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1 序章 地域資源と嘉飯地域 ....................................................

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1 序章 地域資源と嘉飯地域 ....................................................
序章 地域資源と嘉飯地域 ................................................................................ 3
1.地域資源とその活用の考え方 .................................................................. 3
2.嘉飯地域における地域活性プロジェクトの考え方 .................................. 5
第1章 食・農・観光 ....................................................................................... 6
1.ひよ子本舗吉野堂 .................................................................................... 6
2.さかえ屋 .................................................................................................. 8
3.ふれあい市(穂波・飯塚) ...................................................................... 9
4.稲築かっぱ村 ......................................................................................... 12
5.嘉穂町物産館「カッホー馬古屏」 ......................................................... 13
6.学童農業体験学習 .................................................................................. 14
7.嘉麻市山田いこいの家「白雲荘」 ......................................................... 16
8.山田活性化センター「手作りふるさと村」 ........................................... 18
9.風の館ギャラリーよしき ....................................................................... 20
10.山本よしきさん主催「寺子屋」 ......................................................... 22
11.豊かな心の種まき運動 ....................................................................... 23
13.地図の上商店街 .................................................................................. 27
13.筑前安国寺梅林公園 ........................................................................... 28
14.「道の駅うすい」 .............................................................................. 29
15.「内野宿」 ......................................................................................... 32
16.農楽園 ................................................................................................ 36
17.歌人白蓮想(柳原白蓮展示館) ......................................................... 39
18.八木山地域 ......................................................................................... 42
19.自然・景観と歴史文化を活かした観光 .............................................. 43
~長崎街道を活かし ..................................................................................... 43
20.嘉飯地域の食文化を活かした観光 ..................................................... 46
20.嘉飯地域の食文化を活かした観光 ..................................................... 46
21.炭鉱の食文化 ..................................................................................... 49
第2章 フラワーロード .................................................................................. 55
1.益富城自然公園(嘉麻市中益) ............................................................ 55
2.上山百谷緑地公園(嘉麻市) ................................................................ 56
3.嘉穂集団営農地(嘉麻市).................................................................... 57
4.桂川町休耕地(桂川町) ....................................................................... 58
5.梅林公園(嘉麻市) .............................................................................. 59
6.遠賀川源流公園(嘉麻市) .................................................................... 60
7.遠賀川河川敷(飯塚市) ....................................................................... 61
8.遠賀川周辺(嘉麻市) ........................................................................... 62
1
9.八木山渓流公園(飯塚市) .................................................................... 63
11.竜王峠周辺(飯塚市) ....................................................................... 64
12.貝原益軒石碑(飯塚市) .................................................................... 65
13.旧上山田線跡(嘉麻市・飯塚市) ..................................................... 66
14.古処山キャンプ村(嘉麻市) ............................................................ 67
15.湯の浦キャンプ村(桂川町) ............................................................ 68
16.サンビレッジ茜(飯塚市) ................................................................ 69
17.大将陣公園(飯塚市・桂川町) ......................................................... 70
18.鯉料理なかはら(嘉麻市) ................................................................ 71
19.八木山農楽園森ん子(飯塚市) ......................................................... 72
20.山田手づくりふるさと村(嘉麻市) .................................................. 73
21.喫茶じゃらん(飯塚市) .................................................................... 74
第3章 教育 .................................................................................................... 75
1.嘉飯桂地区の窯元について .................................................................... 75
2.子どもを持った親が嘉飯桂地区に定住するための資源について .......... 78
3.団塊世代以降が老後に求める嘉飯桂地区の資源について ..................... 82
第4章 定住 .................................................................................................... 86
1.ソフトケア有限会社 .............................................................................. 86
2.株式会社ハウインターナショナル ......................................................... 88
3.株式会社マルテック .............................................................................. 90
4.株式会社なうデータ研究所 .................................................................... 92
5.合資会社バイオコム・システムズ ......................................................... 94
6.株式会社キューブス .............................................................................. 96
7.三ツ和金属株式会社 .............................................................................. 98
8.株式会社サイム ................................................................................... 100
9.一番食品 .............................................................................................. 102
10.株式会社福岡ソフトウェアセンター ................................................ 104
11.e-ZUKA トライバレーセンター ....................................................... 105
12.福岡県立飯塚研究開発センター ....................................................... 106
資料集 ............................................................................................................ 107
商圏分析レポート ....................................................................................... 107
対象地域における産業構造(事業所統計) ................................................ 107
地域資源一覧表........................................................................................... 107
地域資源の分布図 ....................................................................................... 107
2
序章
地域資源と嘉飯地域
1.地域資源とその活用の考え方
本委託事業は、嘉飯地域における地域資源を発掘し、これらを地域内で効率
的、有機的に連結することにより、よりよい地域資源の使い方を提唱し、さら
にこれを実現につなげることである。
このために、まず地域資源のフレームワークを整理することが必要である。
法律上の地域資源は、中小企業地域資源活用促進法に規定される「地域産業資
源」にその定義がみられる。同法によると次の三つが内容となる。すなわち、
① 自然的経済的社会的条件からみて一体である地域の特産物として相当程度
認識されている農林水産物又は鉱工業品
② 前号に掲げる鉱工業品の生産に係る技術
③ 文化財、自然の風景地、温泉その他の地域の観光資源として相当程度認識
されているもの
である。対象となるのは農林水産物や鉱工業製品といった有形物、それらの生
産に関わる技術、さらに有形無形の観光資源である。ただし、同法ではこれら
の性格には言及していない。
これを詳細に述べているのが農業経済学の立場からみた地域資源である。永
田恵十郎『地域資源の国民的利用』によると、地域資源の特質は次の三つに要
約される。すなわち、
① 非移転性:その地域だけに存在し、その地域だけが利用できる資源
② 有機的連鎖性:地域的に存在する地域資源相互の間に有機的連鎖性を持っ
た存在
③ 非市場的性格:市場で調達することが困難
である。①と③は地域資源の独自性に関わることであり、競争地域との差別化
を考える際には重要な要因ではある。しかし、ありふれたものでも新たな組み
合わせによって革新が生まれるというシュンペーターの革新テーゼに従うと、
単独の資源の独自性は②の有機的連鎖性によってカバーされることになる。し
たがって、上記の三要因の中でまず重要になるのは、②の有機的連鎖性であり、
これによって①の非移転性や③の非市場的性格をいかに生み出すかが課題とな
るということができる。さらに言えば、①と③に拘泥すると地域資源に該当す
るものがなくなってしまいかねない。
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整理すると、当たり前に見える経営資源をうまく組み合わせることによって、
他の地域にはなく、市場でも容易に獲得できない経営資源を作り出すことが重
要であるということになる。
地域資源の種類としては、次のようなものがあげられる(今村奈良臣「地域
資源を創造する」『地域資源の保全と創造』農山漁村文化協会、1995)。
① 本来的地域資源
(イ) 潜在的地域資源(天然資源):地理的条件、気候的条件
(ロ) 顕在的地域資源:農用地、森林、用水、河川
(ハ) 環境的地域資源:自然景観、生態系
② 準地域資源
(ニ) 付随的地域資源:間伐材、家畜糞尿、農業副産物
(ホ) 特産的地域資源:山菜などの地域特産物
(ヘ) 歴史的地域資源:地域の伝統的な技術、情報など
これによると、生産基盤となる動かせないものが本来的地域資源であり、生産
物や技術などの動かせるものが準地域資源となる。
自分たちの地域にある地域資源を発掘し、その使い方を見出し、その地域の
課題の解決あるいは目標の達成につながるように、地域資源を使いこなすこと
が地域経営である。
経営戦略的にいうと、「自分たちの地域のあるべき姿を見出し、目標とする
地域を実現するためには、どのような方向を目指して、どんな方策を積上げれ
ばよいのか、そのためにはどんな施設を整備し、どのような運営やオペレーシ
ョンのシステムを構成すればよいのか、その場合にプロジェクトに参加する関
係者の範囲と構成はどうなるのか、行政と民間の役割分担をどう考えるのか、
どの効果、地域に何をもたらすことができるのか等の目標をしっかりと定めて
動き出す必要がある」((平野繁臣、松村廣一『分権時代の地域経営戦略』同
友館、1997、p.42)。
嘉飯地域の地域資源活用を考える場合も、嘉飯地域が抱える課題あるいは達
成すべき目標を明らかにしたうえで、現状を評価し、進むべき位置を明確にし、
それに至る方策を具体的に考えることが必須の過程となる。それに至る方策を
考える上で、地域に当たり前のように存在している資源を洗い出し、それらの
新しい組み合わせを考えだし、地域資源の革新を引き起こすことが必要となる。
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2.嘉飯地域における地域活性プロジェクトの考え方
当初から想定されているプロジェクトは、
Ⅰ.おいしいものの発掘プロジェクト
(ふるさと食堂を核とした集客・情報発信)
Ⅱ.遠賀川活用プロジェクト
Ⅲ.教育力向上プロジェクト
Ⅳ.災害弱者安心プロジェクト
(定住促進[災害時の要援護者の対策にかかる連携体制構築])
Ⅴ.地域交通確保プロジェクト(定住促進[交通インフラの整備])
Ⅵ.地域情報発信プロジェクト
の六つである。これらのプロジェクトの内容については、地域資源調査の結果
を踏まえて再構成する必要があるが、その前提となる考え方は、
① 当たり前の地域資源の組み合わせにより独自の地域資源を作り出すこと
② プロジェクト間の有機的な連携を図ること
③ 嘉飯地域内での小地域間の連携を図ること
④ プロジェクトが拡大連鎖をしていく仕組みをつくること
の四つである。これらを条件として、嘉飯地域内でプロジェクトと地域が網目
状に結び付くネットワーク体制を構築し、嘉飯地域が全体として活性化するよ
うに図ることが重要である。
イメージとしては、一定の空間的広がりをもったブロックにおいて、Ⅰから
Ⅵのプロジェクトを有機的連携のもとに展開し、隣接あるいは関連をもつ他の
ブロックと特定のプロジェクトで連携する、という二重の連携のもとに、地域
資源活用のネットワークを嘉飯地域全体に広げるということである。
そのための担い手としては、単独のプロジェクトに関しては個人もしくは単
独の団体・組織となるが、ブロック内の連携では異なるプロジェクトは異なる
主体によって担われると想定されるため、これらの連携を効率よく進めるため
のブロック推進母体が必要である。また、ブロック間の連携に関しては、関連
するプロジェクトでの連携を進めるため、プロジェクト推進母体が嘉飯地域で
必要となる。ただし、プロジェクトによるブロックの連携は、同一プロジェク
トによってつながるとは限らないため、プロジェクト推進母体はプロジェクト
間の連携を検討することが必要となる。例えば、あるブロックの食プロジェク
トが隣接するブロックの教育やフラワーロードプロジェクトと連携して一連の
プログラムが展開されるような場合も想定される。
有機的連携を考慮したプロジェクトの展開が最も重要である。
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第1章
食・農・観光
1.ひよ子本舗吉野堂
1) 設立経緯
明治 30 年、石坂直吉氏が福岡県飯塚市に菓子舗開業。大正元年、先々代店主
である石坂茂氏は夢に現れたひよこにヒントを得て、ひよこを模った菓子「ひよ
子」を考案。昭和 27 年 12 月、飯塚氏に吉野堂製菓株式会社を設立し、社長に石
坂博和氏が就任。
昭和 38 年 3 月、吉野堂製菓㈱の商号を株式会社ひよ子に変更した。
2) 運営の仕組み
現在の代表取締役社長は石坂博史氏、以下社員 424 名。菓子の製造販売だけ
でなく、喫茶店や飲食店の経営、不動産の賃貸や遊園地の経営などもやってい
る。九州直営店舗は福岡を中心に、大分、山口、広島、佐賀、長崎、熊本、宮
崎、鹿児島などに展開している。
3) 利用の実態
最近では、下記の商標問題に加えて、一連の食品偽装をめぐる問題、さらに
は少子高齢化による市場規模縮小の一方でライバル企業(エリア外からの参入)
の増加が進んだこともあり、事業全体の見直しを進め、何とか生き残りを図ろ
うとしている。その一環として、製造年月日の定義が業界全体で問題となった
洋生菓子の製造・販売から撤退、本業の焼き菓子に特化(和生菓子や季節商品
は継続)。また、「本丸」の福岡県においては、福岡都市圏以外では直営店舗
を削減、百貨店などのテナント形式に移行させている。北九州市では、かつて
小倉都心部の魚町近辺に店舗・喫茶・拠点事務所を揃えていた自社ビルを構え
ていたが、2008 年までに完全撤退(閉店・事務所移転)した。
4) イベントその他
ひよ子の菓子の形状は、株式会社ひよ子(以下「ひよ子社」と記す)の立体商標
として商標登録を受けているが、同じ福岡市内に本社を持つ二鶴堂の「二鶴の
親子」など、全国には類似の菓子が多数存在するため、商標登録の有効性(自
他商品識別力を持つか)をめぐり争いになっている。二鶴堂は、ひよ子社から
類似菓子の販売差止請求訴訟を受けたことをきっかけとして、ひよ子社の商標
登録の無効審判を請求したが、特許庁は請求不成立(登録維持)の審決を出した。
6
それを不服とした二鶴堂は知的財産高等裁判所に審決取消訴訟を提起し、2006
年 11 月 29 日、知財高裁は特許庁の審決を取り消す判決を下した。その結果を
受けて、今度はひよ子社側が判決を不服として最高裁判所に上告したが、2007
年 4 月 12 日、最高裁は上告を棄却する判決を下し、特許庁の審決取消が確定し
た。
この判決では、"特許庁が二鶴堂の請求を退けた審決"が取り消されただけであ
って、商標登録自体の可否が決定されたわけではないが、今後、判決を踏まえ
て特許庁が再度審判を行うことになり、ひよ子社の商標権が消滅する可能性が
ある。
7
2.さかえ屋
本部所在地:福岡県飯塚市本町 11-20
電話:0948-22-8531
営業時間:9:30~18:00(毎週水曜日定休)
1)設立の経緯
1949 年(昭和 24 年)、飯塚市永楽町で菓子小売業をはじめ、栄橋にちなんで
屋号を「さかえ屋」とする。戦後すぐであったので、製造はせず販売だけで
あった。
2)運営の仕組み
代表取締役社長は中野利美氏、以下従業員数 1200 名(内正社員 310 名、2004
年 6 月現在)。事業内容は菓子製造・販売・卸売。本店というものがなく、
福岡県内を中心に 100 店舗以上展開している。
3)利用の実態
かつては看板洋菓子として、同社の製菓責任者であった人物の名前を取った
「石田プリン」が売られていたが、同人物が独立したため、その後大幅にラ
インナップが変更されている。
4)イベントその他
ひな祭りでは店内に人形を飾っており、19 年度は人が多かったが、20 年度は麻
生内閣の支持率低下もあり前年よりかなり人が少なかった。
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3.ふれあい市(穂波・飯塚)
ふれあい市穂波店
住所:福岡県飯塚市椿 199-1
電話:0948-21-6088
営業:AM8:00~PM5:00、年中無休
販売:野菜、米、果物、花木、加工品、堆肥など
ふれあい市飯塚店
住所:福岡県飯塚市川津 422
電話:0948-22-5685
営業:AM8:00~PM4:30、年中無休
販売:野菜、米、果物、花木、加工品など
1) 設立経緯
ふれあい市穂波は、JA ふくおか嘉穂の直営販売所として、約 20 年前に定期
市という形で始まった。以前の農産物流通は、市場を経由して消費者に届くと
いう形態であったが、平成に入ると全国的に生産者が直接消費者に商品を販売
するファーマーズマーケットといった販売形態が増え、筑豊でも農産物の直販
が求められるようになっていった。そのため、定期市は次第に営業日数が増え、
規模も拡大し、当初はテントでの営業であったが、平成 15 年から固定店舗での
営業が始まった。ふれあい市飯塚店も、穂波店と同様にテントの定期市から始
まり、需要の高まりに伴って平成 12 年から固定店舗での営業が開始された。
2) 運営の仕組み
ふれあい市では、野菜、果物、肉、加工品、花木、米、堆肥などが販売され
ている。商品は出荷協議会で承認された地域の農業者によって供給され、穂波
には約 320 人、飯塚には約 210 人の会員がいる。農業者が供給する商品は、主
に野菜、果物、花木などで、米や加工品を除いて全体の約 9 割を占めている。
米の場合は JA を通して仕入れることになっており、肉、こんにゃく、飲料水、
塩干物などの加工品は業者によって供給されている。また、地域で生産するこ
とのできないバナナやレタス、レンコンなどといった商品は市場から調達して
いるが、市場調達分は全体の 2~3%程度で、地域で供給できる農産物と競合し
ない商品のみを仕入れている。農家から出荷される商品は委託販売という形と
なっており、値付けや包装は生産者自身で行う。出品は原則として生産者任せ
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であり、自主的な出荷調整がなされているが、JA からも栽培講習会などで値付
けを含めたアドバイスは行っている。また、店舗に並べられる商品は、販売ス
タッフ(パートの主婦が多い)がお客さんの立場に立って厳しい目でチェック
し、品質の悪いものは店には出さない。売れ残りや品質が悪いものは生産者が
持ち帰ることになっている。
米のみ
JA
農家
野菜、果物など(委託販売)
出荷協議会
消費者
提供
供給
ふれあい市
農家
加工品
業 者
品質チェック
不足分(地域で生産できないもの)
地域外市場
3) 利用の実態
ふれあい市穂波の年間売り上げは、約 2.5 億円となっており、品目別の売上は
金額ベースで、野菜 38%、肉・加工品 23%、米 15%、果物 10%、花木 8%で
ある。飯塚店の年間売り上げは約 1.3 億円で、品目別では野菜 30%、肉・加工
品 24%、米 22%、果物 10%、花木 8%の順となっている。両店舗とも野菜の売
り上げが大きなウェイトを占めており、特に白菜、キャベツ、大根などの重量
野菜とトマト、きゅうり、ブロッコリーなどのハウス野菜が売れ筋であるとい
う。
4) イベントその他
ふれあい市では、周年祭や収穫祭、ふれあい祭りなどイベントが年 5 回程度
開催され、その他にも毎月肉の日や花の日などの特売日が設定されている。ま
た、スタンプカードもあり、一定の金額以上の購入をしたお客さんにはスタン
プを押し、特典が用意されている。
5)
利用の問題
ふれあい市の売り上げ比率(金額)が高いものとしてトマト、きゅうり、ブ
ロッコリーなどの野菜があるが、当地域ではハウス栽培を営む農業者が少なく、
需要の高い商品を、年間を通じて供給できる生産体制づくりが今後必要である
と考えられる。また近年、嘉飯地域の直売所が増えてきていることから、如何
に他の直売所と競争するか、如何にお客さんに満足してもらうかなど、魅力あ
る店づくりのために JA としても差別化に取り組む必要がある。
10
6) 利用の可能性
嘉飯地域には多くの直売所が立地しており、今後、直売所間での競合が激し
くなると考えられる。競合によって各々の販売体制を強化することも重要であ
るが、各直売所が連携・協調することによって地域の新たな魅力を生み出すこ
とも可能であると考えられる。例えば、北九州地域では直売所の連絡協議会が
組織されている。このような協議会を設置すれば情報交換や利用者ニーズの把
握が容易になり、さらに統一された戦略やビジョンを共有することができる。
地域内の直売所であればどこでも購入できる商品、統一された付加価値を持つ
商品をつくるなど、各直売所としての魅力のほかに嘉飯地域の魅力ある商品づ
くりも今後の展開として視野に入れる必要があろう。
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4.稲築かっぱ村
1) 住所
〒820-0201
福岡県嘉麻市漆生 1555-1
(0948)43-1550
2) 設立の経緯
13 年前に稲築商工会によって設立され、5 年前に現在の建物に移転した。昨
年、現在の経営者である高良氏が経営を引き継いだ。それまでは年々販売額が
減少していたが、前年度は対前年比 140%に増加した。
3) 運営の仕組み
村長の高良敏彦氏による個人経営の直売所である。販売は個人農家の米が主
で、ひのひかり、夢つくしなどが主要銘柄である。値段は生産者が判断して決
めるが、高良氏が適正価格について指導を行うこともある。
個人農家以外に、当社の買い付けによって他産地の産品も多く販売している。
米は、JA 出荷しているものについては銘柄を記載することができるが、自主
流通米の場合は記載できずに、自主ブランドとしている。田川の合鴨農家の生
産物が1件だけ出荷されている。価格は、一般の銘柄よりも 1.5 倍ほど高い。
4) 利用の実態
登録は 180 人ほどで、常時出品しているのは 30 人ほどである。出荷主は嘉麻
市に多い。嘉穂町に居住している者も一部出荷している。嘉穂町には直売所で
あるカッホー馬古屏があるが、前の店長と合わずにこちらに出荷している者も
いる。
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5.嘉穂町物産館「カッホー馬古屏」
住所:〒820-0301 嘉麻市牛隈 882-1
電話:0948-57-2222
営業:AM8:30~PM5:00、年中無休
販売:野菜、畜産品、加工品、花、標津物産品など
1) 設立経緯
平成 8 年度に建設され、平成 9 年 4 月 19 日開館された。また、平成 16 年 7
月 1 日に農事組合法人が設立され、経営主体となった。
この建物は、経営基盤確立農業構造改善事業の産地形成等促進施設整備事業
における産地形成促進施設として建設されたものである。
2) 運営の仕組み
運営主体は農事組合法人カッホー馬古屏である。代表理事組合長である實藤
忠規氏を筆頭に、組合員数 390 名(平成 20 年 4 月 1 日現在、開設時は 180 名)、
内役員 33 名で構成されている。役員の内訳は、組合長と副組合長が 1 名ずつ、
幹事 3 名、運営委員 18 名となっており、運営委員は更に展示販売員(施設内の
環境整備や出荷物の品質管理)、調査研究委員(アンケート調査、栽培講習)、普
及宣伝委員(イベントの企画、「馬古屏便り」発刊等)のそれぞれ 6 名ずつに分けら
れる。
3) 利用の実態
品目数は 500 種類ほどで、価格は基本的に生産者任せである(販売責任者が指
導を行うこともある)。しかし何をどれだけ作るかも生産者任せのため、作りや
すい、または売れる品物ばかり(夏場はトマト、胡瓜、茄子、冬場は白菜等)にな
る問題がある。
4) イベントその他
4月に周年記念感謝祭、10 月は料理コンテスト、田舎体験 in リンゴ村(リン
ゴ収穫、田舎体験)、収穫感謝祭(特産品フェア)、ふれあい祭り嘉穂(直売、展示、
音楽)、12 月には遠賀川でとれた鮭を奉納する献鮭まつりが行われる。
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6.学童農業体験学習
1) 設立経緯
平成 20 年 4 月、飯塚市と JA ふくおか嘉穂は共同で「学童農業体験推進協議
会」を発足し、市内の小学校校長に体験農業の応募を呼びかけた。この呼びか
けに対して、平成 20 年度は目尾(しゃかのお)、菰田(こもだ)、幸袋(こう
のふくろ)、若菜小学校の 4 校が応募し、米の栽培実習に参加した。
2) 運営の仕組み
平成 20 年度は、市の職員、JA 職員、農家の手伝いのもと、上記の 4 小学校
の 5 年生が田植え、稲刈り、脱穀を一連の作業とした栽培実習に取り組んだ。
ほ場はそれぞれの学校の近くで利用できる場所を選び農家から借りている。ほ
場は目尾、菰田、幸袋がそれぞれ 6 アール、若菜小学校が 20 アールである。ほ
場の賃貸料や経費は市と JA が半分ずつ負担し、総費用は約 30 万円となってい
る(うち、ほ場管理費用約 13 万円、米の購入費用約 5 万円など、学校が支払う
費用はほとんどない)。田植え後の水田の管理や稲刈り、脱穀の準備は農家が
行う。収穫された米は、子供たちに 1kg ずつ配布するため、それぞれのほ場で
1 俵分(60kg)を買い上げ、残りは農家に渡る。
3) 利用の実態
平成 20 年度は、小学校 5 年生を対象とし市内 4 校が参加した。それぞれの参
加人数は、目尾小学校 28 名、菰田小学校 35 名、幸袋小学校 46 名、若菜小学校
68 名、合計で 177 名にのぼる。子供たちは、田植え前に「稲の一生」について
の事前学習を受け、6 月には手植えでの田植え、9~10 月には手刈りでの稲刈り
に挑戦し、機械ではなく手作業での稲作に取り組んだ。
4) イベントその他
9~10 月に稲刈りをした後、3 校では自分たちで栽培したお米とふれあい市で
販売されている地元の野菜を使って収穫祭が行われた。そのうち 2 校では、飯
ごうを使ってお米を炊き、地元の筑豊牛を入れたカレーを作り、1 校ではおにぎ
りや豚汁をつくり自分たちが栽培したお米を味わった。
5) 利用の問題
14
この農業体験学習の取り組みはまだ開始されたばかりであり、今後、持続的
に取り組んでいくためには参加小学校を拡大し、米栽培以外にも体験メニュー
を増やし、理解を広めていくことが重要であると考えられる。
6) 利用の可能性
飯塚市では、学童農業体験学習のほかに JA と FCO-OP が連携して、水稲の
基本農作業全般を年間通して体験する「米づくり道場」に取り組んでいる。「米
づくり道場」は、農家の実作業と同様に、トラクターや田植え機、草刈機、コ
ンバインなどの機械を操作しての本格的な農業体験で、全作業に参加すること
を基本とし、1 チーム 5 家族の共同で、最後まで作業を行っている。この取り組
みには福岡市内や北九州からも参加があり、1 家族につき 3 千円の参加費で、田
植えや除草、稲刈りなど年 7 回の作業を体験することができる。
しかし、飯塚市においては市民農園、農家民泊、グリーンツーリズムといっ
た取り組みはまだ見られない。近年、高齢化や後継者不足が深刻化する農業者
の新たな収入源として、さらには国民の多様化するニーズに応えるものとして、
上記のような取り組みが学童農業体験学習や「米づくり道場」の経験を生かし
て今後展開されることが期待される。
参考資料
・飯塚市公式ウェブサイト「学童農業体験学習」
http://www.city.iizuka.lg.jp/03sangyou/sangyoshinko/noringyo/gakudou/in
dex.php
・FCO-OP ウェブサイト、2007 年 4 月 6 日ニュース
http://www.fcoop.or.jp/news/2007/070406-3.html
15
7.嘉麻市山田いこいの家「白雲荘」
住所:嘉麻市熊ヶ畑 2173-1
電話:0948-52-1681
開館:AM10:00~PM9:00(利用:AM11:00~PM9:00)、木曜定休
施設:浴室 2 室、脱衣室 2 室、和室3室、大広間1室、ホール、多目的室な
ど
1) 設立経緯
嘉麻市山田いこいの家「白雲荘」は、「手作りふるさと村」の向かいに位置
し、昭和 47 年に旧山田市が市民の福祉と教養の向上、レクリエーション等の場
を与え、心身の健康増進を図るための施設として開設された。
2) 運営の仕組み
山田いこいの家は、平成 18 年に改築され、平成 19 年に嘉麻市が指定管理者
として株式会社トキワビル商会(飯塚市に立地する企業)に業務を委託してい
る。
3) 利用の実態
山田いこいの家は、温泉(冷泉を沸かしたもの)やサウナ、個室などの施設
があり、地元のお年寄りを中心に 1 日約 200 人の利用客が訪れ、最近の利用客
は増加傾向で推移している。シーズンは冬季、春季で、時間帯では夕方の利用
客が多い。利用料金は、6 歳未満が無料、6 歳以上~12 歳未満と 70 歳以上が 100
円、12 歳以上~70 歳未満が 200 円、個室 500 円(3 時間未満)となっており、
日常的に利用しやすい価格が設定されている。
4) イベントその他
山田いこいの家では、月に 1 回、ボランティアでお芝居などのイベントがあ
り、「つつじ祭り」、「トロッコフェスタ」、「かかし祭り」などの行事の際
には利用客が増加する。また、当施設では地元の生産者が作った野菜などが販
売されている。
5) 利用の問題
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当施設は、利用料金が低価格で個室なども用意され、観光客の休憩施設とし
ては最適であるが、広告や PR が少ないため認知度は低く、地元住民以外にはあ
まり利用されていないのが現状である。
6) 利用の可能性
山田活性化センター手作りふるさと村と同様にアクセスが不便であるため、
単体での広報活動よりも手作りふるさと村やその他の近隣施設と連携して、利
用客の拡大を図ることが有効であると考えられる。
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8.山田活性化センター「手作りふるさと村」
住所:〒821-0013 嘉麻市熊ヶ畑 2141-1
電話:0948-53-1897
営業:AM10:00~PM5:00、月曜定休
販売:野菜、花、加工品、木工品、陶器類など
1) 設立経緯
山田活性化センター(旧山田市活性化センター)「手作りふるさと村」は、
平成 5 年(約 15 年前)に設立された。「手作りふるさと村」は山田活性化セン
ターと連携し、「都市と農村交流室」などの施設が併設されている。
2) 運営の仕組み
手作りふるさと村では、地元の野菜や米、漬物などの加工品、手作りのかり
んとうなどが販売され、地元の住民のみならず市外の人にも利用されている。
商品は地元の住民で組織された利用組合を通じて提供されている。組合員は約
100 名である。
3) 利用の実態
手作りふるさと村の売れ筋は、当地域の特産品である米「夢つくし」である。
夢つくしは熊山の清流で作られ、特に福岡県内の人の嗜好に合い、好評を博し
ている。夢つくしは、2000 円/5kg で販売され、その場で職員が精米し、米ぬか
も持ち帰ることができる。また、廃油で作られる手作り石鹸も汚れをよく落と
すということで人気があり、北九州の方から買いにくる人もいるという。石鹸
は旧山田市の婦人会(現在、嘉麻市としての組織はない)によって作られ、一
個 100 円で販売されている。
4) イベントその他
山田では、4 月末に「ツツジ祭り」、10 月(最終日曜)に「トロッコフェス
タ」、「かかし祭り」などのイベントがあり、その際はしし汁、だご汁、焼き
そばなどの出店が出され大勢の人が訪れる。また、冬季には餅つきがあり、イ
ベント以外でも定期的に加工品が作られている。手作りふるさと村に併設され
ている都市と農村交流室は 350 円/1 時間の使用料で、地元の青年団や子ども会、
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会議やイベントなどに利用され、地元外の人でも申請すれば自由に利用するこ
とができる。近隣には、食事処、「山田いこいの家」がある。
5) 利用の問題
手作りふるさと村は、市の中心街からやや外れた場所に位置しているため、
観光客が足を運びにくく、道中の案内も少ない。したがって、客層は地元住民
が中心となっており、店舗の印象として活気が感じられない。イベント時には、
大勢のお客さんで賑わうが、周年で利用客を確保するための方策が必要であろ
う。
また、手作りふるさと村に野菜などを供給する生産者に高齢者が多いという
こともあり、販売されている商品の包装や規格など、商品を売るための工夫が
まだ十分とは言えない。利用客や観光客のニーズを把握し、需要に応えること
が今後必要となる。
6) 利用の可能性
手作りふるさと村は、観光客が訪れにくい地理的不利条件を抱えているが、
向かいには温泉施設の「山田いこいの家」があり、この施設および近隣の店と
連携して販促活動や観光客への働きかけをすることが有効であると考えられる。
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9.風の館ギャラリーよしき
住所:〒820-0047 福岡県飯塚市八木山 1389
電話:0948-52-3100
営業:AM10:00~PM6:00、火曜定休
料金:入場無料(天然水のコーヒー10 円)
販売:詩集、直筆色紙、日めくりカレンダーなど
HP:http://www.yamamotoyoshiki.com/?mode=f10
1) 設立経緯
詩人の山本よしきさんは、2006 年 7 月に八木山の民家を借り、ギャラリーを
オープンさせた。現在、豊かな自然に囲まれた八木山を拠点に作品づくり、「豊
かな心の種まき運動」、寺子屋などの活動をしている。
2) 運営の仕組み
ギャラリーでは自身の詩集や色紙、カレンダーの他にも約 30 名の芸術家の作
品が展示販売されている。入場料は無いが、サービスされるコーヒーの料金と
して 10 円を支払う形になっている。ギャラリーの 2 階は個展会場となっており、
プロ・アマ問わず 1 日 1,000 円の使用料で貸し出されている。
3) 利用の実態
山本よしきさんの詩は、2007 年の夏の甲子園で優勝した佐賀北ナインが心の
支えとして「ピンチの裏側」という詩を部室に貼っていた、というエピソード
をきっかけとして全国的に知られるようになった。その詩は心温まるものとし
て、多くの人の支持を得ている。ギャラリーには所狭しと作品が飾られ、数多
くの作品が販売されている。民家をギャラリーとして利用しているため、アッ
トホームな雰囲気で県内のみならず遠方からも山本さんのお話を聞きに、ある
いは作品を購入するために多くのお客さんが来訪している。駐車場がないため、
車はギャラリーに面する道路に停めなければならないが、地域住民の往来に支
障をきたしていはいない。
4) イベントその他
山本よしきさんは、大人のための人間学講座として「寺子屋」を開催してい
る。また、やさしい、思いやりのある豊かな心の国作りをめざして「豊かな心
の種まき運動」などの活動をしている。詳しくは、以下の項目を参照。
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5) 利用の問題
山本よしきさんは、上記のように 2007 年の佐賀北高校の甲子園優勝をきっか
けとして全国的に知名度が増し、全国各地に講演に赴いている。しかし、山本
さんのお話によると講演などの依頼はほとんどが県外で、地元飯塚市からの講
演やイベント出演などの依頼はないとのことであった。全国的に有名な詩人で
あるにもかかわらず、地元での認識が低く、嘉飯地域においても山本さんの能
力が発揮できる場が提供されることが期待される。
6) 利用の可能性
山本よしきさんのギャラリーの他に八木山には窯元が何軒かあり、人的・文
化資源が集中している。地域資源のひとつである人的・文化資源の拠点として
活用する必要がある。
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10.山本よしきさん主催「寺子屋」
住所:〒820-0047 福岡県飯塚市八木山 1389
電話:0948-52-3100
会費:月 500 円、入会費 1,000 円
日時:毎月第 3 土曜日 PM7:30~
1) 設立経緯
寺子屋は詩人の山本よしきさんが主催している大人のための人間学講座であ
る。2006 年 1 月から月に 1 回開催されている。
2) 運営の仕組み
寺子屋は山本よしきさんのギャラリーにて、毎月第 3 土曜日に開催されてい
る。会費は 1 回につき 500 円で、新規入会には 1,000 円が必要となる。2009 年
3 月現在で 39 回目となり、毎回いろいろな分野の講師を招いて講座が開かれて
いる。
3) 利用の実態
寺子屋へは福岡県内だけでなく、県外からも参加がある。また、地元の八木
山からも 3~4 名の方が訪れ、毎回平均 30 名が参加し、多い時の参加者は 60
名にものぼると言う。講演後には、交流会が行われ参加者同士の親睦が深まっ
ている。
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11.豊かな心の種まき運動
代表:山本よしき
住所:〒820-0047 福岡県飯塚市八木山 1389(事務局は山本よしきギャラリ
ー内)
電話:0948-52-3100
料金:一口 1,050 円
HP:http://www.yamamotoyoshiki.com/?mode=f8
1) 設立の経緯
豊かな心の種まき運動は、詩人の山本よしきさんを代表としてやさしい、思
いやりのある 豊かな心の国作りをめざして始められた活動である。
2) 取り組みの内容
事務局は山本よしきギャラリー内に設置されている。参加すると、「種」(10
種類の詩が書かれたカラーシール 100 枚・参加証・豊かな心十例・その他をセ
ットにしたもの)が配布される。それを、友達にプレゼントしたり、プレゼン
トに添えたり、名刺や包装紙、チラシやハガキ等に貼ることで、企業やお店の
イメージアップ、コミュニケーションツールとして活用することができる。
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12.千鳥屋本店
住所:福岡県飯塚市本町 4-21
TEL:0948-22-0831
1) 設立経緯
1557 年前後、原田家は、島原の乱で、天草四郎時定の時に大友・豊臣の軍勢
とともに豊前・豊後に兵をかまえていたが、そこへ敵将の薩摩軍(島津)が北
方へ群を移動する際に通りかかって一触即発となり、やがて竜造寺軍(佐賀藩)
またその家臣として戦いに敗れ、島原を後にすることになった。原田家はその
後、平戸・長崎へ行き、そこでスペイン人の宣教師、ポルトガル船の船員等の
技術者集団に遭遇することとなり、お菓子作りを学んだと言われている。ポル
トガル船からは丸ボーロを、スペイン人からはカステラ・有平糖(菓子工芸品)
等を学び、それら南蛮菓子の製法をいち早く取り入れた原田家は、長崎カステ
ラ・丸ボーロからヒントを得て、飯塚市本町で原田政雄の手により千鳥饅頭を
誕生させた。原田家は、1630(寛永7)年、佐賀県佐賀郡久保田町(=現在の
佐賀市)で「松月堂」の屋号で焼菓子専門店としての創業を開始し、1927(昭
和 2)年、福岡県嘉穂郡飯塚町住吉の中央市場(現・飯塚市本町の永楽通商店街)
入り口に、「松月堂」の飯塚支店として「千鳥屋」を開店させた。当時の「千
鳥屋」は、千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラの 3 品を専門に製造販売しており、
当時筑豊炭田で賑わっていた飯塚では、炭鉱での過酷な肉体労働で疲れた労働
者が、甘いお菓子を求めて頻繁に来店した。1939(昭和 14)年には、佐賀の「松
月堂」を閉じ、「千鳥屋」が千鳥屋飯塚本店となった。
2) 運営の仕組み
現在、「千鳥屋」は飯塚本店を中心として約 70 店舗存在する。千鳥饅頭発案
者である 1 代目の原田政雄、2 代目の利一郎、3 代目の実樹宜(長男)、佳典(次
男)と、代々原田一族が経営し、現在に至っている。
3) 利用の実態
「千鳥屋本店」の商品数は約 20 種類であり、千鳥饅頭、チロリアン、カステ
ラ、丸ボーロなどが代表的商品であるが、なかでも売れ筋は「千鳥饅頭」であ
り、他を圧倒している。客層は、地元客がほとんどであるが、本店に限っては
県外からのお客さんも訪れる。
4) イベントその他
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「ひいなの祭り」(=「筑前いいづか雛(ひいな)のまつり」)は、平成 21
年度で 9 回目となる飯塚市の一大イベントで、平成 21 年度は 2 月 7 日~3 月 3
日まで行われた。旧長崎街道の中心、飯塚市の商店街のおかみさん達が中心と
なり、「ひなまつり人形展」や「羽子板展」を開催し、毎年約 1 万体を数える
雛人形が飯塚市中に飾られる。お雛様の衣装を着て写真撮影ができる「お雛様
体験コーナー」が設けられるほか、「麻生大浦荘」の一般公開、「旧伊藤伝衛
門邸の雛まつり」の開催なども行われる。祭りの期間中は、旅行会社のツアー
パックに組み込まれた観光バスが運行するため、1 日に何百人というお客さんで
賑わい、毎年約 30 万人が訪れる。千鳥屋本店でも、3,4 年前から飯塚市に協力
して 2 階を無料で開放し、人形研究家の女性のプロデュースによる雛人形の展
示公開を行っている。祭りの期間中は、常時 20~30 人のお客さんが店にいる状
態となる。「ひいなの祭り」は、年々広がりを見せており、店舗ごとの PR は行
っていないものの、飯塚市がポスターなどを作って大々的に PR しているようで
ある。
また、飯塚市中心商店街(=本町・東町・永楽町・昭和通り・吉原町・新飯
塚の 6 商店街)の名物イベントとしては、「永昌会」が挙げられる。「永昌会」
は、12 月上旬の年末のお歳暮時期に約 1 週間にわたって行われる歳末大売出し
である。飯塚市商店街連合会が主催し、飯塚商工会議所が後援するイベントで
あり、平成 19 年度は 12 月 1 日~5 日まで開催された。期間中は商店街全体で
割引やスピードくじなどが行われるが、その歴史は明治初期に遡ると言われ、
平成 19 年度で 124 回目となるイベントである。現在は廃れてしまっているが、
昔はかなりの賑わいであったと言われている。
また、千鳥屋独自のイベントとしては、千鳥饅頭、チロリアンの実演販売が
ある。また、百貨店催事として、チロリアンの計量販売等も行っている。
5) 問題点及び今後の可能性
「永昌会」が廃れていく一方で、「ひいなの祭り」は、飯塚市中心商店街を
訪れる観光客を年々増加させる傾向にある。かつてシュガーロードとして栄え
た長崎街道沿いには、有名お菓子店が点在し、飯塚はひよこ、千鳥屋、さかえ
や等、老舗のお菓子処の本店がひしめく地である。今後は、飯塚の一大イベン
トとなっている「ひいなの祭り」に合わせて、限定菓子の共同製作・販売等を
通したお菓子店同士の連携も考える必要があろう。
メールアドレス:[email protected]
営業時間 9:00~17:00
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千鳥屋の歩み
寛永7年
原田家が佐賀県佐賀郡久保田町に「松月堂」の屋号で本格的にお菓子屋を始める。
昭和2年
福岡県嘉穂郡飯塚町住吉の中央市場(現・飯塚市本町の永楽通商店街)入り口に松月堂の飯塚支店とし
て「千鳥屋」を開店。千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラの三品を専門に製造販売。
昭和14年 松月堂を閉じ、千鳥屋を千鳥屋飯塚本店とする。
昭和24年 福岡市の新天町商店街に進出、福岡支店として、お菓子を作る。
昭和27年 千鳥饅頭が横浜市で開かれた全国菓子大博覧会で名誉大賞牌を受賞。
昭和28年 福岡市土居町(現・博多区店屋町)に土居町支店を開設。
昭和29年 京都市での全国菓子大博覧会で、カステラが名誉大賞牌を受け、名誉総裁の高松宮殿下に千鳥饅頭を献
上。
昭和33年 天神新天町に千鳥屋福岡本店を設立。
昭和37年 洋風巻きせんべいの「チロリアン」を開発、販売する。
昭和38年 原田光博がドイツなどの欧州での修行に出発。チロリアンのテレビCMを作り始める。
昭和41年 原田光博が帰国して、本格的なドイツ風ケーキを製造販売。
昭和43年 チロル高原で、チロリアンの本格的なテレビ CM を制作開始。
千鳥屋福岡本店をチロル風に改装。
昭和44年 新天町商店街にドイツ菓子専門の「エルベ」店を開く。
昭和46年 原田光博がパン製造販売店「スベンスカ」を創業。
昭和47年 原田光博がドイツ・ハンブルク市で菓子店経営者の長女・ウルズラ・ベーレントと結婚。
ドイツからの研修生を受け入れ開始。
平成3年
欧州の食品の国際品評組織「モンドセレクション」の菓子部門で特別金賞を受賞。
6年連続受賞。
平成5年
原田光博がドイツと交流した功績で、ドイツから一等功労十字章を受章。
平成9年
㈱千鳥屋ファクトリー設立。原田光博、代表取締役社長に就任。
平成12年 福岡天神本店を閉め、上呉服町に新本店を移す。
同本店にチョコレート専門店「アンナベル」開店。
平成13年 新宮に福岡セントラル工場を設立。
平成16年 社名を㈱千鳥饅頭総本舗に改名。
平成17年 千鳥屋オンラインショップ開設。
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13.地図の上商店街
1) 取り組みの概要
地図の上商店街は、八木山に窯をもつ如水窯の二宮教さん(飯塚地図の上商
店街事務局代表)が中心となって発行している飯塚の観光名所やお店を紹介し
たパンフレットである。現在、2009 年版(第 2 号)が発行され、72 のスポット
が紹介されている。飯塚市内を中心としているが、隣の嘉麻市に立地するお店
も何軒か掲載されている。
このパンフレットは 6 ページ程度にまとめられ、表紙に各スポットをマッピ
ングしたものが載せられ、次ページからはひとつひとつのスポットを写真付き
で丁寧に紹介している。掲載されているお店は、飲食店が最も多いが、医療機
関やデザイン会社、インテリア会社、アートギャラリー、電気修理店、各種小
売店などあらゆるジャンルの企業が紹介され、観光客たけでなく地元住民にと
っても有益な情報が数多く載せられている。
地図の上商店街の発行部数は、第 1 号(59 軒掲載)と第 2 号が 3 千部で、次
号は 5 千部を予定しており、紹介しているお店からは、負担にならないように
1軒あたり 3 千円の印刷代を集金している。現在は、如水窯、市、農楽園など
に置かれている。
2) 利用の可能性
二宮さんの話によると、地図の上商店街の打ち合わせの際に各お店の方が集
まると自然と店同士の交流が生まれるという。しかし、現在は本町商店街など
のお店は参加しておらず、掲載数も少ない。今後、活動の範囲が広がり掲載店
舗数が増えれば、飯塚市内のお店同士の交流の場、コミュニケーションの場と
しても有効であると考えられ、一体感が生まれることが期待される。また、発
行部数や設置場所が増えていくことで、観光客や地元住民への有効な情報発信
の手段としても期待される。
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13.筑前安国寺梅林公園
住所:嘉麻市下山田
電話:0948-57-3154(嘉麻市役所商工観光課)
0948-53-0663(大法白馬山観光協会)
(臨
時)
主催:大法白馬山観光協会
時期:2 月中旬から 3 月中旬
1) 設立経緯
嘉麻市梅林公園は地元の有志が昭和 42 年に、紅梅・白梅あわせて約千本植え
られたのが始まりで、いまでは福岡県でも有数の梅の名所になっている。
2) 運営の仕組み
筑前安国寺梅林公園では、大法白馬観光協会が主催し、2 月中旬から 3 月中旬
にかけての観梅期に湯茶のサービスや梅餅、梅干、うどん、甘酒の販売等が行
われている。梅林公園の入り口に設置された接待所では、地元の婦人会、有志
が 10 名前後、ボランティアで働いている。
3) 利用の実態
寒梅期には県内各地から梅見客が訪れ、家族連れなどが梅の花を楽しんでい
る。また、接待所で販売される甘酒やうどん、梅干、カリントウなどは手作り
の素朴な味が評判となっている。
4) イベントその他
3 月の第 1 日曜日には寒梅会が開かれ、式典のほか野だてのサービスや踊りな
どが催されている。また、寺の入口には大横綱であった不知火光五郎の墓もあ
る。
参考資料:http://www.yado.co.jp/hana/fukuoka/yamada/yamada.htm
http://www.city.kama.lg.jp/info/prev.asp?fol_id=4744
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14.「道の駅うすい」
住所:福岡県嘉麻市上臼井 328 番地 1
電話:0948-62-4400
開館:AM9:30~PM18:30、第 3 水曜
日定休
(祝祭日の場合は翌日休館)
施設:物産販売室、情報案内コーナー、加工室、
倉庫、
事務室、パン工房、カフェ、菓子工房、
うどん・そば、たこ焼き
HP:http://www.e-usui.jp/index.html
1) 設立経緯
「道の駅うすい」は、平成 17 年 11 月 5 日に福岡県内で 8 番目の「道の駅」
として誕生した。当初は、近隣の織田廣喜美術館に休憩所および食堂が併設さ
れていなかったことから、うどん屋で、且つお土産品を売るところを作ろうと
の発案から始まった。その後、農家の人々から、自分たちの野菜を売る場所を
作ってほしいとの要望があり、平成 17 年 4 月 28 日に、「物産館うすい」とし
て開業した。しかし、直売所だけでは集客力が十分でないとの判断から、平成
17 年 11 月 5 日、「道の駅うすい」として開駅した。
2) 運営の仕組み
「道の駅うすい」の管理運営組織は、「株式会社うすい」(指定管理者)で
あり、嘉麻市が 100%出資している。役員及び社員に出向者はおらず、取締役 3
名(代表取締役 1 名、取締役 2 名)、監査役 2 名で構成されている。従業員数
は 31 名で、その内訳は、常勤役員 1 名、社員 8 名、準社員 2 名、パート・アル
バイト 26 名である。彼らの所属は、物産販売所 8 名、鮮魚部門 3 名、惣菜 4 名、
うどん 3 名、パン工房 8 名となっている。なお、中心となる出荷組合・協議会
は存在せず、物産販売所運営については、支配人、販売所責任者を交えた会議
で協議・決定して運営を行っている。
物品の出荷に際しては、出荷者登録書を提出し、出荷許可されていることと
いう基本的な条件がある。手数料は、農産物出荷者が 15%、出荷者(要冷蔵商
品)が 17%、業者が 20%以上と定められている。出荷時間は午前 7 時~午後 3
時となっており、時に規制する場合があるものの、出荷商品の制限は特に設け
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られていない。価格は、出荷者各自が決定することになっており、売れ残り商
品の取り扱いに関しては、毎日引き取りを原則としている。出荷するには、出
荷者登録許可者であることに加えて、入会金 1 万円(入会時のみ)、年会費 1000
円を納める必要がある。開駅当初は 100 名前後であった生産者数は、平成 21 年
2 月 15 日現在、319 名となっている。
3) 利用の実態
物産販売所では、旬の採れたて野菜や果物をはじめ、常時 200 種類以上の魚
介類を取り揃えている。地元ブランドの嘉穂牛やお米なども取り扱っており、
幅広い品揃えが好評を得ている。客層は、地元の主婦が中心で、平日は 8 割が
地元の主婦で占められるが、土日になると、福岡市、北九州市から足を延ばし
てくるお客さんも見られる。近隣のお客さんを固定客として取り入れることが
できているところが「道の駅うすい」の強みの 1 つである。売上は、オープン
景気の 2 か月以降は急降下をたどったが、その後は年々右肩上がりに上昇して
おり、売り場づくりや、パートの主婦に全権を任せた客目線での品質管理の徹
底が功を奏したと考えられる。しかし、今後、近隣のスーパーなどに生産者直
売コーナーが開設されるなど、競争激化が予想され、「道の駅うすい」では、
物産館としての新鮮野菜や旬の商品の品揃えを強化し、価格訴求ではなく価値
(=安心・安全・美味しさ)訴求することで生き残りを図っていく考えである。
項目別の 1 日平均売上高は、野菜が 16 万 6 千円、果物が 6 万 3 千円、魚が
28 万円、米が 5 万円、花が 6 万 3 千円、惣菜が 15 万円、パンが 18 万円となっ
ている。
4) イベントその他
「筑豊地域直売所連絡協議会」が結成されており、「道の駅うすい」を始め
とする近隣の 6 施設間で、お互いのノウハウ、売り方を年に数回の会合(勉強
会)で協議し合うなどして相互交流および連携強化を図っている。一般市民向
けの料理コンテストの開催なども行っている。イベントの際には新聞広告を入
れることもあるが、「道の駅うすい」では、基本的に広告・PR は行っていない。
将来的には、大きくて広い食堂を作るという構想がある。「道の駅うすい」
の出荷者は、現在のところ高齢者ばかりであり、取締役支配人(=駅長)の山
口氏の中には、将来的に道の駅としての経営が成り立たなくなるのではという
懸念がある。そこで、ゆくゆくは株式会社うすいとして会社方式の農業運営に
取り組み、地元民を雇用する形で農業生産そのものに参入していく考えである。
5) 問題点および今後の可能性
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「道の駅うすい」では、出荷野菜の品目・量が生産者任せになっているほか、
碓井町周辺が野菜の一大生産地ではないため、不足する商品は、農協経由で飯
塚の市場から仕入れている。市場から仕入れる野菜は、基本的には福岡県産に
限定しているが、実際は各県産の野菜が売り場に並んでいるのが現状である。
生産者には、事前に生産計画(スケジュール)を出すように指導しているが、
徹底されていないことも問題点の1つである。しかし、近年は、同時期に同じ
品目を作っても売れないということが生産者の間で徐々に認識されるようにな
り、新たな品種の野菜作りに挑戦したり、消費者の嗜好や野菜栽培に関する情
報を取りに来るなどする生産者もいるようである。現在では、10 名程度の熱心
な生産者が、同じ野菜を作る場合でも種まきの時期を遅くするなど、自分で栽
培調整を行い、自分のところの野菜が少しでも高く売れるよう工夫を凝らして
出品している。「道の駅うすい」の今後の課題としては、市内の農産物加工所
の活用と特産品の開発、通信販売やインターネット販売の実施が挙げられる。
注)
道の駅うすいは「株式会社うすい」が嘉麻市より「指定管理者制度委託事業」として「物産施設
全体」の管理運営を行なっております。
嘉麻市の「全町美術館構想」のエントランスゾーンの「嘉麻市の顔」という位置づけ・コンセプ
トによる本事業は「嘉麻市らしさ」を表現できる地域の拠点づくりを目指しており、「新たな特
産物」の開発やこれまでの「物産販売施設」の概念にとらわれない「特色づくり・差別化」によ
る嘉麻市の地域経済の活性化を推進するとともに『道の駅』として地域社会と他の地域とのネッ
トワークづくり、地域振興の中核施設としての機能を充実させた事業展開を行います。
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15.「内野宿」
住所:福岡県飯塚市内野 3313 番地外
1) 設立経緯
長崎街道・筑前六宿の一つである内野宿は、慶長 17(1612)年、毛利但馬が
黒田公の命をうけ、建設に当たったものである。毛利但馬は、日本一の槍を飲
みとった黒田武士で有名な母里但馬で、黒田公の命で代官として内野宿を建設
したが、但馬が大隈城主となった後は、長政公の厚い信任を得ていた内野太郎
左衛門がその任に当たった。内野宿は、シーボルト、ケンペルの江戸参府記や、
伊能忠敬、吉田松蔭等の日記にその記録が残されているように、大名の参勤交
代、オランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来など交通が煩雑であり、江
戸期には宿場として非常に栄えていたようである。福岡藩歴代の藩主が、度々
内野宿を本拠として狩りを行ったという記録もある。
内野宿の構造は、西構口(山家宿側)から東構口(飯塚宿側)まで約 600 メ
ートルあり、そのほぼ中央で逆 T 字形に本陣(御茶屋)まで道が続いており、
その道は太宰府まで続いていたとされている。主な構造物としては、本陣(殿
様の宿泊所)、脇本陣、郡屋(ぐにや:村役人の集会所)、問屋場、人馬継所、
寺院等が存在する。内野宿では、百数十戸が消失する大火が何度となく起こっ
たことから、現在は、古い資料等がほとんど残されていない状況である。
2) 運営の仕組み
平成 20 年度に、「内野ふるさと創生会」を発展解消する形で「内野地区活性
化推進会議」が結成され、指定管理者となる団体として内野宿(「内野宿」)
の管理運営に当たっている。当推進会議は、内野地区の全世帯(約 300 世帯)
を構成員として、5 自治会が組織され、筑穂町商工会会長である多田篤弘代表の
下に副会長 2 名、事務局、推進委員、地区代表(各地区 2 名で約 15 名)、その
他団体で構成されるものである。
昭和 50 年、内野地区に 40 歳以下の青壮年層をメンバーとした「村づくり青
年会」が立ち上げられ、地区の活性化を目的とした宿場祭り、古民家の解放、
抹茶の接待、仮装行列などが行われた。その後、平成 2 年に「内野ふるさと創
生会」が設立され、当時の長崎街道ブームにのって、長崎、佐賀、福岡の村お
こしグループ約 50 団体を集めて「長崎街道まちづくり推進協議会」が、町おこ
しの活動を始めた。平成 6 年には、小倉から 1 泊 2 日で長崎まで行く「長崎奉
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行列車」が走り、この長崎街道ブームに伴って内野地区の整備を推進しようと
いう機運が高まったことで、内野宿のパンフレットや看板の作成が始まった。
3) 利用の実態
内野宿の来客数は、年間にして約 3,000 人である。平成 16 年 3 月 25 日に、
内野地域を訪れる観光客の休憩施設として利用するとともに、都市を含めた他
市町村との交流促進および内野地域の活性化を図る目的で、「内野宿長崎屋」
(友遊館)が開設されている。当施設は、本体、土蔵、管理棟、倉庫によって
構成されるが、お食事処が現在建設中であり、今後、2,000 円程度の食事(原材
料費:600 円に抑える予定)を予約制で観光客に提供する予定である。料理のメ
ニューに関しては、現在検討中であるが、料理ボランティアを募集して調理を
任せる準備をしている段階である。また、展示館については、来訪者より入場
料(100 円)を徴収して、内野宿の歴史資料を展示し、内野の紹介ビデオを常時
流すことを考えている。展示館には、常駐の管理人を置く予定である。
「長崎屋」…休館日:火曜日及び水曜日
12 月 29 日~1 月 3 日
開館時間:AM10:00~PM5:00
体験農業についても現在検討中であるが、休耕田が多数あるため着手したい
がなかなか手が回らないというのが現状である。庄屋跡の裏の田を使って、市
民農園という形で体験農業をやる案は出ている。内野地区には農業法人が 2 つ
存在し、米、ブロッコリー、オクラ、大根、白菜といった内野産の作物を、農
協を通して販売するルートと農産物直売所を通して販売するルートの 2 ルート
が形成されていた。しかし、平成 21 年 2 月に直売所が閉鎖されたことで、希望
者には「長崎屋」で物販を行うことを認めている。また、内野の特産品を作る
動きが出ており、内野地区のタケノコ、サトイモは消費者からの評価が高いた
め、作り方の統一などまだまだ課題は山積しているものの、「干しタケノコ」
を特産物として販売することが検討されている。
4) イベントその他
現在行っているイベントとしては、6 月の第 1 土曜日に実施している「ホタル
見会」が挙げられる。「ホタル見会」は、平成 21 年度で 12,3,4 回目となるイベ
ントであり、1 回で 300 人以上のお客さんが集まる。お客さんの半分以上が飯
塚市から来ているが、周辺の福岡市からも多くの客が訪れ、これらの観光客に、
ソバを 300 食ほど提供している。また、たまに行うイベントとしては、内野を
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散策に来た人々の案内行事である「ウォークラリー」が開催されている。さら
に、平成 20 年度から始めた「ソバ体験」が好評を博している。「ソバ体験」は、
お客さん自らが種まき(8 月のお盆明けの日曜日)、花見(10 月中旬過ぎ)、
収穫(11 月)、ソバ打ち(スタッフが前もって収穫した粉でソバを打つ)まで
を行うというもので、約 70 人の参加者が体験している。田おこし、草刈り、田
すきなどの作業は、スタッフが行っている。平成 20 年度は、スタッフを入れて
約 100 人が集まり、参加者が多かったことから、個人ではなくグループ(=家
族)単位でソバ打ちをしてもらうよう工夫したようである。「ソバ体験」の宣
伝・PR は、口コミと町の広報誌により行っている。また、平成 20 年度は、12
月初旬に「収穫祭」と称して芋煮会とソバ打ち、散策案内を行い、約 100 名の
お客を呼び込んだようである。来訪客にはソバを伸ばしてゆがくところまで体
験してもらい、平成 21 年度も引き続き実施する予定である。
5) 問題点および今後の可能性
現在、内野宿には駐車場、トイレ、大きな看板が不足していることが大きな
問題となっており、市に要望しているところである。駐車場については、農協
スタンド跡地を活用することを考えている。また、自然、歴史、食べ物の3つ
をうまく組み合わせて地域の活性化に繋げようとの考えから、現在、歴史ルー
トにあわせた自然散策路(内野宿を歩いて 1 周出来るような遊歩道)の建設を
検討中である。自然散策路が建設されれば、内野宿の歴史に造詣の深い一部の
固定客(常連客)だけでなく、森林浴や健康増進に関心の高い都会の人々をも
客として呼び込むことが出来るのではないかと考えられる。自然散策路の建設
に当たっては、散策する人々が持ち歩けるような各ルートの細かい所要時間を
記載した新たなパンフレット(地図)の作成が求められることになるであろう
し、各拠点施設にスタンプを設置したスタンプラリーの実施も計画されると良
いと思われる。
また、内野の地酒を活かしたいとの考えから、「ひめおとめ」(現在は 2 反
か 3 反しか作っていない)という米を用いたみずほ酒造製造の「おとひめ」を、
将来的に「長崎屋」で販売することを検討中である。「大庭牛乳」のびん牛乳
を「田舎の牛乳屋さん」と銘打って販売することが検討されているほか、芝桜
の植栽(郵便局の斜め前から国道沿いに 100 メートル以上)、アジサイの植栽
も行っている。
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【内野宿】
施設紹介…長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間 57 里(約 228km)を 25 ヵ所の宿場で
結んでいました。そのうち黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の六宿場を筑前六宿
といいます。
内野宿は慶長 17 年(1612)、黒田二十四騎の1人である母里但馬守友信が建設に当
たり、その後に内野太郎左衛門が引き継いで建設しました。福岡藩がその開通を急
いだのは参勤交代の諸大名が福岡城下を通過するのを嫌ったためと言われていま
す。
長崎街道は江戸時代を通して、大名の参勤交代の道として大きな役割を果たしたほ
か、寛永 14 年(1637)の島原の乱では軍事的効用を発揮しました。また、鎖国時唯一
の外国との窓口であった長崎と江戸とを結ぶ異文化情報路として発展していきました。
シーボルトなどの外国人、ゾウ、ラクダなどもこの街道を通って江戸に向かいました。
当時の内野宿は、宿場町として大変賑わったことでしょう。
なお、筑紫野市山家から冷水峠を越えて内野に至る区間は、平成 8 年文化庁の「歴
史の道百選」に選定されました。
場所…飯塚市内野 3313 番地外
連絡先…教育委員会文化課
TEL…0948-25-2930
所属先:本庁 生涯学習部 文化財保護課
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16.農楽園
名称:農楽園八木山株式会社
住所:〒820-0047 福岡県飯塚市八木山 259 番
電話:0948-25-3353
営業:AM 9:00 頃~PM5:30 頃(季節によって異
なる)
年中無休
販売:野菜、果物、米、花、加工品など
HP:http://nourakuen.com/index.html
1) 設立経緯
八木山地域に位置する農楽園は、平成 2 年に福岡県や飯塚市が企画した玄海
リゾート構想の一環として、当地域に建設された各施設の管理事務所として運
営されていた。しかし、この構想が頓挫したため、農楽園は農協主導で季節の
特産品を会員に郵送するという形の営業へと転換し、平成 11 年に株式会社化、
本格的な農産物直売所として営業し始めた。現在の株主は 10 社で、一番食品や
野上プレジデント、麻生グループなど、いずれも地元有数の企業が株主として
名を連ねている。また、現在の農楽園の代表取締役はさかえ屋の代表取締役が
務めている。農楽園には直売所のほかに、バイキングレストラン、パン屋、そ
ば屋、ソフトクリーム・クレープ屋、菓子工房、ブルーベリー農園が併設され
ている。
2) 直売所運営の仕組み
農楽園の直売所では野菜、果物、米、花、加工品などが販売され、野菜は八
木山周辺の農家が出荷している。生産者として登録しているのは約 200 人(業
者も含む)で、そのうち毎日出荷しているのは十数人であるという。販売は委
託販売という形で、出品や価格設定は農家自身で決定し、売れ残りは生産者が
持ち帰るという仕組みになっている。ただし、売れ残り分をわざわざ引き取り
に来る生産者は少なく、翌日半額で販売したり、バイキングレストランで利用
することもある。野菜の品質や規格、価格設定は直売所の支配人がアドバイス
するが、原則として出品は農家に任せているため出荷調整がなかなかできず、
同じ野菜が多く出荷されると棚割りやポップなどを工夫して売り切るような努
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力がされている。また、珍しい品種の野菜などは農家に相談して栽培してもら
ったり、農家自身が挑戦するともあるという。農楽園では加工品も多く売られ
ており、かりんとうなどのお菓子は支配人が直接、山田活性化センター手作り
ふるさと村から買い付けている。
3) 利用の実態
農楽園の年間売り上げは 2.35 億円で、ここ数年横ばいで推移している。その
うち直売所は 1.34 億円で全体の約 6 割を占めている。農楽園は八木山に位置し、
地理的に福岡市、北九州市と飯塚市を結ぶ要所であるため、利用客は筑豊だけ
でなく福岡、北九州方面からも多い。農産物は特定の農家を指名して買う人も
おり、その場合は量が多くてもすぐに完売するという。なかには、福岡の有名
レストランのシェフも顧客に持つ。また、わさび菜やビタミン大根など珍しい
品種も取りそろえており、当初はなかなか受け入れてもらえなかったが、販売
促進活動を続けて 3 年ほどで消費者も馴染み始め、今後も新たな特産品の誕生
が期待される。
4) その他併設店舗の概要
①自然食バイキングレストラン森ん子
バイキングレストランは平成 15 年に、売れ残りの野菜を活用するために始め
られた。レストランでは、地元の農家の主婦たちが約 50 種類の料理を提供して
いる。価格は食べ放題で 1200 円(大人)となっており、年間約 2 万 8 千人の来
客数があり、季節感を大事にしたおふくろの味は、好評を博している。
②フランス石窯パンの店森ん子
フランス石窯パンの店森ん子は、平成 13 年にさかえ屋の代表取締役が発案し
つくられた。ここでしか食べられないパンを作るというコンセプトのもと、フ
ランスから直径 2.4m の石釜を取りよせ、さらにフランス人の職人も呼んで本格
的な石釜焼きのパンを提供している。昨年の売り上げは 3 千万円で、最高売上
を記録した 4.5 千万からは落ち込んでいるが、ここ 1~2 年は再び伸びていると
いう。
③手作り菓子工房
手作り菓子工房は直売所の下にあり、設立当初はさかえ屋の八木山工場とい
う形で農楽園は家賃収入を得ていた。現在は農楽園の直営工場として、逆に商
品をさかえ屋に卸している。農楽園のオリジナル商品として、そば饅頭をはじ
めわらび餅、ゼリー、ごま豆腐、ブルーベリージャム、豚まんなどが製造され、
人気を呼んでいる。
④そば工房竜王庵
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そば工房は十割そばにこだわって、平成 16 年にから始められた。ソバは国産
ではなくアメリカ産を使用し、十割そばの場合は国産よりアメリカ産で作る方
が味が良いという。
⑤ブルーベリー園
ブルーベリー園は農楽園の敷地内にあり、栽培は農業法人さかえ屋ファーム
が行っている。広さは 3 反で、そのうち摘み取り体験に 2 反、種苗の育成に 1
反が使われている。収穫されたブルーベリーはほとんどが生鮮の状態で販売さ
れている。多く収穫できた場合は冷凍して菓子工房でブルーベリージャムに加
工し販売されている。
5) 利用の問題
近年、食品の安全・安心問題がクローズアップされ、直売所のように生産者
の顔が見える販売形態が好まれるようになった。そして最近では、消費者の要
求が高度になり、農薬履歴や栽培履歴の表示が求められるようになってきた。
しかし、直売所に出荷する農業者の高齢化が進んでおり、対応が難しい状況に
なっている。時代の要請に添った直売所づくりも今後検討していかなければな
らない。
また、農楽園は民間企業であるため、行政がその運営を十分把握しておらず、
円滑な連携が図れていない。農楽園は八木山の大きな地域資源として活用され
ることが望ましく、行政との協力体制の確立が急がれる。
6) 利用の可能性
八木山地域を車で通過する際、農楽園の建物は非常に目立ち、休憩地として
も立ち寄り易い場所にある。したがって、八木山の地域資源利用の拠点地とし
て農楽園を中心とした連携、広がりが期待される。
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17.歌人白蓮想(柳原白蓮展示館)
館主:有松道子
住所:福岡県飯塚市飯塚 11-20(東町商店街内 藍ありまつ)
TEL:0948-22-1738
開館時間:AM10:00~PM6:00
入館料:無料
休館日:水曜日(休館日でもウィンドウ部分については公開)、年末年始(12
月 30 日~1 月 4 日)
※「ひいなの祭り」期間中(平成 21 年 2 月 7 日~3 月 3 日)は無休
1) 設立経緯
歌人・柳原白蓮と炭鉱王であった伊藤伝右衛門の物語をもっと広く知っても
らいたいという願いから、館主である有松道子氏の手により、店先を展示場と
し、白蓮の貴重な遺品を常設公開するに至った。
2) 運営の仕組み
館主である有松道子氏が、衣料品店の経営と同時に店先を展示スペースとし
て店舗管理している。歌人・柳原白蓮の遺品、書籍、掛軸、写真や、伊藤伝右
衛門の資料等も一部展示している。また、白蓮に関係のある村岡花子(「赤毛
のアン」の翻訳者)、竹久夢二、佐々木信綱、九条武子、東洋英和女学院等の
コーナーも設置されており、展示品数は、約 300 点を数える。当初は、骨董品
店を回り、白蓮に関する資料を自らの足で一から収集して回る状態であったが、
現在では、インターネット等を通して「歌人白蓮想(柳原白蓮展示館)」の存
在を知った全国のファンが、白蓮に関する資料を自ら提供してくれることも多
いようである。
3) 利用の実態
「歌人白蓮想(柳原白蓮展示館)」を訪れる客層としては、男性が多いこと
が特徴的である。平均して、平日 1 日にして 5~6 人のお客さんが店を訪れるが、
中には東京から日帰りで来るお客さんや、埼玉から年に 3 回も展示を見に来る
男性も存在する。また、「ひいなの祭り」期間中は、商店街に来るお客さんが
急増するため、土日で 1,000 人を超える来館者があることも幾度かあったよう
である。今年(平成 21 年度)は特にお客さんが多く、祭り期間中の土日には 1,300
人が来館している。
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4) イベントその他
「歌人白蓮想(柳原白蓮展示館)」として、「筑前いいづか雛(ひいな)の
祭り」に参加し、店頭での雛人形の展示を行っている。「ひいなの祭り」は、
商店街に空き店舗が増え、飯塚市中心商店街全体の活気が落ちていく中で、な
んとか盛り上げる方法はないかということで始まったイベントであり、飯塚市
中心部の 6 商店街が、各店主(及びおかみさん)の参加協力を得て、それぞれ
のカラーが出るよう工夫して雛人形の展示を行うというものである。飯塚市中
心商店街は、3 度の水害を経験して再起不能に近い状態となり、来店客の激減に
苦しんでいた。そこに、「ひいなの祭り」と称したイベントを実施する企画が
持ち上がり、「お宅の押入れに眠っている雛人形があれば提供してくれません
か」というフレーズのもとに、九州一円及び山口、広島等から飯塚市中心商店
街に 100 数セットの雛人形が届き、一躍マスコミの注目を浴びることとなった。
各地から届けられた雛人形は、商店街の店舗で分け合って展示することになり、
現在では、飯塚市中心の 6 商店街で 100 軒以上が参加する取り組みとなってい
る。平成 12 年頃より、商工会議所が、貸し店舗対策の一環として商店街の全商
店を集めて、家賃や電気代等を少し負担する代わりに、皆で意見を出し合って
何らかのイベントを開催することを提案、各店舗が呼びかけに応えて参加協力
する形で始まったイベントであり、今では飯塚の一大イベントと呼べるものへ
と成長している。
各商店の連携に関しては、「おかみさん会」と呼ばれる組織が鍵となってい
る。「おかみさん会」は、各商店街の商店主の奥さんたちが、お金をかけずに
商店街を活性化させることをモットーに、季節感を出すために商店街に花を飾
る等の取り組みを行っている。もともとは、「おかみさん塾」と呼ばれる商工
会議所主催の勉強会が母体となっており、講師を呼んで、地域おこしの講演会
を開く等しており、現在でも年に 1 回勉強会を開催している。そのほか、おか
みさんたちの手で貝殻を材料とした雛人形を作って販売する等の取り組みも行
っており、その販売収益は、「ひいなの祭り」を継続させるための費用に当て
られている。「おかみさん会」の会員数は、平成 21 年度現在、38 軒である。
5) 問題点および今後の可能性
「おかみさん会」は、飯塚市中心商店街にとって、また「ひいなの祭り」の
継続にとって鍵となる組織の 1 つであると思われるが、新規会員がほとんどお
らず、そのため斬新なアイデアに基づく活動が生まれにくい状況にあるようで
ある。飯塚市中心商店街を魅力ある商店街とするためには、高齢者にとって買
い物のしやすい環境を整えることと同時に、若い来店客を引き込んで活気を取
り戻させることが重要となろう。「ひいなの祭り」による集客効果は、高齢層
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に顕著に現れている。年配の来訪者をターゲットとした祭り期間限定のお菓子
の製造や、お土産用グッズの販売等を計画する必要があると思われる。また、
昔ながらの商店街に、複合施設でのワンストップショッピングとは違った魅力
を見出す若者を、継続して呼び込めるような新たなイベント企画を立ち上げる
ことも、考えられていいのではないだろうか。
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18.八木山地域
1) 地域の特徴
八木山地域は飯塚市から福岡市に向かう国道 201 号線が通り、福岡市と飯塚
市を結ぶ主要な場所に位置する。八木山には多くの自然が残され、美しい田園
風景が広がる風光明媚な地域である。当地域の人口は約 120 人で、農業が基幹
産業である。
当地域には、八木山渓流公園、八木山高原花木園、八木山展望公園、史跡、
神社仏閣、ハイキングコース、人工芝ゲレンデ(サンビレッジ茜)、動物園(八
木山高原ピクニカ共和国)、ゴルフ場、農産物直売所(農楽園)、陶芸の窯元、
山本よしきギャラリー、観光リンゴ園、ブルーベリー農園、しゃくなげ園、す
ずらん園、乗馬施設、獅子舞など、多くの自然、文化資源が存在している。
豊な自然の維持や地域社会を維持するため、当地域では自治会、消防団、老
人会、水を守る会、土地改良区、青年団、農区が組織され、多くの方々が地域
に貢献するために注力している。その一環として、川沿いに桜を植樹したり、
草刈りや清掃、住民が先生となって八木山小学校の子供たちに自然について教
えるなどの活動が行われている。ただし、八木山に新たに移住してくる人への
対応、どのような形で地域の活動に参加してもらうかなど、さらには高齢化や
少子化などの問題を抱え、如何に組織を存続させていくかが課題となっている。
2) 地域資源利用の問題
八木山では地域活性化のためにかつてイベントなどが行われ、その際には多
くの人が来訪したが、駐車場が少ないために渋滞が発生し地域住民の往来に支
障が生じ、また観光客が去った後には大量のゴミが残された。そのため、現在
はそういった問題を懸念して、大規模なイベントなどは開催されておらず、一
時的に多くの団体観光客に来てもらうよりも、年間を通じて個人のお客さんが
増えてくれる方が良いと考えられている。しかし、八木山には客を呼ぶための
目玉となる商材がなく、今後、八木山を代表する特産品や観光農園(ブルーベ
リーやりんご)などの観光資源づくりが必要となっている。
3) 地域資源としての可能性
嘉飯地域の地域資源のなかで、八木山は豊かで美しい自然を有する自然資源
利用の拠点、また陶芸の窯元や芸術家のギャラリーが集まる文化資源利用の拠
点として位置づけることができる。
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19.自然・景観と歴史文化を活かした観光
~長崎街道を活かした観光、街歩き~
1) 経緯
江戸時代、脇街道の一つとして開かれた長崎街道の宿場町として発展してき
た飯塚宿。また市町村合併で現在は飯塚市域となった旧筑穂町の内野宿や街道
沿いの難所冷水峠もある。遠賀川の水運など流通も発達し、古来より旅人が多
く往来し、文化人も多く集まり、物資流通、文化情報の拠点であった。特に、
飯塚や内野は地理交通上、薩摩や肥後の大名行列や長崎奉行、オランダ人一行、
日田方面などからも、各地からいろんな人々が往来した大交通路、交通の要衝
であった。また飯塚は長崎、佐賀方面とのつながりから砂糖や南蛮菓子の文化
いわゆるシュガーロードの一拠点、銘菓発祥の地としてもよく知られる。
2) 現況
長崎街道の宿場町の史跡にちなんだ散策、町歩きを、筑豊飯塚観光案内人や
日有喜など地元ガイドが案内し行っている。また宿場祭りや宿場踊りなどの芸
能もさかんである。シュガーロードの由来通り、地元には千鳥屋、ひよ子、さ
かえ屋など全国的に有名な御菓子屋も多い。最近は街道歩きやウォーキングブ
ームで遠隔地から訪れる方も多く、マスコミなどにも注目されている。観光名
所旧伊藤伝右衛門邸も旧長崎街道に面しており、市の商工観光課や商工会議所、
観光協会なども観光マップや案内ビデオの作成など長崎街道を活かした観光振
興に乗り出している。あと、2~3年後に長崎街道開通400周年を迎えるこ
ともあり、最近は長崎街道を活かしたまちづくりも各地で見られるつつある。
3) 評価・課題
既存の観光(とくに古墳など古代遺跡、伊藤邸や嘉穂劇場など炭鉱遺産)と
うまく共同、機能していない。また、長崎街道のイメージ先行の認識不足、宣
伝、情報発信不足も長崎や佐賀など他県、他地域に比べ、目立つ。とくに飯塚
は開発が進み、宿場の具体的な史跡が少ないので、イメージ、物語性を重視す
べきであろう。ただ商店街の裏路地などには古い町並みや寺院も多く町歩き観
光開発に向けて、可能性が大いにある。また宿場踊りや宿場太鼓、御菓子など
の食文化に代表されるシュガーロードなどソフト面、文化面や伝承、歴史物語
をもっと掘り起こし、名物、物産開発やまちづくりに活かすべき。また内野宿
は対照的に、伝統的な風情有る町並み、冷水峠の石畳など宿場町の歴史資料、
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文化遺産、地域資源が多い。また自然、風土も多く、豊かな食文化も残ってい
る。また沿線周辺のエリアには幸袋、片島、天道など古い町並みも多いので、
また筑前六宿という視点木屋瀬、黒崎北九州方面や山家、原田、二日市、太宰
府など筑紫野方面など広域観光も視野に入れるべき。うまく飯塚宿と内野宿が
補完しあいながら、長崎街道宿場町の文化を復興させ、東海道など先進地と同
様の、街道浪漫、宿場町、江戸の文化イメージに沿った観光資源開発、戦略が
望まれる。
地域資源Ⅰ 街道・宿場遺産
① 崎街道飯塚宿
宿場町史跡(街歩き
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風景)
②明正寺(飯塚市本町)
③ 遠賀川白蓮歌碑
屋瀬方面)
江戸時代献上象の通過記録もある
長崎街道を行く旅人は時に川船で遠賀川を移動した。
(木
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20.嘉飯地域の食文化を活かした観光
1) 経緯
<食の原風景、五穀豊穣の地、地産地消のふるさと、食楽園 遠賀川流域 嘉
飯地域>
九州第二の大河、遠賀川。馬見山に源流を発し、嘉麻川、穂波川など支流も
多く、英彦山川や犬鳴川も直方から合流し、芦屋から響灘に注ぐ。流域は、古
来から稲作の盛んな穀倉地帯。飯塚、嘉穂(郡)、穂波、筑穂、稲築、庄内な
ど稲作・米を由来とする地名も多い。また良質な米と清らかな水にも恵まれ酒
造業もさかんで、銘酒も多い隠れた酒処でもある。遠賀川流域は清流であった
頃は、コイ、フナ、ハヤ、ウナギ、シジミ貝などの漁が盛んであり、今や思い
出の味となった。川魚は海から離れた農村の貴重な栄養源であり、周辺には川
魚料理を食べさせる店も多かったという。昔は田の神である水神祭りの日はコ
イの洗い、フナやハヤの煮付けなど川魚料理が必ず出た。また秋の収穫後の行
事、ため池や用水路の水落としで、集落総出でフナ・ナマズ・ドジョウ、タニ
シなどを獲ったという。なかでもドジョウ汁(ドジョウを生きたまま調理)や
タニシのぬた(味噌和え)の味は格別だったというが、ドジョウやタニシがい
ないくなり幻の味になってしまった。他にも沢ガニや、川エビ、ザリガニなど
の珍味も味わえたという。以前は、仕事はそっちのけで川魚や沢ガニ捕り、山
芋堀ばかりする遊びの達人(スカブラモン)もかなりいて、地域の子供達に川
魚の捕り方や料理の仕方などいろいろな遊びを教えてくれた。子供達にとって
も自然が遊び場であり、学習の場でもあった。また遠賀川上流の嘉麻市大隈に
は全国でも珍しい鮭神社がある。祭神の鮭を食べない風習や鮭を奉納する献鮭
祭、鮭の放流が行われ、鮭の遡上も確認されている。
山里では、豊富な野菜、山菜類から四季・旬が感じられる食事、旬の四季菜
食が主流だった。春はタケノコ。タケノコ寿司やおよごしにする。保存用の干
しタケノコは年中楽しめる。ワラビやゼンマイ、フキ、ツクシ、破竹など山菜
も豊富で煮付けか干して保存食にする。夏はニラ、エンドウ豆、インゲン豆、
ラッキョウ、畑レンコン(オクラ)、キュウリ(特に青大と呼ばれる昔キュウ
リ)など。ラッキョウは梅干しとともに貴重な保存食になる。秋はなすび(白
なすびも)、ゴボウ、ぎんなんや栗(笹栗)、なば(キノコ)類など種類も豊
富。冬は大根やカブ、春菊、しゃくし菜、ちぢみかぶ、水菜、かつお菜、高菜、
葉物(軟弱)野菜が多い。芋類は里芋(八つ頭、長崎芋なども)、ジャガイモ
(馬鈴薯)、サツマイモ(唐芋)、山芋やこんにゃく芋、茎のイモヅル(いも
がら)やむかごまで重宝した。葛根(内野地区では吉野葛と同様の名産であっ
た幻の内野葛)やおばゆりの根(ゆりせん)なども生産されていた。また以前
46
は高菜漬やちか漬、キュウリ、なすの塩もみなど漬物(つけもん)、塩クジラ、
手作り豆腐の冷や奴、きらず(おから)の煎煮、根菜類の煮しめ、ひじきの煮
物、こんにゃくの炒煮(オランダ煮)、冷や汁、手打ちうどんなどの野菜類中
心の簡単なおかずの素食(粗食)が多かった。そして「手前味噌」の言葉のよ
うに農産物、調味料の醤油・味噌や、豆腐やこんにゃくなど食材も全て手前(家
庭で手作り)で揃うのが当たり前でもあった。まさに地産地消、風土に根ざし
た自然の恵みからのおもてなし、まさにご馳走だった。
2)
現状
炭鉱景気の頃には「ぜんざい川」と呼ばれたほど石炭の加工で川水が濁って
いたが、鮭の稚魚放流など清流に戻そうと様々な取り組みが行われている。ま
た最近は、かつての田んぼのもっていた自然の力が見直され、「御飯とおかず
を同時につくろう」というコンセプトのもと「アイガモ農法」を中心とした自
然循環型の米作りの先進地として、食の安全・安心や環境問題の関心の高まり
から全国的に注目されている。また地産地消、健康食ブームの高まりから、遠
賀川上流のナシ、リンゴ、ブドウなどフルーツ狩りの農園に加え、地元農産物
の生産直売所、郷土料理の店やスローフードのレストランなども各地に増えて
きて、観光の目玉としても賑わいを見せている。川魚の食文化はすたれつつあ
るが、今でも少しだが、スーパーの総菜にはハヤやハゼの甘露煮は並ぶことが
ある。
また山村部では、ハレの日のご馳走が行事食として見られる。おくんちなど
秋祭には、寿司を柿の葉に包んだ「柿の葉寿し」をつくる。鶏肉、ゴボウやニ
ンジン、干シイタケなどを細かく刻んで混ぜ合わせた五目寿司や鯖など魚の寿
司を握り、柿の葉で包む。重箱へ詰めて軽い重しを乗せ、一晩置いて食す。柿
の葉には防腐作用もあって日持ちがした。場所によっては楮(こうぞう)の葉
などで包む場所もある。一般的に祭事や法事には赤飯(おこわ)や五目寿司(バ
ラ寿司、ちらし寿司、寿司ご飯とも)、味ご飯(かしわめし)をつくるところ
が多い。実りの秋になると、あちこちで栗の実拾いやギンナン拾いの光景が見
られ、栗御飯やギンナン御飯なども作られる。山神様(神社)の祭りの際には
鯖とダイコン、ニンジンを甘酢で煎煮して作る「ぬくめなます」、「せんぶき
まげ(わけぎ)とおばいけ(クジラの皮、おば、おばけとも)やモダマ(フカ)
の酢味噌和え」なども作る。以前は、タイやサバなど新鮮な海魚は祭りなど特
別な時しか手に入らなかったので、塩サバや塩クジラなど加工品の使用が多か
った。またお彼岸のぼたもち(秋はおはぎ)、端午の節句のガメの葉饅頭やち
まき。盆の団子やタラ胃や棒タラの煮付けも定番である。江戸時代福岡藩の特
産品であった鶏肉(かしわ)食もさかんで、肉から内臓など鶏丸ごと一匹使う
47
鶏のすき焼き(煎り焼き)、鶏肉を炊き込んだかしわめし(味ご飯)、かしわ
汁、唐揚げ、などが作られる。日常の総菜でも鶏皮の酢物、肝の煮付、煮付や
雑煮、そうめん、うどん、そばなどに鶏の出汁を使うなど料理、調理法も豊富
である。名物では折尾の駅弁でも有名な「かしわめし」や博多や小倉などでも
「かしわうどん(かしわの甘辛煮が具)」が流域の直方駅などでも食べれる。
また飯塚周辺では養鶏場も多く、新鮮な卵をデパートに出荷したり、卵を使用
したお菓子なども特産になっている。あと忘れてはならないのが、慶事、法事
どちらにも欠かせない「だぶ(らぶ)」。ダイコン、ニンジンなど根菜類や干
ししいたけ、こんにゃくなどを小さくさいの目に切り、葛粉(今は片栗粉)で
とろみをつけた「だぶだぶ」した「けんちん汁」にも煮た汁物(汁と煮物の中
間)。お祝い事には具は奇数にする、仏事には鶏肉は使わないなどの風習もあ
る。余ったらこれをお茶漬け風(汁かけ御飯)にして食べる人もいる。いずれ
にしてもほっと一息つく味がする。
3) 評価・課題
農業離れ、家庭食離れ、食の安全性が叫ばれる中で、嘉飯地域には、こうい
う失われつつある食卓・台所の原風景や季節の食習慣、郷土料理などが、流域
の山村部を中心にまだまだ残っている。そこから本来の自然・風土に根ざした
食生活、地産地消の原流が見えてくる。これを都市部の人々へ観光資源として
食文化や伝統農業をうまく活用、提供できるかが課題。また体験型の食育など、
学校教育にも活用できる可能性がある。そのためには、食文化の伝承ネットワ
ーク組織作りや聞き取り調査、道の駅や体験型の食文化講座や料理教室などが
開催できるふるさと食文化体験館(地元の公民館や学校の家庭科室などでも可
能か)みたいな仕組みづくりも必要か。
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21.炭鉱の食文化
1) 経緯
<食の集積地 味の専門店街・交差点 炭都飯塚>
筑豊飯塚と言えば炭鉱、炭鉱と言えば筑豊飯塚と言うくらい、炭鉱景気、石
炭のイメージの定着した筑豊飯塚。しかし以外と流通、情報、文化の集積地で
あることはあまり知られていない。明治の筑豊炭田の開発に伴って全国から多
くの人がこの地に流入し、炭鉱景気を背景に生活物資の需要が増えた。元来筑
前と豊前の両地域にまたがり、水陸交通の要衝、物流の拠点としても栄えた。
そういう中で博多、下関、豊前方面など各地から豊富な海産物の流通ルートが
つくられた。炭鉱が消えて約四〇年経った今でも福岡の魚市場から走る一号車
は、筑豊方面に向かうという位新鮮な海産物、食材が集まる。往事は割烹料亭
飲食店、喫茶店が軒を並べ、華やかな歓楽街は炭鉱経営者・大企業重役の接待
などで活況を呈した。まさに食の宝庫、一大集積地であった。今でもその名残
か、筑豊には飲食店や食品産業が多い。特に飯塚には魚・青果市場があり、飯
塚商店街の公設市場や諸地方の名物を揃えた食料品店、慶事の飾り蒲鉾の店、
醤油や味噌の蔵元、一番食品など調味料・食品の専門店・業者も多く固定客が
多い。炭鉱景気で沸いた時期は炭鉱労働者が多く、男女別なく明日をも知れぬ
危険な仕事だったため、「せめて食事位は美味しいものを食べて心残りがない
ように」という庶民感情や外食の習慣が生まれた。また「宵越しの金は持たな
い」、「女房を質に入れても人にご馳走する」という川筋気質から、有り金を
はたいても豪遊し人をもてなす見栄っ張りが当たり前。自分たちの食事は当分
の間は飯と漬け物(モン)のみで我慢するといった具合。そういう筑豊特有の
気風が、贅を尽くした旨い物や名店を育て、人々の舌を肥やした。また江戸の
下町の長屋にも似た炭鉱住宅の共同炊事場、石炭や石炭ガラ、豆炭に練炭など
を燃料にした調理(例えば鉄製のガンガン七輪での煮炊き)などの生活文化が
独特な食文化を形成した。
2) 現況
①炭鉱の食文化の名残
特に、クジラ刺や塩クジラ、ベーコン、皮クジラなど根強く残るクジラ食の
文化や筑豊独特の薄味チャンポンや焼きチャンポン(焼きそば)、こってり味
の筑豊ラーメン、一銭洋食風の薄いお好み焼きやタコの入ってない味覚焼(飯
塚市)など他に妥協しない、こだわりの味が多い。
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☆筑豊飯塚名物 ホルモン料理
筑豊・飯塚名物で、炭鉱の食文化の象徴とも言える、ホルモン料理(とんち
ゃん、モツとも)は、博多もつ鍋のルーツといわれる。「ホルモン」は「放る
(捨てる)もん」の語源説もあったが、体内分泌液のホルモン(物質)からき
た滋養強壮、スタミナ食全般をさす「ホルモン(料理」」が語源らしく、今で
は牛豚の内臓(料理)の総称として認知されている。またもう一つの呼称「と
んちゃん」は朝鮮語で、「とん」は排泄物、「ちゃん」は内臓を意味し、腸全
般をさす言葉である。よって内臓系は全て「○○ちゃん」になり、大腸は「て
っちゃん」(一時期商品名の「こてっちゃん」という愛称も流行った)、小腸
は「ソッチャン」という具合。戦後、炭鉱労働者の疲労回復させるスタミナ食
としての食習慣が広まり、あっという間に筑豊全域に広がっていったという。
以前はカメに保存して計り売りするお店もあったが、現在では、ホルモンを専
門に取り扱うホルモン専門店(ホルモンセンター)や焼肉店、精肉店でも容易
に購入でき、家庭でも手軽に楽しめる。一口にホルモンと言ってもいろんな種
類があって、牛の大腸、小腸(丸腸)、刺身でも味わうセンマイ(牛の胃)や
レバー、豚の小腸や内臓などいろんな部位が味わえる。調理法としては当初は
熱に強いセメント袋(紙袋)に七輪で炊いたのが始まりらしい。現在は鉄板・
鉄鍋で焼いて濃い目のタレをつけて焼き肉風(ホルモン焼き)にするか、単独
で煮込みにして食べるか、あるいは鍋にホルモン類と一緒にニラ、キャベツ、
モヤシなど野菜をどっさり入れてすき焼き風に味付けし、残ったスープに豆腐
やうどん玉、チャンポン玉などを入れるのが主流。でも一番おいしいのはホル
モンの煮込みや前の晩残ったホルモン鍋の具をぶっかけて食べる「ホルモンめ
し(ごはん・丼)」。ホルモンの旨味がごはんに凝縮された味で、一度是非試
していただきたい。他にもレバー好きにはたまらないレバ刺や湯引きしたセン
マイ刺、酢モツなどのホルモン料理もある。ホルモン料理は栄養も豊富で、野
菜も一緒に多く摂れるので以外とヘルシーなイメージで老若男女に幅広く愛さ
れている。我が家でも月に1~2回は食卓に必ず上るまさにふるさとの味であ
る。最近では行政もホルモンマップなどを作成し、筑豊名物として町興しに一
役買っている。
銘菓街道 筑豊飯塚
筑豊のもう一つの顔はお菓子の名所。筑豊は京都などと同じく盆地で、気温、
湿度などが微妙に作用するお菓子作りには最適な土地柄であった。特に長崎街
道沿いの宿場町であった飯塚はお菓子の本場。長崎街道が別名シュガーロード
と呼ばれる由縁もあり、カステラや丸ボーロや饅頭など長崎・佐賀方面から伝
わった南蛮菓子をアレンジした菓子が多いのも特徴。また炭鉱景気の頃の甘い
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物を要求する人々の食習慣と企業間の贈答用の菓子としての風習が菓子文化を
根付かせた。飯塚発祥の御三家、ひよ子(ひよ子饅頭)、千鳥屋(千鳥饅頭)、
さかえ屋(すくのかめ)のお菓子は全国的にも有名。他にも末次羊羹、二瀬(ふ
たせ)饅頭や山田饅頭、又兵衞饅頭など隠れた銘菓も多く、全国的に名の知れ
たものも多く、日頃のおやつ、茶の間のお茶請用、お土産の定番として喜ばれ
ている。
3) 評価・課題
これらお菓子に代表されるように、筑豊飯塚発の名物は他にも数多い。そし
てそこに住む人情味あふれる人々と同じく味わいのある食べ物が各地から味の
交差点筑豊飯塚には多く集まってくる。筑豊飯塚の魅力はまさにそこにあり、
多くの人のお腹も心も満たしてくれる。
食文化の2つの柱として、郷土料理の2面性=山里の恵み、町の味があげら
れる。これらを、まちづくり、地域興し、観光にうまく活かしていく。
☆地域資源(食文化、郷土料理)
①遠賀川流域の食
内野
長野さんのふるさと料理
タケノコ
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らっきょう、川魚、干し
②郷土料理 柿の葉寿司
③飯塚名物 ホルモン料理(すきやき風)
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④飯塚市本町・永楽町通り
公設市場
⑤御菓子屋 千鳥屋本店
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⑥ 内野宿
宿場ふるさと御膳(野々実会
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長野さん調理)
第2章
フラワーロード
1.益富城自然公園(嘉麻市中益)
益富城址のほか、公園、寺院が隣接する。西鉄大隈バス停から国道 211 号線
沿いに約 2 キロのところにある。
益富城は永享年期(1429 年
~1441 年)に大内盛見が築城
した。その後、秋月種実の本
陣となる。関ヶ原以後は、黒
田長政の筑前六端城となった。
とくに豊臣秀吉の一夜城の逸
話で有名であり、毎年 10 月に
は関連した行事が行われてい
る。
城址には案内表示や東屋が
設置されており、かつて公園
として整備された形跡がある。しかし現在では、入り口からのアプローチは草
木に覆われており、中に入ることがためらわれるほどの状況である。ただし、
城址から馬見山、古処山などの眺めはよく、公園としての価値は高いといえる。
また、城址とは別に公園も存在する。ただ
し、現在頂上付近は植栽を進めている過程
のようで、季節の花々に囲まれた公園とし
て機能するには、時間を要するように思わ
れた。
さらに公園区域内には、「滝の観音」と
呼ばれる円通寺がある。寺院としての規模
は小さく、観光客が大挙して訪れるのには
適さないが、国道に隣接していながら森と
滝に触れられるのは、魅力であるといえる。
なお、公園の入り口には 20-30 台程度が
駐車可能なスペースがある。売店および休
憩所等の商業施設は存在しない。
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2.上山百谷緑地公園(嘉麻市)
国道 211 号線上村交差点から約4キロ。百谷峠を越えて、山田方面に向かう
と右側にある。ただし、案内はなく、道路から公園の存在を確認するのは多少
困難ともいえる。
当公園はかつての炭鉱であ
り、高さ30メートルほどの
山状になっている(ボタ山)。
特に山田方面には眺望が開け
ている。頂上には炭鉱の遺構
と思われるものも残されてい
る。ただし、現状では植栽の
ほか特段の整備は行われてな
いように見受けられ、放置さ
れている状況にある。
一応、公園とされているが、
頂上に屋根つきのテーブルが
1卓あるのみで、施設と呼べ
るものは存在しない。周囲に
10台程度の駐車スペースは
存在するものの、一般道路か
らの案内はなく、周辺住宅へ
の生活道路であるため、アク
セスが整備されているとはい
えない。
ただし、樹木および植物が
ないという現状は、植栽および整備の自由度が高いとも評価できる。嘉穂と山
田を結ぶ峠道という地理的条件からも当公園はいわば空白地帯に存在している
といえ、整備された場合の周囲への波及効果は高いとみられる。
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3.嘉穂集団営農地(嘉麻市)
大隈および馬見を中心とした国道 211 号線沿道一帯。
当地は、ほぼ直線に延びる
国道 211 号線沿いにあり、周
辺道路も直線となっている部
分が多い。花街道として観光
客を集客することを考えても、
その距離は十分長さを有して
いるといえる。現状でも田畑
には、季節により菜の花やコ
スモスを見ることができるが、
これらが計画的に植栽された
場合、周辺農地が方形に整地
されていることは景観上も有利に働くとみられる。
また当地は益富城跡にほど近い場所にあり、沿道からだけでなく、益富城跡
からも花を楽しめる位置にある。益富城での一夜城のイベントとの相乗効果や、
国道沿いという立地を生かせば、他地域からの集客も十分期待できると考えら
れる。
また、国道 211 号線から馬
見山に向かう道には、沿道に
花が植えられている。これが
周辺に拡大されるならば、花
の街道として注目されること
が期待される。馬見山への途
中には、リンゴ園、ジャンボ
ンヨークなどの商業施設も存
在することから、周辺にも観
光客の立ち寄り場所として波
及効果があるとみられる。
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4.桂川町休耕地(桂川町)
桂川町土師周辺の農地。
休耕地あるいは非耕作期の
農地に菜の花が植えられてお
り、周囲一面が菜の花で彩ら
れている。
道路等の周囲の状況からみ
て、付近一帯を大勢の観光客
を呼ぶ地域にすることは考え
にくい。しかし、ある一定以
上の規模で花が植えられてい
ると、遠方からでも見にくる
べきもの(観光資源)に十分
となると思われた。
桂川町土居周辺の農地。
こちらも農地一面が菜の花
で埋められている。周囲はご
く一般的な農地および人家で
あるが、花一面の景色は思わ
ず足を止めたくなるほどの素
晴らしさがある。
桂川町には王塚装飾古墳な
ど歴史的価値の高い史跡が点
在している。そうした史跡を
結ぶコースを季節の花で彩る
ことができれば、歴史に関心
がある層と花に関心がある層の双方を呼び寄せることができると考えられる。
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5.梅林公園(嘉麻市)
梅林 1000 余本を有する県内有数の梅林公園。安国寺の裏山にあたる。西鉄バ
ス「下山田小学校前」より徒歩 5 分。
安国寺の保存運動の一環と
して、昭和 42 年に安国寺の裏
山に梅樹 1000 本を植樹して
出来た公園である。
植栽後の維持管理主体とし
て(永続的な存在である)寺
院が存在し、公園としての賑
わいが寺院の維持保存を可能
とするという仕組みは、他の
事例として検討に値する。
また当公園は公共交通手段
のアクセスには乏しいが、駐
車場が 2 つ整備されており、
他地域からの集客には問題が
ないといえる。園内には小規
模ながら茶店もあり、観光客
の休憩所として十分配慮され
また機能している。
さらに、当地(旧山田市)
は
江戸時代末期の大横綱であっ
た不知火光五郎の出身地であり、寺の入り口には墓もある。こうした複数の観
光資源要素の集積は、多様な観光客を満足させるカギとなると考えられる。
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6.遠賀川源流公園(嘉麻市)
国道 211 号線を嘉麻峠方面に向かう。峠の直前にある。
公園と称され、国道沿い数
か所にも案内板が表示されて
いるが、当地には 2-3 台の駐
車スペースと、10 数名が座れ
る小屋があるのみである。
このほか、公園内には説明
表示があり、15 分ほど山道を
入ると源流点があると記され
ている。
源流点までの道は、距離板
が設置され足場も(かつて)
整備されていたと見受けられ
る。しかし、現状では台風な
どによる倒木がそのまま残さ
れており、決して公園を訪れ
る感覚で源流点までたどりつ
けるようにはなっていない。
源流点は遠賀川のシンボル
的存在であることから、ほぼ
放置されている現状は望まし
いものとはいえない。当地は嘉麻市のもっとも奥に存在することから、公園を
魅力的なものにしてかつ受け入れ態勢を整備できたならば、道中および周辺地
域への波及効果は大きいと考えられる。
60
7.遠賀川河川敷(飯塚市)
遠賀川芳雄橋周辺。
遠賀川は当地で嘉麻川(遠
賀川本流)と穂波川とで合流
し、この地域から下流では河
川敷が見られるようになる。
芳雄橋および中の島は新飯
塚駅と飯塚バスセンターの中
間点でもあり、ここが人々の
憩いの場として整備されると、
飯塚中心部から各方面への人
の流れが生まれやすくなる。
鯰田周辺河川敷。
現状でも、鯰田周辺の河川
敷には菜の花が自生している
が、河川敷の道路は交通量が
多く、車を止めて花を眺める
ような環境にはなっていない。
周辺河川敷は現在、駐車ス
ペースやサイクリングロード、
その他グラウンド整備が進め
られている。河川敷に花壇を
造成することは維持管理面で
の困難が指摘されるが、対応
策としてはグラウンド等を利用して季節ごとに期間限定で(花やガーデニング
に関連する)イベントを開催することなどが考えられる。
61
8.遠賀川周辺(嘉麻市)
嘉麻市口春周辺。
嘉麻市に入り遠賀川を遡る
と、山田川とも分かれ、本流
は一層細くなる。堤防の法面
に菜の花が自生しているが河
川敷がないため、周囲から花
を眺めるためには堤防道路に
駐車するしかなく、交通量を
考えると事実上困難となって
いる。
ただし、周辺の高台には稲
築公園があり、公園から遠賀
川を眺めると菜の花をきれいに見ることができる。遠賀川だけでなく、周辺の
公園を含めた景観全体像を考えるヒントとなるといえる。
道の駅うすい周辺
道の駅うすい周辺の遠賀川
には親水公園が整備されてい
る。道の駅とセットで考える
と、「遊ぶ・買う・食べる・
駐車する」の観光としての要
素は揃っているといえる。
嘉麻市の中心である当地を
嘉麻市観光の核、あるいは観
光案内所としての情報発信基
地として整備することで、各
地への波及効果が表れること
が期待される。また、遠賀川上流や支流の整備のモデルケースとしても、重要
な事例になると考えられる。
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9.八木山渓流公園(飯塚市)
国道 201 号線で農楽園の角を曲がり、宮田方面へ。小谷川沿いに入ると入口が
ある。
小谷川は飯塚市と宮若市の
市境にあたり、入り口に至る
道路は宮若市に属する。公園
駐車場へとつながる橋は普通
車 1 台分(1.7 メールほど)の
幅しかなく、アクセスは必ず
しもいいとはいえない。駐車
スペースもさほど大きくなく、
農楽園から当地まで商業施設
はほとんどない。
しかし、渓流そのものはす
ばらしく、夏でも暑さを感じることなく過ごせる環境といえる。
公園の上方にはキャンプ場
が存在し、またハイキングコ
ースの出発・終着点となって
いる。しかし、(案内板によ
ると)昭和 41 年に整備された
とのことで、施設全体の老朽
化が著しいことを鑑みると、
その後の整備は行き届いては
いないようで、夏の一部の期
間を除いては十分に機能して
いるようには見受けられない。
当公園は、八木山の観光資源としての自然体験の分野を担う重要な要素とし
て位置づけられる。八木山川を下った宮若市側には千石峡があり、キャンプ村
として維持、機能している事例があるので、これを参考とした当公園の再整備
が期待される。
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11.竜王峠周辺(飯塚市)
国道 201 号線から飯塚市大日寺に抜ける林道。
本来、林道であるため、観
光目的に道路を利用すること
はできないが、竜王峠には(お
そらく林道整備の資材置場で
あった)広大な平地が存在し、
主として南側の手眺望は開け
ている。
八木山展望台がアクセスの
良い国道 201 号線沿いにある
ものの、これを横切らないと
出入りができない構造となっ
ており、国道ゆえ交通量が多いためにアクセスしにくいように見受けられた。
そこで、八木山展望台を国道沿いの休憩地と位置付ける一方で、竜王峠はそれ
を補う観光用の展望台としての整備されることも検討に値するといえよう。竜
王峠に至る林道にはリンゴ農園や窯元も存在しており、展望台での販売商品供
給地としてや、展望台への行き帰りの立ち寄り場所として活用されることも考
えられる。
また、八木山および竜王峠
一帯は水のきれいなことでも
有名で、国道沿いには有料の
給水所があるほか、林道沿い
には無料の給水所もある。
天然資源の希少性(枯渇)
を考えると、無料給水所を観
光資源と宣伝することは避け
るべきであるが、水を観光資
源のキーワードとして考慮す
るひとつの事例となろう。
64
12.貝原益軒石碑(飯塚市)
国道 201 号線から八木山小学校付近で北側(小学校と反対側)に入る。案内
板あり。
当地はきれいに整備されているもの、周
囲には石碑と案内板があるのみで、訪問客
が長時間滞留できるような構造にはなっ
ていない。したがって、貴重な資源を集客
に生かし切れていないと評価できる。
対応策として、貝原益軒に関する史料を
集め、史料館を開くことが考えられるが、
資料館としての集客力に加え、史料収集の
困難さを鑑みると、費用対効果の面で現実
問題としては難しいであろう。
ただし、健康ブームの中、しばし
ば参考文献としてとりあげられる
「養生訓」を利用することは可能だ
と思われる。
「養生訓」は現代医学の見地から
も十分の意義のある(しかし見落と
されがちな)健康法が記載されてい
る。これを具体的にとりあげた展示
コーナーを店舗内に設置し、健康料
理、健康グッズなどを揃えることで、史料館以上の集客が見込まれると考えら
れる。(国道 201 号線沿いの空き店舗を利用)
65
13.旧上山田線跡(嘉麻市・飯塚市)
嘉麻市熊ヶ畑の山田手づくりふるさと村周辺。
当地には山田手づくりふる
さと村が存在するが、山間部
のため、産地直売センターと
してはほとんど機能していな
いといえる。
旧山田市の時期から、毎年
10 月にトロッコフェスタが開
催されており、線路を利用し
た催しが全国的にも珍しいた
め、この時期には全国から鉄
道ファンが集まる。
飯塚市南尾周辺。
旧上山田線後は自動車道路
に転用されている部分が多い
が、飯塚市南尾周辺では、余
裕のある歩道を利用して花壇
が設置されている。
この花壇は数メートルごと
に区画が分けられており、維
持管理担当(と思われる)法
人・団体名の札が立てられて
いる。
以上のように、旧上山田線跡は近代化遺産でもあり、フラワーロードとなる
潜在力も持ち合わせている資源と言える。とくに旧山田市の地域でほぼ放置さ
れている鉄道跡などを花を利用して再生することは検討に値すると思われる。
以上
66
14.古処山キャンプ村(嘉麻市)
嘉麻市大隈から国道 322 号線を八丁峠方面へ。峠の前に入口あり。
古処山キャンプ村は、嘉麻市営のキャ
ンプ村である。年間を通じて営業されて
いるところが、嘉飯地域の他のキャンプ
場との大きな差異点といえる。キャンプ
村というものの、実際はコテージが点在
するもので、バーベキューができる貸別
荘ととらえるのが妥当であろう。
(写真:嘉麻市 HP より)
管理人も常駐しているため、管理維持は行き届いており、設立後比較的新し
い施設であることを考慮しても、設備はきれいであった。
現地調査で確認することはできな
かったが、HP によれば水車があり、
そこで農産物の加工体験が可能とな
っている。(事前に予約することで、
お米の精米やそばをひくことができ
る。)
(写真:嘉麻市 HP より)
古処山への登山も片道 1 時間ほどの
行程であり、家族連れでも無理のない距離といえる。大隈から車で 20 分程度の
近さであるものの、国道からも離れているため、都市圏から近郊でありながら
自然の中で時間を過ごすことが可能になっている。峠の反対側には、秋月キャ
ンプ場があるため、(本調査の地域外ではあるが)協力関係を模索して、福岡
市だけでなく(国道 322 号線を経由した)筑後地方からの集客も検討に値する
といえよう。
また、キャンプ村としての施設は十分に整備されており、嘉飯地域の他のキ
ャンプ場の模範事例として位置づけられよう。
67
15.湯の浦キャンプ村(桂川町)
桂川町土師から案内板あり。車で 5 分程度。
湯の浦キャンプ村は、桂川
町営の施設である。最大の魅
力は桂川町役場からも 10 分
程度で行ける近さであろう。
桂川町の小学生が当地から学
校に通学するキャンプが実施
されているのも、こうした地
理上の利点が生かされている
ためであろう。
当地は嘉麻市の古処山キャ
ンプ場と比べるとコテージの
規模が小さいようにうかがえた。したがって、家族か小グループでの利用が中
心になるであろう。むしろ、市街地や駅からの近さを考えると、キャンプによ
る宿泊だけでなく、喫茶・休憩としての利用も可能と思われる。
またキャンプ村入口には、
公園があり、キャンプ村と連
動した活用が見込まれる。現
在植栽が進められており、将
来は花を中心に集客すること
も期待できる。
現地調査(3 月)の時期には
営業されていなかったが、花
の時期に公園でイベントを開
催することで、その休憩場所
としてのコテージの活用も期
待でき、施設の利用期間の延長を図ることができると考えられる。
以上
68
16.サンビレッジ茜(飯塚市)
飯塚市山口。国道 200 号線から県道 65 号線を大宰府方面に車で 15 分程度。案
内板あり。
サンビレッジ茜は、人工芝ス
キー場をはじめとして、団体が
利用可能な宿泊施設、およびキ
ャンプ場、屋内体育館を擁する
総合施設である。旧筑穂町の施
設であるが、現在は飯塚市の施
設となっている。
経年劣化はあるものの、年間
を通じて営業されており、維持
管理の面では問題はない。
(写真:HP より)
施設面で特段の問題があるわ
けではないが、人工芝スキーが
人々の関心を集めるスポーツで
あるかは疑問である(時代の変
化という側面が強い)。
地理的には、飯塚市に属する
ものの飯塚市中心からは離れて
いる。福岡市から飯塚への交通
路からも離れている。
(写真:HP より)
学校等の研修施設としても利
用されており、資源活用の面でも有効利用されていると評価できる。ただし、
更なる利用客の増加のためには、福岡市や飯塚市中心からの集客だけではなく、
むしろ近接地である太宰府市からの集客に活路を見出す必要に迫られていると
考えられる。
69
17.大将陣公園(飯塚市・桂川町)
天道駅すぐ。駐車場あり。
当公園は、大将陣山山頂を
境に飯塚市と桂川町にまたが
っている。大将陣山は平安時
代に源満仲が藤原純友の乱平
定の勅命を受けた際に陣を置
いたことに由来している。ま
た、平安末期に神社(大将陣
社)が立てられ、皮膚病一切
の神として参拝者を集めてい
る。
周囲に高い構造物がなく、
360 度の視界が開けており、北側には忠隈のボタ山を見ることができる。
また、桜の名所としても知られ、春には大勢の人を集めている。
公園が丘陵に位置すること
を利用して、長さ 120m、高さ
21m のローラースベリ台が設
置されており、人気を呼んで
いる。また、山頂には天体望
遠鏡が設置されており、定期
的に(月に 2 回程度)観測会
が開かれている。
公園自体は交通の便もよく
(道路は狭い部分もあるが)、
整備も十分であるように見受
けられた。周囲(公園を挟んだ駅と反対側)には空き地も多く、開発の余地も
あるように思われた。
70
18.鯉料理なかはら(嘉麻市)
嘉麻市馬見。国道 211 号線から九州リンゴ村方面に入り、案内板にしたがっ
て脇道に折れる。5-6 台分の駐車場(大型車も可能)あり。月曜日定休。
創業は昭和 40 年で、現在の
オーナーは昭和 51 年に引き
継ぎ、現在に至っている。
九州リンゴ村周辺には、ま
だ飲食店が多くなく、貴重な
存在といえる。
嘉穂集団営農地を馬見山方
面に上ったところに位置し、
嘉穂の山々や町並み(そして
将来的にはお花畑)を見なが
ら、のんびり食事ができる。
メインのメニューは鯉定食
(1200 円)で、ご飯・つけも
の・こいこく・鯉のあらい・
手作りこんにゃく・山菜の煮
物となっている。
1 ヵ月ほど清流の水の中で
育てているため臭みがなく、
新鮮な鯉料理を食することが
できる。
71
19.八木山農楽園森ん子(飯塚市)
飯塚市八木山。国道 201 号線で八木山峠近く。駐車場(大型車も可能)あり。
年中無休(年末年始除く)。
八木山農楽園は、農産物直
売所・自然食バイキングレス
トラン・ベーカリー等で構成
されている商業施設である。
自然食バイキングレストラ
ン森ん子は、食べ放題(大人
1260 円)で、併設する農産物
直売所で販売される野菜等を
利用した料理やデザート、ま
たベーカリーで焼かれた各種
パンを提供している。
そのため、隣接店舗のある種のアンテナショップ(試食コーナー)的役割を
果たしているといえる。つまり、自然食バイキングレストラン森ん子で味や調
理法を確認した後で、実際に農産物直売所やベーカリーで購入するような消費
行動を促進している。
農産物直売所だけで観光客の足(車)を止めることは難しく、飲食店を併設
することは有力な集客手段だと考えられる。峠に位置することも、自然食とマ
ッチして購買意欲を喚起しているだろう。嘉飯地域の他の峠道にもそれぞれ一
つは存在していいモデル店舗といえよう。
72
20.山田手づくりふるさと村(嘉麻市)
嘉麻市熊ヶ畑。県道 441 号線沿い。駐車場あり。月曜定休。
山田手づくりふる里村のコ
ンセプトは、地域住民が持ち
寄った農作物をはじめとする
特産品の展示即売所や、地元
でとれた新鮮な材料から味
噌・漬け物などを作る加工施
設、そして陶芸体験の場を提
供する伝承工作室などが一体
になった複合スポットである。
しかし、現実的には、地元
住民のための簡易スーパー的
な存在にとどまっていると思われた。
また、山田手づくりふる里
村の向かいには、公民館と老
人福祉施設いこいの家「白雲
荘」(木曜定休)がある。ラ
ドン温泉の利用料金は、70 歳
以上 100 円、13 歳以上 69 歳
以下 200 円、6 歳以上 12 歳以
下 100 円と設定されている。
当地は嘉麻市でももっとも
山間部に位置し、周囲に特段
の観光施設はない。そのため
都市部からの集客(日帰り観光)には、困難が大きい。むしろ、事前の中で静
かに趣味に打ち込める週末ステイ(セカンドハウス)目的の層を集めることが、
地域活性化および既存設備の活用につながるように思われる。
73
21.喫茶じゃらん(飯塚市)
飯塚市本町。本町商店街から路地に入る。
喫茶のほか、日替わり定食(600 円)を提供。
商店街アーケードから一歩入った、路地裏に位置する。都市部からの観光客
は旅に非日常性を求めるものだが、今では見かけられなくなった路地裏に非日
常性を感じるとともに懐かしさをも感じるようにうかがえた。
都市生活者にとっての最大の非日常性は、自然環境であろう。これは嘉飯地
域の多くの場所で提供できる資源であろう。他方で、都市部に対する(必ずし
も田舎ではない)地方都市(=飯塚)の差別化は、懐かしさであるように考え
られる。
嘉飯地域における飲食店のモデルケースになると思われた。
74
第3章
教育
1.嘉飯桂地区の窯元について
1) 経緯
筑豊における陶磁器(やきもの)の窯元は 110 窯ほどあり、そのうちの 40 窯
ほどが全国的にも有名な上野焼である。上野焼以外の窯元が多いのに驚くが、
これは陶器製作に関連するハードウェア開発と陶土等の流通および高度経済成
長下における陶芸ブームが好影響を与えた結果といえる。消費者の嗜好も産地
固有の陶器からより自由な作風のものを求めるようになってきている。
バブル経済崩壊以降の陶器市場では消費者にさらなる変化が起こっている。
それは従来にもまして陶器製作に関連するハードウェアが入手しやすくなり、
かつ、容易に操作できるようになってきたため、消費者が自ら製作するように
なったことである。
多くの窯元では、伝統に則った陶器を製作する一方で現代風にアレンジした
ものも製作するようになってきている。さらに、従来の陶器専売から、他の素
材との共同販売や喫茶あるいは陶芸教室を併設するなどの動きがみられる。
2) 現状
嘉飯桂地区における窯元は 19 窯あり、このうち上野焼系はない(図:数窯が
閉窯のため実数はこれより少なくなる;確認中)。作風は信楽焼、志野焼、益
子焼、焼締めおよび茶器から日用雑器までバラエティに富んでいる。陶芸教室
を開設している窯元も多い。
窯主は 40~60 歳代で創業から 10~40 年を経ている。代替わりした窯元もあ
る。他の地区では高齢化、後継者難、配偶者の死去や本人の健康問題で閉窯が
増えているが、本地区の窯元数は、当面の間、現状を維持できるものと思われ
る。
窯元の位置は、八木山から飯塚にかけて 10 窯ほどが所在し、大分、桂川、大
隈および嘉麻峠から八丁越えに点在する。
3) 評価
嘉飯桂地区には、筑豊への出入り口として、福岡方面からの八木山峠および
ショウケ越え、筑後方面からの冷水峠、白坂越えおよび八丁越え、日田方面か
らの嘉麻峠があり、各々が直鞍地区および田川地区を経由して北九州や行橋方
面へと繋がっている。
75
陶器市場は伝統的な作風を評価する一方で、消費者個々のニーズに応えるも
のや現代的なものを要求している。このため、福岡に近い本地区では、上野焼
や他の伝統的作品グループを後背地として、現代風の陶器や従来の容器という
枠を超える作品を用意し、かつ、陶芸教室、休憩所あるいは地域の産物を複合
的に用意できる空間があれば地域活性に十分な効果が期待できる。
図 嘉飯桂地区の窯元所在地
76
図中番号
焼物名
窯元名 住所
年間行事および作風
1
2
3
4
信楽焼 一艸窯
志野焼 大日窯
立岩焼 如水窯
無蔵窯
飯塚市
飯塚市
飯塚市
飯塚市
個展
焼き締め・日用雑器・花器
茶器
釜開き 焼き閉め・手びねり
練りあげ・入選の度に作品・作風を変更す
5
10
龍王窯
亀甲窯
飯塚市
飯塚市
日用雑器と個展用の作品を半々
日用雑器
6
8
9
嘉1
15
16
12
17
嘉2
嘉3
木乃丸院窯
益子焼 大分窯
優友窯
巧泉窯
焼締陶 九想窯
忍窯
陶画工房木の花
秀吾窯
待音窯
つる岡
飯塚市
飯塚市
飯塚市
飯塚市
嘉麻市
嘉麻市
嘉麻市
嘉麻市
嘉麻市
嘉麻市
釜開き・雑工際 日用雑器
釜開き 日用雑器
嘉4
19
18
羅以音窯
土師焼八児窯元
陶人庵
飯塚市
桂川町
桂川町
る
釜開き・作陶展
釜開き・雑工際
釜開き
生活雑器
釜開き・父子展
77
焼き締め・日用雑器
焼き締め・日用雑器
茶器・日用品
2.子どもを持った親が嘉飯桂地区に定住するための資源について
1) 経緯
筑豊における学校関連施設および学校の社会的貢献活動が地域活性化の導因
となりうる可能性について検討する。
学童期にある子どもを持つ夫婦が他地域に定住を考える場合には、子どもの
学習および交友環境について考慮されることが重要となってくる。高水準の教
育を用意できる学校の存在は重要であるが、低学年においては徳育も重要とな
る。また、嘉飯桂地区における小学校から高等学校までの高い教育水準が連携・
連結されていることも重要となる。高等学校卒業時における地場産業および地
元大学への進路についての選択肢が豊富で充実していることも重要となる。
さらに、他地域からの転居に伴って、親子共々地域に親和できる環境の整備
も重要である。
2) 現状
子どもの教育に関して保護者の考え方に高度経済成長下における学力優先の
姿勢とは異なる様相が見受けられ始めている。社会のグローバル化が学力に加
え想像力をも要求するようになってきている。さらに価値観の多様性が娯楽、
文化、スポーツなどの分野における社会的な認知を促してきている。学習能力
に期待できる我が子には高学歴となるための環境を用意する親と、その他の分
野に期待する親とが高等学校までの学力に二極化をもたらしているといえる。
少子化に伴って、兄弟間で経験し学習しておくべき事が等閑りにされ、友達
同士でのより高度なコミュニケーション能力の発達を阻害している。自分の物
と他人の物との区別がつかなかったり、愛すること、相手を思いやることや他
人の役に立つことに歓びを持てなくなったり、大人数は言うに及ばず少人数で
の共同作業ですらできない大人が増え始めている。物の価値を見定めることの
できる大人が育たなくなり始めている。
今後は経済的な二極化が進み低額所得者の割合が増加することが予想される。
社会的格差が深まることによって、低所得者の多子低学歴が歴史的に繰り返さ
れることも考えられる。
社会のグローバル化は、さらに、外国人の定住増加、国際結婚の増加、異文
化の定着、日本文化と外国文化の合流や新文化の創成、異文化間交流、夫婦間
言語問題など様々な現象と課題を生み出してくる。
これからの子どもを取り巻く環境は、社会的価値観の激変の中で、21 世紀に
しっかりと生き抜いていくことのできる能力を身につけさせる場を提供するも
78
のでなければならない。そして、弊害となりうる将来の社会問題の芽を摘みと
っておくことが重要な課題となっている。
子どもの成長とともに夫婦間における価値の共有も重要である。共働きがで
きる社会的構造が要求されているので、お互いが共有できる時間、子どもに手
間を掛けられる時間、従来なら親から受けられる育児や社会生活についての教
育を受ける時間が、金銭面よりも重要な課題となる。子どもを持つ親がさまざ
まな教育を受けることのできる機会が用意されなければならない。
嘉飯桂地区における教育は中学校教育が重要なポイントとなる。日本で生き
抜くために必須の教育が義務教育であるのならば、中学校までの学力に二極化
が発生してはいけない。徳育には高い質が要求されるのである。
嘉飯桂地区における家庭を取り巻く生活環境は、従来、自治会活動が中心的
役割を果たしてきた。コミュニティの最小単位が自治会活動であった。しかし
近年は、単身赴任、独身者、独居老人など安全性等の理由から自治会に加わら
ない人が増えてきており、十分な機能を発揮できなくなってきている。また、
小学校の統廃合により校区とコミュニティに不整合が出現し、スポーツや塾の
交流関係がコミュニティを複雑化している。また、生活保護等の社会的支援を
必要とする人達のコミュニティの範囲が異なるエリアを形成し、自治会を統括
する公民館活動も円滑に機能できない状態となってきている。
小学校の施設利用や校区内コミュニティとの連携では、一部の小学校に児童、
保護者、児童の卒業後における保護者間の交流活動など、コミュニティ単位と
整合性のある魅力的な活動があげられる。
社会生活における情報の授受と活動はコミュニティ間のバランスが重要で、
従来であれば、自治会→公民館→支所(役場)の規模が活動内容と対応してい
た。しかしながら、少子高齢化やグローバル化あるいは異文化の浸透の中にあ
って、時代に適合したコミュニティ活動の再構築が要求されている。
他地域からの児童や学童を持った転入者にとって、如何にして多くの情報を
容易に入手できる環境にあるか、周辺のコミュニティと良好な関係がとれるか、
それらが転入以前の下見に来た情報収集の段階で確認できるかが重要な鍵とな
っている。
3) 評価
子どもの学力については、小学生および中学生の教育現場において二極化が
起こっていないことが吟味されるべきである。情操教育についてはコミュニテ
ィと連携した質の高い文化的教育が再検討されるべきである。世界中の変化が
メディアから垂れ流されている現状にあって、守らなくてはならない地域文化
の軸を再確認し、未来にも通用する人間をコミュニティが積極的に学校機関と
79
協力して育成していく環境が整えられなければならない。さらに就職と進学の
分岐点となる高等学校では、学生の希望と実態に即した教育が必要となる。
嘉飯桂地区には近畿大学と近畿大学九州短期大学および九州工業大学の高等
教育機関があり田川地域の福岡県立大学と合わせてコンソーシアムの機運が高
まっている。
子どもの学習環境については小中学校における情操教育と中学高等学校にお
ける学力維持が重要な課題といえる。
家庭とコミュニティとの関係にはコミュニティの規模や形態と情報授受の整
合性が求められているが、現在も変化し続けている状況下にあって将来を見据
えた再構築が急がれる。これには嘉飯桂地区を統括する企画および執行機関が
必要であるが、上位組織は存在しない。飯塚市で市民活動推進課など期待が寄
せられるが実力は未知数である。
働き盛りの夫婦には、子どもばかりではなく、扶養する親(;経済的健康的
理由)の問題も重畳する場合が多く、生活全般を統合的に検討した方針とその
実行が必要である。
少なくとも学校関係で他地域からの転居および定住を導引するためには、情
操教育の現場が保護者から直接確認できること、および、福岡市など大都市に
おける教育水準と在学生の学力に遜色のないことが地域資源の鍵といえる。こ
れらについては調査中である。
80
図 平成20年度 高田小学校紹介パンフレットより
(http://www.city-iizuka.ed.jp/index.cfm/9,0,33,438,html)
※ 学校関連施設の情報は別添
81
3.団塊世代以降が老後に求める嘉飯桂地区の資源について
1) 経緯
筑豊における高齢者の生活に関連する施設とその社会的活動が地域活性化の
導因となりうる可能性について検討する。
団塊の世代が退職ラッシュを迎えているが、産業以外の分野で大きな影響を
及ぼし始めている。それは、高度経済成長を支ええた彼らが、生活に便利な都
会を志向する一方で、生まれ育った故郷や故郷に似た土地もしくは静穏な土地
に終の棲家を求めようとしていることである。筑豊地域は福岡市および北九州
市の中間に位置することから、遠賀川水系に代表される自然に恵まれ、かつ、
嘉飯桂地区は便利な福岡市に隣接しているという好条件を有している。
定年世代以降にとって老後の定住場所は重要な条件となる。定住先には、日
常生活における利便性はもとより、生活支援、健康管理と疾病に対する加療、
地域の安全など高齢者に対する高い社会福祉の水準が求められる。
2) 現状
老後を迎えるに当たって、人生の仕上げをする場所が選ばれる地域について
第一に考慮されるのは、コミュニティの質が住みやすい環境であるか否かであ
る。彼らは住み慣れた地域を離れ、全く新たなコミュニティ地図を作成しなけ
ればならないからである。これにはショッピングやアメニティなど利用施設等
の空間的な認知ばかりか彼らにかかわる地域コミュニティとの相性が重要とな
ってくる。
嘉飯桂地区は石炭産業が興隆を極めた頃から北九州市との商業的交流が盛ん
で、石炭六法以降はさらに福岡市との結びつきを深め、近年では筑穂から桂川
地区にかけてベッドタウン化が進んでいる。彼らの定住先では都会のような利
便性を必要性としない。定住地周辺に日常生活を営む上でことたりるショッピ
ングエリアがあればよいのである。むしろ彼らの期待する環境は、老後におけ
る福祉施設とケア体制および嘉飯桂地区の歴史的施設と伝統文化が時間的空間
的に一体となる場が用意されていることである。
筑豊地域には商工文化と農耕文化の二相性が認められる。歴史の経緯として、
農耕文化、街道主場文化および石炭産業文化が混在しているのである。「川筋
気質」に溢れる山笠や「豊穣祈願」としての獅子舞などといった祭りに現れて
いる。しかし、各々の運営は独自性が強く両者間には人的交流が少ない。嘉飯
桂地区に定住を考えている退職後世代にとっては、地域の文化背景が重要な鍵
となってくるといえる。
82
また、福祉環境については桂川町が評価される。旧筑穂町の福祉体制も充実
していたが飯塚市との合併の結果、人的予算的な問題で十分な体制がとれてい
ない。嘉麻市についても同様に合併後の体制が十分とはいえない。
老化に伴って生活力や家族環境は変化していく。我が子からの扶養援助を失
ったり、配偶者が認知症になったりあるいは死亡したりすることは介護する者
や残された者にとって重大な問題となるからである。彼らへは物心両面からの
支援が必要であるが、情報の入手環境は十分とはいえない。自治体等への直接
的な接触は、当地在住者よりも、都会生活で慣れている彼らの方が積極的であ
ろうと思われる。しかし、自治体等には転入者側の新鮮な感覚を受け入れる柔
軟性や迅速性が十分用意されているとはいえない状態である。嘉飯桂地区の対
応性を再検討する必要があると考えられる。自治体へさらなる改良を求めると
同時に、コミュニティと高齢者福祉施設との密接化が望まれる。高齢者が必要
とする情報は日々の生活で双方向の形で交換するべきものである。超高齢化社
会を迎える嘉飯桂地区の体制は十分とはいえない。社会福祉施設間の連携およ
びさらなるコミュニティとの一体化が必要である。
都市部では高度経済成長下で核家族化が促進された。また、農村部において
も機械化による省人化や「金の卵」としての都市部への移動が進められた。こ
れらの結果、現今の老後生活は老老介護が主となってきている。今後は、介護
を必要とする親が遠隔地にあり直接面倒をみることができない家庭が増えるこ
と、あるいは、身寄りのない老人が増えることが予測される。老老介護で親を
看取った世代を介護する世代が不足している。
身寄りのない老人が最期を迎えることのできる施設の充実も急がれるが、嘉
飯桂地区における施設は有料老人ホームも含めて質量ともに不足しているとい
える。
3) 評価
他地域への定住を考えている退職者世代にとって住みやすいコミュニティの
存在は欠かせない。嘉飯桂地区においては商工文化および農耕文化の二相性が
存在するので、両者ともに重要な資源といえる。しかし、定住を考えている彼
らがその情報を入手するチャンネルは極めて狭いと言わざるをえない。両者に
関する恒常的な情報発信の機会と現地への下見等における情報提供の支援が急
がれる。また、両者間の相互交流と情報発信への協力体制の創設が望まれる。
また、コミュニティの文化的環境と社会福祉体制との自然な融合が望まれる。
老後の生活に関して情報入手の容易性が望まれるが、自治体側は受け身の姿
勢が強い。より積極的で双方向の情報授受の体制づくりが急務である。これに
は、財政難の折からも民間福祉施設とコミュニティの密接化を支援し、そこか
83
らの情報発信および収集に努力すべきであろう。特別老人養護ホームの空室待
ちは福岡市などの大都市でも嘉飯桂地区でも大差なく 10 人~40 人が恒常的と
なっており、これに緊急入所の形で割り込みが入ってくる。社会福祉資源に関
する機構上の改革が大都市よりも先んじて行なわれることと 10 年後程度の明る
い見通しの具体的(待ち状況の改善)計画の情報発信が嘉飯桂地区における退
職後世代の定住化に優位性を持たせる鍵といえる。
高度経済成長を最前線で戦い抜いてきた団塊の世代が終の棲家を考えるとき、
如何にして最期を迎えるのかは重要な問題となってくる。家族に見守られる環
境がない場合でも安心して十分納得できる老後を送ることができる地域をつく
ることが大目的といえる。嘉飯桂地区においては十分な環境が整備されている
とは言い難いが、上述のごとく、他地域においても同様の実態ではないだろう
か。福岡市および北九州市に隣接する他地域については調査中である。調査結
果をもとに嘉飯桂地区の特異化をも検討すべきである。
現状を総合的に評価すると、嘉飯桂地区に定住を考えている他地域の退職者
世代にとっては高齢者用資源が不足している(充実していない)と評価される。
早急に関連施設および人的支援の充実が望まれる。
以上の情報が、嘉飯桂地区においえレジャー等で滞在する場合や他地域への
観光帰りなどで立ち寄る場合に、入手しやすい環境を整えることも必要である。
図 周辺在住高齢者の福祉施設利用の例(天空の杜(飯塚市))
84
図 有料老人ホームの一室(福果(飯塚市))
図 人的経済的制約のため手入れのできない庭(福果(飯塚市))
※高齢者に対する資源に関しては別添
85
第4章
定住
1.ソフトケア有限会社
飯塚市幸袋 576-14 トライバレーセンター内
TEL
0948-29-2813
1) 経
緯
九州工業大学(藤居研究室)の研究に基づき 1995 年 11 月に設立された大学
発ベンチャー企業である。創業当時は東京都練馬区に本社を置いていたが、1998
年に本社を兵庫県姫路市へ移転、現在に至っている。2000 年に宗像支店を開設
していたが 2003 年には飯塚市へ移転し、現在は兵庫県の本社と飯塚支店の製造、
研究拠点の 2 拠点を展開している。
レーザー散乱光(スペックル)によって血流を画像化する技術が創業当時か
らの技術であり、それに基づき医療診断装置を開発、製造している。血脈では
なく血流をリアルタイム、かつ、マップ上で観察することができ、動脈と静脈
とを識別することもできるこの技術は、業界初であるという。この技術によっ
て血管内の動きを観測することで動脈硬化の関連因子分析などに使われる。
最初に開発された製品は国内眼科ドクターとの共同開発で生み出された医療
機器としての眼撮影装置である。開発の際には新エネルギー・産業技術総合開
発機構(NEDO)、久留米リサーチ・パーク、福岡県飯塚市の助成金を受け開
発が進められた。10 年余の開発期間を経て、2003 年には医療機器製造業許可を
取得、2007 年 8 月には医療機器製造に必要な ISO13485 を取得、2008 年には
医療機器製造承認を取得し同年 3 月より販売を開発している。近年開発した製
品として、教育・研究用機器としての皮膚血流画像化装置があり、眼底だけで
なく幅広い血流測定が可能な製品である。しかし臨床には使用できないために
購入の際保険処理ができず、基礎医学研究用の製品である。
2) 現 状
2000 年における年商は 2 千万円だったのが近年 3 年前後は年商4千万円に倍
増している。製品の販売方法は、主に学会などでの研究成果の発表や展示会出
品等による口コミによるもので近年は機器のレンタルも行っている。一部商社
を介しているが、特に営業活動に投資はしていない。従業員数は社長を含めて 6
名(研究・技術 4 人、事務 2 人)である。研究・技術メンバーは九工大出身者
86
で構成されており設計から組み立てまで手掛ける。事務は会社設立や医療機器
製造認可取得など高度な専門知識を要する業務を行っている。
3) 評 価
学会や医療機関にも認知され始め、近年医療機器製造承認を得たことで売上
高は徐々に上昇している。新たな用途や販売先(内科、循環器科等)を模索中
であり、今後の成長可能性が見込まれる。部品や資材の製造を福岡県内の企業
から調達しており、本企業の成長による経済的波及効果が期待できる。また、
技術的な優位性を持っており、関連技術によるベンチャー創出等にも期待でき
る。しかし、「小さいものを力強く(岡本部長)」をモットーとしており、急
激な成長は基より目標としておらず、雇用創出としては限界がある。
87
2.株式会社ハウインターナショナル
飯塚市幸袋 560-8
TEL
IB コート
0948-26-3800
1) 経 緯
現社長の正田氏は九州工業大学の学生自治会長をしていた 1996 年頃から飯
塚に対する地域貢献、復興を考え、現サイバービーイングの社長らと共に様々
な活動を行う。その中で商店街内でのコンピュータ教室やシステム開発(道路
交通システム等)なども行った。97 年当時は IT 環境が現在のように整備され
ておらずそのために受注もなく、その後拠点を福岡市内に設けることで黒字化
させることができた。しかし、当初の飯塚市をアジアのシリコンバレーに育て
るという強い思いから飯塚に戻り、1999 年 7 月に有限会社 Heart・at・Work
(資本金 300 万円)を設立した。(同年にヤオハンの和田勝男氏の下で人脈を
広げ経営ノウハウを学んだ。)
設立当時の事業内容は小中学校への情報学習講師の派遣業務からスタートし
独自の講義形式を確立、それら学校教育に使うソフトの開発へと広げ、2000 年
には JAVA を中心としたシステム開発(携帯プラットフォーム構築等)を展開
している。近年開発し注目を浴びているシステムは、九州工業大学と共同開発
した文部科学省特色 GP による「自己評価・ポートフォリオシステム」である
が、これは、九工大の 5 学科担当教官と社内の研究開発者が共同で開発された。
現在は学生の自己評価と教員の組織的指導により学修の動機付けに留まってい
るが、今後は採用企業とのやり取りを通じて就業支援やマッチングも可能なプ
ログラムにしていく予定であるという。
2) 現 状
現在の資本金は 7 千 7 百万円であり、売上高は1億円前後(ピーク時は1億
8千万円)であり、35 名の従業員を抱えている。従業員は当初はほとんどが九
工大出身者であったが、近年は半数ぐらいであり、残りは福岡やその他の地域
から公募や紹介等によって集まっている。事業内容はモバイルコンテンツ構築、
エンタープライズ系システム開発、ネットワーク設計・構築・補修であり、飯
塚市にある本社の他、2007 年には福岡にソリューションセンター、および、天
神出張所を置いている。元従業員の半数は飯塚に、半数は福岡にいる状況であ
る。
88
3) 評 価
技術性も高く、高額のプロジェクトも採択され売上高も順調に挙げているよ
うである。従業員数も現在 35 名であり現在人員募集も行っており、今後の成長
を見込むと経済効果が期待できる。しかし、「必要以上に規模拡大しない」「良
いものを発信しなければ」といった言葉からも、派生企業創出は期待できても
雇用創出は大きく期待することはできない。むしろ、現社長が NPO 法人等を通
じた地域活性化に真剣に取り組んでおり、技術と地域を繋げた新しい発想での
活性化策の実行は十分に可能であると考える。
89
3.株式会社マルテック
飯塚市幸袋 576-1 福岡ソフトウェアセンター内
TEL
0948-26-3562
1) 経 緯
九州工業大学のマレーシアからの留学生だった林氏は学部 4 年の時に創業の
夢を持った仲間と出会い、1999 年、留学生 2 人で日本初の留学生ベンチャー企
業を創立した。情報工学部に所属していた林氏を含めた創業者メンバーは、当
時、携帯の i モードもなく、メールといえばパソコンしか使えない状況の中で、
「インターネットは人類の財産」であり誰もが簡単に使えるツールが必要であ
ると強く認識し創業に至っている。
創業当時の技術は、電話線とサーバーをつなげる技術に基づき、パソコン以
外の媒体でインターネットを使える技術やソフトを開発している。現在はプロ
ダクツ部門とプロジェクト部門に分かれており、プロダクツ部門ではパソコン
との対話・画像処理技術を確立、IP ビデオテレフォニーのサーバーを代表とす
るユーザー主導型のシステム開発を行っている。この技術は現在インドネシア
の大手携帯メーカーと契約を結んでいる。プロジェクト部門では受託ソフトウ
ェア開発を行っており、近年では行政業務システム(ゴミ収集支援システム、
税金滞納整理システム等)を受注、開発を行っている。
技術的には、2002 年経産省情報通信技術研究開発事業認定、2003 年経産省
創造技術研究開発事業認定、内閣府による飯塚アジア IT 特区の民間企業事業所
指定、2004 年経産省実用化研究開発事業認定、2007 年文科省科学技術政策研
究所より NISTEP2007 受賞と、政府からの支持も高い。
2) 現 状
現在の従業員数は 8 名(正社員のみ、その他バイト数名)であり、ほとんど
が外国人で構成され、その国籍も多様である。中には九工大出身者もいるが、
多くは公募により採用したということであった。日本語も全くできない海外居
住者の人をチャットで面接、日本に到着しすぐに仕事に就いてもらう。ベンチ
ャー企業にとって教育期間を設けることは難しく、外国人はその辺を理解して
くれ、また、ハングリー精神や探究心も旺盛であり熱心に仕事をするという。
システム開発時の困難さなどはインターネットでいくらでも解決策が見つかる
ため、外国人が多い分、多様な方向から情報収集が可能であるという。
90
日本で大手企業や市政府からの受注はかなり難しい。実績や入札が求められ、
その情報も届かないという。従って今後は東南アジアへ市場を拡大させる予定
であるという。
3) 評 価
技術的にも優れ、売上も上がっており、今後の海外展開や雇用拡大(外国人従
業員の定住)といった面から経済効果を期待できる。しかし、外国人従業員が日
本で就労する上で問題が多すぎる点の指摘があった。クレジットカードも作れ
ない状況であり、飯塚市内の小学校では国際人の育成も殆どできない。優秀な
人材の集積に向けた取り組みが必要である。
91
4.株式会社なうデータ研究所
飯塚市川津 680-41 飯塚研究開発センター内
TEL
0948-26-2350
1) 経 緯
九州工業大学の情報工学部(永澤研究室、梅田研究室)でソフト技術の研究
をしていた創業者は、1996 年、それまでの研究をビジネスにつなげようと 3 名
(代表、研究助手、OB)で創立した。創業後すぐに発売開始したシステムは、
ユニックスベースの設計知識プロセッサと健康診断支援システムであった。前
者は CAD に組み込まれる設計システムであり、CAD メーカーの上場企業役員
と研究室の教授と深い付き合いがあることからソフト開発が行われた。後者は
健康診断の結果を入力するとその健康状態を解説してくれるというシステムで
あり、これも同じく臨床検査企業と教授とのつながりにより共同で開発された。
主軸となるのはルールベース技術である。ドクターや専門家のノウハウや知
識を数値化したり解釈することで専門知識がなくても分かるように表示するシ
ステムであり、欧米ではこの技術によるシステムは既に多く取り入れられてい
る。本社の強みはその明示化方法や使い勝手にあり、他社にない分かりやすい
設計となっている点である。
1999 年の通産省の補助金や 2000 年の経産省の補助金を受け、設立当初のシ
ステムを改良、進化させおり、近年では筑波大学病院の予約、処方オーダーの
検診システムを開発した。5 年前から主軸だった大野氏が 2008 年度に社長に就
任している。
2) 現 状
現在の従業員数は 17 人(正社員のみ 13 人)であるが、半数は九工大出身者
であり、残りの半分は紹介や公募による採用である。大多数は飯塚市に住み福
岡から通う従業員は 2 人のみである。顧客は大手メーカーや大学、大学病院等
であるが、特に営業はしておらず、学会発表で徐々に浸透し、現在はいくつか
大手企業との成果が出たことで顧客が広がっている。また、後見人の松本氏
(AT&T 引退後 T&Y 設立)のネットワークにより海外市場への拡大も検討中で
ある。大学発ベンチャーネットワーク(二木会)や九大シリコンバレーラウン
ド等、積極的にネットワーク作りに参加しており、そこから東京等の顧客に紹
介してもらうケースもある。また、「大学発」というブランド、および、「九
州から」という地域性から生じるネットワークも顧客獲得にプラスに作用して
いるという。
92
3) 評 価
ルールベース技術という技術内容自体、応用可能性が高く、嘉飯地域のその
他組織においても導入することでユニークな事業展開に繋がりえるものと考え
られる。また、大手の取引先を確保しており、海外展開など今後の成長や地域
に対する経済効果も期待できる。飯塚に本社を置くことについて、マイナス面
よりもプラス面を積極的にとらえているが、自社技術に自信があるからだろう。
地域に根付きながら地域のその他ベンチャーとの密接な関係性を構築しようと
しており、新規ベンチャー創出の刺激になる可能性も高い。
93
5.合資会社バイオコム・システムズ
飯塚市幸袋 576-14 トライバレーセンター内
TEL
0948-25-1746
1) 経 緯
2001 年、九州工業大学出身の森現社長は、大学院(修士課程:東條研究室)
でソフトウェアを開発しながら会社を立ち上げた。創業に至った背景には、大
学院の時代からベンチャーの話をよく聞かされ興味が湧いた点、および、大学
での研究が大企業に就職した際には自由に使えず、直接顧客と接することで応
用性を把握できる点を挙げていた。
当初は大学院で研究を進めながら自宅を事務所とし、その成果を顧客に対応
しながら開発をするというスタイルをとった。設立当時の資本金は50万円で
ある。2003 年にはオフィスをトライバレーセンター内に移し本格的に事業を展
開した。また、2005 年には事業を進めながら大学院で博士号を取得している。
事業内容は、コンピュータソフトウェア開発、販売、情報処理、情報提供、
書籍出版、皮治療システムの研究開発に役立つ機器の販売等を行っているが、
創業当初からの主なソフトウェアは医薬品開発用の「経皮治療システム開発用
薬物動態解析ソフト」である。薬物投薬による皮膚浸透における血中濃度の計
算が可能なソフト、および、その解析サービスである。
2) 現 状
現在 10 か所以上の顧客(主に製薬会社)と契約を結んでいるが、特に営業活
動はしておらず、学会やホームページから広まった顧客である。国内では指導
教授の紹介や学会発表による広がり、ソフトウェア代理店での取引などが主で
あるが、国内の顧客獲得は時間がかかり難しい。海外からの顧客も広がってお
り、アメリカやイギリスなどからの受注がある。大学研究用の購入であるが、
これも学会発表から繋がったケースや、ホームページからメールのやり取りの
みで契約に辿りついている。日本に比べて海外の方が素早く簡単に取引できる
という。
域内のネットワーク作りについてはあまり積極的ではなく、各種セミナー等
に参加したが、すべてのベンチャー企業に当てはまるものではなく、特にそこ
から得たもの(ビジネスにつながったもの)はあまりという。
3) 評
価
94
バイオ IT ベンチャーと称しており、経皮治療に関連するソフトと情報提供を包
括的に行っている会社である。顧客層も少し広がりを見せているようであるが、
年間契約であるために顧客獲得の必要性が強く、売上高はさほど大きくないと
いう。しかし、従業員も社長一人であり、今後の営業活動等の必要性も強く感
じている様子ではなく、研究者としての印象が強かった。技術は優れており技
術力発信機能、地域のイメージアップなどには繋がると考える。
95
6.株式会社キューブス
飯塚市幸袋 526-1 福岡ソフトウェアセンター内
TEL
0948-26-1558
1) 経 緯
社長の下野氏が九州工業大学の大学院生の頃である 1995 年頃に、当時大学発
ベンチャー政策を模索していた政府が試験的な施策を実施、学生による研究チ
ームを作らせ事業計画書を作成させた。1 年間かけて準備をし、弁護士や税理士、
銀行、政府関係者等の前でプレゼンを行い徹底的な指導を受けた。その中で事
業計画書を評価した一名が出資をし、1996 年に同僚 3 名と共に合資会社(現会
社の前見、Computer and Utility Engineering)を設立、資本金は 70 万円だっ
た。当初から情報技術者育成のための出前講義を行っていた。1999 年にはキュ
ーブスを設立、飯塚市に本社を置いた。その後、2002 年に福岡ももち浜オフィ
ス開設、2008 年には東京オフィスを開設している。
事業内容は、研究開発、システム開発、教育の 3 分野に分けられる。研究開
発は主に大学との共同研究で特許取得から製品化を行っている。システム開発
ではデータエントリーやウェブサイトの広告配信システム、プログラミング(地
デジ、銀行システム等)などを行っていり、社員が優秀で技術力も認められて
きた。教育分野では、ソフト開発者向けや新人向けの教育研修を行っている。
教育研修に関しては社員に強い責任を持たせることで質の高い独自の講義が可
能となっている。また、システム開発と教育研修部門の業務はオーバーラップ
しており、開発と教育の両方に携わることで両部門の質を高めている。
2) 現 状
現在の売上高は 1 億未満ぐらい、資本金は 2,500 万円であり、大手企業も顧
客として確保している。従業員は 12 人で、多くは社長や社員によるヘッドハン
ティングや関連企業からの紹介により優秀な人材が揃っている。九工大でロボ
カップ 4 位だったグループのうち 2 名が本社にいるぐらいであるという。営業
は全くしたことがないが、ネットワークは重視しており積極的に参加している。
また、受注に関しても「自分たちの背丈に合うものだけ(下野社長)」を受け
ることを心掛けている。できないものははっきり断り、特殊部門等できるもの
は迅速に高い技術で対応することで信頼性を得ている。それによって口コミで
顧客が広がり、全く面識のない人から連絡が来るということであった。
96
3) 評 価
専門化の教育研修とシステム開発に独自の技術を持っており大手企業の固定
客を確保していることに加え、社長の行動力や人柄、ネットワーク重視等から
今後の成長による経済効果、および、多ベンチャー企業への刺激等による地域
促進効果等が期待できる。また、個々の社員の力を引き出すことに重点を置い
ており、会社がつぶれても外で活躍できるよう鍛えていることから、スピンオ
フベンチャー創出の可能性も大きい。ブルーオーシャンを認識し、どんな地域
でも相手が訪ねてくる強い企業を目指している。
97
7.三ツ和金属株式会社
飯塚市伊川 130-9
TEL
0948-24-5500
1) 経 緯
大手電機会社に就職していたが鈴木現社長は、大企業の体制が嫌になり飯塚
へ来て企業を創設したのが 1972 年であった。設立当時はステンレスやアルミ、
銅などの材料を扱っていたが、九州は知人もおらず営業が難しかったが、関西
の低品質材料が多い中、東京の良品質材料を瞬時に提供すること九州ミツミ(現
ミツミ九州事業部)などの大手顧客を獲得することができた。その他大手顧客
がついたものの、九州は市場が小さく利益が出せず、翌年には資本金 500 万円
をもって株式会社に改組、大手メーカーの部品組み立てを開始した。80 年代に
は 100 名の従業員を抱えることもあったが、90 年代のバブル崩壊で受注が激減
し機械加工分野へと軌道修正を行った。現在は九州工業大学や近畿大学と共同
研究を進め、特殊機材(ロボット)の開発を行っている。それまで組み立てで
培った技術、20 人ほどの社員の定年退職により新しい人材を入れたこと、およ
び、2 億ぐらいの新しい加工機械を購入することで開発を進めることができた。
現在期待しているロボットは三輪の円盤型ロボット「WITH」であるが、無線
操縦で 3 輪でありながら回転を制御することであらゆる方向に進むことができ
る。また、近辺の大学発ベンチャー企業へ特殊部品を供給、共同研究を行って
いる。また、2005 年に愛知万博にジャンプし回転するロボットを出品、2007
年には知的クラスター創生事業(文科省支援)に参画している。
2) 現 状
現在の資本金は 1 千万円(1995 年に増資)であり、従業員数は 15 名である。
近隣の大学やベンチャー企業と共同研究を進めながらユニークなアイテムの開
発を行っているが、実際に製品化されたケースは多くはないそうである。大手
家電メーカーの下請け受注から得た利益を研究開発に投資していたが、近年の
大不況により受注が途絶え、研究開発に資金を投資できなくなった。展示会に
開発したロボットを展示するが、技術力や資金力のある企業がすぐ模倣してし
まい、資金不足が一番の問題点であるという。
従業員は主に工業高校出身者が多く 20 代前後の社員も多い。社長同様、「も
のづくり」が好きな若者が集まっている。
98
3) 評 価
技術力も高くものづくり好きが集まっていることから、ユニークな製品から
大手との取引に繋がる要素も多く持っている。また、近隣のベンチャー企業等
に核心的な精巧な部品を供給できる数少ない企業の一つであり、機械メーカー
を誘致する際の好条件となりえる。ただ、近年の大不況の影響を強く受けてい
る理由はリスクヘッジがされていないためであり、研究開発志向を維持するた
めにも利益を生み出すシステムの再考が必要である。
99
8.株式会社サイム
嘉穂郡桂川町吉隈 430-42 天道工業団地内
TEL
0948-20-2081
1) 経 緯
商社でアメリカのパソコンの輸入販売の業務を取り扱っていた土田社長は 40
代に九州へ U ターンし、1991 年に退職金 300 万円で現在の会社を設立した。
設立当時、日本ではパソコンの普及がようやく始まったばかりであり値段も高
かったために、中古パソコンの販売事業自体、新規事業であった。その後、パ
ソコンや中古パソコン業がかなり普及した 2001 年に新規事業を模索している
中、ノートパソコン製造業者からプラスチック類の処理を依頼されリサイクル
事業を開始、島根富士通や東芝 LSI、西日本家電リサイクル等と廃プラ回収に
関する契約を結んだ。また、2003 年に施行された家電リサイクル法に後押しさ
れ、その後、電気製品等も加えリサイクル事業を拡大していった。
本社の強みは、近畿大学の供述共同開発した分別機械(ラマン散乱方式)に
より、混合プラスチックを種類別に大量に分別できる点にある。材料として使
われる再利用プラスチックの中でも類似した種類が混合されるとその判別が難
しく、より純粋なものになるほど価格も高い。これまでの多くのリサイクル業
者が使っているのは静電気方式であり、ラマン方式はレーザーで分子信号を測
定するために、今後の研究の進捗でより正確な判断、および、プラスチック以
外の複雑な混合物の識別も可能であるという。最終消費者向けの「動脈系は大
手企業が多い」。製品使用後の流れである「静脈系は大手企業や研究者が一生
懸命やらない部分であるが、技術開発の畑が未だ残されて」いる部分で面白い
と社長が語る。
2) 現 状
資本金は 2 千 3 百万円、売上高は 4 億 5 千万円、従業員数は現在 40 名前後で
あり、その中の 21 名は昨年の 9 月に増員している。パソコンや家電等のメーカ
ーからすると、スクラップ後のプラスチックはこれまで焼却するだけでありコ
ストがかかっていた。本会社は原材料がほとんどかからず高い技術で再生材料
を販売しており、利益率がかなり高い。従業員は職安からが多いが、近年 100%
増員したために情報が途切れすべての決定事項を直接持ってくるように指示を
している。中核人材が中々育たないことが問題であるという。
100
研究開発にはかなり積極的であり、ラマン式機械の開発に 1 億 5 千万(2 年間)
を投資しており、今後も社会還元のため、研究開発主軸の事業展開を考えてい
る。
3) 評 価
今後さらに成長が期待できる分野で、研究開発を通した高収益を生み出す構
造を構築している。従業員も拡大させており、事業の内外環境を考慮すると雇
用創出を含めた今後の経済効果に対する期待が高い企業である。また、今後の
方向性として利益の多くを研究開発に注いでおり、そこから派生する新規ビジ
ネスについても期待できる。ただ、拡大する組織内部の管理問題、および、事
業を担う人材育成が重要な課題になりそうである。
101
9.一番食品
飯塚市伊川 1115
TEL
0948-22-0100
1) 経 緯
1959 年、創業者有吉が飯塚で現企業の前身である徳一食品研究所を設立した
のがその発端であったが、創業当初から現在まで一貫として未利用資源を有効
活用することが事業のテーマである。創業当時、未利用食品からうま味成分を
抽出し食品添加物や調味料を作り出していた。当時、即席麺は売られておらず
麺類は店で食べるか店で購入した生の物をすぐに調理して食べるしかなかった
時代に、機密性の高い袋にうどん麺を入れて日持ちするよう改良し販売するこ
とでインスタント食品の先駆けとなった。しかし、インスタント食品が普及す
ると、麺類やその他食品類は手を出さず、それらの食品につけて販売するスー
プ類に集中した。その理由は、食品製造の他メーカーと「共に生きる」ためで
あるという。その後、ふぐ、ホタテ、カニ等の骨や皮から雑炊のエキスを作っ
たりと、うまみ成分の抽出、そのための技術部分にこだわりながら製品開発を
進めている。
「食品はファッションと似ている(大賀部長)」といい、時代によって流行
が変わる。「味一つ」で勝負しなければならないために「人のマネをしない」
こと、また、「開発だけが生き残る道」だと強く感じているようである。でき
るだけ化学調味料を使わず、製品だけでなく工程開発においても無菌充填シス
テム(独自の技術)を 10 年かけて開発、改良をし、現在ではクラス 0(手術室
がクラス 1000 程度)を可能にしている。
2) 現 状
現在の資本金は 8 千 4 百万円であり、従業員数は 707 名(正社員 630 名)、
年商 100 億円前後であるという。本社や研究開発は飯塚市にあり、これまで生
産も飯塚市に一本化していたが、関東大震災以降リスクヘッジの重要性を認識、
名古屋以北への供給は 1995 年に茨城県に建てた美野里工場で製造している。こ
れまで開発し商品化した味は 8,500 種類あり、毎日 30 件の新しい味を開発して
いる。その背景には従業員の 1 割を占める研究開発人員が支えており、味のエ
キスパートも 5~6 名いること、また、これまで培った味のデータベースを持っ
ていることも一因であるという。
102
3) 評 価
顧客に馴染む製品ではなく研究開発志向であり「味」の会社であると明確に
方向性を打ち立てていることで、事業能力が集中できている。また、食の安全
性の問題に対しても最終製品ではないため影響を受けにくく、また、独自の工
程管理によって信頼性の高い製品づくりをしているようである。従業員管理も
徹底しており、基本的にパートもリストラはなく退職者のうち多くは継続雇用、
全社員に対する誕生パーティーを開くなど「人財」と位置づけ重視している。
ボランティア活動等積極的に参加、九大やその他研究所と共同研究を進めるな
ど、経済効果だけでなく技術力、地域貢献面でも期待が高い。
103
10.株式会社福岡ソフトウェアセンター
飯塚市幸袋 526-1
E-Mail
[email protected]
1) 経 緯
地域産業発展の礎となる「高度情報処理技術者」の育成を第一使命とし、1992
年に国、県、市、民間出資によって設立された第 3 セクターである。「ヒトを
育てる」「拠点をつくる」「事業を起こす」の三つの柱を基に、産・学・官の
コーディネーターの役割を果たし、次世代の高度情報化社会を担う人材の育成
と技術の向上を目指している。福岡県知事が取締役会長であり、市長が副会長
の構成である。
2) 現 状
現在の事業内容はシステム開発事業、ネットワーク事業、IT 技術者向け研修
事業、一般向け研修事業、実践指導室提供事業の 5 事業部門である。ネットワ
ーク事業を通して地域へインターネット環境を整備し安価なサービスを提供し
ている他、入居企業との連携を通したシステム開発を行うと同時に、IT 技術者
のレベル別研修、コンピュータサービス技能評価やワープロ等の研修、また、
19 の指導室をベンチャー企業等へ安価に貸すことで、IT に関連する全般的なサ
ポート、および、ベンチャー創出のサポート業務を行っている。
注目すべきはベンチャー企業への直接的なサポートとなる施設貸与事業であ
り、多くのソフト開発企業が入居している。料金は 10 万~20 万円(敷金別)
であり、セキュリティーも完備され、1 階のロビーや会議室、喫茶店等の付帯設
備も充実している。
3) 評 価
IT 技術者の育成という目標に基づきサポート体制を充実させている。会社と
して運営されており、単純に部屋の貸し出しだけでなく入居企業とのつなぎ目
の役割や研修、相談等の役割になっているために、IT ベンチャー創出による地
域貢献効果は大きい。しかし、近年はベンチャー企業が市場を求めて福岡や都
市圏へ移転するケースが多く、また、経営ノウハウ等に関するサポート体制は
弱い点が問題点であるだろう。より企業間ネットワークの中核になれるシステ
ムを開発することで地域貢献部分は大きくなると考えられる。
104
11.e-ZUKA トライバレーセンター
飯塚市幸袋 576-14
TEL
0948-22-5500
1) 経 緯
飯塚市に集積している大学や民間の研究機関、産業支援機関などと連携し、
新しい産業・ビジネスの立ち上げをサポートするために 2003 年に飯塚市によっ
て設立、管理されているインキュベーション施設である。特定の産業分野に限
らず、起業や研究開発を行う個人や組織に対して、低廉な価格で場所と付帯施
設を提供している。管理は飯塚市役所産学振興課産学連携室で行われている。
施設内容として、インターネット環境を備えたオフィス、および、高度セキ
ュリティー環境の提供、交流のための共用スペース、供用の会議室やコピー機
を設置している。オフィスとして育成支援室(8 室)と研究開発室(11 室)の合計 19
室があり、供用施設としては、ミーティングルーム(5 室)、コンサルティングル
ーム(1 室)、研修室(2 室)の合計 8 室、その他交流ホールやリフレッシュコーナ
ーを備え、現在オフィスは半数ほど埋まっている。
2) 現
状
入居の際の審査は事業計画書等から新規性・独創性・市場性・生産性の観点
により有識者の審査員によって 1 次審査がなされ、その後ヒアリング審査を経
て入居が決定される。資格の一つとして、スタートアップ支援(入居時に創業 5
年未満であるか、あるいは、入居後 3 年以内に創業を目指す人)も対象者とな
っており、技術力があり創業の意欲のある人が事業計画書を見てもらう場とし
ても意味があるものである。
3) 評価
施設の面からの支援だけでなくコンサルタント陣によるサポートも備えてお
り、インキュベーションマネージャーによるサポートや必要に応じて各種コン
サルタントによるサポート体制が整っている。入居者によると、格安でお客が
呼べるような施設を借りることができ、助かっているとのことであった。ただ、
入居者同士の繋がりは個々人の性格にもよるがそれほど活発ではない様子であ
り、今後の地域経済へ貢献できるサポート体制を構築するには、ネットワーク
づくりや事業計画書を吟味し意見を述べる場の提供が必要であると考える。
105
12.福岡県立飯塚研究開発センター
飯塚市川津 690-41
TEL
0948-21-1150
1) 経 緯
福岡県では、情報・交流、研究開発、人材養成などの機能を持った産業支援
施設を県内に整備しており、地域企業の技術の高度化を目指してきた。その構
想の下、福岡県内に4つのリサーチ・コアを設立したが、本研究開発センター
はそのうちの一つである。
本研究開発センターが設立されると同時に、を管理・運営するために福岡県、
および、福岡市の出捐を受け、1993 年に財団法人飯塚研究開発機構が設立され
た。本研究開発センターでは、企業を育成・支援することを目的としており、
企業の入居のための研究開発室だけでなく、研究機器や研修室、会議室、多目
的ホール、研修宿泊室などを備え、交流・研究のための場を提供している。
2) 現 状
別途料金で使用できる大会議室や大研修室、その他研修会議室等の他に、ミ
ーティングや学会、交流のための顧客に対する宿泊施設も設けているところが
大きな特徴である。宿泊料金も 4,000 円から 9,000 円未満となっており、低廉
な価格である。
また、セキュリティー完備である研究開発室は 35 室あり、対象企業は研究開
発成果の企業化を積極的に行う企業や技術開発、製品開発を行うか支援する企
業や団体、大学等と共同研究を行う企業、異業種とプロジェクトを組み共同研
究開発を行う企業等である。利用料金は 24,000 円から 128,000 円(利用料金+
共益費)(敷金・駐車場料・インターネット料無料)までの間で広さに応じて変
わる。他インキュベーション施設と同じように、入居の際には審査手続きが必
要であり、原則入居期間は 5 年以内となっている。
3) 評 価
広くきれいな建物に優れた企業が多数入居している。創業まもない企業にと
って顧客が呼べるような公共施設の充実した空間は重要である。また、宿泊施
設も備えており、ビジネスの実務的な点をサポートしていることも入居企業に
とってのメリットは大きい。入居企業からもそういった点に対する肯定的な評
価が多く、新ビジネス創出のための基盤として評価できるものである。
106
資料集
商圏分析レポート
対象地域における産業構造(事業所統計)
地域資源一覧表
0.
1.
2.
3.
4.
5.
学校(保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・専門学校)
公民館
図書館
塾
教室
飲食店
6. 製菓
7. スポーツ・レジャー施設
8. 文化財
9. 温泉・銭湯
10.その他(サービス業)
11.公共施設
12.販売店
13.観光資源・自然
14.市民団体
15.農園・農場
16.慰霊碑
17.企業
地域資源の分布図
107
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