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チェジェチョンの人間と動物

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チェジェチョンの人間と動物
日本語版
チェジェチョンの人間と動物
최재천의 인간과 동물
チェジェチョン(崔在天)
Kungree(궁리)
著
2007 년 1 월
日 韓 翻 訳 推 進 会
訳
(武井美佳子、高橋誠、安中桂子、崔鶴山 訳)
― 韓国語版p 5-65の日本語翻訳 ―
p 5
著者のことば
幸せな動物行動学者の人生
自然科学者が言うようなことではないかもしれませんが、私は動物行動学者になる運
命を持って生まれたように思います。私は、大関嶺と日本海(注1)にはさまれた江陵(カン
ヌン)飛行場の隣、鶴洞(ハクトン)という町で生まれました。祖父の田畑があった原っぱの
はずれには、江陵(カンヌン)飛行場に沿って日本海に流れていくゆったりとした川があり
ました。私はその浅瀬で水浴びをし、竹かごで小魚を捕まえたりもしました。その当時、
そんな川にすむ魚たちは、みなどこにでもいるようなメダカやオイカワの類だと思ってい
ました。ところが、私が捕まえた魚の中に、トゲウオがまじっていたという事実を、かなり
後にアメリカで動物行動学を勉強する中で初めて知ることになったのです。トゲウオは、
オスが子育てをする魚として知られています。韓国では数年前のアジア通貨危機の時、
家族を捨てて出ていった母親に代わり、子供たちを育てる涙ぐましい父親の愛を描いた
小説がありましたが、その小説のタイトルがこの魚の名前だったことから、広く知られる
ようになりました。
1970年代末、米国に留学し、初めて習った動物行動学の授業で、最初の週にまず
学んだ動物が、ほかでもないそのトゲウオでした。トゲウオは、近代動物行動学の父と
呼ばれ、尊敬されている英国オックスフォード大学のニック・ティンボーゲン教授が、生涯
にわたって研究したこともあって、動物行動学界を代表するいわばスター的な動物だと
い え ま す 。 そして10年以上の歳月を経て博士課程を終えた私は、ミシガン大学の教授
になり、動物行動学を教えていました。そんなある日、博士号取得後の研究課程に入る
ために渡米した同僚の生物学者から教えられて、韓国にもこのトゲウオが生息すること
を初めて知ったのです。日本海に流れていく川や渓流には、かなりたくさんいるとのこと
です。さらに、主にどのあたりで採集できるのかとたずねたところ、驚いたことに、私が幼
い頃に水浴びをしていた飛行場横の、まさにあの川だったのです。生涯にわたり私が研
究することになった学問のスター動物と、私は幼い頃からいつもいっしょに遊んでいたと
いうわけです。
私は、自分が動物行動学者になったということに、このうえなく満足しています。生ま
れ変わっても、きっとまた動物行動学者になることでしょう。何の不安も心配もなく過ごし
た子供の頃と同じように、ただ遊びながら楽しむことを今も続け、それで生活の糧を得、
何不自由なく暮らせるのですから、これ以上の幸せがあるでしょうか? 動物行動学は、
たとえすぐ大金を稼がせてくれる学問ではなくても、このうえなくおもしろい学問であるこ
とにまちがいありません。動物たちの不思議な行動と生態を見せてくれるテレビドキュメ
ンタリー番組を、見たくないという人があまりいないところをみても、たしかに一般の人々
2
も興味が持てる分野のようです。
しかし、動物行動学はおもしろ味があるだけで、お金にはならないという考えは、もう
捨ててもよさそうです。 新しいところでは、米国スタンフォード大学機械工学科の博士課
程で学んでいるキム・サンベ研究員の発明が、時事週刊誌「タイムズ」の‘2006年の発
明’に選定され話題になりました。彼は、熱帯地方の建物の壁を自由自在にはいまわる、
トカゲの一種であるヤモリの足の構造を模倣し、いわば『くっつくロボット』(stickybot)を
作り出しました。足の裏に数百個の人工微細繊毛を持つこの小さなロボットは、秒速4㎝
で、ガラスやタイルなど、つるつるした壁面にくっついて悠々とはいまわります。アメリカ
国防省は、彼の発明をスパイロボットに活用する方法を構想中だそうです。
昨年の春、世界的に有名な韓国のある電子製品会社の部長が、私を訪ねてきました。
チョコレートフォン(注2)や、スリムスライドフォンなどを製造し、世界市場で販売競争をくり
広げていますが、携帯電話市場はデザイン面を除けばすでに限界に達したそうです。
そこで、カササギ、スズメバチ、コオロギ、アメンボをはじめとする、あらゆる動物たち
の意思疎通のメカニズムを研究している私たち研究陣と、ブレイン・ストーミング会議をし
ようと提案してきたのです。どうやら、新しい概念の携帯電話を開発できるかもしれない
という期待から、お金を稼ぐことには縁がなさそうな私のような生物学者を訪ねてくること
になったようです。
その部長は新入社員の採用面接で、私の研究室を卒業した学生と出会い、このよう
な考えにいたったとのことでした。その卒業生の履歴書には、私の研究室で修士の学位
を取ったことが記されていたそうです。そこで、動物の行動や生態を研究した人が電子
製品の会社に入社して、はたしてどんなことができるのかと、わざといじわるな質問を投
げかけてみたところ、私の学生は次のように答えたそうです。
「電子工学ばかり学んだ人を数百人集めてみたところで、彼らの頭から出てくるアイデ
アはどれも似たりよったりだと思います。江華(カンファ)島の砂浜で、白足磯蟹のオスが
はさみをふりまわしながらメスを誘惑する行動を研究した私のような頭から、ひょっとす
ると大ヒットにつながるアイデアが飛び出すかもしれないでしょう」。
ところがその学生をライバル会社に取られることになってしまった部長は、今度は一か
ら彼を育て上げた私の研究室を訪ねることにしたのです。
人間は太古の昔から今まで、つねに自然から学びながら生きてきました。ヨーロッパ
の洞窟壁画と蔚珍(ウルチン)の岩刻画などを見ても、古代の人間たちが動物の行動を
どれほど細かく観察していたのかを、容易にうかがい知ることができます。獲物としての
動物の習性を注意深く観察する、いわば‘科学者’の観察眼を持っていた洞窟暮らしの
集団が、そのようなことには関心さえ持たず、ただやみくもに動物を捕獲して食べていた
集団よりは、はるかに効率よく食料を得て、よりよい生活をしたことは明らかです。 現在、
世界中のさまざまな学界では、このようなことをより体系的に研究しようという動きが起き
ています そこで私は、2006年の春にソウル大学から梨花女子大学に籍を移したのを
3
機会に、「擬生学研究センター」を創設しました。
「擬生学」というのは、自然がもともと有している構造、機能、摂理などを、人間の生活
にうまく応用するための研究を、一つの体系的な学問として確立させるべく、私が名づけ
た新しい研究分野です。自然から学び、自然を応用するためには、既存の知識体系間
の壁を超え、たがいに往来し、融合する「統摂」(とうせつ)(注3)が絶対的に必要です。企業
と社会はすでに、融合(convergence)、フュージョン(fusion)、ハイブリッド(high breed)の時
代を迎えています。先日、ソウル大学が開校60周年を記念し開催した学術大会の席上、
中央人事委員会の委員長を歴任したソウル大学行政大学院のキム・カンウン教授は、
このような未来の学問のために「統摂大学院」の設立を提案しました。
すべての物を分割し、分析した還元主義の20世紀が幕を下し、統摂の21世紀が幕
を開けたのです。まざれば美しく、まざれば強くなり、まざれば生き残れるのです。学界、
企業、社会がいっしょにまざらなくてはいけません。このような巨大な変化の先鋒に、ビ
ビンバを考案した私たち民族の姿が見えるのは、おそらく偶然ではないように思います。
この本は、ビヒンバのように、ご飯にもやしナムル、牛肉、卵などを入れ、コチュジャンと
ごま油を加えてまぜ合わせたいと思う、学者、デザイナー、小説家、学生など、すべての
人に豊富なアイデアを提供できることでしょう。
前述の通り、古代の「動物行動学」は、かなり実用的な学問として始まりました。動物
を観察しなくてはならない明白な理由が彼らにはあったのです。今「統摂」の世紀を迎え、
動物行動学は、その素朴さゆえに、時には骨董品のような扱いをされた時代から抜け出
し、とてつもない応用の可能性を持った未来の学問として再びよみがえろうとしています。
ずば抜けて優秀な頭脳を持ち、万物の霊長となった私たちですが、実は私たち人間の
歴史は、他の動物と比べはるかに浅いのです。私たちはせいぜい二十数万年前に地球
の一番末っ子として生まれた動物です。したがって、私たちより数千万年、または数億年
前に生まれ、生きていく中であらゆる問題にぶつかってきた他の先輩動物たちの答案用
紙を盗み見ることは、きわめて価値のあることだと思います。
この本は、「EBS 世の中を見る」という番組で、私が2000年3月から9月までの6か
月間、毎週1回、計26回にわたって行った講義の内容を整理し、まとめて作った本です。
それに先立ち私は、1999年5月、6月には「自然と人間」というテーマで4回、そして20
00年1月、2月には「女性の世紀が幕を開けた」というテーマで、同じく4回講義したこと
が あ り ま し た 。 そうしたところ、番組史上比較的高い視聴率を記録しているからと、EBS
の方からまた別の講義要請があったのです。何度か断ったのですが、私が大学で講義
する内容をそのままやらせてもらえるのであれば考えてみると言うと、それはどういう意
味かとたずねてきました。動物行動学に対する生徒さん(視聴者)の理解を得やすくする
ためには、時に概念的な、そしてそのせいで視聴率を落とすような講義もしなくてはなら
ないという意味だと答えると、初めは難色を示していました。
しかし結局、私の申し出は受け入れられ、この本でも分かるように、時には番組に当
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てられた1時間すべてをゲーム理論や最適化理論などを説明するのに使ったこともあり
ました。幸いにも視聴率はさほどひどくは落ちなかったのか、EBSは私に講義の延長を
要請してきました。そういうわけで、結局6か月もの間続くことになったのです。一学期の
動物行動学の全講義を、テレビで延々と6か月間行ったことは、韓国ではもちろん、世界
的にも例がない事ことでした。そのような勇敢な決断をして下さったEBSに、いま一度、
感謝のことばとともに敬意を表したく思います。
大学で行う講義をそのままテレビで行うと言いましたが、幅広い視聴者を考慮し、なる
べくやさしい言葉で講義するように努めました。しかし、決して内容を薄めたりはしません
でした。韓国ではここ数年の間、いわゆる‘科学の大衆化’のために多くの費用と努力を
そそいできました。しかし、大衆の目線に合わせようとする努力も、度が過ぎると科学の
質の低下を引き起こすことにもなります。私たちが心から願うことは、実は、‘大衆の科
学化’なのです。より多くの人が科学的に考えられるように導くことが、科学を知っている
もらう究極の目的なのです。
テレビで講義をしていたある日、農村に暮らす70代のご高齢の方から、一通の手紙
を受け取りました。私の講義を聴いてから、長い間悩まされていた害虫問題を、より自然
環境に優しい方法で解決するために、私の講義で教わったとおりに、「科学的実験」をす
ることにしたと書いてありました。畑を二つに分けたあと、一方には独自に考案された措
置を施し、もう一方には特別な措置をせずに観察することにしたとのことです。その方は
まさに「実験群」と「観察群」を作り、その結果を比較して結論を出そうと試みたのです。こ
れこそが科学的実験の基本です。このようなお手紙を一通受け取たっだけでも、6か月
間講義をした甲斐があったと思います。
この本は、テレビで行った講義をまとめたものではありますが、大学での動物行動学
の教材としても通用するだろうと思います。できれば私が取り上げた各研究の資料など
を、インターネットなどの媒体を使って調べ、勉強に役立てることを強くお勧めします。動
物行動学は現在いくつかの大学で講座が開設され、大勢の学生が受講する人気の高い
科目です。これといった教材がないのが難点ですが、動物行動学の講義をする教授でし
たら、あらかじめ学生にこの本の各章を読んで来させ、授業のときにその中の学説や理
論関連の論文を中心に講義するとよいでしょう。
私のテレビ講義では、非常に幅広い年齢層の人々が視聴したと記憶しています。この
本もまた、その点を念頭において書きましたので、幅広い年齢層の読者に読んでいただ
けることと思います。私は‘疎通’の力を信じます。この本を読まれて、私がまちがった説
明をした部分に気づいたり、理解できない部分があれば、いつでも下のEメールアドレス
にお問い合わせください。くり返しになりますが、大学の講義をそのままテレビで行った
内容を本にしたものです。授業中に質問をするように、Eメールで質問してくだされば、誠
意を持ってお答えいたします。そうすることで、私自身ももっと多くを学べるでしょう。「知
れば好きになる!」私がいつも口にする言葉です。この本を通し動物に対し、自然に対し、
5
より多くを知り、愛するようになっていただけることを心より願っております。
注1) 韓国名は東海(トンへ)。/ 注2)韓国のLG電子が2005年に売り出した携帯電話のブラックラベルシリ
ーズのモデル名。/ 注3)『Consilience: The Unity of Knowledge』(E.O.Wilson, 1998, USA)を著者
が韓国語版で『統摂』と訳したのがこのことばの始まり。
6
目次
著者のことば
5
第1章
| 知れば愛おしくなる
15
第2章
| 動物行動学研究の方法と歴史
29
第3章
| 進化と自然選択
43
第4章
| 利己的遺伝子と自然選択論
57
第5章
| 本能とは何か
67
第6章
| 動物たちも教え、学ぶ
79
第7章
| 行動も親に似る
93
第8章
| 視覚的男性、聴覚的女性
107
第9章
| 動物たちは匂いで話す
125
第10章 | アリたちはどうやって話す?
139
第11章 | 蜜蜂のダンス言語
151
第12章 | 動物社会の儀礼行動
169
第13章 | 動物社会の諜報戦
179
第14章 | 動物たちのかくれんぼ
191
第15章 | 動物たちの方向感覚
205
第16章 | 助け合う社会
217
第17章 | 行動の経済学
231
第18章 | 行動とゲーム理論
245
第19章 | メスとオスの同床異夢
261
第20章 | 性の葛藤と妥協、そして繁殖
275
第21章 | 動物たちのわが子愛
287
第22章 | 人間だけが社会的動物なのか
301
第23章 | 動物も政治をする
315
第24章 | 体と心の進化-ダーウィン医学
331
第25章 | なぜ他人を助けなくてはいけないのか
347
第26章 | 生命とは何か
361
索引
373
7
P15
01
知れば愛おしくなる
洞窟壁画に描かれている題材を調べてみると、大部分が動物たちです。遠い昔の高
句麗壁画で武将たちが狩りをする様子を見ても、動物に対する関心はその昔からとても
高かったようです。その理由にはいろいろあるでしょうが、簡単に考えれば‘必要だった
から’でしょう。人間が食料を得るためには狩猟をしなくてはならず、そのためにはその
動物がどの道を通り、どこへ移動し、いつ現れるのかよく知る必要がありました。そんな
知識がない狩人たちは、動物が来もしない見当違いの場所で待ち構えては、徒労に終
わってばかりいたことでしょう。また、もし人間を殺して食べたり、襲いかかるような恐ろし
い動物なら、その動物がいつどこに出没するのかを知らなくては、危険を避けることがで
きません。おそらくこんなふうに人間は生存のために動物を観察したのでしょう。しかし、
このように必要があって観察したとしても、それ以外にもまた別な理由があったようです。
それはひょっとすると、もう少し根本的な理由かもしれません。
ハーバード大学の生物学者エドワード・ウィルソン(E.O.Wilson)教授は、‘バイオフィリア
(Biophilia)’というとても大胆な理論を私たちに提示しています。バイオは‘生命または生
物’という意味で、フィリアという言葉は、‘好きだ、愛している’という意味です。ウィルソ
ン教授は、人間の本来の性質に、生命そのものに対する‘愛’または‘愛着’があると主
張しています。たとえば、私たちが子鹿を見てとても可愛いと感じるのは、誰かがそのよ
うに仕向けたのでも、ディズニー映画に子鹿がしょっちゅう出てくるからでもなく、私たち
の心の中に、自然とともにありたいという本能があるからだというのです。
しかし、つねに愛おしむ心ばかりが生じるのではありません。例えば、人はスズメを見
て石ころを投げつけたりもします。昔から動物を捕獲し食べて生きてきたために、獲物を
見れば本能的に捕まえようということかもしれません。でも、雀が開いた窓から部屋に入
ってきた時、その雀を殺そうと、外に出て石ころを拾ってくるようなことは、普通はしない
はずです。そんなふうに傍に近寄ってくれば、大抵の人は鳥が愛おしくなるのです。優し
く保護し、飼いたいとさえ思います。このような行動を見ると、人間の内面には動物を愛
する本性があるのだろうと推測することができます。動物の研究にたずさわっていると、
当然彼らの行動を細かく調べることになります。現在の人間も進化の産物ですから、こ
のような観察をしていく中で、人間の本性を探るのに多くの手がかりを得られることが分
かりました。これこそが動物行動学者たちが動物を研究する究極の目的だと思います。
次のような想像をしてみましょう。文明が発達したある地球外惑星の科学者たちが、
宇宙船に乗って旅をしている時に地球を発見し、何と美しい惑星なんだろうと思い、「は
たしてここにどんな生物が住んでいるのか、ちょっと研究してみよう」と決め、研究費を工
面して地球に下りてきたとします。宇宙船で地球のどこかに着陸すると、「まったく、地球
には変わった動物が暮らしているものだ」と言いながら、あれこれ研究を始めるでしょう。
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彼らが数千年前に着陸したなら他の動物たちを研究したかもしれませんが、現在な
ら人間を研究する可能性がもっとも高いはずです。なぜなら、どこに行っても人間がいる
からです。彼らが見た人間は、まさにホモサピエンス(Homo sapiens)という動物です。属
名が「ホモ」で、種名が「サピエンス」という動物の種です。ホモサピエンス以外の動物に、
そう簡単には出会えないでしょう。
ところで、人間を研究しようと思えば、私たちが日々やっていることが一、二種類では
ないので、とにかく複雑です。地球外惑星から来た生物学者たちは人間という動物を追
いながら、他の動物との行動の違いを数多く発見することになるでしょう。他の動物はお
腹が空けば果物を取って食べたり、草を食んだり、または他の動物を襲って食べます。
それに対し人間という動物は、奇妙にも人々がたくさん集まっているところに行き、他の
誰かがあらかじめ食べられるように作っておいた物をつまみ上げてきては、もぞもぞとポ
ケットから何かを取り出して渡します。すると相手も何かを渡し・・・。宇宙人科学者は、
「まったくおかしな方法で食べものを手に入れるものだ」と思いながらこれを記録すること
でしょう。こういった一連の行動を、例えば経済学だと紹介しながら、原料を提供する人、
商品を作る人、その商品を売る人、買う人などがそれぞれにいると記録することでしょう。
時には、喧嘩で騒動が起きたりもするのですが、他の動物社会なら、喧嘩になった場合、
歯をむき出して闘っていても、ちょっと手におえないなと思えば逃げ出してしまいます。も
ちろん人間という動物もそういった行動をとることもありますが、ほとんどの場合、少し言
い争ったのちに二人連れ立ってどこかに行き、黒い服を着た人の前にすわっていれば、
誰かが代わりに立って弁論してくれたり、どちらが正しく、どちらがまちがっているのかを
判定してくれます。人間たちは法というものを作り、このように解決するのだと記録する
でしょう。
ウィルソン教授は1975年に出版した「社会生物学」で、すべての学問は生物学にほ
かならず、すべての学問は生物学に帰着すると主張しました。なぜならば上で例にあげ
たように、地球外惑星の生物学者たちが来て人間を研究するならば、法学を研究しても
見方によってはホモサピエンスという動物の行動の一部に該当するし、経済学を研究し
てもまた同様です。芸術にしてもそうで、あらゆる分野の学問が、ある意味このホモサピ
エンスという種の動物行動学の範疇を超えないということなのです。したがって教授は、
小さくとらえれば動物行動学、大きくとらえれば生物学がすべての学問を包容するしか
ない時代が到来するだろうと予言したのです。もちろん、他の分野の学者たちが歓迎す
るような話ではありませんでした。ウィルソンは1998年に『統摂』という本を書き、その
中で結局あらゆる学問は自然科学(特に生物学)を通して解き明かすしかないことを再び
強調しています。人間万事、宗教から芸術、法律、経済などすべての分野が、結局のと
ころ自然科学的に分析されない限り、将来大きな発展はできないということでしょう。
‘コンシリエンス(Consilience)’という言葉は、新しく紹介された難しい言葉です。分かりや
すくいえば‘知識の大統合’とでも言い換えられるでしょう。そこで私は‘統摂’と翻訳した
9
のです。
生物学は基礎科学の一分野ですが、総合的な性格が強い学問です。なぜなら生命現
象自体があまりにも多様なために、多様な問いかけを投げかけるのが必至で、そして、
生物学がそのような多様な問いかけに答える学問だからです。とりわけ、生物学の諸分
野の中でも動物行動学は、特に総合的な性格が強いので、一方向に一つの問いかけを
するだけでは、その動物の行動を正確に理解することができないのです。
そのため、動物行動学者たちはある動物の行動に対して語る時、基本的に二種類の
問いかけが必要だと考えます。一つは‘どのようにして’という問いかけと、もう一つは
‘なぜ’という問いかけです。英語で言えば‘How’と‘Why’です。
一つの例で説明してみましょう。コウノトリは冬になると、美しいオレンジ色の羽がほと
んど抜け落ちてあちこち点々と白くなってきますが、繁殖期の夏になると、また鮮やかな
色を帯びてきます。この変化を見て、動物行動学者はまず‘どのようにして’という問い
かけをします。いったいどのようにしてこんなことが起こるのだろうか? 季節が変わり昼
が長くなり始めると、その刺激によって鳥たちの体の中のホルモン体系が変化するため
に起こる現象です。‘どのようにして’はこのような過程を問うものです。
私たちはこのような問いかけに対し、遺伝学的、生理学的、または生化学的に多くの
研究をして、かなりの部分でそのメカニズムを解き明かしてきました。しかし、私たちが
‘どのようにして’という問いかけに答えたとしても、また一つ問いかけが残ります。いっ
たい‘なぜ’このような行動をするのかということです。なぜだろうか?そのままではいけ
ないのだろうか? なぜわざわざエネルギーを消耗しながら冬に羽を落とし春にまた新し
い羽を作るのだろうか? また、動物のメスは一般的にオスに比べて見栄えがしないので、
こういった作業をしてもよさそうなのになぜしないのだろうか? オスばかりがなぜ、このよ
うに化粧し着飾ることに時間をかけ、苦労するのだろうか? これらの問題を、なぜ? な
ぜ? なぜ? と考えながら問い続けていけるのです。
Whyという問いかけは、ある意味、動物の行動を進化の観点から見つめ、この生命体
がなぜこんな行動をするようになったのかということを問うものです。したがって動物の
行動についてはHowとWhyという二種類の問いかけが必要で、この両方の疑問に答えら
れなければ完璧とは言えないのです。
生物学者たちは、このような二つの問いかけをしながら、さまざまな方法でアプローチ
することが大事です。‘どのようにして’という問いかけをくり返すと、たいていの場合、お
のずと問題がより小さい単位で分かれることになり、さらに細部にまで掘り下げていくこ
とになります。そのために結局は、物理学や化学などほかの学問の助けを借りて、生物
のメカニズムを生物理学や生化学の観点からアプローチしようとします。したがって‘ど
のようにして’ということをしきりに考えていると、たいていの場合、還元主義的なアプロ
ーチを取ることになるのです。一方、‘なぜ’という問いかけを続けていくと‘どのようにし
て’とは違い、問題をもう少し総合的な観点から、また、より進化学的な観点から見ること
10
になります。動物行動学にはこのような学問的特性があるのです。
動物行動学はかなり長い年月をかけて発達してきた学問です。洞窟の中に動物の壁
画を描いた私たちの遠い昔の祖先も、動物の移動経路を観察し、分析し、それを利用し
ていたのですから、誰もが、いわば動物学者だったと言ってもいいでしょう。しかし彼らの
動物行動学と今日の動物行動学の間には、大きな違いがあります。なぜなら、今日の動
物行動学は自然科学の一部として研究されているからです。
それでは自然科学的研究とはどういったもので、どのように行うものなのか? それを
知ることが、現代の動物行動学を理解するのに役に立つでしょう。
分かりやすくするために実話を一つ紹介してみます。1982年米国アーカンソー州で、キ
リスト教信者たちが進化学を学校で教えてはならないと主張したことから、その問題は
法廷の場で裁かれることになりました。
当時この裁判を担当したアーカンソー州裁判所のウィリアム・オバートン(William Ove
rton)判事は、この問題に判決を下すため、そもそも自然科学とは何であるのかを各界
の専門家たちにたずね、法廷で証言させました。後に、この判事が判決文を書いたので
すが、その判決文の中で彼は、自然科学の特性を五つに定義しました。彼がまとめた自
然科学の定義は、ある意味において自然科学者の定義よりも簡潔かつ正鵠を射たもの
でした。
その内容は次の通りです。自然科学であるためには、まず一番目に、「自然の法則に
従わなくてはならない」。すなわち、自然科学は人間が作り出したある法規や宗教的規
範を従うものではなく、自然に存在する自然の原理に従わなくてはならないということで
す。まったくその通りです。二番目は、「あらゆることを自然の法則に従って説明できなく
てはならない」ことです。この二つは似ているように見えますが、並行していなくてはなら
ないことです。三番目に、やはり重要な話ですが、「現実の世界で検証できなければなら
ない」ということです。検証できないものは自然科学にはなりえないというのです。
たとえば、すべての物を神様が創造したという仮説は、検証が不可能です。神様が創
造したということは、もう一度同じように試してみることができないからです。神様に、実
験をしたいのでちょっと来てもう一度創造してみてほしい、と頼むことなどとうてい不可能
なのです。この世にキリスト教のような宗教があることはとてもありがたく、あって当然の
ことではありますが、検証が不可能であるために、宗教が創造科学やキリスト教科学な
どとして科学の領域に入ることはまずありえないのです。四番目に、自然科学の特徴と
して「研究結果はつねに暫定的でしかありえない」としました。新しい理論が登場し、新し
い方法が登場してくれば、研究結果はつねに変わってしまう可能性をはらんでいて、そ
れでこそ自然科学本来の力が発揮できるのです。最後は、「反証することができる」とし
ています。 実験をどのように行うのか、材料をどうやって集めるのか、仮説をどのように
立て検証するのか等々、これらのやり方によっては既存の学説や理論を反証してみせ
ることができるのです。そうあってこそ、自然科学は自然科学たり得るのです。
11
このような観点からみて、動物行動学は自然科学です。自然科学で提示する法則に
従って観察し、研究し、結果を分析する学問だからです。時々動物映画を見ていると、ま
るで動物の世界についてすべて分かっているかのように、あるいは動物行動学者のよう
に「あの動物は、今、こういうわけで、そうなのです」と解説するのを耳にすることがあり
ます。専門家たちにもまだよく分かっていないことや、結論が出ていないことなのに、す
べて結論が出ているかのように話しているのです。決して正しい姿勢ではありません。こ
れからは、私たちみんなが動物の行動についてだけでなく、すべてについて科学的に検
証できる問題なのか、できない問題なのかを、まず考える習慣を身につける必要がある
のではないでしょうか? これこそが、科学発展の基礎であると私は信じます。
動物行動学は日常生活にも大いに役に立つ学問分野ですが、何よりも、今後私たち
人間が経験することになるであろうきわめて深刻な環境問題を研究する上において、最
も基本になる学問の一つです。
例を一つあげてみましょう。 英国には蝶愛好家協会がたくさんあって、彼らは集まっ
てチョウを観察し保護する活動をしています。住民の大部分がその同好会に加入してい
るので、選挙シーズンになると候補者はその協会を訪れ、「蝶保護法案が議題に上れば、
絶対に賛成します」と言わなければ、ほぼ当選の望みがありません。
英国のジョージ・エルムズ(George Elmes)博士は、長い間アリ(蟻)を研究した人です。
エルムズ博士が支援を受ける研究費の中には、蝶保護の名目で下りた研究費もありま
した。エルムズ博士が研究したチョウは蜆蝶(シジミチョウ)でしたが、このチョウたちはア
リととても密接な関係を結んで生きています。シジミチョウの幼虫は、アリが自分の子ど
もと錯覚するように、アリをだまします。似たような化学物質を分泌してアリの幼虫のよう
にふるまえば、アリは自分の子供と思って一生懸命世話をします。このようにアリの巣の
中で世話されたシジミチョウの幼虫は、巣の中を歩きまわりながらアリの卵も食べ、お腹
が空けば働きアリたちに「お腹が空いたよ」とアリの幼虫のまねをして、アリたちにせっせ
とエサを運んでこさせるのです。しかし、成虫になればアリの巣を飛び立ちます。そして
また卵を産み、その卵から幼虫が孵化すると、近所のアリが連れていき育ててくれると
いったように、シジミチョウとアリは共生しているのです。結局、チョウを保護しようと思え
ばアリを保護しなくてはならないということになります。そこでその地域の住民は、チョウ
を保護するためにアリをどのように保護すればいいのかという研究をエルムズ博士に1
0年以上にわたって依頼したのです。
当時、深刻な問題は、チョウの数が毎年大幅に減少するということでした。英国政府
は、減少するチョウを保護するために、巨額の費用を投じてチョウが生息する地域の一
区画を買い入れました。そして柵を巡らせ、誰も立ちいることができないようにしたので
す。このことは、莫大な金額を投資してすばらしいことをしたかに見えました。たしかに環
境保護運動のレベルで見れば、立派なことをしたのです。しかし不思議なことに、チョウ
の数はどんどん減っていきました。そこでエルムズ博士が本格的な研究を始めたのです。
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エルムズ博士はアリの行動と生態を研究した結果、きわめて簡単な処方を見つけ出す
ことができました。以前は、牛や羊が自由に保護区域に入って草を食べていたのですが、
それが保護区域に入れないようになると、草を食む動物がいないので、草が長くのびま
した。すると、長い草が日光をさえぎり、アリの巣に直接日光が当たらなくなったのです。
そのために巣の中の温度が下がり、アリは順調に成育できなくなりました。その結果、ア
リはだんだんと減っていき、アリと共生するチョウもまた減少するということが分かったの
です。
したがって、博士が長年の研究の末に得られた結論は、次のようないたって簡単なも
のでした。
「保護区域に柵を巡らすのはいいが、牛や羊たちが中に入って自由に草を食べられる
ようにしなさい」
この通りにしてみると、牛や羊たちは中に入って草を食べられるから牛や羊にとって
はエサが得られるようになったばかりか、アリの巣にも温かい日差しが射し込んで、アリ
が増えるようになりました。それと比例してチョウも増える結果になったというわけです。
いとも簡単に、環境を破壊することもなく、農夫たちにとっても助かる方法で、すべての
問題を解決したのです。まさにこれこそ、動物行動学者たちが直接的に世に寄与できた
ことの一つの例なのです。
このようなことは韓国でもできます。それはカササギに関する研究です。カササギは
古くから吉鳥として知られた鳥です。しかし、ここ最近、カササギは大きな受難にさらされ
ています。停電事故の主犯であるうえに、農家にとてつもない被害を与えているとして、
道鳥、郡鳥などの地位から追い出される。かと思えば、銃で撃ち殺されたりもしています。
停電事故を誘発し、財政上の損害を与えていることは厳然たる事実です。巣を作るのに
適した場所が減ったため電柱に巣を作り、また巣を作るのに適した木の枝があまりない
ために針金のような物で巣を作るのです。正確な統計ではありませんが、停電事故全体
の15~30パーセントがカササギによって引き起こされるものだそうです。韓国電力公社
に問い合わせたところ、金額に換算するのはむずかしいとのことですが、時には一回の
事故で数百億ウォンの損害を被ったりもするそうです。これは尋常ではありません。そこ
で韓国電力公社では毎年延べ30万人余りを動員し、少なく見積もっても2万個以上のカ
ササギの巣を取り払う作業をしているそうです。4百億ウォン規模の予算を投じてです。
多くの人々は、停電事故などの根本的な原因を、カササギが増えすぎたからだと見て
います。しかし、それにはまったく根拠がありません。なぜなら、過去の資料がないので、
現在との比較ができないからです。私はカササギを研究する生態学者として、そのよう
に結論づけることは性急に過ぎると考えます。もしかすると、カササギが巣を作れる木を
私たちが伐採し過ぎたために、カササギはしかたなく街路樹に巣を作り、もはや街路樹
でも足りずに電柱に巣を作る羽目になったのかもしれません。おそらく自然の木より電柱
を好むカササギなんてこの世にいないはずです。
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たとえば、カササギはポプラの木のようなものを好みますが、今ではポプラの木がほ
とんどなくなりました。人間がそんな状況を作っておきながら、カササギが増えたと思って
いるのではないでしょうか。すべてのことをカササギが増えたせいとみなすのは、問題だ
と思います。そこで私の研究室では、1997年からカササギの生態を研究してきました。
昔、カササギはとても太い木に巣を作りましたが、今は木が足りずに細い木にも巣を作
ります。ゆらゆらと危なっかしく生きていくのです。いくら観察のためとはいえ、あまりにも
ゆれて折れそうな木には、観察者としてもよじのぼれません。それではしご車を使って木
にのぼり、カササギのヒナたちにいろんな標識をつけ、これを利用して研究するのです。
体重を量り、足にリングを装着し、羽に名札を付け、DNA調査などのため血液や体の組
織を少し採取したりもします。そしてそのカササギが標識を付けたまま動きまわると、ど
こでどんなことをするのか望遠鏡で追いながらモニタリングするのです。
このような研究の一環としてカササギがどこに、なぜ、どのようにして巣を作るのか、
そういったことに関する行動を研究しています。いつの日か、韓国電力公社がかかえて
いる難題を解決できるのではないかという思いで取り組んでいます。しかし研究費事情
はあまり良くありません。はしご車を一回借りるのにも、一日20万~30万ウォンかかり
ます。大変な金額です。韓国電力公社でカササギを捕まえるのに使うお金が年間数百
億ウォンというのですから、その10分の1か20分の1だけでも私の研究に投資してはど
うでしょう・・・。せめてはしご車でも貸してもらえれば、環境に優しく、カササギにとっても
私たちにとってもうれしい解決策が見い出せるのではないでしょうか。このようなことを契
機に、私たちも100年から200年間持続できるカササギへの長期的研究計画を立てる
ことができるでしょう。
しかし、ほんとうはお金がないからといって動物行動研究ができないわけではありませ
ん。そんなことは実は気にしていません。動物行動学者はみんな、お金がなくてもそのま
ま研究を続けます。なぜかといえば、とても面白いからです。ただの好奇心だけでも、動
物を研究するということは興味津々、胸がときめくものです。皆さんも動物映画が大好き
ではありませんか? 動物を研究する過程はとても大変ですが、その大変さの中にも、一
瞬一瞬ときめきと美しさを覚えます。
皆さんもこのような動物の世界を探求しながら、前にも話しましたように、もう少し科学
的に考え、自然に対して多くを知るように努力されることを望みます。知れば愛おしくなり
ます。皆さんがともに自然を愛する人になることを心から願っています。
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02
動物行動研究の方法と歴史
「動物の世界」といったテレビ番組や動物映画を見るのが好きな人はたくさんいます。
中には物好きな人もいて、アメリカのカンサス州には大牧場が多いのですが、その牧場
で一日中牛の世話に明け暮れていながら、それでも飽きたらず、夕方日が暮れて家に
帰って、テレビの動物番組にチャンネルを合わせる人がいるそうです。どうやら、世界ど
の国でも、動物が出てくる番組を好む人は多いようです。これはおそらく、動物に対する
私たち人間の愛情や関心がそれだけ大きいということの表れでしょう。
韓国でも最近は自然・動物ドキュメンタリー番組の制作技術が上手くなりました。近年、
韓国で作る自然・動物ドキュメンタリー番組の中にもなかなかいいものがあります。ただ、
映像技術はいまや相当なレベルに達していますが、その解説や科学的分析の面におい
ては、まだまだ世界の水準に及びません。このような動物映画の制作や動物研究の過
程には、想像以上に多くの困難がつきまといます。動物行動学者達たちが野や山に動
物の観察に出かけても、タイミングよくこちらが観察しようとする行動を動物がとってくれ
るとは限りません。
例えば、動物の性生活を観察しようとしても、かならずしも期待していたようには交尾
をしてはくれないでしょう。だから、時には何のすべもなくただじっと待つしかありません。
動物行動学はとても忍耐と根気が必要な学問なのです。また、動物はどこかに去って姿
を消してしまうことも多いです。昨年はまちがいなくそこにいたのに、今年行ってみるとま
ったく姿が見えず、落胆してしまうことも少なくありません。
おもしろい例をあげましょう。ゴミムシ類の中にミイデラゴミムシ(Pheropsophus)という
虫がいます。この虫は自分を捕まえようとするものがいたり、攻撃をしかけてくるものが
いたりして危険を察知すると、1、2秒というきわめて短い時間で、体の中の体液を100
~200度まで急速加熱し、それを相手に向けて噴射します。例えばハツカネズミのよう
な動物が近づいてくると、この熱い体液を浴びせ、それ以上近づいてくるのを防ぎます。
この種のゴミムシは韓国にも生息しています。
このミイデラゴミムシにまつわる逸話があります。昆虫採集に夢中になっていた幼少
期のダーウィンが、ある日道を歩いていると、とても奇妙な虫がいたのでこの虫を一匹捕
まえました。少し歩くとその先にもう一匹見つけたので、これも捕まえました。また、しば
らく歩いていくと、さらにもう一匹いたのでこれも捕まえようとしたのですが、すでに両手
はふさがっています。さてどうしたものかと悩んだ末に(おそらくポケットがない服を着て
いたのでしょう)、手の中の一匹を口の中に入れて、三匹目を捕まえました。ところが、口
に入れたムシはこのミイデラゴミムシだったのです。ダーウィンは口の中で熱湯の水鉄
砲をくらわされ、口蓋の上部全体にやけどを負ってしまったそうです。観察にはいつも、
思わぬハプニングが付きものなのです。
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私の同僚にゲンゴロウを研究している人がいます。水の中に棲むゲンゴロウは、池の
水ほとりの砂場に卵を産みつけます。この卵からゲンゴロウの幼虫が生まれてくると、そ
の近くにいるゴミ虫のメスが、ゲンゴロウの幼虫に自分の卵を産みつけます。するとその
卵から孵化したゴミ虫の幼虫は、ゲンゴロウの肉を食いながら育っていきます。このこと
を、私の同僚はある年、アメリカのアリゾナ州の砂漠の端にある地域で研究しました。翌
年も同地で研究するため二日ほど車を駆って前年と同じ場所に到着しました。ところが
前の年はあんなにたくさんあった水たまりがどこにも見当たりません。なんと、市当局が、
蚊があまりに多く発生するので、水たまりをすべてブルドーザーで埋めてしまったとのこ
とでした。
動物行動研究のむずかしさを最も端的に示す例は、ジェーン・グドール博士がアフリカ
で50年近くにわたって行ったチンパンジー研究でしょう。グドール博士は、韓国に来訪し
た際、アフリカでチンパンジーを研究し始めたころの難しさについて話したことがあります。
博士は若いころにチンパンジー研究のためにアフリカ奥地に初めて赴いたのですが、チ
ンパンジーは野生動物であるため、近くに少しでも人の気配を感じるとに逃げ去ってしま
うのだそうです。いかなる観察も研究も、チンパンジーに近づいて初めてできるのに、こ
んな状態でいったいどうしたら研究ができるのだろう、と最初思ったそうです。そうこうし
ているうちに約6か月過ぎたある日、チンパンジーの子供が初めて近づいてきて、自らグ
ールド博士の手をさわったのだそうです。母のチンパンジーは後ろでそのようすをただ眺
め、子供のなすがままに放っておいたとのことでした。グドール博士はその時から、その
地でチンパンジー研究を始めることができたのです。 チンパンジーがようやく自分を受
け入れてくれたと感じたそうです。
多くの場合は、動物のすぐそばまで近づくこともできず、また動物がいつでもそこにい
るとの保証もない。まして、奥地での研究生活は決して生やさしいものではありません。
ここである研究者の身に起こった恐ろしいことをひとつお話します。現在米国のスミソニ
アン研究所のクモ分科長をしている方で、クモの分類を専門にするジョン・コディントン氏
の経験談です。彼はクモが巣をはる過程を詳細に観察して、互いによく似た近縁種のク
モであってもクモの巣をはる方法が違うことをつきとめました。巣の張り方を詳細に観察
する方法を基にクモの種を分類しました。今では、ビデオカメラ一台を、しかるべき場所
に設置し、あとでビデオテープを巻きもどして見るか、コンピューターにつないでおけばコ
ンピューターが分析してくれる時代になりましたが、私たちが熱帯地方に赴き調査・研究
に従事していた頃は、それはまだできませんでした。
クモが巣をはるようすを観察するには、気の遠くなるような努力が必要でした。その上、
ジョン・コディントン氏が研究していたクモは、川の流れの上に、織り糸のように巣をはる
クモでした。これをくわしく観察するためにはどうしても川の中に入りすわり込んで観察す
るしか方法がありません。川の中にすわり込み、そんな姿勢のまま用意した紙にクモの
行動のようすを逐一描き、その時間を計測することにしました。ある時には7、8時間も水
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の中に入っていなければなりませんでした。熱帯地方はただでさえ湿気が多く、注意しな
いとカビのために大変苦労します。長時間水の中にすわる研究生活を続けた結果、彼
の体中にはカビが生えてしまったのです。カビ分類の世界的権威であるハーバード大学
のドナルド・ピスター(Donald Pfister)教授は、顕微鏡をのぞくまでもなく、コディントン氏
の体に5種類ものカビが生えていたことがすぐわかるくらいでした。
動物行動の研究において、解決困難な問題がほかにもあります。一体、人間を始めと
して動物たちがどうしてこのような行動をとるまでに進化したのだろうかという問題です。
動物行動の進化の歴史を掘り起こすことはきわめて困難な作業です。そこで、生物の進
化を研究するには化石の助けが必要となります。豊富ではない化石を探しだし、その化
石の形態を観察すれば、どのように進化したかが分かります。でも、行動には化石はあ
りません。行動は化石として残りません。昔は果たしてどのように踊りを踊っていたのだ
ろうか? という疑問を解くのに、その踊りが化石として残っていればいいのですが、当
然、そのようなケースはきわめて稀です。
動物行動を研究するのに役立つ化石として、数年前に中国のゴビ砂漠で発見された
恐竜の化石があります。私たちは恐竜が鳥類に近い種だとわかっていることから、鳥が
巣を作って子を保護するように、恐竜も自分の子を保護したに違いないと信じていました。
しかしその確証はありませんでした。ところが、この恐竜の化石が卵を抱いている姿その
ままの形で発見されました。ガリミマス(Gallimimus)系統の恐竜なのですが、ここにある
写真のように、鳥類同様、子を保護し、卵を抱く行動をとることが分かりました。しかし、
このような化石は非常に稀なために、動物行動学者は進化を研究する上で大きな困難
に直面しています。現存する動物たちの行動を観察しながら、動物間の関連性を探り、
昔はどうであったかを類推するしかありません。
動物行動学が学問として発展したのは、チャールズ・ダーウィン以降です。ダーウィン
以前にも動物の行動を観察した人はもちろん大勢いましたが、動物の行動を分析可能
にする思考体系を確立した人こそダーウィンです。ダーウィンによって動物行動学が生
まれ変わったといっても過言ではないでしょう。現代的な感覚でいう動物行動学はダー
ウィンから始まったとみていいでしょう。
しかし、動物行動学が自然科学の一分野として広く認知されたのは、1950年代に入
ってからです。当時、動物行動学の新しい歴史を作り、動物行動学の父と呼ばれている
学者が3人いました。
一人は、オランダ出身で、英国オックスフォード大学で長い間弟子を育成したニコラー
ス・ティンバーゲン(Nikolaas Tinbergen)です。とても優しい方で、すばらしい弟子を数多
く育て上げた学者としても有名です。、主にカモメ類、魚類、昆虫などの研究を専門にし
ました。もう一人は、熱血漢でとてもユニークな人です。オーストリア人で、ドイツでの研
究生活が長く、有名なマックス・プランク研究所の基礎を築き上げたコンラート・ローレン
ツ(konrad Lorenz)です。この人はいわゆる動物の刷り込み行動を初めて明らかにした
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学者です。ガチョウの子供たちは、刷り込みによってこのローレンツを自分たちの母親と
思い込み、彼を追いかけるようになりました。最後の一人は、カール・フォン・フリッシュ
(Karl von Frisch)です。この人もオーストリア出身で、ドイツのミュンヘン大学で教鞭を
取り、後進を育成しました。この人は ‘ミツバチのダンス(Waggle dance)’と呼ばれるミ
ツバチの言語を、初めて単独で発見しました。巣箱でブンブン飛びまわるミツバチを見て、
あるハチは何かを話し、他のハチたちはそれを理解しているということを発見しました。
彼はそれによって観察力に関しての第一人者であったとの称賛を受けています。普通の
人には想像もできない発見をしたからです。
この3人が動物行動学の母体となった「行態学」を最初に始めた人たちです。 3人は
1973年にスウェーデン王立科学アカデミーから、ノーベル賞を共同受賞しました。医学
及び生理学分野での受賞でしたが、この賞はおもに分子生物学分野の研究者が受賞す
るもので、行動学を研究する学者が受賞するのは初めてでした。スウェーデン王立科学
アカデミーの発表によれば、受賞理由は、行動学の研究を通じて動物行動の生理学的
メカニズムを明らかにしたというものでした。とにかく、動物行動学という学問が、このノ
ーベル賞受賞を機に、正式に認知されたのはまちがいありません。
彼らから始まった行態学という学問は、動物行動を研究してきたそれまでの学問とは
研究方法において根本的に異なります。彼らは動物の行動を動物が実際生活している
環境の中で観察し、かつ実験しなければならないことを強く、主張したのです。
実例をひとつ上げると、当時ドイツには有名な視覚生理学者であるカール・フォン・ヘ
ス(Carl von Hess)という人がいて、ある日〝ミツバチは色盲である″との内容の論文
を発表しました。実験で立証された結果であり、また彼は当時ドイツでは学会の大物で
あったため、その主張は当然のこととして受け入れられる雰囲気がありました。ところが、
当時大学院生であったフォン・フリッシュ(von Frisch)がこれに反駁したのです。フォン・フ
リッシュは、ミツバチが色盲ならば、花はなぜ色を帯びているのだろうか? もしミツバチ
が色盲なら、花々が綺麗な色を帯びるように進化した理由がないのではないかと主張し
ました。花々が満開の野原を想像してみましょう。例えば、黄色の花に飛んできたハチが
黄色を記憶できなければ、黄色の花の花粉をつけていながら、まったく色の違う花に飛
んでいってしまうことになるでしょう。黄色い花の花粉をまったく見当違いの花に運んでし
まうことになってしまいます。それでは、花の立場から見れば完全な損失です。したがっ
て、花々は蜂に自分を記憶してもらえるよう色を帯びているのに、ハチが色を識別できな
いなんてことが果たしてありえるのでしょうか。
フォン・ヘスが行った実験とは次のようなものでした。両側に穴を開けた箱にミツバチ
を一匹入れて、箱の片側から黄色い光を当て、反対側からは青い光を当てます。このよ
うにしてミツバチがどちら側に出てくるかを実験してみると、黄色側も青色側もとくに違い
がありませんでした。次に、黄色の光を青色の光より強く当てました。光度を強めたので
す。黄色の光度を強くとほとんどのミツハチは黄色の光の方に出てくるし、反対に青色の
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光を強くすると青色の方に反応して出てきたのです。これによりフォン・ヘスは、色彩そ
のものが重要なのではなく、光の強度が重要なのであると結論づけたのです。
しかし、フォン・フリッシュの考えはフォン・ヘスのそれとは違っていました。フォン・ヘス
の実験方法はまちがっているのではないだろうか? 箱の中に閉じ込められたミツバチ
が果たして蜜など探す余裕なんかあるのだろうかという疑問を抱いたのです。そのような
状況におかれたミツバチはとにかく箱から脱出したいという思いで頭がいっぱいのはず
です。
したがって、外部世界と最も近いところ、すなわち、最も光が強いところに反応して、箱
から抜け出そうとしたのです。 ミツバチが箱から出ようと必死になっている状況で〝お
前が色を識別できるかできないか見せてくれ″と言ったところで、そのような非常時に、
それどころではありません。フォン・フリッシュは、このような実験は基本的に野外で行わ
なければならないと考えました。そこで彼は、野外に実験場を作り、そこにミツバチが飛
んでくるようにしました。そして、水を入れた皿を複数並べておき、その皿の底に色紙をし
きましたが、ひとつだけ青い色紙をしきました。そして青い色紙の上においた皿にだけ砂
糖水を入れました。ミツバチに青い色紙の皿にだけ砂糖水が入っていることを学習させ
た後、青い色紙を今度は他の皿に移しかえました。果たしてミツバチが青色を記憶して
いて、砂糖水を求めて青色の皿の方に飛んでくるのかどうかを実験したのです。砂糖水
が入っていてもいなくても)、水の色には違いがありません。実験の結果、ミツバチは案
の定、砂糖水があると思って青色の皿の方に飛んできました。
フォン・フリッシュはこの結果を論文にして発表することにしました。この時、予想もしな
かったおもしろいことが起きました。20歳代後半のこの若い学者はフォン・ヘス博士も出
席する学会で論文を発表するための事前準備をしていました。学会が開催される3、4
日前に会場に行き、事前に野外でミツバチたちを訓練しておきました。そして、学会が開
かれると15分ほど発表した後、野外での実験を見せるために参加者たちを連れて屋外
に出ました。ところで、フォン・フリッシュがミツバチに訓練した色は青色だったのですが、
偶然にも学会参席者の名札も青色でした。その為、参席者たちが屋外に出た途端、ミツ
バチが青色の名札に群がってきたのです。結局、彼は実験をして見せるまでもなく、その
場で判定勝ちを得ることになったのです。フォン・フリッシュのこの実験は、自然の状態で、
すなわち、研究対象の動物が何の制約のないまま自由に行動できる状況の中で研究し
ない限り、その動物の行動を正確に理解することができないということを如実に物語って
いました。ここに動物行動学の伝統が始まったのです。
一方、大西洋をはさんだアメリカ大陸ではまったく異なった傾向の動物行動学が発達
しました。ハーバード大学で長い間教鞭を執っていた、かの有名なスキナー(B.F.Skinne
r)博士がその代表格です。博士はいわゆるスキナー箱を作り、その箱の中で動物実験
を行った学者として名を知られています。スキナー箱は、動物園のオリのように六面体
にできていて、箱の中には何もおかず、実験対象動物だけを入れて観察するものです。
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スキナー箱は、動物のオリのような六面体の箱の中に、レバーを押すと自動的にエサが
出てくる仕かけを施して、実験対象動物だけを入れて観察する箱方実験装置です。たと
えば、ネズミが箱の中で動きまわって空腹になると箱の壁を騒がしくひっかきます。そう
しているうちにそこに仕かけてあるレバーを偶然に押すと食べ物がコロッと出てくる仕組
みです。
頭脳明晰なネズミならこの原理をすぐ理解するでしょうが、ほとんどのネズミはこの仕
かけをよく理解できないまま失敗をくり返します。しかし、くり返した末にようやく、〝おや、
あれを押しさえすれば何か出てくるぞ″と気づくことになるのです。その後は反復してレ
バーを押してエサを得て食べる行動をとります。
この学派の学者は、動物の行動を刺激と反応の関係で把握する手法を取り、主に動
物の経験と学習に関連した実験を数多く行いました。これらの研究の大部分は実験室で
行われ、生理学や心理学的研究に数多く用いられ、とくに学習の重要性を強調していま
す。
これら二つの学派の研究がそれぞれ進んていくなかで、ヨーロッパと米国の両方では、
さまざまな学派が相次いで出てきました。そんな中、前述のとおり、1973年に3人の学
者がノーベル賞を受賞したことが大きな反響を呼び起こし、その後1975年にハーバー
ド大学のエドワード・オズボーン・ウィルソン教授がこれらすべての研究を進化生物学と
いう理論体系の下、ひとつに束ねて集大成した著書「社会生物学」を世に出しました。こ
こに社会生物学という学問が登場することとなったのです。
現在では一応決着がついた論争ではありますが、一時、動物の行動は遺伝子のレベ
ルでプログラミングされているというヨーロッパを中心とした主張と、動物の行動は主に
学習といった環境要因によって決定されるとするアメリカを中心とした主張との間に大き
な論争がくり広げられました。いわゆる遺伝(nature)なのか、環境(nurture)なのか、本
性なのか、教育なのかという論争でした。
学界では大西洋をはさんでくり広げられたこの大きな論争が韓国ではいまだに続いて
いますが、少なくとも動物行動学界においてはもはや論争の対象にはなっていません。
あえて判定するならば、遺伝子側に軍配を上げます。なぜなら、予め遺伝子に組み込ま
れていない行動は表に現れるはずがないからです。あくまでも、遺伝子に組み込まれて
いる形質の範疇で、学習や経験を通してその行動が形成されるのです。人間はある日
突然空を飛びたいと思っても、いきなり飛べる動物ではありません。なぜなら人間の遺
伝子の中には翼を作る遺伝子がプログラムされていないからです。動物行動に関する
二つの論争をめぐって、今日の動物行動学界においては、受け継がれたものなのか、
新たに作られたものなのかの二者択一の問題とは考えません。遺伝子の影響を多く受
けている行動から学習によって主に形成された行動にいたるまで一直線上におきます。
どちらかにかたよるのではなく、一つの線上にすべての行動を適切な位置において考え
るのです。人間の行動は、開かれたプログラムから閉ざされたプログラムまで、この両方
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の影響を受けながら形成されるものだからです。
今は、遺伝と環境とを二分法で分けるのではなく、まずは遺伝子を基本とし、それが
環境の影響を受けて他の類型の行動へと、変化したものだと考えています。人間の精神
世界と身体の中では、いつもこの二つが戦っているといっても過言ではありません。 人
間に与えられた遺伝的な性向は残ったまま、その性向が環境の影響でいかに変化して
いくかによって、究極のところ人間の取る行動は決まっていくということです。
1970年代後半から1980年代に入ると本格的にチャールズ・ダーウィンが提起した
自然選択論のメカニズムに関する研究が進み、その理論に立脚して、野外、室内を問わ
ず、動物の行動を再分析する作業が活発に行われました。この分野を学問的には行動
生態学と呼びますが、既存の学問とは少し違っていました。行動生態学は動物が棲む
生息地や自然そのものの環境の中で、動物を観察し、実験しようという行態学の伝統を
守りながら、必要に応じては分子生物学や物理化学または数学的なモデリングを通して
動物行動の本質を探究しようとするものです。または、費用対便益分析(cost-benefit a
nalysis)を用いて行動の進化を再構成したりします。自然選択論で再武装した学者たち
が、実験室の中であれ、外であれ、その中に飛びこんで、動物行動学を一新させようと
試みました。その結果、1980年代と1990年代を経てこの分野はきわめて大きな発展
を遂げることができたのです。
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03 進化と自然選択
ここまで、動物行動学の歴史と方法、その研究の困難さなどについて探りながら、動
物行動学、とくに現代の動物行動学は、ダーウィンの理論で再武装した学問であること
を強調してきました。ところで、動物行動学を理解するためには、まずは進化生物学の
概念を明確に知らなければなりません。人々は‘進化’ということばをよく使いますが、進
化生物学でいう進化論が正確には何であるかはよくは認識していないようです。‘進化
論’といえば何となく‘動物園にいるチンパンジーが私たちの先祖である’といった程度の
認識しか持たない人が多いように思います。また、‘進化’といえば、無条件にダーウィン
にさかのぼりますが、進化現象を最初に発見したのはダーウィンではありません。人類
はダーウィンのずっと以前から、生物は進化するという事実を知っていました。
進化に関する議論は遠く古代までさかのぼります。よく知られている化石の中に始祖
鳥の化石があります。始祖鳥は、恐竜や恐竜によく似た爬虫類から新たに進化した過程
で出現した動物です。私たちは化石を通して、始祖鳥のように以前生存していたが今は
姿を消してしまった動物の痕跡を、うかがい知ることができます。古代ギリシャの哲学者
アリストテレスも、このような事実を知っていました。アリストテレスは、今は現存していな
くとも以前生存していた生物が死に絶え、その生物が残した痕跡が化石であることを、そ
の昔にすでに知っていました。そして、ダーウィンが、進化を説明する最もすばらしいメカ
ニズムを、私たちに示してくれたというわけです。
人々は、ある種が他の種に変化することを進化だと考えています。チンパンジーが、長
い年月の中での変化の過程を経て人間になったのがその代表的な例だと考える人もい
ますが、それはまちがいです。
事実、ダーウィンはそのようなことは主張していません。チンパンジーの祖先をさかの
ぼれば、人間の祖先とどこかで出会う、というのがダーウィンの説明です。すなわち、チ
ンパンジーと人間は過去のある時期に同じ祖先を持っていたということです。このように、
ある種から他の種に変わる大きな変化を、大進化(macroevolution)と呼んでいますが、
進化はこのような大進化だけではありません。長い年月を経て少しずつ変化するのも進
化です。進化生物学の学説においては、進化とは各個体の遺伝体(genome)の中の独
特な遺伝子がすべて集まった遺伝子群(gene pool)内の、各遺伝子の比率の変化であ
る、とみなしています。ある遺伝子がある世代に特別多かったのが、何らかの理由でそ
の次の世代では少し減少し、その代わりに他の遺伝子が勢いを増してくる変化もまた、
つねに起きています。このような進化を小進化(microevolution)と呼んでいます。
小進化の例を自然界の中でひとつ探してみましょう。英国に生息する蛾の一種にオオ
シモフリエダシャク(peppered moth)という蛾がいます。これは英国の産業革命時代の
話なのですが、産業化が活発に進行するとともに工場が増加し、多くの工場から排出さ
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れる煤煙による公害が深刻化していきました。煤煙による環境汚染が始まる前は、樹木
に地衣類が多くすみついて、点々と白い模様を帯びている木々がたくさんありました。こ
れらの木々に、この種の蛾がはりついていたのです。蛾はこられの木にはりついていて
も、ほとんど目につきませんでした。なぜなら、この蛾が樹皮の色と同じ保護色を帯びて
いたからです。そのおかげで、蛾は鳥などの捕食動物から安全に身を守ることができた
のです。
ところが煤煙のために、木々にすみついていた地衣類がすべて死に絶えてしまいまし
た。また、樹皮もこの煤煙によって黒色のまだら模様に変化し始めました。空気汚染で
周囲の環境が変わってしまったのです。すると同じ蛾の種で黒い色を帯びた蛾が増え始
めました。空気が汚染される以前から、暗黒色を帯びた蛾がいたことはいましたが、まだ
ら模様の蛾よりも生き残るのが困難だったのです。なぜなら、その色は容易に目につき、
鳥たちの格好の標的になっていたからです。ところが、樹皮が黒く変色すると状況は逆
転しました。今度は捕食動物の目につきにくい黒色の蛾が生き残るのに有利な時代に
なったというわけです。
このような結果を裏づける証拠を、博物館の標本室でも見ることができます。産業革
命が起きる前は、白まだら模様の蛾の標本が主流で、産業革命後は暗黒色の蛾の標本
が増えています。捕獲頻度の高い蛾が、昆虫学者たちによってより多く捕獲されたから
です。
野外実験でも同じような結果を得ることができました。一度蛾を採集し、汚染された地
域とそうでない地域に放しておいたあと、一定の時間が経ってから再び採集してみると、
汚染がひどい地域では黒色の蛾が多く捕獲され、汚染が少ない地域では白まだら模様
の蛾が多く捕獲されました。この実験は、ダーウィンの自然選択論が野外でも立証され
た最初の実験でした。
このように、自然環境に対する適応性が高い個体は生き残って繁殖し、世代を経るに
つれその個体の特性を持った個体がより多く発生します。これは、上述した小進化の例
にほかなりません。前の世代では明らかに白まだら模様を帯びさせる遺伝子を持った種
類が多かったのに、状況が変化してそれが不利になると、不利な遺伝子を持った個体は
消え去っていくのです。そして、不利な遺伝子自体も個体とともに消え去ってしまい、次
の世代では黒色の翅(はね)を作ってくれる遺伝子が増えるというわけです。これこそが
小進化そのものです。遺伝子の相対頻度が変わったということです。もし、イギリスが産
業革命の速度をゆるめずに、その時代がもっと長く続いたならさらに多くの樹木が黒く変
色したでしょう。それにつれて、白まだら模様の蛾は消滅してしまったかもしれません。ま
た、 さらに長期間にわたってそのような変化が蓄積されたとすると、いつか白まだら模
様の蛾は完全に他の色違いの蛾に変わってしまったかもしれません。
小進化がくり返されると、これらの小変化がいつか大進化につながっていく可能性が
あります。このような変化を引き起こすメカニズムこそがほかならぬ自然選択(natural se
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lection 自然淘汰)です。
自然選択にはおおよそ三つのタイプがあります。どの種でも大体において平均的な特
性を持った個体が最も多く、独特な特性を持った個体は相対的に少ないのが一般的で
す。この場合、生物種の形質分布を統計的に図式化してみると、ベル・カーブ(正規分布
曲線)の形をしています。大体においてあまりきわだたない個体が有利です。そのような
状況では、時間が経過すればするほど平均に近い個体がより多く繁殖し、ますます平均
に収斂していく現象を見せます。これが一つ目のタイプです。
二番目は、英国のオオシモフリエダシャク(peppered moth)のように、頻度が高かった
ものが生存に不利になってくるにつれその数が減少し、かわりに頻度が低かったものが
増加する。つまり、世代を経るごとに平均が移動するタイプです。長い年月の後に、もと
もとの平均からずっと遠くに離れると、本来の種から完全に別の種に変わってしまうこと
もありえます。
また、平均的な個体があまりに平凡である場合は、逆に突出してこそ有利になります。
そのような場合は、平均に属する個体が減少しつづけ、両極端の個体が生存に有利に
なってきて、ある瞬間、一つの種だったのが二つの種に分かれてしまうこともあります。
これが三つ目のタイプです。
私たちは長い時間を経て成し遂げられた大進化だけを進化と考えがちです。しかし、
進化を遺伝子の頻度の変化であると定義するならば、進化は私たちの周辺でいつも起
きている現象です。進化は、私たちが普通考えているようにチンパンジーが人間になる
とか、ゾウ(象)がある日サイ(犀)になるといった種レベルの変化だけを意味するもので
はありません。生物種の特性がつねに変化していく過程すべてを進化といいます。そし
て、このような進化のメカニズムを説明してくれた人こそがダーウィンです。
ダーウィンは裕福な家庭に生まれ、両親から相続した遺産で、これといった職業も持
たずに、生涯研究だけをした人です。ダーウィンの祖父のエラスムス・ダーウィン(Erasu
ms Darwin)は医者でありながら、進化論を研究した生物学者でもありました。
1831年、26歳であった青年ダーウィンに、またとない機会が訪れました。当時、イギ
リスは大英帝国として世界に勢力を拡大し、全世界に航海を始めていた時代でした。世
界の海を航海しながら、世界各地で見つけた動植物や遺物などを持ち帰ってきて、本国
でこれらを保存・展示する自然史博物館を設立していた時期でもありました。当時、船長
たちは好んで、自然科学者たちを航海船に同乗させました。船長にとって新しい地域で
めずらしい遺物などを収集し、その地の風物や自然環境などを知る必要があったからで
す。
ダーウィンはケンブリッジ大学で知り合ったジョン・ヘンズロー(John Stevens Henslo
w)教授の推薦と叔父の支援で、英国海軍の測量船‘ビーグル号’に乗船し、5年間にわ
たる世界一周の旅に出ることができました。イギリスを出港したビーグル号はまず大西
洋を横断して南アメリカをまわり、かの有名なカラパゴス諸島を経由して南太平洋の
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島々、オーストラリアを回まわりました。さらにインド洋を経由して喜望峰、続いてブラジ
ルに寄った後、イギリスにもどるという大航海でした。
ダーウィンは航海中に行く先々に生息する動植物すべてがそれぞれ異なっているとい
う驚くべき事実を発見しました。1836年にイギリスに帰国したダーウィンは、ただちに自
分が見聞し経験したすべてのことを整理する作業に取りかかります。
ところで、ダーウィンには航海に出る前から、あることが念頭にありました。それは、生
物学者たちがいうところの‘人為選択’(artificial selection)でした。人為選択とは、自然
によってなされる選択、すなわち自然選択と対比される概念で、われわれ人間の必要に
応じて生物の特性を選択する過程を意味します。例えばニワトリ(鶏)という奇異な動物
を思い浮かべてみてください。ほとんど毎日卵を産んで、繁殖行動をする動物が果たし
てこの世にありうるだろうかという奇異さです。生物体は繁殖のために卵を産みます。と
ころが、人間が、卵をよく産むニワトリを人為的に選択する過程を長い間くり返した結果、
そのような怪物を作りだしたのです。ハト(鳩)にも似たような例を見ることができます。私
たちがよく目にするハトは、色が多少異なってはいても、すべて同じ姿・形をしているよう
に見えます。しかし実は、ハトの品種はきわめて多様なのです。尾羽がまるで孔雀の羽
のようなハトもいるのです。また、くちばしの端にひげがあるハトがいるかと思えば、足が
スカートのように羽毛でおおわれたハトもいます。しかしすべて同じ種類です。人間がハ
トを飼育しながら、人為的な繁殖をくり返させることで多様な品種を作り上げたのです。
代表的な農作物である米も同じです。稲は元来、今のように収穫量が多い作物では
ありませんでした。人間が継続的に品種改良を行って、現在のように多くの米を収穫で
きるようにしたのです。
ダーウィンは、このようなことが自然の中でも起こるという事実を、私たちに示してくれ
ました。人間のような操作者によってではなく、生物たちの間の自然な関係の中でこのよ
うなことが起こることを明らかにしてくれたのです。当時ダーウィンは、フジツボの研究で
世界的な権威であっただけでなく、ミミズ、花と蜂(ミツバチ)の研究などを通じて多くの資
料をすでに確保していましたが、進化のメカニズムを究明するのに必要な最後の手がか
りを探し求めていました。
そんなある日、ダーウィンは予想もしなかったところで決定的な手がかりを得ることに
なりました。1838年にトーマス・マルサス(Thomas Malthus)の「人口論」に接したことで
す。 ダーウィンはこの本の中に、それまで自分が集めてきた研究資料を自分の進化の
研究に十分に生かせる決定的なヒントを見いだしたのです。
マルサスの人口論の基本概念を一言でいえば、あらゆる生物はきわめて旺盛な繁殖
力を持つため、もし生物が死なないとしたら地球は滅亡するしかないということです。不
世出の動物生態学者であるロバート・マッカーサー(Robert MacArthur)の計算によれば、
20分間に一回の頻度で細胞分裂するバクテリアがいるとしたら、20分後に4倍、その2
0分後に8倍といったスピードで数が増えていき、36時間後には人間の膝下までの高さ、
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さらに一時間もあれば人間の背の高さほどのバクテリアが地球をおおうことになるだろう
というのです。
これはもちろん、バクテリアにはエサが十分あり、決して死なないと仮定した場合です。
バクテリアは人間の目に見えないきわめて微細な生物ですが、この小さな生物が、37時
間もあれば人間がその中に埋もれるくらいの高さまで増殖します。それくらい、想像をは
るかに超えるほどの強い繁殖力を持っているのが生命というものなのです。幸いにも多
くの生命体は死んで自然な循環が起こるので、生き残ったものは再び繁殖することがで
きます。ダーウィンは、自然界では多くの生物が生まれ、互いに競争しながら生きていく
過程で最後まで生き残ることができる優秀な形質を持った生物だけが生き残り、そうして、
生き残った生物がその形質を次の世代に引き継ぎ再び環境に適応する過程をくり返すと
結論づけました。ダーウィンの自然選択のメカニズムです。
ところが、ダーウィンは完璧主義者でした。自分の理論がもたらす影響を懸念して発
表の時期を引きのばし、なんと20年も経ってからその理論を発表しました。ダーウィンを
日ごろ尊敬していた生物学者のアルフレッド・ウォレス(Alfred Wallace)が意見を求めて
論文を送ってきたのですが、それを読んだダーウィンは、彼もまた、進化に関して自分と
同じ結論に達していることを知るようになります。そこでダーウィンは、論文の発表をこれ
以上遅らせるわけにはいかないことを悟ったのです。
ダーウィンはその翌年の1859年、当時の元老科学者たちの推薦を受け王立学会で
自分の理論を発表することになりました。同じ学会でウォレスも発表の機会を得ました。
しかし、二人はそれぞれ別の理由で発表会場には姿を見せず、他の人が論文を代読し
ました。ダーウィンは学会での発表後、同じ年に百科事典でいえば何巻にも相当する膨
大な資料を整理して、一冊の本を出版しました。この本こそが不朽の名作となった「種の
起源」です。この本は、発売されるや否や一日で完売し、再版の印刷に取りかかるほど
の大反響を呼び起こしました。
ダーウィンとウォルスの理論は、いくつかの条件さえととのえば進化はかならず起き、
その条件のひとつでも欠ければ進化は起きないというものです。この条件を必要十分条
件といいます。ダーウィンとウォルスがまとめた理論によれば、進化には四つの基本条
件が必要とされています。
まず第一に、‘変異’が必要です。例をあげれば、生物の姿形・大きさ・色がまったく同
じカタツムリの集団では、どんなに掛け合わせ、子孫を残しても、なんの変化も期待でき
ません。元々いかなる変異もないところにはいかなる変化も起きないということです。仮
に、クローン人間ばかりいる社会では、どんなに多様な形態の結婚をしたとしても、多様
な形質の子孫を得ることはできません。
また、その変異が遺伝される変異でなければ、つまり、子孫に継承される形質でなけ
れば、進化は起きません。これが進化の二番目の条件です。どんなにそれまでとは違っ
た形質が表れたとしても、それが一度限りの変異であれば、進化につながらないというこ
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とです。子供はつねに両親に似ますが、似るということは両親の形質が遺伝されるという
ことを意味します。ここでいう変異とはかならず遺伝する変異でなければならないというこ
とです。もしそうでなければ進化は起きないのです。
さらに、上で述べたように、生物というのは旺盛な生殖力を持つものなので多くの子を
産みますが、結局は少数の子だけ生き残り、繁殖を続けるということが三番目の条件で
す。一生、他の昆虫を捕食して生きるカマキリさえも食物連鎖の自分より上位にいる動
物に食べられてしまいます。
次に、すべてのメスがまったく同じ数の子を産めば、変化は起きようがありません。し
たがって、メスごとに産む子の数は違わなければならないというのが四番目の条件です。
たとえば、どの家族も同じ数の子を産んで育てるとしたら変化が起きようがありません。
子の数に差があるから変化が起きるのです。あるメスは数多く産み、あるメスは少なく産
むことで次の世代の遺伝子の頻度に変化が生じるのです。
上記の四つの条件がすべてみたされれば、進化は必ず起きます。つまり、変異があり、
その変異が遺伝し、数多く生まれた個体の相当数が死んでしまい、そして生き残った者
が生む子の数に差があるという、これら四つの条件を満足させれば、まちがいなく次の
世代の遺伝的構成は違ってきて、進化は必然的に起こるようになるのです。
地球の歴史46億年の間、地球上に出現した動物の中で最も大きい動物として現在で
も青い海に君臨しているシロナガスクジラ(blue whale)から微小な単細胞生物にいたる
まで、地球には途方もなく多様な生物が生息しています。これまでに明らかになった記
録を総合してみると、約40億年から25億年前の間に最初の生命体が誕生したと考えら
れます。とするなら、過去25億年という時間ははたして地球上のすべての動植物を創り
出すのに十分な時間だったのでしょうか?
擬態術にすぐれた昆虫の中に、本物の木の葉にしか見えないウマオイムシという虫
がいます。葉の形だけでなく、葉脈、虫食い穴まで形そっくりに姿を変えるこの虫が、こ
れほどまでに完璧な擬態術を有するまでに、はたして25億年という歳月で十分だったの
だろうかということです。
私は、もちろん、時間は十分であったと信じます。進化論は受け入れがたいという人た
ちは、突然変異が起きる確率などを計算しては、突然変異をする時間的余裕はなかった
と主張しています。しかし、突然変異だけが生物の変異を作るのではありません。もちろ
ん、新しい変異は遺伝子自体に変化が起こり、他のものに変化する突然変異によるもの
です。しかし、ある地域から他の地域に移動した生物が、以前からそこにすんでいた生
物と交配し、まったく異なるタイプの遺伝子組み合わせを作りだすこともあるのです。ま
た、人間のように雌雄の区別がある生物は、雌雄お互いの異なる遺伝子が混じりあい、
多様な遺伝子の組み合わせが生まれます。こうした変異により、変化できる余地は限り
なくあるのです。
進化生物学者たちは、時間が足りないがためにそのような変化は起こりっこないとは
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考えません。私たちがよく目にする平凡なウマオイムシ一匹にしても、どのようにして腐
った木の葉の形にまで姿を変えることができるようになったのかと疑問を持つ人がたくさ
んいますが、一度にそのような大きな変化が起き、突然飛躍的に変化したわけではあり
ません。
オックスフォード大学の招聘教授であり、「利己的な遺伝子」という本を書き有名になっ
たリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)が1996年に出版した「不可能な山に登る」
という本があります。この本の中で著者は、山のふもとから頂上を仰ぎ見て、どうやって
一朝一夕にこのような高い山ができたのだろうかという疑問に答えるように、平凡なウマ
オイムシがどのようにして虫食い痕までまねる葉っぱの姿に変身するに至ったのか?と
問いかけ、それを解いていきます。
白頭山を例にあげて説明してみましょう。中国との国境にある白頭山は、韓国側から
見れば一番高くそそり立つ山ですが、中国側からはたいして苦労せずに登れる山です。
中国側から緩やかな山の斜面を登りきると、突然、朝鮮半島側に急傾斜しているのがわ
かります。それが白頭山の姿です。逆に、韓国側から白頭山を仰ぎ見れば、どうすれば
あの山の頂上まで登れるのだろうかといぶかしく思うほどの険峻な山です。中国側から
登れば時間は多少かかるかもしれませんが、それは可能なことです。このように、小さい
変化が継続的に蓄積され、平凡なウマオイムシが擬態術に長けた特異なウマオイムシ
に徐々に生まれ変わっていくのです。このような生命の変化を作り出すのに25億年ない
し40億年は十分な時間でした。いく度もの種の変化を経て、徐々に進化を遂げたので
す。だからこそ、この地球には、現在、とてつもない生物の多様性が存在しているのです。
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04 利己的遺伝子と自然選択論
人々は生きものの日々のいとなみを見て、よく‘種族繁栄のため’と説明します。また、
それは本能だともいいます。例えば、結婚し子供を産むことも、種族繁栄のための行為
だと説明します。でも、実際に結婚して初夜を迎え、「さぁ、種族の繁栄のためにいっしょ
に寝よう」と言う夫婦がはたしているでしょうか? おそらくいないことでしょう。それにもか
かわらず、種族繁栄、種の安寧と維持が、生きものの行為の根本的な理由だと説明す
る人がいます。しかし、進化生物学者の目から見れば、このような説明はまったく説得力
がありません。
人間はかなり矛盾に満ちた動物です。美しい行いをするかと思えば、大規模な戦争を
起こし、大量虐殺をすることもあります。動物の世界においては、アリ(蟻)を除いて他に
そんな動物はいません。アリと人間が、もっとも発達した社会を構成し生活する動物であ
ることを考えれば、もしかするとこのような行動は、社会を形成し維持するうえでの必要
悪なのかもしれません。しかし、自然界においてこのように残忍な行動をする動物は、そ
れほど多くありません。オオカミたちは、お互いに牙をむき出して闘いますが、相手を適
当に威嚇する程度で、死に至らしめることはほとんどありません。人間といくつかの動物
を除いては、このように極端な行動はとりません。なぜでしょうか? かつての多くの動物
学者たちは、動物たちが節制された行動をとるのは、彼らの属する種を保存していくた
めのものだと説明しました。‘種の繁殖’または‘種の維持’のための行動だというのです。
それならば、自然選択が種のレベルで起こるということになりますが、ほんとうにそうな
のか、この問題について考えてみましょう。
海辺の断崖に巣を作って暮らす、コガモ類のパフィン(Puffin)という鳥がいます。寒い
地方に住む鳥にしてはくちばしが赤く、とてもカラフルな鳥です。この海鳥は繁殖期にな
るとお互いに相手を探して巣を作り、海を見下ろしながら自分なりの家族計画を立てて
いるかのように見えます。
「なあ、今年は魚がいないよ。去年はあんなにたくさんいたのに、最近は午前中ずっと
海にもぐっても、二、三匹捕まえるのがやっとだよ。これは大変だよ、まったく。去年は三
羽産んだけど、今年は食べ物が不足しそうだから二羽だけ産んでちゃんと育てよう」と、
夫婦で話し合うのでしょうか。
ややもすれば海鳥たちはこんなふうに相談して、産む子供の数を調節しているように
も見えます。なぜなら、エサが豊富な年には平均して3個程度の卵を産むのですが、エ
サ不足の年にはその数が減少するからです。ですから、パフィンの産卵を見た昔の動物
学者たちは、集団が自分たちのおかれている状況に合わせて子供の数を減らせる能力
を持っていれば生き残り、それが出来なければ絶滅すると説明しました。
ネズミ科の哺乳類のレミング(lemming)は、毎年春になると集団自殺する動物として知
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られています。その集団自殺の規模はものすごいもので、大規模集団死といえるのです
が、氷が解け始める頃に、冷たい水に向かってみずから飛び込むというのです。このよ
うな行動について昔の動物学者たちは、エサ不足で共倒れにいたる状況を食いとめる
ために、みずから犠牲になる行為と説明していました。しかしこれは、つじつまが合わな
い話です。もう少しくわしい研究で明らかになったのは、レミングたちは、春が来て食べ
物を探そうと、解けかけた氷の板の上に群がり、いっせいに走りまわったあげく、勢いあ
まって水中にすべり落ちて死ぬということだったのです。
もし全員がみずから進んで水に飛び込む状況の中、一匹だけ、浮き輪をはめて下りて
くるレミングがいたなら、そのレミングは死なずに生き残るでしょう。しばらくは流されてい
ったとしても、浮き輪をはめていたおかげで、陸地にはいあがって生き残り、繁殖するこ
とでしょう。もし、このように浮き輪を使える能力が遺伝するなら、その翌年には浮き輪を
はめて下りてくるヤツが二、三匹と、増えるでしょう。それは賢いレミングの子供たちです。
こうして数年後には、レミングの半数ほどが浮き輪をはめて飛び込み、10年後にはお
そらく全員が浮き輪をはめて飛び込むことになるでしょう。浮き輪をはめずに飛び込み、
‘崇高な’死を遂げるレミングたちはみんないなくなるため、その子孫は絶たれることにな
ります。利己的なレミングたちだけが生き残るのです。つまり、繁殖に有利な性質を持っ
たレミングだけが生き残るということであって、かつての動物学者が主張したように、動
物の行動を集団レベルの合意や犠牲などで説明することには無理があります。
長い間ニューヨーク州立大学で教鞭をとり、何年か前に退任されたジョージ・ウィリア
ムズ教授は、若い頃この問題を具体的に指摘することで一躍有名になりました。彼は英
国オックスフォード大学で研究していた1966年、「適応と自然選択」という本を出版して、
種の自然選択に関するダーウィン理論についての私たちの理解がまったくまちがってい
ると主張しました。
彼は、シジュウカラが産み育てる卵の数に関する統計を用いて、この問題を説明しま
した。シジュウカラは黒に白の羽毛が混ざったスズメほどの大きさの鳥で、韓国でもよく
見ることができます。シジュウカラは巣によって、産む卵の数にかなり大きな差が見られ
ます。
卵を3個持つ巣があるかと思えば、13個の巣もあります。卵が8~10個の巣が一般
的です。また、8~9個の巣が、もっとも数多くのヒナを育て上げます。卵が12~13個の
巣が育て上げる雛鳥の数は、8~10個の巣より少ないです。たくさん産み過ぎた親鳥た
ちは、苦労ばかりするものの、まともに育つヒナの数は少ないのです。このように産む卵
の数は自然選択の過程を経て、彼らが育てられる能力に見合うように調整されます。つ
まり、集団レベルで決定されるものではなく、それぞれのシジュウカラ夫婦の能力によっ
て決まるのです。育てられる数だけ産むようになるということです。
このような事実は、ツバメ類に属する鳥の実験でも確認されました。この鳥は一つの巣
に2~3個の卵を産みます。卵が2個ある巣から1個の卵を取りあげ、卵が3個の巣へ入
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れて4個にして試験をしてみました。こうして移された卵と自分の卵をろくに区別できない
親鳥は、卵4個をぜんぶ孵化させて一生懸命育てます。しかし、結果として、2、3個の卵
を産んだ巣以上のヒナを育てることはできませんでした。したがって、この鳥が2、3個の
卵を産み育てることは、長い進化の歴史を通じて選択されたこの鳥の形質なのです。集
団レベルや個体群レベル、もしくは、種レベルで、 種の繁殖、または種の維持のために
共に何かをするということがどれほど困難なことなのかを表す例です。つまり、自然選択
は種のレベルで起こるという、かつての動物学者たちの説は見直されるようになったの
です。
そして、ダーウィンは徹底して個体レベルでの進化を説きました。ダーウィンにとって
は、生まれて生きて競争し、繁殖し死ぬ主体は個体なのです。むやみに他を助ける個体
は、生き残るのが困難です。利己的な自己愛が発揮されなければ人類もここまで来るこ
とはできなかったでしょう。
しかし、個体を定義することはとてもむずかしいことです。シャム双生児の場合、個体
の境界はどこにあるのでしょうか? 二人は身体がくっついていてつねにいっしょで、ほと
んどのことをいっしょにします。それならば、この二人を合わせて一つの個体と見るべき
でしょうか? しかし脳が別々ですから、思考するのもそれぞれです。手術をして二人を分
離すれば、それぞれ異なる二つの生命体になります。しかし、ほんとうに二人は異なる
生命体なのでしょうか?
一卵性双生児の場合も、個体を決定するのはむずかしい問題です。二人はそれぞれ
に独立した個体ですが、遺伝子の同一的側面から見ると、二人は同じです。一卵性双生
児の場合、兄の子供はその弟にとって甥になりますが、遺伝子の観点から見れば、弟自
身の子供と変わりありません。兄と弟の遺伝子は同一ですから、甥は弟の遺伝子を100
パーセント受け継いだのと変わりないからです。
このように個別の生命体ではなく、それぞれの生命体が持っている遺伝子の観点から
進化を分析し始めた学者が、ミシガン大学とオックスフォード大学の教授を歴任したウィ
リアム・ハミルトンです。一般的に、ニワトリが卵を産む個体だと考えられていますが、視
点を少し変えれば、鶏卵自らがより多くの鶏卵を作り出すために鶏を媒体として使ったと
みることもできます。これこそが遺伝子の観点です。鶏卵の中の遺伝子が自分のコピー
をより多く生産するための方法として工夫したのが、媒体としての鶏だという説明です。
リチャード・ドーキンスによれば、生命体は単に「生存機械」にほかならず、実際の生命を
つかさどる主体は、遺伝子だと言います。二重螺旋構造になっているDNAは、世代を繰
り返して継がれていく‘不滅の螺旋’なのです。
生命もこの不滅のDNAから始まったのです。今日地球上のありとあらゆる生命体は、
その太古のDNAを受け継いだ者たちです。そのDNAがそれぞれの生命体の内部で、そ
れぞれ異なった組み合わせを行い、少しずつ姿を変えた個体として生きているのです。
人間とチンパンジーの関係もそのような違いで、チンパンジーとオラウータンの関係、オ
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ラウータンと柏の木の関係、柏の木とコスモスの関係もすべて同様です。このすべての
生命体の内部には、太古の祖先のDNAがその形だけを少しずつ変えたまま組み込まれ
ています。
こう考えてみると、生命はまさしくこの不滅のDNAの一代記というわけです。太古の昔
から今日まで一度も死なずに生き残ったそのすばらしい化学物質の一代記なのです。
このように、ダーウィンの自然選択論は生命に対する見方を完全にひっくり返しました。
ひいてはこれに止まらず、西洋の思想体系、すなわち、プラトンから始まった西洋哲学の
体系を一夜にしてひっくり返したのです。西洋哲学のプラトン的伝統は、一言でいえば
「本質主義」といえます。私たちが現実に経験することは、洞窟の壁に照らし出された影
と同じで、真理は他の所に存在するということです。さらに、キリスト教ではこの世界があ
る目的のために創造されたとする合目的主義的世界観を標榜します。プラトンの本質主
義とキリスト教的合理主義が融合して、西洋人の思想体系を作ったのです。ドイツの哲
学者ライプニッツは、神が創ったこの世界は人間が想像できる最も美しい世界であり、神
が創造した人間は、おのずと究極的な目標に向かって生きていく宿命を持つものである
と主張しました。このような世界観が西洋の思想体系を支配してきたのです。
ところが、1755年11月1日に、ポルトガルの首都リスボンで、とてつもない規模の大地
震が起き、数多くの犠牲者が出ました。このような惨事を目の前にして人々は、神の意
志とは何なのか、この世界の究極な目的はいったい何なのかを問わざるを得ませんでし
た。カントもライフプニッツの論理を批判し始め、スコットランドの哲学者ヒュムは伝統的
な世界観に反旗をひるがえし、「自然は盲目であるBlind Nature」と主張しました。神が盲
目でないとすれば、どうしてこのように無作為に人を殺せるのかという疑いを抱いたので
す。こうした当時の社会的雰囲気と思想的動揺は、ダーウィンの進化論が世に出てくる
基盤となりました。
1789年のフランス革命も一役買いました。専制的な君主統治に対抗する個人の意味
を深く考えるきっかけになったからです。こうして次第に、西洋の思想体系に根本的な変
化が起き始めました。ダーウィンの理論はこのような背景の中で生まれてきました。それ
は、当時としてはかなり大胆な理論でした。ダーウィン主義は、一言で言えば個体を重要
視する理論です。従来の思想では全体が重要で、目標がはっきりした全体のために、個
体の犠牲は避けられないものでした。ところがダーウィンにとって重要なことは、それぞ
れ独自に生きる個体と、個体の繁殖を通しての形質の継承でした。その過程で変異によ
る変化が起き、それぞれの個体はそれまでと変わってくるのです。このような過程を経て、
一つ一つの個体がそれぞれに違うのがすべての生物の本質であり、その多様性こそが
美しいものであるとダーウィンは主張したのです。プラトンの本質主義とはまったく異なり
ます。
いまだに私たちのまわりには、ダーウィンのことを単に「自然選択論でいくつかの進化
の現象を説明しようとした英国の生物学者」程度に思っている人々もいますが、実はダ
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ーウィンの理論は、西洋の哲学界に大きな反響を起こした画期的な理論なのです。ダー
ウィンは今や現代の知性史にもっとも大きな影響を与えた人物の一人として評価されて
います。ダーウィンの理論の波及は生物学だけに止まりません。文化、芸術、哲学など
現代の学問と芸術全般にわたり多大な影響を与えながら現代人の意識構造や生き方ま
でをも変えてしまいました。すべてのものは変化し、個人が重要であることを私たちに教
えてくれたのです。このような影響はまさしく革命的なので、私たちはこれを『ダーウィン
革命』と呼んでいます。
P65
33
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