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No.174 2014年 8月号

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No.174 2014年 8月号
J A O
S H O N A N
じゃお湘南四木会月報
No.174
場
所:
藤沢市民活動推進センター2F
兼
題:
「文月」・
「南瓜」及び「白」
2014年8月18日
を詠み込んだ句
指
導:
参 加 者:
廣崎
龍哉氏
18名(投句6名)
関西以西の地域は台風と大雨に見舞われ、前回の台風時の高知大洪水に続き、今度は広
島で土石流の大災害とか。それに反し湘南地域は猛暑に少雨で、じゃお農園の作物は生育
が悪いようです。福島原発事故もそうですが、自然の猛威の前には人間の技術や知恵など
及ぶべくもないものだと痛感させられます。
8月の定例会は暑さにもかかわらず18名が参集し、賑々しく披講が行われました。結果
は後記の通りです。
◇前回の復習
1.佳句寸評
(特選―◎)
☆荒神輿砂にめり込む足袋の先
良月
浜降祭の見どころの一つ、各神社から集まってきた神輿が浜に降り立って一揉み
する場面を捉えた。中七から下五にかけての措辞が、威勢よく揉み合う神輿の景を
活写している。「砂にめり込む足袋の先」がいかにも浜降祭を詠みとめた句として秀
逸である。
・がんばらないが介護の極意百日草(元句:がんばらない介護の極意百日草) 豊春
近頃は老老介護が増えている。連合いが介護状態になった場合、家事と介護の負
担が一挙に押し寄せてくる。頑張り過ぎては共倒れになってしまう。気持ちに余裕
を持ちながら気長に取り組むのが良いと。季語「百日草」の斡旋が優れている。
・神輿過ぎ一つ残れる草鞋かな
洋一
浜に降り立って勢いよく一揉みした神輿が去った跡に、担ぎ手の足から外れた草
履の片割れが残っている。観察が行き届いており「一つ残れる草履」が即物具象の
俳句の基本に適っている。神輿の句として新鮮。
1
・あかときの闇や一番神輿の灯
良月
各神社は神事の後午前一時頃宮立ちをして、近くの何社かが集まり浜に向かう。
その宮立ちの景を捉えたものであろうか。闇の中にともる神輿の灯が厳かな雰囲気
を漂わせている。
・不揃ひのラジオ体操雲の峰
ひろし
夏休みに入ると町内会などで子供を含めて毎朝ラジオ体操をするところがある。
みんな曲に合わせて間違えることなく体操しているのだが、夫々のペースでやって
いるので統一感がない。雲の峰という季語の斡旋が景を引き立てている。
(佳
句)
・大神輿人波連れて海に入る(元句:神輿渡御人波連れて海に入る)
邦夫
・担ぎ手の泳ぎ出したる神輿かな(元句:担ぎ手の泳ぎ出したり浜降祭)
・鈴跳ねて神輿の勢ひ止まらず
達男
・環を打つ重たき音や夏祭
澄連
・早暁や壱番神輿海に入る
たか志
・鳳凰の朝日に光る神輿かな
繁好
・鉢巻を外しうなじへ祭果つ
良月
・箪笥打ち囃す乙女や祭髪(元句:箪笥打つ囃す娘や祭髪)
・浜の字の前掛けの子や夏祭
・大神輿鳥居の幣に触れて出づ
澄連
たか志
・朝日浴び波に分け入る神輿かな
・禿頭も茶髪もかつぐ神輿かな
・浜降祭まこと相模に神多き
達也
澄連
たか志
・愛犬も祭袢纏着てをりぬ(元句:愛犬も祭袢纏着せられて)
・伸びらかな祭甚句や烏帽子岩
繁好
耕一
洋一
2.俳句の基本
①季重なりは避ける
・涼しげにうしろ姿や祭髪
②報告・説明の句は避ける
・渡御神輿みて握り飯頬張れり
・万歩計ノルマをクリアー昼寝せり
3.添削例
・百合ひらく学童の列足ゆるめ
→
・担ぎ手もカメラ目線のみこしかな
百合咲くや学童の列足とめて
→担ぎ手のカメラ気にする神輿か
2
洋一
◇俳句ワンポイント講義
句誌「俳句」平成26年5月号に掲載された、上田日差子さんの「瞬間を切り取った
名句『いのち』―喜びと悲しみと」を読んで鑑賞しました。
金亀子擲つ闇の深さかな
高浜虚子
金亀子(こがねむし)は、夏の夜に大きな翅音をたてて燈火にとびこんでくるものである。掲
句の金亀子も然(しか)り、作者のいる家の中までとびこんできたことは確かである。
〈擲(なげ
う)つ〉は、投げすてる・投げつけるの意。思わず手に掴まえて縁側から放り投げたのであ
ろう。
金亀子は一瞬にして深い闇の中に消えたのである。消えたというよりも、むしろ吸い
込まれたといえる速さであったにちがいない。中七以下を「擲つ深き闇の中」とせずに
〈擲つ闇の深さかな〉と切字〈かな〉を用いて〈深さ〉を強調したところに、先の見え
ない漆黒の闇の計り知れない怖(おそ)れの念を抱いたにちがいない。擲つという動作がもた
らした咄嗟(とっさ)の感慨である。
雉子の眸のかうかうとして売られけり
加藤楸邨
昭和二十年の冬に作句された句だと言われている。雉子(きじ)は春の季語であるが、猟期
である冬だからこそ、売られる雉子を目(ま)の当りにしたのである。この句の背景には、
戦争という紛れもない事実がある。戦後の闇市にて、雉子は吊り下げたまま売られてい
る。作者は出会うべくしてこの雉子に出会ったと言えようか。
〈かうかう〉は漢字に直すと「皓皓」であ
しかも出会ったのは雉子の〈眸(め)〉である。
ろうか。見開いたまま白く輝く眼光に、哀れさよりもむしろ命の輝きさえも感じられる
凄まじさである。空襲にて蔵書二冊以外の全てを焼失した作者の声なき怒りが、雉子の
眸に託されたように思えてならない。
万緑の中や吾子の歯生え初むる
中村草田男
見渡すかぎり樹木の緑を表す「万緑」を、季語として創始した一句である。
「万緑叢中
紅一点」という王安石の詩の一語を起源としており、作者の脳裏には「青葉若葉」では
なく「万緑」の語が浮かんだところが興味深いことであり作者の手柄である。
〈万緑〉と取り合わされたのは〈吾子の歯生え初むる〉という事実である。発見した
のは嬰児(みどりご)の一本の乳歯、芽程の小ささだが、その白い煌(きら)めきは緑との対照によ
って生かされる。葉の緑も歯も生えるという共通点で結ばれ、人間界自然界を超越した
多大なる命の讃歌となった。〈万緑の中や〉と句またがりにして入れた切字〈や〉に父親
としての心の昂揚も託されていよう。
天瓜粉しんじつ吾子は無一物
鷹羽狩行
「無一物(むいちぶつ)」は仏語の「本来無一物」に拠るもの。本来空(くう)であるから一物と
して執着すべきものはなく、一切のものから自由自在になった心境をいう。何も持って
(次ページへ)
3
いないことは、自由である半面とても無防備である。作者は自註において「天瓜粉(てんかふ
ん)をはたかれるまま、なすがままという完全な無力さが、可愛さに通じるのではないか」
と述べる。また、全(まった)くという意の〈しんじつ〉に誕生したばかりの命への感動が込
められた。
楠本憲吉はこの句を「赤ん坊を『物』として把握し、『愛』の網目を濾過して、
〈中
略〉赤ん坊の内部に入り込み、対象を我との主客未分の世界に還元し、物自体となって
詠んだ強み」があると論じている。
初めての蛍水より火を生じ
上田五千石
〈初めての蛍〉すなわち初蛍である。作者の家の前に小川が流れ、その岸の草むらに
決まって蛍が現れたのである。。
この句が出来る十年ほど前に作者は〈初蛍いづくより火を点じ來し〉という句を作っ
ている。その年に初めて火を点す蛍であるが、はたしてその火種はどこからもたらされ
たものであろうかという意味の句である。その疑問が歳月を費して、ようやく答が出た
という。つまり、〈水より火を生じ〉である。水中に生まれ育った蛍は、やがて火を放つ
虫と化す。身を点す火は蛍の短くも激しい命の証である。中七を句またがりにすること
で、初蛍の生の神秘が強調された感がある。
◇今日の一句
参加者18名と6名の投句の計120句が披講され、結果は下記の通り、5 句が二重丸
を頂戴しましたが、奥様の看病の傍ら先月より四木会に復帰された豊春さんはブランク
を全く感じさせず、2か月連続二重丸を獲得されました。
各自自薦の句は以下の通りです:
俳
号
・ひぐらしや檀家絶えたる峡の寺(最多)
龍哉
・空蝉も獲物のひとつ籠の中
なをき
・朝粥に梅干一つ文月かな
ひろし
・駆け回る子の背におどる夏帽子(◎)
清昭
・叩かれて撫でられてゐる大南瓜
玄舟
・富士の嶺に星の降りゐる文月かな
一宇
・空白のフアックス届く秋暑かな
耕一
・幼子の書順正す文月かな
繁好
・大南瓜出刃包丁の出番かな
やすし
・葉の陰に潜んでゐたり大南瓜
忠男
・海原に白きひとすぢ土用波(◎)
豊春
・恐妻といへど伴侶や唐辛子
良月
(次ページへ)
4
・降りしきる雨に燃ゆる火広島忌(◎)
洋一
・熟睡の朝の目覚めや今日の秋
のぼる
・白紙答案出して昼寝の覚めにけり(◎)
夏瑚
・寺多き棚田の村や盆の雨
たか志
・床打ちし狂女の面や初嵐
未希男
・ガラス玉転がしながらラムネのむ
邦夫
・蟋蟀や今年も同じ宿を借る
勝
・長屋門の影に飛び来しばったかな
澄連
・レコードのタンゴかするる秋思かな
杖空
・空堀の残る城址や蝉しぐれ(◎)
達也
・ふぞろひの南瓜の並らぶ道の駅
一江
・冷麦の目にも清しき白さかな
達男
◇次回の句会(定例会)
日
時:
9月8日(月)
午後2時出句:
披
講:
藤沢市民活動推進センター2F小会議室
兼
題:
「名月」・「花野」及び「黄」を詠み込んだ句
他当季雑詠 2 句
懇 親 会:
庄や
以上
5
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