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「スカルボ」の影を追って ―『夜のガスパール』
「スカルボ」の影を追って ――『夜のガスパール』の立役者―― 宮 崎 茜 はじめに アロイジウス・ベルトラン(1807 − 1841)の作品『夜のガスパール レンブラント及びカロ風 幻想集(1)』は現在、2 つの序文、散文による詩から成る 6 つの書、そしてこれらの書の最初と最後 を挟むヴィクトル・ユゴーとシャルル・ノディエに捧げられた献詩によって構成されている。こ の作品はベルトランの死の翌年に、サント = ブーヴを含む友人ら 3 人によって編集・出版された。 1842 年のこの初版の巻末には彼らの手でベルトランの遺稿が加えられており、現在この 7 つ目の 書とも言える部分を持った構成を踏襲している版も見られる。 『夜のガスパール』のテクスト成立までには時間がかかり、友人らの手が加わったとされる上 述の初版、そしてこうした改変を修正したとされる 1925 年のベルトラン・ゲガンによる版の 2 種 類が主流となっていた(2)。ゲガン版刊行以降原稿が行方不明となり、版の間の差異を原稿と照ら し合わせることができなかったため、後の編集者あるいは研究者たちは底本とするテクストを自 ら選択せねばならなかった。しかしついに直筆原稿が 1992 年に再発見され、現在パリ国立図書館 に保存されている(3)。2000 年にようやくベルトラン全集が編纂された上(4)、2015 年には直筆原稿 が電子化・一般公開されたため、現在やっと彼の作品のテクスト研究が容易になったといえる(5)。 こうした近年の進展を受けて、ジャン・リュック・スタインメッツ、ジャック・ボニーらが新 たな『夜のガスパール』の版を刊行している(6)。彼らは全集を参考にしながらも、さらに直筆原稿 に忠実であることを目指し、ベルトランが理想とした作品のあり方の再現を試みている。という のも、その原稿には詩篇の組み方および挿絵に関する詳細な指示が残されていたためである。ベ ルトランが理想と考えていた作品の再現のため、また彼の作品の核心に迫るためには、『夜のガス パール』に登場するあるひとつの存在が非常に重要な鍵となる。ここではこの作品全体の構成に ついて述べることはしないが、第 3 の書に登場するこの存在の姿を追うことによって、ベルトラ ンの目指した理想の作品のあり方を探る手掛かりの一端としたい。 — 61 — 第 3 の書 直筆原稿が発見されて以来、ベルトランが理想とした作品の理想像を推測することができるよう になった。というのも、その中に本人が版元に出していた指示が残されていたためである。この指 示は現在パリ国立図書館に保存されている直筆原稿の中に書かれているもので、ベルトラン全集の 中でも紹介されている (7)。作品の体裁、文字の組み方を指示している「植字工氏への指示」 « Instructions à M. le metteur en pages »、そして「テクストの縁取りのデッサン」« Dessin d’un encadrement pour le texte » と題された指示の 2 種類が残っている。作品を組む当初からベルトラン が意識していたことが記されており、『夜のガスパール』の本質、そしてその構成を考える上でも 重要な資料となっている。これらの指示がもともと原稿と一緒に存在していたことは内容を見ても 明らかであり、作品の内容について未決定事項を保留にしてある部分が多いため、書かれたのは最 終稿完成の前であった可能性が高い。 植字工への指示には、ベルトランが印刷の体裁について非常にこだわっていた様子が伺える。余 白や星印、文字の大きさについて細かく指示が出されているが、こうしたこだわりは、詩としての 作品の体裁だけではなく、余白や印刷の体裁そのものを詩情の源として捉えていた彼の姿勢を示す ものである。こうした霊感の源を用いた最初の詩人にベルトランが含まれるのだとレミ・ド・グル モンは述べている(8)。 また、もう一方の指示「テクストの縁取りのデッサン」を、ベルトランは以下のように始めてい る。 Cet encadrement doit être le plus large et le plus historié qu’il se pourra. Le caractère général du dessin sera moyen-âge et fantastique. [...] / Je vais indiquer à l’artiste les sujets qui me semblent les plus faciles à exécuter. – C’est à son talent d’en tirer parti et de les combiner ensemble.(9) この縁取りは最大限ゆとりがあり装飾されたものであること。デッサンの一般的な特徴は「中世」 そして「幻想」とする。[...] / 私は職人に、最も制作しやすいと思われる題材を示そうと思う。―それ を利用し、また組み合わせるのは彼の才に任せる。 これを見て驚くのは、詩人がこの指示をおそらく挿絵職人に宛てて書いているということだ。 『夜のガスパール』は挿絵付きで出版されることを望まれていたのである。M. H. ジラールは早く からベルトランにおける挿絵の重要さを訴えてきたが、彼によるとページを取り囲む形で挿絵を載 せることは、1830 ~ 1835 年当時、特にロマン派の間で流行しており、ベルトランが『夜のガスパ ール』の原稿を売った出版業者ランデュエルから刊行された書物もこの傾向が強かった(10)。挿絵 職人がイメージを練る手助けになるようにと、ベルトランは全体のテーマを中世 « moyen-âge » と — 62 — 幻想 « fantastique » としながら、それぞれの書の大まかな内容と重要なキーワードを列挙してゆく。 確かに職人に向けられた指示ではあるが、この内容は、ベルトラン自身の原案が存在せず難解であ った詩を読み解く上で非常に大きな助けとなっている。 『夜のガスパール』において、散文による詩は 6 つの書、つまり 6 つの章に分けられて掲載され ているが、この指示の中では、それぞれの書の代表的な詩とその題材について説明されている。第 1 ・ 2 の書に関する指示は明快で、代表として 1 ・ 2 篇の詩が挙げられ、この指示を書いた時点で 完成に近かった書だと考えられる。第 4 ~ 6 の書については 3 つの書がまとめて指示されており、 作者の目にも重要ではないと記されている。 しかし他の書と大きく違い、第 3 の書については非常に多くの題材と詩のタイトルが示されてい る。とりとめのない題材を示しておき、後から選ぶとしているが、これはベルトランが第 3 の書の 中から代表的な詩を選ぶことが出来なかったためではないだろうか。第 3 の書は『夜のガスパール』 という作品の中で、切り捨てがたいテーマを最も多く含んでいる可能性があるといえよう。 指示の中で、ベルトランが詩のタイトルを挙げているのは「ゴチック部屋」« La Chambre gothique »、「スカルボ」« Scarbo »、「白布」« Le Linceul »、「狂人」« Le Fou »、「小人」« Le Nain »、 「月の光」« Le Clair de lune »、「鐘楼下の輪舞」« La Ronde sous la Cloche »、「夢」« Un rêve »、「我 が曽祖父」« Mon bisaïeul »、「オンディーヌ」« Ondine »、「サラマンドル」« La Salamandre »、「サ バトの時間」« L’Heure du sabbat » の 12 篇である。これは第 3 の書の詩全てということになるが、 最終稿とした直筆原稿にはこの指示の後変更が加えられたようで、タイトルや順序が少し異なり、 全 11 篇となっている。減らされた 1 篇とは上の「スカルボ」だと考えられる。しかし最終稿にも 「スカルボ」という詩が存在しており、それは上で「白布」となっていた詩が最終稿で「スカルボ」 に変えられたためである。直筆原稿を見ても、ベルトランは「白布」のタイトルを線で塗りつぶし、 「スカルボ」« Scarbo » というタイトルに変更している(11)。つまり、ベルトランは「スカルボ」の 詩を削り、もともとあった詩のタイトルを新たに「スカルボ」としたのである。削除された方の 「スカルボ」の詩は、初版編集の際に付けられた巻末の遺稿集の中に収められているが、この詩は モーリス・ラヴェルが後年『夜のガスパール』に音楽を付ける際に選んだ 3 つの詩の中に含まれ、 そのピアノ作品の最後を飾っている(12)。 ラヴェルも注目した「スカルボ」« Scarbo » という新たな単語が突然目につくようになるのは第 3 の書からである。「この小人は悪夢の精であり、ベルトランの夜に執拗に偏在する彼の固執観念 の具現である。次の詩『スカルボ』に登場する escarbot(こがねむし)から、ベルトランが創造し た妖精である(13)」、と及川茂が述べているように、ベルトランによる想像の産物である。また、こ の指示の原本を見て興味深いのは、挿絵職人への指示が書かれながら、ベルトラン本人が描いたと 思われる挿絵のデッサンも添えてあることだ(14)。この指示の中には、「スカルボ」の姿を連想させ るものも含めて全部で 3 つのデッサンが残されており、全て第 3 の書について指示した箇所に集中 している。このことから、ベルトランの第 3 の書への思い入れが強かったと考えるのは早急であろ — 63 — うか。 第 3 の書は、「夜とその魅惑」« La Nuit et ses Prestiges » というタイトルであり、作品集全体の総 題である『夜のガスパール』と共通する「夜」という語をタイトルに掲げている。« prestige » とは 幻想、妄想、錯覚などを意味する古ラテン語 « praestigium » に由来し、威信、魅惑・魅力、幻惑・ 魔力を指すことから、この書の主題は怪しげな夜の幻想の魅惑だとされる(15)。以下ではこの幻想 とベルトランの想像の産物との関わりを追ってみたい。とりわけこの書の前半 3 つの詩には「スカ ルボ」が連続して登場しており、明らかにベルトランの意図があったことが伺える。ここでは実際 にこの第 3 の書の詩を読み解くことで、この存在の正体を探ることとする。 「スカルボ」の登場 ― 舞台設定 ベルトランの想像の産物は、最初の詩「ゴチック部屋」の中に、不気味に登場する。 LA CHAMBRE GOTHIQUE I Nox et solitudo plenae sunt diabolo. Les Pères de l’église. La nuit, ma chambre, [sic] est pleine de diables. -«Oh! la terre, -murmurai-je à la nuit, -est un calice embaumé dont le pistil et les étamines sont la lune et les étoiles!» Et les yeux lourds de sommeil, je fermai la fenêtre qu’incrusta la croix du calvaire, noire dans la jaune auréole des vitraux. * Encore, -si ce n’était à minuit, -l'heure blasonnée de dragons et de diables! -que le gnome qui se soûle de l’huile de ma lampe! Si ce n’était que la nourrice qui berce avec un chant monotone, dans la cuirasse de mon père, un petit enfant mort-né! Si ce n’était que le squelette du lansquenet emprisonné dans la boiserie, et heurtant du front, du coude et du — 64 — genou! Si ce n’était que mon aïeul qui descend en pied de son cadre vermoulu, et trempe son gantelet dans l’eau bénite du bénitier! Mais c’est Scarbo qui me mord au cou, et qui, pour cautériser ma blessure sanglante, y plonge son doigt de fer rougi à la fournaise!(16) ゴチック部屋 I 夜と静寂とは悪魔に満ちている。 教父列伝 夜、我が部屋は悪魔に満ちている。 ― 「おお! 地球は」―私は夜に向かって呟いた。―「香り豊かな花の萼、その花の雌しべと雄し べは月と星々!」 眠気に目が重く、私は窓を閉じた、その窓には彩色ガラスの黄色い後光の中、黒いキリストの磔刑 像がはめこまれていた。 * そしてまた、―真夜中、―龍と悪魔の紋章が描かれた時刻! ―もし私のランプの油を嘗めて酔っ たのが、グノームでしかなければよかったのだが! もしそれが、単調な歌で、我が父の鎧の中、小さな死産児をあやしている乳母でしかなければ! もしそれが、板張りの中に閉じ込められ、額や肘や膝を打ち付けている、ドイツ歩兵の骸骨でしか なければ! もしそれが、虫に食われた額縁から降り、聖水盤の聖水に籠手を浸す我が祖父でしかなければ! しかしそれはスカルボだ。私の首を噛み、血まみれの傷口を焼こうと、かまどで赤くなった鉄の指 を差し込んでくるのは! 第 3 の書の最初の詩は「ゴチック部屋」である。そのエピグラフには「悪魔」« diables » の語が あり、舞台が怪しい夜の部屋であることを暗示している。挿絵職人への指示の中では、この「ゴチ — 65 — ック部屋」への指示の横に、花の萼のようなものに月と星々が乗ったデッサンが描かれている(17)。 これは詩の第 1 節の内容を描いたものだと思われる。第 3 の書にはこのような「月」が頻出してお り、舞台は全て夜となっている。 樋口正明は、第 1 ・ 2 節で「私」が夜に挨拶し、「目を瞑って眠りに就く場面から本題へと入っ て行くこの詩は第三の巻の内容と舞台を予告し、先導するような性格を備えている(18)」としてい る。アスタリスク「*」と広い余白を挟んだ後、場面は真夜中、再び « diables » の語が出てくる時 刻である。アスタリスクと余白があることによって、これより後の場面が現実のものか、はたまた 眠りについた後の夢の中のものなのかわからなくなっている。余白の後すぐの第 3 節で「私」のラ ンプにとりつく存在が出てきており、その存在が « le gnome » に例えられている。« le gnome » と は、錬金術にまつわるラテン語 « gnomus » が由来だともされるが、ユダヤ教などで地中に住み宝 を守るグノーム、地の精、醜い不具の小人、といった意味を持つ。しかしランプにとりつく存在は、 地の精というよりも火の精のように描かれてゆく。 最終節でその存在は、単なる地の精ではなく « Scarbo » であったことが明かされるのである。 「スカルボ」は「私」の首に噛みつき、かまどで真っ赤に焼けた鉄の指を持つ。しかし興味深いの は « mordre » という動詞である。「かむ、かじる」と訳されるが、この動詞には「虫や鳥が刺す、 ついばむ」という意味もある。「『ゴチック部屋』のスカルボは詩人の首に咬みつく ( mordre ) が、 この動詞は主語が小さな虫の場合には刺すという訳語が適当であり、その鉄の指には甲虫目の昆虫 の足先の特徴が継承されている(19)」と樋口が指摘するように、「スカルボ」という存在はこれより 後も昆虫のように、あるいは昆虫を側に置いて描かれることが多い。またさらに、« mordre » とい う言葉は、版画、エッチングなどで金属板を腐食させる時にも用いられる動詞であるため、『夜の ガスパール レンブラント及びカロ風幻想集』というタイトルにも表れているように、銅版画に描 かれたカロの戯画が「スカルボ」のモデルとなったことを示していると指摘することもできよう。 スタインメッツは自身編纂の版で挿絵としてカロの作品を掲載している。 (20) — 66 — 次に来る詩は、「ゴチック部屋」の最終節で明らかにされたこの奇妙な存在の名をタイトルに掲 げて始まり、さらにその詳細が明らかになっていく。 「スカルボ」― 名前とその姿 SCARBO II Mon Dieu, accordez-moi, à l’heure de ma mort, les prières d’un prêtre, un linceul de toile, une bière de sapin et un lieu sec. Les Patenôtres de Monsieur le Maréchal. -«Que tu meures absous ou damné, -marmottait Scarbo cette nuit à mon oreille, -tu auras pour linceul une toile d'araignée, et j’ensevelirai l’araignée avec toi!»- -«Oh! que du moins j’aie pour linceul, lui répondais-je, les yeux rouges d’avoir tant pleuré, -une feuille du tremble dans laquelle me bercera l’haleine du lac.»- -«Non! -ricanait le nain railleur, -tu serais la pâture de l’escarbot qui chasse, le soir, aux moucherons aveuglés par le soleil couchant!»- -«Aimes-tu donc mieux, -lui répliquais-je larmoyant toujours, -aimes-tu donc mieux que je sois sucé d'une tarentule à la trompe d’éléphant?» -«Eh bien, -ajoutait-il, -console-toi, tu auras pour linceul les bandelettes tachetées d'or d’une peau de serpent, dont je t’emmailloterai comme une momie. Et de la crypte ténébreuse de Sainte-Bénigne, où je te coucherai debout contre la muraille, tu entendras à loisir les petits enfants pleurer dans les limbes.»-(21) スカルボ II 神よ、我が死の時には、司祭の祈り、 麻の白布、籾の棺と乾いた土地を与え給え。 — 67 — 元帥閣下の祈り ―「お前が死んで赦免されようが地獄に堕ちようが」―この夜スカルボが私の耳に囁いた。―「お 前は白布に蜘蛛の巣を着るだろう、お前と共に蜘蛛を埋葬してやろう!」 ����� ―「ああ! せめて白布には」―私はひどく泣いて赤くなった目で答えた。―「せめて山鳴の葉を。 その中なら湖の息吹が私をなだめてくれよう。」 ―「いや!」―からかう小人は嘲笑った。―「お前を、夕方沈み行く太陽のために盲目となった小 蠅たちを狩る甲虫の餌としよう!」 ―「ではまだ」―私はまた涙まじりに言い返した。―「ではまだ私が象の鼻をした毒蜘蛛にむさぼ られる方が良いというのか?」 ―「いやはや」―彼は言い足した。―「気にするな、白布には蛇の皮でできた金の斑紐を。それで お前をミイラのようにくるんでやろう。 そして聖ベニーニュ教会の暗い地下納骨堂、そこでお前を壁に立てかけてやる、お前は冥府で幼子 らが泣くのを心ゆくまで聞くだろう。」 既に述べたように、「スカルボ」に改題される前、この詩の原題は「白布・経帷子」« Le Linceul » であった。この「白布」の詩の前にもう 1 篇「スカルボ」という詩が存在していたが、 ベルトランの手によって最終稿では削除されている。 かつて「白布」であった方の上の「スカルボ」の詩は、第 1 節から既に夜を舞台としている。 « Scarbo » が「私」の耳に呟いている場面である。「ゴシック部屋」の最後でその名前が明かされ たこの存在はベルトランの想像の産物とされ、その原型には多くの説がある。その姿はカロやホフ マンに由来するとされているが(22)、とりわけ名前の語源についてはこれまで多くの研究者が探し 求めてきた。 P. ボヌフィはその語源として、炉や炭火、かさぶたを意味するラテン語から派生した焼痂 « escarre »、あるいは石炭の燃え殻を指す « escarbille » を挙げている(23)。どちらの単語も「ゴチッ ク部屋」の詩でランプにとりつくスカルボを見たように、火と繋がる言葉であるのは興味深い。さ らに、マーヴィン・リチャーズはガーネットなどの赤い宝石、輝くもの、さらにはハチドリの意味 を持つ « escarboucle » を挙げているが(24)、こちらもその語源を辿ると炭を指すラテン語 « carbo » に行き着くのである。 ま た さ ら に 、「 ゴ シ ック 部 屋 」 で 触 れ た よ うに、上に挙げ た「 スカ ルボ 」の詩の中でも 、 « Scarbo » という存在が描かれると同時に多くの虫が登場している。「蜘蛛」« l’araignée »、「甲虫」 — 68 — « l'escarbot »、「タランチュラ」« une tarentule » などである。このうち « escarbot »も « Scarbo » の語 源として挙げられる非常に重要な単語である。この語源は上で及川茂も述べていたが、レジャー ヌ・ブランが自身の研究書において詳しく指摘しており、彼は音韻からもこれら 2 つの単語の類似 性は明らかで、さらに « escarbot » と同語源である « scarabée » を連想させるとしている(25)。この « scarabée » とはスカラベ、黄金虫、神聖甲虫のことで、古代エジプトでは創造主あるいは太陽神の 化身とされ、不死・再生の象徴であり、ブランは不死を求めた錬金術との関連も示唆している(26)。 このように多くの語源が考えられる « Scarbo » であるが、この存在をベルトランは様々に言い換 えている。「ゴシック部屋」では最初グノーム « un gnome » という語が使われていたが、上の詩で は « le nain railleur » となっている。人をからかってくる、嘲笑的でふざけた小人であるのだ。さら に、前に見た挿絵職人に宛てた「白布」での指示の中には、「消え行く蝋燭の形の霊」« Un esprit sous la forme d’une bougie qui va s’éteindre » あるいは「悪夢の小人」« le nain du cauchemar »と記され ている(27)。また、遺稿集にまわされた方の「スカルボ」での指示では「魔女の糸巻き棒から落ち た錘の形の小妖精」« Un lutin sous la forme d’un fuseau qui tombe de la quenouille d’une sorcière » とも なっている。小さな、蝋燭あるいは錘の形をした、妖精あるいは霊で、悪夢の中でからかってくる ような存在であろうか。ベルトランは蝋燭のように細い錘に顔を付けたようなデッサンを挿絵職人 への指示に残している(28)。 また、ベルトランは挿絵職人への指示以外にも、生前いくつかのデッサンを書き残しているが(29)、 その中にも以下のようなスカルボの姿が見られる。このデッサンはベルトラン全集に掲載されてい る他、スタインメッツが自身編集の『夜のガスパール』の中に載せているが、第 3 の書とは関係の ない場所に置かれ、この書の挿絵としての役割は果たしていない。 (30) — 69 — このデッサンがスカルボを表しているのは、第 3 の書に関する挿絵職人への指示にあった同じよ うなデッサンを見ても明らかだが、全集ではこのタイトルを「月を前にした道化」« Pierrot en toupie devant la lune » としている。スタインメッツは自身の版で「月を前にした錘の形のスカルボ」 « Scarbo en fuseau devant la lune » とし(31)、「スカルボはこうして道化、道化杖を伴うひょうきん者 として描かれる(32)」と説明している。 こうした姿を持つ「スカルボ」の詩の中で、「私」はこの悪夢の小人と自分の死後について語り 合っている。小人に白布を頼んでいるが、詩の冒頭に掲げられたエピグラフでは、その白布を頼む 相手は神となっている。神に祈るように「私」は「スカルボ」に祈っているのだ。「スカルボ」を 神と対比させるようなこの構成に加え、元々死者を包む「白布」というタイトルであった詩を「ス カルボ」という名に変えて「スカルボ」自体が死を連想させる名にすることで、ベルトランはこの 奇妙な存在をさらに不気味なものにしている。レジャーヌ・ブランによれば「スカルボ」は死その ものの象徴ではなく、そこへ至るまでの苦しみや恐れの象徴だとされている(33)。確かに上の詩で 「スカルボ」は生と死の仲介者のように、死への準備、そして死後の準備を手伝っているのだ。次 第に具体的になっていく「スカルボ」の姿は次の詩でも現れ、その新たな側面が明かされる。タイ トルはスタインメッツがスカルボの説明に用いた « fou » という言葉を掲げている。 「スカルボ」と詩句 ― 贋金・錬金術・道化 LE FOU III Un carolus ou bien encor, Si l’aimez mieux, un agneau d’or. Manuscrits de la Bibliothèque du roi. La lune peignait ses cheveux avec un démêloir d'ébène qui argentait d’une pluie du vers luisants les collines, les prés et les bois. * Scarbo, gnome dont les trésors foisonnent, vannait sur mon toit, au cri de la girouette, ducats et florins qui sautaient en cadence, les pièces fausses jonchant le rue. Comme ricana le fou qui vague, chaque nuit, par la cité déserte, un œil à la lune et l’autre ― crevé! — 70 — -«Foin de la lune! grommela-t-il, ramassant les jetons du diable, j’achèterai le pilori pour m’y chauffer au soleil!» Mais c’était toujours la lune, la lune qui se couchait. - Et Scarbo monnoyait sourdement dans ma cave ducats et florins à coups de balancier. Tandis que, les yeux cornes en avant, un limaçon qu’avant égaré la nuit, cherchait sa route sur mes vitraux lumineux.(34) 狂人 III 1 枚のカロルス銅貨か、それとも お望みならば子羊刻印の金貨か。 王室図書館蔵草稿 月が櫛で髪を梳いていた、黒檀のそれは丘を、野原を、木々を、輝く詩句の雨で銀色に照らしてい た。 * スカルボ、その宝に埋もれたグノームが、風見がきしむ我が屋根の上、デュカやフロリンをあおっ ていた、金貨は調子よく飛び上がり、贋金が通りをうずめる。 その時狂人がせせら笑った、奴は毎夜無人の街を彷徨っている、片目は月を見上げ、もう片方は ― 抉られている! ―「月がなんだ!」彼は呟いた、悪魔の金貨を拾いながら。 「私はさらし台を買うのだ、そこで日向 に当たるために!」 ―しかしいつも月だった、沈まんとしていたのは。―そしてスカルボはひそかに我が地下室の中、 鋳造機でデュカやフロリンを打っていた。 その時、2 本の角を前にして、夜に迷った蝸牛が、輝く窓ガラスの上に道を探し求めていた。 この詩でも月が登場し、舞台は夜のままである。再び第 1 節の後にアスタリスクと余白が置かれ、 「グノーム」« gnome » であるスカルボが登場する次の節からが現実なのか夢の中なのか、はたまた 幻想なのか曖昧になっている。挿絵職人への指示の中では、この詩についてはまず「月光の注ぐ屋 — 71 — 根の上で金貨をあおる奇形のグノーム」« Un gnome difforme vannant des pièces d’or sur un toit au clair de lune » と記されている(35)。これは余白の後の第 2 節を指していると言えよう。 スカルボは今回金貨を選り分けており、詩の中にも金貨を表す単語が頻出している。ベルトラン の創作だとされているエピグラフには 「カロルス金貨」« un carolus » とあり、詩の中では「デュ カやフロリン」« ducats et florins »、 「贋金」« les pièces fausses »、 「悪魔の金貨」« les jetons du diable »、 「造幣機」« balancier » などが見られる。これらの単語と第 5 節を見ても分かるように、スカルボが 造っているのはどうやら贋金のようである。この贋金のテーマはベルトランの詩において非常に重 要なものであり、全集では以下のように述べられている。 メダルと贋金は『夜のガスパール』の中で、部分的にせよ、重要な位置を占めうる。錬金術師たち が、とりわけ 16 世紀に、ポーランドのユダヤ人に売っていた贋金を造っていたからである(36)。 上でも « Scarbo » の語源に関してレジャーヌ・ブランが錬金術を示唆していたように、この贋金 のイメージにはベルトランの錬金術に対する興味がうかがえるのである。サント=ブーヴもかつて 『夜のガスパール』初版に掲載した紹介文の中で、ベルトランのことを金銀細工師であるとともに 錬金術師だと述べている(37)。また、現在では作家名として定着しているが、本来ベルトランの筆 名のうちのひとつであった「アロイジウス」« Aloysius » も錬金術との関連が考えられている(38)。 実際に『夜のガスパール』には錬金術をタイトルに掲げた詩も存在しており、「錬金術師」 « L’Alchimiste » という詩が第 1 の書に収められている(39)。しかしこの詩では錬金術は成功しない ものとして描かれる。「まだ何も!」« Rien encore ! » という語句が繰り返されており、失敗の産物 としてランプの側に生まれ出るのは、錬金術師を嘲笑し、火を吹くサラマンドル « salamandre » で ある。« salamandre » とは伝説上の怪物で、火の精だとされるが、錬金術において硝酸ナトリウム の精製の際に生じる赤色蒸気のことも指す。第 3 の書にも「サラマンドル」« La Salamandre » とい う詩が存在し(40)、火の精として描かれているが、既に第 1 の書で生まれていた火、錬金術、サラ マンドルのイメージが、第 3 の書「狂人」の詩で贋金のイメージを伴い、 « Scarbo » にも繋がって いくことがわかる。そのため後に来る「サラマンドル」の詩の中にも、 « Scarbo » という語が出て 来ずともその存在が火の精として潜んでいるのである。 しかし挿絵職人に宛てた指示で、上の詩「狂人」の項にはもう 1 つ重要な題材が示されているこ とがわかる。「月が髪を梳り、そこから輝く詩句が落ちる」« La lune peignant ses cheveux dont il tombe des vers luisants(41)» というものである。この指示を見ると、「狂人」の詩では月と金貨、贋 金、錬金術に加えて、さらに詩句が重要な題材として考えられていたことが分かる。実際、ここに は詩人を思わせる姿が描かれている。 第 3 節の「毎夜、人の途絶えた街を彷徨い歩く狂人が冷たく笑った、片目は月を見上げ、もう片 方の目は、―抉られている!」という描写で、登場する « le fou » が片目であることが分かる。「狂 — 72 — 人」と訳したが、吉田典子が採用したように「道化」の意味もあり、どちらの訳を取るか悩ましい ところである。吉田は片目の「道化」に注目して、これを詩人と結び付けている。この存在が第 2 の書にも登場していたと言うのだ。「夕べの祈り」« L’Office du soir » という詩の中で、片目を潰さ れる従者が登場しており、吉田はそれを、ロマン主義運動の主導者であったユゴーに憧れ、パリに 上京して彼に仕えていたものの成功を得られず挫折したベルトランと重ねている(42)。 さらに、片目の男のデッサンを、ベルトランは生涯のうちに 3 枚残している。「ベルトランは 1836 年に,『夜のガスパール』の表紙絵として,一種の自画像と言うべきデッサンを書き残してい るが,このガスパールの顔もやはり片目である(43)」と吉田が指摘するように、ベルトランの残し たデッサンによって片目の存在がガスパール、そして詩人自身に繋がっていくのである。 « Scarbo » に憑りつかれていた片目の存在は、「狂人」にしろ「道化」にしろ、詩人を連想させ、そ れがベルトランであることを暗示しているのである。 (44) おわりに 「スカルボ」の行方 これまで第 3 の書に収められた前半 3 つの詩を詳しく見てきたが、それら全てに « Scarbo » とい う単語が存在していた。この 3 つ以降の詩に « Scarbo » という名が登場することはない。しかし、 明らかにこの存在を表している描写は見られる。 「スカルボ」は詩に溶け込んでいるのだ。 4 番目に来る「小人」« Le Nain » はタイトルからして「スカルボ」を連想させており、その最終 節では明らかにその姿を示している。 Mais le nain, pendu à sa fuite hennissante, se roulait comme un fuseau dans les quenouillées de sa blanche crinière. (45) — 73 — しかし小人は、いななき逃げるものにぶら下がり、白いたてがみの糸巻き棒の中、錘のように廻って いた。 錘のような小人、というイメージは既に第 3 の書の前半 3 つの詩で明らかになっていた「スカル ボ」の特徴のひとつであった。さらに「小人」の詩ではその名が出ていないが、挿絵職人への指示 の中で、ベルトランはこの詩について「スカルボ、悪魔の小人、逃げる白い雌馬の鬣を持つ(46)」 と書いていた。指示にのみ名前を出して、本文中では「スカルボ」の存在を暗示させるにとどめて いるのである。 名前を隠したこの「小人」の詩を挟み、第 3 の書の後半はより幻想的になってゆく。「月の光」、 「鐘楼下の輪舞」、「夢」、「我が曽祖父」、「オンディーヌ」、「サラマンドル」、「サバトの時間」と続 いてゆくが、舞台は全て夜で、かつ現実か夢の中か分からないようになっている。これまで見てき た重要な要素である金貨・贋金は、「月の光」の中で「カロリュス金貨」« un carolus d’or » として 登場しており、「鐘楼下の輪舞」では松明の火の周りを魔法使いたちが回り、先に少し触れた「サ ラマンドル」も錬金術に繋がる火の精なのである。これまで見てきた火や悪魔、夜や月、夢や幻想、 金貨や贋金、つまり « Scarbo » に通じる要素が全ての詩に備わっているのだ。 このように第 3 の書で注目してきた « Scarbo » だが、この存在をベルトランは様々に言い換えて いた。グノーム « un gnome »、霊 « un esprit »、小妖精 « un lutin »、からかう小人 « le nain railleur » あるいは悪夢の小人 « le nain du cauchemar » である。様々に言い換えられ、明確な 1 つの像を結ぶ のが難しいこの存在について、樋口正明は以下のように述べている。 スカルボが、ベルトランの夢に現われ、イマジネーションに育まれ、詩の中で徐々に形成されて行っ たベルトランの夢魔であることは言うまでもない。ただしこの夢魔は薄幸の詩人の夜の安眠を妨げ、 その心身を苦しめる単なる厄介者ではなく、作詩の過程で様々な要素を取り込み、固有の人格を備え て詩人の夜の切っても切れぬ道連れとなった。そしてスカルボは何よりもベルトランに五篇もの詩を つくらせた功労者である(47)。 ベルトランは、最終稿で削除した「スカルボ」の詩、これまで取り上げた第 3 の書前半 3 つの詩、 そして上で見た「小人」の詩 5 篇においてスカルボを取り上げているというのだ。しかしこれら以 外の詩、さらにはベルトランが残したデッサンにもスカルボに繋がる要素は見られ、この存在は 『夜のガスパール』全体に潜んでいる。スカルボは後にラヴェルに音楽を書かせた存在でもある。 本稿ではその影のほんの一部を追ったに過ぎないが、これまでスカルボ « Scarbo » の語源として扱 われることはなかったものの、「書く」 « écrire » 動詞の語源にラテン語 « scribere » があるように、 この存在はベルトランが詩を書く源でもあったのである。 — 74 — 注 (1)Aloysius Bertrand, Gaspard de la Nuit. Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot. (2)テクスト事情については及川茂「『夜のガスパール』初版の諸問題」,『外国語科研究紀要』第 24 巻, 東京大学, 1977 年, pp. 71-90. に詳しい。 (3)Aloysius Bertrand, Gaspard de la nuit. (manuscrit), Bibliothèque nationale de France, Département des manuscrits, NAF 25276. 以下 Ms とする。行方不明になっていた直筆原稿がどのような経緯を辿ったの かは謎のままである。おそらく 1925 年にベルトラン・ゲガン Bertrand Guégan が参照した後、彼の蔵 書の中で眠っていたとされるが、何らかの理由でアメリカに渡り、1992 年にジャック・ゲラン Jacques Guérin という人物の蔵書中から発見された。 (4)Aloysius Bertrand, Œuvres Complètes. Éditées par Helen Hart Poggenburg, Paris, Honoré Champion, 2000. 以下 OC とする。本文、および注で引用するテクストはこれを底本とし、記述記号等もここでの表記 に倣っている。パリ国立図書館所蔵の原稿 Ms との表記の差異がある場合は、その都度注の中で指摘 する。なお、フランス語の訳は、特に断りのない限りすべて引用者によるものだが、既訳があるもの はそれを参照させていただいた。 (5)直筆原稿は 2015 年 8 月 17 日付で BnF によってオンライン上で閲覧できるようになっており、今回 参照したものもこれに拠る。 (6)Aloysius Bertrand, Gaspard de la Nuit. Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot. Édition établie et annotée par Jean-Luc Steinmetz, Paris, Librairie Générale Française, 2002. ; Louis, dit Aloysius, Bertrand, Gaspard de la Nuit. Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot. Édition établie sur le manuscrit original, publiée selon les vœux de l’auteur, présentée et annotée par Jacques Bony, Paris, Édition Flammarion, 2005. ス タインメッツは詩集の中にベルトラン直筆のデッサン、カロやレンブラントの作品を挿絵として掲載 しているものの、ベルトランの望んだページの組み方や文字の装飾が予算の都合で実現できなかった としている。ボニー編纂の版はこの逆であり、ページの組み方を原稿に忠実にしているものの、挿絵 の掲載はしていない。 (7)OC, pp. 373-374. 引用文中のイタリック体部分は詩人が下線を引いて強調している箇所であり、本 稿での表記は全集の表記に倣っている。 (8)Remy de Gourmont, « L’Exégèse de Mallarmé », Promenades littéraires, 5 e série, 1913, p. 252. (9)OC, p. 374. (10)Ibid., p. 385, note 2. (11)Ms, p. 64r. 以後、注の中で直筆原稿の頁番号を記す際はベルトランの書いた番号ではなくパリ国立 図書館が付けた番号に従う。詩人は頁を削除した後に番号を直しておらず抜けがあるためである。 (12)ラヴェルの選んだ 3 つの詩については既に別稿で述べている。Cf. 宮崎茜「アロイジウス・ベルト ラン『夜のガスパール』の影響 ―モーリス・ラヴェルのピアノ作品の場合―」,『フランス文学語学 研究』第 34 号, 早稲田大学大学院「フランス文学語学研究」刊行会, 2015 年, pp. 71-85. (13)及川茂, 前掲論文, p. 221. (14)Ms, p. 4v. (15)« C’est la séduction de l’illusion nocturne qui est le sujet de ce Livre. Prestige, signifiant séduction ou attrait, — 75 — vient du latin praestigium (illusion). », OC, p. 314, note 1. (16)Ibid., pp. 165-166. なお、全集版ではアスタリスクが掲載されていないが理由が明記されておらず、 直筆原稿 Ms には明らかにアスタリスクの書き込みがあり、また他の版にも掲載されているため、全 集版に漏れがあったと判断し掲載している。 (17)Ms, p. 4v. (18)樋口正明,「『夜のガスパール』第三の巻について」,『文星紀要』第 2 巻, 宇都宮文星短期大学, 1991 年, p. 73. (19)Ibid., p. 74. (20)« Jacques Callot : eaux-fortes des Gobbi (vers 1616). », Jean-Luc Steinmetz ed., op. cit., p. 250. (21)OC, pp. 167-168. (22)Ibid., p. 316, note 1. (23)Ibid. (24)Ibid. (25)Réjane Blanc, La quête alchimique dans l'œuvre d’Aloysius Bertrand, Paris, Nizet, 1986, p. 136. (26)OC, p. 316, note 1. (27)Ibid., pp. 375-376. (28)Ms, p. 4v. (29) ベ ル ト ラ ン は 生 前 17 枚 の 自 筆 デ ッ サ ン を 描 き 残 し て お り 、 大 部 分 は ア ン ジ ェ 市 立 図 書 館 Bibliothèque municipale d’Angers に保管されている (30)OC, p. 570. (31)Jean-Luc Steinmetz ed., op. cit., p. 279. (32)« Scarbo est ainsi représenté comme un fou, un bouffon avec sa marotte. », ibid., p. 310, note 2. (33)Réjane Blanc, op. cit., p. 140. (34)OC, pp. 169-170. (35)Ibid, pp. 375-376. (36)« Les médailles et la fausse monnaie occupent une place importante dans GN, en partie, peut-être, parce que les alchimistes, surtout au XVIe siècle, fabriquaient de la fausse monnaie qu’ils vendaient aux juifs de Pologne. », ibid., p. 317, note 2. (37)「ベルトランは私に金銀細工師あるいはルネサンスの装身具細工師の印象を与えた;おまけにそこ には錬金術が少しばかり混ざり、いくらかの特徴と手法については、ニコラス・フラメルが弟子と認 めたことだろう 。」« Bertrand me fait l’effet d’un orfevre ou d’un bijoutier de la Renaissance ; un peu d’alchimie par surcroît s’y serait mêlé, et, à de certains signes et procédés, Nicolas Flamel aurait reconnu son élève. », ibid., p. 78. (38)Réjane Blanc, op. cit., pp. 42-43. (39)OC, pp. 129-130. (40)Ibid., pp. 183-184. (41)Ibid., pp. 375-376. ここでは詩人との関連を強調するため « vers luisants » を「輝く詩句」としたが、 本来「ツチボタル」を意味する単語でもあり、ここでも昆虫を伴って現れるスカルボが示唆されてい るといえよう。 — 76 — (42)吉田典子「アロイジウス・ベルトランとヴィクトール・ユゴー ――『夜のガスパール』序詩をめ ぐって――』, 『論集』第 43 巻, 神戸大学教養部, 1989 年, pp. 130-135. (43)Ibid. (44)OC, p. 564. (45)Ibid., p. 172. (46)« Scarbo, le nain du cauchemar, aux crins d’une blanche cavale qui fuit (Le Nain, 133.) », ibid., pp. 375-376. (47)樋口正明, 前掲論文, p. 75. — 77 —