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Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 Page 5 言葉 言葉は小鳥のように軽い
mb 恥訂2013/m/巧 柵Ⅱご胃皀扁昏匡弓閂彊 秋福木 川島村 久敦和 紫子史 /// 倉岩野 田田村 良英 成哉龍 // 水長 島尾 英高 己弘 noコパ。 詩篇 岩田英哉 秋川久紫 野村龍 福島敦子 言葉/8 閥髄/R 不連続パラダイム/g 富士山と朝日・膳/g 長 尾 高 弘 砂漠の星空/届 水島英已 軽井沢/扇 倉田良成 踊りを踊る・懸く耐棚物語集の内︶・積み木︵少年少女詩集から︶/巴 文 木村和史:ラーメン/路 あとがき集/紺 画:和田彰 葉 岩田 英 哉 口 まなこ 支え る 前 脚 、 既 既に に枯葉の 全く 茶 色 の 変 色 を 口先と額と、瞼、眼の塊の 我が愛する、お前の、小さな頭蓋骨の 平たい、空虚よ 面の、 、薄 薄さ さの の、 、無の 尻尾の末のひらりと返す表裏の線描よ その平たく、枯葉の平面よ 軽々ととまり、擬態する とまるとも、とまらずとも言えないように 枯れた、すがれた葉っぱの上に 言葉は小鳥のように軽い 二 2 坐る後ろ脚、既に枯葉の こさ さの 空気に浮く、すばしこ 誰も、 ど こ に も思わぬ カメレオンよ 緑なす膨大な夏の量を背景にして 対極に擬態する 凝結、凝視、凝体よ だれにも真似する事のできない 永遠に滴り落ちる真似事の宝石よ ○mロの○の︻巨ウの昂四○畳国 3 野村龍 鯛霞 木星は燃える翼を開いた たくさんの音が雨から溢れ出した後で 煙の 腕 は 掴 ん だ 魂をつやつやの睾丸を掴んでは握り潰した 十二年住んだこの殻を去る前に あれも読んでおきたいこれにも目を通したい 昔から得意だったのだひとの こころにじくじくといつまでも痛い創を作るのが 4 ︽夜の歌 始めました︾ 話していた人の額が割れて いきなり脳が噴き出したそして時折雪 雪が余りのここちよさに耐えられず金色の長電話の陰で 誰にも解らないようにしかし激しくわなないてちからの限り身を振 り絞った の巨呉g・富の禺○ご画言邑ゞ 曾輿豊・三言・弓の喝の臼匡一 荒れた後は 楯子の香りでよく拭っておくのが良いとされている 5 秋川久紫 不連続パラダイム 権利者と占有者が揃って失除したのち、その矩形の部屋では、夕闇が巷間の輪 郭を際立たせる頃合いを見計らって、心療に託けた後ろ暗い取り調べが始めら れる。約束はどこまでも遠く、仮縫いは決して甘えを許さないから、八怨嵯に よる断絶Vですら破砕していく裏稼業を八歴史の正統Vに変転させる呪文を唱 えてみよう。あらゆる隠れ家は手練手管を駆使した処置室に過ぎない・そのカ ラクリを明察してしまった以上、シナモンを抽出した精油の中に心を浸し、や がて検非違使に踏み込まれることを知覚しながら、ここで黒衣の修道女との怪 しげな指相撲に耽っても一向に構わないはずだ。 ロジックなら容易く色彩に変換できる。それらの色彩を無作為に混ぜ合わせ、 あるいは規則的に組み合わせて、一つの抽象絵画にしていくことを八思想Vと 呼ぶらしい。その制作の課程で、人は時にシャンパンの湖に身を横たえ、殺裁 6 のブルースを聴く。 ただ独り官能の浮世を流浪し続けて来た者だけに、無謬の凪が訪れる。ゆえに、 荒れ模様を告げる神界予報や、ありふれた化学薬品などに安易に身を委ねては ならない。雷雨は仕舞いに八標本化不能Vを語り、暴風は八証拠不十分Vを旗 印とするだろう。 戦禍をくぐり抜け、決死の思いで辿り着いた聖地にもデッドリンクがある。細 見に記されているにもかかわらず、実在しない槐偏子の行方を追ってみたいと 願うなら、まずは天を仰ぎ、搦やかに八七拍子の音曲Vを奏でてみることだ。 あるいはできるだけ多くの不連続な傍証を集め、雨宿りに適した軒下を探した 上で、ただ嬰児のように眠ってみることだ。私淑する看護師の名を明かすこと なく、卓越した技量を披瀝することで、詐術の如き八慰安の舞台Vは厳かに幕 を閉じる。そして、この矩形の部屋を黙って観覧車に替えることができた時、 答を赦す者が現れ、眩い王国をなすに違いない。 7 福島 敦 子 富士山と朝日 父は 自 分 の 力 で そっと車椅子から立ち上がった 富士山と朝日の夢を見た日 おめでたい夢だから 何かすごいこ こと とが がお おこるのかな 宝くじでも買おうか と思って楽しみにしていたら よかったね 立ち上がれる日が来るなんて思いもしなかった 宝くじ買わなくていいよ 8 がはははっ!やった−1 当たったんだI 夢の中で 富士山に朝日が降り注ぎ きらきら輝いて わあっ綺麗だなと思った日 の夕 暮 れ の 出 来 事 9 父の希望はわたしなんだ 希望の光ばかり求めているわたしなのに もうこころ苦しくはなかった でも不思議なことに 帰りたいといつものように言う 父はにこっと微笑んだ 面会に行くと 富士山の次は庶か 目が覚めた 薦が羽を広げようとしたところで 蘆 10 と気づいたから 父はまだ わたしと家で暮らしていたことを 忘れていない 11 長尾高弘 砂漠の星空鶚 アルジェリアは石油と天然ガスを豊富に産出するが、 三五歳以下の失業率は八七パーセントもあり、 政府とイスラム急進派が内戦をしていた頃ほどではないものの治安は悪い。 旧宗主国のフランスは間に地中海をはさんでいるが非常に近く、 マルセイユとアルジェの距離は東京と山口の距離と同じくらいで、 地中海にはヨーロッパとアルジェリアを結ぶパイプラインが埋まっている。 一月十六日、反政府勢力が天然ガスプラントを占拠し、 日本企業日揮の社員を含む人質を多数取って立てこもった・ 今年始めからフランスが介入している隣国マリの反政府側捕虜の釈放を要求し ている。 日本政府は人質の安全を最優先にと申し入れたが、 アルジェリア政府軍はただちに攻撃を開始してゲリラを磁滅、 12 その過程で日本人などの外国人を含む人質とゲリラの多数が死んだ・ テレビが言っていたのはおおよそこういうこと。 それにしてもわからないことの多い話だ・ 人質を撃ったのは襲撃者側なのか、それとも政府軍なのか、 それさえわからない。 証言は錯綜していて相互に矛盾するものもある・ しかし、証言者それぞれも死の危険にさらされていたのだから、 不正確なところがあるのはしょうがない・ それに、政府軍が殺していたとしても、 アルジェリア政府は決して認めないだろう。 ただ、人質に危害が及ぶ可能性があるとわかっていて攻撃に出たのだから、 襲撃者たちとともに、アルジェリア政府軍が人質を殺したと言うことは できるはずだ。未必の故意である。 わからないのは、被害者を出した英米仏の権力者たちが、 アルジェリア政府の行動を支持していることだ・ 人質の安全第一のはずの日本政府も、 13 支持こそ口にしていないが、非難もしていない・ 政府にとって国民の命はそんなにも軽いものなのか? そんな政府がなぜ激しく非難されていないのか? 関係者に十人もの死者を出した日揮という会社の動きもわからない。 事件が進行している間も、アルジェリア国内のほかのプラントは、 普通に操業していたらしい・ 死者が七人出たことが明らかになった二十二日になって、 初めて一時退避を始めたという・ 撤退ではないのだ。 いざとなれぱお宅の社員など死んでもかまわないという態度を 実行に移したアルジェリア政府に対してなぜ何も言わないのか? 同じような事件がまた起きれば、社員を殺されるかもしれないのに? そもそも、産油国なのにアルジェリアはなぜ中東のように豊かになっていない のかワ 地中海に埋まった管で、それこそ富をチュッと吸われているのではないか? 自分たちが貧しいのは、フランスをはじめとする欧米諸国、 14 その尻馬に乗っている日本などだと思う人々が多数いても不思議ではないが、 テレビはなぜそういうことを言わないのか? 襲撃者がしたことは確かに恐ろしいことだが、 彼らにテロリストのレッテルを貼って全面攻撃を宣言することのどこに大義が あるのか? 旧植民地の富を管でチュッと吸っている国の権力者が言っていいことか? 誰が人を殺しているのか本当にわかっているのか? ︵二○一三年一月三○日︶ 鵜犠牲になった渕田六郎さんは、フェイスブックのプロフィールに﹁燦々と降り注ぐ星空を 目指し世界各地で仕事をしている。次はアフリカ大陸に位置するアルジェリアに行き、砂 漠で星空を眺めることに期待を込めてⅡ﹂と書いていたという。また、お兄さんに﹁アル ジェリアは怖いところだ。春には戻るからお酒を飲もう﹂とも言っていたという。 15 水島 英 己 軽井沢 ﹁木の十字架﹂の教会は 旧軽井沢の通りを少しはずれた所にあった。 ﹁簡素 素な な木 木造 造の の、 、何 何処か瑞西の寒村にでもありそうな、朴誰な 美しさに富んだ﹂と 堀辰雄が書いた年から七十二年後の冬、そこを訪ねた。 クリスマスの簡素な飾り付けがなされた御堂には だれもいなかった。 がっしりした木の椅子にすわり、 今日 日、 、結 結婚 婚す す︾ る教え子とその新婦の幸せを祈る。 堀の文章では、 彼らがこの教会に参列し、ミサにあずかった日は 16 一九三九年、九月二日 ﹁それは丁度、ドイツがポオランドに対して宣戦を布告した、その翌日﹂とあ る。 その日、ここには﹁二人のポオランドの少女﹂が ﹁脆きながら無邪気に掌を合わせてお祈りをしていた。﹂ ﹁木の十字架﹂教会から駅に戻る・ 途中の、新設の美術館で﹁井上有一展﹂が開催されていた。 ﹁貧﹂の字の羅列の前にしばらく佇む。 夕刻からの結婚式まで、まだ時間があるようだった。 底冷えのする夜。 野外の式場、内村鑑三の教えを信奉するという﹁石の教会﹂。無数の星の輝きの 下で、 華子さんとぼくの教え子は結ばれた・ 十五年前の寡黙な高校生は 17 だまってぼくを抱擁して ﹁先生は少しも変わっていません、ありがとうございます﹂と言った。 そのささやくような声は寒さでふるえるぼくの躰を暖める。 立原道造は堀と多惠子の結婚を祝ってレコードを二枚贈った・ 一つはクロァ・ド・ボア︵木の十字架︶教会の少年合唱団のそれ、 ︾﹃一 ノーつはドビュッシー自身が作詞した歌曲﹁もう家もない子らのクリスマ も非bう ス﹂、 第一次大戦勃発の際の﹁無謀なドイツ軍のベルギー侵入﹂を非難したもの。 ﹁僕らにはもう家もない! 敵がみんな、みんな、 みんな奪ってしまった、 僕らの小さなベッドド ︸ま で I 学校も僕らの先生も焼いた・ 教会もイエス様の像も焼いた・ 動けなかった貧しいおじいさんも焼いた!﹂ 18 立原はどういう気持ちで、この歌曲を新婚の師に贈ったのだろう? ﹁これはお祝いのしるしというのではなしに、ただ、あの不意に家の なくなってしまった日のかたみに﹂と立原は添えられた手紙に書いていた・ 道造と辰雄が一緒に﹁暮らしていた追分の脇本陣︵油屋︶が火事になって 二人とも着のみ着のままに焼け出された出来事﹂と、堀は註釈している。 ドビュッシーの怒りと悲しみの詩は二人にとっては懐かしい思い出の詩か? 二つの戦争が堀辰雄の軽井沢には深く沈められているのだろう、 ﹁木の十字架﹂は、一つは文字通りの戦争の死者たちへの、 もう一つは、道造や母、死んだ婚約者矢野綾子など、彼の親近した死者たちへ 鎮魂の祈りなのだ。 19 の 軽井沢、結婚には似合う場所か? 堀たちには子はなかった・ 立原が年をとった子のようなものだったろうか・ 新郎新婦の二人はぼくの子のようなものだろうか。 ある い は 全 く 逆 で たかし 道造が辰雄を生み、 教え子の誉滋が英己を生み、祝福しているのではないか。 ここからはじめる、ここからはじまるもののために ささやかな贈り物はある。 立原が堀夫妻に贈ったことばを、そのまま二人にぼくは贈ったのだ。 ﹁沢山の幸福とよろこびと潤沢な日々とを恵まれますように。﹂ 20 倉田 良 成 踊りを踊る せんがい 山海物語集の内 朝方、祭りが終わると、海輔で絶滅した集落から女たちが帰ってきた。祭り で何がおこなわれたのかと訊くと、踊りを踊ってきたのだと言う。相手たちは、 また海阪の向うへ戻っていったのだった。帰ってきた女たちの髪はほつれ、白 いうなじのあたりが一様に紅く、ほのかな疲れを見せているので、祭りが夜通 りん し盛っていたことが知られる。女たちの連れ合いはそれ以上のことを訊かない・ 夜明け、唾りの前に、帰ってきた女らは歳神に線香を上げ、鈴を鳴らして、そ こに示された小さな他界に挨拶を送る。先ほどの夜までは、彼女たちこそそこ の住人であり主人であったのだ。集落は小高い絶壁にへばりつくようにして根 を張っていた。あの大海輔以来、生き残った住人らは海の物凄さを肝に銘じて、 そうして暮らしてきた。あとの半分以上の死者は、刻を定めてやって来る存在 として、祭司と女らにもてなしを受ける。そのときだけ、海に捜われた集落は 蘇り、海の底のようにひとときの栄耀にゆらめいた。この夜、祭司以外の男ら 21 は、息をひそめて闇の深さに堪えている。サカキやナギやタブの緑の光沢と、 高い揮発性の煉香にかこまれて。踊りを踊ってきたからといって、女らの連れ 合いは彼女たちに何ら非難の視線を浴びせない・女らが盛ったのは、現実の男 でも、人間ですらない・神とも考えうる存在と交情することに、どうして嫉妬 や非難の目を向けることができようか。朝方、おびただしい数の茜雲の群れが 海の向うに引き揚げてゆく。あれは、死者の数であるとともに、絶滅した集落 の想い出でもある。あれは、海輔ばかりではなく、飢餓や、疫瘤、戦禍によっ て絶滅させられた実数をあらわしてもいるのだ。そのように、刻を定めて来る ものは、住民の追慕の対象であるとともに、不思議なことだが、慨怠すれば災 いをもたらすという畏怖の対象であることを越えて、刻とともに、何かしらわ れわれに幸をもたらすという側面が強くなってくる・女らと踊る荒ぶる深更か 若山牧水 ら、いっせいに海の彼方へ引き揚げてゆく朝方へ、徐々に祖霊として鎮まって、 気づけば線香一本分の淡さに刻が消えている。海はばら色に耀き・ いくやまかは 幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく 22 輝く山海物語集の内 小路の家ではせがれに動物霊が輝いて、おふくろが鉈で殺された。ばあさま が言うところでは、せがれが山に入るとき、コウジンサマに塩と酒を手向けな かったせいだと。そう恐ろしげな顔をつくるので、村の皆人が納得したような 按配なのだけれど、実はこの小路の家というものでは代々、こうした事件がし ばしば持ち上がっていることをみんなは知っている。動物霊はその時々で、狐 であったり狢であったり、また何とも名づけることを得ないけだものや、蛇、 蜥蜴、魚、ときに樹木や岩であったりもする、いわばトーテムである。殺され たおふくろの連れ合いは、ふだんは畑で蕎麦、粟、稗などをつくっているが、 寒くなると山に入り、ひと冬を炭焼き小屋に籠もる。よくは分からぬが、氷る 前の絶壁の滝で水行や、山中一日何十里もの苛酷な回峰行を行じたりしている ようだ。まるきり帰らないのではなくて、正月や、そこからさらに寒くなる冬 のミタママッリの折には帰ってきて、コウジンサマにサカキを上げてのち、い かめしいカミクラの主人となる。せがれはこれの血を引くものである。先ほど 23 述べた有情非情類は、これらの血を引くものに瞳く。あるいは、彼らがこれら に瞳依する。この瀝きものが制御できない場合には、小路の家のような悲劇を 生むが、これをよく矯め得たときには、恐ろしいばかりに犀利的確な判断を集 落の全体にもたらして一族の危機を救う。この両面はまさに諸刃のやいばなの コア である。逆に言えば、こうした危険を併せ持つことが、或る集団の核であり、 或る集団そのものの命運を拒すると言えるのだ。小路の家の場合、ミタママッ リのカミクラに坐す主人こそがよく集団を総くるすぐれた神巫であり、おふく ろを鉈で斬り殺したせがれのほうは、動物霊のもっとも無惨な姿をさらすもの かも知れない。しかしひるがえって考えてみるとき、小路の家の何代かのうち、 一遍は必ず出来するこの悲劇の鮮烈さ、鋭利さ、瞬息性を思えば、あるいはこ のせがれは父親よりも、さらに偉大な神巫の稟質を隠し持つものであったのか との疑いもある。山中を祐律い、羅卒に捕らえられたせがれがぶつぶつと眩く 詞は、狐、狢、猪、その他のけだもののものとも思われず、とても有情のもの とは考えられない・それはさながら草木や岩、光線そのものが言語するようで あったと、これはせがれの許嫁の言である。ちなみに、斬り殺されたおふくろ は、春になって紅梅が咲きつづけているあいだ、夕ぐれになると辻の庚申石に 24 坐っているところを、村の何人もが見たそうだ。 君恋ひて世を経る宿の梅の花昔の香にぞなほにほひける 紀貫之 25 少年少女詩集から 積み木 赤と緑の積み木の板を まずたてる そのうえに 黄色の板をさしわたす これをささえているつくえを どん 、 と た た け ば にわかづくりのたてものは わずかに揺れる おなじ積み木をきょだいな岩でこしらえれば 壁板のあいだのくうかんを かぜがとおり 26 烏が す ぎ る だ ろ う あさ が た に は 、 壁 は ひがしにむかってばら色にかがやき ひとは、太古からのじかんをおもうだろう れど ども も、 、な なに にものかがだいちを だけ れ どん 、 と た た け ば たちあが っているもののすべてがくだけちる 神殿とは おおむねこうしたものでできている 27 木村和史 ラーメン 父を、日帰りで実家に連れて帰った。と いっても弟子屈から軽トラを走らせて、帯広 の老人ホームに着いたのはn時近くなってい たから、ほぼ半日の日帰りということになる。 わたしが迎えに来るのを今か今かと待ちわ びていたはずなのに、父はわたしを見て、誰 だろうという顔をした。﹁誰だか忘れたか ﹁かまわんさ。忙しいだろう﹂ い?﹂笑いながら言うと、﹁覚えてるさ﹂と、 ばつが悪そうに答える。忘れたわけではない だろうが、なにかがつながっていないことは 確かなようだ。母に上着を着せてもらい、オ ムッなどを鞄に詰めてもらって、行ってらっ しやいと声をかけられても、まだ戸惑いがあ うとする。目が悪くなっているので、金具を はめるのを手伝ってあげる。 父と母の病状が悪化し、引き受けてくれる 施設が見つからなかったとき、母を精神科に 入院させて、父とあちこち車で走り回った。 弟子屈にも何泊かさせたし、釣り堀にも連れ て行った。親類や知人の家に顔を出したり、 病院を何回も往復した。そして車の中でいろ いろ話をした。何年かに一度会う程度で、ほ とんど電話もしなかった父と母の人生と人間 関係を、大急ぎで理解する必要があった。 るようにみえた。 ﹁体、壊すなよ﹂ ﹁うん、今年は追い込みだから﹂ 相変わらず表情は乏しいが、言葉じたいに ﹁日帰りで申しわけないけど﹂と父に言う。 軽トラに乗り込んでから、少し違った感じ の父になった。自分でシートベルトを締めよ 28 混乱はない。そんなに深くないところから出 ている言葉だと分かっているけれども、会話 で無くなることもあるようだ。 しまっていた。それが少し緩み始めている。 伯母たちが持ってきてくれたおやつが、一晩 だが自分でできる。 店の主人が、わたしの背後の父にほほ笑み かける。知り合いだろうか。小さな町だから、 知り合いでない方が不思議かも知れない。 カウンターに座るとすぐに、トイレに行き たいと言うので、一緒についていった。壁に 放尿したりすることがあるので、ひとりでは 行かせられない。ズボンを脱がせ、リハビリ パンッも脱がせて便器に座らせる。ちゃんと 方向が定まっているか見ていてあげる。ほと んど手はかからない。立ち上がってパンツを 上げ、ズボンをあげるのはひとりでだいたい できる。シャシのはみ出しを少しだけ直して あげる。手を洗って紙で拭くのも、ゆっくり てくれた店だ。 高速を降り、町に入ってすぐのところにあ るラーメン屋に車を止める。娘たちがまだ幼 かったころ、母がわたしたち家族を連れてき だけは形を成している。 夏の終わりの畑と山に目をやりながら、高 速道路を走らせる。慌しかったあの一年、忘 れかけていた故郷の四つの季節を、一夜漬け するように駆け抜けたことになる。体に徐々 に甦り始めている景色を眺めていると、ずっ と故郷を離れなかった友人たちのことが頭に 浮か ぶ 。 ﹁着いたら昼飯食べよう﹂ ﹁ああ﹂ ﹁ラーメンにする?それとも、ビフテキが いいかい?﹂ ﹁ラーメンが食いたいな﹂ 食べ物の話が、父を一番よろこばせる。 ラーメンからアイスまで、ほぼなんでも。脳 のレピー小体をやっつけようと思って、一時 期わたしが食事制限を厳しくしたので、饅頭 を買いに行こうと誘っても、そうか、と気の 無い返事をして喜びを隠す習慣が父について 29 カウンターに戻って、味噌ラーメンをふた つ頼む。店の主人は寡黙だ。若いふたりの店 員も黙々と仕事をしている。混みあっている ほどではないが、座敷の席もカウンターも賑 やかだ。その中に父とわたしが親子であるこ とを知っている客はいないと思う。 ラーメンが届く。父の割り箸を割ってあげ る。熱々のラーメンを前にしても、父はとく に嬉しそうな顔はしない。術いたままテーブ ルに向かう老人ホームの人たちと父の姿が重 なる。 ふと見ると、箸は使えるものの、麺をうま く口に運べないでいる。箸の持ち方がどうも 変だ。薬指の先が二本の箸のあいだにはさ まって、麺の太さ以上の隙間ができてしまう。 口にとどく前にどんぶりの中に麺が落ちる。 床にも落ちる。 ﹁この指が邪魔してるみたいだよ﹂手を出し て、指を直してあげる。 ﹁昔から、箸の持ち方が下手なんだ﹂と父が 言う。そうだったろうか。そんなふうに感じ たことはなかった。器用なはずの父なのに。 指はすぐに元に戻ってしまい、口に入るの は一本か二本という感じだ。このままだと遥 かな旅になりそうだ。 ﹁もっと顔を近づけてみたら?﹂と父に言う。 ﹁どんぶりの上まで顔を持っていく﹂ 父は言われたとおりにする。箸で麺をはさ み、口を開けた顔をどんぶりの上に突き出す。 それから先がうまくいかない。 ﹁もっと近づける﹂ わたしは自分の麺を口に入れながら、横目 で声をかける。暫く悪戦苦闘をつづけたあと、 ﹁疲れた﹂と父が言う。 ﹁もういいや﹂箸をカウンターに置く。 ﹁まだたくさん残ってるよ。ゆっくり食べた 属一?.﹂ ないと思う。 父は考え込むようにラーメンを見つめてか ら、また箸に手を伸ばす。食べることが唯一 の楽しみのようになっている父だ。本当に疲 れたのかも知れないが、食べたくないはずは 30 表情の変化のない横顔から、父の必死さが 伝わってくる。もしかしたら父は食事のたび に、必死の思いをしているのかも知れない。 車椅子で食堂に連れていってもらった、と母 の口から聞かされることもある。職員に食べ させてもらうこともあるようだ。父の方にと きどき目をやり、声をかけながら、わたしも ラーメンを口に運ぶ。 しばらくして父は箸を置いた。 ﹁腹いっぱいだ﹂それから、どんぶりを両手 であぶなかしそうに持って、汁をすする。麺 はまだ残っているが、今度はほんとうに満足 したように見える。 ﹁おいしかったかい?﹂ ﹁ああ、うまかった﹂ 濡れ布巾でカウンターを拭き、床にこぼれ た麺をティッシュで拾う。わたしの麺もまだ ﹁じゃあ、そろそろ行こうか﹂ 残っている。 ﹁間に合うか?﹂と父が訊く。老人ホームに 戻る時間を気にしているようだ。 ﹁だいじょうぶ。これから家に行こう。家で 風呂に入ろう﹂ 支払いを済ませて、店を出てから、 ﹁店の人と知り合いなの?﹂と訊いてみた。 ﹁ああ、昔からの友達だ。﹂と父が答える。 ﹁帰るとき、俺に笑いかけてたろう?﹂それ は気がつかなかった。レジで支払いをしたと き、店の主人はわたしにはにこりともしな かった。 ﹁昔からって、どのくらい?﹂ ﹁何十年もだ﹂ 店の主人は父よりずっと年下で、わたしよ りも年下に見えたから、父とどんな友達だっ たのか想像するのは難しい。釣り仲間とか、 ソフトボール仲間とか。わたしはたぶん、あ れこれうるさく指図をする、あまり情の深く ない息子だと思われたのではないだろうか。 父の変貌した姿を久しぶりに目にして、主人 は何を感じていたのだろう。さりげなく父に 投げかけられた微笑みの方が、わたしの情よ りももっと温かいものだったような気がした。 31 せたい。女房は東京と熊牛を行ったり来た イト5万で自給自足生活をなんとか完遂さ 終わりになる。いずれ、年金5万とアルバ もりなので、何ヶ月も東京で暮らす生活は 東京滞在中。今年から熊牛で冬を越すつ ブサイトで調べてみたら、この教会のよう ない小さなホールなのだが、何気なくウェ 行って来た。多分、五十人くらいしか入れ 個性的なバンドのクリスマスコンサートに 89凰匡ョで行われた弓四国○○詞○三シという 昨年末の天皇誕生日に、永福町の の○ご酌・のごoの りになると思う。︵木村︶ な小粋で清楚な音楽空間に永田音響設計が ということを多摩の人間として期待したい がまた次代の読者を用意してくれるだろう、 はキンドルで読めるということ、そのこと だ、この膨大なギネス級の小説がアマゾン 値段のことで何か言おうとは思わない。た 青空文庫のままだと無料で読めるのだから、 でいる。全巻買いました。三百円でした。 問になっておられる創立者の永田穂さんに 野の第一人者である。現在、取締役特別顧 ジェルスやパリにも事務所を構えるこの分 ンを担当して来たことで知られ、ロサン たる音楽施設や公共劇場のサウンドデザイ ルスホール、新国立劇場など、日本の名だ まで霊南坂教会やサントリーホール、カザ 設計事務所は個人企業でありながら、これ 関わっていることを知って、驚いた。この だけなのである。この小説の死後はないだ は、随分前に仕事でお会いしたことがある 中里介山﹃大菩薩峠﹄をキンドルで読ん ろう。︵水島︶ のだが、音響設計に関しては一切の妥協を 32 許さず、厳しいことを容赦なくおっしゃる 一方で、スタッフのことをとても大切にす ジーを綴っていく積もりです。︵野村︶ 十九日にsウの新年会があり、初めて ることができて新鮮でした。本年もよろし まるで初めて会ったときのようにお話をす る方だったことが思い出される。︵秋川︶ 今年は1月上旬に、富士山の夢と膳の夢 会った方はいらっしゃらないはずですが、 を見ました。遠ざかったら忘れてくれるか くお願いいたします。︵長尾︶ ハマっています。わたしの買ったのは、 アマゾンのキンドルを購入して、これに と思っても、決して忘れず、今もなおひた むきに赤子のようにわたしを信頼している 姿は信仰そのものの姿のようで、たいへん お金が無いと恋など出来ませんが、お金は さんはずっと計算をしていました。確かに 恋です。僕が婚活に勤しんでいる間、カミ ることは、もはや無いでしょう。娼歳の失 ました。これから先、僕が恋に落ちたりす それによって、僕の婚活は粉々に砕け散り ︻婚活の終焉︼カミさんから突然の電話。 できるというのは、ありがたい。凄いのは、 の時間でと、時間を失うことなく、読書が が楽しみになって、電車の中で、待ち合い 藤沢周平、久生十蘭などがあります。読書 で買ったものには、アガサ・クリスティ、 かりダウンロードして読んでいます。有料 ありがたい。既に著作権の切れて古典をば 何百冊という書籍を持ち運べるのは、誠に ありがたく、胸を打たれました。︵福島︶ 恋には成り得ません。僕はそう思います。 ひとつの書籍の表紙のアイコンの下に、例 昏且汚厚の西口という機種です。携帯して 今後は残された時間を使って、細々とポエ 33 す。︵岩田︶ 切りがありませんので、ここまでに致しま まっていることです。これを書き始めると、 左膳︵全巻︶というような量が簡単に収 えばゲーテ全集とか、大菩薩峠とか、丹下 たせない。こういう心境になったのもヨワ ととネコが居ることで、なかなかそれが果 の豊かな土地に越したいけれど、病院のこ の薄さに閉口しているところだ。どこか緑 で通院しているのだが、最近、都会の空気 馬巨凰の匡呂は、オリビエ・メシアン作曲 混じるのは、図鑑等の記述にある通り。 がいっそすがすがしい。群中、アカハラが ツグミが群がっている。けたたましい蕩尽 正月、遅くまで実を残した柿に、日がな 借りて、みなさまにご挨拶申し上げる次第 はそれなりに、ある。今年初めての小誌を るけれど、不惑とも知命とも異なった感慨 まだ青演垂らした小僧に過ぎないそうであ の父親などに言わせると、六十なんかまだ 還暦を迎えた。年頭に満で八十になった妻 イのなせるわざか。恥ずかしながら、私も ﹁鳥類譜﹂よりイソヒョドリ︵英名ではブ である。めぐりあひて元の巳になる初茜。 ︵倉田︶ ルーロックスラッシュ︶。︵和田︶ リハビリテーションと手術・投薬の甲斐 あってか、ことしはだいぶ年賀状を書くこ とができた。といっても、昨年末に出した 賀状はヒトケタにすぎず、大部分はいただ いた賀状への返礼のかたちをとるものばか りではある。毎週、ここ横浜から五反田ま 34 &す第訂号/2013年2月焔日 編集発行人/倉田良成 Eメール/富胃誘顧匡⑨厨・eg・愚者 〒230︲0078横浜市鶴見区岸谷41あIお鶴見岸谷ハイツ麺