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物理音響モデルに基づく音響 システムの研究動向

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物理音響モデルに基づく音響 システムの研究動向
解 説
物理音響モデルに基づく音響
システムの研究動向
安藤彰男
■
臨場感の高い音響を実現するために,さまざまな音響システムが研究開発されている。
これらは,基本となる2チャンネルステレオのチャンネル数を増やすことでより高い臨
場感の実現を目指すマルチチャンネル音響システムと,物理音響的な理論に基づいて音
場の波面の正確な再現を目指す音場再現システムに大別することができる。本稿は,聴
取エリア全体の音場の再現を目指す波面合成方式WFS(Wave Field Synthesis)や最適
聴取位置における音の方向の再現を目指すアンビソニックス(Ambisonics)など,後者
に関する理論的な背景と最近の研究例を紹介する。また,物理音響的なアプローチに
よって,異なるチャンネル数を持つマルチチャンネル音響信号間の変換を行う方式につ
いて解説する。
1.はじめに
音の臨場感を実現するうえで,音場再生・再現技術はきわめて重要な位置を占める。
特に,近年は音の前後左右感だけでなく,音の上下感も表現できる3次元音響方式が提
案され,その有効性が示されている。これらの方式には,2チャンネルステレオを拡張
した22.2マルチチャンネル音響も含まれるが,本稿では,それ以外の物理音響的な理論に
基づいて音場の波面の正確な再現を目指す方式について解説する。
音場の波面を聴取エリア全体で再現する方式の代表例はヨーロッパを中心として研究
されてきた波面合成方式WFS(Wave Field Synthesis)である。日本でも,このような
音場再現型の方式が研究されている。また,近年では最適聴取位置における音の方向の
再現を目指す収音−再生方式であるアンビソニックスの研究が盛んになってきている。
本稿では,音場再現方式として,2章で再生音場の周囲全体に設置したスピーカーで音
場の波面を再現する方式について述べ,3章でWFSなど音場の片側にスピーカーを設置
して音場の波面を再現する方式を説明する。4章ではアンビソニックスなど音の方向の
再現を目指す方式について述べる。また,5章では,音の方向を再現する考え方をマル
チチャンネル音響に適用して,チャンネル数の変換を行う方法について概説する。
2.キルヒホッフ−ヘルムホルツ(Kirchhoff­Helmholtz)の積分定理
に基づく音場再現
波の伝搬や回折を説明する原理として,ホイヘンス−フレネル(Huygens­Fresnel)の
原理が知られている。この原理は1図に示すように,伝搬する波の波面から2次波面が
生成され,2次波面の包絡によって次の波面が生成されるという原理である。この原理
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2 次波源
波源
1図 ホイヘンス−フレネルの原理
n
rr
r
r
2図 音場内の領域 V
をより厳密に記述したものが,キルヒホッフ−ヘルムホルツの積分定理である1)。
いま,音波が到来している場(音場)を音圧p
(r, t)
で表す。ここに,rは音場内の位置,
(r, ω)
で表す。以下,フーリエ変
tは時刻である。また,音圧p
(r, t)
のフーリエ変換*1をp
換した後の周波数領域を用いて音場を記述する。音場内に2図のような領域Vを考える。
*1
時間関数を周波数関数として表
すための変換。
2図においてSはVを囲む閉曲面,rAはV内の任意の点,nはS上の点rにおける外向き法線
方向の単位ベクトルである。このとき,キルヒホッフ−ヘルムホルツの積分定理は,
(1)
で表される。ここに,jは虚数単位,kは波長定数,∂/∂nは法線方向(n方向)の偏微分を
表す。
(1)
式において,関数
(2)
はモノポール関数と呼ばれ,音源の大きさが波長と比較して十分に小さい場合に全指向
性音源からの音波をよく近似する関数である。
(2)
式は点rAに置かれた全指向性音源を表
している。また,
(3)
はダイポール関数と呼ばれ,音源の大きさが波長と比較して十分に小さい場合に両指向
性音源からの音波をよく近似する関数である。
(3)
式は点rAに置かれた主軸がn方向を向
いた両指向性音源を表している。
こうばい
(1)
式の被積分項は境界上の点rに置かれた音圧勾配∂p
(r, ω)
/∂nに等しい強さを持つ全
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原空間
(ホールなど)
再生空間
受音領域
録音再生
システム
3図 Camrasの方法による音場再現
指向性音源と,音圧­p
(r, ω)
に等しい強さを持つ両指向性音源による点rAにおける音圧の
和を表している。従って,点rAにおける音圧は境界面S上のすべての点rで積分したときの
総和で表される2)。
キルヒホッフ−ヘルムホルツの積分定理はコンサートホールなどの原空間に設定され
た受音領域境界での音圧と音圧勾配を観測し,それを別空間の境界領域で再現すること
で原音場をそのまま再現できることを保証している。このアイディアは1960年代に
Camrasによって提案された3)。この方法は原空間の受音領域境界に全指向性マイクロホ
*2
全指向性マイクロホンは振動膜
の前面の音圧を電気信号に変換
し,両指向性マイクロホンは振
動膜の前面と背面の音圧の勾配
(差)を電気信号に変換する。
ンと両指向性マイクロホンを設置して音圧と音圧勾配を記録し*2,その値に基づいて再
生空間の境界に設置されたモノポール音源とダイポール音源を駆動して元の音場を再現
するというものである。3図にCamrasの方法を示す。Camrasの方法では,再生空間に
無数の音源を設置する必要があるほか,音の全周波数帯域にわたってモノポール特性や
ダイポール特性を持つスピーカーが無いことが問題とされた。
この問題を解決するために提案されたのが伊勢らによる境界音場制御法である4)。境界
音場制御法の原理を4図に示す。4図において,境界面上に並んだ○印はマイクロホン
である。境界音場制御法の特徴は再生空間を囲む境界領域にスピーカーを設置する代わ
りにマイクロホンを設置し,このマイクロホンで観測される信号が,原空間の受音境界
領域で観測したマイクロホン信号と同じ信号になるように再生空間の周囲に設置したス
ピーカーの入力信号を制御するというものである。従って,境界音場制御法では,再生
空間におけるスピーカーからマイクロホンまでの,いわゆる,多入力多出力(MIMO:
Multiple Input Multiple Output)伝達特性の逆特性を解く必要がある。この逆特性を解
くという問題は決して易しい問題ではないが,一度,再生空間において解けば,どのよ
うな原空間に対しても適用が可能である。
3.レイリー(Rayleigh)積分に基づく音場再現
キルヒホッフ−ヘルムホルツの積分定理は5図に示すように,境界面を平面S1と部分
球面S2とに分割した後,S2の半径を無限大にすることによって,第1種レイリー積分と第
2種レイリー積分に変形される2)。第1種レイリー積分は
(4)
で表され,第2種レイリー積分は
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○ :マイクロホン
音源
原空間
受音領域
○ :マイクロホン
再生空間
再生エリア
4図 境界音場制御法
n
r
rA
A
S
A
A
S
x y
5図 境界面 S 1, S 2
(5)
で表される。ここで,法線方向nとz軸方向が等しいので,∂nを∂zで置き換えている。第
1種レイリー積分または第2種レイリー積分とキルヒホッフ−ヘルムホルツ積分定理と
は被積分項が音圧勾配∂p
(r, ω)
/∂zまたは音圧p
(r, ω)
だけの項となっている点と,受音領
域を囲む閉曲面で積分する代わりに音源と受音領域の間に位置した平面S1だけで積分する
点が異なっている。6図にレイリー積分を用いた波面合成の例を示す。
第1種レイリー積分は平面上に配置した両指向性マイクロホンによって音圧勾配
∂p
(r, ω)
/∂zを観測し,この信号を用いてモノポール音源を駆動することで原音場を再現
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2 次音源
音源
6図 レイリー積分を用いた波面合成
収音系
再生系
r
音源
r
1
7図 WFSによる音場合成
する。一方,第2種レイリー積分は平面上に配置した全指向性マイクロホンによって音
圧を観測し,この信号を用いて−z方向に主軸を持つダイポール音源を駆動して,原音場
を再現する。レイリー積分に基づく音場再現も原空間で観測された信号を別空間で再現
してその音場を再現するということにおいて,2章で述べたキルヒホッフ−ヘルムホル
ツの積分定理を用いた方法と同じである。
これに対して,Berkhoutらはレイリー積分に基づいて音場を合成するWFSを提案し
5)
6)
た
。WFSは原空間における収音系と再生空間における再生系を分離して扱うことが特
徴である。なお,WFSでは無限平面上に2次元的にスピーカーを並べる代わりに1次元
的にラインアレイスピーカーを並べて近似再生を行う方法が一般的である。7図にWFS
における収音・再生系を示す。WFSでは原空間の代わりに仮想的な空間を想定し,仮想
空間での音の伝搬を模擬した信号を再生系に入力する。例えば,仮想空間において22.2
マルチチャンネル音響7)の前方11チャンネルのスピーカー位置に音源を設置し,それに
よって得られる波面をアレイスピーカーで合成することで,22.2マルチチャンネル音響コ
ンテンツの前方の音をWFSで再生することが可能となる。
WFSの研究開発はヨーロッパにおいて盛んであり,平板パネルの後ろに数個のアク
チュエーターを付けたMulti­actuator PanelによるWFSシステムをフランスのIRCAM
(国立音楽音響研究所)が開発している。また,ベルリン工科大学ドイツテレコム研究所
の円状スピーカーアレイを用いたWFSサークル,ドイツのフラウンホーファーIDMT
(Institute for Digital Media Technology)研究所のWFSシアターなどがよく知られて
18
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( )
2π
0
=
定数成分
全指向性
2π
0
+
両指向性
1次の cos 成分
2π
0
+
−
0
π/2
+
+
1次の sin 成分
2π
0
−
+
8図 受音点に入射する音の方向性パターンのフーリエ表現
いる8)。更に,最近では,車載用のWFSシステムも開発されている9)。
4.球面調和関数展開に基づく音場再現
Cooperと志賀は受音点で観測される音の方向をフーリエ表現する手法を提案してい
(θ)
で表すと,S
(θ)
は8図
る10)。ある受音点に入射する音の方向パターンを角度θの関数S
のように,方向に依存しない定数成分と1次のcos成分,sin成分,2次のcos成分,sin
成分…という形に分解できる。定数成分に対応する指向性を持つ収音デバイスは全指向
性マイクロホンであり,1次の成分に対応する収音デバイスは両指向性マイクロホンで
ある。従って,全指向性マイクロホンを利用して定数成分が,両指向性マイクロホンを
利用して1次の係数が観測できる。このような音の方向パターンに基づいて,Gerzon
はモノフォニックから2チャンネルステレオ,水平面内のサラウンド,3次元音響まで
を階層的に記述するアンビソニックス方式を提案した11)。アンビソニックスでは,受音
点における音圧を後に示す球面調和関数で展開し,一定次数以上の展開係数を無視する
ことで音の方向パターンを近似的に表す。9図に0次と1次だけを利用した場合のアン
ビソニックス空間収音方式を示す。9図においてWは全指向性マイクロホンの指向特性
であり,これを用いて0次の展開係数を観測する。X,Y,Zはそれぞれx軸,y軸,z軸方
向に主軸を持つ両指向性マイクロホンの指向特性であり,1次の展開係数を観測する。
また,近年ではアンビソニックスの考え方を拡張し,高次の展開係数まで用いて,音の
到来方向を球面調和関数展開する方法の研究が盛んである*3。以下,拡張されたアンビ
*3
このような方法はHigher Order
Ambisonics(HOA)と呼ばれる
ことがある。
ソニックスについて解説する13)。
任意の方向
(ψ, φ)
から平面音波が到来する場合を考える。ここに,ψは到来方向の方位
角,φは到来方向の仰角である。また,10図に示すようにベクトルrで表される受音点P
の方向を
(θ, )
とし,原点からの距離をrと表す。点Pは直交座標で
(6)
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上
Z
+
前
X
ー
+
W
ー
+
Y
左
ー
12)
9図 アンビソニックス空間収音方式
受音点 P
r
10図 極座標系
と表される。ここで,Tは転置行列を表す。このとき,受音点Pでの音圧は球面調和関数
を用いて,
*4
ベッセル関数はベッセルの微分
方程式の特殊解の1つ。球ベッ
セル関数はベッセル関数で定義
される関数の1つ。
*5
球面調和関数は波動方程式を極
座標表現する際に現れる関数で,
波の動きの角度方向成分を表現
する。
(8)
式における平方根で
表される係数は球面調和関数を
正規直交関数とするための正規
化係数である。
20
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(7)
は
と展開できる14)。ここに,Qは音源の出力であり,YはYの複素共役である。また,j(z)
n
第1種球ベッセル(Bessel)関数*4であり,動径方向(r方向)の音圧の変動を表す。また,
(8)
は球面調和関数15)*5であり,角度方向での音圧の変動を表す。球面調和関数における
観測側
再生側
入力 al
受音点 P
r
受音点
11図 受音点を取り囲んだスピーカーによる平面波音圧の合成
m
P(x)
は第1種ルジャンドル(Legendre)陪関数*6であり,
n
{
}
(9)
*6
ルジャンドル関数はルジャンド
ル微分方程式の解であり,整数
nはルジャンドル微分方程式に現
れるパ ラ メ ー タ ー で あ る。ル
ジャンドル陪関数はルジャンド
ル微分方程式をm回偏微分した
微分方程式の解。
(9)
式に現れ
るn,mはこれらのパラメーター
に対応している。
(9)
式の{ }内はxのベキ乗の係数が0になる項で打ち切られる。
で表される15)。ただし,
いま,原点を中心とした半径σの球面上にN個配置されたスピーカーによって,方向
(ψ, φ)
から到来した平面音波の受音点Pにおける音圧を合成する問題を考える。この際,
受音点は球の内部に含まれる(r<σ)とする。11図にこの様子を示す。いま,l番目のス
ピーカー方向を
(θl ,
,そのスピーカー入力をa(k)
とし,スピーカーからの音波も平面
l)
l
*7
波で近似すると
*7
音源と受音点との距離が近接し
ていない場合には,スピーカー
からの音波は平面波で近似でき
る。
,N個のスピーカーによる合成音圧は(7)
式と同様に球面調和関数展
開により
(10)
で表される。
(7)
式と(10)
式が一致した場合に,
(ψ, φ)
方向から到来した音波がスピー
カーによって再現される。この条件を球面調和関数の直交性を用いて解き,展開次数n
を一定数Mまでに制限することでアンビソニックスの基本式
(11)
が得られる。
(11)
式の右辺は
(ψ, φ)
方向から到来した音波の直交展開係数を表し,左辺は
N個のスピーカーで再生した音波の直交展開係数を表す。
以下,
(11)
式で展開次数を1までに制限した場合(M=1)について計算した例を示
す。第1種ルジャンドル陪関数は
(12)
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21
なので,1次のアンビソニックスの場合の基本式は
(13)
となる。
(13)
式の第2式と第4式の和および差から,
(14)
が得られる。
(13)
式と(14)
式より
(15)
を得る。
(15)
式の右辺はそれぞれ9図のW,X,Y,Zマイクロホンによって観測される
信号である。また,
(15)
式の左辺の角度θl, (l=1,
. . . , N)はスピーカー位置で規定され
l
をスピーカーに入力することによって到来す
ている。従って,
(15)
式を満たす信号a(k)
l
る音波を再現することができる。
アンビソニックスの収音については,球状のマイクロホンアレイがよく研究されてい
る16)。実際に,32個の小型マイクロホンカプセルを持ち,4次までのアンビソニックス
係数を観測できるマイクロホンアレイが商品化されている17)。また,近年の音場再生理
論では,球面調和関数展開を用いて音場を表現する手法が主流である18)19)。更に,3章
で述べたWFSとアンビソニックスを統一的に扱う試みもなされている20)。
5.異なるチャンネル数を持つマルチチャンネル音響信号間の変換
22.2マルチチャンネル音響を家庭で楽しむためには24個のスピーカーを設置する必要が
あるが,24個のスピーカーを設置することが困難な場合がある。そこで,チャンネル数
やスピーカー配置が異なるシステムにおいて,それぞれのシステムで再生した音の物理
量を受音点で同じにするための信号変換の研究を進めている21)。この方法は2章や3章
で述べたような,原音場の波面を再現する方法ではなく,ミキシングスタジオなどで作
られた音場(原空間の音場)を別空間で再現する方法である。提案する方法では4章で
22
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チャンネル
音響信号
s
チャンネル
音響信号
s
F
×
行列
q
F
フーリエ
変換
q
フーリエ
逆変換
s
原空間の
音響伝搬特性
∼
音響物理量の
一致
s
再生空間の
音響伝搬特性
∼
12図 マルチチャンネル音響システム間の信号変換
1表 隠れ基準付き3刺激2重盲検法での評点の付け方
5.0
違いがわからない
4.0
違いがわかるが気にならない
3.0
違いがやや気になる
2.0
違いが気になる
1.0
違いが非常に気になる
述べた方法と同様に,受音点での音の方向を再現する。12図に信号変換方式のブロック
図を示す。
まず,スピーカーからの音波を(2)
式のモノポール関数で表す。従って,原空間での
スピーカー数がnの場合には,原空間の音場はn個のモノポール関数の和で表される。音
波の方向を考慮すると,原空間での音響物理量は3次元のベクトル量で表される。従っ
て,12図に示した原空間での音響伝搬特性*8Hdはスピーカー信号を3次元の音響物理ベ
*8
スピーカーから受音点までの音
の伝搬特性の総和。
∼
クトルに変換する3×n行列となる。同様に,再生空間での音響伝搬特性Hdは3×m行列
となる。求める変換行列Wは方程式
∼
(16)
を満たすが,実際には(16)
式はx,y,z成分による3つの式の連立方程式なので,m>3
の場合には,式の数よりも変数の数が多い劣決定問題*9となり,解の数は無数に存在す
*9
線形連立方程式において,変数
の数が式の数より多い場合の問
題。
る。そこで,無限個ある解の中から解析的な解*10を得るために,再生空間を隣り合う3
つのスピーカーを頂点とする三角形で分割する。すなわち,提案する方式は再生空間の
*10
数値計算によって求められる解
ではなく,式として表現できる
解のこと。
隣り合う3つのスピーカーを利用して原空間のスピーカー位置に仮想音像を形成する方
式となる。
提案する方式を用いて,22.2マルチチャンネル音響の低音効果用のLFE(Low
Frequency Effect)チャンネルを除いた22チャンネル信号をさまざまなスピーカー配置
に対応した少ないチャンネル数の信号に変換して,その再生音の空間的印象を評価した。
音の空間的印象としては音の方向と音による包み込まれ感を用いた。評価法には隠れ基
準付き3刺激2重盲検法22)を用いた。この方法は22チャンネルの音を基準音として,2
つの評価音を1表に示す5段階評価で評価するものである。2つの評価音の1つは基準
音と同じであり,これを隠れ基準と呼ぶ。もう1つの評価音はチャンネル数を減らした
音である。チャンネル数を減らした音に対する評価値から,隠れ基準音に対する評価値
を差し引いた差分値(Difference Grade)で評価する。まず,上層/中層/下層のスピー
カー数が9/10/3である22チャンネル信号から3種類のスピーカー配置に対応する10チャ
ンネル信号に変換した場合について実験を行った。3種類のスピーカー配置の上層/中層
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23
/下層のスピーカー数はそれぞれ4/5/1,3/6/1,3/5/2である。38人の被験者に対して主観
評価実験を行った結果,2種類の空間的印象に対する差分値はいずれのスピーカー配置
に対しても−0.8以上であった。そこで,更にチャンネル数の少ない8チャンネル,6
チャンネルの信号に変換して実験を行った。各チャンネル数に対して,3種類ずつのス
ピーカー配置を用意した。8チャンネルスピーカー配置の上層/中層/下層のスピーカー
数は3/4/1,2/5/1,2/4/2であり,6チャンネルの場合は2/4/0,1/5/0,1/4/1であった。
32人の被験者に対して主観評価実験を行った結果,8チャンネルに変換した場合には2
種類の空間的印象に対する差分値は−1.0程度であるが,6チャンネルに変換した場合の
差分値は−1.0以下となることがわかった。すなわち,22チャンネルを8チャンネルまで
減らした場合においては,音の印象の変化が気にならないレベル(差分値−1.0以上)に
保つことができることがわかった。
6.おわりに
音場の波面を正確に再現することを目指した音場再現方式について,現在の研究動向
およびその背景となる理論を紹介した。2チャンネル音響やマルチチャンネル音響は音
場の波面の正確な再現を目指した方式ではなく,スタジオなどで臨場感の高い音場を作
るためのシステムである。しかし,マルチチャンネル音響間の信号変換を行う際に
は,5章で述べたように音圧などの音響物理量の一致という手法に頼らざるを得ない。
一方,音響物理量の再現を目指したWFSでは,それを普及させるために,再生音の劣化
がわからない範囲でスピーカー数を削減する試みが行われている。今後の高臨場感音響
システムは音響物理量の可能なかぎりの正確な再現と,人間に知覚されない範囲内での
近似的な再現とのバランスを考慮して発展していくと思われる。
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in Audio Systems Including Multichannel Sound Systems,
”
(1997)
あんどう あ き お
安藤彰男
1980年入局。京都放送局を経
て,1983年より放送技術研究
所勤務。音声認識,電気音響
変換,音響信号処理,音響認
知科学などの研究に従事。現
在,放送技術研究所テレビ方
式 研 究 部 主 任 研 究 員。博 士
(工学)
。
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