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原爆文学「古典」再読 1― 井伏鱒二『黒 い 雨 』報告
◇ 特集「 戦後 年」連続ワー クショップⅠ ― 原 爆 文学 「 古 典 」 再 読1 ― 原爆文学「古典」再読1 本特集では二〇一四年八月三日 (日)に 名古 屋 大学で 開 催 した ワ ー ク シ ョ ップ の 成 果を 報 告 す る 。 こ の ワ ー ク シ ョ ッ プ は 「 戦 後 年 」 と い う 一つ の 節 目 に 向 け て 企 画 した 連 続 ワ ー ク シ ョ ッ プ の 井伏鱒二『黒い雨』 野 和 典 井伏鱒二『黒い雨』報告 中 な 可 能 性 を 持 って い る の か 。 これ が こ の 連 続企 画 を 貫 く 大 き な 関 心で ある 。 ― 年 代を 中心 に 」 との 関 わ り も ト に 選 んだ 。 ま ず 司 会 の 中 野和 典 が 『黒 い 雨』 の 受 容 史 を 同 時 代 考 え て 、 井 伏 鱒 二 『 黒 い 雨 』( 新 潮 社 、 一 九 六 六 ・ 一 〇 )を テ キ ス ・ 今 回 は 、 同 日 に 開 催 した も う ひ と つ の ワ ー ク シ ョ ッ プ 「 原 爆 体 読 書 会 の よ う な 形 で 一 つ の テキ スト につ い て 議論 す る 場 を設 け 評から二〇一〇年代にわたって概観し、次に発題者の齋藤一が『黒 験の〈表現〉と〈運動〉 て ほ し い 、 と い う 声 は 数 年 前か ら 研 究 会 の 事務 局 に 寄 せ ら れ てい 第 一弾である。 た 。 近 年 、 原 爆文 学 研 究 会 の 会 員数 は 増え 、 そ れ ぞ れ の 関心 も 広 問 題 提 起 を 行 い 、 さ ら に も う 一 人 の 発 題者 の 中 谷 い ず み が 『黒 い い 雨 』 と その 主な 原典 の 一 つ で あ る 『 重 松 日 記 』 と の 関 わ り か ら 雨 』 に お け る 「 庶 民 」の 表 象 と テ キ ス ト の 成 立 時 期 に お け る 社 会 域 化 し て い る の で 、 あ え て 一 つ の テキ スト を 選 び、 それ につ い て 年」を迎えるにあたり、 場 を会 場全 体に 開い た 。 こ の 特 集で は三 人の 登 壇者 の 発 言 記 録を 当日 の 発 言 順 に 掲 載 す 的な 出 来事 や言 説との関 わりから 問題 提 起を 行った 上 で、 議論 の 何 が「 原 爆 文 学 」の 「 古 典 」な の か 、 そ の 条 件 を 厳 密 に 示す こ は全体討論でのや りと りをいくつか 要約 して紹介したい 。ま ず 話 る が、 その 詳 細 は それ ぞれ ご 覧 い た だ く と し て 、 こ の「 報 告 」で 題になったのは『黒い雨』の時間認識に対する疑問で と は 難 しい が 、 長 く 読 み つ が れ て い る テ キ ス ト は 確 か に 存 在 し て 年 」 を 超 え て読 みつ い で い く べ き どの よ う い る 。 そ れら はな ぜ 現 在に いた る ま で読 み つ が れて きた のか 、 ま 「 原 爆 文 学 」の 「 古 典 」 を 再 読す る こ と に は 意 義 が あ る だ ろう と 70 い う 判 断か ら 連 続企 画 の 一つ と して 実 施 す る こ と に な った 。 にもとづく要望であった 。この度「戦後 研 究 分 野 の 枠 を 越 え て 語 り合 う 時 間 も 作 っ た 方 が よ い とい う 考 え 70 70 た、 それ らは「戦 後 70 157 60 70 あ っ た 。〈 終戦 後 四年 十箇 月目 〉( 第 1 章 )や 〈あ と三 日で 新 暦で 『 黒い 雨 』 の 「 現 在 」 章 )とい った 記述から 、 は 一 九 五 〇 年 の 六 月 か ら 八 月 と推 定 で きる が、 その 時 起 き て い た は 八 月 六 日 〉( 第 朝鮮 戦争 や『黒い 雨 』 成立時 に起 きて いた ベト ナ ム 戦 争につい て 対 し て は、 井伏 の 自 作 解 説 に よ れ ば 直 接 的 に は書 い て い な い が 、 全 く 語 ら れ て い な い の は な ぜ な の か 、 とい う 問 題 で あ る 。 こ れ に 章 )と い う 記 述 は 〈 あ と ベ ト ナ ム戦 争 に つ い て は 意 識 し つつ 書い た と 語ら れて い る と い う 応 答 が あ っ た 。 ま た 〈 八 月 中 旬 〉( 第 爆 乙 女 」 と し て の 矢 須 子 に 焦 点 が 当 て ら れ て い る とい う 女 性 の 描 れているのに対して『黒い雨』ではそれが捨象されていわゆる「原 性 と 男 性 性 の 問 題 で あ る 。『 重 松 日 記 』 で は 女 性 の 強 さ が 強 調 さ こ れ を 引 き 継 ぐ 形 で 話 題 に な った の は 『黒 い 雨 』 に お け る 女 性 代作家論』新潮社、一九五八・一)があるという応答があった。 を「男性性の文学」として位置づける中村光夫の井伏鱒二論(『現 で ある と いう 応答 や、 井伏 鱒二の小 説の 典 拠を 示 した 上 で それら 直 す ( 清 書 す る )と こ ろ が 『 黒 い 雨 』 の 特 質 で あ り、 興 味 深 い 点 書 き直 さ れ てい る 『 重 松 日 記』 を典 拠に して 、 さ ら に 日 記 を 書 き に 対 し て は 、 典 拠を 一回 書 き 直 す の で は な く 、 そ れ自 体が 何 度 も と 『 黒 い 雨 』 と の 類 似 性 を ど う 考 え る か とい う 問 題 で あ る 。 こ れ 四)など に見られ る日 記 体の 採用 や破 滅の直 前までを描く構成法 次 に 話 題に な っ た の は 『 さ ざ なみ 軍記 』( 河 出 書 房 、一 九 三 八 ・ あ る こ と が す で に 指 摘 さ れ て い る とい う 応 答 が あ っ た 。 と い う 疑 問 も 出た 。 こ れ に 対 し て は 『 黒 い 雨 』 に 時 間 的 な 錯 誤 が 三 日 で 新 暦 で は 八 月 六 日 〉 とい う 記 述 と 矛 盾 す る の で は な い か 、 17 き 方 の 違い が あ る の で は な い か 。 そ の 一 方 で 、 重 松 が「 去勢 さ れ 158 19 た 家長」として描かれていることは戦 後の日本におけるジェンダー意識を反 映しているのか、さらに言えば、米国 に対する日本のイメージにつながって いると考えてよいのかという疑問が出 答 が あ った 。 最後に話題になったのは、たとえば ンに何らかの関わりがない書き手が書 「在日朝鮮人文学」においてはコリア 家 長 」 と「 去勢 さ れ た 日 本 」 を 同 列 化す る こ と は 、 日 本 が ベ ト ナ い な い 人 間 が 書 い た も の も 「 原 爆 文 学 」 とす る 見 方 は 意 外 と 早 く さ れ て い る の か とい う 問 題 で あ った 。 こ れ に 対 し て は 、 体 験 し て い う こ との 問 題 は「 原 爆 文 学 」 研 究 にお い て 現 在 ど の よ う に 議論 ばないが、被爆体験のない者が書くと いたものを「在日朝鮮人文学」とは呼 員 と し て 自 由 主 義 陣営 の 中 に 入 って い た こ と を 無 視 して 「 被 害者 験と被爆体験があまりにも 連続性がある形 で語られ て来たの で、 か ら あ っ た よ う だ とい う 応 答 や 、 良 い か 悪 い か は 別 と し て 戦 争 体 そ の 点 が 「 在 日 朝 鮮 人 文 学 」 との 違い を 生 み 出 して い る の か も し と し て の 日 本 人 」 とい う イ メ ー ジ を 印 象 づ け る こ と に な っ て し ま 記 』 の 演 説 に よ る 士 気 高 揚 の エ ピ ソ ー ド は 米 国 との 関 係 だ け で は 思 い)と、 その 後に味 わ った 閉 塞感 につ い て 経 験を 交えた 発言 が デオ ロギ ーを 離 れて 原爆 につ いて語る こ とがで きるのだと いう新鮮 な これらの他にも『黒い雨』が発表されたときに感じた解放感(イ れな い という 応 答が あった。 次 に 話 題に な っ た の は、 かつ て 豊 田 清 史 を 中 心 に 『黒 い 雨 』 が あ っ た り、『 黒 い 雨 』 を 題 材 とす る 読 書 感 想 文 が な ぜ か 判 を 押し た よう に 似通 って い る こ と への 違和 感 に つ い て 、 や は り 経 験 を 交 う にな って い る の か と い う 問 題で ある 。 これに対してはその後、猪瀬直樹も加 がす 機会 に な れ ば幸 い で ある 。 った が、 この 特 集 が 『黒 い 雨 』 を め ぐ る 問 題に つ い て 再考 をう な 時 間 的 な 制 約 も あ っ て 十 分 に 議論 をつ く せ な か った と こ ろ も あ え た 発言 が あ った り と 話 題 は 多 岐 に 渡 った 。 『 重 松 日 記 』 の 盗 作 で あ る とい う 批 判 が あ っ た が 、 そ の 後 ど の よ 入 れ づ ら か った の だ ろ う とい う 応 答 が あ った 。 な く 、 女 性の 描 か れ 方 と い う 観 点 か ら 見て も 『 黒 い 雨 』 に は採 り う の で 、 妥 当 と は 言 え な い と 思 う とい う 応 答 や 、 確 か に 『 重 松 日 ム 戦 争 の と き に 米 国 を 支 持 して い た こ と や重 要な ア ジ ア 戦 略 の 一 された。 これに対して は「 去勢された 発題 中谷いずみ わ って 盗作で あ る とい う糾 弾が あった が、さまざまな違いも指摘されており、 『黒い雨』を盗作とは位置づけない見 方が定着しているようであるという応 159 司会 中野和典 発題 齋藤一