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行政活動の憲法上の位置づけ: 法律の留保論の多義性
Kobe University Repository : Kernel Title 行政活動の憲法上の位置づけ : 法律の留保論の多義性、 およびアメリカ行政法における法律の留保につい て(Constitutional Status of Administrative Activities : Multiplicity of the "Statutory Reservation" Theory and Its Counterparts in the US Administrative Law) Author(s) 中川, 丈久 Citation 神戸法学年報 / Kobe annals of law and politics,14:125225 Issue date 1998 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81000039 Create Date: 2017-03-28 行政活動 の憲法上 の位置づ け - 法律の留保論の多義性、およびアメリカ行政法における法律の留保について- 中 川 丈 久 〔 目 次〕 - は じめ に 二 オットー ・マイヤー三原則の原意 と、そのE ]本国憲法下での再解釈 三 「 法の支配 ・法治国」 と 「 権力分立」の概念 について ( 1 ) ルールの支配 としての 「 法の支配 ・法治国」 ( 2) 「 権力分立」の二重構造 :独占的権能の分配 と多極的な意思形成 四 「 権力分立」上の諸要請 ( 1 ) 権力分立の外側にあるものとしての行政活動 - 行政権 と行政活動 の区別 ( 2) 独占的権能の分配 としての権力分立上の要請 ( a) 行政機関が権利義務関係を創出するのに必要な立法権か らの授権 ( b) 立法権の放棄禁止 ( 白紙委任の禁止) ( C) 司法権、および行政権の占奪禁止 ( 3) 多極的な意思形成 としての権力分立上の要請 ( a) 内閣による行政活動のコントロール ( b) 裁判所および国会による行政活動のコン トロール 五 「 法の支配 ・法治国」上の諸要請 ( 1 ) 行政活動に対す るルールの支配のあり方 1 2 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 2) 抑制的行動 の要求 ( a)権利義務を生 じさせ る行為形式 の場合 ( b)権利義務 を生 じさせない措置の場合 ( 3)実体的ルールの桐密度 ( 政策的桐密度)の要求 ( a)学説 の整理 ( b)考え方 の整理 六 行政活動 の憲法上 の位置づ けのためのマ トリクス ( 1 ) マ トリクスの提示 ( 2) 日本法治主義論 との関係- 法律の留保論 の多義性を中心に ( 3) 行政指導論への展望 七 結 論 - は じめに 「アメ リカ行政法 において法律の留保 はどう論 じられているのか」 は、米国 行政法を比較法的研究の対象 とす る筆者 にとって、 もっとも答えに窮する問い のひとつである。米国行政法 に、わが国の法律の留保論 あるいは法治主 ●●●● 義 - にそのまま対応す る議論が明示的には現れて こないか らであ る。 本稿 で は、 この疑問を念頭 にお きつつ、わが国の 「 法律 による行政の原理」ないし 「 法治主義」「 法治行政」 の問題構造 を明 らかにす ることを試みたい。 この点に ついてわが国ではこれまで、憲法学 と行政法学 の問の対話が比較的少ないまま に議論 されて きたよ うに思われ るので、本稿ではで きる限 り両者の成果を参照 す ることとしたい。 「 法治主義」 とい う言葉 は、「 行政活動 は法 に従 って行 われなければな らな い」 とい うアイデアを意味 し、法治行政や法律 による行政原理 と同義であると 行政活動の憲法上の位置づけ 1 2 7 = され る ( 以下、法 治主義 の言葉 で代表 させ る)。 また、 法 治主 義 は、「 権力分立」 概念 と 「法 の支配 ・法治国」概 念 との間 の密接 な絡 み合 いの なか で説 明 され る のか常 で あ るが、 その絡 み合 いの様相 につ いて はやや不 分 明 な と ころが あ る。 ( 2 ) どち らか とい うと 「法治 国」思 想 の伝 統 に重 きを 置 きっ っ 説 明 す る立 場 と、 ( 3 ) 「 権力分立」思想 の投影 と して法治主義 を説 明す る立 場 とい う、 微 妙 な色 合 い の違 いが見 られ な いで はない。 本稿 で はひ とまず、 「権 力分立 」 と 「 法 の支配 ・ ( 1 ) わが国での法治主義、法治行政 といった言葉の形成につ いて は、 高田敏 『社会的 法治国の構成』3頁、2 2 3 0百、9 8 1 0 5頁、4 4 4 4 5 1 頁 ( 信山社 ・1 9 9 3 )(以下、 『社会 的法治国』 と略称する)およびそこで引用 された諸文献を参照。 ( 2 ) たとえば、高田敏教授は、(もちろん権力分立的要素に言及 しないわけではないが) ドイツの法治国思想の歴史に比重を置いた考察をされる例である。同 『 社会的法治国』 3 9頁は、「法治主義 は、単に行政のみではな く、司法、 さ らに 参照 ( ちなみに、同書 4 は立法をも法的規律の対象 とするものである」 と述べている) 。 小早川光郎教授 も、法治主義の思想的淵源を述べつつ、それを実現す るためのひと つのありうる 「 機構」 として権力分立を取 り上げる。小早川光郎 『 行政法講義上 Ⅰ 』 1 6 1 7頁 (弘文堂 ・1 9 9 3 )(以下 『講義上 Ⅰ』)。芝地義一教授 も、 「法治主義 とは-客観的な法にしたがって行われなければな らないという」要請であ って、 「絶対主義 体制のもとにおいても考え られるものであるが、権力分立制の採用によ って-・ ・ ・ ・ 近代 立憲国家における法治主義は、絶対主義のもとでのそれとは質的に異なるものである」 というように、近代的権力分立以前か らの連続性に言及 しているO芝地義一 『行政法 総論講義 ( 第 3版) 刀4 0頁 ( 1 9 9 8・有斐閣)(以下 『総論講義』)0 ( 3) もっとも明確なのは、藤田苗靖教授の説明の仕方で、「 法律による行政の原理」は、 権力分立思想の行政法の平面における-投影物であると述べ ( 藤田苗靖 『第三版行政 』4 9 5 0頁 (青林書林 ・1 9 9 3 ) 。以下 『 行政法 Ⅰ 』 ) 、 また、 日本国憲法が権力分立 法Ⅰ を中心 とする近代西欧型立憲主義を採用 した以上、「 法律 による行政の原理」 を伴 う 2頁注 1)0 「 法治国」が承認 されていると述べている ( 同書 5 --の起原 をな した思 それ以前にも、たとえば柳瀬良幹博士は、「 法治主義 の原 則想 としては権力分立 と国民主権の二を挙げることができる」 と述べて、法治主義 を端 的に権力分立のもたらす ものと捉えている。同 『 行政法教科書 ( 再訂版)』1 7 1 8百、 2 1 1 2 3頁 ( 有斐閣 ・ 1 9 6 9 )( 引用は同書 2 1 頁。以下 『 教科書』) .柳瀬良幹 「 法治国家」 8 7 1 9 0頁 (有斐閣 ・1 9 5 6 ) 田中二郎 ・原龍之助 ・柳瀬良幹編 『 行政法講座第一巻』1 も同旨。なお、柳瀬博士は、本稿でいう法の支配 ・法治国に相当する要請については、 7 2 8頁)。 杉村敏正教授 も 「自由主義」 と呼んでいるように思われる ( 同 『 教科書』2 「 わが国において、いわゆる法治主義は、権力分立を採用 し、 --立憲君主国家 の統 治原理 として、は じめて、成立 した」 と述べる。杉村敏正 『 全訂行政法講義総論上巻』 3 9頁 (有斐閣 ・1 9 6 9 )( 以下 『 総論上』 ) 0 1 2 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 法治国」 とを可能 な限 り分別 して、複眼的 に考察す ることとす る。「 権力分立」 と 「 法 の支配 ・法治国」 とは、 た しかに近代立憲主義 において重複す る部分を 多 く持つが、 そ もそ も、欧米政治史 における起源を異 に しているものであ り、 また近代立憲主義憲法 の中で も概念 と して完全 に重複す るわけではないと思わ ) れ るか らである。 む しろ、 「 法 の支配 ・法治国」上 の諸要請 と 「権力分立」 上 ●● の諸要請 とが、互 いに交錯 し合 うことによ って、 あ らゆ る統治活動 ( 一切の国 ( 4 家機関 の活動) のあ るべ き姿 を規律す る憲法上 の仕組 みが、網 の目 ( we b) の よ うに紡 ぎ出 されて いると考 え るのが至当であ るよ うに思われ る。別の言 い方 をすれば、権力分立 とい うアイデアによ って仕組 まれた統治機構 における様々 な統治活動 のすべてに、法 の支配 ・法治国的要求がなされ るということである。 本稿 で は、「 権力分立」 と 「 法 の支配 ・法治国」 それぞれ の概念 か ら、 統治 活動 のひ とつ と しての行政活動 に対す る憲法的規律 が どのよ うに編み出されて いるのか - そ して、両概念か らの要請 が どのよ うに異 な り、 あ るい は どの よ うに重複 して い るのか - につ いてで きるだけ包括 的 な問題 マ トリクスの 作成 を試 み ることと したい。 そのマ トリクスのなかに、 わが国行政法学が法治 主義 とい う言葉 で呼 び慣 わ して きた諸 問題 を位置づ けることで、 その構造 を明 確化 して理解す ることが可能 であ るよ うに思 われ、 ひいて は冒頭 に掲 げた 日米 比較 の疑問 に も答え ることがで きると期待 され るのであ る。 なお、本稿 でい う 「 行政活動」 とは、行政法学 において通常取 り扱 う素材を ( 5 ) 大 まかに指 してい る。す なわち、法律 によ り設置 された行政機関を名宛人 とし ( 4 ) 両概念の歴史的起源の違いについて、高見勝利 「 『 権力分立』論への一視角」法学 教室 1 6 7号 5 3頁 ( 1 9 9 4 )を参照。また、このふたっを峻別 して考察することによるひ とつのメリットは、後出注6 4のような問題意識が生まれることである。 ( 5) 国家行政組織法は、「 内閣の統轄の下における行政機関の組織」( 1条 1項)につい て定める法律であると宣言 しつつ、「 国家行政組織は、内閣の統轄の下に」置かれる こととし ( 1条 2項)、「国の行政機関は、府、省、委員会及び庁とし、その設置及び 3条 2項)とし、その 「 行政機関の所掌事 廃止は、別に法律の定めるところによる」( 4条)としている。また地方公共団 務の範囲及び権限は、別に法律でこれを定める」( 行政活動の憲法上の位置づけ 1 2 9 て、法律が職務を与 え る (いわゆる組織規範 と作用規範 とを問わない) とい う ●●●● 形で形成 され る活動 である。 いわば国会 の被創造物 と して、行政機関 によるそ の任務 の遂行が 「行政活動」 であ る。法律 (それ に反 しない限 りで条例) とい う形式 によることが行政活動 の創 出方法 と して憲法上許 された唯一 の選択肢か I b l 否かは本稿の関心事で はない。少 な くとも実定法上存在 し、行政法学 が普通検 討対象 としている行政活動 につ いて、憲法上 どのよ うな規律 の網 がかぶせ られ ているのかを問 うものであ る。 以下、 日米の憲法 ・行政法 を素材 と して、次 のよ うに叙述 を進 め る。 まず序 説 として、わが国行政法学が法治主義 を論 じる際 に必 ず引照す るオ ッ トー ・マ イヤーの 「 法律 の支配三原則」 の位置づ け方 に注意 を喚起す る。 マイヤー自身 の理解 ( 原意 と呼ぶ) が、 「権 力分立 」 の一 定 の モ デル を作 り上 げ る こ とで 「法治国」を実現 しよ うと した ものであ った こと、他方、 戦 後 の 日本 行政 法学 は、 マイヤー自身の理解 を換骨奪胎 し、 これ とは異 な った次元 の問題へ と議論 を展開 させて きたと推測 され ることをあ らか じめ指摘す る ( ニ)。 その展開状況 を明 らかにす るため、「権力分立」 と 「法 の支配 ・法 治 国」 そ れぞれの観点か ら、行政活動 につ きどのよ うな問題状況が生 じるのかを細分す る作業 を進め ることとなる。 その前提 と して、「法 の支配 ・法治国」 の思想 が、 " 統治活動 はルールに窮束 された ものでな くて はな らない" とい う理念である 体については、地方自治法がその 「 事務」を概括的に示 しつつ ( 2条) 、執行機関につ いて第 7章で設置と所掌事務を定めている。 ( 6 ) いわゆる行政組織権の問題については、稲葉馨 『行政組織の法理論』2 4 5頁以下 ( 弘文堂 ・ 1 9 9 4 )などを参照。また後出注 ( 6 4 )および該当する本文を参照 (内閣の補 助部局) 。 なお、小早川光郎教授は、「およそ何が行政の任務であり何がそうでないかは基本 的には国会が法律によって確定すべきものであり、それが憲法の趣旨」であるとする 「 組織法的全部留保」という考え方を示されている。小早川光郎 「組織規定 と立法形 式 『 現代立憲主義の展開 ( 声部信書先生古稀祝賀) 』4 7 0百、4 7 5 4 7 6頁 ( 有斐閣 ・ 1 9 9 3 ) 。また、高橋和之 「 立法 ・行政 ・司法の観念の再検討」ジュリス ト1 1 3 3号 4 0百、 4 4頁 ( 1 9 9 8 )も参照。 」 1 3 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ことを確認 し、 また 「 権力分立」 については、単 に平面的な権限の分配原理で はな く、 ` 独̀ 占的機能 の分配" と " 多極的な意思形成"の立体的 な二重構造 を 持つ概念であることを確認す る ( 三) 。本稿 は日米比較を目的 としているか ら、 日米間に見 られ る 「 法の支配 ・法治国」 における遠 い (どのようなルールを重 視す るかの違 い)、および 「 権力分立」 における違 い ( 大統領制 と議院内閣制 の違 い)が、本稿の考察 にどのように影響 を及ぼ しうるかについて も、 ここで 併せて検討 してお く。 以上 の予備的考察を経て、本稿で対象 とす る意味での行政活動について、あ りうべ き憲法的規律のマ トリクスを示す。 まず、「 権力分立」 との関係 で生 じ る諸問題を論 じる。 " 独 占的機能 の分配" としての権力分立 との関係で生 じる 諸問題 ( 行政過程 における権利義務関係の立法権 による独 占的創出、三権の放 棄 ・占奪の禁止)、 " 多極的な意思形成" としての権力分立 との関係で生 じる諸 問題 ( 内閣 ・国会 ・裁判所その他 による行政活動への コン トロール)を概観す る ( 四) 。次 に、「 法の支配 ・法治国」 との関係で生 じる諸問題を論 じる。本稿 では、手続的ルールに関す るものは取 り上 げないこととし ( 別稿で扱 う) 、もっ ぱ ら、「ある種の行政活動 は抑制的に行われ るべ きである」 とす る価値観、 お よび 「 行政活動 は実体的ルールに南東 された ものでな くてはな らない ( 政策的 桐密 さない し実体的ルールの桐密 さの要求) 」 とい う価値観 が、 ど う実現 され るべ きか とい う問題を取 り上 げる ( 五) 0 これ らの検討 を経て、行政活動 に対す る 「 法の支配 ・法治国」および 「 権力 分立」 それぞれか ら要求 され る諸種の規律 のマ トリクスを示す ことができる。 そ してそのなかに、 日本行政法 における法律の留保論がどのように位置づけら れるかについて、試論的な結論 を示す。 また、行政指導論 について もひとつの 知見が得 られ るよ うに思われ るので、それ も併せて述べてお く ( 六) 。最後に、 マ トリクスそれぞれの問題設定 に対応す る日米 の議論を対比することにより、 冒頭 に述べた筆者 の疑問への一応の回答を示す ( 七) 0 1 3 1 行政活動の憲法上の位置づけ なお、読者 の便 宜 の ため ここで あ らか じめ本稿 の結 論 で あ るマ トリクスを掲 げてお くことに しよ う ( 〔表 〕を参 照)。 〔表 〕 行政活動 に対 す る 「法 の支配 ・法 治 国」 と 「 権 力分 立」 上 の規律 の マ トリクスお よび、 法律 の留保 論 の位 置 づ け 権力分立上の諸要請 独占的権能の分配としての権力分立 ① 行政過程 よる創出 における権利義務 の立法 権 ※ に ② 立法権の放棄 の禁止 一 一 多極的意思形成としての権力分立 ③ (白紙委任の禁止) 司法権の占寺の禁止 ④ 行政権の占奪の禁止 ⑤ ♯ ⑥ ⑦ 国会 ( 両議院) によるコ ン トロール#. 妹 (コ ン トロール的立法 .予算等) 裁判所 によるコ ン トロール ( 司法審査) 内閣 によ るコ ン トロール ( 行政各部 の指揮監督) 穣尊卑鍵吋を佃 庫i : : : . : . : 黙1 1 ㌔ 法の支配 .法治国上の諸要請 ⑧ 抑制的行動 (そのための諸種 のルール) の要求 ⑨ 実体的 ルールの桐密度 ( 政策 的鯛密度) の要求 ⑩ 手続 的ルールの要求 #. ※※ ※ いわゆる 「 法律の法規創造力」論 と、① ② の関係に留意 されたい ( 後出注 ( 2 8 )を参照)。 ※※ 法律 ( 組織法 ・作用法)によって創出された行政活動を考察対象 として いるので、創出 した法律そのものはこの表には現れない。 ※※※ 本稿では扱 っていない。 1 3 2 ニ 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8) オ ッ トー ・マイヤー三原則の原意 と、その 日本国憲法下での再解釈 日本行政法 にい う法治主義 は、起源的 にオ ッ トー ・マイヤーの 「法律 の支配 三原則」 を意味す るものであ ると説明 され る。 ところが、教科書等が 「法律 の 支配三原則」 に言及す るとき、 マイヤー自身の考 えていた ものが語 られている のか、それ ともその理論 を 日本国憲法 の もとで用 いるべ く各論者が手を入れた ( 7 ) ( 8 ) もの、 ない しは 「 近代的理念」 と して論者 が昇華 させた ものが語 られているの かが、 しば しば暖味であ るよ うに思 われ るO本項で は、前者 ( マイヤーの原意) か ら、後者 (日本国憲法 ない し 「 近代的理念 」 )への移行現 象 につ いて、 あ ら か じめ注意 を喚起 してお くことを 目的 とす る。 ●● 森 田寛二教授 は夙 に、 マイヤーの原意 と、わが国 の論者 の問 に見 られ るずれ ( 9 ) に意識的 に注 目 した研究 を発表 されてい るので、 ここで はその研究に依拠 して、 マイヤーの原意 を位置づ けることと したい ( 森 田教授 の示 され る理解 によって のみ、三原則がそれぞれの独 自の存在価値を持つ よ うに筆者 には思われ る。 と は言 え、 ここで筆者 は、 マイヤーの原意 が何であ ったかについて 自説 としての コ ミッ トメ ン トを示す もので はない し、 またその能力 もない)。なお、マイヤー の 「ドイツ行政法」 は、立憲君主憲法であるいわゆ る ビスマルク憲法の もとで 発表 された もの ( 第一版 と第二版) と、国民主権 に基づ くいわゆるワイマール ( 7) 多くの教科書は、日本国憲法を念頭において三原則の内容を述べてきたように思 われるが、 近時の教科書は明確に区別することが多い。塩野 宏 『 行政法 Ⅰ( 第二版)』 5 7 6 0頁 ( 有斐閣 ・1 9 9 4 )( 以下 『 行政法 Ⅰ』 ) 、芝地 『総論講義』4 0 4 8頁 ( 法治主義 の再編) 、小早川 『 講義上 Ⅰ』71 頁など。 ( 8 ) たとえば、高田敏教授はマイヤーの定式から 「 近代的側面」を抽出 していること を明示 して、その三原則を論述 している。高田 『 社会的法治国』4 41 4 4 2貢。 ( 9 ) 森田寛二 「 法規と法律の支配 ( -) ( 二 ・完)」法学 4 0巻 1号 4 5亘、2号 1 5 5頁 ( 1 9 7 6 )( 以下 「 法律の支配」 )。また、高橋和之教授が 「 立憲君主政モデル」 と呼ばれ るものも、森田教授のマイヤー理解と同じ仕組みであるように思われる (「法規」の 言葉には異なる意味を与えているが) O高橋 ・前掲論文 ( 注 6)4 2頁。後出注 (16) ち 参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 3 3 憲法の もとで発表 された もの ( 第三版) があ るが、 ここで は、 ビスマル ク憲法 の もとでの著作である第一版 と第二版 によ って、 マイヤー自身 の理解 を位置づ ( 1 0 ) けることに してお こう。 まず、「 法律の法規創造力」 を見てみよ う。 ワイマール憲 法下 にお け る第三 版 において は じめて 「 独 占」 とい う言葉 が入 るが、 それ以 前 にお いて は単 に ( l l ) 「 法律の法規創造力」であ った。 そ うす ると、 ビスマル ク憲 法下 にお け る第一 版 ・第二版 にい う 「 法律 の法規創造力」 に関す る限 り、森 田教授 が指摘す ると ( 1 2 ) お り、議会の定め る法律 は 「 原則 と して法規 である」、 つ ま り、議会 の法律 は、 君主の独立命令 と同様 に、法規 た りうる ( 法規 を創造す る能力 を持 っ) とい っ た意味に捉 えるのが説得的であろ う。次 に、森 田教授 によれば、「 法律 の優位」 は、議会 ( 法律) と君主行政府 ( 独立命令) の競合的管轄事項 につ いて定 める ものであ り、法律 と独立命令 の双方 がある場合 には前者 によ って後者 を廃止す ( 1 3 ) ることがで きるとい う意味であ り、「 法律 の留保」 とは、議会 (つ ま り法律) l l 小 の排他的管轄事項 の存在 (自由 ・財産 の侵害) を示すのである。以上 のよ うな 森田教授 の理解 は、三原則 を、結局の ところ、法律 と独立命令 とい うふたっの 規範 の相互関係 として説明す るもの と言 え る (〔 図 1〕 を参照)0 ( 1 0) 第二版と第三版の間に全体的に大きな差が無いことの意味について、塩野宏 『 オッ トー ・マイヤー行政法学の構造』2 9 8頁以下 ( 有斐閣 ・1 9 6 2 )( 以下 『オットー ・マイ ヤー』) を参照。 ( ll) 塩野 『 オットー ・マイヤー』1 1 3頁注 2 0なお、森田教授の分析に従うならば、第 三版に至ってはじめて 「 議会のみ」という言葉が付け加えられたことの意義 は大 きい であろう。森田 「 法律の支配 ( -) 」6 3 6 6頁参照。 ( 1 2 ) 森田 「 法律の支配 ( -) 」5 0 5 2頁、8 4頁. ( 1 3 ) 森田 「 法律の支配 ( -) 」7 5 8 0頁、8 4頁。 ( 1 4 ) 森田 「 法律の支配 ( -) 」6 1 6 3百、6 6 6 7百、8 4頁。 1 3 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 〔 図 日 オ ッ トー ・マイ ヤー三原 則 の原 意 第一原刺: 法律の法規創造力 自由・財産 の侵害事項 法律の優位 第二原則 : ( 独立命令への優位) 第三原則 法律の留保 ( 誰会の専権事項) 森 田教授 に よれ ば、 マ イヤ ー は 「法 規」 の言葉 を 「 一 般 的適用性 のある規範」 ( 1 5 ) と して用 いて い る。 つ ま りル ールで あ る。 また、 ビスマル ク憲法 の もとで は、 「 君主 」 ( 君主 行政 府 の補 佐 を受 け る) も 「議会」 も、 と もに憲法上 直接 に認 め られ た存在 で あ り、君 主 命令 の制定 と、 法律 の制定 とは、 それぞれが憲法上与 え られ た権 限 で あ る。 そ うす る と、 マ イヤ ー は、君 主 ( 君 主行政府) と議会 と い う憲 法上 の存在 の憲 法上 の相 互 関 係 - " 綱引 き" (権 限 の水平 的分配 )- 君主 と議 会 とい う ヨコの関 係 で の につ いて ひ とつ の モ デ ル を提 示 す る こ と に よ って、 た とえ君 主 (ひ いて はそれ を補 佐 す る君主 行政府) で あ って も、一 定 範 囲 で は、 他律 的 な ル ール ( 議 会 の作 った法律 ) の罵束 の もとにあ る とい う ( 1 5 ) 森田 「法律の支配 ( -)」5 2頁。 また、塩野 『オ ッ トー・マイヤーJ 11 1 2頁、 同 』5 7頁 ( 一般的規律) も参照。なお、「 法規」概念は、伝統的に守 られてき 『 行政法 Ⅰ た利益 (自由と財産)の侵害 という意味で も用いられるところであるが、 しか しいず れの意味で用いようと、結論的には本文で述べたマイヤー三原則の構造を左右す るこ 9 )を参照。 とはないと思われる。前出注 ( 行政活動の憲法上の位置づけ 1 3 5 意味で、法治国的発想 を実現 しよ うと した もの と考 え られ る。 このよ うなわけ で、 マイヤーの 「 法律 の支配三原則」 は、法治国 の要請 を、立憲君主制 (ビス マルク憲法) における権力分立 のあ り方の レベルで実現 しようとした理論 と言 っ ( 1 6 ) てよいよ うに思 われ る。 マイヤー自身、「法治国 とは--権 力分 立 に よ って行 ヨ ‖ n E 政の領域 に も法律 の支配が保障 され--・ てい る、 そのよ うな国家 であ る」 と述 べている。彼の三原則 は、 このよ うな形 で、「法 の支配 ・法治 国」 と 「権 力 分 立」を絡み合わせた もの と考 え られ るのであ る。 明治憲法の もとで理解 された法治主義 も、 同様 の構造 を持っ ものであ った と ( i 8 ) 言え る。明治憲法 は天皇 が 「統 治権 を総撹 す る」 (4条 ) と しつつ、 天皇 の 、「司法 権」 は 「天 「 立法権」 の行使 には帝国議会 の協賛が必要 であ り (5条) 皇の名を もって裁判所が行 う」( 5 7条) ほか は、天皇 が、国務 大 臣 によ る輔 弼 を受 けると定め る ( 5 5条) だけであ る (明治憲 法 に 「行政 権」 とい う文言 は ない。天皇 にはこのほか、陸海軍 の統帥権 がある) 。 ここで は、 帝 国議 会 の定 める法律 と、国務大臣の補弼 を受 けて天皇 が出す独立命令 との関係 を論 じる必 要があ り ( 法律の法規創造力 ・法律 の優位 - 明治憲法 8条 及 び 9条)、 そ し て帝国議会 に留保 され る固有 の守備範囲を論 じる必要 があ るのである ( 法律 の 留保) 0 ところが、 日本国憲法の もとで は、 マイヤー式 の 「 法律 の支配三原則」がそ ( 1 6 ) ちなみに、高橋和之教授は、「法規概念を軸に議会 と君主の間の権限配分の理論 体系が構築される」「 立憲君主制モデル」を述べている。高橋 ・前掲論文 ( 注6 )4 2 貢。 ( 1 7) 塩野 『オットー ・マイヤー』1 1 0頁より引用。また同書9 6頁 (オットー・マイヤー における 「 法治国-秩序づけられた行政法 ・立憲国家-権力分立」という観念) 、1 1 1 _ 1 1 3百、2 9 1 2 9 2頁、2 9 8頁を参照.また、藤田苗靖 「 行政と法」雄川一郎 ・塩野宏 ・ 園部逸夫編 『 現代行政法大系 1 』1頁、9 1 0頁 ( 有斐閣 ・1 9 8 3 )における、「法律によ る行政」モデルの記述 も参照。 ( 1 8 ) 美濃部達吉 『日本行政法 ( 上) 』( 復刻版)6 9 -71頁 (有斐閣 ・1 9 8 6 ) 。明治憲法 下の法治主義論については、芝地 『 総論講義』4 2 4 4亘、高田 『社会的法治国』4 4 2 4 4 3貢、4 5 3頁、塩野宏 「法律による行政の原理」ジュリス ト3 0 0号 7 2貢 ( 1 9 6 4 )など 参照。 1 3 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) の原意通 りの形 で必要 とされ るわ けで はない。 第- に、 マイヤー理論 の前提 であ る君主 ( および これを支 え る官僚組織 とし ての君主行政府) が もはや存在せず、君主 か ら一定 の権能 を獲得 しよ うと狙 っ ( 1 9 ) てい る議会 も存在 しない ことであ る。 日本国憲法の もとで は、議会法律 に同次 元で括抗 す るよ うな独立命令を出 しうる国家機関 は無 い。天皇行政府が存在 し ないのは もちろん ( 憲法 1条)、内閣 も独立命令を出す権 限 は与 え られて いな ( 2 0 ) い。 わが国 の行政法教科書 が一様 に、「自由な行政 とい う観念 は もはや存在 し \ = い ない」 としてい るのは、 この ことを指 してい る。 そ うす ると、独立命令 ( 君主) と法律 ( 議会) の問の ヨコの綱 引 きとい う、 マイヤー自身の問題設定を応用す る余地 が、 日本国憲法 の もとで は存在 しないはずなのであるO ( それに対 して、 本稿 で取 り上 げる国会 と行政活動 の関係 は、創造者 と被創造物 とい うタテの関 係 である。) 第二 に、 マイヤーが三原則 を提唱 す る ことで実 現 しよ うと した法治 国状態 (ヨコの関係) は、 日本国憲法 の もとで は、権力分立規定 によ ってすで にそれ 以上 に達成 されてい る。立法権 を国会が独 占す る趣 旨の憲法 4 1条が あ る以上、 法律 に も法規 - この言葉 を ど う理解す るのであれ - 創造力があるな どと 改めて主張す るまで もない。実 際、一般 に行政法教科書 で は、 「法律 の法規創 ・ J : I 造力」 (の独 占) は憲法 4 1条 に含 まれているとい う説 明が な されて い る。 「法 ( 1 9 ) 藤田 『行政法 Ⅰ』7 9頁 ( 侵害留保理論は、君主を中心とする行政権という憲法構 造上の支柱を失った) 。 ドイツで本質性留保理論が登場 した背景にも、憲法構造の変 1 8 4 )を参照。 化が挙げられる。後出注 ( ( 2 0 ) 憲法7 3条 6号の文言にもかかわらず、憲法を直接実施するための政令は認められ ないと解されている。 たとえば、佐藤幸治 『 憲法 ( 第三版)』2 3 0頁 ( 青林書林 ・ 1 9 9 5 )( 以下 『 憲法』 ) 0 ( 21 ) 藤田 『 行政法 Ⅰ 』82頁 ( 立憲君主制の崩壊により、行政それ自体は固有の権限を 持たなくなったことは言 うまでもない) 。高田 『 社会的法治国』4 5 7頁 ( 本来的に自由 な行政権はなくなった) 。小早川 『 講義上 Ⅰ 』9 9頁 ( 行政権の自立性の観念は現行憲 法のもとではもはや妥当しない) 0 ( 2 2 ) 藤田 『行政法 Ⅰ』5 3 5 4頁、芝地 『総論講義』47頁、柳瀬 『教科書』2 3頁、小早川 行政活動の憲法上の位置づけ 1 3 7 律 の優位」 につ いて は、行政機関 は既 に存在 す る法律 に達反 す ることをな しえ ( 2 3 ) ないとい う趣 旨であ るとす る説 明が一 般 的 に な され て い るが、 そ の意 味 で の ( 2 4 ) 「 法律 の優位」 は、憲法 4 1条 か ら導 き出 され る国法秩序上 当然 の ことであ って、 とりたてて言 うまで もない ことであ る。最後 に、 「法律 の留保 」 も、 これ を ヨ コの関係で捉 え る限 りは、憲法 4 1条 のなか に吸 収 され て しま って い る と考 え られ る。 「 国民 の財産 と自由」 にかか るルール は国会 の専 権 分 野 と して 留 保 さ ( 2 5 ) れる ( 侵害留保) な どとがんば る必要 もないので あ る。 以上 よ りすれば、 マイヤーの三原則 は、 日本国憲法 の もとでの ヨコの関係論 と して は忘れ去 られ る ことが十分 に可能 で あ った と思 われ る。 しか し、 わが国 の行政法学説 は、 マイヤーの所説 か らなお何 らか の有益 な示唆 を兄 いだそ うと す る態度 で一貫 して きた。 それ は、 ヨコの関係 で はな く、 国会 ( 創造者) と行 政活動 ( 披創造物) とい うタテの関係 のあ り方 を考 え るの に、立憲君主制 にお ける君主 ( およびそれを補助 す る君主行政府) に対 す る 「法律 ( 議会)の支配」 』7 9頁、阿部 『行政の法システム ( 下)(新版 )』6 8 7頁 (有斐閣 ・1 9 9 7 ) 『 講義上 Ⅰ ( 以下 『システム下』 ) 。 ( 2 3 ) 藤田 『行政法 Ⅰ』5 4 5 5頁、芝池 『総論講義』4 3頁。また、小早川 『講義上 Ⅰ』 7 5頁は、規範問の優劣関係に限 ってこれを捉えている。すなわち、「国会制定法律で 定められた規範と行政機関の定立 した規範 とが同一事項について併存 し、かつ、 それ らが互いに矛盾すると言 う場合に、法律が行政機関の規範定立を破 り、後者が無効 に 4頁注 1は、「歴史的 なる」という説明をしており、 この点につき芝地 『 総論講義』4 な理解としては」正当であろうとコメ ントしている。森田寛二教授 のマイヤー理解 9 ) ( 1 5 )および該当する本文)を参照。 ( 前出注 ( ( 2 4 ) 阿部 『システム下』6 8 7 6 8 8頁、柳瀬 『教科書』2 3頁 (法律の優位は、「憲法上普 ) 。高田 『社会的法治国』4 6 0頁 通に法律の形式的効力として説かれるところである」 が、法律の優位は権力分立主義か ら引き出されるとしているのも、同趣旨であろう。 むしろ 「 法律の優位」をめぐって日本国憲法上問題とすべきことは、議院規則や最高 4 8頁、掘内建志 「法律 と規則」法 裁規則と法律の間の関係であろう。佐藤 『 憲法』1 1 4号 3 6頁 ( 1 9 9 0 )など参照。 学教室 1 ( 2 5 ) 棟居快行 『憲法学の発想 1』7 9頁 (「今日では、 もう王様がいないわけですか ら、 」「今日ではそ もそ も 『法 何が法律事項か、などという議論をする必要はないのです。 律の留保』という考え方で法律の守備範囲を限界づける、という発想自体が時代お く れなのです。 」( 信山社 ・ 1 9 9 8 ) 0 1 3 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) の可及 的実現 とい うマイヤー的 な問題意識 を、 日本国憲法 の もとで昇華 させて、 有益 な問題発見 を しよ うとす る努 力 で はなか ったか と推測 され るのであ る。つ ま り、 日本国憲法 の もとで は、三原則 の言葉 だ けが仮借 されたのであ って、 マ イヤー 自身が焦点 を当てたの とは異 な る局面 を論 じて きたので はないか とい う ( 2 6) ことで あ る。戦後 のわが国 で は、 マイヤー三原則 の うち もっぱ ら 「 法律の留保」 だ けが取 り上 げ られ、残 る二 原則 か ほ とん ど議論 され な くな ったの も ( わずか に法律 の法規創造 力 の独 占の一環 と して 白紙委任 が論 じられ る)、 こ う した昇 華 ない し再定式化 が あ った証左 で あ るよ うに思 われ るところであ る。 そ こで本稿 で は次 の よ うに検討 を進 め る。法律 の留保論 は、現在 の教科書 に よれば、 「行政活動 は、 すで に存在 す る法律 に触 れ るところはな くて も、 なお、 、 ご 丁、 法律 の積極 的 な授権 を必要 とす ることが あ る」 とい う問題 と説明されているが、 この定式 によ って、 わが国行政 法学 説が一体何 を問題 に して きたのかが明 らか に され る必要 が あ る ( 後述 の通 り、複数 の問題 が法律 の留保論 と して取 り上 げ られて きた と考 え られ るが、 その どれが正統 な語 法で あ るか は、本稿 の関心事 ( 2 8 ) で はない)。法律 の法規創造力 につ いて も同様 で あ る。 そ の た め に出発点 に戻 り、 「権力分立」 と 「法 の支配 ・法治国」 それぞれの観点 か ら、 行 政 活動 の位 ( 2 6 ) 高橋 ・前掲論文 ( 注6 )4 3 4 5亘は、 日本国憲法下での 「ドイツ・モデルからの解 釈」と 「 国民主権モデルか らの解釈」を対比させている。本稿では、戦後行政法学に おける法律の留保論は、実質的には、マイヤー理論を再定式化することにより、高橋 教授の言われる 「 国民主権モデルからの解釈」を施 してきたと考えられることを述べ るものである。 ( 2 7 ) 藤田 『行政法 Ⅰ』5 6頁。同旨のものとして、兼子仁 『行政法学』5 7 頁( 岩波書店 ・ 1 9 9 7 )( 以下 『 行政法学』) がある。 このほか、次のように定義 されている。「 行政が ある行為をするに際 して組織規範のはかに、根拠規範を要する場合とはいかなる場合 』6 1 6 2頁)、「一定の行政活動に法律の授権を要求する原 であるか」( 塩野 『 行政法 Ⅰ 則」( 芝地 『 総論講義』5 0頁)、「 法律によって一定の要件の もとに一定の行為をする よう授権されているのでなければ、行政は、この領域では自己のイニシャティブで行 為することができない」 ( 原田 『 要論』7 2頁)など。 ( 2 8) 結論を先取 りして述べると、本稿では法律の法規創造力 ( の独占)をふたつの問 8 7 )及び注 ( 1 1 1 ) _ ( 1 1 2 ) 参照。 題の一部 と捉えている。後出注 ( 1 3 9 行政活動の憲法上の位置づけ 置づ けを分析す ることによ って、 どのよ うにマイヤー三原則 の換骨奪胎 があ っ たのかを明 らかにす ることがで きると期待 され るのである。 三 「 法の支配 ・法治国」 と 「 権力分立」 の概念 について ( 1) ルールの支配 と しての 「 法の支配 ・法治国」 まず、「 法の支配 ・法治国」 の意義 を、本稿 の 目的上 ど う捉 え て お けば よい かについて検討 してお こう。 いわゆる近代的な権力分立制が出現す る以前、統治 に係 る伝統的 ヨー ロッパ 思想 として存在 したのは、英米法 にい う 「法 の支配 」 で あ り ドイ ツ法 に い う 「 法治国」の思想であ った と言 え よ う。両者 ともその起源 は相 当 に古 く遡 られ るものであ り、 またその後 の展開過程 に もかな り似 た ところがあ る。法 の支配 の淵源をたどれば、 中世 イ ングラン ドにおける、「 国王 自身 は何者 に も服 従 す るものでな く、神 と法 に服す るものである。法が国王 を在 らしめ る」 とい う認 識であ り、君主 と自由人 ( 貴族等) との問の約定 たるマ グナカルター 生命 ・ 身体 ・財産の剥奪 にかか るルール ( 実体的 ・手続的) を明確 に しよ うと した文 ( 2 9 ) 香 - である。 ドイツの 「 法治国」思想 の淵源 は、「 客観 的な所与 の規範、善 なる倫理的秩序」 と しての法 とい う観念 に求 め られ、 「かか る法秩序 は、 その 本性上、被治者 たる民衆 が 『同意』 で きる内容 を有す るはずであるか ら、政治 \ 11 、 的支配が法 に適 って行 われ る限 り、彼 の 自由を侵害す ることはあ りえない」 と ( 2 9 ) 引用部分は、プラクトンの言葉である。中川剛『立憲主義の研究 ( 増訂版)』2 5 8 頁、2 6 3頁注1 0 1 3( 法律文化社 ・1 9 8 6 )( 以下 『 立憲主義』) を参照。中世イングラン 5 5 2 8 6頁参照。 ドから近代までの法の支配については、同書 2 ( 3 0 ) 玉井克哉 「ドイツ法治国思想の歴史的構造 ( 五 ・完)」国家学会雑誌 1 0 4巻 7-8 号4 3 5頁 ( 玉井教授はこれを 「 古典的な法治国思想」と呼ぶ)( 以下 「 法治国思想」 )。 0 3巻 1 1 -1 2号 6 8 6 7 1 2頁参照。 その意味については、さらに同 「 法治国思想 ( 二)」1 法治国思想の起源については、 同 「法治国思想 ( -)」1 0 3巻 9-1 0号 5 0 7貢、 5 0 9 -5 1 1頁も参照。なお、高田 『 社会的法治国』9 5頁は、① 「法治国家」の語を用い 1 4 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) い う政治思想 であ る (もちろん、 そ こで い う民衆の範囲 は、時代により広狭様々 で あ りえ よ う)。 そ して、裁判 所 とい う独立 の権力が形成 され た場 合 に は、 法 が独立 の裁判所 によ って担保 され る機 会 があ ること も、法 の支配 ・法治国の一 要素 に含 まれ る こととな った ところで あ る ( 独立性 こそが重要 であ り、行政裁 判所 か司法裁判所 か の区別 は重要 で はない) 。 伝統 的信念 を体現 す る これ らの言葉 は、 そ の後 1 9世 紀 末 か ら現 在 にか けて も、変転 す る国家状況 に対応 して、様 々な政治 的 イ ンプ リケー シ ョンを込 めて 用 い られて い る。 ドイ ツにお け る形式 的法治国 にかか る議論 は、 その一例 であ 、 J J L V. る。積極国家化 の萌芽 を見せつつ あ った世紀転換期 の イギ リスにお いて A. ダイ シーが試 み た ( 彼 な りの)法 の支配概念 の定式化 につ いて は、国家 は外交 と秩序維持以外 の機能 を行使 すべ きで はない とい うホイ ッグ党政策 の主張 に他 ・ . I : \ な らない とい う性格付 けが、 別 の論者 によ ってな されて い る。 また、 アメ リカ 803年 に追加 され た修正五条 お よび- 四条 の デ ュー プ ロセ スオ ブ ロー 憲法 に 1 条項 は、法 の支配 を憲法条文化 した例 とい うことがで きるが、 同条項 が 「 実体 的」 な もの と解 され る ことによ って、世紀転換期 の米E gにおいて行政国家化 に 強 く抵抗 す る法理 と して働 いた一 時期 が あ った ことは (いわゆ る経済立法 にか ( 3 3 ) か る実体 的 デ ュープ ロセ ス論)、 ダイ シーの法 の支配論 を ほ うふ つ とさせ る出 いとにかかわらず、法治国的発想を説 く思想の源流に遡る概念史と、② 「法治国家」 という語のもとで人々が何を観念 してきたかの歴史 (もっぱ ら一九世紀以降)、 との 間の区別に言及 しているが、本稿では両者を含めた意味で 「 法治国」の言葉を用いて いる。 ( 3 1 ) たとえば高田 『 社会的法治国』4 2 2頁、9 3 9 8頁、4 4 4頁参照。 ( 3 2 ) ジェニンズによる評価である。A. V.ダイシー/猪股弘貴 ( 訳 ・解説)『ダイシー と行政法』1 8 8頁 ( 成文堂 ・1 9 9 2 )( 以下 『ダイシーと行政法』 ) 。ちなみに、1 9 3 0年代 の米国においても、ニューディールの行政国家化に抵抗するいわゆる保守派を代表 し て、ロスコ一 ・パウンドがダイシーを引用 して論陣を張 ったのは、まさにダイシーの 意 図 を 正 確 に 見 抜 い て い た も の と い え よ う。 M. HoRW I TZ, THE 8 7 0 1 9 6 0,2 2 5 1 2 2 7( 0Ⅹf or d TRANSFORMATI ON OF AM ERI CAN LAW 1 Uni v e r s i t yPr e s s1 9 9 2 ). 連邦法 ・州法)にかかる実体的デュープロセス論については、( 3 3 ) 経済規制立法 ( 1 4 1 行政活動の憲法上の位置づ け 来事 で あ る。 さ らに 2 0世 紀 後 半 の英 米 にお いて、 法 の 支 配 概 念 は、 実 体 的 正 義 論 の観 点 か ら統 治 活 動 ( 裁 判 を 中心 に した) の あ りよ うを探 る コ ンテ ク ス ト ( 3 4 ) で も使 われ て い る。 戦 後 日本 の一 時 期 に お け る法 の支 配 論 の 「輝 き」 や 、 「法 の支 配 と法 治 国」 論 争 もまた、 新 憲 法 の意 義 付 け にか か る論 者 の意 気 込 み を反 ( 3 5) 映 した もので あ った。 この よ うに、 法 の支 配 も法 治 国 も、 時代 と国 に応 じて様 々 な政 治 的 装 いを纏 い、 また広 狭 の射 程 を持 って使 わ れ て きた概 念 で あ る と言 え る。 しか しそ の骨 格部 分 は常 に維 持 され て きた と言 って差 し支 え な いで あ ろ う。 そ れ は、 現 代 イ ギ リスの教 科書 が、 「法 の支 配 は、 統 治 は法 に従 って行 わ れ ね ば な らず 、 法 が ( 3 6 ) 命 ず る ものが何 か は、 司 法判 決 に お いて宣 言 され る とい う、 基 本 的法 原 理 」 で あ る と説 明 して い るよ うに、 要 す るに、 お よ そ統 治 活 動 は、 ル ール の下 で行 わ れ るの で な けれ ば正 当 で はな い とい う考 え方 で あ る と言 って よ い よ うに思 わ れ る ( 逆 に言 え ば、 政 治 権 力 はル ー ルを守 るか ら権 威 と して受 容 され る)。 一 言 で言 え ば、 "ル ール の支 配 ' 'で あ る。 ル ー ル の 中身 が何 か (あ る い は そ れ を ど う発 見 す るか) こそが、 法 の支 配 や法 治 国 の核 心 で あ り、 そ こを め ぐって上 記 般的に田中英夫 『デュー ・プロセス』( 東大出版会 ・ 1 9 8 7 )を参照。 ( 3 4 )2 0世紀英米における 「法の支配」論については、那須耕介 「法の支配の両義性 に 4 2巻 1号 1 5頁 ( 1 9 9 7 ) 、1 4 3巻 1号 2 6頁 ( 1 9 9 8 )杏 ついて ( -)( 二 ・完) 」法学論叢 1 参照。 ( 3 5 ) 佐藤幸治 「『法の支配』の意義を再考す る」法学教室 1 8 2 号 6貢、6 1 3頁 ( 1 9 9 5 ) 0 4 2 5頁、 今 「 法の支配 と法治主義」論争その ものについては、高田 『 社会的法治国』2 村成和 「 『法律による行政』 と 『法の支配』 」行政法の争点 ( 新版) (ジュ リス ト増刊) 1 4 1 7亘 ( 1 9 9 0 )およびそこで引用 された諸文献を参照。 論争 の評 価 と して、 佐藤教 』5 8頁注 3(それぞれの概念があ ま りに限定 され 授の同論文のはか、塩野 『行政法 Ⅰ 7 )9 2 0貢、 藤 口笛靖 「ド た形で理解 されている)、および藤田苗靖 ・前掲論文 ( 注1 『法 と法過程 ( 広中俊雄教授還暦記念論集) 』5 0 5百、5 2 8 イツ人の観たアメ リカ公法」 頁 ( 創文社 ・ 1 9 8 6 )(今 日における ドイツ型法治国 とアメ リカ型の法の支配 の違 いは、 理念的 ・イデオロギー的な ものよ りも、よ り技術的な ところにある)の指摘を参照。 ( 3 6 ) ダイシー/猪股 『ダイシーと行政法』1 9 2貢 (ウエイ ドとプラッ ドリイの教科書 に 0頁 (新世杜 ・1 9 9 6 ) ( 以下 『 憲法』 )及 び木 おける説明) 。 また、長谷部恭男 『憲法』2 8 6 4頁 (有斐閣 ・1 9 9 3 )を参照。 下毅 『アメリカ公法』5 1 4 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) の様 々な議論 が展開 されて きたわけで あ り、 人 々の確信 に合致 す る正 しい法 ( ルール) と考 え られ るものは何か につ いて、国や時代毎 に様 々な回答 が試 み られて きたわ けであ る。 法治国」 を、 このよ うな思想 と して捉え、かつその 本稿 で は、「 法 の支配 」「 ルールの内容 につ いて は、本稿 の 目的 ( 行政法学上 の関心)を達成す るのに必 要 な ものに限定 して取 り上 げることとす る ( 五( 1) で述べ る) 0 「 法 の支配 ・法治国」 がルールの支配 であ るとす るな らば、他律的に作 られ たルールの拘束 を受 け、 また他律的 にルール遵守 が担保 され るとい う関係がな くて はな らない。 す ると誰 がそのルールを作 るのか、 そ して誰 によ って担保 さ れ るのか とい う意味 において、「 権力分立」思考 と一致す る側面 が出て くる. この意味 において、「 権力分立」 には、「 法 の支配 ・法治国」 を実現す るための メカニズムとい う側面 があることは否定で きない。 しか しなが ら、歴史的に、 「 法 の支配」 や 「 法治国」 の思想 は、絶対王政 における政府 で あ ろ うと、 立憲 君主制 における政府であろと、 また国民主権 の もとで組織 された政府であろう し . 1 T 、 と妥 当す る ものであ った。 ルール は、立法 ( 制定法) だけでな く契約文書 の形 式で も、歴史的 に確立 した人 々の信念 ( 良 き秩序 のあ り方) とい う形式で も存 在 し得 たのであ り、 また法 の一般原則 とい う存在様式 も考え られ る. また、法 の支配 と法治国 に関す る上説 の議論様相 か ら見て も、「 法の支配 ・法治国」 の すべての要素 が、「 権力分立」 に溶 け込 むわ けで はな く、 その逆 も同 じで あ る か ら、両者 の重複 に留意 しつつ も、分 けて考察 してお くべ きであろう0 ( 3 7 ) 中世イングランドを起源とする法の支配については言 うまでもないであろう。 ド 0 3巻 1 1-1 2 号6 9 8 6 9 9頁 ( ヴェ イツ法治国思想については、玉井 「 法治国思想 ( 二)」1 ルカーの法治国論には、統治者と披統治者が遵守すべき内面的法則が強調される反面、 国家の機構的な側面にさほど意が用いられていない) 、7 0 3頁 ( サグィニーにとっては、 統治者が窓に振る舞 う 「 専制」と、そうでない 「自由」との対置こそが重要であり、 「 外面的な統治体制」のあり方 - 絶対君主政であれ民主政であれ- は関係ない) 、 「 法治国思想」( 五 ・完) 」1 0 4巻 7-8号 4 5 0頁 ( 古典的な法治国思想は、統治体制につ き一定の方向を必ず しも示すものではない) 。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 4 3 なお本稿では、「 法の支配」 と 「 法治国」 を特 に区別 して叙述 す る ことは し ない。 ともに、統治活動をルールに萌束 された ものにすべ きであるとい う意味 で、同種の法思想 と言えるか らである。 ただ し、少 な くとも1 9世紀以降に限 っ て見れば、両者の間に顕著な理念上 の違 いがあるのは確かである。英米法の法 の支配におけるルールが、裁判所のケース ・バ イ ・ケースの判決 に出所を求め られたのに対 し、大陸法の法治国のルールは、編纂 され議会で制定 された法典 - したが って予測可能性 と一般性が重視 され る- に出所が求 め られ ると ( 3 8 ) いう違いである。その結果、 アメ リカにおける法 の支配が、統治活動 ( 行政活 動 はもちろん、裁判 なども含む)を、 あらか じめ設定され宣言 された実体的ルー ルに罷束 させることよりも、極 めて厳重 な手続的ルール ( 裁判 における厳 しい 先例拘束を含む)への萌束 にこそ意 を用いた思想 として展開 して きたこと、 ド イツの法治国がそれに比べ ると、実体的ルールを重視す る展開を示 して きたと ( 3 9 ) いう違 いがある。つまり、 アメ リカ法 における手続的ルールの発達 は、実体的 ルールの事前の明確 さとい う要請 を代替す るもの とい う重責 を当初 より担わさ れてきた ものと考え られ、その結果、手続 ルールの内容 は、極めて厳重 な もの が理念的中心 に置かれ ることとな ったと思 われ るのである。 そ こで理想 とされ る手続的ルールは、裁判審理的な手続、つま り見解を異 にす る者が平等な土俵 の上で中立的第三者 を前 に相争 い、第三者がその真偽を見定 めるとい う、対峠 adve r s ar y)手続 こそが本来保障 され るべ き手続鋳型 で あ るとい うよ う 的な ( に育 っていき、それが 「フォーマルな」過程であるとい う用語法 も生 まれたの ( 4 0) であるo これは、 ドイツや 日本で手続的法治国が語 られ る現在で もなお顕著 に ( 3 8 ) HoRWI TZ,S upr anot e3 2,at2 2 8 2 2 9;F.HAYEK,THE RoAD TO 2 8 7( Uni v e r s i t yofChi c agoPr e s s1 9 4 4 ). SERFDOM ,7 ( 3 9 ) トッド・レイコフ ( 中川丈久訳)「 米国の行政規制におけるフォーマルな手法と 8巻 2号 41 7 、4 2 0頁 ( 1 9 9 8 ) 0 インフォーマルな手法の問の選択」神戸法学雑誌4 ( 4 0 ) レイコフ・前掲論文 ( 注3 9 ) 、中川丈久 「アメリカ行政法におけるインフォーマル 4号 3貢,4 6頁 ( 1 9 9 8 ) 0 な行政手法論の系譜」季刊行政管理研究8 1 4 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 見 られ る違 いで あ る。 (したが って、筆 者 は、 少 な くと もこの点 で は、 日本 国 憲 法 が ア メ リカ憲 法 的 な法 の支配 を採 用 した もの とは言 え な い と考 え る。) し か し、 法 の支 配 と法 治 国 の以 上 の よ うな違 い は、 本稿 で は と くに結論 を左右 す る ことで はないので、 以下 で は両 概念 を区 別 しな い こ ととす る。 ( 2) 権 力分 立 の二 重 構造 :独 占的権 能 の分配 と多極 的 な意思形成 本稿 で は、 権 力 分立 に は、 ` 独̀ 占的権 能 の分配 " と " 多 極 的 な意 思 形 成 " と l l L l い うふ たっ の異 な る思考 が合意 され て い る ことを強調 しなが ら、行政活動 に対 す る権力 分立 上 の規律 の マ トリクスを考 え る こと とす る。 日本国憲法 は、 国会 ( 衆議 院 と参議 院) ・内閣 ・裁判 所 ・会計 検 査 院 に様 々な権 限 を与 え る条 文 を ( 41 ) ( 本稿が述べようとしているものと必ず しも同 じではないが)日本国憲法の権力 分立における異なる二側面 ( 権力の分離 と権力相互の抑制均衡)を意識的に指摘する 7巻 例 として、たとえば、吉田栄司 「内閣の対国会責任について」関西大学法学論集 3 2-3号 3 3 8頁、3 4 5頁 ( 1 9 8 7 ) 、高橋和之 「 権力分立の分析視角」同 町 国民内閣制の理 0 9頁、31 3 3 2 7亘 ( 有斐閣 ・1 9 9 4 ) 、佐藤 『 憲法』8 0頁、長谷部恭男 『憲 念 と運用』3 7 2 0頁、中川 『立憲主義』3 9 8 4 0 0頁 ( 「 統治権がその作用を分化 させてい く過 法』1 ) 、阪本昌成 『憲法理論 Ⅰ( 第 2版). u6 0 程」 と 「 分化 したものを続合 してい く過程」 成文堂 ・1 9 9 7 )( 三権分立 と権力分立の峻別 )( 以下 『 憲法理論 Ⅰ』 ) 0 1 6 2頁 ( 米国では、権力分立が二つの意味で理解 されることが通例であり、 これが本稿でい う二重構造にあたる。たとえばス トラウス教授 は、行政機関の憲法上の位置づけ方に 対するアプローチとして三つのものを区別 しているが、そのうちの第- と第三が本稿 でいう独占的権能の分配、そ して多極的な意思形成 としての権力分立を意味す るもの である ( 第二は、本稿でいう法の支配 ・法治国に相当 し、手続的なルールへの行政活 動の南東が述べ られている) Oすなわち教授 は、第一に 「専制政府を防 ぐために、 こ s e par at i on れ ら三つの権能が別々の場所になければな らない」 とする 「権力分立 」( ofpowe r s )のアプローチがあり、第二に、手続的デュープロセスが与えられなけれ s e par at i onorf unc t i ons ) のアプローチがあり、 ばな らないという 「 機能分離」( 第三に、政府内に複数の長を作 り、その相関的な作用によって専制を防 ぐとい う 「 抑 制 と均衡」 ( c he c ksa n d bal nc a e s ) のアプローチがあるとい う.St r aus s,The Pl ac eofAge nc i e si nGov e nme r nt :Se par at i onofPowe r sand t heFour t h Br anc h,8 4Col umbi aL.Re v.5 7 3,5 7 7 5 7 9,5 9 5 5 9 7( 1 9 8 4 ) .同論文は、その言 うところの 「 権力分立」 と 「 抑制 と均衡」( 本稿で言 う権力分立 の二重構造) を、 ど う整合的に理解するかにかかるものであ り、後者を軸に考えることで、前者の要求を も十分に満た しうるものだと主張する。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 4 5 置 く一方 で、併せて、国会 ・内閣 ・裁判所 が それぞれ 「 立法権 」「行政権 」「司 法権」 を有す ることを宣言 す る条文 を置 くとい う構造 にな って い る。 この こと についての一般 的 な理解 は、立法府 ・行政府 ・司法府 には、立法権 ・行政権 ・ 司法権 とい う本来的機能 が与 え られてい るはか、本来他 の府 に属 しうるはず の 機能 も適宜付加 され る (あ るいは、実 質的意義 と形式的意義の立法権 ・行政権 ・ ( 4 2 ) 司法権) とい う、 いわば平面 的 な捉 え方 で あ る。 しか し本稿 で は、立体 的 な二 重構造 と して捉 え ることと したい。一方 で は、 「 立 法権 ・行 政 権 ・司 法 権 」 と い う三つのかたま りの権能 を切 り出 して相互 に隔離 す る ことを 目的 とす る統治 機構 の仕組み方 があ り、他方 で同時 に、別次元 か らみた統治機構 の仕組 み方 と して、国会 ( 衆議院 ・参議 院) ・内閣 ・裁判所 ・会計検査院 に様 々な権限 を付 与 し、 それぞれが協働 あ るいは対抗 しつつ統治上 の意思形成 が多極 的 にな され ることが予定 されて いるとい うよ うに、立体 的 な構造 と して権力分立制 の意義 を捉 え ることと したい。 この こ とを以下 確認 しよ う。 権力分立 の第- の意義 は、統治権 (のあ る部分 - 必 ず しもそ の全 て な い ( 4 2 ) たとえば、清宮四朗 『憲法 Ⅰ( 新版)』2 9 9頁 ( 有斐閣 ・ 1 9 71 )( 以下 『 憲法』)は、 「 内閣の権限は、行政権の行使にのみ限 られるわけではない。 内閣 は、政令を制定す ることによって、立法作用を行い--・ 、法律案を提出することによって立法権 に関与 し、また、恩赦を決定することによって、司法作用にも影響を及ぼす」 と述べ、 田中 4 6 0頁 ( 有斐閣 ・ 1 9 5 7 )( 以下 『 総論』 )は、「国会は、立法府 と 二郎 『 行政法総論』5 して、立法的機能を営むことをその主な権限 とするが、それ以外において も、憲法又 は法律の定めるところにより、行政及び司法に関 して若干の権限を有する」 と述べ る ( 同書5 5頁)0 また、松井茂記教授は、米国連邦憲法の権力分立規定について上記 と同様の理解を 示 しつつ、その憲法史 ( 主 として最高裁判決)において、「 抑制 と均衡型の権力分立」 ( あるいは機能主義的理解)と 「 厳格な権力分立」( あるいは形式主義的理解) とが交 互に現れてきたと述べている。松井茂記 「 岐路に立っアメ リカ行政法 (Ⅲ ・完)」 阪 大法学 1 3 6号 2 9頁、4 0 4 5頁 ( 1 9 8 5 ) 、松井茂記 「アメリカに於ける権力分立原則」比 2号 11頁 ( 1 9 9 0 ) 、松井茂記 『アメ リカ憲法入門 ( 第三版)』6 2 6 8頁 (弘文 較法研究5 堂・ 1 9 9 5 )( 以下 『アメリカ憲法』 ) 。 本稿は以上の叙述を、権力分立の二重構造 ( 次元を異にするふたつの問題) として 理解 し直そうというわけである。 1 4 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) )を複数の 「 権能 」 ( powe r s )に分割 し、 ●●● ●●●●●● それを異 なる国家機関 にそれぞれの独 占的 ・排他的な権能 として分属 させ、そ し全国家作用である必要 はない- れぞれが放棄 ない し占奪 されることを禁止す るところにある。各権能が相互に e par at i onが強調 され ることになる。 分離 され隔離 され るとい う S 統治権か ら特色 ある複数 の権能 を切 り出 して、それぞれの間を隔離するとい う発想 は、近代立憲主義 の成立経過か ら出て きた ものである。すなわち、絶対 王政下 の君主の統治権か ら、裁判所がその独 占的権能 として 「 裁判権」を獲得 する ( なお、その際に君主を被告 としないよ う主権免責法理 が生 じる)。 その 後、王政が否定 されれば、国民主権 の名の もとで統治権か ら複数の権能が切 り 出され、同 じ数 の国家機関 にその独 占的権能 として分属 させ られる。 また、立 憲君主制段階であれば、「 君主 の統治権」 (マイナス裁判権)か ら一定の権能を、 議会がその独 占的権能 として ( つ まり君主が立 ち入 ることので きない固有の立 法権 として)獲得 しようとす る。 ( 立憲君主制の もとでは、 こうした議会固有 の権限 としての立法権 の範囲がどこまでかが、君主の規範定立権 との関係で問 題 となる。既述 のように、 オ ッ トー ・マイヤーの法律の支配三原則 はまさにこ うした問題関心であ った。)各国家機関に固有の権能を与 え る ことが 目的であ るか ら、その総和 は必ず しも統治権全体 に等 しくな くてよい。 「 立法権」「 行政権」「司法権」 とい う言葉 は、それ らが独 占されること、つ ●●●●●● まり国会、内閣、裁判所が放棄す ることが許 されない し、あるいはそれが他に ●●●●● よって ( 他の国家機関や私人 によ って) 占奪 された状態を作 り出 して もな らな いとい う要請 を もた らす点で法的な意味を もつ。 41条)、 日本国憲法の もとでは、国会が独 占す る権能 は 「 立法権」であ り ( 4 3 ) ( 内閣が独 占すべ きは 「 行政権」( 6 5条。英訳では e xe c ut i vepowe rの語が充て ( 4 3 ) なお、国会 (「 唯一の立法機関」) や裁判所 (「 すべて司法権」) に比べて、内閣に のみそうした表現が現れていないことについては、内閣がその行政権の行使につき国 会に責任を負うという立場に立たせられているためだと言われることがある。吉田 ・ 1 4 7 行政活動の憲法上の位置づけ られている)であり、裁判所の独 占す る権能 は 「司法権」である ( 7 6条)。 そ してそれ らが行政機関によって占奪 され ることの禁止 として、立法権 の放棄 に 繋がるような白紙委任が禁止 され、司法権 につ いて は憲法 7 6条 2項 で 「行政 機関は、終審 として裁判を行ふ ことがで きない」 とい う規定がある。内閣の行 政権の行政機関による占奪 とい う問題 は、わが国で はほとんど議論 されないが、 後述するように、その問題が論理的にあ り得 ないわけで はない。 米国連邦憲法第 1条 は、 第 1節 にお いて 「すべて立法権 ( Al ll e gi s l at i ve 州議会 に対 す る関 Powe r s ) は」連邦議会 に属す るとし、連邦制度の もとで ( 係で)連邦議会 に留保 されるべ き、課税、借入、州際通商規制、貨幣鋳造等の 第 8節に列挙 された事項 につ き連邦議会が立法権を有す ることを明示 している。 第 2条の第 1節 は 「 執行権 ( Thee xe c ut i vePowe r )」 は大統領 にあ る と宣言 Thej udi c i alPowe r )」 は最高裁判 し、第 3条 は、第 1節 において 「司法権 ( 争訴」及 び 所以下の裁判所に帰属す ると宣言 し、第 2節 において一定範囲の 「 「 事件」 にその司法権が及ぶ と規定 している。 そこで、 これ ら三 つ の独 占的権 能 と、行政機関の果たす機能 との間の関係 を説 明す るため に、2 0世紀前半 の 」 米国行政法では、行政機関の 「 準司法的 ( quas i j udi c i al ) 「準立法的 ( quas i - 1 e gi s l at i v e ) 」権能 ない し機能 とい う言葉が用 い られたのである。 準 ( quas i ) というのは、その後 につづ く言葉の真の意味ではない、 とい う意味であ って、 行政機関が裁判所の司法権行使 に似た裁定的機能、議会の立法権 に似 た規範定 立機能を有 しているが、 しか し憲法上裁判所 に独 占され るべ き司法権や連邦議 会に独 占されるべ き立法権を侵害す るよ うな性格の もので はない ことが含意 さ ( 4 4 ) ++ o+ れているのである。 ( なお、準司法的機能ではな く、準司法 的手続 と言 われ る 前掲論文 ( 注41 )3 5 1 亘参照。そうすると、内閣 しか行使できない (それについて直 接国民に責任を問われるのか、国会に責任を問われるのかは別として)という意味で、 固有の権能が内閣にあることになる。 ( 4 4 ) たとえば、FTCv .Rube r oi d,3 4 3U. S. 4 7 0, 4 8 7 4 9 1( 1 9 5 2 )(ジ ャ ク ソ ン反 対 意見)( 「 行政機関は、その機能を憲法上の権力分立の枠組みに適合させるため、場合 1 4 8 神戸法学年報 第1 4号 ( 1 9 9 8) 場合 は裁判所審理 と同様の厳格な対審的行政手続 という意味であり、 ここでの 問題 とは異 なる) 。 ちなみに、 19世紀か ら20世紀 は じめの米国にお け る連邦経済規制 の象徴 で あった州際通商委員会 による鉄道料率 の規制 は、憲法上の司法権が行政機関に 付与 された ものではない。 なぜな らば次 のよ うな経緯を辿 った ものだか らであ る。 まず米国の裁判所 は、不公正取引法上の問題 として、あ らゆる公益的な事 業活動 ( p u b l i cc a l l i n gs )における料金 の合理性を争 う訴訟を伝統的に取 り上 げてお り、その一環 として鉄道料金 もしば しば提訴の対象 とされた。その後、 料金合理性 に対す る判例 に不満な州議会が、法律で直接、鉄道会社の料率を定 めて しまうとい う動 きに出、 さらにその後、州 の公益事業委員会を創設 して、 そこに料率設定権限を委任 したとい う経緯を経て、連邦法での州際通商委員会 ( 4 5 ) の創設へ とつなが ったのである。州公益事業委員会 は、通常の行政機関と同様、 議会か ら諸種の権限を与え られて存在 した ものだ ったのである。 さらに近時 は、後述す る 1980年代の新 たなスタイルの連邦立法 を契機 とし ( 4 6) て、行政機関への権限の与え方 ( あるいは制限の仕方)次第では、大統領の憲 法上の 「 執行権」 を侵害す る可能性 もあるとい う論点が浮上 している。その結 果現在では、行政機関 に与え られた権限が、憲法上の三権のいずれについて も それを侵害す るものでないかが論 じられ るようにな っている。たとえば現在の 代表的な行政法教科書 は、「 行政機関 に与え られ うる権限の憲法上 の制限」 と 題す る項 目において、行政機関に法律上与え られている規範定立の権限、広大 な執行裁量的な判断権限 ( 何を規制対象 に含めるか) 、そ して紛争裁定 の権限 に応じて、準司法的、準執行的、準司法的と呼ばれてきた」) が好例である。その背 景にあるのは、行政機関は立法権、司法権、執行権のどれにも属さない第四府である 7 0 )参照。 という認識である。後出注 ( ( 4 5 ) この経緯については、中川丈久 「 司法裁判所の 『 思惟律』と行政裁量( 2 ) 」法学協 会雑誌 1 07巻 5号 81 8貢、81 881 9頁 ( 1 9 9 0)参照 ( 4 6 ) 後出注 ( 1 2 6) ( 1 2 7 ),( 1 4 8) ( 1 5 0) および該当する本文を参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 4 9 が、それぞれ連邦議会の立法権、大統領の執行権 ( 政治的 ・政策的観点か ら執 行の度合い ・対象等 につ き監督を加えること)、裁判所の司法権 を不 当 に行政 機関に 「 委任」 ( de l e gat i on)す る状態 にな っていな いか、 とい う問題 を論 じ ( 4 7 ) ているのである。 さて、権力分立 には、 こうした分離 と隔離ではな く、協働 と対抗 というべ き もうひとつの、 アクテ ィブな側面がある。様々な統治過程 ( 立法過程 ・行政過 程 ・外交過程 ・条約締結過程 ・財政過程等 々) について、憲法が、複数 の国家 機関に様々な 「 憲法上の権限」を与え、国家的意思形成 に様々な角度か ら関与 させ る仕組みを作 り出す とい う側面である。各国家機関が、 それぞれの 「 憲法 上の権限」を行使 して、互 いに反発あるいは協働す るといった絡み合いを通 じ て、多極的な意思形成過程が織 り出され、 それによって最終的な国家意思 の収 敵 を見 るメカニズムと して の権力 分 立 で あ る。 いわ ゆ る 「抑 制 と均 衡 」 ( 4 8 ) ( c he c ksandbal anc e s ) は、権力分立の こち らの側面を表す言葉である。なお、 ここで言 う統治過程 とは、 あ らゆる国家作用の ことであ り、 たとえば立法過程 ( 法律の必要性を感知す ることか らは じまり、法案準備、法案審議、 可決 まで の一連の過程)、財政過程 ( 予算案作成前の折衝か ら会計検査 までの一連 の過 堤) 、外交過程、行政過程 ( 後述)、裁判過程 ( 民事刑事裁判) など様 々な もの がありうる。 たとえば、樫井敬子助教授 がその予算措置研究 において採用 した見方、すな わち 「 予算措置が 『 古典的な権力分立論』 では捉え きれない、『 国家統合過程』 ( 4 7 ) P. STRAUSS,T. RAKOFF, R. ScHOTLAND & C. FARI NA, GELLHORN & BYsE' S ADMI NI STRATI VE LAW, CASES AND MATERI ALS( 9 t he d. )6 7 1 3 8( Foundat i onPr e s s1 9 9 5 ).具体的には、後出注 ( 1 0 5 ) ( 1 2 7 )および該当する本文を参照。 ( 4 8 ) ロックやモンテスキューの考えた権力分立は、国家の諸部門の間の干渉関係をい 6頁、阪本 『憲法理論 かに創り出すかにその核心があった。高見 ・前掲論文 ( 注 4)5 Ⅰ』1 6 3 1 6 6亘など参照。 1 5 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) にかかわる独特の国家作用であり、権力分立原則がルールとして決 して硬直的 なものではな く、各国家機関の密接 な協働を も要請する積極的原理で もあり得 ( 4 9 ) る」 という考え方 は、 まさに権力分立のアクティブな次元で予算過程を考察す ることを提唱するものである。 また、村上武則教授が会計検査院を、 「議会 に 直属す るものか、あるいは政府 に直属するものかといった問題」 としてではな く、憲法上それが果たす 「 機能」を こそ考察すべ きであると強調 されているの ( 5 0 ) も、本稿でいう多極的意思形成の中で会計検査院が果たす役割を見ようという 視点 に立っ ものと思われる。 日本国憲法 は、多極的意思形成 という意味での権力分立を実現するために、 様々な 「 憲法上の権限」を、国会 ( 衆議院 と参議院) ・内閣 ・裁判所 ・会計検 査院 という計四つ ( 五つ)の国家機関に与えている。 これにより、各機関が必 要に応 じて、牽制 し合 ったり協力 し合 ったりする複雑な相互関係を持っ ことを 予定 している。国会には、法律案の議決、予算審議、条約承認、国政調査、裁 5 9-6 2条)。内閣には 「職権」 として 7 3 判官の弾劾などの職権を認めている ( 条が、「 一般行政事務の外」、① 「 法律を誠実に執行 し、国務を総理すること」、 ②外交関係の処理、③条約締結、④公務員管理、⑤予算の作成 ・国会提出、⑥ 憲法 ・法律を実施す るための政令、⑦恩赦、 を定 めている。 72条 は、 内閣総 理大臣の 「 職務」 として、「内閣を代表 して」、議案の国会提出、一般国務 ・外 admi ni s t r at i vebr anc he s ) 交関係についての国会報告、そ して 「行政各部 ( を指揮監督する」 ことを定めている。裁判所には、裁判を行 う職権 とともに、 違憲審査権が与え られているか ら、その行使の過程で他の憲法上 の国家機関 と 協働 と対抗の関係を取 り結ぶ ( 司法積極主義 ・消極主義、制定法解釈 の方法な どとして現れ る) 。 このほか組織上の相互的な影響権限 ( 首相指名権、 内閣不 ( 4 9 ) 機井敬子 「 国家財政の基本構造 ( 四 ・完)」国家学会雑誌 1 11巻 5 -6号 4 6 4頁、 4 7 7頁 ( 1 9 9 8 )( 以下 「 国家財政」 )。 ( 5 0 ) 村上武則 「 会計検査院と給付行政」阪大法学4 8巻 2号 3 6 7頁、3 6 9 3 7 3頁 ( 1 9 9 8 ) 。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 51 信任決議権、議会解散権、裁判官任命権、裁判官の弾劾など) も与え られてい る。 その結果たとえば立法過程は、国会 と内閣 と裁判所 ( 制定法解釈 ・違憲審査) の相互作用、さらに衆議院 と参議院の間の相互作用の中で次のように進行する ことになる。「 国務を総理す る」内閣は、恒常的に何が国家的課題であ るかを ( 5 1 ) 考え、様々な働 きかけを国会にすることができる。 また、法案提出権 は内閣に もあり、法案審議には大臣が出席できる。法律案の議決 は国会の専権であるが ( 5 9条)、そのなかで も衆議院 と参議院の間 の反発 と協働が予定 されている。 しか も、当該法案が憲法に達反するかどうか、 またその意図をどう解釈するか は、裁判所に最終的判断権が預 けられている。 このように多極的な意思形成の ほうが、たとえば徹頭徹尾、国会 (あるいはさらに一院制)単独の意思形成に よって法律が生み出されるシステムよりも望 ましいというのが、 日本国憲法の 採用 した、立法過程にかかる多極的意思形成 メカニズムというわけである。 3 ) また行政過程は次のような ものとなる ( 憲法条文の解釈を含めた詳細 は四( で述べる) 。内閣や国会が、必要な行政活動が何か ( 経済規制 ・社会規制 の必 要性や公共財提供の必要性など)を感知 して必要な立法準備を し、国会が制定 法により必要な組織 と権限を作 り出 した後、その組織の活動 ( 行政活動)に対 して内閣や国会が必要な監督を し、生 じた法的紛争を裁判所が解決す るといっ ( 5 2 ) た一連の過程 ということになる。同様の多極的メカニズムは、財政過程、外交 過程など、ほぼあらゆる統治過程について も要求 されている。多極的意思形成 であるか ら、当然各国家機関の権限行使が競合 しうる局面が生 じ、 ここに憲法 上の論点が生 じる。たとえば、国政調査 と裁判審理の競合、法律や予算配分 と 行政各部の指揮監督の間の矛盾などが考え られるところである。 ( 5 1 ) 詳しくは、後出注 ( 1 3 5 ) ( 1 3 7 ) および該当する本文を参照。 ( 5 2 ) 政府と議会の協働という観点から見た、日本国憲法下における予算過程について、 11巻 5 -6号 4 7 8 5 1 1頁に優れた叙述があるO 樫井敬子 「 国家財政 ( 四 ・完)」1 1 5 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 5 3) 米 国連 邦 憲 法 に も同様 な、協 働 と対 立 の関係 を見 て とる ことがで きる。連邦 議会 は二 院制 を と り、 また上 院 は、 条約 締結 や裁判 官 ・各 省長 官 ・大使等 の任 命 につ き、 「助言 と同意」 に よ って、 大統 領 との間 に協 働 と対 立 の関 係 を取 り ( 5 4 ) 結 ぶ。 予 算過 程 も、 ( 憲 法上 明文 の根 拠 はな い ものの、大 統 領 に よ る予 算 提 案 921年 の法律 以 来) 連 邦議 会 と大 統 領 府 の間 の協 働 と対 立 の仕 組 み を認 め る 1 ( 5 5 ) で あ る。 また、連 邦 憲 法第 2条 は、第 1節 で 「執 行権 ( Thee xe c ut i vePowe r ) 」 は大 統 領 にあ る と宣言 しつ つ、 これ とは別 に、 第 2節以下 において、合衆 国軍 e xe c ut i veDe par t me nt s ) か らの意 見聴取 権、連 邦 議 会 に対 し 統 帥権、 各省 ( I nr or mat i onoft heSt at eoft heUni on) を報告 し、必 要 と思 わ て、 国勢 ( れ る措 置 を議 会 が考 慮 す るよ う勧告 す る こ と、 さ らに は 「法律 が誠実 に執行 さ れ るよ う配 慮 す る こと」 な どを定 めて い る。 また連邦 憲法第 3条第 2節 は、一 定 の 「事 件」 及 び 「争訟 」 に司法権 が及 ぶ と定 め るか ら、 その一環 と して憲法 ( 5 3 ) 連邦憲法起草者達の権力分立観 は、国家の諸部門間の相互干渉を達成す ることに あり、その背景には、立法権を持つ議会の専制化 という植民地時代の経験があ ったと 言われ る。 連邦憲法 の形成期 におけるこうした側面 につ いて述べるもの として、 Shar p,TheCl as s i c alAme r i c anDoc t r i neor" TheSe par at i onofPowe r s, " 2U.Chi c agoL Re v.3 8 6( 1 9 3 5 )があ り、多数派 ( 議会、あるいは議会内の多数派) 支配への恐怖か ら、議会の構成の仕方 ( 二院制) 、議会 それ 自体への対抗軸 としての 大統領 と裁判所の組織 ・権限が構想 された様子を述べている。教科書的記述 として G.WASSERMAN,THE BASI CSOF AMERI CAN PoLI TI CS ( 4t he d. )2 9 ( Addi s onWe s l e yLongman,I nc.1 9 8 5 ).また、 ス トラウス教授は、この意味での 「 抑制 と均衡」) こそを軸に行政機関の憲法上の位置づけを考察すべ きだと 権力分立 ( 4 1 ) ) 0 主張 していることは既述 の通 りである ( 前出注 ( ( 5 4 ) 上院の助言 と同意 については、中川 『立憲主義』1 4 6 1 7 3頁。 ( 5 5 ) 連邦憲法上 は、いわゆる歳出承認法 ( appr opr iat i onsac t ) の定めがあるだけ 9 8 ) ) . しか し第一次大戦を経て、連邦政府の予算規模が急激に拡大 である ( 後出注 ( 9 2 1年法により、大統領の予算策定過程への参画を明 したことに応 じて、連邦議会が 1 示的に求めて以来、予算過程は大統領 ( 予算提案) と議会 ( 歳出承認)の問の相互作 NI ,THE PoLI TI CS OF BUDGET CoNTROL 用 とな っている。 ∫.MARI ( Cr aneRus s ak1 9 9 2 );班.SHUMAN,PoLI TI CS AND THE BUDGET ( 3 r de d. )2 5 1 0 8( Pr e nt i c eHal l1 9 8 4 )が、2 0世紀米国の予算過程 における大統領 と議会の関係を活写 している。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 5 3 上の他の国家機関 との問に協働 と対立の関係を取 り結ぶ こととなる ( 但、米E g 憲法の場合、違憲審査は判例上形成 された ものであって、憲法制定者が必ず し 行政過程にかかる対立 と協働のありようは四( 3 ) で も意図 したわけではない)。( 述べる。) 以上述べたことを要約す ると、権力分立の二重構造 において、その独占的権 能の分配 という面では、各権能の独占状態の侵害 ( その放棄ない し占奪)の禁 止、多極的な意思形成 という面では、権限間の競合が憲法上の問題 とされるこ とになる。 もちろん、独占的権能の分配 と多極的な意思形成 というふたっの次 元は、相互にまった く無関係ではない。第一 に、ある機関にある権限ない し職 権が憲法上与え られていることは、他の機関の独 占す る権能にそれが含 まれな いことを意味する。 日本国憲法で言えば、裁判所規則を定めることは裁判所の 7 7条)、その種の事項 についての規範定立 を国会が独 権限とされているか ら ( 占しなくて も国会の 「 立法権」 の侵害にならないことが憲法上明示 されている ことになる。 また、法案提出は内閣の職権に含 まれているので ( 72条)、 法案 提出の権限が国会に独占されていな くて も、「 立法権」の侵害 にな らない こと もまた明示 されていることになる。裁判と呼びうる機能を国会が行 うことがあっ ても ( 裁判官の弾劾)、憲法が明示的に国会の職権 として認 め ることによ って ( 6 4条)、「司法権」が侵害 されたことにはな らない。第二 に、多極 的な意思形 成の観点か ら、国会、内閣、裁判所それぞれに付与 された権限の うち、一定の もの、あるいはその一定の行使の仕方が、それぞれの独占的権能 として放棄な いし占奪が禁止 されるという関係があるということもで きる。たとえば、国会 5 9条)、その際 に立法権の は、法律案を可決 して法律 とす る権限を有す るが ( 白紙委任 となるような法律案を可決 して ほな らない とい う制約 を立法権規定 ( 4 1条)によって受けていることになる。 日米憲法問の権力分立における最大の違いは、大統領制 と議院内閣制の違い であるが、それは多 くの場合、多極的意思形成 としての権力分立の次元での達 1 5 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) いと言えよう。大統領 は、その諸種の憲法上の権限の行使にかかる政治的責任 を直接国民 に対 して負 うが、内閣は、 その諸種の憲法上の権限の行使にかかる 政治的責任を、国民に対 してではな く国会に対 して負 う。 また、国会 ・連邦議 会 と内閣 ・大統領 との間の、組織上の相互関係 ( 任命関係や解散権)のあり方 や、立法過程や財政過程 に対 して果たす役割の上で も相違を見せることがある。 他方、独占的権能の分配 としての権力分立の次元を見るな らば、大統領に固有 の 「 執行権」 と、内閣に固有の 「 行政権」 との間に、 どのような違いがあるか が問題 とな りうるところであるが、 この点 は明 らかでない。連邦議会の 「 立法 権」 と国会の 「 立法権」 について、 白紙委任の禁止の基準のあり方について違 いがあるのか も、 また、 これまで明 らかにされて こなか ったところである ( な お、前者に連邦制上の限度があるのは当然である) 。 日米の 「司法権」概念の 問には、米国の司法権が連邦制上の限定があるのは当然 として、それ以外に大 きな違いがあると推測 されるが、本稿の叙述上 は影響がないので、触れないこ ととす る。 四 「 権力分立」上の諸要請 ( 1 ) 権力分立の外側にあるものとしての行政活動一行政権と行政活動の区別 本稿で取 り扱 う行政活動 は、既 に示 したように、法律 ( 組織規範 ・作用規範 の別を問わない)で創出されたものである。 このような意味での行政活動 は、 権力分立の 「内に」( っまり行政権の一部 として)ではな く、 その 「外側 に」 位置づけられるべ きではないか と思われる。言いかえれば、本稿でいう行政活 動 は、立法権や司法権 はもちろんのこと、憲法上の 「 行政権」や内閣の憲法上 の 「 職権」 とも峻別 されるということである。 このことを次に述べておこう。 5条)、各 第一 に、憲法が 「 行政権」 という統治権の一部を分け与え ( 憲法 6 7 2 条、7 3 条)を付与す る対象は、 内閣 (ない し 種の 「 職権」ない し 「 職務」( 行政活動の憲法上の位置づけ 1 5 5 内閣を代表 しての内閣総理大臣) であ って、E g会 の披創造物 た る行政機関で は ない。憲法 には 「 行政各部」 とい う文言 が現れ るが ( 72条 )、 「行 政 各部 」 に 「 行政権」が付与 されているわ けで はない。 内閣総理大 臣によ る 「指 揮監 督」 の対象 として、憲法 は 「 行政各部」 とい う存在 を予定 してい るに過 ぎないので ある。 第二 に、憲法が内閣 ( およびそれを代表す る者 と しての内閣総理大 臣) に与 えている 「 職権 」「職務」 のなか に - したが って、 その核心部分 と して内閣 に独 占され る権能であ る 「 行政権」規定 において も - 、 本稿 で言 う行 政 活 動を指す箇所 は無 いと解 され る ( 政令 の制定 を除 く)。内閣総 理 大 臣 の職 務規 定 ( 憲法 72条 :議案提 出、一般国務 ・外交関係 の国会 報告 、 行 政 各部 の指揮 監督) 、 そ して内閣の職権規定 ( 憲法 7 3条 :「法律 を誠 実 に執 行 し、 国務 を総 理す ること」、外交関係 の処理、条約 の締結、官吏事務 の掌理 、 予 算 の作成 、 政令の制定、大赦 ・特赦等、 および 「 他 の一般行政事務」 ) の うち、 政 令 の制 定を除 くと、「 行政各部 を指揮監督」す ることや 「 法律 を誠実 に執 行 し、 国務 を総理す ること」 だけでな く、「 一般行政事務」 や 「 官吏事 務 の掌理 」 で あ っ て も、内閣が行政活動 の主体であることを想定 した条文 であ ると解釈す る余地 ( 5 6) はないよ うに思 われ る。 ( 5 6 ) 具体的解釈は後出注 ( 1 2 9 ) ( 1 4 1 )および該当する本文を参照。憲法7 3条の英訳 n か らこのことを見てみよう。第-に、 「他の一般行政事務」 は、 英文で は、 i addi t i on t o ot he r ge ne r aladmi ni s t r at i v ef unc t i onsとな って お り、 その ge ne r alは、必ず しも 「 一般」( ないし普通)という意味 しか考え られないわけでは 事務総長を なく、「 総合的」 「統括的」 とい う意味 も考 え得 るところであ る ( Di r e c t orGe ne r alと呼ぶような用法である)。 このような用法については後出注 ( 1 2 2 )の本文を参照。第二に、「 法の誠実な執行」が英文では Admi ni s t e rt hel aw ni s t e rt he r ai t hr ul l yとなっており、 また 「官吏に関する事務 の掌理」 が Admi c i v i ls e r v i c eとなっているのは、いずれも一段上の視点からする管理運営的な意味で あるように思われ る。 後 に出て くる、 t oe xe c ut et he pr ov i s i ons or t hi s Cons t i t ut i onandt hel aw のための政令というときの e xe c ut eとは意識的に区別 されていると考える余地は十分にあるであろう。 1 5 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ●●●●●●●●● 第三 にそ もそ も、 これ らの条文 に内閣 による行政活動 を読 み こんでみて も、 憲法論上 の実益 はない と思 われ る。 とい うの も、 内閣が本稿 で言 う行政活動 を ●●● 行 うこと- 法律 が内閣 を指名 して、 これ に行政機関 と して の任務 を与 え る こと- を、憲法 が禁 じて いるわけで はない ことは憲法 73条 6項 にお いて内 閣の職権 と して 「 政令 を制定す ること」 が定め られている部分だけで十分だか らである。 この条文が置かれた趣 旨はやや複雑であるが、憲法を直接執行す る ( 5 7 ) ための政令 は認 め られない とい う解釈 を前提 にす るな らば、少 な くとも趣 旨の 一部 に、法律 が行政活動 を創 出す る一環 として行政機関 に行わせ る委任立法の ひ とつの形式 と して、行政各部 による もの ( 省令) だ けでな く、内閣それ 自体 ( 5 8) による形式 も可能 であ ることを と くに確認 した もの と解す ることがで きる。 第 四に、 内閣が、 「 行政権」 とい う憲法上 の権能 や 「 職権」 とい う憲法上 の 権限を行使 して行 う、 いわば憲法上 の仕事 に伴 う職責 と、国会 の創造 した行政 組織 とその任務 ( 組織規範 ・作用規範 の別 を問わ ない) という、 いわば法律上 の仕事 た る行政活動 に伴 う職責 との問 には、質的な違 いがあ る。議院内閣制の もとで、「 行政権 を担 う内閣」 には 「 政治責任 の含意 と して、 内閣 に辞職 の 自 ( 5 9 ) 由がある」 。 しか し、個 々の行政機関 ( 官僚組織) に こう した政治 的責 任 が負 わせ られ るわ けで はない。 以上四点 を理 由に、 日本国憲法の下 で は 「 行政権」ない し内閣の 「 職権」 ( 政 ( 5 7 ) 法律を待たずに、直接 「 憲法」「 を実施する」ための政令を制定することはでき ないという解釈が一般的である。前出注 ( 2 0 )参照。 ( 5 8 ) ちなみに、政令で実施される 「 法律」には、民法 ・刑法などは含まれない。佐藤 『 憲法』2 3 0頁。 ( 5 9 ) 長谷部恭男 「内閣機能の強化」 ジュリス ト2 1 7号 1 2頁 ( 1 9 9 8 ) 。 また、長谷部 6 2貢。佐藤幸治教授は、6 5条の 「 行政権」及び憲法が定める内閣の 「 職権」 『 憲法』3 の全てにつき、内閣は国会に対する責任を負うとする。同 『 憲法』2 1 2百、2 3 6 2 3 7頁。 5条の行政とは 「 政治的作用 ・執政」 を意味 し、「 執政 戦後すぐの指摘として、憲法6 に関 しては政治責任を」負わしめる一方、行政委員会のそれは 「 非政治的作用 ・行政」 を意味 し、「 行政に関 しては法律責任」を負わしめるという山田幸男教授のものがあ る。同 「 行政委員会の独立性について」公法研究 1号 4 6頁 ( 1 9 4 9 ) 。 1 5 7 行政活動の憲法上の位置づけ 令制定 を除 く)、内閣総理大臣の 「職務」 と、行政活動 とは峻 別 され る と考 え られ る。 そ して このよ うな考 え方 は、佐藤幸治教授 の次 の記述 と整合的である ように思われ る。すなわち、「法律 の直接執行 にあた るの は原則 と して行政 各 部であ り、内閣 はそ うした行政各部 の上 にあ って総合的 な政策 のあ り方 を配慮 決定 し、必要があれば行政各部 に法律 の執行 ・適用 の仕方 について指示」す る 立場 にたっのであ って、「行政権 は内閣 に属す るとは、 内閣 は、 それ ら行 政 各 ・ 部の権限行使の背後 にあ って、法律が誠実 に執行 され るよ う配慮 し - 『 -・ - - 総合調整その他行政各部 の施策 に関す るその統一保持上必要 な総合統制J lをは か ることによ って全体 を統轄す る地位 にあ ることを意味す る」 ので あ り、 「内 閣 は原則 として実施機関なので はな く、重要 な総合的政策決定 を行 う、行政組 ( 6 0 ) 織の統括者 なのである」。 わが国 において 「国政」 (ない し執政) と 「行政」 とい う区別 の存在 しうる \ 6 L l ことは しば しば説 かれてお り、内閣 はその双方 の責務 を負 うとされ る。上記 に 述べた ことよりす ると、憲法が定 め る内閣 の 「行政権」 も、内閣 ・内閣総理大 ●●●●● 臣の 「 職権」 も、 ともに基本的 には、「国政」 (ない し執政) だけを意味 す ると ( 6 2 ) 考えるべ きではないか と思 われ る。内閣が 「行政」 た りうるのは、法律が内閣 ( 6 0 ) 佐藤 『憲法』2 1 2 2 1 4頁。 ( 61 ) たとえば、「内閣に属する行政権の作用は、狭義の統治 と一般の行政 とに分ける ことができる」( 有倉達吉-小林孝輔 『 基本法コンメンタール 〔 第三版〕』2 2 5頁 (日 本評論社 ・ 1 9 8 6 )( 杉村敏正 ・滞野義一執筆) )という指摘や、「内閣は、---行政組 織の最高機関として行政活動に携わるというのみでなく、広 く国の政治 ( 国政) を執 り行う政治機関としての地位をも占めている」 ( 藤田苗靖 『行政組織法』1 0 9 1 1 0頁 ( 良書普及会 ・ 1 9 9 4 )( 以下 『 組織法』 ) )といった指摘のほか、 田中 『総論』4 6 4 8頁 ( 統治と行政の区別) 、阪本昌成 『 憲法理論 Ⅰ』1 6 9百、3 6 3 3 6 4頁、宮井清暢 『統治 ( Re g i e r un g) 』の概念について」 『 納税者の権利 ( 北野弘久教授還暦記念論文集) 』9 7 頁 ( 勃草書房 ・ 1 9 9 1 ) 、吉田 ・前掲論文 ( 注4 1 ) 、石川健治 「 執政 ・市民 ・自治」法律 時報 6 9巻 2号 2 2頁 ( 1 9 9 7 )などを参照。佐藤功 『行政組織法』3 1 2 3 2 0頁 ( 有斐閣 ・ 1 9 8 5 )( 以下 『 組織法』 )が展開する 「 行政管理」( 組織管理と予算管理)は、「国政」 ( 執政)にあたると思われる。その他、中川 『 立憲主義』4 9 0 4 9 2頁参照。 ( 6 2 ) 吉田栄司教授は、「内閣の行政権の行使が、憲法を直接の拠 り所としながら、国家 「 1 5 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) を指名 して何 らか の活動 を させ る場 合 はないよ うで あ る - 現在 の ところ政 令 の制 定 しか実 例 に限 られ るので はなか ろ うか。 内 閣 の首 長 た る内閣総 理大 臣 と、主任大 臣 と して行政事務 を担 当す る内閣総理大 臣の二重 の地位 とい ( 6 3 ) うことが言 われ るが、 同 じことが、 内閣 それ 自体 に もあて はまると思 われ るの で あ る。 ちなみ に、 この区別 をす る際、「国政」 ( 執政) を行 う内閣 の手足 となる官僚 組織 が どこに存在 す るかが、 しば しば問題 とされ る。憲法 は この点 につ きなん ら指定 して い るわ けで はな く、誰 が それ を設 置で きるのか - 国会 の専 権 な ( 6 4 ) のか、 内閣 の権 限 なのか - が、 問題 とな りうる ところで あ る。 現 在 の と こ ( 6 5 ) 2条)、 内 ろは法律 によ って、次 の ものが設 置 されて い る。 内閣官房 ( 内閣法 1 閣法制局 ( 内閣法制局設 置法)、安全保障会議 ( 安全保障会議 設 置法) が、 い わゆ る内閣補助部局 と して設 置 されて お り、 国 家 行 政 組 織 法 に い う行 政 機 関 ( 内閣 の統轄 の下 にあ る行政機関) とは別建 て の国家機関 とな って い る。 そ し 目的の実現をめざして行われる 『 狭義における統治』を中心 として把握 されるべ きも のだということであろう」( 傍点は筆者)との結論を示される。吉田 ・前掲論文 ( 荏 41 )3 71頁。 ( 6 3 ) たとえば、柳瀬 『教科書』4 0 4 1頁、藤田 『組織法』1 1 3 1 1 4頁。 ( 6 4 ) 杉村 『総論上』7 8頁は、「補助機関のように、直接に国民に対 してその権利 ・義 務に関する行政を行 う権限をもたない行政機関については、憲法上は、かならず Lも、 法律をもって定めることを必要 としない」 と述べる。また、補助機関の活動につ き、 法律の根拠は必要かという問題 も提出されているO芝地義- 「内閣」法学論叢 1 2 4巻 3-4号 1 0 4亘、1 1 1 1 1 2頁 ( 1 9 8 9 )参照。 このことは、内閣が、その固有の憲法上の権能 ( 行政権)を行 うことについては、 権力分立上、およそ議会か らの授権を必要 としないか ( それどころか、議会による介 入を許すべきでないか)- つまり、統治活動である以上 「 法の支配 ・法治国」上の 要請には常に服するとして も、「 権力分立」上は議会によるコントロールに一切服す 必要がないというべきか- という問題に発展 しえよう。ちなみに、ドイツにおいて、 Re gi e r ungとしての内閣の権限には、議会の規律権限 は原則 として及ばないとされ る.大橋洋一 『 現代行政の行為形式論. a3 8頁 (弘文堂 ・1 9 9 3 )( 以下、『 行為形式論J l ) . ( 6 5 ) 現在の内閣の補佐機構が形成されるまでの経緯については、芝地 ・前掲論文 ( 注6 4 )1 0 7 1 1 1 頁。また、佐藤功 「 内閣の機能」 ジュリス ト3 1 1号 2 2頁 ( 1 9 6 4 )参照。 1 5 9 行政活動の憲法上の位置づけ て、1 9 9 7年 の行 政 改 革 会 議 の最 終 報 告 書 が 、 内 閣 官 房 に加 え、 新 設 予 定 の 「内閣府」、 さ らに 「総務 省」 の一 部 に、 「内閣及 び内閣総 理 大 臣 の補 佐 ・支 援 ( 6 6 ) 体制」 た る機能 を持 たせ よ うと して い るの は、 ま さに 「国政 」 ( 執 政 ) と して の内閣 (お よび総理 大 臣)機 能 の サ ポー ト体 制 を意 味 す る。 現在 の ところ、 「国政」 ( 執 政 ) と 「行政 」 の区 別 が組 織上 の区別 に完全 に反 映 され るには至 って いな い。 た とえ ば、現 行 の総 理府 は、 内閣総理 大 臣が原子 炉設 置許可 の よ うな仕事 を処理 す る行政機 関 と して設 置 され て い る側 面 に対 応 ( 6 7 ) した もので あ るとと もに、 内閣官房 の役割 と区別 し難 い側面 ももつ。現 在 の総 務庁 に も同様 の ことは言 え よ う。 さ らに、憲 法上 内閣 の職 権 に属すべ き事柄 を、 事実上、 その専 門 に応 じて各省庁 が取 り扱 って い る こと も大 い にあ り うる。 た とえば予算 や外交、産業社 会 の あ り方 な ど とい った事 柄 にお け る政 治 問題 と し ての大綱方針 を、事 実上、 大蔵 省 や外務 省、通 産 省 が決 めて い る とす れ ば、 こ の例 にあた る。 しか しそ う した事 実 が あ るか らとい って、 当該 の事柄 が、 本来 内閣 の憲法上 の権能 で あ り職 権 で あ る とい う性 格付 けに変 化 を もた らす わ けで ( 6 8 ) はない し、 も しそ う言 うので あれ ば論理 の逆 転 で あ ろ う。慣 行 的 に内閣 か ら委 ( 6 6 ) 行政改革会議 『最終報告』1 3 2 3頁 ( 1 9 9 7 ) 0 ( 6 7 ) 内閣官房と総理府の関係について、佐藤 『組織法』3 2 7 3 3 1頁、 藤田 『組織法』 1 1 6頁注1参照。 ( 6 8 ) 佐藤 『組織法』3 2 8 3 3 0頁は、ひとつの提案 として、「総理府の各機関の所掌事務 をできる限 り調整的ないし統合的な事務に限定 し、総理府を調整的 ・統合的部局 た ら しめること」 、また 「 予算編成事務を所掌する大蔵省主計局 を も内閣 その ものの補助 機関とすること」を述べている。なお、予算編成権限を持っ組織のあ り方 につ いて、 1 9 3 2 0頁参照。 また、清宮 『憲法 Ⅰ 』3 1 9頁は、「外交事務の うち、 日常普通 の 同書 3 事務の処理は、内閣の もとに、外務大臣に主管 させることは差 し支えないが、重要 な 『 外交関係の処理』は、内閣の所管 として、慎重に扱わなければな らない」 と述 べ る。 また、樫井 「 国家財政 ( 四 ・完)」国家学会雑誌 1 11巻 5 -6号 4 8 8 4 8 9頁は、予算編成 における 「 必要経費の積み上げ」作業 と 「 国家任務を差別化する作業」の うち、前者 は大蔵省という事務 レベルで行われるのにふ さわ しいが、後者 は国会および国会 に責 任を有する内閣 レベルでの問題であることが看過 されている、 つ ま り 「 『閣議決定』 の憲法的価値が看過 されている」 と指摘する。 さらに棲井敬子 「 行政改革 と予算編成 1 3 機構移管問題」筑波大学大学院社会科学研究科 『 社会科学 の 日本的パ ラダイム』3 頁 ( 1 9 9 8 )を参照。 1 6 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 6 9 ) 任 されて い るだ けだ とい う説 明 も可 能 で あ る。 さて、 行 政 活動 が権 力分立 の外 側 にあ る とい う位 置 づ け は、米 国行政法 にお いて も説 か れて い る ことで あ る。米 国 で しば しば、行政 機 関 は、立 法府 ・執行 府 ・司法府 どれ に も属 さな い 「第 四府 」 ( f our t h br anc h ofgove r nme nt )で あ り、 憲 法 の権 力分立 原 則 と緊張 関係 を取 り結 ん で い る とい う説 明が な され る ( 7 0 ) の は、 ま さに この例 で あ るO また、 ピー ター ・ス トラウス教授 は次 の よ うに述 ( 7 1 ) べ て い る (〔 〕 内 は筆者 に よ る補 充 )。 「憲 法 は、 政府 の持 っ べ き三 つ の特 徴 的 な権能 を区別 して その所在 を 〔 連 邦議 会 ・大統 領 ・裁 判 所 と して〕 規定 して い るが、政 府 それ 自体 につ いて は bur e auc r ac y)ど こに も定 めて い な い。 憲 法 は、 官 僚組織 ( 的職務 を担 当す るスペ シ ャ リス ト的組織 - 公 的 な具 体 につ いて 何 も定 め て い な いの ( 6 9 ) ちなみに、吉井 ・前掲論文 ( 注6 1 )1 1 1 1 1 2頁は、憲法上内閣 に与え られた諸権 限が、下部行政機構 ・行政各部に 「 授権 ・委託することが」許 されないわけではない が、「 代行が無限に許 される」わけで もないと述べている。(もっとも、宮井論文の結 論 は、筆者のそれとは逆になっているO) ( 7 0 ) わが国ではしば しば誤解 されているが、 この 「第四府」 という議論は、 いわゆる 独立規制委員会に限 ったものではな く、各省行政機関 も含めて、全行政機関 と憲法上 r aus s, の三つの機関 との関係 という文脈で理解 されるべきものである。たとえば、St S upr anot e4 1,at5 7 8 5 7 9,5 8 2 ,5 9 5が この ことを明示 しているはか、Fe de r al Tr adeCommi s s i onv.Rube r oi d,3 4 3U. S. 4 7 0,4 8 7( 1 9 5 2 ) を参照。 独立規制 委員会であれば 「 第四府」性が一層際だつ こと、そ して最初の独立規制委員会の設立 時が、ちょうど米国における行政国家化の時期にあたりこの種の議論が生 じたという 巡 り合わせに、留意する必要がある。「 第四府」の言葉が使 われたおそ らくは最初の 9 3 7年の報告書が、独 例 として著名なのは、大統領が設置 した行政管理委員会による1 he adl e s s )第 四府」 と表現 した部分 で あ る。 立規制委員会を 「長 を持 たない ( Pr e s i de nt ' S Commi t t e e on Admi ni s t r at i v e Manage me nt , Re por t wi t h Spe c i alSt udi e s,3 9 4 0( 1 9 3 7 ). ( 7 1 ) P. STRAUSS, AN I NTRODUCTI ON TO ADMI NI STRATI VE JUsTI CE I N THE UNI TED STATES 1 3 1 4 ( Car ol i na Ac ade mi c Pr e s s r aus s,S upr anot e41も参照。なお、合衆国憲法制定時における、 1 9 8 9 ).また、St 行政組織権の所在に関する議論について述べるものに、間田穆 「アメリカにおける行 政組織編成権限 ・序説」 『 現代行政法の理論 ( 室井力先生還暦記念論集) 』2 6 8頁 (法 9 9 1 )がある。 律文化社 ・1 行政活動の憲法上の位置づけ 1 6 1 である。 〔 憲法の〕最初の三つの条文 は、「 立法」「 執行」「司法」の権能を、 ゼネラリス ト的集団 〔 議会、大統領、裁判所〕、つまり個 々の事柄 に具体的 な責任を負 うことのない組織 に与えている--。 それ以外 の ことは、 議会 が定めるところに委ねたのである。」 「ごく簡単に言えば、連邦議会 は法律 によ って、個 々具体的 に官僚組織 ( i ndi vi duale l e me nt sofbur e auc r ac y) を設置 しこれ に行動 す る権限 を与 える。そ して大統領 は、当該法律のもとでの彼 らの職務執行のあり様を、政 策ないし政治的観点か ら監督 し指導する。 さらに裁判所 は、彼 らの行為の法 適合性を保障するのである。」 「 〔 連邦憲法制定の〕当初か ら ( そ してそれは予期 された ことで もあ った が) 、連邦議会 は、大統領およびその個人的なスタッフ組織 か らは区別 され agov e r nme ntt hat i s di s t i nc tf r om t he Pr e s i de nt and hi s る政府 ( pe r s onalOf f i c e ) を創出 して きた。議会 は、 〔 自らが制定す る〕 連邦法 の 日 常的執行 という仕事を、大統領 自身にではな く、 こうした政府組織 に与えて きたのである。 〔 大統領について定める連邦憲法〕第 2条 は、 大統領 は、 連 邦議会が創設するであろう各省の長官を任命 し、 また各長官か らその所掌事 項につ き書面で意見を求めることができると定めている。それを除けば、憲 法はただ、大統領 は、法律が 『 誠実に執行 される』 よう 帽己慮す る』べ きこ al le x e c ut i veaut hor i t y) は彼に与え られてい と、そ してすべての執行権 ( る、 としか定めていないのである。」 稀にではあるが、米国 において も、 憲法が大統領 に与 えて いる 「執行権」 ( e x e c ut i v epowe r )と、行政機関の 「 行政権」( admi ni s t r at i vepowe r )がどう 2 ) ( 7 うまく区別できるのかが論 じられることもある。また、法律 に依拠 しない大統 ( 72) この問題についての学説をフォローした古典的文献は Gr unds t e i n,Pr e s i de nt i al Powe r ,Admi ni s t r at i onandAdmi ni s t r at i v eLaw,1 8Ge or geWas hi ngt on 1 6 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 領命令 ( e xe c ut i ve。r de ' 7 , 3 5を通 じた各省 の行政活動 へ の統制 (。ス ト.ベ ネフ ィッ ( 7 4 ) ト ・アナ リシスの要 求 な ど) の合 憲 性 が 問題 と され るの は、 ま さに、権 力 分立 の外 側 にあ る行 政 活 動 とい うイ メ ー ジ と適 合 的 で あ る. な お、 わが国 の内閣 に よ る政 令 と同様 、 米 国 で も、 大 統 領 に通 常 の行 政 機 関 と して の行政 活動 を行 わ ( 7 5 ) せ るよ うな立 法 もあ り、 関 税 法 な ど と くに国 際政 治 的配 慮 を必 要 とす る もの に ( 7 6 ) この例 が見 られ る ( 但 、 憲 法 に は この点 につ いて の規 定 はな い)。 L Re v.2 8 5( 1 9 5 0 ).で あ る。 なお、STRAUSS,RAKOFF,ScHOTLAND & FARI NA,S upr anOt e4 7,at1 4 0& n. 3の記述のほか、松井 『アメ リカ憲法』5 8 6 0 頁、および前出注 ( 4 2 )の松井教授の詩論稿を参照。 ( 7 3 ) 大統領が、公衆 を名宛人 とせずに、連邦政府の行政機関宛て ( 多 くは、 大統領か らの独立性を持 たない各省行政機関宛て)に出す政策的内容を持つ指示の総称であり、 多様な性格の ものが含 まれる。ある調査 によれば、大統領命令のほとんどは、法律上 の具体的な根拠 に基づいた ものと言われ ( つまり、法律が大統領を指名 して、細 目を 大統領命令で定めるよ う授権 している)、その限 りにおいて は、大統領命令 は、 法 と しての効果を持っ命令である ( 米国法で言 う 「 立法的規則」 。 日本法で言 う政令 というよりも法規命令 ・委任命令 とい う方が正確であろう- にあたる) 。 ところが、 それ以外の大統領命令 はすべて法的効果を持 たない ( つまり、米国法で言 う 「非立法 的規則」、 日本法で言 う行政規則)か と言 うと、必ず しもそ うとは捉 え きれない もの がある。本稿で取 り上 げるもの ( 次注参照)がそうで、 これ らは、立法的規則 と非立 e n法的規則の二分論 には馴染みに くい、中間的な性格 を持 つ と言 われてい る。Rav Hans e n,Maki ng Age nc i e s Fol l ow Or de r s:Judi c i alRe v i e w orAge nc y Vi ol at i onsofExe c ut i v eOr de r1 2, 2 9 1 ,1 9 8 3DukeL.J.2 8 5( 1 9 8 3 );Not e, Enf or c i ngExe c ut i v eOr de r s:Judi c i alRe v i e w ofAge nc yAc t i onunde rt he Admi ni s t r at i v ePr oc e dur eAc t ,5 5Ge or geWas hi ngt onL.Re v.6 5 9( 1 9 8 7 ). なお、米国における 「 立法的規則」 と 「 非立法的規則」の区別については、 中川 ・前 0 )7頁、大橋洋一 『行政規則の法理 と実態』1 6 2 1 8 8頁 ( 有斐閣 ・1 9 8 9 ) 掲論文 ( 注4 ( 以下 『 行政規則』) を参照。 ( 7 4 ) 後出注 ( 1 4 2 ) ( 1 4 8 )および該当す る本文を参照。 ( 7 5 ) その例 につ いて は Pi e r c e & Shapi r o,Pol i t i c alandJudi c i alRe v i e w or Age nc yAc t i on,5 9Te xasL.Re v.1 1 7 5,1 2 1 1 1 1 2 1 2( 1 9 8 1 )を参照。 ( 7 6 ) 後述するいわゆる 「立法権の委任禁止法理」 (後 出注 ( 1 0 5 ) ( 1 1 0 )参照) にかか る判例 には、大統領への行政活動の授権例が多 く見 られ る。なかで も関税法 に例が多 e l dv.Cl ar k,1 4 3U. S.6 4 9( 1 8 9 2 )は、1 8 9 0年関税法 (いわゆる く、たとえば Fi マッキ ンリー関税法)が、一定の産品の自由な輸入を停止す るする権限を大統領 に認 めたことが、立法権の放棄に当 た るか ど うかが問題 にされ た事件であ るが、ここで 「 大統領が行 うべ きこととされているのは、単に、連邦議会の法律の執行」であって、 行政活動の憲法上の位置づけ 1 6 3 以上 を要約す ると、 日本国憲法であ ると、米国憲法であ るとを問わず、行政 権 と内閣の憲法上 の権限 (日本 の場合。政令 を除 く)、 な い しは執 行権 と大統 領の憲法上 の権限 ( 米国 の場合) に対 して、本稿 でい う行政活動 は区別 されて いると言え る。 そ して行政活動 は立法権 や司法権か らも区別 され るか ら、行政 活動 は権力分立 の外側 にあ るとい うことにな る。 そ うす ると、権力分立上行政 活動 に働 く規律 とは、国会 ( 連邦議会)・内閣 ( 大統領)・裁判所 とい った 「 憲 法上の存在」 と、国会 ( 連邦議会) の被創造物 に過 ぎない行政機関 とその任務 ●● という 「 法律上 の存在」 との間の、 いわば タテの関係 を問 うことであ る。 そ し て本稿では、その タテの関係 を、既 に述べ た権力分立 の二重構造 の中で考察す るO それは第- に、法律上 の存在 た る行政活動 に対 して、国会 ( 連 邦議 会)・ 内閣 ( 大統領)・裁判所がそれぞれ独 占的 に 「 立法権 」「行政権 」 ( 執行権) 「司 法権」を保有す ることか らどのよ うな要請 が働 くのか ( 独 占的権能 の分配 と し ての権力分立 の側面)、第二 に、国会 ( 連邦議会)・内閣 ( 大統 領 )・裁 判 所 に 与え られた憲法上 の諸権限 によ って、行政活動 はどのよ うな影響 を及 ぼされて いるのか ( 多極的な意思形成 と しての権力分立 の側面) とい う問題 のふ たっ に 1 4 3U. S. 大統領は 「 単に議会の代理人として」行動 しているに過 ぎないと述べて ( 、立法権の放棄ではないとしたのである。その後 も2 0世紀前半にかけてアメ at6 9 3 ) リカ合衆国が保護関税を行う場合に同様の例が見られる。1 9 2 2年関税法( Tar i f fAc t ) 9 3 0年関税法3 3 6条において、関税委員会が国内外での製造 コス トを等 3 1 5条および1 しくするために関税率の増減が必要と判断 したときは、それを大統領に助言 し、大統 領は関税変更の布告を出す権限が付与されているが、関税法のもとで大統領にどれほ どの裁量が与えられたのかにつき、一連の ( 混乱 した)判例が現れている。たとえば、 ∫. W. Hampt on v,Uni t e d St at e s,2 7 6 U. S.( 1 9 2 8 );Uni t e dSt at e s v.Se ar s, Roe buc k & Coリ 2 0 C. C. P. A. ( Cus t oms )2 9 5( 1 9 3 2 );Nor we gi anNi t r oge n Pr oduc t sCo.V.Uni t e dSt at e s,2 8 8U. S.2 9 4( 1 9 3 3 );Ge or geS.Bus h & Co. V.Uni t e dSt at e s,1 0 4F, 2 d3 6 8( C. C. P. A.1 9 3 9 ),r e v' d3 1 0u S.3 7 1( 1 9 4 0 ); t e dSt at e s,3 6C. C. P. A. ( Cus t oms )1 9( 1 9 4 8 )な T. M.Duc he& Sonsv.Uni どがあり、これを分析 した文献 として Me t z ge r & Mur s e y,Judi c i alRe v i e w of Tar i f fCommi s s i on Ac t i ons and Pr oc e e di ngs,5 6 Cor ne l l L.Re v.2 8 5 ( 1 9 7 1 )がある。 1 6 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 分 けて、議論 され るべ きこととな るので あ る ( 上記 の ス トラウス教授 の引用 に は、 後者 の側面 がす で に示 されて い る)0 二点付言 して お こう. 第- に、行政活動 は権力分立 の 「外側」 にあ るとい う 捉 え方 は は- つ ま り、 「行政権」 や 「内閣 の職権」 と、行政活動 との間の峻別 、 わが国 で は必 ず しも一般 的 でないよ うに思 われ る。 む しろ、 そ の よ うな峻別 を しな い叙述 の ほ うが、少 な くとも行政法学 で は一般的であ るよ うに ( 7 7 ) 憩 われ る (もっと も、単 に行政活動 を行 う権 限 とい う程度 の意味で、「 行政権」 とい う語 を用 い る とい うな らば別 で あ るが)。 おそ らくその背 後 に は、 内閣 が 国会 か ら-托 して行政活動 を請 け負 い、請 け負 った行政活動 を さ らに統轄下 の ( 7 8 ) 「行政各部」 に割 り振 って執行 させ るとい うイメー ジがあ る よ うに思 われ る。 このイメー ジが形成 され るにあた って は、 おそ らく憲法 7 3条 で、 内閣 の職 権 は 「 他 の一般行政事務 の外 」「法律 を誠実 に執行」 す ることで あ る とい う、 や や ミス リーデ ィングな文言 が用 い られて い る ことが大 いに寄与 してい るよ うに 憩 われ る (また、 この イメー ジは、 いわゆ る五五年体制下 における内閣 と行政 各部 ( 官僚組織) の一体性 とい う政治 的現実 に きわめて適 合 的 で あ る)。 しか ( 7 7) ア トランダムに例を挙げると、「 内閣政治と法治主義」 と題する杉村敏正教授の 論文は、「 内閣による行政 と法治主義」すなわち 「 行政権の肥大 と法の支配」 を論 じ ると述べつつ、税金や土地収用、補助金交付、文化財指定などを素材に、「 行政に対 する」立法的 ・司法的統制を論 じている ( 杉村敏正 『 続 ・法の支配 と行政法』2 1 1頁 1 9 9 1 ) )( 以下 『 続法の支配』 )。また、日本国憲法では 「 議院内閣制の下、 ( 有斐閣 ・ 各行政組織法律の定めるところにより、行政権 自体がその存立の基盤を国会に持 って いるのであって、その行動に法律の授権を要求 しなくても、行政権それ自体 に既に民 主的基盤が備わっている、という反論がある」 という叙述 も ( 藤田 『 行政法 Ⅰ 』8 0 8 1 貢) 、峻別をしない例ということができよう。 』3 6 4頁の指摘を参照。具体例を挙げると、「憲法によって創設 ( 7 8 ) 阪本 『 憲法理論 Ⅰ された行政権は、法律の授権によってその発動をなしうる。その場合、法律の授権に 6 0 は、組織法的授権 と作用法的授権 とが」あるという叙述 ( 高田 『社会的法治国』4 貢) 、「 国の行政事務のすべてを、内閣みずから処理することができるものではない。 したがって、内閣の統轄のもとに、それぞれ、一定の所掌事務と権限を有する多 くの 』 行政機関が設置されている」( 有倉達吉-小林孝輔 『 基本法コンメンタール 〔 第三版〕 2 2 5 2 2 6頁 (日本評論社 ・1 9 8 6 )( 杉村敏正 ・津野義一執筆) ) 。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 6 5 しなか ら、以上述べたことにより、内閣の憲法上 の仕事 と法律 によって創出さ れた行政活動を一体的ない し連統的に捉え ることは、憲法 に反す るものである ように思われるのである。 第二 に、 いわゆる 「 行政の定義」 とい う教科書的 トピックも、上記の考察 に 基づけば、憲法上内閣の行 うべ き仕事 ( 行政権、 および内閣や内閣総理大臣の 職権や職務) と、法律 によって創出された行政活動 とが区別 されていない点で、 問題の立て方 自体 に疑問がある。前者 の意味であれば、内閣 に固有の行政権 と いう権能が侵害 されていないか、 あるいはその職権の範囲 (たとえば行政活動 に対する外か らの監督的介入のあ り方 として許 され る範囲)、 とい った問題 が 生 じるだけである。 また、後者の意味での行政活動 に視野を限定す るな らば、 それをどう記述的に定義す るかよりも、「なぜその行政活動 が必要 か」 とい う 規範的議論の方が重要ではなかろうか。つ まり、 なぜ国会が、民刑事的な立法 を行 う ( っまり司法的規制 に委ね る) とい う選択肢 をとらず、行政機関を用い る ( つまり行政活動を創出す る立法) とい う選択肢 を とったか とい う問題であ る。そ して この問題に対す る回答方法 として、市場 とその失敗を出発点 とす る 公共経済学的アプローチ ( 規制 ・公共財提供 ・所有権調整などとして行政活動 ( 7 9 ) の必要性を説明 してい く) は、ひとつの有効 な考え方 として参考 になろう。 た だ し、「 行政の定義」問題 には、行政活動 の形成 にかか る各国 の歴史 的記憶 杏 語 るという側面が分かち難 く含 まれているのではないか とい う点、 また日常的 な行政活動内容 とい うレベルではわが国の新旧憲法の前後で連続性があ ったで あろうという点か ら見 るな らば、わが国の教科書が、立憲君主制下で妥当 した ( 7 9 ) たとえば、植草益 『公的規制の経済学』2 1 2 7頁 ( 筑摩書房 ・1 9 9 1 ) 。 またとくに 2 頁注1 2における、行政法学の行政の定義論への著者の不満を参照。この観点か 同書2 ら、阿部泰隆 『 行政の法システム ( 上)(新版 ) 』2 1 8 頁 ( 有斐閣 ・1 9 9 7 )や阪本 『憲 法理論 Ⅰ 』3 6 8 3 6 9頁の採用するアプローチは正 しい方向性であると思われる.田中 二郎博士は、統治と行政の区別を説いた後、「 一般の行政が法の下に法の規制を受け ながら主として人民に対する関係において行われる作用であり」としており ( 同 『 総 論』48頁) 、本稿でいう行政活動のみを念頭におくことを明示 している。 1 6 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) であろう説明の仕方 ( 控除説)を現在で も採用 していたとして も、そのこと自 体が誤 りであるとは言えないように思われる ( 必要なのは、憲法上の 「 行政権」 や内閣の憲法上の職権ない し内閣総理大臣の職務 とは区別 された、 日常的ルー ( 8 0 ) ティンな 「 行政活動」の定義を試みているということの明確化である)。 ちな みにわが国の 「 行政の定義」問題に相当するのは、米国行政法では、行政法の 歴史 ( 「 現代行政国家の誕生」 という言葉が しば しば用いられ る) を語 る くだ りであろうと思われるが、そこでは 「司法裁判所だけでは、問題対処に不足で I ; = E あった」か ら行政活動が生 まれたという視点が一般的にとられている。これは、 米国の歴史的記憶を語 るものであるとともに、(そこか ら生 まれて きたアメ リ カ経済学である以上当然であるか もしれないが)同時にす ぐれて公共経済学的 アプローチに親近性を持っ ものとなっている。 ( 2 ) 独占的権能の分配 と しての権力分立上の要請 まず、「 独 占的権能の分配 としての権力分立」 という観点 か ら、行政活動 に はどのような憲法上の要請があ りうるかのマ トリクスを考えてみよう (〔 図2 〕 を参照) 。次の三つに分 けて検討する。 ( a ) 行政活動が権利義務の関係 として行われるためには、立法権の行使によっ て しか、行政機関に必要 な授権ができないこと ( b) 立法権の放棄に等 しい態様で、行政活動が創出されることの禁止 ( C) 行政権 ・執行権や、司法権を占奪す るような態様で、行政活動が創出さ れることの禁止 ( 8 0 ) なお、「 統治」( 国政 ・執政)と 「 行政」という区別を考慮しっっ、行政の定義問 )がある。 題につき考察するものに、吉田 ・前掲論文 ( 注41 ( 8 1 ) この点については、中川 ・前掲論文 ( 注4 5 )8 1 9頁の記述を参照。教科書的記述 例としては STRAUSS,RAKOFF,ScHOTLAND 4 7 ,at1 1 6を参照。 & FARINA,Supra not e 行政活動の憲法上の位置づけ 1 6 7 独占的権能の分配 としての権力分立」 と行政活動 〔 図 2〕「 i J =・ = . , _ : .;二 二 曇 二 恵 三 , _ 義 . I, - ( a) 行政機関か権利義務関係を創出するのに必要な立法権からの授権 国会が、行政機関 ( 政令を制定する場合の内閣を含む。以下同 じ)による行 政活動の一環 として、国 と外部の者 ( 私人等) との間に法的な権利義務関係を 取 り結ばせようと考える場合、 または行政機関による実力行使を適法化 したい 場合、そのための特別の法制度を法律で作 り出さなければな らないことがある ( たとえば、行政処分や法規命令、即時強制や強制執行)。 また、国 と私人の問 で権利義務関係を取 り結ぶ行為、あるいは適法な実力行使を、国の機関 ( 代理 ●●●● 人) として対外的に行 うべ き者 は誰かを指定 してお くこと ( 処分であれば行政 庁、契約であれば締結権者) も必要である。 いずれ も、憲法構造 ( 権力分立) 上は立法権の行使 ( 授権) という形で しかなされ得ないことと考えてよいであ ろう。つまり立法権の行使が先行 していなければな らないわけであり、 ここに 「 法律の留保」論の生 じる余地があることになる。 たとえば、法律 と同等の効果を持っ法規命令 という法形式を行政機関が用い ることができるのは、国会が行政機関を指定 して、法律の一部 について穴埋め をさせるべ く授権 している- その部分 について国会 にな りかわ って行政機 関に立法させる意図が法律か ら読みとられる- か らである。法規命令には、 法律の根拠 (ないし法律による授権 ・委任)が必要だとされるのは、 この意味 1 6 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) においてである。許認可 申請 の諾否や許認可の取消のよ うに、一定の権利義務 の関係 を、「 権力的」 に生み出す法制度 ( 行政処分)を創出 し、 その利用 を何 者か ( 行政庁) に授権す ることがで きる権能 もまた、国会 ( 法律に反 しない限 り、地方議会 も含む) に しかない。 そのため、抗告訴訟 の対象 となる処分性 は - その重要な判定要素 は、具体的な 「 法的効果」 が 「権力的」 に発現す る ( 8 2 ) ことである- 、 その旨が法律か ら読み とられ るもので な くて はな らない こ とになる。 また、即時強制や、強制執行、実力行使を伴 う行政調査に法律の根 拠が必要 とされ るのは、 このよ うな授権がなければ、行政機関による物理力の ( 8 3 ) 行使 は単 に不法行為 となるか らだ とい う側面のあることは否めないであろう。 また、行政上 の強制執行 には、先行す る命令の法律上の根拠 とは別に、独 自の 法律上 の根拠が必要 とされることを説明す るのに、観念的な義務賦課の権限と、 ( 8 3 ) 直接物理力を使 ってある状態を合法的に出現せ しめる権限 とは別だという場合、 少 な くとも、権利義務 の創出 と実力行使の正当化 とい う、法律の果たす役割の ( 84 ) 違 いが考え られているといえ る。 他方、 いわゆる行政規則や行政指導 は、その概念定義 ( 権利義務 にかかわる 行為形式ではない こと) の言 い換え として、「 法律の根拠 は不要 であ る」 と言 うことがで きるわけである。 さらに、調達や請負等の契約締結や補助金付与 ( 契約 と構成 され る場合)に ついて も、立法権 による授権 の必要性 を論 じることが可能であろう。委任命令 ( 8 2 ) 原田尚彦 「 行政法上の 『 公権力』概念」『 国際化時代の行政と法 ( 成田頼明教授 退官記念論集)』1頁、l l 1 2頁 ( 1 9 9 3 )( 「 権力創設法」 ) 。また、塩野 『 行政法Ⅱ ( 辛 二版)』7 9頁 ( 有斐閣 ・1 9 9 4 )( 抗告訴訟の前に、権力性の概念が必要である)( 以下 『 行政法 Ⅱ』) を参照。 ( 8 3 ) 強制執行につき、民事における自力救済の不法行為性を引照する叙述がなされて 9 4 1 9 5頁 ( 学揚 いるのはその現れといえる。原口尚彦 『 行政法要論 ( 全訂第三版)』1 9 9 4 )( 以下 『 要論』 ) 、芝池 『 総論講義』1 9 9 2 0 0頁など。 書房 ・1 ( 8 4 ) 塩野 『 行政法 Ⅰ 』1 8 9頁 ( 両根拠規範は次元を異にする) 。さらに、後出注 ( 1 5 7 ) を参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 6 9 や処分、実力行使 とは異 な り、契約 とい う法制度 を個 々の法律 で改 めて作 り出 す必要 はない ( 民法があ る)。 しか し、国や地方公共団体 が 自然 人 で はな く法 人 として契約を締結 しよ うとす る以上、「 誰 が」 ( 機関)、 国 や地方 公共 団体 の 代表者 として、「どのよ うな内容」 の契約 を締結 した場合 に有 効 な契約 とな る のか ( 無権代理 でな くな るのか)が、 どこかであ らか じめ決 め られていること ( 8 5 ) が必要 なはずである。会社 であれば これ らは商法 および定款 で決 め られ ること であろ うが、国や地方公共団体 であれば、法律 ・条例で決 め られ るよ りはかな く、 ここに法律 ・条例 による授権 の必要性 を論 じることがで きると思 われ るの である (その定めが無 く、無権代理 とな った場合 に、次 のステ ップの問題 と し ( 8 6 ) て、で は表見代理が成立す るかが問われ ることとな る)。 公害 防止 協 定 の よ う な取 りきめに契約 と しての拘束力 を認 め る際 に も、 同 じことが議論 され るべ き であろう ( 地方 自治法 1 47条 の首長 の代表権 の解釈 とい うことになろ う)0 以上 を要約す ると、行政機関 の行為 によ って、国や 自治体 と私人 との問 に権 ●●● 利義務関係 を発生 させ、適法 な実力行使 を実現す るには、その旨の授権が前 もっ ●●●●●● て必要であるとい うことにな り、 その意味で、「法律 の留保」 を語 る ことがで きないわけで はない ( 前 出の 〔 表〕 における、「法律 の留保論 その 1 」である) 0 もっともこのよ うな意味で 「法律 の留保」 ない し 「法律 の根拠」 の言葉が 自覚 的ない し一貫 して使 われ ることは比較的稀 であ る (そのひ とつの理 由 は、 いわ ( 8 5 ) 現行法ではこうした規定のおかれるのが普通である。「誰が」 については、会計 法 ・地方自治法に規定がおかれている。会計法 1 3条 3項 ( 支出負担行為担当官)、同 2 9条の 2( 契約担当官)などである。兵藤広治 『 財政会計法』2 0 7 2 0 8頁、2 6 0 2 6 2頁 (ぎょうせい ・1 9 8 4 )など参照。「どのような内容」についても同様である。 しか し一 般的には、「 契約をなすために法律の根拠は不要であるとされている。 しか し、国有 財産法、会計法、地方自治法などで認められている範囲の契約 しか認められないので ある」( 阿部 F I システム下』4 9 7頁)とされるo Lかし、一般の法人理論上、そうした 限界付けが先行すべきだと考えるべきではなかろうか。 ( 8 6 ) 自治体の契約締結における表見代理については、阿部 『システム下』5 01頁、碓 井光明 『 要説自治体財政 ・財務法』1 6 8 1 7 5百、2 0 4 2 0 5頁 ( 学陽書房 ・1 9 9 7 )( 以下 『 要説』) などを参照。 1 7 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ゆる法律の法規創造力の問題 と完全に重複するか らである) 。 む しろ、 断片的 にこのような意味での 「 法律の留保」論が姿を見せているというのが正確であ ろう。 たとえば、柳瀬良幹博士の唱えたいわゆる全部留保説 ( ないし権利義務留保 説)がその一例であり、博士 は法律の留保論 は法律の法規創造力か ら導かれる ものだとしている。柳瀬博士 は、「法律 に規定のない場合 に行政が作用す るこ とは即ち行政が自ら国民の権利義務について新たな規律をすることで、また法 ■●●●●●● 律の法規創造力の原則の違反 となるか らであって、 これを法律の留保 というの は、--国民の権利義務 について規律す ることはすべて法律 の権能 に留保せ ●●●●●●● られ」 るか らであると説 き、 さらに法律の留保すべ き範囲は 「 法律の法規創造 力の原則の示す通 り」、権利 自由の制限侵害のみな らず、権利 の付与、義務の 免除 も含むのであ り、「 凡そ国民の権利義務に関係ある一切の場合 に及ぶ もの ( 8 7 ) と解 しなければな らぬ」 と述べているのである ( 傍点は筆者)。小早川光郎教 授の表現によれば、 これは 「いわば法の世界に関する限 りはすべて議会の立法 ( 8 8) に従属 させ る」趣 旨であ り、 まさに上記 のよ うな、立法権 のみがな しうる、 " 法的権利義務を創出するための授権" という用語法の もとでの留保論 と考え られる。 ●● また、杉村敏正教授の旧説 も、権力的な行為形式に視野を限定 しつつ、同様 の用語法で法律の留保を語 るものであったように思われる。すなわち、「国民 ●●●●● の権利義務の変動を効果 として生 じさせ る一切 の公権的行政 は、必ず、 法律 (または地方 自主法たる条例)の根拠を必要 とする。国民 の身体や財産 に対す る物理的な力の行使 ( 実力行使)に、法律 (または地方 自主法たる条例)の根 拠を必要 とす ることは、いうまで もない。 したが って、行政機関 は ・ ・ --これ らの公権的行政を行 う権限を当然に有す るものではな く、ただ、法律による授 ( 8 7 ) 柳瀬 『教科書』2 4頁。 ( 8 8 ) 小早川 『講義上 Ⅰ』1 0 1 頁。 行政活動の憲法上の位置づけ i l h i l 権 に基づ き、 その執行 と してのみ、 これを行 い うるに過 ぎない。 これを法律 の 留保 -- とい う」 ( 傍点原著) と しつつ、 さ らに 「国会 の制定 す る法律 に行政 法規 の創造力をみ とめ る現行憲法 の下 において は」「 法律 の根 拠 が な くて は、 営業 について独 占権 を設定 した り、法律 による禁止 や命令 を解除す ることはで ( 8 9 ) ( 9 ] ) きない」 と述べ る。 いわゆる権力留保説 の代表的論者であ る原 田尚彦教授 は、 「行政 庁 が権 力 的 な行為形式 によ って活動す る場合 には、つね に法律 の根拠 が必要 であ る」 とい うテーゼを次 のよ うに説明 している。すなわち、「 法律 の根拠 が な けれ ば、 い かに公益上 の必要があ って も、行政庁 は行政立法 とか行政処分 とい った権力的 な行為形式 によ って国民 に命令 を発 した り、強制手段 に訴 えて国民 の 自由を制 約す ることはで きない ( 法律 に根拠 のない行政機関 の実力行使 は、不法 な暴力 行為 とみ るほかはない) 。法律 に根拠がなければ、行政庁 は、 行政 指 導 とか行 政契約 などの非権力的な行為形式 を用 いて国民 の同意 と協力 の もとに行政需要 ( 9 上 ) に対応 してい くはかない」 とい う説明である。 さ らに言 えば、行政機関が 自 ら の行為 によ って、単 に国 と私人 の間 に権利義務関係 が創 出 されて いることを主 張 したいだけに止 ま らず、 それが権力的に創 出 された と主張 したいな らば ( そ の実益 は、取消訴訟 の排他的管轄 および出訴期間の徒過 にあ る)、 前 もって法 律でそのよ うな趣 旨の授権がなされていることが必要 であ るとも言 え るであろ う。権力説 においては、権力性 を創 出で きるのは法律 のみであるという意味で、 権力的な行政活動 に法律が先行す る必要があ るとい う意味で、 「法 律 の留 保」 ( 8 9 ) 杉村 『総論上』4 2 4 3頁。 ( 9 0) 杉村教授の見解が完全全部留保説と呼ばれるのは、全訂版において、本文引用の 後に、「 一切の公権的行政はもちろん、非権力的公行政について も、法律 (または地 方自主法たる条例)の根拠を必要とする」との一文が追加されたためである。 この点 B論についての覚え書」同 『 続法の支配』2 8 1 3 1 については、杉村敏正 T法律の留保. 頁、および後出注 (171)参照。 ( 91 ) 原田尚彦 r 行政法要論 ( 全訂第三版)』76頁 ( 学陽書房 ・1 99 4) ( 以下、『 要論』)0 r 1 7 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) が語 られて い るわ けであ る。 しか し、 「法律 の留保」 ない し 「法 律 の根 拠 」 の ( 9 2 ) 語 を この よ うな意 味 で は用 いない論者 (こち らが主流 と思 われ る)か らは、権 力説 の述 べて い る事柄 は法律 の留保 の問題 で はない との批判 を受 けることにな ( 9 3 ) る。 さ らに、 いわゆ る係留杭抜 き事 件 の最高裁判決 は、 まさに この問題 と して案 件 を解決 した もの と考 え られ る。一般 に実 力行使 ( 杭 を抜 くこと) は法律 ( 秦 例)上授権 されて いなければ不法行為 にな るとい う視点 か ら問題 を分析 し、当 該事案 は不法行為 を成立 させ るよ うな遵法状況 で はない と考 えて、杭撤去 の強 行 は 「緊急 の事態 に対応 す るため に と られ たや む を得 な い措 置 で あ り、 民 法 7 2 0条 の法意 に照 らして も」公金支 出の違法性 を肯認 す ることはで きな い とい ( 9 4 ) う結論 を下 した もの と理解 され るか らで あ る。 ち ょうど、逮捕監禁が法律上授 権 され た ものでな ければ、単 に不法行為 にな って しま うの と同 じことである。 さて、 この よ うな意 味 での 「法律 の留保」論 は、米国 にお いて と くに議論 の 対象 に されて い るわ けで はない. その理 由 と して、第一 に、憲法構造 ( 権力分 立)上 あま りに当然 で あ る こと、第二 に、 わが国 の よ うな 「 権力性のある行為」 ( 9 2 ) 後出注 ( 1 5 6 )及び該当する本文を参照。 ( 9 3 ) 阿部 『システム下』6 9 4 6 9 5頁、芝地 『総論講義』4 9頁、小早川 『講義上 Ⅰ』1 0 8 頁 ( 「 立法の定めがなければ権利賦与行為が " 権力性"をもちえないことを意味する にとどまり、その権利賦与行為自体について、それが立法の根拠なしには行われえな いとするものではない。 」) 、塩野 『 行政法 Ⅰ』6 4頁 ( 法律の根拠の問題 と権力の所在 の認定方法の問題との混清) 。権力説論者のひとりである原田尚彦教授 は、 この批判 を受け入れられ、「 厳密に言 うと、 もはや 『 留保』 という概念を用いて議論する-実益はない」 と言われている。原田 『 要論』7 6頁。その他の権力説の論者の対応につ 2 0 5 ) ( 2 0 7 )を参照。 いては、後出注 ( ( 9 4 ) 最判平成 3年 3月 8日民集4 5巻 3号 1 6 4貢。塩野教授は、同判決を 「損害賠償責 任としての遵法の問題を民法的論理のもとで判断 した」 ものと理解できるとされる。 塩野 『 行政法 Ⅰ 』6 5亘注 2 、同 「 法治主義の諸相」法学教室 1 4 2 号1 1 百、1 8 頁( 1 9 9 2 ) 。 1 0巻 1 0号 1 5 6 4百、1 5 7 4頁 ( 1 9 9 3 )参照。 し この点につき、桜井敬子 ・法学協会雑誌 1 たがって同判決は、 もうひとつの法律の留保問題 ( 主流派の意味での)には答えてい ないことになる。 この点については、後出注 ( 1 6 9 )および該当する本文を参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 7 3 とい う考 え方 と無縁であるため、権力説 的な関心 が生 まれ ることさえなか った ことが考え られ る。例外的に頻繁 に言及 され る場面 は、次 の二 つである。 ひと つ は、 いわゆ る 「 立法的規則」 と 「 非立法的規則」 の区別 に関す る命題であり、 as pe c i f i c gr ant of l e gi s l at i ve 「行 政 立 法 は、 具 体 的 な法 律 上 の根 拠 ( f or c eand e f f e c tof aut hor i t y) に基づ くものでなければ、法 と しての効果 ( ( 9 5 ) ( 9 6 ) l aw) を有 しない」 とい うものであ る。 いまひ とっ は、政府契約 で あ る。 政 府 契約 については一般的に、「 行政官が合衆国 を拘束す るよ うな契 約 を締 結 す る ( g 7 ) 権限 は、法律 として制定 された規範 の中 に兄 いだ されなければな らない」 とさ れ る。 日本式 に言 えば、 あ る行政機関 ( 行政職員)が契約 を締結す るには、法 律上 の根拠 が必要 だ とい うわ けで あ る (また は、 連 邦議 会 の 「歳 出承認 」 ( 9 8 ) ( 9 9) ( appr opr i at i ons ) 上 の根拠 で もよい) 。 そのよ うな前提 にた った上 で、 た とえ ば連邦法 に次のよ うな定 めがある (〔 〕内 は筆者 による補充) 0 41U. S. C.§1 1. ( a) 「〔 湾岸警備隊の通常装備 のためにす る契約 ・購入 を〕---国防省 および 運輸省が行 う場合 を除 き、 〔 一般 に〕合衆国のため の契 約 な い し購入 を 行 うことは、 それ 〔 当該 の契約 ない し購入〕 が法律 によ り授権 されてい ( 9 5 ) 前出注 ( 7 3 )参照。また後出注 ( 2 0 9 )も参照。 ( 9 6 ) 米国の政府契約法にかかるわが国での研究として、竹中勲 「アメリカにおける政 府契約の法的コントロ-ル ( -)∼ ( 三完 )」民商法雑誌 7 7巻 3号 6 0頁、 4号 5 5頁、 5号 2 7頁 ( 1 9 7 7 )( 以下 「 政府契約」) がある。 ( 9 7 ) Ne w Yor kMai l& Ne wsTr ans por t at i onCo.V.Uni t e dSt at e s,1 5 4F. 71 ,2 7 5( 1 9 5 7 ).竹中 「 政府契約 ( -) 」7 7巻 3号 6 7貢、7 3頁注 8参照。 Supp2 ( 9 8 ) 連邦憲法第 1条 9節 7項は、次のように定める。「すべて国庫か らの支払は、法 Appr opr i at i onsmadebyLaw)に従うのでなければ、 律によって行う歳出承認 ( appr opr i at i onsac t )については、 た これを行ってはならない」 。 この歳出承認法 ( とえ は A.S cHI CK,THE FEDERAL BUDGET 1 2 9 1 6 4( The Br ooki ngs I ns t i t ut i on1 9 9 5 )に要領のよい説明があり、また日本法との比較については、 田中 治 『アメリカ財政法の研究』3 3 4頁 ( 信山社 ・1 9 9 7 )( 以下 『アメリカ財政法』 )を参照。 ( 9 9 ) 竹中 「 政府契約 ( -) 」7 7巻 3号 6 7 1 6 8頁。 1 7 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) る場合、 またはその 〔 当該 の契約 ない し購入の〕実施に必要な歳出承認 ( appr opr i at i on) に基づ くものである場合を除 き、許 されない。」 ( b) 「 国防長官および運輸長官 は 、 - -・〔 湾岸警備隊の通常装備 のためにす る契約 ・購入 につ き〕-・ -上記 ( a) 項 で認め られた権限を行使 したことを 直ちに連邦議会 に通告 しなければな らない。 また、上記( a) 項で認め られ た権限による予想負担額を四半期毎 に報告 しなければな らない0 同 じことは、連邦政府のみな らず州や 自治体 レベルで も広 く妥当す るようで ある。 たとえば、 自治体 のために契約 を締結す る権能 は議会に存することか ら 出発点 して ( 常 にあるいは一定の種類の ものに限 って、 自治体の契約を条例の ( 1 0 ) 形式で行 うことを要求す る自治体憲章 ない し州法の例 さえあ る)、 自治体 にお いては、「 議会 は別 として、行政官や委員会 は、州法や自治体憲章、 また は自 治体議会がその 〔 契約締結〕権能 を委任す る旨の授権を通 じて、適正 に権能を 与え られ る ( dul ye mpowe r e d) のでなければ、 自治体を拘束 す る契約締結 を ( 1 0 1 ) す る権能 ( powe r ) を有 しない」 と言われ る (〔〕内は筆者) 。 ちなみ にイギ リスで も、 自治体 の 「 行政機 関 ( aut hor i t y)が、 特定 の契約 ( a par t i c ul ar s t at ut or ypowe r ) を与 え られている c ont r ac t ) を締結す る制定法上 の権限 ( ( 1 0 2 ) のでなければ、その契約 は無効である」 とす るものがある。 ( 蛇足 なが ら、 こ のよ うな発想 よ りす ると、わが国の地方 自治法 96条 1項 5号 の契約 につ いて ( 1 0 3 ) の議会の議決 の性格付 けについて も、興味深 い示唆が得 られ よ う。) したが っ ( 1 0 0 ) E.McQUI LLI N,THE LAW OFMuNI CI PALCoRPORATI ONS ( 3 r d . 1 0,at3 3 5( Cal l aghan1 9 9 0 ). e d. )γ ol appr opr i at i on)が必要 ( 1 0 1 ) McQUI LLI N,s upr anot e1 0 0,at3 1 5.歳出承認 ( かどうかについては、I bi d. ,at3 4 0 3 4 6. ( 1 0 2 )I AN HARDEN,THE CoNTRACTI NG STATE 3 7( Ope nUni v e r s i t y Pr e s s1 9 9 2 ). ( 1 0 3 ) 議決を契約締結権限の立法権による授権 と同質と考えるわけである。前出注 ( 8 5 )および該当する本文を参照。ちなみに議決を欠く契約は、無効と考えられている。 1 7 5 行政活動の憲法上の位置づけ て米国では一般的に、政府契約 ( 調達契約) の締結 につ いて は、 どのよ うな内 容の契約を、 どの行政機関が、合衆国 ・州 ・自治体 の代理人 と してな しうるの かについて、法律 ・条例 における授 権規 定 ( aut hor i z at i on)が な くて はで きな い (または歳出承認で もよい)- そ うでなければ、 当該 の契約 は、無権代理 として、無効であ り、政府 はこれに拘束 されない - こ とにな る。 ちなみ に 米国連邦法では、 どの行政官 に、 いかな る内容 の契約締結権限があ るか は、法 令を見ればわか るはずだ とい うことか ら、政府契約 に表見代理 や信頼保護 の原 ( 1 04 ) 則 は働かない、 とい うのが判例の趨勢 だ とされてい る。 ( b) 立法権の放棄禁止 ( 白紙委任の禁止) いまひとつ、行政活動 と 「立法権」 との関係 で必 ず論 じられ るの は、国会が 行政機関 に任務を与え る際、国会 は自 らが憲法上独 占すべ き立法権 を放棄す る に等 しいよ うな与 え方 を して はな らない、 とい うことである。 ●●●● 米国で は、立法権 その ものを他者 に委 ね ることの禁止 とい う意味で、 この考 え方 は 「 立法権の委任禁止 の法理 ( nonde l e gat i ondoc t r i ne ) 」 と呼 ばれ る。 「立法権」が議会固有 の権能 であ ることか ら、 それを他 の どの よ うな国家機 関 (行 政 機 関 を含 む) で あ れ 、 あ るい は私 人 に で あ れ (い わ ゆ る pr i vat e ( 1 0 6 ) de l e gat i onの禁止)、丸 ごと委 ねて しま うことは許 されないとい うわけである。 碓井 町要説』2 0 5頁。 ( 1 0 4 ) 竹中 「政府契約 ( -)」7 7巻 3号 7 3頁注13参照。 ( 1 0 5 ) Pr i v at ede l e gat i onの禁止は、州法が許可申請の諾否や規制の有無を周辺住民 の同意に委ねる州法につき、州議会がなんら判断基準を定めないでそうした権限を付 近住民に与えることは、連邦憲法 1 4条違反であるとする一連の連邦最高裁判決に兄い だすことができる。Eubankv .Ri c hmond,2 2 6U. S.1 3 7 ,1 4 3 1 4 4( 1 9 1 2 )(一定 以上の住民の賛成があれば建築線規制をしてよいという州法 は達意);Se at t l eTi t l e 7 8U. S.1 1 6 ,1 2 0 1 2 2( 1 9 2 8 )( 孤児院 ・養老院の設置に Tr us tCo.V.Robe r ge,2 つき付近住民の同意を義務づける州法は達意). もっとも、完全禁止できるような活動 について、付近住民の賛成があればこれを認めるという制度であれば達意ではないと する判決もある。Cus ac kv.Ci t yofChi c ago,2 4 2U. S.5 2 6( 1 9 1 7 )( 広告板は倒 1 7 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 米国 で は ジ ョン ・ロ ックの次 の言葉 が よ く引用 され る。「〔 人 々の立法権能 が立 法府 に移 された もので あ る以上〕立 法府 の権能 は 、 - -・ 法律 を作 ることであ っ て、立法者 を作 る ことで はな い。立 法府 は、法律 を作 るとい うその権限を、他 ( I O 6 ) 者 の手 に移 す とい う権能 を持 ち得 ないので あ る。」 なお、 この禁止 は、行政機 関 が行政立 法 とい う形式 を用 い る場合 に限 られ る 問題 で はない。許認可権 限 の行使 で あ って も、 あま りに も広汎 な判 断権限が与 え られて い る場合 に は、 や は り連邦議 会 の固有 の 「 立法権」 が行政機関 に委 ね ( 1 07 ) られて い るとい う懸念 が生 まれ るので あ る。 しか し、議 会 は立法 の一部 を行政 機関 に委任す る ことは、 自 ら以 外 に立 法者 を作 る程度 に至 らない限 り許容 され るとい うことは、連邦政府 の成立 当初 よ り広 く受 け入 れ られて きた ところであ る。 その限度 をめ ぐって、米国 で は古 くよ り多 くの判例 が あ るが、 しか し有効 な ( 1 0 8 ) 判 断基準 を形成 して きたわ けで はな く、立法権委任禁止 の法理 は、連邦最高裁 蟻等により害悪を及ぼす存在であるか ら、付近住民の過半数の賛成があれば許可でき f e,Law Maki ngby るとい う制度 は合憲 で あ る). また次 の文献 を参照。 Jaf Pr i v at eGr oups,5 1Har v ar dL Re v.2 01( 1 9 3 7 );Mc Bai n,LawMaki ngby Pr ope r t yOwne r s,3 6Pol i t i c alSc i e nc eQuar t e r l y6 1 7( 1 9 2 1 ). ( 1 0 6 ) ∫.LocKE,SECONDTREATI ESOFCI VI LGovERNMENTSECTI ON 1 41( 1 6 9 0 ). l s onv.La n don,3 4 2U. S.5 2 4( 1 9 5 2 )( 未決 ( 1 0 7 ) たとえば次の判決を参照。Car 拘留中の外国人につき、司法長官に拘留継続 ・保釈等の権限が与えられているところ、 その根拠法律に判断基準 は明示 されていないが、違憲な立法権の委任ではない); Li c ht e rv.Uni t e dSt at e s,3 3 4U. S.7 4 2( 1 9 4 8 )( 戦争長官が軍用調達契約の相手 方に再交渉を強制する権限があることは、「 過剰な利益」 とい う基準に縛 られている c hi t aR. R.& L Co.V.Publ i c ので、違憲な立法権委任にはあた らない);Wi Ut i l i t i e sCommi s s i on,2 6 0U. S.4 8( 1 9 2 2 )( 州公益事業委員会の料金改定命令権限) ;Mut ualFi l m Cor p.V.I ndus t r i alCommi s s i onorOhi o,2 3 6U. S.2 3 0,2 4 5 2 4 6 ( 1 9 1 5 )(オハイオ州の定める映画検閲の基準は抽象的ではあるが、検査委員会への違 onBr i dgeCo.V.Uni t e dSt at e s ,2 0 4U. S. 憲な立法権の委任にはあたらない);Uni 3 6 4( 1 9 0 7 )( 川の通行の妨げとなる橋に対する変更命令 は、立法権の違憲な委任には あたらない) 。なお前出注 ( 7 6 )も参照。 ( 1 0 8 ) 判例および学説の概観 と して、 STRAUSS,RAKOFF,ScHOTLAND & FARI NA,s upr anot e4 7,at8 2 1 0 2. 行政活動の憲法上の位置づけ 1 7 7 において は基本 的 に 「不発」 であ った と言 わ れ る. 1 930年 代 に ニ ュー デ ィー ル立法 に対す る反動 と して い くつか の連邦法 を、立法権丸 ごとの委任 であ ると して違憲無効 と し、 また1 9 80年代 に再 び保守 派 の動 向 と して 「一 部 復 活 」 が ( l o g ) 語 られて いる程度 であ る。達意 な丸 ごとの委任 で はないか とい うための判定基 準 と して、 シェー ンプロ ッ ド教授 は、 " 法律 の中 にその解釈 にあた って参照 す ( l ュ o ) べ き価値判断が示 されて い る こと" を提唱 して い る。議会 が民主 的意思決定 の 集約 の場 と して設定 されて い ることか ら、社会 の全体 的方針決定 に関 わ る民主 的決定 の議会 による意思表明、 す なわ ち法律 でその点 の意思 が表明 されて いな ければな らない とい うわ けであ る。 米国 の立法権 の委任禁止法理 と同 じことは、 日本 国 憲 法 の もとで は、41条 ( 立法権) にかか る 「白紙委任 の禁止」 と して論 じられて い る。 しか もわ が国 の場合、 白紙委任禁止 は、 いわ ゆ る 「法律 の法規創造 力」 のあ り方 とい う観点 か ら議論 されてお り、 その結果、法律 と法規命令 の問 の問題 と捉 え られ るのが ●●●●●●● 普通 である。つ ま り、①法律 ( 国会) か らの委任 ない し授権 が あれば、法律 そ れ 自身 でな く行政機関限 りで私 人 の権利義務 の内容 ( 法規) を定 め ることは、 3 条6 号である) 、 憲法 も否定 して いない (その根拠 と して挙 げ られ るのが、憲法7 ② ただ し、「 法律 のみが法規創造力 を有 す る」 のが原則 で あ る以 上 、 そ の委 任 ない し授権 の仕方 には一定 の制約 があ る ( 細 目等 に限 られ るな ど)、 とい う問 ( 1 1 1 ) ●●●●●●● ●●●● ●●●●●●●●● 題設定 で議論 されて いる。 すで に委任規定 ( 授権規定) が あ る場面 につ いて、 ( 1 0 9 ) 主 要 連 邦 最 高 裁 判 決 は 、 STRAUSS, RAKOFF, SCHOTLAND & FARI NA,S upr anot e4 7,at8 2 9 4のほか、わが国での研究 として、豊富 な判例を 扱いその要旨を示 して分析する最近のものに駒村圭吾 「アメ リカ合衆国における 『立 7巻 3号 2 5貢、4号 3 5 法権委任法理J )の展開 ( -)( 二 ・完)」慶応義塾大学法学研究 6 頁 ( 1 9 9 4 )があ り、やや古 いが水野豊志 『委任立法の研究』2 5 8 3 2 0貢 (有斐閣 ・ 1 9 6 0 )も有益である。 ( 1 1 0 ) Shoe nbr od, The De l e gat i on Doc t r i ne:Coul d t he Cour t Gi v e l t Subs t anc e? ,8 3Mi c hi ganL. Re v.1 2 2 3,1 2 5 2 1 2 6 0( 1 9 8 5 ) . ( 1 1 1 ) たとえば、塩野 『 行政法 Ⅰ』8 0頁は、「法律の法規創造力の意義を失わせるよう な委任の仕方は許されない」として、「 法規」にかかる問題であるという見方を明示 し 1 7 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) その委 任 の仕方 が取 り上 げ られて い るわ けで あ る。 しか しなが ら、 憲 法 41条 に反 す る白紙委任 か ど うか とい う問題 は、委任規定 の有無 とは無関係 に生 じる はずであ る。 た とえば外務大 臣 の再入 国許可 (出入 国 管 理 法 2 6条 ) を考 え て み ると、許可基準 に関 す る具体 的 な委任規定 は な い もの の (同法 69条 で執 行 命令 の規定 はあ る)、再入国許可 をす るか ど うか とい う行 政 行 為 レベ ルを見 る な らば、行政機 関 に極 めて広汎 な裁量 が委 ね られて いるので あ り、 ここにや は り白紙委任 の問題 は生 じるので あ る ( 行政規則 が あ って もそれ は、裁量基準 と い うことが多 いで あ ろ う)。 この よ うに、委任規定 の有無 を問わない とすれば、 翻 って、行政機 関側 の行為形式 一一 委任命令 ( 法規命令)、行政規則 、 行政 行 為等 々 一一 も問 わな い とい うことにな る。 さ らに、 法 律 上 の行 政 指導 ( 法定 の勧告 な ど) を考 え るな らば、 これ につ いて も論理 的 には、 いっ どう勧告 す る か につ いて法律 が 白紙委 任 で あ って よいか を憲 法 41条 か ら考 え る余 地 は十 分 あ るよ うに思 われ る。 白紙委任 の問題 を、憲法 41条違反 の問題 と捉 え る限 り、 「法律 の法規創造力」 か らの問題関心 は、 その一部 を構成 す る もの の、 す べ て ( 1 1 2 ) で はない と整理 すべ きで あ るよ うに思 われ る。行政機関が、行政立法 の形式で ている。また、同書 8 1 8 2貢注 2は、教科書検定 という 「国家 と国民の間を規律する 重要な法的仕組み」それ自体が 「 法規命令に委ねられる」 というのでは、法治主義違 反であるという説明の仕方を している。教科書検定の法治主義違反を言うのに、法律 と法規命令の関係として論 じるものとして、ほかに、杉村 『続法の支配』5 7 6 3頁、 8貢注 5、1 1 9頁注 1などがある。 芝地 『 総論講義』5 なお筆者は現在のところ、平岡久教授の指摘にならい、法規命令たりうるにはすべ て委任命令である必要があるのではないか、 したがって執行命令の特別扱いは認める べきではないのではないか、と考えている。平岡久 『行政立法 と行政基準』2 3 2 9貢 ( 有斐閣 ・1 9 9 5 )参照。 ( 1 1 2 )ちなみに、塩野 『 行政法 Ⅰ』8 2頁注 3は、従来 「 委任立法の限界論」として議論 されきた問題は、法規創造が行政機関に委任される場面に限 られたのであって、「 形 式的には法律の委任の形をとっていて も、厳密な意味での法規に当たらない場合には、 通常の限界論 とは異なったアプローチをとる必要がある」 とし、塩野 ・前掲論文 ( 荏 9 4)1 9 2 1頁では、「 私人の権利義務に直接関係するものでは」ない自衛隊の海外派遣 にかかる政令について、政令への委任規定が広 さに過 ぎるものかどうかの判定基準は、 「 文民統制の一貫 としての国会の統制という観点」であり、従来の委任立法の限界論 と は趣を異にすることを示唆 している。そうすると、むしろ憲法4 1条の方からこれ らを 行政活動の憲法上の位置づけ 1 7 9 あれ、行政行為の形式であれ、 あるいは行政指導 とい う形式 であ って も、 ま っ ●●●●●● た く自由に価値判断をす る余地 が、法律 によ って与 え られてい るのであれば、 国会が 自らの憲法上 の責務 を放棄 してい ることに変 わ りはない。行政機関がい かなる行為形式 を もって活動す るか とは無関係 に、 およそ国会 が行政活動 を創 出す る際には、国会 はその独 占す る立法権 を行使 し尽 くして お く 価値 ・方針を決定 してお く- 基本的 ことが、憲法 4 1条か ら要請 され る とい うべ き であろ う。 以上を要す るに、 日米 ともに権力分立上、国会 ・連邦議会 に 「 立法権」 が独 占させ られていることか ら、国会 ・連邦議会が行政活動 を創 出す る際 には、 ど こまで詳細 にあるべ き行政活動 について 自 ら定 め尽 くしておかなければな らな いか とい う問題が生ず るのである。「 立法権 の放棄 に至 らな い程 度 に」 とい う 観点 をどのようにパ ラフ レーズすべ きか とい う問題 であるか ら、立法権 の属性 - 法的関係を左右 しうる権能 であ ることや、 民 主 的意 思集 約 の機 関 で あ る こと- か ら、 この基準が様 々に追求 され ることとなる。 ( C ) 司法権、および行政権の 占奪禁止 独 占的権能 の分配 と しての権力分立か ら見 た行政活動 につ いて は、以上 のは かに次のような問題がある。 第- に、行政活動 による司法権 の占奪禁止 とい う問題があ る.わが国の場合、 憲法 7 6条 2項で 「行政機関 は、終審 と して裁判 を行ふ ことがで きな い」 と定 め られていることや、 いわゆ る実質的証拠法則 が司法権 の独 占に反す るのでは ( 1 1 3 ) ないか とい う問題が、 ここに位置づ け られ る。米国連邦憲法第 3条 の司法権規 統一的に、法律 ( 国会)が自分のなすべき仕事をしていないという観点か ら考える方 策を検討すべきではなかろうか。そしてここに、後で述べる本質性留保理論 との重複 の芽が現れているように思われる。教科書検定を素材に、阿部泰隆教授は、重要事項 留保 ( 本質性留保)と白紙委任とを連続的に捉えている。後出注 ( 1 91 )を参照。 ( 1 1 3 ) 塩野 『 行政法 IJ )1 0 8 1 09亘 ( 「 事実認定が司法権の専権であるというのは、比較 1 8 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 1 1 4 ) 定 において も同様 の問題があ り、米国行政法 において行政活動 に対す る司法審 査が形成 された 1 8世紀末か ら1 9世紀 は じめにか けての一 連 の判決 に この種 の ( 1 1 5 ) 法理展開が顕著 に見 られた ところであ る。 第二 に、内閣 の独 占すべ き 「 行政権」 が、行政機関 によって占奪 され ること ( っ ま りそのよ うな法律 を国会が定 め ること) の禁止 とい う問題が生 じうる。 わが国 におけるいわゆ る行政委員会 の違憲論 ( 行政権が内閣 に属す ることに ( 1 1 6 ) 矛盾 しないか) が この問題 に該 当す るであろ う。 この論点 につ き、一般的に引 照 され るのは、「完全 な意味 において内閣か ら独立 な地位 にあ る行政機 関 を設 けることは、憲法上認 め られて いる会計検査院を除 いて は許 されない」が、行 政委員会 は 「きわめて弱 いなが らもなお内閣 ・ --の統轄 の下 にある」 ( つまり、 ( 1 1 7 ) 人事権 ・予算権 を有 す る)か ら達意 で はないとい う佐藤功教授 の説明である。 つ ま り、「行政権が内閣 に属す るとい うことは、-・ -統轄権が あ る ことは意味 して も、 当然 に指揮監督権 があることを意味す るもので はない、 と考え られて ( 1 1 8 ) いる」 とい うわ けであ る。 これ に対 して、 塩野 宏教授 は、 行政委 員会 の人事 ( 任命) や予算 を内閣が握 ることの指摘 だけで は、 その職 権行使 の独立 の合憲 ( 1 1 9 ) 性 を説 明す るのに十分で はないと指摘す る ( 裁判所 も同様 の状況 に置かれ る) 法的には必ず しも普遍的ではない」 )、佐藤 『 憲法』3 0 7頁 ( 司法の核心は事実認定で はなく、認定された事実に対する法の適用である) 0 ( 1 1 4 ) 前出注 ( 4 4 ) ( 4 7 )および該当する本文を参照。 ( 1 1 5 ) 法理展開については、中川丈久 「 司法裁判所の 『 思惟律』 と行政裁量( 1 ) 」法学 協会雑誌 1 0 7巻 4号 6 2 1頁、6 2 8 6 3 5頁 ( 1 9 9 0 )を参照。また後出注 ( 2 0 1 )を参照。 ( 1 1 6 ) 佐藤 『 憲法』2 1 6 2 1 7頁、藤田 『 組織法』1 1 1頁。行政委員会違憲論の代表例と されるのは、青木一男 『 公正取引委員会違憲論その他の法律論集』3 6頁 ( 第-法規 ・ 1 9 7 6 )である。 ( 1 1 7 ) 佐藤 『 組織法』2 6 9 2 7 0頁Oなお、佐藤功教授は続いて、国会によるコントロー ルがあるからという補強的説明を行っているが、これでは、行政権の占奪かという問 題に答えたことにならない。国会によるコントロールは本稿でいう多極的意思形成の 保障という別の次元の問題であろう。 ( 1 1 8 ) 藤田 『 組織法』1 1 1頁。 ( 1 1 9 ) 塩野宏 『 行政法Ⅲ』6 2 6 3頁 注 1 ( 有斐閣 ・1 9 9 5 )( 以下 『 行政法Ⅲ』 ) 0 行政活動の憲法上の位置づけ 1 8 1 とともに、内閣総理大臣の指揮監督に服 しない行政作用を創 り出すこと自体が、 国会に認められた裁量であるとの憲法解釈を試みている。す なわち、 「行政作 用を創出する国会 自身が、内閣に責任を負わせることにな じまないと判断 した 結果、 これを内閣の指揮監督の もとに置かないとす る裁量権を有するものと思 われる」 と述べている ( ただ し、政治的中立性など、内閣の指揮監督か ら外す だけの合理的理由が必婆)0 以上の議論状況を踏 まえるな らば、内閣の 「 行政権」 と行政委員会をめ ぐっ 2条 は、 内閣総理大 臣が ては、次のよ うな憲法解釈 が可能であろ う。 憲法 7 「 行政各部を指揮監督する」 と定めているが、その一方で憲法 は、 国会 が どの ような行政活動を創 り出すべ きかにつ いてなん ら指定 してい るわ けで はない ( 本稿では、国会が創出する行政活動に視野を限定 している)。国会が創出する であろう行政活動の一切が、内閣総理大臣の 「 指揮監督」を受ける 「 行政各部」 によって担われなければな らないとまで、憲法 は明言 していないのである。そ うすると、原則 としては 「 指揮監督」の及ぶ 「 行政各部」による活動 として行 政活動を創 り出すことが憲法上予定 されているものの ( 原則であるのはその旨 の明文があるか らである) 、その例外 は随時可能であると解 され る。 例外 が許 5 されるのは、(ちょうど立法権の白紙委任の禁止の限界付 けと同様 に) 憲法 6 条によって内閣に 「 行政権」が与え られた趣 旨が没却 されないような場面や理 由がある限 り、内閣総理大臣の指揮監督が及ばない行政活動があって も、行政 権が丸 ごと占奪 されたことにな らない ( 当該行政活動を創出する法律 は違憲で はない) と考えてよいのではなかろうか、たとえば、独 占禁止法を民法的秩序 の一環 として捉えるのであれば、その執行を担当す る行政委員会 は、政治的な 影響下にないことが望 ましいと言 うことがで き、内閣か らの独立性を肯定す る 要素 となるであろう。逆に、独 占禁止法は政治的決断を必要 とする産業政策だ ( 1 2 0 ) 塩野 『 行政法Ⅲ』6 1貢。 1 8 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) と捉えるのであれば、内閣か らの独立性を認める理由はないこととなろう。内 閣か らの独立性 の方向に傾かせ る要素 としてははかに、表現の自由に関わるこ と ( 放送行政など)や、非政治的で自己完結的な独 自技術を駆使する専門家集 団 という行政イメージ ( それが期待 される行政分野ない し時代)が挙げられよ う。いずれにせよ、行政委員会を除 くと、内閣の固有の行政権を占奪する行政 活動 ( を創出す る立法)かどうか といった議論は、わが国ではまだ現れていな いようである。 e xe c ut i vepowe r ) が、権 米国連邦憲法では、その第 2条の定める執行権 ( 力分立上、議会が法律 によって も占奪 しえない、大統領 に固有の権能であると ( 1 2 1 ) 一般に理解 されてお り、その結果行政活動を創出する法律が、大統領の執行権 を侵害す るものとして達意 とされることがある。 古い例 として 1 92 0年の連邦最高裁判決 は、大統領 による上級郵便局長 の罷 免権限を制約する法律を違憲 とし、「 法律の定めるところによ ってなされ る行 ge ne r al 政官 らの通常 の職務執行 は、 大統領 の総合的な行政 コン トロール ( admi ni s t r at i vec ont r ol )の下 に置かれることとなるが、 これは大統領 に執行 権が付与 されているがゆえであるO大統領 は、法律の統合的かっ統一的な執行 を確保するという目的か ら、行政官達がその授権法をどう解釈するかについて、 適切 に監督 し指導す ることがで きるのであって、 これは憲法第 2条が大統領だ ( 1 2 2 ) けに一般的な執行権を付与 していることか ら明 らかである」 と述べている。 大統領のこうした執行権が完全 には及ばない行政活動を作 る法律が違憲かど うかとい う問題 も、わが国の行政委員会違憲論 と同様 に存在する。最近の例で は財政赤字の強制的削減を狙 ったいわゆるグラム ・ラ ドマン・ホーリング法が、 ( 1 2 1 ) Youngs t own.She e t& TubeCo.V.Sawye r,3 4 3U. S.5 7 9,6 3 4( 1 9 5 2 ) (ジャクソン裁判官の同調意見が、執行権と立法権それぞれに固有の範囲があるとし た箇所)がよく引用される。 ( 1 2 2 ) Mye r sv.Uni t e dSt at e s,2 7 2U. S.5 2,1 3 5( 1 9 2 6 ). 行政活動の憲法上の位置づけ 1 8 3 同法 の重要 な執行機 能 を、 独立 委 員会 や各省 行政機 関 にで はな く、連 邦 議 会 の Compt r ol l e rGe ne r al ) に与 え た ことを理 由に、 付属機関 で あ る会計検 査院長 ( ( 1 2 3 ) 連邦最 高裁 に違 憲 とされて い る。 また、 レー ガ ン政 権 は、 独立 規 制委 員会 の違 (1 2 4) ●● ● ●● 憲論 を主張 した ことが あ るが、 これ は同政 権 にお け る、 大統 領主 導 の規 制緩和 政策 とい うコ ンテ クス トの なかで試 み られ た ものであ る ( 後述す るよ うに、 レー ガ ン政権 は、統轄下 の各省 行政機 関 に対 して は、大 統 領 命 令 を通 じて、 規制緩 ( 1 2 5 ) 和 の方 向付 けを強力 に押 し進 めて いた)。 さ らに また、 行 政 機 関 の 法 律 上 の執 行裁量 ( 訴追裁量) を奪 うよ うな立 法 が、大 統 領 の執 行 権 ( 行政 機 関 の法執行 のあ り方 を、法律 の範 囲 内 で、 政 治 的政 策 的 に誘 導 す る こと) を 占奪 す る こと ( 1 2 6 ) にな らないか とい う問題 が あ り、 また後述 す る 「 議 会拒 否権 」 が大 統領 の執 行 ( 1 2 7 ) 権 を脅 かす もので はな いか、 な どの問題 が あ る。 (なお、 ドイ ツ に お い て は、 ( 1 2 8 ) 「行政 の留保」 と 「 執 行権 の留保」 とい う議 論 が な され て い る。) ( 1 2 3 ) Bo ws he rv.Synar ,1 0 6S.Ct .31 8 1( 1 9 8 6 ).同判決 につ いて は、松井 『ア 2 6 8頁、および田中 『アメリカ財政法』1 3 7 1 5 1頁参照。 メリカ憲法』6 ( 1 2 4 ) この問題の検討 と して Ve r kui l ,TheSt at usorI nde pe nde ntAge nc i e s ,1 9 8 6Du keL.∫.7 7 9( 1 9 8 6 )が参考になる。 Ar t e rBows he rv .Synar ( 1 2 5 ) 後出注 ( 1 4 3 ) ( 1 4 4 )および該当する本文を参照。 ( 1 2 6 ) 後出注 ( 1 4 6 ) ( 1 4 8 )および該当する本文を参照。 ( 1 2 7 ) 退去強制にかかる議会拒否権を違憲とした1 9 8 3年の連邦最高裁判決 の法廷意見 は、本稿でいう多極的な意思形成 としての権力分立の次元で問題を捉えた ものであ っ 1 5 0 )および該当する本文を参照)。 しか しこの違憲判決 の同調意見 (パ た( 後出注 ( ウエル :本件のような具体的私人の権利義務を左右する議会拒否権 は、司法権の占奪 にあたるとする)や、反対意見 ( ホワイ ト:執行権侵害はないと述べる部分) に明 ら かなように、別の論点、すなわち議会拒否権が、大統領固有の執行権や最高裁判所の ) 」 司法権の占奪になるかという問題 もある。松井茂記 「 岐路に立っアメリカ行政法 (Ⅱ 阪大法学 1 3 5号 2 7頁、3 9 4 2頁 ( 1 9 8 5 ) 、松井 『アメ リカ憲法』6 1 6 2頁を参照。 こち らの問題は、本稿でいう独占的権能の分配 としての権力分立の次元で、議会拒否権を 捉えたものと考えられる。 ( 1 2 8 ) 大橋洋一 「H ・ マウラー、F・E・シュナップ 『行政の留保』( 上 ・下)」 自治研 究6 1巻 1 2号1 1 3頁、6 2巻 1号 9 4亘 ( 1 9 8 5 1 9 8 6 ) 0 1 8 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 3 ) 多極的な意思形成 と しての権力分立上の要諦 国家機関の問の協働 と対抗 による多極的意思形成を保障す る仕組みとしての 権力分立 とい う視点 にたっ と、行政活動 は次 の要請 の下 にあ ると考 え られ る (〔 図 3〕 を参照)0 ( a ) 内閣 ・大統領が行政活動 に対 して行 い うる諸種 のコン トロール ( b) 裁判所や国会 ・連邦議会が行政活動 に対 して行 いうる諸種のコン トロI ル ( なお、行政活動 を創出す る法律制定 は、考察の前提であるので含めな い) 憲法上問題 となるのは、各 コン トロール間の競合である ( たとえば、国政調査 と裁判審理) 。以下ではとくに、( a) に注 目 してみたい。 〕 〔 図 3 「多極的な意思形成 と しての権力分立」 と行政活動 ■ 『 【 虹 ; . .: : . : ' k て < ー 、 " I . : i : 計コント ロール 三 F ・ . t i 憾 / / 淵中二 よっ触 . 二 / 捌 き 司法コント ロー 1 8 5 行政活動の憲法上の位置づけ ( a ) 内閣による行政活動の コン トロール ここで とりあげるの は、国会が創 出 した行政活動 について、内閣が憲法上 の 権限 として行 う外部的介入であ る。 それ は内閣 の国会 に対す る政治的責任 とい う観点か ら行われ る介入である (この介入 は、当然 の ことなが ら、行政活動 を (1 2 9) 作 り出す各法律 の枠を超えて活動 させ るよ うに行使で きるもので はな い)。 た とえば、棟居快行教授 は、国会が行政 を 「 法律を通 じて法治主義的にコントロー ●●● ルす る方法」 に対 して、国会が 「 議院内閣制 とい うメカニズムを使 った コン ト ロール」をす ることを対比 させ、前者が法的な コン トロールであるのに対 し、 後者 は 「 国会が内閣の政治責任 を追求 してい くコ ン トロールで、政治的な コ ン ( 1 3) ) トロール」であると述べている.見方 をかえれば、その 「 議院内閣制 コン トロー ル」 は、 まさに内閣 自身 による行政活動 コン トロールであ って、 自 らの国会 に 対す る政治的責任の観点か ら 「 統轄下」の行政各部 に対 してなされるコントロー ルであるとい うことがで きる。吉 田栄司教授 も、国会 は 「 行政 の法律適合性 の 要請を貫 き、併せて責任追及機関すなわち統制機関 と して統治 の対国会責任性 ( 1 3 1 ) の要請を貫 くべ き存在」 であ ると述べてい る。 内閣の このよ うな コン トロール は、近時の行政改革会議 において は、「内閣機能 の強化」 の観 点 か らよ り積極 ( 1 3 2 ) 的に行使すべ きもの と して急速 に注 目を浴 びるに至 った ところであ る0 ( 1 2 9 ) たとえば、芝地 ・前掲論文 ( 注6 4 )1 1 7頁は、内閣による 「 総合調整の対象は、 行政の裁量行使のあり方である」と述べていることが参考になろう。 ( 1 3 0 ) 棟居快行 『憲法学の発想 1』7 3 7 4頁 ( 信山社 ・1 9 9 8 ) 。また同書 8 5 8 6頁も参照。 なお、棟居教授の意図は、この両コントロールが国会に帰属するところに、その 「最 高機関」性 ( 憲法4 1 条)を見るというところにある。このほか、佐藤 『組織法』2 6 9 頁も、「 内閣に行政権を独占せ しめ、それを国会のコントロールの下 に置 くな らば、 あらゆる行政権が国会のコントロールを通 して国民のコントロールの下に立つ」 と述 べる。 ( 1 3 1 ) 吉田 ・前掲論文 ( 注4 1 )3 5 1 百、3 7 1 3 72頁。 ( 1 3 2 ) 行政改革会議 『最終報告書』9 2 4 頁 ( 1 9 9 7 ) 。 また、長谷部 ・前掲論文 ( 注5 9) 参照。 もちろん、それ以前からこうした議論はあった。たとえば、行政国家現象とい 1 8 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 内閣 ( および内閣を代表す る総理大臣) による行政活動のコン トロール関係 を、憲法条文 に沿 って見てみよ う。内閣の職権 として 「 法律を誠実 に執行 し、 国務を総理す る」 こと ( 7 3条 1号)、および内閣総理大臣の職務 と して 「行政 各部を指揮監督す る」 こと ( 72条)、 さらに、憲法 66条 3項 で は、 「内閣 は、 行政権 の行使 について、国会 に対 し連帯 して責任を負ふ」 ことなどが定め られ ている。 まず、内閣の職権たる 「 法律 を誠実 に執行」す ることは、次のように理解 さ れる。内閣 は、 その所轄下 の行政機関が国会か ら指示 された行政活動を遂行す るにあた って、法律の 「 誠実」 な執行であるようこれ ら行政機関を恒常的に監 督す る立場 に立っ ことが憲法上予定 されていると解 され る。「 誠実 に」 ( 英文で ai t hr ul l y) とい うかな り主観的に も響 く言葉が使われているのは、 行政法 はf で普通議論す るような意味での合法性 ( 適法性)や、裁量濫用のない状態といっ た意味のみな らず、政策合理性 ・専門合理性や政治的な意味合いを持たせたも ( 1 3 3 ) の と解す るのが素直であろ う。 この条文 につ き、佐藤幸治教授 は、 「法律 を直 接誠実 に執行す るのは行政各部 なのであ って、内閣 自体ではない」 か ら、 「法 ( 1 3 4 ) 律を誠実 に執行 させ るよ うにす ること」 を意味す るものと述べている0 「 国務を総理す る」の文言 は、行革会議の最終報告書が特 に重視 した もので あ り、「 高度の統治 ・政治作用、すなわち、行政各部か らの情報 を考慮 した上 ( 1 3 5 ) での国家の総合的 ・戦略的方向付 け」を意味す ると述べている。 この文言 につ いて、従来 の憲法学説 においては、後述 の 「 行政各部を指揮監督す る」 と同 じ う文脈の中で 「 執行権強化」の方向付けを主張する中川剛 『 憲法評論』2 0 5 2 8 9頁 ( 伝 山社 ・1 9 9 6 )(初 出1 9 8 7 )がある。 』3 1 8頁は、行政行為が 「 法律に適合して」行われるのは当然のこ ( 1 3 3 ) 清宮 『 憲法 Ⅰ とであって、「 憲法が、特に、法律を 『 誠実』に執行するといっているのは」、最高に して唯一の立法機関たる 「 国会の意志に対する内閣の態度を指示するものである」 と 指摘する。 ( 1 3 4 ) 佐藤 『 憲法』2 1 1頁。 ( 1 3 5 ) 行政改革会議 『 最終報告書』9頁。 1 8 7 行政活動の憲法上の位置づけ 趣 旨だ とす るもの もあ ったが、「内閣 は立法、司法 の状態 につ いて注意 し、 例 えば、如何 なる法律が新 に必要 であ るかを考 え」ることとす る説 ( 佐佐木惣一) 、 「 国政全般 につ いて配慮す る権利 と義務」 とす る説 ( 小嶋和司)、 「恒常 的活動 機関である内閣が、国政全般 につ いて配慮す ること」 とす る説 ( 山本浩三) が ( 1 3 6 ) ある。佐藤幸治教授 は、「 行政各部 の上 にあ って」、国家 の 「 総合的 ・一般的な 政策のあ り方 ない し国政 のあ り方 につ いて絶 えず配慮すべ き立場」 を意味す る ( 1 3 7 ) と述べている。 ( 1 3 8) 「 行政各部 を指揮監督」す る権限 は、内閣総理大 臣の国務大 臣罷免権 に担保 された ものであ り、「 最高 の調整機能 ない し調整権力」 と して 「統 轄 す なわ ち ( 1 3 9) 調整」 とい う観点か ら行われ る ものであると説 明 され る。 また、 ロ ッキー ド事 件の最高裁判決 によれば、内閣総理大 臣は 「 行政各部 に対 し、随時、 その所掌 事務 につ いて一定の方向で処理す るよ う指導、助言等 を与 え る権限 を有す る」 ( 1 4 0) ものである。 そ して行革会議 の最終報告書 はその積極的 な行使 を求 めて いると ( 1 4 1 ) ころである。 以上 に挙 げた諸学説 は、 いずれ も、行政活動 に対す る内閣 ( およびその手足 となる内閣補助部局等 の官僚組織) による、憲法上 の特別の介入 ( 一段上 か ら の介入) とい う、一致 した認識 を示す もの といえ よ う。 ちなみ に国家行政組織 ( 1 3 6 ) 山本浩三 r F 国務を総理する』の意味」憲法の争点( 新版) (ジ ュ リス ト増 刊 ) 1 8 9頁 ( 1 9 8 5 )の整理による。 ( 1 3 7 ) 佐藤 『憲法』2 1 1 2 1 2頁。このほか、高橋 ・前掲論文 ( 注6 )4 5頁 (「行政権は、 常に、問題を予測 し、国会に積極的に働きかけ、法律制定を求めて行 くことが想定 さ れているのである」 ) 、長谷部 『 憲法』3 6 2 3 6 3頁参照。 ( 1 3 8 ) これに基づき、内閣法は、「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定 した方針に基い 6条)、「内閣総理大臣は、行政各部の処分又は命令を て、行政各部を指揮監督する」( 中止せ しめ、内閣の処置を待っことができる」 ( 8条)と定める。 ( 1 3 9 ) 佐藤 『 組織法』3 0 0 3 0 7頁。 ( 1 4 0 ) 最判平成 7年 2月 2 2日刑集 4 9巻 2号 1貢。なお、同判決の問題点 (とくに閣議 1 5 3貢、および佐藤 『 組織法』3 0 6 3 0 8頁 との関係)については、塩野 『 行政法Ⅲ』5 参照。 ( 1 4 1 ) 行政改革会議 『 最終報告書』1 2 1 3頁。 1 8 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 法が、内閣の 「 統轄」の下 に行政機関を配置するとしているのも、以上に述べ た理解 と整合的である。同法 は、「国家行政組織 は、内閣の統轄 の下 に、 明確 な範囲の所掌事務 と権限を有す る行政機関の全体によって、系統的に構成 され 」 なければな らない。 「 国の行政機関 は、内閣の統轄の下に、行政機関相互の連 絡を図 り、すべて、一体 として、行政機能を発揮するようにしなければな らな 」(2条 1項 ・2項) と定める。 これは、行政活動 に内閣の固有の観点か ら い。 のコントロールを予定 しているものと理解 されるのであるO ( 以上 のようなコ 5条の 「行政権」 が ン トロールが、いっどの場面でどの程度無 くて も、 憲法 6 2 ) ( C) で述べたところである。) 占奮 されたことにな らないかは、四( さて、以上 と同様のコントロール関係 は、米国連邦憲法の条文に明確に見て 取 ることができる。すなわち第 2条第 2節第 3節において、大統領 は、官吏任 命権 ( ただ し上院の助言 と同意が必要)や、各省 ( e xe c ut i veDe par t me nt s ) か らの意見聴取権、連邦議会に対 し国勢 ( i nr or mat i onoft h eSt at eoft h e Uni on) を報告 し、必要 と思われ る措置を議会が考慮するよう勧告すること、 「 法律が誠実 に執行 されるよう配慮す ること」などを定めている。 e xe c ut i v e このほか大統領 は、 各省行政機関宛 てに出され る大統領命令 ( or de r ) を通 じて コントロールす ることがで きる。 とくに 1 96 0年代のニクソン Of f i c eof 以来、歴代大統領 は大統領命令を用いて、大統領府の管理予算局 ( Manage me ntandBudge t:OMB) による事前審査 とい う総合調整の仕組み を開発 した。各省行政機関が規則制定をするにあたって OMBの審査を義務づ けることにより、それ らが歴代政権の政策関心 により適合的な規則制定 となる よう試みて きたのである。たとえば、ニクソン政権時の大統領命令 は、環境に 生活の質」の観点か らの審査を行 うとし 関わ りのある規則 について 0MBで 「 たが、それは事実上 EPA の規則制定を狙い打ち した ものであ った。 フォー ド 大統領の大統領命令 は、各省が、一定程度以上大 きな影響を及ぼす法律制定を 連邦議会に求めたり、 自ら規則制定を しようとす るときには、 インフレ-ショ 1 8 9 行政活動の憲法上の位置づけ ン影響評価書 を作成す るよ う義務づ ける ものであ った。 カー ター政権下 で は、 新規規則制定 のみな らず既存規則 につ いて も大統領命令 に示 された政策方針 に 沿 うものであるよ う各省行政機関が配慮す ることが よ り一層詳 しく義務づ け ら ( 1 4 2 ) れたのである。 この手法 は、規制緩和 を強 く唱え る レーガ ン大統領 の登場 によ り、極 めて包 ●● 括的な規制管理 ( あるいは規則管理) システムへ と発展 した。 レーガ ン政権 は 大統領命令 により、各省の官僚組織 に対 して、 様 々 な規 制 緩和 の ため の考慮 ( 1 4 3 ) ( 規則制定前 に コス ト・ベネフィッ ト計算 を義務づ けるなど) を求 め たが、 こ の命令 は極 めて広汎 な義務付 けを及 ぼす ものであ ったため、憲法上 の懸念 を生 む こととな った。連邦議会 が創 出 した行政活動 につ いて、 その総合調整 の仕組 みを連邦議会 自身が立法す るのであれば憲法上 の問題 は生 じないであろ うと考 え られ るが、同 じことを大統領が執行権、 ない し 「 法律 を誠実 に執行 させ る」 (1 44 ) とい う権限の行使 として、行 ない うるか とい う問題 であ る。 これ は、①大統領 命令 によって、各省行政機関 の定立す る規則 の一元的管理 の仕組 みを創 出す る ことが、総合調整の仕組みを とりたてて立法 していない連邦議会 が意図 した と ●●●●●●● ころ ( 各行政機関毎の専門的判断 に委 ね る意図) を掘崩 していると言 えないか ( 法律違反)、②大統領が行政機関の裁量判断を一般 的 に制約す るのは、憲法第 2条で与え られた権限 ( 法律 を誠実 に執行 させ る) の範囲内の ものであ るか ど うか とい った、権力分立上 の懸念 である。大統領命令 による同様 の仕組 み はそ ( 1 4 2 ) 以上の経緯の概観として、Shame,Pr e s i de nt i alRe gul at or yOv e r s i ghtand t heSe par at i onofPowe r s:TheCons t i t ut i onal i t yorExe c ut i v eOr de rNo. 1 2, 2 9 1 ,2 3Ar i z onaL.Re v.1 2 3 5,1 2 3 5 1 2 3 6&n. 4( 1 9 8 1 )や、宇賀 q l ァメ リカ行政 法』1 6 1 1 8 5頁参照。 ( 1 4 3 ) レーガンの大統領命令 1 2, 2 9 1号はわが国で も注 目されたものである。古城誠 「レーガン政権と規則審査制度」北大法学論集 3 6巻 4号8 8頁 ( 1 9 8 2 )、宇賀克也 『ア メリカ行政法』1 7 4 1 8 5頁、紙野健二 「アメリカにおける総合調整の法的検討 ( 1 ) ∼( 3 完)」法律時報5 9巻 3号 6 5頁、4号 8 3百、7号 6 0貢 ( 1 9 8 7 )などが現れた。 ( 1 4 4 ) Shame,S upr anot e1 4 2,at1 2 4 4.なお、同論文は、この大統領命令が出され たとき同時に出された司法省のメモランダム ( 当該大統領命令は、権力分立に違反 し ないことを説明 したもの) 、およびこの論点に関する連邦議会の調査報告書を分析 し たものである。 1 9 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) の後 も存続 してお り、現在のク リン トン政権の大統領命令 は 「 規制の計画およ ( 1 4 5) び審査」 という標題を持つ ものである。 ( b) 裁判所および国会による行政活動のコン トロール 以上のような政治的観点か らの 「内閣によるコントロール」ないし 「 大統領 e xe c ut i vec ont r ol ) 」 とは違 う観点か らなされ るもの と によるコン トロール( して、法的観点 よりする 「司法的 コン トロール ( j udi c i alc ont r ol ) 」がある。 日本国憲法 7 6条の司法権 も、米国連邦憲法第 3条の司法権 も、その行使 の一環 として他の国家機関 と協働 と対抗の関係を取 り結ぶ ( 司法積魅主義と消極主義、 制定法解釈の仕方など)。 また、国会 ・連邦議会による行政活動のコン トロールを考えることができる. 予算や議決が重要 なコン トロール手段であることはもちろんであるが、 ここで はそれ以外の ものを考えてみたい ( 本稿で対象 としている行政活動 は、それ自 身法律によって創出された ものであるので、そのような法律 自体をコントロー ルとは呼ばないことにす る)0 -旦行政活動を創出 した国会がその後行政活動 のあり方 に不満を高めた結果、現行法を改正 して、たとえば行動の迅速性やそ の他細かな注文を付 ける法律を新たに定めるな らば、 これは法律形式を用いた 事後的 コン トロールというにふ さわ しいであろう。もっともこうしたコントロー ル性を如実 に盛 り込む立法は、内閣提出法案が圧倒的であるわが国の立法過程 においては、普通 には起 こらないことであろう。諸種の政治勢力が入 り乱れる 複雑な立法過程を持つ米国連邦議会 において も、一般的にはそれほど現実的で ( 1 4 6 ) はないが、米国では 1 9 8 0年代の連邦環境行政 とい う舞台において、 こうした ( 1 4 5 ) STRAUSS,RAKOFF,ScHOTLAND & FARI NA,S upr anot e4 7 ,at 2 1 7 ,1 3 6 9 1 3 8 1(全文掲載)0 ( 1 4 6 ) Pi e r c e&Shapi r o,Pol i t i c alandJudi c i alRe v i e w orAge nc y Ac t i on, 5 9Te xasL Re v.1 1 7 5 ,1 2 0 9 1 2 1 1( 1 9 8 1 );Shapi r o & Gl i c ks man,Congr e s s, TheSupr e meCour t ,and t heQui e tRe v ol ut i on i n Admi ni s t r at i v e Law, 行政活動の憲法上の位置づけ 1 91 コ ン トロール性 を もつ一連 の立 法 が 見 られ た. 連 邦 議 会 は、 環 境 保 護 局 ( Envi r onme nt alPr ot e c t i onAge nc y:EPA) による環境諸法の執行活動が遅々 として進 まないこと、 そ して内容的 に も緩 す ぎるとい った不満 を募 らせ、1 9 80 年代に、EPA による規則制定 のデ ッ ドライ ンを法律上 明示 す る一 連 の立 法 を 行 った ( 規制対象 となる有害物質 リス ト等 を定 め る規則制定が行われなければ、 その後の執行活動 も行 われ得 ないか ら、規則制定 がいっ まで になされ るか は重 ( 1 4 7 ) 大 な意味を持つのであ る。) デ ッ ドライ ンのほか に も、EPA の判断基準 を極 め て克明に示 した り、EPA が適用除外 を認 め る権限を廃 止 して しま った り、 さ らには法律 レベルで特定 の物質 を指定 しその使用を EPA が安 全 な使 用方 法 を 発見す るまでの間禁止す るな どとい った規定 を置 くことに よ って 、 EPA の裁 ( 1 4 8 ) 量的判断の余地 を、相 当程度 あるいは完全 に封 じる一連 の立法がな された。 いまひとつの コン トロール的法律 と して、米国 において は、議会 ( 各院 ・委 員会) によるいわゆる 「議会拒否権 」 ( l e gi s l at i veve t o) を もりこむ立 法 が あ る。 イギ リスでの慣行 に倣 って 「開発」 された もの と言 われ、 これ まで実 に多 ( 1 4 9 ) くの法律が立法 されて きた。但 、1 983年 の最高裁判 決 は、 強制退 去 につ き一 度 なされた行政決定を くつかえす議会拒否権 は、憲法第 1条 1節 の 「 立法権 」 の行使であると性格付 けて ( 米E E l における個別法 pr i vat eac t s を想 起 され た 1 9 8 8DukeL.∫.8 1 9,8 4 2( 1 9 8 8 )( 詳細な立法をすることによる行政機関のコント ロールという手法は、環境行政以外の分野では、一般に政治的障害を乗 り越えるのは 困難であろう). ( 1 4 7 ) 規則制定のデッドラインにかかる一連の法律 (および EPA がそれを遵守できな かったことを争う裁判例)については、Shapi r o& Gl i c ks man,S upr anot e1 4 6, 2 8 8 3 6 および黒川哲志 「 規則制定の遅延とデッドライン ( -)( 二 ・完)」法学 at8 論叢 1 3 1巻 2号 7 9頁 ( 1 9 9 2 ) 、1 3 3巻 1号 91頁 ( 1 9 9 3 )を参照。 ( 1 4 8 ) Shapi r o&Gl i c ks man,S upr anot e1 4 6,at8 3 6 1 8 4 0. ( 1 4 9 ) 議会拒否権をめ ぐる議論 につ いて は Mc Gowan,Congr e s s,Cour t ,and 7Col umbi aL Re v.1 1 1 9,1 1 3 2 1 1 6 2( 1 9 7 7 ); Cont r olorDe l e gat e dPowe r,7 Pi e r c e& Shapi r o,S upr anot e1 4 6,at1 2 0 7 1 2 0 9に詳 しい。わが国の研究として、 松井 ・前掲論文 ( 注1 2 7 ) 、宇賀 『アメリカ行政法』1 9 5 2 0 7頁およびそこに掲げられた 文献を参照。 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8) 1 9 2 い)、 そ うである以上憲法が義務付 ける両院での審議や大統領 への提 出を欠 く のは権力分立- 本稿で言 う、多極的な意思形成 としての権力分立 - に反 ( 1 5 O) す るとして、憲法違反 とされたところである。 以上、行政活動 は、憲法上、国会 ・連邦議会の コン トロール、内閣 ・大統領 によるコン トロール、 そ して司法的 コン トロールを受 けることとなるO行政過 程 は、行政機関のす る行政活動が、三権か らの外的介入を受 け、多極的な環境 のなかで意思が収赦 されてい く過程であることが憲法上予定 されていると言 う ことがで きるのである。 五 「法の支配 ・法治国」上の諸要請 ( 1 ) 行政活動 に対するルールの支配のあ り方 行政活動 も、統治活動 のひとっである以上、法の支配 ・法治国思想 の下 に置 かれ ることになる。 そ してそれは、①行政活動がルール ( 法の」投原則を含む) の下 に行われ ること、② その ことが裁判所 によって担保 される機会があること、 ( 1 5 1 ) を意味す る。 わが国の教科書が法治主義の要請 として裁判的救済を語 るとき、 それは② の意味で、法 の支配 ・法治国の観点か らの裁判的救済の機会の保障を 言 うもの と理解 され る. ここでの中心的問題 はどのよ うなルールへの覇束が求 め られ るかである。 ,日米 の議論 を素材 として、本稿では次の三っのルールに分 ( 1 5 0 ) I NS v.Chada,4 6 2U. S.91 9( 1 9 8 3).その他の判決について、松井茂記 「 岐 路に立つアメリカ行政法 (Ⅰ)」阪大法学 1 3 3-1 3 4号 1 7 7頁 ( 1 9 8 5 )のほか、宇賀 rア メリカ行政法』1 9 5 2 0 7貢および松井 『アメリカ憲法』6 0 6 2頁、7 1貢を参照。 この判 1 2 7 )も参照。 決については前出注 ( ( 1 51) たとえば、田中 『 総論』1 9 0 1 91頁。藤田 『 行政法 工』60亘は、「 法律による行 政の原理」と 「 近代行政救済法の原理」の結合という表現をしている。 また、芝地 『 総論講義』464 7頁は、行政救済は法治主義の実効性担保として重要であるが、法治 主義とは別に論 じることもでき、また実際にもそのような取扱いが行われている、 と 述べている。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 9 3 けて考察す ることとしたい (〔 図 4〕を参照)。 〕 〔 図4 「 法の支配 ・法治国」 と行政活動 ルール ( 意法 ・ 法の-般原則 ・ 法律) 第- に、行政活動 で用 い られ る措置ない し行為形式 の うちには、 その利用が 抑制的になされ るべ きものがあ り、 そのための諸 ルールを探 るとい う問題 の立 て方がある。 た とえば、柳瀬良幹博士が、「 法治主義 の原 則 と並 んで ---挙 ぐ べ きもの」 としての 「自由主義 の原則」、す なわち 「 行政 の作 用 を以 て国民 の 権利 自由を制限侵害す るのは行政 の 目的のために必要 な最少限度 に止 ま らねば な らぬ とす る原則であ って、-・ -国民 は行政 の目的上必要でない限 り行政 の干 ( 1 5 2 ) 渉か ら自由であるべ きであ ることを意味す る」 とされた り、藤 田苗靖教授 が、 ( 1 5 3 ) 法治主義 は 「 行政主体 による侵害か ら私人を保護 しよ うとい う意図」 を もつ法 ( 1 5 2 ) 柳瀬 『 教科書』2 7亘。柳瀬博士の言う 「自由主義」は本稿でいう法の支配 ・法 治国に、「 法治主義」は権力分立にそれぞれ相当すると考えられる。前出注( 3 ) を参照。 ( 1 5 3 ) 藤田苗靖 「 法治主義と現代行政」長尾龍一-田中成明編 『 現代法哲学 3』6 9貢、 8 0貢 ( 東京大学出版会 ・1 9 8 3 )( いわゆる不作為の遵法を法治主義 との関係で論 じる 文脈で述へられたらの) 0 1 9 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 原理であると説明 していることも、方向 として同 じと言えよう。 具体的には、後述す る通 り、一定 の行為形式や措置を法律の授権な く利用す ることの禁止、不意打 ち禁止 の立法政策、 そ して解釈論 という三つの形で展開 されている。 この うちの最初の問題 に関心を向けたのか、わが国の戦後の主流 の法律の留保論 ( 侵害留保説)であ ったと思われ る (〔 表〕 における 「法律 の 2 ) ( a) で述べた法律の留保論 と比較せ よ)。 これに対応 留保その 2」である。四( す る考 え方 は、後述す る通 り米国に もないわけではない。 第二 に、行政活動 も統治活動 のひとつであるか ら、法の支配 ・法治国 (とく に法治国)上 は、実体的ルールに南東 された状態が理想である。行政活動を創 出す る法律が定める実体的ルールとは、行政機関の諸行為の要件や考慮事由、 法の目的規定 などの形で現れ るルールであ り、一言で言えば、行政活動 につ き 国会が打 ち出 した方向性、価値判断、政策的方針 と言 うべ きものである。 しか し他方で、行政活動 を完全 に実体的ルールに覇束す ることはで きず、行政裁量 を認めざるを得 ない。「 法治主義 ( 法治国)の形骸化」 ない し 「法律 による行 ( 1 5 4 ) 政 の原理の例外」 として行政裁量 の存在を指摘す る叙述 は、 まさにこの意味で の実体的ルールの支配の崩壊を指摘 しているものである。 また、美濃部学説 ・ 佐佐木学説 における裁量が、 その前提 として、法治国状態 とは、法律 ( 本稿で い う実体 ルール) によって完全 に規律 され尽 くしている状態を言 い、裁量行為 ( 1 5 5 ) はそれに対す る例外であるという考えを もって議論 を進 めていたことにも対応 する。 そ うす ると、国会が法律で行政活動を創出す るとき、 どこまで詳 しく実体的 ルール ( 価値判断 ・基本的政策決定)をあ らか じめ定めておかなければな らな ( 1 5 4 ) たとえは、藤田 『 行政法 Ⅰ 』9 4頁 ( 法律による行政の原理の例外としての自由 裁量) 。 ( 1 5 5 ) 両学説については、小早川光郎 「 裁量問題と法律問題」法学協会百周年記念論 文集第二巻 3 3 1 頁( 有斐閣 ・1 9 8 3 )を参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 1 9 5 いか という問題があることにな り、 ここに、行政活動を創出する際の実体的ルー ルに求め られ る政策的梱密度 とい う観点 よりす る 「 法律の留保」の問題を語 る ことがで きる。 いわゆる全部留保説をは じめ として、わが国では潜在的にこの 問題関心を有する学説 は多 く存在 した。 しか しその問題関心 は うま く展開 され ないまま推移 し、 ドイツのいわゆる本質性理論が紹介 され るに至 って、現在で は、重要事項留保説 として展開 されているとい う流れで理解すべ きように思わ れる。 注意すべ きことは、 このような政策的桐密度 とい う意味での 「 法律の留保論」 と、既述の 「 立法権の委任禁止」( 四( 2 ) ( b ) ) との問 に見 られ る問題関心 の重複 である。米国行政法では、「法の支配」 として実体的ルールの桐密性 とい う問 題を論 じる議論 は見あた らず、 もっぱ ら、「 立法権 の委任禁止」 と して法律 の 実体的桐密性が論 じられ るに止 まっている。 この現象 は、米国行政法 における 法の支配が、手続的側面 に もっぱ ら重点 を置 いた ものであ り、実体的側面 には 1) )と対応 してい るよ う 伝統的にそれほど頓着 して こなか ったとい うこと ( 三( に思われる。他方、法治国の実体的側面 を重視す る ドイツ法が、法治国思想 の 展開 として、本質性留保理論を論 じているわけである。 第三 に、手続的ルールへの南東が考え られ る。 これは米国行政法 における法 の支配の主要な部分をな している ( 手続的デュープロセス論). また、 手続的 法治国 という考え方が ドイツか ら日本 に紹介 されていることも周知 のとお りで ある。憲法上の手続的デュ-プロセスない し手続的法治国の実定化 として各個 別法や行政手続一般法 に様 々な手続規定が設 け られ ることもある.憲法上 ・法 律上の手続的ルールに行政活動 は飛乗 され るべ きであるという問題については、 本稿では取 り上 げない。 1 9 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 2) 抑制的行動の要求 行政活動の うちで抑制が要求 され る対象 として考え られるのは、私人に重大 な不利益 を及 ぼ しうる行為形式 ない し措置であろ う。その不必要な利用がなさ れないよう抑制のための諸 ルールに行政機関 は帝束 されるべ きだというわけで がある。次 のふたっに分 けて考え るのが、議論の混乱を防 ぐうえで有効 と思わ れ る。すなわち、ひ とつ は、強制執行 や即 時強制 な どの実 力行使や、 許認可 ( 既得権)の取消撤回など権利義務 にかかわ る行為形式であ り、いまひとつは、 不利益事実の公表であるとか、許認可 申請 に対す る応答の意図的な留保などと いった、それ 自体 は法的効果を持 たないいわゆる事実上 の行為 と呼ばれる措置 である。 ( a) 権利義務 を生み出す行為形式の場合 抑制的行動 の要求 は、国 と私人の間 に権利義務関係 ( 実力行使の受忍状態を 含む)を生みだす行為であ って私人の自由財産 に不利益を被 らせ るような、倭 害的行政処分、強制執行、即時強制、強制調査などについて とくに語 られてき た ものである。 こうした侵害的行為形式の行政機関による不必要な利用 ( 濫用) を防止す る手 だてが必要であるとして、次の三つのことが議論 されている。 第- の手だては、 こうした行為形式 に、 " 法律 とい う形式 によ ってあ らか じ め授権 されていて (いっ発動で きるかの要件を含む)初めて利用で きる措置" ●●●● とい う性格付 けを とくに与え ることである。 ある種の行為形式 は、授権規範が 法律の中に兄 いだ されて初 めて、利用可能 になるとい うルールの存在をみとめ ることである。 いわば、 " 利用 ( 発動)が禁止 されている行為形式のグループ といった ものが存在す ると考えて、そ こに属す る行為形式 については、法律の 授権が解除条件 になると考え るわけである ( 逆 に、その禁止 グループに含 まれ ない行為形式ない し措置 は、「自由にで きる」 と表現 され る) 。 いわゆる侵害留 保説 はここにその本領 を発揮 しているわけであ り、その問題関心 は、 まさに本 行政活動の憲法上の位置づけ 1 9 7 稿の言 う抑制 ルールを持 ち込 むべ く 「 法律 の根拠」 を要求す るものと言えよう。 その問題関心か らす ると、留保 され るべ き範囲 とは、全面的 な利用禁止 の対象 となるべ き行為形式 の範囲 とい う問題 に他 な らず、侵害的行為形式 に限 るとい う侵害留保説 は、 もっとも素直な回答 と して 「 通説」化す るわけである。また、 このような考え方 は、国民主権制 の憲法構造下 のみな らず、立憲君主制 の憲法 構造 の下で も成立 しうるところであ り、 マイヤーの法律 の留保論 を発展的に引 き継 いだわが国の戦後 の学説 が、 もっとも普通 に (あるいは出発点 と して は常 ( 1 5 6 ) に)念頭 に置いているタイプの 「 法律 の留保」論 と思 われ る (〔 表〕 にお け る 「 法律の留保 その 2 」であ る) 。 そ して、既 に述べた 「 法律 の留保」論 の タイプ - 四( 2) ( a) で述べた - 、す なわち行政機関 による権利義務 の創 出や そ の実 力行使 の適法化 のためには、法律 の定 め ( 立法権 の行使) が、憲法構造 ( 権力 分立)上先行 しなければな らない とい う 「 法律 の留保」論 とは、観点 が異 な る ことに注意す る必要がある ( 前述 した権力説 を見 ればわか るよ うに、両者 は し ( 1 5 7 ) ば しば混同 されている) 0 第二 の手だては、侵害的な行為形式 の不必要 な発動 を防 ぐとい う観点 か ら、 ●●●● 不意打 ちを防 ぐ手続的ルールを法律 に置 くことが望 ま しい とい う立法政策であ る。 たとえば、違反是正命令 の発動前 に相手方 に警告 を発 し、 自発的 な違反是 正 を促すなど、措置発動回避 のためのチ ャンスを与 え るとい う手続 ルールを立 法す ることが考え られ る。行政代執行 における戒告 はまさにその例 とい うこと ( 1 5 6 ) 多くの行政法教科書がこの視点を共有 している。たとえば、塩野 『行政法 Ⅰ』5 9 一定の場合には 「 行政は法律の根拠がなくとも活動することがで 6 2頁の記述の仕方 ( きる」が、「いかにある疾病が恐ろしいといっても、法律の根拠な く強制検診を行な )を参照。 うことは許されない」 ( 1 5 7 ) 権力説については、前出注 ( 9 3 )および後出注 ( 2 0 5 ) ( 2 0 7 )を参照。 このほか、 強制執行の根拠 ( 実力行使の適法化)と、その前提となる命令の根拠 ( 観念的な義務 8 4)、前者の根拠に後者の根拠を読みこ の賦課)とは別であるということと( 前出注 ( 0 3 2 0 4貢、塩野 『行政法 Ⅰ』 む解釈は望ましくないということ ( 芝地 『 総論講義』2 1 8 9頁 (「これは、人権保障の徹底という点からもいえることである」)とは区別 してお くべきであろう。 )後者は抑制的行動の要求にあたると考えられる。 1 9 8 神戸法学年報 第1 4号 ( 1 9 9 8 ) ができるO似た発想 は、「 法治国原理か らすれば、一度行政行為の形で相手方 の義務を確定 し、履行するかどうかについて相手方の判断の機会を与えるべき であろう」 という観点か ら、即時執行 はなるべ く、命令 とその違反に対する強 ( 1 5 8 ) 制執行 ( 直接強制) に改正すべ きであるという塩野宏教授の立法政策上の提言 にも見てとることがで きよう。 ●●● 第三 に同 じ発想を法解釈上読み込むこともできる ( すでに根拠規定がある場 合) 。たとえばある権限行使をすると私人に不利益を被 らせ る場合 に、 いわゆ る警察権制限法理や、比例原則、信頼原則などを読み込んだ り、適用 したりす ることが挙げ られよう。授益的行政行為の撤回が、信頼保護の観点か ら一定の 場合には許 されないという論 じ方がその例である。不利益処分や強制執行 ( 代 執行)を行 うべ き作為義務が生 じうるか という問題について、法治主義の観点 ( 1 5 9 ) か ら否定的に解 されるという側面が指摘 されるの も、抑制的な実体的ルールを 読み込 もうというものと考え られる。 さて、抑制的行動要求 の米 国 にお け る対 応 物 と して、 連邦 行政手 続法 ( APA) の次の規定を挙げることがで きよう。 5 U. S. C. §558 ( b) 制裁的行為 ( s anc t i on)を課す こと、または立法的規則 ( s ubs t ant i v er ul e ) ない し命令 ( or de r )を出す ことは、当該行政機関に与 え られた権限の範囲 wi t hi nj ur i s di c t i on)、 か つ 法 の 授 権 に よ って な され る 内 で あ り( ( asaut hor i z e dbyl aw)のでない限 り、 これを行 ってはな らない。 この条文 にい う 「制裁的行為」 とは、 個 人 の 自由 ( t he f r e e dom ofa ( 1 5 8) 塩野 『 行政法 Ⅰ』1 9 5頁。 ( 1 5 9 ) 塩野 『 行政法 Ⅱ (第二版)』249頁注 2 ( 有斐閣 ・1 9 9 4 )が、危険防止責任を認め ることは 「 従来の法治国原理と正面から対立する契機をもっている」と指摘 している ことを参照。 1 9 9 行政活動の憲法上の位置づけ p e r s o n )にかか る禁止や制限、制裁金等 の賦課、許認可 ない しそ の取 消撤 回、 「その他の義務づ けない し制約的な行為」 と、かな り広 く定義 されている ( 5U. S. C. §5 51( 1 0)) 0「 立法的規則」 はわが国でい う法規 命令 な い し委 任 命令 に相 当 し、「 命令」 はそれ以外の最終的決定 とこれ も広 く定義 され て い る ( 5 U. S. C. §5 5 1( 6))0 APA 立法時 の司法長官 マニュアルによれば、 同条 の 目的 は 「 連 邦議会が行政機関 に行使 させ よ うと意図 したわけで はない権能 ( p o we r s )を、 行政機関が行使す ることがないよ う確認 す ること」 であ り、 同条 は 「 単 に既存 ( l e o ) の法 ( e x i s t i n gl a w)を リステイ トしただけの ものであ る。 この ほか、 APA の ( 1 5 U. S. C.§555に、 強 制 的 な 調 査 は 「法 の 授 権 に よ って な さ れ る ( a s 6 1 ) a u t h o r i z e dbyl a w) 」でなければ、 これを行 って ほな らな い とい う言 葉 が現 れ るの も同様の趣 旨と解 され よ う。 ( b) 権利義務を生み出さない措置の場合 抑制的行動 の要求 は、権利義務 を生 み出 さない措置の場合 であ って も、私人 に甚大 な不利益 を被 らせ ることがあ る限 りは、これを考 え ることがで きる。 た とえば、不利益事実 の公表がそ うであ る。行政機関 と して は、 とりたてて 権利義務関係 を発生 させ よ うと しているわ けで はな く、単 に情報 を流通 させよ うとしているわけであ るか ら、 ( 四( 2 ) ( a) の意味で は)立法権か らの授 権 を必要 ( 1 6 0 ) ATTORNEY GENERAL' S M ANUAL ON THE APA 88 ( 1 9 4 7 ).なお、 「 制裁的行為」という言葉は本文で挙げた条文以外には APA には現れてこない。「 授 益的行為」( r e l i e f )( 5U. S. C§5 51 ( l l ) )に対応する。 ( 1 6 1 ) 5U. S. C.§5 5 5( C) .この条文について も、 ATTORNEY GENERAL・ S M ANUAL ON THE APA 6 6は、既存の法の リステイ トであると記 している。 この他、5U. S. C. §5 5 1( C)は、許認可の取消 ・停回等 ( 具体的義務を課す是正命令 などは含まれない)のための手続開始前に、原因となった法規違反を是正するチャン スを与えよという規定であるが、これはむしろ和解のチャンスを与えよという趣 旨で あって、ここで挙げるにふさわしいものとはいえない。同条の趣旨については、中川 丈久 「日米の行政手続法 ・行政手続論の基層比較 ( -)」神戸法学雑誌 4 6巻 1号 1 3頁、 1 6頁 ( 1 9 9 6 )参照。 2 0 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) とする状況 にあるわけではな く、行政機関 は自由に これを行 うことがで きる ( 名誉穀損の不法行為責任 は別)。 しか し逆に、先に述べたのと同様、不利益事 実の公表が私人に及ぼす甚大な不利益に鑑みて、 雫り 用が禁止 されている措置 ●●●● のグループ" に属す るとの性格付 けをとくに行ない、 これを解除するには法律 による授権 (いっなにを公表できるか)が必要であると考える余地 もある。 こ こに、不利益事実の公表 には、 まえ もって法律の授権 ・根拠が必要であるとい う、「 法律の留保」問題が生 じることになる (〔 表〕における 「 法律の留保その 2」である)。 たとえば、「不利益事実の公表には大 きな効果があり、実際上、 執行罰等の金銭 による心理的圧迫 と同様の機能を持つ と解 される。その意味で は、公表は間接強制の-態様 と位置づけることがで きる」か ら、 「これを実施 ( 1 6 2 ) す るには、法律の根拠が必要である」 という説明は、 このような意味で 「 留保」 の言葉を用いている例 といえよう。間接強制制度の脱法 ともなりかねないから、 利用禁止の措置 グループに入れてお く必要があるというわけである。 このほか、不利益事実公表の抑制的利用 という観点か ら、一定の手続ルール ●●●●● ( 関係者 に対する意見聴取)が立法政策上求められた り、必要最小限の公表を ●●●● 要求する実体的ルールを法解釈上読み こむという努力 もなされることになろう。 公表の問題については、米国で も同 じような議論がなされている。多 くの行 政機関が、法律上の明示の根拠な く( wi t houte xpl i c i taut hor i z at i on)、 不利 益事実の公表 ( adve r s epubl i c i t y)という手段 を用い ることが しば しばあ り、 それに関す る判例 もある程度積み重ね られている。 この問題を取 り扱 うある古 e nc r oac hi ng upon pr ope r t y or 典的論稿 は、その問題性を、 自由財産の侵害 ( pe r s ons )がデュープロセスな く行われているに等 しいこと、授権無 くして制裁 ( 1 6 3 ) ( s anc t i on)を行 っていることにあると述べている。そ して、ひとつの可能性 と ( 1 6 2 ) 塩野 『行政法 Ⅰ』2 0 0 2 0 1貢。 ( 1 6 3 ) Ge l l hor n,Adv e r s ePubl i c i t ybyAdmi ni s t r at i v eAge nc i e s ,8 6Har v ar d L,Re v.1 3 8 0,1 4 1 9 1 4 2 1( 1 9 7 3 ). 2 0 1 行政活動の憲法上の位置づけ して、前述 した APA の規定 ( 5U. S. C.§5 58( b) ) にい う 「制裁 」 ( s anc t i on) に、不利益事実の公表が該当す るとい う理屈 さえ立っな らば、APA によって、 aut hor i t y)が要 求 され るはず だ とい 不利益事実を公表す るには法律の根拠 ( ( 1 6 4 ) う主張を、裁判 において原告側がす ることも可能だろうと指摘 している。 さら に、制裁ない し担保措置 としての不利益事実の公表 には、具体的な法律上の根 S pe c i f i cl e gi s l at i veaut hor i z at i on)を置 くよ う、 個 々の法律改正 をすべ 拠 ( ( 1 6 5 ) きであると提案 している。 わが国で、規制的行政指導 について法律 の留保が語 られ る場合 も、同 じ問題 関心に発するものと整理す ることがで きるO たとえば、塩野宏教授 は、一般的 に行政指導 には法律の根拠 は不要であるとしつつ も、建築確言 忍留保のような担 保手段を備えた場面での行政指導、つ まり 「 相手方 の任意性が客観的にみて期 ( 1 6 6 ) 待で きないような場合」 には必要ではないか と指摘 してお り、夙 に田中二郎博 士 も、「 規制的 ・調整的行政指導 は、仮 りに形式上 は相手方 の同意 と協力 の ち とに行われ る建前ではあって も、実質上 は相手方 の任意性を抑制 し、相手方が ● 欲すると否 とにかかわ らず、 これに従わせようとす るのが通例で、 それは、公 ●●●●●●●●●●●■●●●●●●●●● 権力の行使のいわば脱法的手段 として行われ るもの ともいえ るか ら、法律の根 ( 1 6 7 ) 拠又 は授権 に基づ くことな くしては、 これを行 い得ない」 ( 傍点 は中川) と説 明 していたところである。 さらに、わが国の最高裁判決 には、 この種の問題関心 にたっ と思われ るもの がある。 自動車の一斉検問を組織法だけを根拠 にな しうるかについての最高裁 判決 は、それが任意性を失 なわない穏やかな方法で行われ る限 り、 あえて利用 ( 1 6 4 ) Ge l l hor n,s upr anot e1 6 3,at1 4 3 3& n. 2 1 3. ( 1 6 5 ) Ge l l hor n,s upr anot e1 6 3,at1 4 3 4 1 4 3 5.もっとも米国では、連邦政府の不法 bi d. ,at1 4 3 7 1 4 4 0. 行為責任を問いにくいという別の問題を解決する必要もある。I ( 1 6 6 ) 塩野 『 行政法 Ⅰ』1 7 0貢。行政指導と法律の留保については、なお、後出注 ( 1 9 5 ) ( 1 9 7 ) 、( 2 1 0 ) ( 2 1 8 )も参照。 ( 1 6 7 ) 田中二郎 『 司法権の限界』2 8 8頁 ( 弘文堂 ・1 9 7 6 )( 以下、『 司法権の限界』 ) 0 2 0 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ( 1 6 8) 禁止 の措置 グループに入 れ るほどで もないことを述べた もの と思われる.また、 いわゆ る係留杭抜 き事件 の最高裁判決 について、一応 は強制であるが単 に杭を 抜 いて横 に置 いてお く程度 の ことで しかないか ら、法律 の根拠 も必要 ないとい ( 1 6 9 ) う観点 か ら理解す るのであれば、行動抑制 を要求す るほどの事実的行為ではな く、 自由に委 ねて よいか ら、法律 の根拠 を求 め るまで もないとい うことになろ う。 ( 3) 実体的ルールの梱密度 ( 政策的鯛密度)の要求 ( a) 学説 の整理 国会が法律で行政活動 を創 出す るとき、 どこまで詳 しく実体的ルール ( 価値 判断 ・基本的政策決定) を定 めて いなければな らないか とい ういわば政策的桐 密度 の問題があ る。 あ らか じめ法律で どこまで詳 しく定 めていなければな らな いか とい う問題関心 で ある点 で、 や は りこれ も 「 法律 の留保」論 と言 うことが で きる (〔 表〕 の うち 「 法律 の留保 その 3 」 であ る) 0 まず、 田中二郎博士 が侵害的行政 には法律 の根拠 が必要であると言 う際に、 しば しば、実体的ルールが桐密 に定 め られていることも併せて意図 していたこ とを想起 してお くべ きであろ う。現代行政 における 「 政策的 ・技術的な裁量的 ●● 判断を含む行政活動 について は、 それが直接E g民 の権利 ・自由の侵害 にわたる ものでない限 り、 これを行政府 と しての内閣 ( 行政機関) の権限と責任に委ね、 その限 りにおいて行政府 の 自立性 と自発性 とを認 め ることに して も、必ず しも ( 1 6 8 ) 最判5 5 年 9月 2 2日刑集 3 4巻 5号 2 7 2頁。同判決について阿部 『システム下』7 0 0 7 01貢は、「 穏やかな指導の範囲を超えてはならない」ことを強調 している。 ( 1 6 9 ) 塩野 ・前掲論文 ( 注9 5 )1 9貢、および阿部 『システム下』7 0 7 7 0 8頁で示されて いる考え方は、杭を壊 してしまうのではなく、単に抜いてそっと横に置 くという程度 のことであれば、杭の所有者への侵害の程度もごく微少であって、あえて留保論上問 題視するほどの措置ではなく、法律の根拠を要求するまでもないという趣旨と理解さ れる (この考え方に対する批評として、桜井前掲論文 ( 注9 5 )1 5 7 5頁) 。ただ し、同判 9 5 )および該当する本文を参照。 決自身はこの問題に答えていない。前出注 ( 行政活動の憲法上の位置づけ 2 0 3 憲法の趣 旨に反す る もの とはいえない」 のであ って、「 若 し仮 りに一切 の行政 をカバーす る法律 の根拠 を ととのえよ うとすれば、それ は、殆 ど無内容 な意味 のない抽象的な法律 にな って しま うおそれがあ り、真 の法治主義 の要請 にそ う ( 1 7 0 ) もの とはいいがたい」 ( 傍点 は筆者) とい うのである。 ( 1 7 1 ) 行為形式の別を重視 しないいわゆる完全全部留保説 は、本来、 こうした問題 を論ずべ きはずの見解 だ ったので はないか と考 え られ る。 すなわち、全行政領 ●●●● 域 の うちのどの領域 ( た とえば社会行政領域) につ いて、 どの程度 の法的統制 ●●● ● の下 に- 常 に強 い統制 にで はな く- 置 くべ きか とい う問題 としてである。 室井力教授 は夙 に この点 を明確 に指摘 されて いた ところであ り、 「原則 と して すべての公行政 は法律 の授権 に基づ くべ き」 であ ると した うえで 「 一般 的授権 ( 権限授権)で よいとかいけない とか、現代行政 の積極的役 割 の ため に裁量 権 ( 1 7 2 ) を授権す るとか言 った個別的検討が必要 とされ る」 ことを指摘 していた。また、 小早川教授 は、全部留保説 につ いて、 それが いわゆ る侵害留保説 と関心 の次元 を異 に してお り、 その 「 関心 は、--主 と して国会 と行政機関 との関係 に向け られている」 のであ り、「国会 の意思がすべての行政活動 を支配 す べ きで あ る ( 1 7 3 ) とい うことを出発点 と している」 と指摘 してい る。 そ うす ると問題 は、様 々な 行政活動 ( 行為形式 の別 を問わない) を創 出す る法律 において、法 の支配 ・法 治国の観点か ら、国会 はあ らか じめどれ ほど細部 まで政策方針 を 自 ら決定 し、 それを実体的ルール と して書 き込 んでおかなければな らないかの問題 とい うこ ●● とになる。全部留保説 は、 そ うした程度概念 を明示的 に議論 しなか ったために、 ( 1 7 0 ) 田中 『司法権の限界』2 8 6頁。また同書 2 7 6 2 7 7頁の記述 も参照。 さらに、田中 『 総論』3 0 3 1 頁における 「 法の執行」と 「 法の授権」を対比させる記述を参照。 ( 1 71 ) 室井力 『 現代行政法の展開』1 0頁 ( 有斐閣 ・1 9 7 5 )( 以下 『 現代行政法』)、「 今 』11頁 ( 有斐閣 ・1 9 9 5 ) 、広岡隆 『 三版行政法総論』2 4 村成和 『 行政法入門 ( 第 6版) 2 6頁 (ミネルヴァ書房 ・1 9 9 5 )( 以下、『 総論』 ) 、杉村 『 講義上』4 3頁 ( 杉村説につい ては前出注 ( 9 0 )も参照)。また、高橋 ・前掲論文 ( 注 6)4 3頁も参照。 ( 1 7 2 ) 室井 町現代行政法. DI O頁。室井教授と同じ趣旨の他の論者の見解 は、杉村 『 続 法の支配』3 9 4 2頁に纏められている。 ( 1 7 3 ) 小早川 『講義上 Ⅰ』1 0 4 1 0 5頁。 2 0 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 非現実的であるとい う批判 を招 くことにな ったと思われ る。 行政分野 に着 目 しての議論 として、塩野宏教授 は、「わが国民 の将来 の生活 を規定す るよ うな もの ( たとえば国土開発計画) については、国民の法的利益 への直接 の影響 とは無関係 に、わが国の民主的統治構造 との関係か らして法律 ( 1 7 4 ) の根拠 を要す る」 と提唱 され るが、 これ は行政機関が計画を定める際に前提 と すべ き基本的な方針決定が、法律 レベルで表明 されていなければな らないとい う趣 旨と理解 され る。同様 にわが国では、公の財貨の配分の仕方 については民 主的決定が必要であるとい う観点 にた って、補助金の重要 な ものは、ある程度 ( 1 7 5 ) 詳細な要件を定 めることが望 ま しいとい う見解が一般的であるようであり、 こ こで も、実体的ルールの桐密性が関心 の中心 にあるとい うべ きであろう。 このほか高田敏教授 が、完全全部留保説 をとりつつ 「 立証責任の転換」を主 張 され るの も、同様のアプローチと考 え られ る。教授 は、「公行政作用 は法律 の授権を要す るのが原則であ り、 それを要 しないことについて逆 に立証が存 し なければな らない」 としつつ、「 法律 による授権 と法 による吊束」 の双方 に配 慮すべ きだ とい う。 そ して、「 特定の行為形式--・ やある行政領域 が法律 の授 権の例外 に該当す ることもあ りえよ うし、同一 の領域 ・行為形式 に属す る行為 であ って、緊急時 にのみ例外 に該当す ることもあ りえよう」 と述べ、同時に、 「 公行政への法律の授権 のみでな く、 その授権 に際 して、 作用 の内容 ・手続等 がどの程度 まで雨束 され るべ きか も、問題 とされなければな らないO また、法 律の授権を必ず しも要 しない私行政 について も、 この法律の南東の原則 は妥当 ( 1 7 6 ) す る」 と指摘 され るのである。 ( 1 7 4 ) 塩野 『 行政法 Ⅰ 』6 4 6 5頁、同 「 国土開発」 『 筑摩現代法学全集 5 4巻未来社会と 3 3頁 ( 筑摩書房 ・1 9 7 6 ) 0 法』2 ( 1 7 5 ) 塩野宏 「 資金交付行政の法律問題」同 『 行政過程とその統制』1 0 0 1 0 7頁 ( 有斐 9 8 9 ) 、碓井光明 「 地方公共団体の補助金交付をめぐる法律問題 ( 上)」自治研究 閣 ・1 5 6巻 6号 2 3頁、2 6頁 ( 1 9 8 0 ) 、阿部 『システム下』7 0 4 7 0 5頁。 また広岡 『総論』2 5 頁も同旨と思われる。 ( 1 7 6 ) 高田 『 社会的法治国』4 5 7 _ 4 5 8頁。また同書4 6 3 _ 4 6 4頁も参照。 2 0 5 行政活動の憲法上の位置づけ この点で注目されるのは、芝地義一教授のアプローチである。 教授 は、 「原 ( l T T ) 則 としてすべての公行政 には法律の授権が必要 とみるのが適切であろう」 とし て、いわゆる完全全部留保説 に立っ ことを表明 しつつ、別の箇所で次のように 述べている。すなわち、「 行政活動の手段 または形式-- 〔 が〕 法律 の授権 の 要否を決するについて もつ意味は決定的なものではない」 との考えを示すとと ( 1 7 且 ) もに、法律の留保論 は、「 授権の問題 とともに、要件や効果 に関す る法的な規 制の問題をも内包 している」 とし、「 要件や効果 についてあ らか じめ具体 的な 規定をお くことが困難な行政活動に関する法律の授権 は、概括的な ものとなろ う」か ら、それは 「 組織法的授権 と差を もたない」 ことよりす ると、 「作用法 的授権 と組織法的授権 との区別は相対化 される」のであって、組織法的授権が 「当該行政活動 との関係で、授権規定 として足 りるものであ るか否か」 を考 え ( 1 7 9 ) るべ きであると述べる。 これは、行政機関が ( 行為形式を問わず)様々な判断 をする際に、その前提にあるべ き国会 レベルの価値判断がどの程度桐密になさ れている必要があるか、つまり本稿でいう実体的ルールの桐密性 としてどの桂 度のものが要求 されるか という問題を留保論 として自覚的に提出するものであ るように思われる。 その意味で、場合によっては、「 組織法的授権 が具体的行 政作用の授権 として是認 されることも、理解で きないものではない」のであり ( 1 即) 「当該行政活動 との関係で、授権規定 として足 りるものであ るか否か」 が重要 ( 1 8 1 ) であるという結論が出て くるのである。 これには批判 もあるが、実体的ルール の桐密度を論 じる限 り、筆者 には正当な理論 と思われる ( 法律の留保問題を、 行政機関に権利義務関係を創出させるために必要な授権や、抑制的行動の要求 ( 1 7 7 ) 芝地 『 総論講義』5 0 5 1頁。 ( 1 7 8 ) 芝地 『 総論講義』5 0貢。 ( 1 7 9 ) 芝地 『 総論講義』5 1 5 3頁。 ( 1 8 0 ) 芝地 『 総論講義』5 2 5 3頁。 ( 1 8 1 ) 批判として塩野 『 行政法 Ⅰ』6 6頁、これへの応対として芝地 『総論講義』5 7頁 。また、後出注 ( 2 0 9 )および該当する本文を参照。 注4 2 0 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) とい う観点 か ら理解す る限 りにおいて、組織法 と作用法の峻別が必要である) 0 ( b ) 考え方の整理 ( 1 8 2 ) いわゆ る ドイツの本質性理論 は- わが国で は重要事 項留 保説 と も呼 ばれ ( 1 8 3 ) ているが - 、実体的 ルールの望 ま しい桐密 さほどの程 度 か とい う問題関心 であるよ うに思 われ る。 ドイ ツの本質性理論 につ いて は、大橋洋一教授 の次 の 指摘が重要 と思 われ る。①本質性理論 は全部留保学説 の登場 な しには考え られ ( 1 8 4 ) なか った こと、② その核心 は、議会が 自 ら、 かつ議会 のみ が が独 占的 に - つ ま り議会 判断すべ き事項 は何 かであ り、 それを行政機 関 に委 任 す るこ ( 1 8 5 ) との禁止 にあ ること、③ したが ってそれ は、議会 は行政活動 をどの程度の規律 ( 1 B 6) 密度 の下 に置かなければな らないか とい う問題 で あ る こと、 ④ 何 が本質 的か ( っ ま りどこまで議会 が規律 し尽 くさなければな らないか) の標識 と して、「 基 ( 1 8 7 ) 本権」 と 「 民主主義視点」 があ ること、 そ して、⑤ ドイツ法 における法律の留 ( 1 8 8 ) 保の 「 原則 の射程範囲 は行政 の行為形式 とは無関係である」 ということである。 ここでただちに想起 され るの は、立法権 の放棄禁止 とい う権力分立 ( 独 占的 権能 の分配 と しての権力分立)上 の要請 である。 前 述 した よ うに( 四( 2) ( b) )、 立法権 の放棄禁止 とは、行政活動 を創 出す るにあた って、議会 は自らが独 占す ( 1 8 2 ) 本質性理論については、大橋洋一 「 本質性理論の構造分析」同 『 行為形式論J l1 頁以下を参照。 ( 1 8 3 ) 阿部 『システム下』6 9 5頁、小早川 『 講義上 Ⅰ 』1 0 9 1 1 0頁。 ( 1 8 4 ) 大橋 『 行為形式論』4 5頁。なお、同書3 7頁には、本質性留保理論の背景にある 憲法構造として、議会の 「 任意的立法権限」の存在を指摘 し、これにより 「 議会と君 主との間の政治的権力闘争という側面は消え去った」と述べる。同じことは、マイヤー 理論を日本E g憲法のもとでどう再定式す るかという問題にもあてはまろう.前出注 ( 1 9)( 21 )および該当する本文を参照。 ( 1 8 5 ) 大橋 『 行為形式論J )2 9 3 0亘。 ( 1 8 6 ) 大橋 『 行為形式論』3 2 3 3亘。同書3 7頁には 「 立法者がどの対象をどのような規 律密度をもって定めなければならないのか」という表現も見られる0 ( 1 8 7 ) 大橋 『 行為形式論』3 1 3 2 、3 6頁。 ( 1 8 8 ) 大橋洋一 「 法律の留保」法学教室 1 4 5号 2 8貢 ( 1 9 9 2 ) 。 2 0 7 行政活動の憲法上の位置づけ べ き立法権 の放棄 に等 しいよ うな基本 的価値判 断 の丸投 げを して はな らない と い うことであ り、結果的 に、 あ る程度桐密 な実体 的 ル ール ( 政策 的桐密度) が 要求 され ることにな る。 ここに重複関係 が見 られ るので あ る。 ちなみ に大橋洋 一教授 は、 ドイツの本質性理論 の形成過程 にお いて、 アメ リカの立法権委任禁 ( 1 8 9 ) 止法理 が参照 された ことを指摘 して い る。 また藤 田酋靖教授 も日本法 にお け る 留保論 を述 べ る中で、要 件規定 にお け る 『規律 の密度』 は、 白紙委任禁止 や 自 ( 1 9 ] ) 由裁量 への原理的 な消極 的評価 な どがその現 れで あ る と述 べて い る。教科書検 定 の基準が法律 に一切書 かれて いない と批判 す る学説 は これ を 白紙委任 と も、 ( 1 9 1 ) 重要事項留保 に反す ると も表現 して い るので あ る。 そ こで、 どの よ うな場面 で、 どの程度 の桐密性 を もった実体 的 ル ールへ の萌 束が、法の支配 ・法治国上 の要請 であ るのか (そ して、必要 な桐密度 が ない場 合、裁判所 はど う対処 で きるのか) につ いて は、本質性理論 につ いての大橋教 授 の定式化 ( 「 基本権」 と 「民主主義 的視点 」 ) を参考 に しつつ、 おそ らく異論 のない回答 と して、次 のふ たっ を考 え ることがで きよ う。 (なお、 下 記 に見 る よ うに、実体的 ルールの桐密度 は、既存 の憲法法理 を様 々 に応用 で きる場面 で はないか と思 われ る。) ひ とっ は、人権 (た とえば表現 の 自由制約) に密接 にかかわ る判 断 を必要 と ( 1 8 9 ) 大橋洋一 『 行政法学の構造改革』2 7 2 8 頁 ( 有斐閣 ・1 9 9 6 ) 0 ( 1 9 0 ) 藤田 『行政法 Ⅰ 』91頁、9 3頁注 3 。なお、この叙述 は権力説批判への再批判 と して述べられたものである。後出注 ( 2 0 5 ) ( 2 0 7 )を参照。 ( 1 9 1 ) 阿部 『システム下』6 9 8頁は、重要事項留保説に言及 したあと、「 教科書検定は-・ ・ 重要事項であるから、その手続、基準、委任のルールなどを法律できちん と定めるべ き」であろうとして、「 現行法は白紙委任で、違憲」と述べる。重要事項留保説 と白 3条、41条、7 3 紙委任の関係については後述する。なお最高裁は、「 法治主義 ( 憲法 1 条 6号)違反の点について」として、検定基準 ( 文部省告示)は、教育基本法、学校 教育法の条文から明らかな内容を定めたにすぎず、「法律の委任を欠 くとまではいえ 6日民業4 7巻 5号 3 4 8 3頁。 ない」とした。最判 5年 3月 1 なお、本質性留保理論の下で行政規則による規律の限定を述べる大橋 『行政規則』 9 3 1 2 3頁参照。 2 0 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) す る行政活動 ( 措置 ・行為形式の別 とは無関係である) については、そ もそ も 行政機関の自由な判断の余地 は認め られ るべ きでないか ら、 どのような判断を 下すかについて法律上桐密 な実体的ルールが行政裁量 の余地を無 くすだけの具 体性を もって定め られているべ きであるというものである。そうでない法律は、 表現の自由の規制立法 にかか る 「 漠然性故の無効」の法理のように、法律を無 効 にす ることが考え られ る。 また、米国の実体的デュープロセス法理のように、 ( 1 930年代であれば財産権、1 970年代であればプライバシー権 という分野に限っ てではあるが)立法裁量 を認 めず、裁判所が 自らあるべ き権利状態を判断する とい う方法で、行政活動が明確 なルールに萌束 され る状態を作 り出す こともで ( 1 9 2 ) きる。 いまひとっ は、社会全体での利害調整が必要 な問題 については ( たとえば社 会保障や国土計画)、行政機関が基本的価値判断をすべ きで はな く、 議会 自身 が利害調整を して ( 基本決定を して)、それを法律 に書 き込 んで社会 の選好 を 明示す る ( 実体的 ルール として定め る)必要があるとい うことが考えられよう。 米国では、 このよ うに民主主義上要請 され る実体法ルールの桐密性については、 すでに述べた とお り、立法権委任禁止 の法理で議論 されていたところであり、 裁判所 は、基本的価値判断の丸投 げに等 しい委任をす る法律を、違憲無効 とで ( 1 9 3 ) きるのである。 ちなみに、補助金、ない し資金交付行政 について法律 の根拠が必要か という 問題 は、 ドイツで は上記 のいずれの観点 か らも議論 されているようである。す なわち、資金交付その ものが個人の自由に影響を及ぼすがために、比例原則そ の他実体的な統制が必要であるとい う議論が一方であり、他方では、民主主義 ( 1 9 2 ) 実体的デュープロセスについては、前出注 ( 3 3 )のほか、 LAWRENCE TRI BE,AM ERI CAN CoNST汀 UTI ONAL LAW 5 6 0 5 8 1,1 3 0 8 1 3 1 8( 2 n d e d) ( Foundat i onPr e s s1 9 8 8 )を参照。 ( 1 9 3 ) 前出注 ( 1 0 5 ) -( 1 1 0 )および該当する本文を参照。 2 0 9 行政活動の憲法上の位置づけ 的正当化が必要であ るとい う観点か ら (この場合 には、予 算 は各国で様 々である- その あ り方 で代替 で きるかの論点 も付随す る)、 どの程度 まで詳 細 に国会 レベルで定 め尽 くしておかなければな らないか とい う問題 の立 て方 が ( 1 9 1 ) ある。 実体的ルールの桐密度 ない し政策的鯛密度 とい う観点 か らの 「 法律 の留保」 論 は、行政指導 との関係 で も存在 しうる問題であ る。「 行政 指 導 が相手 方 に任 意 の協力を要求す る以上、原則 として法律 の根拠 は要求 されない」 とい う論法 は、 ここでは用 いることがで きない。政策的桐密度 を問題 にす る限 り、行政指 導が任意的手段であることは、法律 の根拠要求 に対す る免罪符 にはな らないの である。筆者 は別稿 で、判例 ・学説 に現れた行政指導 の類型 を大 き く、 「法定 の政策内容を実現す る手段」 と しての行政指導 と、「 法外 の政 策 内容 を実 現 す る手段」 としての行政指導 とに分類 した上 で、一定 タイプの建築紛争 の解決促 進や、一定の土地開発者 による公共施設整備費用の負担 な どとい った 「 法外 の 政策内容」を実現 しよ うとす る行政指導 につ き、 これ らの価値判断 は 「 法定」 ( 1 9 5 ) されている ( 法律の根拠 を もつ)べ きで はないか と述べた ことがあ る。 これを 用いて、次 のよ うな議論 が可能であろ う。 た とえば、 当局が放送事業者 に対 し て、 プライムタイムにおける性や暴力描写 を含 む番組 の放送 自粛 を求 め る指導 を行な う場合、それが表現 の 自由の制限 にかかわ る以上法律 で明確に ( 桐密に) 時間制限 ・内容制限の度合 いが決 め られて いる必要 があ ると言 うことがで き、 ●●●●●●● その帰結 と して、行政指導 は、「 法外 の政策内容」 の実現手段 と してで はな く、 ( 1 9 4 ) こうしたふたつの見解については、塩野 ・前掲論文 ( 注1 7 5 )9 1 9 9頁。とくに資 金交付が個人の自由にもたらす影響による実体的ルールの必要性という議論について は、樫井敬子 「 資金交付活動の統制に関する考察 ( -)∼ ( 三 ・完)」 自治研究 6 8巻 1 1号 7 8頁、1 2号 1 1 2頁、6 9巻 1号 1 0 6頁 ( 1 9 9 2 -1 9 9 3 ) 、村上武則 「ドイツにおける 給付行政の目的の法律による確定の理論」阪大法学4 8巻 1号 1 9蛋 ( 1 9 9 8 ) に詳 しい。 ( 1 9 5 ) 中川丈久 「日本におけるインフォーマルな行政手法論」神戸法学雑誌 4 8巻 2号 4 4 3百、4 6 2 4 6 3頁、4 7 9 4 8 1頁、5 0 3貢注9 0( 1 9 9 8 ) 。なお、前出注 ( 1 6 6 ) ( 1 6 7 )及 び 該当する本文と対比されたい。 21 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 「 法定 の政策内容」 を実現す る手段 と して行われ る必要が あ る とい うことがで きる。法律 で、放送時間 ・内容 の制限度合 いが定 め られているか どうかが ここ での関心事 なのであ り、 それを具体化す るのに、命令 の形式で行 うか行政指導 で行 うか は、問題 で はないのであ る。 同様 の理 由で、教科書検定制度 に白紙委 ( 1 9 6 ) 任 の疑 いがあると言 われ ることは、法的拘束力 のない 「 助言 ない し指導」 とし ( 1 9 7 ) ての 「 是正意見」 の場合 であ って も妥 当す るのではないか と思 われ る0 政府契約 に関 して も、実体的ルールの桐密性 とい う問題 は存在 しうる。 わが 国で も、 た とえば物品調達等 の政府契約 は、単 に民法上 の契約であ りせいぜい 公正 に締結 され ることや経済性 ( 廉価)が要求 され る程度だ とす る伝統的な政 府契約 の見方 と、中小企業育成 ・地場産業育成 などの政策 目標を もっ政府契約 ( 1 9 8 ) との間の衝突 は生 じて いる。後者 において は、契約締結 の条件 として、 どのよ うな政策 目標 を追求す ることが契約締結権限に含 まれ るのか ( た とえば、中小 企業振興 目的の契約締結 につ いて、国会 な り地方議会 な りが、そのよ うな政策 決定 を法律 ・条例 の形 で してお く必要 はないのか) とい う問題があるのである。 契約であるか らとい って、 いかな る政策 目的であれ追求 してよいというわけで ( 1 9 9) はないであろ う。米国 において は夙 に この点 は問題 とされて きたところである。 同 じことは、行政事務 の民間委託 にあた っての、法律 の根拠 のあ り方 ( 統制の ( XX ) ) 程度) とい う形 で も問題 となろ う。 ( 1 9 6 ) 前 出注 ( 1 1 1 )( 1 9 1 )および該当する本文参照。 ( 1 9 7 ) 最判平 9年 8月2 9日民 業5 1巻 7号 2 9 2 1頁。 ( 1 9 8 ) 碓井光明 「 公共契約をめ ぐる法律問題 ( - )」 自治研究 6 2巻 9号 6 0頁、6 5頁 ( 1 9 9 3 ) 0 ( 1 9 9 ) 米国におけるこの問題については、竹中 「 政府契約 ( 三完)」 (前 出注 9 6 )6 4 4 6 6 9頁を参照。 ( 2 0 0 ) 一般に法律の根拠は不要だとされている。原田尚彦 「 事務委託をめぐる法律問 題」自治研修2 6 9号 2 2頁、2 3頁 ( 1 9 8 2 ) 、佐藤英善 「 外部委託契約をめぐる法的問題」 ジュリス ト8 1 4号 2 7 頁、2 8頁 ( 1 9 8 4 )などOまた、阿部 『システム下』5 9 1 5 9 6頁参照. 行政活動の憲法上の位置づけ 2 1 1 行政活動の憲法上の位置づけのためのマ トリクス 六 ( 1 ) マ トリクスの提示 以上の検討をふまえて、 日本国憲法 における行政活動 に対す る憲法的規律を マ トリクスとして描 くと次のようである ( 前出 〔表 〕を参照。米国連邦憲法の もとで も同 じである) 0 まず、「 独占的権能の分配 としての権力分立」 との関係で は、 次 の四点 が問 題 となろう。 ① 行政活動の過程で、国 ・自治体 と私人 との間に法的権利義務関係を取 り 結ぶために必要 な授権 が、 「立法権」 の行使 と してな され て い る こと ( s t at ut or yde l e gat i on)が必要である。 ② 国会のみが独 占的に行使で きる 「 立法権」があ り、行政活動 を創 出す る 際に 「 立法権」が放棄 されてはな らない。 ( 立法権の委 任禁止 の法理、 ない し白紙委任の禁止) ③ 裁判所のみが独 占的に行使で きる 「司法権」があ り、行政活動 によって 「司法権」が占奪 されてはな らない。 ④ 内閣 ( 代表 して内閣総理大臣)のみが独 占的に行使で きる 「 行政権」が あ り、行政活動 によ って 「 行政権」が占奪 されてはな らない。 次 に、「 多極的な意思形成 としての権力分立」 との関係で は、 行政活動 に対 して、内閣 ・国会 ( 衆議院 ・参議院) ・裁判所 それぞれが憲法上 の権限を行使 することがで きる。 それによ り、行政活動が多極的な意思形成過程 になること が予定 される (このほかに、 日本国憲法の場合、独立の国家機関 としての会計 検査院によるコン トロール も含 まれ るが本稿では省略す る) 0 ⑤ 行政活動 は、国会 の憲法上 の権限 ( 予算 ・議決のほか、本稿で言 うコン トロール的法律)の対象になることを通 じて、 コン トロールを受 ける。 ⑥ 行政活動 は、裁判所の憲法上 の権限 ( 裁判 ・違憲立法審査)の対象 にな 2 1 2 神戸法学年報 第1 4号 ( 1 9 9 8) ることを通 じて、 コン トロールを受 ける。 ⑦ 行政活動 は、内閣の憲法上 の権限 ( 法律の誠実な執行 ・行政各部の指揮 監督 など)の対象 になることを通 じて、 コン トロールを受 ける。 最後 に、「 法の支配 ・法治国」 との関係では、行政活動 はル ールに束縛 され た ものでな くて はな らない。 そこで、行政活動が、 どのようなルールの もとに 置かれていることが求め られ るか とい う問題が生 じる。 ⑧ 一定の措置 ・行為形式 の行政機関 による利用 につ き、抑制的行動が保障 され るような諸種 のルールの もとにあること ⑨ 行政活動 に対す る実体的ルールが桐密 に存在す ること ( 政策的桐密度) ⑬ 行政活動 に対す る手続的ルールが存在す ること 以上のマ トリクス中には、 い くつか重複関係が兄 いだされ る。 それ は、 「法 の支配 ・法治国」 と 「 権力分立」の間の重複 ともいえる。 まず、( 診 ( 立法権の放棄禁止) と、⑨ ( 実体的ルールの桐密度)が重複する。 法律 レベルで一定程度以上の基本的決定を しておかなければな らないというこ とは、「 法の支配 ・法治国」か らも 「 権力分立」か らも要求 されるわけである。 そ うす ると、すでに述べたように、② と⑨が重複 しうることに鑑みて、⑨の意 味での法律 の留保論 の今後の展開 には、② にかか るこれまでの学説 ・判例の結 果を統合 して、有効 な裁判的救済 のあ り方 を考え ることも可能 となろう ( 五( 3 ) ( b) )0 19世紀初頭の米国法 においては、行政 の行為 に対 す る司法審査 において、 ③ ( 司法権の占奪禁止) ない し⑥ ( 司法的 コン トロール) と、⑬ ( 手続的ルー ルの要求) との間の重複を兄 いだす ことがで きる。連邦裁判所に違憲審査権の 803年 の最 高裁判決 (マーベ リー対 マデ ィソン あることをは じめて宣言 した 1 事件) は、同時に行政行為 に対す る司法審査のは じめての例で もあったか、判 旨は、 なぜ、 またいかなる範囲で司法審査がで きるのかを説明す る必要があっ 行政活動の憲法上の位置づけ 2 1 3 た。判 旨省 はまず、憲法第 3条 ( 司法権) の解釈 として、行政機関の行為 につ いて裁判所が判断で きるのは 「 個人の権利」 にかか る 「司法的性格 の事項」 に 関す る部分についてのみであること、何が 「 司法的性格」であるかはコモンロー、 エクイテ ィ等の歴史的慣行のなかに兄 いだ され るべ きことを述べている。 ここ に権力分立の観点か ら、行政の行為 に対す る司法審査の保障 され るべ きことが 宣言 されている。次 に、 デュープロセス条項 ( 修正第 5条)の解釈 として、 い かなる事項 については裁判所が 「フォーラム」 とな って審理 され る機会が保障 されなければな らないか という観点か らも、司法審査の保障 され るべ きことが ( 3) 1 ) 述べ られている。 これ らは結局のところ同 じことを語 っていると考え られ る。 判決 は、行政行為の司法審査を、「 法 の支配 ・法治国」 と 「権力分立」 の絡 み 合 った編み目にその存在が保障 され るべ きものであると説明 していたのである。 ( 2) 日本法治主義論 との関係- 法律の留保論の多義性 を中心 に まず、わが国では一般 に、法治主義 には、 自由主義的側面 ( 法的安定性 ・予 \ ml 測可能性) と民主的側面があると言われ るo「 法の支配 ・法治国」 と 「権力分 立」 はいずれ も自由主義的政治思想 と言われ るものであ り、 マ トリクスも全体 として自由主義的な要素 を色濃 く有 していると言えよ う. ただ し、国会 ( 連邦 議会)や内閣 ( 大統領)が、民主的基盤 を持つ制度であることが予定 されてい ることを反映 して、 マ トリクス中の一定の ものについては、民主的要素を加味 してその意味が捉え られざるを得ないとい う意味で、民主的側面が同時 に現れ ている。 たとえば ② ( 立法権の放棄禁止) と ⑨ ( 実体的ルールの桐密度)が ( 2 0 1 ) 本文で述べたことについて、詳 しくは、中川 ・前掲論文 ( 注1 1 5 )6 2 8 6 3 9頁を 参照。そこでは、憲法の司法権規定とデュープロセス法理との間の交錯として説明 し ている。 ( 2 0 2 ) 藤田 『 行政法 Ⅰ 』5 0 5 1頁、芝地 『 総論講義』4 0真、塩野 『 行政法 Ⅰ 』5 7 5 8頁、 小早川 『 講義上 Ⅰ 』1 6 1 7頁。藤田 『 行政法 Ⅰ 』8 4頁は、法律による行政の原理の内容としての法律の留保について、「 行政活動の民主的正当性をさらに一層強固なも のとする」ことと、国民の代表が 「 討議 した結果を特に一般的抽象的な規範の形に結 晶させたもの ( 法律)に基づかせる」のふたつの意味を持つと述べる。 2 1 4 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 重複 していることは、その意味で重要であろう。同様に、⑤ ( 国会によるコン トロール)や ⑦ ( 内閣によるコン トロール) は、それが行政活動 における意 思形成を多極化す るための ものであるという点か ら見れば自由主義的に響 くが、 それが民主的基盤を もつ国会や内閣による、その基盤を持たない行政活動への コントロールであるという点か ら見れば、民主的 コン トロールという側面をも 有す ることとなる。 さらに言えば、 自由主義 には常になん らかの程度で民主的 要素を伴 うというように、 自由主義概念その ものに遡 ることにより、両要素の 共存を、たとえば ⑬ ( 手続的ルール)に見 ることも可能であろう。 次に、マイヤー自身の三原則をこのマ トリクスのなかに位置づけることはで きない。 その理論 は、「 独 占的権能の分配 としての権力分立」 それ 自体 を扱 っ たものであり、 これについてのひとつのモデルを提示すべ く、立憲君主制にお ける議会が君主の統治権か ら獲得 したと考えるべ き、議会の独占的権能 として の立法権の範囲を、理論的に画そうとす る努力だか らである。 これに対 して日 本国憲法の採用 した 「独占的権能の分配 としての権力分立」の タイプは、憲法 4 1条 ( 唯一の立法機関) と 6 5条 ( 行政権 は内閣に属する)の解釈問題 に帰着 する。そ して ここでは、少な くともマイヤーの意図 したこと以上の権能が、国 会の独占的権能 ( 立法権) として割 り振 られていると解 されている以上、マイ ヤーの三原則 はそのままでは日本国憲法の もとで意味を有することはない。わ が国の戦後の学説 は、マイヤーが具体的に論 じた問題局面 とは違 った問題を、 マイヤーの言葉 ( ない しアイデア)を仮借 して、多義的な法律の留保論 として 展開 して きたと思われる。 最後 に、法律の留保論 と上記 マ トリクスとの関係について述べておこう。留 保論の多義性 は、たとえば藤田教授が、国土開発には法律の根拠が必要 とする 塩野教授の指摘に対 して、法律 による行政の原理その ものとは別個の問題であ し ユ氾\ ると批判 していること、原田教授の権力留保説 に対 して、塩野教授が法律の根 ( 2 0 3 ) 藤田 『 行政法 Ⅰ 』8 4 1 8 5頁。また、同書8 7自注 3参照。 行政活動の憲法上の位置づけ 2 1 5 ( 2 04 ) 拠の問題 と権力の所在の認定の方法の問題の混清があると批判 していることに 良 く現れている。留保論の多義性 は、ある程度認識 されていることではないか と思われる。 本稿のマ トリクスを用いると、 どのような問題が これまで 「 法律の留保」の 名のもとに論 じられてきたかを ( その用語法の是非 は、本稿の関心事ではない) 容易に説明することがで きる。 これまでの叙述ですでに明 らかに したように、 わが国の法律の留保論 は (マイヤーのそれを除 く)、① ( 権利義務創 出のため の立法権による授権) 、⑧ ( 抑制的行動) 、⑨ ( 実体的ルールの桐密度) という 三つの意味で語 られてきたと考え られる。 いわゆる権利義務留保説や権力説は、 ① ( 権利義務創出のための授権) という意味で、法律の留保ない し根拠の言葉 を用いている。多数の論者 は、侵害留保説を念頭におきっっ、明示的 ・黙示的 に、⑧ ( 抑制的行動)の対象 として、法律の授権がなければ利用禁止 とすべ き 行為形式ないし措置はどれかという観点か ら、留保論を捉えている。そ して、 完全全部留保説 ( なお未展開なところがあったが ここに含めることとする)や、 本質性留保ない し重要事項留保説、そ して国土計画や補助金についての法律の 根拠を求める学説 は、⑨ ( 実体的ルールの桐密度)の意味において、法律の根 拠ない し留保の要否 ( ない し程度)を論 じているのである。 法律の根拠」 の言葉 を用 問題は個々の論者が、 どの意味で 「 法律の留保」「 いているかを明示することな く、 また しば しば複数の意味を何 ら説明な く使い 分ける例が多いように思われることである。たとえば、田中二郎博士 は、侵害 留保説的と言われる記述部分では ⑧ ( 抑制的行動)の意味であ ったよ うに思 われるが、 しか ししば しば同時に ⑨ ( 実体的ルールの桐密度) も合意 してい たことは、既に述べたとお りである。 権力説をめ ぐる批判 と反論にも、「 法律の留保」「法律の根拠」の三つの語義 ( 2 04) 前 出注 ( 9 3)を参照。 2 1 6 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) が明確に区別されていないための混乱があるように思われる。権力説が、権力 的行為形式に 「 法律の根拠」が必要であるという場合、行政機関が 「 権力的」 な形で法的関係を取 り結ぶには、前 もってその旨の法的授権が必要であるとい うことを言 っているのか ( ①権利義務の創出のための授権)、 それ とも (ある いは同時に)、「 権力的」であることに私人の側か ら見た不利益性があるという 観点か ら、抑制的行動が要求 される対象 として ( つまり、法律の授権がなけれ ば利用が禁止 される行為形式 として) 、権力的行為形式を挙 げているのか ( ⑧ 抑制的行動)、 さらにはまた、権力的な行為形式である以上、要件規定 には桐 密な実体的ルールがなければな らないという主張であるのか ( ⑨実体的ルール の桐密度)が、必ず しも明確 にされていないのである。 たとえば、権力説 に立っ と明言 される兼子仁教授 は、一方で 「 行政による公 権力の行使 は国民の意 に反 して も法的拘束 ・強制を生ず るため、E g民代表議会 による授権が必要である」 とし、 さらに、申請 に対す る許認可の処分につ き、 「 常 に遵法不当な申請拒否処分を生ず るおそれがあり、遵法 な拒否処分 に も権 力的効力 ( 公定力)が予定 されるので、 こうした申請諾否処分手続はやはり権 力行政なのであ」 り、「 加えて許可 ・免許が反対利害関係 の国民 にとって不利 L l 1 61 益な二重効果処分である場合 もある」 とす るくだ りは、① ( 権利義務創出のた めの授権) とも、⑧ ( 抑制的行動)のいずれの問題関心 とも読むことのできる 説明である。 藤田教授 は、権力説批判への再批判 として、「 行為が権力的形式 を持つのは まさに法律がそれを定める場合 に限 られる」 として も、「これをいつ どのよ う な要件の下に用い得 るか ということを法律 自体が定める ( 法律の根拠)かどう 、 3 X\ か」 とい う問題がなおあるか ら、権力留保説の意義があると答えている。 これ が、いっその措置が発動 され るかが法律上明示 されることによる利用抑制を言 ( 2 0 5 ) 兼子 『 行政法学』5 8 5 9頁。また同書8 5頁も参照。 ( 2 0 6 ) 藤田 『 行政法 Ⅰ 』8 8頁注 4 0 行政活動の憲法上の位置づけ 2 1 7 うのであれば、⑧ ( 抑制的行動)の観点を述べた ものであるようにも思われる。 しか し、不利益事実の公表を見ればわか るよ うに、権力的行為形式 とい う切 り 口で ⑧ ( 抑制的行動)の意味での留保論 を語 ることには、 無理 が あ るよ うに 思われる。 さらに教授 は、「 今後 に残 された問題」 を述べ るなか で、 法律 の根 拠 とは 「もともと単 に何 らかの根拠が法律上定め られている、 ということのみ でな く、要件の定め方 について、 いわば実質的に私人の利益 を保護す るために 意味のある一定の 『 規律の密度』 の必要を も意味す るものであると言 うべ きで ある」 とし、白紙委任禁止や自由裁量への原理的な消極的評価 などがその現れ であると述べ、第三者 に対 して 「 侵害的」である行為が名宛人 になされた場合 は、侵害留保理論の発想か ら、第三者の利益 を考慮 しない法律規範 の もとで行 1 1 1 丁 、 われた行為の遵法を言 い うる余地を主張す る。 ここではもはや権力説が維持 さ れているか自体が確かではないが、要件規定が一定程度の桐密 なルールとして 定め られるべ きことが要求 され るとい う意味で ⑨ ( 実体的 ルールの桐密度) として 「 法律の根拠」を論 じているようで もあ り、 また、第三者への侵害を考 える点では、併せて ⑧ ( 抑制的行動)の観点 も含 まれているよ うに思 われ る。 おそ らく、以上のような多義性 - それに伴 う多少の混乱 - が生 じたの は、古典的な行政活動 においては、上記の三問題 ( ①⑧( 9) が一致 して いた ためではないか と考え られ る。 たとえば消防法違反 に対 して是正命令を下 した り、害悪物件につ き即時強制を行 うなどとい った権利侵害的な行政処分を考え てみると、そ うした法的効果 ( 是正義務 の発生、実力行使 の適法性)を もた ら す行為形式 は、法律 によって行政機関に授権 されている必要がある ( ①権利義 務の創出のための授権) 。同時 に、 そ うした自由 ・財産 の侵害行為 の発動要件 は- 法律の明文規定があると否 とを問わず - 、法律で桐密 に定め尽 くさ れているはずであるとい うのが、 古典的法治主義 における裁量論であるか ら、 ( 2 0 7 ) 藤田 『行政法 Ⅰ』9 1 百 、9 3頁注 3 。 2 1 8 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 実体的ルールが桐密 に定 め られてい ることも同時 に要求 されていることになる ( ⑨実体的ルールの桐密度) 。 したが って、 このよ うな桐密 な要件の もとにある 限 りにおいて、 当該行政処分 の発動 は抑制 され ることになるのである ( ⑧抑制 ( 2 08 ) 的行動)。小早川教授 の言 われ る 「 侵害留保原理」 とは、以上 の三要素 の結 合 状態を指す もの と考 え られ る。 そ して同 じことは、罪刑法定主義 ・租税法律主 義 と して も定式化 されていると考 え られ るのである。法律 の留保論の混乱 は、 その後 の行政国家化 の進展 に伴 い、 これ ら三 つの要素が分離す るに至 ったこと に求 め られ るよ うに思 われ る。 「 組織規範 と作用規範 の区別」 につ いて も、次 のよ うに考 えることがで きよ う。上記 のマ トリクスを前提 とすれば、法律 の留保論 として、① ( 権利義務創 出の授権) や ⑧ ( 抑制的行動) を論 じる限 りにおいて は、 その問題設定上、 「 組織規範」 と区別 され る 「 作用規範」 とい うべ き法律規 定 だ けが問題 にな る ことは自明であろ う。 しか し、⑨ ( 実体的ルールの桐密度) とい う意味で 「 法 律 の留保」「 法律 の根拠」 を論 じるのであれば、 アプ リオ リに この区別 を持 ち 込 む ことは結論先取 りであ る。組織規範 と作用規範 の区別 は相対化 し、実体的 規律 のあ り方 の連続性 のなか に吸収 され るべ きなのであ る。常 に 1 0 0パ ー セ ン トの規律密度 が求 め られ るわけで はないのであるか ら、場合 によっては組織法 の定 め る規律 であ って も、実体的規律 ( 政策決定) と して十分 な場面 も無 いと は言 い切 れないのであ る。組織規範 と作用規範 の区別 は、法律 の留保論すべて 、 : 1 t l \ において当然 に妥 当す るもので はな く、問題設定 によるとい うべ きであろう。 ( 2 0 8 ) 小早川 『講義上 Ⅰ』8 2 貢、9 6 9 7頁。また、芝地 『総論講義』5 7 5 8頁注 2参照。 ( 2 0 9 ) 前出注 ( 1 7 7 ) ∼( 1 8 1 )および該当する本文を参照。 ちなみに、組織法 と作用法 の区別は、マイヤーの三原則が念頭におく立憲君主制のもとでは、その必要性は歴然 としている。立憲君主制のシステムのもとで、議会が君主の統治権から奪い取 った立 法権を行使 して行政活動を創出しようとすると、その活動プログラムを誰に行わせる のかという問題が生 じる。その活動を、君主行政府に行わせるか、あるいは議会が新 たな官僚組織を法律によって作り出すかである。官制大権が君主に存する限 り、後者 はありえない選択肢である。そうするとこの場合に、組織規範 ( 官制大権によって作 行政活動の憲法上の位置づけ 2 1 9 ( 3 ) 行政指 導論 へ の展望 最後 に、本稿 の これ まで の分析 に基 づ き、行 政指 導 につ いて も一 定 の視 角 が 得 られ る ことにつ いて述 べ てお きた い。 本稿 で は先 に、 政 策 桐密 度 と して の法 律 の留保論 の観点 か らは、一 定 の場面 で は、 「法 外 の政 策 内 容 の実 現 手 段 」 と して の行政指導 が許 されず、 「法定 の政 策 内容 の実 現手 段 」 た る行 政 指 導 た る ( 2 1 0 ) ことが求 め られ るので はな いか と述 べ た。 ここで は留 保論 を離 れ て、 お よそ、 行政機関 によ る 「法外」 の 目的 の追求 と して の行政 指導 につ いて、便 宜論 で は な く、何 らか の規 範論 的 な正 当化 が可能 な のか ど うか を検討 して み る0 行政指導 を扱 った最 高裁判 決 は、 それ ぞ れ に指導 が行 われ るに至 った背景 や 指導 目的が いか な る もので あ ったか に配 慮 し、 指導 が妥 当 な もので あ ったか ど うか につ き検討 して い る。一 般 に学 説上 、 行政 指導 は少 な くと も組 織 法上 の根 られた官僚組織) と、作用規範 ( 議会によって作 り出された職務内容)の区別が生 じ るわけである。 しか し逆に、官制大権がないならば、両規範 は質的な区別で はな く、 ただ量的な連続性 ということになる。米国行政法学に組織規範 と作用規範 の区別がな いのは、立憲君主制 という歴史的経過を辿 っていないがゆえではないかと推測される。 ちなみに、米国の実定法の中に、日本行政法で言 う組織規範 と作用規範 の区別 を兄 いだすことができないわけではない。ある行政組織の設立を宣言 して、 その名称や構 成 ・任命方法だけでな く、抽象的に書かれる 「 所掌事務」にも触れる条文 は散見 され 「 所掌事務」的な定めは、 しば しば、dut i e sや f unc t i onsの言葉が るところである ( 6U. S. C. §1( 国立公園局の設置)や、4 2U. S. C. §3 0 0c c 用いられる) 。たとえば、1 i e s )がある。他方、わが国でいう作用規範にあた 4 0(エイズ研究局の設置 とその dut る定めは、 しば しば aut hor i z e dや aut hor i t yという言葉を もって書かれることが多 く( たとえば、( 立法的)規則制定や行政命令、検査のほか、一定物品の購入、 施設 整備など、具体的な法的権限を定めるのに使われる傾向があ り、本稿で言 う 「行政機 関による権利義務の創出のための授権」にあたると思われる。三 ( 2)( a)を参照) 。先 6U. S, C. §1 a2( 国立公園局の aut hor i t i e s )、4 2U. S. C.§ の例に対応させれば、1 3 0 0c c 4 1(エイズ研究局の addi t i onalaut hor i t i e s ) がそれに当たる。 しか しなが ら、筆者の知 る限 りでは、米国行政法 ( 学)において組織規範 と作用規範の区別が説 かれることはない。 ( 2 1 0 ) 前出注 ( 1 9 5 ) ( 1 9 7 )及び該当する本文参照。 なお、前 出注 ( 1 6 6 ) ( 1 6 7 )及 び該 当する本文 も参照。 2 2 0 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) 拠がな くてはな らない ( つ まり、所掌事務の範囲内でな くてはな らない) と言 われ るが、最高裁 はそれ以上 に、指導 の追求 している目標ないし目的に即 して、 その正当性を具体的に判断 しよ うとしている。 ( 21 1 ) たとえば、建築確認 の留保 にかか る昭和 6 0年最高裁判決 は、 建築確認制度 とは直接無関係 の政策 目標を、建築主事 ( 直接 にはそれに留保を依頼 した東京 都建築指導課)が追求す ることを許容す るものであ った。 そ してそこで追求 さ れた政策 目標 は、「マ ンション建築 にかか る近隣紛争 は、相対交渉 で解決 され ることが きわめて望 ま しい、重大 な紛争であるとい う認識を、建築主 に共有 し て もらうこと」である。東京都が この政策的価値判断を追求す ることの正当性 について、最高裁 は、建築基準法の究極の目的に反 しないこと、そ して地方 自 治法上の地方公共団体の事務内容 に含 まれ ることを指摘 しただけで、 これを認 めているのである。 ただ し、指導が、私人間紛争を収束 させようとす る努力で ( 2 1 2 ) あったとい う側面 も大 いに強調 されている。 また、負担金 にかかる平成 5年 の ( 2 1 3 ) 最高裁判決 は、 自治体が公共施設等のための費用 ( の〟部) は開発者が負担す べ きであるとい う政策的判断に基づいて指導す ることの正当性それ自体を認め てお り、その理 由として、「 生活環境 をいわゆる乱開発か ら守 る」 ことを目的 とす るものであ り、「 多 くの武蔵野市民の支持を受 けていた こと」 を挙 げてい るO-言で言えば、その政策判断が、武蔵野市 のなかで社会的 コンセ ンサス杏 ( 2 1 4 ) 有す るものであ った ことを意味 しているように思われ る。 これ ら二判決 は、一定の条件付 きなが ら、行政活動の指針が法律 ・条例の形 式 に兄 いだされ ることがな くて もよい 価値判断の行政機関 による追求 - したが って 「法外」 の政策 目標 ・ とい う余地 を認 めて い るよ うに見え る。 では、国会が任務を与え るために設立 されたはずの行政組織 に、なぜそのよう ( 2 1 1 ) ( 2 1 2 ) ( 2 1 3 ) ( 2 1 4) 最判昭和 6 0年 7月 1 6日民集 3 9巻 5号 9 8 9貢。 以上の判旨分析については、中川 ・前掲論文 ( 注1 9 5 )4 6 5 4 9 2頁参照。 最判平成 5年 2月 1 8日民業4 7巻 2号 5 7 4頁。 以上の判旨分析については、中川 ・前掲論文 ( 注1 9 5 )4 9 6 5 0 4頁を参照。 2 2 1 行政活動の憲法上の位置づけ な自由が認め られるのであろうか。 仮に、国会が意図的にそのような自由な活動余地を予定 して行政組織を作 り 出 しているのだという説明をするならば、それは説得力に乏 しい。国会が自ら 作 り出 した行政組織に対 し、国会の示す指針以外の目標 - 行政官が 自 ら考 え出 した目標、あるいは社会的 コンセ ンサス ( 社会的選好)を自ら探 り出 して 得 られた価値観 - に従 って行動せよという指令を国会 が出 していると言 う に等 しく、 これでは明 らかな立法権の放棄 と言 うはかないか らである。 また、 行政機関が社会的コンセ ンサスを、法律 ・条例の形式を超えて、直接に社会か ら読みとってよいということになると、住民投票に慎重な学説一般の論調 ( 礼 ( 2 1 5 ) 会的選好は議会制を通 じて読みとられるべ きであるとい う批判) とも鮎酷する であろう。そ して既 に述べた通 り、上記二判決 にお ける具体的 な政策 目標 - マンション建築紛争にかかる一定の価値観 に建設業者 を与 させ ること、 公 共施設費用の負担者 に少な くとも開発業者が含 まれること- は、 まさに議 会自身による方向付けを典型的に必要 とす る問題 というべ きではなかろうか。 以上を前提 とすると、上記二判決における 「 法外の政策内容を実現する手段」 ●●●● としての行政指導を正当化する方法 は、それを行政機関による行政活動 として 見る限 り、憲法構造上不可能なのではないか と考え られる。それでは、上記二 判決が 「 法外の政策内容」の追求を容認 したことの、( 便宜論 で はない) 規範 的な説明は不可能なのであろうか。 この点 については、 これまでふたっの説明 がなされてきたように思われる (ここか らは、「 行政機関」 で はな く、 あえて 「 行政」 という言葉を用いていることに注意 されたい) 0 ( 2 1 6 ) 第-は、 ここで行政が探 り当てているのは、法律や条例の形式 としては表明 されていないが、 しか し社会にすでにある秩序ない し規範であるという考え方 である。磯部力教授の一連の都市法に関する業績がそ うである。 いわゆる指導 ( 2 1 5 ) 住民投票については、たとえばジュリスト1 1 0 3号 ( 1 9 9 6 )の特集を参照。 ( 2 1 6 ) 以下の叙述については、中川 ・前掲論文 ( 注1 9 5 )4 9 2 4 9 5頁参照。 2 2 2 神戸法学年報 第1 4 号 ( 1 9 9 8 ) ●●●●● 要綱の 「 慣習法」説 も、すでにある規範を発見 してそれを宣言するものだとい う趣 旨である限 りにおいて、 ここに位置づけてよいであろう。 もっとも、現実 の行政指導 ( 指導要綱 に体現 された もの も含む)の多 くは、既存の規範をつか み取 って表現 した ものというよりは、む しろ社会誘導的であるというほうが適 切であろう。そ うであるな らば、 この説明で正当化 しうる行政指導現象は相当 に限定 された ものではないかと思われ、磯部教授が議論の射程を 「 都市的空間」 に限定 しているの も、そのためと思われる。 また、教授 自身認めるように、 こ れは法治主義 とは別の法空間における説明を試みるものである。 第二の説明方法 として、原田尚彦教授の言 う 「 調整者 としての地方公共団体」 という視点がある。 ここでは、行政指導の主語が、個々の 「 行政機関」ではな く、端的に 「 地方公共団体」 となっている点が注 目される。同時に原田教授は、 行政指導への好意的評価の理由のひとつ として、「 憲法 自身が、 国 の行政の責 任を内閣の もとに統一 し、内閣が国会に対 し政治的責任を負 う---としている こと、地方公共団体の長 は住民の公選であり、住民 に対 し直接的な政治責任を ( 2 1 7 ) 負 うたてまえをとっていることを考えれば」 と指摘 していることも考えあわせ ると、原田教授の指摘 は、次のように展開す ることが可能であるように思われ る。すなわち筆者の言 う 「 法外」の政策 目標 ・価値判断を追求する行政指導は、 ●●●●●●●●● 国であれば内閣や国会、地方であれば首長や議会 といった政治的存在による活 ● 動 という観点か ら評価 され るべ き現象ではないかということである (したが っ て、法律の留保論それ 自体の射程の外にある) 。 この種の行政指導を、行政機関 ●●●●●■●●●●●● による行政活動 として見 る限 りは、端的に 「 法外」 というはかな く、その適法 性ない し妥当性を判定す ると言 ってみて も ( 最高裁 はその判定を行 っているよ うであるが)、その内実が何であるかを説明することは至難である。 すでに述 3条 1項) べたように、内閣 は憲法上の職権 として 「 国務を総理する」( 憲法 7 ( 2 1 7 ) 原田 『要論』7 4亘。 行政活動の憲法上の位置づけ 2 2 3 の一環 として、また地方公共団体の長 はまさに首長 として、それぞれ国家ない し当該 自治体において、何が望ま しい社会的状態であるかを恒常的に考え、社 会に対 して必要な様々な働 きかけをすることが予定 されている。そのなかに、 「 法外の政策内容を実現する手段」 としての行政指導 は、位置づ け られ るべ き ではないかと言 うわけである。原田教授が、「国民 と日常接触 して いる行政 に よってとりあげられ、いろいろな試行錯誤の過程を経て、行政捨置 ( 行政指導、 要綱、協定など)のなかに具象化 され、やがてその実効性が実証 され、かっ関 係者の合意が得 られたとき、はじめて正規の条例な り法律 として結実 されるこ ( 2 1 8 ) ととなる」 と述べているのは、まさにそ うした次元で捉え られるように思われ るのである。そうした意味での 「 行政」 は、行政機関ない し、本稿で言 う行政 活動を担 う行政組織ではな く、内閣や首長 レベルの判断が前提 になっているこ とが黙示 されるものであるように思われる。そうした 「 行政」が、社会的 コン センサスの所在を探 り当てる努力を行い、何 らかの方針を宣言 し (しか し既存 の法律に明示的に反することはできない)、配下の行政組織 に必要 な措置を と らせ - 指導や自主規制の働 きかけを含む- 、 また機が熟せば立法化 ・条 例化を働 きかけることが、憲法構造上、その職責 として認め られているのであ る。建築確認の留保にかかる昭和 6 0年最判が、 建築主事 と建築指導課 のいず れをも主語 とせず、単に 「 地方公共団体」の責務を論 じていたのは、そのよう な観点か ら理解することがで きよう。 また、負担金 にかかる平成 5年の最判が、 議員総会の承認があったことを指摘 していることも同様である。そ していずれ の判決 も、関係する法律の究極の目的に反 しないことを確認 しているのは、示 唆的である。 ここに、行政機関 としての自治体の首長ではな く、政治的存在 としての自治 体の首長が行 う活動 としての行政指導の正当化 という論理を兄いだす ことが可 ( 2 1 8 ) 原田 『要論』7 5頁。 2 2 4 神戸法学年報 第1 4号 ( 1 9 9 8) 能ではなかろうか。内閣や首長 自身が この種の指導をするわけではなく、具体 的実施 は各省庁や部局 に委ねざるを得ないであろうが、 これは内閣や首長が下 した判断の現場的執行が委任 されたものという性格付けで捉え られるべきであ ろう。「 外圧」 に配慮 して通産省が輸出自主規制を業界に要請 した り、 エネル ギー確保の観点か ら郵政省が深夜放送の自粛を求めるといった行政指導は、そ れぞれの省庁が国会の創出になる行政活動 として行 っているというよりはむ し ろ、内閣 レベルの憲法上の 「 行政権」ない しその 「 職権」の行使 ( 対外的配慮、 行政活動の総合調整)が、各省庁を通 じて対外的に表示 されているという性格 付けで理解すべ きものであって、行政活動の一環 として説明することは放棄す べきではないか というわけである。逆 に言えば、内閣や首長 とは区別された意 味での、行政機関だけの レベルで、「 法外」の政策 目標を達成 しよ うとす る指 導 は、憲法構造上その存在する場所 は無いか、あるいは極めて狭いと言 うべき ではなかろうか。行政過程 における 「 協働ないし総合調整の視点が、行政行為 論の 『デジタル思考』 にはのりに くく、 これをどう、法制度設計に組み込むか ( 2 1 9 ) が問題である」 ことが指摘 されるが、以上のような発想 も有効ではないかと思 われる。 七 結 論 以上か ら明 らかになったのは、第- に、「 権力分立」 と 「 法の支配 ・法治国」 それぞれか ら生 じる、「 行政活動」にかかる憲法上の諸要請 をマ トリクス化す るな らば、そこに 1 0以上の問題分野を析出できることである。 その うち、 わ が国の学説 に現れた法律の留保論 (日本国憲法下の もの) は、 3つの問題分野 を問 うものということができる。 ( 2 1 9) 判例地方 自治 1 5 7号座談会 1 8頁 ( 1 9 9 7 )( 森田朗発言)0 行政活動の憲法上の位置づけ 2 2 5 第二 に、わが国の法律の留保論の 3つの意義それぞれについて、米国行政法 での対応物を見つけることは不可能ではない。 とはいえ、権利義務創 出の授権 としての法律の留保論や、抑制的行動の要求 としての法律の留保論 における問 題意識 は、米国で も議論や法規定が皆無で はないとい う程度であ り、 いわゆる メインス トリームで議論 され るような重要 トピックであるとは認識 されていな い。初歩的でマイナーな問題 に過 ぎないとい う扱 いである。例外 は、米国で政 府契約 にかかる 「 法律の留保」 (日本式 に言えば) とい う問題 が しば しば論 じ られていることくらいであるが、 しか し逆 に、 この問題 は日本行政法で は留保 論 としては論 じられていない。 3つ目の問題分野 ( 桐密 な実体ルール) について言えば、わが国の全部留保 説や本質性留保説 ( 重要事項留保説) に相当す る事柄が、米国では、一方では、 表現の自由や実体的デュープロセス論 などといった人権論 ( 達意審査論) とし て展開 されてお り、他方では、民主主義的決定を議会が してお くべ き事柄 は何 かという立法権の委任禁止法理 として議論 されているところに相当す ると言え る。 第三 に、 これは日本法 における今後の課題であるが、行政指導や 自主規制要 請 という手段を用いて、行政機関が 「 法外」 の政策 目標 ・価値判断を追求す る ことがなぜ規範的に許 され るのか という問題 について、行政活動 としての行政 指導 と、内閣や首長が政治的存在 として行 う ( 少な くともその判断が介在 して いる)行政指導 とを区別 して議論す ることが、憲法構造 には適 合的ではないか と考え られ る。 本稿では、 日米の行政活動の憲法的位置付 けの分析を、共通 のマ トリクス化 を通 じて試み、以上のような結論を得 た次第である。 0年度奨励研究 A) お よび伊藤謝恩育英 *本稿 は、文部省科学研究費 ( 平成 1 財団 (日本研究助成) による研究成果 の一部である。