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添付資料 - 東京工業大学電子図書館
◎ 添付資料 1. 柴 田 秀 利 所 有 資 料 2. ア メリ カ 国 立 公 文 書 館 Ⅱ 資 料 (U . S . N at i ona l A r ch i ve sⅡ , C o l le ge P a r k , M D (Wash i ngto n, D.C. Area) ) 3. カール・ ム ン ト 図 書 館 資 料 ( K a r l E . Mundt L ibrary,SD) 4. ハー バー ト・ フーバ ー 大 統 領 図 書 館 ( t h e H erb e rt Ho o ve r P r e s id e n ti a l L i b ra r y & M u se u m ,I W) 5. ド ワ イ ト ・ ア イ ゼ ン ハ ワ ー 大 統 領 図 書 館 資 料 ( t he D w ight D . E i se n how er P re s i d e n t i a l L ib r a r y & M u se u m , K S ) 6. ハ リ ー ・ ト ル ー マ ン 大 統 領 図 書 館 資 料 ( th e H a r r y S . T ru m a n P r e s id en ti a l L ib r a r y & M u se u m , M O ) 7. 日 本 学 術 会 議 資 料 8. 国 立 国 会 図 書 館 ・ 憲 政 資 料 室 資 料 9. 国 会 会 議 録 10 . 原 子 力 委 員 会 月 報 11 . 新 聞 関 係 12 . 関 係 論 文 13 . 参 考 文 献 14 . そ の 他 119 1. 柴 田 秀 利 所 有 資 料 (1) 柴 田 秀 利 文 書 に つ いて 1)柴 田 秀 利 文 書 は,書 簡 ,論 文 ,政 府 及 び民 間 企 業 関 係 資 料 ,手 帳 などが,年 代 , 内 容 別 に 整 理 さ れ , 全 体 で 段 ボ ール 5 箱 程 度 に なる . 2)1986 年 の 柴 田 の 死 後 , 柴 田 泰 子 夫 人 の 許 可 の 下 に , 筆 者 が 保 管 と 管 理 を 行 って いる . 3)第 2次 世 界 大 戦 後 ~1980年 代 にかけて、アメリカとの交 流 を記 す資 料 を残 してい る。 4)特 に、読 売 新 聞 、日 本 テレビ放 送 網 株 式 会 社 の社 員 となり、この立 場 からの日 本 へのテレビジョン放 送 導 入 、原 子 力 導 入 等 に関 する資 料 を残 している。テレビジョン放 送 導 入 関 係 は、マイクロウエーブネットワーク借 款 交 渉 以 後 (1952 年 以 後 )の資 料 が 多 い(それ以 前 は、ホールスーセンペーパーに多 く残 されている)。また、原 子 力 関 係 は 、 かなり 多 くの 資 料 が あるが 、 ワト ソン と の 関 係 のも のは ほと んど 見 当 たら ない 。 5) 資 料 は 、 年 代 、 内 容 別 に 整 理 さ れて いる 。 6)資 料 の形 態 は、手 紙 (タイプ)、論 文 、政 府 (アメリカ、日 本 )文 書 、企 業 側 作 成 資 料 、関 係 写 真 、個 人 手 帳 、日 記 、手 記 7) 関 係 資 料 ( 詳 細 は 個 別 リス ト に 示 す) ① 書 簡 ・ 発 信 、 テレ ビ・ 原 子 力 関 係 戦 後 ~1 9 8 0 年 代 ② 書 簡 ・ 受 信 、 テレ ビ・ 原 子 力 関 係 戦 後 ~1 9 8 0 年 代 ③ 手 帳 戦 後 ~1 9 8 0 年 代 ④ 日 記 19 53 年 3 月 2 8~8 月 27 日 ( マイク ロ ウエ ー ブネッ トワ ーク 借 款 交 渉 の 渡 米 ) ⑤原 子 力 関 係 資 料 ・1955 年 5 月 、「 米 国 原 子 力 平 和 使 節 ・ ホ プキ ンス 博 士 来 日 」 関 係 ・1956 年 9 月 、「 日 本 原 子 力 産 業 使 節 団 」 派 遣 関 係 ・1957 年 5 月 、「 日 本 原 子 力 産 業 合 同 会 議 」 関 係 ・諸 外 国 資 料 ・原 子 力 一 般 資 料 ・英 国 ヒントン卿 関 係 ・原 子 力 委 員 会 ・原 子 力 研 究 所 ・日 本 原 子 力 産 業 会 議 関 係 ・嵯 峨 根 遼 吉 博 士 関 係 ・他 社 原 子 炉 関 係 ⑥ W i l l i am H a l st e ad 関 係 資 料 ⑦テレ ビ ジョ ン 関 係 資 料 ファ イル ⑧ 全 般 通 信 ( マイ ク ロ ウエ ー ブネ ットワ ーク) 計 画 資 料 ⑨正 力 松 太 郎 会 長 関 係 資 料 ⑩ 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 関 係 資 料 120 8) 主 な 関 係 者 ( G H Q/ S C A P 、 国 防 総 省 ) フ レ イ ン ・ ベ ー カ ー ( Fr a y n e B a ke r ) 准 将 、 リ ッ ジ ウ エ イ (M at t h e w B. R id gw a y )最 高 司 令 官 ( マッ カ ー サー の 後 任 ) 、レ ム ニッ ツア ー( L y m an L . L e m n i t z e r ) F E C 司 令 官 ( リ ッ ジ ウ エ イ の 後 任 ) 、 ウ ッ ド オ ー ル ・ グ リ ー ン ( Co l . W o o d a l l G re en e ) 大 佐 、 ク リ ン ト ン ・ フ ァ イ ス ナ ー ( C . A . Fe i s sn e r ) ( G H Q/ S C A P/ C C S ) 、 ウ イ リ ア ム ・ ド ノ バ ン ( W i l l i a m D o n o v an ) 将 軍 、 ダ ニエ ル ・ ワ ト ソ ン ( D an ie l S . W at so n ) (政 府 、 議 会 ) カー ル・ ムン ト( K a r l E. Mu n d t) 上 院 議 員 、 ロ バー ト・ タ フト( Ro b e rt T a ft ) 上 院 議 員 、 バ ー ク ・ ヒ ッ ケ ン ル ー パ ー ( Bou r ke B . Hi c k e nloo pe r ) 上 院 議 員 、 ウ イ リ ア ム ・ ノー ラ ン ド ( W i l l i am F . Kn o w l an d ) 上 院 議 員 、フ ラ ンク ・ ペイ ス( F r a n k P a ce J r .) 陸 軍 長 官 ( マ ッ カ ー サ ー の 上 司 ) 、 ド ワ イ ト ・ ア イ ゼ ン ハ ワ ー ( D w ight D . E i senho we r ) 大 統 領 、 ハ ー バ ー ト ・ フ ー バ ー ( H er b e rt Ho o v er ) 大 統 領 、 フ ラ ン ク ・ ナ ッ シ ュ (F r an k N a sh ) 輸出入銀行副総裁 ( 学 者 ) ア ー ネ ス ト ・ ロ ー レ ン ス ( Erne s t O . L a w ren c e ) 、 ロ ー レ ン ス ・ ハ フ ス タ ッ ド ( L a w re n ce R . H a f st ad ) 、 ダ グ ラス・ コッ クク ロフ ト( S i r Jo h n Do u g l a s C o c k c ro ft ) 、ク リス ト フ ァ ー ・ ヒ ン ト ン ( S i r Ch r i st p h e r H in t o n ) 、 フ レ デ リ ッ ク ・ デ ・ ホ フ マ ン ( F red er i c d e Ho ffm an ) 、 リ チ ャ ー ド ・ バ ッ ク ミ ン ス タ ー ・ フ ラ ー ( R i ch a rd B . Fu l le r ) 、 ド ・ フ ォ ー レ ( L ee De Fo r e st) 、 嵯 峨 根 遼 吉 、 湯 川 秀 樹 、 小 柴 昌 俊 、 内 田 祥 三 、 茅 誠 司 、 向 坊 隆 (駐 日 大 使 )ウ イリア ム・ キ ャッスル( W i l l i a m R . C a st le , J r .) 、 ジ ョ ン ・ ア リ ソ ン ( J o h n M . A l l i so n ) 、 エ ド ウ イ ン ・ ラ イ シ ャ ワ ー ( E d w i n O . Re i s c h a u e r ) (原 子 力 ) ルイス・ス ト ロ ーズ( L e w i s L St r au s s) 米 原 子 力 委 員 長 、 ウォ ーカ ー・ シスラ ー (Wa l ke r L C i sl er ) 米 原 子 力 産 業 会 長 、 チ ャー ルズ・ ロ ビン ス( Ch a r le s Ro b b in s) 米 原 子力産業会議事務局長 ( 民 間 ) ウ イ リ ア ム ・ ホ ー ル ス テ ッ ド ( W i l l i am H a l st e ad ) 、 ヘ ン リ ー ・ ホ ー ル ス ー セ ン (H en r y H o lthu s en) 、 ウォル タ ー・ ダス チンス キー ( W a lte r Du s c h in s k y) 、ジ ョン・ ホプ キ ンス (Jo h n J . Ho p k in s ) 、 ヴ ァ ー ノン ・ ウエ ルシュ ( Ve rn o n M . W e l sh ) 、 デビッ ド・ サ ー ノフ ( D a v id S a r n o f f ) (日 本 )竹 田 恒 徳 、吉 田 茂 、片 山 哲 、岸 信 介 、鳩 山 一 郎 、池 田 勇 人 、佐 藤 栄 作 、田 中 角 栄 、中 曽 根 康 弘 、麻 生 多 賀 吉 、野 村 吉 三 郎 、白 州 次 郎 、馬 場 恒 吾 (2) 柴 田 秀 利 論 文 1 9 5 8 年 7 月 ,「 日 本 にお け る 全 般 通 信 計 画 ( 1) 」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1 9 5 8 年 7 月 ,「 日 本 にお け る 全 般 通 信 計 画 ( 2) 」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1958 年 7 月 3 0 日 ,「 本 社 の 全 国 テレ ビ並 びに全 般 通 信 計 画 - そ の 論 点 と 主 張 -」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1954 年 12 月 ,「 原 子 力 発 電 10 0 年 計 画 を 提 唱 す」 ,ジ ョ ン・ J・ ホ プキ ンス 1 9 5 5 年 3 月 ,「 原 子 力 の 平 和 利 用 を 進 め る に 当 たっ て 」 . 1955 年 6 月 ,「 原 子 力 の産 業 利 用 に ついて」 . 1957 年 3 月 ,「 電 子 か ら原 子 へ 」. 1957 年 5 月 6 日 ,「 今 日 の 原 子 力 状 況 私 見 」 , 嵯 峨 根 遼 吉 . 121 1957 年 5 月 1 5 日 ,「 天 然 か 濃 縮 か」 ,嵯 峨 根 遼 吉 . 1957 年 7 月 21 日 ,「 原 子 力 研 究 所 は E T R を 施 設 し たいが 此 処 二 三 年 の 間 は 時 期 尚 早 で ある 」, 嵯 峨 根 遼 吉 . 1957 年 7 月 ,「 英 国 原 子 炉 と 原 子 力 発 電 」 , 日 本 原 子 力 産 業 会 議 . (3) 資 料 (テレ ビジョ ン 放 送 関 係 ) 1 9 5 0 年 6 月 5 日 ,” C o n g r e s s i o n a l R e c o rd , pro ceed in g an d debat es o f the 8 1S T Con g re s s , se c o n d se s s io n , ” S e n a t e , U n it e d S t ate s o f A m e r i c a . 1 9 5 1 年 1 月 ,「 テレ ビ ジ ョ ン 放 送 局 免 許 申 請 概 要 」 , 電 波 管 理 委 員 会 . 1 9 5 1 年 8 月 ,「 テレ ビ ジ ョ ン 事 業 計 画 の 経 過 」 , 日 本 テ レ ビ 放 送 網 株 式 会 社 . 1 9 5 2 年 3 月 ,「 『 白 黒 テ レ ビ ジ ョ ン 放 送 に 関 す る 送 信 の 標 準 方 式 』 に 対 する 異 議 申 立 書 」. 1 9 5 2 年 3 月 ,「 日 本 テレ ビ 放 送 網 会 社 の 設 立 に つい て」 , 日 本 テ レビ 放 送 網 株 式 会 社. 1953 年 10 月 ,「 テレ ビ旋 風 を 解 剖 する」 ,テレ ビ 旬 報 . 1954 年 10 月 ,「 経 歴 -ジョ ン・ J・ ホプキンス」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 . 1 9 5 4 年 8 月 ,「 日 本 テレ ビ の 発 足 に あた っ て 」 ( 創 立 総 会 に て ) , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式会社 1 9 5 4 年 8 月 ,「 N T V の 設 立 と 営 業 開 始 後 の 業 績 に つ いて」 , 日 本 テレビ 放 送 網 株 式 会社 1 9 5 5 年 1 0 月 , 「 わ が 国 の テ レ ビ は ど う し て で き た かな ぜ 全 国 に 普 及 さ せ ぬ か 」 , 日 本 テ レビ 放 送 網 株 式 会 社 . 1958 年 7 月 3 0 日 ,「 本 社 の 全 国 テレ ビ並 びに全 般 通 信 計 画 そ の 概 要 と 経 過 」 , 日 本 テレビ 放 送 網 株 式 会 社 1 9 5 8 年 7 月 30 日 , 「 国 防 省 次 官 フラ ンク・ ナッ シュ 氏 よ り 輸 出 入 銀 行 総 裁 宛 推 薦 状 」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1 9 5 8 年 4 月 ,「 座 談 会 、 出 席 者 、 正 力 、 柴 田 」 , 日 本 テ レ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1958 年 1 0 月 ,「 カ ラー テ レ ビ につ い て 」 , 日 本 テ レ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1958 年 9 月 1 日 , 第 2 9 回 国 会 衆 議 院 、 逓 信 委 員 会 議 録 , 国 会 会 議 録 1960 年 10 月 ,「 民 放 史 原 案 に 対 する 申 入 」 , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 1 9 6 8 年 夏 , 「 民 営 1 本 にす べ し ー 坂 本 直 道 】 ( 日 本 テレ ビ 1 0 6 8 開 局 1 5 周 年 記 念 号 ) , 日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 (原 子 力 関 係 ) 1 9 5 5 年 ,「 経 過 」 , 柴 田 の 手 に な る と 思 わ れ る 文 書 . 1956 年 1 月 ,「 原 子 力 委 員 会 の 発 足 に 際 して」 , 日 本 原 子 力 産 業 会 議 . 1956 年 3 月 ,「 原 子 力 産 業 会 議 設 立 趣 意 書 」 , 日 本 原 子 力 産 業 会 議 . 1956 年 3 月 ,「 定 款 ( 原 子 力 産 業 会 議 ) 」 , 日 本 原 子 力 産 業 会 議 . 1956 年 3 月 ,「 原 子 力 産 業 会 議 設 立 経 過 報 告 書 」 , 日 本 原 子 力 産 業 会 議 . 122 1956 年 3 月 ,「 経 歴 、 (英 国 )コッ ククロフト、ヒントン」 ,日 本 テレ ビ 放 送 網 株 式 会 社 . 1956 年 7 月 ,「 米 国 原 子 力 管 理 機 構 及 び 役 員 」 . 1 9 5 6 年 7 月 ,「 米 国 にお け る 動 力 用 原 子 炉 開 発 計 画 」 . 1956 年 7 月 ,「 原 子 力 平 和 利 用 に 関 する 行 政 機 構 」 . 1968 年 夏 ,「 日 本 の 繁 栄 を 築 い たテレ ビジョ ン」 ,日 本 テ レビ放 送 網 株 式 会 社 . (4) 書 簡 1949 年 10 月 6 日 付 , ド・フォ ーレ からマッ カーサーへの手 紙 . 1954 年 12 月 10 日 付 ,ホールステッドから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1954 年 1 2 月 2 2 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホー ル ステッ ド へ の 手 紙 . 1954 年 1 2 月 3 1 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホー ル ステッ ド へ の 手 紙 . 1955 年 1 月 5 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ウエ ルシュ へ の 手 紙 . 1955 年 1 月 5 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ホ プキ ンスへ の 手 紙 . 1955 年 1 月 12 日 付 ,ホールステッドから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1955 年 1 月 1 9 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホー ル ステッ ド へ の 手 紙 . 1955 年 1 月 24 日 付 ,ホールステッドから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1955 年 2 月 4 日 付 ,ホプキンスから正 力 松 太 郎 への手 紙 . 1955 年 2 月 7 日 付 ,ホールステッドから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1955 年 2 月 1 2 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ホ プキ ンスへ の 手 紙 . 1 9 5 5 年 3 月 4 日 付 , ホ ー ル ス テ ッ ド か ら 正 力 松 太 郎 への 手 紙 . 1955 年 3 月 4 日 付 ,ホールステッドから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1 9 5 5 年 3 月 9 日 付 , ウ エ ル シュ か ら 柴 田 秀 利 へ の 手 紙 . 1955 年 3 月 10 日 付 ,ホプキンスから正 力 松 太 郎 への手 紙 . 1 9 5 5 年 3 月 1 7 日 付 , ウ エ ル シュ か ら 柴 田 秀 利 へ の 手 紙 . 1955 年 3 月 2 3 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホ プキ ンス への 手 紙 . 1955 年 4 月 3 0 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホ プキ ンス への 手 紙 . 1955 年 4 月 3 0 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ホ プキ ンスへ の 手 紙 . 1955 年 5 月 2 日 付 ,ホプキンスから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1 9 5 5 年 5 月 5 日 付 , ホ ー ル ス テ ッ ド から 正 力 松 太 郎 への 手 紙 . 1 9 5 5 年 6 月 1 日 付 , ロ ー レ ンス か ら 正 力 松 太 郎 へ の 手 紙 . 1 9 5 5 年 6 月 9 日 付 , ホ ー ル ス テ ッ ド から 正 力 松 太 郎 への 手 紙 . 1955 年 6 月 3 0 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホー ル ステッ ド へ の 手 紙 . 1955 年 8 月 1 2 日 付 , 柴 田 秀 利 からワ ト ソン への 手 紙 . 1 9 5 5 年 9 月 2 0 日 付 ,シ ス ラ ー か ら 原 子 力 産 業 会 議 メ ン バー へ の 手 紙 . 1 9 5 5 年 1 0 月 1 9 日 付 ,ワ ト ソ ン か ら 柴 田 秀 利 への 手 紙 . 1955 年 1 0 月 2 0 日 付 , 柴 田 秀 利 からワ ト ソン への 手 紙 . 1956 年 1 月 1 0 日 付 , 嵯 峨 根 遼 吉 から ロ ー レンス へ の 手 紙 . 1956 年 1 月 12 日 付 ,ローレンスから嵯 峨 根 遼 吉 への手 紙 . 123 1 9 5 6 年 5 月 3 0 日 付 ,ハ フ ス タッ ドか ら 正 力 松 太 郎 へ の 手 紙 . 1956 年 8 月 14 日 付 ,ローレンスから柴 田 秀 利 への手 紙 . 1 9 5 6 年 8 月 2 4 日 付 ,ハ フ ス タッ ドか ら 柴 田 秀 利 へ の 手 紙 . 1956 年 8 月 25 日 付 ,ローレンスから柴 田 秀 利 への手 紙 . (5) 著 書 柴 田 秀 利 『 戦 後 マスコ ミ 回 遊 記 』 , 中 央 公 論 社 ,1 9 8 5 年 . 柴 田 秀 利 『 炎 のご と く、 水 のご と く』 , 中 央 公 論 社 ,1 9 9 9 年 . 2 . ア メ リ カ 国 立 公 文 書 館 Ⅱ 資 料 ( U . S . N at io n a l A r ch i ve s Ⅱ , Co l l eg e P a r k , M D (Wash i ngto n, D.C. Area) ) (1) R G319 1948 年 3 月 11 日 付 , Gen e ral St aff US A rmy Plan s and Operation s D ivis ion , Dep a rt men t o f the A r m y , ” P s y ch olo g i c a l W a r f a re Stu d y fo r G u id ance i n St r at eg i c P l ann in g ,” U .S . A r m y P & O 0 9 1 .4 2 T S ( se ct i o n 1 , c a s e s 1 - 7 ) . ( 2 ) B O X # 6 1 6 4 , D e c i m a l F i l e , 1 9 5 0 - 5 4 , Cen tral F iles, General Reco rd s o f the Dep a rt men t o f St at e , R G5 9 1951 年 8 月 20 日 付 , ア チ ソ ン 国 務 長 官 か ら GHQ/ SCAP 宛 電 報 , O utgo ing Te l e g r a m , D e p a rt m e n t o f S t at e . 1951 年 9 月 11 日 付 , ホールス ーセンから G HQ/ C CS のハモンド 将 軍 宛 書 簡 . 1951 年 1 1 月 8 日 付 , Dep art ment o f S t ate M emo r andu m o f Con versat ion, SU BJE C T : Te l e v i s io n Net wo r k fo r J ap an . 1951 年 10 月 9 日 付 , “ J APAN TO HAVE FI R ST C OMME RCI AL TEL E CO M MU NI C A T I O N N E T W O RK I N CL U D I N G T . V .” . (3)Bo x # 4 22,Co unt ry f ile: J ap an d . Fu ku ryu Maru , 19 54, “ Sp acia l A s s’t t o th e S e c r e t a r y fo r E n e r g y an d Ou t e r S p a c e , R e c o r d s R e l a t in g t o A t o m ic E n e r g y Matters, 1 944-63 ,” RG 59 . (4)Bo x # 4 22,Cou n t r y F ile: Jap an , b Ato mic Deve lop ment Pro g ram ,R G 59 . 1955 年 1 月 12 日 付 メモ, “ Mat sutaro Sho r iki In vit at i o n to Mr. Hopkin s, G e n e r a l D yn am i c s Co rpo r at io n”. 1955 年 4 月 15 日 付 メ モ , “Visit t o Jap an o f Rep r esent a tives o f G eneral D yn am i c s ” . (5)Bo x # 4 22,Cou nt r y F ile: Jap an , e General J an . – June, 1956 , R G 5 9 . 1 9 5 6 年 2 月 21 日 付 ,U S I S か ら 合 衆 国 情 報 局 ( U SI A ) へ の 報 告 電 報 , “ Ato m s fo r Pe a c e R a y O f f in J a p a n ” . 124 3. カール ・ ムン ト 図 書 館 資 料 (K a r l Mundt Lib rary,SD) (1) 書 簡 1943 年 6 月 24 日 付 の 新 聞 記 事 ( 新 聞 名 不 詳 ) . 1943 年 7 月 1 日 付 の 新 聞 記 事 ( 新 聞 名 不 詳 ) . 1943 年 7 月 7 日 付 の 新 聞 記 事 ( 新 聞 名 不 詳 ) . 1943 年 7 月 15 日 付 の 新 聞 記 事 ( 新 聞 名 不 詳 ) . 1 9 5 0 年 6 月 -8 月 の 書 簡 , ム ン ト は 演 説 以 後 アレ ク サ ン ダ ー ・ スミ ス , ウ イ リ ア ム ・ ベ ン ト ン ,エル ボ ート ・ト ーマ ス上 院 議 員 らと 外 交 上 院 委 員 会 ・ 小 委 員 会 を 開 催 し てい る. 1 9 5 0 年 6 月 17 日 付 , マ イ ケル・ ロ ン バ ル デ ィ か ら ム ン ト へ の 手 紙 . 1 9 5 0 年 6 月 20 日 付 , ム ン ト か ら マ イ ケル ・ ロ ン バ ル デ ィ へ の 手 紙 . 1 9 5 0 年 6 月 22 日 付 , マ イ ケル・ ロ ン バ ル デ ィ か ら ム ン ト へ の 手 紙 . 1950 年 6 月 2 7 日 付 , New Yo rk Journ al . 1950 年 6 月 2 7 日 付 , ム ン ト からミ ラ ー ・ マクリ ント ッ ク( 放 送 会 社 社 長 ) へ の 手 紙 . 1 9 5 0 年 7 月 1 日 付 , マ ッ カ ー サ ー から ム ン ト へ の 手 紙 . 1950 年 7 月 7 日 付 , ミラー・マク リントック からムントへの手 紙 . 1950 年 7 月 1 2 日 付 , ム ン ト からミ ラ ー ・ マクリ ント ッ ク へ の 手 紙 . 1950 年 8 月 28 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1950 年 8 月 29 日 付 , ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1950 年 12 月 27 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1 9 5 1 年 1 1 月 1 9 日 付 ,K . M u n d t ,“ We C a n G i ve t h e W o r l d A V i s i o n o f A m e r i c a !” , TW. 1951 年 12 月 13 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1951 年 12 月 26 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1951 年 12 月 27 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1951 年 12 月 29 日 付 , ムントからホールス ーセンへの手 紙 . 1 9 5 2 年 1 月 5 日 付 , ム ン ト か ら正 力 松 太 郎 への 手 紙 . 1952 年 1 月 18 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1952 年 1 月 21 日 付 , ムントからホールス ーセンへの手 紙 . (2) 論 文 1950 年 5 月 26 日 付 , STATE M ENT BY D AVI D S ARNOFF “VOICE A ND VI SI O N OF AME RI CA” . 1 9 5 0 年 6 月 1 5 日 付 , 8 1 S T Co n g r e s s 2 D S E S S I O N , S . 3 7 8 0 A B i l l ( V i s i o n o f A m e r i c a) . 1 9 5 2 年 1 0 月 , W . H a l st e a d ,“ M E MO R A N D U M - UN I T E L R E R A Y N E T W O R K P L A N FO R I N TE R N A TIO N A L TE LE C OM M U NI C A TI ON , I N CL UD IN G TEL EV I SI ON B R O AD C A S TI N G” . 1953 年 9 月 28 日 , W . Halst e ad , “ THE APPL ICATI O N OF WI DE BAND R AD I O - R E R A Y ME T H O D S IN I N TE R N A TI O NA L TE L E CO M MU NI C A TI O N 125 SE R VI CE S IN CL U DI N G T R A NS L A TI N G TE LEVI S IO N” . 1954 年 7 月 2 4 日 付 , “ N I PPON TEL E VI SI ON N ETWORK First C o m mercial T e l e v i s i o n Se r v i c e i n t h e O r i e n t A lso Supp lement ary Dat a Relat in g t o P r o p o se d Television and T eleco mmun i cation N et works in t he F ar E ast and i n t h e Pan- A me r i c an A re a P rep a r ed b y UN I TEL I N C .” . 4. ハー バ ー ト・フ ーバ ー 大 統 領 図 書 館 ( th e He rb e rt H o o v e r P re s id en t i a l L i b r a r y & M u se u m ,I W) ( 1 ) ホー ル ス ーセ ン ペ ーパ ー ( a ) Folder: “Worldwide TV Network Japan Correspondence 1951 July-Sept.” 1951 年 7 月 2 3 日 付 , 柴 田 秀 利 から ホー ル スーセ ン へ の 手 紙 . 1 9 5 1 年 7 月 3 0 日 付 , ホ ー ル ス ー セ ン から柴 田 秀 利 への 手 紙 . 1951 年 8 月 3 日 付 , 岡 崎 真 一 から ホー ル スーセ ン へ の 手 紙 . 1951 年 8 月 1 0 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ホ ー ルスーセ ン への 手 紙 . 1 9 5 1 年 8 月 1 0 日 付 , ホ ー ル ス ー セ ン から正 力 松 太 郎 へ の 手 紙 . 1951 年 8 月 2 2 日 付 ,“ A r r i v a l a t H a n e d a A i r p o r t ” . 1951 年 8 月 2 3 日 付 , 読 売 新 聞 社 作 成 の 歓 迎 パ ーテ ィー の 記 録 . 1951 年 8 月 24 日 付 , “ P r o m o t e r s Conference on Television and Conference on Television”. 1951 年 8 月 2 5 日 付 , 読 売 新 聞 社 作 成 の 会 議 記 録 ( 2 ) . 1951 年 8 月 28 日 付 ,“ Con ference with th e Rad io Regu lato r y Commission” . 1951 年 9 月 3 日 付 , 読 売 新 聞 社 作 成 の 会 議 記 録 ( 4 ) . 1951 年 9 月 4 日 付 , 読 売 新 聞 社 作 成 の 会 議 記 録 ( 5 ) . 1951 年 9 月 1 0 日 付 , 読 売 新 聞 社 作 成 の 会 議 記 録 ( 6 ) . 1951 年 9 月 1 1 日 付 ,“ Co n f e r e n c e wi th N a t i o n - W i d e F in an c i a l Le a d e r s” . 1 9 5 1 年 9 月 1 2 日 付 ,デ ー ビ ス 将 軍 か ら 読 売 新 聞 社 への 手 紙 . 1951 年 9 月 1 4 日 付 , 本 田 親 夫 から ホー ル スーセ ン へ の 手 紙 . 1951 年 9 月 1 5 日 付 , 岡 崎 真 一 から ホー ル スーセ ン へ の 手 紙 . 1951 年 9 月 2 9 日 付 , 正 力 松 太 郎 から ホ ー ルスーセ ン への 手 紙 . ( b ) Folder: “Worldwide TV Network Japan Correspondence 1951 Oct.” 1 9 5 1 年 1 0 月 5 日 付 , ホ ー ル ス ー セ ン から 柴 田 秀 利 への 手 紙 . 1 9 5 1 年 1 0 月 1 1 日 付 , ホ ー ル ス ーセ ン から 正 力 松 太 郎 へ の 手 紙 , R C A から ホ ールス ーセ ンへ の 回 答 を 添 付 . 1951 年 10 月 24 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 10 月 29 日 付 ,ホールスーセンからダレスへの手 紙 . 126 1951 年 10 月 29 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . ( c ) Folder:” Worldwide TV Network Japan Correspondence 1951 Nov.-Dec.” 1951 年 11 月 1 日 付 ,ダレスからホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 11 月 9 日 付 ,ホールスーセンからダレスへの手 紙 . 1951 年 11 月 9 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1951 年 11 月 13 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 11 月 19 日 付 ,NTV から RCA への手 紙 ,電 波 管 理 委 員 会 の原 案. 1951 年 11 月 21 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1951 年 11 月 15 日 付 ,『TELEVISION OPPORTUNITIES』. 1951 年 12 月 4 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 12 月 10 日 付 ,ホールスーセンからダレスへの手 紙 . 1951 年 12 月 18 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 12 月 20 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 12 月 25 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 12 月 26 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1951 年 12 月 29 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1951 年 12 月 31 日 付 ,ホールスーセンから柴田秀利への手 紙 . ( d ) Folder:” Worldwide TV Network Japan Correspondence 1952 Jan.-June” 1952 年 1 月 2 日 付 ,アレクサンダー・スミス上 院 議 員 からホールスーセンへの 手紙. 1952 年 1 月 5 日 付 ,ムントから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 2 月 19 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 2 月 20 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 2 月 29 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 2 月 29日 付 ,ホールスーセンから柴田秀利への手 紙 . 1952 年 3 月 6 日 付 ,ホールスーセンから柴田秀利への手 紙 . 1952 年 3 月 15 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 3 月 19 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 3 月 20 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 3 月 24 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 3 月 29 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 4 月 3 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 4 月 7 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 4 月 9 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1952 年 4 月 16 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 127 1952 年 4 月 18 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 4 月 25 日 付 ,ホールスーセンからムントへの手 紙 . 1952 年 4 月 28 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 4 月 29 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 5 月 1 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 5 月 15 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 5 月 15 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 5 月 15 日 付 ,ムントからホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 5 月 23 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 6 月 6 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 6 月 13 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 6 月 14 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 6 月 25 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . (e)Folder:” Worldwide TV Network Japan Correspondence 1952 Jul y-Dec.” 1952 年 7 月 2 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 7 月 3 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 7 月 7 日 付 ,ホールスーセンから柴田秀利への手 紙 . 1 9 5 2 年 7 月 7 日 付 , ム ント か ら ホ ー ル ス ー セ ン へ の 手 紙 . 1952 年 7 月 10 日 付 ,ホールスーセンから柴田秀利への手 紙 . 1952 年 7 月 15 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 7 月 18 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 8 月 1 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 8 月 9 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 8 月 12 日 付 ,ホールスーセンから正 力 松太郎への手 紙 . 1952 年 8 月 13 日 付 ,正 力 松太郎からホールスーセンへの手 紙 . 1952 年 8 月 21 日 付 ,柴田秀利からホールスーセンへの手 紙 . 5 . ド ワ イ ト ・ ア イ ゼ ン ハ ワ ー 大 統 領 図 書 館 資 料 ( t h e D w igh t D . E i s en h o w er P re s i d e n t i a l L ib r a r y & M u se u m , K S ) ( 1 ) F i l e # 1, O CB 09 1. J ap an , Box #46 , O CB ( the Ope r at i on C oo rd in at in g Board ) Cent ral F i le . 1954 年 3 月 3 0 日 付 “ B ackgro und St at ement Relat i ve t o Un it ed St ates Act ion in Conn e ct ion w ith th e F UKURYU MARU In c id ent Prep ared by th e St ate Dep a rt men t ,” Ann ex B o f “Memorandu m to th e Op e ration C oo rd inat in g Bo a rd , ” N S C (th e N at ion a l S e c u r it y Co u n c i l ) S t a f f P ap e r s . 1954 年 3 月 22 日 付 , G. B. E rskin e, “Jap an and Ato m ic Test s” . 128 1954 年 3 月 24 日 付 “ J ap an an d Ato mic Test s” . 1 9 5 4 年 3 月 2 9 日 付 , St e f a n T . Po s s o n y か ら Ro b e r t B u t t o n へ の メ モ , “ Nu c l e a r Po we r St at io n s in Be r l in an d J ap an – Re a so n s P ro an d Co n ,” O C B Ce n t r a l Fi l e : Box 11 , O CB 0 00 .91 (F i l e #1 ) (1 ) . 1954 年 3 月 3 0 日 付 E l mer B. S taat s か ら O CB へ の メ モ “ P r e l i m i n a r y S t a f f S t u d y o f Be r l in Re a ct o r P ro p o s a l ,” , “ St u d y fo r O C B o n Be r l i n Re a ct o r P rop o s a l , ” お よ び 3 月 31 日 付 O CB 会 議 録 から の 抜 粋 “ A gen d a It em 4 ,” (F i l e # 1 ) (3 ) . 1954 年 3 月 3 0 日 付 E l m e r B . S t a a t s か ら O C B へ の メ モ “ U S P o s i t i o n wi th Re s p e c t t o In j u r y a n d D a m a g e s R e su l t i n g f r o m P a c i f i c Nu c l e a r Te s t ,” O C B Ce nt r a l Fi l e : Box 46 , O CB 0 00 .91 (F i l e #1 ) (3 ) . 1954 年 4 月 2 8 日 付 “ Out l in e Check L i st o f U. S. Go vern ment A ction s to O ffset Un f a vo r ab l e J ap an e s e Att it u d e s t o th e H- Bo mb an d Re l ate d D e ve l opmen t s” . 1954 年 4 月 2 8 日 付 記 録 メ モ “ Jo i n t Mee t i n g o f t h e Wo r k in g G ro u p o n Nu c le a r E n e r g y an d Re l a t e d M a t t e r s an d Wo r k i n g G r o u p o n N S C 1 2 5 / 2 a n d NSC 1 2 5/6 (J ap an ) ”. 1955 年 1 月 2 7 日 付 ,ジャク ソ ンからスミス へのメモ, “E xplo it at ion o f A toms fo r Peace Prog r a m in J ap an ”. 1955 年 2 月 4 日 付 , ファーネス ト ックからハーシへのメモ, “Prop o s al f or Exp lo it ation o f At o m s f o r Pe a c e P ro g r a m in J ap an ” . 1 9 5 5 年 4 月 2 1 日 付 ,ス ミ ス から ジ ャ ク ソ ン へ の 手 紙 . 1955 年 ラポートからラドルフへの手 紙 . 1956 年 3 月 1 2 日 付 報 告 書 “J ap an e se Op in io n o n P r o b l em s o f A to m i c En e r gy an d Nu cle a r We apon s”. ( 2 ) “ C o o p e r a t io n w i t h O t h e r N a t io n s i n t h e Pe a c e fu l U se s o f A t o m i c En e r g y ,” N S C 5 4 3 1 / 1 , Wh it e Ho u s e O f f i c e F i l e , O f f i c e o f t h e S p e c i a l A s s ist a n t fo r N at io n a l S e c u r i t y A f f a i r s : Re c o rd s , 1 9 5 2 - 6 1 , N S C S e r i e s , Po l i c y P a p e r s S u b - se r i e s , B o x 12. ( 3 ) N a t i o n a l I n d u st r i a l Co n f e r e n c e B o a r d e d . , “ M i n u t e s o f 2 n d A n n u a l Co n f e r e n ce , Ato m ic Energy in In du st r y” (19 53 ), in fo lder 108, 19 54 (3), Cen tr a l Fi l e s , O f f i c i a l Files Box # 524. ( 4 ) 1 9 5 5 年 1 月 28 日 付 , N S C 報 告 書 “ A to m i c Po we r Ab ro a d ,” N S C 5 5 0 7 , Wh it e Hou se O f f i ce F i le , O f f i ce o f t h e S p e c i a l A s s i st a n t fo r N a t io n a l S e cu r it y A f f a i r s : Reco rd s, 1 952-61 , NSC Series, P olic y Pap e rs Sub- se ries, Bo x 14 , EL. (5)1955 年 1 月 1 3 日 付 , OCB 作 業 原 稿 “ I n fo r m at io n P l an n in g o n N u c le a r En er g y Pro ject s fo r 1955 ,” OCB Cent r al F ile: Bo x 8, OCB 0 0 0 .9 (F ile # 2 ) . ( 6 ) John Jay Ho p k in s, “ A Plan fo r t he D evelop ment o f Int e rn at ion a l A t om i c E n e r g y u n d e r th e Le a d e r s h ip o f A m e r i c a n I n d u st r y , ” ( ジョ ン J . ホ プ キ ン ス 「 原 子 力 発 電 百 年 計 画 を 提 唱 する」 , 柴 田 文 書 の 原 文 ) 129 6.ハリー・トルーマン大 統 領 図 書 館 資 料 ( t h e H a r r y S . T r u m an P re s i d en t i a l L ib r a r y & M u se u m , M O ) 1948 年 1 1 月 30 日 付 , Sarno f f か ら T ru man への報 告 書 “Out lin e o f Propo sal F or the U se o f A i rb orn e R ad io Re l a y S y st em s Fo r th e Int e r cept ion o f G u id ed M i s s i le s B y D a v id S a r nof f P re s i dent a nd Ch a i r m an of th e B o a rd Ra d io Co rpo r at i o n o f A m e r i c a ,” T r u m an Presidential P ap e r s , W H C F : Co n f id e n t i a l F i l e , St at e Dep a rt men t Co r respo nden ce F ile,19 48-49 ,Bo x 39 ,F old er “ St ate Dep a rt m e n t , Co rrespond ence,1948 -49 [5 o f 6 ]” . 7. 日 本 学 術 会 議 資 料 『日 本 学 術 会 議 25 年 史 』 ( 1974 年 ) . 8. 国 立 国 会 図 書 館 ・ 憲 政 資 料 室 資 料 ( 1) S C A P I N( S C A P in st ru ct i o n t o t h e J ap an es e Go ve rn men t = 日 本 政 府 に 対 す る 連 合 国 司 令 官 の指 令 ) Scap in 47 , 1945 年 9 月 22 日 . Scap in 301 ,1945 年 1 1月 18 日 . Scap in 494 ,1945 年 1 2 月 31 日 . Scap in 609 ,1946 年 1 月 16 日 , Scap in 106 7,1946 年 7 月 16 日 . Scap in 108 5,1946 年 7 月 25 日 . (2) G HQ / C CS 資 料 1 9 5 0 年 1 0 月 1 4 日 付 , “ F A R E A S T C O M M A N D , E X C H A N GE O F P E R S O N S P R O G RA M F OR JA P A N ; T r a in i ng o f Me m ber s o f a N at ion a l R ad io Re gu l at o r y Co m m i s s io n , P ro j . N O . 1 9 4 . 9. 国 会 会 議 録 法 律 第 百 三 十 三 号 ( 昭 二 五 ・ 五 ・二 ) ◎ 電 波 監 理 委 員 会 設 置 法 . (テレ ビ 関 係 ) 第 011 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 1 号 , 昭 和 2 6 年 9 月 1 1 日 ( 火 曜 日 ) . 第 012 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 1 号 , 昭 和 2 6 年 1 0 月 1 6 日 ( 火 曜 日 ) . 第 012 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 6 号 , 昭 和 2 6 年 1 1 月 7 日 ( 水 曜 日 ) . 第 012 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 14 号 , 昭 和 2 6 年 1 1 月 2 9 日 ( 木 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 2 号 , 昭 和 2 7 年 1 月 2 5 日 ( 金 曜 日 ) . 130 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 3 号 , 昭 和 2 7 年 2 月 1 9 日 ( 火 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 4 号 , 昭 和 2 7 年 2 月 2 0 日 ( 水 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 6 号 , 昭 和 2 7 年 2 月 2 3 日 ( 土 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 8 号 , 昭 和 2 7 年 3 月 4 日 ( 火 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 20 号 , 昭 和 2 7 年 5 月 1 5 日 ( 木 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 35 号 , 昭 和 2 7 年 6 月 9 日 ( 月 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 36 号 , 昭 和 2 7 年 6 月 1 0 日 ( 月 曜 日 ) . 第 013 回 国 会 電 気 通 信 委 員 会 第 53 号 , 昭 和 2 7 年 7 月 3 0 日 ( 水 曜 日 ) . (原 子 力 関 係 ) 第 019 回 国 会 予 算 委 員 会 第 22 号 , 昭 和 2 9 年 3 月 3 日 ( 水 曜 日 ) . 10 . 原 子 力 委 員 会 月 報 VO L .1 N O .1「 原 子 力 委 員 会 の 発 足 に 際 し て」 , 昭 和 3 1 年 1 月 1 3 日 . VO L .1 N O .2「 日 本 原 子 力 研 究 所 敷 地 予 定 地 の 視 察 」 , 昭 和 3 1 年 . VO L .1 N O .3「 米 国 ブ ルックヘ ブン 原 子 力 調 査 団 の 来 日 」 , 昭 和 3 1 年 . 11 . 新 聞 関 係 『読 売 新 聞 』,『 毎 日 新 聞 』 1951 年 8 月 2 4 日 . 『読 売 新 聞 』,『 毎 日 新 聞 』 ,『 朝 日 新 聞 』1951 年 8 月 28 日 . 『読 売 新 聞 』,19 51 年 9 月 5 日 . 『読 売 新 聞 』,『 毎 日 新 聞 』 1951 年 9 月 1 2 日 . 『朝 日 新 聞 』 1 9 5 4 年 9 月 4 日 夕 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 1 月 1 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 3 月 1 6 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 4 月 2 9 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 5 月 7 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 5 月 9 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 5 月 1 1 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 5 月 1 4 日 朝 刊 . 『読 売 新 聞 』 1 9 5 5 年 5 月 2 0 日 夕 刊 . 『朝 日 新 聞 』 1 9 5 5 年 1 2 月 2 1 日 朝 刊 . 『朝 日 新 聞 』 1 9 5 6 年 1 月 1 3 日 夕 刊 . 12 . 関 係 論 文 藤 村 ・山 崎 ・日 野 川 ・奥 山 ・兵 藤 ・木 本 「マンハッタン計 画 の史 的 検 討 」『科 学 史 研 究 』 NO.149 (1984) ,pp .54-6 0. 131 山 崎 正 勝 「第 二 次 世 界 大 戦 期 における原 爆 の物 理 学 的 研 究 と核 兵 器 工 学 の成 立 」 『科 学 史 研 究 』 N O .160 ( 1 9 8 6 ) ,p p .2 2 5 - 2 3 4 . 山 崎 正 勝 「第 二 次 世 界 大 戦 期 における英 米 の独 原 爆 察 知 問 題 」『東 京 工 業 大 学 論 叢 』 NO.12( 1986) ,pp . 171-178 . 山 崎 正 勝 ・永 田 忍 「第 二 次 世 界 大 戦 期 における原 爆 の事 前 予 測 」『東 京 工 業 大 学 論 叢 』 NO.1 3(1988) ,p p.63- 69 . 山 崎 正 勝 「ロスアラモス研 究 所 における原 爆 の開 発 と製 造 」『東 京 工 業 大 学 論 叢 』 NO.16(199 0),pp .2 11 -221. 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(テレ ビ 番 組 ) N HK 番 組 , 「原 発 導 入 のシ ナリ オ ~ 冷 戦 下 の 対 日 原 子 力 戦 略 ~ 」 ,1 9 9 4 年 . 135 <著 者 紹 介 > 奥 田 謙 造 ( おく だ け んぞ う) 1956 年 愛 知 県 名 古 屋 市 生 ま れ 1975 年 3 月 私 立 東 海 高 校 卒 業 1976 年 4 月 東 京 工 業 大 学 第 3 類 入 学 1980 年 3 月 東 京 工 業 大 学 工 学 部 生 産 機 械 工 学 科 卒 業 学 士 ( 工 学 ) 1980 年 4 月 東 京 工 業 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科 生 産 機 械 工 学 専 攻 入 学 1982 年 3 月 東 京 工 業 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科 生 産 機 械 工 学 専 攻 修 士 課 程 修 了 修 士 (工 学 ) 1 9 8 2 年 4 月 ト ヨ タ 自 動 車 株 式 会 社 入 社 ( 現 在 に 至 る) 2003 年 4 月 東 京 工 業 大 学 大 学 院 社 会 理 工 学 研 究 科 経 営 工 学 専 攻 博士課程入学 2007 年 3 月 東 京 工 業 大 学 大 学 院 社 会 理 工 学 研 究 科 経 営 工 学 専 攻 博 士 課 程 修 了 学 位 取 得 博 士 (学 術 ) 学位論文 冷 戦 期 の ア メリ カの 対 日 外 交 政 策 と 日 本 へ の 技 術 導 入 - 読 売 新 聞 グルー プと 日 本 の テ レビジ ョン 放 送 及 び 原 子 力 導 入 : 194 5 年 ~19 56 年 - 2007 年 3 月 26 日 発 行 発行人:奥田謙造 〒471-08 1 4 豊 田 市 五 ケ丘 7 -4-4 e-m a i l : k-o kud a @h m2 . a it a i .n e. j p