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2013年ソロモン諸島地震・津波災害における 住民の避難行動
2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 (7519) 調査報告 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における 住民の避難行動 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター 三 村 悟 独立行政法人国際協力機構大洋州地域コミュニティ防災能力強化プロジェクト派遣専門家 金 谷 祐 昭 福島大学人間発達文化学類 中 村 洋 介 今後の津波対策への教訓を得ることを目的とするもの である。 1.は じ め に ソロモン諸島は開発に関する各種指標が大洋州地域 内でも低位で,社会インフラの整備は遅れている。90 年代からの民族対立の影響が残り,政府のキャパシテ ィも低い。また,島々は太平洋プレートとオーストラ リアプレートの境界に沿って点在するため,規模の大 きな地震が頻発する。2007年にはウェスタン州ギゾの 近海で発生したマグニチュード8.1の地震と津波によ り,52名が犠牲となっている。 2013年2月6日にソロモン諸島東部沖で発生したマ グニチュード8.0の地震とそれに伴う津波は,テモツ 州ネンドー島の沿岸集落に大きな被害をもたらした。 2.ソロモン諸島の概要 2.1 国土・民族・社会 ソロモン諸島国はオーストラリア・ブリスベンの 東北東約2,000キロ,南太平洋の南緯5度10分∼12 度45分,東経155度30分∼170度30分に点在する約 110の島々からなる島嶼国で,総面積は岩手県のほ ぼ2倍にあたる28,900平方キロメートルである。 総人口は2011年現在で約54万人,国民の90%以上 がメラネシア系であるが,地域によって異なる文化 と言語を持っている。このため異言語間の意思疎通 のために英語と現地語の混成語であるピジン英語が 共通言語として使われている。国民の95%は様々な 宗派のキリスト教徒である。国民の大多数は村落で, 地震発生直後に島を襲った津波は3メートル以上の浸 水深1があり,島内の全家屋2,258戸のうち1,060戸が 被害を受け,内581戸が全壊,全島民11,578人の4割 以上が避難生活を余儀なくされた。 しかし,沿岸部で大多数の家屋が甚大な被害を受け 確認されている犠牲者は9名, ているにもかかわらず, けが人も16名にとどまっている。 福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの教 職員2名と, (独)国際協力機構ソロモン諸島国派遣コ ミュニティ防災専門家1名からなる調査団は発災1か 月後に被災地を訪問し,被害および復旧の状況,発 伝統的な社会,文化のもとで生活している。英国の 法制度をもとに法令は整備されているが,土地所有 などは伝統的な社会制度が強く残されている。 2.2 歴 史 ソロモン諸島は16世紀の大航海時代に西欧に「発 見」され,その後英国領となった。第2次大戦中の 災時の住民行動,発災前の防災活動などを調査した。 本研究はその現地調査をもとに,防潮堤のような構 1942年には日本軍が一時占領し,連合国軍との間で 激しい戦闘が行われた。首都のあるガダルカナルは 今でも太平洋戦争の激戦地として記憶されている。 造物対策や早期警報体制も未整備の被災地で人的な 被害が比較的少なかった要因を明らかにすることで, 1976年に英国の施政下で自治政府を樹立し,1978年 に正式に独立,国連に加盟した。 75 ― ― (7520) 福島大学地域創造 第25巻 第1号 2013.9 図1 ソロモン諸島 り国民所得は2012年で1,130米ドルとなっている2。 開発に関する指標は大洋州地域各国の中でも低位 であり,成人識字率は76%,初等教育の就学率は70 %にとどまり,人間開発指数も世界187ヶ国中142位 の後発開発途上国である3。 2. 3 政 治 英連邦に加盟する立憲君主制で,議会は一院制で ある。1998年から,マライタ島から首都のあるガダ ルカナル島に移住してきた人々と地元のガダルカナ ル島民の間で対立が激化して紛争状態となり,治安 も悪化した。このため,豪州,ニュージーランドを はじめとする太平洋諸島フォーラム各国から軍隊・ 警察による治安維持部隊(RAMSI)が派遣された。 その後,治安状況は大きく改善されたが,2013年7 月時点でも RAMSI の駐留は継続している。 地方行政は首都地域及び9つの州に区分される。 基礎自治体はなく,州の下は集落レベルでの自治と なっている。 2.5 小島嶼国の特徴 太平洋島嶼諸国を初めとする小島嶼開発途上国の 特徴として,次の3点があげられる(小林:1994)。 遠隔性 ― 隣国から海を隔てて遠い 狭小性 ― 国土が小さく人口が少ない 隔絶性 ― 国土が大海に散在する これらの特徴から,社会資本の整備コストや社会サ ービスのデリバリーコストが高くなり,開発におけ る劣位性が指摘されている4。また,構造物対策に 2. 4 経 済 主要産業は農林水産業で,主要な輸出産品はココ よる災害への脆弱性の軽減は容易ではなく,災害発 生時の救援も届きにくいという困難を抱えている。 ナツ油脂,魚類(鰹鮪),木材である。国民の多く は村落で自給自足に近い生活を営んでおり,一人当 76 ― ― 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 (7521) 売により生計を維持しており,給与所得者は21%で ある。 被災前の島内の家屋の93%は木造など伝統的な家 2. 6 ソロモン諸島国の防災体制 国家災害評議会(National Disaster Council: NDC) が,同国の災害に係る政策立案,防災計画/体制構 築の戦略的管理について責任を負っている。議長は 環境・気候変動・防災管理・気象省の次官で,メン 屋で,屋根は83%がヤシの葉で15%がトタンぶきで ある。集合住宅は州都ラタに数件見られる程度であ とは小規模な戸建てである。水道があるのはラタ周 辺の39%だけで,また77%の家屋にはトイレがな い5。 首都ホニアラなど都市部と比較して伝統的な社会 バーは保健省,農業省など含む関係省庁の次官たち で構成される。 NDC の事務運営,つまり実質的な災害関連法案や 戦略の策定,関係機関の災害対応/準備体制構築支 援,防災啓発推進支援,災害発生時の緊急対応など は国家災害管理局(National Disaster Management Office: NDMO)が行っており,現在7名の職員が 制度が色濃く残っているが,ラタ近郊には島外出身 者が集まっているコミュニティもある。 いる。さらに,州(Province)以下の防災業務を支 援するため,各州(9つ)政府及びホニアラ市に防 災担当官(Provincial Disaster Officer)が配置され ている。 また NDMO は,気象局および鉱業・エネルギー・ 地方電化省の協力の下,サイクロンや津波に係る警 報を,メディアを通じて発信している。 3.2 災害の概要 地震は現地時間2013年2月6日(火曜日)午後12 時12分(01:12UTC),ソロモン諸島ネンドー島の 3.被災地の概要 3. 1 テモツ州ネンドー島の概要 テモツ州はソロモン諸島の最東端であるサンタク ルス諸島を中心とする12の島嶼群からなり,人口は 2009年の国勢調査によると21,362人で,うち11,578 人,2,258世帯が今回被災したネンドー島に居住し ている。 ネンドー島にはテモツ州の州都ラタがあり,首都 ホニアラからの航空便が発着する空港と,連絡船の 船着き場も所在する。島の面積は505.5平方キロで, 最高標高は549m である。島内就業者の65%はココ ナツ,イモ類などの農業と,手漕ぎカヌーによる沿 岸での漁労に従事し,自家消費と少量の一次産品販 西北西33キロメートルを震源として発生,震源の深 さは約30キロメートル,マグニチュードは8.0で, ネンドー島とその近隣のマロ,ニバンガ・ノイ両島 に強い揺れをもたらした6。 その数分から数十分後,ネンドー島各地に津波が 襲来,ラタの船着き場にある潮位計では104.4セン チの津波を観測したが,潮位計のないネンドー島の 西岸各地では3メートル以上の高さに津波の痕跡が 残っている。人的被害の状況は,9名が死亡,負傷 者は16名であった。建物については,島内の全家屋 2,258戸のうち1,060戸が被害を受け,内581戸が全 壊,全島民11,578人の4割近くが避難生活を余儀な くされた7。 本震の前後,1月23日∼2月14日の間に観測され た余震は246回,うちマグニチュード5以上のもの が130回,最大ではマグニチュード7.1を観測し 8, 本震およびこれら余震により数か所で斜面崩壊も発 生した。 ソロモン諸島政府が実施したネンドー島被災地調 図2 ネンドー島 77 ― ― (7522) 福島大学地域創造 第25巻 第1号 2013.9 図3 震源地(USGSホームページから転載) 表1 ネンドー島各地区の被災状況 地 区 Luva Station区 調査対象 人 口 被災状況 世 帯 人 口 死 世 帯 傷 死 者 者 負傷者 674 170 459 112 6 1 Naggu/Lord Howe区 1,105 243 782 177 0 11 Nea/Noole区 1,074 252 713 166 1 2 597 147 486 114 0 0 Nevenema区 1,420 346 1,231 295 2 2 North East Santa Cruz区 1,342 321 815 196 0 0 6,212 1,479 4,486 1,060 9 16 Neo区 合 計 (Humanitarian Action Plan for the Santa Cruz Earthquake and Tsunami Response 2013をもとに作成) 査の結果を表1にまとめる。 災時の状況と行動,被災前の津波に対する認識,避難 生活の状況について聞き取り調査を行った。聞き取り 4.現地調査の概要 筆者らは発災から1か月後の2013年3月5日から9 はピジン語,英語,および同行したソロモン諸島政府 職員によるテモツ語通訳を介して行ったため,十分に 聞き取りができなかったところや,証言によって相矛 日にかけて,被災地であるテモツ州ネンドー島を訪問 し,同島西岸部の村々を中心に23名の被災住民から被 盾することや記憶違いが疑われるものもある。聞き取 り調査結果を巻末の別表1にまとめる。 78 ― ― 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 (7523) 図4 調査地点(NDMO提供の地図に調査地点を記入) 5.2 発災直後の行動 午後12時12分の地震発生から津波の到達まで数分 ∼十数分程度であり,12時20分にハワイの太平洋津 波警報センター(PTWC)からの津波警報を受信 したソロモン諸島気象局が,メディアに警報を伝え た12時36分には,すでに津波の第1波が到達してい た。また,例え警報が津波到達より早かったとして も,テモツ州ではテレビやラジオ放送がなく,携帯 5.被災地住民の行動 聞き取り調査によって判明した,発災前の予防・啓 発,発災直後の行動,避難生活の状況についてまとめ ると以下の通りとなる。 5. 1 発災前の予防・啓発 聞き取りをした各村で,東日本大震災のビデオ視 電話も一部地域でしか通じないため,住民への周知 は困難であった。しかし今回は地震発生が昼間であ ったため,住民は海面の様子から津波の来襲を確認 でき,また急峻なのぼり斜面である避難路も比較的 聴と,津波到来時の避難経路の確認という訓練・啓 発が行われていた。これは2007年にソロモン諸島の ウェスタン州で発生した M 8クラスの地震・津波 災害を経て,国家災害管理局を中心に州,コミュニ ティレベルでの防災体制が整備され,州政府防災局 や赤十字社が地域で大きな影響力を持つ教会ととも 容易に登ることができた。 地震と津波が発生した2月6日の昼過ぎは,平日 ということもあり,児童は学校に,成人の多くは畑 仕事あるいは学校での共同作業などで家の外に出て いた。 地震発生後,住民が何を見てどのような行動をと に住民への啓発活動を行ってきた成果であろう。 また,多くの人々から, 「大きな地震の後は津波 が来る」 「津波の前には潮が引く」という伝承を知 っていたとの証言があった。一方で,これまでに津 波を実際に体験した人は高齢者にもおらず,また今 回の地震はこれまで経験した中では最も激しいもの であった,とすべての証言者が述べていた。前回ネ ンドー島が津波に被災したのは100年以上前と言わ れており,住民は津波の実体験はないが,教訓は後 ったのか,聞き取り調査から推測すると以下のよう になる。 これまで経験したことのない,恐怖を感じるほど の強い揺れが数分間続いた。 人々は以前教会などで見た,東日本大震災のビデ オを思い出し,津波が来るのではないかと考えた。 の世代へと伝えられていた。 海辺近くにいた住民が,津波が来たことを叫びな 79 ― ― (7524) 福島大学地域創造 第25巻 第1号 2013.9 がら走って逃げてきたため,他の住民も慌てて高 台に向けて走り出した。恐怖に立ちすくんでしま 6.2007年ソロモン諸島ウェスタン州沖地 震津波の経験 った人などを抱えるようにして一緒に逃げた。 津波は3回(場所によっては2回)到達し,3回 目が一番大きかった。 津波については伝承があったが,実際に経験した 住民はおらず, 住民全員が初めての経験であった。 「津波の前に潮が沖合まで引く」と聞いていたが, 今回は引き潮がなく,沿岸がざわついた後に波頭 が沖合に見えた。 場所によっては,津波がいろいろな方向から押し 寄せてきた。 2007年4月2日にウェスタン州を震源とする M8.1 の地震により津波が発生し,ウェスタン州とチョイセ ル州を中心に犠牲者52名を含む甚大な被害を引き起こ した。 この津波災害後,ソロモン政府が行ってきた大規模 災害対応にかかる施策は以下のとおりである。 国,州レベル緊急対策本部での津波対応標準運用規 定の策定 州,コミュニティレベルの災害対応能力強化を目的 に,各州に防災担当官を配置 州気象局に短波無線を設置 津波が引いた後も,強い余震が何度も続き,住民 の大多数はそのまま高台で夜を明かした。 国営放送設備の改善によるラジオ放送受信可能範囲 の拡大(日本政府による無償資金協力「防災ラジオ 放送網改善計画」,2013年7月現在実施中) 5. 3 避難生活の状況 テモツ州は首都ホニアラから300キロ離れたソロ モン諸島の東端にあり,港湾,空港の設備も貧弱で, 発災直後は支援物資の輸送に困難があり被災者は困 窮した状態となった。島に届いた支援物資は,教会 でまとめられて各集落に配布されていた。物資がい きわたるようになった発災1か月後の時点でも,避 難地の給水や衛生にはなお困難が多かった。 ネンドー島の住民の多くは,自家消費が中心の農 業と漁業に従事し,島内は貨幣経済と自給自足型の サブシステンス経済が混在している。畑は比較的高 台にあって津波の被害は少ないが,一人乗りの小型 カヌーを使った伝統的な漁業では,カヌーや漁網の 多くが流失し,またやや大きなボートやエンジンも 被害を受けており,生業の回復には時間を要する。 このような施策が進められたこともあり,今回の津 波災害では2007年の時よりもソロモン政府による迅速 な対応が可能となった。 一方で,2007年のソロモン諸島西端での津波の経験 が,ソロモン諸島の東端であるテモツ州の住民には実 感を持って伝わっていなかったことは,聞き取り調査 の中で2007年津波について話す住民が皆無であったこ とからもわかった。ネンドー島の住民の多くは,東日 本大震災や2004年のインド洋津波のビデオを見たこと があり,これらの災害を疑似体験することで,地震の 後には津波の危険があること,津波は大きな破壊力を 図5 被災地の様子 図6 津波浸水深の調査 80 ― ― 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 (7525) 持っており,迅速な避難が必要なことなどをよく理解 していた。それに対して2007年の津波は同じ国内の災 たことから,サモアで見られた海岸に津波の様子を見 に行くといった行動はソロモン諸島ではとられなかっ 害といっても,その被害を目の当たりにできるビデオ 資料などがないため,住民にはその経験が伝わってい なかった。 た。 8.人的被害を軽減した要因 7.2009年サモア諸島沖地震津波との比較 今回の災害では全体の被災者数4,486人に対して死 者は9名で,死亡率は0.002となる。今回の津波で確 2009年9月29日早朝(現地時間)に発生したサモア 諸島沖を震源とするマグニチュード8.0の地震とそれ 認されている浸水深は最大約3メートルであり,日本 での既往津波の規模と死亡率の関係を比較した河田: に伴う津波では,サモア独立国,トンガ王国,米領サ モアの3か国・地域で190名以上の犠牲者を出した。 米領サモアTutuila島では地震発生から約20分後に, 1997の上限値0.04より1桁低い。また,越村:2009 が示した2004年インド洋津波の際のインドネシア・ Banda Aceh での浸水深3メートルでの死亡率0.2か らは2桁低くなっている。 4∼6メートルの津波が数回到達し,人的被害が35名 発生している。地理的な条件や津波の規模,地震は感 じたが津波警報は間に合わなかった状況など,今回の ソロモンでの津波と類似点が多い。 米領サモアでの現地調査を行った奥村:2010による と,住民の多くはこれまでに感じたことのない大きな 揺れに驚いて屋外に飛び出すが,その後は高台に避難 することなく日常生活に戻り,津波警報も発出されて いなかった。大きな地震の後は津波の危険があるとい うことを認識していた人もいたが,住民の多くは津波 を想定しておらず,避難した住民のほとんどは,津波 が迫っているのを目撃するか,あるいは目撃した人が 避難する姿を見たり,津波の来襲を呼びかけるのを聞 いて行動を起こしている。奥村らは,ともに5メート このように,今回のソロモン津波での人的被害は, 同様の規模の津波災害に比較して軽微であったと言え る。現地での実地踏査,聞き取り調査をもとに,調査 団がその要因として考えたものは以下のとおりであ る。 ネンドー島の西岸は集落がある海岸の低平な土地か ら内陸に数十メートルから200メートル入ると急峻 な丘陵となる地形で,どの集落も避難する高台が近 くにあった。 発生が昼間であり,海の異変を早期に認識すること ができ,また避難も容易であった。 海の異変を認識した住民が,周囲に津波が来たこと を大声で伝えながら避難したため,避難行動が村全 体に拡大した。 津波の被害は,浸水深や流速といった津波の外力の 大きさに加え,瓦礫など漂流物の効果によりその大 きさが変化する(越村:2009)。今回の津波被災地は, 伝統的な木造・軽量なヤシの葉ぶきの屋根の家屋が ル近い浸水深のあった Leone村と Amanabe村で聞き 取り調査し,前者は犠牲者が10名で,後者は皆無であ ったことを明らかにしたうえで,後者では地震発生直 後から,津波の危険を感じた村の首長が拡声器で避難 を呼びかけていたことが犠牲者を出さなかった要因で あるとしている。地域コミュニティにおいて身近で権 ほとんどで,海岸にはそれ以外の施設や車両など人 的被害を増大させる危険な漂流物となるものはほと んどなかった。 事前に避難ルートの確認などの防災訓練が各地で実 威のある首長の呼びかけが,災害が差し迫っているこ とにリアリティを持たせ,住民に強く影響を及ぼして いる。 今回のソロモン諸島での津波でも,住民の多くが津 施され,また東日本大震災のビデオの視聴により, 津波災害が視覚的に理解されていた。 波を実際に見たり,津波を見た人の呼びかけにより避 難を開始している。早期警報の整備がなされていない 地域では,住民同士の呼びかけや率先した避難行動を とることが,集落全体に避難行動を拡大し危険回避に 就学児童は学校から教員の引率で円滑に高台に避難 できた。 つながる。一方,地震の後に津波が来る可能性がある ことについては,ソロモン諸島ではサモア以上に広く 一方,9名の犠牲者の内訳は,性別では女性7名, 男性2名,年齢別では子ども2名,成人7名(うち高 齢者6名)となっており,いわゆる「災害弱者」が9 認識されていたこと,また,東日本大震災のビデオを 見るなどして津波の恐ろしさを具体的にイメージでき 割を占めている。また,聞き取り調査で判明した6名 81 ― ― (7526) 福島大学地域創造 第25巻 第1号 2013.9 の津波に巻き込まれた原因としては,家にとどまって 逃げ遅れた(4名) ,高台に避難したものの家に家財 付けることは難しい。しかし,インド洋津波,サモア 諸島沖津波そして東日本大震災などの経験が,ビデオ を取りに戻って巻き込まれた,高台に避難したものの 家畜のつなぎ紐を外しに戻って巻き込まれた,といっ たように津波への正しい対応をしていれば免れ得たも 映像とともに世界で積み重ねられてきている。これら の映像を利用した防災教育は,災害についてリアリテ ィを持って理解する上で非常に効果的である。 のであった。 ソロモン諸島は大洋州地域の中でも就学率,識字率 が低く,特に離島部では中学校の過程を修了する住民 は限られている。このように教育水準という点で劣位 9.次の津波災害への備え 性がある地域であっても,ビデオを用いた視覚に訴え る防災啓発活動は効果的であることが今回の調査によ って確認できた。また,どれほど早期警報システムが 発達しても,避難行動に移らなければ被害は防ぐこと 今回は日中に発生した近地津波であることから,地 震動や海の異変を契機として住民の避難行動が比較的 スムーズに行われたといえる。しかし,次の災害に備 える点からは,夜間の津波発生や地震動を感じない遠 地津波を想定し,住民に対する啓発と早期警報の整備 ができない。発災時は住民が声を掛け合って避難行動 を拡大することでより多くの命が救われるという点 を進める必要がある。これらのうち早期警報について は,太平洋地域で津波を発生させるような巨大地震が 起こった場合,ハワイの PTWC から各国の気象台あ るいは防災部局に警報が出されることから,これをい かにして住民に知らせるかが課題となる。 ネンドー島の場合,首都ホニアラからは遠隔であ り,テレビやラジオ放送も受信できない。現在,日本 の無償資金協力によりラジオ放送網の整備が行われて おり,これが完成すれば状況は改善されることが期待 できる。しかし,すべての村にラジオがあるのか,夜 間ラジオのスイッチを切っていたらどうするのか,と いう問題は依然ある。一方,携帯電話は州都ラタ近辺 でのみ利用可能であるが,携帯電話のサービス範囲外 の村においても,ほとんどの家庭が携帯電話端末を所 有し,利用するときはラタまで行っていることが分か った。このため,住民への津波警報伝達に一番確実な は,ソロモンやサモアのような途上国にとどまらず, 我が国をはじめ津波のリスクのある国々にとって教訓 となる。 参考文献 1)小林泉,太平洋島嶼諸国論,東信堂,1994,302pp. 2)奥村与志弘,原田賢治,河田惠昭,2009年サモア 諸島沖地震津波における住民の避難行動特性とその 後の変化 ― 米領サモア現地調査を踏まえて ― , 土 木 学 会 論 文 集 B2( 海 岸 工 学 )Vol.66 No.1, 2010,社団法人土木学会,pp1371-1375 3)河田惠昭,大規模地震災害による人的被害の予 測,自然災害科学Vol.16 No.1,日本自然災害学会, 1997,pp3-13 4)越村俊一,行谷佑一,柳澤英明,津波被害関数の 構築,土木学会論文集B Vol.65 No.1,2009,社団 法人土木学会,pp320-331 方法として,携帯電話の基地局を増設してサービスエ リアを拡大し,一斉同報サービスにより情報を伝える 5)鈴木信吾,牧 紀男,古澤拓郎,林 春男,河田 惠昭,2007年4月ソロモン諸島地震・津波災害とそ の対応の社会的側面,自然災害科Vol.26 No.2,日 本自然災害学会,2007,pp203-214 システムを構築する事が有効である。 10.今後の教訓 今回の津波では,住民のほとんどが,自ら津波を目 視し,あるいは目視した人から逃げろと言われて避難 を開始している。今後の啓発活動の中では,揺れを感 じたら速やかに避難することをさらに強調し,また, 大きな津波は数回にわたって到来することがあるの で,一度波が引いたからといって家に戻らないことを 徹底させる必要がある。 1 津波浸水域の地表面から津波痕跡までの高さで, その地点での津波の深さを表す。 2 The World Bank,“World Development Indicators” http://data.worldbank.org/country/solomonislands 3 United Nations Development Programme 大規模な地震・津波災害は,気象災害などよりも発 生頻度が低く,実体験をもとに適切な対応行動を身に “Human Development Report 2013” 4 小林 泉,太平洋島嶼諸国論,東信堂,1994 82 ― ― 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 (7527) 5 Solomon Islands National Statistics Office “Solomon Island 2009 Population and Housing REPORT NUMBER 05” 7 Ministry of Environment, Climate Change, Census” 6 Ministry of Environment, Climate Change, Disaster Management & Meteorology of Solomon Disaster Management & Meteorology of Solomon Islands“Humanitarian Action Plan for the Santa Cruz Earthquake and Tsunami Response 2013” 8 U.S. Geological Survey web site; http://www.usgs.gov/ Islands“6 FEBRUARY TEMOTU EARTHQUAKE AND TSUNAMI SI NDMO/NEOC SITUATION 別表1 被災者聞き取り調査の概要 Luva Station区 Nela村 住民の証言 Luva Station区 Lata Area 4 住民の証言 Naggu/Lord Howe区 Nabalue村 住民の証言 人 口:214 世 帯 数:58 被災者:200 被災世帯:56 死 者:5 死者のうち,Notartabu集落の1家族4名は逃げ遅れて全員死亡。 (中年女性) 地震の後,すぐに高台に逃げた。 (高齢男性) 以前行われた防災訓練に参加していた。 津波の前には水が引くと言い伝えられていたが,今回は水が引くことはなかった。高波が見えたので 避難した。 高台に小屋を建てて家族8人で避難している。 被災後すぐに6㎏のコメを救援物資として受け取った。4日後,さらに10㎏が配給。 (74歳男性) 大きな揺れの後,彼の息子の一人が津波が来ると叫び避難した。 津波が襲ったとき,パニックに陥った女性が木にしがみついたまま動くことができなくなったが,一 命は取り留めた。 (中年女性) 発災時は海岸にいて,地震の後,水が引くのを見て避難した。 今は Lata のキャンプに避難して,日中は元の家のあった場所で調理をしている。 (34歳男性) 発災前,津波防災ワークショップに参加していた。地震の後,すぐに家族とともに,あらかじめ確認 してあった高台の避難場所に逃げた。 高台には14家族が避難している。 津波の前には潮が引くと聞いていたが,今回は潮は引かずに津波が来た。 津波は3波,大音響とともにいろいろな方向から押し寄せた。 発災4日後から,避難キャンプには毎日給水が行われている。 人 口:225 世 帯 数:51 被災者:158 被災世帯:34 死 者:1 Lata Area 4地区はネンドー島の空港脇に位置し,Temotu州外からの住民が居住する地域。被災者の ほとんどが Lata の街中のグラウンドに設営された避難キャンプで生活している。 (地区長の男性,48歳,および彼の妻) 津波以前に,東日本大震災のビデオを視聴していた。 Lata Area 4の住民は島外から移住しており,土地を持っていない。このため,生活を支える畑を持 つことができず,高台移転の土地もない。 避難キャンプにはトイレが整備されておらず,水と衛生の面で大きな課題がある。 人 口:38 世 帯 数:7 被災者:32 被災世帯:6 死 者:0 被災者は近郊の Bulo地区にテントを設営して生活している。(訪問時はヤシの葉で小屋の屋根を作って いた。) 村の地面にいくつもの亀裂が入った。 (80歳前後の女性) 村の中にいるときに地震が発生,どうしていいかわからず立ちすくんでいたところ,津波が来た。近 所の若者が彼女の手を引き,高台に避難した。 地震が発生したとき,村人のほとんどは畑に出ていた。 高台の避難地から,日中は魚釣りや洗濯のために海岸に降りている村人もいる。 83 ― ― (7528) Naggu/Lord Howe区 Banmawa村 住民の証言 Nea/Noole区 Nea村,Nemboi村 (Mohaboi Hill) 住民の証言 Nea/Noole区 Monene Community School 住民の証言 Neo区 Malo村,Wia村 住民の証言 Nevenema区 Vanga村 住民の証言 Nevenema区 Nemba村 住民の証言 福島大学地域創造 第25巻 第1号 2013.9 人 口:165 世 帯 数:40 被災者:141 被災世帯:35 死 者:0 水汲み場へ続く小道の途中で数か所土砂崩れが発生し,多くの地割れが見られる。今後,降雨などによ りさらなる土砂災害の危険がある。 また,小川の水が地震後,濁っている。 (地割れの起きた地点の観察と,土砂災害への警戒が必要であることを調査団から州政府関係者および 住民に説明した。) 人 口:416 世 帯 数:103 被災者:379 被災世帯:88 死 者:1 高齢の女性が高台に避難した後,家に家財を取りに戻って津波に流され亡くなった。 高台の避難地はぬかるみが多く,住民は日中,海岸沿いの村に戻っている。 (49歳男性およびその家族) 発災前,ソロモン赤十字が学校で津波のビデオを児童に視聴させていた。 学校ではすぐに児童が校庭に集合し,高台に避難した。 地震の2分後には津波が来た。村の60ほどの家が流された。 親たちは子どもたちを探してブッシュを回り,数時間後に高台で再会できた。 村人の多く,特に子どもたちはトラウマを抱えている。 大きな地震の後には津波が来るとの言い伝えが村にはあった。 近隣で余震による土砂崩れがあった。 生徒数:182 寄宿舎を持つ公営の小中学校 (校長から聞き取り) 地震発生時,全校生徒の集会中であった。すぐには避難しなかったが,津波が来るのが見えたため, ベルを鳴らしてすぐ裏の丘を駆け上がった。 避難した丘の上に保護者が生徒を迎えにきたが,遠隔地の生徒は2晩をブッシュで過ごした。 津波は校庭にまで来たが,校舎の被害は軽微。 地震の2日後に近隣で土砂崩れが発生。今後も拡大する危険がある。 生徒182名のうち,学校に復帰したのは100名程度。 人 口:597 世 帯 数:147 被災者:486 被災世帯:114 死 者:0 両村は Nendo島の Lata から距離1キロ,船で10分ほど離れた小島にある。 被災前はサメやウミガメを飼育し,ビーチバンガローを建てて観光客を集めていた。 (高齢男性,元テモツ州議会議員) マロ村では全壊した家屋は多くはないが,砂浜に建っていたバンガローは流された。住民は津波後, 高台で寝起きしている。 津波で子どもが流されたが,マングローブにひっかかって一命を取り留めた。 人 口:353 世 帯 数:96 被災者:217 被災世帯:58 死 者:1 村の家屋は多くが海岸沿いの低地にあったが,数世帯が小道を登った丘の上にあった。 (男性) ソロモン赤十字社が開催した津波避難訓練に参加していた。 津波は3波,そのうちの第2波が村に到達し,第3波が来る前に避難した。 人 口:414 世 帯 数:93 被災者:408 被災世帯:92 死 者:0 津波の浸水深は内陸約50メートルの地点で3メートル程度。 海岸部の家屋は壊滅状態,背後の丘陵地で地滑りが発生。 (中年女性) 津波の波頭が見えたために避難。 家の骨組みだけが残り,そこにビニールシートをかけて生活。 (64歳男性) 高台にある村の学校で作業中に津波が沖合に見えた。学校は被害を受けていない。 84 ― ― 2013年ソロモン諸島地震・津波災害における住民の避難行動 Nevenema区 Manoputi村 住民の証言 Nevenema区 Bania村 住民の証言 (7529) 人 口:328 世 帯 数:74 被災者:328 被災世帯:74 死 者:0 全家屋が被災,背後の丘陵地で地滑りが発生。 村には「災害リスク委員会」が組織されていた。 (中年男性) 津波啓発ワークショップで,大きな地震の後は津波が来ると教えられていた。 縦揺れ,横揺れが5分近く続いた後,数分で津波が来た。 津波が来る直前,大きなエンジンのような音が聞こえ,誰かが「津波だ」と叫び,避難した。 津波は3波。第1波の後,1,2分で第2波が来た。第3波が一番大きかった。 言い伝えでは津波の前は潮が引くと聞いていたが,今回は潮は引かなかった。 (62歳男性) 津波の4週間前に,教会で東日本大震災のビデオを見た。 地震はこれまで経験したことがない大きな揺れだった。 村人の何人かが濁流に流された。 裏山の地滑りで一人が亡くなった。 津波警報などは伝わらなかった。 村の学校は一部が壊れ,今も再開していない。 人 口:51 世 帯 数:14 被災者:51 被災世帯:14 死 者:1 (高齢男性) 発災前,教会で津波のビデオを視聴。 地震はこれまで自分も経験したことのない強い揺れで,子どもたちは怖がって泣き叫んでいた。 津波は3波,言い伝えにしたがって地震の後すぐに高台に逃げた村人と,津波を見て逃げた人がいる。 津波の発生時に2隻のカヌーが漁に出ていたが無事だった。 水,食料,テントが不足している。 85 ― ―