された経緯においては、そこにヴィントシャイトの影
響が見られ(前述19頁以下)
、さらにヴィントシャイトがゲープハルトと同様
にバーデン出身であった点も、ドイツ民法典の取消可能性に関するフランス法
の影響を窺わせる。この点に鑑みても、フランス法の理論の影響を検討するこ
とは本稿においても重要な意味を持つはずであるが、
しかし立ち入れなかった。
なお、
大木雅夫「独仏法学交流の史的素描」上智法学論集19巻2・3合併号(1976
年)94頁によれば、ヴィントシャイトは「当時としてはフランス法を最もよく
知っていたドイツ人のひとりであり、当初は、ラインのフランス法地域をドイ
ツ法学に結合する諸関連を確認しようと企てていた人である。しかしその後パ
ンデクテン学の構築に没頭して、フランス法の研究を放棄した」
、という。
300
詐欺取消制度の規範目的に関しては、
後述するように、
フランス法ではなく、
自然法学説から連なるプロイセン一般ラント法の影響が大きいであろう。
301
第一委員会は主としてパーぺを含む4名のプロイセン出身者とヴィン
ト シ ャ イ ト に よ っ て 主 導 さ れ た よ う で あ り( 石 部・ 前 掲 注293・24頁 )
、
[67]
北法63(5・258)1558
民事詐欺の違法性と責任(3)
ロイセン法に傾斜する可能性が十分に存在していた302。そして、部分草
案に基づく第一草案103条1項は次のように規定された。
第一草案103条1項303:誰かある者が強迫によって、または詐欺
(Betrug)によって違法に意思表示を為さしめられた場合、その者は
その意思表示を取り消すことができる。
部分草案の起草者と同様に、第一草案理由書は、プロイセン一般ラン
ト法に従う旨を宣言し、さらに同法が違法に干渉されていない自由な意思
決定(Die freie, d.h. nicht rechtwidrig beeinflußte Willensentscheidung)を
法律行為の構成要件要素として捉える立法例である点を確認し、そして
第一草案の立場について次のように述べる。
「意思決定の自由は意思表示の有効性の前提であ」り、「法秩序は、法
律行為領域における自由な自己決定(die freie Selbstbestimmung)が
違法な方法で干渉されることを許すことができない」304。
ヴィントシャイトの欠員分の一票は議長のパーぺに与えられた(Werner
Schubert, Preußens Pläne zur Vereinheitlichung des Zivilrechts nach der
Reichsgründung, SZ (Ger.) 96 (1979), S. 247 mit Fußn. 16)
。
302
この点について、石部・前掲注293・30頁も参照。
303
„Ist Jemand zur Abgabe einer Willenerklärung von einem Anderen
widerrechtlich durch Drohung oder durch Betrug bestimmt worden, so kann
er die Willenserklärung anfechten.“
304
Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das
Deutsche Reich, I. Bd., 1888, S. 204 u. 206(以下では、
「Motive I」として引用
する).
この時から、第一草案103条に由来する現行規定123条1項が意思決定自由を
保護する規範であることは、現在に至るまで、争われていない。先の理由書
の一節は、その根拠として、現在も頻繁に引用されている。
「123条は法律行為
上の意思決定の自由を保護せんとする(理由書第一巻204頁・・・・・・を参
照)
。同規定は、意思形成が欺罔および強制から自由に行われた場合に限り、
私的自治によって前提とされる法律行為上の自己決定が効力あらしめられる、
という考え方に依拠しているのである。同規定は-刑法263条(詐欺)および
北法63(5・257)1557
[68]
論 説
違法に干渉されていない自由な意思決定が有効な意思表示の前提とし
て宣言され、こうした理由書の説明から詐欺取消制度が被欺罔者の観点
から捉えられていること、さらに意思決定自由が違法評価の対象として
捉えられ得ることが理解される。
しかし、同条項は、その後の立法過程において修正を受け、とりわけ
悪意の要件305と違法性の要件306に関して修正されている。こうした修正
は詐欺取消制度の態度決定にも関わる問題であるから、この点について
引き続き検討する。
(2)詐欺取消制度における文言の変遷
①悪意の要件
第一草案の規定から判明するように、同草案においては詐欺という表
現が用いられていた。ところが、刑法においても詐欺という文言が用い
られていたから、刑事詐欺と民事詐欺の区別という観点から、第一草案
が「詐欺」という文言を採用したこと自体が批判の対象となった。
例えば、刑法学者のリスト(Franz von Liszt, 1851-1919)によれば、
刑法学における詐欺は本質的に悪意の欺罔(arglistige Täuschung)に
基づく財産的被害を意味するのであるが、しかし詐欺取消制度における
詐欺は財産的損害を要せず、この意味における詐欺は財産的損害へ至る
以前の悪意の欺罔それ自体を意味し、それゆえ刑法の意味における詐欺
刑法253条(恐喝)と異なり-財産を保護しているのではなく、したがって財
産的損害を要件としていない」
(Heinz Palm, in; Ermann Handkommentar zum
Bürgerlichen Gesetzbuch, 1. Bd., 12. Aufl., 2008, S. 296)
。 そ の 他 に、 例 え ば
Ernst A. Kramer, in; Münchener Kommentar zum Bürgerlichen Gesetzbuch, 1.
Bd., 5. Aufl., 2006, S. 1401も参照。
305
現行ドイツ民法典123条1項の悪意要件を、民法典における故意ドグマの一
端を成すものとして理解する見解も存在し、このことは詐欺取消制度と契約締
結上の過失法理の競合問題においても重要な意味を持つ。この点は後述する。
306
現行ドイツ民法典123条1項の規定上、違法性の要件は、強迫にのみ関係し、
悪意の欺罔に関係していないように見えるが、しかし現在の解釈においては悪
意の欺罔が要件として違法性を要する点について異論は見られず、ゆえに違法
性は悪意の欺罔に関しても解釈論として重要な意味を持つ。
この点は後述する。
[69]
北法63(5・256)1556
民事詐欺の違法性と責任(3)
と本質的に異なる307、という。こうして、リストは、詐欺取消制度の意
味における詐欺と刑法における詐欺を区別するために、第一草案が用い
た詐欺という表現に代えて、悪意の欺罔(arglistige Täuschung)とい
う表現の使用を提案している308。
リストのみならず、チーテルマン(Ernst Zitelmann, 1852-1923)も
草案の文言を問題視し、リストと同様に民法の取消制度における詐欺の
要件として詐欺者の貪欲な意図や財産的侵害を求めず、悪意の欺罔とい
う表現を用いれば足りる旨を述べている309。
リストとチーテルマンの批判が影響してか、第二委員会は第一草案
103条における詐欺という表現を悪意の欺罔という表現へ変更し、第二
草案98条1項を次のように規定した。
第 二 草 案98条 1 項: 悪 意 の 欺 罔 ま た は 強 迫 に よ っ て 違 法 に
(widerrechtlich)意思表示を為さしめられた者は、その表示を取り消
すことができる310。
第二委員会は、修正理由としてリストやチーテルマンと同様の指摘、
すなわち民事詐欺と刑事詐欺の区別および詐欺取消制度における財産的
損害の不要を挙げている311。ここに、リストとチーテルマンによる批判
307
Franz von Liszt, Die Grenzgebiete zwischen Privatrecht und Strafrecht.
Kriminalistische Bedenken gegen den Entwurf eines Bürgerlichen
Gesetzbuches für das Deutsche Reich, 1889, S. 22-25.
308
Liszt, a.a.O. (Fn. 307), S. 25.
309
Ernst Zitelmann, Die Rechtsgeschäfte im Entwurf eines Bürgerlichen
Gesetzbuches für das Deutsche Reich, 2. Theil, 1890, S. 43.
310
„Wer zur Abgabe einer Willenserklärung durch arglistige Täuschung
oder durch Drohung widerrechtlich bestimmt worden ist, kann die Erklärung
anfechten.“
311
Protokolle der Kommission für die zweite Lefung des Entwurfs des
Bürgerlichen Gesetzbuchs, 1. Bd., 1897, S. 119(以下では、
「Protokolle Ⅰ」と
して引用する)
.
北法63(5・255)1555
[70]
論 説
の影響が窺われる312。
ところで、悪意の欺罔という概念が刑事詐欺の立法過程において登場
し、
刑事詐欺の可罰性を制限するために援用された概念であったことは、
既に確認した313。悪意の欺罔という表現を持ち出したリストの趣旨が詐
欺概念の限定も含意していたか否か、
は必ずしも明確ではない。しかし、
少なくとも第二委員会が第一草案を実質的に修正する目的を有していな
かった点は、留意されなければならない314。つまり、民法における詐欺
取消制度の目的は、たとえ悪意の文言が加わろうとも、依然として意思
決定自由の保護であるのである(少なくとも第二委員会は、この理解を
修正していないし、変更していない)
。
②違法性の要件
悪意に続いて、違法性の要件も問題である。既に確認したように、第
二草案98条1項の規定によれば、違法性要件は悪意の欺罔と強迫の両者
に妥当しているように見える。ところが、帝国議会の審議において、違
法性要件を強迫の直前に置くことが決定された315。
悪意の欺罔により、または違法に(widerrechtlich)強迫により意
思表示を為さしめられた者は、その意思表示を取り消すことができ
312
Wiebke Reitemeier, Täuschungen vor Abschluß von Arbeitsverträgen:
Zum Verhältnis zwischen dem Straftatbestand des Betruges und dem
Anfechtungsrecht wegen arglistiger Täuschung (§§263 Abs. 1 StGB, 123
Abs. 1 Alt. 1 BGB), 2001, S. 74,; Hannes Rösler, Arglist im Schuldvertragrecht,
AcP 207 (2007), S. 572は、第二委員会に対するリストないしチーテルマンの批
判の影響を指摘する。
313
この点について、前述13頁を参照。
314
第 二 委 員 会 は、 基 本 的 に 第 一 草 案 の 理 解 を 踏 襲 す る 旨 を 述 べ て い る
(Protokolle I, S. 119)
。Reitemeier, a.a.O. (Fn. 312), S. 75も参照。
315
Benno Mugdan, Die gesammten Materialien Bürgerlichen Gesetzbuch für
das Deutsche Reich, 1. Bd., 1978, S. 965によると「強迫によって違法に(durch
Drohung widerrechtlich)
」の代わりに「違法に強迫によって(widerrechtlich
durch Drohung)
」と定めるべきだとする提案が満場一致の承認を得て可決さ
れた。
[71]
北法63(5・254)1554
民事詐欺の違法性と責任(3)
る316。
かかる帝国議会の提案内容は、そのまま現在の民法における詐欺取消
制度として規定された。
民法123条1項:悪意の欺罔により、または違法に強迫により意思
表示を為さしめられた者は、その意思表示を取り消すことができ
る317。
最終的に、悪意は詐欺特有の要件として、そして違法性は強迫特有の
要件として確定された。ただし、悪意の欺罔が違法性要件を持たない理
由は、悪意の欺罔が違法性と無関係であるからではなく318、悪意の欺罔
は当然に違法である319。むしろ問題は、違法性と悪意の関係であり、さ
らに悪意と意思決定自由の関係である。
既に確認したように、自然法学説に依拠したプロイセン一般ラント法
を否定するサヴィニーの詐欺論によれば、詐欺の局面において意思決定
自由の侵害は語られず、むしろ詐欺の違法性は欺罔行為によって基礎づ
けられる旨が確認されていたのであり、それに続く学説および判例も欺
罔者の主観的違法性を重視していた320。この理解を維持するなら、123条
1項における悪意要件も違法性を基礎づける要件として重要な意味を持
316
Wer zur Abgabe einer Willenserklärung durch arglistige Täuschung oder
widerrechtlich durch Drohung bestimmt worden ist, kann die Erkläruug
anfechten.
317
同上。
318
このことは、刑法が犯罪を定める各条文において必ずしも違法性の要件を
明記していなくても、当然に違法性が語られることを想起すれば、理解される
であろう。
319
むしろ、悪意の欺罔に違法性の要件が付されなかった理由について、
「悪意
の欺罔の違法性は自明のことであるから」
(Mugdan, a.a.O. (Fn. 315), S. 965)
、
という。ならば強迫の違法性要件は何を意味するのか、この意味の違法性と悪
意の欺罔は如何なる関係にあるのか。この点は後述する。
320
この点について、前述7-12頁を参照。
北法63(5・253)1553
[72]
論 説
つのであろう。
しかし、既に確認したように、この時期には違法性と責任を分離する
客観的違法論が確立され始めていたのであって、主観的要件の悪意に
よって違法性を基礎づける解釈は客観的違法論に反している。さらに、
民法の起草者は、プロイセン一般ラント法の理解に依拠し、詐欺取消制
度の規範目的を意思決定自由の保護として理解している。客観的違法論
に依拠し、かつ意思決定自由を重視するなら、違法性の根拠は意思決定
自由に対する侵害に求められることになる。この理解によれば、被欺罔
者の保護の可能性を悪意に限定する理由は存在せず、もし悪意に限定す
るならば、別個の説明を要する。
要するに、問題は、ドイツ民法123条1項における違法性の根拠は悪
意であるか意思決定自由であるか、意思決定自由は悪意の侵害によって
のみ保護される性質の法益であるか、過失の侵害によっても保護される
性質の法益であるか、という点である。
ところが、こうした問題に関して起草者の理解は必ずしも明確ではな
く、
少なくとも詐欺取消制度の立法過程からは窺い知ることはできない。
これに対して、不法行為法の立法過程においては、違法性と過責(故
意・過失)あるいは意思決定自由の要保護性について語られている。そ
こで、
この点を確認するべく、
不法行為法の立法過程を続けて概観する。
第2項 不法行為規定の立法過程
詐欺取消制度の立法過程において残された問題は、いずれも自由意思
に関係する問題である。それゆえ、まず民法が予定している自由意思に
ついて、確認されなければならない。民法における自由意思が語られる
局面は、主として2つに分かれる。第一は行為能力における自由意思で
あり、
第二は不法行為法において法益として列挙される自由意思である。
その意味と内容について、まず前者から検討する。
(1)民法典における自由意思-責任根拠の自由意思-
①「理性の使用」
民法典における重要な自由意思の規定として、まず行為能力に関する
諸規定が挙げられる。例えば、第一草案は、行為能力を次のように規定
[73]
北法63(5・252)1552
民事詐欺の違法性と責任(3)
していた。
第一草案708条:理性の使用を奪われていた者が他人に損害を加え
た場合、
その者は責を負わない。しかし、
自ら引き起こした酩酊によっ
て理性の使用が排除された場合には、損害について責を負う321。
かつて普通法は、法律行為能力と不法行為能力の双方を含む概念とし
て、
行為能力(Handlungsfähigkeit)という概念を用いていた。しかし、
この意味における行為能力は法的行為(juristische Handlung)を為し
得る能力という程度の意味しか持たず、法律行為能力と不法行為能力は
曖昧に結び付けられ、能力概念として不十分であった。それゆえ、民法
典 は、 普 通 法 の 行 為 能 力 概 念 を 採 用 せ ず、 不 法 行 為 能 力
(Deliktsfähigkeit)と意思表示を為し得る能力としてのみ理解される法
律行為能力(Geschäftsfähigkeit)322に分けたのであった323。ただし、両者
は本質的に同一であって、それゆえ法律行為能力に関しても不法行為能
力規定と類似した内容の規定が設けられた324。
第一草案64条1項:幼少期の者は、法律行為無能力である325。
321
Hat eine Person, während sie des Vernunftgebrauches beraubt war, einem
Anderen einen Schaden zugefügt, so ist sie hierfür nicht verantwortlich. Sie
ist jedoch für den Schaden verantwortlich, wenn der Vernunftgebrauch durch
selbstverschuldete Betrunkenheit ausgeschlossen war.
322
Geschäftsfähigkeit は行為能力と訳されることがある(例えば、柚木馨『現
代外國法典叢書 獨逸民法〔I〕民法總則』
(1938年)163頁以下)
。しかし、
Handlungsfähigkeit と区別するために、本稿は Geschäftsfähigkeit を法律行為
能力と訳す。
323
Ludwig Enneccerus‐Hans Carl Nipperdey, Allgemeiner Teil des
Bürgerlichen Rechts, Halbb. 2, 15. Aufl., 1960, S. 869 mit Fußn. 1.
324
確かに不法行為能力と法律行為能力は分離されたが、しかし民法典の理
解は行為能力概念によって法律行為能力と不法行為能力を包摂していた普通
法の理論から逸脱しているわけではなく、普通法理論を修正したに過ぎない
(Enneccerus‐Nipperdey, a.a.O. (Fn. 323), S. 869 mit Fußn. 1.)
。
325
Eine Person, welche im Kindesalter steht, ist geschäftsunfähig.
北法63(5・251)1551
[74]
論 説
同条2項:このことは、一時的であれ、理性の使用が奪われていた
者にも、その状態の期間は妥当し、精神病の故に禁治産宣告を受けた
者にも、当該宣告が存続する限り、妥当する326。
以上の如く、不法行為法能力規定および法律行為法能力規定は「理性
の使用を奪われていた者」という共通の表現を用いている。ところが、
これら能力規定は、第二草案において、
「理性の使用」から「自由な意
思決定」という表現へ修正される。
②「自由な意思決定」
「理性の使用」から「自由な意思決定」へ修正された規定として、ま
ず第二草案750条が挙げられる。次のような規定であった。
第二草案750条:無意識の状態または自由な意思決定を排除する精
神活動の病的な障害の状態において他人に損害を加えた者は、その損
害について責を負わない。誰かある者が自らアルコール飲料または類
似する手段によって、この種の一時的な状態にいた場合、過責がない
場合を除いて、その状態において違法に惹起された損害に関して、そ
の者が過失の責に任ぜられる場合と同様に、責を負う327。
326
Daselbe gilt von einer Person, welche des Vernunftgebrauches, wenn auch
nur vorübergehend, beraubt ist, für die Dauer dieses Zustandes, ingleichen
von einer Person, welche wegen Geisteskrankheit entmündigt ist, solange die
Entmündigung besteht.
327
Wer im Zustande der Bewußtlosigkeit oder in einem die freie
Willensbestimmung ausschließenden Zustande krankhafter Störung der
Geistesthätigkeit einem Anderen Schaden zufügt ist für den Schaden nicht
verantwortlich. Hat sich Jemand durch geistige Getränke oder ähnliche
Mittel in einen vorübergehenden Zustand dieser Art versetzt, so ist er für
einen in demselben widerrechtlich verursachten Schaden in gleicher Weise
verantwortlich, wie wenn ihm Fahrlässigkeit zur Last fiele, es sei denn, daß er
ohne Verschulden in den Zustand gerathen ist.
[75]
北法63(5・250)1550
民事詐欺の違法性と責任(3)
もちろん、行為能力規定の修正は不法行為能力のみならず、法律行為
能力規定にも及び、次のように修正された。
第二草案78条:以下の各号の者は法律行為無能力である。1号 7
歳未満の者。2号 自由な意思決定を排除する精神活動の病的な障害
にある者。3号 精神病を理由として禁治産宣告を受けた者328。
第二草案750条および78条は、ほとんど変更されず、それぞれ次のよ
うに現行規定として確定されている。
現行規定827条:無意識の状態または自由な意思決定を排除する精
神活動の病的な障害の状態において他人に損害を加えた者は、その損
害について責を負わない。その者が自らアルコール飲料または類似す
る手段によって、この種の一時的な状態にいた場合、その状態に際し
て違法に惹起した損害について、
過失の責に任ぜられる場合と同様に、
責を負う;その状態に過責なく陥った場合は、責を負わない329。
現行規定104条2号:自由な意思決定を排除する状態が精神活動の
病的障害の本質からして一時的ではない限りで、自由な意思決定を排
328
Geschäftsunfähig ist: 1. wer das siebente Lebensjahr nicht vollendet hat ;
2. wer sich in einem Zustande krankhafter Störung der Geistesthätigkeit
befindet, durch den seine freie Willensbestimmung ausgeschlossen wird; 3.
wer wegen Geisteskrankheit entmündigt ist.
329
Wer im Zustande der Bewußtlosigkeit oder in einem die freie
Willensbestimmung ausschließenden Zustand krankhafter Störung der
Geistesthätigkeit einem Anderen Schaden zufügt, ist für den Schaden nicht
verantwortlich. Hat er sich durch geistige Getränke oder ähnliche Mittel
in einen vorübergehenden Zustand dieser Art versetzt, so ist er für einen
Schaden, den er diesem Zustande widerrechtlich verursacht, in gleicher
Weise verantwortlich, wie wenn ihm Fahrlässigkeit zur Last fiele; die
Verantwortlichkeit tritt nicht ein, wenn er ohne Verschulden in den Zustand
gerathen ist.
北法63(5・249)1549
[76]
論 説
除する精神活動に病的障害ある状態にある者は、法律行為無能力であ
る330。
このように、
「理性の使用」という用語に代えて、「自由な意思決定」
という表現が用いられるようになった。問題は、その由来と修正理由で
ある。この表現の由来は刑事責任能力を定めた帝国刑法51条331であり、
起草者は民法の行為能力規定を刑法の責任能力規定に従わせたのであ
る332。そして、起草者は、その修正理由として、草案規定が意思的側面
を軽視し過ぎている点を挙げ333、さらに帝国刑法51条の規定方式を採用
することによって、私法規定を解釈する際に豊富な刑法学説を利用し得
る点を挙げている334。
刑法の責任能力規定が援用されている点に鑑みても、現行規定827条
および104条2号の意味における自由意思は、責任を基礎づける前提と
330
Geschäftsunfähig ist: 2. wer sich in einem die freie Willensbestimmung
ausschliessenden Zustande krankhafter Störung der Geistestätigkeit befindet.
sofern nicht der Zustand seiner Natur nach ein vorübergehender ist.
331
行為者が行為を犯した時点で、その自由な意思決定を排除せしめる無意
識または精神活動の病的障害の状態にいた場合、可罰的行為は存在しない
(Eine strafbare Hanlung ist nicht vorhanden, wenn der Thäter zur Zeit der
Begehung der Handlung sich in einem Zustande von Bewußtlosigkeit oder
krankhafter Störung der Geistesthätigkeit bestand, durch welchen seine freie
Willensbestimmung ausgeschlossen war.)
。
332
Benno Mugdan, Die gesammten Materialien zum Bürgerlichen Gesetzbuch
für das Deutsche Reich, 2. Bd., 1899, S. 1084.
333
「
第1草案においてはドイツ普通法学の伝統にしたがい単に『理性使用をな
し得ない者』として構成されていたが、この構成は知的側面に傾きすぎて意思
的側面を顧慮しない不当のものとして第2委員会で棄てられて、責任能力に
関する刑法51条旧規定(1933年改正までのもの)にならい、現行法のように改
められた」
(山田晟・村上淳一(編)
『ドイツ法講義』
(1974年)96-97頁)
。こ
うした起草者の態度は、民法典が主知主義ではなく、主意主義に依拠してい
ることを物語るであろう。主知主義と主意主義について、前述(本誌63巻4号
21-22頁)を参照。
334
Mugdan, a.a.O. (Fn. 315), S. 673. 上山泰「行為能力制度史論序説-ドイツに
おける法の変遷を素材として-」法学政治学論究23号(1994年)174頁も参照。
[77]
北法63(5・248)1548
民事詐欺の違法性と責任(3)
して意味を持つ内容であって、いわば責任根拠の自由意思として理解で
きるであろう。ところが、民法が予定している自由意思は、責任根拠の
自由意思のみではない。この点について、続けて検討する。
(2)もう一つの自由意思-違法根拠の自由意思-
①「違法根拠の自由意思」の意味
ドイツ民法典における三大不法行為構成要件の一つ823条1項は、次
のように規定されている。
現行規定823条1項:故意または過失により他人の生命、身体、健康、
自由、所有権またはその他の権利を違法に侵害する者は、その他人に
対してそのことによって生じた損害を賠償する義務を負う335。
同条項によれば、自由は過失によって侵害され得る権利として規定さ
自由概念の定義は与えられていない337。第一草案の
れている336。ただし、
段階のみならず、最終的に立法者は、民法における自由の概念について
必ずしも明確な定義を与えなかったのである338。
こうした立法者の態度に対しては、既に批判が提起されていた。例え
ばリストの批判によれば、自由に対する犯罪を規定した刑法239条は自
335
Wer vorsätzlich oder fahrlässig das Leben, den Körper, die Gesundheit,
die Freiheit, das Eigenthum oder ein sonstiges Recht eines Anderen
widerrechtlich verletzt, ist dem Anderen zum Ersatze des daraus
entstehenden Schadens verpflichtet.
336
第一草案理由書によれば、これまで生命、身体、健康、自由および名誉の
権利性は必ずしも確立されず、その保護も往々にして不十分であったから、そ
れら法益の権利性を明記することによって、その保護の可能性に疑義を差し挟
む余地を解消し、もって十分なる保護を目指したのである、という(Mugdan,
a.a.O. (Fn. 332), S. 406)
。
337
こ の 点 に つ い て、Erwin Deutsch, Freiheit und Freiheitsverletzung im
Haftungsrecht, Festchrift für Fritz Hauß zum 70. Geburtstag, 1978, S. 48を参照。
338
この点について、Jörn Eckert, Der Begriff Freiheit im Recht der unerlaubten
Handlungen, JuS 1994, S. 629も参照。
北法63(5・247)1547
[78]
論 説
由の剥奪(Freiheitsentziehung)を処罰しているのであるが、しかし民
法823条1項における自由の意味を自由の剥奪339に限定する理由は存在
しないのであって、それゆえ民法823条1項の自由は広く妨害なき意思
決定(ungestörte Willensbestimmung)として理解され、その侵害は如
何なる方法であれ、823条1項の規定に服するのである340、という。
リストが意思決定自由を重視する理由は必ずしも明確ではないが、し
かしリストの法思想は明らかに啓蒙主義の理念を反映している341。リス
339
現行823条1項の他に、
現行845条(847条1項も同旨。同条項の検討は省略)
も自由について規定している。
現行845条1文:人を殺害した場合、身体または健康を侵害した場合、な
らびに自由を剥奪した事案において、被害者が法律により第三者に対して第
三者の家事または業務において労務を給付する義務を負う場合、賠償義務者
は第三者に対して、その免れた労務について金銭定期金を支払うことによっ
て賠償することを要す。
この条文の文言から判るように、自由の「剥奪」が規定されている。この
自由を身体的自由に限定し、このことから823条1項の自由も身体的自由に限
定すべき旨を説く見解も見られるものの(Richard Maschke, Boykott, Sperre
und Aussperrung, 1911, S. 54)
、これに対して同条の自由の概念は立法過程に
おいても明確ではなく、少なくとも現行845条1文(第一草案727条1項1文)
は損害賠償義務の特別な拡張事例を規定しているのであるから、かかる規定の
制限的自由概念から現行823条1項(第一草案704条2項)の自由概念を推論す
ることはできず(Wolfgang Leinemann, Der Begriff Freiheit nach§823 Abs. 1
BGB, 1969, S. 56.; Eckert, a.a.O. (Fn. 338), S. 629)
、現行823条1項における自由
を身体的な活動の自由に限定すべき根拠は立法過程から見出されず(Deutsch,
a.a.O. (Fn. 337), S. 48)
、たとえ現行845条における自由が身体的自由の意味で
あったとしても、これは現行823条1項の自由と区別されているのであり、後
者においては広義の自由概念(例えば、意思決定自由)が根底に置かれている
(Eckert, a.a.O. (Fn. 338), S. 629)
、という考え方も主張されている。
340
Franz von Liszt, Die Deliktsobligationen im System des Bürgerlichen
Gesetzbuchs, 1898, S. 24.
341
こ の 点 に つ い て、Knut Amelung, Rechtsgüterschutz und Schutz der
Gesellschaft, 1972, S. 69を参照。さらに、
「リスト及彼の後繼者に其聲を見出し
たものは後期啓蒙期の思想である」
(佐伯千仭「犯罪の行爲者の本質」法学論
叢28巻3号(1932年)122頁)
。
[79]
北法63(5・246)1546
民事詐欺の違法性と責任(3)
トによれば、法は全て人間の生活利益を保護するために存在し342、人の
利益(Interessen)は法によって保護され、こうして法的に保護された
利益は法益と呼ばれるのであり、そして法益という概念は刑法学のみな
らず一般的法理論にとっても根本的な意義を有するのである343、という。
法の目的が法益の保護であるなら、法益の保護に欠ける事態は法に違
背する事態であり、違法である。すなわち、リストによれば、
「犯罪は・・・
法的に保護された利益に対する攻撃として違法である」344。しかも、リス
トによれば、「刑事不法は、その種類に関して、民事不法と異ならない
のである」345。
法益の侵害が違法性を基礎づけ、この点に関して民事と刑事に差異が
存在しないなら、823条1項において法益として認められる意思決定自
由に対する侵害も違法性を基礎づける346。この意味における自由意思は、
その特徴として権利性を帯び、その反面として被侵害性も備え、外在的
な侵害を通じて違法性の評価を受ける対象であって、いわば違法根拠の
自由意思であり、前述した責任根拠の自由意思から区別されなければな
らないであろう。
続く問題は自由意思の要保護性である。故意と過失を区別しない823
条1項において列挙された自由として意思決定自由が含まれるなら、意
思決定自由は過失行為によって害され得る性質の法益を意味するはずで
ある。ならば、同じ法益を保護する123条1項の悪意の要件は不当では
ないか、という疑問が生じる。これは民法における過責(故意・過失)
342
Franz von Liszt, Der Begriff des Rechtsgutes im Strafrecht und in der
Encyklopädie der Rechtswissenschaft, ZStW 8 (1888), S. 141 f.
343
Franz von Liszt, Rechtsgut und Handlungsbegriff im Bindingschen
Handbuche, ZStW 6 (1885), S. 672-673.
344
Franz von Liszt, Lehrbuch des Deutschen Strafrechts, 9. Aufl., 1899, S. 133.
345
Franz von Liszt, Der Zweckgedanke im Strafrecht, ZStW 3 (1883), S. 23 f.
リストによれば、刑法の犯罪と民法の不法行為は法律効果において差異が生じ
るに過ぎず、不法の点において異ならない、という(Liszt, a.a.O. (Fn. 344), S.
187 mit Fußn. 1)
。
346
リストも、法的に保護された利益の侵害が違法を基礎づける原則は、私法
においても妥当する旨を説いている(Liszt, a.a.O (Fn. 307), S. 34.)
。
北法63(5・245)1545
[80]
論 説
の問題も関係するのであって、この点について引き続き検討する。
②「違法根拠の自由意思」の要保護性
法益の侵害を違法性の根拠として認める理解は客観的違法論の帰結で
あり347、客観的違法論によれば故意の法益侵害と過失の法益侵害は違法
性の程度において差異を生ぜしめない。ならば、同じ法益を保護する
123条1項の詐欺取消制度においても過失による意思決定自由の侵害の
可能性が認められるはずであり、その要件も故意ではなく、過失で足る
はずではないか348。ただし、こうした疑問は、故意と過失の区別が民法
において特別な意味を持つものであるなら、成り立たない(123条1項
の故意は特別な意味を持つ要件として正当化される余地が生まれるか
ら)
。そこで、この点に関して、立法者の理解を確認する。
債務法の部分草案を担当したキューベル(Franz Philipp Friedrich
von Kübel, 1819-1884)は、不法行為の一般原則規定を次のように起草
した。
部分草案1条1項:誰かある者が意図または過失に基づく違法な行
為または不作為によって他人に損害を加えた場合、その他人に対して
損害賠償義務を負う349。
キューベルの理解によれば、ローマ法における不法行為の効果は刑罰
347
既に確認したように、客観的違法論は、メルケルが提唱した主観的違法
論に対する反論として、イェーリングによって展開されたのであった(この
点について、前述15-18頁を参照)
。そして、リストは、イェーリングとメル
ケ ル か ら 学 ん で い る(Gerd Kleinheyer-Jan Schröder (Hrsg.), Deutsche und
Europäische Juristen aus neun Jahrhunderten, 5. Aufl., 2008, S. 258)
。
348
少なくとも、客観的違法論は123条においても妥当する。この点について、
例えば Arthur Menge, Der Begriff der Widerrechtlichkeit bei der Drohung im
§123 B.G.B., 1906, S. 16を参照。
349
Hat Jemand durch eine widerrechtliche Handlung oder Unterlassung aus
Absicht oder aus Fahrlässigkeit einem Anderen einen Schaden zugefügt, so ist
er diesem zum Schadensersatz verpflichtet.
[81]
北法63(5・244)1544
民事詐欺の違法性と責任(3)
的性質を備えていたが、しかし行為者に対する制裁と被害者に対する補
償は今や異なる法秩序の任務であり、賠償義務の目的は被害者が受けた
損害の補填であって、それゆえ私法上の保護に値する利益の侵害は原則
として全て賠償されるべきであるが、しかし外部的な原因に基づく損害
を全て行為者に負わせることは妥当ではなく、したがって客観的な権利
侵害に加えて、過責(Verschulden)350を要求する原則を採用する351、と
いう。
既に指摘したように、過責主義は経済的自由主義と密接に関係してい
る352。過責主義は、法益保護を担う民法において、一方の法益保護と他
方の行為自由(Handlungsfreiheit)の妥協を意味するのである353。それ
ゆえ、相手方の行為自由を確保する要素として機能する限り、故意およ
び過失の間に差異は存在しないはずである354。
350
過責は、故意および過失を含めた概念である(Motive I, S. 281.)
。
351
Franz Philipp von Kübel, Recht der Schuldverhältnisse Teil 1, in: Die
Vorlagen der Redaktoren für die erste Kommission zur Ausarbeitung des
Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches, hgg. von Wener Schubert, 1980, S.
658-661.
352
この点について、前述17頁を参照。
353
「
ドイツ不法行為法は、
『違法性』と『過責』との峻別・対置という構成
に立脚しており」
、
「いわゆる過責主義(Verschuldensprinzip)=『過失責任
の原則』という経済的自由主義のイデオロギーに支えられて」いる(平井宜
雄『損害賠償法の理論』
(1971年)346-348頁)
。さらに、Manfred Löwisch, in:
Staudingers Kommentar zum Bürgerlichen Gesetzbuch mit Einführungsgesetz
und Nebensgesetzen, 2004, S. 282も参照。
354
例えば、起草者は、民法と刑法の分離を認め、過責の種類や程度に応じて
損害賠償義務の範囲を区分することを否定している。理由書によれば、かかる
区分を採用すれば、民事効果を決する際に、道徳的あるいは刑法的観点を引き
込まざるを得なくなる、という(Motive II , S. 17 f.)
。
もっとも、道徳的あるいは刑法的観点を民法へ持ち込むことが、なぜ問題
であるのか、ということ自体も一応は問題である。この問題に対しては、次
のような解答を与えることができるであろう(この点について Heyer, Soll der
Ersatz des Schadens Strafausschließungsgrund sein?, GS 21 (1869), S. 1 ff. を参
照)
。まず、民事的効果と刑事的効果が接近すれば、
「損害賠償は刑罰を阻却す
る」という発想が生まれる。損害賠償が刑罰を阻却することは、
換言するなら、
北法63(5・243)1543
[82]
論 説
そして続く第一委員会も、
意図
(Absicht)
という表現を故意(Vorsatz)
という表現へ変更した以外はキューベルの理解と異ならない355。むしろ、
その後の審議過程(とりわけ第二草案の以降356)においては経済的自由
主義の理念が徹底され、キューベルが提案した一般条項規定は修正さ
れ357、個別構成要件主義が採用された358。こうして、一般条項規定は三大
不法行為構成要件(823条1項、823条2項および826条)へ分化し、そ
して現在に至るのである。823条1項は前掲した。823条2項および826
条は、次のように規定されている。
有産者の行為(だけ)が常に不可罰化され得る点が憂慮され、さらに犯罪の予
防効果も低減する。しかも、結果を伴う害悪の大きい既遂は損害賠償によって
不可罰化し得るが、しかし結果を伴わない害悪の小さい未遂は損害賠償によっ
て不可罰化し得ず、害悪の大きい既遂は損害賠償で済むのに対して、害悪の小
さい未遂は損害賠償より強力な刑罰という法律効果を避けることができない、
という不均衡を生み出す。以上の如く、道徳的あるいは刑法的観点を民法へ持
ち込むことは、道義的観点からも刑事政策的観点からも、問題を生ぜしめるの
である。
355
Horst Heinrich Jakobs=Werner Schubert, Die Beratung des Bürgerlichen
Gesetzbuchs in systematischer Zusammenstellung der unveröffentlichten
Quellen, Recht der Schuldverhältnisse III, 1983, S. 874.
356
確かに第一草案も、部分草案に比べれば、制限された一般条項主義を採用
していた。しかし、一般条項として規定された第一草案704条および705条にお
ける違法性要件の内容は制限されていなかったから、結果的に両条は包括的
な侵害禁止規定として理解され得たのである。この点について、Katzenmeier,
a.a.O. (Fn. 250), S. 104を参照。
357
個人の自由を可能な限り制約しないことが国民経済全体に資する、という
経済的自由主義の観念は不法行為の一般条項主義と相容れない、という理解が
存在していたからであった。この点について、Katzenmeier, a.a.O. (Fn. 250), S.
103を参照。
358
第二委員会は、裁判官に対して予め客観的な基準を明示すべきこと、損害
賠償請求権の過度な認容を回避すべきこと等の理由から、一般条項規定に反
対した(Protokolle der Kommission für die zweite Lesung des Entwürfs des
Bürgerlichen Gesetzbuchs, 2. Bd., 1898, S. 571 f.(以下では Protokolle II として
引用する)
)
。
[83]
北法63(5・242)1542
民事詐欺の違法性と責任(3)
現行規定823条2項:他人を保護する目的の法律に違反する者も、
同様の義務を負う。当該法律の内容によれば、過責がなくても当該法
律に違反し得る場合は、過責がある場合に限り、賠償義務が生じ
る359。
現行規定826条:善良の風俗に反する方法で他人に対して故意に損
害を加える者は、その他人に損害を賠償する義務を負う360。
一方で経済的自由主義の理念は一般条項主義から個別構成要件主義へ
変更せしめたが、しかし他方で経済的自由主義は過責原則の根拠でも
あった361。それゆえ、個別要件主義の採用は故意と過失の理解を変じる
わけではなく362、やはり故意または過失は加害者の行為自由を確保する
要件に過ぎず、両者の間に差異は見出されない。確かに826条は故意に
限定されているが、しかし826条でさえ、その第一草案(705条)の段階
においては故意に限定されていたわけではなかった363。そもそも、立法
359
Die gleiche Verpflichtung trifft denjenigen, welcher gegen ein den Schutz
eines anderen bezweckendes Gesetz verstößt. Ist nach dem Inhalt des
Gesetzes ein Verstoß gegen dieses auch ohne Verschulden möglich, so tritt
die Ersatzpflicht nur im Falle des Verschuldens ein.
360
Wer in einer gegen die guten Sitten verstoßenden Weise einem Anderen
vorsätzlich Schaden zufügt, ist dem Anderen zum Ersatze des Schadens
verpflichtet.
361
それゆえ、第二委員会も過責主義は維持し、次のように述べている。結果
主義(Veranlassungsprinzip)と異なり、過責主義は各人の法領域を画定する
決定的な意義を有するのであり、むしろ、この原則を踏み外せば、取引の発展
を阻害することになるであろう(Protokolle II , S. 568 f.)
。
362
要するに、第二草案における修正は、基本的に不法行為責任の射程範囲を
制限したに過ぎず、第一草案と根本的な相違点は存在しないのである。この点
について、Hans Stoll, Richterliche Fortbildung und gesetzliche Überarbeitung
des Deliktsrechts, 1984, S. 27.; Katzenmeier, a.a.O. (Fn. 250), S. 112も参照。
363
第一草案705条:一般的自由によりそれ自体は許される行為も、それが他人
に損害を与え、その実行が善良な風俗に反するときは、違法と見なされる。
これに対して、確かに、第二委員会においては、不誠実な行為による他人の
北法63(5・241)1541
[84]
論 説
過程の議論を前提とする限り、826条の規定と123条の問題は切り離して
考えることができるはずである。
過責(故意または過失)の意義が加害者の行為自由の確保であり、し
かも823条1項において被害者の意思決定自由の保護と加害者の行為自
由の確保を調整する要件として過失が設定され、さらに意思決定自由が
過失行為によって侵害され得ることも承認され、そして123条1項にお
ける「悪意」という表現が刑事詐欺と区別するため(だけ)に導入され
た要件であるなら、123条1項における悪意を故意として理解する解釈
は明らかに欺罔者の側の行為自由へ偏重し過ぎである。
ところが、次章において検討するように、学説および判例は詐欺取消
制度における悪意要件を故意へ読み替え、これを堅持し、この故意要件
が違法根拠の自由意思に対する救済の桎梏となる。そして、その反省か
ら故意要件の緩和を図る種々の議論(とりわけ契約締結上の過失法理)
が展開されることになる。この点について、章を改めて、検討する。
(未完)
利益領域に対する侵害が過失によって生じることは稀である、という理由から
故意に限定された(Protokolle II, S. 576を参照)
。しかし、この第二委員会の理
解を民法の理解として受け取るならば、823条1項は存立し得ないのであって、
それゆえ第二委員会の上記説明から民法における故意の特別な機能を読み取る
ことはできないであろう。
[85]
北法63(5・240)1540
論 説
環太平洋連帯構想の誕生(1)
── アジア太平洋地域形成をめぐる
日豪中の外交イニシアティブ ──
田 凱
目 次 序章 課題と方法
第一節 アジア太平洋地域の重要性
第二節 環太平洋連帯構想と大平外交の重要性
第三節 先行研究とその問題点
第四節 分析方法
第五節 本稿の構成
第一章 環太平洋連帯構想の背景
第一節 環太平洋連帯構想の前史─日本の地域主義外交の視座から
第二節 環太平洋連帯構想の時代背景
第二章 環太平洋連帯構想と大平正芳の外交理念
第一節 大平の生涯と協調政治
第二節 大平正芳の外交観
第三節 1970年代の時代認識
(以上本号)
第三章 環太平洋連帯構想の形成過程と内容
第一節 大平正芳の勉強会の組織
第二節 大平総理の政策研究会
第三節 環太平洋連帯研究グループ
第四節 環太平洋連帯構想の理念
第四章 大平政権期の対外政策と環太平洋連帯構想の展開
第一節 対米協調と対中経済外交
第二節 環太平洋連帯構想の外交準備
第三節 環太平洋連帯構想の展開
[87]
北法63(5・238)1538
環太平洋連帯構想の誕生(1)
第五章 ジョン・クロフォードの行動と環太平洋連帯構想
─オーストラリアのアジア太平洋外交への出発─
第一節 オーストラリア外交
第二節 ANU セミナー
第三節 ジョン・クロフォードの ASEAN 外交
第四節 オーストラリア外交と環太平洋連帯構想
第六章 ポスト大平の環太平洋連帯構想外交
─伊東正義と大来佐武郎─
第一節 外務省と伊東外相
第二節 大来佐武郎の行動
第三節 伊東外相の辞任と ASEAN 拡大外相会議
第七章 中国の PECC 加盟と地域メンバーシップの拡大
第一節 中国の受け入れと国家のパワー
第二節 中国の姿勢の変化
第三節 中国 PECC 加盟の要因
第四節 小結
終章 環太平洋連帯構想の意義
第一節 環太平洋連帯構想と戦後日本外交史
第二節 環太平洋連帯構想と中国
第三節 アジア太平洋とオーストラリア外交
第四節 アジア太平洋地域主義の可能性
補章 環太平洋連帯構想とアメリカ
第一節 アメリカとアジア太平洋地域主義
第二節 ブレッキングス研究所への委託研究
第三節 アメリカ国務省の動き
第四節 積極的な東西センター
第五節 アメリカの参画と APEC
序章 課題と方法
本稿は、大平正芳日本首相(任期:1978-80年)によって推進された
環太平洋連帯構想の背景と理由、その形成と内容を明らかにし、外交的
展開を解明することを目的とする。ここで中心に据えられるのは、アジ
ア太平洋地域主義を推進しようとした日本政府の試みであり、現在のア
ジア太平洋経済協力会議(APEC:Asia-Pacific Economic Cooperation)
北法63(5・237)1537
[88]
論 説
の根源に当たる環太平洋連帯構想である。ただし、環太平洋連帯構想の
推進には、アジア太平洋国家への変身を試みていたオーストラリアが密
接に絡んでいた。また、いかにこの地域の大国である中国を扱い、中国
をいかに地域に包摂するかという問題は環太平洋連帯構想の理念に深く
関わっていた。そこで本稿は、日本外交と環太平洋連帯構想を中心に検
討しながら、オーストラリアと中国の視点からも分析をくわえ、環太平
洋連帯構想の成立 とその影響を包括的に跡付ける。これにより、環太
平洋連帯構想を評価し、アジア太平洋地域主義の新たな歴史解釈に光を
当てるとともに、翻ってひろくアジア太平洋国際政治史の文脈における
大平政権期の外交の意義も改めて論じなおすことができよう。
第一節 アジア太平洋地域の重要性
周知のように、1989年にオーストラリア首相のボブ・ホーク(Robert
James Lee Hawke, 任期:1983-91)は冷戦の終結と地域経済の相互依
存の深化に鑑み、アジア太平洋全域に跨る初めての政府間組織である
APEC の設立を提案した。同年第1回 APEC 閣僚会議がオーストラリ
ア首都のキャンベラで開催された。当時のアメリカ国務長官のジェイム
ズ・ベイカー(James Addison Baker)はキャンベラの会合が終わった
あと、それを「潜在的に歴史的」な会合だったと形容した1。アメリカの
経済学者フレッド・バーグステン(Fred Bergsten)も「潜在的に歴史
上もっとも広く影響力のある貿易協定」だと APEC を賞賛した2。その
後、APEC の展開は事務局・賢人会議(EPG: Eminent Persons Group)
の設置と続く。1993年、クリントン米大統領(Bill Clinton, 任期:1993‐
01)のイニシアティブによって非公式首脳会議を毎年開催することに
なった APEC は、アジア太平洋規模で首脳会議が定期的に行われた唯
1
船橋洋一『アジア太平洋フュージョン:APEC と日本』中央公論社、1995年、
103頁。
2
Fred C. Bergsten, “APEC and world trade: a force for worldwide
liberalization”, Foreign Affairs 73 (3), 1994, pp.20-26.
[89]
北法63(5・236)1536
環太平洋連帯構想の誕生(1)
一の制度となった3。1993年のシアトル首脳会合において、クリントンは
「我々の会議が世界情勢においてアジア太平洋という新勢力の存在を反
「2020年までの域内での貿易自由化」
映する」と述べた4。さらに1994年、
を目標とするボゴール宣言が採択され、
「潜在的に歴史的」なアジア太
平洋地域主義は着々と深まっていった。
APEC 発足当初は、日本、アメリカ、オーストラリア、ASEAN 諸国
など12カ国がそのメンバーであり、1991年に中華人民共和国は台湾、香
港とともに加盟を実現した。1998年には、ロシアも APEC の一員となっ
たことで、APEC は日米中露の四大国を包摂した唯一の地域組織となっ
た。APEC は現在21の国と地域のメンバー国を束ね、人口は世界の四
割以上を有し、世界 GDP(国内総生産)の半分以上、輸出の40%以上
を占める。世界のナンバーワン、ナンバーツー、ナンバースリーである
米国、日本、中国の経済を擁すると同時に、世界で最も躍動的な経済を
網羅している5。APEC の貿易額から見ると、2008年は1998年の三倍近く
までに成長した。そして、APEC 内の貿易依存度は70%に達しており、
欧 州 連 合(EU:European Union) と 北 米 自 由 貿 易 協 定(NAFTA:
North American Free Trade Agreement)をはるかに上回っている6。
これらの事実は APEC 域内における経済の高度成長と相互依存の深化
を物語っている。
ところが、1997年から1998年にわたって、東アジア地域を席巻した金
融危機に対して、APEC は危機に陥ったメンバー国に有効な援助を提
供 す る こ と が で き ず、 国 際 通 貨 基 金(IMF: International Monetary
3
山本吉宣「グローバリゼーションとアジア太平洋」
、渡邉昭夫編『アジア太
平洋と新しい地域主義の展開』千倉書房、2010年、44頁。
4
Bob Hawke, The Hawke Memoirs, London, 1994, p.433.
5
船橋、前掲書(1995)
、10頁。
6
地域枠組みにおける域内貿易比率の推移を見ると、1980年は57.5%で、EU
(57.3%)の数値とはほぼ同じであるが、その後 APEC の方が大きく伸び、
2000年にはピークの72.3%に達し、同じ時期のとはそれぞれ64.6%と46.8%であ
る。http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/apec/data/data.html[アクセス
日:2012年9月22日]
北法63(5・235)1535
[90]
論 説
Fund)に任せることを選んだ7。東アジア通貨危機での APEC の無作為
に反発し、東南アジア連合諸国(ASEAN: Association of South East
Asian Nations)と日本、中国、韓国とをその範囲とする東アジア地域
協力は急速に発展した。この協力体制を制度化したものが「ASEAN +
3」
(
「ASEAN プラススリー」
)である。1997年12月、初めての ASEAN
+3首脳会議が開催された8。2005年12月に催された第9回 ASEAN +3首
脳会議に関するクアラルンプール宣言の中で、東アジア共同体を長期的
な目標として実現していくことが確認され、同月に第1回の東アジアサ
ミット(EAS: East Asia Summit)が開催されるに至ったのである。東
アジア地域主義の興隆とは対照的に、APEC がかねてから力を入れて
いた貿易の自由化と経済協力に関する議論はほとんど進展していないた
め、APEC の役割の低下が顕著的なものと思われる。同じく経済学者
のバーグステンは2001年に APEC が貿易自由化に多様な取り組みはす
でに「水に浮かんだまま動けなくなっている(dead in the water)」と
APEC は以下の二つの側面から見れば、
指摘した9。それにもかかわらず、
依然として不可欠である。
第一は、APEC とグローバリゼーションの関係である。グローバリ
ゼーションは1970年代から言葉として使われるようになり、冷戦後に特
に見られるようになった現象である。それは冷戦期に「西側」を特徴づ
けるものとされてきた経済の自由化(市場経済)と政治の民主化(民主
主義)が、
グローバルに行き渡るようになっていくことを指す10。グロー
バリゼーションに対応する形で APEC は「開かれた地域主義」を公式
な制度言説として掲げた。APEC の「開かれた地域主義」はグローバ
ルな自由貿易体制を補完する手段としての色彩が強く、
(他地域に対し
て)開放的で包摂的、差別的でない自由貿易原則の遵守を意味してい
7
John Ravenhill, APEC and the Construction of Pacific Rim Regionalism,
Cambridge University Press 2001, p.281.
8
谷口誠
『東アジア共同体:経済統合のゆくえと日本』
岩波新書、
2004年、
20‐25頁。
9
Ravenhill, op.cit., 2001, p.3
10
渡邉昭夫編
『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』
千倉書房、
2010年、
5頁。
[91]
北法63(5・234)1534
環太平洋連帯構想の誕生(1)
た11。実際発足当時からの APEC は、GATT ウルグアイ・ラウンドの早
期妥結のためにアジア太平洋諸国の声を糾合する行動や、国際自由貿易
の規範やルールについての理解をアジア太平洋諸国に促すためのセミ
ナーの開催等を活動の中心に置いていた。APEC のこれらの活動は
GATT 強化という目的に合致し、GATT のルールに整合的である12。ま
た経済のグローバル化の進展や人権、民主主義などの政治規範は単なる
国家観関係を律するルールだけでなく、国家の内部の制度までを調整す
ることが求められるようになる。地域主義は、グローバリゼーションの
もたらす様々なプレッシャーに対する域内諸国の反応という側面も持
つ。APEC においては、単なる貿易自由化の推進といった国境際の措
置に加え、国境内における経済構造改革などの諸分野における調整まで
も協力すべき領域に含むようになっている13。一方、グローバリゼーショ
ンは世界に経済的な繁栄を与えると同時に、負の産物ももたらす。地域
主義はグローバリゼーションから利益を得るだけでなく、リスクをコン
トロールしようとする地域諸国の試みである。ベルリンの壁崩壊後の20
年は「危機の20年」とも言われる14。この20年の中、1990年代後半のア
ジア通貨危機、そして2000年代末の世界金融危機が発生した。こうした
中で、アジア地域主義が注目された。だが、形成中の東アジア地域主義
に比べて、APEC は「発展途上の地域」主義にもかかわらず、もっと
も包括的で持続性のある地域主義である15。そこで、危機管理のために
は、新たな地域制度を作り出す以外にも、既存のより成熟的な地域枠組
みの APEC を一層強化する必要がある。その他の地域主義と補完した
形で、アメリカを含む APEC には深まる経済的相互依存を管理して安
11
大賀哲「
『開かれた地域主義』と東アジア共同体構想」
、日本国際政治学会
編『東アジア新秩序への道程』
(国際政治158号)
、有斐閣、2009年、137頁。
12
菊池努「アジア太平洋の重層的な地域制度と APEC」
、渡邉昭夫編『アジア
太平洋と新しい地域主義の展開』千倉書房、2010年、30頁。
13
大庭三枝「グローバリゼーションの進展とアジア地域主義の変容」
、日本国
際政治学会編『国際政治』
(第158号)
、有斐閣、2009年、82頁。
14
田中明彦『ポスト・クライシスの世界:新多極世界を動かすパワー原理』
日本経済新聞出版社、2009年。
15
渡邉、前掲書(2010)
、1頁。
北法63(5・233)1533
[92]
論 説
定した地域構造を作り出すための役割が期待される。
第二は、
大国関係を制御する仕組みとしての可能性である。冷戦後期、
日米中が協力してソ連と対抗する構図が現れ、アジア太平洋地域主義は
日米中の「ゴールデン・エイジ」を背景として推進された16。それは1970
年代初頭の米中和解と日中国交正常化から始まり、アメリカの絶対的な
パワーの優位の下で達成された。それを背景に、アジア太平洋地域主義
が成立した。しかし、その台頭とともに、中国は将来的にアメリカと対
抗しうる地域パワーに成長すると予測されている。すなわち、もともと
グローバル超大国としてアメリカのパワーのもとで成立したアジア太平
洋地域秩序は力の移行により中国からの挑戦を受けることになる。この
変動期において、アジア太平洋の経済だけでなく、安全保障秩序におけ
る中国の位置づけを考えることは避けて通れないテーマである17。それ
に対応して、G2(米中)や G3(日米中)など大国間関係に焦点を当て
たさまざまな地域制度が提案されている。大国間の対話や政策調整を促
す制度は必要だが、排他的な制度に対する警戒心が生まれるのは避けら
れない18。またアメリカを抜きにして東アジア地域主義で中国の台頭に
対処することにより、
グローバルな大国に成長した中国を中心とする「朝
貢システム」に類似した階層秩序が生まれることが懸念される19。この
意味では、力の移行に対応する際に、他の構想中の地域主義と補完しつ
つ、より「歴史」のある APEC を活用するのが得策である。
しかし、相互依存の管理と大国関係の制御に不可欠である APEC の
発展も各種の困難に直面している。
「2020年までの域内での貿易自由化」
の実現が困難であるため、地域経済協力の将来は不透明であり、APEC
は二国間の自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)の挑戦を受
けている。また1998年、ロシア、ペルー、ヴェトナムが受け入れられた
16
Ezra F. Vogel, Ming Yuan, Akihiko Tanaka (eds.), The Golden Age of the
U.S.-China-Japan Triangle 1972-1989, Cambridge and London: Harvard
University Asia Center, 2002.
17
渡邉昭夫編『アジア太平洋連帯構想』NTT 出版、2005年、2‐3頁。
18
菊池努、前掲書(2010)
、32頁。
19
David C. Kang, China Rising: Peace, Power, and Order in East Asia, New
York: Columbia University, 2007.
[93]
北法63(5・232)1532
環太平洋連帯構想の誕生(1)
のと同時に、
この3カ国以外の新規参加の扱いについて10年間の「凍結」
が決定された。このため10年後の今日になって、インドなどの太平洋地
域新興国の加盟問題が浮上している20。そして9・11同時多発テロ事件
の衝撃により、APEC はアジア太平洋地域の安全保障秩序の将来を考
える必要に迫られている。貿易の問題ばかりか東チモール問題やアメリ
カ同時多発テロ事件などをはじめとする安全保障問題も APEC の場で
取り上げられたのである。アジア太平洋地域の安全保障を如何にガバナ
ンスするかは重要な課題となっている。こうした中で、アジア太平洋地
域主義はどのような方向へ進むべきなのか、また元来、アジア太平洋地
域協力の中心国家である日本とオーストラリアが何をなすべきなのか、
地域超大国と成長した中国をどう扱い、中国が果たすべき役割は何であ
ろうかという問題を改めて問う必要性が出てくる。
これらの問題にアプローチする際のヒントは、歴史のなかにある。こ
のような今日的重要課題を考察するため、今から30年近く前の環太平洋
連帯構想の展開は実に示唆的である。環太平洋連帯構想が提唱された30
年前に、アジア太平洋地域はすでに今日と同じようなグローバリゼー
ション(相互依存の深化)や大国間関係の制御などの課題に直面してい
たからである。冷戦後の国際政治に大きな存在感を示した APEC の根
源は環太平洋連帯構想にあり、今日の APEC の現状を理解し、未来の
前進方向を予測するため、環太平洋連帯構想を再検討し、それをより深
く理解することが必要である。この序論では、先行研究の問題点を指摘
する上で、本稿の分析方法を明らかにする。しかしその前に、環太平洋
連帯構想と大平外交を研究することがなぜ重要なのか、という問題を説
明することから議論を始める。
第二節 環太平洋連帯構想と大平外交の重要性
第二次世界大戦以降に限れば、太平洋協力構想を検討する動きは1960
年代の初頭から始まったと言ってよい。その中心を担ったのは大来佐武
20
Mark Beeson, Institutions of the Asia-Pacific: ASEAN, APEC and Beyond,
Rougledge, 2009, p.50.
北法63(5・231)1531
[94]
論 説
郎21をはじめとする日本の経済学者や官庁エコノミストのグループであ
る。当時、外務大臣であった三木武夫(任期:1966-67)がアジア太平
洋地域協力構想にいち早く強い関心を示した。その後、日本外務省の支
援の下、大来佐武郎はオーストラリアのジョン・クロフォード(Sir
22
と手を組んで、太平洋の先進5ヵ国(日豪新米加)の
John Crawford)
経済学者を組織し、1968年に太平洋貿易開発会議(PAFTAD:Pacific
Trade and Development Conference) を 作 り 上 げ た。 そ の 一 年 前 の
1967年に、日本の実業家である五島昇ら、太平洋先進国からの財界人に
よって太平洋経済委員会(PBEC: Pacific Basin Economic Council)が
設立された。その後、アジア太平洋地域協力は PAFTAD と PBEC を
中心とする民間団体によって推進された。
1978年、大平正芳政権構想の準備段階において、環太平洋連帯構想が
はじめて提示された。大平は総理に就任してから、環太平洋連帯研究グ
ループを組織し、大来佐武郎を座長として迎え、環太平洋連帯構想政策
の内容作成を本格化させた。1979年11月に、グループは中間報告を提出
し、グループの座長の大来が外務大臣に抜擢された。1980年1月に大平
は大来とともにオーストラリアを訪問し、同構想の推進をめぐる日豪協
21
大来佐武郎(1914-1993)は、官庁エコノミストであり、第二次大平内閣で
は外務大臣であった。1937年、東京大学を卒業後、逓信省に入省した。1963年、
総合開発局長を最後に、経企庁を退官し、1964年、日本経済研究センター初代
理事長に就任した。日本経済研究センターで、アジア太平洋協力構想の研究に
力を入れた。また、大平の「環太平洋連帯研究グループ」の議長を務めた後、
第二次大平内閣の外務大臣に任命され、環太平洋外交の実行に奔走した。アジ
ア太平洋地域主義の発展を語る際に、不可欠な人物である。小野善邦『わが志
は千里に在り:評伝・大来佐武郎』日本経済新聞社、2004年。
22
ジョン・クロフォード(1910-1984)は、オーストラリアの戦後再建とりわ
け農業政策と貿易政策を語る際に、不可欠な存在である。1943年に、クロフォー
ドは連邦戦後再建省研究局長(1943-45)に就任してから、農業経済局初代局
長(1945-50)や通商農業省次官(1950-56)
、連邦貿易省次官(1956-60)など
を歴任し、1960年まで戦後オーストラリア経済復興にかかわる政策決定の中心
に座っていた。退官後にオーストラリア国立大学の副学長と学長を歴任した。
L.T. Evans and J.D.B. Miller (ed.), Policy and Practice: Essays in Honour of Sir
John Crawford, Canberra: Australian National University Press.1987.
[95]
北法63(5・230)1530
環太平洋連帯構想の誕生(1)
力を、豪首相のマルコム・フレーザー(John Malcolm Fraser, 任期:
1975-83)と約束した。同年9月に、大平とフレーザーとの間で合意さ
れた第一回の太平洋共同体セミナー(ANU セミナー)が従来から関与
してきた財界人・知識人に、アジア太平洋諸国の政府代表を加える形で
開かれた。その後、
日豪両国の努力の結果、
1982年の第二回セミナー(バ
ンコク・セミナー)開催を機に、同会議は正式に太平洋経済協力会議
(PECC:Pacific Economic Cooperation Conference)と命名された。こ
の PECC をベースにして、1989年には政府間組織である APEC が設立
され、1993年、アメリカのシアトルで、初めての APEC 首脳会議の開
催に至ったのである。
PECC と APEC はアジア太平洋地域諸国に地域内対話の回路を提供
し、それまで戦場と冷戦で彩られていたアジア太平洋地域を「平和」と
「繁栄」の場へと変貌させた。この1970年代末以降のアジア太平洋地域
形成の流れの中で、環太平洋連帯構想が1960年代の民間の地域構想から
格上げされ、はじめて政治的課題となり、制度化への道を踏み出したこ
とは極めて重要である。さらに、同じ時期に、中国は計画経済から市場
経済へと移行し、改革開放の経済路線を決定した。環太平洋連帯構想は
国際経済システムに参入しようとする中国に地域の土台を提供し、社会
主義中国は、1986年、台湾とともに PECC への加盟を果たすことがで
きた。環太平洋連帯構想の産物であった PECC が初めて中国までを包
摂する地域組織になったことで、中国とアメリカというアジア太平洋地
域の二大国双方を包摂したはじめての地域経済協力機構となり、米中対
立、ひいてはアジア冷戦という溝を乗り越えて、地域の形成に向けた大
きな一歩を踏み出した。この動きは、APEC 成立後の1991年に、中国
が PECC 方式(台湾とともに)で APEC に加盟したことで、さらに明
確になった。加えて環太平洋連帯構想は、経済や文化などの非政治的、
非安全保障的な領域における協力を強調した。これは1980年代以降のア
ジア太平洋地域経済の高度成長と相互依存の深化と軌を一にしたもので
あり、
新冷戦の最中に冷戦と異なる流れの秩序像を地域諸国に提示した。
よって、環太平洋連帯構想はアジア太平洋地域主義の発展史のもっとも
重要な転換点のひとつであるばかりか、ポスト冷戦期のアジア太平洋地
域秩序の形成にとってもきわめて重要かつ示唆に富むものだと言えよう。
北法63(5・229)1529
[96]
論 説
一方、大平外交を考えてみると、1978年末に、
「環太平洋連帯」を政
権構想として掲げた大平政権は、1年7ヵ月の間に、中越戦争やイラン
のアメリカ大使館人質事件、ソ連のアフガニスタン侵攻などの国際的突
発事件に遭った。また第二次オイルショックが発生し、世界経済は好調
とは言えないなか、日米関係も日本の経常黒字問題などを巡って緊張を
はらんでいた。1979年5月、訪米した大平は演説の中で戦後初めてアメ
リカを「同盟国」と呼んだ。これは保守本流と常に自覚していた大平が
日米関係の強化を意図してなされたものである。アメリカのジミー・カー
ター前大統領(Jimmy Carter, 任期:1977-81)も「日米関係を高レベ
ルに引上げた総理」と大平を評価した23。大平政権期の「日米同盟」外
交は、佐藤(栄作)政権末期以来続いてきた「全方位外交」の時代の幕
を閉じ、以降の歴任自民党政権は、大平が敷いた「西側の一員」路線を
継承・発展させていくこととなった24。一方、大平は対中国外交におい
ても、自らが外相時代に実現した日中国交正常化の成果を越えようとす
る姿勢を見せた。1979年12月に訪中した大平首相は、1979年度に500億
円の政府ベースの資金供与を約束した。この円借款が2003年までの総計
3兆円を超す供与の始まりである25。日米同盟外交、対中円借款外交以
外にも、大平が若手の学者、文化人、官僚等の9つの研究グループより
なる政策研究会を組織したことも特筆すべきであろう26。これらの政策
研究は後の中曽根康弘政権(1982-87)運営に少なからず影響を与えて
いたという27。この9つのグループの1つが環太平洋連帯研究グループ
23
ジミー・カーター「日米関係を高レベルに引上げた総理」
、
『大平正芳 政治
的遺産』大平正芳記念財団、1994年、361‐375頁。
24
若月秀和『
「全方位外交」の時代:冷戦変容期の日本とアジア1971-80年』
日本経済評論社、2006年、334頁。
25
毛里和子『日中関係:戦後から新時代へ』岩波新書、2006年、108頁。
26
この9つとは田園都市構想研究グループ、対外経済政策研究グループ、多
元化社会の生活関心研究グループ、環太平洋連帯研究グループ、家庭基盤充実
研究グループ、総合安全保障研究グループ、文化の時代研究グループ、文化の
時代の経済運営研究グループ、科学技術の史的展開研究グループである。
27
森田一(服部 龍二・昇 亜美子・中島 琢磨 編)
『心の一燈:回想の大平正芳
その人と外交』第一法規株式会社、2010年、226頁。
[97]
北法63(5・228)1528
環太平洋連帯構想の誕生(1)
である。先述したように、環太平洋連帯構想はアジア太平洋地域主義の
発展の重要な転換点である。そればかりか、環太平洋連帯構想は、1980
年代を通じて単なる経済大国からグローバルな政治外交上のリーダー
シップを志向した「国際国家」に変容しつつあった日本にとって、重要
な外交資産となる。というのは、大平の環太平洋連帯構想は鈴木政権に
も受け継がれ、
さらに中曽根政権では、
「太平洋の時代」がひとつのスロー
ガンとなるからである28。また、オーストラリアとの共同推進により、
オーストラリアの「アジアの一員」外交に援助だけでなく、中国を包摂
することで、
中国の多国間外交や地域外交に出口を示したのである。よっ
て、この環太平洋連帯構想を日本、オーストラリア、中国の三カ国の角
度から分析することは大平外交を評価するにあたって重要な意味合いを
持つことになる。
第三節 先行研究とその問題点
環太平洋連帯構想の重要性にもかかわらず、その全容を解き明かす研
究は未だに存在していない。これは同時代の歴史資料の不足を反映して
いるだけでなく、研究視座の偏りのため、環太平洋連帯構想が先行研究
では軽視されたことによる。これまで、環太平洋連帯構想はアジア太平
洋地域主義研究と日本外交史研究の二つの分野で扱われてきた。以下で
は、両分野における環太平洋連帯構想に関する説明を整理した上で、そ
の問題点を示す。
第一款 アジア太平洋地域主義の研究
まず、アジア太平洋地域主義の形成史に関する先行研究の中、重要な
のはノーマン・パーマ、ローレンス・ウッズ、菊池努、ペッカ・コーホ
ネン、寺田貴、ジョン・ラヴェンヒール、大庭三枝、マーク・ビーソン
の業績である29。
28
衛藤瀋吉、山本吉宣『総合安保と未来の選択』講談社、1991年、284頁。
29
Norman D. Palmer, the New Regionalism in Asia and the Pacific, Lexington
北法63(5・227)1527
[98]
論 説
パ ー マ ー は、 ア ジ ア 太 平 洋 地 域 主 義 を「 新 地 域 主 義 」 と 呼 び、
ASEAN や南アジア地域協力連合(SAARC: South Asia Association for
Regional Cooperation)
、南太平洋フォーラム(SPF: South Pacific Forum)
と い っ た 地 域 機 構 を 検 討 す る 上 で、 地 域 間 組 織(interregional
organization)として PBEC と PAFTAD、PECC などのあり方を分析
した。パーマーが強調したのは、アジア太平洋「新地域主義」が、1950
年代から1960年代に発展されたヨーロッパ地域統合と対比した時、ナ
ショナリズムとトランスナショナリズムとの間のますます緊密化する連
関や、内向きというより外向きの性格、地域横断的な性質などの特徴で
ある。PECC などアジア太平洋の「メガ」地域主義をインターリージョ
ナルな組織として捉えた。パーマーはアジア太平洋地域主義の特徴を鋭
く指摘した一方、その形成の詳細について「念入りの検証に値する」と
論じながらも、詳細な説明を行わなかった30。その中、パーマーは、
PECC が1980年代の太平洋諸国にとって共通の問題と政策を討議する
もっとも重要なフォーラムとネットワークであると言及し、環太平洋連
帯構想の重要性を指摘した31。だが、環太平洋連帯構想の推進の理由な
どについて、説明していなかった。
ウッズは、パーマーの論述から感銘を受け、
「念入り」にアジア太平
洋地域主義の形成を検証した32。ウッズは、非政府間組織・回路が国際
政 治 の 中 で 持 ち う る 重 要 性 を 強 調 す る 立 場 か ら、IPR や PBEC、
Mass: Lexington Books, 1991; Lawrence T. Woods, Asia-Pacific Diplomacy:
Nongovernmental Organizations and International Relations, Vancouver:
University of British Columbia Press, 1993; 菊池努『APEC アジア太平洋新
秩序の模索』日本国際問題研究所、1995年 ; Pekka Korhonen, Japan and Asia
Pacific Integration: Pacific Romances 1968-1996, Routledge, 1998; Takashi
Terada, Creating an Asia-Pacific Economic Coomunity: The Roles of Australia
and Japan in Regional Institution-Building (PhD Dissertation), the Australian
National University,1999; Ravenhill, op.cit., 2001; 大庭三枝『アジア太平洋地域
形成への道程』ミネルヴァ書房、2004年 ; Beeson, op.cit., 2009.
30
Palmer, op.cit., 1991, p.154.
31
ibid., pp.140-142.
32
Woods, op.cit., 1993, Preface and Acknowledge.
[99]
北法63(5・226)1526
環太平洋連帯構想の誕生(1)
PAFTAD、PECC と い っ た 国 際 非 政 府 組 織(INGOs:International
Nongovernmental Organizations)の歴史としてアジア太平洋地域主義
史を描いている。より具体的に言うと、ウッズは、非政府間回路を「外
交」として位置づけ、
それが「代表(representation)」や「情報とコミュ
ニケーション(information and communication)」、
「交渉(negotiation)」
といった機能を持つところから、これらの非政府組織の外交機能を立証
し、これによってアジア太平洋地域の形成の軌跡を説得的に描いた。し
かし、著者自身も論じたように、APEC の発足によって、PECC への関
心度の低下は避けられなかった。それは逆に、政府の行動の重要性を裏
付けるものにもなったのである33。またウッズは、環太平洋連帯構想が
PECC の起源に当たることやクロフォードと大来が構想の推進に重要な
役目を果たしたことを指摘した34。しかし、なぜ日本政府が環太平洋連
帯構想を推し進め、また同様に、なぜオーストラリア政府が日豪の協同
作業に賛同したかといった問題について、
十分な説明を与えてはいない。
そして付言すれば、ウッズは、中国と PECC との関係について言及し、
その中で中国の PECC 加盟について、当時の太平洋経済協力会議の国
際常任委員会(PECC-ISC:PECC International Standing Committee)
の主席であるカナダのエリック・トリッグ(Eric Trigg)35の提案から解
決に至るまでに果たした役割が重要だと説明した。だが、中国の PECC
加盟に隠れた地域諸国の動機や中国政府の対策をほとんど分析していな
い。
菊池は、民間学者などで構成される知識共同体から出されたアイディ
アが国際政治に対して持つ影響力を評価する立場から、PECC と APEC
の歴史を考察している。この基本的な立場については首肯しうる一方、
著者は、国際政治の構造変動を重視しつつも、アジア太平洋地域諸国が
33
後述するように、本稿では、APEC の設立により、PECC への関心度が低下
することを当然だと考える。というのも、諸国家の視線は PECC から APEC
へ移り、その前者への国家の政策的なバックアップは失われるからである。
34
Woods, op.cit., 1993, pp.89-92.
35
エリック・トリッグは当時、アルキャン・アルミニウム会社の上級副社長
(senior vice-president)であり、PECC カナダ委員会の会長と PECC-ISC の委
員長も務めていた。
北法63(5・225)1525
[100]
論 説
どのような影響を受け、なぜアジア太平洋地域主義に賛成したかについ
ては説明不足のままである。また、アイディアが国際政治にどのような
影響を与え、それはどの程度のものかについて読者に満足させるほどの
答えを提供しない。環太平洋連帯構想については、菊池努は構想をアジ
ア太平洋協力構想の誕生段階に位置づけた上で、考察している。具体的
には、PECC や APEC の設立につながる大平の訪豪に注目し、とくに
ANU セミナーを検討していることは評価できよう36。しかし、環太平洋
連帯構想の推進の外交や PECC の形成過程について、十分に説明して
いない。
コーホネンは、雁行型経済発展論37を説いた経済学者である小島清の
経済思想を重視しながら、1960年から APEC 設立後の1990年代半ばに
至るまでの過程を、日本経済の高度成長に牽引されたアジア経済発展の
必然的な帰結として「太平洋協力」の発展史を捉えていた。彼の主張す
るように、アジア太平洋地域主義を最初に提唱したのが小島であること
は確かである。だが、本稿で明らかになるように、大平の環太平洋連帯
構想といった政府レベルの重要なイニシアティブには、構想・推進段階
ともに、小島は関与していなかった。その点から見れば、単なる小島の
思想から語られたアジア太平洋地域主義は的外れなものだといわざるを
えない。さらに、経済思想とは裏腹に、アジア太平洋地域主義の底流に
は国家の権力の追求といった政治的な論理も動いていたことを、コーホ
ネンは軽視した。コーホネンの研究は、大平の時代認識と環太平洋連帯
構想との関連性を強調しているという利点を持つが、具体的に、大平が
どのような時代認識を持っており、それがどのように環太平洋連帯構想
と関連したかについて、十分に議論しているとはいえない。
寺田の博士論文は、APEC の設立に至るまでのアジア太平洋経済共
同体形成における日本とオーストラリアの役割を説明した。論文の前半
において、戦後の日本とオーストラリアの対外政策について概説的な説
明をした一方、後半では PAFTAD から APEC までの民間の経済学者
36
菊池、前掲書(1995)
、99‐142頁。
37
小島清
『雁行型経済発展論
〈第1巻〉
日本経済・アジア経済・世界経済』
文眞堂、
2004年。
[101]
北法63(5・224)1524
環太平洋連帯構想の誕生(1)
らの貢献などを強調しながら議論を進めた。その結果として、菊池が論
じたアイディア形成史の像から脱出できなった。また寺田は環太平洋連
帯 構 想 を 論 じ る 際 に、1978年、 ピ ー タ ー・ ド ラ イ ス デ ー ル(Peter
38
とヒュー・パトリック(Hugh Patrick)によって提唱され
Drysdale)
た 太 平 洋 貿 易 開 発 機 構 構 想(OPTAD: The Organization for Pacific
Trade and Development)や野村総合研究所の政策提案といった民間構
想が大平正芳に与えた影響を強調した39。しかし、後述するように、大
平正芳の環太平洋連帯構想には、民間の構想からの影響を受けた明確な
痕跡が表れていなかった。環太平洋連帯構想は、当初選挙対策として打
ち出され、大平政権成立後、政府の政策として正式に推進されたのであ
る。
ラヴェンヒールは APEC を観察し、以下の三つの課題の解決を挑ん
だ。
(1)アジア太平洋地域協力制度化の動きが,なぜ APEC として
1989年に結実したのか、
(2)APEC の「開かれた地域主義」やコンセ
ンサスなどの原則が,
その活動にどのような影響を与えたか、そして(3)
APEC がメンバーのアイデンティティ形成にどれだけのインパクトを
与えたかを考察した。彼は、なぜ1989年の段階で政府間組織である
APEC の創設が可能だったのかを分析する際、1960年代以降 PAFTAD
に参加していた経済学者の間で国境を超えた「認識共同体(epistemic
community)
」が形成され、知的リーダーシップを発揮したこと、また
PECC 参加の官僚・民間人も徐々に交流を深めていたことを挙げた40。そ
し て、 環 太 平 洋 連 帯 構 想 に つ い て は、 ラ ヴ ェ ン ヒ ー ル は、 や は り
OPTAD 構想の影響力を重要視した41。結局のところ、ラヴェンヒール
も同じように、菊池と寺田のアイディア形成史の限界から逃れられな
かった。
38
ピーター・ドライスデールはジョン・クロフォードと小島清の弟子であり、
オーストラリア国立大学日豪研究センター長などを歴任した。アジア太平洋地
域主義を推進のした主要な民間学者でもある。
39
Terada, op.cit., 1999, pp.204-209.
40
Ravenhill, op.cit., 2004, pp.41-89.
41
ibid., pp.52-54.
北法63(5・223)1523
[102]
論 説
大庭は「境界国家」や「他所者」といった分析概念を提示し、日豪の
アイデンティティの揺らぎを説明した。そして、PAFTAD と PBEC と
が発展した結果として PECC となり、PECC の延長で APEC が創設さ
れたというウッズ、菊池等の論述方法を直線史と呼び、このような知識
人や研究者の構想史としてのアジア太平洋地域主義の描き方を批判しな
がら、アジア太平洋地域主義の歴史は日本とオーストラリアが行った自
己包摂的な地域の模索(アイデンティティの模索)によってアジア太平
洋地域主義史が彩られていることを論証し、アジア太平洋地域主義の歴
史を「同床異夢」の構想史として描いている。大庭は境界国家が自らを
包摂する地域を形成しようとする動機として、国際社会における立場の
不安定性が強調されているわけだが42、合理的選択に基づき戦略を決定
するという説明との決定的な違いを説明する一方で、両者の異同をもっ
と政策の決定要因にまでより深く切り込まなかった。大庭のアイデン
ティティの概念は実際の対外政策に反映されたらどのようなものになろ
うか。また、国際構造的な要因だけではなく、国家の外交戦略などがそ
れにどの程度の影響を与えるかについて論証しなかった。これらの課題
について、具体的な説明をしなかった。そして環太平洋連帯構想につい
て、大庭は、上記の研究と違い、アメリカとアジアの接着剤として環太
平洋連帯構想を捉えた43。大庭の研究は、環太平洋連帯構想形成の理由
を1970年代の「危機/変動」と見なし、それこそが環太平洋連帯構想形
成の決定要因であると論じた。しかしながら、1970年代の同じ状況にお
かれたとしても、どの首相も環太平洋連帯構想を提唱するとは限らない
であろう。つまり、日本政府の環太平洋連帯構想外交は、具体的な政治
的人格とくに大平の時代認識との関連を考えなくしては説明できないの
である。
ビーソンはアジア太平洋全域の地域機構である APEC や東南アジア
の地域協力機構である ASEAN、安全保障の対話回路であるアセアン地
域フォーラム(ARF: ASEAN Regional Forum)、ASEAN+3、そして
東アジアサミットをアジア太平洋の制度として分析した。PECC を説明
42
大庭、前掲書(2004)
、38‐40頁。
43
同上、266‐271頁。
[103]
北法63(5・222)1522
環太平洋連帯構想の誕生(1)
する際に、PECC を APEC の直接的な前身であることを紹介する一方、
環太平洋連帯構想に言及せずに、経済学者たちに提唱された OPTAD
構想の影響を力説した44。前述したように、環太平洋連帯構想は大平正
芳政権構想として、OPTAD 構想とまったく異なる流れから提起された
ものである。よって、
政権構想である環太平洋連帯構想を分析する際に、
経済学者たちの影響だけではなく、政治指導者の動機などについても検
討すべきである。
第二款 日本外交史の研究
一方、日本外交史研究においても、日本の地域主義外交研究が近年と
みに注目を集めてきた。戦後日本の地域主義外交を考える場合、アメリ
カのアジア太平洋政策と深くかかわっていた。戦後アメリカが追求した
アジア太平洋諸国への関わり方は、アジア太平洋諸国との二国間同盟関
係を束ね、自国をその中心に据える、いわゆるハブ・アンド・スポーク
体制を基本としたものであり、
日米同盟はその代表的な例である。また、
米国のアジア政策は地域内の「ジュニア・パートナー」を軸とした勢力
均衡の構築を目指し、占領国であった日本の経済を復興させた45。経済
回復の日本は開発援助などの経済手段でアジア地域協力を推進した。こ
の時期のアジア地域主義に関しては、近年日本外交史で注目を浴び、い
くつかの優れた研究が刊行した46。宮城は、1950年代後半から1960年代
中盤のインドネシアに対する日本の関与を国際関係史の視点から実証的
に解明した47。日本の経済支援計画は対インドネシア二国間援助にとど
まらず、関係国を巻き込んで対インドネシア支援体制を築き、やがてス
44
Beeson, op.cit., 2009, pp.38-40.
45
李鐘元『東アジアと韓日米関係』東京大学出版会、1996年、292頁。
46
宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本:
「海のアジア」の戦後史1957-
1966』創文社、2004年;保城広至『アジア地域主義外交の行方:1952-1966』木
鐸社、2008年;権容ソク『岸政権期の「アジア外交」
:
「対米自主」と「アジア
主義」の逆説』国際書院、2008年;曺良鉉『アジア地域主義とアメリカ:ベト
ナム戦争期のアジア太平洋国際関係』東京大学出版会、2009年。
47
宮城、前掲書(2004)
、ⅲ頁。
北法63(5・221)1521
[104]
論 説
ハルト新体制で推進された「開発」を下支えする枠組みへと展開してい
くと宮城は論じた48。保城は、1950年代から1960年代にかけて、日本政
府が、アメリカの資金に依拠しながらも、
「アジアによるアジアのため
の経済開発」というアプローチを唱え、アジア地域主義外交を展開した
が、このアプローチが米国と東南アジア双方に受け容れられなかったこ
「アジア外交」の歴史的展開過程を「対
とを分析した49。他方権は岸政権の
米自主」
、
「アジア主義」
、
「独立の完成」という観点から描いていた(権
2008:18)
。権によれば、岸政権のアジア外交は「アジアの一員」と「自
由陣営の一員」をどう調和させるかに苦慮しながら、国際社会への復帰
と経済復興を目指したものであり、
「対米追随」というよりは、アジア
を背に、より決然とした「対米自主」の側面を打ち出した外交の一例で
ある50。曺は1960年代半ばのアジア地域主義の展開を、アメリカ外交と
の関連に注目しながら歴史的に解明した51。曺によると、アメリカ外交
と地域イニシアティブとの相互作用にこそアジア地域主義の本質が隠さ
れている52。
以上の研究で記述した日本のアジア地域主義外交は賠償や日本の経済
援助の形で行われた。1955年から実に1977年までの間続いた日本の賠償
は、総額で15億ドルにのぼり、ODA の金額から見ても、60年代初めが
おおむね1億ドルあまりの水準であったのに対して、1970年には4億
「1970年代後半まで、日本にアジア各国
5800万ドルに達した53。しかし、
に対する政策はあっても、地域政策は存在しなかったといってよい。福
田ドクトリンは、初めて ASEAN とインドシナを包含する対東南アジ
ア地域政策を打ち出した」といわれる54。この時期から福田ドクトリン
や環太平洋連帯構想は賠償や開発と異なる形態の地域主義外交として登
場したのである。福田ドクトリンの形成過程に関しても、いくつかの包
48
同上、187頁。
49
保城、前掲書(2008)
、29頁。
50
権、前掲書(2008)
、276頁。
51
曺、前掲書(2009)
、Ⅰ頁。
52
同上、215頁。
53
五百旗頭真『戦後日本外交史』有斐閣、2010年、132-134頁。
54
同上、300頁。
[105]
北法63(5・220)1520
環太平洋連帯構想の誕生(1)
括的な研究がある55。それとは対照的に、先述した環太平洋連帯構想が
日本外交にとっての重要性にもかかわらず、日本外交史の研究でも言及
されているものの、まとまった研究が見られなかった。
その中で、中西が1970年代末の緊張再燃の中でデタントを維持するた
めに環太平洋連帯構想が大平首相に提唱されたと説明している56。確か
にデタント維持という狙いは環太平洋連帯構想の中ではかなり大きな部
分を占める。しかしそればかりでなく、戦後の経済秩序の崩壊やアメリ
カの覇権の衰退などの規定要因も無視できない。つまり、環太平洋連帯
構想はデタントを維持する狙いがあることは確かであるが、その狙いの
背後に存在する大平政権の意図をより具体的に分析する必要がある。
若月は大平の外交政策が対米一辺倒に始終するものではないことを他
に示すものとして、環太平洋連帯構想というアジア太平洋全域構想を打
ち出したと論じた57。環太平洋連帯構想は日本外交を、アメリカへの一
極依存から、多様な国を有する地域基盤を持つものにまで拡大すること
で、太平洋の多極化にも寄与したことは確かである。それに対して、福
永は、環太平洋連帯構想が「総合安全保障戦略と対をなす。それは『日
米友好を基軸』にし、従来の日米関係にとって代わるものでなく、むし
ろそれを補完し強化するものであった」と説明した58。環太平洋連帯構
想は「ロー ・ ポリティクス」領域での協力を強調することで、日米関係
に冷戦と異なる新たな枠組みを提供することとなり、日米関係の強化に
も寄与したと大庭も主張した59。本稿で分析するように、環太平洋連帯
55
Sueo Sudo, The Fukuda Doctorine and ASEAN: New Domensions in
Japanese Foreign Policy, Singapore Institute of Southeast Asian Studies, 1992;
須藤季夫「
『アイデア』と対外政策決定論:福田ドクトリンを巡る日本の政策
決定過程」
、日本国際政治学会編『国際政治』
(通号108)
、1995年、131-147頁;
若月秀和「福田ドクトリン:ポスト冷戦外交の『予行演習』
」
、日本国際政治学
会編『国際政治』
(通号125)
、2000年、197-217頁;若月、前掲書(2006)
。
56
中西寛「自立的協調の模索:1970年代の日本外交」
、五百旗頭真編『戦後日
本外交史』有斐閣アルマ、2010年、177-180頁。
57
若月、前掲書(2006)
、296-299頁。
58
福永文末『大平正芳:
「保守政治」とは何か』中公新書、2008年、260頁。
59
大庭、前掲書(2004)
、269頁。
北法63(5・219)1519
[106]
論 説
構想は大平のソフトな発想から生まれた地域構想であり、単なるアメリ
カからの「自立」と対米「依存」の二分法から分析することは環太平洋
連帯構想の解釈を単純化する危険をはらむ。
他方でいくつかの研究はアメリカ以外の国々とアジア太平洋地域形成
との関係に言及していた。まず佐道は、大平が「日中接近という動きを
踏まえて、これが東南アジア諸国に不安を呼び、ソ連との間で無用な緊
張を生むことがないようにしたいという現実的要請から地域主義に積極
的に踏み込んでいった」と指摘した60。しかし、大平は対中円借款を決
めると同時に、すでに「対中経済協力三原則」を提示していた。その中
で、
「ASEAN との協力関係を犠牲にしない」ことを強調したことは、
ASEAN 諸国の不安を和らげる意図があったものと考えられる。ただ、
実際には、ASEAN 諸国は逆に環太平洋連帯構想が ASEAN プレゼンス
の低下をもたらすことを懸念し、1980年代半ば頃まではっきりした賛意
をあらわにしなかった。また、ソ連は環太平洋連帯構想に早くから注目
し、それを反ソ的なものとして受け止めていた61。大平もソ連の反発を
念頭に、慎重に環太平洋連帯構想を推進していた。
また井上は、体制の違いを超えて、アジア太平洋地域における経済的
相互依存関係の進展を背景に、
「開かれる」地域主義の環太平洋連帯構
想が提唱されたと指摘し、日本がこれによって、
「独自の国際的役割を
主張できる」と評価した62。添谷とエルドリッヂは、環太平洋連帯構想
が「長期的な洞察に満ちたものであり、西と東、南と北に引き裂かれや
すい日本を、アジア・太平洋の中点に据える意味を持つもの」であると
環太平洋連帯構想には三つの狙いがあると論述した。
論じた63。河野は、
第一に、「アジアの地域名を用いることなく、アジア地域を包摂する」
こと、第二に、
「日米二国間協議で袋小路に入ったアメリカを、多国間
60
佐道明広、小宮一夫、服部龍二『人物で読む現代日本外交史:近衛文麿か
ら小泉純一郎まで』吉川弘文館、2008年、266頁。
61
木村汎『遠い隣国─ロシアと日本』世界思想社、2002年、294‐311頁。
62
井上寿一『日本外交史講義』岩波書店、2003年、217頁。
63
添谷芳秀、ロバート・エルドリッヂ「危機の中の日米関係1970年代」
、五百
旗頭真『日米関係史』有斐閣、2008年、258頁。
[107]
北法63(5・218)1518
環太平洋連帯構想の誕生(1)
協議の場に引き出す」こと、第三に、その際に「オーストラリア」と提
携することである64。渡邉は戦前から戦後の日本外交におけるアジア太
平洋構想を連続的に捉え、その延長上で環太平連帯構想を考察する65。
以上のいずれの議論も正しいものであるが、環太平洋連帯構想と日本外
交との関係を詳細に説明していなかった。
なお渡邉は、中国が大平の環太平洋連帯構想の隠れたアジェンダで
あったと指摘し、環太平洋連帯構想と中国のアジア太平洋地域へのメン
バー入りとの関連性を提示した66。毛里は、さらに環太平洋連帯構想が
「はじめて地域の経済システムに参入しようとする中国に日本が積極的
アプローチをすることを可能にした」と指摘した67。渡邉と毛里の研究
は環太平洋連帯構想と中国との関連を鋭く提示したが、実証的な研究で
はないため、その詳細についてまた議論する余地が十分にある。
第四節 分析方法
以上で整理したように、環太平洋連帯構想は、これまでの研究では多
様な側面から論じられてきたが、正面からそれを扱う実証的な研究はな
く、その全体像を捉えることができなかった。そこで、環太平洋連帯構
想の内実を解明するため、本稿は分析方法について以下の5つに留意す
る。
第一に、歴史的アプローチである。本稿はできる限り一次資料の分析
による歴史的方法を用いて環太平洋連帯構想の実像を明らかにする。環
太平洋連帯構想を提唱した大平政権に関する歴史資料の大部分は公開さ
れていなかったため、今までの環太平洋連帯構想に関する歴史研究は、
進行を阻まれてきた。しかし、本稿は利用できる一次資料を網羅し、環
太平洋連帯構想に関する歴史研究に挑む。資料には、関係人物の回想録
64
河野康子「日本外交と地域主義:アジア太平洋地域概念の形成」
、日本政治
学会編『年報政治学:危機の日本外交─70年代』岩波書店、1997年、129頁。
65
渡辺昭夫
『アジア・太平洋国際関係と日本』
東京大学出版会、
1992年、
98‐125頁。
66
渡邉、前掲書(2005)
、10‐14頁。
67
毛里、前掲書(2006)
、110頁。
北法63(5・217)1517
[108]
論 説
や大平記念財団に所蔵された大平関連資料などを含み、公開申請制度を
利用し、日本外務省の環太平洋連帯構想関連資料を使った。そしてオー
ストラリア国家図書館に所蔵するジョン・クロフォード資料を使い、オー
ストラリア側の外交を分析する。その上で、資料の不足を補うため、関
係人物へのインタビューも行った。
第二に、官民インターフェースに現れる国家の力への注目である。す
でに論じたように、今までのアジア太平洋地域主義研究のほとんどは民
間人による推進を強調していた。本稿も民間学者である日本の大来佐武
郎とオーストラリアのジョン・クロフォードの役割に着目し、環太平洋
連帯構想の展開を分析する。だが、環太平洋連帯構想期の大来やクロ
フォードの行動が単なる民間人によるものであったと言い切れるだろう
か。大来は日本政府に任命された研究グループの座長であり外務大臣で
あった。後述するように、クロフォードもオーストラリア政府の支援で
ANU セミナーを主催し、ASEAN 外交を展開した。この場合、彼らの
行動は政府外交の代行であり、政府の支援があったからこそ彼らの実力
が発揮されたと言える。本稿では環太平洋連帯構想を検討する際に、国
家の対外戦略の展開を基調とし、
知識人を国家の対外行動の一環と考え、
彼らが政府の代わりに対外行動を展開したことに特に留意する。それと
同時に、本稿も日豪両政府の動きに注目する。後述のように、日豪政府
の行動は民間人である大来とクロフォードの外交をバックアップしてい
たからである。政府の行動を分析する際に、外務省の資料を使い、環太
平洋連帯構想をめぐる外務省内部の意見のすれ違いなどを解明すること
を狙う。
第三に、大平正芳の分析枠組みについてである。すでに説明したよう
に、日本外交史においては、環太平洋連帯構想を的確に評価する研究が
多いが、環太平洋連帯構想それ自体に関する包括的な研究がほとんど見
られない。また、大平外交に関しても、田中政権期の外相としての大平
が日中国交回復において果たした役割を高く評価する研究が多いのに対
して、大平政権期の対外政策を扱う研究はそれほど多く見られない。大
平政権が短命的であることがその理由としてしばしば挙げられる。そし
て、
同じ短期政権であっても、
福田赳夫前政権と比べるとわかるように、
大平政権が日中平和友好条約や福田ドクトリン程の目に見える成果を遂
[109]
北法63(5・216)1516
環太平洋連帯構想の誕生(1)
げられていなかったこともその理由となる。ところが、後述するように、
大平は対中円借款外交の提案者、環太平洋連帯構想の提唱者として認識
され、
1980年代以降の日本政治外交や国際政治に影響を与え続けてきた。
本稿はこの点を強く意識し、
環太平洋連帯構想についての研究を通じて、
時代を先取る大平政権期の外交を評価する。
大平政権が登場した当時はデタントから新冷戦への移行期にあり、大
平政権の外交が日々の国際政治の変動に追われたが、それにしてもなぜ
不安定な政権運営に得点できるような外交ではなく、同時代の要請とは
切り離して未来志向の環太平洋連帯構想のような外交構想を提唱したの
か。このパズルを解くためには当時の政治状況を見るのと同時に、直接
大平の哲学を分析するのがよいであろう68。本稿は、大平の外交理念や
政権期の対外政策と関連させながら、環太平洋連帯構想の意義を説明す
る。
第四に、地域のメンバーシップ拡大の視点、特に中国の包摂である。
メンバーシップの問題は地域主義の基本問題であり、地域形成のプロセ
スと深くかかわっている。というのは、新たなメンバーを受け入れる基
準は地域グループの特性や目標と緊密的に関連するからである。よって、
メンバーシップの問題の解明によって我々は特定地域形成の理解を深め
ることができる。そればかりか、
新メンバーの受け入れには、地域グルー
プをリードーするメンバーの見解が常に示されている69。この意味では、
中国の包摂の研究を通して、環太平洋連帯構想の推進国日本の対外政策
を分析できる。
中国政府が地域主義に積極的に参加したのは1990年代以降であり、と
りわけ1991年中国の APEC 加盟は象徴的であろう。しかし、環太平洋
68
大平の消費税提案はもう1つの例である。というのは、政権運営にダメー
ジを与えることをわかりつつなぜ大平はその提案をしたのか。この問題につい
ても、村松岐夫は大平の哲学を分析することを提唱する。村松岐夫「大平正芳
─歳入歳出政治の問題提起者」
、
渡邉昭夫編『戦後日本の宰相たち』中央公論社、
1995年、305頁。
69
Shintaro Hamanaka, Asian Regionalism and Japan: The Politics of
Membership in Regional Diplomatic, Financial and Trade Groups, London and
New York: Routledge, 2010, p.2.
北法63(5・215)1515
[110]
論 説
連帯構想が提唱された当時から、中国もすでにアジア太平洋地域に目を
向けていたのである。というのは、環太平洋連帯構想が推進された時期
はちょうど中国の改革開放初期と重なることもあり、中国が積極的に多
国間機構に積極的に加盟し始めた。本稿で明らかにするように、環太平
洋連帯構想は中国をアジア太平洋地域の「内」に受け入れ、中国に地域
外交の場を提供した中国国内の議論を重ね、1986年に PECC への加盟
を実現したのである。本稿はこの中国の PECC 加盟を検討する。その際、
受け入れ側と中国側の視点から分析し、民間人の行動に隠れた国家パ
ワーと行動に注目する。この分析過程は、環太平洋連帯構想の評価にも
つながるだけでなく、中国の近代化を積極的に支援してきた大平外交の
評価にとってもきわめて重要なポイントである。
第五に、多角的な視点である。大平政権という1年半の短期間で、環
太平洋連帯構想を評価することはかなり難しい。よって、1980年代以降
の環太平洋連帯構想の発展を追う必要がある。ここでは、PECC 設立ま
での日豪両政府の外交や中国の PECC 加盟を検討する。オーストラリ
アと中国の視点を加えることは環太平洋連帯構想の性質や大平外交を評
価することにもつながる。さらに、補章では、環太平洋連帯構想に対す
るアメリカ政府の態度と動きを紹介する。これらの結果、日豪中米多角
的な視点から環太平洋連帯構想をより立体的に見ることができるだけで
なく、翻って大平政権の対外政策を広く国際政治史の文脈から位置づけ
直すことが可能となる。
第五節 本稿の構成
本稿は序章と終章、補章を含む全10章で構成される。その主な内容と
論旨を簡単にまとめると次のようになる。
第一章では、環太平洋連帯構想の前史について検討し、続いて環太平
洋連帯構想の時代背景を整理する。というのも環太平洋連帯構想を分析
する前提としてその背景を明らかにする必要がある。
第二章では、大平正芳の外交観を整理した上で、彼の1970年代認識と
環太平洋連帯構想との関連を検討し、大平はなぜ環太平洋連帯構想を熱
心に提唱した理由を探る。
[111]
北法63(5・214)1514
環太平洋連帯構想の誕生(1)
第三章では、環太平洋連帯構想の形成過程とその理念を考察する。具
体的には、政権発足前の勉強会と発足後の環太平洋連帯研究グループと
の連続性に注目しながら、環太平洋連帯構想形成の道のりを丹念に整理
する。その上で、形成された環太平洋連帯構想の理念を検討する。
第四章では、大平政権期の対外政策を検討する上で、環太平洋連帯構
想の展開を分析する。その際に日本外務省と環太平洋連帯構想研究グ
ループとの意見対立を分析し、大平の環太平洋連帯構想外交の過程を説
明する。
第五章では、環太平洋連帯構想の推進過程におけるオーストラリアの
役割を検討する。その際、豪政府のバックアップのもとで、ジョン・ク
ロフォード外交の実態を明らかにする。
第六章では、ポスト大平政権期の日本外務省と大来の行動を追跡し、
外務省内部の意見の対立などを分析する。この過程を通じて、環太平洋
連帯構想の展開における日本側の外交を評価する。
第七章では、中国と、その受け入れ側としてのアジア太平洋諸国の二
つの角度から中国の PECC 加盟の背後にある理由を探る。具体的には、
まず、中国を受け入れる側の視点から中国の PECC 加盟を検討し、中
国の PECC 加盟の実現が国家の選択の結果であることを論ずる。また
中国の知識人の論文や中国政府の対応を分析することを通じて、中国が
アジア太平洋地域主義に対して積極的な姿勢を示したのは1984年から
1986年の時期であることを指摘する。その上で、中国政府がメンバー入
りを望む理由を、改革開放初期における中国の内政と対外政策の変遷か
ら探し出すことを試みる。
終章は、日本外交、中国、オーストラリアのそれぞれにとって、環太
平洋連帯構想の意義を評価し、
アジア太平洋地域主義の未来を展望する。
最後に補章では、アジア太平洋超大国アメリカの環太平洋連帯構想に
対する政策、内部の論争を検討することを通じて、アメリカと環太平洋
連帯構想との関係について背景情報を提供し、予備的な考察を行う。
第一章 環太平洋連帯構想の背景
序章でも述べたように、アジア太平洋地域主義は1960年代に大来佐武
北法63(5・213)1513
[112]
論 説
郎を中心とする国際経済学者グループにより推進された。民間のアジア
太平洋地域主義の発展を主導した大来は環太平洋連帯構想の誕生と推進
にも深く関与した。1978年12月、大平正芳は政権発足後速やかに環太平
洋連帯研究グループを立ち上げ、構想立案を始めた。1979年11月、環太
平洋連帯研究グループの中間報告が発表されたのと同時に、大平は、グ
ループの議長である大来佐武郎を外務大臣に起用し、本格的に環太平洋
連帯構想の外交を展開した。大平は大来とともにオーストラリアを訪問
し、日豪両政府は環太平洋連帯構想について、共同推進することを約束
した。ANU セミナーの後、大来は日本政府の支援の下、ASEAN 説得
外交を展開し、PECC の形成に尽力した。この意味では、十数年にも及
ぶ大来らが推進した民間のアジア太平洋地域主義は環太平洋連帯構想の
準備期間であり、前史である。この前史を整理することは環太平洋連帯
構想の形成と展開の理解にとって重要である。本章はまず日本の地域主
義外交と関連しながら大平政権までの民間によるアジア太平洋地域主義
の動きを考察する。
また、環太平洋連帯構想が提唱されたことは、1970年代の国際政治変
動と切り離して語ることはできない。1970年代に突入すると、米中接近
やブレトンウッズ体制の崩壊などによって国際政治経済秩序が一気に変
化し、その中で、日本は戦後秩序の急激な瓦解に対処しなければならな
くなった。この国際政治秩序の変動という客観的な背景は日本政府に危
機感を与え、日本の地域主義外交は思想的な転換が生まれた。こうした
背景のもと、福田赳夫政権は「福田ドクトリン」を発表し、新たな東南
アジア地域外交を展開した。大平は1970年代の危機と変動をチャンスと
して捉え、アジア太平洋全域を含めた環太平洋連帯構想を推進したので
ある。この意味では、1970年代の国際秩序の激変こそが環太平洋連帯構
想形成を導いた要因であり、背景であるといえる。そこで本章は1970年
代の国際政治の変動と日本外交を分析する。
第一節 環太平洋連帯構想の前史─日本の地域主義外交の視座から
歴史上初めて太平洋地域全体をカバーした国際組織は、1917年に設立
[113]
北法63(5・212)1512
環太平洋連帯構想の誕生(1)
された汎太平洋同盟(Pan-Pacific Union)である70。そして、戦間期に活
動した太平洋問題調査会(IPR:The Institute of Pacific Relations)は「太
平洋」を一地域として捉えようとする志向をもった組織であった71。以
上のような太平洋の非政府組織が存在していたにもかかわらず、日本外
交は、
「太平洋」を単なる大国間の権力闘争の場であると認識していた。
第一次世界大戦後、太平洋におけるワシントン体制が成立し、ワシント
ン条約は「太平洋における秩序」を明確にしたが、中国問題をめぐって
機能なくなり、
ついに太平洋戦争の勃発に至った72。日本で「太平洋戦争」
が「大東亜戦争」と呼ばれていたことからわかるように、当時の日本外
交では、太平洋という地域は戦争のアリーナとして捉えられ、平和的な
地域協力構想が存在しなかった。
敗戦直後の日本は GHQ の管理下に置かれた。GHQ の国内改革を経
て、1947年に新憲法が公布され、戦後民主主義体制や「憲法九条」に代
表される平和主義が確立された(古関1995)
。そして、1951年サンフラ
ンシスコ講和という「片面講和」を経て、
「サンフランシスコ平和条約」
と「日米安保条約」が同時に調印され、
「憲法9条=日米安保体制」が
成立した73。戦勝国アメリカの権威を背景として持ち込まれた「9条=
安保体制」は経済活動に専心する道を選んだ日本人にとっては受け入れ
やすいものであったが、逆にアメリカ自身は米ソ対決を高めるただ中に
あり、1947年の憲法と1951年の条約との間には、不整合性が残った74。
それにもかかわらず、この体制は冷戦下では調和的に働いていた。1950
年代以降、日本はアジア外交を模索し始めたが、それは日米関係と矛盾
しないようにいつも配慮しなければならなかった。
70
山岡道男『アジア太平洋地域の INGO』北樹出版、1996年、82頁。
71
Tomoko Akami, Internationalizing the Pacific: the United States, Japan
and the Institute of Pacific Relations in War and Peace, 1919-1945, London:
Routlege, 2002; 片桐庸夫『太平洋問題調査会の研究─戦間期日本 IPR の活動を
中心として』慶應義塾大学出版会、2003年。
72
五十嵐武士『日米関係と東アジア』東京大学出版会、1999年、48頁。
73
酒井哲哉
「
『9条 = 安保体制』
の終焉 -- 戦後日本外交と政党政治」
『
、国際問題』
(通号372)日本国際問題研究所、1991年、32‐45頁。
74
渡辺、前掲書(1992)
、62頁。
北法63(5・211)1511
[114]
論 説
アジア太平洋地域の形成という点から考えると、第一次世界大戦から
日本とアメリカとの間に存在した平和の模索と戦争こそが太平洋を「地
域」まで持ち上げたといえる。第二次世界大戦後の日本外交における地
域構想は、理念の上からも、事実の上からも、アメリカを地域内のメン
バーとして迎えることになった。ここで形成された「太平洋の絆」は単
に日米両国を結ぶ役割を果たすだけではなく、
「それを越えた地球的(グ
ローバル)、あるいは地域的(リージョナル)な規模での諸国民間の繋
がりのために重要な意味を帯びている」のである75。戦後アメリカのア
ジア政策は、基本的には日本を地域的中心軸とし、アジアの非共産主義
諸国をひとつの地域として、政治・経済・軍事的に有機的に統合するこ
とに主眼が置かれていたといえる76。そのアメリカ政策の下で、日本は
アジア外交を展開した。これはまた、太平洋地域に日米を中心とする
「パックス・アメリカーナ」下に平和を享受する西側先進国の連帯とい
う形で構想されたともいえる。
また、戦後日本外交は日米関係から再出発し、外交の地平線を拡大し
続けた。経済が回復した日本は、1963年、OECD(経済協力開発機構)
への加盟を果たし、先進国の一員になった。ここでは、これとほぼ同時
に起こったヨーロッパにおける地域統合の動きを見逃すことはできな
い。戦後、アジアから撤退したヨーロッパは内向きになって、ヨーロッ
パ内の地域統合に力を入れた。1958年、欧州経済共同体(EEC)が発
足し、1967年、欧州共同体(EC)まで発展した。このように、日本が「先
進国」という非地理的な意味を強く意識し、またヨーロッパ地域統合の
「太平洋」を「先進国」の連帯
動きが「伝染(Contagion)
」する形で77、
の場と見なす構想が一部の「民間」の知識人や「政府」の政策決定者か
ら提唱されるようになった。
大来は1964年、日本経済研究センター初代理事長に就任してから、広
大な太平洋地域の発展性に目をつけるようになった。日本民間で初めて
太平洋協力構想が提唱されたのも1965年11月、大来の日本経済研究セン
75
同上、57頁。
76
李、前掲書(1996)
。
77
Ravenhill, op.cit., 2001, pp.15-16.
[115]
北法63(5・210)1510
環太平洋連帯構想の誕生(1)
ター主催の「低開発国の貿易と開発に関する会議」の席上だった78。
そこで一橋大学教授の小島清は、ヨーロッパでの共同市場など経済統
合の動きに対処するため、太平洋地域でも先進五カ国からなる「太平洋
自由貿易圏」
(PAFTA)設立の必要性を強調した。小島はアジア太平
洋域外の、特にヨーロッパでの地域統合に強い危機意識を持っており、
太平洋の「先進国」が結束することを主張した。つまり、小島構想は、
太平洋を組織化する際に、EEC(欧州経済共同体)や OECD など見ら
れる既存の地域統合や経済協力の仕組みを太平洋に適用しようとしたの
である79。しかし、EEC などの地域統合の枠組みを直接に太平洋に適用
することは困難であり、ひとまず1968年東京で開かれた第一回太平洋貿
易開発会議の際に、多国間の政策調整機関として「太平洋貿易開発機構
(OPTAD:Organization for Pacific Trade and Development)」が設立
された。「この OPTAD は先進五カ国と近隣のアジア諸国をメンバーと
して想定し、アジア諸国への援助も射程に入れているとされていたが、
80
。
彼らの関心の焦点は主に貿易に関する域内先進国間の調整であった」
ここで見られた太平洋地域構想は先進国クラブとしての色彩を色濃く
持っていた「太平洋」と言っていいだろう。その後、OPTAD 構想の内
容が充実され、1979年にエール大学のヒュー・パトリック教授とオース
トラリア国立大学のピーター・ドライスデール教授がアメリカ上院で報
告した81。また、日本の地域主義にとって伝統的な課題である中国問題
に関して、小島は「経済的に見る限り、日本経済の必要とする資源と市
場の主軸は、アジア大陸ではなく、明らかに拡大された太平洋地域なの
である」とひとまず脇に置く姿勢を示した82。
一方、小島構想をはじめとして民間で太平洋構想が活発に議論された
のと同時に、日本政府もアジア太平洋地域に目をつけた。当時、外務大
78
小野、前掲書(2004)
、395‐396頁。
79
菊池、前掲書(1995)
、57‐58頁。
80
大庭、前掲書(2004)
、254頁。
81
小島清「80年代は“太平洋経済の時代”
:OPTAD(太平洋貿易開発機構)
形成促進の雰囲気をつくれ」
、
『世界経済評論』
(24:4)
、1980年、6頁。
82
小島清「太平洋自由貿易地域─日本の関心」小島清編『太平洋経済圏』日
本経済新聞社、1968年、110頁。
北法63(5・209)1509
[116]
論 説
臣であった三木武夫が小島構想にいち早く強い関心を示した83。1966年
12月に外相になった三木武夫は、速やかに外務省に立案を命じた84。そ
して1967年3月14日の第55回国会における外交演説においては、アジア
太平洋地域の協力を提唱した。
「政府」の構想として三木が提唱した「ア
ジア太平洋地域」の協力構想の内容は、小島構想を代表する「民間」の
構想とは明らかに異なっている。小島構想では、
「先進国」との連帯す
なわち太平洋を重点に置き、アジアは副次的な存在であった。それに対
し、三木や外務省のアジア太平洋地域構想は従来、日本の外交の重点で
あるアジアを中心においている。つまり、
「オーストラリア、ニュージー
ランドはもとより、米国、カナダの太平洋諸国においても、最近、アジ
アに対する関心がとみに高まりつつある」ということに鑑み、
「いまや
アジア問題は、アジア太平洋という広さにおいて考えることが今日の時
代の要請であるとともに、歴史の方向でもあると確信する」ことに基づ
く構想である85。すなわち、この構想では、日本は橋渡しの役割を果た
すべきであると強調されている86。
小島らの太平洋構想とのもうひとつの大きな違いというのは、三木構
想が経済だけではなく、政治問題にも言及したことである。ここで注目
すべきなのは中国問題である。1967年6月29日、外国特派員協会での講
83
三木は大来と小島の二人を東京南平台の自宅に呼んで、
「太平洋協力は極め
て大事なことと思うが、具体的にどうしたらよいか自分には分からない。ひと
つあなた方で中身を考えてほしい」と依頼した。大来佐武郎『経済外交に生き
る』東洋経済新報社、1992年、185頁。小野善邦『わが志は千里に在り 大来佐
武郎評伝』日本経済新聞社、2004年、396頁。
84
国際資料部「アジア、太平洋地域協力構想について」
、1966年12月26日(情
報開示法による開示外務省史料)
。
85
1967年3月14日の第55回国会における三木外相の外交演説。
『外交青書』
(第
11号)
、1967年、資料編。
86
外務省作成の資料には次のようにある。
「わが国は地理的にもアジアの東端
に位置し、かつ太平洋に直面している精力的国家として、新興のアジア諸国と
先進ないし中進の太平洋諸国をなんらかの形でつなぐ鎖となり、
『アジア・太
平洋地域』の連帯的な平和と繁栄達成に貢献し、太平洋を真の意味における
平和の海たらしめたいと念願するものであります」
。国際資料部、前掲資料、
1966年12月26日。
[117]
北法63(5・208)1508
環太平洋連帯構想の誕生(1)
演で、三木は「大陸中国の態度は柔軟性に欠けている。しかし、年月が
たてば……やがて、お互いに、共存以外の道のないことを知るに到ると
私は確信する」と述べていた87。
すなわち、小島構想では、経済の視点から中国をアジア太平洋地域の
「ソト」に置くことに対し、三木構想では、政治の観点から中国をアジ
ア太平洋地域安定のための「ウチ」なる課題として取り上げている。そ
の一方で三木は、「世界情勢の変化、アジア太平洋地域の緊張の緩和な
88
とも認識しており、この段階では中国を
しには、解決は困難である」
依然としてアジア太平洋地域の「ソト」に置いている。そして、外務省
は三木の「アジア太平洋地域」構想を推進するために、具体案を出した。
そこでは、日本の外務省は、アジア太平洋地域構想の推進にあたって、
政府間の接触を強調したが、太平洋先進5カ国閣僚会議のような組織を
作ることが日本のアジア重視の対外政策に悪影響を与えかねないため、
日本の民間と太平洋諸国の民間との間に現存する交流関係を、側面的に
支援することを主張した89。その後、三木構想は実行段階にまで踏み込
むことはできなかったが、三木が外務大臣であったことから、外務省は
この時期に、はじめてアジア太平洋地域協力について検討した。
三木構想が発表された後、1969年5月には宮澤喜一が、ハワイで開か
れたロータリー・クラブ世界大会のシンポジウム「太平洋のあけぼの」
の講師として招聘され、その席で「アジア太平洋機構(Organization
「アジア
for Asian Pacific States)
」構想を提唱した90。一方、1960年代、
太平洋」地域を包含する閣僚級の政府間地域枠組み─アジア太平洋協議
会(ASPAC:Asian-Pacific Council)が発足した91。ASPAC が提示する
87
「
外国特派員協会における三木外務大臣の講演」
、1967年6月29日(情報開示
法による開示外務省史料)
。
88
1968年9月10日、帝国ホテルでのアジア調査会昼食会における「日本のアジ
ア外交について」と題して行われた講演で述べた。情報文化局報道課「日本の
アジア外交について」
(情報開示法による開示外務省史料)
。
89
「
『アジア・太平洋地域構想』推進のための当面の施策(案)
」
、1967年1月31
日(情報開示法による開示外務省史料)
。
90
『
日本経済新聞』1969年5月23日
91
曺、前掲書(2009)
、163‐168頁。
北法63(5・207)1507
[118]
論 説
のは共産主義諸国を「敵」として扱い、冷戦の枠組みを固定しようとす
る西側同盟的「アジア太平洋」である。また、1960年代末に設立された
PAFTAD や PBEC などの民間の地域組織は「太平洋」概念に発展途上
国を取り込みつつ、1970年代に入っても引き続き活動を継続した。他方
1970年代、デタントに彩られた国際秩序の変容を受けて、反共色強い
ASPAC は時代遅れとなり、結局この機構は1975年6月末日をもって停
止された92。その他にも、様々な文脈で「太平洋」を冠した地域機構の
設立構想が出された。その中の最も重要なひとつが大平正芳の環太平洋
連帯構想である。
これらの構想は1970年代の時代の激変に強く影響され、
様々な形で考え出された。
第二節 環太平洋連帯構想の時代背景
第一款 1970年代の国際秩序の変動
1970年代は米ソ緊張緩和
(デタント)
の時代だとよく言われる。だが、
この兆候は1960年代にすでに見られた93。1960年代のフランスと西ドイ
ツの独自外交や中ソ対立の表面化に象徴される東西陣営内の多極化の結
果として、冷戦体制の変容が生じた。1969年に発足したアメリカのニク
ソン政権はヴェトナム戦争を名誉ある形で終わらせることを望んだた
め、中ソ対立を利用して、米中和解に乗り出した。1971年7月、キッシ
ンジャーが秘密裏に北京を訪問し、同時に、翌年のニクソン訪中計画を
公表して世界を驚かせた。1972年2月、ニクソンは訪中し、米中関係は
大きな転換を遂げた。この一連の出来事について、「それが1970年代に
なってパワー中心の見方に変わり始めた背景には、ヴェトナム戦争の行
き詰まりとか、対ソ『デタント』とか、同盟国との貿易摩擦とかのため
に、アメリカの対外戦略を見直そうという気運が高まっていたためだと
92
『
外交青書』
(第20号)
、1976年、60頁。
93
菅英輝「冷戦の終焉と60年代性─国際政治史の文脈において─」
、日本国際
政治学会編『国際政治』
(第126号)
、2001年、1‐22頁。
[119]
北法63(5・206)1506
環太平洋連帯構想の誕生(1)
いえる」と述べられている94。このことは、
「アジアのデタント」の到来
を象徴する出来事であった。つまり、
「アジア冷戦」とは朝鮮戦争以来
固定化されてきた米中対決のことであり、
「アジア・デタント」は米中
対決からの緊張緩和を指す。そして、この米中接近の「ショック」を受
けて、1972年に日中国交正常化が実現し、アジア太平洋の国際秩序は大
きく変容した95。
しかし、1970年代末からは、米ソの間に緊張が走っていた。1979年12
月のソ連のアフガニスタン侵攻により、米ソ「デタント」はつかの間の
夢に終わり、世界は「新冷戦」に突入した。それと対照的に、1976年、
中国の「文化大革命」は終結し、1978年、鄧小平の再登場により、中国
は「改革開放政策」に乗り出した。1979年1月、米中国交回復が実現し
た。アジアの「デタント」は米中対立のアジア冷戦へ逆戻りしなかった
ばかりではなく、アジア冷戦の終焉を意味していた。戦後、アジア・太
平洋地域の「ソト」に置かれた中国は、70年代後半「改革開放政策」を
通じて、
「ウチ」へ入る意欲を見せた。しかも、これは、ソ連と対抗す
るアメリカの政策と一致することであった。以上の国際政治変動を背景
にして、大平の環太平洋連帯構想は提案されたのである。一方、この国
際政治の変動は国内政治まで影響を及んでいた。かつての「国際冷戦」
と「国内冷戦」の同時進行と同じように96、1970年代、国際政治と国内
政治は同時に流動化した。新たな国際的出来事は常に国内政治の争点に
なるのである。
また、1970年代は政治面だけではなく、経済的にも、激しく変動した。
代表的なのは、戦後一貫して安定してきた、ブレトンウッズ体制の崩壊
である。1960年代以降、ヴェトナム戦争による膨大な戦費や、ジョンソ
ン政権の「偉大なる社会」政策による政府支出の増大など、アメリカの
拡張的政策により世界的なインフレが引き起こされた。しかし、当時の
アメリカが深刻化する国際収支赤字を放置したことで、1971年半ばまで
94
入江昭『増補・米中関係イメージ』平凡社ライブラリー、2002年、297頁。
95
増田弘編『ニクソン訪中と冷戦構造の変容』慶應義塾大学出版社、2006年。
96
坂本義和「日本における国際冷戦と国内冷戦」
、
『坂本義和集3 戦後外交の
原点』岩波書店、2004年、53‐96頁。
北法63(5・205)1505
[120]
論 説
には、ドルへの信認が低下して国際通貨制度は危機的な状況に陥った。
この状況に直面したニクソンは金本位制を停止することと対米輸出品に
課徴金を課すことを発表した97。戦後、西側の経済高度成長を維持した
国際通貨体制は根幹から崩れた。一方、繊維・自動車をめぐる日米経済
紛争が恒常化した。また、1973年と1979の二度にわたり、世界が石油危
機に遭遇した。ここで注目されたのは、
経済やエネルギーなどの「ロー・
ポリティクス」問題の「ハイ・ポリティクス」化である98。世界各国も
この変動への対応に追われた。一方、国際経済の動きは各国の経済に大
きな影響を与え、様々な経済問題が噴出した。冷戦構造の変容であれ、
ブレトンウッズ体制の崩壊であれ、1970年代を通じて、アメリカ優位の
もとで形成されたさまざまな国際関係の枠組みが弛緩・崩壊してきたの
である。
第二款 1970年代の日本外交
これらを背景として、世界は政治・経済面ともに多極化が進展し、経
済の極となった日本は自立外交を模索し始めた。米中接近が秘密裡に行
われたことが、当時の佐藤政権期の日本に「ショック」を与えた。この
抜き打ちともいえる米中両国の和解は、沖縄返還を外交政策上の第一目
標に揚げ、またそれゆえにこそ米国との協調関係を何よりも重視し、中
97
田中明彦、
中西寛編『新・国際政治経済の基礎知識』有斐閣ブックス、
2004年、
147頁。
98
国際政治学者のスタンリー・ホフマン(Stanley Hoffmann)は国家主権との
関わりが相対的に低い分野と国家主権の関わりが極めて高い領域を峻別し、
ロー・ポリティックス(high politics: 高次元の政治)とハイ・ポリティックス
(low politics: 低次元の政治)の概念を提示した。冷戦時代、関心は核兵器によ
る恐怖の均衡(核抑止論)の合理性や同盟政治などの安全保障問題に集中し、
経済問題は二次的な取り扱いを受けた。そこでは、安全保障問題をハイ・ポリ
ティックス、経済問題をロー・ポリティックスとみなす風潮がきわめて強かっ
た。Stanley Hoffman, “European Process at Atlantic Cross purposes”, Journal
of Common Market Studies, No.3, 1965, pp.89-91; 野林健・大芝亮・納家政嗣・
山田敦・長尾悟『国際政治経済学・入門』有斐閣アルマ、2003年、3頁。
[121]
北法63(5・204)1504
環太平洋連帯構想の誕生(1)
国への接近に慎重な姿勢を取り続けた佐藤政権にとって、大きなダメー
ジとなった99。しかし、次の田中角栄政権期には、田中と外相の大平正
芳とが二人三脚で日中国交正常化を実現した。続く、福田政権期では、
日中平和友好条約が調印され、福田・大平政権期を通じて、日本は積極
的に中国の「改革開放」を支援し続ける。一方、国内政治においては、
1970年代の5人の首相は、在任期間がそれぞれ2年程度で、政権の基盤
が安定しない状況であり、強い反対が起こりそうな問題はやむをえず後
回しという姿勢に陥りがちであった。よって、各政権の政策決定過程は
内向きであり、対外的イニシアティブを取るよりも国内的な摩擦を避け
ることの方が重視される傾向があった100。
一方、米中和解により、国際政治において中国は大国化を実現し、ア
ジア太平洋地域における米中ソの三大国のパワー・ゲームが成立した。
三大国の間に挟まれた日本は常にパワー・ゲームに巻き込まれないよう
に慎重に外交を展開した。ここで、米中ソのパワー・ゲームと距離を取
るのと同時に、東南アジアの安定に貢献し、自らの存在感を示すことが
70年代の日本外交の課題となったのである。もともと経済的には大きな
存在となっていた日本にとって、ヴェトナム戦争後の対東南アジア工作
は「自立」外交の突破口であった101。
しかし、1974年1月に田中角栄首相が東南アジアを歴訪した際には、
タイとインドネシアで反日暴動が起こった、このことは、これら諸国と
は経済を中心に良好な関係を築いてきたと思っていた日本人にショック
を与えた。このような反感に直面して、日本と東南アジアとの関係は再
調整が必要となった102。そこで経済だけではなく、政治・文化的なアプ
ローチが強調されるようになった。また、同時期に ASEAN という地
域組織の地位が上昇したことにより、日本は ASEAN との対話を重視
するようになった。
99
若月、前掲書(2006)
、18頁。
100
五百旗頭、前掲書(2010)
、188頁。
101
若月、前掲書(2006)
、4頁。
102
波多野澄雄、佐藤晋『現代日本の東南アジア政策:1950─2005』早稲田大
学出版部、2007年、164‐166頁。
北法63(5・203)1503
[122]
論 説
「1970年代初頭に起きた国際政治の変動は東南アジアや太平洋州と日
本との関係にもいくつかの変化をもたらした。1970年代中期にはこうし
た変化の方向はまだ明白ではなかったが、後から振り返ると、冷戦の枠
組みから一応自立したアジア・太平洋という地域的な国際関係の枠組み
が生まれ始めた時期、と位置づけることができよう」103。この変化の始ま
りは福田ドクトリンと大平の環太平洋連帯構想である。この時期から賠
償や開発と異なる新しい日本外交の地域構想が登場したのである。
福田ドクトリンは1977年8月、福田首相が ASEAN 諸国を歴訪した
際、マニラで内外に示されたものである。その内容は以下のとおりであ
る104。
(1)日本は平和に徹し、軍事大国にならないことを決意しており、その
立場で東南アジアと世界の平和に貢献する;
(2)日本は東南アジア諸国との間に政治・経済だけではなく、広く社会・
文化などの分野で真の友人として、「心と心の触れ合う」相互信頼関係を
構築する;
「対等な協力者」の立場から、ASEAN 加盟国の連帯と強靭性強化
(3)
のための自主的努力に対して積極的に協力し、また、インドシナ諸国と
の間の相互理解に基づく関係を醸し出すようにし、東南アジア全域の平
和と繁栄に寄与する。
福田ドクトリンは、ヴェトナム戦争後の地域秩序の再構築を狙ってい
た105。しかし、インドシナ紛争が展開するにつれて、インドシナが大国
のパワーに巻き込まれたことで、福田ドクトリンを実現するための国際
環境は徐々に厳しくなっていた。すなわち、
「福田ドクトリン」の肝で
ある ASEAN 諸国とインドシナの協調は難しくなっていたのである。
そして、大平政権期に、ヴェトナムへの支援が正式に停止され、また「紛
争周辺国」向けの援助が大幅に増額されたことで、福田ドクトリンは挫
103
中西寛「自立的協調の模索」
、
五百旗頭真『戦後日本外交史』有斐閣アルマ、
2006年、169頁。
104
外務省『わが外交の近況』1978年、326‐330頁。
105
若月秀和「福田ドクトリン─ポスト冷戦外交の「予行演習」─」
、日本国際
政治学会編『国際政治』
(第125号)
、2000年、199‐201頁。
[123]
北法63(5・202)1502
環太平洋連帯構想の誕生(1)
折した。ここで、アジアの秩序を模索する時、ASEAN は中心ではある
けれども、ASEAN だけではだめだという教訓が残った106。特にアメリ
カの重要性が再び想起された。そして大平政権期には、1960年代の太平
洋地域協力構想のように、先進国と連帯して、アジアを包括する「アジ
ア太平洋地域」理念が再び登場し、それが大平の環太平洋連帯構想とい
う形で結実するのである。
第二章 環太平洋連帯構想と大平正芳の外交理念
太平洋に位置するわが国としては、米国、東南アジア、豪州をはじめ、
太平洋地域諸国との緊密な関係を積み重ねてきており、グローバリズ
ムの中にも、これら諸国との関係を一層濃密なものとして、発展を図
ることが、世界から期待されている我が国の役割ではないだろうか107。
─ 大平正芳
環太平洋連帯構想は大平正芳の政権構想の一つである。ただし、大平
正芳の首相就任までの政治家としての道のりを振り返ってみても、大平
がアジア太平洋地域主義にこだわってきたとも言えないし、アジア・太
平洋地域構想に積極的な発言も見られない。そこでは、これまでの大平
の思想研究や追想録では、興亜院・内蒙時代の原体験108から大平の環太
平洋連帯構想の体験的原型を探り、
「木というものは殆ど見られない土
一色の田舎街であった」109張家口と対比して「日本の未来は太平洋だ」
と感じたことを大平の環太平洋連帯構想の根源と考えるものがほとんど
である110。しかし本稿は、この体験は大平正芳の環太平洋連帯構想とな
106
井上寿一「戦後経済外交の軌跡(5)危機のなかの経済外交」
、
『外交フォー
ラム』18(3)
(通号 200)
、2005年3月、83頁。
107
1979年3月6日、環太平洋連帯研究グループでの談話。大平正芳回想録刊
行会編『永遠の今』鹿島出版会、1980年、403頁。
108
1939年、大平は興亜院事務官になり、蒙彊連絡部の経済課主任(後は経済
課長)に配属され、張家口に着任。
109
大平正芳『財政つれづれ草』如水書房、1953年、35頁。
110
渡邉昭夫『アジア太平洋連帯構想』NTT 出版、2005年、29頁。
北法63(5・201)1501
[124]
論 説
んらかの関連があるとはいえ、必ずしも構想の形成に直接に影響を与え
たという立場はとらない。
それを示すのは以下の事実である。つまり、1978年の総選挙まで、環
太平洋連帯構想は大平の発言・インタビューや文章のいずれにも見られ
なかった。そして大平首相の秘書を勤めていた前衆議院議員の森田一氏
の証言によると、1978年選挙の本会議の前、議員たちに配る『大平正芳
の政策要綱資料』の準備段階において、森田氏が「本選挙の時には、過
去の政策だけじゃなくて新しい政策も必要じゃないかということで、何
か目新しいものを考えてください」と進言した111。それを受けて、大平
はブレーンの佐藤誠三郎、香山健一、公文俊平の三人と相談し、そこで
はじめて、佐藤から環太平洋連帯構想を提案されたのである112。このこ
とから考えると、大平の環太平洋連帯構想は選挙対策であると言える。
しかし、大平は政権発足後速やかに政策研究グループを立ち上げ、環太
平洋連帯構想の研究に着手した。そして研究グループの中間報告が出た
政権二期目から本格的に環太平洋構想に基づいた外交を始動した。極端
に言えば選挙の「手段」のようにも見える環太平洋連帯構想は、大平政
権を通じた「目標」に転じたのである。
本章は環太平洋連帯構想を打ち出し、実行した背景要因を大平の外交
理念から探りたい。すなわち、そもそもなぜ大平正芳は彼の政治理念と
関わりがなかった環太平洋連帯構想を違和感なく受け入れ、精力的に実
践していったのだろうか。このことについて、大平の外交理念や時代認
識と環太平洋連帯構想との親和性から考えていきたい。具体的には、第
一節で大平の生涯と「協調政治」という政治スタイルを簡単に紹介した
上で、第二節では、大平の外交観を整理し、第三節では、1970年代の大
平の時代認識を分析する。
第一節 大平の生涯と協調政治
大平正芳は発言するたびに、
「アー」
「ウー」から始まり、能弁とは無
111
森田一、前掲書(2010)
、169頁。
112
森田一氏へのインタビュー、2006年9月11日。
[125]
北法63(5・200)1500
環太平洋連帯構想の誕生(1)
縁な人である。マスコミからいつもその癖を揶揄され、ついには「鈍牛」
とまで呼ばれた。一方、日本の政治家でも、珍しい哲学者型政治家なの
である。大平は言葉より内省を重んじており、大平の外的行動は常にこ
の大平の「内省的性格」に支えられていたと言われている113。
大平の「内省の性格」に対応して、大平の外的政治的表現といえば、
何よりも「協調性」といえるであろう。前任者である福田赳夫の「闘い」
の政治スタイルと対比すると、大平の「協調」の政治スタイルは一層鮮
明になる。大平の講演の中には、
「共同体」
、
「相互依存」、
「理解と協力」、
「友好関係」
、「友好協力」
、
「国際協調」
、
「多様性の中の調和」、「協調的
な行動」
、
「責任と役割の分担」
、
「安定」
、
「平和友好」、「緊張緩和」、「連
帯強化」
、
「相互信頼」
、
「相互交流」
、
「円満な解決」、
「相互補完的な関係」、
「重層的な交流」
、
「良き隣人」
、
「多角的な協力関係」などのキャッチ・
フレーズが多用され、協調的なイメージを与えている。この大平の「内
省の性格」と「協調性」の形成は大平の幼い頃からの経歴と緊密に関連
するといえるだろう。
第一款 大平の生涯と人格の形成
大平正芳は香川県の豊浜町(当時は和田村)の農家の次男として、
1910年(明治43年)3月12日に生まれた。当時の大平の性格について、
大平と同郷で小中学校時代を共に過ごした阪神電気鉄道社長(1981年当
時)の田中隆造氏は、
「当時の総理は、口数の少ない、温和しく感傷的
人柄で、目立たない存在」だと語った114。1928年、18歳の大平は高松高
等商業学校に入学した。その後まもなく、キリスト教の講演を聞いたこ
とをきっかけに、大平は熱心なキリスト教の信者になった。これについ
て、1967年2月25日の『キリスト新聞』インタビューに答えたとき、大
平は「人さまの前で誇れるような信仰ではないが、聖書から離れて生き
ることはできない。祈りの中で神様との対話は続けて」いると告白した。
このキリスト教の信仰はこの後の大平の政治人格の形成に大きく寄与し
113
吉田雅信『大平正芳の政治的人格』東海大学出版会、1986年、106頁。
114
大平回想録刊行会編『大平正芳回想録・追想編』
、
鹿島出版会、
1981年、
335頁。
北法63(5・199)1499
[126]
論 説
ているだろう。さらに重要なことは、
首相就任当時、
「クリスチャン宰相」
と呼ばれた大平は、海外から高い評価のあった政治家だった115。
大平は昭和8年(1933)4月、二つの奨学金(香川県育英会、鎌田共
済会)を受け、東京商科大学(現一橋大学経済学部)に入学した。東京
商大への入学は大平にとって、まさに彼の人生を開く大きな転換点と
なった116。昭和11年(1936)4月10日、26歳の大平は東京商科大学での
勉学生活を終え、大蔵省に入省した。1939年、大平は興亜院蒙疆連絡部
への赴任を命じられ、張家口に赴任した。この赴任は中国という国を大
平にはじめて体感させた。一方、大平は、中国で佐々木義武、伊東正義、
大来佐武郎117をはじめとする当時の若手事務官9人による「九賢会」と
「九賢会」
は後の大平の政治生命にとって、
いう集まりに加わった118。この
大きな財産になった。また、大平正芳は大蔵省在勤16年半の間に、三度
大蔵大臣の秘書官を勤めた119。のべ四年の秘書官生活であった。とくに、
彼が政治家へ転身することになったのも、秘書を務めた池田勇人との出
会いがきっかけである。
1952年、大平は大蔵省を依願退官し、自由党公認候補として衆議院議
員に初当選した。1960年、50歳で第一次池田内閣官房長官に就任し、
1962年、第二次池田改造内閣の外務大臣に就任した。まさに池田の女房
役が続いた。1971年、61歳の大平は前尾繁三郎会長の後を継いで宏池会
115
鈴木秀子「大平正芳氏とキリスト教」
、大平正芳記念財団編『大平正芳:政
治的遺産』
、1994年、471‐478頁。
116
卒業論文の「職分社会と同業組合」には、トーネー(R.H. Tawney)の『獲
得社会』
(The Acquisitive Society)を分析し、トマス・アクィナスの思想に
も言及した。前一橋大学学長宮澤健一は東京商大での大平の勉学生活を「大平
哲学のふるさと」と呼ぶ。大平回想録刊行会編『大平正芳回想録・資料編』鹿
島出版会、1982a 年、103‐108頁;大平回想録刊行会編、前掲書(1981)
、366‐
367頁。
117
佐々木は大平第二政権期の通産大臣を勤め、伊藤は大平政権期の官房長官
であり、
大平急死後、
代理首相そして鈴木政権期の外務大臣として、
引き続き「環
太平洋連帯構想」の推進に尽力した。大来は大平第二政権期で外務大臣に任命
された。
118
大平正芳回想録刊行会編、
『大平正芳回想録・伝記編』1982b 年、87頁。
119
津島寿一蔵相の秘書官(1945)
、池田勇人の秘書官(1949、1951)を勤めた。
[127]
北法63(5・198)1498
環太平洋連帯構想の誕生(1)
の第三代会長に就任した。特にこの時期以降、大平は実力者として首相
の座を狙うようになった。1972年、田中角栄内閣で再び外相に就任し、
田中と二人三脚で、日中関係正常化を実現した。その後、大蔵大臣・自
民党幹事長を経て、1978年12月、第9代自民党総裁に選任され、第68代
内閣総理大臣の指名を受けた。総理大臣に就任した大平が打ち出した政
治姿勢は「信頼と合意」
(協調政治)であった。
第二款 協調政治
1970年代の国際秩序の激変に呼応したのは国内政治の流動化である。
1970年代の日本政治はポスト佐藤をめぐる争いや「三木おろし」という
自民党内部の闘争、そして金脈問題などの政治スキャンダルなど、まさ
に「紛争の季節」を迎えていた。このような状況の中で、1978年末、大
平は福田との対決を経て、第9代自民党総裁に就任し、同時に第一次大
平内閣が発足した。第一次大平内閣を発足させるに際して打ち出した基
本的な政治姿勢は、
「信頼と合意」かつ「協調政治」であった。大平は
この「協調性」について、1978年11月1日の自民党総裁選への立候補声
明で次のように述べている。
「議会制民主主義、自由市場経済体制、そして現行の安保体制など今日
の社会の基本的秩序は、今やほとんど国民の合意となった。如何なる施
策も、これを守り、これを強化し、この上に展開されるものでなければ
ならない……私は、辛抱強い説得と理解、信頼と協力によってより広い
合意を形成することを基本姿勢とし、しなやかだが強靭な、政治の確立
を目指すものである」120。
もちろん、この大平の協調は当時の自民党の派閥闘争を鑑みると、仕
方がなくやったのであるという見方もあるが、その一方で、低姿勢の政
治を演じたのは大平政治の一貫した特徴とも言えるだろう。池田内閣の
時、大平官房長官が「寛容と忍耐」を演出したとも言われている。1978
年4月、幹事長時代の大平が作家の井上靖・一枚の絵社長の竹田厳道と
行った鼎談の中に、三木に言及しながら、次のように、「保守政治」に
120
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、281頁。
北法63(5・197)1497
[128]
論 説
ついて語っている。
「(三木は)この自民党が腐っておる、だからこれを改革するのは俺し
かないんだというような発想なんだね、僕は自民党も、どの政党も人間
が作ったもので、こんなに立派なものではない、立派なものはこの世の
中にはないと思う。まあ私は改革ということに対して、この点について
はややニヒルでしてね。……あまり政治のコストが高すぎちゃ迷惑です
から、出来るだけ無難に政治をやってゆく、出来るだけ皆さんに損害を
与えたり苦しめたりしないで、できるだけ政治というのは控え目のほう
がいいんだという考えですがね」121。
すなわち、コストが高すぎる「政治改革」より控え目な政治のほうが
いいと大平は強調したのである。このような大平の「低姿勢」の性格や
政治認識はそもそも、彼の幼いごろからの地味な性格や官僚出身である
という立場と関連するのであろう。いずれにしても、このような大平の
「低姿勢」の政治観にからくる大平政権期の大平の「協調性」は突出し
ている。大平はさらにこの「協調」を精神内面に拡大して、内面的・道
徳的な協調を強調している。第87回国会の施政方針演説の中では、次の
ように述べている。
「戦後、今日、我々が享受している自由や平等、進歩や繁栄は、その間
における国民のたゆまざる努力の結晶に他なりません。しかしながら、
我々は、この過程で自然と人間との調和、自由と責任の均衡、深く精神
の内面に根ざした生きがい等に必ずしも十分な配慮を加えてきたとは申
せません」122。
すなわち、大平は自由と平等、進歩と繁栄などを追求するとき、精神
面への配慮に注意しなければならないことを強調した。また、大平には、
政府と国民との間だけではなく、外国との間のしばしば不可避な利害の
対立を解決するにあたっても、相互に信頼があれば合意に達することが
できるという信念があるように見受けられる。第87国会施政方針演説に
おいては、国際政治に関して次のように語った。
121
大平正芳「控え目の政治・静かな目・平和の心」
、大平正芳記念財団編『在
素知贅・大平正芳発言集』1996年、72頁。
122
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、284頁。
[129]
北法63(5・196)1496
環太平洋連帯構想の誕生(1)
「世界を一つの共同体として捉え、世界に対するわが国の役割と責任を
踏まえて、内外にわたる施策を真剣に展開しなければなりません。
」そし
て、対外経済政策に関しては「わが国は、世界経済の運営に重要な役割
を果たしておりますが、今後とも率先して国際社会に受けられる経済運
営に努め、世界の期待に応えてまいる必要があると考えます」123。
「国際協調」という行動は、
「相互依存」という事実認識と「責任と役
割の遂行」という行動理念から導き出されるのであるが、事実、大平は
すべての施政方針演説や他の外交演説において例外なく米国・中国・ソ
連などの大国、ASEAN 諸国を始めとするアジア諸国、カナダ、オース
トラリア、ニュージーランドなどの太平洋圏諸国及びアフリカや中南米
諸国などほとんど全世界との協調に言及している124。ナショナル・プレ
スクラブでの昭和54年5月の演説では、次のように語った。
「わが国のおかれている政治的・経済的国際環境よりみて、わが国がそ
の生存を確保するためには、国際協調以外には道はなく、わが国の経済
政策が国際的責任に裏打ちされたものでなければならないことは言うま
でもない」125(大平正芳回想録刊行会1982a:292)
。
換言すれば、大平はこの「国際協調」を日本の生存と発展の最重要の
要素とし、大平外交の基調としている。以上、大平の演説から、国内政
治面と国際政治面での大平の協調的な政治的性格を明らかにした。この
「協調性」は大平の「低姿勢」の政治と関連し、さらに国際政治観(外
交観)にも及ぶ大平の理念にも決定的な影響を与えているといえるだろ
う。
第二節 大平正芳の外交観
大平正芳は1955年の「保守と革新」という新人議員時代の文章で初め
て、国際政治観を示した。大平は日本における保守と革新との国内対立
を分析する中で、次のように述べている。
123
同上、285頁。
124
吉田、前掲書(1996)
、14頁。
125
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、292頁。
北法63(5・195)1495
[130]
論 説
「それで一体このような状態(保守革新の対立)を日本に招致したのは
何であろうかというと、私は取りも直さず国際権力政治の激浪が、深刻
に日本の権力政治を揺さぶっているからだといいたい。換言すれば、第
二次世界大戦後における米ソ両国の対立がそのまま日本に波及し反映し
ているからだと説明したい。……もとより今日の保守革新の対立の様相
は、独り国際外交関係のみのそれではない。内省関係においても極めて
深刻且多岐である。しかし、私をしていわしむけば、それは、国際的外
交的対立だとすれば、今日のこの対立関係の解消というものは、実は日
本だけで始末がつくべき性質のものでなく、世界の対立関係のなんらか
の形における解消がその大前提になっていると見るのが至当であろ
う」126。
ここで大平は、日本政治における「保守と革新」の分裂を分析するに
あたって、国際冷戦と国内冷戦との連動に目をつけている。先に見られ
たように、当時の大平の関心は日本の国内政治であり、この大平が国際
問題に示した関心は、日本の内部課題を意識した上での産物である。
1962年、「外交の素人」127から一躍に外務大臣に抜擢され、外交と深く関
わるようになった。1964年の二年間の外交実践を経た後、外務大臣の座
から離れた大平は、積極的に国際政治や外交に対する考えを語るように
なった。1966年4月、外務大臣を辞任した大平は自民党本部主催の政治
大学で講演を行った。その速記に若干の修正を加えた「日本外交の座標」
という大平論文は大平外交の二年間の総括であり、大平の外交観を示し
たものであるといえる128。
この論文の最初で、
大平は外交の基本的な考え方を示している。まず、
大平は「外交というものはあくまでも自主的なもの」であり、外交交渉
の結果は形の上では他国と同調することがあっても、中身は自主的に考
え抜いた結果であると記した。続いて、
外交の目的については、大平は、
126
大平正芳『素顔の代議士』20世紀社、1956年、199‐200頁。
127
大平外相は就任直後の記者会見で「外交は素人ですから宜しくお願いいた
します」と切り出した。大平正芳回想録刊行会、前掲書(1982b)
、219頁。
128
大平正芳「日本外交の座標」
、大平正芳『春風秋雨』鹿島出版会、1966年、
161‐204頁。
[131]
北法63(5・194)1494
環太平洋連帯構想の誕生(1)
「外交が国益(ナショナル・インタレスト)を守る」行為であると述べ
ている。その際、
「今日の時点」の利益だけを基準としないで、長期的
な展望に基づいて外交を行わなければならないことを強調している。環
太平洋連帯構想がまさに「国家の信用の維持向上」のため、
「長期的な
展望」に基づき、将来に大きな国益に繋がることができる外交構想だと
大平は信じていたのである。
次に、大平は自由陣営と日本との協力関係を議論した。大平は、自由
主義陣営との協力が自民党と政府の外交政策の基本であると論じてお
り、その理由として五つを挙げた。第1に、経済的理由である。すなわ
ち日本経済の得意先のほとんどが自由主義陣営であり、日本経済の自立
と繁栄を確保するという観点から、自由陣営と友好関係を保持すること
は当然のことである。第2に、日本と同じ自由主義あるいは民主主義と
いうものを国是としている国に、日本国民が、より大きい信頼感と親近
感を持つのは、これもまた当然である。第3に、今日まで日本がその近
代化を進めるために、
人や知識の交流を濃厚にもった国々は、なんと言っ
ても自由陣営である。第4に、自由陣営である占領軍の支配と援助の下
で、
日本は講和を迎えたという歴史的な事実を尊重しなければならない。
第5に、何よりも、日本はその平和と安全をアメリカとの協力関係の上
に置き、その運命をこの協力関係にかけているわけである。
「宏池会」から出発した大平は常に吉田茂や池田勇人の保守本流の後
継者として、
「自由主義との協調」を最重要視していた。この意味では、
吉田路線(軽武装、経済中心、日米安保)は大平外交に重大な影響を与
えてきた。「自由主義諸国との協調」ということが大平政権期の外交の
最優先課題であることを考えるとき、それは大平の1960年代当時の認識
から一貫したものであるということが確認できる。例えば、1980年1月、
第91回国会での施政方針演説の中で、大平は「我が国の対外政策の基本
は、自由主義諸国との連帯関係を強化し、これを基盤として全世界に友
129
好と協調の輪を押し広げていくことにあります」と述べている 。最初
の施政方針演説では、大平はまた日本外交の基軸が「日米友好関係の維
129
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、326頁。
北法63(5・193)1493
[132]
論 説
持と強化」だと強調した130。
「自由主義陣営」の核心がアメリカであり、
アメリカとの協調関係は「自由主義陣営との協調」の核心であることを
ここで表明した。環太平洋連帯構想にも、オーストラリアなどの先進国
と提携して、南北問題の解決に寄与する131ということを理念の一つとし
て提示したことは、この「自由陣営との関係の重視」という大平の基本
姿勢と無関係ではなかろう。
そして、論文の第6節の「アジア外交」の部分で、大平はまずアジア
の境界線について、その中身はまだ固まっておらず、しかも多様である
と論じた。大平によると、アジア的な考え方、アジア的生活様式、アジ
ア的政治制度、そういったものはまだ固まったものがないのであり、経
済発展の段階もまちまちだし、政治の制度もそれぞれ違うし、生活の様
式もまた多様である。大平は、日本のこの多様なアジアに対する「接近
の仕方」について、次の4つの点を上げて、説明した。
第1に、先進国日本がアジア諸国の「進歩の道標」になっていること
自体は日本のアジア外交に役に立つが、高慢になることはいけない。第
2に、
友邦の国々がその後進性から脱却するために、応分な援助をする。
第3には、日本は過去に対する深い反省の上に立ち、十分な礼譲のある
マナーを心得て、誠実にアジア外交にあたる。第4には、アジアの開発
は、西欧の力をかりないでアジアだけの力でやろうというような偏狭な
精神ではいけない。
田中政権期、外務大臣として田中の東南アジア訪問に同行し、反日デ
モに遭遇したことは大平にも大きな衝撃を与えた。このことを念頭にお
いて、第1点と第3点を強調したと思われる。また、第2点は南北問題
の観点からアジア外交を考えることの大切さを強調しており、1960年代
以来の日本のアジア外交から変わらないものである。この3点は1970年
代の日本のアジア外交の基本的な出発点であり、前任の福田首相の「福
田ドクトリン」の内容とほぼ一致している。しかし、
「福田ドクトリン」
130
第91回国会での施政方針演説(1980年1月25日)
、大平正芳回想録刊行会編
『永遠の今』鹿島出版会、1980年、50頁。
131
環太平洋連帯研究グループ『大平総理の政策研究会報告書4:環太平洋連
帯の構想』大蔵省印刷局、1980年、8頁。
[133]
北法63(5・192)1492
環太平洋連帯構想の誕生(1)
と違って、大平はアジアの開発にあたって、日本と西側諸国との協調は
必要であるとしている。ここに大平独自の「アジア外交」の基本姿勢が
表明されている。そしてこの基本姿勢は大平政権期に至るまで、基本的
には変わらなかった。環太平洋連帯構想でも自由主義陣営と連帯し、南
北問題を解決する大平の考えを含んでいた。
次に、大平は中国問題を分析している。具体的には、中国との国交正
常化の問題について、日本の「二つの中国」論が中国と台湾になかなか
受け入れられないという現実を分析し、次のように述べた。
他に解決の道があるかというと、この問題に対する世界世論というも
のが一つに結晶してくれば、解決の糸口が掴めそうですが、……決定的
に国際世論が北京に中国の代表権を認めるということになった場合には、
我が国の国連政策と中国政策は一つの大きい転機を迎え、国論がいよい
よ活発になることだけは確かであると思う132。
ここでの「国際世論」はいうまでもなく「西側諸国」の世論であり、
大平は自由主義諸国との協調を目指していたことが、この中国問題への
反応からも見ることが出来る。たとえば、1964年2月12日の衆議院外務
委員会において、社会党の穂積七郎からの質問に答えたとき、大平は
「……国連におきまして中共政府が国連に加盟される、世界の祝福の中
に国連に迎えられるようになれば、日本としても北京との国交正常化を
図るべきである」という趣旨の発言をした133。そして、この自由主義諸
国との協調の下で中国問題を処理することは、日中正常化を実現した後
も一貫している。1978年、大平は自民党幹事長時代、田中洋之助との対
談で、日中関係について「日米のワク内での日中」と強調した134。この
ことから、大平は単なる「親中国」の政治家というより、むしろ冷徹な
現実主義国際政治家として理解した方がいいだろう。その上で、
「国際
協調」を最重要視しながら、日本の外交問題を解決するという大平の基
本的に「協調」的な政治姿勢はこの中国問題においても、なんら揺らぎ
は見られない。先進国との連帯を主張した環太平洋連帯構想も「国際協
132
大平正芳、前掲論文(1966)
、191‐193頁。
133
大平正芳回想録刊行会、前掲書(1982b)
、235頁。
134
大平正芳=田中洋之助『複合力の時代』ライフ社、1978年、71‐74頁。
北法63(5・191)1491
[134]
論 説
調」の枠内で、隠れた未来的テーマとして、中国問題の解決を狙ってい
たということについては後の部分で論じたい。
大平はこの論文で、経済外交についても議論している。大平から見れ
ば、経済外交は大平が言うところの外交の目的である、国の国際信用向
上に奉仕するものでなければならない。大平は、戦後、日本は自身に課
せられた貿易差別待遇を解消し、先進国の仲間入りを実現した以上、日
本もみずからの経済を自由化しなければならないと強調した。そして、
自由化された国際経済はそれを構成する主体の間における活発な競争の
場である半面、国際的な協力も重要であることを主張した。また、経済
外交の手段として大平は「民間外交」を提唱した。つまり、「何となれ
ば政府が支配する経済力よりも、民間のそれの方が比べものにならない
程大きくかつ多岐であるから、政府のこの分野における主たる任務は民
間を指導監督するというよりは、むしろ民間人の活動にどのように有効
に奉仕するかにある」と大平は考えたのである。やがて経済は、
「環太
平洋連帯構想」の推進の最も重要な手段になった。
南北問題については、日本の役割に関する記述の部分で、労働集約的
な仕事は漸次低開発国に移転することや技術協力は日本のやるべきこと
であると主張した上で、
「さらにもっとも根本的なことは、後進国の人々
の能力の開発」であると大平は強調した。大平によると、教育や医療に
対する援助や協力が必要であり、また東南アジア諸国からの留学生の受
け入れや医療援助を拡充する必要がある。
後の「環太平洋連帯研究グループ」の報告書の中では、
「人づくり協力・
技術協力」の一章があり、その中では、
「人づくり協力・技術協力は今
後の発展途上国に対する経済協力の主要な柱となるべきものである。
……そして、このような人づくりへの協力が、先進国と発展途上国との
間の相互理解の促進、
友好関係の増進に寄与するところが大きいことも、
135
無視し得ない点」であると記されている 。すなわち、環太平洋連帯構
想の中で主張された「人づくり協力・技術協力」は60年代のこの講義で
表明された大平の考えと一貫して変わらないものである。
以上で大平の外交観について整理した。ここから、三つの特徴を引き
135
環太平洋連帯研究グループ、前掲報告書(1980)
、44頁。
[135]
北法63(5・190)1490
環太平洋連帯構想の誕生(1)
出すことができる。まず、
外交の目的としての
「国家の信用の維持向上」
である。この「国家の信用の維持向上」を目指す重要な手段として大平
は経済外交を挙げた。二つ目の特徴は「西側諸国との協調」
、特に対米
協調という点にある。中国外交、アジア外交そして経済外交のいずれも
「西側諸国との協調」の下で行われるべきだと大平は論じた。三番目の
特徴は「南北問題」を重視することである。この「南北問題」を解決す
るにあたって、大平は「人づくり協力」や「技術協力」といったソフト
な協力手段が大事であることを強調した。この三つの特徴は大平の1970
年代の時代認識にも反映されるし、環太平洋連帯構想の形成にも影響を
与えた。
第三節 1970年代の時代認識
以上で、大平正芳の外交観について分析した。この1960年代という時
期は、大平正芳が日本を指導する政治家としての自覚を持って、みずか
らの新たな時代認識を明確に打ち出し始めた時期と一致している。1970
年代の国際政治激変の中、大平は宏池会会長(1971年)に就任し、一人
136
、さらに未来のリーダー
の政治家というだけではなく、
「実力者の一人」
であると自覚し始めた。すなわち、国際政治の急変そして「実力者の一
人」としての立場という二つの変化の前に立たされた大平は、これまで
の外交観の基礎の上で、自分の考えを大きく発展させた。この節では、
1970年代の国際秩序の激変に対した大平の時代認識や対応を探りたい。
第一款 大平の米国イメージ
1970年代の国際秩序の変動に対する大平の時代認識を分析するため、
その根底にある大平の米国イメージを整理しなければならない。すでに
強調したように、大平は自由主義陣営との協調関係が日本外交の核心で
あり、その中もっとも重要なのは日米関係であると認識していた。よっ
て、大平政権期の対外政策と環太平洋連帯構想を考察する時、大平の米
136
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、206頁。
北法63(5・189)1489
[136]
論 説
国イメージを分析しなければならない。
周知のように、ヴェトナム戦争の終結に伴って、
「ドル防衛」政策を
打ち出した「覇権国」アメリカのパワーは衰退した。これと対照的に、
日本は1960年代の高度成長期を経て、一躍してアメリカと比肩できる経
済力を有する国になった。これらを背景として、大平は1960年代の低姿
勢と異なり、より積極的・自立的な外交を主張するようになった。1972
年の「平和国家の行動原則」という講演で、大平はアメリカについて、
「政治・経済・社会の各分野においてようやく疲れの色を見せはじめ、
政策の転換を企図するにいたった。昨年夏以来の中国との接近や経済政
策の転換はその苦悶の現われである」
と述べた137。このアメリカに対し、
日本がとるべき行動について、大平はアメリカのパワーの衰退を認識し
た上で、日本の経済力の増強を背景に、日本の「自主外交」の展開を主
張している。その一方で、
「性急な転換を求めたり、日米安保条約の早
期改廃を主張したりしない」とも強調している。また1971年9月1日、
宏池会議員研修会での「日本の新世紀の開幕」という演説の中で、大平
は「太平洋経済圏にその生存と繁栄がかかっている日本にとって、日米
友好は今後とも依然として外交の主軸でなければならない。
」と強調し
た138。
ここで注目すべきなのは、アメリカパワーが衰退した一方で、日本経
済力が増強している状況のもとで、大平は日本の自立外交を強く訴えた
ことである。これは、1960年代の低姿勢と対照的であり、また、1960年
代の高度経済成長を背景とした自信の表れである。その上、日韓関係や
東南アジア賠償をはじめとするいくつかの戦後外交問題を解決し、いま
や「戦後の総決算」とも言うべき転機を迎えていたと大平が認識してい
たゆえである139。一方、日米友好が依然として日本外交の主軸であると
強調した。大平首相の秘書を勤めていた前衆議院議員の森田一氏による
ように、大平は吉田茂、池田勇人という保守本流の継承者で、基本的な
137
同上、212頁。
138
大平正芳「日本の新世紀の開幕」
、大平正芳『風塵雑爼』鹿島出版会、1977
年、103頁。
139
同上、97頁。
[137]
北法63(5・188)1488
環太平洋連帯構想の誕生(1)
考え方は吉田と変わらなく、いかに日米同盟を維持しつつ、大きな自立
を獲得するかということをずっと苦慮していたという点も見逃すことが
できない140。後述するように、政権期において、大平は日米同盟の核心
性を堅持しつつ、環太平洋連帯構想を大胆に推進したのもまさにこの対
米関係イメージに根ざしたものである。
第二款 米中和解と大平の対応
米国パワーの衰退はアジア太平洋地域に緊張緩和をもたらした。それ
は米中和解の形で現れた。1971年7月15日、米大統領であるニクソンは
訪中を発表した。あまりにも突発的な出来事を、日本は「ショック」と
して受け止めた。日本側からはこれをアメリカの「頭越し」行為として
批判も出てきた。この「ニクソン・ショック」について、大平は米中接
近の対応策をしっかり捻出することの大事さを強調していた141。それは
1971年9月1日、宏池会議員研修会での演説の中で、以下のように発言
したことからも伺える。
「昨秋以来、国連の大勢は、北京に中国の代表権を認める方向に急速に
傾斜してきた。……わが国の世論もその方向に大きく動いてきた。私は
……中国問題に決着をつける時期がいよいよ熟してきたと判断した」142。
その後、大平は冷静に判断し、田中角栄と組んで、断固とした態度で
日中関係正常化を推進した。この中国問題に対する態度はまさに1966年
の講演の中に表明した「世界世論というものが一つに結晶してくれば、
(中国問題の)解決の糸口が掴めそうです」という大平の考えに呼応し
たものである。
第三款 経済時代から文化時代へ
米中和解と同時進行したのは、石油危機である(1973年と1979年)
。
140
森田一氏へのインタビュー、2006年9月11日
141
大平正芳記念財団編、前掲書(1996)
、74‐75頁。
142
大平、前掲書(1977)
、104頁。
北法63(5・187)1487
[138]
論 説
それにより、戦後日本の高度成長を根底から支えてきたエネルギーの供
給は不安となり、日本経済も高度成長期から安定成長期へ移行した。
1978年、
福田政権期の幹事長を務めていた大平は
「経済時代は終わった」
と主張した143。具体的には、ブレトンウッズ体制の崩壊や石油危機のよ
うに高度成長を支えていた基盤が崩壊したことにより、日本経済の基礎
は全く変わったと大平は語っている。その上、各国間の経済力の格差も
拡大し、世界の交易関係は著しく不安定になった。しかも世界はインフ
レと不況の混在するスタグフレーションという事態に追い込まれて、脱
出のメドが全然立たなくなっていると大平は主張している。国際経済の
激変は日本の国内に大きな影響を与えた。日本国内に悲観的な空気が包
まれた。この状況を受けて、日本にとっての最大の課題は現在享受して
いる生活の物質的条件をいかに維持するかということにあると大平は述
べている144。
そして、「高度成長期」のように経済に過重なアクセントを置き過ぎ
るのではなく、今は、経済時代から文化時代への移行を考えるべきだと
大平は主張した。すなわち、
『シンプルライフ・アンド・ハイシンキング』
(Simple Life and High Thinking)のような生き方をこれからは人生の
指針として生きる時代が来たと大平は言い切った145。大平は「経済時代」
の終わりと
「文化時代」
の到来を宣言した。
「環太平洋連帯構想」の中で、
文化面を強調したように、こういう認識はその後、大平政権の政権構想
に大きな影響を与えている。
第四款 パワーからビジョンへ
以上の国際構造変動に直面して、大平は1970年代の構造変化はパワー
の変化だけで捉えることのできない問題もあると論じている。それは
1960年代から注目されつつあった南北問題や環境問題をはじめとする地
143
ここでの経済時代の終焉は経済を重視しないという意味ではなく、高度成
長の時代が終わったことを指していた。
144
大平・田中、前掲書(1978)
、14‐61頁。
145
同上、19頁。
[139]
北法63(5・186)1486
環太平洋連帯構想の誕生(1)
球問題群の登場であった。そこでは、大平は、われわれの世界認識の転
換がせまられていると強調した。
1972年5月8日、
「平和の声を高める会」
で、大平は「平和国家の行動原則」という題で講演した。講演の中で、
大平は以下のように主張した。
むろん、パワー・ポリティックスの論理はいまだ世界の多くの人々の
心を捉えており、核兵器や通常兵力の増強競争はおわったわけではない。
だが、兵力の増強は、そのまま平和の維持に寄与しないばかりか、その
国の権威を高めもしない。……今や人類は、その生存のために、人種や
国境、さらには体制をも越えた共通の切実な課題を持つにいたった。い
わば共同して当たらねばならない共通の敵に直面することになった。こ
の敵に立ち向かうには、われわれの発想を量から質へ、ハードからソフ
トへと転換しなければならない。すなわち、パワー・ポリティックスの
論理をこえた新しいビジョンとシステムを組み立て、この共通の敵を克
服することができるかできないか、これが人類の運命を決める鍵になっ
てきたのである146。
大平はアジアにおける米中ソ日間のバランス・オブ・パワーが一応成
立していると認識していた。しかし、バランス・オブ・パワーの問題を
超えた、貧困問題・宗教問題をはじめとする地球共通問題の存在こそア
ジアの平和を不安定化する要因であると大平は見ていた。そして、大平
は地球社会の相互依存の深化を指摘し、地球問題群を解決することにあ
たって、相互の理解と協力の重要性を強調した147。また、大平の認識に
よれば、日本は通商国家であり、平和こそ日本の生存にとって最大の課
「日本の
題である148。だから、いかに地球共通の問題群に対処するかは、
146
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、213‐214頁。
147
第87回国会における施政方針演説で、大平は「今日、我々が住む地球は共
同体としていよいよその相互依存の度を高め、ますます敏感に反応し合うよう
になってまいりました。この地球上に生起するどのような事件や問題も、また
たく間に地球全体に鋭敏に影響し、地球全体を前提に考えなければ、その有効
な対応が期待できなくなっております。対立と抗争を戒め、相互の理解と協力
を俟たなければ、人類の生存は困難となってまいりました」と語った。大平正
芳回想録刊行会編、前掲書(1980)
、15‐27頁。
148
大平回想録刊行会編、前掲書(1982a)
、216頁。
北法63(5・185)1485
[140]
論 説
国家信用の維持向上」とも関わっているし、日本自身の安全とも関連す
る。よって、このようなビジョンの重視は60年代、大平によって示され
た「外交が国益を守る行為であるが、
『今日の時点』の利益だけを基準
としないで、遠い展望に立って、外交を行わなければならない」という
彼の基本的な外交観に基づいたものである。
以上、大平の1970年代認識を整理した。アメリカのパワーの衰退、中
国問題そして経済問題に対する認識は大平の外交観の延長上にある。そ
して、大平は「国家の信用の維持向上」を目指して、西側と協調して
1970年代の課題に対処していくということを強調した。また、その上、
大平は「パワーからビジョンへ」という視座転換の重要性を強調し、ビ
ジョンを提示することを通じて、大平の外交理念はやがて環太平洋連帯
構想まで繋がってくる。
1979年3月6日、政策研究会・環太平洋連帯研究グループの第1回会
「日本としては、国際社会に
合で、大平は発言した149。冒頭大平はまず、
おいて期待されている役割と責任をしっかりわきまえ、真剣に対応して
まいる必要がある」と述べた。近年、太平洋諸国の発展は目覚ましいも
のがあり、また科学技術の進展は、この広い太平洋地域をも、ひとつの
地域としての成立を可能にしている。米国、
東南アジア、豪州をはじめ、
太平洋地域諸国との緊密な関係を積み重ねてきている日本の役割は、グ
ローバリズムの中にもこれら諸国との関係を一層濃密なものとして発展
を図ることであると大平は論じた。しかし、太平洋地域の国々は多様で
あり、太平洋諸国間の連帯と協力を考えるにあたっては、EC のような
機構を考えることは現実的ではないと述べ、
「ゆるやかな連帯」「開かれ
た地域」のような概念を使って、環太平洋連帯構想の理念の特徴を説明
した。また、環太平洋連帯のコミュニティーづくりは、単に経済問題で
はなく、政治、外交、文化すべての領域を含んだものとなる必要がある
と大平述べた150。
149
環太平洋連帯研究グループ、前掲報告書(1980)
、21‐22頁。
150
後段で見るように環太平洋連帯構想の打ち上げは、国際権力政治的な配慮
から政治問題を除いた上でなされたが、グループの議論の中では、実際には政
治問題も含めて議論されていた。
[141]
北法63(5・184)1484
環太平洋連帯構想の誕生(1)
以上からわかるように、大平は米国パワーの衰退と地球共通問題を背
景に、経済大国になった日本はそれなりの役割と責任を果たさなければ
ならないと主張した。そのため、環太平洋連帯構というビジョンが提唱
されたのである。環太平洋連帯構想を通じて、アジア太平洋の先進国や
ASEAN 諸国と関係の緊密化を図る。そして、この地域の国々は多様で
あるという大平の認識は1960年代の大平のアジア観と一致し、この多様
性を念頭において、大平は「ゆるやかな連帯」
「開かれた地域」といっ
た理念を提唱した。後述のように、
「開かれた地域」の理念は中国の加
盟を可能にさせた。さらに、経済だけではなく、「文化の時代」では、
文化の交流も重要視していることに気づくだろう。これらの大平の理念
の延長上において、大平政権発足後、環太平洋連帯研究グループが立ち
上げられ、本格的な研究が始動した。
北法63(5・183)1483
[142]
講 演
マイノリティとシティズンシップ
ルーカス・スウェイン
(ダートマス・カレッジ・政治学部)
翻訳 辻 康夫・宮井健志
本日の私の話は二つの部分に分かれます。はじめに民主主義国におい
てイスラム教徒が直面している問題、とくに、イスラム教と民主主義が
両立できるのかという問題についてお話しします。つぎにイスラム教徒
をめぐる議論を参考にしながら、
マイノリティ(少数派)が完全なシティ
ズンシップを手に入れ、十分に社会に参加できるためにはどうすればよ
いかを考えます。その際、アイヌ民族にも関係が深いと思われるトピッ
クをとりあげてみたいと思います。
1 イスラム教と民主主義
現代世界においてイスラム教徒が抱える深刻な課題は数多くあります
が、イスラム教と民主主義との間にある社会的・政治的緊張は特に重要
です。イスラム教に批判的な人は、民主主義の国はイスラム教徒を適切
に扱えないし、イスラム教徒が大勢を占める国では民主主義的な価値が
意義を持たないと論じています。民主主義的な諸制度が、イスラム教徒
に対して寛容や尊重を施すことができないとして、批判を受けることも
あります。さらに、欧米の民主主義国の中で、イスラム教徒は差別や不
信に直面しています。かれらの基本的な信念や価値観が疑問に付されて
おり、イスラム教徒は、社会の転覆を企て、忠誠心が欠如し、自由を尊
重しない、という非難に対して、防戦することを強いられています。多
くのイスラム教徒は、市民として受容され尊重を受け、いわれのない疑
[143]
北法63(5・182)1482
マイノリティとシティズンシップ
いや不信感をうけることなく民主的な生活に参加するためには何が必要
なのだろうかと、思いをめぐらしています。
まずはイスラム教徒に関するいくつかの事実をみてみましょう。イス
ラム教徒の人口は欧米の民主主義国で増え続けています。報道記者の
ジェニーヴ・アブドによれば、世界のイスラム教徒の数はおよそ15億人
に達し、ヨーロッパや米国でその数は増え続けています。学者たちの計
算では、1100万人から1200万人のイスラム教徒が西ヨーロッパに住んで
おり、その大部分が北アフリカの国々かトルコの出身です。ル・フィガ
ロ紙によれば、フランスでは2004年だけで3万から5万人がイスラム教
に改宗しました。米国では、イスラム教徒の数はおよそ300万から600万
人と見積もられています。米国のイスラム教徒の3分の2は国外の生ま
れで、その出身国はおよそ80か国におよびます。
世界のイスラム教徒の数は、先進民主主義国においてもその他の国に
おいても増え続け、深刻な緊張を生み出しています。多くの人々が頭を
悩ませている問題は、イスラム教と民主主義は基本的に「両立しうる」
のかということです。イスラム教徒でもある研究者カレド・アブー・エ
ル・ファドルが指摘するところでは、現代のイスラム教徒にとって最も
重要な試練となるのは、イスラム教が「個人の権利を尊重する民主的な
秩序」を支持できるのかどうかということです。社会学者のスティーヴ
ン・フィッシュによれば、欧米諸国における一般人の意識の中には「イ
スラム教に対する不安」が蔓延しています。多くの人びとは、イスラム
教徒の移民を、異質で相容れず、自分たちのシティズンシップに潜在的
に害を及ぼすものとしてみなしています。さらに、さまざまな評論家が
明言するところでは、イスラム教と民主主義は端的にお互いに相容れる
ものではないという。たとえば、評論家のイブン・ワラクは、イスラム
教は信者の生活に関わるあらゆる面を統制する「全体主義的イデオロ
ギー」であるといいます。また、イスラム教は「個人の権利という観念
を許容しない」宗教であるとも述べています。
私の考えるところでは、イスラム教と民主主義が両立する可能性につ
いての議論は、
人々が想像するよりも容易に答えを出すことができます。
そもそも、人々がイスラム教を批判するのは、イスラム教徒が民主的な
市民として社会へと参加できないからではありえません。結局のところ、
北法63(5・181)1481
[144]
講 演
民主主義国家に住んでいるイスラム教徒は、通常の政治的参加を行う能
力があるし、実際にそれを行っているのです。たとえば、投票したり、
選挙活動に参加したり、請願の手紙を書いたり、パンフレットを作成し
たりしています。これはちょっと観察すればわかることです。米国で行
われた最近の調査によれば、アメリカ人のイスラム教徒の70%が、イス
ラム教徒であることが政治についての彼らの意思決定の重要な要素であ
るとし、86%が政治に参加することが重要であると考えているのです。
第二に、経験的な事実からわかるのは、イスラム教徒の多くが民主主
義的な価値観や制度をすでに支持しているということです。この点は
フィッシュによる世界のイスラム教徒の調査や、その他のデータによっ
ても裏打ちされています。この証拠は非常に重要だと思います。フィッ
シュによれば、イスラム教徒であるからといって、
「民主主義に対する
姿勢が実質的に左右されるわけではない」のです。またアラブ諸国にお
いて権威主義体制への支持が高いわけでもありません。
しかしながら、寛容という問題については興味深い結果が示されてい
ます。フィッシュによれば、イスラム教徒の間では同性愛に対する寛容
を否定する傾向がかなりあります。また同性愛ほどではありませんが、
妊娠中絶や離婚への寛容も低くなる傾向があります。さらにイスラム教
徒は、性別に基づく不平等を容認する傾向が高くなります。またイスラ
ム教徒の中では階級的な不平等は比較的少ないものの、イスラム教徒が
多数を占める国々では、
女性は「相対的に恵まれていない」といえます。
それは公共生活における女性の地位や、女性への態度、人生の機会に影
響を及ぼす構造的不平等などにみられます。最後に、フィッシュの指摘
によれば、イスラム教徒のほとんどはテロリズムに反対していますが、
現代世界で行われている爆弾テロは、イスラム主義者たちが行う比率が
大きいといえます。テロの暴力行為のうち「およそ5分の3」は、イス
ラム主義者たちに起因するものです。イスラム教徒のほとんどがテロ行
為に反対であるというのに。
このように社会科学者たちは、世界各地のイスラム教徒の実状につい
て、非常に興味深い研究結果を示しています。こうした情報は、イスラ
ム教徒に対するある種の誤解を払拭することに役立ちます。たとえば、
イスラム教徒は民主主義に反する態度や価値観を持つと、軽々しく論ず
[145]
北法63(5・180)1480
マイノリティとシティズンシップ
ることはできません。もちろん男女の平等、異なる生活様式に対する寛
容さなどについて、課題も残されているのですが。しかし話はこれで全
てではありません。もう一つ、
別の次元の問題を考える必要があります。
それは宗教の教義に関する問題です。すなわち、イスラム教は民主主義
の価値観に関してどういった教えを説いているのか、という問題です。
これは別個の問題として取り組まなければなりません。なぜなら、イス
ラム教徒が実際にどのような態度を取っているとしても、イスラム教そ
れ自体が民主主義と相容れないものであると中傷されてきたからです。
私はイスラム教の専門家ではありませんし、イスラム教徒を代弁する
つもりもありませんが、
ここでは次の点に注意しておきたいと思います。
すなわち、コーランの教えは、民主主義と相容れないとは思われないこ
と、またこの点について、イスラム教が他の主要宗教に比べてより大き
な問題を持つわけではないことです。それどころか逆に、イスラム教徒
は、建設的に政治活動に加わることができるように思われます。それは
たとえば、他の人々を尊重しつつ討論すること、仲間の市民を対等な者
として扱うこと、などにおいてです。アブー・エル・ファドルによれば、
イスラム教は信者が民主主義を批判することも許容しますが、民主主義
を支持することも許容します。またイスラム教は、信者が積極的に政府
の活動を批判したり監視したりすることを認めており、政府が法を犯し
た場合は、信者は服従を拒否できると考えられます。イスラム教徒の学
者モハマド・ハシム・カマリの指摘によれば、良心に従って意見の不一
致が生じることは許されるのみならず、有益ですらありうるものです。
預言者ムハンマドが定期的にイスラム教徒と話し合いの場を設け、同胞
の意見に耳を傾けたことも指摘されます。こうした要素は、皆を包摂す
る討議の基礎となるものです。重要なことは、イスラム教が理性的な探
求を奨励し、相互に敬意を示し合うことを奨励していることです。すな
わち自分に尊敬を示す他者に対しては、自分も尊敬することが命じられ
ているのです。もしイスラム教が、相互の尊敬、公平、理性的な探求を
支持しているとすれば、健全な民主的対話はイスラム教の信仰に適合す
るように思われます。
それゆえイスラム教徒は宗教的な要請に背くことなく、重要な民主主
義的規範を遵守できるということは、適切な見方であると思われます。
北法63(5・179)1479
[146]
講 演
これはとても重要です。というのも、市民の相互間の尊敬に基づく対話
は、民主的な社会がうまく機能するために極めて重要だからです。そし
てこのような対話を通じて、よい意思決定ができ、また人々に義務を課
する法律や政策が正当性を与えられるのです。
ここまで、民主主義の基本的理念に対するイスラム教徒の姿勢につい
て、大まかに検討してきました。そしてイスラム教への中傷とは逆に、
イスラム教は民主主義と両立するように考えられることを示唆してきま
した。しかしながら、民主主義の中心的価値に対するイスラム教徒の考
え方について、
問題が全くないというわけではありません。ここからは、
より保守的なイスラム教徒の考え方を簡単に検討したいと思います。具
体的には、性的な規範、女性の地位、そしてイスラム教を離脱すること
への寛容の問題について扱います。これらは民主主義国で暮らすイスラ
ム教徒のマイノリティの唯一の関心でないにしても、保守的なイスラム
教徒が共通のシティズンシップを獲得する上での課題となっています。
第一に、民主主義国家の多くが、時とともにますます寛容で包摂的に
なってきているということに注意することが重要です。これは女性の平
等の高まりについて当てはまり、さらに性的なルールに関する寛大さに
ついても同様です。しかしながら、イスラム教が優勢な社会では、女性
や離婚、妊娠中絶、同性愛について、伝統的な考え方が続いています。
そしてこのことは、民主主義国で暮らす伝統主義的なイスラム教徒の態
度に影響を与えているように思われます。
こうした食い違いは重要であり、注意深い検討が必要です。しかし市
民は保守的なイスラム教徒に敬意を払いつつ対話を行う中で、彼らが考
え方を修正することを促すことができます。たとえば女性の平等を否定
するイスラム教徒に対しては、過度の若年結婚や一夫多妻制、家庭内暴
力などを政府が禁止することについて、
「良心の自由」という価値に基
づく理由が提示されることでしょう。そして、そうされるべきです。女
性の良心の自由は承認される必要があるし、このような考えを他人に広
めることは適切なことです。私は「男女間には差異など無い」とか、
「イ
スラム教には何か問題がある」と、すべての人が考えるべきであるなど
と言っているわけではありません。
「良心の自由」という民主主義的な
[147]
北法63(5・178)1478
マイノリティとシティズンシップ
価値は、
社会や家庭における人びとの生活を完全に指図するのではなく、
自由度が認められるのです。ただしその条件は、女性が不当な強制では
なく、自らの意志でそうした社会的取り決めに参加していること、そし
て、その取り決めから離脱する自由を持っていることなのです。
少し見方を変えてみましょう。民主制における寛容な法律を受容でき
ないイスラム教徒であっても、次のような考え方と向き合うことは可能
でしょう。すなわち、彼自身が支持し追求する生き方でなくても、政府
が許容すべきものは多数存在するという考え方です。
「良心の自由」と
いう価値は、このような考えを支持するのです。我々は、他人の生き方
を不快に思うことがあるかもしれませんが、そのような場合でも、基本
的な寛容の問題として、政府は、市民に自分なりの生き方をすることを
認めるのが理にかなっています。人々がより伝統的あるいは保守的な生
活を望めば、政府はそれを認めなくてはならないと考えられます。どの
ような社会慣習や生活様式が容認されるべきかについては、かなり議論
の余地があるでしょうが、しかしながら、良心の自由という価値は、容
認される可能性の範囲を確定するのに役立ちます。また、信仰を放棄す
ることを罰するという考えを修正するためにも、同様の考え方を用いる
ことができます。良心の自由という価値は、人々が共同体の信仰を批判
あるいは放棄したいと願う場合に役立ちます。こういう場合、宗教的共
同体は離脱の権利を認めなければなりません。なぜなら、人々の良心は
自由でなければならないという、
基本的な原則があるからであり、また、
たとえだれかが「真なる信仰」を見つけたとしても、人をその信仰に固
定するために政治的な権力を用いてはならないからです。
2 マイノリティとシティズンシップの課題
ここからは、マイノリティが直面しているシティズンシップに関する
課題を議論することにしましょう。私にはアイヌ民族について何らかの
権威あるいは専門知識をもって語ることはできませんが、アイヌ民族に
とっても関連が深いと思われる三つのトピックについて、一般的な考察
を加えてみたいと思います。中心となるトピックは、忠誠心に関するも
の、伝統の復興に関するもの、歴史的な不正義の記憶に関するもので、
これらのトピックを順番に取り上げていきます。イスラム教に関する事
北法63(5・177)1477
[148]
講 演
例から得た知見を利用しながら、論点を明らかにしようと思います。
(1)二重の忠誠心
最初のトピックは忠誠心に関わるもので、特に「二重の忠誠心」
「二
重の愛着」とよべるものです。ある少数派集団の誠実なメンバーである
ことと、国家のよき市民であることは、矛盾するのでしょうか?良き市
民たることと、少数派集団の一員であることが、どちらも可能となるよ
うな状況とはどのようなものなのでしょうか。ここでは、四つのポイン
トを考えてみましょう。
まず、第一のポイントです。ある人がその人生の中で二重の、あるい
は複数の忠誠心を持つという考えには、論理的な矛盾はないし、道徳的
な問題もありません。複数の人や共同体、制度に忠誠心や愛着を感じる
ことは、まったくもって可能なことです。例をあげれば、みんな友達で
あるような人びとの集団においては、
複数の忠誠心が存在しうるのです。
同様に、ひとは自分の家族に忠誠心を抱きながら地域社会に対して愛着
を持ち、また家族と同時に仕事にも愛着を持ちうるわけです。このよう
なことは可能というだけではありません。ごくごく一般的に起こること
です。連邦政府に対する忠誠にも同様のことがあてはまるでしょう。す
なわち、多くの人々が連邦機関に忠誠心を表明しつつ、その一方で地域
社会にも身を捧げているのです。こうした愛着は時として軋轢を生み出
しうるものですが、必ず軋轢を生みだすというわけではありません。ま
たひとが生きるうえで、複数の忠誠心やコミットメントが存在して、そ
れらの間に緊張が生じるときでも、それを解決する合理的で道徳的に望
ましいやり方が存在しないとは限らないのです。
第二のポイントに入りましょう。多くの進んだ民主主義国では、少数
派集団のメンバーであることと、共通の市民であることの両方を大切に
している人びとがいます。多くの宗教的少数派のメンバーは、そのよう
に暮らしているのです。たとえば米国では、ある市民は自らを、少数派
のカトリック教徒の一員であるとみなしています。かれらは社会問題に
関して独特なスタンスを取ることもありますが、それでも同時に極めて
よき国民でもあるのです。人びとはかつてカトリック教徒を批判しまし
た。かれらは外国のローマ教皇に忠義をつくす、
「二重の忠誠心」を持っ
[149]
北法63(5・176)1476
マイノリティとシティズンシップ
ているとされたのです。しかしこれは現在では深刻に議論する話題です
らなくなっていますし、この問題について心配する必要はそもそも無
かったと認識されています。ユダヤ人は良き市民であることを示してい
る少数派のもう一つの例です。ユダヤ人は単なる宗教的集団としてでは
なく、しばしば少数民族と呼ばれることもあります。保守派あるいは正
統派ユダヤ教徒は、他の市民と共に暮らしていますが、かれらの慣習や
価値観は多数派のそれとは異なっています。しかしユダヤ人たちは善良
で立派な国民なのです。カトリック教徒と同様に、ユダヤ人もまた米国
で民主的な政治に参加し、立派な指導的役割を担っています。いくつか
の国では、
これらの二つの少数派集団は歴史的に差別を受けてきました。
かれらは正当な理由もないのに、忠誠心を持たないと疑われました。今
ではこのような差別の大部分がなくなりました。そしてカトリック教徒
もユダヤ人も、興味深く尊重すべき個性をのこしながら、同時に極めて
よき国民として社会へと参加しているのです。
二重の忠誠心がうまくいっている事例は、カナダのケベック州にもみ
られます。ケベックはフランス語が話されている州です。ケベック州は、
その固有の文化を保全するための政策や法律をもっています。このよう
な固有文化の保全へ向けた努力が、他の州との摩擦を引き起こしてきた
ことは確かです。またケベックには、カナダから分離して独立国家を創
ろうと願う人もいます。しかしながらこういうことは、少数派集団の忠
誠心にかならず伴うことではありません。この点を認識することが重要
です。ケベックに住むカナダ人の多くは、自分自身をケベック人である
と同時にカナダ国民でもあると考えています。かれらはどちらの忠誠心
にも誇りを持ち、二つが調和するものと考えています。さらに注目して
おきたいことは、カナダという国は安定的で繁栄を続ける多文化国家で
あり、少数派集団に対して怒りや疑いの目を向けるのではなく、多くの
文化的差異を称賛している国だということです。もう一つ事例を紹介し
ましょう。カナダのシーク教徒は、固有の伝統と習慣を持つ民族的・宗
教的少数派であり、
そしてよきカナダ国民でもあります。シーク教徒は、
カナダの連邦警察に加わるために努力をしてきました。かれらは通常の
帽子やヘルメットではなく、伝統的なターバンを着用しながら、連邦警
察の警官として勤務できるように誓願活動を行い、その許可を獲得した
北法63(5・175)1475
[150]
講 演
のです。大切なのは、シーク教徒たちがかれらの固有性を保ち、少数派
文化の一員であり続けながら、同時に、国民として社会に参加し、包摂
されていることです。彼らはカナダへの忠誠を肯定しており、カナダの
政治的秩序の安定性や健全性を脅かすような存在ではないのです。
第三のポイントです。
少数派の価値観や慣習は、少数派集団のメンバー
であることと、良き市民であることが両立する程度に影響を与えます。
言い換えれば、少数派の価値観が、より大きな国家の価値観と調和でき
るかどうかが重要なのです。少数派集団の価値観や慣習が、多数派のも
のと完全に同質にはならないということを認識することが大切です。も
しそれが同質になるとすれば、少数派集団は固有性をほとんど持たない
ものになってしまうでしょう。しかしある集団が残りの社会と少々異
なっているということは、いかなる心配の種にもなるべきことではあり
ません。人々はしばしば、民主主義がうまく機能するためには、国民が
似ている必要があることを過度に強調します。しかし文化的少数派の主
要な価値観が多数派のものとよく似ているとすれば、それで十分とすべ
きなのです。画一性に近いものを期待するのは不合理です。また、仲間
との文化的・親族的なきずなを称賛するような少数派の成員を、健全な
政治的結合に含めることはできないと考えることも、不合理なことです。
さらにいえば、国民全体にわたって完全な同一性と統一性があるべきだ
と不平をもらす批評家は、その根拠を示すべきです。このような議論が
有効ならば、それは文化的少数派の差異よりもさらに差異が大きいよう
な、敵対する政党やイデオロギーを排除するために用いられることにな
るでしょう。いうまでもないことですが、
進んだ立憲民主主義において、
敵対する政党の排除を要求することは、とうてい受け入れられるもので
はありません。このように、ほぼ完全な同一性のもとでの社会的・政治
的統一を擁護するような保守的な議論は、
不適切であると考えられます。
第四のポイントです。深刻な差別に直面してきた少数派集団が、自分
の力だけで魔法のように良き市民になれるわけではありません。多数派
は、少数派が完全なシティズンシップを獲得できるように支援する必要
があります。というのも、完全なシティズンシップとは、公的生活に参
加することのできる平等な機会があること、経済的領域で成功する機会
が公平に与えられていること、他の市民との包摂の関係にあることにも
[151]
北法63(5・174)1474
マイノリティとシティズンシップ
とづいているからです。多数派はしばしば、少数派集団が法の下で形式
上は平等であるときでも、投票すること、教育の機会を得ること、良い
仕事に就くことなどを、不当に困難にしていることがあります。アイヌ
社会に関していえば、
アイヌ民族が機会均等と社会的包摂を求めること、
しかも、合理的な憲法的価値に基づいてそうした要求をすることは、至
極適切なことに思えます。さらに言えば、日本人の多数派はそうした要
求を尊重すべきです。そして二重の忠誠心という問題について心配した
り、心配するふりをしたりするべきではありません。
目標に向かって進むための戦略としては、憲法上の原則を活用するこ
とが役に立つでしょう。日本国憲法は平等を謳っており、社会関係や門
地に基づく差別を禁じています(第14条、44条)
。憲法はまた、思想お
よび良心の自由(第19条)
、そして信教の自由(第20条)を認め、これ
を擁護しています。アイヌ社会は、かれらの目標を推進するために、こ
うした憲法上の資源を利用するとともに、人権擁護団体からの社会的・
政治的支援をうけたり、日本における開放性や平等性の増進をめざす利
益団体と連携したりことができるでしょう。
(2)伝統の復興
さて、二つ目のトピックに入りましょう。伝統の復興と統合について
です。ここで扱う主要な問題は次の点にあると理解できます。それは、
伝統を復活させることが、差別と闘い社会的・経済的な生活へ参加し、
よりよく統合されるために役立つのかという問題です。もしかすると、
文化的伝統を復活させることが、
少数派の統合を遅らせるのではないか、
あるいは少数派の周縁化を逆に引き起こすのではないかという懸念もあ
りうるからです。この問題については、二つの基本的なポイントを提示
したいと思います。
第一に、
文化的な伝統を復活させるという考えと、差別と闘うことは、
必然的に結びついているわけではなく、統合とも一義的な関連はありま
せん。アイヌ民族のような先住民の共同体は、その伝統の復活を求める
でしょう。その理由は、自分たちの文化が、興味深くかつ重要なもので
あると信じているからです。あるいは、歴史的なアイデンティティに関
するより良き感性を養い、アイヌの共同体意識を構築することが目的で
北法63(5・173)1473
[152]
講 演
す。言い換えれば、文化的伝統を復活させることは、社会参加や統合の
問題とは別個のものだということです。さらにいえば、統合を促進する
以外の理由で、
文化的伝統を復活させることには何の問題もありません。
もしアイヌ民族が歴史的な伝統や教えを学び、古くからの習わしを称賛
するとしても、それを他人への脅威とみなす必要はありません。それに
よってある人が脅威を感じたとすれば、その人は自分が抱いた懸念につ
いて、納得のいく理由をしめす必要がありますし、そもそもそれがどの
ようなものになるか、明らかではありません。
第二に、より複雑な問題を検討します。文化的な独自性を復活させる
ことが、差別を克服し完全なシティズンシップを獲得するうえで役立つ
かどうか、という問題です。この問題に対する答えは、いくつかの重要
な要因によって左右されます。とくにアイヌ民族の共同体が、歴史的な
意味でアイヌであるだけでなく、文化的にアイヌであることを望んでい
るのかどうかということが重要です。別の言葉でいえば、アイヌ社会の
成員が、アイヌであることの「意味」をどう求めるのかによって、答え
は変わります。アイヌ社会が、文化的な意味でのアイヌ民族として人々
に認識してもらいたいのか、ということです。アイヌの人々はこれを願
い、切望しているのでしょうか。アイヌの人々は、良心や名誉、または
文化的・歴史的な義務の問題として、切実なまでにアイヌの伝統を復活
させたいと感じているのでしょうか。そうだとすれば、それは重要な意
味をもちます。なぜなら、その場合には、伝統の復活が社会統合に役立
つか否かにかかわらず、アイヌの人々は、文化の復興に取り組むことを
決意するでしょうから。
しかしながら、
アイヌ文化を取り戻すという問題が、アイヌ社会にとっ
て絶対のものではなく、主として、別の目的のための手段と考えられて
いる場合には、前述の問いへの答えは違うものになります。なぜなら、
差別を克服するために文化的独自性を復活させるという戦略がうまくい
くかどうかは、ひとつには日本において政治的に何が効果的かというこ
とに左右されるからです。これは複雑な問題であり、私には何が正しい
答えなのか定かではありません。もしアイヌ民族が文化の復活のために
努力するならば、自らの歴史的文化に対して真剣な姿を示すことができ
るでしょうが、それが実際に差別を減らすことにつながるかは明らかで
[153]
北法63(5・172)1472
マイノリティとシティズンシップ
はありません。同様に、もしアイヌ社会が文化的な差異を復活させたと
して、多数派側からの反発が起こりうるかどうかについても定かではあ
りません。
しかし、もしアイヌの人々が自らの文化的・政治的復活の要素として
優れた道徳的価値を尊重するとすれば、それを批判する側から攻撃する
ことは相当に困難になるでしょう。優れた道徳的価値とは、たとえば正
直であること、他人を尊重すること、頼りになること、信頼できること、
といったようなことです。こうした状況の下で、なおも反発があるとし
たら、その非はアイヌ民族に反発した人々の側にあるといえます。この
ような状況にあっては、道徳的な正しさをたもつこと、そしてどのよう
な展開になろうとも、道徳的な価値を尊重することが大切です。もしア
イヌ民族が道徳を重視した方針を取るならば、アイヌに対して批判や中
傷をする者が、批判的な言動をとったり、アイヌ民族への適切な尊重の
念を示さなかったりする場合に、これを正当化するのは非常に困難とな
るでしょう。
アイヌ民族が持つ価値観は民主主義に反するものでもなければ、日本
国憲法に抵触するものでもなく、むしろ伝統的なアイヌの価値観が、民
主主義にとって好ましく有益なものであり、日本に役立ちうるものであ
る、
ということを強調することも役にたつでしょう。この点については、
イスラム教徒の事例を考えてみる価値があります。すでに論じたように、
イスラム教を擁護する者は、イスラム教と民主主義が両立するというこ
とを主張してきました。また、イスラム教の支持者が、他の積極的な価
値観を強調してきたことも参考になります。たとえば、イスラム教が他
者への尊敬や、貧しい人への慈善行為を義務付けていること、気晴らし
のための薬物摂取や飲酒を禁じていることなどが強調されてきました。
大多数の人がアイヌの伝統的価値観をあまり知らない場合、あるいはア
イヌの価値観が民主主義や良き市民たることに一致することを認識して
いない場合には、これらの点を外部に向かって表明することは有益で
しょう。さらにいえば、少数派社会の固有の文化を復活させることは、
とくにその価値観が日本国憲法に調和する場合には、日本の民主主義に
とって、実際に望ましいことになるでしょう。文化の復活のための努力
は、日本の人権問題についての意識を高め、そのような問題に関する健
北法63(5・171)1471
[154]
講 演
全な対話を生み出しうるのです。
(3)歴史の記憶
さて、三つ目の、そして最後のトピックに入りましょう。過去の不正
についての記憶の問題です。保守的な論者の一部には、少数派に対する
歴史的な不正について、日本はあまりかかずらう必要はないという人が
いるかもしれません。かれらは、良き国民であれば歴史的不正の問題に
こだわらない、と主張するかもしれません。なぜなら、それにこだわる
ことは日本国民に恥をかかせることであり、国民の統一を損なうものだ
から、というわけです。むしろ人々は日本に対して忠誠を誓うべきであ
り、歴史的な不正に言及すべきではないというかもしれません。どのよ
うにすれば、このような批判に応答することができるでしょうか?
まず初めに、過去に被った不正に対処するために、先住民や他の少数
派がとりうる戦略には、いくつかあります。一つの方策は、過去の不正
にこだわり、前進する可能性を示すことのないままに、忌まわしい出来
事を指摘し続けることです。私としては、このやり方はお勧めできませ
ん。人びとは歴史的な不正の克服に取り組むことは可能だと考えること
を好むものです。そして、事態が良い方向へと一歩進んだときに、不正
を承認したことの真価を理解するのです。事態の改善へと焦点をあわせ
ることなく、歴史的不正に言及し続けることは、多数派を遠ざけ、また
何か努力をする理由がないという感覚を人びとに与えうるのです。加え
ていえば、歴史上の悪しき出来事を持ち出すことに意味があるというの
なら、それがどのような意味であるのか、なぜその問題について議論す
る必要があるのかについても、明らかにすべきです。
事態を進展させるためのより望ましい方策は、過去の不正に取り組む
に際して、前進のために何がなされねばならないのかを明らかにし、ま
た問題を是正するためになぜ日本政府や国民が手を貸す必要があるのか
について、適切な道徳的および法的な理由を示すことです。例を挙げま
しょう。歴史的出来事について話し合うべきとする理由には、それが特
にひどい出来事だったこと、これまで十分に不正が認められてこなかっ
たこと、あるいは過去の出来事が、現在においても悪影響を及ぼし続け
ていること、などが考えられます。かりに歴史的記憶に関する懸念が、
[155]
北法63(5・170)1470
マイノリティとシティズンシップ
アイヌ民族が日本国民に屈辱を与えかねないということにあるならば、
次のように述べればよいでしょう。すなわち、アイヌの人々は、だれか
に屈辱を与える目的で行動しているのではないこと、むしろ、個人や社
会に対する屈辱を防ぐために努力しているということです。それどころ
か、私の理解するところでは、アイヌの人々は、自由で平等なシティズ
ンシップに向かって前進すること、また日本に対する愛着を持ちながら
文化的固有性を復活させることに関心があると思われます。保守派によ
る批判に応答するもう一つの有効な方法は、少数派が現在、屈辱を被っ
ており、多数派が適切な措置を講じないかぎり、それが持続するという
ことを指摘することでしょう。ひどい不正を被ってきた少数派を、さら
に貶め続けることは、とうてい受け入れられることではないのです。
ここで再び忠誠心の問題が立ち現れることになります。忠誠心にはあ
る種の道徳的な危険が潜んでいることを、
指摘しておく必要があります。
人々が忠誠心を抱くことで、不正を見逃したり無視したりするならば、
その場合には忠誠心は行き過ぎているということができます。
「忠誠心」
には賛成だが「歴史的記憶」には反対であるという保守派の議論は、過
去、
あるいは現在においてさえ、
不正が発生しているのにもかかわらず、
何もしないための議論に近く、危険なものです。責任の追求が社会的集
団や国民全体を貶めることを危惧したりすることで、人々は恐ろしい行
為の責任の追求をおろそかにすることがあります。これは決して望まし
いやり方ではなく、
忠誠心に潜む特有の弱点を示しています。時として、
正しい行いを、受け入れることが難しいこともありえます。しかしそれ
にもかかわらず、人は正しくかつ正当な行いをしなければならないので
す。なぜならそれは、基本的な道徳が要請していることだからです。忠
誠の感情は、正しいことを行おうとする人の意欲に水を差すことがあり
ます。それゆえ、忠誠の感情が十分に尊重されるべきものとなるために
は、それは適切な道徳的感覚や道徳的意欲と結びつかなければならない
のです。
本講演会は、2012年3月29日、北海道大学アイヌ先住民研究センター、法
学研究科高等法政教育研究センター共催、講師・ルーカス・スウェイン(ダー
トマス・カレッジ)、司会・辻康夫(北海道大学)、通訳・飯田文雄(神戸
北法63(5・169)1469
[156]
講 演
大学)
、により行われたものです。ご参加下さった皆様に、厚く御礼申し上
げます。なお、「良心の自由」を軸に展開されるスウェイン教授の理論は、
次の本に詳述されています。Lucas Swaine, The Liberal Conscience (Columbia
University Press, 2006).
[157]
北法63(5・168)1468
研究ノート
結果発生への被害者の
過失的関与について(1)
── 被害者の自己答責性の原理を中心に ──
瀬 川 行 太
目 次
はじめに
第一章 被害者の自己答責性とは
第一節 概説
第二節 問題となる事例
第三節 小括
第二章 ドイツにおける被害者の自己答責性の議論
第一節 序論
第二節 判例の概観
第三節 被害者の自己答責性についての学説
第四節 判例と学説についての小括
第五節 社会的事象への適用例
第六節 被害者の自己答責性の適用が制限される場面
第七節 小括
(以上、本号)
第三章 日本における被害者の自己答責性の議論
第一節 序論
第二節 判例の概観
第三節 被害者の自己答責性についての学説
第四節 小括
第四章 検討
第一節 被害者の自己答責性の内在的問題点
第二節 内在的問題点の考察
[159]
北法63(5・166)1466
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
第三節 被害者の自己答責性の外在的問題点の考察
第四節 被害者の自己答責性の認定要件
第五節 被害者の自己答責性の適用場面
おわりに
はじめに
我が国では法益主体が自己の法益を放棄し、その侵害に承諾を与える場合に
はいわゆる「被害者の承諾」の問題として議論されてきた。そして、承諾によ
り構成要件該当性が阻却されるのか、あるいは違法性が阻却されるのかという
問題や、同意の有効性の問題などが違法性の本質における対立も反映されなが
ら、検討されてきた。
しかし、従来の「被害者の承諾」の問題においては、
そこでの考察対象は「故
意犯」であることが前提であったように思われる。すなわち、「過失犯」にお
ける「被害者の承諾」という概念はあまり検討されてこなかったのではないか。
現代社会においては高度の近代科学の発展により、航空機・高速道路・医療
行為など我々の生命・身体に対して法益侵害の危険をもたらすような行為が増
え、それに伴って危険に晒される機会も格段に増えている。そしてそれは、
(行
為者・被害者としての両方において)我々が過失犯に関与する可能性が増大し
たことを意味する。とすれば、もし「過失犯」においても「被害者の承諾」と
いう概念が観念しうるのならば、それは故意犯と同様に詳細に検討されなけれ
ばならない問題といえる1。
それでは、「過失犯における被害者の承諾」という概念は観念しうるのか。
仮に観念できるとすれば、ある法益主体(被害者)が事前に危険を認識したが、
あえてそれを引き受けて行為に出たところ、結果が発生した場合に、被害者側
の事情が犯罪の成否にどのような影響を及ぼすかという問題が生じる。そして
このようなことが問題になる場合は我々の日常生活において決して少なくない
と思われる。ゆえに「過失犯」においても「被害者の承諾」は観念しうると思
1
このような指摘をするものとして、山中敬一「過失犯における被害者の同意」
平場安治博士還暦祝賀『現代の刑事法学(上)
』
(有斐閣・1976年)332頁以下。
北法63(5・165)1465
[160]
研究ノート
われる。
ここで「故意犯における被害者の承諾」と「過失犯における被害者の承諾」
との違いに注意しなければならない。「過失犯における被害者の承諾」が問題
になる場面では、被害者は確かに危険な行為を引き受けているので、その意味
での「承諾」は存在するが、危険な行為から生じる結果についてまでは引き受
けていないため、ここに「故意犯における被害者の承諾」との決定的な違いが
生じる。
この点については違法性の本質論と密接に関係する2。すなわち違法性阻却の
ための同意の認識対象は「行為」で足りると考えれば、「危険の引受け」の場
面において被害者は危険な「行為」については認識している以上、被害者の承
諾は有効となる。他方で、違法性阻却のための同意の認識対象は「行為」だけ
では足りず「結果」まで認識する必要があると考えれば、「危険の引受け」の
局面において被害者は危険な「行為」については認識しているが、その危険な
行為から生じる「結果」についてまでは認識していない以上、被害者の承諾は
無効になる。
また、仮に危険な行為から生じる「結果」についても同意していた場合であっ
ても、被害者の承諾に完全な違法性阻却の効果が認められていないため(刑法
202条)、被害者の生命を侵害した行為者を不可罰とする結論は導きえないと思
われる。
それでは行為無価値論的立場によれば「過失犯における被害者の承諾」も、
従来の故意犯における「被害者の承諾」の法理で解決できるかというとそうで
はない。この見解によれば、最終的には行為が「社会的相当性」を有するか否
かがが問題になり、被害者側の事情(危険を認識したが、あえてそれを引き受
けて危険な行為に出た)は社会的相当性を判断するための一要素にすぎないこ
とになる3。例えば、競輪のマッチレースで一方の選手がカーブを曲がり切れず
死亡し、相手方は生き残った場合を考えてみる。この見解からは、競輪は社会
的に承認されたスポーツであり、そのルールの枠内の事故ならば、行為は社会
的相当性を有するという結論に傾きがちであり、相手については犯罪不成立に
2
このような指摘をするものとして、塩谷毅 「危険の引き受け」ジュリスト増
刊・刑法の争点(有斐閣・2007年)78頁。
3
このような指摘をするものとして、塩谷・前掲(注2)79頁。
[161]
北法63(5・164)1464
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
なると思われる。つまりこの見解では被害者側の事情は二次的な意味しか持た
ないのである。
しかし、「過失犯における被害者の承諾」の場合は、危険を認識しつつ危険
な行為に出るという被害者側の事情こそが重点的に考慮されるべきではない
か。上述の競輪の事故の場合と例えば被害者側の主観的事情が全く同一の私人
による自転車競走の事故の場合を比較した場合に、私人による自転車競走は社
会的に承認されていないという理由だけで異なった法的判断をするのは妥当で
はないと思われる。私人による自転車競走の場合であっても、被害者側が一定
の条件を満たせば相手が不可罰となる余地は十分に存在しうると思われる。
ゆえに、
「過失犯における被害者の承諾」の問題は従来の故意犯における「被
害者の承諾」の法理では不十分なことが明らかになった。ところで、上述して
きた「被害者が危険を認識しながらも、そのような危険な行為を行い、そこか
ら結果が発生した」場合の問題を説明する際に、我が国ではそもそも「過失犯
における被害者の承諾」という概念が用いられることはあまり少なく、「危険
の引受け」という概念を用いて説明されることが多い。これはドイツ語の
“Risikoübernahme” や “Eingehung gewisser Risiken” という言葉が由来だと思
われるが、この「危険の引受け」という概念自体は不明確なところも多い。
「危
険の引受け」という言葉だけを捉えれば、被害者が危険を引き受けたのならば、
その危険行為から発生した結果についても引き受けている(同意している)と
の解釈も可能であるように思われる。
しかし、このような被害者側の事情は稀であり、ほとんどの被害者は結果発
生については同意していない。それはやはり「危険の引受け」という概念が意
図するところは、「危険を被害者が引き受ける」というよりも、
「危険を被害者
が冒す」という部分にあるためと思われる。敷衍すれば、「被害者が危険を冒
すことにより、自ら危険へと入り込んでいく」ことにより、「結果発生に被害
者が過失的に関与する」という点が「危険の引受け」という概念の核心部であ
ると考える。
体系書などでは「危険の引受け」とは、被害者が危険を認識したがあえてそ
のような危険を引き受けて行為に出たところ、不幸にも結果が発生した場合な
どと説明されることが多い4。だが、「危険の引受け」を上述の様に「被害者が
4
例えば、井田良『講義刑法学・総論』
(有斐閣・2009年)342頁や、山中敬一『刑
北法63(5・163)1463
[162]
研究ノート
危険へと自ら入り込んでいくことにより、結果発生に被害者が過失的に関与す
る場合」と考えると、結果発生への過失的関与の度合いは軽いのか重いのか、
あるいは最終的な結果発生へと至る行為をしたのは「被害者」なのか「関与者」
なのかなど、様々なケースが考えられる。
わが国では、ダートトライアル事件(詳細は第三章)をきっかけに「危険の
引受け」という概念が検討されるようになったが、この事件は被害者が結果発
生に過失的に関与するケースのほんの一例に過ぎない。従って、今一度「危険
の引受け」という概念を再考すべきではないか。つまり「被害者が結果発生に
過失的に関与する」場合にどのようなケースがあるかを考察する必要があると
思われる。
それに加えて、「被害者が結果発生に過失的に関与する場合」
、すなわち「危
険の引受け」の問題をどのように解決すべきかについても問題が生じる。従来
この問題に関しては様々な見解が主張されてきたが、その見解の一つに「被害
者の自己答責性」というものがある。この「被害者の自己答責性」という見解
は、我が国では詳細に検討がなされておらず、また多くの問題点を含んでいる
(詳細は第四章)ことから、「危険の引受け」の解決策としては不十分であると
の指摘も多い。しかしなお、筆者はこの「被害者の自己答責性」という見解こ
そが「危険の引受け」の問題の本質的側面を浮き彫りにすることで妥当な結論
を導き、我が国に有益な示唆をもたらすものと考えている。
本稿ではこのような問題意識の下に、「被害者が結果発生に過失的に関与す
る場合」としてどのようなケースがあるかを考察し、そのようなケースの解決
策として本稿が適切であると考える「被害者の自己答責性」という見解がいか
なるもので、またその問題点は何かについてを考察していく。その際、この自
己答責性という見解が前述のようにドイツで主張されていたものであるから、
ドイツにおける「被害者の自己答責性」の議論も参照しながら、検討を進めて
いきたい。なお便宜上、先に「被害者の自己答責性」という概念を検討し、そ
の後「被害者の自己答責性」の適用が問題になる局面として、「被害者が結果
発生的に過失的に関与する場合」を検討していくことにする。
法総論[第二版]
』
(成文堂・2008年)401頁。
[163]
北法63(5・162)1462
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
第一章 被害者の自己答責性とは
第一節 概説
「被害者の自己答責性」(Die Selbstverantwortung des Opfers)5とは、被害
者自らが積極的態度で危険行為に関与した場合は、当該危険行為から結果が生
じたとしても、結果は被害者に帰属され、行為者には結果は帰属されないとい
うものである。
論者によりこの「被害者の自己答責性」が認定されるための要件は異なる。
しかし、この見解の根底に存在し、あらゆる論者に共通するものは、被害者が
一度危険を冒す自由を選択し、危険な行為を引き受けた以上は、その引き受け
た危険な行為から結果が発生したとしても、それはいわば
「被害者の自己責任」
であり、結果が発生しなければ何も言わないが結果が発生した場合に行為者の
せいにして、結果を行為者に帰属させるのは正義に反するという禁反言的思想
に基づいていると思われる6。ゆえに、行為者への結果の帰属は否定され、被害
者に結果が帰属されるのである。
この「被害者の自己答責性」という概念は、それまではもっぱら行為者のみ
に照準を合わせていた従来の見解と異なり、あくまで行為者と被害者を「パラ
レル」に対置し、それぞれが各々の「答責領域」(Verantwortungsbereich)
を有するということから出発する。行為者が被害者に属する法益を侵害すれば、
その法益侵害結果は行為者の答責領域に帰属される。同様に、被害者が自己答
責的に被害者自身の法益を侵害すれば、その法益侵害結果は第一次的に被害者
の答責領域に帰属され、それに関与した第三者の答責領域には法益侵害結果は
帰属しないのである。
このことは、我が国では以下のように説明されている。つまり、行為者が被
5
なお論者によっては自己答責性を“Eigenverantwortlichkeit”と表現するもの存
在するが、Rainer Zaczyk, Strafrechtliches Unrecht und die Selbstverantwortung
des Verletzten, 1993.S.3f でこのような区別に、特に意味はないのではないかと
いうことが指摘されている。
6
島田聡一郎=小林憲太郎 『事例から刑法を考える[第2版]
』
(有斐閣・2012
年)314頁は、
「危険の引受け」の問題に関して主張される様々な見解に共通す
る特徴として禁反言的思想を指摘するが、この思想は特に「被害者の自己答責
性」の原理に顕著に見られるといえる。
北法63(5・161)1461
[164]
研究ノート
害者の自己答責的な行為に関与するということは、行為者は構成要件該当性の
ない過失的な自損行為への過失的共犯となるので、総則の共犯規定は適用され
ず、またこのような行為態様を捕捉する各則の特別規定も存在しないことから
行為者は不可罰となる。被害者の自己答責的行為の介入により行為者の正犯性
が阻却されるのである7。
ところで「被害者の自己答責性」という見解はどのような経緯で、ドイツの
判例で展開されてきたのであろうか。この点について、ツアツィクは以下のよ
うに分析している。ツアツィクは、「被害者の自己答責性」が問題になる場合
8
として、「自殺関与」のケースと「自己危殆化」
のケースを挙げる。
まず「自殺関与」のケースにおいては、ドイツの判例では「関与理論」
(Teilnahmeargument)が用いられてきた、とツアツィクは指摘する9。関与理
論とは、自殺は構成要件に該当しない(Tatbestandslosigkeit)ことから、自
殺に関与した者は可罰的でないとする理論である。つまり判例は、自殺関与の
ケースで、自殺関与者の不可罰性を根拠づけるために「自己答責性原理」では
なく、この「関与理論」を従来用いてきたとツアツィクは分析する。
一方「自己危殆化」のケースでは、判例は「過失犯論」や「同意論」の枠組
みで処理してきたとツアツィクは分析する。例えば、
有名なメーメル河事件
(詳
細は第二章の第二節で検討する)では、船頭の注意義務違反(Pflichtwidrigkeit)
が問題にされていることから、従来の過失犯論の枠組みで検討されており、自
己危殆化のケースにおいても判例において「自己答責性原理」は検討されてい
ないことをツアツィクは分析する。
しかし、このような判例の傾向に変化が現れ、その変化の重要な転機となっ
たのが、BGH JR 1979の事案であるとツアツィクは指摘する。BGH JR 1979の
事案は以下の通りである10。
「被告人である医師は、麻薬中毒である患者に、中毒症状を防止するために
7
詳しくは、塩谷毅 『被害者の承諾と自己答責性』
(法律文化社・2004年)374
頁以下。また塩谷・前掲(注2)79頁。
8
「
自己危殆化」とは、自己を危険にさらす行為を被害者自ら行う場合である。
詳細は次節で検討する。
9
Zaczyk, a.a.O. (Fn5), S.5f.
10
詳しくは、Juristische Rundschau 1979, 429f.
[165]
北法63(5・160)1460
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
モルヒネが含まれた5つのアンプルと5本の注射器を渡した。医師は患者に、
中毒症状が生じるたびに1つのアンプルを1本の注射器に注入し、筋肉に注射
するようにはっきりと指示した。しかしながら、患者は医師の指示に従わず、
2つのアンプルを2本の注射器にそれぞれ注入し、2本を連続して自己の静脈
に注射したため、死亡した。その結果、被告人である医師は過失致死罪(刑法
222条)に問われた。」
この事案で BGH は、ルドルフィの見解11を援用して、
「自らを危殆化する者
の、自由で完全に答責的な行為が、自己危殆化を可能にした者に帰属されうる
のかどうかということが検討されなければならない」と述べている。
なお判例が援用したルドルフィの見解は、以下のようなものである。
「自由で完全に答責的な自殺や自己侵害は、刑法212条又は刑法222条に該当
しない。よって自由で完全に答責的な行為を可能にする行為も、刑法212条又
は刑法222条に該当しない。そしてこの論理は、意識的な自己危殆化のケース
にもあてはまらなければならない。すなわち、他者の自殺や自己侵害を故意に
又は過失的に助長し促進することが禁止されていない者には、他者の自己危殆
化を助長・促進することを禁止することはできないのである。
」12
そして BGH は、「自由で完全に答責的な行為が存在する場合には、その行
為を可能にした者に結果が帰属されない場合が存在する」ことを認めた。しか
し、本ケースでは「医師と患者という特殊関係」から医師には患者に対する「特
別な注意義務」が課せられるとした。そして、医師が患者に対して「症状が生
じるたびに1つのアンプルを用いて自己に注射せよ」と明確に指示していた場
合であっても、麻薬中毒者である患者に5つのアンプルと注射器をまとめて渡
したのは適切でなかったとして、被告人である医師には過失致死罪が認められ
罰金刑が科せられた13。
このように見てくると、確かに BGH JR 1979の事案は「自己答責性」の原
11
Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch 2.Aufl.vor§1, RN79.
12
BGH が判旨の中でこのような論理を展開した背景には、被告人である医師
が上告理由で「自己答責的な行為に関与したにすぎない」ということを主張し
たためと推測される。
13
なおルドルフィは、JR, a.a.O. (Fn10), 429f で、この事案においても被害者の
自己答責性を認めるべきだったと主張している。
北法63(5・159)1459
[166]
研究ノート
理は援用されず、結局従来のように過失犯の枠組みで処理されたケースといえ
る。しかしツアツィクがこの BGH JR 1979の事案を判例における一つの重要
な転機と指摘したのは、BGH が判旨の中で述べた「自由で完全に答責的な行
為が存在する場合に、その行為を可能にした者に結果が帰属しうるのか」とい
う部分に着目したためであろう。つまり BGH は「自己答責性」という言葉を
用いてはいないが、このような思考方法はまさに「被害者の自己答責性」によ
るアプローチにほかならないと判断したためと推測される14。
そして BGH が「自由で完全に答責的な行為が存在する場合には、その行為
を可能にした者に結果が帰属されない場合がある」ことを認めたことを、いわ
ば「被害者の自己答責性」の成立可能性を認めたと解釈することも可能であり、
この点もツアツィクが BGH JR 1979を判例における転機とする理由の一つで
あろう。なぜならば BGH JR 1979以前の判例を見る限りでは、そもそも判例
は「自己答責性」という概念を認識しているのかという点についても明確でな
く、あくまで学者が主張している見解にすぎないとの推測も十分可能であった
が、BGH JR 1979によりこのような推測は否定されることになるからである。
そしてツアツィクは、BGHSt32,262判決(いわゆるヘロイン注射事件)によ
り「被害者の自己答責性」の原理が広まったと主張する(この事案の詳細は、
第二章第二節で検討する)。この事案は自己危殆化の事案であるが、BGH が初
めて「自己答責性」という言葉を用いて、被告人を無罪にした事案であろうと
推測される。そして、この BGHSt32,262判決を契機に、自己侵害や自殺関与の
ケースにも判例において自己答責性の原理が援用されることになっていったと
ツアツィクは推測している。
以上から、「自己答責性」と判例の動きをまとめると以下のようになろう。
ツアツィクによれば、BGH JR 1979決定以前は、判例は自殺関与領域において
は「関与理論」、自己危殆化領域においては「同意論」や「過失論」が援用され、
「自己答責性原理」が援用されることはなかった。しかし BGH JR 1979決定に
より、このような判例の傾向に変化が起こる。なぜならばこの事案は「自己答
責性」という言葉こそ用いていないものの、一般的な自己答責性の成立可能性
を認めたとも解釈できるからである。そして BGHSt32,262判決により「自己答
14
論文中でツアツィクは、BGH JR1979が「自己答責性」との関係において重
要な転機となる判例であるとする理由を詳しく述べていない。
[167]
北法63(5・158)1458
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
責性原理」が援用され、「自己危殆化」のケースだけでなく「自己侵害」
「自殺
関与」のケースにも「自己答責性原理」が判例において援用されていくことに
なる。
それでは、この判例の傾向に変化があった時に学説はどのような状況であっ
たのだろうか。この点については、1980年にキューパーが論文の中で用いた
「不
法 論 に お け る 被 害 者 の 再 発 見 」(Wiederentdeckung des Opfers für die
Unrechtslehre)というフレーズを指摘できよう15。論文中でキューパーは以下
のように述べている。
「従来の見解では、フィナリスムスのもとで行為者の行為に重点が置かれて
きた。しかし最近では、行為者側から被害者側へと重点を移動して当該問題を
考察する動きが学説上見られる。被害者側へと重点を移動することにより、
『犯
罪行為は行為者だけでなく法益侵害を加えられる被害者にも属するのである』
という刑法学のテーゼが浮き彫りになる。行為者から被害者への視点の転換は、
不法の客観的構造特徴の明確な強調と正当化へと至ることになる。被害者側の
事情を考慮せず、行為者側の主観的要素にのみ依存することでは当該犯罪行為
の正当化には至らないのである。なぜならば、被害者も行為者の介入に対して
許容する利害領域を持つという負担を有しているためである。このような被害
者側への重点の移動は、『不法論における被害者の再発見』という言葉で要約
できるのではないだろうか。」
つまりキューパーによれば、ドイツでは1970年代から1980年代にかけて行為
者側の事情だけでなく被害者側の事情も考慮するという動きが学説において顕
著に主張されていたことになる。このような学説の流れの中で、BGH JR 1979
の判決と BGHSt32,262判決が出されたことになる。なお、キューパーの「不法
論における被害者の再発見」というフレーズにより、犯罪成立検討過程におい
て被害者に再び焦点が当たる契機となり、その結果「被害者の自己答責性」と
いう見解を主張する論者が増えたのではないかとムーマンは推測している16。
それではまず、
「被害者の自己答責性」を適用する前提となる「答責能力」
(Verantwortungsfähigkeit)という概念を確認する必要がある。
「答責能力」
15
Wilfried Küper, Entwicklung der Strafrechtswissenschaft, Goltdammer’s
Archiv für Strafrecht 1980, S.217.
16
Uwe Murmann, Die Selbstverantwortung des Opfers im Strafrecht, 2004, S.1.
北法63(5・157)1457
[168]
研究ノート
とは、被害者が行為の危険性を認識し、その行為をすればどのような結果が発
生するかを理解できる能力のことである。そもそも刑法においては、自己が他
者を侵害する際には「責任能力」が問題になり、他者が同意を得て自己を侵害
する際には「同意能力」が問題になる。そして、自己の法益を法益主体自らが
侵害する際に問題となるのがこの「答責能力」なのだが、ドイツ刑法上(我が
国もそうだが)「答責能力」についての規定が存在しない。
そこで、「被害者の自己答責性」が有力に主張されているドイツでは、
「同意
能力」についての基本的な考え方を「答責能力」に求めるか、「責任能力」に
ついての基本的な考え方を「答責能力」に求めるかが問題になった。そして現
在では「同意能力」についての基本的な考え方を「答責能力」に求める見解が
ドイツでは学説上有力であるとされている17。それは、
「同意能力」についての
アプローチが、具体的状況下で自己の行為の意義や影響を把握できない人や、
適切な理解に基づいて行動できない人の刑法的保護の必要性と適合性に関する
一般的評価を含んでいるためと思われる。
この「同意能力」についての基本的な考え方を「答責能力」へと応用する見
解によれば、「答責能力」は一定の年齢により判断されるのではなく、実際の
弁識能力や判断能力に従って判断されることになる。つまり民法上の法律行為
能力は要求されないことになり、明らかに弁識能力や判断能力を欠くとみられ
る幼児や精神分裂病患者については「答責能力」が否定されることになる。結
局は法益侵害の本質・意義・効果を認識した上で行動することができるかが「答
責能力」を判断する上で問題になるのである。
そして前述したように、「被害者の自己答責性」という見解はドイツで有力
に主張されているものであるため、まず日本とドイツの条文構造の違いを把握
する必要がある。ドイツでは、要求による殺人(嘱託殺人)が刑法216条で処
罰されるが、自殺教唆・幇助の自殺関与罪の規定が条文に存在しないため、処
罰されない。つまり、自殺に関与したある行為者が正犯的に関与すれば行為者
は処罰されるが、共犯的に関与すれば行為者は処罰されないので、
「正犯」と「共
犯」の区別は重要な意味を有する。ゆえに、ドイツでは正犯と共犯を識別する
「被害者の自己答責性」という概念が有力に主張されていると思われる。
他方、我が国では同意殺人も自殺教唆・幇助も処罰されるので、行為者の関
17
Melanie Berkl, Der Sportunfall im Lichte des Strafrechts, 2007, S.153f.
[169]
北法63(5・156)1456
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
与が正犯的であろうと共犯的であろうと差異はない。それゆえ、
「正犯」と「共
犯」の区別は詳細に論じられることはなかったのである。
「被害者の自己答責性」
についてのドイツの学説を参照するにあたっては、このような条文構造の違い
という点に注意を払わなければならない。
ドイツでは「自己危殆化」
「合意に基づく他者危殆化」のケースだけでなく、
自殺関与罪が不可罰であるが嘱託殺人は可罰的である理由を説明する際にも、
「被害者の自己答責性」という原理が用いられる場合がある。
反対にわが国では、
現状では「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」のケースにのみ「被害
者の自己答責性」が問題になっているといえる。
なお「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」のケースにおいて、「被
害者の自己答責性」との関係では、関与者が「故意的に関与する」か「過失的
に関与するか」は重要でないことが指摘されている18。例えばドイツでは前述
したように、自殺関与が処罰されていないことから、自殺に故意的に関与した
者が不可罰ならば、自殺に過失的に関与した者も当然に不可罰であるという帰
結が導かれる。この帰結の背後には、「故意行為」の方が「過失行為」よりも
責任非難が大きいという前提が存在している。しかしこの論理は
「自己危殆化」
や「合意に基づく他者危殆化」のケースにはあてはまらない。なぜなら、危殆
化のケースでは、被害者に「自己答責性」が認められるか否かが重要であるか
らである。つまり、「被害者の自己答責性」が認められるケースならば、故意
的な関与者であっても不可罰であるが、「被害者の自己答責性」が認められな
いケースであれば、過失的な関与者であっても可罰的なのである。ゆえに、被
害者の危殆化行為に故意的に関与した者が不可罰であったから、過失的に関与
した者も当然に不可罰であるという帰結は導けないことになる。あくまで当該
事象において「被害者の自己答責性」が認められるか否かが重要なのであり、
その限りでは関与者の主観(故意か過失か)は意味を持たないことになる
第二節 問題となる事例
ここでは設例を立てて、「結果発生に被害者が過失的に関与する様々なケー
ス」を紹介し、その上でそれらのケースへの「被害者の自己答責性」の適用可
能性を検討する。もちろんこれらのケースは、「被害者の自己答責性」以外の
18
Tonio Walter, Leipziger Kommentar 12 Aufl.vor§13.RN112.
北法63(5・155)1455
[170]
研究ノート
他見解に依拠しても解決することはできる。しかし本稿は、前述のように「被
害者の自己答責性」を適用することで妥当な結論を導けると考えているため、
ここでは「被害者の自己答責性」を用いた解決策を検討していくことにする。
他見解と自己答責性の原理との比較検討は第四章で行う。
設例①:B は A から度胸試しとしてオートバイ競争をしないかと持ちかけら
れ、B は乗り気ではなかったが拒否して A からなめられるのも癪だったため、
いっそこの機会に A に一泡吹かせてやろうと思い B はその競争を承諾した。
夜中にオートバイ競争をした結果、A は十分に速度を減速しなかったためカー
ブを曲がりきれず、転倒の結果死亡したが、B は生き残った。
設例②:C は帰宅途中に車を運転中の友人 D と出会った。その時 D は極度の
酩酊状態にあり、そのことを C も認識していたが、D が自宅まで送ってくれ
るというので、C は「危険かもしれないが、大丈夫だろう」と思い D の車に
乗車した。D は運転中に事故を起こし、同乗していた C は死亡したが D は生
き残った。
設例①は、被害者自身(設例では A)が危険な行為を行い、それに関与し
た者(設例では B)が存在し、運悪く結果が発生した場合に、生き残った関与
者に結果を帰属させることができるか(具体的には B に過失致死罪が成立す
るのか)という問題であり、このような場合を「自己危殆化」と呼ぶ。設例②
では、被害者(設例では C)が行為者(設例では D)の危険な行為の実行を許
し、それにより運悪く結果が発生した場合に、生き残った行為者(D)に結果
を帰属させることができるか(具体的には D に自動車運転過失致死傷罪が成
立するのか)という問題であり、このような場合を「合意に基づく他者危殆化」
という。
「自己危殆化」と「合意に基づく他者危殆化」の違いを決定づけるものは、
最終的な結果発生へと至る行為を行った者が「被害者自身」なのか「行為者」
なのかということである19。「被害者自身」が直接的に最終的な結果発生へと至
19
ドイツでは、Kindhäuser, Strafgesetzbuch 3 Aufl, vor§13 RN214ff で被害者
側に「行為支配」
(Tatherrschaft)が存在する場合が「自己危殆化」であり、
[171]
北法63(5・154)1454
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
る行為を行った場合が「自己危殆化」であり、「行為者」が直接的に最終的な
結果発生へと至る行為を行った場合が「合意に基づく他者危殆化」である。そ
の一方で「自己危殆化」と「合意に基づく他者危殆化」には共通事項も多い。
既に指摘されているように、①行為者と被害者の危険性を有する共同行為によ
り結果発生へと至ったこと、②行為者も被害者も結果発生を意欲していないこ
と、③被害者の不注意な関与、つまり過失的関与により結果が発生していると
いうことである20。
このうち、「被害者の自己答責性」との観点で重要なのは①と③である。例
えば、行為者の一方的な行為により何の落ち度もない被害者に結果が発生して
いる場合は、行為者に結果が帰属することに何の問題もない。しかし、被害者
にも過失的とはいえ結果発生に寄与している場合には、直ちに行為者に結果を
帰属させることができない事態が生じている。そこで、このような場合に、一
定の条件を満たした場合(詳細は第四章)には危険を冒す自由を選択した被害
者自身に結果が帰属するというのが「被害者の自己答責性」の見解である。
但し、ここで注意すべきことが二点ある。一点目は、被害者が結果発生に過
失的に関与した全ての場合に「被害者の自己答責性」の原則が適用され、それ
ゆえに被害者に結果が帰属し行為者は処罰されないというわけではないという
ことである。そして二点目は、一見すると「自己危殆化」や「合意に基づく他
者危殆化」のように見えるがそうではない事例が存在するということである。
例えば以下の設例③~⑥を考えてみる。
設例③:E は暴力団の先輩である F から度胸試しとしてオートバイ競争をし
ないかと言われ、E は内心は嫌だったが F から断るなら暴行を加えると言わ
れたため、E はやむなく同意した。夜中にオートバイ競争をした際に、E は速
度を減速しなかったためカーブを曲がり切れず死亡したが、F は生き残った。
設例④:甲は友人の乙からオートバイ競争をしないかと言われ、甲はそんな危
行為者(関与者)側に「行為支配」が存在する場合が「合意に基づく他者危殆化」
であると説明されている。なお「行為支配」とは、
「結果発生に至る当該事象
の支配」を意味すると思われる。
20
塩谷・前掲(注2)78頁。
北法63(5・153)1453
[172]
研究ノート
険なことをしたくなかったが、友人の乙からの頼みを断るのも悪いなと思いや
むなく同意した。オートバイ競争中に、甲のオートバイはスピンしてしまい、
甲は死亡したが、乙は生き残った。
設例⑤:G は新しいオートバイを購入したので、友人の H にオートバイ競争
を持ち掛け H は同意した。競争中に、G がブレーキを踏もうとしたところ、
実は G が購入したオートバイにはブレーキに欠陥があったため、ブレーキが
効かず減速できなかったため、G はカーブを曲がり切れず転倒し死亡したが H
は生き残った。
設例⑥:友人同士である I と J は、休日に雪山登山をするためにある山のふも
とにやってきた。雪山登山コースの入り口には、「本日は雪崩の恐れがあるた
め閉鎖します」との看板が立っていたが、まあ大丈夫だろうと思い、I と J は
雪山登山を開始した。その結果、雪山登山の途中に雪崩が発生し、I は死亡し
たが J は生き残った。
設例①と設例③を比較してみる。両事例共に、被害者が危険な行為にあえて
自己をさらした「自己危殆化」の例であり、結果発生に被害者が過失的に関与
している。しかし、その過失の度合いは大きく異なる。設例①においては、A
は自分から B にオートバイ競争を持ちかけているが、設例③では E は F から
オートバイ競争を強制されている。つまり、設例①では被害者である A 自身
が積極的に事象においてイニシアティブを執っているため A の結果発生に対
する過失は存在するが、設例③では被害者である E 自身は全く事象において
積極的にイニシアティブを執っておらず危険な行為を強制されているため E
の過失はほぼ存在しないといえる。この場合に、「被害者 E の自己責任」ゆえ
に行為者 F は処罰されないというのは明らかに不当である。ゆえに、設例③
の場合には、「被害者の自己答責性」の原則は適用されないのである。
設例③の帰結としては、被害者 E にオートバイ競争を受けるしか選択肢が
ないと思い込ませるほど関与者 F の強制の度合いが強い場合には、F に脅迫
罪と殺人罪が成立することになろう。他方で F の強制の度合いがそこまで強
くない場合には、F に脅迫罪と自殺関与罪が成立することになる。
次に設例①と設例④を比較してみる。設例①では、被害者 A が自分から関
[173]
北法63(5・152)1452
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
与者 B にオートバイ競争を持ち掛けているのだから、そこでは被害者 A の事
象における積極的態度が認定できる。他方、設例④では被害者甲はオートバイ
競争を持ち掛けてもいないし、甲自身は内心はそのような危険なことはしたく
なかったのである。この点、
「自己危殆化」の場合は「合意に基づく他者危殆化」
の場合と異なり、被害者自身が結果発生へと至る行為を行っているのだから、
「被害者の自己答責性」を認定するための「事象における被害者の積極的態度
は通常は認定できる」との見解が支配的である21。このような見解によれば、
設例④においても確かに設例①のような被害者の積極的態度は認められない
が、被害者甲にはオートバイ競争を断るという選択肢も存在したのであり、そ
の上でオートバイ競争をするという選択をした以上、被害者甲には事象におけ
る積極的態度が認められるという結論に至ると思われる。
しかしそもそも、「被害者の自己答責性」の原理とは、被害者が自らの積極
的態度により危険行為に関与した場合は、そこから生じた結果は被害者自身に
帰属され、その結果共犯となる関与者は処罰されないというものである。設例
④程度の被害者の積極性で「被害者の自己答責性」が認定されるとすれば、そ
れは実質的に被害者が事象に過失的に関与した場合全てに「被害者の自己答責
性」が適用されることとなり、却って処罰範囲が狭くなり妥当な結論が導けな
いと思われる。
設例④では関与者乙が被害者甲を危険な行為に誘引しているため、被害者甲
の自己責任ゆえに乙は処罰されないというのは不当である。
ゆえに設例④に
「被
害者の自己答責性」は適用できない。このようなオートバイ競争事例において
「被害者の自己答責性」の認定要件である「事象における被害者の積極的態度」
を認定するためには、「被害者が自分から危険行為に関与者を誘引した」とい
う事情が必要である。反対に、被害者が関与者から危険行為に誘引された場合
には「行為者と同程度の事象における被害者の積極的態度」が自己答責性の認
定要件として必要であると考える。
次に設例⑤を検討する。この事例は、被害者 G が自分から H に危険なオー
トバイ競争を持ち掛けているため危険な行為に自己をさらし、その危険行為か
ら結果が発生した以上「自己危殆化」であるように思える。しかしこの場合に
最終的な結果発生へと至る要因となったのは、危険なオートバイ運転によるも
21
このような見解として、塩谷・前掲(注7)373頁。
北法63(5・151)1451
[174]
研究ノート
のではなく、オートバイのブレーキの欠陥である。ゆえに、G が購入したオー
トバイ販売店の「管理過失」が問題となるのであり、「自己危殆化」は問題と
ならないのである。これを敷衍すれば、「自己危殆化」や「合意に基づく他者
危殆化」のケースとは、その危険行為に内在する危険が実現へと至った事例な
のであり、外部から持ち込まれた危険が実現された事例とは区別されるべきで、
設例⑤においてはそもそも「被害者の自己答責性」を適用することはできない
のである。
続いて設例⑥を検討する。この事例は、被害者 I が危険な雪山登山にあえて
自己をさらした結果、天候が悪化し雪崩に襲われて死亡してしまったので、一
見すると「自己危殆化」の事例のように思える。しかし、最終的に結果発生へ
と至る要因となったのは「雪崩」という不可抗力によるものであり、被害者 I
自身による行為ではないし、むろん行為者は存在しない。「最終的な結果発生
へと至る行為を行った者が被害者自身か行為者自身か」というメルクマールを
「自己危殆化」と「合意に基づく他者危殆化」の区別基準とするならば、設例
⑤は「自己危殆化」でもないし「合意に基づく他者危殆化」でもない。
言わばこのようなどちらにも分類できないケースは、「被害者と第三者が共
同で結果発生に関与するケース」と言える。このようなケースは他にも存在す
る。例えば以下の設例⑦を考える。
設例⑦:K と L は恋人同士であり、L が HIV に感染していることを K は知っ
ていた。K は L との避妊具を装着せずに性行為を行った結果、K は HIV に感
染してしまった。
この設例⑦も、「被害者と第三者が共同で結果発生に関与するケース」とい
える。なぜならば、被害者 K の行為に焦点を当てれば、危険を認識しながら
もあえて自己を危険行為にさらした被害者 K の「自己危殆化行為」と捉える
ことが可能である。反対に第三者 L の行為に焦点をあてれば、第三者 L によ
る「合意に基づく他者危殆化」とも捉えられる。つまり「最終的な結果発生へ
と至る行為を行ったのが被害者自身か行為者なのか」
というメルクマールを
「自
己危殆化」と「合意に基づく他者危殆化」の区別基準とする限り、この設例⑦
も「自己危殆化」でも「合意に基づく他者危殆化」でもなく、「被害者と第三
者が共同して結果発生に関与するケース」であると考えられる。
[175]
北法63(5・150)1450
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
その一方で「被害者の自己答責性」が適用できない設例③・④・⑤とは異な
り、設例⑥・⑦のような「被害者と第三者が共同して結果発生に関与するケー
ス」においても「被害者の自己答責性」は適用できると考える。
「自己危殆化」
や「合意に基づく他者危殆化」に分類できないから、「被害者の自己答責性」
が適用できないわけではないのである。それはあくまで、
「被害者の自己答責性」
が問題になるのが「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」のケースが多
いということだけであり、被害者がある一定の条件を満たせば「被害者の自己
答責性」は適用できると本稿は考える。「自己危殆化」や「合意に基づく他者
危殆化」というケースはあくまで「被害者の自己答責性」を適用する際の典型
的な局面にすぎず、重要なのは「危険を認識しながらあえて危険に身をさらし
た被害者側の事情」が存在したか否かである。それでは、
「被害者の自己答責性」
を適用するための「被害者側の事情」とは何であるのかが問題になるが、それ
については第四章で考察する。
なお、学説上は被害者が結果発生へと過失的に関与するケースについて総論
的にしか論じられておらず、「レジャー」、「スポーツ事故」、「医療行為」のよ
うな社会的事象についての各論的な類型化については行われていない。本稿も
そのような類型化を行わないが、ドイツにおいてスポーツ事故について各論的
に論じた文献があり、被害者の自己答責性を適用する一つの例として参考にな
ると思われるので、それについては第二章で検討することとする。
第三節 小括
以上、「被害者の自己答責性」の基本的概念や沿革を考察し、その適用が問
題になる局面を検討してきた。そして本章では、以下の2点が明らかになった。
①「被害者の自己答責性」は、被害者が結果発生に過失的に関与した全ての類
型に適用されるわけではない。本章設例③のような「被害者が危険行為を関与
者から強制された場合」や、本章設例⑤のような「当該行為に内在していない
危険が現実化した場合」には「被害者の自己答責性」を認めることはできない。
②「被害者の自己答責性」が問題になる局面として従来は「自己危殆化」と「合
意に基づく他者危殆化」という2つの類型が考えられてきたが厳密にはその分
類は不正確であると思われ、「自己危殆化」、「合意に基づく他者危殆化」の他
に「被害者と第三者が共同して結果発生に関与するケース」
、
「社会的事象」を
北法63(5・149)1449
[176]
研究ノート
加えた4つの局面が存在する。(但し社会的事象についての各論的考察につい
ては、本稿では扱わない。)
それでは、この上述した2点を踏まえて「被害者の自己答責性」が認められ
るための具体的事情は何なのであろうか。そしてこの具体的事情は「自己危殆
化」、「合意に基づく他者危殆化」、「被害者と行為者が共同して結果発生に関与
するケース」という3つの局面に応じて異なるのであろうか。そこでこれらの
問題を考えるにあたり、日本とドイツの「被害者の自己答責性」についての議
論が参考になると思われるので、次章以降において検討を行うことにする。
第二章 ドイツにおける被害者の自己答責性の議論
第一節 序論
ドイツにおいては、「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」の判例が
多く存在するために、被害者の自己答責性が問題となる局面は多い。また前述
したようにドイツ刑法では要求による殺人は処罰されるが自殺関与罪の条文は
存在しないことから、他人の自殺を教唆・幇助する行為の不可罰性をどのよう
に説明するかにあたり、
「被害者の自己答責性」を援用する見解22も存在する。
またムーマンが指摘したように、ドイツではキューパーが1980年に「不法論
における被害者の再発見」
(Wiederentdeckung des Opfers für die Unrechtslehre)
という概念を主張して以来、被害者の自己答責性に関する議論が盛んになった
という背景も存在する。判例が自己答責性の原理に依拠するようになったのも
この時期である。そこで、以下ドイツにおいて自己答責性が問題になる判例23
や、最近の自己答責性に関する学説を検討することとしたい。
第二節 判例の概観
①メーメル河事件(RGSt57,172)
22
Uwe Hellmann, Einverständliche Fremdgefährdung und objektive
Zurechnung, in Festschrift für Claus Roxin, 2001, S.285f.
23
なお本稿で取り上げる判例を検討したものとして、塩谷・前掲(注7)247
頁以下。
[177]
北法63(5・148)1448
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
【事実の概要】
舟の船頭である被告人に対して、二人の乗客が渡河を要請したが、その当時
天候が悪く舟を出せば乗客らに転覆するなどの危険が及ぶ可能性があった。こ
のような事情を船頭である被告人は認識していたので乗客らに指摘したが、そ
れでもなお乗客らは渡河を望んだため、被告人はこれを承諾した。そして被告
人が乗客らと共にメーメル河を渡河したところ、舟は高波にのまれて転覆し二
人の乗客は死亡した。しかし船頭である被告人は生き残ったために、被告人は
刑法222条の過失致死罪に問われた。
RG は以下のような論理で被告人に対する過失致死罪の成立を否定した。
「メーメル河の増水により渡河が危険であることを被告人は認識していた。し
かし被告人がこのことを認識した上で舟を出したという行為は、直ちに被告人
の義務違反という過失を基礎づけるものではない。このような行為は、事情に
よっては義務に適合する場合もある。例えば医者が義務として行わなければな
らない数多くの手術は、患者の生命の危険と結びついているが、これは義務に
適合する行為である。本件において、渡河は二人の乗客の望みに応じて行われ
たものであり、乗客らは分別ある成人で、被告人と同じ程度に危険を認識して
いた。そして被告人が渡河の危険性について乗客らを欺いたという事情や、個
人的な利害のために乗客らの要請に応じたという事情が存在したわけではな
い。ゆえに被告人の行為は義務違反的なものとはいえない。
」
【検討】
本判決は、前述したツアツィクの分析にもあったように、判例が自己答責性
という概念を援用する以前の事件である。ゆえに、RG は「自己答責性」とい
う概念を用いずに、船頭が舟を出すという行為が「義務違反的か否か」という
点に着目し、通常の過失犯の枠組みで当該事件を処理している。
しかし、RG が重視した要素は、「被害者の自己答責性」の原理が考慮する
要素と重なっている。「乗客が適切に渡河の危険性を認識した」という点は「被
害者の自己答責性」の要件の一つである「被害者が当該行為の適切な危険判断
を行った」という点と同じである。また「被告人が乗客に渡河の危険性を強く
指摘した」という点も、
「関与者の方が被害者よりも優越的知識がある場合に、
関与者に当該行為の危険性についての説明義務が求められる」と「被害者の自
北法63(5・147)1447
[178]
研究ノート
己答責性」を主張する見解に関連する24。本件は被害者である乗客らが船頭か
ら舟を出すことの危険性を指摘されても、なお舟を出すことを要請したのであ
るから「事象における被害者の積極性」も認められ「被害者の自己答責性」が
認められた事案であるといえる。ツアツィクも、本件事案は、まさに「自己答
責性」という概念の必要性が明白になる事件と位置づけている25。
なお本件は、一見すると「合意に基づく他者危殆化」のケースに思われる。
しかし最終的な結果発生の要因は「天候の悪化」であるから「合意に基づく他
者危殆化」のケースではなく、本稿の立場からは「被害者と行為者が共同して
関与するケース」であるといえる。
またドイツのような「行為支配」を「自己危殆化」と「合意に基づく他者危
殆化」とのメルクマールにする立場からも、本件の「舟の転覆」という結果が
「天候の悪化」という制御不能な要素に起因するため、船頭である被告人が結
果発生を防止することは不可能である。ゆえに、「行為支配」を被告人側に認
めることができない以上、本件を「合意に基づく他者危殆化」に区分すること
はできないであろう。
②ヘロイン注射事件(BGHSt32,262)
【事実の概要】
麻薬常習者である被告人は、同じく麻薬常習者である友人から「自分はヘロ
インを持っている」と告げられた。友人は強度な麻薬の中毒者として有名で、
自分で注射器を調達することはできなかった。そこで被告人はヘロインを注射
するために使い捨て注射器を三つ用意した。レストランのトイレで友人は、二
つの注射器に沸騰した多量のヘロインを注入し、そのうちの一つの注射器を友
人に渡した。被告人と友人は各自でカフェインが混入されたヘロインを注射し、
両者は意識を失った。友人は死亡したが被告人は生き残ったために、被告人に
刑法222条の過失致死罪が成立するか否かが問題になった。
BGH は以下のような論理で被告人に対する過失致死罪の成立を否定した。
「危殆化と共に意識的に引きうけられた危険が実現した場合に、自己答責的に
望まれ実現された自己危殆化は、傷害罪及び殺人罪の構成要件には該当しない。
24
塩谷・前掲(注7)371頁以下。
25
Zaczyk, a.a.O. (Fn5), S.4f.
[179]
北法63(5・146)1446
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
自己危殆化を可能あるいは誘発する行為も、可罰的ではない。本件で被告人は
友人の自己答責的に望まれた自己危殆化に関与したにすぎない。ゆえに、被告
人の関与により友人の死の原因に寄与したとしても、過失致死の罪責を負うべ
きではない。但し、関与者が自己を危殆化する者よりも優越的知識を有する場
合には、可罰性が生じるのである。」
【検討】
前述のツアツィクの分析にもあったように、本判決は
「被害者の自己答責性」
の原理に依拠した最初の判例であり、この BGHSt32,262以後、判例は「自己答
責性」という概念を援用するようになることから、本判決は「自己答責性」の
原理との関係では、重要な意味を有する。
また本事件は刑法上の罪は成立しなかったが、麻薬関連の特別法上の罪は成
立したケースである26。このことから、麻薬譲渡のケースは「被害者の自己答
責性」が認められてもなお関与者は可罰的ということになる。そして本判決以
後、判例はこの麻薬譲渡のケースに、「被害者の自己答責性」を認めていない
ことが、指摘されている27。このことから、学説においても麻薬譲渡のケース
は「自己答責性の原理」の例外事例として位置づけられることになるが、この
点については本章第六節で詳細に検討することにする。
この指摘を踏まえた上で、本事例で「被害者の自己答責性」が認められるか
を検討すると、被害者は「自分はヘロインを持っている」と発言していること
から、被害者自ら危険へと赴いていることがわかる。そして自由意思により被
害者自らヘロインを注射していることから、「被害者の自己答責性」を認める
ことができると思われる。
なお被害者が麻薬常習者であることから、「被害者は当該行為の有する危険
性について適切な判断ができない」、すなわち答責能力が否定されるために「被
害者の自己答責性」を認めることができないとする見解もある。しかし BGH
26
麻酔剤法30条1項3号:
「麻酔剤を譲渡し、他者に投与し、あるいは直接の
使用に委ね、それによって死を不注意にも引き起こした者は、二年以上の自由
刑に処す」
27
Kindhäuser, a,a,O. (Fn19). RN133f では本判決以後、自己答責性を認めなかっ
た判例として、BGHSt 37, 179が挙げられている。
北法63(5・145)1445
[180]
研究ノート
はこのような判断をすることなく、「被害者の自己答責性」を認めた。そして
このような BGH の決定は妥当であると思われる。この点については、本稿に
おける「被害者の自己答責性」の認定要件に関わるので第四章で検討する。な
お本件については被害者である麻薬常習者が自分でヘロインを注射しているの
だから、「自己危殆化」のケースであるといえる。
③ HIV 感染未遂事例(NStZ,1990,81)
【事実の概要】
被告人は医者から自分が HIV に感染していることを聞かされ、医者は、性
行為の際の感染可能性について被告人に警告していた。被告人は自分の恋人に
対し、避妊しない性行為の危険性、感染の致命的結果、治療可能性の欠如につ
いても注意していた。しかし、恋人は避妊しない性行為を懇願していた。被告
人は当初これを拒否していたが、最終的には恋人の懇願に応じ、避妊しない性
行為を数回行った。恋人に感染の事実は認められなかったが、被告人の行った
避妊しない性行為が危険性を有するため、危険傷害罪の未遂(旧刑法223条a)
の成否が問われた。
BayObLG は、以下のような論理で被告人対する危険傷害罪の未遂を否定し
た。「重要な事は、被告人が HIV に感染していた事ではなく、被告人の恋人が
感染の危険を理解し、認識した上で避妊しない性行為を自ら望んだ事である。
被告人は被害者(恋人)の自己答責的に望まれた自己危殆化行為に関与したに
すぎないのだから、被告人に危険傷害罪は成立しない。
」
【検討】
本件では、「自己答責的な自己危殆化への関与」は不可罰とされており、ま
さに「被害者の自己答責性」を判例が適用した事案といえる。本稿の立場から
は、本件は「被害者と関与者が共同して結果発生に関与するケース」といえる。
なおドイツのように「行為支配」を「自己危殆化」と「合意に基づく他者危殆
化」のメルクマールとする立場からは、HIV 感染のケースは「自己危殆化」
と「合意に基づく他者危殆化」の限界事例と位置づけられることが指摘されて
いる28。
28
Kindhäuser, a.a.O. (Fn19), RN217.
[181]
北法63(5・144)1444
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
「被害者の自己答責性」との関わりでは、被告人の彼女である被害者が、被
告人から避妊具を用いない性行為についての危険性を指摘されたにも関わら
ず、それでもなお恋人である被害者自身が避妊具を装着しない性行為を被告人
に望んだという事情が存在する。ゆえに「事象における被害者の積極性」
、
「被
害者の適切な危険認識」が存在することから、本決定の様に「被害者の自己答
責性」が認められる事案であるといえよう。
第三節 被害者の自己答責性についての学説
ここでは被害者の自己答責性についての学説を概観する。なおここでは従来
の学説を踏まえて最近の学説を検討する29。
①ヘルマンの見解30
ヘルマンは、メーメル河事件で判例が展開した「被害者が関与者と危険を同
じ程度で認識しており、さらに被害者が自分の行為に対して責任がある場合に、
関与者の注意義務違反が否定される」とする見解に疑問を呈する。メーメル河
事件で RG は「船頭が乗客らの要請のためにやむなく舟を出す」という危険な
行為の遂行それ自体が、当該行為に内在する危険性ゆえに直ちに義務違反行為
とはならないとした。いわばこの見解は、過失犯における注意義務違反を考慮
することにより「危険の引受け」のケースを検討するものといえる。
しかしヘルマンは、RG とは異なり、「危険な行為の遂行それ自体」に本来
の注意義務違反が存在すると考える。そしてメーメル河事件においても、「天
候の悪化の恐れのある中で船頭が舟を出す」という行為の遂行それ自体がやは
り注意義務違反行為であるとする。その上で当該危険行為の遂行自体が注意義
務違反行為であるとしても、なおこの見解では、「自己危殆化」や「合意に基
づく他者危殆化」のケースにおいては妥当な結論を導くことはできないと考え
ている。その理由としてヘルマンは、なぜ被害者の自己危殆化行為が介入する
ことにより、関与者の客観的な注意義務違反が否定されるのかについて何ら説
得的な論証はなされていないことを指摘する。なぜ被害者の自己危殆化行為の
29
従来の学説として Zaczyk, a.a.O. (Fn5), S.18f. や Herbert Schumann, Strafrechtliches
Handlungsunrecht und das Prinzip der Selbstverantwortung der Anderen,
1986, S.1f. があり、これらを検討したものとして塩谷・前掲(注7)313頁以下。
30
Hellmann, a.a.O. (Fn22), S.281f.
北法63(5・143)1443
[182]
研究ノート
ために、原則として法的に許されない危険がその違反性を失うかについての検
討が説明であるとヘルマンは主張する。
また、
「許された危険」や「社会的相当性」の理論も「危険の引受け」の問
題に抽象的なレベルで答えているにすぎず、妥当な解決策ではないとする。そ
こでヘルマンは、「客観的帰属論」を用いることにより「危険の引受け」の問
題を解決できると考えている。その理由として、ヘルマンは以下の点を指摘し
ている。
「『合意に基づく他者危殆化』の場合で、被害者は軽率で楽観的に結果は発生
しないと考えているが、関与者(行為者)は慎重であり結果が発生するかもし
れないと考えていたケースを考える。このケースで結果発生のために関与者
(行
為者)だけを処罰することは不合理である。なぜならば結果が発生しないだろ
うと楽観的に考えていた関与者のほうが、結果が発生するかもしれないと慎重
に考えていた関与者(行為者)に比べてより大きな危険を被害者に対して創出
しているのである。ゆえに、慎重な関与者と軽率な関与者を法的に同等に扱う
ことが必要である。このように考えると最終的には被害者側の事情が、『合意
に基づく他者危殆化』において意味を持つのである。
」
つまりヘルマンは、「関与者が慎重であり結果が発生するかもしれないと考
えていたが、それでもなお当該危険行為を行った」という事情を、関与者の可
罰性を肯定する要素として捉えるのではなく、可罰性を否定する要素として捉
えているのである。従来であれば、関与者が当該行為に内在する危険を適切に
認識していたのであれば関与者は当然そのような危険行為を行わないはずであ
り、それでもなお当該危険行為を行うのであれば、それはいわば関与者が故意
に(vorsätzlich)被害者を危殆化していることになるので、結果が発生した場
合に当然関与者は可罰的であるという見解が支配的であった。しかしヘルマン
はこの点に異議を唱えている。
例えばメーメル河事件において、慎重な船頭の場合と軽率な船頭の場合の二
つのケースをヘルマンは掲げる。但し、両事例共に乗客らを死亡させてしまっ
た場合とする。確かに両事例は最終的に天候が悪化し乗客らを死亡させるとい
う結果が発生している点では共通しているが、乗客らに対する危険の創出とい
う点では慎重な船頭と軽率な船頭は異なっていることをヘルマンは指摘する。
なぜならば、慎重な船頭は結果を発生させないことに努めているが、他方で軽
率な関与者は天候が悪化するかもしれないということを認識していないために
[183]
北法63(5・142)1442
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
結果防止のための措置を何も行っていないからである。ゆえに慎重に行為した
関与者は故意的に被害者に対する危殆化行為を行ったから可罰的で、軽率に行
為した関与者は過失的に被害者に対する危殆化行為を行ったから不可罰である
という結論を避けるために、両者を同等に扱うことをヘルマンは主張する。
そしてこのことは、格闘技において特に顕著であるとヘルマンは指摘する。
すなわち、相手に致命的になるような行為を行うことを避けて格闘技を行う慎
重な者と、そのようなことを考慮せずに相手に対して致命的になるような危険
な行為を行うことも構わないと考えて格闘技を行う軽率な者を比較して両者共
に相手を死亡させてしまった場合に、慎重に格闘技を行う者を処罰することは
妥当でないことからも明らかであるとヘルマンは説明する。
そこでヘルマンはこのような不都合を回避するために「客観的帰属論」の一
つである「被害者の自己答責性」の原理を用いることで、「合意に基づく他者
危殆化」だけでなく「自己危殆化」の問題においても妥当な結論を導くことが
できると考える。
まず「自己危殆化」の問題については、ヘルマンは自殺関与と嘱託殺人を例
に挙げて説明する。つまり自殺関与は不可罰だが、嘱託殺人は可罰的である両
者の区分根拠について「最終的な結果発生へと至る主要行為を行ったのが被害
者なのか行為者なのか」という基準ではなく、「被害者の自由答責性」の有無
こそが基準であると考える(Freiverantwortlichkeit)
。なぜならば、被害者自
身が最終的な結果発生へと至る行為を行っていても、強制や錯誤の場合にはな
お関与者を処罰すべきであり、強制や錯誤の場合には、
「被害者の自由答責性」
が欠如するために可罰的であるとヘルマンは考えているためである。
なおここでヘルマンが掲げる「被害者の自由答責性」とは、被害者が事象に
おいて自由意思で(強制や錯誤がない状態で)当該危険行為を行うことを意味
すると思われる。ゆえに被害者が自由答責的に行為した場合には「被害者の自
己答責性」が認められ関与者は不可罰であるが、被害者に自由答責的に行為し
ていない場合には「被害者の自己答責性」は認められず関与者は可罰的である。
そして「合意に基づく他者危殆化」の問題にも、ヘルマンはこの論理を適用
する。つまり従来の見解は、「合意に基づく他者危殆化」の場合は被害者では
なく関与者自身が主要な行為を行っているのだから関与者は可罰的であると考
えていた。しかし重要なのは「主要行為を行ったのは被害者なのか関与者なの
か」ではなく、「被害者が自由答責的に行為したか否か」であるとヘルマンは
北法63(5・141)1441
[184]
研究ノート
考えている。そして「被害者が自由答責的に行為した」という要件に加えて、
「被害者が関与者と同程度に事象を支配している」という要件が満たされるこ
とにより、「被害者の自己答責性」が認められる。
従来「合意に基づく他者危殆化」の場合には、関与者が危険行為を行ってい
るために関与者に事象支配が認められるとの見解が多かった。その理由として
「関与者が構成要件的結果へと至る行為を掌握している」点を重視していると
ヘルマンは指摘する。
しかしヘルマンはこの点を問題視する。被害者側に「当該行為の有する危険
についての適切な評価」と「自由意思」が存在するならば、関与者側の事象支
配の優位性は何ら確立されていないとヘルマンは考えるためである。なぜなら
ば危殆化行為を行う側(関与者側)の慎重な振る舞いにも関わらず結果発生の
原因となる要素を回避できないことは、危殆化行為を行う側(関与者側)が事
象を全く支配していないことが示されるからであるとヘルマンは説明する。
そしてこのような関与者の事象支配が確立されていない例として、ヘルマン
はメーメル河事件を挙げる。一見するとこの事件では船頭に事象支配が存在す
るように思われる。しかし船頭の慎重な振る舞いにも関わらず自然の脅威に起
因する危険を回避することはできなかったのだから、事象支配という点におい
て両者(船頭と乗客)に差はないことになる。むしろ乗客達は船頭と同じ程度
で事象を支配し、かつ自由答責的に行為したのであるから「被害者の自己答責
性」が認められ、船頭は不可罰であるとヘルマンは説明する。
さらに関与者の事象支配が確立されていないケースとして、健常な人と
HIV に感染した人との避妊具を用いない性行為を挙げる。このケースでは健
常な人も HIV に感染した人も結果発生に対する行為の寄与は同じであるため
に、両者は事象支配という点では差がない。ゆえに健常な人は感染者と事象を
同じ程度で支配し、かつ自由答責的に行為したのであれば、結果的に健常な人
が HIV に感染した場合、「被害者の自己答責性」が認められ結果の客観的帰属
は否定されることになる、とヘルマンは説明する。
【検討】
「自己危殆化」の場合には、被害者自身が危険行為を行っているから「自己
答責性」が認められ関与者は不可罰という結論は是認できるとしても、「合意
に基づく他者危殆化」の場合には関与者がまさに危険行為を行っているのだか
[185]
北法63(5・140)1440
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
ら「被害者の自己答責性」の原理によっても関与者は可罰的にならざるを得な
いため、「危険の引受け」の問題の解決策として「被害者の自己答責性」は不
適切ではないかと指摘されてきた。
ヘルマンはこの批判に疑問を呈し、「自己危殆化」や「合意に基づく他者危
殆化」のケースにおいて重要なのは「主要行為を行っているのは被害者なのか
関与者なのか」ではなく、「被害者の自由答責性」と「被害者と関与者の事象
支配の程度」であることを指摘している。
「被害者の自由答責性」を検討するにあたっては「被害者側に錯誤や強制が
存在しなかったか」という要素を考慮する。また「被害者と関与者の事象支配
の程度」を検討するにあたっては、「関与者が結果発生時に法益侵害の原因と
なる要素を回避できたか」という要素を考慮する。関与者が法益侵害の原因と
なる要素を回避できたのであれば、事象支配は関与者に認められることになる。
反対に関与者が法益侵害の原因となる要素を回避できなかったのであれば、た
とえ当該危険行為を行っているのが行為者である「合意に基づく他者危殆化」
のケースであっても、関与者に事象支配は認められないことになる。
ゆえに被害者が「自由答責的」に危険行為を行い、「関与者と同程度以上の
事象支配」が被害者側にも存在すれば、「合意に基づく他者危殆化」のケース
においても「被害者の自己答責性」が認められるとヘルマンは考えている。
このヘルマンの見解は、「自己危殆化」と「合意に基づく他者危殆化」で同
じ要件を満たせば「被害者の自己答責性」を認める点に特徴があるといえる。
従来の「被害者の自己答責性」を主張する学説では、
「合意に基づく他者危殆化」
と「自己危殆化」は異なるために、
「合意に基づく他者危殆化」のケースで「被
害者の自己答責性」を認めるためには、更なる付加的要件を課す場合もあった。
しかしヘルマンは「事象支配」という点に注目すれば、「自己危殆化」と「合
意に基づく他者危殆化」を異なって扱う必要はないことを指摘している点で、
従来の自己答責性の学説とはやや異なるといえる。なお、このヘルマンの見解
とわが国の議論との関係は第四章で考察する。
②ムーマンの見解31
ムーマンは前述のヘロイン注射事件を次のように分析する。本件では「自己
31
Murmann, a.a.O. (Fn16), S.534f.
北法63(5・139)1439
[186]
研究ノート
答責的に望まれ実現された自己危殆化は構成要件に該当しないために、自己危
殆化への意識的あるいは過失的な関与も不可罰である」という「関与理論」
(Teilnahmeargument)を判例は展開した、とムーマンは指摘する。
しかし、この判例の関与理論による説明にムーマンは疑問を呈する32。なぜ
ならば、判例は構成要件該当性におけるどの前提条件が欠けているかを明確に
せずに関与者の可罰性を否定しているために、行為者の法的禁止性に関する基
本的問題が未解決なままであるからである。ヘロイン注射事件において判例は、
「法的に許されない危険が存在したのか」あるいは「自己答責的な自己危殆化
が可能にされただけなのか」という検討から始めるべきであった、とムーマン
は指摘する。そしてもし「自己答責的な自己危殆化が可能にされた」ケースな
のであれば、判例は自己を危殆化するという自己決定権も被害者の自由に属す
るということを言及しなければならないとムーマンは説明する。
その上でムーマンは「被害者の自己答責性」の原理が「危険の引受け」にお
いて妥当な結論を導くと考えている。但し、被害者が適切に危険を判断し自由
意思で当該危険行為を行った場合全てに「被害者の自己答責性」を認めるのは
妥当ではないと考えている。ムーマンは「被害者の自己答責性」が制限される
ケースとして、第三者によって被害者の危殆化行為が誘引された場合である以
下の2つの例を挙げる33。
(例1)D は E の住居を放火した。仕事から帰宅した E は自分の家が燃えて
いるのを発見した。その時、家の中には E の弟の F が残っていた。E は弟の
F を助けるために、危険を顧みず燃えている家の中へと入っていたが E は死
亡してしまった。なお F も火災により死亡した。
(例2)X は A の住居を放火した。偶然 A の住居の前を通りかかった A の友
人 P は、A の住居が燃えているのを認識した。P は A が高価なコインの収集
品を集めて自宅に保管していたのを覚えていて、また A が旅行中で不在にし
ていることも知っていたので、A のためにコインの収集品を何とか持ち出そ
うと考えた。そこで P は燃えている A の住居へと入っていったが、その際に
32
Uwe Murmann, Grundkurs Strafrecht, 2011, S.166f.
33
Murmann, a.a.O. (Fn32), S.171f.
[187]
北法63(5・138)1438
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
死亡した。なお A の住居に駆けつけた消防士の B も消火作業中に死亡してし
まった。
まず(例1)は BGHSt43,177の事案である。このケースでは、判例は「行為
者の犯罪行為が被害者の自己危殆化行為を誘引した場合には、被害者の自己答
責性の原理は適用できない。特に被害者と親しい者の法益に対する危険を創出
した場合で、被害者の危険な救助行為の動機についても理解できる場合にこの
ことはあてはまる」とし、D は E と F の死亡結果に対する責任を負うとした。
つまり E について「被害者の自己答責性」を認めることはできない。
ムーマンは上述の判例の事案(例1)を踏まえて(例2)を挙げる。この事
案でも(例1)と同様に消防士 B と友人 P の死亡結果に対して X は責任を負
うのであろうか。この点につきムーマンは以下のように考える。
ムーマンは、消防士 B には「被害者の自己答責性」を認めることはできな
いと考えている。一見すると消防士 B は危険を認識した上で、消火作業にあ
たるために自発的に燃えている家の中へと入っているのだから B には「被害
者の自己答責性」が認められるように思われる。しかしムーマンはこの見解に
反対する。消防士 B にとって(例2)のような状況が起これば消火作業に当
たるのが B の職業上の使命なのであり、燃えている家の中に入って消火作業
を行うのは B の「真の自由意思」に基づく行為とはいえないことをムーマン
は指摘する。
この見解に対しては B は消防士という職業を自ら自由意思に基づいて選択
し、危険な職務行為に対して対価も支払われていることから、
このケースは「典
型的な職業的危険の引受け」であり「被害者の自己答責性」が認められること
に何の支障もないケースであるという反論があるかもしれない。しかし、ムー
マンはこの反論に対しても(例2)のような状況下では、B は言わば板挟み状
態であることを主張する34。
つまり B は消火作業を行わないという選択もできる状況下にあるが、やは
り「消火作業を行わない」という行為は B にとっては社会的に望ましくない
といえる。それでは反対に消火作業を行うことが B にとって最善かというと
そうではないということをムーマンは指摘する。なぜなら、「消火作業を行う
34
Murmann, a.a.O. (Fn32), S.172f.
北法63(5・137)1437
[188]
研究ノート
ことを犯人に強制されている」状態下にあるからである。言わば放火犯人 A
により、消防士 B は「危険の引受け」を強制されたのである。ムーマンによ
れば確かに B の職業選択は自由意思でなされているが、放火による火を消す
という行為は B に課せられた社会的な義務であるとされる。
ゆえに危険を引き起こした人間が、被害者の危険な救助措置に対するもっと
もな動機を作り出した場合に、被害者が私人の場合と職業上救助に従事してい
る者を別異に扱う必要はないとムーマンは考える。社会に対する義務を請け
負っている人々(例2では消防士 B)を、行為者(例2では放火犯人 A)にとっ
て有利になるように刑法的に保護しないことは正当化されるべきでないことを
ムーマンは強く主張する。ゆえに(例2)では B に「被害者の自己答責性」
を認めることはできない。
他方でムーマンは、A の友人である P については「被害者の自己答責性」
が認められると考えている。なぜなら、放火犯人 A が、第三者のあらゆる考
えられる自己を危険にさらす行為に対して責任を負うことも妥当ではないと
ムーマンは考える。ムーマンによれば、つまり救助者が当該行為の危険や今後
の見通しについても十分熟慮した上でもなお理性的であると評価できるような
救助行為については、放火犯人 A は法的に許されない危険を創出したといえ
るから、救助者の法益侵害結果に対して責任を負うとされる。
ゆえに(例2)のようなケースでは、コインの収集品を A のために持ち出
そうとした P の行為は、生命が危殆化されるという状況下においてもなお理
性的な行為とはいえないために、P には「被害者の自己答責性」を認めること
ができる。
またムーマンは、「被害者の自己答責性」の原理は「被害者が自己処分的な
決定を行う可能性を考慮すれば、関与者の行為を禁止することはできない」と
いうテーゼを具現化したものであると考える。ムーマンは「被害者の自己答責
性」を検討するにあたり「被害者の自己決定権」を重視する。「被害者が危険
な行為を行う自己決定をすることにより、法的に許されない危険の存在が欠け
ることになる」とムーマンは説明する。被害者の自己決定権は、危険の創出へ
の同意を通じて関与者の行為から刑法的不法を奪う効力を有し、この効力は被
害者あるいは関与者が結果発生を望んでいたか否かに関わらず否定されないと
いうことをムーマンは指摘する。よって、関与者の行為は構成要件に該当しな
い。他方でムーマンによれば、被害者の自己処分的な決定に瑕疵がある場合に
[189]
北法63(5・136)1436
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
は、それはもはや被害者の自己決定の表現ではないために、被害者の自己決定
の瑕疵の規範的重要性から関与者の行為は可罰的であるとされる。
しかし刑法216条(要求に基づく殺人)の存在から、被害者の自己決定権に
も一定の制約が課されうることをムーマンは指摘する。つまり「自己侵害」の
場合には被害者の自己の生命に対する処分行為は制限されないために、自殺に
関与した行為者は法的に許されない危険を創出しておらず不可罰であるとムー
マンは考える。他方で「同意に基づく他者侵害」の場合には被害者の自己の生
命に対する処分行為は制限されるために、行為者は法的に許されない危険を創
出しているため可罰的であるとする。
【検討】
ムーマンは「被害者の自己答責性」を検討するにあたり、「被害者の自己決
定権」が真の意味で実現されたかどうかを重視している。従来の「被害者の自
己答責性」の原理は、「被害者の自己答責性」が認められる場合には関与者の
行為の構成要件該当性が否定されると説明されていた。ムーマンはこれをさら
に一歩進め、「被害者の自己答責性」が認められる場合には「被害者の自己決
定権」が実現されることになり、自己決定の実現が関与者の行為不法を取り去
るのであるから、関与者の行為の構成要件該当性が否定されると説明する。
またムーマンは、我が国では検討されていない「被害者の危殆化行為が第三
者によって誘発されたケース」を取り上げ、このケースでは「被害者の自己答
責性」を一律に認めるのは妥当ではないことも指摘している。被害者の危殆化
行為が当該状況下においてなお理性的でないと認められる場合には、「被害者
の自己答責性」を認めることにより、第三者が被害者のあらゆる危殆化行為に
ついての責任を負うことを避けることができるとする。
「被害者の自己答責性」
の適用要件が全て満たされてもなお「被害者の自己答責性」が認めるべきでは
ないケースが存在することを指摘する点に、ムーマンの見解の特徴があるとい
える。
第四節 判例と学説についての小括
以上、ドイツの「被害者の自己答責性」が問題になる判例と学説を検討して
きた。ドイツでは前述したように自殺関与は処罰されないが嘱託殺人は処罰さ
れるために、判例は被害者と関与者のどちらに「行為支配」
(Tatherrschaft)
北法63(5・135)1435
[190]
研究ノート
があったかということを重視してそれぞれのケースを判断することにより関与
者の可罰性を決定しているといえる。ムーマンも指摘しているように、判例は
「被害者自らが関与者の支配領域へと入り危険を引き受けた場合」には、関与
者に行為支配があるといえ関与者は可罰的であるが、「被害者が死に至るまで
自己の運命について自由な決定を維持した場合」には被害者自ら自己を殺害し
たことになり関与者は不可罰であるという決定をしているといえよう35。しか
し「行為支配」という基準では、上述の③ HIV 感染未遂事例は、
「自己危殆化」
なのか「合意に基づく他者危殆化」なのかの区分が困難になる。
なぜなら、③ HIV 感染未遂事件は「被害者と関与者がいわば同等に事象を
支配しているケース」であるために、事象における「行為支配」という点では
被害者と関与者の間に相違はないと思われるからである。
そこで判例が依拠する「行為支配」という基準による「自己危殆化」
、
「合意
に基づく他者危殆化」という区分を重視せずに、個々のケースにおいて「被害
者による自己答責的な行為の事案であるか否か」を重視して検討すべきではな
いかというのがヘルマンやムーマンの見解といえよう。そしてこのような見解
は、妥当であると思われる。
なぜなら、
「行為支配」という BGH が用いる基準や、「最終的な結果発生へ
と至る行為を行ったのは被害者なのか関与者なのか」という基準では上述の様
に「自己危殆化」にも「他者危殆化」にも分類できないケースが存在するから
であり、また重視すべきことは「事象における被害者側の事情」なのである。
ゆえに事案の区分を重視せずに、個々のケースに応じて「被害者の自己答責的
な行為が存在したか否か」を検討することが適切であると思われる。
第五節 社会的事象への適用例
「被害者の自己答責性」は、「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」の
ようなケースでしか問題にならないというわけではない。例えば「スポーツ事
故」のようなケースにも、
「被害者の自己答責性」を適用することが考えられる。
この点、前述したようにドイツではベルクル36がスポーツ事故に「被害者の自
己答責性」が適用できると主張しており参考になると思われる。
35
Murmann, a.a.O. (Fn32), S.175f.
36
Berkl, a.a.O. (Fn17), S.2f.
[191]
北法63(5・134)1434
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
ベルクルは、そもそもスポーツ事故の多くがスポーツ連盟内部で処理され、
国家もスポーツ事故の処罰に対して謙抑的な姿勢であることを指摘する。ス
ポーツ事故については、死亡結果を招かない限り国家は介入しない。仮に死亡
結果に至るスポーツ事故が発生したとしても、スポーツ連盟内部の処分で十分
効果的であると考えられているために、国家が介入するような事態は実質的に
は存在しない。また、死亡以外のケースで問題となる犯罪(刑法223条傷害罪・
刑法229条過失傷害罪)についても、スポーツの際に加えられた傷害は被害者
自身により刑罰に値するものとは思われない傾向があることから、被害者側か
ら刑事告訴がなされることはまずないとベルクルは考えている。
そして、スポーツは多くの種類の競技規則と行為形態を持ち、多様な現象形
態として現れるという特徴を有することをベルクルは指摘する。その上で、刑
事上問題となるスポーツ事故を解決するためには、「客観的帰属論」(Die
Lehre der objektiven Zurechnung)を用いるべきだとベルクルは主張する。
それは、客観的帰属論がその規範的性質のために、スポーツ事故の発生に対す
る全ての重要な影響要素(スポーツ選手、トレーナー、主催者、観客などの事
情)を考慮することが可能になるために、事実に即した妥当な結果を導けるた
めであるとベルクルは考えている。
以上のような事実を踏まえた上で不処罰領域(Strafbarkeitsfreiräumen)を
創出するためには、ベルクルは以下の2つの原理を用いる。
・「許された危険」(Erlaubtes Risiko)
・「被害者の自己答責性」の原理(Die Selbstverantwortung des Opfers)
まずベルクルは、スポーツを「競技スポーツ」
(Wettkampfsport)と「レジャー
スポーツ」
(Freizeitsport)に分ける。競技スポーツとは、スポーツ連盟によ
り承認されたスポーツ種目であり、参加者には一定の資格のような条件が課さ
れるため誰でも参加できるものではない。他方レジャースポーツとは、誰でも
参加できるもので、ドイツにおいては私人が費用を払ってクラブチームのよう
なものに加入し、コーチの指導の下で行うスポーツのことである。
その上でベルクルは、さらに競技スポーツにおける事故を、
「競技中の事故」
と「トレーニング中の事故」にわけ、「競技中の事故」については、不処罰領
域の創出のためには「許された危険」の法理を用いると考える。競技スポーツ
にはスポーツ選手の保護に資するスポーツ規則が存在し、これが「許された危
険」を適用するための最低限の社会的安全を保障する。しかし、スポーツ規則
北法63(5・133)1433
[192]
研究ノート
の遵守だけでは「許された危険」を適用するには不十分であるとし、加えてス
ポーツ連盟により管理・承認された競技であることにより、「許された危険」
を適用するための十分な安全基準が規定されるとする。ゆえに、問題となるス
ポーツ規則の遵守の下で創出された危険は、刑法的に許されない危険ではない
ために、行為するスポーツ選手は創出された危険の結果に対して責任を負わな
いとされる。
反対に「競技中の規則違反行為」によって結果が発生した場合には、もはや
「許された危険」の法理は適用できず、発生した結果に対して関与者が責任を
負う場合がある。そこで、規則違反による競技中のスポーツ事故についての不
処罰領域の創出のためには、「許された危険」の法理ではなく「被害者の自己
答責性」の原理を用いるべきであるとベルクルは考える。
また、「競技スポーツ選手のトレーニング中の事故」については、スポーツ
連盟の管理が十分に及ばない部分も存在するために、「許された危険」の法理
を適用するための十分な安全基準が規定されていない。さらに、
私人が行う
「レ
ジャースポーツにおける事故」については、競技スポーツにおけるスポーツ連
盟のようなものは存在せず、コーチの指導の下で育成状態にある生徒がスポー
ツを行う形態をとるため、この領域においても「許された危険」の法理は適用
できない。そこで、
「トレーニング中の事故」や「レジャースポーツ中の事故」
における不処罰領域の創出についても、「規則違反による競技スポーツ中の事
故」と同様に「被害者の自己答責性」の原理を適用すべきとベルクルは考える。
ベルクルによれば、上述したスポーツ事故に「被害者の自己答責性」を適用
するための要件として、以下の三つの要件を掲げる37。
①スポーツ選手に答責能力(Verantwortungsfähigkeit)が存在した。
②スポーツ選手の自由意思(Freiwilligkeit)で当該スポーツが行われた。
③スポーツを行うにあたり、スポーツ選手の自由意思を否定するような錯誤が
なかった(Fehlen von Irrtümern auf Seiten des Sportlers )
。
①の「答責能力」については、第一章第一節で述べた様に、行為の危険性を
認識し、その行為をすればどのような結果が発生するかを理解できる能力がス
37
Berkl, a.a.O. (Fn17), S.209f.
[193]
北法63(5・132)1432
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
ポーツ選手に存在したか否かである。
②の「自由意思」とは、スポーツ行為が脅迫などによって強要されたもので
ないということである。但しあらゆる脅迫が自由意思を否定するわけではなく、
ドイツ刑法240条の強要罪に該当するレベルの法益主体の意思決定の自由を重
大に侵害する脅迫に限られる。
③の「スポーツ行為の際に、スポーツ選手の自由意思を否定するような錯誤
がないこと」については、ベルクルは以下のように考える。すなわち、あるス
ポーツを行うにあたり、錯誤があった場合全てに「被害者の自己答責性」を否
定してしまうと、
「被害者の自己答責性」が認定される範囲が狭くなりすぎる。
他方、「法益関係的錯誤」(なおここでのスポーツ事故における法益関係的錯誤
とは、「危険認識の点について錯誤があること」である)の場合にのみ、
「被害
者の自己答責性」を否定する見解については、確かに危険を誤認した程度にお
いて行為者の行為決定が必然的に弱められるために、完全に自由答責的な自己
決定は存在しないためこの見解は妥当なように思えるが、この見解を徹底する
と不都合な例が生じる、とベルクルは考える。
例えば、
「ある重病の妻を持ったスキー選手の A が、スポンサー B から A
の妻の手術費用を支払う代わりに危険なレースに出場するという話を持ちかけ
られて、A はレースに出場して怪我を負ったが手術代金を B から支払っても
らえなかったケース」をベルクルは挙げる。このケースで A が陥ったこのよ
うな錯誤は危険認識に関する錯誤でないために、法益関係的錯誤説によればこ
のような錯誤は考慮されず、怪我を負った A に自己答責性が認められる場合
があることになるが、それは不当であるとベルクルは考える。
そこで、ベルクルはこのようなケースは、A のレースへの出場行為が自己
答責性の認定のための②の要件である A の「自由意思の発露」としてはとら
えられないため、自己答責性を否定すべきだと考える。敷衍すれば、「例えば
ある試合に出れば10万円を謝礼として支払うことを約束された C が、試合に
出場したが結局は10万円をもらえなかったケース」のような錯誤は、なお C
のレース出場行為は C の自由意思に基づいているため、このような動機の錯
誤は考慮されず C がたとえ怪我を負っても C の自己答責性は認定されるべき
だと考える。
他方、上述の妻の手術費用のために危険なレースに出場するスキー選手の事
例の場合のような、いわば「スポーツ選手側に当該危険行為に出ざるを得ない
北法63(5・131)1431
[194]
研究ノート
ようなスポーツ行為者の自由意思を否定するような錯誤」は、被害者の自己答
責性を否定すべき錯誤であると考える。
ベルクルによれば上述したこの三つの条件が全て満たされており、かつ行う
スポーツに内在する危険が現実化した場合には、「被害者の自己答責性」が認
定され、結果は被害者自身に帰属される。他方、この三つの条件を満たしてい
たとしても、「問題となるスポーツに内在する危険が現実化していない」
、つま
り「外部から持ち込まれた危険が現実化した場合」には、
「被害者の自己答責性」
は認定されず結果は第三者に帰属される可能性があることになる。
また、そもそも上述した「被害者の自己答責性」を認定するための3つの条
件のどれかが欠ける場合は、その欠けた条件に関する関与者の認識可能性
(Erkennbarkeit)が存在したかが問題になるとベルクルは主張する。
例えばロッククライミング、カヌー、ボブスレーのようなパートナー同士で
危険共同体を形成し自己の生命の安全をパートナーに預けるような「共同体ス
ポーツ」(Gemeinschaftssport)では、自分のパートナーの自己答責性につい
て認知していることが関与者に期待されるため、共同体スポーツ事故の場合に
は、「被害者の自己答責性」を認定するための要件のどれかが欠けていたとし
ても、関与者に結果が帰属される場合があることになる。
他方で、
ボクシングやバスケットボールのような接触スポーツ
(Kontaktsport)
では、そのような競技を行う者が、相手方に答責能力が存在するなど相手方に
ついての自己答責性に関する要件についての正確な知識を競技前に獲得するこ
とが期待できない、すなわち「被害者の自己答責性の欠如についての認識可能
性が存在しない」ために、問題となるスポーツに内在する危険が現実化したと
しても、関与者に結果は帰属されないことになる。また、この場合にも、スポー
ツに内在する危険ではなく外部から持ち込まれた危険が現実化した場合には、
第三者に対して結果が帰属される場合があることになる。
また、レジャースポーツ領域における認識可能性については、確かにスポー
ツ指導者は一定の危険要素に関する専門的知識を有してはいるが、指導してい
る自分の生徒の自己答責性の欠如に関して常に認識可能性が存在するとはいえ
ず、これについてはケースバイケースとベルクルは考える。また、スポーツ指
導者によって生徒のスポーツ遂行に伴う全ての危険を除去することはできない
ため、スポーツ指導者の責任を拡張しすぎるのは妥当ではなく、指導を受ける
生徒側もスポーツ遂行の一定の危険を認識しなければならない義務を有してい
[195]
北法63(5・130)1430
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
るとベルクルは考える。その上で、指導者による練習が生徒に明らかに過大な
要求をしている場合や、レッスンを受ける生徒側が自分の経験に基づいて自分
が行うスポーツ遂行の危険を適切に評価できない場合には、指導者側に結果が
帰属される可能性が生じることになる。
【検討】
このベルクルの見解は、被害者の自己答責性の認定要件の一つである「適切
な危険評価」(zutreffende Risikoeinschätzung)という部分を錯誤論で捉える
もので、従来なかった方法論であり傾聴に値するが、具体的にスポーツ選手側
にどの程度の危険認識が必要かについては、ベルクルは論じていない。それは
競技スポーツ選手については、いわばプロであるから自分の行う競技の危険性
については十分に認識しているという事実を考慮しているためではないかと推
測される。しかし、このような推測を踏まえたとしても、レジャースポーツ領
域については生徒が自分の行うスポーツの危険性について正確に認識している
とはいえないため、ベルクルの主張する錯誤論で被害者側の危険認識を処理で
きるかは疑問である。やはりレジャースポーツ領域においては、スポーツ選手
の危険認識についての議論が必要だと思われる。
第六節 被害者の自己答責性の適用が制限される場面
被害者に「錯誤や強制」が存在した場合や、「被害者の当該結果に対する過
失が関与者の過失より小さい」場合には、「被害者の自己答責性」を認めるこ
とができないことは第一章で検討した。言わばこれらのケースは、「被害者の
自己答責性」の形式的要件を満たさない場合といえる。
しかし逆に、「被害者の自己答責性」を認定するための形式的要件を満たし
ていても、なお「被害者の自己答責性」が認められないケースがドイツでは指
摘されている38。そこで以下、
「被害者の自己答責性」の形式的要件を満たして
いても、なおその適用が制限される3つのケースを検討することにする。
まず第一のケースは、「被害者の自己危殆化を可能にした関与者に、被害者
への保護責任が課される場合」である。このケースには、第一章で検討した
BGH JR 1979判決のような、「関与者が医者(精神科医)で、被害者が麻薬中
38
Walter, LK, a.a.O. (Fn18), RN112f.
北法63(5・129)1429
[196]
研究ノート
毒患者のケース」が該当する。被害者である患者がいかに自己答責的な自己危
殆化行為を行ったとしても、関与者である医師には、なお患者に対する保護責
任が課せられる。それゆえ、被害者である患者側に自己答責性は認められず、
医師は患者の危殆化行為に対して責任を負うことになる。
但し、このケースはあくまで患者側に「精神上の疾患」が見られる場合を想
定していることに注意を要する。精神上の疾患が存在する麻薬中毒者のような
場合には、答責能力の減退状況下で、患者が危殆化行為を行う危険性がそもそ
も高いため、医師側には危殆化行為を防止する「高度の注意義務」が課される
ことになり、患者が危殆化行為を行うこと自体が禁止されているからである。
しかしながら、「精神上の疾患のない患者と医師のケース」においては、
「被害
者の自己答責性」の適用可能性が存在している。例えば、
「難病に罹った患者が、
完治のために危険な手術を医師に要請する場合」などのケースでは、危険な手
術の結果として患者が死亡したとしても、なお「被害者の自己答責性」が認め
られる場合は存在するであろう。
第二のケースは、「刑法だけでなく、特別法も問題になるケース」である。
例えば「関与者が麻薬を被害者に譲渡するケース」で「自己答責性」が認めら
れないのは、このケースでは刑法だけが問題になるわけではなく、麻酔剤法も
問題になることに端を発する39。そして、麻酔剤法の犯罪構成要件の保護法益
が国民の健康(Volksgesundheit)という社会的法益であり、被害者の個人的
法益ではないからと説明されている。つまり、麻薬を譲渡するという行為自体
が、国民の健康という社会的法益を害しているため、麻薬を譲渡された被害者
が麻薬を服用し自己答責的に自己を危殆化した場合、刑法上は「被害者の自己
答責性」が認められるため関与者は不可罰であるが、麻酔剤法上では関与者は
可罰的ということになる。実際に判例も麻薬譲渡のケースでは、麻酔剤法によ
り関与者を可罰的としているものがほとんどである40。
39
前掲(注26)を参照。
40
但し例外的な判例として BGHSt 46, 279があり、判旨の中で「麻酔剤法30条
1項3号の犯罪構成要件は、個人的保護のために作用するので、死に至ろうと
する者の自由な同意により、30条1項は排除される」と述べているため、この
判例の見解に従えば、麻薬譲渡のケースにも自己答責性を認める余地が生じる
と思われる。
[197]
北法63(5・128)1428
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
第三のケースは、いわゆる「救助者侵害のケース」
(Retterschäden)である。
このケースは、例えば以下のような事例が考えられる。
(事例)深夜に A が B の家を放火し、A はそのまま逃げた。B の家で火事が
起こっているのを発見した C が、B の家の住人を救うために、燃えている家
の中に入って救助行為を行い、その結果傷害を負った(あるいは不幸にも死亡
してしまった)場合に、放火犯人である A は C の救助行為について責任を負
うのか。
このケースでは、C は救助という危険な行為を自ら行っているが、危険を創
出したのは C ではなく、第三者(事例では放火犯人である A)であるという
点で、「自己答責性」が問題になる通常のケースとは大きく異なるということ
に注意を要する。
そしてこの問題を考えるにあたっては、先程検討したムーマンの見解が妥当
する。ムーマンは、救助者が「私人」の場合と、「職業従事者」
(警察官や消防
士など)の場合を分けて考える。救助者が「私人」の場合には、当該行為の危
険性や今後の見通しについても十分熟慮した上で、なお救助行為が理性的であ
ると評価できる場合には、危険を創出した者が救助行為者に対して責任を負う
とムーマンは考える。他方で救助者が「職業従事者」の場合には、救助行為そ
のものが自由で自己答責的な行為と言えないために、危険を創出した者は救助
者に対して責任を負うとムーマンは考える。
学説においても、
救助者が警察官・消防士などの義務的救助者
(pflichtigenHelfer)
の場合には、ムーマンと同様に、救助行為は自己答責的行為とはいえないとの
理由から、危険創出者(放火犯人)は救助者に対して責任を負うとの見解が支
配的であると指摘されている。他方で救助者が私人(freiwillige Helfer)の場
合にも、人命救助という社会的に善なる行為をした者は刑法的に保護されるべ
きであるとの考えから、救助行為者に自己答責性を認めることはできず、危険
創出者(放火犯人)は救助者に対して基本的に責任を負うべきであるとの見解
が支配的であると指摘されている41。
41
Walter, LK, a.a.O. (Fn18), RN117f. 但しヴァルターは支配的見解とは異なった
ロクシンの見解
(Roxin, Allgeminer Teil Ⅰ§11 Rdn.115.)
も指摘する。それは、
北法63(5・127)1427
[198]
研究ノート
第七節 小括
以上、
「被害者の自己答責性」に関するドイツの様々な議論を検討してきた。
前述したようにドイツにおいては、同意殺人は刑法216条により可罰的である
が、自殺関与は処罰されない。このことは、被害者が自らの生命を危険にさら
すような場面においても、一定程度において被害者の自己決定権は尊重される
ことを意味する42。このような背景下で、被害者の自己決定権を重視する原理
として「被害者の自己答責性」という概念がドイツで盛んに主張されてきた。
そして「被害者の自己答責性」という概念は、従来主張されてきた「危険の
引受け」の場面である「自己危殆化」や「合意に基づく他者危殆化」のケース
だけでなく、「スポーツ事故」のようなケースにも適用可能性が存在すること
が明らかになった。
但し、ドイツでは「被害者の自己答責性」の形式的要件を満たしていても、
なお「被害者の自己答責性」が認められない場合も指摘されている。このよう
なケースとして、「医師と麻薬中毒患者のケース」、「麻薬譲渡のケース」、「救
助者侵害のケース」の3つが挙げられており、それぞれのケースで「自己答責
性」が認められない理由について検討を行ってきた。この3つのケースは、従
来の「危険の引受け」で考えられていた「被害者が結果発生に過失的に関与す
るケース」とは異なり、「特殊事例」ということになる。
それでは今度は視点を変えて、我が国についての「自己答責性」の議論につ
いて、次章で検討することにする。
救助者が「私人」であろうと「職業従事者」であろうと、危険創出者は救助行
為者に対して責任を負わないという見解である。このロクシンの見解は「行為
者は予見可能な結果についてのみ責任を負う」というテーゼを重視する。そし
て「放火犯人は自身が放火する際に、救助行為者が現れることを予見すること
は不可能である」との理由から、放火犯人は救助行為者に対して責任を負わな
いと主張している。このような見解によれば、救助行為者の自己答責性が認め
られることになる。
42
我が国では、同意殺人は勿論、自殺関与も処罰されることから、被害者が自
己の生命を危険にさらす局面においては、被害者の自己決定権は完全に制約さ
れているといえよう。
[199]
北法63(5・126)1426
資
料
Whaling Issues: International Law and Japan
Mari Koyano
1
Introduction
This paper introduces the position taken by the Government of Japan
regarding whaling issues from the viewpoint of public international law. This
paper consists of three parts. Section I provides an overview of the regulation
of whaling in international law. This provides a basis or background for a
discussion on whaling issues. Section II and III introduce the position taken
by the Japanese government on key points concerning these issues.
The position of the Japanese government introduced in this paper are
those interpreted, presumed or understood by the author, based on
comments, information or statements that are found in official documents or
on websites of the Japanese government or inter-governmental institutions,
mostly the International Whaling Commission (IWC), or have been given by
governmental officials, who are in charge of the issues, in discussions with the
author.2 Therefore, this paper does not present any official view or position of
1
Professor of Public International Law, Graduate School of Law, Hokkaido
University. LL.M (Cantab). koyano@ juris.hokudai.ac.jp. Address: c/o Graduate
School of Law, Hokkaido University, Nishi-7, Kita-9, Kita-ku, Sapporo-shi,
Hokkaido, 060-0809 Japan.
2
The author is grateful for kind help given by the staff of the following
institutions in collecting relevant information and in understanding the whaling
issues. These include: Ministry of Foreign Affairs of Japan (MOF), the Fisheries
[201]
北法63(5・124)1424
Whaling Issues: International Law and Japan
the Japanese government. Nor is it intended, in any way, to defend or
criticize the position of the Japanese government. My intention is to
contribute to the discussion of this sensitive and difficult issue3 by describing
in as neutral a manner as possible some key legal issues that have sometimes
been obscured. The paper will not consider various political actions taken by
the Japanese government in advancement of its position, such as the
contentious issue of alleged aid-for-votes within the IWC.
I. International regulatory regimes
1. Treaty regulations of whaling that are applicable to Japan
There are five conventions that are applicable to Japan concerning whaling.4
Agency of Japan, the secretariat of the International Whaling Commission
(IWC), the Institute of Cetacean Research and the Japan Overseas Fishing
Association. The comments, information or statements were those obtained by
the author by the end of September 2011.
3
Australia instituted proceedings before the International Court of Justice (ICJ)
against Japan for alleged breach of international obligations concerning whaling
in May 2010. The case is before the court at the time of writing of this paper.
As to the case, see the website of the ICJ, http://www.icj-cij.org/docket/index.
php?p1=3&p2=3&code=aj&case=148&k=64 (as of 30 September 2012).
4
There are some other international agreements, to which Japan is not
a contracting party, that are relevant to whales or whaling. They include:
Convention of Migratory Species of Wild Animals (CMS), adopted in 1979;
Agreement on the Conservation of Small Cetaceans of the Baltic and North
Seas (ASCOBANS), 1994; Agreement on the Conservation of Cetaceans of the
Black Sea, Mediterranean Sea and Contiguous Atlantic Area (ACCOBAMS),
1996; and Agreement on Cooperation in Research, Conservation and
Management of Marine Mammals in the North Atlantic (NAMMCO
Agreement), 1992. The ASCOBANS and the ACCOBAMS are regional
agreements to implement the CMS. For an overview of the agreements, see
R. Churchill, ‘Sustaining Small Cetaceans,’ in A. Boyle & D. Freestone (eds.),
International Law and Sustainable Development, Oxford University Press, 1999;
M. Koyano, ‘Hogei-mondai: Kaiyoseibutsushigen no Kokusaikanri nikansuru
Ichikosatsu’ (Whaling issues: a study on the international legal regime for
北法63(5・123)1423
[202]
資
料
They include: United Nations Convention on the Law of the Sea (UNCLOS),
International Convention for the Regulation of Whaling (ICRW), Convention
on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora
(CITES), Convention on the Conservation of Antarctic Marine Living
Resources (CCAMLR) and Convention on Biodiversity (CBD). The UNCLOS,
CITES and ICRW are particularly important in the context of whaling issues.
Article 62 of the UNCLOS, which regulates the catching of marine
mammals in the EEZ, reads as follows:
’Article 65: Nothing in this Part restricts the right of a coastal State or the
competence of an international organization, as appropriate, to prohibit,
limit or regulate the exploitation of marine mammals more strictly than
provided for in this Part. States shall co-operate with a view to the
conservation of marine mammals and in the case of cetaceans shall in
particular work through the appropriate international organizations for
their conservation, management and study.’
The provision admits the possibility of introducing stricter regulation on
catching marine mammals in the EEZ than the general rules applicable to
fisheries in the EEZ prescribed in Part V of the UNCLOS. It also requires
contracting parties to implement activities for conservation, management and
scientific study through international organizations. Under the provision,
however, each contracting party determines how to fulfill their obligations.5 It
should be noted that Article 65 applies to mammals in the high seas in
conservation of marine living resources), in H. Shiroyama & R. Yamamoto
(eds.), Tokeru Sakai Koeru Ho 5: Kankyo to Seimei, (Boundaries loosened and
interconnected law), Vol. 5: the environment and life), University of Tokyo
Press, 2005, pp.282-286;
5
This provision does not specify a particular international organization. It does
not articulate how and to what extent states shall cooperate nor formulates
how to ensure such cooperation.
[203]
北法63(5・122)1422
Whaling Issues: International Law and Japan
accordance with Article 120 of the UNCLOS.
The ICRW, adopted in 1946, regulates the catching of large cetaceans in
any maritime area. Its adoption was to respond to the increasing concern on
the drastic depletion of the stocks of large cetaceans, such as blue whales,
particularly in the Antarctic Ocean. The depletion was caused by overcatching by whaling industries of some advanced countries, such as the
Netherlands, the UK and the US, etc., as well as Japan. The ICRW has been a
key international legal instrument in regulating whaling. The IWC,
established in 1948 by the Convention, has taken a principal role in its
enforcement.
The CITES, adopted in 1973, aims at the conservation of endangered
species by regulating international trade. The United Nations Conference for
the Human and Environment (UNCHE) provided a momentum for its
adoption. Under the Convention trade includes ‘introduction from the sea,’ as
well as export, re-export and import (Article I (c)). ‘Introduction from the sea’
is defined as ‘transportation into a State of specimens of any species which
were taken in the marine environment not under the jurisdiction of any State’
(Article I (e)).
Under the CITES, species in which trade is regulated are divided into
three categories, Appendix I, II and III, depending on the risk of their
extinction. Different regulatory rules apply to each trade between the species
listed in the three Appendixes. Appendix I includes ‘all species threatened
with extinction which are or may be affected by trade’ (Article II (1)).
Appendix II contains ‘all species which although not necessarily now
threatened with extinction may become so unless trade in specimens of such
species is subject to strict regulation in order to avoid utilization with their
survival’ (Article II (2) (a)) and ‘other species which must be subject to
regulation in order that trade in specimens of certain species referred to
Article II (2) (a) may be brought under effective control’ (Article II (2) (b)).
Appendix III lists all species which ‘any Party identifies as being subject to
北法63(5・121)1421
[204]
資
料
regulation within its jurisdiction for the purpose of preventing or restricting
exploitation, and as needing the co-operation of other Parties in the control of
trade.’ (Article II (2) (c)). Nonetheless, a contracting party may enter a specific
reservation with regard to any species included in Appendix I, II or III
(Article XXIII (2) (a)).
‘Introduction from the sea’ of a specimen of a species included in Appendix
I or II is allowed if requirements formulated in Article III (5) or Article IV (6)
are fulfilled. Under Article III (5) it ‘shall require the prior grant of a
certificate from a Management Authority of the State of introduction.’
Conditions of granting a certificate are formulated in Article III (5) or Article
IV (6). As to species listed in Appendix I the conditions include: ‘(a) a
Scientific Authority of the State of introduction advises that the introduction
will not be detrimental to the survival of the species involved, (b) a
Management Authority of the State of introduction is satisfied that the
proposed recipient of a living specimen is suitably equipped to house and
care for it; and (c) a Management Authority of the State of introduction is
satisfied that the specimen is not to be used for primarily commercial
purposes.’ Under Article IV (6) the first two of the three conditions
aforementioned, (a) and (b), shall be met concerning species included in
Appendix II.
At this stage trade of any specimen of all species of cetaceans is regulated
by the CITES. Twenty-one species are included by Appendix I, and all other
species of cetaceans, by Appendix II.6 Those numbers have increased since
6
They are: Balaena mysticetus, i.e. bowhead whale; Eubalaena spp., i.e. right
whale; Balaenoptera acutorostrata, i.e. minke whale; Balaenoptera bonaerensis,
i.e. Antarctic minke whale; Balaenoptera borealis, i.e. sei whale; Balaenoptera
edeni, i.e. Bryde’s whale; Balaenoptera musculus, i.e. blue whale; Balaenoptera
omurai, i.e. Omura’s whale; Balaenoptera physalus, i.e. Common Rorqual, fin
whale; Megaptera novaeangliae, i.e. humpback whale; Orcaella brevirostris, i.e.
Irrawaddy dolphin; Orcaella heinsohne; Sotalia spp., i.e. river dolphins; Sousa
spp., i.e. humpback dolphins; Eschrichtius robustus, i.e. gray whale; Lipotes
vexillifer, i.e. Chineese lake dolphin, Yangtze River Dolphin; Caperea marginata,
[205]
北法63(5・120)1420
Whaling Issues: International Law and Japan
the adoption of the Convention.7 Some contracting parties, such as Japan,
have entered a reservation regarding certain species of cetaceans listed in
Appendix I, to be mentioned later.
2. Regulatory framework of the ICRW
The purpose of the ICRW is ‘to provide for the proper conservation of
whales stocks and thus make possible the orderly development of the whaling
industry’ (Preamble). Any country can accede to this Convention. Its scope
covers at least thirteen large cetaceans, including ten of the baleen whales, i.e.
blue whale, bowhead whale, Bryde’s whale, fin whale, gray whale, humpback
whale, minke whale, pygmy right whale, right whale and sei whale, and three
of toothed whales, i.e. beaked whale, bottlenose whale and sperm whale.
Their definitions are given in the Schedule (Paragraph 1.). The ICRW ‘applies
to factory ships, land stations, and whale catchers under the jurisdiction of
the Contracting Governments and to all waters in which whaling is
prosecuted by such factory ships, land stations, and whale catchers’ (Article I
(2)).
Specific rules regulating whaling, such as seasons, catch limits and the like,
are contained in the Schedule. The current Schedule consists of thirty-one
paragraphs in six chapters, namely, I interpretation, II seasons, III capture,
IV treatment, V supervision and control, and VI information required. The
IWC may amend from time to time the provisions of the Schedule on certain
conditions (Article V) by a three-fourths majority of those members voting
(Article III (2)). Such conditions include: the amendment is necessary ‘to carry
out the objectives and purposes of the Convention and to provide for the
i.e. pygmy right whale; Neophocaena phocaenoides, i.e. black finless porpoise,
finless porpoise; Phocoena sinus, i.e. Cochito, Gulf of California Harbour
porpoise; Physeter macrocephalus, i.e. sperm whale; Platanista spp., i.e. Susus;
Berardius spp., i.e. beaked whale; and Hyperoodon spp., i.e. bottlenose whale.
7
In the early year after adoption seven species were included in Appendix I,
and, two, in Appendix II. In 1979 all whale species, except for the seven listed
in Appendix I, were added to a list of Appendix II.
北法63(5・119)1419
[206]
資
料
conservation, development, and optimum utilization of the whale resources’; it
is ‘based on scientific findings’; it does ‘not involve restrictions on the number
or nationality of factory ships or land stations, nor allocate specific quotas to
any factory ships or land station or to any group of factory ships or land
stations’; and it takes ‘into consideration the interests of the consumers of
whale products and the whaling industry’ (Article V (2)). Nonetheless, the
amendment is not applicable for any members that presented to the IWC an
objection to the amendment within ninety days from its adoption (Article III
(3)).
The ICRW grants a right to any contracting government to issue ‘a special
permit authorizing that national to kill, take and threat whales for purposes
of scientific research subject to such restrictions as to number and subject to
such other conditions as the Contracting Governments thinks fit’ (Article VIII
(1)). It requires a contracting governments to report to the IWC all
authorizations it has granted (Article VIII (1)), to proceed any whales taken
under the special permits (Article VIII (2)); and transmit to the Scientific
Committee of the IWC, in so far as practicable and at intervals not more than
one year, scientific information available on whales and whaling (Article VIII
(3)).
Under the ICRW, the Scientific Committee (SC) has been established as a
subsidiary body (Article III (4)). The SC consists of the world’s leading whale
biologists. Many are nominated by member governments.8 Decisions and
recommendations adopted by the Committee are to facilitate activities of the
IWC and to become a basis of its decision (Article IV (1)).
Eighty-nine countries ratified or acceded to the ICRW by the end of
August 2011. The number is relatively small, compared with the number of
member states of the UN, i.e. 193. In the IWC there are only a few member
8
As to the outline of the SC, see, ‘The Scientific Committee,’ in IWC, ‘IWC
information: A general introduction to the IWC with links to more detailed
information,’ available at <http://www.iwcoffice.org/commission/iwcmain.
htm>(as of 10 September 2011).
[207]
北法63(5・118)1418
Whaling Issues: International Law and Japan
states under whose jurisdiction whaling, except for aboriginal subsistence
whaling, has currently been undertaken. Japan is one of them.9
3. History of conservation and management by the IWC
The IWC has a seventy-year-long history. The history is not simple affected
by various kinds of factors.
Particularly in the 1950s, regulation by the IWC almost concentrated on
the catching of baleen whales in the Antarctic Ocean mainly to adjust price
of whale oil. Catch limits were calculated based on the blue whale unit (BWU).
The method accelerated catching of large cetaceans for economical efficiency.
This resulted in their appreciable depletion. The IWC was a ‘salon’ of
whalers, and properly scientific advice was scarcely provided by the SC.10
By the mid-1960s, whaling industries of many advanced countries, such as
Australia, France, the Netherlands, UK and US, stopped their operations,
mainly due to the stagnation in the price of whale oil. This contributed to a
gradual change in the IWC’s attitude that used to have priority over interests
of whaling industry. In the 1960s the IWC started to take measures to assess
whale stocks and to conserve whales to prevent large cetaceans from
becoming extinct. The SC prompted this direction, recommending abolition of
the BWU. However, the IWC kept the BWU through to the 1960s, while it
prohibited catching blue whale and humpback whale.11
In the beginning of the 1970s the IWC started to move towards a scientificbased management of whaling, which the SC had tried to pursue. It rejected
a proposal on a moratorium of commercial whaling based on the SC’s view
that there was no scientific justification for introducing a total ban under the
circumstances where not all whale species were presumably in endangered.
9
Japan ratified the ICRW in 1951. The other such members include: Iceland
and Norway.
10
W. Aron, ‘The Science and the IWC,’ in R.L. Friedheim (ed.), Towards a
Sustainable Whaling Regime, University of Washington Press, 2001, pp.106-108.
11
E.g. IWC, Chairman’s Report of the Twenty-Second Meeting (1971), pp.4-13.
北法63(5・117)1417
[208]
資
料
Thus, the IWC did not follow the resolution adopted by the UNCHE on a
moratorium of commercial whaling. At the same time the IWC abolished the
BWU and adopted quotas for each whale stock. Moreover, it successfully
introduced mechanisms of mutual dispatch of monitoring persons based on
bilateral agreements between members of the IWC.12 Furthermore, in 1975
the IWC adopted a new management policy for whales, introducing the new
management procedure (NMP). This was a method of calculating catch limits
based on some biological characteristics of whales.13
Towards the end of the 1970s, the anti-whaling14 movement became more
vocal both within and outside the IWC. This was rooted in the rising
prominence of eco-activities in the international community. In the IWC it
was discovered that the RMP could not be implemented properly due to
difficulties with obtaining the complex data required. 15 It complicated
arguments on uncertainties in the scientific analyses in the SC whose
members were increasing.16 Under the circumstances, the anti-whaling trends
clearly appeared in the IWC. It was accelerated by the increased accession to
the ICRW by non-whaling states that opposed commercial whaling. By the
end of the 1970s members opposing commercial whaling became the majority
within the IWC.17 It led to the amendment of the Schedule that introduced
the Indian Ocean Sanctuary by the IWC in 1979.18
In the 1980s, this anti-whaling trend became much stronger in the IWC due
12
Report of the International Whaling Commission (hereinafter called IWC
Report) (1972-73), 24 IWC Report (1974), p. 6; Chairman’s Report of TwentyFourth Meeting, Ibid. pp. 7-17.
13
27 IWC Report (1977), pp. 6-8.
14
In this paper, ‘anti-whaling’ refers to those opposed to any form of
commercial whaling.
15
‘Conservation and management,’ IWC, supra note 8.
16
E.g. 29 IWC Report (1979), p. 41-42.
17
Such member states increased from 7 to 13 within the period between 1973
and 1979.
18
30 IWC Report (1980), p. 27 & 39 (Appendix 10).
[209]
北法63(5・116)1416
Whaling Issues: International Law and Japan
to the remarkable increase of accession to the ICRW by countries that
opposed commercial whaling. In 1982 the IWC adopted a moratorium of
commercial whaling as Paragraph 10 (e) of the Schedule. It was supported by
the members who opposed commercial whaling. They insisted that an interim
prohibition was needed to achieve conservation of whale resources under the
circumstances where there was incomplete scientific data on the stocks.
However, there was no scientific advice of the SC as a basis for such a
decision.19 Some members of the IWC, such as Japan, Norway, Peru, the
former USSR, presented objections against the decision. However, Japan and
Peru withdrew their objection mainly as a result of external pressure. 20
However, whaling by indigenous people like the Inuit in the US was
exceptionally allowed as ‘aboriginal subsistence whaling.’21 Moreover, the IWC
decided to prolong the Indian Ocean Sanctuary for ten more years in 1992
and adopted a new Sanctuary of the Southern Ocean in 1994. Neither decision
on the Sanctuaries was based on an agreement in the SC.22 Japan presented
an objection against the Southern Ocean Sanctuary in terms of minke whales.
By the mid-1990s such an anti-whaling direction became decisive in the
IWC, while the SC undertook a comprehensive assessment and succeeded in
developing scientific methods for managing whaling. Paragraph 10 (e)
remained untouched in spite of the productive work done by the SC in
reviewing a moratorium of commercial whaling in accordance with the
second sentence of Paragraph 10 (e).
The SC undertook a comprehensive assessment as required in the
Paragraph.23 Moreover, it successfully adopted a new scientific method of
19
32 IWC Report (1982), p. 48.
20
The US made protests against Japan and suggested sanctions under the
Packwood—Magnuson Amendment and the Pelly Amendment. K. Sumi,’ The
“Whale War” Between Japan and the United States: Problems and Protests,’
17-2 Denver Journal of International Law and Policy (1989), pp.356-362.
21
33 IWC Report (1983), pp. 20-21 & p. 39 (Appendix 6).
22
45 IWC Report (1995), pp. 27-29.
23
As to a comprehensive assessment undertaken by the SC and its results,
北法63(5・115)1415
[210]
資
料
setting catch limits, namely, a revised management procedure (RMP), by
unanimous decision in 1992. 24 The RMP is a simple method but highly
appreciated by scientists as being sufficiently precautionary. This balances
the somewhat conflicting requirements to ensure that the risk to individual
stocks is not seriously increased, while allowing the highest continuing yield.
The RMP requires knowledge of two essential parameters: estimates of
current abundance taken at regular intervals; and knowledge of past and
present catches. It takes into account scientific uncertainties on the stocks
and is therefore highly precautionary.25 In 1994 the RMP was finally adopted
and endorsed by the IWC after protracted discussion.26 However, there was
no substantial progress in discussion in the IWC for implementing the RMP.
No agreement was reached on monitoring measures of its compliance. Thus,
a series of discussions on a revised management scheme (RMS) ended
without any tangible results in 2006.27
see IWC, ‘Whale population estimates,’ available at <http://www.iwcoffice.org/
conservation/estimate.htm> (as of 24 July 2011). The term ‘comprehensive
assessment’ in Paragraph 10 (e) had not been defined by the IWC and
eventually the SC defined it to be: “an in-depth evaluation of the status of all
whale stocks in the light of management objectives and procedure... that ...
would include the examination of current stock size, recent population trends,
carrying capacity and productivity.” Ibid.
24
44 IWC Report (1994), pp. 43-51 & 74-92.
25
As to the outline of RMP, see IWC, ‘Revised management procedure,’
available at <http://www.iwcoffice.org/conservation/rmp.htm> (as of 24 July
2011).
26
45 IWC Report (1995), pp. 23-27 & 43 (Appendix 5). In the 1992 and 1993
annual meetings the IWC did not adopt the RMP in spite of recommendations
of the SC on its adoption. The Chairman of the SC, Mr. Butterworth, protested
the attitudes of the IWC and resigned the position, criticizing the ignorance
of the science by the IWC. As to his criticism against the IWC, see D.S.
Butterworth, ‘Science and sentimentality,’ 357 Nature (1992), pp. 532-534..
27
IWC, Chair’s Report of the 58th Annual Meeting, 16-20 June 2006, St.
Kitts and Nevis, January 2007, Annual Report of the International Whaling
[211]
北法63(5・114)1414
Whaling Issues: International Law and Japan
Under the circumstances the IWC members supporting sustainable
commercial whaling pursued their own policies. For example, Japan
suspended commercial whaling in 1988 and started research whale programs
for scientific purposes. It also repeatedly proposed a special quota for smalltype coastal whaling of minke whales whose stocks were agreed abundant in
the SC. In addition to whaling for scientific research, Norway resumed
commercial whaling in 1993. Iceland withdrew the IWC and took an initiative
on establishing the NAMMCO in 1992.28 Russia stopped whaling except for
aboriginal subsistence whaling.
Towards the end of the 1990s the IWC became deadlocked. Both sides
were unable to constitute a three-fourth majority of the IWC members
necessary for an amendment of the Schedule. This was due to the gradual
increase of member states supporting sustainable commercial whaling. 29
Scientific-based management of whaling was not achieved, neither.
It should, however, be noted that from the mid-2000s there were several
attempts among members to make a political compromise to normalize the
IWC. It was the process, ‘Future of the IWC’, that should particularly be
focused on as the most recent and intensified dialogue. It started in 2008
based on the outcome of intersessional meetings. A small working group
(SWG) was established in 2008 to facilitate further discussion or negotiations
Commission (hereinafter called IWC Annual Report of 2007, pp. 31-34. As to
the summary of work on the RMS in the IWC, see IWC, ‘Revised management
scheme,’ available at <http://www.iwcoffice.org/conservation/rmp.htm> (as of
24 July 2011).
28
However, Iceland rejoined the IWC with reservation on Paragraph 10 (e)
in 2002 and resumed commercial whaling in 2006. There were a series of
controversies regarding the admissibility of the adherence to the ICRW with
the reservation. As to the issues, see ‘Iceland’, in http://www.iwcoffice.org/_
documents/iceland.htm (as of 13 September 2011).
29
This was caused by the increase both of withdrawal from the IWC by non-
Euro-American states that are non-whaling and of accession to it by developing
countries that rely on fisheries.
北法63(5・113)1413
[212]
資
料
on the Future of the IWC. The process continued intensively for two years.30
In March 2010 the Chair and Vice Chair of the IWC, assisted by a support
group established in 2009, submitted a report to the SWG that contained a
set of ideas as to how the IWC could function in the future.31 In April 2010
the Chair and Vice-Chair released a draft package. It was expectedly to be
discussed at the 2010 annual meeting of the IWC.32
The proposed decision in the package would establish a 10-year interim
period of stability within which intensive dialogue will occur on the major
long-term issues at the IWC with the objective of resolving those issues
during that period. Main components of the decision are: to retain the
moratorium on commercial whaling; to suspend immediately for the 10-year
period unilaterally-determined whaling under special permit, objections, and
reservations; to bring all whaling authorized by member governments under
the control of the IWC; establish caps for the next ten years that are
significantly less than current catches and within sustainable levels,
determined using the best available scientific advice,33 to limit whaling to
30
As to the process, see IWC, ‘Future of the IWC: Meeting of the Small
Working Group on the Future of the IWC and associated documents,’ available
at <http://iwcoffice.org/commission/future.htm> (as of 19 June 2011).
31
IWC/62/6rev: Report of the fourth meeting of the Small Working Group on
the Future of the IWC.
32
IWC/62/7rev: Proposed Consensus Decision to Improve the Conservation of
Whales from the Chair and Vice Chair of the Commission.
33
Catch limits of non-aboriginal subsistence whaling set by the proposed
decision include: 1) in Southern Hemisphere, 400 Antarctic minke whales per
year in the first 5 years, and, 200, in the last 5 years, 10 fin whales per year
in the first 3 years, 5, in the rest of 7 years; 2) in Northern Hemisphere, in the
North Pacific, 120 minke whales per year on the coastal waters near Japan,
excluding the Okhotsk Sea, and 40, on the offshore, 50 sei whales per year, 12
Bryde’s whales; and in the North Atlantic, particularly in the Eastern Atlantic,
600 minke whales per year and 80 fin whales per year, and especially in the
Central Atlantic, 80 minke whales per year. Supra note 32, p. 15 & 16 (Table 4).
Considering the proposition of the proposed decision to limit whaling to those
[213]
北法63(5・112)1412
Whaling Issues: International Law and Japan
those members who currently take whales; to introduce modern, effective
IWC monitoring, control and surveillance measures for non-indigenous
whaling operations; to create a South Atlantic Sanctuary; etc.
However, the process has not been successful. Despite the enormous
amount of effort and resources used, no political compromise was reached. In
the 2010 annual meeting the IWC completed its discussions on the Future of
the IWC without reaching a consensus resolution over its main differences.
Even the discussions on the proposed consensus decision did not take place
in the plenary but continued as a series of small, private ‘one to one’ meetings
between groups of member states. After all, it agreed to a pause in its work
on this topic to allow time for reflection until the 2011 annual meeting.34
Nonetheless, there was no substantial discussion on the matters in the
meeting. The IWC agreed to encourage continued dialogue among its
members regarding the future of the IWC, continue to build their mutual
trust and to encourage them to continue to cooperate in taking forward the
work of the Commission.35 The Japanese government expressed an intention
“to carry out the discussion cool-heatedly and constructively for the
diplomatic solution of the issues concerning the process”.36 At the 2012 annual
meeting there was no action arising on the matter, neither.37 Moreover, it
was agreed in the meeting that the Commission should move to biennial
meetings.38 Thus, the process has unfortunately collapsed, and the future of
members who currently take whales, the catch limits in Southern Hemisphere
and in the North Pacific are presumably allocation for Japan, those in the
Eastern Atlantic, for Norway, and those in the Central Atlantic, for Iceland.
34
IWC Annual Report of 2010, p.1 & pp.6-10.
35
IWC Annual Report of 2011, p.1 & pp.6-7.
36
IWC/63/OS JAPAN: Fisheries Agency, Japan’s opening statement to the
63rd annual meeting of the International Whaling Commission.
37
IWC, PRESS RELEASE: DAY 1, available at <http://iwcoffice.org/cache/
downloads/d3lm0kofrkoc0g40kgk0swwcg/PRESS%20RELEASE%20day1.pdf.>
(as of 28 September 2012).
38
IWC, PRESS RELEASE: DAY 5, available at <http://iwcoffice.org/cache/
北法63(5・111)1411
[214]
資
料
the IWC remains uncertain.
Why did it fail?39 One of the main factors is presumed to be that some
states, notably Australia and Latin American countries, insisted on the phasedown of all whaling except for aboriginal subsistence whaling and did not
accept the proposed decision.40 The Japanese government appreciated the
proposed decision and regarded the Australian as being unacceptable.41
II. Understandings of general matters on whaling by the Japanese
government
1. Whaling as sustainable utilization of marine living resources
Within the framework of the ICRW, the Japanese government is pursuing
the resumption of sustainable commercial whaling under international control
including science-based harvest quota and effective enforcement measures.
At the same time, it strongly supports conservation and protection of
endangered species. Such a position is fully compatible with objects and
purposes of the ICRW.42
downloads/6ltw9i6m15wk4gsg8o4w4gock/PRESS%20RELEASE%20day5.pdf>
(as of 28 September 2012).
39
cf. D. Goodman, ‘The “Future of the IWC”: Why the Initiative to Save the
International Whaling Commission Failed,’ 14 Journal of International Wildlife
Law & Policy (2011), pp. 63-74.
40
Supra note 34. As to Australia’s argument, see IWC/A10/SG1: Comments
received on the Draft Consensus Decision to Improve the Conservation of
Whales (IWC/M10/SWG 4) (Comments of Australian Government); IWC/M10/
SWG 5, The Future of the International Whaling Commission: An Australian
Proposal.
41
Supra note 34.; ‘Japan’s comments on the draft Consensus Decision to
Improve the Conservation of Whales’ in IWC/A10/SG1, supra note 36;
IWC/62/OS Japan: Fisheries Agency, Japan’s opening statement to the 2011
annual meeting of the International Whaling Commission; IWC/M10/SWG7:
Government of Japan, Statement on the Future of the IWC: Small Working
Group on the Future of the IWC, 2-4 March 10, St. Pete Beach, Florida, USA.
42
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), ‘Hogei wo Torimaku Jokyo’ Current
[215]
北法63(5・110)1410
Whaling Issues: International Law and Japan
Sustainable whaling can be achieved by scientifically sound management.
For example, the SC has developed an appropriate scientific method for the
purpose, RMP, based on precautionary consideration. The IWC adopted and
endorsed it. Together with a monitoring and inspection scheme it is to
provide a regime to ensure sustainable commercial whaling.43
2. Whale population estimates
There are more than eighty species of cetaceans in the world. Some are
abundant, increasing and recovering from past over-harvesting, while others
are endangered. As to cetaceans under the jurisdiction of the IWC, the SC
agreed this by undertaking a comprehensive assessment of the whale stocks
in accordance with Paragraph 10 (e) of the Schedule. The Japanese
government fully supports the SC’s conclusion.44
Antarctic minke whales are typical examples of abundant stocks.45 The
population estimates, 761,000, is currently being reconsidered.46 Nonetheless,
ituations concerning whaling) (in Japanese), available at <http://www.jfa.
maff.go.jp/j/whale/w_thinking/index.html> (as of 18 June 2011); J. Morishita,
Alternate Commissioner, Delegate of Japan ‘IWC 63, Briefing Note:,’
Introduction.
43
Morishita, supra note 42, para.1
44
IWC, supra note 23; Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 42.
45
E.g. IWC, Chair’s Report of the 56th Annual Meeting, April 2005, p.47.
46
In the SC there have been discussions on appreciable decline in circumpolar
(CP) Antarctic minke whale abundance estimates between the second (II) and
third (III) circumpolar. IWC, Report of the Scientific Committee 2011, IWC/63/
Rep1, pp.24-26. Also, see supra note 42, 49S & 49, 1-4 (‘Antarctic Minke Whale’
(in Japanese), available at <http://kokukshi.job.affrc.go.jp/H20/H20_49.html>) (as
of 24 July 2011)). In 2012 the SC agreed the best available abundance estimates
of Antarctic minke whales in the surveyed areas during the years of CPII
and CPIII. They are 720,000 for CPII and 515,000 for CPIII. The Committee
understands the differences seen between CPII and CPIII probably reflect real
changes in abundance in the open-water areas surveyed. It is exploring possible
reasons for this. IWC, Report of the Scientific Committee 2012, IWC/64/
北法63(5・109)1409
[216]
資
料
there are still a large number of mink whales that can be utilized in a
sustainable manner even if a new estimate shows a lower abundance. This
seems clear from figures currently being discussed in the SC. 47 The
Committee also agreed that humpback whales in the Antarctic, as well as
finback whales in the area, are increasing at a rate of about 10% per year.
Moreover, according to the Japanese government, data collected by the
Japanese non-lethal research suggests that there is an increasing number of
mink whales, Byrd’s whales and sei whales in the Western North Pacific.48
However, blue whales are still endangered according to analyses by the SC.
This means that their stock has not sufficiently been recovering yet.
Supporting this finding, the Japanese government believes that catching them
cannot be justified as sustainable whaling.49
III. Position taken by the Japanese government on legal issues
Rep1rev1, pp.35-39.
47
Ibid; supra note 23.
48
Population estimates of the stocks are the following. During the period of
1998 and 2001, minke whales in the Sea of Okhotsk and North West Pacific
are 25,049; Bryde’s whales in the North West Pacific, 20,501. The estimates
were agreed by the SC. During the period of 2002 and 2003, sei whales in the
North West Pacific are 68,000. There needs more detailed analyses regarding
the estimates of sei whales, for there are objections on the method adopted.
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), ‘Heisei 22 Nendo
Kokusai Gyogyoshigen no Genkyo’ (Current status of marine living resources
and their management) (in Japanese), 2011, p. 48S & 48, 2 (‘Common Minke
Whale’ (in Japanese), available at <http://kokukshi.job.affrc.go.jp/H20/H20_48.
html>) (as of 24 July 2011)); 50S & 50, 1-3 (‘Bryde’s Whale’ (in Japanese) available
at <http://kokukshi.job.affrc.go.jp/H20/H20_50.html>) (as of 24 July 2011)); 52S
& 52, 1-2 (‘Sei Whale’ (in Japanese) available at <http://kokukshi.job.affrc.go.jp/
H20/H20_52.html>) (as of 24 July 2011)).
49
Consulate-General of Japan, Sydney, ‘Japanese Government’s position on
whaling,’ available at <http://www.sydney.au.emb-japan.go.jp/english/top/
important_info/japanese_governments_position.htm> (as of 24 July 2011).
[217]
北法63(5・108)1408
Whaling Issues: International Law and Japan
1. Object and purpose of the ICRW50
It is the opinion of the Japanese government that the purpose of the ICRW
is ‘to provide for the proper conservation of whales stocks and thus make
possible the orderly development of the whaling industry’ (Preamble). The
ICRW requires that regulation of whaling adopted by the IWC be based on
scientific findings to ensure that whaling is sustainable. This is clearly
reflected in Article V (2). In other words, the ICRW aims at science-based
sustainable whaling that is compatible with conservation of whales stocks
and the protection of endangered species.
Some argue that the object and purpose of the ICRW have been
fundamentally changed into the conservation of cetaceans. According to this
point of view, such a change has been brought about by practice of the IWC,
such as the amendment of the Schedules for adopting the moratorium of
commercial whaling, of sanctuaries, etc. Considering their position that seems
to preclude any form of commercial whaling irrespective of the science and
status of the stocks, this presumably means that the ‘conservation’ required
by the ICRW would consist of a total ban of whaling. The Japanese
government considers this as a fundamental change of its purpose - or even a
rejection of the purpose - which is explicitly referred to in the Preamble of
the Convention.
However, it is the position of the Japanese government that such an
argument cannot be justified as an interpretation of the ICRW. First, the
object and purpose of a convention cannot be fundamentally changed in an
adverse direction of that which is explicitly found in the text of a convention.
This cannot be done without amendment of provisions of the main text of the
Convention. The main text of the ICRW clearly requires that regulation shall
50
Discussions in this section are based on the materials, such as J. Morishita,
Alternate Commissioner, Delegate of Japan, ‘IWC 59, Buriifing-shiryo,’ (IWC
59, Briefing Note) (in Japanese), para.16; Morishita, supra note 42, para.4; IWC,
Chair’s Report of the 55th Annual Meeting, 16-19 June 2003, January 2004, IWC
Annual Report of 2003, p.10; supra note 49.
北法63(5・107)1407
[218]
資
料
be adopted based on scientific findings. It is to achieve the object and purpose
that are explicit in the Preamble. Second, such practice as the amendments of
the Schedule on the moratorium or on sanctuaries cannot be regarded as
evidence of a fundamental shift in the object and purpose of the ICRW. The
moratorium on commercial whaling is not a permanent prohibition of whaling
regardless of status of the stocks but pursuing sustainable whaling that is
compatible with appropriate conservation of cetaceans. This is particularly
clear from the second sentence of the Paragraph 10 (e) of the Schedule on the
moratorium, to be mentioned later. This is the reason why Japan has
accepted the moratorium. Moreover, both the amendments of Paragraph 7 (a)
and (b) on sanctuaries, proposed without support of the SC, were adopted by
a narrow margin in the IWC. Japan and other IWC member states presented
objections against the amendments. Thus, the amendments have not been
supported by the vast majority of the IWC members. Therefore, the objects
and purposes of the ICRW cannot be regarded as being fundamentally
changed as argued in the view of the Japanese government.
In any event, according to the Japanese government, the ICRW aims at
achieving appropriate and orderly management of the whaling industry with
science-based conservation of cetaceans. Its purpose is not ‘conservation’ of
whales regardless of the status of the stocks and without taking into
consideration of the current state of the scientific knowledge.
2. The moratorium of commercial whaling in Paragraph 10 (e), the Schedule,
ICRW
The moratorium of commercial whaling is indicated in Paragraph 10 (e) of
the Schedule. It reads as follows:
’10 (e) Notwithstanding the other provisions of paragraph 10, catch limits
for the killing for commercial purposes of whales from all stocks for the
1986 coastal and the 1985/86 pelagic seasons and thereafter shall be zero.
This provision will be kept under review, based upon the best scientific
advice, and by 1990 at the latest the Commission will undertake a
[219]
北法63(5・106)1406
Whaling Issues: International Law and Japan
comprehensive assessment of the effects of this decision on whale stocks
and consider modification of this provision and the establishment of other
catch limits.’
Notwithstanding the Paragraph whaling traditionally conducted by
indigenous people, such as the Inuit in the US, can be retained as ‘aboriginal
subsistence whaling.’ However, there is no definition of ‘aboriginal whaling’
adopted by the IWC.
Japan presented an objection against the amendment of the Schedule at the
beginning due to the lack of scientific grounds for a total ban of commercial
whaling. Not all species were in danger, as aforementioned. Nonetheless,
Japan withdrew its objection mainly as a result of external pressure and
suspended commercial whaling in 1988.
The Japanese government believes that whale research programs
permitted by Japan are legitimate under Article VIII of the ICRW. It does
not fall into commercial whaling currently prohibited by Paragraph 10 (e), to
be explained later.
The Japanese government deeply regrets that the moratorium has not
been appropriately been reconsidered by the IWC in accordance with
Paragraph 10 (e). The Paragraph does not intend to prohibit commercial
whaling permanently. It is designed to prohibit commercial whaling
provisionally. In the second sentence it explicitly requires the IWC to
undertake a comprehensive assessment and to establish appropriate catch
limits within a period of ten years. Thus, Paragraph 10 (e) provides for a
measure to achieve scientifically sound and appropriate utilization of
resources. Faced with some uncertainties of status of the stocks, it required
the provisional suspension of their utilization. Upon collecting relevant
scientific information and examining appropriate catch limits based on its
analysis, it was envisaged that the suspension would be lifted.
Moreover, the SC has done successful work for reviewing the moratorium,
namely, undertaking a comprehensive assessment and adopting a
scientifically-sound method for setting catch limits, i.e. the RMP. First, results
北法63(5・105)1405
[220]
資
料
of the assessment demonstrate that some stocks are abundant and increasing
while others are not. 51 Second, the SC adopted the RMP to overcome
difficulties with implementing the NMP. The RMP has been appreciated by
all the scientists in the SC as a simple but fully reliable method. It can
respond to substantial depletion of stocks in a short period by the prompt
change of the environment.52
For more than ten years the IWC continued discussions with a view to
completion of the RMS. It is to be a comprehensive scheme to implement the
RMP together with monitoring measures of its compliance. However, they
did not produce any fruitful outcome. Since the collapse of the discussion in
2006, no work has been done in the IWC with a view to adopting the RMS,
while the SC has been engaged in the implementation simulation test of the
RMP regarding certain stocks to set a catch limits. The Japanese government
appears willing to accept a practical, effective and cost efficient monitoring
and inspection scheme. In the view of the Japanese government, such a
scheme would necessarily include national inspectors and international
observers to verify catches, a conservative harvesting quota, and a fair
sharing of the costs. Japan has tried to make substantial compromise to reach
an agreement on a reasonable RMS and made proposals for the purposes.53
3. Whale research programs under special permit under Article VIII
(1) Overview of whale research programs permitted by Japan
Article VIII (1) of the ICRW reads as follows:
’Article VIII 1. Notwithstanding anything contained in this Convention any
Contracting Government may grant to any of its nationals a special permit
authorizing that national to kill, take and treat whales for purposes of
51
IWC, Chair’s Report of the 56th Annual Meeting, 19-22 July 2004, Sorrento,
Italy, April 2005, p.47.
52
Morishita, supra note 42, para.3.
53
Ibid.
[221]
北法63(5・104)1404
Whaling Issues: International Law and Japan
scientific research subject to such restrictions as to number and subject to
such other conditions as the Contracting Government thinks fit, and the
killing, taking, and treating of whales in accordance with the provisions of
this Article shall be exempt from the operation of this Convention. Each
Contracting Government shall report at once to the Commission all such
authorizations which it has granted. Each Contracting Government may at
any time revoke any such special permit which it has granted.’
The Japanese government issued a special permit of whale research
programs in the Antarctic Ocean or the Western North Pacific in accordance
with the provision. The programs permitted by the Japanese government
involve both lethal and non-lethal research techniques, such as sighting
surveys and biopsy sampling. They have two objectives. One is to collect
biological information on whales to promote their sustainable utilization. Such
biological information includes: distribution of stocks, trends in increase or
decrease of the stocks, resource composition regarding sex, age, and impacts
of changes of the environment in their habitat on whales. Another objective
is to collect relevant information on interactions between whales and other
part of marine ecosystem. It has been presumed that increased number of
whales prey a large number of marine resources and that there is
competition between their predation and fisheries. Such competition may
presumably cause a change of balance in the marine ecosystem.54
The programs are summarized as follows.
(a) Whale research programs in the Antarctic Ocean: JARPA & JARPA II
54
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), ‘Geirui-Hokakuchosa ni Tsuite’ (Whale
research programs under Special Permit) (in Japanese), presented in the first
meeting of Geirui Hokakuchosa nikansuru Kento-iinkai (Review Committee for
the Whale Research Program under Special Permit) organized by the Fisheries
Agency of Japan, 22 April 2011, p. 4; Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries
Research Agency, Japan),
北法63(5・103)1403
[222]
資
料
A series of research programs have been undertaken in the Antarctic
Ocean. They are: JARPA, conducted during the austral summer seasons from
1987/1988 to 2004/2005) and JARPA II,55 started with two feasibility surveys
in the austral summer seasons of 2005/2006. Their conductor is the Institute
of Cetacean Research (ICR). The ICR, the National Research Institute of Far
Seas Fisheries, Fisheries Research Agency (NRIFSA/FRA) and universities
jointly the programs and analyze their results.56
The JARPA continued for eighteen years. It was launched to overcome the
insufficiency of scientific evidence on whale stocks, which triggered the
introduction of a moratorium of commercial whaling.57 The program had four
main objectives: a) estimation of biological parameters to improve the stock
management of the Southern Hemisphere minke whale; b) elucidation of the
role of whales in the Antarctic marine ecosystem; c) elucidation of the effect
of environmental change on cetaceans; and d) elucidation of the stock
structure of Southern Hemisphere minke whales to improve management.58
Up to 440 minke whales were caught per year. Considering the estimates
agreed in the SC, the catch was not likely to affect the status of the stocks.59
The analysis of the results of JARPA clarified biological parameters, such
as age at sexual maturity, age at physical maturity, growth curve, natural
mortality rate, blubber thickness, and stomach content change over the years.
55
IWC Document, SC/57/O1: Plan for the Second Phase of the Japanese
Whale Research Program under Special Permit in the Antarctic (JARPA II) –
Monitoring of the Antarctic Ecosystem and Development of New Management
Objectives for Whale Resources (Government of Japan).
56
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note
44, 44- 3 (‘Oogata Geirui,’ (Large cetaceans) (in Japanese) available at <http://
kokusai.job.affrc.go.jp/H20/H20_44.html> (as of 24 July 2011)).
57
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan) note 48.
58
ICR, ‘JARPA/JARPA II research results,’ available at <http://www.
iwcwhale.org/JARPAResults.htm> (as of 10 September 2011). The ICR is not a
governmental organ but a conductor of the programs.
59
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48.
[223]
北法63(5・102)1402
Whaling Issues: International Law and Japan
It was also found out that the abundance of some of the large whale species,
including humpback and fin whales, are showing a rapid recovery of late.
Furthermore, it was demonstrated that the composition of the Antarctic
marine ecosystem continues to change today.60
Following a mid-term review in 1997, the most recent JARPA review by
the SC in December 2006 concluded that “the dataset provides a valuable
resource to allow investigation of some aspects of the role of whales within
the marine ecosystem and that this has the potential to make an important
contribution to the SC’s work in this regard as well as the work of other
relevant bodies such as the Convention for the Conservation of Antarctic
Marine Living Resources,”61 and “the results from the research program,
while not required for management under the RMP, have the potential to
improve management of minke whales in the Southern Hemisphere”.’62
Based on the results of JARPA, JARPA II was launched in 2005 as a new
and expanded program. It is a long-term research program with the following
objectives: 1) monitoring of the Antarctic ecosystem (whale abundance trends
and biological parameters; drill abundance and the feeding ecology of whales;
effects of contaminants on cetaceans; cetacean habitat); 2) modeling
competition among whale species and future management objectives
(constructing a model of restoration of the cetacean ecosystem); 3) elucidation
of temporal and spatial changes in stock structure; and 4) improving the
management procedure for the Antarctic minke whale stocks.63 In particular,
JARPA II places emphasis on collecting data that is necessary to establish a
multi-species management model of whaling based on an ecosystem approach.
The RMP is a method for a single-spice management of whaling. However,
60
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 42; supra note 54, pp. 9-10.
61
ICR, supra note 58; IWC document, SC/59/REP. 1, Report of the
Intersessional Workshop to Review Data and Results from Special Permit
Research on Minke Whales in the Antarctic, Tokyo 4-8 December 2006, p. 28.
62
IWC document, supra note 55, p. 31.
63
ICR, supra note 58, pp. 10-12.
北法63(5・101)1401
[224]
資
料
considering the interaction of predation between different species, a multispecies management is a better approach for sustainable whaling. The
Japanese government has been pursuing this possibility. For this purpose,
more than 100 variables, such as the age and the stomach contents of whales,
are collected to obtain scientific data in the program.64
The program has covered the waters south of 60°and that from 35°E
eastwards as far as 145°W. Whales caught include 850 Antarctic minke
whales, ±10% , per year, 50 fin whales per year, though 10, in the first two
years, and 50 humpback whales per year. No humpback whales were caught
under the process of the Future of the IWC and that there has been no
report of their catching.65
Such catching numbers were computed as statistical minimum sample
numbers that are needed for establishing maturity age and ratio of pregnancy
and so on. It should be noted that both Humpback whales and Fin whales in
the Antarctic Ocean are not on the brink of becoming endangered. Stocks are
recovering rapidly, especially Humpback whales, as aforementioned.66
The results of JARPA II have not yet been reviewed, since it has still been
undertaken for the moment.
(b) Whale research programs in the Western North Pacific, JARPN and JARPN II
Whale research programs have been undertaken on whales in the Western
North Pacific under a special permit granted by the Japanese government.
They are: JARPN, conducted from 1994 and 1999, and JARPN II,67 started in
2000.
As a first phase, JARPN continued for six years from 1994. It had two
64
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48.
65
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 54, p. 5; supra note 55, pp. 12-
14.
66
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48;
supra note 54, pp. 17-19; ICR, supra note 58.
67
IWC Document, SC/54/O2: Research Plan for Cetacean Studies in the
Western North Pacific under Special Permit (JARPN II) (Government of Japan).
[225]
北法63(5・100)1400
Whaling Issues: International Law and Japan
main objectives: a) determine the stock structure of common minke whales,
and in particular to investigate whether or not the “W” stock exists and if so
to estimate mixing rates between “O” and “W” stocks, and b) determine the
feeding ecology of the common minke whale in the North Pacific.68
In the program up to 100 minke whales were caught per year. Research by
JARPN revealed that whales eat huge amounts of fisheries resources. It was
estimated that whales consume approximately three to five times as much
marine resources as the world’s yearly marine fisheries production volume.
Besides eating Krill, which is also food for fish, whales eat a large amount of
Anchovies, Mackerel, Saury, Salmon, Squid and Walleye Pollack. Furthermore,
it became clear that whales feast on certain types of fish during their most
prolific season. Japan as a fishing nation is concerned with this issues.69
Based on the results of JARPN, JARPN II began in 2000 as a new and
expanded program. The ongoing JARPN II started with two feasibility
surveys in 2000 and 2001.70 The first full survey started in 2002. The program
involves both coastal and offshore research. The coastal research includes
offshore operation along Kushiro or the Sendai Bay. The ICR conducted it up
to March 2010, and since April 2010, it has been undertaken by Ippanshadahojin Chiikihogeisuishin-kyokai (Local Association of Whaling). The NRIFSA/
FRA participates in research on the feed environment in both programs. The
ICR, NRIFSA/FRA and universities jointly made both programs. The results
of the research have also been analyzed by them.71
The objectives of the JARPN II are as follows: a) feeding ecology and
ecosystem studies (prey consumption by cetaceans, prey preference of
68
‘JARPN/JARPN II research results,’ available at <http//www.iwcwhale.org/
JARPNRresults.htm> (as of 10 September 2011).
69
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48.
70
IWC Document, SC/54O17: Report of 2000 and 2001 feasibility study of the
Japanese Whale Research Program under Special Permit in the western North
Pacific-Phase II (JARPN II) (Government of Japan).
71
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48;
supra note 71, p.22, 24 & 30.
北法63(5・99)1399
[226]
資
料
cetaceans, ecosystem modeling); b) monitoring environmental pollutant in
cetaceans and the marine ecosystem (pattern of accumulation of pollutants in
cetaceans, bioaccumulation process of pollutants through the food chain,
relationships between chemical pollutants and cetacean health); and c) stock
structure of large whales (comon minke whale, Bryde’s whale, sei whale and
sperm whale).72 It is a comprehensive research on the marine ecosystem with
a view to obtaining scientific data that is indispensable for establishing a
multi-species management-model of whaling based on an ecosystem
approach.73
Catch limits are set as follows: 1) 100 minke whales per year for the first
two years, 150, for the next two years, 160, for the next one year, and 220,
from 2005; 2) 50 Bryde’s whales; 3) 50 sei whales per year in the first two
years from 2002, and 100, after 2005; and 4) 10 sperm whales per year.74 It
should be noted that none of the whale stocks are in danger and that the
catch is unlikely to endanger them.75
In January 2009 the SC carried out a review of the data and results
collected by JARPN II in its six first years (2002-2007). On the main objective
of JARPN II, the report approved that the program was making good
progress to achieve its purposes.76 It stated that “The Panel appreciates the
notable amount of effort undertaken and the generally high quality of the
sampling programme, resultant data and information from JARPN II studies
on whale food habitats and prey preferences. The sampling programme was
72
IWC Document, supra note 71, pp. 12-22; supra note 68;.
73
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48.
74
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), ‘Geirui-Hokakuchosa no Genjo ni Tsuite’
(Current situations of whale research programs under Special Permit) (in
Japanese), presented in the Second meeting of Geirui Hokakuchosa nikansuru
Kento-iinkai (Review Committee for the Whale Research Program under
Special Permit) organized by the Fisheries Agency of Japan, 17 May 2011, p. 5;
IWC Document, supra note 71, pp.26-29.
75
IWC Document, supra note 71 pp.35-36.
76
Supra note 68.
[227]
北法63(5・98)1398
Whaling Issues: International Law and Japan
generally well-coordinated across a wide range of vessels and platforms, and
the degree of concurrently collected multi-disciplinary data was laudable.
These efforts have resulted in valuable datasets that have great potential for
concerted analytical work on a broad range of topics, not all directly related
to the JARPN II programme objectives.”77
(2) Treatment of whale meat as research by-products
Article VIII (2) reads as follows:
‘Any whales taken under these special permits shall so far as practicable
be processed and the proceeds shall be dealt with in accordance with
directions issued by the Government by which the permit was granted.’
Under the provision, by-products of whaling for scientific purposes shall be
processed and utilized as far as possible. In Japan income from sales of whale
meat has been allotted to expenses of whale research programs under the
supervision of the Government in the following manner. It is fulfillment of a
duty imposed by Article VIII (2). Thus, the sales of whale meat are legitimate
under the ICRW.78
In Japan whale meat as research by-products has been dealt with in the
following way. Upon the completion of each research, whale meat is to be
sold by the ICR in accordance with Tokubetuchosa Jigyogyomu Hohosho
(Manual of executing special projects) that was approved by directions issued
by the Minister of Agriculture, Forestry and Fisheries. Under Tokubetuchosa
Jigyogyomu Hohosho (Manual of executing special projects), the ICR gets a
permission from the Secretary of the Fisheries Agency for sales of meat
77
Ibid; IWC Document, SC/61/Rep.1: Report of the Expert Workshop to
Review the Ongoing JARPN II Programme, reprinted in Journal of Cetacean
Research Management 11(Supplement 2) (2010), p. 408.
78
Morishita, supra note 42, para. 8.
北法63(5・97)1397
[228]
資
料
obtained in each research. Meat is sold either on the market or for the public
use. As to the former, some are dealt with by retailers, while others, by
cooperative associations of fisheries or restaurants. In terms of the latter,
meat is sold to the local people, schools or hospitals. The price of whale meat
is determined not in the market but based on expenses of whale research
programs. Such a procedure was introduced when the whale research
programs started. It aims at ensuring appropriate treatment of whale meat
as their by-product in accordance with Article VIII (2) of the ICRW and to
guarantee sufficient financial resources for the programs, as well as
preventing a jump in whale meat price. However, price determined in this
manner does not meet needs of consumers these days. It is a factor of less
sales performance of whale meat. Consequently, there are increasing stocks
of whale meat remaining, as shown by statistics of 2009.79
(3) Legitimacy of Japanese permits for the whale research programs80
The Japanese government argues that granting a special permit of whaling
for scientific research is a right of all member states of the IWC under
Article VIII (1) of the ICRW. According to the provision the state granting a
special issue primarily determines appropriate restrictions on numbers and
other conditions concerning the permit in question. Programs permitted by it
are genuinely for scientific purposes, to be explained later. Therefore, it is the
view of the Japanese government that this is an exercise of a right conferred
under the Convention to issue a special permit to the programs. Moreover,
the Japanese government has fully undertaken all of the procedures required
by Article VIII (1), (3) and (4), as well as Paragraph 30 of the Schedule,
concerning its granting of a special permit.
79
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 42, pp.5-7.
80
Discussions in this section are based on the materials, such as J. Morishita,
Alternate Commissioner, Delegate of Japan, ‘IWC 59, Buriifing-shiryo,’ (IWC 59,
Briefing Note) (in Japanese), para.16; Morishita, supra note 42, para.4; supra note
49.
[229]
北法63(5・96)1396
Whaling Issues: International Law and Japan
In the view of the Japanese government, the programs cannot be regarded
as being incompatible with the object and purpose of the ICRW in terms of
the number and species of whales caught and of other conditions. They do
not endanger the stocks, for the SC has agreed their abundance or sufficient
increase, as aforementioned. It is highly unlikely that they have an adverse
impact on the status of the stocks even if scientific uncertainties are taken
into account based on a precautionary approach.
The Japanese programs have the purpose of advancing scientific
knowledge according to the Japanese government. In its understanding the
Scientific Committee has commended that results of their research are
scientifically useful for sustainable whaling. The Japanese government argues
that the programs contribute to enhancing the accuracy of the RMP. They
also make it possible to collect relevant scientific data even for developing a
method of multi-species management-model of marine resources. In fact the
IWC showed their interest in the work on the interaction between cetaceans
and fisheries.81 Moreover, the SC has recently initiated discussions on the
issue, assisted by the Ecosystem Modeling Working Group first convened in
2007.82 The results of the Japanese programs are to contribute to this work.
In the view of the Japanese government, scientific data for these purposes
cannot be obtained by non-lethal research techniques. Certain information
requires sampling of internal organs, such as ovaries, ear plugs and stomach
content, while some other information can be obtained through non-lethal
means, such as sighting surveys and biopsy sampling. Whale research
programs permitted by the Japanese government involve both lethal and
non-lethal research techniques.83
81
E.g. discussions in the 2001 IWC meeting & Resolutions 2001-9, IWC Annual
report of 2001, Cambridge 2002, pp.31-32; those in the 2002 IWC meeting, IWC
Annual Report of 2002, pp.38-39.
82
IWC/63/Rep1, supra note 46, pp. 42-45.
83
Morishita, supra note 42, para.10; Suisancho (Fisheries Agency, Japan), ‘Kujira
北法63(5・95)1395
[230]
資
料
The Japanese government understands that in the case of land mammals
the population age structure and reproductive rates can be determined by
observation over a period of time. However, this is not the case for whales,
for they spend most of their time underwater. We here need ear plugs for
age determination and ovaries to establish reproductive rates. Similarly, for
studying the interactions of whales and other parts of the marine ecosystem
we need to know what, how much, where and when they are eaten, at most
not when, where and how much. Another example is that for pollution
studies, tissue samples from various internal organs are required.84
More than 100 data items and samples are taken from each whale including
ear plugs for age determination studies, reproductive organs for examination
of maturation, reproductive cycles and reproductive rates, stomachs for
analysis of food consumption and blubber thickness as a measure of condition.
These data and the analysis of the data provide us with valuable scientific
information on whales and the ecosystem of which they are a part.85
In the view of the Japanese government the whale research programs are
part of Japan’s commitment to scientific work for promoting scientific-based
sustainable whaling. Japan has been engaged in three other kinds of nonlethal research programs.
First, Japan has actively joined several international research programs of
sighting surveys organized by the IWC. They are programs on minke whales
in the Antarctic Ocean and those on whales in the North Pacific. The former
includes ICDR/SOWER. They are: the International Decade of Cetacean
Research (IDCR), commenced in 1978, and the Southern Ocean Whale and
Ecosystem Research program (SOWER) conducted between 1996 and 2010
mondai ni kansuru Yokuarushitumon to Kotae,’ (Questions and answers on
whaling issues), available at <http://www.jfa.maff.go.jp/j/whale/w_faq/faq.
html> (as of 11 September 2011).
84
Morishita, supra note 42, para.10.
85
Ibid. para.8.
[231]
北法63(5・94)1394
Whaling Issues: International Law and Japan
following the IDCR. The latter is a joint program between the IWC and
Japan started in 2010.
Second, Japan has launched a program of sighting surveys on cetaceans in
the North Pacific. It has two objectives. One is to collect useful information
on large cetaceans for a comprehensive assessment of the stocks and for
implementation simulation tests of the RMP (IST), both of which have been
undertaken by the SC. Estimates of the stocks based on the research have
been officially adopted as reliable data for the IST. The other objective is to
obtain information that could be used for assessing the current status of the
stocks of small cetaceans and dolphins that are outside the jurisdiction of the
IWC. They are being hunted by Japanese fishermen, and their hunting has
been under the control of Japan. The program of sighting surveys has been
reviewed prior to its undertaking. Moreover, monitoring crew nominated by
the IWC has got on board.
Finally, Japan has been engaged in joint research programs of sighting
surveys respectively with Russia in the northern part of the Japan Sea, Sea
of Okhotsk and near the Kamchatka Peninsula and with South Korea in the
East China Sea and the southern part of the Japan Sea.86
According to the Japanese government, the expansion of the research in
JARPA II is based on genuine scientific needs, as explained. The Japanese
government argues that it will contribute to the conservation, management
and sustainable utilization of whales in the Antarctic Ocean. In JARPA II, the
research area has been expanded, and fin and humpback whales have been
added. This was because they are presumably in rapid increase in the area
and have a significant role in the ecosystem. It is impossible to test
hypotheses concerning changes in the Antarctic ecosystem unless data on
these species is collected. Such data is also necessary for developing an
86
Suisan Sogo Kenkyusenta (Fisheries Research Agency, Japan), supra note 48,
44- 2 & 3 (‘Oogata Geirui,’ (Large cetaceans) (in Japanese) available at <http://
kokusai.job.affrc.go.jp/H20/H20_44.html> (as of 24 July 2011)).
北法63(5・93)1393
[232]
資
料
ecosystem-based management scheme for whale resources. Moreover, sample
sizes have been calculated as the minimum number required for obtaining
statistically significant data. The number you need to ask increases when the
size of the population is large and the degree of accuracy required is high.
This is similar to doing public opinion polls-you do not ask everyone in the
entire population for their view but you need to ask more than one person. In
any case the number of the catch is highly unlikely to have any detrimental
effect on the stocks.87 It is obvious from the estimates of the stocks agreed in
the SC.
The Japanese government has been providing the Secretary of the IWC
with the proposed permits. The proposed permits have been reviewed and
commented on by the SC at its annual meetings. Preliminary results of
research resulting from the permits, as well as other scientific information
available to Japan with respect to whales and whaling, have been made
available at the next annual meeting of the SC concerned. All these actions
are in accordance both with Article VIII (1) and (3), Paragraph 30 of the
Schedule as well. The Japanese government understands that the SC has
recognized scientific values of the whaling research programs in its review of
the programs, as aforementioned.88
Moreover, The Japanese government believes that it has fulfilled its
obligation under Article VIII (2) of the ICRW by selling whale meat as a byproduct of the research in the afore-mentioned manner. Therefore, the whale
research programs cannot be regarded as ‘suspected commercial whaling’
under the ICRW.89
The IWC has frequently adopted a resolution recommending Japan to stop
87
Morishita, supra note 42, para. 14.
88
Ibid. para. 6.
89
Ibid. para. 8.
[233]
北法63(5・92)1392
Whaling Issues: International Law and Japan
the whale research programs. Nonetheless, a resolution, to be adopted by a
single majority vote, is not legally binding on member states of the IWC. It is
different in legal character from the Schedule that provides for ‘measures of
management’ that are legally binding.
In the view of the Japanese government, fundamentally, such a resolution
is against the relevant provisions of the ICRW, for it does not respect a right
conferred to all contracting governments under the Convention. It should also
be noted that such a resolution was always adopted by a small majority of
the IWC. They were not supported by the vast majority of the member
states but opposed by a half of them. Moreover, Japan explained reasons for
opposing such a draft resolution whenever it was proposed in the IWC. It
cannot be regarded that Japan has not acted in a good faith in disregarding
the resolutions. Thus, repeated adoption of such a resolution by the IWC does
not affect the legitimacy of granting a special permit to the research
programs by the Japanese government90
The Japanese government believes that it is not in breach of Paragraph 7
(b) of the Schedule that establishes the Southern Ocean Sanctuary by issuing
a special permit for JARPA and JARPA II. The Paragraph only prohibits
commercial whaling in the area. It does not prohibit whaling for scientific
purposes permitted under Article VIII.91 Moreover, presented an objection
against an amendment of the Schedule, which added the Paragraph, in terms
of minke whales. Therefore, Japan does not have a legal obligation to follow
the restriction prescribed by Paragraph 7 (b). In any case Japan thinks such
measures are irrelevant under the ICRW, to be explained later.
In 15 January 2008, the Federal Court of Australia declared the illegality of
conducting the whale research programs in the Antarctic Ocean and ordered
90
Ibid. para. 9.
91
Ibid. para.13.
北法63(5・91)1391
[234]
資
料
the ship owner to stop it.92 The Japanese government recognizes that the
judgment is based on the premise that Australian domestic law is applied
within a 200 nautical mile Exclusive Economic Zone (EEZ) which Australia
had established on the coast of the Antarctic Continent based on its claim to
territorial sovereignty in Antarctica. However, Japan as well as a
considerable number of sovereign states has taken the position regarding the
issue of sovereignty in Antarctica that any state’s territorial sovereignty shall
not be recognized. Recalling Article IV of the Antarctic Treaty, Japan does
not recognize any state’s rights over or claims to the water, sea-bed, and
subsoil of the submarine areas adjacent to the continent of Antarctica,
including the establishment of EEZ. Since the judgment is not in concordance
with the principle of the exclusiveness of the Flag State, the Japanese
government cannot accept the judgment. The Japanese government reaffirms
that its research whaling conducted on the high seas is legal under
international law including the ICRW.93
4. Sanctuary established by the Schedule of the ICRW
The Schedule of the ICRW prescribes two sanctuaries from commercial
whaling. One is the Indian Ocean Sanctuary under Paragraph 7 (a). The other
is the Southern Ocean Sanctuary under Paragraph 7 (b).
The Japanese government considers both sanctuaries as irrelevant,
redundant and unnecessary. They were established without a
recommendation of the SC. On this ground Japan presented an objection
against Paragraph 7 (b), in terms of Antarctic minke whales that is estimated
as being abundant by the SC. With the moratorium, they are also simply
92
Humane Society International Inc v Kyodo Senpaku Kaisha Ltd [2008] FCA 3,
NSD 1519 of 2004, 15 January 2008.
93
Consulate-General of Japan, Sydney, ‘Comments on the Judgment by the
Federal Court on the case of HIS vs Kyodo Senpaku Kaisya’, available at <http://
www.sydney.au.emb-japan.go.jp/english/top/important_info/comments_on_the_
judgement.htm> (as of 24 July 2011).
[235]
北法63(5・90)1390
Whaling Issues: International Law and Japan
redundant. Moreover, the RMP protects whales in the breeding areas and
addresses uncertainties related to abundance estimates and environmental
changes. Therefore, Japan has proposed their abolishment several times
although Japan’s proposals were not adopted by a narrow margin by the
IWC.94
In particular, Paragraph 7 (b) prohibits commercial whaling, ‘irrespective of
the conservation status of baleen and toothed whale stocks in this Sanctuary.’
Such conservation measures as totally prohibiting the use of abundant
resources over large areas is against the principles of sustainable utilization.
A review of the Southern Ocean Sanctuary by the external experts of the SC,
held in 2004, concluded that the Sanctuary and IWC sanctuaries in general
are not ecologically justified; that there is little rationale for boundary
selection and management prescriptions within the sanctuary; and that they
are more prohibitive than precautionary. The conclusions mean that
establishment of the Sanctuary and its continuation is contrary to Article V
of the ICRW.95
5. Small-type coastal whaling under the ICRW
The Japanese government considers it highly rational that a quota
regarding abundant stocks for Japan’s coastal communities be admitted by
the IWC. Japan has repeatedly requested an interim relief allocation of mink
whales since the moratorium on commercial whaling was adopted. It aims at
alleviating the hardship of STCW communities; Abashiri, Ayukawa, Wada
and Taiji. However, it is a source of deep regret to the Japanese government
that such requests have been continuously rejected by the IWC.96 Since 2008,
94
As to the Indian Ocean Sanctuary, e.g., see IWC Annual Report of 2002,
pp.31-33. Concerning to the Southern Ocean Sanctuary, e.g., IWC, Chair’s
Report of the 57th Annual Meeting, 20-24 June 2005, Ulsan, Republic of Korea,
March 2006, IWC Annual Report of 2005, p.45.
95
IWC Annual Report of 2005, p.45.
96
IWC Document: IWC/60/9: Background Paper for Japan’s small-type coastal
whaling (Submitted by Japan). The most recent proposal was that for an
北法63(5・89)1389
[236]
資
料
Japan has refrained from submitting such a proposal so as not to impede the
process of the Future of the IWC.97
Japan’s draft proposal in 2008, intended to be submitted but not done so,98
included that the following sub-paragraph 10 (f) be added as an amendment of
the Schedule. It reads as: ‘(f) Notwithstanding the other provisions of
paragraph 10, the taking of up to ( ) minke whales from the Okhotsk SeaWest Pacific stock in the coastal waters east of Japan north of 35N and west
of 150E (excluding the Okhotsk Sea) shall be permitted for each of the years
2008, 2009, 2010, 2011 and 2012 and the meat and products are to be used
exclusively for local consumption’. The draft proposal indicated that the
STCW would be conducted under conditions on several matters: (a) catch
quota; (b) monitoring, compliance and surveillance (MCS), such as acceptance
of international observers at landing stations, deployment of VMS (vessel
monitoring system) which will allow real time monitoring of whaling vessels,
and DNA registration of whale products which can identify individual whales;
(c) local-consumption; (d) oversight committee and (e) moratorium. It explicitly
intended to leave the moratorium on commercial whaling in place although
the Japanese government maintains its position against the moratorium.99
In the view of the Japanese government, the argument of “commerciality”
of the STCW is arbitrary and in a sense irrelevant because neither the
Convention nor the Schedule uses or defines the term “commercial”. Under
the current aboriginal subsistence whaling regime, sales of whale products,
including meat and crafts made from whale parts, are considered as
amendment of the Schedule, namely adding a new Paragraph 10 (f) submitted
to the IWC in 2007. However, the proposal was finally withdrawn as faced with
oppositions by anti-whaling members in the IWC. IWC, Chair’s Report of the
59th Annual Meeting, 28-31 may 2007, Anchorage, Alaska, March 2008, in IWC
Annual Report of 2007, pp.33-37.
97
IWC, Revised Chair’s Report of the 60th Annual Meeting, in IWC Annual
Report of 2008, p. 26; IWC Document, supra note 96.
98
IWC Annual Report of 2008, p. 26
99
IWC Document, supra note 96.
[237]
北法63(5・88)1388
Whaling Issues: International Law and Japan
acceptable by the IWC. Local consumption and some domestic transaction of
whale meat in Japan, which is expected to take place in conjunction with the
proposed resumption of the STCW, should be treated as the same.100
There is a long history of whaling in some coastal communities in Japan
according to the Japanese government. In such communities whale meat has
traditionally been not only a protein source as ordinary food but also treated
as a special food with regional and social significance. Local ceremonies or
festivities include the serving of some Whale meat dishes. Whaling still plays
an important role as the basis of solidarity of community there. In particular,
four coastal communities, Abashiri; Ayukawa; Wadaura and Taiji that were
involved in the taking of minke whales prior to the imposition of the
moratorium are highly dependent on whaling. They still have socio-economic,
cultural and dietary needs similar to aboriginal communities in the US, Russia
and Greenland. These STCW communities in Japan now take Byrd’s beaked
whales, pilot whales and Risso’s dolphins under the management of the
Japanese government and at a much reduced scale. The impact of the
moratorium on commercial whaling in these communities has been enormous.
Many countries expressed sympathy for the social, economic and cultural
difficulties of the STCW communities caused by the introduction of the
moratorium.101
The IWC has notably adopted a number of resolutions concerning STCW.
They included that i) recognize the socio-economic and cultural needs of the
four small-type coastal whaling communities; ii) recognize the severe impacts
of the moratorium on the four communities; iii) agreed (and reaffirmed) its
commitment to work expeditiously to alleviate their distress and; iv) noted
the importance for communities to continue customary resource use practices
on a sustainable basis.
102
It is the position of the Japanese government that the STCW, targeting
100
Ibid.
101
Ibid.
102
E.g. IWC Resolutions, 45-51 (1993), 1995-3, 1996-1, 2000-1, 2001-6, and 2004-2.
北法63(5・87)1387
[238]
資
料
minke whales of the Okhotsk Sea-West Pacific Stock, is compatible with
object and purpose of the ICRW. The SC agreed that the stocks were
abundant. Therefore, the Commission should permit such whaling as being
community-based in order to reinstate traditional and local practices
associated with catching, processing, distribution and consumption of whale
meat, and revitalize traditional festivals and rituals of the regions.
6. Interpretation of the CITES
Japan entered a specific reservation on eight species of cetaceans out of
the twenty-one included by Appendix I of the CITES. Such eight species are:
fin whale, sei whale (except for the stocks in North Pacific and those habitats
in the area from 0 of East (east longitude) to 70 of East (east longitude) and
from the equator line to the Antarctica), sperm whale, minke whale, Antarctic
minke whale, Bryde’s whale, bottlenose whale and Irrawaddy dolphin.103 Thus,
restriction under the CITES do not apply to measures taken by Japan
concerning the species. The Japanese government regards the listing of the
species in Appendix I as irrelevant based on scientific findings. There are no
scientific grounds in their inclusion. They are currently not in danger
according to the estimates of the stocks agreed by the SC. Therefore, Japan
will not abolish the reservation unless the current estimates become
irrelevant.104
Japan has not made reservation on humpback whale and sei whale of the
stocks in North Pacific, which are included in Appendix I. It is obvious for the
Japanese government that catching speciemens for the purposes of scientific
research in the whale research programs is acceptable under the CITES. It
103
Ministry of Economic, Trade and Industry, Japan, ‘Boeki-Kanri’ (Trade
regulation), http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/
boekikanri/cites/cites_a... (as of 22 August 2011).
104
Foreign Ministry of Affairs, Japan, ‘CITES : Convention on International
Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora’, available at <http://
www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/wasntn.html> (as of 22 August
2011).
[239]
北法63(5・86)1386
Whaling Issues: International Law and Japan
is regarded as a legitimate introduction from the sea of any specimen of a
species included in Appendix I under Article III (5) of the CITES. It fulfilled
conditions prescribed in the provision. The Japanese Fisheries Agency gives
an advice that the measures do not make the species endangered, approves
that the measures are not for commercial purposes and issues a permit prior
to undertaking the measures in accordance with the provision. Therefore,
Japan is not in breach of legal obligations under the CITES by granting a
special permit to the programs that cover the species. 105 The number of
whales caught in the programs is highly unlikely to affect the status of the
stocks, as aforementioned.
7. Obstruction of the Sea Shepherd Conservation Society (SSCS) against the whale
research programs permitted by the Japanese government
Whale research programs permitted by the Japanese government have
been mistrusted by anti-whaling NGOs, such as Greenpeace and Sea
Shepherd Conservation Society (SSCS). In particular, SSCS has disturbed
Japanese research vessels operating in the Antarctic Ocean. Its continued
obstruction started in 2005 and has subsequently escalated. The safety of
Japanese vessels and the life and property of the crew have seriously been
disturbed. The Japanese government repeatedly requested other relevant
states to take appropriate measures to stop them by diplomatic channels.106
The Japanese government is clearly unhappy that such obstruction has
been taken by SSCS every year and that it has escalated. Moreover, it is
regrettable for the Japanese government that the research programs in the
Antarctic Ocean, JARPA II, were suspended to ensure the safety of the
research vessels and life and property of the crew in the whaling season of
105
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 74; comment of the staff
of the MOF, International Legal Affairs Dirision, in the interview held by the
author on 25th July 2011.
106
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 74, p. 9.
北法63(5・85)1385
[240]
資
料
2010/2011.107
The obstruction by SSCS has been criticized by IWC members regardless
of their position on commercial whaling. Resolutions condemning the activities
have repeatedly been adopted by consensus in the IWC. In the 2011 annual
meeting of the IWC, for example, Japan made a presentation with video
about the obstruction by SSCS and requested other relevant states, such as a
flag state and a port state, to take appropriate measures to prevent its
recurrence. Many states presented statements that condemned such violent
activities of SSCS. Upon a proposal by Japan the IWC agreed by consensus a
resolution on this issue. The Resolution noted statements from the Japanese
government that it decided to withdraw its vessels from the Southern Ocean
much earlier than originally scheduled in the 2010/11 season in order to
secure the safety of the vessels and lives of the crew members in response to
dangerous actions by SSCS. It, inter alia, reiterated that the Commission
condemns any actions that are a risk to human life and property and that
this is not the most appropriate way to pursue the resolution of different
view regarding whales and whaling. The Resolution also recognized the
importance of the International Maritime Organization (IMO) with respect to
safety at sea; and encouraged all governments to fulfill their obligations under
the IMO and UNCLOS.108
The Japanese government considers that Japan is not in the position to
take coercive measures to regulate the activities of SSCS in international law.
In international law vessels are under the jurisdiction of the flag state in the
high sea. Japan is not the flag state of the vessels of the SSCS. Therefore, it is
doubtful that Japan may legitimately take coercive actions against them in
107
Suisancho (Fisheries Agency, Japan), ‘Puresu Ririsu, Dai 24-ji Nankyokukai
Geirui Hokakuchosa Kiriage nitsuite,’ (Press release, Cease of the 24th cruise of
whale research in the Antarctic) (in Japanese), February 2011.
108
IWC/63/17 : ‘Resolution on Safety at Sea, submitted by Japan’; IWC, ‘Press
Release – Day 4 – 14 July 2011’, available at <http://www.iwcoffice.org/
meetings/meeting2011.htm> (as of 22 August 2011).
[241]
北法63(5・84)1384
Whaling Issues: International Law and Japan
international law. This derives from an interpretation of the relevant
provisions of the UNCLOS. The activities taken by SSCS does not fall into
acts of piracy as defined by Article 2 of the Law on Punishment of and
Measures against Acts of Piracy 109 Thus, the Japanese government has
requested that the relevant states take appropriate actions to regulate them.
Conclusion
Whaling is an issue of the management and conservation of marine living
resources based on science. Therefore, the Japanese government takes the
view there is no reason to prohibit all commercial whaling comprehensively if
the following two conditions are fulfilled. First, the SC affirms the abundance
of some stocks and adopts a scientifically sound method to calculate catch
limits adopting precautionary considerations, like the RMP. Second, a
management scheme for implementing the RMP is introduced in a practical,
effective and cost-efficient manner. This position is justified by reference to
the contemporary state of international law on the management and
conservation of marine living resources, including the ICRW.
109
‘Shugiin-giin Hase Hiroshi kun Teishutu Shii Shepado niyoru Nihon no
Chosahogeisen eno Bogaikoui ni kansuru Shitzumon nitaisuru Tobensho (bassui),’
(Answers to questions regarding obstruction by SSCS against Japanese vessels
of research whaling, selected version) (in Japanese), Kakugi Kettei (Cabinet
decision), 15 March 2011, in Suisancho (Fisheries Agency, Japan), supra note 74,
p. 10
北法63(5・83)1383
[242]
石 神 圭 子 ( アメリカ政治史)
稻 垣 美穂子 (民事訴訟法)
王 万 旭 (商 法)
小 嶋 崇 弘 (知的財産法)
徐
行 (比 較 法)
鄭 明 政 (憲 法)
朴 鍾 碩 (国 際 政 治)
助 教
舜 (法 制 度 論)
○郭
川 村 力 (商 法)
櫛 橋 明 香 (民 法)
栗 原 伸 輔 (民事訴訟法)
桑 原 朝 子 (日本法制史)
小 濵 祥 子 ( アメリカ政治史)*
齋 藤 哲 志 (比 較 法)
得 津 晶 (商 法)
中 川 晶比兒 (経 済 法)
○ 中 川 寛 子 (経 済 法)
中 島 岳 志 ( アジア政治論)
根 本 尚 徳 (民 法)
堀 口 健 夫 (国 際 法)*
水 野 浩 二 (法 史 学)
緑 大 輔 (刑事訴訟法)
三 宅 新 (商 法)
山 本 周 平 (民 法)
吉 田 徹 ( ヨーロッパ政治史)*
吉 田 広 志 (知的財産法)
米 田 雅 宏 (行 政 法)
北海道大学大学院法学研究科・附属高等法政教育研究センター教員名簿
名 誉 教 授
稗 貫 俊 文 (経 済 法)
深 瀬 忠 一 (憲 法)
福 永 有 利 (民事訴訟法)
藤 岡 康 宏 (民 法)
古 矢 旬 ( アメリカ政治史)
松 澤 弘 陽 (政治思想史)
松 村 良 之 (法 社 会 学)
山 畠 正 男 (民 法)
吉 田 克 己 (民 法)
悠 (労 働 法)
北海道大学大学院法学研究科長
教 授
田 口 正 樹 (法 史 学)
田 村 善 之 (知的財産法)
辻 康 夫 (政 治 学)*
常 本 照 樹 (憲 法)
長谷川 晃 (法 哲 学)
林 田 清 明 (法 社 会 学)
藤 原 正 則 (民 法)
○眞 壁
仁 ( 日本政治思想史)*
町 村 泰 貴 (民事訴訟法)
松 久 三四彦 (民 法)
宮 本 太 郎 ( 比較政治経済学)
宮 脇 淳 (行 政 学)*
山 口 二 郎 (行 政 学)
山 崎 幹 根 (行 政 学)*
○山 下 竜 一 (行 政 法)
○山 本 哲 生 (商 法)
吉 田 邦 彦 (民 法)
亘 理 格 (行 政 法)
特 任 教 授
田
薄 木 宏 一 (法実務基礎)
大 野 雅 祥 (刑 事 実 務)
岸 田 洋 輔 (刑 事 実 務)
髙 見 進 (民事訴訟法)
中 村 研 一 (国 際 政 治)
舛 田 雅 彦 (法実務基礎)
松阿彌 隆 (民 事 実 務)
米 屋 佳 史 (民 事 実 務)
池
准 教 授
発 行 人
會 澤 恒 (比 較 法)
池 田 清 治 (民 法)
遠 藤 乾 (国 際 政 治)*
岡 田 信 弘 (憲 法)
尾 﨑 一 郎 (法 社 会 学)
小名木 明 宏 (刑 法)
加 藤 智 章 (社会保障法)
岸 本 太 樹 (行 政 法)*
児矢野 マ リ (国 際 法)
権 左 武 志 (政治思想史)
佐々木 雅 寿 (憲 法)
嶋 拓 哉 (国 際 私 法)
白 取 祐 司 (刑事訴訟法)
城 下 裕 二 (刑 法)
新 堂 明 子 (民 法)
鈴 木 一 人 ( 国際政治経済学)
鈴 木 賢 (比 較 法)
曽 野 裕 夫 (民 法)
空 井 護 ( 現代政治分析)
山 本 哲 生
厚 谷 襄 兒 (経 済 法)
五十嵐 清 (比 較 法)
石 川 武 (法 史 学)
伊 藤 大 一 (行 政 学)
今 井 弘 道 (法 哲 学)
臼 杵 知 史 (国 際 法)
大 塚 龍 児 (商 法)
小 川 晃 一 (政治思想史)
小 川 浩 三 (法 史 学)
奥 田 安 弘 (国 際 私 法)
神 原 勝 (行 政 学)
木 佐 茂 男 (行 政 法)
小 菅 芳太郎 (法 史 学)
小 山 昇 (民事訴訟法)
近 藤 弘 二 (商 法)
笹 田 栄 司 (憲 法)
實 方 謙 二 (経 済 法)
東海林 邦 彦 (民 法)
杉 原 髙 嶺 (国 際 法)
瀨 川 信 久 (民 法)
曽 野 和 明 (比 較 法)
高 見 勝 利 (憲 法)
道 幸 哲 也 (労 働 法)
中 村 研 一 (国 際 政 治)
中 村 睦 男 (憲 法)
長 井 長 信 (刑 法)
畠 山 武 道 (行 政 法)
林
竧 (商 法)
印 刷 北海道大学生活協同組合
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雑誌編集委員 ○ 印
*は大学院公共政策学連携研究部専任教員
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発 行 所
松 久 三四彦
編 集 人
執筆者紹介 (掲載順)
北 海 道 大 学 大 学 院
川 股 修 二 法学研究科専門研究員
小 樽 商 科 大 学 商 学 部
岩 本 尚 禧 企 業 法 学 科 准 教 授
田 凱 遼寧大学国際関係学院講師
北 海 道 大 学 大 学 院
鄭 明 政 法 学 研 究 科 付 属 高 等
法政教育センター助教
台 湾 ・ 淡 江 大 学
許 慶 雄 国 際 研 究 学 院
ア ジ ア 研 究 所 教 授
台 湾 ・ 中 央 研 究 院
黄
舒 芃 法律学研究所副研究員
台湾・国立勤益科技大学
周 宗 憲 通識教育センター助理教授
北 星 学 園 大 学
岩 本 一 郎
経
済
学
部
教 授
米国 ダ
・ ートマス カ
・ レッジ
ルーカス・スウェイン
政 治 学 部 ・ 准 教 授
北 海 道 大 学 大 学 院
辻
康 夫 法 学 研 究 科 教 授
北 海 道 大 学 大 学 院
宮 井 健 志 法 学 研 究 科 修 士 課 程
北 海 道 大 学 大 学 院
瀬 川 行 太 法 学 研 究 科 博 士 課 程
北 海 道 大 学 大 学 院
法 学 研 究 科 教 授
児矢野 マ リ
平成25年1月25日 印 刷
平成25年1月31日 発 行
黄 舒 芃 21
鄭 明政 訳 報告2:違憲審査における立法形成の空間
─ 社会福祉立法の違憲審査を例にして ─
鄭 明政 訳 報告3:格差社会における国家による貧困者の救助
─ 台湾法の一考察 ─ 周 宗 憲 39
鄭 明政 訳 コメント 岩 本 一 郎 57
参考条文 鄭 明政 訳 69
質疑・討論 75
講
マイノリティとシティズンシップ 演
ルーカス・スウェイン 182
[143]
辻 康夫・宮井健志 訳
研究ノート
結果発生への被害者の過失的関与について(1)
── 被害者の自己答責性の原理を中心に ──
瀬 川 行 太 166
[159]
資
料
Whaling Issues: International Law and Japan 児矢野 マ リ 124
[201]
2013
(平成25)
年
CONTENTS
ARTICLES
第六三巻 第五号(二〇一三) 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科
許 慶 雄 6
集
Vol. 63 January 2013 No. 5
論
シンポジウム
台湾における社会権保障の現状と問題点
企画者はしがき 鄭 明 政 3
報告1:台湾及び日本の憲法体系に関する一検証
─ 社会権保障及び解散制度を中心に ─ 学
論
説
税理士制度と納税環境整備(2)
── 税理士法33条の2の機能 ── 川 股 修 二 324
[ 1]
民事詐欺の違法性と責任(3) 岩 本 尚 禧 284
[ 41]
環太平洋連帯構想の誕生(1)
── アジア太平洋地域形成をめぐる日豪中の外交イニシアティブ ──
田 凱 238
[ 87]
THE HOKKAIDO LAW REVIEW
法
第 63 巻 第 5 号
大
北大法学論集
北
ISSN 0385-5953
The Certified Public Tax Accountant System and the Tax Compliance
Environment in Japan -- A Functional Analysis of the Art. 33-2 of the
[ 1]
Certified Public Tax Accountant Act(2)
Shuji Kawamata 324
Rechtswidrigkeit und Schuld des zivilen Betrugs(3)
Naoki Iwamoto 284
[ 41]
The Birth of the “Pacific Basin Community” : Australian-Sino-Japanese
Diplomatic Initiatives Formed Around Asia-Pacific Region(1)
Tian Kai 238
[ 87]
SYMPOSIUM
Present Status and Problems of Social Security Rights in Taiwan ☆
Ming-Cheng Cheng 3
Foreword A Verification of Taiwan and Japan’s Constitutional System:
Focusing on Protection of Social Rights and Dissolution System
Ching-Hsiung Hsu 6
Translated by Ming-Cheng Cheng
Legislative Discretion on Social Welfare Policies in Light of
Shu-Perng Hwang 21
Constitutional Review Translated by Ming-Cheng Cheng
The National Relief for the Poor Among Class Societies:
Tsung-Hsien Chou 39
A Study of Taiwan Law Translated by Ming-Cheng Cheng
Comment Ichiro Iwamoto 57
69
Reference provisions 75
Discussion LECTURES
Minorities and Citizenship ☆ Lucas Swaine 182
[143]
Translated by Yasuo Tsuji, Takeshi Miyai
NOTES
Die fahrlässige Teilnahme des Opfers am Erfolgseintritt(1)
─unter besonderer Berücksichtigung des Selbstverantwortungsprinzips
Kouta Segawa 166
[159]
des Opfers─ MATERIAL
Whaling Issues: International Law and Japan Mari Koyano 124
[201]
[ ]…Indicates the pagination for articles typeset horizontally that begin at
the end of the journal ☆…Includes an European language summary
Published by
Hokkaido University, School of Law
Kita 9-jō, Nishi 7-chōme, Kita-ku, Sapporo, Japan
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