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インドネシア・東ジャワ州 シドアルジョ県の泥噴出事故 ―東南アジアの

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インドネシア・東ジャワ州 シドアルジョ県の泥噴出事故 ―東南アジアの
JOGMEC ジャカルタ事務所 所長
髙橋 衛
アナリシス
インドネシア・東ジャワ州
シドアルジョ県の泥噴出事故
―東南アジアの経済大国インドネシア発展の陰に隠れた悲劇―
はじめに
1 9 9 7 年より始まった東南アジア通貨危機に端を発するスハルト独裁政権の崩壊後、インドネシアは
う
よ
紆余曲折を経ながらも民主化を果たし、2 0 0 4 年には同国史上初の直接選挙によりスシロ・バンバン・
ユドヨノを大統領に選出した。民主化に伴い経済も飛躍的に発展し 2 0 1 1 年の GDP は 8,0 0 0 億ドルを超
えるまでになった。石油・ガス産業も 2 0 0 1 年の石油・ガス法成立により Pertamina の独占的地位が失
われ、インドネシア資本の民間企業の活動も活発化することとなった。
インドネシアの主たる民間石油・ガス企業と言えば Medco、EMP(Energi Mega Persada)が挙げら
れる。両社ともに政治的色彩を強く持ち、Medco の創業者はメガワティ前大統領率いる闘争民主党
(PDIP)の幹部であったアリフィン・パニゴロ、EMP はスハルト政権を支えたゴルカル党の次期大統領
候補であるアブリザル・バクリ
(Bakrie)率いる Bakrie 財閥の一つである。今回、取り上げるシドアルジョ
泥噴出事故は EMP の子会社が操業を行うガス田において起こったもので、2 0 0 6 年の事故発生当初は日
本でもテレビで特集が組まれるほどの注目を集めたが、その後の経緯についてはほとんど報道がなされ
ていないのが実情である。
結論から述べると泥の流出は現在も続いており、住居や仕事を奪われた住民への補償、刑事事件とし
ての訴追の問題、政治権力による事故の形骸化工作等がいまだ大きな問題であり続け、インドネシアでは
度々マスコミにも取り上げられる現在進行形の問題であることを銘記するために報告を行うものである。
な お、 本 報 告 の 内 容 は、 イ ン ド ネ シ ア に お け る 政 治・ 経 済 等 に 精 通 す る ASIA CONSULT
ASSOCIATES の調査結果を基に作成した。
出所:http://cahbones.wordpress.com/2008/12/04/bencana-lumpur-panas-sidoarjo/
写1 事故発生直後の様子
35 石油・天然ガスレビュー
アナリシス
Tuban
Lamong
Surabay
Bojoneg
Magetan Madiu
Nganj
Jombang
Sidoarjo
Pasuruan
Tulungagu
Situbondo
Blitar
Bondowos
Ponorogo
Banyuwangi
Kediri
Pacitan
出所:http://edisat.wordpress.com/2008/11/05/uji-kinerja-model-system-pembelajaran-jarak-jauh-dan-penyusunan-naskahakademik%E2%80%9Dstudi-kasus-community-college-teknologi-informasi/
図1 東ジャワ地図
1. 問題の所在
環境や現地住民に対して甚大な被害をもたらした東
Lumpur Sidoarjo)を制定し、活動期間を限定した臨時委
ジャワ州シドアルジョ県における泥噴出事故が発生して
員会ではなく、半永久的な政府機関を立ち上げた。
から既に 6 年半以上がたったが、泥噴出そのものが続い
この大統領令の内容で最も注目されたのは、泥噴出事
ているほか、住民に対する補償も完済していない。
故補償の責任分担に関する第 1 5 条の規定だった。すな
事故発生直後、泥噴出が起きた鉱区でガス採掘を行っ
わち、
「2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地域地図に含まれる
ていた民間企業ラピンド・ブランタス社(PT Lapindo
被害に対する補償金は、政府によって認証された土地面
Brantas、以下「Lapindo 社」
)および東ジャワ州政府が応
積および所在を明記した土地所有権もしくは売買証明書
急処置を施したがほとんど効果がなかったため、政府は
に基づいて、Lapindo 社が分割払いで支払う」
(第 1 5 条
2 0 0 6 年 9 月、
「シドアルジョ泥噴出事故対策委員会に関
1 項・要旨)一方、「同被害地域地図に含まれない地域の
す る 2006 年 大 統 領 通 達 第 13 号 」
(Keppres No.
補償は、国家予算から賄う」(同 3 項・要旨)の 2 点である。
13/2006 tentang Pembentukan Tim Nasional
しかし、2 0 1 2 年 8 月現在、Lapindo 社は、シドアルジョ
Penanggulangan Semburan Lumpur di Sidoarjo)を制定
県内の四つの村落の住民4,129人に対するおよそ3兆8,000
し、活動期間を 6 カ月に限定した泥噴出事故対策委員会
億ルピア(約4億ドル)に上る補償責任のうち、約2兆9,000
を設置した。
億ルピア(約 3 億ドル)しか支払っていない。にもかかわ
しかし、同委員会の活動期間が終了する 2 0 0 7 年 3 月 8
らず、政府は上記大統領令を基に、被害地域地図に含ま
日まで泥噴出のせき止め、噴出した泥の処理、泥噴出事
れない地域の住民に対する補償として今年度予算から
故によってもたらされた補償問題の解決といった三つの
5,0 0 0 億ルピアを捻出することになった。
主要責務は全く果たされなかった。
さらに、独立機関である国家人権委員会(KOMNAS
そのため政府は2007年3月31日、
新たに
「シドアルジョ
HAM)は今年 8 月、シドアルジョ泥噴出事故に関する 3
泥噴出対策機関に関する 2007 年大統領令第 14 号」
年間の調査の結論として、
「Lapindo 社は、地元住民の
(Perpres No.1 4/2 0 0 7 tentang Badan Penanggulangan
ねんしゅつ
生活、安全、健康、住居、雇用、教育、社会保障など
2013.3 Vol.47 No.2 36
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
1 5 の分野に及ぶ人権侵害を行った」
(要旨)と断定。同
はない」(要旨)と主張。
委員会は、国家警察が Lapindo 社幹部らの刑事責任を追
シドアルジョ泥噴出事故のこうした流れを踏まえ、本
及することを求めたほか、
「被害者への補償はすべて
報告では同事故の発生から現在までの経緯をまとめ、今
Lapindo 社が行うべきで、国家予算からの補償は妥当で
後について展望したい。
出所:http://rcm-lusi.blogspot.com/2012/02/peta-area-terdampak.html
図2 水没地域
2. 泥噴出事故の経緯
(1)
事故発生とその後の経緯
よそ 9,1 0 0 人が住宅を失って避難した。
シドアルジョ泥噴出事故の発端は、2 0 0 6 年 5 月 2 9 日、
さらにインフラ施設にも被害が広がり、スラバヤ-マ
東ジャワ州シドアルジョ県ポロン郡レノクノゴ村で
ラン間の高速道路に泥が流れ込み、度々閉鎖された。ま
Lapindo 社が運営するブランタス鉱区のバンジャル・パ
た、スラバヤ-マラン間の鉄道も枕木が泥に埋まって軟
ンジ天然ガス田付近で水蒸気噴出が起きたことだった。
化し、レールが屈折するという事態が生じた。
当初は、バンジャル・パンジ田近くの沼地から水蒸気
また、1 1 月には、泥噴出現場を横切っている高速道
が吹き出ただけだったが、3 日後の 6 月 1 日には突然、
路付近で、国有石油ガス会社 Pertamina のパイプライン
水蒸気とともに 5 0 ℃にも及ぶ熱い泥が噴出し、巨大な
が爆発し、およそ 1 0 0m の高さの火柱と煙を噴き上げた。
噴水のような泥は高さ 8m にまで達した。
この爆発で噴出泥を抑えるために建設された高さ 1 2m
その時点で噴出された泥の量は 1 日 5,0 0 0 ㎥に過ぎな
の堤防が崩壊。堤防修復を行っていた土木作業員、道路
かったが、その後増え続け、2 カ月後には毎日 1 億 2,6 0 0
を巡回していた高速道路管理会社の職員、警備中の警察
万㎥に上った。
官や国軍兵士ら合計 1 2 人が死亡、十数人が重軽傷を負っ
その結果、ガス田付近の田んぼや道路が泥に埋め尽く
た。この事故で火力発電所へのガス供給がストップした
されただけでなく、被害は拡大し続け、8 月までに民家
ほか、一時停電が起き、ガス供給が不安定になって、工
数百件、線路、道路などが泥に埋まった。
場の操業に大きな影響が出た。
1 0 月時点では泥に埋まった地域は 4 1 5 ヘクタールに
こ う し た 状 況 の な か、 泥 噴 出 は そ の 後 も 続 き、 翌
上り、四つの村落が泥に埋もれて壊滅。具体的な被害状
2007年には三つの郡にわたる12の村を含む640ヘクター
況は、家屋 1,6 4 0 棟、校舎 1 8 棟、工場 2 0 件、宗教施設
ルの地域が泥噴出の被害を被り、2 0 0 8 年には新たな村
8 件、政府官庁 2 件となった。また、被災農村の住民お
落にも及び、被害地域の面積は 7 2 8 ヘクタールに達した。
37 石油・天然ガスレビュー
アナリシス
出所:筆者撮影
写2 泥の湖の対岸は目視不可能
出所:筆者撮影
写3 泥の海の底に沈んだ事故前の水田(左)と集落(右)
ただその半面、泥の噴出量は 2 0 0 9 年以降、減少し始
と予想されており、事故の解決にはまだ程遠いことを示
めた。事故発生直後の 2 0 0 6 年 5 月から 2 0 0 9 年 6 月まで
した。
の期間では、泥の噴出量は毎日 1 1 万~ 1 7 万㎥に達し、
こうした状況の下、発生から 6 年たった 2 0 1 2 年 8 月
最も多い時で 1 8 万㎥だったが、2 0 0 9 年 7 月から 2 0 1 0
現在、被害地域に家屋や土地を保有していた住民は1万
年 5 月までの期間に減少し始め、3 万~ 7 万 5,0 0 0 ㎥のレ
1,8 8 1 世帯に上るとされている。また、後述するように、
ベルで推移し、2 0 1 0 年 6 月から現在までは 1 万~ 3 万㎥
KOMNAS HAM の発表では、この事故によりシドアル
の噴出量となっている。
ジョ県ポロン郡にあった 1 万 4 2 6 戸の住宅が全壊し、住
このように泥噴出量は減少の一途をたどっているとは
居を失って避難生活を強いられた住民は 4 万~ 6 万人に
いえ、2 0 1 1 年 1 1 月に発表された英国ダラム大学の調査
達したという。
結果では、被害地域における泥噴出は 2 0 3 7 年まで続く
2013.3 Vol.47 No.2 38
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
出所:筆者撮影
写4 今も噴出する熱泥水の蒸気と泥に沈んだ工場。泥の堆積量は 8m 以上
(2)
政府の対応
事故発生当初、
政府の対策は遅々として進まなかった。
まず、事故発生から 9 日後の 6 月 7 日、東ジャワ州のイ
マム・ウトモ(Imam Utomo)知事(当時)は、
「州政府だ
けではシドアルジョ泥噴出事故に対処することはできな
い」
(要旨)
と発表し、エネルギー鉱物資源省、公共事業
省、環境担当国務相府に書簡を送り、中央政府の支援を
求めた。
イマム知事
(同)
の書簡の写しはスシロ・バンバン・ユ
ドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)大統領およびユス
フ・カラ
(Jusuf Kalla)
副大統領
(当時)
にも送付されたが、
大統領は泥噴出事故の被害が悪化し続けていることが判
明した 2 0 0 6 年 7 月 1 5 日になってやっと中央政府の関連
省庁、東ジャワ州政府、そして事故現場のガス田を運営
出所:筆者撮影
写5 泥水をせき止める堤防は高さ約10m
している Lapindo 社が協力して対策を講じることを指
示。この指示に基づき、東ジャワ州政府に泥噴出事故の
対策本部が設置された。
実際の事故対策としては、当初泥応急処置として、
Lapindo 社は事故現場付近に泥をせき止めるための盛り
注入する
cガス田近くに新たに緊急田を掘り、そこから重い泥
を注入する
土の堤防を建設したが、噴出泥の勢いが強過ぎ、こうし
の三つだ。
た堤防も至るところで決壊した。
しかし、これらの対策はすべて失敗に終わった。エネ
そのため対策委員会は 2 0 0 7 年 7 月、さらなる応急処
ルギー鉱物資源省に設置された泥噴出対策委員会による
置として三つの対策を準備。すなわち、
と、バンジャル・パンジ田に重い泥を注入する策は全く
a泥噴出事故現場に最も近いバンジャル・パンジ天然
効果がないとの理由で中止されたという。
ガス田に噴出泥より重い泥を注入する
bガス田付近からガス田に横穴を掘り、より重い泥を
39 石油・天然ガスレビュー
その後、ガス田付近に穴を掘り、ガス田に重い泥を注
入するという策も実施されたが、ガス田付近がすべて泥
アナリシス
に埋まったためこれも中止された。最終的に、ガス田近
を講じるとの姿勢を示したが、その任務と実績について
くに新たに緊急田を掘ることになったが、これも容易に
は、多くの課題が残った。
はかどらず、泥噴出は全く止められなかったという。
こうした状況下、Lapindo 社側は 2 0 0 7 年 8 月、緊急
②対策機関の発足と活動
処置として海に泥を排出する策を提案したが、ラフマッ
2 1 条から成る 2 0 0 7 年大統領令第 1 4 号は、対策委員
ト・ウィトラール(Rachmat Witoelar)環境担当国務相
会の活動期間の満了に伴い、大統領が直接責任を負う恒
(当時)は、
「噴出泥から金属物質などの有害成分を排除
久的な政府機関として対策機関を設立することを趣旨と
しないでそのまま海に捨てることは深刻な環境汚染をも
した大統領令だが、対策委員会と対策機関の職務および
たらす可能性がある」
(要旨)
と述べ、これを拒否した。
機構はほぼ同様であることを定めた。
しかし、政府内部からは、
「緊急事態においては加工
まず、大統領令の第 1 条 2 項では、対策機関の職務は、
処理をせずに泥を海に流すことも仕方がない。一部の泥
「シドアルジョにおける泥噴出対策、噴出泥の処理、泥
を海に流すことにより、地下からの泥の圧力も弱まり、
噴出によって生じた補償問題とインフラ問題の解決」
(要
泥噴出に影響される地域も狭めることができる」(要旨)
旨)と定義。
との理由で、ウィトラール環境相の対応を批判する声も
これは、2 0 0 6 年大統領通達第 1 3 号の第 3 条に定めら
挙がった。
れた対策委員会の三つの職務、すなわち泥噴出のせき止
め、噴出泥の処理、補償問題の解決とほぼ同じと言える。
①大統領令の制定
次に、第 2 条には、かつての対策委員会が指導チーム
2 0 0 6 年 9 月政府は、
「シドアルジョ泥噴出事故対策委
(Tim Pengarah)と実行チーム(Tim Pelaksana)の二つ
員会に関する 2 0 0 6 年大統領通達第 1 3 号」
(Keppres No.
か ら 成 っ て い る の と 同 様、 対 策 機 関 も 指 導 委 員 会
13/2006 tentang Pembentukan Tim Nasional
(Dewan Pengarah)と実行機関(Badan Pelaksana)から
Penanggulangan Semburan Lumpur di Sidoarjo)を制定
成ることが定められた。
し、活動期間を 6 カ月に限定した泥噴出事故対策委員会
大統領令の内容で最も注目されたのは泥噴出事故対策
(以下
「対策委員会」
)
を設置したことは既述のとおりであ
の責任分担に関する第 1 4 条と第 1 5 条の規定だった。
る。
それからおよそ 2 週間後、委員会は、事故現場付近を
第 1 4 条 1 項では、対策機関の運営費は国家予算から
流れているポロン川を通して海に泥を投棄することを決
捻出されることが明記された。第 1 5 条では、政府と
定。これを受けて、ユドヨノ大統領も閣議で正式にシド
Lapindo 社の財政的責任の具体的な区分けが行われた。
アルジョ泥噴出事故の泥を海へ流すことを指示。
第 1 5 条 1 項から 6 項の内容は次のようなものとなった。
その後数回にわたって海への泥廃棄が試みられたが、
木の枝やゴミがポンプに入ったり、泥を流すパイプに穴
第 1 5 条 1 項:2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地域地図に含ま
が開くなどのトラブルが続出し、ポロン川の水量が増え
れる被害に対する補償金は、政府によって
ないのと重なり、実際に海に排出された泥の量は当初の
認証された土地面積および所在を明記した
予定を大きく下回った。
土地所有権もしくは売買証明書に基づい
こうした状況はその後も続き、同委員会の活動期間が
て、Lapindo 社が分割払いで支払う(要旨)
。
終わる 2 0 0 7 年 3 月 8 日まで泥噴出のせき止め、噴出し
た泥の処理、泥噴出事故によってもたらされた補償問題
同 2 項:上記に示した分割払いは、2 0 0 6 年 1 2 月 4
の解決といった三つの主要任務は全く達成されなかっ
日付の被害地域地図に含まれる地域につい
た。
て同意・実施されたように、最初に補償金
そのため政府は、2 0 0 7 年 3 月 3 1 日、新たに「シドア
の 2 0% を前払いし、残りを遅くとも 2 年以
ルジョ泥噴出対策機関に関する2007年大統領令第14号」
内に支払う(要旨)。
(Perpres No.1 4/2 0 0 7 tentang Badan Penanggulangan
Lumpur Sidoarjo)
を制定し、活動期間を限定した臨時委
同 3 項:2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地域地図に含ま
員会ではなく、半永久的な政府機関を立ち上げた。
れない地域に対する補償は、本大統領令制
シドアルジョ泥噴出対策機関
(以下
「対策機関」)を立ち
定後、国家予算から賄う(要旨)。
上げることにより政府は、より長期的な泥噴出事故対策
2013.3 Vol.47 No.2 40
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
同 4 項:上記 1 項および 3 項で述べられた被害地域
Lapindo 社が補償金を支払うとしている。
地図は本大統領令の添付資料に準じる(要
2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地域地図に含まれない地域
旨)。
における一般補償については Lapindo 社ではなく、国家
予算の負担になると述べている。
同 5 項:主要堤防からポロン川までの地域における
泥噴出対策の費用に関しては、Lapindo 社の責任は
「主
泥噴出対策の費用は Lapindo 社の負担とす
要堤防からポロン川までの地域」に限定され、それ以外
る
(要旨)
。
は政府の責任となった。最後に、噴出泥の処理とインフ
ラ問題に関してはすべて政府の責任となることが明らか
同 6 項:噴出泥処理のためのインフラを含む泥噴出
となった。
に関するインフラ問題の対策費は国家予算
こうした規定の下、発足以来、泥噴出対策および噴出
およびその他の合法的な資金で賄う(要
泥の処理の面で対策機関が講じた策は、堤防および噴出
旨)。
沼用の貯水池の構築だった。これらの施策は、噴出した
泥をまず貯水池に流し、そこからあふれ出る分を堤防で
第 1 5 条のこうした内容からは次の点が明らかになっ
防ぐことが狙いだった。貯水池にたまった泥は最終的に
た。まず、上述したように大統領令第 1 条 2 項では、対
ポロン川に流された。
策機関の職務は、泥噴出対策、噴出泥の処理、補償問題
一方、泥噴出を止めるための施策は現在まですべて失
の解決とインフラ問題の解決の 4 点が掲げられたが、第
敗に終わっているため、今のところ対策機関ができるこ
1 5 条ではこれらの職務を
とは噴出泥を一時的に貯水池にため、それを川に流すこ
a一般補償問題
とにとどまっている。
b泥噴出対策
今後の施策としては、対策機関は、被害地域の複数の
c噴出泥の処理とインフラ問題
地点に安全監視用の派出所を設けるとしている。派出所
の解決の 3 点に分けて、それぞれの責任を定めている。
の設置により、堤防の決壊や噴出泥の急激な増加などを
まず、一般補償問題とは、泥噴出事故によって生じた
早期発見して、対応策を講じることが狙いだという。
地元住民に対する補償責任、つまり倒壊や破損した家屋
や泥に埋もれた土地に対する補償責任を指し、本大統領
(3)その後の動き
令ではその範囲を2007年3月22日付の被害地域地図とし、
①補償金の支払い状況
そ れ 以 前 の 被 害 地 域 地 図 に 含 ま れ た も の と 同 様、
大統領令の制定後、Lapindo 社は自らの子会社ミナ
出所:筆者撮影
写6 川に垂れ流される汚水
41 石油・天然ガスレビュー
アナリシス
ラ ッ ク・ ラ ピ ン ド・ ジ ャ ヤ 社(PT Minarak Lapindo
表
Jaya)をシドアルジョ泥噴出事故の補償金支払い会社に
指名したものの、その後の補償金支払いは遅々として進
国家予算に計上された
泥噴出事故対策および補償予算
年
金額(百万ルピア)
2006
530,000
2007
500,000
う」
(要旨)
となっていたため、本来ならば大統領令制定
2008
1,100,000
後からおよそ 2 年後の 2 0 0 9 年末までに補償金を完済す
2009
1,120,000
2010
1,210,000
2011
1,286,000
2012
1,607,000
合 計
7,353,000
まなかった。
大統領令の規定では、
「2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地
域地図に含まれる被害について Lapindo 社は、最初に補
償金の 2 0% を前払いし、残りを遅くとも 2 年以内に支払
べきだが、比較的予定どおりに実行されたのは 2 0% の
前払いのみで、残りの分の支払いは大幅に遅れた。
そのため政府は、残りの 8 0% の支払い猶予を 2 0 1 2 年
6 月まで延長した。しかし、2 0 1 2 年 6 月 Lapindo 社のア
ン デ ィ・ ダ ル サ ラ ム・ タ ブ サ ラ(Andi Darussalam
Tabussala)
副社長は、さらに同年末までの支払い猶予を
求め、政府もこれを了承した。
出所:Tempo.co.id, 2012 年 4 月 7 日
こうしたなか、2 0 1 2 年 8 月現在、Lapindo 社は、シド
アルジョ泥噴出事故をめぐる 3 兆 8,0 0 0 億ルピア(約 4 億
ドル)に及ぶ補償責任のうち、約 2 兆 9,0 0 0 億ルピア(約
年から 2 0 1 5 年までにおよそ 1 3 兆ルピア(約 1 4 億 4,0 0 0
3 億ドル)しか支払っておらず、残りのおよそ1兆ルピ
万ドル)の国家予算がこの事故のために注入されたこと
アを弁済できるかどうかが注目されている。
になり、これは Lapindo 社の補償額の 4 倍近くに相当す
Lapindo 社の補償義務が 2 0 0 7 年 3 月 2 2 日付の被害地
る。
域地図に含まれる被害に限定されていたのと対照的に、
こうした膨大な公的資金の投入は、Lapindo 社の補償
政府の補償義務は被害地域地図に含まれない地域と規定
金支払いの遅れと相まって、各方面から「Bakrie グルー
されたため、発生以来止まっていない泥噴出による被害
プに対する政府の妥協」との批判を招いた。
状況の拡大とともに政府の補償義務も増加していった。
すなわち、2 0 0 7 年当時、泥噴出事故の被害地域は三
② Lapindo 社売却の動き
つの郡に含まれる 1 2 の村落、総面積 6 4 0 ヘクタールだっ
泥噴出事故の発生後、Lapindo 社売却の動きが発覚し、
たが、翌 2 0 0 8 年にはこれが 7 2 8 ヘクタールにまで拡大
同社を所有している Bakrie 一族の責任逃れの一策では
した。こうした状況は 2 0 0 9 〜 2 0 1 2 年まで続き、補償
ないかとの疑惑を招いた。
の政府負担分は増加し続けた。
ま ず、 事 故 発 生 当 時、Lapindo 社 の 株 主 構 成 は、
これについて、Tempo 誌は 2 0 0 6 年から 2 0 1 2 年まで
Bakrie 一族が筆頭株主(保有株式 6 3.5 3%)の EMP 社が
の国家予算に計上された泥噴出事故対策および補償予算
5 0%、国内財閥系 Medco グループが所有する Medco・
を表のようにまとめている。このデータからは、シドア
EP・ブランタス社(PT Medco EP Brantas、以下「Medco
ルジョ泥噴出事故の対策および補償のために 2 0 1 2 年ま
社」
)が 3 2%、さらにオーストラリアに本社を置く石油
でに国家予算から既に約 7 兆 3,5 0 0 億ルピア
(約 8 億ドル)
ガス会社サントス(Santos、以下「Santos 社」)が 1 8% と
に上る公的資金が投入されたことが明らかだ。
この額は、
なっていた。
Lapindo 社が現在までに支払った補償額 2 兆 9,0 0 0 億ル
しかし、2 0 0 7 年 3 月、Medco 社は Lapindo 社におけ
ピアの3倍弱に上る。さらに、
2013年にはおよそ2兆3,000
る保有株式 3 2% を 1 0 0 ドルで Bakrie 系のミナラック・
億ルピア(約 2 億 5,0 0 0 万ドル)の予算が泥噴出事故対策
ラブアン社(PT Minarak Labuan)の子会社に売却した
および補償に投入される見通しとなっているほか、国家
と発表。
予 算 の 運 用 を 監 視 す る 非 政 府 組 織 FITRA に よ る と、
ほぼただに近い価格で Medco 社が Lapindo 社の保有株
2 0 1 4 年と 2 0 1 5 年にもそれぞれおよそ 1 兆 7,0 0 0 億ルピ
式を Bakrie 系の企業に売却した背景には、2 0 0 6 年 6 月
ア(約 2 億ドル)の予算が事故対策と補償に計上される可
5 日付で、Medco 社が Lapindo 社に対して書簡を送り、
能性が高いという。これらをすべて合計すると、2 0 0 6
そ の 中 で、
「5 月 1 8 日 の Lapindo 社 の 社 内 会 議 で、
2013.3 Vol.47 No.2 42
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
Medco 社側が、ブランタス鉱区の採掘にケーシングを
確かに、上場企業である EMP 社自体の株主構成は、
用いることを要請したが、Lapindo 社がこれを無視した
Bakrie グループ 6 3.5 3%、一般株主 3 1.1 8%、EMP 社幹
ため、Medco 社はこうした業務上の過失によって生じ
部 5.2 9% となっているため、株式市場で同社株を購入し
た泥噴出事故の責任は負わない」
(要旨)
と主張したこと
た一般株主の利害を守るために Lapindo 社を Lyte 社に
と関係していると見られている。
売却するという言い訳は成り立つ。
ケーシングとは、
油井の枠として用いられる鋼管だが、
さらに、
「Lapindo 社を売却することにより、EMP 社
Lapindo 社が事故現場付近のガス採掘でこれを用いな
の財政状況は黒字に転じ、一般株主の皆さんに迷惑をか
かったために、泥噴出事故が起きたとの見方は事故発生
けないで済む」(要旨)と述べた。
直後から各方面より指摘されていた。
また、泥噴出事故をめぐる Bakrie グループの補償責
Lapindo 社がガス採掘でケーシングを用いなかったこ
任については、「Lapindo 社を買収する Lyte 社は補償責
とは、ブランタス鉱区の共同事業協約(Joint Operation
任を全うする」(要旨)と明言。
Agreement)に違反するとの見方はもう一つの株主であ
Lapindo 社の売却については EMP 社側からこのよう
る Santos 社も主張し、同社も 2 0 0 8 年 1 2 月、Lapindo 社
な説明があったものの、その後も売却はなかなか実施さ
における保有株式 1 8% を Bakrie 系の Minarak Labuan 社
れなかった。これについて2006年10月同社は、
「Lapindo
に売却した。Santos 社保有株式の売却価格は公表され
社の売却計画に関しては、上場企業の売却・譲渡を管理
なかった。
する資本市場管理庁(BAPEPAM)にも伝え、臨時株主
こ う し た 経 緯 を 経 て、Lapindo 社 の 株 式 は
総会の開催許可を申請したが、同庁の許可はまだ出てい
1 0 0%Bakrie グループの所有となり、泥噴出事故の補償
ない」(要旨)と説明。
責任もすべて同グループが負うことになったが、かつて
この点について BAPEPAM 側からは 2 0 0 6 年 1 0 月、
の Lapindo 社の株主である 2 社は、Lapindo 社の業務上
フアド・ラフマニ(Fuad Rahmany)長官(当時)が、
「わ
過失の詳細について知っている可能性があるため、両社
れわれは Lapindo 社の売却計画については細心の注意を
が株式を放棄したことは Bakrie グループにとって好都
払ってその妥当性を審査している。なぜなら、Lapindo
合だったとの見方も出ている。
社の売却は一般市民に多大な損害を与えた泥噴出事故と
事実、Medco 社は、Lapindo 社による業務上過失の疑
関連しているため、同社の売買によって市民の利害が損
いを国際仲裁に訴えることを計画していたが、株式の売
なわれることがないことを見極めなければならないか
却によって提訴を取りやめたと取りざたされている。
ら」(要旨)と説明。
しかし他方では、こうした株式譲渡が実行される前か
同長官はさらに 1 1 月、
「BAPEPAM も独自の調査チー
ら、Bakrie グループは Lapindo 社そのものを売却しよう
ムを設置し、泥噴出事故の原因を調べている」(要旨)
と
との動きを開始していた。
し、「近日中に泥噴出事故の原因が自然現象だったのか、
2 0 0 6 年 9 月、Lapindo 社の筆頭株主(当時)EMP 社は、
人為的な過失によるものだったのか判明すると見られ、
まっと
「Lapindo 社を Bakrie 一族が 1 0 0 %株式を所有するオフ
そのような調査結果を基に Lapindo 社売却の是非に関す
ショア企業ライテ・リミテッド
(Lyte Limited、以下
「Lyte
る BAPEPAM としての判断をまとめる」(要旨)と指摘。
社」
)
社に売却する」
(要旨)
と発表。
そして、
「泥噴出事故の原因に関する BAPEPAM の調
Lyte 社の実像は明らかになっていないが、フランス
査が終わるまで、Lapindo 社の売却を決定する臨時株主
北西海上に浮かぶ英領ジャージー島で登記された企業と
総会の開催は許可できない」(要旨)と釘を差した。
され、Lapindo 社の責任とされた泥噴出事故の処理のた
このように Lapindo 社の売却をめぐって BAPEPAM
めだけに設置されたダミー企業であると見られる。
が難色を示し続けるなか、2 0 0 6 年 1 1 月、EMP 社側は
しかも、Lyte 社に対する Lapindo 社の売却価格は、たっ
突如、「Lapindo 社は、1 1 月 1 4 日付で Bakrie グループと
た2ドルと発表され、
事実上、
無料で譲渡されたに等しく、
は無関係のフリーホールド・グループ(Freehold Group
一部のメディアは、「後日、Bakrie 一族は Lyte 社の破産
Ltd.、以下「Freehold 社」)に売却された」(要旨)と発表。
申し立てを行い、シドアルジョ泥噴出事故の被害に対す
Lyte 社同様、Freehold 社の実像も明らかになってい
る補償責任を逃れる目算ではないか」
(要旨)
と推測した。
ないが、カリブ海の西インド諸島にある英領バージン諸
そのため、
EMP社側は、
「Lapindo社を売却する目的は、
島で登記された投資会社で、週間ニュース誌 Tempo
Bakrie グループ以外の EMP 社株主をシドアルジョ泥噴
(2 0 0 6 年 1 2 月 3 日号)によると、同社幹部として名を連
出事故の責任追及から守るため」
(要旨)
と説明。
43 石油・天然ガスレビュー
くぎ
ねているジェームス・ベルチャー(James Belcher)
なる
アナリシス
そう すい
人物は Bakrie グループの統 帥 であるアブリザル・バク
オーナーが誰々であることとは無関係」(要旨)と主張。
リ氏の長年のビジネス・パートナーとして知られている
同氏はさらに、Freehold 社に対する Lapindo 社の売却を
という。
不 当 と す る フ ア ド 長 官 の 発 言 に も 触 れ、「 確 か に
Lyte 社 へ の 売 却 計 画 と 同 様、Freehold 社 に 対 す る
BAPEPAM は上場企業売却の是非を判断する権限を
Lapindo 社の売却に関しても EMP 社幹部はその目的は
持っているが、この問題を政治的な観点からのみ判断す
「EMP 社株の一般株主の利害を守るため」
(要旨)と説明。
るのもどんなものか。EMP 社の株式を保有する一般株
また、Bakrie グループの補償責任の維持については、
主の利益も考慮する必要があり、こうした点を含めて法
EMP 社の CEO でアブリザル・バクリ氏の実弟にあたる
律的に今回の取引が妥当であるかどうかが今後決せられ
ニルワン・バクリ(Nilwan Bakrie)氏は、
「Bakrie グルー
るだろう」(要旨)と反論。
プが所有するミナラク・ラブアン(Minarak Labuan Co
しかし、カラ氏やアブリザル氏と異なり、スリ・ムリ
.,Ltd.)社が泥噴出事故に対する補償および今後の対策を
ヤニ(Sri Mulyani)蔵相(当時)は Tempo(2 0 0 6 年 1 2 月 3
担当し、Freehold 社はブランタス鉱区の開発のみを担
日付)のインタビューに対し、「Lapindo 社の売却に関し
当することになる」
(要旨)
と明言。
ては、われわれ財務省としては BAPEPAM と全く同意
さらに、Lyte 社に対する売却価格が 2 ドルと定められ、
見」
(要旨)と明言。さらに Tempo 誌によると、ムリヤ
事実上無償譲渡だったのと異なり、Freehold 社に対す
ニ蔵相とフアド長官が Lapindo 社の売却に対して反対姿
る売却価格は 1 0 0 万ドルで合意されたと発表された。
勢を明らかにしたため、両者に対して特定勢力から一定
EMP 社 側 は、
「Lyte 社 と 異 な り、Freehold 社 は
のプレッシャーがあったという。ただ、それが誰からの
Bakrie グループの系列企業ではないため、今回の売却
プレッシャーかは同誌も明らかにしなかった。
には臨時株主総会の承認は必要なく、BAPEPAM の許
Lapindo 社売却の是非をめぐって政府内の意見対立が
可も不要」
(要旨)
と説明。
高まるなか、一般世論からも「売却計画は Bakrie グルー
これに対し、BAPEPAM のフアド長官(当時)は、
プの責任逃れ」との声が上がった。
「BAPEPAM としては、Freehold 社の株主構成、財政能
Tempo 誌(1 2 月 3 日付)は、「一般株主の利益を守ると
力、役員構成などについて EMP 社側から正確な情報を
いうことだけであれば、Bakrie グループは Lapindo 社を
得た上で、同社に対する Lapindo 社売却の妥当性を判断
売却しなくても、泥噴出事故対策に専念するための法人
する」
(要旨)
と慎重な姿勢を示した。
を立ち上げれば十分ではないか」(要旨)と批判。
そ し て 数 日 後、 同 長 官 は、
「Freehold 社 に 対 す る
著名弁護士ハリー・ポント(Harry Ponto)氏も、
「EMP
Lapindo 社の売却により、泥噴出事故の補償責任などが
社の一般株主の利益を守るためには、Bakrie グループ
あやふやになる可能性が高いため、BAPEPAM はこの
がシドアルジョ泥噴出事故の責任を取るという誓約書を
取引は不当と判断した」
(要旨)
との結論を下した。また、
つくれば十分。Lapindo 社が手がけているブランタス鉱
「泥噴出事故をめぐる Lapindo 社の社会的責任を考慮し、
区はまだこれから生産可能な鉱区であるため、これを売
BAPEPAM は今回の取引を許可しない権限を持ってい
却することはむしろ株主の利益を損ねることになる」
(要
る」
(要旨)
と強調。
旨)と指摘。
その直後、Lapindo 社の売却をめぐって BAPEPAM
こ う し た な か、EMP 社 は 2 0 0 6 年 1 1 月 2 7 日 付 で
の反対が明らかになったことを受けて、政府内で意見の
BAPEPAM に書簡を送り、
「EMP 社は Lapindo 社の売却
対立が表面化した。
を取り消すことを決定した」(要旨)と伝えた。
まず、実業家出身でアブリザル・バクリ氏と近いこと
売却取りやめの理由としては、
「Lapindo 社の売却は、
で知られるユスフ・カラ
(Jusuf Kalla)
副大統領
(当時)は、
EMP 社の一般株主の利益を守るために実施されたもの
「最も大事なことは Lapindo 社が泥噴出事故の責任を取
だが、各方面からさまざまな憶測を呼び、誤解を招いた
ることで、そのオーナーが変わることは大した問題では
ため、EMP 社は売買契約を破棄することを決定した」
(要
ない。しかも、大統領令により、事故対策および損害補
旨)と述べられた。
償の責任は Lapindo 社にあることが既に明確になってい
また、この書簡には、
「大統領令に従い、EMP 社がシ
るため、同社の売却を問題視する必要はない」
(要旨)と
ドアルジョ泥噴出事故の被害を緩和するために必要なあ
述べ、同社売却に反対しないとの考えを明らかにした。
らゆる努力を惜しまない」(要旨)と明記された。
アブリザル氏も、
「大事なのは泥噴出事故対策および
住民に対する補償が実施されることで、Lapindo 社の
2013.3 Vol.47 No.2 44
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
3. 事故をめぐる諸問題
(1)
刑事責任追及の中止
b被告が民法上の過失を犯したとの決定を裁判所が下
すこと
2 0 0 6 年 7 月、東ジャワ州警は Lapindo 社のイマム・ア
グスティノ
(Imam Agustino)
社長やブランタス鉱区での
c被害者に対し被告が公式に謝罪をすること
掘削作業を請け負った会社の担当者など合計 1 3 人の関
の 3 点を求めた。
係者を、泥噴出事故における業務上過失の疑いで容疑者
ま た、 こ う し た 訴 え に 伴 う 申 し 立 て と し て、 ①
と断定した。
Lapindo 社が保有する人的および物的資源を最大限に利
東ジャワ州警はこれらの容疑者の取り調べを進め、東
用して泥噴出対策を講じること、② Lapindo 社がその資
ジャワ高検に書類送検したが、検察は掘削作業と泥噴出
産を第三者に委譲せず被害者に対する損害賠償を行うこ
事故の因果関係を実証する証拠が十分ではないとの理由
とを政府が監視することなどを求めた。
で、さらなる証拠集めを指示。その後、東ジャワ州警は
こうした訴えに対し、Lapindo 社側の弁護人は 2 0 0 7
合計 4 回書類送検を行ったが、検察側からはいずれも立
年2月、
「YLBHIによる訴訟を受けて立つ用意がある」
(要
件のための証拠不十分との回答を得たため、最終的に
旨)と明言。さらに、「原告側の訴えが不当なものだとい
2 0 0 9 年 8 月、東ジャワ州警は泥噴出事故における業務
うことを証明するデータや専門家による証言を裁判所に
上過失容疑の捜査打ち切りを決定した。
提出する」(要旨)と述べた。
東ジャワ州警のプジ・アストゥティ(Puji Astuti)広
同年 4 月に開かれた公判で被告側は、
「YLBHI の訴え
報 担 当( 当 時 ) は、
「 こ う し た 決 定 が 出 た 背 景 に は、
は人権侵害と関連するため、民事裁判ではなく人権裁判
Lapindo 社の民法上の責任を追及した民事訴訟で原告側
で争うべきである」(要旨)と主張し、公訴の棄却を求め
の訴えが退けられたことも関係している」
(要旨)
と述べ
た。
たが、この発言に対しては、
「刑事責任と民事責任の基
しかし、こうした主張に対し、原告側の弁護団は、
「こ
本的違いを理解していない無謀な発言」
(要旨)
との批判
の訴訟は大量殺人のような深刻な人権侵害ではなく、民
が寄せられた。
法上の問題が争点となっているため、民事裁判で争われ
また、NPO 団体インドネシア法律擁護協会(YLBHI)
るのは当然」(要旨)と反論。
東ジャワ支部のタウフィック・バスリ(Taufik Basari)
その結果、この訴訟の公判はその後も続いたが、被告
代表は、捜査打ち切りの決定について、
「警察と検察が
側の弁護人が出廷しないことが多く、審理の進展が見ら
資本家によって操られた格好の例」
(要旨)
と批判した。
れず、被告側の弁護人からは、
「Lapindo 社が不当な時
間稼ぎを行っている」(要旨)との指摘も出た。
(2)
集団民事訴訟の経緯
最終的に 2 0 0 7 年 1 1 月 2 7 日、中央ジャカルタ地裁の
刑事責任追及の中止より先に、YLBHI と環境問題を
判事団は、YLBHI が政府および Lapindo 社などを相手
扱う非政府組織インドネシア環境フォーラム(WALHI)
取って起こした集団訴訟について、
「シドアルジョ泥噴
の二つの NPO 団体が政府および Lapindo 社を相手取っ
出事故被害者の経済的、社会的、文化的権利が奪われた
た集団民事訴訟を起こした。
事実との関連で、被告が違法行為を行ったとは実証され
YLBHI はシドアルジョ泥噴出事故被害者弁護チーム
なかった」(要旨)との判決を下し、原告の訴えを退けた。
を結成し、2 0 0 6 年末、インドネシア共和国大統領、エ
また、判決文では、「政府は泥噴出事故対策において
ネルギー鉱物資源大臣、環境担当国務相、石油ガス上流
妥当な処置を講じ、Lapindo 社も被害者に対する補償の
事業実行機関(BP-Migas)
、東ジャワ州知事、シドアル
支払いを実施している」(要旨)との見解を示した。
ジョ県知事、Lapindo 社を相手取って、これらの被告が
ただ、2 0 ページから成る判決文はこの種の裁判とし
泥噴出事故の被害者に対する補償金の支払いを怠ったと
ては極めて短く、
「公判で提出されたさまざまな証言お
の訴えを中央ジャカルタ地裁に提起した。第 1 回公判は
よび証拠(データ)について、十分な検証が示されなかっ
2 0 0 7 年 1 月 2 1 日に同地裁で開かれた。
た」(要旨)との見解が各方面から寄せられた。
この集団訴訟では、原告側は、
また、原告側の弁護士の弁護要旨は、「この裁判の争
a被害者の財産を泥噴出事故発生以前の状況に回復す
点は、政府や Lapindo 社側の対応の不備により、泥噴出
るのに十分な補償を Lapindo 社が支払うこと
45 石油・天然ガスレビュー
事故被害者の経済的、社会的、文化的権利が満たされな
アナリシス
くなった」
(要旨)
というものだったが、判決文では、政
なかった。
府が一応の対応策を講じたことや、Lapindo 社が一部の
結局、2 0 0 7 年 1 2 月、南ジャカルタ地裁は、
「本裁判
補償金を捻出したことのみに焦点が当てられ、争点が全
では、シドアルジョ泥噴出事故が被告の違法行為によっ
くぼやけてしまった」
(要旨)
と批判。
てもたらされたのかという点が争点となったが、この点
判決後、被告側は直ちに上訴することを決定したが、
は実証されず、自然災害によって同事故が起きた可能性
控訴審が行われたジャカルタ高等裁判所でも2008年6月、
が高い」(要旨)との判断を下し、原告側の主張を退けた。
1 審判決を支持する判決が下された。これを受けて原告
公判で原告側は、
「ブランタス鉱区の地下 9,2 8 0ft にお
側はさらに最高裁に上訴したが、最高裁の判事団は
ける採掘で Lapindo 社はケーシングを用いるべきだった
2 0 0 9 年 4 月、
「上告内容には何も新たな論点が示されて
が、これを怠ったため泥噴出事故が起きた」(要旨)
との
おらず、1 審・2 審の議論の繰り返しとなっているほか、
バンドン工科大学の石油工学専門家の証言を提示した
1 審・2 審の瑕疵についても主張がなされていないため、
が、判事団は、被告側の証人となった地質学者の意見、
上告を却下する」
(要旨)
との結論を言い渡した。
すなわち「泥噴出事故は地震(後述)と関係した地殻変動
一方、WALHI は 2 0 0 6 年 7 月、プレスリリースを発
によって起きた」(要旨)、さらには「地下 6,0 0 0ft の採掘
表し、「環境保全に関する 1 9 9 7 年法律第 2 3 号の 4 1 条~
でケーシングが用いられなかったことと泥噴出事故は無
4 8 条には、環境汚染を犯した企業に対する刑事責任と
関係」(要旨)とする地質学者の意見を妥当と見なした。
民事責任の両方が明記されているため、泥噴出事故を起
これらの判決に対し、原告側弁護士は、「われわれの
こした Lapindo 社は提訴されてしかるべきである」
(要
証人は明らかに『9,2 8 0ft における採掘でケーシングが使
旨)
と指摘。
われなかったことが泥噴出事故の原因』と指摘したのに
その後、WALHI は 2 0 0 7 年 2 月、東ジャワ州シドア
対し、裁判官は『地下 6,0 0 0ft の採掘でケーシングが用い
ルジョ県の天然ガス田におけるガス採掘過程で深刻な環
られなかったことと泥噴出事故は無関係との意見が妥
境汚染、生態系の破壊、住民の生活基盤および生業の破
当』としたのは全く説明になっていない」(要旨)と厳し
壊が起きたとし、関連政府機関の責任者(大統領、エネ
く批判した。しかし、WALHI は 1 審の判決を受け入れ、
ルギー鉱物資源大臣、上流事業実行機関、環境担当国務
控訴しなかった。
か
し
相、東ジャワ州知事、シドアルジョ県知事)と複数の民
間 企 業(Lapindo 社、PT Energi Mega Persada Tbk、
(3)事故原因めぐる論争:人災 vs 天災
Kalila Energy Limited、Pan Asia Enterprise、PT
シドアルジョ泥噴出事故発生直後から、その原因につ
Medco Energy Tbk、Santos Australia Limited)を南ジャ
いては天災と人災二つの説が浮上したが、これは事故発
カルタ地裁に提訴した。
生直前の掘削状況と地震発生が関連している。
WALHI が Lapindo 社以外に複数の企業を訴えたのは、
まず、泥噴出事故の前日にあたる 2 0 0 6 年 5 月 2 8 日、
同社が運営していたブランタス鉱区の権益を保有してい
Lapindo 社はブランタス鉱区のバンジャル・パンジ天然
た企業の株主も泥噴出事故に伴う環境汚染に責任を負わ
ガス田で 5 0 0 ~ 1,3 0 0m の深さの掘削第 1 ステージを実
なければならないと判断したからだ、とした。
施し、この時点では油井の枠として用いられる鋼管
(ケー
ま た、 複 数 の 政 府 機 関 の 責 任 者 を 訴 え た 理 由 は、
シング)が用いられた。その翌朝午前 5 時ごろ、同社は
Lapindo 社に対する監督を怠り、泥噴出事故の発生を許
およそ 2,8 3 4m(9,2 9 8ft)に達する掘削第 2 ステージを開
した可能性があるからであるとした。
始したが、この時はケーシングが用いられず、この直後
この訴訟において、WALHI は被告に対し、泥噴出事
に泥噴出が発生した。
故の被害者に対する補償金の支払い、被災住民の一時的
こうした事故発生直前の経緯からは人災的な色彩が強
避難の実施、泥噴出をせき止めるための資金負担などを
く感じられるが、事故 2 日前の 6 月 2 7 日の午前 6 時には
求めた。また、WALHI は独自の試算を基に、泥噴出事
シドアルジョの南西約 2 5 0km に位置するジョクジャカ
故による環境汚染および住民の被害総額は 3 3 兆ルピア
ルタでマグニチュード 6.3 の地震が起き、地震発生から
(3 6 億ドル)
に上ると発表。
7 分 後 に は ブ ラ ン タ ス 鉱 区 の 油 井 で 逸 泥(loss of
しかし、その後の公判では被告側が出廷しないことが
circultaion)、すなわち坑内に送り込んだ泥水量の一部
多く、審理は進展せず、2 0 0 7 年 4 月の公判では南ジャ
または全量が返ってこなくなった現象が発生したが、
カルタ地裁のスダルマジ(Soedarmadji)裁判長が原告側
Lapindo 社側は油井への泥水の注入でこれをなんとか解
と被告側が調停を行うことを勧告したが、調停には至ら
決したという。しかしその翌日、油井にはキック、すな
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インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
わち何らかの原因で泥水柱圧力が掘削地層の地層流体圧
オスロ大学の A・マッチーニ(A. Mazzini)教授らが
力よりも低くなり、水、ガス、油等の地層流体が坑井内
2 0 0 7 年に発表した Triggering and dynamic evolution
に浸入してくる現象が起きたが、Lapindo 社側はこれも
o f t he L U SI m u d v o lc a n o , I nd o n e s ia(E a r t h an d
3 時間で抑制できたという。しかしその翌日、泥噴出事
Planetary Science Letters 2 6 1(3–4):3 7 5–3 8 8)と題
故が発生した。
する論文がある。
こうした事故発生直前の経緯からは、人災(ケーシン
しかし、2 0 0 8 年 1 0 月に南アフリカのケープタウンで
グ使用を怠ったこと)
と天災
(ジョクジャカルタ地震の影
開催されたアメリカ石油地質学協会の年次総会では、出
響)の二つが想定でき、専門家の意見もこの二つの説に
席した 7 4 人の専門家の間で激しい議論が交わされ、最
分かれた。
終的に投票が行われ、人災論支持者は 4 2 人、業務上過
人災論を支持する代表的な見解としては、英国ダラム
失と地震の両方が影響しているとする専門家が 1 3 人、
大学地球科学学科のリチャード・デービス(Richard J.
天災論支持者は 3 人、未決着とする専門家が 1 6 人とい
Davies) 教 授 ら が 2 0 0 7 年 に 発 表 し た Birth of a mud
う結果となった。こうした結果からは、シドアルジョ泥
volcano:East Java, May 2 9,2 0 0 6(GSA Today 1 7(2)
:
噴出事故の原因を掘削作業における人為的過失とする専
4)と題する論文が挙げられる。
門家が過半数を占めることが明らかになった。
反対に、天災論を支持する見解としては、ノルウェー・
4. 今後の可能性
(1)KOMNAS HAM の追及
のうち、約 2 兆 9,0 0 0 億ルピア(約 3 億ドル)しか支払っ
上述したように、シドアルジョ泥噴出事故めぐる刑事
ておらず、
「Lapindo 社はすべての損害を補償する義務
責任の追及や民事訴訟が既に頓挫もしくは決着している
があり、これは直接泥噴出の影響を受けた地域だけでは
とはいえ、KOMNAS HAM のイフダル・カシム(Ifdhal
なく、間接的な影響や損害に対しても責任を負うべきだ」
Kasim)委員長は 2 0 1 2 年 8 月 1 4 日、同事故に関する 3 年
(要旨)と指摘した。
間の調査の結果、
「Lapindo 社は、地元住民の生活、安全、
また、
「現行の『人権裁判に関する 2 0 0 0 年法律第 2 6 号』
健康、住居、雇用、教育、社会保障など 1 5 の分野に及
(UU Nomor 2 6/2 0 0 0 tentang Pengadilan HAM)では、
ぶ人権侵害を行ったとの結論に達した」
(要旨)
と発表。
環境破壊を人権侵害とする規定がないため、今のところ
同委員長はさらに、
「国家警察が Lapindo 社幹部らの
Lapindo 社によってもたらされた今回の大惨事は刑法に
刑事責任を追及することを求める」
(要旨)としたほか、
基づいて裁かれねばならない」(要旨)とも指摘した。カ
「被害者への補償はすべて Lapindo 社が行うべきで、国
シム委員長は、今後人権裁判に関する法律の改正を求め
家予算からの補償は妥当ではない」
(要旨)
と主張。
ていく考えを示し、そのなかで「環境破壊を人権侵害の
また、同委員会の調査によると、この事故によりシド
一つに加えられるように努力する」(要旨)と述べた。
アルジョ県ポロン郡にあった1万426戸の住宅が全壊し、
泥噴出事故めぐる KOMNAS HAM の調査結果の発表
住居を失って避難生活を強いられた住民は 4 万~ 6 万人
は、事故発生から 6 年たっても泥噴出の現状および補償
に達したという。さらに調査結果からは、事故後に数千
問題が全く未解決のままだという事実を改めて広く社会
人の住民が呼吸器官の疾患を患い、2 0 0 人以上が健康状
に知らしめた。しかしその法的効力に関しては実効性に
態の悪化で死亡したという。事故のために職を失った住
乏しいというのが大方の見方だ。というのも、汚職撲滅
民も数千人に達し、被害地域では少なくとも 3 0 の工場
委員会(KPK)と異なり、KOMNAS HAM は訴追権を
が操業停止に至った。
持っておらず、今回の調査結果も、「泥噴出事故により
事故現場の近隣住民がこうした苦境にあるにもかかわ
Lapindo 社が人権侵害を犯したため、警察が同社の刑事
らず、同委員会によると、Lapindo 社は 2 0 1 2 年 8 月現在、
責任を追及することを勧告する」
(要旨)というに過ぎず、
シドアルジョ県内の四つの村落の住民 4,1 2 9 人に対する
最終的に警察が再び捜査を再開するかどうかはあくまで
およそ 3 兆 8,0 0 0 億ルピア(約 4 億ドル)に及ぶ補償責任
も警察側に一任されるからだ。
47 石油・天然ガスレビュー
アナリシス
上述したように、2 0 0 9 年 8 月に東ジャワ州警は、証
Bakrie 系のテレビ局 TVONE と ANTEVE は、泥噴出
拠不足を理由に泥噴出事故めぐる Lapindo 社の業務上過
事故に関する報道では、この事故が地震によってもたら
失容疑の捜査を打ち切ったことを考慮するならば、今回
されたとするロシアの地質学者セルゲイ・カドゥーリン
の KOMNAS HAM の発表によって捜査再開につながる
(Sergey Kadurin)博士をたびたびインタビューしたが、
可能性はほぼ皆無と見られる。
人災論を支持する学者のインタビューは全く行っていな
しかしその半面、今回の KOMNAS HAM の調査結果
い。
の発表は、改めて泥噴出事故をめぐる Lapindo 社の社会
2 0 1 2 年 5 月、泥噴出事故から 6 年たったことを受けて、
的責任の重さを強く印象付けたことは否めず、これがア
TVONE はニュース番組でシドアルジョ住民の現状につ
ブリザル・バクリ氏の大統領選での勝敗に暗い影を落と
いて報道したが、そこではアブリザル・バクリ氏があた
すことは間違いない。
かも補償義務をすべて果たしたかのように映され、住民
は「政府がまだ補償の支払いを行っていないことに憤慨
(2)
メディア操作疑惑の実態
している」と報道した。さらに、Lapindo 社に対する住
インドネシア有数の財閥である Bakrie グループは、
民デモも、本当は住民の意思ではなく、外部の扇動者に
二 つ の 民 間 テ レ ビ 局(ANTV と TVONE) と 日 刊 紙
よって実施されたものと描かれた。識者や市民団体に
(Surabaya Post)
、ニュースサイト(Vivanews)などを保
よって指摘された Bakrie グループのメディア操作の動
有している。このため、Bakrie 系のメディアによるシ
静は、今後も世論に影響を与える可能性があり、大統領
ドアルジョ泥噴出事故報道が偏向しているとの批判が出
候補としてのバクリ氏のイメージダウンにつながること
ている。こうした疑いについては、社会学者やメディア
は必至と見られる。
操作を監視する市民団体も論文や記事を発表している。
そのなかで指摘された偏向報道の例とは次のようなもの
(3)大統領選への影響
だった。
2 0 1 2 年 6 月、アブリザル・バクリ氏は、ゴルカル党
まず、インドネシアの一般メディアのほとんどが泥噴
の全国幹部会において正式に 2 0 1 4 年大統領選における
出事故について「Lapindo 泥噴出事故」と表現していたの
同党の大統領候補になることが決まった。しかし、同氏
に対し、Bakrie 系のメディアはこぞってこれを「シドア
と泥噴出事故の関係が大統領選に大きなマイナス要因と
ルジョ泥噴出事故」と表現し、Bakrie グループと事故の
なっていることが各方面から指摘されている。
分断を図った。
例えばさきの幹部会では、ゴルカル党の長老の 1 人で
2 0 1 0 年 5 月、泥噴出事故発生から 4 年目に合わせて、
あるアクバル・タンジュン(Akbar Tandjung)最高顧問
Bakrie 系のテレビ局 ANTV は、事故被害者の生活を題
会議議長が、スピーチのなかで、「泥噴出事故被害者に
材にしたテレビ・ドラマを放映し、住民が事故の被害を
対する補償問題などを解決しない限り、大統領選におけ
乗り越え、普通の生活に戻っていると描かれたほか、ア
る勝利は極めて難しい」(要旨)と明言。こうした指摘に
ブリザル・バクリ氏も、法律上の責任が全くないにもか
対しバクリ氏自身は、
「泥噴出事故の補償問題は年内に
かわらず住民に補償を払った寛大な人物として描かれ
必ずすべて決着をつける」(要旨)と約束したが、今まで
た。
の Lapindo 社の補償支払いの遅れから、こうした公約に
また 2 0 1 1 年 5 月、ANTV は、
「平和なインドネシア」
懐疑的な見方が党内にも根強くあるとの見方も出てい
というシドアルジョを題材にしたドキュメンタリー番組
る。
を放映し、泥噴出事故の補償を受け取り、安穏な生活を
また、ゴルカル党のライバルになると見られる新進政
送る住民だけを描き、避難生活を強いられている多くの
党ナスデム党(Partai Nasdem)のリオ・カペラ(Rio
人々や事故の被害の大きさについては全く触れなかっ
Capella)党首は、「バクリ氏は 2 0 1 4 年の大統領選に向け
た。
て気勢を上げているが、泥噴出事故などのような身から
同じく 2 0 1 1 年 5 月、泥噴出事故からちょうど 5 年目
と痛烈
出た錆をまずどうにかすべきではないか」(要旨)
にあたるため、シドアルジョ県の住民数百名が県道でデ
に批判した。
モ行進を行い、補償の要求や事故の記憶の風化阻止を訴
一般有権者の見方については、今年 6 月、サイフル・
えた。ほとんどのメディアはこのデモ行進を大々的に取
ムジャニ・リサーチコンサルティング社(SMRC:Saiful
り上げたが、Bakrie 系の民放テレビ局とニュースサイ
Mujani Research and Consulting)が、2 0 1 4 年の大統領
トは極めて限られた報道しか行わなかった。
選に出馬すると見られる人たちの支持率や好感度に関す
さび
2013.3 Vol.47 No.2 48
インドネシア・東ジャワ州シドアルジョ県の泥噴出事故
に対して、
「Bakrie グループは善意をもって泥噴出事故
に対処していると思うか」と尋ねたところ、4 3.2% が「思
わない」と答えた。
こうした調査結果から SMRC は、「泥噴出事故はバク
リ氏に対して極めてネガティブなイメージをもたらして
おり、これがメガワティ・スカルノプトリ(Megawati
Sukarnoputri)氏やプラボウォ・スビヤント(Prabowo
Subiyanto)氏などの他候補と比べて同氏の支持率が常に
低くなっている要因」(要旨)と分析。
また、こうした SMRC の分析の妥当性を裏付けるよ
うに、2 0 1 2 年 1 0 月に発表された複数の世論調査では、
バクリ氏の支持率が常に他の主要候補を下回っているこ
出所:http://nusantaranews.wordpress.
com/2008/12/17/sepak-terjang-bakriementeri-pengusaha-dan-catatan-hitam-nya/
写7 アブリザル・バクリ氏
とが明らかになった。LSN(Lembaga Survei Nasional)
が 1 0 月 2 2 日に発表した調査結果では、
「今日大統領選
が実施されたら誰を選ぶか」との質問に対し、
「バクリ氏」
と答えたのは 7.1% に過ぎず、
「プラボウォ氏」
(2 0.1%)、
「ウィラント氏」
(1 2.0%)、
「カラ氏」
(9.4%)、
「メガワティ
氏」(8.8%)のいずれを選ぶと答えた回答者の比率より低
る世論調査を行った。この調査では、シドアルジョ泥噴
かった。
出事故とバクリ氏の支持率の関係が調べられた。
この結果で特に注目されたのは、カラ前副大統領(前
まず、回答者に、
「シドアルジョ泥噴出事故について
ゴルカル党党首)のように、既に最前線から退いたと見
知っているか」と尋ねたところ、8 0% が「知っている」と
られるゴルカル党政治家でさえバクリ氏より高い支持率
答えた。
次に、
「知っている」
と答えた回答者に対して、
「こ
を得ていることだった。LSN は、こうした結果について、
の事故は天災か、それとも掘削作業の過ちによる人災と
「バクリ氏の場合、悪いイメージが極めて濃厚なため、
思うか」
と尋ねたところ、6 5.9% が
「人災」
と答え、
「天災」
大統領選までにこれが大きく変わる可能性は小さい」
(要
と答えたのは 2 7.1% に過ぎなかった。
旨)と分析。
「人災」と答えた回答者に対して、
「この事故が人災な
これらのデータを総合的に判断するならば、泥噴出事
らば、その鉱区の所有者は誰か」
と尋ねたところ、5 5.3%
故は有権者に対して非常に悪い印象をもたらしており、
が「Bakrie 系企業」と答え、Bakrie 系企業以外の答えは
これが大統領選におけるバクリ氏の命取りになる可能性
1% に過ぎなかった。そして、
「Bakrie 系企業」と答えた
が高いということであろう。もちろんバクリ氏自身これ
回答者に対して、
「Bakrie グループは責任を取るべきか」
を十分に認識しているため、2 0 1 3 年中に補償問題の解
と尋ねたところ、8 9.4% が
「責任を取るべき」
と答えた。
決に全力を挙げると見られるが、たとえ補償問題が解決
さらに、
「責任を取るべき」と答えた回答者に対して、
しても、多大な国家予算がこの事故のために投入された
「現在までBakrieグループは責任を取っていると思うか」
ことや、地元の被害の悲惨さ、さらには環境破壊の実態
と尋ねたところ、8 3.5% が「思わない」と答えた。そして
などが、彼のイメージにつきまとうことは避けられそう
最後に、
「責任を取っていると思わない」
と答えた回答者
にない。
おわりに
事故発生以来 6 年半を経過してもいまだ事態は収束し
の影響は今後さらに大きいものとなることは確実であろ
ておらず、泥自体の川への流出は止められたものの、有
う。
毒成分を含んだ水は垂れ流し状態が続いており、環境へ
また、EMP を傘下に置く Bakrie 財閥自体が経営危機
49 石油・天然ガスレビュー
アナリシス
に見舞われて財閥解体の声も上がっ
ているが、Pribumi 系(非華人系)最
大財閥の解体は政治的、経済的にも
つぶ
影響が大きく、潰すに潰せない状況
で あ る。 財 閥 総 帥、 バ ク リ 氏 の
2 0 1 4 年の大統領選出馬が決定して
おり政治的に難しい状況で、補償問
題、責任者の刑事責任追及問題、い
ずれも大統領選挙が終わるまで進展
することはないと思われる。本件の
根本的解決こそインドネシアが真の
民主国家、先進国となるための試金
石となるかもしれない。
また、振り返って先進国と言われ
て い る 国 の 状 況 を 見 る と、BP や
ConocoPhillips といった日本の業界
かな
が束になっても敵わないような超一
出所:筆者撮影
シドアルジョに隣接するスラバヤは水産業が盛んな港町。
写8 写真後方は東南アジア最大のつり橋
流企業が大規模な原油流出事故を起
こし、また極東の某国、某企業の人
災による事故によりインドネシアの数十倍の規模で避難
いくであろう。過去の例が教えてくれるように、傲慢さ
民が発生し、広大な土地が今後何十年も居住不可能とな
は企業を衰退させるものである。われわれが手がける事
り、補償問題も停滞し、企業の刑事責任も明確になって
業が未知の地球内部を対象にし、常に危険と隣合わせで
いない状況が現在進行形で起こっていることも忘れては
あることを忘れない謙虚さこそが、今企業に求められて
ならない。今後、新技術を使った非在来型資源の開発が
いるものではなかろうか。
活発になればなるほど、大規模災害のリスクも増大して
執筆者紹介
髙橋 衛(たかはし まもる)
1984年、中央大学卒業。
同年、石油公団入団。1999~2002年、公団ジャカルタ事務所副所長。
石油公団解散時に出資会社の株式売却に従事。その後海外研修事業を経て2011年よりJOGMECジャカルタ事務所長。
趣味はネコ、読書(推理、SF、漫画等)、映画鑑賞、アニメ、JKT48。
新築高層アパートなのにアリが出て困っている。
2013.3 Vol.47 No.2 50
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