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2014 年世界災害報告書:文化とリスク
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2014 年世界災害報告書:文化とリスク
World Disasters Report 2014 – Focus on Culture and Risk
国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)
(仮訳)鹿児島大学名誉教授 岡本嘉六
緒言 (あとで)
第 1 章 文化とリスクの関連性
ハリケーン・カトリナが 2005 年に米国を襲った時、一部の政治家(たとえ
ば、Spencer, 2005)と多数の被災者は、それはニユー・オーリンズの罪深い行
動に対する神の罰だったと信じた(Stephens et al., 2013)。2011 年の地震と
津波に対して、一部の日本人は神々を非難し、他の者達は伝統的な文化(たと
えば、権威に対する恭順と服従)が破損した福島原子炉のメルトダウンにつな
がった要因だと考えている(ボックス 2.4 参照)。西アフリカにおいて、
Cameroon 山は数年毎に噴火する火山である。多くの人々の信念を反映する一
人の村長は、「山の神が怒った時、山は噴火する。生贄を奉げることによって
神の怒りを静めることができるので、それらの噴火に備えることはしない」と
言った。溶岩が海に向かって流れる時、それは「山の神と海の神とのコミュニ
ケーション」である(Brewer, 2013)。ラテンアメリカ(Fainaru, 1997)およ
びインドネシア(Merapi 山についてのボックス 2.3 を参照)の火山に住む先住
民の人々の間に似たような物語がある。これらの全ての場合において、たとえ
ば、警告後の避難に人々が従わないなど、防災活動は困難に遭遇した。
全世界で、大半の人々は、自らの文化に基づく少なくとも部分的なリスクの
受止め方と対応を保持している可能性がある。マイアミでは、3 名の上級政治家
が、気候変動が起きていることを否定する文化によって、嵐と海面上昇から都
市を保護する行動を取ることを拒否した(McKie, 2014)。英国総理大臣は、気
候変動「否認者」である Owen Paterson 氏を 2012 年から 2014 年まで環境大
臣に任命し(Carrington, 2014)、科学的証拠の受け入れを拒否する権力に根付
いた文化を証明した。多くの様々な国々のリスクの文化的な受止め方は、国の
科学的な「西洋風」の見解とその他の人々の「奇妙な」信念との間に単純な境
界がないことを示している。人々の文化に関連するリスクについての論拠の別
の例は、どこでも見つけることができる。興味深い事例は、南太平洋のバヌア
ツ共和国の Torres 諸島にあり、人々は津波のような危険を認識している。キリ
スト教の宣教師が到着する前に、彼らはこれらの災害を「黒魔術(black magic)」
の所為だとした(Ballu et al., 2011)。リスクを避けるために、彼らは内陸の海
-1-
抜 100 m に家を建てた。しかしながら、キリスト教への改宗によって、文化は
変わり、人々はこれらの災害を「黒魔術(black magic)」の所為だともはやせ
ず、海岸の危険地帯に彼らの家を移動した。
何故、人々はこれらの方法でリスクを受止めて対処するのか? そして、何
故、災害に備えて対応を準備する組織は、人々のリスク文化と呼ぶことができ
るものをほとんど無視するのか? この「2014 年世界災害報告書」は、災害を
誘発する自然災害に関連するリスクを検討する。いずれ分るように、リスクを
定義する方法が文化と関連していることから、「災害リスク削減(DRR)」に
関与している人々と組織がリスクに関連して活動すべき方法に異なる意見を持
つ可能性がある。それらの組織は、深刻な危害について人々が彼らと同じ論理
で行動することを望むと仮定する。組織は、自らの見解が合理的で科学的であ
ると思い込み、それがリスクを最小限に抑えるあらゆる人々の優先事項である
と考える。しかし、それはもっと複雑であり、ほとんどの DRR 組織はその複雑
さを認めるが、それを実際にもっと突き詰めるとは限らない。
気候変動および極端な出来事や脆弱性増加との関連性は、益々重要になって
おり、文化の意義を理解することとも結び付けなければならない。気候変動は、
その適応のために必要な活動から DRR を分けることができないので DRR に含
まれている(気候変動に関する政府間パネル;IPCC, 2012)。地球温暖化は、
気候に関連した危害の頻度や重大度を増加させる原因となっている。そして、
気候の傾向(降雨量、気温および異常度)は何億もの人々の生活を危うくして
いる。このことは、人々を一層貧しくさせ、あらゆる危害(気候変動に関連し
ていないものを含む)に対して脆弱にしている。この報告書は、気候変動の詳
細を扱っていないが、それと災害が関連していることを指摘し、したがって、
気候変動への適応と DRR を統合し、その両方に関連して文化を考慮することが
不可欠である。ミレニアム開発目標および兵庫行動枠組への今後の取組みに
DRR をより適切に組み込んでいくことが期待される。(つづく 2014/11/4)
何故文化か?
この報告書は、文化が災害リスク軽減のより中心課題と何故みなされないの
かと問いかけている。文化に関わる事項を様々な方法で見つめることによって、
DRR に関与する人々がどのように文化を組込み、それを実行することで有効性
を向上させるかを査定する。文化とリスクの相互関係は、宗教と信条(2 章)、
生活の必要事項とリスクの受止め方(3 章)、リスクの判定および文化の定義に
おける力関係の重要性と地域社会のその他との組み合わせ(4 章)、人々が生活
している場所ならびに家の種類と建築方法に関する文化の影響(5 章)、病気と
健康についての人々と組織の双方の態度と信念(6 章)を含め、人と組織の行動
-2-
の多くの側面に関係している。文化は、フォークソングとダンス、祈りと宗教
的慣行から、携帯電話でサイクロンの警告を受信した者が参加するかどうかま
で、リスクに関連して多くの方法で表わされる。ここでの焦点は、とくに自然
災害、病気および気候変動に置かれている(脆弱性の軽減を支援するために DRR
を統合する必要がある場合)。避難、建設および健康に関する本章とは別に、
対応と再建よりもむしろ災害への備えが強調されており、議論される内容の多
くが災害後の状況にも関係していることを読者は理解するだろう。
文化は、非常に複雑で、信念、態度、価値観および行動を含んでいる。図 1.1
は、この複雑さの一部を示しており、2013 年にこの報告書の共同編集者が主催
した文化と災害に関する会議での議論の 2 日間の視覚的な記録を提供している。
また、文化には、争う余地のない、単一の定義は存在しない。代わりに、この
報告書は、とくにリスクと関連する人々の信念、態度、価値観および行動のい
くつかの側面、生活の場で直面する自然災害にひとびとがそれらをどのように
関連付けるかを調べる実用的な取組み方を採用している。ただし、社会的、政
治的および組織的な構造は、文化を「創造する」過程の一部であり、それを通
して機能していることをこの報告書は認識している。文化そのものが、社会を
動かす広範な過程、とくに力関係を反映している。文化の複雑さと定義の問題
を扱う代わりに、この報告書は、人々と組織がどのようにリスクに対処しよう
とするかについての関連性の意義を調べることに限定した。このことは、文化
が生活のあらゆる側面に埋め込まれているという認識の下で行われた(リスク
の定義方法も含む)。宗教、生活、地域社会、住宅、健康に対処する一連の章
を通して、この報告書は、文化がそれ自身をどのようにして明示するか、それ
が何故災害リスク軽減に関連するかを示している。
-3-
図 1.1. 文化、リスクおよび災害の関連性の複雑さ
出典:2013 年にドイツ Erlangen で開催された「文化と災害」会議の議論を
Gabriele Schlipf 氏が報告した図。
したがって、この報告書はm文化の全ての側面を扱っておらず、特定の種類
のリスクを取上げて、文化がそのリスクに関連した受け止め方と行動にどのよ
うに関連するかを調べた。そして、リスク自体が文化的に定義されることから、
この報告書の本章とその他の章において、DRR 組織は被災した人々のリスクの
定義と異なる定義を持つという問題を取り扱っている。したがって、「2014 年
世界災害報告書」は、リスク問題およびリスクがどのように様々に受留められ
るかに関連して文化をとくに定義している。
「文化は、危害に曝された場所の多くの人々に共有されている信念、
態度、価値観およびそれらが関係する行動から構成されている。リスク
に関連する文化は、人々がリスク解釈して生活する方法、彼らの受留め
方、態度および行動が災害への脆弱性にどのように影響するかを指して
いる。」
信念や態度は、リスクを受留める特別な方法を導き、価値観は、人々がリス
クを優先順位付けする方法、ならびにリスクに対処する際他の人々関わる方法
に影響を与え、行動は、リスクに関連する受留め方と価値観の結果である。こ
れは、人々が互いにおよび力関係の流れにおいて組織と関係を持つ方法に全て
根ざしている。文化は、規則集のような「一式のもの」ではなく、永遠に固定
された不変のものでもない。そうではなく、リスクに関連して重要な問題は、
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文化は日々の営みと実践について規範と思い込みにおいて人々に影響する特別
な方法で働くことにある。これらは、親および年長者から部分的学ぶとともに、
より広範には教育とメディアを通したより広範な仲間から学ぶ。
文化を見つめて理解することが重要な理由は、その多くが危害に関連してい
ることにある。文化は、リスクについての信念、ならびにリスクに関連して何
を優先し、どう行動すべきかについての態度と価値観にしばしば埋め込まれて
いる。文化を理解することは、したがって、災害への備えと気候への適応を実
行する方法と高度に関連している。たとえば、2008 年に Kosi 川の壊滅的な洪
水に被災した Bihar 州 (インド)北部の人々が、Kosi の女神によって彼らの悪
行が罰せられたと信じた時、DRR 組織は何をしなければならなかったか? 多
くの人々は、彼らにおそらく不満だった女神にもっと祈り、供物を奉げなけれ
ばならないと考えた(Crabtree, 2010)。これは、祈りが人々のできる全てであ
ると仮定する文化の原型について論じているのではなく、ここでの関心事は、
多くの組織がリスクと災害の文化的な解釈をほとんど無視していることにある。
このような信念や対応が考慮されないならば、災害へ備える別の形態を支援す
るための人々の意欲が制約を受ける可能性がある。
文化は、脆弱性を増すことも減らすこともできるので、リスクとの関連で重
要である。文化は対応および回復の過程にも強く影響する。危害およびそれに
対応する方法において様々な文化的視点は、別の場所で適用することができる
教訓を提供するかもしれない。この報告書は、文化とリスクの 2 つの次元を示
す。主な強調点は、文化は人々が曝露を増すような方法で考えて行動するよう
に影響するので、危害に対する脆弱性を増大させるどれほど大きな(無視され
ている)要因かという点である。2 番目の次元は、文化が脆弱性を軽減するため
役立つ方法を見つめる。たとえば、安全な建築方法を通して、あるいは災害に
対する対応に影響を与えることによって、文化を災害リスク削減(DRR)およ
び気候変動への適応に組込む活動が、どうすれば組織外の人々に可能になるか
である。
「文化」の意義は、ほとんど無関係として処理するのではなく、むしろ理解
し、自然災害と気候変動を扱うあらゆる試みに組込まなければならない。どん
なに厄介で困難なことであろうと、文化は消し去ることはできないし、無視し
てはならない。文化は、DRR と気候変動への適応のためのあらゆる活動に人々
が対応する方法の基礎の一部である。信念および関連するリスクの受留めは、
特定の危害を経験し、地元の多くの人々に共有されている地域に特有である可
能性がある。(つづく 2014/11/5)
リスクに対する態度は、人々が従事している生計活動としばしば結びついて
おり、危険な場所で生活することの正当化に役立っている(3 章)。これらの「リ
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スク文化」は、人々が危険と一緒に暮らすことを可能にし、宗教的信念および
それに関連する活動を含み得る(欧州の例として Bankoff, 2013 を参照)。しば
しば、それらの態度は自然を優先し、人々が自らを自然と密接に関わっている
と考える時、災害は自然の使いとしての神を見ることによって説明される。
リスクへの対処方法には、そこで生活している他の人々との重大な対立を生
まずには容易に避けられない集団の態度への迎合も含まれる。文化は、「帰属」
に関わり、生活経験共有の一部である。多くの人々にとって、それには「帰属」
に影響すると信じられている精神的な力が含まれる。集団の行動の一部となる
信念を捨て去ることは、その集団と「社会的資本」から排除されるリスクをも
たらし、それは生活のその他の全ての側面に決定的となる(3 章の生活とは何
か?を参照)。このような仲間の影響を受けた行動は、「男らしさ」に関連す
るようなリスクに対する性差のある態度を含めることができ、男性はリスクを
深刻に受取ることがあたかも弱さの表れであるかのように振る舞う(交通安全
に関するボックス 1.1 を参照)。性差は男性と女性によるリスクに対する態度
して存在し、たとえば浸水した道路に関連して男性の死亡が多く、オーストラ
リアと米国では、男性はどのくらいの深さか知らないで浸水の中を運転し、女
性より頻繁に死亡している(Ripley, 2008; FitzGerald, 2010)。一世帯からの
男性が、残りの仲間と比べて異なるか「弱い」と見られたくないので、災害リ
スク回避行動を取ることに気乗りしない時に、DRR 活動で指摘されている。
ボックス 1.1 道路の安全性と座席ベルト - 個人的な物語
多くのリスクの種類があり、文化がそれらと相互作用する方法はしばしば明
らかであり、たとえば道路の安全性がある。世界中の道路における様々な死亡
と怪我は、自然災害によって引き起こされるよりはるかに多いので、このこと
は当てはまる(図 1.2 参照)。全世界で 120 万人以上が道路で毎年死亡してお
り、その多くは歩行者である(WHO, 2009)。人々が道路を旅をする際に、文
化がどのように彼らの安全に役割を果たしているかは明らかである。これらは、
文化が関連する理由を物語る私のいくつかの個人的経験である。
インドにおける野外作業で田舎にいた数年前、夜になったので私は Land
Rover の町に戻ろうとした。私の農村研究の費用のため運転手から引き継いで
私を支店に案内していた銀行員は、自分が運転して町に戻ろうと言った。彼の
運転スタイルは、ハンドルの中央を握る片手運転であり、車を効果的に制御で
きないので、私は緊張した。歩行者を救うものではないが、シートベルトもな
かった。我々は狭い田舎の道路を、両側に乗り上げたり嵌ったりしながら、絶
えず行き来するヒト、ウシおよびヤギと共有して旅をした。これは私を心配さ
せ、このような旅を少なくとも 2 時間続けていた。良く考えた後で、ハンドル
を両手で持って運転すれば私はより安全に感じられると彼に言った。そうする
ことで私が心地よくなるのならそうするが、何故なんだと彼は聞いた。両手で
運転すれば車をより適切に制御でき、事故のリスクを減らすと私は説明した。
-6-
どのような方法で運転しようと、起きる時には衝突するものだと彼は言った。
しかし、あなたが技師ならば、橋を掛けたい場合、常套手段を使って適切な材
料を用いれば上手くいくことを知っているだろうと私は言った。そうだ、それ
は正しい、しかし我々がどうしようと衝突は起きる、それは我々の運命による
ものだと彼は言った。
その数年後ニューデリーでは、シートベルト着用のため法律が施行された。
タクシーに乗って、運転手がシートベルトを脇に置いているのを見て私は驚い
た(私が乗っている後部座席のベルトの一つは壊れていた)。「どうしてベル
トをしないの?」と尋ねたら、警察がしていないのを見つければ、私は「罰金」
を払わねばならないと運転手が答えた(我々は両方とも意味することを知って
いた)。だから、シートベルトは安全のためではなく、お金の支払いを避ける
ために装着する。その後間もなく、私はジュネーブの主要な DRR 組織を訪問し、
災害専門家であるにもかかわらず、シートベルトを着用しない上級職員の運転
する車で市内を回った。他の国におけるリスクについて人々にどのように助言
するかについて、彼は問題をもっていないかどうかを尋ねることを私は控えた。
別の旅行で、毎年 20 万人以上が交通事故で死亡すると推定されていた中国に私
はいた。私は数名の政府関係者と一緒に車に乗ったが、彼らはシートベルトを
着用しなかった。私が興味深いと指摘すると、彼らは、高官が公務で乗る時シ
ートベルト着用の法律は適用されないと言った。
随分前に、シートベルトの法律は高所得国で導入された。英国でシートベル
トが最初に装備された時、人々にそれらをさせる法律は未だなかった。他の人
達と車で旅行した時、私がベルトをしないでいると、それでは適切に運転でき
ないと私が考えているかどうかを運転役の男性が尋ねてきた。私はそのような
心配はないと答えようとしたが、道路上の全ての運転手がそうなのか? 現在
でも、地元のタクシー会社の一部(様々な少数民族出身者)は運転する時シー
トベルトを着用しないでいる。私が装着を促すと、それを使用する場合の男ら
しさに疑問を持っていると思われた。捕まればタクシー免許をおそらく失うこ
とから、彼らが選択しているリスクは重大であり、彼らは生活を失う。英国で
は、シートベルトを着用する男性が 1973 年以降急増したとされているが、それ
は法律によるものではなく、Gordon Banks(英国サッカー チームのゴールキ
ーパー)が衝突で自分の車のフロントガラスによって失明したためである。彼
は、これまで知られている最高のゴールキーパーの一人として選手生活を終え
た。
人々がシートベルトを着用したくないと言う理由は多数ある。シートベルト
を着用することでより安全になったと感じる運転手がさらなるリスクに挑戦
し、運転をさらに危険にするので、事故のリスクは増えるとまで議論されてき
た。国が個人的行動を指示することは間違っており、車の持主が決めることで
あるとして反対する者もいる。一部の者は、道を越えて水中に突込み、脱出で
きない事故について心配している。これが起きる事故の数はその他の事故と比
べてごく僅かであり、この指摘の結果は多くの人々が相対危険度を判断するこ
との難しさを示している。
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安全性を高めるためのシートベルト着用やその他の合理的な予防措置(ハン
ドルの両手操作など)などおそらく「簡単な」ことにおいても、文化、性、感
情的、心理的、性格および政治的な様々な要因がある。ここでの文化は、家父
長制度と性差別に起因するリスクに対する人間の運命と男性の態度に関する宗
教的信念の形式である。人々が相対危険度を判断できないか、または何をすべ
きと言われることを拒否する感情的、政治的な対応に関連する「個人の好み」
の場合は心理学がこの方程式に入ってくる。これがどのくらい社会的に決定さ
れているか、様々な神経学的な条件における心の機能にどのくらい関連してい
るかは、科学では実際に判っていない(一部の人々は喜んでリスクを取ろうと
する証拠がある)。シートベルトとリスクに関わる程度の複雑さにおいてもこ
れだけのことが派生し、より大きなリスクに対する人々の態度を理解しようす
れば、文化、宗教、性別態度、心理学、感情、性格および政治のさらに多くを
考慮する必要がある。
(つづく
誰の文化?
11/6)
人々の文化と組織の文化
リスクに関与する文化には、リスク軽減と適応による恩恵を受けると想定さ
れている人々の文化だけでなく、関連する組織の文化も含まれる。そこで、こ
の報告書は 、災害に対して脆弱な人々の文化「人々の文化」と組織自体の文化
「組織文化」の 2 種類の文化の意義を査定している。この報告書は、リスク軽
減と気候変動への適応の有効性を減らすこれらの 2 つの文化がどのように衝突
するかも調べている。災害への備えと適応は、「外から」強制される組織によ
って実施されるだけでなく、人々も自分自身のリスクの軽減と適応活動に「自
発的」に従事している。しかし、ここでの焦点は、人々を支援することを目指
す組織と草の根レベルでの人々との相互作用および様々な信念や行動の意義に
ついてである。
災害への備えに従事している時、組織は、問題と解決策の自分達の定義が、
助けようとしている人々の文化、生活およびリスク行動と一致していることを
確保する必要がある。文化は、全ての者がどのように考えて行動するかを左右
し、したがって、人間の存在の全ての側面の要である。とりわけ、ほとんどの
人々がリスクを受け留めてリスクと一緒に生活する方法に関連する事項につい
て、ほとんどの文化は何らかの言及をしている。災害リスク削減(DRR)と適
応に関わる組織が文化を認識する場合、焦点は一緒に働いている「人々の文化」
に置かれる傾向がある。人々が自分達の生活の様々な側面にどのように価値を
置き、優先順位を付けて危害と一緒に生活することができる方法を見つけてい
るのかを理解することはきわめて重要である。この報告書は、組織 自身の文化
を理解することも不可欠であると提案し、以下の章でより詳細に検討されてい
る。
-8-
災害リスクの軽減、気候変動への適応および緊急事態支援の提供を行ってい
る組織を含め、文化から「免疫の(解き放された)」者はいない。組織は、手
助けの対象としている人々と同じでない災害やリスクについての文化や見解を
持って作業していることを認識する必要がある。たとえば、太平洋地域周辺の
気候変動プロジェクトの多くは、コミュニケーターが地元の文化を考慮しよう
としなかったため、単純に失敗した。重要な概念は、人々が使っていない言葉
で説明された。皆が座っている時に立っていることがマイナス効果を持つとい
う、部外者が話した明らかに単純な事実すらあった(Nunn, 2009)。人々の文
化を理解することは、出回っているメッセージを取得するためにも明らかに重
要である。
動的システムとしての文化
この報告書は、文化は固定され一定であるものと仮定しておらず、文化はそ
れに影響する作用の種類に応じて常に(遅速はあるが)変化しているとしてい
る。文化は、一部の行動規範に従うべきという仲間からの圧力はあるけれども、
人々が行動し、信じなければならない一連の「メニュー」ではない。しかし、
これらの期待ですら特定地域の外からの影響(たとえば、ファッション、新し
い技術、経済的刺激、外部からの干渉に対する抵抗または受け入れ)によって
変わり得る。文化は、社会および自然環境と相互に作用する複数のシステムで
ある。一つの文化は、別の文化と相互に作用し、いずれかまたは両方を弱めた
り、強化したりする。相互作用は、世代間でも起きることがあり、若者(別の
考え方をより容易く採用する)が年長者に抵抗し、自らの文化以外の象徴を選
択することがしばしばある(ポップスターから過激主義グループまで)。あら
ゆる文化は、異なった社会グループ間の永久に続く一連の議論の一部であり、
それには以下の事項が含まれる。
● 年齢および世代間の緊張:たとえば、高齢者が受け入れられることを若者は
別の選択をする
● 公教育、とくに科学とリスクの説明が含まれている場合
● 同じ地域を共有する様々な民族や宗教的なグループ間の相互作用:これは「ハ
イブリッド文化(融合文化)」を生成することができる
● グループ内の行動を元々の文化よりも厳格、偏狭、「極度な」形態に再強化
するグループ間(宗教的あるいは民族)の競合:これは、ミャンマー、北ア
イルランド、スリランカなど、暴力のレベルを増加あうる可能性がある。
● インサイダー(対象文化を継承している)とアウトサイダーとの相互作用と
対立
-9-
● 植民地化や国際化およびマスメディアを通した人々への影響を含む強制的ま
たは権力に関係する慣行や文化:たとえば、世界中の人々が自らのものに新
しい宗教を採用または統合するなど(文化的重層構造;syncretism)
● 人々の文化的慣習(たとえば、踊りと衣装)が観光客のためにのみ実行され、
人々の内的価値を大きく浸食する。
これらの相互作用の種類の多くの例が次の章で説明されている。スリランカ
に関するボックス 1.2 は、一連の動的な競合する側面を説明し、災害の救援と復
旧における競合する文化(および生活状態)の困難も示している。
リスクと関連した文化の重要な問題は、人々の行動およびインサイダーとア
ウトサイダーの間で進行する相互関係に文化が重要な要素として「活性化」さ
れる時に発生する。文化は、インサイダーが外部の過大な要求と見做すことに
反対を表明する方法となり得る。たとえば、リスクを軽減する文化的慣行は、
外部から入って来る物資の異なる生産方法に脅威を感じる時に、強化され、誇
張される。これは、以下に説明するように、人々が治療法や予防措置に反対す
る時、衛生活動に関連する行動に悪影響を及ぼすことがあり得る。これは、ア
ウトサイダーがインサイダーの人々とは異なる価値観や信念を持っている場合
とくに関連する。文化が進化するという事実は、人々の信念と行動が DRR と適
応の達成を困難にし得ることを軽減する方法を見つけることに多少の希望を与
える。第 7 章は、この相互作用を可能な限り効果的に管理する方法についてい
くつかの指針を提供し、適切な慣行が生まれる例を示している。
文化をもっと真剣に受け留めなければならないことを認識した時ですら、そ
れは容易でない。文化は複雑で理解し難い。文化を正確に理解しようとしてい
る人々は外部の者であり、したがって、生きた経験として理解することはでき
ないので、まさにその通りである。しかし、組織の災害リスク削減(DRR)文
化について解析や客観視を試みる内部の挑戦もある。組織の人々にとって、自
らの信念や仮定、骨組みや論理を自己認識ことは難しい。DRR と適応の活動が
適用される場合に文化があらゆる流れの重要な部分を構成することを理解する
ことは、組織および組織が助けようとしている人々の両方に関連する。
災害に関連する文化の役割に関し多くの人類学的研究が存在しているが、組
織の主流にほとんど影響を与えていない。彼らは主に高所得国に焦点を当てて
いるが、心理学とリスクの受け留め方および行動経済学は、文化への関連性と
関係にもかかわらず、ほとんど無視されている。それらは、人々の日常的な経
済的およびリスクに関連する行動における「合理性」についての非常に重要な
誤った前提を実証している。世界銀行の世界開発報告書の今年のテーマは、『 心
と考え方 』である(World Bank, 2014)。主流の経済学で行われた伝統的な仮説
- 10 -
のいかに多くが誤りまたは誤解を招いたかを示すために、報告書は行動経済学
と心理学を重視して描いている。リスクの受け留め、心理学および文化に関連
して、人々が気候変動をどのように否定する知識を増やしてきたか(Hulme,
2009; Norgaard, 2011)。科学的情報が多くなるほど人々の心を変えられなく
なり、彼らの見方は文化と関連し、科学的知識よりも重要な仲間の意見に感情
的に同意するので益々現実に拒否するという逆説を示している。
(つづく 11/11)
ボックス 1.2 スリランカ部族グループと津波災害援助:平和維持の教訓
過去の長年にわたる紛争があったが、スリランカは急速な経済成長の段階に
入った。その新たな平和への兆しにもかかわらず、スリランカの社会には統治
と部族対立の深刻な問題が未だ残っている。それらは、災害リスクの軽減、気
候変動への適応および危機の防止を含む包括的な開発の機会を制限している。
2004 年のインド洋津波以降 10 年の教訓は未だ学ぼうとしている最中である。
即時対応は一時的な平和をもたらしたが、災害復興と島の部族と支配権力の間
の分裂の悪化が新たな紛争をもたらした。国際的メディアは、津波を和解の引
金として期待したが、結果は正反対であった。関係政治勢力は、地方と政府権
力、地域社会内の部族境界の関連性への影響を理解できなかった。
津波は、スリランカの数十年に及ぶ長い内戦の停戦中に起き、和平プロセス
に、直接影響する紛争へと向かった。
島全域の津波による膨大な数の死傷者は、タミル・イーラム解放のトラ(ス
リランカでタミル領独立のために戦っている武装グループ LTTE)およびスリ
ランカ政府の双方に、戦闘を中止し対応と復興に人員を当てることを余儀なく
した。津波の影響は、東海岸で最悪であり、自宅から転居させた戦争の被害を
受けた多くの人々を襲った。
津波から数日以内に、政府は「非常事態」を宣言し、津波対応はスリランカ
全土に拡大し、これまで紛争のため行けなかった地域まで援助機関が入ること
を通知した。この往来は、政府と LTTE の双方の妨害と腐敗を巡る批難によっ
て、短期で終わった。国段階での不和は地方段階にも反映し、地域住民は異な
る部族の間で援助が公平でないと感じた。これらの懸念は、国の決定に基づく
土地の没収によって強化された。大統領は、将来の沿岸災害のリスク軽減を目
的として、新たな「境界ゾーン規制」を設定した。しかし、海岸近くに住んで
いた人々は内陸に移動させられた一方、境界ゾーンにホテルの建設が例外とし
て許された。この政策は政府による一種の資源略奪であると告発が行われた。
この規則は、紛争によって既に影響を受けた最も脆弱な様々な地域社会の一部
を強制退去させた。災害対応が部族間の一部の協力をもたらすことができると
いうあらゆる希望は、津波救援の信頼問題解明のため即刻打ち砕かれた。
公式経路以外で、LTTE は自らが支配する領土内で人々 に援助を配布する
実質的権力として振舞っている。政府は紛争地域に向ける援助を制限すること
で対応し、そのことは LTTE および国際機関との関係を悪くした。LTTE 支配
地域や紛争の境界地域の人々は、したがって、最小限の外部援助を受け取った。
- 11 -
彼らは、資源不足のため既に最も脆弱であり、その多くが津波によって最も影
響を受けた。LTTE は、政府の支援欠如を非難することによってこれを利用し
た。この結果、暴力的な紛争、紛争地域の人々の権利の侵食が増加し、津波か
らわずか 3 年後に、既に壊れる寸前だった停戦は公式に破棄された。
LTTE によって支配されていた残りの地域を政府軍が占領した 2009 年 5 月
までに、津波の被害を受けた国の南部と西部の地域のほとんどの人々は、財政
的および物理的に既に移動していた。対照的に、津波にも見舞われた紛争後の
人々は、脆弱なまま放置され、持続可能な生計と基盤整備を再構築する資源が
ないまま細分化された。現在も、旧 LTTE 地域は軍隊が配置され、慢性的な貧
困、気候変動および災害リスクに高度に脆弱なままである。彼らは、災害から
回復するために必要な資産もなく取残され、単独で将来計画を立てなければな
らない。これらの地域社会にとって、何十年も続いたスリランカの紛争は、地
域の政治的、社会的、経済的な骨組みに主要な要因として残っている。
これらの地域における援助は、人々の通常の慣行や関係の認識の欠如、非公
式の影響や情報窓口の利用にしばしば陥る。リスク軽減のための強力な制度的
基盤にもかかわらず、人々の脆弱性がどのように民族、経済的地位および地元
への影響と関連しているかについての知識はほとんどない。スリランカの中央
地域で行われているリスク軽減に北部地域社会(旧 LTTE 地域)の開発を統合
する可能性があるが、それには文化的資源の構築と調和する必要がある。それ
には、地域政府戦略を活用する社会的連携網を含める必要がある。より恒久的
な入植地を確立するために、地元の影響と信頼の知識を普及する必要がある。
決定的に重要なことは、一部の紛争経験地域において、民族を超えた地域社会
のアイデンティティの確立は、自宅の建設やリスク軽減活動への参加など周囲
の環境に投資する準備ができていると家族が感じることを意味する。
そのような社会資源は、地元の繋がりに敏感で疎外化を進めない予防文化を
支援できるように、DRR 活動の有効性に対する潜在的課題と機会を理解するた
めの脆弱性と能力の査定に含めなければならない。スリランカの人々は、リス
ク軽減を、それ自体を目的とするだけでなく、持続可能で公平な平和の手段と
して利用できる。このことは、地域段階の活動が国への大きな影響を持つ可能
性あることを示している。紛争の影響を受けさらに津波に襲われた人々は、平
和を支えるために DRR を利用する方法を見つけることに興味を持ってくださ
い。津波の後、政府当局はしばしば不信感を与えた。しかし、地元のリスク軽
減活動は、政府が地域社会に投資する現実的な方法として現在見られている。
これは、平和を維持して世代を重ねた後に、さらに信頼できるリーダーシップ
を導く可能性がある。
文化と力関係の関連
文化は、一部のグループの人々における高度の脆弱性を生み出す重要な要因
となり、とくに異なるグループ間でリスクを不均等に割当る力関係に信条と行
動が埋込まれている場合は顕著である(4 章参照)。文化そのものは、一部の者
やグループがより力を持つことを可能にし、脆弱性につながる特定の態度や行
- 12 -
動を「正規化」し、合法化することができる。このことは性差別に関連して非
常に明白である。ほぼすべての文化において、女性と少女は力が比較的弱く、
しばしば物質的に貧しく、それは、ある種の危害に対して女性をより脆弱にす
る重要な要因となっている。
一部の文化は、このような「力の文化」によって不利益を被っている人々(た
とえば、土地のない人々、少数民族、下層階級、女性)は、搾取的よりむしろ
文化とみなされて、合法としてその立場を受入れている。たとえば、国際非政
府組織(NGO)によって実行されたカンボジアにおける洪水プロジェクトは、
村のグループ間の敵対意識を扱うのに相当の困難に会った。村人達は生まれ変
わりを信じていた。一部の者は、ひどく影響を受けた人々を助けるため必要性
を受け入れることを拒否したが、前世でやったことを処罰されているのだから
助けるのは間違っているという理由であった(Williams, 2003)。もっと大きな
スケールで、2001 年のインドにおける Bhuj 地震後の援助と復興の脆弱性と差
別の要因として、カースト制の意義が明らかであった(DEC, 2001)。同様の
問題が、1995 年の神戸地震後の日本で「どの階層にも属さない」部落の名簿(当
初の脆弱性と差別的な対応の両方)として発生した(Wisner et al., 2004; McGill,
2011)。
いくつかの状況で、虐げられた人々は反乱または抵抗する可能性がある。イ
ンドにおける多くのどの階層にも属さない人々(アンタッチャブル)は、彼ら
に相応しい文化的条件に「逃れる」ためイスラム教やキリスト教に改宗した。
ここ数十年間、多くの人々がヒンズー教の不可欠な部分であるカースト制度に
対する政治活動を支えてきた。資源の利用可能性に影響するカースト制であれ、
性差別やその他の文化は、リスクおよび災害後復興のための援助と資源の利用
可能性の両方の脆弱性について重大な決定因子として残っている。多くの国に
おいて、若者文化および「文化の中の文化(culture-culture;グループ名)」
は、対極的文化を表す既存権力に対する抵抗の形として存在し、人種差別なら
びに女性、身体障害者および異なる性的指向を持つ人々の権利のために戦って
いる。
(つづく 11/13)
行動変更のための間違った期待の情報:公衆衛生の教訓
災害リスク削減(DRR)の考え方にほとんど影響を与えていない仕事の別
の重要な領域は、公衆衛生に関することである。文化は、病気やその他の公衆
衛生問題のリスクの受け留め方と高度に関連している(6 章参照)。文化がきわ
めて重要となる問題には、栄養、子供の予防接種、および「病気の遺伝子論」
の継続的かつ広範な否認(人々は病気の原因として悪い霊や呪いを持ち出す)
などが含まれる。ガーナでは、赤十字は、とくに葬儀などに出席する多くの人々
- 13 -
の間で病気の感染リスクが高まる事態において、手洗いの推進活動に成功を収
めている(IFRC, 2012)。興味深いことに、西洋医は「病原菌論」完全に受入れ
ているが、米国の病院で不必要な死亡が未だ報告されており(毎年 44,000 から
98,000 名までの推定値)、多くの医療スタッフが手を洗っていない可能性があ
る。患者間の交差感染は、それらの死亡の相当部分の原因となっており、頻繁
な手洗いによって防ぐことができる Levitt and Dubner, 2009)。
ある病気の撲滅プログラムは、西洋の干渉に対する「抵抗の文化」による影
響を受けている。これは、南アフリカ共和国における AIDS の説明に非常に関
連しており(Mackintosh, 2009 の総説を参照)、ナイジェリアとパキスタンに
おいてポリオ予防接種キャンペーンを現在阻止しており、地元の強力な指導者
およびテロリストグループは予防接種の担当者を殺害し、キャンペーンが西洋
による人口抑制策動だと言っている。北部ナイジェリアにおいて、一部の地元
の人々は、地域の病気が「非遺伝子」によるという説明と政府への不信感のた
め、予防接種プログラムに懸念している(IRIN, 2013)。健康問題における政
府の役割についての不信感は、米国において「オバマケア(手頃な医療費法;
Affordable Care Act, 2010)」に対して恩恵を受ける多くの人々の間でも大規
模な反対を引起した。いくつかの研究は、人種が一役かっており、一部の単体
者は「米国の文化と生活様式」が外国の影響(国営保健システム)によって脅
かされていると恐れていることを指摘した(Waldman, 2014)。
2014 年 2 月以降の西アフリカにおけるエボラ病の広がりの一部は、死者に
対処する方法ならびに部外者の理論に対する地元の人々の不信感における文化
の衝突の結果である。ギニアとシエラレオネの地元の伝統には遺体を洗うこと
が含まれるが、エボラの拡散阻止を目指す医療慣行は生きていようが死亡しよ
うが感染性を持っているので両方とも検疫を求める(Global Ministries, 2014)。
シエラレオネにおいて、検疫上の安全を確保しながら地域の信条を尊重するこ
とによって文化的なギャップに橋を架ける専門的埋葬チームを赤十字は結成し
た(IFRC, 2014)。
文化を理解しない知識は不完全
災害リスク削減(DRR)組織は、多くの公衆衛生と予防医学への取り組み
から明確な教訓の 1 つを受け留めなかった。これが、情報を受け取っただけで
は人々が必ずしも行動を変更しない理由である多くの異なる文化に跨って行わ
れた喫煙と小児の集団予防接種を例として、キャンペーンと情報を関連付ける
いくつかの健康キャンペーンが利用できるようにされ、相当の進歩があった。
しかし、それは必ずしも効果的でなく、人々は常に自らの文化的レンズを通し
- 14 -
て情報を解釈し、地方文化が外部からの干渉として受け留め、それに対する抵
抗の形になった時にはとくにそうである。
リスク軽減の方向に人々の行動を変える情報を提供する考え方の妥当性に
ついて深刻な疑問があり、たとえば、標準的な「知識、態度、行動(KAB)」
モデルや「情報欠損モデル」が例とされている(3 章を参照)。これは、DRR と
適応のプログラムに対して重要な意義を持っている。災害を経験する人々は関
連する危害の繰り返しに関連する行動を取る可能性が高いけれども、人々を襲
うことがある既知の危害についての情報提供は、人々が事前準備に参加する動
員のための基礎とはしばしばならない。
災害の経験ですら、しばしば、十分な行動を必ずしも促進しない。災害後の
変更のための有名な「機会の窓」は長い間滅多に開かず、教訓は一貫して学ば
れることはない。多くの人々は、繰り返し発生する自然災害によって影響され
続け、部外者には「学習している」とは見えない。だから、人々がリスクに対
処する場合、学ぼうとしていないように見える場合、知識と関係していない要
素により多くの意義を与える必要がある。文化は、知識と理解がどのように適
用され、解釈されるか、あるいは、適用されず、解釈されないかを規定しない。
この報告書は、人々が自らの文化を通してリスクを眺め、情報を基礎としない
時を含め、文化が自然災害に対する人々の脆弱性を高める重要な要因となり得
ることを見つけた。
フィリピン赤十字社
レイテ支部は、2013
年 11 月に台風
Haiyan に襲われた。
全世界で、様々な信条
と宗教の一部の人々
は、災害は神や霊から
の罰と考えている。
© Jarkko
Mikkonen/Finnish
Red Cross
人々の文化が DRR の合理性と対照的な例は、部外者が深刻と見做すリスク
に対して人々の優先順位が低い時に最も顕著になる。そのことは、それらのリ
スクについて多くのことを行う能力を最小限しか持っていないと人々が考える
からかも知れない。そして、いずれの場合でも、その他の重要な要因はリスク
の従来の概念を覆す。人々は深刻な危険を経験する地域と知りながら住んでお
り、ある者は貧困のため危険にさらされる生活を強いられ、他の者はそうする
- 15 -
実質的選択を行っていることを、DRR と適応に係る組織は認識している。場所
の意義とそれに対する感情的愛着は、人類学および地理学の文献でよく理解さ
れている(3 章を参照)。人々は、自ら安全と感じるように仕向けるか、他の説
明を必要としないので許容されるという様々な分野(しばしば宗教的な)へ災
害の原因を移すという文化を生み出すことにより、リスクと一緒に生活するこ
とを可能にする。
いくつかの災害の後、多くの人々が死亡し、家が破壊され、危害が再び起き
得るとしても、多くの人々が同じ場所に戻ろうとすることがある(Oliver-Smith,
1979; 1986)。このことは、DRR と適応にとって多くの問題を引き起こす。最
も深刻なことは、十分な知識と注意喚起をすれば人々は「高リスク」地域に住
まないだろうという仮定が介入策の基本的論理となることに疑問を投げかける。
また、ほとんどの人々は未知のリスクを知りたがるという事実も無視している。
彼らは、ある場所で自然災害に直面するよりも、隣人や地域社会との相互依存、
雇用や生活の選択肢、「新たな」場所における肉体的暴力や犯罪の喪失の可能
性を恐れる。戻りたいと思う人々は、自らがより掌握でき、対処しなければな
らない変化は熟知しており、既存の経験の枠組みで対応できると感じる。この
ことは、人々のセキュリティ向上には、自分達の利益と考えていることに反し
て行動し、自分達の文化や心理的好みを否定するよう説得することが求められ
ることを意味するので、DRR 組織にとってきわめて困難である。
文化の妥当性の出現を見ることができるのは、リスクについての人類学と社
会学の研究においてである。驚いたことに、この知識は災害と適応を扱う組織
にほとんど影響を及ぼさなかった。その研究の多くは、高所得の西洋諸国に焦
点を当てていた(たとえば、Beck, 1992; 1999; Giddens, 1991; Douglas and
Wildavsky, 1982; Lupton, 1999; 2013 provide good summaries)。彼らのアイ
デアの多くは、主な「脅威」として近代化と自然からの乖離から、産業、紛争
および国際化から生じる技術的失敗、汚染およびテロリズムなどのリスクへと
向かうリスクの特性の変化に関連している。Caplan (2000)は、科学における真
実は確定できず、リスクはきわめて離れた距離で影響を与える可能性を持つ「地
球規模」の出来事であることから、この特性の変化には不確実性を扱う人々の
増加を含んでいると示唆している。地球温暖化は、これらの著者が執筆した時
それほど大きなトピックでなかったが、今や、特性の変化の主な例として認識
されている。
しかし、「伝統的な」社会と低・中所得国についてのリスクと文化に対する
重要な人類学的取組み方もあるが(Caplan, 2000)、それは DRR と適応にほと
んど影響を与えていない。このことの多くにおいて重要な問題は、様々な社会
の人々が何をリスクと考え、その選択がどのように行われるかを解析する方法
- 16 -
にある。文化はこのようなリスクの社会的認知に影響を与えるが、文化そのも
のも、人々が様々な種類の脅威にどのように対処できる(できない)と信じる
かによって影響される。Douglas and Wildavsky の見解の一部が、この「世界
の災害報告書」と関連性の高い方法で、Caplan (2000)によって次のように要約
されている。
「全ての潜在的なリスクについて常時心配することは誰にもできない
という単純な理由から、人々は、リスクの重大性を様々に理解し、それらに
優先順位を付けなければならない。しかし、危険を格付けするためには、ど
れを、なぜというリスクの受け留め方は常に政治的な問題であるという基準
についての凡その合意がなければならない。リスクを伴う代替措置の選択に
価値観を離れた手順はないことから、『客観的方法』を探すことは失敗する
運命にあり、彼らが作った価値観に基づく仮定を含めて盲目の研究者となる
可能性がある。」
彼女は、Douglas and Wildavsky が「・・・社会組織の同じような状態で暮
らす人々は、類似の種類のリスクを採用または避け、その理由は、リスクの選
択と受け留め方が変更可能であるのは社会組織を変えることによってのみであ
る」と主張した方法に言及した(Caplan, 2000)。文化とリスクとの相互作用
の意義をこれ以上明確に説明する事例を挙げることは困難である。
(つづく 11/19)
行動は文化だけか、個性も絡むか?
文化は、組織や個人の多くの行為を理解するための無視されがちだが実用的
な入口である。定義によると、文化は多くの人々に影響を与え、集団または政
治的な活動を導く。しかし、Douglas and Wildavsky による批判の一つは、リ
スクの社会的構築を過度に強調することである。批判的言えば、このことは個
人が文化によってリスクを決めるよりも、「自分の心で作る」ことを困難にす
る。人々は、文化によって全面的に決定されない状況で、リスクを受け留めて
対応することができるか? 個人の性格(personality)、心理学および遺伝的
背景(genetic make-up)の潜在的意義も、DRR と適応の組織によってほとん
ど無視されている。このことはリスクを理解するためそれらの要因の重要性が
広く啓発されているにもかかわらず、西洋社会においても当てはまる。
これについて検討する十分な余裕はないが、「文化」は完全な物語ではない
こと、災害への備えと適応から現在抜け落ちているその他の要因を考慮しなけ
ればならない。全ての人々のリスクに関わる行動、態度および受け留め方が、
文化だけに関連付けられる訳ではない。人々を中心とする取組み方において、
それには幾重もの複雑さを伴うだろう。信条、態度、価値観およびそれらに伴
- 17 -
う行動も、一般に性格と呼ばれるものを含む個々の特性に結びついている。こ
れには、心理学、遺伝的背景および環境(他人を含む)に対する神経化学的反
応の複雑な相互作用が含まれる。文化は、個性と重なり、したがって、リスク
およびリスクへの対応に関する「社会的構築」のみならず、性格や社会的産物
とは限らない行動と関連する要素を持つ個人と社会(文化)との相互作用を理
解する必要がある。
「性格」は、個人の遺伝的背景に大きく由来するので、文化の外に置かれる
部分が多い。しかし、遺伝的に指示される行動がより一般的に社会によって影
響されることも知られている。たとえば、性差別(女性に対する男性の否定的
態度)と性別に基づく行動(男性と女性の行動の違い)は、様々な文化的、歴
史的な文脈において異なっている。宗教に引き込まれる多くの人々の傾向は、
人間の行動に「固く」埋め込まれていると一部の神経科学者によっては考えて
いる。これは、「事実」よりもむしろ感情を通して、未知のことだけでなく自
分と他人に関することを説明する方法として、「超常現象(supernatural)を
信じる意思」の用語で表現される(Ariely, 2009)。新たな「外部」知識の受け
入れは、彼らが大切にしてきた既存の態度や価値観を否定または変更すること
になるので、人々のアイデンティティの感覚を減らすことを意味する。
文化と災害リスク軽減との関連性の理解
この世界の災害報告書は、DRR と気候変動への適応において活動している
組織に対して、少なくとも文化への扉を開けることを意図している。それは部
分的に「注意喚起」であり、専門家と組織が文化問題が重要であると実感する
ことを正当化する目的を持っている。この目的は、リスクに直面する「人々の
文化」およびそれらの人々を助けようとする「組織の文化」の両方の文化がど
れほど重要かを示すことにある。ほとんどの読者は、議論される内容の多くを
理解し、それが仕事にいかに影響を与えるかについてもっと理解することがき
わめて重要であることを認識するだろう。文化は、奇妙な非論理的なものとし
て無視できる「残りもの」ではなく、DRR と適応が成功または失敗する岐路と
して決定的重要性を持っている。気候変動の流れにおいて、より脆弱な人々、
より頻繁な、より集中的で極端な出来事に対して、成功に影響する最も重要な
要因の一つを無視することは愚かである。
DRR と適応にとって、外部の組織が地方の人々と接するほとんどの状況に
おいて、2 つの文化、信条または知識のシステムが相互に影響する。地元(先住
民)と外部(専門家)のシステムは、それぞれ首尾一貫し、論理的であるよう
に見える:外形、資源および宇宙観はそこに住む人々にとって完璧な意味を持
ち、人々と組織の行動は文化の中に埋め込まれ、文化によって正当化される。
- 18 -
この違いの二元的考え方は、もちろん、単純化されており、それらは相互に作
用し、互いに影響を与える。しかし重要な点は、それらが元々異なっており、
それらの間に矛盾が生じ得るということである。
文化とリスクのこの話題に対する考え方は、DRR が文化を排除し、高度に
関連する別の分野からの教訓を無視していると何年も懸念してきた世界中の学
者や NGO 職員のグループで湧きあがった。この世界の災害報告書の編集者達は、
この話題について 2 回の会議(2011 年と 2013 年)をドイツで開催し、それは
より学術的な論文として公表される(Krüger et al., 2014)。この報告書の編集
者達は、答えの全てを提供しているとは思っていない。彼らは、関係組織が文
化の衝突を認め、人々がリスクについて持っている様々な考え方に気付き始め、
そして DRR と適応の組織に多くの進歩が生まれることを示唆した。
高リスクの地域に生活している時ですら人々が様々な優先順位を持ってい
るという事実を理解するには、参照の枠組みを広げる必要がある。「部外者」
にほとんど決められる時、DRR プログラムをどのように改善するかを理解しよ
うとする狭い考え方は、もはや不十分である。その代わりに、部外者には「不
合理的」と見えるものもある様々な行動について、合理性を理解することに投
資する必要がある。このことは、災害部門の参照について従来の枠組みを超え、
心理学、公衆衛生学、人類学、社会学、行動経済学などの他の分野を探すこと
を意味する。さらに、様々な合理性が DRR プログラミングに対して障害となる、
すなわち、関連組織の優先順位と世界観が助けようとする人々のものと同じで
ないことは、(しばしば)困難な問題に直面させることになる。
人々は、文化の中で(そして文化のために)生きており、その一方でリスク
と一緒に生きている。文化は、リスクに直面して生き残るための戦略を長期的
には部分的に進化させ、人々は、時には計算に基づき、時には偶然に行動する
ことができる。スペインの離島における火山リスクの例では、地元の人々(自
らの生活を護るための不安)と当局間のリスクの受け留め方の不一致は明らか
であり、人々は自らの利益を支えるために部分的に工夫した文化の計算された
行動を取ろうとする(ボックス 1.3 参照)。人々がリスクについて多くを行う
ことはできない(そして生きるためにリスクを受入れる)と考える時、彼らの
危険の解釈は文化によって影響され、文化を修正し、リスクと生活に係る日常
的対処に深く刻まれる。
人々の様々な合理性を理解しなければ、リスクへの態度についての部外者の
あらゆる期待は間違いを招く。ほとんどの DRR 介入策は、部外者によって特定
されたリスクを最小限に抑える方法で人々が行動することを期待している。そ
れらの介入策は、様々な合理性を持っている人々を導く文化的行動を適切に説
明することに失敗する。想定されたリスクの不合理な受け留め方は、災害の文
- 19 -
化的解釈と関連し、人々が危害と共存し、災害の影響を割引くことができるよ
うに進化している。なぜ一部の人々が他の人々よりも苦しむことになるかを別
の信条が正当化し、多くの場合、文化は人々を危険にさらす価値観を支えるこ
とによって人々の脆弱性を増やしている。
多くの DRR 組織は、その思考や活動、あるいはその両方において、リスク
にさらされている人々の生活と期待の現実から乖離している。人々は、災害の
管理者と機関が要請または期待するようには行動しない。均質化した経済の利
潤最大化と集約された行動の狭い「合理性」に通常基づいて従来の経済が人間
の行動を解釈する方法と強く平行している。DRR 職員と機関は、自らの目標と
彼らが助けようと主張している人々の目標の間のギャップにしばしば気付くが、
その原因は何故かを彼らは理解できない。組織は、特定の危害について DRR を
支援するために積極的な供与者からの資金に依存しがちであり、貧困と脆弱性
の原因について活動できないか、しようとしない。これが問題であることを受
け留めるためには、より大きな意思が必要である。重大な危害を扱う際に人々
が余り関心を示さない時でさえ、毎日の生活のための彼らの必要性を支援する
活動を行うよう DRR が焦点を変えることは組織にとって非常に困難である。成
功例が増えているけれども、DRR により大きな適応と発展の成果をもたらす期
待を込めて、未だ明らかに、人々の文化とリスクの優先順位を考慮しなければ
ならない。
この必要性は、20 世紀の間に特定可能な原因の様々な区分に起因する全世
界の死亡数を示す情報グラフ 図 1.2 の情報によっても示されている。自然災
害に起因する死亡の割合が非常に小さいことは注目に値する:「泡」で示した
データは感染症(図の右下)にほとんど集中している。死亡の大多数は、当然
のことながらの病気の結果である。ただし、これらの病気の多くは予防可能で
あり、貧困、不適切な保健サービス、水不足と不衛生など開発の問題に関連し
ている。最大の死因の 1 つは天然痘だったが、現在世界的に根絶されている。
しかし、 20 世紀のその他の大きな殺し屋の多くは、強力なまままたは増加して
おり、その多くは貧困と関連し、気候変動に伴って増加する可能性がある。そ
の他は、過剰成長や富の増加に起因し、たとえば食事と生活習慣に関連する(肥
満、糖尿病、喫煙、飲酒)。
興味深いのは、これらの多くが文化と関連していることである。文化がリス
クおよび自然災害に関連して重要であるならば、多くの種類のリスクについて
人間の行動にも見つけられ; 食事は、喜びや中毒、係争に従事する意思、部
外者と決め得るその他の人々に対する態度、ならびに潜在的な敵、交通「事故」
と危険運転の文化をもたらす危険な物質である。手短に言えば、組織が自然災
害またはその他の様々なリスクに関連する災害を防止することに興味があるか
- 20 -
どうかにかかわらず、文化の影響について認識、理解、対処を始めない限り、
良い仕事をできないことは次第に明確になっている。
(つづく 11/23)
ボックス 1.3
災害の演出(Staging)と地域社会の再演出:
El Hierro 地震の危機
小さな島々とその地域社会は、災害リスク研究のための完璧な実験室のよう
に見える:境界が明確で、孤立し、管理し易く、恒常性がある。しかし、島社
会の考え方が理路整然とした存在よりむしろ隠喩であり、それに加えて、災害
が現実よりもむしろ演出されることを災害が明らかにするならば、どうか?
2011 年 10 月に、スペインのカナリー諸島西端の火山島 El Hierro とその周
辺の約 11,000 人は、過去 2 世紀において初めて記録される地震活動、火山危機
を経験した。一連の小規模地震の増加の後海底噴火が起こり、海が着色し、ガ
スの排出と火山弾が浮遊した。漁村やダイビングスポットのある La Restinga
の南 2km の沖合で、噴火は 5 ヶ月間継続した(Carracedo et al., 2012)。
図 1.カナリー諸島の位置
科学者にとって、これはカナリア諸島における継続的な噴火を観察する貴重
な機会だった。この状況がもたらす危険性について様々な仮説が出され、可能
性のある重大な出来事に対応して、様々な地域や国の機関に責任を委任する市
民保護のための特別計画が発効された。法令は広範な参加を呼び掛けたが、危
機の「管理不始末」について継続的紛争を助長する一部の地域専門家が除外さ
れた(Perez-Torrado et al., 2012)。軍隊の緊急部隊が島に送られ、そして噴
火の間に La Restinga は 2 回避難した。漁師やダイビング観光に影響をあたえ
る漁労禁止も含むそのような措置は、島の一部の人々によって批判的に見られ
ていた。El Hierro の政治家は状況に圧倒され、時々矛盾した情報を頼りに懸命
に働いた。人々が非常な不安に直面する一方、魅惑的であっても自然界の出来
事(ありがたいことに死傷者が発生しなかった)であり、一部のマスコミ報道
- 21 -
において状況は強烈に脚色された。軍隊の降下像および沸騰する海の写真は、
「毒ガス警告」や「爆発性のガスの泡」の警告報告と組み合わされた。これま
でに、島における地震の継続について多数の web ブログが流れている。地震の
出来事を描いた地図は、地震活動のほとんどが知覚閾を下回るけれども、これ
らの災害の物語に貢献している。
地元のほとんどの人々によって共有される視点は、人騒がせなニュース報道
および当局が採った措置は、観光に不必要な抑止効果を及ぼし、2 年間でおよそ
60% 減少した。
失業率が 30% 以上に及ぶスペインにおける経済危機と並行して起きている
「危険な場所」は、島民の生活の多くに影響する二重の危機を生み出している。
公式統計(ISTAC, 2014)は島の人口の重度の低下を反映していないが、多く
の住民は移住の波を感じている。
El Hierro 島住民の一連の経験の詳細な観察は、生活を通した人々の危機は、
自然事象の競合的枠組みの実際の相互作用と循環であったこと明らかにした。
これらの解釈と帰属の流動的セットは、しばしば特定の目的に役立つ:メディ
アによって供給される帰属は、科学者、政治家、観光産業などに従事している
人々からのものと異なっている。
危険な場所としての El Hierro 島の枠組みは島民の幸福に障害を与えたの
で、多くの対処戦略は、地震の出来事を表現する方法を変えることを目指して
いる。地元のメディアは、「災害語彙」の潜在的な負の影響に気付き、現在、
画像と報告を慎重に管理しようとしている。当局は、現在、火山活動の肯定的
事例(ハワイ)を参照するように努め、リスクの可能性についての声明を省略
している。地元の観光産業は、島が安全であると顧客に確約し、島の火山に由
来する名所のキャンペーンを行うブログを始めた。
出来事の自らの解釈は異なっており、この再演出も島民のリスクの受け留め
方に影響を与える。結果として、異なる帰属は多様な視点を幾分調整する包括
的枠組みに融合されている。この意味で、El Hierro 島の「アイデンティティ」
は新た重要性を獲得している。
El Hierro 島は、近隣の島々に関連して孤立と政治的な弱者としての歴史的
役割のため、カナリア諸島の最も遠い忘れられた島としてしばしば記載される。
水不足と周期的な旱魃によって引き起こされる社会経済的な不利益と苦痛は、
移住と再移住の波を常に助長している。島の多くの文化的シンボルは、社会的
単位、ささやかな生活、火山起源の土と「野生」の自然との触れ合いに組込ま
れている。Herreño は自然との結びつきを意味し、権力者によって無視され、
その結果、弾力性のある強力な地域社会の構成員となる。この地域社会の概念
は、地元の民間伝承、芸術、文学、広告、政治的主張などによって常に再現さ
れる。
この地域社会が定める枠組みは、現在の状況にきわめて適合しており、潜在
的な脅威と逆境との闘いが強調され、火山リスクや一般的危機に関する個人の
意見はそこへ戻る。手短に言えば、危機に対抗するため、長い間に確立された
枠組みが動員され、したがって、地域社会の意義が高まる。これは重要な意味
を持つことになる。弾力性のある、統一された地域社会のイメージは、リスク
- 22 -
の受け留め方の違いを重視せず、社会的相違を口頭で軽視する特定の活動者を
集める。島の自然の一部である火山リスクを受け入れることは、ある種の自信
を確立し、さらに観光客の減少を避けるための効果的な「対抗策の枠組み」と
なる。しかし、個々人の注意や恐怖の表明はいくつかの場合に現在タブーにな
っており、公的な防災訓練など災害への事前準備の目に見える活動は一部から
非難される。地元の緊急時業務が整い、絶えず改善しているが、障害になり得
ることを怒る顔がある。このような状況は、火山の危害とさらなる災害の影響
の物語の双方に対する島の脆弱性を高める可能性がある。2013 年 12 月の中程
度の地震 (マグニチュード 5.1)および島の地殻変動は、事前準備を改善する
現実的必要性げ依然としてあることを示している。
図 1.2
20 世紀における様々な原因に起因する死亡者数(百万人/年)
(原図の一部を表に作り替え)
非伝染性疾病
(癌以外)
1,970
心血管疾病
呼吸器疾患
人為的
消化器疾患
神経精神疾患
糖尿病
尿生殖器疾患
980
事故
殺人
イデオロギー
戦争
1,246
虚血性心疾患
脳閉塞
高血圧
274
慢性閉塞性肺炎
147
82
73
63
66
37
116
115
278
保健合併症
周産期疾患
母体疾患
- 23 -
200
298
177
142
131
第二次大戦
第一次対戦
大気汚染
薬物
540
410
68
155
64
51
出生時欠損
530
癌
93
64
47
46
36
33
24
肺
胃
大腸
肝臓
胸部
食道
口腔
1,680
感染症
485
400
226
194
100
97
38
37
22
22
肺炎
痘瘡
下痢
マラリア
結核
麻疹
百日咳
破傷風
髄膜炎
性病
136
自然災害
101
24
飢饉
災害
- 24 -
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