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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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<資料・研究ノート>ビルマにおけるカレン族の独立闘争
史(その3)
大野, 徹
東南アジア研究 (1970), 8(1): 64-90
1970-06
http://hdl.handle.net/2433/55612
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
東南 アジア研究
8巻 1号 1
9
7
0
年 6月
資料 ・研 究 ノー ト
ビル マ に お け る カ レ ン族 の独 立 闘争 史 (
その 3)
大
野
徹*
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Ⅶ
ビル マ革命評議会 と国内和平交渉
1
9
6
3
年 6月1
1日, ビル マ革命評議会 か ら各種武装反政府組 織 に対 し, 国内和平交渉 の呼 びか
けが行 なわれ た 。1) KNDO の内, この呼 びかけに最初 に反応 を示 したのは,KRC 配下 の東 コ
1日,第 5旅 団の政治主任 ソ- ・フ ラペ ー (別 名
- トゥ- i
,-軍管 区第 5旅 団であった. 6月2
ス ゴ- ・ウ-ディー) お よび ウイン大隊第 3中隊長 チ ョ-ホ-大尉 の署 名入 り返書 が, タ トソ
県 モ ウッ クマ町 駐屯 の政府軍 第 4大隊 に届 け られ 2), 政治主任 ソー ・フラペ 一,作戦主任 シ ュ
エ ロソセ イソ,中隊長 ボ ウ ・モ ウウェ -等 5名の代表 がモール メソに現われ た のは, 6月2
8日
で あった 。3) フ ラペ-以下 の代表 団は,予備 交渉 の前提条件 として次 の 6項 目を提 示 した 。4)
1) 交渉期 間 中の戦 闘中止 。
2) 前線駐 屯 政府軍 の基地撤収 と作戦停止。
3) サル ウィソ, シヅ タウン両河 中間地域 におけ る政府軍攻撃 の中止。
4) 鉄道沿線 以外 の地 におけ る政府軍駐 屯 の限定 。
5) 停戦 ライン (シッ タウン川 とモ ウックマ町 の中間 に あ る自動 車道路) の指定 。
6) 交渉期 間中 におけ る KNDO 第 5旅 団に対 す る財政援助 (
年額 5
00万 チャ ッ ト)。
政府 は, この要求 に対 し第 1点 を除 いてすべ て拒否 した。5)だが,KRC (カ レン革 命評議 会)
* 大阪外 国語大学 ビルマ語学科
1) ビル マ字 日刊紙 「ヤ ン ゴン」 お よび 「ミヤ ソマ ・ア リソ」1
963.6.
1
2.
2) ビル マ字 日刊 紙 「ミャ ソマ ・ア リン」1
966.3.
27.
96
3.6.
3
0.
3) ビル マ字 日刊紙 「ヤ ン ゴン」1
96
3.7.
28.
4) ビル マ字 日刊紙 「ヤ ン ゴン」1
96
3年 3月∼ 8月,P.
59.
5) 『ア ジアの動 向』1
64
大野 :ビル マにお け るカ レン族 の独立闘争 史 (その 3)
は交 渉 を あ き らめ は しな か っ た。 8月 1
5日,KRC の主 要 メ ンバ ーか ら 成 る和 平 交 渉 団 が , ラ
ン グ- ソに 出 て来 た 。6) 主 席 の ソ- ・- ソ ター ター ム- - こそ 含 まれ て い なか っ たが , 一 行 は
7
)
次 の よ うな顔 ぶ れ か ら成 りた っ て い た 。
ソ- ・ノミトゥ ソ (
KRC 会 員 兼 中央 委 員 , コ- トゥ ー レ-政 府 教 育 ・文 化 相)
ソー ・ワ リー ヂ ョー (中央 委 員 )
KNDO 第 3旅 団長 兼 中央 委 員)
ボ ウ ・トル ー ミソ (
クン ・バ ス ウェ ー (中 央 委 員)
ソ- マ ッ カ - シ - ・ポ ウテ ィ ン
一 行 は , 8月20日 ビル マ革 命 評 議 会 と初 会 談 を行 な っ た 。8)
一 方 , イ ラ ワジ管 区 の KNU も, ビル マ革 命 評議 会 の交 渉 呼 びか け に反 応 を示 した。 まず 6
月23日に , ペ グ一山脈 管 区 の KPL
A (カ レン人 民 解 放 軍)第 8大 隊 か ら中隊 長 ソー ポ ウ大尉 ,
第
8郡
書 記 長 チ ャ ー レー大 尉 等
1
8名 の 管 区 代 表 が
, 続 い てバ テ ィ ン, ミャ ウ ソ ミャ両 県 の
9)
KNU 政 治主 任 ソー ・フ ラ ブェ,部 隊 長 ボ ウ ・シ ー シャ ーが 10)
, 6月30日に は ボ ウガ レー郡 内
の
KPGF (コー
トゥ - レ-人 民 ゲ リラ軍 ) 第
7大 隊 の ボ ウ ・ソ- ウィ ンナ イ ソが 11),
さ らに
同 日チ ャ ウ ソ ゴ ソ郡内 の ボ ウ ・ソ- トゥ-, ボ ウ ・ トゥ ソチ -, ソ- ・パ - レ-, ソ- ・ミャ
ソー等 が 12), それ ぞ れ 政 府 軍 駐 屯 地 に 現 わ れ て予 備 会 談 を 行 な っ た 。 そ して 7月1
5日に は ,
KNU 中央 委 員 会 議 長 マ ン ・バ ザ ソの署 名入 り書 簡 が 届 け られ , ラ ン グー ンに予 備 交 渉 代 表 団
を派 遣 す る予 定 で あ る こ とが 明 らか に され た 。13) 代 表 団 が ラン グー ンに現 わ れ た の は, 7月29
日で あ っ た。 代 表 団 は ,次 の よ うな メ ンバ -か ら成 りた っ て い た 。14)
チ ソペ ー少 佐 (
KNU 政 治 局 員 兼 中央 委 員 )
トゥ ソニ ー少佐 (中央 委 員候 補 )
ソー ・ミョ ウ トゥエ ー
マ ン ・ノミソこの 4名 の代 表 団 は ,単 に KNU のみ な らず , カ レン ニー民族 進 歩 党 , モ ソ新 国党 の代 表 を も
兼 ね て い た。
一 行 は , ビル マ革 命 評 議 会 に対 して次 の
6)
7)
8)
9)
1
0)
l
l
)
1
2)
1
3)
1
4)
1
5)
3項 目の要 求 を行 な っ た 。15)
ビルマ字 日刊紙 「ミヤソマ ・ア リン」1
9
6
3.8.
1
7.
ビルマ字 日刊紙 「ミヤンマ ・ア リン」1
9
6
3.8.
1
6.
ビルマ字 日刊紙 「ミャンマ ・ア リン」1
9
6
3.8.
21.
ビルマ字 日刊紙 「ミヤンマ ・ア リン」1
9
6
3.6.
2
4.
ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.6.
3
0.
ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.7.
2
8.
ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.7.3.
ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.7.
1
6.
ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.7.
3
0.
「国内和平交渉」 (ビルマ文)1
96
3.pp.96
-9
9.
6
5
東南 アジア研究
8巻 1号
1) 交 渉期 間 中 の停 戦 。
2) 反 政府 組 織 相互 間 の協議 に必 要 な時 間 の承認 お よび往来 の 自由 の保 証 0
3
) 新 聞 , ラジオ, その他 の報 道機 関 に よる ビル マ革 命 評議 会 と 3覚 代 表 団 との交 渉 内容 の
公 開。
これ に対 して, ビル マ革 命評議 会 は次 の よ うに回答 した 。16)
1)
和 平 交 渉 に応 じない武 装組 織 もあ るので全 国的 な停 戦 は不 可能 0 3党 の勢 力範 囲 内 に お
け る地 域 的停 戦 で十 分 と思 う。
2) 武 装組 織 は, 目的 も組 織 もそれ ぞ れ別 個 の もの で あ っ て, 相互 間 の協議 が成 りたつ とは
考 え られ な い。 よっ て 3党 問 の協議 の み を認 め る。
3) 交 渉成 立 の あか つ きには ,交 渉 内容 を すべ て公 開 す る。不 成 功 の場 合 ,代 表 団 が 見解 を
公表 す る ことは さ しつか え な い。
KNU の 中 に は , ビル マ革 命評 議 会 の和 平 交渉 呼 びか け は 「偽 の和 平」 で あ り,信 用 で きな
い と言 っ て反対 す る者 もい た。 ミソ フ ラ郡 の ソー ・タ- チ 三-, ソー ・トゥ ソ ミソ, ソ- ・パ
- トゥ等 が そ うで あった 。17)・
確 か に, この間 カ レン族 以外 の反 政 府 武 装組 織 との間 で平行 して進 め られ て いた和 平 交 渉 が
0日に赤旗 共 産党 との交 渉 が決 裂 した 。18) この点 につ い て,
不 成 立 に終 わ っ てい る。 まず 8月2
最 高裁 の現 長官 マ ウ ソマ ウソ博 士 は次 の よ うに述 べ てい る。
「6月 1
1日に行 なわ れ た革 命 評議 会 の呼 びか け に応 じて最初 に姿 を現 わ した の は , タキ ン ・
ソウで あっ たO カ-キ色 の上衣 に ロソジーを は いた タキ ソ ・ソウほ,昔 の ま まで あ っ た。顔 っ
き も話 し方 も全 く変 わ って い なか った。 ただ短 く刈 った頭 髪 だ けが 白 くな って い た。
旧友 や顕 な じみ の者 に会 った タキ ン ・ソウは,思想 的 な こ とを盛 んに しゃべ っ た。 新 聞記 者
と会 見す る時 には ,机 の上 に い つ もス ター リンの写 真 を飾 って いた。 フル シチ ョ フは修 正 主義
者 だ と彼 は言 っ た。
新 生 ビル マ とタキ ン ・ソウ との問 が切 れ て か ら久 しい。地 下 に潜 っ て いた タキ ン ・ソウは ,
政 治 の将来 に疑 惑 を 抱 いて いた。 国民 大 集 会 を 開催 して 将来 の こ とを 討議 しなけ れば な らな
い。 集会 には全 政 党 ,各 民族 の代表 が 出席 す べ きだ 。軍 か らは軍 曹 以下 の代表 を送 るべ きだ 。
そ して,集 会 は国際機 関 の監 視 の下 で運 営 され なければ な らな い, な どと彼 は ぶ っ た 。
革 命評議 会 は, これ 以上 交 渉 を続行 して も得 る と ころは な い と判断 して, タキ ン ・ソウ等 を
山 に送 り返 した。話 し合 いは まだ終 わ って いな い,残 らせ て くれ とタキ ン ・ソウは言 っ た。 も
う一 度 交 渉 の機 会 を作 って は しい とも言 った 。」19)
16) Z
b
i
d.pp.1
0
0
1
0
2
.
1
7) ビルマ字 日刊紙 「ミヤソマ ・ア リソ」1
9
6
3.9.
2
2.
1
8
) タンペ- ミイソ (
1
9
6
8
)p.
9
4.
1
9
6
9
)p.
4
4
0.
1
9
) マウンマウン (
ビル マ革 命評議 会 は ,赤 旗 共 産 党 との交渉 は失 敗 したが , 交 渉 継続 中 の KNU, カ レソ ニー
進 歩 党 , モ ソ新 国党 とは無 関係 で あ る旨,公 示 した。
予 備 会 談 を段階 的 に進 め て ビル マ革 命評議 会 の真意 を探 って いた カ レン族 の反 政府 組 織 は,
結 局本 会 談 に踏 み切 った。 そ の第 1陣 は , マ ン ・バ ザ ソの率 い る共 産 系 カ レンの KNU とモ ソ
新 国常 , カ レン ニー進歩 党 の 3党 代表 団 で あったっ
ⅦⅠ 革 命評 議 会 と 3党代 表 との和 平 交 渉
3党 合 同代表 団 は , 9月29日 タウン グー経 由で , ラン グ- ソにや って来 た 。20) 代表 団 は 11名
で構 成 され て お り, そ の主 な顔 ぶ れ は次 の とお りで あった 。21)
マ ソ ・バ ザ ソ
(
KNU 総 裁 ,KNU 中央 委 員会議 長)
ス ゴ- レー ト-
(
KNU 書 記 長)
ボ ウ ・チ ソペ ー
(
KNU 政 治 局 員兼 中央 委 員)
KNU 中央 委 員)
ボ ウ ・タソ ア ウソ (
ナ イ ・パ ル ィ ソ
(モ ソ新 国菟議 長)
ボ ウ ・モ ー レー
(カ レン ニー進 歩 党 書 記 長)
記 者 会 見 の席上 ,団長 の マ ン ・/ミザ ソほ次 の よ うに語 った っ
「
1
947年 以降 ,わ れ わ れ は カ レソ州 , モ ソ州 の即 時 承認 , カ レソ, モ ソ, ビル マの平 等性 ,
949年 反 ファ シ
民族 的対 立 と内戦 の回避 を主張 し続 け て きた。 これ がわ れ わ れ の活動 路 線 だ 01
ス ト人 民 自由連盟 政 府 当 時 も和 平 交 渉 の 機 会 が あったが , 武 装解 除 問 題 が 陸 路 とな っ たO ま
959年 の ネー ウィ ソ臨 時 政 府当時 に も和 平 交渉 が行 なわ れ たが ,政 府 の寿 命 が 1年 6か 月
た ,1
しか なか った た め未 解 決 の ま ま終 わ っ た
。
ビル マ はわ れわ れ の国家 で あ り, わ れ わ れ カ レン人
は ,過 去 2
000年 にわ た っ て ビル マ人 と一 緒 に この国 に住 んで きた, 相互 間 の理 解 が必 要 な の は
当 然 だ。今 回 の話 し合 い は成 功 す る と確信 して い る 。」22)
3党 合 同代表 団 と ビル マ革 命 評議 会 との第 1回会 談 は ,1
0月 4 日イソヤ ー通 り14番 地 の政 府
1
迎 賓 館 で 開 かれ , マ ン ・バ ザ ンか ら次 の 4項 目が提 示 され た 023)
)
予 備 交渉 団 が提 示 した 3項 目に関 す る不 明確 な点 の確 認 な らびに協議 (これ に は ,戦 闘
へ
中止 問題 も含 まれ る)
2
) 民族 団結 と統 一 。
2
0)
21)
2
2
)
2
3)
ビルマ字 日刊紙 「ミヤンマ ・ア リソ 」1
9
6
3.9.
2
8;1
9
6
3.9.
3
0.
ビルマ字 日刊紙 「ミヤンマ ・ア リソ」1
9
6
3.9.
2
8.
ビルマ字 日刊紙 「ミャソマ ・ア 1
)ソ」1
9
6
3_9.
3
0.
ビルマ革命評議会編 『ビルマ連邦革命評議会 と各種武装地下組織 との国内和平交渉』史料集第 1, ど
ルマ革命政府情報省.1
9
6
3
年1
1月 (ビルマ文),ラングーン.
以下,特に注記 しない限 り,本章および次章の記述は本文献によるC.
67
東 南 アジ ア研 究
8巻 1号
3) 民族 の 自由の保証 ,拡 大 と民主主義 。
4) 民族 民主主義経 済制 度。
以上 の内, D につ いて マ ソ ・バ ザ ソは,交渉期 間中 の言論 , 出版,集 会 の 自由に関 す る政
府 側 の回答 が ない こと,交渉期 間 中他 の武 装組 織 との協議 は 3党 間 にのみ認 め られ て い るが,
そ の他 の武装組 織 とも十分 に討議 す る時 間が必要 で あ る こ との 2点 を重ね て主張 したO
戦 闘中止 問題 につ いて, ネー ウィソ将軍 は,停 戦 地域 を限定 す る必要 は あ る。 民族 団結権 の
保 証 は,和 平 の実 現 よ りも党派 の利 益 に結 びつ く。交渉 内容 の即時 公 開 は時 間 の浪費 にな るの
で,交渉終 了時 に一挙 に行 な うべ きであ る旨回答 した。
結 局 ,戦 闘中止 問題 は,限定 的 に実施 した場 合 の弊害 を考慮 して, ビル マ共産 党 を も含 め た
「マ ダ ニヤ タ」 (
民族 民主統一 戦 線 )24) との会 談 で とり上 げ る ことに双方 同意 した。
Ⅸ
ビル マ革 命 評議 会 と民族 民主統一戦練 との交渉経 過
1
0月 4日, ビル マ革 命評議 会 が マ ダ ニヤ クに対 し,戦 闘中止 問題 に関す る話 し合 い の呼 びか
け を行 なった と ころ, マ ダ ニヤ タは,交渉 には応 じるが事前 に全 体会議 を 開 きた い とい う返 答
0月 8日, マ ダ ニヤ ク代表 団には,前 記 3党代表 の外 に,サ ライソ (チ ソ族 最高
を よ こした。1
組 織) 代表 2名 と, イェー ボー ・テ-, イェ -ボー ・ジン, イェ -ボー ・テ ィン トゥソ, イ
ェ- ボー ・ア ウソヂ 一, ボ ウ ・ゼ -ヤ の 5名 25)の 「ビル マ共 産 覚 代表 」 が 加 わ った。
ビル マ革 命評議 会 か ら, (
1) マ ダ ニヤ クは停 戦 問題 だ け を 協議 し,和 平 交渉 に関す る他 の協
2) マ ダ ニヤ クは,停 戦 問題 も含 め和 平 交渉
議 事項 は,従 来通 り各組 織 ごとに別個 に行 な う, (
全 般 に関す る協議 を, 「5覚代表 団」 とい う形 で一 括 して取 り扱 うのいずれ か を選択 してほ し
い 旨,要 望 が 出 され た。
0月1
0日開かれ , イェボー ・テ ィン トゥ ソか らマ ダ ニヤ ク側 の見解 が披露 され
第 2回会談 は1
た。 それ は, マ ダ ニヤ クの団体 協議 事項 は停 戦 問題 のみ に限 られ ,和 平 交渉 に関 す る他 の協議
事項 は,すべ て各覚 の個別交渉 に任 せ る とい う趣 旨で あっ た。
つ いで,停戦 問題 に関す るマ ダ ニヤ クの統一 見解 が, マ ン ・バ ザ ソか ら述 べ られ た。 その要
点 を箇条書 きにす る と,次 の とお りで あ る。
1
) 停戦範 囲 につ いて一 特定 の地域 に限定 せず,赤旗 共 産 党 , シャ ン族 , カチ ソ族 等 を も含
めた反政府武装組 織 すべ て との戦 闘を全 面的 に停止 す る こと。
2
4
)1
9
5
9
年 5月 2
5日結成された反政府各軍の連合組織。共産党からはタキン ・ジン,イェ-ポー ・テ-,
ポウ ・イェ- トゥッ, カL
/ソ側からはマン ・バザソ, マン ・シャンバレー (タ∼ ミャイソ師),ソー ・
オンペ∼等が出向した。
2
5) いずれ もビルマ共産党 (白旗)中央委員。大野徹 「ビルマ共産党の現状」 『東南アジア研究』 6巻 3
号 ,1
9
6
8
,p.
1
6
4.
なお, =イェーボノ 'とは ビルマ語で "同志'
'の意。
6
8
大野 :ビル マにお け る カレン族 の独立 闘 争史 (その 3)
2) 全 面 的停 戦 が仮 に不 可能 な場 合 で あっ て も,停 戦 問題 につ い て協議 を申 し出 て くる武 装
組 織 が あれ ば ,戦 闘 を中止 す る こ と0
3) マ ダ ニャ タお よび加盟 諸組 織 な らび に そ の勢 力範 囲 内 の地 域 に おけ る政 府 軍 の攻 撃 を中
止 し,戦 闘命 令 を撤 回 す る こと。
4) ビル マ革 命評議 会 配 下 の政 府軍 基地 は ,双 方 に誤 解 を生 ぜ しめ る危険 が あ るので ,撤 収
す る こと。
5) 停 戦 期 間 中 , マ ダ ニヤ タの既 得権 ,す なわ ち マ ダ ニヤ ク加盟 各組 織 の勢 力範 囲 内 にお け
る組 織権 ,行 政 権 の継 続 行 使 を認 め る こと。
6) 停 戦 実 現 の た め,中央 と地方 に政 府 ・マ ダ ニヤ タ双方 か ら成 る合 同委 員会 を設置 す る こ
と。
7) 停 戦 期 間 中 ,破 壊 主 義 者 の跳 梁 を抑 え るため適切 な保 護策 を講 じる こ と。
8) 停 戟 期 間 中 ,強 盗 ,誘 拐 等 ,住 民 の安全 を脅 かす よ うな事 件 が発 生 すれ ば ,相互 に連 絡
し合 い対 策 を講 じる こ と。
9) マ ダ ニヤ ク と停戦 に関 して 同意 した 旨, ラジオお よび新 聞 を通 じて公 示 す る こと。
10) 同意 の事実 を,双 方 の所 属 部 隊 へ伝 達 す る こ と。
ll) 細 目につ いて は今 後 協議 して決 め る こ と。
1
2) 停 戦期 間 は,和 平 交渉終 了 まで とす る こ と。
第 3回会 談 は 1
0月 15日開 かれ ,前 回 の会 談 で マ ダ ニヤ タか ら提 示 され た 1
0項 目に関 す る ビル
マ革 命 評議 会 の 回答 が読 み あ げ られ た。
まず項 目 (1
), (
2) につ いて ,革 命 評議 会 は個 別 に しろ合 同 に しろ武 装組 織 との協議 には応
じるが,個 別 交渉 と合 同交 渉 との 2本 立 て は認 め られ な い。 団結 の利 点 につ い ては革 命評議 会
と しては特 に言 う ことは な い が , この団結 に関 す るマ ダ ニャ タの見解 につ いて他 の組 織 と協議
4)中 の革 命評 議 会 に対 す るマ ダ ニヤ タの見解 は正
す る ことは有 益 だ とほ考 え られ な い。項 目 (
し くな い。 また,革 命 評議 会 は ,停 戦 問題 につ いて のみ マ ダ ニヤ タ と協 議 し和 平 交渉 に関 す る
他 の事項 につ い ては個 別 交渉 で継続 審議 す る とい う 3覚 代 表 団 の提 案 に同意 した の で あっ て,
個 別 ,合 同 2通 りの交 渉 を平 行 して行 な う ことは あ り得 べ か らざ る ことで あ る。和 平 交渉 を機
会 に 自己 に便 利 な体 勢 を整 え,武 器 ,兵 力 , 資金 の調 達 を 図 ろ う とす る二 枚 舌的 な組 織 もあ る
以上 ,
革 命 評議 会 と して ほ,
和 平 交渉 の当 事者 とのみ停 戦 を行 な う。全 面 的停 戦 は実 施 し難 い。
い っ たん和 平 交渉 が決 裂 した武 装組 織 に対 す る戦 闘 中止 は考 え られ な い。 マ ダ ニヤ タお よびそ
の加盟 諸 組 織 の支 配 下 に あ る地域 内で の戦 闘命 令 を撤 回せ よ との要 求 は一 方 的 で あ る。 マ ダ ニ
ャ タも革 命 政府 軍 の基 地 に対 す る戦 闘命 令 を撒 回 して,双 方 同一 条 件 に すべ きで あ る。基 地 の
撤 退 要 求 には応 じ られ な い。停戦 期 間 中 の マ ダ ニヤ クの組 織 活動 は,和 平 交 渉 を失 敗 させ る危
険 性 が あ り, 同意 で きな い。行 政 権 は,革 命政 府 の権 限 に属 す る。 革 命評 議 会 が武 装組 織 と対
69
東南 アジア研究
8巻 1号
等 に協議 して い る理 由は,武 装組織 を 「政治 団体 」 と認 め て い るか らで あ り, 「
革 命政 府」 に
対 立 す る別個 の政 府 組 織 と認 め たか らで はな いo従 っ て ,武装 組 織 の行 政権 行 使 は認 め られ な
い。 中央 と地方 の合 同委 員会 設 置 に は 同意 す る。住 民 の安全 ,治 安 問題 につ い ては,革 命政 府
に責 任 が あ り必要 な措 置 を とる。政 府 が マ ダ ニャ タに協 力 を要 請 す る こ とが あれ ば , マ ダ ニヤ
クは協 力 してほ しい。交 渉経過 の公 開 と双方 の所 属部 隊 へ の指 示 お よび細 目の協議 の 3点 につ
い ては ,今 後 の協議 事項 とす る。停 戦期 間 につ いては,原 則 として マ ダ ニヤ タの提 案 に賛成 す
る。 な お,最後 に 1点要 望 して お きた い。 内戦 の被害 者 は ,国民 ,なか んず く山間 僻地 の住 民
で あ り,彼 らか ら人 頭税 や活動 資金 の調 達 を行 な う ことは厳 に慎 んで も らい た い。
以上 , マ ダ ニヤ クの提 案 1
2項 目に対 す る革 命 評儀 会 の回答 を, 同意 ,非 同意 の二 つ に分 け て
考 えてみ る と,第 1項 か ら第 5項 まで の 5項 目が否 認 , 6, 7, 8お よび 1
2の 4項 目が 同意 ,
そ して 9,1
0,1
1の 3項 目は継続 審議 事項 とな っ てい る。 マ ダ ニヤ タの立場 か らみ る と,前 半
5項 目が停戦 にB
r
P
,
する 「
主 要 項 目」 で あ り,後 半 7項 目は そ の実 施 に関 す る 「
付 属 項 目」 にす
ぎな い と解 釈 され る。 一 方 ,革 命 評議 会 側 か ら見 る と,文 面 に 明示 こそ され て いな いが , い っ
た ん交 渉 が決 裂 した赤旗 共 産 党 の 問題 が含 まれ て い る こ と (1お よび 2), マ ダニヤ クに加盟
して いな い シャ ン族2
6
)
や カチ ソ族 27)の問題 まで持 ち出 して い る こ と,武 装 反政府 組 織 の体 制建
て直 しに優 利 な要 求 が 出 され て い る こ と (4お よび 5)な どの理 由か ら,前 半 5項 目につ い て
は 同意 で きな い性 質 の ものだ と解釈 され る。 いず れ に せ よ, この 5項 目の否 認 は, マ ダ ニヤ ク
に とっ て大 きな痛手 で あ る ことは否 めな い。
第 4回会 談 は 1
0月2
1日開かれ , マ ダ ニヤ ク側 の見解 が再 び示 され た。 マ ダ ニヤ ク と しては ,
停戦 問題 のみ を マ ダ ニヤ クが取 り扱 い,和 平 交 渉 に関 す る他 の事 項 につ い て は各 党 の個 別交渉
に任 せ る とい う方 針 を確認 す る。 各 党 の個 別 交 渉 を廃止 して マ ダ ニヤ タが全 権 を代 行 す る こと
は考 えて い ない し,個別 ,合 同の 2本 立 て方 式 を とる意 志 もな い。戦 闘命 令 の撤 回 につ いて,
マ ダニヤ ク側 に責 任 回避 の気特 は な いo マ ダ ニヤ タ と して も,配 下 の部 隊 に対 して政 府軍 へ の
攻 撃 命 令 を撤 回す る。 組 織 権 と行 政権 につ いて は , マ ダ ニヤ ク加盟 各党 の執 行部 の権 限 に属 す
5
年 間 の闘争 を通 じて人 民 と共 に行 動 し,人 民 の支 援 の下 に活動
る。 マ ダ ニヤ ク加盟 各党 は ,1
を続 け て きた。 この よ うな人 民 の支 援協 力 は ,少 な くとも和 平 が実 現 す る までは必要 で あ る。
人 民 の安全 問題 につ いて は,今後 とも徹 底的 に話 し合 い を行 な う。 和 平 - の破壊 者 に対 す る防
衛 問 題 につ いて は, マ ダ ニヤ タは革 命政府 に協 力す る。 そ の他 の事項 につ いて は これ 以上 ふ れ
な い。
2
6
) シャン族の反政府組織代表は, 8月2
0日および2
4日にラングーンに来て交渉.1
2月2
6日に決裂した.
9
6
3.8.
2
1;1
9
6
3.8.
2
6;1
9
6
3.9.2'
,タンペ- ミイソ (
1
9
6
8
)P.1
1
8
〔ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
等に詳 しい。
〕
27) カチ/族の反政府組織 (
通称 KI
A) は, 1
0月3
1日 ドクーワ ・ゾ-ダン以下 4名の代表をラングノン
.2
,1
9
6
9
,p・1
1
1
・
)交渉決
に派遣 した。 (
大野徹 「
北 ビルマ (カチン州)の旅」『
鹿児島大学史録』No
1月下旬。 (ビルマ字 日刊紙 「ヤンゴン」1
9
6
3.
l
l.3.
)
裂は1
70
大野 :l
二ノ
ン Tに お け る J
)ンン圧 の独立 闘争 史 (そ の 3)
こう した マ ダ ニヤ ク′
釦j
の発 言 をみ る と, マ ダ ニヤ タが 1点 を除 い て政 府 に譲 歩 した こ とが わ
組 織 ・行 政 権 」 の確 保 とい う問
か る。 絶 対 に譲 歩 で きな い最 後 の 1点 とい うの は ,第 5項 の 「
題 で あ る。 マ ダ ニヤ ク加盟 各 党 が 多 くの犠 牲 を払 っ て確 保 した 「
解 放 地 域 」 内 で の組 織 活 動 と
行 政 権 とを こ こで奪 わ れ る ことに な る と,一
党存 立 の基 盤 そ の もの を失 っ て しま う結 果 に な る。
そ れ は言 い換 え る と,兵 員 の補 給 源 と資金 源 の喪 失 を意 味 す る。従 っ て ,第 5項 まで譲 歩 す る
こ とは , マ ダ ニヤ タに とっ て は考 え られ な い こ とで あ っ た。
0月29日開 か れ ,過 去 4回 の交 渉 内容 に巨召す る革 命 評 議 会 の分 析 結 果 が披 露 さ
第 5回会 談 は 1
れ た。 それ を整 理 して み る と, 双 方 の同意 事 項 と同意 に至 らぬ 事項 とに大 別 され る。
(
1) 双 方 の 同意 事 項
i) 第 2部
i
i) 第 5項 を除 く第 3部
(
2) 同意 に至 らぬ事 項
i) 第 3部 第 5項 (組 織 権 ・行 政 権 の行 使 )
i
i) 第 4部 (人 頭 税 徴 収 の廃 止 )
そ して , 同意 に至 らぬ 事 項 に つ い て革 命 評議 会 か らさ らに詳 しい分 析 と批 判 とが くりひ ろげ
られ た O 特 に マ ダ ニャ タ加 盟 各 組 織 の既 得権 問 題 に つ い て は , マ ダ ニヤ タが 各組 織 執 行 部 の権
限 に属 す る ことだ と言 っ て い るが , これ は , い っ た ん提 示 した問 題 を再 び各 党 の個 別 交 渉 事 項
に差 し戻 す こ とを意 味 して お り, マ ダ ニヤ タ側 の政 治 的 か け ひ きで あ る。 よっ て ,組 織 権 ,行
政 権 の行 使 問 題 を各 党 との個 別 会 談 で協 議 す る とい うマ ダ ニャ タの提 案 は受 け入 れ られ な いっ
行 政 権 は あ くまで革 命 政 府 の専 有 事 項 で あ る とい う強 い態 度が 示 され た。
次 に ,人 頭 税 徴 収 問 題 で あ るが , いか な る形 を とるにせ よ国民 か ら直 接 人 頭 税 また は活動 資
金 の徴 収 を行 な う こ とは , 国民 の生 活 を不 当 に圧 迫 す る結 果 とな り,革 命 評 議 会 と して は絶 対
に容 認 で きな いO た だ し,人頭 哉 徴 収 の廃止 に よっ て マ ダ ニヤ タが被 るで あ ろ う食糧 補 給 の困
難 性 につ い て は ,革 命 政 府 として ほ援 助 協 力 の 用意 が あ る。
こ う した革 命 評 議 会 側 の強 硬 な態 産表 明 に 引 き続 き, マ ダ ニヤ クに対 す る革 命評 議 会 の新 し
い要 求 が提 示 され た。 す なわ ち,
革 命 政 府 軍 お よび そ の基 地 に対 す る攻 撃 命 令 を マ ダ ニヤ タが撤 回 し,住 民 の安 全 確 保 につ い
て マ ダ ニャ タは政 府 に協 力 す る とい う二 大 基 本 原則 につ い て は 同意 が得 られ た が , ただ それ だ
け で は停 戦 の実 現 は 困 難 で あ る.
/よっ て革 命 評議 会 として ほ ,停 戦 実 現 の た め下 記 の事 項 を マ
ダ ニヤ タに要 求 す る。
(
1) マ ダ ニヤ ク加 盟全 武 装 組 織 の所 在 地 を革 命 評議 会代 表 に通 告 す る こ と。
(
2) 革 命 評議 会 は ,各 地 に散 在 して い る武 装 組 織 が県 また は郡 単 位 で集 結 し得 る よ う,集 結
地 を指 定 す る。
(
3) 革 命 評議 会 は , マ ダ ニヤ タ各 党 員 が指 定 され た地 域 に指定 され た 目時 通 り集 結 し得 る よ
71
東南 アジア研究
8巻 1号
う,集結 日時 を指定 す る。
(
4
)マ ダニヤ タ各党負が指定地域 か ら移動 す る場合 には,事前 に政府軍当 局 の許可 を得 る こ
と。
(
5) マ ダ ニヤ ク各党員 は,停戦期 間中指定 され た地 域 内におけ る政府業務 お よび国民 に妨害
を与 えぬ こと。
革 命評議 会 がマ ダニヤ タに要求 した この新 たな 5項 目は,マ ダニヤ タの立場 か ら見れば ,形
式 的 に も実 質的 に も不当 な要 求 であった。形式的 に見 た場合 ,現 段階 での協議事項 は停戦問題
のみに限定 され てお り各組織 の現状変更 を伴 うよ うな大 きな問題 は個別交渉 の席上取 り扱 うの
が本筋 であ るO次 に実質的 に見た場合 ,革 命評議 会 の要求 5項 目中 には,各武装組織 に対 す る
安全 保証 の項 目が ない (
指定 され た 日時 に指定 され た場所 に集結 したマ ダニヤ タ系武装組織 が
政府軍 に包 囲せ ん威 され ない とい う 保証 は ない)。 また, 交渉決裂 の場合 におけ る取 り扱 いが
明記 され ていないO こうした観 点 とは別 に,戦 闘 の中止 は,中止 が決定 され た時 点におけ る双
方 の現状 固定 が 前提 とされ るべ きではなか ろ うか。 いずれ にせ よ, この新 しい 5項 目の要求
紘,数 回にわ たって積 み重 ね られ て きた革命評議 会 とマ ダニヤ タとの交渉 の前途 が,決 して明
るい もので はない ことを示す以外 の何 もので もない と思 われ る。
第 6回 目の会談 は1
1月1
1日開かれ,革 命評議 会代表 の フ ラ- ソ大佐 か ら,交渉 につ い ては相
互理解 が必要 であ るが, 現状 としては か な りの 疑点が生 じて きてい る ことが 拾摘 され た。 ま
た,問題点 が解決 され る ことな く,停戦 問題だけで行 きづ まっ てい る。 革命評議会 としては,
これ が最後 の線 であ り, これ以上 は譲 れ ない として,革命評議会 の見解 が読 み あげ られ た。
(
1
)和 平交渉 に関す る革命評議 会 の基本的見解
i) 内戦 のため ビル マ国内には さまざ まな問題 が生 じてい る。 ビル マの経済的 ,社会 的 ,
政治的 ,文化 的発展 は,内戦 の解消に大 き く依存 してい る と思 う。
i
i)和 平交渉 に際 して,国民 の利 益 を考 えず党派 の利益 のみ を優先 させ る ような協議態度
は,交渉 を失敗 させ る原 因 とな る。
i
i
i
) 交渉期 間中双方 が対等 であ る ことは もち ろんの こと,軍 事的 ,政治的 ,組 織的 に一方
が他方 に圧 力 を加 え るよ うな態度 は慎 まなければ な らない。
i
v) 交渉期 関中,交 渉 の内容 を国民 に公 開す る ことは誤解 や新 たな紛争 の困 とな る恐れ が
あ るか ら行 な うべ きではない。
(
2) 和 平交渉 中に おけ る革命評議 会 の態度
i) 国内和平実 現 のため 6月 1
1日各種武 装組織 に対 して和平交渉 の呼 びかけ を行 なった。
i
i)和 平交渉 に現われ た各組 織 と対等 の立場 で話 し合 った。
i
i
i
) 和 平交渉 に表 われ た各組織 の意 思 の統一 ,決定 を容 易 な らしめ るた め,各組織 の中央
委員会 の開催 ,政府軍基地 の撤去 ,各組 織代表 団の輸送等 に全 面的 に協 力 した0
72
大野 :ビル マにおけ る カ レン族 の独立闘争史 (そ の 3)
i
v)交渉 の意 思表 明 を した武 装組織 に対 す る攻 撃 の中止 ,戦線 の撤 回,交渉代表 団員 の安
全 等 に関 す る権 限 を前 線指揮官 に移譲 した。
Ⅴ) 武 装組 織 が 攻 撃 中止 を 申 し出 て きた時 には, 政府軍 側 も 戦 闘 を中止 す る よう指示 し
た 。
vi
)交 渉 中,武 装各組織 に対 す る刺激的 な呼称 の使 用 を避 け た。
vi
i
) ビル マ共産 党 の予 備 交渉代表 団か ら提 示 され た停戦期 間 に関 す る 9項 目の要求 中 , 5
項 目に同意 した。 また, 3党 中央代表 団 の要 求 3項 目を も受 け入 れ た。 さ らに, マ ダニ
2項 目の要求 中 ,1
0項 目に同意 した。
ャ タ合 同代表 団か ら提 示 され た停戟 に関 す る1
(
3) 交 渉 中 におけ るマ ダニヤ ク加盟 各党 の態 度
i) ビル マ共 産党 の申 し出に よっ て中央 委員会 開催実 現 のため政府軍基 地 5か所 を撤 去 さ
せた ところ,共 産党 は当該 地 区 の住民 か ら人頭 税 を徴収 した。
i
i)停戦 に関 す る KNU と革命評議 会 との交渉 が成立 しない内か ら,KNU は国民 を殺害
し和 平寄付金 と称 す る人頭税 を徴収 し,革 命政府 は軍 事的 ,政 治的 に苦 しい立場 に追 い
込 まれ たので止 む を得 ず和 平 交渉 を開 いた のだ と, 国 民 に宣 伝 した。
i
i
i
) ビル マ共産党 は, 口先 では革命評議会 を反植民地 ,反封建 制運動 の協 力者 だ と言 いな
が ら,地方 の町村 では集会 ,扇動活動 を行 なっ てい る。
i
v)KNU の首脳部 は, 交渉 の席 上 では 「家族的 な気持 で親 密 に話 し合 お う」 と言 い なが
ら,陰 では町村 の組 織 や群衆 を動 員 して革命評議 会 に圧 力 をかけ る ような動 きを して い
る。
Ⅴ) 国内和 平 の実現 に重 点 をお こうとせず,和 平交渉 を利 用 して 6県 内 で強制的 に国民 に
デモ,集 会 を聞かせ た 。28)
(
4) マ ダニヤ タに対 す る革 命評議 会 の見解
マ ダニャ タ加盟 各組 織 は,国内和 平 の実現 を よそ に,政 治的 かけ ひ き,党組織 の拡 大 ,
資金 の補充 等 を図 り,国民 に虚偽 の宣伝 を行 ない,従 来 以上 に人頭税 を徴収 してい る。 マ
ダニヤ タは,国に利 益 よ りも災厄 を もた らす のでは ないか との心配 を革命評議 会 は抱 くよ
うに なった。誠 に遺憾 であ る。
(
5) 交渉継続 のために マ ダニヤ クが受 け入れ るべ き条件
革 命評議 会は,和 平実 現 のため最後 の努 力 を尽 すつ も りで あ る。 マ ダニヤ クが下 記 の項
目すべ てを受講 す るな らば ,話 し合 いは今後 も継続 され るで あろ う。
i)停 戦期 間 お よび交渉期 間中, いか な る組織 活動 も行 なわぬ こと。特 に,公然非公然 を
28) 11月1
0日,メ-ヤーワディ-,ペグ-,インセイン,マウ∼ビt
/,-ンタ-ワディー,ラングーン 6県
11
0.
)
の農民,労働者,学生達がラングーン市庁ホールで 6県和平デモ集会を開いた(タンべ- ミン,P.
ことを指すものと思われる。
73
東 南 アジア研究
8巻 1号
問 わ ず組 織 活動 ,宣 伝 活 動 を即 時 中止 す る こ と。
i
i) 停 戦期 間 お よび交渉期 間 中 ,人 頭 税 の徴収 を停 止 す る こ と。
i
i
i
) 国民 に対 す る脅 迫 ,弾 圧 ,逮 捕 ,殺 害 等 の行 為 を即 刻 中止 す る こ と。
i
v) 上 記 3項 目に 同意 し,直 ち に下 部組 織 お よび所 属 部 隊 に指 令 す る こ と。
Ⅴ) 1
0月29日の会 談 の席 上 ,革 命 評議 会 代表 が読 み あげ た第 3部 第 2条 中 の 5項 目す べ て
に 同意 す る こ と。
vi
) 以上 の要 求 に対 す る回答 を11月 1
4日午後 6時 まで に革 命評議 会 に よ こす こ と。
この革 命 評議 会 の見解 お よび要 求 につ い て,革 命 評議 会 代表 とマ ダ ニヤ タ代表 との問 で激 し
い応 酬 が行 なわ れ た のは当 然 で あ ろ う。
まず , 6県 内 のデ モ集会 につ い て マ ン ・バ ザ ソか ら 「代表 団 は ラン グー ンで交渉 中 で あ る以
上 ,何 ら情 報 を得 て い ない。 もしそれ が事実 で あれ ば ,わ れ われ として も下 部 に対 して しか る
べ き措 置 を とるのにや ぶ さか で は な い。 けれ ども,わ れ わ れ は本件 につ い て何 一 つ知 らな い の
だ 。従 っ て,本 件 はわれ われ とは無 関係 だ と断 言 で きる」 とい う趣 旨の見解 が述 べ られ た。
続 い て共 産 党 の ボ ウ ・ゼ ーヤか ら 「この集会 は "人 民委 員 会 " の主 催 で行 なわ れ た もので あ
り, マ ダ ニヤ クの主催 では な い。 山人 民委 員会 " な どとい う組 織 はわ れ わ れ の指 揮 系統 に は な
い し, いっ たい誰 が あや つ っ てい るのか さえわ れ わ れ は知 らな い。 けれ ども,わ れ わ れ として
ほ こうい う事態 が お きて も, な おかつ最善 の努 力 をす るつ も りだ」 と話 し合 い続 行 の希 望 が述
べ られ た。 す る とフ ラ- ソ大 佐 か ら 「われ わ れ は, 組 織 活動 の停 止 を 冒頭 くり返 して要 望 し
た。 に もか か わ らず , この よ うな問題 が現 実 に お きて い るのだ。 中央 と連 絡 が とれ る とれ ない
とい う こ とは,神 のみ ぞ知 る こと。要 す るにわ れ われ としては ,交 渉 を続 け る以上従 うべ き原
則 を文 書 に ま とめ ただ け な のだ 。 これ に 同意 で きなけれ ば , これ 以上 話 し合 い を続 け る意 味 は
な い。和 平 交 渉 が成 立 す る見通 しは ない と思 う」 と交 渉打 ち切 りの態 度 が示 され た。 さ らに ま
た 「共 産党 中央 委 員会 開催 のた め政 府 軍 を引 き揚 げ たパ ウカ ウソ, パ ウン ダ レ一地 方 で は,過
去
3年 間人頭 税 の徴 収 は行 なわ れ てい なか っ た のに,去 年 の分 は ともか くとして今 年 と来 年 の
00チ ャ ッ トの徴 収 が共 産 党 に よっ て行 なわ れ た。 KNU も過 去 3年 間 ボ ー レー ヂ ュ ソで の
分4
徴 収 は行 なっ て い なか っ た のに ,今 まで の分 として 3万 チ ャ ッ トを要 求 して きてい る。 わ れわ
れ の攻 撃 中止 ,戦 闘停 止 を利 用 して, こうい う こ とをぬ け ぬ け とや っ て い るで は な いか。わ れ
わ れ としてほ , こうい う事態 は放 置 しておけ な い。わ れ わ れ は, イェ ー ボ ー ・テ ー29)に文書 で
注意 を うなが して もい る。 に もか かわ らず ,首 脳部 が知 らない とい うのは おか しい」 と, プラ
- ン大佐 は非難 した。
それ に対 し, マ ン ・バ ザ ソほ 「そ うい っ た地 区 が ほか に もあれ ば知 らせ て くれ 。 しか るべ き
2
9
) ビルマ共産覚代表団長。
74
大野 :ビル てに おけ る カ レン族 の独立闘 争史 (そ の 3)
措 置 を とるか ら」 , ボ ウ ・ゼ ー ヤ は 「で き るか どうか は ともか くとして, 今 確 か に誤 解 が生 じ
て い る。誤 解 を と くた め真 相究 明 の時 間 が あれ ば い い と思 うっ検 討 してほ しい。 で な けれ ば ,
回 答 を1
4日 まで に よ こせ と言 わ れ た と ころ で , わ れ わ れ として は考 え る時 間 が な い」 とそれ ぞ
れ述 べ た が , プ ラ- ン大 佐 は 「
1
4日まで に返 事 を よ こして ほ しい」 と固執 して譲 らなか っ た 。
ボ ウ ・ゼ ー ヤ が 「停 戦 問 題 で双方 の 同意 が得 られ なけれ ば ,和 平 交 渉 に お け る最 も重 要 な 討
議 課 題 で あ る "政 治 " の問 題 が取 り扱 え な くな る。 そ のほ う こそ問 題 で は な いか」 と追 求 した
と ころ, プ ラ- ソ大 佐 は 「わ れ わ れ は , 交 渉 相 手 の誠 意 に 疑 い を もっ て い る。 誠 意 が なけれ
ば ,交 渉 を継 続 す る こ とは難 しい」 と,重 ね て話 し合 い打 ち切 りの態 度 が示 され た。 ボ ウ ・ゼ
ー ヤ ほ 「誠 意 の有 無 を判 断 す る こ とは容 易 で は な い。 わ れ わ れ の問 に は 同意 で きな い点 もあ ろ
う し,誤 解 もあ ろ う。 けれ ども,何 らか の方 法 で解 消 で き る と思 う。考 え てみ てほ しい」 と,
交 渉 継 続 の希 望 を くり返 し述 べ た。
こ こで共 産 党 の イ ェ ー ボ ー ・ジ ンが は じめ て 口を 開 き, 「い ま問 題 に な っ てい る事 柄 は , 執
行 部 が考 え る問 題 で あ る。 それ ほ ど重 要 な問 題 の結 論 を短 時 間 の内 に 出 す に は , ボ ウ ・ゼ ー ヤ
が 言 っ た よ うに ,確 か に時 間 が少 なす ぎ る。 そ れ に "政 治 " に関 す る話 し合 い が つ けば , 自然
に解 消 す る よ うな問 題 も沢 山 含 まれ て い る。 わ れ わ れ として は ,政 治 に関 す る話 し合 い に進 む
こ とを希 望 す る。」
フ ラ- ン大 佐 : 「正 直 に言 うな らば ,わ れ わ れ は今 回 の代表 団 や ,代表 団 の見 解 を信 頼 で き
な い。和 平 交 渉 に来 て時 間 をか せ ぐ一 万 ,下 部 で は支 配 領域 の拡 張 ,組 織 活 動 の強 化 に 力 を注
い で い る。」
ボ ウ ・ゼ ー ヤ : 「組 織 とか財 政 問 題 とか い っ た こ とは "原則 '
'で あ るO "原 則 " は , 中央 委
員 会 の決 定 事項 だ 。 現 実 問 題 として , い っ た ん決定 した組 織 の基 本 方 針 を変 更 す る こ とは容 易
で は な い 。」
イ ェ ー ボ ー ・ジ ン : 「ボ ウ ・ゼ ー ヤが 言 っ た よ うに , "原則 " につ い て の決定 権 はわ れ わ れ
に は な いO ただ し, 停 戟 期 間 中 の "現 状 変 更 " を阻 止 す る権 限 は あ る。 例 えば ,新 領 域 の獲
得 ,新 財 源 の確 保 等 を禁 止 す る こ とは可 能 だ 。」
マ ン ・バ ザ ソ : 「原 則 問 題 が 中央 委 員 会 の決定 事 項 で あ る以 上 , マ ダ ニヤ ク代 表 団 に は決定
権 が ない とい うのが共 産 党 の立 場 で あ る とす れ ば ,わ れ わ れ として は ,当 初
3党 会 談 で提 示 し
た よ うに ,党 単 位 の個 別 交 渉 に戻 っ て協議 す る こ とが で き るのだ が」
フ ラ- ン大 佐 : 「今 の意 見 は ,個 別 交 渉 か らマ ダ ニヤ クの交 渉 内容 に変 え た事 項 を再 度個 別
交 渉 に差 し戻 す とい う こ とに な る。」
マ ン ・バ ザ ソ : 「交 渉 が暗 礁 に乗 り上 げ た以 上 ,解 決 の道 を探 す とい う意 味 で再 考 慮 の必 要
が あ る。今 問 題 に な っ て い る こ とは , 3党 会 談 当 時 は何 ら問 題 で は なか っ た。 それ が今 で は即
座 に処置 せ ね ば な らぬ 。 双方 同意 しなけれ ば な らぬ とい うふ うに変 わ っ て い る。 わ れ わ れ は ,
75
東南 アジア研究
8巻 1号
革 命 評議 会 がわ れ わ れ に圧 力 を加 え てい る とは思 い た くないO疑 惑 が生 じて い るだ け な のだO
疑 惑 は解 くことが で き る と思 う。 肝心 な こ とは国 内和 平 の実 現 な のだ か ら, マ ダ ニヤ タで は解
決 で きな い と言 う以上 ,個 別 交渉 に復 帰 して努 力 す る必 要 が あ る。
」
フ ラ- ソ大 佐 : 「
組 織 面 か らで あれ 火器 を用 い て で あれ ,一 方 が他方 に攻 勢 をか け て きてい
る以上 , た とえ停 戦 に 同意 して も現 実 に は それ を続 け るに違 い ない。 そ うで あ る限 り和 平 は成
立 しな い。話 し合 っ て も無 駄 だ 。
」
イ ェ ∼ ボ - ・ジ ン : 「
微 税 問 題 につ い て今 こ こで同意 が得 られ な くて も,す でに 同意 が成 立
した事項 を厳守 し "和 平 " と り政 治 問 題 … の討議 に進 ん で行 けば , そ の内 に必 ず解 決 す る と思
う。
」
ボ ウ ・ゼ ー ヤ : 「
政 治問 題 が話 し合 え る段階 まで は努 力 す る必要 が あ る と思 う。考 え直 して
ほ しい0 時 に は忍耐 も必要 だ。慎 重 に考 え ては しい.」
フ ラ- ソ大 佐 : 「わ れ わ れ と して は,文 書 に記 した とお りだ。 H政 治 〃 の討議 や和 平 を実 現
させ るた めに は これ 以外 に ない と思 っ てい る. この条 件 が呑 め なけれ ば , これ 以上 交 渉 を続 け
て も効 果 が あ る とは思 え ない。 これ が最 後 の線 だ 。和 平 交 渉 を成 功 させ るに は ,是 非わ れわ れ
の この提 案 どお りに しては しい 。」
ポ ウ ・ゼ ー ヤ : 「日時 につ い て考 え直 してほ しい。 こ こで 同意 が成 りた たね は ,和 平 交 渉 が
流 れ て しま う。 そ う した くな いか ら,わ れ わ れ は主張 してい るのだ。停 戦 問 題 が解 決 しない以
上 , もっ と重 要 で もっ と根 本 的 な "政 治 〃 に関 す る討議 に進 め な くな っ て しま う。 そ の点 は革
」
命 評議 会 に考 え直 して も らい た い。 それ と 日時 の延期 , この 2点 だ 。
フ ラ- ソ大佐 : 「
文 書 で提 案 した とお りだ 。 す べ てそ の通 り了 承 し同意 して くれ れ ば ,話 し
合 い は続 行 で き る。
」
マ ン ・バ ザ ソ : 「
会 談 が不成 立 に終 わ れ ば ,事 態 が急変 す る こ とを革 命評 議 会 は考 え ては し
いO革 命 評議 会 の提 案 5項 目の中 に は受 諾 で きる もの もあ るが ,第 2項 につ い て は お そ ら く党
員 達 が納 得 す る まい。政 府 軍 がわ れわ れ を ど こそ こに集 結 させ る とい う こ とにつ い て,わ れ わ
れ は疑惑 を抱 か ざ るを得 ない。率 直 に言 っ て,わ れ わ れ は下 部 に対 して説 明 い た しかね る。」
フ ラ- ソ大 佐 : 「集 結 とい うのは ,わ が政 府 軍 が全 武 装組 織 を 1箇 所 に集 め包 囲 してお くと
言 う こ とで は ない。わ れ わ れ に は そ ん な卑 劣 な気持 は ない。」
ボ ウ ・ゼ ー ヤ : 「
停 戦 問 題 よ りも本 交渉 の代表 団が釆 られ るか来 られ ないか とい う こ とのほ
うが もっ と重要 だ 。」
フ ラ- ソ大佐 : 「この間 題 が片 づか なけれ ば先 へ進 む 道 は ない と思 う。
」
ボ ウ ・ゼ ー ヤ : 「日時 の再 検討 を望 む 0 3日間 とい うのは あ ま りに も短 す ぎ る。十 分 に検 討
す る時 間 が ほ しい 。
」
フ ラ- ソ大佐 : 「時 間 は十 分 だ と思 う。
」
76
大野 :ビルマにおけ るカレン族 の独立闘 争史 (そ の 3)
この よ うに交 渉 継続 を強 く要 望 す るマ ダ ニヤ タに対 し,革 命評 議 会 は,提 案 が受 け入 れ られ
ない限 り交 渉 を打 ち切 る との態 度 を終 始一 貫 変 え なか っ た。 も とも と,革 命評 議 会 の マ ダ ニヤ
クに対 す る提 案 は, (
1
) 革 命 評議 会 とマ ダ ニヤ ク との当 面 の交 渉 問 題 で あ る 「
停 戦 」 とは全 く
別 個 に,革 命評議 会 か らマ ダ ニヤ タに突如 つ きつ け られ た要 求 で あ り, (
2) 内容 的 にみ て も,
マ ダ ニヤ タ存 立 の基 盤 を根 底 か ら くつが えす恐 れ の あ る重 大 な提 案 で あ る こと, (
3) マ ダ ニヤ
ク代表 団 の決定 権 に属 さない , また は加盟 各党 の執 行 部 あ るい は中央 委員会 の審議 判 定 を必 要
とす る事項 が もち 出 され てい る こ と, (
4) 限 られ た時 間 内 で は返 答 で きかね る性 質 の もの につ
い て即 答 が要 求 され て い る こと等 , マ ダ ニヤ ク代表 団 に とっ て即 決不 可能 な提 案 で あっ た と言
っ て よい 。 ビル マ共 産 党 , KNU, カ レン ニー進 歩 党 , モ ン新 国党 , テ ン最高 組 織 等 マ ダ ニヤ
ク加盟 の左 翼 5党 との和 平 交 渉 が決 裂 す るに至 っ た最 大 の原 因 は,革 命評議 会 の こう した 「硬
直的」 な態 定に あっ た とい っ て も過 言 で は ない。
4日開か れ ,革 命評議 会 の要 求 に対 す るマ ダ ニヤ タの最終 回 答 が よせ られ たっ
第 7回 は11月1
0月29目付批 判 に対 す る釈 明 と11月11日付提 案 に対 す る回答 の 2部 に分
回答 は,革 命評議 会 の 1
か れ てい る。
(
D l
0月29日付 批判 に対 す る釈 明
i) 革 命評議 会 とマ ダニヤ クは, 国 内和 平 実 現 のた め双方 停 戦 の問 題 に つ い て 5回 にわ た
る会談 を行 なっ た。 マ ダ ニヤ タは,停 戦 に関 す る協議 事項 多数 の同意 を基 に ,党 内武 装
組 織 に政 府 軍 に対 す る戦 闘 中止 命令 を発 した。事実 , デ ル タ地 方 , ペ グー山脈 , テ ナ セ
リム地 方 等 広範 囲 にわ た っ て戦 闘 が中止 され てい る。
i
i) 1
5
年 に お よぶ 内戟 の結 果 と して, 円滑性 を欠 く面 や相互 理 解 の不十 分 さ とい った問 題
は,確 か に あ る面 で はみ られ る。 けれ ど も話 し合 いに よる内戦 の停止 を志 向す るマ ダニ
ャ タは, いか な る問題 で あれ十 分 な討議 を くり返 す こ とに よっ て解 決 の緒 を見 出 し得 る
と信 じる。
i
i
i
)1
0月29日の会 談 で 出 され た 「既 得権 の行使 」 (日常 活 動 ) に関 す る革 命 評議 会 の見解
は,誤 解 以外 の何 もので もな い。 マ ダ ニヤ タ と して は ,停 戦期 間 中 , 自己 の領域 内 に お
け る 日常 活動 の継 続 を求 め ただ け で あ るが ,残 念 な ことに ,わ れ わ れ の組 織 は革 命政 府
に相対 立 す る 「反 乱政 府 」 だ とい う問 題 に いつ の間 にか 発 展 して しまっ た。 マ ダ ニヤ タ
は ,問 題 が この よ うに拡 大 しよ う とほ思 っ て もい なか っ た し,拡 大 させ る意 志 も もっ て
い なか っ た。組 織 活動 と行 政 権 に関 す る基 本 原 則 は, マ ダ ニヤ タ代表 団が責 任 を もっ て
いる 「
停 戦 問 題」 のわ くを越 え る もの と考 え る。 この基 本 原則 は, 「
政 治 問題」 の交渉
が実 現 した段階 で討議 しなけれ ば解 決 し得 ない と考 え るので, マ ダ ニヤ クの一 存 では な
く各 党 執 行 部 の権 限 に属 す る事 項 だ と説 明 したわ け で あ る。
国 内和 平 は 国民 の現 在 と未 来 に深 いかか わ り合 い を もつ重 大 な問題 で あ る とい う認 識
77
東南 アジア研究
8巻 1号
の下 に,マ ダニヤ タ代表 団は,停戦 を実現 させ ようと努 力 して きた。 こう した認識 に基
づ き,同意事項 を優先 させ不 同意事項 について も段階的 に同意 に達 す るよう心掛 け て き
た。従 って, この間題に関す るマ ダニヤ タの提 案 が 「
不正 な政治的 かけ ひ き」 でない こ
とは明 らかであ る。
i
v
)停戦期 間中 の 「支援金」 の徴収 問題 につい て, マ ダニャ タは,現有領域 内におい ての
み徴収 を行 ない,領域外 での徴収 行為 は禁止 してい る。 それ以上 の ことについては,政
治問題 と合わせ て首脳部代表 団 と協議 すべ きであ る。
Ⅴ) 組織活動 の問題 も,政 治問題 の審議 と平行 して討議 され るべ きだ とマ ダニヤ タは考 え
る。組織活動 は,政党活動 の基 盤 であ る。組織活動 の全 面禁止 は,政 党存在 の否定 と同
義 にな る。 従 っ て,平和建設 に役立 つ マ ダニヤ タの組織活動 は続行 すべ きだ と考 え る。
vi
)1
0月2
9日付 の革命評議会要求 5項 目を慎重 に検討 した結果 ,マ ダニャ タは次 の ような
考 えを抱 くに至 った。 マ ダニヤ タとしては,双方 の現状 に照 らして必要 な原則 を定 め,
そ の原則 に則 っ て双方 の部隊 の所在地 で戦 闘 を中止 すべ きだ と考 え る。 マ ダニヤ タ所属
の武 装組織 の現在地 を革命評議 会 に報 告す る こと (
第 1項) 紘, マ ダニヤ クに とって不
可能 ではない。 しか し,マ ダニヤ ク各部隊 が革命評議会代表 の指定 す る場所 に集合 す る
こと (
第 2項) については, マ ダニヤ タ軍 が政府軍 に包 囲 され る結果 にな るので, マ ダ
ニヤ クの所属部隊 は納得 しないであろ う。
そ こでマ ダニヤ クと しては,双方 に無理 のない形 として,次 の 2点 を提案 す る。
(a) マ ダニヤ ク所属部隊 は現在地 に おいて戦 闘を中止 す る。 (b) 戦 闘中止 の 日時 に
ついては,双方協議 の上決定 す る。 この 2点が実行 されれば ,革命評議会 の第 3項 は不
要 にな る と考 え る。
(
2) 1
1
月1
1日付革命評議会 の批判 に対 す る回答
i) いかな る形 であれ ,組織活動 を行 なっ てはな らない。資金徴収行為 を してはな らない
とい う ことは,党活動 の全 面的停止 ,党 の解散 を意味 す る。 革命評議会 が指定 す る地 区
に部隊 を集結 させ る ことは,軍事的 に見 て政府軍 の包囲 と異 な る ところがない。 この 2
点 は,マ ダニヤ ク各党 の活動 の 自由 と軍 事的現有地 の喪失 を意味 し,対 等 な話 し合 いを
不可能 な らしめ る。
i
i
)マ ダニヤ タは,政府軍 に対 す る反撃 命令をす でに撤 回 してお り,停戦 は実現 可能 だ と
信 じてい るが, 革 命評議会 の 「
交渉続 行 のため の条件」文書 は , この望 みを 断 ち切 っ
たO革命評議 会 の意 見には,マ ダニヤ クに対 す る疑惑 と非難 とが含 まれ てい る。 しか し
マ ダニヤ タは,国内和平 の実現 を期待 して,非難 に対 す る無益 な反論 は あえて行 なわ な
い
。
i
i
i
) 革命評議会 の文書 中 「マ ダニヤ クの とった態 度」 の事実認定 に多 くの誤 りが あ る。 こ
78
大 野 :ビル :に お け る
f
]
\
)
ンン朕の独立 闘 争 史 (そ C
'
)3
れ らの誤 認 は ,説 明 に耳 を傾 け る こ とに よっ て氷 解 す る よ うな性 質 の もの で あ るっ
i
v) 革 命 評 議 会 の マ ダ ニヤ タに対 す る非 難 の中 で最 も重 大 な のは , ビル マ共 産 党 や
KNU
が各 地 で人 民 を集 め て 扇動 し革命評 議 会 に圧 力 をか け て い る とい う点 で あ るっ 6県 デ モ
集 会 に つ い ては , マ ダ ニヤ タは い っ さい タッチ して い な い。 マ ダ ニャ タは ,応 援 す るに
せ よ反 対 す るにせ よ, デ モ集 会 に関 す る指 令 は何 一 つ 発 して い な い 。 も とも と この デ モ
集 会 の性 格 自体 , マ ダ ニヤ クの考 え とは一 致 しな い点 が あ る。 けれ ども, この デ モ集 会
は平 和 に対 す る人 民 の願 望 を表 明 した集 会 で あ っ て,革 命 評 議 会 に圧 力 をか け る 目的 で
行 なわ れ た とは思 え な い。 む しろ,革 命評議 会 の意 向 に沿 っ た革 命評 議 会 を支持 す る集
会 で あ っ た とわ れ わ れ は解 釈 して い る{
Ⅴ) 「停 戦 期 間設 定 の た め討 議 して い る最 中 , それ を利 用 して政 治 的 か け ひ きを行 な い ,
党 勢 拡 張 ,財 源充 実 , 国民 - の虚 偽 の宣 伝 を行 な っ た」 とい う指 摘 で あ るが , マ ダ ニャ
タは ,各 党 の現 有 領 域 内 に お け る党 活動 を除 き, い っ さい の活 動 を停 止 して い るっ 特 に
勢 力範 囲外 で の組 織 ,徴 税 活 動 は堅 くこれ を禁止 して い る。
vi
) マ ダ ニヤ タは ,組 織 活 動 の基 本 原 則 と党 の現 状 とが尊 重 され る限 り, いか な る問題 で
あれ 停 戦 交 渉 の場 で 自由 に討 議 す る用意 が あ るO- ,二 の討 議 事項 に 同意 が み られ なか
っ たか ら と言 うだ け の理 由 で ,和 平 交 渉全 体 の決 裂 を招 くよ うな愚 は避 け るべ きだ とも
考 え る。 けれ ども,革 命評議 会 か らマ ダ ニヤ クに提 示 され た 「交 渉 継 続 の条 件 」 は理 解
に苦 しむ 〔 す べ て無 条 件 で受 け入 れ な け れ ば 交 渉 は決 裂 だ とい う態 度 は , もは や 双方 対
等 の話 し合 い の形 で は な い。 そ の点 を , マ ダ ニヤ タは最 も遺 憾 に思 う。
vi
i
) 最 後 に , この停 戦 交 渉 会 談 で得 られ た 同意 事 項 は今 後 も有 効 だ とみ な し, 同意 が まだ
得 られ て い ない 点 に つ い ては ,今 後首 脳 部 代表 団 との本 交 渉 の席 上 再 討 議 すべ きで あ る
L
_
,革 命 評議 会 か ら出 され た要 求 事 項 は ,停
こ とを主 張 した い 。 組 織 ,徴 税 の全 面 的 禁 L
戦問 題 のみ を取 り扱 うマ ダ ニヤ タ代 表 団 の権 限 か ら大 き く逸 脱 して お りマ ダ ニヤ タ代 表
団 と しては 回 答 で き る立 場 に な い の で , 各 党 執 行 部 との 個別 交 渉 に- 任 した い「 マ ダ ニ
ヤ タ との会談 で停 戦 問 鼠 は解 決 を 見 なか っ た けれ ど も,和 平 を実 現 す る道 は まだ残 され
て い る と信 じるっ そ うい っ た意 味 で ,各 覚 執 行 部 との個 別 交 渉 が望 まれ る っ 首 脳 部 会 談
で 「
政 治 」 に 関 す る話 し合 い が成 立 すれ ば ,懸 案 中 の問題 も解 決 す る こ とは 疑 い な い。
停 戦 交 渉 に関 す る合 意 が成 立 しなか っ た か ら とい っ て ,和 平 交 渉 を打 ち切 るべ きで は な
い と思 うっ 以 上 の点 を ,革 命 評議 会 に再 考 慮 して も らい た いっ
この よ うな マ ダ ニヤ クの 回答書 が読 み あ げ られ た後 ,革 命 評 議 会代 表 の フ ラ- ソ大 佐 が 「マ
ダ ニヤ タの回答 文 を要 約 す れ ば ,2
9日付 のわ れ わ れ の提 案 中第 3部 第 2条 の 5項 目が受 け入 れ
1目付 の要 求 も受 諾 で きな い とい う意 味 だ と解 釈 す る。従 っ て こ
られ な い とい う こ とで あ り, 1
れ 以 上 和 平 交 渉 を継 続 す る こ とは不 可 能 だ と言 わ ね ば な らな い」 と述 べ ,革 命 評 議 会 とマ ダ ニ
79
東 南 アジ ア研究
8巻 1号
ヤ ク との和 平交渉 は ,遂 に1
1月 1
4日決 裂 す るに至 った 。80)
革 命評議会 とマ ダニヤ ク との この交渉決裂 に つい て,
元 ビル マ共産党 中央 委員 の一 人 で あ り,
タキ ン ・ソウ, タキ ン ・タン トゥ ソ と共 に共産 党 を指導 していた タキ ン ・テ ィ ンペ - (
現在 ビ
ル マ字 日刊紙 「ボ ウダ タ ウン」 主筆 ウ- ・テ ィ ンペ - ミイ ソ) 紘, 次 の よ うに 述 べ てい る。
「
革 命政 府 が武装 反乱軍 に平和 交渉 を呼 び掛 け た際 , タキ ン ・ソウ と他 の反乱軍 たちが先 に こ
れ に応 じた のに, タキ ン ・タン トゥ ン等 の ビル マ共産党 は なか なか回答 しなか っ た。- (
略)一
中共 指導 者 達 が この件 につ い て,われわれ に援 助 させ てほ しい と革 命政府 に言 い寄 っ て きた。
-(
略)一 彼 らは政 治亡 命許可 を与 えてあ るパ ティ ソテ ィ ン, ボ ウ ・ゼ ーヤ等 の ビル マ共 産党指
導 者 の一 団 を ラン グー ンに特別機 で送 った。- (
略)- パ テ ィ ンティ ン等 が ビル マに帰 っ て来 て
指 令 してほ じや て, タキ ン ・タン トゥ ソ等 の一 派 は,和 平交 渉 のため イェ ーボ ー ・テーの率 い
る代表 団を派遣 させ た のであ るO - (
略)一 和 平 交渉 の論議 に入 っ て も中国 の型 に基 づ く革 命 の
み を信 じてい る ビル マ共産党 は- (
略)- 彼 らの党 が第 1線 に立 ち指導 権 を獲得 す る こと,解放
地帯 お よび彼 ら自身 の武 装軍 の存 続 ,政 府部 内- の参 加等 の 目標 を掲 げた ので あ る。- (以下
略)」3
1
)
以上 , ビル マ革 命評議 会 とマ ダニヤ ク (
.
民族 民主統一戦 線) との和 平交 渉 の経過 を, ビル マ
96
3,25
0pp.を基 に長
革 命評議 会 白身 が編 纂 した 『国 内和 平 交渉』 史料集第 1 (ビル マ文) 1
長 と説 明 して きた理 由は, カ レン族 反政府組 織 の一 つ KNU が マ ダニヤ クの加盟組 織 だ ったか
らで あ る。革 命評議 会 とマ ダニヤ タ との交渉決 裂 は, 同時 に革 命評議 会 と KNU との決裂 で も
あった。
デル タ地 帯 を地盤 とす る共 産 系 カ レソの KNU は, こ う して反乱活動 の続 行 を余儀 な くされ
た。戦 闘は, また して も再 開 され た 。1
2月 1
0日政 府軍 は, カ レン州 シュ- グソ, フライ ソ ブェ
旅 団長 ボ ウ ・ミャ) に対 す る討伐 作
一両郡 で活動 してい るマ ダニヤ ク系 の KNDO 第 7旅 団 (
4年 1月 ,政 府軍 第 1
05歩 兵大隊 に よっ てマ ン ・バ ザ ソ配
戦 「ティー-作戦」 を開始 した 。32) 6
下 の作戦 主任参謀 -ル ・モ ウピー と補 給参謀 テ イモ ティ- ・アルバ - トが射 殺 され 33), 2月 7
日には ヒンダ- タ県 内 の KNDO 第 1
5
旅 団 ソ- ・バ シェ イ ン旅 団長 が政府軍 第 9歩兵 大 隊 に逮
掃 され た 。34)
Ⅹ
ビル マ革 命評議会 と KRC (コー トウ- レー政府) との和 平 交渉
KNU と KRC との分裂 以降 , デル タ地 帯 とテナ セ リム管 区 で活動 していた KNDO 軍 も 2
3
0
) ウ一 ・タンペ- ミソ (
1
9
6
8
)P.
1
1
1'
,マウンマウン (
1
9
6
9
)p.
4
4
1.
31) 外務省南西アジア課 『毛沢東の中国とビルマの主権』pp・4
5
4
6
・ なお本書は, ビルマ字 日刊紙 「ポ
ウダタウン」に掲載 されたティンペ- ミンの解説記事を邦訳した もの。
3
2
) ビルマ字 日刊紙 「ミヤンマ ・ア リソ」1
9
6
4.1.
1
0
,l
l
.
3
3
) ビルマ字 日刊紙 「チェ-モン」1
9
6
4.1.
2
4.
9
6
4.2.9
.
3
4
) ビルマ字 日刊紙 「チェ∼モン」1
大 野 :二′
∴ ,にお け る カ レン族 の独 立 闘争 史 (そ の 3)
派 に分 か れ た。 ソー ・- ン クー メム- -指 揮 下 の東 コ- 1
、ウ- レ-師 団 に は ,従 来 KNDO 第
3,第 5,第 6,第 7の 4個 旅 団 が あ っ た が ,第 7旅 団 の ボ ウ ・ミャ旅 団長 が マ ダ ニヤ ク加 盟
者 で あ るた め除 籍 され ,第 3,第 5,第 6の 3個 旅 団 が残 るの み とな っ た。 もっ と も, タポ イ
とメル ギ ー両 県 内 で活動 して い る第 3旅 団 は ,兵 員 の半 数 が ビル マ共 産 党 の翼 下 に入 っ て い る
の で , - ン タ- ター ム- - の指 揮 権 が お よぷ の は残 りの半 数 にす ぎなか っ た 。35)
東 コー トゥ- レ- (サ ル ウイ ン 川流 域 ) の非 共 産 系 カ レン, す な わ ち KRC (カ レン 隼命 評
3年 1
0月22日 ラン グー ンに来 て, ビル マ革
議 会 また は コー トゥ- レ-政 府 ) の中央 代 表 団 は ,6
命 評議 会 との和 平 交 渉 を 開始 した 。36) 代 表 団 は次 の よ うな メ ンバ ーで構 成 され て い た 。37)
ム ソ- コー カサ ー ・- ソ ター ター ム- - (コー トゥ - レ-政 府 首 席)
パ ド- ・ワ リ- ヂ ョ - (
KRC 中央 委 員)
パ ド一 ・ウェ ー トー
(
KRC 副 議 長 )
パ ド- ・ブ ヮイ ス
(
KRC 中 央 委 員)
ク ン ・バ ス ウェ ー
(
KRC 中央 委 員 )
ボ ウ ・ トル - ミソ
(
KRC 中央 委 員 ,兼 KNDO 第 3旅 団長 )
ボ ウ ・モ - ピッ
(
KRC 中央 委 員)
0月23日 ビル マ革 命委 員 会 に交 渉 事項 を提 示 した。 第 1回 目の会 談 は 1
0月28日,
代 表 団 は ,1
1月 2日,第 3回 目は 1
2月 2日に 開 か れ ,1
2月 21日か らほ ク リス マ ス の た め 休止 ,
第 2回 目は 1
翌6
4年 1月22日に話 し合 い が再 開 され た。
4年 1月 5日に は KNDO 第 5旅 団 の 旅 団長 ボ ウ ・リン テ ィ ンが ラ ン グー ンへ来
この間 , 6
た 03
8
)予 備 交 渉 を終 え た リンテ ィ ン一 行 は シ ュ- ヂ ン, チ ャ ウヂ -郡 へ戻 り, サ ル ウイ ン川西
部 一 帯 で の戦 闘 が 中 止 され た 。1
2月21日 ラン グー ンか ら帰 っ て来 た - ン ター ター ムエ ー を中心
に , リン テ ィ ン以下 , ボ ウ ・ウイ ン, ボ ウ ・モ ウ ウェ -等 第 5旅 団 の指 揮 官 お よび ボ ウ ・ トル
ー ミン, ボ ウ ・サ - ドゥ コ-等 第
3旅 団 の指 揮 官 達 が集 まっ て協 議 した 。39)
クl
)ス マ ス休 暇 を終 え た ノ、ン クー タ- ム- - の一 行 1
6人 は , 1月22日 ラン グ- ソ- 戻 っ て来
て 40),和 平 交 渉 を再 開 した。 会 議 には , ビル マ革 命評 議 会 か ら, ソー ミイ ン大 佐 (首席 代表 ),
タ ウン ダ ソ準 将 , フ ラノ、ン大 佐 , タウンチ ー大 佐 , チ ッキ ン中佐 等 が 出席 , KRC か らほ ム ソ
- コ∼ カサ - (- ソ ター ター ム- -) 以下 , パ ド一 ・ワ リ- ヂ ョ-, パ ド- ・ウェ - トー, ク
3
5
)
3
6
)
3
7
)
3
8
)
3
9
)
4
0)
ビルマ字 日刊紙
タンペ- ミイン
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
「ミヤンマ ・ア リン」1
9
6
4.1.
1
7.
(
1
9
6
8
) P.
1
0
8.
「チェ-モン」1
9
6
3.
1
0.
2
3.
「ミヤンマ ・ア リン」1
9
6
4.1.8
, 9; 「チェ-モン」1
9
6
4.1.8.
「チェ-モン」1
9
6
4.1.
1
3.
「チェ-モン」1
9
6
4.1.
2
3.
8
1
東 南 ア ジ ア研 究
8巻 1号
ン ・バ ス クェ -, パ ド- ・ブヮイス, ボ ウ ・ T/
レ- ミソ, ボ ウ ・モ -ゼ ッ, ソー ・ア ウソ セ イ
, オ ンペ ー大将 等 が 出席 した 。42) そ して, 3月1
2日開 かれ た会議 で,KRC と ビル マ革 命
ソ 41)
評議 会 との 「
政 治 ・軍 事」 問題 に関 す る最 終討 議 事項 に つ い て両 者 間 に合意 が成 立 した 。43)
合 意 事 項 の 内容 は次 の とお りで あ る。44)
ビル マ革 命 評議 会 とカ レン革 命 評議 会 は ,1
96
3年 1
0月2
8日か ら1
96
4
年 3月1
2日まで数 回 にわ
た っ て討 議 した結 果 ,下 記 の通 りの合 意 に達 した。
1) しか るべ き将 来 , ビル マ式 社 会 主 義 を基 盤 とす る社 会 民主主 義 方 式 に よっ て成 りたつ ビ
ル マ連 邦 の憲 法 を, ビル マ国 内 に居 住 す る各種 民 族 が参 加討議 して起 草 す る とい う ビル マ
革 命 評議 会 の提 案 に, カ レソ革 命評 議 会 は 同意 す る。
2) 憲 法 が起 草 され る まで の期 間 中 , カ レン革 命 評 議 会 は , ビル マ革 命 評議 会 に下 記 の事 項
を要 求 す る。
i) 「カ レン州」 を 「コ- トゥ - レ-州」 と改 称 す る こ と。
i
i) コ- トゥ- レ-の 州域 を現在 の カ レン州 よ りも拡 大 して, そ の中 に テ ナ セ 1
)ム管 区 内
の カ レン族 多数 居 住地 区 を編入 す る こ と。
i
i
i
) コー トゥー レー州 の権 利 と義 務 を定 め る こ と。
i
v) 和 平 実 現 の た め,双方 の停 戦 とコー トゥ- レ-軍 問題 を審議 決 定 す る こ と。
3) KRC か ら提 案 され た前 記 第 2条 に関 して
i) ビル マ革 命 評議 会 は ,第 2条 第 1項 の 「カ レン州」 を 「コ- トゥ- レ-」 と改称 す る
こ とに 同意 す る。
i
i) 第 2条 第 2項 に つ い て, ビル マ革 命 評議 会 は , 国 内居 住全 民 族 との討 議 を経 る こ とな
くビル マ革 命 評議 会 の一 存 で決定 を下 すべ きで は ない と考 え る。 よっ て, この間題 は将
来 開催 され る 「国 内居 住 全 民族 会議 」 の席 上討 議 す る とい う ビル マ革 命 評議 会 の提 案
を , カ レン革 命 評議 会 は受 諾 す る。
i
i
i
) 第 2粂 第 3項 につ い ては ,1
9
6
3年 2月1
2日の連 邦記 念 日に行 なわ れ た ビル マ革 命 評 議
会議 長 の演 説 「ビル マ連 邦 に居住 す る諸 民族 の問題 に関 す る革 命 評議 会 の見解 」
45)の内
容 に沿 う もので あ る こ とを, カ レン革 命 評議 会 は 了 承 す る。
i
v) 双 方 の停 戦 お よび コ- トゥ- レ一軍 の問題 に つ い ては ,今 後 と も協 議 を続 行 す るた め
双 方 の代表 か ら成 る 「
連 立 委 員会 」 を設 置 して取 り扱 う こ とに 同意 す る。
41
)1
9
4
9
年 4月,イソセイソでの戦闘停止交渉の際,-ソタータームエーと共に停戦協定を拒否 したO
4
2
) ビルマ字 日刊紙 「チェ-モン」1
9
6
4.1.
2
8.
1
9
6
9
)P.
4
4
2;タンペー ミイ ソ (
1
9
6
8
)pp11
3
0
1
3
1
・
4
3
) マウソマウソ (
4
4
) ビルマ字 日刊紙 「チェ-モン」1
9
6
4.3.
1
3; 「ミヤンマ ・ア リン」1
9
6
4.3.
1
3.
4
5
) 全文が, ビルマ式社会主義計画党組織中央委員会本部編 『ビルマ連邦に居住する諸民族の問題に関す
る革命評議会の見解』 (ビルマ文)1
9
6
4,p.
9
7.に収録されている。
8
2
大野 :ヒノ
してにお け る カンン族 の独 立闘争 史 (そ の 3)
4) コー トゥ ー レー州外 の テナ セ リム管 区 , ペ グー管 区 , イ ラ ワジ管 区 内 に居 住 す るカ レソ
族 の問 題 に つ い て, カ レン革 命 評議 会 は , 関 係 の 「
治 安 ・行政 委 員会 」 (
SAC) に カ レソ
革 命 評議 会 の代表 を任 命 せ よ と追 加要求 す る。
i
i
) ビル マ革 命 評議 会 は ,第 4条 の要求 を受 講 す るっ
KRC と ビル マ革 命 評議 会 との間 に和 平 交 渉 が成 立 した翌 13日, 政 府軍 総 司令 部陸軍 参謀 次
長 サ ン-準将 は ,南 東軍 管 区 ,中央 軍 管 区 , 南 西軍 管 区 の 3司令 部 に対 し KRC所 属軍 との戦
,一軍 , GOC,東 コー トゥ- レ
闘停 止 命令 を発 した。一 方 , KRC も,参謀 本 部 , コ- トゥ- i
一地 方 , デル タ地 方 等 に対 し,議 長 ム ソー コー カサ ーの名 に よる戦 闘停止 命令 を 出 した。
4
6
)そ
して合意 成立 に伴 い , コ- トゥ- レ-軍 旅 団長 ボ ウ ・リンテ ィ ン,副旅 団長 ボ ウ ・ウィ ソ, 求
ウ ・テ ヅ ウェ -大 佐 , ボ ウ ・パ -ル ー ヂ ョ-大佐 , ボ ウ ・ア ウソ タ-大佐 , ボ ウ ・グ ウェ ト
6日 ム ソー コー カサ ー の 招 きで ラン グー ンに呼 ば れ
ゥ-少佐 等 KNDO の指 揮 官 達 が , 3月1
た 。47)
非共 産 系 カ レン KRC とビル マ革命評議 会 との間 には , こう して和 平 が成 立 しカ レン族 反 徒
5
年 ぶ りに終止 符 を打 った。
の多数 派 は , そ の闘争 史 に 1
ⅩI カ レン族 反 政 府 組織 の現状
ビル マ革命 評議 会 と東 コー トゥ ∼ レー管 区 の KRC との停戦 和 平 交 渉成立 に よっ て, サ ル ウ
ィ ソ川 , シ ッ ク ウソ川流 域 に お け る カ レン族 の反政 府 活動 は消 滅 した。 「コ- トゥ- i
/-政 府 」
の元 首 相 ソー ・- ソ ター ター ムエ ーは ビル マ革命政 府文 部 省教 育 研 究 所 の特 別研究 官 に,元 閣
僚 パ ド一 ・バ トゥソは カ レン州改 め 「コー トゥー レー州」 の州務 委 員会 委 員 (
文 部 担当) に ,
パ ド一 ・ワ リーヂ ョーは ビル マ社 会主 義 計 画覚 教 育 部 員 (の ち,英 字 新 聞
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y の編 集 委 員 に転 出) に , メ- ミャイ ソ師 は ビル マ社 会 主義 計 画覚 コー トゥ- レ州委 員 に , それ ぞれ任 命 され た。 コー トゥ- レ-軍 司令官 達 も,一 般市 民 と して新 しい生活 に
4年 4月 3日 「カ レン州」 は 「コー トゥ - レー州」 と改 称
入 っ た。 そ して,KRC の要 求 通 り6
され た 。48) コー トゥ← レ-州 に もよ うや く平 和 が訪 れ て来 た と思 わ れ た。
961
年 の美 人 コン テス ト入賞 者 で あ る女 優 の ノー ・ル イザ ー と大 恋愛
ボ ウ ・リン テ ィ ンは ,1
の末 結 婚 した 。 ノー ・ル イザ ーは, ユ ダヤ人 の父 とカ レン人 の母 の問 に生 まれ た混血 児 で , ラ
ン グー ン大学 卒 業 後 ,助手 と して教 育 活 動 に従 事 してい た。美 人 コン テス ト入賞 後 女優 に転 向
して,何 本 か の映 画 に 出演 した。 リンテ ィ ンに とっ ては, この頃 が最 も幸 せ な時 期 で あ っ た と
言 え よ う。 だ が ,静止 してい る よ うに見 えた歴 史 の歯 車 は , この間 に も回転 し続 け てい た の で
4
6
)
4
7)
4
8
)
4
9
)
ビルマ字 日刊紙 「
チェ-モン」1
9
6
4.3.
1
4.
ビルマ字 日刊紙 「
チェ-モン」1
9
6
4.3.
1
7.
タンペ- ミイン (
1
9
6
8
)p.
1
3
4.
ビルマ字 日刊紙 「ポウダタウン」1
9
6
8.
1
0.4.
8
3
東南 アジア研究
8巻 1号
あ る。 コ- トゥー レ-軍 の処遇 に関す る会談 が タ トンで催 され る ことに な り, リンティ ンに 出
席 が要請 され た。 ところが,会 談 に赴 いた リンティ ンを銃 弾が見舞 った. これ が, - ソ クー タ
- ム- -指 揮 下 の 「コー トゥ- レ-軍」 中最強 を うたわ れ た KNDO 第 5旅 団 の元旅 団長 1
)ン
テ ィ ンの最後 で あった 。49) 残 され た妻 ノー ・ル イザ -は,全財 産 を処分 し帰順 していた夫 の部
下 を率 い て コ- トゥー レ-州の山中 に逃避 した。コー トゥー レ-州内 で ゲ 1
)ラ活動 が再 開 され,
政府軍 との問 に銃 火が交 され る ように なったのは それ か らで あ る。 ボ ウ ・トゥソ ミンに率 い ら
れ る非共産 系 の KNDO 第 1旅 団は, こう して誕生 した。第 1旅 団は,現在 コー トゥー レー州
メ - ア ン県 内に司令部 をお き50),サ ル ウイン川西部 のパ ーア ン, タ トン両 県 内で活動 を続 け て
い る。
マ ン ・バ ザ ンに率 い られ るマ ダニャ タ系配下 の KNU は ,和平交渉決裂後依然 と してデル タ
地 帯 を押 えて い るO 元 「コー トゥ- レ一軍」 の中 で マ ダニャ タ系 列 に属 す る KNDO 第 7旅 団
(
旅 団長 ボ ウ ・ミャ) は コー トゥ- レ-州 のサ ル ウィ ソ川東部, フライ ン ブ-那 , コ- カ レイ
郡 で, 第
8旅 団 (旅 団長 ピュ師) は テナ セ 1
)ム 管 区南部 の タポ イ県 イェ - 郡 内で, 第 3旅 団
(
旅 団長 ボ ウ ・セ イ ソ) はペ グ一県 内で,それ ぞれ活動 を続 け てい る。
上述 の ご と くカ レン族 の反政府組 織 は,マ ダ ニャ タ (
共産) 系 と非 マ ダ ニャ タ系 の 2派 に大
別 で きるが ,組 織 間 の交流 は,思想 的 な面 よ りもむ しろ人事 的 ,感情 的要 素 お よび縄張 り意識
等 に災 され て, ほ とん どない と 言 っ て よい。 例 えば , タウン グー県 , ペ グ一県 内 の KNU 軍
紘 ,KNDO 第 7旅 団 と対立 してい るが , この対立 は, 第 7旅 団 を率 い るボ ウ ・ミャの軍 国主
6
年 9月遂 に ボ ウ ・ミャ
義 路線 とマ ン ・バ ザ ソの共産主義路 線 が衝 突 して マ ダニャ タが分 裂 ,6
一
派 が マ ダニャ タか ら 離脱 した こ とが主 因 51)とされ てい る。 ボ ウ ・ミャは 最初 か ら統一 戦線
(マ ダニャ タ) を信 用 してお らず , KNDO の唯一 の 目的 は カ レン 独立 国 の樹立 であ り, それ
以外 のた めに戦 うつ も りは ない と語 っていた と言 われ る。 コー トゥー レー州を活動 領域 として
9
6
6
年 当時 ボ ウ ・トゥソ ミソ派 5
0
0人 , ボ ウ ・ミャ派 8
0
0人5
2
)と
い るカ レン反乱軍 の勢 力は ,1
推 定 され ていた。一方 ,デル タ地 帯 の KNU では,共産 党 が KNU に毛沢東路 線 を強要 した た
め ,6
7
年 8月 マ ダニャ タの組 織 に ひびが入 り始 めた。 も ともと 「
民族 民主統一 戦 線 (マ ダ ニャ
メ) 」 は,何 らの思想的必 然性 を もた ない ままに共産覚 と KNU とが 同盟 して成 りたっていた
組 織 で あ るO 両 者 間に存 在 す る唯一 の共 通 目標 は, ビル マ革命政府 の打倒 で あったO タ-ヤー
ワデ ィー県 内の KNU リー ダーで あ るボ ウ ・トウフ ラ, ソー ・ミャティ ン等 は毛 思想 の受 け入
れ を拒 否 した 。53)
この よ うに, カ レン族 反政 府組 織 は離 合集散 が激 し く, その現状 を正 確 に把握 す るのは容 易
5
0)
1)
5
5
2
)
5
3
)
ビルマ字 日刊紙 「ロウタ-ピイ ドゥ∼」1
9
6
7.8.
1
0.
『アジアの動向 (ビルマ)1
9
6
6
』pp.2
7
2
2
7
3; 『アジアの動向 :6
7
年の回顧』p.1
0
0
『アジアの動向 (
1
9
6
6
)
』p.
2
4
8.
『アジアの動向 (
1
9
6
7
)
』p.
1
7
5.
大 野 :ヒル てにおけ る カ レン族 の独立 闘争史 (そ の 3)
で は な いが , そ の組 織 と活 動 領域 は ,1
967年 6月 1日か ら1
970年 2月28日まで の ビル マ字 日刊
紙 「ロ ウ タ- ピイ ドゥ - (
労 働 者 人 民 日報 ) 」 掲 載 の カ レン族 関 係 記 事 を整 理 分 析 す る と, お
よそ次 の よ うに な る。
(
1) コー トゥ - レ-管 区 (サ ル ウィ ソ, シ ッ ク ウン両 河 川流 域 )
i)KNDO 第 1旅 団 (非 マ ダ ニャ タ系 )
総 司令 官
ノー ・ル イザ 一 ,旅 団長
兵力 5
00人 ,活 動 領域
組
ボ ウ ・ トヮ ン ミイ ン, 副旅 団長
チ ャ ー大 佐
パ ー ア ン県 , タ トン県 (サ ル ウイ ン川 西部 )
大隊長
織 ,
/
第 1大 隊 (
大隊長
第 2大 隊 (
[
大隊長
第 3大 隊 (
ボ ウ ・シ ャ- ミン)
- (大 隊 長
デ ィ ソ ガ ∼少 佐 )
キ/マ ウソ イ -少 佐 ) - (
大隊長
シ ャ - ミソ少 佐 )
ボ ウ ・チ ョー ホ ウ)
チ ョー ホ ウ少 佐 )
- (
大隊長
-
(1
967年 現在
1
969年 現在)
i
i)KNDO 第 5旅 団
活動 領域
組
タ トン県 チ ャ イ トー郡 , パ ウン郡 , ど- 1
)ソ郡
大 隊長
第 1大 隊 (
紋
〔第
2大 隊 (大 隊 長
ボ ウ ・リン)
ボ ウ ・セ イ ンテ ィー)
i
i
i
)KNDO 第 6旅 団
活動 領域
チ ャ ー イ ン セ イヂ ー郡 , 司 令 官
シ ュ-サ イ ン少 佐
i
v) KNDO 第 7旅 団 (マ ダ ニ ヤ ク系)
旅 団長
ボ ウ ・ ミャ, 司 令 官
兵力 4
00人 ,活 動 領域
ポ - トゥ大 佐 , テ ィ ン シ ュエ少 佐 , ボ ウ ・ソー ピー
パ ー ア ン県 フ ライ ン ブ-那 , シ ュ- グ ン郡 , コ- カ レイ 郡
(サ ル ウイ ン川東 部 )
(
2) ペ グ一山脈 管 区
i) KNDO 第 3旅 団
管 区 司令 官
活動 領域
ソー ・ア ウソテ ィ ソ大 佐 ,旅 団長
ボ ウ ・セ イ ソ
ペ グ一県 シ ュ- ヂ ソ郡 , ウ ォ-那 , カ ワ郡 , ダイ ウ-那
i
i)KNU 第 7旅 団 (マ ダ ニ ヤ タ系 , KNDO第 7旅 団 ボ ウ ・ミャ と対 立 )
司令 官
ボ ウ ・ヂ ョ ウ, ボ ウ ・モ ウ- イ ン, ボ ウ ・ク- テ -
活動領域
タ ウン グー県 チ ャ ウヂ -那 , タン ク ビン郡 , イ ェ - クー シェ -那
(
3) テ ナ セ リム管 区
KNDO 第 8旅 団
旅 団長
ビュ ー師 , 副 旅 団長
活動領域
サ ー ミ少 佐 , ボ ウ ・シ ャ ン
モ ール メ ソ県 (イ ェ ー郡), タポ イ県 , メル ギ ー県
(
4) デ ル タ管 区
85
東南アジア研究
KNU 議 長
管区委員
マ ン ・バ ザ ン,中央 委 員
8巻 1号
ボ ウ ・チ ンべ -, ボ ウ ・タンア ウソ
ソー ・ビ-ポ ウ, エ ス ・テ ィ ン (ソ- ・タ ト-)
行政 組 織 お よび県委 員会 員
KNU 第 1県 (クーヤ ー ワデ ィー県)
ソー ・ミャ テ ィ ン(
議 長), クー ドゥ,
ボ ウ ・トウフ ラ, パ ール ーヂ ー
KNU 第 2県 (フモ - ビー,バ テ ィ ン県)
ソ- ・ターチ ョ ウ(
議 長)
KNU 第 3県 (マ ウ- ビン県 )
議 長), ソ- ・テ ィ ン,
KNU 第 4県 (ヒソ ダー タ, ミャ ウソ ミャ県) ソ- ・ビ- ポ ウ(
ボ ウ ・ミャテ ィ ン, マ ン ・タ∼ セ イ ソ,
ソ・
一 ・二
L-
KNU 第 5県 (マ ウー ビン県 )
ソー ・ビー
KNU 第 6県 (- ソ クー ワデ ィー県)
ボ ウ ・ア ウソセ イ ソ(
議 長),パ ー トゥ
ー (作戦 主任 )
KNU 第 7県 (バ テ ィ ン, マ ウー ビン県 )
マ ン ・ニ ー トゥー (
議 長), ソー ・フ ラ
ブ- (
作 戦 主 任)
軍 事組 織 お よび活動 領域
KPLA5
4
)
第 2大 隊
(
大 隊長
タ ウン ニュ ソ)
バ ティ ン県 , ミャ ウ ソ ミャ県
KPLA第 8大 隊
(大 隊長
ソー ・ア ウソテ ィ ソ)
ター ヤ ー ワデ ィー県
KPGF5
5
)
第 3大 隊
(
大 隊長
ガー ミソ)
バ テ ィ ン県 , ミャ ウソ ミャ県 ,
ヒンダー ク県
KPGF第 4大 隊
(
大 隊長
マ ウソ ・ザ ソ)
マ ウー ビン県
KPGF第 6大 隊
(
大 隊長
クウェ ッ コー)
ミャ ウソ ミャ県 , バ テ ィ ン県
第 1中 隊
(中隊長
ウィ ソ カ ウソ)
ミャ ウソ ミャ県
2中隊
(中隊長
チ ッペ ー)
ミャ ウン ミャ県
第 4中隊
(中隊長
第
トゥー セ -, ど- ウ-) バ テ ィ ン県
KNU は ビル マ共 産 党 と提 携 して 「マ ダ ニャ タ」 を組 織 して い たが ,1967年 頃 か ら内部 分 裂
7年 6月 に 開 か れ た KNU 党 中央 委 員会 の会議 を健
の兆 を見 せ始 めた 。5
6
)マ ン ・/ミザ ソ は , 6
康 を理 由に欠席 したが , 自分 の考 えは文 書 で 明 らか に したO マ ン ・バ ザ ソの考 えは , KNU 党
中央 委 員会 の第 3次 路 線 (
文 化 大 革 命路 線) と合 致 しないば か りで な く,真 っ 向か ら反対 す る
もの で あっ た 。57) KNU は , こう した マ ン ・バ ザ ソを ,「修 正 主 義 者 , カ レン人 民 の裏切 り者 」
5
4) カ レン人 民解放 軍 の略称 。
5
5
) コー トクーレ-人民ゲ リラ軍の略称0
56) ビルマ字 日刊紙 「pウクーピイ ドクー」1967.
1
0.2.
5
7) ビルマ字 日刊紙 「ボウダタウン」1
9
6
8.
1
0.4.
86
大野 :ビルマにお け るカ レン族の独立闘争史 (その 3)
と言 っ て非 難 した 。58'マ ン ・/ミザ ン (
右 派 ) と中央 委 員 会 多 数 派 (左 派 ) との対 立 は もは や抜
8
年
き さ しな らぬ状 態 とな り, マ ン ・バ ザ ンは 6
6月 15日覚 議 長 を辞 職 ,党 籍 も返 上 した上 で戦
線 か ら離 脱 した。 KNU を離 れ た マ ン ・バ ザ ソは KNDO 第 7旅 団 の ボ ウ ・ミャに接 近 , 6月
21日新 た に 「カ レン民 族 統 一 戦線」 を結 成 した 。5
9
)新 組 織 の中 心 メ ンバ ーは , 次 の 5人 で あ っ
た 。60)
マ ン ・バ ザ ソ
ソー ・パ テ ィ ソ
バ ド一 ・ボ ー - - ポ ー
パ ド一 ・フ ライ ソ
ボ ウ ・ミャ旅 団長
カ レン民 族 統 一 戦 線 は , 次 の よ うな活 動 方 針 を掲 げ た 。61)
i) 植 民 地 主 義 ,封 建 主 義 反 対
i
i) 大 民 族 主 義 反 対
i
i
i
) 愛 国的 カ レン革 命 勢 力 の 団結
i
v) 同 じ境 遇 の連 邦 内諸 民 族 ,労 働 者 ,農 民 ,知 識 人 , 中産 階 級 の大 同 団結 に よる民 族 民主
主 義 的 活 動 とカ レン民 族 の解放 ,民 主 主 義 的 権 利 と社 会 的 発 展
マ ン ・バ ザ ソ一 派 が脱 退 した後 の KNU は , コー トゥ ー (別 名 チ ョ ー ミャ タン)62)とボ ウ ・テ
ンペ 一等 に よっ て指 揮 され る こ とに な っ た。彼 らの綱 寵 は ,次 の 3項 目か ら成 り立 っ て い た 。63)
「カ レンの武 装 革 命 を意 図 す る KNU覚 は , マル クス, レ- ニ ソ,毛 沢 東 の思 想 を武 器 と し
て闘 う政 党 で あ る。」
i) 覚 の政 治 路 線 は , カ レン族 な らび に ビル マ に居 住 す る全 少 数 民 族 の平 等 , 自主 , 自決 を
か ち取 るた め の闘争 路 線 で あ る。
i
i) 弾 圧 を被 っ て い る人 民 の解放 の た め , 植 民 地 主 義 ,地 主 封 建 主 義 ,官 僚 資 本 主 義 ,民 族
資本 主 義 また は大 民 族 主 義 と闘 う革 命 路 線 で あ る。
i
i
i
) カ レンの革 命 は , ビル マ の人 民 民 主 主 義 革 命 の最 大 の敵 で あ る植 民地 主 義 ,封 建 主 義 ,
官 僚 資本 主 義 ,大 ビル マ民 族 主 義 等 を代 表 す る支 配 者 階 級 を相手 に 闘 う こ とで あ る。
5
8) 『ア ジアの動 向 (
1
9
6
8
年 9月 )』pp.2
5
2
-25
3.
5
9) ビルマ字 日刊紙 「ロウタ- ピイ ドゥ- 」1
9
6
8.9.
29.
連邦統一,わが任務」 (ビルマ文)エーコ6
0) ソ- ・エーコ一,マン ・サ ン ミン等 4名の連記による 「
は,元 KNU 県委員,サ ン ミンほ元 KPGF 第 3大隊政治主任。 ともに1
9
6
9
年帰順 した0
6
1) I
b
i
d.
6
2) 1
9
61
年当時, ソー ・-ンタータームエー,マン ・ノミ
ザン,マン ・シャンバ レー, ミンマウン大将等 と
共に KNU 政治局を構成 していた。当時,チョ- ミャタンは, コー トゥ-とい う名で KNDO の大将で
もあった.
6
3) ソ- ・エーコ-,サ ン ミン等の論説。「
労働者人民 日報」1
9
7
0.
2,
1
7.
8
7
東南 アジア研究
8巻 1号
(以上 , KNU 党 と ビル マ共産 党 との合 同会議 の席 上述 べ られ たボ ウ ・チ ソペ ーの説 明 よ り)。
こう した闘争方針 を基 に 69年 7月16日 KNU党 中央 本部 の会議 が 開かれ た。 出席者 は次 の 9
名 で あった 。64)
コ- トゥ-大将 (ソ- ・チ ョ- ミャ タン)
ミャマ ウソ大将 (マ ン ・トゥ カ ノウ)
ボ ウ ・サ ン リン
ボ ウ ・- -- ソ (ソー ・- - トー)
マ ン′・ク ワ一
一
ソー ・トゥ ソグ ウェー
サ シ′
ヤー ラーパ ン
ソ- ・クー イ ン
レー師 (ア ンスシェ ン)
この席 上 ,諸 外 国 に援 助協 力 を要 請 す るため, 「特殊 任務組 織」 が編成 され た。組 織 には上
記 9人 が参 加 し, ソ- ・- - I-が全 体 の指 揮 を とる こ とに なった。
969年
ビル マ革命評議 会 に対 す る KNU党 の見解 は活動方針 の中 には明示 され てい ないが ,1
1
0月2
6日開かれ た KNU党 と ビル マ共産党 との合 同会議 の席上採択 され た共 同宣 言 に よる と,
次 の とお りであ る。
「
1963年 の和 平交 渉 を, ファ シス ト ・ネー ウィ ソが一方 的 に決裂 させ た後 , ファ シス T
l・ネ
ー ウイ ンは,革命武 装勢 力 ,特 に ビル マ共産 党 をは じめ とす るマ ダ ニャ タ各組 織 へ の攻 撃 をい
っ そ う強化 して きてい る。 こ う した ファ シス ト ・ネー ウイ ンの裏切 り的攻 撃 に対 して, ビル マ
人民武 装勢 力は,革命精神 を基 に多 くの生 命 を棄 てて軍 事政権 と闘 って きた 。 わ が 革命繋 力 の
隊規模 か ら1967-68年 の小隊 ,1968-69年 の中隊 規模 に まで
残敵 能 力 も,1965-66年 当時 の分・
進歩 拡大 して きた 。67-68-69年 は,革命戦 の新段階 に達 した と言 え よう。」
一方 ,非共産 系 の KNDO 第 1旅 団 内部 で も, ボ ウ ・トゥソ ミソ旅 団長 とチ ャー副旅 団長 ,
デ ィ ソガ一第 1大 隊長 , シ ャ∵ ミン第 2大 隊長 , チ ョーホ ウ第 3大隊長 等 との間 に対 立 が生 じ
は じめた 。65) 一 説 に よれば,失脚 した トゥ ソ ミソが逮捕 され, シ ャ- ミン少佐 とチ 三-ホ ウ少
佐 が後継争 いを してい る66)と伝 え られ る。 タ ウングー県, ペ グ一県 内 で活動 してい るマ ダニャ
タ系 KNU とボ ウ ・ミャの KNDO との間 に も地 盤争 い に よる紛争 が絶 えず起 こ り,相互 間 の
射 ち合 いに まで発展 した 。67)
カ レン族 反政府 組 織 に対 す る政 府軍 の討 伐 作戦 は そ の後 も続 け られ て お り,69年 1月2
8日以
64) Zbi
d.ならびに 1
9
7
0.2.
2
3.
6
5
) ビルマ字 日刊紙 「ロウクーピイ ドクー」1
9
6
9.2.
2
0.
9
6
8
年1
0月』pp.2
1
9
2
2
0.
6
6
) 『アジアの動向 (ビルマ)1
9
6
9.4.
3
0.
6
7
) ビルマ字 日刊紙 「ロウクーピイ ドゥー」1
大 野 :ビル マ に お け る ナレ ン族 の批 封絹争 史 (そ の 3)
降 テ ィ ン マ ウ ソ大 佐 指 揮 下 の政 府 軍 第 7
7師 団 第 8大 隊 , 第 1
01大 隊 , 第 1
02大 隊 に よ る 「ドゥ
- ウ ン作 戦 」 が コ- トゥ - レ- 州 サ ル ウィ ソ川東 部 に あ る ボ ウ ・ミャ の KNDO 司 令 部 に対 し
て 開 始 され 68), 同年 7月 に も南 東 軍 管 区 副 司 令 官 キ ンザ ー モ ソ大 佐 の率 い る政 府 軍 が ボ ウ ・ミ
9年 4月 か ら南 西 軍 管 区 司 令 部
ャ の基 地 を攻 撃 した 。69'- 方 , デ ル タ地 方 の KNU に対 して は 6
(サ ソテ ー大 佐 ) と第 8
8師 団 (エ ー コ ウ大 佐 ) の合 同 に よ る 「シ ュ エ リソ ヨ ソ 」, 「モ ウ- イ ソ」
両 作 戦 が 開 始 され 70'
,69年 1
0月 現 在 ミャ ウ ン ミャ, ワー ケ ー マ, ラブ ッ タ-, エ イ ソ メ-, モ
00人 以 上 の KNU党 員 が 投 降 した 。71)デ ル タ地 帯 に は , チ ョ ソ ビ
ー ル メ ソヂ ュ ンの 5郡 か ら 2
ヨ ー, チ ャ ウ ン ゴ ソ, - イ ソ メ一, パ ン タ ノ ウの 4郡 だ け で も 3
23か村 ,1
763部 落 が あ り,27
万 人 弱 の住 民 が い る 。72) そ の 内 , - イ ソ メ一, パ ン タ ノ ウ, チ ョ ソ ビョ -3郡 内 の 1
2万 人 , チ
ャ ウ ン ゴ ン郡 内 の 2万 人 は , カ レン族 で あ る。T3' これ らの カ レン系 住 民 に は , 種 族 的 意 識 が き
わ め て強 い 。 KNU の ゲ リラ活 動 は , こ う した現 状 を 背 景 に続 け られ て きた。 地 理 的 に 言 っ て
マ ン グ ロ- ブの密 林 と沼 沢 の多 い この デ ル タ地 帯 は , 見知 らぬ 者 を寄 せ つ け な か っ た 。 地 理 に
明 るい KNU が , 蜘 妹 の巣 の よ うに縦 横 に走 る大 小 無 数 の河 川 と沼 沢 とを利 用 して 自由 に 出没
した の に対 し, 政 府 軍 は全 く手 も足 も出 な か っ た。 だ が , よ うや く事 情 が 変 わ っ た 。6
9年 4月
0年 以 上 にわ た り頑 強 に抵 抗 を続 け
か ら年 末 に か け て徹 底 的 に行 なわ れ た掃 討 作 戟 に よっ て ,2
て きた さ し も強 靭 な KNU の組 織 も, 今 日で は もは や 壊 滅 同然 の姿 を呈 して い る。
に もか か わ らず ,1
9
70年 2月 現 在 , カ レン族 の 反政 府 組 織 は , 細 々 と した ゲ リラ活 動 を行 な
い なが ら相変 わ らず 存 続 し続 け て い るo組 織 も
2) そ
(1) 北 京 路 線 の マ ダ ニ ャ タ系 KNU, (
3
)元
れ か ら分 離 した マ ン ・バ ザ ソ, ボ ウ ・ミャ等 の修 正 主 義 「カ レン人 民 戦 線 」, (
KNDO第
5旅 団 の後 商 で あ る非 共 産 系 民 族 主 義 カ レン 「第 1旅 団」 の 3派 に分 か れ た ま まで あ るっ
ビル マ連 邦 か らの分 離 , カ レン ニス タ ンの建 国 独 立 とい う民 族 主 義 的 強 硬 路 線 で 始 まっ た カ
レン族 の 闘 争 も, 連 邦 内残 留 , コー トゥ ー レー 州域 の拡 張 とい う形 に収 縮 し, 多 くの 犠 牲 者 を
出 した結 果 , 多 数 派 は 遂 に武 器 を棄 て た 。共 産 系 の少 数 派 カ レンは , は た して武 器 を 棄 て るだ
ろ うか .
へ 棄 て る とす れ ば そ の 日は い つ来 るの だ ろ うか O そ の 答 は まだ誰 に も判 らな い 。
参
考
文
献
〔ビルマ文〕
1
9
6
3.『ビルマ連邦革命評議会 と各種武装地下組織 との国内和平交渉』 史料 集 第 1,
ビルマ革命政府情報省,2
5
0pp.
ビルマ革 命評議会編
6
8
)
6
9
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7
0)
7
1)
7
2
)
7
3
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ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
ビルマ字 日刊紙
「ロウタ-ピイ ドゥ-」
「ロウタ- ピイ ドゥ-」1
9
6
9.7.
2
8.
「ロウタ- ピイ ドゥ- 」1
9
6
9.6.
2
6.
「ロウクー ピイ ドゥ- 」1
9
6
9.
1
0.8.
「ロウタ∼ ピイ ドゥ- 」1
9
6
9.
ll
.
3
0.
「ロウタ- ピイ ドゥ- 」1
9
6
9.
1
2.1.
8
9
東南 アジア研究
ビル マ式社会主義計画党組織 中央委 員会本部編
8巻 1号
1
9
6
4. 『ビルマ連 邦に居住す る諸 民族 の問題に関す る
革命評議会の見解』 ラングー ン,9
7pp.
1
9
6
9. 『ビルマの政治的過程 とネ- ウ イン将軍』 ラング- ソ,5
0
1p
p.
ネ- ウ ィソ将軍 「
1
9
6
8
年 9月2
1日開催 の軍 司令官会議におけ る演説」 ビルマ字 日刊紙 「ロウタ- ピイ ド
9
6
8.9.
2
2
,2
3.
クー」1
マ ウンマ ウソ博士
ソー ・エ ー コ-, マ ン ・サ ン ミン,イェ-ボー ・ミヤ, イェ-ボ- ・パケ ッ 「連邦統一,わ が任務」 ぎ
9
7
0.2.
1
7.
ル マ字 日刊紙 「ロウクー ピイ ドゥ- 」1
ウ- ・タ1
/ペ - ミイ ン 1
9
6
8. 『
1
9
6
2
-6
7
年歴史 資料集』 ラングーン,2
5
7pp.
イェ-ポー ・フラ ミョウ 1
9
6
8. 『ビルマ連邦史的資料集』 ラングーン,5
3
6pp.
ビルマ字 日刊紙 「ヤ ンゴン」
ビルマ字 日刊紙 「ミヤソマ ・ア リソ」
ビルマ字 日刊紙 「チ ェ-モ ン」
ビル マ字 日刊紙 「ボ ウダタウソ」
ビルマ字 日刊紙 「ロウクー ピイ ドク-」
〔
邦
文〕
ア ジア経 済研究所動 向分析室 『アジアの動 向 (ビルマ) 』1
9
6
3
-1
9
6
7.
外務省 アジア局南西 アジア課 『毛沢東の中国 と ビル マの主権 』昭和 4
2
年1
0月,7
3pp.
大野
-
9
0
1
9
6
8. 「ビルマ共産党の現状 」 『東南 アジア研究 』6巻 3号 ,pp.1
5
6
1
6
8.
. 1
9
6
9. 「北 ビルマ (カチ ン州)の旅 」 『鹿児島大学史録 』No
.2,pp.1
1
ト1
1
6.
徹
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