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音楽の分析 1 - 福島大学学術機関リポジトリ
嶋津武仁 : 音楽の分析 1 49 音楽の分析 1 ∼ J.S. バッハの invention を読む∼ 嶋 津 武 仁 はじめに かった論者が出来る事には限界があるかもしれな い。一部の例示では,すべてを語る事ができない これまで,月刊誌「音楽の世界」への連載(1984 というレジンマも否定できない。しかしながら, 年) ,形式学概論,形式学特論(1985∼) (2005 論者なりに行き着くべき可能性があるのではない 年以降は,形式学研究)といった福島大学におけ かと考えている。これまでのそうした種の著作物 る授業や,放送大学スクーリング,福島県高校の との違いは,音楽を作るものの視点による,即ち, 音楽教員による研究会での講演,免許状更新の為 作曲家の目による「分析法」2 であること。また, の講習会や愛知県立芸術大学,多摩美術大学での パフォーマンスなどの筆者自身の活動を通じた, 講演,更に近年,インターネットの筆者のサイト 今日の音楽にも通じる広範な音楽の世界,更には で紹介している拙論などの内容やその後の研究 音楽を超えた「表現すること」への関連性を持つ の成果も組み込む形で, 「音楽の分析法」 について, こと。あるいは,そうした芸術の世界に通じる包 整理しておきたいと考えた。 括的一貫的視点を持った論述であること,また, 「分析法」については,これまで様々な著作物, コンピュータ音楽の制作や研究を通じて,科学的 論文が出されているが,音楽作品の最も本質的分 視点を持つものであることなどになろう。そうし 析というよりは, 「形式学」や学生のための導入 た広大な「表現の世界」を大バッハと呼ばれた一 的著述が多く,それらは作品そのものの深い探求 人の偉大な作家を出発点にして,多くの作家への 1 の魅力に欠けているように思われる。ここでは, 関連性を見いだす事も可能であろうと考えたので 手順を追って整理しながら,作品の本質に入り込 ある。もっとも,そうした「尊大な」理想を持つ むための具体的方法について論じてみようとする 一方,せいぜいこれまでの筆者の研究の脈絡をつ ものである。分析の方法については, 最初の章で, ける,あるいは整理する程度のものでもよいので 詳述しようと思うが,まず基本的,包括的整理か はないかという「矮小な」動機もまた,この著作 らはじめていく。その基本的考え方に基づいて, の筆をとる理由にもなっていると言っていいだろ 続く章で,J.S. バッハの作曲法によって例証して う。 いく。21 世紀の今日にあっても,その音楽の出 もとよりこの小論は,ほとんど歴史に残ってい 発点をバッハに置く事には,多くの理由がある。 る名曲と呼ばれる作品を中心に分析を行うもので もっともバッハの音楽の研究には,多くの著述が あるが,同時に作品の背後にある作曲論およびそ あり,優れた多くの音楽研究によって,論述され の結果としての作曲法をまとめたものになろう 尽くしている感もあろう。しかしながら他面,今 し,そうでありたいと考えている。それは,ここ 日にあっても,彼の作品について,新たに論じる で扱う作品のみならず,ここで扱わない多くの作 多くの著作物が出されている事もまた事実であ 品にも共通の課題や考え方を示すものでなければ り, それは,この作家の組めど尽くせぬ魅力を語っ ならないだろうと考えている。 ているに他ならないことにもなろう。そうした状 この小論の対象は,これまでの授業「形式学」 況に,これまでそうした研究成果を発表してこな で扱った内容を中心としているため,音楽を学ぶ 50 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 学生に理解できるレベルを想定しているが,表現 する心のある人なら持つ共通した課題も取り上げ 第 1 章 楽譜による分析の方法 ているので,極力,平易な文章と基本的内容から 音楽を「音による構造物」として考えるのは, 記述している。しかし,そのことで学術性や研究 古典派以来,今日の作品にも通ずる作品の最も重 の質を下げる事のないようには努めている。 要な見方であろう。この章では,そうした「構造 物」を「分析」の対象として,どのような視点で 筆者にとって,最初に分析の方法を追求したの 捉えるか,更にその後の具体的音楽作品を例にし は, 恩師,甲斐説宗先生とのほぼ 4 年間に渡るレッ た「分析」の実践のために前提となる音楽作品を スンであった。彼と主に,当時,発表されたばか 構成する根本的要素などを整理してみたい。 りの多くの欧米の作品を楽譜から読み込もうと苦 心したことで,かなりのその後の作品分析の基礎 1.1 音楽分析とは 能力を付ける事が出来たのではないかと考えてい 1.1.1 分析の方法 る。このころ分析し,その後,更に研究した結果 音楽の分析法は,それに関して書かれた著作の も,これから予定している一連の拙論で取り上げ 数だけ,その方法が多岐にわたると思われる。分 て行く。 析の方法を挙げるとまず, 楽譜からによるものと, また,その一方で,音楽学の東川清一先生や土 演奏を通じた聴取による方法,更には作曲者や作 田貞男先生,足立美比古先生の講義,特に,東川 品の所属する(した)環境(歴史,時代,社会的 先生の大学院におけるバッハのカンタータの研究 背景, 作家自身の固有の生涯)などが考えられる。 は,そのまま,作品を考える基本になっているし, 最後の部分は,作品そのものに直接関係がない限 足立先生翻訳,ナティエ著の「音楽記号学」 や足 りは,この少ない紙面では最小限の扱いで済ませ 4 立先生の自書「越境する音楽」 は,音楽を情報理 たい。それはほとんどの場合,音楽学者の仕事で 論の中で捉えたり,哲学をも音楽の思考の中に組 あり,またそうした著作物がこうした研究では み込むための視点を提供してくれている。 もっとも多くみられるものと考えられるからであ また,音楽を科学的な視点で追求するのによい る。もっとも,そうした作家について書かれた多 機会になったのは,メロディーの認知に関しての くの著作は,その作家の人生や,考え方,思想が 福島大学の物理学の山口克彦先生,心理学の福田 扱われ,その作品を補完的に説明することも確か 3 一彦先生(現在,江戸川大学)と 3 人で,7 年近 であり,必要に応じて組み込むことにはなろう。 くにも及ぶ「天の川ゼミ」と称した共同研究であ しかしながら,他の学問領域(物理学,歴史,数 る。そこでは人間が音の高さやその連続としての 学,社会的課題)の知見は,積極的に組み込もう メロディーを如何に認知するかという共同研究を と考える。それは, 「はじめに」にも記述してい 行ってきた。この研究で得られた科学的手段もま るように,筆者の思考法の根底に,音楽を音楽の た,筆者の分析法に重要な示唆を与えてくれてい 用語,音楽の理論だけで考える事が不十分と考え る。 る考え方があり,そうした立場,視点を重要なも こうした分析を通じて, 「音楽とはなにか」 「音 のと考えるからである。 楽を作る目的とはなにか」 「表現することの意味」 「人はなぜ創造を求めるのか」といった大いなる 分析の中で,作曲家の意図を最も理解できる方 疑問の解答に少しでも,近づけることができれば 法は,楽譜によるものと言っていいだろう。楽譜 よいと考える。 は自筆でない限りは直接的資料とは言えないだろ うが,楽譜以外多くの資料(文章など)が残って いるような作家やまだ生存中の作家を除いて,極 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 51 めて直接的資料に近いものと言えるだろう。 近年, よって,逆にそれを創った人間(作曲家の考え方) , ベーレンライターが改訂したベートーベンやモー 時代,社会的背景を読むことができるとも言える。 ツァルトなどの楽譜に書き込まれている自筆譜と 更には,少し誇大妄想的言い方を許していただ その後の出版による校正で書き込まれた表記とを ければ,そうした行為によって,音楽の根幹にあ 併記する方法は,きわめて作曲家の意図を読み取 るもの, 共通理念の抽出によって, 音楽の意味, 「音 る有用な方法と思われる。本稿で例示として取り 楽とは何か」といった人類の命題への答えを探る 上げるバッハは,楽譜から見るという事が最もそ ことになるとも言えよう。こうした,少し理想的 の意図を読み取る事の出来る作家と言えよう。 すぎるかもしれない 「可能性」 自身を楽しむといっ 演奏からの聴取は,そこに演奏者の解釈,即ち たことでもいいのではないかと思える。いずれに 演奏者の読み取り行為があるという点で,2 次的 せよ,そうした「振り子」の幅を広く持った「視 な資料となろう。音楽の聴取による方法といって 点」を引き出す事がこの論述の意図でもあると言 も,直感的試聴あるいは感想程度から,経験的, える。 学習的あるいは豊かな資料をもとに,聞き込む方 そうした音楽分析の意味は,音楽そのものの意 法などのレベルの差があるだろう。音楽が 「時間」 味,あるいはそれを構成する音そのものも考慮し を扱っている所以は人間の「忘却度」との戦いに た音楽が持つ基礎的意味,楽譜の意味など,根源 あるとも言われる。即ち,聞くという行為の持つ 的問題をも掘り下げて,論じるべきであろうが, 性質上,聞いている時間とその後の残像との間に その結果,行き着くべき終点や求めたい結果が遠 大きな印象の違いも起り得るし,そうした残像感 くなる可能性もあり,ここではそうした問題は, や時間の持つ意味もまた,作家の意図として考慮 必要に応じて,その都度組み込んでいくことにし されるべき部分でもあろう。 て,今は「分析」そのものに特化してより先に進 演奏家の判断は,作品そのものに聴取する以前, めたいと考える。 作品の理解を進めることも起こり得る。それを積 極的に分析の重要な要素と捉えることも可能だ 1.2 音の高さによる分析 し,また単に,演奏例としてほとんど「聞き流す」 楽譜を読んで「分析」する場合に行う手続きと ことも可能だろう。そうした演奏家の「解釈」も, しては,科学の,観察,実験,分類,検証,といっ 楽譜と併用することで,具体的に聴覚的理解の手 た方法が用いられるべきであろう。そうした方法 助けとなることも一般に行われていることであ を組み込んで,音楽を分析する場合,以下のよう り,この小論でもそうした聴取による部分を「分 な多様な方法やプロセスが考えられる。 析」の中で,組み込みたいと考えている。 • 記号,用語を理解する 1.1.2 分析の意味 • 観察する 音楽を構成する具体的要素について考察する前 • 分類,記号化(図式化)する に,いったい「分析」することが,どういう意味 • 構造(マクロ>ミクロ)の把握をする を持つのかを考えたい。筆者は音楽分析とは,そ • 実験性の工夫,手法,作為の発見をする れを通じて,より多く,より正確に作家の意図を • 音楽語法,思想,論理性を読む 読み取る事で,知的好奇心を引き出し,音楽を思 • 時代背景,時代の精神を読む 考する手助けになるものと考える。言い換えてみ れば,作曲家の視点に立って,作品をみる(聞く) このなかで,記号,用語の理解は楽譜を読む前 ことを可能にするとも言えよう。作家の込めた 提となるものである。勿論,これらのプロセスの ファンタジカルな(創造的)視点を共有できると 中では,楽譜だけでなく,視聴することによって いってもいいかもしれない。また,作品の分析に 行う方法も組み込まれてくるだろう。 52 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 そうした「分析」の手続きも,更にはその最も あるだろう。この 2 つの<独立事象的>ディメン 根源的方法として,要素を限定して見ることが有 ジョンの組み合わせによって更なる意味が生じる 効と思われる。複雑な音楽の分析は,それを<綾 事になる。 なす糸を解(ほぐ)すような>手続きで進められ 一般的に,上行は積極的,希望的,発展的な意 ることになろう。そうした手続きの中で, 最初に, 味を持ち,下行は消極的,後退的な意味を持つと そして最も注意を持って扱われるのは「音高」を 言われている。上行は楽しさの反映であり,下行 扱うことであろう。 は悲しみを表現するのに使われるということもよ 音の高さ(音高)は,音の要素の中で一番,聴 く言われるところである。また隣接する音に進む 覚に作用すると思われる。言い換えてみれば,聴 順次進行は,肯定的ともまた時には惰性的といっ 覚において最もその感覚が問われるのは音高とい た意味を持ちやすく,他方,跳躍進行は積極的な うことになろう。これについて詳述することは, 意味を音楽に与える一方,特定の音,すなわち飛 この論述の目的ではないので,ここでは省略する び越された音を否定するような感じを与えると思 が,音が持つ,高さ,長さ,強さ,そして音色と われる。 いった要素の中で,人間の感覚がもっとも敏感で, それら基本的進行を以下に例示しておこう。 刺激として中心をなすのは音高であるということ (fig. 1) は確信をもって述べておいていいだろう。それを 筆者は作曲の授業などを通じて,音感覚の「メ ジャー」(尺度)として,その細かさ,敏感さに おいて「音高」が最も高い意味をもつと説明して 来た。音楽における音の高さの持つ意味が「一義 的」であるという P. ブーレーズの言葉も思い起 こされる。 音楽(楽譜)を分析するにあたり,まず注目す べき点は,音の高さを見る事であろう。連続した 音高はメロディーとなり,同時に響く音高は 2 音 fig. 1 で音程を生み,それ以上の音でハーモニーあるい は音響を生み出すということになる。 こうした音の進行が持つ様々な意味や,進行の 1.2.1 音の進行の基本的性質 あり方によって,感性を呼び起こし,その効果の まず,音およびその連続によって生み出される 累積として,音楽行為を説明することができるだ 「進行」の基本的性質を確認しておきたい。これ ろう。ラドシー,ボイルはその著書「音楽行動の らは,今後の思考の根拠にもなってくるだろう。 5 心理学」(1985) において,そうした効果を詳説 <音の進行> している。上図の「保留」の 2 つ目に挙げたオク 音の進行とは,音が上に進む上行と音が下に進 ターブの跳躍は,進行と保留との同時的意味を持 む下行がある。また進行とはいえないが,同じ音 つものと思われる。これらも,実際の楽譜で頻繁 が反復される保留もまた,音楽の「動く」ありか に行われるもので,例示の中で,言及して行きた たの重要な性質となり得るであろう。 い。更に,音が跳躍するという事に関しては,カ また,音の進行の別な視点として, 音が音階(全 タストロフィー理論でも説明され,そうした理論 音階)の隣接する音に進む順次進行と隣接音を飛 も魅力的なものではあるが,そこに深入りするこ び越える跳躍進行(ジャンプ)とがある。これら ともこの論文の趣旨から離れるため,ここでは省 も,音楽に意味を与える重要なディメンジョンで 略する。 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 53 <音の位置> い。ここで,音楽の分析に重要な事は,そこにあ 音を物理的現象としてみた場合,その理論がま る響きの違いである。大きな違いは,協和と不協 た音にも当てはまるだろう。たとえば,高い音を 和の違いである。不協和は緊張や濁りを生み,協 出すのは低い音に比べ,エネルギーを必要とする 和は緩和や透明感を生む。透明感とは,完全音程 ことがあるだろう。それは,弦の張力として考え (完全 5 度など)によって生み出されるが,それ ると分かり易い。同様に人の発声もそれと類似の が時として「空虚」な響きにもなることは「和声 事が考えられる。即ち,高い発声は声帯を緊張さ 学」で述べられているところであろう。また,完 せ,低い声はそれを緩和させるといったものであ 全 4 度は 2 音の関係では不安定な状態であり,対 る。器楽などでも,メロディーの動きは,人間の 位法では「不協和」として扱われる。 「和声」に 声の模倣としての動き方をするものと考えられ おける第 2 転回位置(バス音と上部構成音の間に る。そうした動きの中から,音楽理論が生まれて 4 度が生じる)の不安定さももたらすことになる いるといってもいいのである。 のである。もっとも,西洋的音楽構造を離れる場 音の位置において生み出されるものとして,よ 合,すなわち,日本の音楽や他の民族音楽などで く音楽の最高音におかれる「クライマックス」が は,完全 4 度を安定した響きとして把握される場 あるだろう。これもまた,そうした高さの違いの 合が少なくない。音程感覚は,いわば,その背後 持つ「位置のエネルギー」の差によって形成され にある音楽組織や音楽構造に左右されるというこ るものと考えられる。バッハの作品でも,そうし とになろう。 た高みに向かって行く音の流れが,極めて効果的 「和声」や「対位法」についてもあらためて, に使われていることを見る事ができよう。 私見を述べたいところであるが,ここでは,分析 に必要最低限の説明にとどめておく。 <音程とその進行> 音が複数の声部を持つ過程で最初に現れるの 2 つの声部が進行する場合,同じ方法(上行, は,2 音が同時に響くことで生まれる「音程」 (イ あるいは下行)に行く場合は並行, それに反して, ンターバル)ということになろう。この 2 音の関 2 つの声部が反対方向にいくことを反行,どちら 係にもまた,それによって生み出される音楽の意 かの声部が留まっている(保留)場合を斜行,2 味が生じることを確認する必要があるだろう。一 つの声部がどちらも保留している場合は同時保留 定の音の上に形成される種々の音程を以下に示 と呼んでいる。以下に楽譜で示しておく。 (fig. 3) す。 (fig. 2) こうした音程の進行がもたらす効果として,不 これらは,順に 1 度(同度,あるいはユニゾン 協和から協和状態になることを「解決」と呼んで とも呼ばれる),2 度,3 度,…と呼ばれるが,正 いる。解決は,完全協和音程(1 度,5 度,8 度) 確には,含まれる半音によって,完全,長,短(長 で行うより,不完全協和音程(3 度,6 度)で行 2 度,短 3 度) ,減などを付けて呼ばれる。上記 うのが,古典和声での標準的方法である。 の楽譜では,完全 1 度,長 2 度,長 3 度,完全 4 度, バッハの作品や,これからしばらく論じること 完全 5 度,長 6 度,長 7 度,完全 8 度(またはオ になる作曲家の作品もまた,こうした古典和声, クターブ)となっている。これ以外の音程も含め, あるいは機能和声と呼ばれる和声理論に基づいて これら基本的音程の説明は「楽典」を参照された 作られているものであり, 「音程」に続いて「和声」 fig. 2 54 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 れた motiv の 4 つの基本的変形モデルを 4 つの音 の連続を例に示しておこう。 <Motiv の 4 つの基本変形モデル>(Fig. 4∼7) O 原型 Original(prototype)(fig. 4) fig. 4 fig. 3 について述べたいところであるが, 上記のように, R 逆行形 Reverse(Reversion) (fig. 5) ここでは省略する。それは実際の作品の分析の中 で,取り上げることになろう。 1.2.2 音高の基本的変形 次に音高の連続としてのいわゆる「旋律」 (メ ロディー)を考えてみたい。 fig. 5 多くの作品では,音楽を構成する場合,一連の 連続する音によって,その音楽を特徴付ける方法 I 反行形 Inverse(Inversion)(fig. 6) がとられている。そうした音のグループ(2 音以 上)は,モチーブ(動機 motiv)6 と呼ばれている。 そうしたモチーブは, 多様に変容されて使われる。 筆者自身,ここ数年,福島県の小中学校における 音楽祭「創作の部」において,音楽の基本構造と fig. 6 してのモチーブを中心に構成する創作の重要性を 助言して来ているが,最近,入手したルードルフ・ IR 反行逆行形 Inverse Reverse(fig. 7) - 7 レティの「名曲の旋律学」 (1995) においても「主 題」として,そのモチーブによる音楽の構成法を 説いていることは,筆者の考え方にかなりのバッ クアップになっている。しかし,この考え方の最 も 有 効 か つ 具 体 的 な 根 拠 と な っ て い る の は, fig. 7 デ ィ ー タ ー・ シ ュ ネ ー ベ ル(Dieter Schnebel, 1930∼)のベルリン芸術大学でのアナリーゼの授 これら 4 つの基本変形モデルに,それぞれ,はじ 業(1978)であろう。彼の 1 年に渡るベートーベ めの音が異なる事で,それを半音階で,原型に指 ンのピアノ・ソナタのアナリーゼの授業は,魅力 数 1 を付加して,半音上がるごとに指数が増加し 的で覚醒的な思考法を与えてくれたように思う。 て,指数 12 までの最初の高さの異なるバリエー 彼の示した方法も,今後紹介してみたい。なお, ションを加えたい。以下の例はそのうちの一つ, この授業に沿った著述(1972) も出版されてい 指数を 3 とするもので,長 2 度,すなわち半音 2 る。 つ上の音から始める音列9 である。 8 ここで,シュネーベルの授業(1978)でも示さ 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 O3(移高)transpose(transposition) (fig. 8) 55 応答 Antwort(fig. 11) fig. 11 fig. 8 この主題は完全 5 度上行∼長 2 度下行となって いるが,応答では完全 4 度上行∼同度となってい 更に,これらに加えて,原型の構成音を一部オ る。これらは,対位法的処理(あるいはその背後 クターブで置き換える(転回する)型もよく見ら の和声の設定)によって,このような変更が行わ れる変形の方法であろう。これは英語では inver- れてはいるが,明らかにこれらは旋律的に同一感 sion と上記し,反行形 I と同じ用語を使うが,混 を与えると言っていいだろう。 このような対応は, 乱するので,ここではドイツ語の Umdrehung を 上記,レティ(1995)においても,多くの興味深 もちいて区別しておきたい。 い「変形」が掲載されている。 U 転回形 Umdrehung (fig. 9) かように実際の作品では,上記の 4 つの基本変 形モデルに対し, それ以後のこうした「変形」は, そのあり方を挙げただけでも,極めて多様な様相 が見受けられ,それを挙げるだけで多くの紙面を fig. 9 要す。それらを類別,整理することも極めて意味 ある研究と思われるが,この論述では,そうした ことが論述の主題ではないので,今後の実際の楽 更に実際の旋律では,上記の変形の中でも示し 譜の中で言及することにする。少々極論的に言う ているように,多くの場合,調性の中で行われる。 ならば,音高の変形においては,音程の正確さは それによって,実際の音程を正確に移し替えてい 重要ではなく, 時には完全 5 度はただジャンプ (跳 る事にはならない。具体的には「原型」が長 2 度 躍進行)という特徴だけが残ることもあれば,リ 上行∼長 2 度上行∼長 3 度下行となっているが, ズム的要素がつよくなれば,そうしたジャンプな それが反行形では,短 2 度下行∼長 2 度下行∼短 ども引き継がなくなることなどの変形も起るので 3 度上行と,隣り合う高さの音程 Interval が異な ある。大切な事は,いかに主題やモチーブをその るものになっている。こうした,調性による変化 後の展開の中で,その印象や残像を類推させうる は,その背後に和声がある時は更に異なる結果を かということになろう。もっとも,極めて構造的 もたらす事がある。それは,フーガ Fuge の主題 作家の作品の中には,<謎解き>のごとく,聞く Thema を模倣 Imitation する際によく生じている。 だけでは把握できない「変形」を取り込んでいる 例えばバッハの「フーガの技法」Die Kunst der 事も忘れてはならないだろう。以上挙げた様々な 「変 Fuge BWV1080 の最後の 3 重フーガの主題 Thema 10 形」は「バリアンテ」あるいは「ヴァリアント」 とその応答 Antwort の音程関係は以下のように とも呼ばれる。 なっている。 主題 Thema(一部) (fig. 10) ここで,これまで使用して来た「主題」と「モ チーブ」の意味の違いを整理しておく必要がある だろう。これらは,一般的に説明されている音楽 fig. 10 の用語と異なる点はないと思うが,改めて規定す ると, 「モチーブ」は,一連の音の連続によって 56 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 生み出される音楽の最小単位である, 「主題」は, おいても同様のことを書いているが,いわゆる単 単一あるいは複数の「モチーブ」の連続により構 なる「形」や「構造」だけを記述している「楽式 成される音楽作品の最も主体となる旋律と規定し 論」 の記述が目的ではないことを述べておきたい。 ていいだろう。すなわち,音楽は「主題」をもと に構成され,「主題」は「モチーブ」によって構 1.3 音価, 音強などにおける分析の基本 成されるということになる。 「主題」 = 「モチーブ」 音や音楽の構成をその「高さ」でのみ論じる事 となる場合もある。ベートーベンの『運命』の主 はできない。既に上記した中にも現れる,メロ 題などそのよい例であろう。 ディー(旋律)もまた「音の継時的高さと長さで 1.2.3 フレーズ,楽節 表現される」 のである。すなわち, 音は長さを伴っ 主題やそれらのバリアンテによって形成される て見て来ているのである。 メロディーは,また別の制限によって,新たな音 1.3.1 音価と音強 楽の意味を生じうる。それは人間の息の長さに 音の長さは音価と呼ばれる。音価を組み合わせ よって支配され,まとまったメロディーの長さを ることでリズム(拍節)リズム(拍節)が生まれ 構成すると言うことができる。それは 「フレーズ」 る。リズムもまたモチーブにもなりうる。音楽の (楽句)と呼ばれたり,少し長い旋律のまとまり 中では,時として主要な呼応や模倣の効果をもた として「楽節」と呼ばれたりする。フレーズは通 らすことは,バッハはもちろん,ベートーベン, 常,モチーブが組み合わされて成立するが,既述 ブラームス,メンデルスゾーンなどの作品に具体 したように,単一のモチーブでも 1 フレーズとし 的形で現れることを思い浮かべることができよ て扱われる事もある。文章になぞらえてみれば, う。 1 つの言葉(単語)がモチーブであり,単語がい 音価はまた,速さあるいはテンポという次元を くつか組み合わされてフレーズを生み,更に 1 文 生み出す。音価は音符の形では,相対的長さしか (sentence)によって楽節になるといったような 示し得ない。細かければ,音の動きは速くなる。 ものであろう。 しかしながら音楽の表現に用いられる楽譜では, 音符は相対的に表現されたもので,音価は,速度 楽節も場合によっては,フレーズと同意義のこ の指定によって,実際のリズムや音の長さが規定 ともある。長い楽節の場合,その前半部分を前楽 される。しかしながら,音高に比べると遥かにそ 節,後半を後楽節と呼び,それらはよく「呼応関 の規定は,緩やかなものと言えよう。即ち,音価 係」を生み出す。「問い」と「答え」という関係 で示される表現部分は,様々な要因で,表現に幅 である。それは,一つの旋律の中で行われるだけ を持つということになる。そこでは楽譜を演奏に でなく,他の声部とも「呼応」しあうことで,ま 際して, 「解釈」 することが求められることになる。 るで音楽の中で,会話が行われているような効果 「演奏の解釈」もまたそうした「分析」の一つの を生み出している。この呼応関係は,アンサンブ 形であることがここでも言えよう。 ル作品や複数の声部を持つ作品(鍵盤音楽)でも, 音強は「ダイナミックス」とも呼ばれ,音楽の 分析する重要な要素になってくるのである。 表現の重要な要素になっている。音強は,音価よ このように多くの定義や規定,限定をともなう り,更に幅を持って解釈される。音価は相対的で 用語によって音楽の形式が説明される事が多い はあるが,長さを比較的限定的に表現できるが, が,筆者は,そうした形態的,外面的なことをで 音楽で用いる音強の表現は,そうした数値で表さ はなく,作曲者を作曲者としてみることの意義を れない,かなり感覚的なものになっている。しか 感じ,作曲することの意味を問うためのものとし し,音価同様,音強もまた,重要な表現記号であ て,この小論を記述するもので, 「はじめに」に り,これらの表現の組み合わせで,また多様な音 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 57 楽作りが行われているのである。 後者は「マクロ・ストラクチャー」という言い方 1.3.2 クライマックス を用い,そうした視点を以下に分けて述べてみた 音高の部分で「クライマックス」について記述 い。 したが,それはまた,この音価と音強との組み合 1.4.1 ミクロ・ストラクチャー わせによっても形成される。 「クライマックス」 音楽は音から成っている。よって,その最もミ は曲全体の中における音楽のピークのみならず, クロな視点は 1 音から始めることができるだろう 1 フレーズ,1 楽節の中にも現れる最も重要なポ が,音楽の分析では,音楽を構成する主要な要素 イントとしてみる事ができるものである。一般的 で,音楽の素材として最も小さい単位は,モチー に以下のように言う事ができよう。 ブであり,次にはそれによって構成される主題を クライマックスは,以下の強調された部分に置 みるという手順が一般的であろう。上述したこと かれる。それは音楽における「重心」とも呼ばれ だが,実際の作品では,モチーブと主題が一体化 る。 しているものから,モチーブが複数集まって,1 音高 : 最高音 つの主題を構成しているものまで,多様な形をみ 音価 : 長い音 る事ができるであろう。 音響 : 強い音 1.4.2 マクロ・ストラクチャー (f や ff のみならず,sfz や>などのア クセント記号などで示される) 作品の全体の構造をみることも,また作品の分 析の重要な視点であろう。そうしたマクロな視点 で重要なことは,音楽作品が如何に統一性や一貫 実際の音楽の場面では,これらが組み合わされ 性などを示して,作家がどのような意図や目的あ て,より効果的な記譜がされているのである。ま るいは主張をしているのかを読むことにあると言 た,音楽の充足感は,大編成の作品では,楽器の えよう。「音楽は経済学」という言葉を耳にした 数(tutti)によってももたらされる。クライマッ 事がある。音楽作品のあり方は多様であるが,優 クスにいたる音楽の形成の仕方も,「分析」にお れた作品のほとんどが,その構成法においては, ける重要な視点になるだろう。クライマックスに 少ない素材で大きな構造化がされている姿を見る いかに至るかによって,音楽が構成されるといっ 事が少なくないのである。音楽作品はまさしく作 てもいいだろう。 家が音を用いて,その主張を伝える手段と言って もよく,そうした主張としての音楽は,聴者に伝 1.4 ミクロ・ストラクチャーとマクロ・ストラ クチャー えるべき内容に一貫性のあることがよく見られる ところでもあろう。とりわけ古典的作品に於いて 音楽の「分析」は,一つのモチーブや主題など は,作家の構成力を通じて,音楽における彼らの の細部(ミクロ)の中に込められた作家の工夫を 意図を読み込むことができると言ってもいいであ 見つける事から,作品全体や更にその作曲家の人 ろう。 生を俯瞰して,その考え方,特徴などといった広 音楽美学において,音楽の内容(Inhalt インハ い(マクロ)視点にいたるまで,様々な構成(ス ルト)と外形(gestalt ゲシュタルト)との関係で トラクチャー)をみる方法が考えられる。これら 説明されているが, 「内容」とは,音楽の心的, は多くの場合,明確な境界を持たない,連続的, 内面的表現とも見ることができ, 一方, 「外形」は, 発展的に分析することが可能だろうが,音楽の分 その音楽のいわゆる「形式的」な形とみることも 析においては,ある程度,整理して進めるのが効 できるであろう。そうした「内容」 「外形」もま 果的に思われる。そこで,筆者は視点の置き方の たマクロの視点として考慮すべきものであろう。 違いによって,前者を「ミクロ・ストラクチャー」 , この小論のタイトルに「形式学」という言葉を避 58 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 けたのは,そうした「外形」を見るだけではない 芸術性 : ことを意図したものでもある。 「フーガの技法」Die Kunst der Fuge 音楽はまた,それが作られた背景や環境も時と 「音楽の捧げもの」など して考慮されるべきものが少なくないであろう。 教育性 : ここでいう背景や環境とは「作品の周囲」の意味 「インベンション」Invention として,作品の成立の要因やその作家の生涯,更 「平均律ピアノ曲集」 には作曲家の歴史上の位置づけなども作品を説明 Das Wohltemperiertes Klavier することがあり,マクロな視点はかように止めど 宗教性 : なく広がる視点でもあろう。これらの多様な視点 ミサ曲(h moll) については,作品の具体的事例の中で説明されよ 受難曲(マタイ受難曲など) , う。 教会カンタータ (世俗カンタータと区別される) 第 2 章 バッハの音楽の分析 こうした類別以外に, 技術性(kunst)や精神性, バッハの作品を出発点に置く理由は,ある面, 実験性などで分類できるかもしれない。 ゲックは, その作品を通じて,前章で述べたような音楽の本 バッハのケーテン時代の一連の作品「インベン - 質をみることができるのではないかという確信に ション」と「シンフォニア」 「ブランデンブルク も近いものだけではない。構造化,構築化された 協奏曲」「平均律」などを, 「教育的作品」 「芸術 音楽として,極めて興味深い作品を多く示してい 的作品」 「音楽哲学への貢献」の 3 つの観点から る事がある事はいうまでもないだろう。そうした 考察11 している。 作品を深く追求して行ったとき,そこに作家の固 有の世界と他の作家のものと区別できないところ バッハの音楽における「精神美」の世界につい まで行き着く事も考えられる。更にバッハの音楽 ては,大学時代に受けた東川先生の授業が思い起 にはそうした音楽全体に通じる根本的な側面ばか こされる。師は「表現芸術の系譜」を示してバッ りではなく,多様な,ある面,一人の人間が存在 ハの音楽を説明していたように思う。 する,音楽現象を超えた,広い可能性も見て取る Invention という言葉は「実験性」や「音楽作 事もできるのではないかと考えている。著者はこ りのアイディア」を想起させる。 れまで,パフォーマンスやコンピュータなどによ 具体的に作品に進んでみたい。これから挙げる る作品を通じて,そうした超領域的視点を大切に サンプルは,極力,それぞれの作家にとって重要 してきた。この論述においても,そうしたこれま な位置を占める作品を対象にするが,とはいえそ での立脚点をも合わせて,他の論述にない視点を うした作品を網羅することが重要とは考えない。 提供したいと考えている。 この分析の目的は,個々の作品の個別の特徴や個 別の理解ではなく,サンプリングした楽譜を通じ バ ッ ハ Bach, Johann Sebastian(1685 1750) の て,一般に敷衍できる汎用性,原理を引き出そう 作品を見るとき,その作品について,音楽本来の とういうところにある。 - 持つ芸術性や娯楽性の他,教育性や宗教性もまた 重要な性質であり,彼の音楽を語る場合,避ける 2.1 Invention の分析 事のできない視点と思われる。それらは必ずしも イ ン ベ ン シ ョ ン 第 1 番 Invention No. 1 C dur, 明確に分けられるものではないが,思いつくまま BWV 772) に挙げるなら,以下のような作品がそうした性質 バッハの作品の分析に関する書籍によく引用さ や意図(あるいは目的)をもつものと思われる。 れるサンプルである。理由としては, 見開き 1 ペー - 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 59 fig. 12 ジで短く,また比較的に容易で,ピアノの初級の 実際の音楽より遥かにすばらしい世界をも聞かせ 練習曲になっていること。更にハ長調で,理論的 てくれる事もあると思われる。指揮者はまさしく に説明がしやすい,学生にも理解しやすい等が考 そうしたファンタジーを豊かに持つ専門家と言っ えられる。もちろん,より重要な理由は,それが てもいいだろう。 音楽の分析の対象として,極めて興味深いもので 作品を分析する場合,最初に行われる手続きで あるということであろう。 一般的なのは主題(Thema)を見る事であろう。 上にあるのがその冒頭部分である。 (fig. 12) 主題は作品を構成する中心となる旋律と位置づけ なにも記入されていない楽譜を前にするのは, られてきた。 筆者が一番わくわくする時でもある。それは,少 し大袈裟な表現を許していただければ,そこに楽 Invention C dur(BMW772)の主題(fig. 13) - 譜を読むことで見えてくる様々な世界が待ってい ると思うからである。思考する事で見えてくる世 界は,いわば料理されるのを待つ食材であるかも しれないし,何も書き込まれていない無垢の姿と も言えるのである。筆者がここで大切にする事は, fig. 13 まずは,いっさいの先入観を排除して,ありのま まにその楽譜を見る事である。いわば,楽譜を見 この主題を更により細かいモチーブに「分解」 る事で生まれるファンタジー(想像力)を大切に すると一般的には以下のように(スラーで示され して欲しいのである。楽譜はあくまで記号のかた た)前半の 16 文音符を主体に構成される部分と まり,集合である。それをどう読むかはそれを解 後半の 8 文音符で構成される部分との 2 つから 釈するもの(楽譜を読む人間)にも与えられてい 成っていることは,ほぼどのような解説本にも見 るもので,そうしたファンタジーによって,楽譜 られるところであろう。 (fig. 14) を読むことそれ自体が音楽行為にも成りうると考 分析にあたって,このように記号(この場合は えている。確かに優れた演奏は,大変影響力のあ スラー記号)を入れる事は, 大切な行為にもなる。 る解釈と説得力を持っていると思われるが,楽譜 それによって,そうでないものより見えてくるも を読む事自体が音楽行為となることで,時として のがあると言えるからである。これを筆者は数学 60 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 れより少し踏み込んだ解釈も見られる。以下は, 私の尊敬する作曲家の一人,池辺晋一郎氏の分析 である12。 (fig. 15) fig. 14 の幾何の解法に用いるように「補助線」と呼ぶ。 この「補助線」が解釈であり,それによって分 析の一歩が行われると思えるのである。幾何に おける効果的な「補助線」同様,楽譜に書き込む 「補助線」もまた,明確な意味をもたらすものと思 う。 fig. 15 このような「解釈」がすでに書き込まれている 楽譜を目にする事もある。それは多くの場合,作 曲家の意図であろうが,演奏家あるいは出版社の まず「ドレミファ」とファまで昇り,いっ 解釈ということもあるうる。もちろん,楽譜をど たん「ファレミド」と降りたあと,はじめに う用いるかによって,どのような楽譜が選ばれる ファまでしか昇れなかったドの上の「ソ」へ かが決まって来るものと思うが,分析に当たって 一気に到達。 は,作曲家自身が書き込んでいない記号は極力排 均整がとれている。 除した方がよいように思われる。ただ,結果とし このうち c は常に 5 度とは限らず,曲中で て後に書き込まれた「解釈」と一致するとしても。 2 度だったり 4 度だったり,自由な変化が施 また,仮に既に書き込まれていても,それをその される。モチーフにがんじがらめに縛られて まま受け入れるのではなく,なぜその記号が書き いるようだが,この微妙な自由さ,柔らかさ 込まれたのかを考えることを忘れてはならないだ が音楽の美しさを作っている。 (以下略) ろう。思考することの連鎖が次の思考を生み出す ことがあると思われる。ここで分析するバッハの 作曲家の解釈は,音楽学者と異なることがよ 作品は,多くの場合,作曲家自身は記入していな くあると思われる。これなどはそのよい例であろ いのである。むしろ,音楽が,どう表現されるべ う。この分析は,最初に 2 つのスラーが書き込ま きかそれ自身に「内在」しているとも言えるので れたものより,かなり細分化している。筆者も一 ある。 つの主題は, それを構成するモチーブ(池辺は「モ いずれにせよ,この場合は,結果的にはすでに チーフ」 と英語の発音で書いている) の数が決まっ 紹介されている「解釈」と一致したものになって ているものではないので,このような細分化も可 いる。ただ,ここで終わってしまっては,あまり 能と考える。 想像性を発揮したことにならないだろう。一応, この「解釈」を読んでみると,休符で始まるこの ここで筆者の分析を記述しておこう。 (fig. 16) アインザッツ(音の出だし)ののち,次の 8 分音 符の頭にまで,一つのまとまりとなっていること は,「拍節法」からも説明されよう。 「拍節法」は,音楽の流れのリズムであり,そ れは音楽のまとまり,あるいは時として,切れ目 やブレス(息つぎ)さえも意味する事もある。こ fig. 16 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 筆者の解釈のポイントは,4 つの音符のまとま 61 うことができるであろう。実際,H 音に付けられ りである。最初のグループはまさしく「テトラコ たトリルに<迂回>された A 音が内在している ルド」という音階の基本の構造を持つ 4 つの音で のである。 ある。この「テトラコルド」は,西欧の音楽にお この「テトラコルド」への説明は,このあとに いて,極めて重要な音楽の構造要素と捉えている。 続く G dur(ト長調)に移調された主題の後の対 - 今後の他の作家の分析でもこの「テトラコルド」 位(3 小節目左手,下段)として拡大された形で は,解釈の基本的構造と捉えることになる。それ はっきりと現れているように思われる。 (fig. 12 を基本にした解釈にもう少し踏み込むと, 別な「補 を参照されたい。 ) 助記号」が必要にあろう。それを組み込んだもの 更に, 以上のバリアンテをもとに戻してみると, が以下の楽譜である。(fig. 17) 以下のような旋律線になる。(fig. 18) fig. 18 fig. 17 こうして書き換えてみると,2 つ目の「テトラ すなわち,これは 3 つの移高する「テトラコル コルド」から一気にオクターブに昇って行く音階 ド」で出来ていると読む。付け加えた最初の「点」 (ドーリア) が見えてくるのである。 これによって, (音符)である F 音によって, 次の G 音までの「テ ある別な作品が見えて気はしないだろうか? 筆 トラコルド」が形成される。その単純な反復を避 者が想起したのは,以下の楽譜である。 (fig. 19) けるため,作曲家が一度,和声構成音である C 音に落とすことで,旋律に変化をもたらしたと見 これは,「シンフォニア」の冒頭である。ここ たのである。これは「対位法」の技術ではよくや に多くの相似形を見る事ができないであろうか? る解決音の一時回避と同様の方法と言っていいだ 最初に一気に登るオクターブは, 「インベンショ ろう。バッハはそうした「対位法」すなわちポリ ン」で「隠されていた」オクターブを思い起こさ フォニーの大作曲家なのである。同様に次に加え せるのである。そして, そのあと「テトラコルド」 た A 音の代わりに,C 音から始める事で,その を「変形」させて,そのまま H 音まで行かず(そ 前の流れを断ち切っているように見えるのであ れは当時の音楽の上限音である A を超えてしま る。その結果,この作品は,もともと極めて単純 うことにもなる) ,一度 F 音に落とし,その後に な音階を,少し<迂回>したことで多様性を生み 続く反行の「テトラコルド」を続けて, 「主題」 出した,極めて「経済的」作品と読むことができ を構成している。まるで,「インベンション」の るのである。即ち,もともと,一つの「テトラコ 構造の「バリアンテ」にさえ見えて来るのである。 ルド」から生まれた「バリアンテ」 (上述)と言 バッハには,このように他の作品に関連付けた作 fig. 19 62 人間発達文化学類論集 第 13 号 2011 年 6 月 品を見る事がよくある。こうした「分析」によっ 読み取る事ができるであろう。 て,ミクロな構造が作家の特徴や考え方,工夫や 最後に,第 2 小節目の最初の音は D 音であり, アイディアといったより広いマクロな構成法に展 その主題を「模倣する」最後の音(3 小節目最初 開して解釈することも可能にするように思われ の音)の E 音は,下行している。ここにも,前 る。 楽節としての最初の主題の提示で「問い」を模倣 もっともこのような<踏み込んだ>解釈は,そ し,この後楽節で「答え」ているような呼応関係 れこそ<ファンタジー>(空想)でしかないと呼 を示している事も付け加えておきたい。優れた作 ぶ人もいるだろう。実際,ここまでの記述をして 品は,かように<噛めば噛む程>味がでてくると いる書籍,資料を筆者は知らない(筆者が知らな いうことになろう。 いだけかもしれないが) 。分析に「根拠」を示す 事で,より説得力を生むであろう。とはいえ,分 おわりに 析は<こじつけ>と表裏一体でもあるとも言え この小論では,バッハの一つの作品を<読んで> る。 みたが,字数の制限もあり,ここで,一旦,閉じ る事にする。今後,更に続く他の多くの作品の分 一応,一般的に分析されてきた範囲での,この 析を通じて,読者が感じるかもしれない<空想> invention の上記の fig. 12 部分の分析を最後に挙 を,<もしかしたらあり得る>程度までの説得力 げておく。(fig. 20) を持つまで,到達できれば幸いである。 ここでは,「テトラコルド」までは書き込んで いない。作品全体を「分析」する事で,この作品 が極めて無駄のない「経済的」作品であることを fig. 20 (2011 年 5 月 11 日受理) 嶋津武仁 : 音楽の分析 1 参考文献 音楽行動の心理学 : ルードルフ・E. ラドシー,J. デーヴィッ ド・ボイル共著,徳丸吉彦,藤田芙美子,北川純子(翻 63 5) 音楽行動の心理学 : ルードルフ・E. ラドシー , J. デー ヴィッド・ボイル共著,徳丸吉彦,藤田芙美子,北 川純子(翻訳),音楽之友社,1985 6) ドイツ語,英語では motif, この小論では,音楽用語 訳),音楽之友社,1985 ルードルフ・レティ著,水野信夫,岸本宏子訳「名曲の旋 として使われるドイツ語を適宜使用している。 7) ルードルフ・レティ著,水野信夫,岸本宏子訳「名 律学」音楽之友社,1995 マルティン・ゲック Martin Geck 著,小林義武監修,大角 欣矢他訳『ヨハン・セバスティアン・バッハ』第 III 巻「器楽曲/様々なる地平」東京書籍,2001 池辺晋一郎「バッハの音符たち」音楽之友社,2000 曲の旋律学」音楽之友社,1995 8) Dieter Schnebel, “Denkbare Musik. Schriften 1952 - 1972”. Hrsg. von Hans Rudolf Zeller. Köln : DuMont 1972(= DuMont Dokumente) 9) 「音列」という言い方は,20 世紀の 12 音技法による 注 呼び方だが,ここでは,その考え方と類似している 1) http://db2.educ.fukushima u.ac.jp/~shimazu/riron.html, - そこでは「形式学」と題している。 2) この小論において重要と思われるポイントは下線を ため,この用語を使用している。 10) レティ前掲書 p 21 11) マルティン・ゲック Martin Geck 著,小林義武監修, 大角欣矢他訳『ヨハン・セバスティアン・バッハ』 付けている。 3) ジャン=ジャック・ナティエ Jean=Jacques Nattiez 著, 足立美比古訳「音楽記号学」Musicologie Cénérale et 第 III 巻「器楽曲/様々なる地平」東京書籍,2001, p 112 12) 池辺晋一郎「バッハの音符たち」音楽之友社,2000, Sémiologie,春秋社,1996 4) 足立美比古著「越境する音楽」勁草書房,1997 p 76 Music Analysis I ~Read “Invention” of J.S.Bach~ SHIMAZU Takehito In this Article the author is dealing with the possibility to ‘read music’. Before the concrete analysis of music samples, he mentions the importance, the meaning and some other points of view of the music analysis, considering with a reader friendly or simple writing style as possible, for the aim of the educational purpose. - After the description of such general thoughts, he writes on “invention” of J.S. Bach, as the concrete and first part of the series of the music analysis. Through this article he is asking to the readers, to read music scores as one of the more fantastic and attractive ways to understand music.