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椎名麟三における〈イエスの復活〉とユー モア論 : カール・バルト『倫理学
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 椎名麟三における〈イエスの復活〉とユー モア論 : カール・バルト『倫理学講義』か らの影響 The Theory of the Resurrection of Jesus and Humor in the Works of SHIINA Rinzo : The Infuluence of Karl Barth's Ethik II 尾西, 康充 ONISHI, Yasumitsu 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要. 2011, 28, p. 1-10. http://hdl.handle.net/10076/13155 20H 人文論叢 (二 重大学 )第 28号 一 椎名麟 三 ︿イ エスの復 活﹀ と ユー モア論 バ ル ト ﹃倫 理 学 講 義 ﹄ か ら の影 響 ︱ 尾 西 康 充 と思 う の です ね﹂ と質 問 し た の に対 し て、 文 学 者 と し て の立 場 か ら椎 名 と遠 藤 が つぎ のよ う に応 答 し て いる場 面 であ る。 椎 名 僕 は神 学 は わ か り ま せ ん が、 ど っち に置 い ても 同 じ こと では な い です か。 な らず ﹁ 宗 教 的 視 点 ﹂ か ら の研 究 が必 要 であ る と いう共 通 認 識 のも と で 西 谷 啓 治 、 高 坂 正 顕 、 亀 井 勝 一郎 、 椎 名 麟 三、 武 藤 一雄 、 猪 木 正道 、 北 を お書 き にな り ま し た が、 復 活 です ね。 死 の恐 怖 か ら の復 活 で、 プ ロテ スタ ント です か。 椎 名 さ ん の場 合 には ﹁ 私 の聖 書 物 語 ﹂ 北 森 そ う簡 単 には言 え な い の では な い でし ょう か ⋮ ⋮。 森 嘉 蔵 、 隅 谷 二喜 男 、 武 田清 子 、 遠 藤 周 作 、 久 山 康 と いう戦 後 日本 の哲 あ な た の場 合 には罪 か ら の復 活 と いう こと は な い のだ。 れ た Tる 一九 五 九 年 一月 五 日 か ら 七 日 ま で 一六 時 間 にお よ ぶ 討 議 にも と づ い て 二〇 〇 字 詰 原 稿 用 紙 一、 六 〇 〇 枚 と いう厖 大 な量 の速 記 録 が作 精 神 史 の深 部 に、 新 し い角 度 か ら照 明 を与 え る﹂ た め の討 議 が お こな わ 展 開 の 一線 に即 し て日本 の近 代 史 を 深 く 縦 断 し、 いま ま で蔽 わ れ て いた 区 別 を は っき り 立 てな け れ ば いけ な い の で⋮ ⋮。 死 と いう 形 です。 あ な た の場 合 は死 イ コー ル罪 な のだ。 そ こ の 遠 藤 し か し待 って下 さ いよ。 死 イ コー ル罪 で罪 イ コー ル死 と違 い 椎 名 死 イ コー ル罪 と いう こと な の です。 いう場 合 でも、 復 活 に第 一義 的 な も のを 置 く か、 十 字 架 に第 一義 的 な も ﹁キ リ スト教 と 現 代 文 芸 ﹂ にお い て、 北 森 が ﹁プ ロテ スタ ント の信 仰 と 言 のな か でも 最 も 興 味 深 い のは、 ﹁日本 文 芸 の新 し い動 向 ﹂ と いう章 の 合 は い つの場合 も 死 を恐 怖 す る こと が罪 であ ると いう こと です。 いか を 問 題 にす る のが、 亀 井 勝 一郎 の問 題 です。 椎 名 さ ん の場 遠 藤 つま り 罪 が 死 と 同 じ よ う な 切 実 感 を 持 って いる か持 って いな 椎 名 も う 一ぺん言 って下 さ い。 一 のを 置 く か で、 同 じ プ ロテ スタ ント と い っても ニ ュア ン スが違 ってく る ま す か ら、 さ っき か ら亀 井 先 生 の問 題 にさ れ た のは罪 イ コー ル 成 さ れ、 四六 判 三 八 二頁 の単 行 本 が完 成 し た。 同 書 にみ ら れ る椎 名 の発 遠 藤 第 一義 的 な も のを 復 活 に置 く プ ロテ スタ ント と十 字 架 に置 く 学 や宗 教 学 、 政 治 学 、 文 学 にお け る第 一人 者 が集 ま って ﹁キ リ スト教 の れ た。 ﹁近 代 的 世 界 の根 本 的 把 握 ﹂ のた め に は ﹁ 社 会 科 学 的 視 点 ﹂ のみ 昭 和 篇 ︵一九 五 六 年 一 一月 ︶ の続 編 と し て基 督 教 学 徒 兄 弟 団 か ら出 版 さ 月 ︶ は、 ﹃近 代 日本 と キ リ スト教 ﹄ 明 治 篇 ︵一九 五 六 年 四月 ︶ と 大 正 ・ 座 談 会 形 式 で内 容 が ま と め ら れ た ﹃戦 後 日本 精 神 史 ﹄ 貧 九 六 一年 七 │に 20H 人文論叢 (二 重大学)第 28号 死 を恐 怖 す る こと が死 イ コー ル罪 の形、 そう ではあ り ま せ ん か。 スであ ったと いえよう。 二 遠 藤 死 以外 の罪 と いう のは比 較 的 軽 く 見 ら れ て いる と ぃう感 じ が 戦 争 と罪 悪 人 間 像 の変 貌 ﹂ の ﹁ 方 の違 いを 明確 にす る。 亀 井 は前 章 の ﹁ 罪 イ コー ル死 ﹂ を 示 し、 椎 名 と亀 井 の考 え いか を 問 題 ﹂ にす る亀 井 の ﹁ 罪 が死 と 同 じ よ う な 切 実 感 を持 って いる か持 って いな 対 し て、 遠 藤 は ﹁ 死 イ コー ル罪 ﹂ に し か し死 を 恐 怖 す る こと が罪 であ る と す る椎 名 の ﹁ す る。 人 間 関 係 にお け る罪 あ る いはじ っと坐 って いる こと の罪、 感 の問 題 ﹂ のな か で、 キ リ スト教 にお け る背 教 者 意 識 と共 産 主 義 にお け 椎 名 死 であ る こと が 同 時 に僕 た ち に対 す る ⋮ ⋮。 それ か ら存 在 自 体 の罪 ⋮ ⋮存 在 自 体 の罪 か ら死 に結 び つき ま す 信 仰 でも コンミ ュニズ ム でも それ を 肉 体 化 し てほ ん と う に信 ず れ か ら、 人 間 関 係 にお け る罪 、 普 通 わ れ わ れ が罪 と いう こと は、 ば 死 と いう も のは こわ く な く な る わ け でし ょう。 し か し 死 は こわ い 死 に対 る転 向 問 題 に触 れ な が ら、 信 仰 でも 思 想 でも 根 本 にあ る問 題 は ﹁ 引 用 の冒 頭 、 椎 名 はプ ロテ スタ ント の信 仰 では ﹁第 一義 的 なも の﹂ を あ な た の小 説 にお け る場 合 は罪 と な ら な い。 あ な た の場 合 には 十 字 架 に置 いても復 活 に置 いても ﹁同 じ こと﹂ ではな いかとし、 さ ら に遠 怖 が も し克 服 でき な い限 り は、 ほ ん と う に転 向 の問 題 を解 決 し た と す る恐 怖 ﹂ であ る と し、 つぎ のよ う に語 って いた。 罪 か ら の復 活﹂ ではなく ﹁死 か ら 藤 と のやりとり のなか で自 分 の場 合 は ﹁ の復 活 ﹂ であ ると答 え ている。 ﹁日本 キ リ スト教 史 上 教 会 の起 点 ﹂ とさ れ は いえ な い。 これ も 一つの大 き な 問 題 だ と思 いま す。 罪 の問 題 と合 死 か ら復 活 と いう こと か ら ⋮ 1。 た横 浜 公 会 ︵日本 基 督 公 会 ︶ では 一八 七 四年 一〇 月 二 日、 外 国 伝 道 会 社 わ せ て宗 教 的 課 題 にな り ま す ね。 でし ょう。 根 本 は死 に対 す る恐 怖 だ と 思 う の です ね。 死 に対 す る恐 の教 派 主 義 か ら の影 響 を 極 力 排 除 す る公 会 主 義 の立 場 か ら万 国 福 音 同 盟 一九 二八年 に緊 急 勅 令 によ って治 安 維 持 法 が厳 罰 化され て最 高 刑 が死 刑 ” 針 R 多①憫S ●∞卜 8 〓> 〓 すR C 弓F ∪8” 会の ﹁ 教 理的基 礎 ﹂ ︵ ・”︻””∽ ︻ 九 カ条 を ふま えた条 例 案 が審 議 さ れ、 信 仰 諸 規 則 の ﹁第 六 則 ﹂ には ﹁罪 死 に対 する恐 怖 ﹂ に直 面 するよう にな っ とされた ことから共 産 主 義 運 動 は ﹁ た。 宇 治 川 電 鉄 に勤 め ていた椎 名 は 一九 二 一年 八 月 二六 日 の京 阪 神 日本 共 産 党 組 織 検 挙 、 いわゆる八 ・二六 事 件 に遭 って東 京 目 黒 の父 の家 に逃 亡 第 八 則 ﹂ には ﹁霊 魂 の死 せ 人 は唯 信 に由 て救 を受 け義 と せ ら る ゝ事 ﹂、 ﹁ ざ る こと ゝ身 体 の復 活 す る こと、 及 我 倍 の主 耶 蘇 キ リ スト は世 界 を 審 判 し、 並 に義 者 に永 福 を与 へ悪 者 に永 刑 を与 ふ る事 ﹂ が定 め られ た Tと 超 するが 八 日後 の九 月 二 日 に逮 捕 された。 椎 名 が 入 党 した のは、 モスク ワの 非常時共 東 洋 勤 労 者 共 産 主 義 大 学 から帰 国 した風 間 丈 吉 を中 心 とした 〃 武 装 共 産 党〃 産 党 〃 が、 前 中 央 委 員 長 の田中 清 玄 によ って打 ち出 された 〃 一九 二 一年 五 月 一七 日 に ﹁党 員 採 用 に現 われた極 左 的 の方 針 を修 正 し、 教 派 的 な性 質 のた め に信 仰 告 自 の規 範 性 と拘 束 性 が弱 か った 日本 基 督 公 偏 向 ︱ ︱ セクト主 義 を精 算 せよ! ﹂ と いう党 大 衆 化 方 針 を決 定 し て ﹁赤 会 条 例 でさ え、 ﹁信 仰 義 認 ﹂ と ﹁霊 魂 の不 死 、 復 活 、 審 判 、 永 遠 の浄 福 と いう読 み替 えをお こな って ﹁罪 か ら の復 活 ﹂ ではなく ﹁死 か ら の復 活 ﹂ 死 イ コール罪 ﹂ と滅 び﹂ が明 記 され ていた ことを考 えれば、 椎 名 のよう に ﹁ であ ると主 張 す る のは、 日本 プ ロテ スタ ント教 会 史 のうえ でも特 異 な ケ ー イエスの復活〉とユーモア論 一 カール・ バル ト『倫理学講義』からの影響 ― 尾西康充 椎名麟三における 〈 旗 ﹂ 読 者 五 万 人 、 党 員 一万 人 の獲 得を目 標 とした のと同 じ時 期 であ った。 協 の活動 にあ え てか か わ り、 ま だ党 籍 を 得 て いな い にも か か わ ら ず 死 刑 で いた。 こ の自 傷 的 な衝 動 は労 働 運 動 にお い ても 同 じ よ う に、 清 作 は全 主 人 公 山 田清 作 は、 治 安 維 持 法 が厳 罰 化された時 代 の労 働 運 動 を つぎ のよ 第 五 〇 巻 九 号 ︹一九 五 三年 九 月 ︺、 第 五 一巻 二号 ︹一九 五 四年 二月 こ の 伝 的 小 説 ﹁自 由 の彼 方 で﹂ 翁新 潮 ﹂ 第 五 〇 巻 五 号 ︹一九 五 三 年 五 月 ︺、 党 員 とな って、 兵 庫 西 部 地 区 宇 治 電 細 胞 キ ャ ップとし て活 動 し ていた。 自 新 同 盟 を結 成 し、 六 月 末 に日本 共 産 党 青 年 同 盟 員 、 七 月 中 旬 に日本 共 産 肉 体 の感 覚 を 奪 わ れ た。 椎 名 と 同 じ よ う に獄 中 で ﹁ 抽 象 の化 物 ﹂ と し て ら い回 し にさ れ て留 置 場 で激 し い拷 間 を受 け た結 果 、 人 間 ら し い感 情 と 実 際 に椎 名 は党 籍 を 得 た後 にま も な く 逮 捕 さ れ、 神 戸 市 内 の警 察 署 を た 険 を 求 め る と いう のは、 大 き な危 険 を と も な う自 傷 的 な傾 向 であ った。 め には死 を 恐 れ な い こと し か な いと 思 い込 ん で、 み ず か ら進 ん で死 の危 し か し清 作 が 死 を恐 怖 す る こと が罪 であ ると錯 覚 し、 罪 か ら逃 れ る た 自 称 共 産 党 員 ﹂ を 公 言 す る ほ ど にな って いた。 の危 険 が と も な う ﹁ 宇 治 川 電 鉄 の労 働 組 合 であ った睦 会 が御 用 組 合 に堕 ち ていた こと に抗 議 し て、 椎 名 は党 と つなが った 日本 労 働 組 合 全 国 協 議 会 ︵ 全 協 ︶ の指 導 下 に刷 う に感 じ ている。 それ は、 彼 を コ ック時 代 に、 ガ ラ ス のな か へと び 込 ま せ た も のと 同 山 田清 作 の こ ころ のな か に、 ま たあ の妙 な滑 稽 な生 物 を生 ん で いた。 性 にす ぎ な い の に、 必 然 性 と 誤 解 し た。 そ の誤解 は、 自 称 共 産 党 員 清 作 は、 治 安 維 持 法 に死 刑 が あ る と 知 った と き、 それ は彼 の可 能 分 のた め、 す な わ ち ﹁ 自 分 一個 の権 力 のた め﹂ であ った こと に思 い至 る 志 愛 す ら持 つこと が でき な か った こと か ら、 それ ま で の労 働 運 動 にお い 空 虚 な も の であ る気 ﹂ にな ってし ま う。 いざ と いう と き にな ってみ て同 て死 ぬ こと が でき ると思 って いた こと が ﹁ 少 し も人 生 にか か わ り のな い、 肺病 のた め に保 釈 にな った ことを聞 く と、 それ ま で同志 にた め な ら代 わ っ ﹁一個 の抽 象 物 ﹂ と 化 し た清 作 は、 一緒 に投 獄 さ れ て いた荒 倉 喜 代 夫 が じ だ った。 それ が彼 の いま ま で の曖 味 で方 向 のな い活動 の性 質 を き め、 無 智 な彼 に知 恵 ら し いも のを あ た え、 多 く の人 々を 引 き ず る力 真 剣 に考 え よ う と し て いた自 分 が ﹁ 哀 れ な道 化師 ﹂ に感 じ られ はじ め た。 の こと を ﹁ 革 命 家 でな い革 命 家 ﹂ 翁赤 い孤 独 者 ﹄、 一九 五 一年 四 月 、 河 だ け でな く 、 ﹁人 間 は、 誰 か のた め に代 って死 に得 る か ﹂ と いう 問 いを て自 分 の身 体 を 犠 牲 にし て でも大 衆 を愛 す ると 語 って いた こと は結 局 自 を あ た え、 そ の活 動 を 熱 狂 的 な も の にし た のだ。 警 察 は、 資 本 家 た ち の手 先 であ る だ け でな く、 いま や彼 にと って、 直 接 的 に死 の手 先 な の であ り、 決 定 的 に不 合 理 な 何 物 か であ った。 だ か ら全 協 の指 令 は、 清 作 にと って、 そ の死 か ら の唯 一の救 済 策 であ る か のよ う に絶 出 董 房︶ と 呼 ん で区 別 を す る が、 芥 川龍 之 介 も ま た ﹃休 儒 の言 葉 ﹄ 翁文 椎 名 は自 己 顕 示 欲 や権 力 欲 のよ う な エゴ イズ ムを 排 除 し た本 来 の革 命 家 対 的 に実 行 さ れ た。 た清 作 は、 た と え大 け が を し よ う と も 死 を 恐 れ な い振 る舞 いを 示 し てみ 大 阪 で コ ック を し て いた 頃 、 自 分 か らガ ラ ス ヘ突 っ込 ん で大 け が を し 少 数 ﹄ と は ﹃阿 呆 と悪 党 と﹄ の異 名 に過 ぎ な い﹂ と内 面 性 を欠 いた革 命 除 き さ へす れ ば 、 い つも暗 漕 と し てゐ る筈 であ る。 し か も ﹃選 ば れ た る 命 に革 命 を 重 ね た と し ても 、 我 々人 間 の生 活 はヽ ﹃選 ば れ た る少 数 ﹄ を 芸 春 秋 ﹂、 一九 二 三年 一月 ∼ 一九 二七 年 九 月 ︶ の ﹁人 生 ﹂ のな か で ﹁ 革 せ る こと によ って死 の恐 怖 か ら解 放 さ れ て自 分 が自 由 にな ると 思 い込 ん 三 20H 人文論叢 (二 重大学 )第 28号 家 の歪 み に触 れ て いた。 二 四 置 い ても のを 書 く 場 合 、 あ の罪 と いう感 じ は全 然 通 わ な い の です。 は っき り 言 う と、 そ の場 合 な にを そう いう読 者 と 僕 らを つな ぐ リ ア リ テ ィ の根 拠 にす る か と いう問 題 にな って来 る と、 死 し か な い のだ 死 イ コー ル 懲 役 三年 執 行 猶 予 五年 の判 決 を 受 け て釈 放 さ れ た。 椎 名 の ﹁ 年 の実 刑 判 決 を受 け、 大 阪 控 訴 院 に上 告 し た後 に転 向 上 申 書 を 提 出 し、 運 動 を 弾 圧 し た治 安 維 持 法 によ って投 獄 さ れ た と いう ﹁﹃死 の恐 怖 ﹄、 つ ﹁ 全 然 通 わ な い﹂ と いう椎 名 の発 言 は、 椎 名 が 不 当 な 理 由 と 方 法 で社 会 ﹁日本 で信 仰 に根 拠 を 置 い ても のを 書 く ﹂ 場 合 、 ﹁罪 と いう感 じ ﹂ は と いう こと です よ。 罪 ﹂ は、 こ のよ う な獄 中 転 向 体 験 か ら生 ま れ た も のだ が、 青 年 期 に生 じ 治 安 維 持 法 違 反 の容 疑 で逮 捕 さ れ た椎 名 は、 神 戸 地 方 裁 判 所 で懲 役 四 た事 件 以前 に、椎 名 には母親譲 りと いも いえ る生来 の自 傷 的 な衝動 があ っ ま り ﹃理 由 のな い罰 ﹄ ︵=罪 のな い罰 ︶ にあ る こと を ﹃死 ﹄ を 通 路 と し 斎 藤 末 弘 氏 ︶ であ った こと を 示 す →る て描 いた作 家 ﹂ ︵ 坂 にあ る実 家 日方 家 の納 屋 で産 婆 の助 けも なく椎 名 を生 ん だ大 坪 みす は、 と ころ で日本 基 督 教 団 上 原 教 会 にお い て椎 名 が、 当 時 マル ク ス主 義 の 一九 一 一年 一〇 月 一日 に姫 路 市 書 写 東 た こと も考 え てお く 必 要 が あ る。 生 後 三 日目 の椎 名 を抱 い て鉄 道 自 殺 を試 み て いる。 こ のと き ま だ熊 次 と 赤 い牧 師 〃 と 呼 ば れ て いた赤 岩 栄 牧 師 か ら洗 礼 を 受 け た 影 響 を受 け て 〃 のは、 失 踪 し て行 方 不 明 にな って いた熊 次 が自 殺 し て いた こと が判 明 し、 私 生 児﹂ と し て の間 で婚 姻 が成 立 し てお ら ず、 み す は椎 名 を 日方 家 の ﹁ 識 が希 薄 な も の にと ど ま った。 冒 頭 で紹 介 し た座 談 会 で、 人 間 の存 在 自 さ せ ら れ てき た た め に、 ﹁死 ﹂ に対 す る 圧 倒 的 な 恐 怖 を 前 に ﹁罪 ﹂ の意 的 な関 係 に落 ち 込 ま せ た。 母 の影 響 か ら椎 名 は つね に ﹁死 ﹂ を 強 く意 識 死 ﹀ を め ぐ る逆 説 危 険 の淵 にお い て生 命 を 実 感 さ せ ると いう ︿ 生﹀ と ︿ のと いえ る自 傷 的 な衝 動 は、 椎 名 に死 の危 険 を み ず か ら招 き寄 せ、 そ の 戸 須 磨 海 岸 に投 身 自 殺 を 図 る と いう事 件 を 起 し て いる。 母 親 ゆ ず り のも が抱 い て いた絶 望 の基 調 にあ るも の で、 み す は再 び 一九 二九 年 春 にも 神 男 を は じ め約 二〇 名 の教 会 員 が上 原 教 会 か ら脱 会 し 日本 基 督 教 団 千 歳 船 一九 五 〇 年 五 月 に隅 谷 二喜 党 に入党 す る決 意 を 公 にし た反 動 は大 き く 、 ら教 団 離 脱 勧 告 を 受 け た。 実 際 には 入党 し な か った も の の、 赤 岩 が共 産 早 八十 二 の応 援 演 説 を し た た め に、 日本 基 督 教 団 の小崎 道 雄 総 会 議 長 か 月 二三 日投 票 の衆 議 院 議 員 総 選 挙 に際 し て日本 共 産 党 か ら立 候 補 し た 風 一九 四九 年 一 岩 は社 会 的 実 践 の方 向 と し て日本 共 産 党 の支 持 を 表 明 し、 那 須 塩 原 で日本 基 督 教 団 が 主 催 し た第 二回全 国 指 導 者 修 養 会 の席 上 、 赤 自 分 も創 作 にも 行 き詰 ま って絶 望 の淵 を 街 往 し て いた 一九 五 〇 年 一二月 一九 四 八年 六 月 二九 日か ら七 月 一日ま で栃 木 県 二四 日 の こと であ った。 届 け出 た。 望 ま れ て生 ま れ た 子 ど も では な か った と いう自 意 識 は、 椎 名 体 の罪 と いう も のが あ る の では な いか、 と いう遠 藤 の指 摘 に対 し て、 椎 橋 教 会 を 設 立 し た Tる ﹁現 代 にお け る福 音 の宣 教 お よ び キ リ スト の教 会 常 に徹 底 し た形 ﹂ で示 し て いた赤 岩 にと って ﹁バ ル ト の言 葉 は、 実 際 的 形 成 と いう 具 体 的 課 題 を にな う者 と し て、 バ ル ト に学 ぶ と いう態 度 を非 名 は つぎ のよ う に発 言 し て いる。 椎 名 こう いう こと は ど う でし ょう。 僕 た ち は 日本 で信 仰 に根 拠 を イエスの復活〉 とユーモア論 一 カール 0バ ル ト『倫理学講義』からの影響 ― 尾西康充 椎名麟三における 〈 の準 備 にあ た っては、 バ ルト のド グ マテ ィー クを 午 前 中 に七 、 八十 頁 以 には ほと ん ど 聖 書 のテキ スト 同 様 に重 視 さ れ てお り、 説 教 や執 筆 のた め の始 原 ﹀ の確 証 を お く ﹃マル コによ る福 音 書 ﹄ 第 一五 章 三 四 ∼ 三 七 節 の 子﹀ と し て十 字 架 上 で刑 死 さ せ ら れ ると いう ︿ 神 によ る拒 絶 ﹀ に ︿ 福音 学 論 を 構 想 し は じ め た と考 え ら れ る。 神 の意 志 に従 ってイ エスが ︿ 神の し た内 容 の速 記 録 で、 本 文 の冒 頭 には ﹁ 表 題 にバ ルト の芸 術 論 と書 い て 記 念 会 が上 原 教 会 で 一九 五 一年 五 月 二七 日 に開 か れ た と き に椎 名 が講 演 き 下 ろ し長 編 小 説 ﹃赤 い孤 独 者 ﹄ 貧 九 五 一年 四月 、 河 出 書 房 ︶ の出 版 子 ︵ 八︶ ︱ バ ルト の芸 術 論 ︱ ﹂ 翁指 ﹂ 第 八 号 、 一九 五 一年 七 月 ︶ は、 書 よ う に形 づく ら れ て いよ う と も、 す べてが、 こ のイ エス のた った 一 つづ い て いま す。 こ の大 声 、 こ の 言葉 にな ら な か った大 声 が、 文 学 す てら れ て後 に、 ﹁イ エ ス大 声 を 出 し て息 絶 え給 う﹂ と いう 聖 句 が わ が神 、 な ん ぞ我 を 見 す て給 いし﹂ と叫 ば れ て後 に、 つま り 神 に見 聖 書 の マル コ伝 に、 十 字 架 に つけ ら れ た キ リ スト が 、 ﹁わ が神 、 う に主 張 し て いる →る イ エスの逆 説 的 な受 難 史 に触 れ な が ら、 椎 名 は自 己 の文 学 観 を つぎ のよ 上 読 む と いう こと も よ く あ った﹂ と いう →る こ のよ う な教 会 分 裂 の危 機 の最 中 に上 原 教 会 で赤 岩 か ら洗 礼 を受 け た 椎 名 が や が てイ エス の復 活 に自 己再 生 の道 を 発 見 し て信 仰 を 深 め た経 緯 あり ます が、 正 しく はバ ルト によ って確 か め られ た僕 自身 の文 学 論 であ っ て、 し た が って神 学 的 でも な く、 芸 術 一般 にふ れ て いるも の でも な く文 つの大 声 に根 拠 を 置 い て いる だ け でな く、 そ の大 声 以 上 に出 る こと は、 数 多 く の エ ッセ ー や評 論 のな か で明 ら か にさ れ て いる。 ﹁ 路 傍 の種 学 作 品 を 実 際 に つく って いる作 家 と し て の体 験 によ るも の であ ると いう が出 来 な いと いう宿 命 を も って居 り ま す。 のだ が、 バ ルト に関 し てはき わ め て少 な く、 こ の講 演 自 体 も 速 記 録 の体 の主 張 は、 神 に見 捨 てら れ て息 絶 え た イ エスが最 後 に発 し た大 声 のな か 言 葉 にな ら な か った大 声 ﹂ に文 学 の本 質 が あ る と いう椎 名 イ エスの ﹁ の本 質 であ ると 思 う の であ り ま す。 ど ん な文 学 作 品 も、 それ が ど の こと を お許 し ね が いた いと 思 いま す﹂ と いう断 り が な さ れ て いる。 椎 名 裁 にと ど め ら れ て い て、 後 か ら改 稿 し て評 論 の形 にさ れ る こと が な か っ に現 在 の自 己 に通 じ る絶 望 を 見 出 し て人 間 社 会 の終 末 を 予 感 し、 神 の声 はド スト エフ スキ ー や キ ル ケゴ ー ル、 ニーチ ェに関 す る発 言 は多 か った た。 ﹁私 は結 局 、 バ ル ト によ って開 か れ た 私 の眼 で、 四 福 音 書 の中 で、 的 な状 況 に人 間 が立 た さ れ て いる と す る厳 し い認 識 にも と づ い て いる。 を 聞 く こと が でき な い厳 し い現 実 の下 で、 冨 口 葉 にな ら な か った 大 声 ﹂ か で赤 岩 が ﹁イ エス の十 字 架 と と も に生 き な が ら え葬 ら れ た弟 子 た ち に と っては、 イ エスの絶 叫 に対 す る神 の答 え は、 彼 ら の全 く 予 期 し な いと こ の世 の中 は、 分 裂 と 矛 盾 と抗 争 にみ ち て居 り ま す。 それ ら の悲 私 の見 た イ エ スを 描 いた ﹂ と 告 白 す る赤 岩 の ﹃イ エ ス伝 ﹄ 2 九 五 〇 年 こ ろ で、 彼 ら の新 し い生 の発 端 ﹂、 す な わ ち ﹁空 虚 な る墓 の向 う で永 遠 惨 は、 死 によ って支 え ら れ て居 り ま す。 も し人 間 が 不 死 であ る な ら か ら ﹁逆 説 的 な 仕 方 ﹂ で神 の声 を 聞 き と ら な け れ ば な ら な いと いう極 限 の側 か ら起 って いる新 し い人 間 の生 、 人 間 の発 端 の啓 示 ﹂ であ ると 論 じ ば 、 イ エスも いわ れ て居 り ま す よ う に、 こ の世 の中 にそ ん な悲 惨 は 五 月 、 月 曜 書 房 ︶ な ど の著 作 を 通 じ て椎 名 はバ ルト に接 近 し、 同 書 のな た こと か ら大 い に刺 激 を受 け て、 イ エスの復 活 を 基 点 にお い て自 己 の文 五 ら れ て いる こと は、 明 ら か であ り ま す 。 何 ら か の意 味 に於 て、 人 間 訓 でイ エスの語 ら れ て いるす べてが、 人 間 が死 ぬ と いう事 実 に支 え こ の世 の中 の貧 乏 が、 そし て殺 人 や窃 盗 や偽 証 や、 つま り 山 上 の垂 な らば、 平 和 運 動 を起 す必 要 はな いと いう こと は明 ら か であ り ま す。 ま す のは、 人 間 が 死 ぬ か ら であ って、 も し人 間 が不 死 であ る と す る 起 り 得 な い であ り ま し ょう。 僕 た ち が平 和 を 願 い、 再 軍 備 に反 対 し 本 来 そ の答 え を全 く 当 て にす る こと が でき ず、 ま た答 え が実 現 す れ ば 、 家 は、 他 の者 た ち に向 か って問 いか け ね ば な ら な いが、 そ の場 合 、 彼 は 芸術 る E 。 ﹃キ リ スト教 倫 理 学 総 説 ﹄ の吉 永 正義 訳 では、 こ の部 分 は ﹁ ﹁最 初 か ら バ ル ト神 学 の核 心 に触 れ て いた こと ﹂ を 実 証 的 に指 摘 し て い し な が ら椎 名 が上 原 教 会 にお け るバ ル ト神 学 の研 究 会 と菅 論 文 を 通 じ て 一九 五 〇 年 六 月 二 一日︶ を 発 表 し て いる こと に着 目 翁 日本 読 書 新 聞 ﹂、 のと 同 じ であ る。 江 頭 太 助 氏 は、 椎 名 が ﹁書 評 赤 岩 栄 ﹃イ エ ス伝 ヒ 六 の可 能 性 を、 人 間 的 に期 待 す る こと す ら、 最 後 的 に鋭 く 拒 否 さ れ て そ の こと は本 来 奇 跡 の出 来 事 を意 味 し て いる﹂ と 訳 さ れ て いる Tぢ 学 の限 界 でも あ り ま す。 人 間 的 に期 待 す る こと す のな か に見 出 し、 人 間 が自 己 の ﹁ 可 能性 ﹂ を ﹁ ら、 最 後 的 に鋭 く 拒 否 ﹂ さ れ た のが ﹁イ エスの十 字 架 上 の大 声 ﹂ の意 味 モ ア﹂ や ﹁ゆ る め﹂ な ど の言 葉 を 駆 使 し な が ら説 明 す る。 / 2︶第 四章 第 一七節 で展 開 し た芸術 論 の特 徴 を、椎 名 は ﹁ 未 来 ﹂、 ﹁ユー 当 し、 さ ら にド イ ツ のボ ン で 一九 二 〇 年 の夏 学 期 と 一九 二 一年 か ら翌 年 ト が スイ ス のミ ュン スタ ー で 一九 二八 年 か ら翌 年 にか け て の冬 学 期 に担 く 奇 跡 と し て のみ起 り 得 る﹂ と いう言 葉 を 引 用 す る。 こ の 百葉 は、 バ ル 問 い に対 し て芸 術 家 自 身 が、 答 を与 え な い。 そ の問 い に対 す る答 は、 全 種 の ユー モ アが た だ よ う の であ り ま す。 そ こ では未 来 は な いと思 い 男 の描 写 を やり ま す。 ぶ る ぶ る ふ る え、 言 葉 は ど も り、 そ こ には 一 り ま す が、 落 語家 や講 談 師 は、 な か な か う ま く そ の救 わ れ た と き の を失 って水 のな か へと び 込 も う と し た 一瞬 に、 救 わ れ る話 を よ く や 古 い落 語 や講 談 で、 主 人 公 の大 金 を 失 った傭 人 が、 生 き る のぞ み こん で いた 男 が、 ふ い に未 来 を 与 え ら れ た喜 び、 戦 慄 と驚 愕 にみ ち 多q くの ︼ い 〓o F ︻ 駕∞ \ 救済主 な 8 弓Fo︻ F 8“︶ 第 四章 ﹁ ︻ ∽ ■ の £一 品 N●︻ ︶ る神 の誡 め﹂第 一七節 ﹁ 感謝﹂ のなか で使 われたも ので、椎名 がバ ルト そ の救 わ れ た 男 が未 来 が な いと考 え た のは誤 解 な の であ って、 客 観 救 わ れ た男 が未 来 を も つと いう こと は出 来 な い。 客 観 的 に見 れ ば 、 教 倫 理 学 総 説 ﹄ Ⅱ/ 2 の言葉 とし て引用した部分 は、神学者菅円吉 が執筆 した ﹁バ ルト神学 と 的 には未 来 はも は や な いと いう 場 所 、 そ こ でも し未 来 を与 え ら れ た た よ ろ こび が あ ると 思 いま す。 し か し決 定 的 な意 味 に於 ては、 そ の 芸術﹂ 翁宗教研究﹂第 四年第 二、 三集、 一九 四二年七月︶ にみられ るも ︵J ” F藩 ﹃ ご o O 三 ︰ ∽ 鴇 F ︶目 >ご 計 8 澪 F にか け て の冬 学 期 に繰 り 返 し た倫 理 学 講 義 の内 容 を ま と め た ﹃キ リ スト いと し、 椎 名 は バ ル ト の ﹁ 芸 術 家 は、 他 人 に問 いを出 す が、 し か し そ の であ った と す る。 限 界 にお か れ た 現 代 の文 学 は終 末 論 に立 たざ るを 得 な バ ルト が終 末 論 的 考 察 と し て意 味 づ け、 ﹃キ リ スト教 倫 理 学 総 説 ﹄ ︵Ⅱ 三 いる場 所 、 それ は イ エスの十 字 架 上 の大 声 であ り、 同 時 にそれ は文 20H 死﹂ こ こ でも椎 名 は人 間 の罪 に言 及 す る の ではなく、 存 在 の有 限性 を ﹁ 人文論叢 (二 重大学)第 28号 イエスの復活〉 とユーモア論 一 カール・ バル ト 『倫理学講義』からの影響 一 尾西康充 椎名麟三における 〈 椎 名 によ れ ば 、 も は や な いと 思 わ れ て いた未 来 が突 然 与 え ら れ た と き こ の ユー モ アは、 イ エスだ け に出 来 る ユー モ ア であ り、 人 間 の ユー これ が ユー モ ア の極 限 であ り 同 時 に本 質 な の であ り ま す。 そ し て あ る イ エスの復 活 の場 面 であ ると す る。 のよ う な 、 ﹁ 喜 び ﹂ と ﹁恐 怖 ﹂ と ﹁戦 慄 ﹂ と が 入 り 混 じ った も のが ﹁ 真 と し た ら、 そ の喜 び は恐 怖 であ り、 戦 慄 であ り ま し ょう。 の芸 術 の感 動 ﹂ であ る。 そ のよ う な感 動 は ﹁ 未 来 の約 束 ﹂ を 信 じ る キ リ モ ア では あ り ま せ ん が、 ヽ 水遠 者 と し て のイ エスが、 示 さ れ る手 や足 は、 復 活 のじ る し であ り ま す が、 同 時 に時 間 的 な も の であ り ま す。 め と し て の感 動 ﹂ にも と づ い て いると さ れ る。 バ ルトも ﹁ 救 世 主 の誡 め﹂ め に、 芸 術 は ﹁ 全 く 救 わ れ た と いう こと か ら起 る感 動 ﹂ では な く ﹁ゆ る 完 全 に救 わ れ る こと は な く、 来 り つ つあ る終 末 を 待 つ以外 に術 が な いた う。 し か し人 間 は ﹁き び し い人 間 の実 存 か ら ゆ る め ら れ て いる だ け﹂ で に人 間 も終 末 にお い て新 し い生 命 を 得 ら れ ると いう ﹁ 約 束 のじ る し﹂ を が ら、 あ る悲 惨 な感 情 と と も に微 笑 を禁 じ え な い の であ り ま す。 いわ ば 人 間 にと って無 意 味 な行 為 です。 僕 は、 い つも こ こを読 み な 人 間 にと って了 解 不 可 能 の こと を 了 解 さ せ よ う と さ れ て いる行 為 、 呆 然 と し て いる弟 子 た ち の前 で、 懸 命 に見 て呉 れ と 手 足 を 示 さ れ て いる イ エスの行 為 は、 イ エスの悲 惨 であ ると同 時 に人 間 の悲 惨 です。 スト者 だ け に許 さ れ る も の で、 ﹁ 神 な し と いう 現 実 ﹂ か ら ﹁ゆ る め﹂ ら によ って ﹁ 解 放 、 心 を ほぐ す こと、 緊 張 を 取 り除 く﹂ こと が お こな わ れ る と す る が 、 こ こ で ﹁救 済 ︵ 甲︻ o∽ “凋 と と いう 言 葉 が 避 け ら れ て いる のは ﹁ 救 済 は約 束 の成 就 であ る。 誡 め と 共 にわ れ わ れ の現 在 の中 に入 っ 予 知 す るも の であ る が、 人 間 にと ってそれ は来 り つ つあ るも のと し て存 れ る こと によ って ﹁キ リ スト者 の喜 び﹂ と ﹁ 感 謝 ﹂ が 生 ま れ る のだ と い てく るも の、 それ は成 就 では な い、 し た が って救 済 そ のも の では な い。 在 す る だ け でま だ実 現 さ れ ては いな い。 死 後 に復 活 し た ﹁ 永 遠者 と し て のイ エス﹂ が弟 子 た ち に対 し て ﹁ 懸 命 に見 て呉 れ﹂ と 示 し た肉 体 は神 と 椎 名 によ れ ば 、 イ エス の復 活 は ︿ 神 の子 ﹀ と し て甦 った イ エス のよ う む し ろ それ の約 束 であ り、 そ し てそれ故 、 ま た それ と 共 に、 ま さ に解 放 ︰ Oo ∽ 彗 し ﹂ であ る か ら と す る →る そ のう え で ﹁キ リ スト 教 的 な く つろ し ての ﹁ 復 活 のじ る し﹂ であ るも の の、 そ の肉 体 は同 時 に人 間 と し て の ﹁ 時 間 的 な も の﹂ であ って、 ﹁ 永 遠 な るも のを 時 間 的 な も の で実 現 ﹂ し よ ぎ﹂ と は ﹁わ れ わ れ が 現 在 にお い て、 キ リ スト教 的 自 由 と し て経 験 し、 持 つこと が でき る も の﹂ で 6、 ﹁キ リ スト者 の喜 び﹂ と ﹁感 謝 ﹂ を 表 現 う と す る イ エス の行 為 は、 人 間 には了 解 でき な い こと を ど う にか し て了 椎 名 は ﹁バ ルト の芸 術 論 ﹂ の結 末 に ﹁ 芸 術 家 は、 少 な く と も文 学 者 は、 無 意 味 さ〃 か ら ﹁キ リ スト者 の ユー モ ア﹂ が生 ま れ る と いう。 あ る。 し か し ︿ 神 の子 ﹀ た る イ エスが あ え て ﹁ 無 意 味 な行 為 ﹂ を す る こ と に ﹁あ る悲 惨 な感 情 と と も に微 笑 を禁 じ え な い﹂ の であ って、 そ の 〃 解 さ せ よ う と す ると いう、 本 来 な らば ﹁ 無 意 味 な行 為 ﹂ と いえ るも の で す る こと が芸 術 家 の仕事 であ る と いう。 バ ルト が涙 のな か で笑 う の でな い諧 誰 は本 当 の諧 誰 では な く 、 喜 び に よ っては ら ま れ た苦 痛 を 通 し て生 ま れ てく る の でな い芸 術 は本 当 の芸 術 では な いと 主 張 し た よ う に、 椎 名 も芸 術 と ユー モ アは ﹁ 真 剣 な遊 び﹂ と し て同 質 のも の であ る と し 、 ﹁真 剣 な 遊 び﹂ と し て の ユー モ アが 典 型 的 に描 き 出 さ れ て いる のは ﹃ル カ によ る福 音 書 ﹄ 第 二四章 三 八 ∼ 四 三節 に 七 20H 人文論叢 (二 重大学)第 28号 ヽ ﹁神 の行 為 ﹂ を ﹁無 意 味 ﹂ であ る と 感 じ る と ころ に ユー モ アが 生 じ る と 絶 望 と虚 無 を テ ー マに小 説 を創 作 し て いた戦 後 派 作 家 椎 名 な ら では のも 無 意 味 ﹂ であ ると感 じ ると いう椎 名 の表 現 は、 人間が ﹁ 神 の行 為 ﹂ を ﹁ 何 故 な らば 、 現 在 は ま さ し く 既 に未 来 を 自 分 の中 で担 って いる の で いう椎 名 の主 張 は、 人 間 が み ず か ら好 ん で自 発 的 に喜 ん で ﹁ 神 の誡 め﹂ 絶 対性 ﹀ と ︿ 他 のと いえ る。 だ が人 間 の外 部 に存 在 し て啓 示 す る神 の ︿ イ エス の大 声 に貫 か れ た神 な き 世 界 を 描 き ま す。 し か し それ は約 束 のし に向 か って決断 し て服従 す ると ころ に ﹁ 真 剣 な遊 び﹂ と し て の芸 術 と ユー 者 性 ﹀ を 説 いた バ ルト の立 場 か ら考 え てみ ると、 人 間 にと って神 の行 為 あ る か ら 33 モアが生 ま れ ると し たバ ルト の主張 と は異 な る ニ ュア ン スのも のに変 わ っ が ﹁ 無 意 味 ﹂ と 感 じ ら れ る のは ﹁ 神 と 人 間 と の永 遠 の質 的 差 異 ﹂ ﹁ ロー る し と し て であ り、 同 時 に神 の行 為 に関 し て無 意 味 であ る と いう こと に よ って、 ユー モ アと な る の であ り ま す ﹂ と 記 し て いる。 し か し 人 間 が て いる。 これ に関 す る バ ル ト の主 張 が 最 も 明瞭 な部 分 は吉 永 正義 訳 では マ書 ﹄ 第 二版 序 言 、 一九 二 一年 ︶ が存 在 す る た め で、 それ は人 間 の側 か 四 ら神 を み た場 合 に限 ら れ る の であ る。 つぎ のよ う にな る。 芸 術 と ユー モ アは、 人 間 の行 為 を 好 ん で、 自 発 的 に、 喜 び を も っ てな さ れ た 行 為 と し て、 人 間 の従 順 を 同 時 に、 内 的 な 必 然 性 と し て 特 徴 表 示 し て いる。 人 間 は、 し か し、 た だ彼 の終 末 論 的 現 実 の、 差 赤 岩 の ﹃イ エス伝 ﹄ は、 笠 原 芳 光 氏 によ れば ﹁バ ルトが神 学 的 に重 視 てま さ に感 じ と ら れ る。 そ の自 発 性 と喜 び の中 で、 わ れ わ れ は、 現 のほ ほ え み と し て、 あ の ﹁ 喜 ん で﹂ と し て、 あ の自 発 性 と喜 び と し と ら れ る よ う に、 そ のよ う に神 の未 来 は暗 黙 的 に、 涙 を流 し つ つあ 良 心 の中 では全 く 異 な って感 じ と ら れ、 芸 術 の中 で は 明 示 的 に感 じ く 生 真 面 日 であ り 続 け る こと は でき な い。 神 の未 来 が、 一方 では、 こ の格 闘 を 越 え て、 こ の格 闘 の中 で、 わ れ わ れ は神 の子 供 と し て全 も 現 在 の真 剣 さ と の格 闘 の中 でだ け であ る こと が許 さ れ る。 し か し ユー モ アは、 た だ 現 在 の真 剣 さ と の格 闘 の中 でだ け であ り、 し か ルト マンの ﹁聖 書 の非 神 話 化 論 ﹂ に急 接 近 し てい った 2る さ ら に赤 岩 は 虚飾〃 と 〃 宗 教 儀 礼 や教 義 にお け る 〃 権 威 〃 を 取 り 除 く た め に、 講 壇 撤 代 におけ る自 己 実 存 の問 題 とし て把 握 しようとす る ルド ル フ oカ ール ・ブ か ら認 め て いな い﹂ と し て神 話 化 さ れ た教 義 と 訣 別 し、 聖 書 の神 話 を 現 を 構 想 し た のに対 し て、 赤 岩 は ﹁聖 書 の史 的 研 究 は、 信 仰 的 権 威 を 最 初 学 性 ﹂ と は い っても 、 椎 名 はイ エスの復 活 を 基 点 にお い て自 己 の文 学 論 性 よりも文 学 性 を表 現 し ている こと があ らわれ ている﹂ とされ る ■る ﹁ 文 定 を 避 け、 人 間 の決 断 や限 界 を 強 調 し て いる。 そ こ にも こ の作 品 が神 学 む し ろ、 後 年 の非 神 話 化 や史 的 イ エスの探 求 の結 果 のよう に、 神 学 的 断 し込 ん で いる光 のも の でだ け、 そ のよ う であ る 貧る 在 を 越 え て見 、 そ の中 でわ れ わ れ は現 在 を 耐 え 忍 び、 そ し てそ のよ 去 を はじ めとし て讃 美 歌 批 判 や説 教 の改 称 、 日曜 学 校 廃 止 、 礼 拝 献 金 廃 したイ エスの処 女 降 誕 や復 活 は、 ここにはポ ジ テ ィヴ には描 かれ ていな い。 う な も のと し て括 弧 の内 部 で現 在 を真 剣 に受 け取 る こと が でき る。 イエスの復活〉 とユーモア論 一 カール 。バル ト『倫理学講義』からの影響 ― 尾西康充 椎名麟三における 〈 て ﹁一つの組 織 の指 導 者 、 あ る いは私 たち に対 し て指 導 者 を も って任 じ 二八 号 ︶ とを発 表 し、 ﹁上 原 集 団 脱 出 記 ﹂ では赤 岩 が ﹁ 変 節 ﹂ したと断 じ 赤 岩 の ﹃キ リ スト教 脱 出 記 ﹄ を皮 肉 った ﹁上 原 集 団 脱 出 記 ﹂ 翁兄 弟 ﹂ 一 かも 同 月 には赤 岩 を主 人 公 の モデ ル にした小 説 ﹁善 魔 ﹂ 翁文 学 界 し と、 年 七 月 二 日 には 日本 基 督 教 団 三 鷹 教 会 へと教 会 の転 籍 を お こな った。 し いた ﹁指 ﹂ への投 稿 を表 向 き は心 臓 病 の悪 化 を 理 由 に中 止 し、 一九 六 六 表 面 化 さ せ、 一九 六 四 年 四 月 には それ ま で 一度 も休 む こと なく 寄 稿 し て た椎 名 は 一九 五 九 年 二 月 の ﹁指 ﹂ 百 号 記念 集 会 の席 上 で赤 岩 と の対 立 を 月 、 理 論 社 ︶ を発 表 し た。 このよ う な赤 岩 のラデ ィカ ルな 行 動 に反 発 し 止 、 祈 祷 会 の聖 書 研 究 会 への変 更 な ど の 一連 の教 会 改 革 を徹 底 し、 キ リ スト教 の 〃 非 宗 教 化 〃 を主 張 す る ﹃キリ スト教 脱 出 記 ﹄ ︵一九 六 四年 一〇 る の です ■3 椎 名 麟 三 が そう し た よ う に、 み ず か ら進 ん で洗 礼 を 受 け さ え し て い いだ に拡 が り ま し た。 ま た そ のな か の少 な か ら ぬ人 た ち は、 か つて ト教 の理 解 は これ ま で の教 会 の壁 を は るか に越 え て 一般 の国 民 のあ う な地 位 を 占 め て いる の です。 こ のよ う な やり 方 で、 真 実 のキ リ ス こ の種 の作 家 た ち の先 駆 者 であ り 、 典 型 的 な 形 だ と言 っても よ いよ のみ な ら ず、 か れ は、 日本 の文 学 のな か で第 二次 大 戦 後 に現 わ れ た いう名 で意 味 し て いた と 同 一の救 い の事 実 に逢 着 し て いた の です。 か わ らず、 か れ は た し か に、 カ ー ル oバ ルト が イ エス ・キ リ スト と てカ ー ル ・バ ル ト の書 いた も のを ほと ん ど読 ん で いな か った にも か ま せ ん。 か れ が概 し て ﹁ 神 学 ﹂ と名 の つく も のを 好 ま ず、 し た が っ 沢克 己 が、 カ ー ル の長 男 でピ ッツバ ーグ大 学 神 学 部 教 授 マル ク ー ス oバ ス ・キ リ スト﹄ と いう名 で意 味 し た救 い の事 実 こそ、 椎 名 麟 二 の逢 着 し 右 の引 用 を ふ ま え な が ら 小 林 氏 は、 ﹁神 学 者 カ ト ル oバ ル ト が ﹃イ エ それ を読 む た び に、 カ ー ル ・バ ル ト の神 学 を 想 い起 さ ず には いら れ ている者 が変 節 した場 合 は、 もう指 導 者 面 をす るな﹂ と非 難 し ていた。 ルト ︵ 〓 ”︻ F ∽∪”︻ こ に宛 てた書 簡 ︵一九 七 九 年 九 月 九 日︶ のな か で 計 た ﹃復 活 のイ エ ス﹄ であ り 、 二 つの矛 盾 を 架 橋 す る ﹃第 二 の自 由 ﹄ = 小 林 孝 吉 氏 は、 ボ ン大 学 神 学 部 でカ ー ル ・バ ル ト に師 事 し た神 学 者 滝 椎 名 を 紹 介 し た も のが あ る こと に触 れ て いる 電ぢ あ と では も っぱ ら同 じ唯 一の神 の福 音 を読 者 に告 げ 知 ら せ る た め に と ん ど ま った く 出 て来 ま せ ん。 し か も か れ は、 か れ が信 仰 に至 った し ま し た。 け れ ど も、 彼 の小 説 には イ エス ・キ リ スト と いう名 は ほ 後 物 心 と も に言 葉 に尽 く せ ぬ苦 労 のは で にキ リ スト教 の信 仰 に到 達 いま し た。 戦 前 の 一時 期 日本 共 産 党 に属 し て いた こ の作 家 は、 そ の み は、 将 来 わ た し た ち に現 さ れ る はず の栄 光 に比 べる と、 取 る に足 り な モ ア の本 質 と は、 ﹃ロー マの信 徒 への手 紙 ﹄ 第 八 章 一八 節 ﹁現 在 の苦 し ルト の名 前 を広 言 す る こと が な か った のだ と考 え ら れ る。 バ ルト が ユー いた こと や、 そ の後 赤 岩 と の関 係 そ のも のを 悪 化 さ せ た こと も あ ってバ を 通 じ てバ ルト を 学 ん だ椎 名 は、 赤 岩 が バ ルト か ら急 速 に離 れ は じ め て ル ︵ 神 わ れ と と も にあ り ︶ の原 点 ﹂ TR Cむ 目 r H ヨヨ””用 し の思 想 を 通 じ て滝 沢 と バ ル ト と 椎 名 と の共 通 項 を 見 出 し て い る 33 赤 岩 の著 作 ﹃神 人 の原 関 係 ﹄ な の であ る﹂ と 指 摘 し、 滝 沢 が 主 張 す る ﹁イ ン マヌ エ だ け、 そ の小 説 を書 いた の でし た。 そ の エ ッセ ー のな か では か れ も いと わ た し は思 いま す﹂ お よ び 同 書 第 八章 二八節 ﹁ 神 を 愛 す る者 た ち、 も う数 年 前 に亡 く な り ま し た が、 日本 に は椎 名 麟 三 と いう 作 家 が ま た あ か ら さ ま にイ エス ・キ リ スト に つい て語 って いま す が、 私 は 九 20H 人文論叢 (二 重大学)第 28号 つま り 、 御 計 画 に従 って召 さ れ た 者 た ち に は 、 万 事 が 益 と な る よ う に共 に働 く と い う こと を 、 わ た し た ち は 知 って いま す ﹂ と い う 言 葉 に あ る と し 、 ﹁現 在 の中 に突 入 し て い る 神 の未 来 が 、 な お も っと よ り 真 剣 であ る ﹂ た め に ﹁現 在 を あ る 程 度 最 後 的 に真 剣 に受 け 取 ら な い﹂ こ と を 勧 め 、 ﹁現 在 の真 剣 さ を 大 き く 括 弧 に 入 れ る ﹂ こ と を う な が し た 。 ︿イ エ ス の 復 活 ﹀ 信 仰 に目 覚 め た 椎 名 の代 表 作 ﹁美 し い女 ﹂ 翁中 央 公 論 ﹂ 第 七 〇 年 一九 五 五 年 五 ∼ 九 月 ︶ は 、 平 凡 な 交 通 労 働 者 で あ る 主 人 公 五 ∼九 号 、 ﹁私 ﹂ が ﹁こ の世 の 一切 のき ち が い め い た も の 、 悪 魔 め い た も の へ対 立 す る 平 凡 さ へ、 そ れ と た た か い得 る 光 と 熱 を あ た え て や り た いと 願 って 神 の同 労 者 ﹀ の い る ﹂ と い う ﹁現 在 の真 剣 さ を 大 き く 括 弧 ﹂ に 入 れ る ︿ 視 点 を 持 つ作 品 へと 発 展 し た の であ った 。 証 一 一頁︶ 戦後 日本精神史﹄ 2 九六 一年七月、基督教学徒 兄弟団、 ︵ 1︶久山康 ﹃ ︵ 2︶ 海老 沢有道、 大内 二郎 ﹃日本 キ リ スト教史﹄ 2 九 七〇年 一〇月、 日本基 一八四頁︶ 督教 団出版局、 改題﹂ ﹃椎名麟 三信仰著 作集﹄第 七巻 ︵一九 七九年 二月、 教文 ︵ 3︶斎藤末 弘 ﹁ 昭場 一七 四頁︶ 館、 一九七 一年 八月、教文館︶参 年譜﹂ 翁赤岩栄著作集﹄第 一巻、 ︵ 4︶陶山義雄 ﹁ 一五 ∼三 一六頁︶ 一九七 一年 二月、教文館、 三 解説﹂ ﹁赤岩栄著作集﹄第 四巻ヽ 5︶佐伯晴郎 ﹁ ︵ 五〇 二∼五〇三頁︶ 、 一九九 一年八月、教文館、 6︶ ﹁マル コによ る福音書﹂ 翁新約聖書神学辞典﹄ ︵ ﹃バ ルト の芸術 論﹄ の成立 四 ︶ ︱ ﹃半端者﹄ 的人 間像 の成立 ︵ ︵ 7︶ 江頭太助 ﹁ 一九 八六年 一二月、七八頁︶ 上︶︱﹂ 翁椎名麟 三研究﹂第六号、 をめぐ って ︵ 一 〇 二〇〇五 ︵ 8︶吉永 正義訳、 カ ール ・バ ルト ﹃キリ スト教倫 理学総説﹄ Ⅱ/ 2 ︵ 年 一月、新教出版社、 五 二四頁︶ ︵ 9︶同右書、五 一三頁。 ︵Ю︶同右書、 五 三二頁。 ︵H︶同右書、五 二 一頁。 ︵2︶同右書、五三〇頁。 ︲ 3︶笠原芳光 ﹁ 一九七〇年 一二月、教文館、 解題﹂ ﹁赤岩栄著作集﹄第六巻、 ︵︲ 三四〇頁︶ 、 、 ︵4 ︲︶ ﹁キリ スト教脱出記﹂ ﹁赤岩栄著作集﹄第九巻 一九七〇年 一一月 八七 頁︶ 5︶ 小林孝吉 ﹃椎名麟 三論︱ 回心 の瞬 間﹄ 貧 九九 二年 二月、青柿堂、 二三八 ︵︲ 頁︶ 、 、 ︵6 ︲︶滝 沢克 己 ﹃バ ルトと マルク ス﹄ ︵一九 八 一年六月 三 一書房 二九九 ∼三 〇〇頁︶ 7︶前掲 ︵ ︵︲ 8︶ と同書、五 二九 ∼五三〇頁。