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 序章 課題と方法
この調査の課題は,1995年1月17日早朝にお から3時間におよぶことがあった。インタヴィ
こった阪神・淡路大震災による震災遺児家庭 ュウイーの談話があらかじめ準備しておいたト
170世帯の震災体験の事例研究である。ここで ピックス以外のものに言及することがあり,そ
震災遺児家庭と呼ばれるものは,その大震災に れは積極的に歓迎された。われわれの基本姿勢
よって両親の一方あるいは双方が死亡した結果, は,震災遺児家庭の成員が震災体験にかんして
残された母子世帯,父子世帯,孤児やその孤児 自ら語りたいとおもうもの,語るべき価値があ
を引き取った世帯をさしている。両親の一方あ るとおもうものを,なるべく多く,深く聞こう
るいは双方以外に子どもやその他同居中の親族 とするところにあった。
が死亡しているケースも少なくない。遺児の世 調査方法が選択されたのち,インタヴィュウ
代的範囲はいちおう大学生以下とした。あしな アーの主力としてはあしなが育英会の病気遺児
が育英会がローラー調査により,この調査の時 の大学奨学生からつのったヴォランティアをつ
点においてその所在を確認した震災遺児家庭と かうこと,あわせて全国で一般学生や市民に新
震災遺児の数は,335世帯,569人である。それ 聞媒体をつうじてこの調査へのヴォランティア
らの世帯に震災体験の事例研究のために長時間 としての参加を呼びかけること,インタヴィュ
インタヴィュウをさせてほしいという依頼をお ウには病気遺児の大学奨学生のヴォランティア
こない,204世帯から承諾の返事をもらい,最 と一般から参加したヴォランティアを組み合わ
終的には前記170世帯で事例調査を完成させた。 せてゆかせることが決定された。インタヴィュ
震災遺児家庭の震災体験の主要内容としてわ ウアーとなるヴォランティアを募集しているあ
れわれが想定したのは,つぎの8つであった 。 いだに,われわれはかれらに参考として提供す
それらは相互に関連しあっており,また部分的 る震災遺児家庭のケース記録のモデルを作成す
に重複していた。 ることにした。1995年8月上旬,樽川典子と副
(1)体験としての家族の死。 田義也があいついで神戸市に入り,樽川が4ケ
(2)家族の死の受容と拒絶。 ース,副田が2ケースにインタヴィュウして ,
(3)成人の震災体験と心の傷。 6つのケース記録をつくった。これらのケース
(4)子どもの震災体験と心の傷。 記録は報告書末尾に収録されている。また,こ
(5)家族関係の変化。 れらにもとづいて,樽川はインタヴィュウのた
(6)ヴォランティアにかんする評価。 めのインストラクションの資料をつくり,7月
(7)行政にかんする評価。 30日,山中湖畔の施設で病気遺児の大学奨学生
(8)マス・メディアにかんする評価。 のヴォランティアたちにインタヴィュウの仕方
われわれの調査方法を多少具体的に説明する について講義をした。また,スタッフのうち,
とつぎのとおりである。調査員が,震災遺児家 加藤朋江と遠藤恵子は,分析にさいして参考と
庭の成員のひとり以上(普通は遺児の保護者, するために,9月に入ってから各1ケースにイ
ときに遺児がくわわる,遺児だけで暮していれ ンタヴィュウして,ケース記録をつくっている。
ば遺児のみ)に,長時間のインタヴィュウをお すでに述べておいたように,震災遺児家庭
こない,あらかじめ準備した話題について自由 335世帯に調査の主旨を説明したうえで,長時
に語ってもらい,その談話をテープ・レコーダ 間 イ ン タ ヴ ィ ュ ウ に 応 じ て ほ し い と 依 頼 し ,
ーで録音し,のちそれを起して整理し,文章化 204世帯からそれに応じるという返事をえた。
し,その内容を分析する。長時間とはふつう1 この応諾の返事をよせてくれた世帯は,依頼し
時間半程度であるが,ばあいによっては2時間 た全数の60.9%という高率になる。震災遺児家
1
庭がブライヴァシーに踏みこまれることになる にあたっては,病気遺児の大学奨学生が自らも
このての調査を嫌うことは容易に想像されるこ 親を失った子どもであることを告げ,その前後
とであるし,それは後述のマス・メディアによ の体験を紹介するところから聞きとりに入った。
る取材活動へのつよい反感の事実によっても裏 多くのばあい,これが,震災遺児家庭の成員の
付けられている。そのような一般的傾向がある 積極的な語りを引き出したようである。類似の
にもかかわらず,6割もの震災遺児家庭が長時 体験をもち,同質の心の痛みを共有する相手で
間インタヴィュウの調査に応じると回答してき あるとおもったから,かれらは心を開いて多く
たのは,それまでにローラー作戦や遺児の激励 を語ったのであろう。
のための訪問活動などによって,あしなが育英 ケース記録の収集は,1995年10月いっぱいま
会が震災遺児家庭と親密なコミュニケーション でかかった。これを,副田,加藤,遠藤および
をおこない,その家庭の多くからつよい信頼を 嶋根久子が通読し,内容分析をおこない,前記
よせられるようになっていたためである。 8つの主要内容の分類を設定し,ケース記録の
8 月 2 3日から9月3日にかけてと,9月21日 全数の各部分をその分類枠のどこかに収めた。
から24日にかけて,ヴォランティアのベ821人 この作業は,個別にケース記録を読んできては,
が震災遺児家庭を訪問してインタヴィュウをお 4人が集まって,分類とケース記録の振りわけ
こない,つづいてテープを起して文章化し,そ について討論するという過程をくり返して,お
れを整理してケース記録を作成した。最終的に こなわれた。そのうえで,まえがきで示した報
えられたケース記録は170篇である。これは依 告書の執筆分担にしたがい,4人は各章に割り
頼した全数の50.7%である。インタヴィュウに あてられた材料を分析・研究し,それぞれの叙
応じると回答してくれたケースのうち,調査期 述をおこなった。ケース記録の分析から報告書
間中にどうしても時間の都合がつかなかったも の執筆までは,1995年11月から96年3月までの
のや,ケース記録がうまくまとまらなかったも あいだにおこなわれた。
のが,30ケースあまりあった。インタヴィュウ
2
第1章 体験としての家族の死
震災遺児家庭の震災体験の機軸にあるのは死 くなっていった。これらのばあい,生き残った
である。それは,家族員に現実に起った死であ 者が死に,死んだ者が生き残る可能性もおおい
り,また可能性として身近かに迫った死である。 にあった。夫婦で倒れてきた柱にはさまれて,
その体験をつうじて,家族は死んだ者と生き残 前後して救出されたのち,夫は生き残ったが妻
った者にわかれた。死にゆく者は生き残る者に, は死亡したというケースでは,夫は柱にはさま
また死にゆく者同士,意識的にあるいは無意識 れた状態で妻の苦痛の訴えを聞きながら,2人
的に,言語的なあるいは非言語的なメッセージ とも死ぬだろうとおもっていた。
を送りつつ,死んでいった。生き残る者もまた,
死にゆく者に,さらには生き残る者同士,同様 事例No.1
にしてメッセージを送りつづけて臨死体験に耐 地震のときには,1階がつぶれて,2階が1
えた。それらは総括すれば,死にゆく者と生き 階になったような状態になりました。坂になっ
残る者の社会的行為の集合である。これになる ていた所に建っていたので,ずれるように(家
ベく注目しつつ,地震による死の特性を,①不 が)崩れました。1階にいた私たち家族は生き
意に身近かで起った圧死,②焼死など多様な死, 埋めになりました。近所の人や知り合いの人が
③家族をかばっての死,④生き残った家族の苦 来てくれて,ジャッキなどをつかって,(私を)
悩の4点で素描してみる。 どうにかこうにか助け出してくれたのがお昼ご
ろでした。長女はけがもなく助かりましたが,
不意に身近かで起った圧死 長男,次女,主人は亡くなりました。(中略)
長女とは震災のときの話をたまにします。思
第1。地震による家族の死は,生き残った家 い出して泣いたりしています。死んだ家族のこ
族にとって,不意に,身近かでおこる生々しい とも話します。お父さんや妹,弟が死んだこと
死である。地震は予告なしに不意打ちでおころ をまだ実感していないような感じもあります。
ので,それによる死もいきなり襲いかかってく もちろん分っていると思いますが。この子が父
る。それは日常生活のなかに突然侵入する非日 親の最後の言葉を聞いているんです。「もう,
常性の死である。しかも,それは多くのぱあい, あかん」といって,最後に手を伸ばしてきたそ
生き残った家族のすぐそばで生々しくおこる。 うです。〈母子家庭,母重傷,長女小1,父と
今回の阪神大震災は,1月17日早朝,5時16分 におこったため,多くの家庭では家族員がひと
次女5歳,長男1歳死亡〉
つ屋根の下で眠っていたので,生き残った者が 事例No.2
家族の死を身近かに生々しく感得するばあいが 妹(母親)はタンスの,Tちゃんは学習机の
いっそう多くなった。死にゆく父親の「もう, よこに寝てたそうです。天井がくずれたときに,
あかん」という最後の言葉を聞いた娘がいる。 机は下にすきまを作ってくれるでしょう。だか
箪笥の下敷になった母親が子どもの名を連呼し ら,Tちゃんはこの3角のすきまで助かったん
ていたが,そのうちさらに屋根が崩れ落ちてき ですが,妹はタンスだから,タンスは妹のうえ
て,彼女が一声「ウッ」と呻いて静かになった に倒れて,その上に天井が落ちてきたから……。
のを聞いていた男の子がいる。妻といっしょに でも,最初は,妹が「Tちやん,Tちやん」と
生き埋めになった夫は,妻の脚に手がとどいた 呼ぶ声を聞いたらしいんです。もう頭から毛布
のでその脚をさすってやっていたが,30分もた をかぶってたみたいですが,天井がさらにくず
ったころその脚がぶるぶると震え,それから冷 3
れてきたときに「ウッ」という声がして,それ
っきりだったみたいです。呼んでも返事はない 所から見えるのが主人だと分かりました。手が
し,毛布をひっぱっても,びくとも動かなくて。 見えてました。近所の方が声かけたり手を持ち
Tちゃんはずっと遺体のそばで泣いていたら, 上げたりしてくださったんですが,動かなかっ
となりのおばさんがきて,逃げるようにいって たようです。出すことも出来なかったんです。
連れてきてくれたんです。〈孤児,長男小4, それで,子ども家に連れて帰ってから,主人の
母子家庭だったが母と長女小2死亡,語り手は 兄さんに連絡して主人のとこ一緒にいってもら
伯母〉 って。その夜は,主人が店の前に止めてあった
車の中で夜明しをしました。翌日の昼に近所の
事例No.3 工事の方にショベルカー2台で持ち上げてもら
気付いた時にはもう壊れた家の下敷きになっ い,出したんです。〈母子家庭,母,長男中2,
ておったんです。私は斜めになった瓦礫の隙間 次男小6,祖父,祖母〉
でうまく助かってね。で,1時間くらいして外
が明るくなってから,内壁を壊して自力で出た 焼死など多様な死
んです。だけど,家内の方がね,私の横におっ
たんですが,倒れたタンスの下敷きになってそ 第2。地震による家族の死の死因をとおして
の上に梁がのっかっていてね。私が「大丈夫か」 みてゆくと,圧死以外に様々のものがある。ま
と呼んだんですけど返事がありませんで。私が ず,比較的まとまった数字が出てくるのは,地
手を伸ばすと足が触れるところにおったんで, 震後におこった火事による焼死である。阪神大
ずっと摩ってやってたんですがね。で,30分く 震災では,この焼死による死者は504人,全死
らいしてかな,ブルブルと痙攣みたいのがあっ 者数の7.9%になる。1例をあげると,夫が崩
て…。その時が,最後やったんちゃうかなと思 壊した家の下敷になり,自力では抜け出せず,
っているんです。ずっと,温かかった足もだん 逃げ出せた夫の両親の力ではかれを引き出せな
だん冷たくなってね。 い。2軒隣から火が出て広がってきた。かれは
娘は,母親が亡くなったことに対して態度に 両親に「死ぬことはないから逃げてくれ」とい
はあらわさないですね。男親だから,言えない い,かれらはその言葉にしたがうほかなかった。
部分もあると思うんですが。娘から話してこな 妻がその場所にもどって,夫の遺骨をひろった
いうちはこちらから話さないようにしています。 のは2日後である。彼女はかれの最後の言葉を
今の話も娘にはしていないんです。〈父子家庭, 聞かなかったほうがよかったといっている。そ
父,長男高3,長女中3,母死亡〉 の言葉を口にしたあと,夫が焼け死ぬ事態は彼
女の想像のなかにくり返しあらわれて,彼女を
事例No.4 苦しめつづけるはずである。ほかに,高速道路
主人はコンビニの夜勤だったんです。勤務が 上でタンクローリーを運転していて,道路の継
8時までだったんで,片付けてるんだわと思っ ぎ目が浮び上ってきたところに衝突し,その勢
て。家の方は,瓦落ちたり壁にひび入ったりし いで側壁にも衝突して即死した夫がいる。また,
ていたけど,食器棚倒れなかったくらいなんで, 地震によって家のまえの土中に埋められていた
そんな大きな地震だとは思わなくてね。その余 ガス管が破損し,そこから洩れたガスで中毒死
裕見て,それでも昼になっても帰ってこないし, した夫婦のあいだの子どもは,いきなり孤児に
何にも連絡ないし,それで次男と2人で歩いて, なってしまった。さらに,震災の後始末で働き
様子を見にいったんです。だけど,だんだん近 すぎてストレスがたまったあげくの心不全で死
付くにつれてひどくなっているので,「え,ま んだ妻がいる。肝臓が悪くて毎日打っていた点
さか」ってね。主人,お店の2階がつぶれてそ 滴を震災後多忙にまぎれて1週間も中断し,症
の下敷きになっていました。その時間にそこで 状が悪化して意識も混濁し,急死した夫もいる。
働いていたのは主人だけでしたから,入り口の いずれも残された家族にとっては,理不盡な死,
4
不条理な死であろう。 り,長女と次女の2人は2階へ上がり,3女と
息子夫婦はまだ下でテレビを見ていたんです。
事例No.5 (中略)
当日主人は仕事場へ行っていました。仕事場 頭の痛い原因は家の前にうめられていた市ガ
は祖父母の家でパン屋を遣っていました。まさ ス(のガス漏れ)だったんです。(中略)18日
か仕事場のほうの家が潰れているとは思わず, の朝,近所の人のところに救急隊か消防署の人
心配はしませんでした。夫は消防団をやってい かが来て,息子夫婦のとこにも入ってくれたん
て,それで他の家を回っているんだろうと思い で す 。 も う そ の 時 , 1階の3人はダメでした。
ました。明るくなって義父が来ました。義父の 長女と次女が意識不明で倒れてたんです。〈孤
話によると,夫は陳列棚のところにいて,そこ 児,次女中1,両親と長女,3女死亡,語り手
に2階が潰れ,その下敷きになったそうです。 は祖母〉
夫の両親は2階から出ました。夫がまだいたの
に,2軒隣の家から火が出て,それが広がって 事例No.8
きました。どかす材料もなく,夫は「死ぬこと 妻は1月下旬に眠れなくなり,病院に行って
ないから逃げてくれ」と言ったそうです。男ら 睡眠促進剤をもらったが,眠ることができない
しく振舞ったとおもっています。夫の意志つい 日が2,3日続いた。彼女は,震災後から忙し
でかんばんなきゃあかんと思いますが,でも, く働いていた。自宅の方には昼間に連絡がつか
最後の言葉を聞かないほうがよかったかなと思 ないので夜中2時3時に電話がかかってくるこ
います。遺骨を拾うことが出来たのは19日にな とも多かった。また,私が官舎の責任者的立場
ってからです。遺骨はどっちが足でどっちが頭 だったので,連日官舎の人達が「水道はいつ直
かよく分かりませんでした。〈母子家庭,母, るか」など聞いてくることも多く,このままで
長男高1,次男中2,3男小6〉 はだめだと思い,妻の実家に連れて帰った。そ
して2月初旬の朝起きて,2,3歩歩いて倒れ
事例No.6 て,それきりになってしまいました。(中略)
主人は大きなタンクローリーを運転していま 診断書には,お医者さんが震災のストレスによ
した。その日は高速の上で事故にあったんです。 る急性心不全と書いて下さいました。睡眠薬や
揺れた瞬間に高速と高速の継ぎ目がパッと浮い 精神安定剤など治療していた薬の副作用もあっ
て,そこにぶつかって,もうハンドルきる間も たようです。〈父子家庭,父,長男高3,次男
なくて側面にぶつかって即死やって聞いたんや 高1,母死亡〉
けどね。(中略)だから,会社の人がつれて帰
ってくれたときにみたときは,首の後ろを切っ 家族をかばっての死
て,作業服もだいぶ血で汚れてたから・・でも
わりときれいな顔してましたよ。〈母子家庭, 第3。ひとつ屋根のしたで家族員たちが眠っ
母,長男と次男は結婚して独立,長女社会人, ているとき,突然,激震が襲って,家屋が崩壊
3男高1〉 する,あるいは崩壊しそうになる。重たい落下
物の直撃から子どもの身体を守ろうとして,咄
事例No.7 嵯に親たちは子どもに身体のうえに覆いかぶさ
息子達のアパートは,直接地震の被害もあま る。あるいは夫は妻のうえに覆いかぶさる。事
りなく,7日は夫婦ともに仕事に行きました。 例の報告をみていると,その動作はかんがえて
お昼ご飯を食べに帰って来た時から頭が痛くな することではなく,反射的におこなわれるらし
ってきたということを夕方言って,他の者もな い。愛しており,守りたい,自分より弱い存在
んだか気分が悪いし,頭も痛いなあと言い出し の身体に危険が迫るのを,ひとは自らの身体を
て,(中略)みんな早く寝ようということにな 盾にして守ろうとする。最初の揺れがきたとき,
5
母親はそこに寝ていた娘の身体に覆いかぶさり, たんですけどね,別に苦しがっているという訳
父親は母親に覆いかぶさり,落下してきた「は でもなくて。私もまさかと思ったしね。私も重
り」がかれの背を直撃して,かれはまもなく死 かったけど,さほど苦しい,息ができないーっ
んだ。夫と別居中の妻は,息子の身体に覆いか てほどじゃなかったから。〈母子家庭,母,長
ぶさって,落下してきた「はり」の直撃を肩に 男小3,次男5歳,長女3歳,父死亡〉
うけて死んでいた。崩壊した家屋のしたから,
妻と息子と娘が掘り出されてきた。妻と娘は即 事例No.10
死にちかかったようだが,息子は生きていた。 妻と私は,地震の2ヵ月まえから,ケンカを
この妻は不断から死んでも子どもを守るといっ して別居していました。妻と息子と娘は文化住
ていたが,そのとおりに,右手に娘,左手に息 宅で暮していました。(中略)娘は,揺れ出し
子を守るように抱えて死んでいた。あるいは, たとき,息子の寝ている所にゆこうとしたんで
子どものそばにいなかった母親は,別室から大 すが,2階が落ちてきて,娘は目が悪いので何
声でふとんをかぶってじっとしていなさいと指 も見えなくて,何が何だがわからんかったそう
示した直後に,重いものの下敷になり,全身打 です。発見されたとき,妻は息子におおいかぶ
撲で死んでいる。多くの親が子どもをかばって, さるようにして,その妻の肩に2階のはりが落
あるいはかばおうとして,生命を落している。 ちてきたんです。首の骨でも折ったんですかね。
親がこのような死にかたをすると,残された子 あとでみたら,肩のほうに青いアザがありまし
どもは,親は自分のために死んだ,自分のため た。ちょうど娘の頭のところに妻の足があって,
に犠牲になったとかんがえ,生き残ったことを 娘は足をたたいたのですが,全然反応がなかっ
後悔し,死んだ親への罪悪感に苦しむぱあいが たそうです。即死だったのでしょう。〈父子家
多い。この子どもの心理については,のちにあ 庭,父,長女高3,長男小5,母死亡〉
らためて考察する。また,死んだ親が子どもを,
死んだ夫が妻を実際にはかばった,あるいはか 事例No.11
ばおうとした事実がわからないケースでも,生 私は仕事の関係で朝が早かったので1人2階
き残った子どもや妻がかれらをかばおうとして で,妻と娘と息子は1階で寝てね。だから,地
死んだにちがいないと想像しているケースがあ 震で2階が1階になった状態だったんで私は大
る。 丈夫だったんです。
私はもう走り回って,子どもと妻の名前を呼
事例No.9 んでね。そしたら,息子のワァーワァーという
1階は店ですから,2階で,夫と私と3歳に 泣き声が聞こえたんで,声のする辺りを助けよ
なる娘,その隣りの室で小学校3年生になる息 うと思って,かなづちでたたいたんです。だけ
子 と 5 歳 の 息 子 が2段ベッドで寝ていました。 ど,かなづちの木の部分があっけなく壊れてし
(中略)グラグラッときたとき,私は娘をかば まって…。そのうち,近所の人や妻の両親が助
うように覆いかぶさり,夫はその私と娘をかば けにきてくれてね。1時間ぐらいかかったかな
うように覆いかぶさったんです。そしたら,そ ぁ。瓦礫の中から妻と娘と息子が出てきたのは。
の上から,屋根の重みを支えるための「はり」 妻と娘はもう即死という感じでね。妻は死んで
が折れて落ちてきて……。私は午前6時に人が も子どもを守ると縁起でもないことを震災前に
助けに来て下さるまで,胸からひざが全然動け も言ってましたから,3人を出した時には妻の
ない状態でいたんです。隣りの室で寝ていた息 右手,左手が娘,息子を守るように抱えたまま
子2人は,屋根が落ちてきたのですが,小さい 出てきてね。
から,ギリギリのところでベッドの柱が屋根を 今,私の住んでるところに2人の遺骨を置い
支えてくれて,全然けががなかったんですよ。 ているんです。遺骨の周りには全壊した家から
(中略)主人は,最初はちょっとだけ喋ってい 出した玩具や持ち物を置いてます。こんなこと
6
をしたらよく天国に早く行かれないとかいいま 希望がわずかにせよあったはずである。掲載さ
すけど,小さな息子を残していこうなんて思っ れる事例では,遺体の運び出しを求めて半狂乱
てないと思います。ずっと近くにいたいと思っ 状態で気持が高ぶっていたとあるが,これは日
ていると思います。〈父子家庭,父,長男1歳, 本文化に特有の遺体観にもよっていよう。欧米
長男は祖父母があずかっている。母と長女5歳 人の広い範囲で遺体を本質的には「モノ」とみ
死亡〉 る見方が認められるが,日本人にとっては遺体
は「ヒト」の次元に属している。したがって,
事例No.12 日本人は遺体を傷つける臓器移植のための臓器
主人を亡くしました。主人も私たちと同じ2 のとり出しにつよい心理的抵抗を覚えるのであ
階で,しかも私のよこに寝ていたんです。不断 る。これは,地震による圧死の遺体の損傷が生
は う つ 伏 せ に な っ て 寝 る ひ と と ち が う の に , き残った家族につよい心理的ショックをあたえ
(死んで発見されたときは)うつ伏せになって ることをも説明する。妻は地震から5日目に運
いたと近所のひとに教えられました。私をかば び出された夫の遺体を,損傷の程度がひどいか
おうとしたか,おばあちゃんのほうが気になっ らという理由でみせてもらえなたった。息子は,
て,起き上ろうとしたときに,直撃をうけたん 圧死した母親の顔がつぶれているのをみて錯乱
と ち ゃ い ま す か 。 後 か ら の 判 断 で す け ど ね 。 状態になった。
〈母子家庭,母親,長女と次女は社会人,父死
亡〉 事例No.13
父の声が崩れた家の下の方から聞こえていた
生き残った家族の苦悩 ので,近所の人や弟達がどこに埋もれているの
か探したんです。でも全く見当違いのところを
第4。生き残った家族を心理的にひどく苦し 掘っていたみたいでして,逆にそのまちがって
める家族の死にかんする要因のひとつとして, どけた物を実際父がおった上に置いてしまって
崩壊した建物の下敷になりながら生きている家 いた状態なんです。(中略)皆でなんとかどけ
族,生きているかもしれない家族の救出のおく ようとしている間になんかもうあかんようにな
れ,死者の遺体の運び出しのおくれがある。生 ってしまったみたいです。母の方は,父が弟と
きていることが声などで確認されるぱあいや生 話している間「お母さんも大丈夫や」と言って
きているとも死んでしまったとも判断がつかな いたそうなんですが,そのうちあかんようにな
いばあいには,そのおくれによって死が現実の ってしまったみたいで「お母さん死んでしもう
ものとなるという不安,恐れが救出作業中にあ た」と言ったそうです。〈孤児,長男は結婚し
り,救出作業後にはそのおくれによって家族を て独立,次男社会人,3男高3,両親死亡,語
死なせたという後悔が生き残った者をさいなむ り手は長男〉
のである。生き埋めになった父親の声がするの
で,子どもたちは近所の人びとと救出の努力を 事例No.14
するが,父親のいる位置の見当をつけるのに失 グラッと地震があり,息子は嫁に「M(長女)
敗し,間違った方向を掘り,片付けた廃材を父 を抱け」と叫んだ。つぎの瞬間には,(崩れた)
親がいるうえに積む結果となり,かれは死んだ。 家に埋まっていたの。息子は,自力で起き上っ
夫婦と子ども2人がいっしょに生き埋めになり, たのだけれど,真っ暗で隣にいてたはずの嫁と
妻と娘が死んだケースでは,残された夫が,彼 Mの足だけが確認でき,「まだ温かった」とい
女たちは最初は生きていた,救出がおくれたの うんです。だけど重くて,どうすることもでき
で死んだと語っている。いずれもやり場のない なくて,ろおろするばかりで,そのうち,Y
怒り,後悔があるだろう。遺体の運び出しのお (長男)の泣き声が間えてきたのね。タンスの
くれのばあい,少なくとも初期段階では生存の 下におるとわかったから,息子は素手でタンス
7
の裏板を割って,そのなかから血だらけのYが 大2の長男,父親死亡〉
出てきたのよ。(中略)人間は15分で圧死する
んですってね。息子は「だれも助けてくれなか これらの地震による家族の死が生き残った家
った。(妻と娘は最初のうちは)生きていたの 族にたいしてもつ意味の独自性は,われわれが
に」といいますけれど,その15分がすごく長く これまでに経験してきた交通遺児家庭調査や病
感じられたんでしょうね。そうしてるうちに, 気遺児家庭調査のケース・スタディをつうじて
近くのマンションから人たちがきてくれて,嫁 観察した家族の死と比較することによっても,
と孫のMが(死んで)出てきたんです。そのあ 探りあてられる。交通事故による家族の死は,
いだ,Yは泣きもせず,おとなしくしていたそ 生き残る家族を不意討ちにする点では地震によ
うです。病院に運び,嫁が腕のなかにMをだっ るものと似ているが,ほとんどのばあい,かれ
こしているような感じで寝かせると,名前を書 らがいる場所から離れたところでおこる。事故
いた紙を上にのせて,息子はYをつれて,私の の報せを聞いて病院に駈けつけた家族は,即死
家にきました。〈父子家庭,父,長男3歳,母 のばあいには死者と,そうでないばあいには包
と長女1歳は死亡,語り手は祖母〉 帯にくるまれた死にゆく重傷者と出会う。複数
の家族員がいっしょに事故にあうというレア・
事例No.15 ケースをのぞけば,生き残った家族が自分もい
店に行って信じられない想いでした。4階建 っしょに死ぬだろうとおもうことはない。また,
てのビルだったんですが,1階部分がべちゃん 親が子を,夫が妻を身をもってかばおうとして
こなんです。上の部分はなんともなくて,住ん 生命を落すことになるケースもない。生きてい
でたひとたちも助かっているんですよ。地震の る被災者の救出や遺体の搬出がおくれて,残さ
横ゆれで,1階部分が奥に向ってつぶれたんで れる家族が不安,恐怖,後悔などの感情に苦し
すよね。私は「主人がここにおる」といって, められることはほとんどない。遺体の損傷によ
助けを求めました。周りのひとがコンクリート って遺族がうける心理的ショックでは,地震に
のかけらを取り除いたりしてくれたんですが, よる死者と交通事故による死者はしばしば似通
人の手だけじゃなんともなりませんし,2次災 っている。
害でビルが倒れるかもしれないといわれるし, つぎに病気による家族の死は,心臓麻陣や脳
レスキュー隊もきてくれず,なにもできません 溢血などによる急死のばあいをのぞくと,自宅
でした。 あるいは/および病院での療養生活,闘病生活
それから5日間のことはよく覚えておりませ が一定期間つづいたあと,到来する。生き残る
ん。私は半狂乱状態で気持が高ぶり,毎日,警 家族は,患者を看病し,あるいは見守りながら,
察署や消防署にいって,主人をあのなかから出 医師などからの疾病にかんする情報も提供され
してくれるようにといいまわっていたようです。 て,やがての家族の死を予感し,それを受容す
その間は食べ物も喉を通りませんでした。学校 る心の構えを形成してゆく。病死の多くは病院
の避難所はいっぱいだと断わられ,近くのスー で生き残る家族が見守るなかでおこるが,その
パーの好意で,そこにダンボールを敷いて寝る さい,家族が自分もいっしょに死ぬだろうとお
ことになっていたのですが,私はそこにもほと もうことは一切ない。また,病死する者が残さ
んどおらず歩きまわっていたようです。5日目 れる家族をかばうということもない。治療の手
に主人は出されました。出すのに手間と時間が おくれにかんする不満,後悔などは,家族の一
かかりました。私はそのときも普通の精神状態 定の範囲にみられるが,地震による死者の遺家
ではなく,「主人の遺体をみせて!」と泣きな 族のばあいほどの広い範囲でみいだされること
がら叫んだそうです。しかし,遺体のいたみか はない。病死の遺体は衰弱の徴候を多くもつが,
たがひどかったのでしょうね,みせてもらえま 残される家族はその衰弱に時間をかけて慣らさ
せんでした。〈母子家庭,母親,25歳の長女, れている。
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こうやってみてくると,地震による家族の死 死者は生き残った人びとのすぐそばで死んでい
が生き残った家族にたいしてもつ意味の独自性 った。さらに,親や夫であった死者の多くが,
は,なによりもまず,生き残った人びとがかれ 残された家族をかばって,あるいはかばおうと
ら自身も死ぬかとおもい,わずかの運の差によ して死んだというところにある。
って生きのびたとおもうところになる。また,
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