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大会 タイカイ プログラム - 九州大学大学院言語文化研究院

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大会 タイカイ プログラム - 九州大学大学院言語文化研究院
平成二十一年度(第五十七回)
九州中国学会大会要項
期
日
平成二十一年
五月十六日(土)
五月十七日(日)
会 場
西南学院大学二号館
平成二十一年度(第五十七回)九州中国学会大会開催のご案内
拝啓
春分の候、会員の皆様には益々ご清祥の段、お慶び申しあげます。
さて、先般ご案内申し上げておりましたように、来たる五月十六日(土)及び十七日(日)
の両日、西南学院大学(二号館)におきまして、平成二十一年度九州中国学会第五十七回
大会を開催致します。会員の皆様には、奮ってご参加下さいますようお願い申し上げます。
本年は本会名誉会員の町田三郎先生のご講演と十四名の方の研究成発表を予定していま
す。皆様のご協力を頂き、活発な質疑応答で盛会となりますことを念願しております。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
敬具
平成二十一年三月二十日
九州中国学会会長
平成二十一年度大会開催校代表
竹村 則行
邊土名 朝邦
*なお、出欠のご意向を、同封の葉書にて四月二十日(月)までにお知らせ下さい。
平成 21 年度(第 57 回)九州中国学会大会概要
日
時
行
事
場
所
10:00
理 事 会
学術研究所大会議室
5
13:00
受付開始
2号館2階フロア
月
13:30
開 会 式
16
13:40
研究発表
日
15:50
講
演
(土)
17:10
総
会
18:00
懇 親 会
5
8:30
受付開始
月
9:00
研究発表
17
12:10
昼
日
13:10
研究発表
(日)
15:30
閉 会 式
2号館203教室
西南クロスプラザ2階ホール
食
2号館203教室
注意事項
*昼食
16 日(土)は、生協食堂、西南クロスプラザ(1階レストラン)いずれも開いておりますの
で、昼食はそこで各自お取り下さい。17 日(日)は両食堂とも閉まっており、また学外では
時間がかかります。ぜひ弁当(1000 円)を予め同封の葉書でご注文下さい。受付で引換チケ
ットを配ります。当日求められてもご用意できませんので、ご注意下さい。
理事会に出席される方については、当方で用意します。
*当日の費用
大会参加費 1,000 円(会員以外の一般参加も同じ)
懇親会費 5,000 円(院生は 4,000 円)
*学会費は会場では徴収しません。同封の振込み用紙でお振り込みください。
*学会報は本年度より別送することになりました。当日は配布しませんのでご注意ください。
*大会事務局連絡先
〒814-8511 福岡市早良区西新6丁目2番 92 号
℡
Fax
邊土名 朝邦
092-823-4234
092-823-2506(国際文化部 邊土名宛と必ず明記して下さい)
E-mail
*懇親会会場
西南学院大学
[email protected]
西南クロスプラザ(東キャンパス)
℡ 092-833-9822
大 会 日 程
五月十六日(土)
理事会(十時~十三時)
受付開始(十三時)
【開 会 式】
(十三時三十分)
【研究発表】
(十三時四十分~十五時四十分)
①中国における宗教の観光資源化の特徴 ―仏教とキリスト教を中心に―
駄田井直子(西南学院大学大学院)
〔司会〕柴田 篤(九州大学)
②金履祥の書経学について ―『書経注』を中心として―
青木洋司(九州大学大学院)
〔司会〕近藤則之(佐賀大学)
③「他是去年生的孩子」の二義性について ―沈家煊 2008 の“移情”説批判―
山口直人(大東文化大学)
〔司会〕秦 耕司(長崎国際大学)
④「意象」詞義考釈 ―「漢書系列」を中心に―
羊 列栄(復旦大学・九州大学)
〔司会〕石 汝傑(熊本学園大学)
(休憩)
【講演】
○庄野寿人氏と「亀陽文庫」
名誉会員 町田三郎
〔司会〕邊土名朝邦(西南学院大学)
【総会】
(十七時十分~)
【懇親会】
(十八時~)
五月十七日(日)
受付開始(八時三十分~)
【研究発表 午前の部】
(九時~)
⑤左思「三都賦」と地方志
栗山雅央(九州大学大学院)
〔司会〕松浦 崇(福岡大学)
⑥徳宗朝楽府制作と元稹「楽府古題序」
長谷川 真史(九州大学大学院)
〔司会〕諸田龍美(愛媛大学)
⑦少数民族民間文学からみる婚姻観 ―中国雲南省納西(ナシ)族を中心に―
金縄初美(西南学院大学)
〔司会〕甲斐勝二(福岡大学)
(休憩)
⑧蘇軾文集の成立に寄与した四川の姻戚について
原田 愛(九州大学大学院)
〔司会〕東 英寿(九州大学)
⑨中国語の結果補語と使役義獲得
秋山 淳(九州大学非常勤講師)
〔司会〕西山 猛(九州大学)
⑩高校国語科における唐詩教材について
金山真吾(大和高校)
〔司会〕藤井良雄(福岡教育大学)
(昼食十二時十分~十三時)
【研究発表 午後の部】
(十三時十分~十五時二十分)
⑪瓊浦佳話の研究に関して
許麗芳(台湾彰化師範大学)
〔司会〕連 清吉(長崎大学)
⑫台湾の「国語」における軽声消失傾向
―「コイネ化」現象と教育による定着化の可能性について―
有働彰子(西南学院大学非常勤講師)
〔司会〕連 清吉(長崎大学)
(休憩)
⑬上海図書館蔵『鮑氏集』の資料的価値について
―第二の毛校宋本『鮑氏集』―
土屋 聡(日本学術振興会特別研究員)
〔司会〕静永 健(九州大学)
⑭介子推伝説と雑劇「介子推」
土屋育子(佐賀大学)
〔司会〕竹村則行(九州大学)
【閉会式 十五時三十分】
発 表 要 旨
①中国における宗教の観光資源化の特徴
―仏教とキリスト教を中心に―
駄田井直子(西南学院大学大学院)
現在中国では、多くの観光地が宗教(寺院など関連施設及び儀式)と結びついている。例えば、アモイ市
南普陀寺、北京市雍和宮、カシュガルのエイティガール寺院など、枚挙にいとまがない。この「宗教の観光
資源化」は中国五大宗教の仏教、イスラム教、道教および民間信仰で顕著であるが、仏教などと同様に中国
五大宗教に数えられるキリスト教(カトリック、プロテスタント)が観光資源として活用されることは少な
いという印象を受ける。
本発表では観光資源化が特に著しい仏教と、逆に観光との結びつきが薄い感があるキリスト教との比較を
通して、中国における宗教の観光資源化にはどのような特徴があり、観光資源化される場合とされない場合
の相違点に関して、主に、何に「観光のまなざし」が向けられているか、という視点から事例を挙げて考察
する。
②金履祥の書経学について ―『書経注』を中心として―
青木洋司(九州大学大学院)
宋末元初の金履祥(一二三二~一三〇三)は、何基、王柏、金履祥、許謙と続く金華四先生の一人として
知られ、元代を代表する朱子学者である。金履祥の学問は多岐にわたるが、
『書経』に注釈を施した著作に『書
経注』と『尚書表注』とが存在する。従来、金履祥の書経学は、
『尚書表注』を中心として分析され、師の王
柏の学統を受け継ぎつつも、
その過激な解釈を退け、
比較的穏当な解釈を行ったものとして評価されてきた。
しかし、
『書経注』には『尚書表注』では確認できない経文改訂が存在するなど、両書の『書経』注釈には異
同が多く見える。
本発表では、看過されてきた『書経注』の内容を検討し、成立時期や他史料との関係を探り、その上で『書
経注』に見える経文改訂の手法について分析することにより、金履祥の書経学の特徴を明らかにしたい
③「他是去年生的孩子」の二義性について
―沈家煊 2008 の“移情”説批判
山口直人(大東文化大学)
「他是去年生的孩子」は二義文である。
①彼は去年生まれた子供です。
(彼=子供)
②彼は去年子供が生まれたのです。
(彼=子供の父親)
②の意味を持つ文が「他是去年生孩子的」あるいは「他,孩子是去年生的」という文から「移動」を経て
生成されるとする考え方がある(赵元任 1968、朱德熙 1978)
。沈家煊 2008 はこうした「移動説」を批判し、
氏がかねてより主張する「糅合 blending」の手法に「感情移入」
、
「主観同一性」といった考え方を加えた代
案を提出している。
本発表では以下の2点を主張したい。
(1)上の②の意味を持つ「他是去年生的孩子」を、一種の「ウナギ文」として解釈する沈氏の考え方に
は同意できない。
(2)上の①と②では構造が異なる。①のとき、
“的”は関係節マーカーとしての「構造助詞」であるが、
②のとき、
“的”はCPを範疇選択する「語気助詞」である。
④「意象」詞義考釈
―「漢書系列」を中心に―
羊 列栄(復旦大学・九州大学)
中国の古典中に常用される「意象」は、従来西洋の文学理論に所謂「image」
(形象)に当たる語として多
く解釈され、
『文心雕龍』神思篇に見える「意象」も同様に解釈されてきた。だがまさに「言象」が単に「言」
を指すのと同様、
「意象」も元来は「意」を意味する語である。この偏義性は唐代においても既に見られる。
「意象」は宋代に多く用いられ始めるが、
『漢書』李広蘇建伝に基づき、合成語として人物を指すことを特徴
とする。今、これを「漢書系列」と呼び、
『周易』繋辞伝に基づく「周易系列」とは区別する。宋代には「気
象」で人物を論じる風潮のもと、
「漢書系列」の「意象」には「気象」の意味が派生し、詩文書画の理論にお
いても広く用いられるようになった。一方「周易系列」の「意象」は、二字が各々個別の概念を保ち、或い
は別々に用いられ、その時「象」は初めて形象の意味を持つに到る。
<講演>
庄野寿人氏と「亀陽文庫」
名誉会員
町田三郎
福岡を代表する漢学者は、貝原益軒と亀井南冥・昭陽親子である。益軒の高名に対して亀井父子の学問を
知る人は少ない。その理由は寛政異学の禁の余波をうけて、古学派の亀井の著作は禁書扱いとなり、次第に
埋没してしまったからである。庄野寿人氏はこの状況を憂え私財を投じて亀井の著作を蒐集し、秋月、能古
島に「亀陽文庫」を開設して亀井学の興隆を図った。その最たるものが『亀井南冥・昭陽全集』八巻の刊行
であった。
⑤左思「三都賦」と地方志
栗山 雅央(九州大学大学院)
左思の「三都賦」には、小尾郊一氏や近年では戸高留美子氏に論考があるが、いずれも写実的・実証的描
写を特徴とし、作品の制作意図もそこにあったとしている。これら先行研究における「三都賦」の位置づけ
は、あくまでも文学史上のものである。確かに「三都賦」には、魏末晋初に編まれた地方志に依拠した記述
が見られる。しかし、そもそも何故左思は「三都賦」を制作したのか。この問題は未だ充分に考察されてい
るとは言えない。そこには、従来指摘されていない様々な要因が関係していると思われる。
本発表では、魏末晋初において地方志が盛んに編まれた事実に着目し、左思の「三都賦」制作と当時の社
会状況との関係について指摘する。更に、以上の指摘に加え、魏末晋初という時代背景や左思自身の詩文に
基づく制作時の左思の境遇も踏まえ、左思が「三都賦」を制作した背景について考察したい。
⑥徳宗朝楽府制作と元稹「楽府古題序」
長谷川 真史(九州大学大学院)
元稹「楽府古題序」は、
「歌詩」と「楽府」について、音楽と諷諭の両面から論じたものである。就中、
「歌
詩」については、源流を『詩経』にまで溯って「歌」と「詩」との厳密な区別を示しており、元稹が当時の
「歌詩」制作を批判的に捉えていたことを窺い知ることができる。
元稹がこうした批判を展開する背景として、徳宗朝においては楽曲に付すことを前提とした「歌詩」を制
作する風潮が見られる。
「歌詩」制作は、徳宗皇帝自らの主導の下、当時の有力な文人たちの楽府制作に多大
な影響を及ぼした。これは、当時の政治状況において、音楽制作が対外政策の一環として重要な地位を占め
ていたことに起因する現象であると考えられる。
本発表では、徳宗期における対外政策としての「歌詩」制作について考察し、元稹が「楽府古題序」にお
いて「歌詩」を批判の対象とした理由を探りたい。
⑦少数民族民間文学からみる婚姻観
―中国雲南省納西(ナシ)族を中心にして―
金縄初美(西南学院大学)
中国少数民族民間文学は、神話、歌謡、寓話などと共に民間文学の一分野として分類されている。それは
口頭伝承が多く、社会変化に伴って伝承が経たれる場合も多い。そこで中国では、一九五〇年代から民族工
作の一環として少数民族民間文学の調査、聞き取り、収集がおこなわれ、各民族の「文学集成」や「文学史」
が数多く編纂された。しかしこれまでは少数民族民間文学と各共同体における生活や思想との関わりについ
てはあまり研究されてこなかった。
本発表では、共同体の形成や維持と密着し、生活への理想や思考が反映される「婚姻」に焦点をあて、現
地で調査した現在の婚姻状況とも照らし合わせながら、少数民族民間文学の分析を通じて、中国少数民族の
なかでも特に多様な様相と変遷をみせる雲南省納西(ナシ)族の婚姻観について検討したい。
⑧蘇軾文集の成立に寄与した四川の姻戚について
原田 愛(九州大学大学院)
晩年の蘇軾は、新法党によって嶺南に貶謫されながらも、創作を継続した。また、蘇軾の末子蘇過は、終
生その創作を補助し、その遺文を継承していった。このような苦境にあった彼らには、蘇氏一族はもちろん
だが、蘇軾の同郷で、姻戚関係をも結んだ程氏や范氏の助力もあった。例えば、蘇軾の表弟である程之邵・
程之元は、嶺南にいる蘇軾を経済的に援助したり、彼の書簡等を保管したりしている。
しかし、先行研究においては、蘇軾の姻族に関して少しく言及されているものの、蘇軾の創作活動との関
係や文集編纂への影響についての詳細な研究はほとんど見られない。そこで、本発表では、蘇軾と姻戚関係
にあった程氏を筆頭とする四川の豪族たちと蘇軾の関係を検討し、彼らの果した役割について検証したい。
そして、北宋文人の宗族の実態及び蘇軾の文集の成立を究明することによって、宋代文学の新たな側面を照
射したい。
⑨中国語の結果補語と使役義獲得
秋山淳(九州大学非常勤講師)
中国語の統語表現の特徴の一つに時間順序原則がある(Tai1985)。
それは動作発生順序に出来事を配列する
ものである。それには―(1)我买票进去/(2)他上楼睡觉―のような連動文がある。(1)は”买票””进去”のフレーズ、
(2)は”上楼””睡觉”のフレーズが動作の発生順序に従い並べられ、
後の動詞フレーズが前の動詞フレーズの目的
を表す。動詞を並べる例としては―(4) 我们笑着头也不回地走出浴室/(5)雷公劈死了蜈蚣精―などがある。(4)
の”走”は動作(手段/様態)を、”出”は方向を表す。(5)の”劈”は”雷公”の動作を、”死”が”蜈蚣精”の状態(変化)を表
す。(5)は動結式の結果補語である。本発表では(5)の”劈”や”死”のような動詞が連動文のように事象の発生順
序通りに並べられることにより、主体の動作が客体の変化を引き起こす使役義を獲得することについて認知
言語学の観点から明らかにしようとするものである。
⑩高校国語科における唐詩教材について
金山 真吾(大和高等学校)
戦後、高等学校で漢文は国語科の中で教えられるようになった。現在では、漢文は時間数が削減され、
「古
典」の一分野として学習が行われている。その中で唐詩は教材として採られ続け、例えば現在の『新編国語
総合』
(大修館書店)ではテーマ別に編集され、王維「送元二使安西」や李白「黄鶴楼送孟浩然之広陵」は「友
情のうた」に収められる。これは、これらの詩が友情を考える重要な教材として位置づけられていることを
示すものである。
本発表では、これら二首を特に取り上げ、明治の中等学校の教科書から現在の「国語総合」の教科書まで
における採択状況を調査することで、両作品が国語科の教材として如何にその位置づけが変遷したかを明ら
かにし、またそれを踏まえて、両作品を用いた高校国語科における唐詩教育の実践の可能性を提示したい。
⑪瓊浦佳話の研究に関して
許 麗芳(台湾彰化師範大学)
本研究擬分析話本小 說 《瓊浦佳話》。這本小 說 為抄本,僅見一至四卷,殘卷。目前為
止,尚未有相關的研究。
根據小 說 內 容判斷,《瓊浦佳話》應是十八世紀 時期的作品,小 說 內 容以日本長崎為敘
事的舞台,主要是敘述中國清朝時,渡海到長崎從事貿易的唐人之相關活動,具有明顯的「話」
的特 徵 ,從中可見當時在長崎的唐人的經商活動與生活細節,也可以發現長崎地區有關通商
的相關官職或制度,以及對於當地居民的生活影響。《瓊浦佳話》類似清朝其他話本《雨花
香》或《通天樂》之形式,也就是沒有具體的情節脈絡,也沒有特定的人物,而是閒話家常
的形式。
本 研究將 判斷《瓊浦 佳話》的 作 者身分與成 書年代,嘗 試確定是中 國的話本小 說 或是
日本人的漢文作品,並且考論小 說 內 容,如清朝沿海通商的情況、長崎唐通事的制度及海外
通商等相關史事,期待對於這本小 說 有進一 步 的認識與研究。
⑫台湾の「国語」における軽声消失傾向
――「コイネ化」現象と教育による定着化の可能性について
有働彰子(西南学院大学非常勤講師)
台湾の「国語」に見られる軽声の消失傾向は顕著である。これは、音声面における一種の「コイネ化」現
象ではないだろうか。
「コイネ」とは、複数の言語変種が混合されて形成される新しい言語体系であり、
「コ
イネ化」を特徴づけるのは主に「均一化」と「単純化」という二つの過程である。本発表では、特に「単純
化」
、すなわち「不規則な要素が廃れ規則的なものに移行していく過程」が台湾における軽声消失の大きな要
因であると考え、実態調査をもとに検討する。さらに、学校教育がその傾向に拍車をかけたのではないかと
いうことについても考えてみたい。なぜなら、教育の発達した社会における言語の変化には、
「
(学校で)ど
のように教えられたか」という問題が少なからず関わっているはずであり、それは言語変化のメカニズムの
解明という課題においても一つの重要な視点だからである。戦後初期から現在までの「国語」教育の実態を
通し、軽声の消失傾向という言語現象と「国語」教育との関連について考察してみたい。
⑬上海図書館蔵『鮑氏集』の資料的価値について
―第二の毛校宋本『鮑氏集』―
土屋 聡(日本学術振興会特別研究員)
上海図書館蔵『鮑氏集』
(以下、上海図書館本)は、従来注目されなかったが、六朝宋・鮑照(四一四?~
四六六)の本文研究において、今後参照するべき重要な資料と思われる。なぜならば、この本は、
『四部叢刊』
所収上海涵芬楼影印毛斧季校宋本『鮑氏集』
(以下、
『四部叢刊』本)とは異なる、第二の毛校宋本を写した
形跡が認められるからである。
『四部叢刊』本は、毛扆(字は斧季。一六四〇~一七一三)が宋本に拠って校讎したものであり、宋本の
原状が窺われる貴重なテキストである。しかし、校本である以上、校正の不備が残る可能性は否定できない。
上海図書館本は、これを補正できるのである。
本発表においては、第二の毛校宋本の存在を示唆する異同について報告し、上海図書館本の資料的価値に
ついて検討したい。
⑭介子推伝説と雑劇「介子推」
土屋育子(佐賀大学)
介子推といえば、寒食の起源として人口に膾炙している人物である。ところが、つとに指摘のあるように、
介子推焚死の話は、
『左伝』僖公二十四年、
『史記』
「晋世家」には述べられておらず、漢代以降に成立したも
のと考えられている。後漢には、
『後漢書』
「周挙伝」などに見えるように、寒食の風習と介子推の伝説が結
びつき、山西地方に広まっていたようである。
この介子推伝説を題材とするのが、元刊雑劇三十種の一つ「晋文公火焼介子推」雑劇である。作者は、
『録
鬼簿』の記述から、山西出身の狄君厚とされている。本発表では、雑劇「介子推」が介子推伝説をどのよう
に取り入れ戯曲化しているのか、両者の関係について、資料等を示しつつ私見を述べたい。
学会会場
西南学院大学2号館
懇親会会場
西南クロスプラザ(東キャンパス)
◇ 交通案内 ◇
●地下鉄西新駅から徒歩5分
●大学に駐車場はありませんので交通機関をご利用ください。
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