Title テマ反乱とビザンツ帝国 Author(s) 中谷, 功治 Citation Issue Date
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Title テマ反乱とビザンツ帝国 Author(s) 中谷, 功治 Citation Issue Date
Title Author(s) テマ反乱とビザンツ帝国 中谷, 功治 Citation Issue Date Text Version none URL http://hdl.handle.net/11094/51848 DOI Rights Osaka University 様式7 論文審査の結果の要旨及び担当者 氏 名 ( 中 谷 功 治 ) (職) 論文審査担当者 主 副 副 副 査 査 査 査 論文審査の結果の要旨 以下、本文別紙 氏 大阪大学 教授 江川 大阪大学 教授 藤川隆男 大阪大学 准教授 栗原麻子 佛教大学特任教授 井上浩一 名 様式7別紙 論文内容の要旨及び論文審査の結果の要旨 論文題目: テマ反乱とビザンツ帝国 学位申請者 中谷功治 論文審査担当者 主査 大阪大学教授 江川 副査 大阪大学教授 藤川隆男 副査 栗原麻子 大阪大学准教授 副査 佛教大学特任教授 井上浩一 【論文内容の要旨】 本論文は、著者が大阪大学大学院でビザンツ史の研究に着手して以来の諸研究をまとめたもので、7 世紀末から 9 世紀初めまでのビザンツ帝国を対象にする。従来この時期は「イコノクラスムの時代」と銘打たれることが多か ったが、著者はこの時期を「小アジアのテマ軍団に支えられた政権」の形成と変質の時代ととらえる。また、い わゆるテマ制度(軍管区がすなわち行政区となる)は、この時代の初期に当たる 7 世紀末から 8 世紀初の「動乱 の 20 年」の間に小アジアで自生的に形成されたもので、コンスタンティノープル政権は 8 世紀末からテマへの監 督強化を強め、いくつかの反乱を乗り切って、これをいわば体制内化したのだとする。史料がきわめて乏しい時 期であり、主な史料はいわゆる『テオファネス年代記』に限定されるが、著者はこの年代記が記す反乱や陰謀、 軍事遠征など政治的な出来事の叙述を丹念に読み解き、出来事のパターンの中期的な変動を抽出することで、上 記の仮説を裏付けしようとする。本文および注で 400 字詰め原稿にして約 900 枚である。 序章では 9 世紀ビザンツ帝国におけるテマ将軍たちの位階の高さやテマ制度が説明され、またテマ制の形成に 関する研究史が説明された後、本論文の主要な課題を提起する。第1章では「テマ軍団」や「テマ反乱」につい て、より詳細な説明と概念規定が行われた上で、小アジアのテマ軍団がテマ・アナトリコイの将軍レオンを皇帝 「テマ反乱の時代」として へ押し上げた事件(717)から 9 世紀初の「スラヴ人トマスの反乱」 (821 3)までを、 特徴付け、さらにその間の 8 世紀の大部分の時期の政権を「小アジアのテマ軍団に支えられた政権」であったと 推定する。第 2 章では、8 世紀初めまで政治的に活動的であった元老院およびコンスタンティノープルの聖職者、 官僚が 8 世紀中葉においてはほとんど記録に残るような政治的役割を演じることがなく、世紀末になって再び政 権の変動に関与するようになることを指摘して、先の仮説との整合性を確認する。なお第 3 章は、いわゆるキビ ュライオタイ・テマの前史を探り、補論1ではビザンツ海軍の起源を論じている。 第 4 章では、イスラム勢力の小アジア進出が激しくなった状況下、レオン 3 世が小アジアのテマ軍団を糾合す る形で登極し、長期政権を維持したこと、彼の死後の「アルタバルドゥス反乱」の収束やコンスタンティノス 5 世、レオン 4 世の継承にあたってもテマ軍団が大きな発言権を有したことを説明する。第 5 章では、8 世紀末のエ イレネ女帝が首都の官僚、宦官、近衛連隊などに依拠しながら小アジアのテマへの統制強化、いわゆるテマ改革 に乗り出したこと、彼女の後を襲ったニケフォロス 1 世の政権も方向性としては同一であることを論じる。なお 第 6 章は 8 世紀ビザンツにおける近衛連隊タグマタの誕生を跡づけている。第 7 章は 8 世紀における首都勢力に よる陰謀事件を通観し、8 世紀の大部分においてはこの種の陰謀事件は比較的少ないが、世紀末には増加すること を示して、この時期から政権の性格が変動すると推定する。第 8 章はこの時期のバルカン政策について論じ、8 世 紀の大部分においてバルカンでの軍事行動は基本的にはブルガリア王国やスラヴ人を相手とする略奪遠征であっ たのに対し、エイレネ女帝やニケフォロス 1 世の時代には、小アジアからの入植、都市再建など本格的な再征服 が始まることを明らかにして、政権の性格の変化を照射する。第 9 章は 9 世紀初頭における帝位継承とテマ反乱 をスラヴ人トマスの乱を中心に論じ、中央政府からのテマ統制の動きがテマ軍団の反発を呼んで再びテマ反乱が 頻発し、レオン 5 世のように政権奪取に成功するテマ将軍も現れるが、最終的にはスラヴ人トマスの大反乱の収 束とともに中央政府の優位が確立し、 テマ軍団に支えられた政権の時代は終わるとする。 第 10 章はテマ制の形成、 発展を、かつて井上浩一が提起した「テマ自生説」等を参照しながら、7 世紀末からの「動乱の 20 年」のうちに テマ将軍の軍管区での行政権の占有が生じ、8 世紀の「テマに支えられた政権」の時代にそれが既成事実化し、9 世紀からの「テマ改革」の下で合法化されたと推定する。終章では全体を総括するとともに、この時代における テマ軍団の行動は中央から派遣された将軍の意思よりも、小アジアで徴募された将兵のそれによるとして、帝国 と社会との関連にも目を向けている。 【論文審査の結果の要旨】 この論文が提起する仮説、すなわち 8 世紀初めから 9 世紀初めまでを、小アジアのテマ軍団に支えられた政権 の時代とみなすことは、ビザンツ国家史にとって非常に重要な意義を持つ。ビザンツ国家は 6、7 世紀までは古代 ローマ帝国の延長と見なされるのに対し、9 世紀以降はテマ制と中央集権体制、軍事的拡大政策によって特徴付け られる。しかしその間について、従来の概説書では「イコノクラスムの時代」という、視点の異なる形容が与え られていた。中谷論文によって、この時代に国家史の観点から始めてポジティヴな規定がなされたといえるので ある。またテマ制度の形成発展については、史料的限界もあって研究は活発とはいえないが、中谷氏の仮説は、 政治史との関係できわめて整合的であり、魅力的なものと言えるであろう。さらに、ニケフォロス 1 世の統治、 スラヴ人トマスの乱、8 世紀から 9 世紀初めの帝国のバルカン政策などについて、独創性に富んだ解釈がなされて おり、学界への貢献が高いと言える。 他方で問題点もないとは言えない。先に述べたように、この論文は『テオファネス年代記』に記録された政治 的変動のパターン分析に主要な論拠を置いている。この方法は史料状況からいってやむを得ないのであるが、や はりそれなりの危うさがつきまとう。 『テオファネス年代記』はいくつかの元となる史料に立脚していると考えら れるが、それらの元史料の性格の多様性が同年代記の叙述の時期による違いを生み出している可能性も排除でき ない。それだけに、この年代記そのものの研究史を丹念に紹介し、その信頼性を慎重に検討するプロセスが必要 であると思われるが、その点では十分とは言えない。また、著者のキー概念である「小アジアのテマ軍団に支え られた政権」についても、まだ不明確さがつきまとう。軍団が政権をささえるということの意味をさらに明確に し、より詳細な規定を付け加える必要があるだろう。 しかし、これらの瑕疵はこの論文の意義を大きく損なうものではなく、現在準備中の刊行までに修正が可能で ある。この論文が刊行されるならば、多くの研究者、学生にとって、ビザンツ帝国史のアウトラインがより明確 なものとなるだろう。よってこの論文を博士(文学)の学位にふさわしいものと認定する。