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大阪科学技術センター
平成 23年10 月15 日(土)
開催
大阪科学技術センター
脳科学研究戦略推進プログラム
公開シンポジウム
in KANSAI 報告書
主催 ─ 文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」
文部科学省では『社会に貢献する脳科学』の実現を目指し、社会への応用を明確に見据えた脳科学
研究を戦略的に推進するため、脳科学委員会における議論を踏まえ、重点的に推進すべき政策課題を
設定し、その課題解決に向けて「脳科学研究戦略推進プログラム」(略称「脳プロ」)を平成 20 年度
より開始しています。
これまで脳プロでは、本事業による研究成果や活動について、広く一般の皆様に御理解を深めてい
ただくとともに、多くの御意見、御要望をいただくことを目的として、東京にて公開シンポジウムを
開催してまいりました。この度、関西方面の皆様にも本事業の成果に触れていただきたく、大阪にて
開催の運びとなりました。
今後とも、皆様方の御支援・御協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします。
文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」
開催日時 : 平成 23 年 10 月 15 日(土)
会 場 : 大阪科学技術センター(大阪市西区靱本町 1 - 8 - 4)
主 催 : 文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」
参加人数 : 253 名
目次
02
開会挨拶
中西 重忠(課題 A・B・C プログラムディレクター)
03
基調講演
「脳科学から広がる新しい世界」
中西 重忠(課題 A・B・C プログラムディレクター)
講演
BMI( ブレイン・マシン・インターフェース)が切り拓く最先端研究
06 「BMI が切り拓くシステム神経科学研究」
川人 光男(株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR))
10 「大脳連合野の局所フィールド電位が持つ情報」
田中 啓治(理化学研究所脳科学総合研究センター)
臨床応用につなげる BMI の技術開発
14 「考え ( 脳波 ) を読み取って意思伝達や運動を助ける未来技術」
吉峰 俊樹(大阪大学大学院医学系研究科)
18 「ヒト脳機能異常の脳内植込み電極による制御」
片山 容一(日本大学大学院医学研究科)
脳科学研究の革新的な展開へ:新たなモデル動物の誕生
22 「神経回路をひもとく技術革命」
伊佐 正(自然科学研究機構生理学研究所)
26 「ヒト脳の理解のための新しいモデル霊長類:コモン・マーモセット」
岡野 栄之(慶應義塾大学医学部)
30
閉会挨拶
津本 忠治(課題 D・E・F プログラムディレクター)
31
講演者プロフィール
32
体験展示
目次
01
開会挨拶
本日は、たくさんの方にお集まりいただき、あり
今日は、この2つの大きな柱の中の、最先端の面
がとうございます。
白いお仕事を、実際に研究を行っている先生方から
脳科学研究戦略推進プログラム(脳プロ)は、文
ご紹介いただき、どのようなことが分かってきたか、
部科学省が3年半前から行っている事業で、それぞ
今後、どのような発展性があるかといったことを、
れ異なる、
しかし相互に関係するプログラムを順次、
皆様にお伝えできればと思います。
形成することによって、脳科学の発展をさせ、その
またその成果はいろいろな形で、医療、福祉、あ
結果として、われわれの健康福祉の増進に貢献をし
るいは予防等に関わっているものであります。この
ようとするものです。本日は、このプログラムにつ
プログラムに参加している先生方も、そういう方向
いて簡単な説明をさせていただき、挨拶に代えさせ
に向けて非常に努力しておられます。今日は、その
ていただきます。
成果の一部をご紹介するという趣旨で企画しており
本プログラムは、図 1 に示しますように、現代
ます。どうか最後までご参加いただき、楽しんでい
社会が直面するさまざまな課題の克服に向けて、
「社
ただけたらと思います。
会に貢献する脳科学」の実現を目指して、社会への
応用を見据えた脳科学研究を推進するという、大き
文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」
な目的の下に進んでいます。脳プロには、現在Aか
中西 重忠(課題 A・B・C プログラムディレクター)
らFまで6つの課題があり、本日は、最初に開始さ
れましたA、B、Cという3つの課題について、成
果をご報告し、最近の脳科学がどのように進展して
いるかをご紹介します。また、その後のパネルディ
スカッションで、皆様からのご質問を受け付けたい
と考えております。
課題A、Bは、最近の脳科学の研究と、情報科学
や機械工学の発展を踏まえ、脳の情報と工学的な情
報を組み合わせることによって脳自体の機能を理解
し、また工学的な情報系を使うことによって、いろ
いろな疾病の回復を進めるという、大きな目的を
持って進めているものです。
課題Cは、ヒトの脳機能メカニズムを理解する上
で、その基盤を与えるような技術、特に、ヒトによ
り近い脳機能をもつ動物を用いた研究基盤を確立す
ることによって、新しい脳科学を発展させたいとい
う企画の下に立ち上げられています。これらの研究
は、日本で非常に進んでいる分野であり、国際的に
も大きな注目を浴びています。
図 1:脳科学研究戦略推進プログラム概要
02
開会挨拶
基調講演
「脳科学から広がる新しい世界」
なかにし しげただ
中 西 重 忠 (課題 A・B・C プログラムディレクター) 神経細胞の興奮
神経細胞の
神経伝達
数多くある神経伝達物質の中でグルタミン酸はほぼ全て
の神経細胞の興奮を引き起こす神経伝達の核を成す伝達
物質である。
グルタミン酸
伝達物質
グルタミン酸受容体
グルタミン酸と脳機能
グルタミン酸神経伝達物質は記憶、学習、感覚、運動な
ど全ての脳機能に関わっている。
図 1: 神経細胞と神経伝達物質グルタミン酸
基調講演といたしまして、脳科学研究戦略推進
プログラム(脳プロ)が推進されるに当たって脳科
関わる物質、そしてその物質を介した脳の機能を解
析することができるようになってきました。
学がどのように発展し、近年、どのような問題が出
先ほども述べたとおり、神経細胞の興奮が次々
てきているのかを議論し、脳プロがどのような目的
と伝わって脳機能が発揮されます。アミノ酸の一つ
の下で研究が進められているかをご紹介したいと思
であるグルタミン酸が神経細胞を興奮させる中心的
います。
な伝達物質であることは知られていましたが、どの
われわれの健康を考えるとき、身体の健康と心
ようなメカニズムで神経細胞を興奮させ、さらに、
の健康、すなわち心身の健康が共に重要です。脳の
記憶、学習、感覚、運動といった脳機能をコントロー
研究は心身の健康の中の心の問題を扱っており、複
ルしているのかは明らかになっていませんでした。
雑な脳の問題を理解することは、われわれが心の健
グルタミン酸等の神経伝達物質がどのような受容体
康を維持する上で必要不可欠です。
に、どのように働いているのといった知見は、遺伝
脳・神経系は、神経細胞から出来上がっていま
す(図1)
。これらの神経細胞が、情報を相互に伝
えることによって複雑な脳機能が発揮され、心が生
子工学、分子生物学等の発展により解析が可能とな
り、ようやく明らかになったのです。
例えば、今、お話ししたグルタミン酸受容体を
み出されます。神経情報の伝達に関しては、古くか
欠損させたマウスと正常なマウスを比較しますと、
ら多くの研究があったわけですが、40年ほど前か
グルタミン酸受容体を欠損させたマウスでは、神経
ら分子生物学の発展によってようやく、神経伝達に
細胞の興奮が伝わらないのです。それだけではなく、
基調講演
03
険なことを記憶し、それを避けるという忌避記憶に
も関わっています。食物がどこにあるかを記憶して
そこへ行く、あるいは、ある場所が危険であること
を記憶し、避けるという脳機能はわれわれ生物が生
存していくうえで、非常に重要です。
このような記憶には、先ほどのグルタミン酸受
容体が関わっていますが、グルタミン酸伝達物質だ
けで決定されているのかと言うと、そうではありま
せん。例えば、T字路の一方にはたくさん餌があり
ますが、同時に危険があったとします(図3)。そ
れに対して、もう一方の側は、餌は非常に少ないけ
れども、危険が少ない。このT字路に入れられたネ
ズミはどちらへ行くか意思を決定する必要があるわ
図 2: グルタミン酸受容体欠損と記憶力の低下
けですが、このときに、報酬と忌避の記憶に基づい
記憶力が落ちてしまいます。図2はその一例を示し
は、ネズミだけではなく、われわれ人間も、いろい
た実験です。大きなプールの中でマウスを泳がせま
ろな状況に遭遇して機能しているわけですが、それ
すと、マウスは水の中においてあるプレートまで泳
が大脳基底核で、コントロールされていることが分
いでいきます。何度か繰り返すと、次第にこの場所
かってきました。さらにこの意思決定には一つの遺
にプレートがあるという場所の記憶ができて、プ
伝子、一つの脳の機能分子だけが関わっているわけ
レートにすぐに行くようになります。しかし、グル
ではなくて、大脳基底核の神経回路がこの複雑な脳
タミン酸受容体を欠損させたマウスでは、うろうろ
機能をコントロールしているわけです。
泳ぎ回るばかりで、プレートのある場所の記憶を引
き起こすことができないのです。
さらに、この意思決定には、ネズミがどの程度
空腹であるか、どの程度不安感が強いか、高揚感が
このように遺伝子工学の手法を用いて、いろい
あるか、意欲があるかといった心の状況や、注意深
ろな脳の機能分子が明らかになり、脳機能における
いか注意深くないか、衝動的か慎重であるかといっ
役割、さらに脳の機能がどのように働いているかが
た個性も関わってきます。つまり、意思決定という
分かってきました。即ち、脳という情報系において、
のは、報酬の記憶と忌避の記憶だけで決定されてい
それを構成し、つくり上げている分子が分かってき
るだけではなく、脳のいろいろな機能が相互に働く
たということです。つまり、脳がどういうものから
ことによって、行われているのです。これは非常に
できていて、どのように動くのかというハードウエ
複雑な脳機能ですが、このような複雑な脳機能も次
アの問題が分かってきたわけです。一方、脳の機能
第に理解が進みつつあります。
というのは、どのような情報伝達のコントロールの
04
て意思を決定しているのです。このような意思決定
こういった研究が進む中で、当然ヒト自体で、
下に働いているかというソフトウエアの問題を理解
どのように複雑な脳機能が働いているかをさらに理
することが不可欠であり、このソフトウエアの方の
解することが必要となります。そのために計画され
問題は、いまだに多くがわかっていない状況です。
たのが、脳プロの課題A、B、Cです。具体的には
その一例を紹介します。大脳皮質の下の所に大
ネズミではなくて、高等な霊長類、あるいはヒトを
脳基底核という部位があり、この部位は好ましいも
対象にその機構を解析し、複雑な高次機能を理解す
のを求める、すなわち報酬を求め記憶するという報
ることを目的として、2つの大きな領域をつくって
酬記憶に関わっています。一方で、大脳基底核は危
研究が進められています。
基調講演
意思決定
・空腹感
・不安感
・高揚感
餌(稀少)
危険( - )
餌(十分)
危険( + )
・意欲
・注意深さ
・衝動的(慎重)
図 3: 意思決定と記憶の実験
一つは、課題A、Bが進めているブレイン・マ
シン・インターフェース(BMI)で、脳、機械の
能の理解や脳の機能異常の回復に向けた研究を進
めています。
インターフェースをうまく組み合わせることで、基
本日はそれぞれの分野の、先端的な話を分かり
本的な脳の機能、特に高次な脳機能の理解を目指す
やすい形で先生方にお話しいただくことで、現在の
研究です。具体的には、脳の機能が、情報系として
状況を皆様にご理解いただけたらと思います。
どのように働いているのか、逆に脳に情報を与える
ことによって、脳の機能がどのように制御できるの
かということです。例えば、下肢が麻痺した場合に
いかなる脳情報が障害を受けているのか、また、情
報を与えることによってその麻痺が回復できないか
ということです。脳機能を調べながら、そういった
応用性を含めた研究を進めています。
もう一つは、モデル動物の開発を目指す課題C
です。ネズミだけを対象とした脳機能の解析には
限界があります。より高次な脳機能を理解するた
めには、どうしても霊長類で研究を進める必要が
あります。しかし、霊長類では、ネズミで用いた
遺伝子を改変するといったことは全くできません
でした。そういう中で領域 C は新しい技術を開発
することによって、霊長類を研究対象にして脳機
能を理解していく基盤をつくることを目指してい
ます。具体的には、霊長類の一種、コモン・マー
モセットの遺伝子改変や、ウイルスに遺伝子を入
れて脳機能をコントロールするという技術を開発
し、高等なモデル動物をつくり、より高次な脳機
基調講演
05
BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が切り拓く最先端研究
「BMIが切り拓くシステム神経科学研究」
か わ と
み つ お
川 人 光 男 (株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)) ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)
は、脳の感覚、中枢、そして運動機能を電気的な人
吉峰先生がお話しになりますので、主に非侵襲型に
工回路で補綴、再建、そして増進するものです。感
関してお話しします。
覚と中枢に関してはすでに実用化しています。例え
BMIが成功するためには、いろいろな要素が
ば、人工内耳は世界で 20 万人の方の失われた聴覚
必要です。1つは、神経科学の知識で、例えばBM
を再現しています。この脳科学研究戦略推進プログ
Iで運動を実現しようと思えば、大脳皮質の中で運
ラム(脳プロ)の中でも、大阪大学医学部眼科の不
動に関わる部位(運動野)からニューロンの発火頻
二門先生のグループは、人工網膜の開発を進めてい
度を記録し、しかもたくさんのニューロンから情報
ます。これは人工内耳に比べると、まだ開発段階な
を取ることが必要となります。2つ目は、IT 技術、
のですが、数年のうちに人工網膜で大きな文字を読
機械学習の情報解読(デコーディング)です。脳の
めるのではないかと期待しています。中枢機能につ
活動から、脳から読み出したい情報への対応関係を、
いては、脳深部刺激が実用化されています。
コンピューターのアルゴリズムで発見します。3つ
私どもが主に研究をしているのは、失われた運
目は、ユーザーの訓練です。ユーザーの脳がシナプ
動、あるいはコミュニケーション機能の代償、回復
スの可塑性によって変化することで、最初はあまり
に関する、いわゆる運動型のBMIです。約 10 年
上手に使えなかったBMIが自由自在に使えるよう
前にBMIの基礎論文が出版されましたが、それか
になります。
ら僅か数年のうちに、臨床試験が始まりました。脊
講演
課題Aは、ATRを中心に、臨床研究の大阪大
髄損傷の患者さんの脳に、4ミリ×4ミリほどの非
学、慶應義塾、機器の開発の東京大学、島津製作所、
常に小さな剣山型の電極を差し込みます。この電極
電気通信大学、動物実験を担当している自然科学
を使って得られたニューロンの活動を用いて、コン
研究機構、さらにBMIに伴ういろいろな倫理的
ピューター画面上のカーソルを動かせるようになっ
な問題を研究する東京大学の佐倉先生でスタート
たのです。
しました。
このようなBMIは、医学用語で「侵襲型」と
平成23年度からは新潟大学医学部の長谷川先
呼ばれています。脳に針を刺すことでどうしても脳
生、東京工業大学の小池先生にも加わっていただい
を傷つけてしまいます。さらに、電極と脳の間の位
て、8つの研究機関で進めています。今日はまず、
置関係が安定せず、電極をグリア細胞が取り囲んで
慶應義塾の医学部および理工学部の医工連携によっ
いわば絶縁するので、長期的に安定に記録はできま
て開発されたBMIリハビリテーションの成果をお
せん。脳プロ課題Aでは、侵襲型ではなくて低侵襲
話しします。
型、あるいは非侵襲型に力点を置いて研究を進めて
06
きました。低侵襲型に関しては、後ほど大阪大学の
(Miyawaki,Uchida,Yamashita,Sato,Morito,Tanabe,Sadato,Kamitani,Neuron 2008)
図 1: 視覚野の脳活動から被験者が見ている画像が再構成できる
重度の脳卒中の患者さんは、麻痺した手が曲が
時計測により、脳のどの部分にどれだけ電流が流れ
る方向に関節が固まってしまい、物をつかめなくな
ているかを、正確に推定できるようになりました。
ります。手首だけでも伸ばせると、物がつかめるよ
島津製作所では、200 点以上の測定チャンネル
うになります。私たちが運動しようとする時、ある
を持つ世界最高密度の高精度の可搬型の NIRS と脳
いは運動を想像する時に、動かす手の反対側の大脳
波同時計測装置を開発しました。患者さんが在宅で
皮質の運動に関わる領域で、脳波の10ヘルツの周
BMI のリハビリテーションをしようとすると、計
波数成分が小さくなります。そこで、麻痺患者さん
測した脳活動を無線で飛ばせる軽くて携帯型、かつ
に手を伸ばすイメージをしてもらい、10ヘルツ成
患者さんの家族でも装着可能な計測システムが必要
分が小さくなった時に、ロボット装具で手首を伸ば
になります。その方向を目指した技術開発も行って
しました。1日1時間、10日間の訓練を行ったと
います。
ころ、脳波の変化が生じ、出なかった筋電が出るよ
うになりました。患者さんによっては、手首が伸展
低侵襲型、非侵襲型の中では、ECoG は脳磁計
して指が伸ばせるようになり、生活に役に立つ手を
より性能が優れていること、脳磁計は脳波より優れ
回復できました。
ているとされていました。しかし、私たちが開発
非侵襲型の脳活動計測方法は、大型で主に医療、
した VBMEG と呼ばれる階層ベイズ推定法により、
研究用として用いられる機能的磁気共鳴画像法(f
複数の非侵襲計測データを統合して大脳皮質上の電
MRI)
、脳磁計から、比較的小型で携帯可能な近
流を推定すると、ECoG よりもデコーディング性
赤外光計測(NIRS)までいろいろな種類があり
能が良い場合が出てきます。
ます。fMRI、NIRSは、脳のどこから活動が
生理学研究所では、サルを対象にして、ECoG
あるかが高い精度で分かります。脳磁計、脳波は時
から侵襲型のローカル・フィールド・ポテンシャル
間の分解能が高いです。そこで、fMRIと脳磁計
を推定することに成功しました。ですから、将来的
を組み合わせる、あるいは近赤外光計測と脳波の同
には、非侵襲型で低侵襲型を超える、もしくは低侵
講演
07
襲型だけれども侵襲型より良い性能を出すという、
では、なかなか突き止められなかった神経符号と心
脳プロ課題 A で目指したことが達成できそうです。
や行動の因果関係に迫れます。BMI技術によって、
BMI技術は、神経科学そのものを変革する可
運動を拘束せずほとんど半永久的に脳活動を記録し
能性もあります。従来の神経科学は、要素還元主義
たり、ヒトを対象にして、非侵襲で非常に正確に脳
で、仮説主導の実験を設計し、異なる階層を乗り越
活動を推定できたりします。まとめますと、BMI
えることはなかなか困難でした。しかし、BMI技
は患者さんの役に立ちます。それと同時に、システ
術を使うことで、脳活動と物理、心的変数の予測が
ム神経科学自身を変える可能性を秘めています。
でき、
神経情報を実験的に操作することができます。
脳情報解読:デコーディングについては、AT
の電気生理学の基礎研究からBMIの素晴らしい応
Rの神谷グループが世界に先駆けました。それまで
用分野が切り拓けてきました。課題 A では、応用
は脳の中で情報がどのように符号化されているかと
が先か、基礎研究が先かということにこだわらず、
いう研究が主流でした。デコーディングによって、
応用と革新的基礎研究の両方に役立つ技術と方法論
脳活動から行動、あるいは認知的な状態を予測、再
を開発することを目指しています。今まで治せない
構成、解読できます。これは脳科学への情報技術、
と思われていた精神疾患、神経疾患の全く新しい治
機械学習の応用の成果です。ここ7年ぐらいの期間
療法やリハビリテーション法が開発できる可能性が
で、fMRIとデコーディングというキーワードで
あります。脳の仕組みも、因果律も含めてより深く
論文数を検索しますと、指数関数的に伸びています。
理解することができると期待されます。今後も、応
そのうちの半分ぐらいの論文が神谷グループの論文
用としても基礎研究としても革新的な研究・技術開
を引用していますから、定量的、客観的にATRの
発を続けていきたいと思います。
神経情報学研究室が、デコーディング研究の世界の
パイオニアであると言えます。神谷グループの脳プ
ロの研究成果の一つは、ヒトの第一次視覚野と呼ば
れる場所の脳活動から、その人が見ている画像を再
構成することです(図1)。
最近では、デコーディング技術とニューロフィー
ドバックという技術を組み合わせて、神経符合を実
験的に制御できることを確かめました。被験者が、
固視点を見ているときに報酬情報として緑の円盤の
大きさが与えられます(図2)。実は、ヒトの第一
次視覚野(V 1)、第二次視覚野(V2)の脳活動
からデコーダーを使って、この脳活動がどの程度、
3つの方位の1つに対応しているかという確率を計
算して、それを緑の円盤の大きさとして被験者に
フィードバックします。その結果、ニューロフィー
ドバックの成功度合いと、視覚知覚学習の進みが非
常に高い相関を示します。V1、V2 に特定の空間
活動を引き起こして、視覚刺激の提示と被験者の意
識なしに視覚知覚学習を誘導したことになります。
V 1、V2の活動は、知覚学習を引き起こす十分
条件であると結論できます。従来の神経相関の研究
08
講演
1960年代あるいは80年代に行われたサル
図 2: デコーディングと実時間ニューロフィードバックによって、脳に特定の空間活動パターンを誘導できる
Q. 先日、海外のニュースで、夢の映像化の研究を知りまし
た。現在の日本の技術でも、この様なことは可能ですか。
また実用化するとしたら、いつ頃でしょうか。
なる場合があることも分かってきました。また脳プロの成
A. 残念ながら、未だ、夢の映像化そのものは実現されてい
きました。したがって、各方式の限界はいまのところ研究
ません。夢ではありませんが、ニュースで取り上げられた
課題で本当のところは分かりません。ただし、非侵襲型>
海外の研究でも、厳密には、脳情報を解読して映像を再構
低侵襲型>侵襲型の順にユーザーに優しいのですが、一方
成したとはいえないのかもしれません(複数の候補となる
で、実用化されているBMIは人工内耳、脳深部刺激など
映像から少数を選んでいるだけです)。日本では、ATR の神
侵襲型であるということは言えます。
果として、大脳皮質表面に電極を置く ECoG で、大脳の深
さ3ミリメートルほどの活動も推定できることが分かって
谷之康さん(脳プロ・課題 A)が長年この研究を続けており、
でお話しできませんが、近いうちに公表できると期待して
Q.“MRI 信号(脳血流信号)
”から、
“神経信号”のデコーディ
ングをする方法について、もう少し詳しく教えてください。
います。
A. fMRI で脳の活動がミリメートル程度、ボクセル数にして
現在、非常に進んできています。結果については今の時点
数千個観測できます。この多次元のデータを、解読したい
Q. 脳の表面付近からは、脳の情報をどの程度読み取れるの
でしょうか。今後はさらに詳しく読み取れるようになるの
でしょうか。(ロボットハンドの操作以外で現在、ECoG( 低
侵襲 BMI) でできることは何でしょうか。)また手術が必要
な侵襲 BMI と、手術の必要のない非侵襲 BMI の、それぞ
れの利点や限界について教えてください。
脳情報、たとえば画像、運動、認知情報と組にします。脳
活動データから脳情報へのマッピングを、機械学習(デコー
ディング)の手法で対応づけると、脳活動データが与えら
れたとき、それに対応する情報が読めるようになります。
A. これまでは、侵襲型は非侵襲型より性能が良いとされて
いましたが、最近の脳プロなどの研究で、脳内の電流を推
定することによって、非侵襲型でも侵襲型より性能が良く
講演
09
BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が切り拓く最先端研究
「大脳連合野の局所フィールド電位が持つ情報」
た な か
け い じ
田 中 啓 治 (理化学研究所脳科学総合研究センター) 図 1: マカク属サルの下側頭葉皮質の
神経細胞が反応する中程度に複雑な
図形特 徴の 12 個の 例(左)と下側
頭葉皮質にある図形特徴に関するコ
ラム構造(右)
。
Tanaka et al., 1991; Tanaka, 1996
Fujita et al., 1992
私は、BMI技術に確かな基礎を与えようとい
う趣旨で研究をしています。
講演
情報の中のどの部分の情報が表れているかを知るこ
とが大事です。
脳の中の信号処理の単位は神経細胞です。1個
現在BMI研究は、主に、視覚入力の大脳への
の神経細胞の大きさは 10 ミクロン程度です。たく
入り口である第一次視覚野や運動信号が大脳から出
さんの神経細胞で構成される神経細胞集団の活動パ
ていく位置にある第一次運動野などの領野で行われ
ターンに動物の知覚や行動に対応する情報があると
ていますが、将来はもっと高次の情報処理をしてい
考えられています。
る大脳連合野を対象にしたBMI研究が盛んになっ
BMIでは、脳の活動を記録して、私たちがど
10
Wang et al., 1996
ていくと予想されます。そこで、私は大脳連合野、
んなものを見ているか、どんな運動をしようとして
特に下側頭葉皮質という物体を弁別するための視覚
いるのか等を再現します。しかし、人の脳から一個
連合野でこの問題を調べようと考えました。
一個の神経細胞の活動を安定に記録することはとて
下側頭葉皮質は側頭葉の下の方にある大脳皮質
もできません。BMIでは、局所フィールド電位を
の部位です。脳の一番後ろの後頭葉にある第一次視
記録します。しかし、フィールド電位は、少なくと
覚野から始まる腹側視覚路と呼ばれる経路の最終段
も1ミリぐらいの領域に存在している神経細胞の平
です。この経路は、物体の視覚的認識の働きをして
均的な活動を反映するにすぎないのです。神経細胞
います。物体の視覚的認識とは、物体の視覚像から
集団の活動パターンとその平均的な活動の大きさと
物体を認識する働きのことです。下側頭葉皮質から
は違います。そこで、BMIの開発方針を立てるた
は、前頭連合野、大脳基底核、嗅周皮質などの視覚
めには、局所フィールド電位に神経細胞集団の担う
情報だけでなく多くのモダリティーの情報を受け
て、行動を決めたり、考えたり、記憶したりする脳
部位へ情報が送られます。
私たちは、1990 年代に、麻酔したマカク属サル
の下側頭葉皮質から、一個一個の神経細胞を微小電
極で記録して、それぞれの神経細胞がどんな刺激に
対して反応しているかを詳細に決める実験を行いま
した。その結果、下側頭葉皮質のひとつずつの神経
細胞は、図1の左側に示したような中程度に複雑な
図形特徴に反応することが分かりました。
神経細胞が反応する図形特徴は細胞ごとに千差
万別でしたが、一方、似た特徴に反応する細胞が下
側頭葉皮質の中の局所領域に集まっていることが分
かりました(図1右)。大脳皮質というのは2ミリ
図 2:下側頭葉皮質のコラムと物体カテゴリー表現の関係につ
いてのふたつの仮説。仮説1ではコラムはひとつずつの図形特
徴を表し、多くのコラムの活動の組み合わせで物体カテゴリー
が表現されるとする。仮説2では同じ物体カテゴリーに連合す
る複数の図形特徴を表す複数の神経細胞群がコラムの中に存
在するとする。
ぐらいの厚みを持ってシート状に広がっています
が、このシート状の広がりの方向では 0.5 ミリ、厚
くさんの図形特徴との統計的な確率的な連合関係に
みの方向では2ミリを貫くコラム状の局所領域に似
よって、物体カテゴリーは表現されているらしいの
た特徴に反応する細胞が集まっていました。しかし、
です。
隣のコラムにいくと、神経細胞はもう全く違う特徴
われわれは、下側頭葉皮質のコラムと物体カテ
に反応しています。このことから、私たちはコラム
ゴリー表出の関係について、二つの仮説を考えまし
が、図形情報の表現の単位になっているという説を
た(図2)。仮設 1 は、ひとつのコラムはひとつの
提唱しました。
図形特徴だけを表す。だから、たくさんのコラムを
しかし、われわれ動物というのは、人間を含め
合わせて初めて、物体カテゴリーの表現ができてく
てカテゴリー的に行動します。例えば、メロンがあ
るという仮説です。仮説2は、ひとつのコラムがひ
れば必ず喜んで食べます。それがメロン1であるか、
とつの図形特徴だけを表すのではなく、物理的には
メロン2であるか見分ける必要はありません。向こ
違う別な複数の図形特徴が表されていて、これらの
うからライオンが来れば、ライオン1か、ライオン
複数の図形特徴が同じ物体カテゴリーと連合して可
2であるかによらず、すぐに逃げます。自然界でわ
能性です。つまり、ひとつのコラムが、すでに物体
れわれは、カテゴリー的な弁別により素早い反応が
カテゴリーの表現に向かって構造化されているとい
できます。このように行動を見るとカテゴリー的な
う仮説です。
のに、腹側視覚経路の最終段である下側頭葉皮質の
どちらの仮説が正しいかを知るためには、サル
コラムが中程度に複雑な特徴に対応しているとすれ
の下側頭葉皮質のひとつのコラムの中のたくさん
ば、脳が表している情報とわれわれの行動が使って
(50 個程度)の神経細胞の活動を記録して、いろい
いる情報が乖離していることになります。そこで、
ろな物体像に対する反応を調べなければいけませ
私達は物体カテゴリーの表出と下側頭葉のコラムの
ん。私たちはこのため新しい実験技術を開発しまし
関係をさらに詳しく調べることにしました。
た。先端に4箇所の記録点を持ったテトロード電極
われわれの物体カテゴリーと図形特徴の間の関
を慢性的にサルの頭に埋め込み、毎日 0.2 ミリずつ
係には特殊な性質があります。ひとつの物体カテゴ
動かして、新しい神経細胞を記録しました。それぞ
リーを定義するような図形特徴はありません。その
れの位置ではせいぜい4個の細胞ぐらいしか記録で
かわり、それぞれの物体カテゴリーと統計的に連合
きないのですが、記録を2∼3週間続け、同じコラ
するたくさんの図形特徴があります。全体としてた
ムの中の少しずつ違う深さで記録することで、全体
講演
11
として 50 個程度の細胞を記録しました。
カテゴリーごとの反応の平均とそれぞれの物体
るかを調べるために、最適カテゴリーの中の刺激に
刺激に対する反応を調べてその間の関係を調べる
対する反応の類似度を調べました。つまり、最適カ
ことが目的だったので、17 カテゴリー、それぞれ
テゴリーの中にある 50 個の刺激に対する 50 個の
50 個ずつ、全部で 850 個という多くの物体の像
反応の大小のパターン、刺激選択性がふたつの細胞
を用いて、細胞の反応を調べました。試行ごとの
の間で似ているかどうかを、さきほどと同じように
反応のばらつきを平均化で除去するために、それ
相関で調べました。
ぞれの刺激を 10 回ずつ繰り返して提示しました。
そうすると、細胞最適カテゴリーの中の刺激反
17 個のカテゴリーの大部分は動物カテゴリーで、
応の間の相関が、有意に正の細胞対だけでなく、有
ヒトの顔、サルの顔、4足動物(霊長類以外)の顔、
意に負の場合、また有意には正でも負でもない細胞
ヒトの体、サルの体、4足動物と鳥の体、蝶の体、
対が多数あることが分かりました(図3下)。有意
蝶以外の昆虫の体、魚の体、爬虫類と両生類の体、
に正の相関を持った細胞対は刺入路によらずに約半
手などです。
数で、残りの半数では有意な相関がない、即ち無相
ヒトやサルの顔に強く反応する神経細胞ばかり
細な説明を省きますが、この結果は、試行ごとの反
多くの刺入路では、ひとつの神経細胞のカテゴリー
応のばらつきの影響により本当は正の相関があるの
選択性はもっと段階的で、また細胞ごとにばらつき
に無相関に見える危険性を排除するために、いずれ
ました。しかし、細胞ごとにまるででたらめかとい
の細胞もが有意の刺激選択性を示す細胞対に限って
うとそうではなく、統計的な類似性が見られました。
の解析の結果です。
刺入路の中で記録された神経細胞群のカテゴリー選
これらの結果は仮説2を支持します。下側頭葉
択性の類似度を定量化するために、それぞれのカ
皮質のひとつのコラムの中の神経細胞はある程度似
テゴリーに属する 50 個の刺激への反応の平均値を
たカテゴリー選択性を示します。このカテゴリー選
カテゴリー平均反応とし、ふたつの細胞の対の間の
択性の類似性は、図形特徴への選択性の類似性と図
カテゴリー平均反応の相関を計算しました。カテゴ
形特徴と物体カテゴリーの統計的連合を反映しただ
リー選択性のパターンが似ていれば相関係数は正の
けのものではありません。ひとつのコラムの中には、
値です。完全に一致すれば1です。ふたつの細胞の
物体カテゴリーとの連合では共通であるが、物理的
カテゴリー選択性がまったく独立であれば相関係数
には異なるような、複数の図形特徴に反応する複数
は0になります。そして、ふたつの細胞のカテゴリー
の神経細胞群が存在します。しかし、ひとつのコラ
選択性が相補的であれば相関係数は負の値になりま
ムだけで物体カテゴリーが完全に表現されているわ
す。図3上には、5個の刺入路でのカテゴリー平均
けではありません。ひとつのコラムが表す物体カテ
反応間の相関係数の度数分布を示します。ある刺入
ゴリーの情報は、下側頭葉皮質全体の神経細胞群が
路ではほとんど(90%)の細胞対が有意に正の相
表す物体カテゴリー情報よりは不完全です。今後は、
関を示しましたが、他の多くの刺入路では有意に正
観察するコラムの数が増えていったときに物体カテ
の相関を示した細胞対の比率は 40%から 60%ぐら
ゴリーの情報がどう増えていくのか調べていく予定
いでした。
です。
のは、
なぜそうなっているのでしょうか。カテゴリー
という意味的な次元での選択性が似ているのか、そ
れとも図形特徴に関する選択性が2つの細胞で似て
いることを反映してカテゴリー選択性も似ているだ
講演
関であるか、有意に負の相関を持っていました。詳
が記録される刺入路もありましたがそれは少数で、
では、カテゴリー選択性がよく似ているという
12
けなのか、ふたつの可能性があります。どちらであ
図 3: 同じ刺入路から記録された神経細胞対の間の、カテゴリー平均反応間の相関の係数の分布(上)
、
および最適カテゴリー内のひとつずつの刺激への反応間の相関の係数の分布(下)
。
Q. 視覚刺激に対しては、同じ物体カテゴリに連合した異な
る図形特徴に反応する神経細胞が集まっているとのことで
すが、“視覚”以外、例えば“味覚”や“嗅覚”についても
同様のことが言えるのでしょうか。
リーの中での刺激に対する選択性の複数の神経細胞の間の
A. 味覚や嗅覚の刺激は視覚刺激と異なり化学物質です。そ
Q. ピカソの絵のように、人の顔なのか図形なのか分かりに
くいものでは、人の顔のカテゴリーの反応が一番高いから、
顔と分かるのでしょうか。他の図形カテゴリーも反応して
いるのでしょうか。
の物質が似た構造であれば、私たちの脳では近い感覚を得
ると考えられます。一方、視覚刺激は光の刺激で、それが
形作る物理的な特徴と私たちにとって意味をもつカテゴ
類似度を詳細に検討するためです。30 個でも十分だったか
もしれませんが、10 個では少なすぎたでしょう。
リーとの間には大きな隔たりがありますが、入力刺激に対
A. 抽象画の顔は実際の顔によく含まれる図形特徴を持って
して脳が多くの処理を行うことで似た意味を持つ刺激を関
いますが、他の物体カテゴリーによく含まれる図形特徴は
連づけています。味覚や嗅覚に関した高次の処理について
ほとんど持っていません。抽象画を見て物体を思い描く場
の研究については、視覚研究ほど進んでいないと思います。
合は、顔か図形かを判断するのではなく、顔か別の物体カ
テゴリーか判断することが多いです。抽象的で図形特徴の
Q. 先生のご発表で「各細胞について、17 個の物体カテゴ
リーのそれぞれ 50 個の刺激映像で構成される 850 枚の物
体画像刺激に対する反応を記録した」とありましたが、こ
れらの数字はどのようにして決めたのですか。
数は少ないけれど、顔の特徴が一番多いので顔だと感じる
のでしょう。
A. 実験に用いた物体カテゴリーの数 17 個は、以前に行っ
た 700 個ほどの神経細胞の反応を 1000 個の物体像で調べ
た実験で神経細胞集団の活動パターンにより再現された物
体カテゴリー 13 個を参考に決めました。ひとつの物体カテ
ゴリー当たり 50 個の刺激を使ったのは、ひとつのカテゴ
講演
13
臨床応用につなげる BMI の技術開発
「考え( 脳波 )を読み取って意思伝達や運動を助ける未来技術」
よしみね
と し き
吉 峰 俊 樹 (大阪大学大学院医学系研究科) 図 1: 患者さんの運動や意思伝達を助ける BMI
これまでの第1部の基調講演では、脳がどのよ
波で体外に送り、コミュニケーションや運動を助
うになっているのかというのをお話しいただいたわ
ける装置です。コミュニケーションを助けるため
けですが、この第2部では、そのような知識を使っ
コンピュータを使っていろんな文章を綴ったり、
て患者さんの役立つことができるのか、病気や障害
インターネットで伝えられるようにします。運動
を持っている患者さんにどのような手助けできるか
の支援は機械やロボットなどで行おうとするもの
という応用面を考える研究をご紹介いたします。
です。(図1)
これから紹介しますのは、考え(脳波)を読み
川人先生のご講演で、脳波といっても脳に電極
取って意思伝達や運動を助ける未来技術です。「脳
を刺してとらえるものから、刺さずに脳の表面に
と機械をつなぐ」ということで「ブレイン・マシン・
置いた電極から記録するものなどがあることが紹
インターフェース」略して「BMI」といわれる技
介されました。私どもが考えているのは、脳の表
術です。考えを読み取るといっても、マインドリー
面に置いた電極で記録するほうの脳波です。まず
ディングというように人が考えていることをその
はこれが一体どういうものかをお話しして、それ
まま読み取るということではなく、脳波からその
からこれによってどういうように患者さんの手助
人が何を外に伝えようとしているのか、何を行い
けを行おうとしているのか、そしてそれはどのよ
たいと思っているのか、ということを解析して役
うな患者さんを対象に考えているのかをお話してい
に立てることです。
きたいと思います。
大まかに言いますと、こういう感じのシステム
です。脳表から記録した脳波をとらえ、これを電
14
講演
まずは、BMI研究の始まりについてご紹介し
ます。これは12年ほど前にシャピン(Chapin)
レバーを押そうと「考えるだけ」で水を飲めるようになる
Chapin et al, Nature 1999 から改変
図 2: 最初の BMI 実験
というアメリカの研究者が行った、ネズミを使った
「前足を伸ばそうと考えるだけ」になったというの
実験です。彼らはのどの渇いたネズミを箱のなかに
です。水が飲みたければ前足を伸ばそうと思った
入れ、このレバーを押すと、外のモーターが動いて
だけでいいのだということが分かったのです。こ
水滴をつけたアームが動き、その水を壁の穴からネ
の実験結果をみて、科学者は脳の情報をうまく解
ズミが飲めるという装置を作りました。ネズミはい
析すると機械を動かせることができる、というこ
ろいろ動いているうちに、レバーを押すと水が飲め
とを知ったわけです。(図2)
るというのを勉強し、レバーをカチッと押すように
これ以後、研究はどんどん進んで、サルがロボッ
なります。このネズミは、実は脳に電極が刺し込ま
トハンドを動かせるまでになりました。これはすご
れており、これから記録した脳の活動をコンピュー
い、これなら本当に脳の情報を使ってロボットを動
タで記録したのです。
かせるというところまで進歩したわけですが、人に
これを分析すると、ネズミが「前足を伸ばす」
応用するには、困った問題がありました。それは、
直前に、幾つかの神経細胞が興奮することが分か
実験に使ったのは針電極といって脳に直接刺して使
りました。これを知った研究者は、この神経細胞
う電極でした。これは、脳を傷つけることや、安定
の興奮をとらえるとモーターを動かして、ネズミ
性が悪いなどの問題があるわけです。
が水を飲めるようにしました。そうするとネズミ
このような問題を解決するのが私たち、日本で
はそのうち、「前足を伸ばそうと思っただけで」、
はじめられた方法です。日本のBMIというのは、
レバーは押さなくても水が飲めるということに気
実は脳神経外科の診療の現場から始まりました。脳
付き、結局、ネズミは前足を伸ばさないようになり、
神経外科では、20年ほど前から脳の表面に置く電
講演
15
図 3: ロボットハンドで「つかむ、離す」
極(脳表電極)を、実際の手術で使ってきました。
その後、さらに解析方法やロボットの操作方法
どういうことに使うかと言いますと、まず一つは、
などを改良、開発して現在ではこのビデオのよう
てんかんなどの異常脳波の発生部位を精密に調べる
に、物をつかんだり、肘を曲げたりする動作をかな
ためです。もう一つは、どこにどういう脳の働きが
り自然なかたちで行うことができるようになってい
あるかを精密に調べるためです。これは手術で傷を
ます。このロボットは東京大学の横井先生が開発し
つけてはならない重要な場所を知るためです。この
たものです。(図3) 今のところ、このような脳を
電極は、脳の表面に置くだけですので、脳は損傷を
傷つけず、人に使いやすい方法としては、世界最先
受けません。また極めて計測が安定しています。こ
端であると思います。しかし、米国の研究者もこの
のような特徴を持っているため、患者さんに使いや
ような方法の優れた点に気が付きまして、猛烈な勢
すいということで、脳プロでの日本の BMI 研究が
いで研究が進められています。
進められてきたわけです。
16
講演
さて、最後にこのような技術がどのような患者
まずは、てんかんや脳腫瘍、あるいは難治性の
さんの役に立つかをお話したいと思います。私たち
疼痛のため脳表に電極を置く手術をした患者さんに
が最初に考えていますのは、「閉じ込め症候群」と
ご協力をお願いして、グー、チョキ、パーなどの運
いわれる状態の患者さんです。これは映画にもなっ
動をしていただき、これを記録して脳波を解析しま
ていますが、元気に活躍していたフランスの雑誌の
した。このためには先程の国際電気通信技術研究所
編集者が脳出血で昏睡状態に陥り、3週間ほどして
の川人先生や神谷先生に最新の方法を教えていただ
意識は戻ったのですが、手も足も動かず、顔も動か
きました。その結果、まずは、グー、チョキ、パー
ず、言葉もしゃべれなくなったのです。何とかして
の3種類だけですが、どの運動をしようかと患者さ
意思だけでも伝えることができないか、ということ
んが考えているのかを、脳波から言い当てることが
で、わすかに動かすことのできた左のまぶたを利用
できるようになりました。
して、「イエスならまばたき1回、ノーなら2回し
てください」というようにして意思を伝えたという
例えば、現在は脳表の電極からの電線は皮膚から外
話です。頭ははっきりしていますので、このような
に出されてコンピュータにつながっています。この
方法で1個ずつ「A、B、C」の文字を拾っていって、
ままでは、皮膚と電線の僅かなすきまから菌が入り
実際に本を書いたという実話です。こういう患者さ
込み、化膿する恐れがあります。そのため、長期間
んは人の感情も周辺の状況も把握でき、記憶も全部
使用するためには脳波の信号を無線で体外に送るシ
しっかりしていますが、自分の手足を動かすことは
ステムを開発しなければなりません。また、実際に
もちろん、言葉も離せないためコミュニケーション
患者さんが使いやすいような様々の機械を工夫しな
もままならないわけです。私どもは、まずはこのよ
ければなりません。脳波の解読性能ももっともっと
うな患者さんのお役に立つことが出来れば、という
向上させなければならないと考えています。ですが、
ことで研究を進めています。
このようなことは現在の技術の応用で実現可能と考
ただし、手術が必要となりますので、手術をし
え、研究を進めているところです。
てまでこういうことを希望されるかどうか、患者さ
んのご希望を調査しました。そうすると、7割、8
割の方が意思を伝えることや、運動や、緊急時のア
ラームなどに使いたいとのことでした。私どもは、
このような期待に応えることを目指して研究を行っ
ていますが、
まだまだ多くの改良や開発が必要です。
Q. 脳表の脳波を利用して、 全く体を動かせない ALS 患者
が、自分から簡単な意思表現ができるようになるには、ど
のような課題がありますか。いつ頃実現できそうですか。
ングをするなどにより、さらに詳しく読み取れるようにな
A. 大きく2つの課題があります。1つは、今回ご紹介した
は高い性能を出せることや一度埋め込むとずっと使えるこ
内容は難治性疼痛や難治性てんかんの治療のため、一時的
とです。しかし、手術のリスクがあるため軽症の患者さん
に脳表に電極を置いた患者さんの結果で、これと同様のこ
や一時的使用には適さないことが限界です。反対に非侵襲
とが ALS の患者さんで再現できるか確認する必要がありま
BMI は誰でも利用できることが利点ですが、性能は一般的
す。2つ目に、埋め込み型のシステムを確立する必要があ
にいえば侵襲 BMI に及ばないため、複雑あるいは精密な解
ります。今のままでは体からコードが出たままですので、
析には限界があると考えられます。二つの方法は用途によっ
自宅に帰っていただくには無理があります。現在、この2
て使い分けられ、どちらも利点を伸ばし欠点を補う方向で
つの課題克服に向けて、研究を進めていますが、医療機器
進歩すると思います。
ると思われます。
(ロボットハンドの操作以外では、コン
ピュータのカーソルの操作が可能です)
侵襲 BMI の利点
として認可いただくには数年かかるかと考えています。
Q. 脳の表面付近からは、脳の情報をどの程度読み取れるの
でしょうか。今後はさらに詳しく読み取れるようになるの
でしょうか。(ロボットハンドの操作以外で現在、ECoG( 低
侵襲 BMI) でできることは何でしょうか。)また手術が必要
な侵襲 BMI と、手術の必要のない非侵襲 BMI の、それぞ
れの利点や限界について教えてください。
A. 現在のところ、脳表の脳波からは、「3種類の運動うち、
どれかを 1 回だけした場合、70-90%程度の精度でどの運
動かを推定することができる」程度です。今後は、電極の
密度を高める、解読方法を改善する、患者さんがトレーニ
Q. 数人の脳波から取得された情報は、万人に当てはまるよ
うなものでしょうか。個体差がある場合、どのように対応
するのでしょうか?
A. 脳波から取得された情報には、万人にあてはまる一般的
な部分と、個人差のある部分があります。一般的な部分と
しては、ガンマ波という高周波帯域の活動が運動内容の解
読に重要です。今回のように精密な分析では個人差があり
ますので、患者さんごとに種々の運動のイメージを行って
いただき、その脳波変化をコンピュータで解析、記憶する
ようにして、個人個人に合わせた解読ができるように対応
しています。
講演
17
臨床応用につなげる BMI の技術開発
「ヒト脳機能異常の脳内植込み電極による制御」
かたやま よういち
片 山 容 一 (日本大学大学院医学研究科) ヒトの脳機能異常にはさまざまなものがありま
この病気の患者さんでは、ここにおかしな活動をす
す。私は、脳内に電極を植え込み、脳内の神経回路
る神経細胞がたくさん見つかります。不自然に連続
の働きを調整して、脳機能異常を改善させようとす
して活動(バースト)し、つぎに不自然に活動がし
る研究をしてきました。
ばらく止まる(ポーズ)ということを繰り返します。
図 1 は脳内に植え込んである電極です。先端に
このバーストとポーズの間には、きちんとした規則
4つの電極があり、リードが頭蓋骨の外に出てき
性がありません。こういう神経細胞の活動は、体の
て、胸の皮膚の下に埋設してあるバッテリー内蔵の
一部の筋肉の緊張と関係しています。そこで、先ほ
刺激装置につながっています。この図を見ると、硬
どの電極を挿入して、不自然な活動を打ち消すよう
い針金が脳に刺さっているように見えますが、リー
なパルスを与えると、ジストニアの症状が見事に改
ドは軟らかいもので、脳になじむくらいしなやかで
善します。
す。こういう電極を目的とする神経回路に入れ、刺
私たちは、こういった DBS の研究を 30 年以上
激装置からパルスを送り込んで、その働きを調整す
続けてきました。その過程で、パーキンソン病のい
るのです。これを、脳深部刺激療法あるいは deep
ろいろな症状にも効果を示すことが分かってきまし
brain stimulation を略して DBS と呼んでいます。
た。視床下核という神経細胞の集団にパルスを与え
この DBS には、非常に高い効果が期待できます。
ると、パーキンソン病の主な症状が一挙に改善する
例えば、手足が震えて役に立たない振戦という病気
のです。DBS が発展した理由の一つは、ニューロ
があります。いろいろな原因がありますが、その典
イメージング技術の進歩と、電極を目的のところに
型は、本態性振戦といって、理由もなく手足が震え
挿入するニューロナビゲーション技術が発達したこ
る病気です。脳の深いところには、視床という神経
とがあげられます。
細胞の集団があります。この病気の患者さんでは、
18
講演
NHKで紹介された患者さんの動画をご覧いた
その一部に振戦の周期と同じ周期で活動している神
だきましょう。これは私の病院を受診したパーキン
経細胞が集まっているところがあります。そこに先
ソン病の患者さんです。この患者さんの症状は「震
ほどの電極を入れ、振戦の周期を打ち消すようなパ
える」こと、それから体が「こわばる」こと、そし
ルスを与えると、見事に振戦が消失します。
て歩く時に一歩足が前に出ない「すくむ」という症
また、ジストニアという大変やっかいな病気が
状です。しかも、体がこわばって痛くてしょうがな
あります。体の一部分の筋肉が勝手に緊張してし
いので、大変つらい生活をしておられました。顔も
まって、そのために、患者さんは不自然な姿勢のま
こわばっているものですから、仮面様顔貌といって
ま生活しなければいけない病気です。脳の深いとこ
表情がありません。歩く時も足が一歩前に出ないの
ろには、淡蒼球という神経細胞の集団もあります。
で、支えてもらって、ご主人が引っ張ってあげない
図1:DBS のための脳内植込み電極(矢印)を示す頭蓋骨 X 線写真。左、正面。右、側面。
頭蓋骨から外に出たリードは、頭皮の下を通して胸の皮膚の下に埋設した刺激装置に結線してある。
と歩くことができないのです。こういった症状のま
まで暮らしていかれるのは大変つらいことです。
1970 年代に、わが国の他、アメリカ、ドイツ、
フランス、スウェーデンなどで、DBS の技術開発
かつては、これら一つ一つの症状を治療する試
が始まりました。これらの国では、1970 年代以前
みをしていたのですが、先ほどお話した通り、視床
から、電極を正確に目的のところに挿入するという
下核の神経細胞の働きを調整することで、これらの
技術、つまり最先端の定位脳手術が大変に進んでい
症状がいっぺんに取れることが分かりました。この
ました。また、脳科学が進んでいて、こういった技
ように、DBS の手術をして1週間もしないうちに、
術が受け入れられやすい環境にもありました。さら
自分ですたすた歩けるようになります。表情も全く
に、1970 年代のわが国の医療は、現在と違って、
違います。
こわばりが取れて表情が出てきたのです。
新しい技術開発に取り組む余裕を持っていました。
震えも取れていますし、いろいろな症状が一挙に改
ですから、わが国は、このすべてを満たしていたか
善したことが分かります。
らこそ、DBS のオリジナルの歴史があるのです。
DBS を 健 康 保 険 で 行 え る よ う に な っ た の は、
DBS を利用して治療が試みられている脳機能異
1992 年(難治性疼痛)と 2000 年(パーキンソン
常は、多岐にわたるようになっています。大脳皮質
病などの振戦)ですから、こういう技術があるとい
の神経細胞の働きを調整しても、同じような効果を
うことが世間に知られ始めたのは、最近のことだ
生み出すことができます。これは、わが国が先陣を
と思います。しかし、私がわが国で初めて DBS の
切って研究を進めてきた分野の一つです。大脳皮質
手術を始めたのは、1979 年のことですし、先ほど
の運動野にパルスを与えると、いろいろな脳機能異
の振戦に対する DBS は、1988 年頃からもう行っ
常が軽減できるのです。これを、運動野刺激療法あ
ていました。ですから、先ほど申し上げたように、
るいは motor cortex stimulation を略して MCS
30 年以上の歴史があるのです。
と呼んでいます。例えば、脳卒中後運動麻痺の患者
さんの手は、不自然に動かしにくそうな形になって
講演
19
横軸、1日の MCS を行ったトータルの時間(分)
。
縦軸、上肢の動きの改善の程度(スコア)
。+は改善、−は悪化。
図2:MCS による Fugl-Meyer scale ( 上肢 ) の改善。
います。そこで、大脳皮質の運動野にパルスを与え
デマンドになります。それぞれ、フィード・フォワー
ますと、まず手の形が自然になり、指の動きが格段
ド制御およびフィード・バック制御と見做すこと
に良くなります。筋肉の「こわばり」が取れている
ができます。
のです。脳卒中後運動麻痺と言っても、運動麻痺を
私の脳プロでの主な研究は、フィード・フォワー
改善させるだけでなく、「こわばり」をうまく取っ
ド制御およびフィード・バック制御のための方法
てあげることが大切だということが分かります。
と、そのためのコントローラーの開発が中心になっ
ただ、大脳皮質は、脳の深部にある神経細胞の
集団と違って、けっこうな難物です。時間が効果に
る姿勢を取ったことを筋電図シグナルで検出し、
大きな影響を与えるのです。図 2 は、1日のうち
DBS を駆動するシステムを試作しました。また、
運動野にパルスを与えたトータルの時間(横軸)と、
振戦を筋電図シグナルで検出し、DBS を駆動する
脳卒中後運動麻痺による障害がどの程度まで改善し
システムも開発しました。現在では、体内に埋設
たか(縦軸)を示したものです。時間が長過ぎると
できるぐらいのコントローラーに仕上げるところ
かえって症状が悪くなるのです。時間は、必要最小
まで来ています。
限にしておかないといけないということが分かって
きました。
そ こ で、 最 近 は オ ン・ デ マ ン ド 型 の DBS や
20
講演
ています。一番分かりやすい例をあげますと、あ
図 3 は、このコントローラーを使って、脳卒中
後運動麻痺が手を動かしたときにだけ MCS が駆
動するようにしているところです。こうすれば、
MCS と言いまして、必要なタイミングに DBS や
その時間を必要最小限にできます。DBS や MCS
MCS が駆動されるシステムの研究を進めていま
を駆動するシグナルとして、近赤外線分光法で大
す。例えば、脳卒中後の患者さんに多いのですが、
脳皮質の活動を検出しても同じようなことが可能
ある姿勢を取ったときにだけ震えが出るというこ
です。
とがあります。姿勢時振戦と言います。ある姿勢
DBS や MCS をオン・デマンドにすると、従来
を取ると震えるわけですから、ある姿勢を取った
の DBS や MCS がシグナルの検出と制御という両
ときにだけ DBS を駆動できるようにするとオン・
方の機能を持つことになりますので、ある種の人
デマンドになります。あるいは、振戦が起きたと
工神経回路を脳に加えたような形になります。し
きにだけ DBS を駆動できるようにしてもオン・
たがって、DBS や MCS が発展していくと、脳と
図3:コントローラーを使って、脳卒中後運動麻痺が手を動かしたときにだけ MCS が駆動する概念図。
MCS を駆動するシグナルとして、筋電図の他に、近赤外分光法で大脳皮質の活動を検出しても同じ(検討中)
。
人工神経回路、つまり脳と外界との間の双方向の
もあります。適切な再学習ないし再構成を誘導する
ループがハイブリッド化されることになるのでは
には、慎重な検討を積み重ねていかなければなりま
ないかと考えています。
せん。この点に十分注意をしながら、DBS を発展
これは BMI でも DBS でも、基本的には同じこ
させていきたいと思っています。
とだろうと私は思います。脳内の神経回路に新しい
クローズド・ループを付け加えるのですから、脳は、
そのクローズド・ループが加わった状態で、再学習
あるいは神経回路の再構成をしなければならないこ
とになります。つまり、新しい脳内の神経回路の再
構成の方法であると言うことができると思います。
ただし、目的とは違った再構成が起きてしまう恐れ
Q. DBS によるリスク、副作用などの問題点について、ご教
授ください。
Q. DBS を通じて神経回路の新しい発見などはありましたで
しょうか。
A. 主なリスクは手術中の脳内出血です。1%くらいの確率
A. より良い効果を得るために、DBS の電極を設置する位置
です。副作用は刺激部位によって違いますが、大きな問題
を色々工夫しています。その結果として、神経回路の詳細
がないことを確認してから治療に使います。
がはっきりしてきたということもありました。
Q. DBS のパーキンソン病に対する効果に驚きました。あれ
は永続的なのでしょうか。すべての患者さんに効果がある
のでしょうか。
A. 効果は永続的です。ただし、パーキンソン病の進行を止
められるわけではありませんので、あまりにパーキンソン
病が進んでしまうと、効果も減弱してきます。
講演
21
脳科学研究の革新的な展開へ:新たなモデル動物の誕生
「神経回路をひもとく技術革命」
い
さ
ただし
伊 佐 正 (自然科学研究機構生理学研究所) 課題Cでは、脳科学研究という山のすそ野を支
えるような基盤技術開発ということを目的として、
つながっている細胞があるのですが、この部位への
研究を行っています。
直接の投射が霊長類固有の指の細かい運動の制御と
脳は基本的に回路から構成されています。脳の
ところが、実は良く見てみると、前角の投射先
ンテルのプロセッサーを見てみますと、非常に整然
よりも、真ん中辺り(中間帯)への投射の方が多い
と部品が配置されているので、ある部品が壊れたら、
のです。ネコでは、大脳からの入力を運動神経細胞
それを外して取り換えればいいですし、機能を調べ
に連絡するニューロンがあることが知られていま
ようと思ったら調べたい部品の導線を切ればよいの
す。ネコでは直接路がないものですから、この中間
です。
帯にあるニューロンを1個介して運動ニューロンを
制御しているということです。ここで気になってく
多くのものが混ざり合っていて、一つ一つ分析をす
るのは、こういった進化の過程で古い経路、下等な
るのは非常に困難です。そこで、神経回路の個々の
動物でメインの役割を果たしてきた経路が、その後
部品の機能を調べるには、特定の経路の活動を止め
の進化の過程で新しい直接の経路が加わった時に、
る、遺伝子の発現を調節することで、脳の個別の経
どのようになるのでしょうか。
路を操作することが必要になります。そうすること
一つの考え方は古い経路をうまく利用している
ができれば、脳科学の研究用ツールとして非常に役
のだろうという考え方です。もう一方は、古い経路
に立ちますし、将来的に選択性の高い遺伝子治療の
はもはや邪魔だから、使わないで捨てるとか抑制す
基礎になると思います。
るという考え方です。これについては学問上の激し
実際の研究は非常に基礎的なところからスター
い議論があり、イギリスのカイパース(Kuypers)
トします。私たちはまず、大脳皮質の運動野という
や、その流れを汲むレモン(Lemon)らのグルー
ところから、脊髄に下りて手や足の運動を制御する
プは、古い経路は邪魔だから、むしろ直接介さない、
という、皮質脊髄路という経路について研究を始め
中間帯への投射はむしろ古い経路を抑制しているの
ました。
であって、むしろ使わないことが大事だという主張
この皮質脊髄路という経路は、進化の過程で非
しています。一方で私やスウェーデンのグループは、
常に大きく変貌しています。脊髄の断面図を見てみ
直接の経路だけでは不十分で、間接経路で効果を増
ますと、ネズミやネコの場合、線維は灰白質の真ん
幅しているのだと主張してきました。非常に長年の
中辺りに集まって投射していますが、高等な霊長類
議論があったのです。
を見ると、前角と呼ばれる前の方にも投射していま
講演
関わっていると考えられています。
回路は、よく電子基板と例えられます。例えば、イ
一方で、実際の神経回路は電子回路とは異なり、
22
す。そこには運動神経細胞といいまして筋肉に直接
一つの解決法として、直接経路を切って調べて
図 1: 2重感染による経路選択的・可逆的神経伝達遮断法
みました。直接の経路と間接経路は脊髄で違う場所
した。ウイルスは感染すると細胞に取り込まれて、
を通っており、私たちは脊髄の一部に損傷を作って
その細胞の中に自分の遺伝子を運びこむという性質
直接経路のみを遮断しました。損傷前のサルは、親
があります。この性質に注目したのがウイルスベク
指と人さし指を非常に器用に使って餌をつまみます
ターで、遺伝子治療にも使われています。神経科学
が、損傷直後はいったん障害を受けます。その後、
研究においては、レンチウイルス、アデノ随伴ウイ
訓練を続けて、1∼2か月が経つと、また、きれい
ルスといったウイルスが良く使われるようになって
につまめるようになってきます。このように間接経
います。
路をうまく残すと、指を細かく動かす運動が回復す
るということが分かりました。
私たちが行ったのは、図1のようなことです。
まず、ターゲットとなる領域にある種のウイルスを
間接経路をうまく使えば、指の細かい運動が可
注入します。逆行性といって、行き先から根元の方
能であるということは、非常に大事な知見で、臨床
向に容易に運ばれるウイルスです。ある部位にこの
的にも脊髄損傷を機能回復させるという点において
ウイルスを注入すると、その部位に投射している領
意味があることです。しかし一方で、回復には訓練
域、つまり、根元の領域まで運ばれるわけです。
と学習が要るということから、健康な状態で間接経
次に、今度は根元の場所に2番目のウイルスを
路が何をしているかは分からないではないか、とい
感染させますと、特定の領域から特定の領域に投射
うのは当然の指摘です。そこで、私たちは経路を切
する細胞だけが、2種類のウイルスに感染するわけ
断するのではなく、この経路だけを選択的にブロッ
ですから、その細胞だけで遺伝子発現が調節できる
クできないだろうかと考えました。
ようにすればよいということです。二重感染した細
そこで、私たちはウイルスベクターを利用しま
胞はこの2つの配列を持つわけですが、感染した
講演
23
間接経路を止め運動が阻害された
ということは
間接経路は精密把持の制御に働いている
Dox の投与開始後訳2日で症状が出る。失敗率の増加と運動時間の延長
図 2: ドキシサイクリン投与後の手指の精密把持運動の障害
だけではこの2つの遺伝子配列は相互作用を行い
この経路だけで可逆的に、遺伝子の発現を調節する
ません。しかし、ここにドキシサイクリン(Dox)
ということが可能になるわけです。
という抗生物質を投与することで、この Dox が
このような操作を行ったときのサルの行動を少
rtTAV16 という特定の配列にくっつき、さらにこ
しだけお示ししますと、図2のようにサルは親指
の配列がこの TRE という別の配列に作用するとよ
と人さし指を伸ばして、非常に器用にサツマイモ
り下流の配列の転写が始まります。転写されるのは
のかけらをつまむことができます。しかも、非常
テタヌストキシン(破傷風毒素)で、神経細胞は殺
に素早く器用に動かすことができます。しかし、
さないのですが、神経伝達物質が放出できないよう
Dox 投与から2日後に同じことをさせると、動き
にしてしまいます。Dox の投与を止めると破傷風
が非常に遅くなって、つまみにくそうにしていま
毒素は作られなくなり、神経伝達が普通に行われる
した。親指があまり伸びずに、やっとつまんでい
ようになります。ですから、Dox を投与したり止
るという感じになり、落っことす回数も増えると
めたりすることで、可逆的に神経の伝達を止めたり
いった具合に、顕著に症状が出ます。
戻したりということが可能になるわけです。
この方法を使って、実際にどのようなことを行っ
能が落ちているのかを、解析する必要があります。
運動ニューロンがある場所に、1番目の逆行性ウイ
そこで、先ほどの大脳皮質から脊髄に下りてきて
ルスベクターを注入します。続いて、細胞体がある
直接運動ニューロンにつながる経路を電気刺激し
根元の場所に2番目の順行性ウイルスベクターを注
て運動ニューロンの周囲でフィールド電位を記録
入しますと、この細胞でだけ二重感染が起こるとい
しました。その結果、図3のように8割から9割
うことになります。この状態で、Dox を投与すれ
程度と高率に抑えられているということを証明で
ば、遺伝子が発現し、破傷風毒素が生産され、この
きました。
て、Dox の投与を止めると、元に戻るわけですから、
講演
はそれだけでは不十分で、実際には何%ぐらい機
たかをご紹介します。脊髄の先ほどの前核、つまり
回路の信号だけを止めることができるのです。そし
24
行動への影響は観察されましたが、研究として
さらに形態学的に、どの経路が抑えられたかを
免疫組織で調べました。先ほどの破傷風毒素に緑
図 3: 電気生理学的実験による間接経路の信号伝達障害の証明
色の蛍光タンパク質(GFP)を一緒にくっ付けて
GFP の抗体を使って遮断していた経路全体を可視
おいて、それに対する抗体で染めてやりますと、
化することにも成功しました。
実際にその破傷風毒素が発現していた細胞を染め
上げることができました。
私たちの開発した遺伝子の発現を制御する方法
は、神経科学の研究ツールとして非常に革命的な
以上のように、技術的な開発という面から申し
ツールであると考えています。また将来的には遺伝
ますと、霊長類で初めて、経路選択的に、可逆的
子治療の基礎的な技術につながるのではないかと考
に、神経活動をオン・オフすることに成功しました。
えております。
今回お話しましたが、再現性が非常に高いことも
確認しています。さらに、前に述べましたように
Q. 2種類のベクターを用いる方法は、サルに応用できる以
外に、光遺伝学と比べてどのようなメリットがありますで
しょうか。
Q. 特定のニューロンを作用させなくする技術はニューロン
のみの技術なのでしょうか。それ以外にウイルスベクター
を用いた技術があれば教えて下さい。
A. ウイルスベクターの二重感染法は、複雑な神経回路の中
A. ウイルスベクターは現在遺伝子治療の技術として身体の
で、ある特定のエリアとエリアをつなぐ経路のみに遺伝子
様々な部位の細胞 ( 白血病の治療のための骨髄細胞や糖尿
的な操作を施す画期的な方法です。今回は、この方法を用
病の治療のための膵臓の細胞)に対して用いられるように
いて、数日かけて神経活動を抑え、行動が変化したことを
なってきています。
ご紹介しました。一方、光遺伝学とは、光に反応して、数
できるタンパク質を発現させる方法です。これらはそれぞ
Q. 進化的に霊長類にしかない新しい回路の方も切断する
と、進化の古い方の動物のような行動に戻るのでしょうか。
れ素晴らしい技術ですが、この2つを組み合わせることで、
A. それは既に研究が進んでいまして、新しい経路を遮断す
目的の神経経路だけを自由自在にオン/オフすることが可
ると、古い経路によって機能が代償され、行動もそれで可
能になります。
能な範囲のものになるようです。
ミリ秒のオーダーで神経活動をオンにしたりオフにしたり
講演
25
脳科学研究の革新的な展開へ:新たなモデル動物の誕生
「ヒト脳の理解のための新しいモデル霊長類:コモン・マーモセット」
お か の
ひでゆき
岡 野 栄 之 (慶應義塾大学医学部) ヒト
チンパンジー
マカクザル
マーモセット
マウス
5.4
進化と脳
大脳(新)皮質の拡大
言語、道具使用、自己意識などの新しい機能の出現
23
40
91
X 百万年
図 1: ヒト、チンパンジー、マカクザル、マーモセット、マウスの進化系統樹と脳の構造 (図提供:Wieland Huttner 博士)
26
講演
われわれヒトの脳とこころの問題は切っても切
から「こころ」が生じたかを考えてみると、一つは
れない問題です。「こころ」は一体どこにあるかと
進化の軸があります。生命進化 38 億年の中、いつ「こ
いうのは、昔からいろいろな議論があり、心臓にあ
ころ」が生じているか、ということです。そしても
るとか、
「腑に落ちる」という表現があるように消
うひとつ、発生発達軸があります。受精卵から始まっ
化器と非常に関係ありそうだとか、いろいろな議論
て胎児期、そして生まれてきて、そして幼児期、思
がありました。しかし現在では、「こころ」という
春期、そして青年、成人となる、そのいつごろから「こ
のは脳がつくり出すということで、誰もが疑問に
ころ」が生じているかといったことです。進化の軸
思っていないと思います。
ということで、もう少し考えてみたいと思います。
一方、この「こころ」の病、例えばうつ病、統
図1は哺乳動物の進化をごく簡単に書いたものであ
合失調症、PTSD などは、脳の神経回路の機能異
ります。マウスと、われわれヒトを含む霊長類とい
常として捉えることが可能になってきています。こ
うのは 9,100 万年前に分かれたといわれています。
の「こころ」というものをどのように理解していく
この大脳皮質というものが、われわれヒトに近づく
かというのは、いろいろな捉え方があります。いつ
に従って、しわが増えて大きくなっていくことにお
どのような遺伝子の変化が、
種間で見られる脳の形、大きさ、機能の多様性に
貢献しているのであろうか?
ゲノム研究
ヒトとチンパンジーの遺伝子配列は、
99 % 相同である然るに脳の大きさは3倍違う
では、この3倍の脳の大きさの違いを決める遺伝子は何か?
ヒト
トランスジェニック(遺伝子改変)動物技術
個体レベルでの遺伝子の機能の解析が可能になる。
トランスジェニックマウスの開発は 1982 年 (Palmiter et al. Nature, 1982)
霊長類では、2009 年 (Sasaki and Okano et al. Nature, 2009)
チンパンジー
図 2: 遺伝子と脳から見たヒトの進化
気づきになると思います。進化とわれわれの脳の関
じだといわれています。しかし、脳の大きさは3倍
係で一つ言えることは、大脳皮質が拡大していると
も違うわけですから、3倍の脳の大きさを決める遺
いうことです。これに対応して、われわれに特徴的
伝子が、1%の違いの中のどこかにあるはずだと考
な機能というものが出てきています。言語、道具使
えていくと、がぜん面白くなってきます。
用、自己意識といった新しい機能が、大脳皮質の拡
それと、もう一つは、そういった遺伝子の働き
大とともに出現してきたと、考えていただいてよろ
を個体レベルで解析する技術、いわゆるトランス
しいかと思います。
ジェニック技術、遺伝子改変動物技術といったもの
私達ヒトの脳は、進化的にいろいろな古い部分
が非常に発達してきています。つまり、個体レベル
から新しい部分まですべて含んだものであると考え
で遺伝子の機能を解析することが可能なのです。個
られています(図2)。ヒトの脳の中には、進化の
体レベルで遺伝子発現技術は、1982 年マウスで開
過程で保存されてきた部位に加えて、大脳皮質のよ
発されました。そして 2009 年、私たちは霊長類で
うな霊長類において非常に拡大し、高度な機能が獲
の遺伝子改変技術に世界で初めて成功いたしまし
得された新しい部位が存在します。
た。この技術を用いて、脳の進化の謎を遺伝子から
脳を理解するために 1990 年ぐらいから取って
解明したいという目的と、いろいろな神経の病気の
いたアプローチは、進化の過程で保存された脳の基
モデル動物をつくって、病気の理解、治療法や治療
本原理を究明しようというものです。しかし、この
薬の開発に役立てていこうという目的で、遺伝子改
方法だけでは限界があります。次にどのような遺伝
変マーモセットをつくったのです。この成果は、社
子の変化が種間で見られる脳の形、大きさや機能の
会、産業界からの期待が非常に高いということで、
多様性に貢献しているのであろうかということを調
2009 年の日経産業新聞の技術トレンド調査で、最
べ始めました。進化の研究というのは、実験的に証
も注目される研究として選んでいただいています。
明できないからやるものではないと、昔は言われた
ここで使っていますコモン・マーモセットとは
ものですが、現在では、いろいろな生物の全遺伝子
どういうおサルさんかということを少し紹介しま
配列が、解明されつつあります。例えばゲノム研究
す。非常に繁殖効率が高いという特徴があります。
では、ヒトとチンパンジーの遺伝子配列は 99%同
生まれてから次の世代をつくれるようになる性成熟
講演
27
コモン・マーモセットの実験動物としての利点
ヒトに近縁であり類似性が高い
・代謝経路、生理学的・解剖学的特徴がヒトと非常に類似している
・ヒトのサイトカイン、ホルモンと交差性を示す
繁殖効率が非常に高い
・性成熟まで約1年半と他の霊長類(3 ∼ 4 年)に比べ短い
・一匹の雌が年間5∼6匹を出産/生涯産仔数 40 ∼ 80 匹
神経科学研究モデルとして注目
・社会行動研究モデル、特徴的音声コミュニケーション
・自発運動量が多く、行動観察が比較的容易
・マカクにおける高次脳機能と関連した行動学的手法を適用できる(入来らが開発)
・各種ヒト神経疾患モデルが開発されている
・遺伝子改変個体の作成が可能となった
Marmosets
図 3: マーモセットの実験動物としての特長
28
講演
まで1年半ということで、他の霊長類が3∼4年と
キンソン病のような症状を出すモデルということ
いうのに比べても非常に短く遺伝子改変技術を見い
で、ヒトのパーキンソン病のごく一部しか表現して
だすための大きな利点となりました。また、社会行
いないということがいわれています。また、アルツ
動や音声コミュニケーションが盛んである面白い特
ハイマー病モデルについても、単に加齢に伴い、へ
性を持っています。これらの特徴は、他のマカクザ
んてこな物質がたまってくるというところだけが似
ルやチンパンジーにない特性としまして非常に注目
ているということで、認知機能などはまったく調べ
されています。また、マカクサルで用いられるいろ
られていないということです。やはり、もう少しヒ
いろな高次機能と関連した行動手法も用いることが
トの病気に似たモデルを、遺伝子改変技術を使って
できるということが知られていますし、いろいろな
つくる必要があるだろうということで、この脳プロ
ヒトの神経疾患モデルが開発されてきており、実験
で取り組んでいるところです。まず着目したのは
動物としてたくさんの利点があります(図3)。
パーキンソン病です。このパーキンソン病を起こす
私たち過去 10 年にわたって、いろいろなヒトの
遺伝子というものが最近分かってきましたので、こ
疾患モデルというものをつくってきました。最初は
の遺伝子をマーモセットの胚に導入し、パーキンソ
脊髄損傷モデル、脳梗塞モデルなど、物理的損傷モ
ン病モデルのマーモセットの作出に成功しました。
デルだけでしたが、この脳プロを始めるにあたりヒ
もう3歳ぐらいになっていて、次の世代も生まれて
トの神経変性疾患モデルをつくろうということで、
きていますが、経時的に観察をしています。
研究を始めています。これまで、神経疾患モデルと
また、もうひとつ重要な疾患としてアルツハイ
して、脳梗塞モデル、脊髄損傷モデルなどをつくっ
マー病があります。これは、認知症全体の半分を占
てきました。一方、いわゆる神経変性疾患モデルと
める難病ですが、トランスジェニック法を使ってモ
しては、アルツハイマー病、パーキンソン病モデル
デル動物をつくることが可能です。このアルツハイ
などが報告はされてはいますが、薬を投与してパー
マー病に関しては、老人斑というものができて神経
原線維変化が起き、さらに、神経細胞死が起きて、
認知症が起きると考えられています。このように病
いうことで研究を進めています。
チンパンジーとヒトの間で異なる遺伝子の中に、
状が進行するということが、多くの人の病理脳の解
脳の違いに関わる遺伝子の中には、FOXP2 という
剖の総合的な知見から推測されています。このアル
言語を調節するといわれている転写因子などがあり
ツハイマー病モデルとなるマーモセットをつくり始
ました。では、脳の構造とどんな関係があるかとか、
めているところです。
大脳皮質に関わる遺伝子を、チンパンジーとヒトで
それから、もう一つ、どのようにして大脳皮質
異なる遺伝子を手掛かりとして、マーモセットの遺
が拡大していくかという脳の進化の謎を遺伝子から
伝子改変技術などと組み合わせながら、アプローチ
解明する研究も進めています。マーモセットの発生
したいと思っています。
過程における大脳皮質の拡大について調べてみまし
ヒトの脳は、動物に普遍的な機能と、霊長類に
た。脳が大きくなるときには、当然細胞が増えてい
なってからの大脳皮質の拡大に伴って出現した機能
るわけですが、細胞が増える場所というのは、マウ
があります。これを非常にうまくつなげるのが、こ
スなどでは脳室の近傍で、そこからできた神経細胞
の遺伝子改変霊長類で、遺伝子レベルからヒトレベ
が外側に動いていきます。ところが、ヒトでは、こ
ルまでのギャップを埋めて、われわれの脳というも
こで増えた後、
さらにその外側でもう一回増えます。
のを理解していくといった方向に研究を展開してい
2回に分けて増えるので、それだけたくさん細胞を
きたいと考えています。
つくることができるのです。実際、このような外側
で増える outer subventricular zone というもの
が、マーモセットでもあるのかということを調べた
ところ、マーモセットにも存在することが分かり、
つい最近論文をまとめました。このような外側でも
増えるメカニズムを持ったマーモセットですので、
ヒトに近い脳をつくることができるのではないかと
Q. マーモセット・マカクザル・ヒトの脳にどのくらいの違
いがあるのでしょうか。今分かっている最新の情報を教え
て下さい。
Q. マーモセットに言語や脳の大きさに関連するヒトの遺伝
子を導入する予定はありますか。
A. 現在計画中です。
A. まず、ヒトの脳についてですが、他の2つの脳と比べて
非常に大きいです。重い頭部を支えることのできる二足歩
行が可能になったことと、脳が大きくなったことは大きく
関連していると考えられています。特に大きくなった部分
は、前頭葉であり、ここは運動性の言語機能、判断、作業
記憶といった高次の脳の機能と関係しています。また、マ
カクザルに道具を使用させるトレーニングを行うことで、
ヒトにしかない領域が拡大することより、構造と機能は非
常に対応しているものだとわかってきました。マーモセッ
トはマカクザルに比べて社会行動や親子関係に関し、ヒト
により近い特徴がありますので、そういったことに関連す
る領域を中心に調べることで興味深い研究が進展すると期
待されています。
講演
29
閉会挨拶
ごく簡単に閉会のごあいさつを申し上げたいと思
うにできるか、どのように働いているかということ
います。この文部科学省の脳科学研究戦略推進プロ
を明らかする研究、そういう基礎的研究も非常に重
グラムは、最初に中西先生からお話がありましたよ
要です。これらの研究は一体として進めないといけ
うに、平成 20 年に開始されまして、研究の進捗状
ないというのが、私どもの立場、スタンスです。そ
況あるいは研究の進展状態を社会一般の方々にお知
ういう意味で、今日は基礎的研究に関しましても、
らせするというのも重要であろうということで、毎
田中先生、それから基盤的な実験動物の研究に関し
年公開シンポジウムを開催してきました。今回は、
まして伊佐先生と岡野先生から非常に興味深いお話
4回目になりますが、実は関西での開催は初めてな
を頂きました。
のです。
最初に申し上げましたように、社会に貢献する脳
それで、皆様に来ていただけるのかどうか多少不
科学を目指すというのが私どものスタンスでござい
安な点もあったのですが、今日は、176 名(シン
ますので、これからも、一般向けの公開シンポジウ
ポジウム参加者)の方々にお集まりいただいたとい
ムを開催していきたいと思っております。詳しく
うことで大変喜んでおります。大阪の科学技術セン
は、お手元のプログラムに脳プロのホームページの
ターというのは、私には個人的な思い出があります。
URL が書いてございますので、そのホームページ
1990 年ごろですが、家電メーカー、例えば、シャー
をご参考にしていただければと思います。今後の公
プとか当時の松下とか、そういったメーカーが非常
開シンポジウムの予定、さらに先ほどお話がありま
に脳研究に興味を持ちだしたことがありまして、脳
したようなご質問に対するお答えも、一部掲載して
研究の研究会をここで盛んにやっておりました。そ
いきたいと思っております。そういう意味で今後と
の結果、例えば液晶テレビだとか、今、何かいろい
も脳研究に対する皆さま方のサポートを頂き、さら
ろ「ご飯が炊けました」とかしゃべるような、非常
にこの脳科学研究戦略推進プログラムを活発に推進
に進んだ家電製品がいっぱいできておりますが、そ
していきたいと思っております。
の基礎に多少とも貢献した時代がありました。
今日は、この雨の中、たくさんお集まりいただき
しかしながら、その後、日本の経済はバブルが
まして、今まで長い間ご清聴いただきました。それ
はじけましたが、脳研究の方は 1990 年代からさ
からご質問もたくさん頂きました点を非常にありが
らに発展しまして、特に、ヒトの脳研究がものす
たく思っております。最後になりましたが、皆さま
ごく発展しました。今日お話をお聞きになったと
方の、ご清聴、ご関心に感謝してこの会を閉じたい
思いますが、ヒトを対象とした研究、例えば、今
と思います。今日は長い間どうもありがとうござい
回のお話にありましたブレイン・マシン・インター
ました。
フェースの研究は、非常に発展いたしまして、お
聞きいただいたような素晴らしい成果がいろいろ
出てきております。
文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」
ただ、今日のお話の中でもありました通り、ブレ
津本 忠治(課題 D・E・F プログラムディレクター)
イン・マシン・インターフェースなどの社会に貢献
するような脳科学を推進するに当たりましては、や
はり基礎的な研究、例えば、神経回路はどういうふ
30
閉会挨拶
講演者
プロフィール
中西 重忠(なかにし しげただ)
課題 A・B・C プログラムディレクター
大阪バイオサイエンス研究所 所長
1966 年京都大学医学部卒業 / 1971 年京都大学大学院医科研究科修了 ( 生理系専攻 )/ 1971 ∼ 1974 年米国国立衛生研究所
(NIH)、癌研究所 (NCI)、分子生物学教室客員研究員 / 1974 年京都大学医学部医化学教室助教授 ( 医学博士 )/ 1981 年京都大
学医学部免疫研究施設第二部門教授 / 1995 年京都大学大学院医学研究科教授 / 2000 年京都大学大学院医学研究科科長医学部長
/ 2005 年京都大学名誉教授を経て、同年より現職。1995 年米国ブリストルマイヤーズスクイプ神経科学賞 / 1995 年米国芸術・
科学アカデミー外国人名誉会員、1997 年恩賜賞・日本学土院賞 / 2000 年全米科学アカデミー外国人会員 / 2006 年文化功労者
/ 2007 年米国グルーパー賞 / 2009 年日本学士院会員など受賞多数。
川人 光男(かわと みつお)
㈱国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所 所長・ATR フェロー
科学技術振興機構 さきがけ「脳情報の解読と制御」領域総括
1976 年東京大学理学部物理卒業。1981 年大阪大学大学院博士課程修了、同年助手 / 1987 年同講師。1988 年㈱国際電気通信
基礎技術研究所 (ATR) に移る。2003 年より ATR 脳情報研究所所長 / 2004 年 ATR フェロー、IEICE フェロー。2008 年よ
り科学技術振興機構さきがけ領域統括。2010 年より ATR 脳情報通信総合研究所所長。
田中 啓治(たなか けいじ)
理化学研究所脳科学総合研究センター 副センター長
認知機能表現研究チーム チームリーダー、医学博士
1973 年大阪大学基礎工学部卒業。1975 年大阪大学基礎工学研究科修士課程修了。1975 年日本放送協会放送科学基礎研究所入所。
研究員。1983 年医学博士(東京大学医学部)。1989 年理化学研究所国際フロンティア研究システムチームリーダー。1992 年理
化学研究所情報科学研究室主任研究員。1997 年理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダー。2003 年同副センター長。
吉峰 俊樹(よしみね としき)
大阪大学大学院医学系研究科 脳神経外科学教室 教授、博士(医学)
1975 年大阪大学医学部卒業。米国メーヨークリニック神経学教室研究員、行岡病院脳神経外科部長、大阪大学助手(脳神経外科)、
大阪大学講師(脳神経外科)、文部省長期在外研究員(マインツ大学、メーヨークリニック)を経て、1998 年より現職。大阪大
学医学部附属病院 未来医療センター長(兼任)
片山 容一(かたやま よういち)
日本大学医学部・大学院医学研究科(脳神経外科)教授、医学博士
1974 年日本大学医学部医学科卒業。1978 年日本大学大学院医学研究科博士課程修了。バージニア医科大学医学部講師、カリフォ
ルニア大学(UCLA)医学部助教授・脳神経外科脳損傷研究センター長を経て 1995 年より現職。
伊佐 正(いさ ただし)
自然科学研究機構 生物学研究所 発達生理学研究系 認知行動発達機構研究部門 教授、医学博士
1985 年東京大学医学部卒業。1989 年同医学系研究科修了。医学博士。スウェーデン王国イェテボリ大学客員研究員、東京大学
医学部助手、1993 年群馬大学医学部助教授を経て、1996 年より現職。
岡野 栄之(おかの ひでゆき)
慶應義塾大学医学部生理学教室 教授、医学博士
1983 年慶應義塾大学医学部卒業。筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授、大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授(1999
年から大阪大学大学院医学系研究科教授)を経て 2001 年より現職。2007 年より慶應義塾大学大学院医学研究科委員長を兼任。
2001 年塚原仲晃記念賞受賞、2006 年文部科学大臣表彰・科学技術賞受賞、2009 年紫綬褒章受章「神経科学」。
講演者プロフィール
31
BMI が切り拓くシステム神経科学研究
吉 峰 俊 樹 大阪大学大学院 医学系研究科
脳の表面からの脳波を用いた BMI によるロボットアーム操作のデモと、ワイヤレス体内埋込装置のプロトタイプを展示しました。
麻痺の回復に向けての挑戦:BMI が拓く新たな可能性
里 宇 明 元 慶應義塾大学 医学部
開発中の BMI 装置を用いて、患者さんの機能の改善や日常生活における麻痺手の使用を促せるようなトレーニング方法を紹介しました。
BMI 入出力デバイスの研究開発∼神経電極とロボットハンド∼
横 井 浩 史 東京大学大学院 情報学環 / 鈴 木 隆 文 東京大学大学院 情報理工学系研究科
脳活動の情報を安全かつ詳細に取り出すセンサに関する技術と、その信号に呼応して動く外部機械・電動装具を紹介しました。
高性能電極と ICT を用いた、歩行と読書が可能な次世代人工網膜
太 田 淳 奈良先端科学技術大学院大学 物質創成科学研究科 / 不 二門 尚 大阪大学大学院 医学系研究科
電子機器と網膜を繋ぎ視機能を再建する「人工網膜」と、次世代型開発に向けた分散型デバイスや高密度電極について紹介しました。
脳脊髄刺激療法を用いた振戦・運動麻痺に対する BMI
片 山 容 一 日本大学大学院 医学研究科
脳卒中後の運動麻痺や振戦に対し私たちが開発した、脳深部刺激装置や運動麻痺の回復を加速する装置を紹介しました。
遺伝子導入法を駆使した新しい脳科学研究法の開発と応用
伊 佐 正 自然科学研究機構 生理学研究所
霊長類にも適用可能な強力な研究ツールとしての遺伝子導入法と今後の展望について、紹介しました。
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体験展示
体験展示
脳の細胞を光らせる:霊長類脳における遺伝子発現制御のとりくみ
山 森 哲 雄 自然科学研究機構 基礎生物学研究所
蛍光タンパク質を導入したネズミやサルの脳標本などの展示とともに、霊長類の大脳皮質に関する研究を紹介しました。
マーモセットの行動を調べる
中 村 克 樹 京都大学 霊長類研究所
コモン・マーモセット(南米に生息する小型のサル)の脳の働きを評価する方法を、実際の装置や動画を用いて紹介しました。
経済行動を脳から読み解く∼神経経済学とは?∼
大 竹 文 雄 大阪大学 社会経済研究所
経済学の考え方である主観的効用や時間割引に関わる脳機能の測定法、脳機能と社会性の関係を明らかにするための研究を紹介しました。
環境は脳の形成や機能にどのような影響を及ぼすのか?
田 中 光 一 東京医科歯科大学 難治疾患研究所
様々な精神疾患の原因になる環境因子や遺伝的要因が脳の形成や脳機能に与える影響についての研究を紹介しました。
厚生労働省からの出展:障害者自立支援のための BMI 型環境制御システム
(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)
開発を進めている「BMI 型環境制御システム」を、脳波計、脳波キャップ、電極などの実機の展示を交えて紹介しました。
脳科学研究戦略推進プログラム事業紹介
「社会に貢献する脳科学」を目指して研究を進める脳プロの体制や各課題の目標についてを紹介しました。
体験展示
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脳科学研究戦略推進プログラム
公開シンポジウム in KANSAI
報告書
発行 : 文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」事務局 http://brainprogram.mext.go.jp 平成 24 年 1 月発行
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