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p133_164 東京経大学会誌 経済学291_6(金東賢).indd
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
1)
― ブラジルレゼンデ工場の実験を中心に ― 金 東 賢
はじめに
1980 年代末,欧州の完成車メーカーは作業環境を見直し,高コスト構造を改善するため,
部品のモジュール2)化(以下,モジュール化)を最初に導入したと言われている。そして,
グローバル競争体制が始まった 1990 年代初頭,モジュール化は本格的に欧州自動車産業に
広がった。
当時,急速に力を伸ばしていた日本の完成車メーカーに対抗するため,ドイツの完成車メ
ーカー各社は新たな競争戦略として製造コストの削減,新車開発期間の短縮,そして品質改
善を推進し始めた。こうした戦略を推進する際の難題は,部品の高品質を維持しながら開発
期間短縮と製造コスト削減を同時に達成することであった。この難題に対する技術的解決策
が,部品をモジュール化し生産する,つまり,機能的に関連のある一連の部品群を統合する
という新しい生産方式であった。
そして,1990 年代初頭,モジュール化と共に,ドイツ自動車産業の部品メーカーの再編
が行われた。ドイツ完成車メーカーは,部品コストの削減のために第 1 次サプライヤーの機
能を強化し,従来に比べてより大きな部品単位でアウトソーシングを行った。完成車メーカ
ーは,サプライヤーに主要部品をアウトソーシングすることで,工場の規模を縮小すること
による経費の削減,莫大な部品の在庫・管理コストが削減出来ると同時に,外部環境の変化
に柔軟に対応することが可能になった。
1980 年代末の初期段階のモジュール化は,車両の組立工程でいくつかの部品を完成車メ
ーカーのメイン組立ラインの近くのサブ組立ラインからモジュール化させ,これらのモジュ
ールを車体に装着することを意味した。しかし,モジュール化の進展,より効率的な組立て
を求めた結果,サプライヤーがモジュールの組み立てから,物流,品質保証まで担うように
なり,モデルの研究・開発段階からモジュールの組立単位をも設計するまでに至った。この
ようなモジュール化は,欧米完成車メーカーの,コスト削減を目的とした新たな生産方式と
して,プラットフォーム共用戦略を追求しつつ,更に拡大した。
欧州完成車メーカー,特にドイツ完成車メーカーのモジュール化戦略(あるいは,モジュ
ール調達)の特徴は,サプライヤーパークを完成車メーカーの工場付近に設置し,モジュー
133
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
ル供給時間の短縮とコスト削減を同時に追求するという点であり,ドイツ国外の新規工場を
中心にモジュール化の導入が拡大した。そして,上述したように,完成車メーカーはサプラ
イヤーに対して,従来と比較して大きい部品単位でのアウトソーシングに重点を置いた。す
なわち,完成車メーカーの組立工場周辺に分散的に配置された数社のモジュールサプライヤ
ーが,第 1 次サプライヤーとしてモジュールを JIT(Just in Time)方式で完成車メーカー
の組立工場に納入する。モジュールサプライヤー工場はモジュール組み立てに必要なユニッ
ト部品を各地のサブモジュールサプライヤー(第 2 次サプライヤー)から集める。したがっ
て,モジュールサプライヤーはユニット部品の製造には関与せず,モジュールの組み立ての
みを行った。モジュールサプライヤーの工場は,最小限の従業員と小規模の設備を取り揃え
ているだけであった。
欧州完成車メーカーのモジュール化に関する先行研究は様々な観点から研究されている。
池田(2004)氏は,これまで完成車メーカーは,一般に,コンポーネント単位で部品を調
達し,車体への組付けまでの工程を組立工場のメイン組立ラインで行っているケースが多か
ったことから,これらの部品の組立作業をまとめてサプライヤーに任せるモジュール方式に
大きなメリットを見出し,一挙にこうした方式に転換したという。そして,欧州完成車メー
カーのモジュール化の大半は,コンソーシアムを介入させたサプライヤーパーク方式が主流
だという。しかし,池田氏は初期段階の欧州モジュール化は,単に組立作業をアウトソーシ
ングしたのみで,一定のコスト削減は実現されたものの,何ら新しい付加価値の創出は実現
されなかったとも述べている。生産・開発コストや管理コストについては未だ単に部品を寄
せ集めて組み立てるだけのモジュール化であったため,あまり期待できなかったと主張した
3)。
(池田正孝[2004]p. 25)
モジュール化に関する海外の研究者に,Lung 氏(1999)と Pires 氏(1998)がいる。
Lung 氏は,完成車メーカーは世界的規模の部品の対外購買によって,購買コストを減らす
ことができ,彼らの第 1 次サプライヤーはグローバル化に全面的に賛成したという。モジュ
ール化は製品の仕様の現地化を可能にし,規模の経済に向けた大きな機会を創出したと主張
した(Lung[1999]p. 246)
。
Pires 氏は,従来の製造体制と慣例では,もはや十分な市場競争における優位が維持でき
ないと述べている。リーン生産方式または最近の生産トレンドさえ,長期的に市場での確固
たる優位を確保することはできない。内・外部の不連続(性)と引続く脅威から競争優位を
確保するための新しい領域を構築する,この傾向において,サプライチェーンマネジメント
は競争優位の新たな中心として賞賛を浴びたと主張した(Pires[1998]pp. 221-222)。
ドイツ自動車産業界において,モジュール化を一番先に取り入れたフォルクスワーゲン
(以下,VW)は,1990 年代中盤に原価節減と生産性向上の効果をおさめるようになったの
である。1996 年に,VW はブラジルのレゼンデ市にあるトラック・バス工場にモジュール
134
東京経大学会誌 第 291 号
化を導入した。
本論文では大胆にモジュール化が導入された VW のブラジルのレゼンデ工場の事例を中
心に,VW が行ったモジュール化導入の実験について分析する。第 1 節では,ブラジル自
動車産業を概観する。欧米完成車メーカーがブラジルに進出した要因について分析し,なぜ
ブラジルで実験が行われたのかを明らかにしたい。第 2 節では,ブラジルレゼンデ工場の事
例を通じて,VW のモジュール化の実態を分析する。最後に,第 3 節では,VW のブラジ
ルでの実験以降の変化について検討する。
第 1 節 欧米完成車メーカーのブラジル進出
1.ブラジル自動車産業
(1)ブラジル政府の政策
1950 年代半ばからブラジル政府は外国資本を積極的に誘致し,自動車生産を開始した。
その後,自動車産業は「成長エンジン」として,ブラジルの産業化を主導してきた。ブラジ
ル政府は 1950 年代から 1960 年代にかけ,高い国産化率という条件のもと,積極的な財政支
援を行い,輸入規制を通じて内需市場を保護する政策を推進した4)。1970 年代に入ってから,
輸出促進プログラム,エタノール車の導入及び生産支援,消費者金融支援政策など,様々な
政策を推進して自動車産業の成長を牽引した。1955 年,大統領に当選したジュセリーノ・
クビチェック・デ・オリヴェイラ(Juscelino Kubitschek de Oliveira,任期:1956 年〜1961
年)5)は,1956 年 1 月 31 日に大統領に就任した後,アメリカやドイツ,日本などからの外
資導入と工業化を積極的に推進するとともに,同年に内陸部の発展促進を目的に新首都ブラ
ジリアの建設に取り掛かった。しかし,ブラジリアに首都を移転したことによる様々な経済
的負担6)は,ブラジル経済に重くのしかかり,1960 年代から 1980 年代にかけてのハイパー
インフレーション7)とそれがもたらす経済停滞の原因にもなった。
1960 年代までのブラジル自動車市場8)の規模は,アルゼンチンやメキシコの規模と同程
度であった。その後,政府の輸入代替産業化政策に支えられ,ブラジル自動車産業は急速な
成長を遂げ,1960 年代後半から 1970 年代前半までの年平均成長率は 20% に達した。しか
し,世界経済の悪化やブラジル経済の悪化により,1980 年代から自動車産業は低迷期に入
り,自動車生産量は 1980 年の 117 万台をピークに 1981 年には 78 万台へと激減し,不振が
続いた。
1980 年代初めから,この自動車産業の不況を経験したにもかかわらず,ブラジル政府は
依然として輸入代替産業政策を固守した。ところが,1990 年代の初め,自動車産業政策は
急激に変化しはじめた。フェルナンド・コロール・デ・メロ(Fernando Collor de Mello,
任期:1990 年〜1992 年)下の政府が,輸入代替産業政策から市場の自由化政策への政策転
135
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
換をはかったのである。この政策転換は,フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(Fernando Henrique Cardoso,任期:1995 年〜2002 年)政権に入って,さらに推し進められてい
った。
ブラジルの自動車生産は 1992 年から,ようやく 1980 年の水準まで回復した。ブラジルの
自動車産業は,1980 年代から 1990 年代初頭にかけての長い停滞期を 1993 年に一気に脱し
たのである。
全自動車生産台数はこれまでの 90 万台〜100 万台の水準から,1993 年には約 139 万台,
1994 年,1995 年,1996 年,1997 年には,それぞれ 158 万台,163 万台,180 万台,207 万
台へと推移しており,92 年の 107 万台からわずか 5 年間で生産台数は 2 倍に急増した(表 1
表 1 ブラジルの自動車生産推移
年度
乗用車
軽商用
トラック
バス
(台)
生産合計
1960
70,479
20,875
37,810
3,877
133,041
1965
135,041
25,187
21,828
3,131
185,187
1970
319,547
54,069
38,388
4,058
416,089
1975
726,067
115,354
78,688
10,126
930,235
1980
939,278
109,414
102,017
14,465
1,165,174
1985
760,784
132,770
64,769
8,385
966,708
1990
665,051
182,787
51,597
15,031
914,466
1991
665,051
180,736
49,295
23,012
960,219
1992
816,446
201,104
32,205
24,286
1,073,861
1993
1,100,670
223,995
47,876
18,894
1,391,435
1994
1,249,098
250,719
64,137
17,435
1,581,389
1995
1,299,493
237,373
70,495
21,647
1,629,008
1996
1,479,490
258,783
48,712
17,343
1,804,328
1997
1,700,438
283,965
63,744
21,556
2,069,703
1998
1,273,356
227,704
63,773
21,458
1,586,291
1999
1,118,483
168,020
55,277
14,934
1,356,714
2000
1,375,382
221,498
71,686
22,674
1,691,240
2005
2,011,817
365,636
118,000
35,387
2,530,840
2010
2,825,974
582,659
191,621
45,879
3,646,133
2012
2,765,557
488,872
136,264
41,556
3,432,249
2014
2,504,117
487,751
143,660
37,222
3,172,750
出所:ANFAVEA(2011)Anuário da Industria Automobilística Brasileira, São Paulo. のデータを元に作成。
136
東京経大学会誌 第 291 号
参照)
。
1990 年代半ばまでは,ブラジルで直接生産を行っていたいくつかのメーカーが,ブラジ
ル市場を掌握していた9)。それ以降は,輸入車によって,より一層多様なブランドがブラジ
ルに押し寄せて戻り始めた。現在は多数のメーカーが工場を稼動している。ブラジルの自動
車生産は 2008 年にフランスを追い越し,2015 年,ブラジルは約 243 万台の生産で,世界 9
位の生産台数を記録した(表 2 参照)
。
ブラジル自動車市場の規模は乗用車を基準とし,新車販売は 2005 年の 144 万台から 2010
年に 2 倍に増えた。表 3 をみると,200 万台を超えたのは 2007 年が初めてで,米国と欧州
の自動車産業が低迷していた 2009 年にも販売が増加している。当時,ブラジルは,中国と
肩を並べる,販売台数が上昇した数少ないメジャー自動車市場であった。商用車まで含めた
新車販売は 300 万台を超えている。2012 年までは販売台数が上昇傾向にあったが,2014 年
に小幅な減少を見せた。ブラジル新車販売が減少したのは 10 年ぶりであった。
表 2 世界自動車生産順位
(千台)
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
1
日本
11,596,327
日本
11,575,644
中国
13,790,994
中国
18,264,761
中国
18,418,876
中国
19,271,808
中国
22,116,825
中国
23,731,600
中国
24,503,326
2
米国
10,780,729
中国
9,299,180
日本
7,934,057
日本
9,628,920
米国
8,661,535
米国
10,335,765
米国
11,066,432
米国
11,660,702
米国
12,100,095
3
中国
8,882,456
米国
8,672,141
米国
5,709,431
米国
7,743,093
日本
8,398,630
日本
9,943,077
日本
9,630,181
日本
9,774,665
日本
9,278,238
4
ドイツ
6,213,460
ドイツ
6,045,730
ドイツ
5,209,857
ドイツ
5,905,985
ドイツ
6,146,948
ドイツ
5,649,260
ドイツ
5,718,222
ドイツ
5,907,548
ドイツ
6,033,164
5
韓国
4,086,308
韓国
3,826,682
韓国
3,512,926
韓国
4,271,741
韓国
4,657,094
韓国
4,561,766
韓国
4,521,429
韓国
4,524,932
韓国
4,555,957
6
フランス
3,015,854
ブラジル
3,215,976
ブラジル
3,182,923
インド
3,557,073
インド
3,927,411
インド
4,174,713
インド
3,898,425
インド
3,844,857
インド
4,125,744
7
ブラジル
2,977,150
フランス
2,568,978
インド
2,641,550
ブラジル
3,381,728
ブラジル
3,407,861
ブラジル
3,402,508
ブラジル
3,712,380
メキシコ
3,368,010
メキシコ
3,565,469
8
スペイン
2,889,703
スペイン
2,541,644
スペイン
2,170,078
スペイン
2,387,900
メキシコ
2,681,050
メキシコ
3,001,814
メキシコ
3,054,849
ブラジル
3,146,386
スペイン
2,733,201
9
カナダ
2,578,790
インド
2,332,328
フランス
2,047,693
メキシコ
2,342,282
スペイン
2,373,329
カナダ
2,463,364
タイ
2,457,057
スペイン
2,402,978
ブラジル
2,429,463
メキシコ
2,167,944
メキシコ
1,561,052
フランス
2,229,421
フランス
2,242,928
10
インド
2,253,729
タイ
2,429,142
カナダ
2,379,834
カナダ
2,394,154
出所:OICA(International Organization of Motor Vehicle Manufacturers)の各年データを元に作成。
http://www.oica.net/category/production-statistics/
137
カナダ
2,283,474
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
表 3 ブラジルの新車販売台数
(台)
乗用車
商用車
全 体
2005
1,439,822
274,822
1,714,644
2006
1,632,947
294,791
1,927,738
2007
2,085,718
377,010
2,462,728
2008
2,341,300
479,050
2,820,350
2009
2,643,862
497,378
3,141,240
2010
2,856,540
658,524
3,515,064
2011
2,901,647
731,601
3,633,248
2012
3,115,223
686,848
3,802,071
2013
3,040,783
726,587
3,767,370
2014
2,794,687
703,325
3,498,012
2015
2,122,956
446,020
2,568,976
出所:OICA (International Organization of Motor Vehicle Manufacturers)の各年データを元に作成。
http://www.oica.net/category/
production-statistics
(2)ブラジルの労使関係
ブラジルの団体交渉の構造変化を理解するためには,ブラジルの労使関係に関する歴史的
背景を考慮する必要がある。
1930 年,ヴァルガス(Getulio Dornelles Vargas)政権初期の労使関係は政府の介入が少
なく,利害当事者を中心として行われていた。しかし 1937 年,ヴァルガス政権が独裁的な
リーダーシップをとり,労組に対して政治・経済・社会全分野での政府との協力を要求した。
このため,政府は自由な労組活動を制限し,法的制約を通じた労組の役割を明文化して労働
裁判所の役割を拡大し,労使関係を管理しようとした。
まず,政府は 1943 年,労働憲法である労働統合法(Consolidação das Leis do Trabalho CLT)を制定し,移民労働,年金,少数者や女性労働,休日,労働時間,最低賃金などの
労使間の諸課題を法によって明文化した。具体的に労働統合法には,個々の労働者の権利か
ら労組組織,団体交渉,労働部の活動に至るまで,労使関係のすべての側面が含まれていた。
つまり,労使の自由な交渉の権利を縮小し,法による制度化を通じて,代わりに団体交渉を
行おうとしたのである。次に,政府は自らの統制下にある労働裁判所の役割を強化し,労使
葛藤を解決しようとした。例えば,労働裁判所は団体交渉と関連した懸案について強制的に
調整できる権限を持っていた。このような面から,初期段階は国家コーポラティズム
138
東京経大学会誌 第 291 号
(state corporatism)10)を土台とした労使関係システムの定着期間であったと見ることがで
きる。さらに,1950 年以降,ヴァルガスの再執権によって政府は,労使関係の介入を拡大
していった。
この時期の団体交渉の特徴は,政府が直接に労使関係の利害当事者らを組織し,規制する
など統制を強化したため,労使間の自主的な団体交渉は制限された。具体的に,政府は法と
裁判所を通じ,団体交渉を制限した。
その後,1964 年から 1985 年までの軍事政権は,国家主導の経済発展戦略を推進した。軍
事政権の最大目標は労組を中心とするブラジルの急進主義の勢いを阻止することであった。
当時は社会主義理念が拡大していた時期でもあり,ヴァルガス政権が行っていた長期間の労
組活動の統制に対する批判意識を持った共産主義志向の労組指導部が,増えたためである。
ブラジルの軍事独裁政権時代の団体交渉の特徴は,ヴァルガス政権より,制限的な労使関
係であったため,産別団体交渉が有名無実なものであった点である(Carneiro & Henley
[1998]pp. 118-121)
。例えば,労使の代表的な交渉の一つである産別賃金交渉は,政府の賃
金決定に置き換えられ,労使は賃金交渉をする必要がなかったのである。軍事政権は,1965
年に賃金法を制定し,政府が公式部門のすべての賃上げ率を決定することができるよう明示
した。これは,ブラジルの高いインフレを適切なレベルで管理することには成功したが,賃
金引き上げ率を強制的に決めたことによって,労使間の賃金交渉の存在は事実上消滅した。
政府は賃金決定に物価連動賃金システム(the wage indexation system)を導入した。この
システムは過去 12 ヵ月の物価上昇を反映して自動的に賃金引き上げ率を決める。この点で,
この時期は,団体交渉が文字通り有名無実のものとなった時期であった(Carneiro &
Henley[1998]pp. 118-121)
。
1964 年から続いた軍事政権が 1985 年の民主化で崩壊し,ようやく,ブラジルの労使関係
や団体交渉のあり方は転換期を迎えた。特にブラジルの政治的民主化に寄与してきた労組が
社会的・政治的な影響力を拡大させたため,独裁政権下の労使関係や団体交渉の構造は解体
され,再構築されていった。
1988 年の労働憲法改正は,労使関係に多大な影響を及ぼした。改正された憲法において
重要な内容は,団体交渉や労組活動(労組設立,労組専従者の活動,労組の予算に対する統
制など)に対する政府の介入の禁止であった。また,労組は賃金や勤労条件などの経済的な
理解を求めるため,ストライキが許可された。そして,労組設立が自由化されたのである。
こうして,憲法改正以降の団体交渉に関して,自律的な産別交渉のあり方がいち早く定着
されるように思われたが,実際は,企業単位の交渉が登場し,産別交渉と企業単位の交渉が
二重的に行われた。そして,産別交渉は次第に形式化されていく一方で,企業別交渉はその
重要性が高まっていった。つまり,解雇,企業利益分配,非正規職など企業レベルの労働議
題が新たに立法化され,労使間交渉の構造も自然に企業単位で構築された。
139
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
ブラジル政府は 1990 年代末から,労働市場の柔軟化によって生産性の向上や海外からの
投資の誘致を推進した。1994 年,為替改革を通じて物価安定に大きく貢献した自由主義者
のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(Fernando Henrique Cardoso)が大統領に当選し,
新自由主義政策が導入された。
政府は 1994 年,企業の生産性向上のための企業利益分配制度を導入した。1998 年には,
集団的な解雇を可能にする法を立法した。そして同年,時間銀行制11)などの労働市場の柔
軟化政策を導入し,安定的な雇用と,それに対する柔軟な労働時間や賃金を誘導してきた。
しかし,労組の抵抗は激しくなっていった。1989 年,労働法改正以降,減少したストラ
イキが再び増加して,その件数は 1992 年には 556 件であったが,1996 年には 1,242 件と大
きく増え,雇用安定,労働強度の緩和,作業場,権威主義の刷新,産業安全など,新しい交
渉議題が労組によって提起されることもあった。
1998 年,VW は,ABC 地域12)の金属労組と 12 ヵ月の雇用安定の保証と賃金 15% 削減
に合意した。地方の新興工業地域の労働組合は,大工業都市のサンパウロ(São Paulo)地
域の労働組合に比べ,半分の賃金で,超過勤労基準を受け入れるなど,新規投資の誘致に向
け政府と共に努力した13)。
2.欧米完成車メーカーのブラジル進出
ブラジルの自動車産業は GM によって始まったとも言える。1925 年,GM はサンパウロ
(São Paulo)でボレー工場を稼働し,ブラジルで初めて自動車を生産した。当時,一日 25
台の自動車が生産された。その後,同社は 1929 年にサンカエタノドスル(São Caetano do
sul)に新工場をオープン,1956 年にはミナスジェライス(Estado de Minas Gerais)州の
サンタバーバラ(Santa Barbara)でロミイセッタ(Romi Isetta)というブラジルの現地モ
デ ル 車 の 生 産 を 開 始 し た。1958 年 に は ト ヨ タ が ブ ラ ジ ル で ラ ン ド ク ル ー ザ ー(Land
Cruiser)を生産し始めた。現在ブラジル市場シェア 1 位を誇っているフィアットは,1960
年に入って工場を建設した。
VW は,1950 年にブラジルへ進出した。1950 年,VW のビートルが(現地名:フスカ,
FUSCA)サンパウロ(São Paulo)にあるブラスモーター(Brasmotor)社によって,何台
か輸入されたことが始まりであった。1952 年,ブラジル市場の状況に注目した VW は,ブ
ラジルで小規模な地域生産を開始するには良い場所になると考え,1953 年ドイツ国外の地
域に初の子会社と工場を設立した。
サンパウロ近郊のイピランガ(Ipiranga)地区にある小さなアンシエタ(Anchieta)工場
では 12 人の労働者を雇用し,ドイツから輸入した CKD キットを組み立てた。4 年間で約
2,800 台のフスカとコンビ(Kombi)バスを組み立てした。当時,政府の政策によって完全
に現地生産を義務付けられた VW は,サン・ベルナルド・カンポ(São Bernardo do Campo)
140
東京経大学会誌 第 291 号
のヴィア・アンシエタ(Via Anchieta)にブラジル子会社を束ねる本社を設立した。1957
年以降は特に,重要施設となり,最大の工場となった14)。
このように,1950 年代から 1960 年代の間,欧米完成車メーカー各社のブラジル進出に大
きな影響を与えたと思われる要因として,クビチェック大統領による外資導入と積極的な工
業化の推進という政府の方針や政策があったのである。
市場環境と自動車産業政策の変化の中で,完成車メーカー各社は,1990 年代半ば以降,
設備投資を拡大した。1990 年代半ばから,設備投資は主に新工場建設のためのもので,
1995 年から 2002 年まで 23 の新工場が建設された。
ブラジル自動車産業は伝統的にサンパウロ市南部の三つの外郭都市 ABC 地域に密集して
おり,政府主導の自動車産業の地理的分散政策にもかかわらず,自動車産業の密集現象は解
消されなかった。しかし,1995 年から 2002 年までブラジルに建設された新工場 23 社のう
ち,ランドローバー(Land Rover)軽商用車工場一か所のみが ABC 地域に設置されており,
残りの 22 社は,いずれもグリーンフィールド15)
(Green field)に建設され,自動車産業の
地理的再編が行われた。
完成車メーカー各社がグリーンフィールドに新工場を建設した理由としては,上述したよ
うに,1988 年の労働憲法改正後,変化した労使関係に関連があると思われる。1988 年以降,
産別交渉より企業別交渉の重要性が高まり,解雇,企業利益分配,非正規職など企業レベル
の労働議題が新たに立法化され,労使間の交渉の構造も自然に企業レベルに変化したためで
あろう。それに伴い,州政府は完成車メーカーの工場を誘致することに積極的であった。
ブラジル自動車産業の地理的再編をもたらしたグリーンフィールドでの工場建設は,州政
府と自治体の積極的な誘致戦略によるものであった。地方政府と完成車メーカーによる誘致
に関する交渉過程及び結果については,具体的な内容が公開されていないので確認はできな
いが,M-Benz のミナスジェライス(Minas Gerais)州のジュイスデフォーラ(Juiz de
Fora)工場の場合について事例がある。
M-Benz 工場の誘致のため,地方政府は 280 万 m2 の土地を提供し,高速道路と工場をつ
なぐ幹線道路を建設し,鉄道の駅を建設・管理した。さらに,ベンツが流動資本と固定資本
を投資できるよう,10 年間無利子の財政支援を行った。また,ベンツの塗装工場の半径
9 km 以内に建設可能な,工場や建物を規制したり,貿易に関する対応を行う関税庁の事務
所をベンツ工場の近隣地域に設置した。
その代わりに,ベンツは少なくとも 4 億レアル(Real)以上の固定資本を投資した。雇用
に関しては,24 ヵ月以内に 1,500 人の直接雇用を創出しつつ,ジュイスデフォーラ地域出身
の労働者を優先して採用をすることにした。 また,全ての自動車の輸入はジュイスデフォ
ーラ関税庁事務所を通し,滞りなく行われた。政府は,ミナスジェライス州にあるサプライ
ヤーやサービス業者の積極的な活用を促しながらも,部品メーカー等に関しては,ジュイス
141
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
デフォーラ地域のメーカーに優先権を与えた。ただし,20 年以内に工場を閉鎖する場合に
は,ベンツは地方政府に 2 千万ドルを支払い,契約書に明示された財政支援の全額を返却す
る。
M-Benz にとって,地方政府が提示した上述のインセンティブ以外にも,ミナスジェライ
ス(Estado de Minas Gerais)州のジュイスデフォーラ(Juiz de Fora)が,ブラジル経済
の中心であるバイーア州,サンパウロ州,リオデジャネイロ州を結ぶ三角地域の中心に位置
している点も,好都合であった。高速道路や鉄道網を活用しやすく,隣接地域に二つの大き
な産業団地があり,電気・天然ガス・通信など,安定したインフラを揃えていたのである。
加えて,M-Benz の経営陣はジュイスデフォーラ(Juiz de Fora)がグリーンフィールドと
して,地域経済が繊維産業などの伝統産業に基盤を置いている点や,労働闘争の伝統がなく,
産業構造変化とともに労働組合の組織力が著しく低下しており,それに伴い賃金水準が低い
点も,工場建設地の検討において重要な判断材料であることを認識していた16)。
こうした要因により M-Benz は,工場誘致に向けて熾烈な競争を繰り広げていたサンパ
ウロ州のカンピーナス(Campinas)やサンタカタリーナ(Santa Catarina)州のフロリアノ
ーポリス(Florianópolis)ではなく,ジュイスデフォーラを選択した。M-Benz は,州政府
との協約によって,年間生産台数 7 万台規模の完成車工場を建設し,直接雇用する労働者数
は工場の稼動 2 年目の 2001 年の時点で 1,560 人を目標とした。こうして M-Benz は,州政
府が最も重視した雇用創出という義務を果たそうとした。
完成車メーカーの工場を誘致するために州政府が提供したインセンティブの内容と,完成
車メーカーの判断材料においては,他の地域の工場誘致においてもほとんど同様である。ジ
ュイスデフォーラのベンツ工場の事例と多少の違いはあるが,例えば,ルノーと VW など
を誘致したパラナ(Parana)州のサンホセドスピネス(São José dos Pinhais),GM を誘致
したリオグランデドスル(Rio Grande do Sul)州のグラバタイ(Gravataí),VW を誘致し
たリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)州のレゼンデ(Resende)の場合でも確認できる。
完成車メーカーは,地方政府が提供する土地,道路及び鉄路建設,税制恵沢,財政支援など
のインセンティブだけではなく,交通,通信,消費市場もしくは港口の近接性などインフラ
を考慮する。また,低い賃金,脆弱な労働組合,労働闘争欠如などの労働問題も重要な事項
として考慮し,ABC 地域から離れてグリーンフィールドに新工場を建設したのである。
旧工場と新工場は,ABC 地域とグリーンフィールドで地理的に分断された。旧工場は伝
統的フォード生産方式を採用し,新工場はモジュール化とアウトソーシングを極大化したモ
ジュールアウトソーシングを採用した。この二つの工場間は,労働条件の格差も深刻であり,
ブラジル自動車産業の二重構造化を引き起こしたと言える。新工場の立地として,グリーン
フィールドを選定する際の完成車メーカーの重要な判断材料の一つが,地域の賃金水準が低
く,労働組合の活動が弱いという点であったために,新・旧工場間の賃金などの労働条件の
142
東京経大学会誌 第 291 号
格差は避けられなかった。
第 2 節 VW ブラジルのレゼンデ工場
1.部品のモジュール化
ドイツの完成車メーカーのなかでモジュール化を一早く取り入れたのは VW であった。
VW のモジュール化の中心には,ロペスという人物が存在する。
図 1 を見ると,一般的に部品購買コストは生産コスト全体の約 47% を占める。そこで,
部品購買コストを削減することが急務であった。当時,VW とアウディは,米国の 2 大完
成車メーカーをはじめとする上位の競合会社より 15% ほど高い価格でサプライヤーと契約
を結んでいた。
ロペスは,日本のコスト削減活動の成果から見て(GM とトヨタの NUMMI)
,欧州でも
サプライヤーに圧力を加えればコスト削減は可能であると判断し,実行した。ロペスは
VW の副社長に就任後,サプライヤーに対して 30% の部品開発コストの引き下げを要求し
た。VW の要求は当時,欧州の自動車業界で話題になった。その結果,VW から始まった
ターゲットプライス方式17)に基づくコスト削減の取り組みが広がり,さらにドイツ全体の
サプライヤーに拡大することとなった。
ロペス方式の下でサプライヤーは,ユニットに関する品質チェックと配送の責任を負い,
工場で組み立てのための部品モジュールを提供した。いくつかの完成車メーカーは現在,モ
ジュール化をさまざまな形態で使用している18)。
図 1 自動車の生産コスト負担額の比率
出所:Michael, H. M., William, E. Y.(1999)“José Ignacio López
de Arriortúa,” Thunderbird International Business Review,
Vol. 41, Iss. 2, p. 181.
143
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
ブラジル自動車産業は 1980 年代まで保護主義の産業政策で安定した成長を成し遂げた。
しかし,1990 年代に入って,政府が保護主義政策から開放政策に転換すると,変化による
圧迫を受けることになった。特に,1994 年から始まったカルドーゾ政権の積極的な新自由
主義の経済政策で内需市場は完全に開放され,完成車メーカーらは激しい競争に直面するこ
とになった。このように変化する環境に対応するために完成車メーカーは積極的に構造変化
を推進した。ブラジル自動車産業は開放化が始まると,従来の部品納品慣行が変化した。自
動車業界では,部品のモジュール化を追求するようになり,モジュール化によって部品供給
会社の数を 500 社から 150 社まで減らすことができ,部品会社間の垂直的統合が始まった。
1990 年代後半からは本格的にモジュール生産方式が導入された(CEPAL [2003] p. 126)。
現在のブラジルでのモジュール化は,主に自動車のダッシュボード,シート,ホイール,タ
イヤ,サスペンション,ブレーキ,ドア,照明,冷暖房システムなどの生産に適用されてい
る。
自動車のモジュールは,組み立てると体積や重量が大きくなり,遠距離からの輸送効率が
悪くなる。そのため,モジュールの生産をアウトソースする場合,なるべく完成車工場の近
くから納入した方が,物流効率がよくなる。フォードのバイーア(Estado da Bahia)州の
カマサリ(Camaçari)工場と GM のサンパウロ(São Paulo)州のグラバタイ(Gravatai)
工場では一部の部品サプライヤーが完成車工場内で直接モジュールを生産する「インダスト
リアルコンドミニアム」方式が導入され,VW のレゼンデ(Resende)工場では組立ライン
での作業まで,サプライヤーの労働者で代替する「モジュラーコンソーシアム」方式が実施
された。VW のレゼンデ工場の「モジュラーコンソーシアム」は世界中でどこにも見られ
なかった大胆なモジュール化生産方式であり,VW は間接作業者と管理者だけを雇用する
だけで直接作業者は一人も雇用していなかった。それに対して直接作業者はサプライヤーに
よって雇用された。
ブラジルでは新工場を中心に新たな技術とモジュール化,そしてアウトソーシングを導入
した生産方式の実験が行われた。モジュール化は欧米完成車メーカー中心に行われ,ブラジ
ルの新工場ではモジュール化やアウトソーシングが結合された形を中心に他の地域では見ら
れない新たな生産方式の実験が行われた(Fleury & Salerno[1998]p. 292)。
伝統的な自動車工場の密集地域であるブラジルの ABC 地域を離れて,新たに建設された
新工場は,旧工場に比べて自動化率を大きく高め,モジュール化生産方式を導入するなど,
新技術を積極的に導入した。特にモジュール化はシステムに統合される部品を組み立てる必
要がなくなり,その分アウトソーシングを行ったため,完成車メーカー工場の労働者や雇用
の削減をもたらした。
このようなブラジル自動車産業のインダストリアルコンドミニアム方式やモジュラーコン
ソーシアム方式は,他の国に新設された工場のモデルとして採択された。例えば,GM は北
144
東京経大学会誌 第 291 号
米部門の中・小型自動車工場を対象に推進したイエローストーンプロジェクト(Yellowstone Project)も,ブラジルのグラパタイ(Gravatai)工場のベンチマーキングであった。
しかし,GM はモジュールアウトソーシングの形で「イエローストーンプロジェクト」を推
進したが,労組の強力な反対で失敗した後,北米ではなく欧州に 3 か所のサプライヤーパー
クを運営している。
グリーンフィールドの新工場は,伝統的なフォード主義生産方式に基づく旧工場に比べて,
生産方式面において革新的な形を見せている。新工場は高い水準の自動化と新技術を導入し,
新たな生産体系の実験が行われており,その中核はモジュール生産とアウトソーシングであ
った。これは「インダストリアルコンドミニアム方式」あるいは「モジュラーコンソーシア
ム方式」と呼ばれ,それぞれ,代表的な工場に GM のグラパタイ工場と VW のレゼンデ工
場がある19)。VW のモジュール生産はロペス副社長が考案した独自の方式で,組立工場内
にサプライヤーのサブアッセンブリー・ラインを組み込んだものである。
「インダストリアルコンドミニアム」は,モジュールサプライヤーが組立企業の近隣地域
に拠点を構え,準完成部品であるセットを供給するが,直接メインラインで組み付けること
はしない。それに対して,
「モジュラーコンソーシアム」は,組立企業の工場内でサプライ
ヤーがモジュールの組み立てとメインラインでのモジュールの組み付けを行っている。
GM グラパタイ工場は産業コンドミニアム方式の典型として,ドイツのオペル(Opel)ア
イ ゼ ナ ハ(Eisenach)工 場 を モ デ ル に 建 設 さ れ て お り,小 型 車 モ デ ル で あ る セ ル タ
(Certa)を生産していた。GM は工場を建設すると共に,サプライヤーを公募・選考した。
グラパタイ工場に直接部品を供給する 1 次サプライヤーは 350 社余りで,その他の GM 工
場より 60% も少ない数字であり,この中で 17 社が事前組み立てされたモジュールを供給す
るサプライヤーであった。モジュールサプライヤーが事前に組み立てたモジュールを供給す
るために,最終組立工程で実装される部品の数もまた,その他の GM 工場の半分に過ぎず,
それだけ品質向上が実現できた。
工場稼動後,サプライヤーの変更もあったが,冷却システムモジュールのバルネオ
(Valeo)
,シートとドアモジュールのリア(Lear)
,排気システムモジュールのアルビン
(Arvin)
,コックピットモジュールのシーメンス(Siemens VDO),タイヤモジュールのグ
ッドイヤー(Goodyear)
,車軸およびサスペンションモジュールのデルファイ(Delphi)を
含めた主要の 17 のサプライヤーが交代されなかった理由は,品質問題が発生する可能性を
最小限に抑えるためであった。
GM は工場のすぐ隣に敷地を確保し,モジュールサプライヤーのためのサプライヤーパー
クを造設した。このサプライヤーパークには,17 のサプライヤーのうち,ブランクモジュ
ールを供給するザンプローニャ(Zamprogna)を除いた残りの 16 のサプライヤーが入って
いる。部品が事前組み立てされることにより,モジュールが他の部品に比べて重く大きく,
145
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
輸送が困難なため,地理的な近接性が要求されており,JIT 供給のためにも必要であった。
工場内で直接生産の作業を行う労働者はすべて GM に所属しており,例外的にリア社の
労働者が,サプライヤーの労働者としては唯一,工場内で直接生産の作業,つまりドアを装
着する作業を行った。ロボット管理,安全,電気,輸送,工場内の清掃業務は協力会社の
TNT の労働者が担当しているが,ライン作業はすべて GM 労働者が行う。一方,ABC 地
域のサンベルナルドドカンポ(São Bernardo do Campo)工場に,ラインでの直接作業を行
う労働者だけでなく,GM に直接雇用された間接作業を行う労働者もいたことと比較すると,
グラパタイ工場は相対的に雇用の柔軟化と外注化が大いに進展されたとも言える。
2.レゼンデ工場の事例
VW が初めて商用車事業に進出したのは 1979 年であった。当時,経営不振に陥り,撤退
したクライスラーの現地拠点の生産設備を受け継いだときからである。クライスラーの現地
法人を買収した際,VW は中型トラックの生産にも進出し,1979 年から 1999 年まで商用車
専門の子会社の VW カミニョーネス(Volkswagen Caminhões)を運営した。その後,カミ
ニョーネス社は VW の商用車部門の一部に統合され,引き続き VW ブランドの大型バスや
大型トラック,中型トラックなどを製造,販売している。また,ブラジルの大手バス製造会
社のマルコポーロ社との提携も行っており,VW 製のシャシーにマルコポーロ社製のボデ
ィを合わせたバスも販売した。
VW の直接的なトラック・バス事業への参入は,アウトラチーナ(AutoLatina, アルゼン
チンとブラジルのフォードと VW の合弁会社)から始まった。1987 年,VW はフォードと
総 40 億ドルを共同出資し,合弁会社を設立した。株は VW が 51%,フォードが 49% を所
有した。
アウトラチーナは,フォード・エスコート(Escort)を VW 版のポインター(Pointer)
として生産した。他には VW のサンタナ(Santana)のフォード版であるヴェルサイユ
(Versailles)を生産するなど,共同生産することによるコスト削減を画策していたものの,
1995 年に合弁を解消した。
しかし,VW にとって,収益性が非常に高いトラック・バス事業であったが,ブラジル
以外でトラック・バス事業の経験がなかった。そして,サンパウロ(São Paulo)州のイピ
ランガ(Ipiranga)工場はフォードに属している工場で,VW の工場ではなかった。したが
って,VW は合弁を解消した後,新工場を建てることを決定した。新工場はリスクを減ら
すため,投資を最小限に抑えて工場を建てることに決定した。これが,レゼンデ工場である。
レゼンデ工場では,GM のグラパタイ工場のインダストリアルコンドミニアム方式より,さ
らにモジュール化と外注化を進めたモジュラーコンソーシアム方式を採用した。
1996 年 11 月 1 日,VW はブラジル・リオデジャネイロ州レゼンデにある VW のバス・
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東京経大学会誌 第 291 号
トラック工場で生産を開始した。年産 3 万台のバスのシャシーとトラック生産が計画され,
総額 3 億ドルが投資された。工場に投資された 3 億ドルのうち 5 千万ドルはサプライヤーに
よって投資された。この工場で生産されたトラックの大半は,メルコスールへ輸出され,残
りはアメリカやヨーロッパにも輸出された。
レンゼン工場で働く総労働者,1,500 人のうち,モジュール生産や最終組み立て作業を担
うサプライヤーの労働者は 1,300 人を占める。残りの 200 人は最終検査やマーケティング,
エンジニアリングを含む支援業務を行っている(Ramalho & Santana[2002]p. 268)。
モジュールサプライヤーは最終組立や生産管理,在庫管理,そして彼らが生産するモジュ
ールまたはサブアセンブリに含まれた全ての部品に関する調達の責任を負った。さらに,モ
ジュールサプライヤー(第 1 次サプライヤー)工場に部品とキットを供給するサブモジュー
ルサプライヤー(第 2 次サプライヤー)に関する責任をも負うこととなった。そして,サプ
ライヤーは実際に七つのモジュールサプライヤーに分けられて,VW の工場内に位置し,
コンソーシアムと呼ばれる各モジュールは,生産のある段階を管理した。既存の組立ライン
の接近方式に比べれば,モジュラーコンソーシアムの経済性は革命的であった(Michael &
William[1999]p. 192)
。
レゼンデ工場のモジュラーコンソーシアム方式は,コスト削減だけでなく組立時間の短縮
と資金支出の削減を可能にし,計画,調整と関連したオーバーヘッド・コストまで削減を可
能にした。そして,サプライヤーは最も大きな価値を提供し,VW の生産現場に彼ら(サ
プライヤー)の知識と能力を提供した(Michael & William[1999]pp. 193)。また,サプラ
イヤーは,プロセスと製品の知識を持っていない専門職員により管理され,在庫管理などの
内部協力(調整)の大部分の責任を負うことになった。このような責任の移転の結果,VW
にはもはや自動車アセンブラとしての役割はなくなり,サプライヤーはもはや単純な部品の
販売者ではなかった。サプライヤーは共同設計された生産に統合されている。彼らは現在,
欠陥の除去,遅延の防止,最終製品の品質に対する共同の責任を持つようになった。彼らの
存在は,もはや株主のみではなく,サプライヤーでもあり,勤労者でもあった。つまり,サ
プライヤーは VW のパートナーとなったのである。
レゼンデ工場で行った,第 1 次サプライヤーとの協力関係の形成や,設計や組立責任の所
在に関するアプローチは真に新しいアプローチではなかった。ほとんど全ての自動車会社が
すでにこうしたアプローチを取り入れていた。しかし,完成車メーカーの組立業務そのもの
が,サプライヤーの職員の役割になったことが革命そのものであったのである。
この方式がインダストリアルコンドミニアムではなくモジュラーコンソーシアムと呼ばれ
る理由は,47 人の入札者から選ばれた 7 つのサプライヤーが,VW の工場内に入り込んで
実際にライン上で組み付け作業を行い,VW 従業員はその後の検査と全体の管理のみを受
け持っているという極めてユニークなスタイルをとっているからである。新工場が稼働する
147
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
前の VW のトラック・バス事業は 400 のサプライヤーから部品を購入した。こうしたスタ
イルをとる目的は,経済のグローバリゼーションのもとでのコスト引き下げと生産性向上で
ある。
レゼンデ工場の運送プロセスは,外部の運送業社(CRTS 代わりに Binotto)と内部の運
送責任社(Union Maintein)2 社によって行われる。また,塗装モジュール内を除いてすべ
ての維持工程は外部委託し,責任はモジュールサプライヤーにあった。物流統合管理社もま
た,毎日すべての工場のパートナーが要求するものを提供するために「ミルクランシステム,
巡回集荷システム」を実行した。一般的にモジュールサプライヤーと VW との関係の強弱
は,モジュールサプライヤーの自律性に左右される。いくつかの例では工場内モジュールサ
プライヤーは,ほとんど一体的に作業を行っていた。
同一プラットフォームと共通化されたシャシーやその他の部品生産による規模の経済の獲
得,さらにモジュール単位で機能開発やアウトソーシングによる開発期間の大幅な短縮は,
世界統一プラットフォームが世界的に共通化した部品を,しかも同一のサプライヤーから調
達して初めて実現可能となる。しかし,このようなことは部品企業の対応力からして不可能
なことである。とはいえ世界の部品企業がそれぞれバラバラに同じものを生産供給したので
は非効率的である。そこで登場したのが自動車組立企業の世界的展開に対応可能な世界メガ
サプライヤーである。世界標準の価格と品質は,この「モジュラーコンソーシアム」の技術
上及び管理上の中核である第 1 次サプライヤー群の高い能力を必要とする。この高い能力の
要求は,組立企業の本社国で,当該企業に部品を納入していた高い技術を持つ部品企業をは
じめとする多国籍企業の進出を加速し,こうしたモジュール供給企業を核とする部品供給体
制の形成は,企業間技術移転を促進する20)。
各モジュールサプライヤーとの契約期間は通常,伝統的な完成車メーカーとサプライヤー
の間で結ばれる契約期間よりも長かったのである。アセンブリモジュールサプライヤー(シ
ャシー,サスペンション,ホイール/タイヤを組み立て,エンジンとキャビンアセンブリ/ト
リム)との契約期間は 5 年,キャビンストラクチャーモジュールサプライヤーとの契約期間
は 7 年,そして塗裝モジュールサプライヤーとの契約期間は 12 年と規定している。そして,
各モジュールサプライヤーが VW と交わした支払い方式は,車両の組立終了後と VW の品
質検査及びテストの前に,モジュールに関連した価格の 90% をもらえるというものである。
もし,VW の検証が終わった車両が公式的にマーケティング部門に渡されると,モジュー
ルサプライヤーはその時点で車両支払いの残り 10% をもらう。
その結果,このシステムは車両組立を素早く完了させるために,モジュールのサプライヤ
ー間の圧力を引き起こす。一方,VW はテスト前の車両の価格の 90% を払っているので,
品質の問題のない車両を完成させるために,モジュールサプライヤーに圧力をかける。さら
に,モジュールサプライヤーの支払いが製品販売にリンクされてはいない。つまり,VW
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東京経大学会誌 第 291 号
が生産スケジュールの結果に従って支払いを保証するのである。なぜなら,マーケティング
の責任は,モジュールサプライヤーではなく,VW にあるためである。
各モジュールの中に入る部品のサブアセンブリやシステムの供給を担当するサプライヤー
は,直接トラックに組み付けるため,メイン組立ラインに足を踏み入れた。つまり,メイン
組立ラインは,サプライヤーの領域となったのである。
図 2 VW レゼンデ工場のモジュラーコンソーシアム
出所:Marx, R., Zilbovicius, M., Sergio Salerno, M.(1997)“The modular consortium in a new VW truck
plant in Brazil : new forms of assembler and supplier relationship,” Integrated Manufacturing
Systems, Vol. 8, Iss. 5, p. 294.
図 2 で示しているように,レゼンデ工場の組み立ての流れを見ると,まず,マキシオン
(Iochpe-Maxion)がフレームを組立てて燃料タンクとフィルターなどを装着したシャシー
モジュールを投入する。シャシーモジュールを受け取ったロックウェル(Rockwell)が車
軸とサスペンションを装着した後,レモン(Remon)に投入する。レモンはタイヤモジュ
ールを搭載してメイン組立ライン投入する。
デルカ(Delga)がキャビンモジュール生産,投入すると,アイゼンマン(Eisenmann)
は塗装作業を行い,キャビンモジュールを投入すると,シーメンス(Siemens VDO)がキ
ャビン内蔵の操作を行う。MWM がエンジンをドレス作業し,組み立ててメイン組立ライ
ンに投入すると同時に,パワートレイン(Powertrain)とカミンズ(Cummins)はレモン
から投入されたモジュールとエンジンを組み付け,プラットフォームを完成させる。完成さ
れたプラットフォームがシーメンスに流れると,シーメンスが完成したキャビンモジュール
を取り付け,トラックの組立は完了になる。その後,VW は最終検査を行う。
VW は,工場の内部と外部のサプライヤーの活動の実施方法を選択する権限をモジュー
ルサプライヤーに与えた。その結果,ほとんどのモジュールサプライヤーは,いくつかの固
149
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
定資産を含んだ工場内部の組立を主な活動とすることに決めた。例えば,マキシオン社はレ
ゼンデの約 100 キロに位置する別の工場から,シャシーのほとんどの部品を生産した後,組
み立ては工場の内側で行った。デルガ(Delga)はサンパウロ(レゼンデから約 100 キロ)
の近くにある工場で,スタンプキャビンの部品を仕上げ,レゼンデ工場の内部でスタンプキ
ャビンを組み立てた。MWM とカミンズは,彼らの工場でエンジンを製造し,レゼンデ工
場内部で組立だけを行った。しかし,塗装は例外であり,アイゼンマン(Eisenmann)は,
専用のスペースや設備を使用して,工場内で全ての塗装処理を行なった。その理由は,キャ
ビンを組み立てるデルカが工場内で作業を行い,デルカの組み立て作業後すぐに,塗装作業
が行ったためである。
レゼンデ工場の稼動初期に参加した七つのモジュールサプライヤー(パートナー)は所有
主や会社名が変わることはあっても,同一の業者がこれまでに当該モジュールの責任を負っ
ている。例えば,マキシオン(Iochpe-Maxion)の場合,最初は車輪とシャシー二つの部品
のみ供給していたが,今は 300 以上のコンポーネントの組立に責任を持つことになった。こ
のように組立工程の各段階で,モジュールサプライヤーらは車両の最終組立ラインへのモジ
ュールの納入と,組立を協力して行い,モジュラーコンソーシアム方式を体系化したのであ
る。
工場を稼働してから 4 年後,レゼンデのほとんどのパートナーが信頼しているモジュラー
コンソーシアムモデルは,コンセプトの面では成功であるが,生産量や品質の面では当初の
期待以下であった。現在,工場には 1565 名の労働者が働いているが,VW の労働者は 265
名である。そのうち,VW は品質管理やプロトタイプ工学に関連する活動における約 60 の
現場作業を持っている。2000 年,キャビン塗装を除く工場の生産は 13,163 台(1996 年から
現在まで工場の生産量は倍増)で,トラックとバスシャシーの約 5 つを混流生産し,8 時間
の 1 シフトで稼働している。
現在,8 時間の 2 シフトと 1 日約 150 台生産を計画したレゼンデ工場の規模は相変わらず
大きいのであった。現在の利益は,計画された投資収益(ROI,Return on Investment)を
保証できない。しかし,この利益に関する問題はモジュラーコンソーシアム方式の問題でな
く,市場の需要に関連した問題の方が大きいのである。そのほかに,ブラジルのトラック・
バス業界における VW の市場シェアは近年大幅に拡大している21)。1999 年 8 月の間,工場
は VW とモジュールサプライヤーの労働者が参加する最初のゼネスト(総罷業)に直面し
た。このゼネストはモジュラーコンソーシアム方式と関連はなかった。労働者はサンパウロ
市の周辺の自動車工場と比較して,賃金の格差を減らすために,賃上げのみを要求したので
あった。
インダストリアルコンドミニアム方式はサプライヤーが地理的に近接した位置に所在し,
組み立てられたモジュールを組立工程に JIT 方式で投入するのに比べて,VW のレゼンデ
150
東京経大学会誌 第 291 号
工場のモジュラーコンソーシアム方式では,最終組立工場のラインで直接生産の作業を行い,
設備・人材・物流など生産工程の全ての責任を負うという点で,インダストリアルコンドミ
ニアム方式より革新的である。しかし,このようなモジュラーコンソーシアム方式は,シャ
シー,エンジン,キャビンなどが構造的に分離された開放構造を持ったトラックの生産過程
には導入しやすいが,部品の相互関連性が密接して構造的に分離しにくい閉鎖構造の乗用車
生産には適用することが難しいという限界を持っている。この限界は VW レゼンデ工場と
同じ時期に建設されたパラナ州の乗用車工場の場合,モジュラーコンソーシアムよりもイン
ダストリアルコンドミニアムに近いという点でも確認することができる。
自動車産業は産業の特性上,新工場建設のとき,生産方式の革新が行われる一方,新しい
技術体系の導入が難しいという理由で,作業組織再編を中心とした生産方式の変化が行われ
る。新工場がモジュール化とアウトソーシングで極端な実験を行った一方,ABC 地域の旧
工場では伝統的なフォード主義の生産方式から部分的改善と保安だけが推進され,生産方式
の側面からして新工場と旧工場間の差異は縮まっていない。
第 3 節 モジュール化実験の成果
1996 年に行ったブラジル自動車産業における直接投資の新しい波は,自動車産業のサプ
ライチェーンの新たなタイプの確立へつながったのである。サプライチェーンは完成車メー
カーとサプライヤーとの交渉で設計された。従来のすべての工場方式(フォーディズム,ポ
ストフォーディズム,リーンなど)において,部品サプライヤーの役割は,組立工場への部
品供給であった。近年,注目を浴びているのは,生産の管理や請負に関連する動的プロセス
におけるサプライチェーンの役割である。
レゼンデ工場の革命的な変化は,サプライヤーの組立工程への関与である。サプライヤー
は新たな設備の建設に直接関与し,最初の 3 億ドルの工場への投資のうち 5 千万ドルを拠出
したのである。レゼンデ工場におけるこのような完成車メーカーとサプライヤーの関係につ
いて,VW のオペレーションディレクターであるロベルトバレッティ(Roberto Barretti)
は,「家は我々のもので,家具はあなたたちのものである」という説明をする。言い換えれ
ば,工場は VW のもので,生産設備はサプライヤーのものと捉えられる。7 つのサプライ
ヤーが,シャシー,サスペンション,パーワトレイン,ステムピン,など工場全体の責任を
負う形態であった。モジュールの供給から組立までサプライヤーが全体の責任を持つシステ
ムで,VW は生産には関与しないで,デザイン,マーケティング,研究開発のみを担う。
レゼンデ工場は VW にとって,収益性が高く,固定費用が低く,景気変動に柔軟に対応
できる工場として知れわたった。7 つのモジュールサプライヤーは利益共有制(Profit
Sharing)に基づいて賃金を決めたのである。このような形態をとることによって,主に在
151
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
庫,輸送,保管において 20〜25% のコスト削減を実現し,在庫そのものも以前は 2 ヶ月分
であったのが 4 時間から 2 日間分に大幅に減少したという。
サプライヤーによってつくられたトラック・バスを VW が購入・販売し,その後の利益
がこれらの企業の賃金基準となる。レゼンデにおける VW とサプライヤーとの関係は,利
益共有制が最も理想的に具現化された形態ともとらえられる。この利益共有制は 7 つのサプ
ライヤーの労使関係へ直接的な影響を及ぼした。7 つのサプライヤー労働者らは法律的な労
使関係は各会社(各サプライヤー)と結ばれているが,事実上 VW の売り上げと利益に共
同で連携されているので,個々のサプライヤーの労働者が一企業の労働者と同じであった。
7 つのサプライヤーの労働者の賃金は,利益共有制によって決定される基本給に,各サプラ
イヤーの生産性上昇に対するインセンティブが与えられる形であった。
しかし,1 つのサプライヤーの生産性が高くなっても,他のサプライヤーがそれに追いつ
かない場合,最終的な完成車の生産性が上がらなかったのである。従って,このようなイン
センティブ制度は各サプライヤー間競争を激しくさせ,また,労働者らは他のサプライヤー
の労働者らに生産性向上を要求するようになる。
利益共有制がうまく働くためには,会社の労働強度に最も好意的な労組が必要であった。
そして,1 つのサプライヤーの労働組合がストライキを行った場合,他のサプライヤーの労
働者らの基本給がそれぞれ低くなることにより,相互にストライキを牽制したのである。
以上は,レゼンデ工場におけるモジュール化実験の成果であるが,VW グループ全体に
おいても成果を残した。とりわけ,VW 内の労働コストや生産性の変動である。表 4 を見
ると,まず,総生産台数は 1996 年から増え,2000 年代に入ると年産 500 万台を超えている。
1993 年,完成車 1 台生産当たり労働コストの割合は 25% をピークに,1994 年から減少し始
め,2000 年に 17% まで減少した。そして,労働生産性は 1990 年から 1993 年までの労働者
一人当たりの平均生産台数は 12 台であったのに対し,1994 年 12.7 台,1995 年 14 台,1996
年 15.2 台,1998 年 16.4 台,2000 年 16 台,2003 年 15 台であった22)。1993 年以降,VW が
行った経営改革におけるモジュール化の効果があったと読みとることも可能であろう。また,
1996 年と 1998 年の労働者一人当たりの平均生産台数に注目してもらいたい。前年度と比較
して,大きな変動があった 1996 年と 1998 年は VW が 1996 年モジュール化の実験を行った
年であったのである。
152
東京経大学会誌 第 291 号
表 4 VW グループの総生産台数,労働者数及労働コスト
(千台,千人,百万ユーロ,%)
生産台数
国内
国外
労働者数
国内
国外
労働コスト
(%)
1990
3,058
1,816
1,242
261
166
95
8,720(25)
1991
3,238
1,814
1,424
277
167
110
9,649(25)
1992
3,500
1,929
1,571
273
164
109
10,611(24)
1993
3,019
1,411
1,608
253
150
103
9,657(25)
1994
3,042
1,425
1,617
238
141
97
9,389(23)
1995
3,595
1,526
2,069
257
143
114
9,717(22)
1996
3,977
1,591
2,386
261
139
122
10,588(21)
1997
4,291
1,619
2,672
275
144
131
10,577(18)
1998
4,823
1,983
2,840
294
153
141
11,482(17)
1999
4,853
1,879
2,974
306
159
147
11,967(16)
2000
5,156
1,830
3,326
322
163
159
12,691(16)
2001
5,108
1,886
3,222
324
167
157
13,213(-)
2002
5,023
1,781
3,242
324
168
156
13,313(-)
2003
5,021
1,740
3,281
335
174
161
13,878(-)
2004
5,093
1,832
3,261
343
179
164
14,038(-)
2005
5,219
1,913
3,306
345
179
166
14,644(-)
出所:Volkswagen Annual Report 各年データから作成。
続いて,表 5 の,ブラジルレゼンデ工場の生産推移をみると,2000 年に約 9,000 台であっ
たトラックの生産は,2001 年に 2 倍以上に急増したのである。別の観点からみると,レゼ
ンデ工場のモジュラーコンソーシアム方式は,2000 年代に入るとその効果があらわれたと
も言える。そして,1998 年以降は,1996 年の実験をもとに他の生産工場にもモジュール化
を導入した年である。
次の表 6 を見ると,1997 年には,VW のメキシコ工場や VW グループ会社のアウディに
もモジュール化が導入され,1998 年にベルギーの工場でも導入されている。しかし,VW
のレゼンデ工場の場合,VW とフォードのアウトラチーナの期間中,VW はビジネスに関
する知識や製品,そしてサプライヤーから得られる知識を獲得したものの,組立はフォード
によって行われていたことを考えると,VW には組立に関する技術と知識が十分ではなか
ったと思われる。
実際に,アウトラチーナでは,プレス,車体工場,塗装及び最終組立にのみ,直接的に関
153
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
表 5 VW のブラジル生産推移
(台)
乗用車
軽商用車
大型トラック
バス
全体
1998
332,961
43,227
10,655
-
-
1999
406,858
71,518
9,833
1,783
489,992
2000
457,708
39,085
8,765
3,780
509,338
2001
480,752
37,301
18,974
4,534
541,561
2002
468,800
25,170
18,580
5,020
517,570
2003
422,119
25,932
15,819
6,272
470,142
2004
518,359
25,125
29,139
4,873
577,496
2005
595,272
21,794
31,951
5,102
654,119
2006
570,684
26,539
28,056
5,703
630,982
2007
654,716
31,221
38,025
7,258
731,220
2008
678,269
40,365
44,804
8,945
772,383
2009
742,950
27,062
6,893
1,741
778,646
出所:OICA(International Organization of Motor Vehicle Manufacturers)の各年デー
タを元に作成。
www.oica.net/category/production-statistics/
* 1998 年のバス生産データはないため空欄。
* VW のトラックとバス生産は 2010 年からマン(MAN)によって生産。
表 6 VW グループのモジュール工場
拠点
生産モデル
モジュール調達体制
12 社が 15 モジュール納入
ドイツ
1996
Mosel
ゴルフ
パッサート
ブラジル
1997
Resende
商用車
メキシコ
1997
Pueble
ブラジル
1998
10 社サプライヤーがモジュールの組立
ゴルフ
ジェッタ
ニュービートル
モジュール 15 種導入
Curitiba
アウディ A3
ゴルフ
サプライヤーパークに 13 社
ベルギー
1998
Brussels
トレド
ゴルフ
工場と同じサプライヤーパーク
スペイン
1999
Pamplona
ポロ
ブラジル
2001
Anchieta
ポロ
SUV
サプライヤーパーク設置
ドイツ
2001
Wolfsburg
ルポ
ゴルフ
サプライヤーパーク設置
工場隣にサプライヤーパーク
出所:池田正孝,中川洋一郎(2005)『環境激変に立ち向かう日本自動車産業:グローバ
リゼーションさなかのカスター・サプライヤー関係』,中央大学出版部,23 頁。
154
東京経大学会誌 第 291 号
与し,シャシー,アクセル,エンジン,ギアボックスに関しては,すでに外部委託を行って
いた。したがって,VW はレゼンデ工場の建設の際,組立の技術と知識が十分でなかった
ため,モジュラーコンソーシアムという大胆な生産方式を導入したと考えられる。
完成車メーカーのニーズに合わせて部品産業が再編され,原資材を輸入して生産する外資
系の巨大サプライヤーの出現により,競争力を失ったブラジル国内企業は続々と倒産してい
ったのである。最終的にブラジルの自動車産業は,国内企業間の技術移転の効果や,関連効
果がほとんど見られなかった。なぜなら,完成車メーカーの本国からの原資材の輸入,外資
系サプライヤーによる部品生産と完成車メーカーの組立までの関与など,海外の完成車メー
カーとサプライヤー中心の垂直統合が行われたためである。ブラジル自動車産業に対する一
般的な評価は,欧米完成車メーカーの進出が活発な一方,ブラジルの中小の部品メーカーが
発展していないということである23)。さらに,1998 年の通貨危機以降,ブラジルの部品産
業の競争力が急激に低下した。
おわりに
世界先進完成車メーカーは,競争力強化と未来の不況に備え,構造調整を行った。各完成
車 メ ー カ ー は 規 模 の 経 済 の 達 成 に 向 け て,M & A(Merger and Aqisition),合 弁 事 業
(Joint Venture)
,技術援助(Technology Assistance)などを行い,企業規模を拡大するた
めに努力している。また,生産方式でも部品のグローバル調達(Global Sourcing)を用い
たモジュール化という方式を通じて,完成車メーカーとサプライヤー間の役割を見直してき
たのである。 完成車メーカーの課題,すなわち,コスト削減,新車開発期間の短縮,そし
て品質改善について,最も効果的な技術的解決策の一つが,空間的にも機能的にも関連のあ
る一連の部品群を統合して,シナジー効果を極大化するモジュール化であった。従来,完成
車メーカーの責任であった部品コスト削減はサプライヤーが担い,その代わりに完成車メー
カーは市場を主導する革新技術の研究に従事した。また,完成車メーカーはマーケティング
力を最大に引き上げ,市場開拓に重点を置いた経営戦略をとっている。具体的に,完成車メ
ーカーは,まず,アウトソーシングの割合を約 30% から 60% 以上に引き上げたのである。
また,既存のサプライヤーとの協力関係に固執せず,技術力と価格競争力を身につけた全世
界のサプライヤーと取引を行い,グローバルソーシングを推進したのである。
1990 年代の欧州自動車業界の不況の中,最も深刻な打撃を受けた国がドイツの自動車産
業であった。このドイツ自動車産業界の不況は,欧州の中で最も高い賃金と,労働時間の短
縮,また部品調達における伝統的な方式へのこだわりによるものが大きかったのである。こ
れらの要因を改善するため,ドイツ完成車メーカーは,より合理的な日本のリーン生産方式
に関心を向けるようになった。しかし,当時の欧州の自動車業界は,日本の完成車メーカー
155
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
に比べて部品の外注比率が低いばかりか,ユニット部品を外部調達しても,サブアッセンブ
リーや組立ラインへの供給機能までは外注化できなかったのである。また,強力な労働組合
の存在があった。労働者の雇用を保障しなければならないため,サブアッセンブリー工程を
サプライヤーに移管することが極めて困難であった。このような 1990 年代の低迷期を打開
すべく,ドイツの各完成車メーカーは新規工場を中心にモジュール化を推進した。
VW のモジュール化導入の特徴は,急速な生産能力の拡大とドイツ国内の製造コストの
上昇によって,労働コストや工場建設コストが安価な新興国市場へ進出した点であった。新
興国の場合,技術力の高いサプライヤーの集積が十分ではないので,品質の確保や部品供給
体制の整備が必要であった。従って,新興生産拠点では安い労働コストを活用し,なおかつ
品質確保を可能にするため,大規模なモジュール化を導入したのである。
VW のモジュール調達方式おいては,JIT 方式,サプライヤーパーク方式,インダストリ
アルコンドミニアム方式,モジュラーコンソーシアム方式といった多様な方式がある。
まず,ブラジルレゼンデ工場のモジュラーコンソーシアム方式は,サプライヤーに品質や
コスト競争力に問題が生じた場合,サプライヤー変更の面で他の方式に比べ柔軟性に欠けた。
さらに,構造的に分離された開放構造を持ったトラックの生産過程には導入しやすいが,部
品の相互関連性が密接して,構造的に分離しにくい閉鎖構造の乗用車の生産過程に導入する
ことが難しいという限界を持っていたのである。
それに対し,インダストリアルコンドミニアム方式の場合,サプライヤーの変更コストは
比較的に少ないのである。しかし同方式はモジュール組立ラインを完成車メーカーの工場内
に持つことになるため,工場内にモジュールの構成部品を搬入し,ストックするスペースと
仕組みが必要になる。そして,モジュールを搬送するためのコンベア設備に高い費用がかか
るため,必ずしもコスト削減が実現されるとは限らない。
しかし,サプライヤーパーク方式は,モジュールが完成車工場の外部(=サプライヤーパ
ーク)で組み立てられるため,インダストリアルコンドミニアム方式より,完成車工場の内
部の簡素化が可能になり,設備コストの削減が出来る。サプライヤーの変更もモジュラーコ
ンソーシアム方式より自由である。
ベルトコンベア式生産ラインの最大の欠点は,部品点数によってラインの長さや速度が左
右される点である。モデルバリエーションの増加,車載装備の増加と多機能化によって,も
はやメインライン上だけでの対応は不可能になったのである。信頼性向上のためにもモジュ
ール化は必須である。言い換えれば,メインラインへの負荷集中を避けるというのがモジュ
ール化の大きなメリットである。
以上の理由から,VW はドイツ国外の新興工業国において様々なモジュール調達方式を
試行した後,ドイツの国内工場にサプライヤーパーク方式というモジュール化を導入したの
である。つまり,VW は国外での実験後,モジュール調達をサプライヤーパーク方式に集
156
東京経大学会誌 第 291 号
約した。VW は Auto 5000 や Emden 工場のような,ドイツ内に最近改築されたモジュール
工場では,サプライヤーパーク方式を中心に,JIT 方式を組み合わせ,一部のモジュールは
内製化に戻すなどして,慎重にモジュール化に修正をかけている。
以上の結論から,今後はドイツ内工場,特に AUTO 5000 社について分析を行い,最終的
には,本社工場であるヴォルフスブルク工場の生産方式を分析する。
注
1 )この論文は 2015 年東京経済大学経済学紀要に載せた研究ノートの第 2 節を中心とした論文で
ある。「フォルクスワーゲン社の生産方式の転換と発展―1990 年代以降を中心に―」『東京経
大学会誌』経済学第 289 号,2016 年 2 月,189-213 頁。
2 )モジュール(module)とは,ある独立した機能をもったまとまりを指す。モジュールの他に
まとまりを示す概念としては,「ユニット(unit)= 単位」が想起される。
「ユニット」が同一
形状・内容であるのに対して,「モジュール」ではその機能や内容を異にする。
「ユニット」と
同様に「モジュール」も交換が可能であるが,その交換によって,「モジュール」では機能が
変化する。「ユニット」は,その個数の多少によって違いを表現するが,
「モジュール」はその
組み合わせによって多様性を図る。
3 )欧州のモジュール化は日本の自動車業界からみると,さして興味ある取り組みとはいえなかっ
たという。とくに完成車メーカー側から欧米のモジュール化は,組立工場内でのサブライン化
した組立作業をアウトソーシングしたものにすぎず,完成車メーカーがわざわざ内部に蓄積し
たノウハウを外部に流出し,ブラックボックス化するものといった批判もでたという。そして,
日本の完成車メーカーの評価はきわめて低いものとなったという。
4 )完成車輸入禁止措置により,部品の国産化率は 1953 年 18% から 1960 年には 98% まで上昇し
たと述べている[田中祐二(1996)187 頁]。
5 )クビチェックは「50 年の進歩を 5 年で」をスローガンに大統領選挙に出馬し当選した。
ブラジル自動車産業が世界自動車市場の競争に急激に露出されつつ,政府は 1995 年から外国
資本の誘致, 輸出増進,設備投資促進のための「新自動車産業体制(Novo Regime Automotivo)」を構築した。
ブラジル自動車協会 ANFAVEA(Associacao Nacional dos Fabricantes de Veiculos Automotores)は 1956 年設立された。
6 )新首都建設はクビチェックの任期である 5 年以内に間に合うよう急ピッチで進められ,わずか
41 ヶ月間で完成させた。1960 年 4 月 21 日には沿岸部のリオデジャネイロから首都を移し新首
都としての共用を開始することになった。しかし,ブラジリアの建設のための無理な借款と首
都移転にかかる膨大な資金,サンパウロやリオデジャネイロ,クリチバなどの沿岸部の主要都
市から遠く離れ,陸上交通手段も確立されていないブラジリアに首都を移転したことによる効
率の低下など様々な経済的負担があった。
7 )ある国の経済市場が信認を失うことでハイパーインフレが発生することがある。これは中南米
などラテン諸国やロシア東欧諸国で発生した性質のもので,領域経済の成長を期待した域外諸
国市場による投資が長年にわたり行われたものの,その成果が十分でなく投資に対する不信
感・不安感が醸成された結果として当該国通貨が暴落し購買力を急速に失うという現象である。
157
フォルクスワーゲン社の部品モジュール化
この場合の通貨暴落は市場による均衡過程であり,比較的短期間による急激な調整ののちイン
フレ率は安定する傾向にある。しかし 19 世紀から 20 世紀初頭の欧州ラテン諸国では国民の大
量の移民や離散をまねき,長期的な経済の低迷やインフレの継続を招いた。
8 )ブラジルは世界 5 番目に大きい国であり,人口は 2 億人を超える。そして,天然資源と労働力
も豊かで完成車メーカー各社は大きな関心を示している市場である。基本的に人口が多いため,
自動車市場としても高い潜在力を有しているのは周知の事実である。2000 年代に入ってから
は経済も早いテンポで発展している。
9 )メルコスール(Mercosur,南米共同市場):ブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ,パラグア
イの 4 カ国が 1991 年に創設した経済共同体として域内貿易の 90% の品目に無関税,域外に共
通関税率の適用。
10)P. シュミッターは,団体や利益集団が自律的で国家へ浸透して行く型を「社会(societa1)コ
ーポラティズム」と名付け,団体が依存型で国家に浸透される型を「国家コーコーポラティズ
ム」と名付けている。国家コーポラティズムとは,コーポラティズムの構成単位の単一性・義
務的加入・非競争性・階統的秩序・職能別の分化という属性をはじめ,国家の許可と承認・
個々のカテゴリー内の独占的代表権がすべて国家によって規制されているタイプを指す。
11)時間銀行制とは好景気には追加の手当て無しに超過勤務を行い,不景気には賃金削減なしに作
業時間を短縮する制度である。
12)サンパウロ(São Paulo)州の南に隣接する ABC 地域はサントアンドレ(Santo André)
,サ
ンベルナルド・ド・カンポ(São Bernardo do Campo)やオザスコ(Osasco)である。ABC
地域は 1975 年までブラジルの自動車産業生産量の 85% 以上を占めていたが,新工場建設が本
格的に展開された 1990 年代後半には生産量が 30% 水準まで下落した。同地域は,VW やフ
ォードなどの工場が進出しているサンパウロ都市圏のまさに中核となる工業都市である。
13)Abreu A. R. D. P., Beynon H., Ramalho, J. R.(2000)の p. 266 には,1995 年以降,完成車メー
カーはサンパウロ周囲の工業地域から離れた地域へ移動したという。
14)ブラジルのみのモデルを担当するデザインのセクションでは,450 人のエンジニアがいて,そ
の規模はラテンアメリカで最大規模であった。現在,1,500 人のエンジニアがいるが,親会社
のプラットフォームとトップダウン戦略,彼らの創造的なリーシュは不足である。アンシエタ
工場は現在,スチールパネルを溶接と切断することができる 400 台のロボットを持っている。
15)グリーンフィールド(Green Field)とは,今まで建物や工場などが建ったことがない草ぼう
ぼうの土地,樹木が生えていて整地しなければならない土地という意味合いがある。インフラ
投資で言えば,発電所,水道施設,鉄道,空港などがまっさらな状態から作られるケースを指
す。まっさらな状態から作るので,既存の権利関係などのしがらみがなく,自分たちの思った
ようにビジネスができる自由さがある。反面,建設を請け負ったコンストラクターが期日通り
に完成できなかったりする完工リスクや,施設の完成後,収益が安定するまでに予期せぬ事態
が発生するといった操業リスクがある。一般的に,インフラ投資でグリーンフィールドに投資
する場合は,20 年といった長期間にわたるオペレーションの比較的早い時期に高いリターン
を得ることが想定されている。事業が存在しない状況において独占的な条件で事業をスタート
させるので(インフラ投資そのものが政府等による独占営業の許可という性格があるので),
早期に高いリターンが見込まれる。
16)政府の補助は外国からの投資を誘致するため,広く使われる方法であるが,この補助は,特別
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融資,インフラ提供,租税減免などを含む。1996 年,ブラジル連邦政府は,北部,東北部,
中西部など立ち後れた地域に工場を設立する場合,補助の特恵を与えた。この補助が施行され
ると,地方政府は外国の投資を誘致するために,熾烈な競り合いを演じた。これらは外国の投
資を誘致し,産業化と構造調整を試みたが,基本的に土地,インフラ,設備投資のための金融
優遇策が続いた。しかし,多くの場合,過度な補助金が支払われ,多く問題が生じ,中央政府
はこれに対する統制能力を喪失した。
17)ターゲットプライス方式:購入・発注の目標上限価格を示した上で見積を募り,価格低減を図
る方式。
18)ロペスが GM から VW に移ったもう一つの理由は彼が GM のヨーロッパ子会社オペル時代か
ら,自分が生まれたスペインに世界で最もフレキシブルである工場を建設したいと夢見た
PLANT X 計画である。GM ではその計画が認められず,VW で夢を実現しようと試みた。し
かし,VW の経営危機により,スペインではなく,ブラジル,チェコ,東ドイツで PLANT X
計画を実現する事になった。池田氏によると,組立工場内にサプライヤーのサブアッセンブリ
ーラインを組み込んだ VW のモジュール化はロペス副社長が考案した独自の方式だという。
19)VW でのモジュール生産の典型事例として VW Resende 工場(ブラジル,1996 年 11 月,モ
ジュラーコンソーシアム方式),VW Mlada Boleslav 工場(チェコ,1996 年 9 月,インダスト
リアルコンドミニアム方式),VW Mosel 工場(ドイツ,1996 年 10 月,JIT 方式)があるが,
モジュール生産は地域や工場別など,同じ会社内でもその形はさまざまである。
20)VW レゼンデ工場の場合,7 つのコンソーシアムのうち四つが多国籍企業によって支配されて
おり,この内訳は塗装のアイゼンマン(Eisenmann)
,および車内設備部品組立の VDO がド
イツ,車体懸架装置のロックウエル(Rockwell)がアメリカ,そしてエンジンのトータル・
システムの MWM は米国系との合併となっている。
21)VW の 1996 年 17%,2000 年 22%,2012 年 31.2%,2014 年 24.7%。
出所:Marklines, 自動車販売台数速報ブラジル。
(https://www.marklines.com/)
22)労働生産性は Volkswagen Annual Report の各年データから作成した表 2 のデータから
労働コスト=産出量(1 年生産台数)/投入量(労働者数)で計算した。
23)新興国投資の観点から田中(1996)氏は VW ブラジルのバス・トラック工場の事例を通じ,
完成車メーカーの規模を縮小し,サプライヤーの権限が大きくなることについて以下の指摘よ
うにしている。まず,組立メーカーである VW が組立工程を担わないので,自ら付加価値活
動を行わず,資本の充当が可能なのかという点,またサプライヤーと知識を共有することによ
るリスクを VW は持つことになるという点,そして,同一工場といえども異なる場所で,し
かも異なる企業によって組み立てられていくのでラインバランスが大変難しく,それに関わっ
て,VW の管理命令に異なる企業の労働力が同期的に従わなければならないという困難。最
後に,品質保証手順の均質化が極めて困難という点である。このような指摘は,レゼンデ工場
の事例でみたように,VW は生産には関与しないで,デザイン,マーケティング,研究開発
のみを担う,そして,レゼンデ工場は VW にとって,収益性が良く,固定費用が低く,景気
変動に柔軟に対応できる工場として知られた。完成車メーカーと単なるサプライヤーの関係で
は,大きい問題かもしれない。しかし,VW のレゼンデ工場のモジュラーコンソーシアムで
はリスク分散するパートナー関係である。
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