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韓国見聞録2008年夏 - 船橋市社会科セミナー

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韓国見聞録2008年夏 - 船橋市社会科セミナー
池田・大野・佐藤・矢澤 の
『韓 国 見 聞 録 2008夏 』
池田・大野・佐藤・矢澤の『韓国見聞録
2008夏』
※この『見聞録』では、旅行前に記入できた部分は青字で示した
目
次
《第1部》旅に出る前に
1~6頁
《第2部》韓国旅行記2008夏
7~頁
《第3部》旅を終えて&まとめ
~頁
第1回は、2004年8月に 池田&大野が 釜山・慶州・ソウルの3泊4日
第2回は、2006年1月に 大野&田口&矢野&佐藤が ソウル2泊3日
第3回は、2007年8月に 池田&大野が ソウル2泊3日
第4回は、2008年8月に 池田&大野&佐藤&矢澤が ソウル2泊3日
私たちは、「船橋市社会科教材開発セミナー」という月1回の勉強会を行っている。その会で
こんな話が出たことが何度かある。
『自分は学年旅行や職員旅行などの見学や観光ではちょっと浮いた存在だと思ったことはない
か。例えば、歴史的建造物や石碑・石像などの前には大抵それを説明した案内板があるが、それ
を読んでいて気がつくと集団から遅れていたことがないか。博物館や民俗資料館などでも時間い
っぱい見学して最後に出てくる人になったことは?
みんながもう疲れてホテルに入ろうという
ときも折角来たのだからもう少しいいのになと思ったことは?
ガイドや現地の人によく質問し
たり、自分が知ってることがあるとつい蘊蓄を傾けたがったり。恐らく一般の集団から見れば「う
っとおしい存在」なのだろう。しかし、それは私たち社会科教師の興味関心から言えば当然の行
動であり、社会科教師の側から言えば、それでも随分がまんしているのだ。』
これに同感のセミナー会員が多数いて、それなら同じ社会科の者たちで一緒に旅行するのが一
番だということになった。
そのときに出てきたのが「韓国」で、「韓国」は結構みんなが行きたいところであり、しかも
日数や費用の面でも行きやすい所だということから、それなら「本セミナー」有志で「韓国旅行」
をしよういうと話が盛り上がり、いつのまにかそれが本当のこととなった。
そんな訳で、当セミナーでは、2004 年以降、今までに3回、韓国ツアーを実施している。会
員は何十人もいるし「韓国ツアー」に参加したいという人もたくさんいるのだが、実際に都合を
つけてツアーに参加できるのは毎回2~4名程度である。日程を調整して都合をつけるというの
が一番困難なことのようだ。今回もセミナー全体に呼びかけたが、結局都合がついたのは<池田
&大野&佐藤&矢澤>の4名だけだった。
1人目:池田義光
≪今回、3回目の韓国旅行≫
1 池田の1回目韓国旅行(2004年8月に大野氏と、釜山・慶州・ソウル)
(1)2004 年になぜ韓国に行きたいと思ったのか
①社会科教師として…社会科で韓国・朝鮮のことを教えることは多いのに、自分は1回も行っ
たことがない私としては、是非実際に行った上で伝えたい。
②韓国と韓国語へ親しみ…社会科セミナーで「韓国語と韓国事情」をとりあげて親しみをもっ
た
③2002年の日韓共催ワールドカップサッカーで韓国への興味が増して
④2004年は韓流ブームでさらに韓国に行きたくなって
(2)2004年に行って思ったこと、分かったこと
①韓国は近い!
成田空港から釜山国際空港までの飛行時間は1時間36分。
②旅行時期で、費用は雲泥の差!
8月19日発3泊4日で旅行社支払が12万円。1番高い日本の
お盆の時期なら、13万円。冬の時期なら、3~4万円。
③団体パック旅行でも少人数なら個人旅行の感覚が味わえるし、現地ガイド付きもいい
④韓国の古墳は日本の古墳と似ている
⑤韓国の寺は日本と中国の中間 …中国・
韓国・日本とも木造で、屋根は瓦葺きで、形も雰囲気も似て
いる。色は中国は朱色や黄色と派手だが、韓国はやや抑え気味でかつ日本より派手。
⑥世界共通の「ホテル文化」があった …「
ホテル」は施設・設備やシステム・人の動きなど多くのもの
が基本的に同じで、世界共通の「ホテル文化」とも言うべきものがある。
⑦韓国の食べ物は、日本人の口に合う
⑧「伝統文化」は積極的に保存すべきだ
⑨「韓国が日本より遅れている」ということはない
⑩韓国文化は異文化というより身近で懐かしい
⑪韓流ブームに乗って、日韓交流が進むことは歓迎だ
2
池田の2回目韓国旅行(2007年8月大野氏と、ソウル2泊3日)
(1)2007 年になぜ韓国に行きたいと思ったのか
→ 2004 年旅行が良かったし 2006 年に行けなかっ
た
(2)2007年の旅は2泊3日なのに3泊4日分の充実、それは
①午前出発午後帰りで3日間をフルに動いた
④文字がほぼ読めて言葉も少し使えた
②殆どフリープラン
③苦労を厭わなかった
⑤事前調べと事後の『見聞録』作成で充実
⑥大野さ
んという関心と気の合う同行者に恵まれた
3 今回の3回目韓国旅行を前にした準備の楽しみ
(1)私の海外旅行は、「1回の旅行で3回楽しむ!」ことになっている
「3回楽しむ」とは、まず 1 回目は準備を楽しみ、2回目は本番の旅行を楽しみ、3回目は帰
国後に『韓国見聞録』作成を楽しむの3回である。
(2)行く前の準備を楽しんで
①行く気になると、ガイドブック・インターネット・書籍・TVドラマ・映画などの韓国情報が楽しめる
②韓国語とハングルの勉強
アン ニョン ハ
シム
ニ
ッカ↓
今回は事前にあまり時間がなかったので、少しできただ
けだが、今までの蓄えで、ハングルはほぼ読め、会話は
ごく簡単なものなら、という去年の程度まで回復。
③この『韓国見聞録 2008夏』の事前記述…第1部の殆どと第2部の旅行コースや説明の一部を
書くことができた。
4 あと1日遅ければ行けなかった!
8月 11 日、出発の 12 日前、7月 30 日(水)に大野さんから電話が来
た。旅行社の近ツリからの連絡で私のパスポートの有効期限が9月ま
でだが、韓国旅行にはパスポートの有効期限が2ヶ月以上必要なので、
至急パスポートの更新をして欲しい、パスポートの発行には1週間は
かかるので最終申請期限は8月1日で受け取りは8月8日、1日でも遅れれば土日に入るので9
日 10 日は韓国に行けなくなるとのこと。エーッ!7月 31 日(木)は用事があってど
うしても申請に行けないから8月1日しかない。そんな際どいことを何で今頃!近
ツリには6月に申し込んでいるのになぜ1ヶ月以上も経った今頃言って来るんだ。
1ヶ月以上も気がつかないとは!あと 1 週間、いや1日でも2日でも早ければこん
なに焦ることがないのに、なんてことだ、二度と近ツリは使わないぞと怒りがこみ
上げてきた。
冷や冷やもので、8月1日(金)に急遽年休を取って、松戸の東葛旅券事務所に申請に行った。
受け取り日を聞いたところ、確かに8月8日(金)だった。1 日もゆとりはない。何かトラブルが
あれば本当に私だけ行けなくなる。その後、旅券事務所から住所確認のはがきが実際に届くか気
が気ではなかった。届いてホッとし、そのはがきを握りしめて、忙しい中、8月8日(金)に再び
東葛旅券事務所に行って、パスポートを受け取った。「これで行ける」とホッとした。2度と近
ツリには頼みたくない!
2人目:大野 肇
≪近くて遠い国
→
身近な国
→
韓国=隣人へ≫
セミナー恒例の催しとなった感のある韓国ツアーは4回目になる。私は今年も参加させていた
だいている。昨年3月に学年旅行でも韓国に行ったので、私は「5回目!!」の韓国ツアーとな
る。私は回を重ねるごとに、ツアーのスタイルを変えてきた。
①1回目(2004年8月)は、池田先生とのコンビで釜山~慶州~ソウルという韓国を縦断す
るコースであった。移動は、専用車とセマウル号で、食事や見学場所が設定されているお任せツ
アーである。限られた時間で自由行動を楽しみながら、現地の人や文化に触れることができた。
帰国後、ツアーの成果を教材化し、中学2年生の地理的分野で韓国の授業研究を行った。
②2回目(2006年1月)は、田口先生・矢野先生・佐藤先生と私の4人(頼りの池田先生は、
のっぴきならぬ用により、不参加になってしまった)。「ソウル3日間」というツアーで、明洞
地区のホテルに宿泊した。初日の免税店と夕食、帰りの物産展以外はすべてフリープラン。私が
コーディネートして、4人の意見でどこに行くかを決めていく珍道中であった。4人のメンバー
にとって最高の方法となり、即決してすぐに行動して実に無駄のない効率のよいツアーとなった。
初目は「ナンタ」の鑑賞がメイン。おもしろくて素晴らしかった。2日目は、
「国立民族博物館」
見学。半日ではとても見学できないほどの圧巻だった。食事は、自分たちで探し、毎朝「朝がゆ」
を食べ、サムゲタンは最高だった。模範タクシーや一般タクシーを利用したり、地下鉄で移動し
た。
③学年旅行(2007年3月)は、「ソウル3日間フリープラン」というツアーで、初日の免税
店と帰りの物産展以外はすべてフリープラン。私がすべて企画したが、学年旅行で私以外の全員
が韓国は初めてという人たちだったので、オーソドックスな形をとった。セミナーのツアーでな
いので、参加メンバーの希望の最大公約数で動かざるを得ない。2日目の「戦争博物館」では、
朝鮮戦争の過程がよくわかり、勉強になった。イテヨン地区のホテルに宿泊したが、大使館の多
い地域で、明洞地区とは異なる雰囲気であった。
④3回目(2007年8月)は、「ソウル3日間」というツアーで、明洞地区のホテルに宿泊す
る2回目のツアーとほぼ同じ内容である。オプションで「ナンタ」鑑賞以外は、東大門、大長今
テーマパーク、漢江クルーズ、ソウルタワー、景福宮、国立民族博物館見学を自分たちでアタッ
クし、地下鉄やタクシー、バスを利用してのフリープランで計画した。2泊3日の短いツアーで
あったが、非常に内容が濃く、充実した旅行だった。いろんな方に助けられ、親切にされ旅の醍
醐味を味わえた。
⑤今回(2008年8月)は、江南地区のホテルに宿泊する2泊3日のツアーで、池田先生・佐
藤先生・矢澤先生と私の4人で旅をする。オプションをつけないフリープランである。昨年の経
験を生かし、充実したツアーにしていきたい。
韓国は、この4年間に変化がある。経済面ではウォンが高くなり、新紙幣に切り替わったり、
李明白大統領に替わり、ソウル市内に清渓川が復活して市民の憩いの場になったり等々。日本で
も「冬のソナタ」に続き「チャングムの誓い」というドラマの人気が高かったりといろいろなこ
とが起きている。また、アメリカ牛肉の輸入問題や北朝鮮側が金剛山の韓国人観光客を射殺した
との報道があり、さらに韓国に関心が高くなっている自分に驚く。旧学習指導要領時の中学校地
理的分野の教科書(教育出版)には、日本から“最も近い国”という見出しがあっったが、自分
にとっては韓国は距離的には近いがそれほど身近ではない国だった。ところが今は、身近な国と
いうイメージから「隣人としての韓国」という意識に変わってきている。今回のツアーでどんな
イメージになるのか楽しみである。
≪私の海外旅行の楽しみ方≫
私は現在、習志野市勤務であるが、船橋市勤務の後、香取管内に転勤し、平成4年4月から平
成14年3月まで、成田空港周辺の学校に4校勤務した経験がある。その時に、地域がら海外と
姉妹校交流をしている学校が多く、生徒をホームステイに引率する機会があった。社会科教師と
しては絶好のチャンスであり、この機会を逃す手はない。きっかけは前任校(神崎中学校)で、
生徒のオーストラリアホームステイを引率したことである。その時の経験を踏まえ、以下のよう
に準備してきた。
①情報量の確保、ならびにリサーチの徹底
インターネットが普及しているので、韓国大使館のホームページを検索したり、文献調査並び
に購入、旅行会社や経験者の話、などなど、時間の許す限り情報を集める。
②ニーズに応じた情報の整理と情報交換
この旅行で必要な情報を整理し、情報を交換する。そのことで、焦点化を図る。
③旅行会社と交渉、連携
旅行会社の方と条件などを交渉し、打合せをする。その結果を踏まえながら、旅行者同士の連
携を強化する。具体的なプランニングやイメージをつくる。
④旅行そのものを楽しみ、体験を盛り込む
⑤見聞録の作成、報告
⑥ツアーのスタイルを変えて楽しむ
回を重ねると、以前の経験やさらに調べてわかったことをもとに、お任せのコースから、少し
ずつフリーに行動できるようになってくる。そこで、昨年は⑥を追加した。
⑦フリープランにしてツアーの醍醐味を楽しむ
昨年、ツアーのスタイルをフリープランにした。ツアーに最初からはいっている行き帰りの免
税店や韓国物産展と初日のオプションである「ナンタ」鑑賞を除き、フリープランの行程を計
画して実施した。東大門、大長今テーマパーク、漢江クルーズ、ソウルタワー、景福宮、国立
民族博物館など地下鉄やバス、タクシーを利用しての旅となり、自分たちでアタックする醍醐
味が味わえた。地下鉄の「上り」と「下り」を間違えて引き返したり、バス停は見つかったも
のの、どのバスに乗車して、何というバス停で降りるかわからなかったり、詐欺師にあやうく
だまされそうになったりとハプニングがおきた。しかし、韓国人にたくさん助けられ、内容が
濃く充実した旅になった。そこで、今回は、オプションも無しにして「JUMP」鑑賞も現地
でチケットを購入することにした。詳しい内容は現地の添乗員に聞くことにして、今年は⑦を
追加した。
3人目:佐藤一巳
≪二度目の韓国旅行≫
前回の韓国旅行は、真冬の1月だった。とにかく寒かった。大陸独特の乾燥した寒
さはまさに『刺すような』という表現ができるものだった。また、少し動くだけで大
量に発生する静電気にも悩まされた。何か金属製のものに触れるたびに感電していた。
今回は、きっとたまらなく暑いだろうと思っている。ただ、想像できるのは日本ほど湿度が高
くないだろうということで、思ったより過ごしやすいかも知れない。まあ、普段自分が過ごして
いるのとは違う気候の中で過ごすのも、楽しみではあるが。
今回は前回と違って多少社会状況が変わっている中での旅行となる。①北京でオリンピックが
開催されているさなか
②金剛山で韓国人観光客女性が北朝鮮兵士に射殺された事件の直後だ
③竹島帰属問題がアメリカ合衆国を巻き込んでまた再燃化していること
そんな中での旅行になるが、前回とあまり変わらない人々との触れ合いがあるのではないかと
いう感じもする。感じがするというよりも、それを期待しているといったほうが良いかもしれな
い。世の中でいろいろなことが騒がれているほどには、人々の底流部分は大きくは変わっていな
いというのが実際多いだろう。日本でも実はそうなんだといつも感じている。だから、前回感じ
た心地よさも、再び感じることができることを願っている。
今度の韓国旅行で期待していることは、日本と違った気候を体感すること、隣の国で大きなイ
ベントを行っているときの人々の様子を感じ取ること、そして、まだ見聞していない韓国の姿を
確認してくることがあげられる。
他の3人のみんなの後を、のんびりと追いかけて行きたいと思っているので、どうかよろしく
お願いします。
4人目:矢澤基裕
≪初めての韓国旅行≫
距離的にも文化的にも非常に近い関係にある「韓国」ですが、正直なところつい最
近までこの国について殆ど何も知りませんでした。そんな私が韓国に興味を持ったのは、母が韓
流ドラマにはまるようになってからです。ドラマの影響か、母は私の知らないような地名、歴史
についてスラスラ話すようになりました。短期間で他国のことをこんなにも覚えてしまうとは驚
きでした。そしてそこまで人を引きつける「韓国」の魅力とは何か知りたくなったのです。
初めての韓国、その歴史、地名、もちろん言葉も全然わかりません(社会科の教師として情け
ないのですが…)。あまり欲張ると旅行が楽しくなくなるので今回はその雰囲気を味わうだけで
良いと思っています。ただ、挨拶ぐらいできないとつまらないので、日常会話集を購入し、寝る
前に読むようにしました。また、今回の旅行では世界遺産に認定されている「水原」を訪れるの
で、水原華城の特徴や、李氏王朝の歴史についてインターネットを使って下調べをしようと思っ
ています。
私は今の日本人が「韓国」という国に、自分たちが無くしてしまった何かを感じているような
気がします。儒教的な道徳心と言うと堅苦しいのですが、古来より日本人が大事にしてきた「純
愛」「家族愛」「郷土愛」などの様々な愛の形がこの国に残っており、その純粋な感情が我々の
心を打つのではないかと思っています。この旅行で実際に韓国の人々や風土に触れ、それを感じ
ることができたら素晴らしい旅になると考えています。
1
韓国(朝鮮)の歴史[概略]
①紀元前194年頃「衛氏朝鮮」が成立。
②「衛氏朝鮮」が前漢に滅ぼされてしばらくして、北に「高句麗」成立。
③2世紀から 3 世紀にかけて南に「馬韓」「弁韓」「辰韓」の三韓の時代。
④その後「高句麗コグリョ」「新羅シルラ」「百済ペクチェ」の三国時代に。
⑤676年に「新羅シルラ」がこの地域を統一。
⑥935年に「高麗コリョ」が「新羅シルラ」を滅ぼす。
⑦1392年に李成桂が「高麗」を滅ぼして「李氏朝鮮(朝鮮王朝)」建国。
⑧「李氏朝鮮(朝鮮王朝)」は1897年(明治 30 年)に、国号を「大韓帝国」とした。
⑨1910年(明治43年)に日本が韓国を併合した(日韓併合)。
⑩その後日本は「韓」の使用を禁止。(韓国統監から朝鮮総督)
⑪1945年8月 15 日に日本の無条件降伏により、植民地から解放された
⑫戦後の分離独立で、1948 年8月 15 日に「大韓民国」、9 月 9 日に「朝鮮民主主義人民共和国」
成立
2
韓国国旗(太極旗)
天↓ ↓月(水)
模様は東洋哲学の陰陽原理を象徴。中央に「宇宙最高の原理」を意味する「太
極」を円で示しているので「太極旗」と呼ぶ。赤と青は陽と陰、さらに火と木、
男と女、動と静などを表し、融合と調和を象徴する。四隅にあるのは「卦」で、左上は天、右下
は地、左下は日(火)、右上は月(水)で、対立と均衡を表現している。
日(火)↑↑地
3
国土と住民
(1)地
「韓国大使館ホームページ」から抜粋。韓国の考え方がよく表れている
理
韓半島はアジア大陸の北東部の端にある、南北全長 1000 キロメー
トルの半島。大韓海峡は太平洋の最西端部へつながっています。北は
ロシア、中国と国境を接し、東の東海の向こうに日本列島が横たわっ
ています。半島の本土のほかに、海岸に沿って大小 3000 もの島々が点
在しています。
国土の面積は 22 万 2154 k㎡(池田注:北朝鮮と併せてで、韓国だけ
なら 9 万 9000 k㎡)で、イギリスやルーマニアとほぼ同じ大きさです。
全国土の 3 分の 2 が山です。
テベク
半島東部に沿って太白山脈が長く走っており、東海の激しい波浪が険しい絶壁と岩島をつくり
出しました。西と南は緩やかな曲線を描きながら平野をなしており、沖合には複雑な入江をもっ
た島々が点在しています。
韓半島には、「錦繍江山(金欄の刺繍を施したように美しい山河があるという意味)」という言葉がある
ペクト
ほど、景色のよいところがたくさんあります。北韓で最も高い海抜 2744 mの白頭山が中国との国
ペクト
境沿いに高くそびえています。白頭山は国歌に出てくるほど、民族魂を表す重要なシンボルとなっ
ています。
(2)気
候
韓国は四季の区別がはっきりしています。春・秋はかなり短く、夏は暑くて湿気があり、冬は乾
燥していて雪が多く、寒い日が続きます。最近は世界的な気象変化によって、韓半島も以前より夏
は雨が多くなり、冬は雪があまり降らなくなりました。
気温は地域によって大きな差があり、平均 6 度~ 16 度の気温差が見られます。最も暑い 8 月の
平均気温は 19 度~ 27 度。冬は 1 月が最も寒く、平均- 8 度~ 6 度の広がりを見せます。
初春は雨がちで、中国北部の砂漠から黄砂を伴った風が吹きすさび、予想しがたい天気が続きま
す。4月中旬は穏やかでさわやかな天気になり、色とりどりの花が山や野原に咲き乱れます。農家
では、田植えに備えて苗床を準備します。
青く澄みわたった爽やかな空の秋は、韓国人が最も愛する季節です。農家の風景は、素朴な色
合いに染まりとても美しいです。収穫の季節でもある秋には、昔から受継がれてきたその地方の
習慣に従って様々な催しが人々を楽しませます。
(3)住民と人口
韓国人は一つの言語を使う単一民族です。身体の特徴からみて、中央
アジアから韓半島に移り住んだモンゴル族の子孫と言われています。
シルラ
7 世紀には韓半島の至る所に部族国家が形成されていましたが、新羅
(BC57 年~ AD935 年)王国のもとで初めて部族国家が統一され、民族
同化政策が取られてきました。その結果、民族の結束を確かなものにすることが出来ました。
テーハンミングク
2002 年末で大韓民国の人口はおよそ 4764 万人で、北韓の人口は 2225 万人と推計されていま
す。
韓国の人口構造の特色として、 1960 年代と 1970 年代の急激な産業化と都市化による若者の農
村離れをあげることが出来ます。特にソウルへの移住が急増し、都市集中化という結果を生みまし
た。
(4)韓国語とハングル
韓民族は単一言語で民族のアイデンティティを形成する上で決定的な要素として働きました。
韓国語は、トルコ・ハンガリー・フィンランド・モンゴル・チベット・日本と同じウラル・アル
タイ語としています。また、韓国語にはソウルで使われる標準語のほかにいくつかの方言があり
ます。
ハングルと呼ばれる韓国語のアルファベットは、 15 世紀に朝鮮王朝第4代世宗大王の奨励で創
造された文字です。ハングルが創られるまでは、中国の漢字で読み書きをしていたために、ごく一
部の人しか字を読み、書くことが出来ませんでした。
ハングルは主に音韻の研究をもとに創られました。韓国語は発音の最小単位である音節が初声・
中声・終声の3成分によって構成。核となる母音の前後に子音が添って、一つの音節を形成してい
るのです。
ハングルは 10 の母音と 14 の子音で構成され、その組合わせによって数多くの音節をつくり出
すことが出来ます。シンプルかつシステマチックで理解しやすいという点で、世界で最も科学的な
文字の一つと見なされています。このような特徴を持つハングルによって、今日韓国は最も識字率
の高い国となり、また教育水準の向上や出版産業の発達につながりました。
1
出発2日前に「池田・大野・佐藤・矢澤の韓国旅行2008夏」事前検討会
我々は今回も、ソウル2泊3日の殆どフリープランというパック旅行を選択した。また、3日
間のソウル滞在時間を最大限長くと考えて、午後出発の午前帰国便をやめて、料金はやや高くは
なるが午前出発の午後帰国の便をオプションで申し込んだ。これらは、一年前の 2007 夏池田&
大野のソウル2泊3日が大変充実していたので、いいところは踏襲しようという考えで、佐藤氏
&矢澤氏に同意を得たものだ。さらに、1日目の免税売店と最終日の韓国物産点はツアーに織り
込み済みで断ることができないが、他はなるべく自前でコースを決めたりチケットを購入したり
して苦労を厭わないこと、そのためにもできるだけの事前調べなどの準備をしていこうという思
いだった。
そこで、各自の事前調べの結果を持ち寄って、フリー時間のコース決めをするために、出発2
日前の8月9日(土)に船橋に集まって、4人で打合せを持った。
(1)フリープランのコースをどうするか
①既製の「オプショナルツアー」は、旅行社の儲けが非常に大きいため割高だし、自分でアタ
ックするおもしろみがないので、できるだけ利用しない。
②1日目はぜひ「ジャンプ」を見たい。月曜は20時からだけなので、ホテルに寄ったら、す
ぐにジャンプ劇場に行ってまずチケットを確保して、その後に仁寺洞あたりを散策して、夕
食もとってから、ジャンプを見よう。
③2日目は1日中フリーなので、前回行かずにとっておいた、ソウル南部の「水原華城」に足
を伸ばそう(田口さんが行けないのは残念だが)。そこでは是非本家本元の「水原カルビ」を食
べたい。その後「韓国民俗村」に寄るのもいいが、早めにソウルに帰って、
「昌徳宮」か「宗
廟」に行くのもいい。「明洞射撃場」にも行ってみたい。その後は夕食で一杯やって終わり
か、時間があれば「63ビル」で夜景を見るのもいい。
④3日目は、2日目の残りから1カ所と「中央博物館」あたりかな。それで時間がくるだろう。
(2)『見聞録』作成の方針
今回も折角なので、『韓国見聞録 2008 夏』を作ろう。骨子は池田がつくり、そこに大野氏・
佐藤氏・矢澤氏がコメントと写真を提供すること、ですんなりと決まった。
2 行く前に計画した今回の主な日程とコース(予定)
【1日目】8月11日(月)
成田→仁川、ソウル市内観光
○京成津田沼駅集合 ○成田空港→仁川国際空港 ○免税店 ○ホテル着 ○ジャンプチケット購入
○タプコル公園 ○仁寺洞散策 ○夕食 ○ジャンプ鑑賞 ○ホテル
【2日目】8月12日(火)
水原観光とソウル市内観光
○朝食 ○水原華城 ○水原カルビ ○韓国民俗村 or 昌徳宮 or 宗廟 ○明洞射撃場 ○夜食 ○ホテル
【3日目】8月13日(水)
ソウル市内観光、仁川→成田
○朝食 ○前日見逃した所 ○国立中央博物館 ○昼食 ○ホテル ○韓国物産店○仁川空港→成田
第2部の本文は池田が記述し、所々に大野・佐藤・矢澤コメントを加えた。
また、青文字の解説記述は、ガイドブックや資料などで主に旅行前に記入した。
☆いよいよ出発の朝、そして成田空港へ
池田は5時に起床。鎌ヶ谷大仏発6:07に乗って、6:26に大野さん・佐藤さんとの待ち
合わせの京成津田沼駅に。大野さん・佐藤さんが船橋から約束どおり京成津田沼6:35発の成
田空港行き最先頭号車に乗って来た。電車は結構混んでいて座れるどころではなかった。今度は
大久保で矢澤さんが乗ってきた。しばらく乗って成田空港駅には7:21に到着。近ツリのホリ
デイ旅行の案内では第1ターミナルの待ち合わせ場所に7:00なのだが、今回もどうせ誰も待
ってはいない。空港到着後出発まで 1 時間30分ぐらいがちょうどいい。アシアナ航空は第1タ
ーミナル南ウイングだった。
※大野コメント1
大野は、4時30分過ぎに起床し、子どものようにワクワクした気持ちをおさえつつ、入浴後に軽く
朝食をとる。
京成船橋駅2番ホーム、先頭車両近く
のベンチで佐藤先生と合流し6:27発の成田空港行きの電車に乗る。
先頭車両であったが、昨年同様に混んでいて座れなかった。成田空港駅まで直通なので、ほとんどが海外旅
行者である。予定通り、京成津田沼駅で池田先生と合流し、大久保駅で矢澤先生が乗ってきて全員揃う。
☆成田空港7:30到着後、出国及び搭乗手続き開始
①チェックイン ②機内預かり荷物預け ③機内液体持ち込み
品チェック ④セキュリティチェック ⑤税関審査 ⑥出国審査 ⑦航空機搭乗
①チェックイン:まず近ツリ&ホリデイツアーのチェックインカウンターでパスポートを出し
て、航空券と搭乗券を受け取った。航空券は帰りの便も記入してあるようになったし、今は機
械処理なので万一紛失してもパスポートがあれば簡単に再発行できる。
②機内預かりの荷物預け:アシアナ航空のカウンターで機内預かり荷物を預け、「荷物引換証=
クレームタグ」を受け取った。
③機内液体持ち込み品チェック:4人とも液体類の機内手荷物持ち込みはないので簡単に通過。
④セキュリティチェック:池田は今回も引っかかってしまった。前回ベルトで引っかかったのを
覚えていたので小さなバックルのベルトをしてきたのだが。でも前回の金属探知ゲートを5回
くぐったという記録には遠く及ばなかった。
⑤税関審査:税関審査は特に申告品がないのでそのまま通過。
⑥出国審査:パスポートと搭乗券提示。客が少なくて、5分くらい並んで通過。
※大野コメント2
航空券購入の電子化にともない「eチケット
」が登場した。「eチケット
」とは、航空券を提示せずに直接搭乗券
を受け取ることのできる便利なサービスで、カウンターで今年も同じ説明を受ける。4年前の悪夢が伝説になっ
ているようである。今回も油断しないように注意していきたい・・・。
☆空港で両替
韓国の通貨単位はウォン(W)。
紙幣はW 1000・W 5000・W 10000 の3種類。昨年新札が出た。絵柄はすべて人物で、W 1000(青)
セジュン
は儒家の李退渓、W 5000(茶)は儒家の李栗谷、W 10000(緑)は朝鮮王朝第4代国王の世宗大王。
ちなみに硬貨は、W1が国花のむくげ、W5は亀甲船、W 10 は仏国寺の多宝塔、W 50 は稲穂、
W 100 は世宗大王、W 500 は鶴。実際に使われるのはW 100 以上で、W 50 以下はまず見かけない。
円(¥)とウォン(W)の両替は、日本の銀行、日本の空港、韓国の空港、韓国の銀行、韓国のホ
テル、韓国の街の両替屋など多くの場所でできる。レートは韓国の民間両替所>韓国の銀行>空港
の順にいいようだ。
空港の銀行で両替をすることにした。空港のレートはよくないので、当座必要な最小限と考え
て4人とも5000円だけ韓国ウォン(W)に両替することにした。
本日の空港銀行レートは、昨年8月の1W= 0.1386 円よりほんのわずか円高で1W= 0.1216
円だった。つまり1万W=1216円だから、5千円で4万1千Wになった。(昨年は4158
円が3万W)韓国で本当に使う分は、本日午後に行く仁寺洞か明洞の民間両替所で、大きく取り
替えるつもりだ。
☆海外旅行保険に入ろう
海外旅行でおこる様々なトラブルに経済的に備えるための保険は、
国内の生命保険やクレジットカードに付いている保険でカバーされる部分もあるが、手厚くする
ために旅行期間専用の海外旅行保険に入ることができる。海外旅行保険は掛け捨て型である。海
外旅行保険に入るには、旅行会社を通じて入ることもできるが、空港で入ることもできる。
我々は、海外旅行の死亡などの事故は国内の生命保険でカバーされるので、海外旅行保険は最
も保障の低い、保険料の安いものでいいと考えて、空港内で保険加入を引き受けている幾つかの
保険会社の店舗を覗いた。しかし2泊3日という短期間にもかかわらず一番安いので4020円
だったので入らないことにした。それでも出国手続き後に保険の自販機を見つけることができた
ので、4人で手分けして、それぞれの会社の機械でタッチパネルの案内にそって加入手続きを進
めてみた。けれどどこも最低3000円だったので、結局4人とも入らないで、最後は神頼みと
なった。
☆あとは乗るだけ
空港到着後50分ほどで、すべて済んだ。あとは9:00発
のAZ107便の搭乗開始を待つのみ。搭乗開始は出発30分
前が通例のようだ。ちょうど保険の自販機を見終わったのが8
:30ころで、そのままゲートに行って搭乗した。今回は、昨年のように搭乗口に長蛇の列もな
く、また4年前のように台風で遅れることもなく、スムーズに乗れた。自分たちの乗る便が小さ
な飛行機だと旅客数が少ないので手続きがスムーズでいい。さらに、前後の時刻の他の便の飛行
機も小さいとなおいい。
☆成田→仁川(9時00分発のアシアナ航空AZ107便で)
韓国の航空会社。
日本に日本航空とANAの2大航空会社があるように、
韓国に大韓航空とアシアナ航空がある。日航と大韓航空が、ANAとアシアナが提携している。昨
年は日航と大韓航空が共同運航便に乗ったが、今回のAZ 107 便と帰りの 108 便はANAとアシ
アナの共同運航便だった。
○アシアナ航空107便
前回の大韓航空KE706便は横1列が3席・4席・
3席の計10席のジャンボ。今回のアシアナ航空 107 便
は、2席・3席・2席と計7席の小さいタイプ。大野さ
んによるとB767-300という機種らしい。席の埋まり具合は、ほぼ満席だった。7人掛け
で45列ぐらいあったので、315人以上は乗っている。我々4人は39AからD席で後ろの方。
池田は有り難いことに窓側A席。
今回の便は、9:00に動き出してから滑走路を走っている時間が非常に長かった。飛び立つ
までに15分も地上を走った後に離陸の順番待ちで泊まり、再び9:20に動き出してやっと9
:26に離陸した。
航空コース(飛行路)は、4年前は九十九里の上空から北上して迂回、昨年は一端北東に向かい
迂回して神奈川県上空を飛んだが、今回は市原の姉ヶ崎のコンビナートが見えた。途中富士山は
見落としたが、岐阜県や若狭湾はしっかり見た。
※大野コメント3
個人的には、私は飛行機大好き人間である。飛行機という空間にいるだけで楽しく
、満足感があり、子どもの
ころはパイロット
を目指していた。搭乗すると必ず機種や機体番号をメモし、飛行時間や高度、時速なども記録
している。今回はB-767-300という機材で中型のため平行滑走路からの離陸となった。タキシングしなが
ら、有名な「く
の字」の誘導路を過ぎる。国道51号線が見えたころには約20分以上も経っていた。いよいよ離陸
である。
○機内で
機内では乗務員のサービスが続く。乗務員は休みなく働く。スチュ
ワーデス(キャビンアテンダント)はアシアナ航空も民族服ではなく洋
装で少し味気ない。キャビンアテンダントは男性もいる。日本人スタ
ッフもいるようだ。離陸後約30分で、まず飲み物続いて機内食が出
機内食
された。
コーヒーがもらえない!(池田はこのときコーヒーがなかなかもらえなかった。)
①キャビンアテンダントのパクさん(男性)にコーヒーを頼むと、温かい物は後でと言うので、
ではウーロン茶をと言うと、温かいも物は後でと言う(ウーロン茶はアイスはなくてホットなの
だ)。②パクさんがコーヒーを持ってきたのになぜか池田の前を通り過ぎた。③仕方がないので
別のスチュワーデスにコーヒーを頼むと少々お待ちください④そのスチュワーデスが戻って来た
のにまた通り過ぎ⑤パクさんがポットでドリンクを持って来たのでコーヒーをくださいと言う
と、全く覚えていないらしく、しかもお茶をくれた⑥さっきのスチュワーデスがコーヒーを持っ
てきたので、再度頼むとまったく覚えていなかったが、とにかくに6回目でコーヒーをもらえた
※大野コメント4
昨年利用した大韓航空は、ビールのサービスが廃止になっていてノンアルコールのビールがでてきた。アシア
ナ航空では、ビールがあり、迷わずビールを頼む。他のソフト
ドリンクは、缶からコップに注いでいたが、ビールは
一缶ごといただき、少し得したような気分になる。日本人の客室乗務員も搭乗しているので、何となく
安心でき
た。
○仁川に近づいて
窓側の席なので、雲間からソウル近郊の様子が見えてきた。
そのうち仁川と似ている島も見えた。もう着陸のアナウンス
だ。11:20着陸(近ツリの案内では11:35となって
いる)
。実質約1時
間55分の飛行だと大野さんが教えてくれる。やっぱり韓国
は本当に近い外国だ。
韓国が見えた
※大野コメント5
今回のフライト
は、高度11,246m、最高時速876k
m、飛行時間1時間55分である。仁川国際空港を迂
回する航路なので、余計に時間が
かかった感覚になるが、それでも、韓国は本当に近い。
韓国と日本の時差はない。時差はないので、韓国旅行には時刻の読み替え
や時計の合わせ直しが必要ない。その分、外国に来たという感覚が薄れるかもしれないが、時差が
ないのは何と言っても体も楽だ。時差はないが、韓国の方が日本より西にあるので日の出・日の入
りは30分ほど遅いようで、夜も朝も少し遅い感覚がする。
☆仁川インチョン国際空港到着11:20→韓国入国
ソウルの西、仁川インチョン港の付近は遠浅の海で
ある。その沖合15kmの海上に浮かぶ2つの島の間を埋め立てて建設
仁川国際空港
されたのが仁川国際空港。北東アジア最大級の国際空港である。海上にあるので騒音被害の心配が
無く、24時間稼働している。旅客ターミナルは地上4階、地下2階建てで、韓国一巨大な建物。
鳥が翼を広げた姿をかたどっている。
ソウルへは約52kmの距離で、高速道路で結ばれ、バスで1時間~1時間30分。
仁川空港での韓国入国手続きはけっこう簡単だった。今回は滞在ホテ
ル名を聞かれることも無かった。入国審査はICチップ内臓のパスポー
トだと若干速いかもしれない。機内預け荷物も4人とも比較的簡単に受
け取ることができたので、短時間で到着口から出られた。
※佐藤コメント1
海外となると、どこでもたいていは初めて行く
所が多い。そのため、空港に着く
とど
入国審査
こに行ったらいいのかまごつく
ことが多いが、今回は2回目なので先が見える気がした。次に行く
ことがあれば、も
っと余裕をもって行動できるかなとも思う。これは空港だけではなく
市内巡りもまた、そのような気持ちのゆとりを持っ
てできるのかなと感じた。
※大野コメント6
事前打合せで、滞在ホテル名や電話番号などを関係書類に記入していたためか、入国審査がスムースだ
った。また、今回は念のため、ツアー期間内で携帯電話を海外でも使えるように契約しておいた。着陸して電源
を入れると、NTTドコモから案内のメールが届き、ディ
スプレイにKTFの文字がでてきた。幸い使うことはなかったが
・
・・。
☆ハンナラ観光の宋彦淑(ソン オンスク)さんに出会う
我々4人は一応ホリデイツアーのパック旅行に参加していることになっているので、到着口で
「ホリデイツアー一行」を探した。一人の女性が「オオノさんですか、イケダさんですか」と聞
いてきた。それがこれからお世話になる現地旅行社ハンナラ観光の宋さんだった。「アンニョン
ハセヨ、宋さん」。宋さんが我々4人を見るとすぐに動き出すので、あれっ他の人は?と思い、
今回のホリデイツアー一
行の人数を聞いたら、今回はなんと我々4人だけだった。ラッキーだ。
「ハンナラ観光」は主に韓国を訪れる日本人旅行者相手の旅行社。
提携は近畿日本ツーリストが多いが他に東急や日本旅行などとも提携しているらしい。釜山やソウ
ルなどにオフィスをもっている。
「ハン」はハングルのハンで「偉大な」と言う意味、
「ナラ」は「国」
の意味。
(日本語の「奈良」も古代の韓国語の影響を受けたという説がある)ちなみに「ハンナラ
党」も同じ意味。
ハンナラ観光のガイドさん
今回我々が1日目と3日目にお世話になったツアーガイドさんの名前は、
「ソン・オンスク」さ
ん。漢字で書くと「宋 彦淑」さん。宋さんも日本語がペラペラで発音も日本人とほとんど区別が
つかないくらいだ「韓国では同じ名字の人が多いが、
「金(キム)
」さんや「李(イ)」さんほどは多く
ない。韓国では名字だけでは分からないからフルネームで呼ぶとのこと。昨年お世話になった李美
京(イ・ミギョン)さんのことを、
「李さんはどうしてますか」と尋ねたら、
「李さんはいっぱいいるので
どの李さんか」と聞かれた。李美京(イ・ミギョン)さんは今も続けているが、4年前に世話になったガ
イドの安さんは、HISに移ったと教えてくれた。
☆仁川国際空港→ソウル中心部へ
宋さんが携帯で呼んだハンナラ観光のワゴン車が到着すると、我々4名車に乗り込んだ。車の
中で、
宋さんがこれからの日程などを含めていろいろと話してくれた。車には我々しかいないので、宋
さんにあれこれと質問することができ、免税店到着までほとんど話していた。
宋彦淑(ソン オンスク)さんが話してくれたこと、してくれたこと
○宋さんが用意していたちょっと冷えた五味子(オミジャ)茶のパックをもらって飲ん
だ。
○仁川空港は島の上なので、途中、橋で海の上を通る。この付近は干満の差が大
きく、今は潮が引いていてかなり陸地が見える。
宋 彦 淑 ソ ンオ ンスク さ ん
○旅行中パスポートが必要な所は、免税店・カジノ・銀行での両替・板門店くらい。それも板門店
以外は、パスポートナンバーを書いた宋さんが記入してくれた免税店用のカードでも証明書代わ
りになるので足りる。だからパスポートは、板門店に行く以外は必要がないので、ホテルのセー
フティボックスに預けておく方がいい。
○帰りはホテルロビーに2:50迎えに行くが、変更があれば後で告げる。
○仁寺洞の両替所(ファンジャンソ)の場所を教えてもらった
○我々が「今日はJUMPを見たいのでホテルの後にまずチケットを買い行く予定だ」と言うと、
携帯で電話してR席を取ってくれた。S席が4万W,R席は5万Wでインターネットで調べてき
たのと同じ。チケット代金は宋さんに支払って、宋さんが作ってくれた券(仮チケット)を窓口に
出せば、正規チケットと引き替えてくれるという。
○我々が成田空港で両替したのは5千円で4万1千
Wだけだったので、宋さんに5万W支払うために
一端1万円を9万1千Wに両替してもらって、そ
こから5万Wを支払った。
○明洞射撃場のことも聞いた。パスポートは不要。
宋さんの紹介カードで10発に2発サービス。
○明洞射撃場から仁寺洞への行き方も地図に描いてもらった。
○昌徳宮は 9:30、10:30、12:30 に日本語ガイドがある
○水原へはソウルを通らない地下鉄でも行ける。市内バスの乗り方は韓国の人でも難しい。
前回は、高速道路を降りる前から渋滞に巻き込まれ、やっと一般道に入
りソウル市内に入ると渋滞はもっとひどくなったが、今回は江南カンナム(漢
江ハンガンの南)側から汝矣島ヨイドの国会議事堂前を通り、明洞のロッテ百貨
店に向かったからか、ほとんど渋滞がなかった。
汝矣島の国会議事堂
☆ソウル市内に入った
韓国の首都で、韓国全人口の4分の1が集中する巨大都市。
ソウルとは韓国古語で「都」の意味(韓国古語に当てはまる漢字はない)。朝鮮王朝を建国した李成桂
将軍が、風水によってかつての「漢陽
ハンヤン、ハニャン」の地を都としたのは
1394 年のこと。以来
この地は、壬辰倭乱(秀吉の文禄・慶長の役)や中国清軍の侵入、36年に及ぶ日本統治、朝鮮戦争
と数々の戦火と災禍を受けてきたが、現在にいたるまで「ソウル(都)」なのである。
ソウルは、朝鮮戦争後に「漢江ハンガンの奇跡」と呼ばれる近代化を成し遂げ、
「現在も進行中の近
代都市」としての側面と「朝鮮王朝の古都」としての側面を併せ持つ。
ソウル市内を2つに分けると
ソウルは、市の中心部を東西に流れる漢江ハンガンをはさんで、北側(江北)と南側(江南)に分け
られる。北側(江北)が古都のたたずまいを残す「旧市街」
。南側(江南)が 1988 年ソウルオリッ
ピック以後開発が進む「新市街」
。
ソウル市内の9エリア
◇漢江ハンガン北側(江北)の「旧市街」には、①市の中心部でショッピングとグルメの街、明洞ミョン
ドンと南大門ナムデムン。②その北の第2の繁華街、鍾路チョンノ・仁寺洞インサドン。③その東側に東大門トンデ
ンムンと大学路テハンノ。④西側に学生の街、新村シンチョン・梨大イデ。⑤明洞ミョンドンの南に小高い丘の南山ナ
ムサンと梨泰院イテウォン。
◇漢江ハンガン南側(江南)の「新市街」には、⑥世界貿易センター・ホテル・ショッピングセンター・
デパート・高速バスターミナルの集まる江南カンナム。 ⑦ロッテワールドやオリンピック公園がある
蚕室サムシル。⑧高級ブランド街の狎鴎亭洞アックジョンドン。そして⑨漢江ハンガンの一部を埋め立てた汝矣
島ヨイトは国会議事堂など韓国政治経済の中心地。
☆ロッテ免税店とロッテ百貨店13:30頃~14:15頃
ロッテ百貨店に着いたのは午後1:30ころだった。空港から1時間ほどだった。着いたと
きは、とても暑かった。百貨店では、去年と同じように、9階・10 階の免税店に直結する入り口
からエレベ
ーターに乗って 10 階に上がった。
ソウル市内いくつかある免税店の一つ。免税店は、ブランド品が充実してい
る。日本語が通じる店員が多い。ロッテ免税店は、ロッテ百貨店(韓国語でもデパートは百貨店)
の中にある。百貨店の9階と 10 階が免税店になっている。ロッテ免税店はアクセスの便利さと商
品の豊富さで観光客に一番人気のある免税店である。ロッテはここに免税店と百貨店とホテルを経
営している。
宋さんとの相談で2:15にエレベーター前に集合となって、そ
れまでの約40分が自由時間になった。こんなときに我々4人だけ
のわがままがきくのはありがたい。
どこへ行くかは決まっている。大野さんが以前来た時に見つけた
という100Wコーヒーが昨年は見つからなかったが、今回は宋さ
後ろの自販機で 100 Wコーヒー
んに9階の休憩室にあると聞いていたので、一番に向かった。9階休憩室を見つけ、100Wコー
ヒーをついに見つけた。ここはなぜか「大野さんのおごり」でみんな大満足。
残った時間はデパートの中を見ることにした。まずエスカレーターで店内をざっと見る。売り
場は5階くらいに家具売り場、1階に化粧品売り場、地下に食品売り場と、日本と似ている。地
下1階まで降りて、デパ地下食品売り場をざっと見
て回った。見た目は日本のデパ地下と同じだが、ど
この売り場も店員が日本よりも多い。それに店員の
服装が売り場毎に違うのは、売り場毎のテナントに
なっているらしい。日本人観光客の中にはデパ地下
でキムチなどの土産を買う人も多いらしく、「日本ま
で送れます」との声がかかる。そうこうしているう
1F化粧品売場・2F女性服売場
ちに残り時間があまりなくなったので、エスカレーターで上に向かった。そして約束の2:15
ちょうどくらいに宋さんの所へ。
※大野コメント7
宋さんに、免税店の時間を聞かれたときに、今までの経験から言ってこの店で1時間は長いので、2:15出
発の45分間で申し出たら、すんなりOKだった。昨年は2:50出発だったので、ここでも時間短縮ができた。昨年
は見つからなかったお目当てのW100コーヒーを9階の休憩室でみつけ、この後の作戦会議を開いた。
エビ10匹?で4000Wは安い!
うどん、左後ろにバーモントカレー
☆いったん三井ホテルへ向かう
そこで百貨店から出て、ちょっと階段を昇って屋上駐車場で待っ
ていたワゴンに乗り込んだ。駐車場は今回も焼けるような暑さだ。
しかも車はエアコンを切っていたのでものすごい熱さだ。
車は明洞から漢江を渡るまでは順調に進んだが、その先は次第に
江南の三井ホテル近くの交差点
混んできて、渋滞になってきた。渋滞は我々の泊まる三井ホテル近くの
交差点まで続いた。
宋彦淑(ソン オンスク)さんが話してくれたこと
○バスは公共交通機関として専用のレーンがあって渋滞に巻き込まれ
ないで運行できる。これは、なるべく自家用車のソウル乗り入れを減らそうと、李明博(イ ミョンパ
ク)韓国大統領が市長のときにやったこと。
○李明博(イ ミョンパク)大統領は市長には良かったが大統領としては良くない。会社の経営が生きるの
は市長まで。大統領になれたのは、他に人がいなかったから。人気があったわけではない。彼は
ワンマン過ぎて周りの意見を聴かない。今は懲りて国民の考えも聴くようになってきたようだか
らこれからは良くなるだろう。
○漢江の南側(江南地域)はソウルオリンピック以降急速に開発された地域で、道路が開発に追い
ついていない。最近さらに高層住宅が建設されているので、そこに住民が住んだら渋滞はもっと
ひどくなるなるだろうということで、これからはモノレールが建設される。
☆ホテルでチェックイン
ホテルのチェックインは宋彦淑(ソン オンスク)さんがやってくれ
た。我々はパスポートや貴重品で最終日まで使わない物をフロ
ントのセーフティボックスに預けた。それから宋さんから買い
物袋や化粧品などのプレゼントを各自にもらった。そして宋さ
んを交えて記念写真を撮った後、明後日の迎えのことを再度確
認して宋さんは帰った。
我々はいったん部屋に入ることにした。部屋割りは大野さんと池田、佐藤さんと矢澤さんとい
うことになっていた。集合を15分後の2:45にして、ここで手荷物のいくつかをスーツケー
スの方に移しただけで、すぐに1階ロビーに戻った。
☆14:50にタクシーで明洞へ
韓国語で「洞ドン」は「街」
。
「明洞ミョンドン」は、ソウルのほぼ中心にあり、
ソウルで一番の繁華街。明洞ミョンドンのメインストリートは東西に走る「明洞キル」と南北に交差
する「明洞ミョンドン中央路」
。距離にして東西・南北とも約1kmの間に、ファッションビル・レ
ストラン・専門店・庶民的な食堂などが林立。若者や観光客が早朝から深夜までごったがえす。
中心は「明洞キル」周辺でソウルの流行発信地。
1階入口のベルボーイさんに、「明洞の世宗(セジュン)ホテルまで」と
言ってタクシーを呼んでもらった。タクシーはすぐに来た。一般タク
シーだった。一般タクシーは料金が安いので歓迎だ。初乗り 1900 Wで、
その後 142 mごとに 100 Wずつ上がる。一般タクシーの運転手さんは
まず日本語が分からない。この車の運転手名札にキムキルチュンとあ
ったので、「キムキルチュンさん、日本語分かりますか?
全タクシーにカーナビ?
イルボノアラソヨ?」と言ってみた
ら、「イルボノ?」と言いながら手と顔を振っていたので、やはり分からないのだ。それでもセジ
ュン(世宗)ホテルの手前で、「明洞ヨッ(駅)オディエヨ?」と聞いたら、セジュン(世宗)ホテルの向こう側を
指し示すゼスチャーしてくれた。そしてセジュン(世宗)ホテルの前で降りようとすると、ホテルのベル
ボーイさんが客かと思って出てきて車を案内してくれた。運賃は8900Wだった。
☆明洞実弾射撃場で15:30頃
韓国は徴兵制度をとるためか射撃が盛んで、オリンピ
ックなどでも好成績を挙げている。実弾射撃場は韓国各地にあるが、多くは繁華街から離れており、
しかも地下に作られている。ここ「明洞実弾射撃場」のように、繁華街に近く、しかもビルの12
階という立地は珍しい。ここは各種の銃が揃えてあり、客はその中から選べる。10発1セットで
4万W~5万W。他にもいろいろセットがある。明洞実弾射撃場の社長は自身が元射撃選手でオリ
ンピック金メダリストの監督だったチョン・ジュハンさん。ここは日本のフジテレビのトリビアの
泉で取り上げられたのが自慢のようだ。
明洞実弾射撃場は、セジュン(世宗)ホテルのすぐ脇の道にあった。そこのビルの 12 階でエレベータ
ーの扉が開くと目の前だった。入口に受付の女性が2人いて、我々をソファに案内してくれた。
女性は日本語がぺらぺらだった。その後は次のような順番だった。→①まずそ
こで、ファイルをもとに15種の銃の銃の重さや弾の大きさや何に使われてい
るかなど説明を受けた。それから、各種の銃を組み合わせたセットメニューの
説明を受けた。例えば「男ならセット」は19万Wで弾50発。「とことんセッ
ト」は60万Wで弾190発。我々は4人ともそんなに撃てなくてもいいし、
1銃で10発に宋さんのくれたカードで2発サービスの12発で十分だと考え
て、銃1丁で12発、料金は4万~5万Wを選んだ。池田と矢澤さんは大迫力のマグナム銃を選
んだ。池田は、どうせ人生でこの1回しかやらないのだから思い切ったものを体験しようとここ
で一番衝撃があるという45口径GLOCK21C銃を選んだ。5万
Wだった。
②防弾チョッキを着て、耳当てを装着。
③射撃室に案
内された。壁で仕切られた5個ほどのブースがあった。
④各自の目
の前に人型の紙の的があった。男性従業員が銃に弾込めをして銃を針
金に通した。続いて説明。「右手で銃を持って左手で銃床を持つ。ね
らいを定める。引き金を引く。ではやって。」
⑤撃とうとしたら隣から大きな音。隣の人の音
がうるさい。気を取り直して1発目の引き金を引いた。バシッと大きな音と衝撃。どこに弾が飛
んだかも分からない。続いて2発目。これも大きな衝撃。どこへ飛んで
いるのか。また隣から大きな音。しかも連射するので落ち着いて撃てな
い。せっかちな人なのか?気を取り直して打ち続けた。従業員がもっと
上を狙うように言ってきた。上を狙うと弾が的の遙か上を通り過ぎたの
が分かった。それでもまた上を狙えというのはなぜか?分からないまま
に打ち続けて12発は終了した。
カタログで説明
⑥終わってみてなぜかホッとした。手は震えていたようだ。
⑦店員から採点した的と記念バッヂが届けられた。
きたことの体験の感想を言い合った。
⑧全員終了して、そこで銘々が今やって
⑨最後にレプリ
カの銃を借りて全員で記念写真。店員さんが撮ってくれ
た。
銃のことは社会科教師は知っておいた方がいいだろう
が日本ではできないことなのでと、値段は高いが選んだ
のだが、いい体験になった。各自、それなりに満足して店を出た。
※佐藤コメント2
銃の口径は9mmなどという表し方と、38口径などという表し方があって、どう違うのかわからなかった。日本に
帰って調べたら、~口径というのはインチの%での表現だそうで、38口径とは1インチ(25.4mm)×0.38≒9.7m
mとなる。おもにアメリカではヤード・ポンド法で表し、ヨーロッパではメート
ル法で表すようです。ちなみに、旧日本
陸軍で使われた38式歩兵銃の「38」は、口径ではなく
開発されたのが明治38年だからだそうです。
※矢澤コメント1
普通のビルの12階。大きな看板はかかっていましたが、それが無ければここに射撃場があるなんてとても思えな
いような場所でした。店の中は明るく
、定員は若く
て日本語が話せます。担当してく
れた若い女性の店員はニコ
ニコして商売上手な感じでした。まるでコンビニの店員が商品を渡すかのように、僕が選択したマグナムが手渡
されました。あまりに簡単なので「そんなに緊張するようなものじゃないんだ~」と軽い気持ちを持ったのが間違い
でした。1発目を打った時、大きな壁が前からぶつかってきたような衝撃が走り、腕が上に跳ね上がりました。弾
は狙ったはずの顔面の遥か上に外れていました。「これはやっぱり人殺しの道具なんだ!」と改めて実感し、恐
怖を振り払うかのように残りの11発を無我夢中で撃ちました。何度も火花が鼻の左側に当たりましたが、痛みより
緊張のほうがはるかに上回っていました。やっと終わり、安心してヘッドホンを外した時、他の人が撃った爆音が
耳に突き刺さり、急いで扉の外へ。モデルガンを買って、撃ち合いをしていた子供のころの自分はなんて無知だ
ったことか・・・。できることならこれからも日本で拳銃の音は聞きたく
ないし、拳銃を撃ったり、撃たれたりすることが
ない世の中であってほしいと切に願う一日でした。
※大野コメント8
今回の目玉の一つである実弾射撃は、ワクワク感と緊張感が入り交じった気持ちで、一発撃つまでは、かな
りびびりまく
っていた。私は、自動で連射できる銃を選んだ。銃を両手で押さえていても、火薬の反動がく
るし、耳
当てを装着していても、結構大きな音である。打ち終わったあと、手にしびれがある。池田先生の隣で打ってい
たのは、連射していた私なのだろうか?
☆明洞で両替をしよう
16:30頃
初めは仁寺洞で両替するつもりだったが、明洞に
は前の旅行で両替したところを含めて何カ所も両替
所がある。どうせ明洞を通るのだから、明洞で両替
をしてから行こうということになった。
「街の情報センターKIS」という案内所があっ
たので、階段を上って入ってみると部屋は小さかっ
た。相談している先の客が時間がかかりそうだった
ので、明洞の地図はないか部屋を見渡すとパンフレット類がおいてあった。「両替」というコー
ナーに地図があったので、それを見て、両替所の場所が分かった。用は足りたので、所員に「カ
ムサハムニダ」を言って出た。
制服?
案内所は明洞ミリオレの近くだ。案内所の階段を下りて右に行
き、すぐの角で右折して北進。その通りをどこまでも進むと興味
深い物を幾つも見つけた。下着専門店があること、しかも堂々と
通りに面しているし、はでなマネキンまである(後で気づい
たことだが、韓国には下着専門店が多い)。なんと「にせも
の」専門店もある(看板にもちゃんと「にせもの」と書いて
あるのだから驚きだ)。軍人を何度も
見かける。そろいの服装で歩いてい
「にせもの」と書いてある
る二人組の女性がいるが、あんなしゃれた服も制服なのだろか?
街中ハングルがあふれているが、日本語も時
折見かける。
Aマートの前が「明洞ギル」で、そこに屋
下着の店
台が出ていた。そこで蛸の足をスライスして油で揚げた物を 3000 Wで 1
カップ購入して、みんなでつまんだ。シコシコ歯ごたえがあってまあま
あかな。
その先に、お目当ての「両替所(ファジャン ソ)」
はあった。小さな部屋にカウンター越しに店
屋台で蛸スナック
員らしいおばさんが一人いた。「ウォンヌロ(Wに) ファジャン ジュ
セヨ」と言って池田は2万円を出した。両替所の本日のレートは1
00円→923W(1万円→9万2300W)だったので、2万円→
18万4600Wに両替できた。成田空港の5千円→4万1000
両替所
W(つまり1万円なら→8万2000W)、宋さんの1万円→9万1
000Wよりも大分得だ。店員さんに「モクジュセヨ」とさっきの蛸カップを渡したら驚いたよ
うな顔をしたが、1枚だけ取って「カムサハムニダ」と笑顔が返って来た。
☆仁寺洞インサドンへ向かう
さて両替も終わったし、あとはJUMPの劇場を探すか。
我々は明洞ギルをロイヤルホテル前で曲がり北進した。坂を
下ると交通量の激しい道に出た。
「地下鉄2号線乙支路入口駅」
の通りだ。道の向こうには地上では渡れないようなので地下
地下街
に入った。そこは地下街になっていた。ソウルには地下街がたくさんある。そこを抜けて再び地
上に出た。明洞側のさっき来た道の正面の道をさらに北進。途
中清渓川チョンゲチョンの長通橋を渡り、道の中央がピアノの鍵盤に
なっている通りに出た。そこは「ピアノギル(通り)」というら
しい。やがて「地下鉄1号線の鐘閣チョンガク駅」の大通りに出た。
ジャンプの劇場はどこだろうと道ばたの青年に「ウリヌン ジ
ャンプ カゴシップンデヨ」と尋ねたら、親切に紙に地図を描
ピアノギル
いて教えてくれた。どうやら大通りに出て右折するとすぐらしい。そこで大通りをまた一端地下
に潜り、それから地上に出て右折した。が、なぜか見つからない。大野さんが地図でJUMPを
探すと、地図では次の交差点を右折のようだ。と言うことは、青年は道を渡らないで「次の交差
点を右に渡れ」という地図を描いてくれたのに、池田が勘違いしたようだ。そのとおり、次の交
差点でJUMPの劇場は見つかった。劇場は三一路サムイルロにあった。 見つかればOK。JUMP
の席は宋さんが連絡してくれて押さえてあるはずなので、我々は劇場の場所をしっかり覚えれば
いいだけのはずだ。
☆タプコル公園(旧パゴダ公園)
この公園は日本植民地時代に朝鮮・韓国の人々が日本からの独立をめざし
て1919年(大正 8 年)3月1日に起こした「三一運動」の蜂起の地。以前は「パゴダ公園」と
呼ばれていた。園内には三一運動の様子を刻んだレリーフや銅像、国宝第2号の円覚寺址十層石塔
などの文化財もある。公園は緑豊かで現在は近隣住民の憩いの場所ともなっている。
タプコル公園はそ
の 交 差 点 の目 の 前 に
あ っ た 。 門を 入 る と
右 手 に 三 一運 動 の 銅
像 や 独 立 宣言 文 ら し
き も の が 見ら れ た 。
中央は八角堂で庶民憩いの場。その陰に国宝。右手の陰に三一運動のレリーフが見られた。韓国
ではこういう形で、日本植民地時代の歴史を今に伝えているの
だ。レリーフを見るとかつての日本がいかに非道なことをした
のかがよく分かる。
※矢澤コメント2
P16、47行
タプコル公園って何?私以外のメンバーはここが歴史上とても重要な
場所であるのを知っているようなのですが、私には全然わかりません。ちょ
っと恥ずかしいな~と思っていると、どなたかが「三・一独立運動」という
3.1運動
ヒント
をく
れました。ああ!もしかしてパゴダ広場のことか?
それに気づく
と公園内のレリーフに描かれていた絵の
意味も段々わかってきました。そのうちの一枚に描かれていた少女に見覚えがありましたが、その時は名前が出
てきませんでした。その少女は「朝鮮のジャンヌダルク」と呼ばれた柳寛順(ユグァンスン)。17歳で獄中で無く
な
った女学生だということが帰国後に分かりました。
☆仁寺洞ギル
17:30頃
「洞ドン」は韓国語で街。地元の人にも観光客にも人気の
「仁寺洞インサドン」は古都の風情を残す街。仁寺洞の中心は仁寺洞ギル。
「ギ
ル」は韓国語で通り。仁寺洞ギルは約800mほどの通りに伝統工芸品店
・ギャラリィ・伝統茶屋が並ぶ。
タプコル公園を出て、交差点に戻るとそこか
ら「仁寺洞ギル」の入口。扇子・紙製品・筆・
陶磁器など伝統工芸品の店が並ぶ。京都や鎌倉
のこういった通りの雰囲気だ。暑いので旅行中
に使う扇子と土産にアクセサリを買いたいと見
て回った。通りに客が集まっている店があった。
日本人らしい若い女性が携帯で店員を撮してい
る。幾つかのテレビ番組に出た時のものらしい写真が飾ってあった。大野さんの話では日本のフ
ジテレビでも取り上げられたらしい。店員が「王様のお菓子」と言っていたので、これは去年「大
長今テーマパーク」で購入した「龍の髭」という菓子のよ
うだ。去年土産に買って帰ったら我が家で好評で今年も要
龍の髭
求されていたものだ。それではと池田がまず1箱購入。店
員が、5箱買うと1箱おまけだと言ったので、さらに4人
みんなで5箱購入した。扇子は結局通りの入口の店で買っ
た。
※矢澤コメント3
仁寺洞で緊急事態が起こりました。喉が渇いたので自動販売機でジュースを購入。サイズは250c
c
缶で小さ
めですが、600W(約65円)とお手頃価格です。問題はこの後です。プルタブを引いた瞬間「ペキッ!」と簡単
に折れてしまったのです。喉の渇きと悔しさがこみ上げ、ムキになって100円玉で缶をガンガン叩いていると、近く
の飲食店からおじさんがやってきて、缶をお店に持って行って開けてく
れました。「なんて親切な人なんだ」と思っ
ていたら、「私の店はここ」と言ってきました。なるほど、そう言うことか。自動販売機もそのお店の物だと言っていた
ので、これをエサにお客を誘い込む作戦なのかもしれない。そういえばおじさんが出てきたタイミングはバッチリだっ
たし。でも、本当に親切でやってく
れたのなら・・・。う~ん、どっちだろう。とにかく
、韓国でジュースを買った時は、
プルタブが折れないように慎重に開けようと心に誓いました。
☆仁寺洞ギルで夕食18:00頃~19:15頃
通りの端まで行ったところで雨がぱらついてきた。夕食も
取りたいし、雨宿りを兼ねて早く店に入ろうということで幾
つか店を廻って、看板に値段が出ている店に入った。
店に入ったのが6:00ごろだったので、まだ客はほとんどいなかった。メニューを見たが、
よく分からなかったし、看板で見たより遙かに高いように感じた。店員さんに聞いてみたがこち
らは韓国語が分からず、向こうは日本語が分からずで、結局よく
分からなかった。すると向こうが英語が分かる店員をよこしてく
れた。彼の説明である程度分かったので、いちかばちか、「サラ
ダ・水キムチ・ひぜんクラゲ冷菜・チャプチエ・ホニオチム・ヨ
ンオサム・焼き肉・ポサム・日干し石首魚・デザートなど」で一
人1万6千Wと書いてあるセットを頼んだ。これはコース料理のようで、次々と料理が運ばれて
きた。飲み物はメクチュ(ビール)とソジュ(焼酎)を
注文した。池田は焼酎に水を付けてもらった(これ
はダイエットのためで、このスタイルはこの後のど
の店でも同じにした)プルコギの鍋も出てきた。魚
は骨までコリコリ食べられた。チャーシューの骨も
英語の分かる店員
食べられた。卵と餅米らしい黄色のスープも美味しかった。あれ珍しい、パセリのような葉のプ
チトマトかと思ったら、パセリの葉を刺しただけのものだった。刺身の下に刺身を冷やす氷かと
思ったら春雨のようなものだった。日本では味わったことのない
ような物が続いて、大満足であった。赤飯も美味しかったが、そ
れの石鍋にへばりついたのを店員さんがスプーンでとってくれた
のにお湯をいれたものも美味しかった。「マシッソヨ」。これも韓
定食の一種なのだろうか?
ここでの支払いをクレジットカードでしたら、サインは液晶画
面にペン字入力だったのに驚いた。勘定はこれだけ飲んで食べて
店の前で
も、一人2万5千Wだった。
7:15ころ店を出て「仁寺洞通り」を下って、JUMPの劇場に向かった。
☆いよいよJUMP(20:00開演~21:30頃)
韓国の武芸一家に泥棒がやってくるというス
トーリーをコメディ仕立てのショーにしたものが伝統武
芸であるテコンドーやテッキョンを中心とした東洋武術
がコミカルな演技とともに披露される。ダイナミックなアクションは迫力
満点。週末はほぼ満席で、世界各国からの旅行者も多い。前回のガイドの
李美京(イミギョン)さんによれば、ナンタは韓国人のほとんどが一度は見てい
て、今はJUPMの方が人気があるという。ソウルと釜山にJUMP専用
の劇場を持っている。年中無休。R席5万W,S席4万W。
大野さんが、宋さんから渡された仮チケットを劇場のチケット売り場
で正規チケットと交換してくれてから、我々はホッとして中に入った。
劇場は地下2階。中は16席×20列=320席ほど。7:40ころで
開演20分前くらいだった。客席はほぼ満席。客の半数以上が韓国人で、後は日本人や中国人や
他の外国人といった印象だった。我々のR席は値段が高い分、前の方だった。A列が最前列で、
佐藤さん・矢澤さんの席がE列で、大野さん・池田がF列だったからかなりいい席だ。
我々が着席して少しした時、白い韓国民族服のおじ
いさんが背負われて階段
を
下
りてきた。すご
いなこういう人
まで見に来るん
武芸一家
だ、熱心だなと思ったら、どうもおかしい。おじいさんが近くの人に
話しかけるとその辺りの人がざわついている。そのうち、笑い声が起きてきた。おじいさんはよ
ろよろしながら、列をめぐる。その度に笑いが大きくなり、そんなことをしている間に8:00
の開演時間になってしまった。そしておじいさんが舞台に上って、音楽が鳴って開演した。
ストーリーは次のようなもの。<朝、目覚ましがなる。酒に酔っているおじさんが帰ってくる。
おじさんは酔拳の達人。そこに見るからに頼りなさそうな若い男がやってくる。おじいさんは彼
と孫娘を結婚させようとする。彼はめがねを取ると人格が変わり強くなる。この家にまぬけな2
人組の泥棒が忍び込み、格闘技一家及びめがねの客と闘いになる。>
途中、おじいさんが客席に降りてきて、観客が舞台に上げられた。その人はカリフォルニアの
人だった。舞台で武術対決をさせられているが、流石アメリカ人、なかなか上手にコミカルに対
応している。後転倒立までできるのには拍手喝采。その後、酔っぱらいのおじさんに舞台に上げ
られたのは地元韓国の若い女性。この人も上手に対応し、拍手とともにプレゼントをもらって舞
台を降りた。
迫力のあるアクションとコミカルな演技に客席からはため息と笑いと拍手があいついで、大い
に盛り上がった1時間30分のパフォーマンスであった。見終わった観客は大満足。ポスターの
前でポーズを決める人もいた。映画「燃えよドラゴン」を見終わった後の気分高揚した観客を思
い出した。我々も大いに満足であった。
※大野コメント9
昨年の添乗員の李美京さん情報をもとに、今回は「JUMP」の観劇となった。言葉をあまり使わずに、音や伝
統的な芸能や武術をスト
ーリー仕立てに表現したパフォーマンスは、前回観た「ナンタ」と共通したところがあるよ
うに感じた。共に観客も巻き込んで会場が一体となり、言葉が分からなく
ても見ているだけで十分に楽しめる。エ
ネルギッシュでハイレベルなショーに十分、満足した。
☆地下鉄で江南駅へ
21:50頃
ソウルの移動で最も便利なのが地下鉄。路線
は全部で9本。1号線は青、2号線は緑というふうに路線別に色分
けされている。乗り方は日本とほぼ同じで、その上、駅には全て番
号がふってあるので、路線の色と駅名の番号を覚
えておけば迷うこ
とがないので分かりやすい。3桁の番号の最初は
号線番号。例えば
222番江南駅は2号線の22番駅。ターミナル駅は複数の駅番号
を持つ。駅番号のことを知っていると大変利用しやすい。運賃も安く、ソウル市内なら12 km 以
内は1100Wで移動できる。切符の購入は窓口か自動券売機、改
札は自動改札。表示は殆どがハングルと英語の併記。
ホテルまでの帰りはタクシーで帰ろうとして、劇場のすぐ側の
タクシー乗り場でタクシーを待った。しかしタクシーは来ない。
そのうち、我々の前から待っていた人達はいなくなった。どうや
ら諦めたようだ。我々も諦めて地下鉄で帰ることにして、地下鉄
「鍾路チョンノ三街サンガ駅」に向かった。
地下鉄改札
この旅初めての地下鉄乗車だ。「鍾路チョンノ三街サンガ駅」で4人とも窓口で「カンナム(江南)ハ
ナ(一つ)ジュセヨ(ください)」で切符を買った。「鍾路チョンノ三街サンガ駅」は1・3・5号線のタ
ーミナル駅。3号線では 329 駅。340・223 教大キョデ駅で2号線に乗り換えて、222 江南駅はすぐ
隣の駅。
※佐藤コメント3
のどが渇いたので、自動販売機でお茶を買おうとして1000W 紙幣を
入れようとしたら、なかなか機械に入らない。別の紙幣を入れても同じ
で、そのうち電車が来たのでとうとう買いそこなった。江南駅で電車を降り
てから、また自動販売機で買ってみた。今度は出てきた。なんでだろう
…。ところで、韓国では町中に自動販売機が少ない。また、あまり売れ
ていないようにも見えた。販売機のとなりにある空き缶(ペット
ボト
ル)入れ
に捨てられているものが、あまりにも少なかったのでかなり驚いた。
☆江南駅からホテルへの道 23:00頃
江南駅周辺は 11:00 でも賑わっていた。漢江を渡った江
南地域の街でも先ほどの江北(漢江の北側で旧市街)の「鍾
路チョンノ三街サンガ駅」付近と変わらない賑わいだった。大通
りはバスが通るストリートだった。セブンイレブンを見つ
け、そこでミネラルウオーターなどを購入した。それから
坂を上った。坂は大変厳しかった。ハンナラ観光の宋さん
が、この坂が嫌になると言っていたのが思い出された。初
めは飲食店が多かったが、もっと進むと高級住宅地が見え
てきた。韓国でも金持ちは丘の上に住むらしい。アメリカの「ヒルズ」と同じだ。「ダウンタウ
ン」は同様に繁華街だ。そうこうして大汗かいて息が切れた頃、やっと三井ホテルに到着した。
地図では江南駅から15分程のはずだが、坂のせいでもっとかかった気がする。
☆ホテル三井(サムジョン)
江南のビジネス街にある中級
ホテル
客室は 162 室。煉瓦造りの外観は古いが中は改装されて
きれい。上層は江南の夜景を楽しめる。
地下鉄2号線「カンナム(江南)駅」と「ヨクサム(駅三)駅」から
徒歩 15 分ほどのホテル通りに立地。周りに店やレストランが多くて地元グルメを楽しめる。屋台な
ども出ている。日本からのツアーによく使われるため客の半分が日本人で、日本語を話せるスタッ
フがそろっている。コーヒーショップ&ベーカリー、韓国料理店、日本料理店、ビジネスセンター、男性用フィンランドサ
ウナがある。
<ホテルでチップは?> 韓国には欧米のようなチップの習慣は無い。ホテルでもサービス料を取
られているので基本的にはチップは不要。ただし、特別なことをしてもらったときには御礼に小銭
を渡すことはありうるらしい。
<ホテルの飲料水> 水道の水は日本人は飲まない方がいい。コンビニなどでミネラルウォーター
を購入する必要がある。ホテルの食堂などで出される水は沸かしてあるので飲むことができる。三
井ホテルはエレベーター前に無料の飲料水ポットがあった。
<ホテルの有料グッズ>
歯ブラシなど使い捨ての物は原則有料。ただし、くし・石けんは無料。
昼間の宋さんの話では、「三井(サムジョン)」は「三井さん」とは何の関係もない。この地域は
高台で、井戸が大切だったときに3つの井戸があったことからついた地名だとのこと。
1階フロントでキーをもらった後はエレベーターで自分たちの部屋へ。部屋はカードキー。我
々の部屋はツインベッド。入り口脇にバスルームがあって、その奥にベッドがあって、調度類も
どこのホテルとも変わらない。ロビーも部屋も前回の「ニュー国際ホテル」よりも立派だ。
前も感じたことだが、「世界ホテル文化」とでも呼ぶべきか、韓国のホテルも施設・設備・使
い方・スタッフなど何もかも同様だ。
大野さんと池田は、まずエレベーター前のポットで飲料水を飲んだ。それから風呂にお湯を入
れている間にテレビを観た。テレビでは北京オリンピックを伝えていた。韓国のパク・テファン
選手が競泳の400m自由形で金メダルを取ったようだ。このホテルはNHKBSは入らなかっ
たがNHKの海外向け放送NHKワールドプレミアムをやっていた。
この日は、風呂に入った後、12:08に消灯。
☆雷雨、突然目覚まし→7:45起床そして8:45出発
2日目は朝5時ころに激しい雷雨のため目が覚めた。まだ早いのでそのまま寝たが雨は続いて
いた。うとうとしていると突然頭上の目覚ましが鳴った。5:43だった。なぜこんな時刻にな
ったのだろう?誰がかけたのだろう?私はかけていないが、大野さんもかけていないだろうから、
もしかすると前の人がかけたのが生きていたのか?気を取り直して再び寝た。今度は朝7:45
に自分がかけた携帯の目覚ましで3度目の起床。これはいいのだが、なぜか8:00に自動的に
テレビのスイッチが入った。本当にどうなっているのか?
このツアーには朝食は付かない。洗面などを済ませ、本日使う物をリュックに入れて、短時間
で部屋を出て、1階フロントへ。
今日は水原スウォンに行く。宋さんのアドバイスにより、バスをやめて、江南駅から地下鉄で行く。
※大野コメント10
目覚ましやテレビの件などホテルの部屋の設備は、その日の内に確認すべき
だった。韓国旅行も慣れてく
ると、どこかに油断が出てきたのかもしれない。非常
口の確認など、未確認のことが多かった。慣れは禁物である。ところで、雷をと
もなった豪雨があったらしいが、私は全然気づかず白河夜船だった。そいうえ
バス専用レーンも渋滞
ば、今回雨具も準備してないことに気づいた。天気は、日本で調べてきた予報
と違ってきている。少し不安になったが、神に祈るのみ・・・・
☆朝食はマクドナルドで
朝食は江南駅への途中で取ろうということになった。昨日見たメ
イン通りのマクドナルドでいいやということになり、昨日の急坂を
今日は下る。マクドナルドはフランチャイズなのでどこの国も施設
や方式はほほ同様のようだ。奥のカウンターでメニュー写真を指さ
江南マックで朝食
して注文。池田・大野・矢澤の3人は 4300 Wのビッグブレックファーストというセットを頼んだら、この
セットにおまけでコーラのコッププレゼントが付いてきた。コーラのコップは大きくて、嬉しい
ような悲しいような。
☆9:30頃 地下鉄で222江南駅からP154水原スウォン駅へ
水原駅までは何駅もあるのに 1600 Wだ。本当に安い。駅で地図を見て
4人で相談。222 江南駅から2号線で 226 舎堂サダンへ。舎堂サダン 433 で
4号線に乗り換えて、443 クチョンへ。クチョン P149 で1号線に乗り換
えて、P154 水
地下鉄入口(江南駅)
原スウォンまで行くことにした。
地下鉄の中で見つけたことや印象
○髪型や服装、ファッションは日本とあまり変わらない。
○車両も日本とさほど変わらないが、つり革にスプリングが付いていたり、車内には液晶ディスプ
レイが多い点は少し違う。
○網棚の新聞や雑誌を集める係らしい、緑のゼッケンのおじさんがいた。
○車内で平気で携帯で話している人が日本より多い
○任天堂DSをやっている人もいた
○ワンセグでテレビを観ている若者が多い。この時は北京オリンピックを見ていた。
○日本より電車の中で新聞を読んでいる若者が多い。
○日本より電車の中で勉強している若者も多い。
☆水原スウォン駅から水原スウォン華城ファソンへ
キョンギドウ(京幾道)の道庁所在地の大都市。ソウ
ルの南約 50km に位置する。水原スウォン駅は地下鉄1号線 P154 駅で
ソウルから約 1 時間 1600W。ソウルから鉄道なら京釜線でセマウル号
水原駅前
で 30 分、ムグンファ号で 35 分で 3200W。日帰り観光スポットとして注目されている。
町の中心部は、李朝 22 代国王正祖がつくらせた約 5.7km の城壁で囲まれる「水原スウォン華城ファ
ソン」が当時の姿をとどめている。また、水原スウォンは味付きカルビの発祥地としても有名。市内に
「八達門市場」
「水原美術展示館」
「蚕
糸科学博物館」
「水原ワールドカップ競技場」がある。郊外に「韓国民俗村」や「エバーランド」
というテーマパークもある
水原スウォン駅は鉄道の特急も止まる駅だけあって、駅ビルにデパ
ートが入っている、とても大きな駅だった。
我々は、駅前の観光案内所を探した。観光
案内所は○○大将軍のポールの脇に見つかっ
水原駅構内
日本語ができる人がいて、
た。案内所には
水原駅
目的地の「水原
スウォン華城ファソン」のことを詳しく教えてもらった。「水原スウォン華城ファ
ソン」の中心に「華城ファソン行宮ヘングン」という所があって、その前で 11
時に武芸 24 技というショーをやるという。今から急げばそれが観
られると、駅前タクシー乗り場でタクシーを拾い、「華城ファソン行宮
ヘングン」へ。
※矢澤コメント4
案内所の前で
水原駅からタクシーに乗り、水原華城に向かう時のことです。信号を無視し、いきなりバイクが飛び出して来た
のです。タクシーのおじさんは「馬鹿野郎です!」と日本語で怒っていました。実は1日目から韓国の交通マナ
ーはかなり悪いと感じていたのです。タクシーの車線変更は強引だし、スピードもけっこう出します。バイク至っては
日本では考えられない状態です。ヘルメット
をかぶっていない人が多く
、小さいスクーター(原付)で2人乗りした
り、歩道を走ったりと何でもありといった感じでした。池田先生が教えてく
れたのですが、韓流ドラマで交通事故に
遭う場面が多いのは、単にドラマティ
ックな演出のためでなく
、実際に交通事故が多く
、視聴者が共感しやすい
からだそうです。なるほど。とっても納得できました。
☆水原スウォン華城ファソン
11:00頃~
1794 李朝 22
代正祖が父を弔うために水原への遷
都を計画して築城の大工事をさせた。
ヨーロッパの建築技術を取り入れて
石材とレンガが使われるなど韓国建 水原華城の模型(正面が南の八達門、中央左が行宮、奥が北の長安門)
築としては独特。莫大な費用と37万人の労力を費やして2年 10 ヶ月後に完成したが、正祖が
病死したために遷都は中止となり幻の都となった。朝鮮戦争で一部が破壊・消失したが、1975
年から5年間で修復工事が行われた。往時の48の建造物うち41が現存する。ユネスコの世界
遺産。
東西南北に門があり、北が「長安門」
、南が「八達門」
、東が「蒼竜門」
、西が「華西門」
。中央
部の「華城行宮」は王が別邸として使った場所。華城内には南北に川が流れ、川が城にぶつかる
ところに水門が造られた。北の水門は7つのアーチに楼閣が建つ「華虹門」
。
途中、城の南の門「八達門」を車で通って「華城ファソン行宮ヘングン」へ着いた。着いたのは 11 時
ちょっと前だった。そしてチケットを購入し、武芸 24 技ショーに間に合うことができた。
○武芸24技ショー
ここで分かったのだが武芸 24 技ショーは1日に1回しかやらないようだ。一日1回しかやら
ないイベントにぴったり間に合うなんて、我々は何て運がいいのだろう!
音楽とともにショーが始まった。弓・槍・日本刀・薙刀・棒などの武器以外に、槍の周りに竹
の枝を残したような見たこともない武器を使
うものや、武器を使わないテコンドーのよう
な武芸もあった。韓国語での説明は全く理解
できなかったが、武芸は観ているだけでも理
解できるし、音楽の効果もあり、なかなかに
勇壮で見ごたえがあった。武芸を披露してく
頭と記念写真
で、4・5人女性もいたと思う。ショータイムは約30分だった、
れたのは20人ほど
終了後にたまたま目の前にいた頭役の人に「サジン(写真)チゴドイムニカ」と言ったらうなず
いてくれたので、いっしょに写真におさまった。
※大野コメント11
タクシーの中から「八達門」を写真に撮り、華城行宮で武芸24技ショーを見学した。矢澤先生と私は正面で
立って見ていたら、年配の従業員らしき人が、私のガイドブックの「ソウル」の文字を指さし「ソウル?」と聞いてく
る。しばらく
してから、日本のことや生い立ちを話し始めた。「大東亜戦争」らしき言葉や「国民学校」なる言葉が
わかった。そのうち、やはり女性の従業員だろうか、我々のことを気をづかってく
れたのか、そのおじさんを呼び戻し
た。ショーでなければ、少し話をしてみたい気もした。
○華城ファソン行宮ヘングン
行宮ヘングンは王の別邸。1794 年からの水原華城スウ
ォンファソン築城前の 1789 年に水原の官庁兼行宮として建設され、華城建設
期間に拡大された。華城ファソンを建設させた正祖は水原の父の陵を 13 回
参拝したがその度に華城ファソン行宮ヘングンに滞在した。「新豊門」は表門
で「新豊」は王の新しい故郷という意味。
「奉寿堂」は正堂で、正祖はここで還暦の祝いをした。
ここは「大長今テジャングム」
「王の男」などの撮影に使われた。
中に入るとすぐ左手に、石など重い物を持ち上げるために使用された
今で言うクレーンのようなものがあった。その先には正殿の「奉寿堂」
が。王の正祖が母の還暦を祝う様子を人形が示していた。廷内にはそこ
ここにTVドラマ「大長今テジャングム=チャングムの誓い」のボードがあ
石などを持ち上げる道具
った。それが撮影された場所ということだろう。
○ここで見つけた美
し
い
チャングム撮影地
正祖母の還暦祝
も
奉寿堂
の!
奉寿堂正面
建物に入って見て驚いた。日本ではこんな所を見たことがない。単に
清潔にしているだけでなく、写真を飾ったり、花を飾ったりして、美し
い空間にしているのだ。このトイレだけでも一見の価値があると感動し
た。帰
国後ガイドブックにこんな記事を見つけた↓
1997 年から水原市が始めて確
実に成果を上げているのが「美しいトイレ文化推進」だ。2002 年のワール
ドカップサッカーの際にはサッカーボール型の公衆トイレも登場。この他にも市内のあちこ
ちにとてもトイレと思えない芸術的な公衆トイレがある。
○華城列車
華城の城壁は全周が5.7kmもある。しかも山道を巡るので、歩いて回れば2~3時間はか
かる。とても全ては歩きたくない。ここから少し山道を登ると観光客用の「華城列車」が出てい
るとのことで、駐車場裏の山道を登った。先に行った大野さん・佐藤さんが急ぐように呼んでい
るので息を切らして登って行くと、「華城列車」は来たのだが、我々が行きたい「長安門」「華
虹門」方面とは逆方向であった。チケット売り場で聞いてみると、我々の行きたい方面は、昼食
時間休憩でも入るのか、あと1時間以上後であった。仕方がないので、元来た山道を下って大通
りに出て、そこを北上して街中の平地を歩いて15分ほどで「長安門」に行くことにした。
※大野コメント12
長安 門
タイミングよく
華城列車が来たと思ったが、方向が逆であった。ガイドブック
をよく
見てみると1日12往復ということだ。仕方なく
登ってきた道を下る。ふく
ら
はぎに重心がかかり、痛く
なってく
る。
○長安門チャンアンムンへ
長安門チャンアンムンは水原華城の北門。街の中を見物しながら歩いていたら「長安門」が見えてき
た。
「長安門」では門を抜けて表に回ってみた。それから門の所を登って城壁の上を歩く道に出た。
門は砦になっており、側に大砲もあった。景色もよかった。
長 安門
○
華
長安門
城壁
虹門ファンホンムンへ
景色を楽しみながらそこから5分程度歩いていると「華虹門ファンホンム
ン」に着いた。華城内には南北に川が流れ、川が城にぶつかるところ
に水門が造られた。北の水門は「華虹門ファンホンムン」という。「華虹門ファ
ンホンムン」は水を通す7つのアーチの上に楼閣が建てた門だった。一帯
華虹門
は水辺の景色としてもホッとできる憩いの場だ。
※大野コメント13
長安門、華虹門と歩く
が、構造を見ていると石材やレンガが使われていて、ヨーロッパの影響を受けているよう
だ。
☆淵瀑ヨンポカルビで
13:00頃~14:30頃
水原スウォンと言えば味付きカルビ発祥の地。カルビ
をタレに漬け込み臭みを少なくした深い味わいだ。市内にはたくさ
んのカルビの店がある。中でも「本水原カルビ」「明成カルビ」とこ
の「淵瀑ヨンポカルビ」は有名店。ここは「華虹門ファンホンムン」を見なが
ヨンポカルビ
ら焼き肉を楽しむことができる。いろんな有名人も訪れている。水原味付きカルビは2万8千W。
○「水原カルビ」に大満足!
「華虹門ファンホンムン」の所で、楽しみにしていた水原カ
ルビの店、「淵瀑ヨンポカルビ」を見つけた。もちろん我
々の注文は「水原名物味付けカルビ」2万8千W。韓
国では注文した1品だけでなくたくさんの付け合わせ
が出るのはいつものこと。ここまで歩きに歩いて来た
店員さんの鮮やかなハサミさばき
のでビールも焼酎(ソジュ)の水割りものどごしにぐっと来た。メインのカルビは流石にうまい。サ
ンチュやしそで来るんで食べる。味が付いているのでさらにタレを付ける必要はない。ハサミで
肉を切る店員さんの手さばきの鮮やかさに見とれる。付け合わせは品数豊富で次から次へと出て
くる。ジャガ芋サラダに小豆あんがかかっているのもおもし
ろい。上手い料理に話は弾む。肉は高級なので一皿くらいか
なと思ったら、二皿目が出てにんまり。ところがなんと三皿
出て、これは大大満足。もうこれで納得と思っていたら、最
味付きカルビと付け合わせ
後に冷麺ネンミョンとライスのチョイスがあった。全員冷麺ネンミョンを頼んだら、出てきたのはどんぶり
一杯。大変な分量だったが、今まで食べた中で一番と言っていいほど味がよかったので無理をし
て何とか食べ終えた。4人ともこれで終わりだろうと思って「満足、満足」と言っていたら、真
の最後は西瓜だという。西瓜は別腹とばかりに食べたが、流石にもうこれ以上は入らない。味も
量も大満足であった。これで一人3万千Wと値段も大満足。
○「淵瀑ヨンポカルビ」は有名店?
我々が食べている間、外は雨。これから韓国ハングッ民俗村ミンソクチョンに行きたいが、一端水原駅
に戻るより直接行こうという訳で、店からタクシーを呼んでもらった。店の入口のソファーで待
たせてもらった。そこに何枚かの写真が並んでいたが、内1枚は王様のような衣装をした人とこ
の店の人らしい男女。そのうちの女性は見たことがある。少し若いがレジのおばさんと似ている。
そこで「チョギョー」と言って、写真とおばさんを指さしたら、おばさんは首を縦に振った。お
ばさんはどうやらこの店のオーナー夫人のようだ。
☆14:30頃 タクシーで韓国ハングッ民俗村ミンソクチョンへ
○何もないことはない!
そうこうしている内にタクシーが来た。車体は黒塗り。運転手さんに
「ハングッ ミンソクチョン カゴシプンデヨ(行きたいのですが)」と言うと、「分
キム ヨンチェさん
かりました」という返事。「日本語分かるのですか」と言えば「少し」と言う。「日本語ト韓国
語、似テイル。全部ハ、チョンブー」と教えてくれた。このタクシーは模範タクシーなのだ。運
転手さんの名前は「キム ヨンチェ」さんで、会社は「水原模範タクシー」。運転手さんと少し話
して店から5分も経った頃、運転手さんに会社から無線が入った。すると運転手さんが自分の頭
を指さしながら「ポジャ、ポジャ」と言っている。なんだろう?頭?……?すると誰かが「帽子?」
と言った。その言葉にキムさんが反応。「ソウ、誰カガサッキノ店ニ帽子忘レタ」。何!誰か!
まてよ、それは私だ!という訳で、池田がさっきの「淵瀑ヨンポカルビ」に帽子を忘れたのだ。ど
うするか、キムさんが我々に聞いている。それは戻るしかない。すぐに戻ってくれるように頼ん
だ。
今回の旅行は、前年の大野さんと池田の二人旅の時に比べてほとんどトラブルがない、失敗が
ないとついさっき4人で話していたのに、やはりこんなことが起こってしまった。やっぱり、何
もないことはない!
5分くらいで店に引き返すと、さっきのオーナー夫人と若い男性が店の外に立っていた。我々
が着くと笑いながら帽子を渡してくれた。「カムサハムニダ」と言えば「ケンチャナヨ」と返っ
てきた。
○模範タクシーのキム ヨンチェさんと
韓国の普通のタクシーは「一般タクシー」で値段は安いが日本
語は通じない。ボディの色は銀か白。「模範タクシー」は運転手は外国語などの厳しい試験をパ
スしているので日本語の通じる人も多いが、値段は約2倍。ボディは黒塗りに金のライン。
我々の感想では、行く先さえ韓国語で言えれば、値段が安い「一般タクシー」の方がいい。
「模
範タクシー」に乗ったら、折角日本語ができるのだから、運転手さんにいろいろと質問して説明
を聞くのがいいと思う。
途中、ワールドカップサッカーのサッカー場(サムソンブルーウィングスというチームのホー
ム)、亜州アズ大学、亜州アズ大学病院、刑務所の前を通る度に、キム ヨンチェさんが教えてくれ
た。水原は大都市だ。水原の人口を聞いてみたが、キムさんは「人口」という日本語が分からな
かった。そこでキムさんが今勉強中という英語で、population と言ってみたが分からなかった。
それではと How many people live in this city? で、やっと通じたようで、100万人と言っていた。
エッそんなに?
もう一つ聞いたのは、キム ヨンチェさんの娘さんは日本の九州のホテルにインターンとして
勤めていて、この夏もうすぐ帰ってくる。彼女が言うには日本はバス賃が高い。市内まで2万W
もする。韓国ならその1割くらいだ。
そうこうしているうちに、合計30分ほどかかって、韓国ハングッ民俗村ミンソクチョンに到着した。
タクシー代は模範タクシーだが2万 2500 W。
☆ 15:00過ぎに、韓国ハングッ民俗村ミンソクチョン
水原郊外で韓国の伝統文化や生活が
体験できるテーマパーク。韓国の伝統文化や固有の生活様式を保存する
目的でオープン。15万㎡の広大な敷地には、各地方の農家や民家、
寺や市場、昔の貴族の両班屋敷、官庁など200余りの古い建物が
民俗村入口
並び、李朝時代の雰囲気を再現。陶磁器・韓紙・竹細工など 15 の工房や韓方薬屋では伝統工法を
見学できる。野外劇場では、農村の娯楽や踊り、伝統
的な結婚式などが見ら
れる。水原駅か
ら
無料シャトルバ
ス
で 30 分。ソウル
の
江南駅からバス
これ何?
チャングムの誓いの撮影
チャングム撮影
で
約1時間。
入園料だけでなく資料館見学料など、いろいろセットしたのものが
一人1万5千Wで、そちらを購入した。
入園してすぐに韓国の李王朝時代の各地方の民家や役人達の家など
があった。それぞれを一つ一つ見学した。キムチや味噌や醤油を漬け
る甕もあった。どの家もお札のようなものがたくさん貼ってあった。
右手小指に紐を巻いてもらう
お札は日本より多いようだ。日本の昔の農家にも似ていた。
しばらく行くとちょうどこれから「板飛ノルティギ(シーソー)」が始まるところであった。これはシー
ソーという子どもの遊びが曲芸化したものらしい。二人で高くジャンプするだけでも3mか4m
位跳ぶのでたいしたものだが、空中でタンバリンを敲いたり、フラフ
ープみたいなものをくぐったり、リボンをやったり、1 回転したりと、
様々な芸を見せるのはすごい。ショータイムは15分程度だったがど
れも見応えがあり拍手喝采であった。シーソーは簡単に見えるが実は
難しい。すぐ脇に遊び用のシーソーがあったので池田と矢澤さんがやってみたがちっとも息が合
わずに50cmも跳べなかった。だからこれはすごいのだ。実は、民俗村には他にも、農楽や綱
渡りや馬上武芸や伝統婚礼を見せてくれるイベントがあるのだが、我々は時
間が合わないとか、雨が降ってきたので中止などで、シーソー以外はまった
く見ることができなかった。もっとショーの時間を意識して動けばよかった。
途中、家族連れ用の遊園地のような所があったが、ここだけ「民俗村」に
は場違いな感じだった。その後、矢澤さんが日本ではちょっと見られない、
高さの高い紐の長いブランコに挑戦。このままこぐと相当高くまで上がりそ
うで、小さい子供では恐ろしい感じがした。そのあと「博物館」はなぜか入口
が閉まっていて入れなかったので、隣の「伝統民俗館」を見学した。そこは韓
国の昔の生活が分かりやすく展示されていた。その入口の係の人に、上手く韓
国語は言えなかったが、帰りのシャトルバスの発車時刻を聞いてみた。彼も日
本語は全く話せないようで韓国語で、どうやら「シャトルバスは30分間隔だ
「立春大吉」と書
が、ここには時刻表はない」と言っているようだった。それではどうしようかと4人で相談し、
折角来たのだから一番奥の市場まで行って引き返そうということになった。
市場は、土産物の売店と食堂街になっていた。食べてみたい物もあ
ったが、さっきのカ
ルビでまだ満腹であ
った。その後、両班
ヤンバン(貴族、上級役
棒を投げ入れる
キ ムチ を漬け て室に入れ る
人)屋敷に行った。そこで伝統婚礼を見られる
はずがどうやら今日は終了したようだった。そのまま最初に見た所を見ながら、正面入口に戻っ
た。
☆
17:20頃
韓国ハングッ民俗村ミンソクチョン から水原スウォン駅へ
正面入口を出ると脇に案内所があった。水原スウォン駅行きの無料シャトルバスの乗り場と発車時
刻を聞いた。日本語は通じなかった。何やら首を振っている。「シャトルバスはもう終わった。
最終5:00迄だ」と言っているようだ。時計を見ると5:15だった。
バスが無いので、タクシー乗り場を探した。少し歩くとすぐに見つかった。タクシーは3台ほ
ど溜まっていたが、最後尾の運転手さんが寄ってきた。「ウリヌン、水原スウォン駅ヨッ
カゴシップ
ンデヨ」「水原スウォン駅ヨッ?」「ネー」。運転手さんはこっちへ来いというジェスチャーで最後尾の
タクシーに案内した。これで何とかタクシーをゲット。
我々は水原スウォン駅ヨッへ向かった。このタクシーはもちろん一般タクシー。
水原スウォン駅ヨッまでは30分弱で、1万5千W。やはり安い。
凱旋門?
☆
18:00頃
水原スウォン駅から地下鉄で136鷺梁津ノリャンジン駅へ
本日はこの後、ソウルに戻る。ぜひソウルの「63ビル」で夜景を見たい。大野さんが地図で
調べてくれたのでは「136 鷺梁津ノリャンジン駅」が一番近いようだ。幸い「鷺梁津ノリャンジン駅」は 136
番駅なので P154 の水原スウォン駅と同じ1号線だ。これなら乗り換えがいらない。この後、水原スウ
ォン駅ではホームが見つからなかったり、一つのホームから同じ方面に2つの線が出ていたり、不
安はあったが、来た電車は運良く 136 鷺梁津ノリャンジン駅に向かう電車だった。
電車は混んでいた。40分ほど乗って、136 鷺梁津ノリャンジン駅に着いた。
※佐藤コメント4
水原駅で地下鉄1号線に乗った。空席があったので「ラッキー」と思い座った。ところが隣があいているのにな
かなか誰も座らない。「俺が変な格好をしているので、韓国の善良な人々は近づく
のが嫌で座らないのかな?」
と思ってとうとうソウル中心街の近く
まで来た。乗り換え駅で沢山乗客が降りたら、反対側の席の窓に何やら日
本でもよく
見るマークが貼ってある。そう、自分が座っていたのはあの優先席だった。やば…と思ったけれど、もう
諦めてとうとう最後まで座っていた。韓国の皆さんの乗車マナーに感激!!!
☆「63ビル」は目の前なのに…
○「63ビル」へ行くのは簡単ではない!
「鷺梁津ノリャンジン駅」で降りると、「63ビル」はホームからで
も見える高い建物だった。地図でも確認していたが本当に目の前
だ。駅から徒歩5~10分程度かなと思った。駅を出て、63ビ
63ビルは目前なのに
ルの方に向かった。途中、大きな市場の中を通った。どうやら海産物の市場のようだ。
市場を抜けると、63タワーは近づいたが、目の前は交通量の多い広い道だった。どう見ても
これは高速道路のようだ。こんな道を横断できる訳がない。どこか地下道のようなところを抜け
るのかな?大野さんは道を探そうと言っているが、佐藤さんはこれは無理で、駅に戻ってタクシ
ーに乗ろうと言っている。ちょうど側を中年の男女が通った。
63ビルを指さしながら「アンニョンハセヨ。ウリヌン
6ユク3サムビル カゴシップンデヨ」。
男女は互いの顔を見合わせたが、男性がこちらを振り向いて道を指さし、両手で×を出した(ノ
ーは韓国でも同じジェスチャーらしい)。そして「駅からタクシーに乗るのがいい」と教えてくれた、
ようだ。結局、佐藤さんの勘が正しかったと一同感心!
それと「現場にいる人に聞くのが最も
いい方法だ」とも思った。そう言えば矢澤さんも地図を見たときに、高速道路のインターチェン
ジみたいだから横断できますかねと言っていたっけ。結局、63ビルに行くのに一番いい地下鉄
の駅は、「136 鷺梁津ノリャンジン駅」ではなくて池田がガイドブックで調べた「527 ヨイナル駅」だ
ったのだ。
○予定外の市場見学
我々は、また市場を通り抜けて、駅に戻ることになった。当初
の予定には入っていなかったが、折角市場に来たのだから、少し
見学していくことになった。
市場は海産物の市場だが他にも雑貨のようなものを売る店もあ
った。規模は大変大きくて船橋の市場よりはるかに大きい。卸売
りと小売りの両方をやっているようだ。我々は店毎に声を掛けられた。市場で新鮮な魚介類を買
うと、それをさばいて食べさせてくれる店が市場の中にあるようだ。釜山の「チャガルチ市場」
が同じやり方をしていることを思い出した。
○タクシーで63ビルへ
駅前でタクシー乗り場はすぐ見つかった。もちろん模範タクシーはない。一般タクシーの乗
り場だ。運転手さんに言ってみた。「ゴールデンタワー
ー?
カゴシップンデヨ」「ゴールデンタワ
6ユク3サムビル?」「ネー、6ユク3サムビル」「6ユク3サムビル、ヨイド(汝矣島)」「ネー」。分
かってもらえたようだ。
タクシーは線路沿いにひたすら西に向かった。5分ほど行ったろうかそこで急にUターンして
地下道に入った。地上に出ると63ビルが見えた。運転手さんが英語の勉強中だとかで、矢澤さ
んに英語ができるかと話しかけていた。だったらさっきは英語でもよかったのか。運転手さんは
英語を勉強して模範タクシーの免許をとるのかな?
タクシーはそれから5分以上かかって63
ビル1階入り口に横付けされた。タクシー代は 6300 Wだった。駅から10分~15分かかった
のだから、歩いていたら大変だった。
※大野コメント13
地図上では最短距離でも短絡的に判断すると、目的の場所に行けないことがよく
わかった。周辺の状況をよ
く
みながら判断しなく
てはならない。ガイドブックの最寄り駅はやはり正しい。しかし、セミナーのメンバーはそれをも
楽しみにかえてく
れる。予定外の市場見学をして、63ビルには夜景をみるタイミングのよい時間になったとフォロー
してく
れる。そういう旅がいろんな意味で豊かなものになっていく
ような気がする。
☆63ビル
19:00頃
漢江の中の小島、汝矣島ヨイドにある、地上60階地下3階で63階、高さ264m
のビル。外面は全面二重反射ガラスで太陽の光を反射して金色に輝くので、別名「ゴールデンタ
ワー」とも呼ばれる。ビルに入っているのは大半がオフィスだが、様々な観光・娯楽施設もある
複合ビル。60Fに展望台、59Fに展望レストラン、BIに水族館や映画館、その他がある。
60Fに展望台からは天気が良ければ仁川の海まで見渡せる。
○エレベーターで60階展望台へ
タクシーを降りてすぐの1階入口からビルの中に入ったが、60
階への上るエレベーターが見つからない。オフィスビルのようで様
子もおかしい。INFORMATION と書いてある場所にいた男性に”
市場から歩いて渡ろうとした所
Hellow!
We want to go 60th floor." と話しかけたら、英語で「B1に Entrance があり、チケット
売り場がある」と教えてくれた、ようだ。
そこでエスカレーターで地下1階に降りたが、入口らしいものは見当たらない。地下1階を4
人でうろうろした。途中、「SKY ART」という所があった。水族館もあった。水族館のチケット
売り場もあった。それでも展望台に続くEVの乗り場もチケット売り場も見つからない。そこで
水族館の人に英語で聞いたら、チケット売り場はあれだと指さしてくれたのは、さっきの水族館
のチケット売り場だった。なんだ、水族館のチケットとEVのチケットと両方売っていたのだ。
一人 1 万W払ってチケットを買った。それからどこからエレベーターに乗るのか尋ねたら、何
と
さっき見た「SKY ART」という所だった。アートというから絵画とかが展示
してあるのかと思ったのだが、まさかそこがエレベーター入口とは。
(しかし、
展望台に着いてみるとなぜそこが「SKY ART」入口なのか分かった気もした。)
これもアート?
エレベーターは外がガラス張りで、景色を楽しむことができたが、それもわずか1分 30 秒ほ
どで60階に着いてしまった。
○60階展望台
60階に着くとそこは1周 360 度全てが展望台だった。韓国は日本と時
差はないが、西にある分30分程日没は遅い。19:00 過ぎだというのに、
街はまだ日没間近の景色だった。西は夕焼けが見え東はもう夜の景色へと
移っていた。街の灯りも輝きを増し、黄昏の空の暗さに映え始めていた。あまりに景色が見事な
ので4人銘々がカメラ片手に 360 度の光景を撮影して回った。
日没後の夜景も見たかったので、60階の中央にあったカフェで休むことにした。アイスコー
ヒーは 5500 Wだった。そこで4人でこれからの予定について話し合った。夕食はどこで食べよ
う。明洞がいいか江南がいいか?何を食べようか?
大野さんが東大門トンデムンのサムゲタンはど
う
か
と
切
り
出した。東大門トンデムンのサムゲタンなら去年食べた所が美味しかった。矢澤さんがそれなら自分
はぜひ東大門トンデムンが見たいというので、誰も異存なく、東大門トンデムン行きが決まった。
そうこうしている内にすっかり日没し、辺りは暗くなった。さっきより暗くなった夜空とより
輝きを増した景色を、銘々再び 360 度堪能してから、展望台を後にした。
☆20:00頃 タクシーで東大門トンデムンへ
63ビルに入った時と反対側の出入口から出ると、タクシーはすぐに捉まった。今回は矢澤さ
んが運転手さんに行く先を告げて、交渉が成立し、我々は乗り込んだ。
東大門トンデンムンまでは最初は漢江沿いに東に向かい、高速道路をしばらく通ってから一般道路
に降りたようだった。道は余り渋滞もなく比較的すぐに東大門トンデンムンに着くことができた。タ
クシー代は1万6千W。
☆20:20頃 東大門トンデムン見学
李氏朝鮮王朝時代、都が漢陽(今のソウル)に定められ、
王宮を中心に城郭都市として整えられた都を守るために周
工事中の東大門
囲の山々の尾根に沿って城壁が築かれ、総延長は約 19km に及んだ。1398 年に都の入り口とし
て、城壁の東西南北に4つの大門が築かれ、この4門でのみ、厳重な監視の下に出入りが許され
た。
その門の一つ、東側に築かれた大門が「東大門トンデムン」である。正式名は風水に基づいて「興
仁之門
フンインジムン」という。韓国宝物第1号に指定されている。1869
年に一部改築されて今の
姿になった。石造りの基壇上に、鮮やかな色の模様が施された重層楼が立ち、城門の外側には半
月形の甕城が巡らされている。
現在の「東大門」は鐘路チョンノと興仁之門路の交差点のロータリーの中心部に立ち、門の周辺
に広がる「東大門市場」のランドマークになっている。
タクシーを降りて東大門を探すと東大門は大変なことになっていた。なんと周囲を工事用の塀
で囲まれていたのだ。我々は、何とか近くで見られる所はないか、塀づたいに歩いて、切れ目を
見つけた。塀の切れ目から見た東大門は何か惨めに見えた。なぜ工事なのだろう?
先日の南大
門の放
火事件と何か関係があるのだろうか?そんな思いで、東大門を後にした。
「東大門市場」は、厳密には 20 世紀
初等からの歴史を持つ、鐘路チョンノ5街駅周辺の市場のみをさすが、一般には「東大門」の周辺
の「広蔵市場」
「東大門総合市場」
「平和市場」などの東西約1 km に及ぶすべての市場の総称と
なっており、韓国最大の卸売り市場である。さらにその周辺にも市場や露店が多い。ここでは、
衣類・雑貨・台所用品・寝具・古本・登山用品・革製品などの専門店が集まっている。近くには
近代的なファッションビルも立ち並ぶ。朝まで眠らない激安ナイトショップが多く、地元の若者
や外国人で賑わう。流行を取り入れた若者向きデザインがいち早く並ぶので、若者や海外のバイ
ヤーにも注目されている。
「東大門」の周りは露店も含めてたくさんの店が立ち並んでいた。
夜も遅くなって来たので、買い物もよりも早くサムゲタンの店に行き
左のポスターのまね?
たいということで、市場には目もくれず去年来た道を大野さんと池田
が案内役になって急いだ。
ここは去年、両替所探しで 1 時間以上苦労した所だ、あれが両替所を教えてくれた「東大門運
動場」1階の「観光案内所」だ、ここがやっと両替ができた「DOOTAタワー」だ、などど話
ながら、「東大門ミリオレ」に出た。ミリオレ入口では去年と同じような客寄せイベントをやっ
ていた。踊っている男性はポスターの女性のまねをしているようで受けていた。
☆20:40頃 今年も「権家名家カンガミョンガのサムゲタン」が食べられた!
1羽の鶏丸ごとの中に、餅米・高麗人参・な
つ
め・栗など様々な具材と薬草を詰め込んで、長時間煮こんで作ったスー
プ
。大変栄養価が高いと言われ、韓国では老若男女を問わずに人気がある。
日
本で土用の丑の日にウナギをたべる慣習があるように、韓国で
も日本の土用の丑の日にあたる三伏の日に参鶏湯を食べる慣習
がある。
ミレオレの角を右に曲がり、道の反対側の路地を入るとすぐ
に、去年サムゲタンを食べた店「権家名家カンガミョンガ」を見つ
けた。まさか今年も来るとは思わなかったが、結構記憶は生き
上の看板に「クワンガミョンガ」
ていた。
階段を上がって店は2階にあった。こぎれいな店で、地元の人で賑わっていた。家族連れや仲
間連れのようないろいろな人がいた。「ネ サラム(4人)」と言って店の人に案内されてテーブル
に着いた。メニュを見たら「サムゲタン」は去年と同じW1万だ
った。早速、サムゲタン4人前を注文した。それとビールと焼酎
も注文した。まずは乾杯(コンベー)!
注文が済むとすぐに、ニンニクの漬け物・白菜キムチ・大根キ
ムチなどが次々に運ばれてきた。韓国ではこれら全部がいわゆる「お通し」のようなものだとい
うのはいつものこと。次は「マッコリ」も注文した。
そうこうするうちに、お目当ての「サムゲタン」が運ばれてきた。グツグツと煮たっていた。
「サムゲタン」は薄味なので小皿の塩を付けてもいいし、お通しに辛い物が多いので、それと一
緒に食べても合う。鶏肉の中には、餅米やニンニクや朝鮮人参やいろいろな物が入っていた。
その内現れた店員さんには見覚えがある。そうだ、去年「イジョム(この店)
ネイル(名前)ムォ イムニッカ(何ですか)?」と聞いたときに「カンガミョン
ガ」と片仮名で書いてくれた人だ。その話をこの店員さんにすると、店員さ
んも覚えていた。やっぱりこの人だった。という訳で記念写真。
そのおかげか分からないが、2回目に頼んだマッコリは1回目より遙かに量
去年の店員さん
が多く、おまけにシャーべット状だった。初めてのシャーべットマッコリは非常に上手かった。
これで一人1万8750Wだった。何度も同じことを言うが、「安い!」。店を出たのが 22:30
頃で、店内には客はほとんどいなくなっていた。
※大野コメント16
今年も偶然に東大門を訪れることができた。昨年は、「両替所」を探すのに苦労した場所である。「DOOTAタ
ワー」から「ミリオレ」前の歩道を歩いていると、平日にもかかわらず、ミニステージ上でバンドの演奏が始まり、韓
国人のエネルギッシュなパワーを熱く
感じた。
ミリオレを少し進んだところを右折し、向かい側にある韓国資本のコンビニ「GS25」を通り過ぎ、交差点を左に
入ったところに目的の店「権家名家」がある。まだ、昼食のカルビがお腹に残っている感じがした。しかし、実際に
「サムゲタン」を食べてみると不思議と食欲が湧いてく
る。完食したが、まだ食べられるく
らいに復活してきた。今
日は、起伏のある場所をたく
さん歩き筋肉痛も相当あったが、食材のエキスが効いてきた。サムゲタン効果は凄
い。今度は「タッカンマリ」を食べてみたいと思う。
☆22:45頃 タクシーで三井ホテルへ
明日は、昌徳宮と中央博物館を見るつもりなので忙しい。そのため朝食もホテルの自室でおに
ぎりなどで済まそうと打ち合わせてあったので、店を出てすぐにコンビニに立ち寄って買い物を
した。
それから大通りに出ると、タクシーはすぐに捉まった。「カンナム サムジョンホテル
カゴシ
プンデヨ」と言ってタクシーに乗り込んだのは 10:45。そこからホテルまでは30分。
※大野コメント17
コンビニでは、パンとヨーグルト
、昨年のこと(おそらく
我々は韓国で最初に黒豆茶ドリンクを飲んだ日本人)を
思い出して黒豆茶ドリンクを購入した。購入した量が少ないのか、レジ袋には入れてく
れなかった。
☆三井ホテル23:15頃
ホテル到着は 11:15 頃だった。フロントで鍵をもらってすぐに部屋に入った。風呂にお湯が入
るのを待つ間にテレビで北京オリンピックの結果を見て、風呂に入って、12時ころに寝た。
【13日予定】 ①昌徳宮 ②国立中央博物館 ③昼食 ④ホテル ⑤韓国物産店 ⑥仁川空港→成田
☆7:45起床そして8:45出発は昨日と同じ
この日も夜中は雷雨だった。この日は余計な目覚ましは止めておいたので、7:45に携帯の
目覚ましで起床した。本日使わないものは機内預かり荷物に詰め、使う物はリュックに入れた。
それから昨日コンビニで買っておいたおにぎりを食べたが、2個ともコチュ(唐辛子)と書いてな
かったのに、辛かった。特にご飯が真っ赤の方が辛かった。バナナジュースを買っておいてよか
ったと思った。
8:45 に1階集合の約束だったので、間に合うように部屋を出た。佐藤さんと矢澤さんはすで
に来ていた。フロントでチェックアウトをし、機内預かり荷物を預けて、ホテルを出た。
☆8:50 ホテルからタクシーで昌徳宮チャンドックンへ
外はかすかに雨が降っていた。ベルボーイさんに頼んで昌徳宮チャンドックンまでタクシーを呼んで
もらった。タクシーはすぐ来た。昌徳宮チャンドックンは江北にある。江南からは漢江にかかる橋を渡
って北に向かった。街中は通勤時間帯で渋滞するかと思ったがそれほどでもなく、9:15 分こ
ろには昌徳宮チャンドックンの門の前に到着した。
昌徳宮チャンドックンの前の大通りの所で、正門をバックに写真
を撮ろうとしていたら、「シャッター押しましょうか?」と
いう日本語が後ろから聞こえた。日本からのお母さんと娘さ
んらしい2人連れだった。そう言えばこの旅で4人一緒に写
真に収まるのは珍しいので、お言葉に甘えてカメラを渡した。
この人達とはこの後の昌徳宮チャンドックンにいる間、同じ日本人
敦化門前で娘さんに撮ってもらった
集団の一員として行動することになった。
玉座
☆9:30昌徳宮チャンドックン
1405 年に李朝第3代太宗によって正宮の「景福宮キョン
ボックン」に対して離宮として建立された。壬申倭乱(文禄・慶長の役)ですべ
ての宮殿が焼失したが、1615 年に再建。景福宮キョンボックンが再建されるまで
の 270 年間、正宮の代わりを務め、最も長く政務が執られた王。他の王宮
保存状態が良く、自然との調和もとれていることからユネスコの世界遺産
に登録されている。見学は韓国語・日本語(1日5回)・英語・中国語のガ
宣政 殿
が戦争や火災、日本の植民地支配により本来の姿を失っているのと比べて
イド付きである。
昌徳宮チャンドックンへの入場券は、正門左のチケット売り場で購入できた。一人 3000 Wは安い。
昌徳宮チャンドックンの正門。現存している宮殿
の正門のうち最古。敦化トンファとは民を教え導き感化させるとの
意味
正門にはたくさんの人が集まって、9:30 の開門を待ってい
た。そこのアナウンスで分かったことだが、9:30 は日本語の
敦化門に日本人がこんなに集合
ガイド付きの回で、全員がガイド付きで集団となって案内されなければならないということだ。
ガイド付きは分かっていたが、勝手に回るのは許されないことはここで初めて知った。
王の即位式、臣下への朝礼、外国使節の接
見など、国の重要行事が行われた建物。昌徳宮チャンドックンで最大の建物。
景福宮の仁政殿よりやや小さいが、昌徳宮最大の建物で大変雄壮。この
仁政殿玉座
建物だけではないが全体に
中国のミニチュア判のようで、中国の影響を強く感じる。
王の執務室。宣政ソンジョンとは政治を施すという意味。現在の宮殿に残って
いる唯一の青瓦屋根。
王妃の寝殿で王とその家族が生活した中宮殿でもある。
この辺りまでが昌徳宮の中心で、ここより奥が「後苑」と呼ばれ昌徳宮の奥庭のようなものの
よう
だ。その最初に見たのが 芙蓉池プヨンチ と芙蓉亭プヨンジョンだった。
芙蓉 池
昌徳宮チャンドックンの庭園で王が
休憩する「後苑」にある池と東屋。
「芙蓉池」は「地」を象徴する
四角の池と「天」を象徴する丸い島が造られている。
「芙蓉亭」は
屋根や建物が十文字の形で、池に向かって張り出した場所で王が釣
りを楽しんだという。ドラマ『チャングムの誓い』でチャングムが散策したのもこの辺り。
我々 9:30 入場の日本語グループは、ここでのカンさんの説明の後で10分間の休憩。
ガイドのカンさん
我々 9:30 入場の日本語グ
ループのガイドはカンさんという女性だった。
カンさんは実に流暢な日本語で分かりやすく丁
寧に説明してくれた。「次行きますかぁ?」な
ど独特のしゃべりが印象的だった。カンさんは日に3度ほ
ど、日本語担当でガイドをしているようだ。日本語の回は
仁政殿前の日本人大集合
日に5度なので、カンさんに会うのは5分の3の確立。
カンさんからのクイズ Q:王宮では建物に囲まれた中には木を植えないことになっている。
それはある漢字を連想させるから。ではその漢字は何?(ヒント:建
物は上から見て□→A:□に木で困。だから木を植えない。
芙蓉池で「魚水門」について、王と民衆の関係を表した名前
だと説明があった。魚と水とどちらが王かと質問したら、それ
を説明した資料はないので、説は両説ある。しかし私は「魚水
門」というのだから上の魚が王だと思うとのこと。それなら王
仁政門の我々4人はカメラマン
には民衆が欠かせないという意味になるので、王の政治の戒めとして納得できる。
カンさんに、
「次は中央博物館に行きたいのだが、中央は韓国ではどう発音するのか」と聞い
てみたら、チュアンだと教えてもらった。昌徳宮での案内が終わりに近づいたころ、カンさんが
近づいてきた。先ほどの中央チュアン博物館パンムルグァンだけだと分からないことがあるので、国立の
クニを付け加えた方がいいと教えてくれた。カンさん、カム
サハムニダで別れた。
芙 蓉亭
※矢澤コメント5
昌徳宮は自由に見学することができず、日本語ができるガイドが引率
し、集団で移動する形でしたが、これはこれでなかなか面白かったです。
ガイドさんの説明が「へえ~」と思えることが多かったからです。感心した内容を二つ挙げたいと思います。
①「大造殿」の屋根に梁が無い理由
屋根の梁は龍を表しており、龍が建物を守ってく
れること願って造られて
いる。韓国の王は龍であると考えられており、その王が生活する建物に
2匹の龍がいるのはおかしいからである。
②中庭と門の向こうに植木が無い理由
中庭は建物に囲まれており、上から見ると漢字の「口」の様に見える。
その中に「木」を入れてしまうと「困」(困る)という字になり、不吉だからで
ある。また、門の近く
にも木を植えない。「門」に「木」を付けると「閑」(ひま)という字になり、活気が無く
なると
考えられたからである。
☆10:50昌徳宮チャンドックンからタクシーで国立クンニ中央チュアン博物館パンムルグァンへ
この後の中央博物館に急ぎたいと思って、昌徳宮を出たら、チケット売り場前に客待ちをして
いるタクシー運転手がいた。このタクシーにしようかと相談して、「国立クンニ中央チュアン博物館パン
ムルグァン
カゴシップンデヨ」と言うと、「はい行きますよ」と日本語が返って来た。見ればタク
シーは黒塗りだった。このおじさんは模範タクシーの運転手さんだった。「先生ですか?」と言
っていたようだ。
乗るとすぐに、いろいろ聞いてきた。「博物館の後はどうするんですか?」「今日は最終日で
ホテルに帰ってから空港に行くだけ」「ホテルは何時?」「2:45」「それでは私が上手く色々
案内するけど。5万Wでいいよ」(この5万Wという言葉が大野さんに火を付けたようだ) 大野
さん:「博物館だけでいい」運:「他にも色々いけるよ」 大野:「私は5回目だからいろいろ行った」
運:「今ならちょうど徳寿宮の交代式が見られるよ」大野:「それは見た」 運:「…」大野:「中央博物
館でいい」池田:「あれっつ、キョンボックン(景福宮)の光化門が木槿で飾ってあるね」運:「木槿は韓国
の特別の花で国の花なんです。あれは8月 15 日のお祝いの飾り。8月 15 日のお祝い、分かりま
すか?」池田:「解放と独立の日ですね(1945 年8月 15 日は日本の植民地支配からの解放の日。
像だ。秀吉軍を亀甲船で打ち破った将軍でしたね」運:「私より詳しいな」窓の右に
李 舜臣
1948 年8月 15 日は大韓民国の独立の日)」運:「はい」池田:「あれはイスンシン(李舜臣)の
は徳寿宮の交代式が見られたが運転手は紹介しなかった。左手に市庁舎が見えた。
池田:「運転手さん、シチョンは今年は太極旗で飾ってあったが去年
は木槿だった。あれも8月 15 日のお祝いですか?」運:「そうです」
それからはあまり話が出なかった。途中、運転手が今韓国ではタ
クシーの客が少ないという話を出したのを覚えている。それから
中央博物館に近づいて、運転手さんが「中央博物館も8月1ヶ月は
ソウル市庁シチョン
8月 15 日のお祝いのおかげで無料だ。あなたたちは運がいい」と言っていたが、ガイドブック
には5月から無料と書いてあった。
※大野コメント15
タクシー運転手とはりあう!?
ソウル市内で模範タクシーに乗ると、だいだいそうなのだが、「板門店まで一人10万Wでいいよ」とか「半日
一人5万Wで案内するよ」などど商魂もなかなかのもの。今回も、ホテル集合の時間が14:45ということを確認し
たあと、「5万Wで案内するよ」とセールスが始まった。昨年の3月に行ったときは、必要になったら呼ぶからという
ことで名刺をもらってかわした。私見であるが、韓国人は断定的に話す人が多かったため、自分も少し強気にで
てみた。観光名所を説明しているときに「行った」とか「見た」、あるいは逆に左を指さして「あっちはイテヨンですよ
ね。クラウンホテルに泊まったんですよ」と先に言ってみたりしてみた。場の雰囲気を和らげるために周りのメンバ
ーが気をつかってフォローしてく
れたのはいうまでもない。韓国はガソリンが1リット
ル=180円と日本より高額であ
る。タクシー料金は日本より格安なため、大変なのだろう。「ちょっとやりすぎたかな」と反省。
※佐藤コメント5
今回は模範タクシーを2回利用している。両方とも、運転手がもっとこの車を使ってほしいという態度が露骨に
出ている。なかなか客がタクシーを利用しないようだ。ガソリン代は日本よりも高いかもしれない。でもタクシー代
は日本の何分の1だ。そうなると経費をへらすには人件費を削るしかないのかなとも思う。タクシーの運転手も、
せっかく
つかんだ上客をキープしたいのも止むを得ないのかもしれない。
☆国立クンニ中央チュアン博物館パンムルグァン
11:15~13:15
韓国最大級、世界6番目の広さの博物館。
2005 年にリニューアルオープン。常設展の東館と企画展の西館がある。東館は、
考古館・歴史館・美術館Ⅰ・美術館Ⅱ・アジア館・寄贈館の6ブースに分けられる。約15万展の
所蔵品が展示されている。龍山区にある。地下鉄4号線二村駅か
ら徒歩3分。
国立クンニ中央チュアン博物館パンムル
グァンはとにかく大きかった。入
場料は無料でも、チケットはあ
って、入口のチケット売り場で
チケットをもらって階段を上った。建物が常設展の東館と企画展の西館と二つあって、とても二
王冠
ガンダーラ仏像
つは見切れないと思って東館を見た。東館だけで
も、考古・歴
史・美術Ⅰ・
美術Ⅱ・アジ
訓民正音解例
ア・寄贈の6
古墳
ブースある。どこから見ようかと相談。とりあえず、1階の
日本コーナー
半跏思惟像
考古・歴史から見ることにした。最初は時間に少しゆとりがあって、映像説明を見るなどできた。
特に高句麗の方墳がピラミッド状であったことに驚きと感動を覚えた。
1階を見るのに約1時間かかった。次は3階のアジア館・美術館Ⅱをほとんど立ち止まらずに
見て、約 30 分。残った2階の寄贈館・美術館Ⅰはとにかく急ぎ足で15分ほどで見た。本当に
ここは広い、見る物が多い。それに美術館など、1室に半跏思惟像1体だけ、しかも部屋を暗闇
にして半跏思惟像をライトアップして見させる趣向など見応えがあった。じっくり楽しむのなら、
丸一日はかかるだろう。展示説明用に映像案内器(PDA)を300Wでレンタルしていたが、今
回のように2時間ではとてもそれを使って回るゆとりはなかった。
昼食の前に、1階インフォメーションでタクシー情報をもらう
ことにした。インフォメーションは韓国語・日本語・英語・中国語と
いう言語ごとに担当者がいた。もちろん我々は日本語の所へ。聞
けば、ここで呼んでくれるとのこと。それではここのレストラン
で昼食をとるのをやめて、ホテル近くで昼食をとった方がホテル集合の時間を心配しなくていい、
ということで、タクシーを呼んでもらった。
☆国立クンニ中央チュアン博物館パンムルグァンからタクシーで江南へ
13:20~13:40
博物館の案内係の女性が呼んでくれたタクシーは、展示館から2~3分歩いた入り口に来てい
た。 一般タクシーだったので、日本語は通じない。本当は三井ホテルの直前で降りたいのだが、
そんな難しいことと韓国語では言えない。仕方がないので「カンナム
サンジョンホテル
カゴ
シップンデヨ」と言ってタクシーに乗り込んだ。でも本当の所は、手前で降りたい。「ここで」
は「ヨギエソ」だろうし「ください」は何でも「ジュセヨ」だろうが、
「降りる」が分からない。
どうしよう‥。そこで『韓国語自遊自在』を必死にめくって「降りる」を探した。あった、これ
だ!「ネリョ」だ。つまり「ここで降ろしてください」は「ヨギエソ ネリョ ジュセヨ」。そこ
でチャンスを窺った。江南の三井ホテル近くの交差点を左に曲がる時がチャンスだ。そこを曲が
った時に片側3車線の歩道よりの車線に入れば降ろしてもらえるが、真ん中よりでは無理だ。時
を待って曲がるのを待ったら、タクシーは一番歩道よりの車線に入った。今だ!「ミアナジマン、
ヨギエソ ネリョ ジュセヨ」「ヨギッ?」「ネー」「アラッソヨ」 で車は止まった。よかったよか
った。ここからホテルまでは徒歩で5~ 10 分かかるので、余計な手間と時間が省けた。
タクシー代金はコール料金 1000 Wを加えて(今回それを請求されたのは初めて)、7900 Wだっ
た。
☆江南の三井ホテル近くのレストラン「ソタン」で昼食
13:45~14:25
タクシーを降りた所からホテルへの逆方向、坂を下って交差点側に歩き出した。交差点の通
りは店がたくさんあったので食べるところも見つかるだろうと思ったら、交差点までいかないう
ちにレストラン風の店が見つかった。チゲと書いてあったので、ここでいいかみんなに聞いたら
ここでいいと
いう返事が返ってきた。そこは「ソタン」という名の店で、プデチゲの店だった。
チゲは鍋物。プデは漢字で書くと「部隊」
。つまり部隊
鍋。韓国へ進駐した米軍が名前の由来。だから鍋にはハムやスパムと
いうコンビーフが入っている。
プデチゲは7000W。この店もメイン以外にたくさんの付
け合わせが出てきた。店員さんが鍋の世話をしてくれる傍ら、
鍋が煮える前にビールと焼酎を飲みながら、付け合わせをどん
どん食べて、昼から盛り上がった。インスタントラーメンが入
っていた。こちらでラミョンと言えばインスタントで普通の面
は生ラミョンと言うらしい。ラミョンが上手かったので、もう
一玉追加。そのうえご飯を頼んで最後は雑炊にして食べた。ライスは鍋の味を吸ってうまかった。
これで最後を飾る昼食だが、満足であった。勘定は一人1万2千W。アルコールも取っているの
で、宴会と思えば安い!
☆14:45 三井ホテルから仁川空港へ
ハンナラ観光の宋彦淑(ソンオンスク)さんとのホテル待ち合わせは 14:45。20分前の 14:25 に「ソタ
ン」を出てホテルに向かった。道は急坂の上りで、しかも日差しが強くて暑くてたまらなかった。
フーフー言いながら、15分くらいかかって三井ホテルに到着した。
ホテルでは、宋さんが待っていた。宋さんに挨拶し、フロントで貴重品と機内預かり荷物を受
け取り、アニョンヒゲセヨを言ってホテルを出た。
ハンナラ観光のワゴンの客は先に2人が乗っていて、我々と併せて6人となった。ワゴンは仁
川に向かった。我々は車の中で早くもこの旅を振り返って盛り上がっていた。車は順調に進んだ。
☆お定まりのコース、韓国物産店
15:40~16:10
車は順調だったので、このツアー組み込みの韓
国物産店に予定どおり立ち寄った。
店は去年と同じ店だった。我々は地下へのエス
カレーターを降りてその建物に入っていった。流れは去年とまる
で同じだった。いや何時だって同じなのだろう。まず我々は店員
各種が並んでいた。我々が座るとキムチの説明が日
本語で始まった。各キムチについて、どうやって作
キム チの説 明
さんの前のテーブルに座らされた。目の前にキムチ
るのかどんな効果があるのかなど、早口で説明しな
がら、その度に試食があった。そして販売になった。
池田は、去年と違って、王様キムチの2箱セットと鱈の塩辛を購入した。キムチの他にもいろい
ろ売っていた。若者に人気があるというコチュチョコリ(唐辛子チ
ョコレート)は家族に不評だったので購入しないことになっていた。
他に韓国海苔やいろいろ購入したら1万円近くになってしまった。
他の人も結構買っていた。ここは気がついたお金を使ってしまうの
で要注意だ。
※大野コメント19
コンビニでお土産を購入するタイミングを逃したので、ほとんどを韓国物産店で買うことにした。評判のよかった
携帯電話につけるアクセサリー、百歳酒、韓国
海苔、王様キムチ2個入りセット
、マッコリ、黒豆
マッコリなど、少し高めであるが約8万Wで購入
できた。
☆仁川国際空港で
空港到着は 16:20 頃。
出発の2時間以上前だ
った。チェックインは
自動チェックイン
自動になっていたが、矢澤さんのパスポートは通らなかった。その手続きと機内預かり荷物預け
の手続きを宋さんが助けてくれた。そして宋さんに「カムサハムニダ」を言って別れ、出国手続
きに入っていった。
出国手続きも順調で、終了したのはそれでも出発2時間前くらいだったので時間は有り余るほ
どであった。4人は空港の中をぶらぶらし、少し疲れたらコーヒーショップ
で休んで時間をつぶした。アイスコーヒーが 3500 W、ハイネケンが
6000 Wだった。時間があるので、旅行後の見聞録の作成のことと、
旅行後の反省会(旅行を振り返る会)のこと、社会科セミナーでの報告の
ことなどを話し合った。
※大野コメント20
仁川国際空港では、全日空との共同運航便であった。昨年とちがいアシアナ航空の機材だったため、ま
た、他の2名も同じ便なので、アシアナ空港のカウンターでよかった。宋さんにお礼を言い、ここで別れて出国手
続きに向かった。
☆仁川発18:50のAZ(アシアナ航空)108便
飛行機は来たときの 107 便と同じ大きさ。佐藤さんは窓
から2つめの席で、他の3人は中央の席だった。席は満席。
予定どおり 18:50 に飛行機は離陸した。
やはり離陸して30分ほど過ぎて飲み物が出て、続いて機内食が出た。話を楽しんでいるうち
に東京に近づいた。あと20分程で着陸という所で乱気流に入った。かなり揺れた。機内は客の
話し声で急に賑やかになった。トイレに行った人が入れずに帰って来た。シートベルトを締める
再三案内があった。東京に向かうのに福島県の手前ぐらいまで向かっている。随分北に向かうの
だと思ったら少しずつ南に方角を変えて東京に向かった。そしてようやく 18:58 にダーンという
結構な衝撃とともに着陸をした。
飛行機は行きと同じでそこから約 15 分地上を走行して止まった。
※大野コメント21
帰りもB-767-300という機材であり、中型機なので搭乗する時間が短く
てよい。さっそく
、日本の新聞を見
る。身近な国でも、日本語を見るとホッとする。税関申告書の紙が配られ、それに記入した。初めての出来事で
ある。機内食は韓国風で、チューブ入りのコチチャンがついていた。今回のフライト
は、高度10,668m、最高
時速901k
mであり、帰りの方が少し早かった。
☆旅の終わり
成田空港では機内預け荷物がなかなか来なくて少し時間がかかった。中にはトランクが壊れて
蓋が開いてしまっている可哀想なものまであった。韓国物産館で買った土産物は4人分が一つの
トレー載って出てきた。税関では係のあるお兄さんが非常にまじめにチェックするので渋滞した。
これが日本人かな?などと思った。
京成電車は 21:51 発上野行きに乗った。最初に矢澤さんが大久保で別れ、次に池田が津田沼で
別れた。池田が自宅に到着したのは、23:15 ころであった。
これで我々の旅は終わった。今回の2泊3日も非常に中身が濃くて充実していた。そしてたっ
ぷりとお疲れ様でした。それではまた、社会科セミナーの皆さんと一緒に旅に行ける日まで。
※大野コメント22
大野は10:50に自宅に到着した。今回も2泊3日であったが、これといったハプニングもなく
、順調でしかも充
実した最高の旅となった。昨年までの経験や反省を踏まえ、事前検討会を行い、情報を集め、自分たちで見
学場所やコースの計画を立ててツアーにのぞめたのは、池田先生をはじめ佐藤先生、矢澤先生という同行者
に恵まれたからに他ならない。改めて、感謝する次第である。旅の目的が同じであり、自然にそれぞれの役割
分担ができ、知恵を出し合いながらの旅となった。タクシーなどで移動するのも4人単位はベターである。また、
韓国人の温かみに触れたり、助けられたり・・・と旅の醍醐味を満喫できたと思う。本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。
次回、韓国の企画でも、もちろんOKです。社会科セミナーの多く
皆さんと日程があう日を選んで、ツアーに行
ける日を今から楽しみにしています。
旅を終えて感じたことや分かったこ
と
1
旅が実に充実していた!
今回の旅を終えた今、一番強く思うことは、前回に引き続き今回の旅もわずか2泊3日の割り
に大変中身が濃くて充実していたなということ。訪問地だけでも①ロッテ免税店とロッテ百貨店
②明洞実弾射撃場③明洞④タプコル公園⑤仁寺洞ギル⑥江南⑧水原駅⑨水原華城行宮⑩長安門⑪
華虹門⑫韓国民俗村⑬水産物市場⑭63ビル⑮東大門⑯東大門市場⑰昌徳宮⑱国立中央博物館⑲
韓国物産館など。今回初めて訪問した所も多い。主な食事は①仁寺洞のコース料理②江南マクド
ナルドでのファーストフード③水原のヨンポカルビで水原味付きカルビ④東大門市場のカンガミョンガでサ
ムゲタン⑤江南でプデチゲなど。主な体験やイベントは①実弾射撃②JUPM鑑賞③水原華城行
宮で武芸24技ショーの鑑賞⑤韓国民俗村でシーソーのショーの鑑賞⑥63ビル展望台からソウ
ル夜景鑑賞。主な見学地は①タプコル公園②水原華城行宮③長安門と華虹門④水産物市場⑤63
ビル⑥東大門⑦昌徳宮⑧国立中央博物館。これらは、おおむね事前の計画にあった所で、事前計
画が功を奏したというところだ。
(1)今回も3日間時間をたっぷり使い、実によく動いたので、内容たっぷり盛りだくさんにでき
た。それには事前の調査と計画の効果、及び移動手段にタクシーをたくさん使ったことで効
率があがった。また、ハングルがほぼ読めて、韓国語もほんのわずかだが分かるものが有っ
たので現地で情報収集ができた。それに何より、何度も韓国を旅して、交通手段その他に慣
れている者がいたことなどがその背景にあると思われる。
(2)初体験や初訪問がたくさんあったので、感動が大きかった
訪問地で言えば②明洞実弾射撃場③明洞④タプコル公園⑤仁寺洞ギル⑥江南⑧水原駅⑨水
原華城行宮⑩長安門⑪華虹門⑫韓国民俗村⑬水産物市場⑭63ビル⑰昌徳宮⑱国立中央博物
館。食事で言えば①仁寺洞のコース料理②江南マクドナルドでのファーストフード③水原のヨンポ
カルビで水原味付きカルビ⑤江南でプデチゲなど。主な体験やイベントでは①実弾射撃②J
UPM鑑賞③水原華城行宮で武芸24技ショーの鑑賞⑤韓国民俗村でシーソーのショーの鑑
賞⑥63ビル展望台からソウル夜景鑑賞。
(3)同行者に恵まれたこと
旅は同行者の存在が大きい。この旅は社会科セミナーのメンバーとの旅行であったことか
ら、
見たい物やしたいことがかなり一致したことと、普段からつきあいがあるので気心が知れて
いてペースや趣向などがそう変わらず互いに合わせるのが実に楽だったことなどが大きい。
それと4人という人数もタクシーに載るときや食卓を取るときなど色々な時に都合が良かっ
た。
2
韓国について分かったこと、思ったこと
(1)韓国(ソウル)の物価
※全体として日本より安いが、安さは物や種類によって違う
①交通費…地下鉄は安い。特に遠距離ほど日本よりかなり安い。地下鉄やバスなどの公共交通
は日本と比べて非常に安いということ。タクシーも安い。一般タクシーは日本の2分の1程
か?模範タクシーは一般の約2倍だがそれでも日本より安い。
②食事費…付け合わせを含めれば安い。日本の5~9割か?
③土産物…土産物は日本の値段とあまり変わらないので韓国としては高い。特に最後の韓国物
産館は高い。 だから、外国人用の土産物でなくて、現地の人が普通に買う物(例えばスー
パーやコンビニで買う)を土産物にするのが割安。
(2)文字と言葉
①韓国で使用されている「文字」…ハングルが80%、英語が15%、漢字が5%くらいとの
印象は今回も同じ。漢字はお寺や宮殿など古い時代のもの以外は殆ど残っていない。外国人
の多い場所には英語とまれに日本語と現代中国漢字が用いられている。だから韓国旅行では
ハングルが読めれば助かる。
②韓国で使用されている「言葉」
◇もちろん韓国語。今回も少し知っているだけでも役にたった。しかも挨拶を除いて実際に
使った言い回しは次の4種類くらい。
a.~ジュセヨ=~ください、してください
→「サムゲタン ジュセヨ(サムゲタンください)」とか「ケサン(計算)ジュ
セヨ(してください)=お勘定お願いします」など
b.~ゴシップンデヨ=~したいのですが→「~カゴシップンデヨ=~行きたいのですが」「~タゴシップンデヨ=~乗り
たいのですが」「~サゴシップンデヨ=~買いたいのですが」「~モッゴシップンデヨ=~食べたいのですが」
c.~ゴシッポヨ=~したい→「~カゴシッポヨ=~行きたい」「~タゴシッポヨ=~乗りたい」「~サゴシッポヨ=~買いた
い」「~モッゴシッポヨ=~食べたい」
d.~ハムニダ=~します→「カムサハムニダ=感謝します(ありがとうございます)」「プタクハムニダ=付託します(お願い
します)」「シュルレハムニダ=失礼します」「ミアンハムニダ(ミナナムニダ)=未安します(ごめんなさい)」
他に数字の数え方、それも漢数字の「イル・イ・サン・サー・オー」はお金の勘定用に、韓国固有数字の「ハ
ナ・トゥル・セッ・ネッ・タソッ」は個数や時刻用に必要だった。
◇英語は、模範タクシーのキムさんや63ビルなど、助かったこともあった。
◇日本語は、日本統治時代に覚えた高齢者が話せるらしい。水原華城でそういう人に大野さ
んと矢澤さんが会った。ホテルや土産物屋など日本人観光客が多い所ぐらいは通じる。前
の旅行で、韓国では若い人でも、高校や大学で第2外国語で日本語を採った人がいると聞
いた。
(3)マナーと道徳
日本以上に儒教道徳の影響が強かったことは前回までに分かっている。前回は電車の中で
若者が高齢者に席を譲る場面を2回目撃したが今回はなかった。韓国でも男尊女卑などの儒
教道徳はかなり薄れつつあるらしい。ガイドのカンさんの話にも出てきた。気になったのは
電車の中で携帯で通話する人は日本より多く感じた。
(4)日本人に対する感情
日本統治に対する反感は強く、若い人たちはさらに反日教育を受けていると理解している
が、我々は今回もそうした反感を感じることはなかった。どこでも普通だった。最終日の模
範タクシー運転手も「竹島問題で騒ぐのは政府の意を受けている人で、一般人は関心がない」
と言っていた。むしろ日本人と知っても何人もの人に親切にしてもらった。
(5)ICT(PC・携帯・ディスプレイ)
PCは、PCパンというインターネットカフェが多数あるし、電車の
中でモバイルPCを使っている人を2人見た。携帯電話は日本並みかそ
れ以上普及している。日本より高齢者まで使用しているように感じた。
カーナビ
液晶ディスプレーは、地下鉄や百貨店の看板や街中にあふれていた。我々の乗車したタクシ
ーはすべてカーナビを掲載していた。こうしたもの日本並みかそれ以上だと感じた。世界有
数の電子機器メーカーに成長した韓国企業サムスン電子の液晶や半導体やメモリーの影響力
だろうか?
3
日韓共同制作映画『あなたを忘れない』
帰国後、テレビで日韓共同制作映画をやっていた。2時間を超える映画なのに最後まで見入っ
てしまった。最後まで観て、これは新大久保駅でホームから転落した人を救おうとして線路に降
りて電車に轢かれて亡くなった韓国青年の話を題材にした映画で
あることを知った。確かあの青年が亡くなった時、ニュースで大
きく報じられ、日本でも韓国でも彼の死を悼む声が多く寄せられ
たことを思い出した。この映画で、あの青年にはこんな人生があ
ったのだと知った。
ラストシーンを知らない私が、この映画に見入ったのは、韓国
新大久保駅のシーン
と日本の青年達の青春ドラマとして引き込まれただけでなく、日本の植民
地政策や終戦と韓国・朝鮮の解放、日本に残された韓国・朝鮮人の人生(日
本人からの差別、本来無かった南北対立が在日の人にも生まれたこと、在
日の人にはスポーツ・芸能・商売などの他は生きるすべはなく、だから力道
徴兵訓練
山や張本勲は希望の星だったこと、里帰りした在日の人は必ず
しも祖国で喜んで迎えられなかったこと、など)、日本と韓国
の家族愛、徴兵制度が若者の思考にもたらすもの(自由の意味、
祖国、戦争と平和、今後の生き方)など、学ぶことがたくさん
あったからだと思う。(ちなみに、明洞の偽物屋で「つるはし」という
カードを見たが、この映画で在日韓国・朝鮮人の多く住む街として大阪市住
吉区鶴橋が登場した。)
以下に、映画制作者のHPから採った文章を掲載する。
日韓合作映画『あなたを忘れない』
☆ストーリー
1997年、兵役を終えて大学に戻ったイ・
スヒョンは、スポーツを愛しロックバンドのリーダーとしても仲間や後輩
に慕われる快活な青年だ。彼は祖父から続く
日本との不思議な縁を知り、持ち前の好奇心から自分の可能性
に挑戦しようと留学を決意する。
2000年東京で彼の留学生活が始まった。様々な人々との出会い、そして恋。そうした中で韓国と日本を隔
てる心の壁に直面したスヒョンは、彼が好きになった日本と自分の母国・韓国とを、愛するスポーツと音楽を通し
て結びたいという大きな夢を抱く
ようになる。
2001年1月26日雪の舞う新大久保駅。だが運命の日が、彼の夢を阻んだ。酔っ払ってホームから落ちた日
本人の若者を救おうとして叶わず、その短い半生を終えた。
この物語は、その命をもって日本と韓国との間に「
魂の橋」
を渡すことになった
故・
イ・
スヒョンさんの峻烈な半生を描く
ものである。
☆企画の背景
2001年1月、J
R新大久保駅で、酒によって線路に転落した日本人を助けようとして死亡した韓国人留学生
故・李秀賢(イ・スヒョン)
さん。あれから5年。時間をかけてご両親に映画化させて頂く
事をお願いし、許諾を頂い
た。最近の韓流ブームが起こる前の事である。スヒョンさんの事は韓日、様々な角度から多く
のメディ
アが報道し
てきたが映画のテーマは「
共感」
とした。韓日両国が共に共感する事と、共感を分かち合うことが映画の出発で
ある。共同で制作する過程に於いてもこうした共感を分かち合いたい。映画は特に「
無断外泊」というロックバン
ドのリーダーだったスヒョンさんに焦点をあて、日本の路上ミュージシャンやインディ
のアーティ
スト
との出会いを通し
て「
ロックは生き方だというある青春の光」
を純愛と音楽又、韓日の若者文化の違い、家族観の違いなども絡
ませながら描く
事になる。そして、青春の喪失となったあの事故―――。勇気も正義も、人間の尊厳という言葉
さえもかすむラスト
に。この映画は韓日の「
友情」
に何がしかの役に立ちたいと願う事も又、事実である。
2001年1月26日、新大久保駅でお亡く
なりになりました、故・李秀賢さん、関根史郎さんにこの映画を捧げま
す。
☆李秀賢さんの母 辛潤賛さんのお言葉
夢も多く
、やりたい事も多い子でした。その愛する息子が亡く
なってから、もう5年という月日が流れました。 振り
返ってみると悪夢の中をさ迷いながらも、多く
の方々の心温まるお言葉とお心遣いのお陰で、私共家族はこの
苦境を乗り越えることができました。
未だに、道行く
幼子を見る度に、幼い頃の元気な秀賢が重なり、街で中学生、高校生、軍人や若者を見て
は秀賢を思い描く
自分に気付き、俯いて地面に目をそらしても、顔を見上げれば、また涙が込み上げてきます。
けれど皆様が記憶にとどめて下さる限り、どんなに歳月が流れても、“
美しい青年 李秀賢”は、皆様のお心
に永遠に生き続けてく
れるとく
れることと存じます。韓日両国の架け橋になりたいという志に生きた秀賢でしたが、
夢を果せずに逝ってしまいました。その行為に対し、韓日両国から国家勲章を授与されるという身に余る栄誉を
頂きました。
またこの度は、秀賢の26年という短い生涯を、大勢の方々の協力によって映画化して頂けると伺い、戸惑い
ながらも、嬉しさの余り眠れない夜も過ごしました。どうか、この素晴らしい映画が息子の生前に叶える事のできな
かった両国の友好促進の夢を実現し、韓日の大きな架け橋となるように、心からお祈り申し上げます。
☆監督 花堂純次 「殺身成仁」
決して人として特別ではない、むしろ本来人間がそうであるべき姿を示した、青年・
李秀賢。
彼がこれほど人の心を打ち、感銘を与えているという時代・・・そこには韓国も日本もない。 私は、あなたの写真
の笑顔に魅了された。純粋にまっすぐ前を見つめる眼が、そこにあった。そして確信した。今、この時代だからこ
そ、貴方を描く
べき必要があるのではないかと。
李秀賢、私は聞きたい。あなたを育てた祖国・
韓国とは、家族とは、そして友とは?その目を通して見た日本、
日本人は貴方にどう映ったのだろう?そして、私たちに語りかけてほしい。あなたが生きていたら、架け渡してあろう
韓国と日本の未来の「
橋」
を、そしてその「
夢」
を誰に託したかったのだろうか。
通俗的な美談としてではなく
、私はこの美しき魂のドラマを、永遠に語り継がれるであろう、その肖像を描きたい
と思う。
今回も2泊3日という限られた日程であったが、池田先生をはじめ、佐藤先生、
矢澤先生と大野の4人の参加者で、前回とは違った意味で内容が濃く充実して楽し
いツアーになった。ほとんどトラブルもなく、4人だからこそ行動できたことも多かった。個人
的にも今までとは違う発見があったり、韓国についてより見聞が広くなり、充実した海外旅行に
なった。
1.ツアースタイルが定着
2泊3日のフリープランが定着したようだ。それも1日目の出発が午前9時台の飛行機で早く
フライトして、午後からの活動時間を十分に確保する。2日目は完全なフリープランで、自分た
ちで見学場所や交通機関を検討しながら計画する。3日目は仁川国際空港を夕方6時の飛行機で
帰国するスタイルである。3泊4日のツアー内容、たとえば1日目午後出発で4日目午前帰国で
あるなら、今回の2泊3日の方が活動内容としては充実している。料金は、今回の2泊3日のス
タイルだと8千円の追加料金がかかるが、3泊4日のツアーと比較しても遜色ないように思う。
旅行者が4人であるそのメリットを十分に生かしきれた。タクシーでの
移動は4人だと割安で、いちいち地下鉄の駅まで行く必要がない。模範タ
クシーなら5人でも可能である。不思議と自然に決まる役割分担。尋ねる
たり聞く役、空港や地下鉄などで状況をよく観察して間違えないようにす
模範タクシーは黒
る役、適切な状況判断をする役などなど、おのずと決まるから面白い。同行者の旅の方向性が同
じなので、4人が知恵を出し合いながらの充実したツアーになった。
本当に、朝早くから夜遅くまでフルに動き回った、無駄のない時間を過ごせた。現地添乗員の宋
さんは、「皆さん、たくさん調べてきているので仕事がないわ」と言っていた。オプショナルツ
アーは、なしで正解である。「JUMP」は日本の旅行会社で手配するより、現地添乗員の方に
お願いすると、予約の手配をしてくれる。料金は正規料金である。いうまでもなく、事前にツア
ー内容を計画し、下調べし、旅そのもを楽しみ、事後も反省会や見聞録作成で楽しむことにつき
る。
2.現地の人々とのふれあい
私は、前回の見聞録で、以下のことを書いている。
海外に行って、帰国するといつも思うことがある。
「豊かさとは何か?」
と言うことである。
JUMP
私のプライベートな旅行や仕事を含めての海外経験においては、なれな
い生活習慣や文化の違いなどで、失敗や災難?を経験した。でも、それをつらい経験でなく、
あたたかい思い出にかえてくれたのが、ふつうの人々の親切や思いやりだった。
ある国に行ってバスに乗ったとき、乗り換えの英語のアナウンスをうっかり聞きのがしてし
まったことがある。気がついたときは、来た道を引き返していた。私は、つたない英語で運転
手に事情を話した。
「オー!」と驚いてから、
「大丈夫、おれにまかせろ」といって、休憩所の
電話にとんで行った。列車の切符を予約してから、休憩所のおばさんに、あとのことを頼んで
出発して行った。休憩所のおばさんは、駅まで私を自動車でつれて行ってくれた。
今回の旅でも、多くの方の優しさに触れ、助けられながら、旅を充実させてくれた。
私は、時々これらの出来事を思い返して「豊かな国って一体何なのか?」と考えてしまう。
あの人たちのやさしさや笑顔は、お金では、はかれない大切な「何か」なのだと思う。私も、
この「何か」を問い続けながら、自分の中にいっぱい育てていこうと思っている。
少しではあるが、韓国語が話せるようになってくる。そうすると、言葉はふれあいをさらに濃
いものにしてくれる。韓国人は、頼むと最後まできちんと応対してくれる人が実に多いと感じて
いる。
昨年、地下鉄で行く方向を間違えたときに、次のホームで反対の車両に乗るときも、地下鉄に乗
るまで、親切にしてくれたおばさん。大長今テーマパークまでにたどり着くまで、何人の人に助
けられた事だろうか。今年も、いろんな方にお世話になった。ホテルのボーイさんは、ホテルに
タクシーがこないので、わざわざタクシーを道路でひろってホテルまでつれてきたり、水原の観
光案内所では丁寧に教えてくれたりとホットな気持ちにさせてくれた。旅行が豊かになった瞬間
でもあった。
また、現地の人の話を聞くことで日本のニュースで聞く内容とは別の視点があることがわかる。
新学習指導要領に「竹島」が記述され、韓国から抗議を受けている。韓国大使館のホームページ
を見ると「独島」は韓国固有の領土である内容の画像がすぐに飛び出してくるように設定されて
いた。
宋さんの話によると、一般国民はニュースでさわがれているほど、そんなに関心を持
っていないそうだ。李明博大統領の話も興味深かった。ソウル市長としてはよかった
宋さん
が、ワンマンで人の話を聞かないので大統領としてはよくない。懲りて、人の話を聞
くようになったのでこれからよくなるだろう、という内容だった。
今年の朝日新聞2月2日付け朝刊で、李明博大統領就任の特集が載っていた。「日韓関係
創
造的な経営を」という記事だったと記憶している。「・・・頭の回転の速さと機転。唐辛子のよ
うな「ピリカラ」経営トップが今後5年間、韓国を率いる。韓国の歴史で、企業出身者が初めて、
国家元首となる。李氏の側近の林振パクチン国会議員(ハンナラ党)は李氏の身上は「創造的な実
務者」だと形容した。李氏は会見で、過去10年の太陽政策時代の「理念の葛藤」、つまりイデ
オロギー闘争から「抜け出す」と宣言した・・・・」
そして、以下の点を強調した。
○北朝鮮の非核化を任期中に実現したい。非核化なしに、対北関係正常化も経済協力もない。
○「対米、対日関係が悪くなると対北関係がよくなる」という(蘆政権の)考え方を根本的に転
換
し、対米関係は「修復」、日韓関係は「改善」する。それは6者協議で北に核放棄させるた
めに
も必要。
○日韓の歴史問題では、日本に何かを要求するより互いに成熟した関係に持ち込みたい。
現在は、どうだろうか。アメリカ産牛肉の狂牛病問題、竹島問題、北朝鮮の韓国観光客の射殺
事件などなど複雑に絡み合っている。今後の動向を見守りたい。
3.終わりに
今回で、韓国は5回目のツアーとなった。だけど、まだ見ていない場所もある。ソウル市を含
めて周辺もそうだし、慶州や釜山ももう一度行ってみたい。旅行会社によっては、違ったツアー
内容もあるし、6人揃えば専用車が用意される。今後は、それぞれの旅行会社のツアー内容を吟
味することから始めても面白いだろう。
今年のツアーも同行者に恵まれ、すごく楽しかったし、充実したツアーになったと思う。心か
ら感謝しています。ありがとうございました。次回の旅行で韓国が企画されたら、積極的に参加
すると思います。また、社会科セミナーの皆さんとツアーに行ける日を、今から楽しみにしてい
ます。
2度目の韓国旅行が終わった。前回は初めてのことばかりであまり精神的なゆと
りはなかったが、今回は前回の経験をふまえたものだったため、ゆとりを持って見
学したり、体験したりできた。
コメントでも書いたが、韓国経済も日本同様かなり厳しい局面を迎えているのではないかと感
じた。タクシーの乗客数が減っていることとか、一般消費も日本に比べるとだがあまり伸びてい
ないようだ。また、ソウル市中心部はかなりのにぎわいを見せていたが、周辺部に行くとあまり
活気は感じられなかった。もっとも、日本でも地方都市に行くと、表通りの人通りが昼間でもあ
まり見られないような様子も見受けられるが…
また、日韓の政治的な問題から、対日感情の悪化も懸念していたが、それについてはあまり感
じることはなかった。一般庶民は、あまり政治的な状況は直接影響しないのかもしれない。これ
は日本でも同じだと思う。国によっては、国家そのものが国民を扇動し、特定の国やその国民に
対し国民感情を作り上げていることもあるが、民主的な国家経営をしている場合は、国民感情が
爆発するようなことはまれであろうと思う。
時差もなく、国民の顔立ちもあまり違わない韓国は、とにかく身近な隣国であることを再認識
させられたと同時に、大きな親近感を感じさせられた。冬と夏の韓国とともに違う季節の韓国も
今度訪ねてみたいと、今回の旅行で強く感じた次第です。
1
とても楽しかったこと
今回の旅行は2泊3日で、実際に観光できた時間は空港までの移動や物産店、免税店での時間
を引くと多分2日間ほどだったと思います。短い期間でしたが、とても楽しい経験がありました。
そのいくつかを紹介したいと思います。
(1)生まれて初めての「マグナム」!
明洞の射撃場で初めて拳銃を撃ちました。ルパン3世の次元が愛用する「マ
グナム」を選択し、12発の弾を撃ちましたが、本当にすごい威力でした。ア
ニメのように片手でなんて持てません。アニメのような「バキューン」なんて
音もしません。両手でしっかり持っていても腕が跳ね上がるし、ものすごい爆音です。火花
が鼻の横に当たり、もうビックリです。撃ってみて強く感じたことは、あんな物で絶対に撃
たれたくないということでした。(絶対痛いです)
(2)活気ある明洞の雰囲気
通り抜けただけでしたが、お店の人が気さくに語りかけてくれたり、シャネルやヴィトン
のバックを偽物とはっきり書いて売っている店など、興味を引かれる街でした。今度はもう
少しゆっくり回ってみたいです。
(3)大爆笑の「JUMP」!
もうとにかく面白いです!客席に座り込む正体不明のお爺さん、酔
っぱらいなのに体操が上手な叔父さん、メガネを取るとSEXY&凶
暴になる青年、アフロな泥棒などありえない設定で笑えます。何度で
にせものの店
も見たいと思いました。
(4)美味しかった「韓国料理」
1日目の夕飯は韓国料理のコース(何がメインだったかはわかりません)
2日目の昼食は本場「水原」のカルビ(量も質も大満足!冷麺も今までで一番でした)
夕飯は参鶏湯(優しい味でお腹に染み渡る感じでした)
3日目の昼はキムチチゲ(チーズが入っていたので辛すぎずマイルド。乾麺をかためで食べ
ると美味しいです)
次は「牛のテールスープ」を食べてみたいです!
(5)美味くて安い「ビール」と「焼酎」、そして「マッコリ」
ビールは癖のない味でスーっと喉を通る感じで美味しいです。焼酎は日本よりも
甘く、ストレートで飲んでもあまりきつくないです。マッコリは日本でも飲んでい
ましたが、本場はやはり一味違いました。シャーベット状になったマッコリは格別に美味し
かったです。
(6)韓国の歴史に触れられたこと
1日目は「タプコル(パゴダ)公園」、2日目は「水原」、「韓国民俗村」、「東大門」、3日目
は「昌徳宮」、「国立中央博物館」と多くの歴史的史跡を見ることができました。中国文化の
強い影響が見られ、東アジア世界が一つの文化圏の中で結びついていたことが良くわかりま
した。日本との共通点も多く、歴史の授業展開に生かせるネタがたくさんみつかりました。
2
驚いたこと
日本との違いで驚いたこともありました。いくつか紹介したいと思います。
(1)物価は安いのか?
一番始めに行ったロッテデパートでは正直「日本とほとんど変わらない」というのが実感
でした。ブランド品は税金の分、少し安くなるかもしれませんが、私には全く興味がありま
せんでした。子供服を見てみると7万W(約7600円)と日本で考えても高額です。また、
街中でも確かめたところ、マクドナルドは朝のセットメニューで4200W(約455円)、
ミネラルウォーターは1200W(約130円)といった具合で、特に安いと感じられる値
段ではなかったです。スターバックスのコーヒーに至っては6000W(約650円)とい
う値段で、日本よりはるかに高いです。日本で売られているものを韓国で買えば、高くつく。
そう感じました。ですが、韓国独自の料理や、韓国メーカーの商品は日本の相場の半分ほど
の値段でとてもお得です。水原で食べたカルビも28000W(約3000円)は日本では
考えられない質と量でした。日本で食べれば5000円以上は間違いないです。参鶏湯も1
0000W(約1100円)も日本で食べれば倍以上するでしょう。お酒も安かったです。
飲食店で注文しても2000~3000W、コンビニでは焼酎が1100W(約120円)
で水より安いことに驚きました。しかし、その水もエヴィアンのような外国産でなければ6
00W(約65円)、ジュースやコーヒーも種類による違いはありますが大体600W(約6
5円)でした。一番の驚き価格は「エビ」の値段です。大きな車エビが10~15ほど入っ
て4000W(約433円)、大きなロブスターがなんと10000W(約1080円!)。
4~5人分はある大きさで、日本のレッドロブスターで注文するとなんと9480円もする
そうです。事前に安いものと高いものを調査しておくとお得な旅ができそうだと感じました。
(2)地下鉄の広さと液晶パネル
日本の地下鉄と比べ電車の幅が広く、ゆとりがありました。また液晶画面が至るところに
あり、企業のコマーシャルが流れています。日本のように中吊りはほとんどなく、近代的な
印象を受けました。
(3)交通機関の安さ
地下鉄の料金はほとんど1000W(約108円)、遠方でも1900W(約205円)で
とても安く感じました。またタクシーは日本の5分の1程度。初乗りは1600W(約17
3円)で、かなり長く乗ったと思うときでも精々2万~3万Wです。4人で割れば一人あた
り5000W(約541円)ほどで、交通費を心配する必要は全くと言っていいほど無かっ
たです。一般タクシーに乗ると、模範タクシーが凄く高く感じるのですが、それでも日本よ
りは全然安いので、不慣れな場合はこちらを利用して情報を聞き出すのも手だと思いました。
3
水原のお爺さんの話とまとめ
水原華城の入り口で一人のお爺さんに流暢な日本語で話しかけられました。お爺さんは韓国人
で日本占領下の時代に国民学校に通わされていたそうです。太平洋戦争で日本が悪いことをして
アメリカ、イギリス、オランダなどと戦争をしたことを知っているかと何度も聞いてきました。
とても答えに苦しみました。何度も生徒に教え、自分では充分に理解しているつもりでしたが、
実際に体験して苦しんだ人を前に何も言うことができませんでした。簡単に「はい、知っていま
す」とは言えなかったのです。相づちをついてそれとなく聞いていた時におばさん(多分、娘さ
んだと思います)がお爺さんを呼び、連れて行きました。今回の旅行の中でこの国が異国である
ことを一番強く感じた瞬間でした。
同じ黄色人種で仏教国。体型や顔の作りもとても似ている韓国人。話す言葉は違っても、文化
の共通点が多く見られ、ハングルを見なければ日本と勘違いしそうです。でも、日本と韓国では
決定的に違うことがあることに気づきました。それは歩んできた歴史です。韓国と中国・日本と
の関係は、時に友好的で、時に侵略的でした。古代では中国から多くの文化を学び、近代・現代
では日本から多くの技術を学んでいます。しかし、それまでの道のりで多くの侵略行為にも悩ま
されてきたのです。韓国の人たちはそれを決して忘れず、民族の団結を深め、今日に至っている
のではないでしょうか。西洋の文化に染まっていっても、民族がもっていた「誇り」「規範」は
失わないという強さがあるような気がします。それが日本が無くしてしまった「何か」なのかも
しれません。
もっとこの国のことを知りたいと感じた旅行でした。次回の旅行に向けて、韓流ドラマ、映画
で少しずつ予習をしていこうと思います。
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