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芦澤明子撮影監督をインタヴューする: A Woman behind the Camera

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芦澤明子撮影監督をインタヴューする: A Woman behind the Camera
芦澤明子撮影監督をインタヴューする:A Woman behind the Camera
芦澤明子撮影監督をインタヴューする:
A Woman behind the Camera
水 口 紀 勢 子
はじめに
筆者は芦澤明子撮影監督とのインタヴューを 2005 年5月 19 日に行った。そも
そもの意図は紀要論文として掲載するのではなく、ドキュメンタリィ・フィルム
に用いるインタヴューの撮影がその目的である。筆者とは親交の深い、米国のク
ラシロヴスキィ教授から数年前に依頼されていた原案がようやく具体化したもの
である。非利益企画のドキュメンタリィ・フィルムとしてのタイトルは、
『WOMEN
BEHIND THE CAMERA: CONVERSATIONS WITH CAMERAWOMEN』
。クラ
シロヴスキィ教授の既刊書『WOMEN BEHIND THE CAMERA』
(Praeger 1997)
をべースにするもので、先発の同タイトル・フィルムの国際版となる。
教授の企画するインタヴュー対象は女性の撮影監督であり、彼女らの活動拠点
はニューヨーク・英国・フランス・インド・セネガル・オーストラリア・中国・
日本などグローバルである。インタヴューされるのは、カメラの前に五体を曝し
て演技する女性ではない。組んだ映画監督の意図を正しく把握しそれを忠実に表
現することに責任を担うことについて言えば、作品創りのスタンスは女優と通じ
るものがあるだろう。大きくちがうのは、女性の撮影監督というのは要するに、
カメラのこちら、カメラの後ろに位置し、劇場用映画・テレヴィ映画・文化短編・
記録映画・宣伝広告などを担当する専門職を指す。撮影の技量を発揮して、男性
カメラマンの占有してきたユニオン入りを認可されるのは非常な難関とされる。
そのような厳しい業界で生き残りを賭けてチャレンジを繰り返へす女性の専門
職に、前回と同様に今回の企画も深い取材意義を見出したにちがいない。それと
いうのは、企画責任者の教授自身が、若い時には重いカメラ機材をかついで欧州
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芦澤明子撮影監督をインタヴューする:A Woman behind the Camera
などでもドキュメンタリィを撮ったという経歴の持ち主なのである。注 1 日本女
性も取材したいと強く希望する、その彼女には来日の経験がある。
インタヴューまでの経緯
クラシロヴスキィ教授と筆者の出会いは、筆者が米国のある映画学会でプレゼ
ンテイションをしたことに始まる。そこでの筆者は山本薩夫監督『氷点』
(原作
三浦綾子)のラストを集中的に問題視した。それを最前列の席でテープレコー
ダーに収録していたのが彼女である。終了後に時間の制約を気にかけずに、発表
者と参加者とがお互いの興味にまかせて特定のトピックを発展させた立ち話に引
き継がれ、何かしらの新しい洞察や情報を得ると、ひと段落がついたとして立
ち別れとなる。通常はそれが発表の流れの定型であろう。だが日本映画の巨匠、
Kurosawa ファンを自認する彼女とは、ニューイングランドで受けた大学教育と
いう共通の背景などがむしろ親交の足場に肯定的に働き、やがては芦澤明子撮影
監督のインタヴューを持ちかけられるという、意外な進展に向かうことになった。
サナカ
太平洋を挟む連絡事項の往還のもどかしさに加えて、仕事盛りの最中にある売
れっ子監督の本業のスケジュールと筆者の授業スケジュールとを調整させること
ワザ
は、なまかの業ではなかった。種々の問題の解決を重ねていき、契約書の署名と
コ
送付を含める様々の条件をクリアーして、一応インタヴューの撮影まで漕ぎ着け
ることがようやくできた。
その間、芦澤撮影監督との連絡に非常に手間取ったために、諦めかけた筆者は
知り合いの女性監督を3人ばかり候補に挙げて打診してみた。しかし教授の求め
る内容と筆者の想定とには、くいちがいがあったらしいと疑われる。結論的には、
芦澤撮影監督をインタヴューしたことのある、教授の知人の強い意向が働いた模
様である。
トウショ
筆者は映画における母性と父性の表象に研究領域を限定していたために、当初
はさほど気乗りがしたわけではなかった。しかし筆者の学位論文を提出の後、著
書『映画の母性』
(彩流社)を脱稿した余裕から、彼女の熱意を受けて立ち、い
くつかの段取りに着手したのであった。その結末として、クラシロヴスキィ教授
ブ
リ
からは“プロデューサーの働き振り”を認められた。かつて学生にシナリオを与
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えて英語ドラマのあるシーンを演技させるところを自分で撮影して研究発表した
ことがあるにはあるが、構造的にはさらに複雑な共同作業を実体験できた。また、
この作業をきっかけに、男性社会で自己実現を果たした稀有な女性のかいま見せ
コワオモテ
る、魅力ある素顔とプロフェッショナルな強面とのほど良いバランスに出くわせ
たので、筆者は爽快な気分も味わうことができた。
撮影現場の詳細
撮影場所としては筆者の自宅の客間を提供した。電車の音や通行人、それに近
所の子供や犬の声にかき乱されない時間帯を選んだ。機材を載せたヴァンで到着
した芦澤撮影監督を出迎えた時にそのいでたちを目にとめた筆者は、さほど感じ
なかったのだが、後にフィルムで検証した時、改めてそのさりげない気配りと計
ウナ
算には、さすがだと唸ってしまった。ソファに陣取る彼女の背後にある棚の調度
ヨシコ
品は、彼女とその監督助手、大沢佳子さんとの二人の手でまたたくまに並べ換え
られ、卓上の茶器の色彩と図柄もご両人の鑑識の目がね通りに選定された。
こうした小道具などについての教授の注文は皆無で、特にオリエンタリズム
を意識するようにとの指図はされなかった。米国で後日、筆者と教授が夜更けま
で共同編集する折に、他国の取材フィルムを見せていただき、パッと引き立つ鮮
やかな色彩が背景に意識されているという印象を持ったものの、すでに手遅れで
あった。
クラシロヴスキィ教授から示された最大の拘りは、むしろカメラとマイクに
あった。DVとカメラの種類と個数に具体的な指示が送信されてきたのを、筆者
は忠実に先方に届けた。いよいよ当日がきた。客間の戸外に一台、戸内にも一台、
タコアシ
合計二台のライトが据え置かれ、またたくまに数本の電気コードの蛸足が部屋中
に交錯すると、打ち合わせした通りに、筆者の用意しておいた台本とキューに従っ
て、カメラが回り出した。カメラを担当するのは、これまでに芦澤撮影監督との
ヨシコ
仕事を数こなしてきたという、大沢佳子さんである。マイクに関しては、筆者の
声が通るので、もっと性能を落としても良かったというのが、撮影後にご両人の
一致した見解である。
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シナリオ 台本といっても、筆者の英文作成した質問事項のタイプしたものを筆者が持ち、
監督に送付ずみの和訳版を監督が手にしている。筆者考案のキューを出しては次
ぎの質問へと移ると、それをちらりと目にとめては監督が対談をつないでいくと
いう手順を踏むことになった。質問の内容に関しては、教授が従来、カナダ・中国・
フランス・英国・メキシコ・ロシヤ・インド・セネガル・韓国・スペイン・米国・
オーストラリアなどの女性監督とのインタヴューに常用する一般的な内容十数項
目を問い合わせ、その中から、特に重要と考えるものを選んでもらった。それに
筆者自身の知りたい内容も一つくらいは入れて、日本の興業界の事情と芦澤撮影
監督の個人事情などを考慮した上で、筆者が修正の手を入れた。
教授が「これだけはぜひ」と要望する質問項目を最後に追加した。それぞれ、
沖縄の敗戦(
『忘れてはイケナイ物語り・オキナワ』2001)
、バングラディシュの
ムシバ
貧窮に心を蝕まれていない生徒(
『花のような学校』2000)
、インドにおけるエイ
ズの母子感染(
『おっぱいを欲しがらないで』1997)を取材した作品をターゲッ
トしたものである。教授の主軸におく企画方針が世界に貢献する女性撮影監督
であるので、これも不思議ではないだろう。孤独にくつろいでいた女性が二人
の異性の出現にはじめて知る揺らぎを描くという設定そのものは閉塞的であっ
ても、カンヌ受賞作品という意味合いに付帯される国際性によるのであろうか、
『UNLOVED』も注目された。
とにかく撮影に飛び回っている監督を説き伏せてお願いしたので、筆者がそ
の草案を送っておき、当日には撮影現場で彼女からの話をはじめて拝聴するとい
う仕様となったのは、しかたのないことである。突然、監督が質問の中のある用
語の意味をインタヴューアーの筆者にたずね、筆者の解説に納得してから監督が
対談を再開する、というハプニングが起きてしまったこともある。監督から、カ
メラの回りはじまる直前に筆者の台本に目を通しましたと仮に明かされたとして
も、筆者は素直に受け入れ、彼女の的確な応対に感銘したにちがいないのであっ
た。取材の相手は他でもない、国の内外で十分に対談慣れしている芦澤氏だから
である。
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インタヴュー
以下にインタヴューアー水口紀勢子と受け手の芦澤明子撮影監督との応答場面
を再現してみる。本誌には英文質問の日本語訳のみを掲載する。将来的には米国
において英文版の出版があり得るからである。なお、監督の回答部分には、監督
に依頼して後日筆者宛てに送られてきた原稿に、筆者がインタヴューのヴィデオ
をひも解いて書き取ったものを突き合わせて、補足などの微調整を試みた。
1.水口 芦澤撮影監督のキャリアはとてもすばらしいですね。それについて詳
しい話を聞かせていただく前に、まずこの質問から切り出させてください。
現在の撮影監督の道に進まれる動機となるような子供時代の決定的な体験を
お話いただけますか。
芦澤 小さい時から乗り物や動いているものが大好きで、8㎜カメラを初め
て買った時も動いているもの ― 電車とか ― 撮ったことを覚えています。
2.水口 女性カメラマンとしてのトレーニングについて説明していただけます
か。修行は自学自習ですか、それとも誰かの指導を受けましたか。
芦澤 大学に入るまでは何もしてなかったのですが入学してから8㎜映画を
つくり始めました。アルバイト先に映画関係をと捜したのですがなかなか見
つからず、結局大学の近くにあった小さな独立プロダクション、実は「ピン
・ ・ ・
ク映画」というはだかを売りものにする映画のプロダクションでした。しか
し志は高い人たちが集まっていて、そこに伊東英男さんというベテランカメ
ラマンがいました。当時撮影は男性の仕事という固定観念がある中で、その
方は私を助手見習いにつけてくれたのです。撮影の基礎をその方から学びま
した。その後徒弟制度の中でいろいろな方について技術を学びました。した
がって学校で学んだわけではありません。
3.水口 親・恋人・同僚・ユニオンなどの組織からどのような協力や支援を受
けてこられたのでしょう。
芦澤 家族と住んでいたので家賃を払うことはありませんでした。それは助
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かりました。具体的な支援はなかったんですが、ほっといてくれたことが、
一番の支援かもしれないです。J.S.C.(日本映画撮影監督協会)で情報交換
をして、仲間の横のつながりを広げています。フリーだと仕事のない時ある
時の差が激しくたいへんですが、情報交換することで大いに助かることもあ
ります。
4.水口 仕事に反対されたりというような、いやな経験を聞かせてください。
芦澤 TV 映画の助手をはじめて3日後にくびになりました。大きな会社の
上の人が、
「女性だとミスがでるのではないか」と心配して、やめてもらう
ようにカメラマンを通じて言ってきたのです。カメラマンもチーフ助手の人
も抵抗したのですが、くつがえすことはできませんでした。私はその頃まだ
仕事も少なく、あてにしていた仕事だったのでショックでした。
5.水口 日本には何人くらいの女性の撮影監督がいるのでしょう。活躍してい
る監督の仕事の内容を簡略に説明していただけますか。技師や助手はユニオ
ンにどのくらいいますか。ユニオン所属の女性の比率はどの程度ですか。
芦澤 J.S.C. に入っている女性カメラマンは今のところ私だけです。青年部 注 2
には 10 人位が入っています。テレヴィ局内では何人かの女性カメラマンが
活躍しています。ドキュメンタリィなどでいい仕事をしています。これから
もっと増えると思います。全体では 10%くらいかな。希望をこめてそう思
います。
6.水口 撮影の手法および視覚による物語性について、どのような男女の差
異があるとお考えですか。特に『UNLOVED』
(カンヌ映画祭で受賞 2001)
の照明・カメラワーク・演出・チームとのコミュニケーションについては、
どうだったのでしょうか。
芦澤 よくある質問です ― 自分ではどこが女性的なのかわかりません。
「芦
澤明子」の映像でありそれが結果的に女性的といわれています。
『UNLOVED』
の場合、監督(万田邦敏さん)が、ドライでクレバーな人です。監督のねら
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いを定着させるカメラマンがよいと思っていて、その点ではうまくいったと
思っています。結果的には見た人が「女性的でよかった」と言っています。
その現場には美術、演出など各パートに女性が多く、現にこの今日の撮影を
している女性カメラマンが、私のアシスタントをやってくれました。女性だ
から集まったのではなく、結果としてその作品に合った人たちが集まったら、
それが女性だったという、とてもよい流れでした。
7.水口 映画やテレヴィの画面でジェンダー問題の処理法に変化をもたらそう
とする兆候に気付かれますか。ご自身がそれを意識しますか。
芦澤 よくわかりません。女性カメラマンだけでなく女性監督もふえている
ので、表現の切り口や幅が大いに広がっているとは思います。でもそれが直
接に映像にどう反映されているかはわかりません。
8.水口 撮影の職業と個人生活との折り合いをつけるのは難しいですか。他の
同性はどのように処理しているのでしょうか。
芦澤 そういう質問を以前はよく聞かれました。
「重いものをかついで疲れ
ませんか」とか「家庭生活はどうやっているのですか」とか。生活も皆とそ
う違いません。でも、今はもう聞かれることはありません。この仕事がふつ
うになってきたという事です。苦労話は自慢にならないということです。結
婚する仲間がどんどん増えていますし、キャリアーをそのまま続けています。
でも正直いって羨ましいと思うことはあります。
9.水口 カメラウーマンに関して、日本の映画産業はハリウッド・中国・イン
ド・フランスと比較するとどのように異なると思いますか。
芦澤 性差に関係なく、日本の DP のポジションは上がってきていると
思 い ま す。 他 の 国 の こ と は よ く わ か り ま せ ん が、
「Camerimage 2004」 と
いう DP 中心の世界カメラマン映画祭がポーランドでありました(www.
Camerimage.pl)
。女性の DP たちが集まって話に花が咲きました。英国・
インド・ドイツなどです。日本の女性 DP はカメラのオペレイションをしま
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すが、英国やドイツではカメラのオペレイションも照明もカメラの角度調整
も技師まかせで、指示をするだけで、服装がちがうのです。英国の女性 DP
はブランドもののスーツと靴を身につけるそうです。でも日本の女性 DP は
私みたいなスポーツウエアーの姿です。仕事のやり方・方法・システムのち
がいなどで、着ている服まで、ずいぶんちがうのだなと思いました。面白かっ
たです。
10.水口 今日、日本の映画界とテレヴィ界でカメラウーマンが増加傾向にある
とお考えですか、
あるいは減少傾向ですか。その要因はどこにあるのでしょう。
芦澤 増えていると思います。映像関係での女性の人数は増えています。人
数だけではなく、ひいきめかもしれませんが、目の輝きのある元気な女性が
増えています。撮影部も急速に増えています。女性が苦労話をしないのは、
いいことだと思います。このインタヴューを撮っている人も女性です。
11.水口 『忘れてはイケナイ物語り・オキナワ』や、アジアに視線を向けた『花
のような学校』
『おっぱいを欲しがらないで』が異色作だと思われますが、 コメントを聞かせてください。
芦澤 沖縄は若い男性ディレクター、他のドキュメンタリィなどは女性です。
男性の場合は沢山話をして理解しあうことが大切です。確認しあうことで、
男性同志より、いいものができることがあると思います。女性同志は「あう
ん」で仕事ができてしまう。そういうことがいい場合とそうでない場合があ
ります。
芦澤明子氏の最近の撮影歴
注3
『LOFT』(黒沢清 2006 夏公開予定)
『成瀬巳喜男 記憶の現場』
(企画 芦澤明子 2005)
『オーバードライヴ』
(筒井武文 2004)
『HAZAN』(五十嵐匠 2003)
『ここに幸あり』(けんもち聡 2003)
『UNLOVED』(万田邦敏 2001)
『みすず』(五十嵐匠 2001)
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『忘れてはイケナイ物語り・オキナワ』
(御法川修 2001)
『古都鎌倉』(小池裕志・高橋由佳 2001)
『花のような学校』
(中西絵津子 2000)
他に写真集がある。コマーシャル・フィルムに撮影した木造校舎がやがて壊される
のは惜しいと、映像に残したことに始まる。各地の校舎を記録に残し続けている。
注4
芦澤明子氏の『ここに幸あり』取材インタヴューから
『ここに幸あり』のけんもち聡監督は、玄海灘に浮かぶ姫島出身の青年との出
会いからその着想を得たという。監督から懇願されたという芦澤氏の仕事の詳
細については、2003 年7月 17 日、宮崎暁美と景山咲子による「
『ここに幸あり』
撮影監督 芦澤明子さんインタヴューインタヴュー」に明かされている。注 5 島で
自炊などの生活を共にした撮影体験談として興味がそそられる。
こちらのインタヴューは打ち解けた日本語による対談である。撮り終えたば
かりの特定映画にまつわる具体的な描述やホットなつぶやきがふんだんに示され
ているように、当然、本誌に既述のものとは条件の大きな差異が反映されている。
こちらには、英文インタヴュー集用に筆者との間で交わされた、手短なやり取りで
はとうてい引き出すことのできない貴重なコメントや本音も見出すことができる。
二つのインタヴューを統合すると芦澤明子氏の全体像にさらに接近することが
できると思われる。そこで、上記の筆者の質問には答えてもらえなかった類の撮
影に関する一家言や人生所感が随所に示されている中から、わずかだが拾い出し
て、上記に紹介した筆者のインタヴューの補足を試みることにしたい。
たとえば、どこの国柄にも共通する女性カメラマンの希少価値についてだが、
「劇映画で女性の撮影監督は少なくて、
」2003 年当時では彼女を含めて2名くら
いという。また、監督とのチームワークにおいては、自分の思いを主張もするけ
れども、それがズレたと自覚する状況では、監督の意向に納得するという。その
根底にある基本姿勢とは、当たり前にはちがいないだろうが、次ぎのようなこと
に集約されるのであろう。
やっぱり映画は監督のものだという思いがありますのでね・・・・・。幸いにも、今まで考え
方が 180 度違う監督はいなかったですね。雰囲気でこの人は違うだろうという感じの人には、監
注6
督も頼まないでしょう。
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芦澤明子撮影監督をインタヴューする:A Woman behind the Camera
今日、テレヴィ局やドキュメンタリィでは女性の活躍振りが目立ち始めている
という。ということは、前世代が拘ったような性差を意識せずに画面を身近の体
験に取り込むことができるのは、もはやテレヴィ・ドラマおよびドキュメンタリィ
にしか期待薄だという示唆だと受け止めてよいのかもしれない。
また、専門職の照明係りがつく時とつけてもらえない時とがあるらしく、照明
さんの対応についての質問には、こうも述べているのが意味深長であろう。
「い
ないならいないで自分でいろいろできますしね。・・… マイナス思考でなくプラ
ス思考で考えましたね。
」注 7 おわりに
ところで、筆者とのインタヴューにおいては、カンヌ新人賞を取った話題作の
照明などについての質問がそのまま流されたようであった。筆者が憶測するのに、
日米映画の現場における照明技師の内実の差異が示唆されているようである。日
本ではライトマン(照明技師)はカメラマン/ウーマンとは対等に仕事をする光
の職人である。他方の米国事情では、撮影監督の指示のもとに動くのである。
また、
『ここに幸あり』取材インタヴューで大学時代からカメラを志望した本
意をきかれると、芦澤氏は次ぎのようなくだけた答えかたをしている。バイト
先のピンク映画撮影現場ではカメラマンの方が、自分のやっていた助監督よりも
“かっこよく見えたので”やらせてもらったのが現在の始まりである、と。スター
トについた時の動機はどうであろうとも、結果的には好きな道一筋に“かっこよ
く”突進を続ける、映画界でも幸運なトップランナーの一人であるといえよう。
参考文献
1. 自身のユダヤ系ルーツを探訪した撮影記録は Exile(Canyon Cinema 1984)
。
2. 正会員の条件を充たさない、撮影助手を生業とする会員が所属する。
3. http://www.dp − ashizawa.com/profile.html を参照のこと。
4. 『木造校舎の思い出(関東編)
』
『木造校舎の思い出(近畿・中国編)
』情報セ
ンター出版局。
5. http://www.cinemajournal.net/special/index.html
6. 4 の 6 / 13 頁
7. 4 の 4 / 13 頁
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