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文化交流とアラビヤ語学習 慶應義塾大学総合政策学部 助教授 奥田 敦 はじめに 本日は、アラビヤ語の学習と文化交流の関係についての実例を紹介しながら、今日的な 状況におけるアラブ世界、イスラーム世界との文化交流のあり方について若干の考察を行 いたいと考えております。 アラビヤ語は、日本人にとってなじみの薄い言語であります。2 億から 2 億 5 千万人の話 者をもち、国連公用語(1974 年以降)にも指定されているにもかかわらずであります。それは、 アラブ世界それ自体が、実は日本人にとってなじみの深いものではなかったということでもあ ります。しかしながら、近時その必要性の認識が急速に進んでいるといえます。アラビヤ語 の字幕の入ったニュースをお茶の間に直接流さざるを得ないような事件が次から次へと起き ている昨今です。 私自身は、1999 年 4 月から現職にあります。アラブ・イスラーム圏についての研究、教育 とアラビヤ語の教育を任されています。私どものキャンパスでは、毎年、年度の初めに新入 生向けの言語ガイダンスがあります。アラビヤ語について私も説明を行うのですが、いつも その冒頭に、アラビヤ語の単語クイズを出します。文字が読める学生はまずいませんので、 本来であれば、こうしたクイズはナンセンスです。しかし、日本人が知っているはずのアラビ ヤ語単語として、ビン・ラーディン、バグダード、サッダーム・フサイン、アル=ジャジーラ、ア ッ=サマーワなどを出題すると、1、2のヒントで、毎年 3 人目の学生までには正解が出てき ます。 このように、これらのアラビヤ語単語の浸透ぶりには凄まじいものがあります。しかしなが らこれらの単語とともに伝えられるニュースを通じて生み出される中東世界についてのイメ ージは決してよいものではありません。オリエンタリズムの問題や、日本人の中にある宗教 アレルギーや宗教に対する潜在的な距離感も手伝って、そうしたマイナスのイメージは増幅 されます。その限りにおいては、宗教アラブ世界やイスラーム世界についてのニュースが爆 発的に増えているにもかかわらず、一向にそれらの世界との距離が縮まらないのも、無理 のないことといえます。 それでも、アラビヤ語やアラブ・イスラーム世界に対する健全な関心も着実に育ってきて います。ここ2年の間に日本の公共放送の教育チャンネルでアラビヤ語講座が、ラジオ、テ レビの両方で始まりました。また、アラブ・イスラーム学院のアラビヤ語講座が大盛況で、今 年の初めには、アラビヤ語オリンピックの開催を成功させたのは、記憶に新しいところです。 また、私事ではありますが、私の担当する「宗教と文化」という講義は、イスラームという宗教 とイスラームから見たさまざまな文化社会現象の紹介を行っていますが、ここ 3 年間は、コン スタントに 400 名を越える受講者を集めています。私自身は、これをイスラームに対する関 心の高まりを示すものでもあると考えております。 さらに、外務省にも変化が見られます。昨年は、外務省の対中東諸国文化交流の見直し が具体化された年であったと認識しています。それまで、「イラン、トルコ、アラブ 20 数カ国ひ とまとめ」という 3 本の柱で行ってきた中東諸国に対する文化交流を抜本的に見直して、アラ ブ諸国一つ一つについてきめ細かく対応していくという方針転換が進んでいます。このこと は、外務省によるイスラーム世界に向けたさまざまな新規事業の取り組みに明らかですし、 私自身もちょうど 1 年ほど前に、文化交流部の政策課課長からこうした方針転換について直 接伺ったこともあります。後に詳しく述べますが、そうした新しい試みのひとつとして、外務省 の文化交流部政策課には、私どもの研究室のアラブ人学生歓迎プログラムをアラブ諸国か ら日本語学習青年の招聘事業として取り上げていただきました。 現在、アラブ・イスラーム世界と日本の関係は、一方で非常に危機的な様相をはらんでい ます。アラブやイスラームに対する誤解や偏見が増幅し、また日本政府の対アラブ世界への 政策がアメリカ追従であるとみなされても仕方のない出来事が進行中です。これまでのよう な両者の無条件に良好な関係の時代は終わりを告げています。しかしながら、その一方で、 学術文化交流を中心に、アラブ世界、イスラーム世界に対する関係に着実に変化の兆しも 見えてきているのです。 アラビヤ語学習の効用 アラビヤ語学習にはどのような効用があるのか。特に日本人にとっての効用は何かにつ いてまとめておきたいと思います。私は、アラビヤ語学習の効用について、それを5つの対 話という形でまとめています。 まず、現在との対話です。アラビヤ語を学ぶことによって、日本人にとってなじみの薄かっ た人びとあるいはオリエンタリズムによって著しくマイナスのイメージが付されている人びと や地域と直接コミュニケーションが取れるようになるからです。 第2は、過去との対話です。アラビヤ語には、さまざまな学問領域にまだ日本に紹介され ていない重要な文献が数多くあります。古文書についても同様です。ヨーロッパにおけるい わゆる 12 世紀ルネッサンスは、アラブ文化経由のギリシア・ローマの古典復興だったとされ ますが、アラブ文化とルネッサンスの研究はもっと進められてよいと思います。そうすると、 近代西欧文明の源流がいっそう明らかになるはずです。そしてアラブ社会の歴史を知ること は、ユダヤ教、キリスト教といった先行する一神教の歴史とその思考を相対化することにも つながります。 第 3 は、自分との対話です。アラビヤ語と日本語は、実に対照的な言葉です。初心者向け のごく簡単な例をあげてみましょう。「テレビのニュースを見ましたか」という文章をアラビヤ 語で言おうとすると、「か」「見ました」「ニュース」「テレビ」という語順でこれをあらわします。 「見なかった」という否定文の場合も「ない」にあたるアラビヤ語からはじめます。つまり、アラ ビヤ語では日本語とはまったく逆の語順で話されるのです。語順が違うということは、発想や 思考も逆ということになります。 日本人の話者にとって、アラビヤ語の話者はかなり異質な他者ということにならざるを得 ません。異質な他者を知ることによって、より鮮明に自分自身を知ることができるのではない でしょうか。 第 4 は、闇との対話です。アラビヤ語は、不可視の領域のほか、人間や物事の内面につ いても教えてくれます。日本語にも、それらについて数多くの言葉がありますが、統一的な用 語法が確立されているわけではありません。また、日本語の世界には、暗黙の了解事項とさ れる事柄が多いことも事実です。「腹で分かりあう」とは、本心が通じ合うことですが、何を分 かり合ったのかは、本人同士にしか分かりません。アラビヤ語は、こうした領域に了解可能 な言葉によって光をあててくれます。 第 5 は、神との対話です。それは、聖クルアーンがこの言葉によってアッラーの御遣いで あるムハンマド(彼の上に祈りと平安あれ)を通じて下されたことによります。ご承知の通り、 聖クルアーンは、アラビヤ語以外の言葉に訳された途端に、クルアーンであることをやめて しまいます。したがって、アラビヤ語によってのみ、われわれは 8 億とも 13 億とも言われるム スリムは、アッラーからのメッセージを直接読むことができるのです。私は、現在実際に使わ れている言葉で、神からのメッセージをこのような形で保っている言語をアラビヤ語以外に 知りません。つまり、この対話はアラビヤ語によってのみ可能だということになるのです。 このように、私自身は、アラビヤ語を通じて、われわれは現在とも過去とも自分とも闇とも 神とも対話することができるようになると考えています。現在との対話は、われわれを真の意 味でグローバルな視野を持った人にしてくれるでしょう。過去との対話は、本当に幅広い教 養の人にしてくれるはずです。自分との対話は、異なる他者を受け入れることでしたから、寛 容の人になれるはずです。闇との対話においては、闇を理性の光で照らしていくことに外な りませんから、理性の人になれるでしょう。そして神との対話においては、来世までを念頭に 置いた人間の生き方、人類社会全体のあり方についての深い英知に触れることになります から、叡智の人といえましょう。グローバルな視野を持ち、幅広い教養を持ち、寛容にして、 理性的でかつ叡智に満ちた人間。宗教が元来「人間性の完全を示すもの」だとすれば、アラ ビヤ語の習得は、それに近づくための最も有効な道の入り口とさえ言えそうです。 交流の試み このように非常に魅力あふれるアラビヤ語なのですが、これらの効用が十分に理解され ていないということ以外に、一般化しない理由があります。それは、日本人にとって非常に難 しい言語だということです。教育方法が十分に確立されていないという問題もあります。私は、 自分の大学でアラブ・イスラーム圏の研究教育の全般について責任者を務めています。当 然のことながら、アラビヤ語についても教育はもちろん、コースのデザインから運営まで担当 しています。 その際、心がけている原則が3つあります。「現地主義」「少人数主義」「短期集中主義」の 3つです。この中でも特に特徴的なのが現地主義だと思います。SFC では、99 年からシリア のアレッポ大学の学術交流日本センターと緊密な学術交流関係があります。アラビヤ語教 育に関しては、初級集中コースの第 2 学期目をシリアで行っています。80 時間から 120 時間 程度学んだ学生が、約 100 時間のシリア研修に参加します。全体で大体 2~3 週間になりま す。 午前中4時間は、少人数クラスでのアラビヤ語の授業です。昼食をはさんで、夕方からは、 日本側学生 1 人から 2 人に対して、1 名のアラブ人チューターがついてグループワークを行 います。アラブ人のチューターは、日本センターで日本語を勉強している学生たちの中の希 望者から選抜されます。一つ一つのグループにテーマが与えられ、期間中通して、アラビヤ 語辞書データベース用の単語の収集を行います。3 日に 1 日は、この夕方の時間に、家庭 訪問も行われます。日本側学生は、一人でアラブ人家庭を訪問し、アラビヤ語の個別レッス ンを通じて実践的にアラビヤ語を鍛えます。今年の 3 月からは、中級の現地研修も始まりま した。休日には、シリア側の先生方、チューターたちも含めて皆で近郊へ旅行に出かけます。 毎回 15 名程度の学生が、シリアを訪れます。 こうして、アラビヤ語が実際に使われている社会で、アラビヤ語を母語とする人々とできる だけ多く触れ合いながら、実践的にアラビヤ語を学ぶ。また、学生たちにとっては、言語の学 習を通じて、シリアの社会や人々について直接的に学んでいく貴重な機会でもあります。わ ずか 3 週間足らずの研修でも目に見えて上達する学生が毎回います。アラブ文化、アラブ世 界とともにアラビヤ語を学ぶことの大切さも見逃せません。 現地主義は、教育の場面ばかりではありません。教材も現地で撮影したものが中心です。 それも研究会の活動の一環として学生たちとシリアで作ったものを使っています。よい教材 がないのであれば、自分たちで作る。研究会の学生たちとカメラを担いで、シリアへ出かけ、 シリアの人々と協力しながら、ビデオを撮影する。帰ってきて編集し、テキストに仕上げてい く。一連の作業は、学生たちのアラビヤ語力の向上につながるばかりか、それ以外について も学ぶところが多いはずです。「作りながら学ぶ。学びながら作る」。こうして教材も教育もレ ベルを上げていく。これは、まだ教材や教育方法の確立していない語学に関わる者に許され る特権だと思っています。 ところで、最初のアラビヤ語現地研修は、今から 3 年前の 2001 年 2 月から 3 月でした。そ の年は、引き続いて 3 回目の現地撮影を行った年でもありました。この 1 回目の現地研修は、 アレッポ大学側にとってもはじめての試みでしたが、かれらの全面的な協力により、大成功 を収めたのでありました。参加した学生たちは、アレッポ側の協力ともてなしに非常に感激し たのであります。1 日 8 時間のアラビヤ語漬けが 2 週間続くという厳しい日程に耐え、体調も 極限状態にあったはずの学生のひとりが、プログラムを終えて「シリアの人たち、特にチュー ターさんたちにほんとうにお世話になりました。何とか御礼がしたい」といったのであります。 インテンシブの後さらに 10 日間ほどの研究プロジェクトの現地合宿にも参加した学生からも、 帰路、ダマスカスの空港へ向かうバスの中で同じ言葉を聞いたのです。「自分たちがシリア で受けたのと同じ集中講座を日本にて日本語で受けてもらいたい」と言います。「資金は?」と 聞くと、「何とか自分たちで集めます」という頼もしい言葉が帰ってきたのです。 帰国すると休むまもなく、シリア研修の有志が集まってシリア人学生を招待するためのプ ログラム(学生たちは「アハラン・ワ・サハラン・プログラム(ASP)」という素敵な名前をつけ た)の実行委員会が結成されました。当初「1 名は呼ぼう」を合言葉に寄付を募っていたのを 覚えていますが、結果的にはお陰様で多くの賛同者を得て 3 名を呼べるだけの寄付が集ま ったのです。 7 月の上旬にアレッポ大学から 3 名のシリア人学生を呼ぶことができました。授業は、もち ろん、礼拝や食事についても細心の注意を払いながら研修は進んでいきました。滞在の最 後の修了パーティーで招待学生一人一人が日本語で作文を読み上げました。感謝と友情そ して敬意に満ちた言葉に、パーティーに参加してくれた先生方はじめすべての人々の目が 潤んだのでありました。国籍や文化や宗教の違いを超えて、その場にいた人々が皆分かり 合えた瞬間でもありました。参加者の一人から「日本ではムスリムとして暮らせることがよく 分かりましたので、将来必ず留学に来たい」という言葉が出ました。日本側の学生が本当に 細かいところまでは心を配った証拠だと思います。 その次の年、アハラン・ワ・サハラン・プログラムは、さらに成長を続けることになります。 日本の外務省が、冒頭に述べたアラブ諸国との文化交流の見直しに際して、このプログラ ムに関心を示してくれたのです。昨年のアハラン・ワ・サハラン・プログラムは、日本・アラブ 語学青年招聘交流計画として外務省文化交流部政策課のプロジェクトのひとつとして実施さ れたのです。アラブ 5 カ国から 6 名の学生が、各国の日本大使館の協力によって選抜され、 10 月の半ばから 2 週間、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスにやってきました。日本語の 授業のほか、茶道、華道、日本舞踊といった文化体験、富士山への小旅行などが日本人の 学生たちとの交流を通して行われました。シリアから来た 2 名の学生については、12 月半ば まで滞在し、さらに研修と交流を続けたのでした。 今年は、学生たちとともに招聘先の国々を訪れ、アラブ諸国との学術文化の交流ネットワ ークを拡げる努力としたいと考えておりますし、今年もまた、アラブ諸国から学生たちを SFC に招待したいと考えています。 現在、アラブ世界と米英を中心とする諸国の間の関係は、その全体が憎悪の連鎖に簡単 に巻き込まれてしまいそうな状態です。そのような状況だからこそ、こうした交流活動は地道 に続けなければなりません。なぜならば、それは学問を愛する人々同士の尊敬と友情に基 づく関係だからです。アラビヤ語を学習する一人一人の熱意とひたむきな努力が、このよう な形の交流活動に展開したのだと考えてみると、そこには、アラビヤ語学習、あるいはアラ ブの人たちにとっては日本語学習の新たな可能性が確実に示されていると言えましょう。 言語と文化 9・11 以降、オリエンタリズムは大きく変容したと考えています。それまで、オリエンタリズム を通した中東は、サイードが指摘しているように、理解・支配・操縦・統合あるいは支配・再構 成・威圧の対象でありました。支配や統合あるいは威圧の対象であったとしても、中東に住 む人々の存在が否定されていたわけではありません。しかしながら、9・11 以降の中東は、 敵対・攻撃・排除の対象に変わってしまったのです。たとえば、アメリカの大統領および政府 が用いたいくつかの表現を見ればそのことははっきりします。「悪の枢軸」「十字軍」「無限の 正義」「永続する自由」などといった言葉とそれが埋め込まれている中東に関する言説です。 たとえ、アメリカの大統領がほんの申し訳程度に「イスラーム教徒のすべてがテロリストだと いっているわけではない」と言い添えたとしても、オリエンタリズムそのものを揺るがす心配 はないのです。日本においても空前のイスラーム関係あるいは原理主義関係の出版ブーム の中で、にわか専門家たちが根拠のないイスラーム観を披瀝し、それをもとに議論すること によって、どれほどイスラーム教徒一般に対する恐怖感と偏見をあおったことか。中東に関 する言説を作るときに中心的な役割を果たすのは、決して中東研究の専門家たちではない のです。 イラク戦争においては、中東への支配の手段が、オリエンタリズムという言説から、むき出 しの暴力の行使に切り替わりました。アメリカ政府および軍がイラクで行ったことは、イラク国 民の解放ではありません。イラクの人々から改めて武力行使によって主権を剥奪し、国土に 対して侵略と占領をおこない、人民に対しては際限のない殺戮と蹂躙と略奪の連続でありま す。民主主義や人権が単なるお題目だということは、誰もが知っています。それにも拘らず、 誰にもこれをとめることができなかったし、とめることができていないという点に、現在の民主 主義理論や人権論がイラクの人々のためのものではないことは明白なのです。それでも、こ れがイラクに人びとのためになると信じられるのは、オリエンタリズムによる言説の積み重ね があったからなのです。あるいはまた、イラクでの略奪行為、その代表的なものは、油田の 確保ですが、その開発に出かける人々が、イラク人のためにもなると信じて疑わないのだと すれば、そこには、事実の錯覚の上に成り立っているオリエンタリズムの本領がまさに発揮 されているのです。こうして、それまでは、やわらかく支配するためのオリエンタリズムが、む き出しの暴力による支配を擁護し、正当化する役割に回っているのです。 この事態を「マスラハ(福利・安寧)」の観点から眺めて見ましょう。イスラームの法には、 法の目的論という議論がありますが、そのメインは、ご承知のように「マスラハ・アーンマ」の 実現です。これは来世におけるマスラハまで含めた非常に包括的な概念であります。ところ が、イラクの現状について言えば、マスラハ・アーンマを意識した動きというのは、どこにも見 当たりません。まず、アメリカ側。アメリカは、終始アメリカのマスラハにこだわっています。ア メリカに同調している国も皆それぞれの国の置かれた環境の中で、自国のマスラハのため に動いています。イラクの側はどうでしょうか。サッダーム・フセイン大統領の政権が倒れた 後に噴出した(ように見える)のは、民族、宗派、部族の違いによる内部の争いです。クルド 人はクルド人のマスラハを、シーア派はシーア派のマスラハを、各部族は各部族のマスラハ のみの主張に躍起になっています。同じイスラーム教徒でありながら、連帯よりも、自分たち のマスラハの確保に忙しいように見えます。 国民意識、民族意識、宗派意識、部族意識といったものの高揚は、マスラハ・アーンマの 観点からいえばマイナスに作用します。自分たちのマスラハ以外への関心は失われ、他の 人々のマスラハを犯すことも厭わなくなります。イラクの戦後復興をいうのであれば、アメリカ の攻撃と侵略と占領によってずたずたにされてしまったイラクの人々の紐帯を復活させるた めの支援が、実は水道の確保より大切なのです。マスラハ・アーンマの具体相であるダルー リーヤートの第 1 は、宗教なのです。生命に先立って宗教がおかれている意味の理解なしに、 イラクの戦後復興もその支援もありえないのです。 しかしながら、現状はそうした理解がどちらの側にも決定的に欠けているのではないでし ょうか。そうした場合、どうしても国家や民族、宗派や部族といったものに根ざした文化が歓 迎されることになります。しかしながら、この文脈においては、自分たちの文化にしがみつく ことがすなわちマスラハ・アーンマの排除の肯定に結びつきます。結局、現下のオリエンタリ ズムにおいては、自文化へのこだわりですら、むき出しの暴力による支配の正当化を支える 土壌にされてしまうという回路が確保されてしまっているのです。 したがって、この状況における自文化中心主義や自文化礼賛には、警戒しなければなり ません。文化交流においては、しばしばそのことが前提となっている場合が少なくありません。 そうした形の文化交流を続けても、何かお互いが共有できるものが見出せるのかは疑問だ と言わざるを得ません。しかしながら、こうした状況であるからこそ「全地球的」な規模で「全 人」的な人間観の形成、つまり「人間性の完全」に向けた努力が求められています。そうした 「地球的意識」の醸成に、日本側もアラブ側あるいはイスラーム側もこのままの文化の形で 直接貢献できるわけではありません。もちろん、イスラームの教えは、まさにこのことを説い てはいますが、人間の側における理解と適用への展開は十分ではありません。イスラーム 社会が内側からイスラームの教えに即して変わる必要は、ムスリムの学者たちの一致した 主張でありましょう。その意味で、現状に甘んじることなく、また、自分たちの歴史的過去を 美化することもなく、われわれは、地球的意識の醸成に向かって自ら変わっていかなければ ならないのです。 語学学習をきっかけとした、学問への愛と相互の友情と敬意に支えられた交流活動、そ れはまだほんのささやかな試みです。しかしそれが、日本とアラブ世界あるいは日本とイス ラーム世界のお互いがよりよく、より正しく変わるための契機を作る活動になることを願って やみません。