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PDF版 - NIRA総合研究開発機構
NIRA Seminar Report NIRA No.2004-02 2005 NIRA 6 2004 年 度 NIRA 公 共 政 策 研 究 セ ミ ナ ー ケーススタディにおける指導・協力者 <敬称略> A)法と市場と市民社会-金融市場のガバナンス- 『市場ガバナンスの変革 -市民社会と市場ルールの融合を目指して-』 研究指導講師 アドヴァイザー 専門家ヒアリング Ⅰ Ⅱ 犬飼 重仁 河村 賢治 総合研究開発機構 主席研究員 関東学院大学経済学部 講師 河村 賢治 川村 雅彦 関東学院大学経済学部 講師 ニッセイ基礎研究所 上席主任研究員 B)グローバル時代の多文化社会-共生に向けた政策的取り組み- 『共に生きる社会を目指して -多文化社会へ向けた政策課題-』 研究指導講師 担 当 者 専門家ヒアリング Ⅰ Ⅱ 丹野 清人 飯笹佐代子 首都大学東京都市教養学部 講師 総合研究開発機構 主任研究員 吉田 容子 武藤かおり 倉橋 靖俊 弁護士 女性の家サーラー (財)豊田市国際交流協会 理事兼事務局長 C)地域協力と東アジア 『東アジアの活力と地域協力 -大交流時代における日本の役割-』 研究指導講師 担 当 者 専門家ヒアリング Ⅰ Ⅱ 金子 彰 小泉 哲也 東洋大学国際地域学部 教授 総合研究開発機構 主任研究員(前) 梁 春香 三橋 郁雄 東洋大学国際地域学部 教授 (財)環日本海経済研究所 特別研究員 講 公共政策概論 公共のプラットフォームを考える 政策分析の手法 事例調査の技法 政策研究の方法論 義 縣 公一郎 北川 正恭 阿部 一知 山田 治徳 原田 泰 早稲田大学教授 早稲田大学教授 東京電機大学教授 早稲田大学教授 大和総研チーフエコノミスト 共に生きる社会を目指して -多文化社会へ向けた政策課題- NIRA セミナー 報告書 No.2004-02 2005 年 6 月 NIRA 公共政策研究セミナー 第 3 回 「共に生きる社会を目指して -多文化社会へ向けた政策課題-」 研究体制 飯田 春海 株式会社グローバルリンクマネージメント 社会開発部研究員 石田 敏高 衆議院議員津川祥吾事務所 政策担当秘書 黒須 裕章 衆議院議員小宮山洋子事務所 政策担当秘書 中川 和郎 武蔵野市役所 都市整備部用地課 原口 裕紀子 立教大学大学院 21 世紀社会デザイン研究科 比較組織ネットワーク学専攻 樋口 謙一郎 早稲田大学助手 藤澤 武明 総合研究開発機構 研究開発部 主任研究員 (五十音順) 研究期間 平成 16 年 9 月~平成 17 年 3 月 (NIRA 公共政策研究セミナー期間を含む) 執筆分担 はじめに 黒須 裕章 第 1 章 石田 敏高 第 2 章 飯田 春海 第 3 章 藤澤 武明 第 4 章 黒須 裕章 第 5 章 中川 和郎 第 6 章 樋口 謙一郎 第 7 章 原口 裕紀子 i 目 次 序 章 ······································································· 1 第 1 章 ヨーロッパにおける市民権の拡張 ······································· 5 はじめに ··································································· 5 1.ドイツにおける移民政策··················································· 5 2.フランスにおける移民政策················································· 6 3.国家と市民権 ···························································· 8 4.欧州市民権の限界と将来··················································· 9 おわりに ··································································· 10 第 2 章 日本の地域社会と外国人労働者政策の展望································ 13 1.はじめに ································································ 13 2.日本の外国人労働者の受け入れの現状······································· 13 2.1 日本政府の外国人労働者政策 ··········································· 13 2.1.1 労働者受け入れ政策の概要·········································· 13 2.1.2 労働者受け入れ政策の問題点········································ 13 2.2 外国人受け入れに係る各界の提言と要望 ································· 14 2.2.1 日本経団連の政策提言·············································· 14 2.2.2 自治体からの政策提言:外国人集住都市会議「豊田宣言」·············· 15 3.外国人労働者受け入れの社会的コストと共生への課題:群馬県大泉町の事例 ····· 15 3.1 群馬県大泉町の外国人労働者と町行政の対応 ····························· 15 3.2 地域社会における日系人との共生への課題 ······························· 16 4.外国人労働者受け入れと共生に係る他国の事例と教訓························· 16 4.1 台湾の外国人受け入れ政策 ············································· 16 4.2 英国ブラッドフォード市の共生における経験 ····························· 17 ii 5.今後の外国人労働者受け入れに向けての政策的提言··························· 18 第 3 章 自治体における外国人政策の形成過程···································· 23 1.分析枠組みの設定························································· 23 1.1 問題意識 ····························································· 23 1.2 事例の選択 ··························································· 23 2.事例分析 ································································ 24 2.1 事例の概要 ··························································· 24 2.1.1 川崎市···························································· 24 2.1.2 横浜市···························································· 24 2.2 外国人政策の概要 ····················································· 24 2.2.1 外国人政策の定義·················································· 24 2.2.2 川崎市における外国人政策·········································· 24 2.2.3 横浜市における外国人政策·········································· 25 2.3 外国人政策の形成過程 ················································· 26 2.3.1 川崎市···························································· 26 2.3.2 横浜市···························································· 26 3.自治体における外国人政策の課題と方向性··································· 27 3.1 事例の比較 ··························································· 27 3.1.1 相違点···························································· 27 3.1.2 長所と短所························································ 28 3.2 これからの外国人政策の形成過程の方向性 ······························· 29 第 4 章 首都圏近郊都市の国際化政策の現状 -千葉県船橋市の事例から-··········· 31 はじめに ··································································· 31 1.船橋市の国際化の実態····················································· 31 1.1 船橋市の概要 ························································· 31 1.2 船橋市の在住外国人 ··················································· 31 1.3 在住外国人意識調査 ··················································· 33 2.船橋市の国際化政策の変遷················································· 33 iii 3.船橋市国際化政策の現状··················································· 34 3.1 組織 ································································· 34 3.2 国際交流室の事業 ····················································· 35 3.3 国際交流協会の事業 ··················································· 35 3.4 教育委員会指導課の事業 ··············································· 36 4.船橋市の国際化政策の問題点と今後········································· 36 4.1 船橋市の国際化政策の問題点 ··········································· 36 4.2 国際化政策から、多文化共生政策へ ····································· 37 5.参考資料 ································································ 37 5.1 年表 ································································· 37 第 5 章 公教育における多文化共生教育の支援体制について························ 39 はじめに ··································································· 39 1.学校教育法上における就学義務の位置付け··································· 39 2.多文化共生教育の必要性··················································· 40 (1) 学校教育の実情························································ 40 (2) 市町村教育委員会の学校への支援体制の問題······························ 41 3.豊田市の多文化共生教育に対する施策······································· 42 4.つくば市の「帰国・外国人児童生徒と共に進める 教育の国際化推進地域」事業について················· 42 5.多文化共生教育の支援体制づくりに向けて··································· 43 おわりに ··································································· 44 第 6 章 言語サービスとしての多言語コミュニティ放送の可能性と課題 ― FM わぃわぃの事例から外国人住民への災害情報提供を考える ― ·············· 47 1.言語サービスの必要性····················································· 47 2.災害情報と多言語コミュニティ放送 -FM わぃわぃの事例を中心に- ·········· 48 iv 2.1 災害情報提供システムとしてのコミュニティ放送 ························· 48 2.2 多言語コミュニティ放送局「FM わぃわぃ」の事例························ 50 2.2.1 設立経緯と事業概要················································ 50 2.2.2 経営難の経験······················································ 50 2.2.3 県外のコミュニティ放送局との連携·································· 51 3.多言語コミュニティ放送の論点············································· 52 4.小結 ···································································· 53 第7章 地域社会における多文化共生の取り組み ―川崎市在日韓国・朝鮮人コミュニティの場合― ······························ 55 はじめに ··································································· 55 1.川崎市における外国人住民をめぐる過程····································· 55 1.1 川崎市での外国人住民の実態 ··········································· 55 1.2 川崎市における外国人市民代表者会議 ··································· 56 1.3 川崎市における外国人住民施策の展望 ··································· 57 2.在日韓国・朝鮮人コミュニティの取り組み··································· 58 2.1 在日韓国・朝鮮人コミュニティの地域形成 ······························· 58 2.2 在日韓国・朝鮮人コミュニティの実践 ··································· 59 2.3 川崎市「ふれあい館」の取り組み ······································· 60 3.地域社会における多文化共生の発展········································· 61 参考文献 ····································································· 63 発行にあたって ······························································· 67 v 序 章 黒須 裕章 本グループのケーススタディ・テーマは、 「グローバル時代の多文化社会 -共生に向け た政策的取り組み-」である。国境を越え、社会がさまざまな手段、方法によってつなが りあう中で、異なる価値観や文化を生きる人々が、ひとつの社会を共に築き上げていくた めには、どのような方策が必要なのだろうか。以上の問題意識を土台とし、グループのメ ンバーそれぞれが、その関心分野に立脚した視点のもと研究を進めた成果がこの報告書で ある。 本研究は、大きく 2 つの分析視角に分けることができる。ひとつは、多文化社会という 時のその社会の単位に焦点を絞り、そのあり方を掘り下げた分析である。もうひとつは、 多文化社会の実現に向けた具体的な政策テーマを対象とした分析の2つである。前者の分 析が、第 1 章から第 4 章であり、第 5 章から第 7 章は後者の分析と位置づけられる。以下、 報告書の流れに沿って見ていきたい。 はじめに、社会の単位に焦点を当てた分析を見ていこう。まず、取り上げられたのは多 国間共同体という単位である。近代国家は、市民に権利と自由を与え、それを保護するこ とを主目的としたが、EU の試みを代表として、国家を超えた複数の国家に共有される権 利が登場した。そのひとつが、欧州市民権のような多国籍市民権である。この権利の発生 には、国家間を移動する移民の存在が大きく影響している。国家は、その時々の社会、政 治状況によって移民政策を展開し、その政策の揺れ動くさまが、国家内部における多文化 化に直面する国家の試行錯誤として表れることとなった。しかし、そうした国家のぶれに かかわらず、移民は継続的に流出入を繰り返しており、国家は、そうした移民を含めた市 民一般の権利の一部を、他の国家と共有するという方法により対応することを選択した。 このことは、国家の力とその保障のメカニズムの変化を意味し、伝統的な国家像の変革を 示している。つまり、多文化共生社会を生み出す主体は、国家という単位にとどまらず、 複数の国家間の枠組みによっても担われうることを意味する。 次に、国家という単位が取り上げられる。国家は、外国人を受け入れる姿勢に2つの異 なる型を持っている。ひとつは、移民の受け入れに重きを置く在留許可を重視する型であ り、他方はそれを厳しく制限する出入国管理重視型である。日本は、ここまでほぼ一貫し て外国人の受け入れを厳格に管理する姿勢をとってきたが、労働力としての外国人の魅力 は大きくなっており、経済界はその受け入れ拡大を提言している。しかし、実際に外国人 の流入が増加した場合、国内への影響は無視できない。そこで重要になるのが、在住外国 人の社会への統合を進めるという視点である。外国人が国内において、その国家の文化と 切り離された独自の社会集団を形成することによるリスクを、早い段階で外国人が集住し た地域の例は示している。国家にとって、時々の社会的状況に振り回されることなく、長 期的な視野に立った制度的な枠組みづくりが求められる。 最後に焦点となる社会的単位は、自治体である。自治体は、住民に最も近いレベルでの 1 行政組織であり、その地域に住む人々にとって身近な存在である。そのことから、外国の 都市との交流や姉妹都市の締結などにより、人と人とを結びつける役割を担ってきた。し かし、今後予想される外国人を含めた住民の流動化により、自治体は、それぞれの地域の 実情に根ざした政策が要請される。地域において、多様な価値観を持つ人々の共生を進め るために、自治体は、外国人の意見をすくいとり、そのニーズを反映した政策展開が不可 欠である。そのための制度的枠組みの構築が必要であり、その例として、川崎市の外国人 市民代表者会議の活動が注目される。現状では、外国人が自治体の意思決定に参画する制 度を持つ自治体は少ないが、今後は住民生活に直結する行政組織として、地域のニーズを 満たす政策形成プロセスの確立が必要である。 さて、これまで社会の単位に着目した分析をまとめてきたが、ここからは多文化社会を 実現するための各論となる政策テーマに注目した分析を見ていこう。 まず、公教育における多文化共生教育のあり方についてである。外国人は、学校教育法 における就学義務を有しないが、公教育を受ける権利は奪われていない。しかしながら、 実際に公教育を受ける外国人は、地域で生活する外国人の一部にとどまっている。そのこ とにより、日本人と外国人の双方が互いに理解しあう機会が失われているといえ、行政は そうした機会づくりのための支援体制の構築が求められている。外国人が多く生活する自 治体の取り組みから、多文化共生教育の実現には、外国人の児童・生徒の日本語習得と基 礎的能力の習得、 そして母語による教育を、 同時進行的に進めていく仕組みが重要である。 そのためには、各自治体の教育委員会による教員研修の充実や地域住民との連携などを推 し進めていくことが必要となる。 次に、行政による外国人への言語サービスのあり方について検討された。外国人への情 報提供や支援のサービスは、もっぱら行政が何をどのように伝えるかに重きを置くが、む しろ外国人住民の言語面での不利益をどのようにして解消するかという点を重視する言語 サービスの視点により注目する必要がある。日本人住民が日常得ている情報は、外国人住 民にとっても必要なものだが、 それを得るためのコストは、 外国人住民の方が言語面でハー ドルがある分高くなる。そこで、行政などの公的機関は、そのコストの一部を負うことに よって、ハードルを下げる施策をとらねばならない。なぜなら、特に災害発生時において 顕著だが、行政の発する情報は、時に生活に大きな影響を及ぼすものを含んでいるため、 それを知りえないことによる損害は、生命を危険にさらしかねないほど大きなものとなる からである。そこで、例えば多言語のコミュニティ放送などにより、確実な情報提供手段 を確立することが、自治体に要請される。こうした放送は、採算性の低さという課題を抱 えているが、言語サービスの重要性から見て、自治体が責任をもって支援、協力するため の取り組みが肝要である。 最後に検討されたのが、特定のコミュニティに対する支援事例についてである。在住外 国人といっても、日本の場合、第2次世界大戦前後に入国し、そのまま定住したオールド カマーと呼ばれる人々や高度成長期以降に職を求めて入国したニューカマーなど、多彩な バックグラウンドを持っている。そのうちオールドカマーは、古くから地域生活において 様々な差別にあってきた。そのため、彼・彼女らは同胞との絆を深めながら、差別に抵抗 2 し、地域で声を上げ続けてきた。川崎市の臨海部は、そうしたコミュニティの一例である が、差別への抵抗が、生活改善のための運動へと結びついたため、在住外国人をはじめと した地域住民と行政とが連携し、コミュニティを作り上げた点で特徴的な地域である。そ のような取り組みにより生まれた川崎市「ふれあい館」は、地域の取り組みの成果であり、 単なるサービスの拠点にとどまらず、地域で生活する日本人と外国人とが、そこで課題を 共有し人間関係を形作っていく場となっていった。 コミュニティに必要なサービスは何か、 ということは、そこで生活する様々な背景をもつ住民自身が最も感じることであり、彼ら が互いに協力し、実現へ向けて行動することの重要性を明らかにしている。 改めて多文化共生社会について調査を進めると、 その実現に示唆を与えてくれる事例が、 国の内外を問わず存在することに気づかされる。本報告書では、そうした事例の一部を示 しながら、多文化共生社会を作り出すために、どういう仕組みや取り組みが必要なのかに ついて検討し、 それを提示した。 これから日本が直面する社会のありようを考えるうえで、 多文化共生という言葉はひとつの鍵となる。多文化とは、特に外国人住民に限ったことで はない。価値観が多様さを増す現在の地域社会において、それぞれの価値観のずれをどの ように折り合いをつけていくのかは重要な課題であり、多文化共生社会に向けた工夫は、 その課題の解決に寄与するであろう。この研究が、そのように多様化する地域において、 住民が共に生きる社会をつくるには何が必要かを模索するための一助となれば幸いである。 3 第 1 章 ヨーロッパにおける市民権の拡張 石田 敏高 はじめに EU の本格的統合によって、住民の国籍に依拠しない市民権だけでなく、国家の枠組み を超えて複数の国家によって共有される「市民権」の試みである「欧州市民権」が出発し ている。 近代国家の主目的は市民に「権利」と「自由」を与え、それらを保護することであった。 同様に、アムステルダム条約は EU が「自由」と「安全」と「正義」を維持し発展させて いくことをコミットメントしており、EU 憲法第Ⅰ部第 8 条では、連合市民権として①域 内の移動及び居住の自由、②居住する加盟国内での欧州議会及び自治体への参政権、③母 国以外の加盟国から外交的保護を受ける権利、④EU 諸機関へのアクセス権などの権利が 規定されている。これらは国家を超えた市民権が超国家機関 EU によって保証されたとし てよいのであろうか。またこれは、将来、日本を含む地域共同体を構想する際の「多国籍 市民権」の先駆けととることは可能だろうか。まず、EU を構成するドイツとフランスの 移民政策をみることにしたい。 1.ドイツにおける移民政策 ドイツにおいては、1945 年から 49 年までにドイツ東部領土および中・東欧地域から避 難、追放されたドイツ人とドイツ系住民が戦後最初の移住者グループを形成し、次いで旧 東ドイツから西へ逃げてきた人々が戦後廃墟と化したドイツを復興させる労働力となった。 しかし、1961 年にベルリンの壁が築かれ、東からの逃亡者が途絶えるとドイツは本格的に 外国人労働者(ガストアルバイター)の導入を図る。これが 2 番目に大きな移住グループ で、当初はローテーション原則を基本としていたが、この方式は企業側にとって非効率的 なことから 1964 年には廃止される。外国人労働者のほとんどはドイツ人の嫌がる単純・半 熟練労働に就き、ドイツの経済成長を底辺で支えてきたが、1973 年のオイルショックを契 機にガストアルバイターの募集は停止される。しかし、既にその時点で外国人の総居住者 数は 400 万人近くに達し、その後も家族の追加的移住などによって定住化傾向がすすむ。 第 3 の移住の波は庇護(亡命)希望者で、1980 年代後半の共産圏崩壊に伴い、その数が 激増する。一方、東西ドイツの統一によって高揚したドイツ・ナショナリズムと経済の停 滞と失業の拡大は、難民さらには外国人総体に対する敵対意識を生み、1991 年のホイヤー スヴェルダを皮切りに難民収容施設や外国人労働者の住居への焼き討ちが相次ぐ。こうし た難民の増加と外国人排阻が頻発する状況の中で、1993 年から庇護権が著しく制限され、 「政治的迫害のない国」や「安全な第三国」を経由してきた者は、庇護の対象にならなく なった。ドイツは隣接国すべてを安全だと指定したため、陸路でドイツにきた難民に対し ては審査なしで強制送還が可能となり、この結果、申請者の数は大幅に減り 1992 年のピー ク時 43 万人から 2003 年では 5 万人程度まで減少した。 そして最後の大きな移住グループが、数世紀前に東欧や旧ソ連地域に殖民したドイツ系 5 住民の子孫達の帰郷で、1950 年以降これまでに 420 万人が帰還している。かつてナチスは 占領した東方地域において、ドイツ系住民に対して強制的集団帰化の措置をとり、ドイツ 国籍を与えた。戦後、他国に割譲された地域に住む「民族ドイツ人」 (アオスジードラー) が、定住地でも迫害を逃れてドイツに移住した際には「ドイツ」人として扱われるという 法的措置がとられており、ドイツで生まれた移民労働者の第2、第3世代が外国人の身分 のままであったのに対し、彼らは「ドイツ系」ということだけでドイツ語がまったく理解 できなくとも、ドイツ市民として迎え入れられ優遇されてきた。 しかし、ドイツ語のできないアオスジードラーの増加、移民の大多数を占めるトルコ系 移民のモスク建設や詠唱をめぐる文化的軋轢、しばしば「ゲットー化」と言う言葉がつか われるドイツ社会内での孤立した外国人コミュニティーの形成、極端な女性差別など価値 観の違いなどの問題が顕著になってきたことを背景に 1993 年から政策の転換が図られ、 認 定にかかわる規則が厳格化した。受け入れ数もコントロールされ、1990 年には年間 40 万 人を数えていた認定数は最近では 10 万人程度まで縮小している。 労働力流入政策から、定住する外国人労働者政策へ、さらには難民対策へとドイツの外 国人政策は受身の姿勢で進んできた。しかし、1998 年の政権交代は外国人政策についての 転換をもたらす。社会民主党と同盟 90/緑の党の連立政権は、より積極的な外国人政策を 取りはじめ、その一つがグリーンカードによる IT 技術者の流入政策であった。結果的には 4 年間で付与した労働許可件数は 1 万 7 千件にとどまり、政府が予定していた「最大二万 件」に届かなかったが、こうした IT 技術者の不足と東欧からの大量の移民がドイツの移民 「移民」とは永住を前提に、あるいは 政策の変化を突き動かしている要因となっている1。 将来その国の国民になることを前提として入国を許可する外国人のことであるが、これま で永住を前提に外国人を受け入れる法的枠組みをもっていなかったドイツは新法を作り2005 年 1 月から施行した。新移民法は高資格労働者(エンジニア、情報技術者、数学・科学関 係の専門家、教育・研究者など)について当初から継続的な滞在を想定し、期限を定めな い「居住許可」の付与を定める一方、国内失業率 10.3%、外国人の失業率 20%という現状 を背景に、それ以外の労働者は原則として 73 年以降の「募集停止」状態が継続され、例外 は外国人労働者の雇用に「公共の利益」が認められる場合や東欧各国との協定に基づく受 け入れなど限定的とされるなど制限的な内容となっている。また、テロ対策の一環で、強 制送還措置が盛り込まれた。 2.フランスにおける移民政策 国籍の概念は大きく二つのタイプに分けられる。一つは血によって受け継がれる民族性 を国籍取得の要件とする<血統主義>と呼ばれる、日本やドイツで採用されている考え方 であり、もう一つは参加する意思によって与えられるものであるという考え方<出生地主 義>である。フランスの国籍法はこの両者をミックスしている。 フランスでは両親が外国人でも、そのいずれかがフランスで生まれていれば、子供がフ ランスで生まれれば、誕生の時点でフランス国籍を持つ(国籍法 23 条) 。また、両親がと もに外国生まれの外国人でも、フランスで生まれたその子供は、18 歳になったときにフラ 6 ンスの国籍を取得できる(国籍法 44 条) 。この<出生地主義>による国籍付与は、フラン ス人としての意識がないまま国籍が与えられる人々を作り出すなどの問題を含んでいるこ とから、改正が求められていく。 1973 年の第一次石油ショックによる不況で失業者が増え始めたフランスは、 1974 年に移 民労働省を設立し、単純労働者を受け入れない方針を打ち出した。しかし、この方針では EC 加盟各国からの移民は除かれており2、また彼らの家族の呼び寄せも許されていたため に不完全な対策であった。 1977 年には補助金つきで移民に帰国を促す帰国奨励政策(バール・ストレル法)を採択、 1977 年から 1981 年までで総計 9 万 4 千人の帰国を組織したが、政府が狙いとしたマグレ ブ、ブラック・アフリカ系は 2 万 4 千人弱にすぎず、多数を占めたのはスペイン人、ポル トガル人の約 6 万人だった。移民の新規往来を禁止したことにより、不法入国者がかえっ て増加したため、密入国と不法労働の取締りを強化するとともに、公共秩序を脅かす人物 の入国禁止、追加収入の規制などを盛り込み、外国人入国滞在許可の手続きを厳しくした ボネ法が 1980 年に定められる。 1981 年に成立した社会党ミッテラン政権は、新規移民、不法入国を阻止し、すでに定住 している移民の生活条件の改善、人道的対応を図る政策を採った。外国人結社の自由化が 政権獲得後直ちに実施され、また同年、不法入国者の正規化が行われ 1983 年までに 14 万 人以上が正規の移民とされた。この正規化の条件は次第に拡大され、不安定雇用の者、さ らには不法就労者さえカバーするようになった。1984 年には人種差別に抗議するマグレブ 移民の第二世代の若者がマルセイユからパリまで「平等要求行進」を行ったことをきっか けに、10 年間有効の滞在・労働統一許可証が設立される。 こうした移民への対処がそれまでに対して緩和されてくるなか、家族呼び寄せによる新 規外国人の流入や滞在期間の長期化によって、外国人の就業率の低下、教育・文化摩擦、 犯罪増加などの社会問題があらわになった。1983 年に帰国補助金制度が復活するのはそう した状況からで、発足当初、移民の権利を擁護する政策を多く採っていたミッテラン政権 は、 政権後半には消極的なものに変化していく。 また選挙公約にあった選挙権に関しては、 党内においても批判があり、政権は外国人選挙権確立を立法の場に提出することさえしな かった。 1986 年、保守派シラク内閣成立。連続爆破テロ事件の多発を受けて、在住外国人への強 引な取締り、国外退去手続きの簡略化、不法移民の強制送還、滞在許可証や労働許可証の 条件に収入などの項目が加わり、取得は厳しくなった。 1988 年、再びミッテランの社会党政権が誕生。保守の政策下に成立した法律の改正がな され、 在仏 10 年以上、 フランス人と結婚した者を対象者とし、 滞在許可取得を容易にした。 また不法滞在者にも滞在許可申請権を与える。 1993 年、バラデュール内閣が成立、 「ヴィッシー政権」の再来と言われるほど外国人に 対し抑圧的な改正民法、通称パスクワ法を制定し、1986 年のシラク内閣時に成しえなかっ た国籍法改正が行われる。パスクワ法はいかなる正規化を認めることはなく、フランス生 まれの子供を持つ親の正規化は不可能になった。このため非正規化滞在者が急増した。 7 1997 年、改正移民法のドゥブレ法が成立。パスクワ法では、滞在許可は与えられないが 国外退去も命じられない不法滞在者、滞在許可証不所持者を作り出してしまったため、そ の不備を補い、一定の不法滞在者に臨時の許可証を与えて救済するかわりに、移民の滞在 許可証の更新を認めないというさらに厳しい内容となった。 左翼政権復活後の 1998 年、移民法改正、国籍法のギグー法成立。これはフランスで生ま れた子供には全てフランス国籍を与えるもので、1993 年に変更された国籍取得条件を元に 戻した形になった。外国人の両親から生まれた子どもは、意思表示をしなくても、18 歳の 成人になったらフランス国籍を取得できるようにした。ただし、志願者は 5 年間フランス に滞在していることを証明しなくてはならない。 こうして、政権により振れながら移民政策は進められてきたが、最近では 98 年の IT 技 術者受け入れ促進のための通達に見られるように高度技術者の受け入れを進める一方、未 熟練労働者の受け入れの抑制が強調されるなど、その政策はドイツと似通ったものになっ ている。 このように血統主義、属地主義の違いはあっても、国家の枠組みは強力であり、西欧諸 国では移民、特に不熟練労働者の受け入れへの壁は高い。さらに EU 内においても、新規 EU 加盟の東欧諸国からの就労の為の移住をドイツ、フランスをはじめとしてほとんどの 国で暫定的に最長 7 年間制限している3。 また、EU 加盟国以外の第三国の国籍保持者である外国人は欧州市民権を持ちえないな ど、これは欧州市民権が、 「EC ないし EU という特殊な制度の構築の文脈においてようや く可能になったものであり、またこの場合も<相互主義>が前提となる」 (初宿,1996)4こ とを示している。 3.国家と市民権 リベラル・デモクラシーの政体をとる社会では市民は多くの「自由」と「権利」を与え られ、それらは四つのカテゴリーに分けられる5。 市民的権利(Civil rights)移動の自由、プライバシーの権利、信教の自由、拷問からの自 由など 政治的権利(Political rights) 結社の自由、発言の自由、投票の権利、投票される権利な ど 経済的権利(Economic rights)私的所有権、労働の自由、サービスを提供し受けとる権利 など 社会的権利(Social rights)平等の権利(機会及び、または結果の) 、教育と健康の権利、 労働の権利など 伝統的な見解では、 「権利」と「自由」は近代民族国家の成立と緊密に結びついている。 例えば Tilly(1990)によると、欧州国家は次のいずれかの経路を通って発展してきた。一 つはブルジョアの経済的権利と利益を守るため、もう一つは君主、土地所有の貴族、支配 8 エリートの権利を守り、促進するためといった経路である。どちらにおいても、市民権は 特別な階級のものであり、 それらの権利は国家による 「物理的力の正当な独占」 (Weber,1946) によって保証されていた。同様に、市民権は国家の力の拡張とともに拡大する。近代憲法、 裁判所、警察そして境界の管理などは、国家が犯罪活動や移民から個人所有の財産を守る べきだという 19 世紀の中産階級の要求によって生まれたといわれる。 同じ文脈で、欧州「国家」は政治的、社会的権利の確立に大きな役割を果たしてきた (Smith,1991) 。第一に民主主義は国民なしには成立しない。一つの政治的「意思」 (大衆 の意見)は一つの国家的な言語や(マス)メディアなしでは形成できないし、多数決原理 は一つの民族文化がないところでは正統化されない。第二に「社会的市民権」は共通の民 族的運命と支配階級が経済的再配分と社会的権利を労働者階級に与えようとする階級間の 社会的紐帯を必要とする(Marshall,1950) 。結果として、ほとんどのヨーロッパとアメリカ の福祉国家は、まず国民国家として形成され(Flora and Heidenheimer,1981) 、この伝統的な 国民国家と市民権の結びつきは「国家を超えた EU(それは国家でも民族でもない)にお ける市民権」などありえないということを意味する(Aaron,1974) 。 しかし、理論的なレベルでは、国民国家と市民権の関係は、特別な地理的、歴史的観念 と結びついたものであるといえ、必ずしも市民権は国家によって作られ保証されてきたも のではない。第一に、典型的な同一国民国家は、西ヨーロッパではほんの数国家しかない し、 また、 完全な民主福祉国家は 20 世紀の半ばまで現れなかった (Birnbaum and Badie,1979) が、これより前、国家や民族がない状態でも市民権は存在していた。例えば、ヨーロッパ の市や国家においては、経済的権利、貿易の権利は、国民国家が成立する前にすでに非居 住者に与えられていたし、ベルギーやスイスのような多民族政体においては富の再配分は 強い社会文化的紐帯なくして行われていた。 第二に、民主主義と民主政治および市民権の問題において、民主主義が先かそれとも国 民国家が先かという関係は不明確だ。伝統的に民主主義は国民的精神が確立された後にの み確立するとされるが、ほとんどの欧州諸国とアメリカ合衆国のシステムにおいては、民 主主義は国民国家よりも先に存在していた。言い換えれば、むしろ国民的アイディンティ ティーと国民国家の諸機関は普遍的な民主主義的市民権の発展によって生成したといえる (Rokkan,1973; Skowronek,1982) 。 4.欧州市民権の限界と将来 市民権の今日の状況は 19 世紀半ばや戦後すぐとは異なり、 特に 1980 年代から 1990 年代 に起こった移住は西欧諸国にそれらの伝統的な市民権政策を“再構築”することを強いて きた(Brubaker,1992; Habermas,1992) 。例えば、国際的な自由貿易と自由な資本移動の結果 として、経済的権利は非居住者と「ゲストワーカー」のような国民以外の居住者に拡大さ れてきた。同様に、政治的権利の境界も二重国籍の登場と投票権の移民第一、第二世代へ の拡大によって、段々ぼやけたものになってきた。さらに、西欧社会はもはや同質な国民 国家ではなく、連続的な移民の波は“複数文化”政策を生み出してきたし、それは新しい 市民権の定義や新しい社会的および政治的権利(例えば、人種的平等や少数者代表など) 9 を国家に要請している。 また、国際的な人権レジームの出現は、国民と外国人との区別に基礎を置いている政治 的権利や社会的権利や市民的権利とは異なる、国籍に依存しない人権を創出する。1948 年 に国連で採択された「世界人権宣言」に基づき、 「市民的及び政治的権利に関する国際規約 (A 規約) 」 「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(B 規約) 」が法制化され、 その後もジェノサイド条約 (1948 年) 、 人種差別撤廃条約 (1965 年) 、 女子差別撤廃条約 (1976 年)などの条約が作られた。もちろんこれらの条約は批准した国家にのみ法的拘束力を持 つが、なかには国際的な慣習法として扱われ全ての国家を拘束しているものもある。こう した条約の中の地域的な協定が「ヨーロッパ人権規約」であり、ここでは諸権利と自由の 享受は、出身国の国籍によって決められることはないと宣言し、この規約の集積が EU 憲 法第Ⅰ部第 8 条の連合市民権につながっている。とするならば、欧州市民権はやはり国家 を超えた人権の萌芽であり、ここで国家の主権はグローバリゼーションという現象の下で 制限されているといってよい。 さらに、裁判所も超国家的市民権の確立に寄与している。経済的権利が先行して保障さ れた限定付きの「欧州市民権」も、1990 年代の EC 裁判所の判例の積み重ねをもってより 広く一般的な市民権へと変容し始める。フランス人でベルギーの大学生であったグルゼル チクにベルギー国民と同等に給付を受ける権利があると判決したEC裁判所の先決裁定 (2001 年 9 月 20 日)などは、EU 市民権を根拠に国籍差別禁止原則を一般的に EU 市民の享受す る原則へと解放し始めたものと見ることができる6。 おわりに EU で起きたグローバリゼーションという現象の下での人権の変容のようなことはアジ アでも起きないのか。EU と比べると、東アジアの共同体は人口から始まって、その地理 的範囲の広さ7、政治体制の多彩さ、朝鮮半島の分断、中国と台湾の対立、竹島、尖閣諸島 などの領有権争い、経済格差、アメリカとの関係についての温度差、また EU のようなキ リスト教といった共通のアイディンティティーの不在など困難さを感じさせる要素は少な くない。しかし、例えば通貨面だけを見てもアジア単一通貨構想、チェンマイ・イニシア チブの拡充、アジア債券市場の育成、共通通貨構想などの動きは地域共同体構想が単なる 夢物語ではない熱意を感じさせる。さらに年間二桁に近いという脅威のペースで成長を続 ける中国を中心にした経済交流の深化(東アジアの域内輸入比率は EU の 62.2%に対し 57.6%)が、東アジア共同体実現への現実性を後押ししている。 経済が同一化していくとき、経済的権利の共通化が進み、それは他の市民権の共通化を 避けて通れない。 短期的に見れば、 それは時の経済情勢や政権の性格によって一進一退し、 国家の枠組みはまだまだ強力である。しかし、デニズンや欧州市民権といった現象は経済 や人の移動のグローバル化に伴って、国家が独占していた権力が超国家機関と地域に分化 する姿に対応したものであるととらえられ、長期的には国家と市民権の関係が伝統的な姿 から変容してきていることを示している。 10 1 2 3 4 5 6 7 久本憲夫「ドイツの外国人と新移民法」 、 『国際経済労働研究』927 号、2003 年、pp.18。 EC 加盟国として、フランスは EC 加盟諸国国民の入国を妨げることはできない。 その理由は、各国とも 10%前後の失業率を抱え、新規加盟国からの移住に関しては労働市場をさらに悪化さ せることになるということにある。手塚和彰、外務省 IOM 主催シンポジウム「外国人問題にどう対処すべき か」基調報告 2005 年 2 月 9 日。 初宿正典『憲法二 基本権』成文堂、1996 年、pp.156。 尚、Marshall(1950)は「公民(市民)的権利」 「政治的権利」 「社会的権利」の三つに分けたが、今日では「文 化的権利」が含まれていないという批判などがあり、その分類方法は論者によって様々であり、ここでは Hix (1999)に従い 4 つの権利とした。 中村民雄「EU 法の最前線第 53 回 EU 市民権としての国籍差別からの自由」 、 『関税と貿易』2004 年、pp.70-75。 人口:ASEAN+3+台湾 20 億 3,005 万人、EU4 億 5,450 万人、地理:東アジア東端-西端時差 2.5 時間 北端 -南端 7000km、EU 東端-西端時差 1 時間、北端-南端 3000km。 11 第 2 章 日本の地域社会と外国人労働者政策の展望 飯田 春海 1.はじめに 現在、日本社会には、191 万人近くの外国人が居住している1。旧植民地であった朝鮮半 島出身者に加えて、90 年代以降、新たに急増しているのが、南米やアジア諸国から外国人 労働者として入国してきた人々である。 これらの外国人労働者の滞在が地域の居住者となっ ていく状況において、異なる文化を持った人々との共生が日本の地域社会に求められるよ うになった。本稿では、その外国人との共生に関して、その要因となっている日本の外国 人労働者の受け入れ政策における課題を検証する。その上で、地域社会の視点から、政策 的提言を試みるものである。 2.日本の外国人労働者の受け入れの現状 2.1 日本政府の外国人労働者政策 2.1.1 労働者受け入れ政策の概要 外国人労働者の受け入れ政策は、各国の産業構造や労働市場等の事情により異なってい 2 る 。日本では、これまで、従来の 3K 労働者不足への補充や、現在の日本社会の少子化や アジア諸国との FTA への対応など、それぞれの時代を背景に外国人労働者が受け入れられ てきた。 その外国人労働者受け入れの基幹的な政策となっているのは、 「雇用対策基本政策」 であり、1998 年に策定された同第 6 次基本計画において、 「外国人の受け入れは、経済の 活性化に資する専門的・技術的分野の外国人労働者については積極的に受け入れ、単純労 働者は国内労働市場や国民生活に多大な影響を及ぼすため、十分慎重に対応をする」方針 が掲げられている3。 日本の外国人労働者の受け入れは、出入国管理及び難民認定法によって規定されている 在留資格の付与による「出入国管理」に拠っており4、現在、就労可能な専門的・技術的職 業としての 16 の「在留資格」が設定されている5。これらが、日本の労働市場における外 国人労働者が持つ正規の資格といえるが、一方で、例外的に、就労目的ではない留学、就 学、研修、家族滞在などの在留資格でも、一定の制限の下で就労が認められている。さら に、日本人及び永住者の配偶者、定住者の在留資格は、就労に関しては無制限であり、自 由に職業を選択することができる。そして、各々の在留資格の受け入れに関する数量枠は 設定されていないことも特徴である。 2.1.2 労働者受け入れ政策の問題点 日本国内の外国人労働者の実情は、専門的・技術的分野は積極的に受け入れ、単純労働 者は十分慎重に対応するという政府の方針を反映したものとなっているのであろうか。例 えば、2004 年において、合法的な就労資格での入国者は 158,877 人である6。しかし、その うち興行資格が、134,879 人と大部分を占めており、専門的・技術的分野である投資・経営、 技術、研究等資格は、残りの 23,998 人の範疇に入る7。また、1996 年から 2002 年間の推移 13 において、入国者数は 97,502 人から 168,496 人へと 7 万人近く増加している中で、上述の 専門的・技術的分野の資格者は、6,585 人から 4,107 人に減少している8。また、就労目的 外の資格である研修、留学、定住者等の入国者数は、1994 年から 2002 年にかけて、7 万人 以上増加し、153,447 人となっている9。一方、同時期の超過滞在者は 207,299 人であり、 多くが単純労働に従事していると思われる。さらに、上述の超過滞在者に加え、定住者、 研修生・技能実習生等、就労資格外から労働市場に流入していることが問題となっている。 特に、研修生・技能実習生については、制度として確立・運用開始されてから 10 年を経過 しているが、本来の制度の趣旨とは異なり低賃金労働者の供給源となっている事実も指摘 このような状況から、 現在の在留資格による労働者管理の制度的枠組みは、 されている10。 政府の求める外国人労働者の受け入れの基本方針に対して、機能していないことが分か る。 また、日本の外国人労働者受け入れ政策に関連して特徴的なのは、国家レベルでの受け 入れ後の社会的統合化政策がないことである。外国人登録者数は、1996 年から 2002 年だ けとっても、年間 8 万人ずつ増加している11。その中では、一般永住者資格者数の増加が 高く、外国人の日本での滞在が労働よりも定住に移行していることを示している12。また、 定住資格を持つ日系人の滞在も、当初の短期出稼ぎによる就労形態から、長期滞在、そし て定住化に移行している。このような状況は、結果として外国人労働者が日本社会への移 民となっていることを示している。しかし、現在の日本においては包括的な移民の受け入 れ政策が整備されておらず、その対応は地方自治体に任されているのが実情である。 2.2 外国人受け入れに係る各界の提言と要望 2.2.1 日本経団連の政策提言 ここでは、外国人労働者の要請元である経済、産業界が、外国人労働者の受け入れをど のように捉えているか、日本経団連の提言を例として掲げる。日本経団連の前身である日 経連及び経団連は、各々、少子高齢化への対策として、2002 年に初めて外国人労働者を取 り上げた13。そして、日本経団連としては、2003 年に新ビジョン「活力と魅力溢れる日本 を目指して」を発表し、外国人の能力の活用した多様性のある社会のための「外国人受け 入れ問題に関する提言」を 2004 年に策定している14。同提言では、日本の経済界が高度技 術人材を積極的に受け入れていくことを明確にしつつ、現状では十分な受け入れが進んで いないとことを憂慮し、政府に対し改善を求めている。その中で、在留資格制度の改善や 留学生の活用、入国後の管理を適正化する新たな就労管理の仕組みを構築すべきとしてい る。また、 「外国人受け入れに関する基本法」及び「外国人雇用法」を制定し、外国人庁の 設置による一元的な執行の管理や、国、地方自治体と企業の間での情報の共有や、日本人 と同様な適正な雇用を行うことを提言している。 単純労働者に関しては、労働集約的で付加価値の低い商品を外国人による安い労働力に 頼ることで国内生き残りを図ることは長続きしないとし、海外生産への移行や労働生産性 の向上、労働環境の改善、国内労働力の活用が必要としている。しかし、将来的に福祉や 農林水産業等で少子化による労働力の供給不足が予想される分野、また、既に供給不足に 14 陥っている分野においては、透明性のある安定的な受け入れ態勢を確立した上で、必要な 人材を受け入れていくべきとしている。さらに、外国人を受け入れる地域社会の重要性を 認識し、現在は地方自治体が主になって対応している外国人労働者・居住者の社会的統合 化支援を、国が一体となって支援する態勢の整備が不可欠としている15。一方、外国人労 働者の日本社会への適応における社会的コスト負担に関し、外国人雇用税の徴収は、税制 の公平の原則に反するとして反対している。 2.2.2 自治体からの政策提言:外国人集住都市会議「豊田宣言」 次に、日本の現状における社会統合政策の課題を明らかにするため、外国人労働者の生 活支援を実質的に担っている地方自治体からの政策提言を例示する。ここでは、90 年代よ り日系人16を主に受け入れてきた地方自治体により形成された「外国人集住都市会議」が 「外国人を地域経済、 策定した「豊田宣言」 (2004 年)を取り上げる17。同宣言の趣旨は、 文化のパートナーとして捉え、権利の尊重と義務の遂行を基本とした共生社会を目指す」 というものであり、外国人労働者の居住に伴い生じる問題への改善として、大きく、以下 のとおり政府に提言している。 ・ 外国人労働者の労働条件の改善と整備(社会保険の適用と加入を含む) ・ 外国人登録制度の見直し(住民基本台帳との一元化) ・ 師弟教育条件の整備(日本語教員の育成とカリキュラム策定、外国人学校への支援等) ・ 外国人労働者問題を統括する総合的な政府の政策推進体制の整備、等 上記した提言の項目は、これまで、これらの地方自治体が、地域社会における外国人労働 者との共生を模索する中で直面してきた問題であり、今後の日本社会が将来的に取り組む べき課題といえる。また、これらの課題に対しては、政府のみならず、外国人労働者を雇 用する立場である地域経営者団体や企業に対しても、同様に協力を求めている。豊田宣言 が出された背景に関し、以下の3.において、代表的な日系人受け入れ地域である群馬県 大泉町の事例を取り上げる。 3.外国人労働者受け入れの社会的コストと共生への課題:群馬県大泉町の事例 3.1 群馬県大泉町の外国人労働者と町行政の対応 上述したとおり、ここでは、群馬県大泉町を事例として、地域社会における外国人労働 者との共生に関し検証する18。大泉町は、総人口に占める外国人の比率は 15%であり、外 国人集住都市平均の 5.16%よりも大幅に高い19。同町では、日系人の直接的な雇用を目的と して、企業経営者による「東毛地区雇用安定促進協議会」が、当時の町長の支援の下、1989 年 12 月に結成され、1999 年 4 月の解散までに、7,000 人以上の日系ブラジル人を受け入れ た20。この間、日本への日系人の流入人口増大による日系人人材の派遣会社の台頭も相まっ て、同町の日系人の雇用形態は、受け入れ企業による直接的な雇用から、雇用調整の容易 な間接雇用にシフトして行った21。このため、日系人を雇用する企業側が社会保険への加 入を回避する等、その企業の社会的責任が曖昧になっていくとともに、日系人労働者内部 における管理・雇用者と被雇用者への階層分離を進めることとなった。 15 大泉町では、当初より、外国人労働者を地域における生活者と見なして、子弟の公教育 への就学支援、成人に対する日本語学習支援、健康保険適用に拠る医療・福祉支援、公営 住宅による住居支援、多言語による行政情報の提供、市民間の文化交流支援、等の支援を 行ってきた。これらの行政による支援は、上述の集住都市会議参加自治体の中で、最も外 国人労働者に対して手厚いとされている。しかし、外国人への支援にかかる行政コストに 関し、1997 年度の町予算の概算では、外国人用役場窓口業務委託、日本語学級事業、国際 交流事業補助、外国語による情報提供等への支出は、町予算全体の 0.2%に相当する約 2,479 万円であり、けっして高いものとはいえない。一方で、外国人の国民健康保険料の徴収率 が低く、かつ、出産一時金の支払い超過等によって、町が保険料の不足分を負担(一般会 計から繰り入れ)することから、数度の保険税の値上げが避けられず、結果、東毛地区で 最も高い保険税の設定となっている。 3.2 地域社会における日系人との共生への課題 大泉町では、日系人人口の増大に伴い、日系人自身による日系人向けのさまざまなエス ニック・ビジネスが展開されるようになった22。しかし、彼等独自の経済機構の拡大の一 方で、地域の日本人との接点は薄くなっている。同じ居住地区に生活していても、実質的 な住民間の交流はほとんどないのが実情であり、 地域の自治会に相当する行政区への参加、 会費負担も、日系人側が忌避する傾向が強い。また、日系人側が地域社会の制度的枠組み や規範との関わりを持たない結果として、自動車の無免許、無保険運転など、日本の社会 的ルールを軽視する傾向にある。これは、日系人の雇用企業が、彼らの生活支援に関して 行政側に丸投げしていることも、この状況を放置する要因となっている。現状のような地 域社会における日本人と日系人のコミュニケーションの欠落は、共生とは全く異なった状 況であり、 次世代においてはより深刻な状況を伴う可能性を有している。 ひとつの例外は、 公立学校における子供同士の関係である。学校においては、教育制度の枠組みの中で日本 人と日系人の児童は、 否応なく互いの関係を意識し、 共同していくことが求められている。 しかし、現地では、不就学児童のへの対応と、日系人の親からの母国語教育導入への希望 から、ブラジル人学校の設立が推進されており、結果として、日本の公教育との分離が行 なわれつつある。 4.外国人労働者受け入れと共生に係る他国の事例と教訓 4.1 台湾の外国人受け入れ政策 ここでは、単純労働者も含めた外国人労働者受け入れ政策の検討のために、日本と同様 に出入国管理を重視する「島国型」で、日本の技能実習生制度と近似した台湾の事例を検 証する23。台湾の外国人労働者は、2002 年には 30 万人で対国内労働者比率;3.04%であり、 1991 年の受け入れ以来、100 倍の増加率となっている。台湾の外国人労働者受け入れは、 外国人招聘許可及び管理法、就業服務法の2つの法律によって規定されており、出入国管 理に重点を置きつつ、政府、受け入れ企業が緊密に連携を取り合い、一貫した就労管理を 行っていることが特徴である。以下に、その要点を掲げる。 16 ① 産業構造の転換を推進するため、ハイテク等の新規投資額の大きい産業への資源のシ フトを進め、旧来型製造業への充足を抑えることを目的として、外国人労働者は、あ くまで一時的な労働力として、受け入れ範囲を調整している。 ② 二国間協定による一時的な労働者受け入れとして、受け入れ分野、人数を予め設定す (現在の受入国はインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム) る24。 ③ 企業が外国人労働者の受け入れを希望した場合、 国内の労働市場テストの実施を条件 に、政府による企業への「雇用許可証」が発行される。しかし、外国人労働者の雇用 は全体の 20%程度と制限され、労働期間は3年間(更新は一回限り)と設定される。 ④ 労働者の選定は民間の中間事業者の主導で行なわれる。中間事業者は、現地において 労働候補者の選定を行い、労働者の台湾社会に順応を容易とするための、言語、文化 教育訓練を実施すると共に、外国人労働者のデータベースを作成し、政府にフィード バックすることが課せられる。 ⑤ 受け入れ企業は、外国人労働者への法廷最低賃金の支払いを保証する。また、外国人 労働者受け入れに伴う社会コスト負担(行政コストや国内失業者への職業訓練費等) として、外国人雇用税の支払いが義務化されている。 ⑥ 外国人労働者側は、 仕事の紹介料、 旅費を自己負担すると共に、 就業先企業の変更や、 結婚、家族、配偶者の呼び寄せは原則禁止とされる。これらの労働契約を破棄する場 合には帰国を原則とする。 台湾の外国人労働者受け入れ政策においては、企業と外国人労働者が第一義的な受益者で あると認識されていることが、上述のような、一元的な就労管理の背景にある。一方で、 このような厳格な制度下においても、外国人労働者の逃亡が恒常的に発生しており、その 定住化への対応は、今後の課題となっている。 4.2 英国ブラッドフォード市の共生における経験 次に、外国人居住者の社会的統合化の重要性と共にその実現の困難さについて、英国の 事例を検証する。英国の特徴は、厳格な移民規制を有しつつ、移民に対する反差別的な法 的枠組みによる多文化社会を目指すことにある25。一方、その社会的統合政策は、労働、 居住、教育に関し、一方的な制度の適用よりも、移民自身に解決を模索させる寛容なもの であった。しかし、1980 年代以降、英国各地で移民と関連する暴動が多発したことから、 2002 年には、英国へ移住を求める外国人に英語の試験を義務付け、君主への忠誠を誓わせ る等、移民の社会的統合を新たな厳格化することとなった26。ここでは、その直接の発端 となったブラッドフォード暴動とその背景について検証する27。 英国北部に位置するブラッドフォード市は、人口 50 万人中、15%が非白人で あり、その 75%がムスリムとなっている。2001 年 7 月、同市々内でマイノリ ティー優遇政策に反感を持つ白人ドロップアウト組と、英語力に欠け労働市場 から締め出されることに不満を持つマイノリティーであるムスリム系の若者が 衝突し、無差別の強奪行為が繰り返される暴動に発展した。結果として、警官 が 180 人以上負傷、58 名が裁判所で公判を受けることとなった。 17 同市は、他都市に比較し、先駆的な多文化主義政策を採用(全ての学校児童への多文化 教育、教育改革に反人種差別主義を導入、マイノリティーの文化をカリキュラムに導入等) していたことで知られていた。しかし、実際には、自治体が、少数者団体から民族的・宗 教的権利要求に苦慮した結果、ムスリム問題をタブー視することで、過去 20 年に行った妥 協的、宥和的な政策の矛盾が噴出したものである。英国政府の調査の課程で、以下の点が 暴動の要因として指摘されている。 ① ブラッドフォード市行政当局は、 移民側の要求による独自の文化や宗教的な背景を社 会政策に優先させた結果、ムスリム・コミュニティー自身が英国の地域とは隔離・孤 立した状態を作り出す結果となった。 ② 隔離されたコミュニティー出身の児童は英語を話せないまま成長し、 結果として労働 市場から締め出されることとなった。 ③ 同市政や行政、教育現場において、マイノリティーに対する議論を行うことが、人種 差別主義者とレッテルを貼られることに対する懸念が先行し、 問題を先送りしてきた。 ④ マイノリティーコミュニティー自身の自己孤立化による義務と責任の放棄 (児童の英 語能力欠如のままの学校入学、 若者の非行に対するコミュニティー側の責任放棄、 コー ラン重視による公教育の軽視等)が、若者の労働市場への参入機会を奪っていった。 前述したとおり、この暴動に危機感を抱いた英国政府は、新たな移民政策において、隔離 から統合へと転換し、その統合の課程で移民自身にも市民としての権利に相当する義務の 確実な履行が求められることとなった。この英国の事例は、マイノリティーであるムスリ ム側もホスト社会における「普遍的価値」を軸として「適応」を求められることで、その 「普遍的原理」と「価値観の多様性」の両立は現実問題として難しいことを示している。 5.今後の外国人労働者受け入れに向けての政策的提言 日本政府の外国人労働者の受け入れ政策は、 その時々の産業界の要請によって左右され、 長期的な展望や戦略に欠けている。一方で、現実的に外国人労働者が日本の経済に不可欠 となり、その定住化が進行している背景において、現在の政策の矛盾を現実的な観点から 改善しつつ、日本社会と外国人労働者の双方にとって、有益な制度的な枠組みを構築して いくことが必要である。ここでは、既述した各界の提言や、他国の事例を勘案しつつ、出 入国管理政策および社会的統合政策について、以下のような政策を提言したい。 A. 出入国管理政策 中長期的な産業政策の観点から、受け入れ産業の検証と選択を行った上で、一元的な数 量管理の下に受け入れを行うことを基本とする。 ① 外国人労働者を受け入れることの必要な産業分野の優先付け、選定を行う。その際 に、日本国内の余剰労働力の活用の検討や、労働環境が劣悪な場合には、その改善 を前提とする。 ② 単純労働分野に従事する新規の外国人労働者に対して、 従来の日系人に対する在留 資格、外国人研修生・技能実習制度を廃止し、台湾を事例に、二国間協約による数 18 量枠設定の単純労働者資格に変更に転換する。高度・技術資格者についても、過去 の実績を検証の上で再定義する。 ③ 外国人労働者受け入れ希望企業においては、 労働条件の改善と労働市場テストを義 務化。同様に、企業の所在する地方自治体にも、外国人受け入れの社会的コストを 周知のする上で、受け入れに係る承認を受ける。 ④ 外国人の現地での募集は、本邦の認定資格企業により実施する。応募者は、入国前 の最低限の日本語習得者が優先される。 ⑤ 外国人労働者の入国後は雇用者・企業の責任において、 入国後の一元化管理を行う。 また、雇用情報は自治体主導で、国、企業と情報の共有を図る。 ⑥ 外国人労働者への法定賃金を保証した上で、受け入れ期限(2〜3ヶ年)を設定す る。また、労働資格の更新は 1 回程度として、社会保険の加入の有無や単身赴任者 を優先する。ただし、高度・技術資格者については、優先枠を設ける。 ⑦ 外国人労働者受け入れ企業(直接、間接雇用を問わず)には社会的コスト負担のた めの自治体への外国人雇用税を課す。 B. 社会的統合政策 外国人集住都市会議の提言を参考に、外国人を隔離せず、地域社会に統合するための総 合的な政策推進体制を整備する。 ① 外国人登録制度を見直し、住民基本台帳との一元化を図る。 ② 外国人労働者に係る二国間協定において、送り出し国に対して、現地人学校の設置 の支援を求める。また、送り出し側の公的教育制度への認証を求める。 ③ 家族同伴者に対して、子弟の教育プログラムへの参加を義務化する。また、労働者 が定住化志向の場合には、日本の公的教育を奨励し、帰国を前提した場合には、現 地人学校への入学を徹底し、不就学児童の比率を下げる。 ④ 自治体は、企業からの外国人雇用税や市の予算を元に、外国人の居住・定住に係る コストを賄うための「共生ファンド」を設置する。その運営は、自治体、雇用企業、 外国人労働者の居住する住民代表、外国人代表によるものとする。 ⑤ 入国後の日本社会適応化プログラム(地域社会習慣、言語習得、子弟の教育支援) を、上記「共生ファンド」を活用して実施する。現状のボランティアによる活動は、 有償化の上で NPO 等に実施を委託する。共生ファンドの活用と運営に関しては、 自治体間の連絡ネットワークを形成し、情報を共有する。 ⑥ 定住志向外国人と短期の労働者の峻別し、前者に対しては家族帯同への権利を与え るとともに、定住化における言語および文化テスト等を義務化する。また、定住資 格取得における権利(地方参政権の付与等)と共に、地域社会への義務と責任の履 行を明確化する。 今後の日本社会についての具体的なコンセンサスが得られていない中で、外国人労働者 とその定住は確実に増加していく状況にある。日本社会への実質的な移民となるこれら外 19 国人労働者の受け入れが不可避であれば、どのような形で受け入れていくのか、明確なビ ジョンの確立が必要であり、 そのための一貫した政策及び制度的枠組みが必要と思われる。 その際には、外国人を新たな隣人として地域社会への融合を図る視点が、経済的な要請と 共に考慮されるべきであろう。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 総務省統計研究所『第 54 回日本統計年鑑・平成 17 年度版』2005 年。 外国人労働者の受け入れは、現在の国際的な労働力が移動する状況に伴い、欧米諸国や日本等の先進国のみ ならず、経済成長が続く韓国、台湾、シンガポール、タイ、マレーシア等の国においても行われている。こ れらの新興諸国においては、自らが労働者の送り出し国であると同時に、産業構造と労働市場の変化に伴い 不足する労働者の受け入れを行わざるを得ない状況に直面している。 労働政策研究・研修機構「外国人労働者問題の現状把握と今後の対応に関する研究」、『労働政策研究報告書』 No.14、2004 年。 在留許可重視と出入国管理重視の分類は、「佐野哲(法政大学)平成 15 年度厚生労働省委託調査『台湾の外 国人労働者受け入れ政策と労働市場』2004 年」 中の論点整理による。佐野によれば、受入国の地理的条件(自 然条件の国境)により、大陸国(ドイツ、フランス等)では国境が地続きで出入国が多く、効率性の観点か ら、出入国管理より在留許可(及び労働許可)を重視する傾向があり、英国等の自然条件の国境が明確な国 では、出入国管理が容易である、入国ビザの有無を重要視するとしている。 専門的及び技術的職業として、投資経営、医療、研究、教育、技術、人文知識・国際業務、企業内転勤、法 律・会計業務、報道、外交、公用、教授、芸術、宗教、興行が就労可能な在留資格となっている。 法務省入国管理局『平成 16 年度における外国人及び日本人の出入国者統計について』2005 年。 上述、脚注 6 にある在留資格のうち、興行資格をのぞいたもの。 前掲、労働政策研究・研修機構「外国人労働者問題の現状把握と今後の対応に関する研究」、『労働政策研究 報告書』No.14、2004 年、pp.18-19。 同上。 入国した外国人を滞在の状態だけで違法性を問うことは現状では難しい。一方、資格ビザによって仕事への 業務の可否については一律に規定されており、就労資格外のビザを持つ入国者が就労した場合には違法性が 問われることとなる。 外国人登録者数の主な出身国別の内訳は、1999 年では、韓国・朝鮮(40.9%)、中国(18.9%)、ブラジル(14.4%)、 その他となっている。 前掲、労働政策研究・研修機構「外国人労働者問題の現状把握と今後の対応に関する研究」、『労働政策研究 報告書』No.14、2004 年、pp.20-21。外国人登録者数の増加に対する貢献度は、一般永住者が 38.4%で最も高 い。その後に、留学目的等が 14.9%で続く。一方、専門的・技術的職業の登録者は、1 割程度に止まる。 日経連、労働問題研究委員会報告「構造改革の推進によって危機の打開を」2002 年1月、及び、経団連、「新 たな成長基盤の構築に向けた提言」2002 年4月。 日本経済団体連合会『新ビジョン・活力と魅力溢れる日本を目指して』2003 年、及び、『外国人受け入れ問 題に関する提言』2004 年。 外国人の生活環境の整備として、外国人の意見の行政への反映、日本語教育支援、居住機会の保障、師弟教 育の充実、社会保障制度の改善(公的年金と健康保険の分離)等が提言されている。 日系人は、1990 年の入国管理法の改正により、日本国籍を持つ 1 世に加え、2世、3世及びその配偶者まで 在留資格の対象を拡げ、単純労働者に従事することが認められたため、入国が急増した。特に、ブラジルか らの入国者は、1987 年の 2,250 人から、1999 年には 224,299 人と大幅に増えている。 外国人集住都市は、静岡、愛知、群馬県、三重県、岐阜県等の自動車、電気等の製造業関連の大企業とその 下請け企業が立地し、外国人労働者、特にブラジル出身の日系人の就労と居住が集中している地域である。 自治体としては、太田市、大泉町、磐田市、湖西市、富士市、浜松市、四日市市、鈴鹿市、上野市、美濃加 茂市、可児市、大垣市、飯田市、豊橋市、豊田市である。外国人集住都市会議は、2001 年に5月に設立され、 第1回会議が浜松市において開催された。その後、外国人住民に係る諸課題について協議を重ね、2001 年 11 月には「浜松宣言及び提言」、2002 年 11 月には「15 都市共同アピール」を取りまとめ、外国人居住に関す る制度的な改善に向けて政府への申し入れを行った。 本事例は、小内透/酒井恵真編『日系ブラジル人の定住化と地域社会—群馬県太田・大泉地区を事例として』 お茶の水書房、2001 年における分析と論考による。 外国人集住都市会議『豊田宣言』資料編、2004 年。 参加企業は 32 社から開始し、最多で 84 社となり、組織解散前には 45 社程度であった。 間接雇用では、人材の派遣と、業務の請負に大別することが出来る。 小売店、飲食店、理容店、学校、託児所、コンサルタント等。 20 23 24 25 本事例は、佐野哲(法政大学)平成 15 年度厚生労働省委託調査『台湾の外国人労働者受け入れ政策と労働市 場』2004 年における分析を参考とした。 台湾は、中国との政治的な対立から、大陸からの大きな労働者移入圧力を逃れていることが、日本と異なる。 ジグ・レイトン-ヘンリー「イギリスにおけるシティズンシップと移民政策」 『NIRA 政策研究』Vol.15, No.1、 2002 年、pp.30-34。また、英国は伝統的に移民には抑制的であるが、第二次大戦後の経済復興における労働力 不足や旧大英帝国植民地出身者に対する便宜供与から、非欧州国から多くの労働者が流入した歴史を持って いる。これらの移民を規制するために、1971 年に移民法が制定されて、また、移民の権利として 1981 年の国 籍法のもとで植民地市民権が付与されている。 26 英語の筆記と口述、英国の法律、政治制度や伝統文化に関する試験、等。 27 本事例は、菅原尚子『ゆらぐ英国の多文化主義-ブラッドフォード暴動(2002 年 7 月)が提起したもの』- 渡戸一郎・広田康生・田嶋順子編『都市的世界/コミュニティー/エスニシティー-ポストメトロポリス期 の都市エスノグラフィ修正』明石書房、2003 年を参考とした。 21 第 3 章 自治体における外国人政策の形成過程 黒須 裕章 1.分析枠組みの設定 1.1 問題意識 地域の問題は、地域に住む人たちの手で解決する。90 年代以降、地方分権を旗印に、そ うした取り組みが全国各地で進んでいる。その一方で、地域に住む人々自体の多様化も進 んできた。そのことは、地域住民とは一体誰か、という問題を惹起することとなった。そ れぞれの地域には、在住期間の長短をはじめとし、出身地や国籍の違いなど背景の異なる 人々が住むようになった。住民といっても、その価値観はさまざまなのである。特に、国 籍の有無が参政権の有無に直結するため、国籍の違いは大きく取り上げられた。地域の問 題を解決するために地方自治体の役割は大きいが、地方議会議員選挙での投票や立候補に は日本国籍が必要なため不可能であり、自治体職員への登用にも制限を課されているのが 現状である。 そこで問題となるのは、国籍を持たない人々が、地域での生活を通じて抱えている課題 を解決する術がないことである。したがって、地方自治体は、外国籍を持つ住民に対しど のようなサービスを提供するのかが重要となり、彼らのニーズ把握が課題となる。選挙に よる意思表示などができない外国籍住民にとって、自治体のそのような取り組みは重要な 意見表明の手段となりうる。 では自治体は、そうした外国籍住民のための政策を、どのようなプロセスを経て、作っ ているのだろうか。90 年代、一部の自治体では、参政権のない外国籍住民の意見表明の場 として、外国人の代表者により構成される外国人会議を設けた。ただ一方で、そういう場 を作らない自治体の方が多いのが実情である。そこで、自治体が外国人政策を立案し、実 施していくうえで、そうした会議の存在がどのように影響するのかについても留意する必 要がある。 本稿では、以上のような問題意識に立ち、地方自治体における外国人のための政策の形 成過程を分析していく。まず、分析で取り上げる地方自治体として横浜市・川崎市を選択 し、その概要を示したうえで、それぞれの自治体における外国先住民のための政策の立案・ 形成過程を明らかにし、双方の自治体における違いや特徴を分析する。最後に、外国籍住 民との共生に向け、地域課題の解決のために、どういった取り組みが求められるのかを考 察したい。 1.2 事例の選択 本研究では、川崎市と横浜市の2つの地方自治体を分析対象として選択した。双方とも 政令指定都市という共通な制度を持ち、地理的にも隣接した都市である。しかしその一方 で、川崎市には外国籍住民が公募により参加する外国人市民代表者会議が設置されている が、横浜市には同様の組織はない。その点、そうした外国人会議の存在が、自治体の政策 過程に与える影響を見るうえで有効である。以上の理由から両市を分析対象とした。 23 2.事例分析 2.1 事例の概要 2.1.1 川崎市 川崎市は、多摩川の西岸に位置し、南北に細長い市域となっている。人口は、平成 17 年 1 月 1 日の時点で、130 万 6,992 人を数え、そのうち、外国人登録者数は平成 16 年 12 月 31 日の時点で 26,508 人である。 総人口に占める外国人登録者数の割合は、 約 2%となる。 平成 16 年 3 月 31 日の時点における、外国人登録者の国籍別の上位 5 カ国は、朝鮮・韓国 (9,266 人) 、中国(6,658 人) 、フィリピン(3,280 人) 、ブラジル(1,414 人) 、アメリカ(685 人)となっている1。 市域が細長い川崎市は、南部と北部で地域の特徴が異なっている。南部は、京浜工業地 帯の一部に含まれ、工業と住居が混在した比較的雑然とした街である一方、北部は、丘陵 地帯を切り開いた新興住宅街が中心となり、もっぱら東京都心などに通う人々の生活の場 となっている。 区別の外国人登録人口を見ると、 川崎区だけで10,000 人を超える状況となっ ていて、比較的狭い地域に集中して外国人が生活していることが分かる2。 2.1.2 横浜市 横浜市は、川崎市の西側に位置し、北は多摩丘陵の南端から南は三浦半島の付け根の部 分まで広がる地域を市域としている。南部は、明治以来港湾・鉄道の拠点として栄えてき た。北部は、高度経済成長期以降、東京に通勤・通学する人のための宅地開発が進められ、 都市を形成してきた。人口は、平成 17 年 4 月 1 日時点で 356 万 2,281 人となり、日本で最 も多い住民を抱える市である。 また、 外国人登録者数は平成 17 年 3 月 31 日の時点で 67,731 人を数え、総人口に占める外国人登録者数の割合は、約 1.9%となる。外国人登録者数の上 位 5 カ国は、多いほうから、中国(23,276 人) 、韓国・朝鮮(15,782 人) 、フィリピン(6,846 人) 、ブラジル(3,883 人) 、アメリカ(3,883 人)となっている3。市域内での外国人登録者 数を見ると、沿岸部の区で全体の約 3 分の 2 を占めており、外国人が沿岸部に多く居住し ていることが分かる。 2.2 外国人政策の概要 2.2.1 外国人政策の定義 本稿では、外国人政策を対象とし、その形成過程を観察していくが、あらかじめ外国人 政策という言葉の定義を明確に示しておきたい。 外国人政策とは、外国人のために地方自治体が独自に行なうサービス・施策のこととす る。地方自治体は、外国籍を持つ住民に対し、多くのサービスを提供しているが、ここで は義務的に行なう施策を除き、その自治体が独自に取り組んでいる施策を対象としたい。 その理由は、義務的な施策では、自治体による差が生まれにくいからである。 2.2.2 川崎市における外国人政策 これまで川崎市が取り組んできた外国人政策に大きな影響を与えたのが、在日韓国・朝 24 鮮人による問題提起とその活動である。これは、市の南部に多く住む彼・彼女らが、川崎 市に対し、地域生活における民族差別の存在を長期間にわたって訴え続け、さらにその解 決のために自ら活動を展開し、行政との対話を継続していたことによる。その成果は、児 童館と社会教育施設の機能を併せ持った川崎市ふれあい館の設立とその運営に現れている。 この過程で川崎市は、外国人政策の基本的なスタンスとして、 「内外人平等主義」の徹底、 「アイデンティティの保全の権利」の承認、 「住民自治への参加」の権利保障の 3 つの視点 を持つに至った。つまり川崎市は、外国籍住民の持つ権利確保を主眼とした人権重視の姿 勢を持ち、外国人政策に取り組んでいるといえる。外国人政策を主管する市の部署が、市 民局人権・男女共同参画室であることもその証左であろう。 川崎市における外国人政策において最も特徴的な施策が、1996 年に条例に基づいて設置 された、外国人市民代表者会議である。会議の代表者は、国籍別に枠付けられ、公募と推 薦によって選ばれた 26 名の委員で構成されている。1 期 2 年の任期の中で、市に対し調査 の要求、報告書の提出等を行なっている。市長は、条例により、その報告の尊重を求めら れており、同会議は市に対し、一定の影響力を担保する仕組みを持っている。 そのほかにも、市民向けの啓発誌の作成や外国人に対する生活情報の提供、日本語教室 の開催、相談窓口の設置などのサービスが行なわれている。これらの事業は、1989 年に設 置された市の国際交流協会を通じて実施されている4。 2.2.3 横浜市における外国人政策 横浜市は、横浜港という国際的な港湾を抱える都市として、古くから外国人を受け入れ てきた。これまで、特に国際交流の視点からの施策を数多く実施してきている。それは、8 つの姉妹都市、5 つの国際港湾、3 つの海外事務所の設置など、都市レベルで積極的な提携 関係を築き、 市職員や市民レベルでの交流に取り組んでいることはその姿勢の一端である。 そして、国際交流を地域レベルで推し進めるための拠点として、4 つの「国際交流ラウ ンジ(コーナー) 」が設けられ、それぞれの地域に住む外国人と日本人とが交流する場を形 作っている。その拠点は、市の委託を受けて運営されており、地域住民と在住する外国人 とが、 共に暮らしやすい地域社会づくりを進めることを目的とする公設民営の施設である。 基本的に、その地域に住む人たちによって自主的な運営が行なわれていて、それぞれの拠 点が運営委員会を持ち、ラウンジがある地域において必要と考えるサービスを企画し、提 供する体制をとっている。 また、2003 年度から、市に在住している外国人と日本人とがお互いに意見交換する場と して、市と市国際交流協会が中心となり、 「よこはま国際性豊かなまちづくり市民フォーラ ム(以下、フォーラムと略す) 」を開催している。このフォーラムは、主催者により選ばれ た、市内で活躍する日本人と外国人合わせて 10 人がパネリストとなり、会場からの意見を 交えながらパネルディスカッションを行なう形式で、これまで 1 年に 1 回開かれてきた。 これは、中田宏市長が就任し策定した、市の「中期政策プラン」重点戦略「個性ある都市 横浜の発信」の第 1 項目である「国際交流集客都市の確立」のための施策の一環として位 置づけられているものである。 25 2.3 外国人政策の形成過程 2.3.1 川崎市 川崎市は、 「外国人市民代表者会議(以下、外国人会議と略す) 」を設置し、そこで外国 人市民に関わる問題の調査審議を行い、その結果を市長に報告している。また、市や市長 は、外国人会議の必要とする運営協力と援助に努め、会議が提出する報告や意見を尊重す ることとされるため、外国人会議が毎年市に対して提示する意見や提言が、市の外国人政 策を方向付ける役割をも持つ。 では、外国人会議の出す提言はどのようなプロセスを経て、市の施策へと結びついてい るのだろうか。外国人会議の提言は、その事務局を務める市民局人権・男女共同参画推進 室が取りまとめ、全庁横断的組織である「人権・男女共同参画推進連絡会議」において、 具体化を担う部局が割り振られ、検討が進められていく。例えば、1996 年度に提言された、 外国語による広報の充実と情報コーナーの設置については、市民局が担当となり、区役所 や市民館に外国人市民情報コーナーが設置される、という形で具体化され実現した。 ここで、川崎市における外国人政策に関与するアクターを整理すると、政策の対象者で ある外国人住民とそれを支援する組織のほかに、川崎市役所内では、市民局人権・男女共 同参画室、総務局秘書部交流推進課、市の全局区室長で構成される人権・男女共同参画推 進連絡会議、外国人市民代表者会議であり、加えて市の予算・条例を審議する川崎市議会、 事業実施を担う市国際交流協会となる。ここから、市役所本庁組織の影響力の大きさを観 察することができる。 このように、川崎市では、在住する外国人により構成されている外国人会議の提言によ り、その施策化の検討が行なわれる仕組みができあがっている。つまり、外国人のニーズ を把握し、それを政策へと結び付ける回路が、市役所内部で制度化されている。そのため 市にとっては、ニーズをつかむことが容易である一方、外国人会議の提言が、本当に外国 人住民のニーズを代表しているのかという代表機関の限界も意識する必要がある。また、 外国人会議のメンバー自身が、外国人の相談窓口の案内パンフレットを翻訳して作成する など、市のサービスの一翼を担う役割をも果たしていることから、外国人会議の構成員が 市と一体と見られ、参加していない住民から外国人会議の位置付けが市役所寄りと捉えら れる危険性もはらんでいる。 2.3.2 横浜市 横浜市における外国人政策は、その力点を国際交流や集客に置いており、そうした事業 の実質的な担い手は、市の国際交流協会や各地域の国際交流拠点である。市役所は計画等 によりおおまかな施策の方向を定めるにとどまっている。つまり、具体的な外国人政策を 生み出しているのは、国際交流協会や国際交流ラウンジという市役所外の組織である。ど ちらも、市から運営費の補助や事業委託などの形で、資金面の関与を受けているが、事業 の具体的な企画にあたっての自由度は大きい。また、双方とも市の予算額の多寡による資 金面での制約を受けながらも、ボランティアによるサービス提供といった自助努力や創意 工夫により、サービスを必要に応じて組み立てることが可能である。市は、活動の場を担 26 保し、実際の施設運営は、民間のボランティアが中心となって行うという役割分担が明確 であり、行政としては最低限の支出で大きな成果を生みうる仕組みとなっている。ただし 逆にいえば、市の財政的支援が乏しくなった場合、地域で必要とされている事業を継続し て行える保障はないということになる。 外国人政策に関わるアクターをまとめると、政策のターゲットである在住外国人とその 支援を行なう組織のほか、横浜市役所本庁の総務局国際室、市民局人権課、区役所、市国 際交流協会と地域ごとの国際交流ラウンジとなる。中でも、国際交流のための 2 つの組織 の果たす役割が重要である。 3.自治体における外国人政策の課題と方向性 3.1 事例の比較 本節では、前節までに見てきた川崎・横浜両市の外国人施策の形成過程を踏まえ、その 相違点と長所・短所を明らかにすることにより、それぞれのプロセスの特徴と課題を示す こととしたい。 3.1.1 相違点 前節で示したように、川崎・横浜両市の外国人政策へのアプローチには明らかな違いが ある。本項では、それを 2 点に整理し、示すこととする。 川崎市と横浜市において、まず異なるのは、外国人住民の捉え方である。川崎市は、外 国人住民が過去に差別の対象となった経緯から、日本人と同じ住民としてどのように共存 し、生活していくのか、という点に取り組んできたため、外国人住民の人権をどう確保す るかに注力してきた。 逆に横浜市では、川崎市のような状況に直面せず、むしろ魅力ある国際港湾を目指して 外国人を呼び寄せることに力を入れてきた。したがって、市は外国の企業への PR など海 外企業が進出しやすい環境づくりを進め、その一環として国際交流事業が重視してきた。 次に異なるのは、外国人政策を主導するアクターである。川崎市の場合、外国人政策の 企画は、主管する市民局人権・男女共同参画室を中心とし、横断的な庁内組織での議論を 経て、その方向性が決定される。加えて、外国人市民代表者会議による市への提言とそれ に対するフィードバックの仕組みや市議会での外国人市民代表者会議による報告と質疑が 制度化されており、常に、市役所内部で外国人政策を見直していく仕掛けが働いている。 一方、横浜市では、その外国人政策は市の外郭団体である国際交流協会と国際交流ラウ ンジによって担われている。政策を主管する総務局国際室は、運営費補助や事業委託の窓 口としての役割しか果しておらず、政策の中身は、その担い手である前述の 2 つの組織に よってほとんど決められてきた。市が活動拠点などの施設整備を行い、その運営は市の外 部を主導として進められている。このことから、市は、他都市と同じような事業を、民間 のボランティア主体で進めることによって、相対的に安いコストで同じサービスを行なっ ているという認識をもっている5。また、川崎市のように、市役所内部で外国人政策に横断 的に取り組む仕組みも存在しないことから、市役所が外国人政策において果たす役割は、 27 川崎市に比べ明らかに小さいといえるだろう。 図表 3-1 外国人政策における川崎市・横浜市の相違点 川崎市 横浜市 外国人住民の捉え 差別の解消:多文化の共生 国際的な集客・企業誘致 方 =国際交流重視 =人権重視 外国人政策を主導 市内部における外国人政策の検討 外国人政策の市外部への「丸投げ」 するアクター システムの存在 =民間主導 =市役所主導 筆者作成 3.1.2 長所と短所 前項で見たように、外国人政策への取り組みは、川崎・横浜両市で大きく異なることが わかった。では、それぞれの方法の長所・短所はどのような点にあるのだろうか。 図表 3-2 川崎・横浜両市における外国人政策形成過程の長所と短所 長所 川崎市 短所 ○外国人住民自身が、意思決定過程に ○日本人住民を外国人政策へ巻き込ん 参画する機会が制度的に保障され でいく仕組みが乏しい。 ている。 (意思決定過程がオープン) =外国人市民代表者会議の認知度の 低さ =外国人市民代表者会議 横浜市 ○地域で必要な事業を企画・実施でき ○外国人住民自身が、意思決定過程に る柔軟性がある。 参画する機会が制度的に保障されて =民間主導による政策実施、地域拠 いない。 (意思決定過程がクローズ) =よこはま国際性豊かなまちづくり 点の存在 市民フォーラム 筆者作成 観察される互いの長所と短所を簡単にまとめたのが図表 3-2 である。両市において対照 的なのは、外国人住民による意思決定過程への参画の機会の有無である。自治体で生活す る住民にとって、行政へ意見を表明し、それに対する回答が制度的に保障されているかど うかは大きな問題である。国籍の有無のみで、そこに差が生ずることへの違和感を覚える 住民は多い。例えば、神奈川県が 2001 年に実施した調査に見られるように、外国人住民に は、政策の決定過程への参画を望む者が多数を占める6。したがって、自治体単位でそのよ うな会議が、制度的に明確に役割を規定された形で設けられているかは、外国人政策の形 成過程において重要な差異である。 川崎市の外国人市民代表者会議が条例により設置され、 会議の役割や市の対応などが明確にされているのに対し、横浜市のフォーラムが、単なる 一事業としての位置付けで、その場の意見交換の結果に対し、横浜市が具体的にどう対応 28 するかは一切明らかにされていないことは好対照である。 ただし、横浜市のフォーラムが、外国人住民と日本人住民とを交えた組織であることに 注目したい。日本人住民に対し、外国人住民が同じ都市に生活してどのような課題を感じ ているかを、直接意見交換を通じて向き合う機会が設けられたことは、全市レベルでの問 題提起のきっかけとなりうる可能性を秘めている。 最後に、外国人政策の事業展開について指摘したい。民間ボランティアが、自主的に事 業を企画し実施している横浜市は、事業の実施者が、地域のニーズにあった方法や手段を 選択し、実行できる。一方川崎市は、施策の方向性や事業内容などを市内部の組織で検討 したのち実施へと移っていくため、横浜市と比べればそこに地域ニーズとの整合性を図る のに有効な柔軟さに欠ける。したがって、それぞれの地域において、政策とニーズとをす り合わせるための仕組みが求められるだろう。 3.2 これからの外国人政策の形成過程の方向性 外国人政策をどのように実施していくのかについては、第一義的にはその地域の実情を よく知る自治体に任せられている。したがって自治体は、地域にふさわしい手段と方法を 選択し、政策の内容を検討し実施するために必要な仕組みを明確にしなければならない。 ではその際、どういった点に留意すべきなのだろうか。 まず、外国人を対象とした政策を進めるにあたり、自治体はその対象範囲やサービス内 容をどの程度担保すべきかについて検討し、決定することが不可欠である。政策の対象と なる者とそれを実施する者とがずれてしまうことによって、必要のない政策が生まれるの であり、意見表明の機会を制約されている外国人を対象とする政策では、そのずれが生じ やすいと考えられる。自治体には、そのずれを防ぐ工夫が必要であり、常に政策の有効性 を吟味する仕組みが必要である。 また、そこに住み、生活している日本人と外国人の意識を共有する必要があるのではな いだろうか。住民同士が互いにどのような生活をしているのかを共有し、存在を意識する ことによって、地域でどういう政策が必要なのかをつかめるようになる。自治体は、それ を達成できる場づくりを進めることが要請される。 最後に指摘したいのは、地域における外国人政策を検討する組織を設ける場合、組織の 位置付けと役割を条例や要綱などによって定め、その組織の活動を明確にすることの重要 性である。このような明確な位置づけのない組織や任意的な組織では、そこでの議論がど のように政策へと反映されるのかの保障がなく、参加者やその活動に注目する住民の意欲 をそぐこととなり、それが自治体への不信感を招くことになりかねない。役割をはっきり させた組織の設置が、自治体や住民相互の信頼や認知を高めるために有効だろう。 1 2 データの出所は、川崎市市民局地域生活部区政課。 もっともこのことは、第 2 次世界大戦期において、南部の工業地帯にある工場に、当時植民地支配下にあっ た国々から多くの人々が動員され、戦争終結後もそうした人々の一部が引き続き生活してきた、という歴史 的経緯によるところが大きい。 29 3 4 5 6 データの出所は、横浜市市民局区政支援部窓口サービス課。 これまで川崎市では、人権・共生のまちづくりを市の総合計画の柱に位置付け、2000 年には人権施策推進指 針を策定し、外国人政策を含めた総合的な人権施策に臨む市の基本的な方向性を定めていた。さらに 2002 年 から、多文化共生社会の実現を目指し、市と市民などの取り組み目標などを示した指針の策定を始め、2004 年に「多文化共生社会推進指針」としてまとめた。今後は、この指針をもとに外国人のための施策を市民と 協働して推進することとしている。 平成 16 年度総務局民間度チェック「16 年度の取組状況(2)再チェック・相互チェックの実施」国際交流ラウ ンジ事業を参照。他都市の類似施策とのコスト比較についてのチェック項目において、把握しているコスト は他都市より安価と明記されている。 かながわ自治体の国際政策研究会『神奈川県外国籍住民生活実態調査報告書』2001 年、pp.149-151 を参照。 外国人住民に必要な制度や権利として、地方議会選挙権、被選挙権や審議会委員への登用、モニター制度を 示し、それぞれ必要かどうかを問うたものである。その結果、すべての制度において、半数以上の回答者が 必要と考えていることが示された。 30 第 4 章 首都圏近郊都市の国際化政策の現状 -千葉県船橋市の事例から- 藤澤 武明 はじめに 日本の製造現場では、日本人の工場労働者が減少し、彼らに代わって外国人労働者が増 えつつある。そのため、企業城下町といわれる都市では、住民に占める外国人の割合が高 まっている。これらの外国人は、自治体の施策として招かれた場合もあるが、自然発生的 な場合もある。しかし、いずれの場合も、集住が始まった当初は、共存していたが、その 後、日本人住民との衝突が始まることも多い。これらの問題を話し合うため、集住都市会 議が 2001 年(平成 13)から開催されている。 一方で、 企業城下町でない都市においても外国人の増加傾向にある。 これらの都市では、 現在は顕在化していないが、 今後大きな問題になる可能性がある。 さらにこれらの都市は、 外国人にとって職住近接ではないことから、問題もより複雑になることが予想される。 そこで、今回船橋市を題材に、首都圏ベットタウン都市における多文化共生について自治 体の国際化対応という観点から問題点とその解決法を提言したい。 1.船橋市の国際化の実態 1.1 船橋市の概要 船橋市は、東京湾北東部沿岸、千葉県北西部に位置し、東西 13.86km、南北 14.95km、 面積は 85.6k㎡、人口 56 万人を抱える県内第2番目の都市である。 現在の船橋市あたりは、江戸時代初期には東京湾の一漁村にすぎなかったが、東金街道 が開けてからは房総への交通の要衝「船橋宿」として栄えた。1889 年(明治 22)に船橋町と なったが、鉄道が開通したため宿場町としての機能が失われ、一時期町勢は衰えた。しか し、鉄道交通がさらに整備されたこと、軍隊がおかれたことから商業を中心に再び町勢は 回復した。1935 年(昭和 12)には隣接する 1 市 3 村を合併して船橋市が誕生し、終戦時に は人口 68,000 人を数えるに至った。 戦後の 1953 年(昭和 28)に 1 町、翌年に 1 村と相次いで合併し現在の市域ができあがっ た。その後、鉄道交通がさらに整備されたこと、住宅公団による大規模団地の造成がおこ なわれたことから、人口の流入が著しく、1935 年(昭和 58)には人口 49 万人に達した。 現在は、 「生き生きとしたふれあいの都市・ふなばし」 をまちづくりの目標に掲げており、 平成 15 年には人口 56 万人を抱え、県内初の中核市1に移行した。 1.2 船橋市の在住外国人 在住外国人増加の傾向は全国的な現象であるが、船橋市においてはどのような状況にあ るのであろうか。図表 4-1 は、船橋市の外国人登録数の内訳を年次で分けてグラフにした ものである。船橋市においても、外国人登録数の増加傾向はみられる。図表 4-2 は、外国 人登録総数を右側の軸に、出身国別の登録数を左側の軸にしてまとめたものである。中国 出身の外国人の増加が顕著であることが分かる。 船橋市では、 中国出身の外国人の集住が、 31 始まっているのである。 このように、増加傾向にある外国人であるが、その職業については、プライバシーの関 係もあり、行政でも把握できないのが現状である。特に、企業城下町ではない、ごく普通 のベッドタウン都市である船橋市においては、顕著である。ボランティアなどや、行政の 国際関係部署の担当者が、日頃接する外国人からの情報に頼るしかないのが現状である。 図表 4-1 船橋市の外国人登録数の推移 (人) 10,000 9,000 8,000 7,000 登録総数 6,000 5,000 4,000 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 (年次) 出典:船橋市外国人登録国籍別人員調査票より筆者作成 図表 4-2 船橋市の外国人登録数と出身国別登録数の推移 4,000 10,000 (人) 9,000 3,500 8,000 3,000 7,000 2,500 6,000 (人) 2,000 5,000 4,000 1,500 3,000 1,000 2,000 500 0 登録総数 中国 韓国・朝鮮 フィリピン ブラジル ペルー タイ 米国 英国 インドネシア パキスタン インド 1,000 0 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 (年次) 出典:船橋市外国人登録国籍別人員調査票より筆者作成 次に掲げる図表 4-3 は、船橋市立小中学校の外国人児童生徒数を、年次ごとにまとめて グラフにしたものである2。外国人登録総数と同様に、公立学校に於いても、外国籍の児童 生徒が増加傾向にあることが分かる。特に小学校の外国籍児童数の伸びが高いことから、 今後中学校でも外国籍の生徒が増加することが予想される。船橋市においても、外国籍の 32 児童生徒への教育の問題が、今後重要になるであろう。 図表 4-3 船橋市立小中学校の外国人児童生徒数 (人) 300 250 200 総数 小学校 中学校 150 100 50 0 1999 2000 2001 2002 2003 2004 (年次) 筆者作成 1.3 在住外国人意識調査 船橋在住の外国人の状況を知る上で、やや古い資料ではあるが「在住外国人意識調査」 がある。この調査は、在住外国籍市民のニーズ等を総合的に調査し、今後の国際化施策の 基礎資料とすることを目的に、1998 年(平成 10)10 月に調査を実施され、翌年 3 月に報 告書としてまめられたものである。 滞在状況は、国内居住 5 年未満が約 4 割、市内在住 5 年未満が約 6 割である。約半数が 来日、船橋市内の在住とも、5年以内の比較的短期であることが分かる。船橋市内居住の 感想として、 住みやすいが約半数、 住みにくいとしたのは 10%以下であると記されている。 施策への要望として、情報提供 57.0%、日本人との交流の機会を増やす 46.0%、日本語教 室の充実 45.1%といったところが、上位を占めている。慣れない外国での生活に対して、 情報や人間関係、それに加えて当然ながら、これらを得るための最低限条件としての、日 本語の習得の要望が強いことが分かる。 2.船橋市の国際化政策の変遷 ここまでは、船橋市の在住外国人の状況について述べてきたが、行政つまり船橋市は、 国際化に対して、どういった施策を展開してきたのであろうか。ここでは、総合計画を題 材として、その変遷を探ってみたい。 ① 船橋市総合開発計画書(1969 年(昭和 44) ) 地方自治法に基づく総合計画3に先立ち作成されたのが、この船橋市総合開発書である。 この時期の船橋市は、東京のベットタウンとして、高度成長を支えた地方出身者の転入の 急増とそれに対応する施策、いわゆる箱もの整備で手一杯であったようである。人口増加 に関する詳細な検討がなされているが、国際化政策に対する記述はない。 ② 第 1 次船橋市基本計画(1983 年(昭和 58) ) 船橋市最初の総合計画であるが、この段階でも国際化政策については、船橋市総合開発 33 書同様記述はない。 ③ 第 2 次船橋市基本計画(1991 年(平成 3) ) 本計画では、現状分析 21 世紀に向けての共通課題として、国際化の進展が上げられてい る。ここにきて、初めて国際化へ対応が登場する。この計画の策定に当たっては、市民へ のアンケート調査も行われており、国際化への関心として、約 60%の市民が関心を持って いるとの記述があるが、具体的な内容に関する設問はないようである。 具体的な施策としては、 「姉妹都市、友好都市との交流を中心として、国際化時代に対応 した国際理解、交流の積極的な推進を図る。 」と述べられている。しかしながら、この計画 策定 5 年前の 1986 年(昭和 61)には、ヘイワード市と姉妹提携の関係を結んでおり、さ らに翌年には、国際交流協会が設立されていることを考えると、施策が先行し、その後総 合計画として認知されたことが分かる。 具体的な事業としては、大きく三つある。一つ目が、国際交流推進のための基盤の充実 として、人材の育成、話せる外国語教育の推進、民間との協力体制の整備、国際親善ボラ ンティア制度の拡充、情報提供の充実等があげられている。二つ目が、地域に根ざした国 際交流の推進として、市内在住外国人・留学生との交流、近隣市との情報交換及び協調体 制の整備が謳われている。最後に、積極的な国際交流の推進として、姉妹都市・友好都市 との交流事業の推進が記載されている。 ④ 第 3 次船橋市基本計画(初年度 2000 年(平成 12) 、目標年次 2020 年(平成 32) ) 計画策定にあたっての時代認識として、 「グローバリズムの深化。ヒト・もの・情報が国 境を越えて活発に交流していきます。また経済活動はもとより個人のレベルでも、行動範 囲は地域や国を越え、 広く世界を舞台とした活動が日常化しつつある。 」 と記述されている。 前回の総合計画からさらに、国際化政策への深化が求められていることが伺われる。 政策の基本方針としては、 「姉妹都市・友好都市をはじめとした、諸外国との市民主体の さまざまな交流活動を促進して行きます。また、市民や外国人相互の国際理解を形成する ため、外国人とともに生きる地域社会を形成するため、地域に根ざした市民同士の日常的 な交流を促進する。 」と書かれている。具体的施策は、現在運用中の計画であるので、次の 「船橋市国際化政策の現状」で触れることとし、ここでは省略する。 3.船橋市国際化政策の現状 3.1 組織 行政内部の組織的対応としては 1984 年(昭和 59)に企画部企画調整課内に、担当者を 配置したことに始まる。2年後の、ヘイワード市と姉妹提携の準備のための配置と考えら れる。その翌年には、国際交流協会が設立している。庁内組織は、1988 年(昭和 63)に総 務部国際交流室に昇格している。その年の前後には自治省から国際交流に関する指針が複 数示されており、自治体の姉妹都市関係が、国レベルでも認知されはじめたことが、その ような状況がこの、交流室設置に大きく関係していると思われる。 現在は、さらに機構改革が行われ、市長公室秘書課内に国際交流室が配置されている。 34 3.2 国際交流室の事業 国際交流室の事業は、2004 年度(平成 16)のみの特別事業と、定例事務に分けられてい る。 ① 2004 年度(平成 16)の特別事業 2004 年度(平成 16)のみの特別事業として、下記のものが行われた。 図表 4-4 国際交流室の特別事業 事 業 内 容 交流都市三市の市代表団招聘 姉妹都市関係の三市を招待し、記念祝賀会等を開催した 音楽団招聘 音楽祭開催のため、音楽団を招聘した 西安市への市民団訪問 船橋市国際交流協会主催 筆者作成 ② 定例事務 定例事務として下記の事業を実施した。 図表 4-5 国際交流室の定例事務 事 業 姉妹友好都市関係 内 容 ヘイワード市(米国) 、オーデンセ市(デンマーク) 、西 安市(中国) 在住外国人支援関係 市内在住外国人への支援一般 国際親善ボランティア育成・派 市内小中学校で通訳や日本語指導を行うボランティア 遣関係 の育成と学校への派遣 船橋市国際交流協会支援 財政的、事務的援助を行っている 船橋市国際親善ボランティア 船橋市の国際化と市民レベルの国際交流を推進し、国際 意識を高め、国際理解と友好親善に寄与することを目的 にした制度 筆者作成 3.3 国際交流協会の事業 国際交流協会の事業は、定期的に行われている活動と、不定期に行われている活動に分 けられている。 ① 定期的な活動 定期的に行われている活動として下記の事業を実施した。 図表 4-6 国際交流協会の定期的活動 事 日本語教室 外国人相談窓口 英語グループ 業 内 容 在留外国人への、日本での生活するための最低限のレベ ルの日本語教育 在住外国人への生活支援の一環として、外国人の生活上 の悩みや相談の解決を図るため、船橋国際親善ボラン ティアの協力により当初(1991 年(平成 3)開始)は週 一回、現在は週 2 回「外国人相談窓口」を開催している。 外国人向け情報誌の発行 筆者作成 35 ② 不定期に行われている活動 不定期に行われている活動として、通訳や翻訳の業務、イベントへの協力、ホストファ ミリー,ホームステイ,ホームビジットの紹介などの事業を実施した。 3.4 教育委員会指導課の事業 教育委員会内におかれている指導課では、市内小中学校の教育カリキュラムなどを指導 している。このカリキュラムの中には、下記のような国際化教育も含まれている。 図表 4-7 教育委員会指導課の事業 事 業 国際教育交流事業(含・西安市教育交流事業) 帰国・外国人児童生徒に関すること 帰国・外国人児童生徒と共に進める教育の国際化推進事業に関すること 中国帰国児童生徒等の日本語指導に関すること ATL に係わる事務に関すること 国際理解教育に関すること(小学校英語教育推進事業) 文化活動等の助成に関すること(英語発表会) 英語関連事業に関すること(英文日記コンテスト) 緊急地域雇用特別基金事業に関すること(国際化推進コーディネーター活用事業に関する こと) 筆者作成 以上の事業の中で異色なのが、千葉県緊急地域雇用創出特別基金事業(なのはなプラン) の一環として行われている、 「船橋市国際化推進コーディネーター事業」である。この事業 は、市内小・中学校に在籍する外国人児童生徒等に対する日本語指導、学校生活への適応 指導等の援助及び国際理解教育の推進を図るといったことを目的に実施されている。しか し、あくまでも雇用の一時的な創出が主たる目的で、事業自体が時限性を持っており、2004 年(平成 16)を持って終了することとなっている。市内小中学校の外国人児童生徒が、増 加傾向にあることを考えると、制度の趣旨を変更しても継続すべきものであると考える。 4.船橋市の国際化政策の問題点と今後 4.1 船橋市の国際化政策の問題点 船橋市の国際化政策は、国際交流、つまり姉妹都市事業からスタートしたが、これは、 市民の要望があったとはいえ、 どちらかというと政治色の強いものであったと考えられる。 それは、国際交流事業が、事業実施後に後追いで総合計画に記載されていることからも分 かる。高度経済成長の時期と合致はするが、まだ海外旅行は高嶺の花という時代に、行政 を媒介とした人の行き来と、それに伴う文化的な接触は、世界と自分の居住地が通じてい るという実感を、味わうことができたと考える。そのことは、市民に夢を与え、現在、環 36 境問題などを語るときに使われる、地球市民という概念を醸成するための、一翼を担った のではないだろうか。 しかし、現在では、海外旅行が一般化し、身辺を見回すと、聞き慣れない言語に遭遇す る機会も珍しくない時代になった。そういった時代にも、現在まで続いている国際交流の 関係は、もちろん大事ではあるが、それら非日常的な施策とともに、市民のそして在住外 国人の生活レベルでの、国際化政策の重要性が、増してきていると考える。 そもそも、船橋市は、東京湾岸地域や内陸部に、工業団地を抱えるものの、市の施策と して、外国人労働者を積極的に、受け入れてきたわけではない。それにも関わらず、在住 外国人が、特に都心への通勤に便利な地域で、増加している。船橋市では高度経済成長期 に、同じような理由から、ベットタウンとして人口が急増した。このような経験から、さ らに在住外国人が増加することが、予測される。在住外国人にとっても、ベットタウンで あるということは、直接的には、外国人の雇用が市の政策課題とし顕在化することはない と考えるが、反面、商工会議所などを通じた、雇用主と行政機関の協力体制を組むことが、 難しいという側面もある。 4.2 国際化政策から、多文化共生政策へ 今後の国際化政策は、国際交流を主体とした施策展開や、対症療法的な生活レベルの施 策を、乗り越える必要がある。解決策としては、ボランティアを中心とする事業をさらに 拡充しつつも、行政がより全面に出て、施策を展開する必要があるのではないだろうか。 そのことは、特に子供への教育の分野でいえることである。まずは、外国人の意見聴取シ ステムをつくり、全庁的な連絡組織を立ち上げることが重要である。そして、コミュニティ 施策と在住外国人向けの政策を、連携させる考え方も必要である。 5.参考資料 5.1 年表 図表 4-8 国際化政策に関する年表 船橋市の国際化政策 内容 国際化政策に関する動き 長崎市がセントポール市 (米国)と姉妹都市提携 1955 年 昭和 30 1969 年 昭和 44 船橋市総合開発計画書 国際化に関する記述無し 1983 年 昭和 58 第 1 次船橋市基本計画 国際化に関する記述無し 1984 年 昭和 59 企画部企画調整課内に担 当主幹 1985 年 昭和 60 1986 年 昭和 61 企画部国際交流室設置 ヘイワード市提携 1987 年 昭和 62 国際交流協会設立 地方公共団体に於ける国 際交流のあり方に関する指 針(自治省) 1988 年 昭和 63 総務部国際交流室 西安市友好交流促進提携 国際交流のまちづくりのた めの指針(自治省) 37 内容 船橋市の国際化政策 1989 年 平成元 オーデンセ市提携 年 1990 年 平成2 年 1991 年 平成3 年 第 2 次船橋市基本計画 内容 国際化政策に関する動き 地域国際交流推進大綱の 策定に関する指針(自治 省) 21 世紀に向けての共通課 題として、国際化の進展 姉妹都市、友好都市との交 流を中心とした施策展開 総務部国際交流課 1992 年 平成4 年 1993 年 平成5 年 1994 年 平成6 年 1995 年 平成7 年 1996 年 平成8 年 1997 年 平成9 年 1998 年 平成 10 市長公室秘書課国際交流 年 1999 年 平成 11 年 自治省内に「国際室」設置 経済社会のあるべき姿と経 第3部経済新生の政策方針 済新生の政策方針 外国人労働者の受け入れ による多様性と活力の確保 第9次雇用対策基本計画 2000 年 平成 12 第 3 次船橋市基本計画 年 内容 時代認識として、グローバリ ズムの深化 姉妹都市・友好都市をはじ めとした、諸外国との市民 主体のさまざまな交流活動 を促進 外国人労働者対策として専 門的、技術分野の外国人労 働者の受け入れ 自治体国際交流推進大綱 及び自治体国際協力大綱 における民間団体の位置 づけについて(総務省) 2001 年 平成 13 年 外国人集住都市会議 外国人集住都市公開首長 会議 浜松宣言 2002 年 平成 14 年 外国人集住都市会議浜松 会議 東京会議 2003 年 平成 15 年 外国人集住都市会議 シンポジウム in 豊田 2004 年 平成 16 年 外国人受け入れ問題に関 する提言((社)日本経済団 体連合会) 多文化共生に向けた取り組 みの促進(総務省) 筆者作成 1 2 3 地域行政の充実のため、指定都市以外の都市で規模能力が比較的大きな都市について、その事務権限を強化 しできる限り住民の身近で行政を行うことができるようにしたもの。 公立学校における、外国籍児童生徒の問題は、非常にデリケートな問題である。例えば統計資料の発表が、 全学校の合算のみなのは、特定の地域に在住外国人が集住していることが判明したり、少数の児童、生徒し か通学していない学校では、本人が特定されてしまい、プライバシーの保護に反したりするといった問題が あるからである。 地方自治法第 2 条第 4 項により、市町村には、基本構想を定めることが義務づけられている。基本構想は、 自治体が政策を展開する上での最も基本となる方針を示している。基本構想、基本構想を具体的な政策とし て示した基本計画、さらに事業レベルの実施計画等を総称して総合計画という。 38 第 5 章 公教育における多文化共生教育の支援体制について 中川 和郎 はじめに 1990(平成2)年の入国管理法改正以降、南米日系人を中心に外国人の入国、在留が急増 した。当初は、ほとんどが単身者であり、数年のうちに帰国すると考えられていたが、家 族の呼び寄せや日本での結婚・出産などにみられるように定住化が進んでいる1。それに伴 い、外国人の子どもたちの教育の保障についての問題がクローズアップされてきた。とい うのは、外国人児童生徒にとっては、学校が生活と成長の場であり、そのための重要なケ アを担っているからである2。 筆者は、日本に住む外国人の考え方、文化を理解していくうえで、国際理解教育を充実 させていくことが不可欠であり、それと同時に、外国人児童生徒に対する教育の保障が不 可欠であると考えている。このことにより、擬似的な国際化ではなく、内なる国際化を推 進していく機会にもなる。そして、内なる国際化を図るうえで多文化共生教育が必要であ る。ここで、多文化共生教育という用語について、説明していきたい。多文化共生教育と は、異なる言語・価値観・アイデンティティを認め合い、新しい価値や文化を創造してい くことである。 実際に、一部の地方自治体では、多文化共生教育についての取り組みの動きがある。例 えば、事例で取り上げる、豊田市やつくば市では、多文化共生教育についての施策に取り 組んでおり、立川市でも、2005(平成 17)年 2 月に「立川市多文化共生推進プラン」の素 案をまとめている3。しかし、問題点としては、多文化共生教育における教員の授業力の向 上を図る仕組みづくりである。そのためには、市町村教育委員会が学校に対していかにサ ポートしていくかである。 本稿では、多文化共生教育の現状について分析し、そのために必要な学校への支援体制 のあり方について触れていきたい。 1.学校教育法上における就学義務の位置付け 学校教育法第 22 条(小学校)及び第 39 条(中学校)では、外国人の就学義務は課せら れていないが、外国人の義務教育諸学校への就学を否定するものではないとしている。こ れは、外国人が希望する場合に就学の機会を保障している。従って、市町村教育委員会は、 外国人が就学の機会を逃したり、住民基本台帳に基づき自動的に就学事務が進められる日 本人との間に被差別感を抱くことのないように、就学予定者に相当する外国人の保護者に 対し、入学に関する事項を記載した書類(就学案内)を発給している。 しかし、現状では、外国人登録をしていないケースが少なくなく、中には、居住地と登 録住所が異なることもあり、市町村教育委員会が就学予定者に相当する外国人の子どもの 人数を把握できていない。従って、不就学の外国人児童・生徒に対してのケアをどのよう に行っていくかが重要になる。実際に、不就学の外国人児童・生徒が存在している理由に 39 ついては、①外国人の児童・生徒が授業についていけない、②外国人の保護者は教育に対 する意識が低い、③外国人の保護者が日本の就学制度を知らないことが挙げられる。 文部省(現・文部科学省)は、1992(平成 4)年度から「日本語教育が必要な外国人児 童生徒」の日本語指導と適応教育を担当する専任の教員の加配を行う方針を示し、各自治 体でも同様な措置を行っている。こうした加配教員が配置されている学校では、日本語教 育が設置されており、受け入れ初期には、国語、社会科、算数・数学、理科などの主要教 科の時間に、取り出し(日本語を使った適応指導、適応教育)をして日本語教室で指導し ていることが多い。一方、音楽、図工・美術、体育、技術・家庭科などの技能教科の時間 には、所属学級で日本の子どもたちと一緒に授業を受けている。指導形態は、マンツーマ ンの個別指導をとる学校が多い。ただ、取り出しの時間すべてを個別指導に充てるのでは なく、そのうちの何時間かは、学年の枠を取り払い、日本語の能力別のグループ指導を行っ ている学校もある。一方、日本語教室を設置していない学校では、担任の教員が日本語指 導をしたり、または担任以外の教員や管理職が空時間を利用して、取り出し指導を行って いる。従って、日本語指導の実態としては、日本語教室が設置されている学校と設置され ていない学校では大きく異なる。日本語教室を設置されている学校ほど、体系的な取り組 みがされており、 ある一定期間を過ぎると日常会話には困らないレベルまでに達している。 反対に、日本語教室を設置されていない学校では、体系的な日本語指導ができないため、 外国人の子どもたちは十分な日本語力が身につかないまま、所属学級での学習を強いられ ている4。 2.多文化共生教育の必要性 (1)学校教育の実情 近年、日本においても、ようやく多文化共生の視点に立った教育の重要性が認識され、 地方自治体の教育委員会によって、在日外国人のための教育方針(指導指針)が作成され、 それをもとに実践が始められてきている。教育方針が作成された意義は、単に在日外国人 児童・生徒を対象に、彼らの民族的自覚や誇りを高めたり、彼らの学力向上や進路指導の 充実など、進路の保障のみをねらいとしたものではなく、すべての児童・生徒を対象に、 お互いの生活や文化、歴史を正しく理解させることによって差別や偏見をなくし、ともに 学び、育つ集団の育成をねらいとしていることである5。 外国人の子どもたちに対する公教育における教育支援は、まず、日本語教育と適応教育 が挙げられる。日本語教育のほうは、自治体により、拠点校方式、センター校方式、教員 の派遣方式、通訳の派遣方式など、多様な形態がとられている。その違いは、各自治体の 教育政策や財政状況、または地域の住民の特性などの要因から生じているが、それぞれの 方式には利点と欠点の両面があり、決定的な支援策が確立されていない。そして、外国人 住民の集積の仕方も大きく関係し、一ヵ所に集住していると拠点校方式またはセンター校 方式で対応できるが、広域に分散しているとこれらの方式が採れなくなる。また、一方で 拠点校方式、センター校方式、教員の派遣方式、通訳の派遣方式などの支援体制が全くと られていない自治体も少なくなく、このような場合は全ての負担が学校現場の教員の肩に 40 かかってくることになる。一方、適応教育とは、日本の学校生活や地域での暮しになじみ、 うまく生活していくために行われる指導である。いくつかの地方自治体では、一定数(通 常 5 人)の外国人が在籍している学校に対して教員を加配し、 「国際教室」などと呼ばれる 場を設置し、日本の学校生活の導入をスムーズなものにする取り組みが行われている。し かしながら、こうした制度的手立ては、多くの場合決して十分なものとはいえず、日本語 教育の場合と同様に、学校現場の教員一人一人の努力に対応の中心部分が委ねられている ことは否めない事実である6。 実際の学校現場の状況は、①教員の多くが多文化共生教育の担い手だと思っていない、 ②多文化共生教育のカリキュラムでのサポートシステムが整備されていない、③教員の国 際理解教育に対する授業力不足、④国際理解教育の副教本が少ない、⑤教員が普段の授業 や学校行事で精一杯の状況にある、⑥個性を伸ばす教育よりも、管理の論理が横行してい るなどの問題点が挙げられる7。従って、多くの学校では、外国人の子どもが所属するクラ スで、担任の教員が通常の授業中に日本語指導を行っている。 多文化共生教育の内容を充実させていくには、研修を含めた教員の指導力の育成を行う ことである。なぜならば、多文化共生教育の成否は、教員の資質にかかっているからであ る。基本的なことであるが、教員にとって何よりも大切なのは授業力である。今日では、 一斉指導に加えて個別指導、グループ別指導、学習内容の習熟の程度に応じた指導(習熟 度別指導) 、ティーム・ティーチングなど様々な指導が導入され、それにふさわしい教育技 術の取得が求められる。また、教育への情熱を持ちつつ、子どもを心情的に理解し、温か な信頼関係を築くことができる資質が不可欠である。さらに、仲間の教師と協調したり、 保護者や地域住民と良好な関係を結んだりしながら職務を遂行する能力も大切である。 従って、市長村教育委員会の教育研究開発機構8が以上のことを踏まえ、教員研修で多文化 共生教育のカリキュラムづくりや教材開発も含めた総合的な授業力をレベルアップさせる 仕組みを構築させていくことが必要であろう。 (2)市町村教育委員会の学校への支援体制の問題 しかし、市町村教育委員会の相対的なスタンスは、 「前例 99%、オジリナリティ 1%」 であり、常に新しいことには手を出さず、与えられた事務分掌の枠内のみでの業務に終始 しているのが実情である。そして、いくつかの課でまたがっている業務があれば、その業 務を押し付け合い、組織の志向としては常に後向きである。従って、教育委員会と学校に おけるコミュニケーションがスムーズになるはずもなく、各学校の実情に合ったきめ細か い教育政策が展開できていない。 本来、市町村教育委員会の立場は、学校現場の教育活動を尊重し、支援していくことで ある。従って、市町村教育委員会の教育研究開発機構の機能を強化し、①教員研修のあり 方、②地域の教育力の活用、③レビュー研究と教育実践の連携(教育実践と政策形成を支 援する学術研究) 、④他の機関・部局、NPO 法人、ボランティア団体等の連携(政策連携 の推進)について真剣に取り組み、多文化共生教育としての政策研究を行うことが求めら れる。というのは、市町村教育委員会が保護者、住民などから出された教育課題について 41 の多様なニーズをコーディネートし、学校関係者、児童・生徒、保護者、住民などと政策 形成していくことが不可欠であり、そのときに初めて政策研究が必要になる。なぜなら、 政策形成の芽をいろいろな分野、角度から研究し、政策在庫を増やしていくために、その 基礎研究が求められているからである9。 3.豊田市の多文化共生教育に対する施策 豊田市教育委員会は、2003(平成 15)年 3 月に「豊田市教育行政計画(2003(平成 15) 年度~2012(平成 24)年度) 」を策定した。この計画は、学校教育から生涯学習に至るま での教育の全分野を対象にしている。 その中で、 多文化共生教育における主な重点項目は、 ①外国人児童生徒への日本語指導体制の拡充、②外国人児童生徒教育に関する教員研修の 実施などである。外国人児童生徒への日本語指導体制の拡充については、日本語の授業の 理解が難しい外国人児童生徒に対して、個別に日本語や科目に関する指導を行う日本語指 導員を増員していくとともに、 来日間もない外国人児童生徒への日本語初期指導を行う 「こ とばの教室」を、日本語指導以外の内容も含めて充実させていくことを目的にしている。 外国人児童生徒教育に関する教員研修の実施については、外国人児童生徒の指導にあたる 教員に対する研修の内容を充実させ、外国人児童生徒への実践的対応能力の向上を図ると ともに、外国人児童生徒の指導にあたっていない教員に対しても、外国人児童生徒教育の 考え方・方法等を学ぶ機会を設定していくこととしている。 2004(平成 16)年 8 月の「 「豊田市教育行政計画」の進捗状況報告書」では、外国人児 童生徒への日本語指導体制の拡充については、2003(平成 15)年度の取り組み実績として、 「日本の教育制度及び進路」に関する資料を、ポルトガル語、スペイン語、中国語で作成 したとしたうえで、2004(平成 16)年度の取り組み計画は、 「日本の教育制度及び進路」 に関する資料を、 「豊田市の教育国際化」のホームページに掲載するとしている。また、外 国人児童生徒教育に関する教員研修の実施については、2003(平成 15)年度に取り組み実 績として、 「外国人児童生徒教育指導者研修会」を継続実施、国際理解教育に関する研修も 織り込む等研修内容を工夫したとしたうえで、2004(平成 16)年度の取り組み計画は、 「外 国人児童生徒教育指導者研修会」において、 「第二言語としての日本語教育」に関する講座 を設けるなど実践的な内容にするとしている。 4.つくば市の「帰国・外国人児童生徒と共に進める教育の国際化推進地域」事業について つくば市では、帰国・外国人児童生徒が在籍する学校数が増加し、帰国児童生徒が在留 していた国及び外国人児童生徒の出身国は 30 カ国前後にも及んでいる。 そうした多様な文 化的背景や母国をもつ帰国・外国人児童生徒に対して、その特性を生かしながら、他の児 童・生徒とともに、どのように育てていくかが重要な課題となっている。 帰国・外国人児童生徒が在籍している学校においては、それぞれの実態に応じた日本語 指導をはじめ、さまざまな指導を進めている。特に外国人児童生徒が多く在籍している学 校では、日本語指導加配教員が中心になって取り出し指導を行っている。一方、加配教員 が配置されていない学校においては、担任が個別に指導したり、学校の要請に応じて教育 42 委員会が派遣した教育相談員や協力者が初期指導をしている。 2003(平成 15)年度の「帰国・外国人児童生徒と共に進める教育の国際化推進地域」事 業の成果については、日本語指導に関わるボランティア、教員、学生、関係諸団体との合 同研修会が実現したことである。そして、今後の課題は、①研究内容や研究の進め方につ いての共通の理解を図る、 ②帰国・外国人児童生徒の実態に応じた受入れ態勢を構築する、 ③日本語指導に関する研究を合同で推進する、 ④学校における日本語指導体制を確立する、 ⑤教育相談や進路指導を充実させる、⑥帰国・外国人児童生徒の特性を生かす活動場面を 提供する、⑦帰国・外国人児童生徒教育関係資料を整理し、共有する、⑧帰国・外国人児 童生徒の保護者の交流会を開催することなどである。 つくば市の特色として、外国人児童生徒への日本語指導は、地域のボランティアの支援 に負うところが大きい。従って、今後は、教育委員会が地域、家庭、ボランティアなどと より一層好ましい関係を築き、 つくば市の多文化共生教育を推進していくことが望まれる。 5.多文化共生教育の支援体制づくりに向けて 多文化共生教育を充実させていくには、外国人の児童・生徒の教育達成と日本語取得を 同時並行的に保障することを目的に、日本語だけではなく、母語を学習言語として併用し ていくことが大切である。そのためには、日本語指導加配教員を確保したうえで、日本語 指導加配教員の授業力を高めていくことが必要である。それには、多文化共生教育のカリ キュラムを充実させていくことが不可欠であり、そのポイントは①母語を中心とする教育 保障、②日本語教育の充実、③外国人児童・生徒と日本人児童・生徒の異文化理解を深め る場としての交流活動である。手法としては、 「総合的な学習の時間」を効率よく活用して いくことである。というのは、 「総合的な学習の時間」を使って実践していくことで、子ど もたちの政治的判断力を養うからである。その政治的判断力については、専門的、職業的 な能力でなく、市民が素人として、現代の諸問題を判断する能力を指している10。そのう えで留意しなければならないことは、子どもたちが学習過程の中で新しい発見をし、それ をまた課題として次の学習へと発展させる学びの意欲を持たせることである。そのことに より、子どもたちが将来、大人になったときに、一市民として自立していくきっかけづく りにもなる。 以上のことを踏まえ、多文化共生教育は、日本語指導、適応教育、 「総合的な学習の時 間」による国際理解教育、英語教育を含めた系統的なカリキュラムを確立していくことが 必要である。そして、系統的な多文化共生教育のカリキュラムづくりをしていくには、年 間指導計画や学習指導案の作成、副教本開発の方法、児童・生徒に対して理解できる指導 方法などを確立させていくことが欠かせない。 しかし、カリキュラムづくりについては、学校現場だけでは限界があり、市町村教育委 員会が普段から学校とのコミュニケーションを図り、支援していくかが重要である。具体 的には、市町村教育委員会が、授業研究、学習材開発、資質・能力向上のための事業など を十分に行なうことができるように助言するとともに、条件整備に努めていくことである (提言 1) 。例えば、市町村教育委員会の教育研究開発機構がイニシアティブをとって、学 43 識経験者、民間教育機関、教員、保護者、地域の NPO 法人・ボランティアと協働して多 文化共生教育のカリキュラムづくりや教本づくりを行っていくことも一案である。 そして、教育研究開発機構が研究主題を設定し授業を通して検証する授業研究を蓄積し ていくとともに、市町村教育委員会が教育研究開発機構に教員を派遣し、教師としての資 質を高めることを目的とした官外派遣研修からなる教育研究員制度を創設していく。そし て、 ワークショップを取り入れた参加型の研修、 国際理解教育の実体験を取り入れた研修、 プレゼンテーションやロールプレイングなどを重視した研修、地域行事への参加を位置付 けた研修などを導入し、研修のねらいに則して効果的に達成できるように工夫・改善して いくことである(提言 2) 。 そのうえで、市町村教育委員会は、教育研究開発機構を通じて多文化共生教育に関する 地域人材及び地域のさまざまな組織の情報をリストアップするとともに、必要に応じて学 校へ情報を提供する。具体的には、市町村教育委員会は、教育研究開発機構を通じて学校 の実践・研究記録、通信や刊行物等のさまざまな文書を収集・整理し、学校が活用しやす いようにしていく。そのうえで、学校の教育活動に協力を申し出ている人材について調査 し、その名簿を作成し、学校へ情報を提供していくために、人材バンクの作成・整備を行 ない、学校に対して情報を提供していくことである(提言 3) 。 おわりに 2000(平成 12)年 4 月に地方分権一括法(地方分権の推進を図るための関係法律の整備 等に関する法律)が施行されたが、これからの分権型社会にふさわしい市町村教育委員会 の役割は、各学校の特性に応じた自主的・自律的運営を尊重し、それぞれの特性をもとに して、各学校への支援体制づくりを構築していくことである。 そして、多文化共生教育のプログラムを充実させていくには、市町村教育委員会の教育 研究開発機構の機能強化を図ることである。というのは、多文化共生教育が日常の学校で の実践活動を通じて、いかに体系的に教育プログラムに反映させていくかが重要だからで ある。そのためには、教員の研修機関であり、シンクタンク機能を担うべき教育研究開発 機構が、政策研究にあたる多文化共生教育の実践研究及び教員研修の報告書と多文化共生 教育関連の論文を数多く蓄積し、それらを分析し整理していけるように客観的かつ科学的 な教育プログラムへの立案に結びつけていくことが大切である。今後、多文化共生教育の 教育プログラムを拡充させていくうえでも大きな課題であるといえる。 1 2 3 4 2004 年 10 月 29 日の外国人集住都市会議の「豊田宣言」でのコミュニティ部会報告より。 藤田英典『教育改革-共生時代の学校づくり-』岩波新書、1997 年、pp.210。 立川市総合政策部広報広聴課「広報 たちかわ」2005 年 2 月 17 日号、pp.3。 立川市の多文化共生教育における施策の方向性については、国際理解のための学習機会の充実を挙げている。 佐藤郡衛「日本における二言語教育の課題-学校における多文化主義の実現へ-」、駒井洋監修、広田康生 編『外国人定住問題[第3巻]多文化主義と多文化教育』明石書店、1996 年、pp.72-74。 44 5 6 7 8 9 10 森茂岳雄「学校と日本型多文化教育-社会科教育を中心として-」、駒井洋監修、広田康生編『講座 外国 人定住問題[第3巻] 多文化主義と多文化教育』明石書店、1996 年、pp.99。 志水宏吉・清水睦美編『ニューカマーと教育-学校文化とエスニシティの葛藤をめぐって-』明石書店、2001 年、pp.12-13。 佐々木香代子・吉田新一郎「就学と教育-ニューカマーの外国人児童・生徒を中心に-」、駒井洋監修、渡 井一郎編『講座 外国人定住問題[第4巻]自治体政策の展開と NGO』明石書店、1996 年、pp.225-227。 教育研究開発機構の定義については、地方教育行政法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)第 30 条 の教育機関が根拠となっている。ここでいう、教育機関とは、教育、学術及び文化(以下「教育」という。) に関する事業または教育に関する専門的・技術的事項の研究もしくは教育関係職員の研修、保健、福利、厚 生等の教育と密接な関連のある事業を行うことを主目的とし、専属の物的施設及び人的組織を備え、かつ、 管理者の管理の下に自らの意志をもって継続的に事業を行う機関である。 佐々木信夫『自治体プロの条件』ぎょうせい、1992 年、pp.119。 小玉重夫『シティズンシップの教育思想』白澤社、2003 年、pp.160。 45 第 6 章 言語サービスとしての多言語コミュニティ放送の可能性と課題 ―FM わぃわぃの事例から外国人住民への災害情報提供を考える― 樋口 謙一郎 1.言語サービスの必要性 日本に居住する外国人の数が加速度的に増加しつつある今日、日本社会は「多文化社会」 「多言語社会」に向けた制度的・意識的準備が求められるようになっている。日本人と外 国人の共存・協同のためには、社会の制度やルールの情報を外国人に理解可能な言語で伝 達すること必要である。しかし、日本は制度的にモノリンガリズム(単一言語主義)が根 強い社会であり、日本語を解さない外国人は、日常生活の様々な局面において言葉の問題 で苦労することが多く、特に台風や大地震などの災害発生時には困難を極める。 「外国人住民の理 そこで重要になるのが「言語サービス」である1。言語サービスとは、 解可能な言語による日本社会の制度等に関する情報提供と相談活動」のことである2。具体 的には、多言語や平易な日本語による生活情報の提供(パンフレット、道路標識など) 、緊 急時の情報提供、相談窓口の設置、生活において必要な日本語の教育などを指す。 外国人に対する行政側の情報提供・情報支援に関する問題は、これまでも少なからず論 じられてきている。それらのサービスをあえて「言語サービス」と呼ぶのは、情報の提供・ 支援を求める外国人がそれらのサービスを享受できない最大の理由が言語の問題にあると の認識による3。すなわち、情報提供・支援のサービスの議論が、基本的に行政側が何をど のように伝えるかという問題を扱うのに対して、言語サービスの議論は、外国人住民の言 語面での不利益をいかになくすか、 そのためにどの言語をいかなる地位につけるかという、 まさしく言語政策的な論点に主眼がある4。だから言語サービスは、情報提供の議論では注 目されることの少ない外国人住民に対する日本語教育もトピックとして含むし、通訳・翻 訳サービス、多言語相談員の設置などの制度にもかかわる。 次の例で考えてみよう。神戸市が 2003 年に設置した「外国人市民会議」が、市内に住む 外国人を対象に実施した生活と意識のアンケート調査(2003-2004 年)のなか、災害時の 避難場所を知っていたのは約半数にとどまった5。知らない理由として「地域の防災訓練に 参加していないから」 「避難場所や経路の表示が少ない」などが挙がった。これについて、 同会議メンバーは「もちろん、情報の発信・提供は必要」だが、 「避難所という言葉自体、 知らない人もいる。どんなに周りがサポートしても、それを理解し、防災意識を高めてい くには、本人の努力も欠かせない」と指摘した6。 言語サービスは、 「情報の発信・提供」の面だけでなく、避難所という言葉の認知、防災 意識向上に必要な言語的サポートそのものを指す。つまり、不特定の形式・質量の行政情 報に対し、外国人自らがそれを能動的に入手・選別・利用し、地域情報化に主体的に参画 できるようにするための言語支援である。 外国人に対する情報提供・支援を、このように言語の問題から捉えなおすことは、「公 共財としての言語」ということにかかわる。言語を使いこなせなければ個人の日常生活も、 47 地域社会のコミュニケーションもほとんど遂行不可能である。しかし言語とは、平和、安 全、清潔な環境などと同様、一見タダで利用できるように見えながら、実はその供給確保 や維持には多大なコストが必要な重要な社会的インフラであり、公共財の性格を持つとい える。言語サービスは、地域の外国語をこの「公共財としての言語」と認定し、そこにコ ストを投下する政策である。 2.災害情報と多言語コミュニティ放送 -FM わぃわぃの事例を中心に- 言語サービスについて、特に災害時のサービスとして注目すべきものの一つに、多言語 コミュニティ放送がある。平時から地域メディア、災害メディアの多言語化を推進・支援 していくことは、自治体の言語サービスの重要な要素だといえる。 阪神大震災においてマスメディアや各種公的チャンネルがうまく機能せず、情報伝達に 十分な効力を発揮できなかったなか、ミニコミ、パソコン通信などとともに地元メディア が安否情報や生活情報を提供し、被災者や専門家から評価を得た。マスメディアがしばし ばその広域性ゆえにきめ細かさに欠けるのに対し、地域メディアは地域の具体的情報の収 集・提供ともに有利である。地域を熟知し、取材で得た情報の送付、選別、加工(編集) などのプロセスを大胆にカットすることで、視聴者たる地域住民のニーズや地域発信の情 報を扱うことができる。また、それこそ地域メディアの生命線でもある。 このような前提に立って、以下、災害情報提供をめぐる多言語コミュニティ放送局の諸 問題を考察する。 2.1 災害情報提供システムとしてのコミュニティ放送 まず、コミュニティ放送の制度の概要と、災害メディアとしての有用性について整理し ておこう。 コミュニティ放送とは、市町村(特別区を含む。政令指定都市では区)の一部の区域にお いて、地域に密着した情報を提供するために、1992 年 1 月に制度化された超短波(FM) 放送を指す。一般の放送局と同様、総務大臣の免許を受けて開局・運営する民間放送であ る。空中線電力は、原則として 20W 以下(1999 年 6 月に従来の上限 10W から規制緩和さ れた)で必要最小限のものとされる。1992 年の制度制定から現在まで、コミュニティ放送 局の開局を容易にすべく各種の規制緩和が行われている7。 放送番組の例としては、一般のニュース、天気予報、災害情報、道路交通情報、駐車場 案内、市町村議会情報・市町村広報、各種イベントなどの案内、買物情報、病院など公共 施設の案内、観光情報、宿泊施設の案内、音楽、イベント・スポーツの中継、小説朗読等、 広告(商業案内、スポット案内など)などが挙げられる。 なかでも、災害情報については阪神大震災以後、おおいに注目されるに至っている。 災害情報という観点からコミュニティ放送とほかの地域情報システムを比較すると、次 の点が指摘できる。 ①ケーブルテレビ ケーブルテレビは放送事業者が同軸ケーブルや光ファィバーを利用してテレビ番組など 48 を提供するシステムである。従来はテレビの視聴難解消を目的とする共同受信施設として 主に利用されていたが、最近は多チャンネル化が進み BS や CS などの衛星放送や、自主制 作番組の提供、双方向機能を利用したテレビショッピングなど地域住民のニーズに合った 地域の情報を提供できるようになっている。ケーブルテレビが整備されれば、どの地域で も大都市と同様に多彩な番組を視聴でき、地域による情報格差を軽減できる。ただし、有 線による電気通信のため、風水害による線路の障害が起きた場合の利用は困難となる。 ②防災行政無線 防災行政無線は、災害発生時に役場や農協から電波で受信機に情報を送るシステムであ る。コミュニティ放送のような広告などの放送はできないが、各家庭に対して迅速かつ同 時に情報提供が可能である。また、無線を使って連絡をするシステムのため、災害に強く 保守費も少なくてすむ。ただし、コミュニティ放送は市販のラジオでどこでも受信できる が、防災行政無線は、あらかじめ設置された専用受信機が無ければ受信できない。 これらに対し、コミュニティ放送は FM を利用するため、機材の入手・利用・維持の容 易さ、省電力、風水害に対する強さなどの利点を持つ。障害物による電波遮蔽の影響もテ レビよりも小さく、広い場所、複雑な構造の建造物の中でも、また炊き出しや介護などの 作業の途中でも、テレビなどと異なり画面を見ずに情報を入手できるという「原始的であ るゆえの利便」がある。短所としては、能動的なアクセスを必要とし(電源を入れて周波 数を合わせる必要があり、その周波数や番組の存在を聴取者が事前に知っている必要があ る) 、また、災害時にも必要な情報のみ放送しているわけではないことなどが挙げられる。 一方、設立・経営の面からいえば、コミュニティ放送は、初期投資がケーブルテレビな どより小さく、既存の FM 放送の技術を踏まえたものであるため、設立は比較的容易であ る。実際、その制度化は迅速に進んだといえる8。しかし、コミュニティ放送は営利事業と しての採算性に乏しい。コミュニティ放送局の経営は主に広告費収入によって支えられる が、放送範囲や聴取者数が小規模なコミュニティ放送が、一般の民間放送なみの広告費収 入を得ることはあり得ない。スポンサーの獲得も、広告効果を度外視した、地元メディア への支援という性格を帯びていることが多い。 また、人員面に関して、コミュニティ放送局には運営をボランティアに依存する局もあ る。後述する「FM わぃわぃ」など、社員は 1 人で、番組制作にかかわる 100 人のスタッ フはみなボランティアである。この点を、コミュニティ放送を通じて地域住民の交流が可 能になるとの考え方から肯定的に受けとめるのか、あるいはスタッフの地位不安定=放送 の質の不安定と受けとめるのかは評価が分かれるところであろう。しかし、コミュニティ 放送が災害情報メディアの機能を担うなら、当該関係部門だけでも人員・予算面で堅実な 構成が求められる。なぜなら、地震・台風などの災害発生時、コミュニティ放送のスタッ フもまさしく被災者となる可能性も大きく、かような緊急かつ重大な状況下で放送スタッ フ=ボランティア=地域住民=被災者であれば、放送の質・内容、さらには放送局の存在 意義まで危うくなるからである。 49 2.2 多言語コミュニティ放送局「FM わぃわぃ」の事例 このように、コミュニティ放送は長所も短所も併せ持つが、地域に日本語を解さない外 国人が多数居住している場合、多言語で放送を行うコミュニティ放送があれば、その効果 は大きいといえよう。コミュニティ放送の多くは厳しい経営を迫られているが、自治体が 第3セクターの多言語コミュニティ放送に出資し、外国人が多数居住する地域で外国語放 送を行うことには、自治体の言語サービスの一環として認知を得やすいだろう。 そこで、以下、多言語コミュニティ放送の草分けともいえる「FM わぃわぃ」の事例か ら、多言語コミュニティ放送をめぐる諸問題を考察する。 2.2.1 設立経緯と事業概要 FM わぃわぃは 1995 年の阪神淡路大震災の際に、神戸市の在日外国人向けの情報提供を 行ったミニ FM 「FM ヨボセヨ」 (1 月 30 日開設。朝鮮語・日本語) 、 「FM ユーメン」 (4 月 16 日開設。ベトナム語、タガログ語、英語、スペイン語、日本語)が母体となって 1995 年 7 月に設立された。神戸市長田区は震災で、区内の 57.2%にあたる 2 万 3,803 棟が全半 壊。20 カ国余り、約 1 万人の定住外国人の大半が被災し、テント生活を強いられた人もい たなかでのことであった。 その後、 コミュニティ放送への昇格を念頭に上記2 局が合併して設立されたFM わぃわぃ は、神戸市のなかでも特に在日外国人が多く居住する長田区をサービスエリアとしている9。 コミュニティ放送への正式昇格を目指すため、1995 年 10 月 14 日で一旦中断し、12 月運営 会社「株式会社 FM わいわい」を設立し、1996 年 1 月、郵政省(当時)からコールサイン JOZZ7AE-FM、周波数 77.8MHZ、出力 10W での放送免許を取得。1 月 17 日の震災 1 周年 に合わせて正式開局を果たした。同年 4 月からはポルトガル語放送も加えられ、現在は 8 カ国語放送である。被災した在日外国人へのきめ細かい情報提供が評価され、1995 年の「井 植文化賞・国際交流部門賞」を受賞している。 また現在、神戸市と「災害情報に係る緊急放送の実施に関する協定書」締結し、緊急割 り込み放送設備を設置している。また、目立った番組編成としては、阪神大震災から丸 3 年となる 1998 年 1 月 17 日、 特別番組 「震災復興から見えてきたもの」 を全国約 80 のコミュ ニティ放送局で一斉に放送した。この特別番組は 60 分で、震災直後の混乱の中で必要に迫 られてラジオ局が生まれ、町づくりにかかわってきた様子を、当時の録音などを使って再 現したほか、地場産業の靴業界の現状紹介や被災者のトークなどで構成された。 このように、災害時における言語支援の方針を明確にしている同局は、職員(正社員) 、 アルバイト各 1 人を除き、全員ボランティアで構成されている。これは住民参加の観点か ら興味深いことだが、 「FM ヨボセヨ」が震災後に長田区のカトリック鷹取教会の敷地内で 開局したときから変わらない。 2.2.2 経営難の経験 FM わぃわぃは開局以来、次第に広告収入を減らし、2003 年 8 月には累積赤字が 600 万 円を超えた。当時 3 人いた専従職員は減員を避けらなくなり、放送内容も「まちづくりの 50 ための道具」になっているかどうかなどを基準として見直し、再編成することになった。 同年 8 月 30 日に開かれた支援者らへの説明会で、神田裕代表は「理想と現実との間を迷 走するうち、あるべき姿を見失っていた。真に市民のメディアとなるよう再建に取り組む」 「多様性の重視と住民自治を目指した開局の原点に立ち返り、震災 10 年を迎えたい」と述 べた。再建委員会の委員長に就任した日比野純一氏は「地域との関係を再構築したい。一 時的に番組は減らさざるを得ないが、 来春から内容を吟味しながら少しずつ回復させたい」 とした。 日比野氏は「番組が増え、今のわぃわぃの体力では全体のコンセプトをまとめ切れなく なっていた」と指摘、従来、午前 8 時から翌午前 0 時ごろまでだった放送時間は、正午か ら午後 9 時ごろまでに短縮した。また、エンターテインメント系の番組は当面休止し、 「多 文化共生」 「市民活動」など 1996 の開局当初のテーマに立ち返って番組を再編した。一方、 同局を支えるボランティアや地域住民らと「明日のわぃわぃを育てる会」を月1回程度開 き、番組編成などで意見交換していくこととした。 2004 年 5 月 29 日、株主総会と新しい支援者組織の設立総会などを開催。株主総会では、 再建委員会を解散し、神田、日比野両氏ら 8 人を役員に選んだ。また、事務局機能など運 営基盤が弱かった支援者組織「エフエムわぃわぃ友の会」を解散。同会の財産約 165 万円 は長田区社会福祉協議会・善意銀行に寄付した。一方で、FM わぃわぃの活動支援や独自 の地域活性事業に取り組む「わぃわぃクラブ」を新たに設立した。 2.2.3 県外のコミュニティ放送局との連携 2004 年 10 月の新潟県中越地震でも、FM わぃわぃの活動が目を引いた。地震発生直後か ら FM わぃわぃ関係者が新潟県長岡市に駆けつけた。52 カ国、約 2,100 人の外国人登録者 を抱える同市のコミュニティ放送局「FM ながおか」は、被災した外国人向けに中国語な ど 4 カ国語で情報を提供した。番組は 11 月 1 日に開始し、毎日午後 4 時から1時間、中国 語、ポルトガル語、英語と平易な日本語で放送を続け、12 月 30 日に終了した。地震発生 当初、FM ながおかが扱っているのは日本語だけだった。FM ながおかには翻訳や外国語で アナウンスができるスタッフがおらず、結局地震発生から 1 週間後、FM わぃわぃのメン バーらの助力によって多言語放送が始まった。 同様の事業は、中越地震を機に新潟県十日町市(外国人登録者数約 300 人)に開局した 臨時災害放送局「十日町市災害 FM」でも行われた10。新潟から届いた原稿を神戸のボラン ティアが多言語に訳して録音しホームページに載せ、新潟の 2 局がダウンロードして放送 する仕組みであった。内容は、地震の説明から交通情報、車内生活で起こる「エコノミー クラス症候群」に対する注意喚起、ごみの出し方などの生活情報、外国人でも避難所に入 れること、など多岐にわたった。リスナーからは「母国語が聞けてうれしかった」などの 反響があった。 FM わぃわぃの日比野代表は「災害時は 1 秒でも早く情報がほしい。体制が整っていれ ばすぐに放送できた。10 年もたったのに、神戸からノウハウを伝えに行かなければならな いとは…」 「ニュースだけでなく、音楽や娯楽番組があっていい。読み手になまりがあって 51 いい。とにかく始めることが大切。行政も、災害時は多言語放送を予算化するなどしてほ しい」と指摘した11。 3.多言語コミュニティ放送の論点 以上、FM わぃわぃの事業を概観してきたが、ここから多言語コミュニティ放送の今後 の方向性なり可能性および現在抱える問題点を指摘しておきたい。 上に挙げた日比野代表の発言からは、緊急時の多言語災害情報には一定のノウハウが存 在すること、重要なのは予算や人員だということが読み取れる。コミュニティ放送におけ る多言語災害情報については、この領域における先駆的存在である FM わぃわぃが中心と なって、先述のような連携を通じてノウハウを共有していくことが求められる。 最大の問題はやはり財政であろう。 日本コミュニティ放送協会 (JCBA) の資料によると、 2004 年 4 月現在、FM わぃわぃは資本金 2,000 万円でこの資本金額は近畿地区のコミュニ ティ放送局 23 局中最低である(近畿地区の最高は株式会社エフエム・キタが経営する「Be Happy!789」の 1 億 6,000 万円=自治体の資本参加なし。全国では、燕三条エフエム放送株 式会社が経営する「ラジオは~と」の 5 億円=自治体の資本参加なし)12。また、自治体 の資本参加はない。実際には「自治体広報費」として年間 80 万円が提供されているが(神 戸市長田区提供番組「ハローながた」を毎週 30 分放送。再放送 1 回) 、2003 年度の年間経 費 1,100 万円のなかでの比率はきわめて小さい。前出の日比野代表は、 「日常的に多言語放 送をしていないと、外国人が何に困っているかが分からない。災害弱者となる外国人への 情報提供には、公的支援も必要」と訴える13。また、三菱総合研究所の研究によれば、単 年度黒字を達成しているコミュニティ放送局においては「概ね放送以外の収入を充実する ことで、収支の健全化が図られている」という14。コミュニティ放送が、広告媒体として の価値によって充分な収益を確保することは、現状では極めて難しい。安定した情報ソー スとしての認知はもう少し先のことになると思われ、災害情報メディアとしてのコミュニ ティ放送が生き残るためには、公的資金の投入が必要である。 一方、 人員については、 コミュニティ放送が地域密着型の番組を放送していくためには、 地域住民が自ら発信者の役割を担うことが自明的に必須であり、多くのボランティアを集 めている FM わぃわぃはこの点において成功しているといえよう。しかし同時に、災害情 報メディアという観点からは、平時と災害時とで人員のあり方を区別して考える必要があ る。災害時の情報提供では迅速かつ正確な情報提供が重要になるが、基本的にボランティ アは「平時の協力者」であり、緊急時に必要かつ十分な人材が供給されるとは限らない。 また、コミュニティ放送局は広告放送であるため、住民参加型を謳っていても広告を確保 できるだけの商品価値は必要となる。加えて、コミュニティ放送局に集まるボランティア の多くがパーソナリティや制作スタッフを希望し、営業活動や事務作業、肉体労働に携わ せることが難しいという問題もある。パブリックアクセスの確保や市民参加の促進という 点からボランティアの参画が重要だとしても、経営と災害対策の両面から、十分な能力と 責任感を備えるスタッフに対し、地位や報酬を保障する制度を検討する必要があろう15。 また、上の日比野代表の言葉に示唆されるような聴取者の継続性の維持や、防災メディ 52 アとしての役割を果たすためには終夜体制での放送が要請されることになる。多くのコ ミュニティ放送では夜間は音楽放送としているが、その自動運行のための機材の導入や、 運行管理のため技術員や緊急対応のためのアナウンサーの確保にも当然ながら費用がかか る。FM わぃわぃも現在、夜間は放送を休止しており、災害対策面からは不十分といわざ るを得ない状況である。 メディアの政治的中立性の観点から、自治体がコミュニティ放送の経営に介入すること は望ましくないとしても、外国人住民への言語サービスの観点から、多言語コミュニティ 放送の質の維持・向上のために、自治体が財政・人材育成の面から支援を行うことについ ては、今後さらに積極的な議論・考慮がなされるべきであろう。 4.小結 コミュニティ放送は採算性が悪く、公共性が強いメディアであり、自治体の財政支援の 有無が経営の安定を左右する。 FM わぃわぃは阪神大震災を契機に自発的に始まった多言語コミュニティ放送局として すでに一定の認知を受けている。しかし全国的に見ると、災害に強いメディアとしてのコ ミュニティ放送に対する理解度は高まりつつあるものの、多言語のコミュニティ放送局と なると、その認知度はまだ高いとはいえない。また、コミュニティ放送全般に共通する厳 しい経営環境の下、FM わぃわぃでは、ボランティア・スタッフの積極的な導入によって、 番組制作体制を支えていることが特徴となっている。 FM わぃわぃの事例を顧みるに、多言語の災害情報の提供・支援システムが必要な地域 では、自治体が外国人住民に対する言語サービスの一環として、資本参加や自治体広報費 の形式で多言語コミュニティ放送の設立・維持に協力していくことが肝要だと思われる。 また、かつてはコミュニティ放送局に対する自治体の出資比率の上限は 30%と決まって いたが、1995 年の規制緩和で市町村が 100%出資した法人などにも免許が与えられるよう になった。今後、外国人集住地域などで、多言語コミュニティ放送局の設立に自治体が資 本面でさらなる貢献をすることも期待される。上述の臨時災害放送局の活用とあわせて、 自治体の災害メディアの多言語化にいかに寄与できるか、寄与すべきかという議論を深め ていく必要がある。 自治体の言語サービスには、外国人の生存や基本的人権を守るとともに、地域の治安・ 秩序を維持するという退っ引きならない事情・領域も確実に存在する。外国人住民に対す る多言語情報提供・支援システムが乏しい状況で災害に見舞われた場合、日本語を解さな い多くの外国人が「情報弱者」 「災害弱者」となってしまう可能性をも考慮し、より広い公 益の視点に立った協力関係の模索が自治体側にも民間の事業者たるコミュニティ放送局の 側にも求められる。今後、この面での、公益に関する合意形成も自治体とコミュニティ放 送局、そして住民に対する課題として浮上することになるだろう。 1 自治体の言語サービスは、研究者の間でも注目を集めている。2004 年 11 月 20 日の日本言語政策学会では、 「自治体の言語サービスの現況と課題」と題するパネルディスカッションが行われた。また、大学英語教育 学会 (JACET) の専門部会「言語政策研究会」は共同研究を実施し、大学英語教育学会(JACET)言語政策 53 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 研究会『日本の地方自治体における言語サービスに関する研究』2000 年;河原俊昭(編著)『自治体の言語 サービス─多言語社会への扉をひらく』春風社、2004 年、を刊行している。 大学英語教育学会(JACET)言語政策研究会『前掲書』2 頁。 河原俊昭(編著)『前掲書』6 頁。 もっとも、言語サービスの議論が「言語」を出発点とし、主に言語学、外国語教育の立場から論じられてき たことにより、公共政策論に欠かせないコスト、公益、政策形成過程などの議論は今後の課題となっている。 この調査は、http://www.city.kobe.jp/cityoffice/17/020/advisorymeeting.htm で参照可能(2005 年 4 月 10 日現在)。 『神戸新聞』2005 年 1 月 25 日付。 主な規制緩和は次の通り。 ①免許申請書の受付:コミュニティ放送局も従来の県域放送局と同様に、放送普及基本計画において放送対 象地域が告示されるまでの間は、免許申請書の受理ができなかったが、1994 年 6 月に規制緩和が行われ いつ でも免許申請書の受理ができるように改正された。 ②周波数の割り当て:従来、周波数の割り当ては 1 市町村に 1 波となっていたため複数の申請希望者があっ た場合は申請の一本化が必要だったが、1994 年 6 月以降は 1 市町村に対して複数の放送局が開設される場合 は、2 波以上の周波数の割り当てが可能になった。中継局の開設も可能だが、電波の公平な利用の観点から 1 の事業者には 1 の周波数の割り当てとされている。 ③空中線電力の上限の引き上げ:コミュニティ放送局の空中線電力の上限は 20W となっている。なお、コミュ ニティ放送制度創設時の空中線電力の上限は1W とされていた。 ④市町村からの出資比率の制限の撤廃:自治体のコミュニティ放送局に対する積極的な関与を可能とするた め、市町村からの出資比率の上限を従来の 30%から緩和し、1995 年 7 月から、市町村が 100%出資した法人 などにも免許が与えられるようになった。 コミュニティ放送の制度化については、1991 年 7 月に郵政省が構想を発表、同年のうちに電波監理審議会へ の諮問・答申を終え、翌 1992 年 1 月には制度化が整い、4 月には関係省令などが公布・施行された。山田晴 道「FM 西東京にみるコミュニティ FM の存立基盤」、『人文自然科学論集』第 110 号、2000 年、所収、63-66 頁、参照。 長田区のほか、兵庫区、須磨区、中央区の一部地域もサービスエリアに指定されている。また、ケーブルテ レビ神戸(西神地区)からも再配信(周波数 77.2MHz)されているほか、インターネットと USEN440(神戸 市周辺と淡路島で受信可能)でも放送中はリアルタイムで番組を受信することが可能。 臨時災害放送局は、放送法第 3 条の 5 に規定する「臨時かつ一時の目的のための放送」(臨時目的放送)のう ち、「暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生した場合に、その被害を軽減するた めに役立つこと」(放送法施行規則第1条の 5 第 2 項第 2 号)を目的とする放送を行う放送局。空中線電力 の制限はなく(必要な放送区域をカバーできる必要最小限のもの)、開設期間は 6 カ月以内。市町村長が免許 申請を行い、総務大臣が免許を交付する。地震、火山の噴火など、特に甚大な被害が懸念される場合に、被 災地域に各種情報(自治体からの災害関連情報、避難場所、救援物資、仮設住宅、ライフライン復旧状況な ど)を提供する。十日町市災害 FM のほか、これまで 1995 年の阪神大震災で「FM796 フェニックス」(神戸 市)、2000 年の有珠山噴火で「FM レイクトピア」(虻田町)がそれぞれ開設されている。十日町市災害 FM は、臨時災害放送局が多言語の情報提供を行った貴重な先例といえる。 『神戸新聞』2005 年 1 月 25 日付。 JCBA のホームページ参照。http://www.jcba.jp/jcba/index.html(2005 年 4 月 10 日現在、参照可能。) 『中国新聞』2005 年 1 月 12 日付。 三菱総合研究所『コミュニティ放送局に対する地域住民及び関係諸機関の認知度等に関する調査研究』1997 年、90-91 頁。 もちろん、平時・緊急時を問わず、株式会社であるコミュニティ放送において、経営の安定と番組の質の関 係からボランティアのメリット、デメリットが論じられることもある。例えば、小内純子「コミュニティ FM 放送局における放送ボランティアの位置と経営問題」、『社会情報』第 13 巻第 1 号、2004 年、所収、など。 54 第7章 地域社会における多文化共生の取り組み ―川崎市在日韓国・朝鮮人コミュニティの場合― 原口 裕紀子 はじめに 近年、在住外国人の増加に伴い、その実態と課題が明らかにされてきた。しかし、在日 韓国・朝鮮人コミュニティは、その歴史的経緯から他の在住外国人問題と切り離して考え られている。そのコミュニティは、在日一世などオールドカマーと呼ばれる「特別永住者」 中心だった社会から、 ニューカマーすなわち「定住者」「永住者」などに変化が見られてきた。 前者が、植民地統治からはじまった歴史的、政治的背景によって生じた複雑な法律上の問 題が主だったこととするなら、後者は、多様な価値観を反映した生活上のさまざまな問題 へと変化をしており、社会の実情を色濃く映している。 日本社会における地域コミュニティや就業体制は、ニューカマーへの対応が求められ、 多文化共生社会に向けた対策を必要としてきている。その共生に向けての取り組みは、地 道な活動により社会に広く市民権を得た、在日韓国・朝鮮人コミュニティに事例がある。 本研究では、在日韓国・朝鮮人コミュニティにおける多文化共生支援の取り組みをモデ ルケースとして取り上げ、神奈川県川崎市の条例を踏まえて日本における共生に向けた政 策モデルを構築し、その実現方策を提言したい。 1.川崎市における外国人住民をめぐる過程 1.1 川崎市での外国人住民の実態 川崎市は神奈川県の南部に位置した政令指定都市(昭和 47(1972)年指定)であり、在日韓 国・朝鮮人1が多く居住している。中でも川崎市の全 7 区(川崎、幸、中原、宮前、高津、 多摩、麻生区)のうち、京浜工業地帯に隣接している川崎区は、川崎市内の在日韓国・朝鮮 図表 7-1 川崎市の外国人登録者の状況-2004(平成 16)年 12 月末日現在 出典:「川崎市多文化共生社会推進指針(概要版)」2005 年 3 月より抜粋 55 人のおよそ半数が居住している。そのため、市民政策を決定する上で、在日韓国・朝鮮人 住民から離れることはできない。 一方、1970 年代には川崎市の外国人登録者の中で 80%をしめていた韓国・朝鮮人の割合 は、社会経済構造の変化や 1990 年の出入国管理および難民認定法の改正等によって、在住 外国人の国籍に多様化が見られ、2004 年には 30%台となっている。 1.2 川崎市における外国人市民代表者会議 日本では 1990 年以降、地方自治体による在日外国人の施策が構想・実施がされてきた。 その中で川崎市は、 全国に先駆け 1970 年代に全外国人への国民健康保険の適用や児童手当 の支給、市営住宅入居の国籍条項撤廃を実施。1980 年代は、外国人登録法に規定されてい る切り替えや、再交付時の指紋押捺制度に対する拒否者の不告発等を実現してきた2。 また、ドイツ・ヘッセン州およびフランクフルト市の「外国人代表者会議」をモデルに、 外国人市民の市政への参加を保障するための仕組みづくりを完成。外国人市民の意見を直 接取り入れ市政に反映させるため、市長の諮問機関である「川崎市外国人市民代表者会議」 を条例で設置した。運営について必要な事項は、「川崎市外国人市民代表者会議条例(平成 8 年川崎市条例第 25 号)」第 13 条に規定している。 川崎市が設置した時期には、条例での設置ではないながら「東京、神奈川、京都といった 自治体で外国人会議が設置されたほか、政令指定都市での職員採用における国籍条項の撤 廃も川崎市を端諸に広がっている3。」 ■川崎市外国人市民代表者会議 会議の主な目的 ・ 外国人市民の市政参加推進 ・ 市民の相互理解の促進 ・ ともに生きる地域社会形成への寄与 会議の運営と役割 ・ 1996 年 12 月~年 4 回開催 ・ 外国人市民に係る施策についての調査審議 ・ 代表者による自主的な運営 ・ 調査審議の結果及び意見を市長に書面報告 出典:川崎市外国人市民代表者会議ニューズレターNo.23 より抜粋 過去の提言の施策化例としては、住宅基本条例、居住支援制度の制定や医療現場での言 語支援サービス、学校での多文化教育の実施、公共施設での外国人市民情報コーナーの設 置や外国人相談窓口の使用言語を多様化するなど、一定の成果を得たものも多く、提言を 尊重しながら取り組んでいく姿勢を見ることが出来る。 56 1.3 川崎市における外国人住民施策の展望 1990 年以降「川崎市外国人市民代表者会議」による外国人市民による発議・提案が推進さ れ、市政参加づくりの具現化に兆しが見えている。 外国人市民の意見を直接取り入れ、市政に反映させるには、外国人市民の国籍・民族の 多様化に対応をする必要があり、代表者の選出は外国人登録者数に基づき、国籍・地域別 に分けて行っている。「川崎市外国人市民代表者会議代表者選任要綱」によれば、市長が委 嘱する外国人市民代表者会議の選考は、団体推薦と個人とに分け選任される。 ■川崎市外国人市民代表者会議代表者選任要綱 (代表者の配分) 第 3 条 条例第 4 条に基づく代表者 26 人以内の配分は、本市の外国人登録者数に基づき、国籍・ 地域別に分けて次の各号により行う。 (1)外国人登録者数上位 5 カ国に各 1 人を配分する。 (2)外国人登録者数 1000 人以上の国に 10 人を、その外国人登録者数に比例して配分する。 (3)外国人登録者数上位 5 カ国以外の国(無国籍者を含む。)については、国連人権委員会の 委員選出の地域区分にしたがい 5 地域に分け、アジアに 3 人以上、その他の 4 地域に各 1 人以上を配分する。 2 前項に規定する配分数に対して、応募数が満たないとき、又応募者が選考基準を満たさない ときは、その都度協議するものとする。 (代表者の募集) 第 4 条 代表者の募集は、公募により行う。 2 募集は、外国人市民代表者応募申請書(第 1 号様式)により行う。 (代表者の選考基準) 第 5 条 代表者選考委員会は、代表者の選考にあたっては、応募者の日本語会話能力の他 市政への関心、地域や外国人相互の交流状況、共生のまちづくりについての積極性等を考 慮して選考する。 2 前項に定めるもののほか、代表者選考委員会は、男女の均衡、地域、年齢等について適切な 配慮をするものとする。 出典:「川崎市外国人市民代表者会議代表者選任要綱」より抜粋 団体枠の推薦については、「将来的にニューカマーのコミュニティが形成された場合に、 そのグループを代表する人物が代表者として参加できることも念頭において団体の推薦枠 をもうけた」4とされている一方で、特定の組織の代表が、外国人市民の代表という任務と 矛盾している指摘もある5。 また、選任要綱第 5 条の選考基準で「応募者の日本語会話能力」を求めている点は、条例 第 5 条で「会議の使用言語を日本語」と定めているためと考察できるが、ニューカマーと呼 ばれる外国人住民の多くが、労働者や乳幼児を抱えている母親で、日本在住歴が浅く日本 57 語理解に困難を感じていること6を考えると、代表者会議に小さな声を集約させることの難 しさを感じる。 もちろん「代表者が必要とするときは通訳を同行することが出来る」(条例第 5 条)のでは あるが、通訳を同行出来る外国人は、はたしてどのくらいであろう。 行政側の負担は増加することになるが、外国人を地域の重要な担い手として考えるので あれば、代表者の母語にあわせた通訳の用意が可能なはずである。 後述する「ふれあい館」の取り組みが、表面上に浮かぶ問題だけではなく、外国人住民 一人ひとりが抱える実状や背景にあわせて活動を行っていることを考えると、彼らの声を 引き上げていく場はどこにあるのかを改めて考えていく必要がある。 2.在日韓国・朝鮮人コミュニティの取り組み 2.1 在日韓国・朝鮮人コミュニティの地域形成 在住外国人の施策背景には、在日韓国・朝鮮人の社会教育運動がある。現在も残ってい る在日韓国・朝鮮人への人権・教育・就職差別をなくす市民運動、地域活動を推し進める 中から生まれたのが、 「社会福祉法人青丘社」 (在日大韓基督教川崎協会を母体として、1973 年法人許可)である。 在日大韓基督教会の李仁夏牧師は、 「民族差別は最も弱い立場の子どもたちの育ちに色濃 く表れる」という考えから、子どもと共に歩む活動を基軸として教会堂内に桜本保育園を 設立し、地域における実践を展開してきた。 ■社会福祉法人青丘社 理事長 李仁夏 モットー 共に生きる街づくりを応援します 自分らしく生きる多文化社会を応援します キーワード 人権 主要事業(2005 年現在) 桜本保育園 川崎市ふれあい館 (川崎市委託事業) ・桜本こども文化センター おおひん地区まちなか交流センター(世代間・多文化交流事業) 生活サポートネットワークほっとライン ほか 出典:青丘社ホームページより抜粋7 桜本保育園は、設立当初から民族教育を強く打ち出していたわけではない。開設当時、 入園申し込み辞退者の多くが「朝鮮人が運営するから」を理由としたため、実現にこそ至 らないまでも、カナダ人宣教師を招聘して英語教育をと動いたこともある。保育者は、地 域住民の感情や暮らしに真剣に向きあうことによって、障害を持つ児童の受け入れなどに 取り組んでいくのである8。 1950 年代に祖国に向かっていた韓国・朝鮮人も、1960 年代に入り定住化が始まってはい 58 た。しかし生活基盤が薄かったことから、その多くが貧困や差別の構造から抜け出せずに いた。特に川崎市内の居住地周辺は、未舗装の道が入り組み、住宅密集、地盤は緩み、下 水道・ガスの未整備などに加え、 貧困がもたらす家庭崩壊などの問題を地域が抱えていた。 逃げ道のない地域状況に加え、民族差別で苦労を重ねる親の姿を傍らに、子どもたちは現 在にも将来にも希望が見えない状態が続いていたのである。 地域の中で保育者は、子どもの成長は家庭が重要な役割を担うと考え、家庭訪問や夜回 りなどを行い、弱気ものの声に答えを求めた。自分のルーツに誇りがもてるよう、本名を 使う活動もその一つである。子どもに同じ苦労をさせたくないと、在日韓国・朝鮮人の多 くが日本名にしている現状を変えるのは、時間がかかったが丁寧に対話を繰り返すことで 定着に向かった。しかし、本名で通っていた園児も小学校で陰湿ないじめに遭い、それを 避けるためにやむなく日本名に戻すこととなる。 もちろん、学校に問題解決を求めたが、川崎市の公立学校における外国人児童・生徒へ の教育的な配慮は、一部の熱意ある教師の取り組みにとどまり、学校の協力は得られなかっ たのである9。その中「本名で負けない子になれというけれど、先生は何をしてくれるの」 という卒園児のひとことは、在日韓国・朝鮮人のみならず、その場の日本人の心をも呼び 覚ました。外国人児童・生徒の問題は、親でも教育現場だけにあるわけででもなく、地域 共通の課題であることを、子どもたちの姿と声からはっきりと読み取れたからである。 2.2 在日韓国・朝鮮人コミュニティの実践 1969 年以来、保育事業などで実績を残していた青丘社は、1982 年に「桜本地区青少年会 館(仮称)設立等に関する統一要望書」を川崎市長に提出した。川崎市は要望に応える形で検 討に入り、「設置検討委員会」の設立と青丘社との協議を 7 年にわたり継続した。この会館 は、こども文化センターの役割を担うとともに、社会的差別の解消を目的とした教育実践 を行う場として計画された。 計画時の地元関係者の反応 ・ 在日韓国・朝鮮人が運営することで、子ども文化センターが指紋押捺拒否問題などの 運動拠点となるのではないか。 ・ 市の構想する会館を社会福祉法人青丘社に民間委託するのは反対である。 川崎市の提案 ・ 青丘社は、社会福祉法人であり長年の保育園事業の運営と小学生、中学生、高校生の 指導に実績がある。 ・ 「川崎市在日外国人教育基本法」を礎とし、日本人と在日韓国・朝鮮人児童とが、思い やりを持つあたたかい人間性、国際的な感性を育てるという大きな目的がある。 ・ 青丘社の民族差別克服の取り組みと実績は、市の施策とも一致しており、利用の偏り など運営上の懸念はない。 「桜本地区青少年会館(仮称)」(後の「ふれあい館」)の設立に対しては、地元新聞への反対 59 記事掲載や行政の中にも反発などあったが、互いの意見を擦りあわせる活動が、結果とし て人権問題に意識を持つ人の支援を広げることとなった。 2.3 川崎市「ふれあい館」の取り組み 1988 年 6 月 14 日に、 「ふれあい館」がオープンした。 「ふれあい館」においては、 「日本 人と在日韓国・朝鮮人が民族の壁を越えて、同じ市民として交流しあえる公的施設」を目 的とし、民族教育を中心にさまざまな取り組みが行われている。 ■ふれあい館 受託事業の概要 ・こども部門 わくわくプラザ事業 クラブ事業/チャンゴクラブ、舞踊クラブ、一輪車クラブ、ケナリクラブ(小学生) 、ダガッ トクラブ(中・高生) 、中・高生部 ・成人部門 受託社会教育講座/人権尊重学級、家庭教育学級、ハングル講座、成人学級 、民族文化講 座、高齢者教室、母国語学級、講演会、社会教育研究集会、識字・日本語学級/自主講座/ 準主催講座/青年ボランティア委員会(ふれあいキャンプ、クリスマス会、etc.)/障害者 生活ホーム「虹のホーム」 (協力事業) ・高齢者部門 「トラジの会」高齢者ふれあい相談窓口/ふれあい高齢者交流事業 ・対外部門 学校連携事業/おおひん地区街づくり協議会の事務局(春のまつり、公園改修等/来館研修 講師及び講師派遣事業/ふれあい館運営協議会 生活サポートネットワーク・ほっとライン 出典:青丘社ホームページより抜粋 「こども部門」は、子どもたちの仲間づくりと居場所作り、地域の子育て支援を目的とし ている。会館を 9 時 30 分から 6 時まで、乳幼児のフリースペース“子育てサロン”として 開放し、子どもだけではなく親の居場所としても重要な役割を担ってきた。クラブ事業で はトランポリン・縄跳び・一輪車など、子どもたちの生育に欠かせない体を動かすプログ ラムや想像力を高めるために工作・料理教室を開催している。 また、韓国・朝鮮の文化を学ぶ「チャンゴクラブ」「舞踊クラブ」があり、日ごろの練習の 成果を発表する場の一つとして、毎年 3 月に「アリラン祭」を開催している。2004 年度は、 日本人の子どもが在日韓国・朝鮮人の子どもの参加人数を超え、まとまりのある発表が行 われた。館長の「子どもたちに生まれた一体感は準備の中で醸成されてきたものである」か ら事業の成果を感じることができるであろう。近年、外国人と交流する「国際交流イベン ト」 が各自治体で行われているが、 その多くが一日限りの体験で終わってしまうのに比べ、 この取り組みは、韓国・朝鮮文化の学びを通して、人間関係を丁寧に積み上げ、互いの気 60 持ちを共有することによって、ひとり一人が未来を築く時間となっている。 その一方で「ケナリクラブ」は、 韓国・朝鮮にルーツがある子どもたちに参加者を限定し、 支援する成人も韓国・朝鮮人に限っている。日本人の前では素直に自分を表現できない子 どもに、心を開放する場であるようにしている。すべての子どもたちが共に行動するまで には、現実社会が成熟に到っていないための配慮であり、「ダガットクラブ」も同様に、フィ リピン文化を持つ子どものために用意している。 「高齢者事業」は、高齢者の生活相談や高齢者と若年世代・民族を結ぶ交流事業を実施。 桜本小学校内の交流センターでは、大正琴や手芸、カラオケのサークルや在日高齢者のた めの学習の集い「ウリハッキョ」を置く。また「トラジの会」は、在日韓国・朝鮮人一世の成 人事業「識字・日本語学級」から自主的に生まれた。現在は、近隣住民ほか都内からの参加 者も得、毎週水曜日の昼食会と娯楽活動を中心にクリスマス会や旅行などを開催し、青年 ボランティアを受け入れている。 設立当初は「差別」という一つの急進点があり、「ふれあい館」を中心として在日韓国・朝 鮮人と日本人が一丸となって活動を進めていった。その結果、在日韓国・朝鮮人の中に本 名で地域生活を送るものが 8 割ほどになり、日本国籍を取得するものも増加した。その一 方で、総体としてこの場が一つに向きにくくなってきたことも事実である。上述の「ケナリ クラブ」やチャング学習会の参加者は現状傾向にあり、民族の意識と差別だけでは結ばれな い時代となった。 地域の抱える問題は、社会構造の変化とともに、在日韓国・朝鮮人の問題からニューカ マーへと変化してきている。川崎で増加傾向にある、東南アジアの女性たちの抱える問題 は、90 年代の社会構造がもたらしたものといえ、母親の基礎学力の低さ、コミュニティの 皆無、結婚当初からの歪みなど、かつての在日韓国・朝鮮人がかかえた問題にも類似し、「ふ れあい館」の役割が求められている。 近年、青丘社では事業の重点を障害者・高齢者に変化させている。2000 年 2 月、川崎市 の委託を受けホームヘルパー養成講座を「ふれあい館」でスタートさせた10。地域住民の歴 史的な背景を踏まえた、きめ細かな介護サービスを提供できる担い手づくりと期待されて いる。初会の受講者は、川崎市内に限らず隣接の横浜市内からも申し込みがあり、申込者 の半数が在日韓国・朝鮮人二世であったが、今後ニューカマーの受講者も増やしていく考 えである。また、受講後はヘルパースタッフとして積極的に登用し、すでに 2005 年 3 月現 在、短期雇用も含め 100 人ほどが就労している。 この養成講座の開設と雇用は、外国人市民の社会的な自立を促す側面よりも、彼らが地 域のさまざまな場面に関わることに意義を見いだしている。これは単なる青丘社の事業の 拡大ではなく、時代に合わせた「多文化共生」のモデルである。 3.地域社会における多文化共生の発展 在日韓国・朝鮮人を中心とした外国人住民が、地域社会をつくる過程は簡単ではなかっ た。しかしその積み重ねの中で、「ふれあい館」の事業は、日本語学習や外国人への教育サー 61 ビスにとどまらず、地域の生活課題を共有する人間関係へと結びつけた。外国人市民が「地 域創造の担い手」として位置づけられたといえよう。 青丘社の事業の一つである、桜本保育園は「自らの民族を恥じることなく、いきいきと生 き、自立できるような“共に生きる”保育」を実践しているが、地域に学びながら多文化の 素晴らしさや、仲間と共に生きる関係を深めるためには、在日韓国・朝鮮人の働きと共に、 日本人の関わりも必要であったことを忘れてはならない。外国人市民のみならず、地域住 民すべてが「地域創造の担い手」となるのである。 地域社会において「多文化共生」という言葉が聞かれて久しいが、地域における外国人 市民の生活課題がどのような必要性を伴って生み出されるのか、それに対応するべき政策 課題が何であるかは、在日韓国・朝鮮人コミュニティにおける多文化共生支援の取り組み を振り返ると見えてくる。 2005 年 3 月川崎市は、「川崎市多文化共生社会推進方針-共に生きる地域社会を目指し て」を策定した。基本は外国人市民の社会参加の促進と人権の尊重、および自立に向けた支 援の 3 点であり、各種審議会やまちづくりなどに関する会議などで外国人市民の積極的な 登用を図る。また、住民投票制度の創設の際には、外国人市民の参加を前提に検討してい く方針である11。 地域における多文化共生社会に向けた取り組みは、地域コミュニティの働きにより参画 が促進されてきた。今後はさらに、外国人市民の地方参政権の問題や公務員の採用・昇進 など、公的な場での具体的な関わりが求められてくる。 「川崎市多文化共生社会推進方針」 に大いに期待をし、市民が常に「地域創造の担い手」である様、これからのちも実践と議論 を重ねていかなくてはならない。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 旧植民地で朝鮮半島出身のものは、1945 年の終戦によって国籍を朝鮮と明記されることとなったが、この場 合、朝鮮という概念は国ではなく地域をさす。1948 年に大韓民国が出来た際、日本政府は韓国籍への国籍の 変更を行ったが、これは本人の申請によったため、告知文を読めなかったものなどは結果として朝鮮籍となっ た。近年、「在日コリアン」と表現することもあるが、本稿の時代背景を考え「在日韓国・朝鮮人」とした。 川崎市ホームページ http://www.city.kawasaki.jp/ 平和・人権・市民参加・交流「外国人の方へ」に詳しい。 樋口直人「対抗と協力―市政決定のメカニズムのなかで」宮島喬編『外国人市民と政治参加』有信堂、2000 年、 pp.20。 山田貴夫「川崎市外国人市民代表者会議の成立と現状」 宮島、同上、pp.51。 山田貴夫「川崎における外国人との共生の街づくりの胎動」、『都市問題』89 巻 6 号、1998 年、pp.53-66。 「神奈川圏外国籍住民生活実態調査報告書」神奈川県県民部国際課、2001 年。 青丘社ホームページ http://www.seikyu-sha.com/ 青丘社創立十周年記念誌『ともに』1984 年(『アッパ、ぎゅっと抱きしめてよ』鄭月順遺稿・追悼集 1995 年)。 山田貴夫「川崎における外国人との共生の街づくりの胎動」、『都市問題』89 巻 6 号、1998 年、pp.57。 「民団新聞」2000 年 02 月 09 日 在日本大韓民国民団機関紙 民団新聞社 川崎市ホームページ http://www.city.kawasaki.jp/ ※本稿作成にあたり、「川崎市ふれあい館」館長裵重度氏、職員の原千代子氏にインタビューをお引き受けいた だいた。青丘社の歴史背景や活動に関わった経緯など、貴重なお話をいただいたことに感謝したい。 62 参考文献 第1章 ・Aaron, “Is Multinational Citizenship Possible?”, Social Research. Vol.41, no.4, 1974, pp638-56. ・Birnbaum, P., and Badie, P. The Sociology of the State. Chicago, University of Chicago,1979. ・Brubaker, R. Citizenship and Nationhood in France and Germany, Cambridge, Harvard University Press,1992. ・Flora, P., and Heidenheimer,A.J.(eds) The Development of the Welfare State in Europe and America. New Brunswick: Transaction Books, 1981. ・Habermas, J. “Citizenship and National Identity: Some Reflections on the Future of Europe”, Praxis International. vol.12, no.1, pp.1-19, 1992. ・Hix, Simon. The political System of the European Union. Palgrave, 1999. ・Marshall, T.H. Citizenship and Social Class. Cambridge: Cambridge University Press, 1950. ・Rokkan, S. “Cities, States, and Nations: A Dimensional Model for the Study of Contrasts in Development”, in S.N.Eisenstadt and S.Rokkan (eds), Building States and Nations: Models and Data Resources, vol.1. London:Sage, 1973. ・Skowronek, S. 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・ジグ・レイトン-ヘンリー「イギリスにおけるシティズンシップと移民政策」 、 『NIRA 政策研究』vol.15 No.1、2002 年、pp.30-34。 ・菅原直子「ゆらぐ英国の多文化主義-ブラッドフォード暴動(2002 年 7 月)が提起した もの」 、渡戸一郎・広田康生・田嶋順子編『都市的世界/コミュニティー/エスニシティー -ポストメトロポリス期の都市エスノグラフィ修正』明石書房、2003 年、pp.145-160。 ・総務省統計研究所『第 54 回日本統計年鑑・平成 17 年度版』総務省、2005 年。 ・日本経済団体連合会『外国人受け入れ問題に関する提言』 、2004 年。 ・日本経済団体連合会『新ビジョン・活力と魅力溢れる日本を目指して』 、2003 年。 ・法務省入国管理局『平成 16 年度における外国人及び日本人の出入国者統計について』法 務省、2005 年。 ・労働政策研究・研修機構「外国人労働者問題の現状把握と今後の対応に関する研究」 、 『労働 政策研究報告書』No.14、2004 年。 第3章 ・江橋崇編『外国人は住民です』学陽書房、1993 年。 ・柏崎千佳子「在住外国人の増加と自治体の対応」 、古川俊一、毛受敏浩編『自治体変革の 現実と政策』中央法規出版、2002 年、pp.142-172。 ・かながわ自治体の国際政策研究会『神奈川県外国籍住民生活実態調査報告書』2001 年。 ・川崎市外国人市民代表者会議検討委員会『川崎市外国人市民代表者会議検討委員会報告 書』2001 年。 ・川崎市市民局『川崎市外国人市民施策実施状況調査報告書』2004 年。 ・金東勲『外国人住民の参政権』明石書店、1994 年。 ・駒井洋、渡戸一郎編『自治体の外国人政策』明石書店、1997 年。 ・宮島喬『共に生きられる日本へ』有斐閣、2003 年。 ・宮島喬編『外国人市民と政治参加』有信堂、2000 年。 64 ・宮島喬、梶田孝道編『外国人労働者から市民へ』有斐閣、1996 年。 第4章 ・ 『船橋市総合開発計画書-基本計画-』1969 年(昭和 44)。 ・『船橋市基本計画』1983 年(昭和 58)。 ・ 『船橋市新基本計画』 (ふなばし未来 2001-『豊かで住みよい国際都市』を目指して -)2001 年(平成 13) 。 ・『船橋市総合計画』(基本構想・基本計画、-生き生きとしたふれあいの都市・ふな ばし)2000 年(平成 12)。 ・船橋市『国際交流室の概要』2004 年(平成 16)。 ・船橋市『在住外国人意識調査』1999 年(平成 11)。 第5章 ・太田晴雄「教育における市民的文化的平等-ニューカマーの子どもたちと学校教育-」 、 NIRA・シティズンシップ研究会編『多文化社会の選択-「シティズンシップ」の視点か ら-』日本経済評論社、2001 年、pp.139-157。 ・木田宏『逐条解説 地方教育行政の組織及び運営に関する法律(第三次新訂) 』第一法規、 2003 年。 ・新海英行・加藤良治・松本一子編『在日外国人の教育保障-愛知のブラジル人を中心に -』大学教育出版、2001 年。 ・佐藤郡衛「国際理解教育の課題と内容-ディアスポラ意識の形成-」 、谷川彰英・無藤隆・ 門脇厚司編『21 世紀の教育と子どもたち 第2巻 学校教育の再構築をめざして』東京 書籍、2000 年。 ・鈴木勲編『逐条 学校教育法(第 5 次改訂版) 』学陽書房、2002 年。 ・つくば市教育委員会編『平成 15・16 年度「帰国・外国人児童生徒と共に進める教育の国 際化推進地域」中間報告書』2003 年。http://www.mixstory.jp/tomonisusumeru/ ・豊田市教育委員会編『豊田市教育行政計画』2003 年 3 月。 ・豊田市教育委員会編『 「豊田市教育行政計画」の進捗状況報告書』2004 年 8 月。 ・武蔵野市学校教育のあり方検討委員会編『武蔵野市学校教育のあり方検討委員会 学び のまち「武蔵野」で育てよう-「身体・言語・自然」を重視した教育を目指して-』2004 年 3 月。 第7章 ・梶田孝道、丹野清人、樋口直人『顔の見えない定住化』名古屋大学出版会、2005 年。 ・かながわ自治体の国政政策研究会編『神奈川県外国籍住民生活実態調査報告書』事務局 神 奈川県県民部国際課、2001 年。 ・田中宏編『在日コリアン権利宣言』岩波ブックレット No.566、岩波書店、2002 年。 ・NIRA・シチズンシップ研究会編『多文化社会の選択―シチズンシップの視点から』NIRA 65 チャレンジブックス、日本経済評論社、2001 年。 ・服部民夫・金文明編『韓国社会と日本社会の変容 市民・市民運動・環境』日韓共同研究 叢書 10、慶應義塾大学出版会、2005 年 2 月。 ・廣田全男「外国人の市政参加の現状について」 、 『都市問題』87 巻 2 号、1996 年。 ・裵重度『アッパ、ぎゅっと抱きしめてよ』鄭月順遺稿・追悼集、㈲新幹社、1995 年。 ・星野修美『自治体の変革と在日コリアン』明石書店、2005 年。 ・宮島喬『共に生きられる日本へ』有斐閣、2003 年。 ・樋口直人「対抗と協力――市政決定のメカニズムのなかで」矢島喬編『外国人市民と政 治参加』有信堂、2000 年。 ・山田貴夫「川崎市外国人市民代表者会議の成立と現状」矢島喬編『外国人市民と政治参加』 有信堂、2000 年。 ・山田貴夫「川崎における外国人との共生の街づくりの胎動」 、 『都市問題』89 巻 6 号、1998 年 6 月。 66 2004 年度 NIRA 公共政策研究セミナー ケーススタディ報告書の発行にあたって NIRA 公共政策研究セミナー(NIRA セミナー)は、公共政策研究の分野の研究者やコー ディネータなどの養成を目的として、2002 年度から総合研究開発機構(NIRA)が実施し ている人材養成事業である。今年度は、昨年度に引き続き、ケーススタディ重視の方針を より鮮明に示すために、次の 3 つの事例研究テーマを設定した。 ( )研究指導講師 A)法と市場と市民社会-金融市場のガバナンス (犬飼 重仁 NIRA 主席研究員) B) グローバル時代の多文化社会-共生に向けた政策的取り組み (丹野 清人 首都大学東京講師) C) 地域協力と東アジア (金子 彰 東洋大学教授) これらは、これまでの NIRA 自身の研究実績に基づいて募集時に NIRA から提示してお り、受講者の選択肢を広く確保すべく3テーマを提案したものである。研究指導講師のも とでグループ研究によるケーススタディがそれぞれ実施され、 専門家ヒアリングの場など を通じて、 各参加者がそれぞれの関心対象について綿密なケーススタディを行って3分冊 のケーススタディ報告書に取りまとめられた。 それぞれのグループでの研究の企画設計はつぎのようなものである。 まず各テーマにお ける基本的な政策課題を理解し問題意識を醸成するために、 講師による概論の講義を受け て受講者が参加グループを決定した。受講生はそれぞれ研究企画案を作成し、それをもと に講師等を囲んで議論・検討が進められた。受講生の問題意識を参考にして各グループ2 回の専門家ヒアリングが設けられ、最近の動きなどについて受講生は、現場の声を聞き、 研究者による解説に耳を傾けた。このような研究プロセスを経て、3月の報告会では受講 生によるプレゼンテーションが行われ、中間段階で講師等から専門的な助言を受けた。そ の後、各自で論文執筆を進め、講師等から論文内容に対してコメントを受けて、政策事例 研究報告書として刊行されることとなった。 通算で6回にわたるケーススタディでの指導を引き受けてくださった3人の講師(上 記)には厚く御礼申し上げる。A グループのアドヴァイザーとして支援してくださった河 村賢治・関東学院大学講師、ならびに B、C グループの NIRA 側担当者として協力した飯 笹佐代子・研究開発部主任研究員、小泉哲也・国際研究交流部主任研究員(当時) 、A グ ループを支援した松本高宏・研究開発部研究員、また専門家ヒアリングでご協力いただい た方々にも御礼申し上げたい。そして、本セミナーに自発的に参加され、仕事等で多忙な 時間をやりくりしながら講義からケーススタディまでを踏破され、 政策事例研究論文を完 成された受講生の皆様に深く敬意を表したい。 本セミナーとこの報告書を通じて、 公共政策研究分野における人材育成に対して幅広い ご理解をいただけることを切に願う。 2005 年 6 月 総合研究開発機構・政策研究情報センター 2004年度 NIRA 公共政策研究セミナー ( 2004年9月~2005年3月実施・全12回 ) NIRA 公共政策研究セミナー(NIRA セミナー)は、政策分析の基本を考え実践的に修得する政策研究の導入 セミナーです。公共政策の研究や分析を、理論的、学際的、実践的に進め、問題を提起し議論を展開できる人材 の養成を目指しており、政府、企業、団体等で実際に政策に関連する業務に携わっていながらスキル・アップの必 要性を感じている、公共政策の実務者、研究者、コーディネータなどを目指している、あるいは市民として自発的に 政策を論じ行動を起こしたい、NIRA セミナーはこうした問題意識を持っている方を対象としています。2004 年度は 講義と3つのケーススタディ・テーマの組み合わせによって進められました。 NIRA セミナーの特徴 政策課題に理論と実践の両面からアプローチする、未来志向型の政策研究の基本と手法を 身に付けることなどを特徴としており、2004 年度は特に次の7点を重視した設計になっています。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 学際性、多元性、総合性を重視したプログラム 政策課題に対する理論と実践からのアプローチ 3つの政策テーマに基づく実践課題の理解 グループワークによるケーススタディ 充実した研究指導体制 参加者による研究企画とそれに対する助言 政策現場から生の声を聞いて問題意識を醸成 関 連 資 料 NIRA セミナー関連資料は、NIRA セミナーHP(http://www.nira.go.jp/icj/seminar/2003/kanren.html) で全文公開しております。 (ただし、NIRA 政策研究は除く。) 『市場ガバナンスの変革 -市民社会と市場ルールの融合を目指して-』 NIRA セミナー2004 報告書 No.2004-01、2005 年 6 月発行 『共に生きる社会を目指して -多文化社会へ向けた政策課題-』 NIRA セミナー2004 報告書 No.2004-02、2005 年 6 月発行 『東アジアの活力と地域協力 -大交流時代における日本の役割-』 NIRA セミナー2004 報告書 No.2004-03、2005 年 6 月発行 北川正恭「公共のプラットフォームを考える」 NIRA セミナー2004 第 2 回講演録、2004 年 9 月発行 『まちづくりと政策形成 -景観・環境分野における市民参加の展開と課題-』 NIRA セミナー2003 報告書No.2003-01、2004 年3 月発行 『教育の制度設計とシティズンシップ・エデュケーションの可能性』 NIRA セミナー2003 報告書 No.2003-02、2004 年 3 月発行 北川正恭「インパクトある政策研究-民主主義のインフラ整備-」 NIRA セミナー2003 第 1 回講演録、2003 年 9 月発行 『廃棄物問題にみる新しい自治のかたち-公的問題と私人の参加-』 NIRA セミナー2002 報告書 No.2002-01、2003 年 3 月発行 『関心高まる地方環境税-制度化の背景と課題・展望-』 NIRA セミナー2002 報告書 No.2002-02、2003 年 3 月発行 「公共政策の人材基盤充実に向けて-NIRA 公共政策研究セミナーを中心に-」 『NIRA 政策研究』Vol.16 No.2、2003 年 2 月発行 松井孝治「政治行政と政策研究」 NIRA セミナー2002 第 9 回講演録、2003 年 1 月発行 林芳正「政策研究における人材」 NIRA セミナー2002 開講記念シンポジウム講演録、2002 年 10 月発行 宮川公男『「公共政策・人材養成プログラム」策定に関する研究報告』 2002 年 5 月発行 * こ の 報 告 書 の 全 文 、 関 連 資 料 、 な ら び に NIRA セ ミ ナ ー の 詳 細 は 、 NIRA セ ミ ナ ー ホ ー ム ペ ー ジ ( h t t p : / / w w w. n i r a . g o . j p / i c j / s e m i n a r / i n d e x . h t m l )でも紹介しております。 セミナーに関 するご質 問 等 は、NIRA セミナー事 務 局 までお問 合 せください。 NI RA セミ ナー事 務 局 ( E- ma il:j imukyoku@n ir a.go.jp) 政 策 研 究 情 報 セン ター 主 任 研 究 員 中村 政 策 研 究 情 報 セン ター ISBN4-7955-1815-7 円 高橋久美子 C3030 共に生きる社会を目指して -多文化社会へ向けた政策課題- 発 行 Ⓒ総 合 研 究 開 発 機 構 〒150-6034 東京都渋谷区恵比寿 4-20-3 恵比寿ガーデンプレイスタワー34 階 TEL:03(5448)1740 FAX:03(5448)1746 URL:http://www.nira.go.jp 2005 年 6 月 発行 再生紙使用 2005 ISBN4-7955-1815-7C3030