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復習編 - Z会

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復習編 - Z会
TD1011HL1K1BA-001
復習編見本
小論文実践 課題文型
セレクトシリーズ
社会について
次の文章A・Bを読んで、あとの問に答えなさい。
※著作権法の都合により課題文は掲載しません。
(一〇〇点)
問題
課題文を踏まえて、「現代人の人間関係」について、あなたの見解を六〇〇字以内で論述しなさい。
(一〇〇点)
TD1011HL1K1BA-004
出題のねらい
ふたつの文章から筆者の指摘する現代の若者の特色を把握した上で、そうした若者の例を手がかりとして、「現代
人の人間関係」を考え直すことが、出題者が諸君に求める今回の課題である。つまり、我々が現代社会においてどの
ように生きているか、また他者との関係をいかに形成することで生きているか、といったことを問うのが今回の出題
のねらいなのである。その手がかりとすべき課題文は、ふたつの部分からなるとはいえ、読みやすく、扱われている
内容もわかりやすいので、理解するのにさほど困難はないだろう。とくに、取り上げられているのが、君たちと同世
代の若者であるため、話題になっている「ちょっとした贈り物」あるいは「ランチメイト症候群」には、自分自身で
思い当たるふしがあるという人もいるかもしれない。
〈現代人の生き様を問う〉というテーマは、小論文ではよく取り上げられるテーマである。人生論や人間の生き方
を問う人文系の小論文、あるいは教育系や社会系の小論文においても頻出のテーマだといえる。中でも人間関係のあ
り方は、例えば「いじめ」の問題が教育系での重要論題であるように、様々な角度から議論されることが多い。今後
諸君もこの種のテーマに取り組むことがあるだろう。そういったときに、今回の課題文や苦労して書いた論述の内容
を是非とも活用してほしい。そのためには、以下の解説をよく読んで、十分に復習をすることが必要だ。自分が思い
つかなかったような論述の方向性を知ることで、より豊かな発想ができるようになってほしい。
TD1011HL1K1BA-005
香山リカ著『若者の法則』
(岩波新書
二〇〇二年)の第二章「『どこ
かでだれかとつながりたい』の法則」から、第五節の「贈り物」と第七
節「食事」のふたつのエピソードを引用した。
筆者の香山リカは、一九六〇年北海道生まれ。東京医科大学卒の精神
科医で、帝塚山学院大学の教授である。新聞・雑誌などに多くの記事を
設問要求について
設問の求めるところは次の二点である。
⑴課題文を踏まえること。
めている研究者である。その文章は、非常に平易で、わかりやすい。難
徴」を考えておけばよい。しかし、今回はそれだけでは十分ではない。
⑴に関しては、普通ならば、課題文に書かれている「現代の若者の特
⑵「現代人の人間関係」についての見解を六〇〇字以内で論述すること。
解な理論や用語を振り回さずに、わかりやすい物言いで鋭い見解を提出
課題文の内容をさらに考えて、理解を深めておく必要がある。そこで、
執筆したり、コメントを寄せたりと活発に活動している、現在注目を集
できるところに、香山氏の有能さが表れており、人気を博する理由でも
次のふたつの作業に取りかかるべきなのだ。
るものの、現代の大人に対する筆者の目線にもなかなか厳しいものがあ
「 出 典 研 究 」 で も 示 し た よ う に、 文 章 A・ B は「『 ど こ か で だ れ か と つ
で は、( ア ) の、〈 課 題 文 A・ B に 共 通 し た 論 点 〉 と は 何 で あ ろ う か。
(イ)
「現
代の若者の特徴」から、主題である「現代人の人間関係」にい
かに結び付けていくかを考える。
(ア)課題文A・Bに描かれている若者像から「共通した論点」を導き
出す。
あろう。
著作には、
『ぷちナショナリズム症候群
若者たちのニッポン主義』、
——
(中公新書ラクレ
二〇〇二年)
『結婚がこわい』(講談社
二〇〇四年)
など多数あるが、とりあえずは今回出題した『若者の法則』を読んでほ
し い。 例 え ば、 第 四 章 の「
『関係ないことまでかまっちゃいられない』
の法則」は、大人が批判する若者の様態を的確につかみ出しており、諸
る。この大人たちへの批判もまた、諸君が現代人や現代社会を考えるさ
ながりたい』の法則」という章からの引用である。すなわち、文章Aの
君には是非とも読んでほしい内容である。また、若者の法則を扱ってい
いの貴重な参考資料となるだろう。
ちょっとした贈り物をする若者は、贈り物を通じてだれかとつながって
い た い と 考 え る の で あ り、 文 章 B の ラ ン チ メ イ ト 症 候 群 に な る 若 者 は、
だ れ と も つ な が り を 結 べ な か っ た ら ど う し よ う と 不 安 に な る の で あ る。
TD1011HL1K1BA-006
あ る。 こ こ で 重 要 な こ と は、 若 者 の つ な が り の 求 め 方 が コ ミ ュ ニ ケ ー
要するに、課題文が描くのは他者とのつながりを求める若者像なので
ことを考えていってもよいし、大人を批判的に論じてもよいし、さらに
論じてもよいということである。若者世代である君たちは、自分たちの
だといえる。つまり、若者を論じてもよいし、若者以外の人々について
あり、「人間関係」である。
「現代人」というテーマは、論述での考察対
ションの成立しないような 拙 いもの(文章A)であるし、さらにそこ
はより年少の子供たちを論述の対象にしてもよいということである。
この「どこかでだれかとつながりたい」ということが、文章A・Bの共
には自己イメージが形成できていない未熟さも見える(文章B)という
「人間関係」というテーマは、論述すべき内容の絞り込みであり、
「人
象が若者に限らないという点で、より論述の方向性を拡げてくれる条件
点である。このように、文章A・Bのふたつの記述から、課題文全体が
間関係」を取り扱った論述でなければならないということである。(ア)
通点だといえる。
描き出す若者像とその問題点をつかみ取る必要がある。これができては
で見た現代の若者の求める人間関係は、「人間関係」というテーマで論
つたな
じめて、課題文を十分に理解できているということになるし、「課題文
述するさいの重要な手がかりになるだろう。つまり、若者の人間関係形
(1)課題文から手がかりを探す
論述の方向性
だけ着目して論述の材料にするだけになるかもしれない。課題文の受け
何を書けばよいのかがまったく思い浮かばないときにすべきことは、
成上の問題点を論述に活用すればよいのである。
を踏まえ」るということができるのである。
この(ア)の作業が欠落すると、どのようなことになるだろうか。例
えば、課題文の描写を、現代の若者たちの様々な態様の単なる一例と考
さ さい
えるだけで、若者たちへのさらなる分析を試みない底の浅い論述になっ
とめ方が表面的なものにとどまると、論述内容も薄っぺらなものになり
これまで見てきたように、課題文を踏まえるという作業を通じて、課題
てしまうかもしれない。また、課題文が示すエピソードの些細な部分に
かねない。
(ア)の作業は、論述のレベルを上げるために不可欠な作業
文 の「 気 に な る と こ ろ 」 を チ ェ ッ ク す る こ と で、 論 述 の 材 料 を 見 つ け
文の中から論述の手がかりを探すことである。そこで、ここでは、課題
次に、
(イ)に関して確認しておこう。(イ)の作業を行うということ
出してみよう。もちろん、
「気になるところ」は各自異なるはずである。
であるといえるのだ。
は、先の設問要求の⑴「課題文を踏まえること」から、⑵「『現代人の
ここでは、その例をいくつか取り上げておこう。
では、文章Aからはじめよう。
◎贈り物に込められたメッセージは伝わらない
ションは成立しない
正
= しいコミュニケー
人間関係』についての見解を六〇〇字以内で論述すること」へと、さら
に対応していくことに気づきたい。つまり、この(イ)も重要な作業だ
ということだ。
さて、
(ア)で見たように、課題文は材料として「現代の若者」につ
いての論点を提供してくれる。ところが、論述のテーマは「現代人」で
TD1011HL1K1BA-007
ミュニケーションが成立しないというが、それは大人と若者との間のこ
違いの結果かもしれない。つまり、メッセージが伝わらない、正しいコ
いる。しかし、これは大人である筆者と若者である患者との意思のすれ
の実例として、患者の高校生から筆者が受け取った贈り物を取り上げて
一環として食事するのは変だという感想を抱いて当然である。こういう
の食事で、同席しているのは友人ではなく同僚であるとしても、仕事の
とおかしいのではないか?」といった疑問が浮かんでくる。仕事の途中
と食べるということが指摘されている。「この大人たちの様子は、ちょっ
大学の学食での場面で、職員や教員は大勢で食事をする場合でも黙々
◎大人は仕事の一環のようにランチをとる
とであって、若者どうしだとメッセージは伝わり、正しいコミュニケー
大人のあり方を見ると、
〈若者のほうが人間のあり方としてはまだまと
筆者は、若者のちょっとした贈り物についてこのように論評する。そ
ションが成立するのかもしれない。また、若者には、そもそも何かを伝
もだ〉といった議論は展開可能である。
関係の取り結び方を分析し、批判していく論述を考えてみよう。
課題文では若者が描かれているが、それを出発点に、大人たちの人間
えようとか、コミュニケーションをとろう、といった思いなどないと考
えることもできる。このようなことを手がかりに、大人と若者では人間
関係を形成する仕方が、とくに意思の伝達方法やコミュニケーションの
ができるだろう。また、
「なんとなく好き、の空気」の増殖の是非を論
ない。ここにも、大人と若者の間での認識上のギャップを見いだすこと
とっては、この若者のあいまいな行為がわかりにくいものなのかもしれ
的・動機がはっきりとした大人の贈り物と比べれば、大人である筆者に
な目的で贈り物をすること自体を批判しているわけではない。しかし目
これが、文章Aにおける筆者の結論である。筆者は、若者がこのよう
◎若者の贈り物は「なんとなく好き、の空気」を増殖させるためのもの
れる「会食恐怖症候群」の若者は、筆者の言うように自己イメージはで
とも可能であろう。さらに、ランチメイト症候群と対比して取り上げら
また、そもそも自己イメージの形成とはどういうことかを考えていくこ
懸命に自己イメージを形成しようとしていると評価することもできる。
上がっていない」がゆえに自己確認をしているのだと考えれば、若者は
は、自己確認の場だという。だが、このことを、
「自己イメージができ
ジができ上がっていない」と評し、こういう若者にとって仲間との食事
筆者は文章Bの結論部で、ランチメイト症候群の若者を「自己イメー
あり方が違っている点を論じることができるだろう。
じてもよいし、こういうことを目的に贈り物をする若者は周囲に気を配
きているかもしれないが、人間関係の形成という点では明らかにランチ
◎ランチメイト症候群の若者に対する筆者の評価
る優しい存在だ、と言うこともできよう。こう考えれば、若者を擁護す
メイト症候群の若者よりも問題が大きそうだといえよう。つまり、「ど
こかでだれかとつながりたい」と願う現在の若者のほうが人間関係の形
る論述も十分に展開可能だといえる。
続いて、文章Bから手がかりを探ってみよう。
成についてより敏感だと、肯定的に評価することもできるのである。
TD1011HL1K1BA-008
(2)基本的な論述の方向性
ランチを一緒に食べる仲間は、例えば友人、さらには親友と呼べる存在
たいどのような存在なのであろうか。ちょっとした贈り物を渡す相手、
なのだろうか。文章Bでのランチを一緒に食べる仲間は、まさにランチ
次に、これまで見てきた手がかりをもとに、どのような方向性で論述
を展開できるかを考えておこう。
メイト(お昼ごはんを一緒に食べる友達)であって、ランチタイム以外
で も 親 し く 付 き 合 っ て い る の か は 不 明 の よ う で あ る。 こ の よ う な 相 手・
仲間を求めている若者には、実は友人や親友と呼べる存在がいないのか
◎一人であること、一人で生きることへの不安が大きい現代人
「どこかでだれかとつながりたい」と考える若者が課題文では描かれ
もしれない。こういう現代人の希薄な人間関係を問う論述が展開できる。
もちろんこの人間関係の希薄さはどのようにも評価できる。一生の友
ているが、このような思いに駆られるのは何も若者だけとは限らないは
ずである。現代人が感じる、
〈孤独であることへの不安や恐れ〉を論述
論述展開としては、こうした不安の原因や不安を生み出す社会的背景
はさっぱりとした好ましい人間関係であるともいえるのである。課題文
といったように考える人にとっては、ランチタイムだけの友達というの
人といった濃厚な人間関係を、べたべたとした相互の過剰な依存や関与
を 探 る も の が 考 え ら れ る。 不 安 の 原 因 と し て は、 例 え ば 課 題 文 に あ る
を手がかりに、現代人にとっての仲間や友人という視点から、
「現代人
の主題として取り上げることができる。
よ う な、 人 間 と し て の 未 成 熟 さ を 取 り 上 げ る こ と が で き る。 こ の 場 合
の人間関係」を論じていけばよい。
◎「どこかでだれかとつながりたい」というのは若者に限った特徴では
は、
「ではなぜ現代人は未熟なのか」という点をさらに問うことが必要
だ。
「成長過程で自分自身を見直す機会が少ない」とか、「過保護に育て
られた結果、自立心が不足している」といった議論は展開できそうであ
いった社会の現実の場面では仲間意識がまだまだ根強く、仲間集団から
社 会 的 背 景 と し て は、 個 人 主 義 が 喧 伝 さ れ る 一 方 で、 職 場 や 学 校 と
化・一般化する議論も成立しうる。この場合に、若者だけではないとい
限 っ た こ と で は な い 」 と、 現 代 人 と い う 観 点 か ら こ う い う 現 象 を 普 遍
課題文の指摘を受けて、「他者とのつながりを求めるのは若者だけに
ない
はぐれると例えばいじめの対象になるといった実態があることを考えて
う根拠を示しておくことが大切だ。若者以外の適切な事例を思いつくな
る。
もよい。すなわち、日本社会では、仲間を形成することが人間関係の基
らば挙げておこう。その場合に、課題文では、贈り物というモノに込め
けん でん
本であり、それゆえに仲間集団の外において一人で生きることが不可能
る思い、ランチという日常の生活に込める思いが取り上げられている点
う課題文の指摘に対する反例を提示して、独自な議論をする論述である。
要するに、贈り物やランチに込める思いは「大人」と若者では違うとい
を考慮して、同じようなモノや生活の一場面を取り上げるとよいだろう。
な状況に、我々現代人は置かれていると考えられるのである。
◎仲間としての「みんな」と、友人・親友という存在の違い
課題文に登場する若者がつながりを求める相手は、若者にとっていっ
TD1011HL1K1BA-009
(3)自己分析型の論述
最後に、書きやすいが失敗しやすくもある論述スタイルである、「自
己 分 析 型 の 論 述 」 を 見 て お こ う。 課 題 文 で 取 り 上 げ ら れ て い る の が 諸
君と同じ世代の若者であるので、
「どこかでだれかとつながりたい」と
いう願望を持つという点に、諸君も共感を覚えるかもしれない。また、
ち ょ っ と し た 贈 り 物( 例 え ば、 具 体 例 に 挙 が っ て い る プ リ ク ラ や シ ー
ル)の交換や、ランチメイトの存在といったことにも思い当たる節があ
ることだろう。自分自身の体験や自分の周囲にいる若者のことを取り上
げて書いていけばよい。
そのさいに、課題文の話を再確認するだけの論述にとどまらないよう
にしたい。〝自分の身の周りにも同じようなことがある〟というだけでは、
高い評価を得る論述にはならない。やはり、それなりの分析が必要なの
だ。できれば、課題文とは違う切り口から「どこかでだれかとつながり
たい」という若者の願望を議論したいものである。
TD1011HL1K1BA-010
■解答例1について■
解
答
例
■解答例1■
あるような、仲間を求めて思い悩んでいる若者の姿は、大人たちから見れば情けないもの
いつの世でも、若者の生き方は大人たちから批判を浴びせられるようである。課題文に
①課題文で描かれている若者の姿を大人たち
なのだろう。しかし、大人たちは若者に対してこういう批判的な眼差しを向けるが、他方
[論述の意図]
の姿と重ねることで、現代の日本人一般に
で自分たちの姿を正しく認識しているのだろうか。
日本人を評して、個人主義ではなく集団主義であるとか、集団の和を大切にするといっ
話を広げること。
②若者に見られるような日本人の人間関係の
たことが、これまでしばしば指摘されてきた。すなわち、今の大人たちをはじめ、先人た
ちは、集団的だといった評価をこれまで受けてきたのである。日本人は、この狭い国土に
形成を肯定的にとらえること。
[構成]
群がりながら生きてきたため、他人との関係をいかに良好に保つかという点に非常に気を
は、社会に生きる人間にとって当然の思いであるし、むしろ好ましい思いだと考えるから
こういう生き方を、私は否定的にとらえない。他人との関係を良好にしようという思い
大人たちの姿でもあるといえるのだ。
ても変わりないといえる。つまり、他人とのつながりを求め、思い悩む若者の姿は、実は
配ってきたといえる。この日本人の特性は、昔も今も、そして今の大人たちや若者に関し
①課題文を受けて、大人のあり方へと話を進
める。
②集団主義を取り上げ、日本人全体の特性と
して把握する。
③この集団主義への肯定的評価を結論として
提出する。
である。日本人の人間関係の形成は、この若者たちのようにナイーブなものであるといえ
る。そして、日本人の仲間を求めるこのナイーブな思いが、同じ思いを抱く他者への共感
となり、他者への寛容へとつながるならば、これは日本人の美徳のひとつにもなるだろう
と私は考えている。
(一行二〇字詰換算
六〇〇字)
TD1011HL1K1BA-011
■解答例2について■
[論述の意図]
①課題文を受けて、現代の若者の分析を独自
に行う。
②若者の人間関係の形成に対する批判論を展
開する。
[構成]
①人間関係の形成が苦手な若者という論点を
提出する。
②周囲との良好な関係に固執することへの批
判を行う。
③自分らしく強く生きることの必要性を主張
する。
■解答例2■
課題文が示す若者の特徴は、すべての若者にあてはまるわけではないが、現在の若者の
全般的な姿を示唆しているといえる。贈り物のやり取りをしたり、昼食時にあれやこれや
の話題を取り上げたりして、なんとか他人とのつながりを持とうとする若者は、もともと
人間関係の形成が苦手な人なのだろう。そして、まったく他人との関係を作れないといっ
た不幸な場合には、人間関係の形成自体をあきらめて、家に引きこもったりするのではな
いだろうか。
私たちは社会に生きているのだから、どこかで他人とかかわらなければならない。重要
なのは、そのかかわり方だ。昼食を誰かと一緒にとることにそれほど大きな意味があると
は思えない。ランチメイトが大勢いるよりも、本当に信頼できる友人が一人でもいる方が
ずっと大切だと私は思う。友人との関係に悩むのは、理解できることだ。しかし、もっと
付き合いの薄い、クラスメイトや職場の同僚などとの関係で思い悩んでいては、ただただ
疲れてしまうだけだ。ランチメイトがいてもいなくても別に気にすることはない。贈り物
のやり取りも、したければすればよいだけのことだ。回りのすべての人と良好な関係をつ
くろうなんて考えるべきではない。人間関係の形成が苦手で、他人とうまく付き合うこと
ができなくとも、自分は自分だと堂々と生きることが大切だ。そして、そのような自分に
自信を持った生き方をしていれば、いつか本当の友人と呼べる人とも出会えると思う。
(一行二〇字詰換算
六〇〇字)
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