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藤本正富「フリーミング・ジェンキンの需給論における図形分析 ― J.S.ミル

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藤本正富「フリーミング・ジェンキンの需給論における図形分析 ― J.S.ミル
藤本正富「フリーミング・ジェンキンの需給論における図形分析
― J.S.ミルの複数均衡問題との関連で ―」へのコメント
久松太郎(神戸大学研究員)
本報告は,ソーントンのミル需給論批判,ジェンキンによるその図形分析,ミルのソーン
トンへの回答を明確に分析することに主眼を置いたものである.ジェンキンはイギリスに
おいて初めて需給論の近代的図形分析を行ったと言われている.ミル=ソーントン需給論
争をそうしたジェンキンの図形分析・図形解釈を加味して考察するという試みは注目に値
すると言えよう.またジェンキンは,
「ミルとマーシャルの橋渡し」(森 1982, 449)の役を
担った者として評価されているが,ミル,マーシャル,ジェンキン 3 者の需給論の十分な
比較検討は行われていないように思われる.ミルとジェンキンを同時に取り扱うという本
報告の試みを,マーシャルを加えた分析にまで拡張し,彼らの間の位置づけをより明確に
すれば,そうした従来の評価に何か付け加えることができるかもしれない.本報告はそう
した可能性をもつ研究であると言えるだろう.
※ 以下の事項はレジュメ段階のものに対するコメントであるため,研究内容自体に対するコメントはで
きなかった.当日の報告を聴いた後に,補える分は追加したい.最後に《補足》資料を付してある.
1
「ミルがソーントンの提出した需給論批判にどのように答えたかを整理するとともに,
その論争を図形的にまとめたフリーミング・ジェンキンの分析がいかなるものであったか
を明らかにする」
(p. 1)ことが本報告の目的であると思われる.だとすれば,報告論題は
必ずしもこれに即したものとは思えない.もし主題を「フリーミング・ジェンキンの需給
論における図形分析」に置くならば,まずは,図形分析が行われている彼の『需給法則の
........
図形的表示』
(1870 年)および『課税範囲論』(1871 年)を利用してジェンキン自身の需給
論の図形分析を検討すべきではなかろうか.本報告のように,ソーントンのミル需給論批
判,ジェンキンによるその図形分析(ジェンキン自身の需給論の図形分析ではなく)
,ミル
のソーントンへの回答を研究対象とするのであれば,論題を変更すべきではなかろうか.
2
「意外にも,ジェンキンの図形分析のうち,〔ミル=ソーントン〕論争に関する箇所
については,いまだ研究がなされていない」(p. 1)とあるが,以下の文献は参照すべきだ
と思われる.
White, M. V. 1994. “That God-Forgotten Thornton”: Exorcising Higgling after On Labour, History
of Political Economy, annual supplement, 26:149-83.
(特に,「3. Restoring Mechanism: Jenkin‟s Diagrams」
)
1
ジェンキンはソーントンのミル批判「例 1」
(pp. 5-6)を次のような図で説明した.
3
Q
D
S
Qc
D
O
*
Pa
Pb
P
Jenkin(1931, 84)の Fig. 9 より.ジェンキン自身は Pa,Pb,Qc などの記号は用いてお
らず,具体的な数値で示してあるが,便宜上このように変えた.
**
Pa-Pb 区間において「供給曲線〔 S 〕と需要曲線〔 D 〕とは一致しており,市場価
格はこれらの範囲内では確定されない」(Jenkin 1931, 84)
.
上掲図の水平軸と垂直軸を変えて書き直すと次のようになる.
P
D
S
Pb
Pa
D
O
Q
Qc
このようにジェンキンの図を書きなおすと,藤本報告「図 3」と類似した形となる.
以上を踏まえたうえで,
「ジェンキンの Fig. 9 から,
〔ソーントンの〕魚市場の例はこのよ
うに誤って表現されてきた」という馬渡(1997, 194-95)の見解について,報告者はどのよ
うに考えているか,質問したい.
2
また「V. 結論」では,ジェンキンは「ミルのソーントン理解を正しく図形的に表現して
いる」
(p. 8)と述べられている.報告者は,
「私の理解では,ソーントン魚市場の例のミル
の解釈は,図表 14〔以下の図〕のようでなければならない」という馬渡(1997, 194)の主
張に対して何か意見はないのだろうか.
馬渡(1997, 179)の「図表 14」
価
格
競り下げ競売
競り上げ競売
量
4
「フリーミング・ジェンキン」ではなく,やはり「フレミング・ジェンキン」と記述
するべきではなかろうか.
・ “HENRY CHARLES FLEEMING JENKIN (Fleeming pronounced Flemming)…”(Brownlie
and Prichard 1963, 204).
・ “… Fleeming (pronounced „Fleming‟)”(Barkley 2004, 939)
.
・ 「進化学徒はみな,実際には必要なかったにせよ,はっきりした譲歩をダーウィンから
り ちぎ
引き出した人物としてフレミング・ジェンキンの名を記憶にとどめている(律儀にも,
つづりに忠実に,フリーミング・ジェンキンという誤った発音とともに)」(『がんばれ
カミナリ竜』下, 131 頁)
.
5
報告「図 1」
(p. 3)に関する記号の表記法について,ee<1 の場合における「イギリス
の需要曲線:OE1」,eg<1 の場合における「ドイツの需要曲線:OG1」
,ee>1 の場合におけ
る「イギリスの需要曲線:OE2」
,eg>1 の場合における「ドイツの需要曲線:OG2」は,い
ずれも屈折曲線であるから,それぞれ“Oe0E1”,
“Og0G1”
,
“Oe0E2”,
“Og0G2”とした方
が明瞭ではないだろうか.
3
《 補足① ジェンキンの経歴 》
西
暦
1833
略
歴
イングランド南東部のケント州ダンジニス(Dungeness)近郊にてフレミング・ジェ
ンキン生誕(3 月 25 日)
.沿岸警備隊員の父チャールズ(Charles, 1801-85)と小説家
の母カミラ(Camilla, c.1807-85)の一人息子.
1841
ジェドバラ(Jedburgh)の学校に入学.
1843
エディンバラ・アカデミーで教育を受け始める.
1846
生活苦のため,母とともにドイツのフランクフルトへ転居.後に,父も転居.
1847
一家はフランスのパリへ転居.ここでフランス語と数学を学ぶ.
1848
この年に起きたパリの市民革命の後に,一家はイタリアのジェノバへ転居.ここで
自然哲学(natural philosophy)を学び,首席で MA を取得(1850 年修了).
1850
フィリップ・テイラー(Philip Taylor)のもとでジェノバにある機関車工場(locomotive
workshop)で働く.
1851
一家はイングランドへ帰郷.マンチェスターにあるフェアビアン(Fairbairn)の工場
で見習工として就職.
その後スイスへ移り,鉄道の測量に着手.
1855
スイスからイングランドへ再帰国.
グリニッジにあるペン(Penn)の蒸気機関工場で製図工として働く.
1856
鉄道関連のリドル・アンド・ゴードン社(Liddle & Gordon)に転職.
1857
ニュウォル(Newall)社に転職(-1860).大西洋と紅海の電信ケーブル敷設を試み
るも失敗.
1859
ウィリアム・トムソン(William Thomson, 後のケルヴィン卿 Lord Kelvin)と知り合
う(最初の出会いは,同年初頭,グラスゴウにて)
.
ア ル フ レ ッ ド・ オ ー スティ ン ( Alfred Austin, 1805-84 ) と エ リ ザ ( Eliza, 旧姓
Barron, ?-1885)の一人娘アン(Anne Austin, ?-1921)と結婚(2 月 26 日).後に 3 人
の子供を授かる(長男オースティン・フレミング Austin Fleeming, 1861-1910,次男
チャールズ・フリューエン Charles Frewen, 1865-1940,三男バーナード・マクスウェ
ル Bernard Maxwell, 1867-1951)
.オースティンとはエリザベス・ギャスケル(Elizabeth
Gaskell)を通じて知り合った.
1861
『エンサイクロペディア・ブリタニカ』第 8 版に,絶縁体グッタ・ペルカ(guttapercha;マライ産のゴム状の物質)の抵抗の測定法に関するジェンキンの研究が掲載.
1862
『海底ケーブルを通じた電気信号の通信に関する実験調査』
(Experimental Researches
on the Transmission of Electrical Signals through Submarine Cables).
1866
ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで工学(engineering)教授に就任.
1867
『ノース・ブリティッシュ・レヴュー』誌に論文「ダーウィンと『種の起源』
」掲載.
4
西
暦
1868
略
歴
エディンバラ大学の工学教授に着任.
『ノース・ブリティッシュ・レヴュー』誌 3 月号に論文「労働組合論」掲載.
1870
グラント編『リーセス・スタディズ』に「需給法則の図表的表示」を収録.
1871
『エディンバラ王立協会会報』第 7 巻 84 号に論文「課税範囲論」を掲載.
1873
『磁気と電気』
(Magnetism and Electricity).
1876
『エンサイクロペディア・ブリタニカ』第 9 版掲載の橋に関する論文が別個出版.
1877
エディンバラ王立協会で論文「機械の効率性の決定への図的方法の適用について」
( On the application of graphic methods to the determination of the efficiency of
machinery)を報告.この論文は当協会よりケイス・ゴールド・メダル(Keith Gold
Medal)受賞.
『トランザクションズ』
(Transactions)に掲載.
1878
『健康住宅』(Healthy Houses).内容はエディンバラ大学で講義されたもの.1880
年から 1885 年にかけて公衆衛生問題に関する出版物をいくつか執筆.
1879
エディンバラ王立協会の副会長に選出.
1882
「テルフェリッジ」
(telpherage)に関する特許を申請(翌 1883 年に,エアトン Ayrton
とペリーPerry によってテルフェリッジ・カンパニー設立).
1884
技術協会(the Society of Arts)で,電気による自動輸送システムとしてのテルフェリ
ッジに関する論文を報告(5 月)
.
1885
エディンバラにて死去(6 月 12 日).両親,義父も同年に死去(義母は前年に死去)
.
ジェンキンの死後 10 月 17 日に,テルファリッジ・カンパニーによってサセックス
州グリンデ(Glynde)においてテルファー・ライン(telpher line)が開業.
《 補足② ジェンキンの主な経済学文献 》
1. 『労働組合論』
(1868 年)
「労働組合 ― どの程度までなら適法と認められるか ― 」
„Trade Union: How far legitimate‟, North British Review. 9: 1-62.
2. 『需給法則の図表的表示』
(1870 年)
「需給法則の図表的表示と労働へのその適用」
„The Graphic Representation of the Laws of Supply and Demand, and Their Application
to Labour‟. In Recess Studies, edited by Alexander Grant, 151-85.
5
3. 『課税範囲論』
(1871 年)
「課税範囲を規制する原理について」
„On the Principles which Regulate the Incidence of Taxes‟, Proceedings of the Royal
Society of Edinburgh. 7(84): 618-31.
4. 『ある人の利益は別の人の損失であるか』
(未公刊)
「ある人の利益は別の人の損失であるか?」
„Is One Man‟s Gain Another Man‟s Loss?‟ (Unpublished)
5. 『時間労働体系』
(未公刊)
「時間労働体系」
„The Time-Labour System‟ (Unpublished)
《 参考文献 》
Barkley, G. E. 2004. „Jenkin, (Henry Charles) Fleeming (1833-1885)‟, Oxford Dictionary of
National Biography, Oxford: Oxford University Press, Vol. 29: 939-41.
Brownlie, A. D. and Prichard, M. F. L. 1963. „Professor Fleeming Jenkin, 1833-1885, Pioneer in
Engineering and Political Economy‟, Oxford Economic Papers, 15(3): 204-16.
Jenkin, F. 1931. The Graphic Representation of the Laws of Supply and Demand, and Other Essays
on Political Economy, London: London School of Economics and Political Science (University
of London).
Mass, H. 2004. „Jenkin, Henry Charles Fleeming (1833-85)‟, The Biographical Dictionary of British
Economists, Bristol: Thoemmes Continuum, Vol. 1: 589-91.
Uemiya, S. 1981. „Jevons and Fleeming Jenkin‟, Kobe University Economic Review, 27: 45-57. In
William Stanley Jevons: Critical Assessments, edited by J. C. Wood, London: Routledge, Vol. 3:
174-88.
上宮正一郎, 1979. 「ジェヴォンズとフレミング・ジェンキン」
『国民経済雑誌』140(2): 68-90.
廣野喜幸・石橋百枝・松本文雄訳, 1995. スティーブン・ジェイ・グールド著『がんばれカ
ミナリ竜』
(上・下)早川書房(Bully For Brontosaurus: Reflections in Natural History, by
Stephen Jay Gould, 1991)
.
馬渡尚憲, 1997.『J.S.ミルの経済学』御茶の水書房.
森 茂也, 1982.『イギリス価格論史 ― 古典派需給論の形成と展開 ― 』同文舘.
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