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論文(pdf 1.6MB) - 大阪市立大学文学研究科・文学部
人間行動学科 地理学コース エルサレム旧市街における歴史的建造物の保 全と住民生活支援 学部 卒業年度 学籍番号 文学部 平 成 25 年 度 A10LA022 い わ が み こ う へ い 岩神幸平 1 平 成 25 年 度 卒 業 論 文 エルサレム旧市街における歴史的建造物の保全と 住民生活支援 A10LA022 岩神幸平 目次 Ⅰ.はじめに 1) 研 究 目 的 2) 先 行 研 究 ・ 調 査 方 法 Ⅱ.エルサレム旧市街の歴史的・政治的背景 1) 調 査 地 の 概 要 2) エ ル サ レ ム の 歴 史 的 背 景 (a)古 代 ~ 第 二 次 世 界 大 戦 (b)イ ス ラ エ ル 建 国 ~ 和 平 交 渉 3) イ ス ラ エ ル - パ レ ス チ ナ 問 題 Ⅲ.エルサレム旧市街の現状・問題 1) エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 現 状 2) UNESCO に よ る 「 危 機 遺 産 リ ス ト 」 へ の 登 録 3) イ ス ラ エ ル に よ る 旧 市 街 の 「 ユ ダ ヤ 化 」 と パ レ ス チ ナ 人 住居の破壊 Ⅳ . パ レ ス チ ナ NGO に よ る 修 復 事 業 ・ 住 民 支 援 事 業 1 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( a ) We l f a r e A s s o c i a t i o n の 概 要 ( b ) We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 歴 史 的 建 造 物 の 修 復 事 業 2) パ レ ス チ ナ NGO に よ る エ ル サ レ ム 住 民 へ の 生 活 支 援 2 3) 調 査 結 果 の 分 析 と 考 察 Ⅴ.結論 キーワード 領 土 問 題 , 世 界 遺 産 , NGO, パ レ ス チ ナ 問 題 , 建 造 物 の 保 全 3 Ⅰ.はじめに 1)研究目的 「街並み保存」や「文化遺産の保全」は近年、日本国内でも よく聞かれる取り 組みである 。そうした取り 組みを行って いる 自治体の中には、世界遺産登録を目指す動きもあり、都市化や 観光化などの「発展」と、景観や環境の「保全」の対立を論じ る 鈴 木( 2 0 1 0 )な ど の 研 究 も よ く 見 ら れ る 。ま た 、大 野( 2 0 0 8 ) の よ う な 高 い 文 化 的 価 値 を 持 つ 地 域 と 、そ こ に 住 む 住 民 の 生 活 との関連性を論じた研究も多く行われている。 しかし、これらの研究は、土地の管理権や信仰といった問題 で は な く 、あ く ま で 利 害 関 係 の 調 整 に 焦 点 が 当 て ら れ る こ と が 多 い 。領 土 や 民 族 を め ぐ る 紛 争 が 起 こ っ て い る 土 地 に 文 化 的 価 値の高い資源が存在する場合 、どのようにそれらの資源 を 守り、 なおかつその土地に住む人々の生活を維持していくのかとい う、紛争と文化的資源の関係に焦点を当てた研究は、国内にそ う し た 属 性 を 持 つ 資 源 が 存 在 し て い な い こ と か ら 、あ ま り 進 め られてこなかった。 こ の よ う な 国 内 の 世 界 遺 産 と は 異 な り 、本 研 究 で 対 象 と し て いるエルサレム旧市街は、紀元前からの歴史があり、各時代の 特 徴 を 持 っ た 歴 史 的 建 造 物 が 数 多 く 現 存 す る と 同 時 に 、ユ ダ ヤ 教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地となっていることか ら 、1 9 8 1 年 に 世 界 文 化 遺 産 に 登 録 さ れ た 。し か し 、イ ス ラ エ ル と パ レ ス チ ナ の 双 方 が 領 有 権 を 主 張 し 、領 土 を め ぐ る 情 勢 の 不 安 定 さ か ら 、1 9 8 2 年 に 危 機 遺 産 リ ス ト に 記 載 さ れ 、現 在 も な お エルサレムの帰属問題は解決していない。 本 研 究 で は 、こ の エ ル サ レ ム 旧 市 街 に お け る 歴 史 的 建 造 物 の 修 復 事 業 を は じ め と し た NGO の 活 動 を 事 例 に 、 領 土 を め ぐ る 争いが起こっている中で、人類にとって歴史的、文化的に価値 の 高 い 建 造 物 を ど の よ う に 保 全 し 、な お か つ そ こ に 住 む 住 民 の 生活環境をどのように改善していくのかについて焦点を当て、 保全や改善の試みに政治的、国際的な対立関係がいかなる 影響 4 を及ぼしているのかについて検討する。また、そういった状況 の中でどのような組織によるどのような活動が行われている のかを、現地調査を通じて明らかにする。 こ の 研 究 を 通 じ て 、 高 い 価 値 を 持 つ 文 化 資 源 が 、「 誰 に と っ て、どのような理由で大切なのか」ということや、同一の文化 資源に対する、宗教や政治的、歴史的背景の違いに起因する認 識、考え方の差異と、その差異の存在によって、文化資源と人 間に与える影響について検討する。 2)先行研究・調査方法 エルサレム旧市街の建造物 の保全に関する研究として、見原 ( 2010) は 国 際 連 合 教 育 科 学 文 化 機 関 ( 以 下 UNESCO) の 旧 市街における危機遺産認定の経緯と保全に向けての取り組み に つ い て 研 究 し て い る 。 ま た 、 飛 奈 ( 2009) は 旧 市 街 で 行 っ た フ ィ ー ル ド ワ ー ク か ら 、イ ス ラ エ ル に よ る パ レ ス チ ナ 人 の 住 居 破壊をイスラエル占領の「既成事実化」と評価して、それに対 するパレスチナ側の取り組みを「抵抗」と捉えて考察を行って い る 。パ レ ス チ ナ 側 の N G O で あ る We l f a r e A s s o c i a t i o n は 、旧 市 街 内 の 状 況 に 関 す る 分 析 を 行 い 、 2003 年 に 『 Jerusalem Heritage and Life』 を 発 行 し て い る 。 しかし、これらの先行研究では、具体的な保全、修復の事例 と、修復後の利用方法、建造物を実際に利用している人物や組 織の評価までは検証されていない。 本 研 究 の 調 査 対 象 地 は エ ル サ レ ム 旧 市 街 で あ り 、現 地 調 査 と し て 2 0 1 3 年 1 0 月 に エ ル サ レ ム に お い て 、We l f a r e A s s o c i a t i o n を は じ め と す る 、 現 地 で 活 動 し て い る NGO 関 係 者 や 研 究 者 に 対 し て 聞 き 取 り 調 査 を 実 施 し た ( 表 1 )。 We l f a r e A s s o c i a t i o n と は 、パ レ ス チ ナ 全 域 お よ び レ バ ノ ン で 活 動 を 行 っ て い る パ レ ス チ ナ の 非 政 府 組 織( NGO)で あ り 、エ ル サレム旧市街において歴史的建造物の保全・修復を行っている、 パ レ ス チ ナ 最 大 の 団 体 で あ る 。 こ の We l f a r e A s s o c i a t i o n 5 の活動目的は、パレスチナの社会、経済の発展と文化、アイデ ンティティの継承を通じて、パレスチナに住む人々の生活 環境 の 向 上 さ せ て い く こ と で あ り 、ア ラ ブ 諸 国 な ど か ら の ド ナ ー か ら資金を得て活動している。 ま た 、調 査 対 象 地 で あ る 旧 市 街 に お い て フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 実施し、実際の修復事例及び旧市街の現状の踏査を行った。こ れ ら の 調 査 結 果 を 元 に 、エ ル サ レ ム 旧 市 街 に お け る 建 造 物 の 修 復と生活支援に関する考察を行うものとする。 本 論 文 の 構 成 と し て 、ま ず Ⅱ 章 で 研 究 の 背 景 と な る エ ル サ レ ム の 概 況 と 歴 史 、イ ス ラ エ ル - パ レ ス チ ナ 問 題 の 経 緯 に つ い て まとめる。Ⅲ章では文献と現地の踏査を元に、エルサレム旧市 街 の 現 状 と 危 機 遺 産 リ ス ト 登 録 の 経 緯 、イ ス ラ エ ル に よ る ユ ダ ヤ 化 1 に つ い て 述 べ る 。そ し て Ⅳ 章 で は 実 際 に 旧 市 街 内 で 建 造 物 の 修 復 活 動 、 住 民 生 活 支 援 活 動 を 行 っ て い る NGO へ の 聞 き 取 り調査で明らかになった事実 について整理と分析を行い、Ⅴ章 で調査結果に関する考察と結論をまとめている。 表 1. 本 研 究 に お け る イ ン フ ォ ー マ ン ト リ ス ト 聞き取り対象者・組織 聞き取り対象者の属性 聞き 取りを行った場所 聞き 取り年月日 聞き 取り時間 1 M i c h e l T u r n e r 氏 U N E S C O の 下 部 組 織 の C h a i r m関西国際空港 an 2013年8月28日 約60分 2 Haim Yacobi氏 ベングリオン大学講師 西エルサレム 2013年10月6日 約40分 3 Community・Action・Center パレスチナのNGO(修復事例) エルサレム旧市街 2013年10月6日 約20分 4 Industrial Isramic Orphanage School 職業訓練学校(修復事例) エルサレム旧市街 2013年10月8日 約40分 5 Welfare Associationエルサレム事務所 パレスチナのNGO エルサレム旧市街 2013年10月8日 約30分 6 Spafford Children’s Center パレスチナのNGO(修復事例) エルサレム旧市街 2013年10月8日 約1時間 7 Rawan Natsheh氏 元Welfare Associationl勤務 東エルサレム 2013年10月11日 約30分 8 African Community パレスチナのNGO(修復事例) エルサレム旧市街 2013年10月12日 約1時間 9 The National Conservatory of Music 音楽学校(修復事例) 東エルサレム 2013年10月12日 約30分 10 Saraya Community Center パレスチナのNGO(修復事例) エルサレム旧市街 2013年10月12日 約20分 Ⅱ.エルサレム旧市街の歴史的・政治的背景 本章では、研究の背景となるエルサレムの概要と歴史、そし 6 てイスラエル‐パレスチナ問題の経緯について整理する。 1)調査地の概要 本 研 究 の 対 象 地 域 は エ ル サ レ ム 旧 市 街 と す る 。エ ル サ レ ム は イスラエルの中央部、パレスチナ自治区、ヨルダン川西岸地区 の 西 端 に 位 置 し 、 標 高 800m の 小 高 い 丘 の 上 に 存 在 す る 街 で あ る( 図 1 )。エ ル サ レ ム は ユ ダ ヤ 人 の 住 む 西 エ ル サ レ ム( 新 市 街 ) と、パレスチナ人が多く住み、旧市街を含む東エルサレムとに 分かれている。西エルサレムはイスラエルの管理下にあり、現 代的な街並みであるのに対し 、東エルサレムは 西エルサレ ムと 比 較 し て 十 分 な 整 備 が な さ れ て い な い 。東 エ ル サ レ ム と 西 エ ル サ レ ム の 境 界 付 近 に 位 置 す る 旧 市 街 は 0.9 ㎡ と 面 積 は 非 常 に 小 さ い が 、旧 約 聖 書 時 代 か ら の 古 い 歴 史 と そ れ ぞ れ の 時 代 の 建 造 物を持ち、それに加えて嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドームな ど 、ユ ダ ヤ 教 、キ リ ス ト 教 、イ ス ラ ム 教 の 聖 地 が 集 積 し て お り 、 世界中から多くの巡礼者、観光客が訪れる街となっている。こ の よ う に 宗 教 施 設 、歴 史 的 建 造 物 が 多 く 現 存 し て い る こ と か ら 、 旧市街全体が「エルサレムの旧市街とその城壁群」として、 U N E S C O の 世 界 文 化 遺 産 に も 登 録 さ れ て い る 。ま た 、旧 市 街 は ムスリム地区、キリスト教地区、ユダヤ人地区、アルメニア人 地区に分かれており、異なる宗教、民族が小さな街の中で共に 生 活 し て い る ( 図 2 )。 こ う し た 要 因 か ら 、エ ル サ レ ム 旧 市 街 は 世 界 で も 他 に 類 を 見 ない独自の特性を持った場所となっている。 しかし、エルサレム旧市街の最大の問題は、国際社会から公 認された主権が存在しないと いう点であり、イスラエルに よる 旧 市 街 及 び 東 エ ル サ レ ム の 一 方 的 な 併 合 か ら 40 年 以 上 が 経 過 した現在も問題は解決していない。また、エルサレム旧市街は 世 界 文 化 遺 産 に 登 録 さ れ て い る と 同 時 に 、危 機 遺 産 リ ス ト に も 登録されている。世界文化遺産、危機遺産登録の背景に関して は Ⅲ 章 の 2)に お い て 詳 し く み て い く が 、 一 つ 重 要 な こ と は 、 U N E S C O が 本 来 行 な う べ き 遺 産 の 保 全 に 関 す る 取 り 組 み を 、エ 7 ルサレム旧市街においてはほとんど行えていないという事実 う で あ る 。 こ れ は UNESCO の 下 部 機 関 、 Urban Design and C o n s e r v a t i o n の 委 員 長 で あ る M i c h e l Tu r n e r 氏 へ の イ ン タ ビ ューから判明したことである。そういった要因が、歴史的建造 物 を は じ め と し た 文 化 遺 産 の 保 全 と 、そ こ に 住 む 人 々 の 生 活 環 境に多大な影響を与えている。 図 1. イ ス ラ エ ル ・ パ レ ス チ ナ 自 治 区 出 典 : Google Map を 元 に 筆 者 作 成 8 図 2. エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 概 要 出 典 : Google Map を 元 に 筆 者 作 成 2)エルサレムの歴史的背景 こ の 節 は 主 と し て 及 川 博 一( 2010) 『物語エルサレムの歴史』 からの出典による。 ( a) 古 代 ~ 第 二 次 世 界 大 戦 ( 紀 元 前 4000 年 ~ 1945 年 ) エ ル サ レ ム に 人 が 住 み 始 め た の は 紀 元 前 4000 年 頃 で 、 当 時 は 大国への従属を繰り返してきた。そんな中、ユダヤ人の祖先と されるアブラハムが神との契 約を交わし、この地を譲り受 けた。 こ の 神 話 上 の 逸 話 2 が 、現 在 の イ ス ラ エ ル - パ レ ス チ ナ 問 題 に も 大きな影響を与えている。 一度エジプトに逃れたユダヤ人はモーセに導かれてエジプ ト を 脱 出 し 、 パ レ ス チ ナ へ と 帰 還 す る 。 紀 元 前 1000 年 頃 に ダ ビ デ が カ ナ ン を 統 一 し 、エ ル サ レ ム を 都 と す る イ ス ラ エ ル 王 国 9 を建国し、その息子であるソロモンがエルサレムの拡張、神殿 の 建 設 を 行 っ た 。そ の 後 イ ス ラ エ ル 王 国 は 2 つ の 国 に 分 裂 し た が 侵 略 に よ っ て 滅 ぼ さ れ 、多 く の 人 々 が パ レ ス チ ナ か ら 連 れ 去 ら れ た ( バ ビ ロ ン 捕 囚 )。 ユ ダ ヤ 人 の 離 散 の 歴 史 は 、 こ の 当 時 か ら 始 ま り 、こ の 民 族 と し て の 背 景 が シ オ ニ ズ ム の 勃 興 、 1948 年のイスラエル建国につながっていったと考えられる。 ローマ帝国時代には、ヘロデ大王による神殿の建設とイエ ス・キリストの処刑という、エルサレムの歴史上でも重要な出 来事が起こった。ヘロデの建てた神殿の跡とされているのが、 ユダヤ人の聖地である嘆きの 壁であり、キリストが処刑さ れた ゴルゴダの丘に立つのが多くのキリスト教徒が巡礼に訪れる 聖 墳 墓 教 会 と な っ て い る 。嘆 き の 壁 付 近 で は 現 在 で も 神 殿 の 発 掘 作 業 が 進 め ら れ て い る が 、 見 原 ( 2010) に よ る と 、 世 界 遺 産 委員会に対する正式な決議のない発掘作業であったことから、 国際社会やアラブ諸国の反発を招いている。 ロ ー マ 帝 国 の 支 配 は 1 世 紀 ご ろ ま で 続 い て い た が 、ユ ダ ヤ 人 に よ る ロ ー マ 帝 国 へ の 反 乱 が 発 生 し 、そ の 結 果 エ ル サ レ ム の 陥 落 、ユ ダ ヤ 人 の 世 界 中 へ の 離 散( デ ィ ア ス ポ ラ )、が 起 こ っ た 。 こ の 後 、 ユ ダ ヤ 人 が パ レ ス チ ナ で 再 び 国 を 造 る の は 、 約 2000 年 後 の 1948 年 と な る 。 エルサレムがローマ帝国の支 配下に移った後、ローマ帝国 が キ リ ス ト 教 を 公 認 し 、巡 礼 者 の 増 加 や 教 会 や 巡 礼 宿 の 発 展 が み られた。 しかし、キリスト教によるエルサレムの支配は長くは続かず、 638 年 に イ ス ラ ム に 征 服 さ れ 、 ウ マ イ ヤ 朝 の 時 代 に ア ル ア ク サ ・ モ ス ク 3 を 始 め と し た イ ス ラ ム 教 の 施 設 が 建 て ら れ 、イ ス ラ ム教の聖地としての意味合いも持つようになった。 1099 年 か ら は ヨ ー ロ ッ パ か ら 十 字 軍 が 聖 地 奪 還 を 名 目 と し てエルサレムに侵攻し、エルサレム王国が建設されたことで、 キ リ ス ト 教 建 造 物 も ま た 多 く 建 て ら れ る こ と と な っ た 。 11 8 7 年以降はイスラム教徒が再び エルサレムの支配権を奪い、アイ 10 ユ ー ブ 朝 、マ ム ル ー ク 朝 を 経 て 、1 5 1 6 年 に オ ス マ ン ・ ト ル コ が エルサレムの城壁を再建した。オスマン・トルコの衰退が始ま る と 同 時 に 、エ ル サ レ ム の 存 在 も 忘 れ ら れ て い た が 、1 8 9 4 年 に フ ラ ン ス で 起 こ っ た ド レ フ ェ ス 事 件 4 を き っ か け と し て 、自 分 た ち の 国 家 を 持 つ こ と を 目 的 と す る シ オ ニ ズ ム が 起 こ り 、ヨ ー ロ ッ パ か ら エ ル サ レ ム へ の ユ ダ ヤ 人 移 民 が 増 加 し た 。シ オ ニ ズ ム とともに、エルサレムの状況を大きく変えたのが、欧州列強に よる植民地主義の高まりである。 1914 年 に 発 生 し た 第 一 次 世 界 大 戦 は エ ル サ レ ム と パ レ ス チ ナにも大きな影響を与えた。中東への進出を狙ったイギリ スに よって、バルフォア宣言、マクマホン書簡、サイクス・ピコ協 定 の 3 つ の 外 交 取 引 が 行 わ れ た こ と で 、現 在 ま で 続 く 中 東 の 混 迷が生まれることとなった。第一次大戦中、イギリスはバルフ ォ ア 宣 言 で は ユ ダ ヤ 人 国 家 の 建 設 を 支 持 す る こ と で 、ユ ダ ヤ 人 か ら の 支 援 を 取 り 付 け る こ と に 成 功 し た 。そ の 一 方 で ア ラ ブ 側 にはマクマホン書簡を送り、オスマン・トルコに対して反乱を 起 こ せ ば 戦 争 後 に ア ラ ブ 国 家 の 建 設 を 約 束 し た 。さ ら に そ れ と は矛盾する形でフランスとサイクス・ピコ協定を結び、オスマ ン・トルコの領土の分割を計画していた。 第一次世界大戦はイギリスをはじめとする三国協商側が勝 利 し 、 エ ル サ レ ム を 含 む パ レ ス チ ナ の 地 は 1922 年 の 国 際 連 盟 の 委 任 統 治 決 議 に よ っ て 、イ ギ リ ス が 委 任 統 治 を 行 う こ と と な り、この時代にエルサレムの近代化が進められた。しかし、イ ギ リ ス は 第 一 次 世 界 大 戦 に よ っ て 国 力 が 疲 弊 し 、ユ ダ ヤ 人 と ア ラブ人が争いを続けているパレスチナの委任統治の継続は困 難 と な り 、パ レ ス チ ナ に ア ラ ブ と ユ ダ ヤ の 独 立 国 家 を 建 設 す る という分割案を提示したが、パレスチナのアラブ人などの 反発 によって実現には至らなかった。 第二次世界大戦では、ユダヤが連合国側、アラブ諸国が枢軸 国側につき、戦後のイスラエル建国につながることとなった。 11 ( b ) イ ス ラ エ ル 建 国 ~ 和 平 交 渉 ( 1948 年 ~ 現 在 ) 第 二 次 大 戦 後 、1 9 4 7 年 に 国 際 連 合 に よ る パ レ ス チ ナ 分 割 決 議 (ユダヤとアラブの双方の国家の樹立、エルサレムの国際管 理)が可決され、アラブとユダヤの衝突が激化した。 そ う し た 混 乱 の 中 で 、1948 年 5 月 14 日 に ユ ダ ヤ 人 が イ ス ラ エル建国を宣言し、それをきっかけとして、第一次中東戦争が イ ス ラ エ ル と ア ラ ブ 諸 国 と の 間 で 勃 発 し た 。戦 争 の 影 響 は 旧 市 街 内 に も 及 び 、ユ ダ ヤ 人 地 区 に 住 む 人 々 は ヨ ル ダ ン に よ る 攻 撃 に よ っ て 降 伏 を 余 儀 な く さ れ た が 、ア ラ ブ 連 合 軍 の 足 並 み の 乱 れ や 疲 弊 に よ り 、 1949 年 7 月 ま で に ア ラ ブ 側 と イ ス ラ エ ル と の停戦協定が結ばれた。この戦争の結果、イスラエル側はパレ ス チ ナ の 55% を 占 領 し 、 ア ラ ブ 側 は 45% と な っ た 。 さ ら に ア ラブ側の領土は東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガ ザ 地 区 に 分 断 さ れ 、エ ル サ レ ム は イ ス ラ エ ル が 8 0 % 、ヨ ル ダ ン が 2 0 % の 割 合 で 停 戦 し た が 、旧 市 街 は ヨ ル ダ ン 側 の 領 土 と な っ た 。 イ ス ラ エ ル の パ レ ス チ ナ 占 領 に よ っ て 約 75 万 人 の ア ラ ブ 人 難 民 が 発 生 し 、ア ラ ブ 人 が い な く な っ た 土 地 は イ ス ラ エ ル が 接収した。 1956 年 に 発 生 し た 第 二 次 中 東 戦 争 を 経 て 、 1967 年 、 エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 状 況 は 第 三 次 中 東 戦 争 に よ っ て 一 変 し た 。エ ジ プ ト、ヨルダン、シリアの 3 か国とイスラエルとの戦いは、6 日 間で決着がつき、イスラエルがシナイ半島、ゴラン高原、ヨル ダン川西岸地区を奪い返すという、圧倒的な勝利に終わった。 そ の 中 で も 最 大 の 成 果 が 、ユ ダ ヤ 民 族 の 象 徴 で あ る エ ル サ レ ム 旧市街を含む東エルサレムの「奪還」である。 イ ス ラ エ ル 即 座 に 東 エ ル サ レ ム の 併 合 の 決 議 を 行 い 、エ ル サ レ ム の 面 積 は 戦 争 前 の 約 3 倍 の 108.3 ㎢ と な っ た 。こ れ を 機 に イスラエルはエルサレムに首都としての機能を置くことで領 有 権 を 主 張 し て い る 。こ れ に 対 し て 国 際 連 合 を は じ め と す る 国 際社会はエルサレムを首都と認めている国はほとんど存在せ ず 、 2010 年 時 点 で エ ル サ レ ム に 大 使 館 を 置 く 国 は 一 つ も な い 。 12 この戦争によって東エルサレムとガザ地区はイスラエルが 実質的に支配し、多くの入植地が作られることとなった。 し か し 、1 9 7 3 年 に シ リ ア ・ エ ジ プ ト と イ ス ラ エ ル の 間 で 起 こ っ た 第 四 次 中 東 戦 争 で イ ス ラ エ ル は 劣 勢 に 立 た さ れ 、停 戦 後 の 1 9 7 7 年 に 建 国 以 来 与 党 で あ っ た 左 派 労 働 党 が 政 権 を 失 い 、右 派 リクード党が与党となった。その後エジプトのサダト大統領と の 間 で 和 平 交 渉 が 行 わ れ 、シ ナ イ 半 島 の 占 領 地 は エ ジ プ ト に 返 還 さ れ た 。イ ス ラ エ ル は 次 に レ バ ノ ン と の 和 平 交 渉 に 臨 ん だ が 、 レ バ ノ ン 国 内 に 影 響 力 を 持 つ PLO5を 排 除 す る た め に 軍 事 介 入 を行ったことで、イスラエル内で反戦運動が高まり、ベギンは 首相を辞職した。 1 9 8 7 年 に 、パ レ ス チ ナ の 民 衆 が イ ス ラ エ ル 軍 に 投 石 を 行 う と い う 第 一 次 イ ン テ ィ フ ァ ー ダ が パ レ ス チ ナ 全 土 で 発 生 し た 。こ のインティファーダでは完全武装のイスラエル軍に迫害され るパレスチナ人が非武装で立ち向かうというイメージが形成 され、国際社会の共感を得ることに成功した。このインティフ ァーダは旧市街にも影響を及 ぼし、この時に教育支援など を始 め た NGO も 存 在 す る 。 そ の 後 、1 9 9 1 年 に マ ド リ ー ド に お い て ア メ リ カ の 主 導 で 中 東 包括和平会議が開かれ、国連、アメリカ、ソ連、シリア、ヨル ダ ン ( パ レ ス チ ナ を 含 む )、 レ バ ノ ン 、 イ ス ラ エ ル が 交 渉 に 参 加した。しかし、この会議ではパレスチナの代表団が決定権を 持 っ て い な か っ た こ と や 、ア ラ ブ 側 と イ ス ラ エ ル と の 間 の 交 渉 に対する解釈の違い(各国との個別交渉か、アラブ諸国全体と の交渉か)からこのマドリード会議は成功しなかった。そこで 1993 年 、 ノ ル ウ ェ ー 政 府 の 仲 介 で オ ス ロ 合 意 6が 行 わ れ 、 こ れ に よ り エ ル サ レ ム は ヨ ル ダ ン か ら PLO へ の 管 轄 へ と 事 実 上 移 行した。 し か し 、P L O は 政 治 能 力 の 乏 し さ と 汚 職 や 腐 敗 な ど が 原 因 で 、 パ レ ス チ ナ 住 民 の 支 持 を 得 る こ と が で き ず 、ガ ザ で は ハ マ ス 7 と の対立が激化することとなっ た。イスラエル側においても オス 13 ロ 合 意 を 実 現 し た ラ ビ ン 首 相 が 暗 殺 さ れ 、政 権 は 野 党 の 右 派 リ クードが握ったことで、イスラエル・パレスチナ双方で和平交 渉 が 暗 礁 に 乗 り 上 げ た 。リ ク ー ド の ネ タ ニ ヤ フ 首 相 は 対 パ レ ス チ ナ 強 硬 路 線 に 進 み 、東 エ ル サ レ ム へ の 入 植 地 の 建 設 を 推 し 進 め た 。 そ し て 2000 年 に リ ク ー ド 党 の シ ャ ロ ン が ム ス リ ム の 聖 地 で あ る 神 殿 の 丘 へ の 視 察 を 強 行 し 、そ れ が き っ か け と な っ て 第二次インティファーダが発生した。 2002 年 に ア メ リ カ の ブ ッ シ ュ 大 統 領 は 2005 年 の パ レ ス チ ナ 国家独立をゴールとする「和平のためのロードマップ」を発表 し 、パ レ ス チ ナ の 代 表 に は ア ラ フ ァ ト に 代 わ っ て ア ッ バ ス が 選 ばれたが、これに反対するハマスのテロ活動が激化し、ロード マ ッ プ は 結 果 的 に 頓 挫 し て し ま っ た 。テ ロ 活 動 の 激 化 へ の 対 応 策 と し て イ ス ラ エ ル は 分 離 壁 8 の 設 置 を 行 っ た 。こ の 分 離 壁 は 第 一次中東戦争の停戦ラインよりも西岸地区に食い込んで建設 さ れ た た め 、国 連 を は じ め と す る 国 際 社 会 か ら の 批 判 が 起 こ っ ているが、イスラエルに強硬姿勢を崩す気配は見られない。パ レ ス チ ナ 側 も ガ ザ と 西 岸 地 区 と が 分 断 さ れ た こ と で 、ガ ザ は ハ マ ス 、西 岸 は フ ァ タ ハ 9 と い う 事 実 上 2 つ の 国 家 と な っ て し ま っ て お り 、イ ス ラ エ ル や 国 際 社 会 と 交 渉 を 行 っ て い る の は フ ァ タ ハ の み と な っ て い る 。2 0 0 9 年 に 発 足 し た オ バ マ 政 権 も イ ス ラ エ ル・パレスチナの外交政策を有効に進めることができず、現在 も和平実現への道のりは遠い。 3)イスラエル‐パレスチナ問題 エルサレム旧市街の歴史的建 造物の保全の最大の障壁は、イ ス ラ エ ル ‐ パ レ ス チ ナ の 和 平 交 渉 の 難 航 で あ る 。第 3 次 中 東 戦 争によってイスラエルはヨルダン川西岸、ガザ地区、ゴラン高 原、シナイ半島を占領した。こうしたイスラエルによるパレス チナの一方的な占領によって、難民の発生、パレスチナ自治区 の政治的、経済的な安定の欠如、過激派によるテロ行為といっ た 問 題 が パ レ ス チ ナ で 発 生 し て い る 。1 9 9 3 年 の オ ス ロ 合 意 で は 、 14 イ ス ラ エ ル の ヨ ル ダ ン 川 西 岸 、ガ ザ 地 区 か ら の 段 階 的 撤 退 と い う、和平交渉に向けた動きが前進したが、その後のラビン首相 暗 殺 や ア メ リ カ 同 時 多 発 テ ロ 事 件 、第 二 次 イ ン テ ィ フ ァ ー ダ の 発 生 に よ っ て 和 平 交 渉 は 再 び 暗 礁 に 乗 り 上 げ る 事 と な っ た 。さ ら に イ ス ラ エ ル は 入 植 地 の 建 設 や 、テ ロ 行 為 の 防 止 を 名 目 と し た 分 離 壁 の 設 置 に よ り 、パ レ ス チ ナ の 政 治 、経 済 の 分 断 を 進 め 、 エ ル サ レ ム を 実 質 的 に 支 配 し て い る 面 積 や 、ユ ダ ヤ 人 が 常 に 人 口 的 に 上 回 る と い っ た 優 位 性 の 確 保 を 続 け て い る 。こ の イ ス ラ エル‐パレスチナ問題の一つであるエルサレムの管理問題が、 本研究で取り上げるエルサレム旧市街の建造物の保全に大き な影響を与えている。 次の第Ⅲ章では、これらの歴史的背景を踏まえて、現在のエ ルサレム旧市街の現在の状況についての分析を行う。 Ⅲ.エルサレム旧市街の現状と問題点 1)エルサレム旧市街の現状 本 章 で は 、W e l f a r e A s s o c i a t i o n が 2 0 0 3 年 に 刊 行 し た 報 告 書 『 Jerusalem heritage and Life 』 と 、 筆 者 が 10 月 に 実 施 し た フィールドワークに基づき、エルサレム旧市街の人口構成、建 造物の状況や、社会的、経済的な現状、イスラエルによる旧市 街 の ユ ダ ヤ 化 と い っ た 問 題 点 、U N E S C O の 世 界 遺 産 、危 機 遺 産 登録の経緯について考察する。 (a)都市分析 エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 面 積 は 約 0.9 ㎢ で あ り 、 こ れ は 西 エ ル サ レ ム 、東 エ ル サ レ ム を 合 わ せ た 面 積 の 0 . 7 % で あ る 。旧 市 街 内 は 大 ま か に ム ス リ ム 地 区 ( 51%) 、 キ リ ス ト 教 地 区 ( 21%) 、 ユ ダ ヤ 人 地 区 ( 14%) 、 ア ル メ ニ ア 人 地 区 ( 14%) の 4 つ の 地 区 に 分 か れ て い る 10( 図 3) 。 15 図 3. 旧 市 街 各 地 区 の 面 積 比 率 出 典 : Welfare Association(2003),p.47 figure7 を 元 に 、 筆 者 作成 1969 年 の 第 3 次 中 東 戦 争 以 前 の ユ ダ ヤ 人 地 区 の 面 積 は 旧 市 街 全 体 の 5%で あ っ た が 、 第 3 次 中 東 戦 争 に よ っ て イ ス ラ エ ル が エ ル サ レ ム を 実 効 支 配 し た 結 果 、1 4 % に 上 昇 し て い る( 図 4 )。 非常に長い歴史を持つ旧市街では、建造物はローマ・ビザン チン時代、ウマヤド朝時代、十字軍時代、マムルーク朝時代、 オスマン・トルコ時代、近現代に建てられたものが立ち並んで お り 、そ れ ぞ れ の 時 代 に よ っ て 建 築 技 法 や デ ザ イ ン が 異 な っ て いる。建造物の数ではオスマン・トルコ時代のものが最も多く な っ て い る 11( 表 2) 。 また、エルサレム旧市街の都市としての特徴として、高層建 築が少ない、多くの建築物に宗教的な特徴がみられる、ムスリ ム地区を中心にインフラ整備が不十分であるといった点が挙 げ ら れ る が 、そ の 中 で 特 に 大 き な 問 題 は 建 造 物 の 状 態 が 物 理 的 、 構 造 的 に 悪 化 し て い る と い う 点 で あ る 。 1999 年 の Welfare A s s o c i a t i o n に よ る 調 査 に よ る と 、構 造 的 な 問 題 を 抱 え て お り 、 早 急 な 修 復 が 必 要 な 建 物 が 4 1 4 件 、物 理 的 な 保 存 状 態 が 悪 く 直 16 ち に 修 繕 す る べ き 物 件 が 513 件 存 在 し て い る 12。 図 4. 旧 市 街 に お け る ユ ダ ヤ 人 地 区 の 拡 大 出 典 : Welfare Association(2003),p.53 を 元 に 筆 者 作 成 17 表 2. 時 代 に よ る 旧 市 街 の 建 造 物 数 の 違 い 出 典 : Welfare Association(2003),p.52 table3 を 元 に 、 筆 者作成 年代 ローマ時代(BC150年頃~4世紀頃) ビザンチン時代(4世紀頃~610年頃) ウマイヤ朝(660年頃~900年頃) ファーティマ朝(900年頃~1090年頃) 十字軍(1100年頃~1150年頃) アイユーブ朝(1169年~1260年 マムルーク朝(1250年~1510年頃) 前期オスマン時代(1510年頃~1700年頃) 後期オスマン時代(1700年頃~1914年) 委任統治時代(1914年~1948年) 1948年~1967年 1967年~現在 建造物数 15 70 11 13 171 58 198 1088 1970 338 397 733 一 般 的 に は 宗 教 の 街 と し て の イ メ ー ジ が 強 い が 、利 用 別 の 地 図 で 確 認 す る と 、住 居 や 商 業 施 設 の 割 合 が 大 半 を 占 め て い る こ と が 分 か る ( 図 5) 。 そ の た め 、上 下 水 道 や 電 気 な ど の ラ イ フ ラ イ ン の 整 備 が 不 可 欠であるが、旧市街の設備は不十分であり、交通の面でも狭い 路 地 や 階 段 が 多 く 、非 常 に 道 が 入 り 組 ん で い る こ と か ら 自 動 車 などは旧市街の中ではあまり 利用はできず、防災や防犯の 面 で も難点となっている。 18 図 5. エ ル サ レ ム 旧 市 街 に お け る 土 地 利 用 出 典 : Welfare Association(2003),p.54 を 元 に 筆 者 作 成 (b)人口構成 旧市街の人口構成は政治的な状況に大きく左右されてきた。 特 に 1 9 4 8 年 の イ ス ラ エ ル 建 国 と 第 一 次 中 東 戦 争 、1 9 6 7 年 の 東 エルサレム併合が、旧市街の人口構成に大きな影響を与えた。 東 エ ル サ レ ム の 併 合 以 降 、 旧 市 街 の 人 口 は 増 加 し 続 け 、 1967 年 に 23,675 人 と 推 定 さ れ て い た 人 口 は 2000 年 に は 33,542 人 となっている。 各 地 区 の 人 口 比 率 は 、2 0 0 0 年 の 調 査 で は ム ス リ ム 地 区 が 最 大 の 70.5%、 次 い で キ リ ス ト 教 地 区 が 15.5%、 ア ル メ ニ ア 人 地 区 と ユ ダ ヤ 人 地 区 が 共 に 7%と な っ て い る ( 図 6) 。 19 図 6. 旧 市 街 各 地 区 の 人 口 比 率 出 典 : Welfare Association(2003),p.67 figure8 を 元 に 作 成 人 口 密 度 も 非 常 に 高 く な っ て お り 、 旧 市 街 全 体 で は 37,000 人 / ㎢ 、ム ス リ ム 地 区 で は 5 1 , 4 0 0 人 / ㎢ と さ ら に 高 い 割 合 と な っ ている。人口密度が高い要因として、パレスチナ人の人口増加 と ユ ダ ヤ 人 の 入 植 が 挙 げ ら れ る 。1 9 7 2 年 に は 旧 市 街 の ユ ダ ヤ 人 は 全 体 の 1 . 1 % だ っ た が 、2 0 0 0 年 に は 1 1 . 5 % ま で 上 昇 し て い る 1 3 ( 表 3) 。 表 3. 旧 市 街 内 の ユ ダ ヤ 人 、 ア ラ ブ 人 の 人 口 数 の 変 化 出 典 : Welfare Association(2003),p.66 table6 を 元 に 作 成 年 ユダヤ人人口(千人) アラブ人人口(千人) 合計(千人) ユダヤ人比率(%) 1972 0.263 23.2 23.5 1.1% 1983 1.9 22.5 24.4 7.8% 1986 2.2 24.4 26.6 8.3% 1991 2.3 25.9 28.2 8.2% 1992 2.3 26.4 28.7 8.0% 1996 2.4 29.2 31.6 7.6% 1998 2.9 29.5 32.4 9.0% 2000 3.8 29.7 33.5 11.3% 20 た だ し 、 こ う し た 人 口 調 査 は エ ル サ レ ム の 居 住 権 を 示 す ID カ ー ド な ど の 情 報 を 参 考 に し て い る た め 、I D カ ー ド を 持 た ず に 生活しているパレスチナ人については把握しきれていない。 (c)住 居 ・ 建 造 物 の 状 況 旧市街の建造物は様々な団体や個人が所有権を保持してお り 、そ の 特 定 や 所 有 権 の 変 遷 の プ ロ セ ス を 解 明 す る こ と は 困 難 となっている。 旧 市 街 の パ レ ス チ ナ 人 住 居 の 25%は 20 ㎡ 以 下 の 面 積 で あ り 、 こ う し た 住 居 に は 主 に 低 所 得 の 人 々 が 暮 ら し て い る 。特 に ム ス リ ム 地 区 で は 一 つ の 住 居 に 平 均 し て 6.7 人 が 住 ん で お り 、 1 人 当 た り の 面 積 は 7.2 ㎡ で あ る 。 Welfare Association の 調 査 に よ る と 、 旧 市 街 の 建 造 物 の う ち 、 20.5%に 当 た る 建 造 物 が 直 ち に 修 復 や 改 修 を 必 要 な 状 況 に ある。このような厳しい居住環境となっている要因として、人 口 増 加 、イ ス ラ エ ル 当 局 に よ る 新 し い 建 造 物 の 建 築 や 改 修 に 対 する妨害、住民の所得水準の低さ、公的支援の不足などが挙げ られる。さらに、生活に余裕のある高所得層はこうした過酷な 状 況 を 逃 れ る た め に 旧 市 街 か ら 出 て い く た め 、低 所 得 層 の 割 合 が増加するという負のサイクルに陥っている。 人 口 増 加 、人 口 密 度 の 上 昇 は 建 築 物 の 状 況 に も 悪 影 響 を 及 ぼ し 、生 活 環 境 の 向 上 を 目 的 と し て 公 的 な 許 可 を 得 な い 改 築 が 行 われ、元々の建造物にダメージを与えている場合もある。イン フラ設備、建造物の老朽化も進んでおり、適切な修復計画の欠 如、旧市街の建造物に対する投資の不足などから、居住環境の 悪化と同時に建造物の持つ歴史的価値も失われる危険性があ る。また、手工業や軽工業による大気や水質、土壌への汚染を はじめとした環境被害、騒音問題も拡大しており、それらも建 造 物 の 状 態 、 生 活 環 境 の 悪 化 の 要 因 の 一 つ と な っ て い る 14。 (d)社 会 ・ 経 済 的 状 況 21 エルサレム旧市街は都市と して誕生して以降、社会状況 や経 済状況の目まぐるしい変化に常に晒されてきた。現在、旧市街 を 取 り 巻 く 社 会 状 況 の 特 徴 と し て 、入 植 者 の 旧 市 街 住 民 に 対 す る 嫌 が ら せ や 、パ レ ス チ ナ 自 治 政 府 の 影 響 力 の 低 下 が 挙 げ ら れ る。また経済的状況としては高い税率、経済活動の衰退、失業 率の高さなどが挙げられる。 自 治 政 府 の よ う な 公 的 機 関 の 機 能 不 全 は 、教 育 や 福 祉 な ど の 制度の整備不足、学校や図書館、病院などの公共施設不足の原 因となり、住民の生活に大きな悪影響を与えている。 経 済 的 な 側 面 に お い て も 旧 市 街 は 問 題 を 抱 え て い る 。旧 市 街 の 失 業 率 は 19~30% の 間 を 推 移 し て お り 、 旧 市 街 に 住 む 人 の 43.3%は 旧 市 街 外 の 東 エ ル サ レ ム で 働 い て い る の で 、 旧 市 街 内 で 働 い て い る 人 の 割 合 は 22%に 留 ま っ て い る 。 また、女性の雇用機会の少なさも特徴として挙げられる。家 族 内 で 1 人 の み の 労 働 力 に 頼 ら ざ る を 得 な い 家 族 は 42%に の ぼ り 、 825 世 帯 が 自 治 政 府 や NGO か ら の 補 助 金 が な け れ ば 生 活 で き な い 状 況 に あ る 15。 経済の発展が阻害されている要因として、面積が狭く、非常 に入り組んでいる旧市街においては大きな産業を展開するこ と が 困 難 で あ り 、伝 統 的 な 手 工 業 や 軽 工 業 が 主 流 で あ る と い う 点がある。また、旧市街内の産業の多くを占めている工芸品や 土 産 物 を 扱 う 商 店 も 、1 9 6 8 年 か ら 1 9 9 7 年 の 間 で 1 1 % 減 少 し て いる。 産業の衰退の要因として、イスラエル政府によるセキュ リテ ィ の 強 化 、税 金 と 物 価 の 高 さ 、大 規 模 な 投 資 を 行 う 企 業 の 不 在 、 旧 市 街 外 の シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー の 開 業 、イ ン フ ラ 設 備 の 貧 弱 さ が 挙 げ ら れ る 16。 2) UNESCO に よ る 「 危 機 遺 産 リ ス ト 」 へ の 登 録 本 節 で は 、見 原( 2 0 1 0 )と U N E S C O の 下 部 組 織 で あ る U r b a n Design and Conservation の 委 員 長 と し て 危 機 遺 産 の 保 全 に 22 携 わ っ た M i c h e l Tu r n e r 氏 へ の 聞 き 取 り 調 査 ( 2 0 1 3 年 8 月 2 8 日実施)から、世界遺産及び危機遺産としてのエルサレム旧市 街について見ていく。 エ ル サ レ ム 旧 市 街 は 歴 史 的 、文 化 的 に 高 い 価 値 を 持 つ 建 造 物 が 多 く 存 在 し 、「 エ ル サ レ ム 旧 市 街 と そ の 城 壁 群 」と し て 1 9 8 1 年 に UNESCO の 世 界 文 化 遺 産 と し て 登 録 さ れ 、 な お か つ 土 地 の 帰 属 を め ぐ る 紛 争 、観 光 に よ る 被 害 か ら 、1 9 8 2 年 に 危 機 遺 産 リストに登録されている。 この「エルサレム旧市街とその城壁群」が他の世界遺産と明 確に異なっている点は、どの国家が管理権を持ち、主体的に保 全を行うのかという国際的な合意が形成されていない点であ る。 1967 年 の 東 エ ル サ レ ム 併 合 に よ っ て エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 保 護 の 意 識 が 高 ま り 、国 際 社 会 は イ ス ラ エ ル に 対 し て 無 断 で の 発 掘作業、歴史的建造物の変更に対する懸念を表明したが、事態 の 改 善 は み ら れ な か っ た 。そ の よ う な 状 況 の 中 、U N E S C O の 世 界 遺 産 条 約 17は 1972 年 に 採 択 さ れ 、 1975 年 に 発 効 さ れ た 。 エ ルサレム旧市街は当初ヨルダンによって世界文化遺産に推薦 さ れ た が 、会 議 で は 旧 市 街 の 明 確 な 主 権 や 管 理 権 に 関 す る 合 意 形成はされないまま、委員国による投票の結果「エルサレム旧 市 街 と そ の 城 壁 群 」と し て 、1 9 8 1 年 に 世 界 文 化 遺 産 に 登 録 さ れ た 。 さ ら に 翌 年 の 1982 年 に は 、 急 速 な 都 市 化 、 宗 教 施 設 の 破 壊による被害、管理保全体制の欠如が認められることから、危 機 遺 産 一 覧 表 へ の 登 録 が 行 わ れ た が 、こ の 危 機 遺 産 へ の 登 録 に 関 す る 投 票 で も 、合 意 の 形 成 が さ れ な い ま ま 投 票 に よ っ て 決 定 された。この経緯から、文化遺産、特に管理権の明確でないも のをめぐる意志決定には国際的な政治情勢に影響されること は避けられないことが考えられる。 危 機 遺 産 一 覧 表 へ の 登 録 後 、U N E S C O は 専 門 家 の 現 地 派 遣 を は じ め と し た 保 全 活 動 を 行 っ て き た が 、旧 市 街 に お け る 建 造 物 などの資産の保有権を様々な組織や団体が個別に所有してい 23 る と い う 複 雑 さ か ら 、よ り 包 括 的 な 保 全 活 動 の 計 画 の 策 定 が 行 わ れ た 。し か し 、2 0 0 7 年 の イ ス ラ エ ル 当 局 に よ っ て ム グ ラ ビ 門 の 無 断 発 掘 調 査 が 行 わ れ 、U N E S C O が モ ニ タ リ ン グ 強 化 の 対 策 に 追 わ れ る な ど 、エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 保 全 を 巡 る 緊 張 は 続 い て い る 。 見 原 ( 2010) に よ る と 、 エ ル サ レ ム 旧 市 街 の よ う に 領 有 権をめぐって対立が続いている文化遺産の保全活動において、 議論の政治化は避けられず、危機遺産からの脱却には政治的・ 外 交 的 問 題 の 解 決 が 不 可 欠 で あ る 一 方 、U N E S C O が エ ル サ レ ム 旧市街で果たしてきた役割や世界遺産及び危機遺産への登録 の意義は決して少なくないとされている。 し か し 、 M i c h e l Tu r n e r 氏 へ の 聞 き 取 り 調 査 で は 、 イ ン タ ビ ューでの受け答えや態度から 、エルサレム旧市街を取り巻 く環 境 は 政 治 的 な 側 面 が 強 く 、 他 の 危 機 遺 産 と 比 較 し て UNESCO としては有効な取り組みを行えていないという印象を受けた。 そ の 理 由 と し て 、U N E S C O を 統 括 す る 国 際 連 合 は 一 つ 一 つ の 国家の集合体に過ぎず、意思決定にはそれぞれの国家、特に資 金力や政治的な影響力が大きい国家の政治的な思惑が反映さ れ る 傾 向 が 強 い と い う 構 造 上 の 問 題 が あ る 。こ の 問 題 の 実 例 と し て 、 2 0 11 年 に U N E S C O が パ レ ス チ ナ の 正 式 加 盟 を 決 定 し た 際 に 、 米 国 が パ レ ス チ ナ の 一 方 的 な 国 家 樹 立 に 反 対 し 、 UNESCO へ の 資 金 拠 出 の 凍 結 を 行 う と い う 出 来 事 が あ っ た 18。 遺 産 の 保 全 に 関 し て は 、「 誰 が 」「 ど う い っ た 目 的 で 」 遺 産 を 守っていくのかという問題が常に存在しており、また、通常遺 産を守っていく活動はその遺産を管轄している国家によって 行 わ れ る こ と が 大 前 提 で あ る 。そ う い っ た 点 で 3 つ の 宗 教 の 聖 地であり、イスラエルとパレスチナの双方が領有権を主張し、 国際的に公認された管理権が存在しないエルサレム旧市街に お け る 文 化 遺 産 の 保 護 は 困 難 で あ り 、組 織 の 性 質 上 国 際 情 勢 の 制 約 を 受 け ざ る を 得 な い UNESCO な ど の 国 際 機 関 が 主 導 し て の保全活動も進展を見せていない。 24 3) イ ス ラ エ ル に よ る 旧 市 街 の 「 ユ ダ ヤ 化 」 と パ レ ス チ ナ 人 住 居の破壊 本 節 で は 、 飛 奈 ( 2008,2009) を 参 考 に 、 旧 市 街 に お け る パ レスチナ人の住居建設に伴う問題についてまとめる。 1967 年 以 降 イ ス ラ エ ル が 実 効 支 配 し て い る エ ル サ レ ム 旧 市 街であるが、現在においてもユダヤ人の旧市街への入植、建造 物 の「 ユ ダ ヤ 化 」が 進 行 し て い る 。飛 奈( 2 0 0 8 )に よ れ ば 、1 9 6 7 年以降、エルサレムの分割を不可能にし、所有権を恒久化する た め に 、人 工 的 、地 理 的 に エ ル サ レ ム の 領 有 権 の「 既 成 事 実 化 」 がイスラエルによって行われている。それを達成する手段が、 入植地および分離壁の建設と、入植者の移住である。 1967 年 の 第 三 次 中 東 戦 争 の 結 果 、 東 エ ル サ レ ム が 併 合 さ れ 、 イスラエルによる実効支配が開始された。それに伴い、旧市街 で 生 活 し て い た パ レ ス チ ナ 人 は 住 居 を 追 わ れ 、空 い た 土 地 に ユ ダヤ人入植者の建物が新しく建てられた。 現在も旧市街に住むパレスチナ人の居住権や生存権に関し て は 厳 し い 状 況 が 続 い て い る 。 イ ス ラ エ ル 政 府 は 1952 年 に イ ス ラ エ ル 入 国 法 に 基 づ い て パ レ ス チ ナ 人 に 対 し て 居 住 権( エ ル サ レ ム I D )の 発 行 を 行 い 、非 ユ ダ ヤ 人 の 人 口 の コ ン ト ロ ー ル を 行 っ て い る 。居 住 権 は エ ル サ レ ム に 居 住 し て い る と 証 明 す る こ とで発行され、エルサレムでの生活の認可、社会保険や福祉サ ービスの受給、選挙権を有し、税金の納付義務も負っている。 居住権を持たない場合はエルサレムの住居から追放や強制退 去が行われる可能性があり、一度居住権を取得しても何ら かの きっかけで剥奪される恐れもある。 さらに、居住環境そのものを破壊されてしまう場合もある。 1 9 6 7 年 の エ ル サ レ ム 併 合 直 後 、イ ス ラ エ ル は 神 殿 の 丘( 岩 の ド ー ム の あ る 場 所 )の 西 側 に あ っ た マ グ リ ブ 地 区 の 住 居 を 破 壊 し 、 「 嘆 き の 壁 前 広 場 」へ と 作 り 変 え た 。そ の 後 も イ ス ラ エ ル は「 ユ ダヤ人地区の復元」を大義名分に掲げ、住居の接収や破壊を行 な っ た 。入 植 を 行 う 団 体 は イ ス ラ エ ル 政 府 か ら の 資 金 や 人 材 の 25 援 助 を 受 け て 、土 地 の 売 買 や 物 理 的 暴 力 な ど の 手 段 を 用 い て 住 居 の 接 収 を 行 っ て き た 。近 年 は イ ス ラ エ ル 側 の 建 築 基 準 に 基 づ いた「違法建設」が問題となっており、違反した住居はイスラ エ ル 当 局 か ら 住 居 破 壊 命 令 が 下 さ れ る 。特 に パレスチナ人 の違 反 の 場 合 は「 イ ス ラ エ ル の 占 領 に 対 す る 抵 抗 活 動 」と み な さ れ 、 住居破壊命令、住居破壊が実行される割合が極めて高い。また パ レ ス チ ナ 人 が 新 た に 住 居 を 建 築 し よ う と す る 際 に も 、土 地 の 所有権の証明、建設可能な土地が非常に制限されていること、 経済的負担の大きさなどの要因から建設は非常に困難な状況 となっている。 こ の よ う に 、パ レ ス チ ナ 人 は 旧 市 街 を 始 め と す る エ ル サ レ ム に お い て 、イ ス ラ エ ル の 建 築 制 度 と 住 宅 政 策 に よ っ て 合 法 的 な 住宅の建設が困難となっており、違法建設を強いられた結果、 住居の破壊、接収が行われ、イスラエルの土地と人口のコント ロールが行われるという構造となっている。 観光政策の面においても、旧市街のユダヤ人地区へのツ アー、 整備(公衆トイレ、観光案内図の設置)が重点的に行われてお り、旧市街を訪れた外国人観光客に対して、ユダヤの街である と い う イ メ ー ジ を 抱 か せ よ う と い う 意 図 が 垣 間 見 え る 。他 に も ユ ダ ヤ 人 地 区 の 住 居 は 真 新 し い も の が 目 立 ち 、イ ス ラ エ ル 国 旗 が 掲 げ ら れ て い る 住 居 も あ る( 写 真 1 )。そ れ に 対 し て パ レ ス チ ナ 人 が 多 く 住 む ム ス リ ム 地 区 の 建 物 は 1967 年 以 前 か ら 一 度 も 修 復 が 行 わ れ て い な い 建 造 物 が 多 く 存 在 し て お り 、生 活 を 続 け ていくことが困難な建造物もある。 26 写 真 1. イ ス ラ エ ル 国 旗 が 掲 げ ら れ た ユ ダ ヤ 人 地 区 の 住 居 出 典 : 2013 年 10 月 13 日 ,筆 者 撮 影 Ⅳ . パ レ ス チ ナ NGO に よ る 建 造 物 の 修 復 ・ 住 民 支 援 事 業 本 章 で は 、筆 者 が エ ル サ レ ム で 行 っ た フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 基 に 、 旧 市 街 で 実 際 に 活 動 し て い る パ レ ス チ ナ NGO の 実 態 の 分 析 を 行 い 、旧 市 街 の 建 造 物 や 住 民 の 生 活 に ど の よ う な 影 響 を 与 えているのかを考える。 1 ) Welfare Association (a)Welfare Association の 概 要 We l f a r e A s s o c i a t i o n は パ レ ス チ ナ の 人 々 の 生 活 環 境 の 向 上 と い う 目 的 の 達 成 の た め に 、 ① Culture and identity( 文 化 ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ 保 護 ) ② Development of human resources ( 人 材 育 成 )、 ③ I n s t i t u t i o n a l e m p o w e r m e n t ( 組 織 の 支 援 )、 ④ E m e r g e n c y s u p p o r( t 緊 急 支 援 )の 4 つ の 事 業 を 行 っ て い る 。 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 主 な 資 金 源 と し て 、 ア ラ ブ 諸 国 の 基 金 、 27 We l f a r e A s s o c i a t i o n の メ ン バ ー か ら の 出 資 、外 国 政 府 、海 外 の N G O な ど が 挙 げ ら れ る 。そ の 中 で も 最 大 の 資 金 源 は ア ラ ブ 諸 国 の 基 金 で 、 2012 年 の 活 動 資 金 の う ち 57%を 占 め て い る 19。 We l f a r e A s s o c i a t i o n に 勤 務 経 験 の あ る R a w a n N a t s h e h 氏 へ の 聞 き 取 り 調 査 ( 2 0 1 3 年 1 0 月 11 日 実 施 ) に よ る と 、 We l f a r e Association の 設 立 当 初 の 活 動 は ク ウ ェ ー ト な ど の 湾 岸 諸 国 に 住む富裕層のアラブ人の資金をパレスチナに流すことで、子ど もの教育や女性の権利向上などに役立てることであったとの こ と だ 。ま た 、1 9 9 3 年 の オ ス ロ 合 意 に よ っ て パ レ ス チ ナ に 自 治 政 府 の 存 在 が 承 認 さ れ た こ と で 、 EU 諸 国 や 米 国 の 団 体 か ら も 支援を受けるようになった。 本 研 究 で は 特 に ① Culture and identity の プ ロ グ ラ ム の 一 つ で あ る 、「 エ ル サ レ ム 旧 市 街 活 性 化 プ ロ グ ラ ム 」 の 活 動 に 焦 点 を 当 て 、We l f a r e A s s o c i a t i o n が エ ル サ レ ム 旧 市 街 内 に お い て ど の よ う な 活 動 を 行 い 、パ レ ス チ ナ 社 会 に 影 響 を 与 え て い る の か について検討する。 ( b ) Welfare Association に よ る 歴 史 的 建 造 物 の 修 復 事 業 We l f a r e A s s o c i a t i o n は エ ル サ レ ム に お い て 、建 造 物 の 修 復 を 行 う 「 エ ル サ レ ム 旧 市 街 活 性 化 プ ロ グ ラ ム 」( T h e O l d C i t y o f Revitalization Programme、 以 下 OCJRP) を 行 っ て い る 。 同 様 の プ ロ グ ラ ム は 西 岸 地 区 の ナ ブ ル ス で も 行 わ れ て い る が 、本 研究では世界遺産としての属性も持つエルサレム旧市街での プ ロ グ ラ ム に 注 目 す る 。 こ の OCJRP は 、 重 要 な 価 値 を 持 つ 建 造 物 を 自 然 現 象 や 人 為 的 な 損 害 か ら 保 護 し 、住 居 や 公 共 施 設 と して再生させていくことで、パレスチナ人のアイデンティ ティ の 維 持 と 、修 復 さ れ た 施 設 を 活 用 す る こ と で パ レ ス チ ナ 社 会 及 び経済の発展に貢献していく事を目的としている。 We l f a r e A s s o c i a t i o n 事 務 所 へ の 聞 き 取 り 調 査 ( 2 0 1 3 年 1 0 月 8 日 実 施 )に よ る と 、O C J R P は 1 9 9 5 年 か ら 開 始 さ れ 、2 0 1 3 年 ま で に 5 0 0 件 以 上 の 公 共 施 設 、住 宅 の 修 復 事 業 が 行 わ れ て い 28 る ( 図 8 )。 図 8 . 1 9 9 5 年 か ら 2 0 0 9 年 に か け て 、「 エ ル サ レ ム 旧 市 街 活 性 化 プログラム」が実行された建造物を示す地図 出 典 : Welfare Association ウ ェ ブ サ イ ト を 参 考 に 筆 者 作 成 旧 市 街 の 修 復 事 業 を 請 け 負 っ て い る の は We l f a r e A s s o c i a t i o n の エ ル サ レ ム 事 務 所 で 、事 務 所 に は 1 5 人 ほ ど の ス タ ッ フ が 駐 在 し て い る 。基 本 的 に 修 復 事 業 は 住 民 や 利 用 者 か ら の 依 頼 に よ っ て 開 始 さ れ る 。 修 復 依 頼 を 受 け た 後 、 We l f a r e Association は エ ン ジ ニ ア を 派 遣 し て 建 造 物 の 調 査 を 行 う 。 そ 29 の 後 We l f a r e A s s o c i a t i o n が 外 部 の 技 術 者 に 修 復 を 委 託 す る こ とで、修復を行う流れとなっている。宗教関連の建造物や公共 施 設 な ど 、パ レ ス チ ナ 社 会 に 大 き な 影 響 を 与 え る 建 造 物 に 関 し て は We l f a r e A s s o c i a t i o n 自 ら が 建 造 物 の 選 定 、 修 復 の 決 定 を 行 い 、技 術 力 の 高 い 海 外 の 業 者 に 修 復 の 依 頼 を 行 う こ と が 多 い 。 ま た 、修 復 事 業 は パ レ ス チ ナ 人 が 多 く 住 む ム ス リ ム 地 区 だ け で は な く 、キ リ ス ト 教 地 区 や ア ル メ ニ ア 人 地 区 に お い て も 行 わ れ て お り 、イ ス ラ エ ル に よ っ て 積 極 的 に 整 備 が 行 わ れ て お る ユ ダヤ人地区以外の地区をカバーするものとなっている。 筆 者 は 、2 0 1 3 年 1 0 月 3 日 ~ 1 7 日 に か け て 、エ ル サ レ ム 旧 市 街 に お い て 現 地 調 査 を 行 い 、We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 事 例 及 び 、 パ レ ス チ ナ の NGO に 対 し て 6 件 の 聞 き 取 り 調 査 を 行 った。聞き取り調査では、現在建造物を利用している人物に修 復 の 方 法 や 様 子 、現 在 の 建 造 物 の 利 用 方 法 や 今 後 の 支 援 で 望 む ことなどについてインタビューを行った。 以 下 で は 、聞 き 取 り 調 査 を 行 っ た 中 か ら 事 例 を い く つ か 紹 介 し 、We l f a r e A s s o c i a t i o n が ど の よ う な 方 法 、戦 略 で 修 復 を 行 っ ているのかを見ていく。 修 復 事 例 1( 2013 年 10 月 8 日 聞 き 取 り 実 施 ) Industrial Islamic Orphanage School( 写 真 2) 修 復 年 … 2000 年 ・ 2012 年 建 築 年 … 約 500 年 前 ( マ ム ル ー ク 時 代 ) 修復事例 1 は職業訓練に関する活動を行っている建造物の修 復についてである。 こ の 建 造 物 は 、 約 90 年 前 か ら 孤 児 院 と し て の 機 能 を 有 し て いた。現在は職業訓練学校として、印刷や製本技術、土木関係 の 教 育 を パ レ ス チ ナ の 子 ど も た ち に 行 っ て い る 。 2000 年 と 2 0 1 2 年 に We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 が 行 わ れ て お り 、 外 面 は 非 常 に 整 備 さ れ て い る 。 ま た 、 内 部 の 設 備 に つ い て は EU 諸 国 な ど か ら の 支 援 を 受 け て い る が 、ま だ ま だ 十 分 と は い え な 30 い た め 、今 後 の 更 な る 支 援 を 望 ん で い る 。学 校 関 係 者 に よ る と 、 この職業支援学校を卒業した多くの子どもたちが西岸地区や ガザなどで技術者として活躍している。また、旧市街にあるア ルアクサ・モスクの修復事業も、この学校の卒業生が主体とな って行われた。 生徒数自体は年々 減少して いるが、現在も多くの子供た ちが 通っており、学校の中は活気に溢れている。 写 真 2. Industrial Islamic Orphanage School の 内 装 出 典 : 2013 年 10 月 8 日 ,筆 者 撮 影 修 復 事 例 2( 2013 年 10 月 8 日 聞 き 取 り 実 施 ) S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r ( 写 真 3 ) 修 復 年 … 2006 年 ~ 2009 年 建 築 年 … 1881 年 ( オ ス マ ン ・ ト ル コ 時 代 ) 31 修 復 事 例 2 で は 、パ レ ス チ ナ 人 の 医 療 面 で 支 援 し て い る N G O が利用している建造物の修復について見ていく。 S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r の 建 造 物 自 体 は オ ス マ ン ・ ト ル コ 時 代 の も の で あ る 。8 0 年 前 に ア メ リ カ か ら の 移 民 に よ っ て 子 供 た ち の 健 康 状 態 の 改 善 を 目 的 と し た 慈 善 団 体 が 設 立 さ れ 、こ の建造物が利用されることとなった。 30 年 ほ ど 前 か ら 旧 市 街 の パ レ ス チ ナ 人 を 中 心 に 診 療 を 行 う 病 院 と な っ て い る 。第 一 次 イ ン テ ィ フ ァ ー ダ を き っ か け と し て 、 心に傷を負った子どもたちの心のケアや教育も行うようにな り、現在では教育、医療の 2 つを柱として活動を行っている。 修復の際は、建造物の規模が大きかったため、電気やネット ワークなどのインフラ面から始められ、その後建造物全体、コ ン ピ ュ ー タ ル ー ム な ど の 各 部 屋 、医 療 部 門 な ど 現 代 的 な 設 備 の 設置の順に、5 段階のセクションに分けて行われた。修復事業 の間も診療などの活動は続けられていた。 こ ち ら の 施 設 は 公 共 性 が 高 く 、建 造 物 の 状 態 も 悪 く 危 険 な 状 況 に あ っ た た め 、We l f a r e A s s o c i a t i o n の 修 復 候 補 リ ス ト に 載 せ られてから非常に短い期間で優先的に修復事業が開始された。 修復においては、一つの広い部屋を分割し、いくつかの部屋 に 分 け た り 、中 庭 の 部 分 に 新 し く 空 間 を 作 っ て オ フ ィ ス と し た り す る な ど 、活 動 の 用 途 に 合 わ せ た 内 部 の 修 復 や 空 間 の 有 効 活 用などの「適応型再利用」が行われているのが確認できた。 We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 後 の 追 加 の 支 援 は 特 に な い が、事務所が近くにあることから、現在も良好な関係を築いて いる。 32 写 真 3. Spafford Children’ s Center の 玄 関 部 分 。 玄 関 部 分 を新たに設置することで「適応型再利用」が行われている。 出 典 : 2013 年 10 月 8 日 ,筆 者 撮 影 修 復 事 例 3( 2013 年 10 月 12 日 聞 き 取 り 実 施 ) African Community( 写 真 4) 修 復 年 … 2007 年 ( 修 復 開 始 年 は 10 年 以 上 前 ) 建 築 年 … 800 年 前 ( マ ム ル ー ク 時 代 ) 修 復 事 例 3 で は 、コ ミ ュ ニ テ ィ 全 体 の 修 復 に つ い て 紹 介 す る 。 African Community の 建 造 物 は 800 年 前 の マ ム ル ー ク 時 代 か ら 存 在 し て お り 、か つ て は 巡 礼 者 の た め の ホ ス ピ ス と し て 利 用されていた。その後、この地区に英国統治時代にチャドやス ーダンなどから旧市街に移住してきたアフリカ系パレスチナ 人 の た め の コ ミ ュ ニ テ ィ が 形 成 さ れ 、現 在 は 職 業 訓 練 学 校 や 住 居などが集まっている。 歴史的、建築的重要性の維持と、生活環境の向上の必要性か 33 ら、修復が行われることになったが、修復開始から終了までに 10 年 以 上 の 歳 月 が か か っ た 。 修 復 に 年 数 を 要 し た の は 、① 近 隣 地 区 の 建 造 物 の 損 壊 が 激 し く 、We l f a r e A s s o c i a t i o n が そ ち ら の 修 復 を 優 先 し た 事 、② 迅 速 な修復作業の実行はイスラエル当局に対する政治的な抵抗で あ る と み な さ れ る 恐 れ が あ っ た 事 が 理 由 で あ る と 、 African Community 関 係 者 は 述 べ て い る 。 ま た African Community に お け る 修 復 は 、We l f a r e A s s o c i a t i o n に と っ て 初 め て の コ ミ ュ ニ テ ィ 全 体 の 修 復 プ ロ ジ ェ ク ト で あ り 、イ ン フ ラ 状 況 の 包 括 的 な 改善やモスクの修復など、多岐に渡っていたため、3 つの段階 に 分 け て 修 復 が 行 わ れ た 。We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 支 援 は 建 物の修復といったハード面で の支援に限定されているが、その 後 も 子 ど も た ち へ の 教 育 な ど で 、We l f a r e A s s o c i a t i o n と 共 同 で プ ロ ジ ェ ク ト を 行 っ て い る 。ま た 、N G O と し て 公 共 施 設 の 修 復 を 率 先 し て 行 う こ と で 、 住 民 に 修 復 事 業 を 行 う NGO の 存 在 を 知らせる広告塔としての役割も担っている。 写 真 4. African Community の 内 装 出 典 : 2013 年 10 月 12 日 ,筆 者 撮 影 34 以 上 の 修 復 事 例 で は 、 主 に 旧 市 街 で 活 動 し て い る NGO が 住 民 の 生 活 支 援 の た め に 利 用 し て い る 建 造 物 を 紹 介 し た 。こ れ ら の 聞 き 取 り 調 査 か ら 、We l f a r e A s s o c i a t i o n に お け る 修 復 は こ う し た NGO の 利 用 施 設 が 優 先 し て 行 な わ れ て い る こ と が 判 明 した。また、それぞれの建造物に合わせて、修復の方法やプロ セスに違いがあることも判明した。 紹介した修復事例が存在するムスリム地区の建造物はユダ ヤ人地区のものなどと比較し て整備不足の建造物が多く、落書 き な ど も 目 立 っ て い る が 、修 復 さ れ た 事 例 に 関 し て は 外 観 や 素 材 は 建 築 さ れ た 当 時 の 様 子 を 維 持 し つ つ 再 生 が 出 来 て お り 、内 装の方も非常に美しくなっていた。そのため、修復が行われた 建造物かそうでないかの区別は付きやすくなっている所が多 く 、 図 ら ず と も We l f a r e A s s o c i a t i o n の 旧 市 街 内 に お け る 貢 献 度が分かりやすく現れている。 2 ) パ レ ス チ ナ NGO に よ る エ ル サ レ ム 住 民 へ の 生 活 支 援 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 修 復 事 例 へ の 聞 き 取 り 調 査 を 続 け る 中で、修復事例の利用者の中には、建造物の修復といったハー ド 面 の 支 援 で は な く 、子 ど も の 教 育 や 女 性 の 権 利 向 上 と い っ た ソフト面からのアプローチによってパレスチナ人の生活の支 援 、 文 化 の 向 上 を 目 指 し て い る NGO が 存 在 し て い る こ と が 確 認できた。 NGO 事 例 1( 2013 年 10 月 6 日 聞 き 取 り 実 施 ) コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ア ク シ ョ ン ・ セ ン タ ー ( 以 下 CAC) NGO 事 例 1 で は 、 修 復 事 例 の 聞 き 取 り と し て 訪 れ た CAC に ついて紹介する。 C A C は パ レ ス チ ナ の ア ル ク ッ ズ 大 学 の 機 関 の 一 つ で 、旧 市 街 に あ る オ フ ィ ス で 無 料 の 法 律 相 談 や 弁 護 士 紹 介 、行 政 手 続 き を 行 っ て い る ( 飛 奈 , 2 0 0 9 )。 35 イスラエル当局による旧市街での住居破壊を延期させるた め の 手 続 き を 行 い 、法 的 な 側 面 か ら 旧 市 街 に 住 む パ レ ス チ ナ 住 民 の 支 援 を 行 っ て い る 団 体 で 、 旧 市 街 内 の 事 務 所 は 2002 年 に We l f a r e A s s o c i a t i o n が 修 復 し 、 2 0 0 3 年 か ら 利 用 さ れ て い る 。 こ の 2 年 間 に 約 4 0 件 の 相 談 が C A C に 寄 せ ら れ 、支 援 を 行 っ た 。 そうした法的支援の結果、家屋破壊を免れたケースもあり、イ スラエルによる接収の阻止に一定の影響を与えることに成功 している。 また法的支援だけでなく、相談内容の集約によるコミュ ニテ ィ全体への提言、女性への職業支援、パレスチナの学生ボラン ティアの受け入れなどの多岐にわたる支援を行っている。 NGO 事 例 2 S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r Ⅳ 章 の ( 2 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 の 事 例 2 で も 取 り 上 げ た S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r は 、3 0 年 以 上 前 か ら 旧 市 街 内 で 活 動 を 行 う NGO で あ る 。 当 初 は 病 院 と し て ム ス リ ム 地 区 の ア ラ ブ 人 を 中 心 に 診 察 を 行 っ て き た が 、1 9 8 7 年 に 発 生 し た 第 一次インティファーダの影響で学校が長期間にわたって閉鎖 さ れ 、教 育 を 受 け る 事 が 出 来 な く な っ た パ レ ス チ ナ の 子 ど も た ちのケアを行ったことがきっかけで、子どもたちへの教育、 ADHD( 注 意 欠 陥 ・ 多 動 性 障 害 ) 20な ど を 患 っ た 子 ど も に 対 す る ケ ア や カ ウ ン セ リ ン グ を 始 め た 。現 在 で は 子 ど も た ち へ の 教 育 と 同 時 に 、女 性 へ の エ ン パ ワ ー メ ン ト や 幼 児 教 育 な ど の ア ド バイスなどの活動をパレスチナの女性たちに対して行ってい る。施設内には中庭やダンスの練習が出来る部屋、また日本な ど 各 国 の NGO か ら 寄 贈 さ れ た 絵 本 な ど を 収 蔵 し た 図 書 室 も あ り、子どもたちに対する教育に力を入れている。 建 物 の 修 復 、機 能 性 の 向 上 に よ っ て 活 動 が 更 に 活 発 に な っ た が、財政的な援助が今後も必要であり、パレスチナ自治政府に よる特別支援教育の早急な整備も必要であると考えている。 36 S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r の 院 長 に よ る と 、3 0 年 間 旧 市 街 において活動を続けてきた印象として、政治的、法的な変化が 激 し く 、刻 々 と 変 化 す る 状 況 に 臨 機 応 変 に 対 応 し て い く こ と が 、 旧市街で活動する難しさであるとのことであった。 NGO 事 例 3 African Community Ⅳ 章 の ( 2 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 の 事 例 3 で も 紹 介 し た A f r i c a n C o m m u n i t y も 、旧 市 街 で 住 民 支 援 を 行 う N G O の 一つである。オスマン帝国時代まで、チャドやスーダンなどか ら旧市街に移住してきたアフリカ系パレスチナ人は各地区に 散らばって生活していたが、英国統治時代に現在の地区に 集ま っ て 暮 ら す よ う に な っ た 。現 在 で は ア フ リ カ 系 パ レ ス チ ナ 人 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 守 っ て い く こ と を 目 的 に 、職 業 訓 練 や 子 ど も た ち の 教 育 と い っ た 、地 区 の 住 民 の ニ ー ズ に 沿 っ た 活 動 を 行 っ て お り 、 内 部 の 設 備 は EU 諸 国 か ら の 支 援 を 受 け て い る。 African Community の 関 係 者 は Al-Qirami と 呼 ば れ る 地 区 に お い て 、イ ス ラ エ ル に よ っ て 接 収 さ れ た 建 造 物 の 監 視 も 行 っ て お り( 写 真 5 )、世 界 遺 産 と し て の 旧 市 街 も イ ス ラ エ ル に よ る 建造物の接収によって文化的価値の喪失の危機を迎えている と 考 え て い る 。 ま た 、 旧 市 街 の 将 来 に 望 む こ と と し て 、 「 a c c e s s i b i l i t y o f a l l 」( 誰 も が 平 等 に ア ク セ ス で き る ) と い う 想いを持っている。 37 写 真 5. 接 収 し た 建 物 に 入 る ユ ダ ヤ 人 入 植 者 と 、 そ れ を 傍 観 す るパレスチナ人 出 典 : 2013 年 10 月 12 日 ,筆 者 撮 影 3)調査結果の分析と考察 We l f a r e A s s o c i a t i o n に よ る 修 復 事 例 、 N G O か ら の 聞 き 取 り 調査によって明らかになった ことを整理する。今回の調査 では、 We l f a r e A s s o c i a t i o n の エ ン ジ ニ ア な ど 、実 際 に 修 復 活 動 に 携 わ っ た 人 物 へ の 聴 き 取 り 調 査 に つ い て は 、調 査 日 程 と イ ン フ ォ ー マントの予定を合わせることが出来ず、実施できなかった。そ こ で 本 研 究 で は 、現 在 建 造 物 を 利 用 し て い る 人 物 へ の 聞 き 取 り や 建 造 物 の 様 子 か ら 、修 復 や 利 用 の 実 態 に つ い て 考 察 を 進 め て いきたい。 本 研 究 の 修 復 事 例 と し て 取 り 上 げ た 建 造 物 は 、い ず れ も 教 育 、 医療、女性の権利向上など、現在は住民の生活支援のための利 用 さ れ て い る 建 造 物 で あ り 、We l f a r e A s s o c i a t i o n は そ う い っ た 38 施設を優先して修復していることが聞き取り調査から判明し た。 ま た 、 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 修 復 作 業 の 最 た る 特 徴 と し て 、 適 応 型 再 利 用 ( Adaptive Reuse) が 挙 げ ら れ る 。 Ⅲ 章 で 述 べ た 通 り 、旧 市 街 の 建 造 物 は イ ス ラ エ ル の 建 築 基 準 に よ っ て 厳 し く 制限されている。さらに、旧市街全体が世界遺産に登録されて い る た め 、文 化 的 価 値 や 景 観 を 損 な う よ う な 改 築 を 行 う こ と も で き な い 。 そ の た め We l f a r e A s s o c i a t i o n で は 、 外 観 の デ ザ イ ン や 材 質 、 建 築 技 法 は 変 更 せ ず ( R e s t o r a t i o n )、 適 応 型 再 利 用 ( Adaptive Reuse ) が 行 わ れ て い る 21 。聞き取りの結果、 S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r で は 部 屋 の 間 取 り の 変 更 、 玄 関 部 分 の 新 た な 設 置 な ど の Adapt ive Reuse が 確 認 で き 、 Saraya Community Center22で は 天 井 の 高 さ を 利 用 し た 2 階 部 分 を 新 た に 設 置 す る な ど の 空 間 の 有 効 活 用 の 事 例 が 見 ら れ た( 写 真 6 )。 写 真 6. Saraya Community Center 内 に み ら れ た 、 高 い 天 井 を 利用して 2 階部分を設置するという「適応型再利用」 出 典 : 2013 年 10 月 12 日 ,筆 者 撮 影 39 こ の よ う な 外 面 の 復 元 と 内 部 の 改 修 を 行 う こ と で 、建 築 物 の 再 生 を 行 う と 同 時 に 、建 築 物 と し て の 機 能 向 上 が 試 み ら れ て い る。ただし、住民側は居住環境の向上を求めて修復作業を依頼 するため、修復が不十分であると考える場合が多く、建築基準 や 歴 史 的 価 値 を 守 り な が ら 修 復 を 行 う We l f a r e A s s o c i a t i o n と の 意 見 の 食 い 違 い が 生 じ る 場 合 も あ り 、合 意 の 形 成 に 大 き な 労 力を費やしている。 そ れ に 対 し て 、 S p a f f o r d C h i l d r e n ’s C e n t e r や 、 A f r i c a n C o m m u n i t y と い っ た N G O と We l f a r e A s s o c i a t i o n と の 関 係 は 聞き取り調査を行った限りでは良好であるとの印象を受けた。 そ の 事 例 と し て 、A f r i c a n C o m m u n i t y で は 建 築 物 の 修 復 後 も 共 同 で 子 ど も の 教 育 プ ロ ジ ェ ク ト を 行 う な ど 、ソ フ ト 面 で の 住 民 支援において協力関係にある団体もある。しかし、修復事業後 の継続的な支援についてはさ れておらず、今後の活動で望 むも の(こと)について質問すると、資金面での追加的な支援を望 む 団 体 が 多 か っ た 。 こ う し た We l f a r e A s s o c i a t i o n の 修 復 支 援 を 受 け て い る パ レ ス チ ナ の NGO は 、 そ れ ぞ れ の 設 立 の 歴 史 的 経 緯 や 活 動 の 範 囲 は 異 な る が 、女 性 の エ ン パ ワ ー メ ン ト や 職 業 訓練、子どもたちへの教育など、活動内容は類似しているとこ ろが多い。また活動目的も、旧市街内の住民の生活をソフト面 から支援していくという方向性は一致している。 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 主 た る 戦 略 は 、ア ラ ブ 人 が エ ル サ レ ム を含むパレスチナの地に住み続けるための活動をいかに財政 的 、物 理 的 に 支 援 し て い く か と い う 更 に 包 括 的 な 視 点 に 立 っ た も の と な っ て い る 。 We l f a r e A s s o c i a t i o n に 勤 務 し て い た R a w a n 氏 に よ る と 、 イ ス ラ エ ル に よ る We l f a r e A s s o c i a t i o n の 活 動 に 対 す る 妨 害 行 為 と し て 建 築 物 の 接 収 、チ ェ ッ ク ポ イ ン ト 23で の西岸地区からエルサレムへの修復事業者の移動の制限な どが存在するとのことであった。こうした妨害行為を受けて、 We l f a r e A s s o c i a t i o n で は エ ル サ レ ム 内 で の 技 術 者 の 育 成 を 急 いでいる。また、イスラエルとしてはガザ地区と西岸地区の分 40 断、分離壁の建設による東エルサレムと西岸地区のヒト・モ ノ・サービスの流通の制限によって、パレスチナの経済の発展 と 自 立 、文 化 や 教 育 レ ベ ル の 上 昇 を 阻 害 し よ う と い う 意 図 が 見 ら れ る 。そ こ で We l f a r e A s s o c i a t i o n 自 身 は S t e a d f a s t( 定 着 す る、根付くという意味)という考え方から、イスラエルの占領 へ の 抵 抗 の 意 思 を 示 し て い る 。具 体 的 に は 国 際 社 会 か ら の 支 援 に 頼 ら な い 自 立 的 な 経 済 の 構 築 、パ レ ス チ ナ の 伝 統 産 業 や 歴 史 な ど の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 継 承 、子 ど も た ち へ の 教 育 支 援 の 充 実 に よ る 将 来 に 向 け た 取 り 組 み に よ っ て 、パ レ ス チ ナ の プ レ ゼ ン ス の 向 上 に つ な げ て い こ う と い う 意 志 が 、 We l f a r e Association が 開 催 し た 会 議 ( 2013 年 10 月 9 日 、 パ レ ス チ ナ 自 治 区 A l - B i r e h に て 開 催 ) や 、 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 事 務 所 における聞き取りによって確認できた。 We l f a r e A s s o c i a t i o n は 潤 沢 な 資 金 を 保 有 し て い る 、パ レ ス チ ナ 有 数 の NGO で あ る こ と は 、 活 動 の 規 模 、 発 行 物 、 そ し て 筆 者 が 参 加 し た 会 議 の 様 子 か ら も 窺 い 知 る こ と が 出 来 る 。O C J R P の 開 始 か ら 1 0 年 以 上 が 経 過 し た が 、 We l f a r e A s s o c i a t i o n の 担 当者は現在も修復で多忙なため新たな報告書をまとめる時間 が な い と の こ と で あ っ た 。 そ れ に 加 え て We l f a r e A s s o c i a t i o n は 現 在 、パ レ ス チ ナ の 文 化 の 発 展 と 継 承 の た め に パ レ ス チ ナ 博 物 館 の 建 設 計 画 を 進 め て お り 、今 後 も パ レ ス チ ナ に と っ て 重 要 な役割を果たしていくと考えられる。 パ レ ス チ ナ の 政 治 は 、ヨ ル ダ ン 川 西 岸 地 区 を 拠 点 と し パ レ ス チ ナ 自 治 政 府 の 主 流 で あ る フ ァ タ ハ と 、ガ ザ 地 区 を 中 心 に 活 動 し て い る 過 激 派 の ハ マ ス の 2 派 が 対 立 関 係 に あ る こ と か ら 、和 平 交 渉 の 進 展 は 期 待 し づ ら い 状 況 と な っ て い る 。ま た 米 国 を は じめとする国際社会もイスラエルとパレスチナの問題に手を こまねいている。そのような状況の中で、住民の生活を直接的 に 支 援 す る こ と が 出 来 て い る の が 、We l f a r e A s s o c i a t i o n を は じ め と し た N G O で あ る 。こ れ ら は 教 育 な ど の ソ フ ト 面 を 中 心 に 、 国際社会からの支援をパレスチナの人々へと還元することに 41 成功している。 筆 者 が 訪 問 し た Industrial Islamic Orphanage School や Saraya Community Center で は 、 多 く の 子 ど も た ち が 授 業 や 活 動 を し て い る 中 で の 聞 き 取 り 調 査 と な っ た が 、子 ど も た ち は 生活環境が厳しく、観光客や巡礼者など、多くの「余所者」が 行き交う旧市街においても非常に活発で明るく、いわゆる「子 どもらしさ」というものを自然に感じることができた。こうし た 様 子 か ら も 、 旧 市 街 の NGO が 現 地 の 住 民 や 子 ど も た ち に 大 きな貢献をしていることが分かる。 こ の こ と か ら 、 占 領 政 策 下 に お け る NGO の 活 動 は 、 住 民 生 活に直結する非常に重要な役割を果たしているといえる。 ま た 、N G O 及 び 修 復 事 例 へ の 聞 き 取 り 調 査 を 通 じ て 確 認 で き た 事 は 、 旧 市 街 で 活 動 し て い る NGO は 、 建 築 物 や イ ン フ ラ 設 備の老朽化などのハード面、教育や社会福祉などのソフト 面の 双 方 に お い て 状 況 が 非 常 に 厳 し い 中 で も 、旧 市 街 に 愛 着 を 持 ち 、 組織として今後も活動し続けたいという想いを持っていると い う 事 実 で あ る 。個 人 的 に は 、Afr ic an Commu n ity の 代 表 が 口 に し て い た 、「 a c c e s s i b i l i t y o f a l l 」 と い う 言 葉 が 非 常 に 印 象 に 残っている。これはイスラム教、パレスチナ人という民族、宗 教 の 枠 組 み を 超 え て 、旧 市 街 に 愛 着 を 持 つ 感 情 か ら 出 た 言 葉 で はないかと感じた。 このように、単に宗教上の聖地という意味づけを超えた、民 族 と し て の 故 郷 と い う 側 面 を 持 つ エ ル サ レ ム が 、N G O 関 係 者 の 中に存在している。 Ⅴ.結論 本 研 究 で は 、ま ず 第 2 章 で 古 代 か ら 現 代 ま で の エ ル サ レ ム の 歴 史 的 、政 治 的 な 背 景 を ま と め 、第 3 章 で は エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 現 状 、U N E S C O に よ る 世 界 遺 産 登 録 と 危 機 遺 産 リ ス ト へ の 記 載 、旧 市 街 内 に お け る イ ス ラ エ ル 当 局 に よ る ユ ダ ヤ 化 に つ い て 42 論 述 し た 。そ し て 第 4 章 で は 実 際 に 旧 市 街 に お い て パ レ ス チ ナ 人のための建築物の修復、職業訓練、教育支援を行っている N G O に つ い て 、現 地 で の 聞 き 取 り 調 査 を 元 に 分 析 を 行 っ た 。こ れらの調査結果を元に、エルサレムに対する各組織、民族の認 識 の 差 異 と 、現 在 起 こ っ て い る 問 題 と そ の 解 決 に 向 け て の 考 察 をまとめていきたい。 ま ず 考 察 を 進 め て い く 中 で 明 ら か に な っ た 事 と し て 、エ ル サ レ ム は 長 い 歴 史 の 中 で 政 治 的 、経 済 的 に 重 要 な 役 割 を 担 う 機 会 は必ずしも多くはなかったという事実がある。歴史上、エルサ レ ム は 地 理 的 に 大 国 の 狭 間 に 位 置 す る こ と が 多 く 、そ の 要 因 か ら 領 有 権 は 次 々 と 移 り 変 わ っ て い っ た が 、エ ル サ レ ム 自 体 が 大 き な 政 治 の 舞 台 と な っ た 時 代 は そ れ ほ ど な い 。エ ル サ レ ム は む しろ宗教の街として、その名を知られてきたのである。 このエルサレムが現代の国際政治の舞台として注目を集め る よ う に な っ た 原 因 は 、欧 米 列 強 に よ る 植 民 地 政 策 と 2 度 の 世 界大戦を経た国家、民族の思惑の交錯によってである。この時 か ら 、エ ル サ レ ム は 長 い 歴 史 を 持 つ 宗 教 の 街 と い う 性 格 だ け で なく、2 つの民族の故郷としての政治的な性格を持つこととな った。現在の世界の構造を作り出した第二次世界大戦の結果、 イ ス ラ エ ル が 建 国 さ れ た こ と で 、パ レ ス チ ナ に 住 ん で い た 多 く のアラブ人が難民となった。そしてエルサレムは東西に分 断さ れ 、そ れ ぞ れ に 全 く 異 な る 雰 囲 気 を 持 つ 街 が 生 ま れ 、1 9 6 7 年 に はイスラエルが国際社会の批判を押し切って東西エルサレム を併合した。 このエルサレム併合からオスロ合意、キャンプ・デービッド 会 談 な ど 、米 国 が 主 導 し た 和 平 交 渉 が 何 度 か 行 わ れ た が 、4 0 年 以 上 の 歳 月 が 過 ぎ た 2013 年 現 在 に お い て も 、 国 際 社 会 は イ ス ラエル‐パレスチナ問題の解決策を見出すことはできていな い。エルサレムでは宗教、民族の違いによる対立という人類史 上における根本的な問題の上に、国際社会のパワーバランス ( 植 民 地 時 代 の 英 国 を は じ め と し た 欧 州 、冷 戦 時 代 の 米 国 と ソ 43 連、アラブ諸国の力関係)などが絡み合い、問題が複雑化して いる。 そ の 中 で も エ ル サ レ ム 旧 市 街 の 帰 属 と 占 領 、文 化 資 源 の 保 全 に関する問題は、三つの宗教の聖地であるという要素も含み、 よ り 一 層 混 沌 と し た 様 相 を 持 つ 。イ ス ラ エ ル の ベ ン グ リ オ ン 大 学 の 講 師 と し て 地 政 学 ( Geopolitics ) を 研 究 し て い る Haim Ya c o b i 氏 に 聞 き 取 り を 行 っ た 結 果 ( 2 0 1 3 年 1 0 月 6 日 実 施 )、 エ ル サ レ ム は イ ス ラ エ ル ‐ パ レ ス チ ナ 問 題 の 構 造 の Micro-Cosmos( 縮 図 ) と な っ て い る と 指 摘 す る 。 こ の エ ル サ レ ム 旧 市 街 に 対 す る そ れ ぞ れ の 組 織 、国 家 の 捉 え 方は異なっている。 本 来 、政 治 情 勢 の 影 響 を 受 け ず に 支 援 を 行 う べ き 存 在 で あ る U N E S C O な ど の 国 際 組 織 は 、エ ル サ レ ム 旧 市 街 は 歴 史 的 ・ 文 化 的 価 値 が 非 常 に 高 く 、「 人 類 普 遍 の 遺 産 」 で あ る と の 認 識 を 持 ち 、世 界 遺 産 及 び 危 機 遺 産 リ ス ト に 記 載 し た 上 で 保 全 に 関 す る 取 り 組 み を 行 っ て い る が 、有 効 な 手 立 て を 打 つ こ と は で き て い ない。この理由として、国際組織の構造に原因がある。筆者自 身 も そ う で あ っ た が 、 日 本 で は UNESCO は 世 界 遺 産 を 守 る あ る種の「理想的な」組織であるというイメージを持たれること が 多 い 。し か し 現 実 に は 国 際 機 関 は 各 国 の 寄 り 合 い 所 帯 と な っ ており、合意形成が困難であるという点と、活動資金が各国か ら の 拠 出 で あ り 、資 金 提 供 国 の 意 向 の 影 響 を 受 け ざ る を 得 な い と い う 点 に お い て 、 UNESCO の よ う な 国 際 組 織 の 限 界 が あ る 。 1967 年 に ユ ダ ヤ 民 族 の 悲 願 で あ っ た エ ル サ レ ム 旧 市 街 を 手 に入れたイスラエルは、分離壁と入植によって地理的、人口構 成的にエルサレム併合の「既成事実化」を進め、旧市街では建 造 物 の 接 収 と 住 居 破 壊 に よ っ て 、ユ ダ ヤ 化 と ユ ダ ヤ の 街 と い う イメージを作り上げている。この根底には、ユダヤ人単一民族 による国家設立運動「シオニズム」の意識が潜在的にあるので はないだろうか。滞在の中で空港のセキュリティの厳しさ、街 中 に 自 動 小 銃 を 構 え た 兵 士 が 行 き 交 う 風 景 、チ ェ ッ ク ポ イ ン ト 44 の 警 備 を 直 接 経 験 し た 印 象 と し て 、イ ス ラ エ ル の 領 土 に 対 す る 一 方 的 で 頑 な な 態 度 は 、世 界 中 で 離 散 と 迫 害 の 歴 史 を 繰 り 返 し て き た ユ ダ ヤ 民 族 の 、も う 二 度 と 自 分 た ち の 住 ん で い る 土 地 を 追 わ れ ま い と す る 意 志 の 裏 返 し の よ う に も 感 じ ら れ た 。し か し 、 一般的なイスラエル人は東エルサレムやパレスチナ自治区を 訪 れ る 事 は 少 な く 、政 治 的 な イ メ ー ジ と し て 取 り 上 げ ら れ て い る と い う 側 面 も あ る 24。 そ れ に 対 し て 、パ レ ス チ ナ 人 に と っ て イ ス ラ エ ル 建 国 と エ ル サ レ ム 併 合 と は 、先 祖 代 々 受 け 継 い で き た 生 活 の 場 を 突 如 奪 わ れ、ヨルダン川西岸地区とガザ地区、そして東エルサレムの一 方 的 な 分 断 が 行 わ れ た 出 来 事 で あ る 。イ ス ラ エ ル に よ る 分 離 壁 の設置や住居破壊といった占領政策は、パレスチナの政治、経 済 を は じ め 、個 人 の 生 活 と 文 化 の 継 承 に も 大 き な 制 約 と し て の し か か っ て い る 。旧 市 街 で は 未 だ に 多 く の パ レ ス チ ナ 人 が 生 活 し て い る が 、本 来 イ ニ シ ア チ ブ を 取 る べ き 存 在 で あ る パ レ ス チ ナ自治政府 が有効な手立てを 打てておらず、居住環境や社 会福 祉 制 度 は 公 的 に は ほ と ん ど 整 備 さ れ て い な い 。こ の よ う な 状 況 から、経済的に余裕のあるパレスチナ人は旧市街を出て、他の パ レ ス チ ナ 自 治 区 へ 移 り 住 む 。一 方 で 旧 市 街 に 住 み 続 け ざ る を 得ないパレスチナ人も多くいる。 またパレスチナ人としては、苛酷な生活環境の中であって も、 文 化 や ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 継 承 、占 領 政 策 へ の 抵 抗 と い っ た 点 か ら 、旧 市 街 を 手 放 す わ け に は い か な い と い う ジ レ ン マ に 陥 っ ている。 こ う し た 問 題 を 抱 え て い る 中 で 、自 治 政 府 や 国 際 組 織 の 働 き を 補 う 活 躍 を 見 せ て い る の が 、We l f a r e A s s o c i a t i o n を は じ め と し た パ レ ス チ ナ 側 の N G O で あ る 。 We l f a r e A s s o c i a t i o n は パ レ ス チ ナ 全 域 に お い て 人 材 育 成 や 他 の NGO の 支 援 を 通 じ て 、 パ レスチナ人の生活、文化の向上と再生を目指している。特に旧 市 街 で は 歴 史 的 建 造 物 の 適 応 型 再 利 用( Adaptive Reuse) を 通 じ て 、 NGO の 支 援 と 住 民 の 居 住 環 境 の 改 善 に 貢 献 し て い る 。 45 こ の 活 動 に お い て 着 目 す べ き は 、We l f a r e A s s o c i a t i o n は 活 動 の中でイスラエル当局との政治的な衝突を避けているという 点である。イスラエルとの対立姿勢を前面に押し出せば、更な る 妨 害 行 為 を 受 け 、活 動 自 体 を 中 止 し な け れ ば な ら な い 状 況 に も な り か ね な い 。 そ こ で We l f a r e A s s o c i a t i o n は イ ス ラ エ ル の 法 律 や UNESCO の 建 築 基 準 に 則 っ た 「 純 然 た る 修 復 で あ る 」 と い う 名 目 で 行 う こ と で 、組 織 と し て の 活 動 を 継 続 す る と い う 現実的な方法を取っている。 ま た 旧 市 街 で 活 動 し て い る NGO の 多 く は 、 教 育 や 職 業 支 援 と い っ た ソ フ ト 面 で の 活 動 に 力 を 入 れ て い る 。特 に 子 ど も た ち に 対 す る プ ロ ジ ェ ク ト を 行 う 団 体 が 複 数 確 認 で き 、将 来 的 な パ レスチナ社会の発展のための長期的なビジョンを持った戦略 を 行 っ て い る 事 が 窺 え る 。聞 き 取 り 調 査 を 行 っ た 各 施 設 に い た 子 供 た ち の 元 気 な 様 子 か ら も 、N G O の 果 た し て い る 役 割 の 大 き さを知ることができた。 ま た こ れ ら の NGO は 旧 市 街 へ の 愛 着 が 非 常 に 強 い こ と が 聞 き 取 り か ら 判 明 し 、や は り パ レ ス チ ナ 人 に と っ て 旧 市 街 は 特 別 な 意 味 を 持 つ 街 で あ る こ と が わ か っ た 。 こ う し た NGO は 追 加 の 支 援 と し て 財 政 面 で の 支 援 を 望 む 団 体 が 多 く 、そ う し た 点 か ら も 、イ ス ラ エ ル に よ る 分 離 壁 や チ ェ ッ ク ポ イ ン ト の 設 置 に よ っ て 自 立 的 な パ レ ス チ ナ 経 済 の 構 築 が 出 来 ず 、国 際 的 な 支 援 に 頼らざるを得ない現実が浮き彫りになった。 そ の よ う な 政 治 的 、 経 済 的 な 制 約 の 中 で 、 We l f a r e A s s o c i a t i o n や N G O は 自 分 た ち に 出 来 る 事 、す べ き 事 を 着 実 に こなし、土地に「根付く」ための取り組みを続けていく事が、 将来のパレスチナ独立につながることを理解しているのだと 感 じ た 。し か し 現 実 に は 政 治 的 な 対 立 が さ ら に 解 決 し な い 限 り は、根本的な解決は訪れないであろうことは想像に難くない。 そ の 一 方 で 、今 回 の 研 究 で は 旧 市 街 に 住 む 住 民 の 意 見 や 考 え を 十 分 に 集 め る 事 は 出 来 な か っ た 。実 際 に 生 活 を お こ な っ て い る 住 民 の 情 報 を ま と め る こ と で 、 NGO の 活 動 の 影 響 に つ い て 、 46 旧市街でのパレスチナ社会のより正確な実態を明らかに出来 るのではないかと思う。 エルサレム旧市街が、旧市街に関わる者にとって「重要」で あ る と い う 事 実 は 、現 地 調 査 を 始 め と し た 本 研 究 を 行 っ て い く 中 で 何 度 も 実 感 す る こ と が 出 来 た 。し か し 問 題 は 、そ の「 重 要 」 の意味合いが、それぞれの民族、組織によって異なっていると いう点であると考えられる。 イ ス ラ エ ル に と っ て は 政 治 的 な 象 徴 の 街 と し て 、U N E S C O に と っ て は 文 化 的 価 値 の 高 い 街 と し て 、そ し て パ レ ス チ ナ に と っ て は 生 活 の 場 で あ る と 同 時 に 、 民 族 の 聖 地 の 街 と し て 、「 重 要 」 で あ る と 認 識 し て お り 、そ の 認 識 の 齟 齬 が 解 決 困 難 な 旧 市 街 の 現状を生み出しているのではないだろうか。 今 後 、旧 市 街 の 管 理 権 や 建 造 物 の 修 復 や 建 築 を め ぐ る 諸 問 題 の解決に向けて必要な事は、それぞれの組織、民族が互いに歩 み 寄 り 、譲 歩 を 重 ね な が ら 妥 結 点 を 見 出 だ す 協 議 を 進 め て い く ことである。しかし、そのためにはパレスチナの政治の安定、 経 済 的 自 立 を 加 速 さ せ 、イ ス ラ エ ル と 国 際 社 会 に 対 し て 存 在 感 を 高 め て い く こ と が 不 可 欠 で あ る 。そ の パ レ ス チ ナ の プ レ ゼ ン ス の 向 上 に 向 け て 、 We l f a r e A s s o c i a t i o n や N G O の 活 動 は 今 後 更に重要性を高めていくのではないかと思う。 エルサレム旧市街は多様な民族、宗教、価値観が同時に存在 する、世界でも非常に珍しい場所の一つである。この地では、 グローバルな国際情勢がローカルな住民の生活と密接に結び つ い て お り 、多 様 化 す る 現 代 世 界 の 将 来 像 の 一 つ と な り 得 る 場 所である。であるからこそ、領土紛争下にあり、外交上の交渉 は 袋 小 路 に 陥 っ て い る エ ル サ レ ム 旧 市 街 で の パ レ ス チ ナ NGO の現実的な活動はより注目されるべきものであると思う。 「世界遺産の保全」というテーマは、一見すると協調性に溢 れ 、友 好 的 な イ メ ー ジ が 先 行 す る こ と が 多 い 。し か し 現 実 で は 、 エ ル サ レ ム 旧 市 街 を 取 り 巻 く 問 題 の よ う に 、文 化 資 源 や 遺 産 の 保全を考える場合、それらは政治的な側面を持つものであり、 47 誰が、何のために、その遺産を守るのかということを常に意識 する必要がある。 米 国 同 時 多 発 テ ロ か ら 10 年 以 上 が 経 過 し 、 チ ュ ニ ジ ア や エ ジプトにおける「アラブの春」とその後の混乱、イランの核兵 器問題、シリア内戦など、イスラエルとパレスチナを取り巻く 中 東 情 勢 は 今 な お 混 迷 を 極 め て い る 。そ ん な 中 で エ ル サ レ ム 旧 市街とイスラエル‐パレスチナ問題が今後どのような展開を 迎 え る の か 、少 し の 間 で あ っ た が こ の 場 所 に 関 わ っ た 者 と し て 見届けていきたい。 <謝辞> 本論文の執筆にあたって、エルサレムにおいて調査のサポー トをしてくださった今野泰三様、金城美幸様、そして通訳を引 き 受 け て く だ さ っ た 辻 圭 秋 様 に は 、調 査 だ け で な く 滞 在 に お い ても暖かいご支援を頂きました。語学力や経験など、あらゆる 面 で 力 不 足 だ っ た 私 を 支 え て く だ さ い ま し た 。現 地 の イ ン フ ォ ーマントの方々も、外国人である私に親切に対応して下さり、 多くの情報を提供していただきました。 ま た 最 後 に な り ま し た が 、指 導 教 官 の 山 崎 孝 史 教 授 に は 海 外 調 査 に お け る 全 面 的 な バ ッ ク ア ッ プ や 、研 究 の 方 向 性 を 常 に 示 していただくなど、常に多大なご支援を受け賜わりました。今 回の研究は、単なる卒業論文としてだけでなく、私の人生の中 で非常に大きな経験とさせて いただくことが出来ました。皆様 に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。 脚注 1) 飛 奈 ( 2009) に よ れ ば 、 ユ ダ ヤ 化 と は 都 市 計 画 の 中 で 西 エ ル サ レ ム と 東 エ ル サ レ ム の イ ン フ ラ を 結 び つ け る 、あ る い は 東西エルサレムの地理的統合と人口比におけるユダヤ系住 48 民の絶対的優位の確立を意味する。 創 世 記 ( 15: 18) に よ る 。 3) 岩 の ド ー ム 付 近 に あ る 、 ウ マ イ ヤ 時 代 に 建 て ら れ た モ ス ク 。 4) 1894 年 に パ リ で 発 生 し た ス パ イ 事 件 が 発 生 し ユ ダ ヤ 人 の ド レ フ ェ ス 大 尉 が 証 拠 も な い ま ま 有 罪 判 決 を 受 け た 事 件 。こ の 事件の裏には反ユダヤ感情が存在したと考えられた。 ) 5 正式名称パレスチナ解放機構。イスラエルの支配下にある パ レ ス チ ナ の 解 放 を 目 的 と し た 組 織 で あ り 、現 在 の パ レ ス チ ナ自治政府の母体である。 6) PLO と イ ス ラ エ ル が 交 渉 を 行 い 、PLO に よ る イ ス ラ エ ル 生 存 権 の 認 可 と テ ロ 活 動 の 放 棄 、イ ス ラ エ ル 側 は パ レ ス チ ナ の 暫定自治を認めるという合意。 7) ガ ザ 地 区 を 拠 点 と す る イ ス ラ ム 政 治 組 織 。 ア メ リ カ や イ ス ラエルからはテロ組織の認定を受けている。 8) イ ス ラ エ ル が テ ロ 防 止 の 名 目 で パ レ ス チ ナ 自 治 区 と の 境 界 付 近 に 設 置 し た 防 壁 。実 際 の 境 界 か ら は 大 き く パ レ ス チ ナ 自 治 区 に 食 い 込 む 形 で 建 設 さ れ て お り 、国 連 や 国 際 社 会 か ら の 批判を受けている。 9 ) パ レ ス チ ナ の 政 党 で あ り 、パ レ ス チ ナ 自 治 政 府 の 最 大 派 閥 。 1 0 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 4 7 に よ る 。 1 1 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 5 2 に よ る 。 1 2 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 5 2 に よ る 。 1 3 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 6 6 - 6 9 に よ る 。 1 4 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 7 0 - 7 5 に よ る 。 1 5 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 7 6 - 7 9 に よ る 。 1 6 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ) , p . 7 9 - 8 5 に よ る 。 17) 文 化 遺 産 及 び 自 然 遺 産 を 人 類 全 体 の た め の 世 界 の 遺 産 と し て損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な 協 力 及 び 援 助 の 体 制 を 確 立 す る こ と を 目 的 と す る 条 約 。条 約 締約国からの遺産推薦、専門機関による調査、世界遺産委員 会による決定という流れで世界遺産が認定される。 1 8 ) 朝 日 新 聞 2 0 11 年 11 月 1 日 朝 刊 に よ る 。 1 9 ) We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 1 3 ) に よ る 。 20) ADHD と は 、年 齢 あ る い は 発 達 に 不 釣 り 合 い な 注 意 力 、 及 び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的 な活動や学業の機能に支障をきたすものである。 文 部 科 学 省 HP: h t t p : / / w w w. m e x t . g o . j p / a _ m e n u / s h o t o u / t o k u b e t u / 0 0 4 / 0 0 8 / 0 01.htm( 最 終 閲 覧 2014 年 1 月 14 日 ) 2 1 ) R a w a n 氏 、 WA 事 務 所 へ の 聴 き 取 り 調 査 に よ る 。 22) 旧 市 街 ム ス リ ム 地 区 の Saraya と い う コ ミ ュ ニ テ ィ 内 で 住 民 支 援 活 動 を 行 っ て い る NGO が 利 用 し て い る 建 造 物 。 2) 49 23) イスラエル、パレスチナ自治区国境及び、ヨルダン川西岸 地区とエルサレムとの間にイスラエルが設置している検問。 通 貨 の 際 は 身 分 証 の 提 示 、手 荷 物 の チ ェ ッ ク が 行 わ れ る こ と がある。 2 4 ) H i a m Ya c o b i 氏 へ の 聞 き 取 り 調 査 に よ る 。 参考資料・文献リスト We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 0 3 ):『 J E R U S A L E M H e r i t a g e a n d Life』 We l f a r e A s s o c i a t i o n :『 L o n g L i v e H i s t o r i c C i t i e s 』 We l f a r e A s s o c i a t i o n ( 2 0 1 3 )『 A n n u a l R e p o r t 2 0 1 2 』 笈 川 博 一 ( 2 0 1 0 ):『 物 語 エ ル サ レ ム の 歴 史 』 , 中 公 新 書 。 大 野 哲 也( 2 0 0 8 ) 「地域おこしにおける二つの正義―熊野古道、 世 界 遺 産 登 録 反 対 運 動 の 現 場 か ら 」 ,ソ シ オ ロ ジ 53-2。 鈴 木 晃 志 郎 ( 2 0 1 0 )「 ポ リ テ ィ ク ス と し て の 世 界 遺 産 」 , 観 光 科 学 研 究 3 57- 69 頁 。 飛 奈 裕 美 ( 2 0 0 7 ):「 エ ル サ レ ム 旧 市 街 の パ レ ス チ ナ 社 会 に お け る 占 領 下 の 諸 問 題 と 抵 抗 --商 店 街 の 事 例 か ら 」 ,ア ジ ア ・ ア フ リ カ 地 域 研 究 (7-2), 214-237 頁 。 飛 奈 裕 美 ( 2 0 0 9 ):「 エ ル サ レ ム に お け る イ ス ラ エ ル 占 領 政 策 と パ レ ス チ ナ 人 の 戦 術 --住 居 建 設 の 事 例 か ら 」,イ ス ラ ー ム 世 界 研 究 2(2), 131-151 頁 。 広 河 隆 一 ( 1 9 8 7 ):『 パ レ ス チ ナ 』 , 岩 波 書 店 。 見 原 礼 子( 2 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