...

触手な俺が魔女の奴隷 - タテ書き小説ネット

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

触手な俺が魔女の奴隷 - タテ書き小説ネット
触手な俺が魔女の奴隷
よしむ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
触手な俺が魔女の奴隷
︻Nコード︼
N4128BQ
︻作者名︼
よしむ
︻あらすじ︼
﹁今日からわしがそなたのご主人様じゃ!﹂
魔女のような格好をした女の子に言われた唐突な台詞。
とりあえず調子を合わせて事情を聞くと、俺は彼女によって召喚さ
れた使い魔らしい。召喚の際、魂に相応しい体を受肉させられたと
いうことなのだが、なにこの蠢くモノ⋮⋮。
そんな俺とご主人様が送るハートフルセクハラバトルファンタジー
トラベル∼きっと魔物娘も出てくるよ∼が今、開幕する!!
1
第一話
﹁今日からわしがそなたのご主人様じゃ!﹂
眩い光の中覚醒した俺に向かって、女の子が胸を張って言い放っ
た。
髪も瞳も着ているローブも真っ黒な女の子。
肩にかからないくらいの長さの髪が、三角帽子から覗いている。
くりくりとした大きな目がとても愛らしい。
そんな魔女のような姿をした女の子が腰に手をやり、せいいっぱ
い不遜な態度をとろうとしている。
威厳は感じない。
ただ、愛らしいだけだ。
﹁かわいらしいご主人様。貴女様のお名前は?﹂
とりあえず俺はこの女の子に合わせようと思った。
正直なところ状況がさっぱりわからないのだが、危機的というわ
けではなさそうだ。
﹁ほ、ほほう。その姿で会話をする知能があるのか⋮⋮。
さすがわしの召喚した使い魔! そこいらの使い魔とは格が違っ
た!﹂
満足げな女の子だが、俺の質問には答えてくれない。
だが少しだけ情報が手に入った。
2
魔
だとか。
その姿で会話をする知能があるのか
前者はすぐにわかった。
俺には手も足も頭の感覚もない。
だとか、
召喚した使い
もにょもにょと動かせる無数のナニカの感覚だけがある。
なんとなく俺は自分が人間だと思っていたのだが、今、この時に
至って違うということに気づいた。
俺は人語を解せなさそうな生物なのだろう。
そして後者。
非現実的な言葉の組み合わせだが、意味のわからない言葉ではな
い。
俺はこの女の子によって呼び出された、この女の子に使役される
生物なのであろう。
﹁ご主人∼、会話が成り立ってないです。俺の質問に答えて欲しい
です﹂
﹁ムムっ、わしとしたことが申し訳ない。
わしの名前はリュドミラじゃ!
そなたは何か覚えてることはあるかの?﹂
﹁何も⋮。名前もわかりません。
ただ、俺は人間だったような気がするのですが⋮⋮﹂
﹁そうじゃな。
そなたが人間だったと思うのなら、人間じゃったのだろう。
理解力もあり、人語も解すようじゃし、説明しておこうかの﹂
ご主人様ことリュドミラ嬢が解説してくれるらしい。
名前はわかったが、一応ご主人様と呼ぶ方が良さそうだ。
小さなことで機嫌を損ねたくない。
3
﹁あの世におったそなたの魂を召喚し、魂に相応しい身体を受肉さ
せたのじゃ!﹂
﹁ご主人、なんか外法っぽいですソレ。
死者の魂をこの世に呼びつけるとかヤバそうです﹂
﹁やっぱりそう思うかの?
わしも怖くてずっと使うのを躊躇ってたんじゃが、さび⋮⋮﹂
﹁さび?﹂
﹁⋮⋮不便での。じゃから仕方なく使ってみたのじゃ﹂
なるほどな。
この女の子は寂しくて俺を召喚したと。
どうやら俺は死んでたみたいだし、生き返れてラッキーってこと
で良いか。
﹁でもなんで俺の魂を選んだんですか?
俺としては生き返れてラッキーですけど、ご主人のお役に立てる
かわかりませんよ?﹂
﹁召喚する魂は選べないからのう。
じゃから、凶悪な者の魂を召喚して大変な目に遭う者も少なくな
いそうじゃ﹂
さっき怖いって言ってたのはこのことも含めてか。
﹁じゃあ俺みたいな優しいナイスガイを呼べてよかったですね、ご
主人﹂
﹁うむ、たしかに性格は悪くなさそうじゃがの⋮⋮。
見た目はちょっと異形というか、グロテスクというか、奇異とい
うかの⋮⋮﹂
﹁そんなに酷いんですか?
4
鏡とかないですかね?
自分の外見を見てみたいです﹂
﹁ちょっと待っておれ﹂
俺の言葉にご主人は袋の中をあさり始める。
横では焚き火がパチパチと音を立てて燃えており、辺りは暗い。
木々や草花が生い茂っている周囲からは、虫の鳴き声が聞こえて
くる
ご主人との会話に集中していたため今更気づいたのだが、ここは
森の中のようだ。
夜の森の中で不安になって俺を呼び出したのかなと、俺は足元の
複雑な文様で描かれた円陣を見ながら思った。
こんな子供が一人でこんなところにいるなんて、どんな事情があ
るんだろうか。
﹁あったあった、ホレ﹂
ご主人が手鏡で俺を映す。
そこに映っていたのは、巨大なナマコのようなモノに触手をはや
した生物だった。
大型犬くらいの大きさの胴体部分から触手が無数にはえている。
正直、ご主人が俺を見て逃げ出さなかったのは偉いと思う。
﹁良く言えば磯の仲間たちみたいですね﹂
﹁う、うむ。
じゃが、変な臭いとかはせんから大丈夫じゃ!
それにそなたの体は魂の形に相応しい形をとる。
じゃからそなたが様々な出来事を経験すれば、おのずと魂の形も
5
変わり、体もそれに相応しいものに変化する﹂
﹁ほ、ほんとですか!
俺、成長してイケメンになれますか!?﹂
﹁き、きっとなれるんじゃないかの﹂
ご主人が目を逸らしながら言う。
望みは薄いのかな⋮⋮。
とはいえショックといえばショックなんだけど、あまり俺は気落
ちしていない。
不思議とこの体はしっくりときてるしな。
﹁それじゃあご主人。
俺に名前をつけてください。
イケメンになれそうな、カッコいいやつを!﹂
恐らく俺はこれからこの女の子とずっと行動を共にするのだろう。
ならば名前は彼女につけてもらいたい。
﹁カッコいい名前じゃな⋮⋮。
フフフ、わしのセンスに脱帽するがよい!﹂
おお、ご主人はネーミングセンスに自信があるようだ。
﹁そなたの名前は今日からヴォルフガングじゃ!﹂
﹁うお、超カッコいい!
でもご主人、カッコ良すぎて不安になります。
もうちょっとだけ控え目なのが良いです﹂
﹁ふむ、たしかにそなたの言うこともわかるの。
あんまりカッコ良すぎる名前だと、実物を見てガッカリされるパ
ターンが怖い。
6
それじゃあ、ルートヴィッヒなんてどうじゃ!?﹂
﹁クールです! クールすぎます!
俺には勿体ないですよ!﹂
﹁ふむむむ⋮⋮、難しいのう⋮⋮﹂
そんなやり取りを、俺はご主人と続けた。
︱︱︱
小鳥の囀る音が聞こえ始めた。
眠らずに拝む朝日は、なぜこんなにも背徳的なんだろうか。
﹁ごめんなさい⋮⋮、わがままばかり言って⋮⋮﹂
﹁そなたが気にすることではない。
名前は一生ものじゃからの。
こだわるのは当然じゃ﹂
うつらうつらとしながらも、ご主人は色々な名前を提案してくれ
る。
だが、ご主人が提案してくれた名前はどれも響きがよそよそしか
った。
他の人の名前でついてたらカッコいいと思うのだが、自分の名前
としてしっくりこない。
﹁そうじゃな⋮⋮。
少し趣向を変えてみようかの⋮⋮。
ソーマなんてどうじゃ?﹂
7
おお! 親しみを持てる感じの響き!
それでいてイケメンっぽい気がする!
完璧だ、さすが俺のご主人様だ!
﹁それです! ご主人、凄くいいです!
その名前がいいです!﹂
﹁お、おおそうか!
そなたが気に入ってくれてわしも嬉しいぞ!﹂
﹁ありがとうございます。
この名前、一生大切にします﹂
﹁うむ。それじゃあ、名前も決まったことだし、少し寝るとしよう
かの﹂
﹁そうですね。俺が見張りをしますから、ご主人はゆっくり休んで
ください﹂
﹁いや、結界を張っておるから大丈夫じゃ。
ソーマも休むがよい﹂
﹁ありがとうございます、おやすみなさい﹂
﹁うむ、おやすみ﹂
ご主人は木に寄りかかり、マントに包まって目を閉じた。
あどけない顔立ちの女の子なのに、野宿に慣れているようだ。
俺はこの小さなご主人様が抱えている事情を聞いて良いのだろう
か。
ご主人が一人でこんなところで野宿している理由をアレコレ想像
しながら、俺は眠りについた。
︱︱︱
8
目を覚ますと、木々の切れ目から見える太陽が高い位置にあった。
たぶん時刻はお昼ごろだろう。
﹁おはよう、よく眠れたかの?﹂
見るとご主人が鍋に山菜やキノコ、穀物を入れて煮込んでいる。
﹁おはようございます。
すみません、ご主人より遅く起きるなんて﹂
﹁いいんじゃよ。
ちょっと待っておれ、もうすぐ出来るから﹂
コトコトと音を立てる鍋からはとてもいい香りが漂ってくる。
鍋はところどころへこんだり、焦げた跡がついており、使い込ん
でいるように見える。
﹁ご主人、もし答えたくなかったらいいんですが⋮⋮。
その、ご主人のご両親は?﹂
﹁うむ、とっくに他界したよ。
わしはこう見えても109歳じゃからな﹂
少し哀しそうな目をするご主人。
寝る前に考えていたアレコレが全てハズレた。
﹁ご主人は魔法かなにかで寿命を延ばしているってことですか?﹂
﹁近いが、少し違うのぅ。
呪われたのじゃ。
体が成長しなくなる呪いを受けてしまってな。
わしはこの呪いを解く方法を探して旅をしておる﹂
9
そうだったのか。
外見と不相応な話し方をしているが、精神年齢からすると相応と
言えるのかな。
ご主人が鍋から木製の皿に料理をいくらか移し、鍋とスプーンを
こちらに差し出した。
﹁すまないのう、皿が一つしかなくてな﹂
﹁いえ、ありがとうございます。
いただきます﹂
﹁ふふっ、ソーマは礼儀正しいのぅ﹂
触手をスプーンに巻きつけ、鍋から料理を口に運ぶ。
味付けは塩だけだが、キノコから出汁が出ていて美味しい。
それに山菜の苦味がアクセントになっている。
山菜の火の通し加減がにくい。
﹁凄く美味しいです﹂
﹁ありがと﹂
そう言って微笑むご主人は女の子らしく、とても可愛らしい。
しかし、彼女は100年の時を生きてきたと言う。
一人で100年の時を旅してきたご主人のことを考えると、少し
胸が痛む。
俺の胸がどこかはよくわからないが。
﹁ご馳走様でした﹂
﹁お粗末さまでした﹂
10
料理を食べ終わった俺たちはお皿や鍋を少しいったところにある
川で洗った。
﹁それじゃあ、そろそろ出発するぞぃ﹂
﹁はい、どこに向かうんですか?﹂
﹁うむ、近くに街があるからのぅ。
そこに向かって、少し仕事をして路銀を稼ごうと思っとる。
ま、今日中には着けるじゃろうて﹂
俺たちはまず街道に出て、そこから更に歩くことになった。
この体は歩くのが凄く遅そうに見えるのだが、人間とあまり変わ
らない速度で歩ける。
走ったときの速度も同じくらいだろう。
ただ、人間よりも体力はあると思う。
しばらく歩いていても、あまり疲労感は感じない。
﹁ご主人、よかったら俺に乗りますか?﹂
3時間くらい歩いただろうか。
ご主人の顔に少し疲労の色が見えたので提案した。
体が成長しない呪いを受けているということは、体力は子供並み
ということだ。
疲れてもおかしくはない。
﹁いいのか?﹂
﹁もちろんです。俺は全然疲れてませんし﹂
﹁それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかのぅ﹂
素直にご主人は俺の言うことを聞き、俺の体に跨るようにして乗
った。
11
そして、ご主人のお尻が俺の体に密着したとき、俺の体に異変が
起こった。
﹁な、なんじゃ⋮⋮、ソーマが少しずつ固くなって⋮⋮?﹂
俺の胴体にあたる部分が固くなる。
俺が意識的に固くしているわけではない。
﹁ソ、ソーマ⋮⋮、そんなに触手をわしの体に巻き付けなくても落
ちたりは⋮⋮、んっ﹂
そして俺の触手が勝手にご主人の体に巻きつく。
ご主人の太ももを、ご主人の臀部を、ご主人のお腹を、ご主人の
胸を。
﹁こ、これソーマ。
あ、あまり触手を動かすでない。
へ、変なところにあたってしまっておるぞ﹂
ご主人が恥ずかしそうにもぞもぞと体を動かす。
そしてときどき、ビクリと体を跳ねさせる。
その反応に、俺はついつい触手を蠢かしてしまう。
﹁い、いい加減にせんか!﹂
﹁ぎゃひんっ!﹂
ご主人から電撃が発せられ、俺の体が痺れる。
俺が体の自由を取り戻す前に、ご主人は俺から降りてしまった。 ﹁ソーマは外見と違って紳士だと思っておったが、わしの勘違いだ
12
ったようじゃな!﹂
﹁お、俺もこんなに自制が利かないなんて思ってませんでした⋮⋮﹂
魂に相応しい肉体を得る。
その意味が少しだけわかった。
﹁これからはソーマの前で油断しないように気をつけることにする
!﹂
﹁マコトにスミマセン⋮⋮﹂
ご主人に怒られ、トボトボと歩く。
実際は109歳とはいえ、小さな女の子に怒られた俺は猛省した。
﹁へへへ、お嬢ちゃん、こんなところを一人でどうしたんだい?﹂
そんな俺たちの前に、いかにも悪そうなおっさんたちが立ち塞が
った。
前から5人、そして後ろにも3人ほどいる。
﹁こんなところを一人で歩いてちゃ危ないよぉ∼、おじさんたちと
来ないかい?﹂
﹁結構じゃ。お引取り願おう﹂
ご主人がおっさんを睨みつける。
おっさんたちは剣やナイフで武装している。
数も多いし、俺は一体どれくらい戦えるのだろうか。
せめてご主人だけでも逃がしたい。
﹁そんなこと言ってると、無理矢理さらっちゃうぞぉ∼﹂
13
﹁これ以上近づくと死ぬことになるぞ﹂
ご主人が厳しい口調で威嚇する。
﹁ちっ、しょうがねえな。
無理矢理とっつかまえるしかねえか﹂
一人のおっさんが俺たちに近づこうとした。
それを見たご主人が、ため息をついた。
その瞬間。
ご主人と俺を中心として、周囲が業火に包まれた。
業火は数秒で収まり、おっさんたちは消えていた。
地面に黒い跡だけを残して。
﹁行くぞ、ソーマ﹂
何事もなかったかのように言うご主人。
100年以上生きてきた魔女のような格好をしたご主人様。
そのご主人様は、とても可愛らしく、とても強くて、とても容赦
がなかった︱︱。
14
第一話︵後書き︶
セクハラは犯罪です。
えっちなことをする際は、相手の同意をしっかり取りましょう。
15
第二話
﹁そろそろ着くぞ﹂
夕日に照らされた石造りの門が、遠くに見える。
石畳を歩くご主人の顔には、はっきりと疲れが出ていた。
﹁ご主人、疲れてるようなら俺に乗って下さい﹂
﹁そんなこと言ってまた体を弄るつもりじゃろ﹂
﹁うっ、ごめんなさい⋮⋮﹂
さっきの暴走をご主人はまだ許してくれていないようだ。
怒られたのはついさっきのことだと言うのに、俺の触手は反省し
てくれていない。
すれ違う女性にも勝手に触手が伸びていく。
俺は理性で触手を押さえつけるが、少し油断するとまた触手が伸
びてしまう。
﹁謝っておきながら、先ほどから女人に触手が反応しておるぞ﹂
﹁必死に抑えてはいるんですが、どうしても反応してしまいます﹂
﹁問題を起こせば、責任はわしが取らねばならぬ。
そのことを努々忘れるんじゃないぞ﹂
﹁わかりました。
それにしても、この街には色々な人がいるんですね﹂
街に近づいてきたせいか多くの人々とすれ違う。
人間、豚の顔をした人、鱗に覆われた蜥蜴男、猫耳をつけた人⋮
⋮。
16
俺からすると違和感のある光景だ。
﹁そうじゃな。
この辺りは色々な人々が共に暮らしておるようじゃ﹂
﹁でもさすがに俺みたいなのはいないみたいですね﹂
﹁わしの使い魔じゃからな!
そんじょそこいらの者どもとは違って当然じゃ!﹂
当然だとばかりに言い放つご主人を見ていて、俺は申し訳ない気
持ちになった。
性欲もコントロールできないポンコツです。
今のところ凄い特技とかもないし。
しかもご主人はとても強いみたいで、俺が守られる立場になって
いる。
﹁ご主人、俺、何もできない自分が悲しいですよ⋮⋮﹂
﹁生まれたてなんじゃから仕方ないじゃろ
むしろ生まれたてなのに人語を操るのは凄いことじゃよ﹂
ご主人はこんな俺を受け入れてくれる優しいご主人だ。
ご主人の役に立てるよう頑張ろう。
﹁思っていたよりも大きな街のようじゃ﹂
門番の人に軽く会釈をしながら、門を潜り抜ける。
門を抜けた先に広がる街並みは整然としていた。
あちらこちらから聞こえる喧騒。
露天で売られている様々な食べ物。
門から続く大通りはとても活気に溢れている。
17
﹁凄く賑わってますね。
あ、チョコバナナが売ってますよご主人。
それにフランクフルトも﹂
﹁⋮⋮今から宿をとるからの。
宿で夕食も出るじゃろうし、間食はやめておくのじゃ﹂
そう言ってご主人は大通りを抜けていく。
﹁ご主人、自信満々に歩いてますけど宿の場所はわかってるんです
か?﹂
﹁大体どの街も宿の場所は変わらんものじゃ﹂
さすがに100年も旅をしていると違うものだな。
﹁この宿でいいじゃろ﹂
取り立てて豪華というわけではないが、清潔そうな宿を選んだご
主人。
宿の名前は﹁まんぷく亭﹂だ。
恰幅の良い人間のおばちゃんに受け付けをしてもらい、2階の部
屋に案内された。
夕食にはまだ時間があるようだ。
﹁し、しくじったのじゃ⋮⋮﹂
部屋を見渡したご主人が頭を抱えている。
﹁どうしたんですかご主人?﹂
﹁ベ、ベッドが一つしかない⋮⋮﹂
18
﹁なんだ、そんなことですか。
俺は床でも問題なく寝れますから大丈夫ですよ﹂
野宿したときも体のどこかが痛くなるということはなかった。
﹁せっかく宿に泊まるんじゃし、ふかふかのベッドで眠る方がよか
ろう﹂
﹁それなら一緒のベッドで寝れば︱︱﹂
ご主人が睨んでくる。
が、何かを諦めたように息を吐く。
﹁仕方ないのぅ。
一緒に寝るか﹂
﹁えっ、冗談ですよ。
絶対寝てるご主人にえっちなことしちゃいますから床で寝ます﹂
﹁ソーマは変態なのか紳士なのかはっきりするべきじゃな﹂
﹁変態紳士ですよ﹂
﹁なるほどな。
ま、ソーマの好きにするがよい﹂
椅子に腰掛けながら言うご主人。
﹁ご主人、マッサージしてあげましょうか?
疲れが取れますよ﹂
﹁それは却下じゃ﹂
完璧な拒絶を受けた俺は、夕食まで自分の体のことを調べること
にした。
うにょうにょごろごろのびのびしながら時間を潰す。
19
ご主人は何かの本を読みながら、そんな俺を優しい目で一瞥した。
そうして時間を潰していると、扉をノックする音が聞こえた。
﹁お客さん、夕食ができましたよ﹂
先ほどの恰幅の良いおばちゃんだ。
﹁そちらの、えっと⋮⋮﹂
俺の方を見ながら口ごもるおばちゃん。
﹁俺はソーマと言います。
ご主人の使い魔です﹂
﹁そうかいそうかい。
礼儀正しい子だねえ。
それで、ソーマちゃんのご飯はいかがしますか?﹂
﹁わしと同じもので良い﹂
﹁わかりました、それじゃあ下の食堂でお待ちしておりますので﹂
そう言っておばちゃんは階段を降りていった。
﹁それじゃあ行くとするか﹂
﹁はい、ご主人﹂
本を閉じたご主人の言葉に返事をする。
俺はご主人と一緒ににょろにょろと食堂に向かった。
食堂には数組の客がいた。
混雑しているわけではないが、かと言って閑古鳥が鳴いているわ
けでもなさそうだ。
20
﹁お嬢ちゃんとソーマちゃんはここを使いな﹂
おばちゃんが俺たちを手招きしている。
おばちゃんが用意した席の椅子は、他の物より高い。
俺やご主人が食事しやすいようにセッティングしてくれたのだろ
う。
俺は触手を使い、その椅子の上に乗った。
人間用に作られた生活空間は、この体だと色々不便かもしれない。
バリアフリー化を求める。
﹁わざわざ高い椅子を用意していただいて、ありがとうございます﹂
﹁それが仕事だからねェ。
お礼を言われると困っちゃうよ﹂
おばちゃんは少しはにかみながら言う。
その表情がチャーミングだ。
ご主人は少し不機嫌な顔をしているがどうしたのだろうか。
出された料理はどれも美味しかった。
特に牛肉のパイ包み焼きは絶品だ。
粒胡椒のピリリとしたアクセントが、肉の風味とよく合っている。
そんな美味しい料理を食べている間もご主人の不機嫌は治らなか
った。
もしかして俺は何か気に障ることをしてしまったのだろうか。
21
﹁ソーマはともかく、なんでわしの椅子まで子供用なのじゃ!﹂
部屋に戻り、ご主人に何かあったのか聞くとそう返ってきた。
﹁普通の椅子でもわしは食事くらいできる!
まったく子供扱いしおってぇぇえ!﹂
言いながら枕をポフポフと殴りつけるご主人。
ご主人、体格は子供なんですから仕方ないですよ。
と言いたいが言ったら火に油を注ぐことになるだろう。
どうしたらご主人の怒りを鎮められるだろうか。
このままでは枕の命が危ない。
﹁ご主人はオトナですよ﹂
﹁む?﹂
枕を殴りつけるの辞めて、俺の言葉に耳を傾けるご主人。
﹁だって、俺の触手にあんなに感じてらしたんですから﹂
﹁∼∼∼!!﹂
声にならない声を出し、ご主人がわなわなと震えながらこちらを
睨みつける。
ご主人の体から漏れ出る何かが火花を散らし、煌いている。
どうやら枕の命を救うことには成功したようだが、俺の命が危な
くなったようだ。
22
拳をふりかぶるご主人。
次の瞬間、俺は意識を失った。
︱︱︱
翌朝、窓から差し込む光が俺を覚醒へと導いた。
昨晩はいつの間にか眠ってしまったようだ。
なぜか口の上、目と目の間あたりが非常に痛むのだが、身に覚え
が全く無い。
ベッドの方を見ると、まだご主人は眠っていた。
寝息を立てているご主人を見ていると、ムラムラしてくる。
このままでは危険なので、窓を開けて清浄な朝の空気を胸いっぱ
いに吸い込むことにする。
俺の胸がどこなのかはやっぱりわからないが。
窓の外を見下ろしていると、様々な人たちが忙しそうに往来して
いた。
この街は本当に色々な人がいる。
俺を見ても誰も怯えたり、悲鳴をあげたりしないのは、多様な人
々が当たり前に暮らしているからなのか。
そんな通りの光景は、どこか俺には現実感が薄い。
俺も死ぬ前はこういう光景を何度も見ていたはずなのに、なぜこ
んなにも違和感を感じるのだろうか。
﹁おはようソーマ﹂
目をこすりながらご主人が俺に声をかける。
23
﹁おはようございますご主人﹂
﹁何を見ていたんじゃ?﹂
﹁そうですね⋮⋮、強いて言うなら人々の営みを﹂
﹁そーかそーか。
着替えるから少しの間出て行ってくれるかの﹂
俺の気取った言葉は華麗に流され、部屋から追い出された。
もちろん着替えは覗かない。
なぜかはわからないが、これ以上ご主人を怒らせてはいけないと
俺のゴーストが囁いている。
﹁それじゃあ、朝ごはんを食べるとしようかの﹂
部屋から出て来たご主人に連れられて、食堂に行く。
子供用の高い椅子を見て、何か恐ろしいことを思い出しそうにな
ったがきっと気のせいだ。
﹁ご主人、路銀を稼ぐって言ってましたが、お仕事の当てはあるん
ですか?﹂
﹁もぐもぐ⋮⋮。
ある程度の大きさの街には短期的な仕事を斡旋してくれる場所が
あるんじゃ。
そこでさっさと終わりそうな仕事を探す﹂
﹁なるほど、便利ですね﹂
﹁そうじゃな。
農閑期の農民や、天候不順で漁民が漁に出られないときなどにも
活用されるらしい。
突然仕事を失っても、短期的な仕事で食いつなぐこともできるし
の﹂
24
﹁へ∼﹂
そういう場所があれば、食い扶持がなくなったと言って犯罪に手
を染める者も減りそうだ。
できれば俺も手伝えるようなお仕事が良いのだが。
俺はハムとチーズとレタスをパンに挟み、口に運ぶ。
まだ気だるさの残る体に、レタスの歯ごたえが心地よい。
軽めの朝食を終え、俺たちはお仕事斡旋所まで向かった。
石造りの堅牢そうな建物は、多くの人で賑わっている。
人だかりを掻き分け、ご主人と掲示板の前までたどり着く。
﹁ふーむ、さすがにこの街だと仕事も多いようじゃ﹂
﹁良い仕事があると良いですね﹂
俺も掲示板を眺めていると、﹁倉庫整理の手伝い﹂﹁家畜の世話﹂
﹁デッサンモデル﹂など様々な仕事の募集用紙が貼り付けてあった。
こういうのなら俺も手伝えそうだな、と思っているとご主人から
声があがった。
﹁アレなんて良さそうじゃ。
ソーマ、とってくれ﹂
ご主人が指差している募集用紙を、俺は触手を伸ばしてとる。
内容は﹁鉱山に住み着いた巨大蜘蛛退治のメンバー募集﹂だった。
﹁ご、ご主人、何もこんな武闘派なものを選ばなくても⋮⋮﹂
﹁でもコレ、報酬が﹃能力により応相談﹄なんじゃよ。
25
わしたちだけでやれば相当ガッポリじゃよ﹂
ご主人が言うならこれをやることになるのだろう。
でも俺は手伝えなさそうだよな、このお仕事。
﹁じゃあわしはこの仕事を請けてくるから、外で待っていてくれ﹂
﹁わかりました﹂
太陽がポカポカと気持ちの良い陽気だ。
日向ぼっこをしていると、すぐにご主人がこちらにやってきた。
﹁待たせたの。
依頼者の鉱山の持ち主の館まで行くぞ﹂
﹁はい﹂
ご主人の後ろを着いていく。
小さなご主人の背中を見ていて、一つの疑問が浮かぶ。
いくら強いと言っても、ご主人の見た目は子供だ。
そんなご主人が巨大蜘蛛の退治を、しかも単独で引き受けること
などできるのだろうか?
﹁ここじゃな﹂
お仕事斡旋所で渡された地図から目を離し、ご主人が呟く。
豪勢な館の扉をノックすると、中から執事らしい人が出てくる。
その執事に鉱山の巨大蜘蛛退治の件と伝えると、応接室まで通さ
れ、俺たちは館の主である依頼者と面会した。
﹁どうもはじめまして、巨大蜘蛛討伐の件でいらしてくださったと
か﹂
26
﹁どうも。
できればわしたちだけでやって報酬を総取りしたいんじゃがの﹂
挨拶もそこそこに、ご主人が単刀直入に切り出す。
いくらなんでもご主人の物言いは失礼じゃないだろうか。
﹁それは結構ですが、斡旋所のカードを見せてもらっても?﹂
﹁もちろんじゃ﹂
ご主人は荷物からカードのようなものを取り出し、依頼者に渡し
た。
依頼者がカードを受け取り、執事に渡す。
そのまま執事が部屋を出て行く。
﹁今、履歴を確認させますので、少しお待ち下さい﹂
﹁うむ﹂
﹁ご主人、どういうことですか?﹂
﹁あのカードは斡旋所に登録されると貰えるものでな。
過去の仕事の履歴が記録されておるんじゃよ﹂
それならご主人の外見がどうであれ、カードを見せれば実力をわ
かってもらえるのか。
﹁ほう、そちらの生き物は人語を操れるのですか﹂
﹁わしの使い魔じゃからな﹂
依頼者に聞かれ、少し誇らしげに語るご主人。
﹁面白いですな。
これなら腕前も期待して良さそうだ﹂
27
﹁ガッカリさせることはないと思うがの﹂
そんなやり取りをしていると、執事が戻ってきた。
執事が依頼者に耳打ちすると、依頼者が頷いた。
﹁問題ないようですな。
貴女に頼みましょう。
それで、この討伐にはこの執事を連れていってもらえますか?
彼に巨大蜘蛛を倒したことを確認させますので﹂
﹁問題ない﹂
﹁よろしくお願いします﹂
執事のおじさんが丁寧に頭を下げる。
﹁うむ、こちらこそ頼む﹂
﹁よろしくお願いします﹂
ご主人と俺も頭をさげる。
こうして、俺、ご主人、執事のおじさんの3人で鉱山へ向かうこ
とになった。
俺のはじめてのお仕事、無事終わると良いのだが︱︱。
28
第三話
﹁執事のおじさん、お聞きしたいことがあるのですが﹂
﹁なんでしょうか?﹂
﹁ご主人って、見た目はかわいい女の子じゃないですか?
でも、本当はとっても強いと思うんです。
現にカードを確認した後、単独での依頼受注を了承してくださっ
たわけですし。
それなのに、執事のおじさんや依頼者さんは驚いた様子がありま
せんでした﹂
道中、俺はご主人の機嫌が悪くなるのを覚悟で聞いてみた。
宿屋のおばちゃんも、一人で子供が旅をしていることを不思議に
思っていなかったようだ。
どうも俺の感覚が他の人とズレているように感じる。
﹁おっしゃりたいことはわかりました。
簡単なことです。
貴方様や貴方様の主は見た目からは想像できない程、能力がある。
それ自体がわたくしの解答にもなるのですが⋮⋮﹂
﹁見た目で判断しないっていうことですか?﹂
﹁そういうことですな。
見識の浅いわたくしですら、外見と能力が大きく乖離している御
仁を何人も知っています。
ですから、外見で判断すると痛い目に遭ったり、逆に得をする機
会を逃したりします﹂
﹁なるほど。
ありがとうございました﹂
29
﹁いえいえ、他にもございましたら何なりと﹂
どうやらこの執事のおじさんが言うには、外見など些細な問題の
ようだ。
様々な者たちが住むこの街では、外見で能力を判断することなど
できないということらしい。
外見で人を過小評価するとどうなるか、俺は実例を知っている。
街に向かっている最中に襲ってきた人攫い風のおっさんたちだ。
俺は執事のおじさんが話していたことをしっかりと心に刻むこと
にした。
に怒っているかな、と思いご主人の
自分一人が痛い目に遭うならまだしも、ご主人に迷惑をかけるわ
かわいい女の子
けにはいかない。
さっきの
様子を伺ってみる。
ご主人は特に怒った様子もなく、﹁うむうむ﹂と頷いていた。
子供扱いは駄目で、かわいい女の子扱いは問題ないのかな。
⋮⋮アレ? ご主人が子供扱いされると怒るっていつ知ったんだ
っけ?
そんなことを悩みながら歩いていると、目的の鉱山が見えてきた。
﹁結構近いんですね﹂
﹁鉱山で発展した街ですから﹂
鉱山の入り口は木組みで補強されているが、崩れてしまわないか
俺を不安にさせる。
﹁それじゃあ安全のため執事さんはここで待っておるのじゃ﹂
﹁中は大変入り組んでいますので、道案内役としてわたくしもお供
しますよ﹂
30
﹁危険じゃぞ?﹂
﹁承知の上です。
危ないと思いましたら、真っ先に逃げ出しますので﹂
にこやかに言う執事さん。
﹁それなら道案内を頼むとするかの。
ソーマ、わしと共に執事さんの前を行くぞ﹂
﹁あ、やっぱり俺も入るんですね﹂
﹁当たり前じゃ!﹂
大きい蜘蛛ってやだなあ⋮⋮。
どれくらいの大きさなんだろうか。
ご主人が指先から光の球を出現させる。
その光の球はふよふよと漂いながら、鉱山の入り口を照らした。
﹁ご主人、それ綺麗です﹂
﹁ん、そうか?
こんなので良ければいくらでも出せるぞ﹂
俺の言葉に気をよくしたご主人は、次々と光の球を出現させる。
﹁ご主人もっと!﹂
﹁ひほほほ、ホレホレ﹂
鉱山の中に入り、奥へと進みながら光の球をぽいぽい放るご主人。
俺が催促すると、ご主人はどんどん光の球を放っていった。
そのうちの一つが通路の奥まで飛んで行く。
31
ふよふよ∼と飛んでいったその光の球は、突然4つの眼を照らし
た。
﹁ご、ご主人!﹂
﹁慌てるでない。
わしがおるから大丈夫じゃ。
ほれソーマ、やっておしまいなさい﹂
﹁えっ、俺が戦うんですか!?﹂
﹁何事も経験じゃ。
なあに、食べられそうになったら助けてやるから安心せい﹂
俺があたふたしている間に、大蜘蛛はコチラに向き直る。
赤黒い8つの眼がコチラを睨みつけている。
大きさは人間の成人男性が四つんばいになったくらい。
想像よりは少し小さい。
蜘蛛って8つも眼がついてたんだな︱︱なんていう呑気なことを
考えながら、俺は触手を伸ばした。
俺にできることは少ない。
触手で掴んで四肢を引き裂いてやる。
﹁ぬぎぎぎ⋮⋮﹂
8本の脚を触手で捕え、力いっぱい引っこ抜こうとする。
﹁頑張るのじゃっ!﹂
﹁頑張ってください!﹂
﹁ふんぬーーーーッ!﹂
ご主人と執事のおじさんの熱い声援を受け、俺の触手にもさらな
32
る力がこもる。
すると、蜘蛛の脚からあまり心地よくない音が響き、脚が抜ける。
﹁やりました!﹂
﹁うむ。
だがトドメを刺すまで安心するでない﹂
﹁わかりました﹂
止めを刺そうと、触手を蜘蛛の頭部に持っていく︱︱が、その時。
﹁いだっ!﹂
触手を噛まれてしまった。
﹁大丈夫か?﹂
﹁ええ、少し噛まれてしまっただけですから︱︱いづっ﹂
心配するご主人を安心させようとするが、突然激痛が走る。
噛まれた触手から激痛が広がっていく。
﹁本当に大丈夫なのか?﹂
﹁すみません、毒蜘蛛だったみたいです⋮⋮﹂
朦朧とする意識の中で、辛うじてご主人の言葉に反応する。
ご主人は俺を信じて任せてくれたのに、その信頼に応えられたな
かったのが悔しい。
﹁もう良い。ゆっくり休め。
蜘蛛はわしが皆殺しにしておく﹂
33
ご主人の声を聞きながら、俺の意識は暗闇へと落ちていった。
最後に見たご主人の目は、とても暗いものだった︱︱。
︱︱︱
気がつくと俺は鉱山の入り口にいた。
辺りはもう真っ暗になっていて、焚き火の光が俺を照らしている。
﹁気がついたかの?﹂
﹁はい、俺は⋮⋮﹂
確か蜘蛛に噛まれて⋮⋮。
そうだ、蜘蛛の毒で気を失っていたのだ。
﹁すまんかったの﹂
﹁いえ、俺の力不足で⋮⋮﹂
ご主人が俺を撫でながら謝る。
﹁それより、中にいた蜘蛛は?﹂
﹁わしが駆除したから安心せい﹂
﹁本当にすみません⋮⋮﹂
ご主人の優しさに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
﹁わたくし共の方でしっかりと情報を集めていればこのようなこと
には⋮⋮﹂
34
﹁いや、蜘蛛が相手である以上、毒を持っている可能性も考慮する
べきじゃ。
わしの落ち度じゃな﹂
いや、そうじゃない。
ご主人はトドメを刺すまで油断しないよう警告していた。
なのに俺は蜘蛛に噛まれると言う失態を犯した。
﹁違います、俺が︱︱﹂
﹁良い。休め。
わしは治癒術があまり得意ではないから、まだ毒は抜けきってお
らぬだろう﹂
俺の言葉を遮り、ご主人が言う。
﹁すみません、そうします⋮⋮﹂
今の状態ではきっと、自らの失態にネガティブな感情がわくだけ
だ。
反省するのはいいが、後悔することは意味がない。
もう少し休もう。
俺は焚き火の音を聞きながら、眠りについた。
︱︱︱
目を覚ますと、ご主人が俺に寄り添うようにして寝ていた。
心配かけてしまったことが申し訳ない。
35
﹁目が覚めましたか?﹂
執事のおじさんが料理をしている。
﹁はい、昨日はご迷惑をおかけして⋮⋮﹂
﹁いえいえ、わたくしは何もしておりません
それよりも、凄まじいものを見させてもらいました﹂
﹁凄まじい?﹂
﹁ええ。
このような使い手がいらっしゃったとは、わたくしも驚かされま
した﹂
ご主人のことだろう。
あっと言う間に人攫い風のおっさんどもを消し炭にしたご主人な
ら、大蜘蛛もすぐに殲滅したんだろうな。
﹁そうですね。
ご主人はとっても強いから⋮⋮。
俺は情け無いです﹂
﹁ハハハ⋮⋮、それはそうでしょう。
あのような業ができる御仁と比べては、誰だって惨めにもなりま
す。
ですがね、わたくし共は本来、軍などで訓練を受けたことがある、
もしくは怪物の討伐を経験したことがある者を10名程度集めよう
と考えていました﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁ハイ。5人ずつの2組で相互にカバーしながら大蜘蛛を退治して
いただこうと考えてましてね。
ですから、大蜘蛛一体を貴方様お一人で相手なされたことは誇っ
36
ても良いことだと思いますよ﹂
﹁⋮⋮ありがとうございます﹂
この執事のおじさんは、今まで自分から話を振ることはあまりな
かった。
それなのに、今はこうして饒舌に話をしている。
きっと俺を慰めてくれているのだろう。
﹁貴方様は、少しずつ出来ることを増やしていかれたら良いのです﹂
﹁そうです⋮⋮ね﹂
執事のおじさんの言葉に、俺は少しだけ楽になった。
﹁むにゃむにゃ、なんか良い臭いがするぞ⋮⋮﹂
ご主人が目を閉じたまま体を起こす。
﹁食事にしましょう。
わたくしが腕によりをかけましたので、お味は保障します﹂
﹁食べるのじゃ﹂
﹁いただきます﹂
白くてとろとろとしたスープに、鶏肉や野菜が入っている。
そのクリーミィで優しい味わいは、俺の心をそっと暖めてくれた。
執事のおじさんは、言葉だけでなく、料理でも俺のことを慰めて
くれているのだろうか。
﹁うむ、うまい﹂
﹁そうですね、とても美味しいです﹂
﹁沢山作りましたので、どんどん食べてください﹂
37
夢中になって料理を食べる俺をご主人が優しく撫でる。
﹁もう大丈夫かの?﹂
﹁はい﹂
俺の返事に、ご主人は微笑を見せた。
︱︱︱
﹁無事戻られて何よりです。
コチラが報酬になります﹂
依頼者は笑顔で俺たちを迎えた。
﹁うむ、ありがとう。
それじゃあ、わしたちはこれで⋮⋮﹂
さっさと館を出て行こうとするご主人。
﹁いやいや、お待ちください。
もしよろしかったら︱︱﹂
﹁よろしくないのじゃ﹂
﹁報酬は︱︱﹂
﹁わしにはやらねばならぬことがある。
じゃから、旅を続けねばならないのじゃ﹂
﹁そうでしたか。
でしたら、その旅が終わりましたらまたお越しください﹂
38
残念そうな依頼者を置いて、そそくさと立ち去った。
﹁ご主人、次はどうしますか?
もう少しお金を稼いでいきますか?﹂
﹁もういいじゃろ。
それより、わしは思った﹂
﹁何をですか?﹂
﹁ソーマを鍛えるべきじゃな﹂
にんまりと口を歪めるご主人に、俺は嫌な汗を掻く。
﹁ご主人、確かに俺は今回不覚を取りました。
しかし、急いては事を仕損じます。
ここはゆっくりと俺を育てると︱︱﹂
﹁そんな言葉は受け付けん!
わしの使い魔は特別でなくてはならんのだから!﹂
くっ、仕方ない。
ならば俺も覚悟を決めよう。
﹁わかりました。
ご主人がそこまで言うならそうしましょう。
ところでご主人﹂
﹁なんじゃ?﹂
﹁今回毒蜘蛛と戦って、毒蜘蛛に噛まれて︱︱﹂
﹁うむうむ﹂
﹁俺の体に何か変化とかってあります?
﹃様々な出来事を経験すれば、おのずと魂の形も変わり、体もそ
れに相応しいものに変化する﹄んですよね?﹂
39
﹁うむ、そうじゃな⋮⋮、触手がちょびっとだけ太くなった気がす
るかもしれん﹂
﹁そんな! あんなに苦しい目に遭ったのに!
すっごいショックです! 触手だけに!﹂
俺の抱腹絶倒必至の必殺ジョークに、ご主人が絶対零度の視線を
向ける。
アレ? ご主人って火とか雷が得意だと思ってたんだけど。
﹁わしは今、ちょびっとだけソーマを召喚したことを後悔したよ⋮
⋮﹂
﹁そ、そんな! 無責任です!
ペットを飼うときは、最後まで責任を持たなきゃ駄目です!﹂
あわあわと慌てふためき、にゅるにゅると触手を蠢かし抗議する。
﹁冗談じゃよ。
さ、今日は宿に戻ってゆっくり休むぞ﹂
そう言って微笑むご主人の目は、いつものように優しいものだっ
た︱︱。
40
第四話
﹁またトマトか⋮⋮﹂
﹁ご主人、贅沢言っちゃいけませんよ
トマトは栄養価が高いんです
トマトが赤くなると医者が青くなるんですよ﹂
﹁その言い方じゃと、まるで医者が悪人のように聞こえるのぅ⋮⋮﹂
鉱山から帰ってきた俺とご主人は、まんぷく亭に泊まることにし
た。
まんぷく亭での夕食は、﹁知人からトマトを大量に貰った﹂とい
う理由でトマト尽くしだった。
そして、今朝の朝食もまたトマト尽くしである。
そんな2日続けてのトマト攻勢に、ご主人は嫌気が差しているよ
うだ。
﹁ほら、ご主人こんなに赤く熟したトマトさんですよ∼﹂
俺はスライスされたトマトをパンに挟み、ご主人に見せつけなが
らもしゃもしゃと食べる。
﹁美味しいんじゃがの、美味しいんじゃが⋮⋮﹂
﹁ご主人、お行儀が悪いです﹂
トマトをいじくるご主人を注意する。
全く、旅をしているなら保存食ばかりのときもあるだろうに、そ
んなに簡単にトマトさんに飽きてしまうなんて。
41
あ⋮⋮、もしかして。
﹁ご主人、トマトが苦手なんですか?﹂
﹁いや、そんなことはないぞ﹂
そんなことはないらしい。
じゃあ一体どうしたと言うのだろう。
不満げなご主人はさておいて、俺はトマトを愉しんだ。
﹁ご馳走様でした﹂
﹁ごちそうさま﹂
朝食を終えた俺たちに、恰幅の良いおばちゃんが話しかけてきた。
﹁悪いねぇ、同じモンばっか食べさせちゃって﹂
﹁いえ、工夫が凝らしてあって美味しかったですよ﹂
﹁そうかい、ありがとよ
それでね、まだ大量にトマトが余ってるんだけど、何個か持って
行ってくれないかい?
喉が渇いたときにでも食べとくれ﹂
﹁ありがとうございます﹂
断る理由もなさそうなので、とりあえずお礼を言って4個のトマ
トを貰った。
トマトを貰った俺たちはこの街を出発することにした。
ちなみにトマトはご主人の荷物に入れると潰れてしまうかもしれ
ないので、俺が触手で保持している。
﹁それでご主人、俺の修行ってどこでやるんですか?﹂
42
﹁うーむ、そうじゃな⋮⋮﹂
ご主人は歩きながら本のページを捲る。
﹁ご主人、前に気をつけて下さいね﹂
﹁わかっとるわかっとる
んーむ、ここなんてどうじゃ?
修行にピッタリっぽい観光地じゃ﹂
﹁観光地で修行って⋮⋮。
それにその本、魔術書とかじゃなくて観光ガイドだったんですね
⋮⋮﹂
ご主人が開いたページを見せてもらうと、そこには﹁来たれ! 竜のパワーを求めし者よ!﹂という見出しのついた記事が載ってい
た。
﹁どうじゃ?﹂
﹁うさんくさいです。
というかコレ、本当にタダの観光地じゃないですか﹂
﹁うむ。
じゃが、竜じゃぞ。
男の子なら燃えたりするもんじゃないのかの?﹂
﹁そりゃあ興味がないわけじゃないですけど﹂
﹁なら決まりじゃな﹂
俺は竜より女性の方が燃えたりするのだが、あえて言う必要もあ
るまい。
行き先も決まり意気揚々と歩く俺とご主人。
ご主人の足取りが軽やかだ。
43
機嫌は良いようである。
﹁ご主人、朝食のときちょっと不機嫌だったようですけど、そこま
でトマトが嫌だったんですか?﹂
﹁そういうわけじゃないんじゃが⋮⋮。
じゃがな、2食続けて同じメニューなら、少しくらい割引があっ
てもいいんじゃないかと思ってな﹂
ご主人の言葉に俺は戦慄した。
なんということだ。
俺のご主人は、ちょっとケチ臭いぞ。
あんなに素晴らしいトマト料理の数々を食べさせて頂いたのに、
こともあろうに割引などと。
しかもあんなに簡単に大金を稼ぐというのに。
﹁ご主人、それはちょっとケチ臭くないですか﹂
﹁そ、そうかの?
でも節約して悪いことはなかろう?﹂
﹁悪いです。
ご主人は強くてお金もたくさん稼げるんですから、たくさんお金
を使うべきです﹂
﹁じゃが、わしはできるだけ働きたくないのじゃ⋮⋮﹂
﹁ダメです!
力を持つ者は、それだけで義務を背負うものなんです!﹂
なぜか説教を始める俺。
別に俺としてはどうでも良いのだが、シュンとしているご主人が
かわいい。
44
なのでもっと虐めたくなる。
そんな俺とご主人の前に、うつ伏せで倒れている少女が現れた。
どうやら行き倒れらしいその少女は、長い金色の髪、黒いゴシッ
ク調の服を着ている。
ガーターベルトで留めたストッキングが艶かしい。
短いスカートからはもう少しで下着が見えそうだ。
風よ! 神風よ!
今こそ我に恩寵を与え給え!
普段全く祈らない俺だが、今は名も知らぬ神に対して必死で祈っ
た。
このままでは行き倒れの少女の下着を拝めないまま通り過ぎてし
まう。
﹁ご、ご主人、行き倒れの方を助けはしないんですか?﹂
﹁やめとくのじゃ。
どうせ近づいたところを襲う算段じゃろ。
あんな旅に向かない格好で行き倒れてるなんて、おかしいとは思
わんか?﹂
﹁なるほど、さすがご主人﹂
たしかにご主人の言う通りだ。
あんなむしゃぶりつきたくなるような太ももを晒して、どう見て
も誘っているようにしか見えない。
だが、例え罠であったとしても⋮⋮。
あの行き倒れの少女は、絶対に美少女だ。
あの高貴な金色の髪、男心をくすぐるスカートの長さ、そして白
く美しい肌。
45
これで顔が残念だったら、間違っているのは世界の方だ。
俺の葛藤を他所に、行き倒れの少女を通り過ぎてしまう。
﹁ご主人、せめてあの娘のパンティーくらい拝みたかったです﹂
﹁ソーマ、もう少しだけで良いから自尊心を持ってくれないかのぅ
⋮⋮﹂
ズリズリ。
﹁血⋮⋮出来れば処女の⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ところでご主人ってしょ︱︱﹂
﹁あ?﹂
﹁賞状ってもらったことありますか?﹂
﹁あるぞい。
6歳の頃、村のお絵かきコンテストでな。
6歳の部門で優勝したんじゃ﹂
﹁凄いじゃないですか!
賞状を貰うのはとても名誉なことって聞きましたよ﹂
﹁村に6歳の子供がわししかおらんかったからな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ズリズリ。
﹁なんかさっきからナニカが這いよってきてる気がします﹂
﹁気のせいじゃろ﹂
ズリズリ。
46
﹁血がダメなら⋮⋮そのトマトでも⋮⋮⋮⋮﹂
﹁そういえばご主人、そろそろ喉が渇いてきましたね﹂
﹁そうじゃな。
トマトを食べるとしようかの﹂
俺はご主人に2つのトマトを渡した。
ズリズリ。
﹁うむ、なかなか旨い﹂
ご主人が美味しそうにトマトを頬張る。
溢れた汁がご主人の指を濡らす。
その汁を、舌で舐めとるご主人。
﹁じゃあ俺もいただこうかな︱︱﹂
俺がトマトを口に放り込もうとした、その瞬間︱︱。
黒い影が俺のトマトを奪った。2個とも。
俺からトマトを奪い取った黒い影は、そのままトマトにかじりつ
く。2個とも。
﹁ああっ! 俺のトマトさんが!﹂
﹁残念じゃったなソーマ。もぐもぐ﹂
﹁ご、ご主人、もう一個あったでしょ?
一個分けてください!﹂
﹁すまぬ、もう食べてしまった﹂
﹁そんな!!﹂
俺は絶望の底へと投げっぱなしジャーマンスープレックスされる。
47
﹁ぬぐぐ⋮⋮。
俺のトマトさんを奪うなんて!
貴様何者だ!!﹂
﹁フフフ、アタシは偉大なる夜の王の一族︱︱﹂
﹁行き倒れておったけどな﹂
﹁全ての生きとし生ける者が恐れる、吸血鬼よっ!﹂
﹁パンツ見えておったけどな﹂
﹁えっ! ほんとに!?﹂
﹁嘘じゃ﹂
慌てふためく自称吸血鬼に、ご主人が淡々と答える。
﹁そんなことよりトマトさんです!
トマトさんへの謝罪と賠償を請求します!﹂
﹁ソーマよ、それではトマトさんに対して謝ることになってしまう
ぞ﹂
﹁あ、ほんとですね。
じゃあトマトさんを強奪した件について、謝罪と賠償を請求しま
す!﹂
﹁ふふっ、助けてもらったしね。
さっきアナタ、アタシの下着が見たかったって言ってたわよね⋮
⋮?﹂
俺の触手がピクリと反応する。
﹁それくらいでいいのなら、いくらでも見せてあげるケド⋮⋮?﹂
言いながら自称吸血鬼がスカートの裾をつまむ。
鮮血のように紅い瞳が、上目遣いでこちらの様子を伺っている。
48
クッ、この自称吸血鬼は、完全に俺の心情を把握してやがる⋮⋮!
パンティーを見れるのなら、あんなトマトなど何個でもくれてや
る。
それこそラ・トマティーナを開催できるくらいトマトを用意して
やる。
﹁少しくらいなら触ってもいいのよ?
さすがに下着の中は遠慮してもらうケド⋮⋮﹂
何⋮⋮だと⋮⋮。
たった2個のトマトにそれほどまでの価値があったのか。
あの美少女の太もも、いや、お尻をさわれる権利など、どれほど
の価値があるのか。
﹁ソーマよ⋮⋮。
先ほども言ったが、もう少しだけ自尊心をだな⋮⋮﹂
触手をうにょらせながら自称吸血鬼に近づく俺に、ご主人が悲し
そうに声をかける。
﹁ご、ご主人⋮⋮。
俺、耐えられません⋮⋮!﹂
弱々しく、泣きそうに、だがハッキリと俺は意思表明した。
そして俺の出せる最速を以て、自称吸血鬼に近づく。
︱︱が、彼女が俺の視界から突如として消える。
﹁というのは冗談よ。
49
ねえアナタ、どうやらやっかいな呪いにかかってるみたいだけど
?﹂
﹁⋮⋮む﹂
いつの間にか俺の後ろに回っていた自称吸血鬼が、俺のご主人と
会話を始める。
パンティーは⋮⋮?
﹁アタシ、その呪いについて知ってそうな人に心当たりがあるんだ
けど⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮何が言いたいのじゃ?﹂
﹁アナタたち面白そうだし、ついていってもいいかしら?
お礼もしなくちゃイケナイしね﹂
﹁⋮⋮勝手にせい﹂
お礼はパンティーが良いのに、勝手に話が進んでいく。
﹁そう、ありがと。
アタシの名前はダリア。
よろしくね﹂
﹁わしはリュドミラじゃ﹂
﹁俺は︱︱﹂
俺が自己紹介しようとした、まさにその時。
風が。
神風が。
突風が吹き、ダリアさんのスカートが捲れ上がる。
﹁キャッ﹂
50
俺にお尻を向けていたダリアさん。
スカートに隠されていたのは︱︱、かわいいクマさんの顔がプリ
ントされたパンティーだった。
﹁見ちゃった?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
﹁恥ずかしいからヒミツにしておいてネ﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
少し頬を赤く染めながら、ダリアさんがウインクして言う。
﹁それで、名前を聞いてもいいカナ?﹂
﹁ソーマです﹂
﹁よろしくね、ソーマくん﹂
差し出された手に、俺は触手で応える。
﹁それで、アナタたちはどこに向かってたの?﹂
﹁その昔、竜が棲んでいたという山があってな︱︱﹂
ご主人がガイドブックを開き、ダリアさんに見せる。
﹁ふーん、それなら方向は一緒ね﹂
﹁先ほど言っておった心当たりかの?﹂
﹁そうよ。
とりあえずはその山に行きましょ﹂
そう言いながら歩き始めるダリアさん。
それに続くご主人と俺。
51
﹁ダリアさん。
さっき吸血鬼って言ってたけど本当なんですか?﹂
﹁ソーマくんはどう思ってるの?﹂
﹁うーん。
さっきパンティーを見せてくれるっていうのも嘘だったしなぁ⋮
⋮﹂
﹁でも結局見れたでしょ?﹂
﹁それはそうですけど、まだ触らせてもらってません﹂
﹁それはそのうちね﹂
ひらりと身を翻し、先を行くダリアさん。
﹁ソーマ、あやつを信用するでないぞ。
吸血鬼は信用できん﹂
そんなダリアさんに聞こえないように、ご主人が耳打ちする。
﹁⋮⋮わかりました﹂
ご主人はダリアさんを本物の吸血鬼だと考えているようだ。
でも吸血鬼って日光を浴びると灰になったりするものじゃないの
かな。
﹁別にアタシのことは信用してくれなくてもいいわよ﹂
吸血鬼だから
っていう理由はやめてほしいかな﹂
突然すぐそばに現れるダリアさん。
﹁でも、
﹁む、すまぬな﹂
﹁別にいいわ、わかってくれれば﹂
52
微笑を浮かべながら話すダリアさん。
でも、その紅い瞳の奥には深い哀しみが浮かんでいたように見え
る。
﹁ご主人⋮⋮﹂
﹁ソーマ、先ほどの言葉は忘れてくれ
わしが間違っておった﹂
ご主人はきっと、ダリアさんの瞳から俺と同じように哀しみを読
み取ったのだろう。
信用するかどうかは別だが、それでもダリアさんは悪い人ではな
いと思う。
﹁りゅどみん、ソーマくん、何してるの?
早く行きましょ!
アタシまだお腹減ってるから早く村なり街なりに着きたいわ﹂
﹁な、なんじゃその呼び方は⋮⋮﹂
﹁だってリュドミラってなんか呼びにくいし﹂
﹁俺は良いと思いますよ﹂
﹁さっすがソーマくんはセンスが良いね∼。
やっぱり少しくらいなら触っても⋮⋮﹂
ダリアさんが俺に向けてお尻を突き出す。
﹁だ、だめじゃ!
恥を知れ恥を!
ソーマも触手をうにょうにょさせるんじゃない!﹂
﹁据え膳食わぬは男の恥と申しますれば⋮⋮﹂
﹁何をわけのわからぬことを言っておるんじゃ!﹂
53
﹁いやでも、吸血鬼が人間の女性と同じなのかどうか、学術的にも
調べる必要が⋮⋮﹂
﹁ないわそんなもの!﹂
そんなこんなで俺たちは共に旅をすることになった。
願わくは、心からお互いを信頼できる仲間になりたいものだ︱︱。
54
第五話
﹁ご主人のパンティーって何色ですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ご、ご主人っ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁あ、あのっ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁無言で蹴らないで下さい、痛いです﹂
﹁はぁ、ソーマくんにはデリカシーが足りないわね﹂
呆れたように俺のことを見下ろすダリアさん。
﹁でも気になるんです。
ご主人が一回くらい着替えを見せてくれればそれで済むんですが
⋮⋮﹂
﹁違うわソーマくん。
アタシが言ってるのはそこじゃないわ﹂
﹁どういうことですか?﹂
﹁パンティーっていう言い方がイヤらしいわ。
ショーツって言うべきよ﹂
そうだったのか!
得てして人間は同じことを違う言い方にするだけでも騙されたり
するものだ。
パンティーではなくショーツと言えば、ご主人の下着の色を教え
てもらえるかもしれない。
55
﹁アドバイスありがとうございます、ダリアさん!﹂
﹁ふふっ、いいのよ。
これからは共に旅する仲なんだからね﹂
﹁ではご主人、ショーツの色を教えて下さい﹂
俺を険のある表情で見るご主人。
握りこぶしを作り、わなわなと震える。
﹁ソーマ、これは暴力ではない。体罰じゃ。
そなたを愛するが故に、心を鬼にして振るうわしの教育的指導じ
ゃ﹂
﹁ご主人、愛するだなんて恥ずかしいですよぅ⋮⋮。
ダリアさんが見てます﹂
俺は頬を赤く染め、にゅるにゅると触手を動かし照れ隠しをする。
ご主人は拳に何やら凄まじいまでの力を込め始める。
一方、ダリアさんは明後日の方向を睨みつけていた。
﹁ダリアさん、どうかしましたか?﹂
﹁お客さんみたいね﹂
ダリアさんの視線は道の脇にある茂みに向いていた。
﹁み、みつかったのニャ!﹂
﹁しまったワン⋮⋮﹂
﹁これじゃあ不意打ちできないっぴょん﹂
﹁ならば姿を見せるしかなかろう﹂
何やら話し声が聞こえ、茂みから4人の獣人が飛び出してきた。
56
﹁遂に見つけたのニャ! 吸血鬼めっ!﹂
猫の耳、猫の尻尾がついた獣人が何やら言っている。
その腰には二振りの短剣を差しているのが見える。
胸、腰部から太ももにかけて、両手首、両足首に金属製の防具を
身につけているが、それ以外の部位は露出している。
扇情的な装いだが、彼女は動きやすさを重視しているようだ。
﹁吸血鬼がこの辺りにいると聞いて、ずっと待ってたワン!﹂
犬の耳、犬の尻尾を持つ獣人が吠える。
全身を甲冑で固めた彼女は、両手剣を構える。
露出度は少ない︱︱が、甲冑の胸部の膨らみを信用するなら、彼
女は巨乳と見える。
﹁不意打ちには失敗したけど、関係ないっぴょん﹂
兎の耳、兎の尻尾を揺らしながら言い捨てる獣人。
彼女は左手に弓、右手に矢を持ち、こちらに狙いをつける。
彼女の左半身は皮や金属でできた防具に守られているが、右半身
は防具らしいものをつけていない。
膝まである長いブーツとホットパンツの間の太ももが目を引く。
﹁覚悟してもらおうか﹂
ゆっくりと口を開く馬耳、馬尾の獣人。
唯一の男性であろう彼は、両手に重厚な手甲をはめている。
それ以外は身軽な布製の服を着ているだけだ。
だが、その身体は筋肉の鎧に覆われている。
57
﹁どうやらアタシのお客さんみたいだから、二人は下がってて﹂
ダリアさんが一歩前に踏み出す。
﹁待って下さいダリアさん、ここは俺に任せてもらえませんか﹂
﹁な、なにを言っておるんじゃソーマ﹂
ご主人が驚きの声を上げ、ダリアさんがこちらに振り返る。
﹁本気なの?
あの子たちは、吸血鬼︱︱つまりアタシを狙っているのよ?
アナタは関係ないわ﹂
﹁そんな悲しいこと言わないで下さい。
俺たち、これから旅を一緒にする仲なんでしょ?
だったらダリアさんの問題は、俺たちの問題のはずです﹂
﹁そうね。
でも、だからと言ってソーマくん一人に任せるなんて︱︱﹂
﹁竜の棲む山へ向かっているのは俺の修行のためなんです。
彼らの相手をするのはきっと良い修行になりますよ﹂
俺の言葉を聞き、少し時間をかけて考えるダリアさん。
﹁⋮⋮そこまで言うなら任せるわ。
でも、ピンチだと思ったらすぐに助けに入るから﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁ご、ご主人様であるわしを置いて話が進んでおる⋮⋮﹂
ご主人の嘆きは聞こえなかったことにし、俺はずりずりと前に出
る。
ダリアさんがすこし後ずさり、その場を俺に譲る。
58
﹁邪魔するならお前も敵だニャ﹂
﹁一人ずつでも全員一緒でも変わらないワン﹂
﹁倒す順番が違うだけ、やることは同じだぴょん﹂
﹁我々の前に立ち塞がるお前は何者だ?
なぜ吸血鬼の味方をする﹂
馬耳の言葉を受け、俺は触手をうねうねと蠢かす。威嚇だ。
﹁我は淫より出でし、性を貪るモノ。
汝らの肉体を、我に捧げよ。
我が名はソーマ、リビドーを与えるモノなり﹂
できるだけ威圧的に獣人たちに告げる。
﹁にゃ、にゃんだって?
陰より出でし、生を貪るモノ⋮⋮﹂
﹁た、大変だワン。
吸血鬼と一緒にいるからどんなバケモノかと思ったら⋮⋮﹂
﹁き、危険だっぴょん!
なんかとてつもなく大物の予感が⋮⋮﹂
﹁うろたえるな。
やつがどのようなモノであったとしても、我々がすることは変わ
るまい﹂
ククク、俺の口上に獣人たちは命の危険を感じているようだ。
だが俺の目的はヤツらの命じゃあない。
猫耳のあの格好、犬耳のあの巨乳、兎耳の太もも。
俺はこのえろえろな獣人たちの身体を弄ぶのが目的だ!!
問題はガッチリムッチリの馬耳だが⋮⋮、なあに、女3人を捕え
59
れば大人しくなるだろう。
﹁あ、なんかわし、ソーマの目的がわかっちゃったっぽいぞ﹂
﹁そーね、ソーマくんはぶれないわね﹂
俺の後ろでご主人とダリアさんが何か言っているが、もちろん聞
こえなかったことにする。
俺は、俺があの獣人たちを舐るまで、戦うのをやめない!!
﹁どうした、かかってこないのか?
ならば我から行かせてもらおう﹂
俺の様子を伺うばかりで襲ってこない獣人たちに、俺の方から触
手を伸ばす。
ダリアさんの身体を弄ろうとしたときに気づいたのだが、俺は女
性にえっちなことをしようとする時、身体能力が格段に上がるよう
だ。
つまり、相手が女性なら俺の戦闘能力が飛躍的に上がるというこ
とになる。
﹁うー、ニャっ、ニャっ﹂
﹁とー、わんっ、わんっ﹂
俺の全身から生えている無数の触手を全力で伸ばし、猫耳と犬耳
を追う。
兎耳と馬耳は一旦無視だ。
兎耳の矢が先ほどから何本か飛んできて刺さっているが、痛いだ
けで致命傷にはならない。
馬耳は必死に俺の気を引こうとしているが無駄だ、俺は男には反
60
応しない。
﹁斬っても斬ってもキリがないニャン!﹂
﹁何本斬っても、減らないワン⋮⋮﹂
先ほどから俺の触手は何本も切り落とされている。
だが、俺の触手は切り落とされてもそのまま伸ばせばいいだけだ。
もちろん切り落とされた触手の分、俺の体の質量が減るわけだが
︱︱他の触手で切り落とされた触手を拾い、体内に吸収する。
そうすると俺の体の質量は元に戻り、何の問題もなく触手が伸ば
せるようになる。
﹁矢も、斬撃も効果が薄いようだな。
︱︱ならばッ!﹂
無視していた馬耳が、勢いをつけて俺に突進してくる。
速い。
確かに速いが︱︱。
俺は兎耳に回りこむように近づき、馬耳の突進を回避する。
兎耳の太もも目掛けて、一瞬で移動したのだ。
﹁なっ、はやいっぴょ︱︱﹂
兎耳の声を聞き終わらないうちに、俺は兎耳を触手で拘束。
さらに太ももを触手で撫で回し、服の隙間から触手を滑り込ませ
た。
﹁まずいニャン!
61
助けるニャン!﹂
猫耳が慌てて俺の方に向かってくる。
しかし、俺が狙いをつけたのは猫耳より遠くにいた犬耳だった。
犬耳は重い甲冑を着て動き回っていたため、猫耳より消耗が激し
い。
今なら容易に捕えられるはずだ。
﹁クゥーン⋮⋮﹂
悔しそうな、悲しそうな声で鳴く犬耳。
犬耳は俺の触手による多重包囲から逃げられず、触手に捕まった。
当然犬耳の甲冑の隙間から触手を潜り込ませる。
その巨乳を弄ぶために。
﹁クッ、なんとおぞましいバケモノよ⋮⋮﹂
馬耳が吐き捨てるように言い、俺に突進してくる。
馬鹿正直な突進を、俺は猫耳の後ろに回りこむことにより回避し
た。
そして、猫耳もそのまま捕える。
﹁ニャ、離すニャ!
さもないと︱︱ムゴッ!?﹂
うるさいので口に触手を突っ込む。
もちろん他の獣人と同じように、全身を優しく撫でまわす。
﹁動くなッ!﹂
62
俺は馬耳に向かって命令する。
﹁くっ⋮⋮﹂
悔しそうな声を漏らすが、動きを止める馬耳。
﹁ここらで退いては貰えぬだろうか?
我は元より、汝らの生命を奪うつもりなどない﹂
﹁なに?﹂
﹁だがこれ以上続けるとなれば︱︱﹂
﹁どうなる﹂
﹁彼女たちには辛い目に遭ってもらうことになる﹂
﹁⋮⋮外道め﹂
﹁何とでも言うが良い、さあどうする?﹂
﹁⋮⋮わかった。今は退こう﹂
馬耳の言葉を聞いた俺は、獣人たちを解放する。
3人とも上気した顔で、呼吸が荒くなっている。
戦える状態ではないだろうと判断して、3人の拘束を解いたのだ。
﹁ケホッ、ケホッ。
さいってぇだにゃぁ⋮⋮﹂
﹁同じところばっかり卑怯だワン⋮⋮﹂
﹁絶対許さないっぴょん⋮⋮﹂
﹁大丈夫か﹂
3人の獣人に、馬耳が駆け寄る。
俺はご主人とダリアさんの元へ戻る。
﹁どうでしたかご主人!﹂
63
4人の武装した獣人を華麗に無力化した俺。
これは確実にご主人から誉めてもらえるはずだ。
ご褒美にご主人のショーツを貰えるかもしれない。
﹁最低じゃな﹂
﹁女の敵ね﹂
なぜか二人から軽蔑される俺。
ゴミを見るような視線を二人から浴びせられた俺は、なぜだか少
し興奮した。
そんな俺を置いて、先に歩いて行く二人。
俺はご主人とダリアさんを追いかける前に、獣人たちに聞いてお
きたいことがあった。
﹁なあ、なんでお前たちは吸血鬼を狙ったんだ?﹂
﹁アンデッドと我々は相容れん﹂
馬耳が俺の問いに答える。
﹁何かされたのか?﹂
﹁何かされてからでは遅いだろう。
吸血鬼は生物の血を吸い尽くし、下僕を増やす。
そんな危険な連中を放っておけるわけがないだろう﹂
馬耳の言葉に、俺は返す言葉を持っていなかった。
ダリアさんは好きだし、良い人だと思うが、過去のことは知らな
い。
だから、獣人たちの言うように生物にとっては許しがたい敵なの
64
かもしれない。
﹁⋮⋮お前たち、名前は?
俺は名乗ったんだから、お前たちも名乗るのがスジってもんだろ
う﹂
﹁⋮⋮しょうがないにゃあ、ネコ子だにゃ﹂
﹁イヌ子だワン﹂
﹁ウサ子だぴょん﹂
﹁⋮⋮バチョウだ﹂
﹁わかった。
あの吸血鬼の女の人は俺が見ておくからさ、次からは襲いかかっ
たりしないでくれよな﹂
俺は獣人たちとの会話を終わらせて、急いでご主人とダリアさん
を追いかけた。
ご主人とダリアさんは少し行ったところで待っていた。
﹁何を話していたんじゃ?﹂
﹁なんでダリアさんを襲ったのか聞いたんです﹂
﹁ふむ﹂
ダリアさんは何も言ってこない。
﹁ダリアさん。
ダリアさんは人間の血液を︱︱﹂
﹁吸血鬼はね、血を吸わないと飢えに苦しむことになるのよ﹂
ダリアさんが俺の言葉を遮って、口を開く。
﹁だから︱︱、豚の血入りのソーセージが食べたいわ﹂
65
﹁え?﹂
予想外の言葉に俺は固まる。
﹁もしくはりゅどみんの血が欲しいわね﹂
舌をペロリと出し、妖艶な目つきでご主人を見つめるダリアさん。
﹁ぬえあ?﹂
﹁ご、ご主人の血はダメですよ!﹂
﹁大丈夫よ。
指先をほんのちょっとだけ傷つけて、舐めとるだけだからね﹂
おお、なんか凄くえろちっくな感じがする!
﹁ダリアさんが人間の血を吸って下僕を作らないように、ご主人は
少しだけ血を分けてあげるべきじゃないですか?﹂
﹁な、何を言っておるのじゃ!﹂
﹁できればアタシも人間や魔物と共存したいのよ﹂
﹁そうですね。
これからダリアさんと一緒に旅をしていくわけですし、吸血鬼へ
の偏見をなくしていく必要があります!
そのためにはご主人、ダリアさんの血への渇望を抑えなければい
けません﹂
﹁ちょ、ちょっと待つのじゃ。
だったら早く村なり街なりに行って血入りソーセージを食べれば
良かろう!?﹂
﹁ああっ、血が⋮⋮今すぐ血が必要だわ⋮⋮﹂
ダリアさんがフラフラとして、俺にもたれかかってくる。
66
俺は触手でダリアさんの体を支える。
﹁ぬ、ぬう∼。
ちょっとだけじゃからな!
噛んだら承知せぬぞ!﹂
ご主人は荷物からナイフを取り出し、人差し指の先をほんの少し
傷つける。
そしてその人差し指をダリアさんに差し出す。
﹁んふっ、ありがとう﹂
ダリアさんはご主人の人差し指を咥え、上目遣いでご主人を見る。
一旦指から口を離すと、今度は傷口から流れる血を舐めとった。
ご主人の指はダリアさんの唾液で濡れていく。
指を咥えられているご主人の頬が赤く染まる。
﹁も、もういいじゃろ⋮⋮?﹂
ご主人の言葉に反応せず、ダリアさんはなおも舐る。
今度はご主人の指先に唇をあて、傷口を吸う。
その際、ダリアさんの口から音が漏れる。
﹁も、ももももう終わりじゃ!﹂
顔を赤くしたご主人が手を引っ込める。
ダリアさんが名残惜しそうにご主人の指先を見つめる。
いやあ、実に良いものを見た。
さっきは獣人たちの身体をたくさん触れたし、ダリアさんと共に
67
行動するようになってからというもの、えっちな出来事が多くて満
足だ。
﹁さ、さあ早く行くぞ!
これ以上ダリアに血を吸われてはかなわんからな!﹂
﹁ふふっ、そうね。
早く行きましょう﹂
﹁そうですね。
また面倒ごとが起きないとも限らないですしね﹂
ご主人の一声で、俺たちは道程を急ぐことにした。
竜の棲んでいた山︱︱、そこで俺たちはどのような経験をするこ
とになるのだろうか。
68
第六話
﹁とりあえず今日はこの村で一泊じゃな﹂
俺たちは竜が棲んでいたという山の麓の村に着いた。
既に日も落ちかけていたので、山に登るのは明日が良いだろう。
﹁そうね。この辺りには温泉も湧いてるみたいだしね﹂
温泉。
このキーワードから導き出される答えは︱︱。
﹁ご主人、混浴がある宿にしましょう﹂
﹁お断りじゃ。
そもそもソーマは男なのか?﹂
ご主人の一言に俺は衝撃を受けた。
そもそも俺は男なのか?
この問いに対する答えを俺は持っていない。
雌雄同体という可能性すらある。
ナマコやイソギンチャクは雌雄異体のはずだが、だからと言って
俺もそうだとは限らない。
一つだけ確実に言えるのは、メンタリティが男であるということ
だけだ。
であるならば、俺の魂の形に相応しいはずのこの身体は男である
と断言しても良いのか。
いやしかし、深層心理は女性という可能性も︱︱。
69
﹁ここなんて良いんじゃない?﹂
﹁そうじゃな﹂
俺の思考が自分探しの旅に出ている間に、泊まる宿が決定してい
た。
竹の塀で囲われ、木製の看板にデカデカと書かれた﹁旅館まつや﹂
の文字。
今のところ竹しか見えていないので、非常に違和感がある。
ご主人が受付を済ませると、従業員さんに部屋へと案内された。
畳敷きのその部屋に漂う香りは、俺の心をとても落ち着かせる。
﹁ご主人、一緒の部屋でいいんですか?﹂
﹁うむ、ダリアもおるから一緒の部屋でいいじゃろう。
布団は3つ用意してくれるそうじゃ﹂
お
をやたらとつける従業員さんだ。
﹁お食事はお部屋にお持ちするということでよろしいですか?﹂
﹁うむ、それで良い﹂
お
はつけなかったか。
﹁お食事のお時間までまだありますので、お先に温泉にご案内しま
しょうか?﹂
さすがに温泉に
﹁そうね、そうしましょう﹂
﹁従業員さん、個室の温泉とかってありますか?
俺が温泉に入ると、他の方々の迷惑になるんじゃないかと⋮⋮﹂
70
外見で差別はいけない︱︱とは言うものの、やはり俺の見た目は
異形だ。
同じ湯船に浸かるのは嫌だと言う客がいるかもしれない。
でもせっかくの温泉なのだから入らないというのも悲しい。
﹁そのようなこと、お気になさらなくても良いのですが︱︱。
もしそちら様がお気になさるようでしたら、お三方から貸しきれ
る露天風呂が御座いますので、そちらに入って頂くというのは如何
でしょうか?﹂
﹁そ、それは3人じゃないとダメなのか?﹂
﹁そうですね、通常は3名様以上でのご利用をお願いしております﹂
﹁アタシはソーマくんと一緒でも構わないわよ﹂
さっすが∼、ダリアさんは話がわかるッ!
﹁ご主人、無理なら俺は大丈夫ですよ。
温泉に入れないのは残念ですけど、また別の機会もあるでしょうし
あまりわがままを言って、旅館の方を困らせたくありませんし﹂
俺はここであえて引く。
ここで押しては下心がバレてしまう。
あくまで慎ましく、紳士的な使い魔を演じる。
ご主人はなんだかんだ言っても俺のことが可愛くて、俺のことが
大好きなのだ。
だからここは、﹁本当は温泉に入りたいけど、他の客から反感を
買ってご主人に迷惑をかけたくない健気な使い魔﹂にならなくては。
﹁うむぅ∼⋮⋮。
じゃがソーマ一人だけ温泉に入れないというのも⋮⋮﹂
71
計算通り。
だがもう一押し必要か?
昼間の獣人への行為がまだ頭に残っているのかもしれない。
﹁タオルもあるし、別に裸を見せるワケじゃないんだからいいんじ
ゃない?﹂
︱︱ダリアさんの紅い瞳が妖しく光る。
ダリアさんは一見、俺への援護をしているようだが、その目的は
別にありそうだ。
彼女の鮮血のように紅い瞳が何より雄弁に語っている。
貸切露天風呂
ということは、俺を排除することにより、ご主
今は俺の味方だが、信用してはいけない。
人とダリアさんの二人きりになるのだ。
ダリアさんが同性愛者だとしたら︱︱、ご主人の貞操が危なくな
る。
しかし、逆にダリアさんとうまく協力関係が結べたのなら、俺&
ダリアさん同盟対ご主人という図式になる。
こうなれば、圧倒的な戦闘能力を保持するご主人を︱︱。
﹁ソーマくんだって、温泉のためならエッチなことは我慢できるわ
よね?﹂
﹁我慢します﹂
我慢はする、だが我慢には限界があるのだ。
だから限界が来てしまったのなら、それは仕方ないことである。
﹁うむ、わしも心を決めよう。
その貸切露天風呂を借りるぞ﹂
72
意を決したように従業員さんに告げるご主人を見て、俺は表情を
崩しそうになる。
まだ笑うな⋮⋮、こらえるんだ⋮⋮、し、しかし⋮⋮。
異形の俺の表情をご主人が読み取れるかはわからないが、意図を
察せられては全てが水の泡だ。
﹁よかったわね、ソーマくん﹂
﹁ありがとうございます、ダリアさん﹂
俺に笑顔を向けてくるダリアさんだが、目は笑っていない。
恐らく本当の戦いはこれからだ。
ダリアさんが﹁ソーマくんに触られた﹂と言い放てば、俺は簡単
に追放されてしまう。
露天風呂での絶対的優位はダリアさんにある。
そのことを努々忘れてはならない。
﹁それでは貸切露天風呂にご案内しますね﹂
従業員さんが先導し、俺たちは露天風呂へと向かった。
﹁ここが貸切の露天風呂になります。
明朝までご自由にお使いください﹂
そう言いながら、従業員さんは頭を下げながら去っていった。
今はお客さんが少ないのか、明日まで貸しきれるらしい。
︱︱しまった!
73
ここで、﹁じゃあ時間をずらして入ればいいんじゃない?﹂とダ
リアさんに提案されたら全てが水泡に帰す。
いや、ご主人が気づいてもアウトだ。
クッ、まずい︱︱ならば気づかれる前に!
﹁それじゃあ俺は先にお風呂に浸かってますね。
俺がいると着替えにくいでしょうし﹂
先んずれば人を制す。
常に先手をとることが重要だ。
する。
本当は二人の着替えをじっくりと鑑賞したいところだが、ここは
我慢
﹁おお、いつになく気が利くぞ﹂
﹁ソーマくんも温泉に入りたかったのよ。
だから追い出されるようなことはしないはずだわ、きっと﹂
ご主人とダリアさんの声を背に受けながら、俺は表情を緩める。
どうやら二人は時間をずらせば良いということにまだ気づいてい
ないようだ。
意外に二人ともうかつなんだな。
俺の存在の第一目的はエロスだというのに。
露天風呂に出た俺は、手早く身体を洗う。
興奮しているせいで、触手の動きが活発になっている。
﹁いやっほぉ∼∼∼い!!﹂
身体を洗った俺は、乳白色の温泉に勢いよく飛び込む。
74
エロスエロスとは言っているが、やはり温泉も良い。
この乳白色の温泉は、いかにも肌がツルツルになりそうだ。
ん⋮⋮、待てよ⋮⋮?
この乳白色の温泉にあらかじめ触手を張り巡らせておけば、ご主
人とダリアさんがお風呂に入った瞬間捕縛できるのではないか。
身体に触手を巻きつけさえすれば俺の勝利は確定的になる。
クックック⋮⋮、この戦の勝者が決まったようだな。
﹁ま、まつのじゃダリア﹂
﹁タオルで隠してるんだから大丈夫よ。
早く来なさい﹂
ダリアさんと、遅れてご主人が入ってくる。
ダリアさんは手に持ったタオルで、胸から股間を隠している。
揺れるタオルが俺を期待させるが、物理法則は非情だ。大事な部
分はしっかりと隠れている。
全く恥ずかしがらずに歩くダリアさんの恥辱に歪んだ顔を想像し、
俺の性衝動が大きく蠢く。
ご主人はタオルを胴体に巻きつけている。
それでも不安なのか、胸や股間を手でしっかりと押さえつけてい
た。
その恥ずかしがる様子が俺のリビドーをアクセラレートさせる。
﹁ご主人、俺はむこうを向いていますから安心してください﹂
このままずっと2人のことを見ているのもいいが、紳士を装って
ご主人の警戒心を解くことにする。
75
温泉に入る前に、俺の仕掛けた罠を見抜かれる可能性もある。
ここは少しでも早く温泉に入って欲しいところだ。
﹁う、うむ。
さきほどからソーマは紳士じゃな﹂
﹁もしかしたら昼間のこと、反省したのかもしれないわね﹂
ここはあえて返事はしない。
ダリアさんは俺より役者が一枚上だ。
ここで下手なことを言うと、俺の張った罠がバレる可能性もある。
沈黙は金だ。
﹁ほら、ソーマくんがアッチを向いてる間に、早く体を洗いましょ
?﹂
﹁そ、そうじゃな。
ソーマ、いきなりこっちを向いたりしないでくれよ?﹂
﹁もちろんですよ﹂
俺の目的は2人の体をこねくり回すことだからな。
だがいまだにダリアさんの目的が読めない。
もしかして、俺が温泉に入れるように便宜を図っただけで、他意
はないのか⋮⋮?
いや待て、俺の第一目的を忘れるな。
例えダリアさんの真意がどこにあろうとも、俺のすることは変わ
らないはずだ。
﹁ふんふんふーん﹂
﹁ぬぅ⋮⋮﹂
﹁どしたの?﹂
﹁⋮⋮何でもない﹂
76
ご主人が唸っているな。
たぶん、自分の胸とダリアさんの胸を比べているんだろうな。
ご主人はほぼないと言っても過言じゃない。
ダリアさんは特別大きいというわけではないが、それでもご主人
よりはある。
ああ、もう一人、巨乳な娘がついてきてくれないかな∼。
あの犬耳は実に良かった。
﹁ソーマ、わしらも温泉に入るから、少し端に寄ってくれんか?﹂
﹁わかりましたぁ﹂
あれ、なんかおかしいな。
くっ、うまく歩けない。
触手もへなへなでうまく操れない。
俺としたことが⋮⋮、のぼせたのか⋮⋮?
強烈な目眩を感じる。
﹁あらら、残念ね﹂
ダリアさんの悪戯っぽい声を聞き、俺の意識は途切れた。
︱︱︱
白い世界。
靄がかかった世界に俺はいた。
77
ああ、なんだ夢か︱︱。
なぜかすぐに夢だとわかった。
そんな俺の前に、今日出会った猫耳、犬耳、兎耳が姿を現す。
彼女たちを見ると、彼女たちの肌の感触が蘇ってくる。
猫耳はほどよく筋肉がついていた。
俺の触手の動きによく反応して、弄りがいのある体だった。
犬耳の胸は大きかった。
俺はとにかくその胸をたっぷりと愉しんだ。
兎耳は全体的に肉付きが良かった。
触手がもっちりと食い込んだ太ももは、とても美味しそうだ。
しかし、そんな至福の時間のすぐ後。
俺は気づいてしまった。
いや、気づかされた。
俺の触手がどれだけ未完成なものなのかを。
獣人が消え、ダリアさんが現れる。
ダリアさんはご主人の指に口をつけた。
そして、音を立てて吸い付く。
口をはずし、今度は舐る。
指を弄ばれているだけなのに、ご主人の顔は上気していく。
ダリアさんのおかげで、俺は自身の触手の不甲斐無さを知った。
俺の触手はただの触手だ。
ダリアさんの口のように、吸い付いたり舐めたりできない。
俺の触手がもし、吸い付いたり舐めたりできたら、獣人たちはも
78
っと︱︱。
そう思った俺の触手が、姿を変える。
触手に穴が穿たれ、中から濡れた舌のような器官が見える。
その穴は収縮運動し、空気を吸い込む。
俺にも︱︱、俺の触手にも可能なのか?
吸い付いたり舐めたりすることが。
俺の問いに、俺の触手は応えた︱︱。
︱︱︱
目が覚めると、そこは旅館の部屋だった。
きっと、ご主人やダリアさんがのぼせた俺を運んでくれたんだろ
う。
部屋は暗く、2人の寝息が聞こえる。
ご主人とダリアさんの寝息だろう。
︱︱ダリアさんは吸血鬼なのに、夜に眠るんだな。
俺は布団から這い出だして、自らの触手を見る。
以前と変わらない、ただの触手。
だが、俺は知っている。
俺の触手は吸い付いたり舐めたりすることができる。
俺の意思を汲み取った触手が形状を変えていく。
穴が穿たれ、そこから濡れた舌のような器官が出てくる。
79
夢は夢ではなかった。
魂と肉の体が呼応し、結実したことを教えてくれたのだ。
明日、朝一番にご主人に報告しよう。
きっと喜んでくれるに違いない。
露天風呂でエッチなことはできなかったが、俺は非常に満足して
いた。
俺自身の肉体の変化が嬉しい。
そんな俺を祝福してくれるのは、今のところ窓の外に浮かぶ月だ
けであった。
80
第七話
昔々、まだ人間と魔物がお互いに争っていた時代のお話でござい
ます。
ウスベルクのお山に棲む一頭の竜がおりました。
その竜は永きに渡り、近くに住む者たちとの平穏を保っておりま
した。
しかしある時、その竜が近隣の集落を襲い始めたのです。
竜は咆哮を上げ、家々を口から吐き出す炎で焼いていきました。
とても恐ろしい竜に、周囲に住んでいた者たちは逃げることしか
できませんでした。
そんな恐ろしい竜に立ち向かう者たちがおりました。
かの有名な勇者マイマイでございます。
勇者マイマイは仲間たちと共に勇敢にも竜に挑み、とうとう竜を
討伐したのです。
勇者マイマイと共に戦った勇敢な者たちの中に、アロンザという
ラミアがおりました。
その彼女が愛したとされているのが、この﹁たまごまんじゅう﹂
で御座います。
この﹁たまごまんじゅう﹂は、名匠辰川五郎が︱︱
﹁もういいわ。
どこの銘菓も書いてあることは同じね﹂
﹁うむ、そうじゃな。
そもそも竜も勇者も関係ないではないか﹂
81
﹁二人とも、ここからが面白いんですよ。
名匠辰川五郎のたまごまんじゅうにかける情熱が凄いんです。
なんとたまごまんじゅうのために死神に弟子入りしたらしいです
よ!﹂
俺はたまごまんじゅうについていた冊子を読み上げるが、ご主人
もダリアさんも興味を示してくれない。
本家
だのとい
﹁たまごまんじゅうが美味しいってだけじゃ駄目なのかしら﹂
﹁うむ、珍しく美味かった。
だの
などと言わせては、店員さ
名物
とても濃厚な味で、満足感がある。
名物にうま︱︱﹂
﹁ご主人、それ以上はいけない﹂
周囲にはお土産物屋が立ち並び、
名物にうまいものなし
う文字が躍っている。
今ここで、
んたちの気を悪くするだろう。
﹁それでご主人、山に登るにはこの道でいいんですか?﹂
﹁そのはずじゃな﹂
登山コース
って﹂
﹁あそこに看板があるわよ。
道を歩く人々は多く、やはり完全に観光地になっている。
これだけ多くの人が竜のパワーを得たら大変なことになるのでは
ないだろうか。
というか残ってるのか? 竜のパワー。
﹁初級、中級、上級コースに分かれてるみたいじゃな﹂
82
﹁初級にしておきましょうよ。
遭難して近隣住民に迷惑をかけたくないです﹂
﹁遭難しても人知れず死んじゃうだけでしょ?﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ああ、ついつい言いたくなってしまっただけなのに。
そんな冷たい目で見ないで二人とも。
興奮してしまう。
﹁行くか⋮⋮﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
﹁待って下さい二人とも﹂
俺はご主人とダリアさんの背中を追いかけ、竜が棲んでいたとい
う山に入った。
︱︱︱
鬱蒼とした森の中を通る登山道は整備されており、まず遭難した
りはしないだろう。
まわりに人も多い。
どう考えても修行をしたりするような山ではない。
﹁ご主人、この山のどこでどんな修行をするんですか?﹂
﹁綺麗な山の空気を吸えば、ソーマの心も綺麗になるかなぁと⋮⋮﹂
83
蜘蛛に負けた件が全く関係ないっ!?
﹁ソーマの心が綺麗になれば、少しはイケメンに近づくかなぁと⋮
⋮﹂
﹁そんな⋮⋮。
ご主人ひどいですっ!
ご主人も外見で男を選ぶビッチだったなんて!
たしかに俺はイケメンと比べれば多少外見は見劣りするけれども、
それでもこんな扱いを受けるなんて!
俺はご主人のために強くなろうとしていたのに、ご主人は外見の
ことしか考えていなかった!﹂
俺は山道をはずれて森の中へ逃げ出す。
﹁これ待て、待つんじゃソーマ﹂
﹁あーらら⋮⋮﹂
ご主人の制止を無視し、俺は茂みの奥へとどんどん進む。
なぜだか、こちらからは巨乳の気配がしたような気がするのだ。
正直言って、ご主人が言っていたことは気にしていない。
巨乳のいる気配がしたからこちらに来たのだ。
巨乳の気配がどんどん近づく。
気配が近づくごとに俺の身体能力は上がり、移動速度が増す。
﹁⋮⋮!﹂
しばらく行くと森が途切れ、川に出た。
太陽の光に目が眩む。
﹁⋮⋮神よ、身を清め、お待ちしておりました﹂
84
女性の声が川の方から聞こえてくる。
太陽の光で、声の主の姿が良く見えない。
﹁さあ、お受け取り下さい﹂
水音を鳴らしながら、人影が近づいてくる。
﹁私のこの身を﹂
一糸纏わぬ姿の女性が、俺に抱き着いてきた。
何が何だかわからないが、触手は反応してしまう。
触手は自然と形を変え、彼女の胸の先に吸い付く。
大きな彼女の胸に、触手はからませる。
﹁ああ⋮⋮神よ⋮⋮﹂
うっとりとした声で呟く彼女。
頬は赤く染まり、目が潤んでいる。
彼女の瞳は水色。
瞳の色と同じ水色の髪を巻貝のように纏めている。
よくわからんが、とりあえず良し。
俺はそのまま彼女の体を愉しもうと思った︱︱のだが。
﹁ソーマ、何をやっておるのじゃ?﹂
﹁あーらら⋮⋮﹂
まあ、こうなる気はしていたよ。
85
当然言い訳は用意⋮⋮できるわけないな。
正直に言っても信じてもらえないだろうし。
﹁ソーマ、遺言は?﹂
澄み切った笑顔を見せるご主人。
言い訳すら許してくれない。
﹁た、たすけてください﹂ ﹁無理じゃな﹂
ご主人の体に何かが集まっていく。
恐らく魔術を行使するのであろう。
何回か見たから学習したぞ、俺。
﹁待ちなさいッ!﹂
いつの間にか俺から離れていた巨乳の女性が声を上げる。
その手には二つの発射口を持った銃が握られている。
﹁えっ、銃って存在したの!?﹂
﹁ソーマよ⋮⋮、何を言っておるのじゃ。
存在しないものをそなたが知っておるはずないじゃろ﹂
﹁あ、そうですよね﹂
﹁ふふっ、そうとも限らないケドね。
それよりアレ、どうするの?﹂
巨乳の女性は銃口をピタリとご主人に向けている。
﹁撃たれても構わんよ。
86
わしには届かん﹂
﹁ご主人、挑発するようなことを言わないで下さい。
おっぱいが大きい人、とにかく落ち着いて。
とりあえずその銃を降ろしましょう?﹂
俺の言葉を聞き、巨乳の女性は銃を降ろす。
﹁神がそうおっしゃるなら⋮⋮﹂
﹁神?﹂
ご主人とダリアさんが首をかしげる。
﹁どういうことか説明してくれますか?﹂
文脈からして俺が神なのだろう。
ならば俺の言葉には耳を貸すはず。
﹁我が神よ⋮⋮私を試すのですね?
わかりました。
私が神の敬虔なる僕であることを証明して見せましょう。
あれはそう、昨晩のことでした。
旅館に泊まった私は、窓の外に浮かぶ月を見ておりました。
自らの人生を思い返していたのです。
後悔の多い人生でした。
数々の失態を思い出し、自らの不甲斐無さに涙していたのです。
そんなとき、窓から神の触手が入ってきたのです。
神の触手は私を優しく慰めて下さいました。
神のおかげで私は自分を取り戻せたのです。
翌朝、神の触手が伸びてきた方向の部屋を虱潰しに探し、神を見
つけ出したのです。
87
神を見つけ出した私は、神とその回りにいる糞虫どもの話を聞き、
神の目的を把握しました。
神の目的地がこの山と知った私は、身を清め、神を待っていたの
です。
そして、神は私を迎えに来て下さった。
さあ我が神よ、昨晩の続きを!!﹂
ま、まずい。
巨乳の女性の話は見に覚えがない。
寝ぼけてやったのだろうか。同じ部屋で寝ているご主人とダリア
さんを放っておいて?
いや待て。
そういえば犬耳の巨乳を思い出して、巨乳のことを考えていなか
ったか?
だとしたら、触手がついつい巨乳探しの旅に出てしまった可能性
はあるのか。
いや本当にあるのか? そんな可能性。
だが一つだけわかったことがある。
この巨乳の女性は、ちょっとアレな人だ。
﹁忠実なる我が僕よ。
汝の信仰心はよくわかった。
だが、ここにいる二人は我の大切な者たちなのだ。
傷つけてはならぬ﹂
﹁ですが神よ!
あの糞虫は神を攻撃しようと︱︱﹂
﹁違うのだ。
あれは我を愛するが故の行為だ。
そなたの愛と、彼女の愛は違うのだ﹂
﹁⋮⋮そうでしたか。
88
私の過ちを赦してくださいますか?﹂
﹁もちろんだとも。
自らの行いを省みる者を、どうして責められようか﹂
﹁ああ⋮⋮、神よ⋮⋮﹂
とりあえず神っぽく話をして、ご主人とダリアさんの安全を確保
する。
ちなみに糞虫と呼ばれていたご主人とダリアさんは、完全に話に
飽きていた。
ご主人はガイドブックを開いており、ダリアさんは散々つまらな
いと言っていたたまごまんじゅうの冊子を読んでいる。
糞虫と呼ばれていたことを聞いていなかったと信じたい。
﹁さあ、ともかく今は服を着なさい。
その格好では風邪をひいてしまう﹂
﹁神のご命令とあれば⋮⋮﹂
よし、とりあえず落ち着いた。
﹁ご主人、ダリアさん、なんとかなりました﹂
﹁ん、そうか﹂
﹁話長かったわね∼﹂
﹁ご主人とダリアさんに危害を加えないことを納得させました﹂
﹁で、どうするのあの娘?
殺すの?﹂
さらっととんでもないことを言い放つダリアさん。
﹁それじゃあ説得した意味がないじゃないですか﹂
89
﹁放っておいてさっさと山を登るのじゃ。
全く、ソーマのせいで無駄に時間を使ってしまった﹂
﹁神よ、私も共に参ります﹂
黒い胸のあいたコートを着た巨乳の女が口を挟む。
﹁ダメに決まっておるじゃろ。
ほら、ソーマもさっさと行くぞ﹂
﹁神に見捨てられるくらいならッ﹂
巨乳の女は回転式拳銃を取り出し、銃口を咥える。
﹁待てィ! 自殺は最も忌むべき行為だ。
自らの命を粗末にするな﹂
﹁ふぇ、ふぇふは﹂
﹁口答えするな。
その拳銃を降ろすのだ﹂
﹁ふぁ、はい⋮⋮﹂
俺の言葉には素直に従う巨乳の女性。
だが、俺がいなくなればどうなるかわからない。
こんなに大きい胸をした女性が自殺なんて、許されることではな
いはずだ。
﹁ご、ご主人⋮⋮﹂
俺はご主人を見る。
つぶらな瞳で見つめる。
﹁く、なんじゃその目は⋮⋮﹂
90
﹁俺のご主人は優しいご主人のはずです﹂
﹁む、むう﹂
﹁彼女はどうやら俺を必要としているようです﹂
﹁そ、そうかもしれんな﹂
﹁俺がいなくなったら死んでしまうかもしれません﹂
﹁⋮⋮ええい、わかった! 勝手にせい!﹂
﹁ありがとうございますご主人! 大好きです!﹂
本当にご主人はちょろいな。
これでいつでも巨乳が愉しめるぞ。
これから毎日乳を揉もうぜ!
﹁というわけです。
許可が下りたので一緒に行きましょう﹂
﹁神よ⋮⋮ありがとうございます⋮⋮﹂
﹁その呼び方は辞めてください。
俺の名前はソーマです﹂
﹁⋮⋮リュドミラじゃ﹂
﹁ダリアよ﹂
﹁私はアビゲイルと申します﹂
﹁そう、よろしくね、アビー﹂
ダリアさんが笑顔を向ける。
複雑そうなご主人と違い、ダリアさんはアビーを受け入れたよう
だ。
﹁ほれ、話が決まったのならさっさと行くぞ。
あまり時間を無駄にすると、頂上に着く前に日が暮れてしまう﹂
﹁ご、ごめんなさい。
私のせいで時間をとらせてしまって⋮⋮﹂
91
﹁良い﹂
ご主人が山道に向かって歩き出し、アビーが追う。
少し遅れた俺とダリアさん。
﹁糞虫、ね⋮⋮﹂
ダリアさんが呟き、微笑する。
聞いていたのか⋮⋮。
﹁アビーもさきほどは気が動転していたみたいですし︱︱﹂
﹁ふふふっ、わかってるわよ﹂
軽いステップで駆け出したダリアさん。
本物の神様へ。
このパーティーが平穏でありますように。
半分くらい、いや8割くらい俺が悪いっぽいですけど、何卒お願
いします。
92
第八話
﹁リュドミラ⋮⋮さんは神の何なんですか?﹂
山道に戻り、しばらく俺たち4人は無言で歩いていた。
その沈黙を破ったのが、アビーのこの問いかけだ。
沈黙は確かに苦しかった。
空が青いですねぇ、空気が綺麗ですねぇ、などというどうでも良
いことを何度言おうとしたかわからない。
だが言えなかった。
うかつなことを言えば、重い沈黙の変わりに炸裂的な口論が訪れ
そうだったから。
﹁ご主人様じゃ﹂
﹁⋮⋮な、なんですって?﹂
アビーはわなわなと肩を震わせ、顔を紅潮させていく。
嵐の前の静けさは終わりを告げ、テンペストが訪れる。
俺の神への祈りは届くことなく、ご主人とアビーによる戦争が始
まる︱︱。
そしてその様子を微笑みながら見守るダリアさん。
何も口に出していないが、俺はダリアさんの方が怖い。
﹁我が神は唯一無二の神であるのに、ご主人様とはどういうことで
しょうか?﹂
93
﹁わしがソーマをこの世界に呼び出したのじゃ。
ご主人様以外の何者でもなかろう﹂
﹁なっ!!﹂
ご主人が勝ち誇ったように言い放った言葉に、驚愕するアビー。
﹁ということは⋮⋮、リュドミラさんは我が神の巫女様だったので
すか⋮⋮?
わ、私はなんて失礼なことを⋮⋮﹂
﹁その通りよアビー。
りゅどみんは巫女、アタシが神であるソーマくんの代理人﹂
﹁ちがっ! わしはソーマのっむぐぐぐ⋮⋮﹂
ダリアさんがご主人の口を塞ぐ。
思考が完全に迷子になっているアビー。
そんなアビーをみんなと協調できそうな場所へダリアさんは導こ
うとしているのか。
でもさりげなくご主人より高い位に自分を置くダリアさん。
﹁本当なのですか? 神よ⋮⋮﹂
﹁先ほども言ったように、この人たちは俺の大切な人です﹂
﹁おお、神よ⋮⋮。
リュドミラさん、ダリアさん本当にすみませんでした。
私の勘違いで、神の使途である貴女方にご迷惑を⋮⋮﹂
後でご主人に怒られないように、ここは肯定しないでおく。
肯定はしていないが、アビーが肯定したと受け取るように。
﹁むー⋮⋮﹂
94
﹁ご主人、丸く収まりそうなので我慢してください﹂
﹁むー⋮⋮﹂
ご主人は不満そうだけど、反論を出さないところを見ると納得し
てくれたのだろう。
後は時間がたてば、きっとよそよそしさも消えていくに違いない。
﹁さあ!
みんなこれからは仲良くできそうだし、頑張って頂上を目指すわ
よ!﹂
﹁そうですね!
蒼天に聳え立つ白き神の座を目指して!﹂
﹁ふふふっ、ソーマくんったら。
ここは雪山じゃあないわよっ﹂
﹁あっ、いっけねぇ!
白きじゃあなくて、緑のですね!﹂
俺とダリアさんは笑いあいながら駆け出す。
いつまでもギスギスとした雰囲気で山を登りたくない。
ここらで和やかな空気にしないとな!
﹁ああっ、神よ!
お待ちください!﹂
﹁ま、まつのじゃ。
わし、少し疲れて⋮⋮、のああぁ﹂
俺はご主人を触手で捕まえ、俺の上に乗せる。
﹁えっちなことをしたら⋮⋮﹂
﹁しませんよ﹂
95
とにかく今はこの空気を打破するのが先決だからな。
こうして、4人仲良く頂上を目指した。
なぜか走って。
︱︱︱
﹁ハァ⋮⋮、ハァ⋮⋮﹂
俺とアビーは息が切れ、頂上に辿り着くと同時に倒れこんだ。
ダリアさんは平気な顔をしている。
ご主人は倒れこむ俺を優しく撫でている。
ダリアさんはあんなに体力があるのに、なぜ行き倒れていたんだ
⋮⋮。
﹁ここが頂上ね。
どこにドラゴンパワーとかいうのがあるのよ?﹂
キョロキョロと辺りを見回すダリアさん。
そんなダリアさんの前に、4人の男たちが姿を現す。
﹁よくここまで登ってきた!﹂
﹁オレたちがウスベルクの!﹂
﹁竜のパワーを極めし番人!﹂
﹁ドラゴンフォースだッ!!﹂
唐突に現れた4人の男たちは、なぜか回りにいる他の観光客たち
96
を無視して俺たちに話しかけてくる。
﹁聞いたことないわ﹂
﹁ガイドブックにも載っておらん﹂
ガイドブックを開いて確認するご主人。
ペラペラとページを捲るが、この4人の男についての記述はない
らしい。
﹁なんだと!
そんなバカなことがあるかッ!
そのガイドブックを見せてみろ!﹂
パンティーを被ったおっさんが、ご主人からガイドブックを奪い
取り、中に目を通す。
﹁なんだコレはッ!
10年以上前に発刊された本じゃないか!
こんなモノッ!!﹂
﹁ああっ、わしのガイドブック!﹂
パンティーを被ったおっさんは、谷底へとガイドブックを投げ捨
てる。
これは明らかなマナー違反だ。
﹁何をしているんですか!
山にゴミを捨てるなんて最低です!
山にゴミを捨てても許されるのは生死がかかった時だけです!﹂
﹁精子がかかった⋮⋮﹂
97
俺が良いことを言ったはずなのに、ダリアさんがボソっと何か言
う。
俺は良いことを言ったはずなので、構わず続ける。
﹁お前たちのような外道は許しておけません!
ご主人、成敗してやりましょう!﹂
﹁当たり前じゃ!
わしと苦楽を共にしたガイドブックをあんな目に合わせたのだか
ら、楽に死ねると思うな!﹂
﹁神がおっしゃることは宇宙の真理。
ならば神罰を下すのは信者の定め﹂
﹁んー、いいんじゃない?﹂
満場一致だ。
この外道どもを始末する。
﹁勝負をするのはよかろう﹂
﹁我々に勝ったなら﹂
﹁このドラゴンドロップを﹂
﹁貴様らに授けようッ!﹂
男たちは飴玉らしきものを見せる。
ちゃんと紙の上に載っており、素手で触らないよう配慮をしてく
れていた。
意外にこいつらは清潔志向なのか。
﹁勝負内容は私が恥力ッ!!﹂
パンティーをかぶったおっさんが覇気を込めて言い放つ。
98
﹁オレが体力ッ!﹂
マッチョなアニキがポージングしながらキメる。
﹁ボクが魅力﹂
イケメンが口元を光らせながら語る。
﹁我が意志力だ!﹂
ボンテージを着たスネ毛が鞭をしならせる。
﹁各々、勝負する相手を決めるが良い﹂
アニキが笑みを見せる。
パンティーのおっさんはともかく、マッチョなアニキはフェア精
神を重んじるタイプに見える。
﹁当然わしが知力じゃな。
伊達に109年生きておらん﹂
﹁私は神のためならどのようなことも厭いません。
意志力で挑戦させていただきます﹂
﹁じゃあアタシが魅力かな?﹂
﹁余った体力は俺ってことですね﹂
特に揉めることなく決まる。
なんか趣旨が変わってる気もするがいいだろう。
ご主人が知力、俺が体力、ダリアさんが魅力、アビーが意志力。
それぞれの得意分野っぽい所にうまく割り振れたように思う。
99
﹁決まったようだな。
では、誰から勝負を挑む?﹂
﹁もちろんこのわしじゃ!
貴様らのような変質者が、このわしに敵うわけがない!﹂
ご主人が胸を張って言う。
これは恐らくご主人が勝てるだろう。
あのパンティーをかぶったおっさんが、そこまで知識を持ってい
るようには思えない。
エロ知識勝負というのなら話は別だが。
﹁良かろう。
勝負内容は、どれだけ恥ずかしい格好をできるかだッ!!
審査して戴くのは、今この頂上に来ている皆さんッ!!﹂
﹁えっ? えっ?
知力ってクイズ対決とかじゃないの?﹂
﹁恥力と最初に言ったであろう﹂
慌てふためくご主人。
こと、ここに至って俺は気づいてしまった。
知力ではなく、恥力。
思えば、おっさんがパンティーを被っている時点で気づくべきだ
ったのだ。
あのおっさんが知力のはずはない。
﹁ソ、ソーマ、代わって︱︱﹂
﹁ならんッ!
具体的な内容を聞いてからの変更は不可とするッ!!﹂
100
くっ、ご主人のピンチだ。
だがどうすることもできない。
ルールなら仕方ないじゃないか。
こうなっては、ご主人に恥ずかしい格好をしてもらうしかないッ
⋮⋮!
﹁ご主人⋮⋮!
ルールならどうすることもできません⋮⋮!
頑張ってください⋮⋮!﹂
﹁ルールなら仕方ないわよね﹂
﹁神がそう言っている以上、従うのが自然の摂理です﹂
﹁くっ⋮⋮、裏切り者どもめ⋮⋮﹂
﹁話は決まったか?
勝負は既に始まっているぞ﹂
見ると、パンティーを被っているおっさんは、既に何も着ていな
かった。
何も着ていないにも関わらず、おっさんは全く動じていない。
﹁さあ、貴様も早く恥ずかしい格好になるが良い﹂
﹁くッ⋮⋮!﹂
ご主人は着ているローブに手をかけるが、そこから動かない。
手はぷるぷると振るえ、顔は上気してきている。
そして騒ぎに気づいた観光客たちが、俺たちを囲むようにして集
まってきた。
大量の人だかりに、ご主人が更に追い詰められていく。
101
﹁できないのならそれでも良い。
私の勝ちだな﹂
﹁ま、まてッ!﹂
強い声でおっさんに声をかけ、意を決したようにご主人はローブ
を脱ぎ捨てる。
﹁おおっ!﹂
回りに集まっていた観衆たちから声が上がる。
ローブを脱ぎ捨てたご主人、その下にはタンクトップとスパッツ
を着ていた。
くっ⋮⋮!
そんなバカな。
まだ下着まで届かないなんて。
ん、待てよ。
そういえば、ご主人はブラジャーをしているのだろうか?
あの大きさでブラジャーが必要とは思えないが。
﹁フッ、それでおしまいか?﹂
パンティーを被ったおっさんは、ストッキングを取り出し、履き
始めた。
ストッキングを履くことにより、更なる高みへと昇ったおっさん。
裸でいるだけならあり得る格好なのだが、ストッキングを履くこ
とにより言い訳を許さない変質者へと移行する。
対して、まだ薄着ではあるが恥ずかしい格好というほどではない
ご主人。
102
この戦いに勝つには、まだまだ恥ずかしい格好をしなくてはいけ
ない。
﹁ご主人!
勝つためにはタンクトップを脱ぐしかありません!﹂
ブラジャーをつけているのかどうかが気になる俺は、ご主人に熱
い声援を送る。
俺の声に涙目でぷるぷると首を振るご主人。
顔だけじゃなく、体も赤みを帯びてきている。
﹁そうだそうだー!﹂
﹁お嬢ちゃん、このままじゃ負けちまうぞー!﹂
﹁あのおっさんの恥力は既に1万を超えているぞー!﹂
観衆たちもご主人に声援を送る。
このウスベルク山の頂上は今、一つの意思で満たされていく。
﹁ご主人!﹂
﹁む、むりじゃあ!
だって、これ脱いじゃったら見えてしまう⋮⋮!﹂
決まった。
結論は出た。
ご主人はブラジャーをつけていない!
俺はこの結果に非常に満足した。
﹁それ以上は無理なようだな⋮⋮。
ならば、私の勝ち︱︱﹂
﹁異議ありッ!!﹂
103
﹁ほう、どんな異議があると言うのだ。
私とお嬢さんの真剣勝負に割り込んでくる以上、それなりの理由
があるのだろうな﹂
おっさんの勝利宣言に割り込んだ俺に対して、おっさんが勝ち誇
った目を向けてくる。
﹁たしかにアンタは今、恥ずかしい格好をしているかもしないが︱
︱﹂
﹁フフフ、そうだな。
裸にパンティーを被り、ストッキングを履く。
これ以上に恥ずかしい格好などそうあるまい﹂
﹁そうだな。
だがおっさん、アンタは今、全然恥ずかしがっちゃいない!
むしろ、その格好でいることに喜びを感じているんじゃないのか
!?﹂
﹁なっ⋮⋮!?﹂
俺の言葉におっさんが動揺する。
動揺は周囲の観客たちにも広がっていく。
﹁おっさんは勝負をする前、恥力の勝負と言った。
恥力とは即ち、恥に耐える力のことじゃないのか!?
恥を感じなくなったおっさんに、恥力があると言えるのだろうか
!?﹂
﹁な、なにをバカなッ!
私が喜びを感じているという証拠がどこにある!?﹂
﹁フッ⋮⋮。
まだ気づかないのか、おっさん。
アンタが裸になったときから、アンタの気持ちを何より雄弁に語
104
っているモノが見えているんだぜ!!﹂
その瞬間、その場にいる全ての者がある一点を見つめた。
おっさんの股間だ。
﹁そんなにいきり立っているのに、喜んでいないと言えるか?
それに比べて俺のご主人は、少し肌を見せただけだというのにあ
んなに恥ずかしがっている。
見ろ! ご主人を! ご主人は恥ずかしさに耐えているのだぞ!
あんなに小さい体を震わせて、みんなの視線に耐えているんだ!
これこそ真の恥力と言えるのではないのか!?﹂
﹁待て! おかしいぞ!
その理屈はおかしい!﹂
必死に抗議するおっさんだったが、既に勝負は決まっていた。
視線に興奮した変態は、既に恥を持っていない。
恥を失った彼は、ただの露出狂に堕ちたのだ。
マッチョなアニキがおっさんの肩に手を置き、無言で首を横に振
る。
マッチョなアニキの目を見たおっさんは膝を折り、涙を流した。
ようやく己の過ちと敗北に気づいたのだ。
﹁ソ、ソーマ!﹂
涙目のご主人が笑顔を見せ、俺に抱き着いてくる。
普段と違い、タンクトップにスパッツという格好のご主人の抱き
心地は最高だ。
﹁ありがとう。
105
わし、わし⋮⋮﹂
﹁いいんですよ。
今はただ、勝ったことを喜びましょう﹂
ご主人を抱きしめ、俺たちは勝利の余韻に浸るのであった︱︱。
106
第八話︵後書き︶
第七話の胡麻まんじゅうをたまごまんじゅうに変更しました。
ストーリーには影響ありませんが、一応この場を借りて報告してお
きます。
107
第九話
﹁さあ、次の挑戦者は誰だッ!?﹂
﹁神よ、彼らは卑劣な罠を仕掛けています。
ここは、私が先に行って彼らの情報を探らせていただきます﹂
﹁アビー、くれぐれも気をつけて下さい﹂
﹁はい、私を心配して下さってありがとうございます﹂
アビーが一歩前へ出て、男たちを睨みつける。
﹁汝は意志力を選んだ者だな⋮⋮、ということは我の出番か﹂
ボンテージに身を包む男が前に出る。
彼は鞭を巧みに操り、周囲に己の技量をアピールした。
鞭の切っ先からは、渇いた破裂音が響く。
恐らく鞭の先端部が音速に達しているのだろう。
﹁貴方たちの卑劣なやり方は、我が神のご加護の前には無意味です!
さあ、勝負内容を教えなさい!﹂
アビーは両手に散弾銃を持ち、銃口をボンテージに向ける。
撃っちゃ駄目だぞ、アビー。
﹁よかろう。
我の試練は、10分間、我の責めに耐えることだッ!
汝が参ったと言えば汝の負け、10分間汝が耐えれば汝の勝ちだ﹂
﹁受けて立ちましょう!
我が魂、体は神に捧げたモノ。
108
貴方のような糞虫がどうにかできるものではありません!﹂
しまった。この勝負は厄介なことになる。
ボンテージの勝負のルール︱︱、これはつまりえっちなことをし
放題ということ。
それをアビーは気づいているのにも関わらず受けて立つと言って
のけた。
﹁アビー! このしょ︱︱﹂
﹁神よ、私は貴方を信じています。
ですから神も私の信仰を信じてください﹂
アビーの真剣な眼差し。
彼女は今、俺たち仲間のために戦おうとしている。
その覚悟を俺は見届けることにした。
ここでアビーを止めたら、アビーはずっと俺たちと仲間になれな
いかもしれない。
だから彼女がどんな目に遭おうとも、俺は決して目を逸らさない。
﹁では今から10分間計らせてもらおう、準備はいいな?﹂
﹁いつでもどうぞ﹂
﹁よし、意志の試練、レディー⋮⋮ゴーーーッッ!!﹂
ボンテージは一人で盛り上がり、一人で拳を突き上げる。
そしてゆっくりとアビーに近づき、舐めまわすように全身を見始
めた。
﹁フン、なんだその下品な胸は。
牛か? カウなのか?
大きければ良いという貧相な発想。
109
あーやだやだ、胸に栄養がいってしまって脳みそに回らなかった
んだな。
挙げ句に谷間を強調しおって。
そこに挟みたいのかね?
ナニかを挟みたいのかね?
嗚呼、いやらしい、最近の性の乱れは全くもって嘆かわしい﹂
アレ? 俺が期待︱︱じゃなかった、想像していた勝負内容とは
ちょっと違うぞ。
もっとこう、体をいじりまわしたりするのかと思っていた。
それでこう、﹁口は反抗的だが、体は正直だな﹂﹁く、くやしい
⋮⋮でも⋮⋮﹂的なものを想像してたのに。
﹁それに何だ?
お前は普通、あのメンバーの中にいたらメガネキャラポジション
だろう?
なんでメガネをかけていないんだ。
丁寧な言葉を使う神官キャラなんだろ?
メガネくらいつけるべきだろう、真面目っ娘アピールのために。
それをお前、メガネフェチの人たちのこと考えてる?
ヘイヘーイ、どうなんですかー?﹂
俺の予想ははずれていたが、この勝負、アビーの勝ちは確定的だ。
アビーはこの程度の言葉でめげるような女性ではない。
現にアビーの目には全く動揺の色が浮かんでいない。
﹁大体さ、みんなして真っ黒の服着てるってどうなの?
黒装束集団なの? 毒電波とか感知してるの?
それともアレ? 異形の神々を崇めてらっしゃるの?
いあいあとか言っちゃってるんですかァ?
110
そういえばあそこに冒涜的なナマモノが︱︱﹂
ボンテージの言葉を遮り、アビーがボンテージの頭を鷲掴みにす
る。
そして、そのまま地面へとボンテージの顔を叩きつけた。
﹁私のことはいくらでも罵ればいいでしょう。
ですが、我が神を愚弄することは許せません﹂
﹁アビーッ! 殺しちゃ駄目です!﹂
﹁わかりました、もちろん神のご意志に従います﹂
アビーは気絶しているボンテージに、尚も打撃を加える。
腕、脚、尻。
あくまで体を痛めつける程度に抑え、殺さないように配慮はして
いるらしい。
﹁マッチョなお兄さん、この勝負ってどうなるのかしら?﹂
﹁むぅ⋮⋮。
10分間耐える、参ったと言ったら終了というルールだったな⋮
⋮。
そちらの攻撃を禁止していたわけでもないしな⋮⋮。
このまま10分間、アビーとやらが参ったと言わなければそちら
の勝ちで良いだろう﹂
﹁そう、ありがとうね﹂
ダリアさんの質問に、マッチョが答える。
どうやらこのまま10分間、気絶したボンテージが痛めつけられ
るのを見続けることになるらしい。
いやいくらなんでも、それは死んじゃうよな。
やっぱり止めた方がいいか。
111
﹁アビー、そこまでにしておいてください﹂
﹁ですが神︱︱﹂
﹁アビーッ!
彼は﹃冒涜的なナマモノ﹄と言っただけです。
それがなぜ俺を愚弄したことになるのですか?
彼が俺のことを指して言ったとは限りませんよ﹂
﹁︱︱ッ!﹂
﹁さあ、アビー。
俺は彼を許すことを求めます﹂
﹁⋮⋮はい、神のご意思の通りに﹂
アビーは手をとめ、こちらに戻ってきた。
﹁よく俺の言うことを聞いてくれました﹂
アビーをそっと触手で包み、頭をなでる。
飴と鞭だ。
何だかんだでアビーは俺の言うことを聞いてくれるので、しっか
りとご褒美もあげないとな。
﹁ああ、神よ︱︱﹂
﹁長い茶番じゃったの﹂
ローブを着て時間が経ったことにより、ご主人も立ち直ったみた
いだ。
さっきまであんなに恥ずかしがっていたのに、今はたまごまんじ
ゅうを頬張っている。
勝負の方はこれで2勝、この調子で行けばこの戦いは全勝できそ
うだな。
112
﹁さあ、次の勝負はどちらだ?
そちらの女か、それとも異形の者か?﹂
﹁そろそろアタシが行こうかしら﹂
﹁ということはボクの出番だね﹂
ダリアさんとイケメンが前出る。
二人が互いに睨みあう姿は、さながら一枚の絵画のようだ。
この勝負は今までの勝負のような見苦しいものではなく、完璧な
る美と美の競演となるだろう。
﹁勝負内容を伝えよう。
単純サ︱︱。
このウスベルクの山頂にいらっしゃる皆さんに、ボクと君のどち
らがより魅力的かを決めてもらう。
それぞれがアピールをして、より支持を集めた方の勝ちってこと
でどうかな﹂
﹁わかったわ﹂
イケメンは観衆たちに向かって手を振りはじめた。
一方、ダリアさんはただ微笑んでいるだけだ。イケメンの出方を
伺っているのか。
﹁キャーイケメンよー!﹂
﹁抱いてェ! 私を天国へ連れてってェ!﹂
﹁掘らせてくれェー!!﹂
黄色い声に混じり、ときどき野太い声援が飛ぶ。
イケメンの持つ魅力は、女だけでなく男をも魅了してしまうらし
い。
113
声援を受けたイケメンは、更に観客をヒートアップさせるため、
ワイシャツのボタンを開けはじめた。
﹁キャーイケメンの胸板よー!﹂
﹁抱いてぇ! 私をその胸で眠らせてぇ!﹂
﹁いいぞぉ、もっと見せてくれェー! ついでに掘ってくれェー!
!﹂
第一ボタン、第二ボタンが開けられていく度に観客の声は熱を帯
びる。
悔しいが、イケメンの優雅な手つきに俺も魅了されてしまいそう
だ。
イケメンはアピールを加速させていくが、一向にダリアさんは動
かない。
﹁どうした?
ボクの美しさに怖気づいたのか?﹂
﹁ふふ、そうね。
そろそろアタシも何かした方がいいわよね﹂
そう言うとダリアさんはスカートの裾をつまみ、上目遣いでイケ
メンの方を見る。
こ、これはトマトの時と同じだ。
ダリアさんはスカートをゆっくりと持ち上げていく。
﹁いいぞねーちゃん! そのまま見せろー!﹂
﹁オレたちに真実を見せてくれー!﹂
﹁ヤローはどうでもいいからねーちゃんのパンツを見せろー!﹂
ダリアさんのパフォーマンスに、男たちが熱狂しはじめる。
114
もちろん俺も盛り上がってしまう。
だが、ダリアさんはパンティーを見せるつもりはないのではない
かと勘ぐってしまう。
なぜならダリアさんのパンティーはクマさんだからだ。
この観衆たちにかわいいクマさんをダリアさんが見せ付けるのか
どうか⋮⋮。
﹁フッ⋮⋮、なかなかやるじゃないか﹂
﹁ふふふ、もうアナタ負けてるわよ﹂
ダリアさんは上目遣いで、イケメンから目を離そうとしない。
そしてイケメンは、ダリアさんの下半身から目を離そうとしない。
こう着状態に陥ったように見えたが︱︱。
その時、ダリアさんは何を思ったか、急にスカートの中に手を入
れる。
そのままスルスルと下着を下ろし始めた。
下着は以前履いていたものではない。
黒い下着だ。
﹁うおおおおおおおおおおおおッッッッ!!﹂
観衆が吠える。
今、ダリアさんは下着を履いていない。
あのヒラヒラとしたスカートの中がどうなっているのか。
このウスベルクの頂上は今、たった一つの興味で支配されていた。
足首のところまでパンティーを下ろしたダリアさんは、再度スカ
ートの裾を持ち上げていく。
115
俺はゆっくりと上がっていくスカートの裾を見るべきか、それと
もダリアさんの脱ぎたてパンティーを見るべきか迷ってしまう。
思考は答えを出せず、視線は行ったりきたりを繰り返す。
そしてそれは、この場にいる全員が同じであった。
イケメンとて例外ではない。
既にこの場はダリアさんにより支配されていたのだ。
﹁あむあむ、やっぱりこのたまごまんじゅうは旨い﹂
﹁そうですね、これとっても美味しいですね。
あ、私お茶持って来てるんですよ﹂
﹁おお、なかなか気が利くのう﹂
たった二人を除いて。
﹁く、くぅ∼⋮⋮﹂
イケメンといえど、ダリアさんの誘惑には逆らえないらしい。
いや、むしろイケメンだからこそか。
彼はイケメンであるが故に、今まで焦らされたことがないのかも
しれない。
今このときもダリアさんはスカートの裾を上げ続けているのだが、
そのスピードはカタツムリが歩くスピードよりも遅い。
この世界の全ての時が止まっているのではないかと錯覚するほど
の遅さだ。
﹁そろそろ面倒臭くなってきちゃったし、負けを認めてくれるのな
ら見せてアゲルわよ?﹂
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!﹂
ダリアさんの言葉に、男たちが雄たけびを上げる。
116
その雄たけびは空気を震わせ、山を鳴動させた。
統一された意思の持つエネルギーは、このウスベルクの山をも取
り込んだのだ。
﹁うるさいのう⋮⋮。
もう少し静かにはできんのか﹂
﹁そうですね。
でも神も一緒になって騒いでるみたいですから、大目に見ましょ
う﹂
﹁たまごまんじゅうか。
オレにも一つ分けてくれないか﹂
マッチョなアニキもあまり興味ないようで、ご主人とアビーの二
人に混じっている。
まあ、マッチョなアニキはどう見ても筋肉にしか興味なさそうだ
から仕方がないか。
﹁くぅ⋮⋮、わ、わかった。
ボクの負けだ。
だから、だからそのスカートの中身を見せてくれ!!﹂
﹁マッチョなお兄さん。
そういうことらしいケド、アタシの勝ちってことでいいのかしら
?﹂
﹁むぐむぐ⋮⋮。
そやつがそう言うのだから、君の勝ちで良かろう。
お茶もいただけるとありがたいんだが⋮⋮﹂
﹁仕方がないのぅ⋮⋮﹂
勝負はついた。
イケメンは欲望に負け、ダリアさんに屈したのだ。
117
ご主人のときと同じように、またしても観客と関係ないところで
勝負が決まった。
ルールとは何だったのか。
そのような疑問、ダリアさんの神秘に比べればどうでも良い。
﹁じゃあ約束だからね﹂
そう言ってダリアさんはスカートを上げ下半身を晒す。
この場にいる全て︵3人除く︶の者の注目を集め、ダリアさんは
見せ付けたのだ。
なんとその下半身はッ!
真っ暗な闇で何も見えなかった。
﹁もぐもぐ⋮⋮。
闇の魔力じゃな。
闇の魔力でモヤモヤとさせてあーんな感じでこーやって見えなく
しておるんじゃ﹂
ご主人の解説になっていない解説。
魔術のことは1ミリも理解できていない。
だが俺は⋮⋮、いや、俺たちはたった一つの真実だけは理解した。
騙された⋮⋮、と。
118
第十話
﹁遂にオレとお前の戦いの時が来たようだな﹂
﹁そうですね。
ドラゴンフォースの中にあって、唯一まともな気がしないでもな
いアニキと戦えるなんて光栄です﹂
﹁フッ⋮⋮。
このオレを前にして、そのような事を言えるのはお前くらいのも
のだな﹂
俺はこのマッチョなアニキに奇妙な友情を感じていた。
彼は常に紳士的で、常に公平だった。
アニキの筋肉からはたくましさだけじゃない、優しさや正義を愛
する心を感じたのだ。
﹁さあ、アニキ。
俺たちの勝負のルールを発表してください﹂
﹁フッ、よかろう。
体力とは即ち筋肉。筋肉とは即ち肉体。
ここまで話せばわかってもらえるだろう?﹂
言いながら、アニキは着ているものを脱ぎ始めた。
そしてビキニパンツ一丁になる。
体は既にオイルにより照りが出ていた。
﹁成程。
俺の肉体はご主人から戴き、俺の魂を写したモノ。
その肉体でアニキと戦えるのなら本望ですね﹂
119
アニキはゆったりとした自然な立ち姿を見せた。
腕はだらんと下に垂れている。
非常にリラックスした体勢。
︱︱静。
全ての力を抜いたアニキからは、筋肉の猛りを全く感じない。
が、次の瞬間、アニキが全身に力を込める。
︱︱静から動へ。
体勢を全く変えていないと言うのに、アニキの筋肉は躍動する。
アニキの筋肉という筋肉が収縮し、筋肉の溝をより深いものとし
た。
﹁キレてるキレてる!﹂
﹁デカイよー!﹂
観衆たちからアニキの筋肉を誉め称える歓声が上がる。
ぬらぬらと光る大胸筋が眩しい。
アニキはただ力を入れて立っているだけだと言うのに、観衆をこ
んなにも沸かせることができるなんて。
﹁流石です、それでこそアニキだ﹂
俺は素直にアニキを褒め称えた。
彼の筋肉からは、膨大な量のトレーニングの残像が見えたからだ。
事前のトレーニングだけではない。
アニキは今もなお戦っているのだ。
120
アニキはただ立っているだけに見えるが、今もじっと筋肉に渇を
入れ続けている。
だが、全く辛そうじゃない。
彼は爽やかに白い歯を見せている。
アニキの顔は、この世に生きることへの希望に溢れていた。
そう、アニキの肉体は正に人間賛歌そのものだった。
アニキに対抗し、俺はありったけの触手を伸ばした。
アニキの筋肉のキレ、デカさに俺が敵うはずはない。
ならば、俺は俺の肉体の持ち味を見せつけるしかないだろう。
﹁触手もいいぞー!﹂
﹁やだー、きもちわるーい﹂
観客たちからは悲鳴とも聞こえる声援が飛ぶ。
やはり俺の肉体は生理的嫌悪を与えてしまうのだろうか。
﹁フッ、やるな。
オレがどれだけトレーニングをしても、そのようなマネはできん。
だがな⋮⋮﹂
アニキはゆっくりと体勢を変え始めた。
腰を半回転させ、太ももを上げる。
上半身は俺の方を向けているが、下半身は横を向いている。
そのスムーズなサイドリラックスへの移行は、見るものたちを惹
き付けた。
太ももが前に出されたことにより、大腿筋が先ほどよりも強調さ
れる。
121
そして少しだけ見える大殿筋がとてもセクシーだ。
﹁ナイスバルク!!﹂
﹁いいよ∼!!﹂
アニキのナイスなパフォーマンスにますます観客たちはヒートア
ップしていく。
それに引き換え俺は⋮⋮。
いや、卑屈になるな。
俺は、俺の肉体を見せ付けるのだ。
俺は伸ばしきった触手たちをうにょうにょと蠢かせる。
俺が持つ全ての触手が最大限伸ばされ、波打つ。
﹁き、きれい⋮⋮かも﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
青い空の中波打つ触手は、幻想的な空間を生み出した。
空の青と、触手の肉の色。
宇宙と生物の融和。
たくさんの可能性から選ばれ、生まれた生命の神秘。
それを無常に見守る宇宙の摂理。
﹁認めざるを得ないな。
異形の者よ、お前を我が宿敵と認めよう﹂
アニキに認められた︱︱、その喜びをかみ締める暇をアニキは与
えてくれなかった。
122
アニキはそのまま腕を後ろに回し、セクシーなお尻の前で組む。
その見事なサイドトライセプスにより腕が︱︱、特に上腕三頭筋
が強調される。
圧倒的な筋肉の質量が、見ている者たちを飲み込む。
今まではアニキの筋肉の大きさや切れ目の深さばかりに目がいっ
ていたが、ここに来て浮き出る血管の存在感が増してきた。
当然ながら、筋肉に栄養や酸素を送るのは血管を流れる血液だ。
強く大きく育った筋肉は、血管を圧迫し、血流を滞らせる。
だがアニキの血管は太く、アニキの筋肉に決して負けていなかっ
た。
総指伸筋から上腕二頭筋、そして三角筋から大胸筋へと続く幾筋
かの血管。
あの太く逞しい血管により、アニキの圧倒的な質量の筋肉たちは
生かされているのである。
アニキは今、生命の力強さを己が肉体から発露させていた。
アニキから吐き出される息も、アニキの汗腺から溢れ出る汗︱︱
いや漢汁も。
その全てが生命の力強い活動の表れなのだ。
アニキの人間賛歌は、遂に全ての生命への賛歌に昇華した。
﹁最高だあああああああああ!!﹂
﹁大きいよぉおおおおおおお!!﹂
次々と上がる歓声。
その中には感極まって泣き出す者まで現れはじめていた。
アニキに遅れるわけにはいかない。
アニキを尊敬するからこそ、アニキに追いつく︱︱いや、アニキ
123
を追い越すのだ。
俺は全ての触手から舌を出した。
今の俺にできる最大の変化。
波打つ触手たちから一斉に出された舌。
一見するとグロテスクなその光景だったが、その様は生命の誕生
を連想させた。
生命が生まれ、育まれ、新たな生命を生み、死んでいく。
触手からチロチロと出し入れされる舌は、正に生命の連鎖そのも
のだった。
無常な宇宙の摂理に対して、唯一生物が許された反抗。
それは進化だ。
生命は連鎖を繰り返し、進化してきた。
俺は生命の進化を体現してみせたのだ。
﹁面白いものだな﹂
﹁そうですね﹂
俺とアニキは全く違う方向性で、己の肉体をアピールした。
だというのに、俺とアニキのテーマの行き着くところは同じだっ
たのだ。
アニキが俺に近づいてきて、握手を求める。
勿論、俺はアニキの握手に応えた。
﹁諸君、オレと異形の者、どちらの肉体の方が優れていたと思う?﹂
アニキの問いかけに、観衆は沈黙した。
俺とアニキは、その沈黙の理由がわかっていた。
観客たちも当然のように理解していた。
124
どちらの肉体も素晴らしく、甲乙つけがたい。
勝敗を決めてしまうことは、生命への侮辱になってしまうと。
﹁決まりだな﹂
﹁そうですね﹂
﹁勝者はオレと俺だ!!﹂
アニキと俺が組んだ手と触手を高らかに掲げる。
その姿に、観客たちは熱狂した。
ある者は雄たけびを上げ、ある者は涙を枯らした。
﹁長かったのぅ。
たまごまんじゅうもお茶も無くなってしまったよ﹂
﹁アタシは結構楽しかったケド﹂
﹁神の肉体は宇宙そのものでしたね﹂
俺のかけがえのない仲間たちが集まってくる。
口に出した言葉は素っ気無いものだが、この感動的なフィナーレ
にみんなが目を潤ませているはずだ。
﹁さあ、君たちは全員試練を乗り越えた。
このドラゴンドロップを受け取る権利がある﹂
アニキが4つの飴玉らしきものを差し出す。
﹁ほう、これは飴玉と同じように口に含んでおればよいのか?﹂
﹁その通りだ﹂
アニキが大きく頷く。
アニキが言うのなら間違いないな。
125
﹁ふむ、じゃあいただこうかのぅ﹂
﹁そうですね、いただきます﹂
ご主人とアビーが飴玉らしきものを口に入れた。
ダリアさんは飴玉を受け取るも、臭いを嗅いだだけで口に入れよ
うとしない。
﹁うわぁああ、なんか体が熱くなってきたのじゃ⋮⋮﹂
﹁そうですね⋮⋮。
神よ⋮⋮、私にお慈悲を⋮⋮﹂
飴玉を口にした二人は見る見る顔を赤くしていき、俺に抱き着い
てきた。
﹁どどどどうしたんですか二人とも?﹂
﹁これ、マンドラゴラが入ってるわよね?﹂
﹁うむ。竜のエキスなどないからな。
マンドラゴラとドラゴンってちょっと響きが似ているから良いか
なと思ってな。
他にはマムシの生き血とか、それっぽいものを適当にブチ込んで
飴玉にしたのだ﹂ ﹁ふーん﹂
ダリアさんは何かに納得しながら、大きく振りかぶって︱︱飴玉
を投げた。
﹁何するんですか! ダリアさん!﹂
﹁あんなもの口に入れられるもんですか。
さあ、りゅどみんとアビーを連れて山を降りるわよ﹂
126
﹁で、でも二人とも歩けるような状態じゃ︱︱﹂
﹁担いでいきなさい﹂
﹁帰るのか。
また近くまで来たら、ここに来るが良い。
我々も、更なる高みへ昇って待っておるぞ﹂
﹁は、はい! お元気で!﹂
挨拶もそこそこに、俺はご主人とアビーを乗せてダリアさんを追
いかけた。
﹁うにゅー、ソーマよ。
ちょっとだけ、ちょっとだけならいいんじゃぞ﹂
﹁ああ、神よ⋮⋮、私にお慈悲を⋮⋮﹂
俺の上で何やらもぞもぞと動く二人。
バランスが崩れて歩きにくい。
ただでさえ山道の下りだというのに。
﹁ダリアさん、さっきの飴玉って⋮⋮﹂
﹁さあね∼。
ま、しばらくしたら治るんじゃない?﹂
ダリアさんは知っていて隠しているな。
﹁そぉーまぁ⋮⋮﹂
﹁神よ⋮⋮﹂
ねだるような声を出す二人。
ちょっとだけ、ちょっとだけなら良いって言ってたよな。
でもさっきのダリアさんの口ぶりだと飴玉の効能っぽいんだよな。
127
果たして今えっちなことをしても良いのだろうか。
俺は二人の甘い囁きを聞きながら、悩むのであった︱︱。
128
第十一話
﹁ソォマァん、ちょっとだけェん﹂
体をくねらせながら俺に抱きついてくるダリアさん。
その様子を、顔を真っ赤にし、ぷるぷる震えながら見ているご主
人。
心当たり
へと向かうこととなった
俺たちは山を降りた後、一日麓の村で休んだ。
そして、ダリアさんの言う
のだが⋮⋮。
﹁アレは違う⋮⋮、違うのじゃ。
あの飴玉のせいなのじゃ⋮⋮﹂
﹁でもソーマくんにおねだりしてたのは事実でしょ?﹂
道中、ダリアさんはずっとご主人の痴態を再現し、ご主人をから
かっていた。
ダリアさんが俺に抱きつくたびに、俺は触手で柔肌に吸い付こう
とたくらむのだがうまくいかない。
闇の魔力とかいうもののせいなのだろうか。
触手が肌に触れられないのだ。
魔力とはここまで便利なものなのか。
俺も操れたら色々と便利なのではないだろうか。
催眠術とか!
触手だけ転移させてアレコレとか!
いや、触手なら転移させなくてもアレコレできるのか⋮⋮。
129
﹁でも⋮⋮、わしがそんな破廉恥なこと⋮⋮﹂
﹁いいじゃない、素直になれば。
女の子だってキモチいいんだから﹂
﹁そんなこと言ってもわしはまだ⋮⋮﹂
﹁109歳でしょ?
見た目はたしかにコドモでも、中身は立派なオトナじゃない﹂
一体ダリアさんはご主人をどうしたいのだろうか。
俺としては非常に興味深い内容のお話なので、できればこのまま
続けて欲しいのだが。
﹁そうです。
神の恩寵を望むのは、信者︱︱いえ、人類なら当然のことです﹂
﹁そうよねー。ソーマくんなら、普通じゃ味わえないような経験を
させてくれるだろうしねー﹂
﹁じゃ、じゃからわしはそういうことには⋮⋮﹂
﹁じゃあ、アタシとアビーでソーマくん貰っちゃっていいの?﹂
なぜそうなる。
今日のダリアさんはどうしてしまったのか。
アビーはこれが平常運転だろうから置いておく。
﹁駄目じゃ! ソーマはわしのものじゃ!﹂
﹁それじゃあたまにはソーマくんにもサービスしてアゲナイと。
ソーマくん、色々と溜まって破裂しちゃうかもしれないわよ﹂
﹁そうですね。神のご意思とあれば、私はいつでもこの身体を捧げ
る覚悟でいるのですが⋮⋮﹂
﹁そ、それは確かに困ったな。
でも、そういうことはやっぱり⋮⋮﹂
130
いつまで続くんだろう、このやり取りは。
そろそろ止めた方がいいのかな。
でもうまく行けば、3人ともっと絆を深められそうな展開に思え
る。
﹁おい、あんたたち!
急いで避難した方が良いぞ﹂
俺たちの進行方向から走ってきた男が、俺たちに声をかける。
見ると、他にも何人かの人々が走ってきている。
﹁どうしたんですか?﹂
3人のやり取りが中断されて、安心したような残念なような複雑
な気持ちになる。
﹁この先の村で巨人が暴れているんだ!﹂
﹁巨人じゃと?﹂
﹁巨人って基本的に温厚な種族のはずだけど⋮⋮﹂
ダリアさんが首をかしげる。
そしてわざとらしく、手のひらにポンっと拳を打つ。
﹁あ、わかったわ。
その村の人たちが巨人に何かしたんでしょう?﹂
﹁オレは何も知らねぇよ!
とにかく忠告はしたからな!﹂
そう言って、男は走っていった。
131
﹁さて、どうしようかの?﹂
﹁アタシは巨人を怒らせるような連中、放っておいていいと思うケ
ド﹂
﹁ですが、関係のない人も巻き添えになっているかもしれません﹂
﹁俺はできることなら村に行って被害を少しでも防ぎたいです。
そしてあわよくば、村の女性たちから感謝されたいです﹂
ダリアさんは巨人のことを良く知っているような口ぶりだ。
そのダリアさんが、放っておくべきと言っているのは見逃せない。
だがアビーの意見に俺は賛成したい。
巨人を怒らせるようなことを村人がしたのかもしれないが、関係
ない人だってたくさんいるはずだ。
できることならそういう人たちは助けてあげたい。
そしてあわよくば、村の女性たちから性的な意味で感謝されたい。
﹁ご主人はどう思うんですか?﹂
﹁わしか? そうじゃな⋮⋮。
ダリア、そなたは今いくら持っておる?﹂
﹁行き倒れてたのよ? お金なんて持ってないわ﹂
なぜか胸を張り、誇らしげなダリアさん。
そういえば宿代や食事代も全部ご主人が払ってたな。
﹁ふむ、そうじゃろうな。
それでアビー、お主はどうじゃ?﹂
﹁神敵を罰するための銃や弾薬にお金をかけてしまったので⋮⋮。
あまり持ち合わせはありません﹂
アビーは申し訳なさそうに言う。
132
神
とは俺のことなんだから。
こんなに恐縮されては、何だかこちらが申し訳なくなる。
彼女の言う
﹁つまり、今のわしらの財政状況はよろしくない﹂
﹁ま、まさかご主人。
良心とかそういった感じの理由じゃなくて、お金のために⋮⋮﹂
﹁うむ! 感謝されても腹は膨れん!
巨人をちょちょいと追い返して、村人たちから謝礼を貰うのじゃ
!﹂
ご主人⋮⋮。
俺は悲しいです。
ダリアさんは巨人の立場になって、何か理由があると考えた。
アビーは関係のない人たちを助けたいと優しい心根を見せてくれ
た。
それなのにご主人⋮⋮。
いや、ご主人の言いたいことはわかるのだが、もうちょっとオブ
ラートに包んで欲しかった。
﹁わかったわ。
ただ、巨人はなるべく殺さないようにしましょう﹂
﹁そうじゃな。
できれば詳しい事情も聞きたいところじゃ。
うまく行けば村人から報酬を貰って、さらに巨人からも⋮⋮﹂
﹁巨人相手にどこまで手加減できるかはわかりませんが、神の代行
者たるダリアさんがそうおっしゃるのなら⋮⋮﹂
ご主人の正直すぎる発言が俺は悲しい。
だがなぜだろう。
133
巨人と聞いても、俺は恐ろしいと感じなかった。
むしろわくわくしてきたのだ。
アビーを見つけたときの巨乳の気配。
それと同じようなものを巨人から感じる気がする。
﹁方針は決まりましたね。
巨人を殺さないように撃退ということで﹂
何にせよやることは決まった。
後は少しでも早く村に行き、被害を抑えないといけない。
俺たちは急いで男が逃げてきた方へと向かった。
︱︱︱
巨人はすぐに見つかった。
15メートルを超えるであろう大きさだったため、遠くからでも
見つけられたのだ。
その巨人は女性だった。
胸や腰に布を巻きつけているだけの質素な姿。
切れ長の目と健康的に焼けた肌が美しい。
そして何より目を引くのは胸だ。
彼女が歩くたびに、巨大な質量の胸が揺れる。
アレに潰されて死ねるのなら、それは至上の幸福と呼べるのかも
しれない。 村人たちは既に逃げた後のようで、巨人の近くには誰もいなかっ
134
た。
辺りは瓦礫の山と化していた。
巨人が破壊したのだろう。
巨人は一軒一軒慎重に家を壊し、中を確かめている。
暴れている、というよりは何かを探しているように見える。
﹁やはり何か事情がありそうじゃな﹂
﹁声をかけてみましょうか?﹂
﹁アタシが行くわ﹂
﹁待つのじゃ﹂
ご主人の制止を聞かずに、ダリアさんが駆け出し、巨人の前に姿
を見せる。
巨人はすぐにダリアさんに気づいた。
﹁なぜこの村を襲うの?﹂
﹁なぜ⋮⋮? なぜだって⋮⋮?
そんなこと⋮⋮﹂
巨人が肩を震わせる。
そして大きく息を吸い込んだ。
⋮⋮まずいな。
﹁わかってんだろォォォォォオオオ!!﹂
巨人の叫びが響く。
巨人から発せられた声は、俺の全身を震わせ、萎縮させる。
今の今まで恐怖を感じていなかったのだが、巨人の叫びが俺を恐
135
怖させた。
叫びながらダリアさんに向かって腕を振り下ろす巨人。
ダリアさんは横に跳び、転がりながら回避した。
振り下ろされた巨人の腕が大地を揺らす。
あの一撃が直撃すれば俺は死ぬと確信した。
﹁頭に血が上っておるようじゃな。
わしはこのまま隠れて魔術式を編む。
殺しても良いなら簡単なんじゃが⋮⋮。
ソーマとアビーはダリアのサポートを。
うまく時間を稼いでくれ﹂
﹁わかりました﹂
ことができていたのだろう。
ダリアさんが飛び出していなければ、ご主人はあらかじめ
式を編む
魔術
いつも不敵な笑みを浮かべているダリアさんが先走ったりするな
んて意外だ。
アビーはまだ残っていた家屋の屋根に跳び乗り、砲身の長い銃を
構えた。
⋮⋮普段は銃をどこに隠しているのだろうか。アビーは銃を構え
るたびに違う銃を手にしている。
俺は走りながら触手で建物を掴み、自分の体を一気に引き寄せる。
アニキのマッシブな体と競演したことにより、俺の触手は以前よ
りマッシブになった︱︱ような気がする。
そんなプラシーボ効果により、俺の触手は力強く体を建物へと引
き寄せる。
136
巨人はダリアさんしか見ておらず、ひたすらダリアさんを追い掛
け回している。
ダリアさんは危なげなく回避しているが、それでもいつ巨人に捉
えられるかわからない。
落ち着け。
恐れるな。
相手は確かに巨人だ。
だが、巨人であると同時に美女だ。
ならば俺は戦えるはず。
あの超乳を揉みしだきたいと思わないか?
あの超乳に挟まれたいと思うだろう!
恐怖を肉欲で上書きし、俺は巨人の胸に触手を伸ばす。
胸の先の突起に触手を絡ませ、吸い付かせる。
そして、俺は巨人の胸元に向かって一気に飛び上がる。
﹁んっ﹂
巨人が少し呻き、自分の胸元を見る。
そのまま視線は触手を辿り︱︱、俺と目が合った。
俺を見つけた巨人は、俺を掴もうと腕を振るう。
俺は巨人の胸から触手をはずし、後方下にある建物に向かって触
手を伸ばした。
建物を掴み触手を引き寄せることで、空中で軌道を変える。
俺のすぐ上を巨人の手のひらが通過した。
触手で掴む場所さえあれば、いくらでも空中戦はできる。
だが調子に乗ってはいけない。
137
触手を伸ばした方向で、俺の動きは予測される。
相手は知能のない怪物ではない。
人間と変わらぬ知恵を持つ巨人なのだ。
﹁ダリアさんっ!﹂
﹁ソーマくん、それ、カッコいいわね﹂
俺はダリアさんの横に着地した。
ダリアさんが俺に向けた笑顔は、少し引きつっていた。
あのダリアさんに余裕がない。
﹁ご主人が魔術を編んでます。
時間稼ぎを﹂
﹁わかったわ。
ごめんね、危ない目に遭わせちゃって﹂
﹁謝るくらいなら後でパンティーを見せて下さい﹂
﹁んもう、パンティーじゃなくてショーツだってば!﹂
俺とダリアさんの会話は巨人の蹴りにより中断した。
俺は左に、ダリアさんは右に跳躍して回避する。
回避しながら俺は触手を伸ばす。
巨人の股間に触手を伸ばし、吸い付かせる。
そのまま巨人を中心に、時計回りに空中を駆ける。
狙うはこの巨人の尻だ。
あれだけの質量の胸を持っているのだ、さぞ尻も良いものに違い
ない︱︱。
138
巨人の素晴らしい尻を想像して、口元を歪める俺の触手を、巨人
は掴んだ。
︱︱しまった。
俺の体を捕まえられなくても、触手を捕まえてしまえば俺は逃げ
られない。
巨人の指をこじあける力などあるはずもないし、自分の触手を切
り落とす術も俺にはない。
思考が肉欲から焦りへと変わりはじめた︱︱その時。
俺の触手が切れ、銃声が複数聞こえる。
アビーが触手を撃ち抜き、触手を切り離してくれたのだ。
俺は痛みに耐えながら、建物に触手を伸ばし巨人から逃れる。
どれくらい時間を稼げば良いのか聞いておくんだったな︱︱と、
今更後悔する。
既に俺の触手を使った移動方法は巨人に破られた。
かと言って、ダリアさん一人に押し付けるのは危険だ。
どうするべきかと逡巡していると、巨人はアビーの方を睨みつけ
ていた。
先ほどの俺への援護射撃が気に食わなかったらしい。
巨人はアビーに向かって走り始めた。
俺とダリアさんは必死に巨人を追いかけるが、体躯の差から生じ
る速度の差は埋まらない。
巨人は勢いに乗ったまま、アビーを殴りつける。
アビーは銃を捨て、後方に向かって高く跳び、巨人の拳を避けた。
そのまま宙返りし、3つのこぶし大の大きさのものを巨人の顔に
向かって投げつけた。
139
巨人の眼前に、その3つの影が迫った瞬間︱︱閃光と高音の爆音
が響く。
﹁ンガァッ!!﹂
巨人の声にならない声が響く。
顔を両手で覆いながら呻く巨人。
この様子ならかなり時間が稼げるかな︱︱。
そう思っていた俺だが、その希望的観測はすぐに否定された。
涙を流しながらも、鋭くアビーを睨みつける巨人。
アビーはコートの中から散弾銃を二丁取り出し、両の手で持つ。
しかし、あの巨体相手では、豆鉄砲もいいところだ。
巨人の機嫌を損ねてしまったアビーは、延々と巨人に狙われる破
目となった。
俺やダリアさんが巨人に追いつき、視界に入るよう動いても完全
に無視される。
﹁傷つけないで済めばそれで良いって思ってたケド、仕方ないわね﹂
ダリアさんがボソリと呟く。
手を空に向け掲げると、濃い闇が手元に集まり始めた。
そしてその闇は、徐々に槍の形を成していく。
すぐに黒槍は完全な実体を創り、ダリアさんの手に収まる。
ダリアさんは大きく振りかぶり、その黒槍を巨人に向かって投擲
した。
黒槍は巨人の肩を貫いた。
140
巨人は大きな声を上げ、肩を押さえる。
そして憎悪の瞳がダリアさんに向けられた。
その巨人の目の前に、いつの間にかご主人が浮かんでいる。
﹁よく時間を稼いでくれたのぅ﹂
ご主人が場違いに暢気な声で俺たちを労った。
141
第十二話
宙に浮いたご主人を見つめ、呆ける巨人。
﹁全く、面倒くさいことこの上なかったぞ﹂
ご主人がため息混じりに呟く。
そんなご主人の右足が光り輝いていた。
その光は神々しく︱︱もないな、どこか間抜けな印象を与える。
間抜けにぺかーと光った右足を引き、ご主人は叫んだ。
﹁正気に戻れキィーーーッッック!!﹂
ご主人の渾身の回し蹴りが、巨人の側頭部にヒットする。
渾身と言ってもご主人の体格だ。
放たれた回し蹴りを食らっても、巨人は微動だにしない。
﹁ご主人!﹂
﹁安心せい、わしが時間をかけて編んだ魔術じゃ﹂
ご主人は自信満々に胸を張っているが、俺が言いたいのはそうい
うことじゃない。
一間と置かずに業炎を呼び出すご主人。
そのご主人が時間をかけて準備した魔術が、何と言うか、凄そう
に見えない。
﹁わ、わたしは⋮⋮﹂
142
ご主人に蹴られた巨人はキョロキョロと辺りを見回し、呟いた。
﹁わたしは何ということを⋮⋮﹂
﹁どうじゃ! 正気に戻ったであろう!﹂
目に涙を浮かべはじめる巨人と、自らの手柄を自慢するご主人。
俺も人のことはあまり言えないが、ご主人はもう少し空気を読む
べきだと思う。
ダリアさんとアビーがご主人の元へ駆け寄る。
俺もご主人の所へと向かった。
﹁さて、それじゃあ事情を教えてもらえるかしら?
巨人が理由もなく暴れるなんてことはないわよね?﹂
ダリアさんが珍しく真面目な声色で話しかける。
その間、ご主人とアビーが巨人の傷に治癒術を施し始めた。
﹁そ、その⋮⋮。わ、わたしの⋮⋮﹂
巨人が両手で顔を覆う。
小麦色の肌が、若干赤く染まってきている。
﹁わ、わたしの下着が⋮⋮、盗まれたんですっ!﹂
﹁それはブラジャーのことですか?
それともパンティーのことでしょうか?﹂
俺は巨人のお姉さんを混乱させないように、できるだけ良い声で
問いかけた。
これは今聞かなければならない、とても重要なことだ。
143
ブラジャーかパンティーかで、今後の俺の対応が変わるのは間違
いない。
﹁ぱ、ぱんつの方です⋮⋮﹂
﹁ということは、今、パンティーを履いてないということですか!
?﹂
﹁い、いえ⋮⋮、今は別のぱんつを履いています。
でも、無くしたって事は絶対にありません!
誰かが盗んだに決まっているんです! そして今頃いやらしいこ
とに⋮⋮﹂
ちっ、今は履いているのか⋮⋮。
履いていなかったら、凄いモノが見られたかもしれないというの
に。
ふとダリアさんの方から殺気を感じた。
恐らくこれ以上余計なことを言うと、吸血鬼の恐ろしさを知るこ
とになりそうだ。
少し黙っておこう。
そして折角だから、巨人の太ももでも見ていよう。
﹁落ち着いて。
貴女の言いたいことはわかったケド、下着がどこにあるかわから
ないのでしょう?
このままだと、ただ村を破壊した巨人っていうことになってしま
うわ﹂
﹁⋮⋮例え盗まれた下着が見つかっても、これだけの被害を出して
しまっては言い訳も苦しいでしょう﹂
治癒術を施しているアビーがゆっくりと口を開く。
144
﹁でも、人間が下着を盗んだことが発端でしょう?﹂
﹁人間の仕業とは限りませんし、盗まれたと決まったわけではあり
ませんよ。
ですが私も巨人さんに同情する気持ちはあります。
神以外の誰かに下着を触られるなど、言語道断です。
なので︱︱﹂
アビーは悪戯っぽくウインクする。
﹁ごまかしてしまいましょう﹂
︱︱︱
﹁うおおおおおおおおお!!
巨人はどこだァァァァァァアアア!!﹂
馬の蹄を轟かせ、騎士たちが叫びながらやってきた。
騎士たちからはどう考えても巨人の姿が見えているはずなのだが。
﹁お前か!!
暴れている巨人というのはお前のことなのか!!﹂
巨人のすぐ近くまでやってきた騎士の隊長っぽい豚の顔のおっさ
んが問う。
確かオークという種族だったはずだ。
﹁正確には暴れていた巨人じゃな。
145
わしの魔術で正気に戻したのじゃ﹂
﹁むっ、そうか。
見たところ一般人なのに、迷惑をかけたな﹂
﹁いやいや、なかなか厄介な呪いじゃったよ。
わしのスーパーエキセントリックな魔術でなければ正気に戻すこ
とは不可能じゃったろうなァ。
本当に厄介な呪いじゃった。解呪できる者などそうはおらんだろ
うなァ﹂
ご主人がやたらと自慢げだ。。
演技ではなく素でやっているように見えるのは気のせいだろうか。
﹁ん∼∼? 呪いだとぉ∼∼?
貴様のようなガキんちょが何を言っているんだ?﹂
﹁ほほう、いい度胸じゃな﹂
ご主人が威圧するように低い声を出し︱︱、体から何かを放出す
る。
魔術を行使しているときと雰囲気が似ているが、俺には何が起き
てるのかよくわからない。
﹁⋮⋮すみませんでした﹂
﹁わかればよろしい。
それで話の続きだがな。
この巨人は呪いを受けて暴れておったんじゃ。
しかも巨人に呪いをかけた者は、巨人の下着まで盗んでいった極
悪人なんじゃ!﹂
﹁なんだと!? それは真か!﹂
騎士隊長さんが大声を張り上げ、巨人を見上げる。
146
巨人さんは慌ててコクッコクッと頷く。
﹁ちなみに下着は上か? それとも下か?﹂
﹁どっちでもいいじゃろ﹂
﹁まァそうだな。
お前たちの言い分はわかったが、証拠がないだろう。
お前たちの話を上に挙げても、恐らくは信じてもらえまい。
そうなると、最悪極刑の可能性もある﹂
俺たちのような流れ者が証言しても、信憑性はないということか。
この村に被害を出したのは事実だし、そもそも呪いの話など作り
話だからな。
巨人のお姉さんを助けるのは難しいか。
﹁私が事実だと証言します﹂
アビーが騎士隊長さんにゆっくりと近づく。
そしてコートから一丁の拳銃を取り出し、グリップの部分を見せ
る。
﹁⋮⋮失礼ですが、貴女様のお名前は?﹂
﹁アビゲイルです﹂
﹁わかりました。
おい! お前たちは避難している住人を呼び戻せ!
ここはもう安全だ!﹂
﹁ハッ!!﹂
騎士たちは返事をすると、馬を走らせて去っていった。
それにしても今のやり取りは何だ。
147
もしかしなくてもアビーって凄い人だったりするのか。
ただの勘違い系巨乳お姉さんじゃないのか。
﹁ん、ん∼∼。
これは独り言なんだがなァ﹂
騎士が全員去ったことを確認し、騎士隊長がなんだか面倒くさい
感じの一人芝居を始める。
﹁この間、近くに住む豪商に招待されてなァ。
山吹色のお菓子をいただいたんだが﹂
﹁スイートポテトですね!﹂
アビー、違うぞ。
﹁うむうむ、実になめらかで美味だった。
甘いものが苦手なこのオレでもつい食べ過ぎてしまってなァ﹂
えっ、合ってたの!?
﹁そこで、その豪商が妙なことを言っておってな。
﹃男なら一度は夢見たことがあるだろう? パンティーに包まっ
て寝たいと。ワシは遂にその夢を叶える方法を思いついた! 羨ま
しかろう? 羨ましかろう?﹄とかなんとか﹂
な、なんだと!?
確かに俺も夢見たことはあったが、実現できない儚い夢だと思っ
ていた。
だが、今なら夢で終わらない。
この巨人のお姉さんのパンティーなら、人間が包まることは可能
148
だ。
クソッ! うらやまけしからん!
﹁そ、それってわたしの⋮⋮﹂
﹁待って、落ち着いて﹂
わなわなと震えだす巨人のお姉さんをダリアさんが必死に宥める。
ここで巨人のお姉さんが我を忘れては大変なことになってしまう。
﹁燃やすぞ﹂
﹁そうですね﹂
﹁ご主人! アビー!
何さらっと言ってるんですか!?
せめて隊長さんがいなくなってから言って下さい!﹂
﹁オレは何も聞いてないぞ。
何せ頭の中はスイートポテトのことで一杯だったからな﹂
遠い目で語る騎士隊長さん。
恐らく今、彼は自分に酔っているのだろう。
自分の立場と職務のことはサッパリ忘れて。
﹁そういうわけだから、安心してネ﹂
﹁は、はい⋮⋮。
お願いします、わたしのぱんつで寝ている人がいるなんて、考え
るだけでも泣きそうです﹂
涙声の巨人のお姉さん。
こうして見ると、このお姉さんは凄くイジめたくなる。
何とかして一回くらいこのお姉さんのパンティーに包まっておき
たいものだが。
149
﹁任せておくのじゃ。
わしが跡形もなく燃やし尽くしてやる﹂
﹁そうですね。
ついでにその豪商さんの家も爆破しておきましょうか﹂
﹁いいわねソレ。
醒めない悪夢にご招待してあげましょう﹂
この3人の前でそんなことはできないか。
折角俺の108つある夢が叶いそうなのに、これでは⋮⋮。
﹁それじゃ、隊長さん。
巨人さんのことヨロシクねっ!﹂
﹁任せておけ。呪われてたということだし、人的被害もない。
無罪放免ってわけにはいかないだろうが、アビゲイル様のお名前
があれば奉仕活動くらいで済むだろう。
巨人のねーちゃんを収容できるような牢屋もないしな。それと⋮
⋮﹂
騎士隊長さんが紙にさらさらと何かを書き込んでいく。
そしてその紙をアビーに差し出す。
﹁これをどうぞ。大きな街でしか換金できませんが、今は手持ちが
ありませんので﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁豪商の屋敷は警備が厳重です。
貴女様なら問題ないでしょうが、どうかお気をつけて﹂
﹁任せてください﹂
アビーは大きな胸を叩き、騎士隊長さんへ返事をする。
150
﹁それじゃ、巨人さんももう暴れちゃ駄目よ﹂
﹁はい⋮⋮、皆さん、わたしのぱんつのことよろしくお願いします
⋮⋮﹂
巨人のお姉さんの深々としたお辞儀を背に、俺たちは豪商の屋敷
へと向かった。
︱︱︱
そしてその日の夜。
騎士隊長さんが教えてくれた豪商の屋敷まで来た俺たち。
﹁そろそろ良い時間じゃな﹂
﹁ですがご主人、やはりここはレオタードに身を包むべきです﹂
﹁ソーマはさっきから何を言っておるのじゃ﹂
﹁ですから何度も言ってるじゃないですか。
怪盗はレオタードを着ているものなんですって!﹂
れおたーど
って何ですか?﹂と訝しげに尋ね
3人に何度も力説するがわかってくれない。
アビーですら﹁
てきた。
﹁そもそもアタシたち怪盗じゃないしね。
これから行うのは破壊工作よ!﹂
﹁うむ、その通りじゃ。
顔を隠すくらいで良かろう。
ソーマよ、作戦を確認するぞ﹂
151
﹁はい⋮⋮﹂
俺の言い分はやはり聞き入れて貰えない。
破壊工作をするスパイでもレオタードは着るものなのに。
なぜだろうか、俺の中では常識と言っても過言ではないのに、3
人には全く通じない。
﹁まず、館は塀で囲われておる﹂
﹁へぇ﹂
﹁⋮⋮そして塀の中には大量の犬がおる。
殺すのは簡単じゃが、犬に罪はない。
そこでソーマが触手をバルコニーまで伸ばす。
その触手を伝って豪商の寝室らしき2階に一気に進入するのじゃ﹂
﹁あの、ご主人って空飛べますよね?﹂
﹁もちろん、そんなことはお茶の子さいさいじゃ!﹂
﹁じゃあご主人だけで行って、火をつけて帰ってくれば⋮⋮﹂
ご主人が悲しそうな目でこちらを見る。
﹁そうじゃが、それじゃあつまらないじゃないか⋮⋮﹂
﹁ソーマくんつめたーい﹂
﹁冗談ですよぅ。
それじゃあ行きますよ?﹂
俺もまだパンティーに包まるという夢を捨てたわけじゃないから
な。
部屋に乗り込むことさえできれば可能性は0じゃない。
ククク⋮⋮、まさかパンティーを被るという手順を踏まずにパン
ティーに包まることになろうとはな。
152
俺は触手を伸ばし、2階のバルコニーを掴んだ。
そしてその上をご主人、ダリアさん、アビーが渡っていく。
全員が渡りきったあと、俺も触手で体を引き寄せて、バルコニー
に着地する。
庭にいる犬たちは大騒ぎしている。
侵入者がいることは既にバレているだろう。
﹁よし、このまま窓から押し入るのじゃ!﹂
ご主人の合図に合わせ、ダリアさんが黒い槍を窓に向かって投擲
する。
耳をつんざくような音を鳴らし砕けるガラス。
ご主人たちには忍び込むという考えがないらしい。
これでは夜を選んだ意味がないような⋮⋮。
﹁おお、この部屋で正解じゃぞ!﹂
先に窓から部屋に侵入したご主人が叫ぶ。
その声を聞いた俺は、俺の出せる全速力を以て部屋に侵入する。
﹁な、なんだ貴様らは!﹂
﹁クックック、名乗る程の者ではない!﹂
﹁アタシたちは一人の女性の泣き声を聞いた者よ!﹂
﹁彼女の嘆き、苦しみを解き放つときが来ました!﹂
天蓋のついたベッド、そこに敷かれている巨大なシルク。
アレは間違いない。
パンティーだ。
健康的に焼けた巨人さんによく似合いそうな、青い色をしたパン
153
ティー。
空の青、海の青。
男の2大ロマンを挟んだその先にあったのは、決して叶うはずの
なかった夢であった。
俺は速度を落とさず、そのままパンティーに潜り込む。
こ、これが⋮⋮!
パンティーのシルクに全身を包まれるということ⋮⋮!
トゥルトゥルの肌触り、そしてほのかに漂う香り。
これは⋮⋮、これはァァァ!!
﹁死にたくなかったらこの部屋から出ていくのじゃ!﹂
﹁今からここは、地獄になるからね﹂
﹁さあ、神の裁定の前に、慈悲を請いなさい!﹂
﹁くっ、貴様らこんなことをしてタダで済むと思うなよ!﹂
トゥルットゥル∼、トゥルトゥトゥッル∼。
﹁ふふん、業火の中で己が性癖を悔やむが良い﹂
トゥルトゥルル∼⋮⋮、ん? あちっ、あちちちっ。
﹁ご、ご主人! 熱いです! 死んじゃいます! 助けてっ!﹂
﹁ソーマ? そんなところで何をしておるんじゃ!﹂
﹁そーまくん⋮⋮﹂
﹁か、かみさまっ!?﹂
俺が気づいたときには部屋は火の海だった。
パンティーの肌触りがあまりにも心地よかったため気づかなかっ
154
た。
嗚呼⋮⋮、焼かれていく俺の体⋮⋮。
ご主人が泣きそうな顔をして、こちらに飛び込んでくる。
ダリアさんは少し呆れているようだ。
アビーは俺を助けようと必死だな⋮⋮。
煙を吸い込み、火に炙られている俺⋮⋮。
みんなに引きずられて火の中から助けられた俺は、自分が生きて
いることに安堵し、気を失った。
155
クマさんぱんつ︵前書き︶
ダリアさんの昔話です。
156
クマさんぱんつ
お父様はお母様を殺した。
アタシがそのことを受け入れるまで、多くの時間を要した。
お父様が悪かったのか、それともお母様が悪かったのか。
未だにわからない。
永遠を求めたお父様と、人は人であるべきだと考えたお母様。
どちらが正しかったのか。
永い時を生きてきたが、答えなんか出なかった。
︱︱︱
まだ、人間と魔物が繰り返し争っていた時代。
まだ、アタシが人間だった時代。
お父様は人間の国でも有名な宮廷魔術師だった。
人間は魔術を行使する際、呪文やシンボルを用いなければならな
い。
長々と呪文を唱え、一定の魔力を消費して、一定の現象を引き起
こすのだ。
お父様の仕事は、呪文の短縮や新たな魔術の製作だった。
お母様は人間の国でも道義心の強い女性だった。
157
自ら進んで孤児院の手伝いに行くような人。
お母様は素晴らしい、誇れる人間だったけど、アタシはそのせい
で寂しい想いもした。
アタシは16歳の誕生日まで、何不自由なく暮らしてきた。
裕福で、幸せな、少しだけ寂しい家庭で。
その日、家族は全員死を迎えることになる。
︱︱︱
16歳の誕生日の朝。
その日は曇っていた。
窓から見える空は、いつ雨が降り出すかも分からない天気。
今日はアタシの誕生日なのに、お空はアタシを祝う気はないらし
い。
眠い目を擦り、勢いよくベッドから起きたアタシは姿見鏡の前に
立つ。
今日は思いっきりお洒落をしなければならない。
今日はアタシが主役なのだから。
白いシルクのネグリジェを脱ぎ、ベッドへ放る。
ショーツ一枚のあられもない格好になり、鏡に映った自分の姿を
まじまじと見る。
白く透き通るような肌に、大きいとは言えないがまだまだ育つ余
地のある胸。
158
滑らかな金色の髪に、ダークブルーの瞳。
﹁我ながらなかなかよねェ∼﹂
横を向き、お尻をツンと持ち上げる。
するとショーツに描かれたクマさんが顔を出す。
しまった、16歳にもなるというのに、何て子供っぽいものを履
いているんだ。
﹁でも誰かに見せるワケじゃないしね⋮⋮﹂
恋人もいないし、良い雰囲気になってる相手もいない。
それなら下着にまでこだわる必要はないかな。
お気に入りの服を着たアタシは、食卓へと向かった。
きっといつもより豪勢な物が用意されていると期待して。
食卓に着いたアタシの前に並べられた品。
いつもよりちょっとだけ豪勢なラインナップ。
例えば目玉焼きにはベーコンがついている。
パンも焼きたての物を朝早くから買いに行ってくれたに違いない。
スープが芳しい香りを漂わせる。
それに食べたことの無い果実。
何より、中央に置かれた大きなミートパイ。
さすがに全部は食べきれないだろうな。
美味しそうな食べ物の誘惑を堪えながら待っていると、遅れてお
父様が食卓に着いた。
そういえばお父様とは暫く顔を合わせていなかったような気がす
る。
159
久しぶりに会ったお父様は、頬が痩せこけ、目の下にクマが出来
ていた。
お仕事が忙しかったのかな。
﹁おはようございます、お父様﹂
﹁ああ、おはよう、ダリア﹂
お父様の声は、いつものような覇気がなかった。
疲れ果てた老人のような、しわがれた声。
そして、少しだけ緊張しているような声。
﹁お早うございます、あなた、ダリア﹂
お母様がコーヒーを持って食卓に現れる。
ダリアにはまだ早い、と言っていつも飲ませてくれないのだが、
今日はカップが3つある。
﹁お誕生日おめでとうダリア。
今日から16歳だからね、コーヒーを飲んでも良いわよ﹂
﹁本当にっ? ありがとう、お母様﹂
﹁ただし、たっぷりとミルクを入れたのだけどね﹂
お母様がそう言って、アタシの前に置かれたカップ。
中に注がれたコーヒーは、お父様がいつも飲むコーヒーとは違い、
乳白色が混じった物だった。
お母様は、お父様の前にもカップを置き、席に着いた。
﹁それでは食事にしようか﹂
お父様が食事の開始を宣言する。
160
いつもはわざわざこんなことを言わないのに。
楽しい食事が始まったはずなのに、誰も口を利かなかった。
とても美味しい料理のはずなのに、誕生日の朝食のはずなのに。
お父様から漂う異様な雰囲気が、アタシを沈黙させた。
﹁あなた、どうかなさいましたか?﹂
﹁⋮⋮うむ、すまんな。
どう切り出して良いのかわからなくてな﹂
お父様の様子はお母様から見てもおかしかったのだろう。
お母様がお父様に問う。
アタシはずっと居心地が悪かった。
﹁永遠に生きられる方法があるとしたらどうする?﹂
お父様が意を決したように発した言葉。
アタシはお父様の言っていることを理解するのに時間を要した。
﹁何をバカなことを⋮⋮﹂
﹁バカなことではない。
可能なのだ、永遠に生きることが。
吸血鬼化の方法を発見したのだ﹂
﹁あなた、そんな邪法を行うことが許されるとでも!﹂
今日はアタシの誕生日で、今日はおめでたい日のはずだ。
なのに、なぜこの2人は︱︱。
﹁吸血鬼となれば、お前たちとも︱︱愛する者たちと永遠に生きら
れるのだぞ!﹂
161
﹁そんなものは生とは呼べません!﹂
﹁だが︱︱﹂
﹁何を︱︱﹂
2人の声が遠い。
先ほどまでの日常から、乖離された会話。
止めなきゃ、2人の喧嘩を。
﹁お父様、お母様やめてっ⋮⋮﹂
﹁ダリア、父さんの言うことがわかるだろう?﹂
﹁ダリア、こんな人の言うことを聞いてはダメ!﹂
2人の声が重なる。
アタシは、アタシにはわからない。
永遠という言葉の響きは魅力的だが、冒涜的にも聞こえる。
吸血鬼、それがどんな存在なのかもわからない。
ただ︱︱、言い争いをやめて欲しかった。
元の日常に︱︱。
﹁お前が理解しないというのなら仕方ない。
お前は人のまま生を終えるが良い。
だが私は永遠を手に入れるぞ﹂
﹁そのようなことが⋮⋮﹂
お母様はミートパイを切るために食卓に置いてあった包丁を持っ
た。
切っ先がお父様に向いている。
だめ、やめて。
﹁お母様、だめ⋮⋮﹂
162
﹁ダリア、お父様はもう人間ではないわ。
せめて私の手で止めないと⋮⋮﹂
﹁よせ、違う道を歩むのならそれは仕方のないこ︱︱﹂
お父様の言葉を最後まで聞かずに、お母様はお父様に向けて包丁
を突き刺そうとする。
2人はもみ合い、倒れる。
そして床に転がっていたのは、お母様だった。
お母様の胸に包丁が刺さり、大量の血が溢れている。
﹁お、お母様っ⋮⋮﹂
﹁ダ、ダリア⋮⋮、お父様を⋮⋮とめ、て﹂
急いでお母様に駆け寄る。
お母様の口からは、血と聞き取り辛い言葉が漏れていた。
人間としての尊厳は、家族より大切なものだったのだろうか。
永遠に生きるということは、日常を捨ててまで得る価値のあるも
のだったのだろうか。
アタシはお母様の胸で泣いた。
たくさん泣いた。
︱︱︱ 気がつくとアタシは馬車に乗っていた。
外は土砂降りの夜だ。
どうやら泣きつかれて眠ってしまったらしい。
163
﹁お父様⋮⋮?﹂
馬車を操っている背中は、恐らくお父様のものだ。
﹁ダリア、目が覚めたか﹂
﹁どこへ向かっているんですか?﹂
﹁魔王の城だ﹂
魔王︱︱、それは魔物を統べる王。
そんな者の城に、敵対しているはずの、人間のアタシたちが行っ
てどうするというのか。
お父様は狂ってしまったのではないか。
﹁そのような所へ行ったら殺されてしまいます﹂
﹁我々を受け入れてくださるのは魔王様だけだよ﹂
そう言ってアタシの方に振り返ったお父様。
その瞳は、鮮血のように紅かった︱︱。
その瞳を見たとき、アタシは確信した。
お父様は人間を辞めてしまった。
そして人間を辞めてしまった以上、人間とは暮らせない。
だから魔物の国へと逃げてきたのだろう。
﹁お父様は吸血鬼になられたのですね?﹂
﹁お前もだ、ダリア﹂
アタシも吸血鬼となっていたのか。
実感がわかない。
164
どうでもいい。
もっと重大なことがある。
お父様がお母様を殺した。
そのことばかりが頭を巡っていた。
︱︱︱
何日走り続けただろうか。
魔王の城に着くまでの間、お父様も、馬も一切休むことはなかっ
た。
魔王の城は何もかもが大きかった。
城を守るための兵士は見当たらない。
アタシはフラフラとした足取りで、お父様に着いていった。
足取りが覚束ない、頭も働かない。
血を吸っていなかったアタシは、この時の記憶が曖昧だ。
後で聞いた話によると、アタシはそこで魔王様と謁見し、内務官
たちのお世話になったらしい。
かすかに覚えている魔王様。
それは不遜な態度とは裏腹に、寂しそうな子供だったような気が
する。
それ以来魔王様とはお会いしていないので、その印象が正しかっ
たのかはわからない。
体調が戻ったアタシは旅に出た。
165
お父様がお母様を殺したことが頭を離れず、お父様のもとへ行く
気にはなれなかったのだ。
かと言って人間相手の戦争に参加する気にもなれなかった。
元人間であるアタシを嫌う魔物はたくさんいた。
今はアンデッドであるアタシを恐れる魔物もたくさんいた。
それでもアタシを受け入れてくれる魔物もいた。
様々な出会いや別れを経験し、永い時を旅してきた。
いつの間にか人間と魔物の戦争は終わり、手を取り合うようにな
っていた。
暫くすると王制は終わり、魔物の王や人間の王はいなくなった。
訪れた平和で暢気な世界。
アタシは相変わらず旅を続けていた。
そしてアタシは出会ったのだ。
変な生き物を連れた、小さな魔女に。
その小さな魔女は、どこかで出会ったことがあるような、そんな
気がした。
166
第十三話
自分の体に寄りかかる2つの体重。
小さな体と大きな胸の体。
ご主人とアビーだ。
2人とも寝息を立てている。
﹁目、覚めたのね﹂
焚き火を挟んで向こう側に座るダリアさんが声をかけてきた。
﹁はい、すみませんでした。
パンティーの魅力に抗えなくて﹂
﹁それでこそソーマくんって感じだけどね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
周囲は暗く、虫の鳴き声だけが響いていた。
焚き火の炎のちらつきに、吸い込まれてしまうような錯覚を覚え
る。
﹁ダリアさん﹂
﹁ん、なに?﹂
﹁眠れないんですか?﹂
野宿の際はご主人が結界を張るはずだ。見張りはいらないはず。
ダリアさんは吸血鬼だが、旅館では夜寝ていた。
なぜダリアさんが起きているのか不思議だった。
167
そして何よりも、ダリアさんの目が何かを憂えているように見え
た。
﹁ん、そうね。
昔のことをちょっと思い出しちゃって﹂
﹁昔ですか﹂
﹁そっ。気の遠くなるくらい昔﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
聞いてもいいのだろうか。
ダリアさんはじっと焚き火を覗き込んでいる。
その表情から俺が読み取れることは少ない。
﹁ダリアさんって、歳はおいくつなんですか?﹂
﹁いくつに見える?﹂
﹁10代の⋮⋮、後半ですかね。少なくとも外見は﹂
﹁じゃあ中身は?﹂
﹁わかりません﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
いつも余裕のある笑みを浮かべていると思えば、巨人さんのとき
は先走ったり。
スカートをたくし上げて挑発したかと思えば、クマさんぱんつで
恥ずかしがったり。
俺はダリアさんのことがよくわかっていない。
それも当然だ。
168
心当たり
について聞いてもいいですか?﹂
まだ出会って間もないんだから。
﹁ダリアさんの
心当たり
。
はじめてダリアさんと出会ったときに言っていた、ご主人の呪い
に関する
人
とは言っていたはずが、それ以上の話を聞いていな
俺はまだ、ダリアさんから具体的な話を聞いていない。
たしか
いのだ。
は関係があるのかもしれないと思っ
何となくだが、ダリアさんはその話題を避けていたように思える。
﹁アタシのお父様よ﹂
﹁ダリアさんの?﹂
﹁そうよ﹂
心当たりの人
あっさり聞けてしまった。
昔のことと
たが違うのだろうか。
﹁あってるわよ﹂
ダリアさんの言葉に不意を突かれた。
俺の心臓が大きく鼓動する。
﹁ダリアさん心臓に悪いです。
じゃあ、単刀直入に聞きますけど、お父さんのことを思い出して
眠れなかったんですか?﹂
﹁そうよ﹂
﹁さっき遠い昔って言ってましたけど、ずっと会ってないんですか
?﹂
169
﹁そうね。ずっと会っていないわ﹂
﹁ずっと会っていなかったのは理由があるんですか?﹂
ダリアさんに俺の考えが読まれてしまうくらいなら、思ったこと
を口に出してしまおう。
その方がダリアさんもきっと楽だ。
﹁⋮⋮あるけどひみつ﹂
﹁そうですか。
じゃあ、何でずっと会っていなかったお父さんに会いに行く気に
なったんですか?﹂
﹁ソーマくんのご主人様を見てね。
昔、よく似た人がいたような気がして。
それでお父様のことを思い出したのよ。
ずっと考えないようにしていたお父様のことを思い出して、そろ
そろ許しても良いのかなって思ったの﹂
ダリアさんがご主人の方に視線を移す。
焚き火に照らされたご主人の寝顔が愛らしい。
﹁そうですか。
すみません︱︱、いや、ありがとうございました。
話しにくいことまで話してくれて﹂
﹁どういたしまして。
これでショーツは見せなくてもいいのかしら?﹂
俺が巨人のときに言ったことか。
そういえば今の今まで忘れていた。
ダリアさんのパンティーのことを忘れているなんて、俺としたこ
とが。
170
﹁駄目です。今すぐ見せてください。
今ならご主人も寝ています。さあ! さあ!! さあ!!!﹂
﹁なんじゃソーマ⋮⋮。
静かにせんか⋮⋮、わしは寝ておるのじゃよ﹂
ご主人がぺしぺしと俺を叩く。
寝ぼけてるのかな。
﹁ほら、怒られちゃった﹂
﹁そうですね。
じゃあまた今度でいいです﹂
﹁諦めないのね。
⋮⋮話、聞いてくれてありがとうね﹂
許しても良いのかな
という言葉と、
母親
のことが
という言葉。
ダリアさんが最後に小さな声で呟き、横になる。
ダリアさんが言っていた
俺はその言葉が気になっていた。
許しても良いのかな
ダリアさん親子に何があったのかはわからない。
ただ、
一切出なかったこと。
その二つが俺の思考を廻り、寝かせてくれなかった。
︱︱︱
﹁おらー、いつまで寝とるんじゃ!﹂
171
ご主人の蹴りで俺は目を覚ました。
照りつける太陽と、蹴りつけるご主人のコラボレーション。
良い目覚めだ。
﹁痛いですご主人。ドメスティックバイオレンスです﹂
﹁さあ、さっさと飯を食って出発するんじゃ!﹂
﹁そういえばダリアさん、俺たちってどこに向かってるんですか?﹂
﹁ドラキュラ伯爵のところよ﹂
﹁え?﹂
ご主人とアビーが同時に声を出す。
﹁そ、それは不死者たちを集め世界を混沌に陥れようとしていると
いうあのドラキュラさんですか?﹂
﹁そ、それは口が臭くて田舎者扱いされるのを極度に恐れる引き篭
もりのドラキュラのことかのぅ?﹂
2人の口からは全く印象の異なるドラキュラさん像が並べられる。
総合すると口が臭い引き篭もりの悪の親玉⋮⋮。
﹁さぁ∼、どうなんでしょうね。
ずっと会ってないからわからないわ。
でも、人間だった頃は屈指の魔術の研究者だったわけだし、それ
から悠久の時を生きている最古の吸血鬼の一人よ。
呪いとかにも詳しそうでしょ?﹂
﹁それはそうじゃが、不死者たちが集まってるところへ行くのは少
し⋮⋮﹂
﹁あんでっど差別はんたーい!
俺だって死んだ魂を引き上げられて転生させられてるんですから、
アンデッドみたいなもんですよー!﹂
172
﹁そうよそうよ! あんでっど差別はんたーい!﹂
ダリアさんと共に抗議する。
ダリアさんはアンデッドかもしれないけど、良い尻をしている。
まだまだ成長する余地がありそうだと思わせる胸も良い。
血の気が少し足りないが、白い肌は美しい。
何を言いたいのかと言うと、アンデッドも俺の欲望の対象になり
得るのだ。
しかも時を経ても歳をとらないという特典付き。
いぇーい! アンデッドいぇーい!
アンデッドだけに遺影。
﹁うぷぷ﹂
﹁何じゃ急に気持ちの悪い笑いをしおって⋮⋮﹂
﹁いや何でもありません。
それよりご主人、どうせ行くあてもないんですから、ダリアさん
についていきましょうよ﹂
昨晩の話を聞いてしまった以上、俺はダリアさんとお父さんを再
会させてあげたい。
親子がいつまでも疎遠だなんて悲しい。
﹁そもそも行かないとは行っておらんじゃろう。
ちょっと渋っただけじゃ﹂
﹁私は神についていくだけですからね。
もしアンデッドが襲い掛かってきたら、銀の弾丸を試す良い機会
になるだけですし﹂
﹁そうと決まったら、ソーマくん。
早くご飯食べちゃって﹂
173
﹁あ、俺のご飯待ちだったんですね⋮⋮﹂
鍋で煮られているおかゆのようなものを俺は急いで食べ、出発の
準備をした。
︱︱︱
﹁闇の魔力が濃くなってきたようじゃ﹂
昼なのにも関わらず、あたりは暗くなってきている。
生えている木々は葉がなく、地面には雑草が生えていない。
道は石畳が敷かれているし、民家らしきものも何軒か見える。
だが、生気を感じさせない風景は、俺を少し不安にさせた。
﹁生き物の気配が少ないですね﹂
アビーが辺りを見回し、呟く。
﹁アンデッドが集まっておるからのぅ。
植物が闇にあてられて枯れ、虫が去り、鳥が飢えたのじゃろうな﹂
﹁ドラキュラさんの家も近いんですかね?﹂
﹁実はアタシも大体の場所しか知らないのよね∼。
行ったことないから﹂
﹁そういうときは近くの人に聞いてみるのが良いです。
あの家で聞いてみましょう﹂
俺は近くの家のドアに近づき、ノックを⋮⋮。
ぺちぺち。
174
ぺちぺち。
﹁ご、ご主人! 大変です! 俺、ノックできません!﹂
﹁触手には骨がないからのぅ⋮⋮。たのもー﹂
俺の代わりにご主人がノックをして、住民を呼ぶ。
﹁全能の神にもできないことがあるんですね。
自らの身を以て完全ではなくても良いと信者たちに示されるお姿
に感動しました﹂
﹁よく俺の心遣いを理解しましたね、アビー。
褒美にそのお乳を搾ってさしあげましょう﹂
﹁ああっ、神よ⋮⋮﹂
﹁やめんか﹂
﹁はーい、なんデスかね﹂
ドアが開き、中から所々皮膚が爛れている方が顔を出した。
﹁道を尋ねたいのじゃが﹂
﹁どちらへ?﹂
﹁ドラキュラさんの所に行きたいのじゃ﹂
﹁そうデスか。それでしたらそんなに遠くないデスし、案内します
デスよ﹂
﹁おお、かたじけないの﹂
見た目はあまり良くないが、なかなか親切な人だ。
俺たちはこの親切な人に連れられて、ドラキュラさんの家に向か
うことになった。
﹁それにしても話ができるゾンビとは珍しいのぅ﹂
175
﹁そうデスね。理性が残ってたおかげで妻と子供を喰わないで済ん
だんデスよ﹂
さらっととんでもないことを話すゾンビさん。
ご主人も顔が引きつっている。
﹁そ、それは中々大変だったんじゃな⋮⋮﹂
﹁ここに辿り着くまでは大変だったんデスがね。
ドラキュラ様のおかげで、安心して暮らせるようになったんデス
よ﹂
﹁ほほう﹂
﹁外では色々と言われてるみたいデスけどね﹂
先導するゾンビさんの背中に哀愁が漂う。
ご主人、アビー、ゾンビさんの言葉をしっかりと胸に刻みつける
んだぞ。
﹁ところで︱︱﹂
ゾンビさんが振り返り、ダリアさんを見る。
﹁そちらのお嬢さん。貴女はもしかして︱︱﹂
﹁そうよ﹂
﹁そうデスか。きっとドラキュラ様もお喜びになるでしょう﹂
ご主人とアビーは不思議そうな顔をしている。
今の会話、俺だけが理解している。
なんという優越感!
﹁見えてきましたよ﹂
176
ゾンビさんが遠くに見えるお城を指差す。
家じゃなくてお城じゃん!
しかも大層ご立派だよ!
﹁思ったより小さいのぅ。城というからにはもっと大きいものかと
思ったのに⋮⋮﹂
﹁ご、ご主人、随分立派なお城ですよ?
ご主人のイメージするお城ってどんな規模なんですか!?﹂
本気でガッカリしているようなご主人。
一体どんなお城と比べれば、あのお城でガッカリできるんだ。
力攻めで落とそうとしたら、延々と死体を積み重ねることになり
そうなお城なのに。
﹁西の方︱︱、元々人間の国家があった辺りにはこれほどの規模の
城はほとんどありません。
アンデッドは肉体的な疲労とは縁のない種が多いそうですから、
これほどの城を建てる労働力を集めることができたのかもしれませ
んね﹂
﹁そうデスな。これより大きな城となると、それこそ魔王様が住ん
でらっしゃった魔王城くらいのものでしょう﹂
﹁へー、いつか行ってみたいですね﹂
アビーとゾンビさんのありがたい解説に相槌を打つ。
そうこうしている内に、ドラキュラさんのお城の門まで辿りつい
た。
﹁どうもどうも、ドラキュラ様のお客様をお連れしたんデスがね﹂
﹁そうデスか、ドラキュラ様にはここに来る旨は伝えてますか?﹂
177
ゾンビさんが守衛らしきゾンビさんに話しかける。
ゾンビはみんな同じような話し方をするのだろうか。
﹁伝えてないわ。
﹃ダリアが来た﹄と伝えてくれればわかると思うんだけど﹂
﹁貴女様がダリア様で? これはこれは⋮⋮。
少しお待ちください。ドラキュラ様に伝えて来ますので﹂
守衛さんがお城に入っていく。
他にも何人かの武装した人影が門や外壁に見える。
偉い人は色々守るものが多そうで大変そうだ。
﹁さて、わたくしはこれで⋮⋮﹂
﹁どうもありがとうございました﹂
案内してくれたゾンビさんを見送り、俺たちは守衛さんが戻って
くるのを待った。
﹁ダリアよ、お主はドラキュラの何なんじゃ?
先ほどからアンデッドたちの態度がおかしいぞ﹂
﹁娘よ﹂
﹁そうじゃったのか、それで⋮⋮﹂
俺とダリアさんだけの秘密があっさりとバラされてしまう。
まあ、ドラキュラさんと面会すればバレていたことだろうけども。
納得しているご主人の横で、アビーは険しい表情をしている。
﹁アビー、どうかしたんですか?﹂
178
﹁いえ、お気になさらないで下さい﹂
そう言いながら表情を緩めるアビー。
だが、明らかにアビーは何かを気にしているようだった。
アビーは何を気にしているのだろうか。
﹁皆様、ドラキュラ様から面会の許可が出ました。
わたくしに着いてきてください﹂
俺の思考を遮るように守衛さんがお城から出てきて、俺たちをお
城の中へ通した。
ドラキュラさんとダリアさんの再会が、感動的なものであると良
いのだが︱︱。
179
第十三話︵後書き︶
この作品の﹁ドラキュラ﹂は個人名です。
竜公だのドラゴンだのという面倒臭い意味はないと思ってください。
180
第十四話
﹁わ、わたしがこの城の主、ドラキュラである。ようこそ我が城へ﹂
仰々しい謁見室に通された俺たち。
その謁見室で待っていたドラキュラさんが、俺たちに自己紹介を
した。
緊張していたのだろうか、少し声が裏返っている。
ドラキュラさんは、表地が黒で裏地が赤のマントを羽織り、貴族
らしい刺繍が施されたシャツを着て、黒いズボンを履いている。
口ひげを蓄え、面長でわし鼻、そして両目はダリアさんと同じく
鮮血のような紅だ。
正に俺が想像する吸血鬼の格好をした人物がそこにはいた。
﹁うむ、わしはリュドミラと申す。急な訪問にも関わらず、このよ
うな歓待をしてもらってありがたいと思う﹂
﹁はじめまして、ソーマと言います。リュドミラ様の使い魔です﹂
﹁アビゲイルです﹂
俺たちが自己紹介を済ませる。
ドラキュラさんは、俺たち一人一人をしっかりと見つめ、自己紹
介を聞いていた。
そして、ドラキュラさんはダリアさんを見つめる。
ダリアさんは目を逸らしたままだ。
﹁ダリア﹂
﹁⋮⋮﹂
181
ドラキュラさんの呼びかけにも返事をしない。
もじもじしてるダリアちゃんカワイイ!と個人的には思うのだが、
このままではいけない。
事情をそこそこ知っている俺が助け舟を出すしかない。
﹁ドラキュラさん、ダリアさんも俺たちがいては言いたいことを言
いづらいんだと思います。
なので、先に俺たちの用件を済ませてしまってもよろしいでしょ
うか?
話が終わり次第、俺たちは下がりますので﹂
﹁え、ちょ、ちょっと﹂
ダリアさんが抗議の声をあげるが、心を鬼にして話を進める。
俺より圧倒的に年上のはずなのに、ダリアさんは自分から仲直り
もできないんだからな。
﹁そうか、それなら仕方あるまい。
君たちの用事というのは︱︱、リュドミラ嬢にかかっているソレ
でいいのかな?﹂
﹁うむ、実は歳をとらなくなるという呪いをかけられていてな。
治す︱︱、いや、解呪する方法を探しているのじゃ﹂
﹁ふむ?﹂
ドラキュラさんが少し考え込む。
口元に手をやり、口髭を弄り始めた。
﹁まず始めに言っておきたいのだが、わたしにはその呪いを解呪す
ることはできない。
その呪いをかけた者は、常識はずれに強い力を持った者だ。
わたしの知る限り、その呪いを解ける者などこの世界にはいない﹂
182
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁その呪いをかけた張本人か︱︱、或いは外の世界ならば﹂
﹁外の世界ってなんですか?﹂
大航海
ブームだと聞いた。
わくわくする言葉が出て来たので、つい口を挟んでしまった。
﹁うむ、最近
外とは即ち、外海を越えた先にあると言う新しい大陸や島々だ。
そこになら、わたしの知らない強力な術師がいるかもしれん﹂
﹁おお、そんな楽しそうなブームが起きていたんですか!﹂
冒険とか航海って男心をくすぐるよなー、憧れる。
こんな楽しそうなブームが起きているというのに、ご主人はうろ
うろとこの大陸を旅していたのか。
﹁えっと、最近というほど最近でも⋮⋮﹂
﹁うむ、何十年も前からじゃな﹂
﹁えっ、本当に!?﹂
アビーとご主人の注釈に、驚愕の声を出したのは俺じゃない。
ドラキュラさんだ。
ドラキュラさんは少し頬を赤らめている。
﹁も、もちろんそうだな。
﹃ブームだった﹄と言おうとしていたんだ。
つい最近って言っちゃったけど、言い間違えたのだ﹂
汗をダラダラと掻き、必死に言い訳するドラキュラさん。
見ていてかわいそうになってくる。
183
﹁ま、何にせよありがたいことじゃ。今後の方針は決まった﹂
﹁そうか、わたしの助言が役に立ちそうなら良かった。
それともう一つ︱︱﹂
﹁何じゃ?﹂
﹁君は呪いをかけられた時のことを覚えているのか?﹂
﹁いや、覚えておらぬ﹂
﹁ふむ、やはりそうか。わたしの見立てが間違っていなければ、君
にかけられた呪いは、君が考えているようなモノではない﹂
﹁どういうことじゃ?﹂
﹁わたしの口から言えるのはここまでだ。
という
これ以上は、わたしが言って良いものなのか判断がつかぬ﹂
わたしが言って良いものなのか判断がつかぬ
ご主人の疑問の声にドラキュラさんは答えなかった。
しかし、
ドラキュラさんの言い方は、随分と意味を含んでいるように思える。
﹁もし急いでいないのなら、今晩は泊まっていって欲しい。
君たちの話も色々と聞かせて欲しいしね﹂
﹁構わぬ、世話になろう﹂
ドラキュラさんが手を叩くと、影から影が出て来た。
どういうことなのかはわからないが、とにかく影から影が出て来
たのだ。
﹁御用で?﹂
﹁うむ、この方たちを客室に案内してくれ。
皆さんは夕食ができるまで、部屋でお寛ぎ下さい﹂
﹁御意﹂
影が喋った!と驚く暇もなく、影さんに先導されて部屋を出る。
184
影さんは、人影のように見えるが移動する際に足を動かさない。
まるで地面を滑っているようだ。
﹁ダリアさんは残って下さい﹂
さりげなく俺たちと一緒に退出しようとするダリアさんを止める。
﹁うぅ、ソーマくん⋮⋮﹂
﹁大丈夫ですよ。話をしてあげてください。
親子なんですから、きっと許せるはずです﹂
俺が親と呼べる存在はご主人だが、やっぱりご主人はご主人で親
ではない。
そんな親を持たない俺が言うのはおかしいかもしれないが、それ
でも親子とはそういうものだと思う。
﹁う∼⋮⋮﹂
﹁ほらっ!﹂
ダリアさんの背中を押し、扉を閉める。
そして俺は、ご主人たちと共に部屋まで案内された。
﹁ここの部屋をご自由にお使い下さい﹂
そう言うと、影さんは影に吸い込まれ消えていった。
﹁それじゃあ、わしはこの部屋を使わせてもらおう﹂
﹁じゃー、俺はあっちで﹂
﹁駄目じゃ、ソーマはわしと同じ部屋じゃ﹂
﹁え? 何でですか?﹂
185
﹁何でもじゃ!﹂
﹁じゃあ、私はこっちの部屋にします﹂
てっきりご主人とアビーの2人が俺を取り合うという展開になる
と思ったが、アビーはあっさりと部屋の中に入っていった。
俺のために争わないで!って言いたかったのに。
アビーの態度に少しだけ寂しさを感じながら、俺はご主人と同じ
部屋に入った。
掃除が行き届いており、清潔な部屋だ。
調度品は古めかしい物が多かったが、物自体は良い物のように思
える。
﹁ご主人、どうかしたんですか?
いつもなら﹃ソーマは別の部屋じゃ!﹄とかって言うはずなのに﹂
そう思ってご主人とは違う部屋を選んだのだが。
﹁だって、なんだかダリアと仲良くなって⋮⋮。
わしが知らない間に、ダリアと何か話したのじゃろ!﹂
﹁⋮⋮巨人さんのパンティーを燃やした日の夜に少し話をしました﹂
﹁ソーマはわしのソーマなんじゃぞ!
それをっ、わしだって火傷したソーマを頑張って治癒したってい
うのに!
疲れて寝てるわしに隠れてダリアと内緒話なんて!﹂
ご主人が声を震わせながら、俺をぺちぺちと叩く。
こ、これは⋮⋮。
生まれて間もない人生経験の浅い俺でもわかる⋮⋮。
186
ご主人は嫉妬している!
嫉妬は愛から生まれる感情。
即ち⋮⋮。
OKということじゃないのか!?
﹁ご主人、俺はご主人のものですから⋮⋮﹂
﹁ほんとか、ほんとにそうか?﹂ ﹁当たり前じゃないですか﹂
優しく囁きながら触手をご主人の体に︱︱。
﹁そうか、それなら良い﹂
ご主人はサッパリした顔で俺から離れた。
あ、あれ?
﹁おお、ふかふかっぽいベッドじゃぞ!
おっほほーい! 飛び込むのじゃー!﹂
無邪気なご主人を、ムラムラした俺は呆然としながら眺める。
この性欲はどこへぶつければ良いのだろう︱︱。
︱︱︱
神は甘すぎる。
リュドミラさんは警戒しているようだが、まだ甘い。
私が危険を排除しなくては。
187
所持している銃全てに銀の弾丸が装填されていることを確認する。
あの毒婦はドラキュラと手を組んで、私たちを罠にかけようとし
ている可能性が高い。
だが、神に進言したところで信じてはもらえないだろう。
あの毒婦は、なぜか神から信頼を得ているようだ。
部屋をこっそりと抜け出し、先ほどの謁見室に向かう。
あの毒婦とドラキュラが2人きりの今なら、尻尾を出すかもしれ
ない。
動かぬ証拠を掴み、神とリュドミラさんを説得する必要がある。
このような危険なところに一晩泊まるなど、正気の沙汰ではない。
謁見室のドアを少しだけ開ける。
体から漏れ出る魔力を最小限に絞る。
だが周囲の音や臭い、魔力には気を配らなくてはならない。
証拠を掴んでも、誰かに見つかっては意味がない。
﹁すまなかったな、ダリア⋮⋮。
わたしは、わたし一人で吸血鬼になるのが怖かったのだ⋮⋮。
たった一人で永遠を生きることが⋮⋮、だから、お前の気持ちも
聞かずに︱︱﹂
﹁それはどうでもいいの。
アタシが吸血鬼になってしまったこと自体は。
アタシは、お母様を殺したお父様を認められなかったの⋮⋮﹂
何の話をしているのだ?
188
どうやら姦計の話ではなさそうだが⋮⋮。
﹁そうか⋮⋮。
あれはわたしが迂闊だった。
母さんの性格を考えれば、ああなることは充分考えられたからな﹂
﹁あの日は、アタシの誕生日だったのに︱︱﹂
﹁ああ、本当にすまなかった﹂
涙を流し、抱き合う2人を見て、私は自分の考えを恥じた。
あのような涙を流せる者が、神を罠にかけるような卑劣なマネを
するはずがない。
﹁でも、ようやくお父様を許せそうって思ったの。
あの時何もできなかった自分のことも﹂
﹁ダリア、お前は悪くない。
わたしが悪かったんだ﹂
私は見てはいけないものを見てしまった。
他人を疑う、卑しい心根故に。
﹁ううん、もういいわ。
でもお父様︱︱﹂
﹁なんだ?﹂
﹁もう少し口臭には気を使った方がいいかもね﹂
﹁そ、そうか? それは悪かった﹂
ダリアさんは笑顔になり、ドラキュラさんは苦笑いする。
﹁それでダリア、お前はあの人たちと共に行ってしまうのか?﹂
﹁ええ、そうします﹂
189
﹁⋮⋮そうか。
これを言っても良いのかはわからぬが、リュドミラ嬢は恐らく魔
王様だ﹂
﹁どういうことですか?﹂
﹁わたしにもわからん。
髪の色や瞳の色を変えているが、内包する魔力まではごまかせん。
わかるのは魔王様が記憶を無くしている︱︱、もしくは改ざんさ
れているということだけだ。
あの呪いは年齢をどうにかするものではなく、記憶に干渉するも
のだろう﹂
﹁⋮⋮お父様は、あの呪いをどうするべきだと思いますか?﹂
﹁判断しかねるな。
だが、魔王様ならいずれ呪いを解く方法を見つけるだろう﹂
﹁そうですか、ありがとうございます。
それでは、アタシもそろそろ部屋に向かいます。
みんなに︱︱特にソーマくんにお父様と仲直りできたことを報告
しないと﹂
﹁そうか、ではまた夕食のときに﹂
﹁ええ﹂
私はそっとドアから離れた。
そしてそのままダリアさんが出てくるのを待つ。
﹁あら?﹂
﹁申し訳ありません、貴女を疑い、先ほどの話を盗み聞きしました﹂
謁見室から出て来たダリアさんに、私は深々と頭を下げた。
﹁別に構わないわ。ただ︱︱﹂
﹁わかっています。魔王の件は話しません﹂
190
﹁それもなんだけど、アタシが泣いてたことも黙っててくれる?
恥ずかしいから﹂
﹁もちろんです。ここで見たこと、聞いたことは全て黙っていると
誓います﹂
﹁何に誓うの?﹂
﹁もちろん我が神に︱︱﹂
﹁じゃあソーマくんに聞かれたら話しちゃうの?﹂
﹁あっ﹂
うろたえる私を見て楽しそうに笑うダリアさん。
こんな風に笑うダリアさんを、私は初めて見たんじゃないだろう
か︱︱。 ︱︱︱
ご主人とベッドの上を飛び跳ねて遊んでいると、ノックが聞こえ
てきた。
ハシャギ過ぎて怒られるのかと一瞬焦ったが、入ってきたのはダ
リアさんとアビーだった。
﹁何やってるのよ⋮⋮﹂
ベッドの上に突っ立っているご主人と俺を見て、呆れるダリアさ
ん。
﹁い、いや⋮⋮、これはじゃな⋮⋮﹂
﹁あ、あまりにもふかふかなベッドだったので、つい⋮⋮﹂
191
ゆっくりと床に降りる俺たちを見るダリアさんの表情は、とても
晴れやかだ。
きっとうまく仲直りできたのだろう。
﹁ソーマくん、ありがとうね﹂
﹁いいんですよダリアさん。お礼はパンティーでいいんです﹂
﹁しょうがないわね⋮⋮﹂
﹁ダリアさんの脱ぎたてのパンティーですよ。それ以外は受付ませ
ん﹂
﹁ちっ﹂
やはりか。
その辺で拾ったパンティーか、もしくは安く買った新品のパンテ
ィーを渡そうという算段だったのだろう。
この俺はそう簡単に騙されない。
﹁それで、りゅどみん。
これからのことだけど︱︱﹂
﹁うむ。まずは港町に行って、外洋に出る船を探す。
そしていざ行かん! 新大陸へ!﹂
﹁おお、カッコいいですよご主人!﹂
明後日の方向を指差し、ポーズを決めるご主人。
俺たちの冒険はここから始まりそう!
﹁ダリアさんも一緒に来てくれるんですよね?﹂
俺は一つだけ懸念していたことがあった。
それはドラキュラさんと仲直りしたダリアさんが、このお城に残
ってしまうのではないかということだ。
192
﹁もちろん! こんなに面白そうなことって他にないでしょ?﹂
﹁良かった! これでダリアさんのパンティーを狙える!﹂
ダリアさんが一緒に来てくれると言ってくれて、素直に嬉しかっ
た。
俺はまだ生まれたばかりだが、ご主人とダリアさんとアビーはず
っと一緒だったのだ。
離れたくないと思うのは自然なことだろう。
盛り上がる俺たちを優しく見守るアビー。
何というか、いつもはピリピリとした雰囲気が少なからずあった
のだが、今のアビーはとても朗らかだ。
そういえばこの2人は一緒に部屋に入ってきた。
謁見室に残ったダリアさんと、部屋にいたはずのアビー。
この2人が一緒にいるのはどうしてだろうか。
何かあったのかもしれない。
でも2人の顔を見る限り、悪いことではないのだろう。
ならば俺が詮索する必要はないか。
今はともかく、ダリアさんの仲直りと、みんながこれからも一緒
にいられることを喜ぼう︱︱。
193
第十五話
ドラキュラさんのお城で一晩を明かした俺たちは、港町のある東
へ向かって出発した。
闇の魔力も薄くなってきて、辺りは明るくなってきている。
だが、アンデッドが集まる地域の近くだからだろうか、この辺り
は廃屋が目立つ。
﹁いや∼、ドラキュラさんのお城で食べたお肉はとっても美味しか
ったですねー﹂
﹁何の肉かは謎じゃがな﹂
ドラキュラさんのお城で出た料理は、どれも非常に美味だった。
ただ、素材の正体がはっきりしない。
謎の肉や奇妙な果実をご主人は苦々しい顔で見つめていたが、俺
は美味しければ良かろうなのだ。
﹁大丈夫よ、たぶん﹂
﹁吸血鬼の感覚で大丈夫と言われてものぅ﹂
﹁毒物は入っていませんでしたし、問題ないと思いますが﹂
ご主人はあんなに美味しい料理をご馳走になったのにも関わらず
不満げだ。
ドラキュラさんに対しても、なぜか上からな話方だったし、少し
ご主人のことを矯正する必要があるかもしれないな。
﹁ご主人は贅沢を言い過ぎです。
ドラキュラさんだって、あの不毛な土地で手に入る食材で精一杯
194
もてなして下さったんですよ。
それをちょっと正体不明なお肉が出て来たからって、そんな顔を
して。
それと、ご主人は初対面の方にもっと丁寧に接するべきですよ﹂
﹁な、なんじゃと! 使い魔のくせに、わしに説教するというのか!
もしかしたら人肉とかかもしれんじゃろ!
そんなものを食べさせられたら発狂してしまうじゃろ!﹂
﹁魔女が人肉ぐらいでグダグダ言わないで下さいよ。
大体、ドラキュラさんだって元々人間だったっておっしゃってた
じゃないですか。
人肉なんか食卓に出すわけないでしょう﹂
﹁うきー! もしかしたらじゃ!
アンデッドが人間的な倫理観に縛られていると思うんじゃない!
グールを見てみい!
奴らなんて人間の死肉を貪るんじゃぞ!﹂
﹁あー、やっぱりご主人はアンデッドを差別してるー!
吸血鬼のことは信用ならないって言ったり、ご主人はアンデッド
に何をされたんですか!﹂
俺の言葉にご主人は歩みを止める。
そして眉間に皺を寄せ、俯いた。
﹁ど、どうしたんですか? ご主人﹂
﹁そういえば、わしはなぜ吸血鬼を信用できないと思っていたのじ
ゃろうか﹂
﹁そ、それは吸血鬼に騙されて財産を根こそぎ奪われたとか、そう
いうことがあったんじゃ﹂
﹁いや、吸血鬼と出会ったのはダリアが初めてじゃ⋮⋮﹂
先ほどまでとは打って変わって、深刻な表情で思索しているご主
195
人。
それほど深刻になることなんだろうか。
伝聞で悪い吸血鬼の話を聞いたのかもしれないし、吸血鬼と出会
ったことを忘れているだけかもしれない。
100年も生きていれば、そういうこともあるだろう。
﹁まー、吸血鬼を嫌う人は多いからね。
こっそり忍び寄って、血を吸って、自らの眷属を増やす。
そんな話を聞けば、吸血鬼を信じられなくなるのは当たり前だと
も思うケド﹂
﹁そうですね。私も吸血鬼にはあまり良いイメージを持っていませ
んでしたし﹂
ダリアさんとアビーが足を止め、振り返る。
﹁いや、そうじゃな。
わしが忘れてるだけで、誰かから聞いた話を鵜呑みにしていたん
じゃろう。
本当にすまんかったな、ダリア﹂
﹁いいのよ。今は吸血鬼じゃなくて、アタシ自身を見てくれてるで
しょ﹂
無理矢理自分を納得させるように呟くご主人。
ご主人が再び歩き始め、ダリアさんやアビーもそれに合わせる。
俺のせいで少し雰囲気が悪くなってしまったかもしれない︱︱、
そう思いながら俺も歩き出した。
その時。
﹁⋮⋮うわん﹂
196
近くにあった廃屋から聞こえてきた謎の声。
これは︱︱、この呼びかけは。
﹁うわん!﹂
俺はすぐさま謎の声に返事をする。
﹁どしたの? 急に変な声を出して?﹂
﹁みんなも早く﹃うわん﹄と返してください!﹂
﹁﹃うわん﹄、ですか?﹂
ダリアさんもアビーも不思議そうな顔で俺を見る。
﹁いいから早く!﹂
﹁わかったわよ。﹃うわん﹄﹂
よし、ダリアさんとアビーが反応してくれた。
これで大丈夫だ。
後はご主人︱︱。
生前
︱︱転生
ご主人はまだ考え込んでいるようで、俺の言葉を聞いていないよ
うだった。
しまった。
どこで知ったのかはわからないが、恐らく俺の
。
は、道行く人に対して﹁うわん﹂と問いかけ、返事を
うわん
する前の記憶だろう。
うわん
この声の正体は
197
しなかった者の魂を抜き取る。
或いは命を奪う、どこかへ連れ去るという話もある。
どの話が正しいにしろ、﹁うわん﹂と返事をしなければ危険だ。
﹁ご主人!﹂
俺の声とほぼ同時、何者かがご主人の背後から襲い掛かった。
何者かがご主人の肩を掴む。
肩を掴むその手には、指が3本しかない。
何者かはご主人の体をどこかへ引き込もうとする︱︱が、ご主人
は何者かを投げ飛ばした。
﹁何じゃ! 鬱陶しい!﹂
技量を感じさせる投げではなく、力任せな投げ。
顔面から地面に叩き落された何者かは、ご主人と俺、ダリアさん、
うわん
です!﹂
アビーに囲まれる形になる。
﹁こいつは
﹁何じゃそれは?﹂
﹁聞いたことないわね﹂
﹁全知であらせられる我が神なら、我々が知らないことを知ってい
てもなんら不思議ではありません﹂
地面に叩きつけられたうわんが、ゆっくりと身を起こした。
﹁クソッ! ルール無視かよッ!
こんな滅茶苦茶なヤツら相手にできるかッ!﹂
黒く染められた歯をむき出しにして怒りを露わにするうわん。
198
その怒りとは裏腹に、口に出している言葉は非常に後ろ向きだ。
﹁オレは帰らせてもらうぜ!﹂
そう言うと、うわんは空中に出現した黒い穴に飛び込んだ。
うわんが黒い穴に飛び込むと、すぐに穴は閉じてしまった。
﹁な、なんだったのかしら⋮⋮﹂
﹁なんだったんでしょうね⋮⋮﹂
ダリアさんが首をかしげ、アビーが相槌を打つ。
本当に何だったんだろうか⋮⋮。
穴
、たぶん異次元かなんかに繋がってたように見え
﹁どうする? 追うの?
さっきの
たケド。
追うなら少し面倒よ﹂
﹁私はあの者を知っていた神に判断をお任せします﹂
﹁全員無事ですし、放っておいても良いんじゃないですか﹂
俺としては性欲の対象になるような相手ではなかったので、興味
がわかない。
有体に言えば、どうでも良い。
それより早く海に行って、エロ水着をご主人に着せたりして遊び
たい。
いや、むしろアビーの方が良いかもしれない。
神の言葉なら、どんなキワドイ水着でも着てくれるに違いない。
﹁⋮⋮じゃ﹂
199
﹁え?﹂
﹁駄目じゃ。わしを狙ったのじゃから、どこまでも追い詰めて報い
を受けさせる﹂
ご主人の声が怖い。
﹁でも、アレがどこに逃げたのかもわからないのよ?
追跡できないこともないだろうケド、時間かかっちゃいそうだし﹂
﹁大丈夫じゃ。あやつはあの廃屋から繋がってる異空間におる﹂
廃屋に向かってゆらりゆらりと歩き出すご主人。
歩きながら、ご主人の右腕に何かが集まっていっているのがわか
る。
ご主人についていこうとする俺を、ダリアさんが制止した。
﹁危険そうだから、少し離れてた方が良いわ﹂
ダリアさんにそう言われ、俺はその場に留まった。
ご主人はとても怒っているようだし、ダリアさんの言っているこ
とは間違っていなさそうだ。
でも、なんであんなに怒ってるんだろうか。
廃屋にたどり着いたご主人は、廃屋を殴りつけた。
ご主人の小さな体から放たれた右ストレートは、廃屋を消し飛ば
し、地面を大きく抉る。
衝撃の余波で砂埃が立ち込めた。
﹁じゃあ、りゅどみんのとこへ行きましょうか﹂
なぜ⋮⋮。
200
なぜダリアさんはあの光景を見ても平然としているのだろうか。
ご主人の体からは、先ほどの一撃の余剰エネルギーと思われる熱
気が立ち込めているようだ。
揺らめく陽炎が、ご主人の体から発せられている熱量を想像させ
る。
﹁ご、ご主人⋮⋮﹂
ご主人の近くまで来た俺は、恐々話しかける。
俺は今までご主人に散々セクハラしてきた。
もしかしたら、今こうして生きているのは奇跡に近いのかもしれ
ない。
﹁うむ、あそこからヤツの元へ行けるじゃろう﹂
ご主人が指差した先には、先ほどうわんが飛び込んだ穴とよく似
た穴が開いている。
そのままご主人はゆらりゆらりと穴の中へと進んでいく。
俺はダリアさんの方を見た。助けを請うように。
そんな俺を見て、ダリアさんは苦笑いしながら頷く。
ああ、このまま着いていくしかないのか。
なにか防御用の魔術とかないのかな。
ご主人の攻撃の余波が怖い。フレンドリーファイアで蒸発させら
れるのも怖い。
俺はご主人の力に怯えながら、黒い穴の中に飛び込んだ。
穴の中に光源はない。だが不思議と物は見える。
201
穴は深く、俺はそのまま穴の中を落ちていく。
俺の後にダリアさんが続いた。
あ、今ならダリアさんのパンティー見えるんじゃね?
重大なことに気づいた俺は、落下しながらも必死に姿勢を制御し、
ダリアさんのスカートを覗き込もうとする。
ダリアさんはスカートを抑え、パンティーが見えることを防いで
いた。
︱︱こちらの考えはお見通しというわけか。
なんとしてでもこのチャンスにパンティーを拝みたい俺は、触手
を駆使してダリアさんのスカート捲ろうとする。
スカートを捲ったとしても、例の闇の魔力で防がれていたら意味
がないのだが︱︱、ダリアさんはそんな無粋なマネをしないと信じ
ている。
今、この瞬間に起きている戦いは、俺の触手がダリアさんのスカ
ートを捲れるか、否かという戦い。
そのような真剣勝負に、魔力を使うなどということは考えらない。
ダリアさんは左手でスカートを押さえ、右手で俺の触手を弾く。
最小限の動きで最大限の戦果を出すダリアさん。
触手でダリアさんのパンティーを狙っていた俺は、心の準備もし
ないままに地面に激突する。
﹁えぶっ!﹂
骨があったら粉砕骨折しそうな勢いで地面に叩きつけられた俺。
202
そんな俺の上に、ダリアさんが落ちてくる。
︱︱これはチャンスだ。よくある顔面がお尻に埋もれるパターン!
喜んでいる俺の上を、無常にもふわりと浮くダリアさん。
もちろんパンティーは見せてくれない。
﹁ダリアさんって飛べたんですね⋮⋮﹂
﹁太陽の光が届かない場所ならね﹂
少し遅れてアビーが落ちてきた。
アビーは足が着地すると同時に後方に身を倒し、そのまま一回転
する。
綺麗に衝撃を分散し、体へのダメージを軽減させた。
﹁思ったより高かったですね、もう少し高かったら危ないところで
した﹂
無表情で呟くアビー。
よく考えたら、高さもわからない穴に飛び込むって⋮⋮。
いや、よく考えなくても⋮⋮。
﹁こっちに来てみぃ。面白いものがあるぞ﹂
先に降りていたご主人が俺たちを呼ぶ。
俺は痛む体を引きずりながら、ご主人のもとへ向かった。
そしてご主人の近くまで来た俺は、ご主人の視線の先へと目を向
けた。
黒い地面、黒い天井。
203
半径10メートル程はありそうな円形の部屋。
青白く輝く壁一面に、何かが飾ってある。
それは人の形をしていた。
まるで生きているかのように精巧で、今にも動き出しそうなほど
温かみを持った人形。
いや、これはもしかしたら︱︱。
﹁おいおい。こんな所まで来やがったのか。
どうしてもオレのコレクションになりてえらしいなァ﹂
部屋の奥から聞こえる下卑た声が、俺の想像を肯定していた︱︱。
204
第十六話
﹁これは全て、お主が集めたのか?﹂
﹁オレ以外に誰がいる?
この部屋に何人いると思う?
この数を集めるのに何年かかったと思う?
数だけじゃない。質も大事だからなァ。
ここまで来ると愛だぜ、愛﹂
うわんの言う通り、ここにいる人の形をしたモノは、ほとんどが
美しい女性だった。
中には俺の美的感覚では美醜の判断がつかない者もいたが。
﹁ふむ、面白いな。実に面白い。
人体を生かしたまま保存しておるようじゃな。
人体の活動そのものを止めているのか、それとも時を停止させて
おるのか。
わしには詳細がわからぬ。だが、実に面白い﹂
﹁ご主人、面白がっている場合じゃありませんよ。
女性たちを助けるにはどうしたらいいんですか?﹂
﹁ん? そんなの簡単じゃろ。
あやつを捕まえて、ゆっくりと拷問にでもかければ良い﹂
﹁そうですね。ですが、女性たちを助けるのでしたら、飛び道具は
控えるべきでしょう。
あの者がかわすと、女性たちに当たってしまう恐れがあります﹂
アビーがコートからナイフを取り出す。
そのナイフには、不思議な紋様が彫ってある。
205
﹁太陽の光が届かないココなら、アタシは絶好調よ﹂
ダリアさんの手元に闇が凝縮し、細身の剣を形作る。
﹁うむ! では任せたぞ、皆の者!﹂
ご主人が腕を組み、言い放つ。
﹁ご、ご主人⋮⋮、空気を読んで下さい﹂
﹁無理じゃ!
わしが手を出すとこの部屋が火の海になってしまう。
わしは手加減が苦手なんじゃ! よってわしは見てるだけ!﹂
﹁そ、そうなんですか⋮⋮﹂
ここは申し訳なさそうにする場面じゃないのかなと思うが、まあ
ご主人だから仕方がない。
﹁オレのことを本気で捕えられると思ってんのか?﹂
うわんが呆れたと言わんばかりに口を挟んでくる。
そして黒い穴を出現させ、その中に飛び込む。
﹁上です!﹂
アビーの声を聞き上を見ると、黒い穴から出てくるうわんがいた。
﹁おめえは気色悪いから殺すわ﹂
穴から出て来たうわんは、そのまま俺に飛び掛ってきた。
206
反応できていない俺をかばうようにダリアさんが割って入り、剣
でうわんの右手を受け止める。
﹁お前は吸血鬼か? 珍しいナァ、良いコレクションになるぜ﹂
﹁珍しさじゃ、アナタには負けると思うケド﹂
俺は目の前にいるダリアさんを避けるようにして、うわんに触手
を向ける。
うわんを捕まえるには、四肢を切断するか、俺の触手で捕縛する
かのどちらかになるだろう。
どちらにせよ、俺も頑張らないといけない。
﹁ちっ、気色悪い﹂
吐き捨てるように呟き、俺の触手を後方に飛びながら回避するう
わん。
そのまま黒い穴を出現させ、穴にもぐりこむ。
うわんを追いかけ、触手を穴に突っ込むが︱︱穴が閉じると同時
に触手はちぎれた。
俺たちから離れた場所にうわんが現れ、ちぎれた触手がボタボタ
と床に散らばる。
﹁予想通りですけど、穴が閉じるとああなるみたいです﹂
﹁あなる?﹂
﹁やめんか﹂
時々ダリアさんは変な反応をする。
シリアスな場面でも変な反応をする。
﹁緊張感がねぇなァ﹂
207
そんな俺たちを見てうわんも呆れている。
たった一人、このやり取りに加わっていない者がいるとも気づか
ずに。
横から回り込むようにして高速でうわんに近づくアビー。
低い姿勢からうわんに水面蹴りを繰り出す。
﹁うおっ!?﹂
足を払われたうわんは、背中を地面に叩きつけ︱︱られなかった。
地面に黒い穴を出現させ、そのまま穴に落ちる。
アビーから離れた場所にうわんは転移した。
﹁アブねえな﹂
言葉とは裏腹に余裕のある表情のうわん。
﹁捕まえるか、ナイフで足を落とすべきでしたか﹂
﹁んー、どんな力があるかわからないからね。
慎重にいくに越したことはないと思うわよ﹂
アビーとダリアさんが会話している間に、俺は触手を伸ばしてち
ぎれた触手を吸収する。
痛みはあるが、これでちぎれた部分は元に戻る。
﹁あの穴は厄介ですね⋮⋮。
あれで逃げられては捕まえられません﹂
﹁そうねー。もういっそ捕まえようとしないで、殺しちゃう?
殺しちゃえば固まってる女の子たちも元に戻るかもしれないわよ﹂
208
﹁元に戻らなかったらどうするんじゃ﹂
ん、アレ? なんか触手に違和感がある。
﹁それもそうよねー﹂
﹁ですが現状、あれを捕まえる手段がありません﹂
むぅん、ほっ。
﹁ひゃう﹂
触手に生まれた違和感。それを確かめるのに時間はいらなかった。
俺は既に、この能力の使い方を知っているから。
どうやら俺の触手がうわんの黒い穴を通ったことが原因のようだ。
俺は触手の先をアビーの服の中に転移させて、その豊満な胸の感
触を直接愉しむ。
﹁あっ、あの⋮⋮?﹂
﹁アビー、怖れることはありません⋮⋮。
受け入れるのです⋮⋮﹂
﹁かっ、かみのお力なのですかっ⋮⋮﹂
﹁どういうことじゃ?﹂
﹁どういうこと?﹂
ご主人とダリアさんの疑問の声が重なる。
﹁なんか俺、触手を転移させることができるようになったみたいで
す、こんな風に﹂
209
言いながら、ダリアさんとご主人の服の中に触手を出現させる。
そして思う存分弄ろうとする︱︱が、ダリアさんは無数のコウモ
リへと姿を変え、俺から距離を取る。
ならばご主人に︱︱と思う俺だったが、無慈悲にも触手は焼却さ
れた。
﹁あづいっ! ご主人、冗談ですよ⋮⋮﹂
﹁うるさい。冗談で服の中に触手を潜り込ませるでない﹂
しょうがないのでアビーを弄り続ける。
ダリアさんの服の中に転移させた触手は、空中で蠢いている。
俺から見てもちょっと不気味な光景だ。
﹁じゃが、これで捕まえられる算段ができたんじゃないかのぅ?﹂
﹁そうね。ソーマくんが役に立ちそうね﹂
﹁かっ、かみのお力は偉大ですっん﹂
﹁作戦は決まったのか?﹂
うわんがこちらに問いかけてくる。
﹁わざわざ待ってくれてるとは、思っていたより紳士ですね﹂
﹁ん、まァな。オレはオレでこだわりがあるんだよ。
一気に3つもコレクションが増えるんだ、多少は待ってやるさ﹂
﹁俺にもたくさんの美女を自分のものにしたいという欲求はわかり
ます。
でも、動かない美女を眺めて喜ぶ気持ちはわかりません︱︱﹂
そう、エロスはコミュニケーションの中にこそあるのだ。
俺が胸を弄り、アビーが嬌声を上げる。
俺がスカートを捲り、ダリアさんが隠そうとする。
210
そして︱︱、少しのことで顔を赤らめ恥ずかしがる愛らしい俺の
ご主人。
反応のないセクハラなど、何の意味もない。
俺はダリアさんのパンティーを欲しがるが、パンティーその物が
欲しいというだけじゃない。
パンティーを差し出すときのダリアさんの表情、声、体の反応全
てを観察したいのだ。
だから動かぬ女性を集めるうわんとは相容れない。
もし、うわんが凶行に走る前に出会えていたら、俺はこいつを更
生することができたのだろうか。
いや、性癖とは言って治るものではないか。
だが思わずにはいられない。
共にエロスについて語れていたかもしれない別の未来を。
﹁︱︱だから俺は、お前のそのふざけた性癖をぶち殺す!!﹂
﹁いいぜ、かかってきなッ!﹂
俺は触手を転移させ、うわんを追いかける。
うわんも黒い穴を使い、俺から逃れようとする。
﹁なんじゃ今の会話は﹂
﹁さあ?﹂
﹁我々の理解が及ばぬ領域で会話をなさっているようですね⋮⋮﹂
困惑しながらも、ダリアさんとアビーは俺に加勢する。
これは男と男の会話だからな、女性に理解されないのは仕方がな
い。
211
俺の触手をかわすのは困難と見たうわんは、俺の触手を右手で切
り裂いた。
それほど威力があるとは思えないうわんの攻撃だが、俺の触手は
容易に切り裂かれていく。
﹁あやつは転移能力を攻撃にも応用しているようじゃ。
本当に面白い。アレを真似できるようになれば、ソーマも随分と
強くなれるじゃろうな﹂
俺の横で呑気に解説しているご主人。
対照的に、果敢な攻めを見せるダリアさんとアビー。
少しずつだが、2人の連携が良くなってきている。
﹁ちっ﹂
黒い穴に逃げ込んで転移しても、俺の触手はうわんと同じように
転移することができる。
そしてうわんが触手の相手をしていると、ダリアさんとアビーが
迫っていく。
そんな俺たちの攻めに余裕がなくなったのか、うわんがご主人に
背後を向けた。
その瞬間を待っていたのだろう︱︱俺の横にいたご主人が消え、
うわんの後頭部を掴んでいた。
そのまま掴んだ頭を地面に叩きつける。
﹁敵の言うことを真に受けて背後を見せるとはのぅ。痴呆か?﹂
ご主人が酷薄な笑みを浮かべる。
﹁クソッ﹂
212
顔面を地面に叩きつけられたにも関わらず、以外に元気そうなう
わん。
﹁さて、女性たちを解放してもらおうかのぅ﹂
いつも通りの声色でうわんに言いながら、ご主人はうわんの左腕
を捻っていく。
﹁いやだねッ。オレの大事な︱︱アアァッ﹂
うわんの言葉を聞き終わらないうちに、ご主人がうわんの左腕の
骨を折る。
怖気のする音が室内に響いた。
﹁クソッ、わかった。わかったよ﹂
大量に汗を掻くうわんの言葉通り、女性たちは目を覚まし始める。
現状を把握出来ずに戸惑う者、恐怖を感じる者と反応は様々だ。
﹁うむ﹂
女性たちが全員目を覚ましたことをしっかりと確認したご主人は、
頷き、うわんを焼殺した。
﹁ご主人、何も殺すことは︱︱﹂
﹁こやつはそれだけのことをしたんじゃ﹂
それはそうなのかもしれない。
会話をしたせいで情が移ったのかな。
213
人攫いのおっさんのときはこんな気持ちにならなかったのだが。
もやもやとしたモノが心に残ったが、何にしろ女性たちは全員助
けられた。
きっとこれで良かったのだろう。
アビーやダリアさんが女性たちに状況を説明している。
俺はふと疑問に思ったことを口にした。
﹁ご主人って、非力かと思わせておいて凄く力があるんですね﹂
﹁魔力じゃ。魔力をぐぬぬとしてボーンとするとパワーが力になる
のじゃ﹂
﹁すみません、何を言ってるのか全然理解できません﹂
﹁わしも当たり前にできることじゃからな。
どう説明して良いのかわからんのじゃよ﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁とりあえず状況は説明したわ。
このまま放っておくわけにはいかないし、近くの村か街まで送っ
てあげましょう﹂
ダリアさんがこちらに駆け寄ってくる。
﹁うむ、そうじゃな。
あの長い縦穴はどうするかのぅ⋮⋮。
一人一人浮かすのは一苦労じゃぞ﹂
大勢の女性たちと共にご主人は出口の方へと向かっていった。
その様子を見ていたダリアさんがボソリと呟く。
﹁呪文の詠唱なしで魔術を操れる人間なんて、いるハズないのよね﹂
214
﹁どういう意味ですか?﹂
﹁そのままの意味よ﹂
そう言い残し、ダリアさんも出口へと向かう。
まるでダリアさんはご主人が人間ではないかのようなことを言う。
確かに人間離れしているが、あの姿はどう見ても人間だと思うの
だが。
﹁アビー、さっきダリアさんが言ってたことって﹂
﹁通常、人間は魔術を行使する際に、呪文を詠唱しなければならな
いんです。もしくは︱︱﹂
アビーは先ほどのナイフを取り出した。
そのナイフの紋様が輝いたかと思うと、ナイフから極低温と思わ
れるガスが吹き出る。
﹁このような、魔力を通すだけで何かしらの現象を引き起こす魔具
と呼ばれる物が必要になります。
ダリアさんは吸血鬼ですから、呪文の詠唱なしでもある程度魔術
が扱えるようですが、リュドミラさんは︱︱﹂
﹁ご主人は?﹂
﹁︱︱人間ではないのかもしれませんね﹂
そう言ってアビーは逃げるように出口へと向かっていった。
人間じゃない、人間によく似た種族ってことなのかな。
そう言えば、俺はご主人の種族をちゃんと確認したことがなかっ
たかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はみんなを追って出口へと向かった
︱︱。
215
第十七話
アタシの目覚めを促したのは、窓から差す陽光でも、小鳥たちの
囀りでもなく︱︱、空間の揺らめく気配だった。
目を開けたアタシの視界に飛び込んできたのは、空中から生える
触手。
そっとベッドから抜け出し、この触手をどうしてやろうかと考え
る。
昨日、うわんに捕えられていた女性たちをこの村まで連れてきた
アタシ達は、そのまま宿で一泊することになった。
女性たちは村に駐在する兵士に引き渡した。後は国がどうにかす
べき問題で、アタシ達にできることはない。
そのうわんからソーマくんが得た、触手を転移させる能力。
アタシは今、この部屋に一人だ。にも関わらず、ソーマくんの触
手は、今こうしてアタシの部屋にいる。
ソーマくんの視覚の外にも触手を転移させることができるとは、
なかなか興味深い。
これで触手自体にも視覚や聴覚といった感覚器官が備われば、色
々と便利に使えそうだなと思う。
空中に生えている触手は、慎重に、探るようにベッドへと下りて
いく。
やっていることは痴漢行為以外の何物でもないのに、相手の女性
を気遣うような優しさも感じる触手の動き。
そんな憎たらしくて、可愛らしくもある触手に、アタシは少しイ
タズラしてやることにした。
216
触手にそっと指先で触れる。
その瞬間、触手はビクリと反応した。
アタシから触ってくるとは思っていなかったのだろう。
予想外に楽しい反応を見せてくれた触手を、指先で、そっと撫で
る。
少し赤みがさしたように見える触手は、緊張しているのか力が入
っているようだ。
可愛らしい反応を見せる触手に、もう少しだけサービスしてアゲ
たくなってしまう。
顔をゆっくりと触手に近づけ、軽く唇で触れ、そのまま舌でペロ
リと触手を舐める。
すると、触手は慌てたようにして引っ込んでいった。
こういう所がソーマくんは可愛いのだ。そのうち、ソーマくんの
血を吸い尽くして、僕にしてやろうかとも思ってしまう。
でもそんなことをしたら、りゅどみん︱︱いや、魔王様に殺され
るだろうなと思い、苦笑いしながら夜着を脱ぎ捨てる。
ショーツ一枚になったアタシは姿見鏡の前に立つ。 姿見鏡にアタシは映っていない。
吸血鬼と人間の外見は区別がつかないが、簡単に見分ける方法が
存在する。
それは鏡に映すことだ。
人間は鏡に映るが、吸血鬼は鏡に映らない。
こうして姿見鏡の前に立つと、16歳の誕生日を思い出す。
あのときと同じように立ってみても、鏡に映るのはショーツに描
かれたクマさんの横顔だけだ。
もう、自分の顔も思い出せない。
217
︱︱︱
﹁ぬひっ!﹂
﹁なんじゃ∼、うるひゃい。わしは寝ておるぞ!﹂
俺の奇声に寝ぼけたご主人が抗議する。
触手をダリアさんの部屋に転移させ、寝ているダリアさんの体を
触ってやろうと思ったのだが、予想外の反撃に遭った。
あれほどの技を持っているとは、やはりダリアさんは経験が豊富
なのか⋮⋮。
残念なような気もするが、長生きらしいから当然のような気も⋮
⋮。
いや待て、経験豊富なフリをして実は初めてなの、というパター
ンもある。
ご主人は間違いなく未経験だろう。
ダリアさんもご主人くらいわかりやすければ、こんなことで悩ま
なくて済むのだが。
﹁むぁん、こうなったらあれを⋮⋮﹂
寝ぼけたご主人が何か言っている。
最近はご主人と同じ部屋で寝るようになった。
ご主人が俺を強制連行するのだ。
俺がダリアさんといつの間にか仲良くなっていたことが、余程悔
しかったのだろう。
218
﹁ごしゅじーん、そろそろ起きた方が良い時間ですよ∼﹂
﹁でっどえんどくらいまっくす∼﹂
﹁ごしゅじーん、起きてってば∼﹂
わけのわからないことを言うご主人を揺り起こす。
﹁んあ、起きておるよ∼﹂
ようやく目を覚ましたご主人が、いけしゃあしゃあとのたまう。
﹁俺は先に食堂に行ってますから、着替えて来てくださいね!﹂
﹁んあんあ﹂
テキトーな返事をするご主人を置いて、部屋を出る。
食堂に着くと、アビーは既に食事を始めていた。
﹁おはよう、アビー﹂
﹁おはようございます﹂
アビーと同じ食卓に着く。
店員さんが俺に水を出してくれる。
愛想はないのだが、対応は素早くスマートな店員さんだ。
﹁今日は良い天気ですね﹂
﹁そうですね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
会話が続かない。
219
そういえばアビーと2人きりになったのは、出会ったとき以来だ
ったか。
無言でパンを口に運ぶアビー。
その様子をただ見ている俺。
アビーは健啖家だ。
よく食べるからこそよく育ったんだろうな。胸が。
俺の視線に気づいたアビーが、パンを食べる手を止める。
﹁あの﹂
﹁ん?﹂
﹁あんまり見られていると恥ずかしいです⋮⋮﹂
﹁ご、ごめんなさい﹂
ジロジロと見られていたら、居心地も悪くなるだろう。
俺の配慮が足りなかったな。
正直なところ、俺はアビーとどう接したらいいのかわかっていな
い。
なぜか神と崇められているが、このような歪な関係をいつまでも
放っておくわけにはいかないだろう。
だが、どう諭せば良いのか見当もつかない。
﹁そういえばアビーって、どこに銃を持っているんですか?﹂
考えた末に出した話題は、当たり障りのないものだった。
﹁コートの裏地がちょっと特殊なんですよ﹂
220
アビーが見せてくれたコートの裏地は、うわんが出していた黒い
穴に趣が似ている。
﹁これって⋮⋮﹂
﹁そうですね。うわんの能力と似ているのかもしれません。
原理はわかりませんが、ここに色々と詰め込めるんですよ﹂
そう言いながらコートの裏地に手を突っ込み、銃を出して見せて
くれた。
﹁いくらでも詰め込めるんですか?行商が捗りそうです﹂
﹁いえ、それほど容量はないんですよ。銃器でいっぱいになっちゃ
ってます﹂
﹁うーむ、色々悪用できそうだと思ったのに﹂
﹁世間に出回るような物じゃないので、悪用されることもないです
よ﹂
世間に出回らないような物を持っているって⋮⋮。
そういえば巨人さんのとき、アビーはなんだか偉い人っぽい感じ
だったな。
うわんに捕えられた女性を兵士さんに引き渡したときも、何か見
せていた。
﹁アビーって偉い人なんですか?﹂
少し迷ったが聞いてみることにした。
アビーが隠したいようならこれ以上詮索しなければ良い。
﹁私自身は何者でもありません。
ただ、私の先祖が王族だっただけです。
221
色々と便利なので存分に利用していますけど﹂
﹁へ、へ∼﹂
平静を装う俺だったが、さらりとしたアビーの態度に内心は驚い
ていた。
いやむしろ、肝を冷やしたと言う方が正しいか。
﹁ふ∼ん、アビーも偉い人だったのね∼﹂
﹁あ、おはようございますダリアさん﹂
ダリアさんが席に着く。
そして素早く店員さんが水を差し出す。
よく訓練されているな。
﹁私自身は偉くないですよ。
でも色々と助かってるのは事実ですね﹂
﹁いいことね。アタシ達も色々と助かってるし﹂
アビーのご先祖が王族で、ダリアさんはアンデッドを纏めるドラ
キュラさんの娘⋮⋮。
実は凄い人たちに俺は囲まれていたんだな。
良く考えたら、高貴な血筋の女性にセクハラできるなんて、とて
も素晴らしい環境だ。
俺とダリアさんの前に食事が運ばれてきた。
皿に乗ったソーセージを見て、どんなセクハラ発言をしようかと
考える。
そんな俺とは対照的に、ソーセージに何の躊躇いもなくナイフを
入れるダリアさん。
222
﹁むぐぉー! 何でわしを置いていったんじゃ!﹂
ご主人が理不尽な怒りを振りかざし、こちらへとやってきた。
﹁ご主人が起きてくれないからです﹂
﹁じゃったら起きるまで待つのが使い魔じゃろ!﹂
﹁いやです、俺は自由意志を持った知的生物です。人権を主張しま
す﹂
﹁だったらアタシの僕になる?﹂
﹁パンティーを自由にする権利がいただけるのなら﹂
﹁う∼ん、どうしよっかなぁ﹂
﹁ソーマはわしのモンじゃ!﹂
﹁神は誰のものでもありませんよ﹂
賑やかな食卓。
アビーが何者でも、俺たちの関係は変わらない。
﹁あ、そういえばご主人﹂
﹁なんじゃ?﹂
﹁ご主人の種族って何ですか?﹂
﹁何じゃいまさら。どこからどう見ても人間じゃろう﹂
﹁えー、でも人間って、魔術を使うとき呪文の詠唱が必要って聞き
ましたよ﹂
﹁わしはスペシャルじゃからな!﹂
﹁なるほど! さすが俺のご主人!﹂
やっぱり俺のご主人も凄い人だったようだ。
こんなに凄い人に囲まれてるんだから、俺も頑張らないとな。
﹁そ、そういえば外洋に出る船に当てはあるんですか?﹂
223
﹁そんなもの、わしにはないぞ!﹂
﹁アタシもないわね﹂
﹁当然、俺もないです﹂
﹁実は私の知人に、他の大陸と交易を行っている方がいまして。
その人に頼んでみようと思うんですが⋮⋮﹂
﹁うむ、任せる!﹂
おお、さすが王族の子孫だ。
コネクションは社会で最強の武器になるからな。
﹁変なことに巻き込まれないように港町へ急ぐぞ﹂
﹁ご主人がご飯を食べ終わったら出発ですね﹂
遅れてきたご主人の朝食を皆で待ち、宿を発った。
︱︱︱
﹁うーむ、磯臭い⋮⋮﹂
これで8回目だ。
港町に着いてからご主人は8回、磯臭いと言った。
漁民や商人が多く見られる港町は、活気に溢れていた。
馬車が行き交い、あちらこちらから威勢の良い声が響く。
海に近いため、海から流れてくる風に乗って、潮の香りが鼻腔を
くすぐる。
﹁ご主人、海が近いんだからしょうがないですよ﹂
224
﹁うーむ、空気もなんだかベタベタするし⋮⋮﹂
﹁リュドミラさん、これから何日も船旅をするんですよ﹂
﹁うむむむ⋮⋮、やっぱり海へ出るのをやめに︱︱﹂
﹁駄目です。アビー、前に話していた交易をやっている人のところ
へ案内して下さい﹂
﹁はい、こっちだと思います﹂
文句の多いご主人を放っておいて、アビーについていく。
アビーにつれられて、体格の良い男性が多く往来する区画に来た。
積荷を保管するための倉庫が集まる区画のようだ。
大きい建物が多いこの区画でも、特に目を引く大きな建物にアビ
ーは入っていった。
﹁どうもはじめまして。あっしはコルラートと申します﹂
建物の中で会ったのは、いかにも小男と言った感じの話し方をす
る山羊頭の男性。
話し方とは裏腹に筋骨隆々とした体型だ。蝙蝠の羽が背から生え
ている。
アニキ程ではないが、彼もなかなかの肉体だ。
﹁リュドミラじゃ﹂
﹁その使い魔のソーマです﹂
﹁ダリアよ﹂
軽く自己紹介を済ませ、アビーが本題に入る。
﹁お久しぶりです、コルラートさん。
実はですね、船に乗せて欲しいんです。外海を越えた先にある大
陸に行きたいので﹂
225
﹁アビゲイルさんの頼みならば断る理由はないんですがねぇ、コチ
ラも頼みがあります﹂
﹁何でしょう?﹂
﹁簡単なことです、万が一船が襲われたときは、船を守るために戦
って欲しいんですわ﹂
﹁構わんぞ、何せわしは最強じゃからな!﹂
よくわからないタイミングで割ってはいるご主人。
そのご主人を、コルラートさんは一度見て、二度見て、三度見し
て顔を青くする。
﹁も、もしかして魔︱︱﹂
﹁魔女っ子ですよッ!﹂
急に大きな声を出すアビー。
ちょっとびっくりした。
﹁そ、そうですか、魔女っ子でしたか⋮⋮。
とにかく、そういうことなら問題はありませんので。
船が出港するまで、宿で休んでいてくだせぇ﹂
そう言い残し、そそくさと去るコルラートさん。
﹁魔女っ子って何じゃ?﹂
﹁さあ?﹂
ご主人の問いかけに、ダリアさんが干したイカを齧りながら答え
る。
﹁ダリアさん、ちょっとそのイカ下さい。その唾液にまみれて柔ら
226
かくなった部分を﹂
﹁いやよ﹂
﹁と、とにかく船を確保できて良かったですね!
船の準備ができるまで、ゆっくりと休みましょうね! リュドミ
ラさん!﹂
﹁うむ、そうじゃな。
できれば湯に浸かりたい。塩気でベタベタじゃ﹂
遂に船を確保した俺たち。
俺たちの目指す先には一体何があるのだろうか。
できれば美人がたくさんいると良いのだが︱︱。
227
第十八話
見渡す限りの青。
空の青と海の青に挟まれた一本の線は、近くに陸地がないことを
主張している。
一週間程港町でダラダラと過ごした俺たちは、コルラートさんの
交易船に乗せてもらい、外洋に出た。
客人兼護衛として乗船している俺たちは、特に仕事が割り当てら
れるわけでもなくのんびりと船旅を楽しんでいる。
俺は船首に立ち、潮風を体一杯に受ける。
陸地が一切見えないことに俺は少しだけ不安を覚えるが、それで
も潮風と暖かな陽気は気持ちが良い。
水平線を眺めていると、巨人さんの青いパンティーを思い出した。
トゥルトゥルの肌触りが俺の触手に甦る。
﹁全ての生命は海から生まれたという話を知っているか?
ここはオレと貴様が再会するのに、最も相応しい場所だな﹂
突然俺に話しかけてきた渋い声。
この声に聞き覚えがあった俺は、胸にこみ上げる喜びと共に振り
返る。
﹁アニキ! どうしてここに!?﹂
振り返った先にいたのは、ふんどし姿のマッチョなアニキだった。
竜が棲んでいたとされる山で俺と死闘を演じた、ウスベルクのド
228
ラゴンフォースが一人、マッチョなアニキ。
彼がなぜこんなところにいるのだろうか。
﹁フッ、貴様との闘いを経て、オレもまだまだ鍛える必要があると
思ってな。
以前から筋肉親交のあったコルラートに頼み、船に乗せてもらっ
たのだ。
心身共に鍛えるためにも、オレは捕ゲイに励むつもりだ﹂
﹁そうだったんですか。でもこの船は交易船ですよ? 捕鯨船じゃ
ありません﹂
﹁己の銛が一本あれば、補ゲイするのに支障はないさ。
道具や設備に頼ろうとするのは、肉体と精神が貧弱だからだ。
どのようなことも、肉体と精神が伴っていればやってやれないこ
とはない﹂
さすがアニキだ。
鍛え抜かれた己の肉体と精神のみを頼りにする。
これが本当の男の姿というものだろう。
﹁アニキはやっぱり凄いですね﹂
﹁何を言うか。己を高めようという意思がある限り、俺たちは同士
だ﹂
当たり前のことを言っているだけ︱︱、アニキの自信に裏打ちさ
れた言葉は、いつも俺の魂を奮わせる。
遠くを見つめるアニキの眼には、常に真実が映っているに違いな
い。
﹁嵐が来るな︱︱﹂
229
雲一つない晴天の空だというのに、アニキは厳しい顔をして呟い
た。
︱︱︱
﹁帆を畳めーー!﹂
﹁マストが折れちまうぞっ! 早くしろ!﹂
﹁くそっ、なんでこんな急に︱︱﹂
アニキの言っていた通り、嵐がやってきた。
俺たちはクルーから船室に入るよう言われ、船室に集まっていた。
今はご主人、ダリアさん、アビー、そしてアニキと一緒にいる。
甲板から聞こえるクルーたちの声は焦燥しており、状況がかんば
しいものではないと伝えている。
﹁サイアクだわ、船なんて二度と乗らない⋮⋮うっ﹂
ダリアさんがいつも以上に青い顔をして呟く。
どうやら船に乗るのははじめてらしく、酔ってしまったらしい。
﹁それはいいが、船に乗らねば帰ってこれないじゃろう﹂
﹁そうね、新天地で暮らすことにするわ⋮⋮。
酔わない乗り物が発明されるまで、お父様ともお別れね⋮⋮﹂
﹁吸血鬼のダリアさんが言うと、冗談に聞こえませんね﹂
外から聞こえてくる声とは対照的に、ここにいるメンバーに緊張
感はない。
ただ一人、腕を組み、目を瞑り、じっとしているアニキを除いて。
230
﹁ご主人、外は大丈夫なんでしょうか?
俺たちも何か手伝った方がいいんじゃないでしょうか?﹂
﹁わしたちが出て行っても邪魔になるだけじゃ。
彼らに任せておいたほうが良い﹂
﹁うむ。海の男たちを信じるのだ。
彼らもまた、海の荒波に鍛えられし男たち。
この程度の嵐、彼らなら乗り越えられるに違いない﹂
﹁そういえば、アニキはよく嵐が来るってわかりましたね﹂
﹁うむ。海と風と一体になることで、ある程度天候を読むことがで
きるようになる。
オレも昔は捕ゲイのために、よく船には乗っていたからな。
だが、この嵐は少し︱︱﹂
﹁︱︱︱︱﹂
アニキの声と重なるように、外から歌が聞こえる。
美しく、心の裏側を撫でるような歌声。
﹁出番が来たようじゃな﹂
ご主人とアビーが立ち上がり、扉へ向かう。
﹁自然のものではなかったか﹂
ゆっくりと腰を上げ、銛を手にするアニキ。
﹁あ、あたしも行かなきゃ⋮⋮だめ?﹂
﹁当然じゃ﹂
﹁う∼、海に落ちたら助けてね、そーまくん⋮⋮﹂
231
よろよろとダリアさんが立ち上がる。
ダリアさんはカナヅチなのかー、などと考えながら、俺もみんな
と一緒に甲板へ向かった。
甲板へ出ると、ほとんどの船員たちが呆けていた。
叩きつけるように降る雨の中、澄んだ歌声が響き、船員たちは一
様に歌声に耳を傾けている。
中には耳を塞ぎ、うずくまる者もいたが少数だ。
その異常な光景に、俺は息を呑む。
﹁ど、どうなってるんですか?﹂
﹁この歌声には魔力が篭っている。
恐らくは人魚⋮⋮、セイレーンと呼ばれる者たちの仕業だろう﹂
心の裏側を撫でられるような、そんな怖気を感じたのは魔力によ
るものだからか。
﹁抵抗力の低い者たちは歌声だけで心を奪われてしまっているよう
ですね。
我々は神のご加護により守られていますが︱︱﹂
﹁要は元凶を潰してしまえば良いのじゃろう?﹂
﹁そうなのだが⋮⋮﹂
﹁問題でもあるのですか?﹂
﹁船乗りは信心深い。
精霊に近い存在の人魚を殺してしまうと、心象を損ねるかもしれ
ん﹂
船上で船乗りの機嫌を損ねるのは危険だと、アニキは暗に伝えよ
うとしているのだろう。
俺たちが船員に襲われても撃退することはできるだろうが、船を
232
操ることはできない。
俺たちの生死を握っているのはクルーたちなのだ。
できるだけ機嫌を損ねるようなマネはするべきではない。
だが、このままでは︱︱。
突如、甲板に何かが着地する。
それは下半身が魚鱗に覆われた、人魚たちだ。
甲板に着地した衝撃で、なにもつけていない胸が大きくバウンド
する。
躍動するおっぱいに、俺の陰鬱な気分が吹き飛んだ。
﹁人魚たちだ。船員が海に引きずり込まれるぞ!﹂
アニキは甲板に着地した人魚の一人に駆け寄り、右の拳で殴りつ
ける。
アニキの大きな筋肉により生まれたエネルギーは、アニキの見事
な体の動きにより右拳に一点集中し、人魚の頬を捕えた。
当然、アニキの美しい肉体から放たれた一打は、人魚を船外へと
吹き飛ばすには充分な威力だ。
歌
を何とかして止めな
﹁悪いがオレは、男女平等主義なのでな。女性であろうと容赦はせ
ん。
⋮⋮だがこのままでは不味いな。この
ければ。
歌
を止めればいいんですね?
このまま船足が止まっていては、人魚たちの襲撃は延々と続くぞ﹂
﹁殺さないようにして、
それなら俺に任せてください﹂
歌
の主はそなたに任せる。
﹁自ら言い出したということは自信があるのじゃな。
ならばソーマよ、
わしらは甲板に乗り込んでくる人魚を海に叩き返すことに集中し
233
よう﹂
言いながらご主人が人魚に近づき、抱きしめるようにかかえ、力
一杯海に向かって投げる。
ご主人と人魚さんのキャットファイトをこのまま楽しみたいとこ
ろだが、今は状況がそれを許さない。
﹁う∼、気持ち悪いわ⋮⋮。
アタシには期待しないで⋮⋮﹂
ふらふらしながらも人魚さんに近づくダリアさん。
襲いかかってくる人魚さんの攻撃を、よろよろと回避している。
﹁神が事を成す時間を稼ぐ。敬虔な信者たる私に与えられた試練︱
︱﹂
アビーが人魚さんの腕を捻り、人魚を甲板に叩きつける。
そのまま首の裏側に手刀を見舞い、人魚さんの意識を刈り取る。
﹁︱︱この程度、問題ありませんね﹂
アビーの頼もしい言葉を聞きながら、俺はその場を後にする。
歌声は船首の方から聞こえてくる。
この美しい声︱︱、さぞ本体も美しい女性なのだろう。
俺の胸は期待に膨らむ。
船首には二人の女性がいた。
片方は鳥の翼と、鳥の下半身を持つ女性。
もう片方は下半身が魚の人魚だ。他の人魚たちと違うのは、唯一
人ハープを持っていること。
234
嵐の中、目を閉じ、歌う二人の姿は現実感を希薄にする。
幻想に迷い込んだような錯覚に陥った。
彼女たちを前にするまで、歌っているのは一人だと思っていた。
二人の声は絡まりあい、一つに解け、俺の心に染み込んでくる。
︱︱これ以上、彼女たちの歌声に耳を傾けてはいけない。 俺は萎えそうになる意志を、彼女たちのおっぱいを見ることで奮
い立たせる。
あのおっぱいをこれから味わうのだ。
呆けている暇など、一秒たりとも無い!
俺は半鳥半人の女性の、ツンと天を仰ぐかのような生意気なおっ
ぱいに向かって触手を伸ばす。
勿論隣の人魚の女性の、重力に負けそうになるほど育っている大
きなおっぱいに向かっても触手を伸ばす。
歌
伸ばしながらも触手の先端を吸いつけるように形を変えていく。
殺さないで
歌声
を
嬌声
に変えてしまえばよろしい。
を止めることなど簡単だ。
喘がせて、
二人の眼前まで触手が迫ったその時、二人の目が開く。
その瞬間、彼女たちの前には水が勢いよく噴出し、俺の触手の進
行を阻んだ。
触手に力を入れ、マッシブに突き入れようとするが、水の勢いは
激しく、俺の触手は弾かれてしまう。
何らかの魔術のようだが、呪文を詠唱している様子はない。
今も彼女たちは歌を紡いでいるのだから。
精霊に近い存在だとアニキは言っていたか、それなら水を意のま
235
まに操れても不思議ではないのかもしれない。
だが俺の触手は転移能力を備えている。
噴出する水の壁の内側に触手を転移させれば、彼女たちの体を弄
ぶことなど容易だ。
そう高をくくっていた俺だが、突如として何かの力の奔流を感じ、
その場から跳躍して逃れる。
何かの奔流に巻き込まれた触手が切り裂かれる。
反応が間に合ったため体の方は無事だったが、俺は肝を冷やした。
何かを飛ばされたわけでもないのに、急に切り裂かれた。
目には見えていないが、何かされたのは間違いない。
これも魔術なのか?
その疑問を考察する暇を、彼女たちは与えてくれなかった。
次々と繰り出される力の奔流。
俺は必死に跳躍し、ギリギリのところで回避する。
雨に濡れた甲板、荒れた海に揺さぶられる船。
いつ足を滑らせて、回避に失敗するかわかったものじゃない。
ならばさっさと触手をあの水の壁の内側に早く触手を転移させる
べきだ。
噴出する水の壁は、大量の泡を含んでおり、二人の姿を見えにく
くしていた。
だが、ダリアさんの部屋やアビーの部屋に触手を転移させてセク
ハラしていた経験が生きた。
見えていなくても距離感さえ測れていれば転移させるのに問題は
ない。
俺はありったけの触手を水の向こう側に転移させた。
236
突如として現れた大量の触手に驚いたのだろう、一瞬、旋律が乱
れる。
そのまま触手を彼女たちの体に巻きつける。
切り裂かれたら不味い、ここは紳士ぶっている場合じゃない︱︱
多少乱暴になってしまっても仕方がないだろう。
半鳥半人の方は、あの天を貫く生意気な部分に吸い付いてやる。
そのまま口に触手を突っ込み、歌を止める。
﹁ひゃうぅっ、ふもごっ!?﹂
歌声がやみ、彼女の口からは嬌声が漏れる。
同時に人魚の方にもだ。
こちらはたわわな部分を絞るようにして触手を絡ませる。
同じように口にも触手を突っ込む。
﹁ふえぇ⋮⋮、んもっ!﹂
こちらも歌声がやんだ。
そしてすぐに水の噴出が止まる。
どうやら精神を集中しないと水を操れないらしい。
未だに触手が切り裂かれないということは、あの力の奔流も使え
ないのだろう。
歌声を止めたが、魔術は少々厄介だ。
人魚たちを追い払い、ご主人たちがこちらに駆けつけてくるまで、
俺は彼女たちの精神集中を妨げ続けなければならない。
触手で翼に絡みつき、足を固定し自由を奪う。
237
腕に触手を絡ませ、魚の尾ビレが地面に着かない位置まで吊り上
げる。
ご主人、ダリアさん、アビー、アニキ。
急がずゆっくりなるべく遅く時間をかけてこちらに来てください!
俺は大丈夫ですから!
そう心の中で叫び、俺はたっぷり時間をかけて、彼女たちの体を
愉しんだ︱︱。
238
第十九話
なぜだ?
人魚の方は既に、俺に媚びるような、ねだるような視線を向けて
きている。
時間をかけたのだから当然だ。
だが、半鳥半人の方はいまだに敵意のある目で俺を睨みつけてく
る。
時間をかけたのにどうして。
俺の責めには一体何が足りないのか?
わからない。
愛
よっ!﹂
わからないことが焦りを生み、責めを雑なものにしてしまう。
﹁ふふっ、足りないもの⋮⋮、それは
﹁ダリアさん!﹂
顔色のとても良いダリアさんが腕を組み、微笑を浮かべていた。
気のせいか、少し酸っぱい臭いがする。
責めるのに集中していたせいで気づかなかったが、いつの間にか
嵐も止んでいた。
﹁ダリアさん、体調は良くなったんですか?﹂
愛
が足りないわっ!﹂
﹁全部出したらスッキリしたわ。男の子と同じね﹂
﹁そ、そうですか⋮⋮﹂
﹁それよりソーマくん、アナタには
ビシッと俺に指を差し、高らかに宣言するダリアさん。
239
俺に足りないものは
愛
愛
。
愛
なのか。
は必要なのか。
半鳥半人が満足しない理由は、
刹那的な快楽に
﹁ふふ、理解していないようねソーマくん。
アナタ、あのハーピーを見たときどう思った?﹂
﹁生意気なおっぱいと⋮⋮ハッ!﹂
﹁そう、アナタは入り口で既に間違えていたの。
生意気な彼女を屈服させようと、支配しようとした。
でも、それじゃあ駄目。
って何なんでしょうか?﹂
女の子は小手先のテクニックで気持ちよくなるわけじゃないわ、
愛
そこには愛が必要なの﹂
﹁⋮⋮ダリアさん、
ダリアさんは俺に背を向け、潮風を全身に受ける。
長い金色の髪が風に流され、スカートの裾が揺れた。
﹁アナタにも、いつかきっとわかる日が来るわ﹂
愛
の意味を見つけることができるの
澄み切った空に、ダリアさんの言葉が吸い込まれていく。
俺は、俺の過ちを正し、
だろうか。
小手先だけのテクニックに酔っていた俺は、﹁気持ち良い?﹂と
無粋なことを聞く駄目な男と一緒だ。
そこに思いやりなどなく、あるのは自己満足だけである。
﹁何をバカな話をしておるのじゃ﹂
呆れた顔のご主人に一蹴された。
アニキとアビーも近くに来る。
240
﹁
愛
愛
とは、決して後悔しないことだと言うな﹂
について話していたんですよ﹂
﹁ふむ、
愛
がわかっているのだろう。
ダリアさんと肩を並べ、俺に背を向けるアニキ。
アニキには
アニキの頼もしい背中が、なぜか今は哀愁を感じさせる。
愛
は神ご自身ですよ﹂
﹁私がこんなことを言うのはおこがましいのですが⋮⋮。
巻いている髪からこぼれている幾筋かの髪の毛を揺らし、アビー
はアニキの隣に立った。
について考えがあるのだろう。
愛
それぞれ、
愛
を見つけなくては。
俺も、俺なりの
愛
を見つけていないようだ。
﹁いや⋮⋮、何を言っておるのじゃこやつらは⋮⋮﹂
どうやらご主人は、ご主人の
二人で、一緒に探していこう。
﹁あのー⋮⋮、私たちはいつまで放置されるのでしょうか⋮⋮?﹂
﹁いいから放せよ! この変態触手!﹂
そうだった、深遠なテーマに思いを馳せていたせいで忘れていた。
セイレーン
さんなんですか?﹂
﹁この二人が歌を歌っていたみたいです。
どちらが
﹁セイレーンとは、﹃歌で人や魔物を惑わす者﹄たちのことだ。
この二人が歌っていたというのなら、どちらもセイレーンという
241
ことだな。
それで、お前たちはなぜこのようなことしたのだ?
今まで人魚と船乗りは友好的な関係を築いてきたはずだ﹂
アニキの公平な態度に、半人半鳥と人魚は申し訳なさそうな顔を
する。
悪事を働いた者をただ罰するのではなく、相手の事情を聞こうと
するアニキ。
理解しようとしている、という態度を見せることが大切なのだろ
う。
﹁それはっ⋮⋮﹂
﹁私から話すわ。私たちは存亡の危機を迎えているのです﹂
半人半鳥が口を開きかけるが、それを人魚が制止する。
存亡の危機︱︱、予想以上に深刻なようで、俺は絶句する。
﹁私たち人魚の若い雄が、連れ去られてしまいました。
このままでは私たちは繁殖できなくて、滅びてしまうのです。
だから︱︱﹂
そのとき、俺に電流走る︱︱!
つまり彼女たち人魚は、交尾相手を得るために船員を連れ去ろう
とした︱︱、そういうことか!
ならば俺が人魚さんたち全員と交尾すれば万事解決じゃないか!
﹁ご主人、俺はご主人のことが大好きです。
ですが人魚さんたちの存亡の危機とあっては仕方がありません。
俺は人魚さんたちの繁殖を助けるために、できることをしたいの
です。
242
ですから、ご主人のもとを一時的に離れることをお許し下さい﹂
﹁駄目に決まっとるじゃろ。
というか、そもそもソーマは生殖できるのか?﹂
﹁そういえばそうね。ソーマくんが出してるとこ、見たことないわ﹂
﹁私も神の聖液を受けたことはありません⋮⋮﹂
いやだなあ、みんな何を言っているんだろう。
俺が種無しみたいな言い方をして。
そんなわけないのに。
ない⋮⋮よね?
﹁いや、出せないわけないじゃないですか!
現にエッチなことをしたとき、何かこう、こみ上げてくるものが
ありますよ!﹂
﹁ほ∼、それじゃあ出してみせい﹂
﹁えっ! みんなが見てる前でなんて、恥ずかしくてできるわけな
いじゃないですか!﹂
﹁わしは大衆の前で脱げと言われたのぅ﹂
﹁アタシもみんなの前でショーツを脱いだりしたわねー﹂
﹁神はいついかなる時でも恩寵を下さいました﹂
いつになくみんなが一致団結している。
これは俺が男を見せないと静まらないパターンか。
ならば仕方ない。
みんなに見てもらうしかないだろう、俺の男っぷりを。
見てもらうことによって喜びを感じるような趣味はないが、みん
ながどうしてもと言うのだから仕方ない。
﹁そこまで言うなら出してみせますよ! この場で!﹂
243
先ほどまで半人半鳥と人魚と戯れていた。
その興奮を今、触手に集めるのだ。
こみ上げてくる想い、こみ上げてくる衝動。
その全てを一本の触手に集めていく。
何かが集まっていくのと呼応して、触手の先がみるみると膨む。
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!﹂
野獣のような咆哮と共に、俺は触手の先から熱い激情をほとばし
らせる。
そして触手の先から遂に出た。
﹁おおっ!﹂
女性陣から歓声が上がる。
ふぅ、どうだ⋮⋮。
俺は種無しなんかじゃあない。
俺は男だ。
﹁これは魔力ですか?﹂
﹁むぅ、わからん。よく似ておるのじゃが⋮⋮、何というか﹂
﹁そうね。はじめて見るわ。お父様なら何かわかったのかもしれな
いけど⋮⋮﹂
思いのたけを全て出し切った俺の心はとても穏やかだった。
みんなが何やら言っているが、そんなことはどうでも良い。
今までの人生の中で、最も落ち着いている。
今なら全てを赦せそうだ。
244
﹁これだけの魔力らしきものを内奥しておるとは⋮⋮﹂
﹁驚きね。これなら⋮⋮﹂
﹁さすが我が神です。このような力を持っておられるとは⋮⋮﹂
﹁あ、あの∼﹂
人魚さんが申し訳なさそうに割り込む。
﹁おお、悪かったのぅ。話の続きじゃな。
要はその人魚の雄どもを取り返せば良いんじゃろ?
簡単じゃ、わしらに任せておけ﹂
﹁うむ、船長には俺から話をつけておこう。
人魚の頼みとあらば、断るような船乗りはおるまい。
だが船員には詳細を話さないほうが良い。
人魚の婿になれると知ったら、喜んで海に飛び込んで行くだろう
からな﹂
﹁あ、ありがとうございます!﹂
なんか話が進んでいるようだ。
みんな幸せになれるのなら、それは良いことだなー。
︱︱︱
﹁俺は能無しなんだ! 生きてる価値なんてない!﹂
自己嫌悪と共に、俺は船室の床を転がる。
時間が経つと俺の心には自己嫌悪が広がっていった。
先ほどまでの穏やかな気持ちが嘘のようだ。
245
﹁大丈夫じゃよソーマ。
子供のうちは、みんな生殖なぞできん。
時間をかけて大人になれば良いではないか﹂
﹁そうですよ! それに、先ほどの魔力らしきものはとても強力な
力でした!
あの魔力に意味を与えることができれば、どれほどの事象が引き
起こせることか!
神に生きる価値がないなんて言ったら、この世界は滅亡するしか
ありません!﹂
﹁うわああああああああああん!!﹂
みんなの慰めが俺のハートをズタズタに引き裂く。
どんなに言葉を並べ立てようとも、事実は覆らない。
俺に生殖能力は無い。
生殖できない触手なんて、ただの触手だ。
﹁バカモノッ!!!﹂
そんな俺をアニキが一喝し、殴りつけた。
アニキの容赦ない一撃に、俺は吹き飛ばされ、壁に激突する。
アニキの拳からは悲しみ、怒り、そして優しさが感じられた。 ﹁異形の者⋮⋮、いやソーマよ! 何を勘違いしている。
できないことがあるのならば、自らの体を鍛え、できるようにな
れば良い。
嘆く暇があるのなら、今できることをしろ。
何もせずに己の無力さを嘆くなど、このオレが許さんッ!﹂
﹁ア、アニキ⋮⋮﹂
﹁貴様のような腑抜けに、アニキと呼ばれる筋合いはないッ!﹂
246
そうだ、アニキの言う通りだ。
俺は何をしていたんだ。
こんな俺に、アニキをアニキと呼ぶ資格などない。
﹁ありがとうございます﹂
俺は皆に頭を下げ、一人船室を出た。
今できること︱︱、それはあの謎の力を解明することだろう。
生殖能力の代わりに俺が持っている力、この力にどういう意味が
あるのか。
それを知ることが出来れば、もしかしたら生殖能力を得るために
するべきことがわかるかもしれない。
全速力で船首に向かう俺。
もし、俺のこの力が強大なものだと言うのなら、船内で試すのは
危険かもしれない。
船首には具合の悪そうなダリアさんがいた。
﹁そーまくん⋮⋮。相当ショックを受けてたみたいだけど⋮⋮、大
丈夫?﹂
﹁むしろダリアさんが大丈夫ですか?﹂
﹁駄目だわ。本当に駄目だわ⋮⋮。
もう胃の中に出せるものが残ってない⋮⋮﹂
船酔いは治癒術である程度緩和できるらしいのだが、ダリアさん
はアンデッドなので治癒術が効かないらしい。
苦しそうなダリアさんを見ていると何かしてあげたくなる。
何かしたい⋮⋮か。
そうか⋮⋮、もしかしたらこの気持ちが⋮⋮。
247
﹁ダリアさん、成功するかどうかわかりませんが、試してみたいこ
とがあります。
もしかしたらその船酔いを治せるかもしれません﹂
﹁うぇ⋮⋮? いいわよ⋮⋮治るかもしれないのなら何でも⋮⋮﹂
﹁そうですか、なら失礼します﹂
﹁ふぇ﹂
ダリアさんのお尻に触手を伸ばし、俺は自らの気持ちを高めてい
く。
ダリアさんは抗議する力もないのか、俺の触手に身を任せている。
あれだけガードの固かったダリアさんが、こんなに弱々しいなん
て。
俺が試そうとしているのは、魔力らしき謎の力でダリアさんの船
愛
。
酔いを治せるか︱︱というものだ。
みんなが言っていた
だ。
愛
愛
の力だ。
なのではないだろうか。
俺にはまだわからないけど、もしかしたら、﹁他人のために無償
愛
で与えるもの﹂こそが
エロスとは
ならばエロスから生まれる謎の力は、きっと
愛
なのだとしたら、きっと謎の力は応えてくれるに違いな
ダリアさんの苦痛を取り除いてあげたいと想う俺の気持ちが、も
しも
い。
ダリアさんの体によって高められた俺の気持ちを触手に集め、ダ
リアさんの苦痛を取り除きたいと気持ちを込める。
魔力に意味を与えるとアビーは言っていたが、その言葉がどうい
うことなのか、俺はたった今理解した。
248
謎の力に意味を与え、ダリアさんにぶっ掛ける。
俺の触手の先から漏れ出た謎の力が、ダリアさんに浸透していく。
﹁うえ? あれ⋮⋮、ソーマくん?
酔いが⋮⋮、酔いが醒めたわ!﹂
﹁やっぱり⋮⋮、これが俺の⋮⋮﹂
俺は俺の力を理解すると共に、ダリアさんが酔うたびにエッチな
ことができると、内心喜ぶのであった︱︱。
249
第二十話
集中しろ。
風の音も、波の音も、海鳥の鳴き声も、全ての音を消し去り、認
識の外に置くのだ。
雑音を追い出したら甦らせろ。女性たちの声を。喘ぎ声を。
目を閉じ、瞼の裏に映すのはおっぱい。お尻。そして顔。
触手に感触を思い出させるのだ。女性の柔らかさ、筋肉の収縮に
よる反応、肌の温もり。
思うのではない︱︱、今このとき、疑わなければそれは存在する
のだ。
妄想の奥義は信じようとすることではない、疑わないということ。
︱︱見えたッ! 水の一滴ッ!
俺は自家発電により生み出した力に、燃え盛る炎のイメージをの
せて放つ。
しかし、触手からは何も出てこなかった。
やはり俺が思ったとおり、この力は愛の力なのだ。
誰かの為、誰かを想って力を振るわなければ効果は生まれないの
だろう。
ちなみに自家発電のみで生み出した力でも、微力ながら効果が発
動することは既に確認している。
時間はかかるが、Hなことをできない場合には有効かもしれない。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
250
何度も一人で妄想と賢者タイムを繰り返したために、俺の体には
疲労が蓄積していた。
だがその甲斐あって、自らの力についてかなり理解が深まったと
思う。
﹁励んでいるようだな、ソーマよ﹂
振り返るとアニキが立っていた。
アニキの表情は柔らかく、俺を殴り飛ばしたときのような怒りは
ない。
己を高めようとする意思がある限り、俺のことを同士だと認めて
くれるのがアニキだ。
アニキの後ろに、ご主人やアビーもいた。
﹁みなさん⋮⋮。ご心配をおかけしました。
俺はもう大丈夫です。
女性を孕ませることはまだできないでしょうが、自らの力を理解
することはできました﹂
﹁そうか﹂
﹁神なら自ら立ち上がることができると信じていました﹂
﹁ソーマよ。大事なのは、自らの力を何のために使うかだ。
強大な力を持ったものは、常に責任と義務が発生する。
努々忘れることのないようにな﹂
アニキの言葉の意味をしっかりと考えていかねば。
﹁ところで、人魚さんたちの件ってどうなったんでしたっけ?
俺、あの時は賢者タイムに入っていて、話を聞いてなかったんで
すが﹂
251
﹁なんじゃその賢者タイムというのは﹂
﹁男の子が全てを出し切ったときに訪れる、大いなる時のことよ﹂
船酔いから開放され、晴れ晴れとした表情のダリアさんが解説し
てくれる。
今のダリアさんはとても爽やかだ。
﹁ふーん、さっぱりわからん。
まあ良い、人魚たちの件じゃったな。
人魚の雄をかどわかして、﹃ぎゃくはーれむ﹄なるものを形成し
ておる魔物がいるらしい。
今は人魚の案内で、その魔物のいるところへ向かっておる﹂
﹁へー、じゃあその魔物をご主人がブッ飛ばすだけですか﹂
﹁そうじゃな。その魔物︱︱、スキュラとかいう種族らしいが、そ
やつは殺しても構わんのじゃろ?﹂
﹁問題ないだろう。ただし、人魚の雄は巻き込まないようにな﹂
ご主人は幼女なのに血なまぐさいことをさらっと言う。
殺さないで済むならその方が良いと考えてしまうのは、俺が甘い
のだろうか。
﹁人魚は海底に宝物をしこたま溜め込んでいると聞くからのぅ⋮⋮。
謝礼も期待できるじゃろうて﹂
ご主人が凄く下衆っぽい。
薄ら笑いを浮かべながら銭勘定をしているっぽいご主人が凄く下
衆っぽい。
﹁ご主人、すぐに殺すとか言うのは良くありませんよ。
ここは殺さないように捕まえて、スキュラさんの話も聞いてみま
252
しょう。
何か理由があるのかもしれませんし、なければおしおき︵女性な
ら性的な意味で︶すればいいじゃないですか﹂
﹁めんどくさいのぅ﹂
﹁なるべく殺さない、駄目なら仕方ないくらいに考えておけばいい
んじゃない?
それより見て見て、お魚釣れたわよ﹂
無邪気に魚を見せびらかすダリアさんの笑顔がとてもまぶしい。
このダリアさんの笑顔は、俺の力によって船酔いを取り除いたか
ら訪れたものだ。
生殖能力を持っていないと判明したことは残念だが、それは俺が
まだ子供だからかもしれない。
悩んだり落ち込んだりしても生殖能力は手に入らないのだから、
今は自分がしたことによって、誰かが笑顔になっていることを喜ぼ
う。
﹁とうっ!﹂
甲板に突然人魚さんが躍り出る。
俺が触手で舐った人魚さんだ。
その姿を見ると、あの柔らかな感触を思い出してこみ上げてくる
ものがある。
﹁みなさん、あの島です﹂
人魚さんが指差す方向に島が見える。
さほど大きくは見えないその島には、人工物らしきものは見られ
ない。
砂浜と、多くはない緑が見えるだけだ。
253
全体的に斜面が多く、島の大きさの割には全体の標高が高そうだ。
﹁旦那がたァ! これ以上は浅瀬に乗り上げちまうから近づけませ
んぜ!
小船を用意しますンで、あの島に行くなら乗って行ってくだせェ
!﹂
船員さんの声が聞こえる。
﹁フッ、小船を用意するのも手間だろう。
これくらいの距離、泳いで行けば良い﹂
アニキは当然のように、銛を手にし海に飛び込んだ。
﹁わしも飛んでいくからいらん﹂
﹁それじゃあ私も泳ぎます﹂
﹁私もみなさんと一緒に行きます﹂
ご主人がぷかぷかと浮いて、島に向かう。
アビーと人魚さんもアニキを追うようにして海に飛び込む。
みんなに置いていかれないうちに、俺も海に飛び込もうとするが
︱︱
﹁ソーマくん﹂
ダリアさんが声をかけてきた。
﹁なんですか?﹂
﹁アタシ、﹃流れる水を自力で渡れない﹄のよ﹂
﹁え?﹂
254
﹁吸血鬼だから﹂
﹁つまり⋮⋮﹂
﹁今回はお留守番ね!﹂
吸血鬼って意外と不便だな。
﹁わかりました、それじゃ晩御飯をたくさん釣っておいてください﹂
﹁まかせておいて!﹂
親指を立てているダリアさんを背に、俺は海に飛び込んだ。
触手をゆらりゆらりと振り、海中を進む。
そういえばこの体で泳ぐのは初めてか。
浮く分には問題ないのだが、息継ぎがしにくい。
触手で海底を突き、体を海面から出して息継ぎをする。
これは水を掻いて進むより、海底を突いたり、海底にあるものを
掴んで体を引き寄せるようにして進んだ方が速いかもしれない。
どうすればより速く泳げるのか、色々試しているうちに島まで着
いた。
浜についたのは俺が最後だ。
﹁恐らくあの洞窟の中にスキュラはいます﹂
島の規模に相応しくない大きな洞窟がある。
その洞窟には海水が流れ込んでいた。
﹁アビーは俺の上に乗ってください。
泳ぎながらじゃ銃を撃てないでしょうし、火薬が濡れてもいけな
いでしょう﹂
﹁神の上に乗るなんて⋮⋮﹂
255
﹁大丈夫です。かわりに色々触りますから﹂
﹁そ、そういうことなら⋮⋮﹂
アビーを乗せ、俺は海に入り、洞窟を目指した。
ご主人も俺たちに速度を合わせて宙を飛ぶ。
アニキは銛を口に咥え、水しぶきをたたせず泳ぐ。
入り口も大きかったが、洞窟の内部は更に広かった。
もしかしたらこの島の中は全て空洞なのかもしれないと思わせる
程に。
洞窟の中に入ると、ご主人が光の球を浮かせ、洞窟内部を照らし
始めた。
あの光の球を見ると、毒蜘蛛に噛まれたときのことを思い出す。
まだそんなに日にちは経っていないが、昔のことのように思える。
﹁ひさびさのお客さんね。何の用⋮⋮って決まってるわよね﹂
昔のことを思い出し、感傷に浸っていた俺の前に、一人の女性が
姿を見せた。
長い黒髪を振り乱し、白いワンピースを着た女性。物憂げな瞳が
印象的だ。
下半身からは足ではなく、六匹の大きな犬が顔を出し、魚の尻尾
や蛸を思わせる吸盤のついた触手が生えている。
くっ、なぜ俺が出会う女性たちはこうも美人ばかりなのだ。
あのような女性を乱暴に扱うなど、俺にできるはずがない。
だがご主人は冷徹な目で彼女を見下ろしている。
助ける理由が見つからなければ、ご主人は容赦なくスキュラさん
を殺すだろう。
256
ならばスキュラさんと戦わないで済むよう、ここは率先して説得
を試みるべきだ。
﹁スキュラさん、連れ去った人魚さんたちは無事なんですか?﹂
﹁ん、無事よ。何人かと交わらせてもらったけど、それだけ﹂
﹁彼らを解放してもらえますか?
彼らがいないと、人魚さんたちは困ってしまうらしいです﹂
﹁ふーん⋮⋮。もし私が彼らを解放したら、あなたたちはどうする
の?﹂
﹁どうもしません。俺たちは彼らを返して欲しいだけです﹂
﹁そう。それは⋮⋮、ちょっとつまらないわね﹂
スキュラさんの体内から魔力の高まりを感じる。
様々な魔術を受けてきた今ならわかる、彼女は俺たち敵意を持っ
ている。
スキュラさんの魔力の高まりに呼応するかのように、急激に潮が
流れ始めた。
スキュラさんを中心として、渦を巻くように潮が流れる。
このまま海中にいては危険。
そう判断した俺は洞窟の天井に触手を伸ばし、体を海水から出し
た。
もちろん、背にはアビーを乗せたままだ。
﹁ぬぉおおおおおおうッ﹂
潮の流れに飲まれたアニキ。
何とかして俺はアニキを助けようと触手を伸ばすが、アニキは海
中に消えてしまった。
257
暗い洞窟の中、急激な渦潮の中ではアニキの姿を見つけられない。
﹁まず一人脱落かしら?﹂
﹁ふん、あのような筋肉ダルマを数に入れるでない﹂
ご主人の右手から炎が噴き出し、雄大な鳥の形を成していく。
火の鳥が完全に形を成すと、自ら羽ばたき、火の粉を散らしなが
らスキュラさんに襲い掛かる。
それにしてもアビーのお尻は肉付きがよくて柔らかいな。
﹁ここが陸地なら、これで終わってたのでしょうけど﹂
スキュラさんが右手を振り上げると、海水の柱が立ち、火の鳥に
襲い掛かった。
膨大な熱量を持った火の鳥は、大量の海水を蒸発させるが、スキ
ュラさんに届く前に消え去ってしまう。
お尻だけじゃなくて、アビーの大きななおっぱいもちょっと⋮⋮。
﹁あっ⋮⋮、あの。私が二射したらん、移動してくださっ、いね﹂
﹁わかりました﹂
ご主人だけに任せておくわけにはいかない。
一刻も早くスキュラさんを戦闘不能にして、アニキを助けなくて
は。
辺りは蒸発した海水で視界が悪くなっていたが、アビーなら問題
なく当てるだろう。
アビーが二発、犬を撃ち抜くが、厚い毛皮に銃弾が防がれている
ようだ。
銃を撃ったときの反動で、アビーの柔らかなお肉たちがぷるるる
258
るるん。
﹁銃⋮⋮ね。噂には聞いてたけど、思ってたより貧弱なのね﹂
蒸発した海水を隠れ蓑に、ご主人はいつの間にかスキュラさんの
背後を取っていた。
ご主人は魔力を込めた右脚をスキュラさんの右脇腹に叩き込もう
とするが、スキュラさんは海中に没し、姿を隠す。
﹁ちっ、面倒な⋮⋮﹂
﹁ご主人!﹂
﹁わかっておる。あの筋肉ダルマごと、ここを消し飛ばしたりはせ
んよ﹂
ご主人がその気になれば、きっと海中に身を隠したスキュラさん
を倒すことは可能だ。
この洞窟一帯を破壊すれば良いのだから。
だがそれではアニキが助からない。
うん、やっぱりアビーはおっぱいが一番魅力的だな。
﹁それでご主人、どうします?
このまま時間が経ってもアニキは⋮⋮﹂
﹁全くあの筋肉ダルマは。
散々偉そうなことを言っておいて、足手まといになりおって⋮⋮﹂
﹁ご主人、悪口を言うならもう少しやんわりと︱︱﹂
突如、俺の真下から触手が伸びてくる。
俺の体に巻きついた触手は、そのまま海中に俺を引きずり込もう
とする。
俺の触手を超える圧倒的な膂力を持つ、スキュラさんの触手。
259
咄嗟に、俺はアビーをご主人の方に突き飛ばした。
﹁ソーマ!﹂
遠ざかるご主人の声。
俺の体は海面に叩きつけられ、そのまま海底へと引きずり込まれ
ていった︱︱。
260
第二十一話
﹁サバイバルには三つの三が重要になります。
酸素が無ければ三分、水が無ければ三日、食料が無ければ三週間
で人体は活動を停止するでしょう﹂
どこかで聞いた、どこかの知識。
この知識は俺の体にも適用されるのかな︱︱、と自嘲気味に考え
ながら暗い海底に引きずり込まれていく。
見た目は刺胞生物や棘皮動物、もしくは軟体動物な俺だったら水
の中で呼吸出来ても良さそうなものなのに、現実はそれを否定して
いる。
スキュラさんの触手から逃れる術の無い俺にできることはあまり
ない。
こっそりと触手を一本ご主人とアビーの近くに転移させ、俺の位
置を差し示す。
このままスキュラさんに引き寄せられれば、ご主人とアビーに位
置を知らせることができるはずだ。
ついでにもう二本、ご主人とアビーにセクハラするために触手を
転移させる。
﹁んふっ、捕まえたっ﹂
スキュラさんの眼前まで引き寄せられた。
水の中でもスキュラさんは声を出せるんだな︱︱なんて呑気なこ
とを考えてしまう。
思考がパニックに陥ってるわけではないが、今出来ることも思い
261
つかない。
とりあえずスキュラさんの胸の感触や、どこが弱点なのかをチェ
ックしよう。
俺は動かせる触手の全てで以て、スキュラさんの柔肌を狙う。
生存が危ぶまれる事態に陥り、俺の性衝動はいつもより激しい。
種族を遺すことはまだできないが、俺のDNAはこの世界に根付
くことを望んでいるに違いない。
ご主人の太ももはまだまだ女性特有の柔らかさが足りないなー。
﹁責められるのは好きじゃないの﹂
俺の触手とスキュラさんの触手が絡み合う。
数は圧倒的に俺の触手の方が多いのだが、スキュラさんの触手は
一本一本が太く、逞しい。
俺のヤワな触手では十本がかりでも、スキュラさんの一本の触手
に力負けしてしまう。
だが力に任せて責めるだけではいけないと、ダリアさんが言って
いた。
相手を蹂躙して屈服させるのでなく、相手を優しく抱擁して満足
させるのだ。
触手から余計な力を抜いていく。
そしてスキュラさんの触手を優しく撫でる。
骨のない触手にしかできない、柔軟な責め。
太く逞しいスキュラさんの触手を、俺の大量の触手で包み込み、
時には吸い付く。
﹁なっ、こんなっ﹂
262
スキュラさんは触手で責められたことはなかったようだな。
かつてダリアさんは、ご主人の指を舐め、吸い付くだけでご主人
を高まらせた。
俺の全触手を使えばダリアさんを超えることはできなくとも、近
いことができるに違いない。
そう思い触手を触手で責めてみたが、効果覿面だったようだ。
暗くてスキュラさんの顔はよく見えない。
だが俺にはわかる。
上気した顔、呼吸が荒くなり激しく上下する肩、求めるように動
いてしまう腰。
スキュラさんは今、俺の愛に溺れている!
そして俺は今、息が切れて溺れそう!
﹁ばびびょぶばっ! ぼぼばっ!﹂
イルカか、シャチか︱︱、それともクジラなのか?
猛スピードで海中を泳ぐ何かが、スキュラさんの太い触手を切り
落とす。
アビーの脇に触手が挟まる。この状況に焦ってるのかな、少し汗
ばんでるぞ。
﹁クッ!?﹂
俺と愛し、愛されたスキュラさんの触手が解体されていく。
少しだけ寂しさを感じながら、自由になった俺はスキュラさんと
距離を取った。
このまま海上に脱出するのも良いが、それでは沈んでいるアニキ
を助けられない。
アニキを助けるためにも奇跡を︱︱、俺のエロスで奇跡を起こす
しかない。
263
一本の触手を伸ばし、エロスにより溜めた力を迸らせる。
エロスの力により触手は神々しく輝く光の柱となった。
スキュラさんとの、ご主人との、アビーとの行いで溜め、死の淵
に追いやられたことによって生まれた生存本能が増幅させたこのエ
ロスの力。
エロスの力と愛の心にて、暗き海水を断つ⋮⋮。やってやるぜ!
輝く光の柱を振り下ろす。
振り下ろされた光の柱を避けるように海水は左右に割れていく。
途方も無い水量の海水が、洞窟の外へと一気に排出される。
光の柱が海底まで届くと、全ての海水が洞窟から消えていた。
洞窟の入り口から再び流れ込もうとする海水は、葦によって防が
れる。
﹁なっ⋮⋮、どういうことなの?﹂
スキュラさんの問いに、答えられる者は俺以外にいない。
空中に浮いているご主人も、アビーも、そして銛を持って大地に
立っているアニキも状況を理解していなかった。
﹁これが愛の力です。一瞬でも愛し合った俺と貴女で作り上げた奇
跡﹂
﹁愛⋮⋮ですって?﹂
﹁その通りです。
男女の交わりとは、ひと時の快楽を求めて行うものではありませ
ん。
LOVE
COMMUNICATIONなのです
心と心が通じ合い、生まれるコミュニケーション。
即ち、ONE
264
!﹂
﹁そ、そうだったのね⋮⋮!﹂
俺の言葉に心打たれたのだろう、スキュラさんは膝を折る。
既に戦意は無い。
心と心が繋がった俺だからわかる。
この暗い洞窟で行われた戦いは終わったのだ。 ﹁ほ、ほんきで何を言っているのかわからんぞ⋮⋮﹂
﹁神のお言葉は深いですね﹂
﹁フッ、成長したなソーマよ﹂
また一つ、生物として高みに昇った俺を、皆が祝福する。
﹁さあ、貴女が捕えた人魚さんの雄を解放してください﹂
﹁ええ⋮⋮、わかったわ﹂
スキュラさんと共に洞窟の奥へと進む。
そこには、魚に人間の手足を生やしたような生物がいた。大量に。
﹁ここにいるので全員よ﹂ 人魚さんたちはあんなに美しかったのに、この生物たちは何とい
うか⋮⋮。
﹁うむ、こやつらを連れて行けば人魚たちから謝礼がガッポガッポ
じゃな﹂
﹁ご主人、人魚さんの雄たちを連れて、先に船に帰ってもらっても
良いですか?﹂
﹁何でじゃ?﹂
265
﹁スキュラさんと話したいことがあるんです﹂
﹁そんなこと言って、わしのいないところでイヤらしいことをする
つもりじゃな! エ⋮⋮むぐぐ﹂
アニキがご主人の口を押さえ、そのままご主人を担ぐ。
﹁男女の仲には色々とあるだろう。
それはたとえ主従の関係にあったとしても、口出ししてはならん﹂
﹁ムググ∼!﹂
それだけ言い残し、アニキはご主人と共に去っていった。
そしてアビーも人魚さんの雄たちを引きつれ、洞窟から出て行く。
﹁まだ何か用があるの?
あなたたちの目的は人魚だったのでしょう?﹂
﹁そうです。結果的には貴女を傷つけることになってしまいました
が︱︱﹂
﹁それは仕方ないわ、私から仕掛けたんだもの。
殺されてないだけマシってものでしょう?﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
そっとスキュラさんに近づく。
スキュラさんは本質的に悪というわけではないのだと思う。
ただ、彼女は寂しかっただけなんじゃないだろうか。
彼女との触れ合ったとき、彼女の心は寂しさで一杯だった。
﹁ですがやはり、貴女を傷つけたまま去るのは良くないと思いまし
て﹂
﹁治癒術でも使えるの? だったら、皆を先に帰らせるなんてこと
しなくても︱︱﹂
266
﹁治癒術は使えませんが、俺にもできることがあります。
この洞窟から海水を引かせたときと同じことをする必要がありま
すが⋮⋮﹂
﹁それはつまり⋮⋮﹂
﹁そういうことです﹂
触手でスキュラさんの顔を撫で、唇を弄る。
スキュラさんの下半身から顔を覗かせる犬たちが不安そうな顔を
していたので、こちらも撫でてやった。
﹁私は負けたんだから、文句は言えないわね﹂
﹁嫌なら︱︱﹂
﹁あなたのしたいようにして﹂
︱︱︱
﹁ありがとうね﹂
スキュラさんの触手は、俺が治療した。
にょきにょきと伸びていく触手が少しだけおかしくて、俺たちは
笑った。
﹁いえ⋮⋮﹂
恐らくスキュラさんの触手を斬りおとしたのはアニキだったのだ
ろう。
ご主人もアビーも、海水が引いたときはまだ空中にいた。
アニキが俺を助けるためにスキュラさんの触手を斬ったのだから、
267
俺が治してあげるのは当然のことだ。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
もう用はない。
俺は船へと帰らなければいけない。
だが言い出せない。
ここで彼女と別れたら、次はいつ会えるかなんてわからない。
﹁一緒に︱︱﹂
﹁それはできないわ﹂
﹁なぜですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
スキュラさんは口を閉ざした。
唇を噛み、今にも泣き出しそうな彼女。
そんな顔をした彼女から、話を聞き出そうなんて思えるはずがな
い。
﹁わかりました、話せないなら聞きません﹂
﹁そう⋮⋮﹂
﹁でも、いつかきっと迎えにきます﹂
﹁⋮⋮﹂
俺は船に向かって歩き出した。
彼女が一緒に来れないのは重大な理由があるのだろう。
人魚の雄をさらうことはできるのだから、ここから動けないとい
うわけではないはず。
スキュラさんの口から言うのが躊躇われるのなら、自分で調べる
268
しかない。
まずは人魚さんたちから話を聞くべきか。
﹁不潔じゃ! 不潔なのじゃ!﹂
船に戻った俺は、ご主人から延々と罵倒された。
﹁ですからご主人、スキュラさんの触手を治しただけです﹂
﹁その前にいやらしいことをしたんじゃろ! イカ臭いぞ!﹂
﹁あむあむ、アタシがイカを食べてるからじゃなイカ?﹂
ダリアさんの口からはゲソがはみ出ているでゲソ。
﹁それより人魚さんたちはどこですか?﹂
﹁それよりとは何じゃ! ご主人であるわしの言葉を聞けぇ!﹂
﹁人魚たちなら海へ戻って行ったぞ。
何か用でもあったのか?﹂
﹁実は人魚さんたちに聞きたいことがありまして﹂
﹁ほう、言ってみろ﹂
アニキが自信満々に両腕を掲げ、手首を曲げる。
ここまでインテリジェンスを感じさせるオリバーポーズなど、俺
は見たことが無い。
マッチョはインテリゲンツィアが多いという話は真実だと確信し
た。
﹁実はスキュラさんに、一緒に来ないかと誘ったんです﹂
﹁何を勝手なことを! このパーティーのリーダーは⋮⋮むぐぐ﹂
話の腰を折ろうとするご主人の口を、アニキが押さえる。
269
﹁ですが断られてしまって⋮⋮。
彼女の表情から、言えない事情があるとは思うんですが⋮⋮﹂
﹁成程。その理由が知りたいのだな?﹂
﹁はい﹂
﹁うむ、オレにもわからんッ!﹂
アニキにもわからないことがあるなんて。
となればこの船のクルーに聞き込むしかないか。
﹁気を落とすな、ソーマ。
ここは海だ、ならば海の男たちに聞けばきっとわかるに違いない
!﹂
アニキの頼もしい言葉に勇気付けられた俺は、クルーたちへの聞
き込みを開始した。
﹁聞いたことねえなァ⋮⋮、ところであのおっぱいの大きな姉ちゃ
んは一緒じゃないのか?﹂
﹁わからん! そんなことより予定の航路からかなりズレちまった
からな⋮⋮、航路の修正が大変なんだよ﹂
﹁アニキとは何もねェよ! 俺はノンケだって言ってんだろ!﹂
収穫はゼロだった。
何だかんだ言っていたご主人、それにダリアさんやアビー、アニ
キも手伝ってくれたのだが、何の情報も聞き出せなかった。
そもそも今俺たちがいる海域は、あまり探索が進んでいないらし
い。
そのため、この海域に棲んでいるスキュラさんのことを詳しく知
る者がいなかったのだ。
270
﹁申し訳ありません、神のお役に立てないなんて⋮⋮﹂
﹁いや、アビーは悪くないです。
俺のわがままにつき合わせてしまってすみません﹂
﹁港に着けば他の船の乗組員にも話を聞けるでしょうし、まだ諦め
ることはないんじゃない?﹂
だが旅の本来の目的はご主人の呪いを解くことだ。
あまり俺のために時間を割くというのも⋮⋮。
﹁でも︱︱﹂
﹁良い。急ぐ旅でもない、それくらいの寄り道は問題ない﹂
ご主人には敵わないな。
俺の考えなどお見通しのようだ。
﹁それにソーマが自発的に動いたのはこれが初めてじゃからな。
わしはその成長を嬉しく思うよ﹂
ご主人が俺の頭に手を乗せる。
﹁ふふーん、これは恋ねっ! 恋は人を成長させるわ﹂
﹁ダリアさん、俺は人じゃないですよ⋮⋮﹂
﹁こまけえことはいいのよ!﹂
﹁うむ、恋の一つや二つ、経験しておかねば男としての成長は見込
めんからな﹂
﹁アニキさんのような方でも、恋の経験があるんですね﹂
﹁オレの恋愛話が聞きたいのか?
よし、今晩たっぷりと聞かせてやろう、このオレの熱い話を﹂
﹁勘弁しとくれ⋮⋮、聞いてはいけないものまで聞かされそうじゃ
271
⋮⋮﹂
きっと、みんなは俺を元気付けようとしているのだろう。
だから明るく振舞っている。
みんなの優しさはわかるのだが、俺の心は晴れない。
﹁そういえば、アタシが釣ったお魚を捌いてもらってるのよ﹂
﹁ほほう、それは良いのぅ﹂
﹁お刺身ですね!﹂
﹁さ、さしみじゃと⋮⋮? ナマで食べるのか⋮⋮?
な、なんと恐ろしいことを言うのじゃ⋮⋮﹂
﹁リュドミラさんはお刺身を食べたことがないんですか?﹂
﹁あるわけないじゃろ! そんなモノ!﹂
﹁ふーん、これは面白いことになりそうね﹂
﹁イヤじゃあ⋮⋮、さしみなど食いとうない⋮⋮﹂
嫌がるご主人をダリアさんとアビーが拘束し、ずるずると引きず
っていく。
﹁ソーマくん? 食堂に行きましょ﹂
﹁はい﹂
ダリアさんに呼ばれ、歩き出す。
俺の心を重くしているのは、スキュラさんの事情がわからないと
いうことだけじゃない。
いくら考えても答えの出ないこの思考の沈殿を、俺はどう処理し
て良いのかわからなかった︱︱。
272
第二十二話
抱いたことはあった。
でも、抱かれたことはなかったのかもしれない。
彼らが去った洞窟は、冷たい海の水で満たされていた。
体が冷えてしまわないように、岩場に座り、明るい洞窟の出口を
見やる。
﹁一緒に︱︱﹂
彼が言いかけた言葉が甦った。
外に出ることは問題ない。
問題はこの海域を離れることだから。
﹁スキュラとカリュブディスの間⋮⋮か﹂
海の魔物たちの間で使われる言葉だ。
全てを飲み込む実体無き海の魔物カリュブディス。
そしてスキュラ︱︱、即ち私。
人間たち風に言えば、﹁前門の虎、後門の狼﹂という意味で使わ
れる。
私のことを知らない者が、私の知らないところで言っているだけ
のこと。
だから本当は気にしなくてもいいはずのこと。
273
自分たちの安寧が私という存在に守られているとも知らずに、海
の魔物たちは私を揶揄する。
ならば私も少しくらい腹いせをしたって構わない⋮⋮、そんな身
勝手な考えで人魚をさらった。
その考えは間違いだったと、今では思う。
でもそのおかげで彼⋮⋮、ソーマと呼ばれていた彼と出会えた。
彼は私を迎えにくると言っていた。
一時的な感情に任せての言葉なのか、それとも本気で言ってくれ
ていたのか。
他者との関わりが極端に少なかった私には、彼の本心などわかろ
うはずもない。
でも、それでも彼の言葉は信じてみたくなってしまう。
きっと私は、他人との関わりに飢えているのだ。
﹁愛か⋮⋮﹂
バカみたいなことを熱く語っていた彼。
あの時は思わず納得したような返事をしちゃったけど、今考える
と何を言いたかったのかさっぱりわからない。
そんな彼の言葉が可笑しくって、今は切ない。
彼は今、何をしているのだろう。
人間たちと一緒だったようだから、きっと船に乗ってきたはずだ。
最近はこのあたりまで来る無謀な船も多い。
カリュブディスの渦に巻き込まれれば、人間が作った船など簡単
に沈んでしまうというのに。
﹁あっ⋮⋮﹂
274
ここに至り、私は一つの可能性に気づいた。
彼の乗る船が、カリュブディスに呑み込まれる可能性。
なぜ今まで気づかなかったのか。
カリュブディスの渦に巻き込まれた人間は、生還などできるはず
がない。
ということは、人間たちはカリュブディスの存在を知らない可能
性が高い。
この海域において、強大なカリュブディスに辛うじて対抗できる
のは私だけだ。
といっても、カリュブディスがこの海域自体を呑み込むのを防い
でるに過ぎないのだけど。
私はいてもたってもいられなくなり、洞窟を出た。
暗い洞窟にいた私には、太陽の光が眩しい。
人間たちがどのような航路を使っているのか、私は知らない。
だから彼の乗っていた船が、どこへ向かっているのかもわからな
い。
だったら、最悪の選択肢を取ったと仮定しよう。
私は真っ直ぐカリュブディスへと向かった。
カリュブディスの渦に巻き込まれれば、私でも脱出することはで
きない。
もちろん巻き込まれた船を助け出す事なんてできるはずもない。
急がなければならない。
全身から魔力を展開させ、水の抵抗を減らす。
焦ると魔力の操作が雑になってしまう、だから極力心を落ち着け
る必要がある。
275
頭ではわかっていても、別の場所がわかってくれない。
勝手に彼がカリュブディスに巻き込まれたと想像して、一人で焦
っている私。
これで彼が無事にこの海域を抜けていたら、私は本当に滑稽だ。
杞憂で終わって欲しいと、切に願う。
果たしてそこに船はいた。
カリュブディスの渦に呑まれそうな愚かな船が。
すぐさま私は海流を操作し、船をカリュブディスから遠ざけよう
とする。
それだけでは足りない、触手を伸ばし船を引っ張る。
既に船はカリュブディスの影響範囲に入ってしまっている。
これでは時間稼ぎにしかならない。
でもあの魔女のような格好をした女の子なら。
膨大な魔力を持っていた彼女なら、この状況をどうにかできるか
もしれない。
ならば私は稼げるだけ時間を稼ごう。
たとえカリュブディスに呑まれるようなことになっても。
︱︱︱
﹁ああっ醤油がかかった!﹂
船内が大きく揺れ、ご主人のローブに醤油がかかる。
船の至るところから木の軋む音が聞こえてきた。
﹁何かあったのかしらね﹂
276
﹁うむ、甲板に出てみるか﹂
﹁そうですね﹂
今までにない揺れに、みんなから笑顔が消える。
﹁う∼、落ちない。これだから刺し身は⋮⋮﹂
ご主人はそんなことよりローブにかかった醤油の方が重要らしい
が。
﹁ご主人、元々黒いローブなんですから黒い染みができてもわかり
ませんよ﹂
﹁わかるじゃろ! なんか茶色っぽくなっちょる!﹂
﹁そうですかね。それよりご主人、みんな行っちゃいましたよ﹂
﹁むにゅー!﹂
変な声を上げるご主人だが、しっかり俺に着いてきている。
甲板に上がった俺とご主人は、慌しく動き回る船員さんたちの邪
魔にならないように気をつけながら、先に甲板に出たアニキたちを
探した。
アニキたちはすぐに見つかり、みんな同じ方向を見つめていた。
凍りついたような表情で。
皆の視線を追いかけると、すぐにその理由がわかった。
大きな、途方も無く大きな渦潮が巻いていた。
渦潮の中心にポッカリと開いた穴。
その穴に向かって、海が渦を巻いている。
船はゆっくりと、だが確実に渦潮の中心に引き寄せられていく。
﹁えっと⋮⋮、これは良くある現象なのかしら?﹂
277
﹁⋮⋮オレも初めて見る﹂
﹁よくわからんがあの黒い穴に何かいそうじゃな﹂
﹁な、なにかってなによ?﹂
﹁わからん。わしにわかることは、このままだと船が沈むというこ
とくらいじゃ﹂
ご主人の言葉にダリアさんの顔が真っ青になる。
﹁うう⋮⋮、やっぱり海になんか出るんじゃなかったわ⋮⋮﹂
﹁そうじゃな。用事が済んだらドラキュラに文句を言うとしよう。
その前にあの渦潮を何とかするぞ﹂
﹁どうします?﹂
﹁恐らくじゃがあの渦潮の中心にナニカがいる。
そのナニカにわしが一発お見舞いしてみようと思う。
生半可な一発じゃ通用しそうにないから、わしは本気を出す。
余波で船が沈まんように、ダリアとアビゲイルはこの船を防護魔
術で何とか守ってくれ﹂
﹁アタシ、そんな魔術使えないんだけど⋮⋮﹂
﹁適当に魔力を展開させるだけでも良い。
とにかくこの船を守っとくれ﹂
﹁わかりました﹂
アビーの返事を聞いたご主人は、そのまま渦潮の中心へ向かって
飛んでいった。
それにしてもご主人が﹁本気を出す﹂とわざわざ宣言したのは初
めてじゃないか。
今までご主人は本気を出したことが一度も無かったということな
のか?
278
ダリアさんが黒い霧状の魔力を放出し、船体を覆っていく。
さらにアビーが呪文らしきものを唱えると、船体が球形の魔力で
囲われた。
渦潮の中心の上空までたどり着いたご主人はこちらをチラリと見
やり、集中し始める。
集中し始めたご主人の体から魔力の高まりを感じる。
魔力に近い力を操れるようになった俺は、ご主人が途方も無いほ
どの力を持っていることを理解した。
そして、ご主人が力を解放した際に起きるかもしれない災害を想
像するに至る。
﹁アニキ! 今すぐこの船に乗っている女性を全員集めてください
!﹂
﹁ふむ、必要なことなんだな?﹂
﹁そうです!﹂
﹁わかった﹂
本気
の余波は、津波を引き起こすかもしれない。
間に合うだろうか。
ご主人の
一発
が周囲に被害を出さぬよう、余波を押さ
津波の規模によっては、沿岸部に済む人たちに被害がでることも
考えられる。
だからご主人の
え込む必要がある。
ご主人の膨大な力を押さえ込むには、相応のエロスが必要なはず
だ。
ダリアさんもアビーも申し分ない女性だが、二人だけでは足りな
いかもしれない。
﹁失礼します﹂
279
﹁えっ? ちょっとソーマくん、状況を考えて︱︱﹂
﹁もしかしたらご主人の一発が津波を引き起こすかもしれません。
沿岸部の被害を最小限に抑えるために協力してください!﹂
ダリアさんとアビーの体に触手を巻き付かせる。
﹁成程、そこまでのお考えがあるとは⋮⋮。
もちろん協力させていただきます﹂
﹁ふーん、よく気づいたわね。
そういうことならサービスしてアゲルわ﹂
二人とも乗り気だ。
に間に合わせなければならない。
を放つか考えると、焦って行為に集中でき
一発
一発
だが、ご主人の
いつご主人が
ない。
本気
に脆弱な肉体が耐えられないから、肉体の防護も
﹁ソーマくん、たぶんりゅどみんは準備に時間がかかるわ。
彼女の
施さなければいけない。
だから今は、私たちのことだけを考えて﹂
﹁そうです、している最中に他のことを考えているなんて、神とい
えど許されません﹂
俺の雑な態度に気づいたのだろう、二人が釘を刺す。
二人の言う通りだな、俺はなんて失礼なんだ。
献身的な二人によって、俺の中の力が高まっていく。
﹁ソーマよ! この船の女性たちを連れてきたぞ!
⋮⋮ん? 何をしているのだ?﹂
280
アニキがたくさんの女性を連れてきた。
この船にはこんなに大勢の女性がいたのか。
健康的な小麦色の肌、程よく引き締まった体をした女性が多い。
﹁津波を防ぐために協力してください!﹂
﹁言ってる意味がわからないんだけど⋮⋮?﹂
﹁説明する時間も惜しいのだろう。
ここはオレを信じて、この者に身を任せてやってはくれんか?﹂
﹁んー、本番はナシってことなら。私もたまってるしねー﹂
戸惑う女性たちを、アニキが説得する。
アニキの信頼感は、男だけでなく女性たちをも簡単に説き伏せて
しまう。
この桃源郷で、俺は俺自身をできる限り高めるのだ。
それにしても海の女性たちは開放的なんだな。
﹁フッ、ソーマよ。もちろんこのオレも協力させてもらうぞ﹂
おもむろに近づいてきたアニキ。
え、ちょ、アッー!
﹁んん、ハァハァ⋮⋮、ソーマくん、そろそろ⋮⋮﹂
ダリアさんが息も絶え絶えになりながら、ご主人の方を指差す。
ご主人は肉眼でも確認できるほどの、濃密な魔力をその身に纏っ
ていた。
短い時間だったが大ハッスルした俺たち。
281
この力を使って、
一発
の威力の余波をできるだけ漏らさず、
あの渦潮の中心に収束させることが俺のすべきことだ。
エロスの結界
だ。
ご主人と渦潮の黒い穴を中心として、外部に威力を伝播させない
ように結界を張る。
俺たちがみんなで作り上げた
ご主人は、両手のひらを渦の中心部、黒い穴に向けた。
ご主人が放つのは炎でも、雷でもなかった。
炎は大量の海水で防がれてしまうかもしれない、雷も海水により
散らされてしまうかもしれない。
だからご主人は、己の魔力の奔流を、ただ放出する。
意味を与えられていない、純粋なる力。
純粋なる力は破壊的な現象を生み出す。
全てを呑み込もうとする黒い穴は、ご主人の魔力を喰らい続け︱
エロスの結界
。
︱、やがて白い閃光が弾けた。
割れる
崩壊していくピンク色の結界から抜けてくる衝撃で船が大きく傾
く。
遅れてやってきた波で、船が大きく縦に揺れた。
閃光と爆音、体を吹き飛ばそうとする暴風に、俺は少しだけ失禁
してしまう。
アビーの結界で守られているのにも関わらず、恐怖で体が固まる。
﹁船は無事か⋮⋮﹂
一発
の余波に耐えていただろうか。
どれだけの時間、目をつぶり、体を固くして、襲い掛かってくる
ご主人の
アニキの呟きに、俺はようやく終わったのだと気づいた。
﹁死ぬかと思ったわ﹂
282
﹁そうですね⋮⋮﹂
﹁俺なんて少し漏らしちゃいましたよ﹂
先ほどまでとは打って変わって、今はもう静かな海に戻っている。
﹁うぃ∼、疲れたのじゃー﹂
ふよふよと飛んで戻ってきたご主人。
あれほどの現象を引き起こしたというのに、ご主人は呑気だ。
﹁お疲れ様です、ご主人﹂
﹁うむ、今回もまた、わしの活躍によって何とかなったな!
結局、アレが何だったのかはさっぱりわからんが、わしの魔力を
腹いっぱい食わせてやったら消滅しおったわ!﹂
﹁危うくここいら一帯が消滅しかけたけどね⋮⋮﹂
カラカラと笑うご主人と、顔を引きつらせているその他全員。
何はともあれ危機は去った。
﹁功労者であるわしは腹が減ったぞ!
刺し身以外のうまいもんを献上するのじゃ!﹂
巨大な渦潮の正体はわからなかったが、俺たちは無事船旅を続け
られることを喜ぶのであった︱︱。
283
第二十三話
﹁久々の大地だわっ! 土の感触が最高よっ!﹂
大空に向かって大きく両手を広げ、全身で喜びを表現するダリア
さん。
吸血鬼のダリアさんが太陽に向かって感謝をしているように見え、
何ともいえない気持ちになる。
本来はこのマヨット島に寄港する予定はなかったのだが、予定の
遅れにより物資が欠乏してしまい、補給しなければいけなくなった
のだ。
﹁ダリアよ、水を差すようじゃが、まだ船旅が終わったわけではな
いぞ﹂
﹁わかってるわ。それでも今は、この大地を讃頌したい気分なの﹂
﹁歌うんですか?﹂
﹁歌うのよ!﹂
いつも以上にテンションの高いダリアさんに、ご主人もアビーも
苦笑いをこぼしている。
﹁それで、お前たちは物資を積み込んでいる間、どうするんだ?﹂
﹁俺はスキュラさんについて聞き込みをしたいんですが⋮⋮﹂
﹁ついでに呪いや魔術に詳しそうな者も探したいのぅ﹂
﹁それならこの島の原住民、マヨット族を尋ねるのが良いだろう。
長い間この島は外界と隔絶されていたからな、彼らが操る呪術は
根本的に我々が知るものとは異なるらしい。
284
スキュラについて知っているかはわからんがな﹂
アニキの筋肉が太陽に照らされ、妖しく黒光りする。
航海中、ずっとふんどし一丁だったアニキの筋肉は、日に焼けて、
また違った趣を感じさせる。
﹁言葉は通じるんですか?﹂
﹁彼らは非常に友好的で、良い体をした種族だ。
こうして船の寄港地としてマヨット島の土地を貸してくれている
だけではなく、我々との交易も積極的に行っていてな。
マヨット族全体が我々を歓迎し、言語も積極的に学んでくれてい
る。
言葉については心配しなくて良いだろう﹂
﹁なるほど、アニキはマヨット族さんたちについて詳しいんですね﹂
﹁ああ、一時期ホームステイしていたからな。
彼らの鍛錬方法は、非常に興味深いものだった﹂
過去を見つめるアニキ。
あの素晴らしい筋肉群は、たんぱく質だけで出来ているのではな
い。
アニキの人生で出来ているんだな。
﹁ふーむ、時間を無駄にするのもなんじゃからな。
そのマヨット族とかいうのに会いに行ってみるか﹂
﹁よし、それならオレのホームステイ先を紹介しよう。
﹃アニキの紹介だ﹄と言えばわかってもらえるはずだ。
少し待ってろ、地図を描いてやろう﹂
アニキは紙に黒くて固そうな太ペンで地図を描き始めた。
アニキの握る黒くて硬そうな太ペンが紙の上を走るのを見ている
285
と、不思議な気持ちになってくる。
﹁どうかしたのか、ソーマ?﹂
﹁べ、べつに何でもありませんよ!﹂
﹁そうかしらねー? どうしたのかしらねー?﹂
ダリアさんがニヤニヤと笑いながら俺の顔を覗いてくる。
クッ、違う! 断じて違うぞ!
﹁よし、描けたぞ﹂
﹁うむ、ご苦労⋮⋮、って何じゃこら?﹂
ご主人が受け取った地図を横から覗き込んで見ると、この島の全
体像らしきものと、黒丸だけが描かれていた。
アバウト過ぎて全く役に立ちそうに無い。
﹁わかりやすいだろう?
余計な情報を極限までそぎ落とした結果だ﹂
﹁そぎ落としすぎじゃろ⋮⋮。
余計なものをそぎ落とすなら、まずはその無駄な肉をそぎ落とせ
い﹂
﹁何だと? このオレの肉体に無駄な肉などあるものか﹂
﹁と、ところでアニキは一緒に来てくれたりはしないんですか?﹂
﹁ああ、船に物資を運ぶ手伝いをするからな。
久しぶりにマヨット族の連中とも会いたいところだが、たまには
この筋肉たちも働かせてやらんとかわいそうだろう?﹂
ピクピクと揮える大胸筋と大腿筋に、アニキの男汁が一筋流れる。
筋肉と筋肉の溝に流れる芳醇な男汁が、なぜか俺にはどんな甘露
な果汁よりも魅力的に見える。
286
﹁まー、要はあの密林の中を適当にアッチの方に向かって行けばい
いんじゃろ?﹂
﹁その通りだが、自然を甘く見ると︱︱﹂
﹁わかっとるわかっとる﹂
﹁うむ、わかっているのならいいのだが⋮⋮。
ソーマよ、くれぐれも気をつけるようにな﹂
﹁わかりました﹂
ご主人がテキトーなので、俺に念を押したのだろう。
﹁それじゃーれっつらごーじゃ!﹂
﹁ん? 行くとこ決まったの? どこどこー?﹂
﹁ジャングル探検らしいですよ﹂
お気楽なご主人、どこに行くのかもわかっていないダリアさん、
何となく流れに乗っているアビー。
そんな三人を不安そうな目で見送るアニキ。
そしてあのメンバーと一緒に密林に入らなければいけない俺。
嗚呼、不安だ。
︱︱︱
﹁迷った﹂
自信満々に先頭を歩いていたご主人が、急に立ち止まり言った。
﹁そうだと思ってたわ﹂
287
﹁っていうか結構前からですよね?﹂
﹁まー、ご主人のことだから仕方ないんですけどね﹂
﹁な、なんじゃとぉ!?﹂
湿気が多く、よくわからない虫や爬虫類が蠢く密林の中。
方向も見失い、碌な装備も持って来ていない俺たち。
﹁このままだとその辺にいる虫とか爬虫類とかを食べる破目になり
ます﹂
﹁ソーマくんは食べそうだけどね、そういうの。
でもアタシは遠慮したいわ﹂
﹁何を言うんですか! 貴重なタンパク源ですよ!
それに魔女だってイモリの串焼きとか食べますよね、ご主人!
あれ? ヤモリだっけイモリだっけ?﹂
﹁どっちも食わん﹂
﹁ヘビとかトカゲとかイモ虫は焼くとそれなりに食べられるんです
けどね﹂
アビーの言葉に全員が固まる。
吸血鬼と魔女が、人間の食暦を聞いて固まる。
﹁それで、どうしましょうか?﹂
﹁テキトーに進めば何とかなるじゃろ﹂
﹁何とかならなかったから迷子になってるんでしょ﹂
﹁私、帰り道わかりますよ﹂
﹁おおっ!﹂
さすがアビーだ!
俺を崇めていること以外は常識人っぽいアビー!
色々な意味で非常識なご主人と、色々な意味で弱点の多いダリア
288
さんとは大違いだ。
﹁帰り道がわかるならこのまま進んでも問題ないのぅ﹂
﹁そうねー、このまま進んでみましょ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
駄目だこの二人⋮⋮、早く何とかしないと⋮⋮。
助けを求めるように、アビーに視線を送る。
﹁危険になる前に警告しますから、とりあえずはついていきましょ
うか﹂
困ったような、でも少しだけ楽しそうに笑うアビー。
俺よりはこういったことに慣れていそうなアビーが言うのだから、
ついていってもいいのかな。
﹁危険になる前に警告して下さいね﹂
﹁ええ、もちろんです﹂
俺たちを置いてどんどん進むご主人とダリアさんを追いかけ、密
林の更に奥へと足を進めていった。
︱︱︱
﹁これ以上は危険だと思います﹂
﹁俺もそう思う﹂
289
日はまだ高い。
密林の様子も先ほどから大きく変わったわけではない。
だが、明らかに危険が迫っている。
木々に遮られ、未だ目視には至らないが、遠くから聞こえるぬち
ゃぬちゃとした水音。
木々の枝や、幹が折られていく轟音。
そして、漂う異臭。
俺ですら危険だとわかる。
﹁衝撃! 謎の生物が迫る太古の密林! 地上最強の魔女が未開の
地を往く! のじゃー﹂
﹁いや往かないで下さいよ、密林で謎の生物はマジヤバイですって﹂
﹁ソーマくん、ここまで来て謎を謎のままにして帰るなんて、それ
で良いと思ってるの?
男のロマンはどこに行っちゃったのよ! 掘られて女の子になっ
ちゃったの!?﹂
﹁そ、そんなことないですよ! 掘られてもないですよ!
そこまで言うなら行きましょう!
俺も男ですからね、やっぱり謎は解明したくなりますよ!﹂
掘られて女の子になったなどと言われては俺も引き下がれない。
俺は純然たるエロ触手生物、ソーマなのだから!
ご主人を先頭に、異臭のする方へと進んでいく。
すると木々が道を作るように折られているのが目に入った。
その幅は20メートルにはなりそうだ。
これが一体の生物の仕業なら、その生物はとてつもなく大きいと
思われる。
290
﹁ふむ、デカそうじゃな﹂
﹁やはり戻った方が良いのでは?﹂
﹁デカければ良いってモンじゃあないわっ!﹂
ダリアさんは大地に足を踏みしめてからテンションが上がってい
て、正常な思考ができていないように見える。
ご主人は元から﹁地上にわしより偉大な生物などおらんのじゃ!﹂
とか考えてそうだから、平常運転なんだろうけど。
ここはやはり、アビーの言う通り戻った方が︱︱。
そんな俺の迷いとは関係なしに、謎の生物が姿を現した。
横幅は20メートル、高さは30メートルになろうか。
大きな肉塊から多数の触手が生えている。
足などは見当たらないが、どうやって移動しているのだろうか⋮
⋮って俺もそうか。
﹁ソーマくんの親戚? あの大きさだとグランドファーザーって感
じね﹂
﹁家族との再会じゃな⋮⋮、感動的な場面に立ち会えてわしは嬉し
いぞ﹂
﹁俺は生まれた時から天涯孤独だってご主人は知ってるでしょう!﹂
﹁なっ、わしはソーマのことを家族だと思っておったのに⋮⋮﹂
﹁あ、いえそういう意味じゃ⋮⋮﹂
巨大触手生物を前にして呑気な会話を続ける俺たち。
そんな俺たちに、巨大触手生物から謎の白濁液が飛ばされた。
﹁むっ﹂
291
飛ばされた白濁液はご主人の前で弾け、蒸発する。
すえたような独特の臭気があたりに広がった。
﹁攻撃されたぞ﹂
﹁そうね、これは積極的自衛権を行使するしかないわね﹂
﹁仕方ないですね、でも逃げるという選択肢もあることを忘れない
で下さい﹂
ため息をつきながら忠告するアビー。
本来なら戦わなくてもよかった相手だ、アビーの気持ちがよくわ
かる。
俺もあんな気持ちの悪い生物となんて戦いたくない。
﹁クックック、わしに撤退の二文字はなぁい!
くらえぃ! 我が必殺の、稲妻キィーーック!﹂
紫電を纏わせたご主人が空中に飛び上がり、一転、急降下し巨大
触手生物に向かっていく。
﹁陸に上がった吸血鬼の、真の力を魅せてアゲルわっ!﹂
闇を凝縮した槍を作り出し、巨大触手生物に向かって投擲するダ
リアさん。
﹁散弾の神罰をッ!﹂
手にした散弾銃を乱射するアビー。
そして見ているだけの俺。
だって俺の触手じゃダメージを与えられそうにないんだもん⋮⋮。
292
それになんかヌルヌルしてそうで触りたくない。
俺を除く三人の攻撃が同時に炸裂する。
ご主人の足から発せらた雷撃が巨大触手生物を焼き、ダリアさん
の放った黒槍が穿ち、アビーの散弾が肉を弾けさせる。
三人の攻撃は確かに巨大触手生物を痛めつけたのだが、その膨大
な質量故、まだまだ致命傷には程遠いようだった。
﹁なんじゃこやつは。
これじゃあただのサンドバッグじゃな﹂
﹁そうねー、あの触手は飾りなのかしら﹂
いくら攻撃しても目立った反撃をしてこない巨大触手生物に、メ
ンバーの気が緩んだ。
その緩みを狙ったかのように、巨大触手生物が大量の白濁液を周
囲に吐き出す。
ご主人には案の定粘液は届かない。
届く前に白濁液は蒸発し、消えうせる。
だが、逃げ場がないほど広範囲に撒き散らされた粘液に、俺とダ
リアさん、それにアビーは身を穢されてしまう。
白濁とした粘液を大量にかけられたダリアさんとアビー。
﹁うえぇ⋮⋮﹂
﹁きゃつを始末したら、みんなで水浴びじゃな﹂
ご主人が今度は拳を打ち込み、巨大触手生物の肉を破砕していく。
汚れてしまったが不快なだけ︱︱、このまま殴り続けていれば戦
いは勝利に終わる。
293
順調に触手生物にダメージを与えているご主人を見て、そう思っ
た。
だが、そうではなかったのだ。
白濁液を浴びたダリアさんとアビーは、顔を紅潮させ、身をうず
くまらせている。
﹁ダリアさん、アビー! どうかしたんですか?﹂
もしや、この白濁液には何らかの毒があるのだろうか。
﹁くっ⋮⋮、見た目通りのエロ生物ってわけね⋮⋮﹂
﹁そう⋮⋮、みたいですね⋮⋮。
神以外の者に、このような⋮⋮﹂
とにかく戦闘を続けるのが困難な様子なので、俺は触手を伸ばし、
ダリアさんとアビーを巨大触手生物から離そうとした︱︱のだが。
巨大触手生物から伸びてきた触手が、ダリアさんとアビーを先に
捕まえる。
あっと言う間に上空に運ばれた二人。
そして触手をいやらしくくねらせ、ダリアさんとアビーの体をま
さぐっていく。
こと、ここに至ってようやく俺も気づいた。
この巨大触手生物は、見た目だけじゃなく、性質も俺と近いもの
なのだろう。
つまり、こいつはただの巨大触手生物ではない。
エロ巨大触手生物なのだ。
このままでは俺のダリアさんと俺のアビーが、目の前で陵辱され
てしまう。
294
それは何としても避けなくてはならない。
俺は触手生物としてのプライドを賭け、目の前の醜い愚かな巨大
触手生物に触手を伸ばすのであった︱︱。
295
第二十四話
﹁俺の女に手を出すなァアアアアア!!﹂
発情期の獣の如き咆哮を上げ、ワイルドな俺をアピールする。
いつもならここでダリアさんが﹁誰のこと?﹂と突っ込んでくれ
るはずなのだが、ダリアさんはそれどころじゃない。
よって、俺の咆哮は凄く恥ずかしい響きになってしまった。
ああ、突っ込まれたい。
もちろん性的な意味ではなく、言葉のキャッチボール的な意味で。
伸ばした触手を巨大触手生物に絡ませ、無理矢理拘束を解こうと
する。
巨大触手生物の触手の膂力はスキュラさん程ではない。
だが、俺より圧倒的に多い触手に、ダリアさんとアビーを助ける
ことができない。
ご主人は自らの周囲にバリアのようなものを張っているようなの
で、恐らく白濁液をかけられても問題ないだろう。
今対処すべきことは、触手に捕らわれた二人をどうにか助けるこ
と。
プライドなど放り投げて、困ったときはご主人に頼む!
﹁ご主人、ダリアさんとアビーが捕まっちゃいました!﹂
﹁むぅー、しょうがないのぅ。
最強最悪のこのわしが渋々助けてやろう﹂
最⋮⋮悪?
296
悪に憧れるとは、ご主人もなかなか若いな。
﹁ぬぬぬ⋮⋮、魔女ビーム!﹂
ご主人の指、一本一本から光芒が発せられる。
さすが魔女だ! 指からビームを出すなんて巨大ロボットの特権
かと思ってた。
魔女ビームにより、触手が焼き切られていく。
肉の焦げた美味しそうな臭いと、巨大触手生物の生臭い臭いが混
然一体となって、吐き気を催す。
なんとか触手から脱し、地面に着地したダリアさんとアビー。
﹁く、くやしい⋮⋮、でも⋮⋮﹂
﹁幹事長⋮⋮でしたっけ⋮⋮﹂
よし、二人ともまだ冗談を言える元気はあるようだ。
だが、このまま迫り来る触手をご主人だけに任せていてはいつま
でたっても、巨大触手生物を倒すことができない。
﹁ご主人! 二人のことは任せてください、ご主人はあのドクサレ
エロ生物を!﹂
﹁ふむ、自ら言い出したことはしっかりやり遂げるんじゃぞ﹂
﹁当然です﹂
﹁良い返事じゃ。任せるぞ﹂
ビームで切り裂かれる触手を見ていて思い出した。
俺の触手の可能性︱︱うわんが使っていた転移能力の応用による
攻撃。
触手の先が空間を開いて、別の場所に転移する。
297
これを応用し、空間ごと敵を切り裂く。
ただそれだけのことだ。
空間転移を既に使いこなしている俺に、できないことじゃないは
ず。
ダリアさんとアビーを触手で俺の後ろまで引っ張る。
﹁体が辛いようなら、俺の触手を使ってもいいんですよ﹂
できるだけイケメンな声で、そして紳士的に提案する。
決して俺がいやらしいことをしたいのではなく、二人のことを考
えて言っているのだという感じで。
﹁遠慮しておくわ﹂
﹁やめておきます﹂
渦潮のときはあんなに乗り気だった二人から、俺の触手が拒絶さ
れる。
どういうことなんだ、ダリアさんはともかく、アビーまでもが断
るなんて。
仕方ない、ここはカッコ良いところを見せて、後でたっぷりねっ
ぷりとお礼を貰うこととしよう。
迫り来る無数の触手を捕え、動きの止まったところを俺の触手で
空間ごと切り取る。
どんなに固いものであっても、これなら切り落とすことができそ
うだ。
範囲は小さく、動いているものを切り取ることも難しいが、俺も
触手は大量に持っている。
触手で対象を捕え、触手で空間ごと切り取っていく。
298
これで確実に巨大触手生物の触手の数を減らせる。
触手さえ無くなってしまえば、巨大触手生物など、ただの巨大生
物だ!
丸裸にして、ただの肉塊にしてやる!
俺が時間を稼いでいる間、ご主人は破壊の嵐の如く巨大触手生物
を蹂躙していた。
魔女とは何だったのか⋮⋮と言いたくなるような殴打。
ご主人が拳を巨大触手生物に埋め込む、すると半径1メートルほ
どの肉が吹き飛ぶ。
一打ごとに肉が弾け、体液が撒き散らされていく。
血に染まる拳、愉悦を覚えた顔。
瞳孔が広がり、更なる破壊衝動に身を任せていくご主人。
ご主人の性格は、良いとは言えない。
だけれど、あんなに嗜虐的で獰猛な笑みを浮かべているなんて。
血を舐め、肉を溶かし、体液を蒸発させる。
繰り返していくうちに、壊すべき肉体は無くなる。
ご主人が、巨大触手生物を殺しきった。
﹁本当にでかいだけのサンドバッグじゃったな﹂
こちらに顔を向けたご主人は、いつものご主人だった。
だけど俺は、そんないつものご主人に少しだけ恐怖した︱︱。
︱︱︱
299
﹁ありがとう、落ち着いてきたわ﹂
﹁そうですね、あの白濁液による異常は一時的なものだったようで
す﹂
しばらく休憩を取り、ダリアさんとアビーも調子が戻ってきたら
しい。
﹁そうですか、それじゃあそろそろ︱︱﹂
﹁しっ、静かに!﹂
俺の言葉をアビーが遮る。
耳を澄ますと、枯葉や枝が踏みしめられる音が周囲から聞こえて
くる。
︱︱囲まれている。
﹁マヨー! マヨネーズ、マヨマヨ∼﹂
よくわからない言葉が響く。
よくわからないのだが、明らかにこれは⋮⋮。
﹁マヨット族さんですかね?﹂
周囲を囲っていた人たちが次々と姿を現す。
そして一人のでっぷりとした初老の男性が話しかけてくる。
﹁あなた方は外から来た人たちですね?﹂
﹁そうじゃ﹂
﹁この有様は⋮⋮、もしかして巨大な触手生物を倒したのですか?﹂
﹁うむ、このわしがそこら中に散らばる肉片に変えてやったわ﹂
300
ご主人の言葉に、周囲のでっぷりとした男たちがざわめく。
もしかして、俺たちは不味いことをしたのではないのか。
﹁そうですか。私はマヨット族の長、ングニと申します﹂
﹁ふむ、わしはリュドミラじゃ﹂
﹁できれば私たちの村に来て戴きたいのですが⋮⋮﹂
﹁うむ、わしらも﹃アニキ﹄に紹介されてな。お主たちを探してお
ったのじゃ﹂
﹁アニキですか! これはこれは⋮⋮﹂
またしても周囲のでっぷりとした男たちが騒ぎ出す。
そういえばアニキは﹁良い体をした﹂と言っていたようだが、彼
らは肥満体型に見える。
もしかしたら彼らはマヨット族などではなく、偽者ではないか⋮
⋮と俺のゴーストが囁く。
﹁では、私たちの村へと案内します。
アニキの話を色々と聞かせてください﹂
とても友好的ではあるが、それがかえって怪しい。
油断してはいけない。
ダリアさんとアビーは、調子が戻ってきたとはいえ、まだまだ本
調子とは言えないだろう。
ご主人は彼らをどう思ってるのか、いまいちわからない。
俺がしっかりしないと。
彼らのどんな挙動も見落とすまいと、俺は彼らの様子を探るので
あった。
︱︱︱
301
﹁どうぞお座り下さい﹂
マヨット族の長、ングニさんの家に通された俺たち。
俺たちのような異邦人の来客は珍しく無いのか、村が大騒ぎにな
ったりすることはなかった。
﹁密林を歩いてこられて、腹がすいている頃合でしょう。
我々の部族は、来客があるとまずは食事を振舞うことになってい
まして。
お口に合うかはわかりませんが、どうぞお召し上がり下さい﹂
でっぷりとしたお姉さんが運んできた料理、それは茶碗に盛られ
たご飯に、マヨネーズがかけられたものだった。
それを見たご主人は、ハッキリと嫌そうな顔をする。
﹁う、うむいただこう⋮⋮﹂
﹁へー、変わった食べ物ね﹂
﹁こ、これはちょっと⋮⋮﹂
マヨネーズご飯か⋮⋮、俺はあまり得意じゃないんだよなー。
あれ、これ食べたことあるんだっけ? 生前の記憶かな。
そういえば俺の人生は今の人生だけではなかったのを思い出す。
生まれる前の俺は、どんな人生を送り、どんなものを食べ、どん
な理由で死に至ったのか。
気にしても仕方ないなと苦笑いしながら、マヨネーズご飯に箸を
つける。
﹁んまいケド、なんだかあのデカソーマくんもどきの白濁粘液を思
302
い出すわね﹂
もくもくと咀嚼しながら、ダリアさんが嫌なことを言う。
ご主人の顔がますます引きつる。
﹁そうですな、あの生物の白濁とした液体は我々の神聖なるマヨネ
ーズに似ている。
マヨネーズのまがい物を分泌するあの生物を、我々は悪しき邪神
の末裔として忌み嫌っておりました。
何度も討伐を試みたのですが、あの巨大さと生命力の強さの前に、
我々は苦汁を舐めさせられてきたのです﹂
﹁マヨット族のみなさんは、マヨネーズが大好きなんですね?﹂
﹁もちろんです、我々の部族はその名の通り、マヨネーズと平和を
愛する部族ですよ﹂
﹁でもォ、マヨネーズばかり食べてると太っちゃうしィ﹂
いくら触手生物になったからと言っても、やはり肥満は気になる
ところだ。
﹁我々の部族はたしかにぽっちゃりしていますが⋮⋮、私のお腹を
触って御覧なさい﹂
﹁えー、それでは失礼して⋮⋮﹂
ングニさんのお腹に触手を突き立てる。
厚い皮膚の弾力による、心地よい反発力。
その反発力に合わせて、少しずつ触手を押す力を強めていくと、
急に鋼鉄を思わせるかのような腹筋に出遭った。
俺が腹筋に辿りついたことを確認したングニさんは、腹に力を込
め、筋肉のバルクを爆発させる。
盛り上がる腹筋、さきほどまででっぷりとした腹は、一瞬にして
303
見事なシックスパックを形成する。
﹁先ほどまでの数々の無礼、お許し下さい﹂
﹁ハッハッハ、マヨネーズの素晴らしさがわかっていただければ、
それで良いのですよ﹂
快活に笑うングニさん。
彼の笑いに合わせて、腹がぽっちゃり、シックスパック、でっぷ
り、シックスパックと表情をころころと変える。
普段はその奥ゆかしさ故、己の存在を隠している筋肉たちが、ふ
とした瞬間に本性を見せる。
アニキとはまた違った、筋肉のあり方だ。
アニキの言っていた﹁良い体﹂とはこういう意味だったのか。
﹁ところで、お主たちは我々のものとは全く違う呪術を操ると聞い
たのじゃが⋮⋮﹂
﹁ええ、マヨネーズに宿る精霊の力を借りて、魔を払ったり、未来
を視たりするのです﹂
﹁ほほう⋮⋮、実はわしは呪いを受けておってな。
呪いを解く方法を探して旅をしておるのじゃ﹂
﹁それはそれは⋮⋮。
そういうことでしたら、マヨット族一番の呪術師を呼びましょう。
あの巨大生物を倒してくださったお方の願いとあらば、マヨネー
ズの精霊もいつも以上に頑張ってくれるでしょうな﹂
ングニさんは立ち上がり、外にいるマヨット族の人に呪術師さん
を呼ぶよう伝えた。
俺たちの警戒心を察してか、あえてマヨット族独特の言葉ではな
く、俺たちにもわかる言葉で指示を出している。
304
﹁それでは我らのマヨネーズ料理を堪能しながら、呪術師をお待ち
下さい﹂
ングニさんが戻ってくると、タイミングを計っていたかのように
様々な料理が出される。
どんがらだった
ふん♪ ふ
お皿に問答無用でばら撒かれたマヨネーズを見て、俺は胸焼けを
へんだらだった
覚悟するのであった。
︱︱︱
﹁ほんだらだった
ん♪﹂
連れてこられた呪術師さんが、何やら怪しげな呪文を唱え祈って
いる。
ングニさんによると、マヨネーズの精霊にご主人の呪いについて
問うているとのことだ。
マヨネーズの精霊は、タマゴ、お酢、油の三要素から構成されて
おり、今はタマゴを呼び起こしているらしい。
﹁これは期待できそうにないのぅ⋮⋮﹂
﹁いいじゃない、良い観光になったわ﹂
﹁観光⋮⋮﹂
小さな声で会話する三人。
呪術師さんは盛り上がってきているので、どうやら三人の声は届
いていないらしい。
305
ひたすら続く呪術師さんの熱い祈祷。
ただでさえ暑い密林の中で、閉め切った部屋の中、汗を振りまく
呪術師さん。
正直外に出たい。
﹁クァーッ! キマシタワー!﹂
突然呪術師さんが目をカァッと見開き、唾を飛ばしながら叫ぶ。
﹁ほぅ、で、どうなんじゃ?﹂
﹁ソデスネ、アナタ、呪イ、トテモ強力。
まよねーずノ、精霊ジャ、ドシヨウモナイ﹂
﹁そうか、世話になったな。さらばじゃ﹂
退席しようとするご主人を、慌てて呪術師さんが止める。
﹁マテ、マッテ。短気ハ損気ダヨ。
呪イノ正体、知ッテル人、ワカッタヨ。
まよねーずノ精霊、未来ヲ視ルチカラモアルンダヨ﹂
﹁ふむ、その者はどこにいて、何という名をしている?﹂
明らかにご主人はさっさと話を終わらせようとしている。
確かにこの呪術師さんは胡散臭いけど、こんなに露骨な態度を取
るなんて。
﹁ソノママ、船、乗ッテ行ケバ会エルヨ。
名前ハワカラナイ、ケド、真銀戦車︱︱みすりるちゃりおっつッ
テ呼バレテルミタイヨ﹂
﹁外見の特徴は?﹂
﹁スゴク、ぼいんぼいんノ、美人ダヨ﹂
306
なんだと。
﹁そうか。それではわしらは船の出港時間もあるので、そろそろ⋮
⋮﹂
﹁マテ、マッテ。ソコノぐろてすくなキミ﹂
﹁俺ですか?﹂
﹁ソウソウ、キミキミ。
色々悩ンデルミタイダケド、キミノゴ主人ノ旅ガ終ワル時、キミ
ノ抱エテイル問題モ、キット解決スルヨ﹂
﹁それはどっちの話ですか?﹂
﹁サァ?﹂
スキュラさんのことか、それとも生殖能力の話か。
俺が何か問題を抱えていることは言い当てたが、肝心なところを
暈された。
信じていいのかいけないのか、いまいち判断がつかない。
まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦と言うしな。
いつか解決すると考えていた方が、気持ち的には楽かもしれない。
﹁ありがとうございます、少し希望が持てました﹂
﹁イインダヨ、グリーンダヨ﹂
マヨット族の人たちの歓待に礼を言い、俺たちはこの村を後にし
た。
ご主人は呪術師さんの占いをあまりあてにしていないようだが、
何も情報がないよりはマシ⋮⋮と俺は考えることにした。
307
第二十五話
﹁ふ、ふふっ⋮⋮、やっと着いたわね⋮⋮﹂
船酔い、セクハラ治療、船酔い、セクハラ治療というサイクルを
乗り越え、ついに辿りついた新たなる大陸。
ダリアさんの壊れた笑みが、この旅の辛さを物語っている。
﹁何じゃ、意外と普通じゃな新大陸﹂
﹁住んでいるのは人間や魔物で、大きな違いがあるわけじゃありま
せんしね。
交流が始まって長いですし、そんなものなのかもしれません。
でもほら、あの大きな建物とか、凄いですよ!﹂
たしかにご主人の言う通り、この港町で働いている人たちは人間
やリザードマン、オークなど見たことのある種族の人たちばかりだ。
種族的な意味での驚きは特に無い。
建造物は白漆喰の壁の物が多く、石造りの建物が多かった前の大
陸とは大きく印象が異なる。
そんな中、アビーが指差した巨大な円形の建物は石でできたもの
だった。
どこかで見たことがあるような気もする。
﹁ふむ、たしかに目立っておるな。よし、観光ついでにあの建物を
見に行くとしよう﹂
﹁待てぃ! このオレを置いていこうと言うのか!﹂
俺たちの前に颯爽と姿を現したアニキ。
308
﹁うむ、連れて行くという発想が無かった﹂
﹁んぐんぐ、そうね﹂
ダリアさんは小麦粉で出来た生地に、羊肉と葉野菜を挟んだ料理
を屋台で買ってきて食べている。
美味しそうだなーと見ていたら﹁はんぶんこね﹂と、半分くれた。
ご主人ならこうはいかない。
﹁もぐもぐ、でもアニキはこの大陸に来たことがあるんですよね?
だったら案内してもらった方がいいんじゃないですか?﹂
﹁うむ、自分で言うのも何だが、オレは良い観光スポットを知って
いるぞ﹂
﹁どーせ﹃良い体をした銅像﹄だの﹃良い体をした男たちが集まる
場所﹄とかじゃろ。
そんなところに興味などない﹂
﹁半分は当たっているが、良い体の女が集まる場所も知っている。
オレは素晴らしき肉体を持つ者は、女性であろうと男性であろう
と共に敬意を持っているからな﹂
男女平等とは本来こうあるべきだと、アニキは自らの行いによっ
て示している。
男も女も、素晴らしき肉体を持つ者を、アニキは平等に愛してい
るのだ。
﹁そうか。
付いてきたいなら勝手にするが良い。
わしらはとりあえずあの建物を見に行く﹂
﹁コロッセウムか。
オレも昔はあそこで、肉体を思う存分観客に魅せつけたものだ﹂
309
コロッセウム。
この名前には聞き覚えがあった。
たしか、大昔に作られた闘技場だったか。
﹁闘技場ですか?﹂
﹁そうだ、よくわかったな。
円形のフィールドで、肉体と技をぶつけ合う。
それを観て、観客たちは熱狂するのだ。
あの空間の熱は、体験しなければわからないだろうな﹂
﹁ふーん、アタシたちも出られるのかしら?﹂
﹁もちろん、コロッセウムはいつでも挑戦者を募集しているはずだ。
試合をするフィールドには特殊な結界が張ってあり、即死に至る
攻撃を防いでくれる。
だから挑戦者は安全・安心が保障されているのだ﹂
﹁へー、そんな結界誰が作ったんですかね﹂
﹁あのコロッセウムを作ったのは、﹃神様﹄らしいぞ﹂
﹁そうなんですか、神様も暇なんですね﹂
﹁ふん、死ぬことのない闘いなどつまらんな﹂
ご主人が吐き捨てるように戦闘狂みたいなことを言う。
﹁出る出ないは別として、観に行くのはいいんじゃないですか﹂
﹁ま、そうじゃな。場合によってはソーマを出場させて、賞金をガ
ッポリいただくというのも良いじゃろ﹂
﹁俺が稼いだ賞金は俺が使うんですよ! ご主人には渡しません!﹂
﹁何じゃと!? わしのモンはわしの物、ソーマのモンもわしの物
じゃ!﹂
﹁そもそも賞金とかって出るんですか?﹂
﹁出る。だが勝敗は関係ない。
310
あそこで求められるのは、どれだけ客を沸かせられたかだ。
圧倒的な強さで敵を瞬殺する剣士より、泥臭い試合で逆転勝利す
る闘士が求められる場合もある﹂
﹁へー、ならご主人より俺の方が向いてますね﹂
相手が女性なら、少なくとも男性客を沸かすことはできるはずだ。
相手が男性なら、頑張って女性客を沸かせるように努力しよう。
﹁出場するかしないかは、一度試合を観てから決めると良いだろう﹂
ニヤリと笑ったアニキ。
その笑顔に含まれる意味を、俺は読み取れなかった。
︱︱︱
入場料を支払い、コロッセウムに入場した俺たち。
中に入る前から、大地を揺るがす程の歓声が聞こえてきている。
その声は主に、﹁殺せ!﹂だの﹁やれ!﹂だのといった不穏なも
のだ。
﹁アニキ、挑戦者は死んだりしない、安心・安全設計じゃなかった
んですか⋮⋮。
さっき聞こえてた観客たちの言葉が凄く恐ろしいものだったんで
すが⋮⋮﹂
﹁日ごろの鬱憤を晴らす場だからな。仕方のないことだ﹂
観客席は、試合場をぐるりと囲うようにして配置されている。
どの位置に座っても、試合が観られるように配慮されているよう
311
だ。
俺たちは空いている席を探し、観客席に着いた。
﹁そろそろ次の試合が始まるみたいね﹂
試合場に左右から入場してくる者がいる。
左から入場してきた者は、金属製の甲冑に身を包み、剣と盾を持
った者。
対して右から入場してきた者は︱︱。
目を引く腰まで伸びた蒼い髪の女性。
腰から下が、髪の色と同じ蒼い大きな薔薇の花に埋もれている。
その薔薇は銀灰色に鈍く輝く大きな花瓶に植えられていた。
銀灰色の花瓶には車輪が取り付けられている。
そして何より、ここからでも分かるほど育ち切った巨乳。車輪の
ついた花瓶に乗って移動しているため、ガタゴトと小刻みに揺れる。
彼女の入場に、観客たちが一斉に沸いた。
﹁どうやら人気闘士のようだな。
入場しただけでこれほど盛り上がるのは珍しい﹂
﹁アレ、ミスリルよね⋮⋮。
ミスリルで花瓶を作るなんて、酔狂を通り越してるわ⋮⋮﹂
﹁そもそも人里にいるアルラウネが珍しいのぅ、わしも初めて見た
わ﹂
﹁何かと狙われることの多い種族ですからね。
それに⋮⋮、もしかしたらあのアルラウネ、コルラートさんの知
り合いかもしれません。
以前、﹃アルラウネの為に移動できる花瓶をミスリルで作ったら、
スポンサーからこっぴどく怒られた﹄と話していました﹂
﹁何にしても素晴らしいおっぱいです。
312
ここからじゃご尊顔を拝見できないのが辛い、どうすればあの人
とお近づきになれるのか⋮⋮﹂
﹁簡単だ。あの者に挑めばよい﹂
先ほどと同じく、ニヤリと笑ったアニキ。
そうか、アニキは俺がこの闘技場に参加したくなるとわかってい
たのか。
﹁でも相手を指名したりなんてできるんですか?﹂
﹁興行主と相手次第だろう。
何ならオレと話を聞きに行ってみるか?﹂
﹁そうですね、この試合が終わったら是非﹂
どうやらそろそろ試合が始まるようだ。
彼女が激しく動いたら、あの巨大な胸は一体どうなってしまうの
か。
俺の興味はその一点に尽きる。
しかし、バインバインと跳ね回る胸を期待していた俺の期待は、
大きく裏切られる。
アルラウネさんの相手があっけなくやられてしまい、くんずほぐ
れずのキャットファイトにはならなかったのだ。
アルラウネさんのスレッジハンマーで頭を割られた相手は、すぐ
さま係員に運ばれていった。
あれでも死んでないのか、凄いな神様が作った結界。
﹁弱いのぅ⋮⋮﹂
﹁残念すぎるわね﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
313
呆気ない試合に、明らかに観客のテンションが下がる。
﹁うむ、これはチャンスだぞ﹂
﹁アニキ、どういうことですか?﹂ ﹁フッ、こういうことだ﹂
突如俺を持ち上げたアニキが、強大な筋力のバネを使って、俺を
試合場に放り込んだ。
﹁どえあああああああああああっっ!﹂
突然のことで何が何だかわからなかった俺は、無様に地面と激突
する。
骨があったら間違いなく粉砕骨折していたに違いない。
試合場に突然現れた俺の存在に、観客たちがどよめく。
アニキの見事なコントロールにより、俺はアルラウネさんのすぐ
目の前に落ちた。
﹁飛び入りですか? 珍しいですねー﹂
透き通った声で、楽しそうに言うアルラウネさん。
成熟した顔立ちは、人形を思わせるほど美しかった。
彼女の唇から紡がれる言葉に、俺の心は打ち震える。
アルラウネさんは係員らしき人の方を見て、頷く。
﹁おっけーらしいですよ﹂
﹁えっと、何が?﹂
﹁試合しても﹂
314
つまり︱︱、先ほどの試合があまりにも呆気なかったので、観客
が盛り下がってしまった。
そこで未知の挑戦者を受け入れることで、会場を盛り上げようと
いうことか。
アニキは主催者側の思考を読んで、俺をここへ放り込んだという
わけだ。
﹁いいんですか? 俺みたいな得体の知れない者の挑戦を受けてし
まって﹂
﹁そんなことを言い出したら、ここで戦う相手はみんな知らない人
ですからねー﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁そうなんですよ﹂
このような状況でも余裕たっぷりのアルラウネさん。
だったら︱︱
﹁だったら手合わせをお願いします。俺の名前は︱︱﹂
﹁あ、ここでは本名を名乗らないのが決まりなんです﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁ええ、代わりにリングネーム⋮⋮、試合の時だけ使う名前を決め
ておくんですけど、貴方は飛び入りですから名乗る必要はないでし
ょう﹂
﹁それは残念です、俺は美しい貴女の名前が知りたい﹂
ミスリルチャリオッツ
﹁ふふっ、嬉しいことを言ってくれるんですね。
私はこのミスリルの花瓶にちなんで、真銀戦車と呼ばれています。
本名は⋮⋮、そうですね、私に勝ったら教えてあげましょう﹂
ミスリルチャリオッツ
今、彼女は確かに真銀戦車と言っていた。
マヨット族の呪術師が言っていた、ご主人の呪いの正体を知って
315
いる人。
ぼいんぼいんの美人という容姿も当てはまっている。
﹁貴女がそうだったんですか⋮⋮。実は貴女を探していたんです﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁この試合が終わったら、俺のご主人に会って欲しいのですが﹂
﹁ふーん、そうですか。
会うくらい全然構わないんですけど、でもそれじゃあつまらない
ですよねー。
なのでここは︱︱﹂
﹁この試合に俺が勝ったら?﹂
﹁そうですね﹂
言いながら彼女は横を向いて、目線を少しずつあげていき︱︱ご
主人を見た。
彼女はご主人を知っている。
﹁念のため聞きますけど、ルールは大丈夫ですか?﹂
ご主人から視線をはずし、俺の目を見据えた真銀戦車さんが問う。
﹁教えてもらえますか﹂
﹁何でもありのデスマッチ。
参ったと言わせるか、死に至ると思われるダメージを相手に与え
れば勝利です。
この試合場で負った傷は外に出れば治りますし、この試合場で命
を落とすことはありませんので、遠慮する必要はありません﹂
﹁わかりました﹂
俺の返事を聞いた彼女は、先ほどの試合の開始前と同じ位置に向
316
かう。
彼女に習って、先ほど甲冑を纏っていた者が立っていた場所に俺
も立つ。
観客も俺が飛び入り参加したらしいとわかってきたようだ。
どよめきは声援へと変わっていた。
﹁飛び入りのあんちゃん頑張れよー!﹂
﹁その触手ならやってくれるよなー!﹂
﹁チャリオッツの揺れるおっぱいを堪能させてくれよー!﹂ 多くの声援は彼女に送られたものだったが、中には俺の触手に期
待している人たちもいるようだ。
熱気に包まれた空間、大勢の視線が俺と彼女に注がれている。
アニキの言う通り、体験しないとこの熱気はわからないだろう。
﹁それでは飛び入り参加による、第十四試合︱︱はじめっ!﹂
係員らしき人の試合開始の合図と共に、真銀戦車さんが俺に向か
って突進してきた︱︱。
317
第二十六話
真っ直ぐ突進してくる花瓶。
あのスピードで激突されたら、色々な穴から色々な臓器を吐き出
すことになりそうだ。
車輪で動いている以上、急激な方向転換はできないはず。
ならばギリギリまで引き付けてから跳躍して回避するべき、そう
考えた俺は逃げ出したくなる衝動を抑え、じっと待った。
ワンピースを着た彼女は、恐らくノーブラだ。
でなければ、あれほど滑らかな球体がボインボインと揺れる説明
がつかない。
ククク⋮⋮、どう考えても俺を誘ってやがるぜ!
気合を入れ直した俺は、突進してくる花瓶をギリギリのところで
横に跳び、回避する。
だが、彼女の攻撃はこれで終わらない。
薔薇から飛び出した彼女が、スレッジハンマーを俺に振り下ろす。
一つ前の試合の剣士も、同じ流れで頭をかち割られていた。
触手を一本に纏め上げ、振り下ろされたスレッジハンマーにぶつ
ける。
﹁いだいっ﹂
タンスの角に足の小指をぶつけるような痛み×全ての触手の本数。
とても痛い、だけど止められる。
彼女が渾身の力を込めて振るったであろうハンマーの一撃を、俺
は止められるのだ。
318
勢いに乗ったまま、後ろの壁に花瓶がぶつかったようだ。
大きな音が響く。
﹁一つ聞きたいことがあります﹂
﹁なんですかー?﹂
地面に着地し、スレッジハンマーを引きずるように構えるアルラ
ウネさん。
ワンピースの裾がはたはたと揺れている。
短めの丈ワンピースからは、肉付きのよいムッチリとした太もも
が伸びている。
今、彼女は裸足だ。
先ほどまで薔薇の花に埋もれていたのだから不自然なことではな
い。
だが履いていないのは靴だけだろうか?
彼女は腰まで薔薇の花に埋もれていた。
ということは、だ。
﹁貴女は今、パンティーを履いているんですか?﹂
﹁さー、どうなんでしょうねー?﹂
﹁答えてもらえないのなら、勝負の中で確かめるまでっ!﹂
ブラジャーもパンティーも身に着けずに、これほどの観衆の前に
姿を見せるとは。
彼女は確実に露出癖がある。
その人には言えない恥ずかしい願望、俺の触手が叶えてやる!
空間ごと衣服を削り取る。
衣服だけを削り取って、彼女の肌は傷つけない。
319
これほど意識が研ぎ澄まされている今の俺なら、不可能では無い
はずだ。
触手を総動員させ、アルラウネさんの衣服を剥ぎにかかる。
器用にぴょんぴょんと跳んでかわし、時に触手にハンマーを叩き
付けて潰す彼女。
触手は斬り落とされてもそれ程痛くないのだが、ハンマーを叩き
付けられるととても痛い。
必死にアルラウネさんを追い回す俺だったが、なかなか捕えるこ
とができない。
場は膠着状態に陥ったように思われた。
だが、観衆の声援に違和感を感じる。
何かあるのか⋮⋮?
そう感じた俺は、後ろを振り返った。
根拠はない、ただ何かあるならあの花瓶だろう、そう思っただけ
だ。
振り返った俺の目に、猛スピードで迫ってくる花瓶が飛び込んで
きた。
﹁まじですか!﹂
驚きの声と共に回避行動に入る。
横に転がりながら、なんとか花瓶の突進を回避した。
﹁その花瓶、貴女が乗ってなくても動かせたんですね﹂
﹁ふっふっふ、私の本体はこの人間を模した部位じゃありません。
こっちの薔薇の方なんですっ!﹂
﹁えっ、それズルイ! 何かインチキっぽい!﹂
﹁ふっ、甘いですね。ルール無用の残虐ファイトと、先に言ってあ
320
ったはずです﹂
ルール無用とは言ってた気がするけど、残虐ファイトとは言って
なかったような。
だが、それなら女性の方を責めるのは無意味かもしれない。
あの薔薇の花弁に触手を挿入してやった方が、彼女にダメージを
与えられるのではないだろうか。
それに、もしあの女性の体が飾りだとしたら、俺の奥の手が通用
しない可能性もある。
﹁それでも、やってみるしかないですね﹂
﹁良い目です。覚悟は決まったようですね﹂
試せることを全て試していくしかないだろう。
どうせ俺にできることは多くない。
この状況ではエロスの力を溜めることも難しい。
﹁うおおおおっ!﹂
意味のない叫び声とともに、伸ばした触手をアルアウネさんに向
かわせる。
﹁またですか、いくら数が多くとも︱︱﹂
巨大触手生物は最低の生き物だった。
だが、たった一つだけ尊敬に値する特技を持っていた。
ヤツはエロ触手生物の奥義とも呼べる、催淫効果のある液体を放
出することができた。
あの生物から教わったという事実や、テクニックや心でその気に
させるのではなく、薬効で落とすというのは気に食わないが仕方な
321
い。
今、この場で見せ付けてやる! 俺の奥の手を!
触手によってアルラウネさんを捕まえるのが目的ではない。
気づかれないよう、囲うことが目的だ。
いつ動き出すかわからない花瓶に気をつけながら、俺は触手でア
ルラウネさんを囲っていく。
触手で半径二十メートル四方に結界を張っていく。
﹁おかしいですね︱︱﹂
俺の触手の動きが手ぬるかったためか、気づかれたようだ。
だがもう遅い。
俺の触手は既にこの闘技場を制している!
﹁いくぞ! 半径20メートル、エロ触手汁スプラッシュッ!!﹂
触手の結界により囲われたアルラウネさんは、360度全ての方
向から催淫液を浴びせかけられる。
かわす方法はない、ご主人のようにバリアらしきもので弾けば良
いのだろうが、先ほどからこのアルラウネさんは力押しだ。
恐らく彼女は、魔術の類を苦手としているのではないか。
俺の白濁とした催淫液により、全身を穢されたアルラウネさん。
ワンピースが濡れたことにより、より身体のラインがはっきりと
浮き上がる。
パンティーライン、未だ確認できず! やはりこれは⋮⋮。
﹁その液体は催淫効果があります。
322
これ以上は貴女を辱めることになりかねない、素直に降参するこ
とをオススメします﹂
﹁なるほど、戦っている相手を気遣うとは、中々紳士のようですね。
ですがこの程度の催淫効果、耐えられない私じゃありません﹂
彼女の赤みの差した頬を、一筋の白濁とした液体が流れていく。
人間の姿をした部位に催淫効果はあるようだ。
だが、彼女は耐えている。
己の内から湧き出る肉欲に。
余計な力を抜き、ハンマーを構えるアルラウネさん。
今までのほわほわとした雰囲気は消えていく。
﹁⋮⋮私が、いったい何百年処女をやっていると思っているんです
か!﹂
ハンマーを引きずるようにして走り、一気に距離を詰めてくる。
﹁し、しりませんよそんなこと!﹂
くっ、何てことだ。
俺の奥の手は通用しなかった。
しかもちょっと怒ってるっぽい。
だが貴重な情報が手に入った。
ミスリルメイデン
彼女はあれだけの身体を持ちながら、未だに未通だと言う。
アイアン
しかも何百年って。
まさしく鋼鉄の︱︱、いや、真銀の処女と呼ぶに相応しい!
驚愕の事実と共に振り下ろされる鉄槌。
323
転がり、辛うじてかわす俺に、迫り来る花瓶。
仕方ない、一か八か︱︱
触手を数本束ね、右から左へと一閃。
カタカタと俺の横を通り過ぎる花瓶。
はずれる車輪、真っ二つに切り裂かれた花瓶。
ミスリルでできた花瓶であろうとも、俺の触手による斬撃は防げ
なかったようだ。
だがここで油断してはいけない。
すぐさま崩れ落ちた花瓶の上に飛び乗り、大きな薔薇の上に飛び
乗る。
﹁動かないで下さい﹂
触手を蒼い薔薇の花弁にそっとあて、アルラウネさんに向かって
言う。
﹁動けば、貴女の花弁にこの触手を⋮⋮﹂
言いながらそっと花びらを撫でる。
﹁くっ⋮⋮﹂
﹁さあ、負けを認めてください。
でなければ貴女が何百年も守ってきた、大切なモノを穢さなけれ
ばいけなくなってしまいます﹂
触手の先から白濁とした催淫液を垂らす。
一滴の白濁液が、花弁を濡らした。
324
﹁⋮⋮そうですねー。
真銀戦車が、その名の由来を破壊されたのですから、負けという
ことになるのでしょうね﹂
歓声に包まれた闘技場。
ここに立つ勝者は英雄である。
︱︱︱
﹁というわけで探していたミスリルチャリオッツさんです﹂
﹁どーもはじめましてー、ロージーと申します﹂
試合に勝利した俺は、アルラウネさん改めロージーさんをご主人
たちのもとへと連れてきた。
それぞれ自己紹介をし、闘技場はうるさかったので移動すること
にした。
闘技場を出るとロージーさんのミスリルで出来た花瓶も元通りに
なる。神様凄いな。
﹁どこで話をしようかの﹂
﹁んー、ご飯って時間でもないのよね﹂
﹁そうだな、トレーニングには良い時間だし、ジムにでも行くか?﹂
﹁あの、お話を聞くんですよ⋮⋮﹂
大体いつも通りのみんな。
ご主人の呪いについて知っているロージーさんは、もしかしたら
この旅を終わらせるかもしれない。
325
だと言うのに、みんないつもと変わらない。
﹁じゃあ、場所は私に任せてもらっていいですか?﹂
﹁何か企んでるのじゃったら︱︱﹂
﹁大丈夫ですよー。私に任せてもらった方が話は早いと思います﹂
﹁そうか、なら付いて行くとしよう﹂
こうして、俺たちはロージーさんに付いて行くことになった。
この旅を終わらせる、最後の地へと︱︱。
326
第二十六話︵後書き︶
今更ですが、このお話は﹁リッチな俺と魔物の国﹂の派生作品にな
ります。
ここから先は、﹁リッチな俺と魔物の国﹂を読んでいないと置いて
けぼりをくらうかもしれません。そういう人たちはごめんね!
327
最終話
﹁着きましたよー﹂
ロージーと名乗るアルラウネが振り返る。
わしたちはロージーに連れられ、険しい山道を三日も歩かされた。
そして今、目の前には洞窟の入り口がある。
﹁遠かったのじゃ⋮⋮﹂
﹁ご主人、意地をはらず、俺の背中に乗ればよかったのに﹂
﹁嫌じゃ、絶対エッチなことをするくせに﹂
紳士を装ってソーマは常に女体を狙っておる。
しかも巧妙に反省したふりをするから厄介じゃ。
﹁それにしても何でこんな辺鄙なところにアタシたちを連れてきた
の?﹂
﹁あんまり人前に出たがらない、引き篭もりがちな人たちでして﹂
むき出しの岩肌ばかりの山。
こんなところにわざわざ来る者などいないに決まっている、そん
な場所。
罠にかけるなら絶好の場所とも思える。
﹁まー、とにかくこの中に入ってくださいな。
お話はそれからです﹂
ロージーに促され、洞窟に足を踏み入れる。
328
手足に魔力を巡らせ、臨戦態勢をとっておく。
実力の足らん他の者より前に出る。
奇襲された際、真っ先にわしが狙われるように。
入ってすぐに広がる空間。
広く明るい洞窟の中に、三つの影があった。
銀灰色に輝く殻を背負った大きなカタツムリ。
黒いローブを着て、大鎌を背負ったリッチ。
そして最後に、黒い髪、黒い瞳をした少年。
︱︱わしはこやつらを知っている。
﹁やあ、久ぶりダネ、まお︱︱﹂
﹁ちぇすとぉぉぉぉぉおおっ!﹂
﹁ちょ、待ッ⋮⋮えぶぅ﹂
少年を目にしたとき、なぜかイラッとしたわしは挨拶代わりにと
び蹴りをかます。
わしの華麗なるとび蹴りは、見事少年の鳩尾を捉える。
﹁やっぱりこうなったかー﹂
﹁そうだね。僕たちの予想通り﹂
訳知り顔で会話するカタツムリとリッチを見て、わしのイライラ
は膨れ上がる。
﹁何じゃ貴様らは﹂
﹁僕の名前はマイマイ、見ての通りのカタツムリだよ﹂
﹁俺はリーク。リッチらしい﹂
329
﹁ゲホッ、そしてボクは︱︱カミサマだ﹂
カタツムリはまあ良い。
だがリークとかいうリッチはナンじゃ。らしいって自分の種族も
自信を持って言えんのか。
それにあのガキは、自らのことを神様とか名乗りおった。
こやつらはふざけておるのか。
﹁君の記憶を改ざんしたのはボクだヨ、魔王﹂
﹁記憶の改ざん? 何を言っておるのじゃ? それに魔王って︱︱﹂
言葉の意味がわからない。
後ろを振り向くと、ダリアとアビゲイルが珍しく真面目な顔をし
ている。
﹁キミだ。キミが魔王なんだヨ﹂
﹁わしか?﹂
﹁そう﹂
﹁な、なんだってー!?﹂
急に上がったソーマの声。
成程、そうじゃったのか⋮⋮。
わしは魔王じゃったのか⋮⋮。
あまりにもわしは最強すぎると思っておったが、まさか魔王じゃ
ったとは⋮⋮、実に納得じゃな。
﹁って何でみんな驚かないんですか!?﹂
﹁アタシ知ってたもーん﹂
﹁お、おなじく⋮⋮﹂
﹁フッ、あれだけの魔力を内に秘めているのだ、魔王であったとし
330
てもおかしくはない⋮⋮むしろ合点がいく﹂
ソーマ以外は驚いていないようじゃな。
脆弱な連中だと思っておったが、わしがおかしかったとは。
﹁で、わしが魔王であったとして、記憶の改ざんとはどういうこと
じゃ?﹂
﹁そもそもなぜキミは、自分にかけられた呪いが﹃歳をとらなくな
る﹄呪いだと思っていたんダイ?﹂
﹁よくわからん呪いがかかっているっぽくて、何年も成長しなけれ
ばそう思うじゃろ!﹂
﹁キミは魔王だからね、限りなく不老に近い。
だから成長するのが極端に遅い、それだけなんだヨ﹂
なん⋮⋮じゃと⋮⋮。
つまりわしがいつまでもチンチクリンなのは、呪いのせいなどで
はなく、種族的な理由だったということなのか⋮⋮。
ということはわしの胸⋮⋮。
⋮⋮。
﹁さて、それで記憶についてなんだけどネ。
これはキミ自身が求めたんだ。
﹃普通の人と混じって、旅をしてみたい﹄、そう言ってキミ自身
がボクに頼んだことなんだヨ﹂
﹁ぬー、じゃあ今すぐ記憶を戻すのじゃ!﹂
﹁そうしてもいいんだけどネ、それじゃあつまらないダロ?﹂
ふわりと空に飛び上がったカミサマ。
そして彼が何かを呟くと、一人の少女が現れた。
銀髪の髪をしていて、頬に何かの紋様が刻まれている。
331
身に纏う漆黒のマントにも、頬に刻まれた紋様と同じような紋様
が銀糸で縫い付けられている。
その少女が立ち上がり、ゆっくりと目を開く。
瞳はルビーのように紅かった。
髪の色、瞳の色は違うが、そこに立っていた少女はわしと瓜二つ
だ。
﹁キミは覚えていないだろうけど、キミはボクが造り出したんだ。
つまりボクはキミの親っていうわけダネ﹂
﹁最悪じゃな﹂
﹁ハハハっ、以前のキミもよくそう言っていたヨ。
今呼び出したのは以前のキミだ。
旅に出る前の、魔王としての役目を終えたときのキミ。
今のキミと旅に出る前のキミ⋮⋮、どう変わったのか、ボクたち
に見せて欲しい﹂
﹁ほう、そういうことか﹂
﹁もちろん、後ろのキミたちも参加して構わないヨ。
魔王同士の戦いに手を出せるんだったらネ﹂
ソーマ、ダリア、アビゲイル、筋肉ダルマ⋮⋮この四人では流石
に手は出せまい。
過去のわしと今のわし、恐らく力量は互角、ならば先手を取るべ
きじゃろうな。
手のひらに魔力を集中、どこかで聞いた炎の鳥を具現化させる。
ただ炎を手から放つより、具体的な形を与えた方が熱を集束させ
やすい。
火の粉を撒き散らしながら、翼をはためかせヤツに襲い掛かる炎
の鳥。
が、ヤツの回りに張られた結界により一瞬で炎の鳥は消し去られ
332
た。
当然か、わしに出来ることはヤツにも出来ると考えるべきじゃろ
う。
ならば自らの肉体で以て結界の内側に入り込んで、直接ダメージ
を与える必要がある。
﹁すーぱー稲妻、キィィィーーック!﹂
自らの身に紫電を纏わせ、ヤツの懐へと蹴り込む。
わしの右足は、ヤツの両手で軽々と防がれた。
雷撃も効いてない、すぐさま左足で首を刈りに行くが、これもま
た容易に止められる。
わしの無茶な動きに、ローブが少しずつ破れてきている。
今頃ソーマあたりが﹁うっひょーーっ﹂とか言っていそうじゃが、
そんなことを気にしてもいられない。
ヤツは、無表情でこちらを見つめている。
頬とマントに刻まれたあの紋様、わしになくてヤツにはあるあの
紋様にだけは気をつけなくては。
何か奥の手に使われるのかもしれん。
無表情のまま、こちらに殴りかかってくるヤツ。
内側にパリィし、顎にアッパーを振るうもギリギリで回避される。
このまま殴りあっていては、ダメージを受けることはないが、ダ
メージを与えることも出来ない。
全く変化のない応酬に、わしは少しずつ焦りを募らせる。
﹁くっ⋮⋮﹂
333
力を溜める時間さえあれば、わしの身体など簡単に吹き飛ばせる。
しかし、他の者たちをも巻き込んでしまうし、何よりヤツがその
ような時間を与えてくれるとは思えない。
﹁ご主人どいて下さい!﹂
そんな状況で、ソーマの声が聞こえた。
このわしにどけと言う。
普段なら叱りつけるところじゃが、このまま殴り合っていても埒
が明かない。
なら、ソーマの言うことを聞いてやってもよいかなと思った。
ヤツから放たれた回し蹴りを後ろに跳んで回避し、そのままソー
マとヤツの直線上から退避する。
﹁オオオオオオオオオオッ!!﹂
ソーマの雄たけびと共に、全ての触手がヤツに向かって殺到する。
﹁俺の人生の全てを込めた、触手汁を喰らえェエエエエエエ!!﹂
えー。
ちょっと期待しておったのに、それは効かないじゃろ⋮⋮。
そう思ったわしの予想は見事にはずれた。
全ての触手から放たれた白濁液は、ヤツの結界を割り、ヤツの身
体を穢したのだった。
よくよく見ると、ダリアとアビゲイルと筋肉ダルマ、それになぜ
かロージーまでもがダウンしていた。
334
成程、ソーマはエロスの力とかいうワケの分からんものを行使し
たのか。
﹁クックック、今度の触手汁の催淫効果は半端なものじゃありませ
ん!
ロージーさんに効かなかった反省を活かし、エロスの力を行使し
た特別製です!
いくら魔王様が性的に未熟だとしても、この快楽からは逃れられ
ないッ!!﹂
顔を紅潮させ、膝をついたヤツ。
ヤツに向かって、ソーマの無慈悲な触手が迫る。
そしてわしは、わしに良く似たヤツが延々と弄ばれるのを見続け
る破目になった。
﹁ふーっ、満足です!﹂
あ、あんなことやことんなことまでするなんて⋮⋮。
目の前でわしによく似たヤツが、嬌声を上げているところを見せ
られ、わしは少し⋮⋮。
⋮⋮あとでソーマを殴ろう。思いっきり。
﹁いやー、良いモノを見せてもらったネ!﹂
心底楽しそうに笑うカミサマ。
﹁で、これでいいんじゃろ。さっさとわしに記憶を戻せ﹂
335
﹁そうダネ﹂
カミサマが気取った仕草で指を鳴らすと、わたしの中に様々な記
憶が蘇ってきた。
自分がカミサマによって造りだされたときのこと。
魔物たちを統率するため、頑張って魔王を演じていたこと。
ダリアと昔、会っていたこと。
ラーナやリークと出逢い、初めて友達ができたこと。
そして︱︱。
﹁魔王様、おかえり﹂
﹁た、ただいま﹂
様々な記憶が蘇り、感情が溢れてきた。
﹁これでキミたちの旅も終わりダネ。これからどうするんだい?﹂
﹁ご主人っ! 突然ですがお願いがあります﹂
﹁な、なに?﹂
急いで涙をふき、ソーマの方に振り返る。
﹁主従関係を破棄したいんです﹂
﹁え?﹂
﹁ご主人の旅は終わったようですし、俺はスキュラさんに会いに行
こうと思います﹂
﹁それならわたしも一緒に︱︱﹂
﹁それも良いんですが、ご主人はここにいる人たちと、話すべきこ
とが沢山あるでしょう?﹂
﹁そ、それはそうかもしれないけど⋮⋮﹂
﹁俺は一刻も早くスキュラさんに会いに行きたいと思っています﹂
336
﹁むー、わかった、わかりました!
でも、主従関係は破棄しないっ!﹂
﹁でもそれじゃあケジメってものが⋮⋮﹂
﹁いいの! これからもわたしがソーマのご主人様なの!
だから、いつかまたわたしのもとに戻ってきて﹂
﹁そうですね、わかりました﹂
わたしの言葉に折れてくれたソーマ。
何だかんだ言って、ソーマはいつもわたしのワガママを聞いてく
れるんだ。
﹁話は決まったようダネ。それじゃあ触手生物のキミ。
今回も大活躍だったキミに、ボクから何かプレゼントを贈りたい﹂
﹁プレゼントですか?﹂
﹁そうダヨ。ボクは自分で言うのもナンだけど、凄いンダ。
だからキミが求める願いを、何でも一つ叶えてあげようと思う﹂
﹁何でもですか?﹂
﹁何でもサ﹂
﹁そうですね⋮⋮、それじゃあスキュラさんが俺と一緒にきてくれ
なかった理由を知りたいです﹂
﹁知るだけで良いのかい?﹂
﹁ええ、解決するのは俺自身やスキュラさん自身であるべきです﹂
﹁素晴らしい考えダネ。
ボクはそれに気づくまで、気の遠くなるような時間がかかった愚
カ者だヨ。
でもザンネン、彼女の問題は既にキミたちが解決してしまってい
る。
キミが被害を抑えたおかげで、彼女も命を落とさずに済んだしネ。
だから別の願いにしてくれるカナ﹂
﹁どういうことですか?﹂
337
﹁そのままの意味だよ、後は彼女本人に聞けばイイ﹂
この話はもうお終い、そう言いたげに手を振るカミサマ。
﹁そうですか⋮⋮、それなら俺に生殖能力を与えて下さい!﹂
あれ? 何かデジャヴュ⋮⋮。
﹁その手があったか!﹂
急に大声をあげるリーク。
﹁うう⋮⋮、俺は性欲を得られたけど、生殖能力がないから発射ま
で至らなくて悶々とするしかないんだ⋮⋮。
最初から生殖能力を願っていればよかった⋮⋮﹂
﹁な、なんだかわかりませんが、死神っぽい人は地獄のような時間
を過ごしてきたんですね⋮⋮。
では願いはこうしましょう、﹃性で悩んでいる全ての人に、救い
を﹄﹂
﹁な、なんだと⋮⋮。触手の君、ソーマ君と言ったか。
君は神なのかっ! そ、そのような願いをしてくれるなんてっ!﹂
﹁俺も男ですからね、リークさんの気持ちはよくわかります﹂
﹁ハハっ、本当にキミたちは良く似ているネ。それじゃあ、ソーマ、
キミの願いを叶えてあげヨウ﹂
︱︱︱
﹁ソーマくん、男の子なんだからちゃんと決めるのよ﹂
338
﹁そうですよ、ちゃんと連れ出してくださいね!﹂
﹁うむ、成すべきときに、成すべきことを成すのが男だ﹂
俺たちは船に乗せてもらい、スキュラさんが棲んでいる島の近く
まで来ていた。
緊張する俺に、みんなが優しく声をかけてくれる。
﹁それじゃあ、言ってきます﹂
あの時と同じように、島まで泳ぎ、洞窟に入っていく。
﹁ごめんくださーい﹂
もしかしたら着替えてたりするかもしれないので、念のため声を
かけておく。
ラッキースケベも嬉しいが、お願いをする前だからな。
少し待っても返事はない。
﹁中入っちゃいますよー﹂
一方的に告げ、洞窟の奥に入っていく。
以前来たときはご主人が魔法で洞窟の内部を照らしていたから明
るかったけど、今は暗闇に包まれている。
暗闇の中、ゆっくりと泳いでいく。
もしかしたら留守なのかな。
そう思った瞬間、触手に絡みつかれた。
そのまま引き寄せられていき、柔らかな腕に抱きしめられる。
339
﹁本当に迎えに来たのね⋮⋮﹂
涙声で呟く声。
それはまぎれもなくスキュラさんのものだった。
﹁一緒に、来て貰えますか?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
触手を絡ませあい、そっと唇を重ねる。
これでもう、手当たり次第女性に触手を出したりは出来ないな︱
︱、スキュラさんの顔を見て、俺はそう思った。
340
最終話︵後書き︶
以上で﹁触手な俺が魔女の奴隷﹂は完結です。
最後まで読んで下さり、どうもありがとうございました。
341
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n4128bq/
触手な俺が魔女の奴隷
2016年10月21日01時21分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
342
Fly UP